チーム内で、なぜ個人差が生じるのか チームに同じ技術を、同じように指導しても技術の進歩、習熟の度合いは選手によって異なります。こ うした現象が現れるひとつの原因として、指導者が『技術』を指導する際の『理解の曖昧さ』が考えられ ます。指導者が、技術の本質を的確に捉えていれば問題はないのですが、ひとつの技術を曖昧な理解のも とで指導していると選手は正しい技術を身につけることはできません。これでは毎日の練習において系統 立てた指導ができなくなります。 簡単にいえば『教えきれていない』ということです。こうしたことを、続けているとチーム内で、選手 個々の持つ資質の違いにより、大きな『技術格差』が現れてきます。この『技術格差』を選手の能力の違 いとして判断し処理していると、チームの向上は期待できないばかりか、特定の選手でしか戦えないチー ムになってしまいます。指導者として『選手を使いこなす。』という大切な指導性が身に付きません。指 導者に、この能力がなければ、実戦での指揮はお粗末なものとなります。たとえ『能力のある選手』をた くさん持っていても、この指導性がなければ、選手の持つ力をフルに発揮させることはできません。『教 えきれていない』部分のほとんどがファンダメンタルの指導です。正しいファンダメンタルを、しっかり と選手に身に付けさせることを指導者は怠ってはいけません。ひとつの技術を教える際に、最も大切なこ とは、『ものの言い方』、『ものを見る観点』、『発想』、『表現方法』、『技術へのこだわり』、『選手個々のも つ能力の見極め』などの、指導者個人の持つ『指導センス(感性)』も重要になってきます。 しかし、この『指導センス』を高めることは、一朝一夕では出来るものではありません。良い指導者の 指導を実際に観たり聞いたりして、徐々に自分のものとして自分に合った形に変容していく努力が必要で す。ただし、ここで気を付けなければならないことは、常に勝利を収めているチームの指導者の指導方法 を全て鵜呑みにしてしまうことは、問題があるということです。指導には、その対象となる選手の存在が あります。そのチームには、どんな能力を持った選手がどれだけいるかで、その指導方法は、かなり違っ たものになるからです。良い指導者とは、たとえ能力のない選手しか集まらない時にでも、最低レベルの 結果を、確実に維持することができる指導性をもった指導者だといえます。 日本のトップチームのコーチにどれだけの指導能力があるかは判断できませんが、リーダーシップの取 れるコーチなら、誰にでもチームをみることができるでしょう。能力の高い選手の集合体ですからチーム 運営ができれば誰にでもコーチはできます。全日本チームでも『公募』でコーチを決めても何ら問題はな いでしょう。ほとんどのコーチは、縁故関係でのコーチ採用ですから、ちょっと優秀な指導者なら小学生 の指導者でもコーチが務まることでしょう。 プレイの正確さを徹底させる 技術を教える際に大切になことは、『選手ができるようになるまで正確にプレイさせる』ことです。そ の方法は『ゆっくり、正確にプレイさせる』ことです。指導者に忍耐強さがないと教えた技術に対し、す ぐにスピード感を求めてしまいますがこれは大きな間違いです。バスケットボールのスピード(動きの速 さ)というのは、どこでどうやって速く動くかを考えて動くスピードです。目的や思考の無い動きは、何 の役にも立ちません。 たとえば、子供が漢字を習い始めの頃は、正確に覚えていない漢字を適当に書くことがあります。教え られた漢字をゆっくりと正確に書く習慣が、身に付いていれば大人になっても、その漢字は忘れることは ありません。技術の指導もこれと同じ学習なのです。プレイの動きの速さを要求するより、まずは正確さ を追求し、優先しなければ技術は身に付きません。ゆっくり正確にプレイさせるためには、時間がかかり ますが、その後のチームや選手の進歩、成長に、大きな影響を与えます。 選手レベルを見極めた指導 チームという集団の中には、理解の早い選手、なかなかうまく理解できない選手と幅広い能力の選手が います。教えられたことをすぐにできる選手は、ゆっくり正確に・・という指導を好まない傾向がありま す。このようにすぐにできてしまう選手に対しては、指導者もそれ以上の要求をしないことがあります。 ここにチームとしての大きな問題があります。できる選手(能力が高い)に対して、『あの選手は何をや らせてもすぐにできるようになる!』などと指導者が、発展途上の未熟な選手を過大評価してしまいます。 こうした積重ねが能力の高い選手をダメにしてしまうのです。能力が高ければ、それ以上の要求をその選 手にしていかなければ質の悪い、いい加減な選手になってしまうのです。 世界基準・・・などということをうたい文句にしている団体もありますが、中途半端な刺激(体験)だ けでは選手は伸びません。本質的な部分を掘り下げて選手を指導しなければ、絶対に選手は、一流にはな りません。 話しは戻りますが、チーム内で選手個々に技術を習得するための時間の差は仕方のないことです。この 時間の差を埋めるのが、指導技術です。偏見の無い指導をすれば、教えられたことをすぐにできる選手と できない選手の差は、時間と共に解消されますが、指導者が『先入観』、『偏見』を持って指導している と両者の差は、広がるばかりで解消されることはありません。それでは、どうやって指導すれば良いのか という問題になりますが、そこにはいくつかの要素があります。 (1)指導の基準をどの能力の選手に合わせるのか 答えは極めて簡単です。すべての選手の能力に合わせて指導することです。その考え方が『ゆっくり、 正確に』という指導です。ゆっくりと正確にプレイできるようになれば、スピードを付けて動くことは 簡単なことです。 (2)能力の高い選手をどうやって指導するのか 指導者は、能力の高い選手を絶対に過大評価しないことです。できる選手は、できるがゆえに『辛抱強 さ』という要素が欠落してしまいます。スポーツ選手は、この辛抱強さを身に付けなければ、良い選手に はなれません。『がまんする』、『耐える』ことを大学や社会人になって教えることは、とてつもない労力 がいります。 私の経験から言えば、同じ能力の選手でも『辛抱強さ』を持った選手とそうでない選手の違いは、実に 大きな力の差となって顕れてきます。辛抱強い選手というのは、耐える、我慢するだけの能力だけではあ りません。全体の状況を正確に判断し、決断し、それを実行する力が備わってきます。ゴールデンエイジ といわれる小学校4年~6年の間にこうしたことを言葉や形だけではなく身をもって体験させておく必要 があります。しかし、子供に『辛抱するんだ!』などと言う大人の言葉だけの精神論は通用しません。ど うやってそれを体験させればいいのかが重要になります。 そのためには、皆がうまくできるまで『待つ』ということを教えることです。黙って待っているのか、 応援してやるのか、一緒にやってやるのか、うまくできない部分を教えてやるのかは、個人の自由でいい でしょう。この『皆ができるようになるまで、待つ』ということが、能力の高い子供たちにとっては大切 な財産になり、将来への可能性を大きなものにします。 そのためには、この『待つ』という時間の中で、『どうして、できないんだろ』、『どうやったら、うま くできるんだろう』、『自分だったらこうするのに』などという意識を持たせるように指導していくこと が重要になります。選手に『問題意識をもたせる』ための重要な場面がここにあるわけですから教える側 にとっては、新しいことを選手に教えるたびに『物の考え方』を指導するチャンスがあるわけです。 (3)運動能力の低い選手をどうやって指導するのか この答えは、選手ではなく、指導者の指導性の中にあります。ここでは、指導者の『辛抱強さ』、『忍 耐力』が問われることになります。指導力のある指導者は、技術を教える前提として、前述のした要素を もっています。運動能力の低い選手が自分の能力は劣っているんだ。などという、おかしな考え方に陥ら ないように気を付けて指導する必要があります。うまく技術の習得をさせることができなければ、チーム 内格差は必要以上に広がってしまい、この格差によりチームの底上げができなくなり、チーム力は向上し ません。選手それぞれの特質を見極め、その特徴を生かしてやることが大切です。 例えば、走るのが遅い選手に『もっと速く走れ!』と言ってもそれは無理な要求です。こんな選手には 『スタートのタイミングを速くする』ことやスピードの変化の付け方を教えてあげればいいのです。コー トの長さが決まっているわけですから必要以上のスピードはいりません。 また、ドリブルをしていて相手にすぐ追いつかれるようなことがあれば、 『チェンジ・オブ・ペース(緩 急の変化)』を教えてあげれば、相手に追いつかれても何の問題もありません。これが、選手の特質を生 かした指導に繋がっていくわけです。 こうした系統立てた指導が、『個々の選手を生かす』ためには必要なのです。中途半端に、わけのわか らない世界基準を目指す前に、日本基準を目指す選手を作り上げることです。 教えたことは最後まで追求する 一貫性のない指導は信頼関係を損なう。チーム全体のレベルを上げていくためには、一つ一つのことを しっかりと教えることです。簡単なようですが、多くの指導者は、ここで大きな過ちを犯していることに ほとんどの人が気付かないでいます。たとえば、ディフェンスのステップの技術として、スライド・ステ ップを指導します。ところが、指導者がその技術を徹底させる姿勢がなければ、『スライド・ステップは 知っているが、実戦ではできない』という選手をつくってしまいます。こうしたことが起こる原因は、1 対1の練習を始めた時点からすでに顕著にでてきます。それは、指導者が『抜かれる』とか、『抜かれな い』といった部分にばかり目が向いてしまい、せっかく指導したスライド・ステップの重要性がおろそか になってしまっているからです。スライド・ステップだけで相手をディフェンスすることは難しいことで すが教えたからには選手が、その技術を正確にプレイできるようになるまでは、指導のポイントを曖昧に してはいけません。 そのための指導としては、『抜かれてもいいから、ついていける所までは、正確にスライド・ステップ で・・・』を徹底することです。そうやってプレイさせていれば、スライド・ステップでディフェンスで きる範囲が心身の条件が整うと共に徐々に広がっていきます。選手も指導者も『どうしたらうまくスライ ド・ステップで守れるのか』という問題意識をもって取り組むことができるようになります。そして、ク ロス・ステップやランニング・ステップ等を指導する際に大いに役立つことになり、練習した技術を状況 に合わせて、使いこなせるようになるわけです。指導者が『抜かれる』ことにばかり気をとられていて、 正確にプレイさせるという目的を忘れていては、最終目標であるチーム・ディフェンスの強化は望めま せん。ましてや、選手が指導者に教えられたスライド・ステップで必死に守ろうとしているのに、『抜か れるな!』などと言おうものなら、選手の心情は、言われたことを忠実にやっているのに怒鳴られ、文句 を言われたのでは、選手は、腹立たしさを覚え、その時点で指導者との『信頼関係』は崩れてしまいます。 抜かれる、抜かれないは二の次です。選手がスライド・ステップで守ろうとしている姿勢を見てやること が大切なことです。これが、教えたことを徹底する姿勢なのです。これは、一つの例として挙げましたが 全ての技術は、このように『正確にプレイする』ことを最優先させることから始めなければなりません。 また、オフェンスには『抜け』、ディフェンスには『抜かれるな』というように同じ練習のなかで相反 する指導をしなければならないのが現実ですが選手が納得してこうした矛盾を受け入れることができるた めには結果ではなく、そこまでの過程がどうであったかについての指導が重要になり、指導の基準が明確 に提示されている必要があります。 指導者の頭と心の切換え 『今日はここまでできたから、出来なかったことは明日練習しよう。』といった指導者の頭と心の切換 えは常に必要です。また、練習は常に系統性をもたせた技術指導をしていないと、結局は何も指導してい ないのと何ら変わらない状態になってしまいます。こうしたことに限らず、多くの場合、指導している技 術は間違ってはいないのに、初期の導入段階でポイントのずれた指導になっていることがあります。一度 にたくさんのことを選手に要求し、全てのことを一度にプレイさせようとしても、なかなかできるもので はありません。指導者が、必死になって選手に技術を教えているつもりでも実は他の結果ばかりに目を奪 われているようでは、教えられた技術を選手が、正確に習得することはできなくなります。その結果とし て『教えたのにできない。』という指導者の言葉になってしまうわけです。確かにその技術は、教えてた かもしれませんが、選手が技術を習得するために必要な『技術の追求』を忘れていては、その進歩はいつ までたっても望めません。 打ち上げたロケットを常に観測、追跡し、その結果を見届けるように、選手に何かを言ったら必ずでき るまで見守る。できたらたら褒めてやる・評価してやることは重要なことです。ここで大切になるのが一 つの技術やプレイに対する指導者の『こだわり』であり、『辛抱強さ』と『自分が、選手に言ったことに 責任を持つ』ことです。 全てのことを、同時に指導しようとすると、必ず何かがおろそかになってしまいます。常に、指導のポ イントをしっかりと絞って教えることがより必要です。 選手と指導者の信頼関係 1 指導技術とは、ひとつの完成された技術を選手に教える過程で最も重要なものです。選手個々の技術を 高め、選手をゲームで使いこなし、チーム力を向上させ、チームをつくりあげるためには、欠かすことの できないものです。 その前提となるのが、『選手と指導者の人間関係』です。両者の人間関係が、円滑であれば選手は技術 を習得するために要する時間は比較的短時間ですむはずです。選手に、指導者の言うことを理解しようと 努力する姿勢があるか、ないかでは技術を習得するために要する時間はかなり違ってきます。指導者と選 手との間に何らかの問題がある場合には、選手が指導者の言うことを拒否してしまう傾向にあります。 その多くの原因は、互いの心情の食違いが問題となっていることが多いようです。どんな選手でも今ま での指導者と現在の指導者の比較をし、自分自身の中で指導者に優劣をつけています。なかには、自分流 のものの考え方をもっている選手もいます。選手は、今まで自分が指導されたバスケットボールを信じ、 その指導者を尊敬していることも多いようです。 こうした心情の選手に頭ごなしに自分のバスケットの考え方を押しつけたり、選手が信じてプレイして きた考え方を否定しているようでは到底うまくはいきません。特に過去において、成功的であったチーム の選手は、こうした傾向が強いようです。 また、それ以上に難しいのが自分流の考えを持っている選手です。このタイプの選手の多くは、自分流 の考えを持っているように見えているだけで、その本当の姿は『言い訳がましい』選手が多いのも事実で す。