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目 次
【論 文】
弘前市の交通実態と乗合バスサービスの現状と課題
………………………………………………………大 橋 忠 宏 1
最新の粉飾決算から学ぶ不正の手口と法制度の有用性
………………………………………………………柴 田 英 樹 2
9
移転価格税制の変遷 ~その2~
─無形資産取引の増大と米国 I
RC4
82条の改正プロセスを中心に─
………………………………………………………加 藤 惠 吉 5
9
ベンチャー企業の成長モデルに関する考察
─ Gr
e
i
ne
rの説をもとにして─
…………………………………………………………高 島 克 史 7
9
拡大 EUペリフェリ域自動車産業の新展開
~変貌する中東欧・トルコ・ロシア自動車産業~
………………………………………………………細 矢 浩 志 9
5
「憲法」概念と憲法学(三・完)
─「法的憲法」と「政治的憲法」という言い方の比喩性
………………………………………………………堀 内 健 志 1
15
愛知県一宮市のまちづくり指標と総合計画策定
―自治体行政における社会指標型ベンチマーキングの活用―
………………………………………………………児 山 正 史 1
35
「重大な過失」について(1)
………………………………………………………平 野 潔 1
61
行政の危険防止責任と作為義務成立の時期(1)
~薬害C型肝炎訴訟判決を素材として~
………………………………………………………日 野 辰 哉 1
83
【翻 訳】
中国の高齢者概況
~『中国城郷老年人口状況一次性抽様調査数据分析』から
………………………………………………………城 本 る み 1
99
翻訳 ヤン・デニュセ
『アントウェルペンのアフリカ交易』
(1)
─『第6章「アフリカ植民地市場としてのアントウェルペン」
』─
………………………………………………………中 澤 勝 三 22
3
研究活動報告
弘前市の交通実態と乗合バスサービスの現状と課題
大 橋 忠 宏
1.
はじめに
多くの地方都市では、モータリゼーションの進展による都市内交通での公共交通の利用率が低迷
していることや運輸市場における規制緩和等の政策の変化により、公共交通の維持に関する補助の
あり方などの問題を抱えている。弘前市においても例外ではなく、地域住民のモビリティ確保のた
めの公共交通サービスのあり方について、これまで多くの議論がなされてきた。
弘前市では、平成に入ってから周辺市町村を含む津軽地方の自治体と共にバスサービス維持に関
する検討が行われている。まず、平成2年1
1月に津軽地域の路線バス懇親会(弘南バス社長、津軽
地域の28市町村長で構成)が開催され、平成3年1
2月に路線バス研究会(市町村の担当部課長、有識
者、弘南バス担当者)、平成5年3月に津軽地域路線バス維持協議会(津軽地域の路線バス懇親会を
発展的に解消し設置)が設置されている。そして、この協議会の下部組織であるワーキングチーム
での検討結果が『津軽地域路線バス維持活性化のための報告書』としてまとめられている。ここで
の主要な検討事項は、津軽地域内で国や県の欠損補助金を受けていてもなお赤字である生活路線を
対象とした補助の自治体間での負担方法である。ただし、ここでは都市内/地域内のゾーン間旅客
純流動の把握や、路線網の再構築等に関する検討は行われていない。加えて、最近では、国や県の
バスサービスへの補助制度も変化しており、生活路線を維持するための弘前市の負担も当時に比べ
ると増加傾向にある。
平成18年、弘前市は周辺の岩木町と相馬村と合併し、より広域での公共交通の検討が必要となっ
ている。たとえば、弘前・岩木・相馬市町村合併協議会による“新市建設計画”で新市の将来像の
“人とふれあい、人が輝くまち”の中で記載されている“市民が障害の有無や年齢、男女による区別
なく、いきいきと活動し社会参加できる環境を整える”
、とあり、最小限のモビリティ確保が謳われ
ている。この他、弘前市と岩木町、相馬村による合併協定書(平成1
7年3月)の中でも、
“2
4−6 交通関係事業”の中で、“地域住民の生活にとって不可欠なバス路線に対する補助は、現行どおり新
市に引き継ぐ。ただし、利用実態や利用者のニーズなどを基に補助路線の再点検を行い、運行経路
や運行本数の見直しを行う”とされている。
なお、新市合併以前には、平成15年の“弘前市都市計画マスタープラン”p
7
.
0の“公共交通の方針”
ではバスサービスを含む公共交通の利用促進について、制度的な問題のみならず、運行経路の見直
1
しやバスの停車スペース確保等が指摘されている。さらに、平成1
9年からは地域公共交通会議が弘
前市に設置されている。
以上のような状況の中で、新市合併時に謳われている市民生活に重要なバス路線維持のために
は、バスサービスを含む市内の交通行動を調査することで地域住民の交通需要を把握すると共に、
公共交通のサービスについてもあわせてデータ化した上で、都市内の交通サービスの需要と供給と
の関係を検討することが必要不可欠である。
本稿では、弘前市内の交通実態を把握すると共に、バスネットワークと交通需要に関するデータ
を整備し、両者の差異について検討を行うことを目的とする。さらに、高校生への調査を通じて積
雪時と非積雪時の比較もあわせて行う。
2.弘前市内の交通実態と OD交通量推計
2.
1 交通実態調査の目的
弘前市を対象とする交通実態調査では、冬季の積雪時における地域住民の交通行動の実態を統計
的に把握することを目的とする。
具体的には、弘前市内を対象に交通実態調査(冬季)を行い、地域住民の日頃の移動先や移動手段
は何を利用しているか等の調査により公共交通に対する潜在的需要を把握し、データ化する。な
お、弘前市では、積雪時と非積雪時において、道路幅員や路面状況などの道路状況に大きな差があ
るため、これらの時点の違いの把握も念頭においている。たとえば高校生の通学手段は非積雪時に
は自転車を利用している場合も多いが、積雪時には自転車利用の学生はバスを利用するなど季節に
よって利用交通機関がシフトするなどの違いがある。
2.
2 調査の概要
(1)
調査票の配付と配付数
交通実態調査は、弘前市内の全世帯(7
47
,
2
0世帯、20
06年9月3
0日時点)を対象に行い、郵送回収
する。この種の調査は一般的に目標回収率を全世帯の5%程度とする場合が多いため、本調査でも
同様の回収率を目標とする。過去の調査例を参考に、調査票配付数は弘前市内の全世帯の1
5%と
し、調査世帯は弘前市に依頼して無作為抽出とする。
(2)
交通実態調査の実施と回収状況
今回の交通実態調査は、積雪時の弘前市民の交通行動を把握することを目的としているため、積
雪時の平均的な交通量の見込める日時に行う必要がある。作業の進捗状況等を勘案して、調査日
を、2007年1月24日(水)3:0
0a
.
m.
〜翌日3:
0
0a
.
m.
とした。
ただし、平成18年度の冬は記録的な暖冬傾向の中で積雪は殆どなく、例年と比べると路面に雪が
2
残る日が殆ど無いため、自転車の利用も可能な日が殆どであるという状況であった。調査日も例外
ではなく、天気は晴れで気温も高く、自転車の利用が可能な状況であり、当初想定していた積雪時
のデータをとることは不可能な状態であった。
調査票の回収状況は表2−1にまとめられている。なお、弘前市に依頼した抽出世帯を概観した
ところ、グループホームや障害者施設等の割合が相対的に高い傾向にあり、また、そのような施設
の場合、当該施設の担当者により一括して記入される場合が多く、回収には若干のバイアスかかっ
ている可能性があることに留意する必要がある。
表2−1:調査票の回収状況
配付世帯数
112
,
0
8世帯
配付先不明,受取拒否
67世帯
回収世帯数
25
,
94世帯
有効回答数
20
,
33世帯(50
,
24人)
有効回答率(=20
,
3
3/
1
12
,
08)
181
.%
配付世帯数は1
12
,
08世帯であるが、世帯の抽出及び世帯住所の作成を9月末時点の住民票の情報
により行っていたことによる配達先不明や、受取拒否が6
7世帯分発生した。この他にも、高齢者の
独居者宛てに送付したものの調査日に他界されている場合や出稼ぎ等により弘前を長期不在にされ
ている場合などが複数確認されており、実際の配付数は表2−1よりも少なくなっている。
調査票は同封した返信用封筒により郵送回収を行った。回収世帯数は25
,
94世帯であったが、有効
回答が得られた世帯数は20
,
33世帯であった。なお、本報告での有効回答か否かの判断は;
第一段階:世帯票に少なくとも現住所の大字名、年齢、性別、職業、免許保有状況が記載さ
れていること、
第二段階:同一世帯内の個人すべてについて、個人票に、少なくとも訪問先の住所(弘前市
内の場合には大字名、市外の場合には市町村名あるいは都道府県名)
、移動目的、
移動交通手段が記載されていること、
を条件に行っている。
最後に、弘前市全世帯に対する有効回答世帯数の割合は27
.%(=
20
,
33世帯 /
7
47
,
2
0世帯)で目標回
収数の半分強である。さらに、有効回答者の約18%は“一日中外出しなかった”と回答しており、
データの精度としては想定よりも非常に悪くなっている。
2.
3 交通実態調査のデータ入力とデータフォーマット
前節で説明した有効回答の調査票について、世帯票、個人票それぞれについてデータの入力作業
を行っている。
3
世帯票データの各レコードには、
“整理番号”
、
“個人番号”
、“性別”
、“年齢”
、
“免許保有状況”
、
“自動車の利用可能状況”
、
“積雪時平日の平均外出日数”
、
“現住所の大字名”が入力されている。
ここで、“整理番号”は、有効回答に対してデータ入力の際に世帯を区別するためにすべての世帯毎
につけた通し番号である。
“個人番号”以下の項目は、世帯票に回答されたものをそのまま入力した
ものである。このような世帯票データを作成することで、地域別の有効回答世帯数の分布などの情
報を容易に整理することが可能となる。
有効回答者の世帯平均人員数は24
.
7人/世帯であり、平成18年9月末時点での住民基本台帳に基
づく弘前市全体のそれ25
.
3人/世帯(=18
90
,
0
4人 /
7
47
,
20世帯)と比べると、有効回答者には単身世
帯や二人世帯が相対的に多い。また、有効回答者の平均年齢は4
91
.歳である。
次に、個人票のデータフォーマットとして、各レコードには、世帯票の各個人との対応が必要な
ため、まず世帯票の情報のすべてを記載している。その後、個人の移動記録として、“出発地”
(都
道府県または自治体名、市内の場合には大字名)と“到着地”、
“出発時間帯”
(午前・午後の区別と
時間帯)、“移動目的”
、“利用交通機関”が記載されている。
2.
4 交通実態調査の結果概要
地域区分
本節では交通実態調査の結果について概観する。なお、結果を整理するに当たり、データの精度
確保の観点から、前節で作成したデータを統計区単位に集計している。
まず、図2−11に示すように、弘前市では統計区を1区〜23区のように設定している。そのう
ちの市街化区域はおおよそ1区〜1
4区及び2
1区の全部あるいは一部であり、市街化調整区域または
都市計画区域外は15区〜19区及び2
0区、22区、23区である。さらに、単純集計したもの以外につい
ては、交通実態調査でのデータ精度の関係から、1区と2区、7区と2
1区、15区と23区、1
6区と1
7
区、18区と19区をそれぞれ統合した上でデータ処理を行っていることに留意されたい。具体的には
拡大 OD交通量が相当する。
居住地別交通機関分担率
居住地別の交通機関分担率を男女別、年齢層別にまとめたものについて見ていこう。
図2−2は全年齢層を合計した交通機関分担率の男女別・男女計についてまとめたものである。
図2−2によると、居住地別の特性としては都市計画区域内居住者に比べて郊外部居住者の方が自
動車の分担率が大きいことがわかる。さらに、居住地に関わらず相対的に男性の方が女性に比べて
1
本稿では地図データの作成には Ar
c
Vi
e
w9.
2を利用している。弘前市内の町丁字別のポリゴン・人口等デー
タは総務省統計局が提供する統計 GI
Sプラザから入手した。弘前市内のバス停データはゼンリン GI
S
Appl
i
c
at
i
o
n& Dat
abas
eを利用し、道路地図については国土地理院作成の数値地図2
50
0
0(空間データ基盤)
を利用している。
4
弘前市中心部の拡大
中心部
図2−1:弘前市統計区
自動車の利用率が高く、女性の方が男性に比べてバス利用や徒歩での移動が多いことが伺える。こ
の一つの理由としては、男性に比べて女性の場合には主婦である回答者が多いことや、高齢者にな
るほど女性の自動車免許保有率が低いことなどが考えられる。
図2−3〜2−5は年齢層別居住地別に交通機関分担率を整理したものである。これらはそれぞ
れ6
5歳以上、20−6
4歳、20歳未満の回答者を居住地別に集計したものである。
まず、図2−5は6
5歳以上の回答者による居住地別交通機関分担率に関するものである。図2−
5によると、全年齢合計の場合と比べて男性はそれほど相違点が見られないが、女性についてはバ
スや貸切・送迎バスの増加が顕著であり、徒歩・自転車利用についても若干増加している。その結
果、男女計で見ると、全体的に公共交通利用率が増加している。
次に、図2−6は2
0歳〜64歳の回答者による居住地別交通機関分担率に関するものである。図2
−6によると、65歳以上の場合と比べて同様の傾向はあるものの、男女間の差は小さくなり、全体
的に自動車の利用率が高いことがわかる。特に男性については、バス利用は一部の地域を除くとほ
とんどないことが伺える。
図2−7は5歳〜1
9歳の回答者による居住地別交通機関分担率に関するものである。回答者のほ
とんどは保育園・幼稚園あるいは小中学校、高等学校等へ通園・通学しており、徒歩・自転車の利
用が多く、バスや鉄道の利用率も他の年齢層に比べると高い。
5
( )
(
)
(
)
(
)
( )
(
)
(
)
(
)
( )
(
)
(
(
)
)
図2−2:居住地別の交通機関分担率(全年齢合計)
移動目的別交通手段分担率
表2−2は移動目的別の利用交通手段の割合あるいは実数を示している。ここでは、データ制約
により全地域合計での値を元に見ていく。これによると、業務目的ではほとんどが自動車を利用し
ており、公共交通はほとんど利用されていないことがわかる。さらに、業務目的以外の目的(通
勤・通学、日常生活圏の買い物や通院など)については、自動車の利用率は7
0%弱であり、バス利用
が4%程度となっている、また、徒歩利用も全体の約2
5%となっている。なお、一般的に地方都市
でのバス利用は7%程度であることが多く、弘前市の場合には、これが4%程度である。データ精
度の問題はあるものの、弘前市では他都市と比べて相対的にバス利用がされていないことが伺え
る。
6
( )
(
)
(
)
(
)
( )
(
)
(
)
(
)
( )
(
)
(
)
(
)
図2−3:居住地別の交通機関分担率(65歳以上)
表2−2:移動目的別利用交通手段の実数と割合
移動目的
全地域合計
行の和
1
2
3
4
5
6(送迎 7(路線
8
9
(徒歩) (自転車)(タクシー)(自動車)(貨物車) 等バス) バス) (電車) (その他)
1
26
00
2
96
4
5
2
213
7541
876
222
490
179
63
1(勤務先学校)
2
79
9
7
27
1
4
10
1634
155
57
112
77
13
2(自宅へ)
4
86
5
1
23
7
9
105
2865
265
82
206
71
25
1
01
1
7
1
1
6
21
560
317
9
8
7
2
3
76
4
9
13
1
3
70
2393
128
49
160
21
17
実数 3(業務)
4(日常生活圏)
5(それ以外)
1
61
1
6
0
7
89
11
25
4
3
6
全地域合計での割合
1
00.
0%
2
3.
5%
0.
4%
1.
7%
59.
8%
7.
0%
1.
8%
3.
9%
1.
4%
0.
5%
1(勤務先学校) 1
00.
0%
2
6.
0%
0.
5%
0.
4%
58.
4%
5.
5%
2.
0%
4.
0%
2.
8%
0.
5%
2(自宅へ)
1
00.
0%
2
5.
4%
0.
2%
2.
2%
58.
9%
5.
4%
1.
7%
4.
2%
1.
5%
0.
5%
1
00.
0%
7.
0%
1.
6%
2.
1%
55.
4%
31.
4%
0.
9%
0.
8%
0.
7%
0.
2%
4(日常生活圏) 1
00.
0%
2
4.
3%
0.
3%
1.
9%
63.
6%
3.
4%
1.
3%
4.
3%
0.
6%
0.
5%
9.
9%
0.
0%
4.
3%
55.
3%
6.
8%
15.
5%
2.
5%
1.
9%
3.
7%
割合 3(業務)
5(それ以外)
1
00.
0%
7
( )
(
)
(
)
(
)
( )
(
)
(
)
(
)
( )
(
)
(
)
(
)
図2−4:居住地別の交通機関分担率(20—6
4歳)
( )
(
)
(
(
図2−5:居住地別の交通機関分担率(20歳未満)
8
)
)
時間帯別地域間トリップ実績
時間帯別地域間トリップ実績は紙面の都合により割愛するが、調査日を通勤・通学が多い時間帯
(①7時〜9時台)、業務や買い物等が多い時間帯(②1
0時〜16時台)
、帰宅等が多い時間帯(③1
7時
〜19時台)、それ以降の時間帯(④)の4つの時間帯に分けて地域間トリップ数を集計して見たとこ
ろ、①の時間帯で有効回答全トリップ数の2
67
.%、②の時間帯で同4
53
.%、③の時間帯で同2
02
.%、
④の時間帯で同78
.%となっていた。すべての時間帯を通じて、概ね地域内トリップが最も多く、そ
れに続くのが隣接する地域間のトリップである。地域区分の影響もあるが、市街化区域内の方が郊
外部に比して隣接地域間のトリップのシェアは高い傾向にあり、郊外部では地域内でトリップが閉
じている場合が多いことが伺えた。また、弘前市外の青森県内自治体へのトリップは①の時間帯で
最も多く、逆に青森県内自治体から弘前市内へのトリップは③の時間帯で最も多い。これは通勤に
よるトリップが多いことが考えられる。
2.
5 拡大 OD交通量の作成
本節では、以上で概観した交通実態調査データを元にした弘前市内の OD交通量の推計(以下、拡
大 OD交通量と呼ぶ)について説明する。
拡大 OD交通量の作成手順は次の通りである。
(ⅰ)世帯票を元に統計区毎に5歳刻みのコーホートごとの男女別の回答者の分布を求める。
(ⅱ)個人票から統計区毎、コーホート毎、男女別に有効回答者の OD交通量の分布を求める。
(ⅲ)統計区の人口分布と回答者数との比率を拡大係数として、
(ⅱ)で作成した有効回答者の
OD交通量を拡大する。
(ⅳ)(ⅲ)で作成したものを全統計区で集計することで拡大 OD交通量を作成している。
なお、前述したように、データ精度の関係から、1区と2区、7区と2
1区、15区と2
3区、16区と1
7
区、18区と1
9区を統合した上でデータ処理を行っていることに留意されたい。
拡大 OD交通量分布を表2−5に示す。拡大 OD交通量から得られる知見として、前述の時間帯
別の地域間トリップの集計結果と大きな違いはないが、回答者数に関する統計区間の回収率の違い
が拡大 OD交通量では若干改善されており、市街化区域内の地域を発地域 /着地域とするトリップ
が大きくなっていることがわかる。なお、拡大 OD交通量については4章でより詳細にみることと
する。
9
表2−5:拡大 OD交通量(全年齢合計)
全年齢層男女合計→ 着
↓
1
2
3
4
5
6
7
8
9 10 11
1
2 1
3 1
4 1
5 1
6
発
13
775 9
61 82
21
88
5 95
9 18
22 98
2 45
2 10
32 59
2 88
6 12
0
2 5
0
2 6
2
3 2
1
0 1
7
6
1
8
8
4 2
2
5
2
0
2
1
7
3 1
4
9 3
0
9
0
0
3 89
41
409 59
60 2
65
9 91
1 58
3 35
12 92
6 92
7 26
57 13
05
80
3 3
2
01
3
3
2 2
3
5 2
9
7 3
4
8 3
6
6 1
2
7 2
9
71
4
5
3 1
1
9
7 1
5
11
1
4
6
4
0
42
464 1
213 30
98 6
32
3 17
22 20
4 17
42 65
5 10
14 24
95 79
5
92
6 6
1
71
1
6
2 1
0
8 1
3
4 1
8
1 1
3
6 1
8
2
8
41
0
5
4
01
2
6
4
2
2
5 97
9 5
22 11
97 1
61
4 60
98 13
9 83
8 51
3 79
3 49
8 28
7
92
3 2
3
4 4
4
1
6
5 9
4
6 1
2
0
3 5
0
2 8
9
3
1
5
61
828 6
44 77
8 6
41 29
9 33
94 15
81 15
86 18
58 22
7 36
9
81
0 5
4
5
71
042 1
871 27
33 1
68
4 10
51 17
91 75
34 19
45 16
54 13
35 18
05 28
4
21
4
5
7 5
9
9
8 56
11
317 92
2 7
04 59
5 15
18 22
01 33
09 10
38 33
6 57
9 23
7
71
7
6
1 1
3
2
9
5 1
0
3 2
5
2 1
7
8
2
7
0 2
5
2
8
4
0
0 2
1
2 5
1
0
5
2
5
2
4
6
2
3 5
3
6
0
9
7 1
2
1 1
3
21
1
5
13
3
9
8
4
1
2 3
5
61
9
1
7 2
8
6
2
8
4
1
8
0
2
2
0
91
916 4
83 11
41 8
95 81
2 18
33 15
09 14
13 84
47 53
0 71
7 13
5
31
0
1
2 3
4
3 3
1
2
0
5
6
6
0
10 42
0 2
52 27
60 2
54
6 52
0 38
3 12
42 38
2 46
8 56
26 61
4
5
0 5
3
9
2
32
0
0
05
0
0
0
3
3
1 1
0
1 2
5
2
4
1
0
2
2
6
6
9 1
9
3 6
8
1
89
7 4
3
1 3
0
3 1
0
7
9
7
0 1
3
3
1
9
21
110 2
102 12
95 1
37
1 54
2 55
9 17
83 13
27 68
5 37
3 38
9
0
0
1
7
0
8
9 7
3
6
0 1
3
01
0
2
4
60
2 3
5
5 9
0
5 1
8
4 1
4
9 1
0
3 2
7
3 1
1
7 2
2
0 6
8
5
0 4
3
1
0
4
5
1 2
6
51
1
5
3
2
9
5
4
5
7
51
0
7
9
8
0
0
0 1
2
43
3
2
2
3
6
2
6
92
0
0
1
5
6
0
8
7
3
1 2
3
32
2
6
6
7
7
2
9
01
5
1
9 1
5
4
13 73
4 6
27 46
6 4
80 14
9 59
9 14
11 21
24 14
50 35
2 59
3 36
7
37
8
9
3 3
0
8 3
2
8 2
2
5 1
3
8
4
2
0 1
9
41
2
6
7
14 64
7 1
68 14
60 1
14
1 59
0 19
6 90
5
81 23
7 88
6 25
3
5
7
7
6 2
3
8 5
2
9
15 15
9
9
6 23
5 1
18
0
55 32
7 18
4 12
7
16 20
4
0 34
2 1
34
30
11 66
6 4
13 10
06 8
50 34
8 43
3 24
03 48
0 79
7 10
83 62
98 20
8
9 7
5
0 1
6
3
7
8
2
4 1
2
0
12 1
509 1
075 99
91
18
6 76
8 71
6 23
80 25
45 15
39 52
8 21
37 11
8
0
13
7
8
4 1
0
1
2
9
1
9
62
73
27 24
6
60
24 14
9
29
17 16
6
2
9 29
1 1
59 10
3
56
97
22
18 17
7
5
1 51
4 1
43 20
6
0
0
0
19
3
8
0 21
3
0
7
3
77 1
62
78
20 18
1 1
12 18
7 1
80 13
3 41
1 81
0 17
9
26
80 12
0
60 25
0
0
0 16
4
0
62 31
3 17
6
28
7 2
1
44
8
8
4
6
4 2
2
7
0
9
4 2
2
5 7
7
6
0 9
6
1
9
4 1
8
7
0 1
3
8 8
1
1
8
7
4
2 1
5
8
3
1
3
4
0
0
4
0
2
3
4 1
4
4
03
0
4
9 4
5
3
0
0
0
9
7
3
8 4
5
31
7
4
3 3
6
6
0
0
8
1
6
0 2
4
9
0
0 2
1
8
2
5
6
4
1 1
7
3
0
0 3
6
62
8
8
3 1
2
9
0 3
9
7
1
5
4
0 6
7
1
4
7
0 2
3
3
3
0
02
1
4
9
0
9
0
0 4
4
0
0
6
1
0 2
7
41
7
3
0
7
4
9
0 4
8
51
1
4
1
1 4
8
7 5
4
8
2
1
9
6
4
0
0
0 1
8
31
4
8
0
25
5 3
4
8 1
6
7
2
2
0
0
0
03
7
1
9
83
8 1
1
9 9
2
7 1
8
4 8
2
0 2
1
1 1
5
4
0
13
1 1
1
6
0
0 28
7
43 36
4
75 11
9
0 1
4
4
20
00 56
3 3
61 12
04 1
05
1 80
1 62
5 17
57 32
3 11
97 10
75 21
42 16
8
8 9
8
9 7
8
3
50
00
0
0
40
22
0
0 11
7
0
0
28 15
1
9
7
2
9 1
8
3
8
1
9
7 1
8
0 3
2
9 1
9
7 1
2
26
2
0
5
23
77 39
7
0
0
0
0 3
9
0
4
9 2
4
9 2
3
4 6
2
22
3
4
9 3
9
21
7
7
2
0
0
0
22 81
9 4
24 93
5 5
74 11
01 35
4 63
6 40
1 43
9 58
9 20
0
47
0 5
6
3
0
21 40
9 5
64 12
54 1
24
8 91
2 46
7 35
30 58
7 10
22 80
7 33
11 26
9
01
1
4
1 3
6
2 1
2
6
9
1 1
01
9
7
0
3
8
0
0
1
2
4 1
5
51
2
7
9 1
9
2
0
0
4
7
0
5
0
0
2
7
24
4
2
6
4
9
0
6
4
4
2
67
3
4
0 1
8
7
3
0
0 1
4
01
7
3
9
注)ゾーン番号“200
0”は青森県内(弘前市以外),“50
00”は青森県外を示している.
3.高校生通学手段調査に基づく積雪時と非積雪時の交通手段の比較
3.
1 調査の概要
3章で説明する平成19年度調査は、弘前市内の高校生に対する通学交通手段に関するものであ
る。当該調査は、平成18年度に行った交通実態調査を補完するもので、積雪時と非積雪時との比較
を行うことを主な目的として行っている。
高校生への通学交通手段の調査は、高校別交通手段の実数と比率(非積雪時、非積雪時は変更す
る学生のみ)を把握できるように設計し、加えて、バス、鉄道選択の場合のアクセス・イグレス交通
手段の把握を行っている。
調査対象は弘前市内高等学校全生徒とし、平成1
9年1
0月に調査を実施した。調査は弘前市職員が
各高校へ調査票を持参し、各高校のホームルーム等で担任の教員より配布・記入・回収する形式で
行った。有効回答率は942
.%(有効回答数61
,
5
2、無効数3
8
0)であった。
3.
2 調査結果の概要
表3−1は非積雪時と積雪時の代表利用交通手段を比較したものである。表3−1によると、非
積雪時には自転車が全体の5
97
.%のシェアを占め、次に多いのは鉄道の2
81
.%であり、バス利用つい
1
0
表3−1:代表利用交通手段における非積雪時と積雪時の比較(全校合計)
非積雪時
実数(人)
積雪時
割合(%)
実数(人)
割合(%)
徒 歩
160
26
.
11
,
36
185
.
自 転 車
36
,
71
597
.
18
4
30
.
自動二輪(原付含む)
25
04
.
5
01
.
自 動 車(送迎含む)
342
56
.
14
,
99
244
.
バ ス
220
36
.
11
,
29
184
.
鉄 道
1731
281
.
21
,
94
357
.
そ の 他
3
00
.
5
01
.
合 計
61
,
52
10
00
.
61
,
52
10
00
.
ては36
.%に過ぎない。また、徒歩や自動車(送迎)利用はそれぞれ26
.%、56
.%である。これに対し
て、積雪時には、自転車利用が全体の30
.%と大きく減少し、鉄道やバス、徒歩、自動車(送迎)利
用は、それぞれ357
.%、184
.%、185
.%、244
.%と大きく増加している。全体を概観すると積雪時と
非積雪時の代表的利用交通手段は大きく変化しており、積雪時の公共交通機関利用の増加や送迎等
による自動車利用の増加などが顕著である。したがって、積雪のない地域に比べて豪雪地帯での交
通計画を考える場合には季節によって異なることに留意する必要があることがわかる。
次に高校別の代表的利用交通手段について見ていこう。高校別に整理する理由は、高校の立地が
利用交通手段に大きく影響するためである。弘前市内には、中心市街地に隣接する弘前高校や弘前
中央高校、弘前工業高校や、市街化区域内にある弘前実業高校や弘前南高校、弘前東高校、柴田女
子高校、郊外に岩木高校、東奥義塾高校、聖愛高校が立地している。このうち、市街化区域内に立
地する多くの高校へは、公共交通についてバスが利用しやすく、J
Rや弘南鉄道の鉄道も比較的利用
しやすい。他方、市街化区域外に立地する高校については、東奥義塾高校の鉄道利便性以外には、
相対的に市街化区域内に立地する高校に比べると公共交通の利便性はそれほど高くないと言えよう。
図3−1、3−2はそれぞれ非積雪時と積雪時の高校別の代表的交通手段の割合を示したもので
ある。図3−1によると、非積雪時には多くの高校で自転車利用が6
0%〜80%となっている。な
お、弘前市外居住者の多い高校(たとえば弘前中央高校)では鉄道の利用率が非常に高い。また、郊
外に立地している東奥義塾高校では相対的に鉄道の利便性が高いためか、鉄道利用率が5
0%以上と
非常に高くなっている。一方、図3−2によると、積雪時にはすべての高校で自転車利用が大幅に
減少している。自転車が減少した分、バスや鉄道などの公共交通や徒歩や自動車による送迎も大幅
に増加している。なお、図3−1、3−2は代表的な利用交通手段についてまとめたものであり、
バスや鉄道などの公共交通を利用する場合には、自宅からバス停や駅、あるいはバス停や駅から高
校までは徒歩や自転車、バスなどを利用する必要があり、複合的な交通手段利用になる。以下、図
3−3〜図3−6はバスの場合のアクセスとイグレス、図3−7〜図3−1
0は鉄道の場合のアクセ
スとイグレスについてまとめたものである。
1
1
図3−1:非積雪時の高校別交通手段の割合
図3−2:積雪時の高校別交通手段の割合
図3−3、3−4はそれぞれ非積雪時と積雪時についてバス利用者が自宅からバス停までの移動
についてどのような交通手段を利用したかを高校別に整理したものである。図3−3によると、非
積雪時の自宅からバス停までの移動について、徒歩が非常に多く、自動車による送迎など想定しや
すい利用交通手段となっているが、弘前高校や弘前東高校、柴田女子高校を除く多くの高校では自
転車利用が少なくない。駐輪場を近くに備えたバス停は、J
R弘前駅など鉄道駅周辺などのごく限
られた箇所となっており、弘前市のバス輸送の起点となっている駅やバスターミナル等のバス利用
しやすいところまで自転車で移動している実態が浮かび上がる。また、図3−4の積雪時の場合に
は徒歩や自動車による送迎が殆どとなるものの、東奥義塾高校では自転車利用が少なくない。
次に、図3−5、3−6はそれぞれ非積雪時と積雪時についてバス利用者がバス停から高校まで
の移動についてどのような交通手段を利用したかを高校別に整理したものである。図3−5による
1
2
図3−3:非積雪時のバス利用者の自宅からバス停への交通手段
図3−4:積雪時のバス利用者の自宅からバス停への交通手段
と非積雪時のバス停から高校への移動について、徒歩利用の割合が非常に高いが、自転車利用も少
なくない。自転車利用をする場合には、図3−3のときにも述べたように、駐輪場に隣接するバス
停を利用する必要があり、このような駐輪場を近くに備えたバス停は鉄道駅周辺に限定される場合
が多い。したがって、バス停から高校までの移動について自転車利用の高校生は、弘前市内のバス
起終点の中心であるバスターミナルや J
R弘前駅までバスを利用し、それ以降について自転車を利
用しているものと考えられる。同様に図3−6を見ると、積雪時の代表的交通手段としてバスを利
用しているほとんどの高校生はバス停から高校までの移動には徒歩を利用していることがわかる。
図3−7、3−8は非積雪時と積雪時においてそれぞれ代表的な通学交通手段として鉄道利用を
選択した高校生が自宅から駅までの移動についてどのような交通手段を利用しているかを整理した
ものである。図3−7によると、非積雪時の自宅から駅までの移動については自転車の利用が非常
に多い傾向にあり、自転車以外では徒歩や自動車による送迎が利用されている。他方、図3−8に
示すように積雪時の自宅から駅までの移動については自転車利用が大きく減少する分、徒歩及び自
1
3
図3−5:非積雪時のバス利用者のバス停から学校への交通手段
図3−6:積雪時のバス利用者のバス停から学校への交通手段
動車による送迎の利用が増加していることがわかる。
図3−9、3−10は非積雪時と積雪時においてそれぞれ代表的な通学交通手段として鉄道利用を
選択した高校生が駅から高校までの移動についてどのような交通手段を利用しているかを整理した
ものである。図3−9によると、非積雪時の駅から高校までの利用交通手段としては、駅に隣接す
る東奥義塾高校や弘前東高校を除いて自転車利用が非常に多いことがわかる。また、弘前南高校や
岩木高校など駅から離れたところに立地する場合には、バス利用も多い。他方、積雪時の駅から高
校までの移動交通手段を整理した図3−1
0によると、自転車利用が大幅に減少し、その分だけ徒歩
やバス利用が増加していることがわかる。特に、駅から離れた場所に立地する弘前南高校や弘前実
業高校、聖愛高校、岩木高校でのバス利用の増加が顕著であるといえよう。
以上でみてきたように、高校生を対象とした通学交通手段に限定するものの、非積雪時と積雪時
の利用交通手段は大きく変化し、積雪時にはバスや鉄道などの公共交通だけでなく自動車による送
迎の利用が非常に多くなる。また、代表的交通手段の把握だけでは把握しにくいが、積雪時の鉄道
利用者のバス利用も非常に多く、通年での公共交通利用には季節変動が大きいことが今回の調査で
明らかにされたといえよう。
1
4
図3−7:非積雪時の鉄道利用者の自宅から駅への交通手段
図3−8:積雪時の鉄道利用者の自宅から駅への交通手段
図3−9:非積雪時の鉄道利用者の駅から学校への交通手段
図3−10:積雪時の鉄道利用者の駅から学校への交通手段
1
5
4.バス交通を対象とした需要と供給分布の比較
4.
1 交通需要の空間分布とバス供給の空間分布データ作成
データ整備、分析の流れを図4−1に示す。データ整備としては、交通需要データ作成ブロック
と交通供給データ作成ブロックの2つにわけて考えることができる。
交通需要の空間分布データ作成については、2章で作成した拡大 OD交通量データを元に、各
ゾーンのセントロイドを定めて、ゾーン間の最短経路を求める2。拡大 OD表に道路地図をベース
とした空間データを合わせることで弘前市内での交通動態及び地域住民の道路需要等の情報を視覚
的に把握できるようになる。
バス供給の空間分布データ作成については、バス時刻表から得られる運行本数と運賃表から得ら
れる各系統が通過するバス停情報に加えて道路地図を元にした空間データをあわせることで系統別
路線網と運行頻度に関する情報をバスネットワークデータとして整備する。バスネットワークデー
タを要約することでバスサービスの供給分布を視覚的に把握できるようになる。
以上で説明した過程で作成される、弘前市内の交通需要分布とバスサービスの供給分布を対比さ
せることで、弘前市内の交通需要とバスサービスの需給ギャップについての結果をまとめる。ま
た、弘前市内の人口分布(昼間人口、夜間人口)や高齢者人口分布などとも比較することで、高齢者
などの交通弱者のバス利便性について若干の考察を行う。
OD
〈 〉
図4−1:データ作成・分析フロー
2
セントロイドの設定には、恣意性を含むが一次接近として各ゾーンを代表すると考えられる公共施設や
ショッピングセンターを想定している。
1
6
4.
2 バス路線網と OD間最短経路網の比較
ここでは、前節で作成した拡大 OD交通量とバスサービス供給の空間分布を比較することで公共
交通に関する需給ギャップについて考察していく。
4.
