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三木全集第十二卷
岩波書店刊より
目次
學論
學の眞について……………………………………………………………… 三
自照の學………………………………………………………………………一七
壇と論壇………………………………………………………………………二九
現實と藝………………………………………………………………………四一
日記と自敍傳……………………………………………………………………五四
論と機智について……………………………………………………………六一
現象學と學……………………………………………………………………六九
ディレッタンティズムに就いて………………………………………………八一
批の生理と病理………………………………………………………………八九
的自省への求‥………………………………………………………一一五
性格とタイプ‥………………………………………………………………一二一
レトリックの……………………………………………………………一三一
詩歌の考察……………………………………………………………………一四八
章の讀……………………………………………………………………一六八
技のと學のリアリズム……………………………………………一七一
創作と作家の體驗……………………………………………………………一七九
作品の倫理性…………………………………………………………………一八七
哲學と藝……………………………………………………………………一九四
體の問題……………………………………………………………………二〇〇
純粹性の揚棄…………………………………………………………………二一四
ヒューマニズムへの展開……………………………………………………二二二
俗性について………………………………………………………………二三一
新しい國民學………………………………………………………………二三八
政治への反…………………………………………………………………二四三
學と技…………………………………………‥………………………二五一
詩と科學………………………………………………………………………二五九
古典の念…………………………………………………………………‥二六五
藝時…‥…………………………………………………………………二七〇
藝時………………………………………………………………………二八二
哲學・學用語解(一)『世界藝大辭典』執筆項目………………二九三
哲學・學用語解(二)『會科學大辭典』執筆項目………………三九六
後 記………………………………………………………………………四四一
學論
學の眞について
藝時 ——
——
一
先月の雜誌に見えた論の多くが學に於ける「眞實」もしくは「現實」の問題、それに關
聯してリアリズムの問題を取扱つてゐる。小林秀雄氏の「小の問題」(新)、同題(藝春
秋)、阿部知二氏の「リアリズムの問題」(新)、そして小林多喜二氏の「藝時」(中央
論)、等々、いづれもその問題に觸れてゐる。學に於ける眞實もしくは現實とは何かといふ
問題は、最の中心問題であると見られることが出來る。この問題は、小林秀雄氏の語を借れば、
「現代學の不安」(改、藝時)を現はすのであらうか。とにかくこの問題を挾んで、今
や、藝とプロレタリア學とが對立するに至つたことは事實である。いはゆる藝の方面
では、プルーストなどの影のもとに「意識の流れ」といつたやうなものがさういふ現實だと見
三
られ、また昨今流行のヂョイスのユリシーズが「完な眞實」を現はすものとしてへられる。
學の眞について
四
左ではどこまでも現實を求めて以のプロレタリア・リアリズムの立場から今日の「唯物辯證
法」の立場、創作方法に於けるレーニン的段階にまで推しんで來た。
現實、從つてリアリズムに就いての兩の見解のかくの如き對立は、學の藝的價値と政治
的價値に關する嘗ての論爭に比してより重であり、より根本的であると思ふ。いはゆる藝的
價値と政治的價値に關する問題は、その出發點に於てに、なほ古い美學の範疇に囚はれてゐた
とも云はれよう。古い美學の根本念が「美」であつたとすれば、新しい美學のそれは「眞實」
である。美は眞實に比してはなほ淺薄で、皮相的であると思はれる。少くとも現代人の意識にと
つてはさうである。我々は美よりも深く眞實を求める。我々の問題はもはやかの「美的假象」で
はなくて、却つて藝に於ける眞實である。
尤も、根本に於て如何なる時代の藝も現實以外の何物をも欲し得ず、種々なる時代は種々異
つたものを現實的として體驗したまでだ、とも云はれることが出來る。或る時代が現實を破壞し
蹂躙したとしても、それはそのことによつて、他の、より深き、より眞なる現實を發見せんがた
めにさうしたのである、とも見られ得る。從つて問題は、我々の時代にとつて現實とは何を意味
するか、といふことでなければならない。「眞以外の何物も美でない、眞なるもののみが美し
い。」とボワロは云つた。然し我々はボワロがリアリストであるとは考へないのである。我々に
とつてリアリズムとは何であり得るであらうか。
この問題に我々はの辯證法的發展の線にうて正確に答へることが出來よう。リアリズム
といへば、我々には上先づ自然主義動に結び付いて考へられる。この動の發端はといへ
ば、フランスに於ける一八四八年の革命であつた。恰も一八三〇年の七月革命が浪漫主義として
總括される一世代を作り出した如く、二月革命はまさに自然主義の端初となつたのである。
の代辯がベランジェやユーゴーなど辯護士殊に詩人であつたに反して、後のそれはプルード
ンを頭とする會主義的傾向の學であつたといふことも忘れられてはならない。ナチュラリス
トと稱せられるこの新しい流は最初レアリストとも呼ばれてゐる。この動のに於て重
な位置を占める、一八五六年十一月から五七年四・五月までパリで二十二三歳の若い人々の手に
よつて發行された雜誌は、『ル・レアリスム』といふプログラム的な表題をもつてゐた。自然主
義は藝に於ける「現實」の利を意味する。そしてそれが藝の根源として「想像」を却けた
といふことは、イデオロギーに於て會的、ろまさに會主義的傾向と結び付き、藝のに
五
於ける凡ての對象の原理的な等といふことを語るものであつた。その作家たちが當時の科學に
學の眞について
對し如何に親和的關係を保たうとしたかは一般に知られてゐる。
六
「藝とは人である。」とクルベ、フロベールと並んで自然主義を代表するカスタニヤリは
云つた。人は藝の本來の主體であるばかりでなく、またそれの客體、それの對象と見做され
た。然しながら「人」なるものは未だ嘗て的現實として存せず、單なる理念にぎぬ。人
はやがて「會」によつて代られざるを得ない。そこでまた彼は、「ひとつの畫は與へられた
時代に生きた會の眞中で生れ、この會と直接な關係に立ち、密接な相關にある。」と云つて
ゐる。藝作品は眞實の藝であるがために現在の會を描かねばならぬと考へられる。然し
會とは何であるか。會とは現實に於てはブルジョワ會であつたのである。然るにブルジョワ
會は眞に會的な會でない。そこでは會は現實でなく、現 實 的 と い は る べ き は た だ 個 人
の み で あ る。 個 人 が 個 人 と し て 互 に 獨 立 し 孤 立 し て ゐ る と い ふ の が こ の 會 の 態 で あ る。 そ
こ か ら し て 現 實 的 で あ ら う と し た 自 然 主 義 の 作 品 は 今 や 會 の 描 寫 で あ る こ と を や め て、「 個
人 の 物 語 」 と な る。 か く て 例 へ ば 最 初「 人 な る 新 宗 」 に 就 い て 語 つ た ゾ ラ は、 後 に 至 つ て
云 ふ、「 私 は プ ル ー ド ン と は く 正 反 對 だ。 彼 は 藝 が 國 民 の 物 で あ る こ と を 欲 す る。 私 は
そ れ が 個 人 の 作 品 で あ る こ と を 求 す る。」 我 々 は 自 然 主 義 が そ の 當 初 の 出 發 點 の 反 對 物 に 移
行したのを見るであらう。
二
自然主義はその會主義的發端から個人主義へ轉化した。その會主義が想的會主義であ
つた限り、そして自由競爭の原理の支配するブルジョワ會に於ては、ブルジョワ的觀點を離れ
ない限り、「現實的」といはるべきは唯なほ個々の人間個人であるのみなるに於ては、このやう
な轉化も必然的であつたと考へられよう。今日藝仲間で一の模範と見られてゐるプルースト
はこれの徹底的な歸結である。にゾラは、「一の藝作品はテンペラメントをして見られた
創の一角である。」と云つた。プルーストはに徹底して、「世界は唯一度創されたのでな
い、それはオリヂナルな藝家が現はれた度に創されたのだ。」と書いてゐる。
世界のこのやうな個人的な見方が藝家の「スタイル」であり、スタイルが初めて藝作品を
作る。スタイルの問題は何等レトリックの問題ではない。この點に就いてプルーストはのやう
に云つてゐる、「スタイルは決して或る人々の信ずるやうに裝ではない。それはテクニックの
七
畫家に於ける色の如く ——
覺の性質であり、我々の各人が見て他
問題ですらない、それは ——
學の眞について
八
の人々が見ないところの特殊な宇宙の示である。」このやうな新しいオリヂナルな一囘的な世
界の見方こそ、そのうちに於て藝作品がされるところの藝家のスタイルであるといふの
である。「人間は自から出ることが出來ず、自に於てのほか他のものを知らない存在である、
これと反對のことを云ふならば、言である。」これらの言葉に言ひ表はされたのは明かに個人
主義的相對主義である。
それでは「現實」とは何であるか。プルーストはベルグソンの影のもとに會に於ける人間
と藝家とを區別する。會に於ける人間、ち行爲する人間は、知性によつて活動する。然る
に知性は實踐的な目的のために生命の眞のをば非的な、固定せる、繰され得る無數の
態にしてしまう。眞の現實といふのは、そのうちでは凡ては流動し何物も繰されること
なき持である。行爲する人間はかかる現實的な持の外部に立つてゐる。彼の會的な、實踐
的な人格に對して彼の最も的な、的な個性をめるといふことが藝家の課題である。その
ために藝家は世界を知性の見地のもとに觀察することをやめて、それを的な持からして體
驗し、間からして現實的な持の中へ入らなければならない。「事物を外部からのほか見
ない觀察は、何物をも見ないに等しいのである。」
我々はもはやこれ以上プルーストに就いて語ることをしない。このやうな傾向の非實踐的、
非會的、個人主義的、相對主義的性質は明白である。それの基礎に關する哲學的問題に立ち
入ることは今はその場合でなからう。右の簡單な敍からしても知られることは、リアリズムと
見られるものが、ブルジョワ的觀點の部に於ては、自然主義の最初の意圖とはく正反對のも
のに轉化するに到つたといふことである。そして今日、自然主義の最初の意圖を繼承し發展させ
るものがほかならぬプロレタリア學であるといふことも、上にべたことをるとき容易に理
解されるであらう。そこにの發展の辯證法がある。會そのものの發展の辯證法は學の發
展の辯證法を制約する。想的會主義と科學的會主義との相、プルードンとマルクス・レー
ニンとの相、その他、その他、に相應するところの自然主義學とプロレタリア學との相
に就いてここに細することは必でなからう。私は出發點に立ちらなければならない。
リアリズムとは一般に美よりも眞實をより高い位置におく態度と理解してもよい。ところでこ
こに美といひ眞實といつたものは、最、詩的及び散的といふ言葉をもつて置き換へ
られてゐる。例へば、伊整氏は云ふ、「ロマンはリリックやファンタジイのとはおよそ對
九
蹠的なものである。それは美麗な裝とはく正反對の、人間描寫の小的以外の何ものを
學の眞について
一〇
も意味してはゐないのだ。だからこそアンリ・マシスはロマンのをスタイルのと對立さ
せ、小家は藝家であつてはならないとすら極言してゐるのだ。」(今日の小と詩、新)。
ロマンのはロマンチシズムとはまるで反對のものである。そして小林秀雄氏は、「河上徹太
が、今日の心理主義小の巨匠の制作方法は、象詩人等の制作方法が心理的であるに反
し、單なる素朴なリアリズムにぎぬ、ただその描く對象が心理的であるにぎぬ、從つて彼等
の作品は如何なる詩的とものない、純粹な散である、といふ意味のことを書いてゐるの
を讀んだが、正しいのである。」(新)と云つてゐる。
然るに同じ小林秀雄氏は他の箇でのやうに書いてゐる、「詩的に一も與へない純粹
な散が然散の缺如に苦しんでゐた日本小の傳統にを現はしたのである。これ
が今日までプロレタリア學動が日本學に實際上齎し得た最大の寄與である。」(改)プ
ロレタリア學以の作家は、少くとも日本に於ては、おほむね小家でなく、小家と稱する
詩人であつたといふのである。自然主義作家と雖もさうであつた。かくいふ散的とは、小
林氏によれば、「出來るだけ感傷に捕はれず、くまでも自然の辯證法に忠實に、素朴に直截に、
歌をれ、美をれ、小といふものをしようとする」のことである。これらの章を
我々は正直に、字りに受取ることが許されないのであらうか。
兎にかく今日、リアリズムの問題がマルクス主義學論以外の方面に於て主なる題目として
現はれて來たといふことはく注目に値する。嘗ていはゆる新興藝なるものはプロレタリア
學に對する反對として出現した。ただ反對といふ點だけで一致してゐたにぎぬこの模糊
たる存在は第に化して、新會と新心理主義とがその中から凝結した。そしていづれに
せよプロレタリア學のいはば對象と方法とに關する二つの中心點、ち會の問題とリアリズ
ムの問題とがそれら二流によつてされて、何等かの意味、何等かの程度に於てそれぞれ問
題にされるに到つたといふことは、括的に見て興味のないことではなからう。
三
リアリズムを散的として規定するといふことは、種々なる險をふにせよ、一應甚だ
有である。從來のプロレタリア學に於ける缺陷は、この方面から見れば、詩の缺乏といふよ
りも、ろ散的の不徹底といふことにあつた。それは人間描寫になると、特に心理描寫に
一一
なると、リリカルとなり、感傷的ともなり、あまりに詩的となつた。かういふ抒詩的素が作
學の眞について
一二
品の本來の散的をひそのの中からき上り、もしくはその結合をめ、體の作品
を面的必然性のないものにしてしまつたことは少くはない。抒詩的點景は或ひは作品を美し
くしたかも知れない、然しそれはこのものを決して眞實とはしなかつたのである。生きた人間、
その心理を描いて純粹な散家であることは最も困である。そのためには實に水火に鍛へられ
た、塵も薄なところのない心へが必である。
然しながらプロレタリア學にとつて心理描寫は何等かの重性を有するのであらうか。この
問題は學の眞とは何かの問題に關係する。私はこの問題を二つの方面につて考へることが出
來ると思ふ。ち學の眞は「主體的眞實性」と「客體的現實性」との二つの方面を有し、兩
の統一に於て初めて眞である。從來のプロレタリア學は學の眞といふことをあまりに一面的
に客體的現實性として理解して來た。それは不十であつて、そこにこの學に對する讀の或
る不滿があつたのではないかと思ふ。物を、人間をも客體的現實的に、從つて會機のうちに
於ける一物として捉へるといふことは、固より甚だ大切である。けれどもそれだけでは足りな
い。人間は單に客體としてでなく、同時にまた主體として捉へられなければならないからであ
る。學の眞を單に客體的現實性と考へるとき、人間の念化もしくは型化の險は手かに
ある の で あ る 。
のやうに考へてみよう。マルクス主義の識論はその基礎を模寫においてゐる。それは人
間の意識から獨立して客觀的實在が存在すること、この客觀的實在が人間の意識に似的に反映
されるといふ意味に於てである。然しまたマルクス主義によれば、人間の識が眞理であるか否
かを決定するものは實踐である。辯證法的唯物論の卓越性はまさに識に於ける實踐の優位を確
立したところにあると云はれる。この場合實踐といふことが何を意味するかは十に吟味されね
ばならぬことであらうが、識論の問題に深入りすることは今の私の目的でない。然しながら丁
度識の眞の決定に實踐が持ち出されるやうに、學の眞の問題に就いても、客體的現實の模寫
といふやうな方面のみでなく、主體的なものの方面がみられることが必であらう。いつたい
實踐といふとき「主體的なもの」が考へられねばならぬ。何等かの仕方で客體とは區別され、客
體とは秩序を異にするところの主體といふものが考へられないならば、現實的には實踐の念は
あり得ない。然るに主體的なものが主體的なものとして自己を知するのは意識に於てである。
主體的なものはもちろん主體的な「もの」であつて單なる意識ではない。また我々は新心理主義
一三
のやうに意識が現實であるといふのでは決してない。現實はろどこまでも客體的現實性とし
學の眞について
一四
て問題である。けれども主體的なものがその「主體性に於て」理解されるのは意識に於てのほ
かない。その限り實踐を重んじ、人間を主體的に捉へることを力するマルクス主義的立場に於
ける學はいはゆる心理描寫を輕することは出來ない。云ふまでもなく、心理はこの場合心
理として、それ自身の「現實」として描かれてはならぬ。何よりも人間の主體性を描き出すため
に、心理は描かれねばならぬであらう。それによつて學に主體的眞實性が與へられんがためで
ある。心理描寫のための心理描寫、さういふものがこれまでのプロレタリア學に缺けてゐたや
うに感ぜられるのである。客體的現實性からだけでは作品の面的必然性、從つて眞實性は出て
來ない。學の眞は客體的現實性と主體的眞實性との統一に求められねばならぬのではなからう
か。
さて右の理論を若干の作品に用することによつて幾象化しておかう。
兵本善矩氏の「布引」(藝春秋)。しつかりした筆で克明に書かれてゐる。物の見方も落付
いてゐて、材料が隅々まで占有されてゐる。リアリスチックな好短だと思ふ。インチキな今の
時世にこのやうな作を讀むのはたしかに樂しみである。階級とか、とかいふものからおよそ
距つてゐる。我々はフロベールの言葉を思ひ出す、「私の哀れなボヴァリーはたしかに、この今
の時間に、同時にフランスの二十の村々でき、泣いてゐるのだ。」
龍膽寺雄氏の「春は花影に」(改)。兵本氏の作と好對照をなすものとして擧げられよう。
作の才能は十にめられてよい。それにしても詩とファンタジー。ロマンのもつべきリアリ
ティが缺けてゐる。ロマンチシズムだつてそれ自身の意味に於けるリアリティをもつともつてゐ
るのではないか。同じやうな世界を描くにしても、谷崎潤一氏などのものはもつとリアリティ
をもつてゐはしないか。
武田麟太氏の「日本三オペラ」(中央論)と同氏の「低」(改)及び森吉氏の「爭
ふ二つのもの」(改)。武田氏の作と森氏の作とを比してみるのは色々の意味で訓的で
あると云へる。左的作家の中では武田氏など最も多く學的天をもつた人であると云はれ、
實際さうである。この人の有する長も短もどこか中野重治氏などと共なところがある。味
がこまかい、然しそれだけ線が細くてダイナミックな感じが足りない。森氏のものがひどく抽
象的、型的で對象に對するいたはりがないに反して、武田氏には對象に對する心ひがある。
よくさう思ふのだが、森氏は學には珍しいほど感じ方が大ざつぱだ。然しそれだけ散的
一五
になつてスケールを大きくして行くことが出來るのかも知れない。今度の二人の作品はそれぞれ
學の眞について
一六
別の意味でプロレタリア學に於ける現在の缺陷を現はしてゐる。武田氏には生きた人間描寫が
あるけれども、プロレタリア學に求されるやうな客體的現實性がない。そのためにまた作品
の意圖してゐると思はれるやうな效果をあげることが出來ぬ。森氏の作には主體的眞實性がま
るきり感ぜられない。思想が人間的な形態をとつてゐないからである。然しながら、つまらない
想像かも知れないが、かりに武田氏の手法とをくつつけてみたところで、我々は滿足なプロレタ
リア作品を想像することが出來るであらうか。決してさうでない。プロレタリア學はく新し
い、獨自な表現を求してゐるのである。それが創されるまでにはこの學の眞はつねに一面
的でしかなく、推しけい面的必然性をもつて我々を引きつてゆくやうなものとはならな
い。
他に讀んだ作品も大あるが、筆の康れないため愛せねばならぬ。作氏の勞に報
いざるを憾に思ふ。
自照の學
一
私は日記を書いてゐない。日記帖はいつも持つてゐるが、それには何の何時からどういふ會
合があるとか、何月何日までにどういふ原稿を約束したとか、といつたやうなことが書き付けら
れてゐるだけであつて、本來の日記に屬すべきものでなからう。私の知れる限りの人に於ても大
抵變りはないやうだ。學にしたつて多くはさうではないかと思ふ。今日のやうに樣々な意味
で生活に餘裕がなくなると、なかなか落付いて日記など書けない。手紙も同樣で、我々は用事の
ある時のほか滅多に手紙を書かないし、それだつてとかく怠りがちである。然しかくの如く餘裕
のない生活をしてゐる我々なればこそ、却つて、昔の人の、現代に於ても稀にはあの誰かの、克
明に記された日記、徒然に物された書簡に對して或る特殊な面白さを感じることも出來るといふ
一七
ものだらう。このやうな感興は他の種の學によつては與へられぬ。それは純粹な學的興味
自照の學
一八
でないかも知れない。さういふ面白さはその日記や書簡に現はれた容についての面白さですら
ない。我々は單純に、「日記が書かれた」、「手紙が書かれた」、といふ事實に對してに、或
る面白さを感じるのである。これはその容とか表現とかいふことを離れた、それ以の面白さ
である。日記なり手紙なりを書くといふ、その人の人間、その生活の仕方、その心の在り方につ
いて、我々は先づ或る特殊な面白さを感じる。
自でもしじゆう日記や手紙を書くことを怠らないは、或ひはかういふ風に感じないかも知
れない。そんな人は、日記が書かれた、手紙が書かれた、といふ單純な事實に或る特殊な面白さ
を感じはしないだらう。手紙を出したのに事もくれなかつた、といつて怒つてはいけない。
事を書かないといふのは手紙がひなためでなく、却つてさういふ人が貰つた手紙に或る特別の
喜びを感じてゐるといふこともあるのだから。
日記や用件以外の手紙を書くことが殆どなくなつた我々にとつて、のこされてゐるのは隨筆で
ある。隨筆も自からんで書くことは滅多にないが、これはひとからまれてたまには書く。
隨筆はまことに現代に於ける流行の現象である。『藝春秋』あたりがこの流行を作つた。ひと
ころ『隨筆』といふ名の雜誌もあつたやうだし、今の『經濟往來』その他にしても最初は藝春
秋などに刺戟されて出たものらしい。然しかういふ風に誰でもがやたらに隨筆と名のつくものを
書きもし、書かされもするやうになると、我々が隨筆に對して感じる特殊な面白さの大がに
なくされてしまふやうに思ふ。この面白さは先づ、隨筆など書く生活の餘裕のない我々が、「隨
筆が書かれた」といふ單純な事實に對して感じるものであるが、それがなくされてしまふのであ
る。隨筆を書くといふことそのこと自身が、その人の人間、その生活の仕方、その心の在り方を
現はしてゐない場合、我々の隨筆についての興味は大失はれてしまふ。容や表現の面白さば
かりが隨筆の隨筆としての面白さをなすのではない。
二
自照の學といふ語はモオルトンあたりの影で日本學の究家たちの間に於ても時に
は用ゐられてゐるやうである。學のこの形態には日記、紀行、隨筆といふものがはいる。書簡
の如きも、もちろんその中に含まれる。尤も自照セルフ・リヴェレイションといふことは單にこ
の種の學のみの特性でなく、あらゆる學の本質であると考へられることも出來る。どのやう
一九
な學のうちにだつて作の人間(パーソナリティ)が何等かの仕方で現はれてゐる、さうでな
自照の學
二〇
ければ作品は私といふ主體的眞實性を有し得ない、とも云はれよう。然しながら學には、主體
的眞實性の方面ばかりでなく、また私のいふ客體的現實性の方面があるとすれば、自照性といふ
ことで凡ての學の本質を規定するのは少くとも頗である。なるほど自照性はあらゆる學の
素であるけれども、日記隨筆のと小などとが學として區別されるといふことは事實であ
るし、そのときを自照の學と呼ぶこともあながち不當ではないやうに思はれる。もし
ひて自照はあらゆる學の本性であるといふ哲學的理論に固執しようといふのならば、問題は、
例へば小と隨筆とに於て作の人間の自照の仕方がどのやうにふか、といふことになる。
モオルトンによると、自照の學は抒學と兩端をなしてゐる。兩は、他の學に對し主
觀的といふ特に於て同じであるが、同じ線の上に於て反對の方向にある。抒學が詩的であ
るに對して自照の學は散的である。さういふ議論は措いて、とにかく自照の學の面白さは
どこまでも散の面白さであらう。それはくまで散をもつて書かれたものでなければな
らぬ。抒詩的な素が多くなると、隨筆の如きも隨筆としての面白さをもたない。隨筆の面白
さが徹底した散の面白さであるといふことは、どのやうな隨筆家も心得てゐる。
この心得は先づ對象の取り上げ方に於て現はれる。いはゆる美的な、詩的な、もしくは感動的
な對象は恐らく隨筆家の好んで取り扱ふところのものでない。ろ彼は凡な、日常茶の事、
いはばそれ自身散的な事を最も多く取り上げる。彼は詩にれることを恐れてゐる。それだか
らまた彼はどこまでも現實の事實といふものにくつついて、想像的なもの、想的なことをけ
る。このやうに單純な事實、日常茶の事を純粹な散をもつて描いて、從つて作の主觀など
とても出さうにないところに、しかもそこにおのづから作の人間なり主觀なりがはつきり現は
れてゐる點に、日記にせよ、隨筆にせよ、自照の學の面白さがあるのではないかと思ふ。それ
は作の主觀がよほどしつかりしてゐなくては出來ないことだ。その面白さが容や技巧による
といふよりも、主として作の人間にかかつてゐるところに、自照の學の自照の學たる以
がある。從つてさういふ學に於て大事なのは風格であり、品格である。卑しさがあつてはいけ
ない、甘さが見えてはならぬ。いやみやくさみがあつたりしてはいけない。
自照の學は自己暴露の學ではない。また自照といふことは自己露出とも決して同じでな
い。いつたい暴露といふ語は我々の間でよくはれて來た。以自然主義學の流行時代には現
實暴露とか自己暴露とかいふことがんに唱へられたやうであつた。プロレタリア學の方面で
二一
も初めは階級的暴露といふことが々云はれた。それに對してこの頃のモダニズムの學の重
自照の學
二二
な特は露出性といふことにありはしないかと思ふ。現實露出といふか、自己露出といふか、モ
ダニズムの學は露出性の學である。然るに自照は暴露とも露出ともくつてゐる。露はさ
うといふのでなくて露はれるのである。殊に、露はれさうにないところに露はれるのである。作
の主觀がおのづから滲み出るのである。もちろん隱さうとするのではない。隱さうとも露はさ
うともしないでおのづから露はれるのでなければならぬ。ろ自己暴露といひ、自己露出といふ
とき、そこには却つて必ず隱させられ、隱される方面があらう。露出や暴露は凡そ養とい
ふこととは反對のものである。然るに隨筆の如きは養と密接に結び付き、その背景には豐富で
多面的な養がなければならない。その意味で隨筆は化人の學である。原始人は詩を有する
も隨筆を書かない。詩を失つた化人もなほ隨筆を書くのである。
三
斷片性は自照の學の根本的性質として指摘される。斷章とか斷想とかいふ語も出來てゐるほ
どで、隨筆はその外形からしてに斷片的である。息、書簡はもとより、日記の如きもさうで
あつて、たとひ生れてから死ぬまで一日も缺かさず日記をつけたとしても、それの根本的な斷片
的性質はなくなるものでない。そこが日記と自敍傳との異るところであつて、自敍傳はここにい
ふ自照の學の中には入れられないやうに思ふ。
それだから隨筆に於て好んで取り上げられるのはそれ自身斷片的な性格をもつた對象である。
いな、それ自身斷片的な性格をもつた對象などいふものがあるのでなからう、それぞれの人の生
活との關係に於て對象がさういふものとなるのである。樂とか樂とかなどいふ種の如きも
のである。もし隨筆的對象といふ語を用ゐるならば、隨筆的對象はその人の生の營みのに對
して非的な關係にあるもの、若干の距離にあるものと云はれよう。さういふものがのう
ちに組み入れられないでそのものとして見られなければならない。けれどもこのやうな非や
距離が、例へば漂泊とか冒險とかに於ての如く、日常的な生活からの超越や游離にまでなるなら
ば、隨筆的對象性はなくなるであらう。非と距離とにあるものは、人の常なる生の營みの
を破つてしまふ程度のものでなく、このから理解され得るものであり、また理解されねば
なら ぬ 。
二三
例へば、或る科學が何か學のことについて隨筆を書くとする。彼は日ほんたうに科學
としての究生活をしてゐるのでなければならぬ。然し學が彼の生にとつて無なこと、異
自照の學
二四
常なことであるといふのではいけない。またその場合彼が學をことさら學的に取り扱つた
のでは面白味はなからう。學の場合でさへ學をあまり學らしく取り扱つたのでは隨筆
としての面白味が少いものだ。隨筆の面白さは物の見られる角度の面白さである。科學は科學
でなければ氣附かないやうな角度または方面から學のことを書いたのが面白い。そこには彼
の科學としてのよさがおのづから現はれてゐなければならぬ。一藝の苦心が凡ての藝の苦心に
じ、一藝の極致が凡ての藝の極致にずるといふやうなことを現はしてゐるものが特に面白か
らう。何事についてもディレッタントであるやうな人は、とかく隨筆風のものを書きたがる傾向
があり、そして自では大いに得意になつてゐるものだが、さういふ人の隨筆など面白いとは思
はない。あの人がこんなものを書くかと思はれると共に、あの人ならこそこんなものが書けるの
だと思はれる、といふのが隨筆の面白さである。一藝にした人の書いたものなら、何事につけ
てもどこか面白味があるものだ。隨筆が自照の學たる以であらう。
少し考へると、斷片性は人間の生そのものの根本的性格であるやうに思はれる。生を客體的に
見るのでなく、主體的に捉へると、このやうな斷片性が感じられる。我々が生を主體的に捉へる
場合は我々の心理である。この心理は普に心理學でいふ如き心理のことではない。それはもつ
と體的なものであつて、體とか物質とかから抽象されない心である。私は最ポール・ヴァ
レリイの『モラリテ』といふ書物を面白く讀んだが、フランス語のモラリテといふ言葉はそのや
うな體的な、體的な、生そのものであるやうな心理を表はすのに切なやうだ。さういふ心
理について特に深く考察した人はフランスではモラリストと呼ばれてゐる。モラリストたちは殆
ど皆エセエを書いてゐる。人間の心を最も深く掘り下げた彼等がその究をエセエの形で表現し
たことを見ると、斷片性といふことは主體的な生の根本的性格であるやうに思はれる。ことわつ
ておくが、ここにいはれたモラリストは學のことではないのである。日本でも以人主義
的理想主義といつたものが流行した時、さういふ思想に感染した人々は人間の心や生活の問題に
ついてだいぶんこのエセエ風の物を書いたやうであつた。それは從來日本の隨筆には缺乏して
ゐた新しい方面を開拓する試みとして見れば十意義があつたであらう。然しこのやうなエセエ
風の新しい隨筆に學先生的氣のかつたのは、いかにもいやみであると云はねばならぬ。そ
れも若々しさや純眞さが感じられるうちはまだよい。不惑の齡を越えてからまで相變らずさうい
ふものを書かれたのでは、くやりきれぬといふ氣がする。エセエといふ學形式は甘つたれた
二五
人生觀、安つぽい哲學を學的な表現でもつてごまかすためにあるのではなからう。
自照の學
四
二六
エセエのは詩的ではなくて散的である。それはいはゆる學的といふやう
なものでさへなくて、思ひのほか科學的にいものかも知れぬ。かのモラリストたちは立
な心理學であつた。彼等こそ今日いふ人間學なるものをほんたうに體的に究した人であ
る。彼等の觀察と析の力量はまことに科學にもふさはしいものである。自照の學は主とし
て知的な學である。枕草子はわが國第一の隨筆學と云はれてゐるが、インテレクチュアルな
個性でなければああしたものは多書けなかつたであらう。知的は多少とも懷疑的である。そし
て養が熟すると人間は多少とも懷疑的となる。かのモラリストたちは多くは知的で懷疑的であ
つたといふ點でも學流とはを異にしてゐる。モンテエニュを初め西洋のエセエに非常な影
を及ぼしたプルタルコスは思想家として懷疑の傾向に屬した。モンテエニュ自身も懷疑的で
あつた。懷疑は科學的とも一相ずるものであり、隨筆にとつて好ましき心である。懷疑
は束された對象を自由にする。それによつて對象は新しい觀點から眺められることを可能にさ
れるばかりでなく、もつと根本的には對象に斷片的性格といふものが與へられるのである。懷疑
は固定した見地を知らないが故に、斷片的性質をもつた對象をそれぞれの含む角度から見ること
が出來るのである。然しながら懷疑がいやみになつたらもうおしまひだ。
日本古來の隨筆と西洋でいふエセエとの間に色々な相があるといふことは誰にでも氣附かれ
る。さういふことについて系統的に究したものがあるかどうか私は知らない。とにかく日本の
隨筆も最ではよほど西洋のエセエにづいて來たのであらう。また印刷機械の發明がいはゆる
自照の學に及ぼした影といつたものを究してみるのは特に興味深いことであるに相な
い。この影は案外大きなものではないかと思ふ。
いづれにしても隨筆は本格的な學ではない。論がどこまでも論であつて、本格的な
哲學でないのと同じである。現代人、詳しく云へば現代のインテリゲンチャは、隨筆風のものに
あまりに興味をもちぎてゐはしないか。自照的な隨筆ならまだしもよい。自己露出的な或ひは
現實暴露的ないはゆる中間物に對する興味に至つてはまさに頽廢的である。隨筆に對する興味に
したつて非本格的なもの、主觀的なもの、主觀的化的なもの、知的と懷疑的とに對する興
味であると云へる。そこにインテリゲンチャらしいよさも現はれるであらうが、またインテリゲ
二七
ンチャのさといふものも見られるのである。さういふ興味は現代にあつては特に、本格的なも
自照の學
二八
の、客觀的なもの、實踐的なもの、意欲的なものに對する康な感覺と求との喪失の現はれと
見られ得る方面もなくはなからう。
壇と論壇
最プルーストの新しい書簡集を出したブーランジェが、その出版にあたつてタン紙にプルー
ストの思ひ出を發表したといふことである。それによると、彼はプルーストから繰し繰し懇
篤な招待を受け取つたに拘らず、ただ一囘しか訪問しなかつた。批家として批の嚴正を期
するためには作家とのはできうる限りけねばならぬといふことを信條としてゐたブーラン
ジェは、プルーストに對してもこの態度をもつて接したといふことである。
鐵塔書院からまれて、ことわりきれずについ原稿を約束しながら、何を書くといふあてもな
かつた私は、この記事を讀んだとき、壇と論壇といふことについて少しばかり書いてみる氣に
なつ た 。
或る論に云はせると、壇といふものはもはや壞し衰滅しつつある。壇といふ特殊な存
在は第にヂャーナリズムに征され或ひは解されつつあるといふのである。もちろん、壇
二九
はなくなるといはれても、藝はなくなるとはいはれないのだから、壇といふ場合、さういふ
壇と論壇
「壇」が何を意味するかを先づ考へてみる。
三〇
他の國語でも同樣であるが、例へばフランス語にセルクルといふ語がある。そしてセルクル・
リテレールなどいふことばもあるけれども、セルクルはどうもさういふ壇よりは狹いやうに思は
れる。セルクルは知り合つた仲間の集りをいふのであらう。そこに集るは演會の會衆などの
場合とはつて互に知り合つた仲であるといふことが必であり、また演會における聽衆など
とはつて會話し會談するために、學的セルクルであれば學のことについて互に話すために
集るのである。そこにはおのづから仲間のつきあひといふこともなければならぬであらう。その
性質上、知り合つた仲であること、集つて互に話をすることが、セルクルに必な會學的條件
であるところから、セルクルの範は自然に制限されてをり、比的小人數であるのがつねであ
る。さういふセルクルは誰かを中心とすることもあらうし、また或る主義といふやうなものを中
心とすることもあらう。或ひは同じ世代に屬する仲間が集るうちに、おのづから意見の中心が出
來、中心的人物が出來るといふこともあらう。壇といへば、このやうなセルクルよりも大きく、
むしろいくつものセルクルの集合と見られることができるであらう。フランス語にはモンド・リ
テレールなどといふことばがあるが、かういふモンドが壇の壇にあたるかも知れない。しかし
そのやうなモンドもセルクルを提し、セルクルより大きいにせよどこまでもセルクル的性質を
するものでないと考へられるであらう。會學タルドの云つたやうに、ひとつのモンドにお
いては、それをする人々の間に個人的接觸、訪問の換、リセプション、等々が必である。
そこで壇といふモンドもさういふことの可能な範に限られてをり、モンド(世界)といへば
甚だ廣いもののやうだけれども、實はその範は想像以上に局限されてゐるわけであらう。
今日壇がそれに征され解されつつあるといはれるヂャーナリズムは性質を異にしてゐ
る。ヂャーナリズムの對象はセルクルでもモンドでもなく、それはタルドによると衆(ル・プュ
ブリック)である。衆は純粹に的な集團であり、その子は物理的にははなればなれ
であつて、その結合力はく心的なものである、とタルドは云ふ。或るは書齋で、或るは
行の中、また或るはオフィスの事務机ので同じ刊新聞を讀んでゐる。このやうなはなれ
ばなれの人間の純粹に心的な結合から衆なるものは形作られる。その立が物理的接を必
な條件としないといふ點でタルドは衆と群衆(ラ・フール)とを區別した。かやうな見方から
すれば、壇などといへばいかにも的な存在であるかのやうに聞えるが、個人的接觸ないし
三一
個人的接觸の可能性を提するところから、さういふ個人の物理的接を必な條件として有し
壇と論壇
三二
ない衆よりもはるかに物質的な存在であると云はれることができるであらう。俗惡だといはれ
るヂャーナリズムがかへつてスピリチュエルな存在だと考へられるのである。またいはゆる衆
の輿論なるものを擔ふといふヂャーナリズムが、壇を見的なものであると感じるのもやむを
得ないことであるかも知れない。
壇の物質的基礎については色々やかましい議論ができるであらう。しかしとにかく、さうい
ふモンドは個人の物理的接、すなはち、會談、等々、を必な條件として立する會で
あるところに、それのまことに樣々な意味での、善い意味及び惡い意味での物質性が從つて來る
と云はれることができる。これはく簡單な、けれどもつねに注意されておいてよい事實であ
る。
ヂャーナリズムに結び付くいはゆる衆は、壇などの如く範を局限されてゐない。それは
はるかに廣くひろがり得る性質のものである。十六世紀において、印刷の發明の最初の大いな
る普及がはじめてプュブリックといふものを生んだ。しかしヂャーナリズムの、從つて衆の眞
の到來はフランス革命以後のことであるといはれる。タルドの云ふところでは、一七八九年を特
付けるもの、それ以の去がかつて見なかつたもの、それはこの時代に孵化し、貪り讀まれ
た新聞の蔓といふことであつた。印刷技の歩、鐵、電信、電話、ラヂオ、等々、一般
に「世界的な」手段の發展はヂャーナリズムの發展の基礎である。ヂャーナリズムは意見の
地方的限局性をせしめて國民化し、に國民的限局性をせしめて世界化する。ヂャーナリズ
ムは世界主義的性質をおのづから含んでゐる。そこでまたヂャーナリズムはデモクラシー、國際
主義、等々の種のイデオロギーの機關となるによりよく合した性質を自身においてもつてゐ
ると云はれ得るかも知れない。地方的、國民的限局性をもつたイデオロギーはヂャーナリズムに
歡されないもののやうである。ヂャーナリズムの世界主義的性質に限界をおくのは國語であ
り、根本的には國際語が發してゐないことだけであると云はれ得るほどである。言語の問題は
とにかくここではく重な問題に相ない。
ヂャーナリズムのはいはゆるフェヤー・プレイのと似のものであるやうに思はれ
る。スポーツにおけるフェヤー・プレイのを武士のと比するが如きは時代錯であ
つて、むしろそれは根本において代ヂャーナリズムのと似つたところのものであらう。
スポーツ場に集る人間を群衆でもなく、また人とか、くろうととかいふものでもなく、いはゆ
三三
る衆として感じるところから、フェヤー・プレイのも生れるといふものだらう。それだか
壇と論壇
三四
らまた、政壇人でも、壇人でも、どのやうなモンドに屬する人も、フェヤー・プレイのの
快味を味はうと欲するは、ヂャーナリズムの世界へ出て來るのである。くろうとからつてゐ
るモンドの中ではフェヤー・プレイといふべきものは存し得ない。或ひはヂャーナリズムは種々
なるモンドから手をび出してフェヤー・プレイをさせてみせようといふところである。新聞
雜誌において左右兩のイデオロギストに物を書かせるが、これをその立場のといふやうに
考へるのはどういふものか。それはむしろスポーツ的興味にいものといつてよからう。今日の
會におけるいはゆるデモクラシーも、衆なるものも、あやしげなものだが、さういふも
さうであらう。この點、スポーツの場合はずつと純粹かも知れない。國際オリンピアードにおい
て職業的手が除外されるのは當然である。職業的手はくろうとであり、そしてくろうとの
格と手の格とはつたものであるからである。それと同じやうに、或るモンドに屬するくろ
うとがヂャーナリズムに引き出されたとしても、彼はくろうとといふ意味においてよりも手と
いふ意味において引き出されるのである。それだから、もし彼がそのときくろうと振りを純粹に
發揮しようとすれば、恐らく多くは失敗である。彼はフェヤー・プレイをして衆を喜ばせなけ
れば な ら な い 。
いつかの東京日新聞で小林秀雄氏が、同人雜誌に對してかなりぶしつけなことばを吐きかけ
てゐたやうに記憶するが、ああしたことばは小林氏の如き立場にある人の云ふべきことでなかつ
たやうに思ふ。尤もあれも小林氏の同人雜誌に對する熱愛の皮な表現であつたかも知れない。
といふのは、壇といふモンドもそれ自身けつきよくセルクル的性質を失はないばかりでなく、
それを維持してゐるのはセルクルである。「讀」といふものが壇を維持すると考へてはなら
ぬ、學年などといふ種の特殊な存在、すなはち自たちでもそれぞれセルクルを作り、同
人雜誌または覽雜誌といふものをもち、或ひは投書家であるやうな人間がそれを維持してゐる
ので あ る 。
かやうな見地からすれば、今日壇に對するひとつの脅威或ひは不幸は、いはゆる學年の
ほかに論壇年とでもいふべきものが輩出するに至つたこと、しかも彼等は壇と同じやうな論
壇をめざしそして壇と同じやうな口をしてゐながら、壇といふやうな存在を程度以上に輕
し、排斥することであらう。むかしであれば、物を書かうといふ中は殆どみな學年の部
に屬してゐた。しかるに今日ではヂャーナリズムの刺戟、無動の影、インテリゲンチャ
三五
の就職、生活、そのほか樣々の現實的物質的な原因からして、論壇年が物を書かうといふ
壇と論壇
三六
中の有力な部として現はれてゐるやうにみえる。彼等のなすところはおほむね學年と同
樣である。セルクルを作る、さういふセルクルはここではよく究會と呼ばれる、しかし純粹な
究が目的であるのではない、究會を作らうといふ相談と同時にたいてい雜誌の發行が計畫さ
れる。そして實は雜誌を出すといふことに力が注がれて、肝心の究はおろそかにされてゐるの
がふつうである。究でなく、するに雜誌を出すことが最初からの主な目的であつたと見られ
ても致方がないやうな有樣である。個人が個人として論壇に乘り出す段階としてセルクルや同人
雜誌風のものが作られる。永するものは少いやうだけれど、さういふ雜誌はかなりの數にのぼ
つてゐるのではないかと思ふ。經濟上の困を除いても、それはもともと永する性質のもので
ない。學の方面におけるのと同じく、そのやうな雜誌はけつきよく論壇に出ること、論壇人と
なることを目的として作られた手段にぎないからである。その中には階級動としつかり結び
付いたまことに有意義なものもないではないが、必ずしもさうでなく實をあかせば論壇といふも
のを對象としてゐるものも多いやうである。
一方では壇は解され、滅亡しつつあるといはれる。壇滅論は論壇人の題目となつてゐ
る。しかるに他方では論壇が壇といふ壇と同樣な意味で存在し、しかもそれがこの頃、さうい
はれる壇と同樣の存在の仕方を濃厚ならしめつつあるといふことさへも見られないであらう
か。論壇的同人雜誌の多いのを見ると、さういふ風にも感じられるのである。壇滅亡論の存在
するとき、これは少しをかしなことである。學の方面では壇といふものになほ存在理由があ
るとしても、理論の方面では論壇といふやうなものの存在理由は稀薄であると考へられ得るから
である。壇は「學界」に對應する念として考へられることができる。しかるに論壇と學界と
は同一ではないのである。
論壇はもとモンド的な存在の仕方を有すべきものでなく、かへつてヂャーナリズムの本來の
を發揮すべきものであらう。ところが論家たちが互に知り合つた仲であり、そこに個人的
が行はれ、セルクルを形作つてゐると、おのづから「論壇」といふものがヂャーナリズムに對
する壇といふやうな意味で立することになる。議論が樂屋落になるといふこともあらう、同
じセルクルに屬するものが互に無意味にほめ合つて、セルクルの集團的力を利用してその各人が
論壇で存在を維持しようとすること、ちやうど壇人についてたびたびいはれるのと同樣の態
を惹き起すことになる。或ひは論がくろうとないしの色をあまりに濃くする。しかるに
三七
ヂャーナリズムは元來しろうとを主として對象とするものであらうし、そこではくろうとも同時
壇と論壇
三八
にしろうとの格において、すなはちいはば手の格で登場するところに面白さがあるやうに
思はれる。壇におけるセルクルはめいめいそれ自身の批家をもつてゐる。わが國ではかうい
ふ批家は同時に作家であることが多い。自で創作をやるでなければ學はわからないとい
ふ議論も或る見方からしてはり立ち得ることだから、それは少くとも或る程度の理由を十に
もつてゐるといへるであらう。壇を論壇とは區別さるべき學界に對應する念としてする
ときさうである。しかるに論になると、もともと誰にでもわかるべき性質のものである。知識
や理論はそのやうな性質を含んでゐる。ヂャーナリズムにおける論がくろうと式のものとなる
のはどういふものか。いはゆるのくろうとめいた議論にはとかく理論のはうが缺けてゐ
る。或ひは明確な理論をもたないときに、くろうとめいたことが好んで語られるとすればどうで
あらう。といふやうなものにあまり拘泥せずに、表に現はれた事實に正面からぶつつかつて
いつて自の理論を展開するといふのが面白い。といふやうなものは暴露的ないし實話的興
味から、從つてくろうと的興味からでなく、むしろしろうと的興味から、さういふ意圖のもとに
書かれたのが面白い。この頃、新聞でも試みられてゐる論壇時などは、論壇人自身よりもしろ
うとに書かせてみると、案外面白いものが出來るかも知れない。それは論壇が論壇としてもつて
ゐるセルクル的性質を毀し、一ヂャーナリズムのを發揮させるために必なことであるか
も知 れ な い 。
今日のヂャーナリズムの對象となつてゐる「衆」とはいつたい何であるか。タルドはそれを
「群集」と對置して純粹に的な存在と見做したが、衆のかやうな性は實はそれらの抽
象性を表はすであらう。衆とは巨大なる抽象體である。それはなんらかの況もしくは組織の
同時性において結合せず結合することも出來ない非現實的な個人からつてゐる。かくの如き抽
象的な體においては個人の體に對する、また個人の個人に對する「關係」は現實的體的で
ない。云ふまでもなく、純粹に的と見做された衆なるものの存在にも物質的基礎がないわ
けではない。根差なき人間、人と人との關係の抽象性は、品生會、ことに代的な品生
會の特である。政治的表現を用ゐるならば、いはゆる衆の限界はブルジョワ・デモクラ
シーの限界である。その限り今日ふつうにいふヂャーナリズムはブルジョワ・ヂャーナリズムで
ある。衆と群衆とが區別されねばならぬやうに、衆と「大衆」とが區別されねばならぬであ
らう。大衆は、本來、群衆のやうに物理的もしくは物質的な存在であると共に、衆のやうに
三九
的、すなはち階級意識もしくは階級理論によつて結ばれた存在である。ブルジョワ・ヂャーナ
壇と論壇
四〇
リズムとプロレタリア・ヂャーナリズムとの區別は、衆と大衆との區別に相應すると考へるこ
とができるであらう。我々は群衆、衆、大衆といふ三つの念を辯證法的な關係において
することもできる。會哲學のプランを考へつつある私は、かやうな辯證法についての科學的考
察を最の機會に書いてみたいと思つてゐる。
現實と藝
)の藝論はかなり以日本に紹介された。その飜譯
フィードラー( Conrad Fiedler 1841—95
も金田氏のものと水氏のものとすでに二り出てゐる。この頃ではフィードラーの名を口
にするはあまりないが、然し最、學における純粹性、新しいリアリズムなどの問題が喧し
い と き、 彼 の 藝 論 は 再 び み ら れ て よ い 價 値 が あ る の で は な い か と 思 ふ 。 私 は い ま 彼 の 稿
「現實と藝」を主なる手蔓として、その藝論の一部に批的註釋を加へてみよう。
「 た だ 藝 的 眞 理 の の み が 藝 作 品 の 永 的 價 値 を 定 め る 。 あ ら ゆ る 他 の 性 質 は 從 屬 的
で、單に一時的な效果を與へるにぎぬ。」とフィードラーは書いた。藝にとつて本質的な價
値は「藝的眞理」といふことである。作品が擔ふ他の素、例へば、樂的性質、或ひはいは
ゆる政治的價値、美的性質ですらが、作品の暫時的な功をもたらすとしても、作品の永久性を
保證するものでない。「ひとがそれをもつて間つた出發點の無力をえず新しい言ひしや解
四一
釋で救はうと試みたところの美の原理は、藝的活動の自然的な、見のない解釋の部におい
現實と藝
四二
てなんらの場を見出さない。」ふつう云はれるやうに美は藝の原理であるのでなく、むしろ
藝にとつて第二的な效果を現はすにぎない。そして藝の本質を捉へるためには、藝の
效果の方面を考察せず、藝的創作的活動そのものを考察しなければならぬ。美でなく藝上の
眞が藝における本質的價値である。
美を藝の本質と考へるは、藝を感と結び付けるのがつねである。これに對してフィー
ドラーは云つてゐる、「藝作品は感をもつて作られるのでない、だからまた、それを理解す
るためには、感では十でない。」單なる感によつては藝家の本來の世界を窺ひ見ること
はできぬ、感は藝的活動の原理ではないからである。
「藝的活動の原理は、藝的活動において現實が一定の方向において實存ち形態を得る
) で あ る。」 藝 は 一 般 に こ の 出 發 點 の 基 礎
と い ふ 意 味 で、 現 實 の 生 ( production of reality
の上で考察されねばならない。藝の本質は美であるとする立場がふつう藝的活動の原理を
は生されるのほかないとしても、 reality
は生されるをすることなく、與へら
ideality
の生と見做すに反し、藝の本質は眞であると見る立場は藝的活動の原理を reality
ideality
の生であると考へる。このとき我々は「生」といふことばに注意しなければならぬ。なんら
かの
れたものではなからうか。
フィードラーによれば、リアリティがそのものとしてに與へられて在ると考へるのは間つ
た提の上に立つてゐる。そのやうに考へるためには、人間が「恰も世界の外に立ち」、「彼が
もと世界に屬しない」かのやうに提しなければならないから。しかし人間は世界もしくは自然
の體の一部である。人間は世界の外に立ち、與へられた現實の眞理を識するといふ如きも
のであることはできぬ。彼自身世界の一部として世界の外に出ることは不可能だからである。
むしろ「事實は、自然は自己を人間においてまた人間をじて形態にまで發展させ、自己を種々
なる仕方で顯現するといふ、自然のこの傾向である。このことは人間的自然の性質からよりほか
如何なる他の必然性からもき出されることができない。」人間の感性的・的から發展
する表現形式には種々のものがあらう。念的表現形式(科學)、表象的表現形式(學)、
覺的表現形式(美)、などがある。表現以にリアリティといふものは存しない、また眞理も
ない。表現活動と共にリアリティは生される。表現されたものの外部にもしくは背後になほ何
かリアリティがあると思つてはならぬ。そのやうな世界の究極的根源を明かにしようと求した
四三
り、いつかこの究極的根源の知識にまでみ得はしないかと考へたりするは、間つた態度を
現實と藝
四四
とつてゐるのであり、彼は、彼がもと世界に屬せず、世界の上に立つかの如き思想に々支配さ
れてゐるのである。「眞理と呼ばれるものは、この表現を度外しても存在を有するやうな或る
ものの表現ではない。」
藝家が創作に從事するとき、その創作の發展につれ彼において「現實意識」は發展してゆく。
現實意識が第に明瞭になつて來ることが彼の藝的活動の發展である。リアリティが先づあつ
て、それについて表現が行はれると考へてはいけない。藝上のリアリティといふのは、藝的
表現作用において發展させられたリアリティのことである。かやうなリアリティの意識が藝的
眞理を現はす。「藝的に眞であることは、意圖の、意欲の問題でなく、才能の、能力の問題で
ある。」藝上の眞は感の事柄ではない。表現を離れて藝的眞理はないのだから、それは藝
家の表現的才能、創作的能力に關係した事柄である。
我々はここでヘーゲルの現象學の思想を想ひ起してもよいであらう。ヘーゲルの現象
學の課題は意識の發展の形態の敍であつた。然るにヘーゲルによれば、意識の發展とはつま
り現實意識の發展である。意識の發展の段階に從つてリアリティと考へられるものが變化する。
低い段階で現實的、從つて眞と考へられたものは、より高い段階では非現實的、非眞とせられ、
より高いリアリティが現はれる。眞理は固定したものでなく、動き、發展するものである。眞理
は在るのでなく、るのである。「眞理は、ひとたび作り出されると、それ自身の存在を有する
やうな、識活動の生物ではなくて、この活動そのものが眞理と呼ばれ得るものの表現であ
る。」とフィードラーも云つた。
フィードラーの上にべた一般的見解からのことが從つて來るであらう。第一、表現された
もののほかにリアリティはないのであるから、表現活動及び表現形式の種の異るに應じて、リ
アリティの意味も異らねばならぬ。科學でいふリアリティと藝でいふリアリティとは同じでな
い。そこでまた科學的眞理と藝的眞理とは同一されてはならない。兩を同一するのは、
表現から獨立に、それ以にリアリティといふものがに與へられてゐると考へるのにもとづく
ので あ る 。
第二、表現の種々なる形式はつねにただ自己自身をのみ表現するといはれる。「いづれの藝
もただ自己自身の表現であり、それの形物の價値は藝外の關心がそれから讀み取ることので
きる何物によつても規定されない。」藝の本質が藝的眞理であるからといつて、藝の價値
四五
はそれが科學的意味におけるリアリティを表現するところにあるのではない。そこでまた藝作
現實と藝
四六
品の形式と容との區別は一般に解から來ると考へられる。正しく理解すれば、作品において
形式と容とは區別されることができぬ。藝作品そのものが表現にもたらすところのものは解
けく形式に結び付いてゐるばかりでなく、まさに形式がそのやうなものとして自己を現はすと
ころの形物である。「藝的容、藝作品の實質は形式の擴大された發展度に存する。」
藝的能力は表現の能力である、表現にせぬものは藝的には存在せぬに等しい。形式と容
との區別といふ解は、いづれの表現形式もその本來の意味においてのほかに、また非本來的な
意味において、他の表現形式の領域に屬する或るものの表現のために用され得るといふ事か
ら來てゐる。「いはば一の表現形式の記號が他の表現形式の意味において讀まれるとき、容と
形式との離が生ずるのである。」
第三、各々の表現形式は、それがしてゐる法則性をば自己自身のうちから發展させるのであ
る。如何なる表現形式も或る法則に外部から從することをしない。各々の藝的活動はその
發展の法則を自己自身のうちに含んでゐる。何故に人間の理論的科學的活動に對する關係はあれ
ほど明瞭であるのであらうか。この場合にもこの活動の明瞭な像を曇らせ、混亂させようとする
外的及び的の力が存しないわけではない、しかしこれらの力はそのやうな性質のものとして注
意され、且つそれらに對して、科學的思惟はただ自己自身の的法則にのみ從はねばならずそし
てそれの價値はそれがこの的法則性を現はす程度に依存するといふことが、根本においてはつ
きり意識されてゐる。藝の場合にあつても、藝的活動の的法則が明かになつてゐない限り
人間の藝に對する關係は曖昧にとどまる。
藝的活動の本質を現はすものとして從來相爭つて來た二つの大原理がある、ち現實の模倣
の原理と現實の變化の原理とがある。フィードラーの藝論は、これら二つの原理の代りに、或
る第三の原理、ち「現實の生」の原理をおくことによつて、この爭を和解させることができ
るやうに見える。その立場はひとつのリアリズムである、しかしそれは自然主義的リアリズムで
はなくて「藝的リアリズム」である。
フィードラーの思想には色々な點でベルグソンにずるものがあらう。ベルグソンは「我々の
知覺はその純粹な態においては事物そのものの一部である」と云つた。ベルグソニズムが現
代學の有力な一傾向の根柢をなしてゐるとき、フィードラーの藝論は注目されてよいもので
四七
この藝論はたしかに貴重なものを含んでゐる。然しながら我々はそれにとどまり得るであ
あら う 。
現實と藝
四八
らうか。私はここにそれに對する批の出發點となるべき見地について簡單にべておかう。
フィードラーは「代自然主義と藝的眞理」といふ論において、代の自然主義を批判し、
そ れ の 根 本 的 が、 一 方 に は 藝 家、 他 方 に は 自 然 も し く は 現 實、 と い ふ 風 に 對 立 を 考 へ る
と こ ろ に あ る と 論 じ た。 さ う で は な く て、 藝 家 の 表 現 活 動 以 に ま た は 外 部 に リ ア リ テ ィ が
あ る の で な い、 人 間 は 世 界 も し く は 自 然 の 外 に ま た は 上 に 立 つ こ と が で き な い の で あ る。 人 間
world of pure
durée réelle
は自然の一部であるといふフィードラーの主張はまことに正しい。しかし彼のいふ自然は、
自 然 主 義 的 立 場 に お い て 考 へ ら れ る や う な 自 然 で な く、 む し ろ ベ ル グ ソ ン の い ふ
(現實的持)の如きものを指すであらう。或ひはそれはジェイムズのいはゆる
( 純 粹 經 驗 の 世 界 ) の 如 き も の を 意 味 し な け れ ば な ら な い で あ ら う。 或 ひ は 彼 の 立
experience
場は一種のマッハ主義であるとも考へられ得るであらう。尤もフィードラーは知識に關して、ベ
ルグソン、ジェイムズ、マッハなどの如く pragmatism
(實用主義)の立場を取らず、科學的
識をも一種の表現活動と見、ただそれは藝的な表現活動とはく性質を異にする、言ひ換へれ
ば表現形式、その的法則性を異にすると考へた。それはそれとして、彼にあつて自然は觀念論
的に捉へられてゐる。
そして人間は自然の一部であるとしても、自然における人間の特殊性が注意されねばなら
ぬ。この特殊性が何であるかを把握することは極めて重である。それは藝におけるリアリズ
ムの本質の問題にも關係のあることである。然るに私は、人間を自然の一部と見る立場に立つ
人々によつてこの自然における人間の特殊性が十根本的に、哲學的に捉へられてゐないのでは
ないかと思ふ。さういふ立場にある人々がこの問題について、最も多くの場合好んでとるのは、
いはゆる「發生的見方」である。しかし事物の「本質」の何であるかが發生的見方によつて十
に捉へられないといふことは、カント以來哲學において繰しべられて來たりであらう。そ
のやうな發生的見方を離れて、自然における人間の特殊性を規定するとき、私はそれが主體と客
體とへの裂といふことにあると考へる。この規定は純粹に哲學的であり、十に根本的且つ
括的である。植物、動物などの他の有機體と人間との異る點は、哲學的に云つて、人間において
は主體と客體との裂または對立があるといふことである。そのために人間には植物や動物など
と異り實踐的行爲、科學的識、藝的創作などが屬するのである。なぜなら、實踐の主體と客
體との區別がなければ、本來の意味での實踐といふことはなく、また識の客體ち對象と主體
四九
もしくは主觀との區別がなければ、優越な意味での識といふことはない。藝の場合について
現實と藝
五〇
も同樣である。私のいふ主體と客體との對立は人間と自然との對立といふ意味でない、人間は自
己自身をも客觀化し得るからである。主體と客體との區別はむしろ根本的には人間そのものにお
ける裂乃至對立でなければならぬ。この對立は辯證法的、ち對立でありながら統一である。
然るに人間には主體と客體とへの裂があるところから、人間は世界の一部でありながら、
世界の外に立つことができる。世界の一部たる人間は世界の外に立つて世界を客觀化して見る
ことができ、世界は人間にとつて「客觀性」を有する。世界は我々にとつて單なる世界でなく客
觀的世界である故に、我々はそれの必然性を知ることができる。フィードラーが考へたやうに人
間は世界の一部であるが故に世界の上に出ることができぬといふのでなく、人間は世界の一部
でありながら、その特殊な性質のために、世界の外に立つことができるのである。そのやうな
超越がく不可能であるとすれば、人間には科學も藝もないであらう。もちろんそのやうな超
越は辯證法的であつて、人間は世界に對し超越的であると同時に在的である。世界は單なる世
界でなく客觀的世界であるから、藝上のリアリズムも立する。眞のリアリズムはさういふ客
觀性の素を拔きにしては考へられない。
自然のうちにおける人間の特殊性が識されねばならぬやうに、人間のうちにおける意識
の特殊性が理解されねばならない。意識は人間の一部である。然しながらこの意識の媒介によ
つ て 初 め て 人 間 は 主 體 と 客 體 と に 裂 す る の で あ る。 意 識 の 媒 介 が な け れ ば、 人 間 は 自 己 を 客
(能的自然)とも見らるべきもので、これに對し客體は
natura naturans
natura
觀化することも、自己を主體として知ることもできぬ。けれども意識と主體とは同じでない。
主體はいはゆる
(的自然)である。的自然がリアリティを有するやうに、能的自然はそれと
naturata
はつた意味でのリアリティを有する。かかる能的自然は客觀的な自然の一部でも、それの
總和でもなく、それとは秩序を異にしたものである。ここにいふ的自然はふつういふ自然の
みでなく會をも含むやうに、能的自然はまた主體的意味における會性をへてゐると見ら
れねばならぬ。そして能的自然ち主體はその主體性においてただ意識においてのみ自己を
知し、意識においてのほかそれの知られる場はない。
學において客觀が描かれる。そしてまたそれとは別の意味で心理が描かれる。もしも意識が
單に客觀の反映にぎぬとすれば、心理描寫は客觀の描寫とはつた特別の意味を有し得ないで
あらう。心理描寫が特別の意味を有すると考へられるとき、意識が客觀を模寫する方面よりも、
五一
意識のうちに主體が自己を滲み出す方面が注意されてゐるのである。主體は意識よりも深くにあ
現實と藝
五二
るもの、客觀的自然よりもいはば一物質的なものでさへある。心理描寫の深さは、それが單に
心理を描くところにあるのでなく、意識のうちに滲み出た主體を描くところにある。意識がリア
リティであるのでなく、意識はにおいて主體的リアリティによつて擔はれてゐる限りにおいて
客體的リアリティとは異るリアリティを擔つてゐるのである。
いな、本來、二つのリアリティがあるのではなからう。主體と客體とはそれぞれ獨立なもので
なく、一方のリアリティを離れて、他方のリアリティはない。主體と客體との辯證法のうちに眞
のリアリティはあるのである。この辯證法は辯證法として動であるから、フィードラーの云ふ
やうに、リアリティは固定したものでなく發展的である。そしてこの辯證法は意識によつて媒介
されてをり、その限り體的な辯證法は意識的である。客體的リアリティと主體的リアリティと
は體的なリアリティの二つの方面であり、兩の關係は辯證法的發展的である。
それだから眞のリアリズムは、自然主義の如く客觀的立場でもなく、またこの頃の心理主義的
リアリズムの如く主觀的立場でもなく、むしろいはば「人間」の立場である。それは主體と客
體との辯證法としての人間の立場である。從來現はれた人間の立場、例へばゲーテ主義的主張
は、人間を辯證法的にでなく、有機體的に捉へた。新しいリアリズムの立場は辯證法である。
五三
學もこの辯證法に從はねばならぬであらう。樣式としての辯證法を學的に發見し、發展させ
ることがそれの課題である。
現實と藝
日記と自敍傳
五四
三つの種の人間がある。先づ他人の私事に妙に關心し、とりわけいはゆる醜聞を、ことに世
間に名の知られた他人の醜聞を愛する人間がある。彼等はさういふ興味からいはゆる三面記事事
件を喜ぶ。このやうな人間の興味は、今日ことに人雜誌などによつて巧に利用されてゐるとこ
ろで あ る 。
第二の種の人間は特にいはゆる英雄傳や偉人傳を讀むことを好むやうに見える。彼らはとに
かく偉い人になりたい、なんでも功したいといふ心に燃やされ、訓的見地からつづられた
「實用的」を愛し、或ひは名士の功談なるものによつて感激させられることを欲する。か
ういふ功主義的または英雄主義的心理も、今日とくに大衆雜誌といはれるものによつて巧に利
用されてゐるところである。
然し第三の種の人間がある。私はこの種の人間のひとつの特をとらへて、彼等をば日記
や自敍傳を讀むことを愛する人間といふことができはしないかと思ふ。彼等は他人の私事の祕密
をのぞくことを徒らに好むのではない。けれども彼等は他人の生活に無關心なのでなく、それを
理解することを欲する。然しそのことは自己を理解せんがためである、いな、人間と生とを理解
せんがためである。また彼等は他人のいはゆる功や英雄的行爲によつて徒らに感激させられる
ことを喜ぶのではない。むしろ彼等は凡な人生の複雜妙、世のつねのすがたの面白さ、深さ
を理解することを求めるのである。
といふのはかうである。日記や自敍傳は、本來、他人の醜聞を愛する人の趣味にするもので
ない、なぜなら人間は自自身のためにのみ記された日記の中においてさへ容易に自の祕密を
赤裸々に白するものではないから。また日記や自敍傳においては、本來、偉大な人々も、彼等
の超人間的な行爲や事業のすばらしさについて語るよりも、むしろ彼等の人間らしい生活や命
について書くことを好むものであるから、自己誇示はいふまでもなく、自己暴露ないし自己露出
といふことも日記や自敍傳においては堅く禁じられてゐる。そこにおいてほどリアリズムの求
されるところはないのである。
五五
だが三つの種の人間があるのでなく、それらはむしろ人間の三つのこころを現はすものとも
見られよう。從つて我々が實際に日記や自敍傳をひもどかうとする氣持には、他人の私事の祕密
日記と自敍傳
五六
を喜ぶこころ、もしくは他人の功や英雄的行爲にあやからうとするこころが混じてゐる。これ
らのこころは媚られることができるであらう。リアリズムの最も求される日記や自敍傳におい
てほどまた實際にそれの困なところはないからである。
三つの種の人間或ひは人間の三つのこころに相應して學の三つの現實の形態がある。第一
のものには特にいはゆる軟學が、第二のものにはいはゆる大衆學が、第三のものには主とし
ていはゆる心理小が相應するともいはれよう。
日記や自敍傳の求するのは完なリアリズムである。それのは學的でなく科學的
であるとさへいつてよい。さういつたからとて、我々が例へば日記を書かうとするのは、あ
らゆる人間にはつてゐる自己表現の欲求ち藝的欲求のおのづからなる現はれでないといふ
のではない。然し素人の學的表現の好みほど險なものはない。さういふ好みのうちには自己
にこび、あまえ、もしくは自己をひけらかすこころがとかくひそんでをり、或ひは容易にびこ
むものである。そこに求されてゐるのは詩的でなく、散的であるといつてもよい。
詩にリアリズムがないといふのでない。然し詩的であらうとするとき、裝的になつたり、セン
チメンタリズムに陷つたりし易いものだ。
かくて日記についていへば、淡々としてただ事件を敍したのに案外面白いものがある。もちろ
ん日記の本來の面白さは事件そのものにあるといふよりも、日常茶事をべて筆の主觀など
とても現はれさうにないところにその主觀がおのづからにじみ出てゐるところにある。從つて上
乘の日記は事件の敍よりも心理の描寫に求めらるべきであらう。しかし心理を十に描いて完
なリアリストであることはまつたく容易のことではない。どうしてもあまくなりたがる。或ひ
は訓的、學的となり易い。訓的な實用的は心理主義的であるのがつねである。とこ
ろで學といふものはまるであまい物の見方をしてゐることが多いと思ふ。日記は簡潔なのが
ふつう面白い。自を多く語つて眞實であることは困であるからである。豪といへども日記
では筆を惜むのがつねだ。
斷片性は日記の最も根本的な性格である。そのことは多くの日記がつれづれに、きれぎれに書
かれるといふことによるのではなく、却つて日記そのものの最も的な本質を現はすのである。
ち日記の斷片性は根本的に「生の斷片性」にもとづくのである。生の最も的な規定は斷片性
である。ここに生といふのは特に的生もしくは「的人間」のことである。さきに心理といつ
五七
たものは純粹に心理的なものでなく、むしろもつと感性的ともいはるべき的人間の意味に解さ
日記と自敍傳
五八
れねばならぬ。外的人間や生活はどれほど斷片的に見えてもそのじつ的であるに反して、
的人間や生活は深く理解すればするほど斷片性をあらはにするやうに思はれる。これ、その面白
さが主として、その「人間」の面白さにかかり、その上乘なるものは的生活の描寫にあるとい
はれる日記の根本的性格が斷片性である以である。生の斷片性を最も明かに現はさせるもの
は、それ自身生の根本的規定に屬するところの死の立場である。從つてすぐれた日記の多くは死
の立場から書かれた生の記である。例へば、アミエルの日記は最上の日記のひとつとめられ
てゐる。ところでトルストイは彼の愛讀したこの日記について書いてゐる、彼は、「我々が凡て
死を宣されて、ただその執行を豫されてゐるだけであることを痛感してゐる。そしてこれこ
そ、この書が非常に眞摯で、嚴肅で、有なる以である。」
よき自敍傳はよき日記よりも稀である。ゲーテの『詩と眞實』は最上の一つといつてよいであ
ら う が、 有 名 な ル ソ ー の 懺 で さ へ 甚 だ す ぐ れ た 自 敍 傳 に 數 へ ら れ 得 る か は す で に 疑 問 で あ
る。これひとつには、自敍傳は他人に讀まれることを豫想して書かれ、そして他人ので自己を
正直に白することは困であるのによるともいはれよう。日記は少くともその本性上は他人に
讀ませようとするものでない。尤も日記が然他人の存在を豫想せずして書かれると考へるのは
間ひだ。人間の會性ははるかに深く根差してをり、人間は最も密な行爲においても會的
に規定されてゐる。それはとにかく、自敍傳において專ら自己についてのみ語らうとしたものは
たいてい失敗してをり、むしろ自己の境について、境と自己との互作用についてべよう
としたのが功してゐる。
これは日記と自敍傳との種の區別を暗示するものでなければならぬ。兩はよく一に語ら
れるけれども、實はその性質を異にしたものである。日記が抒詩と同じ線にあつて反對の方向
にあるいはゆる自照の學に屬するとすれば、自敍傳は敍事詩と同じ線の上にある學に屬
してゐる。一方を主觀的性質の學といふならば、他方は客觀的性質の學といはれよう。日記
の性質が斷片的であれば、自敍傳の性質は的である。
的であることを求されてゐるところに自敍傳の困がある。なぜなら的手法または
技巧はたいていの場合自己の思想や感のまともな表現をふものであるから。的であり、
從つてすぐれた「的意識」が必とされてゐると共に、それがほかならぬ「自己」ので
五九
あるべきところに、自敍傳の困がある。それでイギリスについての大作をなしたヒュームも
自傳については最も簡單に記すをんだのである。
日記と自敍傳
六〇
もつとも傳記、そして自敍傳といふ語はもつと廣い意味に用ゐられることもできる。かくて例
へばいふ、プラトンの對話アポロギアよりもすぐれたソクラテスの傳記はあるであらうか、
と。またいふ、彼の懺よりほかにアウグスティヌスの如何なる傳記も本質的に存し得ない。
またいふ、キェルケゴールの日記は彼について存し得る唯一の傳記である。このやうにして日記
と自敍傳とは一つの範疇に入れられる。そしてこれは或る意味でたしかに正しい、且つ深い見方
を含んでゐる。だがその意味を哲學的に解明するための餘白を私はもうもつてゐない。
最後にただひとこと。日記や自敍傳に對する興味が他人の私事の祕密をのぞかうといふ卑しい
心、功主義的または英雄主義的の安價な感激を求むる心にもとづかないにしても、それが心理
的主觀的なものに對する愛、客觀的現實と會的實踐からの、主觀主義的、個人主義的な
學的趣味、等々のものにしらずしらず結び付いてゐることの多いのを指摘しておくことが必
であらう。日記や自敍傳に對する興味は「化人」のものであるといふことのうちにすでに或
る險が含まれてゐる。
論と機智について
一 新聞を読む動物
明治の偉大な蒙主義澤吉の有名な『學問のすゝめ』の中には「演の法を勸めるの
」といふ一がある。また澤集言のうちには會議辨、明治七年六月七日集會の演など
といふ題目について解が書かれてゐる。「世の中に演などは百千年來の慣ならんと思ふ人
もあるべきなれどもその演は廿何年の奇法にして當時これを實行せんとして樣々に工夫した
る吾々の苦勞は自から容易ならず。」と澤氏はその當時を囘しつついつてゐる。いま澤氏
のこれらの章を讀んでみると、演といふ當時く新しかつた言葉の形式が、如何に新しい
會的政治的變化によつて求され、如何に新しいイデオロギーに相應して發したかといふこと
六一
言葉は、話される言葉も書かれる言葉も、人間自身と同じやうに生き物だ。言葉は會と同じ
が、誰にも容易に理解出來るのである。
論と機智について
六二
くえず發展しつつある。ただに新しい單語が作られ、移入されるといふのみでない、舊來の言
葉はいつのまにか新しい意味に轉化し、また新しい語法、體などが時と共に形されてゆく。
そしてかういふ生きた言葉はつねに會的政治的に規定される方面をもつてゐるのである。今日
の法學は普このやうな生きた言葉をその現實性において究しない。修辭學は作の室
に押しめられ、形式的美的な見地から言葉を配列し整理する方法となつてゐる。
元來レトリックはギリシアにおいて發した學問であり、その發が當時、特にいはゆるギリ
シア蒙時代の會的政治的態によつて規定されてゐたことはいふまでもない。この場合レト
リックは去の書かれた章を究したのでなく、主として現在の話される言葉を對象とした。
それは言葉をもともと生きた會的な存在として捉へ、從つて言葉を話し手及び聞き手の現實的
な心理、會的位置、ならびにそれが話される體的な況などとの生ける聯關において究し
たのであつた。それだからレトリックは元來雄辯などといふ抽象的なものでなく、現實的な人
間學を基礎としたところの、會的存在としての言葉の究であつたのである。
我々は今日新たなる蒙時代を經しつつあるかの如く見える。このとき言葉の會的、政治
的性格の究としての新たなるレトリックの究が必であるかのやうに思はれる。この究は
もちろん古いレトリックが主として實用的目的のものであつたに反し、十科學的でなければな
らない。新たなレトリックはまた、古いレトリックが主として話される言葉を取扱つたのと異な
り、同時に書かれる言葉を究しなければならない。なぜなら現代において、印刷の普及、
ヂャーナリズムの發などのために、書かれる言葉は極めて重な意味を有するに至つたからで
ある。實に今日「人間とは新聞を讀む動物である。」と定義され得るほどである。
二 新たなる啓蒙時代
論は現代の章の主な形態である。ヂャーナリスチックな章が論的であるのはいふま
でもなく、アカデミックな章ですらが時第に論的性格を帶びて來てゐるやうに見える。
論は蒙時代において支配的な章の形態である。なぜなら蒙といふことは、單に從來の
化が低い會にまで普及されることを意味するのでなく、却つて會の轉形期に際し、新しい
イデオロギーが從來のイデオロギーに對して對立的に、批判的に、生され、主張され、傳播さ
六三
ところで時論に、ヂャーナリスチックな論はもとより、從來アカデミックであつたとこ
れることを意味するからである。
論と機智について
六四
ろの論にまで輕いウ ヰット或ひは皮を含んだ論風が入りんで來たといはれてゐる。これは
何を意味するであらうか。
ヰット或ひは皮は蒙時代の章と必然的な關聯をもつてゐるやうに見える。この時代に
ウ
は二つのイデオロギーが對立してゐるのがつねであり、兩は然性質を異にし、その間には共
の提、共の地盤が缺けてゐると思はれる。然るに共の提、共の地盤の缺けてゐると
ころでは、ひとは純粹に理論的に、どこまでも論理をつて相爭ふことが出來ぬ、議論をしてみ
ても埒があかない。そこで我々はウ ヰットや皮で片附けたくなる。とても度しいな、といふ
氣持がついウ ヰットとなり、皮となつて現はれる。イデオロギーにおける對立が、單にイデオ
ロギーの部にとどまるものでなく、會的現實的な對立に根差すと考へるにとつては、かう
なるのは當然であるやうに見える。
或ひはまたかういふ時代には新しい批判的なイデオロギーは彈壓され、禁止された意識であ
る。ひとはそれをもつて然と論する自由を有しない。禁壓されたイデオロギーはその理論的
批判をウ ヰットや皮によつて代らしめねばならなくされる。ヨーロッパにおけるかの蒙時代
にあつて會や宗に對する批判が多くの場合このやうな形式をとつた。これは王侯や貴族の生
活を動物のお伽噺に寓して諷刺したのとを同じくするだらう。實際、十七八世紀のいはゆる
蒙時代はウ ヰットや皮、ないし諷刺の模範的な論學の生された時代であつた。我々は再
びさういふ時代に際會してゐるのだらうか。
ここに少くとも或る重大な制限がめられねばならぬ。知の如く、かの蒙時代を特色付け
たのは主知主義であつた。そしてウ ヰットまたは皮は元來知的なものであり、從つてそれはか
の時代の主知主義的思想と一致した言葉の形態であつた。例へば長谷川如是閑氏が以『吾等』
に書かれ『を捻ぢる』といふ本にまとめられてゐる章は、ウ ヰット、皮、諷刺におい
てすぐれたものである。長谷川氏はめづらしく知的な人であり、まさにこの人にしてこの章が
書けるといへよう。それは實に面白い。しかしひとはそれが何となく我々の時代のものではない
といふことを今日感じないであらうか。そこにられてゐる思想の多くは反ブルジョワ的のもの
でさへある。然るにそれが何となく古く感ぜられるのは何故であらうか。我々の時代は、ひとつ
の蒙時代であるとしても、そのイデオロギーは主知主義的であり得ない。そこでまたウ ヰット、
皮、諷刺等々のものは、ブルジョワ蒙時代においてのやうに、我々の時代の言葉の優越な形
六五
式ではあり得ない。むしろさういふ言葉の形式は今日、新しいイデオロギーの發展を何等かの程
論と機智について
度で妨することとなつてゐるのである。
六六
三 評論家の任務
ヰット或ひは皮は惡用されつつあるやうに見える。くまで理論的に、論理をつて
今日ウ
議論する餘地が十ある場合に、恰もそこには議論するための共の提、共の地盤が缺けて
ゐるかのやうに見せかけるべく、ひとはウ ヰットや皮を持ち出す。然し理論の發展のためには、
一見このやうな提及び地盤の缺けてゐるやうに見える場合にも、なほこれが實際に存しないか
否かを反省してみることが大切なのではなからうか。そしてどのやうな場合にもかかる提と地
盤とは究極において缺けてゐないはずである。ち現實の事實はいつでもかかる提と地盤とで
あることが出來、またあるべきはずだからである。それ故にウ ヰットや皮をもつてのぞむとい
ふことは、その人にとつて理論がもはや現實との生ける接觸をもたず、却つて一のドグマとして
固定化して存するといふことに關係する場合が少くはない。
ヰット、皮を含んだ論風が行はれるといふことは、理論家たちの理論がそれぞ
實 際、 今 日 ウ
れ結して來たといふことの候であるやうに見える。お互ひにもう同じやうな理論を繰りす
ことにきた。讀はなほさらである。そこで彼等は原理的なものの代りに特性的なものを求め
る。かういふ場合ウ ヰットや皮は最も合のよいものであらう。このやうな態が發生すると
き、今度はそれを利用して、ひとは自己の無理論をウ ヰットや皮によつて然と償ふことが出
來るやうになる。最、直木三十五氏の期限付ファシズム宣言が一部の讀のをしたが如
きはその例であらう。
ヰッ
我々はもちろん理論の藥味としての皮を却けない。心のほがらかさの現はれとしてのウ
トを好み、るる熱のほどばしりとしての皮やウ ヰットを愛する。けれどもそれらは特性的
なものと結び付き、原理的なものはそれらによつて表はされ得ない。ウ ヰットは智的なものであ
り、そして智的はニヒリスチックとなり易い傾向をもつてゐる。我々はウ ヰットや皮に充ちた
論風がインテリゲンチャの心のうちにくひたがる智的ニヒリズムににはずることになりは
しないかを懸念せざるを得ないのである。ウ ヰットは元來智的なものとして非實踐的な性格をも
つてゐる。それは實踐からいつでも何等かの距離を保つてゐようとする心の現はれでさへある。
それはあらゆる熱的なこと、本能的なものを輕することを好む。然るに本來の理論はつねに
六七
實踐から學び、熱が意欲し、本能が直覺するところのものをえず自己のうちに正しく止揚す
論と機智について
るといふことをこそ心掛くべきであらう。
六八
ヰットや皮を含む論風が行はれるに至つた主なる理由のひとつは、理
い づ れ に せ よ、 今 日 ウ
論が第に結し、固定化し、從つてまたドグマ化されて來たところにあるやうに思はれる。新
奇なものを移入し、流行させることによつてでなく、辯證法的な發展の程の上に原理的に立つ
て、この態を救ふといふことが理論家の任務ではなからうか。
現象學と學
現象學は現代の哲學のうち最も有力なもののひとつであり、わが國の哲學の間でも廣く究
されてゐる。さういふ現象學と學との關係について何か話すやうに求められたので、若干の感
想をべてみよう。今日、現象學と云へば、ドイツ哲學の一學のことが考へられる。然るにも
し現象學的とも云つてよい學があるかとねられるならば、我々はイギリスやフランスの學
の或るもの、特に謂新心理主義の學を擧げねばならぬであらう。或る人はドイツの新物主
義 の 學 と 現 象 學 と の 間 に が あ る や う に 云 つ て ゐ た と 思 ふ が、 私 に は イ ギ リ ス や フ ラ ン ス
の學の或るものの方がずつと純粹に現象學的であるのではないかと考へられる。さういふ學
は、實際、心理主義的といふよりもろ現象學的と呼ばれてよいかの如く感じられる。現象學的
哲學と云つても、フッセル、シェーラー、ハイデッガーなど、そのに數へられる人の間におい
ていろいろな相があり、また最の哲學の多くは何等かの意味で現象學的傾向を含んでゐると
六九
さへ云はれるほどであるから、現象學的な學と云ふにしても、さまざまな作家がその中に含ま
現象學と學
七〇
れることができさうである。ヂョイス、プルースト、或はヴァレリ、或はまたジード、にドス
トエフスキーですらが、さういふ風に考へられるであらう。私の狹い見聞の範ではこれらの作
家の作品を現象學的と呼んだ人はないやうであるが、私は敢へてさう云つても差支ないやうに感
じる。さうしてみれば、今日わが國の壇においてこれらの作家が或る意味で流行してゐること
と、日本の哲學界で現象學が流行していることとが、それほど無關係なことでないといふことが
るであらう。これをみても、いつも云はれることだが、學と哲學とが我々の間でも相互の理
解にもつと努力することが必であらう。
尤も現象學の場合では外國においても哲學と學との間に意識的な影または相互作用があつ
たわけでない。現象學はドイツの哲學であり、現象學的と云つてよいやうな學はイギリス、殊
にフランスの學に多い。これは一見奇異に感じられる。然し考へてみると、現象學は新カント
