中国巨龍

『チャイニーズ・ドラゴン』 1995~1996[前期], 2002~2004[後期]
1995 年の課題
1995 年1月3日
インフレ問題 95 年1月 10 日
国有企業の株式化 95 年1月 17 日
急ぐ輸送近代化 95 年1月 24 日
2000 年までに金融開放 95 年1月 31 日
国際ハブ空港 95 年2月7日
三法解説 95 年2月7日
円借款 95 年2月 14 日
華人社会を考える 95 年2月 21 日
エネルギー事情 95 年2月 28 日
土地付加価値税 95 年3月7日
知的所有権 95 年3月 14 日
国家統計局公報 95 年3月 21 日
全国人民代表大会 95 年3月 28 日
中国的商社 95 年4月4日
法治国家 95 年4月 11 日
観光ビジネス 95 年4月 18 日
情報産業 95 年4月 25 日
中国ホテル事情 95 年5月2日
中国への円借款 95 年5月 16 日
国有企業改革 95 年5月 23 日
酸性雨問題 95 年5月 30 日
金融開放 95 年6月6日
陳雲葬儀 95 年6月 13 日
李登輝訪米 95 年6月 20 日
市場経済の旗手 95 年6月 27 日
ニーダム・パズル 95 年7月4日
lost-file 95 年7月 11 日
中国の胃袋は脅威か 95 年7月 18 日
ハリー・ウー問題 95 年7月 25 日
賄賂退治 95 年8月1日
ブラウン氏の食糧予想 95 年8月8日
浦東開発5周年 95 年8月 22 日
北戴河会議 95 年8月 29 日
ヒラリー夫人の訪中 95 年9月5日
1
香港は死なず 95 年9月 12 日
『鄧小平文選』その195 年9月 19 日
『鄧小平文選』その295 年9月 26 日
中台関係の緊張 95 年 10 月3日
外資いじめ 95 年 10 月 10 日
九五計画 95 年 10 月 17 日
T字型・π字型・目の字型 95 年 10 月 24 日
特区論争 96 年 10 月 31 日
特区論争295 年 11 月7日
大阪APEC95 年 11 月 14 日
李登輝会見記 95 年 11 月 21 日
辜振甫来日 95 年 11 月 28 日
アスペン会議 95 年 12 月5日
食糧輸送網 95 年 12 月 12 日
人民元の交換性 95 年 12 月 19 日
国家開発銀行 95 年 12 月 26 日
1996 展望 96 年1月9日
八五計画の総括 96 年1月 16 日
中国脅威論か 96 年1月 23 日
国有企業改革のコスト 96 年1月 30 日
江沢民講話 96 年2月6日
朱鎔基講話 96 年2月 13 日
朱鎔基講話つづき 96 年2月 20 日
金融工作会議 96 年2月 27 日
世界銀行報告 96 年3月5日
上海九五計画 96 年3月 12 日
上海九五計画その296 年3月 19 日
スワニー問題 96 年3月 26 日
李登輝総統再選 96 年4月2日
中国脅威論批判 96 年4月9日
中文昇級版 96 年4月 16 日
ミサイルの理由 96 年 4 月 23 日
村田忠禧漢字論 96 年4月 30 日
続スワニー問題 96 年 5 月 7 日
香港返還 96 年5月 14 日
2
総統のアドバイザー96 年5月 21 日
中国イメージの悪化 96 年 5 月 28 日
『中国文化大革命博物館』96 年6月 4 日
アジア縦断鉄道 96 年6月 11 日
『人民日報』CD-ROM96 年6月 18 日
環境白書 96 年 6 月 25 日
愛知大学創立50周年 96 年7月 2 日
インターネットと中国情報 96 年7月 9 日
世界銀行の中国専門家 96 年7月16日
毒入り饅頭の話 96 年7月23日
検証『突然の撤退勧告』96 年7月30 日
『中国巨龍』2002~2004
『中国巨龍』NHK 吉利自動車報道(上)2002 年 07 月 02 日
『中国巨龍』NHK 吉利自動車報道(下)2002 年 07 月 09 日
『中国巨龍』中国産野菜の残留農薬問題 2002 年 07 月 16 日
『中国巨龍』中国通を試すリトマス紙 2002 年 07 月 23 日
『中国巨龍』省級書記の若返り人事 2002 年 07 月 30 日
『中国巨龍』マスコミ批判 2002 年 08 月 06 日
『中国巨龍』外貨準備高は 2400 億ドル 2002 年 08 月 20 日
『中国巨龍』余秋雨『千年一嘆』2002 年 08 月 27 日
『中国巨龍』党大会は 11 月にずれ込む 2002 年 09 月 03 日
『中国巨龍』人々の生活を映し出す流行語 2002 年 09 月 10 日
『中国巨龍』
「迷惑」の二文字 2002 年 09 月 17 日
『中国巨龍』胡耀邦の息子胡徳平 2002 年 09 月 24 日
『中国巨龍』金正日の深圳特区視察 2002 年 10 月 1 日
『中国巨龍』小泉首相「忠恕」の揮毫 2002 年 10 月 15 日
『中国巨龍』台湾積体の大陸進出 2002 年 10 月 22 日
『中国巨龍』上海・武漢高速路開通 2002 年 10 月 29 日
『中国巨龍』東アジアの芳隣関係 2002 年 11 月 5 日
『中国巨龍』自動車政策の失敗 2002 年 11 月 12 日
『中国巨龍』ヘアヌード解禁 2002 年 11 月 19 日
『中国巨龍』胡錦濤記者会見 2002 年 11 月 26 日
『中国巨龍』三つの代表論への疑問 2002 年 12 月 03 日
『中国巨龍』人事を当てた多維新聞網 2002 年 12 月 10 日
『中国巨龍』
『名前を返せ』の叫び 2002 年 12 月 17 日
『中国巨龍』東アジア自由貿易圏 2002 年 12 月 24 日
3
『中国巨龍』日台断交 30 年 2003 年 1 月 7 日
『中国巨龍』小林弘二「ポスト社会主義の中国政治」2003 年 1 月 14 日
『中国巨龍』劉達臨「中国性愛文化」2003 年 1 月 21 日
『中国巨龍』自動車生産の大躍進 2003 年 1 月 28 日
『中国巨龍』QFII と証券市場 2003 年 2 月 4 日
『中国巨龍』エスニック・ジョーク 2003 年 2 月 18 日
『中国巨龍』「鄭超麟回憶録」2003 年 2 月 25 日
『中国巨龍』朱鎔基礼賛の雑誌回収 2003 年 3 月 18 日
『中国巨龍』改めて「一つのアジア」を語る時代 2003 年 3 月 11 日
『中国巨龍』北京市における意識調査」2003 年 3 月 4 日
『中国巨龍』改めて「一つのアジア」を語る時代 2003 年 3 月 11 日
『中国巨龍』朱鎔基礼賛の雑誌回収 2003 年 3 月 18 日
現代中国を読む 53『チャイニーズ・ドラゴン』2003 年 8 月 5 日上期の流行語
中国を読む 54『チャイニーズ・ドラゴン』2003 年 8 月 12 日一知半解の朝日特派員
中国を読む 55『チャイニーズ・ドラゴン』2003 年 8 月 26 日沁園春・薩斯サーズ
中国を読む 56『チャイニーズ・ドラゴン』2003 年 9 月 2 日新思惟「対日新思考」
中国を読む 57『チャイニーズ・ドラゴン』2003 年 9 月 9 日
中国を読む 58『チャイニーズ・ドラゴン』2003 年 9 月 16 日田中・毛沢東会談のナゾ
中国を読む 59『チャイニーズ・ドラゴン』2003 年 9 月 23 日要人往来にみる中朝関係
中国を読む 60『チャイニーズ・ドラゴン』2003 年 9 月 30 日胡錦濤の西柏坡
中国を読む 61『チャイニーズ・ドラゴン』2003 年 10 月 14 日『新思考』関係論文
中国を読む 62『チャイニーズ・ドラゴン』2003 年 10 月 21 日廖承志通訳の役割
中国を読む 63『チャイニーズ・ドラゴン』2003 年 10 月 28 日人民元専門家会議
中国を読む 64『チャイニーズ・ドラゴン』2003 年 11 月 4 日人気没落陳水扁総統
中国を読む 65『ドラゴン』2003 年 11 月 11 日李纓監督の『味 Dream Cuisine』
中国を読む 66『チャイニーズ・ドラゴン』2003 年 11 月 18 日『珠海千字宣言』
中国を読む 66『チャイニーズ・ドラゴン』2003 年 11 月 25 日ミスター政治家コンテスト
中国を読む 67『チャイニーズ・ドラゴン』2003 年 12 月 2 日馮賓符の生涯
中国を読む 67『チャイニーズ・ドラゴン』2003 年 12 月 9 日「新思考」論争のその後
中国を読む 68『チャイニーズ・ドラゴン』2003 年 12 月 16 日『中国人、食を語る』
中国を読む 69『チャイニーズ・ドラゴン』2003 年 12 月 23 日温家宝の訪米
中国を読む 72『チャイニーズ・ドラゴン』2004 年 1 月 6 日新思考シンポジウム
中国を読む 73『チャイニーズ・ドラゴン』2004 年 1 月 13 日台北の新正月
中国を読む 74『チャイニーズ・ドラゴン』2004 年 1 月 20 日「西気東輸」プロジェクト
中国を読む 75『チャイニーズ・ドラゴン』2004 年 1 月 27 日韓国の対中輸出急増
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『チャイニーズ・ドラゴン』 95 年1月3日
95年の課題
一九九五年の中国を展望してみたい。大方の強い関心を呼んでいるのは、Xデー、すなわち
「鄧小平がマルクスに会う日」であろうが、これは基本的にはすでに織り込み済みである。九
四年九月に開かれた一四期四中全会で「江沢民を中核とする中国共産党の第三代の指
導体制」がすでにスタートしているからである。中南海において新指導部が実質的に新たな
スタートを切ったのに対応して、党組織の再建にも力を入れている。
九五年の中国経済の課題は、第一に国有企業の改革、第二に失業保険や医療保険な
ど社会保障体制の改革、第三に、金融財政制度のさらなる改革であろう。国有企業の改
革とは、実質的には赤字企業に対する破産処理と優秀企業の株式化である。破産措置
は失業対策とセットで行なうほかないので、これまで繰延べされてきたが、すでに失業保険法
のモデルなどもできており、新年から試点都市において逐次断行されることになろう。すでに
上海では最長二四カ月まで月当り一五〇元支給する雛形ができている。
GNPの成長率は九四年の一一・五%をさらにスローダウンさせて九∼一〇%に抑える意向
である。成長率をこの程度に抑えることができれば、成長に伴う「成長インフレ」も一段落し、
一〇%台の半ばに落ち着くはずである。九四年のインフレの最大の要因は相対価格の調
整によるものである。すなわち値上がり分の六割は食糧品の値上がりと関わっていた。食管
財政の赤字解消には生産者価格と消費者価格の逆ザヤを改善するほかない。九四年の
消費者価格の値上がりをもたらした要因の過半は、相対価格の調整に起因するという意味
で一過性のものである。九五年の食糧生産量が平年作を確保できるならば、この部分につ
いては落ち着くはずである。
中国ではいま市場経済の大波に洗われて拝金主義と利己主義が横行し、汚職やゆすり、
たかりが蔓延している。九五年はこれらの腐敗反対、商業道徳の向上も努力を要する。共
産党独裁は秩序の維持には好適だが、独裁体制の陥穽は権力の腐敗である。腐敗対策
をなおざりにすると民心は政治から離れる。古来「水能載舟、亦能覆舟」(水は舟を載せる
が、舟を覆しもする)という。紀律の弛緩を建て直し、社会秩序の安定を確保することによっ
てのみ、中国は安定成長への軌道を模索することができよう。九五年を景気の踊り場にでき
れば、九六∼九七年に再度、成長路線に転換できよう。
・
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Yabuki Susumu: Chinese Dragon
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『チャイニーズ・ドラゴン』 95 年1月 10 日
インフレ問題
一九九四年一∼一〇月の消費者物価指数は対前年同月比で二七・七%となり、「三割
台のインフレ」として大きな話題になっている。物価はなぜ上がるのか。さまざまな要因による
ものである。第一は、農産物の買上げ価格と消費者価格をともに引き上げたためである。こ
の間の事情はやや複雑である。従来は農民の所得保障のために生産者からの買付け価格
を引き上げてきたが、消費者価格は据え置いたので政府の財政赤字が増大した。この財政
赤字を解消するために消費者価格を値上げせざるをえなくなった。
この食糧価格の値上げが「便乗値上げ」を誘発したのは、かつての日本でもよく見られた現
象である。ところで九四年の食糧生産量は史上最高の九三年の四・五六億トンと史上第
二の九二年の四・四三億トンの中間程度と推定されている。したがって必ずしも「絶対的不
足」というほどではない。ただし一部の地域で洪水などによる減産があり、他方で流通面の
市場経済化が進展しているために、価格水準が投機的な業者によって高い水準で操作さ
れた。品薄感を利用して流通業者がもうけたわけだ。これに対して政府は生産量をふやし流
通在庫を確保すべく生産者からの買付け価格を値上げした。こうして食糧は四割、綿花は
六割程度値上げされた。小売商品のうち農産物は六割近くを占めているから、今回の消費
者物価値上がりのかなりの部分が農産物によるものであることが分かる。この事実に気づい
た政府は農業重視に転換したので、来年はよほどの凶作でないかぎり、食糧価格は安定す
るものとみられる。
第二の要因は、石炭、石油、輸送運賃などの値上げである。これらの価格はコストを償え
ないほどに安い価格に釘付けされてきた。これを市場メカニズムによって価格水準が決まるよ
うに自由化する試みが進行している。これはエネルギー産業の発展のためには必要な措置
だが、エネルギーの値上がりは、それを消費するあらゆる分野に波及するのは避けられない。
以上の二つの値上がりは相対価格の調整によるものだ。第三の要因は激増する直接投資
である。九三年は二八〇億ドルの流入があり、九四年はこれをさらに上回った。外資が流
入すればそれを根拠として人民元が増発される。こうしてマネーサプライが行なわれ固定資
産投資が増加した。この過熱経済こそがインフレの根本的原因である。九五年は成長率を
スローダウンさせるので、インフレも落ち着くはずである。
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『チャイニーズ・ドラゴン』 95 年1月 17 日
Yabuki Susumu: Chinese Dragon
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国有企業の株式化
今年の中国経済の見所は国有企業の株式有限公司化である。私は経済企画庁の委託
調査のために、昨年一〇月に上海市と重慶市の国有企業を八つ訪問し、国有企業改革
の最前線の事情に触れる機会があり、得るところ大きかった。上海では、国有資産管理弁
公室の幹部や経済体制改革委員会の幹部から上海における国有企業改革の概況を聞
いた。企業は国有企業であれ、合弁企業であれ、市場での競争の主体にならなければなら
ない。外資との合弁であれ、法人による持ち株化であれ、改革の方法はいろいろある。
税制改革によって所得税は五五%から三三%に減ったが、合弁企業なら一五%に減税さ
れる。これを利用しない手はない。かくて国有企業をまず株式有限公司とし、さらにB株を発
行し、事実上の合弁企業化する道が開けた。B株の発行によって資本金の四分の一以上
が外資になれば、合弁企業として扱われる話が面白かった。では国有資産の管理はどうな
るのか。上海では国有資産管理局が一五の「経営公司」に資産管理を委託した。たとえば
上海紡織国有資産経営公司、上海儀電国有資産経営公司、上海電気集団総公司、
上海建工集団総公司、上海建材集団総公司、上海物資集団総公司、上海東風機械
集団総公司、上海太平洋化工集団総公司などだ。これは国家を代表して、国有資産の
価値増殖のために努力する持ち株公司である。破産宣告の例としては、上海第二織帯公
司があげられる。ここでは国有資産を処分して債務を支払ったのち、なお残った赤字二〇〇
万元は銀行が債券を放棄した。破産企業の労働者は再就職組、引退組、訓練と再教育
組、失業保険受給組などに分かれた。上海では一二万人を解雇したが、失業保険は月
額一六〇元で、最高二四カ月間もらえる。保険の原資は企業から月給総額の〇・五%を
徴収することにした。
B株を発行して最も影響を受けたのは、意外にも「会計制度を国際的準則に合わせる」必
要が生じたことであった。たとえばこれまでは曖昧にされてきた不良債務を確実に処理するこ
と、これまでは必ずしも行なっていなかった資産評価を現行為替レートによって毎年行なうこ
と、これまでは税引き後に行なっていた福利基金の積立てを税引き前に行なうこと、などであ
る。こうした外圧で「意識改革」のできたことが最大のメリットと語ってくれた上海真空電子股
有限公司の周勤岳氏の話が印象的であった。
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『チャイニーズ・ドラゴン』 95 年1月 24 日
急ぐ輸送近代化
Yabuki Susumu: Chinese Dragon
8
中国では古来「南船北馬」が物流の主な手段であった。水の豊かな南方は船、すなわち水
運が主であり、大平原の連なる北方では馬が主な輸送手段であった。水運の重要性はい
まも変わらない。最新の国家統計局編『中国統計年鑑一九九四』によると、一九九三年
の貨物輸送量は全体で三・〇五兆トンキロであったが、このうち水運は一・三八兆トンキロ
で四五・四%を占めている。ついで鉄道が一・一九兆トンキロで三九・二%を占める。両者
で八割五分を占めている。鉄道は全国に分布しているから、「南船」は確かだが、「北鉄」と
はいえまい。
中国では本格的なモータリゼーションは今後の課題であり、道路を利用したトラック輸送は
四〇七〇億トンキロで一三・三%にとどまっている。航空輸送は一六・六億トンキロで〇・
〇五%にすぎない(同年鑑、四六一頁)。
輸送手段の性格によって遠距離向きのもの、近距離向きのものに分けられる。貨物輸送の
平均距離は一九九三年のばあい、二七四キロであった。最も距離の長いのは航空輸送の
二三九三キロメートルであった。ついで水運の一四一五キロメートルがつづき、鉄道は水運
の約半分の距離、すなわち七三五キロメートルである。道路は四八キロメートルにすぎない
(同年鑑、四六二頁)。
日本では高度成長期以後、鉄道輸送が衰退し、トラック輸送に代替した。中国はまだ高
速道路は大連─瀋陽、天津─北京、上海─南京など、一部の地域を結んだだけであり、
全国を結ぶハイウェー建設は今後の課題である。長春の第一汽車(自動車)工場、十堰の
東風汽車集団公司(旧第二汽車工場)など、トラック生産の近代化も今後の課題である。
鉄道輸送の主な荷物は何であろうか。九三年の鉄道輸送は、前述のように一・一九兆トン
キロであったが、その内訳を見ると、石炭は三五八〇億トンキロで全体の約三割を占めてい
る。これは全国平均であり、産炭地の山西省では九割以上であり、五割以上が石炭という
路線も少なくない。ここから産炭地発電所の建設により、鉄道の負担を軽減する努力も試
みられている。石炭につぐのは鉄鋼九八〇億トンキロ、食糧七七〇億トンキロなどである。
鉄鋼は八%、食糧は六%のシェアである。大連新港や上海浦東地区のコンテナ埠頭の建
設に象徴されるように、物流業界の近代化も急ピッチで進められている。
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『チャイニーズ・ドラゴン』 95 年1月 31 日
2000 年までに金融開放
Yabuki Susumu: Chinese Dragon
9
九四年元旦を期して、中国が断行した兌換券の廃止による交換レートの一本化は、幸い
成功した。九四年四月から開かれている新外国為替市場は銀行間取引によって外貨を売
買する仕組みであり、人民元と外貨の交換レートは一定の範囲内で変動する「管理フロー
ト制」である。人民元の交換レートは、一本化にさいして一米ドルあたり五・七人民元から
八・七元へと五割程度安くなったが、九四年半ばから八・四元へと元高に転じて今日に至っ
ている。九五年も前半は八・四元を維持できるものとみられる。今後の中期目標は人民元
と外貨の完全兌換を実現すること、すなわち人民元の交換性の回復である。西暦二〇〇
〇年までには実現する計画であり、それに伴う金融体制改革のために、さきごろ中国国家
外国為替管理局の視察団が日本銀行、大蔵省、東京証券取引所、興業銀行、野村証
券などを訪問し、日本の為替管理手法や金利政策、サムライ・ボンド(円建て外債)の発
行手続きなどをヒアリングした。
さて当面の金融開放の焦点は、一つは外国銀行の北京支店開設である。第一弾として、
米のシティバンク、仏のインドスエズ銀行、香港の香港上海銀行、日本の東京銀行までが
かたまり、もう一つの枠をめぐって興業銀行と三和銀行がしのぎを削っていると伝えられる。当
面のもう一つの焦点が外国銀行に対して人民元取扱い業務を開放することである。上海の
『解放日報』(九五年一月一一日付)は上海で開業している外国銀行に対して人民元取
扱い業務を近く許可する方針であるという中国人民銀行(中国の中央銀行)上海支店の
林副支店長の発言を報道した。外国銀行の人民元の取扱いが可能になれば、取引先の
合弁企業などの人民元需要に応えることができるわけであり、合弁企業の活動がより展開
しやすくなることはいうまでもない。部品輸入などをめぐってかつては外貨確保の困難性が語
られることが多かったが、原材料調達や人件費の支払いなど人民元の確保もスムーズでな
ければならない。ところで三和銀行は天津や深、大連などの中国系銀行と人民元あっせん
の協定を結ぶ形で人民元確保を図ろうとしている。日系合弁企業が三和銀行の仲介で中
国系銀行に外貨預金を預託する。それを担保として中国系銀行が人民元を貸出す形であ
る。このように直接扱えない人民元を中国系金融機関との連携強化によって間接的に調
達しようとする試みも模索されている。
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『チャイニーズ・ドラゴン』 95 年2月7日
国際ハブ空港
Yabuki Susumu: Chinese Dragon
10
中国の民用航空は八四年までは中国民航局の独占経営であった。お役所経営の典型的
な事例としてしばしば槍玉にあげられたが、改革によって、まず空港管理と航空会社の経営
が分けられ、各部門や各地方当局の航空会社作りが相次いだ。中国民航のほかに、厦門、
北京、上海、安陽、武漢、成都などに厦門航空公司(八四年三月創立。中国民航と福
建投資企業公司、厦門経済特区建設発展公司との合弁)、中国連合航空公司(八四
年九月創立。民航のカバーしていない都市を結ぶ地方政府の連合経営)、上海航空公司
(八五年一二月創立。上海市と上海対外貿易総公司、錦江連営などの合弁。現東方
航空公司)、中原航空公司(八六年五月創立。河南省安陽市当局が出資)、武漢航空
公司(八六年四月創立。武漢市が出資)、四川航空公司(八六年九月創立。四川省人
民政府が認可。現西南航空公司)などの「地方航空公司」が設けられ、航空機を買付け、
輸送業務を展開した。
現在、主要都市からは放射状に数十の航空路線が伸びている。たとえば北京からは全国
五四都市に六五本の路線、広州からは全国五一都市に六五本の路線、上海からは全国
四一都市に四三本の路線、成都からは全国三四都市に四〇本の路線、西安からは全国
三七都市に五二本の路線、瀋陽からは全国三〇都市に三二本の路線、ウルムチからは全
国二四都市に二三本の路線が伸びている。国際線をみると、中国民航は五大洲の二七カ
国三七の都市に国際線を乗り入れ、また二〇余りの外国航空会社が中国に乗り入れてい
る。
中国の航空事業が市場経済の原理をとりいれて大空に飛翔しはじめてまだ日は浅いが、近
年の発展ぶりはめざましいものがある。ちなみに中国が昨年輸入した民用航空機は九二機
であった。その内訳は、大中型輸送機四八機、小型輸送機二機、初級訓練機四二機で
ある。現在、中国の航空会社が保有する旅客機、輸送機は四五〇機あまりだが、西暦二
〇〇〇年までには、さらに四〇〇機の購入の計画がある(『国際貿易』九五年一月二四
日)。昨年の空港整備状況をみると、海南三亜空港、武漢天河空港など八空港が新たに
建設され、チベット邦達など一〇空港が拡充された。これによって中国の空港を備えた都市
は一一三になった(『人民日報』九五年一月二日)。九六年には国際的ハプ空港を目指す
上海浦東新空港の建設工事に着工する。「日本のローカル化」を危惧する声が高まってい
る。
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『チャイニーズ・ドラゴン』 95 年2月7日
三法解説
Yabuki Susumu: Chinese Dragon
11
中国は法治国家への歩みを急いでおり、九五年元旦から施行された法律が三つある。いず
れも外資が合弁企業などをつくるばあいに直接に影響するのでよく研究しておく必要がある。
まず土地や建物の取得に際しては、「中華人民共和国城市房地産管理法」ができた。ここ
で「城市」とは都市の意、「房地産」とは建物と宅地、すなわち不動産の意である。同じく昨
年七月五日に全人代常務委員会で採択された(全文は『人民日報』九四年七月七日)。
全七章七二カ条からなる。土地の使用権の譲渡や政府による強制収用、宅地開発や不
動産取引、そして不動産の登記についての法律である。本紙(九四年一一月八日付)で
はすでに「外国資本への土地開放」を紹介したが、使用権自体についての考え方は内外を
問わない。上海はいま不動産ブーム、開発ブームである。
第二に合弁企業が労働者を雇うばあいには、「中華人民共和国労働法」を守らなければ
ならない。これは昨年七月五日に全人代常務委員会が採択した(全文は『人民日報』九
四年七月六日)。全一三章一〇七カ条からなり、日本の労働基準法に似た規定が多い。
現在、この法律に基づいて各地で「最低賃金制」が検討され、すでに上海、北京、広東、
福建、山東、浙江、遼寧、貴州の八省市で実施されている。これによって「女工哀史」的苦
汗労働をなくすことを狙っている。
最後に、合弁企業やその関係者が国家の落度により損害を受けたばあいには、「中華人民
共和国国家賠償法」により提訴できる。これは昨年五月一二日の全人代常務委員会で
採択された。全六章三五カ条からなる。国家や国家機関が個人や法人の利益を損なった
ばあいに補償を求める権利を認めたものである。内容は行政賠償と刑事賠償に分かれるが、
それぞれについて賠償の範囲、賠償の手続き、賠償の方式と計算基準を定めている(全文
は『人民日報』九四年五月一三日)。
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『チャイニーズ・ドラゴン』 95 年2月 14 日
円借款
日本はこれまで三次にわたって中国に対する円借款を提供してきた。すなわち七九年の第
一次円借款に始まり、八四年の第二次、八八年の第三次でそれぞれ三三〇〇億円、四
七〇〇億円、八一〇〇億円ずつ、計一兆六一〇〇億円である。九四年一二月、村山
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富市総理のもとで第四次円借款として一九九六∼九八年の三カ年分として五八〇〇億
円の供与が約束された。
第四次円借款の特徴を考えてみると、第一は、政策対話の強化である。これは対象期間
一九九六∼二〇〇〇年の五年間を前半の三年と後半の二年に分けたことにも反映され
ている。
日本政府はかねてODA四原則を示して、この基準に照らして経済協力を行なう方針を表
明してきた。また故大来佐武郎を座長とする国際協力事業団の『中国・国別援助研究会
報告書』も、旧大平三原則(1)欧米諸国との協調、2)ASEANとのバランス、3)軍事協力
はしない)を発展させた新四原則を提起している。
すなわち 1)日中友好、世界平和のために、2)経済改革、対外開放を支援して、3)経済発
展による不均衡の是正のために、4)人口、国土の規模に配慮して、中国援助を行なうべき
だとする提言である。
私自身、この大来委員会の末席を汚した者として政策対話を期待している。近年、中国が
核実験を繰り返したことは、被爆国家日本の世論を著しく傷つけ、援助打切り論も登場し
た。しかし日本政府は長期的、大局的な見地からひきつづき円借款を積極的に行なう方
針を堅持したものと考えてよい。
第二は大気汚染防止、汚水処理関連など環境対策が円借款に初めて登場したことであ
る。中国経済の高度成長をめぐって地球環境の悪化を懸念する声が少なくない。環境対
策を一歩進めたことには大きな意義がある。第三の特徴は内陸地区の重視、農業の重視
である。円借款は元来無償供与ではなく有償供与である。これまでは沿海地区のインフラ
整備が喫緊の課題であったこと、返済を要することなどからして、沿海地区のインフラ建設に
向けられるものが多かった。しかし、いまや内陸地区の発展が急務となってきたこと、農業の
相対的立ち遅れが食料品価格の値上がりを招いていることなどにかんがみて、これまでは欠
けていた地域、分野に重点をシフトさせている。
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『チャイニーズ・ドラゴン』 95 年2月 21 日
華人社会を考える
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私は一九七〇年代初頭にシンガポールの南洋大学に遊学した。この大学はその後、リーク
ワンユー(李光耀)によってシンガポール大学に統合され、その名称が消えた。シンガポールが
英語をメディアとして高等教育を行なう大学であるのに対抗して、この大学は「華語」をメディ
アとし、それゆえにリークワンユーから目の仇にされ、廃校させられたのである。現在のリークワ
ンユーは東南アジア経済世界のビジネス言語としての「華語」を提唱するに至っているから、
今日の風潮しか知らないと四半期前の状況は理解しにくいであろう。私は遊学体験を「華
人社会に暮らし、日僑社会を考える」(『中央公論』一九七四年三月号)という一文に書い
た。中国からの移民、難民が「華僑」から「華人」となり、現地社会の市民として「共棲」「共
生」の道を歩みはじめたのに対して、東南アジアの日本人社会のほうが「日僑社会」のなか
でのみ暮らし、摩擦を生じている側面を強調したのであった。
日本という国に住み、日本語を話す日本人が圧倒的部分を占めている世界のなかで、クニ
や人種や言語の輪郭を想定している人びとにとって「華人・華僑社会」はもっとも理解しにく
い存在であろう。日本人がこの世界について語るのを聞くとき私が大きな違和感を感ずるの
は、私はシンガポールなり、マレーシアでつきあった生身の友人たちの具体的な顔を想起しな
がら、話しているのに、それを理解してもらえないもどかしさからである。華人はご先祖はたし
かに中国人であったが、彼ら自身は人種的、血統的には中国人だとしても、居住国の旅券
をもち(国籍)、言語生活は、英語の得意な人びと、華語の得意な人びと、居住国の言語
をマスターした人びとなどさまざまである。
アジアNIEsが経済的に離陸し、ASEANがそれにつづくなかで、その有力な担い手である
華人経済は様変わりした。単なる商業資本、流通資本から産業資本、金融資本に発展
し、今日では多国籍資本化さえしている。華人資本の対中国投資も爆発的に伸びている。
しかし彼らは「外国人として」「中国ビジネスが儲かるから投資している」だけのことだ。中国人
に先祖返りし、母国を中国と誤認するならば「華僑排斥」は必至である。華人資本を中華
人民共和国の別働隊とみるたぐいの誤解から中国人も日本人も華人自身も解放されなけ
ればならない。
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『チャイニーズ・ドラゴン』 95 年2月 28 日
エネルギー事情
日本では戦前すなわち一九三五年には石炭がエネルギーの七三%を占めていたが、高度
成長期には石油への転換が進み、一九七〇年に石油が七割、石炭二割になった。最近
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の中国の一次エネルギー生産(括弧内は消費)構造は、石炭七六・八%(七二・八%)、
原油一九・四%(二〇・三%)、天然ガス二・一%(二・一%)、水力発電一・七%(一・
八%)であり(『中国統計年鑑一九九四』一九三頁)、石炭中心という意味で、戦前の日
本に似ている。生産面でも消費面でも石炭の比重が圧倒的である。原油はピーク時には二
五%ラインまで伸びたが、近年は一八%台に落ち込んでいる。クリーン・エネルギーとして知ら
れる天然ガスは生産、消費ともに約二%である。
中国のエネルギー消費の四分の三が石炭である事実のもつ意味は大きい。石油は脱硫、
脱硝しやすいが、石炭のそれは技術的にはるかに困難だからだ。それだけではない。中国の
石炭の硫黄含有量は平均一・七二%である。したがって一四億トンの石炭なら二四〇〇
万トンの硫黄、四八〇〇万トンの二酸化硫黄を生み出す。一四億トンという数字は二〇
〇〇年の生産目標にほかならない。現在採掘している石炭のうち硫黄分二%以上を占め
るものが二割弱を占める。四川省、貴州省、広西自治区、山東省などの石炭の硫黄含有
量は特に高く、なかには五%に達するものさえある。石炭のうち、九割が燃料として用いられ
る。民間用石炭の大部分が直接燃焼される。燃焼前に「洗炭」を行なっているものは、全
体の二割にすぎない。中国のエネルギー利用効率は、先進国と比べて著しく低い。日本五
七%、アメリカ五一%、EC四〇%、中国三〇%である。分野別に見ると、火力発電所で
は先進国三五∼四〇%に対して、中国は二八%。工業用ボイラーでは先進国七〇∼八
〇%に対して、中国五五%。鉄鋼コンビナートでは先進国五〇∼六〇%に対して、中国
二八%である(曲格平『中国環境問題及対策』二〇八頁以下)。西暦二〇〇〇年、二
〇一〇年のエネルギー需要(標準炭換算)を中国当局はそれぞれ一六∼一七億トン、二
四∼二五億トンと予想している。うち原油はそれぞれ一・八∼二・〇万トン、二・六∼二・
七万トンである。環境対策からしても、輸送事情からしても、「脱石炭」は緊急の課題であ
る。九三年から中国は原油の純輸入国になっており、新規油田開発への期待は大きい。
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『チャイニーズ・ドラゴン』 95 年3月7日
土地付加価値税
昨年の税制改革の一貫として付加価値税( 原文=増値税) が導入され、今年から土地
取引にもそれが適用されることになった。中国財政部は過日、「土地付加価値税」の施行
細則を発表した。
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この土地付加価値税は売却価格から開発にかかわる関連費用を差し引いた土地の値上
がり益に対して、三〇∼六〇%の率で課税される。ここで「開発に関わる関連費用」に含ま
れるものは、土地の使用権料、開発費用、関連する税金である。
土地付加価値税の税率は、次の通りである。土地の値上がり益が開発費用に対して
五〇%を超えない場合
三〇%五〇%以上一〇〇%未満の場合
〇〇%以上二〇〇%未満の場合 五〇%二〇〇%を超える場合
四〇%一
六〇%の
四種となっている。
なお、次の場合には控除されることになっている。まずこの税制が施行される以前、すなわち
九四年一月一日よりも前に契約されたものである。つぎに二度目の譲渡が最初の譲渡から
五年以内に行われた場合である(この場合、譲渡がいつ行われたかは問わない)。さらに当
該土地を五年以上にわたって利用していれば、課税対象とはならない(三年以上五年未
満の利用者は五〇%控除される)。この土地付加価値税は全国共通の税金ではあるが、
開発業者にとっては、各地方政府と交渉の余地がある。というのは「地域開発」(原文=区
域開発)についての控除項目と控除額は地方の税務当局の権限とされているからだ。
これまで開発業者あるいは不動産会社には、事業税、都市維持建設税、教育福祉税、
所得税が課せられてきたが、今回の土地付加価値税は所得税の計算の際には控除される
とはいえ、他の税金との関係では「二重課税」の要素を否定できない。この新税は、現在過
熱気味の不動産ブームに冷水を浴びせることになろう。これによって土地の投機が鈍化し、
過熱が鎮静化するならば、メリットも期待できないわけではないが、次々に打ち出される新
税に関係者が振り回されていることも事実である。長期投資にとってはなによりも安定的な
環境が重要である。数年先の状況を見通せないようでは、本格的な投資は不可能である。
場当たり的な政策変更を避けて、長期的に安定した投資環境を維持することに中国当局
は意を用いるべきである。
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『チャイニーズ・ドラゴン』 95 年3月 14 日
知的所有権
知的所有権は中国語では「知識産権」と訳される。市場経済への大きな転換の過程で
次々に新語が生まれているが、これは最も新しい言葉の一つであろう。一月一八日から二
八日まで北京で行われていた交渉が決裂し、アメリカ政府は、一九七四年に制定された「ス
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ペシャル301条に基づき二月末から報復行動を採ると宣言していた。中国から輸入される
二三種類の商品に対して一〇数億ドルに上る懲罰的関税(一〇〇%)を課すると警告し
たものである。これに対して中国も対外貿易法第七条に依拠して、アメリカから輸入される
七大商品に対して同率の懲罰的関税を課すると応酬していた。
幸い、制裁発動の前夜に交渉がまとまり、懲罰合戦は回避されることになった。中国側はア
メリカの要求を容れて広東省などに設けられていた「海賊版CD工場」を摘発した。こうして
ハリウッドとシリコンバレーが仕組んだ米中摩擦が解決されたわけだが、次の舞台はアメリカの
ソフト関連企業の中国進出ラッシュである。
タイム・ワーナー社、パラマウント・バイアコム・インタナショナル社、ユニバーサル・ピクチャーズ社、
二〇世紀フォックス社の四社が一斉に中国でのコンパクトディスクやビデオソフトの生産を計
画しているという。しかもそのパートナーとして、かつて海賊版制作でボロもうけしていた元「海
賊版CD工場」も含まれているというから恐れ入る。日本の一部には知的所有権をめぐる米
中摩擦を対岸の火事としかこか見ないような皮相な観察もみられたが、実は今回のトラブル
は、友好関係を築くためのチャネル作りにほかならないものであった。この交渉が決着したこと
によって娯楽産業などアメリカのソフト関連企業は合弁形式によって中国に進出する道が開
かれたからだ。
アメリカの産業界では当初から冷静にこの問題を見極めて「ハリウッドはいいかげんに交渉を
まとめてくれ」「彼らの巻き添えになるのは、真っ平だ」といった声が強かったのであり、強腰の
交渉の「落とし所」は、最初から見えていたわけだが、両者共になかなかの役者であることを
証明してみせた。この交渉でアメリカが中国進出の足掛かりを得たことはすでに記したが、中
国が得たものはなにか。中国社会のなかに「知識産権」という新しい観念を広めたことであろ
う。かくて「産権」概念はますます広がった。
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『チャイニーズ・ドラゴン』 95 年3月 21 日
国家統計局公報
三月一日付『人民日報』は、一九九四年の中国経済実績についての国家統計局コミュミ
ケ(二月二八日付)を公表した。GNP成長率が一一・八%であったことなど主な指標は、
多くの新聞が伝えたが、このコミュニケは、さらに細かな数字をいくつも列挙している。食糧は
四・四四五億トンで対前年二・五%減であったが、ここから豆類と薯類を除き、穀物だけの
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量をみると、三・九四億トンである。昨年は天候不順のために減産となったが、それでもアメリ
カを抜いて世界一であることに変わりはない。九〇年代以降、ずっと世界一の座を堅持して
いる。肉類は四三〇〇万トンで対前年一一・九%の伸びであった。肉類の生産量も、綿
花や菜種油の生産量も世界一である。中国は人口大国の農業大国であるから、これらの
事実は当然と見る向きが多いであろう。しかし、近年は工業生産の面でも、世界一を誇るも
のが次々に現れている。
たとえば石炭やセメントの世界一は当然のこととして、一九九〇年以降、白黒を含めたテレ
ビ受像機の生産が世界一である。九四年のカラーテレビ生産量は一六八九万台であった。
白黒を含めると三〇〇〇万台を超えている。中国は一九九一年から白黒を含めた台数で
世界一になり、ついでカラーテレビだけでも九三∼九四年あたりから世界一になった。九四
年の粗鋼生産量は九一五三万トンとなった。これはすでにアメリカを抜き、日本に迫る数字
である。日本を超えるのも時間の問題である。とはいえ、原油は世界第五位(九四年一・四
六億トン)であり、自動車は日本、アメリカ、ドイツ、フランス、スペイン、イタリア、カナダ、韓国、
イギリスに次ぐ地位であるなど、弱点も目立つ。ちなみに九四年の生産量は一四〇万台に
すぎなかった。人口の規模が巨大であるから、当然といってよい部分もむろんあるが、「量から
質へ」の転換も十分予想しなければならない。
個々の生産物の面では、すでに世界一になったあと、次に目指すのは質的内容の向上であ
ろう。技術開発に努力し、コピー生産、模倣生産の段階を超えることである。それはむろん、
今後数十年にわたる努力を必要とする。しかし現時点でもすでに量的には日本を超えるも
のをいくつももっている事実は、直視しなければなるまい。中国のキャッチアップは急速である。
日本は中国のマネできないものを作り、一歩先を歩むことによってのみ、共生の道を歩むこと
ができよう。
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『チャイニーズ・ドラゴン』 95 年3月 28 日 全国人民代表大会
全国人民代表大会が三月一八日に終わった。中国の最高実力者と呼ばれていた小平が
政治生活からの引退を公表したのは昨年九月だから、この会議は江沢民体制が実質的に
スタートしてから初めての全人代であった。会議では李鵬首相の「政府活動報告」のほか、
陳錦華国家計画委員会主任の「経済報告」、劉仲黎財政部部長の「財政報告」が行な
われ、いくつかの法律が制定され、指導部の人事補充が行われた。李鵬首相は今年の経
済の運営の課題を「改革・発展・安定」の三つのキーワードで示し、インフレ対策がすべての
カギと指摘した。昨年の物価上昇率は二割を超えたが、今年は一五%程度に押さえる方
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針だ。昨年の値上がりの約半分は不作の中での農産物の価格改定によるものであった。価
格改定は一過性の要因だし、今年は農業対策に力を入れているので、よほどの天候不順
でないかぎり、食糧価格も安定しよう。インフレ対策の第二は通貨供給量のコントロールであ
る。政府は財政赤字をこれ以上ふやさない方針だ。インフレ対策の第三は設備投資の規
模を押さえ、過度な消費を押さえることである。GNPの成長率は昨年は一一・八%であり、
九二年以来、三年続きの二桁成長になる。今年は八∼九%という目標を示しているが、
実績がこれを上回るというのが通例であり、おそらく一〇%前後になるものと思われる。インフ
レ対策と並ぶ第二の課題は、農村経済の発展である。昨年の食糧生産量は四億四五〇
〇万トンであり、九三年よりも一二〇〇万トン減産となった。これは作付け面積の減少と一
部地域での旱魃と水害のためである。この対策として農業投資の増加や化学肥料、農薬、
農業機械の増産、そして農業用生産手段の流通チャネルの整頓が提起された。第三の大
きな課題は国有企業の改革である。国有企業の三分の一、いや四分の一が赤字といわれ
て久しい。赤字の国有企業を破産させるとなると、その失業対策が必要である。失業保険
制度や年金制度はいま一部の先進的な都市で整備中の段階であり、全国的普及の段階
ではない。しかし赤字企業を温存することは社会的ムダであり、今年は朱鎔基、呉邦国両
副首相の指揮のもとで、国有企業に大胆なメスを入れることになろう。中国には「民は食を
もって天となす」という諺がある。なによりもまず経済を発展させ、さらに汚職追放、腐敗退治
をやり抜くならば、民衆の支持が得られ、江沢民体制は安定するはずだ。全人代は立法機
関であり、法律を制定する役割をもつ。今回制定された銀行法は、人民銀行の中央銀行
としての位置づけを明確にし、地方の支店に対して集中的な管理ができるようになる。地方
政府の指導者たちにとって地方の支店に対して勝手な融資ができなくなる。採決の結果は
賛成一七八一票、反対・棄権八九七票。約三分の一の事実上の反対票が出たのはこの
ためだ。教育法には六八九票の反対・棄権票があり、九五年予算には二一八票の反対・
棄権票が出た。人事問題では安定団結を維持する立場から「増やすだけで、減らさない」
方針をとり、呉邦国、姜春雲の副首相人事だけが行われた。呉邦国の得票は賛成二三
六六票、反対・棄権三七一票、不支持率一四%であった。姜春雲は賛成一七四六票、
反対・棄権九九六票、不支持率は三分の一を超えた。これで李鵬首相を六人の副首相
が支える体制ができた。今回は人事や立法の過程で反対票・棄権票の存在が目立った。
議会が党や中央政府のやり方に不満の意を表明したもので政治の民主化の底流を示す。
全人代の役割は今後ますます大きくなろう。
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『チャイニーズ・ドラゴン』 95 年4月4日
中国的商社
昨年秋に、上海の某大学から二人の研究者を迎えて、東京・横浜の工場、企業、研究所
などを案内する機会があった。訪問対象についての希望を聞くと、「日本の総合商社」を訪
ねたいとのことであった。そこで手分けして三社ほどを案内することにした。「なぜ商社か」と聞く
と「中国にも日本の総合商社のようなものを作りたい。ぜひ研究したい」とのことであった。「ザ
商社」は海外をかけめぐる日本ビジネスマンのシンボルであり、その活動を羨望の眼で見つめ
ている人びとの中に中国の大学教授も含まれていたわけだ。
ところが、訪問先で意外な展開になった。某商社の部長氏によれば、中国で総合商社を作
ることは不可能ではないかとのご意見である。理由は三つである。まずは歴史性。日本の商
社は明治維新以後の資本主義経済の発展過程で国策の支持を得つつ、発展してきた。
市場経済のなかで自然に成長したものではない。次に商社の組織力、総合性。日本のビ
ジネスマンは協調の精神に溢れており、課長、係長以下、グループが打って一丸となり、業
務を展開している。日中の国民性を比較すると、一番対照的なのが、「組織のなかで働くこ
とに慣れている日本人」と「組織からすぐ独立し、自分の会社を作りたがる中国人」との差だ。
総合商社のような組織は、中国人の性格に最も不適合であろう。最後に、マージン、利潤
率の低さ。商社という存在はメーカーとユーザーとの間に立って、きわめて薄いマージンの仕事
をしている。荒っぽい、利潤率の高い仕事にしか魅力を感じない中国ビジネスマンに、この利
益薄き商売が耐えられるであろうか。要するに、中国人がみずからの性格を自己改造しなけ
れば、中国的総合商社は成立しないだろうというのが、中国在勤の長い部長氏の意見であ
った。
閑話休題。伊藤忠商事は九三年秋に日経企業として初の一〇〇%出資の現地法人
「伊藤忠(中国)集団有限公司」を北京に設立した。いわゆる傘型企業の第一号だ。同社
はすでに中国に約一〇〇〇社の合弁企業をもっており、これを統括する持株会社の役割
を果たす。伊藤忠に次いで、三菱商事、三井物産、住友商事なども傘型企業を計画ある
いは申請中である。対中進出をみると、まず商社、ついでメーカー、そして銀行という順序で
ある。フロンティアが沿海地区から内陸地区に移りつつある今日、日本商社は内陸地区や
国境地区にビジネス・チャンスを狙っている。