1で作成した交通需要の空間分布データを図4−2に、バスネットワークデータを図4−3〜
図4−5に示す。バスネットワークデータについては表現上煩雑となるため、図4−3〜4−5に
示すように、弘前バスターミナル(以下、弘前 BTと呼ぶ)あるいは J
R弘前駅発のバス系統の運行頻
度を合成したもの(図4−3)
、弘前 BTあるいは J
R弘前駅着のバス系統のそれ(図4−4)とそれ
以外の100円バスを含む循環系及び通学向けのそれ(図4−5)に分類している。
JR弘前駅
JR弘前駅
図4−2:交通需要の空間分布
図4−3:弘前 BT/
JR弘前駅発のバス
JR弘前駅
図4−4:弘前 BT/
JR弘前駅着のバス
JR弘前駅
図4−5:通学向けバス /循環系統バス
ここで、図4−2〜4−5の線の太さは、交通量あるいはバス運行頻度を表現しており、線が太
いほど交通量あるいは運行本数が多いことを示す。また、これらデータ作成は、市全体で作成して
いるが、図では概ね市街化区域の範囲についての拡大図となっている。
まず、図4−2は弘前市内を18ゾーンに集約して各ゾーンのセントロイド間の最短経路に当該
ゾーン間のトリップ推計値を表現したものである。もっとも線の太い場所が J
R弘前駅前から土手
町、中央通にかけての通りである。さらに、北大通りや富田大通り、市中心部から桜ヶ丘団地方面
への通り、市中心部から石渡方面への通りなどの市中心部から放射状に郊外へ至る通りでのトリッ
1
7
プが相対的に多い。加えて、市中心部から見ると環状道路になるが、松原方面から大清水方面へ至
る通りのトリップが相対的に多いことがわかる。
次に、図4−3〜4−5はバスサービスの空間分布である。バスサービスが充実しているのは J
R
弘前駅前から土手町、本町、中央通りに至る経路である。これに次ぐのが、市中心部から放射状に
伸びる、富田大通りや市中心部から石渡へ向かう通り、市中心部から桜ヶ丘団地へ向かう通りであ
る。なお、市中心部については、土手町の一方通行や合同庁舎前の一方通行により、上下方向の運
行頻度は対称にはなっていないという特徴を持つことに注意を要する。
上記の需要の空間分布とバスサービスの空間分布を比較するために、両図を重ね合わせてみると、
セントロイド設定の恣意性の問題はあるものの、市中心部から青山方面へ至る経路や松原方面から
大清水方面へ至る経路でトリップ需要とバスサービス供給とのギャップが存在することが伺える。
なお、今回のトリップ需要の空間分布は、拡大 OD交通量に基づいた各ゾーンのセントロイド間
の最短経路に過ぎず、トリップに関する潜在的需要等を考える上でもトリップの発生集中先である
住宅や事業所等での昼間 /夜間人口分布との比較もあわせて行う必要があると考えられる。すなわ
ち、通過交通が多いから発生集中交通が多いわけではないことに留意する必要がある。このような
観点から図4−2〜4−5の情報に人口や従業者数、高齢化率に関する情報を付加したものが図4−
6〜4−8である。岩田、中村(2
0
0
7)等によると、一般にバスサービスが採算面で黒字となるのは
30人 /
ha以上の人口を持つ範囲であることが知られている。このような観点から言えば、弘前市内
の人口密度は昼間 /夜間人口双方から見て市街化区域内では、採算面で黒字化が望める可能性を有
弘前城跡
弘前駅
※色が濃い地域ほど人口密度は高い。最も薄い地域:5人 /
ha未満、最も濃い地域:30人 /
ha以上
※人口データは GI
Sプラザ提供の平成12年国勢調査、バス停データはゼンリン地図データを利用。
図4−6:交通需要の空間分布とバスサービス空間分布、夜間人口分布(市内中心部)
1
8
していると考えられよう。もちろん、現在の弘前市内のバスサービスはほとんどの路線で赤字であ
ることは周知の事実であり、積雪時と非積雪時での需要予測等の難しさと通年営業で見たときに平
均的な計画の立て難さなど課題も多いことは言うまでもない。
弘前城跡
弘前駅
※色が濃い地域ほど従業者密度は高い。最も薄い地域:5人/
ha未満、最も濃い地域:30人 /
ha以上
※従業者データは GI
Sプラザ提供の平成1
3年事業所企業統計調査、バス停データはゼンリン地図
データを利用。
図4−7:交通需要の空間分布とバスサービス空間分布、従業者分布(市内中心部)
弘前城跡
弘前駅
※色が濃い地域ほど65歳以上高齢者率は高い。色の薄い地域から順に15%未満、1
5−20%、20−
25%、25%以上の4段階。
※人口データは GI
Sプラザ提供の平成12年国勢調査、バス停データはゼンリン地図データを利用。
図4−8:交通需要の空間分布とバスサービス空間分布、65歳以上人口比率(市内中心部)
1
9
4.
3 バス停からのバッファ図とバス空白地帯
前述までは、既存のバス停、バス路線とトリップの空間パターンとの対比によりバスサービスを
見てきた。ここでは、潜在的な交通需要を顕在化できるかどうかという観点から、弘前市内のバス
停の分布とバス停への住民のアクセスのしやすさについて見ていく。
図4−9は弘前市内のバス停分布を示している。この図を見ると市街化区域にはかなり密にバス
停が分布し、郊外部に行くと地域間道路沿いのみにバス停が分布している様子が伺える。
図4−9:弘前市内のバス停分布
図4−10、4−11はそれぞれ国勢調査人口(夜間人口)分布あるいは従業者分布(昼間人口)上に
バス停から300mバッファを発生させたものである。バス停から3
0
0mのバッファを発生させる理由
は、経験的に健常者が苦にならずに徒歩で行動できる範囲が300mであるとされることによる。図
4−10、4−1
1によると、弘前市の昼間 /夜間人口の密度が高い地域は概ねバス停へのアクセスは
しやすいと言えよう。
他方、高齢者等については一般に半径1
0
0〜20
0m程度がそれほど苦にすることなく移動できる範
囲と言われている。そこで、図4−1
2、4−13では半径1
50mでバス停へ到達可能なエリアを図示し
ている。町丁字に均一に住居や事業所等が点在しているわけではないが、概ね市街化区域内では
150m内でバス停へ移動することができるが、たとえば弘前公園西側等などの一部の地域ではバス
へのアクセスが良好でないところも存在することがわかる。また、図4−1
3から、19
70年までに市
街化されていたエリアや市街化区域郊外において高齢化率が非常に高い傾向にあることがわかる。
2
0
※色が濃い地域ほど人口密度は高い。最も薄い地域:5人 /
ha未満、最も濃い地域:30人 /
ha以上
※人口データは GI
Sプラザ提供の平成12年国勢調査、バス停データはゼンリン地図データを利用。
図4−10:弘前市内の夜間人口分布とバス停から半径300m で到達できるエリア
※色が濃い地域ほど従業者密度は高い。最も薄い地域:5人 /
ha未満、最も濃い地域:30人 /
ha以上
※従業者データは GI
Sプラザ提供の平成1
3年事業所企業統計調査、バス停データはゼンリン地図
データを利用。
図4−1
1:弘前市内の従業者密度分布とバス停から半径30
0m で到達できるエリア
※色が濃い地域ほど人口密度は高い。最も薄い地域:5人 /
ha未満、最も濃い地域:30人 /
ha以上
※人口データは GI
Sプラザ提供の平成12年国勢調査、バス停データはゼンリン地図データを利用。
図4−12:弘前市内の夜間人口分布とバス停から半径150m で到達できるエリア
2
1
※色が濃い地域ほど6
5歳以上高齢者率は高い。色の薄い地域から順に1
5%未満、15−20%、20−
25%、25%以上の4段階。
※人口データは GI
Sプラザ提供の平成12年国勢調査、バス停データはゼンリン地図データを利用。
図4−1
3:65歳以上人口比率が高い地域とバス停から150m でアクセスできる地域
5 「八戸市公共交通再生プラン」の適用による弘前市バス再編への試論
本章では、青森県内で公共交通再生についての指針を制定している八戸市の基準を弘前市へ適用
したときのバス路線再編に向けた可能性について試論を展開していく。
5.
1 「八戸市公共交通再生プラン」とは
八戸市公共交通再生プランとは、公共交通維持に関する基準を定めたものである。その基準は表
5−1のように整理される。
表5−1:「八戸市公共交通再生プラン」(H1
8)
(1)
エリアに関する基準
・停留所に最大でも1 km以内でアクセス可能、
・ただし、事業効率の観点から移動需要の集約が一定程度可能な地域(人口密度500人 /
km2以上)で
乗合公共交通の維持・存続を図る。
(2)
乗合公共交通を運行するエリアに関する基準
・市内各地から乗合公共交通により確保されるアクセスを、
“一回の乗り換えはあっても中心市街地
にアクセスできる”ものと設定。
(3)
地域住民等による意思決定
・上記基準が満たされない場合、あるいは現状の運営・運行方式での維持が困難になった場合は、地
域住民等の意思決定を尊重した上で、地域住民や行政、交通事業者等と協働で運営方法等について
相談。
出所:青森県、『生活交通における症状別処方箋』、2008.
当該プランでは、原則として何らかの形で公共交通の維持を図るのは基準(1)のエリアであり、
当該エリアに対して基準(2)を満たすような水準のサービスを提供すると読むことができる。さら
2
2
に、基準(1)に満たないエリアについては、別途に基準(3)を設けることで代替的公共交通手段の
ない地域での交通弱者への配慮がうかがえる。
ただし、一般に健常者が徒歩で苦痛と考えない移動距離は半径3
00m圏内とされ、さらに高齢者や
障害者の場合には半径1
0
0〜200m圏内であると言われている状況を考えると、バスサービスへのア
クセスという点から基準1での停留所への距離を半径1 km以内とすることについては再考の余地
が残されていると言えよう。
なお、前述のように欧米での経験ではあるが、先行研究で指摘されているバスサービスでの採算
が見込めるのは平均人口密度3
0人 /
ha以上のエリアである。このことを考えると、八戸市公共交通
再生プランの基準によるバスサービス維持はバスサービスに対する相当額の補助支出が見込まれて
いることは想像に難くない。
5.
2 「八戸市公共交通再生プラン」の弘前市への適用とバス路線の再編に向けた一考察
本節では、八戸市公共交通再生プランの基準1が弘前市へ適用される場合のバスサービス再編案
について、図5−1を使って見ていこう。
(a)弘前市全域図
(b)弘前市中心部の拡大図
図5−1:「八戸市公共交通再生プラン」(H18)の弘前市全域への適用
図5−1は、八戸市公共交通再生プランを弘前市へ適用した場合のものである。斜線部分は既存
のバス停から半径1 km以内で到達できるエリアを示したものである。最小地域のポリゴンは町丁
字単位となっており、最も色の薄いエリアは平均5人 /
ha未満の人口密度である地域、次に薄い色
のエリアは平均5〜30人 /
haの人口密度である地域、色の濃いエリアは平均30人 /
ha以上の人口密
度である地域を示している。図の見方として、八戸市公共交通再生プランの基準1と同一基準が適
用される場合の弘前市のバスサービス維持エリアは、斜線部分のエリアの中で人口密度5人 /ha以
上の地域となる。すなわち、八戸市公共交通再生プラン基準1が適用されるときの弘前市内でのバ
スサービス維持を目指すエリアは次の地域に限定される;
2
3
・市街化区域内及びそれに隣接する地域の一部、及び
・旧岩木町の岩木総合支所から旧弘前市へ向かう県道3号線沿線、及び
・旧相馬村の相馬総合支所のある地域、
したがって、八戸市公共交通再生プランの基準によれば、おおよそ市街化区域以外の地域へのサー
ビスを意図する路線は、維持するための優先順位をつける場合には下位に位置づけられる。
特に、J
Rや弘南鉄道など代替的交通手段が存在し交通弱者への配慮の必要性が乏しいと考えら
れる弘前市と他自治体間を結ぶバス路線(たとえば、弘前〜浪岡線や弘前〜五所川原線、弘前〜大
鰐・碇ヶ関線、弘前〜黒石〜大川原線、弘前〜板柳線、弘前〜尾上線、弘前〜平賀線、弘前〜鯵ヶ
沢線など)については、これらが補助対象路線の場合には廃止も含めた再編の議論が必要であろう。
この他にも、人口密度が3
0人 /
ha以上のエリアのみ運行するバス路線で採算性の悪い場合には黒
字化に向けて運行経路や運行時間、運行回数等の見直しが必要であろう。また、人口密度が5〜3
0
人/
haの地域を含むバス路線については採算面で黒字化することは難しいことが予想されるため、
地域の実情にあった生活交通の設計も視野に入れた再編が必要となると考えられる。
最後に、市内には10
0円バスという名の通常の乗合バスとは異なる料金体系の循環系統が複数存
在し、弘前市の委員会などで参加者の中にはこれらバスの拡充を指摘する意見が少なくないが、1
00
円バスは所詮1
0
0円バスでしかないことを認識すべきである。すなわち、交通需要は一日を通じて
平均的に発生するのではなく、朝夕の通勤通学時間帯に集中的に発生し、通勤通学以外は多くの交
通需要が集中して発生するわけではない。このような通勤通学以外の時間帯において、燃料等の限
界費用を上回る収入が見込めるなら運行しない場合に比べて若干の費用回収が可能であり機会損失
は少なくてすむ。1
0
0円バスはこのような状況のときに正当化されよう。したがって、少ないなが
らも限界収入以上の需要が見込めるような地域、たとえば弘前市中心市街地活性化計画で中心市街
地に指定されているような地域での1
00円バスの運行3は妥当であろうと考えられる。一方、たとえ
ば、ためのぶ号の場合には、特に日常の利用頻度の多い商業地・公共施設や居住密度の高い住宅地
を循環するわけではなく1
0
0円バスの意図とはかけはなれており採算面では期待できないことが想
像に難くない。城東環状バスについても配車の関係からか集客の見込める商業地と弘前駅城東口間
以外の区間が相対的に長く無駄が多い可能性がある。データによる検証が必要なことは言うまでも
ないが、100円バスによる形態による運行で採算面が悪い場合には運行の見直しが必要である。
なお、バス問題を扱う多くの分析ではバスに関する料金やルート、時刻などの情報は皆が完全に
3
土手町循環バスは多くの利用があるとされるが、これは、弘前市中心部において土手町中心部が一方通行で
あり、公共交通による中心部の回遊性が悪いことにも起因していると考えられる。すなわち、たとえば上土
手町で買い物した旅客が市役所方面へ移動するのは比較的容易であるが、下土手町周辺で買い物を行う旅客
が上土手町へ公共交通を利用して移動しようと考えるときには、以前のバス系統では乗り継ぎが必要であ
り、時間や料金面で非常に費用が高く使いにくい状況であったが土手町循環バスの運行により乗り継ぎによ
る不利な側面が解消され需要が誘発された可能性が高いと考えられる。
2
4
知っていることを前提に扱う場合が多いが、弘前市内で提供されるバスサービスに関してはこのよ
うな前提は成立していない。すなわち、弘前市内においては、一方通行部分を多くのバスが通るこ
とや、朝の通勤通学時間帯のバス経路の複雑さなどのようにバス系統・路線が複雑でわかりにく
く、住民がこのようなバスサービスを完全に把握しているとは考えにくい。バス会社あるいは行政
当局によるバス路線や系統、時刻等の整理及び情報提供が必要不可欠であり、このような努力なく
してバス利用促進は難しいものと考えられる。
6.交通政策の限界と今後の課題
6.
1 交通政策の限界
5章までは、路線バスサービスだけについて見てきたが、交通サービス自体はそれを消費するこ
とで消費者が効用を得たり、企業が生産性を高めたりなど、本源的需要ではなく、他の目的を達成
するための派生的需要であり、実際の政策立案には本源的需要の考慮が必要不可欠である。加えて
バスサービス等の公共交通では輸送密度を高めてはじめて採算面で機能するものであり、トリップ
の集約を図らずしてバス利用促進は図れない。すなわち、都市政策と交通政策の整合性を採りつつ
バス問題解決を図らない限り、たとえば安易な補助制度を続けても持続可能な公共交通システム構
築に向けた本質的解決はできないのである。
この点について、現在の都市政策と中心市街地の活性化(すなわち、需要の集約化ともみなせる)
についての整合しないことを多くの都市経済学を含む地域科学の専門家が指摘している。
現行の都市政策には郊外化を促進させるものが多くあることについては、岩田・中村(2
0
07)に
よく整理されている。郊外化を促進させる代表的な政策としては、弘前市を例にすると、たとえば
以下があげられる。
(1)
中心地の集積力の弱い地方都市での混雑解消や利便性向上に努める道路整備政策。
(2)
地方都市の成長を目的とする第二次産業の誘致政策は地方都市の雇用の場を郊外に向かわせ
ること。
(1)については、消費の多様性は空間経済学や都市経済学の観点からは集積を促進するが、中心市街
地の小売店が消費の多様性を生かしてこなかったとすれば、大店法によって郊外化が促進されたと
考えられる。もし、消費の多様性を生かすように商店街が機能していれば、道路網の整備は集積の
不利益を解消して集積の利益を加速させ、中心商店街の活性化をもたらしたかもしれない。加え
て、弘前では学校や警察等の公共施設の郊外移転により中心部の求心力が分散された面も否定でき
ない。(2)については、第二次産業は土地集約的であるので郊外に工業団地を造成し、企業の誘致を
図る場合が少なくない。弘前市においても石渡や北和徳工業団地、弘前オフィスアルカディアなど
工業団地は市街化区域の縁に配置されている。マクロ的には弘前市に活力を与えるにしても、都市
構造に適合するように公共交通も見直さないと自動車交通を増やすだけで、郊外化を促進してしま
2
5
うと考えられる。
なお、言うまでもないが、交通サービスについては日本では受益者負担の考え方が支配的であり、
高水準のサービスを求めるためには高水準の負担が必要である。したがって、バスサービスの供給
において、需要密度の小さい郊外部において高水準のサービスを維持するのであれば相応の負担を
求めるべきであり、そうでなければ公共交通を必要とする住民に対しては、高水準のサービスを供
給可能な市街地への住み替え等を促すべきであろう。
6.
2 今後の課題
公共交通の見直しのために厳密な議論を行うためには、路線ごとの評価に向けた取り組みが必要
不可欠である。ただし、バス路線の個別評価に関する学術的分析はこれまでほとんどなされておら
ず、筆者の知る限りでは、熊本市の路線バスを対象とした溝上・柿本・橋本(20
05)で行われている
に過ぎない。彼らは、バスの費用特性に関する条件と需要顕在化の可能性の二つの指標によりバス
路線をランク付けする方法を開発している。ただし、彼らのような分析をするためには、今回行っ
たデータ整備が事前に済んでいる必要があり、これにバス会社の財務的なデータを追加した形での
分析、評価が必要となる。
なお、溝上らのバス路線評価では、市場全体の効率性については言及できておらず、バスの採算
性に加えて、経済効率性についても評価するためには理論的に発展させる可能性があることに注意
する必要がある。
とはいえ、これまで感覚的にしか議論されてこなかった弘前市の交通需要特性について、調査を
行い精度の問題はあるにしてもデータの蓄積を行えたことは、持続的な公共交通システムを構築し
ていく上で十分に貢献できたと考える。
謝辞:本稿は平成1
8,
1
9年度の弘前市からの受託研究「弘前市公共交通将来計画調査研究」の成果
の一部である。弘前市企画課の坪田幸治氏及び前任者の中澤俔志氏には交通実態調査等のさまざま
な状況で協力いただいた。バス運行経路に関して弘南バス株式会社乗合部受託路線課の葛西高俊氏
に情報提供いただいた。ここに記して感謝の意を表する。
参考資料
青森県:『生活交通ハンドブック』,
20
07.
青森県:『生活交通における症状別処方箋』,
20
08.
弘前・岩木・相馬市町村合併協議会:『新市建設計画』.
弘前市:『弘前市都市計画マスタープラン』,
平成15年3月.
弘前市・岩木町・相馬村:『合併協定書』,平成17年3月.
岩田真一郎,中村和之:「地方公共交通は復活するか:富山市への提言」
,
『都市住宅学』No
5
.
8,pp9
.−15,
2
0
0
7.
2
6
溝上章志,柿本竜治,橋本淳也:
「路線別特性評価に基づくバス路線網再編手法の提案」
,『土木学会論文集』
,
No
7
.
93/
I
V−68,pp2
.
7−3
9,
2
007.
津軽路線バス調査ワーキンググループ:『津軽地域路線バス維持活性化のための報告書』
,
平成5年9月.
2
7
最新の粉飾決算から学ぶ不正の手口と法制度の有用性
柴 田 英 樹
目 次
一.序
二.I
T関連企業
三.不動産会社及び建設会社
四.その他の企業
五.まとめ
一.序
平成2
0年度(200
8年度)は企業にとって経済的に大変な年であった。サブプライムローンの問題
が世界各国に拡大し、また9月にはリーマン・ブラザーズが倒産したことにより世界同時不況の様
相を呈するようになった。また、円高が急速に進み、輸出企業は多額の為替差損が発生することに
なった。
さらにこうした金融危機により日本では破綻する企業が上場会社で平成2
0年1
2月19日に東証2部
上場の建設会社ダイア建設(負債総額は約3
0
0億円)が、会社更生手続きの開始を申し立てて受理さ
れたとことにより、平成2
0年は33社もの倒産等の企業破綻が発生した。これはバブル崩壊後の平成
4年(19
92年)の破綻企業数2
9社をついに超えてしまった。破綻に追い込まれた企業に多く見られ
るのが粉飾決算である。そこで「最新の粉飾決算から学ぶ不正の手口と法制度の有用性」について
まとめてみることは重要な監査の視点であると思われる。
最近の粉飾事例が多いのは、I
T関連企業と不動産会社及び建設会社である。そこでまず I
T関連
企業の粉飾事例を取り上げ、次に不動産会社及び建設会社の事例を見ていこう。そして最後にこれ
らの業種以外の粉飾事例を検討する。
二.I
T関連企業
(1)I
T関連「サイバーファーム」が粉飾決算
産経新聞1によると、大証ヘラクレス上場の I
T(情報技術)関連会社「サイバーファーム」
(那覇
1
平成20年1
1月1日朝刊。
2
9
市)が、売り上げの前倒し計上を行い有価証券報告書に虚偽の記載を行っていたとして、証券取引
等監視委員会(以下、
「監視委」という)は平成20年10月3
1日、金融商品取引法違反の疑いで、同社
に対し課徴金300万円の納付命令を出すよう金融庁に勧告した。
同社は「決算処理の適正さを欠いた」として内容を修正する訂正報告書を同日、提出した。大証
は同社を監理銘柄に指定した。
勧告によると、同社は平成1
8年3月、本来はまだ業務が完了していないコンサルタント事業など
の売り上げの一部を前倒し計上し、3億83
,
0
0万円の経常利益を水増しした虚偽の内容の有価証券報
告書(平成17年12月期)を提出した疑いがもたれている(筆者がアンダーラインを追加した)
。
同社は、大阪地検特捜部が元社長らを逮捕した I
T関連会社「アイ・エックス・アイ」
(I
XI
、大阪
市)の架空循環取引事件に関与した疑いなどがあるとして、平成17年2月、監視委の強制調査を受
けていた(筆者がアンダーラインを追加した)
。
一方、関与の疑われた架空取引について、監視委は調査で、サイバーファームの資金が複数社を
経由し、また同社に戻るという不自然な資金の流れがあることを確認したものの、
「取引が架空で
あることの証明には至らなかった」とし、現段階での立件は見送る方針である。
ただ、取引の内容は極めて不自然といい、監視委では「今回の調査の結果が、同社の訂正報告書の
内容を正当と認定するものではない」と異例のコメントを発表した。
ここで重要なことは最初のアンダーラインの箇所にある、売上げの前倒し取引を行っていた疑惑
と、次のアンダーラインで示した架空循環取引に関与した疑惑がある点である。これらの粉飾の手
口は前者の手法は以前からよく行われているもので、後者は最近頻繁に行われるようになった手法
である。
ハワード・シリットは、早すぎる収益計上を無害としている2が、決してそんなことはない。収
益を前倒しすると、前倒しをした会計期間は利益が増加するので、そのときの株主は本来よりも多
くの配当を受け取ることになる。一方、次の会計期間には本来計上されるべき売上高が計上されな
いので、利益が少なくなってしまい、次の期の株主は配当金額が減少してしまう。
サイバーファームは、下記のように「過年度決算短信の一部訂正及び訂正報告書の提出について」
のコメントを発表している。
過年度決算短信の一部訂正及び訂正報告書の提出について
当社は、本日の取締役会において、平成17年12月期から平成18年12月期までの過年度決算を訂
正することを決議し、訂正いたしましたので、下記のとおりお知らせいたします。
記
2
ハワード・シリット著、菊田良治訳『会計トリックはこう見抜け』7
7頁。
3
0
1.訂正理由
当社は、平成19年10月3日付「改善報告書」及び平成20年4月17日付「改善状況報告書」にてお
知らせのとおり、創業以来売上の拡大に傾注した経営方針から、売上・利益の中身、質を重視し
た経営方針への転換を図るために、客観性、独立性が高く調査能力も優れている外部有識者、弁
護士1
1名、公認会計士4名を含む合計18名の特別調査委員会を設置し、特別調査委員会に当社の
創業時からの決算等について、会計監査人の監査とは切り離した、適法性、合法性、特に内部統
制状況や適正な会計処理の観点による独立した調査を依頼いたしました。
特別調査委員会の調査の結果、平成18年1
2月期第3四半期決算において、販売先から商品の返
品を受け、買戻し損失として383百万円を特別損失に計上した決算処理について本年10月(筆者
注:平成2
0年)に指摘がありました。
特別調査委員会の指摘によりますと、①平成17年1
2月期に、当社が販売先に対して商品を売却
し、サービスを提供した事実は既に確認・検証されており、平成17年12月期時点で売上計上処理
を行ったことはやむをえない。
②平成1
8年1
2月期第3四半期に、販売先からの申出により、販売先を取り巻く事業環境等を鑑み、
今後の互いの協力関係について見直した結果、販売先と協力関係を一旦清算し、双方が独自で事
業活動をすることで合意となり、平成17年1
2月期に当社が販売した商品について、返品を受け、
買戻し損失を計上した当期の決算処理についてもやむをえない。 一方、①、②を内部統制の観点も含め時系列に捉えた場合、販売先の事業環境の変化が要因と
はいえ、結果的に②の対応を当社が行うに至ったのは、①の決算処理の際に、売上の拡大に傾注
した当時の経営方針のもと、当社は販売先が当社の提供した商品・サービスを活用した事業計画
等の十分な精査を怠り、販売先の経営リソースを勘案した取引審査が不十分であったこと、及び
営業担当者が自己の成績向上のために、販売先が当社から提供を受けた商品・サービスについて
検収する十分な期間を与えず平成17年12月期の売上計上が可能となる日付で検収書を受理し、売
上の前倒し計上の可能性があり、①の決算処理に関して適正さに欠けることは否めないため、自
主的に訂正を行うことで、経営方針の転換を図っている当社の現状を会計処理を含むあらゆる面
において遡及的に反映且つ社内外に周知徹底すべきという特別調査委員会の指摘であります。
当社は、特別調査委員会の指摘事項を真摯に受け止め、今後に向けた大局的な経営上の判断か
ら自主的に過年度の決算を訂正し、訂正有価証券報告書並びに半期報告書を提出することを決議
致しました。なお、今回の決算訂正につきましては、平成17年、1
8年度だけの訂正であり、進行
期である平成20年12月期等他の事業年度には影響を与えない極めて範囲の狭いもので、又訂正に
よる連結財務諸表等に対して、会計監査人からの適正意見が記載された監査報告書を受理してお
ります。
株主の皆様をはじめ、お取引先や金融機関の方々、並びに市場関係者の皆様へ多大なるご心配、
ご迷惑をおかけすることとなりますが、当社にとって今回の訂正は、今後の事業運営上のあらゆ
るリスクを取り除き、より一層投資家の皆様から当社のガバナンスに対するご信頼をいただき、
更なる発展を目指すための措置と認識しております。
今後とも、当社へのご理解、ご支援を賜りますよう謹んでお願い申し上げます。
(以下、省略)
上記の過年度決算短信の一部訂正及び訂正報告書の提出については、筆者がアンダーラインを追
加した。このアンダーラインの部分を読むと、売上高の計上処理はやむを得なかったというもの
の、売上げ至上主義であった点と営業担当者が売り先に検収をさせなかった点が述べられており、
かなり問題のある取引であったことがわかる。
3
1
(2)システム開発会社「ニイウスコー」
システム開発会社「ニイウスコー」
(東京都中央区)=民事再生手続き中=の巨額粉飾決算疑惑
で、債務超過だったのに黒字に見せ掛け、違法配当を行ったとして、同社が元会長(6
0)ら旧経営陣
8人を相手取り、総額約25億60
,
0
0万円の損害賠償を求める訴訟を東京地裁に起こしたことが平成2
0
年1
1月4日、関係者の話で分かった3。
同社をめぐっては、帳簿上だけで商品を売買したように装う架空循環取引により、2
0
0
7年6月期
までの5年間で最終損益を計約2
7
7億円水増しした疑惑が判明した。監視委が、金融商品取引法違
反容疑での告発を視野に調査を進めている。
訴状によると、元会長らは平成1
7年6月期と平成1
8年6月期について、実際は債務超過に陥って
いたにもかかわらず、株主配当を行う議案を株主総会に提出する取締役会決議に賛成したという。
総会の承認を経て、それぞれ計約1
3億25
,
0
0万円(1株当たり20
,
9
3円)と計約12億35
,
0
0万円(同
18
,
00円)を配当した。元会長について、同社側は「捻出すべき利益金額を指示し、一部の循環取引
を行わせた」と指摘している。また、元役員も「元会長の指示を受け、不適正取引に協力した」とし
ている。
一方、元会長は「不適正な取引をしたことはなく、指示したこともない。不正を知っていたら、配
当はしなかった。訴訟を通して自分の意見をきちんと主張したい」と述べている。
同社には、監視委が調査に入っている。どちらの意見が正しいかは、早晩明らかになろう。ニイ
ウスコーは、同社の内部調査委員会が調査を行い、
「調査委員会の調査結果概要と当社としての再
発防止策について」
(以下、
「再発防止策について」という)を平成20年4月30日付でプレリリース
している。同年4月時点で「元会長兼社長ほか元取締役複数名に対し、在任中の違法行為を原因と
する責任追及訴訟を提起いたします」と述べている。この4月のプレスリリースによれば、粉飾は
以下のような手口で行われたようである(筆者がアンダーラインを追加した。「再発防止策につい
て」3.調査結果の概要を参照のこと)
。
・実体の無いとみられるスルー取引
・粗利益5%以上を計上したセール&リースバック取引
・リース契約(会社)を利用した不適切な循環取引
・売上の先行計上とその後の失注処理、買戻しによる循環取引
・不適切なバーター取引による売上
どれがいちばん影響の大きなものだったのかはわからないが、3番目の「リース契約(会社)を利
用した不適切な循環取引」は特に、問題があるといわれる循環取引の中でもあまり例がないもので
ある。つまり費用や損失とすべきものをリース取引として飛ばしていたというものである。
3
時事ドットコム平成20年1
1月4日。
3
2
調査委員会の調査結果概要と当社としての再発防止策について
当社は、平成20年2月14日付で発表した「平成20年6月期中間決算発表に関するお知らせ」で
お知らせいたしましたとおり、旧経営陣の下で不適切な疑いのある取引が行われた可能性がある
のではないかと考えられる状況に至ったことから、新経営陣の下で、社外取締役および社外監査
役のみで構成する調査委員会を発足させ、外部コンサルタントおよびその他外部の専門家の協力
を得つつ、また並行して財務諸表監査を行ってきた監査法人とも歩調を合わせつつ事実関係の調
査・確認等を実行してまいりました。
今般、監査法人との協議内容との整合性が確認できたことを受けて調査が終了し、調査委員会
の調査報告が本日当社取締役会に対して行われ、その内容が了承されましたので、ここに本調査
の結果の概要を下記のとおりご報告し、併せて、当社としての再発防止策をご案内申し上げます。
なお、調査の対象となった不適切な疑いのある取引は全て旧経営陣の下で行われたものであり、
昨年(筆者注:平成19年度)1
1月に新たに選任された現在の経営陣は、業務執行取締役を含めて、
当該取引が行われた時点においては当社との関係を有しておりません。したがって、現経営陣は
全員、本調査について利害相反関係を一切有しておりません。
記
1.本調査の経緯
当社は昨年11月の増資後、経営陣を刷新し、新経営陣の下で従前の事業内容の精査や資産の再
評価等を行ってまいりました。その過程で、過去において不適切な疑いのある取引が行われた可
能性があるのではないかと考えられる状況に至ったことから、徹底的な事実解明のため、弁護士
および公認会計士等の専門家を中心とする調査委員会(委員長 :佐々木公明 当社社外取締役、弁
護士)を発足させ、不正取引調査士の資格を有する専門家を主体とする外部コンサルタント・
チーム延べ3
4名およびその他の専門家とともに調査・確認等を本格的に開始しました。
調査委員会のメンバー
(省略)
本調査においては、不適切な疑いのある取引の発生した原因や背景の解明、責任者への適切な
措置および再発防止を確保するための内部管理体制の構築・強化策の提言等を最終目標として、
過去の取引に関係するデータおよび証憑等の収集・確認、当該取引に関係していた取引先の取引
データとの照合、当該取引の担当者からの供述聴取等、利用可能な様々な手法により、該当取引
の特定、金額の算出、関連時期の特定等の作業を行い、本日を以って、この調査が終了しました。
2.調査手法の概要
調査委員会は、平成19年11月下旬に活動を開始し、平成20年4月まで約5ヶ月間にわたる調査
を行いました。調査の対象となった期間は、平成1
5年6月期から平成19年6月期までの5期間
(
必要に応じて平成14年6月期と平成20年6月期中間期も調査)であり、調査手法としては、
(1)
資産の実在性を確認しその適正簿価を評価する資産実査の手法と、
(2)一定基準の下抽出され
た取引に係る証憑書類を検査し、疑いのある取引と判断されるものについては担当者のインタ
ビュー、電子メール・電子ファイル履歴の検索とその精密な分析を行うという不適切取引発見の
標準的手法を用いました。それぞれの調査で対象とされたものは以下の通りです。
(1)
資産実査
平成1
9年1
2月末時点の連結貸借対照表に計上されている、①商品、②工具器具備品、③建設
仮勘定(リース買取及びその他)、④ソフトウェア、⑤ソフトウェア仮勘定、⑥リース資産のう
ち、残高10
,
00万円以上及び不適切な取引との関連性の疑いがある全資産について、実査を行い
3
3
ました。
(省略)これによって、当社の資産の実態を把握するために必要にして十分な対象資産
の9
7%(金額ベース)の実査を完了しました。
(2)
不適切取引
事業会社ニイウスについて、①売上金額1億円以上、かつ、粗利益率5%未満または30%以
上の全取引、②判明している不適切取引の関与者であると疑われる会社等との50
,
0
0万円以上の
全取引、③資産実査の結果、実体の疑わしい資産に関する取引について、調査を行いました。
これにより、平成15年度から平成19年度の5期間の全売上から明らかに問題のない取引を控除
した売上金額に対して、各年度によってばらつきはありますが、最低74%から最高10
0%の取引
をカバー致しました。また、それ以外の連結対象子会社についても、同様の基準で調査を行い
ました。
3.調査結果の概要
以上の過去5期にわたる調査とそれに基づく過年度修正の結果、合計56取引、売上金額総額68
2
億円の不適切取引が行われていたこと、当期利益への影響額は27
7億円であったことが判明しま
した。
(省略)
(1)
不適切取引の内容
発見された不適切取引の内容は多岐に及びますが、これを分類すると主に以下の5つのパ
ターンに分類されます。代表的な取引の内容を以下にご案内します。
1)実体の無いとみられるスルー取引
実体の無いとみられるスルー取引は、いわゆる循環取引と共通するところがあり、外形的
には証憑書類が揃っており通常資金決済も完了していることから、事情を知る関与者以外の
者が不正取引であることを見破ることはかなり困難ではあるが、本調査において、実体の無
いとみられるスルー取引が認められた。これら実体のないと見られるスルー取引については、
当該取引に関わる売上高を取り消し、売上総利益を営業外収益に振り替えることにより、総
額計上から純額計上に変更している。
2)粗利益5%以上を計上したセール&リースバック取引
本調査では、より一層厳格かつ保守的な会計処理を行うという観点から、金額が僅少なも
のを除き、本来あるべき処理に修正した。
こうした会計処理はセール時点で一時に利益の計上が先行して行われる一方、その後の
リース料の支払に応じて徐々に費用計上が行われるため、計上した期の利益が実態に対して
過大になる。そのため、これらセール&リースバック取引については、当該取引に伴う売上高
を取り消し、売上利益部分をリース期間にわたって徐々に実現させていく形に修正している。
ただし、これらの案件に関しては、営業担当者には不正の意図はなく、会計基準の認識・
理解不足から生じたものであると認められる。
3)リース契約(会社)を利用した不適切な循環取引
売上利益の獲得、または損失計上の回避を目的として、滞留在庫、他のプロジェクトで経
費計上していなかった SE作業コスト、自社における設備投資物件に関わる製品等を売上原
価として、いったん売上計上し、売却先または転売先経由で、会社がリース会社からリース
資産または買取資産として計上するスキームである。
また、会社の代わりに、取引先がリース会社とリース契約を締結し、会社と取引先は別途
サービス契約を締結して、リース料に見合うサービス料を支払うというスキームも見うけら
れる。これらの循環取引は通常の営業取引ではなく、販売に伴う入金とリース料の支払は資
金取引と考えるのが妥当である。従ってこれら循環取引については、当該循環取引に伴う売
上高を取り消すとともに、資金の入金時にはリース未払金(負債)の計上を行い、リース料相
3
4
当額の資金の支払が行われる際に当該リース未払金を取り崩す会計処理に修正している。
4)売上の先行計上とその後の失注処理、買戻しによる循環取引
売上の計上基準を満たしておらず、実際には販売先が「預かって」いる状況にも係らず、先
行して売上を計上した取引において、結果として販売先と成約に至らなかった場合に、会社
は売上の取消しを回避するため、別の転売先を見つけ、最終的には、製品名称を変更するな
どして、この転売先もしくは複数の転売先を経由した後に、会社が買い戻すスキームである。
前述の通り、これら循環取引は売却先への売上が実現していないにもかかわらず、決算上
は売上を計上していたというものであり、本来は販売に伴う入金は資金の預かり、買戻しに
伴う支払は預かり金の返済であると考えるのが適切である。従って、これら先行売上に伴う
循環取引の事例では、当該取引に基づく売上高を取り消すとともに、資金の入金時には預り
金(負債)の計上を行い、資金の支払(買戻し)時には、当該預かり金を取り崩す会計処理に
修正している。
5)不適切なバーター取引による売上
自社保有のライセンス商品等を、市場での実際の水準から嵩上げされた価格で相手方に売
却し、相手方または転売先から別の商品を購入する取引であるが、相手方への当該自社製品
の売却が実需に基づいておらず、売却した商品の価格の嵩上げ分が購入する別商品の価格に
上乗せされる、というスキームである。
前述の通り、これら不適切なバーター取引により、販売時に嵩上げされた売上利益が計上
され、一方で仕入商品はその商品の実際の価値よりも高い評価額で貸借対照表上に計上され
てしまう。これらバーター取引は通常の営業取引ではなく、出荷に伴う入金は資金の預かり、
別の商品の購入に伴う支払は預かり金の返済であると考えるのが適切である。従って、これ
ら不適切なバーター取引の事例では、当該取引に伴う売上高を取り消すとともに、資金の入
金時には預り金(負債)の計上を行い、資金の支払(別の商品購入)時には預かり金を取り崩
す会計処理に修正している。
(2)
不適切取引の関与者
証憑類などの書面、残存する電子メールの内容、当事者および関係者へのヒアリングなどの
結果によると、ディーラー部門においては、個別具体的な不適切取引のスキームや実行方法を
事実上決定していたのは、営業を担当していた旧経営陣2名であり、彼らが不適切な取引を実
行した中心的人物であると認められました。(省略)元会長兼社長については、いくつかのケー
スにおいて個別具体的な取引への直接的関与が推認されるものの、不適切な取引の個別具体的
なスキームや実行方法について、自ら決定して他の旧経営陣らに対し指示する等の直接的関与
を認定するに足る証拠は全般的には認められませんでした。
しかしながら、元会長兼社長は、他の旧経営陣らに対し、売上や利益の目標を達成するよう
強いプレッシャーを与えていたこと、また、不良在庫の処理や損失の回避などを指示していた
事実が認められました。
また、管理部門に属する旧経営陣ならびに下位の実務担当者は、結果的に不適切な取引の一
部に関与しており、たとえ元会長兼社長の指示によるものであるとしても、コンプライアンス
意識が著しく欠如していたか、または、コンプライアンス意識が高ければ何らかの不自然さに
気づいた可能性があったものと考えられます。(省略)
4.不適切取引の原因
旧経営陣の下で不適切な取引が行われた原因は、
(1)一部の旧経営陣による独断専行とそれに
歯止めをかける経営管理体制の未整備、(2)業務プロセス管理体制の不備、(3)一部社員のコン
プライアンス意識の低さであった、という結論に至りました。
3
5
(1)
一部の旧経営陣の独断専行とそれに歯止めをかける経営管理体制の未整備
旧経営陣は、当社の上場直後から、売上と利益成長を経営の第一目標に掲げ、東証一部上場
を目標として、社員を指揮してきました。営業部門へは、達成不可能とも思われる高い社内予
算を課す代わりに、その達成率に応じて高額な給与またはボーナスの支給を保証してきたこと
が明らかになっています。その結果、営業担当者らは、不適切な取引によるか否かは別として、
目標達成と高額なインセンティブの取得へと邁進してきました。