こうした選手の多くは、自分から提案や意見を言うことは少なく、ほとんどが人の意見や発想を聞い てから、そのことについて自分の意見を主張したり、批判することが多く自分のアイデアや発想に乏しい 選手が多いのも事実です。 こうした選手にチームをかきまわされるとチームづくりがうまくできなくなり、指導者として辛いシー ズンを過ごすことになります。その多くの原因は、指導者が能力の高い選手に依存しているからです。こ うした選手に依存するのではなく、その選手の持っている潜在的な能力をもっと引き出す努力をしてみま しょう。 人間は大人も子供も自分が、人より優れているという感覚を持つと、どかかで勘違いしてしまうことが あります。指導者は、選手全員に依存することは許されても一部の選手に依存してはいけません。こんな ことをしていると能力の高い選手は、将来大きく伸びることはできません。能力が高い選手には、忍耐と 従順さを教えなければなりません。これが指導者として大きな責任なのです。 選手と指導者の信頼関係 2 コーチは有能な選手に依存するのではなく、その選手の持っている潜在的な能力を引き出し、高める努 力が必要です。人間は大人も子供も自分が、人より優れているという感覚を持つと、どこかで勘違いして しまうことがあります。指導者は、選手全員に依存することは許されても一部の選手に依存してはいけま せん。こんなことをしていると能力の高い選手は、将来大きく伸びることはできません。能力が高い選手 には、忍耐と従順さを教えなければなりません。 私は過去に苦い経験をしたことがあります。大学生で全日本に選ばれた教え子が全日本の監督とケンカ をして、全日本代表選手を辞めて戻ってきたことがありました。彼にとっては代表チームの監督の考えが 納得できず、気に入らなかったようですが、私はかなりのショックを受けました。その時、彼にはチーム が変わり、コーチが変わったら、そのコーチの考え方に合わせ、自分のできる限りのプレイをすることが 大切なことだ。という話しをしました。このことをきっかけに彼も『日本』ということを意識するように なり、多少は成長したようでした。卒業後は、日本代表として10年近く頑張ってくれました。彼は高校 時代から身体能力もセンスも抜群でしたが、精神的な部分において大変に未熟でした。私は選手に言いた いことを言わせていましたから、練習中も毎日のようにぶつかっていました。 選手と会話のできないコーチは独裁者でしかありません。選手の感じるものとコーチの感じるものには ギャップがあります。このギャップが少ないチームは間違いなく強いチームです。選手を奴隷のような扱 いをしている指導者もすくなくありません。こんなチームは、勝ちあがってもせいぜいベスト4程度でし ょう。しかし、選手が自由な発想、選択、決定のできるチームは、必ず強いチームになってきます。確か に時間はかかるように思えますが選手の将来、チームの将来を考えたとき、こうしたコーチの指導は必ず 良い選手を生み出します。箱庭を作るような自己満足のコーチングには、選手の将来はありません。強い チームなのに、卒業した選手たちは、ほとんど伸びないでどこかへ、消えていってしまうようなチームが よくあります。これは 箱庭コーチングの典型です。 指導者が『選手のために、自分はこんなに一生懸命やっているのに・・』という恩着せがましい気持ち がどこかにあり『選手は、自分の言うことを聞いてあたりまえ』という横柄な態度になっていることが少 なくありません。練習でコートの上で選手と会話ができることは、重要なことです。ゲームでも選手と相 談し決定できることは大きな力です。コーチ一人の狭いビジョンで全てを決定することは、チームにとっ て大きなリスクとなります。どんなコーチングをするかは自由ですが、絶対服従のような独裁的なコー チングでは強くなりません。選手に自由を与えるコーチングは、忍耐と勇気が必要です!! 選手のために一生懸命やること 指導者は、まず『自分が満足するためには、何をすべきか』を考えてみる必要があります。日本の指導 者の多くは、自己犠牲を払ってチームの指導をしていることが多いため、選手に対して『恩きせがまし い』ことを言ったり、態度をとったりすることで選手との関係を壊してしまうことがあります。もしも、 こうした気持ちが、皆さんの心のどこかにあるのなら、そんな気持ちはキッパリ捨てるべきです。捨てら れないのなら指導者をやめるべきでしょう。『バスケットが好きだから、教えることが好きだから頑張っ てやるんだ!』それだけで選手は十分に指導者の熱意を理解してくれるはずです。私は、こうしたことだ けが選手との関係をおかしくしているとは考えてはいません。前述したことは、様々な状況に置き換える ことができますが、すべてに共通して言えることは、『自分なりに頑張っている』という低いレベルの考 え方では、いつまでたっても進歩はしないということです。一生懸命やるのは、あたりまえのことです。 自分なりに・・ではなく。いまの自分を越える努力をしてください。そして、選手の立場になって考えて ください。 『選手は、指導者を選べません。』指導者は、選手を選ぶことができます。だからこそ指導者は、『研 究心と熱意を忘れてはならないし、コートの中に私情(感情)を持ち込んではいけない』ということにな るわけです。練習やゲームを通して選手との触れ合いを大切にし、信頼関係を深めていると選手との結び つきが大変に強くなり、技術を指導しチームをまとめ、目標に向かって進むことを容易にしてくれます。 選手としての過去の実績などコーチとしては何の意味もありません。大切なのは、チームでのコーチとし ての存在感なのです。 『考えること』が共通の課題 こうしたことを、円滑に行うための手段が『選手との対話』です。お互いを理解するためには『話すこ と』そして『聞くこと』が大切になります。両者の間には『考えること』が共通の課題になってきます。 指導する側が、一方的な指導に終始していると選手は、理解を伴わない技術や習慣を身につけてしまいま す。選手が、ある技術やプレイについての理解が不足していると『どこで』『どのようにその技術やプレ イを使うのか』という最も大切な選択ができなくなってしまうばかりか、選手に柔軟性のない固定的な概 念を植えつけてしまうことにもなりかねません。その結果、実戦の中で状況による対応ができなくなり、 せっかく時間をかけて練習した技術をパフォーマンスとして表現できなくなってしまうわけです。 前述したように選手が、指導者を信頼していれば技術を習得するための時間は短くてすみますが、選手 が指導者を信頼していなければ、その進歩には予想以上の時間が必要となります。これは、バスケットボ ールについての知識があるかどうかとは別問題です。短時間で指導者が、意図していることを効果的に指 導をするためには、選手と指導者の結びつきが大切です。そのための最低条件は、いつでもコートに立ち、 直接選手を指導することです。指導者が、何らかの理由でコートに出られないときには、コーチやキャプ テンにその任務を託すことができるようにしておかなければなりません。特に中・高・大ではキャプテン 教育が重要になります。チームの方向性をしっかりと認識させておきましょう。ただし、キャプテンだか らと言ってチームの責任を押し付けるようなことはしないことです。あくまでも選手個々の問題は、自己 責任が原則です。 コーチの力量で、選手の未来は変わる 指導技術に最も大きな影響を及ぼす要因としては指導に対する考え方にあります。指導に対するの考え 方の多くは『自分が選手として、どんな意識を持ってプレイしてきたか、どういうタイプの指導者に教え られたか、どのような環境でバスケットボールをしてきたのか』等によっても、その指導理念は、かなり 違ったものになるはずです。この指導者の考え方の差異によって同じ能力を持つ選手でも、指導者が違え ば異なった成長過程を歩み、その将来も大きく変わってゆきます。選手の持つ能力だけでその時期を過ご すか、それとも選手の持つ能力以上のものを身につけさせることができるかは、指導者の力量や考え方に よって選手の成長は全く違ったものになります。 たとえば、指導者Aの下でプレイした選手は、『全日本レベル』まで成長したが同等の能力を持ちなが らも指導者Bの下でプレイした選手はそのレベルまでいく事ができなかった。こうしたことはよくあるこ とです。中には指導者に関係なくトップレベルまで上がってくる選手がいますが、こうした選手は、稀な 能力の選手です。能力の高い選手は、他の選手と比べると比較的『甘やかされる』ことが多いのも事実で す。指導者が、選手を甘やかしていては、どんなに高い能力を持っている選手でもそれなりの成長しか期 待できません。これは、選手自身の問題だけではなく、明らかに指導する側に責任があります。指導者に は、自分の指導力でチーム指導をしている人とシステムだけを教えて後は選手の能力に依存している人と 能力の高い選手だけを集め、チームを作っている人がいます。後者の場合は、チームとしては成功してい るかのように思われがちですが、これは単なるマネジメントです。こんなことを繰り返していても日本は 世界で勝つことはできません。アジアで勝てないのに世界基準だとかNBAだとか言っても、それは単な るビジネス手段に過ぎません。幻想に踊らされ、その幻想から覚醒して現実の世界に戻ったとき、日本の チームでさえプレーできない、自分がいることに気付いても手遅れなのです。これでは、選手の成長は期 待できません。何でもアメリカが良いとは限りません。日本で活躍できる選手になることが大前提です。 コーチングも同じです。日本人には、日本人に合ったものが必ずあるはずです。試行錯誤はコーチとし て必要なことです。その中から創意工夫を繰り返しジャパニーズ・バスケットを生み出すことが重要です。 私も経験しましたがアメリカでコーチとしての勉強をすることは意味のあることです。しかし、アメリカ のコーチに感化され過ぎるとコーチとしての自分を見失ってしまいます。考え方がアメリカンナイズされ 指導を受けたコーチの考え方をコピーしただけのつまらないコーチになってしまいます。コーチとして大 切なのは『自分らしさ』なのです。コーチとしての最大の使命は、どのようにして選手の能力を引き出し 高められるのか、チームをどうやって勝利に導くかを、常に考え努力することです。世界基準を求めてア メリカに出て行くことには疑問がある!経験を得たいのなら大きな財産になるかもしれないが、こうした ことに、踊らされている人たちが多いのは残念だ。世界基準への挑戦は、日本の中にある! 指導の『こつ』とは・・・ 現在では、プレイにおける技術やシステムに関しては、多くの指導書やビデオ等によりほとんどの指導 者が知識としては理解できるだけの情報源があります。しかし、同じ技術を同じように指導しているつも りでも決して同じ結果を出すことはできません。そこには、明らかに技術を選手に指導する際の指導者の 力の差があらわれています。また『選手やチームの良し悪し』『勝敗率』『あらゆる面での伸び』といっ たことにも指導者の力量は、大きな影響を及ぼします。指導技術を言葉や文章で、客観的に表現すること は非常に難しいのですが技術指導は、その本質部分を、的確に捉えることができれば、すぐにでも指導に 役立てることができます。 ここで皆さんに考えてほしいことは、指導者の『技術の捉え方』についてです。指導者自身が、理解の 不足していることを安易に教えることは、絶対に避けなければなりませんし、自分が指導する技術の背景 にある理論を信じて指導することが大切です。だからといって、自分の信じるものが唯一最良のものだと 考えることは危険なことです。また、指導の方法は、指導者の数だけあるといわれますが、他の指導者の 考え方や指導方法を聞いたり、観たりしながら良いものは受入れ、悪しきものは見直していく姿勢が大切 になります。コーチは、自分の考え方やスタイルを持つことが必要です。多くの場合、指導力があると言 われる指導者は、あるひとつの技術を選手に指導するとき『こうやればうまくプレイできそうだな』とい うイメージやきっかけを選手に掴ませることがうまく、その場の状況に応じて、その技術の指導を選手た ちに合わせて教えていくことができます。選手に『プレイ(技術)の感じ・イメージ』をいかに早く掴ま せることができるかが指導の『こつ』なのです。 指導者が、こうした能力を伸ばし、より良い指導をするためには、自分の指導対象をしっかり把握し、 選手個々の性格や能力をより良く理解しておくことが必要です。予断ですが、私の経験から言うと、常勝 チームのコーチの指導方法が必ずしも役立つとは思えません。チームの選手の質・レベルが通常のチーム とは比較になりません。能力の高い選手が控えにもゴロゴロいます。これだけの選手を集めれば、勝って 当たり前でしょう。確かにコーチとしての統率力は優れているかもしれませんが指導性は、まったく別問 題です。全日本のコーチをした経験があっても小学生を教えて日本一になれる可能性はありません。これ は、まったくバスケットをしたことのない選手を教えたことがないので、未知の世界なのです。低年齢層 の指導方法についての理屈や能書きは言いますが、実際にこうした子供たちを教えることはできないでし ょう。こうしたコーチのクリニックを受けたあとに皆さんが言う「面白かったけど、参考にはならな い。」という発言が多いのも納得させられます。戦術や手段・方法論を真似してもバスケットの面白さが 伝わらなければ子供たちはバスケットから離れていきます。自分の指導対象に相応しいコーチングを選択 するのがベストなのです。 良いコーチングは、指導対象を把握すること 指導対象となる選手の成長過程や特徴を把握し認識することは、指導者にとって重要な指導の基盤とな ります。いま自分が指導しようとしている集団には、どんな人間が集まっているのかを先入観や偏見を持 たずに自分の目で見て確認することは非常に重要なことです。そして、いま自分の目で見て、確認した人 間は、時間がたてば変わるということも認識しておきましょう。これは、指導者も選手も同様です。1ヶ 月前の選手と1ヶ月後の選手は、明らかに何かが変わっているはずです。初めの頃の選手の印象を、いつ までもしまいこんでいると、その時は正しかったことでも時間がたてば先入観や偏見になってしまうこと があります。人間の成長は、計り知れないものがあります。独断に陥らない柔軟性をもち流動的に物事を 判断するようにしましょう。指導者の固定概念は、時として人(選手)を、つぶしてしまうことさえあり ます。指導者という存在は、選手の成長に対し、非常に強い影響を与えてしまうことがあります。個々の 成長の変化に柔軟に対応しながら指導することを心掛けましょう。 KARAポイント ~勝負を分けるポイント~ KARA(Kind And Rule, Attack)Point KARAポイントとは、30年以上前から使っている言葉ですが、これは、造語として理解してくださ い。私は、多くの KARA Point を練習および試合で使い分けてきました。