飼育下チンパンジーと野生チンパンジーの 行動目録の比較

飼育下チンパンジーと野生チンパンジーの
行動目録の比較
Comparative study of behavioral repertoires between captive and wild chimpanzees
廣澤麻里1 落合知美2 松沢哲郎2
(1 岐阜大学応用生物科学部
2
京都大学霊長類研究所)
目的 飼育環境では動物の行動が制限されるといわれている。動物の飼育環境を評価するためには、まず動物が発現する行動レパート
リーを知る必要があるだろう。今回は、チンパンジーの飼育環境を評価するうえで重要な行動目録を作成するために、すでに発表されている
行動目録を分析した。チンパンジーの行動目録については、Plooij 1984、Goodall 1989、Nishida et al. 1999の3つの論文がある。しかし、
それら3つの調査地域や観察対象、環境などは異なっている。そこで、これらの観察した条件の違いによって、行動レパートリーにどのような
差異がみられるのか、またその傾向について明らかにするために、前述の3つの行動目録を比較した。さらに、ビデオクリップをもとに作成し
た飼育下チンパンジーの行動目録を、これらと比較することで、飼育下チンパンジーの行動の傾向を明らかにした。また、飼育下チンパン
ジーの行動目録が、3つの論文とどの程度類似しているかを調べた。
比較するチンパンジーの行動目録についての論文
▲飼育チンパンジーの行動目録
Abstract
以降での表記
Plooij F. (1984) The Behavioral Development of Free-Living Chimpanzee Babies and Infants, Ablex Publishing Corporation,
Norwood, New Jersey. (Appendix の List of Abbreviations, Names, and Definitions of Behavior Categories より)
Plooij
Goodall J. (1989) Glossary of chimpanzee behaviors. the Jane Goodall Institute, Tucson.
Goodall
※J.グドール著 田中正之・松沢哲郎訳 (1992) チンパンジーの行動目録. 霊長類研究 8:123-152. も参考にした
Nishida
Nishida T. et al. (1999) Ethogram and ethnography of Mahale chimpanzees. Anthropological Science 107 (2):141-188.
方法Ⅱ. 4つの行動目録の比較
方法Ⅰ. 3つの行動目録の比較
分析対象
チンパンジーの行動目録について書かれ
た3つの論文
・Plooij 1984
・Goodall 1989
・Nishida et al. 1999
方法Ⅲ. 4つの行動目録の
類似性の分析
分析対象
3つの論文と飼育下チンパンジーの行動目録
分析対象
3つの論文と飼育下チンパン
ジーの行動目録
飼育下チンパンジーの行動目録は、チンパンジーの行動を記
録したDVテープ からビデオクリップを切り出して作成した。
記録方法 対象:京都大学霊長類研究所のチンパンジー14個体
(大人の男性3個体、子ども3個体を含む)
期間:2001年9月から2007年4月
撮影者:岐阜大学学生
撮影日:土曜日、日曜日
使用カメラ: SONY DCR-PC300
場所:屋外放飼場、サンルーム
DVテープ数:745本
方法
3つの行動目録の対応表作成
切り出し方法 DVテープ109本(6540分)から、306つのビデオクリップを作成した。
ひとつの行動が5~15秒程度になるように切りだした。
行動目録作成法 306つのビデオクリップを整理し、176項目の行動目録を作成した。
表は、行に各行動、列に4つの行動目録を配置し、各行
動目録で各行動が観察されたか否かを○×で記入した。
行動項目には、3つの行動目録のうちの最も細分化され
ているものにあわせた。
方法
4つの行動目録を比較(方法Ⅰと同様)
結果Ⅰ. 3つの行動目録の差異
3つの行動目録の項目数を数え、主な観察場所と
観察対象、対応項目数とともに表に示した(表1)。
3つの野生チンパンジーの行動目録間でみられる行動の項目数も、図に示した(図1)。
方法
1. 2つの行動目録間の類似度
を計算(6通りおこなう)
類似度は、「行動目録対応表」の2つの行動
目録間の各行動項目の○×の一致率から
計算した。
2. 統計ソフトSTATISTICAの
多次元尺度構成法を用いて類
似性についてのグラフを作成
This study aims to show captive
chimpanzees behavioral repertoire by
making a list from video clips, and then
comparing the list to previous studies
on chimpanzees behavioral repertoires.
Three papers about wild chimpanzee’s
behavioral repertoires (Plooij 1984,
Goodall 1989, Nishida et al. 1999)
were compared for this study. Some
differences were found according to
site location and age class of the
chimpanzees. Next, the behavioral
repertoire of captive chimpanzees was
recorded on video and compared with
those three papers. Last, this study
showed the similarities among all four
behavioral repertoires. It is concluded
that Goodall’s repertoire assumes a
numerical value near the average of
the other three repertoires’. None of
behavioral repertoires covers all
behaviors of chimpannzees.