主義の哲學などに比して純粹にドイツ的な起源のものでない。先づ典型的なドイツ哲學の多くが
主としてプロテスタントであるに對し、現象學は、シェーラーなどの例が示してゐるやうに、そ
の宗的背景はろカトリックである。フッセルの久しく活動してゐるフライブルクはドイツに
おいてもカトリックのんなだ。そこで傳統的にカトリック的なフランスは現象學にとつて似
合ひの土地であるとも云はれよう。またその哲學的傾向から云つても、現象學はフランス的乃至
イギリス的傾向がい。フッセルが非常に敬し、最も深く究した哲學は誰よりもデカルト
であつた。このデカルトは今日に至るまでフランスの、哲學は固より、學思想に對しても實に
量りいほど廣く且つ深い影を及ぼしてゐるのである。或ひは現象學によつて最も重んぜら
れる哲學の一人にライプニツがある。そしてフランスにおけるライプニツの影もまた甚だ大
なるものがあつて、それはメーヌ・ド・ビランをじてベルグソンにまで及んでゐる。イギリス
の哲學の中ではヒュームが現象學によつて特に重んぜられてゐるのであるが、ヒュームの心
理學的傾向はイギリス思想の重な特色として引繼がれてゐるのである。かうしてみれば、ドイ
ツ哲學の一學のやうに考へられる現象學が、傳統的もしくは自然的傾向としては却つてイギリ
ス、特にフランスに存在してゐることが知られるであらう。
今日フッセルよりも人氣があると云はれるハイデッガーの哲學は、同じく現象學と呼ばれるに
しても、フッセルのものとはしく色を異にする。然しそのやうなハイデッガーの現象學にし
ても、フランスの思想的傳統と決して無なものでなく、却つてフランスの特色ある思想的傾向
七一
に似してゐると云はれ得るであらう。ハイデッガーは現象學乃至存在論は人間學と同じでない
現象學と學
七二
とくが、しばしば論ぜられるやうに、彼の現象學が人間學的であることは爭はれない。シェー
ラーは哲學的人間學の設のために長い間努力した。ところで人間學と云はれるものは、實に、
フランスにおいてこそ最も獨特な發をげて來たのである。モンテエニュやパスカルを初め、
フランス人のいはゆるモラリストたちの仕事がさうである。モラリストといふのはもちろん人
學のことでなく、また單なる心理學のことでもなく、ろその本質において今日いふ人間學
の究であつた。それ故にもし我々が人間學を究しようと欲するならば、それらのモラリス
トたちの作は我々にとつて最も貴重な獻でなければならぬ。人間學の課題はフランス人のい
はゆるモラリテの究であると云つてもよい。少くともハイデッガーの場合ではさういふものに
かなりいであらう。ハイデッガーがしく影されたのはキェルケゴールであるが、我々は
キェルケゴールとパスカルとにおいて最も似した魂を發見し得るであらう。モラリストたちは
普にフランス學の中に列せられ、彼等自身或る特殊な意味での學であるばかりでな
く、彼等が學に與へて來た影にはまことに大なるものがある。モラリテの究は今日もフラ
ンスの思想及び學のひとつの重な素となつてゐる。くはヴァレリの如きも『モラリテ』
といふ書物を出してゐる。かやうにしてこの場合にもまた現象學にとつての傳統的乃至自然的な
地盤が特にフランスに存在してゐることを見出すことができる。最初に擧げておいた一人のロシ
ヤ人ドストエフスキーについて云つておけば、ジードなどにもドストエフスキー論があるやう
に、彼の最のフランス學に對する影は甚だ大きく、然るに彼がまた今日の有力な學の一
たるいはゆる辯證法的學の人々によつて關心されてゐることは、そのに屬するトゥルナイ
ゼンのれたドストエフスキー論によつても知られ、そしてハイデッガーの哲學はさういふ辯證
法的學とも關聯があるのである。
上にべたやうな關係に注意するならば、その地盤の中から最に生れたイギリス、特にフラ
ンスの學の或るものを、それらはもちろん現象學的哲學に對して意識的な、自覺的なつながり
をもつてゐないに拘らず、私が現象學的と考へてもよいと云つたとしても、それほどでない
ことがるであらう。とにかくそこに或る共なものがあると思はれる。ついでながら、今日わ
が國の哲學界においても現象學がせつかく流行してゐることでもあるから、日本の哲學がもう
少しフランスやイギリスの思想の究をすることが望ましいことではないかと思ふ。現在の日本
の哲學がドイツ的な、あまりにドイツ的なのはどういふものか。ところで私のの問題は、フラ
七三
ンスやイギリスの頃の學とドイツの現象學との間に無意識的なつながりがめられるとすれ
現象學と學
七四
ば、學と現象學との間に何か特別の關係があるのであるか、そしてどういふのが現象學的であ
るのか、といふことである。その際我々はもちろん、學と哲學とがどこまでも異ることを念頭
においておかねばならず、また現象學が哲學的方法として確立されたのはドイツの學の功績で
あるといふこと、哲學においては特に方法の問題が大切であるといふことを決して沒却すべきで
ない 。
フッセルは美學も藝論も書いてゐない。彼はもと數學であり、化哲學といふやうな方面
はあまり得意でないらしい。フッセルの現象學の立場から美學をてようとしてゐる人にはモー
リッツ・ガイガーなどの如き人があり、この人の入門的書物はわが國においてもに飜譯された。
然し私はガイガーの美學がそれほど特色のあるれたものだとは思はない。ろガイガーが自
の現象學的美學の立場から重してゐるフィードラー(これも邦譯がある)やヒルデブラント
の藝論の方が遙かに立なものであらう。ハイデッガーもまだ美學や藝論を出してゐない。
彼に比的い立場にあるオスカー・ベッカーが藝に關して書いてをり、それも邦譯が出版さ
れた。然しハイデッガーは美學乃至藝論についてもいづれ書き得る人であると思はれるから、
それを待つことにして、ここでは主としてフッセルの現象學をもととしてそれと學との關係を
簡單に、感想的にべてみよう。といふのは、今日わが國の壇で問題にされてゐるやうな新心
ザッヘ
理主義、新しいリアリズム、主知主義などいふ問題を考へるには、ろフッセルの現象學がより
便利であると考へられるからである。
は我々の
知の如く、現象學のモットーは「物そのもレのアへリ」テとーいトふことである。ここにいふ物
自然的態度において物といはれるもの、ち實在するもののことではなく、却つて「純粹意識」
のことである。現象學は純粹意識の學として規定される。然し現象學は自を心理學から嚴密に
區 別 し、 且 つ 心 理 主 義 と 考 へ ら れ る こ と を 極 端 に つ て ゐ る 。 そ こ で か う も 考 へ ら れ る で あ ら
う。最の學は新心理主義と云はれ、しかもそれは新しいリアリズムであると主張されるが、
そのリアリズムは、現象學的に云へば、レアリテートの立場(學上の自然主義がこれにあたる
であらう)でなく、却つてレアリテートから區別されるザッヘの立場(現實主義といふよりも事
象主義)であり、從つて心理主義的といふよりも現象學的といはれるのが一切ではないであ
らうか。心理主義といふと、普には何かリアリズムの反對のものが考へられ易い。現象學でい
七五
ふ「現象」は、實體に對する現象を意味するのでなく、またそれは「假象」のことでもない。そ
現象學と學
オリギネール
七六
れは純粹意識において自己自身を現はすもの、自己を原本的に與へるものである。いはゆる「意
識の流」の學は、現象學と同じやうに、「純粹な在」の立場に立つことを意圖してゐるやう
に見える。フッセルの現象學にあつては我々の自然的態度において意識を超越するものとして
めてゐるやうな事物を現象學的元といはれる方法をじて純粹意識に元する。純粹意識は
對的領域であつて、凡ての存在がそれにおいて立し、それによつてされるところの現象學
レアリテート
的根源である。藝的對象はこれまでカントなどを初めとして「假象」であるとされた。然るに
現象學的美學から云へば、それは假象でなくて「現象」である。假象といふ思想は實在性の見地
に立ち、それ故に純粹な在の立場に立たず、現象の下へ實在を押しむところから生ずるので
ある。これまで假象と云はれたり、想像の世界と云はれたりしてゐた藝の世界は、現象學の意
味で現象と見ることによつて、新しいリアリティを與へられるであらう。或は藝家といふもの
は現象學的哲學の云ふやうな現象學的元にすることを藝家自身の特殊な仕方で行つてゐ
るものとも云はれよう。フッセルが、現象學においてはあらゆる實在的なもの、超越的なものは
「括弧に入れられる」ところから、自由なファンタジーはそこでは知覺に對してれた地位を占
め、そしてフィクションは、永な眞理の識が榮養を取つて來る源であると云つてゐるのも興
味あることであらう。
オリギネール
フッセルによれば、現象學は純粹に記的な、純粹意識の領域を純粹な直觀において究する
學である。理論的を排して、「純粹に記的」であるといふことがまた現象學のひとつの持
オリギネール
ヴィルクリヒカイト
色である。現象學にあつては「あらゆる原本的に與へる直觀は識の權利の根源であるといふこ
と、我々にとつて直觀において原本的に(いはばその體現的な 現 實 性 において)現はれる凡て
のものを、それが現はれるがままのものとして、然しまたそれがそこに現はれる範において
のみ、單純に受取るといふこと」が大切である。現象學にあつては直觀が最も重んぜられる。然
しながらそれを單なる直觀主義と考へることはできないであらう。ろひとが現象學において見
出すのは、しばしばスコラ的煩瑣として非されるやうな細な析である。意識の流において
與へられるものを煩瑣をいとはずどこまでも正確に、詳密に析し、記してゆかうといふのが
現象學のである。從つてそれは多に主知主義的傾向を含んでゐるとも云はれよう。この點
でフッセルの直觀主義はベルグソンの直觀主義とは若干趣を異にしてゐるやうに見える。ベルグ
ソン的に云へば、反省された流動はに流れてしまつた流動或ひは反省によつて固定された流動
七七
であつて、流動そのものとは異る。流動そのものを捉へるためには、それを反省することを廢し、
現象學と學
七八
流動そのものの中に入し、それと一體となつて共に流れることによつて共感するといふがあ
るのみであらう。然るにフッセルによれば、現象學は反省を缺くことができぬばかりでなく、反
省はろそれの根本的方法である。意識の流もこれによつて捉へられ得るものでなければなら
レテンチオン
ぬ。それでは我々は、如何にして我々の意識の流を反省し得るであらうか。フッセルはそれを、
「把持」といふことで明してゐる。把持は普の意味の作用とは異り、それよりはに根本的
なものであつて、特殊な志向性を有する。それは原印象がぎ去つた後にも、これを「ちやうど
今ありし」ものとして保留し、なほんでゐることである。原印象の反省といふことはかやうな
把持にもとづいて可能となるのであつて、もし把持意識がないとしたならば、凡ての印象はか
らへぎ去るままに永久の忘却の淵に沈んでしまふほかなく、我々はこれを後から反省する手
がかりをく有しないであらう。このやうに把持は反省の可能となる條件であるけれども、兩
を同じものと見ることはできぬ。原印象を單に把持するといふことはこれを對象として振りつ
て見るといふことを直ちに意味しはしない。把持はこれを對象とせずしてしかも意識するのであ
エルフュルング
る。然るに反省作用といふのは把持を手がかりとして去の印象を振りつてみる作用であるか
ら、反省は把持の充實作用とも見らるべきである。私はいま、ここから出立してフッセルの時間
論に立入ることができない。とにかく彼の現象學においては反省作用に重な意味が與へられて
をり、この點からすれば、新心理主義學の主知主義的傾向といふものは、ベルグソンなどより
もフッセルに一いと考へ得るであらう。ベルグソンにしても、彼がよく云はれるやうに主意
主義であるかどうかは疑問であるが、彼にはさういふ方面がかなりく現はれてゐる。フッセ
ルは把持意識が反省作用の基礎であると考へるが、かのプルーストにおいてしばしば驚されて
ゐる巨大な記憶といふやうなものが新しい主知主義的學の活動の基礎であるとも云はれ得るで
あらう。彼の析の細なことも現象學が他から非されるやうなスコラ的煩瑣と相ずるもの
があるかも知れない。またフッセル、特にハイデッガーにおいて時間論が最も重な位置を占め
てゐるやうに、新心理主義の學は、プルーストの作の一つがその題にげてゐる如く、時間
的といふことを特色とすると云つてもよいであらう。或ひはさういふ學の缺點はあまりに時間
的であつて、間的でないといふことにあるとも云はれ得るかも知れない。私は憾ながらもは
やハイデッガーの問題に入ることができぬ。
七九
さきにも云つたやうに、現象學と最のフランスやイギリスの學との間には意識的な關聯が
あるわけでなく、また一般に學と哲學とはどこまでも區別さるべきものである限り、上にべ
現象學と學
八〇
たことも單なるアナロジー以上に出でないかも知れない。然し私はそこに何か或る關係があるや
うに思ふ。そして特に、最の學の一傾向に何等か美學的乃至哲學的基礎を與へようとすれ
ば、現象學こそそれに最もしたものであると考へる。そこで一二の感想をべて、哲學及び
學の究たちによつてもう少し深くこの問題を探究してみて貰ひたいと考へる第である。
ディレッタンティズムに就いて
ディレッタンティズムの問題は、今日新たに考へ直されてよい多くのものを含んでゐるやうに
思ふ。いつたいディレッタンティズムの地盤は何であらうか。私はその主なるものが乃至
際會であると考へる。このやうな際會の立はさほど古いことではない。我々はそれをイ
タリヤでは十五世紀、フランスそしていでイギリスでは十六もしくは十七世紀、ドイツでは
十八世紀の以に溯り得ないであらう。際會において喜ばれるのはきのかかつた談話であ
り、談話は特殊なアートにまで發させられた。そこでは談話は養ある談話であり、また談話
が養の重な源泉でもあつた。藝上の、學問上の、政治上のディレッタンティズムはかやう
なと結び付いて生れた。そして今日においても、ひとはディレッタントの多くが家であ
り、的であるのを見るであらう。的といふことはディレッタンティズムの基礎であり、
八一
それの素である。然るに的と會的とは同じでない。そこにディレッタンティズムのひと
つの 問 題 が あ る 。
ディレッタンティズムに就いて
八二
ディレッタントは普に專門家に對置せしめられてゐる。さういふ意味では十八世紀のフラン
スのアンシクロペディストはディレッタントであつたであらう。然しながらディレッタンティズ
ムの本質は專門的であるか否かといふことにのみ關係するのではない。かのアンシクロペディス
トは、彼等がなほ當時の際會の風をもつてゐた限り、ディレッタントであつたが、彼等が
唯物論として歩的イデオロギーを代表して鬪つた限り、もはや單なるディレッタントではな
かつた。ひとはかの有名なアンシクロペディが何等か今日の大英百科辭書やブロックハウスの百
科辭典にするものであつたと想像してはならない。そこではな、無理のない定義や學が
求められたのではない。識ではなく、批判がそれの容であつた、それは去の、信仰、
制定に對して据ゑつけられた抵抗しい大機械であつた。理性の歩によつて人會を改善せ
んとする熱烈な意圖のもとに、一般人の關心する事柄についての傳統的な知識を破壞することが
それの目的であつたのである。これまで眞理として用して來たものは悉く訂正され、新たに作
り直される。百科辭書はこの場合ポレミックの堆積であり、また樣々な題目についての隨筆集で
もあつたのである。ヴォルテールはアンシクロペディを「大店」と名付け、その執筆たちを
「番頭さん」と呼んだ。このヴォルテールがまたひとりで同じやうな子の哲學辭書を書いてゐ
るのは有名である。百科辭書家の大部は、その頭目ディドゥロを初めとして、當時の的乃
至歩的思想家であつた。議會において彼等を發した人は、彼等は「唯物論を支持し、宗を
破壞し、獨立を勸し、且つ風俗の墮落を養するための結」であるとべた。かのアンシク
ロペディは當時の的乃至歩的イデオロギーの一大集であつたのである。今日家はそ
れが一七八九年と如何なる關係にあり、一般に如何なる化的意義を擔つてゐたかを誰も知つ
てゐ る 。
專門といふ見地からディレッタンティズムを考へる普の見方は、アカデミズムの影による
ものであり、そのやうなアカデミズム的見地が却つて批判さるべきものであらう。專門を誇りと
するアカデミーが、今日ではろ、眞實の理論的意識を失ひ、創的意力を失ひ、會的意義を
失つて、養ある談話の行はれる際會となり、かくてディレッタンティズムに陷つてゐると
いふことがないであらうか。專門的の名のもとに去の顯鏡的事實についての識を樂しんで
ゐるのは、ニーチェが嘲笑したやうなアレキサンドリア主義である。そしてかかるアレキサンド
リア主義はディレッタンティズムとはく離れてゐないのである。
八三
專門といふことは現在において職業上の業といふ意味を多に含んでゐる。從つて自の專
ディレッタンティズムに就いて
八四
門外に口を出さないといふことは、他人の職業の安を妨しないといふことである。他人の活
動が自の專門の領の中へりんで來るとき、特にアカデミーにおいて見られるやうに、そ
れをディレッタント的だと云つて排斥することには、純粹に學問上の關心でなく、自の職業的
地位の安を防禦しようといふ現實的な動機が知らず識らずはたらいてゐるといふことがなくは
なからうか。學問上の見地からすれば、ひとはしばしば、自の專門の仕事の意味をその外に立
つことによつてよりよく反省せんがために、或は自の把持する原理の括力もしくは力を
種々なる野において試さんがために、或は自の專門の領域に關する理論を他の領域の究か
らして暗示されんがために、自の專門以外に出て行くことを餘儀なくされるであらう。それだ
からといつて、彼はディレッタントであらうか。レーニンはロシヤ革命の鏡としてのトルストイ
といふ論を書いた。彼はまた唯物論と經驗批判論といふ書物も書いた。レーニンはもちろん
藝について、哲學に關しても專門家とは云はれないであらう。それだからといつて、彼のこれら
の仕事はディレッタント的であつたであらうか。このやうにして專門如何の見地からディレッタ
ンティズムの本質問題にづいてゆくことができないのは明かである。養あるディレッタント
は、例へば藝について、專門の藝家、創作家乃至は批家さへよりも豐富な專門的知識をも
つてゐるといふことも少くはないであらう。
等しく專門家的でないにしてもディレッタントとヂャーナリストとは性質を異にしてゐる。少
くともディレッタントであるやうなヂャーナリストはその名に値するヂャーナリストではない。
ヂャーナリストの關心するのは今日の問題である。然るに現在が現在として關心されるのは未來
が關心されてゐるからでなければならぬ。ディレッタントが關心するのはろ去である。彼は
もとよりその多面性の故に現在についても或る興味をもつであらうが、然し彼にとつては現在も
ひとつの去にぎない。なぜなら現在を眞に現在として顯はにするものは未來の見地であり、
從つてそれ自身のうちに必然的に未來への動向を含む實踐乃至創作の立場であつて、これとは反
對のディレッタンティズムの立場ではない。ディレッタントは何よりも趣味の人である。然るに
趣味は好んで去のもの、完されたものの上で働き、從つてディレッタントはおのづから、
ヂャーナリストがその中で生きる生しつつある現在の渾沌たる喧騷から去のうちへす
る。ディレッタントがモダンであるといふのは一の錯覺である。かくてまたディレッタンティズ
ムは主として去の批に始するアカデミズムと想像されるよりも遙かに容易に結び付く。ア
八五
カデミーがその主意義であるべき理論的意識、原則意識を失ふとき、ディレッタンティズムに
ディレッタンティズムに就いて
八六
陷る險は決してくない。ヂャーナリストは實踐家乃至創作家でないにしても、ディレッタン
トのやうに趣味の、感の、一般にいはゆる體驗の立場に留まることを許されてゐない。
古代においてプラトン及びアリストテレスは驚異が哲學の母であると云つた。世においてデ
カルトは懷疑をもつて哲學の方法と考へた。驚異が客體に對する關係は、懷疑が主體に對する關
係と同じであらう。我々の意見によれば、人間は單なる客體でもなく、單なる主體でもなく、却
つてその中間である。かやうな中間としての根本的規定の故に、人間にとつて客體に向つて
は驚異の心、主體に向つては懷疑の心がある。然るにディレッタントにあつては、懷疑の心も驚
異の心も眞實の意味では失はれてゐる。學においても彼が喜ぶのは美、趣味、感であつて、
眞實、識、自然ではない。なるほどディレッタントは懷疑的である。併し彼の懷疑はいはゆる
的相對主義、換言すれば、廣く去を見渡すとき如何なる對的なものもないといふ感に
結び附いたものである。或はに、的相對主義なるものはディレッタンティズムの物であ
る。さういふ懷疑はいはば客體に向けられた懷疑であつて、眞實の懷疑が主體に向ふのと反對で
ある。
懷疑の方法によつて主體的な生が探求されるときは、そこに顯はになつてゆくのは生の斷片性
であらう。斷片性がかかる生の的規定であると思はれる。それ故にかかる生を眞實に探求した
かのモラリストたちの作物は斷片的性格をとらねばならなかつた。併しそれだからといつて、彼
等はディレッタントであつたであらうか。斷片性といふことでさへディレッタンティズムの本質
を現はすものでない。かのフランスのモラリストたちの或るは、彼等が斷片的であつたためと
いふよりもろ彼等が當時の際會の趣味をそのまま受取つた限りにおいて、ディレッタント
であつたのである。斷片性について云へば、主體的ならぬ客體的な生及び世界を斷片的に取扱ふ
ものがディレッタンティズムである。そしてありふれた隨筆はかやうなものであるといふ意味に
おいて、隨筆はディレッタンティズムの物である。またいはゆる實話學は現代のディレッタ
ンティズムと關係があるであらう。いつたい實話に對する興味といふものは際會において最
も活なものであり、そして實話學のうまさといふことの中には、際會における話のう
まさの趣きが多に感じられないであらうか。もちろん小には物語的素、或はろ私のいふ
客體的現實性が含まれなければならぬ。併しながらその方面から云つても、實話學はあらゆる
事件を、特に現在の事件をも「ストーリー」として、從つて「ヒストリー」として(ストーリー
八七
とヒストリーとは語原的に同じである)、それ故單に去のこととして取扱ふ。このことは我々
ディレッタンティズムに就いて
がさきに規定したディレッタンティズムの性質に丁度相應するであらう。
八八
かくてディレッタンティズムは有閑的な乃至際會を地盤とするといふ點においてそれ
の階級性が指摘されねばならぬ。それの時間性が單なる去であるといふことにおいて、それは
哲學的に批判されねばならぬ。それの立場がするに體驗の立場であるといふ他の重な點は取
り上げないにしても。
批の生理と病理
一
衆なるものは物を書かない批家からつてゐる、といふ風なことをヴォルテールがいつ
た。書かれるといふことでなく、話されるといふことが批の自然である。書かれた批に對し
て我々は多くの場合何か或る不自然なものを感じないであらうか。書かれた批は獨語的になり
易く、しかるに批は、本來、會話のうちに生きるものである。
會話も固よりをもつてゐる。それは話す人の性質、彼等の化の程度、彼等の會的境
に從つて甚だしく相する。恰も歩行の度が會人はく田舍はかであるやうに、會人
の會話はく、田舍の談話はかである。よく知り合つた人々の話がおのづと知人の生活や性
格の個人的な事柄に落ちてゆくのに反して、互にあまり知らない人々はおのづから一般的な題目
八九
について話し、廣く關心のもたれる觀念について語ることに傾くであらう。このやうな有樣から
批の生理と病理
九〇
察せられ得る如く、談話の容及び形式はにおいて變化する。そして批のは談話の
を離れて考へることができぬであらう。批は現實的な言語ち談話のうちにつねに自然的に
含まれてゐる。會話はいつも批の素を含み、會話の形式が變るに應じて批の仕方も變る。
「パリの眞の批は談話において作られる。」と批家サント・ブウヴはいつた。好い談話の存
する會においてはまた好い批がなされるであらう。書かれた批も會話のによつて生か
されてゐなければならない。批の傑作とめられるプラトンの『パイドロス』は談話の花い
たギリシアにおいて對話の形式をもつて書かれた。批のは會話のである。會話の
が批といはれる廣い意味における學の特殊な形態のでなければならない。それだからし
て今日のジャーナリズムにおいても批の行詰りの感ぜられる場合、「座談會」といふやうな形
式が思ひ附かれるのは自然のことであると見られよう。
しかし話される批は批家の批といふよりもむしろ衆の批である。世間には物を書か
ない、從つて批家とはいはれない澤山の批家がある。彼等は書くことによつてでなく話すこ
とによつて批する。いはゆる批家でなく却つてこの人々が眞に批するであると考へるこ
とができる。蓋しいはゆる批家ち物を書く批家はそれが讀まれるために、だからそれ自身
がまた批されるために書くのである。批家の書いた批は話される批によつて批される
のみならず、それは再び「論壇時」や「藝時」などの如きにおいて他の家的批家に
よつて批されるであらうし、そしてこの批もまたに同樣に批されるであらう。批家と
いふのは批するのことでなく、批されるのことであるといはれてよいほどである。物を
書かないあの人々が却つて批するである。批家が批されるであるところに批家とい
ふものの悲哀が、或る矛盾があるであらう。批家はそのやうな自己の矛盾を如何にしてなくす
るこ と が で き る か 。
話される批が關心するのは主として現在である。そこにこの批の根本的な性格が見出され
る。それは去や傳統や背景の如きものに殆ど煩はされることなく、何よりもアクチュアリティ
のあるものについて、いはゆる時事問題、最の出來事、昨日今日の新刊物について話すのがな
らひである。それ故に話される批はいはばその日暮しの批である。「昨日の書物の批は批
でない、それは談話である。」とジュール・ルメエトルがどこかで書いてゐる。それはたしか
に談話である。しかしながら去のものの批のみが批であるのでなく、書かれた批ばかり
九一
が批であるのでもなく、また話される批は何等重でないといはるべきではなからう。去
批の生理と病理
九二
の批と雖もこれを無することができぬ。或る一定の作がその同時代の人々によつて如何
に批されたかといふことは、後の時代の批家にとつても決して無關係なことではないのであ
る。根源的に見ると、話される批は批家の批ち書かれる批の溜池である。一群の批
家の章は或るサロンの、或るサークルの、もしくは大衆の談話における批から流れ出てく
る。彼等の批は或るサロンの會話、一定のサークルの意見、或ひはまた衆の輿論を再現する。
かくて話される批の書記であるやうな批家が存在してゐる。「批家は衆の書記にほかな
らない。」かくの如き書記的批家はジャーナリストと呼ばれてよいところのである。彼等は
ジャーナリストと呼ばれるにふさはしい、なぜならジャーナルといふ言葉はもとその日その日の
報を意味し、そして話される批の關心するのは昨日の事件、今日の問題であるからである。
記的素を含まぬ個人的批家はジャーナリストとはいはれぬであらう。ジャーナリストは元
來話される批の書記であるのである。
それ故に批家は批されるであるといふ上にべた矛盾は、批家がジャーナリストにな
ることによつてなくなるであらう。しかしもし批家が話される批の書記にほかならないとす
れば、彼等はもはや批家とはいはれなくはないか。何故にジャーナリストは、しかもなほ批
家と見られるのであらうか。話される批は現實において或るグループの、或る黨のうちにお
ける批であるから、從つてその書記であるも他のグループ、他の黨に對する關係において
は批家として現はれるのである。ジャーナリストはな批家であるよりも、むしろ黨的
意見の代表である。また個人の獨自の批をなすは本來の意味でジャーナリストでなく、
ジャーナリストとして存することも困であらう。ジャーナリズムは衆の輿論を代表すると
いはれてゐる。しかし衆といふものはもとブルジョワ・デモクラシーと結び附いた存在であり、
從つてその輿論といふものも元來なんら超黨的といふ意味でののものであるのではない。
ジャーナリストは黨的であつてみれば、そのは反抗のであると考へることもできる。
けれども彼は個人的な反抗家にとどまることなく、書記的素をもたねばならぬのであるから、
彼は抑壓されたもの、擡頭しつつあるものの黨に與することによつてその批家としての面目
をよく發揮し得るであらう。否定の素を除いて批はないとすれば、そのやうな黨はそれ自
身において批的な黨であるといはれてよいものである。
九三
このやうにしてジャーナリストにとつておのづから或るサークル、或るグループ、或る黨に
媚びるといふことが起り易い。いはゆる仲間ぼめ、その他が生ずる。もちろん物を書く人間の誰
批の生理と病理
九四
がひとに氣に入ること、ひとにばれることを求めないであらうか。しかしすべての點において
ひとに氣に入らうとすることは媚びることである。そのとき批のはく失はれてしまふで
あらう。一定の黨から感心されるには、自で獨立に思惟し判斷するよりも、きまり句を
氣でいふはうがだ。演會でをしようと欲するがきまり句を叫ぶことを忘れては
ならないのと同樣である。しかしそれでは批の職は盡されないであらう。なぜなら批の根
本的な機能は人間のをその自然的傾向に屬する自働性に對して防衞することにあるからであ
る。批家は恐らく自自身のオートマティズムに對して自を防衞することから始めなければ
ならぬ。ところでジャーナリストは黨的であることによつて批家として現はれるのであるか
ら、批が最も繁榮するやうに見えるのはつまり多元論的氣においてであるといふことにな
るであらう。ち思想上の、學上の、趣味上の、同樣に勢んだ、同時に存在する、敵對的な
體系が同等の權利をもつて主張される時である。かやうなプルラリズムはリベラリズムと結び附
いてゐる。十九世紀において特に批が大になつたといふことはこの時代のリベラリズムの傾
向と無關係ではない。かくて多元論及び自由主義はジャーナリズムの發にとつて好合な地盤
であつた。そして衆といふものの發はまたジャーナリズムの發と不離の關係にあるのであ
る。ジャーナリズムは主として衆を對象とし、衆の輿論は少なからずジャーナリズムにう
てゐる。會學タルドの規定によると、衆とは「純粹に的な集團」であつて、その「凝
聚力はく心的」である。ち衆とは身體のないである。それだから衆は、つた立場
にある思想家キェルケゴールが『現代の批判』の中でいつた言葉を借りると、「抽象的な體で
あつて、その參加が第三の役を演ずるといふやうな可笑しな仕方で作られる。」衆のこの
やうな性質に批家・ジャーナリストの性質が相應するであらう。この頃名な藝批家ティ
ボーデーは『批の生理學』といふ本のなかで、批家は「個人的身體をもたぬ」である
といふやうなことを書いてゐる。創作家は身體をもつてゐる、それでなければ創作はできぬ。も
ちろん個人的身體のみが問題ではなからう、批家・ジャーナリストにとつては個人的身體は問
題でないともいへる。しかし彼等は今日ともすれば會的身體をもたぬとなつてゐるのであ
る。そこに彼等の無力の原因がある。
批家はこのやうな無力の態を單なる批家以上のもの、ち指となることによつて
し得るであらう。指は單なる批家でなく、みづから實踐するである。デモクラシーやリ
九五
ベラリズムが無力にされ、從つて衆といふものが第に影の薄くなるに應じて、批家・ジャー
批の生理と病理
九六
ナリストは第に無力にされてくるやうに思はれる。鬪爭は實踐による批である。しかるに
ジャーナリズムの批は話される批に基礎をもつてゐる。鬪爭の必とするのは身體をもてる
、それだから指である。しかるに批家は身體をもたぬである。嘗て吉野作氏や
山川均氏などの書かれたやうな指的論がこの頃の雜誌に見られないといふのは、單に個々の
ジャーナリストの才能の問題でなく、會勢の變化によることである。言論の自由、檢の問
題などもその中に數へられるが、しかしデモクラシーの無力にされた後においては、指的論
を書くがあるとすれば、それは批家ではなくて、眞の實踐的指である。今日むしろ批
家は自の仕事の限界を明瞭に意識するやうに求されてゐるのではなからうか。それは何より
も彼等が自の仕事を有效に有意味に爲し得るために必であらう。それとも批家はみづから
實踐的指にまで飛することを求されてゐる。批とか批判といふと何か優越を意味する
やうに感じるのはいはば言語的錯覺にぎないのである。
二
我 々 は 固 よ り 批 家・ ジ ャ ー ナ リ ス ト の 價 値 を 少 に 價 す る に 與 す る も の で は な い。
ジャーナリズムの批は時事論であり、今日の批である。そこでは今日のにおいて、今
日の言葉と今日の氣轉をもつて、かに且つ氣持よく讀まれるために必なあらゆる手段を盡し
て、今日の思想が、それが新しいものと見えるやうな形式のもとに書かれる。ジャーナリストは
できるだけくそして廣く讀ませるやうに書くのであつて、殆ど二度と繰して讀まれるために
書くのではない。彼等の書いたものは十二時間の後には、一間、一ケ月の後には恐らくみら
れないであらう。それだからといつて、ジャーナリストの批は無駄であらうか。講壇人はその
やうに考へがちであるけれども、決してさうなのではない。ジャーナリストの書いたものは十二
時間、一間、一ケ月の後には誰も殆ど手に取らうとはせず、二度と繰して讀まうとはしない
であらうが、しかし一度は必ず讀ませるやうに書くといふのがジャーナリストの才能である。彼
等の批は十二時間、一間、一ケ月の後にはもはや批でなくむしろ記と見られるやうなも
のになるであらう、しかし彼等の批が去の批でなく、まさに現在の批、今日の批であ
るところに特別の重性があることを忘れてはならない。ジャーナリズムとは反對にアカデミズ
ムは主として去の批に關心するのがつねである。しかるに去があるためには現在がなけれ
九七
ばならぬ。ベルグソンの哲學を持ち出すまでもなく、あらゆる生は時間において經する。去
批の生理と病理
九八
の記憶があるためには、この去が現在であつたのでなければならない。もとよりこの現在にお
いてひとの目を惹き、センセイションを喚び起したものの實に多くは時と共に跡形もなく忘却の
の中に沈んでしまふであらう。その日暮しをせねばならぬジャーナリズムがそれらの多くのも
のを取上げるといふのは結局徒勞ではないであらうか。たとへば、フランスの悲劇で何が殘つて
ゐるかといふと、コルネイユとラシイヌである。しかるにコルネイユやラシイヌが存在するため
には、その當時において、悲劇樣式が生きた樣式であり、從つて他の人々によつても悲劇が書か
れ、そして衆がそれに對して關心をもつてゐたといふことがなければならぬであらう。學
家ランソンがいつてゐる如く、傑作といふものは、一、他人の獲得した利の鐘を鳴らすやうな
ものであることもあり得るし、二、またに他人の攻によつてり果ててゐた塞を最後の一
で打破つたといふやうなものであることもあり得るし、三、或ひは多くの人々による襲開始
の信號として打鳴らされた太鼓にぎないやうなものであることもあり得るし、四、或ひはまた
四散してゐた人々を糾合し、いはば輿論の日々の命令のなかに一思想を記入させたといふやうな
ものであることもあり得る。いづれにせよ、或る一人の人間の作品が傑作として現はれまた傳へ
ら れ る た め に は、 他 の 澤 山 の 人 々 に よ つ て 同 種 の 凡 作 が 作 ら れ ね ば な ら ぬ と い は れ 得 る で あ ら
う。それだから同樣に、その日その日の批がこのやうなその日その日の學的生にはれるこ
とが必であると考へられねばならないであらう。
我々はしばしばのやうな言葉を聞く。批はいつでも後からついてゆく、先づ創作家があ
り、作品が書かれねばならぬ、しかる後はじめて批はなされ得るのである、それ故に批は
するに第二的な仕事である。このやうな言葉はもちろんくは間つてゐない。しかしながら
それはの眞理でしかなく、またそれはアカデミズムの批についてはより多く眞理であるに
しても、ジャーナリズムの批についてはより少く眞理であるともいはれよう。アカデミーにお
ける批は古典的な大作家の後にくつつき、彼等の輝ける足跡をり、彼等のを集め、その
目を作ることに大部始してゐる。それが好んで取扱ふのは完された古典的作品である。
ところがジャーナリズムの批は日の喧騷に混じてゐる。その批はがそこにおいてえ
ず新たに作られつつある現在のうちにある。從つてその批、その基礎である話される批は、
生しつつあるもしくは生せんとする作家及び作に直接に影を與へ、この作家及び
作にいはば合體するのである。今日の批は明日の創作に影し得る。その場合批家は協力
九九
である。このやうに批家の職は、政治上にせよ、學問上にせよ、藝上にせよ、行爲し或ひ
批の生理と病理
一〇〇
は創作するの協力であることであらう。身體をもたぬたる批家は自己を身體に結合す
ることを心掛けねばならぬ。つねに第三であるところに批家の力があるといはれる、しかし
またそこに彼の無力もあるのである。自己を單に批家として意識してゐる批家は惡しき批
家であらう。における「批判的時代」である現代はまたそのやうな惡しき批家の輩出する
時代でもある。協力であらうとする批家の關心すべきものは何よりも實踐によつて動しつ
つある現實のでなければならぬ。しかるに自己を單に批家として意識してゐる批家の陷
る險は、彼等が實際家と競爭しようとし、特に彼等自身が物を書く人であることによつて、他
の物を書く人間ち創作家(藝上竝びに學問上の意味において)、及び彼等と同樣の批家と
競爭しようとすること、しかもみづから實際家或ひは創作家となることによつてではなく、批
家として競爭しようとすることである。そこからあらゆるソフィズムが生れ得る。物を書く批
家がソフィストとなる險はさほどくはないのである。
ジャーナリズムの批は今日の感覺と今日の言葉をもつての批であるから、ジャーナリスト
はモダンで、いはゆる代人でなければならぬ。しかるにこれは決して想像されるほど容易でな
い。「私には古代人であるよりも代人であることがはるかに困に思はれる。」とジューベー
ルも書いてゐる。モダンであることがクラシックであることよりも容易であるかのやうに考へる
のは講壇人の見である。新しいもの、生しつつあるものの同、理解、味方であると
ころにジャーナリストのすぐれた仕事がある。ち上にべた如く、ジャーナリズムの批は現
在の批であることに特殊な重性があるのであるが、それはかやうなその日暮しの批である
ところから、その批の原理或ひは思想もくその日暮しのものになつてしまふ險をもつてゐ
る。その險は、事實においては無主義、無原則、無思想でありながら、何か或る、そして新し
い、主義や原則や思想をもつてゐるかの如く振舞ふやうにされてゐるところにある。批の
は或る意味では懷疑のこころである、懷疑のこころは相對性の感覺である。現に存在する一ダー
スの新聞や雜誌を日走り讀みすることによつて我々は何を得るであらうか。相對性の感覺もし
くは智である。そしてほんとをいふと、それがまたかくも多くの批家を作り出しつつある原
因のひとつともなつてゐる。しかるにそのやうな相對性の智は、この智を有するによつて
我々に與へられるのであるか。決してさうでなく、むしろ反對に、それは斷言し、主張し、宣言
する人間によつて我々に與へられるのである。「ジャーナリズムにおいてはあらゆる方法が宜
一〇一
い、だがモンテエニュの方法は例外だ。」とエミール・ファゲエが書いてゐる。ジャーナリスト
批の生理と病理
一〇二
は「私が何を知つてゐるか」といつてはならぬ、「私はすべてを知つてゐる」といはねばならな
い。ジャーナリズムにおいては「ひどくぶつことが問題だ」ともいはれてゐる。に、賢は只
一册の本の人間を恐れるといふが、この言葉をうけてひとはいふ、だが只一つのジャーナルの人
間の場合は如何であらうか、と。彼はもとより恐るべきである。しかしながら一ダースのジャー
ナルを讀む人間にも新しい險がある。彼は結局アイロニイと懷疑に陷り、實踐的意志を滅さ
せられるといふ險がある。それはともかく、現在の批に從事するジャーナリストには無原
理、無原則になる險があり、そして彼等が原理や原則の上に立たうとするとき、今度は反對に
批がオートマティズムに陷り、式論乃至結果論になる險がある。しかるにこのやうなオー
トマティズムに對して防衞することがまさに批の任務であつたのである。批といふことと原
理や原則の用或ひは應用といふこととはふのであつて、批家と學とがつたものと考へ
られるのもそのためである。批は特殊を普の單なる一事例として明するのでなく、普と
特殊とのそれぞれの場合におけるそれぞれの生きた體的な關係を發見し、樹立することに努め
なければならない。その意味において批のは辯證法のであり、またに批のを
離れて辯證法はないともいひ得るであらう。
三
ところでアカデミズムの批はジャーナリズムの批が現在の批であるのに對して去の批
であるのが普である。そして實際において現在の批と去の批とは同じ機關、同じメカ
ニズム、同じ才能を求するのでなく、從つて同一の人間が同時に兩に功するといふことは
殆ど不可能であるやうに思はれる。批家・ジャーナリストと批家・プロフェッサーとは批
の二つの異る範疇に屬してゐる。事實を見ても、たちは例へば安時代或ひは川時代の
作家や作品の批はするが、同時代の作家、昨日今日の作品の批は敢てせず、よしんばしたに
しても功し得るかどうか、疑問である。同じ人間について見ても、その壯年の時期に同時代
のものの批に功したにしても、一生さうあることができるといふことは稀であらう。それだ
からサント・ブウヴは後にはポール・ロワイヤルの究に、ち去の批にれたし、嘗ては
すぐれた批家・ジャーナリストであつた吉野作士の如きも年には主として的究に
沒頭されたやうである。ところで話すことは書くことに先立つ。ジャーナリズムの批が談話も
一〇三
しくは會話に基礎をおくに反して、壇の批はその起原をから發する。以學校の仕事を
批の生理と病理
一〇四
してゐたのは會や寺院であつた。そこで型的なジャーナリズムの批には何となく談話にお
ける雄辯のがあるし、型的なアカデミズムの批にはにおける雄辯のがあるやうに感
じら れ る 。
しかし批家・プロフェッサーの批は話すことに基礎を有するのではない。話すことの現實
性は談話であり、會話である。プロフェッサーはなによりも讀む人間である。詩人は感じたこと
について語り、行は見たことについて語り、そしては讀んだことについて語る。讀書の
世界が彼にとつて實在の世界となる。しかるに讀むといふことはひとが想像するほど廣く及び得
るものではない。もちろん正直な批家は原作を讀んだものについてのほか書かないであらう。
けれども彼は讀んだもののすべてを想ひ起し得るわけでなく、また多くの場合記憶に信して話
すことと他人に信して話すこととの間に實際上何等ひがないことがある。ひとは自の書庫
の本を讀みすことができるものでない。サロンの批は時として或る新刊書について自
で讀まないでただ讀んだ人の話を聞くだけで定まつた意見を作ることがある。今日或る人々はも
との論やもとの作品を讀まないでただ新聞や雜誌の論壇時や藝時を讀むだけでその論
やその作品について定まつた意見を作つてゐる。これは固より歡すべきことではない。しかし
ながら批家・プロフェッサーと雖も時には同樣の方をしないといふことは不可能である。そ
こから先づひとつの險が從つて來る。ち彼等はについての自自身の感及び判斷を表
明する代りに、についての傳統的意見を纂するにとどまるといふことが生じ得る。言ひ換
へると、その題目について從來オーソリティをもつた批家が書いてゐるところのもの、或ひは
學校でへられたところのものを繰りすにぎないといふことになる。傳統はもちろんそれ
自身として非さるべきものでなく、傳統なしには化の發展もあり得ないのであるけれども、
他方において傳統は批が何よりもそれに對して防衞しなければならぬところののオートマ
ティズムを惹き起し易いものである。自の責任を囘し、なるだけ無な批をするために、
或ひは自の思惟の怠惰を佯り自の無見識を隱すために傳統にるといふこともなくはなから
う。講壇の批が知らず識らずの間に如何に甚だしく傳統に支配されてゐるかは、それがそのや
うな傳統の缺けてゐるところ、ちまさに今生しつつあるものに對しては殆ど理解することを
知らず、これをすべて何か輕佻薄なものとして非するだけであるのが普であることを見て
もわかる。講壇の批はだいたい一世代遲れてゐる、それは新しいもの、歩的なものに對する
一〇五
戰爭の態において生きるやうに餘儀なくされてゐる。傳統についても、それは傳統を繼ぐもの
批の生理と病理
一〇六
であつて傳統を作るものではない。傳統を作るものはむしろ話される批、從つてまたジャーナ
リズムの批である。この種の批によつて例へばフロベールやボードレールなどは講壇の批
に押し附けられ、かくて古典の位置を獲得するに至つたのである。それが去の批であると
ころから、講壇の批が的相對主義に陷り易いといふことはまたそれの他のひとつの險で
ある。廣くを見渡すとき何等對的なものは存しない。或る立場、或る思想、或る形式を
對的としてそれに熱中し熱狂するが如きは子供らしいこと、無知と無學とによるものと考へられ
る。さういふ識なプロフェッサーたちにおけるは、眞のは去のでなく現在の
であるといふことを實際に理解しないことである。現在のは行爲において行はれ、しかる
に行爲するためには一方に決めることが必であつて、相對主義の立場においては行爲すること
が不可能である。プロフェッサーたちのいはゆる學的良心はしばしば生活に對する良心に背反
する。彼等はジャーナリズムの批が性な、早な斷定を下すことを非する。彼等のいはゆ
る學的良心は、それが性な仕事だといふ口實のもとにぎの仕事の必にすることを拒
し、それは決定的な仕事でないといふ口實のもとに有用な仕事に從ふことを拒し、かくてつま
り艱なる、紆餘曲折せる生活のために盡すことを拒するのである。いはゆる學的良心はペ
ダンティズムにる。仕事をしない口實としての細心或ひは愼重といふものほど學における陰
鬱なペダンティズムはないであらう。
アカデミズムの批は、このの一頭目と見られるブリュンチエールの言葉に依ると、「鑑別
し、し、明する」ことである。ジャーナリズムの批の關心するのが個々の體的なも
の、この事件、この人物、この作品であるのに對して、アカデミズムの批の關心するのは或る
一般的なもの、主義や流、樣式や形式である。それは多樣なものの間のととを求める
ことに苦心する。從つてその批はによる批である。批することはそこでは個々のもの
を鑑別して一定の範疇に入れ、部にけ、一般的規則から明することである。それだからア
カデミズムの批は飛的なもの、非的なもの、革命的なものに對して自然的な惡もしく
は恐怖をもつてゐる。新しいもの、生しつつあるものに對して少くとも懷疑の眼を投げかけ
る。このやうにしてそれは現在の現實から面をそむけて去のの中へげむ。現在に對し
ては眞に批するのでなく、固定した一般的規則や形式を無駄に、しかし威猛高に命令し、訓
するにとどまる。批は訓戒に變るばかりでなく、批はむしろに、思想に、學に、
一〇七
等々に變る。しかるに本來をいふと批のは現在のである。それはぎ去つたもの、完
批の生理と病理
一〇八
したものに對する感覺であるよりも、來たりつつあるもの、生しつつあるものに對する感覺
である。しかもこのやうな批のなしに最上のが書かれ得るか、疑問である。固よりこ
の頃のベルグソニズムの批家たちのやうに的方法を不當に輕することは戒しむべきであ
る。去のを理解することなしには現在の批も的確に行はれることができない。我々は
の辯證法的發展の思想の上に立ち、從つて非と共にを、質的飛と共に量的大を考
へる。ジャーナリズムの批がその日暮しの批として無原理、無原則のに流れ易いといふこ
ともめねばならぬ。批は批することによつて一般的なもの、普的なものを求めなければ
ならない。或ひはヘーゲルが『哲學的批の本質に就いて』といふ論のなかでべてゐるやう
に、イデーなしには批は不可能であるといひ得るであらう。しかしながら普的なものはその
ものとして抽象的に固定させられてはならぬ。普的なものは生命的なものとして自己を種々の
現實の形態に化しつつ發展する。渾沌として捉へどころのないやうに見える現實のうちに一般
的なものを發見するのが批の任務であり、しかしひとたび一般的なものが樹立された後にはそ
の化に對して防衞することが批の任務である。
四
右にべた二種の批のほかになほ第三の種の批がある。ティボーデーは『批の生理
學』において、自然生的批、專門的批及び大作家の批といふ三種をげてゐる。學に
ついていふと、わが國でも創作家が批を書くことは多く、あまりに多ぎると思はれるほどで
ある。反對に、新聞雜誌で專門の學家に批を書かせることをもつと試みても宜からうと思
ふ。それはともかく、創作家の批とは如何なる性質のものであるかを考へてみよう。
言ふまでもなく我々は創作家の批を種において批家の批と區別される限りにおいて問
題にしなければならぬ。例へば正宗白鳥氏がこの頃書かれる批の如きは創作家の批でなくむ
しろ批家の批と見らるべきであらう。創作家の批はそのものとしては自己の創作の見地か
らの批である。從つてそれは先づ單なる趣味の批ではない。趣味の批は却つて養ある
衆の批であり、話される批である。創作家が最上の趣味の人間であるかどうかは疑問であ
る。趣味はそれだけでは何物も創しない。あまりに趣味の豐かな藝家は十に冒險的である
一〇九
ことができず、泳ぐために水の中へ敢て飛びむことができないであらう。趣味は臆病なもので
批の生理と病理
一一〇
ある。「我々を無くするひとつの物、我々を束するひとつの馬鹿げた物がある。それは『趣
味』、よい趣味である。我々はそれを持ちぎてゐる、我々は必以上にそれにつてゐるとい
ふのである。」とフロベールも書いてゐる。創作するには熱が、プラトン的なマニアが、洗
されたものよりもむしろ自然的なもの、フィジカルなものが必である。趣味はに在るもの、
實現された作品の上ではたらくのであつて、何かく新しいものを作るにはそれだけでは無能力
である。そしてまた創作家の批がであるとは誰も信じないであらう。あまりによく理解す
るは實踐的であることができぬ、或ひはむしろ、すべてを理解するは何事も眞に理解してゐ
ないのである。創作家の批における見、不正を指摘することは容易である。尤も、な
批が必ずしも有力な批ではない。世の中には無理のない批でしかもそれから何も學ぶこと
のできない批がある。このやうにして創作家の批は自と反對の思想、傾向、氣質の作家及
び作品を批した場合よりも自と同じ氣質、傾向、思想の作家及び作品を批した場合に面白
いもの、有なものが多い。缺點の批よりも長の批に美しいものがある。その批の美し
さは、熱と感激、共感と共鳴をもつて、自とコンジーニアルなものにおいてそのジーニアス
を發見してゆく深さである。
いま藝家の場合についていつたことは、思想及び學問の領域における創、發見家、體系
家などについても、或る程度までいはれ得るであらう。すべてそれらの人々は獨立の批的章
を書かないにしても何等かの仕方で批してゐる。批を含むことなしには創することもでき
ないといふのが人間的創の約束であるやうに思はれる。彼等は批家によつて批されるばか
りでなく、自自身でも批する。彼等は彼等の批家をも批する、しかも批的章によつ
てでなく、むしろ自己のオリジナルな作によつて批する。彼等の創作は他の批に對する熱
烈な答辯であることがある。かくてするに、人間の世界においてはすべてが批するである
と共に批されるであるとすれば、最後に批するは誰であるか。それはである、と答
へられるであらう。この答はく正しい。しかしその場合、はまた人間の作るものであると
いふことを附け加へるのを忘れてはならない。だから批家を悉く氣にするは馬鹿である、し
かし批家をく氣にしないも馬鹿であらう。ところでを動かす大勢力は大衆である。そ
れ故に恐るべきは批家でなくて大衆であるといへる。會的に價されなくなるや否や、如何
なる仕事も忘却のの中に影を沒しなければならないのである。そこでまたあらゆる批する
一一一
の用ゐ得る最も恐るべき手段は最も簡單な手段である、ち默殺するといふことである。今日の
批の生理と病理
一一二
多くの批家の缺點はこの有效な手段を用ゐることを忘れがちであるところにあるといへるであ
らう 。
さて批は嘗て天才の頂上にしたことがあるであらうか。批が批としてそこに到した
ことは未だなく、またそれは不可能であるやうにさへ思はれる。批家は身體のないである
といはれる。しかるに身體的なもの、自然的なもの、物質的なものなしには天才はない。天才と
は行爲し、生し、創するであるからである。身體のないであるやうな批家が天才的
なものにすることは不可能であらう。嘗て存在する最上の批は單なる批家によつて書かれ
たものではないのである。批の傑作といはれる『パイドロス』を書いたのは哲學プラトンで
あつて、彼は單なる批家ではなかつた。好き批家は身體をもてるでなければならぬ。し
かるに批家が眞に身體をもつとき彼は批家以上のものとなる、彼は實踐的指となり、或
ひは化の領域における創作家、創となるであらう。しかしまた他の方面から見ると、批
のなくして指も創作家もないであらう。指や創作家と竝べて、批家の位置は何
を意味するであらうか。批家は蒙家である。かくいふことによつて我々は批家の價値を低
く價しようとするものではない。他の機會にべた如く、會の轉形期は一般に蒙時代とし
て特附けられ得るとすれば、このやうな時代における蒙家の役は決して小さくはないであ
らう。特に批家・ジャーナリストの仕事は蒙家であることにある。ジャーナリストを俗化
する人のやうに見る見方は間つてゐる。從來の學問上の定或ひはを眞理としてこれを
俗化するだけでは生きたジャーナリストではない。彼等はむしろそれを訂正し、作り直す人であ
る。彼等の優秀なは、十八世紀のアンシクロペディストがさうであつたやうに、當代の立な
學である。しかし彼等はいはゆる學ではない。彼等にとつては純粹に學究的な問題ではなく
て會の現實的な問題が關心の中心である。ジャーナリストの本質は、學問を俗化することに
あるのでなく、新しいイデオロギーを代表し、獨特の體をもち、そして問題の或る特殊な取扱
ひ方をするところにある。彼等は學であるよりもむしろ廣義における學であつて、十八世
紀の百科辭書家と同じく學上に獨自の位置を占むべきものであらう。今日のジャーナリスト
もあのアンシクロペディストと同じく或る特殊な學形態を生しつつあるのであり、またさう
することを求されてゐるのではなからうか。蒙とは舊いイデオロギーに對する新しいイデオ
ロギーの宣傳及び普及を意味してゐる。轉形期の會においては相對立するイデオロギーが存在
一一三
するものであるから、蒙は批を離れては行はれ得ない。そこに批家の批家としての
批の生理と病理
における役がある。
一一四
的自省への求
學上の作品が凡て何等かの仕方で的會的な制約を受けてゐるといふことは疑はれない
であらう。そのことは先づ作品の容の方面において容易にめられる。或る時代の作品は多く
宮生活を描いたし、他の時代の作品は主として町人の生活を描いた。然しかくの如きことがあ
るからと云つて、すぐさま學そのものが原理的に見て的會的に規定されてゐるとは考へ
られないであらう。なぜなら現代においても或る作家がにぎ去つてしまつた人物や事件、例
へば武士の生活を描くといふ風なこともあり得るからである。學の原理はその形式に求められ
なければならぬやうに見える。いはゆる容も學的形式に入つてゐない限り單に「素材」で
あつて、美學上の意味では「容」とも云ふことができないと考へられるであらう。ところで廣
くを見渡せば、そのやうな學の形式といふものがまた變化を經てゐる。形式乃至樣式の變
一一五
を敍するといふことが學の特に重な仕事であるやうに考へられてゐるのである。學
的形式の變化と發展とは何によつて規定されるのであらうか。
的自省への求
一一六
この場合、それは對象によつてである、と一應答へられるであらう。たしかにそのやうに見ら
れ得る方面がある。代的市の生活を描くためには、或は大衆行動を描くためには、對象自體
の性質から規定されて或る新しい形式が必になつて來る。さうすれば學において取扱はれる
對象が的會的に變化するに應じて、學の形式もまた的會的に變化すべき筈であ
る。このことは正しいにしても、然し單にそれだけのことでは、なほ未だ十に學そのものの
問題の核心に觸れたものとは云はれ得ないであらう。一般的に云つて、學は人間の物もしくは
生活に對する一定の態度乃至關係の仕方である。從つてそこではまた主觀的な方面が問題にされ
なければならぬ。或は學は廣く創作と云はれる。然るに創作といふことは對象もしくは客體を
模寫するといふ方面からのみでは考へられず、そこにはろ主體が自己を表現するといふ方面が
存しなければならない。かやうにして學における形式は單に對象の形式でなく、何か主觀もし
くは主體の形式といふ意味をもたねばならぬであらう。そこからまた形式が容を規定するとも
云はれるであらう。かくの如き學における主觀的原理は普に感と見做されてをり、そして
感が學の的原理であるやうに考へられる。
然しながら第一に學は決して單に感のことではないであらう。フロベールが書いてゐる、
「感が凡てであるといつでも信じてはならぬ。藝においては、形式なくしては何物もな
い。」この言葉には勿論いはゆる形式主義のがあるにしても、學において感が或はまた趣
味が凡てでないことはたしかである。フィードラーも云つた、「藝作品は感でもつて作られ
ない、それだからまたそれを理解するには感では十でない。」「藝的に眞であることは、
意圖の、意欲の問題でなく、却つて才能の、能力の問題である。」學的活動は單に感の事柄
でなく、作家の表現的才能、創作的能力の問題である。學的活動は喜怒の感がおのづから顏
色に現はれるといふやうな意味での「表現」でなく、ろ「形」である。學における表現活
動には特定の表現手段ち言語といふものが必である。それは言語を媒介とする表現である。
ところで言語は會的に與へられたものであり、且つ的に生し變化するものであるから、
その限り學は的會的規定を受けるであらう。例へば、現今の日本語は外國語に影さ
れてをり、そして外國語の移入は會的に制約されてゐる。また學的活動が形であるとすれ
ば、それはテクニイクに依存するところがなければならぬ。然るにディルタイが彼の詩學におい
て示した如く、學もしくは或る學種のあらゆるテクニイクはその統一性をただ一定の
一一七
的時代の化の容からして得て來るものである。悲劇或は敍事詩の普當的なテクニイクと
的自省への求
一一八
いふものは存しない。藝上のテクニイクが的化に規定されてゐるといふことは、例へば
法の發見が繪畫に與へた影の場合を考へてみれば容易に理解されるであらう。或はまたも
と學以外の領域で考へられた唯物辯證法なるものが、今日プロレタリア學の創作方法として
唱へられてゐるといふやうなこともある。作家は表現手段及びテクニイクの與へられた的
條件のもとにおいて制作する。尤も、偉大なる作家はみづから言語(體)を創し、みづから
新しいテクニイクを發見するであらう。フィードラーなどの主觀主義的藝論の主張する如く、
このやうな藝的創的活動も人間のものである限り固より純粹な創ではなく、却つて與へら
れた素材、對象、容によつて規定される方面のあることをめなければならぬ、形のテクニ
イクも表現の形式も、容を生かすものとして眞のテクニイクであり眞の形式であらう、然しな
がらそこには何か創作性といふべきものがめられねばならず、そしてこのものは客體の側から
でなしに主體の側からでなければ考へられない。
ところで人間の感もその容性においてはまた的に規定されてゐるのである。先づ感
はそれ自身だけで孤立してゐるものでなく、表象や思惟などの機能とつねに一定の關係を取り
結んでゐる。ここに感の性が立する。そしてただ感といふものがあるのではなくて、
それはつねに「誰か」の感である。作品も誰かの作品である。フリードリヒ・アルベルト・ラ
ンゲが何處かで云つた、「それが對立においてであるにせよ、直線的にであるにせよ、自己自
身から發展する哲學といふものがあるのでなく、却つてただ彼等のも含めて彼等の時代の子
供であるところの哲學する個人があるのみである。」かくの如き考察の仕方は學の場合にあ
つても甚だ大切なことであらう。然しながらここでは特にそのやうな人間の問題は「天才」の問
題において集中され、その頂點にする性質のものである。來あまりに無されてゐる天才論
の新しき開拓は學論の發展のために重である。
それはここで立入るにはあまりに大きな且つ複雜な問題である。然し單に個人的なものは天才
的なものでなからう。天才も會的なものであり、且つ會的に規定される方面がなければなら
ぬ。けれども天才は單に時代の子供であるばかりでなく、また時代に先驅し、時代を超越すると
ころがある。かくの如き時代に對する先驅もしくは超越は如何にして可能であらうか。そのこと
が考へられ得るためには人間がいはば一重のものでなく、ろ二重のものであること、言ひ換へ
れば人間において主體と客體との裂のあることがめられねばならぬ。またこのとき會的な
一一九
ものを單に客體の方面においてのみ考へるべきでなく、そして主體的なものを單に個人的と見做
的自省への求
一二〇
すべきではない。人間は單に個人でもなく、單に會でもなく、却つて人間はそのき現實性に
おいては會と個人との辯證法的中間である。中間たることが人間の最も根本的な規定であ
る。かかるものとして人間は二重の意味における、ち私のいふ存在としての及び事實
としてのに屬する。學上の作品が或る超時代的な意味をもつといふことも、何かそこに客
觀的に一定不變のものがあるといふやうに明さるべきでなく、ろ事實としてのの存在と
してのに對する非をめることを手懸りとして理解されねばならぬであらう。もちろん
主體的事實も客體的存在によつて規定されるところがある。然し客體も主體との的關係を離れ
ては學の容となることができない。作家の「世界像」はどこまでも客觀的的に規定され
てゐる。然しながらそのやうな藝的世界像をその根柢において規定してゐるものは、その作家
の「世界觀」である。世界觀はその根源に從へば主體的的なものである。私が哲學にお
いて論した如きの二重の意味及び兩の辯證法的對立及び統一の把握によつて學の世界
のの理解への端も與へられるであらう。
性格とタイプ
ポール・ブールジェは小を風俗小と心理解剖小とにけてゐる。何かこのやうな區別が
められてよいであらう。もちろん、あらゆるは形式的だ、然しそれだからこそそれは有
な の で あ る。 ブ ー ル ジ ェ に よ る と 小 の こ の や う な 區 別 は 人 間 の 捉 へ 方 の 相 に も と づ い て ゐ
る。凡ての人間は、或る側面から見れば、彼がそれを代表する境及び階級の物であり、 ——
他の側面から見れば、この階級における孤獨の人物、この境における獨創の人物である。風俗
小はその一方の側面から、析(心理解剖)小はその他方の側面から人間を捉へて描くので
ある 。
小を何かこのやうに區別するとして、いづれが本格的であるかといふことについては、いろ
いろ議論のあり得ることであらう。頃の日本のいはゆる「本格小」論は、よくバルザックが
引合に出されるやうに、風俗小をもつて本格小とする傾向がある。然るにブールジェは、彼
一二一
自身の作家的立場からしても想像されることであるが、バルザックの出現及びその影をフラン
性格とタイプ
一二二
ス小におけるのやうに見てゐる。フランスにおける最もフランス的なものはモラリストで
あり、フランス人は中世以來のあらゆる傳統によつてモラリストでコントウルである。我々の國
民的藝の凡ての變にも拘らず、フランス語で書き、從つてフランス的に思考する人間が存在
する限り、我々はつねにそれにとどまるであらう、とブールジェは云ふのである。だからフラン
スにとつては心理解剖小がろ本格的だといふことにもなるであらう。尤も彼は風俗小が不
可能であるとか、無價値であるとか、と考へるのではなく、風俗小と解剖小との二つの形式
は相竝んで榮えることができ、また榮えるべきであつて、一方の例は他方の起ち上がることを助
けるものである、といふ風に見てゐる。宇野二氏であつたかが先てして云はれたやう
に、日本の小の優秀なものは傳統的に殆どみな心境小乃至私小であつて、それが日本にと
つては本格的なものであると考へることもできるであらう。國民性と藝との關係は多くの究
をする問題である。それにしても、頃の本格小論、バルザック風の風俗小乃至會小
の求にもく重なものがあることは確かで、それが特に今日の學の事に痛切な意味を有
するといふことも疑はれない。
そこでブールジェによると、人間は一方では會に屬すると共に、他方では性格をもつてゐ
る。いま作家が、或る人間をその群の他の見本と似する側面から描かうとするか、それともそ
の人間がその群のなかで區別される側面を描かうとするかに從つて、手の上に大きな相がな
ければならぬ。第一の場合では、作家は均的な人物 ——
といふのは彼等は一の境の慣を
をび、これらの人物を澤山に出會はれるやうな境におき、またそ
最もよく代表するから ——
の階級のヴァラエティを多樣にするために人物を殖すといふことが必である。これが風俗小
の規則であつて、それはバルザックの『人間喜劇』の總序に言ひ表はされてゐる、とブールジェ
は考へる。ちバルザックはジョフロワ・センチレールの理論を應用してそこでの如く書いて
ゐる。「唯一つの動物しか存在しない。……動物は、そこで發展するやうに定められてゐる境
において、その外的形態、或ひは、一正確に云ふならば、その形態の差異、をとる一原理で
ある。動物學上の種はこのやうな差異から結果する。……私は、この關係のもとに、會が自
然に似てゐるのを見る。自然は人間から、彼の活動がそこで展開される境に從つて、動物學に
々のヴァラエティがあるのと同じやうに澤山の異つた人間を作らないであらうか。」と。然る
にもし小家が心や性格のニュアンスを明かにし、激の生にあたり感の爭において行は
一二三
れる的な活動を露はに示さうと思ふならば、彼はかかる面的生活が最も豐富であるやうな人
性格とタイプ
一二四
物、その個性が境よりもつねにくあり得るやうな人物をばねばならぬであらう。彼は稀な
る況、特殊な機を好んでぶであらう、なぜなら人間の奧底はその場合において最も完に
示されるから。彼は人物の數多いことをけるであらう、なぜならい面的生活といふものは
我々の感受性が甚だ少數の存在の上に集中されるといふことを豫想するから。
かくの如くブールジェは、やや括的であるにしても、風俗小と心理解剖小とにおける創
作方法上の相を明した。私はもちろんかやうな問題に立入らうといふのでない。ただブール
ジェの明からも知られる如く、小には「タイプ」を描かうとするものと性格を描かうとする
ものとの區別があると考へ得ることに注意したいのである。風俗小はに屬し、心理解剖小
は後に屬すると見られてもよい。尤も風俗小と心理解剖小との區別と云つても相對的
だ。バルザックにモラリストの方面がないと云へば大きな間ひであらう。同じやうに、性格及
びタイプの念も、我々がいはば語的に區別しようとするほど明瞭に、實際において區別し得
るものでなく、ろ普には二つの語は同じ意味に用ゐられてゐることが多い。それだからと云
つて、兩が區別され得ないわけでなく、またそれを區別することが無であるわけでもないや
うに 思 ふ 。
例へばこの頃の心理小である。このものはタイプを描いてゐるとは云はれないにしても、然
しそれは十に性格を描いてゐる。新しい心理小は、古い心理解剖小において考へられたや
うに、心理を行爲の原因と見るのでない、ろ心理の根柢に「行爲」を考へ、この行爲は外的行
「無と行爲、これについて私たち
爲のことでなく却つて「無」とも云ふべきものである。 ——
はもう一度考へ直さねばならぬときが來るであらうと思ふ」(横光利一氏)。 ——
この行爲は、
云つてみれば、創されたものの動のことでなく、創するものの行爲、創するものそのも
行爲の動機は
——
のである。心理を行爲の原因と考へるのは正しくないことと思はれる。なぜなら、我々の行爲は
意識的に行はれるよりも遙かに多く「無意識」において行はれ、從つて動機
普に心理と考へられてゐる ——
なしに行はれる、いはゆる「無動機の行爲」である。そればか
りでなく、もし心理が行爲の原因であるとすれば、心理から行爲が必ず結果せねばならぬに拘ら
ず、實際はさうでなく、一の行爲の原因はろ他の行爲である。然るにかくの如く行爲と行爲と
の因果を考へるならば、それは外的物體の「動」の如きものと何等異らぬことになり、特に「行
爲」といふものは考へられない。そこでのやうに、普にいふ行爲ち外的行爲の原因は、
一二五
「無」とも云ふべき的行爲であつて、心理は兩を媒介するものと見られなければならぬ。外
性格とタイプ
一二六
的行爲といふのは客體的なもの、的行爲といふのは主體的なものであつて、心理は客體を反映
するばかりでなく、一根源的には主體を表出する。人間心理は有を寫すばかりでなく、ろ無
を顯はにするのである。我々の心は深まれば深まるほどそこに無が開かれて來るのであり、無の
力が示されて來るのである。形無きものの形を見ようとすることが我々の心の最も的な求で
ある。ところで、ブールジェなどのやうに、心理を行爲の原因と見るならば、その場合には心理
を描くことがタイプを描くといふことになり得るにしても、新しい心理小においての如く、心
理がそのやうに見られず、また心理をそのやうに見ることが眞でもないとすれば、心理を描くこ
とはタイプを描くこととは別の、獨立のことであり得る。然し心理はどこまでも性格的なもので
ある。純粹に心理を描くとして、その場合タイプは描かれはしないが、性格は十に描かれるこ
とができる。いな、純粹に性格を描かうとすれば心理を描くことによるほかないとも云へる。
ところでタイプは如何であるか。タイプは外に見られるものである。從つてタイプを描くため
にはいはゆる「觀察の美學」が必である。タイプといふ念にも種々の意味が考へられる。先
づ、ブールジェがべた如き「均人」といふやうなものがタイプであると考へられる。このや
うなタイプはもちろん觀察によつて見出されるものである。或る時代、或る會の「風俗」を描
かうといふ場合には何かこのやうなタイプが描かれねばならない。然るに例へばギリシア刻は
タイプを現はしてゐるといふ風に云はれる場合、それは均人の如きものでなくろ「典型人」
乃至理想的人間を表はしてゐると考へられる。けれどもこの場合においてもそれはタイプとして
決してただ觀念的なものでなく、却つて極めて現實的なものである。イデー的なものと云つて
もに客體的なものである。觀察の美學を除いてタイプはされず、そのやうなリアリズムを
ロゴス的意識 ——
は高まるに應じて統一し組織する。
離れて古典主義はないであらう。觀察 ——
ゲーテの云つた如く、「我々は世界のうちへ注意深く眺め入る凡ての場合においてに理論して
ゐる」のである。見ることの意味はタイプ的に見ることであると云はれてもよいであらう。
けれどもまたタイプは單に觀察によつて作られるものでない。プロットのの如きものは
我々はこれを「發見」と云ひ、然しタイプのは我々はこれを「創」と呼ぶ。タイプは藝
家の創するものである。ゲーテは彼のグレーチヘンを然原物を觀察することなしに自で考
へ出したと言つたと傳へられてゐる。そして、實際、彼は多それを何等外部に見出さなかつた
であらう。彼の創物がろ原物であつて、我々は時としてグレーチヘンに似たを現實の少女
一二七
のうちに見るやうに感じるのである。バルザックの描いた人物にしてもやはり單に觀察によつて
性格とタイプ
一二八
發見されたものでなく、彼の創したものである。ブランデスはバルザックを浪漫主義として
ゐるが、そのやうな方面もあるであらう。
このやうにしてタイプは一般的に云へば藝家の觀察とインスピレーションとの結合から生れ
る。その意味でタイプはどこまでも「」されるものである、性格は「敍」されるとすれば、
それに對しタイプはされるものである。言ひ換へれば、タイプはロゴスとパトスとの結合か
ら生れるのであるが、しかもタイプのにあつてはパトスは主體的意識でありながらどこまで
も客觀的なものに向はうとし、ち希求的にはたらくと見られる。かやうに客觀的なものに對す
るアスピレーションの意識(パトス)がエロスにほかならない。このエロスは宗的な愛ちア
ガペとは異つてゐる。エロスはの愛でなく、エロスは却つてデモンである。そして「デモンの
協力なしには藝作品は存しない。」(ジード)。タイプは一般には觀察と希求との結合である
が、そのいづれか一方がまさつてゐるに應じて均人と典型人といふやうなタイプの區別が生ず
るであらう。メーヌ・ド・ビランが云つたやうに、あらゆる自然のうちにはたらく「組織」と「結
晶」といふ二つの作用が人間の生のうちにもはたらいてゐるとすれば、觀察(ロゴス的意識)の
ロゴスは語原的に「集める」といふ意味をもつてゐる ——
エロス(パ
はたらきは組織であり、 ——
トス的意識)のはたらきは結晶である ——
スタンダールの戀愛論を比せよ。かくしてまたタイ
プに組織的タイプと結晶的タイプといふ區別を考へてもよい。
性格はろ自然的なものである。これに對してはタイプは形作られるもの、その意味で養
的、化的また的會的なものである。性格は人間存在の々の可能性を表はす、然るにタ
イプはこのやうな可能性の限定されたもの、もしくは實現されたものである。性格は的なもの
である、的でないやうな性格はない。然るに單に的であるやうなタイプはない。性格がタイ
プに限定されるには、そのうちにテエヌの云つた「主的能力」(ファクュルテ・メエトレス)
のやうなものを考へることもできるであらう。藝家は實際何かそのやうなものを考へることに
よつてタイプをしてゐる場合がある。けれどもまたタイプは體的には境において、會
において、において形されるものである。このことは決してタイプが量的意味において
均であることを意味するのではない。もし人間がただ境からのみ限定されるものであるとした
ならば、人間はタイプであることもできないであらう。タイプは單なる均でなく、タイプ自身
が個性であり、人間が眞に個性的になることはタイプ的になることを含んでゐる。性格は唯一つ
一二九
でも性格である、それだから性格を描くためにはただ自己をのみ求することでも足りる。然し
性格とタイプ
一三〇
個性は他の個性に對するとき眞の個性であるのである。「我々は未だ個性でなく、個性たらんと
努めてゐる。」とロマン・ロランが云つてゐる。我々はに性格である、我々が自然であるやう
に。性格を形することによつて我々は個性にるのである。タイプは形された性格である。
このやうな形作用は組織と結晶とであつて、このはたらきは人間の生そのもののうちに含まれ
てゐ る 。
心境小からの却といふ求は性格を描くことからタイプを描くことへの求であると考へ
ることができる。それにしても問題は、組織的タイプか結晶的タイプかといふことであらう。
レトリックの
今日、學における新しいといふものを求めるなら、それはあの、特に若い世代によつて
いはれてゐる人間性の探求といふ標語のうちに見出されるであらう。人間性の問題は最初プロレ
タリア學に對する批として現はれ、プロレタリア學の發展の停頓と共に漸普及した。そ
のために人間性の探求の求は一見プロレタリア學とく對蹠的な立場に立つものであるかの
やうに見えた。事實それはプロレタリア學における會的見方竝びにイデオロギー的方法の人
間 性 に 對 す る 重 壓 に 向 つ て 抗 議 的 に 投 げ 掛 け ら れ た 言 葉 で あ つ た。 そ こ で 人 間 性 の 探 求 の 問 題
は、これをテマ的に展開しようとするや否や、必然的にプロレタリア學をじて持ち出された
二つの重な問題に、ち一方では會性の問題、他方ではイデオロギー性の問題に面接せざる
を得ない。かやうにして先づ第一に、今日人間性の探求について語るは人間性と會性との關
係を問題にすることが普のやうである。この問題はたしかに重な、そして根本的な問題であ
一三一
る。しかし私はここに第二の、同樣に根本的で重な問題、ち學における人間性の探求とイ
レトリックの
一三二
デオロギーとの關係の問題に注意したいと思ふ。もちろん、二つの問題は相互に關聯してゐるの
であ る 。
學におけるイデオロギーの問題といふと、さしあたり學と思想の問題といふやうに考へら
れる。思想は學にとつて外的なもの、外部から附け加はつて來るものと考へられるであらう。
思想は客觀的なもの、一般的なものと見られるであらう。イデオロギーをもつて書くといふこと
は、去のプロレタリア學の多くにおいてはマルクス主義理論の用といふことになり、あの
式主義的型的學の傾向を生じ、學は創作でなく論や解もしくはその代用物に墮し去
つたといふ批を行はせた。かやうな學が人間性の無、喪失、殺につたのは言ふまでも
ないことである。それでは、與へられた思想によつて書くのでなしに、作家がみづから思考して
書くとしたら如何であらうか。事態はたしかに改善され得るやうに見える。しかしながら思考す
るといふことは或る客觀的なもの、一般的な理論に到するためではないか。思想はかやうな客
觀的なもの、一般的なものとして、思考するといふ主觀的作用の結果、その生物にほかならな
い。從つて思想によつて書くといふことは、思考して書くといふことの簡約化、經濟化にぎな
いとも見ることができる。いづれにしても思考するといふことが客觀的なもの、一般的なものを
思考することである限り、學における人間性の問題とイデオロギー性の問題とは相容れない二
つの事柄でなければならぬやうに思はれる。なぜなら人間性を問題にするといふことは體的な
もの、性格的なもの、個性的なもの、主體的なものを問題にすることであるからである。しかし
他方、學から思考を除外し排斥するといふことは無意味であるのみでなく、不可能でもあら
う。學は言語の藝である。そしてロゴスといふギリシア語が言語を意味すると共に思考を意
味する如く、言語と思考とはどこまでも一つのものと考へられる。學は思想の藝ともいはれ
てゐる。偉大な學はつねに偉大な思想を含む。プロレタリア學にしても單にイデオロギー的
であるといふ理由で藝的に價値が低いとはいはれないであらう。かくて學における思想乃至
思考の問題は根本的な點において困に出會ふかのやうに見える。もし人間性の思考といふやう
なものがあり得ないとすれば、人間性の探求といふことも無意味な言葉になりりはしないであ
らう か 。
ここにおいて我々は思考の兩重性に注意しなければならない。この兩重性を現はすために、
我々は論理學(ロジック)的思考と修辭學(レトリック)的思考といふ語を語的に入しよう
一三三
と思ふ。普に思考といふと、論理學的思考のことが考へられてゐる。論理學は思考の學であり、
レトリックの
一三四
その法則を究する。この場合思考は客觀的思考であり、一般的なもの、從つてまた抽象的なも
のの思考である。かやうな論理學に對してレトリックといふものがある。レトリックは言語に關
する學であるが、言語と思考とが一つのもの或ひは不可のものである限り、レトリックもまた
思考の學の一種と見られてよい筈である。我々は實にそのやうに考へる。レトリックはその本質
において單なる雄辯乃至いはゆる修辭學でなく、言語章の上の單なる裝、美化のではな
い。代の哲學はレトリックの問題を殆どく無もしくは忘却してゐるが、それはその抽象性
と困化とを語るものである。哲學は自己の本質を失はないためにここでも自己の端初、ちギ
リシア哲學にらなければならない。ギリシア哲學においては論理學よりもレトリックがろ先
位を占めてゐた。この事實は哲學が生の現實、民族の會的生活と現實的な聯關にあつたことを
示してゐる。その『オルガノン』によつて論理學のと呼ばれるアリストテレスは、これと竝ん
で『アルス・レトリカ』といふ極めて重な作をしてゐる。ただこの作の有する意義は今
日なほ憾ながら一般には十に理解されてゐない。レトリック的思考はロジック的思考に對し
て如何に區別することができるであらうか。いま當面の問題に關係する限りその點を明かにしよ
う。
誰かを相手にして話すとき、我々はつねに或るレトリックを用ゐてゐる。そしてそのときく
無意味に話してゐるのでない限り、我々は思考しつつ話してゐるのである。從つて我々の用ゐる
レトリックは我々の思考の仕方を現はしてゐる筈である。もし如何なるレトリックにもよらない
で話すとすれば、我々は自を他人に十に理解させることができないであらう。レトリックは
特殊な思考の仕方であり、相手を得することに、その信(ピスティス)を得ることに關係して
ゐる。かやうなものとしてレトリックも特殊な證明を含まなければならぬ。レトリックにはレト
リックの固有の論理がある。レトリック的な證明はエンテュメーマと稱せられる。それは論理學
的な證明ちシュロギスモスとは性質の異るものであるが、一種の論證であつて、アリストテ
レスによるとレトリック的なシュロギスモス(推論)と看做され得るものである。ただ論理學的
な證明がロゴスのうちにあるのに反して、レトリック的な證明は却つてパトスのうちにある。レ
トリック的に話す、從つてレトリック的に思考する場合、我々は相手が如何なる態にあるか、
彼の感とか氣を考慮に入れ、思考の仕方はそれによつて規定されてゐる。言ひ換へるとレト
リック的に思考するとき、我々は相手のロゴス(理性)よりも彼のパトスに、もしくは彼自身の
一三五
レトリック的思考に訴へ、それにふさはしい言語的表現ちレトリックを用ゐるのである。聽き
レトリックの
一三六
手においてパトスが言葉によつて動かされるとき、聽き手自身が證明のとなる。しかしに
重なことは、かやうなレトリック的思考はつねに話し手自身のパトスに結び附き、これによ
つて規定されてゐる。それは各人のエートス(性格)に從つてそれぞれ異るところの性格的な思
考である。性格は根本においてパトス的なものである。レトリック的思考はその證明を話し手の
エートスのうちに有するやうなものである。それは各個人において異るばかりでなく、各々の國
民、各々の會、各々の世代において異つてゐる。にしばしばべた如く、我々がパトスとか
主體とかいふ場合、決して單に個人的なものを指すのではない。例へばひとはドイツ哲學とフラ
ンス哲學とは考へ方がふなどといふ。このときもし考へ方といふものが、論理學的思考方法の
意味であるとすれば、兩の間に差異のあるべき理由はないであらう。論理學的思考は普當
性を有し、各國民各個人等において相すべきでないからである。それぞれに相し特殊性を有
するのはレトリック的思考、主體的にパトス的に規定された思考でなければならない。同じやう
に、もし我々がフランス學のとドイツ學のとは異るといふならば、その差異は主と
して兩におけるレトリック的思考の相にもとづくであらう。フンボルトは各々の言語は個性
を有し、その國民の到した世界觀の物であるといつてゐる。言語は單に論理的なものではな
い。それは、世界觀と同じく、パトス的なものの表現の方面を有してゐる。
レ ト リ ッ ク 的 思 考 は 主 體 的 に 規 定 さ れ た 思 考 で あ り、 そ の 根 柢 に は パ ト ス が あ る。 そ れ と
の區別において、ロジック的思考は對象的に限定された思考と見られることができる。後の
に 關 は る に 對 し て、 レ ト リ ッ ク 的 思 考 の 關 は る の は む し ろ 眞 實 性
Wahrheit
容が一般的なものであるとすれば、は個別的なものに關はるといはれるであらう。論理
學的思考は眞理性
である。これは客觀的論理的に見ると蓋然的な價値のものでしかないであらうが、
Wahrhaftigkeit
論理的なものよりもに深い意味において眞理であるといふことができる。レトリック的思考も
思考としてロゴス的なものであるとすれば、このときロゴスはまさに聽くものであつて、語るの
は却つてパトスであるともいへるであらう。もろもろのパトスは、或ひは囁くもの、或ひは話す
もの、或ひは叫ぶものである。パトスは聲なき聲である。それは見られるものといふよりも聽か
れるものである。思考は根源的には見ることでなくて聽くことである。そこに思考にとつての根
本的な或る受動性が存在する。代の哲學は思考作用をあまりに一面的に能動的なものと考へ、
そのために抽象的な主觀主義に陷らねばならなかつた。根源的に能動的なものはむしろパトスで
一三七
あり、ロゴスはパトスの囁きや話し聲や叫びに應じて語るものである。悟性の活動を動かすのは
レトリックの
一三八
感である。固より我々は思考の能動的方面にも注意することを怠るべきではない。思考の本性
は受動的能動性にある。パトスは本來語るものですらなく、自然の如く沈默せるものといへる。