日々の練習では、技術や戦術の 指導も大切ですが、そればかりにに時間をかけてもチームとして技術の共通理解のためのルールがなけれ ば、他のチームより強くなることはできませんし、一般的な技術しか身につきません。他のチームと同じ 練習を繰り返していても決して勝つことはできません。そこで KARA(Kind And Rule, Attack)Point が 重要になってきます。 コーチとして技術指導は、できて当たり前ですが、みなが持っている技術以上の何かを選手に身につけ させレベルアップさせなければ、他のチームとの差がでません。技術にプラスアルファーが勝負を分ける 鍵になります。私が学生時代にハワイ大学とゲームをしたときにゲーリー・グレイというポイントガード がいました。試合後のパーティで彼は、こんなことをアドバイスしてくれました。 『1:1のとき一歩目の脚をどこへ出すかで勝負の結果は変わってくる。パスするとき、いつもディフ ェンスの位置をみて、タイミングを考えていれば素晴らしいパスが出せる・・・トリッキーなキラーパス を使う選手は、頭が悪く、技術もない。簡単で基本的なパスは技術がいる。ごまかすことはできない。選 手としての能力の差がここにある。』と言っていました。 私は、このことをきっかけに常に技術にプラスアルファーを考え、同じ技術でも人より少しでもレベル の高いプレーを目指しました。これがコーチとしてチームを指導するようになってから、チームのレベル アップに大きな影響をもたらし、最良の結果を生み出しました。 KARA (Kind And Rule, Attack) Point 2 KARA(Kind And Rule, Attack)とは、30年以上も前に、私が作った造語なのですが、コーチ生活の 中で500以上の KARA Poinnt がありました。コーチとしてのこだわりが、ひとつの技術をレベルアッ プさせるのです。技術に何らかのプラスアルファー(考え方)を加えるだけで全ては紹介できませんが、 技術・メンタル・考え方の KARA Point の一部を紹介していきたいと思います。 ■一歩目の使い方 ・一歩が勝負を分ける!日々一歩に拘ってプレーする ・ディフェンスは、一歩目が大切(ディフェンシブ全て) ・ディフェンスで勝つためには、勇気をもって一歩前に出ろ ・オフェンスでの一歩(オフェンシブ全て) ・1:1での一歩目を、どう使うかを常に考える ・相手の出ている足の逆をつけ ・パス、ドリブル、シュートでの一歩目の足の使い方 ・速攻のスタートでの一歩 ・ルーズボールを追う瞬間の一歩 ・恐がるな!ルーズボールは頭から飛び込め ・ボール際での一歩が勝負の分かれ目になる ・リバウンドに入るときの一歩 ・速さ、激しさの基本は最初の一歩にかかっている ・どんな時でも、最初の一歩を強引に踏み出そうとする意識をもつ ■人間は、何かがあったとき、必ず見て、立ち止まってしまう。 ・この瞬間に人より素早く反応し、一歩を踏み出す ・一歩下がる、逃げる技術をもつ ・相手を振り切るときの1~3歩をどう使うか ・ドリブルの最初の突き出しにこだわる ・ドリブルで抜くときは、脚を出してからドリブルする KARA (Kind And Rule, Attack) Point 3 ■やってみなければ結果は分からない。やらずにやめるな! ・プレッシャーが、かかる場面では、いいプレーをしてやろうと思うな! ・自分の得意なプレーしかない!自分がやれることをやる ・どんな過酷な状況にあっても、やるべきことをやればいい ・試合に出るとか、出ないではない。自分のやることをやればいい ・自分の武器にかける。試合では必ずそんな場面がくる ・コーチは、試合が始まって5分で試合の大局を見極めること ・試合の終盤を予測したうえで手を打つことができなければならない ・緊迫した状況になると、悪い結果を考えてしまう ・最悪の場面を想定し、どうしたら良いかを考えておくのがコーチの仕事 ・コーチが周囲の目を気にして動き出すと大きなベンチミスをする ■審判を見極めろ ・選手に審判のジャッジに対して文句を言わさない ・その代わりコーチがクレームをつければいい(FIBA名誉副顧問 故山戸氏の助言) ・審判は全員がうまいわけじゃない。下手な審判ほど多くの笛を吹く ・自分たちのペースを乱されないよう注意深く試合を進めなさい(FIBA名誉副顧問 故山戸氏の助言) ・コーチは、試合が始まったら審判を見極めなさい。 ・審判によって戦略を変更しなければならないことがある (FIBA名誉副顧問 故山戸氏の助言) ・審判はルールには精通しているが、コーチングには精通していない。 ・ゲームの大局を理解できる審判は、日本には一部しかいない。(FIBA名誉副顧問 故山戸氏の助言) KARA (Kind And Rule, Attack) Point 4 ・ミスした後のプレーに全力を注ぐ (馬鹿みたいに一つのミスに対して激怒する必要はない!!) ・攻めることができなければ、攻めなくていい! ・シュートが打てなければ、打たなくていい (攻められない状況で無理な攻撃をしても自滅するだけ ・のんびりすることも戦局では重要なことだ) ・タイムアウトのタイミングにセオリーなどはない! ・自分の感性を信じてベンチをする、但し、勝負どころでのフリースローでのタイムアウトの指示は、非 常に重要になる。 ・勝負どころでは、自分の感性が何かを感じ取る瞬間がある、その瞬間がタイムアウトのタイミング ・コーチは、人目を気にするな ・周りの人間は、結果論でしかものを言わない。 ・シュートは選手が打ちたいときに打たせる。 ・シュートを打ってみなければ、そのセレクションの良否は分からない ・シュートセレクションは、選手に判断させる ・コーチは、選手のシュートセレクションに対し選択肢を与え、なぜ、どうしてを考えさせる ・リバウンドは、常に相手に身体を、自分からぶつけ続ける、こうしていれば相手は必ずバテる ・リバウンドの基本原則は教えるが、ゲームでは、スクリーンアウト、ボックスアウトに拘る必要はない ・シュートブロックされても、かわすな、逃げるな! ・リングだけを見てシュートに行け ・右利きのシューターには、レフトハンズアップ ・実践では、パスフェイクからシュートを狙え ・予想していない状況でのプレスディフェンスの時 ・サイドラインと平行に味方に向かってボールを転がせ、または、サイドラインと平行に味方に向かって パスをだせ ・バックコートからドリブルで相手を抜くときは、相手から離れて大回りする ・逃げるドリブルを覚える ・ドリブル好きのガードには、好きなだけドリブルをさせて、抜かれない距離でつきまとえ(ガード殺し) ・トリッキーなパスが好きな選手をディフェンスするときは、相手のパスの瞬間に一歩下がれ ・相手のディフェンスの癖を選手に指示する ・ウイングが逆サイドへポジションを変えれば ・相手のディフェンスがマンツーマンかゾーンかの判断ができる (マンツーマンなら付いてくる、ゾーンなら付いてこない) これらは KARA Point の一部ですが、コーチが一つの技術を教え、何らかのこだわりをもって指導する ことができれば、選手もチームも成長を遂げ、他のチームとの差別化を図ることができ強いチームになる ことでしょう。 小学生の指導のポイント 1 小学生は、運動をするために働く様々な神経の発達を図る時期であり、最も運動をするのが好きな時期 です。私は、以前同和校で小学生を指導する機会に恵まれ、小学校の授業で2年間、指導をしたことがあ りました。指導対象となった子供たちは、全員が未経験者でした。1ヶ月位基本的な動きを学習させ、試 合をやらせてみたら、個々の運動能力にかなりの差がありました。 ・ボールを取られて泣く子、ボールにも触れない子 ・シュートもできない子、ぶつかられて倒れる子 ・みんなから文句を言われるからいやだという子 のように、身心の状態にかなりの差があり、最初の試合をした後に、『おもしろくない。もう試合はいや や。』と多くの子供たちが不平不満を言う状態になってしまいました。どうしたら、全ての子供たちが楽 しく試合をすることができるかを真剣に考えました。楽しく、遊びながら、しかも技術も向上し、全員が 簡単に理解できるチームの約束を考えることにしましたが、なかなか良いアイデアが浮かばなかったので 次の授業では練習をやめて、ミーティングをさせました。(どうすれば、うまくいくのか)を考えさせる ことにしました。子供たち、一人一人がみんなの前で『どうしたら、楽しく試合ができるのか』を私に対 し自分の意見、自分の考えを言い、他の子供たちは、それを黙って聞く。という形のミーティングをやら せました。日頃は、クラスでの話し合いはしているようでしたが、皆の前で、自己主張するのは初めてだ ったようです。指導する立場の人間に対して、 :自分の考えや解決策を話す :周囲の仲間は黙って聞き意見は言わない。 こうした経験は子供たちにとって初めてだったせいか、最初は、少し緊張していましたが、慣れてくる とかなり厳しい内容の意見や解決策を私にぶつけてきました。このミーティングは、指導者と1人の子供 のやりとりを周囲の子供たちは黙って聞き、発言は一切できません。当然、私自身も同意はしても、反論 したり、自分の意見を子供に対して言うことはありません。このミーティングの目的は『他の人がどうや って問題を解決するのか』という意見を聞くことにあります。他の人の考えを聞くことで、その考え方を どのように、自分の中に受入れ、自分なりの考え方に変容し、反映させていくかを経験させるための目的 がありました。こうして、子供たちの意見を参考にして決めたチームの約束は、次のようなものです。 ①ドリブルをしているときは、絶対にボールを取らない。 ②ドリブルを止めたら、すぐにボールを取りにいってもいい。 このような、簡単なルールを設定しゲームをさせてみることにしました。このルールを設定した狙いは 『全員が同じレベルでゲームを楽しむ。』ということです。どんなに運動能力や身体的な差があっても、 この2つのルールにより全員が同じレベルで、どの子も、バスケットを楽しむことができるようになりま した。 小学生の指導のポイント 2 この2つのルールによりディフェンスをする人は、ドリブルをしている人のボールを取ることはできま せんが、いつも相手の近くにいないと相手がドリブルを止めたときにボールを取りに行くことができま せん。ドリブルをしている子は、ドリブルを止めたら相手がすぐにボールを取りに来るので、不用意にド リブルを止めることはできません。もしドリブルを止めたら、次の瞬間はパスかシュートの選択しかあり ません。これは、オフェンスのプレイで最も重要な基本技術です。『ドリブルしているボールは取らな い』という簡単なルールを設定するだけで最も練習時間を必要とするこの難しい基本技術を、子供たちに 一瞬で教えることができます。それと同時に味方の動きや相手の動きに対しての注意力や集中力が増し 『どうやってパスをもらおうか』、『どうやってボールを取ろうか』といった、次のプレイに対する準備 ができるようになってきます。もちろんその過程での適切な助言は、必要となります。このルールを設定 する前提には、『バスケットボールのゲームを全員で楽しむ。』という目的があり、子供たちの意思が大 きく反映されています。こうした、わずかな工夫で様々な技術の指導ができます。大人が、目の色を変え て必死になって教え、子供たちを自分の思い通りに動かそうとするのもいいでしょう。しかし、そこには、 子供たちの自発性も意欲も生まれません。言われたことを点線をなぞるように動く子供の姿に可能性を見 出すことはできません。子供たちの指導、コーチングは、大人の自己満足、自己表現の場ではありません。 また、こうした指導は、全くバスケットを知らない人でも社会人としての力量があれば参考書を片手に誰 にでもできる一番簡単で指導技術のいらないな指導方法です。あくまでも主役は、子供たちだということ を忘れてはいけません。技術を教えることを優先するより楽しませることの中から技術を見つけ出させる 指導は重要な指導技術です。私が指導したこの小学校は、同和対策事業の一環での指導でしたが、2年間 という短い期間にも関わらず最終的には、全国大会へ出場する小学校にも大勝し、子供たちの成長ぶりに は感心しました。大会へ出て結果を残すことは本来の目標ではなかったのですが、2年目は負け知らずで した。当然、チームには簡単な戦術的な指導もしましたが、みんなで授業を楽しむことができた2年間で した。 小学校 ~『遊び』から『楽しみ』へ~ 小学校は6年間という比較的長い教育期間です。子供達の身体的・精神的成長には、その年齢によって 大きな差異、変化がみられる時期でもあります。こうした状況下でバスケットボールという競技を指導す るのは容易ではありませんし、子供たちの、身心の成長状態に合わせて指導するのは至難の業かもしれま せん。しかし、この時期の子供たちは、心身共に傷つきやすく壊れやすいものだと言うことを認識して指 導にあたらなければなりません。 ・心の変化、発達、成長 ・大切な成長期 心身共に子供を傷つけない指導 ・身体の変化、発達、成長 ・画一的な指導では練習に『ついてこれる子』、『ついてこれない子』とに分別されてしまう。 ・子供たちの分別をしない 分別されてしまうというより指導する側が、明らかに分別しているという方が正しいのかもしれません。 この『分別』作業は、ありとあらゆる場面で行われています。しかし、子供達を分別する一定の基準はな くほとんどが、指導者の一方的な判断によるものです。決して悪いことだとは言いませんが、特にこの年 齢層の指導では最も配慮すべき点です。 〔適応できる子〕 身体的能力がある 精神的に優れている 〔適応しようとするができない子〕 精神的には、比較的強い資質を持っているが、身体的に劣る。 〔適応できない子〕 多くの場合、身体的、精神的能力が劣る。 指導の基準をどのレベルに置くか、スタート時点で指導の成果『結果=チームの勝敗率』と捉えるか、 『過程=伸び(心身の成長)』と捉えるかによって、かなり違ったチームづくりになってきます。 小学生の指導の原点は『遊び』であり『競技性の追求』ではないと考えます。指導者は、子供たちが、 なぜバスケットボールをしているのか?ということに焦点をあてることが大切です。好きだから、興味を もったから、友だちに誘われたから・・・指導の観点をそこに合わせることから始めなければ『自己中心 的』な指導に終始してしまい、どうでもいい『勝ち負け』だけを追い求めてしまうことになりかねません。 こうした指導者の姿勢は、子供達に敏感に伝わっていきます。好きだから、おもしろそうだから・・・と 子供達の動機は様々です。こんな『子供達の気持ちを否定するような指導をしていないか?』時折、自分 に問い掛けてみることは大切なことです。 (結果の捉え方) 勝てば○ 負ければ× 負けても今まで頑張ったから○ これは子供たちを評価しているようで本当は、自分自身に対する評価なのかもしれません。その反面、 指導は自己満足の繰り返しだともいえるのですが.. 