情報証拠論(Information Forensics)確立のための基礎検討

04―01006
情報証拠論(Information Forensics)確立のための基礎検討
代表研究者
林
紘一郎
情報セキュリティ大学院大学副学長
共同研究者
河
合
幹
雄
桐蔭横浜大学法学部教授
〃
土
井
洋
情報セキュリティ大学院大学教授
〃
内
田
勝
也
情報セキュリティ大学院大学助教授
〃
藤
村
明
子
NTT 情報通信プラットフォーム研究所
〃
岡
田
好
史
専修大学法学部助教授
〃
伊
藤
敬
也
青山学院大学法学部専任講師
〃
石
井
夏生利
情報セキュリティ大学院大学助手
1 研究調査の目的
現在の法体系は有体物を中心に構成されており,情報という無体のものは(知的財産制度においてさえ),主
として有体物に体化された時点で(あるいは体化したものと擬制して)法的地位を与えられてきた。
しかし,現代社会においてコンピュータは企業や個人の活動に欠かせないものになっている。実体法の観点か
らは,窃盗や詐欺(主として刑事面)・個人情報の漏洩(主として民事面)などの現象においては,無形の情報
それ自体が,社会に大きな影響を与える法的存在になっている。
また,人々の活動が,コンピュータをベースに行なわれるとすれば,それらの活動に何か問題が起きたときに
関わってくる証拠収集という面でも,コンピュータへの配慮が欠かせない。
たとえば,ソフトバンク社が総務省を相手取って提起した,800Mhz 帯の割り当て差止の事件に関連して,電
子メールすべての保全の仮処分を求めた(文書破棄等禁止仮処分)と報じられている。仮処分の成否はともかく,
裁判の両当事者が手持ちの証拠をお互いに開示して事実の存否を争うものだとすれば,紛争に関係する電子メー
ルについても,相手方当事者に開示をしなければならないという考え方も成立し得る。現に,アメリカでは,事
件に関連する電子メールについての開示を相手方が自動的に求めることができ,そのデータの保全・分析・収集
のためにコンピュータの専門家が活用されている。このような手続を E-ディスカバリ(電子開示手続)といっ
て,現代的なトピックになっている。
この点,わが国では,民事訴訟法上の証拠収集手続が拡張される傾向にあり,プロバイダ責任制限法を通じて,
一定程度の情報開示は進んでいる。またサイバー犯罪条約の署名に伴い,ログを証拠として保全することが想定
されつつある。しかし,ディスカバリという制度自体が存在しないことに加えて,コンピュータと法の関係を専
門に扱う学者や実務家が極めて限られることから,forensics とりわけ Information Forensics に関する研究は極
めて限られている。
このように,情報に関する法的取扱いは,特に,犯罪捜査や民事上の証拠の収集などの手続的な点において,
ほとんど検討がなされてこなかった。いかに組織犯罪を取り締まるための刑法上の規程を整備しても,その証拠
が集まらないようでは,法の実効性がおぼつかない。
そこで,本研究では,科学捜査で蓄積された手法や知見を生かすとともに,最近登場しつつある forensic 用
ソフトウェアも検証しつつ,情報証拠論(Information Forensics)という学問分野(情報という無体のものを,
証拠として活用するための手法や条件を検討する学問分野)を確立するための,予備的考察を行なう。また,こ
うして確立された手法を使えば,企業における文書や書類の管理,アクセス制御,不祥事の事前防止や発見・解
明など,いわゆるコンプライアンスに役立てることも期待される。
― 17 ―
2 研究方法
(1)研究計画
情報という無形のものを,法体系の中にどう位置づけるかは,情報社会においては重要なテーマであるが,こ
ういった研究はきわめて限られていた。研究代表者の林は,現行法において,情報が法律上の行為の客体として
どのように取り扱われているかを,体系的に分析するという研究を行なってきた。ただし,これは実体法的アプ
ローチを中心としており,手続法の中で,情報をどのように位置づけるかに関する研究は,極めて乏しい。そこ
で,本申請に当たっては,以下の方法に基づき,研究を行なうことを計画した。
