「北斗の拳」 - 存在しなかった主題歌レコード 作曲家

「北斗の拳」 - 存在しなかった主題歌レコード
作曲家、作詞家
ローマ出身のルチオ・マッキャレッラ(1949 年 3 月 8 日生まれ)は、作詞家である。
彼は、「北斗の拳(伊題:Ken il Guerriero ケン イル グェリエロ)」の主題歌の作詞
の他に、「昆虫物語みなしごハッチ」、「キャンディキャンディ」、「アタック No.1」、「あ
したへアタック!」等のアニメ主題歌の作詞も手掛けた。「'北斗の拳'は、僕がした仕
事の中で、色んな意味で特別な位置を占めているんだ。僕が最後に生み出した主
題歌で、重要な仕事だ。アニメと切り離しても成功したといえるし、当時に関するい
くつかの記事を読むと、この主題歌はかなり長い間、多くの人々から最高の曲とし
て評価されてきたということがわかるよ。」とマッキャレッラは語る。
クレモナ出身の作曲家クラウディオ・マイオーリ(1947 年 11 月 13 日生まれ)は、「北
斗の拳」の主題歌の作曲の他に、「野球狂の詩」の主題歌も作曲した。彼は、演奏
家として、数々のイタリアのシンガー、シンガーソングライターと共演した。そういっ
たシンガー達の中には、ルチオ・バッティスティ、アントネッロ・ヴェンディッティ、ブ
ルーノ・ラウツィ、パッティ・ブラーヴォ(’Pensiero Stupendo’ペンスィエーロ・ストゥペ
ンドという曲で共演)らがいる。演出家としては、テレビ番組、劇場演出、コマーシャ
ルなどの制作にも関わった。
主題歌の誕生
レコード会社 RCA(正式名称 Radio Corporation of America)は、主題歌に相応しい
曲を決めるためにコンペを開き、そして応募作品の中から使用する曲を選ぶという
方法を取っていた。コンペの応募者には、10~15 分程度の作品に関する映像が
見せられた。この映像には、キャラクター、作品の世界観、ストーリーを伝え、作曲
のアイディアを考えるのに役立ててもらおうという意図があった。コンペで与えられ
た制作期間はとても短く、2 日以下だった。当時、作曲家と作詞家は、別々に制作
に取り組むものであった。「北斗の拳」の場合は、作詞家(マッキャレッラ)と作曲家
(マイオーリ)はお互いに見ず知らずだった。しかし、彼らの課題作の出来具合は突
出していた。クラウディオ・マイオーリはこの「北斗の拳」に関する映像を見た後、デ
モテープを制作し、それに基づいてルチオ・マッキャレッラが歌詞を付けた。マイ
オーリは、マッキャレッラによって作詞されたイタリア語の歌詞でデモテープを作り
直し、RCA に持ち込んだ。
RCA は、このデモテープを文句なしに採用し、マイオーリのボーカルも含めて主題
歌としての使用の実現化を彼に彼らに任せたのだった。
「元の歌詞には何の修正も加えられていないんだ。」とルチオは当時を思い出して
語る。そして「北斗の拳」という作品についてこう付け加えた。「この作品のテーマ、
シナリオは、とても魅力的だよ。卓越した技と力を駆使して、ヒーローのケンシロウが
核戦争後の世界を舞台に闘うんだ。」
また、作曲家のマイオーリも当時を思い出して語る。「ケンの主題歌には、僕の中に
既にアイディアとしてあったけれどもまだ使ったことがなかったメロディがぴったり
だった。それから、サビの部分を思いついた。サビは、耳に残りやすいものじゃない
といけない。’Ken, sei tu / fantastico guerriero...(ケン、おまえは凄い闘士だ…)’実
際、印象的で覚えやすいサビだったよ。そして、年月を経ても多くの人がそれを覚
えている。」
マイオーリ宅で作られた仮の適当な英語の歌詞で作られたデモ(このディスクのB