楽しく遊べれば○ 楽しく遊べなければ× もっと楽しみたいと思うようになる○ これが本来子供たちがする評価であり、こうした中から『勝負へのこだわり』を引き出すことができた チームは、良くなりそして、強くなっていくはずです。子供たちの、遊びを見ていると自分たちでルール を決め、時には、我々以上に勝ち負けにこだわり必死になって遊んでいます。こうした子供たちの姿を見 ていると、遊びの中で勝負に対する執着心が少なからず育まれているようです。 中学生の指導 1 私は、中学校へ赴任して初めて自分のチームを指導したとき、ある学校のH先生から『君の考え方は理 想論だよ。若いから仕方ないけどね・・・』と言われたことがありました。その先生は、常にトップチー ムを作り上げていました。俗に言う『その先生の天下』でした。私は、新任教師でしたから中学校の実情 はまだ分かりませんでしたが、大学までやってきたバスケットは日本一だと自負していました。私は教育 の現場だからこそ理想論が必要であり、やり方次第でそれが現実になるんだと考えていたので、自分の考 えを変えませんでした。新任3ヶ月後の3年生の最後の夏の大会では、地区で初のベスト4までいきまし たが、なかなか満足できる状態ではありませんでした。2月の新人戦は、初めて決勝まで勝ちあがりまし たが、決勝でH先生の中学に負けてしまいました。2年目の5月の地区大会では、H先生の中学校に決勝 で勝ち、初優勝することができました。その後は、順当に優勝できるようになり、指導3年目でユニフォ ームすら揃っていなかったチームが大阪府で春夏連覇という成果を挙げることができました。この地域は、 野球が盛んでミニバスケットはなかったので選手は、中学校で初めてバスケットをする子ばかりでした。 実際にやってみないで結果ばかりを考えていると理想論は、いつまでたっても理想論のままで決して現実 のものとはなりません。理想にトライしないのは指導者が臆病なのか、自分の理論に自信がないのか、や っても無駄だ。と思っているのかは分かりませんが、子供たちに、より良いものを教えるためには、大き な理想と熱意が第一であり、『バスケットについての知識がどれだけあるかではない!』ということです。 ・指導者の評価は、チームの成績について評価することが多い ・子供の評価は、バスケットという競技に対する評価である このように考えると、指導方法によっては、将来バスケットボールという競技から離れていく子供たち が出てきます。指導者はこうしたことを誰も望んでいないはずなのですが、現状は、そうではないことが 多いのです。どんなレベルでも『無邪気にプレイすること』、『楽しみながらプレイすること』は大切な ことです。抑圧され、枠の中に押し込められていては、子供の持つ未知の能力や自発性は生まれてきま せん。指導の考え方、方法 ・考えること(選択肢を多く持たせる) ・教育的配慮(公私の使い分け) ・感情的言動の排除(言葉の暴力はやめる) ・心を読む ・自分の不安感や焦燥感で長い練習はしない ・甘やかさずに、褒める 中学生は、子供から大人への過渡期にあり、運動に必要な全ての神経を発達させ心身ともに急速な成長 ・発達が期待できる時期です。また、心理的には情緒が不安定で、特に刺激には敏感に反応します。換言 すれば良いことでも悪いことでも最も吸収の早い時期だといえます。 中学生の指導 2 私は、男女あわせて中学生のチームを5校指導しました。校内暴力対策教員として多くの学校へ出向い ていたので、3年以上同じチームを指導することができませんでした。全てのチームが『短期決戦』でし た。初めの頃は、中学生の特性も理解しないまま指導していましたが、大学時代の恩師(全日本、ユニバ ーヘッドコーチ等)に『中学生の特性を理解できなかったら指導できないよ!』と言われ、彼らの成長過 程での特性を理解することに努めました。 中学生の指導で最も気を付けなければならないことは、『言行不一致や不公平な態度を取らない。』と いうことです。彼らは、自我意識が高まりつつある時期なので、こうしたことに対しては、敏感で、激し い反抗心を抱くものです。このような成長過程にある彼らを『力』で抑えるような指導をしていては、決 して良い結果は望めません。 また、この時期には情緒のあらわし方が間接的になるため練習では、一生懸命にやっているように見せ ていても、心の中は不平や不満で一杯だということがよくあります。これが、チームの統制を乱す大きな 原因になることがあります。彼らは思考力も著しく発達してきていますから『言われたことだけやれ!』 では話しになりません。 この時期に大切なことは、ひとつのプレイに対して『なぜ?』という問い掛けが必要であり『絶対服 従』といった封建的な強要は、避けなければなりません。そのためには、『プレイの目的』『練習の狙 い』を明確にしてやる必要があります。指導者が自分のやりたいようにやっていては、だめなのです。 私は、中学生を指導する際には、『ここまで,彼らに教える必要があるのか?』というほど、バスケッ トボールについての理論や手段、方法を指導しました。特にファンダメンタルについては徹底して理解さ せ、納得させてプレーさせました。子供たちのミスやプレーの良し悪し、結果などは気にもしませんでし た。『やろうとする姿勢があるか、ないか。』が重要だったのです。たとえば、ミスしても、そのプレー に目的があれば、ミスプレーなど何も問題はありません。ミスした後のプレーに全力を注ぐことの方がは るかに大切なのです。ミスに対して必要以上に怒る指導者もいますが、こんなのは、厳しさでも何でもあ りません。自分の感情をぶつけているだけのことです。まあ、こうした精神的なことにはそれぞれの理屈 があるので、深入りはしませんが、考える余地はあるでしょう。ミスを怒られて修正できるのは、社会人 になってからです。小・中学生相手にムキになって怒鳴っている姿は実にみっともない!『私は指導力が ありません!』と言っているようなものです。怒鳴り散らしている時間があったら、『どうしたら、うま くプレーできるかを教えてあげましょう。』子供たちに不必要な精神的プレッシャーを与えることで、自 分の存在価値を認めさせようとするような態度や人の弱味につけ込むような指導は、どうかと思います。 中学生の指導は、心理的な特徴を充分に理解して指導しなければ、その効果は半減してしまいます。中学 生の自発的能力は非常に素晴らしいものがあります。こうした子供たちの能力を、うまく使えれば良いチ ームとなるでしょう。 中学生の指導 3 新任のとき、私に『君の考え方は、理想論だ』と言っていたH先生も3年後には、今まで自分の天下で あったはずの、この地域で私のチームに勝てなくなり、かなりのショックを受けていたようだった。しか し、私が中学校で教鞭を執りながら弱体化してしまった大学のコーチを始めたとき、H先生が『練習をみ てほしい。』と言ってきたのには驚かされた。H先生には、軍隊のような指導はやめて、子供たちの自発 性を尊重する指導を心がけるようお願いした。この先生のチームは、中学校レベルでは強かったが選手た ちは、その後は、まったく伸びることなく消えしまっていた。自発的な行動のできない選手は、伸びるこ とはない。その考え方を教えてやる時期が、この中学生の時期なのです。 私は、H先生の中学校を2年間、大学の体育館で指導し、3年目には全国大会で初優勝し、その後2連 覇を達成した。正直言えば、この時期は勝ち負けなんかどうでもいい。勝つことは選手の成長にとって確 かに重要な要素ですが指導者にやらされて、勝ってもさほど成長にはつながらない。結果が全て!と言わ れるのは仕事を持たないで、バスケットしかしていないコーチたちであり、仕事をしながらバスケットに 情熱を傾けている人たちは、結果より、その過程をもっと尊重して頑張って頂きたい。確かに周囲は、結 果を求めてくるかもしないが、将来、子供たちがどんな成長をしてくれるかをじっくりと眺めていても良 いのではないかと思う。勝ち負けばかりを追いかけていては、自分らしいチームづくりはできない。教育 現場で子供たちの成長の糧となる指導ができれば、優勝することより、はるかに価値のあることだと思う。 高校生のバスケット指導 中学生を自我意識の高まる時期と考えれば、高校生は自己主張が強くなる時期ということがいえます。 自己主張が強いということは、自分の考えを通そうとする現れですから、彼らを納得させるためには、多 くの時間が必要となります。逆の側面から考えると、他を否定する傾向があるため、指導者に対してもか なり批判的になるのがこの時期です。 しかし、その反面、選手としての自尊心も芽生え、練習にも全力で打ち込むようになりますから、選手 との『対話』の場を様々な形で持つことにより、彼らのプレイに対する考え方や指導者の意図するチーム としての方向性などを話し合ういい機会なのです。そして、身体的にはかなり充実してきていますから、 相当激しい練習をこなすことができるのもこの時期だといえます。 私自身は、選手にとって最も大切な時期は、小学校・中学校・高校時代をどう過ごしてきたかではない かと考えています。確かにこの時期は、技術を教えることも重要ですが、その中でも特に重要なものは、 ファンダメンタル』と『ものの考え方』を教えなければならない大切な時期です。これは,確実に彼らの 将来の成長に大きな影響を及ぼします。 しかし、この時期の選手は、多くのシステムを求めてきます。難しい名前の付いた刺激的なシステムを 要求する傾向がありますが、選手に迎合する必要はありません。ファンダメンタルを徹底する姿勢を崩さ ないことです。確かに戦略は必要かもしれませんが、:1の攻防がまともにできない選手にフォーメーシ ョンを教えてもゲームは勝てません。過去に高校で何回か日本一になったN先生はチームを強くする秘訣 は、個人の攻防の力とファストブレイクだと言っていました。個人の能力が高まらなければチームとして 戦えない。これを徹底できなければ、ごまかしの戦術など、何の役にもたたない。このことを何十年も徹 底してやってきたからチームも強くなったし、選手も日本バスケット界の中心的存在になれたんだ。と言 っていた。指導者が自身の考え方を信じ、選手にその哲学を理解させ、植えつけることができれば確実に 選手は成長し、チームも結果を出してくれる。多くの優秀なコーチたちは、目先の流行に惑わされること なく、ファンダメンタルに忠実なバスケットを指導している。迷うことなく、自身の信じたバスケットを 徹底する姿勢は、有能なコーチに共通したものだ。 評価は他人がするもの 褒め方のうまい指導者は、勢いに乗れるチームをつくります。才能のある選手の周りには、必ず褒める 人がいます。何か、良いことがあったらその場ですぐに褒めてやると選手は、どんどん頑張るようになり ます。選手は、頑張るからうまくなる。一生懸命やるからうまくなる。うまくプレーできるようになれば、 また褒められる。この相乗効果で、前に向かってどんどん進みだします。その中で技術を教えると、必死 で吸収しようと努力するようになります。チームは、あっという間に良くなっていきます。褒められた本 人もその言葉で、いい気分になり、調子にのってきます。こうしたことは、その選手を大きく未来に向か って成長させる原動力となります。褒める言葉の裏づけなどはどうでもいいことです。その選手が調子に 乗って頑張るようになれば、自ずと力はついてきます。褒められた選手も、チームメイトの良いところを 褒めるようになり、知らず知らずのうちにチーム内で、選手同士が互いのプレイを褒め合うことができる ようになります。これが『調子にのるチーム』『勢いのあるチーム』を作り上げます。人は、他人からの 評価を意識しています。指導者も、選手を何らかの形で評価していますが、その評価を選手たちは、必ず しも平等感をもって受け入れてはいません。指導者も人間ですから自分の好みがいたるところに顕れます。 選手全員が、納得できるコーチの評価は難しいものですが、コーチとして、最大の努力をはらい最高のバ ランス感覚をもつ努力をすることが大切です。 指導者としての自分を省みる 選手を怒ったらそのことをしっかり頭に入れ怒った選手が、そのことをうまくできたら必ず評価(褒め て)してやる姿勢を持つことです。怒りっぱなしは、絶対にしてはいけません。選手個々を尊重できない コーチは伸びません。こんなことは当たり前のことなのですが、日本人の気質なのか、一国一城(自チー ム)の主になると絶対封建、絶対服従的な低レベルの感覚に陥ってしまいます。特に日本は、女子のチー ムにこうした指導者が多い。理由は、簡単です。女、子供は、自分の思い通りになる!と考えているから でしょう。弱者に対してのデリケートな感覚がバスケットというフィルターで、見えなくなっているので す。こんなことをいつまでも繰り返していると勝つことすらできないのに『躾、行儀作法にだけ厳しい』 集団ができあがってしまいます。こんなことに満足しているのは、チームの監督さんだけでしょう。自分 の好きなように、感情の趣くままにできるのですから、こんな楽しいことはないでしょう。 しかし、重要なのは結果です!勝てないチーム作りでは、何の説得力もない。躾や行儀作法を教えるこ とは悪いことではありませんが、本当にそれでいいのですか?と聞きたくなることがあります。スポーツ をしていると、必ず最後には結果がでます。結果が出たときに、今までの優先順位がひっくり返ってしま います。頑張ってきた過程は、非常に重要なことですが指導者自身が、そのことに逃げ込むのは卑怯な行 為です。今まで頑張ってきた過程を評価し美化できるのは、選手の特権なのです。全てが終わった後の選 手は、非常に優しい心になっています。自然と涙がこみあげてくるものです。選手への『みんな、よく がんばったね。お疲れ様』という言葉と共に指導者としての、自分の指導の在り方を省みる必要がありま す。選手たちの優しい心に、自分をごまかしてはいけません。全てが終わり、結果が出たときこそ、指導 者としての自分の力を実感し、努力する糧にしましょう。絶対に綺麗ごとで、ごまかして逃げてはいけま せん。そんなことを、毎年、繰り返していても時間の無駄でしかありません。みんな、大切な時間を費や しているのですから、指導者は、選手の質にかかわらず進歩する努力が重要になります。指導者の言い訳 など、どうでもいいことです!選手が、本物になるための指導力を身につける努力をしましょう。熱意と 探究心があれば必ず素晴らしい指導力が身につくはずです。 選手の個性、将来の可能性を感じるコーチに 私は、過去に約1万人余の選手にバスケットボール指導してきました。コーチ・クリニックの際には、 必ず子供たちに『指導者(先生)について』思っていることを書いてもらいますが、残念なことに、子供 たちと指導者の気持ちには大きな隔たりがあるようです。その多くが、互いの価値観の違いです。子供た ちの個性や考え方は、多種多様であり、未来への可能性は、未知数です。 しかし、指導者の個性や考え方は、一人分です。一人の考え方を多くの子供たちに指導するわけですか ら、問題が生じてくるのは当然のことです。こういうことが、頭に入っていないと何か問題が起きると慌 ててしまい、正常な判断や対処ができなくなります。