文献調査
このテーマの内外の動向としては,次のようなものが存在する。
①
科学捜査について。
純粋技術的なもののみならず,社会との関連をも視野に入れたものとして,内外ともに多数の研究がある。
_
アメリカでは,学会(AAFS: American Academy of Forensic Sciences)や司法省,FBI(Federal
Bureau of Investigation)に多くの蓄積がある。
`
日本でも,警察政策学会(http://www.asss.jp),日本刑事政策学会(http://www.jcps.or.jp),日本犯
罪心理学会(http://wwwsoc.nii.ac.jp/jacp2),日本犯罪社会学会(http://www.scj.go.jp/gakkai/
html/0576.html)
,警察庁科学警察研究所(http://www.nrips.go.jp/)など,対応する組織と蓄積がある。
a
海外の政府・団体では,主に犯罪の観点から forensics に関連した文書が,数多くウェブに登録されて
いる。
Forensic Examination of Digital Evidence: A Guide for Law Enforcement(アメリカ司法省)
Handbook of Forensic Services 2003(アメリカ・FBI)
The ACPO Good Practice Guide for Computer based Electronic Evidence(イギリス)
Guidelines for the Management of IT Evidence(オーストラリア)
b
Forensics に関連した主なウェブサイトとしては以下のようなものがある。
American Academy of Forensic Sciences(AAFS)
(http://www.aafs.org)
American Society of Crime Laboratory Directors(ASCLD)
(http://www.ascld.org/)
Association of Forensic Quality Assurance Managers(AFQAM)
(http://www.afqam.org)
Digital Forensic Research Workshop(DFRWS)
(http://www.dfrws.org/)
International Organization on Computer Evidence(IOCE)
(http://www.ioce.org/)
本研究では,これらの先行研究について,幅広くサーベイを行なう。なお,わが国でのこうした分野の先駆的
書物と言えるのは,大橋充直『ハイテク犯罪捜査入門―基礎編―』(東京法令出版,2004年)であることから,
大橋氏に出講依頼を行うことにした(なお,現在は,『ハイテク犯罪捜査入門―捜査実務編―』(東京法令出版,
2005年)も出版されている)。
先例調査
フォレンジックに関する研究を行なっている個人又は組織(政府機関,大学,コンサルタントなど)などと接
触を図り,現状や今後の展開などについての方向性を調査する。
ソフトウェアの機能調査
海外で利用されている forensic 用ソフトウェア(製品版,フリーソフトウェア)の調査を行ない,その機能
を評価する。
暗号理論との交錯
電子データを捜査資料や民事上の証拠として採用できるか否かは,その真正性が証明できるかどうかにかかっ
― 18 ―
ている。そこで,暗号理論の専門家の力を借りて,真正性担保の面からも検討する。
証拠論としての方法論の検討
以上の知見を前提にして,情報証拠論として体系化の可能性,体系化に必要な条件などについて総合的な考察
を行なう。
また,国内での情報証拠を考えるだけでなく,国際的な連携や比較法的考察を含めた,情報証拠のあり方につ
いての考察を行なう。
(2)
研究内容
以上の計画に基づき,本研究メンバーは,次のような方法で,研究を進めてきた。
①
研究会の開催
本研究会は,2005年2月から2006年1月にかけて,以下の内容・テーマで検討を行なってきた。これらの研究