また、旧経営陣は、利益増加の観点から、金融サービス事業における初期開発費用やソフト
ウェアの開発費用などについて、費用計上することを認めなかったことも判明しています。そ
の結果、一部の費用は循環取引の売上原価として処理され、また、その他のコストはソフト
ウェア等の資産として処理されていたことも認められています。このような企業風土を背景と
して、当社において、不適切な会計処理が行われました。
経営管理体制面からみても、当時の取締役会は実態として元会長兼社長による独断専行を許
容する体制であり、案件審査並びに決算承認等において、十分な監視監督機能を果たしていな
かったと考えられます。本来これを防止すべき役割をもつ監査役会についても、たとえば平成
1
9年6月期においては2回開催されているのみであり(平成18年9月21日、平成1
9年2月2
1日)、
このような状況では監査役会としての監督機能が十分に機能していなかったものといわざるを
得ません。
(2)
業務プロセス管理体制の不備
業務プロセス管理に関する組織的問題として、当時案件取り組みから完結に至る一連の業務
プロセスにおいて、取引の実在性、会計上の適正性を確認、監督する社内管理体制の構築、運
用に不備があったことが明らかとなっています。すなわち、当時の当社の業務規定では、受注
および売上計上は営業部門が行い、営業部門からの依頼に基づき業務部門が発注責任者として
発注を行い、経理部門が回収・支払業務を行うという業務フローとなっていたため、営業部門
が形式の整った発注書、契約書等を回付してくる限り、不適切取引の発見は困難な体制となっ
ていました。独立の審査部門が存在せず、審査機能が存在しなかったことが、不適切取引を見
過ごした大きな要因となっていました。
(3)
一部社員のコンプライアンス意識の低さ
一連の不適切な取引の背景には一部社員のコンプライアンス意識の低さの問題が挙げられま
す。当時は、売上および利益増加を重視するあまり、先行発注や、仕入先に対する営業協力(貸
しを作る)という形で立替払いをすることが、会社に損害を与えるリスクを伴った取引である
という意識が一部の社員の間に欠如していた模様です。また、この結果として保有を余儀なく
された不良在庫を、循環取引を通じて最終的にリースバックで処理するという不適切取引が見
過ごされた背景には、通常の正常取引においてもリース会社を多用してきたことから、そのよ
うな正常取引との区別が困難であったものと考えられます。
5.再発防止策
以上の原因を根絶すべく、調査委員会から再発防止策に関する提言がなされましたが、当社に
おいては、提言のあった再発防止策については、現時点において相当部分につき実施しておりま
す。当社では既に導入済みの対策を適切に実施してゆくことに加え、新たな再発防止策の導入も
含めて検討し、今後その取り組みを一層強化していく所存です。当社で実施済みの対策は以下の
通りです。
(1)
経営管理体制の改革
1)経営陣の交代による経営の監視体制の強化(平成19年11月実施済み)
すでにご案内の通り、当社の旧経営陣はすべて昨年10月の株主総会において退任し、新経
3
6
営陣が就任いたしました。新経営陣は、社長の大野健が野村総合研究所から、副社長の米田
光伸が日本アイ・ビー・エムから招聘されており、現在では旧経営陣の影響は当社から完全
に払拭されています。取締役会は9名中7名が社外取締役で構成され、監査役会も3名中2
名は社外監査役であり、経営の監視体制は一新され、格段に強化されています。
2)取締役会及び経営会議での充実した審議・審査体制の確立(平成19年11月実施済み)
昨年1
1月以降、取締役会は毎月開催され、取締役会、監査役会メンバーで構成する経営会
議は、毎週一回開催されています。経営会議では、新事業計画、新組織体制、職務権限規定
の見直し等の戦略的議論をするほか、月次の売上の進捗管理、通常取引以外の全取引の審査、
当社の日常業務状況のモニタリングを行っています。
3)決裁権限規程等の見直しによる権限集中の排除とチェック体制の充実化
(平成2
0年2月実施済み)
決裁権限規程等を改定し、社長や特定の取締役への権限集中を排除したことにより、過去
において事実上元会長兼社長の専権事項となっていた事項が、経営会議または取締役会の協
議事項、決議事項とされ、経営の透明性が確保されるようになっています。この結果、当社
の経営は、業務執行に携わる新経営陣が、常時社外取締役、社外監査役にチェックされる体
制が構築されています。
(2)
業務プロセスの改革と管理体制の整備
不適切取引の原因の一つは、当社の業務プロセスと管理体制の未整備にありました。これを
改善するために、当社は以下の対策に着手しました。
1)審査本部の設置(平成20年1月実施済み)
本年1月1日付けで、審査部門担当及び審査本部を設置し、審査部、購買部(旧業務部)、
プロジェクト管理室を統括する体制を整え、審査部門担当兼審査本部長に UFJ日立システム
ズの社長を務めた浦上淳を任命しました。浦上淳は組織上、営業のトップである事業部門担
当の米田光伸と同格に置かれ、この結果、営業取引案件が、独立の審査本部によってチェッ
クされる体制が整備されました。
2)案件審査会議の設置(平成19年12月実施済み)
不適切な売上高の計上を回避するため、昨年12月から、不合理に粗利の低い取引、先行発
注を伴う取引等、通常の取引形態ではないと考えられるものについては、審査本部長以下の
メンバーで構成される案件審査会議での承認を必要とするというプロセスを実施しておりま
す。この会議は、毎日開催され、リアルタイムでの取引管理を徹底しております。そして、
案件審査会議での決裁権限を越える場合には経営会議に付議し、最終承認を要する仕組みを
整備しています。また、仕入取引の適正化を図るべく、営業部門による口頭発注等を禁止す
ることを目的として、当社の発注は購買部においてのみ行われることを取引先に文書で通知
し、その承諾を得ています。このようなプロセスにより、売上及び仕入について不適切な処
理が行われないような管理体制が整備されております。
3)管理部門の独立化による財務コントロールの強化(平成20年1月実施済み)
同じく本年1月1日付けの組織改革で、人事総務本部と企画財務本部を統括する、管理部
門担当というポジションを設置し、沖本普紀を執行役員副社長 CFOとして迎え入れました。
管理部門担当は、審査部門担当の浦上淳、事業部門担当の米田光伸と同格に置かれ、財務、
経理面から、事業部門の動きを牽制する体制が構築されました。今後は、沖本副社長の指揮
の下、財務、経理スタッフによる管理機能の強化を図り、不適切な経理処理が行われないよ
う万全を期して参ります。
4)内部監査室、コンプライアンス室への専任者の配属による定期的レビューの実施
(平成2
0年3月実施済み)
3
7
内部監査室には外部からこの分野に経験を有するものを招聘し、また、コンプライアンス
室長は社長の大野健が兼任をすることで、日常の業務執行を業務の適切性と法的妥当性から
レビューする体制が築き上げられました。今後、内部監査室とコンプライアンス室は、営業、
業務、経理部門を対象として、定期的監査を行っていく予定です。
5)専門委員会の改組・発足による経営上層部による監視体制の強化(平成20年1月実施済み)
本年1月の組織改革において内部統制委員会とコンプライアンス委員会を合体させその機
能強化を図ることで、会社全体の内部統制状況、コンプライアンス状況のチェック体制の充
実化を図りました。また、同時に、財務リスクを一元的に管理すべく、リスク管理委員会を
発足させ、与信管理、債権管理、売掛金管理、在庫管理等資金面、財務面からのチェック体
制の充実化を図っています。
(3)
社員の意識改革
1)人事報酬制度の改革(平成20年7月実施予定)
営業社員に対し売上、粗利実績に対して支払われてきた過度のインセンティブを廃止し、
来期から会社業績と連動する報酬制度へ移行すべく、外部コンサルティング会社に委嘱して、
新人事報酬制度を設計しています。これにより、営業社員、SE、企画管理部門社員を包括す
る報酬体系を導入し、不正取引の温床となる過度のインセンティブが排除される社内環境を
構築していきます。
2)コンプライアンス・ホットラインの設置(平成20年4月実施済み)
内部統制、コンプライアンス等に関わる事項につき問題点を発見した場合、役職員等がコ
ンプライアンス担当者に通報できるよう、コンプライアンス・ホットラインを本年4月に設
置しました。本年5月には、外部業者の起用により、より社員が周囲に躊躇することなく通
報できる体制を築き上げる予定です。
3)社員教育の実施(平成20年5月実施予定)
外部から弁護士、公認会計士を講師として招聘し、役員レベル、本部長・部長レベル、担
当者レベルに分けて、本年5月よりコンプライアンス研修、内部監査研修等を実施していく
計画です。
6.責任追及・社内処分について
過去5年間に亘る過年度決算数値の訂正という事態に至ったことにつき、一連の不適切取引な
らびに不適切な会計処理を主導した旧経営陣とこれに関与した一部役職員の責任はきわめて重大
であります。当社としては、かかる責任を徹底的に追及し、あわせて同種事態の再発防止を図る
ため、以下の厳正なる対応ならびに処分を行うことといたします。
1)不適切取引を主導した旧経営陣に対する責任追及
元会長兼社長ほか元取締役複数名に対し、在任中の違法行為を原因とする責任追及訴訟を
提起いたします。
2)不適切取引において重要な役割を果たした関与役職員の処分
当時、当社の役職員として不適切取引の実行に重要な役割を果たし、現在ニイウス株式会社
取締役を務めている2名に対し、会社から取締役の辞任を勧告の結果すでに辞任済みであり、
かつ私財の提供を求めております。
3)その他の関与役職員の処分
旧経営陣の指示の下に、不適切取引に関与していたことが認められる役職員に対し、当社
就業規則に基づく戒告処分済みであります。
榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎以上
3
8
上記の「調査委員会の調査結果概要と当社としての再発防止策について」については、筆者がア
ンダーラインを追加した。引用が長くなったが、不適切な取引の具体的内容、原因及び再発防止策
が示されており、大いに参考になる。
粉飾が起きた背景について、経済誌に次のようにふれられている4。
粉飾の一因として挙げられるのは、設立時からトップを務めた元会長兼社長のワンマン経営と、
その下での過度のノルマ主義である。
「ハンドレッド・パーセント・クラブ」と称して成績優秀な
営業マンに海外旅行を与え、業績連動報酬は最高で数千万円にも上った。
こうした企業体質は、母体企業の1社で、主要仕入先である日本 I
BMから引きずったものとの指
摘がある。3年前、日本 I
BMの金融部門では不正会計が発覚している。偶然にもニイウスの粉飾行
為が悪質さを増したのはその直後である。
不正の要因を考えてみると、不正が起こる背景には一般に次の3つの要因があるといわれている。
① 不正を働く動機・プレッシャー
② 不正が働ける機会の存在
③ 不正に対する姿勢・正当化
一番は横領を行なった当人が不正を行なうしかない他人と共有できない金銭上のトラブルを抱え
ていることをいい、二番は当人の信頼された立場からは見つからずに解決できると認識しているこ
と、三番はモラル意識が欠如し、その状況を利用しても問題ないと自ら理由付けられることをいう。
そしてこれら3つの要因を不正のトライアングルという。
この不正理論はアメリカのドナルド・R・クレッシー教授が提唱した横領の発生要因から分析さ
れた。
上記の調査委員会の調査結果の4.不適切取引の原因は、ちょうど不正のトライアングルに対応
している。
(1)の売上至上主義による売上のプレッシャーや高給へのインセンティブが不正を働く
動機・プレッシャーになっている。また、(2)の業務プロセス管理体制の不備は不正が働ける機会
を与えている。さらに、
(3)の一部社員のコンプライアンス意識の低さは不正に対する姿勢が不正
を行うことを正当化している。
(3)情報配信会社、「アジア・メディア」の私的流用
マザーズ上場の番組情報配信会社である「アジア・メディア・カンパニー・リミテッド」
(東証マ
ザーズ上場の中国本土系企業。以下、アジア・メディア社という)が平成2
0年(20
0
8年)9月20日付
で上場廃止になる。平成2
0年6月、アジア・メディア社の前最高経営責任者(CEO)が取締役会の
承認を経ずに、連結子会社の定期預金口座に他社の銀行借り入れのための担保権を設定し、私的に
流用していた問題が発覚した。
4
週刊東洋経済200
8年5月17日号、「疑惑ニイウスの破綻とI
BM、トーマツの影」
。
3
9
不正に担保権が設定されていたのは、アジア・メディア社1
00%連結子会社が2つの中国国内銀
行に持っていた定期預金で残高は計約1
6億10
,
0
0万円であった。北京市内の I
T(情報技術)系企業が
銀行借り入れの担保とし、アジア・メディア社が対価を受け取る契約を結んでいた。
アジア・メディア社は平成1
9年12月期の有価証券報告書の訂正を提出したが、監査法人の監査意
見を得られなかった。東証の自主規制法人が「監査法人の意見不表明で、投資判断の基礎となる重
要情報が適正に開示されていない」と判断、上場廃止を決めた。
私的流用という事実を反映した決算に修正されたのであれば、監査人は監査意見を出すことも考
えられる。仕手筋に対する対抗買いのための社長への仮払など不正な取引が決算前に行われていた
にせよ、問題となった決算自体は粉飾ではなかった可能性が高いし、実際に起きた取引をそのまま
認識・測定・報告している以上虚偽報告には該当しないといえる。
しかし、監査人の立場からすると、アジア・メディアには平気で不正な取引を行なう経営者が存
在しており、あるいは存在していたのであり、虚偽表示のリスクが高すぎるために会社について、
十分な証拠が得られるだけの監査手続を実施することができない。したがって、意見不表明とする
か、監査人を辞任するしか方法はなかったといえる。
マザーズ上場第1号は社長が暴力事件を起こして逮捕されたリキッドオーディオ・ジャパンであ
るが、アジア・メディアは外国企業の上場第1号の会社である。マザーズに上場している企業の中
には問題がある企業が少なくないのは残念なことである。中国企業のコーポレート・ガバナンスに
問題ある企業があることを社会に認知させる結果となった。
(4)
「アイ・エックス・アイ」
(I
)の架空循環取引事件
XI
東証2部上場の情報システム会社の「アイ・エックス・アイ」
(以下、I
XIという)の架空循環取
引事件で、平成20年(20
0
8年)5月に前社長ら幹部4人が大阪地検特捜部に金融商品取引法違反(有
価証券報告書の虚偽記載)容疑で逮捕された。I
XIはインターネット総合研究所(I
RI
)の連結対象
子会社である。
I
XIの各年3月期の有価証券報告書によると、売上高は次のように推移していた。
決算期
売上高
平成14年3月期
25億円
平成15年3月期
55億円
平成16年3月期
113億円
平成17年3月期
175億円
平成18年3月期
401億円
しかし、同社の管財人弁護士らによると、前社長らは平成13年ごろから循環取引を開始している。
取引が破綻する平成1
8年末ごろまでには、関連 I
T企業約2
0社を巻き込む状態に拡大した。平成1
4
年3月期以降の売上総額約12
,
0
5億円のうち、9
8%にあたる約11
,
82億円が循環取引によるものと疑
4
0
われる。
I
XIの粉飾は、社内調査の中間報告で、営業部門の責任者である常務取締役が関与していたこと
が明らかになっているが、I
XIは平成1
9年1月に架空循環取引の発覚により、民事再生法を適用し、
東証2部の上場廃止になっている。外部の協力者なしには成立しない犯罪である。日本 I
BM、デル
日本法人、ネットワンシステムズ、東京リース、日本ユニシスなどの名前が挙がっている5。また、
不正取引による簿外債務が社内調査で把握した範囲で1
0
0億円以上に上るとしている6。
同社が架空循環取引の参加企業に対し、仕入れ金額や転売先などを指示したメールを送っていた
ことも判明した。特捜部は I
XIが取引を主導したとみている。
監査人も、会社に不正経理を認めると誤解されるようなメールを送ると、万一の場合、問題が顕
在化した場合にどうなるかわからない。
(4)システム開発会社「アクセス」の粉飾決算
ジャスダック上場のシステム開発会社「アクセス」の粉飾決算で、創業者である元社長が証券取
引法違反の疑いで逮捕された。
調べでは、元社長らは同社の平成1
7年(20
0
5年)3月期決算が1
1億円の赤字だったのに、本来平成
18年(20
06年)3月期に計上すべき複数のシステム開発関連取引約13億円の売り上げの前倒し計上
で2億円の黒字決算を装い、有価証券報告書に虚偽の内容を記載した疑いが持たれている7。
これは銀行からの融資を続けるために行った売上前倒しによる不正である。
また、逮捕容疑とは別の不正取引疑惑も浮かび上がっている。同社の社内調査で、平成1
4年
(20
0
2年)7月~平成19年(20
0
7年)3月に同社が架空取引の代金名目で一部不適切な売上原価処
理を行い、約20億円を支出し、元社長が実質支配する韓国の会社に流れたとみられることが判明し
た8。韓国の会社が資金難に陥ってアクセスへのリース料を払えなくなったため、アクセスが売り
上げ維持を目的に資金を還流させ、一部が行方不明になったとみている。
創業者が実質支配している韓国の会社に対するリース債権の焦げ付きを隠すために、不正な支払
を行って還流させたということのようだが、その取引の中で、資金が一部でも創業者で元社長側に
流れたとしたら、明らかな背任行為である。さらには、もともとのリース取引自体に実体があった
のかも疑われる。粉飾があったとされるのは平成17年(200
5年)3月期決算である。当時の会計担
当役員だった前社長は、元社長の指示で粉飾に関与したことを認めている。前社長は、過年度にわ
たる不正な経理の責任をとって、平成2
0年(20
0
8年)4月2
8日付けで引責辞任した9。
5
週刊東洋経済平成20年5月31日。
6
日経BPネット平成19年1月2
2日。(ht
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523243/
)
7
門脇徹雄他『上場ベンチャー企業の粉飾・不正会計失敗事例から学ぶ』1
1
4~115頁。
8
門脇他、同上、114頁。
9
門脇他、同上、114頁。
4
1
日本公認会計士協会の不正に関する監査基準委員会報告書第1
0号「不正及び誤謬」の付録1にお
いて不正リスク要因には、次のものが例示されている。
・経営者が株価や利益傾向を維持したり、増大させることに過剰な関心を示している。
・経営者が投資家、債権者その他の第三者に積極的又は非現実的な業績の達成を確約している。
・経営が一人又は少数の者により支配され統制がない。
・通常の取引過程からはずれた重要な関連当事者との取引が存在する。
三.不動産会社
(1)
「ディックスクロキ」破綻、在庫転売が行き詰まり
米証券大手リーマン・ブラザーズが破綻した9月中旬以降、金融機関が不動産向け融資をますま
す絞るようになり、不動産会社の倒産ラッシュも加速していった。
ジャスダック上場の「ディックスクロキ」
(福岡市)が、平成20年11月1
4日に民事再生法の適用を
福岡地裁に申請した。負債は約1
8
1億円ある。
破綻の引き金となったのは平成1
9年までの不動産投資ブームを追い風に購入した土地や開発物件
の転売に行き詰まったためである。ディックスクロキは平成1
9年1
2月に福岡市中央区の天神地区で
複合ビルを開発するため総額約7
0億円で物件を取得した。開発後に総額約1
40億円でファンドに売
却する計画だったが、解約により頓挫してしまった。
ディックスクロキは、平成1
2年1
1月にジャスダック市場に上場し、以来、不動産ファンド及び個
人富裕層に対する開発物件の1棟売りを推進し、7期連続の増収、5期連続の増益を達成した10。
20
08年9月以降は、同業他社の経営破綻が相次ぎ、世界的な金融危機が発生するに至り、不動産
の買い手に対する融資が極めてつきづらくなるとともに、最後の買い手ともいえる財閥系等の大手
不動産会社等の投資に当たっての価格目線も目だって下がってきた。このようなことから、ディッ
クスクロキは物件の売却による資金捻出が困難となった。
不動産市場への資金の流入により急成長し、それがストップするとたちまち破綻するという最近
の倒産のパターンと同じである。
不動産管理事業においては、物件間の競争の激化により、過去数年間に渡り、サブリース物件の
家賃と敷金の逆ザヤが拡大する傾向にあり、資金繰が圧迫される要因となった。
会計的には、逆ザヤ部分の引当の要否が問題になろう。
(2)アーバンコーポレイション
不動産会社の「アーバンコーポレイション」
(以下、アーバン)は平成20年8月13日に民事再生法
10 プレスリリースの「当社民事再生手続き開始の申立てに関するお知らせ」
。
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4
2
の適用を申請し倒産した。アーバンは債券の格付けが下がったり、株価が大幅に下落したり、社長
が担保にしていた自社株が担保権を実行されてしまうなどの問題が表面化していた。金融庁は同社
の平成20年3月期の有価証券報告書の虚偽記載について検討した結果、法令違反の事実が認められ
たとして、平成20年10月24日付で課徴金納付命令に係る審判手続開始の決定を行った。
アーバンは BNPパリバに3
0
0億円の転換社債型新株予約権付社債を平成20年7月11日に発行し
た。そして倒産までの1ヵ月間にほぼ半分の1
5
0億円を株式に転換し、市場でそのかなりの部分が
売却されたとみられている。
転換社債型新株予約権付社債の発行による調達資金の使途について虚偽の記載をしたという不正
だが、すでに平成20年10月10日付で臨時報告書の虚偽記載について同様の決定を行っている。今回
は有価証券報告書における重要な後発事象の注記に虚偽記載があったとされている。
後発事象の注記は財務諸表の一部であり監査人の監査対象なので、金融庁が認めた事実のとおり
だとすると、結果として監査上の判断にも問題があったということになる。
臨時報告書虚偽記載に関する課徴金額は15
0万円だが、今回の有価証券報告書の虚偽記載につい
ては、報告書提出時の時価総額の違いもあって10
,
81万円の課徴金が課せられる。
(3)鹿島建設の子会社「大興物産」で架空の循環取引
鹿島建設の子会社「大興物産」で架空の循環取引が行われた疑いがある。鹿島グループの利益へ
の影響額は約70億円と見込まれている。大興物産の元常務執行役員が、複数の会社との間でソフト
ウエア売買をめぐり架空の循環取引をして、売り上げを水増ししていた疑いがある。それもソフト
ウェア取引の不正である。
建設資材の商社ということで、グループの本業である建設業の内部統制手法では、うまく不正を
防止できなかったのかもしれない。あるいは、グループの管理の網から漏れていた可能性もある。
鹿島グループ全体で見れば、当該架空取引は巨額とはいえない、子会社のレベルでは、会社の存
続にも影響するような重大な不正である。
鹿島建設は、下記のように「子会社の不適切な取引について」のコメントを発表している11。
1.不適切な取引の概要と判明の経緯
同社においてソフトウェア売買取引に係る売掛債権の代金回収に遅滞が生じ、調査の結果、同
社元常務執行役員によって複数の会社との間で架空循環取引と疑われる取引が行われていたこと
が判明した旨、平成20年8月21日に同社より当社に報告がありました。
11 プレスリリースの「子会社の不適切な取引について」
(平成2
0年9月5日)
、
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4
3
2.当社の対応について
同社より報告を受けた後、ただちに調査委員会を設置し本件の内容等の解明に取り組み、概要
が把握できましたので、本日公表いたします。調査等にあたりましては適正かつ厳正に遂行いた
します。詳細につきましては、明らかになり次第速やかに公表いたします。
3.業績への影響について
現時点で見込まれる当社グループの業績(利益)への影響額は概算で約7
0億円であります。な
お、今後の調査結果次第では、金額が変動する可能性があります。
(大興物産株式会社の概要)
本店所在地東京都千代田区
社 長 石川 元道
主要な事業内容 建設資材・建設機械等の加工及び販売、内外装工事等の請負
設立年月日 昭和22年10月3日
株 主 構 成 当社796
.%他
平成2
0年3月期財政状態および経営成績の概要
項 目
資 本 金
金 額
4
00百万円
純 資 産
65
,
04百万円
総 資 産
700
,
90百万円
売 上 高
1685
,
5
6百万円
経常利益
5
59百万円
当期純利益
2
06百万円
四.その他の企業
(1)運送事業「トラステックスホールディングス」の有価証券報告書等の虚偽記載
金融庁の証券取引等監視委員会は、トラステックスホールディングス株式会社に係る有価証券報
告書等の虚偽記載について検査した結果、法令違反の事実が認められたとして、平成20年(20
08年)
11月21日付で課徴金納付命令の発出を勧告した。
その勧告内容は以下の通りである(筆者がアンダーラインを追加した)
。
1.勧告の内容
証券取引等監視委員会は、トラステックスホールディングス株式会社に係る有価証券報告書等
の虚偽記載について検査した結果、下記のとおり法令違反の事実が認められたので、本日、内閣
総理大臣及び金融庁長官に対して、金融庁設置法第20条第1項の規定に基づき、課徴金納付命令
を発出するよう勧告を行った。
4
4
2.法令違反の事実関係
トラステックスホールディングス株式会社は、
(1)
有価証券報告書等について、
① 平成1
7年12月27日、近畿財務局長に対し、売上の過大計上、貸倒損失の過少計上、長期未
収入金及び破産・更生債権等(以下、
「長期未収入金等」という。
)並びに劣後信託受益権の
過大計上等により、連結経常損益が99
4百万円(百万円未満切捨て。以下、連結経常損益額、
連結当期純損益額、連結中間純損益額及び連結純資産額について同じ。)の損失であったにも
かかわらず、これを10
,
8
3百万円の利益と、連結中間純損益が11
,
7
0百万円の損失であったにも
かかわらず、これを57
8百万円の利益と記載するなどした中間連結損益計算書、及び連結純資
産額が26
,
23百万円の債務超過であったにもかかわらず、連結純資産額に相当する「資本合
計」欄に76
,
97百万円と記載するなどした中間連結貸借対照表を掲載した平成1
7年9月中間期
半期報告書を提出し、
② 平成1
8年6月30日、近畿財務局長に対し、売上の過大計上、貸倒損失の過少計上、長期未
収入金等及び劣後信託受益権の過大計上等により、連結経常損益が5
28百万円の損失であっ
たにもかかわらず、これを18
,
85百万円の利益と、連結当期純損益が9
55百万円の損失であっ
たにもかかわらず、これを13
,
14百万円の利益と記載するなどした連結損益計算書、及び連結
純資産額が17
,
96百万円の債務超過であったにもかかわらず、連結純資産額に相当する「資本
合計」欄に90
,
52百万円と記載するなどした連結貸借対照表を掲載した平成1
8年3月期有価証
券報告書を提出し、
③ 平成1
9年1月16日、関東財務局長に対し、売上の過大計上、貸倒損失の過少計上、長期未
収入金等及び劣後信託受益権の過大計上等により、連結経常損益が3
13百万円の損失であっ
たにもかかわらず、これを319百万円の利益と記載するなどした中間連結損益計算書、及び連
結純資産額が605百万円の債務超過であったにもかかわらず、連結純資産額に相当する「純資
産合計」欄に15
,
86百万円と記載するなどした中間連結貸借対照表を掲載した平成1
8年9月中
間期半期報告書を提出し、
④ 平成1
9年6月29日、近畿財務局長に対し、長期未収入金等の過大計上等により、連結純資
産額が16
,
43百万円の債務超過であったにもかかわらず、連結純資産額に相当する「純資産合
計」欄に9
18百万円の債務超過と記載するなどした連結貸借対照表を掲載した平成19年3月
期有価証券報告書を提出し、
⑤ 平成1
9年12月28日、近畿財務局長に対し、長期未収入金等の過大計上等により、連結純資
産額が134百万円であったにもかかわらず、連結純資産額に相当する「純資産合計」欄に849
百万円と記載するなどした中間連結貸借対照表を掲載した平成19年9月中間期半期報告書を
提出し、
⑥ 平成2
0年6月30日、近畿財務局長に対し、貸倒損失の過少計上、長期未収入金の過大計上
等により、連結経常損益が41
1百万円の損失であったにもかかわらず、これを248百万円の損
失と記載するなどした連結損益計算書、及び連結純資産額が2
9
8百万円であったにもかかわ
らず、連結純資産額に相当する「純資産合計」欄に786百万円と記載するなどした連結貸借対
照表を掲載した平成20年3月期有価証券報告書を提出した。
同社が行った上記の各行為は、金融商品取引法第17
2条の2第1項又は第2項に規定する
「重要な事項につき虚偽の記載がある」有価証券報告書等を提出した行為に該当すると認め
られる。
(2)
有価証券届出書について、
① 平成1
7年11月25日、近畿財務局長に対し、売上の過大計上、貸倒損失の過少計上、長期未
4
5
収入金等及び劣後信託受益権の過大計上等により、連結経常損益が2
07百万円の損失であっ
たにもかかわらず、これを656百万円の利益と記載するなどした連結損益計算書、及び連結純
資産額が13
,
66百万円の債務超過であったにもかかわらず、連結純資産額に相当する「資本合
計」欄に72
,
47百万円と記載するなどした連結貸借対照表を掲載した平成1
7年3月期有価証券
報告書を参照書類とする有価証券届出書を提出し、同有価証券届出書に基づく募集により、
平成1
7年12月12日、新株予約権付社債券を50
,
0
00
,
000
,
0
0円で取得させ、
② 平成1
9年1月16日、関東財務局長に対し、売上の過大計上、貸倒損失の過少計上、長期未
収入金等及び劣後信託受益権の過大計上等により、連結経常損益が5
28百万円の損失であっ
たにもかかわらず、これを18
,
85百万円の利益と、連結当期純損益が9
55百万円の損失であっ
たにもかかわらず、これを13
,
14百万円の利益と記載するなどした平成18年3月期の連結損益
計算書、及び連結純資産額が17
,
96百万円の債務超過であったにもかかわらず、連結純資産額
に相当する「資本合計」欄に90
,
52百万円と記載するなどした平成1
8年3月期の連結貸借対照
表、並びに売上の過大計上、貸倒損失の過少計上、長期未収入金等及び劣後信託受益権の過
大計上等により、連結経常損益が313百万円の損失であったにもかかわらず、これを319百万
円の利益と記載するなどした平成18年9月中間期の中間連結損益計算書、及び連結純資産額
が6
05百万円の債務超過であったにもかかわらず、連結純資産額に相当する「純資産合計」欄
に15
,
86百万円と記載するなどした平成1
8年9月中間期の中間連結貸借対照表をそれぞれ掲
載した有価証券届出書を提出し、同有価証券届出書に基づく募集により、同年2月5日、新
株予約権付社債券を3000
,
000
,
0
0円で取得させ、
③ 平成1
9年2月22日、関東財務局長に対し、前記2の(2)の②と同様の内容を記載した平成
1
8年3月期の連結損益計算書及び連結貸借対照表並びに平成18年9月中間期の中間連結損益
計算書及び中間連結貸借対照表をそれぞれ掲載した有価証券届出書を提出し、同有価証券届
出書に基づく募集により、同年3月12日、新株予約権付社債券を2600
,
000
,
0
0円で取得させ、
④ 平成1
9年3月2日、関東財務局長に対し、前記2の(2)の②と同様の内容を記載した平成
1
8年3月期の連結損益計算書及び連結貸借対照表並びに平成18年9月中間期の中間連結損益
計算書及び中間連結貸借対照表をそれぞれ掲載した有価証券届出書を提出し、同有価証券届
出書に基づく募集により、同月19日、新株予約権付社債券を1000
,
0
00
,
00円で取得させ、
⑤ 平成1
9年4月27日、関東財務局長に対し、前記2の(2)の②と同様の内容を記載した平成
1
8年3月期の連結損益計算書及び連結貸借対照表並びに平成18年9月中間期の中間連結損益
計算書及び中間連結貸借対照表をそれぞれ掲載した有価証券届出書を提出し、同有価証券届
出書に基づく募集により、同年5月17日、6
00
,
235
,
4
0株の株券を51
,
020
,
0
09
,
00円で取得させた。
同社が行った上記の行為は、金融商品取引法第172条第1項第1号に規定する「重要な事項
につき虚偽の記載がある」発行開示書類に基づく募集により有価証券を取得させた行為に該
当すると認められる。
平成17年(2005年)3月期から平成2
0年(20
0
8年)3月期までの有価証券報告書や半期報告書、関
係する有価証券届出書において、虚偽記載があったとしている。具体的には、売上の過大計上、貸
倒損失の過少計上、長期未収入金等および劣後信託受益権の過大計上等が指摘されている。
勧告された課徴金の額は、2億24
,
2
4万円である。市場での資金調達に関連する有価証券届出書に
虚偽記載があったということで、多額なものとなっている。
監視委は平成1
7年(2
00
5年)3月期からの虚偽記載を問題にしている。しかし、会社の調査報告
書によれば、平成16年(20
0
4年)3月期に一番問題になる粉飾が行われており、売上高が4
00億円弱
4
6
であるのに、当期純利益が1
2
0億円も水増しされている。訂正前の当期純利益2億円だったのに対
して、訂正後の当期純損失は△1
1
9億円だった。こうした粉飾は株式公開前の平成1
1年(199
9年)頃
から行われていたようである。
この会社は運送事業のほかに運送業務の再委託先(オーナー・オペレーター)に車両を販売する
という事業も行っており、利益面では後者の車両販売の貢献が大きかったようである。しかし、上
場前(平成10年(19
98年)頃)からキャンセルになる契約が急増したため、それを隠すために、顧客
との合意書を偽造するなどして、キャンセルがなかったようにして、売上の取消を行わなかった。
つまり、長期未収入金として計上していた。
また、キャンセルにならなかった契約でもオーナー・オペレーターがローンを払えなくなり、会
社が履行保証契約に基づき信販会社に対して代位弁済するケースも増えてきた。こうした求償債権
に対する引当を避けるために、オーナー・オペレーターとの間の支払に関する合意書偽造を行って
いた。さらに、入金があったかのように、偽装する工作も行われていた。
その後も、平成13年(2
00
1年)頃からは、リースを使った架空売上、架空債権・不良債権の別会社
への付け替えなど、ますます粉飾の泥沼に入り込んでいるようである。これらの粉飾は、当時の経
営者が指揮して行われたものであること、期間の長さが長期に亘ること、粉飾の規模が大きいこと
などを考えると相当に問題のある不正といえよう。
(2)部品メーカー「フタバ産業」が利益の過大計上
東証1部上場の部品メーカーの「フタバ産業」が、平成18年3月期から平成20年3月期までの連
結決算で、不適切な会計処理を行っており、経常利益で計2
4
5億円(概算額)を過大計上していた。
フタバ産業は、これに関して「過年度決算訂正の可能性に関するお知らせ」を発表している。
「…平成20年9月末に、当社の会計監査人であるあずさ監査法人から、当社の金型・
設備に関連す
る仕掛品及び建設仮勘定の会計処理を再調査し、過年度に亘る訂正が必要な場合は過年度決算訂正
を行ってほしいとの要請があり、直ちに社内調査委員会を立上げ、事実確認したところ、過年度の
決算について修正が必要と思われる会計処理が見つかりました。
」
(筆者がアンダーラインを追加)
原因については「仕掛品及び建設仮勘定において振替処理の遅れ・漏れが発生」したといってい
る(筆者がアンダーラインを追加)
。
意図的な粉飾ではないかもしれないが、トヨタ自動車系列の部品メーカーとして厳密な原価計算
をやっていたはずであるから、異常を発見することは可能だったのではないか(例えば原価差額を
調査することによって)という疑問もわいてる。
また、「9月末にあずさ監査法人の指摘を受けて調査した結果、金型の売上原価や溶接組み立て
設備の減価償却の計上に遅れや漏れが見つかった。
」
(筆者がアンダーラインを追加)
操業使用を開始したのに建設仮勘定に計上したまま機械装置に振り替えず放置し、減価償却費を
未計上にしていたことになる。このように費用の過少計上は従来から頻繁に行われてきた不正の手
4
7
口である。
(3)伊藤忠元課長、5
0
0億円超架空取引
産経新聞12によると、伊藤忠商事は平成20年1
0月1
0日に同社の建機・海外プロジェクト部の元課
長が、商品の実際の移動がない架空取引でモンゴル企業に5
0
0億円以上を支払っていたと発表した。
また、別の企業と40
0億円を超える同様の取引があった疑惑もあり、調査を進めている。
元課長は
「取引を広げようと便宜を図った」と話している。元課長を刑事告訴するかどうかは、調査結果を
踏まえて決める。
伊藤忠は平成11年度(19
9
9年度)に、モンゴルの企業から重機を仕入れ、モンゴルの資源関連会社
に転売する取引を始めた。当初は実際に重機の売買をしていたが、資源関連会社の経営が悪化した
ため重機を購入することができなくなった。そこで伊藤忠は重機を買っていないのに仕入れ先に代
金を支払い、この代金が仕入れ先を経由して資源関連会社の資金繰りに使われる事実上の融資が平
成1
2年度(20
00年度)から始まった13。
取引先の資金繰りを助けるため、仕入代金の支払いを仮装して、資金を提供していたという不正
である。さらに重機を資源関連会社に売却することにより、架空売上げを計上していた。当該取引
が実質的に融資だとすると、本来は受取利息に計上とすべきものが売上総利益に計上されていたこ
とになる。仕入計上のタイミングも架空売上時に一挙に計上されるため本来の計上時期より早くな
る。
問題の取引は、一般的な決済手段である L/
C(信用状)を使った取引であるが、この課長は L/
C
発行銀行に対し責任を免除することを独断で約束していたとのことである。問題の取引先グループ
に対する売上の累計は約53
7億円、売買益は約2
2億円である。その他にも同種の架空取引が同じく
らいあるようだが、伊藤忠の規模からすれば、財務諸表利用者の判断に影響を及ぼすような大きな
金額ではない。しかし、平成2
0年(20
0
8年)9月末でこの取引先に対して約1
0
3億円の債権残高があ
り、回収可能性が懸念されている。その他、同様の取引に絡む債権が約1
3
8億円あり、これらについ
ても回収交渉を開始したとのことである。
(4)
機械メーカー「プロデュース」売上金水増し
ジャスダック証券取引所に上場する工作機械メーカーの「プロデュース」
(新潟県長岡市)が、虚
偽の有価証券報告書を提出した金融商品取引法違反容疑で監視委の強制調査を受けた。
関係者によると、同社は株式上場以来、関係会社などと架空取引を行い、不正に売り上げを計上、
決算を粉飾した疑いが持たれており、監視委が強制調査を開始した(筆者がアンダーラインを追加)。
12 平成2
0年1
0月12日朝刊。
13 プレリリース「三国間貿易取引に係る債権の回収遅延及び物流を伴わない金融支援取引について」
。
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)
4
8
電子部品製造装置などに独自の技術を持ち、売上高は平成18年6月期の58億85
,
0
0万円から、平成
2
0年6月期には163億71
,
0
0万円に急伸させている(筆者がアンダーラインを追加)
。
このように売上高が3年間に3倍近く上昇することは通常は考えられないことである。
新潟県内経済関係者は「売り上げがきれいすぎるくらい倍々に伸びており、以前から話題になって
いた」と指摘している。
各期の売り上げの推移
会計期間
売上高
平成1
7年6月期
約31億円
平成1
8年6月期
約58億円
平成1
9年6月期
約97億円
平成2
0年6月期
約163億円
調べなどによると、同社は平成1
7年6月期ごろから、複数の企業間で製品を売買したように偽る
循環取引を行い、水増しした売り上げを記載した有価証券報告書を関東財務局に提出した疑いをも
たれている。各期の売り上げは平成1
7年(2
0
0
5年)6月期約31億円、平成1
8年(2006年)6月期約5
8
億円、平成19年(2
0
0
7年)6月期約9
7億円及び平成2
0年(20
08年)6月期約16
3億円だったが、総額数
十億円が架空だった疑いがある。
まだ粉飾だと確定したわけではないが、おそらく業界全体の売上の傾向からは大きく逸脱してい
る可能性が高い。独自技術を持つとはいえ、たしかに不自然な面がある。
平成20年(2008年)6月期の決算短信14を見ると、売上債権約5
7億円や棚卸資産約3億円が多いよ
うに思われる。しかし、業種の特性もあるので一概にはいえない。連結キャッシュフロー計算書
は、営業活動と投資活動がそれぞれ約1
9億円、1
1億円の赤字であり、財務活動が増資による4
0億円
の黒字であるが、営業活動キャッシュフローについては、表面的には、売上増による一時的なもの
として説明がつく。
こうした架空取引が判明したことにより、社長が辞めただけでなく、平成19年(200
7年)6月期に
会計監査人も退任し、監査人が期中で交代している。ただし、解任ではなく、監査人の方から契約
解除したようである。これによると監査契約の中で会社側は「一般に公正妥当と認められる会計基
準に準拠して財務計算に関する書類及び計算書類等を作成し、法定期限又は監査受嘱者が監査を十
分に行える時期までに、監査受嘱者に対し提出する責任を有する」とされている。しかし、その責
任を果たしていないため、監査人の方から契約解除し辞任してしまった。船が沈む時には、沈む船
から逃げていたいのは監査人とて同じである。
会社側は「当社会計監査人との監査契約が解除となることで、当社の平成2
0 年6月期の有価証券
14 h
t
t
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i
r
.