自分の考え方にそわない選手を問題のある選手とし て扱ってしまうのです。問題のある選手、自分の指示に従わない選手には、必ず何かがあります。もしか すると、指導者に足りない何かを、その子が持っているのかもしれません。選手は、指導者を観察してい ます。指導者が、子供たちを観察する目は、ひとつです。しかし、子供たちが指導者を観察する目は、指 導者よりはるかに多いわけですから子供たちの意見を、頭ごなしに否定することはできません。 指導者の仕事は、クレームをつけることではありません。教える、注意する、怒る、諭す。この繰り返 しは、選手にとって苦痛でしかありません。指導者のこうした説教的行為は、すべて自分の価値判断や基 準でしか物を見ていないことの顕れです。実際問題として、こういうタイプの指導者が、あまりにも多す ぎるのです。自分に余裕がないから、自分の考え方と違う行動を選手がとると不安になり、選手の行動に ケチをつけ、自分が安心できる状態に戻そうとします。柔軟性のない、典型的なマニュアル(固定概念で 固まった)コーチです。このタイプは、自分を過大評価し、その考え方が最高だと思い込んでいるので、 周囲の意見や批判などを聞き入れることができない最も質(たち)の悪い指導者です。彼らの共通点は、 プレイの現象面だけを捉えて、選手を判断していますから、その選手の本質を理解することができせん。 こんな指導者の下にいる選手は、形だけを覚え、選手としての心情が育ちません。 ◆選手はしゃべらなくなる(認めてくれない相手と話しても無駄) ◆自主性を捨ててしまう(指導者が全てを支配すると、自分の責任で行動しない) ◆自発的なプレイをしない(自分の考えでプレイするとクレームをつけられる) ◆自分の考えで、判断・決断しなくなる(指導者が困ったとき、選手は動かない) このタイプの指導者は、選手にとって最も危険な指導者だと考える理由は、指導者の限られた人間性や 考え方の枠の中に選手を押し込めてしまうからです。選手に自己表現の場を与え、自発的な行動や言動を 促すことが大切なことです。選手を褒めて伸ばす(良いところを伸ばす)ことで指導者の足りない部分を 選手が補ってくれるでしょう。 チームの共通理解と考える習慣 学校教育では、チームを指導する背景に『教育』といった大きな問題があります。クラブ活動を通して 『彼らに何を教えていくか。』これは、指導者が持つ人生観、教育観や指導理念等によって異なりますが、 彼らの持つ『個性』を否定し、『権力』によって強制された従順さや表面的な素直さだけを子供(選手) たちが身につけても何の意味もありません。こんな指導者の下で選手が考えることは、『怒られないため には、どうしたらいいのか』という、保身のための要領(知恵)を覚えてしまうだけで自発的な行動をし なくなります。これは、指導者の考え方が選手に伝わったのではなく、『選手が指導者に合わせている』 いるだけです。こうした指導者の下でプレーしてきた選手にとって最も苦痛なことは『自由』を与えられ ることです。自分でどうしたらいいのか分からなくなってしまい何を、どうやればいいのかを考えること ができなくなってしまいます。しかし、日本ではこうした指導者の下で育ってきている選手が多いため、 自分の考えや意見を主張できる選手たちは、『言うことを聞かない、扱いにくい選手』だと言われてしま います。選手が指導者に対して『それはおかしい。こうした方がいい』などと言おうものなら大変なこと です。ましてや指導者の思考の中に、その内容が選択肢としてなかったら、パニックを起こしてしまい、 怒鳴り散らして『言われたことをやれ!』となるわけです。実戦ではチームの約束事と選手の状況に合わ せた自発的プレーで成り立つものです。選手が『よく考えて、状況に合わせて動く』ことは、コーチにと って理想的な展開を意味し、試合で最も有効な手段となります。ところが、日頃から『考える』ことを否 定し、指導者の思い通りに動くことを要求しているようでは、勝負に勝つことはできません。ファンダ メンタル、チームとしての動きの約束は絶対なのですが、その他のことは『こうしてみようか』『こうや ってみたいけど、どうだろう?』提案的な感覚でいいのです。これをやるんだ!と指導者がムキになって もプレーするのは選手たちです。ゲームが始まってしまえばコーチの力は微力です。数回のタイムアウト、 外からの指示ぐらいしかできません。確かに勝負どころでのタイムアウトの指示は、勝負の行方を左右す ることがあります。しかし、日頃から『考える』ことを教えていれば、コーチが選手の名前を叫ぶだけで 何が言いたいのかを『気付く』ものです。ゲームの大前提は、リバウンドとルーズボールです。たとえば、 リバウンドが弱くなったときに、むやみに『リバウンドへ行け!』とわめいても選手には上手く伝わりま せん。頑張ってほしい選手の名前を呼び『○○リバウンド!!』と言えば、確実にチーム全体に伝わり、 皆が頑張りだします。これは普段からその選手への要求がチームとして共通理解できているからなのです。 指導者が、全てを自分で決め、独断でチーム作りをしたい気持ちは分かりますが、コーチは、選手の手助 けをする存在だということを忘れないことです。 怖い指導者と厳しい指導者は違う 常に余裕のある指導をするためには、日頃の練習から選手との会話を心掛けることです。指導者の中に は、選手がミスをしたり、自分の指示どおりにプレイしないと暴力的な指導(言動も含む)を平然とする 人がいますが、これはただ単に『怖い人』であり、指導者としては『甘い指導者』なのです。 その理由は、指導者としての『技術の指導』を放棄しているということです。選手を怒ったところで技 術は向上しません。また、過去にどんな実績があろうとも指導者としては素人です。オリンピックに出た からといってチームを強くできる保証は全くありません。選手としての実績など広告に過ぎません。指導 の世界では何の役にも立ちません。 話しを戻しますが、選手をいつも怒っている指導者は、指導者が自分の考えているイメージと選手が実 際にプレーしていることが違うため、欲求不満状態に陥ってしまい、感情的になっているだけです。中に は周囲の目を意識し、怖さを強調しようとする人間もしますが、言語道断です。 プレーに対する自分の持つイメージとのギャップを埋めることができれば、必ず指導者としての能力も 上がるはずです。私は、こうした指導を全て否定するわけではありません。このような指導をしていても 『怒ってその場を終わらせてしまう指導者』と『その後も徹底してプレーを追求する指導者』とでは全く 違った結果になります。特にひどい指導者は、選手に対して皮肉や馬鹿にした発言を繰り返し、知ったか ぶる人間です。教育現場においては最低の指導者です。こんな指導者が少なくないのも実情なのです。 ひとつの例に『昔は怖かったけど、今は丸くなりましたね』という会話を耳にすることがあります。そ れは『暴力的指導をしなくても指導ができるようになった』ということなのか、ただ単に年齢と共に『気 力とエネルギーが無くなってきた』のかは分かりませんが、前者の場合は、経験とともに『指導性が高め られた』とも考えられますが、後者は、熱意がなくなってきただけのことなのかもしれません。選手に怖 がられるより、尊敬されるコーチを目指しましょう。指導者としての本当の『怖さ・厳しさ』とは、プレ ーに対する『徹底したこだわり』『妥協のない指導姿勢』『熱意』から生まれてくるものでなければなり ません。これが『本当の厳しい指導者』の姿勢であり、『熱意のある指導者』の真の姿なのではないでし ょうか。 チーム作りは個性の尊重から 指導技術は、選手に『要領』を習得させるものではなく、『プレーの本質』を理解させ、納得させるた めのものでなければなりません。指導技術の本質は、選手の能力を引き出すことです。能力の高い選手は 自分の持つ能力を発揮するようになる過程で、必ずその選手の持っている潜在的な能力を引き出してくれ た指導者(親兄弟、先生、近所の人、友人など)が必ずいるはずです。個性を尊重し、認めてやれる指導 者は、強いチームをつくることができます。『甘やかさずに褒める。』どのスポーツでも一流といわれる 指導者に共通した指導技術です。選手をうまく褒める(評価)ことのできる指導者は、協調性のある基盤 のしっかりしたチームをつくることができます。日頃から、選手の良いところを伸ばしてやろう。と考え ていれば、短所を矯正することより選手の良いところを見つけ出し、その良いところを伸ばしてやろうと 考えるのが自然です。こうした指導者の姿勢こそが『個性の尊重』なのです。選手は、個々に違った何か を持っています。 しかし、その個性は時として短所として扱われ、強制的に修正されたり、切り捨てられたりされること があります。一般社会と違ってスポーツというものは、ある種、とても残酷な面をもっています。たった 一人の指導者の考え方によってチーム全員が同じ枠の中に押し込まれてしまうことがあります。全てにお いて指導者の『~でなければならない』という小さな枠(固定概念)に押し込められてしまい自己表現と いうパフォーマンスの場を失ってしまいます。これでは個性的な選手は育ちません。個性のない、指示待 ちの選手を作っているのは、こうした指導者の姿勢が原因です。ここには、大きな過ちと矛盾があります。 日頃から『指示に従うことを要求』し、指示に従わなければ選手を怒るわけですから『指示待ちの選手が 多くて・・』などという矛盾したことを言っても、そんな指導者の言葉には、何の説得力もありません。 指示されたことをやらないで、選手の発想でプレーすれば文句を言われるわけですから選手の立場では 『指示を待つ』のは当たり前のことです。指導者が、選手を自分の思い通りに動かそうとしているわけで すから、選手もそれ以上のことはしなくなるのは当然のことです。また、物の考え方を教えることもでき ないのに、『自分で考えろ』などと言うのはあまりにも無責任なことです。『諦めたら、そこで試合は終 わる!』というような簡単なことを日頃から選手に教えておくだけでもゲームでは十分に効果をもたらし ます。考えてプレーする習慣を身につけていれば、その効果は必ずいたるところで現れてきます。個人の 考えに固執したわけの分からない指導はしないことです。何度も言ってきましたが、指導者は、選手が良 くなるための一助であり、全てではないということをしっかりと自覚してコーチングをしましょう。 指導者の力はちっぽけなもの 私の経験からいうと技術的な部分で、悪い習慣がついてしまった選手を矯正することは、大変に難しく、 時間と労力がかかります。悪いところを直すより、選手の良いところを認め、伸ばしてやることの方が効 果はあります。指導者は『おごり』という大きな錯覚に陥る危険性を常にもっているものです。自分とい う小さな世界の中で、目先のことだけを見ていると、『自分がすべて』だと思い込んで行動してしまい 『おごりや勘違い』という大きな錯覚に陥り、すべてを自分の思い通りにやってしまうのです。あたかも 自分が『すべて』であるかのように異常な行動に走り出してしまいます。本人は絶対に気付くことのない 『正常の中の異常』なのです。こういう指導者は、周囲から『○○コーチ(先生)の指導はすごい』など と言われ、褒められ、煽てられ、喜んでいる人がたくさんいます。あまりにも情けない指導者の姿ですが、 どうにもなりません。情けない指導者を憂いていても仕方ありませんが、もっと子供たちの将来、日本バ スケット界を見据えて指導にあたってほしものです。チーム指導者が選手を褒めていると、そのチームの 選手は、チームメイトを褒め、評価するようになります。この相乗効果が、協調性のあるチーム基盤を作 り上げます。どんな素晴らしい能力をもった指導者でも、自分ひとりの力で、チームを強くすることなど できません。どんな素晴らしい能力をもった指導者でも、選手の力を借りなければ、一人で結果を出すこ とはできません。選手の協力なしでチャンピオンシップをその手に収めることはできません。世間で、素 晴らしいと言われる指導者のほとんどは、選手を上手く育て、上手に使いこなしているように見えますが、 実際は、選手の力を借り、助けられているわけです。選手に力を借り、助けてもらうまでの過程で、互い を理解し、意思の疎通を図ることにより、両者の間には、実に強い『尊敬と信頼』という大きな柱が確立 されています。指導者が選手を信頼し、選手は指導者を信頼する。この簡単なように思える関係を築くた めに、お互いがぶつかり合い、時には妥協し、不信感を抱えながらも接していきます。こうしたことを、 指導者も選手も逃げることなく、より良いものを作り上げるための努力が必要です。尊敬と信頼をから、 最良の結果が生み出されるのです。指導者は、選手に助けられ、選手は指導者に導かれ、共通の目標に向 かって努力することが、集団をつくりあげるためには、不可欠なことです。 暴力的指導がもたらすもの 怒鳴られ、殴られ家畜のように育てられてきた選手と意思の疎通を図ることは非常に難しいことです。 私も、実業団の女子チームをコーチし、2年でトップリーグへ昇格させましたが、そのチームの選手の殆 どは、なぜか高校時代殴られ、怒鳴られ、罵倒されて育ってきた選手ばかりでした。こういう選手たちと は、会話は成立しません。怒られない、殴られないことから開放された選手たちは、自由の中で、自分で どうしたらいいのか全く分らない状態でした。自由とは、最低限の責任を果たしてこそ成り立つものです が、支配的な指導を受けてきた選手たちは自由を『好き勝手に行動すること』と勘違いしているのです。 怒られないから、わがままに自分勝手な振る舞いはするが、選手として自分がどうしたらいいのかを『考 える』ことができません。実に可哀相な選手たちでした。自分は中途半端なことしかしないのに、他人へ の要求は必要以上にするが自分の言葉には一切責任をもたない。人間としての自由な発想で物事を考える ことができない環境の中でプレーをしてきた選手が社会へ出るのはあまりにも残酷なことです。こうした 選手は、何かを与えられないと何もできません。そんな選手たちに勝つための戦術・戦略をめぐらせトッ プリーグへ昇格させたことを、今では心から後悔しています。自分たちの思い通りにならなければ文句ば かり言うが自分が何をどうしたいのかすら、まともに表現できず、考えることすらできない状態の中でパ ニックを起し、逆切れする選手に話しをして、問題を解決することは至難の業です。多分、困難選手たち にとっての最高の指導は、罵声を浴びせ、殴ればおとなしく人の言うことを聞くのかも知れませんが、 そんなことをしてもその選手は、いつまで経っても成長はしません。私は時間を掛けて指導をしてみまし たが、心に染み付いたもの負の心理を拭い去ることはできませんでした。人としての心は傷つき、捻じ曲 げられているようでした。人として最も大切な『相手を思いやる心』『相手の立場に立って物事を考え る』という大切な部分が全く育っていない選手に最良の結果だけを与えてしまったことへの罪悪感は拭い きれません。バスケットしかできない、心のない選手は実に惨めです。これ以来、私は勝てなくても絶対 に『心のないチーム作りはしない。』