第 10 章 景気循環

第 10 章
景気循環
好況や不況といった景気の変動を理解することはマクロ経済学の重要な使命の一つであ
る.そのための分析の多くは大学院レベルに分類されることが多いが,本章の目的は,景
気循環分析の近年の発展を本書の読者向けに紹介することである.第 1 節では,近年に至
るまでの景気循環分析の軌跡を追う.第 2 節からは現在景気循環分析に採用されている代
表的なモデルをいくつか紹介する.第 2 節では,リアル・ビジネス・サイクル・モデルと
呼ばれる,最も基本的な景気変動分析の手法を紹介する.このモデルでは全ての市場は競
争的で,価格の調整も瞬間的に行われるが,第 3 節では不完全競争と価格の硬直性を導入
したモデルを考察する.第 4 節ではゲーム理論的視点から景気変動を考察する.本章の付
論として,表計算ソフトを使ってシミュレーションを行うヒントをいくつか紹介する.
キーワード: 景気変動,ルーカス批判,リアル・ビジネス・サイクル(RBC),動学一般
均衡(DSGE)
,シミュレーション,複数均衡
ゴチック文字: 景気循環,景気変動,トレンド,趨勢,フィルター,サンスポット,ス
ルツキー・モデル,クライン=ゴールドバーガー・モデル,ルーカス批判,ディープ・パ
ラメター,構造パラメター,リアル・ビジネス・サイクル・モデル,RBC,動学的一般均
衡モデル,DSGE,新古典派成長モデル,ソロー・モデル,全要素生産性,TFP,ニュー・
ケインジアン・モデル,ディキシット=スティグリッツ型,独占的競争モデル,フィッシ
ャー方程式,オイラー方程式,ニューIS 曲線,ニュー・ケインジアン・フィリップス曲線,
NKPC,カルボ・プライシング,メニュー改定費用,潜在産出量,GDP ギャップ,テイラ
ー・ルール,テイラー・プリンシプル,インパルス・レスポンス,戦略的補完性,定性的
変動.
第 1 節 初期の景気循環論
1-1 景気循環とは何か
景気循環は,GDP などのマクロ経済変数を「トレンド」
(または趨勢)と呼ばれる長期的
部分とその周囲で起こる変動部分に分離することで定義できる.景気循環を計測した先駆
的仕事は 1930 年代のバーンズ(A. Burns)とミッチェル(W. Mitchell)にまでさかのぼ
る.当時は「理論無き計測」として厳しい批判を受けたが,1980 年代に再評価されること
になった.
1
時系列データから景気循環部分を取り出す作業を図示したのが図 1 である.この図では
トレンドが直線で与えられているが,実際は複雑な曲線であっても構わない.重要なのは
いかにこのトレンドを定義するかであり,トレンドが定まれば,あとは実際の時系列から
差し引くことで景気変動部分を定義することができるのである.実際の時系列データ上で
トレンドを定める数式のことをフィルターと呼び,ホドリック(R. Hodrick)とプレスコッ
ト(E. Prescott)により開発された HP フィルターなどが有名である.
図1
(a)
トレンド=経済成長要素
GDP
実際の時系列
分離
(b)
トレンド
トレンドからのかい離=景気変動要素
時間
経済学的には,トレンドというのは経済成長によって説明されるべき部分である.した
がって,経済成長論は,基本的にはこのトレンドがどのように決まるかについての学問だ
と考えてよい.1980 年代以前のマクロ経済学において,景気循環論には独立した理論体系
が必要だと考えられていた.IS-LM 分析もその一つである.1980 年代を境に,研究者たち
はトレンドと景気循環を独立した研究対象とすることに疑問を持ち始めた.例えば,現在
何らかの景気刺激的政策が実行されたとして,その政策が経済成長に影響を与えることな
く景気にのみ働きかけると断言できるだろうか.政策立案者は景気刺激策が経済成長を阻
害する可能性まで考慮に入れたモデルで分析を行うべきであろう.このような理由もあっ
て,近年では,トレンド分析と景気循環分析の境界が非常に曖昧になっている.
1-2 景気循環論から景気変動論へ
景気循環という用語には「循環」という言葉が含まれている.これは英語表記の business
cycle でも同様である.景気変動に関する初期の理解は,この「循環」という言葉に代表さ
れている.つまり,何らかの規則的で「確実な」周波の波が経済には存在しており,それ
が景気の変動を引き起こす,このように人々は景気変動を見ていた.したがって,景気循
2
環を理解することはすなわちその波の動きを理解することに他ならなかった.
確実な周波の波というのは,その変動を引き起こすモデルに確率的要素がない(「決定論
的」であるとも言う)
,ということを意味する.最も分かりやすい例が振り子である.振り
子は,一度運動を始めると,最初は大きく,そして次第にその運動の幅が小さくなる.注
目したいのは,その運動は毎回同じ動きになるという点であり,右に二回振れてから左に
振れる,などの規則は絶対に発生しないと私たちは予見できるのである.もしも景気変動
が振り子に似た力学方程式によって記述できるのであれば,その方程式さえ発見できれば
景気予測は 100%の精度になるはずである.しかも,振り子の場合,いずれ完全に運動が止
まることも予見できてしまう.したがって,確率的要素のない景気変動論の説明力には限
界がある,または,少なくとも,確率的要素の入る余地はある,と言えるのである.
なお,確率的要素のない景気変動理論はその後も進化を続けており,現在では内生的景
気変動理論と呼ばれている.その特徴は,モデルに確率的要素が入っていないにも関わら
ず,あたかも確率ショックがあるかのようにモデルが変動を起こす点にある.サンスポッ
ト理論やカオス理論などがその例である.サンスポット理論については第 4 節で解説する.
1980 年代には,カオスという物理学上の発見を経済分析に応用する研究が進んだ.カオス
は非線形動学の一種で,運動を描写する方程式は極めて単純であるにも関わらず,それが
生み出す運動は確率変数と全く見分けがつかない.振り子の運動と異なり,カオスが生み
出す運動の行き先を予見することはできないのである.
現代のマクロ経済分析の主流をなすのは確率的要素を含むモデルである.その流れを決
定的にしたのはキドランド(F. Kydland)とプレスコットであるが,彼らが登場する 1980
年代よりもはるか以前にも,数名の経済学者が確率的要素を含むモデルを構築している.
フリッシュ(R. Frisch)は 1930 年代に振り子のモデルに確率項を加えて分析を行った.シ
ョックのない振り子は確実にその運動を終えてしまうが,確率ショックを与え続ければ,
運動のエネルギーが常に外から得られるため,振動が続くというわけだ.
振り子の力学を使わずに確率項だけで景気変動を再現しようと試みたのは 1920 年代のス
ルツキー・モデルにまでさかのぼる.その基本的な考え方を見るために,動学方程式
yt+1 = 0.95yt + et+1
分析を簡単にするために,
を考えよう.
ここでyt はt期における GDP でet+1は確率項である.
この確率項の値は 50%の確率で 0.5,残りの 50%の確率で-0.5 になるとする.この動学
方程式に初期値y0 を与えればすべての時点における GDP の値を計算することができる.し
かも,確率項が含まれているので,計算をする毎に異なる時系列が得られるはずである.
このような動学方程式は Excel などの表計算ソフトがあれば簡単にその時系列を計算する
ことができる.初期値を 0 として第 100 期までのシミュレーションを行った結果のひとつ
が図 2 である(確率モデルなので毎回結果が異なる点に注意)
.何となくではあるが,実際
の GDP の景気変動部分の動きのように見えることは大変興味深い.
一般に,時間の概念の入ったモデルは複雑なので,四則演算や微分だけではモデルを分
3
析したことにならない場合が多い.景気循環分析は特にその傾向が強いので,読者には是
非このシミュレーションを実際に行って欲しい.目の前でモデルが動くので,きっと楽し
いはずである.なお,本章の付論では,Excel などの表計算ソフトを使って実際にシミュレ
ーションを行うコツを紹介しているので参考にして欲しい.