ni
kkei
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c
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j
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dnr
1/
t
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g3/
4
9
報告書に係る会計監査人の監査意見は受領できないこととなり、現時点では、平成20 年9月30 日
を期限とする有価証券報告書の提出は困難と言わざるを得ない状況にあります」として、監査人に
責任転嫁した書き方をしている。だが、粉飾である可能性が相当高いので財務諸表の適正性に関す
る監査報告書にだまって署名捺印しろという方が無理な話でといえよう。
もちろん、今の段階では辞任せず、(1)すでに提出済みと思われる会社法監査の監査報告書を意
見不表明のものに差し替えたうえで、株主総会において会計監査人の再任を辞退する、
(2)金融商
品取引法監査の監査人としては、会社が財務諸表を訂正しないのであれば、意見不表明の監査報告
書を提出し、財務諸表を過年度分も含めて訂正するのであれば(法定期限には間に合わないが)訂
正された財務諸表を十分に監査したうえで、監査報告書を提出する(その場合でも不表明になる可
能性は高い)、という方法はあり得うる。
しかし、契約を継続することによって、会社と癒着しているように金融庁などから見られると、
会社に対してだけでなく監査法人までつぶされてしまうおそれがある。
(5)
「ジーエス・ユアサコーポレーション」の照明機器子会社の営業所元所長が循環取引
「ジーエス・ユアサコーポレーション」の照明機器子会社の営業所元所長が循環取引をしていた。
約75億円の売上債権が回収不能になる恐れがある。
同社の社内調査で、元所長は平成1
6年(20
0
4年)4月から平成20年(2
008年)7月まで取引先4、
5社との間で実際には商品を動かさずに売り上げや仕入れを計上する循環取引をしていたことが判
明した。
当社子会社の不適切な取引について
このたび判明した不適切な取引および会計処理は、GYL千葉営業所の元所長が、少なくとも平
成1
6年4月から平成2
0年7月までの間、複数の取引先との間で実体のない循環取引を繰り返し
行った上、GYLの各事業年度において係る循環取引による架空の売上および仕入を計上したも
のです。
現時点までの調査では、平成20年8月末の売上債権残高の中で、回収に疑念の生じているもの
は約7
5億円となります。今後、引き続き本件取引にかかわる不適切な会計処理の詳細および各事
業年度の財務諸表などへの影響額についてさらに調査を続けてまいります。(省略)
4年以上にわたる不正であり、公表済みの過年度の決算の修正が必要となる可能性もある。社内
調査を始めたきっかけについては、「当社子会社の不適切な取引について」のプレリリースで、「今
年7月(平成20年:筆者の追加記載)下旬、当社の社内会議において、GYL千葉営業所の売上金額
が事業規模に比べて大きい旨の指摘があり、GYL千葉営業所の事業内容について調査を開始いた
しました。」と書かれている。監査手続的には分析的手続ということになる。
また、会計士をメンバーに含む外部調査委員会を設置し、
「本件取引の迅速な解明」などを行うよ
うである。不正の規模はまだ明らかにされておらず、7
5億円という回収不能懸念額から推測するし
5
0
かないが、平成20年(200
8年)3月期の決算を見ると、売上3
1
00億円、営業利益1
23億円なので、会
社にとって軽微とは言えない。
(6)冷凍食品メーカー「加ト吉」の循環取引
東証、大証1部に上場する冷凍食品メーカー「加ト吉」
(香川県観音寺市)が循環取引を行ってい
るとの通報が平成19年(20
07年)1月1
0日、みすず監査法人にあった。同年1月18日に加ト吉は違
法取引を調査するための内部調査委員会を設置し、さらに同年3月2
0日には弁護士、公認会計士で
構成される外部調査委員会を設置した。
平成19年4月19日には加ト吉は外部調査委員会の調査報告書を受理し、同年4月24日付けで「不
適切な取引行為に関する報告等」と題する報告書を発表した。また、これと同時に、創業者社長ほ
か2名の取締役の辞任を発表した15。
不適切な取引に係る特別損失として、商品在庫の評価減1
0
0億円、売上債権の回収不能額5
0億円が
発生すると発表したが、平成1
9年5月3
0日の決算概要ではさらに2
2億円が上積みされた。これらの
特別損失が発生する理由は商品在庫及び売上債権の正しい評価をこれまで適切に実施してこなかっ
たためである。
加ト吉グループの循環取引事件をしており、それまで増収増益の優良企業といわれていただけに
社会に与えた信用失墜は大きな問題になった。そして循環取引事件に絡み、みずほ銀行系列の債権
買い取り会社から11億円余りをだまし取ったとして、
加ト吉の元常務らが詐欺と有印私文書偽造・同
行使の疑いで再逮捕されて、調べが進んでいる。循環取引は売上水増しを行うことによる粉飾が主
たる動機というより、
不良債権発生を隠すための資金繰り支援がきっかけだったことが判明してきた。
捜査2課などによると、元常務は平成9年(1
99
7年)4月から、岡山県の食品卸売会社と取引を始
めた。その後、この会社が資金繰りに窮したが直接的な資金援助ができないため、伝票のみを回す
循環取引に加わらせて援助金を環流させることを発案した。加ト吉は食品卸売会社から伝票上で栗
などの架空仕入を計上して、約束手形を振り出し続けた。
一方、元常務とともに循環取引を主導していたのは、元光の元社長であった。元光の元社長の役
割は、具体的な品目などを循環取引に加わる企業に指示することにあったとみられる。こうした循
環取引を行っていたが、元光も次第に資金繰りが悪化していった。加ト吉の元常務は食品卸売会社
などとともに、元光にも循環取引の形で運転資金を援助したとみられている。元常務は調べに対
し、
「資金回収ができなくなると、不正な循環取引が会社に発覚すると思い、やめられなかった」と
供述している。
架空仕入の計上や問題のある支払手形の振り出しを東証1部上場企業が1
0年間も続けていたのに
内部統制や内部監査で発見できず、また監査法人による外部監査でも見過ごされていたことは、循
15 井端和男『最近の粉飾』
21
0頁。
5
1
環取引がいかに不正を行いやすく、発見されにくい取引であるかを示している。
捜査2課の調べでは、元常務らは平成1
8年(2006年)8月、加ト吉子会社の加ト吉水産の代表取締
役の偽造印を使って売買契約書などをつくり、加ト吉水産が旧茶谷産業から健康食品を買い入れる
取引があったように偽装した。旧茶谷産業が加ト吉水産に購入代金を請求する債権を持っているよ
うに見せかけ、みずほ銀行系列の債権買い取り会社にこの債権を売却し、約1
1億3千万円を旧茶谷
産業名義の金融機関口座に振り込ませてだまし取った疑いがある。
(7)三井物産の農業資材取引をめぐる循環取引
三井物産の九州支社が、約7年半にわたり、農薬などの農業資材について、複数の企業が互いに
発注を繰り返すなどして架空の売上高を計上する「循環取引」に関与した疑いがあることが判明し
た。そこで三井物産が、農業資材取引をめぐる循環取引問題の社内調査を行い、その結果を発表し
た。架空の売上高は、平成1
2年(20
0
0年)年9月から平成2
0年(2008年)2月までの約7年半で8
2億
円、同社が得た架空の利益は2億19
,
0
0万円である。また、特別損失として平成2
1年3月期には約1
0
億円を、特別損失計上する予定である。利益がなくなっただけでなく、架空取引の循環がストップ
したことによる債権の貸倒があるので、ダブルパンチとなる。
社内調査結果によると、循環取引には福岡県内の9社が関与していた。農薬や土壌改良剤など農
業資材取引を装い、仕入れ先、三井物産、問屋5社、販売先、転売先を経て仕入れ先に還流するルー
トで、実際には商品を動かさず、伝票や納品書のみの取引を繰り返していた。
また、元嘱託社員は、仕入れ先や転売先とは旧知の間柄で、転売先から平成1
8年(200
6年)5月以
降に月40万円、仕入れ先から平成20年(20
0
8年)4月以降に月20万円をコンサルタント料として受
け取っていた。
商社は膨大な数や巨額の取引を取り扱っており、この程度のボリュームの架空取引を発見できな
いのもやむを得ない面もある。しかし、プレスリリースの再発防止策でふれている「特定業務の個
人への過度な依存」にチェックがかかっていれば、もっと早く発見できたといえよう。三井物産は
次のようなプレリリース「
「弊社九州支社における不適切な取引」の調査報告及び再発防止策につい
て」を公表している。
「弊社九州支社における不適切な取引」
の調査報告及び再発防止策について
(省略)
本取引の内容
1)事実関係
本取引は、本件担当者が本取引に係る仕入先、取引先の販売先を含む複数の関係者と通謀の上
行っていたもので、200
0年9月に開始されて以降、本年2月に弊社が弊社内の傾注分野見直しの
結果を受けて本取引から撤退するまでの間(*1)
、弊社名を用いて続けられておりました。尚、本
取引に係る弊社取引先である一部の問屋などにつきましては、弊社同様に本取引が不適切な循環
5
2
取引であるとの認識はなかったものと思われます。
本件担当者は、1995年4月より2002年1
0月迄の間、弊社子会社からの出向受入嘱託社員として、
その後2
0
02年11月から2006年4月迄の間は同社との業務委託契約に基づく業務担当者として(*2)、
更に20
06年5月に本件担当者が自己の会社を設立して以降は同社との業務委託契約に基づく業務
担当者として、弊社九州支社の担当部に所在し、本取引の弊社担当者として本年2月まで本取引
及びその関連業務に関与しておりました。なお、本担当者は弊社の本取引からの撤退以降も、弊
社が本取引に介在しない形式に商流を改めた上で仕入先及び取引先とを仲介し、本取引と同様の
農業資材などの不適切な循環取引に引続き関与していたことが確認されております。
本取引の対象商品は、農地用の防犯器具、土壌改良剤、葉面散布剤等の農業に使用される資材
等です。本取引は、概ね「仕入先→弊社→複数の問屋(取引先)→販売先→転売先→仕入先」とい
う商流で各商品が循環する仕組みとなっておりました(下記図表(1)
)。
本件担当者が本取引を実施した動機は未だ定かではありませんが、本取引開始から相当期間経過
後、本件担当者と通謀の上で本取引に関与していた関係者とコンサルタント契約を締結し、コン
サルティング料の名目で金銭を受領していたこと及び弊社とは一切関係のない当該関係者の取引
に介在し、当該関係者から一定額の口銭を受領していたことも判明しております。
なお、担当部所属員その他の弊社従業員の本取引が不適切な循環取引であることの認識及び便
宜を受けていた事実の有無についても調査致しましたが、現在のところそのような事実は確認さ
れませんでした。
2)本取引の弊社決算に与える影響
弊社の本取引に関わる200
0年9月から本年4月迄の期間の売上及び売買差益(仕入高と売上高
の差額)の累計額は、それぞれ82
,
92百万円及び219百万円と判明しております(下記図表(2))
。
対応する各事業年度の担当部の売上高については、下記図表(3)をご参照下さい。
本取引による影響額は、弊社の過去の各事業年度の業績に比して僅少であり、過年度決算につ
いて遡及的に修正は行わず、本事業年度において上記売買差益の累計額を含めた損失額を計上す
る予定です。なお、当該損失額の弊社の業績に与える影響は軽微であり、弊社の今期業績見通し
には影響はございません。
図表(1)
:循環取引の概要図
弊社仕入先
A社
弊社
〔本件担当者〕
取引先(問屋各社)
販売先
B社
転売先
C社
5
3
図表(2)
:本取引に係る弊社の売上、仕入及び売買差益、並びに弊社全体の決算数値
単位:百万円
2
0
0
1年3月期
2
0
0
2年3月期
2
0
0
3年3月期
2
0
0
4年3月期
2
0
0
5年3月期
2
0
0
6年3月期
2
0
0
7年3月期
2
0
0
8年3月期
2
0
0
8年4月以降
累計額
本取引に係る数値
売上
仕入
売買差益
6
2
6
0
2
4
1
4
0
1
7
8
7
6
2
2
2
7
2
2
1
6
6
9
3
6
7
7
1
5
1
,
5
7
0
1
,
5
2
9
4
1
2
,
8
3
5
2
,
7
6
2
7
3
2
,
7
2
0
2
,
6
4
4
7
6
6
6
6
4
2
8
,
2
9
2
8
,
0
7
3
2
1
9
【参考】弊社全体の決算数値
連結売上
連結税後利益
1
3
,
0
4
8
,
2
1
9
5
1
,
5
8
8
1
2
,
6
3
4
,
6
8
6
5
5
,
3
7
1
1
1
,
4
7
7
,
7
6
3
3
1
,
1
3
8
1
2
,
2
8
4
,
1
1
1
6
8
,
3
8
7
1
3
,
5
8
3
,
9
4
8
1
2
1
,
1
3
6
1
4
,
8
8
5
,
7
7
2
2
0
2
,
4
0
9
1
5
,
2
7
1
,
6
4
9
3
0
1
,
5
0
2
1
7
,
0
0
9
,
0
5
6
4
1
0
,
0
6
1
(注)上記「本取引に係る数値」は、対応する事業年度の弊社の売上高、売上原価及び売上総利益に反映
されております。
図表(3)
:担当部の売上推移
単位:百万円
売 上
2
0
0
0年3月期
2
8
,
9
4
9
(※)
2
0
0
1年3月期
2
0
0
2年3月期
3
4
,
3
9
2
(※)
3
2
,
0
3
6
(※)
2
0
0
3年3月期
2
7
,
9
1
9
(※)
2
0
0
4年3月期
2
4
,
9
5
1
(※)
2
0
0
5年3月期
2
1
,
8
1
9
2
0
0
6年3月期
2
3
,
6
8
1
2
0
0
7年3月期
2
8
,
4
0
9
2
0
0
8年3月期
3
0
,
0
2
8
(注)2004年3月期までは担当部は九州化学品部の一部であり、2005年4月に担当部が同部から分離、独
立致しました。
2004年3月期以前の数字は、担当部に相当する売上を記載しています。
(省略)
上記の「
「弊社九州支社における不適切な取引」の調査報告及び再発防止策について」は、筆者が
アンダーラインを追加した。
このプレスリリースを見ると、たいした不正ではないということを強調するかのように、各年度
の架空取引金額と会社全体の売上高・粗利を対比させた表(図表
(2)及び図表
(3))を掲載している。
問題の取引は平成20年(20
08年)2月まで約7年半にも亘り続けられていた。農業資材は一般消
費者に販売されずに企業間を回り、再び仕入れ先に戻るなどしていた。最近は伝票上だけの架空取
5
4
引が相当部分を占めたとようである。まさに典型的な循環取引である。取引先からこの取引に関わ
る資金繰りについて相談を受けたことが発覚のきっかけとなったとのことなので、三井物産が、結
果として、仕入代金の支払いというかたちで循環取引関与会社の資金繰りを援助していたのかもし
れない。
また、嘱託社員だった男性は2
0
0
6年5月、福岡県内に会社を設立した後も、三井物産と業務委託
契約を結んで取引を続けていた。受発注の承認も含めて、業務委託先にまかせっきりしていたよう
である。三井物産で循環取引により、平成19年(2
007年)度の九州支社の売掛残高は8億円過大に
計上されており、農業資材の取扱高は約6
0億円であった。
(8「
)スギ薬局」
(東証・名証一部上場)の取締役経理部長が私的流用
「スギ薬局」
(東証・名証一部上場)の取締役経理部長が7年間にわたり、約4億30
,
0
0万円を私的
に流用していた。同社によると、経理部長は平成1
0年(199
8年)に入社し、一貫して経理を担当して
きた。部長になって1年足らずの平成1
3年(2
0
0
1年)7月ごろから2
00
8年(平成20年)6月まで、上
司の管理本部長が管理する会社の印鑑を無断で使い、銀行の払い戻し請求書を作成していた。自ら
1
0近くの金融機関に10
0回以上出向いて、1回数百万から約40
,
00万円の現金を引き出していた。
半年ごとの決算期に自分で端末を操作して帳簿の預金残高を改竄し、隠蔽していたとようだ。帳
簿の預金残高の改竄は、残高確認書を偽造するなどの単純な手口での隠蔽ではなく、横領額を他の
資産科目に紛れ込ませるなど、銀行預金の残高だけ検証していてもわからないようにしていた可能
性がある。内部統制監査では、売上、売掛金及び棚卸資産の3勘定の内部統制の評価をするように
なっているが、銀行預金は入っていない。ところが、内部統制の有効性を評価するには、現金・預
金のチェックが一番簡単に把握することができるのである。
(9「
)アリサカ」
(宮崎市)
、店舗改装費の架空計上
ジャスダック上場での娯楽場経営「アリサカ」
(宮崎市)が、少なくとも過去3年間に店舗改装費
の架空計上などの30億円の粉飾決算をしていた。決算を修正すると債務超過になってしまうため、
平成2
0年(20
08年)5月に会社更生手続き開始の申し立てを行うことを決めた。
同社によると、不適正な会計処理は、監査法人による平成2
0年3月期決算の会計監査で指摘され
た。平成17年3月期からゲームセンターの景品や消耗品などの棚卸資産を過大に計上したり、店舗
改装費の未払い金を架空計上したりしていた。このような不適正な会計処理は経営陣らの指示で行
われていたようである。
店舗改装費の未払い金を架空計上とは、修繕費を資本的支出にしていたと考えられる。
前社長は「粉飾は財務担当の専務や経理部長の指示で行われていた。売り上げや利益を優先する
私の指示が部下へのプレッシャーになった」と陳謝した。このように前社長が直接指示はしておら
ず、財務担当役員や経理責任者が勝手にやったというのは真実かが疑問である。
5
5
平成20年5月27日付けのプレスリリース16では、不適切な会計処理の具体的な内容にはふれてい
ない。2007年3月期までの決算数値(単独)をみると、売上高や総資産は大幅に増えているのに、経
常利益は4億円台、当期利益は1億円前後~2億円弱と低位安定している。
五.まとめ
これら最近の粉飾事件を見て、循環取引が非常に多いということがわかる。何故、このように循
環取引が行われるのかと言えば、循環取引は発覚しにくいからである。なぜならば、循環取引に参
加する企業は親会社や子会社の関係にはない第三者取引だからである。例えば、加ト吉の循環取引
は平成9年度(1997年度)からであるので、1
0年間も発見されなかったことになる。
連結財務諸表が主たる財務諸表になり、親子間の不正な取引はできなくなったら、このように新
たに談合仲間を募り、不正を行っているのである。
もう1つの大きな特徴は、ジャスダック、マザーズ、ヘラクレスなどの新興市場の会社が多いと
いう点である。こうした新興市場の会社は創業社長が健在で、ワンマン的な経営を行っているとこ
ろが多い。社長に逆らえば、退社をせざるを得ず、問題があっても他の役員や従業員はなにも口出
しをすることができない。そのため、社長がますます独断専行していくのである。特にマザーズに
上場している企業は上場審査基準が甘いこともあり、問題企業が多いといわれている。
また、売上の計上基準に問題がある場合が多く見られる。例えば、システム開発会社「アクセス」
や鹿島建設の子会社「大興物産」のケースなどである。ここで多く見られるのは、売上の前倒しで
ある。しかも、実際に販売したかがわかりにくいソフトウェアにこうした処理が集中している。
監査人が交代しているような企業は多くの問題を抱えている場合が多い。監査人は会社の不正会
計にいち早く気づき、できれば財務諸表を問題のない状況に修正させようとするが、企業がこれを
拒否した場合には監査人を退任することが少なくない。これは監査人が不正に絡んでいた場合には
逮捕される恐れがあるし、また不正には絡まなくてもその事実を知りながら財務諸表を修正しなけ
れば罰金が取られることになるためである。
銀行から資金調達するためには、赤字にはできない。しかし、大幅な黒字にすると、株主に配当
しなければならず、ますます会社経営が苦しくなる。そこで赤字にはせずに黒字にはするが、大幅
な黒字も出さずにぎりぎりの黒字にするという粉飾も多くの企業が行っている。娯楽場経営「アリ
サカ」のケースはこの典型的な例である。
これらの粉飾決算からいえることは、どのケースも法制度が有効に機能しているケースがほとん
ど見られないということである。
16 プレリリース「複数年度に渡る不適切な会計処理の判明および平成2
0年3月期決算発表の延期について」
。
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e/
00/
2008/
251b001/
251b0010.
pdf
)
5
6
ここで粉飾に対して有効な法制度として挙げられるのは、金融商品取引法(従来の証券取引法)
と会社法(従来の商法)における監査制度である。確かに金融商品取引法は平成2
0年度(200
8年度)
から内部統制報告制度が導入されたばかりであり、その有用性は今後の推移を見守ることが必要で
ある。しかし、従来の証券取引法に基づく公認会計士又は監査法人による証券取引法監査において
も内部統制の有効性は検証してきたのであり、さらに粉飾決算を見抜けなかったことは公認会計士
にとって大きな汚点といわざるを得ない。
これらの粉飾を行なっていた会社は上場会社であり、金融商品取引法の適用を受けるだけでな
く、会社法上の大会社の規定の適用も受けていた。会社法では内部統制の構築することを規定して
いるが、十分に機能していた会社はなかった。また、業務監査を中心とした監査役監査ないしは監
査委員会監査も有効に機能してこなかった。大会社は会計監査人による外部監査が義務付けられて
いるが、金融商品取引法監査の監査人である同一の公認会計士又は監査法人が行うので、金融商品
取引法監査で粉飾が見抜けなかった監査人は会社法監査でも粉飾を見逃していたことになる。
ライブドアの監査人だった田中慎一は、監査制度について次のようにいっている17。
「私は、監査制度そのものの有効性は今もっていささかも揺らいでいないと思う。ただし、残念ながら
最後は監査制度を支えている「人」の問題に行き着いてしまう。米・エンロン事件やカネボウ、ラ
イブドアの事件にしても、監査責任者自身が監査制度を無効ならしめたことによって引き起こされ
ただけなのだ。」
確かに田中のいうように監査制度はそれなりに有効であっても正しく運用されなければうまく機
能しない。粉飾事件が起き、問題が大きければ、監査制度が見直され改善されていく。しかし、ど
んなに監査制度を改善しようと「人」がそれを守らなければ、粉飾はなくならない。
監査制度に欠陥があり、それを修正することは良いことであるが、
「人」の問題に関しても何らか
の手を打たなければ永遠に粉飾はなくならないであろう。
参考文献
Howar
dM.Sc
hi
l
i
t
.2002.Fi
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i
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菊田良
治訳『会計トリックはこう見抜け』日経BP社、2
00
2年12月)
井端和男『最近の粉飾-その実態と発見法』税務経理協会、20
08年10月。
門脇徹雄、VBS研究会VC分科会編『上場ベンチャー企業の粉飾・不正会計失敗事例から学ぶ』中央経済社、
2
00
8
年9月。
柴田英樹『変革期の監査風土-進化する監査』プログレス社、20
02年12月。
柴田英樹『粉飾の監査風土-進化する監査』プログレス社、200
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細野祐二『法廷会計学VS粉飾決算』日経BP社、20
0
8年7月。
田中慎一『ライブドア監査人の告白』ダイヤモンド社、20
06年5月。
17 田中慎一『ライブドア監査人の告白』
193頁。
5
7
移転価格税制の変遷 ~その2~
─無形資産取引の増大と米国 I
RC4
8
2条の改正プロセスを中心に─
加 藤 惠 吉
Ⅰ.はじめに
1
98
6年、わが国においても移転価格税制(租税特別措置法6
6条の4)が施行された。そして、
1
9
90
年代から国際課税の執行、特に米国の移転価格税制(内国歳入法(I
RC)4
8
2条)の強化に現れている
ように、この時期以降国家および課税当局が企業の経営活動における所得を正確に法的に問題なく
捕捉することがどこまで可能であるのかという問題、そして、こういった法律や行政側の対応を通
じて市場を推し図っていくことができるのかという問題も含めて国の執行体制と企業側の考えが相
反することが現実に問題となった。さらに、各国の税収入に影響を与える課税権の国際的な調整を
めぐっても競合が生じた1。特に、それぞれの国の財政赤字等の事情があったとしても、源泉地国
としての課税権を主張し税収入を確保しようとするならば、その国にとっても長期的に見ればマイ
ナスにもなりえる。すなわち、移転価格税制によって税収を自国に移そうとする措置は、他国の対
抗措置を招く。これは、実際前稿においても考察した1
9
8
0年代の、トヨタ・日産追徴課税問題が発
生した後、米国のわが国に対する移転価格税制の発動は続出し、その追徴件数も増加した。特に、
199
4年に国税庁が日本コカ・コーラに追徴課税したケースは、わが国が移転価格税制を施行してか
ら最大の金額であったことに加えて商標におけるロイヤルティという無形資産についての移転価格
税制を適用した点で注目を浴びることとなった。さらに、1
9
9
0年代中盤に入ると、移転価格の算定
については、取引形態のさらなる複雑化により、無形資産に関する移転価格取引を中心に、市場に
おける関連のない企業間における価格(独立企業間価格:a
r
m’
sl
e
ngt
hpr
i
c
e
)の把握が困難になる
事例が多く報告されてきている。
本稿では、前稿「移転価格税制の変遷-1
9
9
0年代初頭までの展開を中心として-」の考察をふま
え、この時代の米国に見られる新たな無形資産関連の移転価格の算定問題、米国の移転価格税制関
連規則改正の変遷を考察し、国際間の課税問題の共通ルールの策定に向けた法改正の動向について
考察していく。
1
本稿は、「移転価格税制の変遷-199
0年代初頭までの展開を中心として-」
『人文社会論叢(社会科学編)』
20
07年 の追稿であり、同稿の参照をお願いしたい。
5
9
Ⅱ.移転価格税制の新たな問題と法改正
1.無形資産取引の増大と移転価格の算定問題
移転価格の算定に伴う独立企業間価格とは、市場において相互に独立の企業間に成立する価格の
ことであった。独立企業間価格の算定に際しては移転価格税制施行後にも、問題点が指摘されるこ
ととなった。それは、移転価格算定方法の不適合性と無形資産に関わる問題である。1
990年代にお
いては、さらなる企業のグローバル化の時代のなかで、企業内の取引そのものが増大するのに応じ
て、取引の多様性、複雑性も増大してきた。そのなかでも、企業の移転価格に対する関心、そして
その対応戦略の中心には、商品、棚卸資産などという有形資産から、技術移転、製品開発、特許権、
経営ノウハウ、サービスの提供、そして金融取引など、複雑かつ多様化した無形資産へと多様化し
た。こうした変化は移転価格に関する問題が一般化するなかで、他方においては、当時、ウルグア
イ・ラウンド等において知的所有権をめぐる国際的な問題が重要な項目としてクローズ・アップさ
れるなかでも特に注目を集めることとなった。
無形資産の移転価格の算定については、複雑性を伴うとともに、算定に際して比準の対象となる
独立企業間の取引が存在しない場合がある。無形資産の本来の特徴が、
「他のものとの違いが独占
的に認められている」ところにあるため、無形資産を含む取引に関しては独立企業問原則を適用で
きにくいのは当然である。このような、従来の方法による算定方式の限界が指摘されるなかで、算
定方法に関して移転価格算定に伴う、前稿でも考察した当初から規定された「基本3法」の適用が
できず、「第4の方法」として代替的に用いてきた算定方法の適用が多くなってきた。そして、これ
問題について、無形資産に関する問題は、米国における移転価格税制に関する規定の重要な法改正
をはさんでクローズ・アップされることとなった。
2.米国移転価格関連法改正につながる前提報告書について
1)19
81年米国会計検査院報告書
移転価格税制に対する関心が高まってくるなかで、米国会計検査院(GAO)は、移転価格に関す
る本格的な実態調査を実施し、その結果を、GAOレポートとして公表した。
このレポートでは、5
0%以上の株式所有で実質支配している在外子会社(CFC:支配外国法人)
との取引をしている米系多国籍企業とその在外子会社CFCとの移転価格に関する実体を調査、分析
している。同報告書によれば調査した5
1
9社のうち、該当企業200社、該当案件4
03件に対し2
77
,
50万
ドルの調整勧告がなされた。このなかで調整税額に占める割合では、有形資産の取引に関する調整
が1251
.万ドル(総額に占める割合451
.%)を占め、無形資産の612
.万ドル(同、22%)
、サービスの
546
.万ドル(同、1
96
.%)、貸付金等の利子が129
.万ドル(同、46
.%)を上回っている。しかし、調整
件数に占める割合では、有形資産の調整件数が3
7件(調整総件数に占める割合92
.%)であるのに対
し、サービスは1
8
4件(同、4
57
.%)、貸付金等の利子が8
4件(同、2
08
.%)そして、無形資産は7
3件
6
0
(同、181
.%)となっている2。これらのことから、技術移転、サービス取引、金融取引など無形資
産の移転に関係する取引が移転価格の案件のなかで重要な位置を占めてきているのがわかる。次
に、移転価格の算定方法に関しては、独立価格比準法によるものが、当該件数の3%(総所得額の
27
.%)に過ぎず、代替的方法が件数の2
66
.%(総所得額の6
53
.%)を占めている点が目を引く。そし
て、特に無形資産、サービスの移転価格に関しては、無形資産で代替的方法1
0
7件のうち5
2件(方法
の内486
.%)、サービスに対しては同2
5件(同234
.%)で、両方で77件(同、約7
2%)を占めている。
また、有形資産についても「第4の方法」によるものが4
7%を占めている3。これらのことは、無形
資産の移転価格やサービスの移転価格(たとえば、経営ノウハウの企業内移転)の評価、算定におい
ては独立企業間取引という比準可能な市場における取引を見いだすことが困難なことが示されてい
る。これはまた、適用すべき優先順位の第1位に内国歳入庁(I
RS)があげている方法、すなわち、
独立価格比準法を強化しようとしているのにもかかわらず、その適用が必ずしも増えていないとい
う事実にも反映されている。
GAOレポートによる、特徴的な事実は、移転価格に関する国際取引についての I
RSの更正による
追徴税・罰金額が、1
9
7
0~19
8
1年までの合計で9
7億8千万ドル(当時)という巨額になっている点
がある4。これらの事実について、中村氏は「調整後税額からその基礎となるべき正確な所得を逆
算することは不可能だとしても、こうした巨額の調整税額の背後には少なくても倍に近い巨額の国
際所得が、さらにその背後には所得の基礎となるべき巨額の国際取引が存在しており、これが正確
に国際収支に反映されるならば、その改善がもたらされることは確実である。
」と述べている。この
ことの意味は、米国の国際収支の赤字が、それ自体として示す問題とは別に、多国籍企業による巨
額の対外所得移転という重要な問題があるということを示している。
2)移転価格に対する執行体制の強化
1)の1981年米国会計検査院(GAO)報告書では1
98
0年代までの移転価格とこれに対する I
RSの
課税調整の実態および特微がわかる。このような実態に対して報告書では、多くの点て移転価格税
制そのものと執行体制側の改善、強化の提言を行なっている。しかし、同時に同報告書は執行上の
困難性に触れ、
「現実的には移転価格に対する取引価格は比較しえないかもしれない。
」とも言うに
及んでいる。
3.外資系企業への課税強化と内国歳入法4
82条の改正
米国会計検査院(GAO)による報告の後、内国歳入法4
8
2条について手直しがなされている。そ
2
Compt
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Mul
t
i
nat
i
onalCompani
es
.中村雅秀『多国籍企業と国際税制』
223~2
25頁。
3
同上書225頁。
4
同上書226頁。
6
1
れは、1982年の税制改革(Ta
xEqui
t
ya
ndFi
s
c
a
lRe
s
po
ns
i
bi
l
i
t
yAc
to
f1
9
8
2
)における、移転価格に
関するプロフィット・スプリット・アブローチ(PS法:利益を分割して配分する算定方法)の導入
である。これらを経て、最初の大規模な改正となったのが、19
86年税制改革(Ta
xRe
f
o
r
m Ac
to
f
1
9
8
6
)における482条の法改正である。48
2条関連でこれはどの改正が施行されるのは同法施行以来
のことであった。この法改正は、前出の米国検査院等の報告書による改善提言による米国の移転価
格税制の全体的な見直しによるものであり、米国の対外課税強化の重要な手段につながるもので
あった。それが、「スーパー・ロイヤルティ条項」の追加である。同条項は「相応性基準」とも呼ば
れるもので、この法改正の結果「無形資産の移転あるいはライセンシング(実施権許諾)にかかる金
額は、当該無形資産に帰属すべき所得の金額と釣り合いのとれた(相応)のものでなければならな
い」という一文が48
2条に付け加えられた。
この改正の背後にあるものは、改正前の4
8
2条が無形資産の移転(譲渡)あるいはライセンシング
に対して適切に適用されていないという認識である。このことに関して、税制改正の際の議会の報
告書は、次のような点を指摘している5。
①高価な無形資産を軽課税国にある関連会社に移転する場合に、
現状の48
2条によってはこの無形
資産に本来帰属すべき所得を米国企業に適切に割り当てるようには必ずしも適用されていない。
②米国企業は無形資産の譲渡の際に、この無形資産(特許権等)を使用して製造される製品が将
来どのくらいの利益を上げられるかどうかは予測できないとして、低い対価またはロイヤル
ティの額を設定しようとしてきた。
③過去において、比較可能取引の存在を認めたことがある一方、無形資産の場合、比較可能な取
引が存在しないことが多くあり、また、独立企業間価格の算定方法が一定しないことも多い。
④ライセンス期間中に無形資産に帰属すべき所得の額に影響を及ぼすような変化が生じた場合に
は、ロイヤルティの額に適切な調整が加えられなければならない。
⑤上記、①および②の点は、米国から米国外に無形資産の譲渡またはライセンシングが行なわれ
る場合に関するものであるが、本改正規定は、米国企業が無形資産の譲受人または実施権者と
なる場合にも適用されるべきである。
⑥研究開発(R& D)のための費用分担(Co
s
ts
ha
r
i
ng)契約は、スーパー・ロイヤルティ条項の趣
旨に合致し、費用分担の内容が各参加企業の行なう経済活動を合理的に反映している等の要件
を満たしている場合には、無形資産から得られる所得の適切な分配方法と認められる。
上記の米国議会の報告書の検討からは、議会自らも認めるように今回の改正、すなわちスー
パー・ロイヤルティ条項(相応性基準)は明確な内容を示しているとはいえない。それは、たとえ
ば、今回の改正前から確立している独立企業間原則について、独立企業間原則を採用したのかそれ
とも異なる原則を採用したのかというような根本的な問題について必ずしも明確な答えを示してい
5
I
nt
er
nat
i
onalExpl
anat
i
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or
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tof1986
“Gener
alExpl
anat
i
on”1011,
1014,
10167.