聲なき聲を聽くといふ意味ですでにロゴスは或る能動的なものである。しかし思考の能動性はア
ランがいつた淨化作用といふやうなところにめられるであらう。アランは悟性の役は感と
か感動とかいふものの淨化作用にあるとべてゐる。思考との接觸によりその淨化作用をじ
てパトスは見られるものとなり、或る象性を得てくる。思考の自然的行はつねに感からイ
デーへ行く、とアランはいつてゐる。イデーは見られたものである。いな、イデーは見られたも
のであると共に見るものである。なぜなら、このやうなイデーはその根源において能動的なパ
トスに起因し、えずこれによつて擔はれてゐるのであるから。このイデーが藝家の物を見る
「眼」にほかならないであらう。
もしこのイデーを思想と呼ぶならば、學における思想といふのは根本においてかくの如きも
のを意味するであらう。かくの如き思想は學にとつて外部から附け加はつて來るものでなく、
却つてそれなしには創作活動もあり得ないやうなものである。それは客觀的世界の括乃至明
としての理論の如きものでなく、却つてその根柢には深いパトスを藏してゐる。そのやうな思想
は式的なもの、一般的なものでなくて、性格的なものである。作品に含まれる思想はただその
作家とパトスを共にすることによつてのみ眞に理解されることができる。かくの如くパトスを共
にする(シュムパテイア)ところの、この意味での同或ひは共感にもとづく思考である點に、
レトリック的思考のひとつの重な性質がある。直觀と呼ばれるものはこの意味における同
的思考であらう。ベルグソンも同と直觀とを一つのものに考へてゐる。思考は純粹になればな
るほど孤獨になるのでなく、むしろ同的になる。同といふのは、單に對象と一つになるとい
ふことでなく、もと人と人との關係である。パトスの對象となるのは何よりも人間である。レ
トリック的思考の根柢にはつねに人と人との關係がある。それは論理的であるよりも倫理的であ
る。レトリック的思考は我と物との關係ではなく我と汝との關係において立し、かかるものと
して本來最も體的な意味においてディアレクティッシュなものである。
私はイデーは見られたものであると共に見るものであるといつた。從つていまの場合思想は思
想であると共に思考である。これは思想が生命的なものであることを意味する。このやうな思想
はすべてみづからスタイルをへてゐる。いな、思考のはたらきなしにはスタイルはあり得な
一三九
い、しかしこの思考の根柢にはパトスがあるのであり、從つてまたスタイルはパトスのうちにあ
レトリックの
0
0
一四〇
0
0
るのである。フロベールは書いてゐる、「スタイルは言葉の下にあると同樣に言葉のにある。
それは作品の魂であると同樣にである。」言葉の下にあるもの、作品のであるものはパトス
にほかならないであらう。しかしこのものはスタイルの價値のものであるが、なほスタイルでは
ない。スタイルは作家の思考である。それは作家が物を見る「眼」である。スタイルは裝のこ
とでもなければ、單にテクニックの問題でもない。ひとはレトリックによつてスタイルが作られ
るといふやうに考へてゐる。まことにそのりであらうけれども、そのときレトリックはひとの
考へる如く單なる修辭學、章の美化ののことではあり得ない。スタイルを作るのは我々のい
ふレトリック的思考でなければならぬ。
かやうにして人間性の探求とレトリック的思考との結合はもはや明瞭である。我々の日常の言
語においてさへ我々の用ゐるレトリックは相手の人間性、彼の性格、氣質、感、氣等の理解
と結び附いてゐる。人間性の理解なしに用ゐられるレトリックは無駄であり、無意味である。レ
トリック的思考は人間學的思考であるといふことができるであらう。人間性の探求は、かかる探
求ちモラリストと呼ばれるを定義しつつヴィネェがべた如く、人間性をドクトリン化す
ることでなく、人間性についてのイデーを與へることである。人間性をドクトリン化することは
心理學、生物學、會學など、種々の客觀的科學に屬してゐる。人間性についてのイデー、上に
いつた意味での思想を與へるのは學が第一であらう。この場合人間性の探求における思考は
念的論理的思考ではなくレトリック的思考である。論理學的思考が客觀的なものの思考である
のに對して、レトリック的思考は主體的なものの思考である。このやうな思考は或る直觀的なも
のであり、藝家の根本能力とされる想像力或ひは想力はこのやうな思考を離れてないであら
う。人間性の探求においては、科學の二本の葉杖といはれる觀察と歸の方法もこのやうな想
像力の生命的な力に生かされるのでないとすることができない。ひとはしばしば人間性の探
求はモンテエニュなどの場合のやうに懷疑によるとべてゐる。ところでこの懷疑の固有の立場
はロジック的思考の立場ではない。論理主義の哲學は懷疑論は自己矛盾に陷り、論理的に不可
能であると論じてゐる。懷疑の立場はレトリック的思考ち主體的に規定されたパトス的な思
考にとつてのみ眞實性を有するのである。今日學の再が問題になつてゐるとき求されるの
は、懷疑とか不安とかとは反對に、意欲の確立であるといはれるであらう。意欲は如何にして確
立され得るか。思考することなしには不可能である。しかしそれは作家が一定のドクトリンを確
一四一
立することではなく、まさに意欲を確立することであり、彼の思考がパトスからイデーへ行くこ
レトリックの
一四二
と、作家の眼が、思考のスタイルが確立されることである。意欲は燃燒するも、それを見ゆるま
た物を見えしめる火とするのは思考のはたらきである。
アンドレ・ジードはかう書いてゐる、「學において自己を怖れるとは何といふ馬鹿げたこと
であらう。自己を語ること、自己に關心をもつこと、自己を示すことを怖れるとは。(フロベー
ルの苦の行の必は、彼にこの僞れる悲しむべき效果を考へ出させたのである。)」レトリッ
ク的思考は、如何なる場合にも自己を語り、自己を示してゐる。學において自己を語るといふ
のは、例へば私小においてのやうに、單に自に關することを描くことではない。學の言葉
においてはパトスはロゴスに向つて白するのである。上にいつたやうに、ロゴスはパトスの聲
を聽くことによつて語る、そこに最も深い意味での白がある。かやうな言葉が眞に表現的であ
る。ジードはけて書いてゐる。「パスカルはモンテエニュに、己を語るといつて叱責した。そ
してそれを滑稽な痒がりだとした。しかし彼みづから、自の意に反して、さういふことをした
ときほど、彼が偉大であつたことはない。彼がかう書くとする。『キリストは人のために自の
血を流した』と。その彼の言葉は何等の效果をももたずして落ちる。だが、『私は』といふ言葉
がはいつて來るや否や、すべては生きてくる。そしてこのが彼の許に來るならば、彼は君僕で
呼ぶであらう。『僕は君のためにこんなに血を流した』と。この特別の血を、君のために、ブレー
ズ・パスカルよ……さうすれば、我々の誰でもが、この讚ふべき君僕の言葉ひに、己が理解さ
れてゐることを感ずるのである。」いつたい自己を語るといふことは現實的な意味においては他
の自己に對してのみ可能である。私が私を語り得るのは汝に對してのみである。物に對しては私
は私を眞に語ることができない。豐島與志雄氏は右の章を引いた後、書いてゐる。「この君僕
の言葉ひは、學の上では直接には爲されない。然しながら、さういふ言葉ひが爲されてる
かどうかは、讀の胸に傳はるものである。そしてそれによつて讀は、作の意欲の性質を感
ずるのである。これは學の深奧なである。然し、感性に訴へるこのは、理性に訴へる論
やのよりも、案外短距離である。」この君僕の言葉ひこそレトリックのを示すもの
である。このによつて作家は眞に讀に呼び掛けることができる。レトリック的に思考する
ことによつて作家は自己の意欲、自己の思想を讀に傳へることができる。そのとき作家は理性
や論理に訴へるのでなく、パトスに、この感性的なものに訴へるのである。しかもレトリック的
な思考はつねに我々の現實の生活のうちに含まれ、生きてゐる體的な思考にほかならない。も
一四三
ちろん、そのやうな君僕の言葉ひは學の上で直接になされ得るものではないであらうが、レ
レトリックの
一四四
トリックのは生かされなければならぬ。問題は單に修辭上のことでなく、思考方法のことで
あり、單に表現の仕方に關することでなく、學のに關することである。
レトリックは元來會的なものである。それはギリシアにおいて法、民衆議會、市場等、國
民の會生活の中から生れた。アリストテレスによると、レトリックは辯證論の孫であると共
に、倫理學の孫である、そして彼にとつては倫理學と政治學とは別のものでなかつた。レトリッ
クは單に會話のでないにしても、決して獨語ではないのである。レトリックは自を相手に、
會に得する方法であつた。それは論理學によつて論證し明するのではなく、相手のパトス
に訴へ、相手の信(ピスティス)を得ることに努める。けれども思考なしには得することはで
きないであらう。眞の學は固有の論理によつて得する。それは理論によつてでなくレトリッ
ク的思考によつて得するのである。それが得するといふ意味で如何なる學にも宣傳的意義
が含まれるといふことができる。學が宣傳であるといふことは、學に議論やを勸めるこ
と で は な く、 眞 に レ ト リ ッ ク 的 に 思 考 す る や う に 求 す る こ と で あ る 。 パ ト ス 的 な 思 考 が レ ト
リック的であるといふことは、パトスの根本的な會性を現はしてゐる。學上の眞力といふ
ものも、このやうな思考とその固有の論理の得力を除いて考へられないであらう。ただ物を忠
實に描くといふやうな單なる客觀主義からは眞力は生じて來ないのであつて、そこにレトリッ
ク的思考がはたらかねばならぬ。レトリックは獨語でなく、相手に向つての思考であるところか
ら、レトリックと一に考へられる種々の惡、例へば單に讀における心理的效果をのみあて
こんだり、またそのために徒らに裝や美化を行ふといふやうなことが起り易いであらう。しか
しながらレトリック的思考の本性はそのやうなところにあるのではない。この思考も思考として
嚴密を求する。自己のパトスにおける眞實、主體的眞實性なしに眞のレトリック的思考はあり
得ない。思考の主體的眞實性を求めるのがレトリックのである。學の會的機能を考へる
と同時に自己における主體的眞實性を求めるといふことがレトリックのであらう。論理學的
思考において嚴密であることはむしろ容易であり、レトリック的思考において嚴密であることは
極めて困である。孤獨な思考は眞實であり得ても、レトリック的思考には僞が混入し易いも
ので あ る 。
現實的な言葉は、アリストテレスがいつたやうに、話す人、それについて話される物、聽く人
といふ三つの素を含んでゐる。これに應じてレトリック的證明も體的には三つの素から
一四五
り立つと考へることができる。それは上にべた話し手のエートスによる證明、聽き手のパトス
レトリックの
一四六
による證明、そして話される物についての客觀的證明である。初めの二つは廣い意味ではパトス
における證明と見られることができ、これに反して最後のものはロゴスによる證明である。從つ
てレトリック的思考も完であるためには論理學的思考の素を缺くことができない。對象的な
もの、客觀的なものの思考は論理學的でなければならぬ。かやうな論理學的思考の生物を普
いはれるやうに思想と呼ぶならば、思想は學にとつて何等不必なものではなく、むしろその
やうな思想の乏しさが我が國の從來の學における缺點であつた。そのために日本の學には局
部的な直觀の深さや思考の細かさはあるにしても、西歐の學に見られるやうな綜合、、外
に缺けてゐた。我が國の作家は思想に對して餘りに甚だしい輕、反感を懷いてゐるのがつね
であつた。この點においていはゆるプロレタリア學がイデオロギーの重性を力したことに
は意義があつたといはねばならぬ。つぎつぎに現はれる印象を何等の思考も加へないで綴り合は
せることがリアリズムではない。個々の印象を括し、統一し、普化し、かくして偶然的なも
のを除き、本質的なもの、必然的なものを引き出して來ることによつて、現象を展望する客觀性
は得られる。藝は象性をもたねばならぬからといつて、現象を無差別に描かねばならぬので
なく、却つてそれを整理し、その間の聯關を識し、統一して再現しなければならない。そこに
論理學的に思考することが必であらう。しかしながらその場合、論理學的な思考はただそれだ
け獨立に行するのでなく、つねにレトリック的思考と結び附き、むしろこのものの一素、一
側面でなければならぬ。思想はこのやうにして生きた思想となり、それ自身が或る直觀性を得て
くる。作家がイデオロギーを取り入れること、經濟思想、會思想、哲學思想等を勉すること
は必であり、我が國の作家にはもつと勸められてよいことである。それらの理論は何よりも客
觀の整理に役立つであらう。けれども學が何かそのやうな理論の應用といふ如きものであり得
ないことは明かである。イデオロギーは作家においてレトリック的に思考され直さなければなら
ぬ。これは單に理論を個別化し、特殊化するといふのとは別のことである。イデオロギーは自己
のパトスにおいて確かめられ、性格化され、的に必然化されなければならない。さうすること
一四七
によつてイデオロギーは作家の眼を養ふことができ、眞の思想とも眞のイデオロギーともなり得
るの で あ る 。
レトリックの
詩歌の考察
一
一四八
詩と散との相についてアランはのやうにべてゐる。「散は詩ではない、といふ意味
は、律動に乏しく、心像に乏しく、勢に乏しい散が、何か劣つたものだといふのではなく、た
だそれが詩に屬すべきものを然もたず、また詩に固有なるあらゆる素を否定し、排除するこ
とによつて自己を確立すると、いひたいのである。詩は時間の法則に從ふ、だからそれはまれ
るよりも、むしろ聞かれねばならない。詩にあつては、諧があらかじめな形式を決定し、
語がそこへ來たつて位置を占める。もろもろの語と律動との間の應和、不應和、そして究極にお
ける應和が諧を確保して、注意力をそこへ惹きつける。後りのない動きが、聽くを詩人ぐ
るみび去るのだ。眞の散はくこれに反し眼で讀まれなければならない。そして諧から解
放されるのみならず、諧を排除する。この點において散は同時に詩と雄辯とに對立する。」
詩 は、 演 が さ う で あ る や う に 、 も と 、 耳 で 聞 か る べ き も の で あ る 。 と こ ろ が 散 は 、 本 來 、
印 刷 さ れ て、 眼 で 讀 ま れ る 筈 の も の で あ る。 こ の 相 は 決 し て 些 細 な こ と で は な い。 散 に お
い て は 演 口 は 却 け ら れ ね ば な ら な い も の で あ つ て、 少 し で も 句 の 子 づ く の が 見 越 さ れ る
と、 讀 は す ぐ 不 快 を 感 じ 始 め る。 そ し て も し 語 が 一 つ の 子 を 充 た す た め に ば れ て ゐ る や
う に 思 は れ る こ と が あ れ ば、 そ れ は 我 慢 の な ら ぬ 惡 趣 味 で あ る。 散 藝 は か か る 誘 引 に 抵 抗
す る。 そ こ で は 語 尾 は え ず 耳 を 欺 か ね ば な ら な い。 注 意 力 が 時 間 に 惹 か れ る こ と な く、 い つ
で も 自 由 に 停 止 し、 ま た 歩 み す こ と が で き る や う に、 え 間 な く 子 が 破 ら れ る こ と を、 句
の 衡 が 求 す る の で あ る。 散 の 目 標 は 印 刷 に あ る。 散 の 大 築 家 バ ル ザ ッ ク が つ ね に 校
正 刷 に よ つ て 作 品 に 手 を 加 へ、 一 校 ご と に 語 や 句、 時 に は 長 い 記 ま で を 附 加 し て 印 刷 屋 を 泣
か せ た と い ふ、 あ の 有 名 な 話 は、 散 の 原 理 に と つ て 偶 然 な こ と で は な い。 詩 は す べ て 人 々 を
誘 つ て 一 に び 去 る。 し か る に 散 は 誘 引 せ ず、 反 對 に 引 留 め、 ま た れ る。 詩 や 雄 辯 は
時 間 の 法 則 に 從 ひ、 そ れ 故 に 繼 起 の 秩 序 は 雄 辯 に お い て、 殊 に 詩 に お い て 形 式 上 の 一 法 則 と し
て 確 さ れ て ゐ る。 散 は 語 ら れ る 言 葉 を 支 配 す る こ の 繼 起 の 秩 序 に 打 ち 克 た ね ば な ら ぬ。 か
一四九
や う に し て、 詩 と 雄 辯 と は 藝 の う ち む し ろ 樂 に 似 し、 散 は む し ろ 築、 刻、 繪 畫
詩歌の考察
に似する、とアランはべてゐる。
一五〇
かくの如きアランの見解は、代に至つて大なる發をげた散を詩に對して特色づけるこ
とにおいてまことにいものがあるが、そこにまた詩歌の藝的特性の理解にとつて若干の手が
かりが與へられてゐる。散は、元來聲に出さずに眼で讀むものであるとせられる。散の發
は代における印刷の發と大きな關係があらう。印刷された散の一頁は體として映ず
る。訓された眼はそこにもろもろの集團、中心、また附屬物を析して捉へる。そして觀念が
現はれ、すぐに限定される。散の祕密の一つは、語の結合と觀念の細心な吟味との間の思ひま
うけぬ一致、ただそれによつてのみ喜ばすことにある、とアランはいふ。美しい散にはもとよ
りい筆致とか、表現のうまさとか、思ひがけない驚きとかが含まれるわけであるが、そこには
これらをそのやうなものとして示すものがつねに觀念である、といふ條件が存在する。それだか
ら散の美の祕密はあたかもそれを捜すときに現はれて來る。從つて散は引き留め、れし
て、讀を章の間に停止させ、往復させるやうに、えず子を破ることをしなければならな
い。しかるに詩は後りのない動によつて聽くを誘ひ、引きれてゆく。そしていはばひと
をまづ喜ばせておいて、その喜びをじて觀念にくのである。時間の法則に從ふ詩においては
リズムが大切な素であつて、詩はリズムによつてまづひとを喜ばせる。詩の美しさは何よりも
言葉のリズムのうちにある。從つてそれは、よし面的にせよ發聲して讀むのでなければ理解さ
れぬ も の で あ る 。
リズムはそれ自身によつて多數の人間を一に動かすことができる、散の美しさが、あたか
もひとつの刻に對してのやうに、つねに各人の立つ各種の立場から理解されるのと異つてゐ
る。詩はとアクセントの規則によつて我々を共々にび去る。けれども詩の眞の美しさは、た
だリズムのうちにのみあるのではない。反對に、單に形式的にリズムを作り上げるために語を附
け加へたり、置き換へたりしたものほど醜いものはないであらう。それは丁度子に合せるため
にいだり、よろめいたり、のたくつたりする舞踏家の場合に似てゐる。詩の眞の美しさはその
リズムとその意味もしくはイデーとの和にある。そこでまたに、言葉のリズムを詩の意味も
しくはイデーに曲げて從はせようとすることも惡しき詩人のことである。これは特に詩を誦する
の忘れがちのことである。リズムの法則を犧牲にしてただ意味を模倣しようとするやうなリズ
ムは美しいとはいはれない。イデーだけでは詩は出來ぬ。或るときドガはマラルメに向つてソン
一五一
ネットに功することの困を訴へ、「ところが私はこんなに澤山のイデーをもつてゐるのに。」
詩歌の考察
一五二
と書き添へた。それに對してマラルメは、「だがドガ君、ひとが詩を作るのはイデーをもつてで
はない、語をもつてなのである。」と答へてゐる。もちろん語だけでも詩は出來ない。ひとが詩
を作るのは語とイデーとをもつてである。リズムが意味に讓つてもならず、意味がリズムに讓つ
てもならぬ、リズムと意味との不思議な和のうちに詩の眞の美しさがある。
詩は言葉による藝である。ところですべての言葉は或る意味を、觀念を、思想を表現する。
言葉による藝である詩の世界はイデーの世界である。「私の無限の國は思想である、そして私
のあるは言葉である」(シラー)。詩における思想といはれるものはもとより念的な、
抽象的な思想のことであり得ない。言葉は思想の傳官にぎぬが如きものでなく、却つて思
想の形官そのものである。言葉に表現されることによつて思想も思想として形される。思
想は言葉と一に生れる。言葉の、そして思想の本性は、「よろめく現象の中に漂ふものを永
する思想でぎとめる」といふことである。フンボルトは書いてゐる、「思想が、電光や衝に
似て、表象力を一點に集め、あらゆる同時的なものを除外するやうに、聲は截斷されたさ
と統一とにおいてきわたる。思想が心を捉へるやうに、聲は特にり入る、すべての
經を搖り動かす力をもつてゐる。このやうに聲をあらゆる他の感覺的印象から區別するところ
のものは、明かに、耳がひとつの動の、聲からいて來るにあつてはひとつの現實的な活動
の印象を受け、そしてこの活動がこの場合生命あるものの部から出て來るといふことにもとづ
いてゐる。」ギリシア人が同じロゴスといふ語で表はした思想と言葉との根本的な作用は、統一
し、そして限定し、或る意味ではまた固定するといふことである。イデーとは限定されたもの、
また限定するもののことである。そして聲は、それが人間の部から發する生命的な動の印
象を與へるといふことで、他の感覺的印象から區別される。
ここに我々は哲學的な美學が、詩を樂と刻との統一として考へた意味を理解することが
できる。形美において我々は、間的形式において、動かぬ作品において、「存在」の美
をもち、樂が我々に、時間の流における、それ自身生じつつありき止みつつある律動におけ
る多樣なるものの統一によつて、「生」及び發展の美を示すとすれば、詩は持的なものと生
的なものとを結合し、かくて刻と樂との統一となる、もとよりそれは外的な作品において
でなく、却つて表象の、想像力の領域においてである。藝心理學のアンリ・ドラクロアの
ごときも、詩はちやうど刻と樂との間にある、とべてゐる。多くの詩は刻と樂との間
一五三
を動き、種々なる緊張の程度を示してゐる、或るものはより流動的であり、或るものはより固定
詩歌の考察
一五四
的である。けれどもあまりに樂的なもしくはあまりに刻的な詩は、詩として十な高さにな
く、詩の目標は樂的と刻的との統一にあるといはれ得るであらう。離していふと、詩の
樂性はそのリズムにある、そして詩の刻性はその意味的、思想的乃至イデー的の限定性、統一
性、固定性、持性にある。しかし問題は、如何にしてそのやうな二素が面的に統一され得
るか、といふことである。詩の刻性といふことはもとより、詩の樂性といふことにしても、
詩歌といはれ
或る程度まで比喩的意味のものであらう。我々はこのやうな問題を特に抒詩 ——
の場合について考へてみなければならぬ。
るものは抒詩に屬する ——
二
詩と樂との似はしばしば指摘されるところである。そのとき詩について特にされるも
のがその言葉のリズムであることはいふを俟たない。リズムはなかんづく人間の身體的動と結
び附いてゐる。長く繼する勞働において繰りされる動は、休止と努力との替のリズムに
從つて規則的に行はれる。とりわけ多人數の共同動作は、努力の後に休止の時間を、劇しい時間
に 先 だ つ 豫 的 な、 或 ひ は か な 時 間 を つ ね に 含 む 、 歌 に つ れ て の リ ズ ム を 求 す る や う で あ
る。多勢で綱をひく場合を見るがよい。また鍛冶屋はその作業においてこれと同じ種の規則に
從ひ、同じ法則に從つて時間をつてゐる。かくして樂のは生れた、とアランはいつてゐ
る。アランもめたこのやうな見方は、すでにカール・ビュッヘルによつてんで、且つ體系
化されて展開されてゐる。彼は『勞働とリズム』といふ名な書物のなかで、詩の起原も同樣に
勞働のうちに求めねばならぬ、といふをべた。彼は自然民族についての廣汎な究によつ
て、身體の動と樂と詩とが最も密接に相互的に結合してゐたことを示した。それらは元來如
何にして結び附いたのであるか。これらの三つの素は以、我々の今日の化的世界において
の如く、すでにそれぞれ獨立に存在し、ただここでは偶然的に互に結合されてゐたのであらう
か。それとも、三はすべて一に生ひ立ち、ただ後に至つて徐々の化程をじて互に別れ
たのであらうか。さうだとすれば、それら三つの素のうちいづれが、その原始的な結合におい
て核心を形してゐたのであるか。人々がめるやうに、詩と樂とは端においてはつねに決
して離されずに現はれてゐる。詩はここでは歌謠のことであつて、句ととが互に同時に生
れる。そして歌謠にとつて本質的なものは自然民族にはそのリズムであるが、リズムはそもそも
一五五
どこから生じたのであるか。ビュッヘルの見解によると、どのやうな言語もそれ自身でその語や
詩歌の考察
一五六
章をリズム的に組立てるものでない。單なる言語觀察のにおいて、人間が語やシラブルをの
量や度に從つて測り、數へ、抑揚を一定の間隔に秩序づけること、簡單にいふと、言葉を一定
のリズムの法則に從つて組立てることにしたといふのは、甚だまことらしからぬことである。
そこで、詩の言葉がもとリズムを自自身からもつことができないものとすれば、それは外部か
らもたらされたものでなければならず、ちリズム的に制された身體的動が、言葉にそれの
リズム的程の法則を與へたのである。このやうに考へることは、自然民族においてそのやうな
動が歌謠と規則的に結び附いてゐるといふことによつて確かめられる。身體的動の中でも、
舞踏や動戲においてはリズムは固定的なもの、自然必然的なものを示さないけれども、勞働
においてはリズムは技的にも求されてをり、その動はリズムの法則を自のうちに含んで
ゐる。尤も今日勞働といへば、その外部に横たはる經濟的な目的を求する身體的動をいふ
が、自然民族の場合にあつては、それは他の種の動、自己目的であるやうな動とも合致し
てゐた。その發展の原始的な段階において勞働と樂と詩とが一つに融合してゐるとき、かかる
三位一體の根本素は勞働である、とビュッヘルは考へた。それらを結合するものはリズムとい
ふ共な特である。
このやうに詩の起原を勞働のうちに求める見解は、藝の始原を人間の戲本能から明する
に對して、興味深く、また意味深きものであらう。我々はこの勞働の念をいま少し廣く考へ
て人間の現實的生活と解してよい。ビュッヘルにとつても勞働は、今日普にいふやうな狹い意
味のものでなかつた。さうするとき、詩のリズムはたしかに現實の生活のリズムによつて規定さ
れるところがある。人間の生活のリズム乃至テンポは、あらゆる場合、またあらゆる時において
同一であるのでない。會人の歩行は田舍に比していやうに、會人はよりく、田舍は
よりかに話す。現實の生活のテンポは時代によつても異る。ひとは時代のテンポといふ。そし
て現代はテンポのい時代である。この時代の特は、度といふことによつて現はされる。
この度についてストロウスキーは『現代人』といふ書物の中で面白い觀察をしてゐる。度は
我々にとつて世界の相貌をく新たにした。それは、他の藝にしく影しつつあるやう
に、詩に對しても影せずにはおかない。抒詩は外界のリズムに從ふのでなく、感のリズム
を表現するものであるといつても、そのやうな感のリズムそのものも現實の生活のリズム、時
一五七
代のテンポの影を受けずにはゐないであらう。一般的に見て、古代から代になるにつれて詩
歌のリズムもになつたやうである。
詩歌の考察
一五八
ただ言葉は傳統的なものである。我々は我々の民族のにおいて生され傳承された言葉の
中にみ落される。「詩人の職業は心のリズミカルな動を傳統によつて規則づけられたリズム
のうちに表現することに存する。」詩人は彼のに、その價値を時の流において確かめられ、か
かる價値のために生きながらへてゐる一定の形式をもつてゐる。短歌における定型の如きものは
そのやうに見られる。けれども、定型律はその價値を長い間のによつて證明されてゐるとは
いへ、ただそれを模倣するだけで詩歌の價値が生ずるわけでないことは、もちろんである。詩人
は傳統によつてあらかじめ定められた言葉の形式に彼の思想や感を和させようと考へる。か
くすることが必ずしも無意味であるのではない。さうすることによつて我々の渾沌曖昧な思想や
感が秩序と統一を得るといふこともあらう。傳統には傳統の嚴しさ、深さがある。我が國にお
いては詩歌は特に作の「心境」を現はすものといはれてゐる。心境とは何をいふのであらうか。
私は心境といふものはいはゆる「心の技」(ゼーレンテクニク)と密接な關係があると考へる。
由來東洋においては倫理の問題が主として心の技、言ひ換へると修行とか修養とかの問題とし
て捉へられた。心境とはこのやうな心の技によつてせられるものである。短歌は心境の學
として、とりわけ東洋的な世界觀、倫理觀と關係を有するであらう。歌人は心の技或ひは心の
鍛によつて或る一定の心境に至らうと努力する。さうすることは自己の心の動きを言葉の傳統
的な形式に和させようと努力することである。しかるにそのことはしばしば自己の生活を現實
の會から游離させることによつて可能にされるやうな場合がある。素樸な感受性と直接的な感
動は失はれてしまふ。そのやうなことを欲しないために、むしろ傳統によつて規則づけられた定
型律を棄てて自由に自己の感動のリズムのままに歌はうとするが出て來る。その根柢には倫理
の變化があらう。種々なる自由詩が現はれる。自由詩とは、グルモンの定義によると、感動的イ
デーのモデルに從つて描かれ、もはや子の固定則によつて決定されたのではない樂的フラグ
メントである。新しい言葉が作られる。言葉は傳統であるのみでなくまた創である。フンボル
トのいつたやうに、言葉はエルゴンではなくてエネルゲイアである。それは出來上つてしまつた
ものでなく、えず生しつつあるものである。けれども自由詩の場合にしても完な自由とい
ふものはあり得ない筈である。なぜなら、最も自由な詩歌の美も、より妙な、しかしつねに嚴
密な數學に依存せねばならず、またその子と思想との正確な和が必であると考へられるか
らで あ る 。
一五九
それのみでなく、言葉は聲として或る物質的なものである。律は人間の發聲官の、
詩歌の考察
一六〇
呼吸、心臓の搏動等にもとづき、一定の限度を越えてめ、またかにすることができない。詩
は言葉の聲學的を無することができぬ。聲には言語學が示すやうな聲法則といふ
ものがある。しかしながらまた言葉は人間の生物として單に感性的なものでなく同時に的
なものである。言葉の生にあたつての活動はその形式を言葉に與へ、かやうにしてすべて
の言葉はフンボルトのいふ如き「面的言語形式」を含んでゐる。言葉は單に聲形式を有する
のみでない。それ故に、言葉の完を形作るものは、聲形式と面的言語形式との結合でなけ
ればならぬ。かくの如き完の最高點は、この結合がつねに言語生的なの同時的作用にお
いて行はれ、眞の、純粹な滲になるといふことであらう。この意味で言葉の生はひとつの綜
合的なはたらきであつて、しかも結合されたいづれの部もそれだけでは含んでゐない或るもの
を作り出すといふ、綜合の最も純粹な意味においてさうである。この目的は聲形式と面的言
語形式との體のがしつかりとそして同時に融合した場合にせられる。そのとき二つの
素は完に合し合ひ、一方が他方を踏み越えることがない。詩はかくの如き完を目ざしてゐ
るであらう。詩は言語の完であり、言葉の純粹なるものである。あらゆる言語藝がそれを
目標としなければならぬといふのであれば、詩は少くともそれの原型であるといはれ得るであら
う。また言葉が一般に面的言語形式であるとすれば、詩はコーヘンのいふやうに「第二の面
的言語形式」である。その言葉は日常の言葉の念性或ひは實用性から解放されてゐる。詩が純
粹な言語であるといふことは、一面的に理解されて、詩がひたすらにリズムの法則に從はねばな
らぬといふことではあり得ない。リズム的なくぎりはそれ自身で表現的なのではない。リズムは
イデーがそれに應ずるとき表現的となるのであつて、言葉の技家があたかもそれ自身で表現的
であるかの如く見えるやうに巧みに作つたくぎりも、それに或る意味が聯想されるのでなければ
表現的であることができぬ。
三
「詩はそこではイデーが感になつた樂である、」といはれる。このイデーを思想といふ意
味に解するならば、たしかに詩においては思想は感によつて活かされ、思想は感にまでなら
ねばならぬ。けれども、より重なことは、イデーが感から生れるといふことであり、深い思
想はすべてそのやうなものである。思想が創されるといふ場合、かやうな創の根源は感で
一六一
ある。詩歌のイデーは、本來、感から生れたものでなければならぬ。詩歌は心の感動から發す
詩歌の考察
一六二
る。「何故に私は書くのであるか。 ——
私が心臓のうちにもつもの、このものが外に出なければ
ならぬ、そしてそのために私は書くのである。」といふベートーヴェンの言葉は、やがて詩人や
歌人の心を表はすであらう。詩歌の根源は思想にあるのでなく、却つてパトスのうちにある。そ
のイデーは感がそれに先だち、感がそれの原因であるやうな思想でなければならず、それの
感は表象の結果であるやうな感であつてはならぬ。パトスとは主體的なものの意識である。
主體的なものはあたかも主體的なものとして眞に動的なもの、活動的なものである。從つてパト
スは面的な動のリズムをもつてゐる。詩歌のリズムは本質的にパトスの動に依存する。か
くの如き面的なリズムによつて活かされてゐない詩歌はすべてなものであらう。詩歌が時
間の法則に從ふといふ場合、その時間は本質的に面的な時間でなければならぬ。しかしながら
心の感動はいまだ詩歌ではなく、そこには言葉による表現がはなければならぬ。言葉はロゴス
であり、上にべたやうにイデー的性質をそれ自身においてへてゐる。言葉と思考とはその本
性上どこまでも離すことのできないものである。詩歌が言葉による藝である以上、それから思
考的素をく除き去らうといふことは無駄な企てであるにぎない。感の言葉にしても思考
的素をもつてゐる。思考には直觀的な思考もある。思考對象と考へられるイデーはもと「見ら
れたもの」を意味した。しかしながらロゴスのはたらきは根源的には見るといふことであらう
か。これまでの哲學はロゴスの直觀的な作用を「見る」といふ風に規定して來たが、我々の見解
によると、そこにそれのひとつの根本的な限界がある。もしもロゴスの作用が見ることであると
したならば、詩歌といふものはあり得ないことになる。しかるにロゴスはもともと「語る」とい
ふことを意味し、從つてまた「聽く」といふ作用でなければならぬ。ロゴスが根源的に聽くもの
はパトスの聲である。いな、パトスはそれ自身聲であるものではなからう、パトスを聲あらしめ
るものはむしろロゴスである。人間のロゴスは自自身から語り出るのでなく、却つてパトスの
聲を聽くことによつて語るのである。そこに詩歌の生がある。
かやうにして我々は詩歌の本質を最も深い意味における「白」として規定することができ
る。ゲーテは彼の自敍傳たる『詩と眞實』の中で、彼の詩は一種の一般的な懺であるとべた。
詩歌においてひとは誰に向つて白するのであらうか。その讀に向つてであるか。ひとは他に
向つて、に向つてさへ、白する場合、眞實さや素樸さを失ひ易いものである。もし詩歌が他
の誰かに向つての白であるならば、詩歌にとつて本質的な眞實性や素樸性は如何に失はれ易い
一六三
ものであらう。しかし詩歌においてひとは自己自身に向つてさへ白するのではない。おのづか
詩歌の考察
一六四
ら歌ひ出でたる詩歌も詩歌としてすでに白である。詩歌においてパトスはロゴスに向つて白
するのである。ロゴスはパトスの聲を聽くことによつて語る、そこに最も深い意味での白があ
る。ひとは他に向つて白することをしない。美しい詩歌はそれ自身で足りる、それはただち
に反を見出すであらう。リズムの力がそこにあるからである。かくの如き詩歌がいはゆる白
學の如きものでないことはいふまでもなからう。
抒詩が他の種の詩に對する特性は、それが個人中心のものであるところに存するといはれ
てゐる。民謠や敍事詩などはその起原において集團的もしくは民族的のものであつた。しかるに
抒詩の發生は個人の自覺と一致する。抒詩は個性的な、人格的な詩である。けれども、その
ことは詩歌がいはゆる個人主義的な學であるといふが如きことを意味するのではない。例へ
ば、小家が自己を探求する場合、彼は必ずしも「自己」を目的としてそれに關心してゐるので
なく、却つて自己を探求するといふによるのでなければ人間の眞に「主體的なもの」を捉へる
ことができないためである。主體的なものは決して單に個人的なものでない。しかし人間の主體
的なものを捉へようとすれば、我々は自己を探求するといふによることをいはば方法論的に
求される、自己の探求といふことは方法論的意味のものである。このにおいて到されるもの
は單なる「自己」ではない。あたかもそのやうに、詩歌が自己をずる場合、そこに現はれるも
のは單に個人的なものでない。しかし主體的なものはただ個性的なもの、人格的なものの意識に
おいて深まることによつて、その底において顯はになる。己をずる詩歌において、パトスが純
粹であればあるほど、顯はになるのは人間の主體的なものである。このものはもはや單に「人間
性」とさへもいふことのできぬものであらう。
詩歌が感に發するものであるにしても、我々はまた他方において言葉が物質的なものである
ことを忘れてはならない。かかる物質的なものとして言葉は、詩歌にとつて手段といふ意味を離
れるものでない。言葉の外的なリズムが詩歌にとつて目的であるのでなく、それは心の感動を表
現するための手段である。詩人や歌人はこの物質的なものを支配し、驅し得るために一定のテ
クニックを得しなければならぬ。他の藝においてと同じやうに、詩歌にとつてもテクニック
は大切である。ホイッスラーはいつてゐる、「一枚の繪は、結果を得るために用された手段の
あらゆる痕跡がえ失せたときに完される。」言葉の外面的なリズムが心の感動の面的なリ
ズムと應和し統一されてその外面性を失つたとき詩歌は完される。その意味のつながりもしく
一六五
はリズムと言葉のつながりもしくはリズムとが一致したとき詩歌は完される。そして意味がリ
詩歌の考察
一六六
ズムをもつてゐるやうに考へられるのは、その意味が念的意味ではなくて、感に活かされた
ものであるからである。
ところでパトスの重な作用の一つはいはゆる結晶化の作用である。結晶作用と組織作用とは
自然界に行はれる二つの大きな作用であるが、我々はそれを人間の心のうちにもめることがで
きる。そしてロゴスの作用の本質的なものが、普いはれてゐるやうに、その容を組織化する
ことにあるとすれば、パトスの作用の根本的なものはその容を結晶化することである。スタン
ダールは愛のパトスについてこのやうな結晶作用を見出した。そして、私が結晶作用と呼ぶの
は、そこに現はれてゐるすべてのものから、愛するものの何でも新しい完性を發見して來る心
のはたらきである、と書いてゐる。かやうに結晶化することはその容をイデー化することを意
味するであらう、イデーとは、その優越な意味において、そのやうな完性にほかならないか
ら。このやうなイデーが論理的イデーと異ることはいふまでもない。抒詩、從つてまた詩歌の
本質は、そこにはかくの如き感の容についての結晶作用があるといふことに存する。言葉の
組み立てをじて現はれるものはかやうな結晶作用である。言葉はその性質によつてこの結晶作
用を助けるばかりでなく、むしろ言葉そのものによつて初めてこの結晶作用は完され得るであ
らう。そしてかかる結晶作用こそ詩歌の刻性の本來的なもの、或ひはそれの本源である。この
點において抒詩は他の言語藝、詩の他の種に對しても特殊性をもつてゐる。他のものが或
ひは築的、或ひは繪畫的性質をすぐれて有するとき、抒詩は刻的性質をすぐれて有するも
のである。しかるにかやうな結晶作用が純粹に行はれるためには、一定の心的態が必であら
う。プレモンはポール・ヴァレリイとの對話の中で記してゐる、「感受性であれ、想像力であれ、
或ひは知性であれ、詩人がそれにあまりひぎ、我々の能力のいづれか一つにあまり多くの喜
びを與へるや否や、彼は我々において詩的な優美の態に必な靜けさを亂す。かやうにして彼
等のあまりにも多數が、彼等の偉大なですら、我々を散にし、我々を散のうちに閉ぢ
める、或るは我々を動搖させるために、他のは繪畫的なものによつて我々の趣味を興ぜさせ
るために、また他のは我々のの好奇心を喚び起すために。」我々の心的能力が和した
態において結晶作用は純粹に行はれ易いであらう。しかし我々の心においてもろもろの體驗はす
べて感の床の中にある。感はもろもろの體驗をんで、それに體性のを與へる。體
一六七
驗の和を支へるものもまた感である。かかる和が決して單なる靜であり得ないことはいふ
まで も な か ら う 。
詩歌の考察
章の讀
一六八
われわれの學校時代には國語の時間に讀を課せられるのがつねであつた。子供のある家の
をると、そこの子供の讀の聲が垣根から漏れて來ることが珍しくなかつた。このごろでは散
歩に出てもラヂオのが聞えて來ることのみ多くなつて、讀本の讀の聲はあまり耳に入らなく
なつたが、學校で讀が課せられるのは、今も昔と變らないやうである。
漢はことにさうであつた。章のうまみは讀しなければわからないといふ風に考へられて
ゐた。私が第一高等學校にはいつた時、漢の先生は鹽谷山先生であつたが、先生は生徒に
讀させてその常點を附けられた。先生御自身たいへん讀が好きでまた得意でもあつたので、
生徒が心得て、先へむことがなばあひ先生に讀をお願ひし、折々失禮な話だがアンコール
を叫んで、幾度も繰しておなじ章を讀していただいたものである。
子供に讀をけるといふことは、その發聲官を整し、その發を正しくする上に有意義
なことであらう。それはまた演や講義やの子を覺えるためにも役立ち得るに相ない。
ドイツ人はとりわけ讀が好きで讀の技巧の得を養の一つと考へてゐるらしいが、私の留
學中或る牧師の家に寄寓した時、主人は同じ職業に準備しようといふその子供に日詩の讀を
させて、私などもしばしばその聽き手として呼び出されたことがある。大人にとつても讀は最
も手輕に出來る藝的享樂のひとつとなり得るであらう。ラヂオを聽くひまがあれば、自で
讀するがよい。眼で讀むことが第に多くなつたわれわれは、時々讀の樂しみを想ひ起さねば
なら ぬ 。
讀にするのは何よりも詩であり、もしくは詩の素の、あるひは雄辯の素の多い章で
ある。現在のことはあまり知らないが、われわれのつた讀本の章はたいてい讀にする、
從つて口の好い章であつたやうに思ふ。科書の章は名とされてをり、學校の作の時
間にも努めてそんな子の章を書くやうにしたものだ。ところがさういふ章が現代の散の
模範であり得るかどうかが問題である。
アランの藝論集の中の散論を見ると、アランは散を詩および雄辯に對立させ、眞の散
はこれらのものに固有なあらゆる素を否定し、排除することによつて確立されると書いてゐ
一六九
る。詩や雄辯がもと耳で聞かれるものであるに反し、散は本來聲を出さないで眼で讀まるべき
章の讀
一七〇
ものである。章の中に演口、口、あるひは講義口の出るのは散がまだ若く、十
純粹になり切つてゐない證據である。それだから立な散は讀によつて確かめられ得る、
すなはち讀み手の技巧は何一つそこに附加することができない、彼はおのづと停頓し、また讀み
はじめ、もとへる。かくの如くアランが云ふりであれば、立な散はもと讀にしない
ものであるはずである。そこでもし散のうまさ、面白さをへ、味ははせようといふのである
ならば、學校における章の讀についてもいろいろ考へ直してみるべき問題が存することにな
る。散藝は代的なものであり、その發はわれわれの默讀の慣とも關係があらう。
いつたい漢口とか語體とかいはれる章は讀にしたものである。章が上手になる
には漢をしつかりやらねばならぬといはれて來たが、それも今ではどれほど正しいか。尤も他
方においては、そのやうな詩的乃至雄辯的素の多い章をふことは、ちやうどデッサンを
ふやうなものだとも考へられ得る。詩はあらゆる學の基礎であるともいはれよう。しかし換骨
奪胎といふことがぜひ必である。プロフェッサーの章にその職業的慣から演口、講義
口が出たものの多いのは散としてどうであらうか。この點でわれわれの先生では深田康算
士の體のごとき敬すべく、學ぶべきところが多いのではないかと思ふ。
技のと學のリアリズム
代自然主義學のリアリズムの標語は、學において自然科學の如く忠實な觀察である
といふことであつた。然し、藝家の目的は單に知ることでなく、却つて作ることであるとすれ
ば、この點において藝家は自然科學よりもろ技家に比さるべきものであらう。技の
と學のとは如何に似し、また如何に相するであらうか。これについての考察は、
學のリアリズムの問題に對して或る洞見を與へ得るであらう。
技のと云へば、普に、その合理性のことが考へられてゐる。技は先づ自然法則的合
理性を有する。それは無制約的に自然法則に依存し、少しでもこの秩序からそれた場合には自然
は破壞をもつて復讐する。技の合理性はに目的論的合理性である。そこでは體と部とが
密接な相互關係に立ち、その隅々に至るまでし盡され、的必然性によつて貫かれてゐる。
巧な機械を始め凡ての完な技的形態が我々に美を感ぜしめるのはそのためである。技の
一七一
有する合理性はに經濟的合理性である。その理想はあらゆる無駄を省いて、最小の費をもつ
技のと學のリアリズム
一七二
て最大の效果を擧げるといふことにある。經濟的合理性を有しない機械は、そのことによつて技
的合理性に缺けてゐると考へられる。
このやうに技のが合理性にあるといふことは確かである。然しながら、技に關する考
察が從來多く技のこの方面をのみ力して來たとすれば、我々はんでそのやうな合理性、も
しくは「技的知性」の根源にまで溯らなければならない。そのためには我々は、工場において
繰されてゐる技の觀察にとどまらず、技が最初に或る新しい形態を作り出したにまで行
かねばならぬ。先づ、技が合理的であるといふことは、それがただ合理的なで作られるとい
ふことを意味しない。技のもまた大いなる直觀のであるであらう。技の中心は「發
明」である。このことは我々の注意を、工場において繰されてゐる技の程から、それの根
源へ向けるならば、容易に理解される。技のうちいと小さきものも、もと發明であつた。然る
に自然法則から合理的に推理し得、歸結し得ることは發明とは云はれない。その限り技は自然
科學の單純な應用といふが如きものではない。技はもとよりつねに自然法則の行であるけれ
ども、唯それだけではない。なぜなら自然はそのままにしておかれても自己の法則を行しは
するが、囘轉する車輪の如きものを生ぜしめはしないであらう。技の存在には人間の意慾が加
はらなければならぬ。技家は自然法則と彼の意慾との綜合を求める。この殆ど凡ての場合極め
て困な、辛苦をする仕事の中から出て來るものは、つねに意想外のもの、ひとを驚かすやう
なものであり、それは發明だといふことを知らしめる。自然法則は「發明」されはしない、それ
は「發見」されるのである。ちはれてゐるのをのぞいて顯はにするのである。然るに技は
單に知ることでなく、作ることであり、その本質は發明であり、これまで存在しなかつた新しい
性質の獲得である。それは地上を豐富ならしめる。その基礎となつてゐるのは知の自然法則で
あるにしても、その發明はつねに意想外のもの、ひとを驚かすものをもつてゐる。技は發明と
してすでに或る創的性質をへてゐる。問題は先づ、かくの如き技における創の性質が如
何なるものであるかといふことである。
技は々その目的設定において創的である。それは人間がこれまで普にして來たことを
引受けて、その代りをするといふことに制限されることなく、々それを越えて創的な目的を
しようとし、またする。かやうな目的は日常の人間にとつては々「超人的」と感ぜられる
であらう。ち技は人間のデモーニッシュな意慾から生れる。それは決して單に我々の實際生
一七三
活の慾望の滿足の必からのみ生れるものでない。最初の技家プロメテウスの話は、技
技のと學のリアリズム
一七四
のかくの如きデモーニッシュな性格、そしてまたかかる性格に必然的な悲劇を象してゐる。技
はもとと結び付いてゐた。このことは單に技の端初の態を現はすのみでなく、技に
とつて或る本質的なものを現はすやうに見える。ソクラテスのあの知的技ですら、彼のデモー
ニッシュな性格を離れて考へられないであらう。
或る人々に從へば、人間が知性を有し、技を有し、それによつて(機械)を有するのは、
人間の生物學的優越にもとづくのでなく、却つてその生物學的無力によるものである。かかる見
方がどうあるにしても、技の發生は生の窮にもとづくと云へるであらう。この窮は、その
本質においては決して單にいはゆる外的生活の窮をのみ意味しない。發明における創的な意
慾は單に實際的慾望の滿足といふが如きことではない。この窮はろ人間の主體的實存におけ
る根源的な窮を意味してゐる。人間の創的な意慾、このデーモンは、まさに人間の主體的な
生の窮を現はすものである。
技におけるかかるデモーニッシュなものは、我々はそれを發明の根源、發明家の心理、その
悲劇に溯ることによつて知り得るのであつて、技及びその生物の一般的な存在形式のうちに
は現はれない。このことは第一に、技は繰されることにおいて意味があるといふことに關係
する。發明は一囘的でなく、工場において繰され得る技として、かく繰されるといふこと
そのことが意味を有するのである。そのことは第二に、技は或る創的な性質を有するにして
も、なほどこまでも「發明」であつて、本來の「創」ではないといふことに關係する。發明家
の意識は、私がそれを作つたといふことよりも、私がそれを見出したといふことである。私はそ
れを探した、そしてやつとそれに出つたといふことである。ち發明はなほどこまでも「發見」
といふ意味をもつてゐる。
藝も制作として技に似する。あらゆる技は知的なものである。「詩は知性の祭でな
ければならぬ」とヴァレリイは云つた。然し技はに云つたやうに科學的理論の單純な應用で
ない。藝家が科學を用ゐるにしても、それは單なる用といふが如きことでなく、そこには
發明家の場合におけると同樣の、ろそれ以上の苦心がなければならない。藝家の活動は發明
された技を繰す職人や職工よりも、却つて發明家の活動に比さるべきものである。固より
發明家も職工の一面をもたねばならぬやうに、藝家も職人の一面をもたなければならぬ。ただ
職工がにあるイデーに從つて制作を繰すに反して、發明家はそのイデーにおいて創的であ
一七五
る。に藝は發明以上の創であり、またその創は一囘的であるといふ點で、藝的意慾の
技のと學のリアリズム
デモーニッシュな性格は一顯はである。
一七六
技は生の窮から生れたと云はれる。しかもこの窮は、工學的技の場合にあつてすら、
單に外的窮のみでなく、却つて人間の主體的實存の窮を意味する。また窮はいはゆる窮乏
の感としてのみでなく、希求その他、種々なる感及び意慾として感ぜられるが、それらは凡
て根本的な窮の形態にぎない。技における創的な意慾は或るデモーニッシュなもので
ある。ただ工學的技は「發明」であつても本來の「創」でなく、その制作は客觀的生程
であるところから、そこでは技とかかるデモーニッシュなものとの關係は面的でないに反し
て、藝家の創作においてはこの關係は面的必然的である。
デーモンの協力なしには藝作品はないと云はれるとき、かかる創作家のデーモンも生の根本
的な窮の現はれであらう。藝の技はかくの如き窮から生れるものである。かかる窮か
ら生れた技にして初めて、眞に表現的であることができる。このやうな技は性格的であり、
また命的である。單にスタイルのみでなく、あらゆる技が藝家にとつては命的なもので
あらう。藝街において技が眞の技であるか否かを定めるのは、それが藝家の根本的な窮
から生れたものであるか否かといふことである。
科學的知識について問題になるのはその「眞理性」、ちそれが對象もしくは客體と一致して
ゐるか否かといふことである。それの「純粹性」の問題はそこには存しない。同じやうに工學的
技の場合にも、問題になるのはそれが功するか否かといふことであつて、ここでも純粹性の
問題は存しない。然るに藝の場合においては純粹性といふことが問題になる。僞作は技的に
は甚だ功してゐることがあるにしても、それは純粹でない、眞物でないといふ理由をもつて藝
的に價されない。藝における技は純粹でなければならぬ。それの純粹性は、それが藝
家の根本的な窮から生れたか否かによつて定められるであらう。ひとが話すやうに話す、ひと
がするやうにする、すべてコンヴェンショナルなモラルに從ふことは生活の技としては功す
るものであらう。然しそのやうな「ひと」は純粹な、眞物の、本來的な人間とは考へられない。
藝家のモラルは純粹性にある。すべての技は固より功しなければならぬ。然し藝におい
てはそればかりでなく純粹でなければならぬ。藝において純粹であるといふことはの如く
なるといふことではない。はデモーニッシュでなく、制作の人間ではないであらう。
一七七
學のリアリズムは科學のリアリズムの如く、單に客觀と一致するといふことではあり得な
い。それはろ技のリアリズムに比さるべきものであらう。技を離れて藝のリアリズム
技のと學のリアリズム
一七八
は考へられず、このリアリズムを保證するものは技である。藝家にとつてリアリズムは單な
る物の見方にぎぬものでなく、却つて技である。然しここでは技は純粹性を離れては眞の
技でなく、かかる純粹性を除いて藝のリアリズムはないであらう。かくして我々は、學の
リアリズムは「身をもつて描く」といふことのほかない、といふ言葉の眞の意味を理解すること
ができる。身をもつて描くといふことは、その技が根源的な窮から生れるといふことであ
り、かやうな技が學のリアリズムを保證するのである。
創作と作家の體驗
この時代の我が國の學について、作家の生活の狹さ、體驗の淺さが、しばしばいはれてゐる。
もちろん、これは今日初めていはれることでなく、從來とてもいはれて來たことである。しかも
そのやうなことがいはれる場合、注意すべきことは、それがつねに現在の學に對する種々の
求に結びついて、その見地からいはれるといふことである。
かかる求の一、二を擧げてみると、それは先づ、我々の學がなかなか却し得ない私小
的或ひは心境學的傾向の超克に對する求に關聯していはれる。これまでの私小や心境學
を踏み越えるためには、作家が生活經驗を廣くし、人生及び會についての識を深める必が
あることは論ずるまでもないであらう。しかるに作家の生活の狹さ、また勉の淺さは、に、
學の好き意味における俗性に對する求に關聯して、我々の學について指摘されることが
できるであらう。いはゆる俗學もしくは大衆學のことは措いて、純粹學と俗性の問題
一七九
は、これまでにもときどき議論されたが、最ではまた横光利一氏の如き作家も俗性の求を
創作と作家の體驗
一八〇
みづから提出されてゐるのである。我が國の今日の純粹學にはよき意味における俗性が缺け
てをり、そこで學に對する一般會の關心もしぜん局限されてゐるが、その作品が俗性をも
つためには、作家がもつと廣い會の多種多樣な生活についての經驗と知識とをもたねばならぬ
ことは明かであらう。
それがどのやうな求に關聯して語られるにせよ、現に作家の生活の狹さ、また勉の淺さが
感ぜられることは確かである。手なことからいつても、今日の比的若い學の經驗と知識
とは、藝の範においても、多くはただ學のことにのみ限られて、これと關係して樂とか
演劇とか美とかを究して自を大きくして行くといふやうな態度はあまり見られないやうで
ある。尤も、かかることは、今日では、單に作家の場合のみでなく、學問の領域においてもめ
られることであつて、學の如きにしてもだんだん型が小さくなつてゐるのではないかと思はれ
る。
かやうな現象が化の領域において廣汎にめられる以上、そこには何か一般的な會的原
因が存するに相なく、それが如何なるものであるかを明瞭にすることが必である。然しここ
ではそのやうな一般論は拔きにして、學だけに限つていへば、私はその一つの原因をさしあた
り、我が國においては現在殆ど凡ての場合、學がいはば「學年」のをつて出て來る
といふところにめ得るやうに思ふ。學以外のことをしてゐたが中から作家になるといふ
ことは、外國においてはかなり見受けられるやうであり、日本においても明治時代の大作家
外や漱石などの例がある。然るに今日では、殆どすべての作家が最初から現存の壇を唯一の目
標として修業する。そのこと自體が惡いといふわけでは決してない。けれども壇部の事に
それは外部で想像されるよりも遙に多くまた遙に固いと
あまりにじ、そこに存する因襲 ——
いふことである ——
をあまりによく心得、それに子を合せてゆくことに努める結果、おのづか
ら生活も物の見方も制限されて來ることは決して少くないのである。
しかしながら今日特に作家の生活の狹さ、また勉の淺さが作品そのものにおいて感ぜられる
といふことには、一面的な理由がある。それは何より第一に、我が國の現在の眞面目な若い
作家の多くが最も苦しんでゐる問題であつて、思想と人間とのあひだの乖離と呼ぶことのできる
ものである。これはまことに切實な問題であつて、今日或る若い批家をして「思想と人間との
一八一
もつとも荒々しく渉する場に小典型を見出すことは現代小家の義務である」とまでいは
しめたところのものである。
創作と作家の體驗
一八二
學の思想性は以プロレタリア學において力く叫ばれたものであるが、この問題が今で
はいはゆる藝の部にも起つてゐる。このごろの能動の提唱にしてもこれと關聯してゐ
るであらう。作家はもはや思想なしには小が書けなくなつたといふ。しかるに今日思想そのも
のは作家にとつてありあまるといつてもよいほど與へられてゐる。しかもただ思想だけで小が
書けないことは學におけるイデオロギーをあんなにしたプロレタリア學の頓挫によつ
て、とりわけ藝の作家には、またいはゆる轉向作家にも、甚だ明かになつてゐる。
眞の學作品が作られるためには思想が人間化されなければならない。思想は如何にして人間
化され得るか。思想は固より人間の生物であるが、それがひとたび思想として形されてしま
ふと、あらゆる他の人間生物と同じく、辯證法の言葉を用ゐるならば「疎外」が行はれる。
ち思想は非人格的となる。このやうにして人間に對立する思想は、しかも我々がそれを客觀的眞
理とめざるを得ない場合、如何にして人間化(主體化)されることができるか。それを受け容
れ、それに從することは人間の自由、生命性、人間の「人間性」を束し、壓殺することにな
りはしないか。特にそれは作家の創作的活動、根源的な自由を豫想するこの活動を壓し、固定
化し、化させはしないか。作家はもはや思想なくして小を書くことができないのを感じてゐ
る。しかるに思想は思想としてつねに人間を「する」性質をへてゐる。人間は如何にして
かかる思想を、人間性を殺すことなくして人間化することができるか。我々はここに新世代の作
家の深い惱みを見出すのである。シェストフの如きが特に若い作家に熱心に讀まれたといふこと
は、決して單にいはゆる洞窟哲學の流行を意味するものでなく、まさに右の如き問題が現在の作
家の根本的な惱みであることを現はしてゐる。蓋しシェストフの問題はまさに、人間が客觀的な
必然的な眞理を人間化することが果して可能であるかといふことに存するのである。
かくして我々は今日、我が國の最もすぐれた、また最も眞面目な作家がいづれも、思想と人間
との激しい渉の場に身をおいてゐるのを見ることができる。そしてこの問題が十に解決さ
れてゐない場合、或ひはその解決が十に圓熟してゐない場合、一方では作家の勉の淺さち
思想の理解の不足が非され、他方ではまた生活の狹さち體驗が思想にけて作品に生命が乏
しいといつて非されることになるのである。このやうに非されねばならぬ場合、さういふ缺
陷が今日作家の如何なる創作的況から生れてゐるかを理解することが大切であると思ふ。
一八三
生活とか經驗とかは作家にとつてどこまでも「學以」のものと見られ得るであらう。しか
しこのやうな學以のものは決して學に無關係であるのでなく、厚みのある、幅のある、大
創作と作家の體驗
一八四
きな學の作られるためには缺くことのできぬ地盤である。いな作家にとつて眞に經驗といはる
べきものは、創作の外部にある、その以のものでなくて、創作活動と面的に結びついたもの
にして、はじめて眞に「作家的經驗」と呼ばれることが出來る。經驗は性格化され、命化され
なければならない。どのやうな外的な經驗をも性格化し、命化するところに作家の眞の能力が
ある。思想もまたもとより學以のものであるにしても、決して學に無關係なものでない
が、しかし眞の學的思想といはるべきものは、作家において體化され、命化されたもので
なければならぬ。さうした思想は作家の體驗と面的に統一され、融合されてをり、むしろ作家
的體驗そのものに屬し、我々は唯あとから抽象することによつて思想として離し得るのみであ
る。ゲーテの古典主義と彼のイタリー行とは密接な關係をもつてゐるが、ゲーテの面的發展
から見るとき、兩はいづれが原因でいづれが結果であるか定めることのできぬほど緊密につな
がつてゐる。そこには思想と經驗との幸ながあり、このにはデモーニッシュなものが
はた ら い て ゐ る 。
いふまでもなく、體驗だけでは學は出來ないのであつて、そこには技が求される。この
ごろ一方では學の思想性がされるとともに、他方では「藝」の問題が川端康氏などによ
つて取り上げられたのもこれに關聯してゐる。尤も、藝といふものは恐らく單に技のみを意味
ここに智性といふのは科學と同じでなく、或る特
するのではないであらう。藝は智的な技 ——
殊な智性である ——
の意味だけでなく、そのやうな技が生活體驗と融け合つてゐるところに藝
といはれるものがある。藝はそれだけでなくまた好き意味におけるマンネリズムの素を含んで
ゐる。藝が「び」といはれるのもそのためである。いつたい、ほんとに面白い作品は、傳統的
な日本學においてのみでなく、外國の學においても、作家が好き意味におけるマンネリズム
に陷つた場合に作られるのではないかと思ふ。その場合に體驗と技とのあひだに間隙のない作
品が 出 來 上 る 。
然るに今日の若い作家の不幸は、かうした體驗と技との融合にし得る見が殆どないとい
ふところにある。それは、作家の惠まれない生活條件とかジャーナリズムの現とかに依存する
ことも多いが、しかしもつと部的な問題として、今日我が國においては傳統的な學傾向を克
するために新しい技を新たに修得するもしくは發見するといふ容易ならぬ苦心がある。その
ことはまた同時に我々にとつて生活といはれ體驗といはれるものがその本質的な規定において變
一八五
化して來たことと關係してゐる。ち從來の學において生活といはれるものは主として「日常
創作と作家の體驗
一八六
生活」のことであつて、日常性がその根本的性質であつた。然るに現在においては生活といふも
のをの方面から、もつと正確にいへば、「世界性」の方面から考へることが第に一般
化して來た。作家においても生活の念が變りつつある。それに應じて新しい技を獲得するこ
とがいよいよ必になつて來る。今日の學において作家の生活の狹さ、その勉の淺さが感ぜ
られるのは、かかる創作的況に關係してゐることが注意されねばならぬ。
作品の倫理性
一 通俗批評の一つの問題
ちやうどこの十一月二十日が沒後二十五年にあたつたトルストイは、その藝論の中で、世界
學の作品を倫理の立場から、彼自身が理解したキリスト的倫理の立場から、激しい言葉を
もつて批した。求トルストイの人主義的熱には我々の心をく打つものがある。しか
し多くの人々は彼のそのやうな藝批の立場には同意しないであらう。倫理は藝にとつて外
在的であり、このものから作品を價することは正しくないと考へられる。トルストイにおいて
作品の倫理的批が何を意味したかは今私の問題でないが、ともかくかやうに作品を倫理的に
價するといふことは彼の場合に限られず、むしろ一般の讀が作品に對するとき極めて普に行
はれてゐることである。
私はここでいはゆる外在批、在批の問題に立入ることができぬ。いづれにしても、作品
は一箇の獨立の生命を有するものとして會のうちにれ落ちる。それは表現的なものとして讀
一八七
に働き掛け、一定の仕方で彼等に作用する。この關係はある意味において人と人との行爲的關
作品の倫理性
一八八
係に異ならない、人間そのものも表現的なものであり、表現的なものとして他の人間に働き掛け
るのである。もし後の關係、ち人と人との關係を倫理的といふならば、の關係、ち作品と
讀との關係もまた倫理的と考へることができる。實際、或る作品に出會ふことは我々生涯にと
つ て 一 人 の 人 間 に 出 會 ふ よ り 時 に は 重 大 な 關 係 を も つ て ゐ る。 ト ル ス ト イ は、 そ の 藝 論 の 中
で、藝の意味は人と人とを結合することにあるとべたが、このやうに作用するとき作品が
くひとつの倫理的力であることはいふまでもない。
かくて作品の倫理性はまづ、それが的世界のうちにれ落ち、この世界において働く一箇
の獨立の生命を有する的物であるといふことから考へられねばならぬ。
的世界はドロイセンのいつたやうに「倫理的世界」であつて、この世界において藝もひ
とつの倫理的力である。的世界は行爲の世界として本來倫理的であるが、同時にそれはディ
ルタイ以來よくいはれるやうに表現の世界である。的なものは表現的なものであり、また
的行爲はすべて表現的行爲の意味をもつてゐる。我々の行爲は表現的なものに對することによ
つて喚び起され、表現的なものによつて媒介される。藝作品は表現的なものとして働く人と人
とを媒介するものであり、トルストイのいつたやうに人と人とを結合する。
作品の倫理性は根本においてはかかる見地から、繰していへば、作品がつねにただ的世
界のうちにれ落ち、しかもこの世界において働くものであるといふこと、そして作品が表現的
なものとしてその一員である的世界が倫理的世界であるといふことから理解されることが重
である。さもなければ作品の倫理性を問題にすることは、藝にとつて、しかし倫理にとつて
も外面的な事柄でしかない學的談義となつてしまふであらう。倫理の問題を俗倫理の修養
論と考へてはならぬ。
二 作家の秘密
そこでに創作作用の立場から見るとき、作品と倫理との間には普に考へられるよりも遙か
に密接な關係がめられるであらう。出來上つた作品を單に美的に享受する立場からいへば、倫
理は作品にとつて外在的なものと考へるほかないにしても、作品が生される程から見れば、
倫理はむしろ作家の創作活動の一つの面的な動力原理である。從つて作品を倫理的に批する
といふことは、單に作品の心理的效果を考へることとは異り、作品の生の根柢を詰めること
でなければならぬ。作品をただ美的に價するといふだけでは、作家の祕密にすることは不可
一八九
能であらう。却つて我々は批のうち作家の祕密を深く捉へたものが多くは倫理的批であるこ
作品の倫理性
とを見出すのである。
一九〇
小のにおいて人物は重な位置を占めてゐるであらう。しかるに倫理なくして作家は人
物を作り得るであらうか。倫理なくして作家は人物を働かせ一の人物と他の人物とを關係させ得
るであらうか。倫理を意味するエートスといふ語がもと性格を意味するやうに、倫理は人間を
から作つてゐるものである。人と人との關係する行爲の世界は倫理的世界である。小的世界と
いつても、人間がそのうちにおいて生れ、そして働く世界であるとすれば、倫理は小のに
とつて面的な原理であるべきはずである。また作家は性格批とか人間批とかいふものを行
ふことなしには人物を描くこともできないであらう。しかるにそのやうな性格批や人間批に
は、特別にかかる究に關心した思想家、學がフランスではモラリストと呼ばれてゐる如
く、つねに倫理的なところがある。如何なる作家もモラリストち人性批家の素をもつてゐ
る。モラリストの究は今日いふ人間學の如きものであるが、如何なる作品もかかる人間學的な
ものを含んでをり、それは同時に倫理的なものである。
ところで作品は藝的活動において作られるものであるやうに、我々人間の存在もすべて表現
的行爲の意味を有する行爲において作られるものである。作家の人間といふものも作品と別個に
存在するのでなく彼の藝的活動そのものにおいて作られるものであり、だからこそ彼の人間は
彼の作品のうちにおのづから表現されてゐる。同じやうに作家の倫理といつても、作品において
作られる人物と別個に存在するものでなく、作品と面的な關係にあるべきものと考へられねば
なら ぬ 。
私は現在我國の多くの作家にとつて恐らく最も深い苦悶は、彼等にとつて確立された倫理がな
いといふことではないかと思ふ。倫理が確立してをれば、人物を作ること、その行動をする
ことも容易であらう。スケールの大きな小が出來ないといはれるのも、倫理が確立されてゐな
いことに原因が存するのではなからうか。今日の作家の困は、舊い倫理はもはや用をなさず、
しかも新しい倫理が會的にも作家自身においても未だ確立されてゐないところにあると思はれ
る。
三 純粋小説と通俗小説の問題
作品の倫理性に關聯して考ふべき第三の點は、學の俗性の問題である。本年の壇におい
てもしばしば論ぜられた學の俗性の求は、作家にとつて倫理が確立されてゐないことから
一九一
生ずる苦悶の一つの現はれであると見られ得る。學の俗性は倫理の問題を除いて考へられな
作品の倫理性
一九二
い。俗性のある作品とは倫理をもつた作品である。このことはいはゆる俗學乃至大衆學
を見ればよくわかる。漱石などが或る俗性をもつてゐるのも、その作品の倫理性によるであら
う。大衆學と純學との差異は、一方が倫理的であるに反し他方は倫理と沒渉であるといふ
風に考へらるべきでなく、その根柢とする倫理の種の相に、或ひは倫理に對する態度の相
に求められねばならぬ。
大衆學は俗學として倫理的である。それはしばしば勸善懲惡の學である。この種の
學においては、いくつかの目また不目が提され、それを基礎として人物がされ、從つ
てその人物は多く型化されてゐる。馬琴の八犬傳の如きは模範的な場合であらう。かやうに
目が擧げられ得るのは、その倫理が、あることをせよ、あることをするなと命令する格から
形作られてゐる倫理である故である。俗倫理はかくの如き格的倫理であつて、大衆學の
俗性はその倫理が俗倫理であることに基づいてゐる。
純學はもちろんかやうな俗倫理を根柢とすることができず、むしろそれに對して批判的反
抗的であるのがつねである。殊に今日の如く會の機にするとき、從來慣的になつてゐ
た倫理も動搖する。大衆學的俗性に滿足しない作家は新しい倫理を求めなければならぬ。
機の學とか不安の學とか叫ばれるものは、かくて倫理の探求といふことを重な特色として
ゐる。そこでは格的に固定された倫理が外に見出されないところから、倫理は勢ひ自己のうち
に、主觀性もしくは面性のうちに求められる。しかしながら倫理は、ヘーゲルも論じたやうに、
主觀的倫理に留まる限り抽象的であり、客觀的倫理にまで發展しなければならぬ。行爲するとは
面からけ出ることであり、またすべての行爲は本來會的である。從つて倫理的な不安の
學においても眞の倫理は發見されてをらず、だからまさに不安であつた。
これに對してマルクス主義の學は却つて倫理的であり、その意味でまた俗性をもつてゐる
ともいへる。この學が倫理的でないと考へてはならぬ。それがかつて善玉惡玉の學、勸善懲
惡の學の如きに墮してゐると非されたのも、その作品の倫理性を示すものである。しかし、
もしこの非の意味する如く、そこに人物の型化があるとすれば、倫理は却つて學にとつて
外面的なものとなり、倫理の本質的な一面であるべき主體的眞實性を缺くことになるであらう。
かくて横光氏のいはゆる純粹小で俗小であるやうな作品の求は、倫理に關していへば、
一九三
面的にして同時に會的な倫理に對する求でなければならず、かかる倫理の確立は作品の生
の 條 件 で あ ら う 。
作品の倫理性
哲學と藝
一九四
哲學と學とは根本において同じ問題をもつてゐる。そのやうな問題は、例へば、命の問題
である、自由と必然の問題、と感性との對立の問題である。或ひはと人間の問題、また人
間と自然との渉の問題である。或ひは死の問題、愛の問題、そして家族、國家、會等に關す
る問題である。學作品を析する場合、我々はつねにこの種の問題を見出すのであるが、それ
らの問題はまた哲學にとつての問題にほかならぬ。學の取扱ふ問題はその實體からすれば哲學
の問題と同じである。かやうな見地において學はディルタイの云つた如く「生の解釋」と見ら
れることができる、それは現實的な生の、その問題に從つての解釋である。あらゆる學作品
は特殊なもの、限定されたものを描きつつ、いはばその地線において無限なもの、一般的なも
ののうちへ流れ入る。的に制約された況から生じたもの、特定の生活經驗から得られたも
のは、作家的體驗において生の一般的意味との關係におかれる。學は「生の理解の官」とな
る。すべての偉大な作家の發展のうちには、生をその一般性において理解し、個々の體的な經
驗を人間の一般的命、事物の一般的聯關とのつながりにおいて眺めようとする傾向が存在して
ゐる。かくして學は我々に世界の解釋を與へる。
も と よ り、 學 と 哲 學 と は そ の 問 題 が 同 じ で あ り 、 共 に 人 生 及 び 世 界 の 解 釋 で あ る と 云 つ て
も、その取扱ひの仕方、その手段は同じでない。哲學が生の問題の論理的解釋であるのとは異つ
て、學はその形的解釋もしくは解釋的形である。言ひ換へれば、哲學が念的であるに反
し、學はどこまでも象的でなければならぬ。哲學は思惟の純粹な抽象性のうちに動し得る
としても、學は體的な形象と體驗の世界を離れることができぬ。しかしながら、そのことは
決して學が單に個々のもの、特殊なもののうちに留まるといふことを意味しない。却つてすぐ
れた學作品にあつては、個々のものにおいてそれを越えた關係が見られ、個々のものが生のう
ちに捉へられた聯關の象となり、個々のものが生の本質の表現となつてゐる。學は言語を手
段とする藝として繪畫や樂などに比して特にかくの如きことに合してゐる。なぜなら言語
は感覺的なものにられることなく、實在と觀念との領域に亙つて自由に動することができ
る。かくて學は多くの場合思想と事件との綜合を企ててゐる。物語において事件が然行す
一九五
ることをやめるかのやうに見え、思索が代る、人物の獨白や會話が事件の意味を照らし出す。ま
哲學と藝
一九六
た事件の行の中で人物が自自身や事件そのものについてなす反省が現はれて來る。そしてそ
れらの結合をじて作家の人生觀世界觀が表現されてゐる。
言 語 の 藝 で あ る 學 は 他 の 種 の 藝 に 對 し て「 思 想 藝 」 と 稱 せ ら れ る こ と が あ る や う
に、學と哲學との間には密接な關係が見出される。それは先づ多くの哲學的學の存在によつ
て明瞭に示されてゐるであらう。哲學はしばしば自己の思想を學的形式をもつて表現した。
詩の形式、對話の形式が好んで用ゐられた。ギリシアの初期哲學たちの箴言詩を始め、ルクレ
ティウスの有名な「物の本性について」といふ六脚韻の詩などはその例である。哲學的對話は、
プラトン、ブルーノやバークリ、ライプニッツ、その他が試みてゐる。これらの或るものにおい
ては學的表現が哲學的思想の單なる外衣にぎないものもあるが、プラトンのいくつかの對詩
の如く、學作品としても世界學の傑作に數へられ得るものがある。また或る種の哲學
は、その思想の特異性のために、或ひはその取扱はうと欲する對象の特殊性のために、念的
を斥け、學的形式にその表現を求めてゐる。ニイチェなどの場合がそれである。特にモン
テーニュ、パスカル等、フランスのすぐれたモラリストたちの哲學がそれである。彼等の作に
あつてはその思想と學的表現とがく面的に結び付いてゐて、ひとは彼等を哲學と見るべ
きか學と見るべきかにはねばならぬほどである。に學が體的な體驗を第に離れ
て一般的觀念の領域の中へ足を踏み入れてゐる場合も少くない。かくして學自身によつても
哲學詩、哲學的對話、哲學的小などが作られた。シラーの「理想と人生」、テニスンの「イン・
メモリアム」その他、無數の例を擧げることができる。もしまたラスキン、ペーター、サント・
ブーヴ等のエセエを取上げるならば、哲學的學の領域は限りなく擴がるであらう。エセエは哲
學的學の代表的なものである。
しかし、このやうな哲學的學もしくは學的哲學は哲學と學との密接な關係を端的に示す
に 足 る に し て も、 そ れ ら は 哲 學 と し て は 本 格 的 な も の で な く 、 ま た 學 と し て も 純 學 に 屬 せ
ず、いはば學と哲學との「中間領域」に横たはるにぎない、と考へられるであらう。もしさ
うだとすれば、哲學と學との關係は一面的なところに求められなければならぬ。それは根
源的には作家がその取扱ふ個々の體的な經驗を一般的な聯關に結合し、一般的な意味に關係づ
けようとする面的求そのものにおいてめられることが必である。かかる面的求のう
ちには人生觀世界觀に向ふ傾向が在してゐるのである。作家の有するこの的傾向に對して、
一九七
彼のから種々の哲學がやつて來るであらう。彼は或る場合にはそのいづれかを取上げて自己
哲學と藝
一九八
の目的に役立てるであらう。學と哲學とは根本においてその問題が同じである故に、學の
哲學究は彼等にとつてつねに有であることができる。かくしてエウリピデスはソフィストを
究したし、ダンテはトマスやアリストテレスを究した。ゲーテはスピノザを、シラーはカン
トを究した。その究は彼等の作品に大きな影を與へた。
しかしながら學はもとより哲學的世界觀の單なる應用といふが如きものであり得ない。もし
作家がその世界觀をただ外部から得ることですませるならば、彼の作品は眞の學作品でなくな
らねばならぬか、それともその世界觀は彼の作品の體との面的な關聯を有することなくただ
個々の箇から拾ひ出され得るにぎぬものとなるであらう。作家はその世界觀を哲學乃至科學
的に見て不十な言葉をもつて語ることに滿足すべきではない。むしろ作家の眞の世界觀は、彼
の取扱ふ多樣なものを統一し、複雜な部を結合して一つの有機的體とするエネルギーに存す
るのである。かかる統一、結合、聯關を作家はその制作活動をじて形するのであり、そのこ
とにおいてまた彼はみづから一個の世界觀を作り出すである。學は世界の解釋としてそれ自
身の仕方でしばしば新しい世界觀を作り出した。作家にとつて世界觀が外部から與へられた場合
においても、それを作品形の面的エネルギーとするために、彼には無限の學的努力が必
でな け れ ば な ら ぬ 。
學が哲學から影されるばかりでなく、哲學もまた學から影される。ギリシアにおいて
詩は科學的哲學の立を準備したし、ルネサンスの時代においても學の復興は哲學の復興を準
備した。哲學は學作品を究することによつて時代の新しい問題がどこにあり、また問題の
新しい解決の仕方が如何なる方向に存するかを知ることができるし、また知ることが必であ
る。そればかりでなく、學にとつても哲學にとつてもその問題はまさに現實の生そのもののう
ちから與へられるのであるから、そこに意識的な移入・依存の關係が存在してゐない場合におい
ても、同時代の學と哲學との間にはの似關係が含まれるのがつねである。かくて一定の
一九九
時代の究にとつて學は哲學の註釋として役立ち、哲學はまた學の註釋として役立つとい
ふ關係が見出されるのである。
哲學と藝
體の問題
二〇〇
最また學の會性とか思想性とかいふことが問題にされてゐる。これは以の、そしても
はや自明な問題の蒸ししにぎぬとして輕すべきことではない。實際我が國の學のが
主としてその點に懸つてゐるとすれば、それらの問題は幾度繰りして論ぜられてもよい筈であ
る。
その上、最種の事は我が國の作家たちに學の會性とか思想性とかいふ問題を現實的
に課し與へてゐる。例へば、純學作家の新聞小への出である。これは從來の心境小乃至
私小からの轉囘のひとつの好機會に相ない。新聞小について作品の俗性が考へられる
が、それは本質的には會性の問題を含んでゐる。また作品の俗性にとつて倫理の問題は重
な關係をもつてゐるが、これは學の思想性の問題である。に新聞小に限らず最の壇に
おいては一般に長小への傾向がめられる。それは純學短小といつた從來の態に
對する飛的努力を示すものであるが、長小においては差當りが問題であり、これは作
品の面的エネルギーとしての思想の問題である。とりわけ今度の事件は一般人の政治的關
心を高め、從來政治に對して殆ど無關心であつた學たちの間にもその關心がしく喚び起さ
れたやうである。これを機會として今後學たちも「憂國」といふが如き浪漫的感から
んで政治の問題について思想的な把握を求されるに至るであらう。頃の時世に相應して諷
刺學とか岸田國士氏のいはゆる「風俗時」の學とかの必が唱へられてゐるが、この種の
學において會性や思想性が缺くべからざる基礎であることは云ふまでもない。
しかしこれらは藝的創作にとつて外的な事であるとも考へられる。作品の會性或ひは思
想性は以主としてプロレタリア學によつてされた。それに對しては政治的思想的立場は
別にしても學そのものの立場から不滿が感ぜられ、の會的政治的勢の變化にも制約さ
れて、反對の傾向の學が多く現はれるやうになつた。かくて最における學の會性乃至
思想性の問題は二つの極端な傾向の間の衡作用の現象であるとも解釋されてゐる(谷川徹三
氏)。作品の會性及び思想性に對するものは作品の體性もしくは身體性である。體が思想
に對するものであることは勿論、會に對するものも或る意味では體であると云へる。古來哲
二〇一
學において物質は個別化の原理と考へられたやうに、人間の個別化の問題は體の問題である。
體の問題
二〇二
一般的抽象的な思想の個別化の問題も體の問題である。そして以プロレタリア學について
非されたのも、人間の型化とか作品の體性の稀薄とかいふことであつた。體の問題の反
面につねに含まれる問題であり、の問題を無した後の問題の考察は不完であることをれ
ない。この頃正宗小林兩氏の間のトルストイに關する論爭も、思想と實生活の問題としてかかる
問題の提出のひとつの場合と見られることができる。體の問題を正しく把握するのでなけれ
ば、作品の會性や思想性の問題も十に解決されないであらう。
ところで學における體の問題は單なる技巧の問題といふが如きものでなく、それ自身が實
は一個の思想的問題である。或ひは、體の問題が思想的問題であることを明瞭に理解すること
が今日その問題の正しい把握のために必である。例へば我が國の自然主義作家の作品がその
體性において缺くるところがないとしても、我々は今日それと同じ意味での體性を作品に對し
て求してゐるのではないであらう。そのやうな體性に執着する限り、作品は依然として傳統
的な私小の如きものになるのほかなく、會性と體性との結合は不可能であらう。新しい
學には新しい體性がなければならぬ。ここにに我々は、體といふ一見原始的な問題が一個
の思想的問題であり、身體といふ一見く自然的なものが的會的意味をもつてゐることを
見出 す の で あ る 。
アランはその藝論の初めに創的想像の問題を論じ、人間の身體についてべてゐる。「人
間の身體は々の墓である。」人々は永い間、彼等の夢、彼等の、彼等の衝動、そしてまた
俄かの上機、氣輕さや放たれた氣持が何處から來るかを、目を覺まし、激昂し、興奮し、自
で息詰り、そして直ぐ後には靜になり、弛し、欠伸し、伸びをし、眠るといふ、このメカニ
ズムに十注意を拂ふことなしに、ねた。憤怒を鎭めるには二三の手足の動で足り、眠つて
しまふには伸びをするとか欠伸するとかで足りるといふことを考へてみるがよい。デカルト以來
云はれてゐるやうにもろもろの、夢、夢想、想像は身體と密接に關聯してゐる。かやうなも
のとして身體は藝とも或る深い關係を含んでゐる。ところで注意すべきことに、身體といふこ
のく現實的なものは最も非現實的なものの根源となり得る。パスカルによれば、想像はの
主人である。といふのは想像は單にまた主としての觀照的能力であるのでなく、ろ特に
におけると彷徨的無秩序と同時に體の騷擾である。想像は我々を欺くと共に自自身の
本性について欺かれる。そしては想像によつて刺戟されることを欲し、またそれによつて
二〇三
される。藝は想像やを素とするにしても、それらに單純に身を委ねることが出來ぬ。
體の問題
二〇四
我々はアランのデカルト的合理主義に直ちに同意するものでないが、藝がや想像の或る種
の統制であり、一定の仕方でそれらを規整するものでなければならぬことは確かであらう。そこ
に藝における知性の、思想の重性がある。しかし固より藝は單なる知識でもなく、却つて
藝は想像やの如く我々を樂しませ、我々を解放するものでなければならず、それ故に藝
はまたどこまでも體の問題を離れることができない。體といふ現實的なものは極めて非現實
的なものの根源であり、これに對して思想がろ現實的であると見られる一方、思想は一般的抽