結果Ⅱ. 4つの行動目録の差異
方法Ⅰで作成した3つの行動目録の対応表にビデオ
クリップから作成した行動目録(VideoClipと表記する)を対応させた。また、ビデオクリップから作
成した行動目録は観察場所と観察対象を左表に加えた(表1)。4つの行動目録間でみられる行
動の項目数は、図に示す(図2)。
表1. 行動目録対応表に占める各行動目録の行動項目数と主な観察内容
Plooij(1984)
Goodall(1989)
Nisida(1999)
VideoClip
行動項目数*
225
347
515
176
行動項目対応数**
249
370
536
184
観察場所
①タンザニア
ゴンベ
①タンザニア
ゴンベ
②タンザニア
マハレ
③京都大学
霊長類研究所
観察対象
野生個体の
幼児子ども
野生個体
飼育下個体
野生個体
飼育個体
③
▲タンザニア野生チンパンジー調査地
* 論文に含まれる項目数(ただし、説明文が同じで、項目名が異なるものは同一とみなした)
** 4つの行動目録を対応させ、最も細分化されている行動目録に合わせた項目数
Plooij固有
http://www.lib.utexas.edu/Libs/PCL/Map_collection/africa/tanzania_pol_2003.jpg
http://africa-rikai.net/maps/map_tanzania.gif から改変
▲京都大学霊長類研究所
サンルーム(上)、屋外放飼場(下)
Goodall固有
全749項目
鼻をこする (nose-gesture)
倒立する (standing on head)
指なめ (licking finger)
努力をする顔 (effort-face)
あごを胸下にさげる (chin on chest)
落ちる (falling)
青年期腫脹 (Adolescent swelling)
青年期 (Adolescence)
成熟 (Maturity)
月経(期間) (Menstruation)
唇ブーブー音 (Lip-buzz)
模倣 (Imitation)
求愛行動 (Courtship)
服従行動 (Submission)
幼児・子どもの
発声が目につく
常同行動 (Stereotypic behavior)
糞便芸術 (Fecal Art)
飼育下でのみ見られ
る行動が含まれる。
3つの論文の重複
死体を運ぶ (transport corpse)
アリを食べる (eat ants)
食料を運ぶ (transport food)
樹脂を食べる (eat resin)
2子を運ぶ (transport two offspring)
ハチミツを食べる (eat honey)
種子を食べる (eat seed)
行動が細かく分類さ
オオアリ釣り (fish for carpenter ants)
れている
シロアリ釣り (fish for termites)
3つの論文の行動項目数を数えたところ、それぞれ225、347、515項目
だった。また、それらから重複を除くと全項目数は749項目であった。
PlooijとGoodallの行動目録間にみられる差異は、観察対象の世代を限定
したか否かによるものである。
Nisihdaの行動目録は、他の2つの論文よりも行動が細分化されており、
最も多くの項目数が挙げられている。
結果Ⅲ. 4つの行動目録の類似性 行動目録対応表を作成し、4つの行動目録間
の類似度を求めた(表2)。また、それを2次元平面上にあらわした(図3)。
表2. 3論文とビデオクリップからの作成
した行動目録の類似度
Plooij
Goodall
Nishida
Plooij
―
Gppdall
0.3114
Nishida
0.2003
0.3769
―
VideoClip
0.1934
0.2890
0.2291
⇒
Nishida
VideoClip
Goodall
―
Plooij
―
ビデオクリップから作成した行動目録
(VideoClip)は他の3つの行動目録のい
ずれからも類似度が低かった(表2)。
また、Goodallは他3つの行動目録の要
素を併せもった行動目録だということが
わかった(図3)。
第23回霊長類学会
遊びの要素が目に
付きやすい
Plooij, Goodall, NishidaにあってVideoClipにない行動
交尾 (Copulation)
揺り籠 (Cradle)
木の葉へのグルーミング (leaf grooming)
遊動 (Travel)
VideoClip
図3. 3論文と飼育下チンパンジー
の行動目録の類似性
2点間の距離は2つの行動目録間の類
似性を表している。
上体反らし (Bend away)
ひきずる (Drug)
垂直跳躍 (Vertical leap)
かき寄せる (Rake)
3論文と飼育下チンパンジーの行動目録の重複
寝床作り (Nest)
腕伸ばし (Arm stretch)
グルーミング (Gooming behavior)
物乞い (Beg)