6
2
るものではなかったことからも推測することができる。このことについて、議会側は「議会は、4
82
条における多くの重要かつ困難な問題がこの改正法によっても未解決であることを認識している。
そのため、議会は、内国歳入庁(I
RS)が関連会社間の価格設定ルールに関し包括的な調査を行なう
べきであり、また、現行規則の変更可能性も慎重に検討すべきであると考える。
」としている6。
この後、この議会側の考えおよび今回の法改正の不十分さを受けて19
8
8年の財務省および I
RSに
よる移転価格に関する調査報告書(一般には、4
82条白書「Se
c
t
i
o
n4
8
2Whi
t
ePa
pe
r
」と呼ばれてい
る)が公表されることとなった。
以上を要約すると、スーパー・ロイヤルティ条項の趣旨は、第1に、無形資産に本来帰属すべき
所得が、無形資産の譲渡者あるいは譲渡を受けその無形資産を使用する実施許諾者に生じるように
対価の支払いがなされなければならない(上記、議会報告書①)ことにある。たとえば、実施許諾さ
れた者が、その無形資産使用によって、実施許諾契約期間中に無形資産に帰属すべき所得の額に影
響を及ぼすような重要な変化が起きた場合にはその無形資産のロイヤルティに適切な修正を加える
ことが付け加えられたのである。考察した1
9
8
6年法改正における、スーパー・ロイヤルティ条項の
追加は、基準が曖昧とも指摘され、これらを調整して補足したのが1
9
88年の「調査報告書(4
8
2条白
書)
」である。これについては、次節で今回の法改正の内容と比較しながら検討していく。
4.移転価格税制の見直しに関する1
9
8
8年48
2条白書
1
98
8年、内 国 歳 入 庁(I
RS)は 移 転 価 格 税 制 の 見 直 し に 関 す る48
2条 白 書(Se
c
t
i
o
n4
8
2Whi
t
e
Pa
pe
r
)を公表した(以下、白書と呼ぶ)
。この白書は、19
8
6年の48
2条法改正によって、スーパー・
ロイヤルティ条項が追加された際に、議会から I
RSに対する勧告に基づいて作成されたものであ
る。また、これまでの研究成果を発表し、この発表に対する内外の弁護士、会計士等の実務家、企
業および学者等の意見等を寄せてもらい、勘案し、具体的な、レギュレーションの作成を行なうた
めに作られたものでもあり、これが主要な目的である7。
そしてこの内容のいくつかは上記の者の意見あるいは反対によって変更され、新規則案発表
(1
992年)、暫定規則施行(1
9
9
3年)
、新規則施行(1
99
4年)へとつながることとなった。そのため、
これらの規則へつながる移転価格税制に関する米国の対応を知る上でこの白書は重要なものとなっ
た。
以下では白書の中の米国の課税当局の考えと、その影響についてみていく。
6
7
中里実、『国際取引と課税』有斐閣、19
94年、30
5頁。
財務省および I
RSは19
89年2月まで白書に対する意見等を受け付け、その後、4
8
2条の財務省規則の改正案を
作成、公表し、さらにその改正案に対する意見等を受け付け、最終の改正規則を作成する予定であった。こ
れは、現実にその通りになっている。
6
3
1)白書の概要
白書の主な内容は、独立企業間価格算定および費用分担(c
o
s
ts
ha
r
i
ng)契約に関する部分と関連
情報の確保等 I
RSの移転価格税制の執行を円滑に行なうための改善策に関する部分に別れる。
独立企業間価格算定に関する部分は、有形資産の販売の場合と無形資産の譲渡等に関する部分に
別れる。しかし、白書の中心は無形資産の譲渡等の場合における独立企業間価格算定方法に関する
説明である。以下、白書の提案している主要な事項を述べる8。
①有形資産の販売に関しては、独立価格比準法の優先適用方法である点は同じであるが、その他
の方法、すなわち再販売価格基準法、原価基準法および第4の方法の適用については優先関係
を撤廃すべきである。この場合、最良のデータを利用できて、かつその方法の適用の際に調整
が最も少なくて済む方法を優先して適用すべきである。また、有形資産の販売に関して、無形
資産の譲渡等が関わっている場合には9、以下に述べる無形資産の譲渡等に関する独立企業間
価格算定方式が適用される。
②無形資産の譲渡等に関する独立企業間価格の算定方法は以下の通りとし、
(ⅰ)の Exa
c
t
Co
mpa
r
a
bl
e
sMe
t
ho
dが優先適用されるがその他の方法に優先順位はない。
(ⅰ)Exa
c
tCo
mpa
r
a
bl
e
sMe
t
ho
d
:通常の無形資産、すなわち技術的に新しさや、革新的なアイ
デア等を含んでいない無形資産である。
これらの無形資産については、比較可能取引も多く存在するので、それとの比較も容易にで
きる。よって、これらの資産にかかる取引については、従来の方法で正確な比較対象取引
(Exa
c
tCo
mpa
r
a
bl
e
s
)10を発見し、それによって独立企業間価格の算定もできるし、その結
果は、所得対応基準によっても従来の方法によっても同様な結果が得られる11。
(ⅱ)
(ⅰ)に対して、他に比較対象が全く存在しないか、またあるとしても、不正確(I
ne
xa
c
t
Co
mpa
r
a
bl
e
)なものしか存在しない種類の資産の算定。たとえば、研究開発を重ねて完成し
た、新薬のような特許権などがある。この新薬のような特許権や製造ノウハウは高収益の無
形資産であり、スーパー・ロイヤルティ条項にもあった「所得対応基準」にも合致するよう
な方法を白書は提案している。
③相応性基準は独立企業間原則に合致するものである。相応性基準のもとでは、ライセンス契約
の途中で重要な変更(例えば、市場占有率の大幅な変化など)が生じた場合には、原則としてロ
8
藤枝純「I
RSによる米国移転価格税制の再検討~日米租税摩擦~〔上〕
」
『国際商事法務』
,第17巻第1号、1
98
9
年、3
8頁。および 藤枝「日米移転価格税制の考察9」
『国際商事法務』
,第2
0巻第3号、1
99
2年、29
4頁。
9
たとえば、親会社が子会社に製品の製造に関する特許権を譲渡または実施の許諾をし、子会社が製品を製
造・販売する場合。または、子会社が製品を親会社に販売し親会社が再販売する場合等がある。
10 関連者間取引と市場規模、競争条件、リスク等が同様で、かつ同様の契約条件で行なわれた無形資産にかか
る取引で、白書では、デジタル時計、コンピューター、電子レンジ他に関する特許権やロイヤルティの例を
あげている。
11 川田剛『国際課税の基礎知識(改訂版)
』税務経理協会、1
99
0年、159頁。
6
4
イヤルティの額を見直す必要がある。この見直し義務は、ライセンスの場合に限らず、無形資
産の譲渡の場合にも適用される。
④費用分担契約(c
o
s
ts
ha
r
i
ng)については、研究開発(R& D)費等についての、真の費用分担契
約と認められるための要件を厳格にした。また、開発される無形資産から将来得られる利益の
予測に変化が生じた場合には、費用分担割合を変更する必要がある。
⑤セーフ・ハーバーの考え、すなわち何%の料率または何%から何%の料率の範囲であれば、と
いう案は採用できないとして削除している。
⑥I
RSによる移転価格税制の執行円滑化のためには、関連企業情報の入手に務め、企業に移転価
格算定方法の説明を義務づけること等が必要である。
2)白書の影響について
白書は、財務省および I
RSの研究結果をまとめたものであり、この白書自体が各界の意見等を聞
いた上で規則案を作成する基となったものである。しかし、この白書の内容は米国移転価格税制の
規則変更を含有するものであり、従来の独立企業間原則の枠組みをも取り払うような内容も含んで
いる。そのため、白書の提案がそのまま実現されるならば、移転価格に多額の更正が行なわれる可
能性がある。その結果、多くの相互協議が必要になることも考えられる。特に、I
RSが価格の変更
(見直し)条項に基づき I
RSが更正をおこなった場合、相互協議において合意を得るのは難しい。
白書は価格の見直し義務が独立企業間原則に合致したものだと述べているが、米国外の税務当局が
この考えに同意できるかは疑問であるとの米国側からの意見も出ている12。
3)白書に対する反応
白書が公表された直後の19
8
8年1
0月、ワシントン D.
Cにおいて白書に関する会議が開かれ、各国
の税務当局の代表者が意見を述べる機会が設けられた。そこで、問題となったのは、まずロイヤル
ティ等の見直し義務の従来の独立企業間原則からの乖離についてである。このなかでは、白書の方
法は従来の方法とは異なったものであり、賛成できないというもので、この白書の内容が実現され
れば、相互協議事案が増加し、また相互協議が行なわれても合意が困難であるとの意見が出た。ま
た、企業は、より厳しい米国の基準に合わせて価格設定を行ない、その結果米国側により多くの税
金を支払い、他方の当事国に対して米国よりも少額の税金を支払うという弊害が生じるかもしれな
いと発言している13。
この会議のような内容、意見を経て規則案を作成することが本来のねらいであった白書の目的
上、米国側には多数の意見が寄せられている。わが国からも、上記の会議に出席して意見を述べた
12 藤枝純「I
RSによる米国移転価格税制の再検討~日米租税摩擦~〔下〕」
『国際商事法務』第17巻第2号、19
89
年、184~18
5頁。
13 藤枝、同上書、1
85頁。
6
5
り、経済団体等が意見を米国側に送付している。このなかでも反対の意見が多い。このなかで、経
団連による米国の財務長官、I
RS長官、国務長官宛に送られた書簡では、次の点を指摘している。
まず、移転価格算定基準としての独立企業利益比準法(表Ⅱ-1訳)について、基準が不明確であ
り取引の実情等を反映していない。さらに、国際的に共通の慣行として確立されていない。そのた
め、米国がこの基準に基づいて課税を行なった場合には、相手国の課税当局がこの判断基準を認め
る可能性はきわめて小さく、納税者は二重課税を被ることになる。そのため、この白書の提案は再
考すべきであると述べている。同団体はまた、価格見直し義務についても産業界で確立した慣行に
は取引価格の修正はほとんどなく、国際的にもこのような調整制度についての合意は得られておら
ず、納税者は二重課税を受ける可能性が高く、この提案も撤回すべきとしている。また、米国側の
資料作成、提出義務についても事務負担の膨大さ、企業秘密に関わる情報が合まれるなどとして撤
回すべきとしている14。
4)まとめ
白書の公表による各国の反応は、以上のように批判的な意見、修正・撤回の意見が多数を占める
こととなった。米国側の考え方としては、財政赤字が急速に膨らんできた1
98
0年代において、その
削減を目指した財政収支均衡法案(グラム・ラドマン法)等にみられる米国政府の緊縮スタンスの
なかで歳入の確保のための手段の一環であるのは明らかである15。そのため、白書は税の執行当局
の課税の徴収に関する新たな研究の成果の1つともいえる。
白書の内容そして各界・各国の意見、批判等を考慮、参考にして移転価格に関する改正規則案が
1
9
92年1月に公表された。これについては次節で改正案発表までの米国の移転価格税制に関する変
更を見ていく。
5.米国移転価格規則改正案
198
8年の移転価格税制の改正につながる「白書」の公表の後、内外の意見・批判等をはさみ、内国
歳入庁(I
RS)は1
9
9
2年1月に移転価格税制に関する改正規則案を発表した。ここでは、白書の内容
がこの改正案においてどのように変わっているのか比較しながら見ていく。
1)移転価格規則改正案公表までの期間(1
9
8
8~91年)の移転価格税制の動き
白書が公表された翌年19
8
8年に、外資系企業に対する情報提出義務の強化に関する規定の新設の
法律改正が行なわれた。そして、1
9
91年に I
RSは、日本の事前確認制度16を参考に、米国にも同様の
Adva
nc
ePr
i
c
i
ngAgr
e
e
me
nt
(以下、APAと呼ぶ)を導入した。これは、納税者の選別した特定の
14「米国の
「移転価格の白書」 に対する書簡」
『経団連資料No6
.』1
9
94年、9頁。
15 本稿の前稿、加藤「移転価格税制の変遷」
『人文社会論叢』を参照。
16 同上書参照。
6
6
取引における移転価格あるいはコストシェアリング契約について事前にその決定方法の妥当性を確
認する手続である。APAが合意に至った場合、APAでカバーされている取引について I
RSの価格
修正はその根拠となる資料が毎年報告されている限り修正は行なわないというものである。この
APAの制度は追徴の制度を避けるために非常に有力な方法であり、特に過去税務調査のあった納
税者、あるいは現在調査が進行している納税者が APAを採用することは望ましいとされている。
また、I
RSは完全に二重課税を避けるために関係2カ国間で同時に APAを取得することを他国と
協議しており実際多くの国が合意している17。しかし、APAは申請に必要な資料の作成に多大な時
間と労力を必要とする。また取引価格が I
RSに、逐次、把握される等の問題があり、費用対効果が
釣り合わないのではないか等の指摘もなされている。
2)米国移転価格規則改正案の概要
1
992年1月に公表された米国の移転価格に関する新規則改正案の主要な点は以下のとおりである18。
①独立企業間価格・レートを算定するための新しい考え(Co
mpa
r
a
bl
epr
o
f
i
ti
nt
e
r
va
l
:比較対象
利益法の導入)を示した。
②無形資産のロイヤルティのレートは定期的な見直しが必要となる。
③有形資産の譲渡に関しても、従来の独立企業間価格算定方式の優先順位に変更が加えられ、ま
た独立価格比準法以外の算定方法に関して、方法の適用結果が比較対象利益幅(Co
mpa
r
a
bl
e
pr
o
f
i
ti
nt
e
r
va
l
)中に納まるかどうかという確認が求められることになった。
④費用分担契約(c
o
s
ts
ha
r
i
ng)について、明確な基準を提示した。
以下、内容について述べる。
① 無形資産の独立企業間価格算定に対する新しい考え、すなわち比較対象利益法(Co
mpa
r
a
bl
e
pr
o
f
i
tme
t
ho
d:CPM)の導入とは、表Ⅱ-1にある無形資産の改正案に新しく盛り込まれた算定方
式である。これは、適用させるべき優先順位第1位の取引対照法(Ma
t
c
hi
ngt
r
a
ns
a
c
t
i
o
nme
t
ho
d)
第2位の比較対象取引調整法(Co
mpa
r
a
bl
eTr
a
ns
a
c
t
i
o
nme
t
ho
d)によっても、独立企業間価格が
算定されない場合に、比較対象利益法(以下、CPM)の適用がなされるというものである。この
CPMは類似の非関連者の営業利益と対象関連者の営業利益を比較する方法である。それは、非関
連者間の利益水準指標を関連者の財務数値にあてはめることにより、関連者のあるべき、みなし営
業利益を求め、いくつかのみなし営業利益が収斂する幅(CPI
)を決定し、関連者の実際の営業利益
が CPIの中に収まっていれば関連者間の取引は独立企業間価格で行なわれたものとみなされる。他
方、CPIの外になる場合には独立企業間価格では行なわれなかったとされ更生されることになる。
17 田川利一「米国移転価格税制とその対応(下)
『商事法務』No1
.2
,76、19
9
2年、31頁。
18 藤枝淳、前掲「日米移転価格税制の考察9」
29
3頁。
6
7
このようにCPMの中心概念はCPI
であり、個々の取引価格ではなく営業利益を比較する点に特徴が
ある19。 ②無形資産のロイヤルティのレートの定期的な見直しについては1
98
6年のスーパー・ロイヤル
ティ条項(相応性基準)、そして白書の内容を基本的に受けることになる、すなわち、当初の
レートが状況の変化により変わった場合には更生するというものをそのまま受けるものである。
③規則改正案では有形資産譲渡の際の独立企業間価格の算定方法の優先順位を変更し、加えて条
件を付加している。すなわち、従来の算定方式の適用優先順位第1位であった独立価格比準法
の優先順位は改正案も変わらないが、再販売価格基準法と原価基準法の適用が同順位とされ
た。また、独立価格比準法以外の方法の適用結果が無形資産の算定においても盛り込まれた比
較対象利益幅(CPI
)の範囲に収まるかという確認が求められることになった。
④費用分担契約(c
o
s
ts
ha
r
i
ng)については、明確な基準すなわち、研究開発(R& D)に要したコ
ストについては適正な割合で負担されていること、そして、コストの負担割合については、開
発後における所得と見合った形のものになっていること等の基準が設けられた。
表Ⅱ-1 無形資産の算定方式の比較
1
9
6
8年制定規則
白 書
1 独立価格比準法
1 Exa
c
tCo
mpa
r
a
bl
e法
適用
順位 2 挙げられた要素を考慮し
て決定
2
I
ne
xa
c
tCo
mpa
r
a
bl
e法
Ar
m’
sl
e
ngt
h Re
t
ur
n法
Pr
o
f
i
ts
pl
i
tve
r
s
i
o
no
f
Ar
m’
sl
e
ngt
h Re
t
ur
n法
規則改正案
1 取引対照法
2
比較対象取引調整法
(CPIの検証がある)
3 比較対象利益法
表Ⅱ-1 有形資産の算定方式の比較
1
9
6
8年制定規則
1 独立価格比準法
2 再販売価格基準法
適用
順位 3 原価基準法
4 第4の方法
白 書
1 独立価格比準法
2
再販売価格基準法
原価基準法
第4の方法
(適用順位に優劣なし)
規則改正案
1 独立価格比準法
2
再販売価格基準法
原価基準法
(適用順位に優劣なし
但し、CPIの検証がある)
4
第4の方法
(但し、CPIの検証がある)
3)規則改正案の問題点
規則改正案の内容はテクニカルであり、多くの箇所で統計的手法の使用を要求している。その中
で CPIの計算方法について、規則案の中ではいくつかの具体例を示している。しかし、実際の企業
19 藤枝淳「日米移転価格税制の考察1
0」
『国際商事法務』,第2
0巻第4号、1
9
9
2年、424頁。
6
8
活動は改正案に示されているような具体例に示されるような単純なものではない。そのため、実務
上、規則が要求する方式で独立企業間価格が支障なく算定できるのか疑問であるという意見が出て
いる。また、CPI算定のために非関連者の詳細なデータの入手が要求されるが、企業秘密の部分にも
からんでくる場合もあるため、適切なデータが容易に入手できるかどうかも疑問であるとされる20。
比較対象利益法(CPM)および CPIの考え方は、従来の独立企業間価格の算定方式とはかなり
違った方法である。この方法により営業利益の比較が重視されることになり、個々の取引価格の比
較を行なう従来の移転価格税制との整合性が重要な問題となっている。すなわち、日本を含め他の
先進国が採用している移転価格税制とは内容が異なってくるので、この案件に関与した移転価格問
題が発生した場合、関係当事国間による合意が得られにくくなる。その結果、多くの二重課税が発
生してしまう可能性が出てくることになり問題点が発生する。
4)改正規則案の反応
改正規則案は199
2年7月末で、各方面から意見等を受け、公聴会を開催した後、改正規則を1
9
93
年度から適用する旨記載されている。しかし、改正案の、特に CPMおよび CPI
の考え方は 3)でも
述べたようにかなりの批判的な意見等が、そして公聴会においても同様な意見がなされている。そ
のいくつかを見てみる。
1
99
2年5月にはわが国の大蔵省・国税庁が改正規則案の見直しを要求している。その理由とし
て、新しい基準による課税により、米国と日本・ヨーロッパ間で二重課税になる事案が増加する結
果を招きかねないという理由からである21。そして、具体的な要求内容としてはまず OECD等の場
での国際的な統一基準づくりを優先し、それまで新たな規則の導入を見送ること。また、導入する
場合でも基準を緩和し弾力的に運用すること等の要請を行なった。
次に、経団連が I
RS長官他宛に送った意見書では22、CPI
の範囲内になければ更生するという規則
案について、同規則案は企業にかなりの悪影響をおよぼす恐れがあり、I
RSは規則案を次のような
方向で見直すべきであるとしている。まず、今回の規則案においては新しい考え方(CPIの概念等)
が導入されていることから、国際的な二重課税を防ぐために OECDにおいてこれを検討するととも
に、I
RSは条約相手国の課税当局と十分な調整を行なう必要があるとしている。そして、CPIの具
体的な内容については、移転価格の譲渡価格の妥当性の判断に価格そのものについて行なうべきで
あり、価格の妥当性と対応しない営業利益での比較によって行なうべきではない。従って、有形資
産の取引については再販売価格基準法、原価基準法を適用した結果を CPIによって検証するべきで
なく、同様に無形資産の取引に関する比較対象取引調整法による場合にも CPIの検証の適用をする
べきではないと意見している。そして CPIの算定に当たっては I
RS側の恣意性を可能な限り排除す
20 藤枝
前掲「日米移転価格税制の考察9」。
21『日本経済新聞』
19
9
2年5月9日朝刊。
22「米国I
RSの移転価格に関する新規則案に対する意見」
『経団連資料No6
.』1
9
94年、22~23頁。
6
9
る観点から、より広い適用事業分類を使用する場合には、狭い適用事業分類は使用できないことを
I
RSが証明するべきであると意見している。
また、日本貿易会の意見書では、まず、規則改正案の内容がそのまま規則となる場合、経済的二
重課税が発生する可能性が高いので CPI等の新しい概念については OECD(経済協力開発機構)等
を通じて他国の合意を得てから導入するべきだとした上で、移転価格に関する更生は慎重にするべ
きだと述べている。また、CPIについて、CPIに基づく更生はある会社の利益率が同業他社のそれ
よりも低いのは関連会社との取引価格が独立企業間価格でないという仮定を前提としている。しか
し、自由経済のもとでは、他社との競争に負けないために価格を下げ、その結果利益率が低くなっ
たとしても、それは許容された経済行為であり CPIによる更生は妥当ではないとしている。また、
CPIが適用される場合、その比較可能な第三者的企業を探し出すのは困難であるとしている。そし
て、その他については、日本経済団体連合会(経団連)の意見書と同様の問題点を述べている23。
このように、規則改正案に対する意見はここで取り上げなかった国・団体も含めてかなり厳しい
意見が多い。そして、これらの意見を受け付けた後での公聴会においても同じような批判意見が当
時多数を占めた。
5)米国側の移転価格税制改正規則案に対する動き
1
99
2年4月、米国が移転価格税制強化をとる背景を示す調査結果が開示された。そこでは米国が
移転価格税制を強化するに至った外資系企業の調査結果に(1
98
1~89年)が報告されている。これ
は、米国議会下院歳入委員会の監督小委員会の外資系企業の過少納税問題につき開催された公聴会
によるものである。
同公聴会においては、小委員会による外資系企業3
6社の調査結果が報告され、外資系企業の売上
に対する課税所得の比率が非常に低いことが強調された。また、同小委員会の委員長は外資系企業
の過少納税分の総額は毎年3
0
0億ドルにも達しているという発言をしている。この3
00億ドルという
数値は、当時の米国の財政赤字額に占める割合では1
9
83年度で赤字額19
,
5
4億ドルの内1
5%超、1
98
6
年でも13%以上の数値を占める大きなものである。同委員会は、外資系企業の過少納税問題は移転
価格の操作によるものであり、移転価格に対する I
RSの執行姿勢に対し意見を求めている。これに
対して、I
RSのピーターソン長官(当時)は外資系企業の利益率が低い理由が全て移転価格の操作
によるものではないとした上で、現在税制改革に基づいて移転価格税制の執行を強化している最中
であり、その成果の評価には時間を要すること、そして前記外資系企業3
6社についても I
RSでもす
でに税務調査で把握済みであり調整が行なわれるとしている。その上で I
RSが公聴会に提出した資
料、報告書をもとに24I
RSとしても外資系企業の利益率が米国系企業に比べて低いことを認識して
23 藤枝淳「日米移転価格税制の考察1
5」
『国際商事法務』,
第20巻第9号、1
9
9
2年、1,
1
29頁。
24『国際税務』第1
2巻、第6号、199
2年、15頁。
7
0
いることを述べている。その上で同報告書は外資系企業の利益率が低い部分の5
0%は移転価格以外
の理由に基づくということを述べている。その理由としては、為替の変動、スタート・アップ・コ
スト、最近において資産を買収した場合、簿価が高くなること等を指摘している。そして、残り
50%は移転価格によるものだと I
RSは主張している。ただ、議会小委員会のいう3
0
0億ドルという
数値は過大で外資系企業による税収の減少額は数十億ドル程度であると I
RS、財務省側は主張して
いる。
しかし、I
RS長官の言う50%は移転価格の操作によるものだという考えは、恣意的な移転価格の
設定によるものであるかは分からないことに加え、収益性の測定の比較が全体を見るのに有効かど
うか確実なことはいえない25。しかし、このような公聴会での背景を見ると、I
RSは当時日本を始
めとして外資系企業の移転価格に対する課税を強化しようとしていたのは明らかである。また、こ
れに加えて当時、民主党の大統領候補であったクリントン氏は外資系企業の移転価格操作による過
少納税問題について4年間で4
5
0億ドルの増収を唱えている。
6)まとめ
規則改正案の内容、そして規則改正案に関する意見は特に CPIの考えを中心として批判がなされ
たことは、上述のとおりである。規則改正案は解説してきたように米国が独自にルールを策定して
きた新しい考えを含んだものである。そのため、各国が改正案の内容が国際的に培ってきたルール
と乖離していることを根拠に批判するところとなった。そのため、多くの規則改正案に対する意見
のなかで国際的な OECDの場での議論を優先させるような意見も多発したのも当然である。逆に、
規則を改正しようとしている米国側の論理は外資系企業の低利益率等を根拠として課税強化を推し
進めている。さらに、大統領選任の年、膨大な財政赤字の削減を唱えるクリントン氏が外資系企業
に対する課税強化は自由貿易を妨げるとして反対を唱えたブッシュを破り大統領に選ばれている。
このようななか、種々の状況そして規則案に対する意見等を鑑みた上で米国移転価格税制に関する
新規則(暫定規則)が公表され施行されることになった。以下述べていく。
6.199
3年米国移転価格新規則
内国歳入庁(I
RS)は、19
9
3年1月に移転価格税制関連4
8
2条に関する新規則を公表した。新規則
は最終規則ではなく暫定規則という形式で公表された。
(以下、暫定規則と呼ぶ。
)。また、同時に移
転価格に関するペナルティ規則案と利益分割法に関する規則案も公表された。
暫定規則は先に公表された改正規則案に対して提出された多くの意見等を考慮した上で、その内
容を変更して公表されている。
25 同上書、1
5頁。
7
1
1)暫定規則の概要
① 移転価格税制改止規則案のなかで最も反対意見が多く、批判された CP(
I比較対象利益幅)の
役割は低下している。また CPIという名称自体は暫定規則のなかでは使用しておらず、その代
わりとして比較対象利益法(CPM)に基づいて設定されるみなし営業利益の一定の幅が CPIに
相当するものとなっている。すなわち、規則改正案にあった移転価格算定方式における再販売
価格基準法や原価基準法の結果がCPMによって検証され、また検証の結果I
RSから否認される
という事態はなくなった26。しかし、CPMは有形資産、無形資産の取引の両方において、従来
の個々の取引を基準に独立企業間価格を設定する独立価格比準法、再販売価格基準法、原価基
準法と同列に扱われることとなっているので、算定方法の運用次第では利益比較の手法である
CPMが実際には重要な役割を持ってくる可能性もある。また、暫定規則は状況に応じて最も正
確な結果をもたらす方法を適用して独立企業間価格を設定すべきであるというアプローチを
採っている,これが新しく導入された
「最適方法ルール」
(Be
s
tme
t
ho
dRul
e
)である。このルー
ルのもとで最も正確に独立企業間価格を算定することができる方法が選択されることになる。
暫定規則のもとの有形資産、無形資産の取引の算定方法については表Ⅱ-3~4において暫
定規則案の方法と対応させながら書かれてある。この表を見ると暫定規則は、改定案よりも、
柔軟になっている。まず、暫定規則案のすべての価格算定方法に幅の概念を導入している
(CPIの導入には多くの批判意見がよせられたが、幅の概念を用いること自体は前提の規則案
に対する意見等から評価された。
)
。これが「独立企業間価格幅」
(a
r
m’
sl
e
ngt
hr
a
nge
)である。
関連者問の取引に関する価格がこの独立企業間価恰幅の範囲内に入るならば更生は行なわれな
いが、範囲外となった場合には、原則として幅の中心点(mi
dpo
i
nt
)まで更生される。
他方、規則改正案よりも厳しい規定もある。それは、表のその他の方法を納税者が選択する
場合にはその適用方法の適格な使用理由を文書にして提出しなければならないことがある。算
定に関して以上のことを要約すると暫定規則が独立企業問価格算定を柔軟に行なう代わりに、
納税者には独立企業間価格算定のために事前に十分調査・検討することが要求されている。
② 暫定規則では定期的調整すなわち19
86年のスーパー・ロイヤルティ条項(相応性基準)を具
体化させている。規則改正案において厳格な定期的調整の規則案を公表したとき、米国以外の
国には定期的調整の規則を採用していないので、米国が同規則を厳格に執行するならば経済的
二重課税が増加するという多くの批判意見がよせられたのを機に、規則案よりも適用の例外の
範囲を広げている。ただ、その範囲は限定的なものであり納税者にとっては困難な状況になる
可能性もある。
26 藤枝淳「日米移転価格税制の考察2
0」
『国際商事法務』第2
1巻第2号、1
99
2年、21
1頁。
7
2
③ 暫定規則においては小規模事業社用にセーフ・ヘイブンを導入している。有形・無形資産の
その他の方法としては残存利益配分法、使用資本利益配分法、比較対象利益分割法、その他の
利益分割法があり、種々の手続要件が課されている。
④ 費用分担契約(c
o
s
ts
ha
r
i
ng)については留保している。
表Ⅱ-3 無形資産の算定方式の比較
規則改正案
暫定規則
独立取引比準法
利益比準法(CPM)
1
取引対照法
2
比較対象取引調整法
(CPIの検証がある)
3
比較対象利益法(CPM)
その他の方法(上記 4つの方法が
適用できない場合)
(CPIの検証な
し)優劣なし
最適方法ルールで状況に応じて適
用方法が決定される
表Ⅱ-4 無形資産の算定方式の比較
規則改正案
1
独立価格比準法
2
再販売価格基準法
原価基準法
(適用順位に優劣なし但し、CPI
の検証がある)
4
第4の方法
(但し、CPIの検証がある)
暫定規則
独立価格比準法
再販売価格基準法
原価基準法
比較対象利益法(CPM)
その他の方法(上記 4つの方法が
適用できない場合)
(CPIの検証な
し)優劣なし
最適方法ルールで状況に応じて適
用方法が決定される
2)暫定規則の問題点
1)でも述べたように暫定規則は、独立企業間価格算定の方法として CPM(比較対象利益法)を
採用している。CPMの考え方の基本は規則案に定められていた CPI
(規則案参照)と実質的に同じ
である。このため、今まで国際的に認知されてきた独立企業間価格の算定方法である独立価格比準
法等が個々の取引を比較・検討するのに対し、CPMは企業の営業利益を比較・検討する点が特徴
となっている。しかしながら、各企業毎に経営の目的・方針、効率性、経営者の質等多くの点に差
異があるので、営業利益の差を移転価格の差に結びつけることは理論上無理があるというような意
見が規則改正案が公表された時点からあった。しかし、暫定規則においても採用されたため各界か
らの批判意見がなされる矢面にたたされることとなった。
7
3
3)まとめ
この暫定規則は19
9
3年4月より後に開始され、ペナルティ規則と利益分割法に関する2つの規則
案については、前の改正規則案公表の時と同様に意見、公聴会を経て必要な変更を加えた後で規則
として公表される。
また、暫定規則公表後行なわれた公聴会、意見等の受付においての暫定規則についての意見は
CPMの改善に関するものが規則案の時と同様多数を占めた。
7.米国移転価格最終規則とペナルティ新規則
米国内国歳入庁(I
RS)は1
9
9
4年に移転価格税制に関する規則を続けて公表した。1つは1月に
公表された移転価格に関するペナルティ新規則である。このペナルティ新規則は1
99
4年1月1日以
降に開始される事業年度から適用され、暫定規則のため3年以内に最終規則が作成されない場合に
は失効するものである。2つめは7月に公表された移転価格改正最終規則である。この最終規則は
199
3年1月に公表された暫定規則ならびに利益分割法規則案等を OECDによる提言、そして多くの
意見等の内容を考慮の上、修正したものである。最終規則は1
994年10月以降に開始する事業年度か
ら適用された。
1)移転価格ペナルティ新規則
ペナルティ新規則は1
9
9
3年8月に財政赤字削減のためにクリントン新政権が議会に可決を求めて
いた包括財政調整法(OBRA)の成立を受けて規定されたものである。包括財政調整法は1
99
4年か
ら1
99
8年の5年間に49
,
6
0億ドルの財政赤字を削減するというものである27。
同法による改正は、所得税、法人税率の引き上げと共に、内国歳入法66
,
62条の強化規定も含んで
いる。改正前の66
,
6
2条は 「物について I
RSにより正当と決定された価格2
0
0%以上の過大評価申告
を行なった場合には20%のペナルティを課す。」というものであった。この条文に対して当時のク
リントン政権が当初から提言していた外資系企業課税強化策がとられたのである。
19
93年改正法における I
RC66
,
6
2条の主な改正点は次のとおりであった28。
① 移転価格課税における課税所得が増額更生される場合、過少申告加算税(ペナルティ)とし
て不足納税金額の4
0%(または2
0%)が課されることになった。
② ①のペナルティ除外の要件として従来定めていた「合理的理由がありかつ善意」の要件を削
除した。
このペナルティについては意図的に租税を回避した場合の再発防止を目的とした懲罰の意味があ
る。しかし、このペナルティに対する規則案が公表後の多くの意見・批判、たとえば経団連の意見
27『財政金融統計月報』
1
9
94年4月、2頁。
28『国際税務』第1
4巻、第4号、199
4年、11~1
4頁。
7
4
陳述では「移転価格税制は国際的な課税の調整手続きであり、この調整に罰則をかけることは不合
理であり、国際的ルールに反する。従って、罰則の適用は、I
RSが納税者の租税回避、脱税の意図を
立証した場合に課すべきものである。」というような意見はとり入れられていない29。このため、ペ
ナルティ条項にある40%(または20%)の過少申告加算税は納税者に重い負担となって企業の価格
設定に大きな影響を持つようになっている。このため、この条項に関する最終規則の公表の前に引
き続き多くの批判等が I
RSへ送られる結果となっている
2)1
99
4年米国移転価格最終規則
1
99
4年7月に公表された移転価格最終規則は、19
86年の内国歳入法(I
RC)
48
2条の改正以降続け
られてきた規則改正事項をいくつかの規則等を残して一応の締め括りを得たものである。
以下、要点(当時)を概観する。
4
82条-1「納税者間の所得および控除の配付」
この条項では独立企業間原則を述べ、暫定規則において既に採用されていた最適方法ルール
(Be
s
tMe
t
ho
dRul
e
)の引き続きの採用、比較可能性の範囲を拡大したこと、独立企業間幅の
概念を規定している。
48
2条-2「特定の状況下における課税所得の決定」
19
6
8年規則からの同様の状況を規定している。
48
2条-3「有形資産の譲渡の課税所得の決定方法」
この条項では有形資産の移転価格の算定方法を規定している。その方法として独立価格比準
法、再販売価格基準法、原価基準法をまず規定し、そして同等の方法として比較対象利益法
(CPM)そして、規則案として1
9
9
3年に出されていた利益分割法(PS法)が採用され、その他
の方法も同順位で採用されている。ただし、CPM以降の方法は同条項によれば最後の手段と
して用いるよう規定されている。また、上記の全ての方法は暫定規則で規定された最適方法
ルールによることとされている。
4
8
2条-4「無形資産の譲渡の課税所得の決定方法」
この条項では無形資産の移転価格の算定方法を規定している。その方法としてまず暫定規則と
同様、独立取引比準法、比較対象利益法(CPM)を規定している。そして、ほとんど同等の方
法しかし最後の手段として用いるよう規定されている利益分割法、その他の方法が規定されて
いる。また、有形資産の場合と同様、最適方法ルールが適用されることとしている。また、無
形資産については、以前からの懸案であった無形資産に対する相応性原則の事項が確定した。
これが「無形資産の開発者規則」である。この規則は関連者取引において移転された無形資産
29『経団連資料No
6
.』19
94年、31頁。
7
5
が関連者によって開発されたり、または関連当事者間の事業活動の結果、その価値が増加した
場合、移転価格税制上当該無形資産および同無形資産から生じる利益は、どちらの関連者に帰
属するべきかを定めるものである。最終規則においては経済的な所有権よりも法的所有権を重
視する立場を採っている。
4
82条-5「比較対象利益法で(CPM)
」
ここでは CPMの具体的な方法を規定し細かい計算方法等を明示この方法による独立企業間価
格の算出過程を示している。
482条-6「利益分割法(PS法)
」
この条項では利益分割法における利益および損失の適切な割合について規定している30。最終
規則においては、残存利益分割法と比較対象利益分割法が明示された。これ以外はその他の方
法として位置づけられた。
4
82条-7「費用およびリスクの分散」
この条項は費用分担(Co
s
ts
ha
r
i
ng)に関する規定である。ただ、公表時点で最終条項となって
いないので以下は割愛する。
3)最終規則の問題点
最終規則の問題点としてはまず、暫定規則からの批判等に関わらず価格算定方式に比較対象利益
法(CPM)が最終規則として規定されたことにある。ただし、CPMの使用については多くの国の
各方面からの改善意見、批判等を受けて「最後の手段」のと一つとして位置付け、またその比較可能
性の基準も適用範囲を限定している。しかし、最終規則においては「適切なデータの下では、たと
えば独立価格比準法または再販売価格基準法で独立企業間価格を決定する方法が概して CPMに比
べてより高い比較可能性の程度を達成する。このため、最適方法ルールの下では独立価格比準法や
再販売価格基準法を適用する際に必要とされるデータが相対的に不完全または信頼できない場合で
なければこれらの方法が選択される。この点から CPMは最後の手段のひとつとして考えられるこ
とになる。」とされたものの、実際には独立価格比準法等の取引を基準とする算定方法については比
較対象に関する適切なデータを容易に入手できないことを考えれば、結局I
RSによってCPMによる
方法が頻繁に適用される可能性があることになる。
次に、利益分割法(PS法)に関しては暫定規則においては「その他の方法」として位置づけられ
ていたのが、最終規則においては明示された方法として扱われている。利益分割法が最終規則にお
いて正式な価格算定方法として認められたことによる影響は大きい。これは、小松氏によれば、利
30「利益分割法」は、取引に係る合算利益の獲得に関して、各国々の企業の営業資産がどれだけ貢献したかを把
握(測定基準)して、その利益を判断するような場合がある。課税当局は、調査において営業資産の分割(貢
献度)の状況から判断して、子会社の利益に額に問題がある場合、この規制を行なうことが考えられる。
7
6
益分割法の下における分割基準について世界的なコンセンサスが得られていない現状においては、
米国側が主張している双方50%の割合での分割となる事態になると考えられるからである。しか
し、有形資産の販売利益のうちの製造利益と販売利益部分はこの割合で帰着できるとは考えられ
ず、製造機能により多くの貢献を認めるのが本来のあり方である。つまり、製品が売れるのは品質
への信頼性が基本的にあるからであって、販売等のいわゆるマーケティングに関わる部分は従たる
ものであるから双方5
0%という比率ではおかしいというものである31。
Ⅲ.総括
最終規則が公表・施行されたことによって1
9
86年のスーパー・ロイヤルティ条項の追加以来続い
てきた米国の移転価格税制に関する規則の変更がほぼ確定することになった。今後は 1)でとり
あげたペナルティ暫定規則の最終規則および費用分担に関するもの等の公表が行なわれることとな
る。
最終規則についてはⅡでも扱ったように CPMの適用が暫定規則に比して適用範囲等を修正して
規定され、また利益分割法も規定されている。これは世界的なコンセンサスが得られていない独自
の方式によるものである。そのため、この CPM等の国際的に認知された規則と異なった規則が用
いられることになれば、経済的二重課税が生じ、結果的にこの移転価格税制自体が企業の経済活動
に大きな制約を加えることとなることは多くの国々、各界の意見において引き続いて述べられてき
た。ただ、この意見等によって最終規則においては暫定規則等の内容と比較すれば柔軟性を増して
きているという各界からのコメントも出ているように米国に対する提言・意見等は米国独自のスタ
ンスに一応の歯止めを掛けている。そのため、今後引き続いて移転価格税制問題についての提言・
意見等を行なっていくと共に、本件のような国際的な課税問題を有する、法規制に関しては、一国
だけでは解決することをせず、広範に受けいれられている国際課税の原則に基づくアプローチ、た
とえば OECD等の場で国際的コンセンサスを目指すように働きかけていくことが国際的調和の時
代の中で必要とされるいくこととなる。次稿では、本稿の考察をふまえ最終規則施行後の移転価格
税制についてさらに考察していく。
〈次稿に続く〉
31 小松芳明「I
RC
48
2条最終規則について」
『国際税務』第1
4巻、第1
0号、199
4年、9頁。
7
7
ベンチャー企業の成長モデルに関する考察
─ Gr
e
i
ne
rの説をもとにして─
高 島 克 史
【目 次】
Ⅰ はじめに
Ⅱ Gr
e
i
ne
rの成長モデル
Ⅲ ベンチャー企業研究における成長モデル
Ⅳ むすび
Ⅰ はじめに
ベンチャー企業によせる関心は高い。それは、ベンチャー企業が経済の活性化、技術の発展と普
及、雇用の創造、その結果としての国家の発展など、経済的、社会的に重要な役割を担っている(當
間,
1
9
99)と考えられているからである。経済産業省や中小企業庁は「大学発ベンチャー1
00
0社計
画」や「スタートアップ助成金の募集」を行ったり、多くの地方自治体ではベンチャー企業の創業者
あるいは創業希望者を対象としたセミナーを開催し、経営支援に積極的である。そして、これらセ
ミナーに積極的に参加する創業希望者も少なくない。このように政策面からもその関心は高い。こ
れは、ベンチャー企業は経済や社会上の問題を解決する鍵として期待されているという背景がある
ためである(金井,2
00
2)。
一方、学術的にみればベンチャー企業に関する研究には、若干の偏りがみられる。わが国のベン
チャー企業に関する研究は、ファイナンスに関する研究蓄積は厚いものの、その他の経営戦略など
を取り入れた議論は相対的に希薄である(金井,
20
0
2;中橋 2
004;當間 20
0
6)。翻って、米国の研
究に目を移してみると、わが国のそれとは異なる状況をみることができる。米国では、1
98
0年代か
ら、ベンチャー企業の経営戦略に関する研究が盛んに展開されている。その状況は、一過性のブー
ムではなく、今日まで続いている。
ただし、米国におけるベンチャー企業研究においても、問題がないわけではない。米国の研究を
みていると、ベンチャー企業の創業前後に焦点をあてた研究が多い。たとえば、
「創業間もないベ
ンチャー企業にとって有効な戦略とはどのようなものか(Sandbe
r
g,1986)」
「どのようなビジネス
モデルを構築することがベンチャー企業の競争優位につながるのか(Mo
r
r
i
se
tal
,2005)
」などで
7
9
ある。もちろん、創業時に焦点を絞った研究蓄積が多いことを批判しているわけではない。
St
i
nc
hc
o
mbe
(196
5)が言うように、経営資源の不足や組織上の問題、マーケティングの問題などベ
ンチャー企業の脆弱性があることは了解している。また、米国においては、ベンチャー企業の4分
の1は、創業して1年で倒産している(VandeVe
ne
tal
.
