停戦の背後で: スリランカでの小型武器の拡散と乱用がもたらす影響 スモール・アームズ・サーベイ刊行物 クリス・スミス 2003 年 10 月 スモール・アームズ・サーベイ 「スモール・アームズ・サーベイ」は、 「グラジュエート・インスティテュート・オブ・ インターナショナル・スタディーズ」(スイス・ジュネーブ)に本部を置く独立した研 究プロジェクトである。「スモール・アームズ・サーベイ」はまた、同インスティテュ ートの戦略・国際安全保障研究部門とも連携している。 1999年に発足したこのプロジェクトは、スイス連邦の外務省の助成以外にも、オー ストラリア、ベルギー、カナダ、デンマーク、フィンランド、フランス、オランダ、ニ ュージーランド、ノルウェー、スウェーデン、イギリスなどの国々のから寄付を得て運 営されている。このプロジェクトは、ブラジル、カナダ、グルジア、ドイツ、インド、 イスラエル、ヨルダン、ノルウェー、ロシア連邦、南アフリカ、スリランカ、スウェー デン、タイ、イギリス、アメリカ合衆国など、多くの国の研究所や非政府組織と協力関 係にある。 スモール・アームズ・サーベイの不定期刊行論文シリーズは、プロジェクトスタッフや 委託研究者らによる、データ、方法、小型武器に関連する理論的問題、あるいは国や地 域の詳細な事例研究に基づいた、新たな本質的な研究結果を提出している。この論文シ リーズは定期的に刊行され、ハードコピーで、あるいはこのプロジェクトのウェブサイ ト上で入手できる。 小型武器調査に関する電話番号: + 41 22 908 5777 ジュネーブ高等研究所のファックス番号: + 41 22 732 2738 47 アヴェニュー・ブランの電子メールアドレス: [email protected] 1202 ジュネーブのウェブサイト: http://www.smallarmssurvey.org スイス 8/57 スリランカでは、紛争地域だけにとどまらず、他の地域でも、不法な小型武器・小火器 (SALW)の影響を感じ始めている。特に懸念材料となっているのは、政府軍から脱 走する兵士の数が増加していることであり、軍では戦闘力としてのタミル・イーラム解 放の虎(LTTE)の効果によって、士気がきわめて低くなっている。脱走兵は、脱走 後に武器を入手する場合もあれば、武器をもってそのまま脱走する場合もある。いった ん逃げ出した脱走兵の多くは、行きずりの犯罪に走ったり、首都周辺での組織犯罪グル ープと結びついたりする。組織犯罪グループはまた、選挙運動中政治家に対して政治的 保護を行うが、近年これがきわめて激しくなってきている。さらに1980年代初頭に は、政府が政治家やボディーガードを武装させたが、その後分配された武器のどれ一つ も返却も、回収も行われなかった。手榴弾の使用が大きな懸念材料である。 2001年後期にスモール・アームズ・サーベイから委託されたこの調査報告書は、 2002年の前期に主に行われた文献調査と実地調査の結果によるものである。実地調 査は、スリランカの首都のコロンボへのインタビューなど広範囲に渡り、ハンバントタ やバッティカロア、国内避難民キャンプが多く含まれているトリンコマリーやジャフナ のインタビューも含まれる。これらのインタビューは2002年1月から2月にかけて 実施された。国内避難民キャンプでのインタビューの方法は、基本的に参加研究原則に したがっている。しかし、実際に影響を受けている人々、特に国内避難民に彼らの見解 を求めることが難しい作業である点を過小評価すべきではない。一般的に、国内避難民 は、キャンプに違法な武器が存在することを一様に否定する。おそらくそれが、以下に 述べる理由から正しい評価である。もしキャンプが違法な武器の流通ルートや保管場所 として使用されていれば、国内避難民が、初めてやって来た外国人に、これほど多くの 情報を提供しなかったことだろう。 警察を含めた治安部門は、スリランカにおける不法な小型武器・小火器についてすで に存在している調査の多くを裏付ける、かなりの量の情報を提供しており、これらの多 くは公式な出版物という形で手にいれることができる。しかし、警察などの取り締まり 機関には、資源が欠けている、あるいはデータや統計の照合の必要性を認識しており、 しかも、これらのデータは不法な小型武器・小火器の犯罪的利用の増加を反映している。 したがって、はっきりそれと分かるような情報の欠如がある場合でも、それは、必ずし もデータが発掘できなかったデータがあるとか、隠されていた可能性がということでは ない。単に、閲覧できる形として存在しないというだけなのかもしれない。インタビュ ーのほとんどが「非公式」であり、これが、脚注に証言者の身元を明らかにしていない 理由である。 20/57 冷戦以降、LTTEは次第に、不法な武器市場に出回った武器を資本とするようになり、 この現象は特に、ソ連の崩壊や世界のその他の地域での紛争が終結するにつれて現れた。 しかし、キプロスや香港、レバノン、シンガポールなどにおける従来のネットワークも 依然として利用されている。