図2
GDP
3
2
1
0
-1
0
20
40
60
80
100
t
-2
-3
-4
1950 年代は,IS-LM モデルなどのいわゆるケインズ経済学がマクロ経済分析の主流とな
っていた.この時代を象徴するのがクライン=ゴールドバーガー・モデルに代表される巨
大 IS-LM モデルであった.確率項の加わったクライン=ゴールドバーガー・モデルが戦後
アメリカ経済の時系列を極めて高い精度で再現できることが知られている.
これまで見てきたように,確率ショックはそれ自体が景気変動を描写する上で有効な手
法となり得るうえに,もともと経済分析を行うために考案された IS-LM モデルに応用する
ことでさらに精度を引き上げることが可能である.そのように考えると,IS-LM とは別の
利点(トレンドを分析できる)を持つ経済モデルに確率ショックを導入することの意義も
理解しやすい.その,別のモデルとは,ソロー(R. Solow)などにより 1960 年代に開花し
た新古典派経済成長モデルであり,同時期にアロー(K. Arrow)やドブリュー(G. Debreu)
などの貢献により完成の域に達した一般均衡理論である.しかし,新しいモデルを必要と
するより切実な理由を与えたのはルーカス(R. Lucas)による「ルーカス批判」である.
1-3 ルーカス批判と現代マクロ経済学
クライン=ゴールドバーガー・モデルなどの巨大 IS-LM モデルに対する批判は 1970 年
代以降次第に強まっていった.先頭に立ったのはフリードマン(M. Friedman)であるが,
4
学術研究の流れを変える決定的な役割を果たしたのはルーカスである.
例を挙げてみよう.リンゴを 1 個 100 円で販売している店があり,一日平均 20 個売れる
としよう.平均的な一日の売り上げは 2000 円である.もしこの店主が「このリンゴを 200
円に値上げすれば,
一日の売り上げを 4000 円に引き上げることができる」と主張した場合,
多くの人々は「値上げをすると売れる個数が減るはずだから売り上げは逆に下がるかもし
れない」と反論するだろう.この店主が陥ったミスは,100 円という価格のもとで得られた
「過去のデータ」から構築したモデルをそのまま用いて 200 円という異なる価格の下での
消費者行動を予測してしまった点にある.もっと本質的には,ミクロ経済学を使わずに消
費者行動を予測しようとした点がこの店主の決定的なミスなのである.
この考え方を経済政策に応用したのがルーカスである.政策当局は(税率や制度など)
過去の条件の下での経済データを大量に蓄積している.それらのデータを用いて巨大
IS-LM モデルの形状を推定し,実際の政策運営に役立てたのが前述のクライン=ゴールド
バーガー・モデルである.このモデルを用いて例えば税率の変化の効果を知りたいと思っ
たときに,先の店主と同じ問題に直面してしまうのである.つまり,その時点で政策当局
が持っているモデルは,確かに過去のデータを高精度で再現できるが,政策変更により人々
がどのようにその行動を変更するかについての記述がなされていないモデルの場合,そこ
から得られる結論は先の店主同様大きく的を外したものになりかねない.実際,大型 IS-LM
モデルで推定された「係数」は将来の税率などの情報が紛れ込んでいることが知られてい
る.つまり,政策を変更すれば(推定したばかりの)係数の値が変わってしまうので,そ
のモデルを予測に使えなくなるのである.こうしてルーカスは,当時主流だったマクロ計
量分析の有用性に深刻な疑義を投げかけたのである.そのあまりの影響力から「ルーカス
批判」としてマクロ経済学の歴史にその名を刻むことになった.
では,どうすればモデルの係数に政策変数が紛れ込まないようにすることができるだろ
うか.もういちど先のリンゴの例に戻ると分かりやすい.店主の犯したミスは,家計のリ
ンゴ需要をモデル化するかわりに,100 円という価格における需要量のデータのみを使って
しまった点にある.ミクロ経済学から,私たちはリンゴの需要曲線は一般に右下がりで,
その需要曲線も無差別曲線と予算制約線から導出したものであることを知っている.する
と,リンゴの需要曲線の形状を計測することと,消費者の無差別曲線の形状を計測するこ
とは基本的には同じ活動であることが分かる.無差別曲線の形状はすなわちその家計の好
み(もっと言えば,個性)を表すので,この形状を計量経済学的に推定できれば,この推
定値に政策変数が紛れている可能性は無いと考えられる(政策が変わると個性が変わると
主張するなら話は別だが)
.このような係数のことをディープ・パラメター,または構造パ
ラメターと呼び,ルーカス批判以降のマクロ経済分析における「推定」はほぼこれを指す.
次節からは,ルーカス登場以降に主流となったマクロ経済分析および景気変動分析を解説
する.
5
第 2 節 伸縮価格モデル
伸縮価格モデルを用いて景気循環を分析する先駆的研究はルーカスによって進められ,
キドランドとプレスコットの登場により一応の完成を見た.実はその基本構造はすでに
1960 年代に完成した経済成長モデルや一般均衡理論を借りたものであるが,当時,経済成
長と景気循環は別の研究分野であるとみなされていた.ルーカスの貢献は,それまで長期
分析専用とみなされていた成長モデルをはじめとする伸縮価格モデルが景気変動論,すな
わち短期分析にも応用可能であることを示したことにある.他方,キドランドとプレスコ
ットは,モデルを数値的にシミュレーションすることで実際のデータを再現する,という
研究手法を確立した.こうした分析はリアル・ビジネス・サイクル(Real Business Cycle;
RBC)モデル,あるいは近年は広く動学的一般均衡モデル(Dynamic Stochastic General
Equilibrium; DSGE)などと呼ばれ,1980 年代以降,世界中の多くの大学院でマクロ経済
学の基礎理論としての地位を確立することになった.この節ではその基本的枠組みを紹介
する.
2-1 基本モデル
スタート地点となるのがソローにより開拓された新古典派経済成長モデルである.ある
特定の時点をtと表わし,t = 0,1,2, …と無限に経済活動が続くと考える.分析の単純化のた
め,政府部門と外国部門を捨象する.以下のすべての変数を実質変数と見ると,生産物市
場の均衡条件は
(1) Yt = Ct + It
となる.ここで,Yt は第t期の GDP,Ctは消費支出,It は設備投資である.新古典派成長モ
デルの特徴は生産関数と資本蓄積方程式である.第t時点における資本ストックの量をK t ,
労働投入をNt とすると,生産関数は
(2) Yt = F(K t , Nt )
で表わされる.生産関数は各投入物に関して限界生産性逓減の法則を満たし,稲田条件を
満たすと仮定する.さらに,規模に関する収穫一定を仮定する.資本蓄積方程式は,δを資
本減耗率とすると
(3) K t+1 = It + (1 − δ)K t
である.なお,ソロー・モデルの場合,貯蓄は家計の所得の一定割合と仮定されており,
また,労働投入と人口は同一視されているので注意が必要である.
RBC モデルがソロー・モデルと異なるのは家計による意思決定が明示的に登場する点で
ある.実際の経済には実に多くの,しかも異なる家計が存在するが,いたずらにモデルを
複雑化させるのを避けるため,経済には「代表的家計」と呼ばれる家計が 1 世帯だけ存在
すると考え,その家計の選択を経済全体の選択と見るのである.マクロ経済における家計
の役割は,生産物市場においては買い手,資本市場においては(貯蓄を通じて)資金の供
給者,そして労働市場においては労働力の供給者となる.代表的家計の目的関数を
6
∞
(4) E0 � βt u(Ct , Lt )
t=0
とする.ここで,E0は期待値を表す演算記号,uは各時点における効用水準を測る関数,Lt は
余暇である.(4)によると,家計は今期だけでなく無限の将来における消費と余暇を考慮に
入れて意思決定を行う.このとき,現在と将来に対して同じ重きを置くのではなくβ<1 で割
り引いて評価している点に注意して欲しい.期待値を取る理由は将来時点の計算を含むか
らであるが,不確実性に直面する家計の動学的意思決定を直接考察するかわりに,ここで
は不確実性を捨象した状態で最大化問題を解き,後でモデルに確率ショックを加えること
にする.したがって,以下では数式に期待値の記号を含めないことにする.余暇は家計が
保有する時間から労働時間を差し引いたものとして定義できるので,各期において配分可
能な時間の総量を 1 と基準化すると,Lt = 1 − Ntと置き換えることができる.
