平成九年夏 号 ︵通刊五号︶ ︵弘法大師ご入定後一一六二年︶ ︵勝覚寺開山一〇五〇年︶ 施 餓鬼のいわれ ﹁施餓鬼﹂とは ﹁ 施 食 ﹂ と も言います。当勝覚寺でも 毎年八月十八日にその法要 を営んでおりますが、読ん で字の如く餓鬼に食物を施 すことです。 ﹃ 仏 説救 抜 焔 口 陀 羅 尼 経 ﹄ というお経があります。そ れによると、 ある時、お釈迦様の十大弟 子で聞法第一といわれる、 阿難︵あなん︶尊者が修行 をしていました。すると突 然餓鬼が目の前に現れ、 ﹁お前は三日以内に死ぬだ ろう。そして餓鬼に生まれ 変わるだろう﹂ と言いました。驚いた阿難 尊者はその餓鬼に、どうし たらいいのかと尋ねました。 すると餓鬼は、 ﹁餓鬼世界では私のように 苦しんでいる餓鬼が大勢い る 。そ の 餓 鬼 に 飲 食 を 施 せ 。 そうすれば餓鬼は救われ、 その功徳によりお前も長生 きできるであろう﹂ と答えました。 早速、阿難尊者はお釈迦様 のもとへ行き、餓鬼に供養 する方法を教えて頂きまし た。 ﹁ 阿 難 よ 。 施 食 陀羅 尼 を 唱 え、食物を施せば、たとえ 無数の餓鬼であっても供養 することが出来るだろう﹂ とお答えになりました。 早速、阿難尊者はその通り に、施餓鬼棚を作り、沢山 の食物を供え、百味の供養 をしました。 そして阿難尊者は救われ、 お釈迦様の弟子の中でも一 番長生きしたと言うことで す。 ちなみにこの阿難尊者の像 が、もう一人のお弟子迦葉 ︵かしょう︶尊者と共に、 本尊釈迦如来のもと、当山 に奉られています。 加持とは如来の大 悲と衆生の信心と を表す。仏日の影、 衆生の心水に現ず るを加といい、行 者の心水よく仏日 を感ずるを持と名 づく。 ﹃即身成仏義﹄より ﹁ 加 持﹂と言う語を﹁加﹂ と﹁持 ﹂ に 分 け て 、 弘 法 大師が解説なさった文で す。﹁加 ﹂ と は 即 ち 、 仏 さまの大いなる慈悲の 心、﹁持 ﹂ と は そ れ を 受 け止める我々の心です。 この二つが合致してこ そ、仏さまの無量なる功 徳・利益を受 け る こ と が 出来るのです。 お盆 の 迎 え 方 梅雨が明ける頃になります と、もうお盆の時期です。 新暦の七月もしくは月遅れ で八月、日本全国で民族大 移動が始まります。 現在ではお盆はレジャー期 間となってしまっている感 もありますが、本来のお盆 の迎え方とはどのようなも のなのでしょうか。 最近では各地で ﹁ 盆 踊 り ﹂ などのイベントが催されて いますが、元々は、お盆に 帰ってくるご先祖様をはじ めとする、沢山の精霊を慰 めるものなのです。この盆 踊りは、やはりお釈迦様の 十大弟子の一人、目連︵も くれん︶尊者が、自分の母 が供養により、餓鬼道から 救われたのを知り、嬉しさ のあまり小躍りしたのが始 まりとされています。 これは ﹃ 仏 説 盂 蘭 盆 経 ﹄と いうお経に書かれています。 ある時、お釈迦様のお弟子 七 月 十 五 日 は 、 修 行 の 満 願 さて、ご先祖様と一口に言 の一人、目連尊者が自分の 日 で も あ る 。 そ の 日 に 食 物 っても、未だ四十九日を迎 母親が餓鬼道に落ちて苦し や 衣 服 ・ 臥 具 な ど を も っ て えていない仏さまは、霊が んでいることを知りました。 供 養 す れ ば 、 多 く の 僧 の 力 あの世に着いていないため 餓鬼道は、水や食物を口に に よ り 母 は 救 わ れ る で あ ろ にその年にはお盆の供養が 入れようとすると、炎と燃 う ﹂ 出来ません。 え上がってしまう恐ろしい とお答えになりました。そ お盆は年に一度、ご先祖様 世界です。 してその通りに目連尊者は が帰ってこられる日です。 目連尊者は、母親を救う方 実行し、母親は救われまし また、この世に生きている 法はないものかと、お釈迦 た。