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『チャイニーズ・ドラゴン』 95 年4月 11 日
Yabuki Susumu: Chinese Dragon
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法治国家
少し前に中国の東北地方を旅行したさいに、ある本屋で『唐令拾遺』を見かけ、高い棚から
下ろしてもらい、著者名を見た。やはり仁井田陞(一九〇四∼一九六六)の海賊版(?)で
あった。故人は中国法制史の専門家だが、唐代の律令がいかに整ったものであったかをよく
教えてくれるのがこの本である(復刻版が出ている)。日本の養老律令などがこれを手本とし
て作られたことは、よく知られていよう。このような法治についての優れた伝統をもつ中国でい
ま改めて「民主化と法制化」「人治から法治へ」のスローガンが叫ばれ、毎年、法律が続々と
制定されているのは、中国がまた「法律虚無主義」(法的ニヒリズム)の伝統をもつ国でもあ
るからだ。
天下大乱の世において「無法地帯」が生まれ、暴力と弱肉強食が横行することは、歴史が
教えている。文化大革命期の中国では「法律虚無主義」が復活したとある論者は指摘して
いる。そこから「人心は治を思う」(人心思治)、「人心は法を思う」(人心思法)という世論が
生まれてきた。
とはいえ「刑は大夫に上らず」(刑不上大夫)、「(君主の)口には天の憲法が含まれている」
(口含天憲)とか、「(君主の)言出れば、法これに従う」(言出法随)といった独裁者に有利
な諦観を示すことばも人びとの心をとらえている。大夫とは現代の高級官僚にあたるが、彼ら
は法律の適用外であった。今日でも高級幹部にとっては、刑法よりは党紀がコワイはず。つ
まり庶民は刑法を適用され、高級幹部は刑法の適用外といった現実がある。
だから、若者はこう反発する。「法制、法制と繰り返すのは、庶民を罰し、庶民を統治するた
めのもの。実力のない者は法律で管理されるが、権勢のある者は法律などへいちゃらよ」と。
中国にも「王子も法を犯せば、庶民と同罪だ」とする「法の前での平等」という思想があるに
はあったが、実際には実行されなかった。いまだに「人情は王法よりも強い」として近親者をか
ばう大物があり、また縁故関係を利用してコネをつけ、法を曲げる動きも後を絶たない。
「法は衆を責めず」(法不責衆)とは、いわば百姓一揆に対する徳政令の思想であろう。中
国にはこの種の「法諺」がいろいろあって、興味深い。法治化の展望をよく問われるが、道は
遠いとみなければ、なるまい。
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『チャイニーズ・ドラゴン』 95 年4月 18 日
Yabuki Susumu: Chinese Dragon
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観光ビジネス
中国では観光業を「旅游業」という。ユウの文字は、サンズイであり、シンニュウではない。一
九九四年に観光やビジネスのために中国を訪れた外国人、台湾人、香港マカオ人、華僑の
旅行者は四三六八万人であった。これは九三年と比べて五・二%の伸びである。これらの
旅行者たちはどの程度の外貨を中国にもたらしたのか。七三・二億ドルである。ちなみに九
四年の中国の輸出は一二一〇億ドル、輸入は一一五七億ドルであり、貿易黒字は五三
億ドルであるから、観光による外貨収入は貿易黒字を上回っていることがわかる(『人民日
報』九五年三月一日)。観光資源を外貨で売ることがいかに確かなビジネスであるか、理解
できよう。延べ四〇〇〇万人を超える旅行者のうち、九割近くが「香港マカオ、台湾同胞」
であり、外国人は一割弱である。華僑は〇・四%である。これは九三年の数字だが、この構
成はあまり変わらない。外国人の内訳をみると、九三年のばあい、旧ソ連人九二・九万人、
日本人九一・二万人、アメリカ人三九・九万人、シンガポール人二〇・一万人、イギリス人
一五・四万人がベスト5である(『中国統計年鑑九四』五三三頁)。
旧ソ連人の中国旅行は九二年の旧ソ連解体により、旅行が自由化されてから急激に増え
ている。広大な陸地でつながる隣国であり、観光半分、買い出し半分であろう。一昨年にハ
ルピン空港でみかけたロシア・マフィアの若者たち二チームによる「縫製品買い出し部隊」の迫
力はすさまじかった。おかげで離陸は一時間以上も遅れ、われわれはクーラーの効かないアエ
ロフロートに閉じ込められ、往生した。ハバロフスクに着陸するさいは、飛行機がシリモチをつく
恐れがあるということで、この若者たちが一斉に前方の席に移ってきたので、一時はハイジャッ
クかとあわてる始末であった。
旧ソ連とほぼ同じ規模が日本人であり、アメリカ人はその半分程度である。そしてアメリカ人
の半分程度がシンガポール人という形である。ところで中国人の国内旅行もきわめて活発に
なってきた。九三年に中国の五二の重点都市が受け入れた中国人観光客は延べ六七六
万人であった。同じ統計で外国人扱いの観光客は五五九万人であり、外国人をいくらか上
回っていることが分かる(『中国統計年鑑九四』五三五頁)。近年は中国人の外国旅行も
ブームであり、香港・タイのコースに人気があるといわれる。
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『チャイニーズ・ドラゴン』 95 年4月 25 日
Yabuki Susumu: Chinese Dragon
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情報産業
八〇年代以後に、ゼロから出発した中国のコンピューター産業も最近は着々と体制が整っ
てきた。コンピューターの生産、販売、サービスに従事する企業は一万近くになったが、このう
ちメーカーは約三〇〇社、ソフト製作や情報処理を行なう会社は約五〇〇社、研究機関
は五〇機関である。従業員は約五〇万人、固定資産は一〇〇億元近くである。九三年
の資料によると、全国のコンピューター産業の売上高は約二〇〇億元であり、成長率の最
も高い産業の一つになっている。
中国はいま国家経済情報ネットワークをつくろうとしているが、その中心は「三金プロジェクト」
と呼ばれている。
第一は「ゴールデン・ブリッジ」プロジェクトである。これは経済情報通信のネットワークを指す。
経済情報の流れに橋をかけるという意味である。第二は「ゴールデン・カスタム」プロジェクトで
ある。これは税関の情報をオンラインでつなぐものである。第三は「ゴールデン・カード」プロジェ
クトである。これは磁気カードによるキャッシュレスのためのプロジェクトである。
第一は国内の経済活動のオンライン化、第二は対外的経済関係のオンライン化、そして第
三は決済のキャッシュレス化である。これは「電子貨幣」プロジェクトとも呼ばれる。中国の電
話普及率は全国平均でおよそ三%である。パソコンの普及率は電話よりはるかに小さく、個
人用のパソコンはようやく家庭に入りはじめた段階である。
全国の非識字人口は二億余だが、これをもじった「非識コンピューター人口」は、非識字人
口をはるかに上回る。ちなみに、世界一のアメリカの電話普及率は九三%、家庭用のパソコ
ン普及率は三一%である。
ある研究によると、中国で情報分野に一元投資すると、他の産業に対する波及効果は大
きく、一八元の利益が得られるという。いま中国では一二の大型の情報管理、業務管理シ
ステムを建設中である。これには郵政通信システム、国家経済情報システム、銀行のコンピ
ューター化システム、鉄道輸送の管理システム、民航のコンピューター・サービス・システム、国
家統計局のコンピューター・システム、税務情報システムなどが含まれる。
中国のコンピューター保有量は九三年末現在一四〇万台であるが、ネットワーク率は一
〇%未満であり、三分の二以上のコンピューターは単体として用いられている。
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Yabuki Susumu: Chinese Dragon
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『チャイニーズ・ドラゴン』 95 年5月2日
中国ホテル事情
旅行の思い出のなかで、誰しもホテルの印象はきわめて大きな位置を占める。知己と飲む酒
は、どれほど多くてもやはり足りない。当然ながら二日酔い、朝粥の美味さは、前夜の大宴
会のあらゆる珍味に勝るほどだ。中国ではホテルのことを「飯店」というが、これはホテルとレス
トランを一体でとらえたものだ。「民は食をもって天となす」という中国人の処世観を象徴する
ような命名法である(ちなみにレストランは「菜館」)。
七九年当時、王府井の北京飯店は素晴らしいと感激したが、八〇年代半ばになると、ほと
んど魅力の感じられない田舎ホテルの印象と化した。八〇年代の初め、広州の花園飯店に
宿泊したときは、大陸にもついに香港に肉薄するホテルが生まれたと感激したものだ。その二
年後、同じホテルでトイレが流れない、シャワー口から湯が出ない、などわがグループ旅行は
欲求不満で大騒ぎになった。数年後、こんどはきちんとサービス体制ができていた。もはやサ
ービスに対するチップは当たり前、これを忘れると露骨に催促されるのが市場経済の現実で
ある。中国にホテルはいくつあるか、と問うのは愚問である。無数にあるから数えようがない。た
だし、外国人の宿泊を許すホテル(これを中国語では「渉外飯店」と呼ぶ)の数なら二五五
二である(一九九三年末現在)。
地域毎にみると、広東省七九八、北京市二三二、湖北省一一〇、四川省一〇四、福建
省一〇二、上海市九八、浙江省八四がベスト7である。ホテルのオウナーは誰か、という基
準でみると、二五五二のうち、国有ホテルが一八二〇で全体の七割を占める。ついで外資
との合弁経営のホテルが二五九で約一割、外国資本と技術提携しているものが二二九で
一割弱、集団所有制のものが二〇八で八%、これらの合計で九九%になる。
外国人観光客やビジネスマンにとってなじみの深いのは、合弁ホテルだが、その地域分布を
みると、北京市七五、広東省四五、遼寧省一九、広西自治区一七、天津市一三、福建
省一三、上海市一二がベスト7である。北京、広東は別格として、遼寧では大連市、瀋陽
市、長春市、広西自治区では桂林市、昆明市などのホテルが想起されるであろう。最期に
客室数から二五五二ホテルを分類するとどうなるか。五〇〇部屋以上のもの六九ホテルで
三%、二〇〇以上で五〇〇未満のもの五四二で約二割、二〇〇部屋以下のもの一九
四一で全体の四分の三を占める。
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『チャイニーズ・ドラゴン』 95 年5月 16 日
中国への円借款
村山首相が五月二日から五日間、中国を訪問することになった。戦後五〇周年に当たる
節目の年に社会党員の首相が訪中することになったが、日中関係はいまや誰が首相になろ
うと大きな影響はありえないほどにビジネスライクの関係として発展してきている。
大蔵省の貿易通関実績(円ベース)によると、九四年の日中貿易は四兆七二五一億円で、
前年比一二・八%の伸びであった。これをドルベースに換算すると、四六二・五億ドル(二
二・二%増)である。中国側の「海関統計」によると、四七八・九億ドルであり、三・五%の
差があるが、この程度の誤差は換算の時点によって変わりうる範囲内のものだ。
この金額から明らかなことは、日本からみて中国はアメリカに次ぐ第二の貿易相手国であるこ
と、中国からみて日本は第一の相手国である事実である。
日本の対中国直接投資は七九∼九三年度の一五年間の累計で六一・六億ドルである。
中国側の対外貿易合作部によると、五二・〇億ドルである。日本側は「年度」であり、中国
側は「歴年」であるほか、統計の採り方が異なることによるものである。
いずれにせよ過去一五年間、とりわけ近年の直接投資ブームは著しいものがある。投資の
分野をみても、沿海から内陸へという地域分布をみても、多様化してきている。
政府間の開発援助(ODA)すなわち円借款は、本紙二月一四日号で紹介したように第一
次三三〇〇億円(七九年)、第二次四七〇〇億円(八四年)、第三次八一〇〇億円
(八八年)、計一兆六〇〇〇億円にのぼっている。これらの金利は年度によって異なるが、
二・五%から三・五%である。一〇年据え置き、三〇年償還の約束である。第一次分の
償還はすでに行っており、いまやこれに加えて第二次分の返済が始まった。
問題は円高である。借りた時点での交換レートによると、約一〇〇億ドルの借金だが、現
行の円高レートで換算すると一七〇∼二〇〇億ドル、すなわち七割∼倍増だという(たとえ
ば『中国商報』九五年四月一九日)。ここから利下げ要求案が出てきたわけだが、日本側
がこれに応じられるかどうかはきわめて疑問である。日本の納税者は八%のローンを借りてマ
イホームを買っているのだ。「一〇年据え置き、三〇年償還、しかも低金利」であるから、優
遇は明らかである。輸入促進など前向きの方法で解決することが望ましい。
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『チャイニーズ・ドラゴン』 95 年5月 23 日
国有企業改革
私は昨年一〇月、上海市で五つ、重慶市で三つの国有企業を訪問した。そこで得た印象
だが、国有企業改革の難しさは、さまざまの要因によって形成されている。たとえば 1 改革の
担い手の不在、2 失業対策、3 所有者としての国家と経営体としての企業の「所有と経営」
の分離問題、4 旧来の社会主義イデオロギーの枠組み、などである。
1 は企業家精神をもつ企業家の登場が必要だが、これは市場経済そのものが生み出すで
あろう。市場が生産物を求め、その生産者を育成するのを待つほかあるまい。
2 は最も敏感な問題である。赤字国有企業の存在自体が一種の「失業対策事業」にほか
ならない。赤字国有企業の安楽死であるから、労働者の定年待ちによるところも多いであろ
う。失業問題が社会問題化するのを防ぐために、手当てというアメと解雇というムチを巧みに
使い分ける必要があろう。
34 は、ともにイデオロギー問題にかかわる。社会主義経済体制は現実には破産したが、イデ
オロギー的には、いぜんこれに執着する部分があり、しかもそれに依拠して既得利益を守ろう
とする守旧的階層も現実に存在する。とはいえ実際には、社会的寄生階層としての彼らの
社会的位相は日々明らかになっている。彼らが守ろうとしているのは、たかだか既得利益を
享受する者としてのみずからの私益であり、大義ではない事実である。それゆえ、合弁企業
や郷鎮企業など「市場メカニズムのなかで成長する企業モデル」という実例を提示することに
よって、国有企業改革への外堀を埋め、失業対策などの措置を整えることによって内堀を
埋めるならば、国有企業改革の難関は突破できるはずである。一五年の試行錯誤を経て、
いまや国有企業を攻略する条件は基本的に整ったとみてよい。ただし、これは市場経済化
への移行の最後の一撃である以上、混乱を避けるために、時間をかけて段階的に行なう必
要のあることは、いうまでもない。私が訪問したのは、すべて最も優良なモデル企業だが、これ
らの優良企業の国有企業改革全体に対するモデル効果はきわめて大きいと思われる。改
革に成功した企業はそれぞれの改革を担ったキーパーソンによって率いられていた。企業レベ
ルに現場で企業改革を担う有能な指導者が存在しなければ、改革は少しも進まない。また
企業の改革を指導し、見守る「主管官庁」の役割、指導性も大きい。
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『チャイニーズ・ドラゴン』 95 年5月 30 日
酸性雨問題
環境庁の「第二次酸性雨対策調査(一九八八∼九二年度)」によると、硫酸イオン濃度
が日本海側の利尻(北海道)、佐渡(新潟)、隠岐(島根)、対馬(長崎)において毎年秋
から冬にかけて高い事実が判明した。この時期には季節風が大陸から日本に向かって吹く。
つまり酸性雨の原因物質が大陸から季節風に乗って運ばれてきている可能性の強いことが
確認されたわけだ。中国のエネルギー・環境問題に近隣の人びとは強い関心を持たざるをえ
ない。中国の一九八三∼八四年の酸性雨調査(国家環境保護局)によると、全国一八
九都市のうち、四五都市に酸性雨が出現している。地理的分布を見ると、西南地区の被
害が著しく、中南地区と華東地区がこれに次いでいる。pHの最小値が四・〇より小さい都
市は、蘇州・広州の三・八、南昌・貴陽の三・七、重慶の三・六、貴州省都・の三・一など
である。北方地区の酸性雨が軽微であり、四川省や貴州省のそれがひどいのはなぜか。北
方地区の場合は、黄砂に代表されるようなpH七∼八のアルカリ性土壌が酸性物質を中和
しているためと見る説が有力である。これに対して南方地区の酸性雨被害が著しいのは、こ
れらの地域はpH五∼六の酸性土壌であること、さらに南方の石炭の硫黄分が高いことが指
摘できよう。日中のエネルギー構造を比較してみると、日本では戦前すなわち一九三五年に
は石炭がエネルギーの七三%を占めていたが、高度成長期には石油への転換が進み、一
九七〇年には石油が七割、石炭二割になった。中国の一次エネルギー生産(括弧内は消
費)構造は、石炭七四・三%(七四・九%)、原油一八・九%(一八・〇%)、天然ガス
二%(二%)、水力発電四・八%(五・一%)である(『中国統計年鑑一九九三』四七七
頁)。生産面でも消費面でも石炭の比重が圧倒的に高い。原油はピーク時には二五%弱
まで伸びたが、近年は一八%台に落ち込んでいる。クリーン・エネルギーとして知られる天然
ガスは生産、消費ともに二%である。一九九四年の中国の一次エネルギー生産量は標準
炭換算で一一・二億トンであり、種類別にみると、石炭(原文=原煤)一二・一億トン、原
油一・四六億トン、発電量九二〇〇億キロワットであった(『人民日報』一九九五年三月
一日、国家統計局公報)。中国のエネルギー消費の四分の三が石炭である事実のもつ意
味は大きい。石油は脱硫、脱硝しやすいが、石炭は技術的に困難だからだ。
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『チャイニーズ・ドラゴン』 95 年6月6日
金融開放
今春の全人代で中国初の中央銀行法である「中国人民銀行法」が成立した。これによって、
中国人民銀行の地位と職責が明確に規定された。すなわち同法第一条によれば、人民銀
行は国家の通貨政策の正確な制定と執行を保証し、中央銀行によるマクロコントロール体
系を作り、金融業に対する監督管理を強化する立場がうたわれている。より具体的にいえば、
中央銀行の役割は、通貨価値の安定、金融システムの安定性の維持と育成、発券銀行
としての地位、「民間銀行のための銀行」の役割、「政府の銀行」の機能など国際的に認め
られている中央銀行の役割がすべて期待されている。では人民銀行の「独立性」はどのよう
に保証されているのか。人民銀行は国務院の指導のもとで通貨政策を制定し、実施すると
ともに、金融業に対して監督管理を実施するものとされている(第二条)。年度ごとの通貨
供給量、利率、為替レートなど重要事項は国務院に報告し許可を得たのち執行すると規
定されている(第五条)。さらに通貨政策は国務院の指導下で独立して執行するものとされ、
地方政府や党組織などの干渉を排することもうたわれている。この点については、審議の過
程で地方代表からかなりの反対が出たが、朱鎔基らはこれを押さえて乗り切った。
ところで、金融市場の対外開放も順調だ。いま外国銀行に開放しているのは、深、珠海、
汕頭、厦門、海口、上海、大連、天津、青島、南京、寧波、福州、広州の一三都市であ
る。これらの都市に一〇四の外資系、合弁企業系の金融機構が設置されている。
これらの金融機構は、いまのところ進出企業に対する顧客サービスの業務に限られており、ま
だ条件が整わないために人民元取扱い業務を全面的に開放するにはいたっていないのが現
状である。しかし、今後は若干の都市に「試点」(実験の拠点)をもうけて人民元の取扱いを
許可する方向が打ち出されている。ここであげられた一三都市はいずれも沿海都市である。
実はこの金融開放は内陸地区にも広げる予定があり、四川省成都、重慶、湖北省武漢
が候補地としてあげられている。こうした情勢をにらんで東京銀行は成都に駐在員事務所を
開設した。
四川省側では、成都だけでなく重慶にも事務所を開設するよう要請しており、日系企業の
内陸地区進出に対応して、金融機構の内陸進出も進展することは疑いない。
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『チャイニーズ・ドラゴン』 95 年6月 13 日
陳雲葬儀
中国の長老指導者の一人・陳雲は四月一〇日午後二時四分に北京で死去した。中国
のテレビがこのニュースを流したのは、一一日夜七時の中央電視台ニュース番組であった。
死去二九時間後である。訃報はなぜこんなに遅れたのか。訃報のなかで、天安門事件に
触れた箇所があり、その文言に遺族がクレームをつけたからだという。
新華社が配信した追悼文(『人民日報』四月一七日付)は、こう述べている。「第一三回
党大会以後、陳雲同志は党中央の指導工作を退き、中央顧問委員会主任を担任した。
鄧小平同志を核心とする第二代の中央指導グループから、江沢民同志を核心とする第三
代の中央指導グループに順調に移行し、党と国家の安定を保持する重大な意志決定のな
かで、陳雲同志は非常に重要な役割を果たした。一九八九年の動乱反対のなかで、陳雲
同志は旗幟鮮明に党と人民の根本的利益のために大量の工作を行った。党の第一四回
党大会以後、彼は引退の生活を送った」。天安門事件当時の陳雲の態度を示すアンダー
ラインの箇所が正式の「訃告」(『人民日報』四月一二日付)では削除(?)されている。「訃
告」は、八七∼九二年の陳雲について「第一三回党大会以後、陳雲同志は党中央の指
導工作を退き、中央顧問委員会主任を担任した。鄧小平同志を核心とする第二代の中
央指導グループから、江沢民同志を核心とする第三代の中央指導グループに順調に移行
し、党と国家の安定を保持する重大な意志決定のなかで、陳雲同志は非常に重要な役
割を果たした。党の第一四回党大会以後、彼は引退の生活を送った」と述べるだけである。
もう一つの資料は、長老宋平の追悼文である(『人民日報』九五年五月二三日付)。「一
九八九年、動乱反対のカギになる時にあたり、陳雲同志は中央顧問委員会常務委員会
を開き、老同志が断固として鄧小平同志を核心とする中国共産党を擁護し、動乱を制止
する党中央の正しい決定を断固として擁護することを求めた」。
これら三つの文献を比較すると、正式の「訃告」の基調が他のものと異なっていることが分か
る。風説によると、陳雲の遺族たちは、ポスト鄧小平期における天安門事件評価の変化に
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保険をかけるため、このような扱いを要求したという。このエピソードは、葬儀は死者のためで
はなく、生者にために行われること。二代目「太子党」たちの器量の程度が分かる。
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『チャイニーズ・ドラゴン』 95 年6月 27 日
市場経済の旗手
最近、中国の論客たちと議論する機会が増えた。『読売新聞』が東アジア国際会議のため
に、二人のエコノミストを招いた。
一人は呉敬璉教授(国務院発展研究センター研究員)である。呉教授は過去十余年、
終始一貫、市場経済化の旗振り役を努めてきた人物である。あまりにも「市場」を強調する
ので、「市場の呉」「呉市場」のニックネームをもつ。私は小著『中国のペレストロイカ』で、改
革派の群像を描いたときに、当然同氏を紹介し、その縁で二回ほど対談し、昨年は神奈川
サイエンス・パークのシンポジウムで顔を合わせ、今年もまた対話の機会を得たわけである
(『読売新聞』九五年六月六日付「中国・安定成長への課題」)。
読売が招いたもう一人の論客は、胡鞍鋼氏(中国科学院国情分析小組研究員)である。
同氏は八九年に王毅氏との連名で出版した『生存と発展』(科学出版社)および『人口と
発展』(浙江人民出版社、八九年一二月)で注目された。私は早速、二冊の本を取り寄
せ、人口と食糧問題、環境問題について同氏の見解を『図説・中国の経済』に引用した。
九三年九月二一日、北京発のAFP時事が「中国はユーゴスラビアの二の舞か」と題する衝
撃的なニュースを伝えた。中国のGNPに占める中央財政の比率がいまや内戦で混迷を深
めるユーゴと同じレベルだ、この比率を上げて中央政府の指導力を強化しなければ、ポスト
小平の中国は分裂必至だという警告であった。
いささかオオカミ少年的な話だが、中央の財政を強化するために、税制を改革せよ、という主
張は、国税と地方税を分けることによって、中央税の比率を高めようと意図していた朱鎔基
副総理にとって絶好の援軍であった。朱鎔基らはこのイデオローグの警世の言を極力利用し
て九四年元旦から、曲がりなりにも「分税制」を導入することに成功した。私がかねて目をつ
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けていた胡鞍鋼は、いまや有名エコノミストに昇格した。昨年六月には中共中央党校に招
かれ、省レベルの幹部を相手に、「地域格差の拡大」の問題を講義している(香港『明報』
九五年四月二五日)。ただし、彼の地域格差論には私は異論があり、その討論の概要は
前掲の『読売』に載っている。彼の最新の著作は『中国国家能力報告』であり、これは遼寧
人民出版社版のほかに香港牛津大学出版社版がある。彼は五三年生まれの工学博士、
数学や数字に極めて強い。
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『チャイニーズ・ドラゴン』 95 年7月4日
ニーダム・パズル
六月一二日、経団連会館である国際シンポジウムが開かれ、私も招かれて出席した。主
催者はオーストラリア国立大学内にもうけられた「オーストラリア・日本リサーチ・センター」と経
団連であり、テーマは「東アジアの経済発展の展望───中国経済の未来」である。オース
トラリア国立大学のP・ドライスデール教授、R・ガーノウ教授(前中国大使)が来られたのは、
主催者として当然であろう。
私がいそいそと出かけたのは、中国からの参加者、北京大学「中国経済研究中心」主任林
毅夫教授の名をリストに見いだしてのことであった。農業経済学者・林毅夫教授の名は、い
くつかの論文を通じておなじみだが、お会いするのは初めてであった。林教授は一九五二年、
台湾の宜蘭県生まれである。七八年に台湾の政治大学企業管理研究所を卒業し、「企
業管理」の分野で修士号を得た。その後、台湾海峡を渡り、七九年に北京大学経済学部
に学び、八二年に経済学修士号を得た点がユニークである。その後、アメリカのシカゴ大学
経済学部に留学し、ノーベル賞エコノミスト・シュルツ教授のもとで農業経済学を学び、八六
年に博士号を得た。さらにエール大学で一年研究を続け、八七年に帰国し、北京大学教
授となった人物である。
林教授は中国のエコノミストにとっての「芥川賞」ともいうべき孫冶方賞を九三年に得ている。
『制度・技術と中国の農村発展』に対して与えられたものである。署名付きの近著『中国の
奇跡──発展戦略と経済改革』(上海人民出版社、九四年)をプレゼントしていただいた
のは思わぬ収穫であった。
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このところ、アメリカ留学帰り研究者の活躍が目立つが、林毅夫教授もその一例であろう。
彼らの特徴の一つは、視野がきわめて広いことである。たえず、グローバルな視点から中国経
済を眺めていることが一つである。同時に、歴史的なパースペクティブも奥行きが深い。
先頃亡くなったニーダム博士が提起した「ニーダム・パズル」(中国ではヨーロッパに先駆けた技
術的発展にもかかわらず、なぜ産業革命が起こらなかったか、という問題提起)に対しても、
彼は挑戦している。中国で発展したのは、「経験に基づく技術」でしかなかった。これは近代
の「科学に基づいた実験」とは異なる。これが彼の用意した解答である。
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『チャイニーズ・ドラゴン』 95 年7月 11 日
戴相龍人民銀行総裁
朱鎔基副総理が中国人民銀行総裁を兼務したのは、九三年七月のことである。以来二カ
年にわたって、金融改革の陣頭指揮を続けてきたが、三月に人民銀行の中央銀行化が成
り、商業銀行法が七月一日から施行される段取りになったことを踏まえて、総裁の地位を退
くことになった。後任の新総裁には、戴相龍副総裁(一九四四年生まれ、江蘇省儀徴の人、
高級経済師、中央委員候補)の昇格が決定した。戴相龍は上海の交通銀行の総経理で
あった二年まえに、朱鎔基によって抜擢され、以後マクロ経済のコントロールを担当していた
ものである。
同じく朱鎔基によって副総裁に抜擢され、外国為替管理局長を兼任していた朱小華(一
九四九年浙江省生まれ)は同局長の兼任ポストを副局長から昇格する呉暁霊に譲り、副
総裁のポストに専念することになった。呉暁霊は長らく人民銀行で金融体制改革局副局長
を務め、金融体制改革のプログラム作りに従事してきた女性である。朱小華が外国為替管
理局長の兼任を解かれたことについて、朱小華の失策を指摘する向きがあるが、これはおそ
らく揣摩憶測のたぐいであろう。
というのは、昨年元旦を期して、人民元の交換レートを一本化する措置が採られたが、その
後交換レートは、一米ドル当たり八・七元から八・三元へと四・八八ポイント元高になってお
り、兌換券廃止という大手術は成功しているからだ。人民銀行はおよそ三〇〇〇億元の人
民元を放出して、外貨を買いつけたために、九四年末現在の外貨準備高は、五一六億ド
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ルとなり、九三年末と比べて倍増した。この外貨準備増が中国のカントリーリスクを減らし、
信用力を高めるものであることはいうまでもない。
一部の論者は、ここで放出した人民元がマネーサプライの急増をもたらし、九四年のインフレ
の元凶となったという。これは因果関係を取り違えたものであろう。九四年に中国が受け入れ
た直接投資の額は三四〇億ドルであった。これだけの外貨が中国にもたらされた以上、これ
を根拠として人民元が追加供給されるのは当然である。一米ドル当たり八・四元としても、
二八五三億ドルになる。なお、九四年の貿易黒字は五三・五億ドル、これによる人民元の
追加供給は四五〇億元程度だ。このような経済的実績を根拠として供給されるマネーサプ
ライには、問題はない。インフレの原因は、ほかに求めるべきである。
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『チャイニーズ・ドラゴン』 95 年7月 18 日
中国の胃袋は脅威か
アメリカのワールド・ウォッチ研究所長レスター・ブラウン氏が中国農業の将来を展望し、「高
度成長を続ける中国の胃袋の脅威」を書いた。一見もっともらしい計算を示して見せたが、
これは実はオオカミ少年のような議論にすぎない。同氏はまず二〇三〇年の人口を約一六
億と想定する。一人当たり消費量を三〇〇∼四〇〇キログラム、国内生産量を二・六三
億トンと仮定すれば、中国の輸入量は二〇三〇年には二・一∼三・七八トンまで激増する
という計算になり、中国人の脅威的胃袋のために、世界中の食糧が不足するといった結論
が導かれる。しかし、これは人口について過大に、国内生産量について過少に想定し、中国
農業についての具体的な現実(たとえば単収の増産可能性、畜産の飼育技術の進歩な
ど)を無視した虚仮威しのたぐいの議論である。折からの中国脅威論ムードのなかで、この数
字が一人歩きし、あたかも権威ある数字であるかのごとく引用する向きが少なくないのは日
本の中国理解の浅薄さを示す出来事の一つであろう。
中国農業がきびしい問題に直面していることは確かである。九四年の人口増加率は一・一
二%に減少したとはいえ、母数が大きいので、九四年だけで一三〇〇万人ふえている。八
四∼九四年の一〇年間で一・五五億人、すなわち日本の人口を上回るほどふえたことにな
る。しかし二〇三〇年に一六億という数字は過大である。中国の人々の消費生活は、経
済の高度成長のもとで着実に改善されつつあり、これに伴う需要増も大きい。工業化にとも
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ない、加工原料としての農産物需要も伸びている反面、耕地資源は減少傾向にあり、農
業面でのインフラ投資も立ち遅れているため、農業の発展のいま望ましい状況ではないこと
は確かである。しかし、この問題の深刻さ、重大性を中国指導部は十分に認識し、その対
策を講じつつある。六月二七日付『人民日報』評論員論文は、北方でも南方でも、食糧、
綿花など主要農作物の播種面積が増えており、今年の中国農業はよい情勢にあると論評
している。党中央や国務院の指導部が農業を重視せよと、カツを入れ、叱咤激励を行った
効果がようやく現れてきつつある。昨年は食糧が一二〇〇万トン減少し、しかも食糧管理
制度の不備を突かれて、ひどい値上がりがもたらされた。今年はその対策は十分、昨年の二
の舞は繰り返さないはずだ。いわんや天安門事件前の狂乱インフレとは状況がまるで違う。
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『チャイニーズ・ドラゴン』 95 年7月 25 日
ハリー・ウー問題
台湾の李登輝総統の訪米を契機として、米中関係が緊張している。ミニバンの合弁計画で
は、米クライスラーが独メルセデス・ベンツに敗れ、さらに南京空港設備の受注合戦では米グ
ライナー・エンジニアリングが独シーメンスを軸とする欧州企業連合に敗れた。江沢民国家主
席のドイツ訪問に合わせて大型契約の成約を発表するあたり、高度に政治的である。米中
間の経済問題をからめた政治的駆け引きを第三者として冷静に観察することは、国際政治
を研究する恰好の素材になる。
米中双方にとって、いま最も感情的にもつれているのがハリー・ウー氏(漢字名=呉弘達)の
逮捕、釈放問題である。アメリカ側からすると、ウー氏は「米国籍の人権活動家」であるから、
米国人の人権を保護する立場から領事館員が面会に行き、釈放を要求することになる。
中国側からすると、法的には確かに米国籍だとしても、ちょっと前までは中国籍であり、しかも
米国籍という「保険」をかけたうえで、中国に非合法な手段さえ用いて再三入国する挑発者
である。彼は昨年『BITTER WINDS』という英文の著書をアメリカで出版した。邦訳は今
年の一月にNHK出版から『ビター・ウィンズ』(家本清美訳)として出ている。私はたまたまこ
の訳書の「解説」を書く機会を与えられたので、本書を丁寧に読んだ。
Yabuki Susumu: Chinese Dragon
34
五〇年代に北京地質学院の優秀な学生であった著者が反右派闘争のキャンペーンのなか
で、ゆえなく逮捕され、七九年一月に反革命分子のレッテルを外されるまで二〇数年にわた
って辛酸をなめた境遇はまことに同情に値する。八五年にアメリカに渡って以後、積極的な
人権活動家になったのも理解できる。ただひっかかるのは活動のスタイル、あるいはその過激
さである。九一年六月、彼はCBSテレビ・クルーの支援を得て、ひそかに帰国(?)し、かつ
て幽囚として捕らわれていた農場や炭鉱を訪れ、ビデオで隠し取りした。それは同年九月一
五日、CBSで放映されて話題を呼び、彼はアメリカの人権外交のチャンピオンに変身した。
中国の人権状況を改善するうえで最良の方法は、イソップ童話の「北風」ではなく、「太陽」
だと私は確信している。人はパンのみにて生きるに非ず、という精神は、おそらく飢餓のない世
界で意味をもつ格言ではないか。中国の現状では、なによりもまず生存権こそが人権観念
の中心になるであろう。
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『チャイニーズ・ドラゴン』 95 年8月1日
賄賂退治
首都北京における腐敗退治は党書記陳希同の辞任にとどまらず、刑事責任も追及される
に至った。高級幹部の腐敗に対する老百姓の憤りは、深くかつ大きい。徹底的な調査と断
固たる処分が望ましい。それなくして「民憤」「公憤」を鎮めることはできまい。上海では「党政
機関の県・処レベル以上の指導幹部の所得申告についての規定」が通達された(『解放日
報』一九九五年六月二八日)。所得を申告しなければならないのは、党機関、人民代表
大会、行政機関、政治協商会議、司法機関(裁判所、検察機関)に働く「副処級以上の
幹部」である。上海市政府(市役所)のばあい、市長、副市長(八名)、ついで局長、副局
長、その下のランクが処長、副処長である。その下のランクが科長および科員であり、最後に
ヒラの事務員が「弁事員」である。処長というランクは、日本流に考えれば、局長の下だから
部長にあたるとみてよい。このばあい、科長は日本の課長にあたる。ただし、これは上海のよう
な大都市の処長のケースである。もし小さな都市なら、局長級が日本の部長級、処長級は
日本の課長級、科長級が日本の係長級に相当するかもしれない。
Yabuki Susumu: Chinese Dragon
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要するに、所得申告の必要なのは、部課長級、つまりは管理職である。この規定が適用さ
れるのは、上に列挙した機関だけではない。工会(労働組合)、共産主義青年団、婦人団
体、その他国家が経費を支出するすべての団体の部課長級以上の幹部がこれに該当する。
国有企業のばあいも同じである。しかも、実際に部長なり、課長のポストについていなくとも、
部課長待遇の者はすべてこの対象になる。たとえば企業の責任者には、企業の党委員会
書記、副書記、紀律検査委員会書記など党の幹部のほか、董事長(取締役社長)、副
董事長(副社長)、執行董事(取締役)、監事長(監査役)、副監事長(副監査役)、経
理(工場長)、副経理(副工場長)、工会主席、総工程師、総経済師、総会計師などが
含まれる。申告すべき対象は、賃金、各種手当、ボーナス、原稿料、講演料、顧問料、請
負いやリース経営による所得、証券取引による所得、その他収入である。これらについて、
半年ごとに申告せよとしている。贈り物については、五〇元以上二〇〇元未満の物品は所
属先に「申告」すればよく、二〇〇元以上のものは、所属先に「提出」すべし、とされた。これ
が実行されれば、世界一クリーンなお役人になるはずだが……。
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『チャイニーズ・ドラゴン』 95 年8月 22 日
浦東開発5周年
浦東開発は満五周年にあたる。過去五年間の開発のスピードはまことに目を見張るばかり
だが、なぜこのような奇跡がもたらされたのか。中国のマスコミは、特に上海『解放日報』を中
心として、開発五周年を記念する記事が目立つ。このプロジェクトと関連するが、広州交易
会に対抗して「華東交易会」が始まったのは、九一年であり、今年は五回目である。顧みる
と、八六年、上海市政府が国務院に『上海城市総体規画方案』を提出したが、これを国
務院が承認し、上海市の開発計画は、中央政府の確認を得た形になった。こうして八七年
六月、上海市政府は浦東新区開発中外連合諮問小組を成立させ、浦東開発のグランド
デザインを作った。九〇年初め、鄧小平は上海を視察し、上海の責任者と会見したさいに、
浦東開発支持を明確に表明し、これによって浦東開発は第二段階に入ったとみてよい。江
沢民は九二年一〇月、党大会における政治報告のなかで、「上海の浦東開発、開放を龍
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頭とし、長江沿岸の都市をよりいっそう開放し、上海をすみやかに国際経済、金融、貿易の
中心の一つとし、長江デルタと長江流域地区に新たな飛躍をもたらそう」と呼びかけた。この
政治報告以来、八〇年代には「地方の発展戦略」にすぎなかった浦東開発が「国家の発
展戦略」に格上げされた。過去五年間、浦東新区ではインフラ建設のために、一六八億元
が投資されたが、これは上海における固定資産投資額の三割を占めている。この資金で開
発された面積は一五平方キロメートルである。九四年末までに、上海の外資系金融機構
の代表事務所は一二〇社に達しており、外資系銀行の預金量規模は三九・二億ドルに
達している。上海証券取引所を中心とする証券取引は、九四年には二・五兆億元に達し
た。上海に設けられている全国外国為替取引センターは、九四年に約三五〇億ドルの取
引実績を挙げた。過去五年来、浦東新区には二六六三社の外国企業が進出し、契約ベ
ースでは六〇億ドルに達した。では、課題はなにか。第一に、土地と不動産の需給関係が
変化し、供給過剰の局面が生まれている。第二に、土地開発自体の開発コストがますます
高くなり、土地と不動産価格の高さが投資者をしてためらわせる状況が生まれている。第三
に、土地開発の間接コストもますます高くなり、土地開発によって生まれる過剰な農業労働
力を吸収しにくくなった。徐匡迪新市長は、これらの問題をどうさばくであろうか。
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『チャイニーズ・ドラゴン』 95 年8月 29 日
北戴河会議
中国の指導者たちは海浜の避暑地北戴河に集まり、会議を開くのが恒例である。今年の
北戴河会議の主な課題は、来年から始まる第九次五カ年計画(一九九六−二〇〇〇年、
中国では「九五計画」と略称する)の策定であった。九五計画は今世紀最後の五カ年計画
であり、中国の目指す「所得四倍増計画」の最後の段階でもある。中国の四倍増計画は
一九八〇年から二〇〇〇年までの二〇年間に、一人当たりGNPを四倍に増やそうとする
ものであった。人民元の価値もドルの価値も変動しているので、物価値上がり分を除いた実
質指数で見ると、昨九四年のGNPは八〇年当時の三・六五倍であった。二〇〇〇年まで
の最後の六年間の成長を計算に入れると、四倍増という目標は達成できるとみてよさそうで
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ある。この間人口は年率一・四%程度の伸びであったから、人口増加分を割り引いた一人
当たりのGNPでみても、四倍増の達成は硬いとみてよい。実は所得四倍増という数字自体
よりも、中国がこの高度成長を通じてようやく経済的離陸に成功し、日本、四小龍、アセア
ンの三匹の虎(タイ・マレーシア・インドネシア)に伍して東アジアの経済成長の隊列に加わっ
たことの意味が大きいであろう。北戴河会議はいわば非公式の経済工作会議である。ここで
九五計画の骨格を固めたのち、秋には一四期五中全会で党レベルの審議が行われ、さら
に九六年春の全国人民代表大会において、政府案として正式に決定される段取りである。
この九五計画において、沿海地区は工業の基礎に依拠して、海岸線と港湾を活用してハ
イテク化を目指し、輸出産業に力を入れ、中国の経済成長の牽引力と位置づけられよう。
長江一帯は九〇年代の重点開発地区であり、二一世紀にはもう一つの牽引力となろう。
渤海湾から黄河一帯は、技術力、エネルギー、鉱産物資源に恵まれており、沿海地区と長
江地区に次いで第三の牽引力と想定されている。これらの地域での市場経済化が進展す
れば、中国は広州、上海、北京、ハルピン、ウルムチ、昆明の六都市を中核とする六大地
域経済圏に生まれ変わるであろう。中国は建国当時から、この六大経済圏に分けていたの
であった。今春の全人代においては、中西部地区に傾斜した投資を行うべしとする強い要
求が出た。しかし、やはり投資効率を最も重視し、「沿海・沿江・沿河の三大基軸」を中心
とする発展戦略論が盛り返していると伝えられる。
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『チャイニーズ・ドラゴン』 95 年9月5日
ヒラリー夫人の訪中
八月二四日、中国系の米人権問題活動家ハリー・ウー氏が二カ月にわたる拘禁から釈放
され、米カリフォルニア州の自宅に帰った。これとほぼ同時にヒラリー・クリントン米大統領夫人
の国連世界女性会議(北京)への出席が決定した。米『ワシントン・ポスト』紙によると、中
国は世界女性会議の「権威を高めるため」に、ファースト・レディの出席を求め、米側はその
代償としてウー問題の解決を要求し、「裏取引が成立した」と報じた(八月二五日付)。裏
取引であれ、表取引であれ、歓迎すべき動きである。とはいえ、海峡の両岸問題の焦点は
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来年三月の総統直接選挙であり、その結果を待つことなしには、根本的解決はありえな
い。
八月二三日李登輝総統は「長く慎重に考えた結果、国民党候補選出選挙へ立候補する
ことを決めた。支持を願いたい」と述べて、総統選挙への出馬を表明し、事実上の選挙戦が
スタートした。たとえ曲折はあっても、李登輝再選は固いであろう。大陸側の威しをそのまま
受け入れるほどに台湾の民衆は単純ではあるまい。とはいえ、李登輝の「事実上の独立路
線」がここで大きな軌道修正を受け、より慎重な外交路線への転換を余儀なくされることも
確かであろう。いずれにせよ、これから半年の間に、海峡両岸では、さまざまな駆け引きが繰
り広げられるはずである。双方共に権謀術数に長けた人々である。国際的駆け引きに弱い
日本の出る幕はあるまい。中国大陸からみれば、権力基盤を固めようとしつつある江沢民
体制にとって、これは大きな試練である。ナショナリズムを利用して世論をまとめ、強い姿勢で
対処しようとしており、そのかぎりでは江沢民の体制固めにとっては、逆説的だが、むしろ絶好
のチャンスである。しかし、緊張がエスカレートしていくと、振り上げた拳のやり場に困る事態が
起こる。そのような中国の強硬姿勢に米国が反発することになると、敵意が増幅され、危険
な状態もたらされることは明らかである。米中も、海峡両岸も、ギリギリの駆け引きを試みよう
とせざるをえない事情にこそ、危険性が隠されている。李登輝も、クリントンも選挙で勝たな
ければならない。江沢民も世論の支持を獲得しなければならない点では、李登輝やクリント
ンと同じ立場にある。彼らはいずれも内政の人気とりのために外交を利用しようとしてとしてい
る。そこに弱体な指導者たちによって展開される外交ゲームの危険性がある。
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『チャイニーズ・ドラゴン』 95 年9月 12 日
香港は死なず
旧聞だが、アメリカの雑誌『フォーチュン』(六月二六日号)は、「香港の役割はもはや終わっ
た」「香港はいまや死去しつつある」と分析したルイス・クラー論文を掲げた。アメリカでは「中
国脅威論」が大流行し、「関与政策」(エンゲイジメント・ポリシー)なる新語が登場したり、い
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やそれは「封じ込め政策」(コンティンメント・ポリシー)と事実上同じだという解説が現れたり、
中国を「諸悪の根源」と見る黄禍論が幅を聞かせているようだ。
こうした対中国認識、あるいは議論のなかには、かなり怪しげなものが含まれている。先頃、
私の手元に香港から一通の手紙が届いた。差出人は、『中国・次の超大国』の著者ウィリア
ム・オーバーホルト氏である。五頁にわたって書かれた手紙の内容は、『フォーチュン』編集部
への公開状であり、「香港は死去しつつあるか?」と題して、誤報を逐一批判したあと、最後
をにこう結んだものであった。
「フォーチュン誌は、九四年一一月一四日号で『世界最良のビジネス都市』という調査レポ
ートを掲げたことがある。香港の事情はそれ以来何も変化していない。それどころか、中英双
方が最高裁判所の問題について妥協に至ったのだから、この前回の記事はますます正しくな
ったのである」。オーバーホルトはこのように書いて、「香港の役割は終わった」などという軽薄
ムードに便乗しただけの素人談義を斬っている。過去一〇年以上、香港に腰を据えて、東