分析の詳細は本書のレベルを超えるので省略するが,大まかには以下の通りである.ミ
クロ経済学での家計の問題と同様に,目的関数(4)を(1)—(3)を制約として最大化するように
消費と労働投入を決めれば良い.ただし,注意が必要なのは,目的関数が各時点の効用関
数の無限和になっていることと,対応する予算制約式が無限本数存在している点である.
このような問題は動学的最適化問題と呼ばれ,その解は消費Ctと余暇Lt のすべての時点にお
ける値ということになる.これらが判明すれば,GDP,投資,貯蓄など,その他すべての
内生変数の値が判明する.
このような問題はラグランジュ法を使って解くこと可能なので,ここでは実際にその計
算を進めてみよう.まず,制約条件式をまとめると,
(5) Kt+1 = F(K t , Nt ) + (1 − δ)K t − Ct
であるので,私たちが直面している動学的最適化問題は,(5)式を制約として(4)を最大化す
れば良いことになる.ただし制約式が無限本あるので,対応するラグランジュ乗数を無限
個用意する必要がある.ラグランジュ乗数をλt とすると,ラグランジュ関数は
∞
(6) 𝕃 = � βt {u(Ct , 1 − Nt ) + λt [F(K t , Nt ) + (1 − δ)K t − Ct − Kt+1 ]}
t=0
となる.この関数をCt , Nt , K t+1 についてそれぞれ微分してゼロとおくと(K t ではなくKt+1を
操作する理由は,資本蓄積方程式(3)を見ると,事実上投資Itを選んでいると考えると分かり
やすい),1階の条件式は
(7)
∂u(Ct , 1 − Nt )
− λt = 0
∂Ct
(8) −
∂F(K t , Nt )
∂u(Ct , 1 − Nt )
+ λt
=0
∂Nt
∂Nt
(9) − λt + βλt+1 �
となる.
∂F(K t+1, Nt+1 )
+ (1 − δ)� = 0
∂K t+1
7
(7)と(9)からラグランジュ乗数を消去すると
(10)
1
βu1 (Ct+1 , 1 − Nt+1)
=
u1 (Ct , 1 − Nt )
F1 (K t+1 , Nt+1 ) + (1 − δ)
なお,u1およびF1 はそれぞれの関数の第 1 偏導関数であることを示す.(9)式のように,前
後の期間をまたぐような異時点間の条件式のことをオイラー方程式と呼ぶ.なお,(9)式の
左辺は消費の限界効用の比で,右辺は実質利子率の逆数,すなわち将来消費 1 単位を 1 期
間割り引いた値である.つまり(9)式はミクロ経済学でおなじみの,限界効用の比=相対価
格,となっている.続いて(7)式と(8)式からラグランジュ乗数を消去すると,
(11)
u2 (Ct , 1 − Nt )
= F2 (K t , Nt )
u1 (Ct , 1 − Nt )
を得る.この条件は各時点における消費と余暇に関する配分ルールとなっている.左辺は
余暇と消費についての限界効用の比,つまり消費と余暇の間での限界代替率を表し,右辺
は労働の限界生産力,すなわち完全競争市場における実質賃金である.
(10)式と(11)式および予算制約式(5)が効用最大化の必要条件である.これに十分条件を加
えることでこの問題の解を得ることが「原理上」可能である.動学的最適化問題における
十分条件はlimt→∞ λt K t+1 = 0で,これを横断性条件という.この経済学的には,計画期間の
最後の期までには完全に貸し借りゼロの状態にする,ということを要請している.計画期
間に最後の期がないために,このように極限の表記になっているのである.
この問題を解くためには,各時点における変数の値が数値として判明する必要がある.
上で「原理上」と強調した理由は,その作業が必ずしも容易ではないからである.動学モ
デルの分析者はここから目的に応じて様々な制約をモデルに課すことによって解を得る必
要がある.分析を最も簡単にする制約は,分析を「定常状態」に限定することである.そ
うすれば紙と鉛筆だけで簡単に解を得ることができる.しかしながら,定常状態だけを見
たのでは景気変動分析にはならない.
キドランドとプレスコット,そしてその後の RBC 研究の貢献は,ここから数値解を得る
までの一連の手続きを誰にでも利用可能な状態にまで整理した点である.実際の研究で行
われる手続きには大きく分けて 2 種類ある.ひとつは複雑なモデルのまま数値的手法で解
を得る方法で,もうひとつは複雑なモデルを直線に近似して,その解を得ることである.
残念ながら,どちらの手法も本書のレベルを大きく超えてしまうので,ここでは厳しい制
約をモデルに課すことで,手計算である程度分析が可能な範囲内で解説を進めることにす
る.その結果の一つとして,上述の横断性条件を明示的に課すことなくモデルを解くこと
ができる.
モデルを完全に解くために,モデルの構造を次のように特定しよう.
(12) Yt = At K αt Nt1−α
(13) u(Ct , 1 − Nt ) = θlogCt + (1 − θ)log (1 − Nt )
,αは資本分配率(0 < 𝛼 < 1)
,θ
ここで,Atは全要素生産性(Total Factor Productivity; TFP)
8
は効用関数の構造を表す定数
(0 < 𝜃 < 1)で,
logは自然対数を表すものとする.
さらにδ = 1,
つまり毎期完全に資本を使い切る,と仮定することで,解析解を得ることができることが
知られている.なお,Atは外生変数であると仮定する.すなわち,全時点における TFP の
値をモデルの分析者が(モデルの外から)与えることにする.
ここからは未定係数法という手法を使ってモデルを解いていこう.最初に,解について
次のように見当を付ける.
(14) Ct = BAt K αt Nt1−α
目的は未定係数Bの値を明らかにすることと,実際にこれが問題の必要条件をすべて満たし
ていることを確認することである.実際の計算は興味のある読者に任せたいが,最終的に
得られる解は
(15) Ct = [1 − αβ]At K αt Nt1−α
(16) Nt =
(1 − α)θ
(1 − θ)(1 − αβ) + (1 − α)θ
(17) K t+1 = αβAt K αt Nt1−α
となる.
このように,解をすべて記号で記述できる場合,そのような解のことを解析解と呼ぶ.
すべての動学的最適化問題に解析解が存在するというわけではない.ここで解析解を得る
のに成功した理由は,効用関数を対数形で与え,生産関数をコブ・ダグラス型にし,さら
に資本減耗率を 100%としたからである.それにより発生したコストは(16)式に表れている.
つまり,経済の TFP がどんなに変動しようとも家計の労働供給は変動しない結果になって
いる.これは,賃金の変化による所得効果と代替効果が常に相殺されるような関数形を採
用した結果であり,RBC モデルの一般的性質と理解すべきではない.その意味で,RBC の
分析にとって(16)式は極めて都合の悪い性質であるとも言えるが,本書の難易度をこれ以上
引き上げないための必要悪だと理解してほしい.なお,キドランドとプレスコットをはじ
めとする RBC の研究で用いられるモデルでは,対数型の効用関数の代わりに,
(18) u(Ct , Lt ) =
1−σ
(Ctθ L1−θ
t )
1−σ
などが採用されている.このような特定化を行った場合には,TFP ショックが労働供給に
まで波及することになるが,残念ながら,解析解は得られない.
