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芽 瑠 璃 堂 マ ガ ジン 『 R O O T 』 # 0 1 1
11
二名敦子∼奇跡の初CD化!
スモール・フェイセス
サリー・ソウル・シチュー
芽瑠璃堂マガジンWEB 人気記事
芽瑠璃道∼芽瑠璃堂の原点を辿って
サリー・ソウル・シチュー
スモール・フェイセス
&イミディエイト・レーベル
二名敦子
奇跡の初CD化!
2011 年 1 月 23 日、杉真理&村田和人が吉祥寺にある小さな
ライヴハウス、STAR PINE'S CAFEで「オリジナルだよ全員集合!
2 人きりで2011 年を占う!」と題したライヴを行いましたが、そ
のライヴにスペシャルゲストとして登場したのが二名敦子でした。
そこでは「ちょっと泣きたい Wednesday」「Wonderland 夕闇
City」「風の街角」の 3 曲が歌われたそうです。1986 年に発売
された『Fluorescent Lamp』以降、結婚、出産を機に歌手と
しての活動を引退していた二名敦子が約 15 年振りに公の場に姿
を現したことは、シティ・ポップ/ AORファンに大きな驚きと感
動を、そして喜びをもたらしたようです。
二名敦子は 1959 年 1 月 18 日生まれ。20 歳の頃に芸名であ
る、早川英梨名義でシングル「誘われて夏/ゆれながら二人
(CONTINENTAL /テイチク/ CE-7)」で歌手デビュー。続い
二名敦子
PLAY ROOM∼戯れ
CRCD5043(クリンク・レコード)
01. COMMUNICATION
02. マッチ売りの少女
03. LIAR
04. MR.ボージャングルス
05. 明日に架ける橋
06. MAN OR BOY
07. 艶しい関係
08. LET ME KISS
09. 戯び
10. 幻の手
て「霧のリバプール/涙のイタリアンツィスト(CONTINENTAL
/テイチク/ CE-17)」を発売した後、唯一のアルバムである
『City(CONTINENTAL /テイチク/ CI-4)』を1981 年に発売。
いずれも歌謡曲路線となっています。
1983 年に本名である二名敦子に改名し、今回クリンク・レコー
ドから初 CD 化された『PLAY ROOM ∼戯れ(テイチク/ GM140)』で再デビュー。早川英梨名義での歌謡曲路線とは一線を
画す、全曲が洋楽のカバーとなっており、ジャズやボサノバ、ラ
テン、そしてジェリー・ジェフ・ウォーカーや、サイモン&ガーファ
ンクルといった名曲の数々を日本語の歌詞に書き直してカバーす
る と い う 大 胆 な 復 帰 作 と な りまし た。ザ・ス クェア(THE
SQUARE)が バックを務 め、元 WHY(織 田 哲 郎、長 戸 秀 介、
北島健二)の北島健二もギターで参加し、サウンド・プロデュー
スは入江純、アレンジは当時ザ・スクエア在籍中の和泉宏隆と分
担しています。人気ガイド本『Light Mellow 和モノ669』と『和
ジャズ・ディスク・ガイド』でも紹介されていることからもお分かり
頂けるように、全編に渡ってハイ・クオリティなシティ・ポップ∼
フュージョン・サウンドが展開されています。
そして翌 1984 年にはビクターに移籍し、
『LOCO ISLAND(ビ
クター音楽産業/ VDR-22)』を発売。前作から一転したリゾー
ト/シティ・ポップス路線の作品。日本のフュージョン・ギタリスト
の第一人者のひとりである高中正義が作曲し、佐藤博が編曲し
た「カラパナ・ブラック・サンド・ビーチ」、村田和人作曲の「ちょっ
と泣きたい Wednesday」、ケオラ&カポノによるビーマーズの
ヒット曲であり、ハワイの代名詞的な 1 曲、そしてカーペンターズ
のカバー(89 年『ラヴラインズ』収録)でもお馴染みの「ホノルル・
シティ・ライツ」などが収録されています。シングルとしても発売
された「渚のフェイム c/w カラパナ・ブラック・サンド・ビーチ(ビ
クター音楽産業/ VIHX-1629)」はマックスファクターのキャン
ペーン・ソングとして使用されました。
1985 年には、近年再結成し、2012 年 8 月には約 33 年振りと
なる 来 日 公 演 も 決 定してい る パブ ロ・クル ー ズと共 演した
『WINDY ISLAND(ビクター音楽産業/ VDR-1009)
』を発売。
SELECTED DISCOGRAPHY
編曲は西城秀樹のサポート・バンドとしても活躍した藤丸バンドな
どでも知られる芳野藤丸が担当。パブロ・クルーズが 1977 年に
A&M から発売した傑作『ア・プレイス・イン・ザ・サン』に収録さ
れていた「トゥナイト・マイ・ラヴ」と「アトランタ・ジューン」を
日本語の歌詞に書き直したカバーも収録されています。
「Soldier
Fish」
「雨の Scenic Point」
「二人の Wednesday」収録。
続いて同年 11 月に発売されたのが『Naturally(ビクター音
楽産業/ VDR-1123)』で、編曲は前作に引き続き芳野藤丸が
担当。「Hi-way 1」のみ鳥山雄司が作曲、編曲。「ココナツシャ
ンプー」「風の街角」「ハートはオフショア」などを収録。同じ年
にカセットのみという変則的な形態ながら『RAINBOW ISLAND
RADIO SHOW』を発売。これは「ハワイにある架空の放送局
でニ名敦子と2 人のロコDJ によるラジオショーという設定」で、
英語コメントによるこれまでの発表曲の紹介と、ジングルや DJ の
MCを駆使して演出したものが収録されていたようです。
1986 年には代表曲とも言える「オレンジバスケット」が収録
された『him(ビクター音楽産業/ VDR-1275)』を発売。こ
の曲は当時キリンオレンジの TVCF に使われてシングル・カットも
されました(c/w Hi-way 1(ビクター音楽産業/ VIHX-1688)。
作詞は田口俊、作曲は崎谷健次郎、編曲は佐藤準が手がけてい
ます。「曇りのち“Easy”」は音楽ライター、金澤寿和氏が監修