と心に決めました。私にとって勝つこと、結果を出すことは、そん なに難しいことではありませんが、心に大きな歪みを持った選手を正常な状態に戻すことはそう簡単には できません。こんな選手を作りあげてしまった指導者は、学校の教師なのですから、実に情けないことで す。バスケットロボットをいくら作っても日本のバスケットレベルは向上しません。こんな昭和初期の見 せしめ的な指導は絶対に止めるべきです!こんな選手を毎年社会へ送り出すくらいなら勝てなくても、人 としての心を持った選手を育てたチームが最終的には、真の勝利者なのかもしれません。 概念にとらわれていると、柔軟な対応はできない ~流れるままに~ 試合中にシュートができないくらい相手ディフェンスがプレッシャーをかけてくることがあります。 そんなときどうしたら良いのでしょうか?多くのコーチは、相手に対しての対応策を考えようとしますが、 こんなときは基本に戻って、もっと簡単に考えることが必要です。生前ピート・ニューエル(NBA殿堂 入り)にプライベート・クリニックを赤坂プリンスでやるので、久しぶりに会おうと言われ参加したとき のことです。この時、私は、自分の考えを確認するために『ディフェンスのプレッシャーが厳しくシュー トが打てないときどうする?』という質問をしたことがあります。ピートさんは、一言『シュートしなけ ればいい!』と答えました。あまりにも簡単な答えのように思えますが、これがバスケットで最も大切な 勇気とバランス感覚なのです。『シュートが打てなければ、打たなければいい。』無理に適当な策を弄し ても選手は、混乱するだけで、さほどの効果もなくミスを繰り返し相手の思うツボにはまる。結局、タイ ムアウトは無駄になり、その効果はほとんど期待できません。 ピート・ニューエルは、自分の経験から常に簡単で明確な答えを導き出すことが、何よりも大切なこと だと言っていました。シュートが打てなければ打たない。ことに徹した時、選手は得点しなければという 焦燥感やプレッシャーから開放され、落ち着いてボールをキープし、プレーすることができます。 シュートが打てなければ、ボールを持っている選手は、パス・ドリブルをする。他の4人は、パスをも らうために一生懸命動き出すはずです。オーバータイムになってもターンオーバーを繰り返すよりもオフ ェンスとしては十分に機能し、相手に一気にゲームの主導権をとられてしまうことはありません。こうし たことが相手のディフェンスを混乱させ、プレッシャーを弱める要因になるのです。思いつくままに適当 な策を指示することの方がリスクは大きくなります。ピートさんは、『NBAでも小学生でも簡単・明瞭 が一番だ!』と、よく言っていました。これは彼のピート・ドリルに象徴されています。ピート・ニュー エルの言葉に、相手よりもより優れたショットを打たなければならない。それが自分のチームのオフェン スを証明している。相手よりもより多くのショットを打たなければならない。それが自分のチームのディ フェンスを証明している。この言葉をどのように理解し、自分のチームオフェンスを組み立てるかは、コ ーチの感性と指導力によるところが大きいと思います。 選手(生徒)にきっかけをつくってやる指導 1 私が、最初に自分のチームを持ったのは、校内暴力全盛期の80年代後半頃でした。赴任した中学校は、 大阪府下で一番の困難校でした。バスケットができるような環境ではなく毎日が戦争のようでした。 新任での1年くらいは殆ど学校に泊まっていたような状態でしたが、学生時代のクラブの練習に比べた らたいしたことではなかったので、苦痛もなく教師生活を楽しんでいました。バスケット部は、かろうじ てありましたが、ユニフォームもなく、ボールもゴムが飛び出しているようなものばかりで、まともに使 えるものがありませんでした。そこで自分の出身大学からボールをもらってきて、中学生には少し大きな 7号ボールで練習することにしました。これが後に物凄い効果をチームにもたらす要因になったのです。 最近では、ビックボールは当たり前のように使用するようになりましたが、この頃はそんなものは日本に はありませんでした。ビックボールはNBAの選手たちが短時間でドリブル・パス・ハンドリング力の養 成を目的として使用し、速攻のスピードアップを目指す練習で使用していたアイテムです。アウトサイド シュートには適していませんが、レイアップシュート(リングへ直接シュート)の練習には最適です。 中学生たちもこの大きなボールのおかげで半年で凄まじい進歩を遂げました。日々の練習は、45分~ 120分、3日練習したら1日休み。というペースでやっていました。もともと練習に対しては、長い時 間練習をすれば勝てるという発想は、全くありませんでしたから、短時間で効率よく練習するように考え ていました。また、学校のクラブ活動は、生徒たちの大切な時間を使うわけですから、ダラダラと長い時 間を費やしてはいけないと考えていましたし、私自身も日本の学生界では、トップレベルの大学でやって きたというプライドがあり、自分が教えたら絶対に強くなると思っていました。 しかし、実際にやってみると、なかなか勝つことができませんでした。校内暴力があまりにもひどかっ たので急遽2月から新任として赴任し、クラブの顧問となり、4月には2年生の担任をもちました。こう した環境の中でクラブ活動をすることは結構難しかったのですが、3年生は夏の地区大会、府下大会で終 わってしまうので、1回も勝たせてやることができない自分に苛立ちさえ覚えました。こんな不良どもで は所詮勝つことは無理なのかもしれないとも考えました。私が来るまでは、練習もしないでずっと遊んで いたわけですから、勝てなくても仕方ないと思うようになっていました。 選手(生徒)にきっかけをつくってやる指導 2 たった8人の不良部員で勝てるようになるわけもないし・・・言い訳がましいことばかり考えはじめて いたとき、大学の監督から連絡があり、『どうや、中学生連れて練習にこいや。』と言われ、断ることも できず子供たちを連れて大学の体育館に行くと『試合するから準備しろ。』と言われたのですが、中学生 相手に勝てないチームなのに大学生と試合するなんてとんでもないことでした。特に、この時の大学の後 輩たちは、日本リーグのチームを相手にしても、ひけを取らないほどのレベルでしたから、やるだけ無駄 だと思っていました。試合の準備ができコートを見ると大学生はベストメンバーでした。この弱い不良中 学生と本気で試合するわけではないと思っていたのですが、まさかベストメンバーでくるとは思ってもい ませんでした。 監督は選手たちに『本気でやれ、いい加減なことはするな。』と指示をしていました。思っていた通り 試合は、容赦なく徹底的にやられハーフラインを1回超えただけで1本のシュートも出来ずに200点近 く取られボロボロにされてしまいました。試合後、監督は子供たちに『よく頑張ったな。普通ならあれだ けやられたら気力もなくなって、ボールを前に進めようとしなくなるもんだよ。お前たちは、たいした根 性がある。』と子供たちを励ますように話してくれました。眉を剃り、髪を染めた生徒たちも大学生の気 迫と威圧感に圧倒され、かなり萎縮し、緊張した様子でした。身体がちょっと当たっただけで、吹っ飛ば され、ファウルをしても逆にはねのけられ、一瞬でボールを取られ、強烈なダンクを見せつけられ、なす すべもなく、自分たちの力のなさを思い知らされ、初めて味わう自分たちの力ではどうにもならない強い 相手との遭遇だったのです。学校では絶対に見せない、子供たちの中学生らしい表情でした。 その後、大学生たちと1時間ほどコートで楽しそうに遊んでいました。私は、監督の真意が分らなかっ たので聞いてみると、『自分たちで何とかしようと頑張る姿勢があるか見たかっただけや。』と言われ、 『お前が考えているのは勝つチーム、わしが考えているのはいいチーム。その違いは他人の評価や。』と 言われ、勝つことしか考えていなかった、この数ヶ月の自分の指導のまずさを痛感しました。 選手(生徒)にきっかけをつくってやる指導 3 勝つことだけを考え、追い込まれたような、余裕のない心情で練習を繰返していたので、生徒たちの様 子が全く見えていなかったのです。その後、勝つことだけに執着していた自分自身の気持も楽になり、い いチームにしようと考え地区大会までの1ヶ月間は、生徒と話しをしながら試合に向けて練習をしました。 その結果、1勝もできなかったチームがあっという間に決勝まで勝ち上がり、準優勝することができまし た。それまでは試合中にケンカになったり、試合後に相手の中学生を殴ったりと、わけの分からないこと ばかりしていた連中が日本のトップレベルの大学生との試合で、力と強さを感じ突然のように変わること ができました。普通ではできないこうした特別な経験が、硬派な不良たちの心に火をつけたのかもしれま せん。 中途半端なヤンキー連中とは違い、自分たちで『やるんだ!』と決めたら、とことん頑張る姿には感服 しました。いいチームにしよう!いい試合をしよう!と生徒たちといろんな話しをし、お互いが納得して、 練習をすることが大切だと感じました。後に、この不良の集まりだったチームの中から日本代表選手が生 まれました。選手が、どんなきっかけで伸び、オオバケしていくかは予想できないことが多々あるもので す。一人の小さな指導者が、自分の固定概念で、つまらない評価をしていては、子供たちの潜在能力を引 き出してやることができない! ヘッドコーチ/チーム作りの考え方 私のヘッドコーチとしての経験、他の優秀なヘッドコーチとの出会いの中で知りえたコーチング・テク ニックについて、どのようにチームを構築し方向性を見いだしていくのかを様々な観点から、私なりの理 解と解釈で説明していきたい。 ヘッドコーチは、プレイヤーを束縛し、管理することが目的ではありませんが、いざコートに立つと強 烈なリーダー・シップを発揮することが必要です。しかし、独裁的である必要はありません。プレイヤー の言うことには必ず耳を傾け、そのプレイヤーの考えを聞き、理解しようとする姿勢を持たなければなり ません。プレイヤーの個性を封じ込めてしまうような指揮官であってはいけないのです。個性的なプレイ ヤーが多いと言われるようなチーム作りを目指すことです。それはプレイヤーの持つ未知の能力を見抜き、 その長所を伸ばすような指導を意味しています。そして、プレイヤーの短所を矯正するための指導に多く の時間をさく必要もありません。悪い部分を矯正するのではなく、プレイヤーの最も良いところを自覚さ せ、自信を持たすようなコーチングに徹することです。単に『プレイヤーの個性を伸ばす』といっても、 なかなか難しいことです。チームとは、もともと性格や能力の違う人間が集まって一つの集団を形成して います。そのため指導者は、プレイヤーを何らかの手段で統率する必要があります。どのような方法をと るかは、それぞれの指導者によって異なりますが、私の場合は、まずプレイヤーの自発性(自ら動きだ す)に任せ、比較的ゆっくりとしたペースでチームをまとめていきます。いわゆる『自発性』から『自主 性』への転移の過程に時間をかけて、プレイヤーを指導するため比較的ゆっくりとしたペースでチームを つくっていきます。 ヘッドコーチ/個性を生かす 個性をチームの中で活かそうとすれば、プレイヤー同志が何らかの摩擦や衝突を引き起こしたり、自分 勝手な行動をとるプレイヤーが出てくるのは当然のことです。てっとり早くチームをまとめるためには、 『絶対封建主義的』な姿勢を指導者が示せば、チームはいとも簡単にレールの上に乗るのかもしれません が、私は、このような安易な選択することはありませんでした。こんな指導方法では、プレイヤーは自分 の個性をチームの中で『力』として発揮することは難しい問題となります。この問題をプレイヤーに全て 任せてしまい、都合のよい時だけ『自主的にやりなさい』ではあまりにも無責任すぎます。自分で考え、 自分でプレイすることの意味を教えてこそ、プレイヤーに『自主的にやりなさい』と言う言葉が意味を持 ってくるのです。プレイヤーの『個性』を伸ばし『チーム』の中でその力を発揮するためには、両者のバ ランスがとれなければなりません。『チームの中で自分の力をどう発揮すべきか』を辛抱強く技術と共に 教えていくというのが私の指導理念です。そして、私は自分の指導しようとする内容をプレイヤーに一度 で聞かそうとはしません。それは、プレイヤーが全てを理解し完全に受入れるためには、時間がかかると いう事実を認識しているからです。この時に、自分が指導しようとすることをプレイヤーが、その通りに やらないと怒ってしまう指導者が多いのですが、プレイヤーは、決してロボットではありませんから、ま ずはプレイヤーの自発性に任せ、時間をかけてじっくりと指導していくことが大切なことなのです。ただ 単に時間がないからという理由で、焦ってプレイヤーを怒って指導したところで良い結果は望めません。 たとえ良い結果が出たとしても、本当の意味でプレイヤーとして成長したかは疑問が残るところです。 コーチングで大切なことは『大局を見極める力』と『忍耐』です。プレイヤーの自発性を尊重すれば、 指導者は『辛抱』し『忍耐』強くなければなりません。しかし、その『辛抱』『忍耐』が受け身であって は、コーチングに支障をきたしてしまいます。そこで必要になってくるのが、プレイヤーの意識構造を的 確に把握した上での指導者としての『心のコントロール』です。私は、よくプレイヤーの近くに行き、 『語りかける』ような『話しかける』ような態度をとります。これは『ポイントを押さえる』ときやプレ イヤーが『異常心理』に陥っているときにこうしたことをします。常にプレイヤーの心理を読み、成長過 程で適切な助言をし、方向付けをしていく指導のテクニックです。こうしたコーチングの下で多くのプレ イヤーは育っていきました。どこのチームへいっても『個性』を失わずにプレーができています。 ヘッドコーチ/コーチングの姿勢 私は『気合い』だとか『根性』だとかいう言葉で、その場をごまかすことを好みません。ゲームの時に 『その気でやれ』ということはありますが、その前提には『その気でやる』とは、どのようにプレイした らよいのかを、練習の中でプレーを通して的確に指導しています。決して精神論を否定するのではありま せんが、それがあまりにも主観的な部分ばかりでプレイにつながる客観性を含んでいなければ、その場だ けのことで終わってしまいます。『もっと気合いを入れてやれ!』と言う前提には、技術がなければ、で たらめなプレーの繰り返しで終わってしまいます。時として指導者が、プレイヤーに対して精神論を唱え だすと、自分の言葉に酔いしれて、止めどなく、喋り続けてしまう傾向があります。 また、プレイヤーに対する要求の基準は、『一生懸命やるのは当然のこと。自分は自分なりに頑張って いる。といった甘えた心情でプレイしていては個人の技術の進歩はありえない。』これが、プレイヤーに 対する要求の最低レベルなのです。指導者の要求に対してプレイヤーが『自分なりに頑張っている。』と いうことを当然のように口にするようなプレイヤーをつくってしまうようなコーチングをしてはならない と考えています。