(15)—(17)がこのモデルの解である,ということの意味は,このモデルに初期値を与える
ことで,その後のすべての時点のマクロ経済変数を計算できるという意味である.数学的
にはどのような初期値を与えることも可能であるが,経済学的に設定可能な初期値は資本
ストックK0 とA0 だけである(ただしAt の値は元々外生変数であるので,本当の意味での初
期値は資本ストックのみ)
.消費,投資,労働投入などは,第 0 期であってもその時点の経
済主体が決定する変数であるので,分析者が自由にその値を与えることはできない.さて,
これらの初期値を解(15)—(17)に代入すると,確かにC0とK1 の値が判明する.この情報を使
9
うとさらにC1 とK 2 の値を求めることができる.このような手続きを繰り返すことで,すべ
ての時点における消費と資本ストックを計算できるのである.
では,このように計算を続けた場合,この経済は最終的にどこに向かってゆくのだろう
か.言い換えると,この経済の長期均衡はどこだろうか.この問いに答えるために使う概
念が,定常状態である.仮にそのような状態に到達した場合,経済変数はもはや変動しな
いはずなので,すべての経済変数がその値を変化させない場所があるかどうかを確認すれ
ば良い.TFP の値も変化しないと仮定し,(17)のすべての変数の添え字tを取り払って資本
ストックについて解くと,K = N(αβA)
1�
1−αとなることを確認できる.このように,定常状
態の計算は比較的容易である.以下では,添え字のない変数は定常状態におけるその変数
の値を表す.
解(15)—(17)により消費,労働投入と資本ストックの均衡経路が明らかになると,芋づる
式に他の多くのマクロ経済変数の値を計算することが可能になる.例えば,δ = 1であるこ
とから,投資は(3)式よりIt = K t+1 であり,GDP も(12)式を使えば直ちに計算できる.さら
に,このモデルは新古典派経済成長モデルの一種なので,要素市場の完全競争条件から,
実質賃金Wt と実質利子率R t はそれぞれ労働と資本の限界生産力と一致する.したがって,
(19) Wt = (1 − α)At K αt Nt−α
1−α
(20) R t = αAt+1K α−1
t+1 Nt+1
を得る.ここで利子率が「来期の」限界生産力と一致している理由は,(10)式より,t期に
家計が直面する利子率がt + 1期の限界生産力となっていることを反映させたものであるが,
Nt1−α と定義しても問題はない.ただし,分析結果を解釈する際には注意が必
R t = αAt K α−1
t
要である.
2-2 持続的生産性ショックの重要性
では,実際にこの RBC モデルに TFP ショックを与えて,そのショックがどう波及する
か見ていこう.ここでの着眼点は,最初のショックがどの程度長く経済に影響を与え続け
るか,つまり効果の持続性である.大きさや単位の異なる様々なマクロ経済変数を同時に
扱う上で,各変数の水準をそのまま計算しても,ショックに対する効果の大きさを判断で
きないので,以下では,すべての変数を「元の状態から何%かい離したか」を表す指標に
変換する.
まず,
「元の状態」をこのモデルの定常状態と定める.すると,定常状態における(15)—(17)
は
(21) C = [1 − αβ]AK α N1−α
(22) N =
(1 − α)θ
(1 − θ)(1 − αβ) + (1 − α)θ
(22) K = αβAK α N1−α
となる.なお,労働投入は定常状態の外であっても常に一定の値をとる.ここで,(15)式の
10
両辺を(21)式の両辺でそれぞれ割ると
(23)
Ct At Kt α Nt 1−α
= � � � �
C
A K
N
が得られる.同様に,(16)の両辺を(22)の両辺で,(17)の両辺を(23)の両辺でそれぞれ割る
と,
(24)
(25)
Nt
=1
N
K t+1 At Kt α Nt 1−α
= � � � �
K
A K
N
となる.
(23)—(25)を見ると,すべての変数がその変数の定常状態における値との比率で記述され
ていることに注目してほしい.(23)式の両辺に自然対数をとると
(26) log Ct − logC = logAt − logA + α[logKt − logK] + (1 − α)[logNt − logN]
となる.実は,logCt − logCは実際の消費が定常状態の消費水準から何%かい離したかを表
す数値を近似したものとなっている.この項を小文字でct と表そう.同様の変数変換をすべ
て行うと,(26)式は
(27) ct = at + αk t + (1 − α)nt
と変換できる.同様に,(24)式を変換すると,
(28) nt = 0
を確認できる.最後に,(25)は
(29) k t+1 = at + αk t + (1 − α)nt
である.(19)と(20)に対しても同様の手続きを行えば,賃金と利子率についても
(30) wt = at + αk t − αnt
(31) rt = at+1 − (1 − α)kt+1 + (1 − α)nt+1
のように変形が可能である.これらの式は,すべて%表記になっているだけでなく,すべ
て線形の方程式体系で表現されているというのも重要な利点となっている.すべての変数
が定常状態からのかい離で表わされているので,定常状態におけるこれら小文字変数の値
は当然ゼロである.小文字表記への変換は,図 1 で描写したような,データからトレンド
を分離して景気変動部分のみを抽出する作業を理論モデル上で行ったと見てもよい.
TFP の項は外生的と仮定しているので,基本的には任意の値を使って良いのだが,以下
では,対数変形後のat が次のような確率過程に従うと考える.
(32) at+1 = ρat + et+1
ここで,ρは TFP ショックの持続性を表すパラメター(0 ≤ ρ ≤ 1)で,et+1はノイズ項で
ある.ノイズ項とは,分散が一定で,期待値がゼロの確率変数のことである.ρ = 0はショ
ックがその時点で消え去ることを意味し,逆にρ = 1はショックが永続的に経済に影響を与
えること意味する.つまり,永続的なショックとは,もはやショックというよりは構造変
11
化ととらえた方が良い性質のものであり,定常状態の値そのものの変更を伴う.(32)式のよ
うな確率過程のことを AR(1)過程と呼ぶ.
Excel を用いてこのモデルをシミュレーションしてみよう.第 0 期には経済は定常状態に
あると考えよう.第 1 期に+1%の TFP ショックが発生したとして,これがどのように消
費,投資(すなわち来期の資本ストック),産出,賃金,そして利子率に影響を与えるか,
その動学経路を計算する.今回のモデルは極めて単純なので,知るべき構造パラメターはα
のみである.RBC モデルで最も多用されている値はα = 0.33なので,ここでもその値を利
用する.実際の景気変動分析で用いるモデルは複雑なので,他にも多くのディープ・パラ
メターの値を確定する必要があるが,広く採用されている方法として,(1)(他の研究者
による)ミクロ計量分析などで得られた推定結果を利用する,
(2)定常状態でモデルが満
たすべき条件とデータの長期的性質とを突き合わせてディープ・パラメターを逆算する,
がある.これら一連の作業を指してカリブレーションと呼ぶ.難易度は高いが,ディープ・
パラメターを直接推計することも可能である.
以下ではショックの持続性について 3 種類のシミュレーションを行う.使用する値は
ρ = 0,ρ = 0.9,そしてρ = 1である.なお,nt = 0であることから,消費,投資,賃金の動
きは GDP(産出)の動きと同一になるので以下ではyt の系列のみ図示する.より一般的な
モデルではnt = 0とならないので,これほど多くの変数の動きが一致するのは私たちが様々
な制約を(単純化のためとは言え)課したからである点を意識すべきである.
ρ = 0を使ってシミュレーションを行った結果が図 3 である.at の動きにまず着目すると,
第 1 期に 1%上昇して,第 2 期以降は 0 になっている.これは,TFP ショックそれ自体の
持続性がないことの表れである.このようなショックに対する経済の反応がそれ以外のグ
ラフに表れている.TFP ショックは直ちに産出に影響を与えるが,その時点での資本量は
既に決まっているため,資本に影響が及ぶのは来期以降となる.プラスの生産性ショック
によりその期の産出(すなわち家計所得)が拡大し,それらが消費と投資に配分される.
生産性は来期には元の水準に戻るので,来期以降の資本限界生産力を直接引き上げる効果
はない.したがって,ここで発生しているのは短期的な資本供給の拡大である.その結果,
利子率は低下する.(29)式より,生産性ショックの影響が逓減的に資本ストックに影響を及
ぼすことが分かる.したがって,最終的にはすべての変数が元の状態に戻るが,ショック
の効果がある程度持続していることが分かる.