,1984)
、あるいは、約80%のベンチャー
企業が創業して3年以内倒産している(Sandbe
r
g,1986)というような事実も報告されている。そ
のため、創業時に研究の関心が置かれることは当然という側面もある。
ただ、創業時にベンチャー企業の存続が最も危ぶまれるということがあるとしても、それを脱す
れば、すなわちベンチャー企業の成長へと簡単につながるものではない。むしろ、その後も多様な
問題に直面していくことになる(Ti
mmo
ns
,1994)
。ベンチャー企業に対する関心の背景に、経済
発展や雇用の創出があるとすれば、単に創業時に焦点をあてた研究だけでなく、それらを踏まえた
ベンチャー企業の創業から成長・発展段階までも視野に入れた成長モデルについて考察することも
重要である。かくて、本稿ではベンチャー企業の成長モデルについて考察したい。
本来であれば、以下ではベンチャー企業の成長モデルについていくつか提示し、それについて考
察をすすめていくのが1つの手順であろう。しかしながら、本稿ではそれとは異なる作業手順を踏
むこととしたい。本稿がそのように考える理由としては、次のとおりである。
そもそもベンチャー企業の成長メカニズムや成長モデルを扱った研究が少なく不十分(加護野,
1
98
4)である。他方、特定のベンチャー企業の成長については、日経ベンチャーをはじめとした雑
誌や書籍などで紹介されている。これらは、創業者自らが執筆している場合もあれば、評論家など
によって記されることもある。これらは物語風(nar
r
at
i
ve
)に書かれている。
このような雑誌や書籍が多いことは悪いことではない。これらの中でも、資料価値の高いものに
ついては積極的に活用されるべきである。しばしばいわれるように、
「よい科学はしばしばよい描
写からうまれる(Go
o
ds
c
i
e
nc
eo
f
t
e
nbe
gi
nswi
t
hgo
o
dde
s
c
r
i
pt
i
o
n)
(Al
ve
r
e
z
=Bar
ne
y
,2008)」か
らである。Al
ve
r
e
z
=Bar
ne
yによれば、現象描写からその説明する段階に移行する場合、まずは既
存のフレームワークを借用あるいは修正することから始まる。さらに、それらでは十分に説明がで
きない場合、それを当該現象が十分に説明できるように適応されるべきであるという。
本稿では Al
ve
r
e
z
=Bar
ne
yの言葉に従い、まずは既存の成長モデルについて考察を行う。成長モ
デルについては、多様な議論が展開されてきているが、本稿ではその中でも Gr
e
i
ne
r
(19
72)の説に
注目し、彼の成長モデルについて考察を行い、その特徴を明らかにする。次いで、これまで提出さ
れているベンチャー企業の成長モデルを紹介する。そして、Gr
e
i
ne
rのそれと比較考量し、ベン
チャー企業の成長モデルを考察するにあたっての課題を抽出することとしたい。
Ⅰ.Gr
ei
nerの成長モデルの概要
本節では、既述したように Gr
e
i
ne
rの成長モデルについて考察をおこなう。彼の成長モデルに
8
0
ついては19
72年に報告されたものであり、既に古典となった感もある。しかしながら、彼の成長モ
デルから得られる示唆は大きい。
成長モデルに関する研究蓄積は多い。そこで展開されている主張を分けるれば以下の2つが考え
られるだろう。はじめに、「組織は成長するにつれて、必ず何らかの問題に直面する」というもので
ある。これは、Gr
e
i
ne
rの主張とも一致する部分であり、同様の主張がなされている。次いで、
「経
営者はその直面する問題を解決できないから苦しむのではなく、問題が何であるのかわからないか
ら苦しむのである(Li
ppi
t
t
=Sc
hmi
dt
,1967)
」というものである。すなわち、彼らは、経営者はどの
ような問題がいつ生じるかわからないため予測的(pr
e
di
c
i
t
i
ve
)成長モデルの必要性を主張してい
るのである。
他方、Gr
e
i
ne
rは、
「組織内に生じる問題の原因は、過去に採用したマネジメント手法にある」と
いう。すなわち、経営者が直面する問題の原因は組織内にある、ともすればマネジメントを主導す
る経営者自身にあるともいえよう。誤解を恐れずにいえば、Gr
e
i
ne
rのモデルは予測だけでなく、
問題の発生(ge
ne
r
at
i
ve
)原因やそのメカニズムをも明らかにしようとした研究であるといえよう。
(1)Gr
ei
nerの成長モデルの構成要因
Gr
e
i
ne
rの成長モデルは、組織の誕生から成熟段階までの時間を視野に入れ、組織規模が増大し
ていく過程において、組織はどのような問題に直面し、それをどのように克服していくことによっ
て組織が成長していくのか示したものである。彼によれば、組織は単純な右肩上がりに成長してい
くのではなく、各成長段階において成長期と変革期の2つの期間を経験する。この成長期と変革期
は互いに影響し合っており、成長期が変革期を生み出す苗床となり、変革期を克服する際に採用さ
れたマネジメント手法がその後の成長期のあり方を決定するという。
Gr
e
i
ne
rは、組織の成長モデルを描くために、5つの構成要素をあげている。すなわち、組織のラ
イフサイクル(ageo
fo
r
gani
z
at
i
o
n)
、組織の規模、成長段階、変革段階、産業の成長率である。そ
れぞれ各要素について説明していくこととしよう。
組織のライフサイクルは、組織が誕生してから成熟していくまでの時間をあらわしたものであ
る。長期にわたる時間を視野に入れることで、組織内の意思決定や行動の変遷を追うことが可能と
なる。Gr
e
i
ne
rは時間を軸として採用することにより、組織内で同じような組織行動が長期間持続
されることはないこと、後にその詳細について記述するが、組織内における経営上の問題は過去に
遡ればそのルーツを組織内に見出すことができること、そしてなぜ組織内で組織成員の行動が慣例
化し、変化させることが困難となるのか説明できると主張している。
次に組織規模について見ていこう。先に、経営上の問題という言葉に触れたが、それは単に時間
が経過することで必然的に生じるものではない。時間の経過とともに、組織規模の増大も伴っては
じめて生じるものである。Gr
e
i
ne
rは、組織規模として従業員の増加と売上高の増加の2要因を考
慮に入れている。従業員や売上高が増加することによって、はじめてコミュニケーションや調整の
8
1
1
2
3
4
5
Greiner 1972
図 1.Gr
ei
nerの組織成長モデル
問題、組織構造の問題などが生じることとなるのである。逆に、組織規模が大きくならない組織に
ついては、長期にわたって同様の問題に直面し続けることとなる。つまり、経営上の問題が生じる
主な原因は組織規模の増大にある。そのため、組織の成長モデルを考察する場合には組織規模とい
う軸が必要となる。しかしながら、組織が直面する問題がいつも同じとは限らない。むしろ、各成
長段階において直面する問題は異なる。それぞれ異なる問題を描写するためには、長期にわたる時
間という軸が必要となる。かくて、Gr
e
i
ne
rの成長モデルでは組織規模と組織のライフサイクル
(時間)がそれぞれ縦軸、横軸として位置づけられている。
次に、成長段階と変革段階についてみていこう。まず成長段階は組織内において大きな混乱もな
く、持続的に成長している段階である。図1でいえば、右上に向かってのびている直線の部分にあ
たる。反対に、変革段階は、組織内が大きな混乱に陥っている段階である。これは、成長期をあら
わす直線と直線の間にみられるジグザグの部分にあたる。
図1でみられるように、成長段階と変革段階は交互にあらわれる。しかも、変革段階は組織が次
の成長段階へ移行する際にみられるという特徴的な現象をあらわしている。Gr
e
i
ne
rによれば、機
能別組織に代表される中央集権的組織が成長するといずれ、分権的な事業部制組織への変化が求め
られるようになるように、成長段階の組織やマネジメントが変革期に生じる問題の苗床となってい
るのである。また、この変革段階の問題解決が次の成長段階の組織やマネジメントを規定するとい
う。つまりこれら2つの段階はそれぞれ相互に関係し合っているのである。
8
2
最後に、産業の成長率についてみていこう。産業の成長率は組織規模の成長に大きな影響を及ぼ
すとされている。産業成長率が高い産業では、組織規模が増大するスピードが速い。他方、産業成
長率が低い産業では、組織規模が増大するスピードが遅い。既述したように、組織規模の増大はコ
ミュニケーションや調整など組織的問題を引き起こす要因である。そのため、産業成長率の低い産
業にある組織よりも、それが高い産業にある組織の方が早く変革期に直面することとなる。
以上が、Gr
e
i
ne
rの成長モデルを構成する5つの要因である。
(2)5つの発展段階
記述した5つの要因をもとに、Gr
e
i
ne
rは組織の成長段階を5つに分類した。ここで、特徴的な
こと次の2点である。それは各段階において、①それぞれ直面する問題が異なるということであ
り、それぞれの問題は突発的に発生するのではなく、②前段階のマネジメントや意思決定が次段階
の問題を生じさせるという点である。それを示したのが、以下の図2である。以下ではそれぞれ、
どのような問題があるのかみていくこととしよう。Gr
e
i
ne
rの成長モデルを概観するにあたって注
目すべきは、組織内の人の相互作用である。これらが、組織内の成長と変革を生み出す大きな要因
であると考えられるためである。
1
2
3
4
5
Greiner 1972
図2.5つの成長段階
8
3
創造性による成長とリーダーシップの危機
はじめは、創造性の段階である。ここでは、製品やマーケティングにおいて創造的な活動が重視
される。創業者は技術志向あるいは革新的志向が強く、製造・販売活動に専ら注力する。一方で、
組織成員とのコミュニケーションについては十分な配慮を行わない傾向がある。このことが、第1
段階にみられる固有の問題を引き起こす。それがリーダーシップの危機である。ここで、問題とな
ることは、組織成員との非公式なコミュニケーションやリーダー間の激しいコンフリクトなどであ
る。おもには、創業者の組織成員に対する十分な管理がなされていないことが大きな問題の原因と
考えられる。これらが、リーダーシップの危機とどのようにつながっていくのか見ていこう。
まず組織規模が大きくなるにつれて、生産を効率的に行う必要性が出てくる。しかしながら、創
業者は、それに伴って組織成員の管理方式を変更しようとはせず、非公式なコミュニケーションを
図ろうとするため、十分に組織成員を管理することができない。さらには、十分なコミュニケー
ションが図れずに困惑したロワーリーダー間で激しいコンフリクトが生まれる。創業者は、既述し
たように製造・販売に注力しているため、これら問題に対して十分な対応がとれず、結果、組織内
においてリーダーシップの危機を生み出すこととなる。これに対し、Gr
e
i
ne
rは創業者に受け入れ
られるような新しい管理者を新たに採用し、ともに組織を管理することでこの問題を脱することが
できると主張している。第1段階では、創業者の製造・販売に対する創造的活動が成長をもたらす
ものの、それが後に組織内において混乱をひきおこされるのである。
権限集中による成長と自律性の危機
第1段階の危機を乗り越えると、次に第2段階の成長期へと移行していく。ここで、組織の成長
に貢献するのが、機能別組織の確立や指揮命令系統の確立である。創業者や管理者は指揮命令系統
の確立に大きな責任を有するようになる一方で、ロワーレベルの管理者は、機能別の専門家として
の役割が与えられる。これが、後に自律性の危機をひきおこすこととなる。すなわち、ロワーレベ
ルの管理者は特定職務に従事することによって、トップよりも市場や生産について多くの知識を有
するようになる。しかし、彼らは規定の職務手順に従うことが求められ、自律的な意思決定が制限
される。つまり、十分な権限が移譲されないことへの不満や困惑がうまれるのである。
この場合、ロワーレベルに必要な権限委譲を行うという解決策が考えられるが、このスムーズな
移行が難しい。それは、一度集権的な組織を構築することで成長することができたことから次に権
限委譲を行うことにトップの心理的抵抗があるためである。この結果、多くの組織ではトップが中
央集権的な組織に固執してしまい、トップとロワーとの間で、権限の委譲をめぐり、互いの考えの
間で相違が生まれてしまう。このためロワーは幻滅を感じ、組織をさっていくことがある。
権限移譲による成長と統制の危機
第2段階の自律性の危機を分権的な組織を採用することで脱した組織は、第3段階へ移行してい
8
4
く。ここでは、第2段階ではトップによって掌握されていた権限の多くが、下位の管理者へ移譲さ
れる。これにより、ロワーはより動機づけられるようになり、より大きな市場への進出、顧客への
素早い対応、新製品の開発などが積極的に展開されるようになる。一方、トップは例外事象への対
応を担うようになり、彼らへの報告も電話や報告書によりものへと変わっていく。このことが後
に、統制権の危機を生み出すこととなる。すなわち、大きな権限移譲により、トップはその統制権
の多くを失うことを意味する。そのため、トップは再び組織全体の統制権を得ようとし、第2段階
にみられたような中央集権的組織への回帰を求めるようになることが第3段階で生じる問題であ
る。これに対し、Gr
e
i
ne
rは特別な調整テクニックを導入することによって解決が可能であると主
張する。
調整による成長と官僚制による危機
第4段階では、新たに予算や評価システムなどの公式的な管理システムを採用することで成長段
階に移行することができる。具体的には、ロワーは特定部門の成果に対し大きな責任を有する一方
で、技術部門などの専門スタッフが雇用されるようになり、トップは組織全体の計画を策定し、公
式的な管理システムを構築・運用することから、経営資源の配分など組織全体の調整を行うように
なる。トップと現場とを結びつける管理−調整メカニズムの導入によって、組織は安定的に成長し
続けることができるようになる(田尾・桑田,
1
9
98)。
このように、組織規模が大きくなるにつれて、それを管理するためには官僚的な仕組みを構築す
る必要がある。しかし、組織が過度に複雑かつ大きなものになってしまうと、官僚的な仕組みの維
持が難しくなっていく。というのも、ロワーは組織全体の目標よりも自組織のそれを重視するよう
になったり、問題解決やイノベーションよりも規則を順守した行動をとるようになる。いわゆる、
官僚制の逆機能という状態に陥るのである。
官僚制の逆機能を克服するためには、人的交流を促し、部門を超えたチームやタスクフォースの
結成を通じた協働が必要となる。これが第5段階の協働による成長である。部門横断的なチーム編
成が要請されるため、これまで以上に柔軟な管理が求められるようになる。
こうして、チームによる行動の重視や新たな成長に向けたイノベーションへの圧力がロワーを精
神的に疲労させてしまうことにより心理的飽和状態という問題が生じる。このような危機を克服す
るためには、ロワーを定期的に休ませたり、再度動機づけたりするための組織構造やプログラムが
必要となる。
(3)Gr
ei
nerの成長モデルの特長
Gr
e
i
ne
rの成長モデルは、時間軸を組織の誕生期から成熟期まで長期にわたってとっていた。そ
のため、組織が成長とともに、直面する問題、その解決策が論じられていた。その特徴を簡単に要
約すれば以下のようになろう。
8
5
① 成長期と変革期が交互に現れる
② 変革期において採用された問題解決法が次の成長期のあり方を決定する
③ 各変革期には固有の問題が存在する ④ 各変革期にみられる固有の問題の原因は過去に遡ることによって明らかとなる
⑤ 各変革期にみられる固有の問題は組織内のヒトとヒトとの相互作用から生じる
ここで、これら5つの特徴から成長モデルが有する機能として2つの視点から議論することがで
きるようになる。1つは、①②③の3つの特徴より、図1や図2にみられる成長モデルに自組織を
位置づけることにより、将来において、どのような問題が起きる可能性があるのか、一定の予測
(pr
e
di
c
t
i
ve
)をすることが可能となる。これにより、将来において「何(what
)」が起こり、それに
対し「どのように(ho
w)
」対応すればよいのか一定の指針を得ることができる。
2つ目は、④⑤の特徴より固有の問題が生じた原因を究明することが可能となる。Gr
e
i
ne
rに従
えば、組織固有の問題は突発的に生じるものではなく、組織内にそれが発生する要因が存在する。
それも、成長モデルに自組織を位置づけ、過去に遡ることによってその原因を知ることが可能とな
る。これにより、
「なぜ(why)
」特定の問題が生じたのか分析することが可能となる。彼は必ずし
も明確に論じたわけではないが、それは組織内のトップやロワーとの間の相互作用が大きな要因と
して考えられる。
Gr
e
i
ne
rの成長モデルは、その他多くの研究にあるような「what
」と「ho
w」を強調する研究とい
うだけではなかった。成長段階においてこの2つの要因を理解することが重要なことは間違いない
であろう。しかし、この[問題→対応]図式は十分ではない。Gr
e
i
ne
rの指摘にもあるように、問題
の背後には何らかの要因やメカニズムが潜んでいる。その潜在的な要因やメカニズムを明確するこ
とによって、問題が生じた原因が明らかとなり、結果直面している問題に対し有効な対応を図るこ
とが可能となるのである。いわば、[問題→原因究明→対応]という図式が成長モデルを考察する
場合に重要といえるであろう。
2.ベンチャー企業研究における成長モデルの諸研究
ここでは、ベンチャー企業と対象とした成長モデルのレビューを行う。ここでは、近年注目を集
めているベンチャー企業論の中から、Ti
mmo
ns
(1
99
4)と Fl
amho
l
t
z
=Randl
e
(20
00)の研究概要を
簡潔に述べることとしたい。ここで、彼らの研究のレビューをする目的は、既述した5つの要素が
ベンチャー企業の成長モデルではどのように議論されているのか明らかにすることである。
(1)Ti
(19
9
4)の研究
mmons
ベンチャー企業を対象とした成長モデル研究の嚆矢としては、Ti
mmo
nsがあげられる。Ti
mmo
ns
8
6
の成長段階は以下の表1の通りである。
表1.Ti
mmonsの成長モデル
成長段階
企業家の行動
売上高
従業員数
スタートアップ期
急成長期
成熟期
自ら行動
直接組織成員を管理
管理者の管理
0~300万ドル
30
0万~100
0万ドル
10
00万ドル以上
0~30
30~7
5
75以上
創業者主導の創造性
創業者の創造性の侵食
継続的に創業者を輩出
することの失敗
絶えることない変化、
不明瞭性、不確実性
曖昧な職務、職責
管理機能の欠如
企業目標の混乱
変革期
インフォーマルな意思
疎通
反直観的な意思決定と
構造
創業者間の対立
自主性と統制 vs権限
委譲の願望
相対的な経験不足
(出所)Ti
mmons
(1
99
4)
(千本倖生・金井信次(1997)
『ベンチャー創造の理論と戦略』pp2
.
2
4)
Ti
mmo
nsはスタートアップ期には、ベンチャー企業を先導する企業家とベンチャー企業経営
チームの1名あるいは2名が率先して行動するという。この時期において、中心的な活動は顧客や
投資家などからの信頼の確保である。ただ、企業家自らが率先して行動をしているため、組織成員
とのコミュニケーションは非公式なものとなる。
次に急成長期に入ると、企業家は権限委譲の必要性を感じるようになる。この時に、停滞する企
業では、企業家が個人の権限や政治力の確保に熱中する。一方で、この急成長期に成功する企業家
は、正式な権限よりも組織全体の目標達成のために影響力を有しようとする。これは、組織内のコ
ンフリクトを解決したり、部下の管理能力を育成することなどによって獲得できる力であるとい
う。
成熟期に入ると、創業者間で組織の目標や支配権について対立や次なる経営者の登場が望まれる
ようになる。
まず、Ti
mmo
nsのベンチャー企業の成長プロセスに関する考え方をみていこう。これについて、
彼の主張は Gr
e
i
ne
rのものと同じである。すなわち、どのような企業でも成長する段階もあれば、
停滞する時期もあり、その停滞期には固有の問題が生じるという考え方である。彼は、次のように
述べている。
8
7
スムーズで曲線的な成長を経験する成長企業はまれである。新規ベンチャー
企業の成長を実際に1
0年以上にわたってグラフ化してみれば、成長曲線は通
常描かれるよりはるかにジェットコースターのアップダウンのようであろう。
典型的な成長企業の一生は、波瀾万丈、起死回生、平穏の連続である。終始
上昇を続ける場合もあろうが、倒産に至らずとも崩壊寸前の危機を経験する
ベンチャーも多い。
(Ti
mmo
ns
(1
9
9
4)邦訳pp5
.
61)
この記述より、Ti
mmo
nsは成長段階と変革段階がともに存在することを認識していると考える
ことに問題はなかろう。
次に、表1の変革期の欄をみていただきたい。それぞれの段階において生じると考えられる問題
が列挙されている。スタートアップ期は、創業者の行動、市場の不確実性、組織のコミュニケー
ションの問題が指摘されている。これは Gr
e
i
ne
rのいうリーダーシップの危機に対応するといえよ
う。次に急成長期では、統制を求める創業者と権限委譲を求めるロワーの問題が指摘されている。
これもほぼ、自律性の危機に対応する問題であると考えられる。最後に、成熟期では創業者間の問
題が指摘されており、これは Gr
e
i
ne
rでは指摘されていなかった部分である。
そのほかに、
「変革期における問題解決手法が次の成長期のあり方を決定する」
「各変革期にみら
れる固有問題の原因」
「各変革期にみられる固有問題が組織内のヒトとヒトとの相互作用から生じ
る」という事項であるが、残念ながらこれに対して Ti
mmo
nsは議論をしていない。彼は、Gr
e
i
ne
r
の研究でいえば、
「組織はどのようなプロセスを経て成長していくのか」
「各成長段階ではどのよう
な問題がみられるのか」という点に大きな関心を寄せており、
「なぜ問題が発生するのか」というこ
とについて、言及はみられない。
いずれにせよ、Ti
mmo
nsとGr
e
i
ne
rの議論については類似している部分があることが確認できる。
(2)Fl
(2
0
0
0)の研究
amhol
t
z= Randl
e
次に Fl
amho
l
t
zらの研究を見ていこう。彼らが考えるベンチャー企業の成長段階は以下の表2の
とおりである。
Fl
amho
l
t
zらも確かにベンチャー企業が成長するにつれて、危機を迎えることがあるという。彼
らはそれを「成長の痛み(gr
o
wi
ngpai
ns
)
」と呼ぶ。しかし、この成長の痛みが生じる原因につい
て Fl
amho
l
t
zらの研究は Gr
e
i
ne
rらの考え方とは異なる。彼らによれば、この成長の痛みが生じる
のは、成長と組織開発のずれに起因する。以下ではまず、Fl
amho
l
t
zらの成長段階について概説し
ていくこととし、その後それとかかわりのある組織開発についてみていくこととしよう。
第1段階が、ニューベンチャーの創設である。この段階は、売り上げがメーカーで100万ドル、
サービス会社で30万ドル程度に達するまでの期間を指す。この段階で、組織にとって重要な行動は
市場の特定と製品・サービスの開発である。
8
8
表2.Fl
amhol
t
z=Randl
eの成長モデル
成長段階
ニューベンチャー
の創設
事業拡大
プロフェッショ
ナリゼーション
コンソリデーション
成長における
重要開発分野
市場と製品
資源とオペレー
ション・システム
マネジメント・
システム
企業文化
組織の概算規模
(売り上げ)
:メーカー
100万ドル以下
100万~1
00
0万ドル
10
00万~1億ドル
1億~5億ドル
組織の概算規模
(売り上げ)
:サービス会社
30万ドル以下
30万~3
30万ドル
33
0万~33
00万ドル
33
00万~
1億670
0万ドル
(出所)Fl
amhol
t
z= Randl
e
(20
00)
(加藤隆哉監訳(200
1)
『アントレプレナー マネジメント・ブック』pp4
.
1)
第2段階は、事業拡大である。この段階では、売上や従業員数などさまざまな面で急激な成長を
遂げる。売上の増加によって、経営資源が大量に必要とされるようになる。ここで、あらわれる大
きな問題が、事業規模とオペレーション・システムのギャップである。売上や従業員は増加してい
るにもかかわらず、十分に日常業務を処理するようなオペレーション・システムが確立していない
ため、在庫管理、品質管理などが徹底されず経営難に陥ることがある。
第3段階が、プロフェッショナライゼーションである。ここでは、組織内における正式な計画立
案、定期的な会議、組織の役割・職責の定義、業績評価システムなどの整備が求められる。前段階
までは、ある程度曖昧さが許容された組織であった。しかし、売上や従業員の増加とともにそのよ
うな曖昧さは組織を混乱・無秩序な状態に陥れる可能性がある。そのため、ここでは組織の整備が
求められるようになる。
第4段階が、コンソリデーションである。ここで管理すべき要因は、企業文化である。企業文化
とは、企業の価値観、信念、規範について組織が重要と考えているものである。価値観は、オペレー
ション、従業員、顧客などに対して組織が最も重要と考えるものであり、信念は個人が自分自身、
顧客、組織に対して持っている考えであり、規範は、行動する上での規範的なルールである。これ
らは、組織成員にとって物事を認知し、行動するための基準となるものである。組織がより強固(コ
ンソリデート)していくために、企業文化の管理を行うことがこの段階で必要になってくるのであ
る。以上、ベンチャー成長段階の4つについて述べた。表2にもあるように、各段階にはそれぞれ
要求される行動がある。それが組織開発行動である。次にそれについて述べていくこととしよう。
組織開発とは、組織の成功を左右する主要な6つのタスクのことを指す。それを図示すると以下
の通りとなる。
8
9
Flamholtz
Randle 2000
2001
pp 22
図3.組織開発ピラミッド
ピラミッドの下から順番に説明していこう。まず、市場の特定・定義では、ターゲットとなる顧
客の特定をさす。さらに、彼らはニッチ・マーケットの創造が基本前提であるという。ここでは、
組織が存続・成長していくために、顧客がどういった製品をもとめているかを理解し、それに基づ
いて何を提供すべきなのか決定することを指す。ここでは、できるだけ未充足ニーズを発見し、そ
れが提供できるかどうかが、創業期におけるベンチャー企業の存続に大きな影響をおよぼすとい
う。次に、製品・サービスの開発は、顧客や見込顧客のニーズを分析し、それを満たすような製品
やサービスを設計・生産することである。これら2つがニューベンチャー創設期には重要なタスク
である。
次に、資源の獲得は成長に必要となる経営資源の獲得や開発を指している。いくら市場を特定
し、製品を開発できても、十分な資源がなければ効果的な競争ができない。ベンチャー企業の製品
に対して、市場の需要が高まればそれだけより多くの設備、人材、資金などが必要となる。ここで
いう資源の獲得とは、単に多くの資源を有しているということだけではない。加えて、重視される
のは将来の成長を見越してどれだけ経営資源を獲得・蓄積できているかということも含まれてい
る。次に、オペレーション・システムの開発は、企業が効率的に機能するために会計、広告やリク
ルーティングなど基本的な日常業務を運営するために必要となるシステムの開発をさしている。事
業拡大につれて日常業務が疎かにならないように、オペレーションインフラの構築がここで求めら
れているのである。これらが、事業拡大期に重要となるタスクである。
次に、マネジメント・システムの開発は、計画立案システム、組織構造、マネジメント能力の開
発システム、コントロール・業績管理システムの4種類のシステム開発が含まれている。一定規模
9
0
以上に成長した組織を運営していくために必要となるシステムの開発がここで求められるのであ
る。これは、プロフェッショナライゼーションの段階で求められる。
最後に、企業文化の管理である。これは、組織独自の価値観、信念、規範とも言い換えられるも
のであり、組織成員の日常行動を規定するものである。これは、コンソリデーションにおいて重要
となってくる要因である。
Fl
amho
l
t
zらは、表2にある組織の成長段階とそこで求められる組織開発との間にズレが生じた
場合に、成長の痛みが現れるという。たとえば、売り上げベースでみた場合、成長段階がプロ
フェッショナライゼーションレベルに位置づけられるにも関わらず、いまだに市場の特定や製品・
サービスの開発活動を行っているような組織は、明らかに成長段階と重要開発分野にズレがある。
このような場合に、組織は成長の痛みを経験することとなるというのである。
Fl
amho
l
t
zらのこのような考え方は、Gr
e
i
ne
rやTi
mmo
nsなどの考え方とは異なる。そもそも彼
らの考えに従えば、組織は成長すると必ず問題が生じると考えているのに対し、Fl
amho
l
t
zらは、
組織が成長するだけでなく、その成長段階とそこで求められる組織開発に齟齬が生じた場合に組織
に対して問題が生じると考えているのである。
(3)まとめ
本節では、Ti
mmo
nsと Fl
amho
l
t
zらの成長モデルについてみてきた。彼らの研究はそれぞれど
のような特徴を持っているのか、Gr
e
i
ne
rモデルから抽出した5つの特徴をもとに考えていくこと
としよう。
表3.Gr
ei
nerモデルの特徴と Ti
mmonsモデル・Fl
amhol
t
zモデル
Ti
mmo
ns
成長期と変革期が交互に現れる
Fl
amho
l
t
zら
○
変革期において採用された問題解決法が次の成
長期のあり方を決定
各変革期には固有の問題が存在する
各変革期にみられる固有の問題の原因は過去に
遡ることによって明らかとなる
○
成長の痛みは成長段階と
開発行動間のズレが原因
各変革期にみられる固有の問題は組織内のヒト
とヒトとの相互作用から生じる
まず、Ti
mmo
nsモデルからみていくこととしよう。彼のモデルは Gr
e
i
ne
rモデルの2つの特徴
とほぼ同じであった(表内で丸を付した部分)
。Ti
mmo
nsは、ベンチャー企業の成長過程では成長
期と変革期が交互にあらわれ、それぞれ段階に応じて生じる問題も異なるということを主張してい
た。また、そこで示されていた固有の問題についても、ほぼ Gr
e
i
ne
rと同様のものが示されていた。
9
1
Ti
mmo
nsの成長モデルの関心は、ベンチャー企業が成長するにつれてどのような問題が起きるの
かということが中心であり、なぜそのような問題が生じるのかということに関する分析や考察は十
分になされていない。
次に、Fl
amho
l
t
zらの研究を見ていこう。彼らの研究は、誤解をおそれずにいえば、どうして組
織が成長する段階において問題が生じるのか、その原因の一端を明らかにしたものであった。彼に
よれば、ニューベンチャー創設期には新製品や市場の開発業務が最も重要であり、事業拡大期には
経営資源の獲得とオペレーション・システムの開発が重要となるなど、各成長段階において組織が
取り組むべき開発行動は異なる。その成長段階と開発行動との間にズレが生じることによって、組
織に問題が生じるという。これは、Gr
e
i
ne
rの研究特徴からみれば、どうして成長段階において問
題が生じるのかという点に焦点をあてた研究であるといえよう。
また、Ti
mmo
nsと Fl
amho
l
t
z双方のモデルとも、組織内のヒトとヒトとの交互作用については
言及していない。ともに、企業家がベンチャー企業を主導する立場であり、経営上非常に重要な位
置づけを与えてはいるものの、企業家の行動が他の組織成員にどのような影響を及ぼすのか、そし
てそれがベンチャー企業の成長や問題にどのような影響を及ぼすのか議論が展開されていない。
Gr
e
i
ne
rの議論から分かるように、組織内におけるヒトとヒトの行動を分析することは、重要であ
る。この点については、今後考察を進める必要があるだろう。
Ⅳ.むすび
本稿では、組織の成長モデルについて主要な研究のレビューをしてきた。ベンチャー企業に関す
る研究について、ファイナンス研究は盛んに行われているものの、その他の分野についてはその研
究蓄積が乏しい。そのため、ベンチャー企業の成長モデルについていくつか研究が存在していると
しても、そればかりをレビューすることによって、何が欠落しているのか、何がベンチャー企業の
特徴を表したものになるのか、明確にならない。そのため、本稿ではまず Gr
e
i
ne
rの研究をレ
ビューし、その後ベンチャー企業の成長モデルについて若干の考察を行った。
次の3点が、本稿において明らかとなったことである。そこから成長モデルを考える際の視点と
して、
「何が問題なのか(what
)
」
「問題に対しどのように対応すべきか(ho
w)
」
「なぜ問題が生じる
のか(why)」の3つを指摘した。
Gr
e
i
ne
rは組織が成長していく過程において、それぞれ固有の問題が生じ、それは過去のマネジ
メントや意思決定が影響していると主張した。本稿では、彼の研究を考察する中で組織内のトップ
やロワーの認識や行動に着目することの重要性を唱えた。それらに着目することにより、問題の発
生メカニズムがより明確に理解できるであろう。
最後に、ベンチャー企業の成長モデルとして Ti
mmo
nsと Fl
amho
l
t
zのそれに着目し、それぞれレ
ビューを行った。そして、Gr
e
i
ne
rから得た視点をもとに、それぞれの研究を位置づけると Ti
mmo
ns
9
2
の研究は、「what
」
「ho
w」の側面をより重視したものであり、Fl
amho
l
t
zのそれは「why」の側面を
重視したものであることがわかった。
しかし、本稿に残された課題は多く存在する。
本稿では、ベンチャー企業の成長モデル研究の現状と課題を明らかにしようとしてきた。しか
し、これら研究から、成長モデルに必要となる視点を指摘したに過ぎず、分析枠組みの構築やそれ
に基づいた実証研究を行ったわけではない。企業家などに対しより実践的なインプリケーションを
示すことが必要である。さらに、成長モデルと関わりのある分野として組織変革論、組織開発論、
組織学習論などがあげられる。これらについては、本稿では十分にふれられなかった。今後、これ
らとの関わりを考慮しつつ議論を展開することが必要である。これら課題について今後も考察を進
めていきたい。
参考・引用文献
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4
拡大 EUペリフェリ域自動車産業の新展開
~変貌する中東欧・トルコ・ロシア自動車産業~
細 矢 浩 志
Ⅰ.はじめに
欧州連合(EU)が着実に深化と拡大の道を歩む今日、欧州の自動車産業は新しい展開局面を迎え
ようとしている。新たに EUに加盟した中東欧諸国が順調に自動車生産を拡大し有力な製造拠点と
して台頭することにより、欧州における自動車産業をめぐる勢力地図は大きく塗り替えられようと
しているからである。
本稿の課題は、欧州自動車産業の現状について全体の見取り図を描き今後の展望を考えることを
念頭に、中東欧諸国ならびに拡大 EU周辺諸国の自動車産業の展開動向を、主に2
0
0
4年 EU東方拡大
以降に焦点を定め簡潔に整理することにある。
これまで筆者は、1
9
90年代から本格化した西側先進諸国による中東欧自動車製造拠点の形成・拡
大が欧州全体の自動車生産システムにどのようなインパクトを与えているかという視点に立ち、中
東欧自動車産業の展開動向とその構造的特徴の分析に取り組んできた1)。そこで明らかにされたの
は、2
0
04年 EU拡大を前後して中東欧自動車産業は欧州メーカーをはじめとする大手自動車多国籍
企業の生産分業体制の一翼を担う有力な製造拠点として整備され、広域欧州をカバーする生産分業
ネットワークに組み込まれつつあるという事実である。よく知られているように、中東欧自動車産
業の今日の姿は、19
9
0年代に進展した中東欧における体制転換=市場経済体制への移行のプロセス
で形作られた。EU加盟交渉が進められる中で取り組まれた中東欧諸国の経済体制の転換は、ドイ
ツ、フランスなど西欧諸国で全体の約6割を占めた FDI
(対外直接投資)による産業再編を特徴と
し、自動車産業部門は西欧からの FDI受入比率が最も高い典型的な FDI主導の構造再編を経験した
製造業部門のひとつであった。その結果、中東欧では西欧メーカーを中心とする有力外資による製
造拠点の形成が進み、完成車両および自動車部品に関する対 EU貿易取引の増大に支えられて飛躍
的に生産を伸ばすこととなった。大手メーカーによる中東欧における事業拠点構築競争は、それぞ
れのグローバル戦略にもとづく広域欧州生産分業ネットワークへの統合を軸に展開されたのであ
る。欧州生産ネットワークの形成は、新旧拠点の機能再編と空間的再配置をともないつつ不断に進
行する、産業立地上の比較優位性の継続的な再構築プロセスと観ることが出来るため、中東欧拠点
1)拙稿(2005)
(2006a)
(2006b)を参照。
9
5
の形成は、従来の EU既加盟諸国における地域間分業体制の再編を促す可能性を秘めている。
中東欧自動車産業は、EU東方拡大以降に形成された欧州自動車生産システムにおける効率的な
生産分業体制の構築・推進に際して大きな役割を担いつつある。中東欧自動車産業の構造分析は、
今日の欧州自動車生産ネットワークの本質を知るうえで不可欠な作業なのである。
ところで、欧州の自動車生産空間を EU周辺諸国を含めた広い視野で見渡してみれば、自動車生
産を飛躍的に伸ばしているのは中東欧諸国に限られないことに気づく。のちに見るように、EUの
東方に位置するロシアやバルカン半島のトルコ等が近年めざましい自動車産業の成長を遂げている
からである。こうした EUに近接した地域における自動車生産は、拡大 EU自動車産業と関わりを
持ち、欧州生産ネットワークの動態に一定の影響を及ぼすであろうことは容易に想像できるであろ
う。われわれは広域欧州自動車生産ネットワークの特質を知る手がかりのひとつとして、ロシア、
トルコ等の新興自動車生産諸国の展開動向を把握し欧州自動車生産システムとの関連性を検討する
必要がある。本稿で拡大 EU周辺諸国の自動車産業を取り上げるのはこのためである。
なお本稿では、便宜上、拡大 EUの東(南)方に位置する周縁・周辺諸国(地域)を総称して「拡大
EUペリフェリ域」と記すことにする。同様に、中東欧 Ce
nt
r
alandEas
t
e
r
nEur
o
peを CEE、さら
に中東欧のうち自動車産業の成長著しい中欧 Ce
nt
r
alEur
o
peを CEと略記する。ポーランド、チェ
コ、ハンガリー、スロヴァキア、スロベニアの中欧5ヶ国は CE5である。
Ⅱ.概 観
はじめに欧州全体の自動車生産の直近動向を確認し、主に EU東方拡大以降現時点での特徴につ
いて簡潔に整理しておこう。
表1は欧州主要国の自動車生産台数の直近1
0年間の推移を示している。主に EU先進国で構成さ
れる「西欧1
1カ国」は16
0
0万台水準の生産でほぼ横ばいで推移しているのに対して、
「中東欧6カ
国」の自動車生産は1
9
9
7年の71.