これは、プレイヤー自身の問題というよりも指導者としての姿勢の問題です。見方を変 えれば、分かった様な顔をして、返事だけをしているような選手よりはましなのかもしれません。普段か らプレイヤーに対して絶対主義を押しつけていては、プレイヤーは、こんな態度を見せることはないでし ょう。ましてや指導者に反論することなど絶対にありえないことです。プレイヤーが、いま何を考え、何 を思っているかは、抑えつけていては理解できませんし、指導者としてプレイヤーから学ぶことができな くなってしまいます。私は、プレイヤーとの意思の疎通を尊重し、一方的なコーチングに終始することは ありません。プレーを強要してやらせていては、『言われたことしかやらない』プレイヤーになってしま うおそれがあります。ましてや、プレイヤーが指導者の顔色を伺い、機嫌の良し悪しを観察するようでは、 話しになりません。ボビィ・ナイト(元インディアナ大学ヘッド・コーチ)は、『コーチがコートに立つ ときプレイヤーとの戦いが始まる。』と言っていますが、正にこの言葉どおりだと言えます。指導者の顔 色ばかりを気にするようなプレイヤーをつくってしまう大きな原因は、日々コートに立つときの指導者の 姿勢なのです。ヘッドコーチのコートに立つ時の姿勢は、常に安定していなければなりません。 ヘッドコーチ/ファンダメンタル 技術指導は、ファンダメンタルを徹底的に指導することによってプレイヤーの技量を進歩させ、プレイ ヤーの本来持っているプレーの本質的な部分を進歩させます。それは、プレイヤーの持っている良い部分 を的確に把握することが必要です。そして、コーチとして最大の力ともいえる『プレイヤーの悪い部分』 を直すための多くの手段・方法を知っているということです。また、現在では、選手に恐怖心を与えてプ レーを強要するような昭和初期の見せしめ的教育のようなコーチングなどできません。選手を一個人とし て尊重することを前提としてコーチングをしなければならない時代です。現在の日本のバスケット界には、 カリスマ性のある指導者など一人もいません。選手がコーチに対して恐怖心をもつとしたら、それは、妥 協のないヘッドコーチの姿勢に対してです。現在ではほとんどの人が、同じようにバスケット・ボールの システムについての知識を持っていますが、大切なことは、自分の指導の対象に適しているかどうかであ り、最も重要なコーチングのポイントは、バスケット・ボールについての知識の中でもシステムについて ではなく、ファンダメンタル(戦うための基本原理)を教え込むことができるかどうかなのです。 私のバスケットの原点は、このファンダメンタル(戦うための基本原理)を徹底的に指導し、教え込む ことにあります。ほとんどの人が同じようにバスケット・ボールについての知識を持ってコーチングをし ている現状を考えれば、勝つか、負けるかの差は、『能力のあるプレイヤーをたくさんスカウトし良いタ レントを揃えている』か、『指導者の指導能力』のいずれかです。いずれにせよ、どんなチーム、国でプ レーをするにしても、プレイヤーなり、チームが正しいファンダメンタルを身につけていれば、数多くの ゲームに勝利をおさめることができるわけです。勝利を握るためには、正しい指導と数多くの練習と心身 ともに厳しいハードワークが必要ですが、何にも増して、プレイヤー自身に、より向上したいという意欲 があれば素晴らしいプレイヤーになることも可能なのです。 ヘッドコーチ/ディフェンスのチーム 私の作るチームは『ディフェンスのチーム』として知られていましたが、実際はディフェンスのチーム というよりトランディション・ゲーム(攻防の切り換え)を好み、それを最大の武器としていました。私 は、ディフェンスのチームとは、ディフェンスで勝負できるチームであって、眠くなるようなロースコア ーのゲームを展開するチームではないと考えています。ロースコアーのゲームを展開するチームがディフ ェンスのチームと思われがちですが、バスケットは相手よりも多く得点をしたチームが勝利者です。トラン ディション・ゲームの展開の基本条件として優れたディフェンスを持つことが重要ですが、よりよいオフ ェンスを行うスタートが、ディフェンスだと考えなければ、ロースコアを自慢するようなコーチングでは、 チームも選手の進歩も望めません。速攻から得点するためには、まずオフェンスの動きを止めなければな りません。その手段としてディフェンス力を強化する必要があります。そのためには、選手が肉体的にも 精神的にもタフでなければなりません。そのタフな選手を、つくりだすのは、実戦以上に激しいハードワ ークが必要です。決してだらだらと長い練習をする必要はありません。短く、激しい練習がゲームでは効 果を発揮します。激しいディフェンスはリスクもありますが、相手チームは、簡単にシュートを打たせて もらえないのでセレクションの悪いシュートになり、シュート・セレクションが悪ければシュート確率も 低くなります。そうなればディフェンス・リバウンドを獲得する回数も増え、リバウンドを取れば攻撃回 数も増え、速攻のチャンスも増えます。これがゲームの中で爆発的な速攻をうみだす結果となります。チ ームの速攻は、ゲームの中で凄まじい爆発力をみせ、ファストブレイク⇒セカンドブレイク⇒クイックセ ットへと展開します。ディフェンスは『粘り』と『強い精神力』が要求されますが、これがなければ爆発 的な速攻は期待できません。ましてや相手のミスを待っているようなディフェンスでは、この破壊力のあ る速攻は期待できません。ディフェンスが強いというのは、相手に多くのプレッシャーを継続的に与え続 け、相手を過緊張の中でプレイさせることができなければなりません。それでなければ効果的なディフェン スはできません。 私は、ディフェンスにおいてプレッシャーを継続的に与え続けるために、オールコートの1-1-3か らハーフコート・スパートプレスを行い、フロントラインへのプレッシャーとローテーションを強化しま す。ディフェンスの手段・方法は様々でよいのですが、ディフェンスにおける『粘り』と『強い精神力』 は、技術と共に教えていかなければなりません。速攻は、チーム全員で得点を狙うことができますし、デ ィフェンスは、個人能力が低くても頑張る意欲があれば誰でも上達するものです。たとえ得点能力の高い 選手でもディフェンスで、ひたむきに頑張れない選手はゲームでは使えません。得点能力が高くても一人 で Avg 40~50点も取れる選手はなかなかいません。20点前後しか取れない選手で、ディフェンス ができない選手は、ゲームの勝負どころでは、絶対に使えません。こういう選手は、大事な場面ではベン チへ下げる必要があります。私も以前、女子チームで、185 cm のセンターをもっていましたが、勝負 どころでは、絶対にこの選手は使いませんでした。理由は簡単です。『信頼できないから・・・』ディフ ェンスで計算できない選手を勝負を分ける大事な場面で使うことができません。いい加減な心情の選手を コートに出していて、試合に負けることほど納得のいかない負け方はありません。私は、このセンターを 勝負どころでは必ずベンチに下げていましたが、負けたことは一度もありませんでした。こうしたことか らも分かるように、ひたむきさのない選手、ディフェンスで適当なことしかできない選手は、勝負どころ では、絶対に使えません。社会人になってこんな状態の選手は、なかなか正常な状態には戻りません。背 が高いから、便利だからということで甘やかされて育った選手は、スポーツ選手としての大切な『心』が 育っていません。社会へ出ても、こうした自己中心的な心情はなかなか修正できません。こんなどうしよ うもない選手を作らないためにも『心』の育成は大切です。 ヘッドコーチ/リバウンドとルーズ・ボール 私の指導してきたチームの選手は、所有権のないボールに対しては、とてつもない強さをみせます。特 にリバウンド、ルーズ・ボールに対する執念は、他のチームの選手には真似のできないほどの凄まじいも のがあります。練習中でもリバウンドやルーズ・ボールに対しては、互いが徹底的に戦います。チーム・ メイトが、いい加減なプレイをしようものなら、周囲から容赦のない罵声が浴びせられます。こういった ことに対する厳しさ、戦う姿勢を教えられていない未熟な選手は、時として激しさのあまり感情的になり、 殴り合いになることさえあります。これは決して良いことだとは言えませんが、チーム練習の中でここま で戦うことを、選手に要求し徹底させています。 『甘いプレイをすれば、必ずやられる。』これはコートで戦う以上当然のことです。たまぎわに弱いチ ームは、勝利を逃してしまいます。最近のプレイヤーは、バスケットの技術や様々なシステムについての 知識は豊富ですが、こうしたことの厳しさを教えられているプレイヤーは実に少なくなりました。アジア 大会などを観ていても中国や韓国の選手たちのボールに対する執着心は、日本とは比べものにならないほ どの激しさがあります。戦うためのシステムばかりに目を奪われていては、こうした、戦うための大前提 ができていなければ、日本は、何をしても勝つことはできないでしょう。日本選手のようにルーズボール やリバウンドで弾き飛ばされ、審判に対して、ファールをアピールしているようでは話しになりません。 世界選手権でもオリンピックでもこんなことは常にあることで、レベルが上がればあがるほど、所有権の ないボール争いに対しては、よほど乱暴な行為がない限りホイッスルはなりません。この所有権のないボ ールに対する戦いは、『勝敗を決する』といっても過言ではありません。リバウンド、ルーズ・ボールの 獲得によってチームとしての攻撃回数が増え、攻撃回数が増えれば、得点するチャンスが増大するのは当 然のことです。所有権のないボールに対しての厳しい要求の目的は、チームとして、プレイヤーとして闘 うための、『姿勢』『スピリット』を培うためのものなのです。付け加えれば、インテリジェンスのない 選手は、残念ながら、こうしたことの意味が理解できていません。たとえば、ゲームの手段や戦法として 用いるようなディフェンスの変化で相手を困惑させ、スチールを狙うようなものとは根本的に違うのです。 このリバウンド、ルーズ・ボールは、ゲームをするための大前提です。リバウンドでもルーズ・ボール でも取れるとか、取れないというのは問題ではありません。そこに選手としての『闘う姿勢』があるかど うかが、重要な問題なのです。ルーズ・ボールを取るために体ごと飛び込んで行けば、当然バイオレーシ ョンになったり、ファウルを犯したりと、いろんなリスクがあります。しかし、そういったことを理由に これらのプレーを否定する意味はありません。予想されるアクシデントに対するデメリットより、ゲーム でのメリットの方が、はるかに大きいのです。NBAの選手ですら、あの大きな体で必死にボールを追い かけます。彼らは、ボールの大切さ、勝負の恐さを、身をもって知っているからです。日本で世界に通用 し、結果を残した過去の日本代表チームは、尾崎氏が世界選手権女子で銀メダル、島田氏が男子ユニバー シアード6位、原田氏が女子ユニバーシアード銅メダル、河内氏が男子ユニバーシアード銀メダルだが、 これらのチームに共通していることは、ゲームの大前提である、所有権のないボールに対しての強さにあ る。一つのルーズ・ボールでチームが感動し、熱くなり燃え上がることができるのが大切なのです。私は、 『魂を込めてプレイする』ことを選手に要求し指導します。これがバスケットボールIQを高めることに つながるのです。 ヘッドコーチ/メンタル・エラー 『選手が同じミスを何回も繰り返すのは、コーチの責任です!』指導者が教えきれていないから、選手 がミスを繰り返すは当然のことです。たとえばパス・ミスをした選手に『パス・ミスをするな!』と怒る だけでは、何の意味もありません。もし、成功的なコーチングの方法があるとしたら、こういったところ で指導者自身が問題意識を持てるかどうかです。ここで指導者として考えなければならないことは、『な ぜパス・ミスをしたか。』ということです。選手のミス・プレイの原因を指導者が考えないで、腹立ち紛 れに自分の感情をぶつけてみたところで選手もチームもよくはなりません。能力のある選手を、たくさん 持っていればそれですむかもしれませんが、多くのチームは能力のある選手を、そんなに多く持っている とは思えません。だからこそ怒ってその場を終わらせてはいけないのです。指導者は、いつでもこだわり と探究心をもっていなければ、自分自身の指導力は身につかないのではないのでしょうか。私は、こんな とき必ずミスについての分析をします。 ・ディフェンスの状態はどうだったか ・味方のボールのもらいかたは ・パスの方法は ・パスのタイミングは ・パスの長さは ・プレイの選択は(パス・ドリブル・シュートどれがベストだったか) こういったことの中からミス・プレイの原因を追求し、それはチームとしての問題なのか、それとも個 人としての技術・判断の問題なのかを考えます。ミス・プレイをどう判断し、プレイヤーに返していくか は、それぞれの指導者の考え方で違うのは当然のことですが、その場の感情だけで処理してしまうとミス は絶対に減ることはありません。『プレイのミス』と『プレイの進歩』は、常に表裏一体であり、その扱 い方でプレイヤーもチームも全く違った方向性を示すものです。ミス・プレイというのは、プレイヤーの 技術の未熟さや相手との力の差ばかりではなく、指導者のコーチングにもその原因の一端があります。多 くのプレイヤーは、教えられていない技術(特にファンダメンタル)については、ゲームの中でも練習中 でも、よく同じミス・プレイを繰り返す傾向があります。指導者が、そこに気付けばミス・プレイは、指 導者の捉え方次第で技術の進歩につながるでしょう。ミス・プレイを見たら、そこには何らかの技術の不 足があるのではないかと考えてみることが肝要なことです。 私は、シュート・ミスに対して怒ることはほとんどありません。それは『起こりうることだから・・・』 という考え方がそこにはあります。しかし、決してミス・プレイに対して『仕方がない』といって目をつ ぶっているわけではなく、ミス・プレイに対しては、チームとしての一つの鉄則があります。それは『ミ スした後どうするか。』です。ミス・プレイの内容によってそれぞれ対処の方法は異なりますが、共通す ることは『頭と心の切り換え』『ミスした後の頑張り』です。バスケット・ボールの競技性を考えれば当 然のことです。しかし、この部分をおろそかにして、オフェンスやディフェンスのプレイのシステムばか りに指導者が目を向けていては、本質的なものを見失ってしまうおそれがあります。 絶対に許せないことは、ルーズ・ボールやスクリーン・アウト等のプレイヤーとして、絶対にやらなけ ればなりませんことを怠った時やプレイの組み立てが適切でないときは容赦なく怒ります。しかし、現象 面だけを捉えて怒ることはありませんが、プレイヤー自身の『メンタル・エラー』については非常に厳し く対応します。メンタル・エラーとは、やるべきことをやらなかった。精神的なミスです。 