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特集
椎野 昌宏
横浜市在住。現在、
日本花菖蒲協会会長、
横浜さくらそう会会長、横浜朝顔会監事と
して、日本伝統花の普及保存に努める。
日本ベゴニア協会理事として、世界のベゴ
ニア原種に焦点をあて、
その導入研究を進
める。園芸をグローバルな視点から捉えるこ
とを座右の銘とする。共編著(分担執筆を
含む)に『世界のアイリス』
『世界のプリム
ラ』
『ベゴニア百科』誠文堂新光社がある。
プリムラ属の分類と分布
プリムラ属は現時点の調査では、分類上の
論議はありますが、少なくも430種以上はある
といわれています。南米南端に自生する1種
を除き、ほとん
マジェラニカ( P.magellanica )
ど北半球に自生しています。80%以上がアジ
アにあり、
とくに四川、雲南、
ブータン、
ミャンマ
ー北部、南東チベット、東ヒマラヤにわたるシノ
日本のサクラソウの自生地(小深堀草地)
ヒマラヤ地域には50%以上のプリムラが集まっ
ています。
ていますが、園芸種のさくらそうの親と
19世紀後半に英国人のジョセフ・フッカー卿
なったサクラソウを除いていずれも寒
英国のヴルガリスの自生地
がシノヒマラヤ地域をプラントハンティングし、同
冷地の高山地帯に自生しています 。
地域を世界の植物の宝庫として紹介したこと
原種のサクラソウだけが荒川流域の平地に群
この間、常春園を経営する伊藤重兵衛一家
がきっかけとなり、英国人を中心とした植物探
落を作り自生しました。サクラソウは始めシベリ
が品種の整理、
保存に努め、
明治40年
(1907)
検家が次々と現地に入って、多くのプリムラ原
アから中国東北地方にかけて自生するコルト
同園発行の『桜草銘鑑』には311種も収録さ
種を発見しました。それらはヨーロッパに持ち帰
ゥソイデス
( P.cortusoides )の学名で発表さ
れています。また大正7年(1918)に江戸時代
って、栽培され、育種され、後に日本へも洋種
れ、
シーボルトがライデン気候順化園の日本植
の連に代わる組織として、柴山政愛らの尽力
系のプリムラとして導入されました。
物のカタログではじめて外国に紹介しました。
で全国規模の「日本桜草会」が発足し、昭和
プリムラ
(PRIMULA)はラテン語を語源とし、
シーボルト死後、
E・モーレンがシーボルトに因
15年まで日比谷公園などで定期的に陳列会
春最初に咲く花という意味で、中国語でも報
と
んで、
プリムラ・シーボルディー
( P.sieboldii )
を開きました。
春花と呼ばれ、長く寒い冬が終り、暖かい春の
命名し、独立させました。さくらそうはこの荒川
到来を告げる喜びの花です。
流域の限られた地域から見つかった原種サク
プリムラ園芸のメッカは英国
原種から改良された園芸種には英国と日本
ラソウとその変異をもって江戸の園芸家が改
その1.
春の序曲を奏でる3原種
の2大潮流があります。日本には江戸園芸の
良し、多彩なさくらそうの園芸世界を生みまし
英国全体に広く自生しているプリムラはヴ
結晶である優雅なさくらそうがあり、英国にはオ
た。江戸末期に書かれた『桜草作伝法』
(作
とヴェリス
( P.veris )で、
ルガリス
( P.vulgaris )
ーリキュラなどを中心とした華麗なヨーロピアン
者不詳)にさくらそうの品種や栽培法が詳しく
人々にはヴルガリスはプリムローズ、
ヴェリスは
プリムラがあります。本稿の主題である外国産
述べられており貴重な文献です。そのなかで
カウスリップの愛 称で昔から親しまれていま
プリムラ属導入の全貌を記述するまえに、前提
下谷連などといわれた、趣味の団体に関する
す。それに南東部の限られた地域のみに自生
となった英国と日本におけるプリムラ属植物の
記述があり、当時彼らが同好者を集めて、育
し、オクスリップと呼ばれているエラティオール
栽培状況について触れておきます。
種活動や品評会などを盛んに行っていたこと
を加え、いずれも黄色の花を英国
( P.elatior )
がわかります。また山の手に築士連や小日向
の野山や庭園にいっせいに開花させ、春の序
日本産プリムラ属の代表、さくらそう
連も結成され、
さくらそうは江戸人士の間に広
曲を告げます。まさに英国を代表する春の花
その1.