の目的は,_情報証拠論確立のための基礎知識を共有すること,及び,`暗号技術,ソフトウェア,情報セキュ
リティ関連の法律が,フォレンジクスに対してどのように貢献できるかを考察することにある。
第1回
2005年2月18日14時〜16時
研究代表者林より,本研究会の概要説明があり,今後の進め方についての議論を行なった。
第2回
2005年3月28日13時〜15時
共同研究者岡田より,「サイバー犯罪とその刑事法的規制」に関する報告があった。主に刑事実体法の側面
から,電子データがどのように取り扱われているかについて,議論を行なった。
第3回
2005年4月22日18時30分〜21時
共同研究者内田より,アメリカのガイダンス・ソフトウェア社の「エンケース」の使い方に関する実演報告
があった。ソフトウェアを用いて取得したデータを,裁判実務にどのように生かすことができるかという点
が,今後の課題となった。
第4回
2005年6月3日18時30分〜21時
研究代表者林より,「情報の法的保護,情報をめぐる権利論」に関する報告があった。そもそも情報という
ものが,法律上どのように位置づけられているかについて,主に民事的側面からの議論を行なった。
第5回
2005年7月8日18時30分〜21時
共同研究者河合より,「刑事事件と匿名性」に関する報告があり,最近の刑事事件に見られる種々の特徴に
ついての議論を行なった。
第6回
2005年9月30日18時30分〜21時
共同研究者土井より,「暗号技術がどこまでできるか」に関する報告があり,電子認証技術の実現できる範
囲について,議論を行なった。
第7回
2005年10月28日 18時30分〜21時
成蹊大学法学部教授の城所岩生氏を講師に迎え,「アメリカパトリオット法と証拠収集」に関する報告をし
ていただき,内容についての議論を行なった。
第8回
2005年12月1日18時30分〜21時
セコム株式会社の金岡晃氏を講師に迎え,「フィッシング詐欺とフォレンジック」に関する報告をしていた
だき,内容についての議論を行なった。
第9回
2006年1月30日18時30分〜21時
これまでの研究の集大成として,2006年2月4日に,「情報セキュリティとフォレンジクス」と題するシン
ポジウムを実施することとし,それに関する打合せを行なった。
②
特別講演・インタビュー等
2005年10月20日には,検察官の大橋充直氏を講師に迎え,ハイテク犯罪捜査全般についての講演をしていただ
いた。この中で,電子ファイルの証拠問題として,写しの証拠能力,押収できるデータの範囲,電子データの押
収手続,原本と写しの同一性,電子データの取調べ方法などの実務的問題点が紹介された。
この他,研究代表者林は,NPO 法人デジタル・フォレンジック研究会に参加し,また,フォレンジクスやセ
キュリティに関心を寄せる研究者・実務家へのインタビュー,意見交換などを定期的に行なっている。
― 19 ―
(3)集大成としてのシンポジウム開催
本研究会では,これまでの研究結果を踏まえ,2006年2月4日,情報セキュリティ大学院大学にて「情報セ
キュリティとフォレンジクス」というシンポジウムを開催した。この中で,研究代表者及び各共同研究者は,そ
れぞれの専門分野とフォレンジクスとの関わりを中心に,次のとおり,報告を行なった。
2006年2月4日10時〜12時30分「情報証拠論(フォレンジクス)研究会の中間報告」
「成果と副産物」
林
紘一郎
「犯罪と証拠:参審制を見据えて」
「ハイテク犯罪と捜査」
土井
幹雄
内田
勝也
岡田好史
「フォレンジック・ソフトの現状」
「認証と証拠」
河合
洋
「技術的な信頼性と証拠」
藤村
明子
「電磁的記録の法的地位」
石井
夏生利
研究代表者林は,本研究の目的,メンバー,方法を紹介した上で,本研究の成果として,①フォレンジクスの
現況を知った,②現行の手続法が基本であることを再認識した,③学際的な広がりがあることを認識した,④他
の研究組織等と交流した点を挙げた。その上で,林は,フォレンジクスについて,証拠論のみならず,情報セ
キュリティ法を体系化する上で重要な役割を果たすこと,及び,電磁的記録の機能と役割にも関連することを指
摘した。
