気候変動に関する意思決定 ブリーフノート

2010 年 11 月 29 日発行 気候変動に関する意思決定ブリーフノート
気候変動に関する意思決定
No.10
No.10
ブリーフノート
(2010 年 11 月 29 日発行)
本紙は、環境研究総合推進費 E-0901 の成果や議論をお知らせするための情報誌です。
1.国際動向
目
次
気候変動影響への対応力強化のためのパイロット・プ
ログラムについて(久保田 泉:国立環境研究所)
1.国際動向
気候変動影響への対応力強化のためのパイロット・
(1)
気候変動影響への対応力強化のためのパイロッ
プログラムについて
ト・プログラムとは?
気候投資基金(Climate Investment Funds: CIF)
は、開発に整合する気候変動対策に取り組む途上国を
2.米国
アメリカの大気保全法による温暖化対策
支援することを目的として、世界銀行によって設立さ
れた(資金規模:64 億ドル)
。ドナー国は、オースト
ラリア、フランス、ドイツ、日本、オランダ、ノルウ
ェー、スウェーデン、スイス、イギリス、米国である。
気候変動影響への対応力強化のためのパイロッ
ト ・ プ ロ グ ラ ム ( Pilot Program for Climate
Resilience: PPCR)(資金規模:10 億ドル)(注:
resilience を「対応力」と訳した。
「気候変動の影響を
防止・軽減する社会や自然システムの能力」を意味す
る)とは、2008 年 11 月に承認され、CIF の柱のひと
つである、「戦略的気候基金」( Strategic Climate
Fund: SCF)
(資金規模:19 億ドル)の下で最初に開
発・運用されたプログラムである。これは、より脆弱
な途上国が、気候変動への対応力を確保しつつ、気候
変動に適応するためのプログラムを策定することを
支援するものである。
(2) PPCR 対象国選定について
PPCR に参加する 5 から 10 か国を選定するため、
専門家委員会が設置された。同委員会は、8 名の委員
から成り、委員のバックグラウンドは、気候科学、経
済学、開発学などであった。日本からは、三村信男茨
城大学教授が選ばれている。
この選定作業にあたって採用された方法論は、リス
ク評価フレームワークであった。定量化された指標
(たとえば、気候脆弱性インデックス(CVI)や資源
分配指標(RAI)など)の組み合わせとエキスパート
ジャッジにより、国の準備度合いなどのクライテリア
を考慮しつつ、ハイリスクとされる国が選定された。
専門家委員会の作業の結果、7 か国+3 地域が選ば
れた。最終的には、9 か国(バングラデシュ、ボリビ
ア、カンボジア、モザンビーク、ネパール、ニジェー
ル、タジキスタン、イエメン、ザンビア)+2 地域(カ
1
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リブ諸国、南太平洋諸国)が PPCR 対象国として選定
意味である。排出量の規制は排出源で行うのが一般的
された。サブ委員会と対象国委員会が作業を進めてき
で、大規模な排出源だけしか対象にできない。しかし
ており、これまでに、サブ委員会が各対象国による第
二酸化炭素は、燃料消費量に比例して排出されるので、
1 フェーズ資金供与提案のレビューを実施し、各対象
燃料の国内出荷段階で規制することが可能である。そ
国の気候変動影響への対応力戦略プログラムの準備
のような規制を行えば、小規模な排出源も含めて排出
に対し、それぞれ 150 万ドルを供与することを承認し
量を規制できる。
た。
2009年 6 月26日、アメリカ下院本会議で、エネルギ
ー・商業委員会委員長ヘンリー・ワックスマン下院議
(3) おわりに
員(民主党)とエネルギー・環境小委員会委員長エド・
次期枠組み交渉において、気候変動影響への適応の
マーキー下院議員(民主党)が提案した「クリーンエ
ための資金をいかに確保するかが課題のひとつとな
ネルギー・安全保障法」
(以下 ACES と略す)が可決し
っている。今後、「資金をどのように配分するか」と
た。ACES は総合的な法案で、第 1 部で発電事業者に
いう問題により重きが置かれるようになっていくと
再生可能エネルギーの利用を義務づけ、第 2 部で建築
考えられ、PPCR において採用された手法は今後も参
物と機器、自動車に新しい省エネ基準等を義務づける。
照されるものとなろう。研究サイドとしては、今回の
第 3 部は、国内排出を排出権取引で総量規制するプロ
選定過程における指標の選び方・組み合わせ方により
グラム、そして熱帯林減尐を削減するためのプログラ
改善の余地はないかなどを精査していく必要がある。
ム、オフセット・プログラムの 3 つのプログラムで構
成される。可決した総量規制のレベルは、2020年に
参考ウェブサイト:
2005年比17%削減、2050年に2005年比83%削減である。
PPCR
ACESの排出権取引は、液体燃料の製造・輸入業者を
(http://www.climateinvestmentfunds.org/cif/ppcr)
規制対象とするエコノミーワイドな排出権取引であ
る。
第 111 期アメリカ連邦議会では、下院と上院の両方