こうした『メンタル・エラー』は、注意力・集中力の欠如によって起こることが多く、この『メンタル ・エラー』の多いチームは、ほとんど実戦で勝利することはできません。メンタル・エラーといっても精 神論だけでの話しではなく、そこには基本的な技術が確実に指導されていなければなりません。 ヘッドコーチ/選手を使いこなす 私の理解する『プレイヤーの使い方』とは、指導方法の中にその多くが隠されているのではないかと考 えています。いわゆる『人間の持つ力』をうまく引き出すことが重要です。選手は指導者の考え方ひとつ で『自己の持つ力』を実戦の中で十分に発揮できるものであり、指導者が個々のプレイヤーの性格的なこ とも含めて、どれだけ選手個々を把握しているかが、選手を使っていくうえで大切な要因になります。ゲ ームでの選手の使い方でも、私は自問自答しながらその展開を考えます。『この大事な場面で、この選手 を使えるのだろうか・・・』と。しかし、選手を使うときは必ず、ある程度のプレーイメージと信頼感を 持って使いますが、どこかに不安感を抱いていることがありますが、結果はいつでも最良のものが得られ ました。初めのうち私自身も『たまたまうまくいっただけだろう』と思っていましたが、こんなことが何 度もあると、これは結果論だけのことではない。と考えるようになってきました。普段の練習の中で選手 の良いところを見つける努力がゲームの局面で誰を使うかの判断を後押ししています。これは選手の起用 に限らず、ゲームの勝負所での指示についても同様のことがいえます。 1シーズンを通して選手に自信を持たせ、チームとして闘うことを教えながら、たくさんのコマを組み 合わせ、1つのゲームの中で最適なコマを捜し出し、ジグソーパズルを作っていくようにゲームを組み立 てていく必要があります。ベンチ・ワークとは、こうした選手の起用ができなければ、選手を使いこなす ことはできません。言い換えれば、特定の選手でしか戦えないようなチームになってしまいます。しかし、 コーチがどんなに素晴らしい采配をふるっても、選手がそれに応えられなければ、何の役にも立たないこ とは言うまでもありません。その采配に応えられる選手を日々の練習の中で育てていかなければなりま せん。 また、コーチはゲームが始まって5分で、ゲームの総体が読めなければ、その場しのぎのベンチワーク しかできません。ゲームが始まり、終盤の展開が読めなければ、全く準備ができないまま接戦の状況へ入 っていってしまいます。そこで慌てても手遅れです。2~3点差の負けはコーチの責任!言われるのはこ こにあるのです。もゲームの展開は、ある程度の範囲で予測はできますが、予測と計算とでは明らかに違 うものです。ゲームのある場面では、確かに計算はできますが、それがゲームの総体となると難しい問題 を含んでいます。コーチがいくら計算ずくでベンチをしていても、選手がそれに対する答えを出せなけれ ば全く意味はありません。ゲームの中で『どの選手を』『どんな場面で』『どう使うか』を的確に判断で きなければ、選手のもっている能力を引き出すことができません。よくゲームの後で、ベンチでの自分の 指示(戦術・戦略)を自慢げに話している人がいますが、その根底にあるのは選手の力なのです。こんな ことは自慢にもなりません。ベンチワークで最も大切なことは、選手の使い方なのです。能力の高い選手 をたくさんスカウトして強いチームを作っている人は別として、特別な選手を持っていないチームのコー チは選手起用には、頭を痛めていると思いますが、使えない選手はいません。コーチが自分に自信がなく、 臆病なだけです。自分の教えている選手を信じて、辛抱強く、常にチャンスを与えつづけましょう。 『おまえには、チャンスを与えてもダメだ!』などと、分かったような顔をして、偉そうに、選手を怒 鳴り散らすような無能なコーチにはならないことです。選手全員に、チャンスを与えつづけましょう。僅 かな時間でもかまいません。必ず可能性が見えてくるはずです。 ヘッドコーチ/考えるバスケット 私のコーチングは『育てる』という言葉は適切ではないかもしれませんが、より実戦的な選手を、数多 く生み出してきたことは確かです。実戦的な選手がたくさんいた理由のひとつには、毎日の練習が、常に 実戦以上の激しさを意識してからです。『闘うためにどうすべきか』を練習の中で常に要求し、『状況に 対する対応』の指導を怠ることはありませんでした。それがチームのモットーである『考えるバスケッ ト』を生んだ要因です。プレイの原則論やチームの約束ごとには、ことのほか厳しかったのですが、それ 以外では、選手のプレイに対しての強制はしませんでした。プレイに対してクレームをつけるときは、必 ずいくつかの選択を促します。『今こうしてプレイしたが、こうやった方がより良いんじゃないのか。』 と。これに対して素直に従う選手がほとんどでしたが、中には自分の意見を絶対に引っ込めないで徹底的 に意見を戦わす選手もいました。選手が納得できないままの状態でプレイをしていれば、コート上での最 高権力者である、指導者のいうことを聞かなければなりません。そうなれば選手は、コーチの言うことだ けを消化するだけで、プレイの中に真の『自発性』は生まれてきません。お互いにとって大切なことは、 『選手はコーチを尊敬し、コーチは一人一人の選手に責任をもって指導する。』という関係を築きあげる ことです。 私のバスケットで欠かせないのは、コーチと選手との信頼関係です。その信頼関係を生み出しているの は、コート上での選手との闘いです。選手はコーチと闘うことによって自分自身を追い詰め、何に対して も『挑んでいく』姿勢を身につけていきます。苦しさに耐えるのではなく、立ち向かうことを教えること ができれば、チームは戦う集団へと変わっていくはずです。また、いつでもコーチが自信をもって、選手 をコートへ送り出すためには、自分自身の指導理論に、確固たる自信と正確性がなければなりません。し かし、難しいのは、それが唯一最良のものだと考えることには、コーチとして問題があります。こうした 兼ね合いを自分で意識し、良いものは取り入れ、悪しきものは、再考する姿勢が大切なのです。プレイヤ ーにとっても、指導者にとっても一番厄介なことは、『考える』ということです。選手が『考える』ため には、それなりの指導が成されていなければ、ただ単に『考えろ』と言っても『何を、どう考えたらいい のか分からない。』ということになります。よくコーチが『状況をみてプレイしろ!』『考えて動け!』 ということがありますが、その言葉に匹敵するだけの物の考え方を教えていなければ、それはコーチの無 責任なプレイヤーへの責任転嫁になってしまいます。プレイヤーが『考える』『計算する』ための多くの 材料を提供し、『実戦では、どうしたらいいのか』を日々の練習の中でコーチングされていなければなり ません。 バスケットの中枢を成してしるのが、この『考えるバスケット』です。技術や戦術だけを教えていても 物の考え方を教えなければ、選手は状況に合わせて動くことはできません。能力の高い選手をスカウトし てチームを作っているコーチは、どんな苦しい状況でも、選手が勝手に解決してくれることが多いので、 結果さえ良ければ、結果論で自分の思うようにコメントもできますし、コーチングの考え方も綺麗ごとで 済むのかもしれませんが、多くのチームのコーチは、選手にそんなに依存することはできません。バスケ ットの中枢を『考えるバスケット』にすることが多くのチームには必要なのかもしれません。 ヘッドコーチ/簡単明解なコーチング 1 コーチによっては『使える選手がいない。』とか『メンバーが悪い』ということを平気で口にする人が いますが、これは『使える選手がいない』というより、コーチが選手を『使えるように指導できない』と いった方がいいのかもしれません。私の学生時代は、チームのほとんどの選手が高校時代は無名の選手ば かりでしたが、大学での4年間で多くの選手が、注目を浴びる選手に成長していました。学生界では、日 本一といわれる指導力をもった監督がいたからにほかならないのですが、この監督は、多くの日本代表チ ームの中心選手を育て、全日本のコーチ、ユニバーシアードのコーチなども歴任し、大きな成果をあげて いました。選手は持って生まれた能力だけで、ある程度のレベルまでは成長することができます。しかし、 その限界を越えるためには、指導者が、いかに正しいファンダメンタルをプレイヤーに教えることができ るかどうかにかかっています。選手の立場で考えると、プレイヤーとして成功する秘訣があるとすれば、 それは天性の才能だけではなく、『プレイを正しくやる方法を知り、常に正しくプレイし続けること』で す。正しいファンダメンタルを忠実にプレイし続けることが、選手として成功できる道なのです。それが チーム・スピリットを生むものなのかもしれません。ファンダメンタルを知っていても、指導できないコ ーチはたくさんいます。受験勉強で暗記をして、単語をたくさん覚えるようなわけにはいきません。ある b j リーグのスクールでヘッドコーチをしているコーチですら、ファンダメンタルという言葉は知ってい ても、実戦的指導は全くできていません。親から金を取って中途半端なことを教えているのですから、子 供たちは、何年たっても上手くなることはありません。はっきり言って、時間とお金の無駄遣いです。 こんな低レベルのコーチングで商売をするのはどうかと思う。地域のボランティアで教えている指導者の 方が、はるかにレベルが高い!難しいことは知っているが、簡単なことを明確に指導できないようでは話 しにならない。 ヘッドコーチ/簡単明解なコーチング 2 故吉井四郎氏は指導者の考え方について著書の中でこう述べています。『指導者の考え方は、人生の早 い時期にその基礎が作られる。そして、その後の体験や経験によって修正されながら形づくられるもので、 指導者のすべての物事に対しての考え方や態度に反映する行動の規範となる。それゆえに、それはプレイ のシステムのように、他の指導者から借りてくることのできるものではなく、独自のものであり、同時に、 努力により後天的に発達させることのできる可能性をもつものである。』というものです。指導者は、技 術をうまく教え込むことも大切な要因ですが、同時に自分自身の指導技術を身に付けていかなければなり ません。そして、私がよく選手に言う言葉があります。それは『できないんじゃない!やるんだ!』とい う言葉です。この言葉の中には、選手が自分なりに頑張っている。という半端な気持ちに対するコーチと しての妥協のない姿勢があります。選手としてコーチの要求に対して『やろうとする姿勢』を持たなけれ ば、いつまでたっても目的意識の持てない選手になってしまいます。このことを、どのようにして植えつ けるかがひとつの、大切な指導技術なのではないでしょうか。 バスケットの原点を一言で表現するなら『簡単明解』なプレーこそが力になるのかもしれません。簡単 なプレイを簡単にやってのけることは、複雑なシステムを理解し、プレイすることより、はるかに難しい ことですが身に付いてしまえば、こんなに強力な武器はありません。私は卒業後、大阪府の中学校の教員 として、男子チームを初めてみたのですが、1年経っても優勝などとは、ほど遠いものでした。そして2 年目に『なかなか強くならない。何かいい練習の方法はないか?』と。必死で考えるようになりました。 いま考えれば簡単なことだったのですが、あの頃は必死でした。いま自分が教えている選手は、どういう 選手なのかよく考ええみました。中学生は、どういう成長の過程にいるかを考えているうちに、練習の方 法ではなく、彼かの成長について考えてみたのです。学生時代に勉強した、教育心理の教科書を読み返し てみました。そこで、きっかけを見い出したことは、いうまでもありませんが、それ以降、私は『簡単で 明確』なプレイを子供たちに指導することに徹し、僅か1年余りで最高の結果を得ることができました。 地区の予選で面白いように勝ち始め、あっと言いる間に、大阪府大会で夏・秋と連続優勝することができ ました。今までは、地区予選の2回戦ぐらいが最高だったチームが400校ほどもある、大阪府の中学校 の頂点に立てるとは思ってもいなかったことです。こういうことからも判るように、基本はこの『簡単な プレイ』『明解なプレイ』を徹底指導することにありました。例えば次のような基本的なプレイがありま す。パスをする ⇒ ボールサイドを走る ⇒ パスをもらう ⇒ シュートをする、こういった一連の オフェンスの基本的な動きをどう指導していくかが、重要なポイントになります。また、相手のプレスデ ィフェンスに対しても難しいプレスオフェンスを教えても実戦ではなかなか上手くいきませんが、インプ レイ ⇒ ハイカウンター ⇒ ショートカウンター ⇒ トレールで簡単にゴール付近までボールを進 めることができます。このプレイの流れは決して難しいものではありませんが、これをウォーミングアッ プがわりに毎日、練習をしていると、どんなプレスに対しても、有効なものだということを選手も理解で きるようになります。『簡単なプレイを、簡単にやってのける。』ことができる選手をつくりあげるため の指導の巧みさがコーチングの特質すべき点だと考えています。 ヘッドコーチ/本物を目指すコーチング 最後にコーチングの特質について簡単に述べておきたい。ファンダメンタル(プレイの基本原理)につ いての指導は、ことのほか厳しく細部にわたって指導し、システムの中で選手が状況判断に困って、『ど うしたらいいのか』という質問に対し、『そんなこと知らん!自分で考えろ!』と言えることも大切なの です。コーチは、選手に『一から十まですべてを教える必要はない』と考えています。『 Not teacher but coach 』という言葉が意味するものは、大切な事は、選手が『自発性』によってプレイを選択し、状況に 対応していくことができるようにならなければなりません。そのために指導者は、選手に適切な助言をし てやることが必要です。指導者が、選手を『ロボット化』してしまうことは、その選手が、そのチームに いる間は、いいかもしれませんが、ひとつ上のチームへ行ったときに力を発揮できずに終わってしまうケ ースがあります。あるシステムの中でしか生きられない選手は、自立できません。どんなチームへ入って も適応できるだけの基礎能力やプレイのファンダメンタルはもちろんのこと、『プレイに対する物の考え 方』を確実に選手に教え必要があります。 特に最近では、誰もが簡単にプロになれる時代です。プロだからレベルが高いとはいえません。バスケ ットだけをして給料をもらうか、バスケットと仕事をして給料をもらうかの違いだけです。今までの社会 人チームが、プロと呼ばれるようになっただけで、選手の質は、とてもプロといえるようなレベルだとは 思えません。そして、コーチは自分のチームのプレイヤーが、将来『日本』のバスケット・ボール界で役 立つためには、どう指導したらいいのかを最もよく理解し、知っていることが大切です。
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