共同研究者河合は,裁判員制度の導入によって,市民の IT 知識で問題を裁くことへの問題点を述べた。そし
て,人の行動を時系列で把握し,刑事事件で証拠を確保するためには,タイムスタンプが重要な役割を果たすこ
とを指摘した。
共同研究者岡田は,サイバー犯罪及びその検挙率を説明した上で,1987年及び2001年の刑法改正,及び,「犯
罪の国際化及び組織化並びに情報処理の高度化に対処するための刑法等の一部を改正する法律案」を紹介した。
この中で,岡田は,電磁的記録に関する刑事手続の特徴として,①対象が「有体物」ではなく「情報」であるこ
と,②電磁的記録の不可視性・非可読性,③データ処理の大量性・高速性・即時性・集中性を挙げ,作成過程が
文書とは異なる点に着目している。
共同研究者内田は,フォレンジック・ソフトウェアの現状として,まず,フォレンジクスは,訴訟のほか,企
業内の規則や,企業間の契約違反の場面でも問題となることを述べた上で,社内でフォレンジック・ソフトウェ
アを用いる際は,企業内部の規則(セキュリティポリシー等)を十分に事前告知する必要があると注意喚起した。
そして,ソフトウェアの抱える問題点として,①ディスク容量,②情報取得の客観化(誰がどのような方法で情
報を取得するか)
,③文字コード(日本語を検索しても発見されないおそれ)等を挙げた。
共同研究者土井は,暗号理論・技術の歴史,暗号技術と認証,暗号系のモデル,秘密鍵と証拠,状況に応じた
認証の実現方式,応用例を説明した。結論として,暗号技術・認証技術の安全性の確立,第三者検証の要/不要,
証明技術の確立に触れた上で,性能向上,方式危殆化時の対応といった問題点を提示した。
共同研究者藤村は,技術的な信頼性と証拠について,フォレンジクスが広がる背景,具体的対策,暗号の安全
性と証明,個人情報保護法,電子署名法,e文書法など,技術と法律の両面から幅広い報告を行なった。そして,
藤村は,「安全性」の考え方について,法律家と技術者の間には相違があること,全てを同じ「暗号」として捉
えるのではなく,それぞれの性質(情報理論的安全性,計算量的安全性),アルゴリズムの種類や,使い方(乱数
と後処理のやり方)によって,状況に差異ができるという認識を持つことが重要であるとした。その上で,こう
した考え方を法的にどのように位置づけていくかという点が,課題であると指摘した。
共同研究者石井は,有体物と無体物を結びつける概念である「電磁的記録」に着目し,主に,手続法における
電磁的記録の役割を中心に,その法的地位とフォレンジクスの関係を報告した。この中で,石井は次のように述
べた。裁判官の心証形成は,電磁的記録の入出力や内容の正確性に依拠するが,電磁的記録は,改変が容易であ
るため,その対応策が必要である。そこで,書換不可の保存媒体に保存することや,改変・削除した場合に履歴
が残るソフトウェアを使用するといった方法などが考えられる。現在のところ,フォレンジクス技術と証拠力に
対する法律実務家の関心は低いため,今後は,特に裁判官を交えた議論が必要である。
また,午後の部では,「情報セキュリティ技術と法」というテーマで,以下の講演者に講演をしていただいた。
― 20 ―
13:30〜14:00
「最近の国際標準化の動向とわが国における議論」
14:00〜14:30
「情報セキュリティ法の機能と問題点」
14:30〜15:00
情報セキュリティ大学院大学客員教授
苗村憲司
英知法律事務所所長・弁護士
岡村久道
「情報セキュリティの2つの文化」
情報セキュリティ大学院大学兼任講師
15:00〜15:30
「情報セキュリティ法の体系化」
情報セキュリティ大学院大学副学長・教授
16:00〜17:30
司会
名和小太郎
林紘一郎
パネルディスカッション「情報セキュリティの技術と法」
明治大学法学部教授・情報セキュリティ大学院大学兼任講師
パネリスト:苗村憲司
名和小太郎
岡村久道
大野幸夫
林紘一郎
3 本研究の到達点
本研究会は,「本研究の目的・意義」の前段として,次のように述べた。
「現在の法体系は有体物を中心に構成されており,情報という無体のものは(知的財産制度においてさえ),
主として有体物に体化された時点で(あるいは体化したものと擬制して)法的地位を与えられてきた。しかし,