し2004 年に発売された、グルーヴやメロウネスをテーマにした
AORコンピレーションシリーズの 1 枚『Light Mellow Sky』に
収 録 さ れ てい ます。「夏 のシュプ ー ル」「ム ーンライト マ マ」
「One Way Love」などを収録。
そして現在までのところラスト・アルバムとなっているのが、
早川英梨
1986 年に発売された『Fluorescent Lamp(ビクター音楽産
01. 誘われて夏/ゆれながら二人
業/ VDR-1452)』。この作品は二名敦子自身が作詞作曲を手が
けた意欲作と呼べる内容となっており、「展覧会の午後」「夕暮れ
まで」「ビーチサイド」などを収録。
(CONTINENTAL/テイチク/CE-7)
02. 霧のリバプール/涙のイタリアンツィスト
(CONTINENTAL/テイチク/CE-17)
1979 年に早川英梨名義でデビューしてから約 7 年。二名敦子
としてデビューしてからはたったの 3 年間という短い間でしたが、
甘いメロディーと澄んだ歌声がとても魅力的で、夏のリゾートを
思わせる楽曲を多く歌い、多くの音楽ファンの身近に存在してい
た二名敦子の音楽。2012 年の今聴いてもまったく古くささを感
03. City(CONTINENTAL/テイチク/CI-4)
二名敦子
04. PLAY ROOM ∼戯れ(テイチク/GM-140)
05. LOCO ISLAND(ビクター音産/VDR-22)
じることはなく、むしろ新鮮なサウンドと響きは「フリーソウル」
06. WINDY ISLAND(ビクター音産/VDR-1009)
や「メロウ」といった言葉が重宝される今だからこそ再評価した
07. Naturally(ビクター音産/VDR-1123)
い作品群だと思います。
08. him(ビクター音産/VDR-1275)
09. Fluorescent Lamp(ビクター音産/VDR-1452)
文=葉月賢治
先日久し振りにイアン・マクレガンのライヴ映像『イン・コン
SMALL FACES
サート』を観ていたら、思わず懐かしくなってしまった。今から遡
るところ12年前、2000年の4月にドイツのスタジオにオーディ
激しく揺れ動いていく60年代の後半に、
スモール・フェイシズは大いなる飛躍を
見せたのである。
エンスを招いて行われた演奏を収録したこのDVD、ややふっく
らしたとはいえ、過日と何ら変わらぬマックのケレン味のない
ロックンローラーぶりが嬉しく、彼が現在拠点としているテキサ
ス州オースティンのミュージシャンたちとともに寛いだプレイを
スモール・フェイセス ∼イミディエイト
︵ビクター エンターテインメント︶
VICP75072-73
聞かせている点も素晴らしい。当時の彼の新作だった『ベスト・
オブ・ブリティッシュ』からの曲は勿論のこと、彼のそれまでの長
いキャリアを俯瞰したような選曲にも心躍らせられたものだ。
そこでは勿論マックにとって初期のキャリアとなるスモール・
フェイシズ時代の代表曲も歌われていた。
そう彼らのデビュー・
シングル「ホワッチャ・ゴナ・ドゥ・アバウト・イット」と5枚めのシ
ングル曲であり、
スモール・フェイシズの歴史のなかでも燦然と
輝くあの「オール・オア・ナッシング」の二曲である。前者ではま
だマックが正式メンバーとなっていなくオルガンはジミー・ウィ
ンストンだったなあとか、後者はすっかりモッズ讃歌として親し
まれてきたなあとか、そんなことを思い出しながらビールを飲
みつつ鑑賞していると、単なる懐かしさばかりではなく、
自分が
果たして一体どういう音楽が 好きだったのかとか 、どんな
ミュージシャンに心惹かれてきたのか、
といった気持ちが思わ
オグデンズ・ナット・ゴーン・フレイク
︵ビクター エンターテインメント︶
VICP75074-75
ず込み上がってくる。
ロンドンはイースト・エンド出身の気風のいいモッズ・バンド。
そんな風にしてスモール・フェイシズは65年の8月にレコード・
デビューした。結成に至る諸々のエピソードはさんざん語り尽
くされてきたのでここでは省略したいが、彼らのデビュー曲「ホ
ワッチャ・ゴナ・ドゥ・アバウト・イット」のリフがソロモン・バーク
の「エヴリバディ・ニーズ・サムバディ・トゥ・ラヴ」から引用され
るなど、
ブラック・ミュージックからの影響が強かった点は、
モッ
ズ云々という文脈にさほど興味を持たない音楽ファンをも引
き付けるに十分な要素だろう。事実スティーヴ・マリオットの迫
力に満ちた濃密なヴォーカルには、誰しもがそのモノホンの味
わいを感じるのではないだろうか。なお蛇足ながら先の「ホ
ワッチャ∼」でのリフ借用の件は、のちにドクター・フィールグッ
ドがバークの曲「スチュピィディティ」をカヴァーしたことと併せ
オータム・ストーン︵発売延期/発売日未定︶
︵ビクター エンターテインメント︶
VICP75076-77
考えてみるのも面白いだろう。そうした面からは、いつの時代
であってもブルーズやR&Bに源泉を求める英国の若者たちが
沢山いるといった事実がくっきり浮かび上がってくるのだから。
そんな意味でスモール・フェイシズを広く見渡せば、
ローリン
グ・ストーンズの弟的な存在だったともいえるだろう。
しかしス
トーンズが5人編成で結成当時から2本のギターの絡みを中心
にアンサンブルを組み立てていたのに対して、
スモール・フェイ
シズの場合は、
オルガン奏者のマックが一翼を担っていた点が
面白い。そんな編成の違いからか、ストーンズが時にジミー・
リードとエディ・テイラー風をイメージして音を組み立てていた
のに対し、
スモール・フェイシズの場合はよりゴスペル・ソウル
に直結するようなエッセンスを感じさせる。
ストーンズは結成し
た当初ジミー・リードの「ブライト・ライツ・ビッグ・シティ」で演
奏していたが(BBC音源あり)、
スモール・フェイシズがそうした
ギター・オリエンテッドな方向性に走らなかっことは覚えておき
たい。
クラブDJたちが飛び付きそうな「グロウ・ユア・オウン」や
トータル・アルバムとしてはビートルズの『サージェント・ペ