2.米国
で、ACES の他に 4 つの排出権取引を含む温暖化対策
アメリカの大気保全法による温暖化対策
法案が提出されたが、結局上院で合意に至っていない。
(新澤 秀則:兵庫県立大学)
2010 年中間選挙では、温暖化そのものに懐疑的な議
(1) はじめに
員や排出権取引に批判的な議員が多数いる共和党が
ブッシュ政権下、連邦政府は温暖化対策をしようと
下院で多数派となり、上院でも議席を増やした。その
しなかったので、州政府の取り組みが先行した。その
結果、当分連邦議会で温暖化対策の本格的な法案が可
1
結果、たとえば北東部の10州 は、2009年から、発電所
決する可能性は遠のいた。
から排出される二酸化炭素を対象に排出権取引を開
しかし、では当分アメリカの温暖化対策が全く進ま
始 し た 。 こ れ を RGGI ( Regional Greenhouse Gas
ないかというとそうではない。すでにある大気保全法
2
Initiative)と呼ぶ 。しかし州政府の取り組みには限界
(Clean Air Act)を改正せずに温暖化対策を進めるこ
がある。
とが可能で、そう義務づけられているからである。こ
オバマ大統領は、温室効果ガスを対象とした、強制
の点に関して、これまでの経緯を振り返っておこう。
的でエコノミーワイドな排出権取引を支持している。
エコノミーワイドとは、経済全体をカバーするという
(2) オバマ政権下の温室効果ガス規制の経緯
2007 年に、最高裁判所が、二酸化炭素と他の温室効
1
ニューヨーク,マサチューセッツ,バーモント,ロードアイ
ランド,コネチカット,メイン,デラウェア,ニューハンプシ
ャー,ニュージャージー,メリーランド。
2 Overview of RGGI CO2 Budget Trading Program
(http://www.rggi.org/)
果ガスが、大気保全法の大気汚染物質の定義に当ては
まるという判決を下した。この裁判は、大気保全法の
規制権限を違法に行使していないとして、マサチュー
2
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セッツ州が、連邦環境保護庁を訴えた裁判である。温
(3)-1
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自動車3
室効果ガスは大気保全法の汚染物質に含まれない、大
2011 年 1 月から、企業別平均燃費基準を段階的に強
気保全法は温室効果ガスに関するいかなる行動も認
化する。燃費基準を、乗用車の場合、2012 年に 1 ガロ
めていないとするブッシュ政権下、残された道は法廷
ンあたり 33.3 マイルから、2016 年までに 37.8 マイル
しかなかったのである。この判決によって、環境保護
にする。また二酸化炭素排出量の排出基準を、乗用車
庁は、新しい自動車からの温室効果ガスの排出が、健
の場合、2012 年の 1 マイルあたり 263 グラムから 2016
康あるいは福祉を害するかどうかを決定しなければ
年には 225 グラム未満に削減する。2017 年以降 2025
ならなくなった。
年までについても大幅強化が提案されている。
2009 年 12 月、環境保護庁は、温室効果ガスが健康
と福祉を害するという決定を行った。これを危険性の
バスやトラックを含む中大型車については、2014 モ
デル年から規制する。
認定(endangerment finding)と呼ぶ。この危険性の認
ICCT4の比較によると、日本の燃費基準は、2015 年
定によって、環境保護庁は、大気保全法 202(a)にもと
に 125gCO2/km であるのに対し、アメリカは 181 でま
づき、自動車からの温室効果ガスの排出を規制しなけ
だまだである。
ればならなくなった。
(3)-2
固定排出源-環境悪化防止プログラム5
大気保全法では、カリフォルニア州は、連邦の自動
環境悪化防止プログラムは、新規排出源と改修排出
車排出基準より厳しい排出基準を実施できる。また他
源に、許可プログラムによって、利用可能な最善の制
の州は、カリフォルニア州の排出基準を採用できる。
御技術(BACT)の採用を義務づける。その手続きを
しかし国内に複数の排出基準が併存することを避け
新規排出源審査(new source review)と呼ぶ。規制対
るために、オバマ大統領は、2009 年 5 月、調和された
象物質は、京都議定書が規制対象とする二酸化炭素、
企業平均燃費基準と温室効果ガス排出基準をつくり、
メタンなどの 6 つの温室効果ガスである。
カリフォルニア州も 2012 年から 2016 年までその連邦
硫黄酸化物や窒素酸化物の規制の場合、年間 100 ト
基準を適用するという合意を発表した。この規制は、
ン以上排出すると規制対象になるが、それを温室効果
2010 年 3 月に決定された。
ガスに適用すると、規制対象排出源の数が非常に多く
大気保全法では、ひとたびある汚染物質が法のある
なり、規制の実施が困難であると考えられた。そこで、
部分で規制されると、その汚染物質について、大規模
温室効果ガスについては、
2011 年 1 月から 6 月までは、