象的なものであつて、藝においては思想も體化されて現實的となり、象的とならねばなら
ぬと 考 へ ら れ る 。
アリストテレスは悲劇を定義して、「同と恐怖とによつてこれらのの淨化を企てるも
の」であると云つた。ここに謂ふ淨化(カタルシス)が何を意味するかについては古來種々の議
論が存在する。レッシングはこれを倫理的意味に取り、ちアリストテレスによればはつねに
中間にあるが、悲劇は實に同の兩極端から淨化するものであると解釋した。しかるにベルナイ
スは淨化は醫學上のカタルシスの比喩であるとし、醫藥が身體に及ぼすのと同樣の效果を劇は
に及ぼすといふ意味であつて、淨化は何等倫理的のものでないと論じてゐる。我々は後の
に從はう。就中フランスの古典劇に多くの影を與へたこの有名な定義は、もと悲劇の倫理的目
的をげたものでなく、ろその生理的效果、そこでまたその心理的效果、そして美學的效果を
べ た も の で あ る。 作 品 は ま さ に そ の 體 性 に よ つ て 生 理 的 效 果 を 有 す る も の で な け れ ば な ら
ぬ。アリストテレスは「同と恐怖とによつて」と云ふ。悲劇は同と恐怖とを喚び起すやうな
ものでなければならない。しかし悲劇は同と恐怖とによつてこれらのを淨化するものであ
る以上、それは同と恐怖とをただ一定の仕方で喚び起すのでなければならず、そこに作家の倫
理が含まれてゐる筈である。從つて我々はレッシングの倫理的解釋をあらゆる意味で不合であ
るとすることができぬ。體の問題はつねに作家の倫理の問題である。單に思想のうちにあつて
體の問題のうちにないやうな倫理の問題といふものはない。作品の體性がデカダンスに陷つ
てゐる場合においても、かくの如きデカダンスそのものがひとつの倫理と考へられるであらう。
さもなければ、それはおよそ藝作品と云はれ得るものではないのである。
かやうにして體の問題は倫理の問題と不離の關係にある。マルクス主義には倫理がないと云
はれることがある。我々はかかる見解に直ちに一致し得ないけれども、少くとも以プロレタリ
二〇五
ア學についてよく云はれたやうに作品の體性が缺けてゐる場合には倫理も存しないと云ひ得
體の問題
二〇六
るであらう。倫理の有無は、その極端な場合ちその作家もしくは作品がデカダンスに陷り得る
か否かをべることによつて明かにすることができる。最も純粹にを求めたがその極端にお
いてデカダンスに陷つた例は少くない。プロレタリア學もその作家の、特にいはゆる轉向作家
の作品のうちに或るデカダンスの傾向が現はれ始めたとき、眞實に倫理の問題に直面したと考へ
られるであらう。我々はもちろんデカダンスをそのまま承するものではない。デカダンスは倫
理の極限として倫理であつて倫理でない。體がその根據を失ふときデカダンスは生ずる。ひと
は反對して云ふであらう、デカダンスは思想がその根據を失ふとき生ずるのである、と。或る意
味では確かにそのりである。しかしながら、思想はその場合何處においてその根據を失ふので
あらうか。體においてである。また如何なる思想もそれ自身としては決してデカダンスに陷る
ことがない。思想はただ體と共にデカダンスに陷り得るのみである。體がその根據を失ふこ
とによつて思想もその現實的な根據を失ふのである。體の根據は思想でなく、ろ思想の根據
が體であると考へられる。デカダンスを深く體驗したニーチェは書いてゐる、「兄弟よ、汝の
そのは自己と稱せられ
思想と感の背後には力な命令、知らざる賢が立つてゐる ——
る。彼は汝の身體のうちに住む、汝の身體が彼である。」かくの如き身體が根據を失ふときデカ
ダンスは生ずるのである。それ故に倫理の確立は體の根據の獲得でなければならぬ。體の根
據は何處に求められるであらうか。
體は自然的なものである。そこで第一のは體の根據を自然そのもののうちに求めること
である。もしも體が自然的なものとしてつねにく現實的なものであるならば、およそこのや
うな根據を求めることも不であらう。しかるににべた如く、體はや想像として甚だ
非現實的であり得るものである。かやうなや想像、もしくは人間心理、もしくは人間性の現
實性のためにその根據が自然のうちに求められる。これが從來の倫理のひとつの重な方向であ
る。その代表的なものはストアの倫理である。「自然に一致して生活する」といふことがその根
本原理であつた。それは自自身に首尾一貫して、宇宙の法則に合一するといふ意味であつた。
そして例へばモンテーニュの如きも、ストアの嚴格主義をヒューマニストにふさはしい纖細な心
ひから和したとはいへ、自然を彼の倫理の根本とした。「我々は爾餘の物以上でもなければ
以下でもない。地上の凡てのものは一つの法則と同樣の命に從ふ、と賢は云ふ。そこには若
干の差異がある、段階があり、程度がある。けれどもこれは同一の自然のを現はす。人間を制
二〇七
御してこの警察ののうちに置かなければならない」、とモンテーニュは書いてゐる。尤も、彼
體の問題
二〇八
は自然をえざる流動のにおいて眺めた。凡ての物は一の變化から他の變化への移行に委ねら
れてゐる。「一切の人間的自然はつねに生れることと死ぬることとの眞中にあり、自己から不
明な形と影、不確かでい意見を吐き出すにぎぬ。」自の理性を誇ること、固執することは
馬鹿である。モンテーニュにとつて自然に準じて生きることは凡庸のを踏むこと、從つてまた
日常性を重んずることであつた。その自然に於ける人間性の觀照のうちに「心の靜けさ」を得る
こと が で あ る 。
東西思想において謂ふところの自然の意味はもとより同じでないが、東洋的倫理の根幹も自然
であることにおいて變りはない。「自然法爾」と東洋人は云ふ。人間修業といふも、もろもろの
、欲念等を自然の根柢において觀照することの修業にほかならないであらう。かかる人間修
業の重と共にこの原理における日常性の重といふことも注目すべきことである。我が國の傳
統的學は括してかやうな倫理を基礎とし、それによつて作品のリアリティを、體性を得て
ゐたと云ふことができる。もちろんエピクテトスとモンテーニュとが同じでないやうに、我が國
のルネッサンスとも云ひ得る明治以後の作家にはつたものがあるにしても、しかしここでも倫
理は主としてかやうなものであり、作家のうちにかやうな倫理が生きてゐた限りデカダンスはな
く、そしてかやうな倫理が失はれた程度において彼等の作品の體性はデカダンスに陷つたと見
られることができるであらう。
デカダンスは人間觀照のかやうな自然における根據が見られなくなつたとき始まつた。體は
自然的なものであると云つても、單に客體的なものでなくて主體的なものである。それ故に體
をんでこれを越える自然そのものも單に客體的にでなく、却つて主體的に捉へられねばなら
ぬ。かやうな自然が東洋的無と考へられ、有をんでこれを越える對無と見られる。しかるに
體がその根據を失ふ場としての「新しい無」はそのやうな無ではない。この無は有をむの
でなく、却つて有の極限としての無であり、有を孤立させて投げ出す無である。ニーチェはその
人間性探究においてこのやうな無にき當つた。彼は身體の哲學であつた、自然主義であ
り、實證主義であつた。彼のニヒリズム、彼のデカダンスは「新しい無」を、根據を失つて
體を現はしてゐる。實證主義ニーチェにとつて不幸にも自然はもはや體の根據となり得なか
つたのである。このやうな場合、ひとは思想に憑かれる。無は實在としての無であるよりも思想
としての無であり、體が憑かれた思想としての無である。これが代的ニヒリズムである。新
二〇九
しい倫理は如何にして確立されるであらうか。このとき自意識から出立しても無駄である。なぜ
體の問題
二一〇
ならこのやうな場合、ひとはに思想に憑かれてゐるのであるから。問題は體のリアリティの
根據でなければならぬ。かかる問題は思想であるか、ろ思想のリアリティの根據が體でない
のか。無の思想のリアリティも、それが體に憑いてゐるといふところにある。ただその場合か
かる體そのものが根據を失つてゐるのである。體はあらゆる場合においてリアルなものでな
いといふことに注意しなければならぬ。無の思想に憑かれてゐる體そのものが根據あるもので
あるか否かを問ふことなしに、無の思想のリアリティを論じても無駄である。
新しい倫理においては體の根據が實に會において見出されねばならぬ。體は決して單に
自然的なものでなく、却つて的世界において作られたものである。かやうに考へられるため
には、會が或る自然的なもの、的物質とも云ふべきものと考へられねばならぬ。自意識の
剩に惱むインテリゲンチャにとつての不幸は、會といふものも彼等には實は思想としてしか
存在しないといふことである。彼等の體が會における根據を失つてゐるためである。會が
身體を有するものと考へられねばならぬやうに、我々の身體が會的的なものと考へられね
ばならぬ。身體と云へば例へば手であり、手は人間の身體の最も特的なものである。人間の
立は手の立と同時的であると云はれる。手が手であるのはによつてである。手がで
あるのでなく、をふ主體的なものが手である。身體はの手段にぎぬものでなく、主
體的なものとしてそれ自身が目的である。身體を有せぬ人間といふものはない。手がの
であると云ふならば、に「創的な身體はを彼の意志のひとつの手として作つた」(ニー
チェ)と云ふこともできるであらう。手はと一にして手であるとすれば、そしては
的會的なものであるとすれば、手もまた的會的に作られたものである。を持たな
い手もを持つた手を有する會のうちから會的に生れて來るのである。人間の身體は
的世界から生れる。思想だけが的會的に規定されて、體はこれに反しく自然的なもの
であると考へてはならぬ、と體とを有する人間が的世界から生れて來るのである。
的世界においてこそ眞の生も眞の死もあるのである。
プラトンのシュムポジオンには、昔男女は一體であつたのが身して男と女とになつたのであ
つて、それ故に今男と女とはエロスによつて合一しようと求め合ふといふ話がある。そのやう
に我々の身體は會的身體の身であり、會的身體の表現である。もしも身體の會性をめ
ないならば、民族といふが如きものも問題になり得ないであらう。民族とは的なものでなく
二一一
て身體的なものであるが、しかし單にいはゆる自然的なものでなく的なものである。世代と
體の問題
二一二
云ふものも年齡といふ身體的なものに規定されてゐるが、一つの世代に屬する多數の人間は一つ
の會的身體の身と見られることができ、しかも世代は的に形されるものである。
藝家はその制作において自己の身を作る。生命のある作品は體をもつてゐる。作品はそ
の作から獨立して自己自身の命とを經驗し、その作自身に對しても影し作用する。
一人の藝家の作つた種々の作品はそれぞれ獨立でありながら體として相互に關聯し、また凡
てその藝家を表現する。個人と會との關係も同樣に考へられることができる。人間は會か
らそれぞれ獨立なものとして、しかし體として相互に關聯したものとして生れ、凡てこの會
を表現してゐる。彼等は獨立に働くものとして會に影し作用する。種々の作品を離れて別々
に藝家があるのでないと考へられるやうに、多數の個人を離れて別に會があるのではないと
も考へられる。けれども藝家は作品の根據と見られるのと同じく、會は個人の根據である。
また作品はより的なものであつて作家はより體的なものとも考へ得るとすれば、個人に對
して會はより體的なものであるとも云ひ得る。體の根據は會である。自意識の剩に惱
むデカダンであるところのインテリゲンチャにとつての不幸は會が思想としてしか存在しない
ことであるとにべたが、同樣に彼等にとつての不幸は會が彼等に對して立つ客體としてし
か映ぜず、從つて彼等がこのものから主體的に超越し得ると考へられることである。このやうに
超越して行くところが「新しい無」である。しかるに會は單に客體的なものでなく主體的なも
のである。主體的・客觀的と云はれる人間をみ自己のうちに立せしめてゐるものが會であ
る。體といふものもこの會に於てあるのである。體が會において根據を有し得ないとき
デカダンスは生ずる。かやうにして今日云はれるデカダンスは、嘗ての自然においてもはや根據
二一三
を見出し得なくなつた人間が、しかもなほ未だ會において根據を見出し得るに至らないといふ
二重の事に制約されてゐると云はれるであらう。
體の問題
純粹性の揚棄
二一四
純學といふ語は我が國ではく特殊な意味をもつてゐる。我が國にはまた西洋では見當らな
い意味をもつた「純哲」といふやうな語も用ゐられてゐる。一般に純粹性といふことが從來日本
の化のひとつの重な特をなしてゐると考へられる。儒でも佛でも日本へ來て純粹化し
たと云はれる。西洋哲學の場合についても同樣に云ひ得るであらう。もちろん純粹といふものが
外國にないのではない。しかし我々の間ではこの言葉はそれとはつた意味をもつてゐる。この
やうな特殊な意味が何であるかを析することは大問題であるが、ここでは差當り簡單なことか
ら考 へ て み よ う 。
純粹性とは先づひとつのポーズである。いつか大宅壯一氏が日本の壇で大家と云はれる人は
ポーズをもつてをり、ポーズをもつてゐないはいつまで經つても大家らしく見えないといふ觀
察を下してゐたが、この場合のポーズを考へて見ると、我々のいふポーズの意味を理解する手懸
りとなるであらう。昔から云はれてゐる人氣質なども、このやうなポーズの意味を含むであら
う。
いつたいポーズとは身體的なものである。かやうなものとして純粹性は生活、殊に日常生活に
おける一定の勢を意味してゐる。學や哲學は、彼等が純粹であれば、その生活において
も常人とは異るポーズをもたねばならぬと考へられる。もとより純粹性は學や哲學に關はるも
のとして、これらのものにおけるポーズでもある。しかしポーズの根本的な意味は身體的なもの
であり、そして純粹性と云はれる學や哲學上のポーズの特は、まさにそれが身體的なポーズ
と一つに結び付いてゐるといふところにある。言ひ換へれば、そのやうな純粹性は實際的といふ
ことと離れく結び付いてゐるのである。それだから純粹性を特色とする從來の日本の化は同
時に實際的といふことを特色としてをり、また謂日常性の學、日常性の哲學等であつた。こ
のやうな實際性がプラグマティズムなどでいふ實際性とくつたものであることは云ふまでも
なか ら う 。
かくて歸結することは、日本では化を客觀的な、それ自身において存在するものと見るやう
な化意識が發しなかつた。かやうな客觀的な化の代表的なものは事物の對象的把握である
二一五
科學である。如何なる意味においても實際的であることは純粹でないといふ見方からすれば、
純粹性の揚棄
に、日本の從來の化は純粹でなかつたと云ひ得るであらう。
二一六
科學は一定の立場に立ち、一定の見方をもつてゐる。しかしこのやうな立場乃至見方はポーズ
と云ふべきものでない。却つてポーズを踏み越えるところに科學の立場乃至見方がある。純粹性
といふポーズを保たうとする學や哲學はかくして理論をするのがつねである。理論は抽象
的だといふのがその非である。事實、理論は本質的に抽象的であるが、まさにこの抽象性にお
いて理論はその威力を有するのである。抽象の威力が識されなければならない。
この頃の若い學はもとより昔の人氣質をそのままめないであらう。しかし彼等のなほ
多くが純粹性といふポーズに支配されてをり、理論や科學を輕する風はなかなかなくならない
やうである。新しい學は純粹性といふポーズを揚棄することから生れるであらう。
事實としても、古い純粹性は第に揚棄されつつある。第一、生活上の特殊なポーズとしての
純粹性は今日の會生活の現實によつて不可能にされてゐる。士は人間のだといふ杉山助
氏の議論も、そのやうなポーズの現實の形態に對する非の意味を含んでゐるであらう。蓋し
謂士的なポーズは現在の會においては純粹に維持され得ず、それが維持されてゐるやうに見
える場合、そこには無理ととが存在し、打算もしくは頽廢の素が混入してゐる。士的な
ポーズが毀れて、學も普の會人と同樣に生活することをひられるとき、彼等は學
として、生活そのものの中から學的生活を先づ抽象して來ることを求されるやうになる。從
來の學にはかかる必がなく、彼等にとつては謂はばに最初から學的生活が抽象され
て與へられてゐた。從つて生活と學との關係は一義的で明瞭であつた。然るに今日の學は
先づ學的生活を生活そのものの中から昇華させるといふ眞劍な問題を課せられてゐるのであつ
て、このやうな昇華の努力が新しい純粹性の基礎でなければならぬ。生活からの生活の抽象が
學の現實性の條件である。政治と學といふ幾度か論議を繰された問題も、實は、政治とい
ふ一般的生活の中から如何に學的生活を昇華させるかといふ問題として重な意味をもつてゐ
る。學的生活なくして學のないことは明かである。併し學的生活が先づ生活そのものの中
から抽象乃至昇華されることが必になつた。問題はかくて、政治的生活と學的生活と、學
的生活と學と、いふ二重の、從つてまた兩義的な問題となつてゐるのである。
に純粹性の揚棄は、ひとつの實際的問題として、純學作品の發表機關の現實における經濟
的困によつても餘儀なくされてゐるやうである。いかほど小は面白いものだと自家宣傳をし
二一七
ても、現在の如き學雜誌の經營が功する見は先づないと云はれてゐる。そこで學雜誌の
純粹性の揚棄
二一八
念を、例へば『セルバン』のやうなものにまで擴張して考へ直すことが必だといふ意見も出
て來る。かかる事は、學作品そのものに關しても、從來の純粹性の念が揚棄されねばなら
ぬことを示唆してゐると見られ得るであらう。
第三に、最、作家乃至作品の無性格といふことがしい現象となつてゐる。今日謂プロレ
タリア作家と轉向作家、それらと謂ブルジョワ作家との間の區別はよほど不明瞭になつて來
た。それらの間には谷川徹三氏の云つたやうな衡作用が種々の方面において見出される。觀點
を變へれば、無性格のうちに共の性格が作られてゐるのであつて、我々はそこに純學の念
の本質變化の程をめ得る。中堅作家の新聞小への出も同樣に考へられるであらう。今
日 多 數 の 作 家 に お い て そ の 立 場 や 思 想 の 差 異 が 明 確 に 區 別 し く な つ た が、 併 し 一 つ 確 か な こ
とは、彼等が今や一致共同して古い意味での純粹性の揚棄の方向をりつつあるといふことであ
る。意識的な乃至無意識的なこのやうな努力は新しい學念の形に向つてゐるのであつて、
思想や立場の區別よりも先づかかる共の地盤の開拓が現在的に意味をもつたことである。
それは思想や立場の相がおよそ意味をもち得る提であり、從つて今こそ、かくして作られた
共の地盤の上において立場や思想がく重な問題となるべきことを示してゐる。立場や思想
ママ
が單に立場や思想としてでなく、まさに學上の立場や思想として問題になるためには、先づ共
の學念が現實的に立しなければならね。立場や思想に關する議論が從來抽象的もしくは
不生的に見えたのも、かかる共の學念がなほ十に發してゐなかつたためであると云
へる で あ ら う 。
このやうにして傳統的な純粹性は到る處において揚棄さるべき命にあるが、その揚棄と共に
新しい純粹性が何處に求めらるべきであるかについては、なほ一定した見解が存在しない。そこ
に現代の日本學の混亂がある。この混亂は殘存せる古い純粹性に對する謂はば本能的な執着に
よつて一甚だしくされてゐる。
新しい學念の確立にとつて最も基礎的なことは、學が眞の化意識を獲得するといふ
ことである。そのために求されることは、先づ學を一つの客觀的な事象として識するとい
ふことである。純粹性といふ特殊な身體的、的ポーズに支配されてゐる限り、學は「私」
といふものから離れず、學の世界がそれ自身において立する客觀的な事象であることが理解
二一九
横光利一氏によつて有名になつ
されない。謂純學の念を多かれ少かれ揚棄しながらも
——
た「純粹小」といふ語はこの事實の表現として特的である ——
、他方において學の私黨
純粹性の揚棄
二二〇
形が最の如くんであつては、學の世界の客觀性が眞に識されてゐるとは云へない。
化を客觀的な事象、哲學の謂客觀的として把握することは、かかる客觀性を最も明瞭に
示す科學といふものが古來我が國では發してゐなかつたことによつて、想像以上に困にされ
てゐた。學の世界の客觀性がめられるならば、今度は學上の立場や傾向の差異がこれまで
とはつて重な意味をもつて來る筈である。然るに、私黨は、立場や傾向の一致によつて結び
付いたものでなく、ろポーズの似によつて結び付いたものである。にべた如く今日作家
が無性格になつたことによつて共の學念の形が準備されたとはいへ、そこに思想や立場
が再び活な關心となるに至らなければ、それは却つて私黨化の土臺となるのみであつて、新し
い學念が現實的に形されたとは云へないのである。
に學の世界の客觀性が識されるにつて、學と他の化の領域との間の親性が識
されねばならない。從來の純粹性においては、謂はばに最初から、學的生活が一般的生活に
對して抽象されてゐたやうに、學は他の化領域に對して抽象されてゐた。かくの如き抽象性
を示す一つの例として「局外批家」といふ語がある。作家と批家との區別が存在する限り、
批家は作家にとつて凡て局外であるとも云へる。また局外といふことが壇に屬しないとい
ふ意味だとすれば、特殊なポーズによつて結び付いた壇といふものが解さるべきものだと考
へられないであらうか。固より專門的な藝批家と然らざるとの區別は存在するが、局外と
いふ語はこれとはつた意味に用ゐられてゐる。それは「純粹な」批家に對して考へられ、純
粹な批家といふのは、その論が特殊なポーズを有し、論理的訓を知らぬ壇的方言で物を
云ふではないか。テーヌやブランデスなどの批は如何に多くの「局外的なもの」をもつてゐ
るであらう。凡て偉大な學は種々の見地からの批を容れるものである。局外批家といふ語
は學と他の化領域との間の親性の意識、從つて眞の化意識の缺乏を象してゐる。作家
自身も化意識を獲得して、學を一廣い見地、一廣い聯關において考へることを學ばなけ
れば な ら ぬ 。
學の思想性とか會性とかと云つても、かくの如き化意識が先づ獲得されるのでなけれ
ば、十に把握され得ない。學と生活の問題も重であるが、學と他の的化との親
二二一
性の意識も特に我が國においては重な問題である。かかる親性の意識に基く協同は今日の
ファシズム的勢に對して政治的にも意義あることでなければならぬ。
純粹性の揚棄
ヒューマニズムへの展開
二二二
日本學は現代において如何に展開しつつあるか、また如何に展開さるべきであるか、といふ
問に答へることは、決して容易ではない。今大膽な括がけいとすれば、私は、現代におけ
る日本學の展開をヒューマニズムへの展開として考へたいと思ふ。それでは、何からヒューマ
ニズムへ展開して來るのであるか、と問はれるならば、これは括して、展開の程はナチュラ
リズムからヒューマニズムへの展開であると云ふことができようと思ふ。
この場合先づナチュラリズムといふ語は、西洋における自然主義竝びに代日本學における
謂自然主義とはつた意味に理解されねばならぬ。その自然主義は東洋的世界觀の根本的特色
とされてゐる形而上學的な「自然」、從つてむしろ我が國古典學のとされてゐる「あはれ」
「さび」「わび」「しをり」「幽玄」「風」等の根柢となる「自然」に關係してゐる。西洋の
自然主義學と明治大正の自然主義學との異同を論ずることは一個の重な問題である。我が
國の自然主義學について云へば、それは一方それ自身日本學におけるヒューマニズムへの展
開の程に一つの注目すべき位置を占めるといふこと、しかも他方それはなほ傳統的な意味にお
ける自然主義の素を多にもつてゐるといふことによつて特付け得るであらう。それ故にま
たに、ここでいふヒューマニズムの意味も、決して狹い意味に、例へば以の白樺の人主
義とか、或ひは今日の行動的ヒューマニズムとかと同じ意味に理解されてはならぬ。とりわけそ
れは謂人主義と一にされないことが必である。明治以後における日本學の展開が、
體として、ヒューマニズムへの方向をとつてゐると考へられ、この方向を如何に發展させるかが
問題であると思はれるのである。
この展開を詳細に跡づけることは大きな仕事である。今最も簡單な且つ最も基礎的なことにつ
いて云へば、「學意識」の立そのものが我が國においては新しいことに屬する。岡崎義惠氏
ものやうに書かれてゐる、「去の日本に果して『美』とか『學』とかいはれるものの自覺
が存在したかどうか疑はしいのであつて、もし去の思想感の再現を志すとすれば、日本學
の美學的考察といふが如き試みは無意味となるかも知れない。」學意識の立は傳統的な東洋
的自然主義に對してはそのこと自體新しいことであつて、我々はそこにヒューマニズムの生を
二二三
見る。我が國においてプロレタリア學が學の會性をし始めた頃、從來の日本學は藝
ヒューマニズムへの展開
二二四
至上主義に立つてゐたと批されたやうなこともあるが、それは正しい見方であるとは云へな
い。固有な意味における美意識、學意識の存在しないところに、藝至上主義も、藝のため
の藝といふ思想も、存在し得ないであらう。學意識の立は、自然に對する化の意識の
立を意味するものであつて、このことはヒューマニズムにとつて的な素である。
勿論ヒューマニズムへの展開は、その一つの場合、西歐におけるルネサンスが數世紀に亙る
を有するやうに、我が國においても一一夕にして爲げられたことでなく、また爲げられ
得ることでもなく、紆餘曲折したをらねばならなかつたし、また現に紆餘曲折したを歩ん
でゐる。かかるヒューマニズムへの展開の程に今もなほ横たはる一般的問題の若干を、ここで
は主として「學意識」の問題に關聯して考へてみよう。
先づ學意識の立につて學と生活との間に距離を生じ、その解決が重な問題として
學に課せられるに至つた。傳統的な自然主義においては、自然と人間との關係は對立的にでな
く有機的融合的に見られたやうに、學と生活との間にも距離が存在しなかつた。學と生活と
の距離は新しい學意識の立と共に初めて意識され、その距離の新しい仕方における解決が初
めて問題になつたのである。このやうな關係は單に學の場合のみでなく、學問の場合にして
も、「科學意識」の立によつて初めて我が國において謂「生と學との距離」が問題になるに
至つたのである。かかる學意識の立と發展は云ふまでもなく會の變化と發展に制約されて
ゐる。そこには生活そのものの改變がある。然るに知の如く、我が國の會には、特に日常生
活の方面においては、現在もなほ封的殘存物が多い。とりわけ學の生活には封的なもの
がある。そのために、新しい學意識の立と共に生じた學と生活との距離は、その間題の解
決が決して容易でないところから、新しい仕方で解決することを放棄され、まさに生活及び
學の念の變化がその問題を發生させた根源であることがみられないで、傳統的な學の理念
に、そこでは學と生活との距離が謂はば最初から問題になり得ないやうな自然主義の理念に、
學の純粹性の名において、復歸することが試みられる。例へば、學と政治の問題は、新しい
種の作品の出現によつて藝的に解決されねばならぬに拘らず、その問題が抛棄され、純學
といはれる私小の如きものにることによつて、學と生活との統一の求を滿足させようと
する。單に學と政治のみが問題であるのではない。問題は我が國においては一一般的な、一
基礎的なところにある。ち我が國の傳統的な學が日常性の學として規定され得るとすれ
二二五
ば、政治といふが如き、日常性の範疇に對し性(世界性)の範疇に入る生活と學との
ヒューマニズムへの展開
二二六
現實的竝びに表現的統一が一般に問題なのである。新しい學意識の立の現實的基礎となつた
やうな生活と學との藝的統一が傳統として一般に發してゐないところへ、政治と學とい
ふ尖化された形において問題が與へられた點に、我が國のプロレタリア學にとつての特殊な
困が存在したと云へる。
學意識の立にふ學と生活との離は、一方その問題の囘によつて、傳統的な純學
への意識的な或ひは無意識的な固執を惹き起してゐると共に、他方そのやうな離をそのまま承
する抽象的な學崇拜を生ぜしめ、かかる學崇拜をもつて新しい學意識そのものであるか
の如く考へる傾向を作つてゐる。學的自意識の剩がこのやうな抽象的な學崇拜となる。そ
れは學意識の立を俟つて初めて可能になつたものであるが、我が國において特殊な藝至上
主義を形してゐる。それは元來生活と學との離を提するものであるから、かかる藝至
上主義は、その生活意識において現實の會生活から游離し、謂純粹な生活、從つてまた傳統
的な純學と結び付いてゐるやうな封的な生活氣を好むのがつねである。最も新しい學
意識に心醉しながらその生活意識において甚だ古いといふことが々見出されるのである。
ヒューマニズムの學理念は生活と學との統一を求める。しかしそれはかかる統一を傳統的
な純學への復歸の方向に考へるのでなく、却つて學が生活意識そのものを新たにすること
を求する。かかる生活意識の新、それと學との統一に對する求のうちに、ヒューマニズ
ムは新しいモラルを求するのである。
に學意識の立は、そこから學と生活との距離を生ぜしめたやうに、學を一つの客觀
的な事象として識することを求してゐる。かかる識はジンメルの謂ふ生における「イデー
への轉向」にほかならず、かくの如きイデーへの轉向において人間のうちにロゴスが生れる。
ヒューマニズムはかくの如きロゴスの生において人間の人間としての生を見る。學意識の
立によつて可能にされた學重が、イデーへの、客觀性への轉向の意味を含まない場合、主
觀的な、抽象的な學崇拜に留まらねばならぬ。イデー的なもの、客觀的なものへの轉向は學
における思想性の提である。從つて學意識の立は、その根本において、學に思想の問題
を課してゐるのである。然るに、我が國ではかくの如き客觀性への轉向は、古來固有な意味にお
ける科學の發が存在しなかつたために、特別に困にされてゐる。學における思想の問題を
抽象的な問題としてしか受取れないといふことは、科學の傳統の缺乏と關聯してゐる。もとより
二二七
傳統的な日本學にも思想はある。しかしその思想性と新しい學に求される思想性との間に
ヒューマニズムへの展開
二二八
は、我が國の古來の學問と今日我々が科學と呼ぶものとの間におけると同樣の差異がある。學
意識の立につて學にかくの如き新しい思想性が求されてゐる場合、その問題の解決が容
易でないところから、問題そのものがここでもまた學の純粹性の名において囘される。思想
的な學は純粹でないやうに云はれる。しかし實を云へば、傳統的な純學にも思想がないので
はなかつた。學問念の意味が今日では我が國においても變つて來たやうに、學の思想性の意
味も變つて來ただけであつて、かかる思想性がヒューマニズムへの展開にとつて決定的に重で
ある。學と生活の統一といふことも思想なしには解決され得ぬ問題である。最、若い學
の養の不足が云はれてゐるが、養の不足と云ふならば、最も不足してゐるのは科學的養で
ある。科學的養が不足してゐる限り、學の思想性も生じ得ないと云ひ得るであらう。
學の思想性はこの頃の非合理主義、新しい無主義によつて囘される傾向を生じてゐる。
もとより非合理主義もそれ自身ひとつの思想である。然るに、ちやうど剩な學意識が我が國
においては却つて古い生活意識と結び付き得るやうに、非合理主義も、固有な意味における科
學、合理求の傳統の存しない我が國においては「思想」とならず、却つて傳統的な東洋的無
主義に支へられて、安易なものに落付く傾向がある。無主義は面的な激しさを有せず、外面
におけるジェスチュアに留りがちである。合理求の傳統が發してゐないところへ、會的不
安によつて非合理主義が生じたといふことは、非合理主義そのものにとつて不幸であつた。しか
も現在純粹に封的な生活が存在し得ないやうに、人々はもはや東洋的無主義にも安住し得な
い。そこに現在の無主義の複雜な面貌がある。
このやうにして、現在の日本學は甚だ混沌とした現象であるに拘らず、結局廣い意味での
ヒューマニズムへの展開として把握するのほかない。基本的な問題がつねに見されないことが
大切である。今日作家の無性格といはれるのは基本的な問題に固執することを怠つたところから
生じてゐる。然るに、もし自然主義が單に封的なものでなく、我々の民族の一持的な生活
感と思想であるとすれば、それとヒューマニズムとは如何に關係するであらうか。如何にして
東洋的自然主義の中へヒューマニズムを敲きみ、そのうちにヒューマニズムを生かすことが可
能であらうか。この問題は現代日本學がヒューマニズムの生と共にえず直面してゐる問題
である。この問題と自覺的に取組み、東洋的「自然」と激しく挌鬪することが我々の問題でなけ
ればならぬ。この問題の自覺は、傳統的な自然主義への無意識的な協がつねにあまりに多く存
二二九
在する事實に鑑みて、特に重である。「は死んだ」、とニーチェは西歐において叫んだ。我々
ヒューマニズムへの展開
二三〇
は東洋において同樣に「自然は亡びた」と叫ぶべきであらうか。その捉へる問題の大いさが作家
の大いさを決定するといふことは、今日においてこそ云はれねばならぬことである。
俗性について
一 文章と思考
論、學、また哲學においても、もつと一般人にり易いものにするといふことが問題にな
つてゐる。いはゆる俗性の問題である。俗性の問題は、今日、讀の側から求として出て
ゐるといふのみでなく、作家、批家、思想家の側においても第に眞面目に考へられるやうに
なつ て き た 。
この問題は差當り表現、いひ換へると、章の問題である。章の問題は、實際、輕さるべ
きものでなく、また決して容易なものでもないのである。章において最初の問題は、その素
としての語の問題であらう。そしてこの點については、なるべく漢語を少くし、むしろ日本の古
典的な語を活かしてふこと、なるべく特殊な語ち語の如きものを減じ、世間一般に行は
れてゐる語ち俗語の如きものを活かして用ふること、等々のことがいはれてゐる。それらの
訓はもとより有である。しかしながら語は孤立したものでなくて有機的に結合さるべきもので
二三一
あり、章の中において機能を營むものである。從つて體が決らなければ語の用法も決らな
俗性について
二三二
い。いかなる語が用ゐられるかは、體に關係し、體に規定されるのである。表現の俗性は
體 の 問 題 で あ る 。
體についても、一般人にり易くするために、明に書けとか、直截に書けとか、種々の規則
が示されてゐる。かかる章讀本式な規則も、もちろん有用であらう。しかしながら何を明とい
ひ、何を直截といふかが、すでに簡單な問題でない。論理的章は心理的章よりもり易いかと
いへば、反對の場合も考へられる。章の俗性のために思考の嚴密性が妨げられるとすれば、ほ
んとにり易いとはいへないであらう。しかも體は一般的なものでなく、各人のものである。そ
れはまた各人の個性的な表現の樣式であるのみでなく、各人の個性的な氣質、思考の仕方である。
體は思考の樣式と表現の樣式との統一である。明晰な思考なしに明晰な章を書くことは不可能
であらう。
かくて俗性の問題は體の問題であるとしても、それが單に章讀本式の問題でないことは明
かである。むしろ體の祕密を知ることは作家の祕密を知ることである。作家は皆自の
體を求めて苦しむ。體の完する時は作品が完璧にする時である。この意味に於いても眞の
俗性は作品の完璧性と別のものでないといひ得るであらう。作家は常に自の氣質、思考の仕方
にした體を捜してゐる。彼の體はおのづから慣的に出來てくるものである。然るに體が
出來てくると、今度はその體が自の思考を支配するやうになる。そして作家はいはばマンネ
リズムに陷る。ところが多くの場合りやすいといはれるのはそのやうなマンネリズムの態に入
つた章である。俗性が主として章の問題であるかの如く考へられるのも、思考と章との比
重において章が重くなつた態であるためである。そのとき思考もまた慣性に陷つてゐる。若
い人の章よりも老人の章がしてり易いとされる理由もそこにある。かやうに俗性がマン
ネリズムに關係するところにその險性もあるのである。
二 読者と著者
俗性が體の問題であり、そして體は各人のもの、個性的なものであるとすれば、むしろ
體を放棄することが一般人にり易くなるゆゑんであると考へられるであらう。事實、現在り
いといはれてゐる章にはあまりにスタイル的であるものが少くない。俗的になるために自の
體を放棄せよといふ意見にはある眞理が含まれてゐる。もちろんその場合、俗が俗惡となる
險はある。體を放棄することは體だけの問題に留まるものでなく、自自身の思考の仕方を放
二三三
棄することであり、常識的な考へ方に身を委せることである。しかしながらひとは眞に自を活か
俗性について
二三四
すためには自を殺さねばならぬ。自の體を放棄することも眞の體を發見するために必で
ある。また現在スタイルのゆゑに解と稱せられる章にしても、ほんとのスタイルでなくて單に
ポーズといつて好いものがあり、章及び思考の上にあまりにポーズが多いゆゑに一般人にり
くなつてゐる場合が稀でない。章及び思考において「常識的」になるといふことも眞の「良識」
を得るために必なことであり、良識は眞の俗性の基礎である。
表現の俗性の問題は表現の本質につて考へられねばならぬであらう。表現するとはつねに他
に對して表現することであり、表現はこの關係によつて規定される。いひ換へると、表現とは
と讀との間の對話(ディアレクティク)である。この關係が生きて働いてゐるときり易いもの
となり、反對に獨語(モノローグ)的な章はりいものである。讀を念頭におくことによつ
て、その章がり易いものになるのみでなく、その思考も客觀的になり、會的になり、かくし
てまたり易いものになるのである。
ひと或ひはいふかも知れない。我々は讀のために書くのでなく自自身のために書くのであ
る、と。まことにそのとほりである。眞のはすべて自の的な求に基づいて書く。ただ讀
をのみ目當てにして書かうとするはほんとに書くことができないであらう。ただ讀に媚びる
ために求められる俗性は眞の俗性でなくて俗惡といふものである。しかしながらまた的な
求も外的な事によつて觸發されるものであり、かつすでに言葉に表現しようとする以上、何らか
の讀を豫想するのでなければならぬ。ひと或ひは知己を千載後に待つといつた態度で、俗性の
如きは何ら問題でない、といふかも知れない。に對するかやうな理想主義的な態度を私はもと
より重する。それは今日のにおいてあまりに稀なものとなつてゐる。しかし本質的に俗的
でないものが後世に至つて大いに讀まれるやうになるといふことは考へられないであらう。ゲーテ
が「唯一の永力ある作品は折にふれての作品である」といつた言葉には眞理が含まれてゐる。そ
れのみでなく、知己を千載の後に待つといつた態度のうちには何か封的なものが殘存するといひ
得るであらう。讀を念頭において書かないといふことは作家の封的な態度であり、かやうな
封的なものが他の封的なものと一に我が國の作家の一部になほ殘つてをり、そしてそのこ
とが表現の俗性を失はせる原因となつてゐる。
三 通俗性の秘密
二三五
事實として何らかの讀を目當てにして書かないは存在しないであらう。ひとは誰かに氣に
入るために書くのである。問題は、それが如何なる人であるかといふことにある。今日俗性の問
俗性について
二三六
題が作家、批家、思想家の側において眞面目な問題となつてきた理由もこの點にある。
特殊の場合を除き、現在純學の讀の數は恐らく千か二千である。しかもそれは大抵、壇的
人間、ちすでに壇に出てゐる、もしくはこれから壇に出ることを志してゐる、もしくは
壇的な考へ方に隨してゐるに限られてゐる。かくして純學は壇といふ特殊圈のほかに殆
ど出ることなく、ただこの特殊圈の部で囘轉してゐる。論や哲學においても同樣であり、それ
らは壇、論壇、哲學界といふやうな特殊圈の部で、結局からまはりをしてゐるにぎず、圈外
にある大衆とは無關係なものになつてゐる。これで果して好いのであるかといふ不安を作家が感
じるやうになつてきたのは當然である。
從來とても、ひとは讀を念頭においてゐなかつたのではない。ただその讀は、壇とか哲學
界とか、特殊圈に屬する人間であり、彼らに氣に入るために書いてゐたのである。ひとは壇の方
言、哲學界の方言で物をいふことをもつて滿足してゐた。かやうな作の態度は封的といはれる
であらう。我が國においては今日も、壇等々はなほ封的性質を殘してゐる。然るに化の機
が語られるやうになつた現在、化の目的及び基準についての從來の考へ方は動搖し、壇や哲學
界などといふ特殊圈に屬する少數の價にのみ信してゐて好いかどうかが怪しくなつてきた。
彼らは會上政治上の現實の勢力としても第に影が薄くなりつつある。かくして俗性の問題は
單に章或ひは表現の問題に留まらず、化の目的及び基準に關する重な問題を含んでゐる。
俗性を得るためにはそれゆゑにまづ作における封的な態度を棄てなければならぬ。かの知
己を千載の後に待つといつた理想主義も、學問や藝が「開いた會」に屬することを考へてゐる
點で意味があるのである。そこからしてまた俗性の問題が理想的にはともかく、現實においては
大衆性の問題であることも明かであらう。求められてゐるのはもとよりいはゆる大衆學における
が如き、封的なものを多に含む「庶民性」ではない。大衆そのものが的、時代的に考へら
れねばならぬ。時代的であるといふことは俗性の基礎である。我々はここでに引用したゲーテ
の言葉を再び想ひ起すべきであらう。時代的であることが時代に隨することであつては、それは
俗惡といふものである。今日りい章の存在する原因はむしろ、作家における思想的信念の
動搖乃至喪失にある。しかし同時にモノローグに墮することは愼むべきであつて、肝腎なものはす
でにべた對話のである。ひとつの作品を讀んで、その中に自自身を見出すとき、讀は
ぶ。そこに俗性の祕密がある。そしてもしかやうに讀をばせることが同時に讀を高めるこ
二三七
とである場合、それはもはや單なる俗性以上の、作家の理想そのものである。
俗性について
新しい國民學
二三八
今度改の山本實氏の卓拔なる發意により新萬葉集が纂出版されることになつたのは極
めて意義深いことであると思ふ。明治大正昭和の三代を記念すべきこの大事業が、勅集として
でもなく、また官設機關に依つてでもなく、民間の一出版書肆の計畫として實行されるといふこ
とは、いろいろな意味において現代日本を象する事實である。或るはそこに明治以來の政府
が國民化に對して如何に無關心であつたかを今らの如く氣附いて驚くであらう。また或る
はそこに今日の日本の學においてはアカデミズムといふものが未だ眞實には存しないといふこ
とに對する一つの例を見出すであらう。しかし我々はそこに現代の我が國の學が如何に民主的
乃至庶民的なものであるかといふことに對する一つの證據をめることができる。新萬葉集は
そのことを理解して、民主的をもつて、或ひは庶民性の立場において纂さるべきものであ
り、これが萬葉古典のを現代に生かす以である。そのためには先づ國民がこの計畫を積
極的に支持し、みづからんでそれに參加することが待望されるのである。
この頃、我が日本に國民學が存在するか否かが論ぜられてゐるが、私は萬葉集の如きは立
な國民學であると思ふ。新萬葉集もこのやうに今日の「國民學」を作るといふ意氣と用意と
をもつて纂して貰ひたいものである。國民學といふ以上、單なる現代短歌集の如きもので
あつてはならぬ。改ではすでに『現代短歌集』といふものを出版してをり、これは明治以
後の代表的歌人の集であるが、新萬葉集はそれとはく性質のつたものでなければならぬ。
その意味は、單に數の問題、ちここにはに多數の歌人の歌が集されるといふことにのみ關
係するのではない。もとより、新萬葉集において無名の歌人が登場することはそれ自體意義があ
る。また應募でないにしても、刊の歌集はにおいてなるべく廣く眼をすことが望ましい
であらう。しかし新萬葉集の意義はかやうなことに盡きるのでなく、それが眞の國民學である
ためには、何よりも「歌壇」といふものの意識を克してかかることが大切であらうと思ふ。歌
を詠む人にはこの歌壇意識がなかなかい。單に中央歌壇のみでなく、地方歌壇にも歌壇意識と
いふものがある。新萬葉集に投稿するといふことは地方歌壇から中央歌壇へ出るといふやうなこ
ととしてでなく、およそ歌壇といふものからく離れて考へられねばならぬことである。歌壇意
二三九
識を棄て去つて應募され、定され、纂されるのでなければ、眞の國民學は作られない。そ
新しい國民學
二四〇
して私が新萬葉集に期待するのは新しい國民學である。小その他の學領域において今日國
民學を確立することは容易な問題でないにしても、幸に短歌は我が國民のすべての階に普及
し、あらゆる種の人によつて制作されてゐる學である故に、先づこの領域において新しい國
民學が現はれることが考へられ、そして新萬葉集によつてそれが實現されることを期待したい
ので あ る 。
新萬葉集は新しい國民學であるために單に現存の歌壇における系統に從つて纂された
集のやうなものであつてはならない。それと同時に、新萬葉集においては歌論が先に立つといふ
ことをけねばならないのでないかと思ふ。定の基準は歌の喚び起す直接の感動を主とすべき
ものであらうと思ふ。今日實に樣々の歌論が現はれてをり、そしてそれぞれの歌論の實驗である
やうな歌が多く存在してゐる。かやうなことは詩歌の歩發展にとつて必なことであり、意義
のあることである。しかし新萬葉集は何等かの一つの或ひは多くの歌論の實踐といふやうなもの
でなく、直接の感動を主として歌をぶことによつて現實に國民學であるべきものであらう。
その意味において私は、自由律の新短歌やプロレタリア短歌などがその中から除外されることに
決定したといふのは正當なことであると考へる。私はそれらの新しい歌に反對するものでなく、
むしろ同するものであるが、しかしそれらの歌には歌論が先に立つてその實驗であるやうなも
のが多いし、またそのやうな新しい歌は將來に屬するものであつて、いま新萬葉集を明治以後に
おける作歌の完結した集大として纂するといふ場合には除外されて然るべきものである。集
を作るといふことはつねに一應の完結を意味する。新萬葉集は明治以後の短歌の發展に一應の完
結を與へるものとして考へられることであらう。しかしながら、自由律の新短歌やプロレタリア
短歌を將來の發展に屬するものとして除外するといふことは、いはゆる古典的な乃至擬古的な歌
をのみ集めるといふことではないであらう。萬葉集そのものも明治以來新たに發見され、そこか
ら或る一定の歌論が作られ、またこの歌論に從つて制作の實踐が行はれてきた。けれども新萬葉
集はかやうな歌論からも獨立に纂されるべきであると思ふ。「萬葉的な」歌のみでなく、現代
のあらゆる歌が從つてそこにはいはゆる「プロレタリア」短歌ならぬ多くのプロレタリア的な歌
それの喚び起す直接の感動を主なる基準として定されねばならぬ。か
も含まれる筈である ——
くして初めて新萬葉集は新しい國民學となり得るのである。そこにはあの萬葉時代とはおのづ
からつた現代の新しい感覺、感、思想等がき出て來なくてはならない。何等かの歌論はか
二四一
やうにして作られた新萬葉集に就いて誰かが後から立てるべきものであつて、先に行くべきもの
新しい國民學
でな い で あ ら う 。
二四二
新萬葉集がどのやうに萬葉集のを繼承し、またどのやうにこれとはつた新しいものとし
て現はれるかといふことは、後世の人にとつてはもとより、我々にとつても極めて興味あること
である。そこに我々は日本民族のの傳統と發展とを見究めたいと思ふ。新萬葉集が新しい國
民學としての價値を有することが私の大きな期待である。
政治への反
この頃壇にはさつばり問題がないやうである。もちろんただ問題のために問題を作るといふ
やうなジャーナリスティックな態度は善くない。そして從來かやうなことが餘りに多かつたこと
も事實である。併しながら、この頃の壇に問題らしい問題がなくなつたといふことは、そのや
うなジャーナリスティックな態度が深く反省されたためばかりでないやうである。それは、これ
までに目星しい問題が一りは殆ど出盡したといふことにも依るであらう。しかしそれらの問題
のどの一つも未だ十に解決されたわけでなくむしろただ放り出されたままになつてゐるといふ
のが事實にい。學の根本問題がジャーナリズムの上でのか數ヶ月間の論議によつて解決し
盡される筈のものでない。同じ問題に何年もりついて考へる熱が欲しいのである。一つの問
題を繰りすことは不名譽でもなく無意味でもない。繰りすといふことは先走りしてゐたもの
を現在へれるといふことである。そして實に、日本においては、この國の化の特殊事に
二四三
相應して、多くの問題が先走りする傾向があり、從つてつねに現在へれることがちそれを
政治への反
繰りすことが必なのである。
二四四
この頃の壇に問題がなくなつたのは學の指の探求に對する熱意が減したことを示
してゐるやうに思はれる。最燃え上つた、しかも今ではすでにもはや下火になつてしまつたあ
の日本的なものに就いての問題の如きも、現代學の指に相渉るところがどれほどあつた
か疑はしく、むしろ指の探求に對する熱意の不足のために來問題がなくなつてゐる壇
がいはば埋合せにそれをことさら賑かに取り上げたやうなところがないでなかつた。その場合、
「民族とは我々である」といふ一つの當然の結論が出て來たにしても、その我々自身に現代學
の指の探求に對する熱意が缺乏してゐては何にもならない。
この頃の作家が種々の意味においてしく均化してきたといふことも注目すべき現象であら
う。作品に大きな破綻もなくなつた代りにズバ拔けたものもなくなつた。しかもそれは單に壇
にのみ限られたことでない。學界でも思想界でもみな同樣の特的な現象がめられるのである
が、それは日本化の將來のために深く考ふべきことでなければならぬ。破綻が少くなつたこと
は、他の方面から見ると、指の探求に對する熱意が足りなくなつたことを現はしてゐる。
ひとは根本問題をけることによつて破綻を少くすることができる。そしてまたこの頃作家の
均化と共に流の對立も稀薄になつて來たやうである。これはもちろん、作家の從來のやうな孤
立性が滅したことにも依るであらう。昔の職人氣質とか藝家氣質とかといふものはこの頃の
作家には第に見られなくなつた。この事はそれ自體としては喜ぶべきことである。しかし古い
藝家氣質がなくなると同時に新しい藝家的性格が作られて來なければならないのであるが、
のものは滅んで後のものは未だ生れて來てゐないといふのが今日の實際である。古い藝家氣
質を毀すことは善いとしても、それに代るべき新しい藝家的性格の形に對してどれだけ努力
がなされてゐるかさへ疑問である。昔の藝家にはいろいろ好ましくない氣質があつたが、それ
でもその職人氣質の奧には單なる職人氣質以上の技のともいふべきものの閃きがあつた
し、またその底には何よりも會及び人生に對する不逞のが横たはつてゐた。今日の若い藝
家の會性が俗的な且つ功利的な意味での性に限られてゐるやうでは困る。この頃の
人は皆、書くことが上手になつたと云はれる。しかしながら、その巧さの奧から技のその
もののつて來るのが感じられるか、またその底に不逞のが胡床居してゐるのがめられる
か。壇にも、日本の他の會においてと同樣、閥があつても學上の流の對立はあまりない。
二四五
そしてその閥も、この頃では、政治上のいはゆる擧國一致と同じやうな傾向を帶びて來てゐるや
政治への反
二四六
うに思はれる。今日の政治的勢が今日の壇の部にも反映してゐるとも云はれるであらう。
いはゆる擧國一致的な相剋の解には、少くとも學に關する限り、あまり意味がない。もつと
熱意をもつて指の求が行はれ、そしてそこにおのづからの流の對立が生じて來るとす
れば、それは何等憂ふべきことでなく、むしろ大いに歡さるべきことである。
この頃長小がぼつぼつ現はれるやうになつたことは喜ばしい。殊に經濟上の樣々な困と
鬪ひつつ書卸し長小への努力がなされてゐるといふことは感激に値する。もとよりその結果
に至つてはなほ希望すべきものが多く殘されてゐるであらう。いつたい我が國において長小
に對する求が現はれたのは、從來の短小とは質的に異つた學に對する求としてでなけ
ればならぬ。兩の相は單なる量上の問題であり得ない。それだから、的に云ふと短
小であつても、從來のものと質的にく異るものであつたならば、かやうな「長小に對す
る求」を滿足させることができるわけである。ただ學においては形式と容とは抽象的に
量上の制約もかかるものの一つである ——
が
離され得ず、短小における形式上の制約 ——
また容上の制約ともなるところから、小の質の變化に對する求が長小に對する求と
なつて現はれるのである。短小を引伸ばしたやうなもの、短小を二つか三つ繼ぎ合はせ
たやうなものであつては眞の長小といふことはできない。求められてゐるのは元來學の質
的變化である。それ故にまた、從來の短小とはつた新しい性質の短小が々と出るや
うな態にならなければ、眞に求められてゐるやうな長小は出て來ないと云へるであらう。
新しい學に對する求はいろいろ擧げることができる、しかもその殆どすべてがこれまでに
題目としては云ひ盡されてゐる。例へば思想性に對する求である。この求は、本來、學に
對して外部から與へられてゐる何等かの思想を明するにぎないやうな作品を書くことを意味
するのではない。學ならぬ我々が作品のうちに求めるのは、學でなければ捉へることも
現はすこともできないやうな思想である。もちろん、作品のうちに見出されるやうな思想をあと
から論理的に析してゆけばそれが科學や哲學の與へる思想と同一のものに歸着するといふこと
は極めて可能なことである。けれどもそれは抽象的析の結果であつて、學作品が最初に根源
的に齎す形態ではない。現實をすら創しようとする學が思想の創において臆病であつて
はならない。作品の思想性をするは同時にその思想性の創を力すべきであらう。然る
にこの後のことがあまり云はれないのは、作品の思想性と云つても實は政治性を意味してゐるの
二四七
であつて、眞に思想性そのものを問題にしてゐるのではないといふことを示してゐる。且つその
政治への反
二四八
場合政治が科學的乃至哲學的であるといふことが豫想されてゐる。思想は何よりも現實のうちに
ある。作家はかやうな現實のうちに含まれてゐる思想を自己の眼、學的な眼をもつてまね
ばならぬ。それが實證的であるが、このものなしに作品の思想性は語ることができぬ。作品
の思想性は現實のうちに含まれてゐなければならぬといふ場合、この現實はまた實に作家の作り
出した現實のことでなければならぬ。言ひ換へると、思想は作家にとつて作品の面的力で
あるやうなものでなければならない。然るに作品の思想性は從來においては作品の政治性と殆ど
同意義に解されてをり、そこにその向が見られることができる。作家はかやうな向を矯正す
るのみでなく、んで政治そのものに對しても自己の立場から批判的に對すべきであらう。いつ
たい、作品の思想性と政治性とを同一し得るほど、政治が科學的乃至哲學的であるかどうかが
問題である。作品の思想性と云ひ政治性と云つても、從來はすべて學を何か他のものに從屬さ
せるといふやうな意味を含んでゐた。これに對しこの頃學が反撥し始めたやうに思はれるが、
しかしそのことから作品に思想性や政治性がくなくなつてしまはねばならぬといふことは生じ
ない。學は常に政治から批判される位置にあるのでなく、に政治を批判する位置に立つこと
が必である。學が政治からの批判に從屬することのみが作品の政治性を形作るのでなく、政
治に對して學の立場から批判的であることも作品の政治性を形作り得る筈である。しかるに從
來はただのことのみが云はれて來た。今日特に必なものは學の立場からの政治に對する批
判であり、單に一定の形態における政治のみでなく、およそ政治そのものに對する批判である。
政治に對してこれを批する力がであるといふことが今日の政治の不幸であり、そのために
政治は今日々ただ權力的なものとなりつつある。一つの政治に對する批判が單に他の政治によ
つてのみ行はれてゐる限り、政治の含む權力の論理は々化されるのみであり、そのことが今
日の不幸となつてゐるやうに思はれる。學は自己の立場からかやうな政治に對して批判の位
置に立つべきであつて、その立場とはするにヒューマニティの立場でなければならぬ。政治の
論理の非性に對して學はヒューマニティの立場からの批判を怠つてはならない。政治に對す
る政治以外の批判が存在するといふことは政治そのものにとつても必なことであつて、それ
によつて政治はになることができるのである。自己に對立するものを有しないもの、從つて
自己を制御し抑制するものを有しないものは氣狂になるのほかないであらう。かやうに政治に對
して批判的になるといふことは、もとより、政治に對して無關心になることでなく、或ひは單に
二四九
政治をつつぱなしてしまふことでもない。この頃、學にして政治を語るも殖えて來たが、
政治への反
ほんとに學らしい政治論はまだあまり見られないやうである。
二五〇
學と技
ホメロスの英雄たちは自で手工業に從事してゐる。エウマイオスは自で革を裁つて履物を
作つたと云はれ、オデュッセウスは非常に用な大工で指物師であつたと云はれる。かやうな物
語を讀むと、自でも何か手細工をして見たくなるものだ。職人が仕事をするのを見てゐるのは
なかなか樂しいものであり、自でもやつてみたいといふ衝動を起させる。藝的欲望は人間に
生れ付いてゐると云はれるやうに、技的欲望もまた人間に生れ付いてゐる。
ギリシアの哲學は藝と技とを同樣に考へ、ポイエシスといふ一つの範疇に括した。ち
やうど現代の哲學が自の思想を明するに當つてしばしば藝に例を求めるやうに、ギリシ
アの哲學は自の念をしばしば技との比論において解明してゐる。ソクラテスがさうであ
つたことはプラトンの對話から窺はれるし、アリストテレスの如きは特にさうであつた。その
二五一
意味においてもゲーテはギリシアを繼承し發展させたと云はれ得るであらう。ゲーテは技
の修業の人間的養的價値を極めて高く價してゐる。
學と技
二五二
いま技といつたのは手工業的技のことである。代の機械工業における技はこれと多少
趣を異にしてゐる。その差異は、手工業は人間の身に付いた技であるに反して、機械工業は人
間から抽象された技であるといふところにある。手工業的技は熟を必とし、熟によつ
てその技は人間化され、個性化されてゐる。從つてまたそれは性質的である。手工業が人間に
對して人格的養的價値を有するのもこれに依るのである。しかるに機械的技は一般的抽象的
であり、機械をもつて勞働するの位置はいつでも他のによつて代られることができる。一人
の男は他の男と代り得るのみでなく、人とでも子供とでも代り得る。機械工業にも熟工が必
であると云はれるが、それは理想でなく、理想は却つて誰でもが直ぐに熟工になれるといふ
ことである。大河正士の唱されてゐる「科學主義工業」といふのはこの理想を實現しよ
うとするものである。そこで機械的技に依る勞働は性質的でなくて量的であり、從つて勞働時
間が主な問題になつて來る。その勞働はかやうに抽象的であるところから、それは人間性を破
壞するもののやうにも云はれるのである。
藝 に と つ て 技 が 必 な こ と は 云 ふ ま で も な い で あ ら う。 技 的 素 を 含 ま な い 藝 は な
く、技の得は藝家にとつても基礎的に重である。ところで藝家に求される技は手
工業的なものであると云はれるであらう。藝作品は性質的であり、個性的であり、人間的であ
る故に、藝と結び付くことができる技は手工業的なものでなければならぬと考へられる。し
かるにかやうに考へてゆけば、映畫藝、レコード藝、ラヂオ藝などと云ふことは矛盾する
ことになつて來る。これらのものは代的な機械的技の物である。これらのものと、學、
繪畫、刻などとの相異は、一方は技的であつて他方は技的でないといふことにあるのでな
く、その基礎となる技の種と性質の相に依ると見られねばならぬであらう。映畫、レコー
ド、ラヂオ等が藝に屬するか否かといふ問題は別にしても、これらのものが現代人によつて藝
の一種として受け容れられてゆく傾向があることは爭はれない。トーキー映畫の如きが少くと
も今日壓倒的な勢で美展覽會や芝居の觀衆をさらつてゆく傾向があるのは事實である。そこで
技と藝といふ問題は、今日においては、單純に藝と手工業的技といふ問題でなく、むし
ろ特に藝と機械的技といふ問題になつてゐる。
どのやうな藝も技を基礎とせねばならぬとすれば、その技の種によつてその作品が藝
であるか否かを決めることはできないやうに思はれる。代の築は代的な機械的技によ
二五三
つて作られるものであるが、それは立に藝作品である。してみれば、映畫やレコードと昔か
學と技
二五四
らの演劇や樂との藝としての相は、もつと本質的なところに求められねばならぬ。それは
長谷川如是閑氏の語を借れば「原形藝」と「複製藝」との相である。尤も、映畫が複製で
あるといふ意味は、街で賣つてゐるラファエロやセザンヌが複製であるといふ意味とは同じでな
い。映畫俳優は自の演技が寫眞になることを目的としてゐる。けれども映畫そのものは彼等の
實演に對して複製の意味をもつてゐる。藝は模倣の模倣であるといふプラトンの定義は、そ
の形而上學的意味とは別にその實際的意味を映畫藝やレコード藝において見出したわけであ
る。機械が化に齎した大きな變化の一つは複製といふものを可能にした點にある。
ところで學についても印刷機械の發明は複製を可能にした。作家が一つの作品を書けば、印
刷に附せられて無數の複製が作られる。しかしそのことによつて學は複製藝になるのではな
い。それは俳優の演技が映畫になり、樂家の演奏がレコードになるといふのとは意味を異にし
てゐる。複製の繪畫は原形の繪畫とはくつた價値のものであるが、學作品はどれ程多くの
複製を作つてもその價値は變らない。映畫の出現に對して芝居は脅威を感ぜねばならなかつたに
しても、印刷機械の發明は學にとつてろ歡すべきことであつた。これは學と他の藝と
の間に見られる簡單な差異であるが、しかし重な意味を有してゐる。何よりもそこに學の手
段である言葉といふものの祕密を見なければならぬであらう。言葉といふものほど不思議なもの
はない。人間は言葉を有する動物であるといふギリシア人の定義には考へれば考へるほど深い意
味が あ る 。
言葉は二重の存在を有してゐる。言葉は話される言葉であると共に書かれる言葉である。言葉
は聲としてと同時に字として存在する。しかるに他の藝の手段、例へば繪畫の用ゐる色は
かやうな二重の存在を有しない。そして言葉が本質的に二重の存在を有するといふことが學作
品の印刷機械に依る複製を複製藝にしないで原形藝のままに止まることを可能にするのであ
る。讀される詩はすでに字をもつて現はされてゐるか、さもなければ直ちに字をもつて現
はすことができ、かくして印刷せられて字として存在するが、もしひとが欲するならば、これ
を再び讀することができる。かやうな轉換の可能性は言葉そのものの中に本質的に含まれてゐ
る。
言葉は最も抽象的な手段であると同時に最も體的な藝手段である。言葉は抽象的であるか
ら印刷機械に附せられてもその本質を失ふことがないのである。色は體的なものである故に
二五五
複製されるとその性質に變化を生ぜねばならぬ。しかしまた言葉の有する體性は複製が作られ
學と技
てもその中に保存され得るほど體的である。
二五六
言葉のかやうな性質はもちろん言葉が思想的であるといふことに關係がある。學は思想藝
と稱せられる。けれどもそれを單に思想のせゐばかりにするのは間つてゐる。「ひとが詩を作
るのはイデーをもつてではない、語をもつてなのである」、といふマラルメの言を想ひ起すべき
であらう。學の有する右の如き性質はむしろ言葉そのものの性質のうちに含まれてゐる。言葉
は藝手段のうち最も思想的であると共に最も身體的である。
原形藝と複製藝との相は種々考へることができるであらうが、最も根本的な相は、複
製藝は抽象的であるいふことにめられるであらう。手工業的勞働に對して機械的勞働が抽象
的であるやうに、原形藝に對して複製藝は抽象的である。この抽象性もいろいろに考へるこ
とができる。レコードやラヂオは覺を抽象する。樂會では演奏家の身振りが加はつて演奏の
藝的效果を作つてゐるのであるが、專ら聽覺にのみ訴へるレコードやラヂオはこれをく抽象
する。しかるにかやうな抽象の最も根本的なものは身體性の抽象といふことにあるであらう。手
工業的技は技の身に附いて身體化された技であり、その作品のうちには彼の身體性が表
現されてゐるに反して、機械的技における勞働は抽象的一般的勞働であり、その生物のうち
には身體性が表現されてゐない。この點において藝作品は工業的製品に比して身體的であると
いふことができる。ちやうどそのやうに複製藝は原形藝に比して身體性が稀薄であるといふ
ことができる。映畫の場面は芝居の場面に比して他の點では決して抽象的でなく、むしろ現實
的で體的であるとも云はれるのであるが、身體性においてはは後よりも抽象的である。
藝にとつて身體性は重な意味を有してゐる。學の手段とされる言葉のうちにも作家の身體
性が表現されてをり、このものを除いて作品の體性も眞力も考へることができぬ。ところで
右にべた言葉の特殊な性質は機械に依る複製においても言葉のうちに表現されてゐる身體性を
保存し得る故に、印刷された無數の書物のすべてが原形藝であり得るのである。
しかるにそのことは特殊な仕方で學が代的な機械的技と結び付くことを可能にしてを
り、また求してゐる。學の製作そのものは手工業的なところをし得ないであらう。けれど
も言葉は最も身體的であると共に最も思想的であるといふ言葉の性質は、抽象的なものと體的
に結び付くことを可能にしてゐる。手工業的技における知性と機械的技における知性とは本
質的には同一であるにしても種別的には異つてゐる。二つの場合における思想には或る差異を
二五七
めることができる、そこには身體的な思想と抽象的な思想といふやうな差異がある。今日科學的
學と技
二五八
な意味において思想といはれるのは後であり、後から見ればは思想とも云ひいほど身
體的である。ちやうど、日本學は思想性に乏しいといはれる場合、實は思想がないのではなく
て、ただ思想といはれるものの意味が科學的化において思想といはれるものと性質を異にして
ゐると考へねばならぬのと同樣である。しかし學は言葉の藝としてその思想もまた身體的な
思想から見れば抽象的と言はれるやうな思想にまで學性を失ふことなしに擴がることができ
る。日本の學の發展のために求されてゐるのは後の意味において思想的な作品が作られるこ
とである。それには作家の新しい技が必であり、この技は機械的技における知性の本質
に對する深い洞察によつて發見されることができる。
詩と科學
古代の詩が古代の知性と關聯してゐるやうに、代の詩は代の知性と關聯してゐる。知性に
も時代があり、一つの時代の知性はその時代の他の化においてと同樣、詩においてもその特殊
性を現はすものである。代的な知性は特に科學的な知性であるとすれば、詩と知性とが無關係
なものでない限り、代的な詩は科學と深い關係を有するのでなければならぬ。
詩と科學とのこのやうな關係は我が國の藝においては格別に重な意味をもつてゐる。我が
國において俳句や短歌に對して詩といはれるものは代的な物である。それは西洋で發した
代的な科學的な化の移植と共に現はれたものである。傳統的な俳句や短歌ももとより知性と
く無關係なものではなかつた。そこには東洋的な乃至日本的な知性がある。しかるにこの知性
の特色は、的に見て、これまで科學を發させなかつたところにある。俳句や短歌の根柢に
あつた知性は科學と深いをもたぬ知性であつた。それ故に詩が俳句や短歌に對して新しい
二五九
から生れた新しい學形式として發するといふには、まづ特に科學的な知性を我が物とするこ
詩と科學
二六〇
とだと云へるであらう。科學のをいかに身につけるかといふ點に、俳句や短歌に對する詩の
獨立的發展が懸つてゐると考へ得るであらう。
日本の詩人の詩人としての生涯はとりわけ短いといはれる。若い時代に詩を書いた人で、後に
は短歌などに移るやうな人も尠くない。このやうな事實は、ただ單に、春の熱のみが詩を作
らせるといふ風にいつて、明されてゐる。たしかに詩作には熱が必である。しかし熱の
みでは詩は作られない。詩作には方法論がなければならぬといふ理由によつてすでに知性が必
である。日本の詩人の詩的生涯がして短かぎるとすれば、それは彼等の春の詩が單に和歌
の變形のやうなものであつたか、それとも彼等が年齡を加へるに從つて東洋的な知性につてい
つたかのいづれかの場合であることが多いと思ふ。實際、我々は多くの日本人が、若い時には西
洋好みであり、年が寄ると共に東洋好みになるのを見るのであるが、これは面的には知性の性
質の變化を意味してゐる。もちろん、日本に日本的な、國民的な詩の生れることは極めて望まし
いことである。また短歌や俳句の如きも時代によつて異つてくるのであつて、科學的な知性と
く相容れないとは云はれないであらう。しかし我が國において詩が短歌や俳句に對して獨立性を
それは從來西洋において發したのであるが、今日で
確立するには、詩人が特に科學の ——
はもはや單に西洋的と云つてはならぬ ——
を體得することが大切である。日本における詩の發
は、この國の藝家が科學のをどれだけ身につけ得るかといふことに關係してゐると云つて
も好 い で あ ら う 。
俳句や短歌に對して詩をこのやうに見ることは、すでに、詩と科學との關係が何よりも方法論
に存することを示してゐる。詩と科學とはその方法論においてく對立すると考へられるかも知
れない。詩は直觀に依り、科學は推理に依るといはれる。しかし例へばポアンカレは『科學と方
法』の中の有名な章の中で、數學的發見にも直觀が必であることを自の體驗からべてゐ
る。發見するとは識別することであり、擇することである。しかるにこのやうな識別と擇と
において働くのは美的感である。數や圖形の和、幾何學的優美についての特殊な美的感を
持つてゐなければ、眞の發明家にはなれない、とポアンカレは語つてゐる。このやうな形を見出
詩學においていはれるファンシイとイマジネーションとの區別
す能力は想力或ひは想像力 ——
であるとすれば、科學上の發見においても想力は必で
はここでは問題にしないでおかう ——
あり、そして詩作がこの想力に基くことは論ずるまでもないであらう。詩と科學とが相容れな
二六一
いやうにいふのは、出來上つた詩、出來上つた科學を享受し或ひは理解する立場から考へられる
詩と科學
二六二
ためであつて、科學が發見的に作られ、詩が創的に作られる作用そのものの立場から見られな
いためである。もとより、科學において直觀的な想は實證されねばならぬ。しかし詩において
も特殊な實證が必なのであつて、想力に基づく心理的イメージが言葉といふ物質的なものに
おいて完に處理されること、つまり現實の詩作そのものが實證なのである。
想力は單に夢想するものでなく、むしろ詩の觀念性或ひは直觀的な思想性を形するもので
ある。傳統的な日本の學には思想が缺けてゐると云はれるが、それはとりもなほさず想力が
乏しかつたことを意味してゐる。尤も、思想がないと云はれる我が國の傳統的な學にも實は思
想がないわけでなく、むしろ思想といはれるものの性質が異つてゐるにぎない。ちそれには
科學が思想といはれる意味における思想が缺けてゐたのである。俳句や短歌に對して詩が新しい
を有する新しい學形式として立するには、この意味における思想性乃至觀念性を獲得し
なければならぬであらう。俳句や短歌にしてもかやうな詩を體現することによつて今日新し
くなることができる。ところで我が國の傳統的な學の根本は、特殊なリアリズム、ち東
洋的自然主義ともいふべきもののリアリズムである。このリアリズムの特色は科學的な知性との
對立において明かにすることができる。科學的な知性の特色は、假的に考へるといふところに
ある。この假的な思考が傳統的な東洋思想には缺けてをり、そしてそれだけまた一リアリス
ティックであつたと云ふこともできる。假的に考へるといふには想力が働かなければなら
ぬ。しかし假的といふことは何等のリアリティもないといふことでなく、却つて東洋的リアリ
ズムに對して一つの新しいリアリティの實證の仕方にほかならない。この新しい方法を我が物と
することによつて詩は傳統的な我が國の詩學に對して「新詩」と稱せられるやうな新しい意味
を持つことができる。詩にとつて重な關係があるのは、科學の結果であるよりも科學ので
ある 。
代科學の詩に對する意味はもちろん右のやうな方法論上のことに盡きるのでなく、科學は
容的にも詩のために新しいイマジネーションの領域を開拓したのである。科學は從來の祕の世
界を無くしたと同時に新しい祕の世界を開いたのである。この世界において詩人は新しいイマ
ジネーションを働かすことができる。しかもこの世界の開拓は一つの方法論によつて可能にされ
たのであつて、この世界に自由に出入して詩作するためには、詩人もまた科學の方法論と比的
な方法論を身につけなければならない。
二六三
私はここで詩と科學との關係を傳統的な俳句や短歌との對立において考察した。解の生じな
詩と科學
二六四
いやうに繰して云つておかねばならぬことは、私は俳句や短歌が決して變化しないものである
と考へるのでなく、また日本における詩が西洋模倣に止まつて獨自の日本的なものにすること
を否定するものではない。却つてく反對である。しかし日本獨自の詩が生れるにしても、それ
は科學のを我々の獨自の立場から求することによつて初めて可能であると考へたいのであ
る。詩人は新學の先驅であるといふ自覺をつねにもたねばならぬ。
古典の念
classic, Klassik,
無雜作に用ゐられてゐる言葉の意味について時に反省してみることが必である、そこに思ひ
掛けなく大きな問題が含まれてゐるのを發見することがある。
今 日 極 め て 普 に は れ て ゐ る 古 典 と い ふ 語 は 西 洋 の「 ク ラ シ ッ ク 」(
)といふ語と同じ意味で、その譯語のやうに見られてゐる。今その言語學的・獻學的
classique
索は私の問題でなく、その謂はば論理的意味が問題である。論理的に考へると、西洋のクラ
シックといふ語と我々の古典といふ語との間にはかなり差異があるのであつて、そこに日本の
學、また一般に化にとつて重な問題が含まれてゐるのではないかと思ふ。そしてそれは
單に去のに關するのみでなく、現在の問題にも關係することである。
もちろん普用ゐられてゐる古典といふ語の一般的意味は西洋のクラシックといふ語の一般的
意味と同じであらう。ちそれは模範であり典型であるやうな作品を意味してゐる。この意味に
二六五
おいてはあらゆる國、あらゆる時代に古典が存在する。古典とかクラシックとかといふと、古い
古典の念
二六六
時代の作品といふ意味がたいてい含まれてゐるけれども、單に去のものでなく時代を超えて生
命を有し、現在においてもなほ何等か模範となり得るやうな永的價値を有するものが古典であ
り、從つて今日作られたものであつてもそのやうな價値を有し得ると考へられるものはそれ自身
に古典であると見られ、「現代の古典」などと云はれるのである。かくの如き一般的意味にお
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いては古典といふ語とクラシックといふ語とはく同じに用ゐられてゐる。
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に對してその的意味が論理的に區別されねばならぬ。ち
しかしながら言葉の一般的意味
西洋のクラシックといふ語は一般的意味のほかに特別の的意味を有してゐる。それはギリシ
ア・ラテンといふのと端的に同じ意味にはれる。古典語といふとギリシア語ラテン語のことで
あり、古典學といふとギリシア及びローマの學のことである。かやうな用法は的に自明
のこととして用してをり、そしてそれはイギリスにおいても、フランスにおいても、ドイツに
おいても變りがない。このことはギリシア・ラテンの化が西洋化に對して如何に深い影を
及ぼしてゐるかを語ると共に、西洋國の化が體として一つの統一を有することを示してゐ
る。西洋人にとつてクラシックは自國の古典を意味するよりもギリシア・ラテンの古典を意味し
てゐる。ギリシア・ローマの化はキリストと共に今日に至るまで西洋化の統一の基礎とな
つて ゐ る 。
いま若し日本で同樣の意味における古典の念をたづねるならば、それは差當り支の化を
意味することになるであらう。實際、日本の化は支の化から大きな影を受けてをり、漢
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學が古典的養と見做された時代は永い間いた。しかしそれにしても今日我々は古典といふ語
が端的に古代支の典籍を指すものとは考へないであらう。日本學のを究し敍する
にとつてそのやうな古典の念は殆どく頭にんでゐないであらうし、またそのやうな仕方で
日本の學が支の作品の影を受けてゐるとは思はれないのである。また今日の思想問題とし
て考へても、例へばドイツにおいては頻りに民族主義が唱へられてゐるにも拘らず依然としてギ
リシアが古典と呼ばれ、ドイツこそギリシア化の正統の繼承であると主張されてゐるのであ
る。しかるに日本主義は支の化について同樣に考へることを許すであらうか。
それのみでなく日本學の部においても古典の的念は明瞭に限定されてゐないやうで
ある。それが限定されるためには日本學の從來ののうちにおいて「古典的時代」といふも
のが限定されることが必であらう。如何なる時代がそのやうな古典的時代としてめられてゐ
二六七
るのであらうか。一般にめられてゐるやうな時代規定はなく、またその規定に向つて人々が努
古典の念
力してゐるやうにも見えないのである。
二六八
我が國における古典の念のかやうな無限定性はに古典といふ語と結び付いた「古典主義」
といふ念が日本の學には明確には存在しないといふことからも知られるであらう。西洋に
おいては古典主義といふ語は限定された意味を有してゐる、古典とか古典的時代とかといふもの
の意味が限定されてゐるからである。若し我が國において古典主義といふ語を用ゐるとすれば、
それはいつたい何を意味するであらうか。に西洋においては古典ちギリシア・ローマの化
の復興といふことは一定の思想傾向ちヒューマニズムと結び付いてゐるのがつねである。ルネ
サンスのヒューマニズム、フンボルトなどのドイツのヒューマニズムがさうであつた。しかるに
我が國において古典といふ場合、それは何等か一定の思想傾向と結び付いて考へられてゐるので
あら う か 。
右のやうなことを種々考へてくると、そこから色々なことが出てくるやうである。ちそこに
日本學の家及び批家にとつて反省すべき問題が與へられてゐることは云ふまでもないが、
我々はまたそこから日本の化、殊に學が、支の影を受けてゐるにしても、極めて獨自な
ものであることを知り得ると共に、他方東洋には西洋におけると同樣の化の統一が存在しなか
つたことを知り得るのである。「東洋化」とか「東洋思想」とかといふものはなかなか困な
問題であることがわかる。また日本學の部において古典の的念が明瞭でないといふこ
とは今日の我々にとつて大きな化的問題である。今日我々の間で古典といはれるものは日本の
二六九
古典であつたり、支の古典であつたり、に西洋の古典であつたりする。そこに日本化の多
樣な豐富さと共に、少くともその客觀的な無統一が直接に現はれてゐる。
古典の念
藝時
二七〇
壇の圈外にあつて壇を見てゐるにとつても、支事變が始まつてから今日に至るまでの
間に壇の現象にはにかなりの變化があるやうに思はれる。それは壇人のみでなく、あらゆ
る化人の注目すべきことであり、自己反省をすることである。
支事變が始まると共に現はれたのは戰爭學論であつた。多くの從軍士が出來、また戰地
からも作品がられて來た。直接に戰爭に關係しないにしても、或ひは滿洲移民の學が作られ
たり、農村學が唱へられたり、傷病兵學の如きものさへ考へられた。それは現在の戰爭が總
力戰であるといふからいつて當然のことであつた。それらは凡て廣い意味での戰爭學であ
る。或ひはそれらはいはゆる國策學であり、そして實際に國策學として壇の問題になつた
ので あ る 。
かやうにして一時んであつた戰爭學論或ひは國策學論は一つの重な問題を含んでゐ
た。ち國策學は一定のイデオロギー的提のもとに立つのであり、かやうなものとして國策
學といはれることができる。從つて問題の中心はイデオロギーと學との關係であつた筈であ
る。この問題をあのマルクス主義學論の後新たに提出したといふ點に於て國策學論は學論
上重な意味を有した。
しかるに事實としては、問題はそのやうな方向には展開されなかつた。問題の中心はイデオロ
ギー或ひは思想と學との關係であつたが、先づそのやうなイデオロギー乃至思想が如何なるも
のであるかは根本的に求されなかつたのである。政治において國策といはれるものの思想的根
柢が曖昧であつたやうに、いはゆる國策學の基礎をなす思想も曖昧なものであつた。この思想
が何であり、或ひは何であるべきかを思想的に乃至學的に求するといふ努力は作家によつて
も批家によつても眞劍になされたとは云ひい。そこにろ國策學論の論點囘が見られる
ので あ る 。
國策學論の中心は思想と學との關係であり、從つてまたそれは政治と學との關係である
べきであつた。なぜなら、この場合思想といふのは政治的な思想である筈であるから。國策學
論は以マルクス主義學においてんに論ぜられた政治と學といふ重な問題を新たに提出
二七一
してゐた筈である。しかし事實としては、それはこの方向には展開されなかつた。ここにも論點
藝時
囘が見られるのである。
二七二
國策學論に現はれたかやうな論點囘は、その論點がマルクス主義學論時代に論じふるさ
れてゐた故に生じたのであらうか。それはたとひ論じふるされてゐたにしても論じ盡されてゐな
いものであり、その重性において今日決して減じてゐない問題である。或ひはそのことは現在
の政治的況が論議の自由を許さないために生じたことであらうか、そして今日の政治的況は
インテリゲンチャが自己に不實であることを餘儀なくしてゐるのであらうか。
いづれにしてもいはゆる國策學論において少くとも曖昧にしておかれた論點が、最に至つ
ていはば積極的に囘されるといふ現象が生じてゐる。それが如何なるものであるかを我々は見
究めなければならぬ。
この頃壇ではまた素材と形式の問題が論じられてゐる。それは國策學論の中心である筈の
思想と學或ひは政治と學の問題の論點囘から、論點轉換によつて生じた問題であると云へ
る。
種々の國策學は從來の學に對して新しい題材を取り上げた。そこには學における素材の
擴張があつた。國策學、殊に戰爭學は、その素材に對する興味から讀を惹き寄せた。しか
し素材だけでは學にならない。素材はそれにふさはしい形式をもたねばならぬ。しかるに國策
學の多くは、その素材が新しいものであるだけ、從來の作家にとつてそれにはまつた新しい形
式を發見することが困であつた。藝的にすぐれた作品は殆ど現はれなかつた。そこで素材の
新しさに對する興味が薄くなつたとき、それらの作品に對する不滿が感じられ、新たに形式の問
題が生じた。藝至上主義でさへもが唱へられるやうになつた。かくして國策學論が今日の素
材と形式の問題に轉換されたと理解することができる。
素材と形式の問題は藝論のイロハである。そしてこのやうに何等かの問題が論じられてゆく
うちに然イロハの問題に歸つてくるといふことは、我が國の壇や論壇においてしばしば見ら
れる現象である。我々はそこに傳統の缺乏とこれに關聯した基礎的な養の不足とを感じる。我
が國の作家や批家はとかく基礎的な知識を輕したがる傾向があるにも拘らず、その養の必
があるのである。基礎的な問題について蒙的に論じた藝論の好い書物が我が國には缺けて
をり、その出現が望ましいと思ふ。
二七三
マルクス主義學の流行した際に素材と形式の問題が頻りに論じられた。しかしその場合この
問題は思想と學或ひは政治と學の問題との關聯に於て取扱はれた。しかるに今日素材と形式
藝時
二七四
の問題は國策學論から必然に發展すべきであつた思想と學或ひは政治と學の問題から離
されてゐるやうである。そこに論點囘による論點轉換がある。
形式と素材或ひは容の問題に關聯して考へねばならぬことは、學における思想とは何か、
それは容に屬するのか形式に屬するのかといふことである。思想はたしかに容に屬してゐ
る。しかし單にかく考へることから種々のが生じてゐる。思想はむしろ形式に屬してゐる。
思想は素材に形式を與へるものであることが理解されねばならぬ。國策學が素材主義のに陷
つて藝として功しなかつたことも、見方に依れば、それがいはゆる國策の基礎の思想につい
て深く求することなく、ろそれを無批判に、常識的に、曖昧に考へるにぎなかつたためで
あるといへる。この思想をいはゆる國策に對して批判的にならねばならぬやうなことがあつても
恐れないまでに深く求するのでなければ、思想が學的に生きて來ることはできぬ。今日の
學において思想はどこまでも重な問題であると思ふ。思想がなければ新しい素材を取扱つて新