「オールモスト・グロウン」
(チャック・ベリーの59年作品とは同
パーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』
(67年)の余波もあり
名異曲)
といったインストゥルメンタルR&Bにしても、あくまで
そうな『オグデン∼』に関しては、のちのプログレッシヴ・ロック
マックによるハモンド・オルガンが 胆となり、ブッカー・T&
に通じる壮大さや大作主義よりも、むしろイギリスの土壌にあ
MG's的なセンスをまぶしていくのだった。
るミュージック・ホール的なざわめきを、
ヴォードビル調の語ら
ストーンズ絡みの話をもう少し書いておくと、
スモール・フェ
いのなかにまぶしていったような印象が強い。むろんサイケデ
イシズもまたストーンズと同じくデッカ・レーベルと契約して
リック∼ドラッグ・カルチャーからの影響もあるのだろうし、彼ら
キャリアをスタートさせているのが興味深い。初代マネジャー
本来のR&B感覚とサイケな要素が見事に融合した「アフター
のドン・アーデンとは”毎週20ポンドの固定給とカーナビー・ス
グロウ・オブ・ユア・ラヴ」といった傑作も収録されているのだ
トリートで服が買い放題”という契約を結び無邪気に喜んでい
が、アルバム全体がイギリス中世の寓話や英国郊外の田園的
たスモール・フェイシズの面々だが、
アーデンといえばメンバー
な風景をイメージさせる辺りが何ともユニークである。そう、
ま
に無断で「マイ・マインド・アイズ」の没テイクをシングル・カット
るでキンクスの『サムシング・エルス』のように。
したり、いくらヒット・チャートに曲を送り込んでも印税面での
発売当時はアナログ盤の2枚組だった『オータム・ストーン』
フォローがまったく為されなかったりと、
メンバーは次第に
に至ってはどうだろうか。
この作品は何もオリジナル・アルバム
アーデンに対する不信感を募らせていった。もう少し後のこと
ではなく、
シングル・ヒットやライヴ音源からなるアンソロジー
になるが、
デッカでの2枚目のアルバムとして67年の6月に発
的な作品なのだが、その分当時彼らが歩んでいた道程を俯瞰
売された『フロム・ザ・ビギニング』にしても、
メンバーのあずか
出来るというものだし、
ブレンダ・ハロウェイのモータウン・ヒッ
り知らぬところで出されたシングル曲及び未発表曲の寄せ集
ト「エヴリ・リトル・ビット・ハーツ」のカヴァーに、
マリオットの熱
めからなるシロモノだったのである。そう言われてみればデ
いソウルを感じることも出来よう。
そうそう、同曲をスペンサー・
ル・シャノンの「悲しき街角」
(Runnaway)など、彼ら本来のR
ディヴィス・グループのヴァージョンと聞き比べてみるのも、
ブリ
&Bテイストを活かしているとは言い難いナンバーも収録され
ティッシュ・ロック愛好家の楽しみに違いない。なお意外なとこ
ていたのだが。
ろでは、アメリカは東海岸のフォーク歌手であるティム・ハー
さて、
そんな時期に颯爽と現れたのがストーンズの辣腕マネ
ディンの「レッド・バルーン」と「イフ・アイ・ワー・ア・カーペン
ジャーとして鳴らしていたアンドリュー・オールダムだ。当時
ター」を取り上げている点も興味深いし、彼らのオリジナル曲で
オールダムは新興レーベルであるイミディエイトを説立したば
はアルバム表題曲「オータム・ストーン」や「ジャスト・パッシン
かりだったが、同レーベルのクリス・ファーロウにスモール・
グ」の哀愁味が心に残る。
とくに後者はロニー・レインがのちの
フェイシズが「マイ・ウェイ・オブ・ギビング」を楽曲提供したり、 スリムチャンスで描き出していくアコースティックかつルーラル
やはりイミディエイト所属のアポストリック・インターヴェンショ
な音楽の萌芽といったところだろうか。
より多彩な音楽要
ンのシングル「
(テル・ミー)ハヴ・ユー・エヴァー・シーン・ミー」 イースト・エンド出身のモッズ・バンドから、
をスティーヴ・マリオットがプロデュースしたりといった縁もあ
素を呑み込んでいく大きな存在に。
デッカからイミディエイトに
り、急速にスモール・フェイシズと接近。67年2月になるとオー
移籍していくスモール・フェイシズの歩みとはおよそそのような
ルダムは正式に彼らと契約し、
スモール・フェイシズは晴れてイ
ものだろう。
とくにスティーヴ・マリオットの剛に対するロニー・
ミディエイトへと移籍したのである。
いくら人気と実力とを兼ね
レインの柔の対比も鮮やかに、
このソングライティング・コンビ
備えていた彼らとはいえ、前途してきたように環境面で不備が
が一気に才能を開花させていったのがイミディエイト・イヤー
あったデッカ時代とは打って変わって創作に於ける自由が保証
ズに他ならない。
しかし残念なことにマリオットの脱退宣言を
され、
スモール・フェイシズは精魂を込めて音楽活動に没頭し
受け、バンドは68年の暮れに行われたニュー・イヤーズ・イヴ
ていったのだ。
のイヴェントを最後に解散してしまう。翌年も幾つかの消化試
今 回まとめてリイシューされ た『スモール・フェイシズ 』 合的な活動はあったようだが、実質的には68年一杯で彼らは
(67年)、
『オグデンズ・ナット・ゴーン・フレイク』
(68年)、 その旅に終止符を打ったのである。
『オータム・ストーン』
(69年)の3枚は、そんな彼らの充実
その後マリオットはよりハード・ドライヴィングな方向性を目
ぶりが手に取るように感じられる圧倒的な作品群だ。移籍
指してハンブル・パイを結成。
ロニー・レインの場合はイアン・マ
を機会にフレッシュな空気が 漲る『スモール・フェイシズ』 クレガンにケニー・ジョーンズというスモール・フェイシズの残
(通称:ファースト・イミディエイト・アルバム)は、前段で触
りのメンバーとともに、バンドを新たにフェイシズと改めて再出
れた「マイ・ウェイ・オブ・ギビング」と「(テル・ミー)ハヴ・
発を計る。その詳細についてはまた別に機会を譲ろう。いずれ
ユー・エヴァー・シーン・ミー」の自 作 版を収 録するばかり