12
図3
at
kt
yt
rt
1.2
1
0.8
0.6
0.4
%
0.2
0
-0.2 1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
-0.4
-0.6
-0.8
time
図 4 はρ = 0.9とした場合のシミュレーション結果である.
at の動きからも分かるように,
ここで考察するショックはかなりの持続性を持ちながら,次第に元の水準に戻っていく.
同時に,経済への波及効果も持続している点に注目して欲しい.なお,アメリカ経済のデ
ータを RBC モデルで再現するためにはρの値を 1 にかなり近づける必要があることが知ら
れている.ρ = 0.979という推計値を得た研究もある.しかし,ショックが経済にどう波及
するかを研究することで景気変動を理解したいにも関わらず,経済の構造ではなくショッ
クの構造に持続性を求めなければならないという事実は,RBC モデルの弱点のひとつであ
る.
13
図4
at
kt
yt
rt
1.4
1.2
1
0.8
%
0.6
0.4
0.2
0
-0.2
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
time
最後に,ショックが恒常的であるケースを見てみよう.図 5 はρ = 1の場合のシミュレー
ション結果である.ショックが恒常的なので,定常状態の値そのものの変更を伴う.1%の
恒常的生産性向上は,長期的に資本と労働の限界生産力を引き上げ,定常状態の産出レベ
ルを引き上げる.数量を表す変数は徐々に新しい定常状態に向かって単調に移動を続けて
いる.また,利子率は最初大きく上昇し,その後資本の増加とともに減少していく.これ
らはソロー・モデルの成長経路で起きていることと同様である.
図5
at
kt
yt
rt
1.6
1.4
1.2
1
% 0.8
0.6
0.4
0.2
0
1
2
3
4
5
6
7
time
14
8
9
10
11
12
図 3 から図 5 までは第 1 期に発生した 1%の生産性ショックがどう経済を駆け巡るかを分
析したものであり,このような研究をインパルス・レスポンス分析,または比較動学分析
と呼ぶ.時間の概念のないモデルにショックを与える場合,ショック前とショック後の経
済を比較することになる(これを比較静学と呼ぶ)ので,例えば図を手で描くことで経済
に何が起きるか分析が可能であるが,景気変動分析においてショックの前後を比較するだ
けでは物足りない.ここで行った分析は,マクロ変数がショック前からショック後にどの
ような経路で進んでくのかを詳細に記述できるのが利点である.
インパルス・レスポンス分析では,ショックを最初に 1%経済に与えて,あとは経済が定
常状態に戻るまで新たなショックを与えずに観測し続ける.もちろん,前述のスルツキー・
モデル(図 2)のようなシミュレーションを行うこともできる.それを行ったのが図 6 であ
る.使用したのは図 4 と全く同一のモデルと数値(α = 0.33, ρ = 0.9)である.唯一異なる
のは,スルツキー・モデルの確率項et+1と同様に,50%の確率で 0.5,残りの 50%の確率で
-0.5 になるとして,そのショックを毎期この RBC モデルに与え続けた点である.ショッ
クの持続性と資本蓄積の持続性,そしてショックが持つ確率的要素によって,モデルの時
系列がかなり「らしく」なっている点に着目してほしい.これは日本経済の GDP 景気変動
部分のようにさえ見えるが,最も単純な RBC モデルをシミュレートしたにすぎないのであ
る.
なお,このモデルには人口成長や技術進歩などがモデル化されていないため,定常状態
での持続的成長(均斉成長)は起きてない.したがって,図 6 は,ちょうど図 1 のパネル(b)
に対応するような,トレンド除去後の景気変動部分のシミュレーションであると考えると
よい.
15
図6
GDP(%)
4
3
2
1
t
0
-1
0
20
40
60
80
100
-2
-3
-4
-5
データの動きが「それらしく見えます」というだけでは科学として物足りない.実際の
RBC 分析では,モデルを何万回もシミュレーションにかけるなどしてモデルが生み出すデ
ータの統計的性質(各マクロ変数の分散や共分散など)と実際の経済データの統計的性質
を比較する,という方法などが採用されている(シミュレーションを行わずに理論的に計
算可能な場合も多い)
.それでもなお,計量経済学的な意味での検定を行うのは容易ではな
く,RBC モデルや DSGE モデルの有効な検定方法の確立は現在研究者たちが取り組んでい
る課題の一つである.
第 3 節 硬直価格モデル
3-1 RBC から DSGE へ
前節で扱ったモデルは狭義の RBC モデルである.すなわち,名目変数が一切登場しない
伸縮価格モデルを用い,景気変動の源泉を TFP ショックに限定してもなお現実のデータを
非常によく再現できる,これが出発当初の RBC の姿であった.RBC の成功に伴い,研究
者たちは実に多様な研究テーマにこの枠組みを応用するようになった.その一つが金融政
策分析である.そのころから,RBC ではなく,より一般性の高い名称である DSGE が流通
するようになっていったのである.
RBC モデルを貨幣経済に応用して物価水準,インフレーションや名目利子率などの名目
変数の動きに着目する初期の研究で明らかになったことは,RBC モデルを貨幣経済に直接
16
応用しただけではモデルの精度はそれほど上がらないということであった.
1980 年代には,マンキュー(G. Mankiw)などが中心となってケインズ経済学の再構築
が始まっていた.伝統的な IS-LM 分析はルーカス批判によって事実上機能を停止していた
が,代わりに,ミクロ経済学やゲーム理論などの「均衡理論」を分析の土台とし始めた(ミ
クロ的基礎付け,と呼ぶ)のである.彼らやその分析手法はニュー・ケインジアン(新し
いケインズ経済学)と呼ばれていたが,当時は,IS-LM や RBC のような統一的な基礎モデ
ルがなかったために,その影響力は限定的であった.いずれにせよ,1980 年代以降のマク
ロ経済学は,誰一人としてルーカス批判を無視することができなくなり,その後約 30 年と
いう時間をかけて,次第にマクロ経済学は統一の土台を持つ学問へと進化してゆくことに
なる.
ニュー・ケインジアン分析の発展を語る上で特に重要なのは,独占的競争モデルの性質
の解明が進んだことで,不完全競争をマクロ経済分析に乗せることが容易になったことと,
粘着的価格モデルの開拓により,価格調整の不完全性にミクロ経済学的基礎が与えられた
点である.数多くの研究によってこれらの要素が RBC モデルに取り入れられたことで,
RBC の分析手法とケインズ経済学の要素が共存する DSGE モデルが完成した.統一の基本
モデルを得たことで,ニュー・ケインジアン・モデルの影響力は近年急速に拡大している.
その結果,現在では,1980 年代のニュー・ケインジアンではなく,独占的競争と粘着価格
を備えた DSGE モデルのことを指してニュー・ケインジアン・モデルという言葉が使われ
ている.
3-2 基本モデル
第 2 節の RBC モデルとの違いはいくつかある.第 1 に,ニュー・ケインジアン・モデル
は通常資本蓄積を考えない.それ以外の要素が十分過ぎるほど複雑だからである.第 2 に,
RBC モデルでは(厚生経済学第 1 定理のおかげで)代表的個人の選択を計算するだけです
べてのマクロ変数を計算可能であったが,不完全競争を扱うニュー・ケインジアン・モデ
ルでは,家計と企業の活動をそれぞれ描写する必要がある.すべての式を導出するのは骨
の折れる作業であり,本書のレベルを超えるため,以下ではその概略のみを示す.
家計の目的関数はϕを正の定数とすると
∞
Ct1−σ Nt1+ϕ
(33) � βt �
−
�
1−σ 1+ϕ
t=0
である.各時点を見ると,家計は消費から効用を得て労働供給には不効用を感じている.
