第 35 回 日本ケルト学会 研究大会 プログラム 日時 2015 年 10 月 17 日(土) ・18 日(日) 会場 慶應義塾大学 日吉キャンパス 来往舎2階 大会議室 大会責任者 (連絡先) 辺見 葉子 [email protected] 大会参加費 一般 1,000 円 学生 無料 懇親会費 一般 5,000 円 学生 2,000 円 第 35 回 日本ケルト学会 大会プログラム 12:30 〜 10 月 17 日(土) 受付開始 13:00 〜 13:10 開会挨拶 (原 聖氏) 13:10 〜 13:55 個別報告 1 Excommunication and Reconciliation in Buile Suibhne 報告: Patrick Paul O'Neill 氏 司会: 辺見 葉子氏 13:55 〜 14:40 個別報告 2 『シェンハス・モール』の 7 世紀一括制定説をめぐって 報告: 廣野 元昭氏 司会: 永井 一郎氏 14:40 〜 15:00 休憩 15:00 〜 15:45 個別報告 3 John Morris-Jones の 『カムリ語正書法』 と 『ケルズ・ダヴォッド』 ( 韻律規則集 ) — カムリ語正書法成立における韻律規則「カングハネズ」の重要性 報告: 小池 剛史氏 15:45 〜 16:30 個別報告 4 なか 司会: 永井 一郎氏 くに J. R. R. トールキンの中つ国(ミドル・アース)におけるマイノリティ言語 — Dunlendish 報告: 辺見 葉子氏 司会: 小路 邦子氏 16:30 〜 17:15 個別報告 5 トマス・ペナントの旅行記に現れた愛国者たち — オワイン・グリン・ドゥールを中心に 報告: 吉賀 憲夫氏 17:30 〜 懇親会 司会: 森野 聡子氏 慶應義塾大学 日吉校舎 ファカルティ・クラブ 10 月 18 日(日) 9:30 〜 受付開始 10:00 〜 10:45 個別報告 6 Saga af Tristram ok Ísodd およびその関連作品おける女性達 報告: 林 邦彦氏 司会: 田邉 丈人氏 10:45 〜 11:00 休憩 11:00 〜 12:30 基調講演 マロリー以降――『アーサーの死』の出版と中世復興と大英帝国 報告: 不破 有理氏 司会: 小路 邦子氏 12:30 〜 13:30 昼食 13:30 〜 13:45 総会 13:45 〜 16:45 フォーラム・オン 司会:渡邉 浩司氏 メインテーマ: 近現代のケルト文化圏におけるアーサー伝承の位置づけ 報告 1 アイルランド語文学におけるアーサー王伝承 報告: 平島 直一郎氏 報告 2 中世文学の再発見と「ケルト共同体」の創出 報告: 梁川 英俊氏 報告 3 ウェールズのアーサー物語における「ケルト性」の問題 報告: 森野 聡子氏 16:45 –2– — アイルランド、ウェールズ、ブルターニュの事例から 閉会挨拶 (永井 一郎氏) 基調講演 マロリー以降 —『アーサーの死』の出版と中世復興と大英帝国 After Malory, and more “Malories” — English Medievalism and Arthurian Revival in the British Empire 講演:不破 有理氏 現代におけるアーサー伝承は主に、サー・トマス・マロリー(Sir Thomas Malory) が 『アーサーの死』(Morte Darthur、1485 年刊行)で描いたアーサー王と円卓の騎士 が織りなす冒険と愛の物語世界として理解されているといえる。しかしながら、物語を伝 えるマロリーのテクストは 1634 年を最後に、19 世紀初頭まで出版されることはなかっ た。沈黙の 18 世紀からどのようにアーサー王は復活をとげ変容したのか。 オシアンが発表される前後にイングランドにおいても自国の過去の文学に目を向ける作 品や研究書が上梓され、19 世紀には「中世主義」といわれる政治・社会・文化事象が顕 在化する。18 世紀後半から 19 世紀初頭に中世騎士道ロマンスの出版に関わった人々は マロリーを再発見し、ウェールズにおける文化復興への関心を共有しつつも、19 世紀も 半ばを過ぎるとケルト観に変化が生じる。一方、マロリーの『アーサーの死』は新たな創 造の源泉となり、桂冠詩人アルフレッド・テニスン (Alfred Lord Tennyson) が『王の牧 歌』(Idylls of the King) を発表するや、アーサー伝承のイングランド化は完遂され、国 家的アイコンとしてアーサー王が大英帝国を牽引することになる。18 世紀から 19 世紀 までのイングランドにおけるアーサー王伝説の復興の特徴を概観することで、 フォーラム・ オンのケルト文化圏の議論へとつなげたい。 –3– フォーラム・オン 近現代のケルト文化圏におけるアーサー伝承の位置づけ ―アイルランド、ウェールズ、ブルターニュの事例から Reception and Reworking of Arthurian Lore in the Celtic Fringe : Perspectives from the post-Ossian Ireland, Wales, and Brittany 司会:渡邉 浩司氏 問題提起 中世ウェールズの伝承によるとアングロ=サクソンの侵攻からブリテン島を守った軍団の指揮 官に過ぎなかったアーサーを、ヨーロッパのほぼ全域を支配下に収めた模範的君主へと変貌させ たのは、ジェフリー・オヴ・モンマスの『ブリタニア列王史』である。一方で 12 世紀後半のフ ランス語圏で、韻文により産声をあげた「アーサー王物語」は、13 世紀になると散文による膨 大な作品群へと拡大し、15 世紀にはトマス・マロリーが中世英語により集大成する。