にしても激しく揺れ動いていく60年代の後半に、スモール・
か、幾つかある彼らの伝記の表題ともなったインストR&B
フェイシズは大いなる飛躍を見せたのである。そのことをいつ
「ハッピー・ボーイズ・ハッピー」のデッカ時 代を引き継い
までも忘れずにいたい。
だ勢いも良いし、何といっても「ゲット・ユアセルフ・トゥゲ
ザー」と「トーク・トゥ・ユー」の2曲には、若く勇敢なモッズ
たちがより自由に手足を伸ばしていく様が感じ取れる。
文=小尾 隆
IMMEDIATE
オールダムの想いを“カタチ”にした理想郷
ザ・ローリング・ストーンズのマネージャーであり、バン
ドの行く方向性を示した男、アンドリュー・ルーグ・オール
ダム。彼はストーンズを手がける傍ら、さまざまなバンド
やシンガーの作品をプロデュースし世に送り出していた。
ストーンズのメンバーと同じ世代であり、マネージャーとし
ては業界的にもかなり若い存在だった彼だが、その豊か
な発想力はストーンズの“才能の扉”を開いた。そうやっ
てバンドとともに成功を謳歌していたオールダムだが、彼
は米国のミュージック・シーンに強い憧れを持ち、中でも
若くしてプロデューサーとしての名声を欲しいままにしてい
たフィル・スペクターに対する信奉ぶりは相当なものだっ
た。それはオールダムの想いで留まることなく、64 年に
は早くもストーンズのレコーディングにスペクターを招き、
さらにはストーンズ作品の米国配給先をスペクターのフィ
レス・レーベルにしようと動いたこともあったほどだった。
オールダムはスペクターのようなレコードを、デッカをはじ
めとしたメジャー・レーベルで作ろうと苦心したが、そんな
オールダムがスペクターよろしく“自身のレーベル”を持
ちたいと思い始めるのに時間は掛からなかった。スペク
ターが手がけた作品はアーティストの如何を問わず“フィ
ル・スペクターのレコード”と呼ばれていたが、オールダ
01. The McCoys
/ Hang On Sloopy
02. Aranbee Pop Symphony Orchestra
/ Today's Pop Symphony
03. Chris Farlowe
/ The Art of Chris Farlowe
04. Small Faces
/ The Small Faces
05. Billy Nicholls
/ Would You Believe
06. P.P.Arnold
/ The First Lady of Immediate
07. Small Faces
/ Ogden's Nut Gone Flake
08. Nice
/ The Thoughts of Emerlist Davjack
09. Duncan Browne
/ Give Me Take You
10. Amen Corner
/ The National West Coast Live Explosion Company
11. Humble Pie
/ As Safe as Yesterday Is
12. V.A.
/ Tonite Let’
s All make Love In London
ムも“オールダムのレコード”と呼ばれる作品を作りたく
て仕方なかったのである。
思い立ったら動きは早かった。相棒に選んだのはオール
ダムが見いだした新進気鋭のシンガー、マリアンヌ・フェ
イスフルのマネージャーを務め、腕利きの宣伝屋としても
業界に名を轟かせていたトニー・カルダーだった。オール
ダムはスペクターのそれに倣い、例えばストーンズにして
もレコーディングは自身のプロダクションで行ない、レー
ベルには音源を貸し出すという方法を当初からとっていた
が、それでもデッカのような大手レーベルを迅速に動かす
ことはできず、そんな苛立ちが彼らのレーベル設立の大き
な主旨となった。
「下らない会議なんかせず、生まれたも
のを迅速に届ける」
、この想いがレーベル名に込められた。
これが“イミディエイト”レーベルの始まりだった。
65 年になるとオールダムとカルダーはレーベル設立に
動き、6月には早くも第一弾リリースが実現している。イ
ンディペンデントなレーベルではあったが配給は大手フィ
リップスに委ねるなど、オールダムとカルダーが大手と渡
り合えるだけの実行力を持つべくしっかりとした基盤が欲
しかっただろう思いが伺える。そうやってスタートした“イ
いった。しかも彼らは P.P.アーノルドらレーベル・メイトと
ミディエイト”だが、最初のリリースはバート・バーンズに
の音楽的相性も抜群で、イミディエイトを盛り上げるにま
よる新レーベル“バング”の英国配給作品であるマッコイ
たとない重要な存在となっていくのである。
ズのシングル「ハング・オン・スルーピー」で、少し遅れて
68 年になると、P.P.アーノルドのバック・バンドから派
リリースされた第一弾アルバムも同じマッコイズ作品だっ
生した本格的プログレッシヴ・グループ、
ザ・ナイス
(キース・
た。これには新進気鋭レーベルの意外な“堅実さ”も伺
エマーソン在籍)やデラム・レーベルから移籍してきたエー
えたが、
イミディエイトはジェイムス・ブラウンのキング・レー
メン・コーナー(アンディ・フェアウェザー・ロウ在籍)
、ピー
ベル作やレッドバード、カーマ・ストラ・レーベルの配給も
ター・グリーンを擁したフリートウッド・マックなど優れた役
目指していたというから、彼らにとってマッコイズ作品はそ
者がさらに加わっていく。そんな状況の中、スモール・フェ
の過程のひとつということだったのかも知れない。
イセズは他に負けじとコンセプチュアルな力作『オグデン
翌年始めにリリースされた第二弾アルバムもスー・レー
ズ・ナット・ゴーン・フレーク』を完成させ念願の英国アル
ベルからの配給となったサム・クックのアルバムだった。 バム・チャートのナンバー1獲得に成功、そうやって互い
一方のシングルについては大半が英国制作となる20 枚を
が切磋琢磨し生まれた、優れた作品がイミディエイトより
超える作品が 65 年中にリリースされており、レーベル名