窃盗や詐欺(主として刑事面)・個人情報の漏洩(主として民事面)などの現象においては,無形の情報それ自
体が,社会に大きな影響を与える法的存在になっている。
」
フォレンジクスは,無形の情報を証拠化するという点で,情報セキュリティ法の中でも手続論と深い関係を持
つものである。その前提として,まずは,情報セキュリティ法の体系化を試みることが必須である。
情報セキュリティ法の体系化については,林・石井(一部)共著の「秘密の法的保護―情報セキュリティ法体
系化への第一歩」(サイバー・セキュリティ・マネジメント2005年6月号〜10月号)において,大まかな道筋を
示すことができた。これは,セキュリティを,①秘密性(Confidentiality),②完全性(Integrity),③可用性
(Availability)の観点から分類した場合,①に該当するものである。
林は,これを敷衍した「『秘密』の法的保護と管理義務:情報セキュリティ法を考える第一歩として」(富士通
総研(FRI)研究レポート第243号)を発表し,体系化へのさらなる研究を進めている。この論文の中で,フォ
レンジクスは,電子署名・電子認証法とともに,完全性の1つに位置づけられた。
共同研究者石井は,「電磁的記録の法的地位」
(情報通信総合研究所 InfoCom REVIEW 第39号)の中で,実体
法及び手続法における電磁的記録の位置付けを,次のような観点から総合的に検討した。
「1990年代中葉以降,インターネットが飛躍的発展を遂げた後,いまや,『いつでも,どこでも,何でも,誰
でもつながる』ユビキタスネットワーク社会が到来している。
それに伴い,書面が中心であったアナログ時代から,デジタル時代へと移行し,有体物を前提に制定・運用さ
れてきた法律の中にも,『電磁的記録』という言葉が多く用いられるようになった。本稿は,この『電磁的記録』
が,法体系の中で占める機能と地位を考察することにより,コンピュータ・ネットワークが一般化した現状に対
して法がどのように対応しているか,その現状と問題点の把握に資するものである。
」
その結果,電磁的記録の機能と残された問題点として,次のようにまとめた。
「ユビキタスネットワーク社会と呼ばれるようになった現在において,情報の安全性,すなわち情報セキュリ
ティに関する法制度のあり方を考察することは,非常に重要なテーマとなっている。電磁的記録をめぐる法的問
題は,有体物中心であった従来の法体系と,情報に関する法体系に接点を与えるという意味を持ち,情報セキュ
リティ法の中でも中心的な位置づけを持つと言ってよい。
そして,以上見てきたところによると,電磁的記録は,実体法的にも手続法的にも,その法的地位を承認され
るようになってきている。特に,電子認証とともに,タイムスタンプが普及すると,電子データの真実性,存在
証明のみならず,積極的な非改ざん証明まで行うことができるようになるため,電磁的記録が,文書以上の機能
を発揮する可能性も存在する。
しかし,電磁的記録は,その性質上,直接的な可視性,可読性を持たず,出力してはじめて見読可能な書面を
作成することができる点で,いまだ『書面に代わるもの』という地位を脱していない。また,電子署名やタイム
スタンプも,電磁的に作成された記録をそのままの形態でどこまで保管・保存することが可能であるかについて,
― 21 ―
解決すべき課題を残している。
特に,訴訟の場面では,勝敗の帰趨を決するのは証拠であり,それは,裁判官の五官の作用によって認定され
るものである以上,可視性,可読性を持たない電磁的記録の訴訟法上の取扱いには,これまで以上の検討が必要
である。
このように,電磁的記録にも文書・書面にも一長一短があるため,両者の長所を生かす形での共存を考えるこ
とが肝要と思われる。」
フォレンジクスという概念を,コンピュータに保存された情報の証拠性を確保しながら調査・解析することと
捉えた場合,この概念は,手続法の中でも,特に,電磁的記録と証拠力の場面で深い関係を持つことが明らかと
なった。
以上のとおり,1年間の検討を通じて,本研究会は,情報セキュリティ法におけるフォレンジクスの役割の概
要を把握することができたといえる。