アジアの経済発展を見つめてきたエコノミストならではの迫力のある公開状であった。
私はさっそく、あなたの分析に基本的に賛成だと返事を書き、ついでに半年前に東京で対談
した(『サンサーラ』九四年一二月号)ときの約束を想起して、小著『図説・中国の経済』の
英訳『チャイナズ・ニュー・ポリティカルエコノミー』(ウェストビュー・プレス、一九九五年)を同封
した。香港からその礼状がまずFAXで届き、ついで航空便で礼状の「実物」が届いた。「ご本
をありがとう。君は実に気前がいいね。僕はすぐ読むつもりだ。ざっと眺めたところだが、この本
からたくさん学ぶところがありそうだ。もう一度、ありがとう」。アメリカの若いチャイナ・ウォッチャー、
香港ウォッチャーの冷静、客観的な認識と米議会の人権外交派との認識ギャップは天と地
ほどの差がある。
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『チャイニーズ・ドラゴン』 95 年9月 19 日
『鄧小平文選』その1
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欧米や日本では、ウィンドウズ 95 フィーバーが続いているが、中国のパソコン・ブームもかなり
のものらしい。「買いたい商品」のベスト3が「電話・ビデオカメラ・パソコン」だという中国型中
産階級も続々誕生しつつあるように見受けられる。
人民出版社が先頃、『鄧小平文選』電子版(第一、二、三巻合訂本)を売り出したとのニ
ュースに接して、早速取り寄せ、試してみた。パソコンに強い私の学生K君の協力を得て、
三・五インチ・フロッピー二枚をなんとか使える状態にした。この間の悪戦苦闘は、私にとって
は、たいへんなエネルギーの浪費と思われるほどの試行錯誤だが、玄人から見たら、朝飯前
の手続きなのであろう。
なぜ苦労したのか。マニュアルが実に素っ気ないのである。インストール(安装)のやり方の説
明は百字足らずである。次は「運行」だが、その説明も六〇字にすぎない。マウス(鼠標器)
の動かし方は、上下左右だから、説明なしでも分かるが、問題は漢字のインプット法である。
「(文字)検索のときに用いる漢字のインプット法は、このシステムでは、「全併」「簡併」[ニン
ベンでなく、テヘンにする]を用い、前者はALTキーとF5キーを、後者はALTキーとF3キーを
用いる。ついで「功能」として、文字検索は四〇字まで可能なこと、全三巻を一挙に検索で
きること、「社会主義」あるいは「一国両制」のいずれかを含む文章、「社会主義」および「一
国両制」の双方を含む文章、「社会主義」および「一国両制」の順序で、二つの語彙が現
れる文章、これら三種の検索が可能だと説明してある。
これで終わり。このソフトの製作者は「北大火星人」、すなわち北京大学関係者からなる
「火星人」グループである。
私はまるで火星人と対話するがごとく、異星人とのコミュニケーションに苦労させられた。「全
併」「簡併」とはなにか。中国語パソコンの漢字入力方法である。たとえば「矢」という漢字は、
中国流の漢字コードたるGBコードでは、四二二四である。「全併」ならSHI、「簡併」ならUI、
「双併」ならII、「五筆」ならTDUU、「普通」ならLDS、「自然」ならUIと打つ。なんと六種の
入力方法があるからややこしい。かな文字を発明してくれた弘法大師に感謝したい気持ちに
なる。バカとハサミは使いよう、などとわがオツムをたたきながら、なんとか動かした快感は、忘
れられない。
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『チャイニーズ・ドラゴン』 95 年9月 26 日
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『鄧小平文選』その2
『鄧小平文選』から面白そうな語彙を検索してみよう。シロであれ、クロであれ、ネズミを捕る
のがよいネコだ。人口に膾炙した名言である。しかし、シロネコ(白猫)を調べても当然ながら
出てこない。原文は「黄猫、黒猫」だから、ホワンマオと入れなければならない。しかも一回し
か出てこない。一九六二年七月七日の発言である。ネコはもう一回だけ登場する。毛沢東
が中国と旧ソ連の関係をネコ(旧ソ連・スターリン)に食われるネズミ(中国・毛沢東)にたとえ
た言葉の引用である。鄧小平はそれほど猫好きではないかもしれない。
日本帝国主義は七回、アメリカ帝国主義は四回出てくるが、日中関係は五回、米中関係
は三一回、中ソ関係は九回出てくる。日本帝国主義やアメリカ帝国主義は、主として抗日
戦争期、解放戦争期のものであるのに対して、日中、米中、中ソの「関係」を論ずるのは、
国家権力を得て、外交や安全保障を論ずるばあいである。いわゆる「中国の脅威」論とから
んで、話題の南沙群島は二回、西沙群島は一回、釣魚島(尖閣列島)は三回である。ヨ
ーロッパは三四回、アジアは一四回である。イギリス二二回、フランス五回、西ドイツ一回に
対して、アメリカは一二五回、ソ連は九四回である。米ソの両極支配のもとで、ヨーロッパが
たまに言及される。イギリスは香港問題がらみで出てくる。ちなみに香港問題は三三回出て
くる。
アジア諸国を見ると、シンガポール四回、マレーシア一回、フィリピン一回、ベトナム一五回、
カンボジア八回である。アメリカのベトナム戦争、中越戦争のために、ベトナムの回数がふえ、
関連する文脈で小国カンボジアの登場回数が多い。
鄧小平時代を示すキーワードを調べてみよう。1「開放」二八四回(初出は七八年一〇月
一〇日)、2「法制」五八回(初出は七八年一二月一三日)、3「四つの基本原則」は七九
回(初出は七九年三月三〇日)、4「経済特区」は三七回(初出は八〇年一二月二五
日)、5「香港問題」三三回(初出は八二年九月二四日)、6「一国両制」三三回(初出は
八四年一〇月三日)である。「経済改革」は一一回(初出は八〇年一二月二五日)出て
くるのに対して、「政治改革」は一回のみである。しかもこれはウォーレス記者(アメリカのジャ
ーナリスト)の質問のなかに出てくるだけで、鄧小平の言葉ではない。
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『チャイニーズ・ドラゴン』 95 年 10 月3日
中台関係の緊張
中台関係の緊張が続いている。中国側は「武力統一は下策、和平統一こそが上策」と認
識しつつ、和戦両用の構えを堅持している。旧ソ連の解体以後、冷戦は終焉した。しかし、
湾岸戦争やボスニア・ヘェルツェゴヴィナの内戦が示すように、地域戦争、局地戦争は絶えな
いと中国は見ている。
「世界の軍事構造は古い均衡が破壊され、群雄割拠の春秋戦国時代が始まった。この局
面は一〇∼一五年持続する。今世紀末から二一世紀初めにかけて、世界の軍事対抗の
主題はグローバルな範囲内の局部戦争あるいは地域戦争である」と中国は見ているわけ
だ。
中国の安全と統一、領土保全を直接脅かす導火線として、中国は次の八つを想定してい
るようだ。
1「日ましに激化する南海(南シナ海)の紛争」、2「ひとたび韓国が北朝鮮に武力を用いるこ
と」[韓国の北進説であることに注目]。、3「世界の屋根における対峙」(中印紛争)、4「台
湾問題」、5「香港問題」、6「チベット問題」、7「新疆問題」、8「内蒙古問題」の八つである。
中国のこのような情勢認識、安全保障認識については、さまざまの論評が可能であろう。こ
のような認識の背後にほとんど被害妄想的なコンプレックス意識さえ私は感じる。
中国に核実験を止めさせるには、なによりもまず「主権と領土の侵害」と中国が認識している
状況をなくす必要があろう。核実験よりもヨリ効果的な方法を追求するよう慫慂するほかある
まい。このような積極的外交を展開するためには、なによりもまず、われわれ自身の平和ボケ、
歴史ボケから脱却しなければならない。
今回の核実験をめぐる日中間の騒動は、安全保障の面で日中双方の同床異夢がいかに
大きいかを暴露してくれた。このギャップを埋める努力なしには、日中の平和共存はありえな
い。米国もまた対中国政策をめぐって、関与政策 ENGAGEMENT POLICY か、事実上の
封じ込め政策 CONTAINMENT POLICY かで揺れている。事態が米中対決の方向で進む
ならば、日本にはむろんなすすべはない。米国がどんなに強く要求したとしても、対中国の軍
事制裁はもとより、経済制裁にさえ同調できないのが日本の立場である。そのような方向を
避ける道しか日本は選択できないことを明確に自覚することが最も肝要であろう。
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Yabuki Susumu: Chinese Dragon
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『チャイニーズ・ドラゴン』 95 年 10 月 10 日
外資いじめ
円高のために日本国内では労働集約的産業はなりたたなくなった。中国は高度成長であり、
賃金も安い。この二つの条件のために、中国進出をはかり、すでに契約したもの、目下交渉
中のもの、案件はすこぶる多い。しかし、これらビジネスの交流面の拡大にともなって、摩擦も
急激に増えてきた。
日本国際貿易促進協会のアンケートによると、中国におけるインフレ、税制、関税制度を理
由とする既契約の価格値上げ要求、あるいは船積み停止などのトラブルが急増している。
輸出契約に対してLC(輸出信用状)の開設遅延などの問題は、金融引き締めによる国内
資金不足あるいは外貨不足によるものである。近年、中国は輸入管理体制を開放し、対
象品目を削減してきたので、この面でのトラブルは少なくなっている。
現在深刻なのは、輸入契約の未履行問題である。特に輸出税の還付率削減や税制改
訂による突然の値上げ要求や船積み停止、インフレ高進による仕入れコスト増を一方的に
日本側に転嫁し、既契約の価格を改訂するよう要求するケースや、中国国内の市況高騰
のために、輸出貨物を国内に転売してしまい、船積みを無視するなどのケースが目立ってい
る。統制経済から市場経済への過渡期に当たり、貿易企業が厳しい体質改善をせまられ、
自己努力によるリスク回避措置が困難である事情は理解できる。とはいえ、中国企業自身
の責任や自己努力を棚上げして、ツケをすべて日本側(外資側)に回されたのでは、こちらが
たまらない。これらのトラブルをうまく解決しないと、外資側の対中不信が強まり、外資引き上
げといった事態さえありうる。中国側の猛省を促したい。
外資系企業が投資額の限度内で輸入する設備に対して行ってきた関税および付加価値
税の免除を廃止する動きも問題になっている。この免税措置が廃止されると、設備や機械
の輸入コストが平均して四割高くなると推計されている。合弁企業のスタート時に、固定資
産のコストが四割高くなるのは痛い。これでは採算がとれぬと契約を御破算にするケースも
出てこよう。一部では九六年元旦から実施との内示があり、九五年中に輸入を駆け込み完
了するためにおおわらわのケースも少なくないといわれる。いかに過渡期とはいえ、制度は安
定的でなければならない。朝令暮改では相手側が困惑する。
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『チャイニーズ・ドラゴン』 95 年 10 月 17 日
九五計画
中国共産党は九月二五∼二八日、一四期五中全会を開いて「第九次五カ年計画(九
六∼二〇〇〇年)」および「一五カ年長期計画(九六∼二〇一〇年)につての「建議」を
決定した。五中全会のコミュニケによると、次の六項目からなっている。
1中国国民経済と社会発展の重要な時期。2主な奮闘目標と指導方針。3経済建設の
主な任務と基本政策。4改革開放の主な任務と配置。5社会発展の主な任務と基本政
策。6九五計画と 2010 年長期目標のために奮闘せよ、である。
この「建議」は、改革開放以来、とりわけ八五計画期(九一∼九五)の経済建設の成果を
踏まえて、中国を二一世紀に導く方針を提起したものである。中国はかねて二〇〇〇年ま
でに一人当たりGNPを四倍にふやす「所得四倍増」計画を実行してきた。これは八〇年を
基準年として、二〇〇〇年までに人口が三億程度増えることを前提としたうえで、一人当た
りGNPを二五〇ドル(八〇年価格)から一〇〇〇ドル(同年価格)にふやし、これをもって
「小康の水準」(まずまずの生活水準)とみる構想であった。
九五期はこの四倍増計画の仕上げの時期である。この四倍増計画は「現代化建設の第
一歩の戦略配置」ともよばれる。これにつづく「現代化建設の第二歩の戦略配置」とは、二
〇〇〇∼二〇一〇年の一〇年間にGNPレベルで倍増することである(これは一人当たり
ではなく、GNP二倍増構想である)。要するに、今後二〇一〇年までの一五年間にこのよ
うな経済成長を実現することによって、社会的生産力、総合国力、人民生活の水準を大き
く飛躍させ、二一世紀半ばの「第三歩の戦略目標」の基礎作りを意図しているわけだ。成
長率は八∼九%を目標としているが、これはかなり控えめな目標だと思われる。中国経済の
ファンダメンタルズから判断すると、この数字は、インフレを懸念し、安定成長を期待する指導
部のいわば願望であろう。おそらくは中央政府がこのような控えめな数字を提起することによ
って過熱対策という「政策」に意を用いるのに対して、地方当局はそれぞれの思惑から「対
策」を講じて、投資の拡大に務めるはずである。その綱引きの結果として、九五計画期の中
国経済はおそらく一〇%を超える経済成長になるものと私は予想している。中国経済はい
ま発育盛りであり、離陸期のスピードを要する経済なのである。
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『チャイニーズ・ドラゴン』 95 年 10 月 24 日
T字型・π字型・目の字型
T字型とは、沿海地区を横軸とし、揚子江を縦軸と見立てたものである。では「兀字型」とは
なにか。私は中国の新聞か雑誌でこの文字を見かけて、意味がわからなかった。「兀」はゴツ
と読む。ゴツゴツしたさま、ゆれうごくさまを示す。これが漢和辞典の説明である。文脈からして、
T字型に黄河を加えたものか、と推測していた。今回の中国旅行で、中国のエコノミストたち
と話しているうちに、これはギリシア文字の「π」(パイ)であることが分かった。しかも、これは「T
字+黄河」ではなく、「T字+(隴海線+蘭新線)」なのであった。黄河は水量が少なく、泥
水だから水運には向いていない。そこで水路の代わりに鉄路を加えたのである。今回の旅で
は、ウルムチ、蘭州が初めての地であり、得るところ多かった。これらの西部地区は九二年以
来の「沿海・沿江・沿辺」発展政策のもとで、国境貿易に力を入れ、これを経済発展の推
進力の一つとしていた。中国地図で、沿海線から中国・ロシアモンゴル・カザフスタン・ビルマ・
ベトナムと国境を結ぶと形の悪い四角形に見立てることができる。この四角のなかに、揚子
江と隴海・蘭新線を加えると、漢字の「目」になる。広大な中国を「目」のラインに沿って発展
させてはどうか、というのが「目の字型」戦略にほかならない。合縦連衡の時代から、中国に
は戦略好きが多いようだ。これは海に囲まれて穏やかな暮らしを続けてきた日本人とは大き
な違いである。
ところで、辛文主編『内陸地区改革開放研究』(四川大学出版社、一九九五年六月)の
著者の一人劉西栄氏(四川省体制改革委員会発展与改革研究所所長)によると、「海
岸線を持たず、陸の国境線をもたない地域」を内陸と定義する論者もある。この定義による
と、内陸地区とは、四川、貴州、湖南、湖北、安徽、江西、山西、河南、陝西、甘粛、青
海、寧夏の一二省自治区である。つまり華北、華東、中南、西北、西南にまたがる中華帝
国のド真ん中である。この一二地区の面積は三二一万平方キロ(全国の三三・四%)、九
三年の人口は五・三五億(全国の四五・二%)である。
現代の国際化時代において、外国との交流のための海港、空港を持たざる側の渇望感の
強さを私は九三年の吉林省の旅で痛感したが、一二省区のハングリー意識は、吉林省のそ
れをはるかに上回るものであるらしい。
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『チャイニーズ・ドラゴン』 96 年 10 月 31 日
特区論争
「第九次五カ年計画(九六∼二〇〇〇年)」の「建議」を紹介した五中全会のコミュニケに
は、九五期の経済建設の方向について、九カ条の方針が列挙されているが、後から二つ目、
すなわち第八条で「地域経済の協調発展を堅持し、地域発展の格差を逐次縮小するこ
と」がうたわれている。
一方で特区つぶし騒動があり、他方で、外資系企業優遇政策の見直し騒動があった経緯
からすると、拍子抜けの形だが、底流での内部論争はかなり激しいものがあるようだ。
八月七日付『深圳特区報』は深市党委員会の有為書記に対するインタビュー記事をトップ
に掲げて、特区の功績を強調するとともに、特区つぶしの動きは鄧小平の「先富論」を否定
するものだと論じた。これは折からの北戴河会議に向けたアピールであった。九月二二日付
『人民日報』は「深:平凡ならざる一五年」と題した王楚記者のルポをトップに掲げた。これは
特区いびりが一段落したことを示すシグナルであった。
この間、『海南日報』は、国務院特区弁公室主任胡平の「特区は改革開放の道を切り開
き続けよ」(九月七日付)、周文彰(海南省社会経済発展研究中心)の「特区はいまなお
先行試験の歴史的使命をもつ」(九月一一日)などを掲げてキャンペーンを張った。
深市党委員会の有為書記は『深圳特区報』(九月二五日付)に大論文を書いて、深経
済特区がいかに内陸部の経済発展を助けるために努力してきたかを弁じ、特区優遇と内陸
部の発展とは矛盾しないと論じた。
私は九月に中国の西部地区のいくつかの都市を訪問して、改革開放の波がこれらの辺地
にまで及びつつある姿を確認した。
西部の都市の現在の姿は、経済開発区がもうけられ、合弁企業が動きはじめたばかりの一
〇年前の沿海地区の都市の姿を彷彿させるものがある。いまや大西部が目覚め始めたわ
けであり、そのハングリー精神は今後中国の経済成長を牽引する一つのエンジンとなろう。特
区への優遇策が沿海地区開放都市に波及し、いまや内陸の西部にまで波及しつつあるわ
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けだ。一部の地域への優遇策は事実上の輸出補助金であるから、WTOへの加盟後は逐
次廃止せざるを得ない運命にあることは確かである。しかし、中国ではどうやら全中国を法
三章で律するやり方よりも、あれやこれやの優遇策で活性化させるのが向いているようだ。
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『チャイニーズ・ドラゴン』 95 年 11 月7日
特区論争・2
特区つぶし騒動は、五中全会を経て一段落したが、この論争において一方の旗頭が胡鞍
鋼(中国科学院国情分析小組研究員)であった。私は彼が『読売新聞』の招きで来日した
とき、同紙上で鼎談したことがある(六月六日付)。NHKの「一二億人の改革開放」の最
終回(九月一〇日放映)でも、機関銃のような口調で中国の未来についてまくしたてていた
姿をご記憶の方もあろう。
彼は九四年から導入された「分税制」で一躍有名人になった。財政請け負い制のもとで「弱
い中央政府」と「強い地方政府」の矛盾が現れた。これを放置すると、旧ユーゴのように国家
が分裂すると警告し、「分税制」への世論作りに貢献した。
今回は特区優遇が貧しい西部との格差を拡大し、ひいては政治的不安定をもたらすと指
摘し、優遇を廃止するよう主張した。おそらく胡鞍鋼の舌鋒の鋭さにアタマに来たのであろう。
『深特区報』は、名指しではないが、て明らかに胡鞍鋼と分かる表現で特区廃止論に反発
した。タイトルは「学者なのか、それとも用心棒か」である。学者ならば学者らしい品格、修養、
学風があって当然である。胡鞍鋼の頭にはいわゆる「市場経済の理論」しかない。それだけ
で深刻な社会問題や生き生きした社会生活を律しようとしている。いわく「特区は公平な競
争を破壊するマイナス作用をもつ」「少数者が市場経済を独占している」「特区は少数者を
利するだけで、大多数の地区に損害を与えている」。これらの発言には、中国の現実に対す
る分析はまるでなく、依拠するのは、アメリカはどうだ、コロンビア地区はこうだ、といった話ばか
りだ。文章は人気取りを狙い、科学的態度を欠いている。胡鞍鋼は表向きは小平路線を
擁護しつつ、実際にはこれに反対している。このような「断章取義」のやり方は典型的な「用
心棒」作風である(コラム「縦横談」九月八日付)。
当時、胡鞍鋼自身はカナダを訪問中であった。そこで取材を受けた夫人王静はこのコラムに
かみついた。「胡鞍鋼は事柄に即して論じただけである。誰かを攻撃したものではない。にも
かかわらず、コラムは用心棒などと罵倒した。論点が異なるならば、討論すればよいことだ。
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なぜ新聞紙上で罵倒するのか。憤慨に堪えない」(香港『明報』九月一〇日付)。中国大
陸にはいわゆる週刊誌はない。香港紙が代わりを務めた形である。
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『チャイニーズ・ドラゴン』 95 年 11 月 14 日
大阪APEC
いよいよAPECの大阪会議が開かれる。実をいえば、会議が開かれる前に、なにやらAPE
C疲れの印象を否めないのである。
というのは、この会議については、年初から語りはじめ、七月には関西経済同友会の夏季セ
ミナー・プレAPECに招かれて講演した。最近は、ワシントン郊外のアスペン研究所で行われ
た日米対話でもこのテーマが主題の一つであった。もう一ついえば、私は一〇月一六日に台
北で李登輝総統と会見する機会を得た。そのときはこの話題は出なかったものの、もし出た
らどのような発言をすべきかと考えていた。というわけで、今年の私は「APECに明け、APEC
に暮れ、APEC疲れ」である。もしかしたら、これは私だけの嘆きではなく、日本の置かれた状
況そのものではないかと思う。日本がホスト国として会議を主宰できることは、日本のリーダー
シップを発揮する絶好の機会であるはずなのに、実際にはややこしい問題ばかりが登場して、
その処理に忙殺される。挙げ句の果ては、骨折り損のくたびれもうけを絵に描いたごときありさ
まである。
終戦五〇年、一方に日米摩擦あり、他方に日中摩擦あり、この状況はあらかじめ予想され
ていたことだから、安易に「戦後の清算」などを語る軽薄な風潮を私は深く危惧していた。不
幸にして危惧は的中した。
国会の「不戦決議」に始まった田舎芝居のドタバタ騒ぎは、戦争責任、戦後責任論をめぐり、
寝た子を起こしたばかりでなく、「ご迷惑をおかけした」隣国からはかえってその真意を疑われ
る結果となったのは、まことに遺憾である。
戦後五〇年、アメリカから技術を学び、それを血肉化して、アメリカ経済を追い上げてきた日
本は、いまや攻守ところを変えて、アジアの挑戦を受け止めるべき立場にある。
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日本経済のバブルがはじけて自信喪失、混迷を深めているさなかで、アメリカから逆襲され、
アジアからは鋭い挑戦を受けている。まさに前門の虎、後門の狼である。APECのホスト国と
しての日本に期待されているのは、虎を御し、狼を説得し、アジア太平洋地区の経済発展
を加速できる開かれた枠組み作りであろう。日本への期待は大きいが、いまの日本は「一寸
先は闇」の不透明な政治経済状況が続いている。これではリーダーシップの発揮なぞ望むべ
くもない。いまはただ、会議が大過なく終わることを願うのみである。
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『チャイニーズ・ドラゴン』 95 年 11 月 21 日
李登輝会見記
台湾大学で一〇月中旬、「文明史上における台湾」と題したシンポジウムが開かれ、私も
招かれて出席し、「ポスト鄧小平期における海峡両岸の経済関係の展望」について、中国
語で報告した。このシンポジウムは一日に四つのセッション(戦後の台湾政治、台湾の経済
発展、台湾の文化的特色、台湾はどこへ行くか)が続けて行われる形のハードスケジュール
であったが、四つのセッションの主宰者は、それぞれ柯沢東(台湾大学法学部長)、郭婉容
(行政院政務委員、前経済部長)、林耀福(台湾大学文学部長)、江丙坤(経済部長)
であることから推察できるように、ハイレベルの会議であった。会議の翌日(一〇月一六日)、
シンポジウムの出席者は全員総統府に李登輝総統を訪問し、懇談する機会を得た。当初
は一時間の約束であったが、李登輝氏はだいぶ機嫌がよかったらしく、「皆さんと話していると
楽しい」などと語りながら、秘書の示唆を押さえて二時間座談を続けた。談論風発、その雰
囲気は政治家の接見というよりは、大学における李登輝ゼミナールの雰囲気であった。
話題は、風水の話から教育問題、カオス理論からファジー理論まで、そして海峡両岸の政
治問題に及ぶ広範なものであった。江沢民主席が訪米を控えて、「台湾を訪問してもよい」
と米国のマスコミに語ったことが報じられたのは当日朝刊においてであり、江沢民発言に対す
るコメントも求められた。これについては国家安全保障会議と政府に対応を検討するよう指
示したと語りつつ、事柄を理性的に処理すべきだと敷衍した。この会見できわめて興味深か
ったのは、李登輝氏が司馬遼太郎氏に語った「台湾人の悲哀」「モーゼの出エジプト」につい
てのエピソードの新解釈であった。李登輝は自らをモーゼになぞらえたもの、「蜂蜜のミルクの
流れる約束の土地」とは「台湾」の暗喩にほかならないと多くの人々が理解したが、今回、李
登輝氏は明確にこれを否定した。「ある日本の学者がモーゼはあなたかと聞いてきたが、私
は自らをモーゼになぞらえるほど思い上がってはいない。モーゼとは台湾の民衆ですよ」。では
約束の土地はどこか。李登輝氏は客家だから福建省永定県の父祖の地を忘れていないし、
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「新中原の建設」というスローガンも客家の故地が中原であったことを考えると、意味深長な
のだ。来年三月の総統選挙後に李登輝路線はより明確に提起されるはずである。
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『チャイニーズ・ドラゴン』 95 年 11 月 28 日
辜振甫来日
APEC大阪会議における非公式首脳会議の台湾代表は、フタを開けてみると、結局辜振
甫氏であった。辜振甫は台湾経済界を名実ともに代表できる人物であり、大阪で江沢民
氏と接触したことは、今後の中台関係にとって小さからぬ意味をもっている。一九一七年生
まれだから、今年七八歳になる。先代辜顕栄は鹿港の豪族であり、日本の植民地統治に
協力する過程で台湾屈指の大地主となった。辜振甫はその子息で、旧台北帝大卒、日本
留学(東大)の経験もある。一九五三年、農地改革に連動して官営台湾セメントが払い下
げられた際に、その株主となり、社長、会長として事業を拡大してきた。六六年には中華証
券投資を創設し、のち中国信託グループに発展した。信託、金融、サービスの系列企業は
一六に上る。氏は業界、財界の要職だけでなく、政府、国民党の要職も歴任してきた。今
回は経済建設委員会委員の肩書で来日したが、国民党員としては中央常務委員である。
中国大陸との関係では海峡交流基金会の会長として、九三年にシンガポールで大陸側の
海峡両岸関係協会の汪道涵会長としてトップ会談を行っている。
私は今年の三月、台北で行われたシンポジウムに招かれたが、その際に主催者側のアレン
ジにより、辜振甫氏とお会いした。そのとき同氏は「この夏には私自身が北京へ行き、汪道
涵さんと会いますよ。[二年前のシンガポール会談でリークワンユー氏を煩わしたように]もう第
三者の手をお借りするような段階ではありませんよ」と明言されたのであった。当時、私は中
台関係の新たな発展に大きな期待を抱いて帰国したのであった。しかしその後、六月に李
登輝総統がアメリカを訪問したことに大陸側が猛反発し、海基会と海協会の交流計画は
棚上げされ、辜振甫氏の北京行きは延期された。
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しかし、同氏が大阪会議に参加したことは、大阪経由という回り道を経て、来年あたりに北
京へ行く計画が復活する一段階であるとみてよいわけだ。
血は水よりも濃い、これは確かな事実である。台北と北京は時に激しく反目し会うが、これは
いわば近親憎悪なのだ。北京では「普通話」といい、台北では「国語」と称しているが、これら
は基本的に同じ言語である。日本人は言葉尻の激しさに惑わされて「対立」だけをみるが、
両者の相互理解はかなり進んでいるとみなければならない。
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『チャイニーズ・ドラゴン』 95 年 12 月5日
アスペン会議
一〇月末に日米カウンシル米国会議に出席する機会を与えられ、快適なアメリカ旅行を楽
しむことができた。今回はインディアン・サマー(小春日和) のワシントン郊外のド ライブを満
喫した。アスペン研究所のあるワイ・リバー・プランテーションまで車で約九〇分、紅葉が日一
日と鮮やかに色づいていく風景は実に美しかった。この会議は日本の国際経済交流財団と
米国アスペン研究所が共催して交互に日本と米国で日米対話を行うもので、今年は一二
回目とのことである。
私は二〇分の報告時間を与えられたので、三つのトピックに話をしぼった。第一は中国経済
の高度成長である。高度成長が中国社会を大きく変貌させており、これは将来の政治的民
主化の基盤を用意するはずであり、好ましい傾向として受け止めるべきである。第二は中国
と台湾の関係である。李登輝総統の訪米以後、海峡両岸関係は少し緊張しているが、所
詮は夫婦喧嘩の類であり、外国勢力の介入は避けて、当事者同士の話合いに委ねるのが
賢明であろう。第三は米中関係である。米中関係の改善のイニシャチブは米国側が握って
おり、共産主義のマントをゆっくり脱ごうとしている中国にはイソップ物語の寓話で結んだ。私
の発言がどのように受け取られたか、まるで自信はないが、同席された五百旗頭真教授は
後日、『読売新聞』の論壇時評でこう書いた。「日米関係にも、APECの行方にも、濃い影
を落としているのが中国問題である。リークされた北京側の台湾武力解放プランを紹介しつ
つ、実は台湾独立も武力統一もありがず、平和共存の方途しかないことを『諸君!』一一
月号に論じた矢吹晋氏が、会議における報告者であった。氏はこの二〇年の中国の市場
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経済化を軸とする大変化を評価し、韓国・台湾と同じくそれがやがては政治的変化をも不
可避とする展望を語って、「北風」よりも「太陽」の対中アプローチを求めた(大阪版、一〇月
三〇日付)。なお司会者に促されて、いくつか補足した。たとえば、NHKスペシャル「十二億
人の改革開放」の最終回で紹介された米中ビジネス談判は興味深かった。アメリカ側の発
言に溜飲を下げた日本ビジネスマンが少なくなかった。私はこの番組の「打上げパーティ」の
席上、担当ディレクターから聞いていたエピソードを紹介しつつ、日米が中国を国際経済社
会に仲間入りさせるために、それぞれの立場で努力することが効果的だと指摘したわけだ。
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『チャイニーズ・ドラゴン』 95 年 12 月 12 日
食糧輸送網
中国はスローガン作りがお得意だが、「二線三区四大走廊」というのは最も新しいスローガン
の一つである。
二線とは鉄道幹線を指すが、一つは北京・広州を結ぶ京広線である。となると、もう一つの
鉄道は北京・九龍を結ぶ京九線であることは容易に察せられるであろう。この線はようやく全
線がつながり大きな話題となっている。要するに、中国を南北に結ぶ二本の幹線が使えるよ
うになったわけであり、輸送力は一段と増強されるはずである。
では「三区」とはなにか。これは食糧の主な販売地区、食糧に事欠く貧困地区、そしてこれ
また貧困地区とほとんど同義の少数民族地区である。要するに、これら三区とは、食糧の消
費地あるいは食糧の援助を要する地域である(このツイになるのが食糧の供給地区あるいは
商品食糧の生産地区である)。このように「新三区」をわざわざ設定したのは、これまでは食
糧倉庫であれ、輸送施設であれ、食糧の主産地に建設されてきたからである。食糧につい
ては、生産地区だけでなく、消費地においても、保管や輸送の設備を整えようとしていること
が分かる。
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では「四大走廊」とはなにか(走廊といえば、河西走廊が有名だ。これは黄河以西のシルク
ロード、甘粛省の部分を指す)。ただし、ここでの意味は少し違う。第一の走廊とは、揚子江
を利用した重慶に至るまでの水路である。下流は南通と張家港(江蘇省)、上海港、寧波
北侖港などを含む。第二の走廊は、隴海線、蘭新線を結ぶもので、連雲港、石臼港からウ
ルムチまでを結ぶものである。第一、第二の走廊が東西を結ぶのに対して、第三、第四は南
北を結ぶ。すなわち第三の東北走廊は東北三省から大連の窯港を経て海上に出る。第四
の華南走廊は防城港(広西自治区)、湛江港(広東省)を出口とし、南昆鉄道を経て、西
南各省に連なる路線である。
さて、以上を総称して「二線三区四大走廊」というわけだが、これは食糧の流通ルートを整
備しようとする試みにほかならない。
昨年は自然災害のために食糧不足が生じたが、総量としては需要を満たすことのできる水
準であった。にもかかわらず、値上がりが生じて全国に波及したのは、流通体制の不備によ
るものだとする反省のうえに、食糧の全国的供給網作りが進んでいる。地大物博の中国で
あるから、ネットワーク作りも気宇壮大である。
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『チャイニーズ・ドラゴン』 95 年 12 月 26 日
国家開発銀行
一二月初め、中国の金融改革の現状を調査するために、訪中し、北京では中国人民銀
行政策研究室、同金融研究所や国家開発銀行などでヒアリングした。中国版開発銀行
は、日本の開銀をモデルとして、九四年三月、国務院直属の部級単位として設立された。
資本金五〇〇億元は全額政府出資である。現在の融資残高は八〇〇億元、四二七項
目の重点プロジェクトに融資している。顕著な例は、三峡ダム、京九鉄道など国家重点プロ
ジェクトへの融資である。
地域的にみると、圧倒的に内陸地区への融資が多い。つまり、内陸地区、インフラ建設への
政策金融が目的である。貸付金利は人民銀行が決定することになっており、その水準は他
の商業銀行と基本的に同じである。ただし、一部の貸付に対しては、優遇金利が適用され、
五∼六%である。現在の中国経済の旺盛な資金需要からみると、金利の高低は問題にな
らず、資金の絶対量こそが重要だという。貸付資金の源泉は政府が無償で出資した資本
金と債券発行による資金調達および銀行自体の利潤留保部分による。さらに法人所得税
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として「納税後、再度銀行に還元する部分」もある。納税部分をそっくり当該企業や開発区
などに補助金として「還元」するやり方はいかにも中国的な優遇方法である。
九四年には債券七五八億元を発行した(三年もの、五年もの)。九五年には七九〇元の
金融債を発行した(三年もの、五年もの、八年もの)。今後は国際借款の受け入れ、外債
も発行する予定である。ムーディズの債券格付けではトリプルAであり、日本NISの格付けは
トリプルAマイナスである。
開発銀行の姚振炎総裁は前国家計画委員会副主任、かつて李鵬総理が電力部部長を
務めた時代の副部長、すなわち電力分野の専門家である。第一副総裁屠由瑞氏は鉄道
部副部長から転じた鉄道専門家である。周道炯第二副総裁は人民建設銀行頭取を十
年務めた設備投資金融の専門家だ(今は証券監督委員会主席に転出)。劉明康第三
副総裁は元中国銀行ロンドン支店長、その後福建省副省長から昇格した国際金融の専
門家である。姚中民第四副総裁は四三歳の若さで、人民建設銀行、河南省副省長を経
て昇格した。従業員は約千人である。武漢支店と太原、西安、深、成都に事務所を設け
る予定である。開発銀行のほかに農業発展銀行、輸出入銀行もスタートし、中国の政策
金融はようやく体制が整った。
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『チャイニーズ・ドラゴン』 1996 年1月9日 1996展望
中国では九六年から第九次五カ年計画をスタートさせる。その基本方針は、旧年の九月
二五∼二八日に開かれた一四期五中全会において決定済みであり、その細目を詰める中
央経済工作会議も一二月五∼七日に開かれている。この工作会議には政治局常務委員
のうち劉華清上将と李瑞環を除く江沢民、李鵬、喬石、朱鎔基、胡錦涛の五名が出席し、
江沢民、李鵬の二人が「重要講話」を行い、朱鎔基が「総括講話」を行った。工作会議で
確認されたのは、まず「二つの転換」である。すなわち、市場経済への転換と経済成長方式
の転換である。前者は自明だが,後者は「粗放型成長」から「集約型成長」への転換、すな
わち単なる量的拡大から質的改善への転換である。具体的な内容としては、次の四点が
指摘されている。第一に農業と農村の発展、第二に国有企業の改革、第三にマクロ・コント
ロールの改善、第四に対外開放の水準の向上である。
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まず農業だが、中国経済のファンダメンタルズ(基礎的条件)を考えるうえで、農業問題と人
口問題は決定的に重要な位置を占めている。厳しい一人っ子政策にもかかわらず、一二
億人という母数が大きいために、毎年一三〇〇∼一四〇〇万人ずつ、つまり東京都の人
口を上回るほどの数が毎年増えている。このように爆発的に増える人口の食糧を確保する
のはなみ大抵のことではない。
しかし、近年は市場経済化への転換のなかで、食糧生産よりは郷鎮企業などの副業を、
副業よりは手っとり早く現金収入の得られる出稼ぎをといった風潮が強く、食糧生産が疎か
にされた。停滞気味の食糧生産に対して、九四年の自然災害は追い打ちとなり、食糧不
足から農産物価格の急騰がもたらされた。実は九四年の四・四五億トンという数字は食糧
の絶対量としては現在の食糧消費水準のもとでかろうじて間に合う量なのだが、折から食糧
需給もまた市場経済化を急ぐべきだとする流通政策の失策もあずかって農産物価格の急
騰を許してしまった。その反省のうえに九五年は農業に力を入れて、前年比一〇〇〇万ト
ン増、すなわち四・五五億トンの食糧を確保できる見通しである。食糧の輸出入をみると、
九五年一∼九月期までの数字だが、輸出を九四年同期よりも九〇六万トン減少させ、輸
入は七六五万トン増加させている。つまり生産面で一〇〇〇万トン増、輸出入で約一六
〇〇万トン増、計二六〇〇万トンの供給増になっている。これだけ余力があれば、九六年
の食糧事情に問題はありえない。
第二の国有企業改革は古くして新しい問題である。国有企業は二五∼二六万社あるが、
中国経済に決定的な役割を果たしている重要企業は約一〇〇〇社である。これがいわゆ
る「大中型企業」である。この大中型企業が国有資産の五割、税収の七割を占めている。
これまで一八都市の一〇〇企業を対象として、国有企業改革の実験を試みてきたが、九
六年はこれをさらに展開する年になるはずである。この場合に、手形法が九六年から施行さ
れることは重要な意味をもつであろう。実は旧年一二月の訪中で確認したのだが、手形法
は正式な施行に先立って、石炭、電力、化学工業、冶金などの業種で導入の実験を行い、
「三角債」の整理に大きな役割を果たしたという。国有企業改革のモデルとしては、先進的
な合弁企業や郷鎮企業の例があり、また企業倒産によりはきだされる失業者対策について
もさまざまな社会保障制度の構築が模索されている。これらのいわば外堀を埋める作業から
始まって、いよいよ国有企業に対する大手術に取り組むべき年である。
第三のマクロ・コントロールの改善だが、物価の安定はコントロールが効いてきたことをなにより
もよく示している。むろん、市場経済を前提としたマクロ・コントロールはまだまだ初期の段階に
あり、今後の改善が待たれることはいうまでもない。最後に、開放政策だが、これは外資側と
の間でさまざまな軋轢をもたらしている。設備輸入関税の免税措置を撤廃する問題、増値
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税の輸出還付税率の引き下げ問題、委託加工に対する保証金制度の問題、外資側の
人民元調達の困難などである。WTO加盟を踏まえた「政策の統一」という大義名分のもと
で、実際には「外資系企業からしぼれるだけ税金をしぼろうということか」と反発を抱かせるよ
うな朝令暮改は外資を中国ぎらいにするおそれがある。
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『チャイニーズ・ドラゴン』 96 年1月 16 日
八五計画の総括
昨年末をもって第八次五カ年計画、すなわち八五計画(九一∼九五)が目標を達成した。
邱暁華、章鐘基(国家統計局)が八五計画期の成果を論じている(「新段階の良好なスタ
ート」『人民日報』九五年一二月二〇日)。まず際立つのは、貿易の急成長である。八五
期の貿易総額は一兆ドルであり、七五計画期(八六∼九〇)の四八六四億ドルより倍増し
た。しかも一兆ドルという数字は四九年の建国以来九〇90 年までの累計九七〇六億ドル
に匹敵する数字である。第二は直接投資の急増である。八五期に中国が実際に利用した
外資の総額は一五〇〇億ドルであり、これは七五期の約三倍である。外資のうち直接投
資の占めるシェアは七五期には三四・九%であったが、八五期には六七・九%に増えた。つ
まり、七五期には借款が主であったのに対して、八五期には直接投資が主になった。外資
系企業は約一〇万社に増えた。外貨準備高は七〇〇億ドルを超えて七五期末の六倍に
増えている。
第三に、八五期のGNPの成長率は年平均一一・七%であり、GNP四倍増構想は二〇
〇〇年を待たずに繰上げ達成された。世界銀行の『世界発展報告』(ワールド・ディベロプメ
ント・リポート)が為替レートを三カ年の移動平均で計算したものによると、九三年の中国の
GNPは五八一一億ドルであり、世界七位である。第四は食糧などの農業面の生産量であ
る。五カ年累計量は二二・四億トンであり、七五期と比べて一・九億トン増えた。年平均で三
八四四万トンの増加である。九五年の肉類の年産量は四六〇〇万トンであり、年率一
〇%以上の伸びである。水産物の年産量は二三〇〇万トンであり、年率一三・二%の伸
びである。いずれも七五期の伸びを上回っている。第五に固定資産投資は五カ年累計で
六・一兆元であり、七五期の三・一倍になった。大中型プロジェクト七〇〇を建設した。たと
えば京九鉄道(北京・九竜)は全線のレール敷設を終わり、川黔鉄道(四川・貴州)の電化
が完成し、西南地区の運輸緊張が改善された。陝西、甘粛、寧夏を横に貫通する宝鶏・
中衛区間の電化が完成したことによって、東の連雲港からオランダのロッテルダムに至る第二
のアジア・ヨーロッパ間ランドブリッジの重要部分が構築された。三峡ダムの工事は正式にスタ
ートし、秦山、大亜湾の原子力発電所は操業を開始した。以上から八五期の中国経済の
躍進ぶりは明らかだ。今年はこれを踏まえて、九五計画がスタートした。
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『チャイニーズ・ドラゴン』 96 年1月 23 日
中国脅威論か
台湾海峡における中国のミサイル訓練や南沙諸島における実効支配を狙う動き、あるいは
繰り返される核実験に関して、「中国脅威論」が高まっている。これについて中国側自体は
どのように認識しているのか。『解放軍報』(九五年一一月三日)に郭争平氏(中国国際戦
略学会研究員)が脅威論への反論を書いているので、その論点を紹介してみたい。中国の
現代化事業には長期の国際平和の環境が必要である。世界の潮流は平和と発展である。
中国がこの潮流に逆らって行動することがありうるだろうか───これが基本的観点である。
この観点は小平時代になって以来、繰り返し強調されてきたものだが、実はこの前提がいま
西側で疑われているわけだ。では反論を聞こう。中国の国防費は八八年の二一八億元から
九三年の四三七億元へと五年間で二倍になった。しかしこの間に物価は七八%上がってい
るので、これを割り引くと国防費の実質的な伸びは四%にすぎない。これは軍人の生活費の
増加をまかなうだけだ。さらに、八二年から八八年にかけて中国の国防費は絶対額で、すな
わちインフレ分を控除しない段階で、七年間にわたって年平均三・九%のマイナス成長であ
った。つまり「九三年の水準は実質的に八二年の水準と同じ」だという。イギリスの国際戦略
研究所の『ミリタリー・バランス』によると、アメリカの国防予算は九四年に二八〇六億ドル、
中国は六七億ドルである。九五年はアメリカ二六一七億ドル、中国七五億ドルである。GN
Pに占める国防費の比率は、アメリカ四・六%、日本一・一%、韓国四・一%、マレーシア
四・〇%、中国一・四%である。一人当たり国防費はアメリカ一〇八一ドル、日本三三六
ドル、韓国三一一ドル、マレーシア一四二ドル、中国五・六ドルである。軍人一人当たりの
国防費は、アメリカ一七万ドル、日本一七・五万ドル、韓国二・二万ドル、マレーシア二・四
万ドル、中国二二八六ドルである。ストックフォルム国際平和研究所の九四年年鑑は、「隠
れた国防費」を加算すると三五六億ドル(公表数字の六倍)とみる。軍隊の文官の費用を
国防費に加えるか否か、海岸警備隊の費用はどうか、など国防費の範囲は国によって異な
るが、中国の場合「他の国と大差はない」。購買力平価で換算して「公表の三∼五倍、九
三年は八二二∼一三七〇億ドル」とみるのは、荒唐無稽だ。この反論はどこまで説得的で
あろうか。核実験やミサイル恫喝はやはり避けるのが賢明ではないのか。
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『チャイニーズ・ドラゴン』 96 年1月 30 日
国有企業改革のコスト
旧臘、北京で行われた中央経済工作会議で江沢民、李鵬、朱鎔基の三首脳が口を揃え
て強調したのは、国有企業改革であった。会議に際して国家体制改革委員会が提出した
改革案は、第九次五カ年計画期に毎年一〇〇〇元ずつ、計五〇〇〇億元を費やして約
一〇万の国有企業を改革しようとするものであった。では、この五〇〇〇億元は何に用いら
れるのか。
第一は借入金の「資本金」化である。国有企業の資産と負債とを対比させた「資産・負債
率」(資産四兆元を分母とし、負債三・一兆元を分子とした比率で約七八%)を一四ポイ
ント引き下げるために二八〇〇億元を用いる。この二八〇〇億元のなかには、企業にとって
借入金扱いしていた一部の資金を「資本金」に切り換える(すなわち銀行利子を支払う必
要がなくなる)ための費用六〇〇億元が含まれる。
第二は破産対策準備金である。一八都市の破産実験において、毎年七〇億元ずつ用い
るとすれば、五年では三五〇億元必要である。九五計画期においては、実験都市を一八
から五〇に拡大する予定なので、この準備金はもっとふえる可能性がある。
第三は企業合併にともなう銀行利子の減少分の見積もりである。赤字企業はむろん破産
させるのが経済効率からして望ましいが、失業者が排出されることは社会不安をもたらすお
それがある。そこで微温策だが、いきなり破産させることを避けて、まず比較的余裕のある企
業に「吸収合併」してもらい、一時的に面倒をみてもらう形が採られている。このばあいに、
「吸収合併」された企業の従業員の賃金は三∼四割カットされることになる。またこれは事
実上の「破産」宣告であり、銀行からの借入金に対して、利子はもはや払えない。その利子
分相当の手当てが必要だという話である。
最後は、これが最も困難な課題だが、余剰人員の整理、すなわち首切りである。現在、国