連をつくり、品種改良と栽培技術を競う
まりました。
(注:コルトゥソイデスはサクラソウの
です。
近縁種ですが別種です。)
その2.
幻惑的なオーリキュラ
日本には14種のプリムラ属の原種が自生し
その2.
明治以後も
英国人は自国産のプリムラに加え、
ヨーロッ
伝 統 花として 静か
パアルプスやコーカサスなど他地域産のプリム
に存続
ラ原種間の交配(自然と人為)
を積極的に行
幕 末の動 乱や、
『桜草作伝法』の書き出し部分
4
写真提供:久志博信
さくらそう 南京小桜
現存する最
古の品種 写真提供:石丸博之
い、多彩なプリムラ園芸種を作出しました。まず
明治以後の西洋文
ヨーロッパアルプス産のアウリクラ
(P.auricula)
明のシグナルである
にヒルスタ
(P.hirsuta)やヴィローサ(P.villosa)
洋種園芸の人気化
が交配されてガーデンオーリキュラという魅力
により、
さくらそうは
的な園芸品種群が生まれました。19世紀の産
下火となり、存亡の
業革命時代に英国の労働者たちに盛んに栽
危 機にありました。
培され、協会を組織し、劇場風にしつらえた小
型展示台を設け、
観賞しました。
さらに他のヨーロッパ産種プリ
ムラの血をいれ、
オーリキュラは
一段と幾何学模様と色彩表現
を濃密にしました。またコーカサ
スのジュリエ( P.juliae )から改
良されたポリアンサスや、
アリオ
ニイ
( P.allionii )やマルギナー
タ
( P.marginata )の園芸種も
プリムラ ヴルガリス
新しく登場し、
ヨーロピアンプリ
ムラの華やかな舞台が英国を中心に欧米に展
に白、
または桃、赤、紫色
開していきました。
の平 咲きの丹 頂 花をつ
筆者は以上のような日本と英国の園芸の
小世界を想起しながら、明治から戦前までの
けます。明治中頃渡来と
言われています。
プリムラ エラティオール
プリムラ ヴェリス
外国産プリムラの参入と反響について記述し
*オーリキュラ(P.auric-
ます。
ula)和名アツバサクラソウ
ものかも知れません。花は白、淡紅、紅紫色
原種は美しい黄花で、
アルプス、
アペニン山系
の大輪で、波状咲き、八重咲きなど変化に富
明治以後、横浜を中心に導入されたプリ
ムラ属植物
の石灰岩地や泥炭地に自生します。前述の
みます。
ように、19世紀に他のヨーロッパ産種と盛んに
*ポリアンサ(P.polyantha)和名キバナノク
その1.