送り出されていった。既にシンガーとして高い評価を受け
にもなった“迅速さ”は実のところシングルというフォー
ていたクリス・ファーロウや P.P.アーノルドという実力派に
マットで発揮されていた。その中には、クリス・ファーロウ
ナイスやエーメン・コーナーという新顔の登場、才能を爆
やトゥワイス・アズ・マッチのようなストーンズの楽曲と見
発させはじめたスモール・フェイセズと、この時期イミディ
事な相性を見せるアーティストも現れ、レーベルは活況を
エイトは正に“黄金期”を迎えており、その影響力はメ
呈するようになっていく。さらにオールダムはアーティスト
ジャー・レーベルにとっても“脅威”たりえる存在となって
の発掘を米国にまで拡大しゴールディー・アンド・ジン
いたのである。
ジャーブレッズからゴールディーを、ストーンズとのパッ
しかし、そんな“黄金期”は長く続かなかった。69 年
ケージ・ツアーで一緒だったアイク・アンド・ティナ・ターナー
になるとスモール・フェイセズがシンガーのスティーヴ・マリ
のバックを務めたアイケッツからP.P.アーノルドを引き抜
オットと他メンバーとの確執から脱退、ピーター・フランプ
きソロ・デビューへと導いている(前者は契約問題から最
トンとハンブル・パイを結成した辺りから、
オールダムのレー
終的に破談)
。さらにはビーチ・ボーイズの楽曲を管理す
ベルへの関心が薄れたのかイミディエイトは勢いを失って
るシー・オヴ・チューンズの英国での出版権を獲得、音楽
いく。ハンブル・パイはイミディエイトから2枚のアルバム
出版部門にもその勢力を拡大していく。
をリリース、エーメン・コーナーやナイスとともにレーベル
“アーティスト”と“音楽出版”という両輪を固めつつあっ
の終焉まで活躍したが、70 年には遂にオールダムがレー
たイミディエイトだが、ファーロウのナンバー1ヒットがあっ
ベル継続を断念、ハンブル・パイへ他レーベルへの移籍を
たものの些か小粒な感が否めなかったイミディエイト所属
促した後に倒産という形で静かに幕を閉じている。これは
アーティストに想わぬ“大物”が飛び込むことになったきっ “偽装倒産”という説もあるが、レーベル末期のリリース状
かけがその“音楽出版”だった。業界の重鎮、ドン・アー
況を見ると実際の運営状況はどうも芳しくなかったようだ。
デンとのトラブルを抱えていたスモール・フェイセズがオー
オールダムの想いを“カタチ”にした理想郷、イミディ
ルダムと急接近、イミディエイト・ミュージックと出版契約
エイト。それはたった5年の活動期間であったが、英国ポッ
を交わすことになったのである。これ以降の動きは速かっ
プ・ミュージックが最も芳醇な時期を数多く送り出し、そし
た。シングル のスリーヴにも書か れてい たスローガン
てその時代を彩った作品群は、今もなお輝き続けているの
“Happy To Be A Part Of The Industry Of Human
である。
Happiness”に象徴されるアットホームでオープンな雰囲
気はもちろんのこと、金銭面でもアーデン時代とは雲泥の
差だったイミディエイトにスモール・フェイセズは惹かれて
文=犬伏 功
サリー・ソウル・シチュー再び!!
2010年に限定発売されたアナログ7inchシングル
『あなたに
負けたの』
(小山ルミのカヴァー)に和モノ・グルーヴ歌謡クラ
シックとしてもおなじみ和田アキ子
『ボーイ・アンド・ガール』
の
カヴァーやリミックス・ヴァージョンを追加して待望のCD化!
サリー久保田 - Bass
真城めぐみ (Hicksville) - Vocal
中森泰弘 (Hicksville) - Guitars
白根賢一 (Great3, LASVEGAS) - Drums
中山努 - Keyboards
レモン - Chorus
今回のミニアルバムでのサリー・ソウル・シチューはもっとも
3.ゴールデン・カップ
激しく時代が揺れ動いていた1970年頃のサウンドをイメー
僕なりのゴールデン・カップス讃歌でありポール・サミュエル=
ジ。内容は表題曲「あなたに負けたの」を含むスタジオ録音の
スミスに捧げた曲です。
これも7インチとはギターテイクが違
4曲にリミックス3曲とインスト1曲という構成で。
います。いや∼ギターかっこいい!
1.ゴールデン・カップ
4.ボーイ・アンド・ガール
ラブ・ジェネレーション・ミックス/ピロートーク2
1969年和田アキ子「どしゃぶりの雨の中で」のB面曲のカ
6.あなたに負けたの
バー。僕たちのライブではメンバー紹介用曲となっています。
ラブ・レボリューション・ミックス/ピロートーク2
カップスのショットガンみたくね。笑 それにしても真城さん
かつて成田真樹と組んでいたバンド“ピロートーク4”は、
ヴェ
のボーカルはすごい!
ルヴェット・アンダーグラウンドからシルバー・アップルズの様
なバンドサウンドにアナログシンセやオープンリール、
テープ
5.あなただけでいい
エコーなど用いて実験的なグルーヴを作っていました。その
3連でPYGでCCRをイメージ!弦アレンジはJBみたくしたくてね。
要の成田くんと二人で“ピロートーク2”名義リミックス。やはり
レモンちゃんのハモも、
中山さんのオルガンもしびれます∼!
彼とはツーと言えばカーなアバンギャルドなノリです。笑
7.あなたに負けたの マンマンサー・ミックス/白根賢一
2.あなたに負けたの
どこまでもせつなく哀愁が漂っている、それが白根くん。彼の
1970年作詞なかにし礼/作曲森岡賢一郎の小山ルミ最高傑
ソロアルバム『マンマンサー』
も最高です。
作をよりロックにソウルフルに。そして以前の7インチレコード
のテイクとはもちろんミックスも違いますが、中森さんのこだ
8.あなたに負けたの インストゥルメンタル
わりでギターテイクが違いますのでお時間がある時にでも聴
歌中にギターやオルガンのオブリをいっぱい入れたので普通
きくらべてみてね。
のインストナンバーとしてもいけるね!
曲解説・サリー・久保田
全AORファンが待ち望んだ、
レスリー・スミスのソロ・デビュー
作『ハートエイク』が遂に世界初CD化!