有企業の従業員約八〇〇〇万人のうち三割(二四〇〇万人)は余剰人員とみられる。余
剰人員二四〇〇万人のうち、九五期には約一〇〇〇万人程度を人員整理する方針で
ある。その費用はどの程度か。
Yabuki Susumu: Chinese Dragon
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一人当たり年間賃金を四〇〇〇元とすれば、年間四〇〇億元必要だ。仮に年収五年分
を退職金にするとすれば、約二〇〇〇億元必要な計算になる。
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『チャイニーズ・ドラゴン』 96 年2月6日
江沢民講話
今年の春節は太陽暦の二月一九日に当たる。昨年は鄧小平重体説、はては死亡説で大
騒ぎしたことが想起される。マスコミの軽薄さを示す一例として記憶に留めたい。あれから一
年、江沢民は着々と後継体制を固めつつある。一月一七日の『人民日報』は「指導幹部
は必ず政治を重んじよ」と題する一四期五中全会(九五年九月二七日)の講話を公表し
た。この講話の前半は反腐敗闘争、すなわち汚職退治の呼びかけである。北京市の大ボス
陳希同書記を汚職の罪状で引きずり下ろし、江沢民の権威を無視する地方指導者を恫
喝したのは昨年の大きな出来事だが、江沢民はやはり権威と実力が十分でないため、その
指示を無視する地方指導者が少なくない。これは「中央の権威」確立の点では由々しい事
態だが、必ずしもマイナスばかりではない。毛沢東や鄧小平のような実力者の時代でも、や
はり鶴の一声ですべてが決まったわけではなく、アメとムチで統制してきたのであった。
毛沢東や鄧小平でさえ、時にはそうであったのだから、いわんや威厳が十分でない中央の指
導者は、地方の指導者の言い分を聞いたうえで、その要求を一部とりこみつつ、ゆるやかな
統制を進めていくほかないのは、当然である。そのような妥協的、折衷的やり方こそが民主
化の過程に連なるものであり、中国のようなとてつもない大国をまとめていくうえではむしろ望
ましいとさえ言ってよいのである。
江沢民いわく。「わが高級幹部、まず省委員会書記、省長、国務院部長(閣僚)、中央委
員、政治局委員は、必ず政治を重んじなければならない。私がここでいう政治には、政治の
方向、政治的立場、政治的観点、政治紀律、政治的識別力、政治的鋭敏性である。政
治問題においては、必ず頭脳を明晰にしておくべきである。西側の敵対勢力は、中国を「西
欧化」させ、「分裂化」させようとしている。「民主化」と「自由化」を強要している。警戒せず、
闘争しない、ということでよいだろうか」。江沢民のいう「民主化」とはむろん、アメリカの人権外
交などを指す。また「分裂化」とは台湾独立を西側が支持する傾向に対する危惧である。こ
のような「外圧」を強調することによって、「中央の権威」のもとで一致団結せよ、という要求に
なる。江沢民はいま巧みにアメリカ流の「民主主義の押売り」と台湾の選挙スローガン用「独
立騒ぎ」を内政固めに利用していることが分かる。
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『チャイニーズ・ドラゴン』 96 年2月 20 日
朱鎔基講話つづき
朱鎔基講話の続きである。九四∼九五年の財政改革すなわち分税制改革について「成功
した」と自己評価している。九五年の工商税は九四年よりも八六〇億元ふえ、九四年は九
三年よりも九五〇億元ふえ、九三年は九二年よりも九九〇億元ふえた。財政収入は三年
続けて八〇〇∼九〇〇億元ふえた。七九∼九二年の増加額は二〇〇∼四〇〇億元で
あるから、これと比べると九三∼九五年のマクロ・コントロールの成果が分かるであろう。いま
一部の人は九四年の財政改革を攻撃しているが、これまでに一年で八〇〇∼九〇〇億
元も財政収入を増やせたことがあっただろうか。財政改革の成功は明らかだ。
次は農業問題だが、「メシを食う問題」から「肉を食う問題」へ転化した、と認識している。ワ
ーールド・ウォッチのレスター・ブラウンは中国が将来どれだけの食糧を食うかと論じたが、「一
二億人を食わせる」ことは容易ではない。しかもいまは「メシを食う問題」ではなく、「肉を食う
問題」に発展したのだ。メシを食う問題は解決できたが、肉を食う問題に転化したために困
難が倍加している。万一食糧危機が発生したら「主として輸入に頼る」という人がいるが、こ
れはありえない。中国の農業問題は中国に依拠してみずから解決しなければならない。いま
はみずから解決することができるが、消費が高度化すると不可能になる。だから節約を提唱
し、消費のゆっくりした向上を提唱しなければならない。問題があるとすれば、中国が大きす
ぎて、災害が多すぎることだ。近年は水利補修に留意しなかったこともいまや問題になってい
る。最近、農村工作会議を開いたが、政治局常務委員が全員出席した。これほど多くの
指導者が全員出席した専門会議はなかった。今年は昨年ほど多くの輸入はない。いま国
際価格は約二倍に値上がりしている。農業に問題が出ないかぎり、九六年の経済発展は
かなり勢いよくなろう。
国有企業の赤字問題はいわれるほどひどくはないのだ。三角債を数千億元というが、これは
占用資金をすべて含めての話である。GNPが五兆元、工業生産額が二兆元余だから、数
千億元の債務はモノの数ではない。香港の新聞は国有企業はすべて破産しそうなことを書
いているが、実はそれほど重大ではない。赤字企業が四割という言い方は数百人の企業と
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数万の企業を同一に扱うものであり、科学的でない。赤字は主として中小企業なのだ──
これが朱鎔基のホンネである。
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『チャイニーズ・ドラゴン』 96 年2月 27 日
金融工作会議
一月一四∼一八日の五日間、北京で全国金融工作会議が開かれた。会議後に記者会
見した戴相龍人民銀行総裁は今回の金融引締めの成果を誇示するとともに、今年の金
融工作の課題を語った。昨年末の現金通貨は七九〇〇億元であり、現金+当座預金
(M1)は、一六・八%の伸びで、一昨年よりも一〇ポイント落ちた。M1+定期預金(M2)は、
六・〇八兆元で、対前年比二九・五%増、五ポイント落ちた。年末の金融機関預金残高
は五・四兆元で年初より一・三兆元増えた。うち都市農村住民預金残高は二・九七兆元
で八一三〇億元の伸びであった。外貨準備高は七三五億ドルであり、一昨年よりも二一
九億ドル増えた。人民元の交換レートは安定している。
これらの数字に基づいて、戴相龍は昨年の金融引締めの成功を強調しただ。確かにGNP
成長率一〇・二%という二桁成長を維持しつつ、インフレ率を一四・八%(すなわち一五%
目標以内)に押さえることができたのであり、この成果は誇るに値すると評価できよう。
都市農村の住民預金残高二・九七兆元(対前年比八〇〇〇億元増)という数字は、五
兆元の銀行貸出の六割に当たる数字だ。わずか五年で庶民の銀行預金が四倍になったこ
とは、高度成長のもとで生活条件が改善され、手元に余裕資金が生まれたことを示す。庶
民は教育費のため、マイホームのため、耐久消費財のため、あるいは有価証券を買うために、
預金している。中国流の中産階級が生まれ始めたのだ。
外貨準備高は七三五億ドルに増えて、人民元の「交換性の回復」を二〇〇〇年までに実
現できる見通しが強まった。中国居民も外国の商品やサービスを輸入し、外国に観光旅行
にでかけ、外国の親戚を扶養するために送金が自由にできるようになろう。これはいわば悲願
であった。
Yabuki Susumu: Chinese Dragon
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戴相龍総裁は前述の記者会見において、今年の金融工作の課題として、インフレを一
〇%前後に押さえる目標を掲げた。具体化にいえば、九六年は M1 を一八%以内に押さえ、
M2 は二五%に押さえることである。さらに今年の物価を一〇%前後に押さえ、九五計画期
全体において物価の平均値上がり率をGNP成長率よりも一∼二ポイント下回らせる中期
的方針も提起している。金融当局者がマクロ・コントロールに自信を深めているのは、心強い
限りだ。
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『チャイニーズ・ドラゴン』 96 年3月5日
世界銀行報告
昨年十一月、世界銀行は中国に調査団を派遣し、『九五財政年度中国国家経済報
告』と題する報告書をまとめた。これは九四∼九五年の中国経済の概況をサーベイし、その
パフォーマンスを高く評価したものであった(『人民日報』九六年二月一日付に要旨紹介あ
り)。中国政府が「経済改革の方向を掌握」し、「総需要コントロールをきびしく行った」ため
に、中国経済は一方で「高度成長」を堅持しつつ、他方で「低いインフレ率」の方向へ歩む
という新たな段階に入った。
一連の金融引き締め、投資に対する行政的介入、重要商品に対する価格補助によって、
インフレは九四年のピークを克服した。こうして九五年のGNPは「持続可能な成長レベルま
で低下」できた。このような文脈において、中国経済は「高度成長と低いインフレ率」を特徴
とする段階に入ったというのが世界銀行の評価にほかならない。
このような分析を踏まえて、世界銀行の報告は九六年の見通しをこう述べた。財政金融引
き締めを続けるならば、中国経済は「九六年に軟着陸できる」であろう。世界銀行が「軟着
陸」を語るばあいに、その基準は、インフレが一〇%未満、GNP成長率が八∼九%程度の
レベルを維持することである。
このように見てくると、世界銀行の報告の基調は、本紙二月一三日号、二〇日号の本紙
で紹介した朱鎔基の経済報告の基調と酷似していることが分かる。
中国が改革開放の路線に転じて、従来の計画経済を否定し、世界市場経済への仲間入
りを決意して以来、世界銀行は中国当局のよきアドバイザーの役割を果たしてきた。市場
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経済への移行についてのアドバイスを中国は忠実に受け入れてきた。この意味で、中国はい
わば市場経済への移行経済の模範国である。市場経済への移行という大きな課題におい
て、中国が成功していることのもつ意味はきわめて大きい。それは旧ソ連解体による混乱が
世界経済にとって以下に重荷であるかを考えれば容易に理解できよう。
このような中国の経済的躍進に対して、一部で経済発展イコール軍事大国化とみなし、
「中国脅威論」とみる向きがあるのは、はなはだ遺憾である。経済発展を経てこそ政治的民
主化の展望が開けるのだ。逆に、中国の経済が低迷し、失業者があふれるならば、それは
大量の難民を流出させ、東アジアの脅威になるであろう。
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『チャイニーズ・ドラゴン』 96 年3月 12 日
上海九五計画
東アジア経済の牽引力が中国であるとすれば、中国経済の牽引力の一つが上海である。
上海は九二年の鄧小平南巡講話以後、四年連続一四%以上の高度成長を続けている。
昨年は過熱抑制のために中国のGNPは一〇・八%に押さえられたが、上海は一四・一%
であり、三・三ポイント高かった。この結果、上海市の八五計画(九一∼九五)は、計画を
十分に達成し、「建国以来最良の五カ年計画」となった、と上海の新聞『解放日報』が成
果を誇らしげに伝えている。インフラ建設の面でも顕著な成果があり、地下鉄一号線、南北
高架道路(内環状線は九四年完成)、秦浦大橋の開通によって、既存の南浦大橋、楊
浦大橋とあわせて市内の交通混雑は大いに改善された。電話加入数が二二三万戸に増
大に対応して番号はすべて八ケタに変わった。家庭用都市ガスの普及率は八五%に達した。
九五年に調印した直接投資のうち、投資額が一〇〇〇万ドル以上の大型プロジェクトは
二九八件(七四・八)を占め、金額は七八・二億ドル(契約ベース)であった。年末の預金
残高は一三九六億元に達し、九五年に竣工した住宅面積は一〇一五万平米であり、一
人当たりの居住面積も増加した。こうした戦果を踏まえて、上海市人民代表大会(日本の
市議会あるいは県議会に相当する)が開かれ、二月二日徐匡迪市長が「九五計画と二〇
一〇年長期目標要綱」を報告した(『解放日報』二月一一日付)。八五計画期は浦東開
発により上海を「国際経済、金融、貿易センターの一つ」にする戦略的意志決定の重要な
時期であったと徐匡迪は強調した。上海ではいま「一年で様変わり、三年で面目一新」が
合言葉になっているが、徐匡迪はこのキーワードを引いて、上海市の大いなる変貌を説いて
いる。経済改革の面でも大きな進展があり、いまや指令性計画部分は三%にまで減少し、
八割以上の生産手段が市場経済によって生産を調節するに至った。社会保障のシステム
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も逐次形成されつつあり、すでに九割の職員労働者が「養老保険」に参加している。住宅
制度の改革も進んでおり、住宅積立に参加する職員労働者は九八%に達している。企業
改革の面では一四〇社の国有企業が「現代企業制度の改革試点」として、企業改革の
方向を模索している。金融、財政税制、外為、外国貿易の新体制も整備されつつある。
浦東地区では、陸家嘴、金橋、外高橋、張江の四つの任務のそれぞれ異なる開発区が初
歩的な形を整え始めた。
〔訂正とお詫び〕本紙二月二七日号で「現金+企業定期預 金=M1」、「現金+各種
預金=M2」 と書いたのは誤りです。前者は「現金+ 普通預金、当座預金=M1」、後
者は「 M1+定期預金」と訂正致します。不注 意のため、誤記を致しました(矢吹晋)
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『チャイニーズ・ドラゴン』 96 年3月 19 日
上海九五計画・2
上海の八五計画の実績と九五計画の方向について、徐匡迪はこう報告している。
対外貿易では五カ年の輸出入総額が六五四億ドルに達した。年平均二〇・七%の成長
率である。直接投資の受入れ額は契約ベースで三一四億ドル、実行ベースで一五一億ド
ルである。多国籍会社は二〇〇社余り、外国金融機関一五四社が上海に事務所を持つ
に至った。
では今後の目標はなにか。第一は市場経済指向により、一次、二次、三次産業の構造を
調整することである。なかでも三次産業が重視されており、国際的航空輸送センターの建設、
現代的コンテナ基地の建設、郵便通信事業の発展がうたわれている。加えて情報、コンサ
ルティング、会計、法律関係などのサービス業の発展も目標とされている。二次産業では支
柱産業およびハイテク産業である。すなわち自動車、通信設備、発電プラント、大型機械
電機設備、家電、石油科学、精密化学工業、鉄鋼業などである。これらの産業は二〇〇
〇年までに集約化を進め、市場シェアを拡大し、それぞれ五〇〇億元以上の販売規模を
もつように育成し、「六大支柱産業」の生産額の上海市工業生産額に占める比重を五割
以上に高めるものとする。ハイテクの分野では、集積回路とコンピューター、遺伝子工学と新
薬、新素材の三大産業および航空宇宙産業を積極的に発展させる。一次産業では都市
近郊型農業を都市型農業に転換し、上海における農業現代化を全国の前列に立たせる。
各産業が農業を支持して、模範的な「野菜かごプロジェクト」「米びつプロジェクト」を推進し
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たい。二〇〇〇年には研究開発予算を上海市GNPの二・五 5 %まで増やしたい。また科
学技術の経済成長率に対する貢献度を五割以上にやふし、ハイテクの工業総生産額に占
める比重を二割まで高め、ハイテク輸出品の輸出総額に占める比重を一割五分まで高め
る───上海経済はいまや午前八時の太陽のごとく勢いがよい。この現実は何を物語って
いるであろうか。改革開放の初期の段階で国有企業中心の上海は改革開放に対して消
極的であった。その結果、田舎者・広東の大躍進を嫉妬の眼差しで見つめるのみであった。
小平の南巡講話以後、上海はようやく目覚めた。目覚めて以後の上海の活力は素晴らし
い。九二∼九五年の四年連続一四%の成長率を上回っている。いまや上海が中国経済
の牽引力なのである。全国の一〇・二%対一四%の対比は上海の底力を示して余りあ
る。
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『チャイニーズ・ドラゴン』 96 年3月 26 日
スワニー問題
NHKスペシャル「突然の撤退勧告」(三月一〇日夜放映)が話題を呼んでいる。いまや台
湾との合弁企業で活況をきわめる昆山(江蘇省)に進出した四国の中小企業のトラブルを
描いたものである。この手袋会社はかつて韓国馬山に進出し、石をもて追われ、ついで昆山
に進出したという。この会社は韓国での撤退トラブルの二の舞を繰り返しているらしい。不可
解な現象である。折からの中国脅威論ムードのなかで、中国側対応にショックを抱いた視聴
者からいくつかの問い合わせを受けたので、ビデオを見直した。
私の印象では、この番組はかなり臭い。一種の「やらせ」ではないか。少なくとも紛争を起こし
た双方の見解を公平に扱ったものではないと思われる箇所が散見される。まずタイトルだが、
スワニー側が同省内の他県への移転を申し入れたのに対して、昆山市側が市内の他地区
への移転を反対提案し、交渉中、というのが現状である。これは「撤退提案」ではなく、「移
転提案」であろう。しかも「突然」ではあるまい。
第二にスワニー側は人件費の高騰(年率二〇%)を理由に灌南県への移転を提案したが、
労働組合は猛反対した。解雇されるものとしては当然であろう。閉鎖される工場が「没収」と
解説されたが、これは資産を「競売」にするという話である。「没収」と「競売」は大違いだ。前
者は権力が行うものだが、後者は市場経済の論理に基づいて行われる当然の措置である。
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第三は「三項費用」(年金、住宅基金、失業保険)の扱いである。賃金が高騰したからとい
って、その削減を「突然」提起されたのでは、中国側、労働者は困るであろう。この種の提案
は少なくとも常識的ではない(この費用は契約では賃金の五六%とされていたが、三六%に
減額する措置を講じていた)。
第四に中国スワニーの董事長宣炳龍は工場の移転提案を発表し、台湾資本家に敷地を
見学させたが、これは董事長の権限に属することではないか。下請け工場での製品のコピー
問題、これは断じて許されない。中国側の間違いとして追及すべきであろう。コピー問題は
別として、他の要素は基本的に日本側の対応のまずさに原因があるのではないか。みずから
を被害者に仕立て上げ、放映翌日に日本の経済紙で宣伝に使うやり方はあざとい商法だ。
NHKがミスリーデディングな番組を作り、反中国を煽動するのは由々しい事態である。
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『チャイニーズ・ドラゴン』 96 年4月2日
李登輝総統再選
注目の台湾のビッグ・イベント総統選挙において、李登輝候補は五四%の得票を獲得し、
五割目標をはるかに超えた。民進党の彭明敏候補は二一%、無所属の林洋港候補およ
び陳履安候補はそれぞれ一五%、一〇%であった。台湾の民意は「独立派」に二一%しか
与えず、これを拒否し、同時に「統一派」に対しても二五%しか与えなかった。そして「独立
でもなく、統一でもない」立場、すなわち国際的地位の向上をはかりつつ、次の展望を模索
する李登輝に大きな舵取りをゆだねたわけである。別の言い方をすれば、現状での「統一志
向」を二五%しか支持せず、七五%がこれを拒否したことになる。北京当局がなすべきこと
は軍事威嚇ではなく、李鵬が江沢民八項目提案一周年記念談話で述べた「中国自身の
事柄を立派に処理する」ことをおいてほかにないはずだ。中国脅威論を裏付けるような愚策
は、改革開放路線と相容れない。
「四十余年来、中国統一の追求は、われわれの一貫した不変の目標である。その間、主観
的、客観的条件の変化によって、用語や戦略に若干の相違が出てきたとしても、中国統一
の目標にいささかも改変はない」「台湾の将来の発展の基盤は大陸にある。台湾独立は行
き止まりの道である」。これは誰の発言であろうか。統一を求める大陸側の見解と受け取られ
るかもしれないが、実は台湾の李登輝総統の一九九三年一〇月二八日の発言である
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(『李登輝総統の言論選集』行政院新聞局、九五年四月、一二三頁)。「中国の分裂、
分治は中国人の不幸である。中国の統一を求めることもまた、われわれの変わらざる目標で
ある。われわれが四十数年来努力してきたのは、将来の中国統一のためであり、その範を示
すためであった」「国際社会はすでに対立を放棄し、合作を求める時代に入っている。誤った
苦難の古い時代を捨て去り、新たな局面を開拓するため、無駄な対抗意識を捨て去り、海
峡両岸に平和競争の時代をもたらし、共に時間を惜しみ、各種資源を活用し、将来の中
国の自由、民主、均富、統一のために、共同で努力するよう呼びかけるものである」(同上、
一五九頁)。この発言もまた李登輝のものだが、同じ内容を江沢民総書記が語ったとしても
少しも不自然ではない。海峡両岸の指導者たちは、ともに統一を追求しながら激しく敵対し
てきた。この緊張を激化させるのか、緩和するのか。両岸の当局者の責任は重い。
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『チャイニーズ・ドラゴン』 96 年4月9日
中国脅威論批判
旧ソ連解体と中国経済の躍進を契機として、いわゆる中国脅威論が語られるようになって
久しい。これに対して中国側は反論を重ねてきたが、今年になってからのものとしては、「 中
国威脅論 を反駁する」(『中国国防報』九六年一月七日)と観察家署名の「冷戦思考の
台頭を防げ」(『人民日報』九六年一月二六日)などがある。
後者は「 中国遏制 論を駁す」というサブタイトルがついている。この「遏制論」(ルビ・あっせ
い)とは、アメリカの外交官ジョージ・ケナンがXの筆名で書いた封じ込め論 Containment
Policy に対応する中国語の訳語にほかならない。ケナンの封じ込めの対象は当初は旧ソ連
であったが、朝鮮戦争以後、中国もまた封じ込めの対象となったことはよく知られた事実であ
る。
米国の封じ込め政策のもとで新生中国がいかに苦悩したかは、大量の餓死者を出した大
躍進政策や中国の経済発展を大いに遅らせた文化大革命を想起するだけでもその一端は
理解できよう。毛沢東によって主導された二つの大きな失敗は、封じ込めを外因とする鎖国
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政策のもとで起こった悲劇なのであった。一九七九年の米中国交回復まで米中対決が三
〇年続いたのは、むろん双方の政策によることはいうまでもない。問題は旧ソ連が解体し、
冷戦体制が終焉したはずの今日、かつての冷戦体制の亡霊が生き返ったのかのごとき現象
がみられることである。
中国の理論家・王緝思(中国社会科学院米国研究所所長)によれば、米国の中国脅威
論は次の五カ条からなる。第一は中国の全体主義国としての性格は不変であり、これを諸
悪の根源とみる反共主義の立場である。第二は中国が政治大国になり、その地域覇権要
求が国際秩序への挑戦だとみるものである。第三は経済的挑戦論である。低賃金労働を
利用したダンピング輸出で米国経済を混乱させているとみる。第四は「文明の衝突」論であ
る。儒教文明とイスラム文明が西側のキリスト教文明を攻撃しているとみる。第五は隣国の
脅威論である。中国の軍事力が強大化し隣国(たとえば台湾)に脅威を与えているとする
(『解放日報』九六年一月六日)。要するに、米国の中国脅威論者は現状を「新たな冷戦
の始まり」とみると王緝思は説いている。
この種の中国脅威論を前にして、大陸の強硬な台湾政策が脅威論を裏書きする結果にな
ったのは誠に遺憾である。
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『チャイニーズ・ドラゴン』 96 年4月 16 日
中文昇級版
中国でWINDOWS95「中文昇級版」が売り出されたのは、九六年三月 一四日である。
友人の涙ぐましい?協力を得て、私がこれをインストール(安装)してもらったのは、三月三一
日の日曜日であった。
私のマシーンにはすでにいろんなソフトがゴチャゴチャ入っているので、 まずこれを外付けのハ
ードディスク(硬盤)に移し、Cドライブを掃除するこ とからはじまった。容量に余裕のないCド
ライブのなかに、「SMC中国語拡張キット」、「NIHAO」、「中文起稿」、「清華OCR」、ス
キャナーが 詰め込まれており、交通渋滞はほとんどマヒ寸前。これを解決すべく、かねて 用
意してあるUSA製四ギガのハードディスクに整理しようという目論見であった。
その日、その時、偶然に「中文昇級版」が北京から届いたので、FIPS という区画分離ソフ
トをダウンロードして、これを用いてCドライブのなかに Dドライブ一〇〇メガ分を確保する(こ
れを下手にやると、すでにインストールした日本語版を破壊してしまうので、私の高級助手K
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君の表情は真剣そのも の)。テキパキとキーボードを打つ学生の背中で初老教師はウロウロ、
居眠り するばかり。突然、シャム兄弟の分離に成功した。そこでこんどはシステムコマンダーと
いう秘密兵器をセットアップし、ついで中文版WINDOWSをイ ンストールする。ここで再起
動してみごとに成功。コマンダーは、WINDO WS95J(日本語版)か、WINDOWS95C
(中国語版)かを聞いてくるの で、どちらかを選べばよい。かくてわがディスクパワーHは、キー
ひとつで、WINDOWS95 の日本語版と中国語版をあたかも孫悟空のごとく縦横に行き 来
する。わが学生K君は、パソコン・プロ級の腕前の持ち主、彼に加えて、こ れまたプロ級のわ
がワープロ指南M博士(某国立大学)、さらにコンピューター研究のため日本留学中の中国
人工学士L君、この三人が「三個臭皮匠」か「 一個諸葛亮」かといった侃々諤々のなかで、
ここまで到達した。後生恐るべし 、老兵は消え去るのみの心境で、結果を見守った次第だ。
今日からは自分で操作しなければならない。心細いね。
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『チャイニーズ・ドラゴン』 96 年4月 23 日
ミサイルの理由
中国はなぜ台湾および国際世論の反発を敢えて無視して、ミサイルによる牽制を強行した
のか。その狙いは「一石三鳥」であったかもしれない。なによりも、台湾独立を許さない態度を
示すこと。これは台湾の人々に対する警告であるとともに、外国勢力すなわち米国(そして日
本)に向けたものである。
つぎに事実上の台湾独立派と中国が認識する李登輝への得票を減少させること。当初は
当選阻止をも意図したが、それは無理な相談であった。最後に中国の内部統一のためであ
る(チベット自治区など少数民族地区の問題、広東省など各省の自主権拡大要求のなか
で江沢民指導部を固めなければならない)。
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最初の要素は、台湾の主権が中国にあるとするこれまでに国際的に認められてきた原則の
確認である。この原則の確認のために、これだけの威嚇が必要であったか否かの議論はさて
おき、この原則を主張する中国の立場は理解できる。つぎの理由だが、選挙結果が示した
ように、まるで逆効果であった。台湾の選挙民がミサイル恫喝に対して、投票で応えたことの
意味を北京当局はよく理解しなければなるまい。となると、実はこれが最大の目的ではなか
ったのかと推測できるのが内部固め説である。台湾問題は中国にとって主権問題であり、ナ
ショナリズムの琴線に触れる。ここから台湾問題=主権問題=最大限の手段使用可能とい
う原則論が導かれ、中華意識で支えられる。強硬な原則論が世論となるとき、いかなる政
治指導者も妥協や宥和政策をとりにくい。党の立場も軍の立場も基本的に同じである。軍
は台湾問題を理由として政治的発言力を増し、近代化を進め、江沢民を全面支持すると
いう構図である。党と軍の関係、距離のとり方には微妙なところがある。天安門事件以後と
りわけ「軍に対する党の絶対的指導」が強調されてきた。軍の支持によって立場を強化した
江沢民は次の段階ではよりいっそう文民統制、すなわち「軍に対する党の絶対的指導」を
強化する課題に迫られよう。海峡両岸の緊張は卑近な例えで申し訳ないが、あたかも夫婦
喧嘩である。世論工作の勝者が喧嘩の勝者になるから、言葉は激しいし、説得力競争に
なる。日本流の夫婦喧嘩が外聞を恐れ、室内で二人だけでやるスタイルとは大違いである。
日本はかつて台湾を植民地統治した歴史をもつ。両岸問題に対する日本の介入は、誤解
曲解の口実を与えるおそれがあり、極力避けるべきである。
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『チャイニーズ・ドラゴン』 96 年4月 30 日
村田忠禧漢字論
四月一六日に横浜国立大学共同研究センターにおいて、同大と横浜市立大 学の共同
研究の成果の一端を発表する企画が行われた。私は村田忠禧教授(横 国大教育学部
教授)と「日本と中国との情報交換用漢字コード体系の比較」を行う研究を進めているが、
当日の村田教授の発表の一部を紹介してみたい。と いうのは、村田報告を聞いた参加者
から「あの話は本当か」という驚きと疑問 が寄せられたからである。
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『毛沢東選集』には六七万字が用いられている。日本風に四〇〇字詰め原 稿用紙なら
一七〇〇枚弱である。漢字がぎっしりつまっているわけだが、文字 の種類は意外に少ない。
三〇〇〇字以下、正確にいうと二九九四個だ。これは漢字読み取りソフトで『選集』を読
み取り、校正し、コンピューターで計算し たものだから、きわめて正確な数字である。『選集』
の二九九四字のうち、J IS第一水準および第二水準にないもの、すなわち日本製のワープ
ロで打てない漢字は一六九文字(全体の五・六%)である。つまり、JIS第一水準およ び
第二水準に一六九文字を加えさえすれば、日本ワープロで『選集』のすべて の文字を打て
るわけだ(むろん、日本常用漢字と簡体字の違いは、さしあたり無視する。これは字体の違
いにすぎないから、対照表さえあれば、十分であろ う)。
毛沢東の語彙が偏っていると考える向きもあろう。では『現代漢語字頻統 計表』はどうか。
これは社会科学と自然科学の文献一一八七万字を対象として 頻度数を分析した本であ
る。これらの膨大な文字群のうち、上位一〇〇〇文字でJISにない文字は一六個にすぎな
い。この一六個をJISに加えれば、八 九%をカバーできるわけだ。
要するに、辞書の漢字数はゴマンとあるが、実際に用いられる漢字は意外 に少ないのだ。
一〇〇〇字で九〇%をカバーし、さらに一四〇〇字を加えた二 四〇〇字で九九%をカ
バーできる。さらに一四〇〇字を加えた三四〇〇字で九九・九%をカバーでき、さらに一四
〇〇字を加えた四八〇〇字で九九・九九% になるという文字のピラミッドができる。
インターネット(国際電脳網絡あるいは国際聨網)を通じて、瞬時に情報 交換のできる時
代に、GBコード、JISコード、BIG5コードといった鎖 国主義は時代遅れになっている。これ
が村田説であり、私も同じ意見である。
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『チャイニーズ・ドラゴン』 96 年5月7日
続スワニー問題
NHKの歪曲報道ともいうべき「スワニー問題」が大騒ぎになっているら しい。私は四月の第
二週を香港で暮らしたが、そこへ東京からFAXがおいか けてきた。大阪のある日中貿易団
体関係者が私の著書をたくさん出している町田の蒼蒼社を通じて、資料を送ってくれ、それ
を蒼蒼社が香港まで転送してく れたものである。内容はスワニー三好社長の三月二七日
付で関係方面に配付し た「弁明書」であった。これを読んで、「やはり」と納得し、ミスリーデ
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ィングな報道に怒りを感じるとともに、中国情報に対して批判的な目で分析するこ との重要
性を再確認した。
最近届いた『国際貿易』(四月一六日号)の解説記事「合弁撤退TV放映 、望まれる公
平な報道」によると、東京の中国大使館商務参賛処は、ただちに 昆山開発区管理委員
会、江蘇省TV放送庁と連絡をとり、調査したという。その結果、明らかになった事実誤報が
いくつかある。たとえば「中国側が台湾の 客を案内する場面がある。視聴者には日本側メ
ーカーを追い出そうとしている との印象を与えた。これは順序が入れ替わっており、実際は日
本側が工場を売却することに同意したのが先で、台湾の客を案内したのが後」であった由で
あ る。「また実際の発言と字幕の違いも数多く指摘されている。中国側の抗議に 、NHK
は中国に責任者を派遣、現地側と協議を行った。その結果、今回の放映が対中投資にマ
イナスの影響を与えたことに遺憾の意を表明した」という。
ところで『国際貿易』の解説の一句が意味深長である。「今回の放映内容 についても、広
い中国で<あり得ぬことではない>と思った視聴者も多かった ようだ」。おそらくここに問題の
背景がある。中国はミサイル演習のように、かなり強引な無茶をやる国だから、といった中国
イメージに徹底的に迎合し、 視聴率を稼ごうとしたのがこの番組の舞台裏であろう。このよう
な手法は、悪 いことはなんでも日本軍国主義に結びつける中国側の宣伝作戦と瓜二つで
ある。
「実事求是」の態度で具体的に評価することがなによりも肝要である。中 国が悪い、日本
が悪いのではない。今回はおそらく三好社長が悪く、この番組 のディレクターが悪いのだ。私
が騙されずに済んだのは、九四年の夏休みに昆山を調査した体験があり、NHKにディレクタ
ーがピンからキリまでいること を知っていたからかもしれない。
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『チャイニーズ・ドラゴン』 96 年5月 21 日
香港返還
四月二八日付『チャイナ・デーリー』(北京発行の英字紙)が中国人民銀行の統計として報
じたところによると、九六年三月末現在の中国の外貨準備高は九五年末よりも七二・四億
ドルふえて、八〇八・三億ドルになった。このまま推移すれば、年内に九〇〇億ドルの大台
を突破する見通しである。九三年七月に朱鎔基が金融混乱の整頓に乗り出したとき、中
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国の外貨準備高は二〇〇億ドルにはるかに満たなかった。これを四倍増し、八〇〇億ドル
目標を間近にして朱鎔基は九五年夏人民銀行総裁のポストを戴相龍にゆずった。
中国の外貨準備高がふえつづけていることは、中国経済が躍進していることの一つの集約
的表現にほかならない。途上国の経済発展にとって国際収支のカベが大きくたちはだかる例
は枚挙にいとまがない。たとえば戦後日本の景気循環過程でも、いつも国際収支が赤字に
なると景気を引き締め、輸出ドライブをかけ、国際収支赤字を改善し、つぎの景気浮揚を
待つことの繰り返しであった。
話は変わるが、中国の外貨にこれだけ余裕が生まれたことは、香港ドルの将来にとっても明
るい材料である。私は四月七日から一週間、香港を訪れ、書店をめぐり、借金を払い、めぼ
しい本を約一〇万円ほど買い込んで帰国した。研究者商売も楽ではない。たえず新しい知
識や情報をインプットしないと時代から取り残される。香港で感じたのは、来年七月一日の
香港返還を控えて、いぜん悲観論と楽観論が交錯している事実であった。悲観論者のあげ
る事実はさまざまである。いわく、移民の手続きをしている。台湾への威嚇は香港への威嚇
である。普通話を話さない記者が新華社の人間から踏み絵を踏まされるような脅しを受けた、
などである。
他方、経済界の人々には概して楽観論が多い。かつて日系銀行はその貸出が九七年後に
わたるかどうかでピリピリしたが、いまは九七年後はあたりまえで、二一世紀にわたる貸出さえ
当然のように扱っている。私の知人W・オーバーホルト(『中国次の超大国』の著者)が米国
議会で証言した記録によると、1 九七以後の香港の金融システムについて懸念する必要は
ない。2 香港在住の米国銀行家で九七以後を悲観している者はいない。3 新冷戦について
危惧している者もない。パッテン総督のパフォーマンスと北京の強硬姿勢の間で庶民は一喜
一憂しているが、経済界にとっては過渡期は折り込み済なのだ。
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『チャイニーズ・ドラゴン』 96 年5月 28 日 総統のアドバイザー
五月二〇日に李登輝総統の就任式が行われる。この日を前にして、滞日四 〇年にわた
るある大学教授が定年を前に勤務先を辞職し、故郷の台湾に帰った 。「東京六本木には
国際文化会館があり、文化交流に貢献している。故松本重治から学んだその精神を受け
継いで、台北に国際文化会館を作りたい」という のが彼の志である。その名は戴国火軍
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(火ヘンに軍、作字)、前立教大学教授 である。日本を去るに当たり、五月一一日午後、
友人知己がつどい歓送の宴を開いた。私は以前、アジア経済研究所に勤めていたとき、同
僚として交際した 縁で発起人に加わり、かつ僣越ながら開会の辞を述べる光栄に浴した。
私は戴研究員のお供をして一九六九年には台湾を皮切りに、香港、シンガ ポールなど東
南アジアを一緒に旅したことがある。台湾では名作『アジアの孤 児』を書いた作家の故呉濁
流や李登輝教授とお会いした。李教授はまだコーネル大学で農業経済学の博士号を得て
まもない時期ではなかったかと思う。いま から四半世紀以上も昔のことだ。一九七六年春、
彼は招かれて立教大学東洋史 の教授となった。私もその年に横浜市立大学商学部に招
かれて、アジア経済研究所を辞した。まったく「珍しい」由だが、小倉武一さん(当時アジア経
済研 究所会長、のち日銀政策委員、税制調査会会長などを歴任)が戴さんを自宅に
招いてごちそうしてくれ、私もお相伴した。アジア経済研究所の職員のうち、小倉さんが「自
宅に招いたのは戴さんが例外であった」とは当日の小倉さんの 証言であるから、私は戴さん
のおかげで珍しい機会を得たわけである(実は、 これにはある事情があった。戴さんと私がア
ジア経済研究所を辞するにさいして、奇怪な中傷が行われ、それに心を傷めた小倉さんが
われわれを慰めてくれ たのだ。外国籍の研究者を特殊法人の職員とすることにはさまざまの
壁があっ たが、心ない一部の同僚は退職にさいしても卑劣な動きを見せたのだ)。昨年秋、
私が台北を訪問して李登輝総統と会見したことは本紙で書いたが、実は戴 教授夫妻もご
一緒であった。台湾に活動の拠点を移した彼は李登輝総統にいか なる助言を行うのか。
戴教授の新著『台湾という名のヤヌス──静かなる革命 への道』(三省堂)をひもどくと、
「台湾生まれの客家系中国人」が「台湾と 台湾人的存在」を根源的に問うてきた結論を
見いだすことができる。祝君一路平安!
誤記の訂正。「自宅に招いたのは」の箇所は、「(戴さんが小倉さんを)自宅に招いてくれた」を
私が聞き違えたものです。私は当日、小倉さんの話を聞くよりは、酒を飲むのに忙しかったこ
とが誤解の第一の理由。われわれを自宅に招いてくれたときの小倉さんの表情が印象的で
あったことが誤解の第二の理由。西荻の戴教授宅では、そのころ毎月サロン「梅苑」が開か
れており、常連の私にとって、そこへ行くのは、日常茶飯事であったことが誤解の第三の理由
です。なお、戴さんの正式な肩書は「総統府国家安全会議諮詢委員、Senior Advisor,
National Security Council,Taiwan,R.O.C.」です。
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『チャイニーズ・ドラゴン』 96 年6月4日
中国イメージ
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本紙の評判や人気度について私はまったく疎い。だが、意外に読まれてい るというのも一つ
の事実であるようだ。さきごろ私の郷里福島県の県庁職員が 中国に出張したさいに空港
売店で求めた本紙で私のエッセイを発見し、異郷で旧知に出会ったような懐かしさを感じたと
わざわざ知らせてくれる方があった 。もう一つ、私は日中合弁の手袋会社スワニー社の紛争
について二回書いたが (三月二六日付および五月七日付)、この件で当事者の三好悦郎
社長から五月二日付のお手紙とA四判四頁にわたってトラブルの経緯を訴えた「Nスペの争
点」なる覚書を頂戴した。
「中国の専門紙」や『AERA』で私(矢吹)の意見を読んだので、ご参 考までにという趣旨で
ある。ここで「中国の専門紙」というのが、本紙を指す ことはいうまでもない。私が最初のコメ
ントを書いたときは、中国大使館筋が流したメモも、スワニー側が流した情報もまったく知らな
かった。ただ放映画 面をつぶさに見直して異議を申し立てた次第である。
二回目のときは、中国側メモも回覧された三好メモも『国際貿易』(四月 一六日)の解説
記事も読んでいた。それらを通じて、最初の私の印象なり、受 け止め方がまちがってはいな
かったことを確認して書いたつもりである。
三回目に、もういちどこのトラブルに言及しようとしたのは、別の理由に よる。三好社長の説
明のなかに「NHKの放映後、千通を超える激励の手紙や FAXを受け取り、数十人の弁
護士や専門家から無料で協力の申し入れがあった」と書かれていた事実に驚いたからであ
る。
放映直後に「中国はあんなにひどいことをやる国なのか!」と私に電話を くれた人は、実は
典型的な日本人であったわけだ。同じようにこの番組を見た 日本人でより積極的な意志
表示をしたい向きがスワニー側を激励したのである。NHKを企業宣伝に利用したスワニーが
悪いのはいうまでもないが、NHK の敏腕ディレクターがあのような番組にデッチ上げたのは、
それが日本の世論 にウケルと判断してのことなのだ。つまり、日本人の心のなかに、中国を
蛇蝎のごとく嫌う深層心理があり、この敏腕ディレクターはその心理に迎合したの であろう。
これは由々しい事態である。しかし、「魔高道高」ともいう。これ を契機にマスコミの作る中国
虚像を批判的にみる視聴者も増えたはずだ。禍福はあざなえる縄のごとしである。
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『チャイニーズ・ドラゴン』 96 年6月 11 日
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『中国文化大革命博物館』
いまから一九六六年夏、中国では文化大革命が始まり、それはおよそ一〇 年続いたとされ
ている。つまり、三〇年前に始まり、二〇年前に終わったから 、今年は開始三〇周年、終
了二〇周年にあたる。最近、新進党の小沢訪中団の一員として訪中したある方に聞いた
話だが、「中国でもいろいろあるでしょう 。昔は文革もあったのでから」と文革に言及したとこ
ろ、先方は色をなした。 そこで文革論議がタブーであることを思い知らされたという話である。
私は一九八九年に『文化大革命』(講談社現代新書)を出した。このごろ割合読まれ るよ
うになり、去る二月に第九刷が出た。その末尾に作家巴金の一九八六年( 開始二〇周
年)の発言を紹介している。「われわれは皆子々孫々に一〇年の痛ましい教訓をしっかりと
記憶させる責任がある。歴史の再演を許さないために 」という趣旨から提唱した「文革博物
館」建設の構想である。
建前としては中国共産党は「建国以来の若干の歴史的問題について」とい う決議を一九
八一年に採択して、文革を含む毛沢東の功罪について「三分七分 」、すなわち功績がマイ
ナスを上回ると評価し、ケリをつけたことになっている。しかし、これはあくまでも建前の話であり、
これで決着したとは誰も考え ていないはずである。そこで巴金の提案が生まれたわけだが、
その扱いはむず かしい。「文革が終結すると、われもわれもとばかり被害者を名乗り出た。す
べてうそ偽りだとはいわないが、文革の被害者のほとんどは被害者になる前に 加害者であっ
たり、そのあと加害者に組み入れられたはずだ。こういう人たち は、文革を語る巴金、陳白
塵、陳若曦、白樺、劉賓雁などをこころよく思わないのも当然至極である」──こう核心を
抉り、「中国人とはなにか」を解くカ ギが文革のなかにこそあると「文革学」を提唱したのは、
わが老師黎波であった。
このような先達の声を受け止めて、中国のカメラマン楊克林が曹紅夫人の 協力を得てまと
めた記録が本書である。香港版を私は四月に香港で求めた。邦 訳は版元の柏書房渡辺
社長から頂戴した。定価を見ると上下巻で三・八万円也である。個人で買うのには高すぎ
るであろう。図書館に買ってもらい、ぜひ一 読してほしいと思う。私にとって文革は同時代史
だが、学生にとっては生まれ る前の歴史である。このギャップを埋めてくれるのが本書である。
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Yabuki Susumu: Chinese Dragon
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『チャイニーズ・ドラゴン』 96 年6月 18 日
アジア縦断鉄道
アジア縦断鉄道の計画ルートが五月三〇日、この構想の調整役を担当して いるマレーシ
ア政府から発表された。この国際鉄道計画はASEANが中心と なり、構想を練ってきたも
のである。
今回の発表によると、まず中国雲南省の省都昆明から南下して、ベトナム の首都ハノイに
至る。ついでハノイからホーチミンまでベトナムを南下する。 さらにホーチミンから西行してカン
ボジアの首都プノンペンに至り、さらに西行してタイの首都バンコクに至る。そこでバンコクから
マレー半島を南下して 、マレーシアの首都クアラルンプールを経てシンガポールに至る。この
間、全 長四七〇〇km のルートである。
六カ国を通過し、五カ国の首都を経由するルートだが、マレー鉄道やベト ナム縦断鉄道な
どの既存の鉄道を活用するルートになっている。したがって新 規に建設しなければならない
のは、タイ──カンボジア間、カンボジア──ベ トナム間の国境部分四八三キロだけであ
る。
私は七〇年代初頭、シンガポールに遊学した。当時、友人がバンコク・シ ンガポール間の国
際列車でさまざまな体験をした土産話を聞き、私自身もその 機会を狙っていたが、実現し
なかったいきさつがある。鉄道よりはむしろクルマが便利であり、マレー半島を北上するのは、
いつも結局はクルマになってし まったからだ。
ハノイ・ホーチミン縦断鉄道の話は、勤務先の同僚でベトナム専門家白石 昌也教授からそ
の体験談を聞いたことがある。同じく白石教授からハノイから (昆明でなく)南寧に抜ける鉄
道旅行の話も聞いている。中国ベトナムを結ぶ国際列車が走り出したのは、小平の南巡講
話以後であり、中国の改革開放が定 着し、ベトナムも中国と酷似した政策を「ドイモイ」の
名において始めて以来 のことである。このアジア縦断鉄道は、いずれはシベリア鉄道と結び、
また中央アジアの大陸横断鉄道とも結ばれることになろう。連雲港から蘭州、ウルム チを経
て、ヨーロッパに至る「欧亜ランドブリッジ」も、いくつかの路段でそ れぞれ走り始めている。
まとまりのよい欧州聨合(EU)に対して、ASEANはジャガイモを風 呂敷で包んだようにゴツ
ゴツしているが、インフラの整備は、ASEANの一 体化にとって大きな役割を果たすであろ