喜んだ目連尊者はお釈 人々も帰ってきます。古来 様に教えを請いました。 迦様に礼を述べ、さらにこ ﹁やぶ入り﹂という風習が すると、 の法会の功徳を未来に残す ありました。奉公などに出 ﹁ 目 連 よ・ お 前 の 母 の 罪 は ことを誓いました。 ている子が帰ってくる日で 重 く 、 お 前 一 人 の 力 で は ど お釈迦様は、 す。普段は日常に追われ忙 う し よ う も な い 。 天 地 を 護 ﹁ 親 を 思 い 、 孝 行 を 尽 く そ しい日々を過ごしている人 る 神 々 や 四 天 王 の 力 を も っ う と 思 う も の は 、 恒 に 自 分 も、この時ばかりは実家に て し て も ど う す る こ と も で の 父 母 を 始 め 七 代 も さ か の 帰り、ご先祖様をお迎えし きないだろう。﹂ ぼ っ て 供 養 し な く て は な ら 供養したのです。 ﹁ で は 、 ど の よ う に す れ ば な い 。 そ の た め に 毎 年 七 月 お盆は正式には ﹁ 盂 蘭 盆 ﹂ 母 を 救 え る の で し ょ う か ﹂ 十 五 日 に は 、孝 養 を 尽 く し 、 といい、インドの言葉﹁ウ と重ねて目連尊者は尋ねま 盂 蘭 盆 の 法 会 を 営 み な さ い 。 ランバナ﹂を音写したもの した。 仏 と 法 と 僧 と に 施 し な さ い 。 です。 ﹁ 目 連 よ 。 母 を 餓 鬼 道 か ら 養 育 の 恩 あ る 父 母 に 報 い な ご先祖様を迎えるためには 救 う た め に は 、 こ の 世 の 多 さ い 。 ま さ し く 仏 の 教 え で ﹁迎え火﹂を灯します。こ く の 僧 に 供 養 し 、 そ の 功 徳 あ り 、 こ れ を 守 り な さ い ﹂ れは家に帰ってくるための を も っ て 母 を 救 う し か な い 。 と説かれました。 道しるべの役割をします。 お盆には各家庭で﹁精霊 供えるのは、自分の子孫が 棚﹂といわれる棚をこしら 長く栄えるようにとの意味 えます。ナス・キュウリで、 からだと考えられます。 それぞれ牛と馬を作ります。 現在では、日本全国レジャ ご先祖様を迎えに行くとき ー期間となっているこのお は急いで馬で、お送りする 盆です。せっかく親類縁者 時は名残を惜しんでゆっく 一同が顔を合わせるのです りと牛で送るのです。 から、ご先祖様にも常日頃 また、水の子︵ナスとキュ の無沙汰を詫び、香を焚き、 ウリなどを細かく刻んだも 花を供えて供養して下さい。 の︶、それにミソハギと水 ︵閼伽水 あかみず︶は欠 かせません。前述のように 餓鬼に施すための供物です が、餓鬼は食物をそのまま 口にすることが出来ません。 餓鬼の口にも入るように、 ナス・キュウリなどは細か く刻みます。さらに閼伽水 で浄めてはじめて、餓鬼は 餓 鬼 と は 食物を口にすることが出来 先ほどから餓鬼という言葉 るのです。 がたくさん登場してきます。 精霊棚の飾り方は土地柄に 文字通り﹁餓えた鬼﹂とい 大きく左右されています。 う意味です。食物を摂ろう ホオズキや芽のある作物を としても炎と化して燃えて 供えたりもします。素麺を しまい、何も食べられず常 に餓えています。仏教には お 盆 の 行 事 日 程 に つ い て ◎七月 六道という考え方がありま 十三日∼十五日 す。天上・人間・修羅・畜 東京その他の県での棚経 生・餓鬼・地獄の事です。 二十日頃 この六道をグルグルと輪廻 新盆 二 ・年盆 諷誦文用紙配布 しているのが迷っている凡 ◎八月 夫です。 十一日 六道の中の地獄・餓鬼・畜 県内遠方区域棚経 生を三悪道と言います。葬 十二日 新盆二年盆棚経︵一日中︶ 儀の時に、庭先や墓地でグ 午前↓小柳地区︵万福寺︶ ルグルと三回巡るのを見た 午後↓成東︵地区外︶・東金 ことがある人も多いと思い 松尾地区 ます。