長きにわ たる中世期に、「歴史」化と「ロマンス」化を経たアーサー伝承は、歴史的にも言語学的にも、 あるいは神話学的にもケルト文化圏の神話伝承を色濃く留めている。 世界中のアーサー王物語研究者がこれまで主な研究対象としてきたのは、マロリーを終着点と する中世の文学伝承である。それに対して、このフォーラム・オンで検討の対象とするのは、近 現代のケルト文化圏におけるアーサー伝承の位置づけであり、具体的にはアイルランド、ウェー ルズ、ブルターニュの事例を取り上げる。オシアン・ブーム以降にアーサー伝承がケルト文化圏 で新たな意味を獲得し、各地域のアイデンティティーの中に組み込まれていく過程を歴史的背景 とあわせて検討するとともに、当該3地域の共通点と差異についても考察してみたい。 フォーラム・オン 報告 1 アイルランド語文学におけるアーサー王伝承 Die Artus-Legende in der irischen Literature 報告:平島 直一郎氏 アイルランドでは、 『クアルンゲの牛捕り』を始めとする多くの自国の神話や歴史に まつわる伝承が広く知られ、それらの研究が盛んなのに比べると、アーサー王伝承は異 国の伝承であり、その関心は高いとは言えない。それでもなお、中世以降アーサー王 に関する言及が存在したことや、近代以降にアーサー王にまつわる翻訳・翻案作品が現 れるなど、伝承や知名度が拡がったことは明らかである。本報告では、二つのアーサー 王に関する物語『マドラ・ムイルの冒険』Eachtra an Mhadra Mhaoil と『鷲少年の冒険』 Eachtra Mhacaoimh-an-iolair を軸に考察し、その受容のあり方やアイルランド的特徴につ いて論じる。 –4– フォーラム・オン 報告 2 中世文学の再発見と「ケルト共同体」の創出 La redécouverte de la littérature médiévale et l’invention de la « communauté celtique » 報告:梁川 英俊氏 18 世紀半ば、フランスでは中世騎士道文学が再発見される。マロリーの『アーサーの死』 やクレティアンの『エレックとエニード』などが、 「ミニアチュール」という形式でリラ イトされて広く読まれた。19 世紀に入ると、1811 年にクルゼ・ド・レセが韻文で『円卓』 を出版し、 大きな評判になった。こうした騎士道文学ブームの中で議論の的となったのが、 「円卓物語」の起源はブリテン島なのかフランスなのかという問題だった。この論争はや がて「フランス語とフランス文学の起源はどこにあるのか」という問題と結びつき、北方 と南方の二つの起源説が有力になる。そこで優位に立ったのは、レヌアールやフォリエル らが唱える南仏のトルバドゥール起源説だった。それに対し、北のトルヴェール起源説を 唱えたのが、革命後にエミグレとして渡ったロンドンでワースやマリー・ド・フランスの 写本を発見したラ・リュ神父だった。本発表では、ラ・リュ神父の死後、北方起源説の牽 引役となったラ・ヴィルマルケに焦点を当ててこの論争を紹介しながら、19 世紀のフラ ンスあるいはブルターニュにおいてアーサー伝承が担った意味について考えてみたい。 フォーラム・オン 報告 3 ウェールズのアーサー物語における「ケルト性」の問題 How ‘Celtic’ are Arthurian literature in Wales? 報告:森野 聡子氏 ウェールズにおけるアーサー伝承は 1)中期ウェールズ語による散文説話 2) 中期 ウェールズ語による詩 3) ジェフリ・オブ・モンマス『ブリタニア列王史』のウェール ズ語版に大別できる。これらのテクストが出版され、英訳紹介されるのは 18 世紀末以降 のことであり、マクファーソンの『オシアン詩篇』が巻き起こした、ケルト諸語地域にお ける伝承への関心が背景にあったことは間違いない。本報告では、19 世紀ウェールズに おいて、アーサー物語の起源と伝播がどのように理論づけられていったのかを振り返ると ともに、そこから派生する、ブリテン島のケルト人のルーツや他のケルト諸語地域との関 係性をめぐる議論を整理することで、ウェールズにおけるアーサー物語の位置づけについ て考察する。 –5– 個別報告 1 Excommunication and Reconciliation in Buile Suibhne 報告:Patrick Paul O'Neill 氏 Buile Suibhne (‘the frenzy/madness of Suibhne’) is a late-Middle-Irish prosimetrum, composed probably in the early thirteenth century. It tells the story of a seventh-century Irish king who is cursed by St Rónán to become a geilt (‘wild/crazy person’) and to die violently at the hands of a herdsman. Thanks to the rather free but aesthetically pleasing translation (‘Sweeney Astray’) by the Irish poet Seamus Heaney, we now have a deeper appreciation of certain aspects of the work, such as its skillful expression of Suibhne’s emotional