一方,共同研究者内田は,法律分野に特化しない形で,フォレンジクスの体系化を試みている。
内田は,情報セキュリティ大学院大学向山宏一とともに,情報処理学会第67回全国大会において,
「Information Forensics(情報法科学)体系化を目指して」というテーマで報告を行なった。
この中で,フォレンジクスのライフサイクルは,4段階に分析された。
・計画段階
ポリシーの策定,手続作成,教育・訓練
・証拠収集 収集方法として,リアルタイムの収集と保存データの取得が考えられる。ここでは,証拠として
の役割を果たす形での収集が必要である(ハッシュ値,時刻など)
。
・証拠分析
時系列分析,秘匿データ分析。
・報告書作成
報告書の作成及び収集した証拠の開示(プレゼンテーション)
ここでは,収集作業を記録(誰が,何時,何処で,何を,どの様に)する。客観化,信頼性,
正確性を確保し,客観的で,見やすい報告書の作成が大切である。
この4段階のうち,証拠収集の際の注意事項,証拠分析の方法は,次のようにまとめられた。
「証拠データの種類
・ハードディスク等に保存されているデータを収集する場合。
・ネットワーク上やメモリー上にしかないデータを収集する場合。
取扱上の注意事項
・機器の電源がオンの場合とオフの場合で,取扱いは異なる。
・機器のバッテリーがなくなるとデータも消去されてしまうものには,最新の注意が必要。
・パスワード等の情報が付箋紙等に書かれており,ディスプレイやキーボードの裏側に貼ってあることがある
ので,それらの収集も忘れないこと(アナログ情報の収集も必要)
。
・機器の配置写真,被害者,加害者などの位置関係も必要な場合には記録しておくこと。
・写真が証拠にならない場合もあるが,捜査段階での貴重なドキュメントになる。
・証拠データの複製は,可能であれば2つ取る。原本(オリジナル)は保存する。分析はコピーで行う。
・証拠収集時刻,データの完全性を保証できるように収集する(最近のソフトウェアではデータのハッシュを
取る仕組みを備えている)
。」
「時系列分析
・イベントの発生日時の決定に有効で,イベント発生時刻と個人との関係に利用する。
・以下の2つの方法がある。
・最終修正時刻,最終アクセス時刻,作成時刻,変更状況等のタイムスタンプ(時刻,日付)のレビュー。例
えば,ファイル内容が最後に変更された日時。
・システムやアプリケーションのログのレビュー。色々なログが利用される。セキュリティログでは,ある
ユーザ名とパスワードがシステムへのログインにいつ利用されたかを調査する。
データ秘匿分析
・データを秘匿することは可能であるが,データ秘匿分析は,秘匿されたデータの検出,回復に有用である。
・データ秘匿分析には以下のような方法がある。
ファイルヘッダーと拡張子の関係からデータ秘匿を探しだす方法。
― 22 ―
パスワードの設定,暗号化,圧縮ファイルなどを全てアクセスする。これらは無権限者からデータを秘匿し
ようとしている。
ステガノグラフィ。
HPA(Host Protected Area)へアクセスする(HPA:ハードディスク内に重要なデータやアプリケーション
保存用の保護エリアで,OSが損傷された場合でもコンピュータが稼動できるようにする目的で作成され
た)。」
これらの検討をもとに,内田は,最終的に報告書を作成する段階に入った際の問題点として,アメリカの裁判
所では,提出された証拠を検証することが可能である点と比較して,「国内では,一般の者が裁判対応のための
資料をどの様に作成すれば良いかよく分からない。実際の裁判に提出された証拠書類をみることもできない。」
と述べている。
以上のような認識を踏まえ,内田は,フォレンジクスについて,企業・組織における監査の延長としての観点
から,裁判対応まで考えることが重要であるとし,その体系化を実現するためには,コンピュータや,IT 関連
法に関する幅広い知識,情報セキュリティマネジメントの経験などが必要だと述べて締めくくった。
以上のほかに,本研究会は,フォレンジクス用ソフトウェアや,暗号技術の果たす役割についての概要を共有
することができ,証拠収集・活用技術を今後の裁判実務に生かすための基礎的な検討は達成できたと考えている。