う。
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Yabuki Susumu: Chinese Dragon
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『チャイニーズ・ドラゴン』 96 年6月 25 日
『人民日報』CD−ROM版の壮挙
ある日、『人民日報』の広告を読んで驚いた。「人民日報五十年図文数拠庫光盤系列」
の話である。ここで「図文」とは、図と文の意である。「数拠庫」とは、データベースである。「光
盤」とは,CD−ROMのこと。「系列」はCDのシリーズである。つまり、『人民日報』五十年
分のCD−ROM一六枚を九・八万元、一・二万ドル(日本での予価は一六〇万円)、前
金三割で予約受付するという。驚くべきはなにか。年月日、版面(日本でいう第何版ではな
く、三面記事など新聞ページのこと)、欄目(コラムなど固定欄のこと)、記事のタイトル、執
筆者など「任意の単語」およびこれらの「組み合わせによる複数検索も可能」という「検索能
力」に驚いたのである。私がホントカネ? と疑ったのは、実は昨年、かなりの高額で類似の
広告が出たのだ。しかし、それは「画像入力」であり、デジタル情報ではない。つまり文字によ
る検索は不可能なシロモノであった。むろん、マイクロフィルムを回すよりはよかろうが、まず使
い物にならない。私は検索の可能な九三年版と九四年版を買った。「開発制作」は、北京
三環新聞技術服務中心と清華大学光盤国家工程研究中心であり、「検索ソフト」は北
大火星人公司である。
今回の制作者は「人民日報社新聞信息中心プラス北成実業開発公司」であり、発行元
は「人民日報出版社」であり、本格版である。日本での総代理たる東方書店に問い合わせ
たところ「たしかに広告の通り」だという。これはすごいことだ。『人民日報』は『人民日報』を名
乗る前史が二年間ある。その部分を含めて一九四六年六月から一九九五年までの五〇
年分がデジタル情報としてCD−ROMで自由に検索できるのは画期的だ。大躍進当時の
「虚報」や文革期の武闘なども含めて現代中国のジグザグの道を一挙に相対化できる。私
自身は九〇年一二月一一日付一∼三面の「何新与日本経済学教授S的談話録」をま
ずクリックしたい。Sとは矢吹であり、『人民日報』が対談を捏造して恥を天下にさらした事件
である。負の部分を含めて、大企画を完成させた人々に私は最大限の敬意を払う。日本は
報道の自由を大いに語る。悲しいかな、どの新聞社も『人民日報』のマネをできない。
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『チャイニーズ・ドラゴン』 96 年7月2日
環境白書
国務院新聞弁公室が「中国の環境保護」と題した論文で環境問題を解説した(『人民日
報』六月五日付)。『中国環境報』の創刊は一九八三年であった。九〇年には『中国環境
年鑑』も出版された。『中国環境状況公報一九八九』(『人民日報』九〇年六月三日)と
題する年報を初公表したのに続いて、以後各年版が続いている。昨年三月には『中国二
一世紀議程───中国の二一世紀の人口、環境と発展の白書』も公表している。今回
の論文は六月五日の国際環境デーを記念したものである。冒頭に「持続可能な発展戦略
の選択」が論じられ、人口の基数が大きく、一人当たり資源の中国にとって、高度経済成長
が脆弱な環境条件にとってますま大きな圧力となっている事実が指摘されている。
三峡ダムについては、その完成によって長江上流の洪水をコントロールでき、また中流、下流
の洪水防止能力を高めることによって洪水による生態環境の破壊を防ぐ、としている。三峡
ダムはまた水力発電によるエネルギー供給を可能にするので、石炭を燃やす火力発電よりも、
汚染物質の排出を大いに減らすことができるという。中国政府はかねて専門家による委員
会を組織して、『長江三峡ダムの生態と環境への影響および対策についての論証報告』を
完成させ、『三峡ダムが環境に与える影響についての報告書』をまとめている。生態と環境に
対するマイナスの影響については「有効な措置」をとり、解決していくと強調した。
三峡ダムについて、西側ではさまざまの論評が行われている。大型ダムそのものが悪いという
議論や長江イルカが絶滅するからよくないとか、あるいは李白の詩にうたわれた白蒂城が水
没するのが悪いといった議論まで含めて百家争鳴である。地球環境については誰もが発言
すべきである。しかし、すでに高度成長を遂げた先進国が環境保護の名において途上国の
成長に懐疑の目を向けるだけでは問題を解決できない。中国人自身の「環境意識」を育
成し、中国の「世論による監督」を十分に機能させるよう導くことがなによりも必要であろう。
環境破壊による被害を真先に受けるのは、彼ら自身であるからだ。
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『チャイニーズ・ドラゴン』 96 年7月9日
愛知大学創立五〇周年
戦前、上海に設けられた同文書院は中国語教育を徹底的に行った学校である。一九〇
一年に創立され、敗戦で廃校になるまで半世紀足らずだが、錚々たる人材を輩出した。戦
前の「中国通」のかなりの部分は、この学校卒だが、いまや第一線を去りつつある。上海を撤
退して戦後は愛知大学に変身した。かつて同文書院が置かれていたキャンパスはその後、
上海交通大学に変身した。江沢民総書記がそのOBであることなども割合知られていよう。
日中関係史にとって大きな位置を占めてきた愛知大学が創立五〇周年を記念して「現代
中国学部」創設をはかり、その一環として「二一世紀の新しい日中関係」と題するシンポジ
ウムを開いた。
中国からは孫平化中日友好協会会長が来日し、九〇分にわたり、記念講演を行った。な
ぜ歴史観が中日関係の発展を阻害する政治問題になったのか/なぜ台湾問題が中日関
係の敏感問題なのか/イデオロギーと社会制度の差異は中日友好の発展に影響しない/
善隣友好を発展させ、アジアにおいて平和友好の新秩序を立てる/歴史教育を展開し、
中日友好を発展させる/中日民間外交のいっそうの輝きを求めよう──これは講演草稿の
見出しから抜いたものだが、「抗日戦争から中日友好へ」数え年で八〇歳の生涯を回顧し
ての元気な講演であった。
講演を間に挟んで午前は若手組、午後はシニア組による二つのシンポジウムで活発な議論
が戦わされた。私自身は、午前のパネラーとして招かれ、いくつか発言したが、聴衆の反応が
最も大きかったのは、ご存じスワニー問題であった。同大学経済学部の島倉民生教授によ
ると、ビデオ・テープを三回教材に使った由であるから念が入っている。さすがに中国一本槍
大学である(ただし、一辺倒に非ず。念のため)。「ナマの素材」で中国問題なり、日中関係
の問題点を分析することは喫緊の課題である。中国の核実験が怖いのか。「難民爆弾」が
怖いのか。中国に対して「ショック療法」を提起するのは正しい処方箋なのか。藪医者もどき
の誤診によりロシアは混乱、混迷のさなかにある。中国ロシアの対比こそが二〇世紀最後の
教訓であろう。
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『ドラゴン』 96 年7月 16 日
世界銀行の中国専門家と会う
七月初めのある日、丸の内ある世界銀行東京事務所に招かれ、ワシントンから来日した崔
志明氏(世界銀行中国蒙古局、綜合業務処、高級業務官員)および阿特・克拉依氏と
面談した。崔氏は上海出身の華人系アメリカ市民である。世界銀行はある国の国籍をもつ
人間にその国向けの業務を担当させることはない。同氏はアメリカ人だからこそ、中国担当に
なれる。数年前に東京で会った世界銀行北京事務所の専門家はフィリピン華人であった。
崔氏は聞きそびれたが、もしかしたら人種としてはコリアン系か。ロック歌手として著名な崔健
のように、もし大陸にとどまっていたら、朝鮮族中国人と呼ばれたかもしれない。彼らは概して
流暢なマンダリン(普通話)を話す。この相手は国籍ではフィリピン人、この人物はアメリカ人
なのだと私はしばしば自己確認する必要に迫られた。
中国語を話すのは、中国人だと思い込むようでは国際交流以前である。ところで阿特・克
拉依氏はどうか。もし名刺だけを見て顔を見なければ、もしかしたらウィグル人か、と誤解した
くなるが、彼は政策研究部(ポリシー・リサーチ部)のアメリカ人アート・クライ氏であり、見るか
らに秀才らしい白人青年エコノミストである。名前を音訳する際は、いかにも名前らしい文字
を使うのが原則である。だから錯覚して当然だ。逆にいえば、名前らしく訳さないと、名前であ
ることが認識してもらえない。
世界銀行はいま「二十一世紀の中国経済」を展望する作業を進めている。その展望に際し
て、何を議論の中心とすべきか、ご高見を伺いたいとの趣旨なので、いつもの持論を一時間
ぶった。日本モデルというとき、二つの意味がある。一つは、戦後の高度成長の経験であり、
そのなかには官庁の行政指導や傾斜生産性方式も含まれる。もう一つは明治以降百余年
の歴史を開発独裁から民主化への道と見る視点である。それを圧縮して実現したのが韓国
や台湾の経験だ。これは日本モデルというよりは「アジア型経済発展」モデルと呼べる。これら
のモデルがもし積極的評価に値するものであるとすれば、逆にネガティブ・モデルとして旧ソ連
解体の混乱モデルがあろう。「市場経済への中国の道」において最も肝要なのは、政治的
Yabuki Susumu: Chinese Dragon
83
社会的安定の保持であろう。これが私の口頭禅。これを強調したところ同意してくれた。今
後も連絡をとりたい由なので、インターネットのアドレスを教えた次第である。
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『ドラゴン』 96 年7月 30 日
検証スワニーへの私見
同じテーマを繰り返し語るのは、酔っぱらいの戯言か、老人の繰り言に決まっている。そのいず
れでもないつもりで、もう一度スワニー問題に言及したい。大阪府日中経済交流協会から
『上海経済交流』(英文タイトルは SHANGHAI INVESTMENT GUIDE )九六年六月号、
第四四号を送っていただいた。一六頁建てのこの通信は二ヵ所でスワニー問題を扱っている。
一つは「検証 NHKスペシャル『突然の撤退勧告』」(四∼五頁)であり、もう一つは高井潔
司著『中国情報の読み方』への書評欄である。前者によると、六月上旬、大阪でスワニーの
三好悦郎社長の講演会があり、それを含めて編集部が「会員有志による検証」を行った由
である。
C氏「同社を見学したこともあり、取材のいきさつも若干聞いていたので、赤字を強調してい
るのはおかしい、宣炳龍董事長の記者会見がナマで中継され、従業員が走り回っている臨
場感あふれるシーンは、これはヤラセじゃないかと思いましたね」。B氏「(そのニュースが香港
の矢吹まで転送されて)矢吹教授の論評になるのだね(「続スワニー問題」『チャイニーズ・ド
ラゴン』四月三〇日号)。「矢吹教授は今回はおそらく三好社長が悪く、この番組のディレク
ターが悪いのだ、と書いておられるがどうかなあ」。
A氏「広い中国のことだから、さもありなん、ととらえられたところに、NHKの罪と罰がある。昆
山市に進出している企業に聞くと、放映直後契約済みの投資案件がキャンセルになったとい
う実害がでているし、中国投資を考えている企業に大きなショックを与えたのは事実だ」。B
氏「三好社長の話によると、昆山側ではNHKとスワニーが結託して仕組んだ反中キャンペー
ンと受け取っていたらしい/三好社長の交渉の仕方がまずい。(日中双方が)お互い、董事
長と副董事長であったり、役人と日本のオーナーであったりで、その混線のために、冷静な話
合いにならなかった」。B氏「結論は、矢吹教授の指摘どおり、中国情報に対して批判的な
目で分析することの重要性を再確認した、ということになろうか」。私のコメントを肯定的に引
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用していただいたことには感謝するが、問題はおそらくまだ終わらない。三好社長は自らの立
場を繰り返し語ったが、NHKはいぜんその経緯を明らかにしていない。他社もフォローが不十
分だ。大多数の視聴者は、「中国はヒドイ国」と錯覚させられたままである。
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『中国巨龍』2002.07.02̶
『中国巨龍』NHK 吉利自動車報道(上)2002 年 07 月 02 日
『中国巨龍』NHK 吉利自動車報道(下)2002 年 07 月 09 日
『中国巨龍』中国産野菜の残留農薬問題 2002 年 07 月 16 日
『中国巨龍』中国通を試すリトマス紙 2002 年 07 月 23 日
『中国巨龍』省級書記の若返り人事 2002 年 07 月 30 日
『中国巨龍』マスコミ批判 2002 年 08 月 06 日
『中国巨龍』外貨準備高は 2400 億ドル 2002 年 08 月 20 日
『中国巨龍』余秋雨『千年一嘆』2002 年 08 月 27 日
『中国巨龍』党大会は 11 月にずれ込む 2002 年 09 月 03 日
『中国巨龍』人々の生活を映し出す流行語 2002 年 09 月 10 日
『中国巨龍』「迷惑」の二文字 2002 年 09 月 17 日
『中国巨龍』胡耀邦の息子胡徳平 2002 年 09 月 24 日
『中国巨龍』金正日の深圳特区視察 2002 年 10 月 1 日
『中国巨龍』小泉首相「忠恕」の揮毫 2002 年 10 月 15 日
『中国巨龍』台湾積体の大陸進出 2002 年 10 月 22 日
『中国巨龍』上海・武漢高速路開通 2002 年 10 月 29 日
『中国巨龍』東アジアの芳隣関係 2002 年 11 月 5 日
『中国巨龍』自動車政策の失敗 2002 年 11 月 12 日
『中国巨龍』ヘアヌード解禁 2002 年 11 月 19 日
『中国巨龍』胡錦濤記者会見 2002 年 11 月 26 日
『中国巨龍』三つの代表論への疑問 2002 年 12 月 03 日
『中国巨龍』人事を当てた多維新聞網 2002 年 12 月 10 日
『中国巨龍』『名前を返せ』の叫び 2002 年 12 月 17 日
『中国巨龍』東アジア自由貿易圏 2002 年 12 月 24 日
『中国巨龍』日台断交 30 年 2003 年 1 月 7 日
『中国巨龍』小林弘二「ポスト社会主義の中国政治」2003 年 1 月 14 日
『中国巨龍』劉達臨「中国性愛文化」2003 年 1 月 21 日
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『中国巨龍』自動車生産の大躍進 2003 年 1 月 28 日
『中国巨龍』QFII と証券市場 2003 年 2 月 4 日
『中国巨龍』エスニック・ジョーク 2003 年 2 月 18 日
『中国巨龍』「鄭超麟回憶録」2003 年 2 月 25 日
『中国巨龍』朱鎔基礼賛の雑誌回収 2003 年 3 月 18 日
『中国巨龍』改めて「一つのアジア」を語る時代 2003 年 3 月 11 日
『中国巨龍』北京市における意識調査」2003 年 3 月 4 日
『中国巨龍』改めて「一つのアジア」を語る時代 2003 年 3 月 11 日
『中国巨龍』朱鎔基礼賛の雑誌回収 2003 年 3 月 18 日
-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------『チャーイニーズ・ドラゴン』2002 年 7 月 2 日
現代中国を読む1・NHK吉利自動車報道(上)
週刊誌に叩かれ再放映中止は遺憾
本紙『チャイニーズ・ドラゴン』は創刊号、いや創刊以前、すなわちそのテスト版からおつきあ
いし、一九九六年七月まで毎号二つのコラムを連載した。その後、休載六年の長きに及ん
だが、今回編集部の熱心なお勧めにより、再登場することになった。読者のご愛顧に感謝す
るとともに、今後のご鞭撻をお願いしたい。休載直前のテーマは、「検証スワニーへの私見」で
あり、高松の手袋メーカー「スワニー」のトラブルを扱ったNHKスペシャル『突然の撤退勧告』
批判であった。この番組は、九〇年代後半の日中関係の軋みの予兆であったかもしれない。
スワニー社は江蘇省昆山に開発区が設けられたとき、「真っ先に進出した日系模範企業だ
が、理不尽ないいがかりによって撤退を迫られた」という。実は、折からの台湾海峡の緊張に
便乗して「日系企業は中国から撤退せよ」、と危機を煽り立てる低俗番組。NHK側が全
面的な謝罪を余儀なくされたのは当然であった。番組の非を鳴らした私のコラムも、なにがし
かの役割を果たしたと自負している。
さて、コラム再開のテーマもやはりNHKテレビである。NHK−BS1は六月一日「中国、
国民車を一三億人に」と題して、吉利自動車李書福董事長の奮闘ぶりを紹介。中国初の
民営自動車会社すなわち「非国有企業、非外資系企業の顔」を写して大きな話題を呼ん
だ。話題になるとケチをつける者が現れるのは世の常だ。『週刊文春』(六月一三日号)が
「NHK絶賛、『中国の自動車王』は業界札付きの男」と、誹謗中傷した。これは私自身を
も批判しているので、反論をしておきたい。まず第一に「日本ヤマハ」社事件と吉利集団との
関係は、吉利集団発二〇〇二年三月八日付中国共産党浙江省委員会張徳江書記
宛て書簡「台州ヤマハ・オートバイ有限公司と吉利集団有限公司との関係の有無について
の説明」に明らかだ。二〇〇〇年五月一日に開かれた吉利集団有限公司株主総会で、
李胥兵(李書福の兄)、李書福、李書通(李書福の弟)の協議の末、李書通は吉利集団の
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全保有株(二〇%)を、浙江嘉吉オートバイ有限公司の李書福所有株式(八〇%)と交換
した。これで李書通は吉利集団と関係が切れ、李書福も浙江嘉吉オートバイ有限公司と
関係が切れた。第二に、「トヨタ・エンジンを搭載しない車」をあたかも「搭載車」であるかのよ
うに販売する疑惑を書いているが、「優利欧」は、すべて「トヨタの 8A エンジン」を搭載してい
る。「美日」は「三気筒エンジン車」と、「トヨタ 8A 型」と二種あり、価格が異なる。エンジンの
形自体が異なるから、うるさい中国の消費者をごまかせるはずはない。トヨタエンジンのファン
に対して、非トヨタ製を偽って販売したならば、苦情殺到であろう。三流週刊誌による根拠
なきバッシングで再放映が中止されたのは遺憾千万である。
『チャーイニーズ・ドラゴン』2002 年 7 月 9 日
現代中国を読む2・NHK吉利自動車報道(下)
元在中商社マンが読み解く「番組の真意」
前号の吉利自動車問題について、田中忠仁氏(元某商社南京支店長、現在コンサルタ
ント)から激励が届いた。
――週刊誌のバッシング、同情に堪えません。日本も自動車産業初期の頃、ほとんどの
産業分野で欧米の技術やデザインの模倣とコピーからスタートしたと言っても過言ではないで
しょう。日本でも知的所有権について厳しく言うようになったのは、それぞれの産業レベルが欧
米の競争者になり、恐れられる段階に到達して来たからにほかなりません。中国が悪口を言
われたり、叩かれたりするのも、今後大いに恐れられる存在になってきたからですね。
――この番組は、NHK 広報部が言っているように、良きに付け悪しきに付け、「中国に現
れた本格的な民間自動車会社の経営哲学を吉利自動車・李書福董事長を通じて」紹介
したまでのこと。コピー問題を正当化するために「手放し」で「絶賛」などしていないわけで、お
門違いの批判です。いわんやパクリ屋云々とは、何をいうとりまねん。
――李書福氏は今後の紆余曲折を経て、民族資本の民間自動車産業のホープとして
「中国経済を引っ張って」行くのではないでしょうか。ブランドのコピーや類似のロゴマークを十
分に防衛したいなら、こちらも李さん以上の知恵をしぼって防衛策を大いに油断なく研究す
べきでしょう。「ニセ札とニセ札発見器の相互成長」により、技術が進歩して行くのです。「悪
質」といい、「パクリ屋」というのは、負け惜しみに近い。いかにもヒステリックな、オーバーな表
現と言うほかありません。メガネの鯖江市(福井県)が「上海の合弁(独資?)企業から技術を
盗まれた」と騒ぐのも、中国でチタンフレームの特許申請をもっと早くしておくべきだったという自
己反省を兼ねているものと思われます。六月一四日、田中忠仁拝――。
田中さんのお手紙は、長年中国とのビジネスで鍛えられた商社マンの実践的知恵に溢れ
ていて、教えられるところが多い。まずメイドイン・ジャパンが即コピー商品と罵倒された時代を
忘れないこと。そのうえで途上国中国の追い上げに巧みに対処する方策を考えること。「ニセ
札発見器」の技術革新にたとえて、コピー防止対策を説くのは、かなり説得的である。敵を
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取り込むホンダ流も面白い。ホンダ系二輪メーカー「新大洲本田」は、一四日天津でカブ型
二輪車の本格生産を始めた。これは日本メーカーのコピー二輪車をつくっていた「海南新大
洲」をパートナーとする合弁事業であり、正真正銘の「HONDA」印をつけて中国国内向け
に販売する予定という。中国政府の対応はどうか。二〇〇〇一年一月二〇日ヤマハ発動
機側の通報を受けて広東省三水市工商行政管理局は台州華田摩托車有限公司の製
品を販売するディーラーを摘発し、三月には中国国家工商行政管理局が製造元・台州華
田を摘発し、金型を撤去した。WTO との約束を遵守しようとしていることの一例である。この
事実にも注目したい。
『チャーイニーズ・ドラゴン』2002 年 7 月 16 日
現代中国を読む3・中国産野菜の残留農薬問題
検査体制など日本は適切な助言を
厚生労働省のホームページを開くと、「中国産野菜検査強化月間の検査結果について」
(平成一四年二月一三日)と題する報告がある。「中国産野菜から安全基準を超える残
留農薬が検出された旨の報道があり、中国政府に確認したところ、対日輸出野菜について
は検査等の安全対策を講じているとするものの、中国政府が調査を行った国内流通野菜
の五〇%近くから残留農薬が安全基準値を超え、その結果、多数の中毒患者が発生して
いる等の事実が判明しました」。日本における中国産野菜の残留農薬騒動は、中国政府
の調査を契機としていた。「このため、本年一月四日から一月三一日までを中国産野菜検
査強化月間として、中国産の野菜について届出毎に一〇〇%のモニタリング検査を実施
致しました。本検査の結果は、検査二五一五件(届出重量三万三二七九トン)のうち違
反九件(違反重量三七トン)でした」。件数で三・五%、届出重量で〇・一一%が違反し
ていたという数字を確認しておきたい。野菜は口に入れるものであるから、断じて軽視しては
ならないが、あたかも中国産野菜のすべてが残留農薬で汚染されているかのような印象は
訂正しておくべきであろう。
その後平成十四年五月二十一日、厚生労働省は「中国産ほうれんそうに対する輸入
検査の強化について」と題する食品保健部監視安全課の通知を出している。この通知によ
ると、中国産ほうれんそうの昨年一年間の輸入実績(輸入届出重量)は、「生鮮・冷蔵・冷
凍八九八トン、加熱後冷凍食品(未加熱)四万九九〇〇トンである。ほうれんそうの残留
農薬問題について「通知」はこう説明している。「下ゆでされた野菜の残留農薬については、
平成十四年三月二十日より、検査を実施していたところですが、下ゆでされた中国産ほう
れんそうから、国際的に製造・使用が原則禁止されているディルドリン(アルドリンを含む)が
検出されたことから、ディルドリン、アルドリン及びエンドリンについて、輸入届出毎に検査を実
施することとしましたので、お知らせします」。つまり、検査は三月から実施してきたが、疑惑が
生じたので、今後は「輸入届出」が提出されるごとに検査するという趣旨である。その後、上
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記の農薬以外のものが検出された。その事実を踏まえて通知はこう補足した。「パラチオンに
ついては四月二十二日から、及びクロルピリホスについては五月十四日から、すでに輸入届
出毎に検査を実施しているところです」。これによって、ディルドリン、アルドリン、エンドリン、パ
ラチオン、クロルピリホスの五種類を対象として検査を行う体制ができたことが分かる。ではこ
れで検査体制は十分か。もちろん否、であろう。中国野菜のイメージダウンは中国政府にと
っても看過できないはず。中国当局がこの問題を真剣に受け止め、対策を講ずる動きは、
すでに始まっている。日本としては適切なアドバイスを行うことが安上がりの検査体制につな
がるはずだ。
『チャーイニーズ・ドラゴン』2002 年 7 月 23 日
現代中国を読む4・自称中国通試すリトマス試験紙
港湾荷役量第 2 位の港はどこか
世の中には自称中国通がゴマンといる。このところ中国嫌いの半可通が大声でわめきちら
して世の顰蹙を買っているが、中国好きによる贔屓の引き倒しも困る。やはり「実事求是」
(実際の事柄、現実の事柄に即して、是を求める、の意)でなければならない。ちなみに一
部の中国通はこの四文字を「事実求是」と間違える。「実事」と「事実」の間には、「事情」と
「情事」ほどの違いはないが、やはり区別して用いるのが真の中国通である。さて、自称中国
通がほんとうに中国の現状に通じているかどうかを試す恰好のリトマス試験紙が現れた。読
者の皆様は、次のクイズに正しく答えられるであろうか。
問題「昨二〇〇一年実績から見て、港湾荷役量第二位を誇る中国の港はどこか」。
「アカシアの大連かな」と答えるナツメロ派は、二〇年前の知識水準である。一九八〇年
当時は、上海の荷役量八四八三万トンに次ぐ港は、大連三二六三万トンであった。日本
が円借款を供与して、秦皇島に立派な港湾施設を作ったはず。だから秦皇島だろうと答え
る人もあろう。確かに一九八〇年代半ばから約十年間は、秦皇島がナンバー二であった。た
とえば九五年の上海の荷役量一億六五六七万トンに対して、秦皇島はおよそ半分八三
八二万トンを占めていた。いや、北中国ではなく、南中国ではないか。香港返還当時、広
東省経済の発展が喧伝されたから、広州港ではないか、と答える人もあろう。然り、九九年
には、上海一億八六四一万トンに対して、広州は一億一五七万トンで第二位であった。
自称中国通に答えられるのは、この程度ではないかと思われる。では正解はどこか。浙江
省の古い港町・寧波(北侖港)である。寧波は一九九七年にナンバー二に躍り出た。九八
年も二位を確保したが、九九年だけは広州に抜かれて三位に落ちた。しかし二〇〇〇年は、
上海に次いで堂々二位を確保している。
近着の『中国統計摘要二〇〇二』(中国統計出版社、二〇〇二年五月)に基づいて、
昨二〇〇一年実績を調べて見よう。上海、寧波、広州、の順位は前年と変わらないが、四
位は天津であり、秦皇島は五位に落ちた。そして「アカシアの大連」は、六位にとどまり、それ
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に続く七位は青島である。「中国第二の港は寧波北侖港」と正解できた人は、少し自慢し
てよいが、なぜそうなったかのかという理由まで説明できてこそ中国通の資格ありというべきだ。
ここで温州モデル、義烏、永康、金華ハムなどのキーワードを想起した人は、正解に近づい
ている。NHK−BS1の「中国・国民車を十三億人に」をご覧になった方は、吉利汽車李
書福董事長の顔を思い出すかもしれない。寧波北侖港躍進の秘密は、いくつかの要因を
挙げることができるが、最も重要なキーワードは、やはり李書福氏らの「民営企業」の活躍で
あろう。
『チャーイニーズ・ドラゴン』2002 年 7 月 30 日
現代中国を読む 5・省級書記の若返り人事
最高指導部も例外ではありえない
中国共産党は秋に五年ぶりの第一六回党大会を開くが、この全国代表大会に先立ち、
省級の党大会がすべて終わり、省級書記の顔ぶれが揃った。その若返り状況は注目に値す
る。最も若い蘇栄(青海省)は一九四八年生まれ、今年五四歳の若さである。ついで四七
年生まれの五五歳組は、孟建柱(江西省)、郭金龍(チベット)、四六年生まれの五六歳組
は、王旭東(河北省)、張徳江(浙江省)、宋徳福(福建省)、白恩培(雲南省)、李建国(陜
西省)、四五年生まれの五七歳組は、田成平(山西省)、王太華(安徽省)、兪正声(湖北
省)、四四年生まれの五八歳組は、儲波(内蒙古自治区)、回良玉(江蘇省)、李長春(広
東省)、銭運録(貴州省)、王楽泉(新疆自治区)、四三年生まれの五九歳組は、白克明
(海南省)、賀国強(重慶市)である。四二年生まれ、すなわち今年還暦を迎えるのは、王雲
坤(吉林省)、周永康(四川省)の二人である。こうして三一の省級行政区(これは一級行政
区とも呼ばれる)のうち、還暦未満の者は、(今年の還暦者を含めて)二一名を数え、およそ
三分の二を占める。ちなみに最年長者は黄菊(上海市)と呉官正(山東省)で、今年六四
歳になる。三一名の平均年齢は五八・八歳であり、これが地方権力のナンバーワンである
党委員会書記の若返り状況である。省レベル権力のナンバーツーは、省長(直轄市の場合
は市長)である。最も若い青海省長趙楽際は一九五七年生まれの四五歳、次に若い河
南省長李克強は五五年生まれの四七歳である。次いで福建省長習近平は五三年生ま
れの四九歳。この三名は四〇歳台である。最年長は広東省長廬瑞華で三八年生まれの
六四歳、ついで重慶市長包叙定は三九年生まれの六三歳である。省長の平均年齢は五
七・八歳であり、書記のそれよりも一歳若い。
ところで党大会から半年遅れて二〇〇三年春には、朱鎔基内閣がその任期を終えて、
新たな内閣が選出される。朱鎔基首相の後継者は、温家宝副首相とみるのがいまも常識
である。春の全人代で選ばれる国務院各部部長、すなわち政府レベルの閣僚たちは、党レ
ベルの省級書記と同格のタテマエである。したがって、閣僚たちの平均年齢は、これに似た年
齢まで若返りするはずだ。中国の指導部人事若返り政策が確固とした方針に基づいて進め
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られていることが理解できよう。
このところ政治局常務委員会すなわちトップセブンの下馬評がにぎやかであり、さまざまの
憶測が行われている。人事というのは、蓋を開けてみないと分からないものだが、その大きな
傾向を推測することは、ある程度可能である。つまり、省級書記や省長たちの若返りは人事
全般を律している約束事を示しており、最高指導部も例外ではありえないと推測してよい。
すなわち江沢民、李鵬、朱鎔基、尉健行、李嵐清ら七〇歳超過組五名は引退し、年齢
からして留任できる胡錦濤、李瑞環を中核とする体制が作られる可能性が強い。
『チャーイニーズ・ドラゴン』2002 年 8 月 6 日
現代中国を読む 6・政治家も動かすマスコミ論調
誤解増幅でなく、理解増進する必要
日中コミュニケーション研究会(代表・高井潔司北海道大学教授)という小さな研究団
体が生まれて二年、このたび『日中相互理解とメディアの役割』と題する小冊子を出版した
(日本僑報社、二〇〇二年七月、一六〇〇円)。日中のメディア研究者やジャーナリスト
による北京シンポジウム(二〇〇一年一一月)の記録が収められている。これに先立ち、『中
日伝播与世論』という中国語の記録も出版されているが、こちらは二〇〇〇年八月の北京
シンポジウムの記録である。言いっぱなし、の放談シンポジウムではなく、その活動を着実に
記録する作風は賞賛に値する。世紀の変わり目に位置する九十年代後半、東アジア世界
にはいくつかの大きな出来事が相次いで発生した。これらの客観的な「事実」は、マスコミを
通じて「報道」されて「世論」をつくる素材になり、政治を動かす。いな、マスコミ報道がそのま
ま「世論」を僣称して、政治家を絶叫させるケースも珍しくない。「報道」は、「事実」を十分
に踏まえているのか、「事実」の一面、局部を拡大解釈したり誇張して誤解を導いているので
はないかといった疑いは、多くの人々が抱く実感であろう。
国内報道の場合には、たとえば経営の健全な大学が「危ない大学」「つぶれそうな大学」
などと書かれ、それが原因で受験生から見放され、結果としてつぶれた場合、その大学は
「名誉を傷つけられた」として、メディアを名誉棄損で訴えることができる。消費者が直接口に
する食品の場合は、最も直截に結果が現れる。スーパーやコンビニから、ある種の商品が一
斉に撤去される事例もしばしば見られる。それらの企業が汚名を回復するのは容易ではない。
国内の報道の場合には、その加害者と被害者が身近にいるケースが多いので、行き過ぎた
報道は是正される場合も多い。しかし外国報道となると、事情はいささか異なる。「被害」が
目に見える形で現れない場合が多く、それゆえ一つ一つの報道について、行き過ぎや歪曲
が批判され、そして被害が救済されるには至らず、被害者側の欲求不満は沈潜してしまう。
こうなると不満がどこで爆発するか予断を許さない。「江戸の仇を長崎で打つ」というが、この
距離が東京から北京まで、あるいは重慶まで伸びるかもしれない。東芝ノートパソコン事件
や日本航空の中国人乗客に対する接客問題についての中国における報道のなかには、企
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業レベルのサービス問題を「民族差別」などと政治問題にエスカレートするものが少なくなかっ
た。中国産輸入ほうれん草の残留農薬問題やヤセ薬の有毒成分問題などが日本でいま
中国非難大合唱の恰好の標的になっていることは周知の通りだ。いまや一部のマスコミは、
中国非難記事に溺れ、自己陶酔しているようにさえ見える。誤解を増幅させてはならない。
理解を増進する方向こそが必要だ。日中双方のメディアを監視しつつ、コミュニケーションの
あり方を模索する研究会の課題は大きい。ナショナリズムを煽動して隣国への敵意を煽るよ
うなヒトラー型政治家には特に監視が必要だ。
『チャーイニーズ・ドラゴン』2002 年 8 月 20 日
現代中国を読む 7・外貨準備高は 2400 億ドル
米国債に投入、保有高は世界 2 位に
中国の外貨準備高がついに二四〇〇億ドルを超えた。朱鎔基が中国経済の舵取りを始
めたおよそ一〇年前には、二〇〇億ドル未満であったから、この一〇年間に一二倍に増え
たことになる。中国に外貨がたまるチャネルは、大きく言って二つである。一つは輸出額から輸
入額を差し引いた残り、すなわち貿易黒字である。一九九四年に朱鎔基が兌換券の廃止
による為替レートの一本化を断行して以来、中国の貿易は黒字基調を続けている。人民
元の交換レートが安定したことを外国企業は歓迎し、投資環境の改善された中国に外資
が続々と向かった。これも中国に外資が流入する大きなチャネルである。その結果が中国の
外貨準備高の著しい増加である。二四〇〇億ドルという数字は、政府が掌握しているもの
であり、このほかに民間企業の保有する外貨もこれはほぼ同じ程度存在するという見通しが
行われている。国際決済銀行(BIS)の報告書は、そのような見方を紹介している。
では、これらの外貨はどのような形で保有されているのか。ここで登場するのが米国国債
(米国財務省証券)である。米ドルは世界経済のキーカレンシーであり、アメリカ政府に対す
る信頼と信用のもと、世界最大の売買量と発行残高を誇っている。高い信用度と卓越した
流動性は、為替リスクを認識した上でもなお海外投資家にとって投資妙味のあるものだ。米
国財務省の割引証券はビル(bills)と呼ばれ、発行時において償還期限が二年以上一〇
年の期間で発行される財務省利付証券はノート(notes)と呼ばれ、一〇年超で発行される
ものをボンド(bonds)と呼ばれる。さてこの米国財務省証券(米国債)を世界一買っているの
は日本政府であり、今年四月末現在三一七三億ドル保有している。これは以前から同じ
傾向であり、驚くべきことではない。しかし、「第二位が中国で八二〇億ドル」という数字と順
位は驚くべきものだ。念のために下を見ておくと、第三位イギリス四九四億ドル、第四位ドイ
ツ四五五億ドル、第五位オペック諸国四四八億ドル、第六位香港四二一億ドル、第七位
韓国三四六億ドル、第八位台湾三一九億ドルである。ところで、昨年十二月現在の数字
は、第一位日本三三七八億ドル、第二位イギリス二〇二三億ドル、第三位ドイツ八七四
億ドル、と続いて、中国は第四位で六六六億ドル、香港は第五位で五三八億ドルの順位
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であった。中国が半年の間に六六六億ドルから八二〇億ドルに増えたのは、不思議ではな
い。しかし、イギリスの二〇二三億ドルが四九四億ドルに、ドイツの八七四億ドルが四五五
億ドルに急減したのはなぜか。「今月の発表から、統計のとり方が変わった」からだという。二
〇〇二年三月までの数値は「一九九四年のベンチマークサーベイに基づく数値」で、四月か
らは「二〇〇〇年のサーベイに基づく数値」だと注記されているが、いま一つよく分からない。
疑問として残しておくほかない。
『チャーイニーズ・ドラゴン』2002 年 8 月 27 日
現代中国を読む 8・旅行記『千年一嘆』
中国文明再考の旅
夏休みの楽しみは緑陰読書であり、余秋雨『千年一嘆(上下)』(楊晶、加藤優子訳、阿
部出版、二〇〇二年七月刊)を読む。香港のケーブルテレビ・フェニックスが「ミレニアム紀
行」を企画したのは旧聞。中国の行動する作家・余秋雨がキャスター役としてジープに揺ら
れること四万キロ。毎日「旅日記」を書き、映像とともにテレビ局のホームページに掲載され、
華語世界で大評判となった。改革開放およそ二〇年、中国でもようやく外国旅行が解禁に
なり、空前の旅行ブームが始まった事情が背景にある。懐の淋しい者は国内旅行で我慢す
るしかないが、金満中産階級が外国旅行に熱中する姿は、たとえば今年の NHK 正月番組
「中産階級が国を変える」でも紹介された。余秋雨キャラバンは、一九九九年九月二八日、
バンコク、ドバイを経由してアテネに飛んだ。ジープに分乗した陸路の旅はギリシアから始まり、
祖国を目指す。エジプト、イスラエル・パレスチナ、ヨルダン、イラクまでの道中日記が上巻に
収められる。ついでイラン、パキスタン、インド、ネパールを経て中国国境到着が二〇〇〇年
元旦。その後シルクロードを経て、四川省、山西省(平遥古城)を経て、春節に天安門広場
に着いて、下巻が終わる。実に四カ月余の比較文明の旅が手に取るように分かる。旅に危
険はつきもの、まして戦乱に明け暮れ、治安劣悪、山賊の闊歩する世界を女性連れで旅
するわけであるから、そのスリルとハプニングは、読者を決して退屈させない。だが著者たちを
ひどく悩ました海賊たちは実は中国国内にいた。フェニックステレビのホームページから原稿を
奪い、実在の『光明日報』の名を騙り、十五万部を売り尽くしたというから、中国海賊たちの
商魂はたくましい。ギリシアのホテルでは地震に驚かせられる。「人々の必要とする安全感は
他人の表情が根拠になる」「ギリシアは人に安全を与えるとは限らないが、いつでも安全感を
与えている」(六四ページ)という観察などは、卓抜な文明批評であろう。エジプトのピラミッドを
評していう。「世の景観は、自然が全体を構築したうえに人間の手で細部を彫琢したものだ
が、ピラミッドは細部の彫琢を自然の手にゆだね全体の構築は人類がなしとげたもの」、「永
遠とは意図の埋没、複雑な論理を簡略化したもの」(九九∼一〇〇ページ)。格調の高い
文明論が「中国大陸から来た観光客のマナーの悪さ」と並ぶ。ガイドによる文物の説明に耳
を貸さず、ショッピングや写真撮影に熱中。夜ともなれば酒とトランプで大騒ぎ、といった同胞
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への苦言も率直に記す。イランでは中国の建設した潅漑発電所が戦争のため未払いになり、
その「債務施設」を見守るために居残った中国人番人の話が出てくるが(下巻九ページ)、こ
れは「債権」番人の話であろう。読者は著者の文章力を通じて中国文明を再考する緑陰の
旅に誘われ、明日の世界を考える手がかりを得た気分になる。
『チャーイニーズ・ドラゴン』2002 年 9 月 3 日
現代中国を読む 9・11 月にずれ込んだ党大会
慣例よりも「首脳訪米以後」にこだわる
八月二五日、新華社電は、中共中央政治局全体会議が次の決定を行ったと報じた。
すなわち「中国共産党第一六回党大会を二〇〇二年一一月八日に開会することを一五
期七中全会に提案する」というものである。政治局全体会議によって中央委員会の開催が
決められ、中央委員会によって党大会の開催が決められる建前だから、すべては政治局会
議から始まるが、今回の政治局全体会議がいつ開かれたかを新華社は伝えていない。ここ
で注目されるのは、アメリカの『ウォールストリートジャーナル(WSJ)』紙が三日前、すなわち八
月二二日付で「一一月八日開会」を報道した事実である。「北京は第一六回党大会の日
付をアナウンスした」というタイトルのもとに、「中国共産党は予期されていた党大会を一一月
八日から開会し、江沢民がアメリカとメキシコを旅行する間はすべてのトップの地位を保持す
ることを許した」と書いた。北京発スーザン・ローレンス記者の特ダネ報道である。『WSJ』がど
のようにしてこの正確な日付を入手したかは不明だが、政治局全体会議における決定時点
で、このニュースを得た模様であり、かなりの早耳であろう。
中国ではこの間、北戴河会議が開かれていたが、これは「絶密級」(絶対秘密)の扱いと
され、会議の具体的な内容はまるで漏れなかった。こうしたなかで第一六回党大会は「一一
月下旬への延期」という憶測が繰り返し行われた。その理由としては、首脳の外国訪問の日
程も挙げられたが、それよりは、「三つの代表」をめぐるイデオロギー問題をめぐる混乱、あるい
は後継人事をめぐる調整が難航しているため、などと解説され、憶測が憶測を呼んだ。五年
前に開かれた第一五回党大会は、九七年八月二七日の政治局全体会議で日程が提案
され、九月六∼九日に中央委員会議が開かれ、九月一二(土)∼一八日(金)に全国代
表大会が開かれた。一〇年前に開かれた第一四回党大会は、九二年九月七日の政治
局全体会議で日程が提案され、一〇月五∼九日に中央委員会議が開かれ、一〇月一
二(日)∼一八日(土)に全国代表大会が開かれた。一五年前の第一三回党大会は、八
七年一〇月二五日から一一月一日まで開かれた。二〇年前の第一二回党大会は八二
年九月一日から一一日まで開かれた。
このような事実を調べるのに最も便利な資料集は、たとえば『新時期重要会議通覧(一
九七八∼一九九八)』(中共中央文献研究室編、中央文献出版社、一九九九年)である。
今回の場合、慣例により、もともと「九月あるいは遅くとも一〇月」に想定されていた。しかし、
Yabuki Susumu: Chinese Dragon
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後から登場した「ブッシュ大統領のテキサス農場訪問およびメキシコ APEC 出席」問題に振り
回された。すなわち慣例に従えば、党大会後に外遊するのがスジだが、なぜか「訪米以後」
にこだわったために、党大会が一一月にずれ込んだ。異例である。
『チャーイニーズ・ドラゴン』2002 年 9 月 10 日
現代中国を読む 10・流行語
人々の生活や生き方を映し出す
改革開放二〇年としばしば語られるが、中国の改革開放が本格化したのは九二年春
節のいわゆる「南巡講話」以後である。あれからすでに一〇年を経ている。高度成長とそれ
に伴う社会の変化は、人々の生活や生き方を大きく変えつつある。そのような変化を映し出
すのが流行語である。「万元戸」とは、年収が一万元を超える農家のことで、嫉妬のため隣
人の間に「紅眼病」を招くほどであった。「紅眼病」はいぜんなくならないが、年収「万元戸」は
いまやごく普通に見られる現象である。「年薪」(年俸)いくらでマネージャーを求む、といったヘ
ッドハンテイングは大はやりだ。「炒魷魚」とは広東語で「解雇する」「クビになる」の意味だが、
これは「的士」(タクシー)や、水槽から鮮魚を取り出して料理する「生猛海鮮」とともにまたたく
間に上海や北京に広まった。農村から「打工」(日雇労働者)として出稼ぎにくる者が増え、
都市のサラリーマンは「跳槽」に挑戦する。「槽」とは、飼い葉桶のことだから、エサ桶を変える
馬の鼻息が聞こえてくる。これと比べると、国有企業のサラリーマンをやめて、市場経済の海
に入る「下海」は穏やかな表現だ。「下崗」とは「崗位」すなわちポストから降りることで、リスト
ラ、すなわち解雇だが、まだ完全な失業者ではなく、皮一筋で企業とつながっている。そのよ
うな曖昧な形態をやめて、「解雇」即「失業」と呼ぶ動きも広がってきた。これらは市場経済
化に伴う労働経済事情を映している。「数字化」は、アナログに対するデジタル化で IT 革命
がらみだ。デジタルカメラはその一例だが、デジカメはもう珍しくない。「千年虫」はコンピュータ
の二〇〇〇年問題を引き起こしたプログラムバグのこと。バグは「臭虫」、虫食いである。コン
ピュータウィルスを「電脳病毒」と呼び、ハッカーは「黒客」である。「酷」はクール(cool)の音訳
であり、ひどくクールな、カッコイイ感覚を表わす。
さてこのあたりまでは、中国通の常識であろうから、新しいものをクイズでいこう。「韓流」と
はなにか。韓国のドラマや映画、ポップスなどの人気が、台湾や中国大陸に押し寄せた現象
を指す。「世界杯」(ワールドカップ)ムードの一つである。「美眉」とは、美しい眉か。その通りだ
が、これではクイズの答えにならない。眉毛を剃り落とし、そこに入れ墨をほどこしてこそ「美し
い眉」といえる。すなわち「入れ墨」がなくてはならない。「足彩」とは何か。サッカーが「足球」だ
から、これはサッカーくじである。なぜ「彩」か。「六合彩」という香港のくじから来たものと思われ
る。「黒哨」とは、ブラック・ホィスルだが、どんなシーンでのホィスルか。サッカーの八百長審判
である。ワールドサッカーで中国チームは完敗したが、その背後には「黒哨」問題で揺れた中
国サッカー界の黒い霧があった。ここで大掃除をやれば、次の勝利は期して待つべきであろ
Yabuki Susumu: Chinese Dragon
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う。
『チャーイニーズ・ドラゴン』2002 年 9 月 17 日
現代中国を読む 11・迷惑の 2 文字
30 年経ても伝わらない毛沢東の真意
国交正常化三〇周年記念のイベントがあちこちで行われている。『人民中国』(二〇〇二
年九月号)は、「国交正常化から三〇年、新世紀の中日関係を築くために」を特集した。
「その夜、新たな歴史がひらかれた、毛―田中会談を再現する」と題した横堀克己論文は
特集の一篇である。毛沢東と田中角栄が初めて握手を交わしたのは、一九七二年九月二
七日の夜のことだ。北京・中南海の毛沢東の書斎で行われた毛―田中会談に同席したの
は、日本側は大平正芳外相、二階堂進官房長官、中国側は周恩来総理、姫鵬飛外相、
廖承志中日友好協会会長、計五名が同席した。三〇年は長い。七名はいずれも鬼籍の
人である。ただし通訳・記録係としてこの会談に同席した王效賢、林麗韞の二人は、なお
存命である。横堀論文は生き証人をインタビューして書いた。「一時間に及ぶ会見は、和や
かな雰囲気のうちに終わりに近づいた。毛主席は、書棚の中から線装本の『楚辞集註』を取
ってくるよう服務員に言いつけ、立ち上がってそれを田中首相に手渡した」。
毛沢東は、田中になぜ『楚辞集註』を贈ったのか。横堀は「さまざまな憶測が流れた」と説
明しつつ、こう書く。「屈原に引っかけて、国民の利益のため決然として訪中した田中首相の
愛国心を称えたのだ、という見方もあった。真相はよくわからない」。王效賢がいう。「主席は
この本が大好きだったからに違いありません」と。三〇年前の有名な会見を「再現」して、当
時の生き証人の話を聞いたのはよいが、この結論は、あまりにも不勉強、調査不足ではない
かと思う。王效賢証言を待つまでもなく、毛沢東が『楚辞集註』に収められた宋玉の作品が
好きなことは、毛沢東を少し調べた者にとって常識に属する。問題はなぜ毛沢東が『楚辞集
註』を田中に贈呈したのか、その理由である。この記念論文には新しい論点はなく、三〇年
前の昔話の焼き直しの域を出ない。