これは基本的には(4)に(13)や(18)をあてはめたものと同じである.ひとつ大きく前節のモデ
ルと異なるのは,この経済には価格設定力を持つ独占的競争企業が無数存在して消費財を
生産・供給している点である.そのため,ここでのCtは単一の財ではなく,無数の財からな
るバスケットであるとする.式で表すと,
17
1
(34) Ct ≡ ��
0
ϵ
ϵ−1
ϵ−1
Ct (i) ϵ di�
と書ける.なお,ϵは正の定数である.財の種類の違いはiで表現されており,それらすべて
を積分することで集計している.右辺のような形状の関数を,経済学では CES(Constant
Elasticity of Substitution)型と呼ぶ.消費者の効用がこのような集計量に依存しているこ
との意味は,消費者はすべての財の種類を楽しみたいと思っており,ほんの少し価格が上
昇したからといってその財の消費量をゼロにすることはない.これが各企業に価格支配力
を与えている.その一方で,不完全ではあるが代替性のある財を作っている企業が無数に
存在するため,通常の独占企業というわけではない.CES 関数を使うと独占的競争モデル
を非常に簡単に分析できることが知られており,これはディキシット(A. Dixit)とスティ
グリッツ(J. Stiglitz)の貢献であることから,ディキシット=スティグリッツ型の独占的
競争モデルとも呼ばれている.なお,この経済には非常に多く財とその価格が存在するの
で適切に物価水準を定義する必要がある.ディキシット=スティグリッツ型のモデルでは,
物価指数は
1
1−ϵ
1
(35) Pt ≡ �� Pt (i)1−ϵ di�
0
となることが知られている.消費財バスケットと物価指数を使って家計の予算制約式を書
くと,
(36) Pt Ct + St = (1 + it−1 )St−1 + Wt Nt + Πt
となる.ここで,Stは(名目)貯蓄,it は名目利子率,Wt は名目賃金,Πt は独占的競争企業
からの配当受け取り額の合計である.最後の項について補足しよう.RBC モデルのように
完全競争企業と新古典派生産関数を仮定している経済では企業は必ず超過利潤がゼロにな
る.つまり,付加価値がすべて生産要素の供給者(労働者と資本家)に分配される.それ
に対して,独占的競争企業は超過利潤を得ることができる.しかし,企業は結局誰かに保
有されているので,このモデルでは家計が配当として受け取ることになる.
前節と同様に家計の効用最大化問題を解いていこう.ラグランジュ関数は
∞
(37) 𝕃 = � βt �
t=0
Ct1−σ Nt1+ϕ
−
+ λt [(1 + it−1 )St−1 + Wt Nt + Πt − Pt Ct − St ]�
1−σ 1+ϕ
となるので,これをCt , Nt , St についてそれぞれ微分してゼロとおくと
(38) Ct−σ − λt Pt = 0
(39) − Ntϕ + λt Wt = 0
(40) − λt + βλt+1 (1 + it ) = 0
を得る.以上の条件式からラグランジュ乗数を消去すると
(41)
Ct−σ
1 + it
−σ = β
Ct+1
1 + πt+1
18
(42)
ϕ
Nt
Wt
−σ =
Ct
Pt
となる.なお,(41)式ではインフレ率を1 + πt+1 ≡ Pt+1 ⁄Pt と定義して使っている.(41)式と
(42)式は前節の(10)式と(11)式にそれぞれ対応する.(41)式の両辺に自然対数を取ると,
(43) − σ[logCt − logCt+1 ] = logβ + log(1 + it ) − log (1 + πt+1 )
が得られる.自然対数の性質から,log(1) = 0なので,log (1 + it ) ≈ it およびlog(1 + πt+1 ) ≈
πt+1と近似できる.また,ct ≡ logCt ,rn ≡ −logβ,さらにs ≡ 1/σとおいて(43)を書き換え
ると
(44) ct = ct+1 − s[it − πt+1 − rn ]
となる.ここで,フィッシャー方程式よりit − πt+1 = rt は実質利子率となり,rn のことを自
然利子率と呼ぶ.割引率βは,時間選好率をγ(ガンマ)とするとβ = 1/(1 + γ)と書き換え
ることができるので,r n ≡ −logβ = log (1 + γ) ≈ γである.つまり,家計が時間を割り引く
ときに用いる「主観的利子率」であるγのことを「自然利子率」と呼んでいるのである.(44)
式からct+1 − ct = s[rt − rn ]なので,市場実質利子率と主観的利子率が同じであれば,家計は
消費を完全に平準化させようとすることが分かる.また,市場実質利子率が主観的利子率
を上回っている場合は貯蓄が魅力的なので,ある程度平準化しながらも消費を先送りする
インセンティブも発生するため,消費を年々増加させるような経路を選ぶことが分かる.
生産物市場の均衡条件を考えよう.前節の RBC モデルと違って資本を無視しているので
投資も存在しない.したがって,ニュー・ケインジアン・モデルにおける生産物市場の均
衡条件は
(45) Yt = Ct
である.(1)でさえかなり大胆に単純化していたが,ここはさらに単純化したことになるの
で注意が必要である.(45)から直ちにyt ≡ logYt = logCt ≡ ct が判明する.この情報を(44)式
に代入し,さらに,今まで無視してきた期待値の記号をこの式に戻すと
(46) yt = Et yt+1 − s[it − Et πt+1 − rn ]
を得る.この(46)のことをニューIS 方程式と呼ぶ.
これが IS 曲線になっているという意味と「ニュー」である意味を理解しよう.まず,(46)
をyt とit のみの関係式と見てほしい.s ≡ 1/σが正であることから,GDP と名目利子率が逆
相関の関係にあることを確認できる.これは IS 曲線の特徴である.通常の IS-LM モデル
は価格が完全に硬直的であるので期待インフレ率の項Et πt+1がゼロであり,時間の概念のな
い静学モデルの性質上,右辺第 1 項も存在しない.つまり,動学的要素を取り除くと IS 曲
線の性質を保有しているため,その意味で,(46)式は IS 曲線を動学的に拡張したものにな
っている.ニューIS 曲線の別名は動学 IS 曲線である.第 2 節との関連でいえば,(46)式は
最適化問題の 1 階の必要条件として得られたオイラー方程式そのものであることも注意し
ておきたい.新古典派モデルの代名詞でもあるオイラー方程式と IS 曲線とがこのような関
係になっているのは,どちらも生産物市場の均衡を描写しているからである.
19
ニューIS 曲線を図示したのが図 7 である.(46)式から明らかなように,期待 GDP や期待
インフレ率の上昇はニューIS 曲線を右上にシフトさせる.なお,通常の IS 曲線をシフトさ
せる要因はこのような将来期待ではなく,政府支出の増大や投資意欲の拡大など,あくま
で GDP の支出項目の変化であることを復習しておく.以上がニュー・ケインジアン・モデ
ルにおける家計である.
図7
it
期待 GDP または
期待インフレ率の増加
IS
yt
次に企業の側を見ていく.独占的競争と価格の粘着性から得られるのが新しいタイプの
フィリップス曲線,その名もニュー・ケインジアン・フィリップス曲線(New Keynesian
Philips Curve; NKPC)であり,ニュー・ケインジアン・モデルの代名詞となっている.無
数の企業がいるなかで価格が粘着的になっているモデルを構築するのは簡単なことではな
い.その困難を一応ながら克服したのがカルボであり,カルボ・プライシングはニュー・
ケインジアン・モデルになくてはならない要素となっている.
それぞれの企業iは
(47) Yt (i) = At [Nt (i)]1−α
の生産技術を保有しており,これと同一の財は他の企業には生産できないとする.前節の
RBC モデルと異なり,資本がない点に注意して欲しい.カルボは,これらの独占的競争企
業は,メニュー改定費用などの何らかの理由で価格を頻繁には変更できないと仮定した.
より具体的には,ある企業にとって,ある時点で価格を変更できない状況に陥ってしまう
確率をηとしよう.このような世界では,もしも第t期に価格改定を行った場合,その後第t + j
期までずっと価格変更の機会が訪れない確率はηj である.したがって,ηのことを価格の粘
着性と呼ぶことにしよう.独占的競争企業は価格を設定できるが,このとき,しばらくの
間価格を改定できない可能性があることまで考慮に入れて現行の価格設定を行う.これが
20
カルボ・プランシングである.