レスリー・スミスは1949年9月28日デトロイト生まれ。L.A.を
拠点に活動し、1973年にクラッキンに参加。
クラッキンは、後にク
リストファー・クロスやマイケル・ボルトンなどを手がけたことで
も有名になるプロデューサー・チームのピーター・バネッタ&リッ
ク・チューダコフなども在籍していたグループで、1975年にポリ
ドールからデビュー作『Crackin'-1』
(未CD化)
を発売。
この作品
はタワー・オブ・パワーなどを思わせるベイエリア・ファンク的な1
枚でした。1977年にワーナー移籍第一弾となる『メイキング・オ
ブ・ア・ドリーム』を発売しますが、
これは一目見ればそれとわかる
独創的な写真家ノーマン・シーフによる躍動感溢れる写真が強く
印象に残る秀逸なジャケットで、
プロデューサーはラス・タイトル
マンが手がけています。
ゲストにはデヴィッド・サンボーンなどが
参加し、
ストリング・アレンジはニック・デカロ。
フリーソウルのコン
ピ盤でも人気の「フィール・オールライト」が収録されたメロウ・
ファンクの傑作としても知られる人気の1枚です。同年3rdアルバ
ムとなる『クラッキン』をマイケル・オマーティアンのプロデュース
で発売。本作からブライアン・レイがギターで参加し、正式メン
バーは8名となります。オマーティアンは曲作りや演奏にも参加
し、エレクトリック&アコースティック・ピアノを弾いていることか
ら、
どことなくL.A.の香りがする作品となっています。翌1978年
に発売されたのが、現在までクラッキンとしての最新作であり続
けている『スペシャル・タッチ』。前作に引き続きマイケル・オマー
ティアンがプロデュース。
ワーナー移籍第三弾、通算四作目となる
この作品は、都会派の洗練されたファンキー&メロウなサウンド
でAORファンマストの逸品です。
ロビー・デュプリー作の「ノーバ
ディ・エルス」が収録されているほか、
ゲストにアーニー・ワッツ、
ゲイル・レヴァント、
ジェイ・グレイドンが参加しています。
そして1982年にElektraから発売されたレスリー・スミスのソ
LESLIE SMITH
ロ・デビュー作『ハートエイク』は、ピーター・バネッタ&リック・
レスリー・スミス『ハートエイク』
VSCD3546 (ヴィヴィド サウンド)
2012.07.18発売
ツ・サムシング」やマンハッタン・トランスファーのカバーでも知ら
1.It’
s Something
2.I’
m On The Outside Looking In
3.Before The Night Is Over
4.Don’
t Shut The Door (On My Love)
5.Dream On
6.Nothin’You Can Do About It
7.Love’
s A Heartache
8.Do You Still Remember Me
9.If You’
re In Love
チューダコフが全面的にプロデュースしたAOR/アダルト・コン
テンポラリーの名作中の名作です。
ブレンダ・ラッセルの名曲「イッ
れているエアプレイの「ナッシン・ユー・キャン・ドゥ・アバウト・イッ
ト」や、
作者のネッド・ドヒニー本人がアレンジやギターで参加した
「愛の傷跡」なども収録され、
メリー・クレイトンとのハートフルな
デュエット・ナンバー「夜の終わりに」もイチオシのトラック。
今回は、
レスリー・スミス本人とバネッタ&チューダコフとの再
契約が実現し、世界初となるCD化となり、
オリジナル・マスターを
使用したデジタル・リマスタリング&高音質のSHM-CDでの発
売。
さらに当時の日本盤のジャケットも楽しんで頂けるようにアウ
ターも付属されているというファンには堪らない仕様となってい
ますので、
どうぞお楽しみ下さい。
文=葉月賢治
芽瑠璃道
芽瑠璃堂の原点を辿って
B-01
M ER U R I R O A D . 1 1
店長
瑠璃堂
文=芽
大変なことが起きてしまってからも僕らの気持ちは変わらな
いがアメ車からイメージするものとはほど遠い。大体軽自動車
B-02
かった。むしろ4 人の絆は強くなったように感じる。いつの間
はアメリカにはないのだ。
にか気が緩んでしまった僕ら4 人、アメリカは日本と違って治
おじさんの交渉の中でビックリしたことがある。僕らはただ
安が悪い、だから何時でも気を緩めるな!出発前、肝に銘じ
横で聞いていただけだったが、なんとこの旅が終わったらこの
たはずだった。そのことを呼び起こしたのだ。
車はもう要らなくなる、だからこの車をここに戻すから半値で
事件後、本郷家にはお世話になりっぱなしの僕らだが、今
買ってくれ、そんなことを交渉し約束させていた。
は僕らのいい相談役となっていた。僕らの大冒険の良き理解
恐れ入った。
者にまでになっていた。
僕らのゴッド・ファーザーだ。
あの忌々しい事件のあった薄汚いホテルから僕らはおばあ
車は至極快適だ。
ちゃんの家に住み家を変えた。甘えていることは承知だが、あ
ガソリンの安さにはサン・フランシスコに到着するなりビッ
の警官の言った言葉「お前達、生きてるだけでもラッキーだぞ」 クリしたが、さらにどこに行くにも使う高速道路が全てタダ!今
その言葉が頭から離れない。安ホテルからまた別の安宿に直
B-03
でこそあたりまえの情報だが当時の僕らにとって多いにこの旅
ぐに移る気がしなかった。自分の身は自分で守る、そんなこと を応援するものだった。恐るべき国アメリカ。
(民主党が昔な
言っていた人がいた。銃社会のアメリカ、あの日の泥棒は間
んかほざいていたことを思い出した)
違いなく所持していただろう。お気に入りのシャツやパスポート
シカゴまで行く道のりは簡単だ、ルートの確認する必要が
は盗られてしまったが僕ら誰もかすり傷すらしてない、ラッキー
ないくらい、憧れの国道 66 号線で真っ直ぐ東北へ。アメリカ
なんだ、警官の言ったようにそう言いきかせるようにした。
合衆国中西部・南西部の 8 州を通り、カリフォルニア州サン
いよいよロスからシカゴへ向かう準備が始まった。本編ス
タモニカとイリノイ州シカゴを結んでいるこのルート。調べれ
タートはこれから。
ば全長 3,755km。
僕らは数日以内にシカゴへ向かうことなっていた。
この道の上をドライヴすることだけを夢見てきたこの数年間、
本郷のおばちゃんの旦那さんと一緒に中古車を買いに行く いよいよ旅のスタートだ。
B-04
ことした。中古車を買ってアメリカ縦断するのは始めっから決
途中 2 泊の予定で計画したが行き当たりばったりでいいだ
めていた。実際ロスに来ると中古車はいたるところで売って