この古い問題を私が解いたのは、昨年一一月である。日中コミュニケーション研究会の北
京シンポジウムで発表した(『日中相互理解とメディアの役割』日本僑報社、二〇〇二年七
月)。私の答は簡単明瞭だ。『楚辞集註』のなかに「迷惑」(ミーフオ)の二文字の古典的な
使用法が示されているからだ。つまり、田中が「ご迷惑をかけて申し訳ない」と述べたことに対
して、中国では「軽すぎる謝罪」と議論になった。しかし、田中は「誠心誠意の謝罪だ」という
自説を堅持し、譲らなかった。田中の真剣な表情を見た毛沢東が一言。「 迷惑 の使い方
は、田中先生のほうがうまいようだ」。毛沢東は「迷惑の中国語の意味はこうですよ」と説明
する代わりに、古典を取り出して証拠を示したのだ。実に優雅な、「文明の作法」である。そ
の後、三〇年経ても毛沢東の真意が伝わらないとはどうしたことか。「近くて遠い」日中関係
を象徴するもの、それが「迷惑」の二文字である。
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『チャーイニーズ・ドラゴン』2002 年 9 月 24 日
現代中国を読む 12・胡徳平
明治維新の精神は「利と義」
江沢民時代が終わろうとしている今、ふと想起するのは胡耀邦総書記の名である。半年
前のある日、外務省が招聘した「中国共産党中央統一戦線部副部長胡徳平一行」との
昼食会に招かれて懇談した。折よくその前夜、『中華工商時報』(三月二一日号)に掲載さ
れた「誠信問答−−胡徳平インタビュー」を読んでいたので、早速その話題を持ち出した。そ
の反応が素晴らしい。アダム・スミスは『国富論』の著者として知られているが、『道徳情操
論』も書いている。「経済学は不道徳である」とか、「不道徳の経済学」といった言い方がある
が、それは間違いだなどなど。
ところで「日本の学者の意見を聞きたい」と、質問した私の顔をのぞきこむ作風は、(会った
ことはないが)胡耀邦のイメージと寸分も違わない。実にいい感じであり、高級幹部の横柄な
態度、いやらしさは微塵も無い。当時は、牛肉や鶏肉の偽装問題が日本のマスコミを騒が
せていた折でもあり、中国に蔓延する「冒牌」問題は、「いまや中国の専売特許というよりは、
日本もひどく汚染されている」と指摘しつつ、これこそが「市場経済の敵」であると私は応じた。
胡徳平氏が「明治維新の精神」を強調したので、「五カ条の誓文」を調べてみた。第三条は
「官武一途庶民ニ至ル迄各其志ヲ遂ゲ人心ヲシテ倦マザラシメン事ヲ要ス」である。「各々
その志を遂げ、人心をして倦まざらしめんことを要す」。この中国語訳を彼は、「市場経済の
精神」と解釈しているらしい。「計画経済システムのもとで自由意志を奪われる」のではなく、
「市場経済のもとで各々その志を遂げる」。そうすれば、確かに「人心が倦む」ことはなく、
人々は前向きに生きる意欲をもつであろう。その担い手になるのが中国の企業家たちである。
これが胡徳平ミッションの立場であったようだ。謝伯陽五四年二月生まれ、四八歳、全国工
商業連合会副主席、全人代代表。金会慶五六年一一月生まれ四五歳、合肥の「三連
職業技術学院院長」はハイテクの民間大学を創立した人物、渋谷に七名の事務所をもつ。
全人代代表。馬建国六二年一〇月生まれ四〇歳、中銀企業服務公司董事長。林智
敏女史五六年四月生まれ四五歳、中華海外連誼会副秘書長。この組織は出版助成を
やり二九二冊出版した。許智明は政協委員、香港に会社をもち、日本会社の吸収、すな
わち M&A に意欲を燃やす。ダイキンと取引あり。これらやる気十分の企業家たちを引き連れ
て胡耀邦の息子は東京、沖縄、長崎、福岡を旅行した。全国工商業連合会はいわば民
営企業家組織の中核であるから、「三つの代表」の申し子に近い存在であろうが、その精神
は「利と義」に尽きるという。すなわちバリバリとカネを儲けて、「義」すなわち貧困支援のために、
どしどし使う。その溌剌精神は、まさに明治維新当時の企業家もかくありなん、と思われたこ
とであった。
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『チャーイニーズ・ドラゴン』2002 年 10 月 1 日
現代中国を読む 13・金正日
金正日の深圳経済特区視察
北朝鮮が中国との国境の町・新義州に特別区を設けるための「新義州特別行政区基本
法」を九月一二日に採択したという報道に接して、想起した挿話がある。鄧小平の改革開
放が始まってまもない一九八二年九月に金日成が中国を訪問した。航空機事故を警戒す
る金日成は、列車で四川省を訪問したが、鄧小平はその旅に北京から同行し、盟友への
厚遇ぶりを印象づけた。四川省は鄧小平の故郷だが、その生家へ案内したのではない。文
化大革命期における「国防三線建設のムダ」を教える旅なのであった。鄧小平は金日成に
対して、鎖国主義の弊害を説き「改革開放」の意義を力説し、スタート間もない深圳経済
特区の実験を視察するよう提案した。金日成は「自分は老いた」ので、「後継者」金正日に
訪問させることを約束した。金正日が秘かに深圳経済特区を訪問したのは、一九八三年
六月であり、平壤放送が初めて金正日を「金日成主席の唯一の後継者」と放送したのは、
一九八四年八月六日のことだ。秘密訪問であるから受け入れた中国も発表しなかったが、
北京の某レストランの前におびただしい数の紅旗自動車が並んだことは北京在住の外国人
の注目を集め、訪中は公然の秘密と化した。さて焦点は、金正日が深圳経済特区から何
を学んだか、である。金正日は意外にもこう帰国報告した。「中国の経済特区のやり方は、
帝国主義に屈服したものだ。中国はいまや修正主義に転落した。もはや中国から学ぶもの
は何もない」と。この帰国報告は鄧小平の耳に入り、彼を激怒させた。鄧小平に謝罪するた
め金日成が中国を訪問したというウワサも日本に届いた。
中国は友情ある説得を断念し、これが中韓国交樹立の伏線となる。一九八三年五月五
日、中国民航機が乗っ取られて韓国米軍基地に着陸した事件も、中国が韓国との交渉
窓口を設定するうえで役立つ。一九八六年九月、中国はソウルで開催されたアジア大会に
参加し、ついで八八年九月ソウル・オリンピックにも参加した。大韓航空機爆破事件は、中
国や旧ソ連のオリンピック参加を断念させるための蛮行であったとは、爆発物を仕掛けたキム
ヒョンヒの証言である。一九九〇年一〇月二〇日、中国と韓国は両国首都に貿易代表部
を設置する合意書に調印し、これは九二年八月大使館に格上げされ国交が樹立された。
九〇年代の中国は市場経済化への歩みを速めた。それにつれて中韓経済協力は深まり、
中朝関係は逆に冷却化した。金正日は、鄧小平の没後三年目の二〇〇〇年五月、よう
やく再訪中した。中朝関係は改善され、金正日は翌二〇〇一年一月に三たび訪中し、上
海のIT工場などを視察した。こうした曲折を経て、金正日はようやく鎖国主義を放棄したが、
この二〇年間に失われたのは、拉致された者の生命だけではない。先見の明を欠いた英明
ならざる指導者によって人々が苦しめられた大いなる悲劇の一例として、歴史に刻むべきで
ある。
Yabuki Susumu: Chinese Dragon
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『チャーイニーズ・ドラゴン』2002 年 10 月 15 日
現代中国を読む 14・忠恕の揮毫
漢字の国で誤解招いた「忠」の文字
九月二八日北京市廬溝橋にある抗日戦争記念館で日中国交正常化三〇周年記念
展が開幕した。この記念展で小泉首相の揮毫が初めて展示されたことが報じられた(『読売
新聞』九月三〇日付、杉山祐之特派員電)。この揮毫は小泉首相が昨年一〇月に同館
を訪問した際に揮毫したものである。昨年一〇月に揮毫され、日本各紙や小泉メールマガ
ジンでは、すでに紹介されていたものがおよそ一年間「お蔵入り」していた事情を同紙はこう
解説している。−−「忠如」(『論語』の言葉で「真心」と「思いやり」の意味)と記した書は、
「意味が分かりにくい」(同館関係者)との理由で公開されてこなかったが、靖国神社に参拝し
た小泉首相への反発もあったとされる。−−
同館関係者のいう「意味が分かりにくい」というのは、どういうことか。もし「忠・如」が「真心」
と「思いやり」の意味ならば、おそらく小学生でも知っている語彙のはずである。なぜ「意味が
分かりにくい」というのか。おそらく「分かりにくい」のではなく、「誤解を招き易い」ことが問題とさ
れたはずである。この記事を書いた記者には、そこが理解できていないようだ。「靖国神社に
参拝した小泉首相への反発もあったとされる」と逃げたのは、そのためではないか。靖国問題
は、この文脈ではなりたたない。というのは、小泉首相の靖国参拝は昨年八月一三日であり、
廬溝橋訪問は一〇月、そこで揮毫したのである(小泉首相の第二次参拝は二〇〇二年
春の例大祭であるが、それまでの半年間掲げなかった事実の説明にはなるまい)。小泉首
相の考える「真心」と「思いやり」の精神が中国側に、その「真意」通りに伝わらなかったのは
なぜか。これが追求すべき課題である。
中国語の「忠」とは、「忠誠心」「忠義心」であり、その「対象」を無視することはできない。
孔子の時代には、君臣関係の「君」であり、戦前の日本では「天皇」や「軍国主義」国家が
その対象であった。戦後の日本人は働きバチのように「会社」を忠誠の対象にしたともいわれ
た。近代史の文脈では「忠魂碑」を否応なしに想起させる。他方「恕」は、同輩あるいは目
下の者に対する「思いやり」であり、同僚や部下を「ゆるす」度量だ。さて、盧溝橋の記念館
で「忠」を書くと、軍国主義への「忠誠」か、忠魂碑への「忠誠」か、と誤解される恐れが強い。
政治家たるもの、漢字の本国では、誤解の余地のない文字を選ぶべきである。もし自信が
なければ、「かな」で「やまと言葉」を書くのがよい。「まごころ」と「おもいやり」ならば、誤解の余
地はなく、事柄は日本語の解釈権に属するから、不安はないはずだ。「靖国と教科書」を釈
明する旅で、小泉首相が新たな誤解を生み出しかねない二文字を選んだことに私は驚かさ
れたが、果たして中国側もそう見ていたことが逆証明された形である。日中交流は「似て非
なるところ」に注目しなければならない一例だ。
『チャーイニーズ・ドラゴン』2002 年 10 月 22 日
Yabuki Susumu: Chinese Dragon
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現代中国を読む 15・台湾積体
台湾大手半導体メーカーの大陸進出
台湾屈指の半導体メーカー台湾積体電路製造(TSMC)社が上海松江地区に進出す
る計画を台湾政府に正式に申請したのは九月九日である。同社は上海に独資の「TSMC
上海」社を設立し、松江地区小昆山鎮の大昆工業園に8インチのシリコンウエハーの生産
工場を建設する予定である。投資額は機械設備の費用八億九八〇〇ドルからスタートす
るが、二〇一〇年までには一〇〇億ドルを投資する巨大プロジェクトになる。台湾本社から
一〇〇名の台湾人社員が上海に赴任し、現地従業員約一〇〇〇名を雇用し、来年九
月から生産を開始する。ウエハーは月産4万枚生産する予定である(本紙九月二四日
号)。
このような巨大プロジェクトの大陸進出が可能になったのは、昨年夏、台湾で「経済発展
諮問会議」が開かれ、大陸投資に対する「積極開放、有効管理」の原則を打ち出したため
である。この八文字は従来の李登輝路線を棚上げすることによって得られた。すなわち「戒
急用忍」(「性急を戒め忍耐を用いる」)の代わりにうち出されたものである。とはいえ、政治の
世界の話であるから、依然「戒急用忍」政策の「廃止ではなく、緩和にすぎない」と解する向
きもあり、この種の人々は、「積極開放、有効管理」の八文字のうち、「積極開放」の四文
字は小さな声で語り、「有効管理」の四文字を声高に強調する。このスローガン論争を見て
いると、海峡両岸の作風が酷似していることに気づく。台湾において争われている「大陸投
資の是非をめぐる論争」と、大陸における「開放政策の是非をめぐる論争」は、ほとんど同じ
スタイルであるのが面白い。改めて「これが中国人だ」と痛感したことであった。たまたま台湾を
訪問した折りに、この会議にぶつかり、おかげでいくつかのアポイントメントがキャンセルされたの
は惜しいが、台湾の大陸政策の変わり目に立ち会えたのは幸運であった。「戒急用忍」政
策は、李登輝・前総統が台湾初の総統直接選挙に当選した一九九六年に提起されたも
のだ。台湾海峡でのミサイル危機などで悪化していた両岸関係も、選挙が終れば改善され
ると期待していた台湾の経済界は、この政策に失望したが、五四%の得票率で当選したこ
とでもあり、李登輝総統の政策に従うしかなかった。しかし、これは表向きの話である。実は、
中芯国際集成電路製造(SMIC)社や上海宏力半導体製造(GSMC)社といった台湾
系の半導体メーカーは、TSMC社に先立って、上海張江ハイテクパークにすでに進出してい
たのだ。これらのメーカーは、バージン諸島などに設立した投資会社を経由して資金を調達
する形で大陸進出を果たしていたわけだ。まさに「上に政策あれば、下に対策あり」の台湾
版にほかならない。このような「抜け駆け」を指をくわえて眺めるのは愚かである。大手の本格
進出が海峡両岸の経済的連携を一層深めることは疑いない。
『チャーイニーズ・ドラゴン』2002 年 10 月 29 日
現代中国を読む 16・上海武漢高速路
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830 キロの高速道路の走り心地
某銀行からの依頼で岡崎市に出向いて講演をする機会があった。地方講演は温泉など
があると肩こりにはとてもありがたい。今回の場合は、残念ながら温泉つきではなかったが、中
国と実際にビジネスを進めている経営者の話を聞いて得るところが大きかった。
この会社は電線をつくる工場を大連に設立して長い歴史をもつ。大連の開発区ができてま
もなく進出したという。電線といっても、最も太い製品が髪の毛よりも細いのですよと聞かされ
て、私はもう目がまわりそうであった。「髪の毛よりも細い」電線を作りそれを材料にしてモータ
ーを作ったり、リレー器を作るという。
奥方が不幸な殺人事件に巻き込まれてマスコミの社会ダネになったマブチ・モーターは大事
な得意先だという。マブチ・モーターも大連の工業団地が出来るとすぐに進出した草分けであ
る。繰り返すが「髪の毛」よりも細い電線で作られるモーターがどこで使われるかは、身近の
家電やパソコンで、回転するものを探せば、およその見当はつく。
さて、この社長さんの話で面白かったのは、実は中国版トラック野郎の話である。大連で作
られた電線は、まず沿海航路の船で青島まで運ばれる。そこからトラックで走ること3日で上
海に着く。さらに上海からトラックは3日走りつづけて、ようやく深圳に着く。つまり大連の工業
団地から経済特区深圳に設けたリレー工場まで、6日間の旅だという。これは運送会社のト
ラックではなく、自社トラックによるという。
中国の地方都市を旅行して、意外なほど高速道路が作られていることに驚かされたのは
数年前のことである。そこで昨年から始まった第 10 次5カ年計画における「5縦7横」計画に
は強い興味を抱き、白地図上にこれら12本の高速路を引いたことさえある。少し前に、黒
龍江省同江から、海南省三亜までの路線が開通したという報道に接して改めて中国流の
ガムシャラ路線に驚いた。そこでさらに上海から武漢までの830キロが前線つながったという
報道に接した(『国際貿易』2002年 10 月8日)。最後まで残っていたのは安徽省合肥と
安慶でこれが 9 月末に開通したことによって、上海・武漢全線がつながったわけである。私は
1979 年に武漢から上海まで船で下ったことがある。外国人旅客はただ一人。ポラロイドカメ
ラで服務員を映したところ、私も写してと、迫る群衆に辟易した体験がある。北京・武漢は
列車に揺られたので、船下りの静かさは印象的であった。さて完成した上海・武漢路線の走
り心地はどうだろうか。ガソリンスタンドやドライブインはどの程度整備されたのであろうか。
『チャーイニーズ・ドラゴン』2002 年 11 月 5 日
現代中国を読む 17
東アジアにおける経済協力
「芳隣関係」の構築
日中国交正常化三〇周年の年に、私は都合三回、中国のシンポジウムに招かれた。こ
のうち、北京で開かれた春と秋のシンポジウムにおいて、いずれも「東アジアの芳隣関係」を
Yabuki Susumu: Chinese Dragon
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論じたが、いずれも反応は悪くなかった。報告後のコーヒーブレイクや、夕食の会などで「あな
たの発言はよかった」という声をいくつか耳にした。いささか「売瓜的不説瓜苦」のきらいがある
が、サワリを書き留めておきたい。「善隣」や「親善」という漢語はよい言葉だが、東アジア近
代史においては、たとえば李大釗(一八八九∼一九二七)が指摘したように、帝国主義の
「注射針」と「植民地の人々の皮膚」との「善隣」「親善」であった。台湾出身の歴史家戴國
煇(一九三一∼二〇〇一)は、この二語を「芳隣」で置き換えることを提起した(戴國煇『新
しいアジアの構図̶芳隣関係創出を求めて』(東京、現代教養文庫、一九七七年)。夏目
漱石の小説『三四郎』には、日露戦争以後のある日、「これからは日本も段々発展するで
しょう」と述べた三四郎の見方を否定し、「亡びるね」と喝破した広田先生の見識が紹介さ
れている。戦勝気分に酔う日本で「亡びるね」と予言したのは漱石の見識だけではなかった。
比較法制史学者朝河貫一(一八七三∼一九四八)は、日露戦争を『日本の禍機』と認識
して、戦後の日本外交を批判した。朝河は『日露衝突』で日露戦争開戦の前夜にこう述べ
ている。「韓国が列国の手に落ちるのを許さないために日本が韓国を占領すべきだとする意
見に与することはできない。韓国が自分の足で立つことができないならば、その解決策は領
有することではなく、資源を開発し、国家制度を強化することによって韓国の独立を本物に
することだ」「日本は韓国を日本帝国の一部として武装し統治するのではなく、韓国の完全
な自治を求めて訓練を行うことを目指すべし。韓国を独立国として強化してのみ、日本の立
場は強化される」(矢吹晋編訳『ポーツマスから消された男』二〇〇二年)。朝河の主張・韓
国独立論は第二次大戦後には世界の常識となり、実現された。漱石が予言したように、一
九四五年に日本は亡びた。しかし、敗戦後の日本は、東西冷戦の体制下に組み込まれ、
東アジア世界は引き裂かれた。病のために政権を投げ出すことを余儀なくされた石橋湛山
(一八八四∼一九七三)は、一九五九年六月、周恩来宛て書簡を次のように書いた。
「中華人民共和国と日本との両国は、あたかも一国の如く一致団結し,東洋の平和を護り,
併せて世界全体の平和を促進するよう一切の政策を指導すること」「両国は右の目的を達
するため,経済において,政治において,文化において,できる限り国境の障碍を撤去し,お
互い交流を自由にすること」。ここで私が列挙した知識人たちの夢は、いまようやく実現の条
件を整えつつある。東アジアにおける経済協力の発展は、「芳隣関係」の構築のための条件
を整えつつあることに注目しよう。
現代中国を読む 18
自動車生産の欠陥
ベンチャーと新参があぶりだす。
一〇月末北京へ出かけた帰途、北京空港への高速路に「威馳 VIOS」の雄姿を示す看
板が目新しかった。この看板は、中国がいよいよマイカー時代に入ることを象徴している。中
国マイカー時代の到来を描くテレビ番組が相次いで三本放映されたのも目立つ。嚆矢は吉
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利自動車を紹介した NHK 衛星放送「国民車を 13 億人に----民営企業吉利自動車の
挑戦」(二〇〇二年六月一日放映)である。私は番組のキャスター役として李書福社長を
寧波工場、北京吉利大学、北京亜運村自動車交易センターでインタビューした。三九歳
の若さで二つの私立大学をポケットマネーで作れるような大富豪は、戦後の日本にはいなか
った。本田宗一郎、松下幸之助、井深大、いずれも社会貢献は大きいが、個人で大学を
二つ作るような巨額ではなかった。むろん、これは日本の中央集権的徴税制度が関係して
いる。李書福氏の強烈な個性とバイタリティには圧倒されるほどであり、このような企業家を
生み出した中国市場経済の底力を改めて見直した。李書福氏の「優利欧」(シャレードとセ
イルに勝るの意)が昨年になってようやく生産許可を与えられるまで、ベンチャー企業の意欲を
抑圧し続けた中国政府の自動車政策の間違いを考えこまざるをえなかった。
中国の自動車政策を再考させるもう一つの契機は、トヨタ「VIOS 威馳」の生産開始(二
〇〇二年一〇月八日)である。このニュースは、『朝日新聞』(二〇〇二年一〇月九日)で
は、「中国カー戦国時代」「年収の三倍、でも買いたい」「トヨタ、市場 1 割を狙う」という見出
しで報道され、『読売新聞』(二〇〇二年一〇月一三日)は、「トヨタ、中国で乗用車生産
開始」「現地国産化率八〇%」「日米欧、熾烈な競争幕開け」と報道した。二本目のテレ
ビは、東京 12 チャネルの「ガイアの夜明け」「大地を馳せる----トヨタ、中国市場に挑む」(二
〇〇二年一〇月六日)である。これはトヨタの天津工場における「VIOS 威馳」の生産開始
準備と販売店の整備状況を描いたものだ。そこで強調されたのは、中国人従業員たちの若
さとバイタリティであり、貪欲に技術を習得しようとする真摯な姿であった。三本目のテレビは、
NHK スペシャル「中国・自動車大国への道」(二〇〇二年一〇月一三日放映)であり、一
九九八年に進出した広州本田の部品調達問題に焦点を当てた。自動車部品はおよそ二
万点からなるといわれる。広州本田ではすでに中国七〇社の部品工場から調達し、国産
化率は六〇%であり、この国産化率を七五%に引き上げることが当面の課題だという。この
番組では、部品の品質向上のすばらしさを賞賛する日本人エンジニアの証言が印象的であ
った。吉利のケースは、「民営会社の挑戦」であり、トヨタは「日系企業の挑戦」である。二つ
の新規参入は、既存のいわゆる「三大三小」生産体制の不備、すなわち中国の自動車産
業政策の欠陥を補うものにほかならない。
現代中国を読む 19
ヘアヌード解禁
ローカルコンテンツの魅力
上海蟹の美味しい季節に、黄浦江沿いのホテルでたまたま土産店の書棚をひやかした。
目についたのは、張暁霞著『中国高層智能』(陜西師範大学出版社、二〇〇二年五月
刊、二五元、印刷部数五〇〇〇冊)である。これは汪道涵、王滬寧、王夢奎、曹建明、
呉敬璉、鄭必堅、滕文生、喬宗淮、劉麗英、周瑞金、戴相龍、何新、胡鞍鋼、王山ら
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一四名の人物論だ。この種の本は珍しくないが、何新を扱った『人民日報』対談捏造事件
の箇所では、私自身の名が四回現れるので、後日の「証拠資料」としてやはり買っておくこと
にする。帰り際、A六判、ポケットサイズの写真集に目がとまる。鄧明主編、撮影鄭憲章等
『実用人体模特撮影・坐姿篇』(上海画報出版社、二〇〇二年三月刊、二〇元、印刷
部数五万)である。同じシリーズで『臥姿篇』、『立姿篇』、『跪坐篇』を含めて四点セットで
ある。「実用」と銘打ったのは、美術学校でマネキンならぬ生きたモデルを雇う代わりという意
味らしい。これはマネキンの肢体というよりは体操選手のイメージか。この四冊シリーズの千変
万化ポーズを眺めると、「実用向き」の意味が少し分かる。ただ、各冊五万冊、計二〇万冊
を買うほど、画家の卵がいるはずはない。お目当ては当然ヘアヌードでなければならない。随
所に散りばめられたヘーヌードこそが画竜点睛の瞳にほかならない。
顧みると、知人の中国大好き商社マンから『人体造型芸術』(北京、中国民族撮影芸
術出版社、二〇〇二年五月刊、三九・八元、印刷部数一万冊)を土産に頂戴したのは、
今年の初夏のことだ。「そうですか、中国もいよいよ解禁ですかな」、などと話がはずみ、二次
会の話題をさらった。中国観察者としては、この情報の信憑性を確認しなければならない。
私は浦東開発区、黄浦江リバーサイドの上海市当局お勧めの五星ホテルの売店で、解禁
の事実を確認し、喜んだ。初夏にもたらされた商社マンの早耳情報は、確かなものであった。
ただし、この知人はどこで手に入れたかを明言しなかったので、露天商が暮夜秘かに林檎箱
の下からこっそり差し出す類のアングラ出版物との区別が判然としない雰囲気もあった。その
ほうが希少価値がつくというものだ。こうして、いまやヘアヌード解禁情報は、確かに確認され
た。
さてお返しのお土産が必要だ。陸家嘴で地下鉄に乗るついでに書店をのぞく。目立つ位
置に『人体・自然・芸術』(下冊、雲南美術出版社、二〇〇二年一月第一次印刷、印刷
部数一万冊、三九・八元)があった。これは上・中・下三冊本だが、上・中冊は外国人モデ
ルなので敬遠する。「収穫あり」と帰ろうとしたところ、売店のお姉さんがこれも買え、と親切に
別の棚から取り出してくれたのは、『天造之美』Ⅰ、Ⅱ(黒龍江美術出版社、二〇〇二年
八月刊、三九・八元、印刷部数各一万)だ。開いて見せてくれたところは国産モデルなので、
ついⅠとⅡと合わせて買ったが、これは大失敗。大部分が輸入モデルでは興味半減、重要
なのはここでもローカルコンテンツである。
現代中国を読む 20
胡錦濤新体制
質疑応答なしは遺憾
中国共産党新指導部の陣容が発表された時刻に、私はNHK衛星放送のスタジオから
記者会見を「解説」するために、中央電視台から送られてくる映像を凝視していた。日本時
間一二時(北京時間一一時)の予定時刻を三〇分以上遅れたのにまだ始まらない。いら
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いらしながら会見の開始を待っていたのは、これ以上遅れると、放送時間が尽きて、私の出
番がなくなってしまうからだ。私の時間が浪費されるだけでなく、視聴者の時間も浪費される。
ようやく始まった胡錦濤の笑顔は、やはり千両役者のそれであったが、なんとも不可解なのは、
この記者会見に「質疑応答なし」という形をとり、質問を受け付けなかったことである。中国
共産党は世界中から記者が集まった、五年に一度の最良の宣伝機会をミスミス逸したので
ある。その損失はどれほど大きいことか。朱鎔基内閣は九八年にスタートしたが、その就任
会見以来、彼は毎年の会見を、時には記者たちの意地悪な質問にも丁寧に応じてきた。こ
の姿勢が「開かれた中国」を演出するうえで果たした効果は、このうえなく大きい。これは政府
レベルの情報公開である。
中国政治の不透明さを象徴するものが「党の秘密主義」である。今回、胡錦濤新総書
記がかつての朱鎔基のような記者会見を行ったとすれば、中国はやはり国際社会で協調し
ていける普通の国だという強い印象を与え得たはずである。このせっかくの機会を失ったのは、
きわめてまずい処置であった。厳しく批判しておきたい。もう一つ、指摘しておきたいのは、軍
事委員会主席に江沢民が留任したことである。「党の軍に対する絶対的指導」という鉄則
に照らせば、胡錦濤は中央総書記に就任した時点から、党組織の一部たる軍事委員会
主席に就任するのは、当然すぎるほど当然である。たしかに国家軍事委員会主席のポスト
は来春の全人代を待たなければならない。この間、党側のトップと国家軍事委員会のトップ
が異なるが、それは過渡的現象であり、鄧小平時代にも存在したことである。たとえ半年で
あれ、中央委員ですらないヒラ党員が軍事委員会主席のポストにあるのは、組織体のあり
方として問題を含む。これでは「党総書記の地位がヒラ党員よりも低い」ことになりかねないし、
また「軍の党に対する優位」とも受け取れるからである。いずれにせよ、誤解を招きやすい措
置であり、このようなスジの通らない措置は望ましくないのである。江沢民の軍事委員会主
席が半年間なのか、二∼三年なのか、それとも五年任期の終わるまでなのか。さまざまな解
釈が行われているが、このような不透明さも、「公開性、透明性」という時代の要請からはる
かに遠い。「時代とともに歩む」というキーワードが政治報告にみられる。このキーワードの精神
を真に体現するには、ここで指摘したような点に留意するのが最も肝要である。
現代中国を読む 21
『チャイニーズドラゴン』2002 年 12 月 3 日
「三つの代表」論への疑問
必要なのは、今後の方向を導く理論
江沢民報告を読んで、理解しにくい箇所があるので、博雅の士のご教示をえたい。『人民
日報』社説はこう解説した。「『三つの代表』という重要思想は、新しい内外の条件下で、中
国共産党をどんな党に建設するのか、またどのように共産党を建設するのかという根本的問
題に答え、現代世界と中国の発展変化が共産党と政府活動に対して求める新しい要求を
Yabuki Susumu: Chinese Dragon
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反映した」と。この問題意識はうなずける。市場経済の発展しつつある中国において「中国
共産党をどんな党に建設するのか」「どのように共産党を建設するのか」という問題は、喫緊
の回答を必要としている。社会主義世界が崩壊するなかで、辛うじて生き残った中国社会
主義はどこへ向かうのか、という問いは中国内外の人々が等しく共有する大問題である。そ
の回答が「三つの代表」論である。曰く「『三つの代表』という重要な思想は、マルクス・レーニ
ン主義、毛沢東思想、鄧小平理論の継承、発展であり、わが国の社会主義を発展させる
理論武器である」と。三つの代表論とは、党が(1)先進的生産力、(2)先進的文化、(3)最も
広範な人民の利益、これら三つのものを代表すべきであるとする理論だ。マルクス主義は由
来、生産力よりも生産関係を重視する政治哲学である。江沢民の理論では、生産関係す
なわち階級関係は無視され、生産力に置き換えられている。ここまで生産関係を無視して
も、なおかつマルクス主義といえるかどうか。ご教示いただきたいところだ。次に「人民の利益」
には「最も広範な」という形容句が付されている。これは「広範な労働者農民大衆」を想定
したものではなく、資本家や経営者を含めるために考えられた形容句である。フルシチョフの
いわゆる「全人民の党」として、中ソ論争の過程でかつて激しく闘わされた論点と同じものだ。
マルクス主義の階級概念によれば、搾取する側に位置する資本家階級が人民に属すること
はありえない。ここでもマルクス主義は根本的に否定されている。江沢民報告のなかでは「労
働所得」と並べて「非労働所得」を並列し、容認している。「非労働所得」とは、株式への配
当やリース所得など所有に伴う所得だ。中国政府はいま証券市場の発展を促し、非労働
所得を許容する政策を進めている。中国経済は未曽有の発展を遂げ、人々はそれを歓迎
している。私自身は、人々の生活を向上させるという観点からみて、中国政府の進めている
政策は、人心を得たもの、人々の希望と願望にかなったものと理解している。この現実を単
に「追認する理論」が必要なのではなく、「これからの方向を導く理論」が必要なのではないか。
中国で行われている政策はマルクス主義の「発展」ではなく、「否定」ではないのか。鄧小平
が理論問題を棚上げしたのは、二〇年前の状況のなかでは、やむをえない実践的措置であ
ったと私は考える。WTOに加盟した時点で、なおこのような議論を続けるのは、「時代とともに
進む」姿とはいえないのではないか。
現代中国を読む 22
『チャイニーズドラゴン』2002 年 12 月 10 日
党大会の人事報道
常務委員 9 名の序列まで当てた米の多維新聞網
あるジャーナリストから次のようなメールをいただいた。「先生ご指摘の通り、日本メディアは
誤報の連打で歴史的惨敗でした」「例挙しますと、(1)「江総書記、続投へ」、(2)「朱首相も
留任」、(3)「軍事委主席、胡氏以外に委譲」、(4)「次期国家主席に李鵬氏」、(5)「温副
首相が辞意」、(6)「曽慶紅氏、常務委入りせず」、(7)「政治局、減員へ」などと、いった具
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合です。党大会に絡む人事報道で、これほど日本メディアが大誤報を連打し、歴史的惨敗
に終わったのは、珍しい事です」。
これらの「連打誤報」のうち、いくつかは私も見ており、このジャーナリストに私見を述べたも
のへの返信メールなのだが、上記のように並べてみると、なるほどこれは、たいへんだ。北京報
道はほとんど末期症状ではないかという気がする(むろん誤報を書かなかった記者がいることも
私は知っていますよ)。
中国共産党の情報公開が不足していること、極端な秘密主義を守っており、自由な取
材を許さないといった客観的制約条件は十分斟酌しなければなるまい。とはいえ、正確な情
報を流したメディアもあるから、話は面白くなる。このジャーナリストが教えてくれたところによる
と、「常務委員九人の序列まで当てた米国のインターネット新聞」がある。ナヌナヌ? というわ
けで、このインターネット新聞をさかのぼって調べて見る。
「多維新聞網」だ。一〇月二六日、多維網は「呉官正=中央紀律検査委員会書記」
説を流した。紀律検査委員会書記は重要ポストであり、当然常務委員になる。一〇月三
〇日、「賈慶林=常務委員昇格」説を流した。一〇月三一日、「呉邦国=全人代委員
長」説を流した。全人代委員長は当然常務委員でなければならない。このように、際立った
昇格人事をさみだれ式に流して注意を喚起したあと、決定打を流したのは、党大会の開会
前日のことだ。一一月七日、常務委員九名を特定し、その序列まで解説した。驚くなかれ、
その序列は完璧なものであった。常務委員および政治局委員を決定する中央委員会が開
かれたのは一一月一五日午前であるから、多維網は一週間以上前に、「選挙結果」を入
手していたわけだ。ただし、ヒラの政治局委員についての下馬評は、あまり当たっていない。こ
れは意図的な作為ではないかと思われる。肝心な九名を序列まで含めて完璧に当てたのは、
むろん「内部情報」を得たものに違いない。それを「推測にすぎない」と弁明する便宜のために、
重要性の小さい政治局委員については、あえて意図的に誤報を流し、取材源を秘匿する
便宜のためではないか。天安門事件以後米国に亡命した何頻ら反体制派と目される知識
人のネットニュースが正確な情報を得たのは、中南海に深い関係網をもつから、とみるほかな
い。ちなみに多維網は中国では接続禁止であり、まさに「灯台下暗し」の構図である。
現代中国を読む 23
『チャイニーズドラゴン』2002 年 12 月 17 日
台湾原住民文学「名前を返せ」
中国の台湾政策を鋭く批判
草風館という出版社がある。風に揺れる野草のように、いかにも目立たない出版社だが、
出す本はいずれも骨太であり、アイヌから水俣まで、朝鮮・韓国、そしてベトナム問題、一貫
してマイノリティに向ける視線は揺るがない。このたび台湾原住民文学選集全 5 巻シリーズ
の第 1 冊目『名前を返せ』(下村作次郎編、2002 年 12 月)が出た。
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パイワン族の盲目の詩人モーナノン(曽舜旺)の九編の詩は、いずれも神話と現実が混淆
した響きをもつ。パイワン族は咬まれたら百歩歩かないうちに絶命する毒蛇「百歩蛇」の卵か
ら生まれた「太陽の子」たちを自任する。「追憶によって僕は確信し理解する。うるわしき島の
本当の主人と」。「本当の主人」であることの覚醒を描く長詩「燃やせ」は、海峡両岸の空虚
な政治を撃つ力強い叫びだ。「太陽の子」たちの島へやってきた「閩南人」が肥沃な平原を
占有し、祖先を山麓に追いやった。そしてスペイン人、オランダ人、日本人。戦争が終わり、
「日本はついに去り、中国がついに入ってきた」「君は中国に帰属するのか?中国は君の母親
なのか?」「中国?なんとなじみのない名前だろう! 言葉が通じないのにどうして僕の母親であろ
うか?」。太陽の子たちからすると、「閩南人」が「本当の主人」を僣称するのは許されないし、
中華民国政府が漢民族式の名前を強制したのも暴挙である。「ああ! 中国よ! あなたは人
民の名前なのか? それとも政権の名前なのか?あなたは被抑圧者の名前なのか? それとも
抑圧者の名前なのか?」。モーナノンはここで「うるわしき島の本当の主人」を僣称する「閩南
人」(いわゆる台湾人)の誤ったアイデンティティ感覚を批判しつつ、返す蛮刀で中国を僣称す
る中華民国をも撃つ。そしてこの中華民国批判の論理は、ただちに中華人民共和国の台
湾政策、少数民族政策に対する鋭い批判にもなっている。「そうだ、幸せは苦しみのなかか
ら、つかみ取るものだ。自由は手かせ足かせのなかから、つかみ取るものだ。僕はもう一度大
地に立ち、少数民族の明日と運命のために、この身を投げ出して、この燃えたぎる心を、ひ
たすら燃やそう!」。
本書のもう一人の作家はブヌン族のトパス・タナピマ(田雅各)であり、十三編の短編小説が
収められている。作者は高雄医学院を出て、現住民族の医療活動に従事する医師であり、
その立場から見た私小説的な作品が多い。訳者によれば、「トパスは、ブヌン語で思考し、
学校教育のなかで獲得した第二の言語、中国語で創作する」由だ。これはかつて漢族系の
台湾人作家が「日本語で考え、それを漢語に置き換え」た現象と似ている。後者の場合に
日本語の発想が入り込むように、トパスの小説にはブヌン語の影響が見られるという。三〇
年昔、呉濁流老と語り合った往時を想起するが、トパスの「呉濁流文学賞」受賞を冥界の
翁は相好を崩して喜んでいるはずだ。
現代中国を読む 24
『チャイニーズドラゴン』2002 年 12 月 24 日
東アジアの自由貿易圏
ナショナリズムを排した視点が重要
東アジア地域をめぐる FTA(自由貿易協定)についての議論がにぎやかだ。欧州でEUが、
また北米でNAFTAが発展していくのに伴い、太平洋に面したアジア地域でも活発化してき
た。マスコミの報道では、日本と中国、どちらが主導権を取るのかといった論調に支配されて
いるのは愚かしい。近視眼的な発想では問題の本質が見えなくなる。これまでのところ、対ア
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セアン政策では中国が先行しているように見える。実際、中国とASEANとのFTAは、予想
を超えて急速に実現しつつあるのに対し、日本はシンガポールとの間でようやくスタートしたとこ
ろだ。中国が日本に先んじて協定締結を急いでおり、日本が置いていかれた印象が拭えな
い。ただ、中国が先か、日本が先か、といった議論は、あまり意味のないものだ。なぜなら、中
長期的には、いずれアジアは欧州のように一つの経済圏にまとまる方向に向かうのだから、ど
ちらが先かといった性格の話ではない。ちなみに、EUでは輸出に占める域内向け比重は6
割ほどであり、域外向けは依然4割を占める。他方、NAFTAは、加盟国である米国やカナ
ダ、メキシコ3カ国との間での域内輸出が全体の 50 数%となっている。これに対して東アジア
ではその数字が 50%に近づきつつある。これは実に驚くべき発展だ。EUは戦後 50 年間にわ
たる努力の結果がようやく 60%なのに対して、東アジアはたかだか 20 年足らずで 5 割に近づ
いているのだ。EU は当初、石炭と鉄鋼の共同体から出発した。二度と悲惨な戦争を起こさ
ないよう、戦略物資を統制するためであった。そこから徐々に協力を深めていき、ついに 99 年
1月には通貨統合に漕ぎ着けた。これに対してアジアはEUとは国柄、地域柄が異なる。経
済力格差は大きいし、陸地ではなく、海で隔てられている。キリスト教文化のような共通の価
値観もない。「まとまりのよいヨーロッパ」に対して、「ばらばらなアジア」に見える。しかし、それ
は「EUを尺度として見る」からそのように見えるのである。経済的相互依存度、相互補完度
を見ると、すでに5割近い水準まで伸びてきており、今後もますます依存度が深まるのは疑い
ない。
これは何を意味しているのか。EUが陸地でつながっているのに対し、アジアは海と空でつな
がっている。「物流」という観点で見れば、海も空も決して阻害要因ではない。実際、現在の
経済発展の様相を見ると、付加価値の高い精密機械分野や部品は日本で作り、それほど
付加価値の高くない加工・組み立て分野は東南アの先進地域で、さらに人件費の安い中
国で作るといった「共生と棲み分け」関係が形成されてきている。東アジア全体に自由貿易
圏が成立していくのは 自然の勢い である。狭隘なナショナリズム論は、東アジア経済の現
実を説明できない。空運と海運がアジアの結合度を日々固めている。
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『チャイニーズ・ドラゴン』2003 年 1 月 7 日
日台断交
大平外相が明言した公約の確認が肝要
旧臘台北で「日台断交三〇年の回顧と展望」と題したシンポジウムが開かれた。日中国
交正常化三〇年がオモテとすれば、日台断交はウラになる。ウラはとかく忘れがちだが、陰陽
合わせた表裏一体として、統一的・全体的に眺めてこそ、物事の真実をとらえることができる。
こう考えて勉強会三金会の仲間とともにいそいそと梅花マークのチャイナ・エアラインに乗り込
んだ。青天白日旗が梅花のマークに変わったのは、九七年の香港返還のときだから、もう五
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年になる。このマークの変化にはもう慣れていたが、この路線が便利な羽田から不便な成田
に引っ越してからは、初乗りである。以前は、いかにも仲の悪い犬猿のごとく、二〇〇一年暮
れまでは羽田と成田に棲み分けていたはずなのに、いつのまにかもう肩を並べていることに三
〇年の変化を感じる。日中国交正常化交渉が北京で行われたとき、周恩来が最も神経を
使った問題が「日華平和条約」の処理であったことはいうまでもない。田中首相訪中の直前、
田中は椎名悦三郎を自民党副総裁に任命してハクをつけたうえで、田中親書を託して、政
府特使として台湾に派遣した。この田中親書を起草したのは当時の外務省中国課首席事
務官小倉和夫(その後フランス大使を経て退官)であった。小倉の起草した原案は安岡正
篤(まさひろ、明治三一年大阪市生まれ。大正一一年東京帝国大学法学部政治学科卒
業。東洋政治哲学・人間学の権威。既に二〇代後半から陽明学者として政財界、陸海
軍関係者に広く知られ、昭和二年に財団法人金鶏学院、次いで日本農士学校を創立、
東洋思想の研究と後進の育成に従事。戦後、昭和二四年に師友会を設立。財界リーダ
ーの啓発・教化につとめ歴代首相より諮問を受く。昭和五八年一二月十三日死去)によっ
て八∼十箇所、古典を引用した文言によって改められたとは、 シンポジウムで発言した小
倉の証言である。この田中親書には次の文言がある。「本政策を実行に移すに当たっては
固より、貴國との間に痛切なる矛盾抵触を免れず、時に又粗略有るを免れぬことと存じます
が、自靖自献の至誠を尽くして善処し、閣下至仁至公の高誼を敬請する次第であります」
(石井明報告から引用)。椎名特使は九月一八日にこの親書を厳家淦国民党副総統に
手渡した。椎名は台北での発言で「中華民国との従来からの関係は、外交関係を含めて
維持される」旨を語ったと報道された。台北発のこの報道を聞いていた周恩来は、北京にお
ける大平外相の記者会見を極度の緊張心をもって見守った。「日本政府としては、今後と
も二つの中国の立場はとらず、台湾独立運動を支援する考えは全くないことはもとより、台
湾に対し何等の野心ももっていない」と大平は明言した。これを聞いた周恩来が安堵の胸を
なでおろしたことは、さまざまな記録に書かれている。これが日中国交正常化の核心である。
日台断交・日中国交正常化三〇年に当たり、この公約を確認することが肝要である。
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『チャイニーズ・ドラゴン』2003 年 1 月 14 日
小林弘二著『ポスト社会主義の中国政治』
畏敬する小林弘二から新著『ポスト社会主義の中国政治』(東信堂、二〇〇二年十二
月刊、三八〇〇円)が届いた。著者は日本の中国論の「政経分離」現象を鋭く批判する。
「中国経済論者たちの目に中国政治は映じていない」「政治的リスクを考えるよりも潮流に
乗り遅れまいとする意識が働いている」、「対中強硬論を唱える論者たちは日中の経済関
係についてどう考えるのか」。混迷を打破するには、「中国の経済改革の行方を視野に入れ
て、中国政治の全体情況に目を向ける必要がある」。これが本書のメッセージだ。現状を
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「共産党の国民党化」、「非階級政党化した共産党の一党支配体制の継続」ととらえ、
「第一次台湾化」と呼ぶ。そして「第二次台湾化」すなわち「代議制民主主義への転換」と
いう課題に迫る。(1) 共産党に反対する野党が存在しない、(2)選挙慣行などの民主主義
的基盤が弱い、これら二つの条件からして、「転換には多大の困難が予想される」が、「第
二次台湾化は必ず起こる」--これが著者の診断である。「江沢民時代を通じて政治改革
は手付かずのまま残された」、「三つの代表論による共産党の国民党化は、現実の追認で
しかなく、新たな転換」ではない。「政治面では足踏みが続いた時代」と酷評する(以上、第
一章)。まことに同感である。第二章では中・台の党国家体制の異同を論じ、国有企業の
株式制化に台湾の党営企業のイメージを重ねる。ここまでは類似性だが、大きな違いは次
の二点にある。(1)共産党の主導で脱社会主義の体制改革が達成できるのか、(2)台湾で
は「党外勢力の選挙参入」が行われたが、大陸にはこの条件がない。代議制民主主義へ
の道が困難なゆえんだ(以上、第二章)。第三章では都市の「単位制からの転換」を論じ、
第四章では、「村民自治からの脱却」を論ずる。第五章は「地方主義と連邦制」を論ずる。
第六章は軍の問題を論じ、第七章はナショナリズムの功罪を論ずる。これらの周到な論証を
踏まえて、著者は結論する。「いま求められているのは、復古主義ではなく、未来志向であ
る」、「市場経済化と民主化という世界的な潮流に沿って自己変革を進めるしかない」、「台
湾問題も国際化の趨勢と民主化の流れに沿う方向で解決されるべきだ」。「課題は共産党
独裁に終止符を打って代議制民主主義に転じること、少数民族問題も視野に入れて住民
の地域自治を基礎に国家の枠組み自体を問い直すこと」である。著者は昨春関西大学を
退職したが、研究生活を述懐していう。「筆者の最後のモノグラフが脱社会主義体制改革
をテーマにすることになろうとは、二〇年前には想像だにしていなかった」「ただ、西側の先進
諸国においてさえも、政治経済などあらゆる分野に二〇世紀の社会主義体験がしかと刻印
されている」と。然り、社会主義の理想が西側で実現されたのは、歴史の狡智である。日本
はいま、成功した「社会主義の悲劇」をかみしめているのではないか。
現代中国を読む 27
『チャイニーズ・ドラゴン』2003 年 1 月 21 日
劉達臨著『中国性愛文化』
性こそが歴史を作る
訳者鈴木博から劉達臨著『中国性愛文化』(青土社、二〇〇三年一月刊、六八〇〇
円、七七八ページ)が届いた。原著『性与中国文化』(人民出版社、一九九九年)を旅先
の書店で買った記憶があるが、その後めくったことはない。訳者の紹介によれば、著者は上海
大学社会学系教授、アジア性学聯合会副主席、中国内外で社会学者、性学者として知
られている。八九年から九〇年にかけて中国全土で二・三万サンプルに及ぶ「性調査」を行
い、八百ページ余の調査報告(『中国当代性文化』上海三聯書店、九二年)を発表し、
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「現代中国の性科学の基礎を築いた」「中国のキンゼー博士」だ。九四年にベルリンで開か
れた国際性学大会で、アジア人として初めてヒルシュフェルト(一八六八∼一九三五)国際
性学大賞を受賞し、九九年、上海に中国初の中国古代性文化博物館を開設したという。
著者のあとがきに曰く、「性という人生の一大事は、何千何百年来、おとしめられ、誤解され
てきたし、性の文化や歴史は長期にわたって埃だらけにされてきたが、いまや掘り出され、表
面の埃を取り除かれて、本来の面目を大衆の面前に明らかにしたので、まるで考古学研究
者が重大な発見を下したのと同じように、心から満足しているし、誇りにも思っている」。歴史