横浜植木株式会社のカタログから探る
交配され、
ガーデンオーリキュラとして有名にな
リンザクラ
明治以前に外国産プリムラの渡来の記録は
りました。当時の英国の園芸家は この花の
ヴェリスとヴルガリスの雑 種からできたもの、
見つかりません。明治4年(1871)の小石川植
栽培はアーチザン
(工芸などの熟練した職人)
それにエラティオールが交雑されたものとの系
物園の草本目録にはありませんが、明治10年
だけに可能なホビイ
(道楽)と評しています。
統 があり、い ず れも一 括してポリアンサス
(1877)の目録にはカンザクラ
(蔵報春)の和名
このようなヨーロッパ絵画的な彩色と模様をみ
(Polyanthus variabilis)と呼ばれています。
でシネンシス
( P.sinensis )が載っています。横
せるオーリキュラ園芸種に明治の園芸家がど
花は黄、紅黄、青銅、暗紅、白色などあり、蕚片
浜植木株式会社の輸入記録を見ると、明治23
のように反応したか興味のあるところです。
が苞葉のようになったジャック・イン・ザ・グリーン
〜32年(1890-1899)にプリムローズの名前が
*オブコニカ(P.obconica)和名トキワザクラ
系や花筒が2段に重なったホース・イン・ホース
あり、主なものは明治年間に導入されたものと
中国の雲南省からチベット南東部にかけて自
タイプなどがあります。
思います 。以 下 同 社の明 治 4 2 年( 1 9 0 9 )と
生し、1879年に英国人のマリーズによって湖
*キューエンシス( P.×kewensis )ヤグラザ
43/44(1910-1911)年の販売カタログを参考に
北省宜昌で発見され、英国で育種されました。
クラ
して、輸入された品種について説明します。
ローズ、
ラベンダー、桃、白色の平咲き桜弁で、
英国キュー植物園で1899年に咲いたヒマラヤ
*ヴルガリス(P.vulgaris)和名イチゲザクラ
数種の変種とたくさんの園芸種があります。明
北西部からネパール南西部にかけて自生する
前述のように英国ではプリムローズの愛称で昔
治の中頃、欧米から輸入されました。
フロリバンダ
( P.floribunda )の実生から生まれ
から親しまれてきた種類で、
ヨーロッパ各地に
*シネンシス(P.sinensis)和名カンザクラ
たもので、紅海、サウジアラビア産のヴェルティ
見られ、開かれた森林の落葉樹林の周辺部
古くから中国で栽培されていた中国名、蔵報
シラータ
( P.verticillata )に近似しており、同種
や、半日蔭の流れの堤、牧草地、高湿度の海
春の親株とされたものが1821年に広東の庭
との交雑種として、
キューエンシスと名付けられ
岸地帯を好んで生育しています。黄色で、稀
園からヨーロッパにもたらされ、普及し育種され
ました。層をなして黄色い花をつけます。
ました。その後1882年にデラベイが長江流域
*カシメリアーナ(P.cashmeriana)
で発見した変種も育種に加わり、細かな切れ
カシミールの3700mの高度に産するプリムラで
こみや波状花弁を持つフィンブリアータ系が主
すが、1882年に導入した植物園からデンティキ
流となりました。前述の明治10年(1877)に記
ュラータ変種カシメリアーナとして発表されまし
録された小石川植物園のものは古いタイプの
たが、後に別種と認定されました。淡紫色の花
を球状に散開します。
*フォルベシイ
(P.forbesii)和名ヒナザクラ
雲南省、四川省の2000-2300mの高地に自生
し、白、桃、藤色の小輪花を段咲きにたくさん
咲かせます。マラコイデスに似ていますが全体
に小ぶりです。
その2.
他社のカタログや文献に記載された
プリムラ
サカタ種苗や横浜ガーデンの大正時代に出
されたカタログも、マラコイデスが現れるほかは