state as a geilt living entirely in the natural world. Still, we are no nearer to an interpretation of this enigmatic work. Neither conventional scholarly thinking that the meaning lies in Suibhne’s liminality, which allows him to interact in both human and geilt society, nor Heaney’s view that the work reflects the “tension between the newly dominant Christian ethos and the older, recalcitrant Celtic temperament,” offers a satisfactory explanation; the first rests on a questionable thesis, while the second is anachronistic. The present paper does not presume to offer an interpretation; instead, it will explore the possibility of reading Buile Suibhne as a story of redemption in an Irish context of ecclesiastical punishment (represented by St Rónán) and reconciliation (represented by St Moling). 個別報告2 『シェンハス・モール』の 7 世紀一括制定説をめぐって Can We Safely Take Senchas Már for a 7th-Century Comprehensive Enactment Now ? 報告:廣野 元昭氏 その膨大さと取扱い対象の広範さで知られる中世初期アイルランドの法律集成 Senchas Már については、従前、7 世紀から 8 世紀にかけて個々別々に成立した法書 群が、8 世紀になってから集成されたとの見解が支配的であり、その作成者も、世俗の 法律家であるという考えが強かった。しかし 2010 年代に入って、Liam Breatnach は、 Senchas Már は Armagh 修道院の聖職者によって、7 世紀中に一括して制定されたとする 説を提唱するに至っている。その根拠づけは二つの論文(The Early Irish Law Text Senchas Már and the Question of its Date. E.C. Quiggin Memorial Lectures 13.(Cambridge 2011). および Liam Breatnach, `Law and Literature in Early Medieval Ireland.’ L’Irlanda e Gli Irlandesi nell’Alto Medioevo. Spoleto 16-21 Aprile 2009. Atti delle Settimane 57. (Spoleto 2010) pp.215-38.)にまた がって行われており、そこではかなり複雑な論証が行われている半面、いくつかの重要論 点に関して必ずしも十分な検討が行われていないのではないかとの疑問も残る。本報告で は Breatnach の議論の全体像を整理した上で、彼の論法がいかなる(必ずしも明示されて いない)前提の上に立脚しているかを析出し、その妥当性を検証してみたい。 –6– 個別報告 3 John Morris-Jones の『カムリ語正書法』と『ケルズ・ダヴォッド』 (韻律規則集) — カムリ語正書法成立における韻律規則「カングハネズ」の重要性 John Morris-Jones’ Orgraff yr Iaith Gymraeg ‘The Welsh Orthography’ and Cerdd Dafod ‘The Welsh Metric Rules’: the importance of Cynghanedd (the Welsh metres) in the establishment of the Welsh orthography 報告:小池 剛史氏 カムリ語学者ジョン・モリス=ジョーンズ(John Morris-Jones, 1864-1928) の重要な功績に、カ ムリ語韻律規則を成文化したこと、そしてカムリ語正書法を成文化したことが挙げられる。前者 は『ケルズ・ダヴォッド』(Cerdd Dafod 1925 年)に、そして後者は『カムリ語正書法』(Orgraff yr iaith Gymraeg, 1928 年)にまとめられている。『正書法』を読み解くと、カムリ語詩の詩行例 が用例として散りばめられている。これは、カムリ語正書法が、そもそも中期カムリ語詩人、特 に 14 世紀以降の詩人らの間で確立しつつあった、詩作のための正書法に基づいたものだからで ある。14 世紀以降に発達したカングハネズ(cynghanedd)と呼ばれる厳格な韻律規則は、各詩 行内の子音と母音の配列が奏でる調和がその本質であり、正書法が正しくそれぞれの子音・母音 を表すことが極めて重要であったのである。モリス=ジョーンズが、韻律規則の成文化と正書法 の成文化の両方を行ったことは、以上の理由から偶然ではないのである。 