な新規固定排出源と改修固定排出源が環境悪化防止
温室効果ガス以外の排出量が大きく増えて、元々環境
(PSD: Prevention of Significant Deterioration)プログラ
悪化防止プログラムの対象となるはずの新規排出源
ムの対象となる。環境悪化防止プログラムは、新規排
と改修排出源についてのみ、温室効果ガスの排出量が
出源と改修排出源に、利用可能な最善の制御技術
75000 トン以上増加する場合に規制対象とすることに
(BACT: Best Available Control Technology)の採用を義
なった。
務づける。環境保護庁は、2010 年 5 月に、2011 年 1
2011 年 7 月から 2013 年 6 月までは、他の汚染物質
月から実施する新規排出源と改修排出源に対する規
の排出量にかかわりなく、温室効果ガス排出量が年間
制の最終案を発表した。
10 万トン以上の新規排出源が規制対象となる。改修排
このように、大気保全法によって、他ならぬ議会が
出源については、他の汚染物質の排出量にかかわりな
環境保護庁に権限委譲を行っている。
3
(3) 規制の内容
大気保全法のもとで,どのようなことまでできるの
4
であろうか。連邦議会で新しい法律を作って行う対策
と同等のことができるのであろうか。
5
本節の規制内容に関する記述は,Pew Center on Global Climate
Change, Federal Vehicle Standards (http://www.pewclimate.org)に
よる。
International Council on Clean Transportation, Global Passenger
Car Fuel Economy and/or Greenhouse Gas Emissions Standards,
April 2010 Update.
本節の規制内容に関する記述は,おもに Environmental
Protection Agency, Final Rule: Prevention of Significant
Deterioration and Title V Greenhouse Gas Tailoring Rule, Fact
Sheet による。
3
2010 年 11 月 29 日発行 気候変動に関する意思決定ブリーフノート
く、75000 トン以上増加する場合に規制対象となる。
する議員は当然いる。
2013 年 7 月以降については今後決定する。
許可権限を持つのは、州の環境部局で、BACT は、
No.10
2010 年 1 月、ムルコウスキー上院議員(共和党)は、
不承認決議案を提出した。この決議案は、環境保護庁
連邦環境保護庁のガイダンスのもとで今後州が決定
の危険性の認定をひるがえし、新たな法律なしに環境
する。BACT は、排出量に関する規制であったり、技
保護庁が自動車を含む規制を行う事を妨げる。しかし
術や装置の指定であったり、操業方法の指定であった
この決議案は、2010 年 6 月に否決された。
りする。
グローバルな問題である温暖化の原因物質の規制
を州が決定することになるのは、環境悪化防止プログ
また 2010 年 3 月、ロックフェラー上院議員(民主
党)は、自動車以外の固定排出源に関する環境保護庁
の規制を 2 年遅らせる法案を提出した。
ラムが元々国内のローカルな汚染を対象としたプロ
このような決議案がたとえ議会を通過しても、オバ
グラムだからである。アメリカで排出権取引が導入さ
マ政権は拒否権を発動する。つまり、オバマ政権下で
れたのは BACT などの規制が柔軟性に欠けたからで、
は、ひとつの方法を除いて議会が環境保護庁による規
温室効果ガスに同様な規制を導入すれば、排出権取引
制をとめることができない。そのひとつの方法とは、
の方がましだという意見も出てくるかもしれない。
オバマ政権が満足するような、新しい温暖化対策法に
(3)-3
既存の固定排出源の規制
合意することである。実際、議会で提案されている温
環境悪化防止プログラムは、新規排出源と改修排出
暖化対策法案は、環境保護庁による規制と二重になら
源しか対象にしないので、大規模な改修を行わない大
ないように、環境保護庁による固定排出源に対する規
部分の既存排出源は直ちに規制対象になることはな
制の権限を制限する条項を含んでいる。
い。
大気保全法には、大気環境基準に基づいて規制をす
(5) むすび
るプログラムがあるが、温室効果ガスに環境基準はな
大気保全法のもとで、新しい法律のもとで行える規
じまない。環境保護庁自身、このプログラムを適用し
制と同じ事ができるのであろうか。大気保全法は、国
ないと発表している。
内の汚染の問題のために作られた法律で、一部の権限
第 111 条の新規排出源排出基準(NSPS: New Source
は州にある。これまで議会で提案された法案と比較す
Performance Standards)は、その名と矛盾するが、既存
ると、大気保全法のもとでは、まずエコノミーワイド
排出源も規制できる。ただし、既存施設に関する NSPS
な規制はできない。また、大気保全法のもとでも排出
は、州政府が決定し、連邦環境保護庁は認可する立場