しい形式の學は生れないのである。
思想が形式であるといふ意味は思想とは何よりも先づ方法であるといふことである。方法は作
家の身についたものであり、それに據つて作品が作られてゆくものである。ち方法は作家にと
つて外にあるものではない。しかるにこれまで思想は單に素材或ひは容の如く考へられ、作家
にとつて外から與へられたもののやうに考へられた。この間つた考へ方が算され、思想が形
式であり方法であるといふ意味を理解することが、學における思想探求の端である。
作家にとつて方法は技を意味してゐる。技は、物質的生の技の場合に明かであるやう
に、知識を豫想する。新しい技は新しい知識を基礎として生れる。尤も技は科學と直接に同
じでなく、むしろ技は知識と意欲との綜合である。新しい意欲がなければ新しい技は生れな
い。しかし意欲だけあつても、それに相應する知識がなければ新しい技は生れない。かくの如
く、作家にとつても思想は何よりも先づ新しい技ち創作方法を獲得するために必である。
ただ慣的に、ルーティーヌに從つて得された技のみが方法と考へられてゐては、今日思
想といふものは作家にとつて外的なものに止まらざるを得ない。今日の作家にとつては慣的に
學ばるべきものにぎぬ技も、その根源に溯れば、一定の思想に基いて作られたものである。
思想を方法に、技に轉化することが作家にとつて問題である。方法を離れて思想があるのでは
二七五
しかるに思想を單に素材或ひは容の如く考へるは、思想をもつて外に與へられたもの、單
ない 。
藝時
二七六
に會的なものの如く考へる。思想は主體化される事なく、會的に規格化される。思想の會
的規格化はマルクス主義時代から我が國に流行してゐることであつて、今日の體主義や日本主
義などもそのを有してゐる。このやうな態が繼する限り作家の思想惡が生ずるのも無
理は な い で あ ら う 。
眞の思想家は單に會の爲に思想を作るのでなく、自自身の爲に思想を求めるのである。自
の生きてゆく據りを求めるために思想を探求するのである。會と自とは別のものであり
ながら、しかしまた自と會とは一つのものである。そこに思想の場がある。
しかるに自と會とが一つのものであるといふ信念の喪失、それが現代インテリゲンチャの
信念喪失の主なる容である。そこから一方時代に對する無操な隨ち無思想が生ずると共
に、他方あらゆる思想に對する不信乃至懷疑が生じてゐる。つまり思想がその場をもたないの
であり、これでは思想も學も發展のしやうがないのである。
時代に對する隨も、思想に對する懷疑も、作家が思想をそのあるべき場において探求しな
いといふことから生じてゐる。それは容としてよりも方法として、會的に與へられたものと
してでなく、自が會と一つであるといふ信念において探求さるべきものである。
學における思想の問題はつねに創作方法の問題と結び付いてゐる。自然主義學の場合がさ
うであつたし、またマルクス主義學の場合においても唯物辯證法的創作方法とか會主義的リ
アリズムとかといつてんに論じられたことは、人々の記憶に新たなところである。新日本主義
も「コギト」一においては、初め浪漫主義として主張されたのである。
しかるに國策學論以來の學は、思想についての求が足りなくなつたと共に、創作方法に
ついての探求も足りなくなつてゐる。國策學論は如何なる方法論を提起したのであらうか。何
もない。また實踐的にもその作品は新しい創作方法を示したとは云へない。かやうにして從來の
國策學論はそれが政治的にどれほど貢獻したかが問題であるのみでなく、學的にも寄與する
ものが殆どなかつたのである。
尤も思ひ出したやうにリアリズムについて論じられた。また思ひ出したやうに浪漫主義が問題
にされた。しかしそれは變化を求めるジャーナリズムの刺戟によるのであつて、作家や批家の
的な求に基いて取り上げられた方法論的探求であると思へない。
二七七
かやうにして今日の學において感ぜられるのは探求心の衰である。學書がよく賣れると
その賣行も最では減の傾向にあるといふ ——
にも拘らず、學がんであると
云はれる ——
藝時
二七八
は云はれない理由がある。むしろ探求心の衰のために學は第に低下しつつある。肝腎の探
求心が衰してゆくのでは、この低下の傾向は防ぎやうもないのである。露や鏡花、武小路
や里見等の作家が俄に光り出して來たのも當然であらう。作品の質が低下するのでは學は眞に
國家の爲めに仕へることもできないのである。
いはゆる國策學以來、書物の賣行きが好いといふ事もつて、作家たちの多くは安易な
を歩み始めたのではなからうか。支事變は彼等にとつて一種の救濟であつた。探求の必はも
はやなくなり、常識的にやつて行くことで足りるやうに考へられ何よりも思想に對する探求心の
衰が現はれた。思想がないと云つてゐた時代はまだ好かつた、そこにはなほ探求心があつたか
らである。しかるに今日ではその探求心も衰してきたのである。
しかし反對に支事變は學にとつても新しい思想上竝に方法論上の問題を課したのではな
からうか。それは探求の末でなく却つて出發點でなければならない筈である。例へば、學の
永久の問題であるといつても好いヒューマニズムの問題はこの事變に關して如何に解決されるの
であらうか。事變は大衆を動員したが、大衆とヒューマニズムとの關係は如何なるものであらう
か。ヒューマニズムはインテリゲンチャの執にぎず、大衆とは無關係であるかの如くいふ今
日の一の議論に果して我々は承し得るであらうか。眞面目な學の探求すべき問題は無數
にあ る の で あ る 。
探求心の衰は我々に今日の作家の倫理について考へさせる。探求心は作家の倫理の問題であ
る。今日の作家の倫理はいつたい何處にあるのであらうか。曖昧と云はざるを得ないのである。
思想の問題は單に客觀的な會的な思想の問題ではない。それはまた特に主體的な倫理の問題
である。しかるに事變がもたらした心理的な一種の救濟によつて思想の問題について安易な常識
的なを歩み始めた人々は、倫理の問題についても安易な常識的なを歩まうとしてゐるやうに
見える。我々はむしろ直に倫理の喪失といふであらう。
マルクス主義學以後の學において最も多く問題にされたのは倫理の問題であつた。倫理の
問題は確かにマルクス主義の一つの缺陷であつたであらう。しかし最の學においては果して
眞に倫理の探求がなされてゐるであらうか。國策學論以後の學はむしろ一種の風俗學に
ぎ な く な り、 一 種 の 俗 小 へ の 傾 向 を と つ て ゐ る 。 こ の 風 俗 學 に 缺 け て ゐ る の は 知 性 で あ
二七九
り、この俗小に失はれてゐるのは倫理の探求である。倫理の探求のない場合學は俗學
になり、知性のない風俗小は俗小にほかならない。
藝時
二八〇
しかるに今や倫理の問題は單に作家にとつてのみでなく一般にインテリゲンチャにとつて第
に重大な問題になりつつある。それは今後いよいよ深刻性をしてゆくであらう。ひとは再びあ
の不安の學の時代に歸るのであらうか。そのやうな傾向はにかに現はれ始めたやうに感じ
られる。それとも何か新しい倫理が與へられてゐるのであらうか。いづれにしても國策學論以
來の安易なオプティミズムは第に現實性の乏しいものになつてゆかねばならぬやうに思はれ
る。主體の新たな確立がますます差つた問題につて來つつあるのである。常識的なモラルで
はやつてゆけない時がいよいよづきつつあるのである。
ことわるまでもないことであるが、私はここで單に個人的な倫理のことをのみ考へてゐるので
はない。國民的倫理についても同じである。國民的倫理に於ても何か新しいものが確立されたか
どうか。個人的な倫理から離れて國民的倫理の主體的な求があり得るであらうか。
かやうにして今日の壇を見て我々の感じることは、すべて根本的な問題に對する關心と求
との缺乏である。この缺陷を補はうとするのか、ひとは思ひ出したやうに永の問題について語
り始める。その際性は無されてしまふ。その問題が取上げられるのに深い根據があるわけ
でなく、いはば埋草にぎないのである。學は實體を失つて現象化するか、ただルーティーヌ
に從つてゐるといふのが一般的な傾向ではなからうか。
二八一
轉換期とか、革新とか、新化の創とか、それらは政治家の疎な言葉であつて、學に
は何の關はりもないことなのであらうか。それらの言葉を語るの眞實性が疑はれるといふやう
な態であつて好いのであらうか。
藝時
藝時
四月號雜誌の批若干
——
一
——
二八二
この頃の雜誌でしく眼につくのは、暴露と露出とである。いづれも本主義末期の現象で
あるに相ない。しかし兩は根本的にその性質を異にしてゐる筈だ。暴露は新興階級の階級的
性質のものでなければならず、露出は滅びゆく階級のものである。藝の上でいへば、一はプロ
レタリア藝に、他はむしろモダーニズムの藝に屬してゐる。それにも拘らず暴露も外觀上は
また一種の露出であるために、二つのものが混同され、混淆される險は多い。ここにプロレタ
リア藝がモダーニズムの藝に接し、に轉落してゆく理由のひとつがある。プロレタリア
藝と稱しながら、暴露を露出にすりかへ、或ひは暴露を露出的效果のために用ゐてゐるものも
あるやうである。このやうな險は、暴露が會的、經濟的、政治的機の體の基礎の上に於
て行はれず、部的に、經驗主義的に行はれてゐるやうな場合には、特に甚だしいであらう。
いづれにせよ、暴露と露出との區別、關係を理論的に、會學的乃至心理學的にはつきりする
ことは重な問題である。この頃のヂャーナリズムは兩のカクテルの味をもつてゐる。暴露も
この場合露出的效果をもつやうにされてゐる。これは殊に中間讀物に於てしい傾向であらう。
改と中央論とのいづれもが勞農黨の河上氏と大山郁夫氏の擧物をそれぞれ卷頭に載せ
てゐる。に兩が共に山川均氏の擧に關する論をげてゐる。一方には無黨の當組
の、他方にはその落組の感想が出てゐる。このやうにして見ると皮ではなく、雜誌の輯と
いふことがどんなに困な仕事であるかがわかる。新な、しつかりした、豐富な雜誌を作ると
いふのは隨手腕と見識とをすることだ。讀は輯に對してもつと好意をもち、これを激
勵し、これに感謝をせねばならぬ。輯はもつと大膽に、もつと度胸をもつて新人をとつてほ
しい も の だ 。
笠信太氏は新人である。この人の中央論の「世界關税政策の動向」といふ論は、今月號
の中で光つてゐる。本主義がその自由競爭の地盤の上に獨占の形態を發展させると共に、保護
二八三
關税の機能がどのやうなものに特化するかを明かに示してゐる。各國の關税政策をじてみた世
界經濟の現段階の一析である。新人拔の功である。
藝時
二八四
最「同志マリオンの改宗」とか「イストラチの經驗」とかを書いて反ソヴェト氣を養す
るに努められてゐるらしい柳澤氏の「亞米利加發見」を讀んでみた。巧に書かれてゐるけれど
も、そこには何も「發見」はない。プロテスタンティズム、自由、個性、富の開發と獲得、農村
の缺如などといふ言葉がみんなにいて來る。我々はもうこの種の明批にはきてゐ
る。アメリカの「再發見」が求められるとき、そこに發見さるべきものはアメリカであるのかそ
れとも「ロシア」であるのか、だが同志マリオンもイストラチも赤露訪問の後、改宗し、轉落し
たではないか。ひとりが改宗し、ひとりが轉落したからといつて、騷ぐことはない。に多くの
が彼等以に改宗もし轉落もしてゐるのだ。しかし大衆は、時代は、は、それらのものに
容赦することなしに、必然的な程を動してゆく。
二
改で高田保氏の「新興演劇の左的傾向」を、中央論で佐々木孝丸氏の「歌舞伎王國の落
城」を讀む。いづれも有な章である。わが國の左演劇は比的有利な條件のうちに出す
ることが出來た。ブルジョアジーはそれ自身の演劇を鞏固に發展させることが出來なかつたから
である。これまで勢力をもつてゐた歌舞伎は、佐々木氏のいはれる如く、封的性質と代的性
質との兩面の存在であつた。その中に含まれてゐる代的性質のために、歌舞伎は、いはゆる「新
」に推し除けられることなく、比的永い間その存在をけることが出來た。「新」は決し
て歌舞伎の本來の對立物ではなかつたのである。今や歌舞伎はに壞程をりつつある。
けれども我々はそれをもつて直にプロレタリア演劇の輝しき利であると斷してはならぬであ
らう。歌舞伎の壞は、一方では、たしかにプロレタリア演劇の利を意味すると共に、他方で
は、しかしそれは歌舞伎のうちに支配的であつた封的性質にもとづくものであつて、それが直
接にブルジョア的なものそのものの壞を意味しないからである。いづれにせよ、わが國のブル
ジョアジーはそれ自身の演劇を十に發展させ得なかつた。從つて歌舞伎を驅した重な一勢
力は、演劇ではなく、ブルジョア的な映畫やレヴューその他のものであつた。かくてプロレタリ
ア演劇はなほ多くの困と戰ふことを覺悟しなければならない。
高田氏のいはれてゐるやうに、「新劇」は比的早く衰滅した。しかるに壇にあつては事
が少しつてゐる。壇に於ける「新劇」的存在ともいはるべきところの、いはゆる藝はな
二八五
ほ依然として或る勢力をもち、今日再びその勃興の聲さへが聞かれるのである。學時代の四月
藝時
二八六
號に於て、岡田三氏が「新興藝の人々」について語つてゐる。新劇の衰と藝の勃興、
この一見矛盾した事實は、左劇壇の人々にも、また藝の人々にも、少からぬ反省を求す
るものでなければならぬと思はれる。
ほかに正宗白鳥氏が中央論に藝時を書かれてゐる。プロレタリア學が今日のやうに
壇に於て地歩を占めるに至つたとき、藝時の筆をなほいつまでも正宗氏のやうな人に煩はす
のは如何であらう。新興學にあれほどの位置を與へてゐる雜誌は、藝時の方面に於ても、
新興學に對してもつと親和の感をもち、これを正當に理解し得る新時代の人々に場を與ふ
べきであると考へられる。藝春秋で時をやつてゐる小林秀雄氏は新人であるけれども新人ら
しいところが少なぎる感がある。我々若いはもつと正面から、眞直に物を見なければなら
ぬ。このとき凡なものしか見えぬかも知れぬ。しかし凡なをつて、しかも他の人々より
このに於て一歩をめるといふことが重なのだ。他人とつたことを言ふのはさして困で
ない。一寸つた角度から物を見ればすむことだ、しかし凡なを一歩先へ行くことは決して
容易ではない。私はその曲りくねつた見方を小林氏のためにとらない。章も明性を缺いてゐ
る。その懷疑的な行き方もむしろきざである。フランス的懷疑をまねてゐるらしくも見えるが、
それならもつと明なものでなければならぬ。正宗、小林兩氏ともに大宅壯一氏の「學的戰
論」を批してゐる。大宅氏のものは、「學」批でなく「壇」批だ。學的戰といへ
ば、プロレタリア動の一としての學の戰について論じたもののやうに見えるけれども、
事實はむしろさうであるよりも、藝ヂャーナリズムの上での功法ともいふべきものを書いて
ゐると見られる。それは大宅氏の得意の壇場であると共に、またそこにこの書の根本的な缺陷も
横たはつてゐる筈だ。
三
「ブルジョア」。改の懸賞當小、作は芹澤光治良氏。好い作品である。じめじめした
ところの少しもないのが快い感じを與へる。スイスのココといふ國際的な肺結核療養に題材を
とつて、滅びゆく階級の一態を描き出さうとしてゐる。光、色、、凡て十に新な手法だ。
相當に大きなものをまうとしてゐながら、體のがしつかりしてゐないために、エピソー
二八七
ド的面白さだけが面に出てしまつてゐるのが惜しい。動きはありながら、必然性の感じが足り
ない。疊みかけて來るやうに書かれたら、もつと效果的であつたらう。
藝時
二八八
必然性の感じの缺乏、これは私がこの頃の作品の多くのものから受ける一般的な感じである。
以の作品は、それを讀めば、どのやうな種のものであるにせよ、それはのつぴきならぬこと
だ、といふ感じをもつと澤山にもつてゐたと思ふ。必然性の感じの缺乏といふことが、この頃の
作品をして、何かがさがさした、つ子な、甘ぎるといふ感じを起させるところの最も重
な理由ではないであらうか。必然性の感じといふことは特にプロレタリア學にとつてひとつの
重な素でなければならぬ。これの稀薄なために、ひとりよがりのところばかりがこの種の
學作品に於ても感ぜられることがあるやうである。材料は大きなものであればあるほど、緻密
に占有されねばならぬ。
「昭和初年のインテリ作家」(改)と「手に霜燒のした女」(中央論)とを讀んでみる。
共に廣津和氏のものである。善良な、人間的な作の心立てが滲み出してゐるのには好意がも
てる。無氣力で、人が好くて、意氣地のないインテリゲンチアの落ちてゆくを書いたものであ
る。かういつた物をこのやうに取扱ふためには作にはもつともつと多くのユーモアが求され
てゐはしないか。ユーモアの不足、これは後の作品に於て特に重大な點である。作は主人
を批判的に取扱はうと思ひながら、いつも其氣持にひきまれてしまふ。どうしても客觀的にな
れない。作の會批のイデオロギーが極めて原始的な組合主義以上のものでないといふこと
がそれを妨げてゐる。客觀的になれないために、どうしても力學的に描けない。
細田源吉氏の「路程」(中央論)もまた滅してゆく中間を書いたものである。ここ
には路「程」のスピードといふものが感ぜられる。この或るスピードの感じがこの作品のも
つてゐる長である。人の氣質、またそのイデオロギーといふやうなものも、一人は少し古い、
一人は少し新しい、二人の人に於て、上手に描寫されてゐる。よく纏つた作品である。しかし
この路程を程せしめてゐる機のもつ力が十に出てゐない。氣持の好いスピードの原
因となつてゐるものによつて裏打ちするか、この原因の力をもう少し表面に出して來るか、いづ
れにせよ、もつと立體的なものがほしい。
金子洋氏の「蒼ざめた大統領」(改)と「部落と金解禁」(經濟往來)。後は課題創作
であり、も同じやうにイデオロギーによつて書かれたものである。今のところ金子氏の領
はやはりイデオロギー的學にないことを感じる。これは何といつても戰旗の君のものであ
る。彼の作品に於てのやうに演によつてイデオロギーを明させるのは何といつてもげに
二八九
ひない。の作品もがさがさしてゐて、必然性がない。戲曲として立するためには、そこに
藝時
二九〇
は個性がない。ここにいつてゐるのは、もちろん、個人としての個性ではない。大衆の力の集中
的表現としての、一定の會の型的表現としての個性である。このやうな個性はプロレタリ
ア學に於ても、殊に戲曲に於ては、創されることが求されてゐるのではなからうか。
四
課題創作といふものを經濟往來が始めた。私は、どういふ風にして題が課せられ、どういふ風
にして創作されるのか知らないけれども、これは可笑しなものではないかと思ふ。目的意識的な
學、學の政治的價値、などの議論につりまれて出來た單にヂャーナリスチックな企てに
ぎないやうに考へられる。課題創作といふのは小學校の作の先生がその生徒に題を與へて章
を作らせる、いはゆる課題作のやうなものなのであらうか。課題創作といふことが、もしも或
る一定の政黨がそのイデオロギーなり、戰戰略なりを、黨の學をして、いはゆるアヂ・プ
ロの目的のために、學的に表現させるといふのなら、まだしもわかる。經濟往來のやうな雜誌
がこれを企てるといふことは無意味ではないであらうか。
一體イデオロギーをもつて書くといふことを、何か非常に珍奇なことだと考へるのが間ひ
だ。どんな學だつてみなそれぞれのイデオロギーをもつて、從つていはゆる藝の作品は藝
の作品で、それに相應したイデオロギーをもつて、作られてゐるのである。最も感覺的なも
のであつても、それが現實の人間のものである限りなんらかのイデオロギーと結合してゐる。問
題はそれが如何なるイデオロギーであるかにある。そしてマルクス主義のイデオロギーの特殊性
は、それが今日に於て最も現實的なイデオロギーであるところにある。それは天上から降りて來
たものでなく、地上から昇つて來たものである。それだから、このイデオロギーによるのでない
ならば、人生及び會のどのやうな斷面も、體的に、また體的に理解されない。それは個々
の事實を生かす「魂」であり、人生を見る「眼」である。從つてまた反對にマルクス主義のイデ
オロギーは、その藝としての本質上どこまでも形象的乃至象的であるべき學作品のうちに
あつては、それがそのものだけとしてび上らず、孤立させられず、事實の隅々にまでゆきわた
つてはたらいてゐるのでなければならぬ。イデオロギーは事實の行屆いた究に對する怠惰を、
化すためのものであつてはならぬ。事實の中へどこまでも深く入つてゆくためにこそイデ
オロギーは必なのである。
二九一
實際、技的な方面からいつても、マルクス主義的なイデオロギーのみが、しつかりした、力
藝時
二九二
い體的なコンポジションを可能にするやうに見える。それのみが作品にどうしても動かせな
い必然性を與へて、讀を捉へることが出來るやうに見える。
小林多喜二氏は好い作家である。今度の「工場細」(改)は、なほ未完であるけれども、
これも本格的なプロレタリア小の風貌をもつてゐる。小林氏のものは、デッサンが十に出來
てから、書いたものであるといふことが感ぜられる。永直氏のものに比して、ドラマチックな
ところが少く、從つて大衆性といふ點では損をしてゐるかも知れないが、しかしそれだけ險な
ところが少く、正確だといふ感じを與へる。「工場細」は、機及び機のイデオロギー的
析を、かなりの功をもつて、藝的に支配してゐる。けれども、機と生活との關係の描寫が
少し面的でありぎる。この關係をもつと動的に、生き生きと、そしてもつと緊密に書いてほ
しいと思ふ。これまでのところでは、體があまりに析的に出來てゐて、綜合的な力が足りな
い。小林氏は頭の好い男であらう。析的であるといふことは頭の好い人の長であると共に短
で も あ り 得 る 。
哲學・學用語解
『世界藝大辭典』執筆項目
一般性( 二九四) 一般性と特殊性( 二九五) イデアチオン( 二九六) イデオロギー( 二九六) イデオローグ( 二九七) 今( 二九八)
永性( 二九八) 永の今( 二九九) 永の眞理( 二九九) 英雄( 三〇〇) エスプリ・ジェオメトリック( 三〇一) エスプ
リ・ドゥ・フィネス( 三〇一) オール・オア・ナッシング( 三〇二) 解釋學( 三〇二) 念( 三〇三) ( 三〇四) 價値批
( 三〇五) 觀念( 三〇五) 觀念論( 三〇六) 機( 三〇八) 無主義( 三〇八) 形式主義( 三一〇) 藝術的價値と會的價
値( 三一〇) 「藝哲學」(ジンメルの)(三一二) 言語學(三一二) 現在(三一三) 現實と現實性(三一四) 現象と本質
(三一五) 合目的性(三一七) 功利性(三一七) 個人主義の藝(三一八) 個性(三一九) シェストフ(三二〇) 自然
(三二一) 自然哲學(三二二) 思想(三二三) 時代(三二四) 思(三二五) 實體(三二六) 自發性(三二七) 思
辨(三二七) 思辨哲學(三二八) 自由(三二九) 主觀(三三一) 主觀主義(三三二) 主觀的觀念論(三三三) 主體と客
體(三三四) 手段(三三四) シュトラウス(ダヴィト・フリートリヒ)(三三五) 末論(三三六) シュライエルマッヘル
(三三六) 少壯ヘーゲル學(三三八) 人格(三三八) 身體と心(三三九) 眞理(三四〇) 眞理自體(三四一) 生(三四一)
世界(三四三) 對的主觀主義(三四五) 體主義(三四五) 莊嚴(三四六) 智(三四六) 知識(三四七) 力(三四七)
テオリア(三四七) 天才(三四八) ドクマ(三五一) ドグマティズム(三五一) 西田幾多(三五一) 日本(三五三)
ニュー・ヒューマニズム(三五八) パスカル(三六〇) 「パンセ」(三六一) ヒューマニズム(三六二) 不安(三六七)
フォイエルバッハ(三六八) 普的人間(三六九) 「プロヴァンシアル」(三七〇) 學方法論(三七〇) 學的リア
リティ(三七六) ヘーゲル(三七六) 法則(三八○) 方法論(三八一) マッハ( 三八二) マルクシズム(三八三) ミネルヴァ
の梟( 三八四) 無( 三八五) 無限と有限(三八五) 矛盾(三八六) 物(三八七) モラル(三八七) 憂鬱( 三八八) 理性
の狡智( 三八九) 理論(三八九) 主義( 三九○) 「哲學」( 三九一) ロゴス( 三九二) ロゴス・エンディアテトス( 三九三)
藝時
二九三
ロゴス・スペルマティコス( 三九三) ロゴス・プロフォリコス( 三九四) ロマンティシズム( 三九四) 和哲( 三九五)
二九四
性は「ひとつの特殊な識源泉、ち先驗的識の
である。カントによれば、嚴密な意味における一般
證は存しない。經驗的一般性は必然性を有しないの
の經驗によつてその一般性が否定されないといふ保
かの規則は例外を見出さないといふにぎず、將來
て、我々がこれまで經驗した限りでは、このまたは
で き ぬ。 經 驗 の 與 へ る の は 相 對 的 な 一 般 性 で あ つ
によつて知られるものは眞の一般性を有することが
れると見做される。しかし嚴密に云へば、單に經驗
においては、一般的なものは經驗から歸的に知ら
性或ひは普性を有すると云はれる。經驗論の立場
〕 一 群 の
一 般 性〔 獨 Universalität, Allgemeinheit
對象の凡てについて同じやうに當するものは一般
性は眞の一般性でなく、それ自身一の特殊性にぎ
のとなり、このやうに抽象的に特殊に對立する一般
性は個々の經驗的現實及びに對して抽象的なも
ためである。しかしこのやうに考へるならば、一般
「當爲」或ひは超的「價値」をたてるのもその
さるべき求を含んでゐる。新カントが先驗的
と「權利問題」 ‘quid juris’
とは區別され
‘quid facti’
ねばならぬ。あらゆる判斷は權利として一般的に承
的判斷も存しないであらうが、しかし「事實問題」
等しく承されるが如き如何なる美的判斷乃至
ては、あらゆる處あらゆる時のあらゆる人によつて
的理性を根據としなければならぬ。經驗的事實とし
の一般性は經驗に基づき得ず、先驗的原理、超個人
呼ばれる超個人的主觀のするものであるためで
能力」によつて與へられる。經驗の對象の識が一
ぬとも云はれ得る。ヘーゲルは一般的なものは特殊
ある。や美に關しても同樣であつて、その判斷
般性を有し得るのは、かかる對象が「意識一般」と
であつた。形式論理學では、一般念は々の特殊
で あ り 後 は 實 在 論 Realismus
であ
Nominalismus
る。この論爭は中世哲學に於ける一つの重な題目
と い ふ 見 解 と が あ る。 は 唯 名 論 或 ひ は 名 目 論
念は實在的しかも個物に先立つて實在的である
客 觀 的 に 實 在 す る も の で な い と い ふ 見 解 と、 一 般
記號にぎず、單に思惟のうちに存するのみで何等
いては、個物が實在的であつて普はただ名または
〕
一般性と特殊性〔 Allgemeinheit und Besonderheit
一般もしくは普と特殊もしくは個物との關係につ
ある。
理の識における發展によつてせられ得るもので
性を有する眞理は存在するが、それはただ相對的眞
のと考へた。マルクス主義によれば、對的な一般
のうちにはたらくもの、のうちに實現されるも
立つてゐる。
る。ヘーゲルの辯證法はかかる體的普の立場に
普によつて生かされ、普の化發展と考へられ
上 の も の で あ る。 普 は 有 機 的 體 で あ つ て、 特
も
の 謂「 綜 合 的 普 」 das Synthetisch-Allgemeine
しくは體的普である。體は部の單なる和以
の的素として含むと考へる場合、普はカント
普は一の體であつてその部たる特殊を自己
普と特殊とを體と部との關係において眺め、
的な有機的な關係を有しない。一般性は一般的とな
と呼ばれる。この立場におい
Analytisch-Allgemeine
ては普と特殊とは抽象的に對立するのみで、面
普 或 ひ は カ ン ト の 語 を 用 ゐ て「 析 的 普 」
よつて作られると考へられる。かかる普は抽象的
二九五
殊はその缺くべからざる部であると共にいづれも
ればなるほど容がなものとなる。これに反し
das
からそれらに共な表を抽象乃至析することに
哲學・學用語解
る。かかる本質は純粹に捕捉されて「イデーに措定
の の 意 味 に は、 本 質 を 持 つ と い ふ こ と が 屬 し て ゐ
く離れたものでなく、個別的なもの、偶然的なも
る新しい種の對象である。しかし本質は事實から
るのは事實であり、本質はかかる個別的な對象と異
この直觀は經驗的直觀とは異る。經驗的直觀が與へ
る。本質は直觀によつて捉へられるものであるが、
〕 フ ッ サ ー ル の 現 象
イ デ ア チ オ ン〔 獨 Ideation
學 に 於 け る 用 語。 本 質 直 觀 と い ふ の と 同 意 義 で あ
た。それ以來イデオロギーといふ語は非實踐的な非
オンは彼等を非實際的な理論家として輕し排斥し
反對として、ナポレオンの惡を買つた。ナポレ
至る間政治上にも重な影を及ぼしたが、政の
カバニスなどこのは一七九二年から一八〇二年に
礎を與へようとした。デステュット・ドゥ・トラシ、
理學、育學、政治學等を改してこれに合理的基
その起原、立の探究に限り、この見地からまた倫
て、哲學を人性論、心理學に歸して觀念の析及び
二九六
される」ことができる。本質を原本的に與へる直觀
現實的な理論といふ意味を擔ふやうになつた。しか
承する一の哲學を謂ふ。それは形而上學を排斥し
がイデアチオンと云はれるのである。
く は 土 臺 と し て そ れ に よ つ て 制 約 さ れ た「 上 部 はそれぞれの時代の經濟的を「下部」もし
る。マルクス主義によれば、あらゆるイデオロギー
〔 獻 〕 Husserl: Logische Untersuchungen; しこの語は觀念形態といふ意味において、政治、法
derselbe, Ideen zu einer reinen Phänomenologie und 律、、藝、宗、哲學等一切のものを意味す
phänomenologischen Phlosophie.
〕 先づ觀念學といふ意
イデオロギー〔 Ideologie
味で、フランスにおいてコンディヤックの思想を繼
」もしくは上築にほかならない。從つてイデ
によつて規定される。イデオロギーは「純粹な」意
得るか否か、また如何に作用するかは、現實の存在
る一定のイデオロギーが現實の存在に對して作用し
も決定的なものはつねに現實の存在の側にある。或
く存しないと云ふのではないが、この場合において
デオロギーが現實の存在に對して影する方面が
應じて、イデオロギーもまた的に變化する。イ
は非現實的非實踐的な理論を唱へるのことであ
的及び非實踐的といふことであり、イデオローグと
用されたのである。そこに含蓄されるのは非現實
あつて、この時初めてその語は現代的含蓄をもつて
「イデオローグ」と呼んで非した時に生れたので
現 代 的 意 味 は、 ナ ポ レ オ ン が こ の 一 の 哲 學 を
念學(イデオロジー)の繼承隨をいふ。その
〕 そ の 最 初 の 意 味 は
イ デ オ ロ ー グ〔 獨 Ideolog
フランスの一哲學學、ちコンディヤック流の觀
波庫)。プレハノフ、マルクス主義の根本問題。
識の物と見らるべきでなく、却つてそれを生す
る。かかる意味においてそれは反對の黨に屬する
オロギーはそれ自身の獨立な存在竝びに發展をもた
る人間の會的階級的性質を反映するものである。
理論家を輕し非するために用ゐられるのが普
ぬと考へられる。生力及び生關係の變化するに
かくて階級會においてはあらゆるイデオロギーは
である。特に凡ての理論はイデオロギー的性質のも
二九七
ると見る立場から、理論家をば一定の階級代辯と
の、換言すれば會的階級的に制約されたものであ
階級的イデオロギーである。
マル
〔獻〕 Karl Mannheim: Ideologie und Utopie.
クス・エンゲルス、ドイッチェ・イデオロギー(岩
哲學・學用語解
いふ意味においてイデオローグと稱する。
二九八
的時間意識」と見做した。感覺は「今」から新しい
〔獻〕 Picavet: Les idéologues, essai sur l'histoire 「今」へく志向を有する。ベルグソンによれば、
des idées et théories scientifiques, philosophiques, 實在的な時間ち「純粹持續」においては、現在は
去をひ未來を孕み、直線的繼起として考へられ
繼起として考へられる時間は「俗的時間」であつ
ハイデッガーによれば、生れては去り行く「今」の
續的であると共に今に從つてたれる」と云つた。
含む限りにおいて、量る」、「時間は今によつて
られる。アリストテレスは、「今が時間を、後を
普である。時間は多くの場合今を基本として考へ
〕 時 間 の 一 樣 相 と し て、 今〔 獨 Jetzt拉 Nunc
續的に經する時間に於ける現在の一點を指すのが
第二にこれを眞の永性でないとして、永性は無
る。天體の永性といふが如き場合がこれである。
性は時間における持續の無際限なることと考へられ
佛 Eternité
〕 永 性 は 時 間 性 も し く は 滅 性 に 對
して考へられるのが普である。そこで第一に永
永 性〔
の意味に用ゐられる。
今」として、時間をんで時間を越えた永の現在
religieuses, etc. en France depuis 1789.
て、 本 來 的 な 時 間 は 却 つ て 未 來 か ら 生 れ る。 フ ッ
時間性もしくは超時間性を意味すると考へられる。
ぬそれぞれ質的に新しいものである。「今」といふ
サールは時間意識にとつて感覺に特殊な意味を
ち時の直接的否定乃至超越を謂ふ。この見方は人
拉
Aeternitas
英
Eternity
獨
Ewigkeit
語はまたアウグスティヌス等における如く「永の
め、感覺をば現化の樣相によつて特性的な「根源
的否定乃至超越でなく、時を經由し時に路を求め
これも眞の永性でないとして、永性は時の直接
いて考へられる永性はこれである。然し第三に、
を有するものと見られる。多くの觀念論的哲學に於
的存在を有するものとなり、かかる意味での永性
よつて獨立な、それ自身における存在、つまり觀念
體そのものから純粹客體の方向へ離されることに
味、イデア、價値等は、實在的渉から、從つて主
し固定して考へることによつて得られる。思想、意
間的化的生の容を自然的實在との渉から離
永 の 眞 理〔 英
事である。
未來が現在に同時存在的であると考へられる現在の
む今が永に外ならぬと考へられる。それは去と
切の時を括する現在、窮りなき今である。時を
もしくは現在であるが、
ある。永は「今」 ‘nunc’
この今は時の去及び未來に對する現在でなく、一
主義に多く見出される永に關する一つの思想で
永の今 プロティノスを始め、アウグスティヌ
ス、エックハルト、ニコラクス・クザーヌ等、祕
のである。
獨
Vérité éternelle
つつ到されるところの時の超越もしくは克と考
Eternal Truth佛
へられる。謂超時間性はむしろ時の一機を孤立
〕 超 時 間 的 に 對 的 に 富 す る 眞
Ewige Wahrheit
理 を 謂 ふ。 哲 學 上 特 に ラ イ プ ニ ッ ツ が「 永 の
させたものにぎず、時の克であり得ない。眞の
眞 理 」 と「 事 實 の 眞 理 」 ‘vérité de fait’
とを區別し
た 事 は 有 名 で あ る。 彼 に よ れ ば 矛 盾 の 原 理 に 基 い
永性は時の根源としてそれを支持する實在的他
()との共同である。この場合主體(自我)は時
て 思 惟 必 然 的 に き 出 さ れ る 事 が で き、 そ の 反 對
二九九
の眞中に立ちつつ、その克を體驗すると云はれる
哲學・學用語解
對的眞理はかかる相對的眞理の識の的發展の
三〇〇
は、矛盾を含むものが永の眞理で從つて其は「本
究極において到されるものにぎない、と論じて
ゐる。
質」 ‘essentia’
に關はるものであり、現實の「存在」
る。從つてその原理は矛盾の原理でなく、何故に或
な い か ら、 そ の 眞 理 は 必 然 的 で な く て 偶 然 的 で あ
謂ふ。從つてそこでは大衆は衆愚として輕される
にかかる思想に基いて自ら英雄的に行動することを
一般的意味では、を動かしを作りに
おいて價値を有するのは英雄であるとする思想、特
〕 (二)英雄主義
Held
るものが現存するかの理由に關はる充足理由の原理
のがつねである。ニイチェはこのやうな英雄主義の
獨
Héros
で あ る。 後 に ボ ル ツ ァ ー ノ が、 識 さ れ る と 否 と
倫理を唱へた。彼によれば、は君主的(貴族的)
佛
Hero
に 拘 ら ず 超 越 的 に 當 す る と 考 へ た「 眞 理 自 體 」
Herrenmoral
と奴隷的 Sklavenmoral
との二
つのタイプに區別される。貴族的には何よりも
英雄〔 英
のも永の眞理の思想である。
‘Wahrheit an sich’
これらの思想は、フッサールを始め、現代の論理學
横する充實と權力の感、高度の緊張の幸、同
に關はるものではない。ちそれは經驗
‘existentia’
的事實とは異る論理や數學等の領域に屬する。現實
識 論 に 重 な 影 を 與 へ て ゐ る。 エ ン ゲ ル ス は
する富の意識が存する。高貴な人間はかかる高揚さ
に存在するものはと云へば、その反對は矛盾を含ま
の中で對的
『反デューリンク論』
Anti-Dühring”
な永の眞理の思想を批判し、我々が的に有す
れた矜恃の態の反對を表現する人々から自を
からでなく、剩の生む衝動からち與へようと
る眞理は對的眞理でなくて相對的眞理であり、
ムでなくて積極的ロマンチシズムであり、會主義
大衆的英雄主義である。それは極的ロマンチシズ
的ロマンチシズムと結びついて考へられるところの
唱へられる會主義的リアリズムの一面をなす革命
る。それは特にプロレタリア學の創作方法として
のくプロレタリア英雄主義は會的英雄主義であ
人主義乃至貴族主義であるのに反し、マルクス主義
等 が 重 さ れ る。 か く て 從 來 の 英 雄 主 義 が 個
距 離 感 Pathos der Distanz
を 有 す る。 奴 隷 的 は
本質的に功利的である。ここでは同、耐、
離する。彼はそれらの人々を輕し、彼等に對して
るのである。
の外なく、從つて、論理の根柢にも直觀が豫想され
ルに從へば「自然的な光」ち直觀によつて捉へる
し得ぬ命題に着せざるを得ず、このものはパスカ
れば、最早それ以上定義し得ぬ名辭、それ以上證明
方は慢で剛直である。然しかかる推理も根本に溯
明しつつ系列的に續的にむ故に、その識の仕
若干の明瞭な原理から出發し嚴密な秩序をうて證
命題が證明されてゐるといふのがその理想である。
識のを謂ふ。それは定義と證明による論理的
三〇一
のを謂ふ。それは事物を、推論の程によるこ
l'Esprit 對する。ち幾何學的な、合理的な、剛直な識の
仕方に對して、體的な、しなやかな、纖細な識
識の方法であり、凡ての名辭が定義され、凡ての
のための大衆の英雄的鬪爭、階級のための犧牲的行
〕
エスプリ・ドゥ・フィネス〔 l'Esprit de finesse パスカルの用語で、エスプリ・ジェオメトリックに
動等を含 ん で ゐ る 。
エ ス プ リ・ ジ ェ オ メ ト リ ッ ク〔
〕 パスカルの用語で、エスプリ・ドゥ・
géométrique
フィネスに對する。幾何學的な心の意味で、合理的
哲學・學用語解
凡 て の 人 の 目 の に あ る。 こ れ を 識 別 す る「 良 き
理は纖細にして多數であるが、普の慣用の中に、
吟味されることのできる結果にするから。その原
はない、なぜならそれは凡ての人によつて檢査され
である。然しそれは祕的直觀と云ふが如きもので
念的に知るのでなく、ろサンチマンによる識
となく、一目でその體性に於いて捉へる。それは
した人間が、人生の凡てをけて對的なもの、永
る。この世の凡てのものの相對性と滅性とに望
は し、 從 つ て 人 生 を と 見 る 思 想 の 基 礎 に 含 ま れ
れてゐる。それはまた特ににおける心理態を現
重する思想には常に一切か無かといふ思想が含ま
末、瞬間、決心、等の觀念であり、從つてこれらを
一般にこの思想において重な意味を有するのは
る。人は無に當つたとき一切か無かと考へる。
三〇二
眼」がエスプリ・ドゥ・フィネスである。
ある。
入る。あらゆるものに望した人間が最後の瞬間に
が含まれる。人間は先づ望からかかる心理態に
は凡てをててかからねばならぬ」といふ意味など
を失ふに如かず」といふ意味、「凡てを得るために
感性的に與へられた記號若くは表現から部を把握
に理解の學問的方法を謂ふ。理解とは外部において
は他國語で語られたことを
ア語の ‘hermeneuein’
譯するといふ意味であつたが、その後解釋學は一般
解 釋 學〔
なものを得ようとする飛的な決心を現はすので
〕 「一
オール・オア・ナッシング〔 All or Nothing 切か無か」と譯し、「凡てを得るのでなければ凡て
おいてする決心はかかる心理態と結び付いてゐ
する程である。解釋學は初め主として言語字に
〕 そ の 語 原 を な す ギ リ シ
Hermeneutik
て、 そ の 根 柢 に は し ば し ば 無 主 義 が 含 ま れ て ゐ
る條件を見出した。彼の仕事を繼いだ有名な獻
の記號から作品の體を理解する程の識に對す
をむ創的程の生ける直觀のうちに、彼は字
補助手段、限界、規則等をき出した。學的作品
り、この識から普當的な解釋の可能性、その
ものの析、この目的活動そのものの識にまで溯
に彼はこれらの規則の背後にきんで、理解その
される個々の規則の集積からり立つてゐた。然る
の解釋學は普富的な解釋にするために必と
を占めるのはシュライエルマッハーである。彼以
しい發をげたが、そのにおいて重な位置
書を信仰の根據とした宗改革の時代から特に
は獻學の二つの主部をなしてゐる。解釋學は
關係して獻學において開拓された。批と解釋と
して實踐の立場に對立する。
現的であるといふ立場を含む。それは哲學的立場と
のは的であり、且つあらゆる的なものは表
般の方法となり、同時にそれはあらゆる現實的なも
ガーその他によつて繼承發展され、解釋學は哲學一
い ふ 意 味 を 有 す る に 至 つ た。 こ の 思 想 は ハ イ デ ッ
ると考へた。ち解釋學は「現實的存在の解釋」と
し、解釋學はかかる存在の識の普的な方法であ
あり從つてそこには常に部と外部といふが存
ルタイは一切の的會的現實は表現的なもので
る 人 間 の 生 物 に ま で 擴 張 さ れ る に 至 つ た。 デ ィ
言語字によつて表現されたものに留まらずあらゆ
識」と規定した。かくて第に解釋學の範は單に
三〇三
思惟容であつて、言葉をもつて表されるのがつね
英 佛 Concept 獨 Begriff
〕 一 群 の 表 象 か
念〔
ら共な容を抽象し總括することによつて生ずる
( 1785—1867
)は、獻
學ベック August Böckh
學の課題を「人間によつて生されたものの
哲學・學用語解
てをり、それの個々の規定をこの統一的な本質の
る。或る物の念を有するとはその物の本質を捉へ
められるといふ意味でそれは我々の識の目的であ
方念においては物の「本質」が表されることが求
である。それは我々の識の一般的素である。他
る無限大の幸と、の存在する少くとも一つの機
らぬ。いまが在るといふ側を考へると、の與へ
おいて機會の數と得失の大きさとが考慮されねばな
算法を用ゐたことは第一の特色である。凡てのに
の存在の證明に關するが、その場合彼が數學の
三〇四
必然的歸結としてその聯關において理解し得ること
會がある。從つてこの側は ×
1 で表される。に
が無いといふ側を考へると、この世の有限な幸
含む體性であり、特殊や矛盾を念の發展におけ
てそれらを自己の必然的な機として自己のうちに
の辯證法でいふ念は特殊や矛盾を除外せず、却つ
とによつて得られる抽象的念であるが、ヘーゲル
ふ念は特殊を除外して一般的なものを抽象するこ
性、不變性、一般性が求される。形式論理學でい
「あれかこれか」の決斷にるためである。かかる
無頓着であり得ないのは我々の生存の不安がえず
るとするのである。然し、かかるに對して我々が
ら、我々はが在るといふ側にけるべき理由があ
有限な數( )nがある。從つてこの側は ×
n で
a 表
さ れ る。 さ て 後 の 乘 積 は の 乘 積 よ り も 小 さ い か
( )aと、の存在しない機會の如何に大きくとも
で あ る。 念 の 論 理 的 性 質 と し て そ の 容 の 限 定
る規定として理解せしめる體的念である。
の特色である。
不安をく析した事がパスカルのの思想の第二
〕 の思想は、パスカル以にもある
〔 Pari が、それが有名になつたのはパスカルによる。は
感的に意識される、從つて觀察でなく鑑賞が必
〕 作品の有する價値の判斷、
Wertes, Beurteilung
價を謂ふ。價値の存在は單に意識されるのではなく
理的解釋に對し、新カントの如きは價値を論理的
感ぜられる快である。價値についてのかやうな心
と不可的に知覺され、物において對象化されて
Kritik des 基としてゐる。美的判斷はこのやうに積極的で直接
的な價値の知覺に關はるが、美的價値は性格及び
である。價値批は享受乃至鑑賞といふ主觀的素
に、先驗的超越的なものと考へる。またプレハノフ
Criticism of Value
獨
と結びつき、客觀的批とは異ると見るのが普で
價 値 批 〔 英
あ る。 鑑 賞 の う ち に 價 値 價 の 根 源 と 本 質 と が あ
て有する積極的意義にほかならぬと見る。從つて價
( 1857—1918
)などは、藝的價値は作
Plechanov
品の會的等價、ち作品が與へられた會におい
る。サンタヤナ George Santayana
( 1863—
)によれ
ば、美的判斷と、的判斷との區別は、美的判斷
Santayana: The Sense of Beauty; A.
値批も客觀的でなければならぬ。
〕
は主として積極的で、善の知覺であるに反し、
獻
〔
的判斷は主として極的で、惡の知覺である。に
Richards: Principles of Literary Criticism.
〕 心 理 學 で は 表
觀 念〔 英 Idea
獨 Idee
佛 Idée
象と殆ど同じ意味に用ゐられる。それは感覺を素
美の知覺においては我々の判斷は必然的に在的で
局に生ずる效果の觀念を意識的に基としないに反
とする心的複合體であつて、比的獨立な體とし
あつて、直接的經驗の性格を基とし、對象における
し、的價値についての判斷は、それが積極的で
て現はれる客觀的容である。然し觀念もしくは表
三〇五
ある場合、多含まれると考へられる利の意識を
哲學・學用語解
が觀念の主なる意味方向を示してゐる。佛におい
像、從つて主觀的なものと考へられる。これら三つ
に世に至つては、人間が事物について作る
感性的個物の原型となるの容と考へられ、
れ、に中世のキリスト的哲學においての如く、
つて主觀的思惟の外部に實在性を有すると考へら
如く、眞知の對象となる事物の永不變の本質であ
が多い。哲學上では觀念は先づプラトンのイデアの
は程の心像、ち再生された表象を意味すること
在してゐなくて意識のうちに現はれる或る對象また
象は知覺と區別されて、表象されたものが直接に現
從つてただ我れののみ實在するといふにら
他人のものも我れの觀念に留まるべく、
れることにほかならぬといふ考を徹底するならば、
論と稱せられる。ところで物が存在するとは知覺さ
をめる點から、バークリ流の觀念論は主觀的觀念
といた。このやうに個人のに存する觀念のみ
觀念であつて、存在するとは知覺されることである
げられるのはバークリで、彼は我々が物といふのは
らぬと考へる立場である。觀念論の代表として擧
のみであつて、經驗的識はこのものの結合に外な
ものは經驗を立せしめる我々のにおける觀念
三〇六
ては、觀念とは定に住して心靜かに一境に專注する
る、超個人的な普的な意識一般に固有なる先驗的
念の統一及び相互の組織が個人に局限せられざ
と云ふ。
ねばならぬ。これを「獨在論」 ‘Solipsism’
斯かる主觀的觀念論に對し客觀的觀念論といはれる
〕
Idealismus
心の態を謂ひ、觀法、觀心などといふことが云は
Idéalisme
獨
のは、經驗は觀念を容として立するも、その觀
英
Idealism
佛
れてゐる 。
觀 念 論〔
經驗から獨立に存在する實在をめず、存在する
觀 念 論 と い ふ よ り も 實 在 論 で あ る。 か く の 如 く 觀
である。從つてプラトンの觀念論は、識論的には
から獨立に、心の外にそれ自身として存在するもの
ある。イデアは自體において存在するものち主觀
觀念論の典型と見られるのはプラトンのイデアで
によつてされるものであるとく。形而上學的
識は實在の模寫でなく、超個人的な主觀の綜合統一
あつて、カントがこれを代表してゐる。カントは
形式によるために客觀性を有すると主張する立場で
く。フィヒテによれば、外界は對的自我の物
體的なの機もしくは現象であるにぎぬと
し、これが最も現實的なものであり、物はこの最も
る。對的觀念論は觀念をもつて活動する主觀と解
的實在論との統一を目標にしてゐると見做され得
ものはかかる識論的觀念論とプラトン流の觀念論
とができない、と考へる。對的觀念論と云はれる
として與へられ、意識を超越したものは識するこ
觀なくして客觀はない、如何なるものも意識の容
ある。これに對してカントの觀念論は識論的もし
に 對 し て 云 は れ る。 プ ラ ト ン 哲 學 の 如 き
‘Realism’
は唯物論に對しては觀念論であるが、然し實在論で
のの一象面にぎず、自然と雖も他在における觀念
切はその發展として理解される。個人もこのも
く、最も體的な、動的な存在そのものであり、一
念 論 と い ふ 語 は、 一 方 で は「 唯 物 論 」 ‘Materialism’ であつて、自我の無限なる活動の自己制限として措
イデー
定される。またヘーゲルにとつて觀念は單なる心理
に 對 し て 云 は れ る と 共 に、 他 方 で は「 實 在 論 」
くは批判的觀念論と呼ばれる。識論的觀念論の根
にほかならぬと考へられた。
三〇七
的事實でなく、主觀から獨立に存在する實體でもな
本をなすものは主觀客觀の關である。それは、主
哲學・學用語解
三〇八
在に本來つねに含まれるものであり、日常生活にお
性(特に死すべき存在であること)に基き、人間存
期における會的矛盾に基くのでなく、人間の有限
る事によつて生ずる。然し機は單に或る一定の時
〕( 会 學 上 の ) 發 展 の 一
機〔 獨 Krise
定の時期に於いて會に在する矛盾が極度に高ま
の影、會主義その他の素もめられる。無
クロポトキンの無政府主義とがり、ヘーゲル哲學
現はれた。この政治動は思想的にはバクーニンや
るために極端な破壞的手段をも辭せぬ動となつて
の會的國家的秩序を否定し、新しい世界を創す
描かれてゐるが、斯かる無主義は政治的には現存
ると斯かる無主義にする。然し無主義といふ
〔獻〕
O.
Willmann:
Geschichte
des
Idealismus
名 稱 が 擴 が つ た の は、 ツ ル ゲ ー ネ フ の『 と 子 』
(
)
;
N.
Hartmann:
Philosophie
des
1894—97
( 1861
(
)
)の影である。この小には一切の權威、
deutschen Idealismus
1923—29
.
一切の理法を信じない當時のロシアの年の心が
いてはひ隱されてゐるかかる機を顯はにするこ
主義は、この念をロシアの國民的動に限らうと
) で あ る。 然 し 哲 學 的 な 無 主 義 と し
有 』( 1861
のはマックス・シュティルナーの『唯一とその
る。無政府主義的無主義の思想を哲學的にべた
想 で あ る が、 そ れ 以 外 に も 種 々 の 形 で 存 在 し て ゐ
とによつて、人間存在の本來的な況を自覺するこ
Nihilisme
獨
する學もあるほど十九世紀のロシアに特的な思
Nihilism
佛
とが必とするもある。
無 主 義〔 英
〕 拉 典 語 の Nihil
(無)から來た語
Nihilismus
で、哲學上の一般的な意味では一切の知識と規範と
の客觀性を否定する立場を謂ふ。相對主義を詰め
らず、現代の謂「不安の哲學」「不安の學」は
新しく生れるために求されてゐる。ニーチェに限
を意味する。渾沌と無とに落ちむことは我々が
主義」をく。第三に無主義は沒落と同時に端
とを恐るべきでない。ちニーチェは「能動的無
みづから意欲しなければならぬ、無に面接するこ
志を謂ふ。我々は破壞でなければならぬ、沒落を
それはこの解體の程をめようとする哲學の意
無主義は論理であるのみでなくまた倫理である。
ればならぬもの、現に來てゐるものである。第二に
れは古き世界の解體と沒落につて必然的に來なけ
ば、無主義は第一にデカダンスの論理である。そ
學 に も 深 い 影 を 及 ぼ し て ゐ る。 ニ ー チ ェ に よ れ
て注目すべきものはニーチェのそれであり、現代
義は政治上、倫理上の無主義ともなつてゐる。
より生じ、有は無より生ずとも云ふ。斯かる無主
を無と云ふ。無名は天地の始とも云ひ、萬物は有
なきもの、我々の五官によつて捉へ得ぬ故にこれ
と見られる。老子によれば、本體は恍惚として象
殊な無主義が古くから存し、老子の如きその代表
學を濃くつてゐるものである。東洋においても特
の學にも、無主義があり、およそ世紀末的な
る。その他アルツィバーシェフ、シュニッツラー等
キー、チェーホフ等のうちに深い無の思想をめ
で無主義であるシェストフは、ドストイェフス
根源的に顯はになるのである。哲學的な藝批家
うちに於いて初めて存在するものもそのものとして
無が顯はになるのみでなく、不安の無の明るい夜の
不安において顯はになるものである。不安において
三〇九
〔獻〕 J. B. Arnaudo: Le nihilisme et les nihilistes;
みな何等かの無主義を含んでゐる。ハイデッガー
によれば、無は對象として與へられるものでなく、
哲學・學用語解
F.Nietzsche: Der Wille zur Macht.
形 式 主 義〔 英 Formalism
佛 Formalisme
獨
三一〇
た カ ン ト は 美 學 に 於 い て も、 美 ち 趣 味 判 斷 の 普
富性の根據を想像力と悟性との和的關係に
據は、時間間因果等、識の形式のうちにあると
主義に於いては、識の眞ちその普當性の根
最も有力な代表と見られてゐる。識論上の形式
方面に於いて唱へられ、一般にカントは形式主義の
ある。形式主義は識論・倫理學・美學等、種々の
で あ る。 ま た チ ン メ ル マ ン も 美 學 を「 形 式 の 學 」
な「 美 的 基 本 的 關 係 」 を 枚 擧 す る の が 美 學 の 仕 事
から離れて、そのものとして表象される。このやう
はる純粹な形式はただ關係から立ち、完に容
的な表象關係にあると云はれる。美的判斷の關
は特にヘルバルトによつ
學 Formalistische Aesthetik
て詳細に展開された。美は和・リズム等々の如き
於 け る 合 目 的 性 の 形 式 の う ち に 見 出 し た。 形 式 美
考へられる。新カントのリッケルトなどは、この
〕 容、 實 質 等 に 對 し 形 式 を 重 Formalismus
し、價値の根據を純粹に形式的なものに求めるで
やうなカントの立場を徹底させた。倫理學上の形式
と し て 敍 し、 、 ハ ン ス リ ッ
‘Formwissenschaft’
クの樂美論も形式主義にいものである。
等、 意 志 の 質 を 離 れ て、 定 言 的 命 令 も し く は 自
容 的 な 目 的 に 關 は る 事 な く、 欲 望・ 衝 動・ 性 向
據を純粹な意志の形式に求める。ち善は、意志の
はされる。そして藝が會結合、會鬪爭、會
〕 藝 が 藝 と し て 有 す る 固 有 の 價
sozialer Wert
値を藝的價値といひ、普に美の念をもつて現
藝 的 價 値 と 會 的 價 値〔 Künstlerischer Wert u.
主義は、行爲(意志)の善ちその普當性の根
律 と い ふ 形 式 に 存 す る、 と カ ン ト は 主 張 し た。 ま
美的感を作り出すことである。然るにこれらの見
イヨーにとつては藝の最高の目的は會的性質の
は藝は人と人とを結合させる一手段であり、ギュ
會的意義をするがある。トルストイにとつて
ための藝」の思想を唱へるの中には、藝の
して藝考察から除外される。これに反し「人生の
おいても、會的價値は藝にとつて外的なものと
また藝の自律性を哲學的美學的に主張する立場に
ある。「藝のための藝」の思想はそれである。
價にとつて無關係でなければならぬとする見解が
のであつて、會的價値は制作の動機竝びに作品の
は、先づ、藝は純粹に藝的價値を目的とするも
られる。藝的價値と會的價値との關係について
ひ、藝の功利的價値もしくは效用性の一種とも見
の發展等に對して有する價値をその會的價値とい
得るものでない。
に、藝的價値と會的價値とは抽象的に離され
いて形式と容とは相互に不可のものであるやう
場合會的價値は藝の容に關係し、藝にお
基準が求められねばならぬと考へられる。併しこの
あつて、價の立場からはどこまでも藝的價値に
かかる會的見方は藝の價にとつては不十で
に政治的價値を有するものでなければならぬ。尤も
レタリア藝は階級鬪爭に仕へ、從つて會的、特
ア的自由主義會のイデオロギーにぎない。プロ
ので、また藝の自律性の主張の如きも、ブルジョ
へることは藝家の會からの游離と孤立を示すも
かる見方によれば藝から會的價値を抽象して考
會的價値を問題にするのは的唯物論である。か
によつて制約される藝の階級性の立場から藝の
し、會を階級會として規定し、その會的基礎
三一一
方が會そのものについて明確な觀念を缺くに對
哲學・學用語解
「 藝 哲 學 」( ジ ン メ ル の )〔
(
"Lebensanschauung"
(
)等である。
Kultur"
1911
英
言 語 學〔
三一二
( 1916
) ,
"Zur Philosophie る彼の書は、此書の他に "Rembrandt"
) , "Philosophische
1918
( 1922
)〕 ジ ン メ ル は「 生 の 哲 學 」
der Kunst"
の立場から藝を明した。生は自己を越えて「形
式」に高まる性質を自身のうちに有する。超越は生
Science of Language, Linguistics獨
〕 (二)言語哲
Linguistique
さるべきでない。併しそれは藝のための藝の主
別的法則」であり、作品は外部から理解され、價
る。藝の規準は藝的活動のうちに含まれる「個
せるものであり、これに對し生は却つて斷片的であ
して生に對立し、體的な、それ自身に於いて完結
る。藝は生から放たれた純粹に理想的な形物と
性を有するに至つた。ハーマンは宗的立場に立
れるに及び、これに關聯して言語の哲學的考察は重
世の宗改革によつて書の言葉が信仰の根據とさ
出 さ れ た も の( thesei
) で あ る か と い ふ 問 題 は、 にギリシアのソフィスト以來んに論ぜられた。
られたもの(
〕 言語の本質、起源
學〔 獨 Philosophie der sprache
及び意味に關する哲學的究。言語は自然的に與へ
佛
Sprachwissenschaft
張とは異る。却つて偉大な藝はつねに藝以上の
ち、 は 言 葉 で あ る か ら、 は 言 葉 に よ つ て 創 にとつて在的である。かかる在的超越もしくは
ものであるが、このことは藝がもと生から出て來
し、自然のあらゆる現象は言葉であると見た。彼に
「イデーへの轉向」の一つとして藝も考へられ
たことを示す。藝はジンメルに於いて生の辯證法
よつて言語の表現性が明かにされた。ヘルダーは一
)であるか、それとも自由に案
physei
的 な 動 態 か ら 把 握 さ れ て ゐ る。 藝 哲 學 に 關 係 あ
は彼等のであり、彼等のは彼等の言語であ
)でなく、生( energeia
)である。各言語は
( ergon
一民族の到した世界觀の顯現である、彼等の言語
總體でなく、生ける言語活動の總體であり、生物
語は彼にとつて死せる語・語の結合・法的規則の
とつては人間と語る人間が言葉の創である。言
語る人間が言葉の發明であつたが、フンボルトに
言葉のうちに創され、ヘルダーにとつては宇宙と
ボルトである。ハーマンにとつてはと語る人間が
學のに於いて最も重な位置を占めるのはフン
ルフは獻學的究を學から離させた。言語哲
た。併し彼も汎論的見方を留めてゐたが、ヴォ
考へられた。彼によつて言語の性が明かにされ
にはの言葉でなく、人間は言葉を發明する存在と
經驗的な立場に立ち、言葉は彼にとつて第一的
の の 現 在、 現 在 す る も の の 現 在、 未 來 な る も の の
去 も 未 來 も あ る の で な く、 本 來 た だ 去 せ る も
も 未 來 も 現 在 に 規 定 さ れ、 時 間 は 現 在 か ら 考 へ ね
の 哲 學 は 現 在 に 特 別 の 重 な 意 味 を め、 去
佛 Présent 獨 Gegenwart
〕 時間
現在〔 英 Present
の 一 樣 相 と し て 去 及 び 未 來 に 對 す る。 併 し 多 く
になつて、言語哲學は再び關心されるに至つた。
なり、解釋學が哲學の方法として一般化されるやう
代哲學に於いて表現論、哲學等の問題が重と
究を始め、言語の究は科學的になつた。併し現
その後シュタインタール、ヴント等による心理學的
に存し、彼等は的意識の發に多く貢獻した。
語哲學の功績は人間存在及び化の性の發見
は獻學ベックによつて繼承された。これらの言
三一三
ばならぬとしてゐる。アウグスティヌスによれば、
つて、兩は一つのものである。フンボルトの思想
現 在( praesens de praeteritis, praesens de praesentibus,
哲學・學用語解
三一四
それは去と未來が現在に同時存在的である現在で
に現在は「永の今」として永の意味に解される。
來時間の原子でなく、永の原子である。そこで
へられる。しかも瞬間はキェルケゴールによれば本
ゐる。特殊な意味に於ける現在として「瞬間」が考
)がある。またライプニッツやベル
praesens de futuris
グソン等は、現在は去を含み未來を孕むとべて
關のうちに於いて一つの位置を占めるもののことで
のとは、綜合的に結合された經驗容の法則的な聯
現實性が區別されねばならぬ。客觀的に現實的なも
觀的な現實性に對して事物の媒介された、客觀的な
ることができる。に體驗そのものの直接的な、主
く、イデーの如き超經驗的な存在についても語られ
る。從つてそれは單に經驗的事實についてのみでな
現實といはれ、現實の現實たるの性質が現實性であ
ある。時間は永の今の自己限定として考へられる。
あつて、このやうな現實性は單に與へられたもので
ば、經驗の形式的條件と一致せるものは可能的であ
て、また必然性に對して區別される。カントによれ
り出されるものである。に現實性は可能性に對し
時間は瞬間から瞬間へ非續的に移つてゆくが、あ
獨
Actualité
なく、却つて經驗の方法的な加工によつて初めて作
Actuality
佛
らゆる時間は永の今に於いてある。
英
現 實 と 現 實 性〔
實的である。そしてそれの現實的なものとの關聯が
り、經驗の容的條件ち感覺と關聯せるものは現
といふのと同じにはれてゐるが、また
性 Reality
それと種々の仕方で區別されてゐる。最も廣い意味
經驗の一般的條件に從つて規定されてゐるものは必
〕 この語は往々、實在と實在
Wirklichkeit, Aktualität
では凡て假象的なものに對し眞に存在するものが
は質料的なもの、現實性は形相的なものである。ヘー
語を用ゐてゐる。アリストテレスに於いては可能性
レス及びヘーゲルはかくの如き意味で現實性といふ
現實的となることが動と考へられる。アリストテ
實現の局または目的を意味する。可能的なものが
勢、可能的なものが自己を實現した段階、この自己
くは潛勢を意味し、現實性とはその顯現もしくは顯
對して考へられるが、そのとき可能性とは潛在もし
展するものである。この場合にも現實性は可能性に
いては現實性は活動 Act, Wirkung
と關係してゐる。
ち現實的なものとは動するもの、働くもの、發
然的に存在する、と云はれる。最もれた意味に於
べからざる、經驗的な、第二的な、生的な存在
な、本源的な存在であつて、現象は低度の、信す
の差異を生じ、本質は眞の、形而上學的な、對的
あると考へられる場合、現象と本質との間には價値
ものを存在するかのやうに見せる點での源泉で
性 の み が 眞 知 の 能 力 で あ つ て、 感 性 は 存 在 せ ざ る
)から區別さ
思惟される本質(本體・理體 noumenon
れた。パルメニデスやプラトンに於いての如く、理
現はれるもの
する。哲學上に於いても古來、現象は感官に對して
て 知 覺 に 入 つ て 來 る 出 來 事 を い ひ、 こ れ に 對 し 本
三一五
係付けられ、實在もしくは「物自體」 ‘Ding an sich’
が識する主觀に對しその容もしくは對象とし
を 指 し、 理 性 に よ つ て
phainomenon
質とは現象の思惟によつて把握された眞のを意味
ゲルによれば、現實的なものは理性的であり、理性
であると見做される。併し現象 Erscheinung
と假象
と は 區 別 さ れ ね ば な ら ぬ。 現 象 は 主 觀 に 關
Schein
希
Phainomenon k. Noumenon
獨
的なものは現實的である。
現 象 と 本 質〔
哲學・學用語解
〕 普の意味では現象とは凡
Erscheinung u. Wesen
カントに於いてもなほ現象の背後に本質が存し、現
性を有すると共に經驗的實在性をへてゐる。併し
觀は超個人的意味を有する故に、現象は先驗的觀念
る。現象界は主觀のするものであるが、この主
によつて與へられる感覺と結び付いた現象のみであ
觀の識し得るのは感官が物自體に觸發されること
越的對象であつて、主觀の識の限界外にある。主
れに對し物自體は識主觀から獨立に存在する超
式たる範疇によつて綜合統一されたものである。こ
間のうちに與へられた多樣なる感覺容が悟性の形
カントに於いては、現象とは感性の形式たる時間
るものを謂ふにしても、單なる假象とは異つてゐる。
び思惟の仕方に從つて把捉されたものとして現はれ
らぬ。假象の思想を美學の中へき入れる場合、ひ
する。併し美的現象は美的假象とは區別されねばな
的價値は對象の實在的性質でなく、現象的性質に存
ゐる。現象學的美學を唱へるガイガーによれば、美
してゐるものといふ意味に解されねばならぬとして
と考へらるべきでなく、自己を自己自身に於いて示
象學である。ハイデッガーは現象とは何物かの現象
質を原本的に與へる意識を析し、記するのが現
くことなく、純粹な在の立場に元し、かくて本
に元し、に本質を超越的なものとして留めてお
あり、形相的統一を保つてゐる。事實をかかる本質
形たる以のものち三角形の本質はつねに同一で
へられるが、その凡ての場合に於いて三角形の三角
と事實 Tatsache
とを區別
サールは先づ本質 Wesen
する。例へば三角形は事實としては種々の仕方で與
三一六
象はこのものの現はれと考へられたに反し、現象學
とは單純に美的現象を析してゐるのでなく、實在
て、主觀の形式に入つたものとして、我々の知覺及
に於いてはかくの如き意味の對立をめない。フッ
定されてゐる。に主觀的合目的性は美的判斷力に
の目的に合するやうにその存在、機能、發を規
然的關係をもつて結ばれてゐる。部は何れも體
各々の部は體に對し且他の部に對し面的必
ては體は部の機械的集合と見ることができぬ。
就中有機的自然に於いて考へられる。有機體にあつ
觀的合目的性といふ場合、合目的性が客觀に於いて、
合目的性と主觀的合目的性とに區別される。先づ客
〕 目的に合せる性
合目的性〔 Zweckmässigkeit 質を合目的性といふ。それはカントに從つて客觀的
味である 。
現象と本質とを區別する事は現象學に於いては無意
ら見れば美的對象は假象でない。實在性の見地から
性の見地を持ちんでゐるのである。現象的方面か
目的性とされる。
用 性 も 一 種 の 合 目 的 性 で あ る が、 そ れ は 外 的 な 合
を め る 事 に な る。 に 藝 に 就 い て 云 は れ る 效
と 見 る 立 場 は、 藝 に 客 觀 的 な 實 質 的 な 合 目 的 性
るカントの見解に對し、藝作品を一個の「有機體」
意識の和故、「目的なき合目的性」である。かか
形 式 的 で あ る。 そ れ は 意 圖 な く し て 目 的 に か な ふ
的 性 は 心 意 の 階 に 於 い て 立 し、 主 觀 的 に し て
れ、 美 と し て 價 さ れ る。 從 つ て こ の 場 合、 合 目
起 す 場 合、 對 象 は 判 斷 力 に 對 し て 合 目 的 と め ら
的 趣 味 判 斷 は 立 す る。 ち 對 象 の 表 象 が か や う
當 的 な 快 の 感 と し て 現 は れ る と こ ろ に、 美
し つ つ 意 圖 な く し て 和 し、 こ の 和 の 意 識 が 普
悟性の合法則的な作用とが相互にその作用を促
功利性〔 英
Utility
佛
〕 事
Nützlichkeit
三一七
Utilité
獨
に 想 像 力 と 悟 性 と を 和 さ せ、 そ こ に 快 の 感 を
關係して考へられる。カントによれば、直觀の能力
としての自由な想像力の作用と念の能力としての
哲學・學用語解
に仕へる功利的なものであると考へ、後は藝は
いて相反する立場に立つ。は藝も人生の目的
のための藝」といふ思想とは、藝の功利性に就
生する。「人生のための藝」といふ思想と「藝
最初生活に有用であつたものから後に美的性質が
撞は發的に見ることによつて解決される、ち
によれば、美と功利性とは一致しないが、その矛盾
最も複雜な美的感の原理である。にスペンサー
し、また會の帶性といふものが最も高い且
によれば、外的物體に於いて功利性は常に或る美を
ヨーは美と功利性とは和一致すると見てゐる。彼
功 利 性 と は 沒 渉 で あ る と さ れ る。 然 る に ギ ュ イ
學に於いては、カントの美的假象のを始め、美と
たらす性質を功利性といふ。ドイツ流の觀念論的美
物が生活に對して、實際的な目的に對して效用をも
藝の色が最も濃厚である。これに對し會主義の
的、天才主義的なること等に於いて、個人主義の
個 性 的 な も の、 主 觀 的 な も の を 重 ん じ、 英 雄 主 義
を重する。一般にロマンティシズムの學は、
し、その創作態度に於いても作家の主觀、特に天才
義の藝はタイプよりも特性的なものを描かうと
主義の學は個人主義の藝に屬してゐる。個人主
の價値と目的は少數の個人にあるなどと考へる英雄
と見做される。は英雄の作るものであり、人生
り、ブルジョア學の多くは個人主義の藝である
會に於ける個人主義の發につて生れたものであ
人を中心と見る藝の事である。それは特に代
人も會の中に於いて個別化されると見ないで、個
個人主義の藝 會主義の藝に對して個人主
義の藝と云はれる。人間は會的存在であり、個
と考へる。
三一八
斯かる效用から離れて純粹に美を求せねばならぬ
る と こ ろ か ら、 個 人 主 義 の 藝 は 個 人 的 生 活 の 描
ンクール兄弟は云つた。このやうに特殊性を重んず
般性を特殊性によつて置き替へることである」とゴ
學を古代學から最も根本的に區別するものは、一
藝はリアリズムの立場を主張してゐる。「代
獨 Individualtät, Eigenartigkeit
個性〔 英 Individuality
〕 (三)個性化〔 英 Individualization
佛 Individualité
ゐる。
的意義を有した個人主義の藝はその意義を失つて
のである。最初封的なものとの鬪爭に對して歩
實はめられなくなり、却つて藝家が凡てとなる
有する統一體と見られず、心理の多樣性に解され
れのうちにもあるのでない。個人も完結した形態を
も、言ひ換へれば、人、民族、國民、會のいづ
て、のうちにも、種のうちにも、タイプのうちに
は個々の個人の特殊な存在のうちにあるのであつ
行ふ故に、個人間の差異はしくなる。かかる個性
の化容は加して各自が任意にそれから擇を
時には、會の個人に對する壓は弛み、且つ會
く、個性化の程度は少い。會の範が擴大される
さく、團結が緊密な場合には、會意識の拘束は
〕 これは會に對して個人の
佛獨 Individualisation
個性が形されて行くことを謂ふ。會の範が小
寫、「個人の」であることが藝の本來の課題
る。かくして元來主觀主義的傾向を有する個人主義
獨自の化容を創し、かくして新たに個性化の
であると考へるやうになる。藝の對象である人生
の學、心理
の藝は「心理記」 ‘Psychographie’
主義の學となる。個人はもはや統一ある人格でな
基礎が作られる。併し個性化もただ會の部に於
三一九
化によつて會意識の拘束はめられ、また各人は
くなり、人格は意識の流に解される。客觀的な現
哲學・學用語解
に普性を作り出すのでなければ、眞の個性とは云
いて行はれ得るのであり、個人は自己の特殊性の中
第六卷『偉大なる夜』がその容である。その後
學)』、第四卷『無根の化』、第五卷『端初と末』、
三二〇
はれ得な い 。
ある。これらのの多くは、英・獨・佛・伊等の
に彼は『鍵の力』
( 1923
)、
『ヨブの秤で』
( 1929
)
の二大をにし、別に雜誌に發表された論が
(
)〕 シェ
シェストフ〔 Lev Shestov 1886—
ス ト フ と い ふ の は ペ ン ネ イ ム で、 本 名 は レ フ・ イ
的な書とされてをり、彼の本領が發揮されたのはそ
とになつた。この書はシェストフの作中唯一の獨斷
の批家ブランデス』を出し、家として立つこ
受けたが、一八九八年處女作『シェークスピアとそ
と い ふ。 キ エ フ で 生 れ、 初 め 辯 護 士 を
Shvartsman
志望してモスクワとキエフの法科大學で高等育を
現實に對する激しい憤怒、理性への執拗な抗議、凡
的な不安と望との表現であると云はれるが、無
不安の哲學の重な源泉となつた。彼の思想は末期
彼に就いて多數の論が書かれ、謂不安の學、
に年インテリゲンチャの間に非常な勢で流行し、
してゐる。我が國に於いてシェストフは二三年特
Lev Isaakovitch 國語に飜譯されてゐる。一九一七年のロシアに於
一二年に
の後の作に於いてである。一九一一 ——
六卷本の『集』が刊行された。書を第一卷とし、
て自明とされるものに對する殆ど望的と見える否
サ ー コ ヴ ィ ッ チ・ シ ュ ヴ ァ ル ツ マ ン
第二卷『トルストイとニーチェの義に於ける善』、
定、しかしまた自由で冒險的で最後まで眞摯なる探
主義と非合理主義とによつて深く潤されてゐる。
ける革命後、國外に亡命し、最はフランスに居住
第三卷『ドストイェフスキイとニーチェ(悲劇の哲
といふことを捉へて來た。そこに人間の生存の根本
に潛りみ、その果てに於いて「無よりの創」
彼は代的原理の最後の發展形態たる實證主義の中
求、かかるが彼の勞作のうちには戰慄してゐる。
ものとは自己自身のうちに動の原理を有するもの
ば、自然とは自然的なものの原理であり、自然的な
關 係 に 於 い て 考 へ ら れ る。 ア リ ス ト テ レ ス に よ れ
而上學的原理としての自然は特に生及び動との
の常住の本質または實體を自然と稱した。かかる形
用 ゐ ら れ、 創 と し て の 自 然 と 被 物 と し て の
的な窮と共にその對的な可能性もしくは自由を
自 然 と を 一 體 と 見 て 汎 論 が か れ た。 謂「 能
である。に自然といふ語は萬物の創に對して
〔獻〕 三木監修、シェストフ集・二卷(改
明かにし よ う と し た 。
)。河上徹太・阿部六譯、悲劇の哲學。河上徹
的自然」
‘natura
太譯、無よりの創(チェーホフ論)。木寺黎二・
がこれに當り、は萬物の生源としての
naturata’
自然、後はその結果としての萬物の總體を謂ふ。
三二一
慣 に よ る( thesei
) か と い ふ 問 題 を 提 出 し て ゐ る。
んで「自然法」の如き念は、制定法に對し、凡
)か、それとも人爲ち人間の約束乃至
( phusei
意味に用ゐられる。ソフィストはは自然による
と「的自然」
‘natura naturans’
安 土 禮 二 ・ 島 豐 譯、 無 か ら の 創 ( こ れ は 獻
また自然といふ語は人爲に對して人爲ならぬものの
Nature
獨
が詳しく擧げられてゐる)。
〕 拉典語
Natur
自 然( 一 ) 自 然 〔 英 佛
は 希 臘 語 ‘phusis’
の 譯 で、 も と ‘nasci’
(生
‘natura’
れる)から來てをり、代語はそれより轉化したも
のである。自然とは先づ物の固有の性、本性、本質
を意味する。ソクラテスの希臘の自然哲學は物
哲學・學用語解
に於いては、自然とは可能なる經驗の對象もしくは
ふのも理性に基く宗のことである。識論的意味
といふ語の
然の光」 ‘lumen naturae’, ‘lumen naturale’
意味はこれであり、示宗に對する自然宗とい
知乃至理性の意味に考へられた。中世に於ける「自
の恩寵或ひは示に對し、人間の本性にはる理
體的な、衝動的な側面を謂ふ。に自然といふ語は
の意味に用ゐられる。に對して自然は人間の
然はまた化に對し、未だ化價値を擔はざるもの
的なものに對する永なる規範の意味を有する。自
つ書かれざる法律をいつてゐる。かくて自然は
ての的に與へられた法律を越えて規範として立
ものである。代的な自然科學の發以に於ける
象の根柢をなす形而上學的な究極の原理を究する
經驗的自然科學とは異る思辨的方法をもつて自然現
〕 大別して二樣の意
de la nature
獨 Naturphilosophie
味がある。先づ自然に關する形而上學を謂ふ。ち
自 然 哲 學〔
に自然美と藝美の問題等が存在する。
ワイルドは自然は藝を模倣するとべてゐる。
さねばならぬと主張するもあり、にオスカー・
うに理想主義に反對して藝は現實のありの儘を寫
模倣であると見るもあれば、代の自然主義のや
ラトンのやうに藝はイデアの模倣たる自然のに
の如くでなければならぬとも云はれてゐる。またプ
三二二
理論的意識一般の容としての法則的に結合された
自然考察はおほむねこれに屬する。その代表的なも
Philosophie
現象の總體のことである。藝は人間の作るもの、
のとしては、希臘の謂自然哲學たちの哲學、プ
Philosophy of Nature
佛
的なもの、化的なものとして自然に對すると
ラトン、アリストテレスの物理學、ストア、エピ
英
考へられる。併し他方藝家の制作は自然そのもの
ポアンカレ、ラッセル等は、特殊科學の究からか
定めることを目的とすると見られてゐる。マッハ、
の客觀的識としての權利、その當すべき限界を
ちそれの據つて立つところの基礎を明かにし、そ
が限定確立され、自然哲學は自然科學的識の批判、
る意味を有したが、カントの批判哲學以後その意味
を謂ふ。にガリレイ、ニュートン等に於いてかか
トマン等がある。に自然哲學は自然科學の原理論
シェリング、ヘーゲル、ショーペンハウエル、ハル
念論哲學に於いて自然の思辨的考察はんとなり、
等の汎論的自然觀がある。に十九世紀の獨觀
スス、カルダノ、テレシオ、ブルーノ、カンパネラ
コン、ヴィテロ、また藝復興期に榮えたパラケル
マグヌス、トマス・アクィナス、ロージャー・ベー
クロスの自然哲學、中世に於けるアルベルツス・
關 あ る 見 解 を 表 現 し て ゐ る。 ゲ ー テ の『 フ ァ ウ ス
などのうちに於いて結合し、人生についての一の聯
生れて來る一般的な觀念を對話・獨白或ひは合唱
ゐない。多くのれた學は々の出來事の中から
式を借りて現はすといふ、外面的な關係に限られて
のやうに、一定の義・理論・訓をただ學的形
はヴェルギリウスの『農作』の如き育詩の場合
訓詩、ルクレティウスの『物の本性について』また
せられる。學と思想との關係は、謂反省詩や
のうち「思想の藝」或ひは「の藝」と稱
ある學は思想と特に深い關係がある。學は藝
と言語とは密接な關係を有し、從つて言語の藝で
英 Thought 佛 Pensée 獨 Gedanke
〕 思考の
思想〔
結果として生ずる意識容が思想といはれる。思考
る。
等は、その識論の立場からかかる見解をとつてゐ
三二三
かる見地にし、コーヘン、ナトルプ、カッシーラー
哲學・學用語解
英 Age 獨 Zeit 佛 Âge
〕 (一)意義 時代〔
の經に於ける一定の期間を括し、一定の人物、
あり、かかるものとして思想を缺く事ができない。
と雖もその時代に於ける生の問題の解決の機關で
面的エネルギーに轉化される事が必である。藝
が外部から與へられた場合にも、それは作品の
である」、とディルタイは云ふ。作家にとつて思想
結合して一の有機的體とするエネルギーに於いて
よつてではなく、雜多なものを統一し、部々々を
觀が最も力に出てくるのは不十な直接の言葉に
つて藝家の思想が働かねばならぬ。「詩人の世界
の把握と細部々々のこのイデーへの面的結合にと
てのみでなく、あらゆる作品に於いて體のイデー
ト』などはその例である。特に哲學的な作品に於い
念としては時代にせよ、世代にせよ、主體的・客體
的な統一を重んずると云ひ得るが、體的な
が 國 で は 世 代 Generation
といふものと同じに用ゐ
られることがある。兩を區別すれば、時代が何等
制約され、これを反映してゐる。時代といふ語は我
かかる關係はその時代の會的經濟的の性質に
化は相互に面的な聯關と統一とを現はしてゐる。
てその時代のあらゆる學のみでなく、あらゆる
その時代のスタイルといふものがあり、これによつ
時代意識、或ひはまた時代を有し、表現的には
の、流動とイデーとの統一である。一時代は一定の
生ずる。ち時代は時間と間との、生と存在と
へられず、それが間的イデーによつて纏められて
時代等と云はれる。時代は單に時間的生からは考
三二四
觀念、事件等によつて特付けられる統一を有する。
的に限定されるものと云はなければならぬ。
か客體的な統一から考へられるに對し、世代は主體
例へば、ゲーテ時代、自然主義時代、フランス革命
時代の化が共の經濟的土臺を反映するからにほ
わけでなく、それぞれの時代に於いてそれぞれ異る
らゆる化のうちに同時に同樣に明瞭に表現される
似がめられる。固より時代意識はその時代のあ
がなくても、同時代の凡ての化の間には上の
るからである。そこに意識的な有意的な影の關係
が可能であるのもその根柢に共の時代意識が存す
し、時代意識を形發させるが、かかる相互作用
ちに共に現はれる。一時代の化は相互作用をな
デーに支配されてをり、かかるイデーがその時代を
のものがある。一時代のあらゆる化は統一的なイ
には、民族・時代・國民的意識・自由等々
れ る。 そ の 立 場 に 於 い て イ デ ー と 考 へ ら れ る も の
の背後に働き、これを形する本來の力であるとさ
する。かかる的力もしくはイデーが的程
且より一般的な的力の光のもとに把握しようと
に滿足せず、これを越えて個々の出來事をより高い
〕 考察の一つの立
思〔 獨 Ideengeschichte
場である。それは、的事實の因果的關係の敍
かならない。
化のうちに優先的に特別に明瞭な表現にすると
特付けると見られる。思的立場はヘーゲル、
(二)時代意識 一時代に共な意識であつて、
その時代を特色付けるものである。それは、その時
いふやうな關係がある。ヘーゲル等の哲學に於
ンゲ等によつて發展させられ、現代に於いてはマイ
代の學、美、哲學、宗等、あらゆる化のう
と
いては、時代意識は謂「時代」 ‘Zeitgeist’
して、それが時代の實體であると見られる。唯物論
ネッケの如き家がこれを代表するが、就中ディ
三二五
ヘルダー等の哲學を源泉とし、フンボルト、ラ
的見解に從へば、共の時代意識が存在するのも其
哲學・學用語解
ルタイが重である。ディルタイに於いてはイデー
三二六
( 1920
) ;H.