さらに,各回の研究を通じて,フォレンジクスの理論は,学際的な広さを持つことを再認識した。
4 今後の課題
今後の課題は,フォレンジクス技術をさらに発展させ,裁判実務に結実させるということである。
訴訟の勝敗は,自分に有利な証拠をいかに効率的に集めて,裁判所の有利な心証を得るかという点にかかって
おり,現在でも,裁判実務は,紙の証拠に重きを置く傾向にある。しかし,インターネットの飛躍的発展から約
10年を迎えた現在,電子データの証拠能力・証拠力は,無視できない状況となっている。そのような意味で,情
報の証拠性を確保するためのフォレンジクス技術は,裁判実務と切り離すことはできない。そして,この技術は,
電磁的記録の入力・出力や,改変していないことを,裁判官に説得的できるようなものでなければならない。
一方,現時点でもなお,フォレンジクスの考察は,ソフトウェアやシステム論が先行している。法律の分野で
は,一部の研究者が関心を寄せているに過ぎず,法曹実務家の関心は極めて低いと言わざるを得ない。そのため,
技術者側は,いかなるソフトウェアやシステムであれば,裁判実務に生かすことができるかという勘所を把握で
きていない状況にある。内田,藤村,石井が指摘するように,法律家と技術者が協力して,電子データの安全性
や証拠力に対する認識を一致させることが必須である。あわせて,訴訟記録の閲覧・謄写制度のさらなる充実,
E-ディスカバリの実現を目指す必要がある。
なお,技術の分野自体も,いまだ未熟な点を残しており,フォレンジクス技術確立に向けた継続的な研究を行
わなければならない。
そこで,今後は,次に掲げる方法を取ることによって,フォレンジクスを実りある理論として確立することが
肝要である。
・技術者と法曹実務家が連携することによって,心証形成とそれを実現する技術に関する検討を深める。
・ソフトウェア,暗号理論をフォレンジクスに生かすための研究をさらに集大成する。
・アメリカのケースを収集,整理し,日本の動向と比較検討する。
あわせて,中間報告で述べた以下の方法も継続していきたい。
・日本での経験を共有するため,同種のテーマを扱う学会,NPO 法人の活動などに積極的に参加する。
・通信傍受だけに的を絞った考察が可能かどうか検討する。
・中間的な成果であっても外部発表し,意見交換を積極的に行う。
― 23 ―
〈発
題
名
表
資
料〉
掲 載 誌 ・ 学 会 名 等
発 表 年 月
林紘一郎「『秘密』の法的保護と管理義
務:情報セキュリティ法を考える第一歩と
して」
富士通総研(FRI)経済研究所研究レポー
ト No.243
2005/10
林紘一郎「成果と副産物」
情報セキュリティとフォレンジクス(シン
ポジウム)
2006/ 2
林紘一郎「情報漏洩の管理責任に関する法
的考察:ケース・スタディ」
セキュリティマネジメント学会第20回大
会
2006/ 6
河合幹雄「犯罪と証拠:参審制を見据えて」
情報セキュリティとフォレンジクス(シン
ポジウム)
2006/ 2
土井洋「認証と証拠」
情報セキュリティとフォレンジクス(シン
ポジウム)
2006/ 2
内田勝也「フォレンジック・ソフトの現状」
情報セキュリティとフォレンジクス(シン
ポジウム)
2006/ 2
内田勝也・向山宏一「情報法科学(lnfor
mation Forensics)体系化を目指して」
情報処理学会第67回全国大会
2005/ 3
内田勝也「情報法科学(lnformation
Forensics)」
RSA Conference 2005
2005/ 5
藤村明子「匿名性と情報セキュリティ〜技
術と社会モデル」
第9回コンピュータ犯罪に関する白浜シン
ポジウム
2005/ 5
藤村明子「技術的な信頼性と証拠」
情報セキュリティとフォレンジクス(シン
ポジウム)
2006/ 2
岡田好史「ハイテク犯罪と捜査」
情報セキュリティとフォレンジクス(シン
ポジウム)
2006/ 2
石井夏生利「電磁的記録の法的地位」
情報セキュリティとフォレンジクス(シン
ポジウム)
2006/ 2
石井夏生利「電磁的記録の法的地位」
情報通信総合研究所 InfoCom REVIEW 第
39号
2006/ 3
― 24 ―