6万台から20
0
6年には2
3
9.
4万台へ3倍以上に増大した。この1
0年間
で「中東欧6カ国」は欧州の一大自動車生産集積地として成長してきたことが明瞭である。
なかでも躍進著しいのはCEである。Pavl
í
ne
kは、
「広義の中東欧」
(ロシアを含む旧社会主義国)
を CE5
(ポーランド、チェコ、スロヴァキア、ハンガリー、スロベニア)とそれ以外の CEE諸国と
に分けて、90年以降の両者の乗用車生産台数の伸び率を比較することで、CEの躍進ぶりを検証し
ている。いわゆる「中欧」と「中欧を除く東欧・ロシア」との比較において明らかになるのは、「広
義の中東欧」全体に占める CE5の比重が大きく伸びていることである(図1)。CE5の比重は20
00
年代初頭に若干落ち込むものの、EU東方拡大が実現した20
04年以降はその伸び足を加速している
ことが注目される。また、国別の生産規模ではチェコとポーランドが突出しているが、台数では劣
るものの近年飛躍的に生産を増大させているのはスロヴァキアである。速報値によれば、スロヴァ
キアは20
07年に5
2.
8万台の生産を記録した。前年比9
7.
7%の増加である2)。
9
6
表1 欧州23ヵ国、地域・国別自動車生産台数(1997〜2
006年)
国 名
ドイツ
フランス
スペイン
英国
イタリア
西 欧 ベルギー
1
1ヵ国 スウェーデン
オース卜リア
ポルトガル
オランダ
フィンランド
計
チェコ
ポーランド
ルーマニア
中東欧
スロバキア
6ヵ国
ハンガリー
スロベニア
計
EU加盟1
7ヵ国合計
トルコ
ロシア
非EU ウクライナ
加盟国 ペラルーシ
6ヵ国 ウズベキスタン
セルビア・モンテネグロ*
計
欧州2
3ヵ国合計
CI
S・中東欧・トルコ1
2ヵ国計
1
9
9
7年
1
9
9
8年
1
9
9
9年
2
0
0
0年
2
0
0
1年
2
0
0
2年
2
0
0
3年
2
0
0
4年
2
0
0
5年
2
0
0
6年
5,
0
2
2,
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2
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2
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0
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2,
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3
0 1
9,
9
6
0,
3
5
5 2
0,
7
7
7,
9
7
3 2
0,
7
3
8,
4
9
9 2
0,
4
8
5,
1
8
1 2
0,
7
1
1,
6
8
4 2
1,
3
0
7,
1
6
8 2
1,
3
8
8,
3
8
9 2
2,
1
3
6,
5
7
3
2,
2
4
0,
0
2
7 2,
2
7
3,
5
7
7 2,
3
5
4,
4
6
2 3,
1
3
8,
8
9
8 2,
9
2
9,
1
3
0 2,
9
8
9,
5
7
3 3,
3
5
1,
8
6
9 4,
0
0
2,
6
9
1 4,
4
6
0,
1
7
3 5,
3
2
0,
4
1
7
注)データ出所などの要因により、2
0
0
0年以前の一部数値では連続性が確認できない場合がある。上記の数値には組立台数を含むが、他国への KD出荷分を含ま
ない。
0
0
6年はセルビアのみ。
(各国自動車工業会、それに準ずる機関の資料から作成)
*2
出所:FOURI
N(2007a)
,4頁
図1 広義の CEEにおける CE5の比重
中欧
400
350
=
300
250
200
150
中欧を除く
東欧・ロシア
100
50
0
1990 1992 1994 1996 1998 2000 2002 2004 2006
年
出所:PAVLI
NEK(2008),p.
14
一方で「非 EU加盟国6カ国」の自動車生産は、9
0年代後半には1
50万台前後で停滞していたが、
20
0
0年代以降は増勢基調に入っている。近年はその伸び足を速め30
0万台に迫る勢いであり、その
急増ぶりは決して看過できない。
「非 EU加盟6カ国」の急増は、EU東方拡大以後の新しい特徴で
ある。そのうちロシアは、台数だけで見れば9
0年代後半にすでに1
00万台以上を記録する「自動車生
産大国」であったが、その伸びは比較的小さいままで推移している。注目すべきはトルコであろう。
2)FOURI
N(2008)、1
2頁。
9
7
2
00
6年時で CE第一の自動車生産国チェコを上回っており、
200
7年の速報値では1
00万台を突破した3)。
トルコはこの1
0年でチェコと並ぶ自動車生産増加率を記録している。
2
00
4年 EU東方拡大時、EU新加盟10ヶ国のうち EU経済圏あるいは欧州自動車産業の空間的拡
大(製造拠点配置)という観点で注目されたのは CE3
(ポーランド、ハンガリー、チェコ)であった。
2
00
7年にルーマニア、ブルガリアが EU加盟を果たして以降今日においてもこれら CE3自動車産業
は成長路線を堅持し続けていると言えるが、現時点での特徴は、これら CE3のほかに新しい自動車
生産国が現れ急速に生産を伸ばしているようすにこそ求めるべきであろう。なかでもスロヴァキア
とトルコの動向は、今後の CEE展開を占ううえで重要である。両国の台頭は、CE3量産国のチェ
コやポーランドの生産規模に迫りそれを凌駕する勢いだからである。CEE主要国とトルコの生産
実績と今後の生産能力拡大見通しをまとめた図2からも読み取れるように、スロヴァキアとトルコ
は EUペリフェリ諸国のなかでも今後大きな能力拡大が見込まれているのである。さしあたりここ
では、スロヴァキアとトルコの躍進、ロシア生産の1
0
0万台突破という点に留意しておこう。
販売市場動向を見よう。経済発展にともなう所得の上昇により、CEEは有望な自動車販売市場
として期待が集まるが、図3に示されるように、今世紀に入り着実な販売の増加を見せているのは
ロシア市場である。その伸びは今後も手堅く、中東欧市場を含む拡大 EUペリフェリ域のなかでも
ロシア市場の重要性はますます大きくなると予想されている。先進国市場の成熟が進む中、世界の
自動車産業はロシア市場をにらんだ戦略構築が求められているのである。
図2 中東欧・トルコ各国、自動車生産台数推移(199
7〜20
06年、20
07/
20
09/
2
01
1年予測)
(万台)
160
97 99 01 03 05 07 09 11
98 00 02 04 06
140
120
100
80
60
40
20
0
チェコ
ポーランド
出所:FOURI
N(2007a)
,
29頁
3)FOURI
N(2008)、1
2頁。
9
8
ルーマニア
スロバキア
ハンガリー
スロベニア
トルコ
図3 ロシア・中東欧地域の自動車市場長期推移
(万台)
400
350
300
250
ロシア
200
150
新EU12ヵ国
100
トルコ
ウクライナ
50
0
1996
1997
1998
1999
2000
2001
2002
2003
2004
2005
2006
2007*
2008*
2009*
2010*(年)
*FOURIN予測
1
997年
19
98年
19
99年
20
00年
2
0
0
1年
2
0
0
2年
2
0
0
3年
2
0
0
4年
2
0
0
5年
2
0
0
6年
新 EU1
2ヵ国
国・地域
1,
0
4
2,
5
3
7
1,
1
5
0,
2
9
2
1,
3
1
9,
5
8
3
1,
1
0
9,
6
3
3
1,
0
0
4,
3
2
9
1,
0
3
1,
4
7
7
1,
1
5
3,
1
6
2
1,
1
9
5,
2
4
2
1,
1
8
7,
2
0
6
1,
2
7
7,
0
4
5
ロシア
1,
2
3
4,
9
2
1
1,
1
1
6,
7
6
1
1,
2
2
7,
3
9
8
1,
2
4
1,
0
9
2
1,
3
4
8,
6
6
8
1,
2
9
0,
8
7
2
1,
4
6
2,
2
3
6
1,
6
6
3,
4
2
0
1,
8
0
5,
7
6
0
2,
2
3
3,
0
2
4
8
6,
3
6
7
1
2
8,
8
9
4
1
8
0,
3
1
7
2
3
5,
7
0
8
2
9
3,
8
6
1
4
0
5,
9
5
2
ウクライナ
トルコ
1
7ヵ国計*
n.
a.
n.
a.
n.
a.
n.
a.
5
2
0,
2
7
0
4
8
2,
0
0
7
3
9
8,
8
1
0
6
6
1,
9
4
7
1
7
1,
7
6
2
1
8
4,
7
3
4
4
1
1,
5
1
6
7
3
6,
5
1
4
7
5
8,
5
1
2
6
5
9,
5
0
3
2,
8
0
6,
9
6
8
2,
7
5
9,
1
5
0
2,
9
5
2,
9
1
5
3,
0
8
4,
6
7
1
2,
6
8
7,
0
4
0
2,
7
1
9,
0
8
8
3,
2
7
7,
1
4
4
3,
8
9
7,
8
0
9
4,
1
3
0,
2
6
4
4,
6
6
5,
1
9
8
*1
7ヵ国計にはクロアチア、セルビア、モンテネグロを含む。
出所:FOURI
N(2007a)
,
17頁
Ⅲ.各国動向
以下、拡大 EUペリフェリ域における自動車生産新興国の直近動向について簡単な紹介を試み
る4)。
1.ポーランド:パワートレイン拠点化
ポーランドの自動車生産は、EU加盟交渉の本格化以降増大した西欧からの大型 FDI投資により
1
9
9899年に生産規模60万台を記録したのち、2
0
0
120
0
3年の低迷期を経て続伸し今日に至っている。
9
0年代以降の外資による構造再編の中で西欧の有力自動車メーカーが相次いで拠点設立に乗り出し
4)本稿で取り上げるのは主として2
00
4年 EU東方拡大以降の状況についてである。1
99
0年代から EU東方拡
大までの CEE自動車産業展開動向については拙稿(2005)
(2006a)を参照されたい。
9
9
た結果、200
7年7月時点で、Fi
at
、GM、VW、MAN(中大型トラック)
、Vo
l
vo
(バス)等が製造事
業を営んでいる。200
4EU東方拡大前後の時期を中心に各グループの車両製造事業に関する展開を
摘記すると以下のとおりである。
表2 ポーランドにおける車両製造事業の直近動向
企業グループ名
概 要
フォルクスワー
2004年以降、Po
z
nan工場の小型商用車 Caddyの製造拠点化推進
ゲン(VW )
Fi
at
2003年新型panda生産をイタリアから移転、200
7年から新型50
0と同一PLのFo
r
dKaの
生産開始予定
GM
2001年ワルシャワ工場閉鎖
2005年に Wago
nR+生産をドイツ工場から移管、新型モデル Zaf
i
r
aの生産ラインを追
加、2007年後半から As
t
r
aセダン生産開始
生産能力50%増を計画
FSO
95年大宇と合弁後、99年大宇破綻により200
2年倒産、その後 Ukr
AVTO
(GM系)が事業
を引継、2007年以降は GMと新ライセンス締結、Ave
o生産、1
5万台(予定)
出所:FOURI
N(2007a)より作成
ポーランド自動車産業の特徴はパワートレイン(以下 PTと略記)系部品(エンジン、トランス
ミッション等駆動系部品)製造が事業の主要な柱となっている点である。同国のエンジン生産台数
は1
86万台(20
06年)であり、完成車両生産台数(7
1万台)をはるかに上回っている。ポーランドは、
欧州全域に PT系部品を供給する一大製造拠点となりつつある。PT系部品生産を担うのは外資系の
有力多国籍企業グループ=伊 Fi
at
、独 VW、米 GM、日トヨタ、いすゞである。Fi
atと GMはかつ
て同地に PT合弁工場(Bi
e
l
s
ko
Bi
al
a、コモンレール式1.
3㍑ ディーゼルエンジン)を立ち上げた。
同工場は提携解消後も折半出資合弁工場として稼働している。GMは一方でいすゞが設立したエン
ジン製造拠点(I
SPOL)に対して6
0%の出資を継続している。VW はポーランド南部の Po
l
ko
wi
c
e
に設立した PT系部品工場(1
9
9
9年稼働)の商用車向け部品製造能力の強化に取り組んでいる(2
0
06
年生産実績6
2万基、将来的に1
0
0万基への能力拡張)
。同工場製 PT部品は、欧州に止まらずメキシ
コ、ブラジル、南アフリカにも輸出されるなど、VW のグローバル展開において戦略的に重要な拠
点へと変貌しつつある。日系企業にとってもポーランドは重要な PT製造基地である。欧州展開に
おいて後発組のトヨタは90年代末から20
00年代初頭にかけて二つの PT系部品拠点を設置した。マ
ニュアル変速機とガソリンエンジンの生産を担う TMMP
(To
yo
t
aMo
t
o
rManuf
ac
t
ur
i
ngPo
l
and)
、
欧 州 で 人 気 の デ ィ ー ゼ ル エ ン ジ ン(以 下、DEと 略 記)製 造 を 手 が け る TMI
P(To
yo
t
aMo
t
o
r
I
ndus
t
r
i
e
sPo
l
and)がそれである。TMMPの変速機は仏トヨタ(TMMF)製 Yar
i
sをはじめ欧州ト
ヨタの各完成車組立工場(イギリス、フランス、トルコ、チェコ)に供給される。TMI
Pの DEもま
た 同 様 で あ る。TMMP製 ガ ソ リ ン エ ン ジ ン は 隣 国 チ ェ コ の TPCA(To
yo
t
aPe
uge
o
tCi
t
r
o
ë
n
Aut
o
mo
bi
l
e
)向けと言われるが、TPCAの生産増に対応して近年能力拡張が著しい(2
0
06年3
0万基
弱生産)。同様に変速機の生産能力も漸次拡張されており、20
0
9年半ばには72万基能力が予定され
1
0
0
ている。トヨタのポーランド部品工場は同社の欧州生産ネットワークに着実に組み込まれているの
である。
自動車の基幹部品たるエンジン・変速機の生産拡大は、その構成部品・パーツを供給する部品サ
プライヤーの相次ぐ進出を促している。2
0
0
7年以降で見れば、コモンレール式ディーゼルエンジン
の基幹部品供給の二大メーカーである Bo
s
c
hとデンソーによる DPF
(ディーゼル微粒子除去フィル
ター)生産合弁会社の立ち上げ、仏の有力サプライヤー Val
e
oによる新工場建設計画表明などの動
きは、ポーランドの PT系供給拠点化を象徴する。政府によるサプライヤー誘致政策5)の展開と相
まって、現在ポーランドは世界の大手部品サプライヤーの現地拠点形成のうねりが生じている6)。
現時点でのポーランド自動車産業の問題は、現地調達率の低さである。Fi
at
80%、FSO70%など
現地展開の歴史が長いメーカーの調達率は比較的高い数字だが、近年進出した外資系部品メーカー
は総じて低い7)。中核的な部品であるエンジン等のユニット部品には高い品質の確保が求められる
ため、構成部品、とくに燃料システムや電子部品などの高度技術部品は西欧諸国から輸入に依存し
ているのである8)。
EU新加盟国の中で最大の人口を抱えるポーランドにおける自動車市場の成長余力は大きいが、
現時点では需要は動揺が激しくいまだ安定的な成長拡大を確保できずにいる。同市場は9
9年に約70
万台の販売達成後に低迷、2
0
0
4年 EU加盟で EUから中古車流入激増した(2
0
0
3年3.
6万台→0
4年に
8
2.
98万台)。新車販売は2
0万規模に止まり、中古車販売が依然大きいのが特徴である9)。
2.チェコ:小型量産車の製造・輸出拠点
チェコは近年、国内自動車生産を飛躍的に高めた国のひとつである。9
0年代後半に4
0万台を達成
した後しばらく横ばいで推移してきた自動車生産は、2
00
4年を境に一気に増え、2
0
06年には85.
5万
台を記録した。わずか2年でほぼ倍増した計算になる
(図4)
。これは、チェコのトップ企業・シュ
コダ Sko
daの増産もさることながら、
2
0
0
5年に仏 PSAと日トヨタの合弁企業・TPCAが本格的な操
業を開始したことによる。TPCAは翌20
0
6年には29.
4万台の生産を記録し、操業二年目で能力最大
5)ポーランド政府は中期自動車産業政策として、部品サプライヤーを誘致し部品拠点としての成長を目指し
ている。FOURI
N(2007a)、1
77頁。
6)日系サプライヤーも例外ではない。カルソニック、コタニ、NTN、サンデン、住友電工、タカタ、デン
ソー、東海ゴム工業、トヨタ紡織、ニフコ、日本ガイシ、日本精工、ブリヂストン、三ツ星ベルト等が駆動
系部品を供給している。FOURI
N(2007a)を参照。
7)各社の正確な数字は不明だが、たとえば VW は海外向け品質確保の必要から現調率は3
04
0%程度に止まる
という。FOURI
N(2007a)、1
8418
6頁。
8)ポーランドの部品メーカーは620社、うち34.
6%は外資系である。FOURI
N(2007a)
、18
7頁。
9)中古車販売の多さにはポーランドの自動車に関する税制の影響も大きい。政府は2
0
06年11月に新車・中古
車に課す物品税を一元化した。これにより、これまで車齢に応じて決定されてきた中古車向け税率(最高
6
5.
1%)は、1
2月以降中古・新車同率税率が適用されることとなり(2
0
0
0cc以下で3.
1%、それ以上で1
3.
6%)、
中古車販売が大幅に伸びることとなった。FOURI
N(2007a)
、19
4頁。
1
0
1
図4 チェコの自動車生産・販売・輸出台数長期推移
(万台)
90
80
70
生産台数
60
輸出台数
50
40
30
販売台数
20
10
0
1990
1991
1992
1993
1994
1995
1996
1997
1998
1999
2000
2001
2002
2003
2004
2005
2006(年)
出所:FOURI
N(2007a),
1
38頁
に近い生産を一気に実現したことになる10)。さらに2
0
09年には韓国・現代自動車も現地工場の稼働
を予定している。こうして Sko
da、TPCA、現代と大手メーカーの大規模車両組立工場が揃うこと
となり、早晩、チェコ乗用車生産は CEで初めて1
00万台を突破する可能性がある。
完成車両組立工場の発展にともない、部品産業基盤の形成も着々と進んでいる。1
9
90年代初頭に
Sko
daが VW グループ入りを果たしたのをきっかけにして欧米系の大手サプライヤーのチェコ進出
が相次いだのに加えて、2
0
0
0年代には TPCA、現代の進出に合わせて、日(トヨタ)系、韓国系のサ
プライヤーが現地拠点形成を進めている。
そのため、チェコ自動車産業の部品現地調達率は概して高い。たとえば TPCAの国内調達率は
80%と非常に高い数字となっている11)。同様に、Sko
daの20
0
6年の国内サプライヤーからの購買額
は1,
0
88億コルナで、現地調達率は3
0%(04年)→60%超(06年)を記録した12)。現調率の高さは PT
系部品製造拠点として成長しつつあるポーランドと大きく異なる特徴である。
こうした部品メーカーの進出には、チェコ政府による積極的な外資導入政策の寄与するところも
無視できない。同政府は EU加盟以前より外国からの直接投資を優遇する諸政策を実施している
が、近年はそれらに加えて、国内サプライヤー・外資系企業間の連携強化を目的とする「サプライ
ヤー開発プログラム」を計画するなど、国を挙げて外国からの投資を優遇する姿勢を見せている13)。
チェコ自動車産業のもうひとつの特徴は、高い輸出依存度である。チェコでは国内生産車両の大
半が輸出され、しかも輸出の伸びは生産のそれとほぼ比例した動きを見せている(図4)
。チェコ全
輸出額に占める自動車部門の割合は2
0%超と言われ、自動車産業はチェコ国民経済においてきわめ
1
0)FOURI
N(2007a)、1
45頁。
11)FOURI
N(2007a)、1
51頁。なお残り20%はポーランドからのエンジン輸入である。
12)FOURI
N(2007a)、1
47頁。
13)FOURI
N(2007a)、1
40頁。
1
0
2
て重要な位置を占める産業部門に成長している。企業レベルでは、Sko
daが生産量の87.
1%、
TPCAは99%を輸出に回している(2
0
0
6年)14)。図4に見るように、チェコ国内自動車販売は9
0年代
後半から20万台前後で推移しており、人口1
0
0
0万の小国にあって自動車国内市場はほぼ飽和状態に
近いことを合わせて考えるならば、現地自動車メーカーは、チェコを完成車輸出拠点として位置づ
けようとしていることが窺い知れるのである。
このように順調な発展をみせるチェコ自動車産業であるが、現状課題として指摘されるのは人材
確保に関わる問題である。相次ぐ完成車工場の一挙創設と相まって、ブルーワーカーをはじめとす
る現地作業員の人件費上昇が始まっており、優秀な人材確保が困難になりつつあると指摘されてい
る。チェコはドイツとの隣接、比較的発達した物流インフラ・工業基盤といった強みを持つが、完
成車輸出拠点としての性格を急速に強めようとしている現段階にあって、労働コストに関わる問題
にいかに対処し今後の発展を展望するのかという問題に直面しているのである。
3.スロヴァキア:量産拠点として急成長
近年、CEEにおける自動車量産拠点として急成長を遂げているのがスロヴァキアである。19
97
年わずか4万台余りであった国内生産は、翌9
8年に1
0万台にのせて以降堅調に増産を重ね、2
0
06年
には2
6.
7万台(図1)、翌0
7年には前年比でほぼ倍増の5
2.
8万台を記録した15)。こうした状況を受け
て、スロヴァキアの自動車部門は国民経済において重要な位置を占めるようになった。売上高ベー
スでは全産業の2
8.
4%を占め(2
0
0
6年)、貿易額では2
0%(20
05年)が自動車部門によって担われて
いる。図2で確認したように、スロヴァキアは今後飛躍的な生産が予想されており、CEEではチェ
コとならぶ車両製造拠点に成長する可能性を秘めている。ほとんど組立事業が行なわれていなかっ
た19
90年代初頭から、わずか1
5年あまりで重要な自動車生産大国に登り詰めようとしている国、そ
れがスロヴァキアである。
スロヴァキアの急成長は、近年相次いで進出を表明した外資系企業による国内製造能力の拡張に
よる。従来からの VW に加えて、2
0
0
6年には仏 PSA、韓国・起亜がそれぞれ生産能力3
0万台を保有
する一大工場を稼働したからである。これによりスロヴァキアでは欧州勢のドイツ、フランス、そ
してアジアからの韓国勢が拠点を構えることとなり、熾烈な競争が繰り広げられる舞台が整った。
各進出企業の現状は以下のとおりである。
VW
~1
99
1年に進出しBr
at
i
s
l
ava工場で小型車生産を始める。その後0
2年にスポーツ系ツーリ
ングワゴン To
uar
e
gを、
0
5年には高級車 AudiQ7をそれぞれ生産開始。これにより高級
SUV生産へのシフトを鮮明にしている。VW スロヴァキア工場は To
uar
e
g、Q7ともに
1
4)FOURI
N(2007a)、1
39頁。
15)FOURI
N(2008)、1
2頁。
1
0
3
世界で唯一の生産拠点として機能している。
PSA ~2
0
03年進出決定、Tr
nava工場を20
0
6年6月稼働。操業開始から7ヶ月でプジョー20
7
を5180
0台生産した。20
0
7年生産実績は18万台。今日同工場は従業員330
0人を抱える。
PSAは同地に大規模なインダストリアル・パーク(サプライヤー拠点)を建設し、物流
面での効率を追求している。部品の7
5%はスロヴァキア、チェコ、ハンガリー、ポーラ
ンド等近隣諸国から調達しているが、エンジン・トランスミッションはフランスから調
達するなど主要基幹部品については西欧からの輸入に頼っている。
起亜
~2004年進出決定、Zi
l
i
na工場が2
0
0
6年に操業を開始した。起亜はスロヴァキアを欧州戦
略車の生産・輸出拠点と位置づけ、EU向け事業の拡大を目指している。
こうした産業の発展は他の CEE諸国と同様、スロヴァキア政府による税制優遇など投資環境の
整備に追うところが大きい。また大手企業の進出にともない、部品産業の形成も進んでいる。部品
生産は200
1→06年で生産規模が5倍となり、近年はワイヤーハーネス製造等の労働集約的部品から
品目の多様化も進展しつつある16)。
スロヴァキアの自動車市場は決して大きくない。2
0
06年時で国内販売は8万台規模に止まる。保
有台数も低位に止まり今後経済成長とともに市場の拡大が期待されるとはいえ、人口5
4
0万余の同
国市場には限界がある。PSA、起亜等能力3
0万台規模の工場建設が実現したスロヴァキア自動車産
業は、畢竟、国内生産の多くを輸出する態勢とならざるを得ない。輸出主体の生産体制は、VW 現
地工場が製造するモデルが富裕層をターゲットにした高級 SUVである点に見るように、進出企業
の製造車種からうかがい知ることが出来る。スロヴァキア進出外資企業は、同国を低廉な労働力と
西欧市場に近接した物流面でのメリットを活用した輸出拠点として整備しようとしているのである。
4.ハンガリー:Audi
とスズキによる部品産業基盤の強化
ハンガリーは、社会主義時代のバス /
トラック事業の経験を背景に、自動車産業の集積が進む CE
にあって比較的早い時期から外資が導入され、いち早く産業発展のきっかけを掴んできた。同国自
動車(完成車)および自動車部品の出荷総額は製造業の1
6%、総輸出額では2
5%を占める基幹産業
に成長した17)。現在はスズキ、Audi
、GMが製造拠点を置いている。主な企業の最近の動向は以下
のとおりである。
マジャール・スズキ~9
0年代初に Es
z
t
e
r
go
m工場を稼働、スズキの唯一の欧州生産拠点である。
2005年 SWI
FT(世界戦略車)
、06年 SX4
(SWI
FTベースのクロスオーバー車)の生産を
1
6)FOURI
N(2007a)、1
9821
3頁。
17)FOURI
N(2007a)、1
61頁。
1
0
4
それぞれ開始するなど、グローバル戦略の一翼を担う工場に進化しつつある。2
00
8年現
在、年産3
0万台に向け能力拡大計画を遂行中。政府による部品産業育成政策をテコに、
ハンガリーでのサプライヤーの育成と能力向上に取り組んでいる18)。
Audi ~19
93年 AudiHungar
i
aMo
t
o
r
s
(Gyo
r
)設立。ハンガリー Gyo
r工場は、VW グループの
一大エンジン供給拠点として発展しつつある。エンジン生産実績190万基(2
0
06年)
。TT
クーペ/
ロードスター等乗用車組立は小規模に止まる(2
0
06年時2.
3万台)。同地からドイ
ツをはじめ世界の Audi
・VW 組立工場にエンジンが供給される。
GM
~ Ope
lHungar
y
(1
9
9
1年進出9
4年社名変更)
。199
9年に乗用車生産撤退。その後、GM系
モデルのパワートレイン部品工場として再編されつつある。現在年産4
0万基規模。
だが、ハンガリーの完成車両の年産台数は2
0万台規模(輸出1
5万台)で、今後一定の能力拡張が見
込まれるとはいえ年産規模は3
5万台程度に止まると予想されている。国内市場も人口9
90万人の小
国にあっては大きな伸びは期待できず、最近は年間販売2
0万台で頭打ち状態にある19)。
こうしたなか、ハンガリーでは近年、部品メーカーによる研究開発機能の強化や現調率拡大など、
部品産業基盤の強化が進んでいる。ハンガリー政府は、物流インフラ面と労働コスト面でのアドバ
ンテージに加え、教育水準やイノベーション能力の高さをアピールすることにより、投資優遇措置
を講じることをつうじて部品産業の育成を図ろうとしている。とりわけ国内完成車生産の大半を占
めるスズキに対する期待は大きく、スズキからの受注獲得をめざす地元サプライヤーに低金利融資
を与えたり研修機会を設定したりするなど部品産業基盤強化の取り組みを始めている20)。
5.トルコ:EU向け輸出拠点化の進展
トルコは7
10
0万人余の人口を有し、欧州ペリフェリ諸国ではドイツに次ぐ規模の大国である。
GDPは6356億ドル(購買力平価)
、一人当たり GDP9
000米ドルの中進国であるが、GDP成長率は
5.
3%と経済成長著しく、また平均年齢2
8.
6歳と若年層を多く抱えるため今後有望な市場として期待
が高まっている(数字はすべて2
0
0
7年時のデータ)
。自動車保有台数は8
59万台(0
5年)、新車販売は
約6
6万台(06年)で EUペリフェリ諸国にあっては比較的大きな市場であり、人口当たりの自動車保
有率の点から見ても市場拡大の余地が大きい。
こうした市場としての潜在的な魅力に惹きつけられる形で、トルコでは比較的早い時期から自動
1
8)これにより日系部品メーカーがハンガリーで相次いで拠点形成・能力増強に取り組んでいる。たとえば、
東洋シート(新合弁20
07年稼働、年産12
0万個(08年)
)、ブリヂストン(新工場07年稼働、8
00
0本 /
年)
、イビ
デン(DPF工場、2
40万ユニット)
、デンソー(DE用コモンレールシステム、6
5万→100万台 /
年)など。
FOURI
N(2007a)、1
6717
0頁。
19)FOURI
N(2007a)、1
60頁。
20)FOURI
N(2007a)、1
64頁。
1
0
5
車産業が発展を遂げてきた。その起源は、輸入代替戦略が志向されたことを背景に外資系企業が国
内ライセンス組立拠点の設立を始めた1
9
6
0年代に遡る。そのためトルコでは今日多くの外資系企業
が拠点を構えており、国内生産は年産1
0
0万台に迫る勢いである(図1参照)21)。
6
0年代に製造拠点を形成しトルコ定着に取り組んできた外資系主要メーカーの多くは現地資本と
の「合弁」形態で事業を営んでいる。主な企業として米フォード(2
0
0
5年生産2
5.
8万台)
、仏ルノー
(同2
2.
8万台)、伊 Fi
at
(現地資本との合弁= To
f
as
)
(1
7.
8万台)
、トヨタ(17.
7万台)
、現代(6.
1万
台)
、ホンダ(1.
8万台)
、独ダイムラー(1.
5万台)
、仏 PSA(現地資本との合弁= Te
ms
a)
(1.
2万台)
などがある22)。
トルコの自動車生産は1
9
9
0年代までは比較的緩やかな伸びで推移してきたが、2
0
0
0年代に入ると
増産傾向が著しくなる。1
9
8
7年の12.
8万台から2
0
00年に43万台を記録した後わずかな落ち込みを経
て、03年(53.
3万台)以降は飛躍的な拡大を遂げていることが示すように、トルコの自動車産業は
EU東方拡大を前後する時期に新たな局面に入ったことが伺える23)。こうした変化をもたらした背
景のひとつは、19
9
6年の EUとの関税同盟締結である。EUとの貿易取引が好転する環境が生まれ
たことにより、国内メーカーはこれまでの国内需要に依拠する事業展開を改め、対 EU向け輸出拡
大をにらんだ戦略転換を図ったのである。トルコ製車両の品質を EU基準にまで引き上げるには、
最新技術の導入や部品産業の近代化等多くの取り組みを必要としたが、外資系メーカーの意欲的な
取り組みに支えられた結果、2
0
0
1年経済(金融)危機を経てトルコの自動車輸出は拡大の一途を辿
ることとなった24)。
トルコの貿易構造を一瞥しよう。トルコは、全輸出に占める工業製品輸出の割合が9
3.
7%を占め
る(2
005年)工業品輸出大国である25)。輸出の仕向地は圧倒的に OECD諸国であり、そのうち EU向
けは52.
3%、金額で3
8
3億ドルである。品目別で見ると自動車・同部品の輸出額は9
5億ドル、全輸出
に占める同比率は13%に達する。近年はその躍進ぶりが著しい。一方の輸入については、石油をは
じめとするエネルギー・原材料の割合が高いものの、自動車・同部品の輸入割合も高い(全輸入
1
163億ドルのうち10
5.
4億ドル(9.
1%)である26))。輸入相手国についても、輸出と同様、EUが主要
な担い手であり、上位5ヶ国はドイツ1
1.
7%、ロシア1
1.
0%、イタリア6.
5%、中国5.
9%、フランス
5.
0%となっている。
対 EU貿易関係の緊密化を示す上述の傾向は、自動車輸出においてより鮮明になる。トルコ自動
車輸出の主要な貿易相手国はイタリア、フランス、ドイツ、イギリス、スペイン、ルーマニア、ロ
2
1)直近の数字によれば20
07年の生産台数は10
9万台を記録している。I
GEME(2008a).
2
2)FOURI
N(2007a)、24
7頁。その他、三菱ふそう、いすゞ、I
vec
o、MAN等が商用トラックを少量生産して
いる。
2
3)FOURI
N(2007a)、2
42頁。
24)トルコ自動車産業の歴史については DURUI
Z
(2004)による。また FOURI
N(2007a)
、24
22
43頁も参照。
25)I
GEME(2008b)
,p.
140.
2
6)I
GEME(2008b)
,p.
148.
1
0
6
表3 トルコ自動車輸出の推移(国別)
榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎 (
Val
ue:
US$)
COUNTRY
2004
2005
2006
2007
I
t
al
y
978,
092,
941
1,
142,
055,
994
1,
590,
864,
648
1,
948,
266,
210
Fr
ance
975,
305,
770
854,
301,
987
1,
283,
327,
029
1,
886,
351,
704
Ger
many
834,
863,
055
776,
373,
612
899,
623,
151
1,
305,
271,
497
Uni
t
ed Ki
ngdom
774,
044,
608
779,
304,
775
830,
519,
705
1,
132,
370,
449
Spai
n
385,
219,
739
572,
608,
484
686,
273,
453
1,
042,
914,
098
Romani
a
147,
929,
873
303,
745,
795
406,
421,
413
658,
392,
430
Russi
an Fed.
175,
916,
190
268,
399,
600
529,
553,
070
599,
656,
786
Sl
oveni
a
86,
731,
838
188,
421,
116
221,
827,
013
312,
502,
928
The Net
her
l
ands
172,
341,
875
166,
055,
770
197,
132,
805
299,
401,
997
Bel
gi
um
110,
649,
757
163,
596,
402
154,
753,
386
243,
751,
399
I
sr
ael
173,
727,
891
150,
020,
639
176,
552,
256
222,
531,
291
Gr
eece
96,
839,
605
60,
932,
161
146,
623,
792
215,
070,
399
Al
ger
i
a
136,
456,
711
87,
612,
296
122,
236,
289
195,
666,
130
Hungar
y
84,
290,
333
78,
629,
379
129,
807,
522
194,
429,
851
Ukr
ai
ne
25,
327,
140
36,
061,
886
78,
850,
110
166,
137,
751
Aust
r
i
a
109,
047,
415
117,
695,
570
120,
252,
813
153,
402,
811
Bul
gar
i
a
45,
171,
340
78,
816,
410
101,
769,
276
153,
174,
241
Pol
and
130,
900,
582
125,
823,
766
147,
552,
820
147,
200,
451
Czech Republ
i
c
37,
213,
461
46,
534,
065
61,
189,
877
140,
568,
207
I
r
el
and
98,
020,
305
133,
074,
045
140,
493,
430
131,
447,
693
Fi
nl
and
120,
822,
144
128,
630,
776
164,
145,
073
123,
103,
441
Denmar
k
85,
243,
655
103,
264,
920
125,
164,
317
120,
705,
211
Ot
her
s
1,
150,
889,
200
1,
530,
202,
557
1,
498,
329,
566
1,
550,
710,
288
TOTAL
6,
935,
045,
428
7,
892,
162,
005
9,
813,
002,
814
12,
943,
027,
263
出所:I
GEME(2008a)
,pp.
67
シア等であり(表3)、自動車関連品輸出全体の7
8.
8%は EU向けである27)。トルコの国内自動車生
産台数と輸出台数を簡単に比較すると、1
9
9
6年はそれぞれ2
7.
6万台、3.
6万台で輸出比率は1
3.
0%で
あったが、2
000年代に入ると2
0
0
1年に2
7.
1万台、1
9.
8万台(輸出比率7
3.
1%)、2
00
6年は98.
8万台、
69.
7万台(同70.
5%)で、急速に輸出比率を高めている。2
0
06年時の主要企業で見ると、ルノー、
Fi
at
、フォードが7割前後、トヨタでは9割超が輸出向けとされている28)。今日トルコ自動車産業
は、対 EU輸出拠点としての態勢を整えるに至ったのである29)。
6.ロシア:300万台市場を見込み外資参入本格化
近年、ロシアは国内経済の順調な発展を背景に、自動車産業をめぐる事業環境に急激な変化が現
れている。人口1億4千万人の巨大な国内市場を有するロシアでは、欧州をはじめとする世界の主
2
7)I
GEME(2008a)
,p.
5.