これは、亡くなった 十三日 午前↓北の里・中谷 人がその三悪道には間違っ 井之内岡 ても生まれ変わらないよう 午後↓中谷の下岡・同浜 に願い、予めその三悪道を 六軒家・諏訪台 巡ってしまうのです。また、 十四日 午前↓宿関・宿の下岡 お地蔵さんのまわりを回る 井之内北浜 のは、お地蔵さんが三悪道 午後↓荒場瓜花・宿の下浜 まで足を運んで救いの手を 井之内南浜 差し伸べてくれるからです。 十五日 午前↓関の下岡・同浜 そのような性質からお地蔵 さんは別名﹁六道能化︵六 十八日 道を駆けめぐって救われな 勝 覚 寺 施 餓 鬼 会 午 前 八 時 ∼ 二十日 い人々を教化する︶﹂とも 万 福 寺 施 餓 鬼 会 午 前 九 時 ∼ 呼ばれています。 第二 回 関 東 八 十 八 カ 所 霊 場 巡 り 平成九年度分の護持費の納 入をお願い致します。現 在、屋外常設便所を新設中 です。その都合もあり、今 月中に地区の総代・世話人 が各家まで伺いますので、 よろしくご協力下さい。 仏足 石 建 立 行事予定 ︵会費千円︶ 後記 参加者募集のお知らせ 前号にも掲載しましたが、寺 七 月 今回はお盆にまつわる﹃救 同封別紙の如く、参加者を 島氏が観音像を建立して十年 3 日︵日︶お盆︵新暦︶ 抜焔口陀羅尼経﹄﹃盂蘭盆 1 募 集 い た し ま す 。 前 回 参 加 が経過しました。氏はそれを 0 2 日頃 諷誦文用紙配布 経﹄二つのお経の話を掲載 な さ っ た 方 は 勿 論 、 今 回 か 記念して、お寺のために役立 6 2 日︵土︶写経会 午後2時 しました。このように、仏 ら参加というのも可能です。 てて下さい、と多額の寄付を 八 月 教儀礼は全て何らかの由来 1 観光旅行とは違う、心の安 寄せられました。 1 日︵月︶棚経開始 があるものです。言葉をは 8 らぎを求める旅に出かけて そこで左写真のような、お釈 1 日︵月︶勝覚寺施餓鬼会 じめ、省略傾向にある現在 0 迦様の足跡を刻んだ仏足石を 2 日︵水︶万福寺施餓鬼会 みては如何でしょうか。 3 ですが、原点に立ち還って、 2 日︵土︶写経会 午後2時 ふ る っ て の ご 参 加 を お 待 ち 釈迦堂前に建立いたしました。 九 月 物事を見据えることも必要 来山の折には是非供養禮拝な しております。 3 日︵水︶夏のご縁日︵四天さま︶ ではないでしょうか。 さっ て 下 さ い 。 0 詳細は別紙参照のこと。 2 日︵土︶秋の彼岸の入り 由来を知っていてするのと、 3 御礼 2 日︵火︶彼岸の中日 そうではないのとでは、自 6 2 日︵金︶彼岸の明け 六月二十九日に、中谷の ずと姿勢や心持ち等も変化 7 日︵土︶写経会 午後2時 2 有 してしまいます。 ( 成 )東マイカーセンター ︵尾高伸幸 社長︶より、 写経 の す す め そういった事への、皆様か 境内整備及び清掃の為、軽 前掲の予定表の如く、月に らのご意見・ご質問等をお トラックを一台奉納してい 一度写経会を開催しており 待ちしております。お気軽 ただきました。誌面を借り ます。月に一度、僅かでは にお寄せ下さい。 合掌 ◎護持費納入のお願い て報告、御礼申し上げます。 ありますが、静寂な心を静 めた時間を持たれては如何 ﹃四天尊たより﹄第五号 でしょうか。 発 行 真言宗智山派勝覚寺 〒二八九︱一三 筆や用紙などは全てこちら 千葉県山武郡成東町松ヶ谷イ二〇五八 で用意しております。どう 電話 〇四七五︵八四︶〇二四八 FAX 〇四七五︵八四︶二四六二 ぞお気軽にお出掛け下さい。 編集 小杉秀文 また、霊場参拝者のお接待 のため、前回の巡拝旅行参 加者の方々に、数度に渡り ご奉仕頂きました。ご協力 ありがとうございました。
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