権取引は可能であるが、前例が尐ない。
にある。また通常環境基準があって、それを達成する
オバマ大統領が主導して昨年末に成立したコペン
ために排出規制を行うが、NSPS は環境基準がなくて
ハーゲン合意におけるオバマ政権の誓約は、2005 年の
も設定できるようである。NSPS による温室効果ガス
排出量を基準として、2020 年までに 17%削減である。
の規制について、すでに検討が始まっている。
ただし、この数値は、制定される法律次第という条件
リソーシズ・フォア・ザ・フューチャー研究所のリ
付である7。実際、世界資源研究所のビアンコとリッツ
チャードソンらによれば、石炭火力発電所だけでも、
らによれば、現在の規制権限だけでは 17%削減には足
効率改善とバイマスの混焼によって、全米の温室効果
りない8。
ガス排出量の 3%は削減できる6。リチャードソンらは
この量を重視している。
1997 年の京都会議の時に、京都議定書の作成を主導
したのはクリントン政権下のアメリカである。しかし
その後ブッシュ政権に交代し、アメリカは京都議定書
(4) 議会の対応
このような行政の動向に対し、それを阻止しようと
6
Richardson Nathan, Art Frass and Dallas Burtraw, 2010,
Greenhouse Gas Regulation under the Clean Air Act, Discussion
Paper 10-23, Resources for the Future.
を批准していない。現在の状況は、その時の状況と似
7
http://unfccc.int/files/meetings/application/pdf/
unitedstatescphaccord_app.1.pdf
8
Bianco Nicholas M and Franz T Litz, 2010, Reducing Greenhouse
Gas Emission in the United States Using Existing Federal Authorities
and State Action, World Resources Institute.
4
2010 年 11 月 29 日発行 気候変動に関する意思決定ブリーフノート
ているとも言える。
the Glorious Mess: A Sensible Approach to Climate
Change and the Clean Air Act, Working Paper, Nicolas
しかし大気保全法に基づく規制作りは進んでいる。
Institute for Environmental Policy Solutions, Duke
University.
環境保護庁によるこのような規制の実施が、議会に対
し、それに取って代わる新しい法律による規制の妥協
No.10
点を見いだす動きを活発化させる可能性がある。
Richardson Nathan, Art Frass and Dallas Burtraw, 2010,
Greenhouse Gas Regulation under the Clean Air Act,
Discussion Paper 10-23, Resources for the Future.
参考文献
参考ウェブサイト
Franz T.Litz nad Nichlas M.Bianco, 2010, What to Expect
From EPA: Regulation of Greenhouse Gas Emissions
Under the Clean Air Act, Environmental Law Reporter,
10480-10483.
Monast Jonas, Tim Profeta and David Cooley, 2010, Avoiding
ピュー気候センター(http://www.pewclimate.org/)
リソーシズ・フォア・ザ・フューチャー研究所
(http://www.rff.org/wv/default.aspx)
気候変動に関する意思決定ブリーフノートについて
本ブリーフノートは、環境省環境研究総合推進費E-0901(旧H-091)「気候変動の国際枠組み
交渉に対する主要国の政策決定に関する研究」の研究成果や、研究活動における議論を世の中に
いち早く、定期的に周知することを目的として発行されています。内容に関して、あるいは本研
究課題に関するお問い合わせは、課題代表者の亀山康子(独立行政法人国立環境研究所)にお願
いいたします。なお、内容に関するすべての責任は、上記代表者にあります。
〒305-8506 茨城県つくば市小野川 16-2 独立行政法人国立環境研究所
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電話:029-850-2430 ファックス:029-850-2960
Eメール:ykame@nies.go.jp
URL:http://www-iam.nies.go.jp/climatepolicy/index.html
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