さらに、ブルガリアやカザフスタン、ウクライナの業者も、 ワルシャワ条約分野において公式に武器を提供している。これらの国々では、汚職問題 や官僚たち、時には犯罪企業団体が同盟を組んで、要求された金額にたいして快く引き 受けて個人や団体に武器を申し出ている。また、LTTEがブルガリアやリトアニア、 ロシア連邦の犯罪企業団体と結びつきがあるという疑惑もある。アフガニスタンやカン ボジア、モザンビーク、そしてかつてのユーゴスラビアといったイスラエルにおける戦 争地域も、もう1つの供給源となっている。 (Bonner, 1998) 24/57 多くの途上国とは異なり、スリランカは武器を取り締まる法律を整備している。しかし、 この法律に基づいて取り締まりを行う治安部隊の能力には疑問がある。さらに、この法 律にもとづく取り締まりの度合いのいかんに関わらず、スリランカ北部と南部における 不法な武器の利用が増加傾向にあるという脅威もぬぐいきれない。武器の主な供給源は、 北部から南部に逃亡した数多くの政府軍兵士であると考えられている。どれくらい多く の兵士が武器や軍需品をもたらしているのかということも不明であり、推測の対象とな っている。 しかし、それ以上に衆目の一致しているのは、このような兵士たちが組織的な犯罪集団 や政治犯罪者と非常に連携しやすい状況にあるという点である。 26/57 17 さらに、政府は頻繁に恩赦を実施してきた、新兵採用率が低いときには特に恩赦を頻繁 に実施してきたため、収穫時期や、家族や地域社会が必要とする時に失踪の手段として 脱走が利用されるようになった。支給された武器を持たずに脱走し、しかも罪を犯さな ければ、これらの兵士は定期的な恩赦を受けることができる。しかし、これらの兵士が 武器や手榴弾を持って脱走する場合は、彼らは戻ってきた時に軍法会議にかけられる危 険がある。さらに、武器を所持して脱走する兵士は投獄されることを恐れて自分の家や 村に戻らないことが多い。むしろ、脱走兵は、組織的な犯罪集団や、急速に台頭しつつ ある裏社会と結び付く傾向にある。こうした裏社会は主にコロンボとその周辺に拠点を 置いている。また、容易に民間の警備会社で働き口見つけることもできる。どれだけの 兵士が支給された武器を持って脱走しているのかは明らかにはなっていない。武器を所 持しての脱走は広範に行われているとする報告もあるが、そうではないとする報告もあ る。後者の主張は、紛争地域から南部に個人の武器を密輸するのは困難であるし、その ような行動はその兵士の一時的な帰郷ではなく脱走であるととられてしまうのではな いか、というものである。携帯用武器の密輸についてはこの主張は正しいかもしれない が、手榴弾に関してはその逆が正しいだろう。脱走兵の中には、戦場で使用した手榴弾 の数を不正確に伝え、余剰分を脱走の際に持ち去る者もいるとされている。確かに、手 榴弾を使用した凶悪犯罪は増加しており、脱走率の増加ともその増加は対応している。 武装した脱走兵は、スリランカで現在増加している犯罪の中心に位置していると考えら れている。脱走兵は、日和見犯罪に走るだけでなく、組織的犯罪集団や政治的指導者と 癒着し、彼らの護衛や用心棒として働く。組織的犯罪集団はコロンボにおける賭博を支 配している。 政治的暴力レベル全体の高まりとともに、選挙前後の暴力は大きな問題である。マスコ ミの報道では、犯罪人が不法な銃器を入手することで利益を得てきたことが示唆されて いる。警察の対応は遅い。警察に新規採用者が補充されると、警察は、通常北部に配属 され、それ以外のところでは、犯罪を取り締まる能力は手薄になる。また、多くの警察 は上層の政治家の護衛にまわる。このような政治家は、1人につき20人の警官を要人 向けの保安課から護衛として配属してもらえる。しかし、政治家はそれに加えて自身で も護衛を雇うのだが、それはしばしば脱走兵である。 犯罪者による56型(中国版のAK-47)の使用は、特に顕著になった(下記の図2 参照)。2000年に56型を使って行われた犯罪の県数は全部で161件に及ぶ。そ の大多数が殺人であった。さらに、地雷と手榴弾を含めて、爆発物の使用も重要であっ た。違法な56型の費用はアメリカドルで約200ドルである。銃身を切り詰めた散弾 銃の使用は現在まれである。2000年度中の数値はどれだけ他の年に対して上昇を示 すかを述べることは、警察がちょうど情報を集めて分析し始めたので、不可能である。 これらの数字は、北東地域の犯罪における傾向を含んでも、反映してもいない。識者は、 武器が氾濫し、内戦が長びいていることがスリランカの社会全体に重大かつ残酷な影響 を与えていると懸念している。ますます、暴力が調停役として使用される傾向が強まっ ており、統治の失敗に取って代わっている。国防省から得られた許可によって武器を許 可するためのシステムがある。危険武器法により、それに違反した者を最大10年の刑 に処すことができる。しかし刑は通常、非常に寛大である。 組織犯罪の増加は、国全体で暴力のレベルが高まっていることを反映している。スリラ ンカが非常に暴力的な社会になったことは、今や衆目の一致するところである。