ろうってことに結局なってしまった。ルート沿いにはモーテル
いる。それこそ25ドルなんてのもある。アメリカは車社会だ
があちこちある。予約する必要もない。モーテルに入るシーン
から街を歩 い てい ても車 のバックウィンドウに「For Sale
は何度のアメリカ映画では観てきた。興奮してきた。
$XXX」なんてかかげて走ってるのもよく目に入る。
それよりロスでそろえないといけない日本食、特にインスタ
しかしいざ高額の車を買うとなるといささか心配だ。その点、 ント・ラーメンは必需品だ。日本から持ってきたラーメンはす
おじさんの知ってる中古車店でおじさんが交渉してくれるのだ
でに船の生活で食べてしまった。おばさんに聞いた日本食の
から安心だ。
卸し業者に行くことした。箱買いだ。車もある。
ロスから北へ20−30分位の場所パサディナにその店はあっ
パスポートを盗まれてしまった俺とモンマちゃんは日本大使
B-05
た。すでに電話で話してくれたのでスムーズに交渉出来た。
館に行って再発行の手続きやら銀行へ行ってトラベラーズ・
保険にも入り小切手で精算。手続きが終わったらその日か
チェックの再発行の手配とやらで無駄な時間を使ってしまっ
ら運転可能なのだ。
た。それでもパスポートは結局出発には間に合わないので確
アメリカン・モータース店でアメリカン・モータース社 (AMC)
か大使館が書類を作ってくれた気がする。
の車を買った。自社自営の中古車店。色は黄色、機種はグ
僕らの買った車は 4 人の長旅にはちょっと狭いが快適だ。
レムリンだった。(写真参照)今はこの会社クライスラーに買
排気量の大きな重いアメ車のエンジン音を想像してもらっては
収されてもうない。
困るが、それなりに頑張ってる音を発している。これから長い
いわゆるコンパクト・カーだ。日本で言う軽自動車ではな
付き合いになる。
ROOT SELECT∼2012年7月の注目盤
長いこと入手困難が続いていた、
英国のス 今回、
VIVID SOUNDから発売される
『ソ ハッと耳を惹きつける一筋縄ではいかない
ワンプ・ロック・バンド、アンドウェラの中心 ングス∼』
は、
ロンドンのトライデント・スタジ 楽曲も含まれ、美しいメロディと共にどこか
人物であるデヴィッド・ルイスが残した
『ソン オで『世紀末』を録音し終えて時間の余った 儚く、セン チメン タル でメランコリー な
グス・オブ・デヴィッド・ルイス』。そのアンド スタジオにいたデヴィッド・ルイスに対し、当 ヴォーカルもその魅力のひとつであると思
ウェラの『世紀末』
と
『ピープルズ・ピープル』 時エルトン・ジョンの専属エンジニアでも います。
という定評ある2枚のオリジナル・アルバム あったロビン・ケーブルが
「これまでに録音し そして、今回の再発はアナログ盤も限定
も現在ではとても入手困難で、
数年前に私も たことのないオリジナル曲を録ってみない 400枚で再発されますのでお買い求めはど
手当り次第に中古屋を巡り2in1仕様の輸 か」
というアイデアをもちかけたことがきっ うぞお早めに…。
入盤をようやく手にすることができました。 かけとなって本作が生まれたようです。完成
昨年の秋、アンドウェラの上記2タイトル した作品は、
枚数限定
(50枚程と言われてい
と、デヴィッド・ルイスの『ソングス∼』、そし ます)
でプレスされましたが、
プロモーション
てアンドウェラズ・ドリームを含む合計4タ 用にだけ使用されたという貴重な作品であ
イトルをVIVID SOUNDが紙ジャケット仕 り、
市場価格は20∼30万円とも言われてい
様で再発し、
それもあっという間に入手困難 るまさに幻と呼べる1枚。
になってしまったことは、
この作品の再発を 基本的にはピアノやギターでの弾き語り
心待ちにしていたSSW/ルーツ・ロックの がメインとなるフォーキーなサウンドが特徴
ファンがそれほど多かったということに他な ですが、
ストリングスが加わったバンド・サウ
らないと思います。
どちらも甲乙付けがたい ンドで聞かせる
「Take My Road」
や、
明る
作品ですが、
特に
「木漏れ日ジャケット」
で有 くポップなメロディを持つ
「Such A Long
名な『ピープルズ・ピープル』は英国のザ・バ Way To Go」
、
続く
「Everlasting Love」
ンドの名が相応しいルーツ・ロックの傑作だ や
「Because Of The Love You've Given
と思います。
11
Me」でのゴスペル・ライクなピアノなど、 2012.07.18発売 VSCD6007 (ヴィヴィド サウンド)
編集部
編集後記
『Windy Fish』は未 CD 化、
芽 瑠 璃 堂 マ ガ ジン『ROOT』第 11 号 戯れ』からの曲は収録されていませんが、『Loco Island』
の特集はいかがでしたか?今回は、小尾 ビクターから発 売された 5 枚 のアル バム 『Naturally』『him』『Fluorescent
『Windy Fish』
『Naturally』 Lamp』の 3 枚 は い ず れ も CD は 入 手 困
隆さんによる「イミディエイト期のスモー 『Loco Island』
ル・フェイセス特集」と、犬伏 功さんによ 『him』『Fluorescent Lamp』の 中 から 難となって久しく、自分のような新規のファ
る「イミディエイト・レーベル・ストーリー」、 バランスよく選曲されており、それが発売 ンにとって大変残念な状況なので、今回の
サリー・ソウル・シチューのサリー久保田さ 順に並んでいます。1 曲目の「カラパナ・ 『PLAY ROOM∼戯 れ』初 CD 化 を 機 に
ん自身による新譜のひとことコメントなど ブラック・サンド・ビーチ」から、二名敦子 是非とも復刻を希望したいところです。
のほか、全 AORファンがその再発を渇望 自身が作詞作曲を手がけた『Fluorescent 次回の芽瑠璃堂マガジンの発行は 8 月を
していたレスリー・スミスのソロ・デビュー Lamp』に収録されている「ビーチサイド」 予定しています。詳細が決まり次第私のブ
作紹介、そして一般的にシティ・ポップス ま で、全 16 曲、67 分 21 秒。当 時 の 状 ログで随時発表していくので、こちらの方
路線で知られている二名敦子がテイチクか 況をまったく知らない自分のような人が聴 もよろしくお願い致します。
ら発売したデビュー・アルバムの発売を記 いても心の底から良い曲だなと思えるもの
念した巻頭特集など幅広く取り上げました。 が目白押しでした。例えばその中で一番気
