ワールドカップ南アフリカ大会の歴史的意義と観客調査

ワールドカップ南アフリカ大会の歴史的意義と観客調査
近畿大学 山下雅之
1目的
この報告の目的は、ワールドカップ南アフリカ大会の歴史的意義を明らかにするとともに、同大会で実施
した観客調査の結果を報告することにある。2002年ワールドカップ日韓大会から開始した国際的なサッカー観客
の比較調査も今回で4度目となった。2004年ユーロポルトガル大会、2006年ワールドカップドイツ大会に続くも
のである。韓国日本でのワールドカップ開催はアジア初ということでまさに画期的であったが、今回の南アフリカでの開
催はさらに画期的である。日本・韓国という社会資本、政治体制の整った国での開催と異なり、20年ほど前までアパル
トヘイト体制がしかれていた国である。当時は国際サッカー連盟からも除外されており、多くの先進国からの経済封鎖も
受けていた(ただし日本は例外的に経済関係を保っていたのだが)。国際的な舞台に復帰にしたのは1992年である。
2方法
本大会の歴史的意義を明らかにするため、アフリカサッカー界の現状、Blatter 体制下のFIFAの方針、
南アフリカにおけるアパルトヘイトとスポーツとのかかわりなどに関する文献や新聞・雑誌記事、あるいは
テレビ番組などを参考にする必要がある。また観客調査では、これまでに行ってきた調査項目に基づいた質
問票を継続的に利用し、観戦者の年齢、性別、国籍、居住地、学歴、職業、収入などのデータを取った。
開催国南アフリカにおいて、ワールドカップ開催とはいかなる意味を持ったのか。これを考える上で、南
アサッカーの歴史が重要なヒントを与えてくれる。アパルトヘイト下にあった1960年代、複数あるプロ
サッカーリーグのうちでは、なんと人種の壁を越えたものが存在したのである。駅やトイレからレストラン
まで入り口を分け居住地域を分離したあのアパルトヘイト時代にである。白人中心に組まれていた選手層の
中へ黒人を入れることによって、より多くの観客にアピールするそんなサッカーチームが現れて、大人気と
なった。つまり差別され、人口の大半を占める黒人たちがこのチームを熱狂的に応援することになり、その
サッカーリーグがたいへん盛り上がった。しかしこのリーグは、アパルトヘイト政権の圧力のため下火にな
っていく。法律上で人種混合チームを作ることが禁止されていたわけでなかったため、政府が取った圧力は、
試合を行う公営のスタジアムをこれらチームの試合に貸さないという、あくどい方法であった。
3結果と結論
観察の結果、今回の大会では、各国サポーターに大きな違いがみられた。総じて各国ごとによるサポータ
ー数の多寡が顕著であったと言える。ヨーロッパでのこれまでの大会でも見られたが、オランダやイギリス、
ドイツなど多くのサポーターを送り込む国があるかと思えば、それほどでもない国もある。またとりわけ今
回目立ったのが中南米の国々からのサポーターであり、とくに実際観察できたのはメキシコであった。観光
バスを何台もしたてて押し寄せる人々もいれば、10名ほどが乗れるレンタカーにギュウギュウになってや
ってくるサポーターなど、なぜこれほど多いのか。対戦相手となった同じグループの南アフリカは開催国だ
し、フランスは前回準優勝で前評判が高い。これらを圧倒するほどの多くのサポーターがラテンアメリカか
らやってくるのである。しかも彼らの会場での様子は、組織されていないのに息がぴったり合っている。
これに比べて意外だったのは、アフリカチームサポーターの少なさである。カメルーン、ナイジェリア、
アルジェリアの3チームを見たが、数の少ない日本人サポーターを下回るのではというほどの少なさ。同じ
アフリカ大陸の大会を盛り上げる意味でも、距離的にどのエリアからより近いということからも、もっと大
挙して押し寄せると思っていた期待は見事に裏切られた。その原因としてどのような理由が考えられるのか、
日本人サポーターの特徴と合わせて考察を行いたい。
文献:Paul Darby, Africa, football and FIFA : politics, colonialism and resistance, 2002