Einleitung in die Geisteswissenschaften
個々の人間及び個々の事實の外部に獨立化する險
聯關に於いて眺めるといふことがあるが、イデーを
どを孤立的に見ず、その時代の體の化との
力を占めてゐる。その長としては、學、美な
ちこの立場を取り、藝學、藝學に於いて特に勢
と呼ばれるものは思
」 ‘Geistesgeschichte’
に屬する。學を「科學」と見る一は、
である。實體は獨立な、それ自身に於ける存在であ
化する多數の性質に統一的な基礎を與へる物の本性
凡ての變化をじて維持される統一であり、物の變
て同一なるもの、不變に留まるものである。それは
實體の根本的意味である。それは現象の變化に於い
に横たはるもの」を意味する。ち基體といふのが
( 1926
) .
〕 普に物の本
實體〔 英佛 Substance
獨 Substanz
質、核實を謂ふ。哲學的には變化する現象の「基底
Cysarz: Literaturgeschichte als Geisteswissenschaft
がある。的生活がに支配されるとする觀
性質の「擔ひ手」のやうに見られる。かくて獨立性、
は 主 觀 化 さ れ、「 心 理 學 」
‘Strukturpsychologie’
による科學の新たな基礎付けが企てられた。
「
は「的イデー」 ‘Historische Ideenlehre’
と稱せら
れ、マルクスはかかる見解にその唯物觀を對立さ
同一性もしくは不變性が實體の表と考へられてゐ
り、性質はこれの偶有するものである。實體は々
せたので あ る 。
〔 獻 〕 W. Dilthey: Einleitung in die る。アリストテレスによれば、實體とはそれに就い
( 1883
) ; E. Rothacker: て他のものが語られるので、それは他のものに就い
Geisteswissenschaften
に於いては、科學的識の目的は物の念を關係の
ものを不變なものに關係付けるのである。に現代
範疇であり、この思惟形式によつて我々は變化する
たカントによれば、實體は物自體でなくて先驗的な
知覺され得る性質の不可知の擔ひ手にぎぬ。ま
るものである。ロックにとつては、實體は經驗的に
れ自身に於いて存在し、それ自身によつて理解され
スピノザであるが、彼の定義によれば、實體とはそ
ある。實體の念に最も含蓄的な意味を與へたのは
ば、主語となつて決して語とならぬものが實體で
て語られるのでないもののことである。言ひ換へれ
るが、しかしにまたどこまでも境を規定してゆ
きぬ。もとより人間はどこまでも境から規定され
外部へ向つて出てゆく活動を除いて考へることがで
ち自己自身のうちにその出發點を有し、部から
る。自發性なしに自由は存し得ない。人格も自發性
た。行爲について自發性は自由の問題と關聯してゐ
發性が經驗及び識の先驗的條件であると考へられ
に 悟 性 の 自 發 性 を 對 せ し め、 自 己 自 身
Rezeptivität
の法則性に從つて働く統一の機能としての悟性の自
自發性が念の源泉であるとされる。感性の受容性
を自ら出する能力が自發性であつて、このやうな
する能力を謂ふ。カントの識論に於いては、表象
ない。
英
思 辨〔
Spéculation
獨
三二七
Speculation
佛
於いては特に個人の自發性が重されなければなら
念に、言ひ換へれば、實體念を函數念に元
Spontanéité
獨
く自發的なものである。藝その他の化の領域に
Spontaneity
佛
することにあるとも云はれてゐる。
英
自 發 性〔
〕 自己活動性の事であり、外部からの
Spontaneität
影に從ふことなく、自己自身から、能動的に活動
哲學・學用語解
ふ意味を有する。
三二八
に於ける識を謂ふ。悟性的識は矛盾律に從ふ形
思辨は悟性の立場に於ける識に對して理性の立場
て識をすることである。ヘーゲルにあつては、
に於いて思辨的は經驗的に對し、純粹な思惟によつ
ない對象に關はる識が思辨的である。かかる意味
を有した。カントによれば、經驗に於いてせられ
によつて的なものを直接的に把握するといふ意味
哲學、就中祕主義に於いては、それは特に瞑想
の觀想乃至直觀的識と考へられた。キリスト的
テレスなどに於いては、それは特に超感性的なもの
であるが、それは特殊な容が他としてそれに對
にされることができる。對的イデーは一般
るイデーの顯現乃至展開に外ならず、純粹に論理的
く哲學である。ヘーゲルにとつては世界は對た
り、 人 間 の 有 限 性 を 無 し て 自 己 を の 立 場 に お
於いて頂點にした。思辨哲學は對の哲學であ
思辨哲學の代表的なものであり、それはヘーゲルに
て對を把握しようとしたドイツ觀念論の哲學は
ゐる。カントによつて定められた識の限界を越え
從つてそれは一般に經驗的實證的な哲學に對立して
〕 經驗によら
speculative
獨 Spekulative Philosophie
ず純粹な思惟によつて識をする哲學を謂ふ。
佛 Philosophie
思辨哲學〔 英 Speculative Philosophy
式論理に基いて抽象的なものであるが、理性的識
立する抽象的形式としての一般でなく、一切の規
〕 もと觀想(希臘語のテオーリア)を
Spekulation
意味した。從つて思辨的は古くは實踐的に對して理
は矛盾を止揚し綜合して體を把捉する體的なも
定、それによつて措定された容の體がそのうち
論的といふ意味に用ゐられた。プラトン、アリスト
のである。ちヘーゲルでは思辨的は辯證法的とい
在性とに齎らされたる、論理になされたる學であ
一貫した學である。ヘーゲルの論理學は理性と現
あり、他方汎論は學の必然的歸結であり、首尾
判によれば、思辨哲學の祕密は學、思辨的學で
つてゐるのは汎論である。フォイエルバッハの批
論 的 論 理 Emanatistische Logik
であるとされてゐ
る。思辨哲學は對的觀念論であり、その提とな
繹されると考へられる故に、ヘーゲルの論理は發出
せられる。一切の特殊な容が對的イデーから演
に、經驗的現實が思惟のに合致せねばならぬと
が經驗的現實に合致することをするのでなく、
へ歸せる對的形式としての一般である。哲學
存在し得る。そこには差當り檢の問題がある。
の自由は現實的にはつねに政治的自由と結び附いて
られなければならぬ。然るにこのやうな藝的活動
ては特に作家の個性が重んじられ、その自由がめ
作家の自由な活動に基いてゐる。從つて藝に於い
の物である。それは「創作」と云はれるやうに、
自由と藝 自由と藝との問題は種々の方面から
考へられる。先づ藝作品は藝家の自由な想力
自由〔
ら思辨哲學に反對してゐる。
在の有限性を主張するハイデッガー等もその立場か
思辨哲學は形而上學であるとして斥け、に人間存
的條件を經驗に歸する新カントの識論的哲學も
〕 (七)
Liberté
る。唯物論哲學がかかる思辨哲學に決定的に對立す
藝作品が檢の問題に關して爭を生じた例は少く
三二九
佛
Freiheit
ることは云ふまでもない。マルクスによれば、ヘー
ない。多くの作品が良俗を紊すもの、安をする
獨
Freedom
ゲルの辯證法は頭の中で立ちした辯證法にほかな
ものといふ理由で發賣禁止その他の厄につた。蓋
英
らぬ。また識の形式と容とを區別し、その容
哲學・學用語解
じて政治的自由のために、人の解放のために協
になる。作家は作家として何よりも彼の創作活動を
政治主義は、却つてまた藝的自由を壓すること
る藝的活動を直接に政治的目的に從屬させる謂
由のために戰つてきたのである。然しながら、凡ゆ
て無關心であり得ない。古來多くのれた作家は自
關聯してゐる。かくして藝家は政治的自由に對し
限である。藝的自由は階級的政治的自由と密接に
かやうな自由を壓する最も重大なものは階級的制
の自由を除いて藝的自由は考へられない。然るに
生活、政治等をえず批判してきた。かやうな批判
反抗である。作家はその作品に於いて時代の、
は時代の常識に對する反抗であり、俗物性に對する
は反抗のであると云はれるほどである。藝
しの自由のないところに藝はなく、藝の
自由に對する歩的作家の關心は高まつてきた。例
壞 的 な 行 動 が 行 は れ て ゐ る。 か く し て 今 日 藝 の
族 主 義 國 民 主 義 は 化 の 國 際 性 を 否 定 し、 化 破
の 傳 統 主 義 保 守 主 義 は 創 的 自 由 を 奪 ひ、 そ の 民
シズムの政治的權主義は藝の自由をくし、そ
ズムに對して重大な關心となつてゐる。ちファッ
い。現代に於いて自由と藝の問題は特にファッシ
ズムは藝思想としても抽象的であることをれな
の自由、天才の肆意を極端に重んずるロマンティシ
係に於いて辯證法的に捉へられねばならぬ。藝家
ある。個人の自由は會的に自覺され、會との關
兩の間の辯證法的な關係を理解することが大切で
的自由とは抽象的につことのできぬものであり、
間的自由が問題である。もとより人間的自由と政治
を含んでゐる。藝にとつては政治的自由と共に人
て必な個性の重、の自由等を無する險
三三〇
力しなければならぬ。政治主義は藝的自由にとつ
年 に 至 つ て こ の 會 議 か ら「 國 際 化 擁 護 作 家 聯
化 擁 護 國 際 作 家 會 議 が 開 催 さ れ、 い で 一 九 三 六
リイ、フォスター、ゴーリキイ等の名をもつて、
ン ド レ・ マ ル ロ オ、 ハ イ ン リ ヒ・ マ ン、 ハ ッ ク ス
イド、ロマン・ローラン、アンリ・バルビュス、ア
へ ば 一 九 三 五 年 六 月 パ リ に 於 い て、 ア ン ド レ・ ジ
私の意識及びその容が主觀と考へられ、これに對
あるものとして客觀と見られ得る。そこで第二に、
我を取卷く現實である。併し私の身體も意識の外に
的主觀の念がある。これに對する客觀は身體的自
に生かされた身體が主觀といはれる、ち物理
觀と客觀との對立に三種の別を考へた。第一に、心
‘Association Internationale des Écrivains pour la D する客觀は私の意識容もしくは私の意識そのもの
に對し見るもの、知られたものに對し知るもの、す
英 Subject 佛 Subjectif 獨 Subjekt
〕 主觀は
主觀〔
客觀に對し、兩は相關念である。見られたもの
の自由の思想を一つの動機としてゐると見られる。
éfense de la Culture’が 結 さ れ た。 現 代 に 於 け る
ヒューマニズムは、政治的權主義に對して、藝
得るのみで、現實的な主觀とは云へない。現實的な
併しこのやうな主觀は結局限界念として考へられ
へられる。これが論理的な識主觀の意味である。
の、思惟されたもの、等としてに客觀と見られる
念がある。然るに第三に意識容も、表象されたも
盟」
べて對象に對して作用をなすものが主觀である。主
主觀は自我である。その際自我は個人的意識と見ら
でない凡てのものである。ここに心理學的主觀の
觀と客觀とは秩序を異にし、如何にしても客觀化す
れる場合と、これに反對して超個人的意識と考へら
三三一
ことができ、かかる容を意識するものが主觀と考
ることのできぬものが主觀である。リッケルトは主
哲學・學用語解
觀は識論的意味に留らず々形而上學化され、そ
統覺の念の如きは後である。かかる超個人的主
れる場合とがある。カントの意識一般ないし先驗的
は、デカルトの「我れ思ふ、故に我れ在り」 ‘cogoto,
懷疑論と無主義とにる。世に於ける主觀主義
性を否定する。主觀主義は相對主義である。これは
三三二
れから一切の客觀が出て來るやうに考へられる。
(主
といふ命題をもつて現はされた「主觀へ
ergo sum’
の 轉 向 」 に よ つ て か れ た。 ち 根 源 的 に 第 一 體と客體 の 項 參 照 )
的に與へられるのは意識であつて、他の凡てのもの
はソフィストがかかる主觀主義を代表してゐる。プ
も夫々の場合に從つて異ると考へる。古代に於いて
價するかは、各個人によつて異り、各個人にあつて
何 を 眞 理 と し、 何 を 善 と 判 斷 し、 ま た 何 を 美 と 〕 人間的識もしくは眞理、的
Subjektivismus
價 値 竝 び に 美 的 價 値 の 主 觀 性 を 主 張 す る 。 ち
の規準を對象に求める模寫の如き考へ方をもつて
いて劃期的な意義をもつてゐる。ちカントは識
謂「 コ ペ ル ニ ク ス 的 轉 囘 」 は 主 觀 主 義 の に 於
り と 考 へ ら れ、 に は 獨 在 論 に 陷 る。 カ ン ト の 的觀念論であり、「存在するとは知覺される謂」な
想である。かやうな主觀主義の極はバークリの主觀
英
ロ タ ゴ ラ ス は「 人 間 こ そ 萬 事 の 尺 度 な れ 」 と 云 つ
は識の客觀性もしくは普當性は却つて基礎付
は意識の容、形式もしくは生物であるといふ思
Subjectivisme
獨
たが、その意味は各個人の判斷のほか價値の規準は
けられ得ないとし、經驗的對象界は主觀のする
Subjectivism
佛
ないかといふことである。このやうに主觀主義は主
ものであると主張した。かやうな主觀はもとより個
主 觀 主 義〔
觀の作用から獨立な價値の客觀性もしくは普當
發性に重點をおくことになる。カントに於いてはな
主觀と考へられる。主觀主義は、主觀の能動性、自
人的主觀でなく、謂「意識一般」として超個人的
主觀的觀念論〔 英 Subjective Idealism
佛 Idealisme
〕 イギリスの哲學
subjectif
獨 Subjektiver Idealismus
られる。
ンティシズムが一般に主觀主義の代表的なものと見
的、會的權威を妄とするシュティルネルの哲學
體 的 自 我 の み を 唯 一 の 實 在 と し、 他 の 一 切 の 一 般
源性等をする思想は主觀主義に屬してゐる。個
主義もある。人格の自由、行爲の自發性、性格の根
有するが、カントの論の如く形式主義的な主觀
にした。倫理學上では快樂は主觀主義の性質を
容も自我の生するものと見做し、對的主觀主義
性質は心の主觀的態であり物は觀念の複合に外な
ある。悟性の唯一の對象は觀念である。物の感覺的
でない或物の模寫であるといふ事は矛盾した思想で
と、感覺もしくは觀念がそれ自身感覺もしくは觀念
である。對象が知覺されないで存在するといふこ
れることから獨立に物體界が存在すると考へるのは
バークリに從へば、知覺するの外部に、知覺さ
( 1684—1753
)によ
バ ー ク リ George Berkeley
つて代表せられる觀念論の最も直截な形態である。
ほ主觀の形式によつてされる容は主觀にとつ
的無政府主義の思想の如きは主觀主義の極端な場合
らぬ。感覺が實體的な擔ひ手を必とするとすれば、
て與へられるものとされたが、フィヒテはかかる
である。美學上の主觀主義を現はすものとして「趣
哲學・學用語解
三三三
それは表象されぬ外物でなく、却つてこれを知覺す
味上の好惡には議論の餘地なし」
‘de
gustibus
non
est
といふ語がある。藝思想上ではロマ
るである。物體には知覺されるといふ以外の實
disputandum’
在性は屬しない。「存在するとは知覺されることで
主體と主體とが共同に客體に對すると云はねばなら
のである。主體は先づ他の主體に對して考へられ、
る、しかも身體は決して單に客體とは考へられぬも
三三四
)。併しかかるは無宇宙論
‘esse est percipi’
ぬ。單に個人のみが主體であるのでなく、會も主
ある」(
に 陷ると批さ
Solipsism
或ひは獨在論
Acosmism
れてゐる 。
として對するのである。
ことである。主觀の念は主として知識の立場から
考へられる。蓋し實體の根本的な意味は基體といふ
が、主體はろ「主觀」と「實體」との綜合として
主觀としての自我は身體といふ基體なきものである
が考へられるに反し、主體は單なる意識ではない。
と客體とは秩序を異にする。併し主觀と云へば意識
客觀化され得ぬものが主觀であるといふ如く、主體
られる。もとより單なる言語の美或ひは技の完
手段と考へられ、に技の如きもそのやうに考へ
區別することができる。學に於いて言語は表現の
となる。手段には直接的のものと間接的のものとを
て目的であるものも一高の目的に對しては手段
といはれる性質をもつてゐる。一定の關係に於い
のために役立てられるものをいふ。手段は一般に
〕 一定の目
手 段 〔 英 Means
佛 Moyen
獨 Mittel
的の實現のために必とされるもの、またその實現
體であり、この會にまれて個人と個人とが主體
英 Subject and Object
〕 主觀と客觀と
主體と客體〔
いふのと同樣の意味に用ゐられる事もあるが、それ
考へられるが、主體の念は何よりも行爲の立場か
を學の目的とはめいが、併し言語や技は
とは區別するのが正當である。固より如何にしても
ら考へられねばならぬ。あらゆる行爲は身體的であ
學校等の如きも學の手段と見られ、また學が
ろ普である。ジャーナリズム、會議、團體結合、
目的と手段とは的な關係に立ち不可であるのが
學に對し決して外的な手段にぎぬものではない。
元 論 で あ り、 そ の『 舊 信 仰 と 新 信 仰 』
ヘーゲルから出て化論的唯物論的傾向を有する一
書 の 話 的 明 の 代 表 と な つ た。 彼 の 思 想 は
然的素は單に附會された話にぎぬと斷じ、
; F. Nietzsche: David S.,
Gesammelte Schriften, 12 Bde., hrsg. von
)
1876—78
三三五
( 1873
) ; E. Zeller: S., Leben und
sse Betrachtunge"
( 1874
) ; Th. Ziegler: Strauss, 2 Bde.
( 1908
) .
Schriften
der Bekenner und der Schriftsteller in "Unzeitgemä
(
E. Zeller
〔 獻 〕
等の優れた傳記も書き、學批の筆も
"Voltaire"
執り、また多くの詩をもしてゐる。
は『フッテン』 “Ulrich von Hutten”
『ヴォルテール』
甚だ廣く讀まれて、大きな衝動を與へた。その他彼
David をいてゐる。上記の三書が彼の主であり、當時
“Der alte und
自己の生活を維持するために營む活動も學にとつ
( 1872
)に於いてはにキリスト
der neue Glaube”
の信仰をくてたが、一種の自然主義的汎論
て手段の意味をもつてゐる。
シュトラウス(ダヴィト・フリートリヒ)〔
( 1808—1874
)〕 ド イ ツ の 學
Friedrich Strauss
、哲學。ヘーゲル哲學に傾倒したが、ヘーゲル
主義は奇蹟を基とするキリストと相容れないと
( 1835/36
)
考へ、その『基督傳』 “Das Leben Jesu”
に 於 い て 書 の 批 判 を 行 ひ、 こ れ が ヘ ー ゲ ル 學 裂の火線となつて、自らは同學左黨の頭目と
見做されるに至つた。ち彼はこの書及び『基督
( 1840
)に
信 仰 論 』 “Die Christliche Glaubenslehre”
於いて合理主義的見地に立つて書の祕的超自
哲學・學用語解
末論〔 英
Eschatology
佛獨
〕 最後
Eschatologie
を 意 味 す る ギ リ シ ア 語 eschaton
か ら 來 て を り、 最
後の物に關するを謂ふ。ちキリスト義學に
於いてこの世の竝びに死後の命に就いての思索
(
Offenbarung
)
1890
三三六
(
; J. Zahn: Das Jenseits
2.
) プ
A. 1920
. ロ テ ス タ ン ト 的 ——P. Althaus:
( 3. A. 1926
) ; G. Hoffman:
Die letzten Dinge
れる。末はい未來に屬することとしてでなく、
の時間、各々の況に於ける「機」として理解さ
學に於いては末は「實存的に」解釋され、各々
藝の源泉となつてゐる。現代のプロテスタント
によつて豐富な宗的想に動機を與へ、多くの宗
するを含む。それは恐怖と希望との不思議な錯
義の動に接し、シュレーゲルの刺戟を受けた。一
ルリンに移りとなつたが、この時代に浪漫主
い て は 哲 學 を 究 し た。 家 庭 師 生 活 を し て 後 ベ
育 を 受 け た が、 思 想 的 動 揺 を 生 じ、 ハ レ 大 學 に 於
( 1768—1834
)〕 ドイツの學
Schleiermacher
に し て 哲 學 。 ブ レ ス ラ ウ に 生 れ、 敬 虔 主 義 的 シ ュ ラ イ エ ル マ ッ ヘ ル〔
Das Problem der letzten Dinge in der neueren
( 1929
) .
evangelischen Theologie
人間的生存の各瞬間に於ける「さ」に於いて感ぜ
時 ハ レ 大 學 に 於 い て 職 に 就 い た が、 ナ ポ レ オ ン 戰
を意味し、最後の審判・天國・地獄・淨罪界等に關
られ、我々に對しえずあれかこれかの決定的な決
爭 の た め に 去 り、 再 び ベ ル リ ン に 來 つ て、 三 一 Friedrich Ernst Daniel
斷を求してゐるものと考へられてゐる。
の と な つ た ほ か、 ベ
〔 獻 〕 カ ト リ ッ ク 的 ——L. Atzberger: Die 會 Dreifaltigkeitskirche
christliche Eschatologie in den Studien ihrer ル リ ン 大 學 の 創 立 に 與 つ て そ の と な り、 ア カ
カント哲學の流を汲むものであるが、有名な『宗
の 合 同 の た め に は 大 い に 戰 つ た。 彼 の 思 想 は 大 體
務 の を 展 開 し、 こ れ に よ つ て 後 の「 化 プ ロ テ
)。 ま た 彼 は、 カ ン ト の 形 式 主 義 の 倫
2. A. 1928
理 學 に 對 し て 實 質 的 倫 理 的、 容 的 な 善、 、 義
デ ミ ー 會 員 と し て も 活 動 し た。 特 に プ ロ シ ア 會
( 1799
) 及 び『 獨
"Reden über die Religion”
ルはドイツの浪漫主義學と深い關係に立つてゐ
「宇宙の直觀」であると見た。シュライエルマッヘ
宗 に 關 し て も 直 接 的「 體 驗 」 を 主 と し、 宗 は
( 1800
)は浪漫主義的色が
語 』 “Monologen”
極 め て 濃 厚 で あ る。 ち 彼 は「 個 體 」 を 重 ん じ、
主 な る 作 に は 上 記 の も の、 及 び シ ュ レ ー ゲ ル の
ト ン の 飜 譯( 1804—28
) な ど の 業 績 が あ り、 ギ リ
シア古典學や獻學の發に對しても功勞がある。
」 と 稱 せ ら れ る ほ ど で あ る。 彼 に は ま た、 プ ラ
へた影は決定的に重大であつて、「十九世紀の
講演』
ス タ ン テ ィ ス ム ス 」 ‘Kulturprotestantismus’
(トレル
チ ) に 影 し た。 と も か く 彼 が そ の 後 の 學 に 與
る。彼は後に宗の本質を「對的依據の感」と
『ルチンデ』問題に關する
( 1800
) の 他 に、 “Grundlinien einer Kritik
Lucinde”
( 1803
) , “Kurze Darstllung
der bisherigen Sittenlehre”
“Vertraute Briefe über die
し て 定 義 し、 か か る 主 觀 的 敬 虔 が 一 切 の 會 的 協
同 體 の 基 礎 で あ り、 示、 義、 儀 禮 は か か る 敬
虔 の 形 物 で あ る と 考 へ た。 か く て 彼 は 宗 的 主
三三七
( 1810
) , “Der Christliche
觀 主 義 の 代 表 と な つ た が、 こ れ に 對 し て 今 日 特
des
theologischen
Studiums”
がく
(
)等がある。集は講義の筆
に「 辯 證 法 的 學 」
Glaube”
‘Dialektische
Theologie’
2
Bde,
1821
及び
反對してゐる( E. Brunner “Die Mystik und das Wort” 記、等をも集めて三十卷であるが、 Braun
哲學・學用語解
の 校 訂 し た 四 卷 の 集( 1910—13
)は主
Bauer
人
格〔
英
三三八
Person, Personality
佛
Personne,
なものを 收 め て ゐ る 。
〕 (二)美學上
Personnalité
獨 Person, Persönlichkeit
〔獻〕 W. Dilthey: Leben Schleiermachers,
(1 1870, の人格 美學上に於いて美の本質は人格價値である
) ; R. Haym: Die romantische Schule とする見方がある。リップスの感移入はこれを
2 A. 1922
( 1870, 4. A. 1920
) ; H. Mulert: Schl.
( 1918
) ; J. 代表してゐる。美は物象が物象として我々に與へる
( 1915
) ; 官能的快感でなくて、物象のうちに表出される心的
Werdland: Die religiöse Entwicklung Schl.s
( 1934
) .
生命の價値ち人格價値であると考へられる。我々
H. Meisner: Schl.s Lehrjahre
至無政府主義を唱へた一群を指し、シュトラウス、
或ひは汎論的唯物論を、或ひは一種の會主義乃
〕 ヘ ー ゲ ル 學 の う ち そ の 左 黨 が 少 壯
Hegelian
ヘーゲル學と呼ばれる。ヘーゲル哲學から出て、
に移入し、それらの感を人格の奧底から湧き出る
き個々の感に留まらず、に我々は人格をも對象
である。我々が對象に移入するのは喜怒哀樂の如
單なる生活感を現はすのでなくて人格的生活の象
Young の 美 的 態 度 に と つ て 物 象 は 單 な る 感 覺 的 存 在 で な
フォイエルバッハ、バウエル、ルーゲ、またスチル
ものとして價する。美とはかかる對象の人格に共
く、感を、生命を表出するものであるが、それは
ネルがこれに屬する。マルクスもヘーゲル左黨に屬
感することを意味してゐる。美の容には人格の大
Junghegelianer
英
したが、これらの人々の哲學會思想を批判して獨
いさと深さとが屬さなければならぬ。
少 壯 ヘ ー ゲ ル 學 〔 獨
自の思想にした。(ヘーゲル學の項參照)
こに心と身體とが互に影し合ふ事實を如何に明
とするく獨立な二種の實體であるとした。併しこ
二 元 論 を 立 て、 物 體 は 長 を、 は 思 惟 を 屬 性
ン テ レ ヒ ー で あ る。 世 に 於 い て デ カ ル ト は 物 心
る も の と な す の は 心 で あ り、 心 は 身 體 の 形 相、 エ
つて實現されてそのとして仕へる、身體を生け
へた。ち質料である身體は可能性であり、心によ
は身心の關係を可能性と現實性との關係に於いて考
身體は心の牢獄であるとしてゐる。アリストテレス
身體と心 身體と心とは々二元的に見られ、且
つ身體は心よりも低く價された。プラトンなども
ば、身體は純粹持續のえざる生の横斷的な斷面
ゆるものとなつた意志」である。ベルグソンによれ
が生じた。ショーペンハウエルによれば、身體は「見
の仕方もしくは考察の仕方であるとする種々の見解
つて心として現はれるのと同一の實在の一つの現象
た。カント以後に於いては、身體は直接の體驗にと
ツはその豫定和に基いて心身の相關を明し
物の秩序及び絡と同一である」。にライプニッ
は相行し相對應する、「觀念の秩序及び絡は
ないが、併し本來唯一の實體の樣態である故に、兩
性 と 見 る 一 元 論 の 立 場 か ら 行 論 parallelism
を
いた。心と物とは互に因果の關係に立つことはでき
あるとされる。これに對しスピノザはデカルトの物
〔 獻 〕
(
)
Theodor
Lipps:
Aesthetik,
2
Bde.
1903
.
心二元論を改し、思惟と長とを唯一の實體の屬
阿部 、 美 學 。
するかの問題が生じ、ゲーリンクス等の機會原因論
は去の經驗を蓄積して現實の行動のうちへび、
三三九
である。それは起動的な慣の座であり、その役
に よ れ ば、 心 も 身 體 も 決 し て 相 互 に
occasionalism
原因となるのではなく、身心相關の眞の原因はに
哲學・學用語解
實體、エネルギーの形式であるのでなく、表現的統
體と心との關係を表現關係と考へ、兩は異る物、
に刺戟されたクラーゲス等の性格學に於いては、身
行動可能性を實現することに存する。またニーチェ
はこれに反對して、眞理の規準は對象にあるのでな
ると見るのは識論上に謂ふ模寫である。カント
といふのが眞理に關する古典的定義であ
intellectus’
る。 か く て 眞 理 は 意 識 が 存 在 を 模 寫 す る に 存 す
るのである。「物と思惟との一致」 ‘adaequatio rei et
三四〇
一をなすと見られてゐる。
( 3. A. 1923
) ; R. く、却つて對象をする思惟にはる先驗的條件
〔獻〕 H. Driesch: Leib und Seele
( 2. A. に求められねばならぬとした。然るに藝の如き表
Reininger: Das psychophysische Problem
) ;H. Prinzhorn: Leib-Seele-Einheit
( 1927
) . 現に就いては、意識でなくて存在そのものが眞と語
1930
斷に屬する價値であると考へられる。併しそれは單
眞理は物に屬する性質でなく、我々の意識、特に判
理の標識は必然性と普性、もしくは客觀性である。
〕 眞理とは
眞 理〔 英 Truth
佛 Vérité
獨 Wahrheit
何人もめねばならぬ知識のことである。從つて眞
を
ド レ ル も「 藝 的 眞 理 」 ‘Künstlerische Wahrheit’
彼の藝論の中心に据ゑ、美は藝にとつて第二
科學の如く眞でなければならぬと主張した。フィー
然主義の藝家は、藝の眞理性を力し、藝は
ものそのものに就いて眞とか僞とかと云はれる。自
られる。藝は單なる觀念でなく觀念の物質化であ
純に我々の思惟に屬するのでなく、却つて我々の思
的な心理效果を現はすにぎぬと考へる。併し彼に
り、單に知ることでなく作ることであり、作られた
惟が外部の存在と一致する限りに於いてこれに屬す
ある。
のの的法則性のうちに求められねばならないので
その規準は藝的現實を生する藝的活動そのも
よれば、藝的眞理は現實の模倣にあるのでなく、
らしめる。生活機能の基本的なものは同化或ひは榮
細結合に組織され、このものが生活機能を可能な
一定の形態に於いて現はれる、ちそれは細及び
ば生命の根本素は原形質である。原形質はつねに
す。眞理自體は考へられた眞理から區別される。考
( 1781—1848
)によつて語と
Bernhard Bolzano
して用ゐられたもので、眞理の超越的當性を現は
〕 ボ ル ツ ァ ー ノ
Wahrheit an sich
の 段 階 に 於 い て 現 は れ る が、 哲 學 上 に 於 い て は 植
見 方 と 目 的 論 的 見 方 と が 對 立 し て ゐ る。 生 は 種 々
械 論 mechanism
と 活 力 vitalism
との對立した見
解がある。哲學上に於いても生命に就いて機械論的
養、繁殖、可刺戟性等である。生命の明には、機
獨
へられた眞理は考へる主觀の存在を豫想し、この主
物的生竝びに動物的生と區別される人間的生が特
眞 理 自 體〔
觀の中で或る時點に存在し始め、他の時點に存在し
三四一
的 生 と い ふ 三 つ の 段 階 を 區 別 し た。 現 代 に 於 い て
は 人 間 の 存 在 の 仕 方 に 獸 的 生、 人 間 固 有 の 生、 靈
Die leiblich-
に 主 と し て 問 題 に さ れ る。 こ れ が 人 間 學 の 問 題 で
〕 Leben
なくなる。然るに、眞理自體はあらゆる存在から獨
Vie
獨
あ る。 傳 統 的 に は 人 間 は 身 心 靈 の 統 一
Life
佛
立であつて、主觀によつて把捉されると否とに拘ら
Vita
英
ず、自體に於いて立し、富すると謂ふ。
希
Zôê
拉
seelischgeistige Einheitと 見 ら れ て き た。 そ し て ア
ウ グ ス テ ィ ヌ ス を 初 め 多 く の 哲 學 は、 生 も し く
生〔
(一)哲學上の生 生とは、自己動、自己の的
固有性からの自己形に外ならぬ。生物學的に見れ
哲學・學用語解
「生」は、十八世紀に於ける「理性」、十九世紀に於
三四二
自己の表現または自己の實現として形作られた自己
であり、その如何なる生物にも盡されず、却つて
ち生はそのあらゆる意味形式を超越する根源的力
形式を破壞してむ原始的力であると考へられる。
のうちに創的に働く形力であると共にえず
體に於いては意志である。我々の身體と同樣に、
となつた、客觀化された意志に他ならぬ。世界も自
由なき意志が人間の根柢であり、身體は見ゆるもの
生のを意味する。このくなき、盲目的な、理
へた。それは生きんとする衝動、生存に對する欲求、
〕 ショーペ
(四)生への意志〔 獨 Wille zum Leben
ンハウエルは生への意志を自己及び世界の實體と考
; G. Simmel:
の生物をやがて自己自身の桎梏として見出し、再
世界は意志の可性、客觀化であると考へられた。
( 1928
)
Organischen und der Mensch
( 2. A. 1922
) .
Lebensanschauung
び新しい意味形式を創し、かくして辯證法的に發
ショーペンハウエルのペシミズムはかかる生への意
ける「自然」と同樣に、哲學の根本念となつてゐる。
展する。現代の「生の哲學」は悟性哲學乃至念哲
志の形而上學に基く。
生は形而上學的な根源的與と見られ、自然及び
學に對し體驗、直觀、非合理性、動性等を重んずる
獨
(五)生活感〔
〕 個々の生活
Lebensgefühl
ことを特 色 と し て ゐ る 。
( 7. A. 容に就いての感でなく、生活そのものの感を謂
〔獻〕 M. Verworn: Allgemeine Physiologie
) ; H. Driesch: Philosophie des Organischen ふ。從つてそれは一般性と體性に關はる意味とを
1922
) ; H. Plessner: Die Stufen des 有し、且つそれはあらゆる容から離れたものと見
4. A. 1928
(
と い ひ、 そ れ が 混 沌 た る も の で な く 法
‘Universum’
則的に組立てられてゐるといふ意味に於いて「コス
界、動物世界)。天體の總體に用される場合「宇宙」
義に於いては物の一定の階、領域をいふ(植物世
英 World 佛 Monde 獨 Welt
〕 (一)世界 世界〔
感性的經驗にし得るあらゆる物の總體をいふ。狹
質にとつて重な意義をもつてゐる。
プス等の感移入美學に於いても生活感は美の本
トも、それを生活感の意味に於いて容した。リッ
於いて意志に對する快不快を原理的に排斥したカン
かかる生活感にほかならぬとされる。彼の美學に
象されて然もそれ自身一種の容であるこの快感は
美は一種の快感であるとすれば、一切の容から抽
られ、純粹に主觀的な關係を現はすと考へられる。
に、 世 界 と い ふ 語 は、 會 に 對 し て 宗 に 属 し
定 の 範 が ま た 世 界 と い は れ る( 學 世 界、 藝 あ ら ゆ る 人 間、 民 族、 國 家 竝 び に そ れ ら の 關 係 の
て特に人間世界を意味した。かくて世界と云へば、
で「 世 界 」 と い ふ 語 は 語 原 的 に は も と 自 然 で な く
付けられ、これによつてそれらの量に對する法則が
謂四元的「世界」の中に於いて幾何學的に關係
的間と一元的時間との統一によつて形作られた
時の相對性理論に於いては種々の物理的量が三元
た。これに對しコペルニクスは地動を唱へた。
し、太陽及び星辰はそのを囘轉すると考へられ
マイオスの世界體系では、地球は宇宙の中心に固定
家に於いて一定の世界體系にまでかれる。プトレ
三四三
家世界、化世界、ギリシア的世界、代的世界)。
總 體 の こ と に な る。 特 殊 的 に は 及 び 會 の 一
數 學 的 形 式 を も つ て 云 ひ 表 は さ れ て ゐ る。 と こ ろ
と い ふ。 自 然 現 象 の 觀 察 と そ の 思
モ ス 」 ‘kosmos’
惟的加工によつて世界像が作られ、それは學究
哲學・學用語解
は世界の對象的把握によつて形作られる「世界像」
され、識と科學以上のものである。そこで世界觀
定を擔つてゐる。世界觀は人間の體の存在に制約
據として一定の的な人間の態度、價、意志決
それ自身の世界觀を有する。それは究極的な意識根
の 表 は す 如 く 世 界 直 觀 で あ る。 か
Weltanschauung
や う な も の と し て 如 何 な る 人 間、 如 何 な る 民 族 も
する理論であるよりも世界觀を意味するドイツ語
が 有 す る 觀 念、 見 解 を い ふ。 そ れ は 元 來 世 界 に 關
(二)世界觀 世界の體及びそのうちに於ける
人間の位置に就いて或る人間もしくは人間の集團
られてゐる。
な い も の、 謂 俗 世 間 と い ふ が 如 き 意 味 に も 用 ゐ
リストの世界觀はの世界創、原罪の思想を基
はそれぞれの世界觀をもつてゐる。ギリシアの世界
は固より單に個人的なものでなく、各時代、各民族
觀念論、客觀的觀念論の三つの型につた。世界觀
ディルタイは世界觀を實證主義(自然主義)、自由の
於いて最も明瞭に云ひ表はされる。かくして例へば
世界觀の區別は普に哲學の根本的立場の差異に
哲學はこのものを理論的に、ち念的に、體系的
られ、そのうちに體驗的に含まれるものであるが、
れる。元來、世界觀は人間の生活體驗に於いて形作
やうに、世界觀と人生觀との念の區別もつねに明
語原的には世界體よりもろ人間世界を意味する
三四四
から區別される。固よりく對象的容
‘Weltbild’
を有しない世界觀は存在せず、世界像と世界觀とを
礎とし、代の世界觀は人間主義を特とすると云
觀はイデアを實在と見る思想を根本的特色とし、キ
に、且つ批判的に自覺にもたらすものであるから、
瞭であるわけでない。世界觀には種々の型が區別さ
常に嚴密につことはできぬ。また世界といふ語が
中でも印度の世界觀は宗的、支のそれは的、
に反し、東洋の世界觀は無の思想を根本とし、その
彼の哲學はシュレーゲルの思想發展の最も重な
ヒ テ は 對 的 主 觀 主 義 の 立 場 に 立 つ た の で あ る が、
から來るとした感覺をも
ントが物自體 Ding an sich
自 我 の 活 動 の 物 で あ る と 考 へ た。 か く し て フ ィ
はれる。また西洋の世界觀が有の思想を根本とする
日本のそれは藝的であるとも云ひ得るであらう。
〔 獻 〕 W. Dilthey: Weltanschauungslehre 機 と な り、 同 時 に ロ マ ン テ ィ シ ズ ム に 甚 大 な 影
(Gesammelte Schriften VIII, 1931); K. Jaspers: を及ぼした。
普との關係を部と體との關係と見、どこまで
のことを我
Psychologie der Weltanschauungen (3. A. 1924); M. 體 主 義 普 主 義 Universalismus
Scheler: Schriften zur Soziologie und Weltanschau- が國では例體主義と稱してゐる。それは特殊と
ungslehre(1923/24).
容 ま で も が 主 觀 の 生 す る も の と は 考 へ な か つ た。
の す る も の と 見 ら れ た が、 併 し 彼 は 經 驗 の 〕 Absoluter Subjektivismus
對的主觀主義 〔
カントの批判哲學は主觀主義として經驗界は主觀
に體主義といはれてゐる。體主義的思想は古く
體性の思想をもつて會乃至國家を考へる見解が特
肢として存するにぎないと主張する。かやうな
てこれを制約し、部はただ體の化もしくは
も體の優位をめ、體はあらゆる部を括し
然るにフィヒテの自我は對我として何等他に俟
から存在し、「體は部よりも先である」といふ
獨
つ な き 無 限 の 活 動 で あ り、 世 界 は 非 我 と し て こ
アリストテレスの政治學の命題はその根本思想を現
三四五
の 對 我 の に ぎ な い と さ れ た。 ち 彼 は カ
哲學・學用語解
とされて ゐ る 。
うにして體主義は今日のファッシズムの根本思想
人の自由をめないといふ結果になつてゐる。かや
く、民族乃至國家を中心に考へ、統制を主として個
が體主義的思惟の特をなし
機體 Organologie
てゐる。またそれは世界體を體と考へるのでな
のでなく、個人と會との關係を有機的に考へる有
主義に反對するあらゆる集團主義が體主義である
ゐる。會は個人よりも先のものであるとして個人
現代ではシュパンの謂普主義がそれを代表して
ム・ミューラーその他の浪漫主義の會・國家哲學、
に於いて明瞭にめられ、世ではヘーゲル、アダ
はしたものである。それは殊に中世の會・國家觀
點で單なる怜悧と異り、また、その目的のに
見れば最高善に對する意志の合性である。智は
は理論的に見れば最高善の識であり、實踐的に
象化されるのがつねである。カントによれば、智
力ある智見であり、それは「賢」の理念に於いて
はれるものである。ち智は人生の處理形の能
〕 完
智 〔 英 Wisdom
佛 Sagesse
獨 Weisheit
された識であり、しかもそれは完に人間に滲
る。
ティチアンのマリアの昇天等は莊嚴であると云はれ
嚴であり、ベートーヴェンのヘロイカの最樂章、
場合に莊嚴である。かやうにして日の出の光景は莊
さとの結合であつて、高さが華かさの中に現はれる
三四六
獨 Majestät
〕 崇 高 は そ の 支 配 的 な 高 さ
莊 嚴 〔
と大いさの靜かな意識に於いて我々に莊嚴として現
した手段をぶ點で愚鈍とも異つてゐるのである。
その目的に於いて高い理念によつて規定されてゐる
して彼の行ひをあらゆる場合にき、彼の行爲に現
はれる。併し莊嚴は單純な高さでなく、高さと華か
表される。併し力は積極的な念として特に崇高の
とつの形態の如き養の知識、仕事の知識もしく
に於ける如き救濟の知識、形而上學的知識のひ
目的に從つてマックス・シェーラーは知識を、宗
觀性、普當性を求し得る判斷である。知識の
ゐる事である。また知識は臆見、推量等と異り、客
みでなく、何故にさうあるかといふ理由をも知つて
廣く解すれば、或る物に就いての明瞭な意識をい
ふ。嚴密に言へば、單に事實がさうあるといふ事の
〕 ‘theorein’
から出た言葉で、
テオリア〔 希 Theoria
「觀る」といふ一般的意味を有し、特にギリシアの
る。
が大であればあるほど、一多くの力の感を與へ
け動乃至活動に於いて現れ、その超克すべき抵抗
我々自身を力の感に拉し去る。力の崇高はとりわ
て我々に對するのでなく、ろ現實的に我々を捉へ、
定義される。力を有するものは靜かな客觀性に於い
素と見られ、崇高は大いさと力の領域に存すると
は自然支配の知識の三つにした。そのいづれの
一市からはされての祭を訪ね、託宣を訊く
〕
Wissen
種の知識が優勢であるかに應じて個人、時代乃至
といふ意味をもつてゐた。從つてテオリアはもと宗
Connaissance
獨
會の相異る知識が生ずると見られる。
テオリアは純粹な觀想、純粹な思惟を意味し、この
Knowledge
佛
英佛 Force 獨 Kraft
〕 實在性と力とは或る意
力〔
味に於いて同じであつて、實在性のあるところには
ものは最高の對象を容とし、外的な目的のために
知識〔 英
また力があり、力が現れるが、力は廣く美と關係し、
求められるのでなくて、それ自身のために求められ
三四七
的意味を含んでゐた。アリストテレスに於いては、
種々なる美は々、力に關する種々の言葉をもつて
哲學・學用語解
るものである。かやうなテオリアの生活は實踐的生
能才にあつては部が最初のものであり、體はそ
最初のものであり、部はそれから出てくるに反し、
三四八
活よりも高いものであり、ろテオリアこそ實踐の
れから纏め上げられる。從つて、能才は自覺的、反
すが、能才は形式を他の對象に於いて繰すために
再生的である。天才は物に形式を部から作り出
用する。天才は創的であるが、能才は模的、
を技的により若干の變容をもつて他の對象に
天才の開拓したに從つてみ、彼の發見した形式
る、獨創性が天才の本質である。能才はこれに反し
は 能 才 Talent
から區別され
上 の 天 才 天 才 Genie
る。天才は開拓的であり、傳統の埓を破つて生す
る。天才は世界的なイデーを實現し、もしくは表
シェークスピアに於けるハムレット等、その例であ
最高の力が示される。ゲーテに於けるファウスト、
何よりもタイプを創するものであり、そこに彼の
して模範となり、規則を與へるものである。天才は
自身が法則であり、彼の作品は同時代及び後世に對
かれはしないが、單に無法則・無規則ではなく、彼
い」とシルレルは言ふ。天才は舊い規則によつて
才は素朴でなければならぬ、さもなければ天才でな
我が物とする。天才の形作用に於いてイデーは
現に齎すことに於いてめられるのであつて、その
きなもの、深いものを作り出す。「あらゆる眞の天
省的であるが、天才は彼自身の考へたより以上の大
最高の形態であると考へられた。
(
)
〔獻〕 F. Boll: Vita contemplativa 1922 .
英 Genius 佛 Génie 獨 Genie
〕 (一)美學
部から生れるが、能才は物の當な特質を集め、そ
限りに於いては天才も會的に規定され、時代が彼
天 才〔
れを一つの體に結合する。天才にあつては體が
ある。
工の眞面目さと結び付いてゐなければならぬので
は れ る。 彼 の 異 常 な 直 觀 力、 想 像 力 は、 有 能 な 職
天 才 は 耐 で あ る、 天 才 は 集 中 で あ る、 な ど と 言
スピレーションに存せず、ろ天才は勉である、
無 關 係 な も の で は あ り 得 な い。 天 才 は 單 な る イ ン
創 的 素 で あ る。 從 つ て 彼 の 獨 創 も 傳 統 と 然
を 準 備 す る。 天 才 は 世 界 の 發 展 に 有 機 的 に 働 く
人間的活動のあらゆる領域に於いて考へる今日ろ
などに於いても見られるが、かやうな思想と天才を
をただ藝の領域に於いてのみめる思想はカント
意されねばならぬ。藝と天才とを同一し、天才
の動機に於いて浪漫主義的なものであつたことは注
的本質はこれによつて明瞭にされたが、天才論がそ
の事である。天才の獨創性が重され、藝の創
て重な位置を占めるやうになつたのはこの時以來
普になつた思想とは、天才論に於ける二つの立場
んだ。カントによれば、獨創性が天才の第一の性質
はもと靈・守護
genius
を意味した。それは「生する」 ‘gignere’
といふ
語につらなり、かくて一般に天賦の的生力の
である。併し第二に彼の作品は模範となるやうなも
を現してゐる。カントは天才を「自然の寵兒」と呼
意味に用ゐられるやうになつた。十八世紀に至り、
のでなければならぬ。しかも第三に天才は自然とし
(三)天才論 天才の原語
謂「シュトゥルム・ウント・ドゥラング」の動
て規則を與へるのであつて、科學的、意識的に働く
と 結 び 付 い て、 こ こ に「 天 才 時 代 」
三四九
よつてされてゐるが、ジャン・パウルの如きは
のではない。天才の活動の無意識性は多くの人々に
とい
‘Geniezeit’
はれるものが現れ、「天才崇拜」 ‘Geniekult’
の極端
な傾向を生じたが、天才論が美學、藝論等に於い
哲學・學用語解
世界であつて、天才性とは「最も完な客觀性」で
もショーペンハウエルによれば、天才の世界が眞の
とはつた世界に生活することに基いてゐる。しか
ば、かやうな似は彼等が常人にとつて存在するの
て々言はれてゐるが、ショーペンハウエルによれ
狂氣との似もアリストテレス、キケロを始めとし
これに反し天才の本質を思慮においてゐる。天才と
天才と境との關係はにギュイヨーなどによつて
會科學的立場に於ける天才論が存在する。
る。これらの生物學的乃至病學的天才論に對し、
才論究が科學的天才論として注目すべきものであ
の他クレッチュメル等の性格學の立場に於ける天
が、その究は却つて浪漫的色を帶びてゐる。そ
病との似を力したものとして有名である
色としてゐる。ロンブローゾの『天才論』は天才と
三五〇
あり、その本質は純粹に直觀的な態度を執る能力に
Zilsel: Die Entstehung des
も論ぜられてゐるが、唯物觀の立場に於ける天才
〕
ある。これら哲學的乃至形而上學的天才論に對し、
獻
の把握が最も科學的、現實的であると見られる。
邦 譯 岩 波 庫 ) ; Lombroso: Genio e
Edition1869.
( 1864
) ; E. Kretschmer: Geniale Menschen
follia
Geniebegriffs(1926); Türck: Der geniale Mensch(11.
( 1892. 邦 譯
A. 1920); F. Brentano: Das Genie
( First
岩 波 庫 ) ; Galton: Hereditary Genius
〔
天 才 に 關 す る 科 學 的 究 が 存 在 す る。 ゴ ー ル ト ン
は生物學的立場に於いて天才傳の究をした。彼
の究は實證的、統計的であつて、高度の天才を一
般的な才能から切り離して考へず、ろ一般的な才
能を基礎として考へた事、また心的素質を夫自身と
して孤立せしめず、その傳法則を身體的素質の
傳法則の上に基礎付け、それから推した事とを特
リシア哲學に於いては、凡てを疑ふ懷疑論に對し
けのものとなり、「獨斷」といふ意味のものになる。
は證明されないでただ信ぜられ、ただ主張されるだ
ないとさへ考へられる傾向を有する。かくてドグマ
ゆる論議の提として提され、もはや證明をし
にとつて疑問にされることを許さず、却つてあら
れる。然るにそのやうな義はその立場に立つ
として必ず信ぜられねばならぬ義がドグマといは
グマといはれた。キリストに於いては不動の眞理
〕 確立された定、義。
ドグマ〔 英獨 Dogma
ギリシアの古典的獻に於いては哲學上のはド
ない主張に固執することに對して廣く用ゐられる。
ムといふ語は證明されてゐない、基礎付けられてゐ
ティズムと稱したのである。にまたドグマティズ
の形而上學、特に合理主義の哲學をカントはドグマ
利、 限 界 に 就 い て の 識 論 的 省 察 を 缺 い た 彼 以 る哲學をドグマティズムと呼んだ。識の可能、權
を識し得るか否かの吟味をすることなしに、立て
學的を、人間の理性はかかる形而上學的なもの
ドグマティズムを對せしめた。ち積極的な形而上
グマティストといはれた。カントは彼の批判主義に
て、一般に何等か積極的な主張をなした哲學はド
今日一般にかやうな獨斷の意味に用ゐられることが
( 1929.
邦譯村之)。
少くない 。
と い ふ。 村 の 小 學 校 か ら 金 澤 市 に 出 て 石 川 縣 師 範
西 田 幾 多 ( 1870—
) 明 治 三 年 四 月 十やす九
のり
日石川縣河北郡宇ノ氣村字森に生る。は西田得登
英 Dogmatism
〕 普に獨斷論
ド グ マ テ ィ ズ ム〔
と譯す。元の意味からすれば何等かのドグマち定
學 校 に 入 つ た が 病 氣 の た め 間 も な く 學、 で 石
三五一
を立てるものは悉くドグマティズムであつて、ギ
哲學・學用語解
この書は未だ主觀・客觀の對立なき獨立自の純活
經驗」といふ言葉は一時流行語とさへなつた。蓋し
が、大正に入つてから廣汎な影を及ぼし、「純粹
治四十四年)は四高時代に書かれたものである
學士院會員(昭和二年六月)。處女作『善の究』
(明
けらる。昭和三年九月停年職、名譽となつた。
同、同年總長の推薦に依り學士の學位を
、四十三年九月京大學部助、大正二年
年 九 月 第 四 高 等 學 校 、 四 十 二 年 九 月 學 院 講師となる。三十年九月山口高等學校、三十二
國七尾中學校となり、二十九年には四高の獨語
り、二十七年七月卒業した。二十八年石川縣能登
治二十四年九月東京の大科大學哲學科に入
となると共に同校生となり、卒業一年に學、明
川 縣 專 門 學 校 に 入 學、 そ の 學 校 が 第 四 高 等 中 學 校
直觀主義への轉囘が行はれた。それは主知主義への
に至つて重大な飛をげ、從來の主意主義から
ものから見るものへ』(昭和二年)、殊にこの書の後
九年)、『藝と』
(大正十二年)を經て、『働く
志のにしてゐる。ついで『意識の問題』(大正
有する經驗體系への推移を考へ、に對自由の意
と存在との結合、純粹な思惟體系から感性的容を
の如き思想を承けて、意味實
の事行 Tathandlung
在にして無限の發展を含む自覺的體系によつて價値
系への企圖となつて現れた。ちここではフィヒテ
反省』(大正六年)に於いて見られ、雄大な哲學體
結び附けられた。その發展は『自覺に於ける直觀と
つて反省されると共にベルグソンの純粹持續のと
に於いてはそれが新カントの論理主義の主張によ
ほ心理主義的であつたが、
『思索と體驗』
(大正四年)
を排して主意主義に立つてゐる。純粹經驗のはな
三五二
動としての純粹經驗をもつて實在と考へ、主知主義
てゐる。西田哲學は西洋哲學入以後初めて組織さ
的世界のをもつて徹底した現實主義に立たうとし
のに於いて行はれ、殊に最後の書以後、辯證法
『哲學の根本問題』
(昭和八年)、同續(昭和九年)
體系』
(昭和五年)、
『無の自覺的限定』
(昭和七年)、
として展開された。かかる展開は『一般の自覺的
され、それは軈て非續の續を根本とする辯證法
に對し、無の場の論理として語的論理が明かに
獨創的な思想が確保された。有の哲學の主語的論理
左右田喜一が初めて「西田哲學」と命名した如く
哲學は「場」のによつて展開され、ここに當時
己を映すものの影と見るのである。かかる對無の
の働くもののすべてを、自ら無にして自己の中に自
ゆる主客合一の直觀を基礎とするのでなく、有るも
轉でなく却つて行爲的直觀の立場を意味し、いは
あつて無意味にいものになりはしないかといふ疑
ものが見出されるとしても、それは餘りに特殊的で
のを考へることは殆ど不可能であり、假にかやうな
て發して來たものであるとすれば、日本固有のも
つても支化・印度化・西洋化の影を受け
りはしないかといふ疑問がある。また日本化と云
それは餘りに抽象的であつて無意味にいものにな
能であり、假にかやうなものが見出されるとしても、
も、その體にずる特質を考へることは殆ど不可
れぞれの時代の化の有する特質は考へ得るとして
日本 (五)日本化の特質 日本化と云つて
も 的 に 變 化 し て 行 く も の で あ る と す れ ば、 そ
色が見られる。
人格との思想をその中へ敲きんだところに特
洋的であると云はれるが、東洋的思想に缺けてゐた
とに於いても比ぶるものがない。西田哲學は々東
三五三
れた獨創的哲學とめられ、その影の廣さと深さ
哲學・學用語解
存する封的傳統的なものに對する批判の意味を含
に就いて考へることは同時に我々の化のうちに殘
るところから生じてゐる。ここにすでに日本的特質
は單に西洋的でなくてまた代的といふ意味を有す
對立に於いて考へられ、然るに、その西洋的なもの
ある。これは日本化の特質が普に西洋化との
本的なものにぎぬものが極めて多いといふことで
的特質と云はれてゐるものにして實は單に封的日
云へる。ただこの場合注意すべきことは一般に日本
に就いて考へることは不可能でも無意味でもないと
本的性格が見られる筈であるから、日本化の特質
るにしても、その受け方そのもののうちにもに日
はれる筈であり、また如何に外國化の影を受け
日本人の作る化のうちには自ら日本的なものが現
問がある。併し如何に的に變化するにしても、
對立したものでなく、相するもの、融合したもの
る。ちここでは生活と化とは距離を有するもの、
れる實際的とか現實的とかといふ性格に相應してゐ
たといふことは、日本化の特質として々擧げら
崎義惠)。かやうに明確な化意識が存在しなかつ
いふが如き試みは無意味となるかも知れない」(岡
の再現を志すとすれば、日本學の美學的考察と
かどうかは疑はしいのであつて、もし去の思想感
して美とか學とかいはれるものの自覺が存在した
すでに化の意識そのものが我が國に於いては新
しいものに屬してゐる。例へば、「去の日本に果
あらう。
とき初めて明かになり得ることであるとも云へるで
化が十吸收された上で、日本獨特のものが生れる
決定することは容易でない。それは西洋的代的
ら封的なものを除いてなお何が日本的であるかを
三五四
まねばならぬ理由がある。日本的と云はれるものか
式を特色とするといふことを意味してゐる。そこに
日本が固定的形式的でなく、却つて無形式の形
るといふことが日本化の特質である。そのことは
ふことである。ろすべてが非續的に續してゐ
に日本化の特質を捉へることを特別に困な
らしめてゐる事は、ここには續性が乏しいとい
ふ特色を も つ て ゐ る 。
身體的であるところから、直觀的、特に官能的とい
思想性の缺乏もそれに關係してゐる。化は生活的
は客觀的化の觀念の缺乏を意味し、今日いはゆる
なものとせず體的なものとしてゐる。同時にそれ
のものと考へられた。そのことは日本化を抽象的
といふが如き思想はなく、學問も藝も生活と不離
の故である。理論のための理論、藝のための藝
である。日本の學問は實學であると云はれるのもそ
ちに一致する。日本化の特色としてげられる歸
き性質のものであつて、ここでは相反するものが直
日本は無形式の形式、非續の續ともいふべ
無であり、萬物を生み出す無であると考へられた。
の無であるが、單なる無でなく、萬物をみ藏する
大なることを知る、と云つてゐる。日本の古は一
外國が日本からるものはない、日本の古は與へ
田篤胤の如きも、日本が外國からるものは多いが、
のであるかのやうに見られる理由もそこにある。
拘らず、ただ外國化をからへ模倣して行くも
模倣でなく、固有性と獨創性とに缺けてゐないにも
け容れることができる。日本化はもとより單なる
から、日本人は取的であつて外國化を容易に受
る。かやうに日本は無形式の形式であるところ
つて、傳統そのものがまた統一なき統一に存してゐ
三五五
るものを持たないが、而もここに於いてか我がの
は 客 觀 的 な 形 式 に 於 け る 續 的 統 一 が 乏 し く、 從
哲學・學用語解
を特色としないといふことであり、非續の續と
無形式の形式と云つても固より日本化には自ら
形式がある。形がないといふのは日本化が間性
化の形の妨げとなつてゐる。
寛容である。併しそのことがまた客觀的に統一ある
は謂はば多的であることを特とし、從つて
とつては同時に可能なことである。かやうに日本
を排棄し得ず、崇拜と佛的信仰とは日本人に
哲)を意味してゐる。例へば、佛の興隆も
れば、日本化の特質と云はれる「重性」(和
るといふ意味である。從つてそれは他の反面から見
客觀的には矛盾したものが心に於いて統一されてゐ
的な形式に歸するといふ意味でなく、ろあらゆる
一性もそこに考へられ、それはすべてが一定の客觀
化されると共に實際化されたが、同時にそれが單純
した點にある。日本に於いては佛もかやうに純粹
するに對し、日本のそれは佛を宗として純粹化
の傳持に特色があるとべてゐる。ち印度佛が
佛は學の發展に特色があり、日本佛は定學
を比して、印度佛は戒律支持に特色があり、支
と共に純粹化されたのである。島地大等は三國佛
ふことは功利的といふことでなく、實際化さ、れる
支化は日本へ來て實際化されたが、實際的とい
直觀的綜合的であり、また純粹性を特色としてゐる。
感的である。感的化は析的的でなくて、
考へられる。日本化は時間的として流動的、また
ことでは日本化は西洋化に一親であるとも
化と日本化との間に相があり、時間的といふ
三五六
いふのは日本化が時間性を特色とするといふこと
化されたといふことに注意しなければならぬ。單題
倫理的なことを、支佛が哲學的なことを特色と
である。この點に於いて同じ東洋的と云つても支
ゐないといふことを意味する。西洋的な意味に於け
すると共に、人間が純粹に主觀的なものと見られて
純粹に客觀的に捉へられてゐないといふことを意味
人間は自然のうちに入つてゐる。そのことは自然が
本思想に於いては自然と人間とは對立してをらず、
に於ける無の思想とも結び附いてゐる。一般に日
うなものでもあり、併しまたそれは佛或ひは老子
ことができる。この自然主義は本居宣長の考へたや
かくの如きことはすべて日本化の哲學的基礎と
もいふべき特殊な自然主義を根柢としてゐると見る
ものが日本化の特質を示してゐる。
的なところが足りないのである。俳句や短歌の如き
るが小さいと云へる。間的なところ、析的
現はしてゐる。それに關聯して日本化は純粹であ
目や單念佛・單信心・單圓戒等の思想はこの傾向を
ゐる。反對に人間そのものに就いて言へば、西洋的
の見方からすれば主觀的であり、觀照的に留まつて
て求められるのであるから、西洋的な科學及び技
てゐる。併しこの統一は物でなくて人間の側に於い
統一であり、かやうなものとしてリアリティをもつ
の技によつて作られるものとして主觀と客觀との
作るのである。心境は單に主觀的なものでなく、心
技として人間そのものを、ち心境といふものを
間の側に於いて實現されると考へれば、技は心の
は物の技として物を作るが、それが主觀ち人
と客觀とを媒介的に統一するといふことである。か
はつねに技と結び附いてをり、技の本質は主觀
はしてゐるのは、心境と云はれるものである。知性
からもれてゐる。日本的知性の特色を最もよく現
が、同時に西洋的な意味に於ける主觀主義の抽象性
三五七
やうな統一が客觀の側に於いて實現される場合、技
る客觀主義に乏しく、從つて科學が發しなかつた
哲學・學用語解
んじ、そのことが日本化の一つの特色となつてゐ
た日本的知性は身體から離れない故に、日常性を重
的でなく、却つて隨筆性を特色としてゐる。ま
は人間もしくは心境にる故に、その化は客觀的
であり、その恐るべき現實主義である。日本的知性
れないのである。何でも呑むといふのが日本的知性
ちに呑み、主觀的にはそこに何等の不統一も感じら
のことでも、矛盾したことでも、すべてを自のう
することができる。客觀的にはどのやうに切れ切れ
にある。碎かれた心はどのやうな物をも自己と統一
對に、客觀に從つてどこまでも心を碎いてゆくこと
その技は主觀に從つて物を碎いてゆくのとは反
特色とし、人間修業といふものを基礎としてゐる。
云ふことができる。日本化は心境的といふことを
人間は抽象的であつて東洋的人間は體的であると
ストこそヘレニズムの傳統を維持してゆく力であ
ニズムはキリスト的色が濃いが、今日ではキリ
係も確定してゐない。すでにトルストイのヒューマ
ども、現代のヒューマニズムに於いてはこれらの關
キリストと相容れないものがあると見られるけれ
マ ニ ズ ム は も と ギ リ シ ア に が り、 そ の 限 り
て ゐ る が、 決 し て そ れ に 限 ら れ て ゐ な い。 ヒ ュ ー
といふものが新しいヒューマニズムとして唱へられ
ンデス等の思想を承けて「行動的ヒューマニズム」
と廣い意味に理解されてゐる。我が國ではフェルナ
マニズム」と云はれるものであるが、普にはもつ
〕 バ
ニ ュ ー・ ヒ ュ ー マ ニ ズ ム〔 New Humanism ビットその他の唱へる思想が特に「ニュー・ヒュー
よう。
質を發揮するかを見究めることは容易でないと言へ
んでゐるのであつて、今後の日本化が如何なる特
三五八
る。尤もこれらすべての特色は封的性質を多く含
會は人間が實踐的に作つてゆかねばならぬものであ
新しい會からのみ生れ得るものであり、新しい
いふことを根本的な求としてゐる。新しい人間は
眞の人間性を取りし、新しい人間として生れると
のブルジョワ會に於いて非人間的にされた人間が
於いて變化するものであるといふことをめ、現在
と見られる。新しいヒューマニズムは人間がに
マン・ロラン、ジイド、ゴーリキイ等がその代表
マニズムの意味が考へられねばならぬであらう。ロ
して明瞭な反對の立場に立つところに新しいヒュー
現代のファッシズムの非人間的、非化的傾向に對
ズムの個人主義に對し會主義の立場をめ、特に
ものの容は限定されてゐないが、舊いヒューマニ
くの如く一般に新しいヒューマニズムと云はれる
ると主張するニュー・ヒューマニズム論もある。か
あるとしても、かかる點を持に力するのはすでに
ヒューマニズムの素が含まれてゐることは事實で
と 主 張 す る も あ る。 併 し マ ル ク ス 主 義 の う ち に
代に於ける唯一の可能なるヒューマニズムである、
のはマルクス主義のみであり、マルクス主義こそ現
放、人間的竝びに化的自由の求を實現し得るも
マニズムのいふ非人間的なものからの人間性の解
ては異論がある。マルクス主義の中には、ヒュー
も、マルクス主義と同じであり得るかどうかに就い
であることを一般的特としなければならぬとして
へる。新しいヒューマニムズは、反ファッシズム的
主義と眞の個人主義とは一致すべきものであると考
の自由、創意、個性に重な意味をめ、眞の會
がある。また人間を單に會的なものと見ず、個人
であると考へるところにヒューマニズム固有の立場
部からでなく、それは同時に的な、主體的な問題
三五九
る。しかも新しい人間が作られるのは決して單に外
哲學・學用語解
て一六五一年の頃から彼の世俗的生活が始まり、人
なものでなく、科學的究は熱心に續けられ、やが
の信仰に心を動かされた。しかしこれは未だ決定的
の宗的機を經驗して囘心があり、ジャンセン
身 で な 感 受 性 を 有 し た が、 一 六 四 六 年 に 最 初
せ し め、 十 八 歳 の 時 に は 計 算 を 發 明 し た。 病
十六歳のとき圓錐曲線論を書いてデカルトを驚
科學的育を受け、早熟の天才をもつて知られた。
フ ェ ラ ン に 生 れ、 パ リ に 沒 し た。 初 め は 主 と し て
(
)〕 フラ
パスカル〔 Blaise Pascal 1623—1662 ン ス の 數 學 、 物 理 學 、 哲 學 。 ク レ ル モ ン・
る「第三の思想」であり得るかが問題である。
ニズムはファッシズム及びマルクス主義に對して或
あると云ふこともできる。かくして新しいヒューマ
ヒューマニズムであつてマルクス主義からの移行で
する興味とにより特附けられる。彼がエスプリ・
その發明的な力と共に經驗の重と實際的應用に對
論的であつた。パスカルの科學上の業績と天才とは
經驗的であるに反し、デカルトの傾向は數學的機械
の發見であつた。また物理學パスカルの傾向は
合的な方向にがるに反し、デカルトは解析幾何學
と反對である。ち彼が古代幾何學の本質的に綜
ても物理學上に於いても彼の方法はデカルトの方法
理、その他の發見によつて貢獻した。數學上に於い
ある。科學上に於いては算論、謂パスカルの定
は護的意
ら 戰 つ た。 有 名 な『 パ ン セ 』 “Pensées”
圖のもとに書かれた稿の斷片を纂したもので
に入り、『プロヴァンシアル』 “Les Provinciales”
を
書いてイェズイタに對しジャンセンの立場か
の ち 彼 は ポ ー ル・ ロ ワ イ ヤ ル に い て 宗 的 生 活
一六五六年一月の間に第二の決定的な囘心があり、
三六〇
生に就いての經驗が積まれた。一六五四年十月から
フィネス(纖細の心)とを區別したこと、また理性
ジェオメトリック(幾何學の心)とエスプリ・ドゥ・
を 與 へ た と こ ろ に あ る。 集 は
あるが、學上に於ける彼の功績は『プロヴァンシ
ちモラリストとしてのパスカルを代表するもので
あることに存する。彼が究したのは的人間であ
の 析 か ら 出 發 し た こ と、 ち 下 か ら の 宗 論 で
Flance, par Brunschvicg et Boutroux, 14 vols., 1914—
tes de Blaise Pascal” (édition des Grands Écrivains de la
“Oeuvres complè
アル』によつてフランスの古典主義學に大きな影
を考
の論理と異る「感の論理」 ‘logique du cœur’
へ た こ と は 有 名 で あ る。 彼 の 宗 論 の 特 色 は 人 間
つて、宗的不安によつて深くられてゐる。人間
Chevalier: Pascal; Sainte-Beuve: Port-Royal, 7 vols.
三木、パスカルに於ける人間の究。
temps, 3 vols., Brunschvicg: Le génie de Pascal; J.
Boutroux: Pascal; Strowski: Pascal et son
23).