本発表では、カングハネズの概要を紹介し、『カムリ語正書法』の中に引用されている様々な 詩行の例を検証しながら、カングハネズが正書法成立にどのように関わっているのかを紹介する。 個別報告 4 なか くに J. R. R. トールキンの中つ国(ミドル・アース)におけるマイノリティ言語 — Dunlendish J.R.R. Tolkien’s minority language in Middle-earth: Dunlendish: 報告:辺見 葉子氏 J.R.R. トールキンはその中つ国 ( ミドル・アース ) における言語風景を描くにあたって、 一方ではブリテン島における基層言語 British-Welsh の音韻体系を、Sindarin というエルフ 語によって審美的に理想化し、トールキン独自の “native language” 観に基づいた位置づけ を与えている。 一方、Sindarin と合わせ鏡の対を成す形でトールキンの British-Welsh 観の表象と見なせ るのが、Dunlendish と呼ばれる、より古い言語層に属するマイノリティ言語である。中つ 国 ( ミドル・アース ) における Westron(=『指輪物語』の言語設定では「英語」に「翻訳」 されているとされる「共通語」 )の主に地名の中に残存する Dunlendish の要素を表現する にあたって、トールキンは「英語の中に残存するケルト語の様相に類似している」として、 実際の British-Welsh の要素を用いている。 今回の発表では、トールキンの “English and Welsh” というエッセイを援用し、中つ国 ( ミ ドル・アース ) において Dunlendish というマイノリティ言語に投影された彼のブリトン語・ ブリトン人観を、当時のそして現在の研究動向に照らしつつ考察する予定である。 –7– 個別報告 5 トマス・ペナントの旅行記に現れた愛国者たち — オワイン・グリン・ドゥールを中心に National Heroes in Thomas Pennant’s Travel Books: Observation of Owain Glyn dŵr 報告:吉賀 憲夫氏 ウェールズ人トマス・ペナントは動物学者であり、旅行家でもあった。しかし動物学者 としては、学問的にもまたその影響力においても、先のジョン・レイ、同時代のリンネ、 後のダーウィンには到底かなわない。旅行家としても、彼のスコットランド旅行記は、同 時代のジョンソン博士の書いた旅行記の影に隠れ、その存在すら忘れられがちである。し かし、この少々中途半端なペナントも、彼の旅行記においては、ジョンソンにはない視点 からそれぞれの地域や国の特色を記述している。当時のイングランド人には未知の国で あったスコットランドやウェールズに関するペナントの旅行記で、 彼が明らかにしたこと、 彼のみが伝えることができたことを中心に、特にオワイン・グリン・ドゥールに焦点を当 て、ペナントが生きた時代の中での彼の立ち位置と、彼の果たした役割を考えてみたい。 個別報告 6 Saga af Tristram ok Ísodd およびその関連作品おける女性達 The Female Characters in the Saga af Tristram ok Ísodd and its Related Works 報告:林 邦彦氏 過去に、北欧における「トリスタン伝説」に題材を取った作品の中で、1226 年にノル ウェー王 Hákon Hákonarson(在位 1217-1263)の命で修道士 Robert により Thomas の原典 からノルウェー語に翻案されたと考えられている Tristrams saga ok Ísöndar と呼ばれる作品 は、宮廷本系トリスタン物語を完全な形で伝える唯一の作品として最も重要視されてきた が、同じトリスタン伝説に題材を取った Saga af Tristram ok Ísodd と呼ばれる作品は、恐ら くは 14 世紀にアイスランドで著されたものと考えられ、Tristrams saga ok Ísöndar とは人 物やプロットの基本的な要素こそ合致しているものの、分量は大幅に少なく、内容は様々 な点で大幅に異なり、特に、いわば恋敵同士となる Tristram と Mórodd 王(Tristrams saga ok Ísöndar での Markis 王に該当)の言動が、ともに Ísodd(同 Ísönd)を巡ってより相手の 望みが叶いやすいものとなるなど、両者がより良好な関係に描かれているのが特徴である が、本発表では Ísodd をはじめとする Saga af Tristram ok Ísodd に登場する複数の女性達に 焦点を当て、各々の人物に関し、Tristrams saga ok Ísöndar のケースと比較するとともに、 Saga af Tristram ok Ísodd 中の女性達の人物像を相互に比較し、さらに同時代のアイスラン ドにおける関連他作品の女性像とも比較した上で、そうした女性像を生み出した背景事情 について考えたい。 –8– 2015 年度 総会 議題 1. 会則改訂について 2. その他 報告 1. 2017 年度以降の幹事選出手続きについて 2. その他 –9– 会場案内 〒 223-8521 神奈川県横浜市港北区日吉 4-1-1 慶応義塾大学 日吉キャンパス 「来往舎」 2階大会議室 来往舎はこちら⑨番の建物になります。 日吉駅改札より東口に出て、信号を渡り、銀杏並木道 を直進して下さい。100m ほど登ったところにあるガ ラス張りの建物が来往舎です。 – 10 –
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