食事グラント (food grunt)
フル・オープン・グリン (a full open grin)
マウンティング (Mount)
かがみこみ (Crouch)
ペニスの勃起 (Penile erection)
スラスト (Thrust)
性皮検査 (Inspect)
体毛の逆立ち (Hair erection)
二足ふんぞり返り歩き (Bipedal swagger)
フー・コール (huu)
吸う(乳を) (Suckle)
旋回 (pirouette)
ブラキエーション (Brachiation)
ロッキング (Rocking)
お辞儀 (Bob)
突進ディスプレイ (Charging display)
平手打ち (Slap)
▼ 吸う(乳を)
図2. 3つの論文と飼育下チンパンジーの行動目録の重なり
⇒
Nishida固有
図1. 3つの論文の行動目録の重なり
⇒
綱渡り
座ったままの移動
指探索
生き物を捕まえて遊ぶ ▲生き物を捕まえ
噴水遊び
て遊ぶ
水鉄砲
ブランコ
電車ごっこ
バタ足
自叩
爪噛み
▲電車ごっこ
行動ではない項目が
含まれる。
睡眠スクリーム (dreamscream)
幼児期グラント (infant-grunt)
インファントバーク (infant-bark)
しがみつき (Cling)
咬む (Biting)
交尾 (Copulation)
ドラミング (Drum)
フル・プレイ・フェイス
(full play face)
プレゼンティング (Present)
指嗅ぎ (sniff-finger)
宙返り (somersault)
垂直登り (Vertical climb)
全782項目
VideoClip固有
①
②
飼育下チンパンジーの行動目録の項目数は184項目であり、そのうち3つの
論文にはみられない行動が33項目あった。
そのため、全項目数が782項目となった。
VideoClip固有の項目には、遊びの要素が多くみられた。
考察 本研究により、チンパンジーの行動をすべてカバーした行動目録はまだ完成されて
いないことがわかった。3つの野生チンパンジーの行動目録は、それぞれの観察した条件
が反映されたものであった。その条件とは、Plooijでは野生チンパンジーの赤ん坊と幼児
に対象をしぼって観察したこと、Goodallでは飼育下チンパンジーの行動を含んでいたこと、
Nishidaでは観察をおこなった地域が他と異なっていたことである。このため、すべてをカ
バーする行動目録を作成するには、その点も考慮するべきだろう。
3つの論文との比較により、飼育下チンパンジーの行動は、野生で報告されている行動と
共通するものがあることがわかった。一方、飼育下で観察された行動のうち、野生チンパン
ジーの行動目録に記述されていないものもあった。その中には、「綱渡り」や「噴水遊び」な
どの、飼育下でしかみられない行動や、「生き物を捕らえて遊ぶ」、「電車ごっこ」などのよう
に、野生でもみられる可能性のある行動も含まれた。飼育下での行動に、遊びの要素が多
くみられたのは、飼育下ではじゅうぶんな飼料を与えられることで、1日の大半を採食に費
やしている野生と比べて、遊びをはじめとする行動の時間配分が増えたためなのかもしれ
ない。
ビデオクリップから作成した飼育下チンパンジーの行動目録は、3つの論文との類似性が
低かったが、それは飼育下と野生の環境の違いからと考えられる。また、飼育下チンパン
ジーの行動目録にとって、Goodallの行動目録との類似度が高かったのは、Godallの行動
目録の中に飼育下チンパンジーの行動が含まれていたためと考えられる。飼育環境を評
価する基準となる行動目録は、野生と飼育下の行動を網羅する必要があるのかもしれな
い。
一般に飼育下の動物では、野生に比べて発現する行動レパートリーが乏しいといわれて
いる(松沢, 1996, 1999)。しかし、霊長類研究所では、高さ15mのタワーに渡された数本
のロープを利用して、水平方向に移動する「ロープ渡り」行動がみられた。この行動は、従
来の飼育施設では見られない光景である(落合, 1999)。このように、飼育下チンパンジー
の行動を、行動目録を通して野生チンパンジーと比較することで、飼育環境の特徴を捉え、
改善させていきたい。
謝辞
飼育下チンパンジーの行動を調査するにあたり、センターの飼育スタッフの皆様ならびに霊長類研究所の関係者の方々には、多大なご理解とご協
力をいただきました。また、岐阜大学動物遺伝学研究室の皆様には、分析の段階でお世話になりました。ここに深く御礼申し上げます。
そして、ビデオクリップ作成にあたり、岐阜大学ポケットゼミナールOB・OGの方々が記録したDVテープを利用させていただきました。ありがとうございました。
兼子明久 小林真人 児玉篤史 中山奈美 田中紫乃 兼子知也 近藤麻実 中森智昭 山川友佳 中島麻衣 宮脇慎吾 和田千里
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