は女が作るとか、歴史は夜作られる、といった言い方は、婉曲話法であり、性こそが歴史を
作る真実が明らかにされる。性がなければ子孫が生まれないという再生産のレベルの話では
ない。「西施と貂蝉は、ともに「色情間諜」であり、重大な政治闘争で十万の甲兵でも果た
せない役を演じた。武則天と慈禧はともに中国の歴史に重大な影響を及ぼしたが、二人が
非常に大きな権力をもちえたのは、「蛾眉が主を惑わした」からだ」。やはり性愛史を学ばな
ければ、中国史がわかったことにはならないことに気づく。「古代の西洋では、人々はつねに縦
欲と禁欲という両極端の間を徘徊し動揺していた」、「古代中国では、性の快楽機能と出
産機能を強調するほかに、性の健康機能をも強調した」、「漢代から唐代にかけては、性の
養生の道を重んずることが最も主要で、最も突出した内容であり、出産がこれに次いでいた
のに、明清代になると、後継ぎを求めること、子を得ることが一層重要な地位を占めていた」。
「中国史上には性の三大奇形現象がある。第一は女性の売春、第二は宦官の去勢だが、
この二つは多数の国家や民族にみられる。第三が女性の纏足であるが、この奇形現象は中
国にしか見られない」、「妓女の起源は神聖娼婦にあり、女子の纏足の起源は南唐の後主
の宮中の舞姫であった窅娘(ルビ・ようじょう)にある」。「明代晩期から清代にかけて性愛小
説と春宮画が空前の繁栄を迎えた主な原因は、厳しい性的束縛のもとでの反発作用の現
れである」。昔読んだ魚玄機の性愛世界も、『金瓶梅』『肉布団』も、その背景のなかでくっ
きりと浮かび上がる。
現代中国を読む 28
『チャイニーズ・ドラゴン』2003 年 1 月 28 日
自動車生産の大躍進
中国の自動車生産が大躍進している。昨二〇〇二年、中国産自動車の生産台数は
三二五万台の大台を突破した。前年比三八・五%の増加である。そのうち乗用車は一〇
九万台であり、前年比五五%の伸び率であるからすさまじい。「自動車産業第一〇次五カ
年計画(二〇〇一∼二〇〇五)」が発表されたのは、二〇〇一年七月のことだ。この五カ
年計画では、「二〇〇五年の生産目標」として、三〇〇万台の数字を掲げていた。つまり、
わずか一年半で目標を達成したわけだ。これによって中国自動車生産の世界ランキングは
第 5 位に躍進した。ちなみに前年(二〇〇一年)は第 8 位であったから、6∼7 位を牛蒡抜
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きした形だ。乗用車生産量だけでみると、世界第 10 位である。これは二〇〇一年の第 14
位からようやくベスト 10 入りしたものだ。
中国が WTO 加盟したことが中国経済に与える影響については、さまざまな見方が行わ
れてきた。現代世界で工業を導くリーディング・インダストリーの一つは自動車であるから、この
戦場で中国がどのように戦うかは、関心の的であり、この産業において、中国がどのように対
処し、どのように生き延びるかについて、悲観論楽観論、さまざまの議論が行なわれてきた。
昨年の成果は、いかなる楽観論者も予想しなかったほどの好い成績を挙げたが、これはなぜ
か。(1)中国経済は高度成長期にあり、7∼8 の成長が続いていることが最も基本的な条
件である。その結果、国民所得が引き続き増える反面、自動車戦線では値下げ競争が行
なわれ、価格は下がり続けた。(2)「WTO 加盟を契機として自動車価格は大幅に下がる」と
いう期待感に基づき、数年来「買い控え」による需要低迷が続いていたが、この「買い控え」
ムードが一挙に打破された。(3)マイカー時代に向けて政府が提起した一連のマイカー政策
がブームに火をつけた、などの要因がある。自動車業界の吸収合併、再編、合弁協力など
も盛んである。現在、上海汽車、第一汽車、東風汽車、三大グループの生産量は、全体
の約半分を占めており、これに中堅メーカー六社を加えると全体の九割がこれらのメーカーに
よって生産されている。三大グループは、外資との提携協力にも積極的である。第一汽車は
トヨタ自動車と、東風汽車は日産自動車とそれぞれ合弁を契約した。東風汽車はプジョー・
シトロエングループ(PSA グループ)と、上海汽車はフォルクスワーゲンとの協力を拡大している。
昨年、最も目立ったのは日本勢の中国進出であり、遅れていたトヨタを含めて日本各社が
すべて中国に勢揃えした。さて今年の見通しはどうか。中国国家情報センターによると、二
〇〇三年の全国自動車需要は約三八〇万台(前年比二〇・六%増)、国産乗用車需要
は一四三万五千台(同二六・四%増)である。昨年の大躍進の勢いは今年も続く、これが
業界筋の見方である。
現代中国を読む 29
『チャイニーズ・ドラゴン』2003 年 2 月 4-11 日
QFII と証券市場
中国 A 株 B 株のことは、中国通を誇る者にとって当然の知識であろう。A 株は人民元で
買える株、B 株は外国通貨で買える株−̶これが従来のキマリであった。しかし、いまや両者
の違いがなくなりつつあることをご存じであろうか。つまり、外国通貨でも A 株を買えるように、
昨秋自由化した。それが QFII(=Qualified Foreign Institutional Investors)制度である。す
なわち外国の機関投資家のうち、「資格あり」と中国政府が認定した機関投資家(中国語
は境外機構投資者と訳す)に対してのみ、A 株を買うのを許したわけだ。となると、
QDII(=Qualified Domestic Institutional Investors)、というコンセプトも当然想定される。こ
れを中国語で「境内機構投資者」と訳すかどうかは未確認だが、中国の機関投資家のうち、
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中国政府によって認定された機関である。このような機関投資家は、もともと A 株は買えるし、
かりに外貨がありさえすれば、B 株も買える。となると、彼らにとっての自由化とは、「外国の株
式を買う自由」という話になろう。こうして中国の証券市場を外国資本に開放し、中国資本
が対外進出する体制ができはじめた。これが WTO 加盟 1 年後の金融開放の一面である。
さて、機関投資家がこのような金融の相互乗り入れを行うとなると、それに伴う資金の動きを
処理する実務機関としての銀行の出番である。今年早々、中国政府はアメリカのシティバン
ク、香港の香港上海銀行、スタンダード・チャータード銀行の三行に対して、QFII の業務を
扱う銀行としての許可を与えた。中国国内の銀行で同じ資格を認められたのは、中国銀行、
中国工商銀行、中国建設銀行、中国農業銀行、交通銀行(上海)、商業銀行(深圳)の
六行である。これらの取り扱い銀行が外国投資ファンドの取引行為を監督し、内外通貨を
交換し、資産を保有するには、さらに中国証券監督管理委員会および外国為替管理局
の許可を得なければならない。上海証券取引所の責任者の言によれば、QFII は四月まで
に許可証を得て、六月には実際の取引が始まる見通しだという。上海と深圳の A 株は時価
総額 5000 億ドル以上まで拡大し、アジアでは日本に次いで二位の規模まで成長してきてい
るとはいえ、まだまだ資本市場としては、発展途上である。上場企業の多くは国有企業であ
り、企業のガバナンスや情報公開度は低く、株主の権利が保証されているとはいいがたい。
このような資本市場として未熟なところに外国資本を導入し、これをテコとして、いわば外圧
を利用しながら、証券市場を育成していこうという目論見である。外国投資家の厳しい眼を
意識しながら、証券行政を進めていこうという作戦は思惑通りに進むであろうか。QFII には、
いずれ人民元建ての国債を買うことも許可する方針であると伝えられるが、その成長を見守
りたい。資本市場の順調な成長は、市場経済の健全な発展を支えるカギである。
現代中国を読む 30
『チャイニーズ・ドラゴン』2003 年 2 月 18 日
日本語翻訳あれこれ
今は昔、池田勇人[一八九九∼一九八五]という首相が、使い慣れぬ外国語を使っ
た。「それはエケチットの問題でございます」。むろんエチケットetiquetteを言い違えたものだ。
いまでは小学生いや幼稚園児でさえ、「エチケット歯ブラシ」を知っている。池田「所得倍増」
計画がもてはやされた時代、いまだ戦後が終わらざりし時、「エチケット」というフランス語は、こ
の一語を使うだけでも尊敬されるほど、日本人は欧米コンプレックスの固まりであった。一九
八〇年代のある日、中国から訪日団を迎えて懇談会が開かれた。通訳の若者がいきなりこ
う切り出した。「中国の改革開放はおかげさまで、ますます順調でございます。今日はぜひと
もカミシモを脱いで、ザックラバンに意見を交換したい。よろしくお願いします」。これを受けて座
長が「結構ですね。カミシモはもう卒業しましょう。ザックバランな意見交換は、私どもにとって
もかねて切望していたところです」と切り返せば、それで済んだはず。ところが、司会者にこの
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機転が欠けていたのは、ご明察通り。「カミシモ交流」にすっかり慣れ親しみ、中国側通訳が
「ザックラバン」と、言い違えた時、即座に注意するタイミングを失ったばかりに、この二時間の
懇談会において、通訳氏は一〇回以上「ザックラバン」を繰り返した。日本側の驚きの表情
を彼はどうやら自分の日本語のうまさのせいと錯覚したらしく、終始これを繰り返した。聴衆は、
ザックラバン、ザックラバンねぇ、と言いながら席を立った。
日本語を学ぶ外国人の日本語、すなわち「ビジン日本語」の傑作を教えてもらったので、
早速受け売りしよう。問 1:「あたかも」を使って短文を作りなさい。答:「冷蔵庫に牛乳があた
かもしれない」。問 2:「どんより」を使って短文を作りなさい。答:「僕は、うどんよりそばが好き
だ」。問 3:「もし∼なら」を使って短文を作りなさい。答:「もしもし、なら(奈良)県の人です
か?」。問 4:「まさか∼ろう」を使って短文を作りなさい。答:「まさかりかついだ金たろう」。問 5:
「うってかわって」を使って短文を作りなさい。答:「彼は麻薬をうってかわってしまった」。この種
の笑い話をエスニック・ジョークという。外国語の習得においては、それぞれの母語のクセが残
るのは避けられない。それぞれの母語に起因するクセをとらえた笑い話が作られるわけだ。司
会者・高橋圭三(故人)の「ドウモドウモ」が一世を風靡した頃の話。日本人の顔を見ると、
香港人がニヤニヤ笑いかける。「ドウモドウモ」とまたニヤケルのである。広東語では「ドウモドウ
モ」は、「多毛多毛」である。当時の日本週刊誌のヘアヌード大作戦とイメージが重なったか
ら、さあたいへん。「ヤップンチャイ(日本仔)は、ハムサップ(好色)ね。老若男女、ドウモドウモ
ばかりだ」と大いにからかわれた。近年、高橋アナの古巣NHKは「ドーモ君」なるイメージ・キ
ャラクターを創造したが、これは前身毛だらけの怪獣である。しかしいまここからヘアヌードを連
想する者はない。
現代中国を読む 31
『チャイニーズ・ドラゴン』2003 年 2 月 25 日
『鄭超麟回憶録』
信念の老トロツキストが語る共産党史
「私の世代の者たちが政治活動に身を投じたのは、十月革命をメルクマールとする世界革
命の最初の高揚に影響を受けてのこと・・・しかしこの高揚はすでに消え去った・・・それはソ連
という国家が一九九一年に滅亡したことをもって明々白々のものとなった・・・実際には革命
成功後、一〇年にしてすでに消え去っていた・・・一九九一年に消滅したのはその影にすぎな
い」。
一九一七年のロシア革命は二七年にすでに消滅しており、その後九一年まで永らえたも
のは幻影にすぎない、と断言する老人とは一体何者か。スターリンがコミンテルンを支配して
以後、政治的反対派を十把一絡げで「トロツキスト」と呼ぶ悪習が横行したために、この名称
は単なる政治レッテルに堕した感が深い。しかし中国革命の嵐を生き延びた正真正銘のト
ロツキストの立場からすると、旧ソ連の崩壊はむしろ遅きに失したのである。「一部の人々は
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号泣し、他の人々は社会主義が破産したと歓呼の声をあげた・・・歓呼の声をあげた人々は、
早とちりの誹りを免れまい。社会主義はいまだ破産していないことを知るべきである。なんとな
らば、今に至るまで、世界のいかなる地域においても「社会主義」は、実現したためしがないか
らだ」。なるほど社会主義はいまだかつて実現したことがないとする立場ならば、破産するはず
もないという論理になろう。ただし七〇年余にわたって現実に存在した「社会主義」を単なる
幻影と呼ぶ観点が説得的かどうかは別問題だが。ここで引用した発言は中国トロツキストの
元老として著名な鄭超麟(1901∼1998)の一九九四年の発言である。内外のスターリニズム
と戦ってきた老トロツキストの確固たる信念にはただ驚くばかりである。平凡社は良書を出す
出版社としてよく知られているが、近刊の『初期中国共産党群像――トロツキスト鄭超麟回
憶録 1、2』(長堀祐造、三好伸清、緒方康訳、東洋文庫 711、712、各 3000 円)もその例に
漏れない。『鄭超麟回憶録』の存在はかねて知られており、香港誌の連載したものを一部読
んだことはあるが、このような形で全貌に接し得たことは近来の快事である。訳・解説・年譜・
索引・人物注などいずれも周到、良心的で使いやすい。鄭超麟は一九一九年渡仏。フラン
ス勤工倹学時代にモンタルジで鄧小平と知り合い、周恩来などがパリで少年共産党を組織
したとき、その一員であった。モスクワのクートベ(東方労働者共産主義大学)を経て、二四年
帰国。中共中央宣伝部秘書として働くが、二九年トロツキーの中国革命論に接して、トロツ
キー派に転じ、中共を除名された。以後九八年に九七歳で死去するまで終生トロツキストの
立場を貫いた。この素描から明らかなように、鄭超麟は初期の中国共産党の有力な活動家
の一人であり、その証言はきわめて信憑性が高い。中国共産党史のいくつものナゾに光を当
ててくれる。面白さという点で白眉はやはり訳者の解説のように「恋愛と政治」の章か。一九
二〇年代、中国の若者たちは「恋と革命の味」に酔いしれ、まだ大衆の心をつかむには至ら
ない。
現代中国を読む 32
『チャイニーズ・ドラゴン』2003 年 3 月 4 日
日本・中国の国民性比較のために
このところ「中国における世論調査」と称するものがしばしば報道される。それらのなかには、
ホントかね、と疑念を抱かせるような数字が少なくない。いかがわしさを感じさせるようなデータ
が煽情的な見出しとともにまかり通るのは、日中の相互理解にとって有害無益である。データ
は対象の真実を理解させるものでなければならない。真の姿を覆い隠す虚飾の「世論調
査」をもって、ナショナリズムを煽るのは最悪だ。頼りになるのは、やはり科学的な統計学に裏
付けされた、正しい方法論に依拠した調査である。(故)林知己夫教授によって率いられた統
計数理研究所の名声はかねて轟いている。故旧牛窪一省(鬼籍)が「マーケティングリサーチ
学にとっても同教授は巨匠である」と仰いでいた関係で、私は折に触れてエピソードを耳学問
してきた。さて、この令名高い研究所の調査であるからには、と安心しつつ、届いたばかりの『日
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本・中国の国民性比較のための基礎研究――中国北京市における意識調査』(研究代
表者=鄭躍軍、統計数理研究所刊、研究リポート 89 号、2003 年 1 月)をめくる。母集団は
北京市中心部八区に在住する一八∼七五歳の男女である。回収一〇〇〇人以上を目
標に標本を設定した。標本の抽出は「層別三段抽出法」による。具体的には居民委員会
を二層に区分し、居民委員会、世帯、個人を順次抽出する(但し、理想的な標本抽出に
必要な公開資料が限られるために、試行的な標本抽出法を模索中)。質問数は七八問、
面接時間は四〇∼五〇分程度。調査時期は二〇〇一年一一月である。回答された一
〇八七名の基本的属性は、居住区ごとの回答率、性別、年齢別、学歴別、職業別、本人の
収入別、世帯構成、住宅形式(持ち家か、賃貸かなど)のちがいによってそれぞれ分類される。
たとえば年収を見ると、一万元未満 52.9(7.7)%、一∼二万元 28.5(30.8)%、二∼三万元
8.4(7.7)%、三∼四万元 1.9(7.7)%、四万元以上 2.2(46.2)%、分からない 6.1(0)%である。
ここから年収一万元(すなわち月収 830 元)に満たない階層が過半数を占め、年収一∼二
万元(すなわち月収 830∼1660 元)の階層が約三割、両者をあわせて約八割であることが
分かる。これを高学歴の大学院卒グループと比較すると、右の括弧内の数字になる。年収
一万元未満の低所得層は 7.7 にすぎない。最も多い階層は四万元以上のニューリッチで
46.2%を占める。次いで一∼二万元層が 30.8%である。両者を合わせて八割近い。ここで
は平均年収と大学院卒グループの年収とを比較したが、小卒、中卒、高卒、大学卒、大学院
卒と学歴ごとの年収が見事に対応している点が興味深い(58 ページ)。中国の「高学歴追求
ブーム」の一端がこの数字にも端的に示され、高学歴=高所得だ。この姿は大学卒でもコン
ビニエンスのフリーターとして、その日暮らしを送る日本社会の退嬰ぶりとは、対照的である。ア
リとキリギリスの寓意の理解も年齢や学歴、性別によって微妙に異なるのがおもしろい。
現代中国を読む 33
『チャイニーズ・ドラゴン』2003 年 3 月 11 日
改めて「一つのアジア」を語る時代
岡倉天心(1862̶1913)が「Asia
is one(アジアは一つなり)」と英文の著書『東洋の覚
醒』で書いたのは一九〇二年のことであった。二〇世紀初頭、ヨーロッパ列強のアジア進出
は急ピッチであり、「欧州の栄光」が「アジアの屈辱」をもたらしていた。当時のアジアは、まさに
「屈辱のアジア」として、「アジアは一つ」であった。ただし、義和団鎮圧に出兵した八カ国連合
軍のなかで日本軍の紀律は最も高く、元会津藩士柴五郎率いる部隊は、連合軍のなかで
も最精鋭部隊であり、その士気は列強武官たちの衆目の認めるところであった。これは日露
戦争における勝利にも引き継がれる。この文脈では、日本はむしろ「もう一つのアジア」、ある
いはもっと直截にいえば「脱亜入欧」であり、すでに「欧州の栄光」に仲間入りしようとしていた。
その後の日本は「大東亜共栄圏」への道を歩み、破産した。その過程で天心の「アジアは一
つ」は、換骨奪胎して使われた。「最近、武士道、すなわち兵士が自分を犠牲にして戦う死
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の術が盛んに話題になります。茶道はまぎれもなく生の術であるにもかかわらず、ほとんど注
目されません。おぞましい戦争の栄光が文明国の資格ならば、われわれは野蛮人のままで
結構です。芸術や理想に当然の尊敬が払われるようになるまで待ちましょう」。これは天心の
有名な『茶の本』第一章の一句である。新渡戸稲造の『武士道』(1900 年)がもてはやされ
るなかで、天心は武士道すなわち「死の術」に対して、茶道すなわち「生の術」を対置した。
さてある論者は、 「脱亜入欧」は漢語で書かれ、「Asia is one」 は英語で書かれた事実
に着目し、「近代日本の知識人の自我が、二つに分裂しながら進行していかなければならな
かったこと」の象徴と評している(四方田犬彦は「アジアはいま千だけある――インド・デリー大
学で考えたこと」『朝日新聞』2003 年 2 月 3 日)。漢語と英語に引き裂かれた知識人という
見方はなかなか面白い。夏目漱石にせよ、森鴎外にせよ、漢学から洋学への転換を見事に
なしとげ、「和魂漢才」から「和魂洋才」へ、漢・英(独)語を兼ね備えた知識人として、悩みを
抱えつつも近代化の成功のシンボルと見る見方が定着して久しいなかで、近代化における分
裂した自我の視点から観察したのが今日的である。ただし、この論者がその結論として、「アジ
アは一つであったためしがなかったし、今後も宗教や文化の点で、一つに統合されることはあり
えない」「わたしにはむしろ、アジアは千だけ存在すると思い切って宣言してしまった方が、より現
実的であるように思われる」と続けたのは、少し異論がある。アメリカ一辺倒、英語一辺倒の
風潮のなかで「アジア文化の多様性」、「多様性を肯定する精神」を説くのはよい。だが同時
に、経済を見ると、東アジア経済の相互補完関係は日に日に深まり、まさに「東アジア経済は
一つ」という輪郭が浮き彫りになってきたことも確かである。二一世紀はやはり文化の多様性
を包摂しつつ、改めて「一つのアジア」を語る時代ではないのか。
現代中国を読む 34 『チャイニーズ・ドラゴン』2003 年 3 月 18 日
朱鎔基礼賛の雑誌回収
北京では全国人民代表大会が開かれており、日本のマスコミにも関連記事が多い。小さ
な記事だが、意味深長なものに気づいた。見出しは「江主席より目立っている――朱首相
礼賛の雑誌回収」である。短い記事なので、ホームページからそのままコピーしておこう(蛇足
だが、インターネットという新兵器は、この種の作業で抜群の能力を発揮することは、皆様ご
承知の通り)。『読売新聞』三月九日 【北京=関泰晴】電は、次のように伝えている。三
月八日付の香港英字紙「サウスチャイナ・モーニングポスト」は、北京で発行する時事週刊
誌が、今月で引退する朱鎔基首相を特集した記事の掲載号を自主回収していた、と報じ
た。同紙は「朱首相引退のニュースが江沢民・中央軍事委員会主席よりも目立つのは良く
ない」などとする党機関紙編集者の声を紹介して、中国当局の圧力があったとしている。問
題となったのは、中国の華僑向け通信社「中国新聞社」が発行する「新聞週刊」。同誌は
今月三日号で、朱首相の五年間の功績を特集。「世界最高の首相の一人」「ノーベル経
済学賞に値する」「中国の堅苦しい政治風土に春風を吹き込んだ」などと最高級の賛辞を
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贈った。党機関紙の編集者は同紙に「五年間の功績を個人の手柄にするべきではない」な
どと話している――。引退する朱鎔基の功罪評価については、むろんさまざまな角度からの
論評がありうるだろう。しかし、「世界最高の首相の一人」「ノーベル経済学賞に値する」など
の評価は、彼の挙げた実績にふさわしいものだと私は判断する。一例を挙げよう。ちょうど十
年前に、朱鎔基が国務院副総理として、経済のマクロ・コントロールに責任を負うようになっ
たとき、中国の外貨準備高は二百億ドルに満たなかった。昨 2002 年末のそれは二千八百
億ドルを超えていた。すなわちおよそ十年で十四倍に増えたわけだ。中国が貿易赤字の構
造から貿易黒字の構造へ転換する過程で 94 年の「兌換券廃止による交換レートの一本
化」が決定的な役割を果たしたこと、この決断が朱鎔基によるものであることはいうまでもない。
朱鎔基が中国経済の実力に見合ったレートを明確に提起したことによって、中国の貿易は
その後安定的に黒字を維持できるようになったばかりではない。人民元レートの安定によって、
人民元に対する信任が高まり、中国向けの直接投資が毎年四百億ドル台になった。昨
2002 年の場合は、米国経済の先行き不透明状況も重なり、中国への直接投資は五百億
ドルの大台を超えて、中国は世界一の直接投資受入れ国となった。これらの一連の事実だ
けでも、朱鎔基の采配はノーベル賞に値するものだ。私は以前からそのような論評を書いて
きた。だから、中国新聞社のコメントは、私の持論を繰り返したにすぎないと見る。問題は、
むしろ「江主席より目立っている」として、「雑誌を自主回収させた」点にこそある。江沢民の
治世は十三年というが、実際には鄧小平引退以来の九五∼〇二年、すなわち、七年間で
ある。この七年間は市場経済化の猛烈発展のなかで「政治の不改革」が特徴であった。つ
まり政治改革の立ち遅れと前進した経済改革とのギャップこそが中国の直面する真の問題
である。これに対して江沢民主席の「不作為の責任」はきわめて重大であり、軍事委員会
主席留任は「政治不改革」の象徴にほかならない。
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現代中国を読む 53『チャイニーズ・ドラゴン』2003 年 8 月 5 日上期の流行語
現代中国を読む 54『チャイニーズ・ドラゴン』2003 年 8 月 12 日一知半解の朝日特派員
サ ー ズ
現代中国を読む 55『チャイニーズ・ドラゴン』2003 年 8 月 26 日沁園春・薩斯
現代中国を読む 56『チャイニーズ・ドラゴン』2003 年 9 月 2 日新思惟「対日新思考」
現代中国を読む 57『チャイニーズ・ドラゴン』2003 年 9 月 9 日『現代史中国の苦悩』を読む
現代中国を読む 58『チャイニーズ・ドラゴン』2003 年 9 月 16 日田中・毛沢東会談のナゾ
現代中国を読む 59『チャイニーズ・ドラゴン』2003 年 9 月 23 日要人往来にみる中朝関係
現代中国を読む 60『チャイニーズ・ドラゴン』2003 年 9 月 30 日胡錦濤の西柏坡
現代中国を読む 61『チャイニーズ・ドラゴン』2003 年 10 月 14 日『新思考』関係論文
現代中国を読む 62『チャイニーズ・ドラゴン』2003 年 10 月 21 日廖承志通訳の役割
現代中国を読む 63『チャイニーズ・ドラゴン』2003 年 10 月 28 日人民元専門家会議
現代中国を読む 64『チャイニーズ・ドラゴン』2003 年 11 月 4 日人気没落陳水扁総統
現代中国を読む 65『チャイニーズ・ドラゴン』2003 年 11 月 11 日李纓監督の『味 Dream Cuisine』
現代中国を読む 66『チャイニーズ・ドラゴン』2003 年 11 月 18 日『珠海千字宣言』
現代中国を読む 66『チャイニーズ・ドラゴン』2003 年 11 月 25 日ミスター政治家コンテスト
現代中国を読む 67『チャイニーズ・ドラゴン』2003 年 12 月 2 日馮賓符の生涯
現代中国を読む 67『チャイニーズ・ドラゴン』2003 年 12 月 9 日「新思考」論争のその後
現代中国を読む 68『チャイニーズ・ドラゴン』2003 年 12 月 16 日『中国人、食を語る』
現代中国を読む 69『チャイニーズ・ドラゴン』2003 年 12 月 23 日温家宝の訪米
現代中国を読む 72『チャイニーズ・ドラゴン』2004 年 1 月 6 日新思考シンポジウム
現代中国を読む 73『チャイニーズ・ドラゴン』2004 年 1 月 13 日台北の新正月
現代中国を読む 74『チャイニーズ・ドラゴン』2004 年 1 月 20 日「西気東輸」プロジェクト
現代中国を読む 75『チャイニーズ・ドラゴン』2004 年 1 月 27 日韓国の対中輸出急増
現代中国を読む 53
『チャイニーズ・ドラゴン』2003 年 8 月 5 日
上期の流行語
『中国青年報』(2003 年 7 月 19 日)が今年上期の流行語を紹介した。中国の十大流行語
は、サーズ関連にあらざれば、イラク戦争がらみのものだ。ベスト 10 は、 1.非典(SARS)
2.疫情 3.消毒 4.隔離 5.巴格達(バクダッド) 6.薩達姆(サダム) 7.三峡 8.疑似 9.伊
拉克戦争 10.世界衛生組織(WHO)である。サーズとイラクに関係ないのは、7.三峡だけだ。
では、これらに続く 20 語はなにか。 口罩(マスク)、 美英聯軍、 張国栄(香港歌手 Leslie
Cheung)、 小湯山(解放軍のサーズ隔離病院)、白衣天使、 冠状病毒(コロナ・ウィルス)、 非
典時期、 消毒液、 提克里特(ティクリート・フセインの故郷)、 陋習、 戦後再建、収容遣
送、 孫志剛(広州で民工と間違われて殺された知識青年)、社保(社会保障)基金、 薩哈夫(旧
イラク政府報道責任者)、 旅行警告、発焼門診、金条、 銀監会(銀行監督委員会)、 斬首行
動(フセインの首を捕る米軍作戦か)である。
経済面の「十大流行语」に目を移すと、これは証券市場関係のものが多く、サーズのもとで
も中国経済が引き続き発展している姿を映している。この分野の専門用語には、私の知らな
いものが多い。もし間違いがあれば、博雅の士のご教示を待つ次第である。文字通り「抛磚
引玉」(レンガを投げて玉を引き寄せる)を念じている。
1.野生動物(ハクビシン受難)、 2.三峡工程、 3.股権登記(株権登記) 4.中薬(漢方薬) 5.
除息日(配当日=派息日に対する増資権利落ち日か、) 6.社保(社会保障)基金 7.分餐制(直
箸追放) 8.商務部(国務院行政改革)、 9.紅利発放(配当開始) 10.国有資産監督管理(私物
化対策)。野生動物や漢方薬を見ると、サーズ便乗商法のたくましさが理解できよう。経済
面の次の 20 語は以下の通りである。利潤分配議案、金条、銀監会、二手房(中古不動産)、
主流板塊(株式市場で「五大主流板塊」とは、金融、鋼鉄、石油化学、汽車、公用事業を指す)
汽車板塊(自動車株)、 套餐(セットディナー)、 除権除息日(増資権利落ち)、単向收費(電
話料金はかけた者が支払う)、傘型基金(Umbrella Fund, たとえば JP Morgan Fleming Fund な
ど)、 医薬板塊(医薬関連株)、 疾病保険、 强制性産品認証(CCC マークにご注意。国家認
証認可監督管理委員会のマークだ)、 分紅保険(配当つき保険) 創業板市场(ベンチャー株
か) 人民幣昇值(人民元切上げ)、主力合约(先物商品などの主力産品の成約)、 反傾销訴訟
(反ダンピング訴訟)、 債券型基金、反倾销调查(反ダンピング調査)。なお、イラク戦争関
連の「十大流行语」は、前述と重なるが、1.巴格達 2.薩達姆 3.美英联军 4.提克里特 5.共
和国衛隊 6.美軍中央司令部 7.戦後重建 8.大規模殺傷性武器 9.庫尓德人(クルド人)、 10.
薩哈夫、である。「非典」関連の「十大流行语」も、念のために再び書いておく。 1.非典(SARS)
2.疫情 3.消毒 4.隔離 5.抗撃非典 6.疑似 7.口罩 8.体温 9.防控 10.世界衛生組織(WHO)
である。
現代中国を読む 54
『チャイニーズ・ドラゴン』2003 年 8 月 12 日
一知半解の朝日特派員
『朝日新聞』[北京=栗原健太郎電](2003 年8月 4 日付朝刊)を見て驚いた。「国家副主
席が北戴河で会合」と、実に奇怪な記事が踊っている。曰く、中国の曽慶紅国家副主席が二
日、河北省の海辺のリゾート地、北戴河を訪れた。新型肺炎 SARS 対策に貢献した専門家や、
三峡ダム建設に従事する幹部らと面会し、江沢民前国家主席が提唱した共産党の指導思想
「三つの代表」の重要性を強調した。国営通信・新華社が伝えた。北戴河には毎年指導者らが
集まって重要な会議を開いてきたが、胡錦濤新指導部はこの慣例を見直すことをきめた、と
中国国内で報じられていた。2 日の会合は指導者が各分野の功労者と面会し慰労する形をと
ってはいるが、会合には賀国強・党中央組織部長や徐才厚・人民解放軍総政治部主任らが顔
をそろえた」。栗原特派員が用いた素材をインターネットで調べると、「曽慶紅、知識人は小
康社会の建設において功業を建てなければならない(と語る)」という記事が見つかる。これ
は新華社北戴河 8 月 2 日李術峰記者電である。これによると、曽慶紅は 2 日午前わざわざ
北戴河を訪れ、次のような人々を慰労した(原文=看望)。慰労を受けたのは、「ここで休暇
をとっている医療専門家と科学技術専門家」である。彼らが北戴河で休暇をとるに至った経
緯は、つぎのように説明されている。今年の夏休みに、「党中央と国務院が北戴河で休暇を
とるよう招待した」。招待対象は「サーズ対策で突出した貢献を行った医療専門家、サーズ防
疫突撃チームの全国責任者、国家の重点建設プロジェクトの総工程師、国家重大科学研究プ
ロジェクトの首席科学者、国防科学技術専門家」などである。たとえば広州市第八人民医院
院長・主任医師唐小平、北京佑安医院院長・主任医師趙春恵、軍事医学科学院副院長・教授黄
培堂、中国工程院院士・解放軍総参謀三部研究員金怡濂、中国長江三峡ダム開発総公司総工
程師張超然、中国科学院物理研究所所長・研究員王恩哥、中国航天科工集団三院科学技術委
員会副主任・研究員劉永才、らが主な招待客だ。この座談会を司会したのは、中央組織部長
賀国強(政治局委員、中央書記処書記)である。この会議にはさらに解放軍総政治部主任徐才
厚(中央書記処書記、中央軍事委員会委員)のほか、国務院秘書長華建敏、国務委員陳至立な
ども出席している。先進的科学関係者座談会を報じたこの記事を素直に読めば、事の経緯は
明らかであろう。胡錦濤の提唱で今夏は北戴河会議を止めた。そこで余裕のできた海浜の保
養所を使って、科学分野で特筆すべき貢献をおさめた、あるいはおさめつつある関係者を招
いて慰労したのだ。その慰労の場を、曽慶紅、賀国強、徐才厚らが「主催者側として」あい
さつに出向いたという話だ。「慰労する形をとってはいるが」ではなく、文字通り慰労の招待
であり、その場を借りて座談会を開いたのだ。一知半解の記事とこれを増幅する不勉強デス
クによるタイトル文字の選択は、ミスリーディングきわまりない。
現代中国を読む 55
『チャイニーズ・ドラゴン』2003 年 8 月 26 日
サ ー ズ
沁園春・薩斯
ツー
<沁園春・雪>は毛沢東の気概を詠んだ「詞」として有名だ。秦の始皇帝や漢の武帝は教養
がなく、太宗李世民や宋祖趙匡胤には風流心がなく、ジンギスカンに至っては、ただ弓を引
くのみ。文武両道に長けた英雄は、延安まで長征した兵士たちとその指導者だというのであ
サ ーズ
るから、その気概たるや壮大だ。この古典的な「詞」を「本歌取り」した「沁園春・薩斯」が
中国でひとしきり流行し、その後日本にまで伝わった。一読してフムフム。なかなかよくで
きている。紹介しないわけにはいくまい。わが老師工藤篁は一代の詞の読み手であり、私は
学生時代に謦咳に接した。往時茫々。それは四〇年以上も昔のことだが、元歌の意味が分か
れば、替え歌の解釈は容易だ。不肖の弟子といえども門前の小僧程度には、読みくだすこと
ができよう。元歌をご存じない読者のために、随時原文を書き添えておく。対照して味わう
と、戯作者の怒りと表現力がよく理解できよう。以下[括弧]内に原文とコメントを挿入する。
ひょう
――北京の風光よ、千里病風、万里菌 飄 たり[原文=北国風光、千里冰封、万里雪飄。北
こうこう
国が北京に化け、冰が病になり、雪が菌に変身]、長城内外を望めば人心惶惶たり、京城の
とみ
けんそう
かん ぽう やく
上下頓 に吵閙 を失う[原文=望長城内外惟余茫茫、大河上下頓失滔滔]。板藍根 を喫し、
ビ タ ミ ン
サーズきん
つよ
維生素を服し、薩 斯 と高さを比べんと欲す[原文=山舞銀蛇、原馳臘象、欲与天公試比高。
山に銀蛇が舞い、原に臘象が馳せるイメージは、<雪>のサワリだが、これを板藍根とビタミ
ンに置き換えたのは、サーズ菌の激しさを強調するため。このあたりがどんでん返しの妙
マ ス ク てぶくろ
なまめか
ムカ ツカ
か]。寧日無し、口罩手套を看るにことのほか妖嬈し、病毒かくのごとく多焦せり、無数の
いざない
つい
ひょうけいをさせた
良民を 引 て竟に 折
腰 [原文=須晴日、看紅装素裹分外妖嬈、江山如此多嬌、引無数英
雄竟折腰。マスクに顔を隠した妙齢の女性は確かになまめかしいもの。秋田では好色殿様か
レントゲンちょうおんぱ
やや かみ わざ
おと
ら娘を守る布切れを「殿様隠し」といいました]。惜しむらくは 胸 透 B 超 も略神采に疎り、
やや
ゆず
やぶいしゃひと
西医中薬稍風騒に遜る[原文=惜秦皇漢武略疎文采、唐宗宋祖稍遜風騒]、一代の庸 医 斉し
ちゅうごく
あつ
め っ た や たらのしょ ほう せん
く 華 夏に聚まり、喪心病 狂 乱開薬[原文=一代天驕児成吉思汗、只識弯弓射大雕。中国の
ドクターたちもジンギスカンと比べられては、かなわない。犠牲となった英雄的お医者様も
いたけれど、人民解放軍少将の階級をもつ厚生大臣の大ウソはひどかったね。しかもこれが
ともに ま げ ぬ
ナンバーワンの大ボスのホームドクターというから、公私混同もはなはだしい]。 具 枉矣、
あ りか
病源の何在を究めんには還明日を看よ[原文=具枉矣、数風流人物還看今朝。コロナ・ウィル
スまでは判明したが、ワクチンは未だ成らず。明日を待つべし]。古今の詞のパターンを記
憶して文字を入れ換えて遊ぶ。まさに替え歌の世界だが、これぞ中国文化の一つの核である。
戯れ歌(打油詩)をあなどるなかれ。
現代中国を読む 56
『チャイニーズ・ドラゴン』2003 年 9 月 2 日
新思惟「対日新思考」
友人の好意で近着『戦略与管理』(2003 年 4 期、8 月号)のコピーを読んだ。特集は「中
日関係研究」であり、四本の論文が並んでいる。巻頭は馮昭奎「対日関係新思惟を論ず」、
第二論文は周桂銀(南京国際関係学院)「対日外交革命の理解」、第三論文は張望(香港中文
大学)「日本は軍国主義の古い道を歩むのか」、第四論文は薛力(清華大学国際問題研究所)
「中日関係は歴史問題を越えられるか」である。これを手にして感ずるのは、「新思惟」とい
うキーワードが日中関係を表す言葉としてほとんど定着したという実感である。もともと
「新思惟」はゴルバチョフの用いたロシア語に起因する。八〇年代半ばに登場したゴルバチ
ョフは、グラースノスチ(情報公開)やペレストロイカ(改革)を掲げてソ連の旧体制の改革
に挑んだ。八九年に中国を訪れ、鄧小平との首脳会談に臨んだころはゴルバチョフの絶頂
期であり、中国の学生たちは、民主化の旗手としてゴルバチョフ歓迎の形で言外に鄧小平
の開発独裁を批判した。その後約二年、ゴルバチョフはエリツィンによって権力の座を追
われ旧ソ連は解体した。「新思惟」は途端に色あせた。それから一〇年以上を経て、中国の
改革派たちがこのことばを復活させた。国交正常化三〇年という記念すべき年に両国の首
脳訪問ができなかったのは異常な事態である。この現実を直視してまず馬立誠論文「対日
関係新思惟」(2002 年 6 期)が登場した。ついで時殷弘「中日接近と外交革命」(2003 年 1
期)がこれを追認し、大きな話題となる。中央宣伝部の『時事報告』(2003 年 7 月号)の座
談会は、内部雑誌なのに広く読まれた。そこへ決定打として馮昭奎論文「対日関係新思惟
を論ず」が登場した。かつて媚日派と揶揄された馮教授は健在だ。馬立誠(『人民日報』
評論員)は日本訪問の印象記のスタイルをとり日本に軍国主義なしと書く。時殷弘(中国人
民大学国際関係学院・米国研究センター主任)は、米中関係の専門家の視点から確かな中
米関係構築のためには、中日関係という足元を固めよと説く。日本経済専門家馮昭奎(中
国社会科学院日本研究所)は、最も重要な国益とは経済的利益であり、日本との経済協力
から得られると説く。三人の論客はそれぞれが異なる視点から中日関係の閉塞状況の打開
を呼びかけた。これらの「戦略的中日関係論」の提唱に対して中国では旧思考(伝統的中
日友好論)に縛られた人々からの反発も少なくない。あえて率直にいうが、江沢民は親米
反日の外交スタンスをとり、反日ナショナリズムを煽動した。小泉内閣はこれを奇貨とし
て靖国参拝を繰り返し、日本ナショナリズムをもって対抗した。こうして最悪の状況に陥
った両国関係打開のために胡錦濤マシーンが提起したのが「対日新思考」であると読め
ば、流れがよく分かる。一部の日本マスコミは、曽慶紅だけが日本通だなどと解説してい
るが、半可通の極みだ。対日新思考の推進者はまさに胡錦濤執行部なのだ。中国の投げた
変化球の意味を的確に理解しなければならない。
現代中国を読む 57
『チャイニーズ・ドラゴン』2003 年 9 月 9 日
『現代史中国の苦悩』を読む
『現代中国の苦悩』藤野彰著、日中出版、2003 年 8 月、2800 円、435 頁。
特派員の中国レポートの集大成である。まず中南海紫光閣で当時の朱鎔基首相が日本からの国会
議員と会見した際に冒頭「わずか 5 分」程度、すなわち写真撮影の時間適度の取材を許された体験から
語り始める。著者は大学を出たあと、幸運にも中国政府留学生として山東大学に一年学ぶことができた。
これを契機として八八年一〇月読売新聞上海特派員として赴任し、北京に移り九三年四月に帰国す
るまで四年七カ月を中国で暮らした。まさに天安門事件前後である。次いで九八年一一月から〇一年
一〇月まで三年間を中国総局長として北京に勤務した。これは朱鎔基が国務院総理として中国の高
度成長に采配を振るい、WTO 加盟を実現させるまでの時期に対応する。八八年から今日に至る一五
年間のチャイナ・ウオッチャー体験をこれまでに書いたものを整理する形で総括したのが本書である。Ⅰ中
国政治を読む、Ⅱ改革開放を切る、Ⅲ辺境・少数民族を探る、の三つのテーマに大別し、Ⅰはさらに①
ポスト天安門事件、②ポスト鄧小平、③江沢民「三つの代表」、といった風に時期区分されている。著者
が特派員として原稿を書き続けた一五年間に、中国は天安門事件と鄧小平の死去という大きな出来事
を経ながら、対外関係の面では WTO 加盟に象徴されるように、国際舞台に発展途上の経済大国として
躍り出た。この間の折に触れて書きためた原稿をそのまま本にして読めるという事実は、チャイナ・ウオッチャ
ーとしての著者の実力がなみなみならぬものであることを意味する。著者の実力とは、なによりもまず中国
語をしっかり身につけて、資料をよく読み、そのうえできちんとした取材を重ねてきたことであり、これは敬服
に値する。中国語を学び、資料を読み、取材をするとは、中国特派員の ABC の条件ではないかといぶか
る向きもあろうが、実はこのような王道を歩み、その努力を続けている特派員は以外に少ないのではない
かというのが私の実感である。本書に記録された時期の中国の出来事については私も観察記録を書いて
きたので、私自身の当時の理解と著者の理解の異同などを確かめながら本書を読んだ。私にとって最も
興味深い関心事は、巻末の書き下ろし「中国報道の現在」である。これらの記事を書くうえで、著者がい
かに中国の小役人たちに悩まされたかの一端が率直に吐露されている。「北京特派員生活を終えて三年
ぶりに帰国した後、引っ越し荷物の搬送を頼んでいた運送会社から、書類が送られてきた。(税関)没収リ
ストには約三〇冊の中国書籍の題名がずらりと並んでいる。奥付に内部発行と記されたものもあったが、
北京市内の古本屋で堂々と売られていた一般的なものばかりで、資料としての機密性はない」「私が特
派員でなかったら、こんなにも徹底的にはやられなかったかもしれない」「勤勉とは言いがたい中国のお役
人たちの熱心な仕事ぶりに感心しつつも、お前が中国でどんな本を買って読んでいたか、俺たちは見てい
たんだぞという声が聞こえてくるような気がした」(384-5 ページ)。情報統制に象徴される中国の政治体制
の欠陥はサーズ騒動を通じてあらためて暴露されたが、その解決には時間を要する。中国の苦悩も大き
いが「特派員の苦悩」も大きいのだ。
現代中国を読む 58
『チャイニーズ・ドラゴン』2003 年 9 月 16 日
田中・毛沢東会談のナゾ
毛沢東の死は一九七六年九月九日のことだから、今日は満二七周年である。一九七二年の
田中角栄・毛沢東会談を頂点として国交正常化がなったことは周知の事実だが、肝心の田中
毛会談の中身は依然として歴史の暗闇に埋もれている。この会談の日本側出席者は、田中首
相、大平外相、二階堂官房長官の三名だが、いずれも鬼籍の人々だ。外務省からは通訳も記
録係も誰一人出席していない。中国側出席者は毛沢東、周恩来、姫鵬飛外相、廖承志外交部
顧問、王效賢外交部アジア司、林麗韞(中共中央対外連絡部)の六名であった。この会談に
ついて時事通信社編『ドキュメント日中復交』はこう記録している。まずは二階堂長官の記
者会見の部分である。
「毛主席=もうケンカは済みましたか。ケンカをしないとダメですよ。
田中首相=周首相と円満に話し合いました」。さらにこの本は、こう補足している。「毛主
席=若い人たちが、ご迷惑をかけたという表現は不十分だといってきかないのですよ。中国
では女性のスカートに水をかけたときに使うことばですから。田中首相=日本ではことば
は中国からはいったとはいえ、これは万感の思いをこめておわびするときにも使うのです。
毛主席=わかりました。迷惑のことばの使い方は、あなたの方が上手なようです」。このや
りとりの部分を張香山『中日関係管窺与見証』はこう記録している。「毛主席は迷惑をかけ
たという問題はどう解決しますか」と尋ね、田中首相は中国の習慣にしたがって直すつもり
だと述べた」。以上、二つの証言から、「迷惑論議」は、九月二六日の第二回首脳会談でま
ず行われ、ついで二七日夜の田中毛沢東会談でもさわりの部分が繰り返されたことがわか
る。田中自身は帰国後に自民党両院議員総会でこう述べた。「中国側はご迷惑とは何だ。婦
人のスカートに水がかかったのが、ご迷惑というのだと言った。中国は文字の国で本家だが、
日本にはそう伝わっていない。こちらは東洋的に、すべて水に流そうという時、非常に強い
気持ちで反省しているというのは、こうでなければならない。これについて毛主席はご迷惑
の解釈は、田中首相の方がうまいそうですね」と言っていた」。この証言から明らかであろ
う。毛沢東が『楚辞集註』を書斎からとりだして田中への土産としたのは、この本の中に、
「迷惑(mihuo)」という中国語の古典的な例文があることを想起してのことなのだ。私は二
年前にこの解釈を発表し、その後に入手した中国側傍証でいよいよその正しさを確信して
いる。遺憾なことに、田中が謝罪した事実を素直に認めることを潔しとしない日本側と、田
中は謝罪していないと強弁したい中国側との間で、田中のご迷惑の真意は歪曲され、毛沢東
の『楚辞集註』贈呈の意味も歴史に埋もれたままだ。最近岩波書店から『日中国交正常化・
日中平和友好条約締結交渉』は、読めば読むほど、迷惑問題の所在がわからなくなる。これ
は歴史の偽造に近いのではないか。
現代中国を読む 59
『チャイニーズ・ドラゴン』2003 年 9 月 23 日
要人往来にみる中朝関係
八月二七~二九日、朝鮮半島の非核化をめぐる六カ国協議が開かれた。中国語ではこれを「六方会
議」と略称する。北京釣魚台には、わざわざ六角形の会議テーブルをしつらえて、平等な立場で議論がで
きるように配慮するなど、ホスト役(東道主)の用意周到な気配りが目だった。中国の国際協調主義を示
すものとして、経済協力における「アセアン+日中韓(いわゆる 10+3)」への姿勢は、その嚆矢とみてよい
が、今回は北東アジアの安全保障をめぐる問題で、よりスケールの大きい枠組み作りに一歩を踏み出した
わけである。朝鮮半島の非核化をめぐる「和平プロセス」は第一歩を踏み出したばかりであり、曲折に満ち
た長い歩みが予想される。しかし、和平プロセス以外には道がないとすれば、やはり辛抱強く、説得をくり
かえし、この過程で新たな緊張を作らない方針で、事を進めるほかあるまい。ところで今回の一連の報道
を通じて、中国と北朝鮮の間の不協和音が目だった。中国と北朝鮮の関係はいったいどうなっているのか。
良いのか、悪いのか。どういう関係なのか、といった問い合わせが相次いだ。確かに「朝鮮戦争を戦って以
来の血で結ばれた戦闘的友誼」といったマスコミのキャッチコピーに惑わされている人々には、理解に苦しむ
出来事が再三再四であったと思われる。
結論からいえば、中朝関係を半世紀前の朝鮮戦争から語るのは出発点としてまったくの間違いである。
では正しい出発点はどこか。一九九二年八月二四日の中国と韓国の国交を起点としなければならない。
この日を重要なメルクマールとして、以後約一〇年間に、韓国の要人は一九名が訪中している。「礼は
往来を尊ぶ」のが古来の約束事である。中国からは一三名の要人がこれに応えて韓国を訪問している。
では中韓国交以後の時期における中朝関係はどうか。北朝鮮から中国を訪問した要人はわずか六名に
すぎない。韓国の一九名の三分の一である。では中国から北朝鮮を訪問したのは何人か。わずか七名で
ある。中国から韓国を訪問した要人一三名の約半分にすぎない。往来した要人数を合計すると、中国
韓国間のそれは三二名、中国北朝鮮間のそれは一三名である。こうして中国からみて朝鮮半島の南北
は、韓国七割、北朝鮮三割のつきあいになる。つまり五分五分どころか、七対三のつきあいなのだ。このよ
うな硬い事実の意味をかみしめなければならない。では三者の経済協力関係、特に貿易関係はどうか。
昨二〇〇二年の場合、中国の北朝鮮への輸出は四・六八億ドル、中国の北朝鮮からの輸入は二・七