ひとつひとつの特集で大きくページを割く になったのは、代表曲とされている「オレ
ことができなかったのは残念ですが、お楽 ンジバスケット」ですが、どの辺りに引き
しみ頂ければ幸いです。
つけられたのかと言えば、やはりそれは二
2009 年に発売された二名敦子のベスト 名敦子の声そのものだと思います。そして
盤『ゴールデン☆ベスト』
(VICL63450) サビのあのメロディ・ラインの歌いこなしは
には今回再発となった『PLAY ROOM∼ 本当に素晴らしいと思います。しかしながら
芽瑠璃堂マガジン編集部
編集人=葉月賢治/発行人=長野和夫
http://www.clinck.co.jp/merurido/magazine.php
読者の皆様のご意見を元に、
より良い雑誌を
作ることを目標に努力して参ります。
その為に
は、皆様の貴重なご意見が必要です。なんで
も結構ですので、
ご意見をお寄せ下さい。
芽瑠璃堂マガジン『ROOT』第 11 号 > 編集後記 文=葉月賢治
芽瑠璃堂マガジンWEB 2012年6月の人気記事より(一部抜粋)
♪ラリー・ヤングズ・
フューエル∼スペース・ボール ♪ブレッカー・ブラザーズ『ヘヴィ・メタル・ビ・バップ』
前回ご紹介したバディ・テリーはニュージャージー
州ニューアークで育ちました。少年時代の演奏仲間
にはトランペットのウディ・ショウ、オルガンのラ
リー・ヤングがいます。バディのプレスティッジ盤『ナ
チュラル・ソウル、ナチュラル・ウーマン』では、3
者の共演も聴くことができます。
ラリー・ヤングは 60 年代初頭にデビューしました
が、その頃のプレイはジミー・スミス直系でした。
やがてジョン・コルトレーンの音楽に傾倒し、当時
のジャズ・オルガン界では斬新きわまりなかったモー
ド・ジャズに基づいた演奏を始めます。そして 60 年
代後半、ジミ・ヘンドリックスやマイルス・デイヴィス
と出会い、エレクトリック・キーボードを多用したフ
リーキーでサイケデリックなサウンドへと向かいます。
このアルバムは、彼が最晩年に率いていたユニッ
トによる作品集です。それほど混沌という感じではな
く、ほどよく整理されたファンク・ミュージックという
感じになているのは、レコード会社(アリスタ)の方
針もあるのでしょう。ヤングは38 歳で亡くなってしま
いました。ラリー・ゴールディングス等、後継者に数
えられるオルガン奏者は少なくありませんが、晩年の
サウンドは誰にも継承されていないように思います。
2012年 6月15日(金)原田和典
オハイオ・エクスプレスの真相解明!?
OHIO EXPRESSの輸入盤ベストが「ヤミー・ヤミー・
ヤミー∼ベスト・オブ・オハイオ・エクスプレス」(14
曲入り)の題名でこのほどクリンク・レコードから帯&
解説付きの国内仕様盤として出ました∼♪
「えっな
に? オハイオっちゅうたらCSN&Yのあれでニール・ヤン
グが。
。
。
」とか言うてモゴモゴしてる人は放っときまっ
せ。自分でネットをあれして調べなはれ。いちいち
説明せえへんからね、義務教育やないねんから。そ
れから「なんじゃガキ向けのバブルガムか、どうで
もええわ、
わしゃ知らん」
とか上から目線のお方も放っ
ときますからネ。ロクにあれせんとわかったようなこ
とをヌカさんといとくれやす∼∼とはいえ洋楽好きの
99.9999….%がそんなふうにおもてるんやろなぁ(泣)。
この際はっきり申し上げときますけど、オハイオ・
エクスプレスはバブルガム・ロックの代表格です(何
じゃそら!)。いやいやそれは名目上のことで実際
の姿はそういうあれだけやないんです。やっぱり(日
本では)知られ無さ過ぎっちゅうこともあるんやろ∼
なぁと思いますわ。もひとつはっきり言わせてもらう
と世間一般の尺度からすると代表曲の「ヤミー・ヤ
ミー・ヤミー」(1968年:No.4)をご存知の方は結構
いてはると思いますが、次点のヒット「チュウイ・チュ
ウイ」(1968年:No.15)を知ってる人となると途端に
80 年代後半にホイットニー・ヒューストンを大ブレイ
クに導いたアリスタ・レコードですが、ジャズ周辺で
最も気を吐いていたのは70 年代半ばから後半にかけ
てでしょう。フリー・ジャズの巨星アンソニー・ブラク
ストンを出す一方で、ブレッカー・ブラザーズ、ラリー・
コリエル、スティーヴ・カーン等のフュージョン系(当
時は、そんな言葉はありませんでしたが)ミュージシャ
ンの新譜を連発してシーンを沸かせました。
ブレッカー・ブラザーズのアルバムはどれも圧倒的
であり、90 年代以降の再結成作品とは違う“必殺の
凄み”があります。なかでも当アルバムは、ライヴ・
レコーディングを基にしたものなのでプレイの熱気は
最高潮、誰も彼も神がかり的な乗りを示します。この
日のライヴの全パフォーマンスが、一切加工なしの姿
で公開されることを、ぼくは30 年も待ち続けているの
ですが・・・・。
2012年 6月20日(水)原田和典
るんやないかと。たいがいみな1曲だけ。例えばマ
マス&パパスかて‘夢カリ’は国民的な認知度があ
るかと思うけど次の(というかチャートではこっちが
一番上やねんけど)「マンデー・マンデー」も知って
る人ってガクンと下がると思いますしねぇ。
「チュウ
イ・チュウイ」に 加 えて「マーシー」(1969年:
No.30)まで知ってたらそらもうオタク族といわれるか
も知れませんよ、ほんまに。
オハイオ∼は同時期に出てヒット・パレードを賑わ
せた1910フルーツガム・カンパニーと‘バブルガムの
2大巨頭’てなあれで並び称されますけど両者には
大きな隔たりがあるんです。1910∼は「サイモン・セッ
ズ」(1968年:No.4)「1,2,3,レッド・ライト」(1968年:
No.5)そして「インディアン・ギバー」(1969年:No.5)
と全米ベスト10ヒットが3曲もありますがオハイオは
一つだけ。しかも日本においてはまるで比較にもな
りませんわ。オリコンの100位内に入ったのはオハイ
オが2曲だけ。それも「ヤミー∼」がNo.85で0.4
万枚、
「チュウイ∼」に至ってはNo.100にやっとこさ
到達して0.2万枚。
。
。
対する1910∼は計7曲もランク・
インした上に「サイモン∼」がNo.7で30.8万枚、
「ト
レイン」なんてNo.5で33.7万枚、日本での方が大ヒッ
トしてるし。知名度、認知度に大差ありですわ。
2012年 6月2日(土)上柴とおる
芽瑠璃堂マガジンWEB http://www.clinck.co.jp/merurido/magazine.php