暴力団 は、大規模強盗、強奪、人身売買、報復殺害、ギャング間抗争、麻薬密売および違法な 武器売買に関与するようになった。よく訓練されていて、武装し、戦闘での経験を積ん だ脱走兵は、暴力団ネットワークにとって非常に役に立つ最前線従業員である。その活 動とは、麻薬の売人や、売春を含む不法な商取引の「保護」対策と腐敗した政治家への 支援などである。紛争を「解決」し、望ましからざる借地人を追放し、そして政府の競 売を統制する間暴力を利用するために、暴力団ネットワークは実業界によって使用され ている。彼らは政治家や上級警察官、強力な大企業家連によって保護される。その政治 家や上級警察官の中には、暴力団自体によって適所に配置されている者もいる。コロン ボおよびその周辺には、現在、各々平均10人のメンバーを含んでいる、15を越える 組織犯罪暴力団がある。そのすべてが、契約殺人、強奪および麻薬密売を含む重罪に関 与している。1990年から1995年にかけて、ギャングによる殺人は、年平均5. 5人であった。1999年から2000年には、年平均は33.8%増加した。スリラ ンカの組織犯罪の増加は特に選挙運動中に政治的暴力の増加と密接な関係がある。暴力 団の歴史は、北の内戦とほぼ同じくらい多くの命を奪った南部の人民解放戦線の暴動が 勃発した1988年にさかのぼる。この当時、政府は、護衛のために、政治家に対して 武器(主に茶色の 9mm ピストル)を供給した。これらの兵器についての記録は全くつけ られなかった。そして、紛争が終わった後、返却を要求したにもかかわらず、分配され た1万1000丁の兵器がいずれも返却されなかった。 政治家やそのボディーガードの武装、特に選挙期における武装は、政治的暴力増加の一 因となっていると思われる。2001年の総選挙期間、選挙に関係した暴力事件が2, 734件発生した。期間中のはじめの3週間は前年の倍の事件があった。主な事件のう ち3%は殺人、5%が殺人未遂、31%が脅迫、3%が悲痛な身体的暴行である。中央 の州においては、火器の使用される事件の数も2000年の37件から2001年には 60件と急増した。東部では2000年の96件が2001年には103件に、南部で は2000年には41件が2001年には121件に、北部では2000年の35件が 2001年には85件に、それぞれ増加している。 (選挙暴力モニタリング・センター, 2002、p.30)火器を使った犯行の増加は、違法な小型武器・小火器が現在国内 で蔓延してきているという見方と一致している。また、合法の火器が違法なものになる 場合もある。政治家に個人の防衛のために与えられた武器は、防衛の必要がなくなって も返還されないことが多いし、一時的な火器所有免許を持った農民は、免許の期限が切 れても所有を放棄するとは限らない。 (Smith、2003) このため、南部では主に違法な武器の供給源は、軍や政府である。LTTEは現在、武 器の在庫や所在について厳しく制御しており、情報の漏洩はごく少ないものだと思われ る。LTTEの意図しない武器流入の可能な箇所はコロンボ上方の西海岸である。 国内の東側、特にバッティカロアからの現時点での報告では、誘拐や脅迫のLTTEに よる犯罪活動が停戦協定後に急増していることを示唆している。 (University Teachers for Human Rights, 2002)標的にされるものは主に裕福なイスラム教徒のビジネスマン で、結果的にヒンドゥー教徒とイスラム教徒間の緊張は高まっている。スリランカ東部 のイスラム教徒グループらがリビアから武器を入手しているというのは以前から示唆 されていた。(Smith、2003)このようなことは、LTTEの幹部を特徴付け てきた結束と抑制が脅かされているという最初の兆候であるかもしれない。LTTEの 武器庫も脅威にさらされているのかもしれないということは、小火器や銃が国内に蔓延 している可能性を示しており、人々の安全を揺るがしている。 暴力の増加と治安の悪化のもうひとつの兆候は、国内の自殺率に表れている。多くは市 民の間で長引く紛争のための自殺だと考えられている。スリランカの自殺者率は10万 人に55人と、平均値の10万人あたり25人を遥かに上回り、世界でもっとも高い。 この数字は過去半世紀で劇的に上昇した。1950年には6.5人であったものが、1 960年に9.9人、1970年に19.1人、1980年に35.1人、1993年には 43.3人に到達し、現在は55人を上回っていると推定される。また、自殺者の年齢 にも顕著な変化が見られる。1950年から1960年の間、もっとも自殺率が高いの は55才以上の高齢者であったが、次の10年間では30才から55才の年齢層でもっ とも高い率を記録した。1970年からは15才から30才の層まで低年齢化し、19 80年代には更に若い子どもたちの自殺が増加しはじめた。 (Gunathileke、 2001)
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