横浜植木株式会社の取扱品種と同じです。
他の古い文献に記述されたそのほかのプリム
グリーンエッジド オーリキュラの古いボタニカル
アート 原一男 蔵
大正初期、横浜植木株式会社から刊行された『園芸植物図譜』
より。ポリアンサ、
オブコニカ、
ブルガリス、
フォルベシイなど。
横浜植木株式会社 蔵・横浜開港資料館 保管
ラについても紹介します。
5
ボーダーオーリキュラ Old Irish Blue
写真提供:丹征昭
もあり、ルーマニア、
コーカサス産で漏
の辻村常助氏が欧州から帰られプリムラ類を
斗状の淡黄の花をつけます。
集めておられる時に栽培をはじめたのが最初
*カピタータ( P.capitata )和名ヒ
のものです。東京方面では小石川植物園で松
マラヤサクラソウ
崎氏(松崎直枝のこと)が栽培されたのが旧い
ネパール東部から南チベット、北ミャ
様に思っておりましたが、現在は、金子明さん
ンマーから雲南にわたる3300-5000m
が恐らく最も専門的にやっておられると思いま
の高地に自生。鮮藍紫色の花を球
す。と記しています。現在の日本でもオーリキ
状につける。
ュラは限られた趣味家の秘宝のように扱われ
*ビーシアナ( P.beesiana )和名
ていますが、戦前にもこのような趣味家がいた
ムラサキクリンソウ
のです。但し、当時の園芸雑誌やカタログに見
中国雲南省産でジョージ・フォレストが
られるオーリキュラはほとんどがガーデンオーリ
1911年に採取し発表。花は紫紅色、
キュラかアルパインオーリキュラタイプでした。遅
目は鮮黄色で輪生開花します。香り
れて登場した園芸史上たぐいまれな突然変異
があります。
の結果生まれたとされるグリーンエッジドと呼ば
*マラコイデス( P.malacoides )和名オトメ
*デンティキュラータ( P.denticulata )和名
ザクラ
カササギサクラソウ
灰色や白色に見える幻想的なショーオーリキュ
中国雲南省の大理で英国人の有名なジョー
アフガニスタンから四 川 省 にいたる2 0 0 0 -
ラタイプのものはまだ導入されていなかったよう
ジ・フォレストが採 取し本 国に送ったものが、
4300m高度のシノヒマラヤ地域に自生。鮮藍
です。
1908年に開花し、園芸種への育種が始まりま
紫色の花を球状につけます。
した。紅色の段咲きで葉裏に粘質の白粉をつ
*ファリノサ( P.farinosa )和名ヨウシュユキ
けます。園芸種には藍紫、濃鮮紅、白色もあり、
ワリソウ
て日本のアルピニストに感動を与えました。兄
八重咲きもあります。
ヨーロッパ、
シベリア、モンゴル、太平洋沿岸に
弟で小田原に辻村農園を造り、
ヨーロッパ滞
*ヴェリス( P.veris )和名ヨウシュサクラソウ、
いたる10,400kmに及ぶ広大な地域に分布し
在の経験をいかし、洋種を含む高山植物の種
別名カウスリップ
ます。名前は粉をふくプリムラという意味で、青
子を盛んに導入し育てました。残念ながら伊
ヨーロッパからシベリア、
蒙古北部、
トルキスタン、
紫、紫色、稀に白色で黄目入りの花をつけます。
助は大正12年(1923)の関東大震災に遭遇
イラン北部まで分布する世界規模の生育圏を
以上のプリムラも明治から大正にかけて輸入さ
し、崖崩れで一家全員死亡しました。享年37
もつプリムラの代表的存在。下垂する数個の
れたと思われます。
才の若さでした。エーデルワイス
(うすゆきそう)
香りある鮮黄色で、オレンジ目入りの小輪花を
辻村常助の弟の伊助は登山家で、その著
『スイス日記』は優れたアルプス山岳文学とし
を日本で栽培したのも辻村農園で、オーリキ
つけます。
外国産プリムラの2つの流れ
ュラを含むプリムラ類も種子で導入し栽培した
*アウリクラータ(P.auriculata)和名ナカバ
その1.