〔獻〕
は「考へる蘆」であり、かやうな自覺的人間の根本
的態は不安である。彼は獨斷的哲學や理性的宗
を排するために理性を貶しめ、かくて彼の哲學は懷
疑論であるかのやうに見られてゐるけれども、數學
( 1670
)〕 パスカルのエッ
〔 “Pensées”
「パンセ」
セ イ。 未 完 の 作 で、 彼 の 死 後 稿 と し て 見 出
の如きがそれ自身に於いて有する確實性を疑つたの
ものでなく、信仰が、理性を超えた直觀や感が必
さ れ た 多 く の 斷 片 を 纂 し た も の で あ る。 最 初 の
ではない。宗的眞理は理性によつて捉へられ得る
であると考へ、その點に於いて彼の思想には祕
版 は ポ ー ル・ ロ ワ イ ヤ ル
三六一
版とも稱せら
Port-Royal
主義的傾向が濃厚である。『パンセ』は人間究
哲學・學用語解
三六二
たレトリックや學論の如きまでを含み、パスカル
れ、 彼 の や 友 人 の 手 で 一 六 七 〇 年 に “Pensées 明かにすることであつた。併しその容は極めて豐
de M. Pascal sur la religion et sur quelques autres sujets, 富であつて、宗論に就いてはもとより、特に人間
性に就いて深い洞察を示した格言的名句に滿ち、ま
と
que ont été trouvées après sa mort parmi ses papiers”
いふ表題で出版されたが、これは當時の政治上・法
である。
の作のうち最も廣く讀まれ、最も影の多いもの
( 1776
)や
Condorcet
ヒューマニズム〔 英
の提唱
に就いては、一四四〇年にプレトン Plethon
によりメディチ家のコシモの保護のもとにフィレン
的 で あ る こ と を 特 色 と す る。 先 づ 古 代 哲 學 の 復 興
反對する代的思想であり、人間論的で且つ自然論
現 は れ た。 そ れ は 中 世 の ス コ ラ 哲 學 の 權 主 義 に
いてゐるが、哲學上のヒューマニズムもこの時代に
ヒューマニズム 一般にヒューマニズムは的に
はルネッサンスに於ける古典的古代の復興と結び附
〕 (三)哲學上の
Humanism
學上その他の困を慮して纂されたので不完
で あ る。 そ の 後 コ ン ド ル セ
ボ シ ュ Bossut
( 1776
) の 版 が 出 た が、 原 稿 と 非 常
に 相 し た も の で あ つ た。 一 八 四 二 年 に ク ー ザ ン
がかやうな相を指摘して以來、原稿
Victor Cousin
を 忠 實 に 再 現 す る 努 力 が な さ れ、 フ ォ ー ジ ェ ー ル
( 1844
) モ
( 1877
) ミ
Faugère
, リ ニ エ Molinier
,
( 1896, 99
) ブ
ショー Michaut
, ランシュヴィック
的なもので、人間の本性の究から出發して、人間
ツェにプラトン・アカデミーが創設され、フィチノ
( 1897, 1904
)版に至つて第に完なものと
なつた。斷片のまま殘されたこの作の意圖は護
の自然は超自然的な宗を必とするといふことを
やベッサリオン Bessarion
によりプラトンと
Ficino
新プラトン主義が復興された。ストア哲學はリプシ
あつたが、それは特に念の積極的價となつて
現はれた。念も人間的自然といふ意味でめら
な觀念を排し生を生そのものから理解するといふ生
れ、その積極性が肯定される。またキリストに於
ガ ッ セ ン デ ィ Gassendi
に よ り 復 興 さ れ た。 ヒ ュ ー
マ ニ ズ ム は 固 よ り 單 な る 古 典 復 興 で は な く、 そ の
の在的解釋の立場に立つ。かやうな立場は個人の
等により、エピクロスの哲學は
Justus Lipsius
根柢には新しい人間の觀念が存し、古代の學藝も
自己意識と結び附き、生の體驗的な自己解剖となつ
ウス
養ある人間といふ新しい人間理想のもとに關心され
ける人間解釋とは反對に、ヒューマニズムは超越的
たのである。新しい人間は個人の自己意識、自己感
質・個人の性格の相等が究され、そこから實際
間・その心的生活の生理的制約・激の力・氣
時代に興隆した新しい自然哲學は人間の在的解釋
は人間の發見と共に自然の發見を意味したが、この
とルター Luther
との
の對立はエラスムス Erasmus
對立に於いて典型的に示されてゐる。ルネッサンス
宗に就いての自由思想とプロテスタンティズムと
た。 モ ン テ ー ニ ュ Montaigne
がこれを代表してゐ
る。ヒューマニズムに於ける古代的傳統の重及び
と共にキ
を も つ て 生 れ た。 ペ ト ラ ル カ Petrarca
ケロやセネカの意味に於ける哲學的論の流行
生活上の歸結がき出される。その際古代の作
を助長したのみでなく、やがてその根柢となつた。
が始まつてゐる。新たに現實的な感覺をもつて、人
家たちがえず引用された。中世の現世否定とは反
ブルーノ
三六三
の汎論的な自然哲學に
Giordano Bruno
對に、ヒューマニズムを特附けたのは生の肯定で
哲學・學用語解
は假借することなく世俗化される。彼によれば、
ら汲み取つてきた。宗もも政治も彼に於いて
然的解釋はマキァヴェリ Machiavelli
の國家哲學の
基礎となつてゐる。彼は彼の政治學的見解を古代か
メー Ramée
はヒューマニストとしてスコラ哲學及
びアリストテレスの論理學に反對してゐる。生の自
感的な自己意識はデカルト Descartes
に於いて理
性の權威の思想として方法的に確立された。にラ
やケプラー Kepler
等
な方法に基くガリレイ Galilei
の自然科學に代られることになつたが、他方人間の
現を得た。祕主義的傾向を含んだ自然哲學は嚴密
のものから理解するといふ在論の立場は壯麗な表
新しいヒューマニズムに於いて減少されはしたが
審美主義的傾向、育ある身の貴族主義は、この
てゐる制限、換言すれば、その個人主義的傾向、
想である。ルネッサンスのヒューマニズムに附隨し
想を見た。人間をその個別性と體性とに於いて、
等に於いてヒューマニ
ル ト Wilhelm von Humboldt
ズ ム は 新 し い 形 態 を と つ て 現 は れ た。 こ の 第 二 の
十八・九世紀に至つて、ヘルダー
スのヒューマニズムはその後の時代に影し、蒙
學や國家哲學をてる企てはホッブス Hobbes
を初
め多くの哲學によつてなされてゐる。ルネッサン
三六四
會は念のメカニズムである、しかも念は計
滅してはゐない。現代のドイツでは「第三ヒューマ
於いて、あらゆる超越的な表象を斥け世界を世界そ
算され得る、なぜなら人間性(人間的自然)はつね
といふものが唱へ
ニ ズ ム 」 ‘der Dritte Humanismus’
ち人として形することがフンボルトの根本思
ヒューマニズムは特に古典的ギリシアに人間性の理
やフンボ
Herder
思想を制約し、代哲學の根柢的な素となつた。
に同一であるから。人間的自然の究の上に會哲
の政治的思想と密接に結び附いて
‘das Dritte Reich’
をり、現代に於ける新しいヒューマニズムは却つて
られてゐるが、このものはナチスの謂「第三國」
る化の擁護の動、ファッシズムの民族主義乃至
ズムによつて破壞されようとする化の機に對す
は、ファッシズムによつてえず脅かされてゐる戰
爭の險に對する和の防衞の動、またファッシ
反ナチス的思想のうちに求めねばならぬであらう。
の本質に於いてはプラグマティズムの一種にほかな
ものを超える事ができぬと主張するのであつて、そ
の目的に於いてつねにただ人間的であり、人間的な
つて、我々の總ての識はその動機・その範・そ
度である」といふ思想を承けた識論上の學であ
が「 ヒ ュ ー マ ニ ズ ム 」 と い ふ も の を 唱 へ
C. Schiller
てゐるが、これはプロタゴラスの「人間は萬物の尺
年九月ブラッセルに世界和會議が開かれ、三十四
をもつてゐる。最の勢を觀すれば、一九三六
人民戰線動はヒューマニズムの動と密接な關係
の乱等を機として活に行はれてゐる。一般に
件、またイタリアのエチオピア略、にスペイン
や藝家の放、いはゆる非ドイツ的書物の焚書事
に、ドイツに於けるユダヤ人排斥、ユダヤ人の學
F. 人種主義に對する化の國際性の昂揚を目的とする
らぬので あ る 。
子は國際聯盟を支持する和論であつたが、他
なほ現代哲學に於いてイギリスの哲學シラー
(四)現代に於けるヒューマニズム動 ヒュー
マ ニ ズ ム の 動 は、 現 代 に 於 い て は 反 フ ァ ッ シ ズ
方殆ど同じ頃ジュネーヴに於いては世界年和會
三六五
箇 國 の 代 表 が 集 つ た。 こ の 會 議 を し た 基 礎
動等の形態をとつて現はれる。かやうな動は特
ム の 動 と し て 規 定 す る こ と が で き る。 ち そ れ
哲學・學用語解
アラゴン、ドイツではハインリヒ・マン、フォイヒ
アンリ・バルビュス、アンドレ・マルロオ、ルイ・
ランスではアンドレ・ジイド、ロマン・ローラン、
が開かれ、世界の名な作家が名を列ねた。ちフ
一九三五年六月にはパリに化擁護國際作家會議
月に南米のブエノス・アイレスで開催された。また
ロ マ ン で あ る。 そ の 第 十 四 囘 大 會 は 一 九 三 六 年 九
ズ、現在三代目の會長はフランスの作家ジュール・
の會長はゴールズワージ、二代目はH・G・ウェル
現在四十四箇國に五十六の支部をもつてゐる。初代
念願とする筆家を會員とするといふ規定があり、
て設立されたものであるが、民族相互間の和を
の筆家の親善と驩を目的としてイギリスに於い
た。國際ペン倶樂部は世界戰爭の熄後、世界國
議が開かれ、三十五箇國の年團體の代表が集つ
んど同時に起つた京國大學に於ける瀧川事件を
態を見るに、一九三三年ナチスの焚書事件及び殆
化との擁護のために活動してゐる。飜つて日本の
の如き名な自然科學も參加し、いづれも和と
委員會があり、これにはジョリオ=キュリー夫妻
ンジュヴァンを議長とする反ファッシスト知識人監
知識階級自由同盟があり、フランスにはポール・ラ
織としては、イギリスにはハックスリを議長とする
てアメリカ作家聯盟が立した。に知識階級の組
的鬪爭のためにアメリカ作家大會が開催され、そし
いても一九三五年四月に化の國際性を擁護する知
の計畫の如きものも爲されてゐる。又アメリカに於
が生れ、學及び藝に關する國際百科書の纂
の會議から一つの聯盟ち化擁護國際作家聯盟
ではゴーリキイ等がこの會議に名をげてゐる。こ
アメリカではウォルド・フランク、ソヴェート同盟
三六六
トワンゲル、イギリスではハックスリ、フォースタ、
物にはなく、人間に固有なものであり、人間が
態である。またキェルケゴールによれば、不安は動
ば、不安は無限と無との中間としての人間の
不安 (一)哲學上の不安 この思想をべた人
と し て 先 づ 擧 ぐ べ き は パ ス カ ル で あ る。 彼 に よ れ
り得ないやうな態である。
は恐
Angst
本ペン倶樂部の如きも國際ペン倶樂部の支部とはな
が組織されたが、活動の自由を奪はれてしまひ、日
機として多數の作家家をもつて學藝自由同盟
は行や冒險や夢想などに依る現實からのの
超現實主義の學の方向に於ける現實の拒否、或ひ
の學として現はれる。例へばダダイスムもしくは
るが、それは先づ現實の拒否または現實からの
(三)學上の不安 學上の不安は會的不安
につて、これに制約された的不安の表現であ
る。
く、人間の根源的に主體的な態を現はすものであ
は何等かの對象或ひは對象の缺乏に關係するのでな
ものが無なのである、とべてゐる。かくて不安
やうな思想を承けて最も哲學的に展開したハイデッ
と は 區 別 さ れ、 恐 怖 が 或 る 限 定 さ れ た も
怖 Furcht
のに關係するに反して、不安は無から生ずる。か
一を有する人格であるのでなく、却つて人格の壞、
人主義的と言つてもこの場合個人はもはや堅固な統
うちに存し、個人主義的な學として現はれる。個
的 存 在 で あ る こ と を 示 し て ゐ る。 不 安
ガ ー も、 不 安 を 無 と 結 び 附 け、 無 は 存 在 す る
自我の破のうちに不安が存する。不安はプルース
學がこれである。不安はに會と個人との乖離の
ものの否定、その體の否定によつてもせられる
ト流の心理學、或ひはいはゆる意識の流れの學
三六七
ものでなく、却つて不安に於いて初めて顯はになる
哲學・學用語解
うちに存し、かくして自意識の剩として、或ひは
として現はれる。に不安は意識と行動との背馳の
な勞作を發表した。『ヘーゲル哲學批判』( 1839
)
の協同となり、四三年廢刊に至るまで同誌に重
極めた。一八三七年以來ルーゲの勸めで『ハレ年報』
三六八
ジイド流の實性として、また特に無と頽廢とに
シンセリティ
對する特殊な好みとして現はれる。學上の不安は
の原理』( 1843
)、『宗の本質』( 1845
)、等に
於いて自己の自然主義的・感覺論的・唯物論的思想
)の二作を以
及 び『 キ リ ス ト の 本 質 』( 1841
て思辨哲學と學とを算し、その後『將來の哲學
特に世界大戰後の學に於いて顯にめられるが
ドストイェフスキーの學、ニーチェの哲學、フロ
イドの析學等がそれに深く影してゐる。
( 1804— を發展させ、その基礎を明かにした。一八四八年ハ
Ludwig Feuerbach
を學び、後ベルリン大學に於いてヘーゲルの講義を
イエルバッハの子。初めハイデルベルク大學で學
)〕 ドイツの哲學、唯物論。少壯ヘーゲ
1872
ル學の一代表。有名な刑法學アンセルム・フォ
る。の本質は、個別的な、現實的、身體的な人間
哲學の祕密は學であり、學の祕密は人間學であ
で示してゐる。フォイエルバッハによれば、思辨
の本質に就いての講義』は彼の世界觀を渾然たる
イデルベルク大學團體の招きによつてなした『宗
聽きこれに傾倒した。一八二八年エルランゲン大學
の制限から解放された人間の本質そのものであり、
フォイエルバッハ 〔
の講師となつたが匿名で出した『死と不滅とに就い
た他のものとして直觀され、崇拜されたものにほか
それが對象化されたもの、ち、人間から區別され
) が し て に 講 壇 を き、 爾 後 生
て 』( 1830
職に就かずを專らとし、年の生活は窮乏を
ゐる。彼の哲學はマルクスやエンゲルスに影を與
會的現象の明に於いては觀念論的傾向を留めて
ちに、人間と人間との統一のうちにあるとしたが、
な ら ぬ。 人 間 主 義 Anthropologismus
は彼の思想の
一特色である。彼は人間の本質はただ共同會のう
マニストであり、また古典主義であつた。普的
れた代表であつて、その意味に於いて彼はヒュー
された。ゲーテは普的人間の思想の最もすぐ
ツの古典主義乃至ヒューマニズムに於いてはそれが
學は一般に普的人間を對象としてをり、特にドイ
に反し、古典主義の學或ひはヒューマニズムの
へ、ヘーゲル哲學から的唯物論への發展の中間の
段階をなすものである。集
“Sämtliche Werke” 10 人間と云つても、あらゆる人間から抽象して得られ
る形式的なものを謂ふのでなく、却つて普的なも
( Hrsg. von Bolin und Jodl, 1903—11
)がある。
Bde.
〔獻〕 Jodl: Ludwig Feuerbach; F. Engels: L. F. u. の、イデー的なものは個々の現象そのもののうちに
見ることができると考へられる。
「特殊なものは種々
( 邦 譯、
der Ausgang der klassischen Philosophie
岩 波 庫 ) ; S. Rawidowicz: L. F. u. die deutsche なる條件のもとに現はれる普的なものである」と
テは云つてゐるが、普的人間はかやうな意味に於
か、「最高のことは、凡ての事實的なものがすでに
〕 人間
普的人間〔 獨 Allgemeine Menschlichkeit
の普的なもしくは永の本性を謂ふ。從つてそ
いて考へられるのである。それはゲーテの謂「原
三六九
の 如 き も の で あ る。 か く し て
‘Urphänomen’
理論であるのを理解することである」とかとゲー
れは特異なもの、個人的なものに對してゐる。浪漫
現象」
Philosophie.
主義の學が特異なもの、個人的なものを重する
哲學・學用語解
て人間の性の思想と結び附き得るかが問題であ
思想と一致しいものがあり、またそれが如何にし
にしても、その思想には人間の會的階級性の如き
普的人間は決して單に抽象的形式的なものでない
古典主義學に對して大きな影を及ぼした。それ
がフランスの浪漫主義學に對するのと同樣、その
る。それは散の傑作と稱せられ、ちやうどルソー
學といふ新しい領域を學に獲得したところにあ
ある章をもつて知られてゐる。この作の功績は
三七〇
る。
( 1656— は古典主義の理想の最初の完な表現であると云は
〔 “Les Provinciales”
「プロヴァンシアル」
れてゐる。
學方法論 代に於ける學究は科學的
方法の入と共に新しい段階に入つた。學に於
)〕 パ ス カ ル の 作。 書 簡 體 で 書 か れ た 論 爭 的
57
作 で 十 八 の 書 簡 を 含 み、 一 六 五 六 年 一 月 か ら
一六五七年三月の間にパンフレットとして々に發
完に獻學的科學であるといふことであつた。
ける科學的方法とは、何よりも先づ獻學的方法で
やニコル Nicole
に刺戟されて、當時、
ノー Arnauld
イェズイタとジャンセンとの間に寵と自由
學は、獻學から獨立のものでなく、却つて獻
表され、ついで纏めて出版された。それは宗的囘
意志との關係に關する學上の問題に就いてき起
學の部領域としてこれに屬すべきものである。
心後ポール・ロワイヤルに入つたパスカルが、アル
された論爭に參加し、ジャンセンの立場に於いて
に久しく開拓されてきた古典獻學の方法に依つ
あ る。 ウ ィ ル ヘ ル ム・ シ ェ ー ラ ー Wilhelm Scherer
及びその學が力的に唱したものは、學は
書いたものであり、明な論理と熱とを有する生
が附け加はる、ち一方では言語上の、體と韻律
らぬ。その上に形式的及び容的の二方面の仕上げ
とが基礎的な活動として究の中心をなさねばな
て、 代 學 に 於 い て も テ キ ス ト の 批 と 解 釋
の學の見解であつた。この見解には古典獻學の
れる ——
から科學的な段階ち嚴密な獻學的な段
階に高められねばならぬといふのがシェーラーとそ
な段階
れねばならない。これに反し代學の中で從來
ると同樣の技的な確實さと嚴密さとに發させら
なる種がここに於いても古典獻學に於いて有す
題に就いての究が行はれる。獻學的方法の種々
間に於ける受け容れられ方、批的價、等々の問
の究にとつてあらゆる場合に基礎とならねばな
有した功績は否定され得ない。獻學的方法が學
始められた革新が學に科學的基礎を與へる上に
へようといふ努力が出て來た。シェーラーによつて
學を自然科學的考察方法及び自然科學的念に從
置に高めよう」とするバックル Buckle
等の企圖の
影がめられる。斯樣な實證主義的思想圈から
それは科學的な段階にぎないと見ら
——
に就いての究、他方では作品の立、作、
の 實 證 哲 學 及 び、 こ
影 の ほ か に、 コ ン ト Comte
れをに用することによつて「を科學の位
大きな役を演じてゐた哲學的素はできる限り放
らぬことは確かである。併しながら同時に、この方
料、素材竝びに主題の、作品のの仕方、タ
されねばならぬ。單に哲學的考察のみでなく、心
法の限界も明瞭に意識されなければならない。その
イ プ、 傾 向、 模 範、 影 、 改 作、 同 時 代 の 人 々 の
理 學 的 及 び 美 學 的 析 も 疑 念 を も つ て 見 ら れ、 で
限界を考へないで獻學的方法から「獻學主義」
三七一
きる限り背後に押められた。代學は哲學的
哲學・學用語解
を斥けてその「實證的」のみを、或ひはその自
學的方法に依らうとするは、かやうな「實證主義」
そこで學に於いて哲學的を排して純粹に科
ことを考へれば何等異とするに足らないであらう。
そのものが實は一つの哲學であり、形而上學である
學的につたことである。このことは實證主義
するシェーラー自身の學が々極めて大膽な哲
きことは、實證的とか科學的とかといふことを標傍
さへも握手せねばならぬであらう。そして注目すべ
獻學から離れて、心理學や美學は固より、哲學と
一般的な、一深い問題にむに從つて、我々は
が生ずるとき、そのもまた大で
‘Philologismus’
ある。テキストの取扱ひといふ基本的な問題から一
信 ぜ ざ る 態 度、 批 と 吟 味 と 檢 證 の え ざ る 求
耐 心、 事 實 に 對 す る 從、 自 他 の 別 な く 容 易 に
離 れ た 知 的 關 心、 假 借 す る こ と な き 實、 勉 な
の も の は そ の 、 そ の 態 度 で あ る。 ち 利 を
ら ぬ。 自 然 科 學 か ら 學 に 取 り 入 れ る べ き 唯 一
倣することを斷念することから出發しなければな
性を獲得するためには却つて他の科學のを模
の 方 針 が、 如 何 に
ブ リ ュ ヌ テ ィ エ ー ル Brunetière
學 を 崎 形 に し た か を 指 摘 す る。 學 が 科 學
用し、その方法を模倣しようとしたテーヌ
ランソンも學の究は科學的でなければなら
ぬと主張する。併し彼は先づ、自然科學の法則を
の根本思想は
を 與 へ た ラ ン ソ ン Gustave Lanson
かくの如きものである。
三七二
然科學主義を棄てて自然科學ののみを純粹に活
や
Taine
かさなければならぬ。謂「ランソン的方法」の提
で あ る。 か く て ラ ン ソ ン は サ ン ト・ ブ ー ブ Sainteの 愼 重 を 學 ば ね ば な ら ぬ と 云 ひ、 ま た 自 己
Beuve
唱によつてフランスにおける學究に重な影
レルモン・フェラン大學のベルナール・ファイ
設乃至哲學をもたねばならぬと論じてゐる。またク
は、
てコロンビヤ大學のスピンガーン Spingarn
材料の蒐集がでなく、は材料を統一する假
の存することが感ぜられた。ランソン的方法に對し
な結果を齎したが、そこにまた或る根本的な缺陷
ある。それは學の究に對して確かに多くの有
て、できる限り完な原因の總和をすることで
てのものを取り出して、一々忠實に記載し、し
彼の先行、彼の生活、彼の讀書にふところの凡
得るところのものを明すること、作家が彼の時代、
この方法は作品に於いて因果の原理によつて明し
してゐる。ランソン的方法は獻學的的である。
の方法が古代竝びに中世獻學の系統に屬すると稱
ルタイ
で な け れ ば な ら ぬ と 主 張 さ れ る。 科 學 的
て ゐ る。 學 は 科 學 に 屬 し、 そ れ は 本 來 學の方法は自然科學の方法と性質を異にする
といふことはドイツの科學によつてされ
である。
作品に對して遙かに切に用ゐられ得る性質のもの
法は傑作に對してよりも、價値のない、美を含まぬ
家の天才を捉へることができない。かくしてこの方
詳細であるにしても、それの最も的な原因ち作
獻學的方法は作品の立の外的原因を示すこと甚だ
に入り得ないやうに見える。科學的方法或ひは
を明かにするのみであつて、作品そのものの核心
ないと論じてゐる。ランソン的方法はただ作品の
或ひは會的に功したもののみを問題にすべきで
三七三
である。彼に從へば、自然科學は
Dilthey
方法の先驅として廣汎な影を及ぼしたのはディ
は、 學 は 學 の 究 と し て 何 よ り
Bernard Faÿ
も美を探るべきであり、單に科學的に眞なるもの、
哲學・學用語解
くは生活の表現として生そのものから理解する
的世界はされる。學の課題は學を生もし
を形作り、この聯關によつて科學に於ける
ば 體 驗、 表 現 、 理 解 と い ふ 三 つ の も の は 聯 關
ル タ イ の 最 も 重 ん じ た の は 體 驗 で あ る。 彼 に よ れ
證的方法が主觀的な素を排除するに反して、ディ
科學的學の基礎は解釋學的方法である。實
ある。理解の科學的方法は解釋學であり、かくして
然 る に ウ ン ゲ ル Rudolf Unger
は容の方面を重ん
じ、ディルタイが學は生の解釋であると云つた思
必然的に樣式であるとシュトリヒはべてゐる。
のうちに於いてその表現を見出し、從つては
的な意味をもつてゐる。の持續と變化とは樣式
や ワ ル ツ ェ ル Oskar Walzel
は樣
ト リ ヒ Fritz Strich
式としての學を唱へてゐるが、これも
形態學
ガ ー Emil Ermatinger
などは論理的思惟方法を力
してゐる。併し彼等の方法論に於いてはゲーテ的な
三七四
といふことであり、從つて學は生活の
想を承けて、問題としての學を提唱した。も
明の方法によるに反して、科學の方法は理解で
にほかならないといふことになる。ディルタイにと
的解釋或ひは解釋的形であるならば、學も
ない、と彼は云つてゐる。にグンドルフ Friedrich
等はゲーテやニーチェの影のもとに一種
Gundolf
これらの問題に就いての學以外の何物でもあり得
し 學 が 現 實 の 生 の、 そ の 問 題 に 從 つ て の、 形
の思想が影してゐる。又シュ
Morphologie
で
つ て は 科 學 の 目 的 は 法 則 で な く 型 Typus
あつたが、科學としての學を主したチザ
ル ツ Herbert Cysarz
等 に 於 い て は 形 態 Gestalt
とい
ふ念が重な位置を占めてゐる。チザルツが現象
學的直觀的方法をするに對して、エルマティン
及びナード
August Sauer
品にのみ關心するに對し反對の立場に立つてゐると
やうにしてグンドルフ等が偉大な人間、天才的な作
普的なものは示現されるから、と考へられる。か
物が凡てである、なぜなら個性的象に於いてのみ
等にとつてはは象的敍となる。上の人
の貴族主義的な、英雄崇拜的な學を考へた。彼
重し、しかも從來の化的見方に於いては從
なしている。然るに學のかくの如き會的制約を
政治的事、會的態の三つのものがその容を
れるミリューは單に風土のことでなく、却つて風土、
のものを擧げた。テーヌのミリューに於いていは
する基本的條件として人種、境、時代という三つ
る。テーヌは學を生み出すべき的態を規定
性のうちに、そして之によつて變形された會心理
て學の主な原理を種族及び風土の自然的制約
方では血の傳に、他方では土に於いて見、從つ
ラ ー Joseph Nadler
等 の 種 族 的 學 で あ る。 こ
の立場は的及び學的生活の決定的な素を一
應するのみでなく、藝の目的、享受の仕方、價値
の藝樣式はその時代の會の經濟的生樣式に對
しようとするのはマルクス主義の立場である。一定
程を明し、それから學の變化及び發展を把握
な位置をめ、このものから會の及び推移の
見 ら れ る の は、 ザ ウ エ ル
學的見地のうちに求めてゐる。ところで學がこの
價の尺度も、會的階級的意識によつて決定され
屬的な素と見られた經濟的な生關係に決定的
やうに自然的條件によつて制約されるといふこと
的條件の中にその時代の學の特殊性を理解しなけ
三七五
る。かくて學は學の現實的基礎としての會
などによつて詳細にべら
はにヘルダー Herder
れたことであるが、就中有名なのはテーヌのであ
哲學・學用語解
底した唯物論によつて貫かれてゐることを特色とし
方法に對して、それが一元的であること、そして徹
ればならぬ。この唯物觀的見解は、謂化的
客觀的現實との一致に求めるのである。
活動が存するが、ただ作品の有する究極的な意味を
ティは生ずるのであり、そこにすでに作家の能動的
象し、また括することによつてのみ作品のリアリ
三七六
てゐる。
ヘーゲル〔
れたるものであると見る。もとより模寫的な考へ
であつて、作家の創作用に於いて初めて作り出さ
ティは客觀的現實のそれとはく性質のつたもの
論 上 の と 同 じ や う に、 作 品 の 有 す る リ ア リ
應するところに生ずると見る。他の一つはまた識
やうに、學的リアリティは作品が客觀的現實に相
相異る見解がある。一つは識論上の模寫と同じ
現實性の問題に屬してゐるが、それに就いて二つの
ン グ と 協 同 し て『 哲 學 批 雜 誌 』 “Kritisches Jounal
し、一八〇一年イェナ大學の私講師となり、シェリ
ランクフルト・アム・マインで、家庭師の生活を
年卒業してから後七年間、初めはベルンで、にフ
グ を 同 窓 と し て 學 と 哲 學 と を 學 ん だ。 一 七 九 三
ビ ン ゲ ン 大 學 に 入 り、 ヘ ル デ ル リ ン 及 び シ ェ リ ン
れ、そこのギムナジウムを經て、一七八八年チュー
)〕 (一)傳記 ドイツの哲學。ドイツ觀念
1831
論 の 完 。 南 ド イ ツ の シ ュ ト ゥ ッ ト ガ ル ト に 生
( 1770—
Georg Wilhelm Friedlich Hegel
學的リアリティ 學的作品が我々の美意識に
對して有する現實性を謂ふ。この問題は一般に美的
方も作家の能動的活動を然めないわけでない、
を 發 行 し、 ま た 一 八 〇 七 年 に は 最
der Philosophie”
初 の 體 系 的 な 『 現 象 學 』 “Phänomenologie
客觀的に與へられたものの中から本質的なものを抽
を 出 版 し た。 し か し ナ ポ レ オ ン 戰 爭 の
des Geistes”
爲 め に 生 活 方 針 の 變 を 餘 儀 な く さ れ、 バ ン ベ ル
ク に お い て 新 聞 の 輯 に 從 事 し、 つ い で 一 八 〇 八
な も の は 理 性 的 で あ る 」 と い ふ 言 葉 は、 彼 の 哲 學
の本質を現はしてゐる。對的な理性は自然にお
い て 自 己 を 外 化 し、 こ の 自 己 の 他 在 Anderssein
か
らにおいて自己にる。哲學はかかる理性の自
イデーの自己動にほかならない、思惟と存在とは
證法である。辯證法は思惟する主觀の意識における
“Wissenschaft 己發展の思惟的考察であり、その必然的な形式は辯
年から一六年までニュルンベルクのギムナジウム
の校長をしたが、その間に『論理學』
を 完 し た。 一 八 一 六 年 漸 く 宿 望 が 叶 つ
der Logik”
てハイデルベルク大學哲學となり、二年後には
同一である。イデーをその自在 An-sich-sein
ベルリン大學に轉じた。ハイデルベルク時代に『エ
にお
ン チ ク ロ ペ デ ィ』 “Encyklopädie der philosophischen いて考察するのが論理學であり、その他在において
國 家 哲 學 」 と し て そ の 哲 學 は 一 世 を 風 靡 し た。
し自的であつて未だ對自
る。對は自然となるにすでにである、併
考察するのが自然哲學であり、その自對自在 AnWissenschaften im Grundriss”を、 ベ ル リ ン 時 代 に
において考察するのが哲學で
『法律哲學』 “Grundlinien der Philosophie des Rechts”
und-für-sich-sein
を 出 版 し た。 ベ ル リ ン 時 代 の 彼 は「 プ ロ イ セ ン の
あ つ て、 そ れ ら は 哲 學 の 三 つ の 部 を 形 作 つ て ゐ
一八三一年コレラに罹つて死んだ。彼に依れば、イ
三七七
的 で な い。 イ
Für sich
デー、或ひは理性、或ひはが唯一の現實的なも
デ ー は そ の 他 在 も し く は 外 自 Aussersich
をじて
對自に發展するのである。自然はイデーの外自或ひ
のである。「理性的なものは現實的であり、現實的
哲學・學用語解
は自己疎外として自由でなく、却つて必然である。
か か る 他 在 か ら 自 己 自 身 に り、 依 自 在
と
Lasson
三七八
により集が刊行されてゐ
Hoffmeister
(二)ヘーゲルの美學 ヘーゲルに依れば、美
は感覺的存在における對、有限な現象における
Hermann Glockner: Hegel, I(1929).
Bde. (1921, 1924); Nicolai Hartmann: Hegel(1929);
4, 1921); Richard Kroner: Von Kant bis Hegel, 2
JugendgeschichteHegels(Gesammelte Schriften, Bd.
Lehre(2te Auflage, 1911); Wilhelm Dilthey: Die
〔 獻 〕 Kuno Fischer: Hegels Leben, Werke und
Bei-sich- る。特に年時代の作を集めた物として H. Nohl
の “Hegels theologische Jugendschriften”
( 1907
) が
重である。
になることによつてイデーは自由となる。
sein
は 人 間 の 心 的 生 活 に お け る 主 觀 的 か ら、 團 體
の形式における客觀的をじて對的
へ 發 展 し、 こ れ に よ つ て 完 に 自 由 と な る。 客 觀
的 の 最 高 の 形 態 は 國 家 で あ り、 國 家 は 眞 の ( 良 心 Moralität
に對する團體
Sittlichkeit
)の實現である。對的は藝、宗、哲
學の三つの段階において自己を實現する。ヘーゲル
中彼が辯證法を最初に體系的に展開した意義は大き
イデーである。これらの素の關係に應じて、言ひ
は現代において最も影の多い哲學であるが、就
い。集は、弟子たちの手になる彼の講義の纂に
よ つ て、 一 八 三 二 四 一 年 に 刊 行 さ れ、 新 版 は
換へれば、外的な形態もしくは的な容のいづれ
H.
—
に よ つ て 一 九 二 七 三 〇 年( 二 十 卷 ) に
かの優勢が存在するか、それとも兩の均衡が存在
Glockner
—
出 版 さ れ た。 別 に “Philosophische Bibliothek”中 に
するかに應じて、三つの藝形式が存在する。現象
を現はす。また彼に依れば、築はすぐれて象的
象的、古典的、浪漫的は藝の辯證法的發展段階
學であることを特色とし、その方法は辯證法である。
してゐる。このやうにヘーゲルの美學は藝の哲
理想の壞を、フモールは浪漫的理想の壞を意味
崇高は象的なものに屬し、ローマの諷刺は古典的
は古典的であり、キリスト的藝は浪漫的である。
やヘブライの藝は象的であり、ギリシアの藝
浪漫的藝はしかしより高いものである。エジプト
と容とが相應してゐる古典的藝は最も美しく、
面性がまさつてゐる場合は浪漫的藝である。形式
古典的藝であり、現象が劣つてイデー、操の
と感覺的形式とが完に合致し和してゐる場合は
合は象的藝であり、イデーと直觀、的容
がまさつてイデーはただ暗示されてゐるにぎぬ場
ヘーゲルの美學の一特色である。
學に高い位置をめてゐることもイデーを重んずる
と敍事詩的なものとの結合である。藝の中で
的なものの反復であり、そして劇は抒詩的なもの
樂的なものの反復であり、敍事詩は塑的・繪畫
藝の體性である。學の中で抒詩は築的・
一する最も完な最も多面的な藝であり、謂はば
は象的と古典的との對立を自己のうちにおいて統
いて最高點にする。にヘーゲルに依れば、學
たやうに、浪漫的藝はキリスト的民族にお
ない。形美がギリシア人において最高點にし
おいてかの三つの段階が見出されないといふのでは
を擔つてゐる。もとよりそれら個々の藝の部に
するにふさはしく、繪畫、樂及び詩は浪漫的性格
三七九
獨 Hegelianer
〕 英 Hegelian
(三)ヘーゲル學〔
ヘ ー ゲ ル 哲 學 の 繼 承 を 謂 ふ が、 ヘ ー ゲ ル の 死 後
な藝であり、刻は古典的理想を最も純粹に實現
哲學・學用語解
間 も な く、 革 命 的 思 の 擡 頭、 自 然 科 學 の 勃 興 の
ジェンティーレ
三八〇
等が主な
Bolland
フランスではメーエルソン
Gentile,
影 の 下 に、 知 識 と 信 仰 の 問 題 に 關 す る 部 の 論
等 が 屬 す る。 こ れ に 對 し
Daub
の 法 則 で あ る。 が 自 然
ら ず と い ふ 當 爲 Sollen
必 然 性 を 意 味 す る に 反 し、 後 は 價 値 必 然 性 を 意
然 Müssen
の法則であるに反して、規範の法則とは
一 定 の 規 範、 理 想 に 基 い て 當 に 斯 く 爲 さ ざ る べ か
然の法則が斯くあらざるを得ないといふ自然的必
がふといふ現象間の不變なる因果關係である。自
然の法則とは一定の條件があれば必ず一定の結果
事 物 の 間 に お け る 不 變 な る 關 係 を 謂 ふ。 法 則 は
普 に 自 然 の 法 則 と 規 範 の 法 則 と に た れ る。 自
希 Nomos 羅 Lex 英 Law 佛 Loi 獨 Gesetz
〕
法則〔
オランダではボランド
Meyerson,
るとして擧げられる。
爭を機として、その學は裂した。そのうち正
ダウブ
Göschel,
と
統 は 右 黨 或 ひ は 老 ヘ ー ゲ ル 學 Althegelianer
呼ばれ、保守的、唯心論的傾向を代表し、ゲッシェ
ル
左黨或ひは少壯ヘーゲル學 Junghegelianer
と呼ば
れ る も の は、 的、 唯 物 論 的 傾 向 を 有 し、 シ ュ
エルト
Rosenkranz,
ト ラ ウ ス Strauss,フ ォ イ エ ル バ ッ ハ Feuerbach
そ
の 他 で あ る。 兩 の 中 間 に あ つ て 中 央 黨 と 稱 せ ら
れ る も の に、 ロ ー ゼ ン ク ラ ン ツ
等が數へられる。にヘーゲル
マン J. E. Erdmann
哲學を現代に活かさうとする謂新ヘーゲル主義
の人々としてドイツではクロー
味する。規範の法則も單に主觀的なものでなく、普
Neuhegelianismus
ネル Kroner,
當 性 を 有 す る も の で な け れ ば な ら ぬ。 思 惟 の
ビンデル Binder,
イギリスではブラッ
Bradley,イ タ リ ア で は ク ロ ー チ ェ Croce, 法則、の法則等は自然科學における因果の法則
ドリー
るに及び、科學における法則は自然科學的法則
性的なもの、一囘的なものの識に存すると見られ
の一般的關係の識であるに反し、後の目的は個
識との性質の相が明かにされ、の目的は現象
ようとした。然るに自然科學の識と科學の
學現象のうちに自然科學の法則と同樣の法則を求め
が、十九世紀の實證主義の學家や批家は、
則の思想は自然科學の發と共に發したのである
意味において規範の法則に屬する。代における法
も作品が價値を有するために滿足すべき條件といふ
の如きものでなく、規範の法則である。藝の法則
論が特に問題にされるやうになつたのは哲學の科
原 理 論 に 對 し て 方 法 論 が あ る。 哲 學 に お い て 方 法
を論ずるものである。一般論理學の一部であつて、
〕 科
de la méthode
獨 Methodenlehre, Methodologie
學的究が計畫的に行はれるために準ずべき方法
方 法 論〔 英
てくる法則でなければならぬ。
科學の固有な特殊な態度から必然的に論理的に從つ
して法則を斷念すべきでない、ただその法則は
て規定することであるが、その場合藝學は科學と
的個性を的生活における個別的な一囘性におい
らゆる科學にとつてのやうにその對象たる學
Méthodologie, Théorie
とは異るものでなければならぬと考へられるに至つ
學性が重されるやうになつた世以來のことで
三八一
て 根 本 問 題 と な る に 至 つ た の で あ り、 そ れ は 代
位 置 し か 有 せ ず、 代 の 科 學 的 哲 學 に お い て 初 め
あ る。 古 代 及 び 中 世 に お い て は 方 法 論 は 從 屬 的 な
Methodology
佛
た。かくして自然科學的な因果に對する個別的因果
哲學・學用語解
一般的法則に對する個別的法
Individuelle Kausalität,
則
が論ぜられる。エルマティン
Individuelles
Gesetz
に依れば、藝學の課題はあ
ガー Emil Ermatinger
も、その製作方法についての反省を指して謂ふこと
科學的究に關してのみでなく、藝などにおいて
己目的であるのではない。方法論といふ語は、單に
はれるためには方法論は重である。併しそれは自
が生じた。もとより究が企畫的に、組織的に行
ことが忘れられ、單に方法論にのみ沒頭するといふ
すらなつた。方法は對象の識のための手段である
識論の一部となり、やがて識論そのものまでに
論とが同じに見られるやうになつてから、方法論は
哲學の識論的傾向と合致してゐる。論理學と識
現代物理學において基礎的な意義を得るに至つた。
である。ニュートンの力學に對するマッハの批は
主義と稱せられるのはかやうな主觀的觀念論のこと
覺素の結合の仕方を異にするのみである。マッハ
我と世界との間には本質的な差異は存せず、單に感
感覺の結合である。心理的なものと物理的なもの、
の た め に 用 さ れ る も の で あ る。 物 と は
ökonomie
感覺素の複合以外のものでなく、我といふものも
などは、實在的意義を有せず、ただ思惟經濟
實 際 的 求 か ら 生 れ た も の で あ つ て、 念 や 法 則
の で な く、 單 に 現 象 を 記 す る に ぎ ぬ。 科 學 は
三八二
がある。
書 の 主 な る も の "Mechanik in ihrer Entwicklung"
( 1883), "Analyse der Empfindungen"(1885), "Prinzipien
"Prinzipien der physikalischen Optik"(1921).
der Wärmelehre"(1896), "Erkenntnis und Irrtum" (1905),
Denk
(
)〕 ドイツの
マッハ〔 Ernst Mach 1833—1916 哲 學 。 メ ー レ ン の ト ゥ ラ ス に 生 れ、 グ ラ ー ツ 及
びプラーグにおいて物理學のとなり、後ウィー
ン に お い て 哲 學 の と な つ た が、 一 九 〇 二 年 職した。マッハに依れば、科學は現象を明するも
をへた。マルクシズムはあらゆるイデオロギーを
種々なる化との間の密接な關聯を理解すべきこと
クシズムは藝を孤立的なものと見ず、これと他の
つ 相 互 作 用 の 關 係 が め ら れ 得 る。 か く し て マ ル
のとして、それらの間には型の似が見出され、且
に一定の會階級的基礎を有し、これを反映するも
築として考へる。すべてのイデオロギーはつね
會の經濟的といふ現實的な土臺の上に立つ上
〕 (三)マルクシズムと藝 マルク
Marxismus
シ ズ ム は 藝 を イ デ オ ロ ギ ー の 一 つ と し て、 ち
のやうに考へられて來たのに對して、兩の間に積
が、これまで々科學と藝とはく相容れぬもの
科學的、客觀的であることの重性をくのである
マルクシズムは藝においても主觀主義に反對して
世界觀が科學的であることを主張してゐる。そこで
ろが多い。にマルクシズムは自己の思想、哲學、
及するに至つたのはマルクシズムの影に依るとこ
般に作品が思想を持たねばならぬといふ考へ方が普
シズムはそれ故に作品の思想性を問題にするが、一
へた。世界觀の問題は思想の問題である。マルク
る。かくしてマルクシズムは一般に藝において世
唯物觀或ひは辯證法的唯物論の立場において一元
極的な關聯を求むべきことをへたのはマルクシズ
三八三
界觀、從つてまた哲學が重な意味を有することを
的に、統一的に把握するところから、藝にあつて
ムである。マルクシズムにおいて哲學は單に世界を
Marxisme
獨
も世界觀の問題を重してゐる。世界觀は單に作
解釋するのでなく、世界を變革するものと見られる
Marxism
佛
品を理解する上に重であるのみでなく、また特に
のであるが、藝も同樣に世界の變革的實踐の一つ
マ ル ク シ ズ ム〔 英
作品の製作方法に關しても世界觀的基礎が重であ
哲學・學用語解
品の會性が章において重であることが理解さ
であつて、藝の階級性をめないにとつても作
きことを主張してゐる。これは藝の會性の問題
ムは個人主義を排斥して藝が階級的立場に立つべ
き容主義的傾向をもつてゐる。にマルクシズ
ルクシズムは容を重し、殊に主題の積極性を
形式を重する形式主義である。これに對してマ
があつた。藝のための藝の思想は藝において
ゆる藝のための藝の思想を打破するに大いに力
る。またそのことと關聯して、マルクシズムはいは
を明かにしたことはマルクシズムの功績の一つであ
るといふ風もあつたが、しかし藝の行動性の問題
藝をく政治に從屬せしめてその獨自性を輕す
クシズムの藝は々極端な政治主義のに陷り、
の機關であるべきものと考へられる。そこからマル
す る も の で あ る。 か や う に 現 實 が つ
nachdenken
その形程を完した後に現はれ、これを思惟
れ ば、 哲 學 は い つ で も 遲 れ て 來 る も の で、 現 實 が
め て 飛 び 始 め る 」 と 出 て ゐ る。 ち ヘ ー ゲ ル に 依
序 の 末 尾 に「 ミ ネ ル ヴ ァ の 梟 は 夕 暮 に な つ て 初
獨 Die Eule der Minerva
〕 哲學
ミネルヴァの梟〔
を譬へた有名な言葉で、ヘーゲルの『法律哲學』の
ルクシズムの影である。
性が一般藝家にとつて重な問題となつたのはマ
大衆學或ひは俗學とは異る意味における大衆
してゐるが、藝の大衆性の問題、從來のいはゆる
くしてマルクシズムの藝は作品の大衆性を重
り、その意味において大衆の立場のことである。か
階級的立場とはプロレタリアートの立場のことであ
會性の問題は嚴密には階級性の問題であり、そして
云はねばならぬ。マルクシズムにおいては藝の
三八四
れるやうになつたのはマルクシズムの影であると
力する立場と對立してゐる。
を求する立場とは固より、哲學の實踐的な性格を
質のものとすることであり、哲學に豫言的な性質
た後に哲學が始まるとするのは、哲學を觀想的な性
無にするのでない。無は不安において出會はれる
つて、その體を否定することによつてすら本來の
デッガーに依れば、我々は存在するものの否定によ
無であり、純有と純無とは從つて同一である。ハイ
キリスト的思惟にとつては世界は無から生じた
いといふ思想の上に立つてゐる。然るにユダヤ的・
といはれる。ギリシア哲學は無からは何物も生じな
味における若しくは對的な意味における否定が無
〕(二)無の西洋的解釋 普に
Négation
獨 Nichts
は存在しないものを無といふ。或る物の相對的な意
である。
無についての問は形而上學の體を括すべきもの
いての問が形而上學の括的な問であるとすれば、
へられるものではない。しかも存在そのものにつ
在を體として超越してゐる。無は對象として與
とを可能ならしめるのである。無において人間は存
Néant, ものである。かやうに不安において顯はになる無こ
の で あ つ て、「 無 か ら の 創 」 を く。 カ バ ラ は
英
無限と有限〔
三八五
Infinity; Finiteness
佛
Infini; Fini
そ存在が存在として人間にとつて顯はになるこ
を無と稱した。多くの祕主義たちも同樣に、
佛
Negation
はすべて或る存在するものを越えるといふ意味
獨 Das Unendliche; Das Endliche
〕 無限は有限の反對
で如何なる限界をも超えるものを無限といふ。普
英 獨
Nothingness
において、無であると考へる。ヘーゲルに依れば、
に無限はただ有限を否定しただけのもののやうに考
英
無〔
純有は、それが無規定であるといふ意味において、
哲學・學用語解
へられてゐる。その場合限界は限りなく推移してゆ
程において自己から出て自己にる體系である。眞
うちに發展の機を含む體であり、辯證法的
三八六
き、無限はどこまでも彼岸にあるものとして如何に
の無限は單なる程としてでなく、體系として一つ
やデデキント
Cantor
しても到されぬものである。ヘーゲルに依れば、
てゐる。
〔獻〕
Contradiction
獨
〕 互に否定し合ひ、對に對立するも
Widerspruch
の を 矛 盾 と い ふ。 甲 と 非 甲 と の 如 く、 一 方 が 他 方
sproblems(1896).
矛 盾 〔 拉 Contradictio
英佛
Zahen?(1887); Cohn: Geschichte des Unendlichkeit-
84); Dedekind: Was sind und was sollen die
lineare Punktmannigfaltigkeiten(1879—
Hegel: Logik; Cantor: Über unendliche,
等 は、 部 と 體 と が 集 合 と し て 濃 度 を
Dedekind
等しくするといふ自己表現體系が無限であるとなし
數 學 上 に お い て は、 カ ン ト ル
の定つた對象に定立されるものでなければならぬ。
或ひは無際限といふこと
Endlosigkeit
もしくは極
Schlechte Unendlichkeit
かやうに到されぬものは眞ならぬものである。た
だ無きこと
は惡しき無限
的 無 限 Negative Unendlichkeit
に ぎ な い。 眞 の 無
限はかくの如く直線をもつて象どられるやうな限
りなき行の無限であるのでなく、完結せる、自己
閉 的 な 動 で あ る。 圓 こ そ 眞 の 無 限 の 象 で
ある。眞の無限は無限定なものでなく、却つてに
限定を含むもの、その意味において有限とも云ひ得
るものである。しかしそれは固より有限なものでな
く、有限なものの他としての無限なものでもなく、
却つてかかる有限と無限との統一が眞の無限であ
る。ちヘーゲルに依れば、眞の無限はそれ自身の
のうちから矛盾を生じ、かくして發展してゆくと考
高いもののうちに止揚され、このものはに自己
は發展の根源である。互に矛盾するものは第三の一
こそ根本的なもの、生命的なものであり、動或ひ
理は矛盾を許さない。然るに辯證法に依れば、矛盾
兩の中間に第三を容れることができる。形式論
ゐるものを謂ひ、從つて程度の差を現はすにぎず、
のものとは同じの部であつて相互に最も異つて
合ひ、その中間に第三を容れないに反して、反對
は れ る。 矛 盾 Contradictory
と 反 對 Contrary
とは區
別されねばならない。矛盾するものは對に否定し
る。また相對立する素を含むものは矛盾すると云
のものの肯定と否定との間には矛盾の關係が存在す
の否定である場合兩は矛盾するものである。同一
考へられる。
値を有するに反して、物は利用價値しか有しないと
るに反して、物は手段としてはれ、人格が固有價
おいては、物は人格に對する。人格は自己目的であ
同一を持續する對象のことである。倫理的な意味に
ち一定の間的位置を占め、一定の時間に自己
れる組織によつて形作られた獨立なる個物を謂ふ。
在の觀念を現はし、種々なる屬性の固定的と考へら
おいては、物とは靜態的な態において見られた實
れ得る凡てのものが物と云はれる。識論的意味に
暫時的であれ、實在的であれ現象的であれ、知られ
ふ。かかる最も一般的な言葉として、固定的であれ
れ得る、肯定もしくは否定され得るものの一切を謂
三八七
たるものであれ知られざるものであれ、在りと云は
へられる 。
モ ラ ル〔 英 Moral, Morality
佛 Moralel, Moralité
獨 Moral, Moralität
〕 倫理或ひはのことである。
哲學・學用語解
英 Thing 佛 Chose 獨 Ding
〕 普には思考さ
物〔
三八八
ラルはそれと同樣に人間性を見る見方のうちに現
いふのである。かやうな主觀と客觀とは固
で な く、 ろ 人 生 及 び 會 に 對 す る 我 々
Sittlichkeit
の主體的な心、態度、行爲の仕方に關する倫理を
人とを結合するにあるとべてゐるが、人と人との
トイは『藝とは何か』の中で、藝の意味は人と
も必ずしも個人的といふことと同じでない。トルス
しかしモラルは俗
より無關係ではないが、兩は區別されねばならぬ。
主體的な結合のうちにモラルはあると云はねばなら
はれる倫理である。主觀的とか主體的とかと云つて
育家や學は普に良俗や客觀の立場から
ぬ。
や客觀的に立する
Sitte
藝との問題を論ずる。しかし問題は本來そこ
云つてゐるが、モラルなしに作家は作品を書くこと
がある。ジードは「倫理と美學の規則は同じだ」と
人間を創する。そこに藝に於けるモラルの問題
家はその作品の中において自己の主體的な熱から
この孤獨の感から憂鬱が生れると共に、かやうに
る。世界のうちの何處にも故を持たぬといふ感、
り、自己に對する體の疎が憂鬱として體驗され
と感ぜられ、かくして自己の主觀性のうちに閉ぢ寵
の體驗から生れる感
Entwurzelung des Menschen
である。人間は如何なる宇宙的意味をも有せぬもの
〕( 二 ) にあるのでなくろ作家の主體的な眞實性 sincérité 憂 鬱〔 英 獨 Depression
佛 Dépression
藝 に 於 け る 憂 鬱 憂 鬱 は 人 間 の 根 差 し な き こ と
に關してゐる。藝は人生及び會を單に客體的に
ができない。十七、八世紀のモラリストといふのは
根差しなきものとして到る處を故になし得るとい
捉へるのではなく、却つて主體的に捉へる、また作
人間性の究のことであつたが、藝におけるモ
ふ漂泊の感から憂鬱が生れる。憂鬱はかくの如く
あるが、ロマンティシズムの學、デカダンスの
といふのもかかるものであ
ゆる世界苦 Weltschmerz
る。憂鬱を表現してゐる藝はペシミズムの學で
び會からの游離に基く主觀性の感である。いは
ミズムを提するが、單にそれのみでなく、宇宙及
のに變へることが不可能であるといふ意識ちペシ
宙や會のうちに缺陷、惡が多く、これを善きも
なきことの體驗から生れる。憂鬱は固よりつねに宇
個人を普的なものの傀儡にしてしまふことであつ
せしめるのである。かやうなヘーゲルの思想は結局
否定の中から普的なもの、イデー的なものを結果
人は自己の特殊的な關心のために行動してゐると思
偉大なものも激なしには就されなかつた。」個
ことが理性の狡智である。「世界における如何なる
身の普的な目的を實現するに役立ててゐるといふ
において支配する理性は、個人の激 Leidenschaft
を そ れ 自 身 の た め に 活 動 せ し め つ つ、 實 は 理 性 自
理性の狡智〔獨 List der Vernunft
〕 ヘーゲルの言
葉で、彼の哲學的思想の一つである。ち
學、世紀末の學といはれるもの等のうちには憂鬱
て、そこでは個人の個人としての價値はめられな
宇宙的なものであると同時に、特に會的なもので
が漂うてゐる。ペトラルカ、バイロン、レーナウ、
い。
ある。ちそれは人間の會のうちにおいて根差し
ハイネ、ヘルデルリン、レオパルディ、レルモント
三八九
つてゐるのであるが、理性はそれを手段としてその
フ、ヴェルレーヌ、ボードレール、その他の作品が
それらの例として擧げられる。
英 Theory 佛 Théorie 獨 Theorie
〕(一)理
理論〔
論 單 な る 經 驗、 個 々 の 事 實 に つ い て の 知 識 に 對
哲學・學用語解
出された事實による批判とが理論の發展の因であ
化するものであつて、新しい假の提出と新たに見
の辯證法的統一である。理論は學問の歩と共に變
である。言ひ換へれば、理論は合理性と實證性と
と實驗の批判とに從へられたところの檢證された假
るものとして示されねばならぬ。理論は推理の統制
である。從つて理論は檢證され、經驗によつて眞な
な知識である。理論は假的な素を含むのがつね
的な學問的な明を謂ふ。理論は方法的な、組織的
し、 一 般 的 な 原 理 も し く は 法 則 か ら 下 さ れ た 統 一
理論は實踐によつて發展する。理論と實踐とは對立
の中から生れるものである。實踐は理論を求し、
のために求められるのでなく、却つて實踐的な課題
て確かめられる。元來、理論は單に純粹にそれ自身
理論の眞理性は實驗によつて、いては實踐によつ
基礎とするが、實驗の大規模のものが業である。
論は合理性と共に實證性を必とし、かくて實驗を
對立してゐるが、兩は決して無關係ではない。理
想、規範に關はるものである。かく理論と實踐とは
價値判斷から獨立であるに反して、實踐は價値、理
にのみ關係することができる。に理論はあらゆる
三九〇
る。
ならぬ。
しながら辯證法的に統一をなしてゐると見られねば
(四)理論と實踐 理論と實踐とは種々の點にお
いて對立してゐる。先づ理論は實踐的な目的、應用
英
主 義〔
Historisme
獨
とは無關係に求められる知識であるとせられる。ま
Historism
佛
た理論の目的は念、原理、法則の如き一般的なも
〕 物をにおいてり得る發展の結
Historismus
果 と し て 考 察 す る 立 場 で あ る。 ち 物 を 不 變 な も
のであるに反して、實踐はつねにただ特殊的なもの
すべての物はにおいて生したもの、發展した
の、超時間的なもののやうに考へることに反對して、
〕 ヘーゲルの哲學に關する講義を
Geschichte”
纂したもの。第一版は一八三七年ヘーゲルの弟子
「哲學」〔 "“Vorlesungen über die Philosophie der
ものであると考へる。然るに物を單に的に考察
するといふことは、如何なるものにも對的な價値
をめず、一切はその生の流に對して相對的な價
によつて、第二版は四〇年、第三版は
Eduard Gans
によつて
四 八 年、 共 に ヘ ー ゲ ル の 息 子 Karl Hegel
版の集中のもの
Glockner
版(レクラム)竝びに Lasson
版(『哲
の外、 Brunstäd
學庫』)がある。ヘーゲルに依れば、世界の考
出 版 さ れ た。 新 版 に は
る。かかる主義の代表として普に擧げられ
察に對し哲學が持ちむ唯一の思想は理性が世界を
値を有するにぎないと考へることになり易く、か
るのはディルタイである。尤も、彼から出たリット
る。ち世界は世界の辯證法的發展である。
くして主義は的相對主義に陷ることにな
な ど は、 主 義 と は 人 間 性 の 的
Theodor Litt
性格のうちに形而上學的意義の本質規定を見る見方
個々の民族はこの普的なの一定の機を表現
支配し、世界は理性的に發展したといふことであ
であると し て ゐ る 。
三九一
する。それはこの自己の命を果しると共に他の
〔 獻 〕 E. Troeltsch: Der Historismus und seine
(
)
民族に席を讓る。かくして世界は民族に對し
;
dito:
Der
Historismus
und
seine
Probleme
1922
)
て行はれる世界審判である。世界的人物もまた
;
B.
Croce:
Antihistorismus
1924
に於いて自己を實現する理性の機關にぎず、彼
哲學・學用語解
(
Überwindung
( 1931
) .
は大で あ る 。
である。的意識の發に對して彼が與へた影
互作用の關係を發見しようとする彼の企圖は模範的
のと云はれてゐる。的發展の法則と化の相
おいて『哲學』は最も永續的な價値を有するも
るといふ思想が現はれた。ヘーゲルの業績のうちに
界において初めてキリストと共に萬人が自由であ
界においては若干人が自由であつた。ゲルマン的世
のみが自由であつた。ギリシア的竝びにローマ的世
における歩である。東洋的世界においては唯一人
ゐるのである。世界はの實體たる自由の意識
が、實は理性の普的な目的の就のために仕へて
等は彼等自身の利のために行動すると思つてゐる
られ、またの長子、第二のと呼ばれた。フィロ
考へられた。この考へ方は俗信仰と結び附いて、
理として世界に生命と目的と法則とを與へるものと
世界創のとなり、また世界に在する理性的原
存する理性的力を意味すると共に、の言葉として
至つてロゴスは新しい意味を得、のうちに永に
學をもつてユダヤを解釋しようとしたフィロンに
に從つて凡てをく攝理と考へられた。ギリシア哲
を支配する法則または必然を意味すると共に、目的
を發展させたストア哲學に於いては、ロゴスは一切
くは法則をロゴスち理性と稱した。ロゴスの思想
和の存在することをめ、宇宙の必然的な命もし
スであつて、彼は萬物の變化流轉のうちに秩序、
いて初めてロゴスの思想をべたのはヘラクレイト
三九二
希 Logos
〕 もと「言葉」を意味し、また「理
ロゴス〔
性」を意味する。それから言葉に現された理性的活
ンの思想は後のキリスト學にしい影を與へ
ロゴスはと人間との間にある靈的中間存在と見
動、思想、念、學等を謂ふ。ギリシア哲學に於
ゲルが、世界を支配する理性もしくはイデーとして
りき」といふ句は有名である。世に於いてはヘー
に言(ロゴス)あり、言はと偕にあり、言はな
た。かの「ヨハネ傳書」の初めに見える「太初
において見られる。
ディアテトスの思想はフィロンやプロティノスなど
は哲學をじて人間をこのにく。ロゴス・エン
然に從つて生きる」といふことが可能になる。それ
希 Logos spermatikos
〕
のロゴスの哲學を展開した。
ロゴス・スペルマティコス〔
Max Heinze: Die Lehre vom Logos in ス コ ラ 哲 學 の 用 語 で、 種 子 的 ロ ゴ ス の 意 味 で あ
〔 獻 〕
( 1872
) ; A. Aall: る。 ス コ ラ 哲 學 に お い て は 火 が 宇 宙 の 創 的 原 理
der griechischen Philosophie
Der Logos, Geschichte seiner Entwicklung in der で あ り、 火 は 同 時 に ロ ゴ ス で あ つ て、 萬 物 を 理 性
(
)
的 に、 合 目 的 的 に、 和 的 に 形 す る 原 動 力 或 ひ
griechischen Philosophie, 2 Bde
1896—99.
.
は 種 子( ス ペ ル マ ) を 含 む と 考 へ ら れ る。 こ れ が
ロ ゴ ス・ ス ペ ル マ テ ィ コ ス で あ り、 世 界 を か か る
的世界觀を示すものである。ロゴス・スペルマティ
〕
Logos endiathetos
ストア哲學の用語で、心のうちにおけるロゴスの
意味であり、ロゴス・プロフォリコス(外に表はさ
コスの思想はその後フィロン、プロティノス、ポル
種子の發展と見ることは、ストア哲學における有機
れたロゴス)に對する。それは、個々の人間のうち
フュリオス、またエスティヌス等においても現
ロゴス・エンディアテトス〔 希
に住む普的ロゴスの部である。このロゴスの働
はれてゐる。
三九三
きによりストア哲學において最高のとされる「自
哲學・學用語解
三九四
てゐない 。
的ロゴスち世界理性についてはかやうな別を考へ
持ちまれるに至つたが、ストア哲學たちは普
との別はたちによつて的ロゴスのうちへまで
ゴス・エンディアテトスとロゴス・プロフォリコス
ス(心のうちにおけるロゴス)を提してゐる。ロ
のではない。從つてそれはロゴス・エンディアテト
それは固より非理性的な或ひは無意味な言葉をいふ
葉になるときロゴス・プロフォリコスと呼ばれる。
意味である。心のうちにおけるロゴスが外に出て言
〕 ロゴス・プロフォリコス〔 希 Logos prophorikos
ストア哲學の用語で、「外に表はされたロゴス」の
出發點として發展せられた。中にもフィヒテは自我
し、客觀論に對する主觀論、觀念論、理想論等の特
なものに對して特性的なもの、個性的なものを力
のに對して有機的なもの、合目的的なもの、一般的
したものに對して流動し發展するもの、機械的なも
と無限の觀念とをする思想である。それは固定
て感、直感、自由、根源性を重し、生命の觀念
蒙 思 Aufklärung
の及び方法に對する反動
として起つたものであつて、その合理主義を排斥し
ば、このロマンティシズムは十八世紀の、とりわけ
エル等の哲學がその中に數へられる。一般的に云へ
ヘーゲル、シュライエルマッヘル、ショーペンハウ
おいて現はれた哲學である。フィヒテ、シェリング、
〕 (三)哲學上のロマンティシズム 獨 Romantik
藝上のロマンティシズムの影のもとに、十八世
を對化し、世界は自我のであるとき、藝
色をもつてゐる。かやうなロマンティシズムは、
英
佛
Romanticism
Romantisme
ロマンティシズム〔
蒙思を克したと稱せられるカントの自我哲學を
紀のりから十九世紀の初めに、主としてドイツに
ティシズムは對の體驗の上に立つてゐるが、す
はまたロマンティシズム
な審美主義 Aesthetizismus
の一特色である。ところでこれらの哲學のロマン
を も つ て 哲 學 の 機 關 で あ る と 考 へ た が、 か や う
るものを重んじ、模範的な有機的世界觀をて、藝
シェリングである。シェリングは無意識的に生す
のロマンティシズムの代表とめられてゐるのは
云ひ、また個性主義を唱へた。しかし普に哲學上
るとし、宇宙の直觀、無限の直觀が宗であると
いては個人主義に反對して人間共同態の倫理をい
して民族の化の特殊性を考へ、その倫理學にお
究である。その化的立場としては風土を基礎と
第に化の究にみ、やがて倫理學に入つた。
人生哲學を究し、また藝論の筆を執つたが、
學に轉じる。初めニーチェやキェルケゴールなどの
國大學に於ける倫理學のとなり、後東京國大
學科卒業。東洋大學及び法政大學を經て京
( 1906
) .
Philosophe der Romantik
和哲〔( 1889—
)〕 哲學。明治二十二
年兵庫縣崎郡仁豐村に生る。明治四十五年東大哲
上のロマンティシズムに對しても大きな影を與へ
で に シ ョ ー ペ ン ハ ウ エ ル、 特 に ニ ー チ ェ の 生 の 哲
てゐる。『ニイチェ究』『ゼーレン・キェルケゴー
た。シュライエルマッヘルは宗の本質は感であ
學に至つてはもはや對の體驗は失はれ、ロマン
ル』
『古寺巡禮』
『日本古代化』
『日本究』
最も得意とするは、生の哲學に基いた的
ティシズムは悲劇的になつてゐる。
〔 獻 〕
(
三九五
『原始基督の化的意義』
Rudolf Haym: Die romantische Schule 『原始佛の實踐哲學』
; E r w i n K i r c h e r : 『風土』『倫理學』等多くの書がある。
哲學・學用語解
Vi e r t e A u f l a g e , 1 9 2)
0
哲學・學用語解 『會科學大辭典』執筆項目
三九六
アリストテレス(三九七) ヴント(三九八) 懷疑主義(三九九) 蓋然性(四〇〇) 念(四〇一) 科學論
(四〇二) 假象(四〇三) 客觀(四〇四) 假定(四〇五) 程(四〇六) 感覺(四〇七) 元(四〇七) 感
(四〇八) 觀念(四〇九) 觀念論(四一〇) 機械論(四一一) 歸法(四一二) 規範(四一三) 極限(四一四)
偶然(四一五) 經驗及び經驗科學(四一六) 經驗論(四一七) 傾向(四一九) 形式(四一九) 形而上學(四二
○) 權威(四二二) 現實性(四二三) 現象學(四二三) 現代哲學(四二五) コーヘン(四二七) 事象性(四二八)
ゼノン(四二九) ソクラテス(四三○) 中世哲學(四三二) デカルト(四三五) 辯證法(四三七)
ラ キ ア の ス タ ギ ラ に 生 る。 十 七 八 歳 の 頃 プ ラ ト ン
) 希臘の哲學、後世最も影多
381—322 B.C.
き 人。 マ ケ ド ニ ア 王 の 侍 醫 ニ コ マ コ ー ス の 子。 ト
)、
れ た。〔 理 論 的 方 面 〕 形 而 上 學( Metaphysica
)( チ ン 時 代 よ り「 オ ル ガ ノ ン 」( Organon
のの意)の名稱の下にこれらのものが纂さ
)、 似
posterioraは 證 明 論 )、 蓋 然 論 證 論( Topica
而 非 推 理 論 ( De Sophisticis elenchis
) 等。 ビ ザ ン
ア リ ス ト テ レ ス( Aristotle. Aristoteles. Aristote.
の 門 に 入 り、 そ の 沒 す る ま で 約 二 十 年 の 間 師 事 し
)、修辭學( Rhetorica
)
〔美學的方面〕詩學( Poetica
等 が あ る。 集 は 伯 林 學 士 院 版( 五 卷 1831—
モ ス 倫 理 學( E. a. Eudemum
)、 大 倫 理 學( Magna
)、應用倫理學としての政治學( Politica
)。
Moralia
象 學( Meteorologia
)。〔 倫 理 的 方 面 〕 ニ コ マ ー
)、 オ イ デ ー
コ ス 倫 理 學( Ethica ad Nicomachum
靈 魂 論( De Anima
)、 物 理 學( Physica
)、 動 物 )、 天 界 論( De Caelo
)、 氣
( Histroria animalium
た。その後アレクサンドロスの師として聘され、彼
が王位を嗣ぎしを機としてアテナイの郊リュカ
イ オ ン に 學 園 を 創 設 し た。 そ の 學 を リ ュ カ イ オ
ン 或 ひ は ペ リ パ テ テ ィ ク と 稱 す る。 書 極 め
て 多 く ま た 各 方 面 に 亘 り、 科 學 的 學 問 の と 言 は
る。 實 驗 を ぶ 醫 家 に 生 れ、 プ ラ ト ン の 薫 陶 を 受
けたことは彼の體系に影するところ甚だ大であ
三九七
) 最 も 完 。 飜 譯 及 び 詳 細 な る 究 書 に つ い
る。その業績を的に擧げれば〔論理的方面〕範
1870
てはユーバーヴェク哲學第一卷を見よ。〔學〕
)、 命 題 論( De Interpretatione
)、
疇 論( Categoriae
)( A. prioraは 推 理 論、 A.
析 論( Analytica
彼は凡ゆる存在を動に於いて見た。動とは一
哲學・學用語解 般に可能態が現實態となることである。存在の可能
三九八
Ross, Aristotle. Siebeck,
質料と、如何なる質料にも纏はれることなき純粹な
如何なる形相も含むことなき純粹なる質料ち第一
を孕み、形相はつねに何等かの質料を宿してゐる。
る可能態である。そこでは質料はに何等かの形相
でもなくして、えず現實態に向つて發展しつつあ
體であつて、單なる可能態でもなく、單なる現實態
ヒに彼が設置した心理學實驗室は世界最初のもので
年までその職にゐて莫大な業績を殘した。ライプチ
赴任、七五年ライプチヒ大學に招聘され一九一八
講師となる。七四年哲學としてチューリッヒに
理學を學ぶ。一八五九年ハイデルベルク大學生理學
チュービンゲン、ハイデルベルク、伯林で哲學、生
) 獨の
ヴ ン ト( Wundt, Wilhelm 1832—1920
哲學にして實驗心理學及び民族心理學の設。
Aristoteles. Hamelin, Le Système d'Aristote.
〔 參 考 書 〕 入 門 と し て
る形相ち第一形相またはとの間に一切の世界の
あつて、そこから多數の名な學が出た。彼によ
態は質料であり、その現實態は形相である。かくて
存在は位すると見られる。アリストテレスはなほ
れば心理學は直接經驗の學であつて、經驗は心的
凡ての存在は質料と形相との結合よりなる一つの
動する存在に於いて四つの原因を析した。質料因
素たる感覺と單純感とに析され、一切の意識現
立する。併し意識の事實としては感及び意志は第
象はこれらの素の複合ち創的綜合によつて
)、 目 的 因( causa finalis
)がそ
動 因( causa movens
れである。これらのものは彼の哲學の根本念と
一義的のもので、感覺、表象思惟から誘される
)、 形 相 因( causa formalis
)、 ( causa materialis
してはた ら い て ゐ る 。
と共に科學の果を統一するものであるとする。
學を基礎とし、その根本問題を識論的に檢討する
科學の基礎を心理學に置いた。哲學はこれらの科
學とに、後をに自然科學と科學とにち
つてし、純粹形式科學(數學)と經驗的實質科
民族心理學を彼は究した。又彼は科學を對象に從
である。この個人心理學に對して同じ方法によつて
程ではない。かくて彼の心理學は主意的統覺心理學
みは少なくとも眞理でなければかく主張することが
自己を裏切らねばならぬ、ちこの主張そのものの
眞理及び確實性は凡てないと主張することによつて
を含んでゐる。しかるに最も徹底した懷疑主義は、
懷疑主義などがある。懷疑主義は種々なる程度の差
範及び的價の當性を疑ふところの倫理的
確 實 性 を 疑 ふ と こ ろ の 宗 的 懷 疑 主 義、 的 規
理論的懷疑主義のほかに、の存在及びその信仰の
て、確實なる眞理はないとする立場をいふ。かかる
三九九
る、眞理は把捉され得ない、我々は或る物が如何に
物も自體に於いて存せず、ただ我々にとつてのみ在
味に用ゐられるに至つてゐる。ピロンによれば、何
的であつて、ピロニズムといふ言葉は懷疑主義の意
クストゥス・エムピリクスである。就中は代表
懷疑主義として有名なのは、古くはピロン及びセ
一般に無意味とならなければならないからである。
その他論理學、倫理學の方面でも大を殘した。
〔 主 〕 Grundzüge der physiologischen
Psychologie. Logik. Ethik. System der Philosophie.
Grundriss der Psychologie. Völkerpsychologie.
Einleitung in die Philosophe.
〔 參 考 書 〕 König, W. Wundt als Psycholog und
als Philosoph.
)
Scepticism. Skeptizismus. Scepticisme
懷 疑 主 義(
識 の 客 觀 性、 對 性 ま た は 普 當 性 を 疑 つ
哲學・學用語解 のやうな方法的懷疑に新しい意味を與へたのは現代
在り」といふ彼の哲學の根本原理をき出した。こ
含んでゐる。そこからデカルトは「我思ふ、故に我
識の事實はそれ自身疑ふべからざる、直接の明證を
が如何に凡てのものを疑ふにしても、疑ふといふ意
對的なものに到するための方法的懷疑である。私
である。デカルトにあつては懷疑は確實なもの、
て懷疑の學問的方法的意義を見出したのはデカルト
の世に於ける代表である。これらの人々と異つ
( ejpochv
) の み が ま さ に 正 し き 態 度 で あ る。 シ ャ ロ
ン、モンテーニュ、ベイル、ヒューム等は懷疑主義
見 え る か を 云 ひ 得 る の み で あ る、 か く て 判 斷 中 止
の普的合法則性の個々の經驗への用に依存し、
に存する(質的蓋然性)。先天的蓋然推理は、識
ら、若くは唯一の場合から合法則性を推理すること
學 的 蓋 然 性 は、 普 的 原 則 に 從 つ て 種 々 の 場 合 か
偶然的場合との比例を意味する(量的蓋然性)。哲
性は、可能な場合の總數と特定の點に關して生ずる
たる法則性乃至確實性を蓋然性と呼ぶ。數學的蓋然
て支配出來ぬものがある。ここに於いて必然性に似
知識にしても、對に確實な必然的な法則性をもつ
識し得る筈である。しかし現象そのものにしても、
離を有するならば、凡ての現象は確實性をもつて
支配される限り、一切の現象は必然的であつて、偶
四〇〇
に於けるフッサールの現象學である。
て、 決 し て 對 的 眞 理 を 保 證 し な い こ と を し
蓋然性( Probability. Wahrscheinlichkeit, Probabilität. 經驗的蓋然推理は、歸的、推的仕方である。プ
ラトンは感性知覺は單に蓋然性を與へるのみであつ
然的なものは存し得ない。また知識が無限の到距
) 「たしからしさ」「算」とも云ひ、
Probabilité
現象の發生、知識の確實の度合である。因果法則に
て、確實性と蓋然性との質的區別をいてゐる。
の も の で あ ら う と も、 單 に 蓋 然 性 に と ど ま る と し
た。カントも經驗及び歸は、それが如何なる高
ソクラテスが初めてそれを普當的なものとして
位はにヘラクリットなどによつて主張されたが、
られることもある。感性的なものに對する念の優
〔 參 考 書 〕 Meinong, Möglichkeit und 方法的に取扱つた。プラトンはこれを繼いで念の
Wahrscheinlichkeit. Poincaré, Calcul des probabilités. 容をイデアと解した。アリストテレスに於いては
本質ち事物の形相とされ、プロチヌスは客觀的
念の容はただ判斷に於いてのみ展開され得るが
に判斷の素をなすと見做されてゐる。けれども
になるに從つて一學的、方法的となる。念は普
的なもの、本質をするものを含み、それが嚴密
は綜合であつて、對象に於ける特質的なもの、典型
)對象の一定
念( Concept, Idea. Begriff. Concept
關係に於いて立つ表の思想的、統一的結合また
の能力として念を色付け、思惟は念による識
である。カントは受容能力たる直觀に對して自發性
似せるものを共の名目のもとに總括するのが念
念とを峻別した。ロックによれば、單純表象の相
デカルト、スピノザ、ライプニッツも感性的表象と
象され對象の本質を的に模寫するものである。
ラ哲學によれば、念は悟性によつて知覺から抽
Venn, The Logic of Chance.
故に念は潛在的判斷と解せらるべきである。念
であるとし、純粹悟性念をば範疇と呼んでゐる。
念は事物に於いて自己を顯はすと云つてゐる。スコ
そのものは事物でなくして理想的客觀である。念
ち凡ての經驗的識には對象一般の念が先天的
な る 語 は ま た 名 辭(
四〇一
)の意味に用ゐ
Terminus. Term
哲學・學用語解 ) 科 學 一 般 の に か
Philosophe der Wissenschaft
かはる問題の哲學的考察、從つて識論の一部門
法則である。
象 に よ つ て 生 ず る の で は な く、 生 け る 思 惟 程 の
に 從 へ ば、 念 は 函 數、 綜 合 の 統 一 點 で あ り、 抽
ひとつの判斷種または範疇である。カッシーラー
は與へられたものでなく解かるべき課題であつて、
コ ー ヘ ン に よ れ ば、 判 斷 は 念 を 完 結 す る、 念
とは現代の哲學が種々なる見地からいてゐる。
念をもつて判斷の物乃至は潛在的判斷とするこ
げ る 體 的 普 、 自 由 な る 實 在 を 意 味 す る。 と な る。 ヘ ー ゲ ル に あ つ て は 念 は 自 己 發 展 を 條件として存し、これによつてのみ學的經驗は可能
論にち、またその各を細別した。これに影され
、自然にち、理學を自然學、宇宙論、人生
ベーコンは先づ能力によつて、記憶の學として
の 初 め フ ラ ン シ ス・ ベ ー コ ン に ま で 及 ん で ゐ る。
別し初めて學問の體系的考察をした。この考は世
的部門と實踐的部門とに大別して各部門をんで細
これに基いて、に學問の目的を考慮に入れ、理論
のを倫理學として區別してゐる。アリストテレスは
論、感性的知覺によるものを物理學、意志によるも
能 力 に 從 つ て、 念 的 識 に よ る も の を 辯 證
は古い傳統を有する。にプラトンは學問一般をば
主問題をなし、これに關係して科學のの問題
に規定されてゐない。普には科學の方法論がその
四〇二
と見做され得るけれども、明瞭に限定された領域を
たのはベンサム、アンペールであつて、後は當時
の學、想像の學としての詩學、悟性の學としての
科學論( Philosophy of Science. Wissenschaftslehre,
理學に區別し、にその對象に應じて、學を人
有するわけでなくその名の意味するところは一義的
した。これに對して、ウィンデルバント及びリッケ
に區し、かくて現代の科學を剩すところなく
ち、に夫々をば現象論的、發生論的、組織論的
に對せしめ、實質的科學を自然科學と科學とに
彼は先づ數學をもつて形式的科學として實質的科學
駿を取扱ふものとして區別したのはヴントである。
みを、後は主觀客觀の相關する體的、直接的經
規定し、は主觀に對する關係から離れて客觀の
方を徹底し、自然科學と科學との念を明瞭に
ントを取り入れたのは自然である。アンペールの仕
捉ゑた。化論の影を多く受けたスペンサーがコ
發展する段階をとり、會學をその最の位置に
法が位する。彼は單純なものから複雜な科學へ
と科學との二法をとつた。この間にコントの
の植物學リンネの法に學び、初めて自然科學
象」から區別される。假象は普には不當な思惟に
立するもの、眞實に存在しないものであつて「現
に於いては本質的ではなく單に主觀的表象に於いて
も有り、實在するかのやうに見えるが、嚴密な究
) 非實在的
假象( Semblance. Schein. Appearence なものにしてしかも實在すると見做されるもの。恰
を主張した最も有力な學にディルタイがある。
自然科學に對する科學の學的特殊性及び獨立性
ら西南學の人々とは異つた出發點をとりながら、
るから、彼等はそれを自然科學の中に數へる。これ
にしてもその識方法に從へば普的法則の學であ
學とにれる。心理學の如きその對象はである
記的であるかに應じて、自然科學と的化科
學は法則定立的ち普化的であるか、若くは個性
方法の見地を徹底しようとした。彼等によれば、科
學のにあたつて、對象の見地を除外し、純粹に
四〇三
ルトは識論上の先驗的主義の立場を守り、科
哲學・學用語解 されずして有がそれ自身のうちに現はれたものを
固 有 な る 規 定 で あ つ て、 念 が 未 だ 體 的 に 反 省
も の に 對 立 す る 假 象 に ほ か な ら ぬ、 假 象 は 本 質 の
本 質 は、 自 對 自 的 に 止 揚 さ れ た 有、 ち 有 そ の
的 假 象 の 批 判 と 呼 ん で ゐ る。 ヘ ー ゲ ル に よ れ ば、
理 と し て 辯 證 法 を 解 し、 そ の 先 驗 的 辯 證 法 を 先 驗
美 的 假 象 と 考 へ る 學 が あ る。 カ ン ト は 假 象 の 論
な 意 義 を め る も 多 い。 美 學 上 で は 美 の 本 質 を
の と せ ず、 却 つ て 必 然 的 な も の と し て、 そ の 重 然 る に そ れ を も つ て か り そ め の も の、 偶 然 的 な も
すると見做されるのである。は實在論的客觀主
るけれども個人的主觀に對しては超越的な意味を有
と見做され、他方では客觀は超個人的主觀に依存す
は客觀は主觀を超越して自體に於いて存在するもの
ゐる。然るにこのことは二に解せられる。一方で
に對するそれ自身の求をもつといふ性質を擔つて
の肆意に從ふことなく、却てそれ自身に於いて主觀
どこまでも主觀に對立するものとして、一般に主觀
の作用に對立するところのものを意味する。客觀は
念である。ち主觀の活動の向ふところのもの、そ
) 廣く外物、客體、
客觀( Object. Objekt. Objet
對象、非我、ノエマ等を指す。主觀に對する關
四〇四
い ふ。 ヘ ル バ ル ト は 假 象 が あ れ ば あ る だ け、 存 在
義であり、後は觀念論的客觀主義である。後の場
よつて、または錯覺によつて生ずるとされてゐる。
への指示があると考へた。
〔 參 考 書 〕
合では客觀性とは一般に主觀からの獨立性を謂ふの
Kant,
Kritik
der
reinen
Vernunft.