ここから先の計算はかなり骨の折れる作業であるので,結果だけ示すことにしよう.最
終的に得られる方程式は
(48) πt = βEt πt+1 + κ[yt − y� t ]
である.ここで,y� t は「潜在産出量」
,つまり伸縮価格の下での産出量を表し,係数κは
(49) κ ≡
(1 − η)(1 − βη)
ϕ+α
�σ +
�
η
1−α
と,少々複雑であるが,正の値をとることは確認できる.この(48)式のことをニュー・ケイ
ンジアン・フィリップス曲線(NKPC)と呼ぶ.確かに πt とyt は正の相関になっている.こ
のフィリップス曲線の傾きを決定づけているのが価格の粘着性である.(49)式からも分かる
ように,価格の粘着性が上がるとκは小さくなる,つまりフィリップス曲線の傾きが緩やか
になる.最も価格が伸縮的なケースはη = 0で,このときフィリップス曲線は垂直になる.
ここでひとつ注意したいのが NKPC におけるyt − y� t の項である.RBC モデルの分析の際
には変数を定常状態からのかい離に書き換えたが,そこで問題としていたのは潜在産出量
の変動であった.ニュー・ケインジアン・モデルでは,価格の粘着性のために,変数がそ
の潜在値からかい離する可能性がある.(48)式によると,GDP が潜在 GDP を超えるとイン
フレ率に上昇圧力がかかる.また,インフレ率がずっと一定であるならば,NKPC は垂直
である.これらは正にフィリップス曲線の性質である.なお,yt − y� t のことを GDP ギャッ
プと呼ぶ.
NKPC 以前のフィリップス曲線と異なるのは(48)式右辺第 1 項である.これをEt−1 πtと置
き換えれば NKPC 以前のフィリップス曲線になる.こちらは,現在のインフレ率について
の予想が正しいかどうかが重要であるのに対し,NKPC の場合は,将来のインフレ率が現
在のフィリップス曲線の位置を定めている.また,(48)式から明らかなように,潜在 GDP
の下落は NKPC を上にシフトさせる.NKPC を図示したのが図 8 である.
21
図8
πt
期待インフレ率の上昇または
NKPC
潜在 GDP の下落
yt
現在のところ,
(動学)方程式が 2 本で,解くべき変数が少なくともyt , πt , it の 3 つ存在す
る.何が足りないのだろうか.通常の IS-LM モデルを思い出すと,LM 曲線が今回議論さ
れていないことに気がつく.実は,ニュー・ケインジアン・モデルでは LM 曲線は登場し
ない.LM 曲線は元々貨幣市場の均衡条件から導出したものであるが,そこで採用されてい
る金融政策は,貨幣数量をある値に固定する,というものである.まず,この設定はイン
フレーションを扱う動学分析になじまない.また,実際の金融政策を見てみると,現在,
世界各国の中央銀行は,コール・レートや FF レートなどの短期利子率を金融政策のツール
として採用している.以上のことから,ニュー・ケインジアン・モデルでは貨幣が登場し
ない.したがって LM 方程式も登場しないのである.なお,ニュー・ケインジアン・モデ
ルは現在広く金融政策分析に採用されているため,
「金融政策分析において本当に貨幣は不
要か」という点については現在も論争が続いている.
近年の金融政策分析における金字塔とも言えるのが,1990 年代にテイラー(Taylor)が
提唱したテイラー・ルールである.金融政策は通常定期的に開催される金融政策決定に関
する会議において方針が決定されるため,一見方程式で書き表せそうにはないが,テイラ
ーは,アメリカの金融政策が非常に単純な方程式によって描写可能であることを発見した.
それを一般的に書くと
(50) it = [r + π] + τ[πt − π] + ω[yt − y� t ]
と表すことができる.ここで,rは定常状態での実質利子率,πは定常状態でのインフレ率,
τ, ωは中央銀行の政策態度を示す正のパラメターである.テイラー・ルールによると,中央
銀行は,インフレ率の上昇または GDP ギャップの上昇に対して,政策金利を引き上げると
いう対応を取る.そしてその反応の大きさをτ, ωの大きさで測ることができる.近年の研究
22
によると,多くの主要先進国において,τは 2 前後の値となっている.このように,1%の
インフレ率の変化に対して 1%以上政策金利を変更するとき,中央銀行はアグレッシブであ
る,という.テイラーは経済の安定のためには 1%以上の反応が必要だと主張し,現在では
テイラー・プリンシプルと呼ばれている.
(48)式を(50)式に代入して整理すると,
(51) it = [r + π] + τ[βEt πt+1 − π] + (ω + τκ)[yt − y� t ]
を得る.(51)式によると,it とyt は正の相関を持つことが分かる.これを図示すると図 9 に
ようになる.図 9 にはさらにニューIS 曲線を書き加えた.このように,現在時点のit とyt 以
外すべての変数を外生変数とみなすことで,通常の IS-LM 分析のようなグラフによる理解
も可能であるが,本質は動学モデルであるので,本来は前節のようにインパルス・レスポ
ンスを計算するなど本格的な動学分析が必要であることも指摘しておきたい.
図9
it
NKPC+テイラー・ルール
IS
yt
第 4 節 均衡の移動と景気変動
4-1 基本モデル
これまで見てきたモデルは,価格の伸縮性についての仮定は異なるものの,いずれもモ
デルの「均衡値」の変動を記述するという基本的性質を共有している.マクロ経済学では,
一時期「不均衡理論」なるものに注目が集まったが,せっかく方程式を用意してもその解
を分析の対象としないのでは方程式を用意する意味がない.また,ゲーム理論が経済学に
浸透したことにより,それまで「不均衡」と解釈せざるを得なかった現象が均衡として表
現できるようになったのである.ある高名な日本人経済学者は,ゲーム理論が経済学にも
たらした影響の大きさを「ゲーム理論による経済学の静かな革命」と表現した.
23
このように,現代マクロ経済学において「均衡」という言葉は絶対的な意味を持ってい
る.しかしながら,これまで見てきたモデルのように均衡の値の変化を記述するだけで理
解が可能とは思えない程の劇的な変動を,現実の経済は引き起こす場合がある.そのひと
つの例が 1929 年に世界を襲った大恐慌である.また,2008 年も世界恐慌前夜だと言われ
ている.近年,RBC モデルを使って 1929 年の大恐慌とその後の景気回復を再現できるか
どうかという興味深い研究が行われ,RBC モデルなどの均衡理論でも十分に恐慌研究にも
活用できることが示された.
他方で,均衡分析を使いながらも劇的な変動を表現する方法は存在する.かつてケイン
ズ(J. Keynes)は,景気変動の主たる要因として経済主体の動物的勘のような心理的要素
を重視した.このような概念の現代版と言える理論がサンスポット理論である.この風変
わりな用語の由来を解説するかわりに次の例を使ってその概念を紹介しよう.
分析を単純化するために,経済には代表的消費者と代表的企業の 2 名しかプレイヤーが
いないと想定する.さらに,彼らが直面する利得が対称であると仮定する.図 10 にこのゲ
ームの戦略形を示す. x の大きさがこの経済の基礎的条件(ファンダメンタルズ)を表し,
この大きさによってゲームの性質が異なってしまう点に注意が必要である.
最初にx > 1のケースを考えよう.この場合,消費者にとって「消費拡大」という行動が
支配戦略となることがわかる.同様に,企業にとっても「雇用拡大」が支配戦略となる.
この場合のナッシュ均衡は単にお互いの支配戦略の組み合わせとなる.このような結果が
出る理由は,経済の基礎的条件が十分に強いからである.逆に,x < 0のように経済の基礎
的条件が非常に弱い場合,消費者も企業も支配戦略を持ち,
「消費縮小」と「雇用縮小」が
ナッシュ均衡となる.