趣味家向けのプリムラ
ようです。なお辻村農園は昭和61年(1986)
ノクリンソウ
トルコ、
コーカサス、
イラン北部、
アフガニスタン、
天山、パミールにわたって広く分布。
オーリキュラが戦前ごく一部の趣味家の間
に小田原市立の辻村植物公園として公開さ
で作られていたことには感心します。昭和8年
れており、特に明治末期から大正中期までに
(1933)誠文堂発行の『実際園芸』11月号に
植えられたレバノンスギ、
ドイツトウヒ、
ホソイトス
濃赤紫、
ライラック色で目は白の花を散形に展
東京の渋谷に在住する金子明が「プリムラ・オ
ギなど約30種の外国産裸子植物が立派に育
開します。
ーリキュラの栽培」と題して書いています。冒
っています。
*エラティオール( P.elatior )和名セイタカセ
頭に 色彩の豊富なこと、独特な渋味を持つこ
さらに北海道山草趣味の会、村田悠治前会
イヨウサクラソウ 別名オクスリップ
と、茎葉に白粉を粧うこと、オーリキュラは正に
長から聞いた話を紹介してみます。同会の発
ヨーロッパ、
コーカサス、
イラン北部、
ウラル、
シベ
プリムラ中の圧巻です。然しこれの栽培は余り
足 時 の 会 長 であった佐 藤 吉 郎 は 昭 和 8 年
リアまで広範囲に分布します。漏斗状の黄花
普及しておらず、
この花の美しさも知られずに
(1933)に大阪山草クラブに入会し、当時山草
をつけるが、オレンジ、赤色の種間交雑種もあ
居る様ですが必ずや将来シネンシス等と同様
界の第一人者と言われた田中秀三郎から洋
ります。
或はそれ以上に普及観賞されるようになること
種山草の種子、特にサクラソウ類とユキノシタ
*リューコフィラ(P.leucophylla)和名ウラジ
と思います。と熱っぽく書いています。
類、
を次々に送ってもらい熱心に増殖しました。
ロクリンソウ
大正期発行と思われる辻村
農園の球根カタログ
6
れ、花弁は緑色の円環を画き、粉が分泌され、
末尾に付記として(多分主幹の石井勇義が
エラティオールの
書いた)、 我国ではオーリキュラの栽培は私の
亜 種とする場 合
知るところでは、大正3年(1914)から小田原町
プリムラ シネンシス 写真提供:田邉孝
そのなかには次のようなプリムラがありました。
(注:括弧内は筆者が補記)
プリムラ・アウリクラ
(ヨーロッパアルプス産)
プリムラ マラコイデス 写真提供:田邉孝
プリムラ キューエンシス 写真提供:田邉孝
特集
プリムラ・アウリクラ変種シレート
(通称ゴールデ
ン・イエロー、
ヨーロッパアルプス産)
プリムラ・ビスコーサ(ラティフォーリアと同種、
ヨ
ーロッパアルプス産)
プリムラ・プベスケンス
(アウリクラとヒルスタの自
然交雑種、
ヨーロッパアルプス産)
プリムラ・グランディフローラ
(ヴルガリスの異名、
ヨーロッパ産)
プリムラ・パルビフローラ
(シベリア北東部産の
ボレアリスと同種か)
プリムラ・ヴィアリイ
(中国雲南省、四川省産)
さくらそう 神風(明治時代)
写真提供:石丸博之
佐藤吉郎は戦争中も防空壕の斜面に植えて
ステラータ系でしたが、のちに細い
育て、爆弾で死ぬなら山草諸共にと必死に保
切込み弁や波状弁の変化が加味
存してきたそうです。戦後村田氏らが上記のよ
された多彩なフィンブリアータ系が
うな生き残った貴重な株を分けてもらって育
主流となりました。)
その2.
流通向けのプリムラ
表面に滲み出て微妙な効果を出すものが多
いのに対し、
オーリキュラにはそれはあまりなく、
て、現在も一部に残って栽培されています。昔
の園芸家の壮絶な心意気に感動します。
さくらそう 吹上浜(現代) 写真提供:一江豊一
プリムラ観賞における欧米人と日本人
の美意識の異なり
むしろ白い粉が花弁や葉について特殊なアク
セントとなります。花弁の質感はさくらそうが柔
オブコニカ、マラコイデス、
シネンシスは明治
日本のさくらそうは幕末から明治初期の動
らかく縮緬、羽二重的であるのに対し、
オーリキ
時代から大正時代にかけて、英国やドイツで盛
乱期にかけ一時なりをひそめていましたが、明
ュラは堅い感じでベルベット的です。
さくらそう
んに改良され育種されて、欧米の園芸市場に
治中期に復活し、東京を中心に展示会なども