美的假象については、
でなく却て思惟の普性と必然性、または普當
Schiller,
Über
Hegel, Logiik.
性を意味する、客觀性の根源は眞の主觀性にあると
die ästhetische Erziehung des Menschen.
於いて與へられた直觀の多樣が統一されるもの、從
考へられる。ちカントによれば、客觀とはそれに
によつて主觀客觀の念を新しき立場に移した。
つ て 主 觀 の に よ つ て 立 す る も の で あ る。 ス
假 定 ( Hypothesis, Supposition, Assumption.
) 假
Voraussetzung, Hypothese, Annahme. Hypothèse
拉
、 臆 と も 云 ふ。 こ れ ら は 希 臘 語 の uJpovqesiV
一は在的對象ち色とかとかいふ意識容であ
現象は二つの方向から立つてゐると見られる。
る。意識は對象を自己自身のうちに含む。凡ての
ちに對象を在せしめることを本質的な特とす
ンターノであつて、彼に從へば、現象はそのう
)が却て意識のの存在
( Subjektum. uJpokeivmenon
を指したのである。かかる考を發展させたのがブレ
惟 さ れ た 存 在 を 意 味 し た。 そ こ で は 主 觀 的 な も の
マールブルク學の人々である。彼等によれば、假
したのであらう。假定を最も積極的に價するのは
は假定をもつて何等か單に想像されたものの意に解
ニュートンが「余は假定を作らず」と云ふとき、彼
る。 最 も 明 瞭 な の は 幾 何 學 に 於 け る 理 で あ る。
に立ち、假定を明根據として凡ての命題を立證す
法則または理念などをいふ。科學は一般に假定の上
から由來し、本來「下に置く」を
典語の Suppositio
意味する。ち現象及びそれの關係を明するた
コラ哲學では客觀的は今日の用語法に從へばむし
つて、他は表象とか判斷とか感とかいふ作用の方
定は客觀的識の先驗的なる根源であり、思惟の無
ろ 主 觀 的 な も の、 換 言 す れ ば 表 象 さ れ た 存 在、 思
面である。この思想をに發展させたのがフッサー
限なる發展の原動力である。
四〇五
めに、假りに想定したところの條件、本質、原因、
ルの現象學であつて、彼はノエシスとノエマの關
哲學・學用語解 四〇六
〔 參 考 書 〕 Platon, Republik. Aristoteles, 一 般 に 發 生 主 義 と 呼 ば れ る。 發 生 主 義 に は 心 理 主
Analytica. Cohen, Logik der reinen Erkenntnis. 義 と 主 義 と が た れ、 は 心 理 的 程 に 於
Natorp, Die logischen Grundlagen der exakten け る、 後 は 的 程 に 於 け る、 價 値 形 態 の 變
化、發展を考案する。はロックなどのイギリス
世界には「在り」といふものなく、一切はただ「
彼によれば、萬物は流轉して休止することがない、
その最も徹底したのはヘラクリットの立場である。
する哲學的立場には種々なるものが區別される。
定したもの、永なものをめず、凡てを程に解
行を謂ひ、優越な意味では發展と同一である。固
) 靜止に對して變
程( Process. Prozess. Procès
化、動である。特に續的及び合法的生並びに
矛盾は止揚されて綜合にするが、しかもこの綜合
ば、程をして程たらしめるものは矛盾であり、
意味を主張するものは辯證法である。辯證法によれ
のでなく、無限なる程である。程の最も重な
ある。從つて思惟の函數たる存在は固定靜止したも
どの哲學がある。コーヘンに從へば、思惟は生で
於いて程を重んずるものにコーヘン、ナトルプな
しての程を重んずるに反して、先驗論理の立場に
Wissenschaften. Poincaré, Science et Hypothèse.
る」のみである。識、などの價値をもつて變
は自己に對してに新しき矛盾を生み、かくて無限
經驗論によつて、後はサヴィニイなどのドイツ
らぬもの、永なもの、對的なものとせず、却つ
なる程が展開される。休止は一時的、相對的であ
學によつて代表されてゐる。發生主義が事實と
て程に於いて生し從つて變化すると見る立場は
官の潛在的に含むものが刺戟と共に實現されるのが
感覺を喚起すとし、アリストテレスによれば感覺
惹き起すとした。プラトンは身體組織の震動が心に
ものが物體の表面から離れて心に入り來つて感覺を
感覺を生ずると見、デモクリットは原子の複合した
クレスは、外部の物質が小孔から眼耳等に入つて
て基けられると考へる。ギリシアの哲學エンペド
ずると明してゐる。心理學では表象は感覺によつ
奮が經をつて大腦の中樞に傳へられて感覺を生
す。生理學的には刺戟が感覺官に加はり、その興
そのものの性質に歸せられる意識の客觀的容をな
ある。感が主觀的であるのに對して、感覺は刺戟
) 特 定 の 性 質 及 び
感 覺( Sensation. Empfindung
度をもつた刺戟によつて生ずる素的意識容で
つて、對的なのは程である。
とをそれが本來あるところの意識の兩機として考
外在を許す心理學的現象に對して、謂主觀と客觀
仕方を「形相的元」と云ひ、そして實在的世界の
實から本質を、事實的普性から本質普性をく
) フッサールの純粹現象學の
元( Reduktion 用ゐる現象學的領域發見の方法である。心理學的事
礎付けられるものである。
惟の制限となるのではなく、却つて思惟によつて基
り、それ自身が存在するのではない、またそれは思
は量を有する、それは實在の指標たるにとどま
性を含まないと主張する。コーヘンによれば、感覺
的現象であり、現象の本質をなすところの志向
我みづからの物である。ブレンターノは感覺は物
よれば自我の活動の抵抗として感覺は實踐的なる自
知覺と見る。カントは物自體が受容的感性を觸發す
四〇七
ることによつて感覺は生ずると考へる。フィヒテに
感覺である。ライプニッツは感覺をもつて不明瞭な
哲學・學用語解 現象學たらしめるものは特に先驗的元である。從
一般に本質學に共するものであり、現象學をして
その領域にすることが出來る。併し形相的元は
て純粹現象學は自然的立場から二つの元をして
をく仕方を「先驗的元」と云ふ。このやうにし
察するために、凡ての超越を排除した純粹在界
反對の感に變化すること、痺し易きこと等であ
しかも感覺から獨立には存せず、間性を有せず、
られるのは、それが統一態をなし、個人的であり、
されるとする。感の感覺とは異る性質として擧げ
不快、緊張と弛、興奮と沈靜の三つの方向が見出
反應が感であると考へ、これを析すれば、快と
れてゐる。ヴントは個々の意識容に對する統覺の
四〇八
つてこのものは特に「現象學的元」と呼ばれてゐ
る。リップスによれば感は自我體驗であつて、心
て 一 種 の 識 と 見 做 す に は、 プ ロ チ ヌ ス、 ロ ッ
Husserl, Ideen zu einer reinen Phän- 的程がに對してとる候である。感をもつ
る。
〔 參 考 書 〕 ) 感 は 古 く
感 ( Feeling. Gefühl. Sentimemt.
は感覺と同じ種のものと見做されてをり、それが
ものと見做すも多い。なほ美學は感を對象感
へた。しかし感を生活に於ける最も根源的な
omenologie und phänomenologischen Philosophie.
區別されるに至つたのは代のことである。かく區
と人格感とにけることがある。フォルケルト
ク、ライプニッツ、ヴォルフ等がある。ヘルバルト
別されて感は意識體驗のうち主觀的な側面を意味
の如きは人格感をにつて主觀の反應としての
は感をもつて表象の態及び互作用であると考
する。普にそれは快と不快との二つの種にた
と い ふ 語 を こ の 意 味 で 用 ゐ て ゐ る。 し か る に こ の
綜合、表象を指す。ロック、バークリーなどは觀念
) 普 に は 我 々 の 意 識 觀 念( Idea. Idee. Idée
容のうち比的に統一性及び固定性を有する感覺の
關與の感と主觀的態感とを區別してゐる。
ヘーゲルはかかる當爲としての理念の思想に反對し
も 決 し て 到 す る こ と な き 無 限 な る 課 題 で あ る。
埋であり、我々はそれに限りなく接し得るけれど
我々の活動をえず統制するところの必然的なる原
れ得る。カントによれば理念は存在でなくして却つ
いて存在するもの、事物の永なる原型である。そ
れることがある。プラトンに從へば觀念は自體に於
れるとき、それは特に「理念」といふ言葉で現はさ
なるべき目的である。觀念がこのやうな意味には
く、却つて事物の客觀的な本質または實踐の規範と
と同義で、本來は形態或ひは
り、これはまた eiÇdoV
形 相 を 意 味 し た。 そ れ は 主 觀 的 な 意 識 容 で は な
顯現するところの世界理性である。コーヘンに於い
その發展の程に於いて一切のもののうちに自己を
然と雖も他在に於ける理念にほかならない。それは
に在る。個人もこのものの一象面にぎず、自
動的なる存在そのものである。ただ理念のみが眞實
獨立に存在する實體でもなく却つて最も體的な、
てもとより單なる心理的事實でなく、また主觀から
て當爲である。それは先驗的な理性念であつて、
より由來したものであ
ijdeva
れは普的なものであつて、現實の個物はこのもの
ては理念は自己の根源に限りなくりゆくことによ
語はもとギリシア語の
を有することによつて個物である。それは感性的
つて識及び存在を基礎付けてゆくところの方法と
四〇九
て、再びそれを存在として解した。理念は彼にとつ
知覺によつてでなく、ただ理性によつてのみ識さ
哲學・學用語解 他人のものも觀念にとどまるべく、ただ
されることにとどまるといふ考を徹底するならば、
と稱せられる。しかるに若し物が存在するとは知覺
點から、このバークリー流の觀念論は主觀的觀念論
いた。かく個人のに存する觀念のみをめる
念であつて、存在するとは知覺されることであると
のはバークリーである。彼は我々が物といふのは觀
へる立場である。觀念論の代表として擧げられる
り、經驗的識はこのものの結合にほかならぬと考
驗を立せしめる我々のに於ける觀念のみであ
) 經驗か
觀念論( Idealism. Idealismus. Idéalisme
ら獨立に存在する實在を否定し、存在するものは經
して規定 さ れ て ゐ る 。
のは主觀客觀の關である。それは、主觀なくして
觀念論と呼ばれる。識論的觀念論の根本をなすも
に對してカントの觀念論は、識論的または批判的
識論的には觀念論でなくして實在論である。これ
して存在するものである。從つてプラトンの哲學は
るもの、ち主觀から獨立に、心の外にそれ自身と
ンのイデアである。イデアは自體に於いて存在す
く。形而上學的觀念論の典型をなすものはプラト
超個人的な主觀の綜合統一によつて立することを
てゐる。カントは經驗が實在の模寫でなく、却つて
ると主張する立場であつて、カントがこれを代表し
般に固有なる先驗的形式によるために客觀性を有す
立するも、その觀念の統一及び相互の組織が個人
四一〇
我ののみ實在するといふに窮極しなければな
られ、意識を超越したものは識することが出來な
客觀はない、如何なるものも意識の容として與へ
に限局せられざる、超個人的、普的なる意識一
)といふ。客觀的
らぬ。これを獨我論( Solipsismus
觀念といはれるのは、經驗は觀念を容として
論とプラトン流の觀念論的實在論との統一を目標
い、と考へる。對的觀念論はかかる識論的觀念
考察する立場であるが、目的もまた目的原因(
は目的手段の關係ち合目的性の見地から現象を
)
機械論( Mechanism. Mechanismus. Mécanisme 狹義に於いては物理學上凡ての自然現象を物體の
らぬと考へた。
ゲルは自然をもつて對の自己疎外にほかな
無 限 な る 活 動 の 自 己 制 限 と し て 指 定 さ れ る。 ヘ ー
れ ば、 外 界 は 對 的 自 我 の 物 で あ つ て、 自 我 の
若 く は 現 象 で あ る に ぎ ぬ と く。 フ ィ ヒ テ に よ
になり得るが故に、機械論は現象の數學的明の
關係の識はそれが數量的に規定されるに從つて完
るのは機械的因果であるから、自然科學は一般に機
る。自然科學に於ける法則的識の對象となつてゐ
あつて、機械論とはち機械的因果による明であ
このとき因果關係は機械的因果と稱せられるもので
) で あ つ て。 こ の
( efficient cause, wirkende Ursache
ものは機械的原因と呼ばれてから區別される。
final
に し て ゐ る と 見 做 さ れ 得 る。 對 的 觀 念 論 は 觀 念
)として一の原因と見做され得
cause, Zweckursache
るとするならば、機械論に謂ふ原因は特に作用原因
動 に 歸 せ ん と す る 立 場 を 意 味 す る。 最 も 廣 く 用 ゐ
意味を含んでゐる。機械論の最初の代表的な主張
を も つ て 活 動 す る 主 觀 と 解 し、 こ れ が 最 も 現 實 的
られてゐる意味に於いては機械論は原因結果の法
はデモクリットであつて、エピクロス學がこれを
な も の で あ り、 物 は こ の 最 も 體 的 な の 機
則 に 基 づ く 明 の 立 脚 地 一 般 を 指 し て ゐ る。 機 械
發展させた。コペルニクス、ガリレイ、デカルト、
四一一
械論に立つてゐるといはれる。しかるにかかる因果
論 は 普 に 目 的 論 に 對 立 せ し め ら れ る。 目 的 論 と
哲學・學用語解 ニュートンなどによつて機械論に動かしき位置が
存在するといふ事實から一般的SとPとの結合を
四一二
確保されるに至つた。カントは機械的因果をもつて
く仕方である。例へば、「 M1. M2. M3…
. …は で
S
ある」、そして「 M1. M2. M3…
. …は で
P ある」、
故 に「 凡 て の は
S で
P あ る 」、 と 云 ふ が 如 き そ れ
である。このやうな推理はつねにただ蓋然性を求
自然の原理となし、合目的性はこれに反して規
にあたつて躓となるやうに見えるのは、生物の現象
し得るにとどまり、對的、論理的確實性をもたな
れ る。 個 々 の 場 合 に 於 け る と
S と
P の關係が枚擧
さ れ、 そ れ が 一 定 の 法 則 の も と に あ る と い ふ こ と
制原理であるにぎぬと考へた。自然の機械的明
である。古來生物の現象をもつて機械的に明し盡
るからである。それ故にそれは不完推理とも呼ば
めつつあるやうに思はれる。
の場合が凡て擧げ盡される場合で、この場合にのみ
い。けだし個々の場合を凡て盡すことは不可能であ
)
し能はざる生命原理に基くとする生氣論( Vitalism
は、機械論に反對して廣く行はれてゐる。しかし、
)特殊、
Méthode inductive, Raisonnement par Induction
個別から普をく推理、若くはかかる推理によつ
歸法は對的確實性を有する。本來、歸法は因
科學の歩と共にここでも機械論が第に勢力を占
て普的命題、普的法則に到する方法を云ふ。
果關係の原理を提して立するのであつて、それ
歸 法( Inductive Method, Inductive Inference. は、歸法の當の論理的理由とはならぬ。ろ S
Induktion, Induktive Methode, Induktionsschluss. と と
P の因果關係または依存關係がその當の理
由である。
「完歸法」と稱せられるものは、個々
ち個々の場合に主(S)及び客(P)が結合して
によつてこの原理が立するのではないやうに、思
惟の最高原則もまた歸法に依存せず又それから得
られるものでないのである。ソクラテスは歸法を
普的念獲得の論理的方法とし、アリストテレス
は完歸法のみを學的としてめた。歸法を高
Bacon, Novum Organum. J. S. Mill,
提を基礎とすることを力した。
〔 參 考 書 〕 System of Inductive and Deductive Logic. Apelt,
Theorie der Induktion. Sigwart, Logik. Jevons,
彼によれば、歸法は個々の場合に見出されたもの
を大したのはジョン・スチュアト・ミルであつた。
觀察、比、實驗に基くものである。歸法の理論
幼稚なものとしたのである。彼の謂ふ眞の歸法は
讚しようとしたのでなく、却つて彼はかかるものを
價値であると考へた。しかし普の歸法を彼は稱
であつて、彼はそれによつて演繹的推理を學的に無
範は思惟、行爲等の目的が到されるための、普
とつては善、藝的なものにとつては美である。規
は、 論 理 的 な も の に と つ て は 眞、 的 な も の に
理 想 的 目 標 と し て の 最 高 の 規 範 が 存 在 す る。 こ れ
演繹される。思惟、行爲、制作にとつてそれぞれの
規範があれば、それから規範が從屬的、依存的に
目的論的思想の根本念のひとつであつて、最高の
) 行爲、行動の規則、それ
規範( Norm. Norme
の價の標準、理論的態度の規準などを意味する。
Principles of Science.
を凡ての似的場合に用する推理であつて、從つ
當的な乃至命令である。從つてそれは經驗的
く價するに到つたのはフランシス・ベーコンから
てあらゆる歸法は「自然の齊一」を暗々裡に大
源泉から由來することが出來ず、先天的なものであ
四一三
提としてゐる。カントは歸法が論理的、先天的
哲學・學用語解 係である。それの普當性は事實の問題でなく權
まで事實上承されるかは規範の本質にとつて沒關
求が自明的に、必然的にふ、しかし規範がどこ
である。規範を意識することにはそれを實現すべき
り、凡ての價の先天的條件、識、行爲等の理想
形式である。理想的規範意識は最高の價値規準であ
當性の目的を提して形さるべき自然法則實現の
である。ウィンデルバントに從へば、規範は普
はゆる良心に根差し、對的なる當爲を命ずるもの
つて、自律的なる、自由なる理想的意志、或ひはい
なく、實數に至つて續的とある。實數の體系に
列にあつては有理數の段階ではいまだ眞に續的で
ひ、カントルに至つてそれは完にされた。數の系
の念を考へたが、その後ボルツァーノはこれを補
ある。ライプニッツはに極限の思想をもつて續
は 0.333
……の極限で
の系列の極限である。また 1/3
あり、圓は正多角形の邊數の無限大に於ける極限で
はないが、限りなく1に接する、このとき1はこ
ば 1/2
・
・
・
… 1/2n
系列に於
1/2+1/4
1/2+1/4+1/8
1/2+1/4+1/8+
いて、nを如何に大きくするもなほその總和は1で
素 を 含 む が 如 き 一 定 の 對 象 を 極 限 と い ふ。 例 へ
四一四
利の問題 に 關 係 す る 。
極限念によつて哲學を組織しようと企てたものに
つて時間、間の續なども理解し得るのである。
〔 參 考 書 〕 Windelband, Präludien. Wundt, は如何なる有理數の遞昇(降)系列の極限も含まれ、
Ethik. Kelsen, Hauptprobleme der Staatsrechtslehre. 各實數が極限と見られる。かかる思想が、積
に基く解析の基礎となるのであつて、またそれによ
Simmel, Hauptprobleme der Philosophie.
) 數學上或る系列に
極限( Limit. Grenze. Limite
於ける如何なる素をとつてもなほこれに一き
念を意味する。それは系列の外的な目標ではなくし
を の根源とし
生ずると考へることが出來る。 dx
て考へることが出來る。かくて極限は生的なる理
點の體である。有限なる曲線は無限小なる點より
はかくの如き點から生ずるものであつて、ち切線
なく、その位置によつて方向を含む點である。曲線
線の生點と考へるやうになつた。點は單なる點で
來切線に於ける點の性質を考へることから、點を曲
に於いては點は線のと考へられたが、ケプレル以
哲學の根本的方法とした。彼によれば、古代の定義
ケリーがある。またコーヘンは法をもつて彼の
として存するのである。に目的と手段との關係
かかる法則的偶然の場合に於いてもこれが個體の特
出るか否かを事實として決定することが出來ない。
中の小球を取り出す際、數囘の均が紅白ほぼ同數
殊の事件をこの法則で律することは出來ない。箱の
係を規定し得るとしても、この場合にもなお或る特
以外に蓋然性の數學的法則をもつて現象の一般的關
は現象でなく本體でなければならない。に因果律
らぬから、かくの如き偶然性を對的に有するもの
に因果律によつて支配されてゐるとめられねばな
得ざる特殊的個體に屬する。しかるに現象界は一般
であることを示すとしても、或る時に於いて紅球が
て、系列をして系列たらしめる基であり、系列の出
をもつて事實を結合するとき、この目的に合せざる
然(
發點であると同時に目的であると見られ得る。
偶
四一五
も、人間の識能力はこれを洞察するに至らざるた
Contingency. Zufall, Zufälligkeit. 事件を我々は偶然と呼ぶ。もとよりこの事件と雖も
何等かの目的にするものであるであらうけれど
哲學・學用語解 ) 偶然は種々なる關係に於いて存在す
Contingence
る。先づ因果的偶然は普的因果關係によつて律し
x
めに、我々はそれを偶然と見做すのほかないのであ
四一六
ず、ろ反對に兩を別することから出發して、
あるが、人間の識能力はいまだこれを充すに至ら
の合一は思惟必然的設定として立せらるべきもので
としてただ兩の面的統一を知るのみである。こ
が生ずるのである。實の世界は普と特殊との合一
て普と特殊との互に裂する場合に偶然性の現象
るべきものである。かくて一般に人間の思惟によつ
すべきものであつて、ちまた個體の特性に歸せら
これにはづれるものがある。これが念的偶然と稱
いて特殊を普のもとに攝するが、しかもつねに
へられる。思惟は對象の組織を定立する。そしてそ
その對象に統一せられる容は凡て直觀に於いて與
である。經驗的思惟は必ず或る特定の對象を有し、
容を組織するところの思惟の形式ち範疇のこと
は感覺的直觀のことであり、經驗の形式とは感覺的
容と形式とがたれることが出來る。經驗の容と
つて生ずるものである。かくて經驗に於いてその
加はらねばならぬから、經驗は直觀と思惟とが相俟
織である。それが組織されるためには思惟の作用が
るべきものであつて、經驗とはろ直觀や體驗の組
) 〔 經 驗 〕 普 に 直 觀 又 は 體 驗
Science empirique
と同一に解されてゐる。哲學上兩は明確に區別さ
)及び經
經 驗( Experience. Erfahrung. Expérience
驗 科 學( Empirical Science. Empirische Wissenschaft.
ただその合一を理想としてこれに接することを欲
の組織の方法もまた對象と同じく直觀の面的關係
る。このときもまた偶然とは個物を人間の觀察する
するのみである。それ故に偶然性の除去はあらゆる
に依屬するのであつて、思惟は個々の對象とその組
場合に現はれるものである。最後に我々は念に於
學問の最後究極的なる理念である。
と雖もその識は凡て經驗から來るのでなく、理論
科學と化科學とにたれることがある。經驗科學
たれることがあり、或ひはその方法の區別から自然
ひはその對象の區別から自然科學と科學とに
もまた實質科學とも稱せられる。に經驗科學は或
る。かかる形式科學に對して經驗科學は事實科學と
く念の關係を根本原理から演繹することに存す
方法は經驗に基かずして、先驗的に思惟のに基
ち數學の對象は思惟の抽象形式であり、その識の
は純粹形式科學であつて、數學がこれに屬する。
經驗科學に對するものは先驗科學である。先驗科學
に經驗に基き、經驗の加工組織をなすものである。
驗事實であると同時に、その識の方法もまたつね
見られる。〔經驗科學〕これはその取扱ふ對象が經
織との定立に於いて直觀にその作用の規範を仰ぐと
もめず、それ故感覺論である。かかる感覺論的
のをめないばかりでなく、思惟の能動的作用すら
ると考へる。徹底した經驗論は何等の先驗的なも
識の根本命題すらも經驗から歸されたものであ
ら抽象されたものであるとし、一切の判斷、從つて
識論的には、一切の念、從つて範疇すらも經驗か
念の唯一の源泉であるとする主張である。かくて
) 凡
經 驗 論( Empirism. Empirismus. Empirisme
ての識は的または外的經驗から生れ、經驗が
ある。
る自然科學にあつては一般にくべからざることで
數關係を普的なものとして立てることを目標とす
經驗を計量的素に元して、その素の數學的函
つてゐる。このことは經驗の數理化、換言すれば、
の命題ち假をその缺くべからざる素としても
いて實證し能はざる容を有する念を含むところ
四一七
物理學などに於いて明かに見られる如く、經驗に於
哲學・學用語解 生觀念について議論があつた。ケンブリッジ・プ
識論的經驗論はロックに始る。當時デカルト哲學の
である。就中後は英國經驗論の基礎を置いた。
v・オッカム、世哲學ではフランシス・ベーコン
、 エ ピ ク ロ ス 學 徒 で あ る。 中 世 に 於 い て は W・
學で經驗論を取るものは、キレナイケル、ストア學
はこの經驗の原理を最もよく取入れてゐる。希臘哲
粹數學、論理學)及び規範學を除いて現代の科學
法的加工の上にてしめる原理である。形式學(純
經驗は、あらゆる科學を經驗的事實の、及びその方
が識をするといふにある。方法論的にみれば
「超越」も許すべきでなく、經驗し得るもののみ
て ゐ る。 た だ そ れ ら が 主 張 す る と こ ろ は、 何 等 の
ある。これらは經驗材料の思惟による加工を承し
經驗論に對して合理論的または批判主義的經驗論が
はヒュームに至つて懷疑論に陷つた。現代ではウィ
至つて意志的經驗論に轉化した。他方ロックの思想
の考はにその弟子であつたメイン・ド・ビランに
に色々の感覺を與へてゆけば思惟するに至ると。こ
よれば、知識は經驗さへ加はれば歩する、人形
の純粹感覺論的經驗論に於いて徹底した。ち彼に
した。この不徹底は一方フランスのコンディヤック
クは經驗に感覺と反省とをけ、その源泉が異ると
)であつて經驗がこの上に字を
は 白 紙( tabula rasa
書いてゆくが如きものである、と論じた。併しロッ
るが、かやうなことはあり得ない、從つて我々の心
念があれば赤子は生れたままに知識を有する筈であ
知識にあつても一致といふことはない、また生觀
は一般に一致してゐなければならぬ、然るに數學的
のは存しない、若しかかるものがあれば人々の知識
が、ロックは少くとも經驗の最初に於いてかかるも
四一八
ラトニストは一般にこの先天的な部觀念をめた
表は、スチュアート・ミル、ベイン、アヴェナリ
られ得る。なほ實證論的經驗論と稱されるものの代
リアム・ジェームス、ベルグソンが經驗論に算へ
一致するとしても義務の觀念よりするものと區別さ
て解し、傾向よりする行爲はたとへ法の求と
反するものとされる。カントは傾向を感性的愛とし
て傾向は個人的肆意をふをもつて義務の求に相
向は統一への傾向である。このことを除いて一般に
向であると云つてゐる。ナトルプによれば凡ての傾
つて妨げられないときにはき結果に到る一つの傾
し、力は單なる能力ではなくして、對立的な力によ
いてライプニッツは質料的事物は長と力とを有
るもの、それの形原理である。低の質料に對し
ゐる。形相は質料の現實性若くは質料を現實的にす
容または質料と形式または形相との結合からつて
ある。アリストテレスによれば、あらゆる存在は
限定さるべきもの、形式は容を限定すべきもので
) 形 式 は 容、 質 料 ま た は
形 式( Form. Forme
素材に對する關念である。容は形式によつて
普當的な價値を擔ふことが出來ない。
Tendency, Inclination. Tendenz, Neigung. り、從つてそれより發する行僞はそれ自體に於いて
ウ ス、 マ ッ ハ 、 先 驗 的 經 驗 論 を 主 張 す る 人 に セ ル
向(
るべきであるとした。蓋し傾向は經驗的なものであ
傾
ギュース・ヘッセンがある。
傾向について何物も理解されない。なぜなら傾向は
て形相であるものも高の形相に對してはみづから
) (一)或る物への方向、特
Tendance, Inclination
に發展の方向をとることを意味する。この意味に於
方向であり、方向はつねに一つのものへ到るからで
一の質料である。かかる質料の現實性への發展の最
四一九
ある。(二)性向、氣質等を示す。この意味に於い
哲學・學用語解 とは直觀の二つの形式であつて、範疇には因果性等
式と思惟の形式ち範疇とを區別した。時間と間
がまた對象形式の意味を有する。また彼は直觀の形
識の對象を可能にする條件であるから、識形式
にカントにあつては識を可能にする條件が同時に
形式と容との結合の上に初めて立する。しかる
そのもののみで識であるのでなく、識は却つて
するところの種々なる仕方である。もとより形式は
は與へられた容の多樣を識主觀が綜合し、統一
なものであるに反して先驗的なものである。形式と
されてゐる。カントに從へば、形式は容が經驗的
在的な發展形式と見る見方はヘーゲルによつて繼承
ちが位する。形式をこのやうに容そのものの
高の段階にもはや質料なき純粹形相としての存在
る。
自然科學と化科學との區別を立せしめるのであ
と個別化との二つのものが區別される。この區別が
が把捉し、加工する形式であつて、それには普化
して經驗科學の材料となるところのものを經驗科學
形式とは、的形式を俟つて初めて客觀的實在と
ルトは的形式と方法的形式とをつた。方法的
式的論理學との區別に相應すると考へる。又リッケ
係を意味する。彼は、この區別が先驗的論理學と形
自己の自發性に從つて自由に展開し得るところの關
して後は綜合的意識がその受容したる容から、
をするところの當體的聯關を意味し、これに反
疇とを區別する。は表象素相互の對象的關係
てゐる。ウィンデルバントは的範疇と反省的範
四二〇
の十二のものが樹てられた。新カント學に於いて
形 而 上 ( Metaphysics. Metaphysik.
) この語はその起源を偶然の的
Métaphysique
は時間間は共に思惟形式、範疇のうちに數へられ
と
ta; meta; fusikav
輯アンドロニコスはこの第一哲學に關する部
を取扱ふ部門を「第一哲學」と呼んだ。彼の稿
に於いて、存在そのもの、存在の第一原理及び原因
事にうてゐる。アリストテレスはその哲學體系
性を主眼とする形而上學である。形而上學は、實在
との對立から出發することなく、却つて兩の同一
形而上學が展開された。これらのものは主觀と客觀
として、新たにフィヒテ、シェリング、ヘーゲルの
てなほ未解決のままに殘された物自體の問題を機
にしようとした。かくて彼によれば、從來の形而上
自體は我々の知識を超越したものであることを明か
らざる、從つて我々の經驗の對象となることなき物
してのみ、客觀的知識であることが出來、現象にあ
能 力 の 批 判 に よ つ て、 我 々 の 知 識 は た だ 現 象 に 關
在についての學を示すこととなつた。カントは識
語は物理學上の學、或ひは、宇宙の本體、實體、實
名付けた。爾後 metav
ち「後」を意味する言葉は
「以上」または「超」の意に解され、形而上學なる
元論にとつては如何にして一なる實在から世界の多
結合させるかといふ問につねに出會ふやうに、一
てる二つの實在を如何にして關係させ、如何にして
ス、スピノザ、ヘーゲルがある。二元論がそれの樹
元論が區別される。徹底した一元論にはプロチヌ
によつて、形而上學的立場には一元論、二元論、多
はアリストテレスである。に實在の量の解釋如何
れる。の代表はプラトンであり、後のそれ
的なものであると見るかに從つて、二つの立場に別
を 物 理 學 の 後 に 置 き、 そ れ を ば
學は我々の識の限界を越えた企てであつて、學と
が生ずるかを明する困が横はつてゐる。多元論
四二一
するものを普的なものであると見るか若くは個別
しては不可能である。しかるにその後カントに於い
哲學・學用語解 つて、形而上學上種々なる立場の相が現はれる。
よつて或ひは主知的または主意的に見ることによ
て、 若 く は 目 的 論 的 ま た は 機 械 論 的 に 見 る こ と に
實在を靜止的または動的發展的に見ることによつ
ヒテ、シェリング、ヘーゲルがある。なほその他、
よつて代表され、批判主義から出た唯心論にはフィ
ヒ ネ ル に よ つ て、 心 理 學 的 唯 心 論 は バ ー ク リ ー に
バ ッ ハ、 マ ル ク ス 等 が あ る。 經 驗 的 唯 心 論 は フ ェ
ク リ ッ ト、 ラ メ ト リ ー、 ビ ュ ヒ ネ ル、 フ ォ イ エ ル
を 根 源 的 な も の と 見 る。 の 代 表 で は デ モ
て 第 一 的 な も の と し、 唯 心 論 は こ れ に 反 し て 於 い て 立 場 を 互 に 異 に す る。 唯 物 論 は 物 質 を も つ
で あ る。 に 形 而 上 學 は 實 在 の 質 に 關 す る 見 方 に
デカルトを始め他の多くの學はおほむね二元論
の代表はデモクリット及びライプニッツである。
らの形態は法則を與へる意志が、或ひはの命令に
いた如く、三つの形態に於いて現はれてゐる。これ
意志である。倫理學上の權威は、ロックがに
はかくてつねに我々の意志よりは一高き他のの
のはただ他のの意志であり得るのみである。權威
の欲せぬことを我々に向つて義務として求するも
のがの原理と見做されるからである。我々自身
は人間に自然的にはつてゐる幸への衝動そのも
威は法のために求されない。なぜならそこで
從つて倫理學上の幸のやうなものに於いては權
にはこれにすることがないとされるためである。
律或ひはに對立してゐるものであつて、自然的
とされるのは、我々の自然的性向または意志は法
、對ならしめる外的力が權威である。權威が必
束 す る も の に 於 い て、 そ の 命 令 力 及 び 拘 束 力 を などの如く我々に對して命令として臨み、我々を拘
四二二
) 法 律、 權 威( Authority. Autorität, Autorité
らに課した義務または法則に從するときにのみ善
るとした。彼によれば意志がただ自己の自己みづか
他律主義に反對して、の本質をもつて自律にあ
て規定されることを承する。カントはかくの如き
つて外部から賦與され若くはされた法則によつ
明かに他律主義である。ちそれは意志が自己にと
められるに從つて區別されてゐる。權威は何れも
於いて或ひは國家に於いて、或ひは慣に於いて
可能性とは潛在性の謂であり、現實性とは可能的な
能性に對して現實性といふ語が用ゐられるならば、
)と關係してゐる。ち現實的なものとは
Wirkung
動するもの、發展するものである。このとき、可
る。最も優れた意味に於いては現實性は活動( Akt.
件に從つて規定されてゐるものは必然的に存在す
てそれの現實的なものとの關聯が經驗の一般的條
條件ち感覺と關聯せるものは現實的である。そし
條件と一致せるものは可能的であり、經驗の容的
Actuality. Wirklichkeit. Aktualität. るものが自己を實現した段階、この自己實現または
はあるこ と が 出 來 る 。
性(
テレス及びヘーゲルはかくの如き意味で現實性の
實
) 最 も 廣 い 意 味 で は 凡 て 假 象 的 な ら ぬ も
Actualité
のは現實性をもつと云はれる。從つて單に經驗的事
念をつてゐる。ヘーゲルによれば現實的なものは
現
實についてばかりでなく、また超經驗的な存在に關
理性的であり、理性的なものは現實的である。
四二三
自己發展の局若くは目的の意味である。アリスト
しても語られることが出來る。に現實性は形式的
なる可能性に對して容的なもの、實質的なものと
の關係を意味する。カントによれば、經驗の形式的
現 象 學( Phenomenology. Phänomenologie.
) にラムベルト、カント等によ
Phénoménologie
哲學・學用語解 の最も單純な現象から始めて、それの辯證法を
い。對の自對自的な究極段階への程を、
のみが在る、有限なものはただ移り行きに外ならな
解放の行の各象面を現はしてゐる。對的なもの
顯示するに至る。この程はち對的の自己
し、みづからの本質を識し、みづからを的に
つつ、制限を止揚することによつて獨立な自由に到
はみづからこの假象をひとつの制限として定立し
實存性である。從つて有限なものは假象であり、
はするが、それは念の中に於ける現はれとしての
念の不當を意味し、かかるものも實存性を有し
である。は無限なる念であつて有限なものは
となされた。ヘーゲルによれば對的なものは
て、他方ではフッサールによつて最も含蓄あるもの
つて用ゐられたこの語は、一方ではヘーゲルによつ
かくして作用も對象も意識の機となり、謂ノエ
ることによつて開かれた純粹現象學の領域である。
が出來ない。これち事實と超越とを括弧に入れ
學的殘基に於いては何等の超越的なものを許すこと
り、この態度を變することによつて得られる現象
るものについての意識であるといふことに存する限
の對象は我ではない。しかし意識の本質がつねに或
る。自然的態度にあつては外界は我を超越し、凡て
する判斷中止をなすことによつて現象學的立場を得
る、我々はただ事實がはたらかないやうに事實に對
を否定することによつてはこのことは不可能であ
ば、意識の本質には如何にして到し得るか。事實
る。現象の意識が事實と本質とから立するとすれ
學である。凡ての現象はそれの事實と本質とを有す
ある。フッサールによれば現象學は純粹意識の本質
てその必然性を示すのがヘーゲルのの現象學で
四二四
哲學の立場にまで發展せしめ、かくすることによつ
ち最も影の多いのは、一方ではコーヘン、ナトル
カントの名に於いて喚起された。新カント學のう
ふ一般的傾向が現はれてゐる。識論的傾向は先づ
る反抗のうちに實證的、自然科學的、識論的とい
而上學的哲學に對する反抗として規定される。かか
て現代哲學の一般的特はヘーゲル的、浪漫的、形
て注目すべき一八四八年とほぼ一致してゐる。從つ
見做されることが出來る。それは政治のに於い
) 現 代 哲
der Gegenwart. Philosophie contemporaine
學と呼ばれるものは、ヘーゲルの死と共に始まると
の現象學 で あ る 。
のを反省的に析し、記するのがフッサール
つて、その上に種々なる意識の象面が立する。こ
シスとノエマとの關關係が意識の原基的本質とな
の實證的傾向と雖もするに心理主義的である。し
る。以上凡ての流は悉く觀念論を立場とする、そ
科學の哲學に於いても實證主義的傾向が見られ
察に最も重きをおくディルタイを代表とする
を含んでゐる。またヘーゲル哲學と同じく的考
く、ベルグソンの生命の哲學もまた實用主義の方面
向はにジェームスなどの實用主義に於いてし
判論があり、なほ英米の新實在論がある。實證的傾
うとするものに、マッハ、アヴェナリウスの經驗批
つてゐる。この傾向を擔ひながら一實證的であら
主義を繼ぐのはブレンターノなどの謂獨墺學と
けるプラトン主義であるに對して、アリストテレス
ドイツ西南學である。これらのものが、現代に於
ではウィンデルバント、リッケルトを代表とする
四二五
現 代 哲 學( Contemporary Philosophy. Philosophie それから出たフッサールの現象學である。現象學も
フッサールにあつて自然科學的、識論的傾向をも
プによつて代表されるマールブルク學であり他方
哲學・學用語解 ムス、シラー、ファイヒンゲル。(八)新カント主
(六)在哲學、シュッペ。(七)實用主義、ジェー
經驗批判論、アヴェナリウス、マッハ、チーヘン。
ラース、ヨードル、オイゲン・デューリング。(五)
(三)觀念論的一元論、ヴント。(四)實證哲學、
ル。(二)實證的形而上學、E・v・ハルトマン。
る學並びに代表。(一)化論的哲學、ヘッケ
主義の復興が見られる。一八七〇年時代よりの主な
てゐる。最觀念論の陣營に於いてもまたヘーゲル
ものに比して或る意味ではヘーゲルに最もく立つ
その辯證法を取り入れることによつて、他の凡ての
ンをその代表とする。この哲學は、ヘーゲルから
義の哲學であつて、マルクス、エンゲルス、レーニ
はフォイエルバッハの影の下に生れたマルクス主
かるにそれらの一切に對して唯物論を主張するもの
シュ、(ロ)科學的、オイケン、(ハ)宗的、
ス。(十六)新形而上學、(イ)生物學的、ドリー
ラー、シュプランガー。(十五)心理學的、リップ
科學の哲學、ディルタイ、フリーシャイゼン・ケー
ディルタイ、ニーチェ、シェーラー。(十四)
ス。(十二)基礎學、レームケ。(十三)生の哲學、
對 象 論、 マ イ ノ ン グ、 ヘ フ ラ ー、 エ ー レ ン フ ェ ル
ナッハ、リンケ、ハイデッガー、ベッカー。(十一)
サール、シェーラー、フェンダー、ガイガー、ライ
ルティ、クラウス、ステュンプ。(十)現象學、フッ
ソン。(九)ブレンターノ學。ブレンターノ、マ
(へ)相對論的、ジンメル、(ト)心理學的、ネル
バント、リッケルト、ミュンステルベルク、バウフ、
プ、カッシーラー、(ホ)價値哲學的、ヴィンデル
在論的、リール、(ニ)方法的、コーヘン、ナトル
形而上學的、リープマン、フォルケルト、(ハ)實
四二六
義、(イ)生物學的、ヘルムホルツ、ランゲ、(ロ)
) 新カ
コーヘン( Cohen. Hermann 1842—1918 ン ト 主 義 の マ ー ル ブ ル ク 學 の 創 設 。 獨 コ ス
マルクス、エンゲルス、レーニン。
面に復興しつつあり。(二十一)辯證法的唯物論、
(二十)新ヘーゲル學、クローチェ、その他各方
ベルグソン。(十九)新トーマス主義、ガイゼル。
メッサー、ベッヘル。(十八)形而上學的直觀主義、
トレルチ、ショルツ。(十七)新實在論、キュルペ、
たるものであり、非合理なるものは單に
來形式化さる可きもの、與は課題として與へられ
同じく新カント學のリッケルトの二元論に對して
を基礎としてカントの批判哲學のを復興した。
自信をもつてその職責を完うした。數學的自然科學
(一九一二年)その職をくまで哲學として
り、 年 ラ ン ゲ の 後 任 と し て 正 と な る。 爾 後
き、 七 三 年 漸 く 講 師 と な つ た。 七 五 年 助 と な
であつ
彼は形式と容とを對立したものとせず、容は本
ヰッヒに生れ少年時代から希伯來法典、中世の
年伯林に轉學、年ハルレで學位を得、伯林につ
の太學校に學ぶ。一八六一年大學に入り、六四
太宗哲學をへられた。十五歳にしてブレスラウ
なされる。思惟の本質は無限なる生である。彼は
惟がその容を生することによつてこの合理化は
て合理化さる可きものにほかならないと解する。思
Platons Ideenlehre u. d. Mathematik.
四二七
( 兩 共 に Schriften
Infinitesimalmethode etc.,
zur Philosophie, 1928 に 收 ) Kants Theorie
〔 主 〕 これを明するにの考をもつてした。
哲學・學用語解 と を 寄 せ た A・ ラ ン ゲ を 慕 つ て マ ー ル ブ ル ク に 行
に伯林大學に就職の望なき彼は、自に好意と同
の間物理學、化學、高等數學を學んだ。太人の故
て解剖學を修め、再びハルレで生理學を專攻し、そ
x
四二八
於いて、このものからして解明しようといふ求を
扱ふことなく、それをその生する地盤との關係に
事象性に對する求はまた念を單に念として取
いての純粹に記的な學問が現象學である。そこで
そこから發するところの源泉であり、純粹意識につ
ようとするところから出立した。純粹意識は念が
もの、彼に從へば純粹意識に於いて自己開示せしめ
扱はれて來た論理的なものを、その地盤たる物その
その地盤から游離されて、抽象的或ひは形式的に取
象學は從來形式的なものまたは抽象的なものとして
のに歸れ」( auf die “Sachen selbst” zurückgehen
)と
いふことを標語としてげてゐる。フッサールの現
der Erfahrung. Kants Begründung der Ethik. かくて物そのものをして自己を語らしめることであ
Kants Begründung der Aesthetik. Logik der reinen る。 そ れ 故 に か く の 如 き 仕 方 は、 記 的、 析 的
Erkenntnis. Ethik des reinen Willens. Aesthetik des
方法として、的、明的方法に對立せしめられ
reinen Gefühls.
る。現代の哲學に於いて、特に現象學は「物そのも
〔 參 考 書 〕 Kinkel, Hermann Cohen. Natorp, Kant
und Marburger Schule.
) 對 象 ま た は 存 在 の 必 然
事 象 性( Sachlichkeit
的、本質的なる事態を謂ふ。普に「物そのもの」
といはれるのがそれである。從つて科學的究に於
いて事象性が求められるといふことは、個人的、主
觀的な素によつて歪められることなしに、或る對
象についての賓辭付けを忠實に行ふことである。換
言すれば、或る提された明原理をもつて豫め物
に臨み、それを物に對して押しつけることなく、却
つて物そのものの含む問題をそれに必然的な、また
はそれ自身が求するが如き方法に從つて處置し、
獨 立 に 存 在 す る と こ ろ の 現 實 で あ る。 こ こ で も 事
唯物論の立場にとつては事象とは我々の觀念から
かれ觀念的傾向を有するに反してマルクス主義的
現 象 學 と 云 つ て ゐ る。 こ れ ら の 人 々 が 多 か れ 少 な
己 開 示 す る 程 を 現 象 學 と 考 へ、 そ れ を 解 釋 學 的
の存在がロゴスち言葉との關關係に於いて自
つ て な ほ 的 で あ る と な し、 現 實 存 在 ち 人 間
て ゐ る。 ハ イ デ ッ ガ ー は フ ッ サ ー ル の 現 象 學 を も
に對して記的または析的心理學として特性付け
の聯關の究をば從來の的、明的心理學
活の聯關であると見た。ディルタイは生活
を純粹意識であるとし、ディルタイはこれを生
立場の相によつて異つてゐる。フッサールはこれ
るにしても、ここに謂ふ物そのものが何であるかは
含んでゐる。等しく物そのものに歸ることを企圖す
なし得ない。(ロ)、アキレスが一歩先きに出た龜
ねばならぬ。無限數の點をることは有限時間では
との中心をる必がある、かくて無限の點をら
らぬ、この點をる爲にはそれに先立つて甲とこれ
甲より乙にする爲にはその中心點をせねばな
間接的證明法を用ゐた。(甲)動の辯。(イ)、
ある。彼はかく感覺的識を排棄するために理性の
つて世界を多と見、動くとするはに甚しき背理で
摘したが、ゼノンによれば、我々の感覺的識に從
の反對は世界を常住と見ることから起る背理を指
の門弟で、師の「有論」を辯護した。パルメニデス
) (一)エレアの( of Elea
)、
ゼノン( Zēnōn
希臘哲學、紀元四九〇年頃生る。パルメニデス
に究することを意味する。
はれることなく經驗的な事實をあるがままに忠實
的 立 場 を 徹 底 す る 事、 ち 我 々 の 觀 念 に よ つ て 四二九
象 性 に 對 す る 求 は 主 張 さ れ る が、 そ れ は 唯 物 論
哲學・學用語解 亦他物がなければならぬ、故に無限である。(ロ)
があるからである、かくてそれらと他物との間には
また二つのものが區別されるのはその間に常に他物
ればその度單元は有るだけ有り有限である、併し
共に無限である。多數の單元集りて一體をなすとす
るものありとすればそれは數に於いて有限であると
點に於て不動である。(乙)多の辯。(イ)多な
は第一時點でも第二時點でも不動、かくて凡ての時
な時點に於て動は無限小從つて休止である。飛矢
動である。時間の最小單位は不可である、不可
如何にするも龜に及ばない。(ハ)、飛矢は不
ぬ、この時龜はに若干先へ行つてゐる、故に彼は
には先づ彼が出發した時龜がゐたにせねばなら
をひ越すことは不可能である。彼が龜に及ばん爲
とする嚴格主義であつた。書は斷片のみが殘つて
する實踐的倫理學である。煩悶なき哲人生活を理想
テスの理想を慕つた。その哲學は安心立命を目的と
)、紀元三四〇年頃生る。ストア學
( of Cyprus
の創設。プラトン、クセノフォンをじてソクラ
によつて辯證法のと呼ばれた。(二)キプロスの
無限大となる、等々。かくして彼はアリストテレス
量を有すれば、それの無限數の集合としての體は
若干の量を有する。かくて部が少しにしても
ればこれをする部は無限にされ、各々は
の集合たる體は無限小である。若し何ものかが有
れを集めるも量あるものとはならない、故に單位
に非ず、從つて單位ではない。量なきものはこ
き不可のものである、少にても量あらば不可
四三〇
多なるもの有りとすれば多よりなる體は無限小で
ゐ る。( 三 ) シ ド ン の( of Sidon
)、 紀 元 一 五 〇
年頃に生る。エピクロス學徒。(四)タルソスの( of
あると共に無限大である。多の單位は第一に量な
個 人 的 心 理 的 人 以 外 を 見 る 能 は ざ る に 反 し て、 彼
つ て 判 斷 す べ き を 主 張 し た。 但 し ソ フ ィ ス ト が
であつて、傳統の權威をてて個人の自由思索によ
にもつてゐた。彼に於いても人は一切事物の尺度
と共に希臘蒙期に位し、それに共の思想を多
唯一の料である。ソクラテスは多くのソフィスト
ンは彼に最も心せる弟子、特にその初期の作は
ストテレスのによつて知る外なし。就中プラト
學問、人格、事業はプラトン、クセノフォン、アリ
するといふで死刑に處せられた。作なし。その
年、年を惑はし、々を否定し、新たなを主張
)、ストアの哲學。
Tarsos
) 希臘
ソクラテス( Sōkratēs B.C.469—B.C.399
哲學。紀元四六九年頃アテナイに生れ、三九九
このことは不可能である。ち我と彼とがこの共同
) で あ る。 併 し
る。 之 が ソ ク ラ テ ス の 皮 ( Ironie
對話に眞知を愛し、之を探求する意志がなければ
しめ、に有した知識が眞知でないことを自白させ
問することによつてその觀念を取さざるを得ざら
ず、初めは對話の云ふをめ、にこのに質
ある。是問答法の第一の件で助法( Maieutik
)
と 云 ふ。 併 し 彼 は 直 接 に 人 が 眞 知 な き こ と を 云 は
めなければならぬ。無知の自覺が眞知への第一歩で
の發見をつてゐるから、このことを最初に知らし
が出來るのみである。人々はその僻見によつて眞知
い、ただ人の生來有するものを思ひ起さしめること
し育は人の有せざるものを與へることが出來な
)を以つて個人が先天的に有する規範
( Dialektikē
を自覺せしめんとした。之が彼の育法である。蓋
は 普 的、 規 範 的 人 を 發 見 す る こ と に よ つ て の目的の愛を有することが問答法の第二の件であ
四三一
的 信 念 を 確 立 せ ん と し た。 之 が 爲 め に 彼 は 問 答 法
哲學・學用語解 せられるものが必然的な眞知で、定義若くは念で
る と こ ろ か ら、 問 答 法 は ま た 愛 の ( Erotik
)であ
る。かくて問答に於ける「一般の一致」によつて
を仰いで不幸な、然も彼にとつては魂のあるべき場
た。しかし彼は當時の人々に容れられず、に毒杯
に於いてはその偉大なる人格によつて統一されてゐ
四三二
ある。ソクラテスがこの方法を提唱し、用したの
に生きる爲めの死に就いた。
的命令を奉した。學と實行とのこの矛盾は、彼
はただ倫理學のみである。彼によれば行には知を
必とし、眞知あれば必ずふ。人は或る技に
するものが知である。併し學上かく一見功利
を熟慮して行ふ截知がであつて、之を充に有
を巧みに收得する技能である、個々の場合に結果
て正しき行僞がなされ得る。これよりしてとは幸
れに關する知をもたねばならぬ。正しき知識によつ
して基督を辯護せしもの。その代表ユスティー
家。羅馬の有司の及び異的哲學の攻に對
學。〔ニカイア會議(三二五年)以〕(イ)護
哲 學 と ス コ ラ 哲 學 と に た れ る。( 甲 ) 哲
り入れ、その義を組織するかにあつた。普に
ふ。その一般的問題は基督が如何に希臘思想を取
中世哲學 希臘=羅馬哲學の末から獨祕論
に至るまでの時代の哲學を總稱して中世哲學と云
〔參考書〕 プラトンの對話。ソクラテスの辯明。
クリトン。パイドン等々。 H. Maier, Sokrates.
に見ゆるも、實行上のソクラテスは遙かに高く立つ
ヌスによれば、眞理は基督以のものであつても基
於いてたくみさを得る爲めにはその技に關する知
てゐた。常にを信じ、その超自然的きと忠と
をする如く、行に於いてを得んが爲めにはそ
によつて彼の行動を決定し、常にこの森嚴なる
の根源はそれ故に書にありとする。〔ニカイア會
が、完に開示したのは基督に於いてである。眞理
は凡ての國民に向つてロゴスにより自らを開示した
織せんとした。その代表オリゲネスによれば、
ルに反して會の信仰を基礎として基督哲學を組
つた。(ハ)アレクサンドリヤ學。グノスティケ
以であるとして「不條理なるが故に我信ず」と云
希臘的ロゴスに背いてゐることが却つてその眞なる
アーヌスはその希臘的主知主義に反對し、基督が
ル。信仰を信仰に止めずして知識( gnw:s)
iVたらし
めんとする一である。之に對しては、テルトゥリ
希臘化の第一歩が始められた。(ロ)グノスティケ
基督が唯一の眞哲學であると。かくて、基督の
眞理は皆ロゴスの開示に外ならぬからである。故に
督的と稱すべきである。基督はロゴスであつて、
ゲナはプロチヌスの影を受くること多く、宗と
哲學は學の僕となつた。(一)スコトゥス・エリ
に然るかがスコラ哲學の根本問題である。かくして
べきもの、眞なるものはに義が決定した。何故
義を明、論證し、體系を與へんとせしもの。信ず
である。(乙)スコラ哲學。時代に立した
り、基督の救濟は會が代理する、と彼はいたの
の任意の恩寵によつてなされる。救主は基督であ
なり、人は救濟を必とするものとなつた。救濟は
て自由を失くした。爾後罪惡は人間の意志の本質と
ムは自由を有したが、つて罪惡を犯すことによつ
位一體、人、原罪及び恩である。アウグ
が開かれ、會の正統的義が決定された。ち三
かが義上の大問題となつてニカイア會議、その他
とへる。、基督、人間は如何なる關係を有する
四三三
スティーヌスはこのうち第三のを解決した。アダ
議以後〕會の信仰はが基督によつて人間を救ふ
哲學・學用語解 だつて實在するといふ實在論と、之に對して普は
在を論證するためプラトンに據つて普は個物に先
然らば普とは如何なるものか。それの獨立なる存
集合ではなく、このものから獨立の權威を有する。
の論爭。加特力會は普會であつて個人信徒の
る「の存在の本體論的證明」をした。(二)普
のイデア論を借りての念からその存在を演繹す
學は宗の眞理を證明すべきである。彼はプラトン
解するためである。信と知とは一致すべきが故に哲
人によれば信仰は識に先だち信仰するは眞理を理
コラ哲學はアンセルムスによつて樹立された。この
會と相反する結果となつた。彼を出發點としてス
考へる。併し彼は理性により重きを置いたがために
同じである。哲學は信仰の學、義の理解であると
哲學とは、その形式を異にするのみで、容はく
ツスである。彼に從へば、がその善と思惟する意
に反對して自由意思をいたのはドゥンス・スコー
を規定するものは知である(決定論)といた。之
りと思惟したことを意志し、世界を創した。意志
界は整然たる秩序を有し、はその知によつて善な
形相である。そしてがこの上界の極致である。世
にたれ、上界は下界の目的であり、質料に對する
の發展の思想を借り來つて、一切事物は上下の二界
期〕かくてトーマス・アクィナスはアリストテレス
一の權威とする必が起つた。〔スコラ哲學の最
つて自然の根元であると見る思想をとつて會の唯
入され自由思想の發生を抑壓するため、彼がをも
んになつたとき、恰もアリストテレスの哲學が移
て信仰と理性の一致、と自然の一致を疑ふ傾向が
プラトン的實在論を用した。十二、三世紀に至つ
爭が行はれた。會は先づ後を異端として斥け、
四三四
個物の後に在る名目であるとする名目論との間に論
人の相を來す。個人は普と個別との結合にあり
め、善はが欲する故に善である。意志の自由は個
れるのでなくく自由である。意志は知の上位を占
る。却つての意志は決してその知によつて規定さ
と と の 差 別 は な く な る。 こ れ 世 界 の 事 實 に 反 す
然も惡もなく、事物はの本質的歸結であつて事物
志によつて必然的に萬物を規定するならば世界に偶
理性との發見に至る世哲學への推移が準備され
スの渡期を經て、會の權威より獨立した自由と
て、独祕論、自然科學の勃興と共にルネッサン
てスコラ哲學は面的に壞するに至つた。かくし
不可能となる。從つて學は立しない。彼によつ
表象と實在とを峻別することとなり、眞理の識は
得られるにぎないのである。この見方をめると
Ueberweg, Geschichte der Philosophie,
た。
〔 參 考 書 〕 とする。かくして普そのものの實在は個性と結合
してのみ考へられ、意志の自由を重んずるところか
Baeumker, Kultur der Gegenwart, I. 5., S 288—381.
Bd. II. Stöckl, Geschichte der Philosophie des Mittelalters.
コラ哲學の衰頽期〕この期の代表、ウィリアム・
Harnack, Lehrbuch der Dogmengeschichte. Gilson,
らスコラ哲學そのものの自己止揚が根ざした。〔ス
オッカムによれば、實在論が普は個物の中にあり
Philosophe au moyen Âge.
四三五
) 佛 蘭 西 の 大 哲 學 、 世 哲 學 の 祖
1596—1650
と稱せられる。トゥレーヌ州ラ・ヘイに生る。デカ
デ カ ル ト( Descartes. René. Cartesius, Renatus
とするは、一つの物が多くあると云ふに等しい。普
は實在ではなく、個物を間接に代表する符號に外
ならず、眞實在は個物である。個物について我々は
その表象を得、に個々の表象について普表象が
哲學・學用語解 を な し、 二 三 年 巴 里 に 歸 る。 人 々 の 來 訪 を け て
た。 一 九 年 、 從 軍 中 に 學 究 法 に つ い て 大 發 見
び、 傍 ら 數 學 を 修 め 、 一 七 年 士 官 と な つ て 從 軍 し
は當時の貴族の慣に從つて武官たるべく巴里に學
であるように思はれた、と彼は云つてゐる。年彼
滿足させるものをへず、ただ數學だけが眞の學問
貴族學校に入學、一六一二年卒業。この學校は彼を
た。蒲柳の質で、八歳にしてアンリ四世の設立した
ルト家はこの地の名門で、ルネはその第三子であつ
眞理は直接的識であつて、そのもの自身他のもの
然的に他の眞理をくことである。從つて究極的な
然るに演繹とは若干の眞理を提としてそれから必
得ざる確實性を有するのは、直觀と演繹とによる。
何學の一般化であると云はれる。數學的識が疑ひ
て究することを哲學の目的とした。彼の哲學は幾
をもつて一切の識の模範と考へそれの方法に從つ
の集は三百年記念に Adam
と Tannery
によつて出
版されたものが最も完備してゐる。デカルトは數學
また、解析幾何學の發見としても有名である。そ
四三六
二九年和蘭に移り、究に耽つた。かくてにした
二 つ の 實 體 を た て、 は 思 惟 を、 後 は 長 を
明 晰 判 明 な る 觀 念 は 實 在 す る と 見 て、 心 と 物 と の
なる直接的
思 惟 す、 故 に 我 在 り 」 cogito ergo sum
識 を そ の 中 心 思 惟 と し た。 か く て「 我 」 の 如 く
主なる書には「方法論」( Discours de la méthode, に よ つ て 誘 さ れ て は な ら ぬ。 デ カ ル ト は 凡 て を
)、「 哲 學
疑ひ、疑ふことのみが疑ふべからずと覺つて、「我
Meditationezs, 1644
)、 「 省 察 」 (
1637
原理」(
)がある。その
Principia
philosophiae,
1644
)、「規則論」
他「念論」( Les passion dse l'âme
( Regulae ad directionem ingenii
) 等 を も し た。
四九年瑞典の女王クリスティネの師傳となる。彼は
そ の 屬 性 と し、 兩 は 性 質 く 異 る が 故 に 各 獨 立
を立てるにあたつて辯證的論理を多に示してゐ
に、謂多、動の(「ゼノン」の項を見よ)
Hamelin. Le système de Descartes. る。これはソフィストによつて惡しき意味に於ける
に作用すると考へた。
〔 參 考 書 〕 て 獨 特 な 意 味 を も つ に 至 つ た。 今 そ の を 見 る
至る三面をへてゐる。このことはヘーゲルに於い
る議論の定立、それの否定をして、新たな定立に
へき入れる仕方である。かく問答法そのものが或
そしてそれを否定せしめることによつて新たな思想
て相手の議論の矛盾を指摘し、それを自覺せしめ、
の識並びに論證の方法である。從つて對話によつ
) 本來の意味は會話の。問答法で、對話が純
粹に思惟によつて相互の思想を展開せしめるところ
證法的假象の批判、先驗的假象の批判と呼び、純粹
は辯證法を假象の論理とし、その先驗的辯證法を辯
また主としてこのやうに解されたのである。カント
論理學、識論の意味とを擔はせてゐる。中世でも
る。ストア學はこれに修辭學、法學の意味と、
解 さ れ、 從 つ て 辯 證 的 ソ フ ィ ス ト 的 を 意 味 し て ゐ
してアリストテレスでは單に確からしさの證明法と
の論理的、哲學的方法として理解された。これに反
の、ち理念、原型に至る展として析及び綜合
辯證法、ち論理的假象の方法とし用ゐられ、ソク
Hoffmann, René Descartes.
辯證法( Dialectic. Dialektik. Dialectique. dialektikhv ラテスに於いて客觀的眞理發見のための問答法に、
プラトンに於いては感覺的なものから普的なも
に、アリストテレスが云つた如く、エレアのゼノン
理性は不可的に辯證法をもつからして、可能的經
四三七
が辯證法のである。彼は感覺的識の否定のため
哲學・學用語解 念と實在との同一哲學となり、にヘーゲルに於い
く。この思想はシェリングに至つて主觀と客觀、觀
反 す る も の、 識 と 實 在 と が 統 一 さ れ る こ と を を括する原理とし、正、反、合の圖式によつて相
た。フィヒテは事行の念を立てて物自體と現象と
て理念に的用を許すことによつて生ずるとし
制限せねばならぬ、理性の辯證法はこの限界を越え
はこれに對してただ統制的役目を果さしめることに
現象に對しては範疇の的用をのみ許し、理念
區別し、識の限界を明瞭に劃することによつて、
起る。これを解決するためには、現象と物自體とを
こに矛盾が生じ、純粹理性の推理、二律背反が
らゆる經驗を越えて超越的に用されるに至る、こ
ち在的用をもつところの念及び判斷が、あ
驗、及びその對象に對してのみ富するところの、
的であり、あらゆるものはこの對的の自
あり、である。そしてそれの局的規定が對
的定立に至るのである。かかるものの地盤が理性で
よつて否定されながら、に否定として新たな綜合
立に對してそれの必然的對立が立てられ、これに
ゆるものはその裡に矛盾、二律背反を含み、或る定
ものは辯證法の基礎となることが出來ず、ろあら
とが出來ない、對立的規定を許し得ない悟性的なる
の、固定的、一面的なものはそのものであるこ
法的程である、從つて自的 對
—自的 —自對自
的 圓 動 が そ の 圖 式 と な る。 か く て 孤 立 的 な も
含蓄するものを顯在的に高揚する程がの辯證
らぬ。は元來自己目的である。それが潛在的に
人間ではない。自然と雖もの他在態に外な
に至つた。ここにとは單に自然に對する單なる
を論理的に展開するの自己發展の原理とされる
四三八
て辯證法はその哲學の一般的原理にされ、存在一般
己實現の象面である。各象面はそれがなほ抽象性を
有する限りに於いては自己を止揚し、他のものに推
移する。體的對的なるものに於いては最早移り
行きなく、ただ自由な發展があるのみである。唯物
論的辯證法は存在と思惟との一致としてのの代
りに物質を辯證法の地盤とし、それに於ける發展の
頭腦への投射を識と解する。
哲學・學用語解 四三九
※本巻は、多数の論文の集積という所為か字体にばらつきがある。「衰」は旧字体「」と同居
にある「埓」
348
していたが、新字体に統一する。「化」「起」「受」「意」は、すべて新字に統一する。「概」は、
用語解説1、2に於いて「」が使われているが「」に統一する。また、p
は、旁が異なり刊本では「」と同じ旁になっている。
※カタカナ表記に於いても不統一が多数ある。統一を図っていないので、人物名、他の順に拾い
上げ る 。
「アウグスティヌス」「アウグスティーヌス」 ;「ウィンデルバント」「ヴィンデルバント」 ;
「ヴァレリイ」「ヴァレリ」 ;「ケプラー」「ケプレル」 ;「シュティルナー」「シュティ
ルネル」「スチルネル」 ;「シュライエルマッヘル」「シュライエルマッハー」 ;「シラー」「シ
ルレル」 ;「ジェームス」「ジェイムズ」 ; 「ジイド」「ジード」 ;「スコーツス」「スコトゥ
ス」 ;「スチュアート」「スチュアト」 ;「トーマス」「トマス」 ;「ドストイェフスキー」
「ドストエフスキー」 ;「ニーチェ」「ニイチェ」 ;「ハックスリイ」「ハックスリ」 ;「バー
クリ」「バークリー」 ;「フィードラー」「フィードレル」 ;「フッサール」「フッセル」 ;
「ブーブ」「ブーヴ」「ブウヴ」 ;「ブリュヌティエール」「ブリュンチエール」 ;「プロティ
ノス」「プロチヌス」 ;「ヘラクリット」「ヘラクレイトス」 ;「メイン・ド・ビラン」「メー
ヌ・ド・ビラン」 ;「モンテエニュ」「モンテーニュ」 ;「ライプニッツ」「ライプニツ」 ;
「インテリゲンチャ」「インテリゲンチア」 ;「ジャーナル」「ヂャーナリズム」 ;「ソヴェー
ト」「ソヴェト」 ;「テクニック」「テクニイク」 ;「ヒューマニズム」「ヒューマニムズ」 ;
「ファシズム」「ファッシズム」 ;「リアリスチック」「リアリスティック」 ;「ルネッサ
ンス」「ルネサンス」 ;「ロマンチシズム」「ロマンティシズム」
後記
各 論 文 の 初 出
學の眞について : 1932
(昭和 )
7年7月 『改造』「文藝評論」として
(昭和 )
号「随筆特輯號」(なお、この雑誌『
自照の學 : 1932
7年8月 『學』第 15
學』は、昭和3年春山・北川・三好らによる『詩と詩論』の改題されたものであるとの事)
月 『新英米学』
10
壇と論壇 : 1932
(昭和 )
7年9月 『鐵塔』創刊号
現實と藝 : 1932
(昭和 )
7年
〜
4.19
に連載。
21
日記と自敍傳 : 1932
(昭和 )
、 10.31
、 11.1
に連載。
7年『大阪朝日新聞』 10.30
月『『セルパン』
11
(昭和 )
論と機智について : 1932
7年『大阪朝日新聞』に
(昭和 )
現象學と學 : 1932
7年
ディレッタンティズムに就いて
(昭和 )年『讀賣新聞』
、 、 連載、原題「現
:
1932
7
12.27
28
29
)に収
代に於けるディレッタンティズム」。後『現代随筆全集』第十一巻(金星堂刊 1935.6
録。
批の生理と病理
(昭和 )年
月『改造』。後『危機に於ける人間の立場』(鉄
:
1932
7
12
)、『哲学ノート』(河出書房 1941.11
)に収録。
1933.6
塔書院
月『作品』
11
(昭和8)年4月『學』創刊号(岩波書店刊)
的自省への求 : 1933
性格とタイプ : 1933
(昭和8)年
( 昭 和 9) 年 1 月『 行 動 』。 後『 人 間 學 的 學 論 』( 改 造 社
レ ト リ ッ ク の : 1934
)、『哲学ノート』に収録。
1934.7
詩歌 の 考 察
(昭和9)年3月『短歌研究』、原題「藝における詩歌の分野」。後『人
:
1934
)に収録。
間學的學論』、『續哲学ノート』(河出書房 1942.4
章の讀 : 1934
(昭和9)年5月
星堂刊)に収録。
日『大阪毎日新聞』。後『現代随筆全集』第十一巻(金
11
月『大阪朝日新聞』
12
、 13
、 14
に連載。
12.12
)年5月『大阪朝日新聞』 5.3, 4, に
10
7 連載。
(昭和9)年7月、『讀賣新聞』 7.20
、 21
、 23
に連載。
技のと學のリアリズム : 1934
創作と作家の體驗 : 1935
(昭和
)年
10
)年
10
(昭和
作品の倫理性 : 1935
(昭和
哲 學 と 藝 : 1935
界藝」第二号に掲載。
)年5月『藝』。
11
月『 世 界 藝 大 辞 典 』( 中 央 公 論 社 ) の 付 録 月 報「 世
12
(昭和
體の問題 : 1936
純粹性の揚棄 : 1936
(昭和
)年6月、『讀賣新聞』 6.17
、 18
、 19
に連載。
11
)年3月『大阪朝日新聞』 3.23
、 24
、 25
に連載。
12
)年8月『藝』。
11
(昭和
俗性について : 1937
)年6月『短歌研究』
12
ヒューマニズムへの展開 : 1936
(昭和
新しい國民學 : 1937
(昭和
)年8月『學界』
12
)年1月『學』
13
)年5月『人形』
13
(昭和
政治への反 : 1937
學と技 : 1938
(昭和
(昭和
詩と科學 : 1938
古典の念 : 1938
(昭和
藝時 : 1939
(昭和
)年
13
に
5 連載。
月〜
10
に 五 回連載。
28, 30
)年
10
(昭
1937
日分は第
30
月『學』(第六巻十号)「古典の現代的意義」特輯。
10
〜
3.25
)年8月『中外商業新報』 8.1
〜
14
( 昭 和 5) 年 3 月、『 讀 賣 新聞 』
藝 時 : 1930
十九巻収録。
)年
12
哲學・學用語解(一)『世界藝大辭典』執筆項目 : 1935
(昭和
月『世界藝大辭典』中央公論社刊全六巻。
11
和
( 昭 和 5) 年 5 月 社 会 思 想 社
哲學・學用語解(二)『會科學大辭典』執筆項目 : 1930
編『會科學大辭典』。
○ ○ ○
第十二巻編者桝田啓三郎によると、「學の眞について」については、板垣直子女史によるレ
ネ・ケーニヒの剽窃であるとの批判が有り、「批の生理と病理」については、ティボーデーの
『批評の生理学』の換骨奪胎にすぎないとの陰口があったとの事である。後者については、「ティ
ボーデーのこの書を読んだ多くの人のうち、いったい誰が、いったいどのフランス文学者が、著
者のこの論文に比肩するほどのものを書きえたであろうか。批評という生体をこれほどあざやか
に解剖し、その「生理」と「病理」をきわめ、その健康と病に適切な診断をくだし、批評の精神
をこれほど明らかにしえた誰がいたであろうか。」と言う。
前者について桝田氏は、「自然主義の解体過程に関する歴史的な叙述にケーニヒが利用されて
いるのは確かに事実ではあるが、すでに見てきた所からも明らかであろうように、そして著者の
主張するように、この論文の根本思想が著者自身の独自な思想であることは疑う余地が無い。」
「普通なら剽窃家の汚名を着せられて学界から葬り去られるようなことになりかねないこの事件
も、著者の学識と力量を知る学界、論壇はそれを単なる一挿話として見過ごしてしまったし、ま
た、その問題とされた思想そのものを追求し展開し続けた著者の業績そのものが、それ自身でや
がてその汚名を濯いでしまったのであった。」と言う。
前者に関して三木による応答は第十七巻の「唯一言」にありますが、三木の文だけでは板垣女
史が何を剽窃と指弾しているのかが明確ではありません。ケーニヒの日本語訳が出ていないこと
でもあり、不確定な点が多くありますが、参考に板垣女史の批判概要を載せます。また同紙に続
けて掲載された林達夫による三木擁護の概要を載録しておきます。
○
(昭和8)年 1.15
〜 17
)
「三木氏に與ふ 」板垣直子 (東京朝日新聞 1933
「理論家の一人で、近頃文藝時評にのりだして来た三木清氏の仕事について、いかにそのから
「文藝時評
——
くりの劣等なものであるかを、最近に知る機会をえたから記してみたい。」 ——
という一文から
文學の眞について」が、レネ・ケーニヒの「フランスにおける自然主
——
始ま り
)を種本にしたものだという噂を聞いたが、機会があってその著
義的美学とその解体」( 1931
と三木の文藝時評を対照すると「平然として多くの剽窃を行っている」ことが判明した。
第一節、「眞以外云々」(四頁)のボワロの言葉は、ケーニヒの二頁の第三番目のパラグラフ
の最初の行からの孫引き。 ——
()の頁は本巻における頁を示す以下同様 ——
続く三木の文「然し我々は云々」(五頁)は、ケーニヒの三頁の上の文章の拝借。
「この問題に我々は歴史の辯證法的發展の」(五頁)で始まる分節にある、近世フランス文化
に関する精しい知識、その巧妙な言い回しは、最後の一文を除き、「ケーニヒの一五頁の二番目
の長いパラグラフの中からの抜粋とケーニヒの一八頁の下段の始めの二つの文章と、ケーニヒの
二〇頁の第一のパラグラフの最後の行と、ケーニヒの二一頁の第二のパラグラフの始めの六行と
を、寄せ集め、作りあげている。」
「物理的現実の秩序的連関における芸術」
ここまでは、主としてケーニヒの第一部の第一章の、
の「諸論」が使われている。第二節では、ケーニヒの第二部の第八章、「スタイルの問題」が利
用さ れ て い る 。
第二節「世界は唯一度云々」(七頁)のプルーストの言葉は、「ケーニヒの一九五頁の下から
二行目に始まるプルウストからの引用文の『孫引』である。ここでは三木氏は、プルウストの言
葉を、三木氏流な構造に作り直して使っている。」
「スタイルは決して云々」(七頁)のプルーストの言葉は、「ケーニヒの一九六頁の第一のパ
ラグラフの中にあるプルウストについてケーニヒの引用している文章の中から、五行だけ使われ
てい る 。 」
「このような新しいオリジナルな云々」(八頁)の三木氏の自己の意見は、ケーニヒの一九六
頁の第一のパラグラフの最後にケーニヒが大文字にして言っている三行を使ったものだ。
すぐ次のプルーストの言葉(八頁)は、「ケーニヒが二〇〇頁の第一のパラグラフの中に引い
ている最後の二行を取っているのである。」
第二節第三文節の「プルウストはベルグソン云々」(八頁)の三木氏の文章は「ケーニヒの
二〇八頁の第一のパラグラフの最初の書き出しから取られている」。
続く「會に於ける人間云々」(八頁)からの三つの文章は「ケーニヒの同じく二〇八頁の始
めから取っている」が、「知性」という言葉はその箇所のケーニヒの文には無い。「ケーニヒ
それは我々の行為を導く務めをもってい
の二〇九頁の第二のパラグラフの最初に、『知性 ——
』とでているのである。」この「知性」の意味とケーニヒの文章を巧妙に組み合わせてい
——
る
る。
三木氏が引用するところの、「フロベル、フルベ、カスタニカリ、ゾラを始めとして、その他
ベルグソン、プルウスト等々全部が、ケーニヒの本の中に引用されていることも記さねばならな
い。 」
第三節に論じている「主體的眞實性と客體的現實性」の考えも、「ケーニヒの議論の中から容
易に暗示されるように思われる。」
「三木氏の…『新しい美學の根本概念を眞』とする思想 ——
それはなお多くの批評さるべき問
題を含んでいるが ——
も又ケーニヒから思い付いたものであるならば、三木氏の時評の屋台は完
全に独創性を持たないわけである。」
「日本の若い批評家達の意見の應急的なかき集め」も含む三木氏の時評は、「芸術の理論とし
ては、ただ通り一ぺんによんだだけでも、実に緊密さの欠けたものである。哲学畑の素人が綴り
合せ的に書いたものという跡が歴然としている。」
以上の剽窃指摘に加えて、三木の「インチキな今の時世に」という言葉に引っかけて、三木
——
氏もインチキの限りで、世のインチキ化に加担している、と言う。また、谷川徹三氏が友情から、
他の真面目な人と並べて三木氏を引き立てるのは、学者的良心を疑われる恐れも有り、氏のため
「なお誤解のないために断っておきたいが、他人の研究を利用する事が悪いのではない。学問
にならない、と言う。最後に、
も分業である限り、利用という事は当然に起こる。ただ他人の研究を採用する時には、一つ一つ
その出所を明らかにするか、断り書きが必要である。他人の研究を、あたかも自分の勉強の成果
ででもあるかのように装う態度が不徳義なのである。(終)」
なおここに登場するルネ・ケーニヒの著書の原題は、 Die naturalistische Ästhetik in Frankreich und
ihre Auflösung : ein Beitrag zur systemwissenschaftlichen Betrachtung der Künstlerästhetik / von René
König
○
板垣女史の答ふ ——
」(第十七巻収録)と題して
以上の批判に対して十八日に、「唯一言 ——
三木が反論している。続いて二十二日から二十五日まで四回にわたって林達夫が同じく朝日新聞
に「いはゆる剽窃」と題して書いている。林氏が当該のケーニヒの著書を読んだかどうかに触れ
ることなくどのようなことを書いたか概略を示しておきます。
)
1.22
いはゆる剽窃 林達夫
一(
「剽窃はインチキであるか」と標題して、板垣女史を、「聖女カテリーナの正義感とスタール
夫人の博識とを兼ね備えたこの女性」、仮借なき「職業的」廓清家と呼び、「もし板垣夫人のよ
う に 一 切 の『 剽 窃 』 が イ ン チ キ で あ り 不 徳 義 で も あ る と し て こ れ を 犯 罪 視 せ ね ば な ら ぬ と し た
ら、今日果して幾人の学者や文芸家がこの破廉恥罪の汚名を免れるであろうか。」
)
二( 1.23
「この実例を何と裁く」と標題して、板垣夫人の言う意味での剽窃なら古今東西幾らで見つける
ことが出来る。シェークスピア・モリエール然り、デカルトに於いても、と言い、実例を挙げる
と言う。一つは、板垣夫人の夫君の美術研究書の挿画は大半がヨーロッパ研究書の転載である。
二つ目は、フランスの戯曲家ピエル・ルブランがシルラーの戯曲を剽窃したが、老年になってそ
のシルラーの戯曲を見たとき、自分の作を剽窃したとつぶやいたらしい。「板垣夫人よ、世の中
にはこんな素晴らしい剽窃家もいるのです。」
)
三( 1.24
「文化継承の一手段としての剽窃」と標題して、アナトール・フランスがドオデエを擁護して、
剽窃にも蜜蜂のように迷惑をかけないものと、アリのように穀粒を丸ごと取るものとがあるが、
前者は一向に構わぬと言っていた、と言う。また、日本が西洋文明を取り入れたのも剽窃である
し、同じようなことはフランスがイタリア・ルネッサンスを取り入れたときにもあった、と言う。
)
四( 1.25
「学問の共有と私有」と標題して、学説の創始者は社会に共有されることを望むが、同時に私有
財産でもあることを望んでいる。この矛盾は、資本主義社会の固有のものである。科学上の研究
成果が富を生む。ヨーロッパでは知的財産権の保護が提起されている。この矛盾は、資本主義社
会が存続する限り続くであろう。
(昭和8)年1月は、三回号外が発行されています。
1933
記事解禁さる(河上肇の検挙も載っている)
——
米露招請問題では俄然日本の主張容認決定を延期
——
以上が朝日新聞の1月に載ったものです。因みに
——
十八日、新生共産党大検挙
十九日、十九カ国会議急転回
二十二日、聯盟遂に和協を棄つ ——
わが回答を拒絶し第十五条第四項を適用
ジュネーブで行われていた十九カ国会議を横目に軍部は満州で策動し、結局国際聯盟の脱退に至る訳ですが、
ドイツでヒットラーが首相に任命されたのもこの月でした。
:2008.9.21
日 岩波書店刊
18
作成 日
:2008.10.3
年9月
1967
修正 日
底本 三
: 木清全集第十二巻
作成 者 石
: 井彰文
修正 2
:2009.4.30;
第十九巻附録による修正。
:2010.11.15;
初出日時の訂正追加。
修正 3