このモデルで面白いのは0 < 𝑥 < 1のケースである.このような基礎的条件の経済では,
プレイヤー達は支配戦略を持たないので,ナッシュ均衡は左上と右下の 2 つ発生する.均
衡が複数発生する理由は消費者と企業の行動が戦略的補完関係にあるからである.つまり,
消費者は雇用が拡大しているときには消費を拡大したいし,そのようなときならば企業も
雇用を拡大したい.逆に,消費者は雇用が縮小されているときに消費を拡大したくないし,
企業も物が売れない時に雇用を拡大したくはない.戦略的補完性とは,このようなプレイ
ヤーの利得の構造によって発生する.一般に,複数のプレイヤーの戦略が同一方向に影響
を及ぼしあうゲームのことを協調ゲームと呼ぶ.興味深いのは,このような経済では,最
終的にどちらの均衡が実現するかは経済の基礎的条件ではなく経済主体の心理的要因で決
定するということである.つまり,もしも人々が楽観的であれば左上の均衡が実現し,悲
観的であれば右下の均衡が実現するのである.いったん悲観的な均衡が実現してしまうと,
企業の「雇用縮小」は消費者の「消費縮小」によって合理化され、同時に消費者の「消費
縮小」は企業の「雇用縮小」によって合理化されてしまう.
もしも何らかの理由で経済がこの 2 つの均衡を行ったり来たりするならば,かなり劇的
な変動を説明できるはずである.均衡値の変動のことを定量的変動と呼ぶならば,ここで
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発生しているのは定性的変動と呼ぶことができる.このように,均衡の移動を景気変動の
原動力とみなす理論を,サンスポット理論と呼ぶ.その背後にあるのは戦略的補完性など
によって発生する複数の均衡である.
図 10
企業
雇用拡大
雇用縮小
x, x
x-1, 0
0, x-1
0, 0
消費者
消費拡大
消費縮小
4-2 クラッシュと不況
景気循環分析の中でも比較的遅れている分野と言われているのが不況の分析である.仮
に RBC モデルが不況を完全に再現できたとしても,TFP の中身は現在でもあまり解明が進
んでいないため,「負の TFP ショックが大きかったから不況になった」だけでは不況の解
明とは言えない.また,伝統的 IS-LM 分析にしても,
「需要不足が不況を生み出した」では,
そもそもなぜ需要不足が始まったのかという新たな問いを生むだけである.その意味で,
景気循環分析は,まだまだ解明すべきことの多い研究分野であると言える.
1929 年の世界大恐慌がそうであるように,大型の不況の前には必ずと言っていいほど景
気拡大と株式市場の大暴落が起きている.現在,マクロ経済学や金融の研究者たちが取り
組んでいる課題の一つがこのような暴落という現象である.
通常私たちは,市場にはその参加者が持つ情報を効率的に集約して価格付けをする力が
備わっていると考えるが,市場参加者が価格から情報を推論しようとするあまりに市場の
力そのものをゆがめてしまう可能性があることが知られている.通常,資産価格が安い時
には「買い時」となり高い時には「売り時」となる.しかし,市場参加者がそれぞれ異な
る情報や知識を持っているような場合,安い資産価格はその資産の本質的価値(ファンダ
メンタルズ)が低いことのシグナルと解釈される可能性がある.さらに,そのように解釈
して「資産価格が低い時には売る」という戦略を採用する市場参加者は他の投資家の戦略
にも影響を及ぼしてしまう.このメカニズムが資産需要曲線に右上がり部分を作り,全体
として逆 S 字型にしてしまう(図 11)
.供給曲線が左側にある間は均衡が 3 つ存在し,どの
均衡も実現可能であるので,仮に最初一番上にいたと想定しよう.供給曲線を右にシフト
させるようなショックが起きると,図のように経済が別の均衡に移動してしまい,突如非
常に低い価格の均衡が実現してしまう.
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図 11
供給曲線
資産価格
需要曲線
数量
このように,均衡が複数存在するモデルでは,小さなショックが極めて大きな変動を引
き起こす可能性があり,景気変動分析においても重要な役割を果たしている.このアプロ
ーチの難点は,複数の均衡の中からどの一つが実現するのかについて,モデルがその答え
を与えてくれないことである.その結果,DSGE 分析のようなシミュレーションを行って
現実のデータを再現する使い方ができないのである.近年,経済の基礎的条件と実現する
均衡についての関係が明らかになりつつあり,その結果,複数均衡モデルの分析が急速に
進んでいる.いずれにせよ,景気変動には解明されていない点が多く,今後の研究が待た
れるところである.
付論 表計算ソフトによるシミュレーション
動学モデルを解く際に研究者がよく利用しているソフトは MATLAB という数値計算ソ
フトであるが,高価なうえ,本書が想定している読者にとって,そこまで本格的なプログ
ラミングに時間と労力を使うよりは,単純化されたモデルでも良いからそのメカニズムを
理解し,モデルの「手触り」を楽しむことの方がはるかに重要であろう.多くのパソコン
に搭載されている Excel のような表計算ソフトでも十分にその役割を果たせるのである.
実際,本章のすべての数値計算は Excel のみを使って行った.以下では Excel を使って図 2
を再現する方法を簡単に解説する.本章で紹介した他のすべてのシミュレーションも同様
の方法で行うことができる.
最初に期間を設定する.A の列にtの系列を作りたいので,まず A1 の場所に「t」と入力
する.これは単に名前を付ける作業である.第 1 行目は全体的に名前のために空けておく.
A2 には「0」と入力し,A3 には数式バー上で「=A2+1」と入力する.すると,
「1」が表示
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されるはずである.つまり Excel はすべての数式処理を変数の代わりにスプレッド・シー
トの番地を使って行うのである.あとはコピー&ペーストを上手に使えば繰り返し計算さ
せることができる.例えば,さきほどの A3 の番地をコピーして,A4 から A102 までを領
域指定したあとで貼り付けると,見事に次々と一つ上の数字に 1 を加え続けてくれるので
ある.動学分析では Excel のこの性質が大変有用である.
確率変数を Excel などで表現する際のコツは,乱数を生み出すコマンドを使うことであ
る.数式バーで「=RAND()」と入力すると,0 から 1 までの数を不規則に与えてくれるの
で,これを例えば C の列すべてに貼り付ける.D の列では「=IF(C2<0.5,"-0.5","0.5")」と
いう条件文を利用すると,C の値が 0 から 0.5 までなら-0.5 を,0.5 から 1 までなら 0.5
を D に割り当てることができる.こうすることでスルツキー・モデルの確率項et+1を生み
出すことができる.
好みにもよるが,yt とyt+1は別々の列を用意したい.B にはyt を,E にはyt+1を割り当て
よう.B2 の場所は第 0 時点なので初期値として「0」を入力する.続いて E2 に数式バーで
「=0.95*B2+D2」と入力する.最後に B3 に数式バーで「=E2」とすることでさきほど計
算したyt+1を結果を呼び出してこれを今期のyt と再定義すると第 1 期までの計算が終わって
いるはずである.ここから先はすべてコピー&ペーストで第 100 期まで計算すればよい.
もっと学びたい人のために
景気循環分析をより本格的に学びたい場合には,加藤涼『現代マクロ経済学講義』(東洋
経済新報社 2007 年)に挑戦してほしい.本章第 1 節に関連する内容をもっと学びたい場合
には,Finn Kydland and Edward Prescott, “Business Cycles: Real Facts and a Monetary
Myth,” Federal Reserve Bank of Minneapolis Quarterly Review, 1999 がある(インター
ネットで全文入手可能)
.第 2 節の内容を深く学びたい場合は,Bennett McCallum, “Real
Business Cycle Models,” Modern Business Cycle Theory, Harvard University Press,
1989 や Robert King and Sergio Rebelo, “Resuscitating Real Business Cycles,” Handbook
of Macroeconomics, Elsevier, 1999 に挑戦してほしい.また,第 3 節の内容を詳細に解説
したものとして,Robert King, “The New IS-LM Model: Language, Logic, and Limits,”
Federal Reserve Bank of Richmond Economic Quarterly, 2000 がある(インターネットで
全文入手可能)
.
謝辞
敦賀貴之氏には,本章についての詳細なコメントをいただいた.
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