が繊細なうちに隠微な要素をもつのに対して、
広く出周りましたが、日本にもそれらが品種名
行われ、春の花として人気を保っていました。
オーリキュラは華麗なうちに幻惑な要素をもち
つきで輸入されました。
『実際園芸』昭和5年3
この頃文明開化のひとつのシグナルとして、洋
ます。おおまかに表現すると、
さくらそうが日本
月号に、「最近ドイツより輸入せる新種プリムラ
種花卉がつぎつぎと紹介されましたが、
プリムラ
画的作品であるのに対し、オーリキュラは近代
類の栽培」と題して、東京市外三井農園の左
属植物もその一つでした。受け入れる日本側
絵画的作品であると思います。欧米人と日本
氏良吉が鉢物用として
では英国を代表するプリムローズなどが黄色い
人の美意識の異なりが両者の品種改良結果
シネンシス
(カンザクラ) ロイヤル・ホワイト
花を咲かせるのに対し、日本のさくらそうや、高
に影響を与えたことも否定できませんが、現代
(白)、
ダブル・ホワイ
ト
(白八重)、
クリムソン・キン
山植物系のコザクラ系統には黄色い花が全く
人の感性からすればどちらが良いか、人の好
無いのが大きな違いでした。
みによりなんとも言えません。明治から戦前ま
グ
(赤)、
コーラル・ピンク
(桃)
など15品種
オブコニカ(トキワザクラ) ファイア・キング
ここで、日本と英国の趣味園芸分野の対極
での洋種プリムラの揺籃期にはそのようなこと
(濃紅)、
ジャイアント・ホワイト
(白)、
ブルー#1
として挙げられるさくらそうとオーリキュラの花に
ははっきりと意識されなかったのでしょう。
(注:
(淡空色)
など5品種
ついて、
それぞれの美的表現について対比し
原種はアウリクラ、園芸種はオーリキュラと呼称
てみましょう。原一男氏の優れた比較表(『世
します。)
マラコイデス
(オトメザクラ) ドワーフ・エクリ
プス
(淡色)、
ピンク・ベティ
(濃桃)
界のプリムラ』誠文堂新光社2007年刊)
をベー
一方、流通園芸分野の材料となった、
シネン
など2品種
スに分析します。先ず前述のようにさくらそうは
シス、オブコニカ、マラコイデス、ポリアンサスは
を掲載しています。
日本産のサクラソウ
( P.sieboldii )単一原種か
それぞれの魅力を発揮し、風土にも適応し、市
ドイツでの育種が盛んで、特にマラコイデスは
ら改良されたのに対し、オーリキュラはヨーロッ
場規模は今日と較べると小さいながらも、身近
一時ジャーマンプリムローズとも呼ばれていまし
パアルプス産の原種アウリクラに原種ヒルスタ
な草花として一般の人たちに受けいれられ、親
た。
ドイツ園芸種といえどもいずれも英語名な
の交雑種がもとになって改良された混血種で
しまれました。
ので、昔から植物はラテン語の学名と英語の
す。両者とも日本では町民、英国では労働者
本稿執筆にあたり、丹征昭氏、村田悠治氏
流通名が使われていたようです。これら3種以
階級の一般庶民によって普及されました。花
から貴重な情報とご指導をいただきましたこと
外に、
ポリアンサスやキューエンシス系統の品種
の形はさくらそうが立体的、絵画的で、オーリキ
を感謝します。
も三井農園などで栽培され、鉢物として出荷さ
ュラは平面的、幾何学的です。花色
れました。また東京市外玉川村上野毛にあっ
はさくらそうよりオーリキュラの方が多
た桜井花園から輸入種本年新発売種子とし
く、色調はさくらそうが花弁裏の色が
てシネンシス・フィンブリアータ、
マラコイデス・グラ
ンデイフローラ、オブコニカ、ポリアンサス4種の
種子が1袋20銭〜30銭で売られていました。
現在の貨幣価値にして200円〜300円くらいで
しょうか。
戦後は日本人自身による品種改良が盛ん
となり、多くの品種群が売り出され、流通園芸
市場の常連となりました。その萌芽は明治、大
正、昭和前期にかけて育まれていました。
(注:シネンシスは始め平弁、丸弁咲きの単純な
ストライプドオーリキュラ ダン・タイガー
写真提供:Valerie Woolley
ダブルオーリキュラ、ファニー・バレンタイン
写真提供:Valerie Woolley
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