面に収録されている)を、マッキャレッラは直接編集した。「その当時、それが慣例
だった。曲だけ作る作曲家は皆、適当な英語の歌詞を仮につけたんだ。僕(少し英
語がしゃべれるんだ)の場合は、最初のケンの主題歌のデモテープには、本物の
英語と、完全に思いつきの英単語とが混在していたよ。」とマイオーリは語る。
ケンの主題歌レコードがなかったわけ
1986 年、長く続いていたアニメの成功は下降していた。もしかするとそれが理由で
RCAはレコードを出さなかったのかもしれない。売れるかどうか、信じられなかった
のだ。作曲家・作詞家でさえ、この主題歌が多くの幅広い年代の人々から愛される
かどうか、クラブやイベント等でもプレイされるほど人気になるかどうかは予想できな
かった。しかし「北斗の拳」の主題歌には、物凄い反響があり、20 年以上たった現
在でも、いまだにファンの心に中で生きている。のみならず、インターネット、ブログ、
そして数年ほど前からはソーシャルネットワーキングサイトでも取り上げられている。
「北斗の拳」はファンらの生き方に変化を与える現象にもなった。多くの熱狂的ファ
ンにとって主人公ケンシロウは手本となる人物であり、ケンは彼らの人生に大きな
影響を与えた。ケンの存在は、ファンら自身が成長していく段階を経る度に、彼らを
勇気づけ、寄り添い、慰めたのだった。ケンの主題歌の歌詞と曲は、この現象を生
み出すのに大きな役割を果たした。そして、マッキャレッラ、マイオーリに、人々から
の大きな尊敬の念と愛着、そして多くの新しい人間関係の縁をもたらしたのだった。
1986 年、ジャコモ・ヴィルトゥッロは、13 歳であった。彼は幼い頃からよくアニメを見
ていた。1992 年には、様々なカバーバンドと共に、ベースや、キーボードでアニメ
音楽の演奏をするようになった。彼は、音楽だけでなく、日本料理、映画、読書も好
んだ。
レコードの発売に向けて:年月を経て
2000 年~2003 年:アニメソング愛好家たちによって「アニソン・ナイト(Notti delle
sigle)」なるイベントが主催され、日本アニメのイタリア語版主題歌が多数プレイされ
た。ジャコモ・ヴィルトゥッロは、アストロガンツィと共に、このイベントの第二回、第三
回に参加した。北斗の拳の主題歌ももちろん、他の主題歌と共に演奏された。
2009 年:クラウディオ・マイオーリとフランチェスコ・コニッリョは、「北斗の拳」の主題
歌のレコード発行を実現することを決めた。A面には新バージョンが、B面にはルチ
オ・マッキャレッリが歌詞を書き直しする前の最初のデモテープに入っていた仮の
英語の歌詞のついた曲が収録されている。クラウディオは、ジャコモに、マスター実
現の協力を依頼した。曲の構造とアレンジは、原曲に忠実なままである。ジャコモ
は、この曲を豪華にする貴重な友情出演者をアレンジした。ドラムのピエール・パオ
ロ・フェッローニ、ボーカルのロベルタ・フリーギ、ギターのダニエレ・フィアスキであ
る。ピエールパオロ、ロベルタ、ダニエレらは、ミュージシャンであると同時に、「北
斗の拳」のファンでもあった。
2010 年:録音が完成した。イベントプロデューサーであるパオロ・プッチーニは、レ
コード発行人であるコニッリョに協力し、このレコードのプロモーション、販路開拓、
販売に助力した。更にケンのレコードの発表を、特設スペースを設けてプッチーニ
がミラノで主催するイベント'フメットポリ' (Fumettopoli)で行うことを快諾した。フメット
ポリは、国際的マンガとアニメの重要な販売展示イベントである。
2010 年 3 月 31 日、マスターはプレスへと工程を進めた。ついに、「存在しなかった
ディスク」が世に出るのだ。24 年の歳月を経て…。
(訳:我妻 由理子)