一億ドル、往復で七・三九億ドルであった。他方、同じ年の中国の韓国への輸出は一五四・九七億ドル、
中国の韓国からの輸入は二八五・七四億ドル、往復で四四〇・七一億ドルであった。この比率は一対
六〇である。要人の往来が政治関係のよしあしを端的に表現するものである事実を直視し、それを重要
な判断資料としなければならない。中国と朝鮮半島の貿易関係の数字自体は、ときどきマスコミに現れる
が、それのもつ政治的含意に言及されることは少ない。つまり、政治と経済の両国の現実を実事求是の
態度で的確に把握し、そのうえで初めて安全保障問題を論ずることが可能になるわけだ。中朝関係の真
実の一端を教えてくれただけでも、「六方会議」の意義は大きかった。
現代中国を読む 60
『チャイニーズ・ドラゴン』2003 年 9 月 30 日
胡錦濤の西柏坡
胡錦濤氏が中国共産党のトップに選ばれたのは昨年一一月の党大会である。その後今春の
全国人民代表大会で国家主席に選ばれ、名実ともに「中国の顔」となった。これまで一〇年
間ナンバーツーとして雌伏してきた胡錦濤マシーンが始動しておよそ一年近くになるが、
そのイメージは着実に中国の大地に根付きつつある。胡錦濤は昨秋、初の地方視察として河
北省西柏坡を訪れた。この村は北京解放が目前に迫った一九四九年、都市へ出たゲリラが
「糖衣砲弾」に誘惑されてはならぬ」と毛沢東が戒めた会議を開いた故事で知られる。「二
つの必須」として強調されたのは、
「謙虚さを保ち勝利に驕らない作風」および「刻苦奮闘
の作風」である。権力の座について半世紀余、すべての権力は腐敗するという鉄則通りに中
国共産党の腐敗はとどまるところを知らない。この悪しき風潮に立ち向かうべく胡錦濤は
共産党の初心を確認する旅にでかけた。実は江沢民氏もかつて西柏坡詣でやっており、「二
つの必須」を指摘しているから、この点では両者に矛盾はない。
実は西柏坡会議にはもう一つの内規がある。それは①誕生パーティをやらない(原文=不做
寿)
。②贈り物をしない(原文=不送礼)
。③宴会を減らす(原文=少敬酒)
。④拍手は減ら
す(原文=少拍掌)
。⑤個人の名を地名にしない(原文=不以人名作地名)
。⑥中国の指導者
の名をマルクス・エンゲルス・レーニン・スターリンの名と並列しない(原文=不要把中国
同志同馬(マルクス)恩(エンゲルス)烈(レーニン)斯(スターリン)並列)。
以上六カ条の内規だ。文化大革命期には毛沢東個人崇拝が煽られ、毛沢東自身がみずから提
起した戒律を破る現象もみられたが、鄧小平は基本的にこの戒律を守ってきたとみてよい。
江沢民の名は、
「三つの代表」論とともに党規約に書き込まれただけでなく、近く改定され
る憲法にも書き込まれる可能性がある。個人の名をこのように扱うのが内規⑥に触れるこ
とはいうまでもない。いま共産党内部において、院政の座に居すわろうとする江沢民と現役
指導部胡錦濤との権力闘争に関心が集まっているが、西柏坡の内規は、江沢民の思い上がり
をいさめる胡錦濤の武器になっていることに注目したい。胡錦濤の施政のスタンスを鮮や
かに示したのは、サーズ問題で張文康衛生部長と孟学農北京市長を電撃的に解任し行政責
任を追及する方針を示したこと、解放軍の潜水艦事故を重くみてトップの海軍司令官まで
解任したこと、外国訪問の際の見送りの儀式を止めたこと、夏の北戴河会議を中止したこと、
などだ。要するに単に指導者の権威を示すだけの虚飾をやめて、大衆の生活苦に立ち向かう
指導者のイメージ作りだ。これはまさに江沢民の作風とは恰好の対照である。
現代中国を読む 61
『チャイニーズ・ドラゴン』2003 年 10 月 14 日
『新思考』関係論文
先月中旬に北京を一週間旅して収穫が多かった。今年前半はサーズ騒動で中国行きは
ストップであるから、今年初めての旅だ。マスクをした入国関係職員の姿や地下鉄の車
両に貼りだされた「消毒済み」の掲示などが目だったのを除けば、サーズ騒動は台風一
過である。北京ではさまざまな機関を訪問して、いわゆる「新思考」論文の反響などを
聞いた。口火を切った馬立誠氏は『人民日報』を退社して、香港のフェニックステレビ
に転身したが、このテレビ局が中国当局と「親密な関係」にあるのは衆目の認める事実
だ。しかもご本人が今回の人事は、中国のエライさんが馬立誠の活躍を認めた結果だと
自任しているのであるから、「左遷」などといえないことは明らかであろう。ただし、
『交鋒』を書いた論争家の筆法には反発も大きく功罪相半ばといった雰囲気である。第
二バッターの時殷弘教授(中国人民大学国際関係学院教授)も日本問題専門家ではなく、
「アメリカ研究センター主任」である。氏は米中関係の展望から「中日接近と外交革
命」を論じており、馬立誠への反発ほどではないが、やはり「日中問題の素人になにが分
かるか」といった反発が強い。ここで登場したのが日本研究者として著名な馮昭奎教授で
ある。氏は中国社会科学院日本研究所副所長の地位からは定年で退いたが、『世界知
識』や『世界経済と政治』の編集委員を務めて、中華日本学会の副会長でも大御所だ。
氏の「対日関係の新思考を論ず」(『戦略与管理』2003 年 4 期)は、新思考の流れを昨年秋
の党大会から論じており、説得的である。馮昭奎は日本問題の専門家だから、馬立誠や時殷弘のよ
うに、揚げ足をとられるようなスキだらけの書き方はしない。慎重に論理を進めるので
彼を攻撃しようにもスキを与えないのはさすがである。同じく「新思考」を説きながら三
者三様であり、モノの言い方を比べるとたいへん勉強になる。この問題については中国
社会科学院世界経済与政治研究所の雑誌『世界経済与政治』(2003 年 9 期)が特集してお
り、これを入手できたことも幸いであった。ところで現実の政治はどうか。小泉・胡錦濤
サンクトペテルブルグ会談に続いて、福田官房長官が訪中し、中国からは呉邦国全人代
常務委員長が来日した。呉邦国人気はいま一つ盛り上がらなかったが、彼は中南海のナ
ンバー2 である。中国側の見立てでは、中日関係を軸として、日本のナンバー1 は、小泉
首相、ナンバー2 は福田官房長官、ナンバー3 が川口外相になる由である。というわけ
で、日本はすでにナンバー2 とナンバー3 を派遣した形だ。つまり次に日本から訪中する
首脳は小泉その人しかいない。中国からはこれに対してナンバー1 の胡錦濤とナンバー2
の温家宝の訪日の機会をうかがっている。総選挙で小泉自民党が勝利を収めか暁に真っ
先にとるべき行動は、訪中である。もしそれが実現すれば、北京・上海新幹線は欧州型の
機関車牽引ではなく、日本型の電車方式に落ち着くであろう。
現代中国を読む 62
『チャイニーズ・ドラゴン』2003 年 10 月 21 日
廖承志通訳の役割
一〇月一二日付新華社評論員論文には、小泉首相一流の「口からでまかせパフォ ―マン
ス政治」にほとほとあきれているフシが見える。国の交わりには「信を守る」ことを重んじ
なければならないとして、一九七二年正常化交渉のときに周恩来が田中角栄に述べた「六文
字」(言必信、行必果)に言及し、これに対して田中が「信を万事の本となす」と揮毫して応
えた故事をひきあいに出している。由来日本の指導者は「信なくば、立たず」をもって座右
の銘とすると指摘しつつ、「信」を重んずるよう呼びかけたわけだ。このニュースから想起
したエピソードを一つ。話は現代中国最大の日本通であった廖承志(1907~1983)の国交正
常化における役割である。田中・毛沢東会談を紹介した二階堂官房長官は記者会見でこう述
べている。「毛沢東: もうケンカは済みましたか。ケンカをしないとダメですよ。田中:周首
相と円満に話し合いました。毛沢東: ケンカをしてこそ、初めて仲良くなれます。(廖承志
氏を指しながら)かれは日本で生まれたので、こんど帰るとき、ぜひ連れてかえってくださ
い。田中: 廖承志先生は日本でも有名です。もし参議院全国区の選挙に出馬すれば、必ず当
選されるでしょう」。ケンカは済みましたかという話はかなり有名であり、さまざまの書物
にくりかえし引用されている。しかし、ここで毛沢東がいきなり廖承志(中日友好協会会長)
を話題にしたのはなぜか。これに言及したものは見当たらない。なるほど廖承志は孫文の盟
友・廖仲愷(1877~1925)の息子として日本で生まれ、「江戸っ子」なみのベランメエ調はかな
り有名であった。私見によれば、田中が「メイワク」をかけたと語って反発を招いた時、状況
証拠から推して「田中流の用語法の鑑定役」をつとめたのが廖承志であった可能性が強い。
周知のように日中第二回会談の冒頭で周恩来が「メイワクは軽すぎる」と問題を提起したの
に対して、田中は「万感の思いを込めておわびするときにも使う」と反論したことが知られ
ている。この田中弁明をどのように理解すべきか。生半可な日本語通訳には荷が重すぎる課
題であったはずだ。けだし日本の風俗習慣を深く解する廖承志にとってのみ解決可能な問
題であった。周恩来からこの解釈問題の経緯を知らされた毛沢東はさっそく廖承志を呼び
寄せて、廖承志の判断を問うた可能性が強い。廖承志は「田中がメイワクを用いたのは、誠
心誠意の謝罪」の意味だと毛沢東に説明したはずである。「廖承志は日本生まれだから、日本
に連れ帰ってほしい」という発言はいかにも唐突であり、その真意はナゾであった。ここで
廖承志が毛沢東・田中をつなぐ「真の通訳」であり、廖承志への毛沢東の信頼を意味する発言
と解すれば、「ケンカの話」がいきなり」廖承志を日本に連れ帰る話」につながるのは、きわめ
て自然な流れとなる。毛沢東は、深く日本文化を理解する廖承志が「田中さんの気持ちを私
に伝えてくれたのですよ」と語りかけたのではないか。
現代中国を読む 63
『チャイニーズ・ドラゴン』2003 年 10 月 28 日
人民元専門家会議
一〇月一九日に APEC バンコク会議を機会として行われた米中首脳会談で、人民元の変動
相場制移行について研究するため、米中が「専門家会議」を設置することになった、と報じ
られた。これは米国サイドの情報で、中国外交部報道官は「合意していない」と述べ、両者
の思惑の違いを露呈した。米国内では対中貿易赤字の拡大を背景に、割安な人民元への不満
が高まっており、政治的解決を望む声が強い。ブッシュ大統領は「為替相場は市場原理に基
づいて決まるのが望ましい」と述べたのに対して、胡錦濤国家主席は「人民元の安定は世界
全体の経済発展に貢献している」とし、当面の切り上げは否定し中国の中期目標も変動相場
制であると補足した(なお中国外交部のホームページには翌日胡錦濤ブッシュ会談の要点
が公表された)。このニュースに接して改めて思うのは、日本当局の無為無策である。私は
二〇〇一年秋に中国のある大学で講義していた。折しも中国の WTO 加盟が成り、中国の人々
は中国経済が世界経済の軌道に軟着陸したことを喜んでいた。その矢先「日本から人民元が
安すぎることがデフレの原因であるから、中国当局に人民元切上げを望みたい」とする発言
が聞こえてきてひどく驚かされた。というのは半年前まで、「人民元切下げ必至」と煽る輩
が一転して突然「切り上げ」論に転じたからである。この人々は「人民元問題とはなにか」
を実際に調べたことがあるのかと深い疑問を禁じえなかった。切り上げ発言は、要するに
「日本の不景気は中国から安い商品が輸入されるためだ」とする事実に合わない判断に基
づいたもの、日本不況の原因を中国に転嫁するだけの気休め発言に近いものだ。日本の輸入
全体に占める中国商品のシェアはおよそ一・五%にすぎない。これが日本のGNP全体を振
り回すという議論は、「尻尾が犬を振り回す」という類の誇張にほかならない。中国との競
争に敗れた中小企業の関係者にはまことにお気の毒というほかないが、途上国の追い上げ
を防衛しえた例は近代世界経済史に皆無である。敗北はすみやかに認めつつ、途上国の追い
上げを歯牙にもかけない競争力の強い部門を発展させ、経済的資源をそこへ向けるのが正
道だ。問題の焦点は「敗れた中小企業」にあるのではなく、その失業者を吸収できる成長部
門を育成できなかった怠慢にある。そこをわざと混淆して、みずからの無為無策を中国に転
嫁するのが程度の悪い政治家の手法なのだ。財務大臣や財務官までが人民元のレートを市
場の実勢に合わせて調整せよなどと主張し始めた。その言やよし。遺憾ながらそれを口にし
つつ日本当局は、円高は景気回復に不利とばかり、一〇兆円にも上る円売り(=ドル買い)
に熱中した。中国に対して市場価格を求め、みずからは市場介入に狂奔するダブルスタンダ
ードは許されない。望むらくは日中こそが円元協調の委員会をもうけるべきなのだ。米中協
調の話は、日本の対中無策の象徴にほかならない。
現代中国を読む 64
『チャイニーズ・ドラゴン』2003 年 11 月 4 日
人気没落陳水扁総統
台湾の陳水扁総統は二〇〇〇年三月の選挙で選ばれ五月に就任した。任期は四年であり
半年後の来年三月に改選が行われる。陳水扁は再選を勝ち抜くことができるのか。答えは否
定的だ。台湾のテレビTVBSが九月二九日発表したアンケート調査によると、現在の時点
で陳水扁支持率はわずか三〇%にすぎない。過去四年の経緯を簡単に振り返ってみよう。就
任一カ月の二〇〇〇年六月支持率は七七%の高さであった。期待を込めた「ご祝儀人気」だ。
その直後、八掌渓の洪水対策の不手際がテレビに映し出され、支持率は五三%に急落した。
同年一〇月、第四原発の停止問題で三七%に続落した。就任一周年の二〇〇一年五月には四
一%まで回復し、就任二周年では五一%まで戻した。しかし民進党主席を兼任した二〇〇二
年七月に四八%になり、翌八月の「一辺一国論」では四一%に落ちた。そして「黒い金」整理に
関わる農漁民デモに際しては三一%まで落ちた。就任三周年の二〇〇三年五月には三三%
であった。そして「選挙前一〇カ月」の二〇〇三年六月には、ついに二七%まで落ちた。さ
る九月一〇日時点の調査によると、台湾の主な指導者の人気は次のごとくである。馬英九
(台北市長)七六%、王金平(立法院議長)六〇%、謝長廷(高雄市長)五〇%、連戦(国民
党主席)四八%、游錫堃(総統府秘書長)四七%、宋楚瑜(親民党主席)四六%、呂秀蓮(副総統)
四四%、陳水扁三七%、李登輝二八%といった具合である。明春の総統選挙においては、連
戦・宋楚瑜組と陳水扁・副総統組が競うことになる。いまのところ連・宋コンビが五五%、陳
コンビ四五%と読むのが常識的な見方であり、陳水扁は敗北必至の雲行きだ。副総統候補に
客家系の魅力ある人物を抜擢すれば、かろうじて勝つ可能性もないではないが、その秘策を
除けば可能性はほとんどない。ちなみに有力紙『中国時報』の最近の世論調査では連戦四
二%に対して陳水扁三一%という数字である。陳水扁人気はなぜ落ちたのか。理由は簡単で
ある。執政能力、行政能力の欠如である。民進党はもともと三割政党であり、国民党独裁へ
の批判政党としては人気があった。しかし国民党に取って代わり政権を担うにはまだ経験
不足であった。二〇〇〇年の総統選挙で勝利したのは、実は本来の実力によるものではなく、
漁夫の利を得た形だ。当時の李登輝総統が誤った判断のもとに宋楚瑜を国民党から除名し、
敵に回した。二〇〇〇年選挙では確かに陳水扁は勝利したが、もし連・宋が連合を組んでい
たらその合計得票は陳水扁を上回り、陳水扁に勝ち目はなかった。この「漁夫の利」型は、陳
水扁が台北市長に当選したときも同じなのだ。国民党が分裂選挙をやり、陳は漁夫の利を得
た。陳は台北市長としてはまずまずの成果を収め総統に出馬したものの、総統ポストは荷が
重すぎた。特に両岸問題でパフォーマンス政治に徹して、経済界の不興を買ったことも痛い。
いまや台湾企業は大陸における雇用が島内雇用を上回るほどなのだ。
現代中国を読む 65
『チャイニーズ・ドラゴン』2003 年 11 月 11 日
李纓監督の『味 Dream Cuisine』
李纓監督のドキュメンタリー『味 Dream Cuisine』を見た。ヒロイン佐藤孟江(はつ
え)は一九二五年に日本人移民の子として山東省済南に生まれ、一九四八年に引き上げる
まで二三年間を暮らした。物心のついたころ日中戦争が始まったが、その時代を横目で
にらみながら、孟江は「同級生の戴さん」と露天での食べ歩きに熱中し、うまいものを作
る師匠に弟子入りしてしまった。「女子は厨房に入るべからず」のタブーを破り、正統的
な魯菜、すなわち山東料理を教えてもらうまで一年間、かまどの火焚きを修練した。孟
江は「味」に魅せられた。生業として料理を作る女性は星の数ほどあるが、うまいものが
食べたいから作る女は必ずしも多くはないし、ましてその味を守るために生涯を賭ける
話になると珍しい。日本に帰国した後、彼女は六歳年下の佐藤浩六と結婚し、東京で「済
南賓館」を開き、夫婦合わせて一五〇歳になったいまも、衰えた体力をいといながら店を
切り盛りしている。砂糖やラード、化学調味料を一切使わず、素材本来の持ち味を活か
す伝統的な料理法を墨守する彼女のやり方は、中国政府から評価され「特級厨師・正宗魯
菜伝人」の称号を得た。実はご本家の中国では、砂糖もラードも化学調味料もふんだんに
使う「時代とともに進む」山東料理が全盛であり、伝統的料理法はすでに失われたのだ。
こうして佐藤孟江の夢は、生まれ故郷の済南に「正宗魯菜」を里帰りさせることだ。だが
彼女の中国側パートナー劉広偉夫妻の思惑は同床異夢だ。「正宗魯菜」の看板は欲しい
が、砂糖や化学調味料をやめるつもりはさらさらない。砂糖を使わない「正宗魯菜」か、
砂糖使用を認める「現代魯菜」か。市場経済化の道を急ぐ中国ではあっさり投げ捨てられ
た『斉民要術』以来の醇乎たる伝統を必至に守る日本人老夫婦の物語は胸を打つ。佐藤
孟江は日本人の子として生まれたが、魯菜とともに成長した。精神的にはほとんど中国
人であり、済南で死ぬのが夢だ。だが夫佐藤浩六は生粋の江戸っ子であり、済南に行く
つもりはない。脇役浩六のイメージが素晴らしい。名優もおよばないほどのきりりとし
たマスクに、古きよき日本人職人のきっぷのよさが生きている。つまらぬ客に対して断
じて迎合せず、さっさと帰れと塩をまく料理人こそが真に料理を愛する者の態度だ。こ
れは演技ではなく、浩六の素顔である。浩六の息子にあたる世代の中国人李纓監督がそ
の男振りをとらえきっている。このドキュメントは、ある日本人の生きかたのなかに中
国で失われたものを発見する物語だが、それを発見した監督李纓とプロデューサー張怡
の視線を中国と世界に送る記録でもある。「同級生の戴さん」が文化大革命期に非業の死
を遂げたのは、画面には描かれていないが日本人との交遊を追及された可能性が強い。
それに佐藤夫婦が気づいていないらしいのが救いである。周璇の「何日君再来」が砂糖よ
りも甘く、物語を包む。
現代中国を読む 66
『チャイニーズ・ドラゴン』2003 年 11 月 18 日
『珠海千字宣言』
『世界経済発展宣言』(別名「珠海(千字)宣言」)が面白い。わずか千文字であり、まこと
に法三章の伝統を想起させる簡潔さだ。前文に曰く、「平和と発展は世界各国人民の共通の
願いであり、現代の主題である。平和は発展の競争であり、平和と発展は相互に依存し、相
互に促進する。世界平和を維持し、経済発展を推進することは、われわれの共同の責任であ
る。互恵平等、相互依存、共同発展の世界経済の新秩序を樹立するのを推進するため、新世
紀にあたりわれわれはノーベル賞受賞者、中国内外の経済学者、多国籍企業と世界著名企業
の指導者と連合して『珠海宣言』を共同発表する」。以下、次の九カ条の項目について簡潔
な主張を行う。すなわち 1 相互依存、2 科学技術の進歩、3 資源の有効利用、4 持続可能な
発展、5 分配、6 競争、7 経済発展と資金、8 経済発展と教育、9 経済発展における人的要素、
からなる。たとえば「分配」面の主張は、「日増しに増加する所得と富は、国家間、各国内部
において公正、平等に分配されなければならない。分配と効率の関係を正しく処理し、全世
界人民(性別、人種、文化、宗教信条を問わず)に公正に服務することは、南北関係を改善し、
発展途上国の建設を助け、貧困をなくし、世界各国人民の共同富裕を促進する」という。「競
争」における主張は「世界経済発展システムは、競争を保ち、独占に反対するものでなければ
ならない。世界で相互依存する国家間および社会生産部門間に誠信を基礎とした公平な合
理的競争を樹立するよう奨励する。競争は生産を促し、経済を発展させ、限りある資源を有
効に利用する助けとなる。自由貿易と機会均等を妨げる独占に反対し、国際市場の公平な競
争を促す」という。最初の構想はクライン教授が提起したもので、次のノーベル賞組が賛同
した。Lawrence R. Klein (1980 年受賞)、Richard R Ernst(1991 年)、Reinhard Selten( 1994 年)、
James Heckman (2000 年)、Daniel L. McFadden (2000 年)、George A. Akerl( 2001 年)、中国側賛
同者は、王珏(中央党校特級教授)、厲以寧(北京大学光華管理学院院長)、董輔礽(中国社会
科学院経済研究所名誉所長)、林毅夫(北京大学中国経済研究中心主任)、肖煉(中国社会科学
院世界経済与政治研究所、米国経済研究中心主任)、李従国(中国国際跨国公司研究会副秘書
長)である。人民網(2003 年 11 月 6 日)は、『珠海千字宣言』の背景をこう解説する。国連
の『ミレニアム宣言』は「平和」を強調したのに対して、「発展」を強調したところにユニーク
さがある。中国が初めて「グローバル経済に対して発表した宣言」であり、これまでのところ
「世界初のグローバルな経済発展宣言」である。これは国連事務局の支持を得ており、国連の
目標にかなったものと認識し、来年の国連貿易会議はこれを主題として行うことを決定し
ている。なお、この会議には三二カ国から二〇〇〇名近くの政府要人、エコノミスト、企業
リーダーたちが集まったというが、日本人参加者は不明だ。
現代中国を読む 66
『チャイニーズ・ドラゴン』2003 年 11 月 25 日
ミスター政治家コンテスト
台湾大学法学院長を定年で辞め、いま日本綜合研究所を主宰している許介鱗教授の招き
で台北の二つのシンポジウムに参加した。許介鱗シンポジウムは「両岸最高領導評比大賽」
というもの。台湾海峡両岸の「最高指導者」たちを論評する、いわば「ミスター政治家コン
テスト」だ。論評対象に選ばれたのは、毛沢東と蔣介石、鄧小平と蒋経国、江沢民と李登輝、
胡錦濤と陳水扁、の八名だ。毛沢東を論じたのは、北京からやってきた李海文女士。彼女は
中央文献研究室・党史研究室で周恩来や毛沢東の文献を研究してきた専門家だ。『周恩来十
九歳の東京日記』の中国語オリジナルの編集責任者でもある。私は邦訳監修以来のつきあい
になる。彼女は職責上、普通の研究者には読めないような資料にもアクセスし、実に手堅い
毛沢東論を展開し、八五点をつけた。蔣介石を論じたのは許教授自身だ。同教授は『台湾史
記』をはじめとする台湾政治史研究を踏まえて、まず七五点をつけ、その朝アメリカから届
いた宋美齢女史訃報(内助の功?)で五点が加わり八〇点となった。私は鄧小平を論じたが、
講談社学術文庫で描いた鄧小平のスケッチを要約し、九〇点をつけた。毛沢東より点が高い
ことについて異論も出たが、中国経済に高度成長をもたらし、一三億人の人々の生活水準を
著しく向上させた功績は高く評価してよい。なるほど毛沢東の革命に対する貢献は巨大な
ものがあるが、その後の人民公社や文化大革命においては、大きな失敗を犯したから、功罪
相半ばする。鄧小平の場合、それほど大きな失敗はなく、しかも旧ソ連が解体するような現
代史の転換点にあって、舵取りを間違えなかったことは高く評価してよい。蒋経国を論じた
のはアメリカの元外交官ジョン・タイラー氏である。同氏は台湾経済の発展を評価して八九
点をつけた。二〇〇〇万人の経済を発展させた蒋経国がこの点数なら、鄧小平にはもっと高
い点数をつけてよく、私は一二〇点説を一時唱えたが、最後は九〇点で妥協した。さて江沢
民については、(欠席の)朱建栄教授が八一点をつけた。これに対して、劉進慶教授(東京経
済大学名誉教授)は、李登輝を論じて七〇点をつけた。日本では李登輝神話にかぶれたマス
コミが虚像をふりまいているが、劉教授の採点は厳しかった。さて李登輝の点数が低い一因
は後継者選びに失敗したことだ。漁夫の利を得て当選した陳水扁総統の点数は七五点であ
る。海峡両岸の問題もうまく処理したとはいえず、また台湾経済の舵取りもまずい。これに
対して胡錦濤は就任したばかりで、採点は時期尚早とされたが、村田忠禧教授(横浜国立大
学)はあえて九二点をつけた。満点までに八点(発展)が足りないから。将来への期待点と
して大方が賛同した。採点はむろん遊びだが、その過程でさまざまの審査ポイントが提起さ
れ、大陸と台湾、米国と中国、日本と中国、異なる視点から両岸の現実が映されたのが面白
かった。
現代中国を読む 67
『チャイニーズ・ドラゴン』2003 年 12 月 2 日
馮賓符の生涯
一九六〇年代にアジア経済研究所に勤めたとき、中国雑誌研究会に加わり、胡兪之や『東
方雑誌』は少しかじったが、その助手までは眼が届かなかった。これは助手・馮賓符(一九
一四~六六)の話だ。馮は浙江省寧波市慈城鎮の人。一九二七年、一三歳で海澄哀中学に学
んだ当時、抗日救国を論じて退学処分、九月寧波市の効実中学に転校した。三二年高級中学
を出で上海商務印書館に勤め『東方雑誌』の校正係になる。この雑誌は胡兪之主編、その助
手として馮は薫陶を受けた。三四年に胡兪之が『世界知識』を創刊すると、その編集部の一
員として大活躍。三七年日中戦争が始まり、上海租界は「孤島」になるが、胡兪之の主宰する
抗日出版物『団結』『集納』『訳報』の編集に参加し、エドガー・スノー『中国の赤い星』
の中国語訳『西行漫記』翻訳に参加し、『魯迅全集』(全二〇巻)の編集に参加した。四五年
一月日本の憲兵隊に逮捕されるが、五月周建人らの努力で出獄。四五年の日本敗戦後、中国
共産党地下党が創刊した『聯合日報』『聯合晩報』の社務委員兼主筆を務めた。同年上海で
『世界知識』を復刊した。四六年中国民主促進会に加入し、四七年中国共産党に入党した。
四九年許広平らと上海文化工作者協会を作った。同年五月、上海が解放されると、『上海人
民報』が創刊され、これが『解放日報』に発展した。五〇年『世界知識』が北京に移ると、
編集を主宰した。五三年人民出版社副総編輯になり、五四年中国民主促進会の理事に当選し
た。五七~五八年中央宣伝部国際宣伝処および外交部政策研究室で働いた。五四年、五九年、
六四年三度全国人民代表大会代表に選ばれた。五七年世界知識出版社総編輯、六三年同社社
長兼総編輯。六五年末腸癌にかかり六六年初め北京医院で手術、その後病状は好転したが、
文化大革命が始まると、『世界知識』は「売国雑誌」などと批判され、造反派に書庫や書棚を
荒らされる。この精神的打撃と病に挟撃され、六六年一一月三〇日急死した。享年五二歳。
一九七九年三月二一日、外交部ホールで馮賓符、呉景崧、梁純夫の三名の追悼会を開き、馮
賓符に対して「公正な評価」を行った。追悼会には黄華、胡兪之夫婦、喬石夫婦、周建人、孫
冶方夫婦、宦郷、于光遠など三〇〇人が出席した。八六年一二月一日、世界知識出版社は北
京八宝山革命公墓で馮賓符逝去二〇周年の追悼式を行った。馮賓符未亡人况密文は逝去一
〇年ごろ文集の出版を考えたが、それが『馮賓符国際問題文選』(上冊、下冊、世界知識出
版社、二〇〇二年六月)実現したのは、逝去三六年後であった。元政治局常務委員喬石が書
名を揮毫したのが珍しい。喬石は馮賓符の部下の縁で、名誉回復記念式に出席し揮毫を書い
た。馮賓符はわが友・馮昭奎のご尊父である。「対日新思考」を論じて四面楚歌だが、動揺は
みじんもない。清華大学無線電系に学び、四〇歳にして国際問題研究に転じたのは、亡父の
意志を継ぐためであった。
現代中国を読む 67
『チャイニーズ・ドラゴン』2003 年 12 月 9 日
「新思考」論争のその後
いわゆる「新思考」論争のその後の反響を探るために上海・北京を再訪した。論客中
の本命馮昭奎教授の「対日関係の新思考を論ず」(『戦略与管理』2003 年 4 期)について
は、本紙一〇月一四日付で簡単に紹介した。さて馮昭奎氏はその後、読者の要望に応え
て、『戦略与管理』(2003 年5期、一〇月刊)で「再論・対日関係の新思考を論ず」を発
表し、意気軒昂だ。同氏は、さらに「三論・対日関係の新思考を論ず」を『戦略与管理』
(2003 年 6 期、12 月刊)に発表する予定であることも直接説明してくれた。すでに発表
された「再論」は次の五つのトピックからなる。(1)対日関係新思考と歴史問題、(2)対日
関係新思考と伝統的思考の関係、(3)対日関係と綜合国力との関係、(4)対日新思考と対
アジア新思考の関係、(5)学者の研究と政府の政策決定との関係、以上五項目である。歴
史問題についてはこう説く。馬立誠は「日本の謝罪問題はすでに解決済み」(同誌 2002 年
6 期)と書いて反発を招いた。時殷弘は歴史問題を「対日外交のアジェンダから比較的長
期間棚上げし、政府レベル、準政府レベルの宣伝においても棚上げせよ」(同誌 2003 年 2
期)と主張し、やはり反発を受けた。これに対して馮昭奎は「歴史問題の困難性、複雑
性、情緒性、長期性」を直視せよ、と主張する。「困難性」では、日本でなぜ歴史認識が
中国のそれと異なるかについて戦後史の経緯を具体的に説く。「複雑性」では(イ)歴史「認
識」の問題、(ロ) (チチハル化学兵器問題のような)歴史が「遺留」した問題、(ハ) (たと
えば台湾問題のような)歴史にからむ問題、(ニ) (たとえば落伍すると強国に侵略される
といった)「根源的」歴史問題、などに腑分けして扱う方向を示唆する。「情緒性」では、日
本右翼の侵略美化論が中国側の反発を招き、これが逆流して日本側に「歴史カード」と受
け取られ、とどのつまりは双方の「感情摩擦」を引き起こした連鎖構造を指摘する。かく
て、あたかも複雑骨折のように混乱したからには、解決の「長期性」が展望される。解決
策として(1)「歴史を鏡とし、未来に向かう」点で日中首脳双方はすでに一致した。(2)一
方で歴史問題など重要問題を解決すると同時に、他方で経済、政治、安全保障、文化面
で両国関係を発展させる「歴史淡化」作戦。(3)歴史問題の扱いを「対外開放の大局方針」に
従わせる相対化作戦。(4)歴史問題の解決によってこそ交流と往来が発展すると未来展望
を示す作戦を挙げる。もともと日中関係史は「中強・日弱」関係であったが、近代の日清戦
争以後は「日強・中弱」関係に変わった。現在は「中強・日強」の「強・強関係」の構築が初めて
可能になった時代と規定する。さらに「対アジアも新思考」が必要だとし、「二つの新思
考」は補完し促進しあうと見る。ただし、新思考論と当局の対日政策の関係は峻別する。
研究はいかなる文脈で政策に貢献できるかを論じつつ、「学者は政府のメガホンであって
はならない」と書くのは意味深長だ。
現代中国を読む 68
『チャイニーズ・ドラゴン』2003 年 12 月 16 日
『中国人、食を語る』
暁白、暁珊編『中国人、食を語る』(多田敏宏訳、近代文芸社、2003 年)を読む。飲食男女
を語るのは、中国人のお家芸だが、なかでも食に関する蘊蓄は抜群だ。この本には、食につ
いてのさまざまなエピソードがあふれているが、いくつかを紹介しよう。まずはスイカの種
である。――「スイカの種を食べることを発明した人は、まさに偉大な天才だ! これは最
も有効な「時間つぶし」法だ。「ヒマつぶし」は、アヘンを除き、スイカの種を食べるに如かず。
その理由は以下の三つだ。1 食べ飽きない。2 いくら食べても満腹しない。3 殻を剥かなけ
ればならない」。これは豊子愷(1898~1975、画家、随筆家、漫画家)が一九三四年に書いた
エッセイである。次は粥の話だ。――「粥と漬物について私は特別な感情を持っている。宴
会続きで胃腸が負担に耐えられなくなったとき、過度の魚介類を食べて北方人たる私の口
におできができ、体にじんましんができたとき、あるいは、特異な飲食が最初の刺激と魅力
を失い消化不良になったとき、そして外国での滞在のため胃腸の具合が悪くなったとき、私
は粥と漬物へと向かう。「粥を一碗下さい」と頼む。私はザーサイの細切れとセリホン、コー
ルラビの醤油を見、米の粥の香りをかいで小躍りし歓呼する。そして粥と漬物を食べると、
気が静まり、平安になるのだ。どんな山海の珍味を食べたときでも、どんな美酒とご馳走を
味わったときでも、どんな場所に行き、どんなに新しい経験をし、新しい栄養を補給しても、
私は粥と漬物が忘れられない」。これは現代の作家王蒙(1934~ 元文化部長)の比較的新し
いエッセイだが、中国旅行で呑み疲れ、食い疲れを体験した向きには、共感されること疑い
なしであろう。最後は箸の話である。――「中国で協力精神を表わす最たるものは食事だ。
十人もしくは十二人が一皿の料理や一碗のスープを共に食べる。酒席でも同時に箸を取り、
同時に料理を口の中にいれ、ほとんど同時に同じリズムで咀嚼することが重んじられる。あ
る笑い話が伝えられる。ある外国人が中国人に尋ねた。「あなた方中国人は二四人が一つの
テーブルを囲んで食事をすると聞きましたが、本当ですか?」 その中国人は答えた。「本当で
す」。その外国人はまた尋ねた。「料理が遠くなりすぎます。箸でどうやって挟むのですか?」
その中国人は答えた。「私たちには一メートルの長さの箸があります」。その外国人が三度尋
ねた。「その一メートルの箸を使えば、料理は挟めるでしょう。しかしどうやって料理を口
の中に運ぶのですか?」 その中国人はこう答えた。「私たちは互いに助け合うのです。あなた
が挟んで私に食べさせ、私が挟んであなたに食べさせる、というふうにするのですよ!」 こ
れは王了一、すなわち言語学者王力のエッセイだ。「相手に料理を勧める風習」はどこにも
あるが、ここまで親切なのは、まあキャバレーのホステスなみの歓待だ。食事だけでなく、
たばこを勧められて閉口することも少なくない。
現代中国を読む 69
『チャイニーズ・ドラゴン』2003 年 12 月 23 日
温家宝の訪米
一二月九日、温家宝首相がホワイントハウスにブッシュ大統領を訪問して、米中首脳会談
が行なわれた。会談後ブッシュは、台湾の陳水扁総統が提起している「住民投票」
(referendum)に反対を明確に表明した。ブッシュからこの言質を得ただけでも、温家宝訪米
は成功だ。衝撃を受けた陳水扁はその直後の民進党大会で、「米国の反対にもかかわらず住
民投票を行なう」と公約し、来春の台湾総統選挙の争点がいよいよクローズアップされてき
た。ブッシュが陳水扁の懇願を無視して反対を表明したことについて、
『ワシントンポスト』
(一二月一〇日付)は、「中国に叩頭した ブッシュ大統領」と批判した(Mr. Bush’s Kowtow,
December 10, 2003)。ブッシュ・温家宝会談をみて痛感したことが一つある。それはクリン
トンの対中スタンスとブッシュのそれとが「対抗から協調へ」ほとんど同じ軌跡を歩んでい
ることだ。一九九二年にクリントンが大統領選に出馬してブッシュ(父)に挑戦したとき、最
初の演説のなかに「バクダッドから北京に到るまで、民主党は独裁者を甘やかし、許すこと
は絶対にありえない」という勇ましい一語があった。これは天安門事件にもかかわらず、時
に議会をなだめながらなんとか中国との関係を保持することに腐心していた当時のブッシ
ュ(父)の対中姿勢を弱虫ブッシュと罵倒し、民主党の大統領すなわちクリントンは、そのよ
うな弱腰は断じてとらないと大見得を切った。かくてクリントン一期政権は高圧的な中国
政策から出発した。しかし九七年の再選あたりから、その対中スタンスは大転換した。ルイ
ンスキー・スキャンダルから逃れるような形で行なった九八年の訪中は大歓迎を受けた。す
っかり気をよくしたクリントンは上海でついに「三つのノー」まで明言する大サービスで中
国の歓迎に報いた。これに衝撃を受けた李登輝が不安のあまり「両国論」で対抗した経緯は
よく知られていよう。中国の柔軟外交の手玉にとられ、クリントンはメロメロになった。そ
の対中政策を厳しく批判して登場したブッシュ大統領がコワモテで中国に対抗した時間は
短かった。中国は米国大使に楊潔篪を選んだが、楊大使はブッシュ(父)が初中国旅行の随行
通訳であった。〇一年九月一一日ニューヨークテロが発生するやイスラム原理主義者によ
るトラブルを新疆ウィグル族自治区に抱える「わが国の立場は、テロ反対の一点で米国と同
じ」と強調して反テロの連帯に成功した。こうして対中強硬路線で出発したはずのブッシュ
政権は再選一年前にして早くも「米中蜜月か」と皮肉られるほどの甘い関係に転化した。な
ぜか。これが国際社会における中国の実力なのだ。米国は中国の協力を必要とする課題がい
くつもある。そこを読み違えた陳水扁の未来はかなり厳しい。ブッシュは陳が国務省と意見
をすり合わせることもなしに「一辺一国」を発言して以来怒っていたのだ。陳水扁のパフォ
ーマンス政治はほとんどバクチのような危うさである。
現代中国を読む 72
『チャイニーズ・ドラゴン』2004 年 1 月 6 日
新思考シンポジウムが意味するもの
日中コミュニケーション研究会(代表=高井潔司・北大教授)という小さな研究グループ
がある。この研究会が中国から九名の研究者を招待して、旧臘二〇日と二一日に早稲田大学
を会場として「未来に向かう日中関係」をテーマとした国際シンポジウムを開いた。中国か
らゲストを招いて開かれるシンポジウムは枚挙にいとまのないほど多く、率直にいえばい
ささか食傷気味だ。しかし、今回のシンポジウムはいささか異なっており、一種の緊張感が
あった。本来なら「学術問題」として扱うべきものを「政治問題・外交問題」にしようとす
る「文化大革命もどき」の策謀が一部にあったからだ。幸いなことにこれらの「小動作」を
排して成功裏に終えることができた。他山の石としていただくためにあえて舞台裏の一件
を紹介しておきたい。『中国青年報』石洪濤記者が二〇〇三年九月三〇日に凱迪ネットで次
のような記事を流したのを知って、シンポジウム実行委員の一人たる私は飛び上がるほど
驚いた。それはこの一句で結ばれていたからだ――日本の関係方面は今年、さらにイベント
を開催し中国の何人かの学者を招待して、「新思考」の宣伝を計画しているという。中国社
会科学院経済研究所の朱紹文教授はこれら招待を受けた人たちに対しこう忠告を発した。
「ドタバタ劇はもう幕を下ろすべきだ」と。ここでいう「日本の関係方面」とは、われわれ
の日中コミュニケーション研究会を指す。「何人かの学者」には、新思考の論客時殷弘・馮昭
奎両教授が含まれる。「新思考の宣伝」とは、まさにわれわれの計画していた「未来に向かう
日中関係」の早大シンポジウムを指す。しかも無礼千万にも、このシンポジウムを「ドタバ
タ劇」(原文=閙劇)と罵倒しているのだ。シンポジウムに出席した人々にとって、あるい
はそのレジュメや準備状況を仄聞しただけでも、延べ五百人を超える参加者によって真剣
に活発に討論された今回のシンポジウムは朱紹文教授が予断と偏見に基づいて「ドタバタ
劇」と評したようなものとは、天と地、月とスッポンほどの差があった。石洪濤記者が煽り、
卓南生龍谷大学教授(『中国青年報』では「シンガポールの学者で著名な日本問題専門家」
と紹介されている)が賛同し、朱教授がお墨付きを与えたような新思考に対する敵視は何を
意味するのか。日中打開を意図した提案を「譴責」して、葬り去ろうとするのはなぜなのか。
『戦略与管理』に掲載された馬立誠、時殷弘、馮昭奎論文を読んできた私にはまるで理解で
きない対応だ。シンポジウムの白熱した討論を終えて私はようやくその意味を再確認した。
新思考の登場とは、旧思考、伝統的思考を金科玉条としてきた日本通の墓穴を掘るものであ
ることを。今回のトラブルを通じて、誰が日中の相互理解を妨げようとしているかが鮮やか
に浮かび上がった。資料として高井潔司『対日新思考論議の批判的検討』(日本僑報社、近
刊)を挙げておく。
現代中国を読む 73
『チャイニーズ・ドラゴン』2004 年 1 月 13 日
台北の新正月
正月を台北で過ごして改めて驚いたことがある。普通の会社は一二月三〇日まで仕事を
やり、一月は二日から仕事が始まる。年末年始の休みは「三一日と一日」だけなのだ。例外
はむろんある。日系の合弁企業などは、日本人スタッフがクリスマス休暇前後から日本に帰
国してしまうので、年末年始の約一〇日はほとんど開店休業だ。台湾内部のお得意さんへの
対応だけが残された仕事であり、日本本社との連絡などはないから、半分休みに近い。今年
は一月三日が土曜日、四日が日曜日であった。台北のホテルはいずれも結婚式の大ブームで、
有名ホテルでは何組もの盛大な「喜宴」が開かれ、お目当てのレストランがいくつも「貸し切
り」を理由に食事を断られた。台湾では正月に結婚式をやるのかと驚くと、「いや春節(旧
正月、農暦)が近いので、その前に結婚式をやる」という。「申年は去る」であり、夫婦に
とって不都合だからとある友人が説明すると、いや申年のためではなく(サルは猴だよね)、
ほかに五行説に基づく俗信、ほら丙午があったでしょう、と別の友人がいいかけたが、詳し
い理由は本人にも分からない。海峡両岸で旧正月こそが正月であることはむろん知ってい
たが、新正月があまりにも短いことに驚いた。これは人々の意識にも強く反映されている。
一月二二日の春節までは、旧年になる。そこでは新年を迎える心の準備、新年への期待に胸
をふくらませていることが、会話の端々に現れる。日本では都市や官庁では新暦で新年を祝
い、農村では旧暦、農暦で祝う二本立てが長らく行なわれてきたが、高度成長期に農村共同
体がほとんど解体するに及び、旧正月のイメージは急速に薄れていった。日本経済はGDP
に占める農業総生産額のシェアがわずか一・一%を占めるまでに都市化・工業化したわけで
あるから、このような経済構造が人々の生活意識を決定するのは当然である。しかし日本と
諸外国との自由貿易協定(FTA)の話になると、旧体制はいわゆる農林族議員を通じて政
治体制の基本として強固だ。旧正月的陋習は健在だ。中国が朱鎔基首相の強いリーダーシッ
プのもとに、率先してアセアンとの間にFTA協定をまとめたことはよく知られていよう。
中国には農林族議員などいないから、中国農業がGDPの一七・五%を占めるほどの大きな
ものでありながら、あえて農産物の自由化を断行できた。もう一つ数字をあげよう。日本の
農業就業人口はおよそ四・六%にすぎない。中国はゼロが一つ多い。およそ四六%を占める。
だから雇用問題から考えても農業の自由化には大きな痛みを伴うはずだ。しかし中国の指
導部はあえてこの自由化路線に挑戦した。翻って日本は高度成長期に「世界に冠たる通商国
家」を自称し、「ジャパンアズナンバーワン」なるおだてに酔い痴れたが、目覚めたいま極
端な自信喪失に陥っている。小泉首相の小児病的靖国参拝やイラク派兵強行は自信喪失の
もう一つの表現のように見える。
現代中国を読む 74
『チャイニーズ・ドラゴン』2004 年 1 月 20 日
「西気東輸」プロジェクト
新年早々、「西気東輸」プロジェクトによる上海への商業ガス供給が始まった。このニュー
スに接して、さもありなんというのが二〇〇〇年晩秋にこのプロジェクトの一部を垣間見
た私の実感だ。第十次五カ年計画は二〇〇一年から〇五年にわたる計画だ。この「十五計画」
の目玉の一つが中国西部の天然ガスを東部地区に送るプロジェクトであった。この計画が
発表された当時、日本では新疆自治区や甘粛省から上海に天然ガスを送る話は、ほら吹きで
あり、その資金手当からしても、実現可能性は疑わしい。この種のしたり顔のコメントをす
る向きが少なくなかった。私自身も当初は半信半疑であった。しかし、二〇〇〇年一一月に
四川省峨眉山の麓で開かれた西部大開発シンポジウムに出席したあと、青海省まで足を伸
ばし、送輸管建設工事を目撃したときから、このプロジェクトの早期完成を確信するように
なった。零下十数度の凍った道を乗用車で飛ばし、海抜三二〇〇米の青海湖に出かけるとい
う無謀な冒険は、旧知の笠型企業「小松中国」の責任者茅田泰三氏の誘いがなければ、到底実
現できない旅であった。われわれは成都から厳寒の西寧(青海省の首都)まで飛び、それから
乗用車で三四〇〇米の日月峠を越えて青海湖に向った。峠を越える前から雪道、氷道になっ
ていたが、四輪駆動車は性能抜群で、なんとか峠は越えた。青海湖まであと少しという平坦
な道で、突然車が独楽のように左右に一回転し、小高い盛り土の道路から雪のなかに落ちて
しまった。さあ大変。押しても引いてもどうしても車が道にあがらない。折悪しく、それま
では快調だった携帯電話がまるで通じない。電波のエアポケット地区に入っていた。仲間の
車をよぶことすらできず、むなしく待つこと小一時間。先方を走っていた仲間の車が引き返
してくれ、総勢八人に村人を加えて車を持ち上げるような形でようやく道路に復帰した。車
がもし横転していたらと思うとぞっとする。この旅は、ハプニングも加えて実に印象的な旅
であった。われわれはタリム盆地から甘粛省蘭州までパイプラインがほぼ完成しつつある
のを目撃した。このルートは、新疆から上海までの本線との関係では支線にすぎないが、支
線が二〇〇一年からスタートするはずの十五計画の正式着工を待たずに、作られていた。こ
のような「前倒し工事」が各地で行なわれていたわけであるから、五カ年計画が三カ年で完
成したという報道は理解できない話ではない。幹線パイプは全長四二〇〇キロ、タリムの輪
南油田からコルラ、甘粛省武威、寧夏回族自治甘塘、陜西省靖边、山西省临汾、河南省鄭州、
安徽省定遠、江蘇省南京を経て上海まで運ぶ路線は、完成時には年間に天然ガス一二〇億立
方米を運ぶ目論見だ。二〇〇一年に西線と東線で同時に着工し、二〇〇四年に貫通する予定
であったが予定をおよそ一年繰り上げて上海に天然ガスを届けた。これがクリーン・エネル
ギーであるのはいうまでもない。
現代中国を読む 75
『チャイニーズ・ドラゴン』2004 年 1 月 27 日
韓国の対中輸出急増
韓国から発信されるトレンディ・ドラマや大衆文化を受入れ国において「韓流」と総称す
る言い方がいつから始まったのか不案内だが、
「日本のおしんブーム+少女マンガの理想主
義」がその核心だとする解説を聞くと、なるほどと納得が行く。いまから三〇年ほど前、香
港遊学時代にヒマがあると語学の勉強を兼ねて映画館に出かけた。ストーリーはやたらに
涙腺を刺激する「母もの」「お涙頂戴」が多かった。戦禍に引き裂かれた家族の愛、特に母子
や夫婦の生き別れをテーマとするものが多かった。当時はまだ戦後復興ならず、後遺症をひ
きずっていた。ある日、スクリーンの電柱にハングルが書いてあるのを見て、韓国製映画に
気付かされ、中国語のナレーションに騙されていたことに苦笑したことがある。涙腺刺激路
線で香港も韓国も台湾も同じ歩調であった。これを現在の「韓流」と比較して隔世の感に陥
るのは、私の老齢のためであろうか。
あるとき韓国の知識人と会ったところ、中国貿易の行き過ぎを危惧する声を聞いた。急ぎ
すぎではないか。もっとゆっくり中国とつきあうのでなければ危険だとする論調が台頭し
ていると教えられた。二〇〇二年の中国統計を見ると、韓国の対中輸出は二八五億ドルに増
えて、日本の五三四億ドル、台湾の三八〇億ドルについで中国輸入の第三位に躍り出ている。
往復額で中国の貿易相手を見ると日本、米国、香港、台湾に次いで韓国は四四一億ドル、第
五位だ。韓国と中国が国交正常化を行なったのは一九九二年であり、二〇〇二年に国交正常
化一〇年を祝ったばかりだ。わずか一〇年で中国の第三の輸入相手、輸出入で第五位の相手
に成長したのであるから、その急激な変化にとまどうのは、当然であろう。対中輸出依存度
がこんなに急速に大きくなるのは、韓国経済の安定的発展にとって懸念すべきことだとい
う見方があるが、あなたはどう見るか、と問われた次第である。実は同じ問いは台湾でもし
ばしば問われた。私の答えはこうだ。---台湾では「対中国輸出依存度二割」を警戒ライン
と見るのが常識であったが、いまや実績は三割台に近づいている。かつては中国当局が輸入
を決断していたので政策によって動かされた。しかしいま輸入を決定しているのは「市場の
力」であり、政府に直接的介入権はない。つまり、中国との貿易が周辺国家において激増し
ているのは、中国の市場経済への移行が順調なためだ。この動きを決めているのは「市場そ
のもの」であり、中国当局の「政策」は二義的要素にすぎない。世界経済の動向、中国経済
の動向、特に景気循環を見きわめることが最も肝要だ。いいかえれば、社会主義を自称する
体制だから距離をもって中国とつきあうという考え方は時代遅れではないか。中国貿易は
いま「垂直貿易から水平貿易へ」移行しつつあり、大きな可能性が開けてきた。旧来の思考の
枠組みにとらわれて尻込みすると、機会を失う----。[突然終り、編集担当者辞職]