2
8)FOURI
N(2007a)、2
4224
3頁。
29)EU向け輸出態勢の整備にともなって、近年では新興国向け輸出車両新モデルの現地開発が着手されるな
ど新たな取り組みが始まっているが、この点については別稿で検討する予定である。
1
0
7
要自動車メーカーがビジネス機会の獲得を目指して、新たな取り組みを強めている。
ロシアに注目する最大の理由はその市場の潜在的な魅力にある。ロシア乗用車市場は2
0
00年代以
降拡大基調にあり、0
6年の販売台数(乗用車+商用車)は2
00万台を突破し、
20
10年には300万台市場
へ成長することが予想されている(図3)。ロシアの自動車販売市場の構成は、国産車(Lada、
GAZ等)、海外ブランドの国産車(フォードFo
c
us
、ルノー Lo
gan等)
、輸入新車(海外ブランド)
、輸
入中古車(海外ブランド)に大別されるが、近年は海外ブランドの国産車と輸入新車が市場の牽引
役となっている。海外ブランド輸入車の販売は0
6年7
5万台で乗用車市場の4割を占めた。海外ブラ
ンド国産車(ロシア現地資本と外資系メーカーとの合弁企業または外資系単独進出メーカーによる
現地製造車)を併せれば、海外ブランド乗用車の国内販売は1
0
1万台となり乗用車市場全体の5
3%を
占めている30)。つまりロシアでは外資系メーカーが市場、生産ともに主導的な役割を担う存在とし
てその頭角を現し、自動車産業を牽引しようとしているのである。
ロシアにおける外資の参入は、2
0
0
5~06年にかけて実施されたロシア政府による自動車産業政策
の変更によるところが大きいとされている。政令1
66
(20
05年)と政令5
66
(2
006年)の施行によりロ
シア現地で製造事業を行なう際の諸規制が緩和され、外資による現地生産計画が矢継ぎ早に表明さ
れたからである31)。2
0
0
7年後半以降には、Fi
at
、トヨタ、VW、GM、日産、スズキ等が現地製造プ
ロジェクトを始動するなど、すでに事業を営むフォードやルノーを併せると、ロシアではグローバ
ル企業がほぼ出揃う形となった32)。
ロシアの自動車生産事情について、国産メーカー、外資系メーカーに分けて概略する。国産メー
カーとして有名なのは、Avt
o
VAZ
(ヴォルガ自動車工場)
、GAZ
(ゴーリキー自動車工場)である。
Avt
o
VAZは乗用車生産規模7
0万台、Ladaブランドを擁するロシア国内最大のメーカーである。だ
が近年は外資の進出攻勢を受けてその生産は停滞基調にあり、2
0
07年乗用車生産は前年比3.
9%減
の73.
6万台であった。同社は Fi
at
、ルノーとの技術協力による事業展開を試みていると言われてい
る。後者 GAZはトラック・バス製造を手がける総合メーカーであるが、乗用車生産は近年衰退傾
向にある(200
7年前年比24.
6%減の3.
9万台)。そのため同社はフォードとの協力により事態をきり
ひらこうとしている。総じてロシア現地資本メーカーは旺盛な需要拡大を活かしきれず、外資メー
カーとの提携により生き残りを模索しているように見える33)。
3
0)FOURI
N(2007a)、1
1411
5頁。
31)政令16
6は外資による現地自動車製造事業の認可に関する諸条件を規定した法律である。条件を満たす企
業に対して部品または車両の輸入関税の減免措置を講じるなど自動車組立生産の促進を目的としている。同
政令により現地事業に関する従来の規制が緩和されることとなった。政令5
6
6は組立用部品の関税を0~
5%に軽減する措置である。FOURI
N(2007a)、9
29
5、11
0頁。
32)日系メーカーに関わる最近の動きでは、20
06年4月に日産が0
8年から年2万台生産を、2
0
0
8年5月には三
菱自動車が PSAグループと組んでロシア合弁生産工場の新設を表明している。各種新聞報道による。
FOURI
N(2007a)、1
9821
3頁。
33)両社以外に現在、ロシアにはKAMAZ、I
zhAvt
oなど多数の製造業者が存在するが、いずれも事業規模は1
0
万台に満たない中小メーカーである。FOURI
N(2008)
、2頁。
1
0
8
外国ブランド国内組立メーカーとしては、GM、フォード、ルノーが目立つ。GMはAvt
o
VAZと合
弁を成立し(GMAvt
o
VAZ)現地で小型 SUV
(シボレー)を製造、フォードは Fo
c
usを生産している
(実績4.
8万台)。ルノーは200
4年から現地資本 Avt
o
Fr
amo
sと組み世界戦略車ロガン(98
0
0ドル)
を5万台生産してきたが、0
8年2月に国内最大メーカー Avt
o
VAZとの提携に合意し、ロシア事業の
拡張に着手した34)。また独 VW は0
7年にモスクワ近郊の Kal
ugaにて車両生産工場を稼働、Po
l
o
ベースの廉価車をロシア市場に投入した。日系ではトヨタのロシア現地工場が2
0
07年に稼働したと
の報道が記憶に新しい。現在の生産規模は5万台であるが、今後〈第二工場〉を建設し将来的には
30万台の生産能力を確保する予定と言われている。
ロシアの生産事業は、現段階では現地資本との合弁という形が多く、政府の政策変更をにらみな
がらの事業展開が予想されるため、比較的小規模な事業として立ち上がっている
(表4)
。また、
現地
調達率はいまだ低く外資関与メーカーの組立事業は大半を輸入部品に依拠しているため、部品メー
カーの技術力向上による国内技術水準引き上げやサプライヤー育成などが今後の課題である。
表4 外資によるロシア現地生産計画
〈Kal
uga/
Moscow 地域〉
メーカー
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生産開始
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生産開始
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生産車種
生産車種
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メーカー
生産開始
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メーカー
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Nシリーズ
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3
(JV)
2008年
注)数値は20
08、2
011年の生産計画と、その後の中長期計画規模。年産台数で、単位は万台。
上 記 の 他 の 主 な 生 産 拠 点:TagAZが 現 代 自 製 品 に 加 え、双 龍 自 と SUVの 生 産 に つ い て 契 約(20
0
7年1
2月)
。SOKで は 起 亜 車 を 生 産 し て い る。
Kal
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orも組立生産しているが特別区のため上記から除外。Aut
oVAZは Renaul
tとの提携後の事業計画構想が不明なため、現業維持の
数値とした。
*1 VWと GMは SKD生産を2
00
7年に開始。2009年に CKD生産を開始する予定。
*2 三菱自は Ka
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uga地域への進出を検討、20
08年6月にも決定する予定。 *3 SSA= Sever
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出所:FOURI
N(2
0
08)
、1頁
3
4)FOURI
N(20
08)
、15頁。
1
0
9
Ⅳ.小括と展望
本稿は、2
004年 EU東方拡大以降に生じた広域欧州自動車生産ネットワークの基本的な特徴を探
るべく、有力な製造拠点として成長しつつある中東欧地域と対 EU輸出拠点としての役割を進化さ
せているトルコ、そして一大自動車市場としての潜在的な可能性を秘め産業空間として製造能力の
形成に動き出したロシアを取り上げ、その基本的な産業動向を整理した。2
0
04年 EU東方拡大以降
の中東欧・トルコ・ロシアにおける自動車産業に見られる展開動向から読み取れる特徴をまとめる
と以下のようになる。
第一に、CEEの着実な躍進である。CEEは東方拡大以降、欧州の有力な生産集積地に成長した。
とくに CEにおいては各国がそれぞれ製造拠点として固有の動きを強めつつ、欧州自動車生産空間
における重要な役割を担う新たな産業集積地が形成されようとしている。近々総生産能力1
00万台
弱の達成が予測されるスロヴァキアの急成長は、欧州の中心的な自動車生産地帯としての CEの地
位をヨリ強固なものにするであろう。さらに同地域では所得の上昇にともなう自動車販売が着実に
拡大するなど市場としての成長も進みつつある。その一方で、チェコなど一部の国では賃金上昇圧
力が高まりを見せており、これまで低賃金の活用にもとづく製造拠点形成を進めてきた大手進出企
業にとって事業戦略の見直しが迫られる事態が生じている。
第二はトルコの対 EU輸出拠点化である。EU加盟候補国トルコでは、6
0年代から西欧大手自動
車メーカーによる国内市場向け現地工場の操業が続いてきたが、9
0年代半ばの EUとの関税同盟締
結をきっかけに、対 EU向け事業転換が進み、新たな進出企業の蓄積と相まって、現在は一大自動車
生産国に変貌しつつある。
第三に注目すべきは、ロシアのモータリゼーション本格化である。1
99
0年代以降の国内体制改革
にともなう経済成長により、ロシアは有力な自動車市場へと生まれ変わろうとしている。ロシアで
は2
000年代半ば以降、欧州をはじめ世界の有力メーカーが相次いで製造拠点を設立・操業開始する
など、自動車産業の興隆がはじまっている。現時点では現地製造能力は低位に止まるとはいえ、
EUサイドから見れば近接する有望市場ロシアを欧州自動車生産システムのなかにどのように組み
込むべきか、その戦略的な対応が問われているのである。
第四に、欧州生産システムにおける重要な製造拠点として台頭しつつある新ペリフェリ域は少な
からぬ課題に直面しているようすが浮き彫りにされた。そのひとつは CEの一部諸国での賃金コス
トの上昇傾向である。今後これら諸国が経済成長し賃金水準が上昇すれば、投資メリットが薄れ製
造拠点の移転が現実化する可能性を秘めている。CEEの労働コスト上昇による製造拠点のさらな
る東方移動については労働集約的な性格を持つワイヤーハーネス事業など一部ですでにその動きが
見られるが、いまのところ限られた分野に止まっているようである35)。大手進出企業としては賃金
3
5)この点については、賃金コスト面以外の点で投資先としての魅力を追求しようとする動きが一部 CE諸国
1
1
0
コスト以外の要因で、EUレベルでの競争力優位性を構築・確保する必要性に迫られているといえ
よう。もうひとつは、部品製造業基盤の弱さに関わる。これはポーランドなど一部 CE諸国での現
地調達率の低さに現れている。CEEにおける日系アセンブラーの部品調達戦略について現地調査
にもとづく詳細な検討を加えた和田(2
0
0
8)によれば、日系アセンブラーの多くはエンジンやトラ
ンスミッション等の基幹部品については完成品または半製品(現地で簡単な周辺部品を組み付ける
だけでよい状態の製品)で日本から輸入しているという36)。大手サプライヤーの進出が本格化し量
産拠点化著しい CE自動車(部品)産業が、有力な製造基盤としてその機能を強化し発展を展望する
には、こうした課題をどう克服するかが問われているのである。
拡大 EUペリフェリ域自動車産業の動態は、欧州自動車生産システムの着実な進化を示唆してい
る。CEEでは、面としての拠点形成の広がりと、点としての拠点機能の充実とを特徴とする一大産
業集積地への変貌が進んでいる。トルコは広域欧州生産分業の展開において重要な役割を担う存在
となり、ロシアではその市場としての潜在的な魅力が高まり外資による製造拠点の形成が本格化し
ている。とくにロシアの動向は、それまで主に欧州市場をターゲットにした生産ネットワーク編成
を追求してきた欧州自動車産業システムに、対ロシア生産・供給体制の構築・強化という新しい戦
略課題への対応を迫るものとして注目に値する。われわれが次に問うべきは、こうした特徴をもつ
欧州システム進化の内実-すなわち拡大 EUペリフェリ域自動車産業がどのような形で広域欧州生
産ネットワークに組み込まれ、いかなる機能を果たしているのか-であろう。これについては稿を
改め検討する予定である。
*
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*
[追記]本稿脱稿(2
0
0
8年1
1月)後、サブプライム・バブルの破綻に起因する米国発の国際金融危
機は世界を揺るがす深刻な経済危機に発展した。前年度2兆円余の営業利益獲得から一転して赤字
転落予測を強いられたトヨタ(2
0
0
9年3月期見通し)
、破産の瀬戸際に追い込まれている米ビッグス
リーなど大手グローバル自動車メーカーを震撼させた世界同時不況の荒波は、CEE自動車産業に
とって決して無縁なものではない。ポーランドではオペルが2
0日間の生産停止を表明(JETRO海
で現れている。たとえばチェコやハンガリーでは研究開発センターや物流関連サービス拠点等の設立に対す
る投資優遇措置を実施する事例が現れている。他方では、賃金水準の上昇傾向や労働不足には、当面は技
能・スキル等の能力開発、一定の賃上げ、協調的な労使関係の形成等で対応可能であるとする見解もある。
JURGENS
(2008)を参照。
3
6)たとえば、ポーランド・いすゞではショートブロック(クランクシャフト、コンロッド、シリンダー、ピ
ストンなど主要部品を既に組み込んだ形)を自社の北海道工場から輸入し、現地でインジェクターやコンプ
レッサーなど周辺部品を取り付けエンジンを組み立てている。現地工場の機械加工はシリンダーヘッドとカ
ムキャリアの2部品のみで鋳造は行なっていない。ハンガリー・スズキではガソリンエンジン、トランス
ミッションなど基幹部品は浜松の本社工場から輸入している。和田(2
00
8)を参照。
1
1
1
外調査部調査レポート『米国発金融危機の経済・ビジネスへの影響』
、20
08年12月)し、トルコ工場
の能力増強投資を表明したホンダがわずか3ヶ月で同計画の延期を発表(2008年12月1
7日ホンダ年
末社長記者会見)するなど、拡大 EUペリフェリ域でも影響が現れ始めている。グローバル資本主
義の転換を示唆するとも言われる「未曽有」の混乱は、大手メーカーの生産ネットワークに組み込
まれ部品製造基盤の脆弱性など弱点を抱える拡大 EUペリフェリ域自動車産業にどんな試練を与え
るのであろうか。機を見て検討すべき課題である。
(附記)本稿は、20
072
0
0
8年度科学研究費補助金(基盤研究C課題番号195
301
93)の研究成果の一
部である。
参考文献
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00
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「EU東方拡大と中・東欧自動車産業の展開動向」
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拙稿(20
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「変貌する中東欧自動車産業」
『ロシア・ユーラシア経済』No
9
.
1
9,200
9年2月
1
1
3
「憲法」概念と憲法学(三・完)
─「法的憲法」と「政治的憲法」という言い方の比喩性
堀 内 健 志
(目 次)
1 法的憲法と政治的憲法
2 研究副産物─日本国憲法の妥当性問題
3 結び─「憲法」政策論の先行き
1 法的憲法と政治的憲法
(1)ここでは前稿(「憲法」概念と憲法学(その二)
)に引き続き、D・グリム氏の言うところに依
拠しながらドイツ公法学のその後の展開を見ることによって、もう少し「憲法」概念の意義を追求
してみよう。
(憲法と憲法律の同一性以降の流れ)1
8
8
7年ローレンツv.シュタイン Lo
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nによれ
ば、あらゆる実定憲法は、例えばある法観念から生ずるのではなくて、それは絶えず国法となるあ
らゆる都度の社会秩序を含んでいるという思想はもはや争われない。1
8
7
1年ライヒ成立後、実証主
義が急激かつ強力に実現され、これでもって、憲法はもはや政治的でなく、単に法的な問題のみを
提示することを表示するのである。北ドイツ連邦憲法及びライヒ憲法につき、ドイツ国法学は存在
する国家が後から憲法法的に制限されたのでなく、新しい国家が憲法の根拠で建設されたという構
成を与えた。
しかし、国家の成立を法律学的に構成することをG・イェリネク Ge
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kは空しいと考え
るのである。最初の秩序、すなわち国家の最初の憲法は法律学的にさらに導き得ぬものである。
G・イエリネクは彼の『一般国家学』
(1
9
0
0年、第3版1
91
4
(196
0年刷)年)で詳しく説いている。あ
らゆる継続的団体は一つの秩序を必要とする。それにより団体の意思が形成、執行され、この領域
が限定され、ここにおいてまたこれに対するこの構成員の地位が規制されるのである。そのような
秩序が憲法というものである。したがって、国家と憲法は必然的に相互に結合している。しかし、
憲法は必然的に法秩序であらねばならぬというものではないという。国家がその存在のために必要
とする憲法のミニマムを満たすためには、事実上の国家統一体を保持する力 Mac
htの存在で充分で
1
1
5
あるのだ。1
かかるG・イェリネクの所説は示唆に富むものである。少なくとも、「憲法」を「法規範」に限定
して立論していないことだけでも確認しておこう。
「事実上の力」ということが興味深い。
(政治的憲法・その一、R・スメントの憲法律の手続的解消)C・シュミットによって、カイザー
ライヒの実証主義的国法学は後に陰口を言われねばならないことになる。つまり、それは憲法理論
をまったく形成しなかったと。シュミットはその最重要なる根拠を戦前期の政治的・社会的安定感
情に見るのである(19
2
8年)
。ワイマール共和国においては、この憲法じしん議論の対象になり、再
び憲法が根本的に措定されねばならなかった。事実、この時代にはH・ケルゼンによる法律学的憲
法概念の一つの極端なる高まりの後、そのまた同様に決定的なる相対化がとりわけR・スメントや
C・シュミットにより観察されうるのである。
R・スメントは、すでに『憲法と憲法法(Ve
r
f
as
s
ungundVe
r
f
as
s
ungs
r
e
c
ht
)』
(1928年)という
タイトルでもって憲法概念の規範主義的狭化から距離を置いている。が、そのために憲法と事実的
諸権力関係の経験主義的な同置を採用してはいない。憲法は、国家がその生活現実態をもつ生活
Le
be
nのために、つまりその統合過程のために生ずるのである。この過程の意味は、たえず新しい
国家生活全体の確立であり、憲法はこの過程の個々の側面の法律的規範化である。スメントの場
合、ここから統合秩序としての国憲 St
aat
s
ve
r
f
as
s
ungの統合価値への方向づけの必要性が帰結す
る。憲法解釈にとって、このことは憲法解釈が法律解釈とは反対に規範テキストや法律学的方法へ
の拘束から広く解放され、統合の成果に関連づけられるということを意味する。精神の価値法則性
や憲法の条項により与えられた統合任務の充足は、この個々の条項からはなれるにもかかわらず、
むしろパラグラフにより忠実なしかし結果においてより欠陥のある憲法生活よりも、憲法の意味に
相応するであろうと言うのである。したがって、憲法規範は、憲法生活を例外の場合においてのみ
厳格に拘束しようとするものである。法と現実態の間のしっかりとした限界はもちろんそのときも
はや引かれ得ないのである。実定法として、憲法は規範であるのみならず現実態でもある。憲法と
して、それは統合する現実態なのである。2
(政治的憲法・その二、C・シュミットの憲法律の決断主義的解消)R・スメントとは異なり、
C・シュミットは成文憲法を永続するプロセスのためではなく、一回の決断のために解消するので
ある。彼の『憲法理論 Ve
r
f
as
s
ungs
l
e
hr
e
』
(1
9
2
8年)の対象は、いわゆる実定的憲法概念であり、こ
れは政治的統一体の態様と形式 Ar
tundFo
r
mに関する全体決定と定義づけられる。この実定的憲
法概念を彼は、あらかじめ当てられている絶対的憲法と相対的憲法の区別を背景として形成してい
る。
D・グリム氏の説明をそのまま再現すると次のようである。絶対的意味での憲法は(現実の、或
は思考上の)全体を言う。より正確に言うと、政治的統一体・秩序の全体状態、或は最高・最後の
1
1
6
諸規範の統一的完結せる一つの体系を言うのである。第一者の場合には、それは Se
i
nに関わり、第
二者の場合には、So
l
l
e
nに関わる。So
l
l
e
nはしかし、Se
i
nにその根拠を見い出す。というのも、
So
l
l
e
nは源として意思を前提とするものであるから。これに対して、一連の、特定種の法律が憲法
と称されるとき、ただ、相対的憲法概念が存するのである。それは、統一的な全体にではなく、内
部的に結合していない多様な諸規範にのみ関わるものであり、これはある法律のなかで合わせられ
ている或は加重された可変更性のごとく形式的基準によってのみ一緒に属するものとして決せられ
るものである。憲法と憲法律はその際同一のものとして取り扱われる。シュミットはこの結合を自
ら引き寄せてはいないが、人は実定的憲法概念を絶対的それの下位ケース Unt
e
r
f
al
l
と見なくては
ならない。一方で、憲法律は相対的そ れに帰属せしめられるべきものである。両者はしかし、関連
なしに並んでいるわけではない。憲法律はむしろ憲法を根拠として初めて妥当するのであり、憲法
を前提としているのである。憲法の本質はしたがって、法律或は規範のなかに在るのではなくし
て、政治的統一体の態様と形式に関する全体決定のなかに存するのである。この区別の目的は、憲
法律からその背後にある政治的決定へと法学者の注目を導くということである。正しく観察するな
らば、かの根本的な政治的決定は、実定法律学にとっても、決定的なことであり、真に実定的なも
のなのである。より広範な規範化したもの、個々における諸権限の枚挙や制限、何らかの根拠から
憲法律の形式が選ばれる法律、これらは、かの決定に対して、相対的であり、第二次的なものであ
るのだ。このことは、闘争の場合に、インフォーマルな政治的根本決定がその形式的な法的表現に
反して、行われるのだということを帰結する。シュミットはこれでもって、しかし、制定された憲
法の背後に立つ構造の視点を開くのみではない。彼はむしろ、法的権力コントロールの優位をも重
ねて放棄するのである。憲法律は、根本決定の割合にしたがってのみ政治を拘束するのである。3
こうしたC・シュミット理解は、我が国の憲法学論争にも少なからず示唆するものを含んでい
る。後に振り返って吟味することにしよう。
(規範的憲法と s
e
i
ns
mäßi
gな憲法)ヘルマン・ヘラー He
r
mannHe
l
l
e
rの『国家学 St
aat
s
l
e
hr
e
』
(1
93
4年)は、シュミットやスメントと同様に、社会的現実態としての憲法と独立したライヒ憲法
の間を区別するが、これらと反対にしかし、ダイナミックさや決断のなかへの憲法の解消を回避し
ようとするのであって、この国家学はワイマール共和国の崩壊後に初めてドイツ以外に現れたもの
である。
さて、ワイマール共和国の最終局面は、憲法理論的にまったくカール・シュミットにより支配さ
れているのであり、彼は『憲法理論』で企てられた憲法法の相対化をいまや実施し、それでもってワ
イマール憲法の敵対者の標識を与えているのである。1
9
31年の De
rHüt
e
rde
rVe
r
f
as
s
ungという
彼の文献で、シュミットは現在の具体的憲法状況を分析している。この憲法状況は『憲法理論』の
概念シェーマには組み込まれないのであり、明らかにそのなかには適合しない。というのも、それ
は(絶対的)憲法とも(相対的)憲法とも同一ではなく、まさに、それが両方からそれることにより
1
1
7
示されるのである。フーバー E.
R.
Hube
rは、したがってこの文献のなかにシュミッ トの憲法理論
の第二の本質的部分を見ようとするのである。シュミットは『憲法理論』において、実証主義の形
式的憲法概念を克服していたのであるから。真の憲法はそれによれば、単に規範的のみならず、同
時に実効的な wi
r
kl
i
c
h、s
e
i
ns
mäßi
gな憲法なのである。そのとき、憲法概念から、根本決断として
見なされ得ないかの構成部分とならんで、実効性 Wi
r
kl
i
c
hke
i
tをもはや持たないそのような根本決
断も外れるということになるのである。1年後(1
9
32年)
、シュミットは Le
gal
i
t
ätundLe
gi
t
i
mi
t
ät
において、憲法の新形成には合法的いかなる阻止もさえぎるものがないことの論 証を企てている。
合法性はあらゆる法秩序の一般的要求ではないのであり、議会制立法国家がつくった適法性の特殊
な形式に過ぎないのであるという。この議会制立法国家がもはや機能しないところでは、合法性は
その基盤を失っているのである。憲法の形式は、したがってその実体を防御しようとするところの
ものを拘束しないのである。フーバーは、カール・シュミットがこの脅威の状況において、合法性
の要求を、その憲法法的無効のもとで仮面を剥いだことをドイツ国法学者の政治的責任の印として
賞賛するのである。1
93
2年のシチュエーションにおいて、しかしシュミットにとり、憲法の全実体
はもはや一度も保護され得ない。彼は、ワイマール憲法のなかに、いまやむしろ二つの矛盾する根
本決定の集団-つまり、多数決定に基づく価値中立的な組織部分のそれと、価値をもつ基本権部分
のそれ-を見るのである。いま、ワイマール憲法が二つの憲法であるとの認識のもと、この二つの
憲法の一つを選択するとき、議会制立法国家は実体をもつ秩序のために犠牲とされねばならぬので
ある。これがうまく行くときは、一つのドイツ憲法作品の思想が守られているのである。4
このへんの議会制と民主制の関連は、これまた微妙な問題を含んでおり、本格的には別の機会に
検討を要し、かつ根本的には解き難いものがある。
(規範的憲法の終焉)シュミットに対して、彼が1
9
32年ドイツの憲法作品でもって、ナチズム体制
を意味していたということは考えられ得ない。しかし、この体制が権力を獲得した後に、彼は「ナ
チズムの憲法国家一年」のタイトルのもとでつぎのように書いているのである。すなわち、リベラ
リズムは、リベラルな憲法なしの国家はおよそ憲法を持つものではないという見解を貫徹したこと
のなかに、その最高の勝利を祝福したのである。
(が、)今日の憲法状況を見る際に、あらゆる憲法
がその固有の憲法概念を持つものだということは、断固として、初めから強調することがますます
必要である、と。ナチズム国家も憲法を持っているのであり、これはもちろんその内容のみならず、
形式についても、リベラルなものから区別されるのである。フーバーは、彼の憲法法の教科書にお
いて、ドイツの新しい憲法は、形式的意味での憲法ではないという命題でもって、それを示してい
るのである。シュミットはしかも、民族的内容にリベラルな形式を与えることに明らかに警戒して
いる。ワイマールのようににせの Ps
e
udo
-憲法を発することでなくして、すべての本質的点におい
て、実効的 な憲法関係を政治的に決断することが重要であるのだという。ヒトラーじしん、1
933年
3月23日の統治宣言においてはっきりと、国民の意思を実効的な指導の権威でもって拘束する憲法
1
1
8
を基礎づけることを宣言したのである。そのような憲法改革の法律的合法化は国民じしんに承認さ
れるのである。ナチズム法学は、しかも憲法律或は何らかの憲法典が決して固有の憲法であるので
はなく、不文の憲法的核心の単に発散・沈殿 Aus
s
t
r
ahl
unge
nundNi
e
de
r
s
c
hl
ägeにすぎないのだ
ということを明らかにするのである。固有の憲法はしかも、あらゆる規範的確固に逆らうのであ
る。なぜなら、それは So
l
l
e
n秩序でなくて、Se
i
n秩序であり、その正当性を自らのなかに持ってい
るからである。憲法の核心は、不文の生きた秩序であり、そこではドイツ国民の政治的共同体がそ
の統一性・全体性を見い出すのである。この憲法には、政治的現実態 Wi
r
kl
i
c
hke
i
tに対する基準機
能が属しないので、それは法的憲法の形式的性格が頼りにならない。実際、インフォーマルなもの
が、まさしく、基本秩序が硬直せずにそれがたえず生きた運動のなかに留まるための前提として現
れるのである。死んだ制度ではなくして、生きた基本形式が新しい憲法秩序の本質を形成するので
ある(フーバー、1
93
7年)。5
ここまでくると、C・シュミットの鋭利な理論も毒を帯びてくる。憲法典の法規範性をまったく
否定してしまうことになる。ここに、今日見られる実態主義、そこからくる政策論のある種の危険
性を暗示することにもなる。
(戦後ドイツと今日の問題状況)戦後のドイツ基本法体制は、法的憲法が再構築され、とくに憲法
裁判所の創設により、憲法の法的効力が担保されることになった。しかし、この間に諸条件に変化
があった。すなわち、もともと、法的憲法は市民の社会モデルの実施・確立のための手段とされた。
この社会モデルは社会の自己調整能力から由来し、国家を個人の自由と社会的自律 Aut
o
no
mi
eの保
障としてのみ必要としたの である。かかる任務は、消極的で、組織的な性質のものであって、その
ようなものとして、国家権力じしんを義務づける法のなかにその適切な解決を見い出したのであ
る。が、この自己調整能力ということの前提が正しくないものと判明して以来、再び国家による正
義の社会秩序の積極的組み立てが要求されることになる。国家任務は、それにより新しいものによ
り実質化されるのである。同時に、国家はその目標の追求の際に、政治的に重要なリソース
Re
s
s
o
ur
c
e
nを意のままにする社会的諸力に依存することに陥るのである。法的憲法はこの変化に
意義の喪失という代価を払うことになる。一方では、いま生じている諸問題は、もはや消極的・組
織的なものではなくして、積極的・実質的な性質のものである。その解決は、憲法法的に確かに導
かれうるが、しかし、実際に解決されうるものではないのである。他方では、憲法は、非国家的諸
力 Kr
äf
t
eが政治的決断へ関与すると同程度に、政治的支配の行使を包括的に規定する要求を失い、
一つの部分秩序に沈下するのである。6
かくて、D・グリム氏は、ここに法的憲法に基礎となっている政治・社会的憲法の意義が再び上
昇するであろうというのが自らの研究が与える洞察であると、ドイツ「近代憲法」
(学)史から得ら
れる教訓として最後を結んでいる。
1
1
9
(2)以上のごときドイツ憲法(学)史は、
「憲法」概念及び「憲法理論」に誠に多くの示唆を含む
ものであって、ここにそのすべてを取り上げて検討に付することは出来ない。できるかぎりD・グ
リムの文脈に忠実に再現せんと努めたのは、これをもとに別の機会に残された諸問題を改めて考え
直してみたいと思ったからである。今日あるわが憲法学はこうしたドイツ憲法(学)史からその主
要な骨格を摂取して組み立てられていることが、はっきりと確認されうるのである。
が、ここではそうした諸問題のなかから、とくにC・シュミットの実定的(積極的)憲法をめぐる
わが国の学説に見られる論争を取り上げておこう。
既稿(「『憲法』概念と憲法学(その一))冒頭に登場したわが国の代表的な憲法学者の説明は、い
ずれも確かにC・シュミットの「憲法」概念に言及している。
(a
)佐藤幸治教授は、「法規範としての憲法と事実状態としての憲法」として次のように述べて
おられる。7
「憲法に相当する外国語の c
o
ns
t
i
t
ut
i
o
n,Ve
r
f
as
s
ungには、構造とか組織とかあるいは体質とか
いった意味が含まれており、実際、国家という政治的統一体の存在のあり様それ自体を指して使用
される場合がある。
『事実上の権力関係』をもって『憲法』の本質とみるラッサールの所説、あるい
は、『政治的統一と社会秩序の全体状態』の意味において『憲法』を捉え(
『絶対的意味での憲法』
)、
また『憲法』
(Ve
r
f
as
s
ung)と『憲法律』
(Ve
r
f
as
s
ungs
ge
s
e
t
z
)とを区別し、前者の『憲法』をもって
憲法制定権力による政治的統一体の形式と態様に関する根本的決断とし(積極的意味での憲法』)、
『憲法律』はかかる『憲法』を前提にしてはじめて妥当し規範性を発揮しうるとするシュミットの
所説、などにその用例をみることができる。これらの所説は、政治的激動期において主張されたも
のであり、憲法が『政治』と深いかかわり合いをもつことを鋭く指摘したものといえる。しかしな
がら、憲法の本質をそのようなものとしてのみ捉えることは、憲法が『政治』にのみつくされ、憲法
学を『政治』の侍女たらしめる危険を内包している点は看過できない。日本語としての『憲法』は、
法規範のみを示唆し、c
o
ns
t
i
t
ut
i
o
nを必ずしも正確に表現しているとはいい難いが(…)、安易に事
実と混同することがあってはならない(因みに、シュミットの『憲法〔Ve
r
f
as
s
ung〕』は単純に事実
状態の意ではない)。
」
この佐藤教授の所説について、気づく点は次の通りである。まず第一に、教授はC・シュミット
の「絶対的憲法」をラッサールの「事実上の権力関係」と同種のものとして、それを「政治的統一と
社会秩序の全体状態」と捉えている。が、この点は、すでにうえにみたごとく、そうではない。
「絶
対的憲法」には、Se
i
nのものと、So
l
l
e
nのもの両者が含まれる。
「全体」というところに意味があ
る。
第二に、この「絶対的憲法」と「積極的憲法」の関連が不明確である。8「憲法律」のみがいきなり
規範性を発揮するということの説明が見られない。
第三に、C・シュミットの理論は「政治的激動期」のものであろうが、ラッサールの所説はむし
1
2
0
ろ、プロイセン憲法が制定されてもなお、旧来の保守的事実状態の社会的諸権力関係がこれを制限
したという状況を意味するものであった。
第四に、憲法の本質が「政治」と深いかかわりをもつことからそのような概念が憲法学を「政治」
の侍女たらしめる危険があるから「憲法」を「法規範」のみを含むものとするというのはそれで良い
のだろうか。c
o
ns
t
i
t
ut
i
o
nをその本質から目を反らすことで、果たして学問的姿勢として充分と言
えるのだろうか。むしろ、そのようなものならばそのようなものとして認めた上で、それに対する
対処を学問的に議論しておくべきなのではなかろうか。
第五に、「因に」としてC・シュミットの「憲法」は「単純に事実状態の意ではない」と追記する
が、しかし、「事実状態」としての用法も一方では充分に成り立つものであったのであるから、これ
も不明確な追記と言えないだろうか。
(b)芦部信喜教授の説明は、次のようである。
「カール・シュミット(…)が『憲法論』
(…)において、…まずそれは『政治的統一体の秩序の全状
態(傍点)を意味する』と言う場合の Ve
r
f
as
s
ung
(『絶対的意味の憲法』
)も、
」
「事実的なもの」を意
味する場合と「同義である。」
「もっとも、
」
「政治的統一体の様式と形態についての全体的決断(傍点)
」の意での Ve
r
f
as
s
ung
(
「積極的意味の憲法」
)につき「その決断に基づいて制定され、その決断の範囲内においてのみ妥
当する Ve
r
f
as
s
ungs
ge
s
e
t
z
(英語で言う c
o
ns
t
i
t
ut
i
o
nall
awで、わが国では通常『憲法律』と訳され
る。…)と区別して論じた場合の Ve
r
f
as
s
ungは、あらゆる規範の前に存在する実存的な政治的決定
であるが、この決断は、たとえばワイマール憲法一条の、
『国家権力は国民から発する』
『ドイツ国
は共和国である』というような規範に実定化され、法規範的性格をもつものになる。
」9
ここでも、次の点を指摘することが許されよう。第一に、芦部教授においても、「絶対的意味の憲
法」が「事実的なもの」と同義とされている。これは、先にも述べたごとく、あるものの一面のみを
語ることになり、精確ではない。第二に、
「積極的意味の憲法」を「規範の前に存在する実存的な政
治的決定」とし、これが「規範に実定化され」
、
「法規範的性格をもつものになる」ということが理解
しにくい。10 これは、
「規範の制定の事実存在」ということを考えておられるのであろうか。
So
l
l
e
nの命題の意味ではなく、Se
i
nde
sSo
l
l
e
nsということ、つまり、規範命題の制定・存在の事
実を「積極的意味の憲法」と理解しておられるのであろうか。このようなことは、自然法論的根拠
づけに対して制定・存在に法を基づかしめるという意味はあろう。
(3)小嶋和司教授に、次のような言明が見られる。11
「英仏語の c
o
ns
t
i
t
ut
i
o
n、ドイツ語の Ve
r
f
as
s
ungは、日本語の『憲法』とは違って、法という語源
的意味をもたない。そのため、法以外のもの、すなわち国家または政府の組織の実態・事実的決定
1
2
1
要因などをさしてこの語がもちいられることがある。
」
「C.
Sc
hmi
t
t
,Ve
r
f
as
s
ungs
l
e
hr
e
,1928は
Ve
r
f
as
s
ungを『政治的統一体の形式および様式の総体決定』とする。W.
Bage
ho
t
,TheEngl
i
s
h
Co
ns
t
i
t
ut
i
o
n,1867が c
o
ns
t
i
t
ut
i
o
nとして扱ったのは国政の実態のあり方であり、F.
Las
s
al
l
e
,Das
We
s
e
nde
rVe
r
f
as
s
ung1862は、事実的権力関係を Ve
r
f
as
s
ungの本質とした。
」
ここで、W・バジョットとF・ラサールについての箇所で、
「法以外のもの」とはまさしく「事実
的政治状況・実態」を述べたものと解されるが、
「事実的決定要因」としているのは、C・シュミッ
トを意識したものであるとすれば、かかる理解も、さきの芦部教授のところで指摘した「規範の制
定の決定・事実」というニュアンスが出てくる。果たして、そのような理解で良いのだろうか。
(d)C・シュミットの「憲法」概念についてのわが国の代表的憲法学者の理解を徹底的に批判す
べく論稿をものされておられるのは菅野喜八郎教授である。12
菅野教授は、うえに指摘した佐藤、芦部両教授のC・シュミット理解に対しての批判を以前から
しかも痛烈に展開しているところである。
まず、菅野教授においても、C・シュミットの二種の絶対的意味の憲法を説明したのに続いて、
次のように言われる。
「彼は『絶対性』つまり『統一的全体性』を、『憲法』=実定的意味の憲法にも認めていたと思われ
るが、もとよりこのことは、
『憲法』と事実としての絶対的意味の憲法との同一性ないし親近性を、
その帰結として導出することを許すものではない。もしそうしたことが許されるとしたならば、完
全に同等な権利で以て、『憲法』と規範としての絶対的意味の憲法との同一性ないし親近性を帰結
することもまた可能、ということになるだろう(…)
。
」
ここで、先に見たわが国の代表的憲法論者が、絶対的意味での憲法を、事実的状態という意味で
理解していたことが誤りであることを、正当に批判している。
その上で、しかし教授は「実定的意味の憲法」
(これは po
s
i
t
i
vの訳により「積極 的意味の憲法」と
も訳されているものである)については、これを事実的な決定行為ではなく、法規範的性格を有す
る決定内容を意味するものだと言う。ここに、教授の徹底した規範主義的C・シュミット解釈が認
められる。
そして、かかる立場からW・ヘンケの言うような「憲法が決定であるというのは…憲法それ自身
は規範ではないということ、したがってそれは現実の秩序が志向し[それによって]測られるよう
な観念的秩序ではないということを意味する。憲法は、むしろ、憲法を与える者の決定によって創
られたが故に政治的事実である」という主張を批判するのである。
が、この解釈はわが国の先の代表的憲法論者のものと、正反対の意味でやはりD・グリム氏の解
釈と異なっていることになる。
1
2
2
菅野教授は、「絶対的意味の憲法」と「実定的意味の憲法」の両者に共通するのは「全体」の契機
を含むという点だけであるという。
「決定」という概念について、教授は次のように明確に解読されていた。
「決定という言葉は、元来、行為を意味する場合と、決定(行為)の対象又は内容を意味する場合
と二つある。シュミットが憲法は決定であるという場合、後者の意に解すべきである。例えば、
『〈ドイツ国民がこの憲法を自己に与えた〉
〈国権は国民に発する〉
、
、或は〈ドイツ国は共和国である〉
といった諸規定は一般に法律ではない。従って憲法的法律ではない。…これらは法律や規則以上の
もの、つまり具体的な政治的諸決定なのである』…と彼がいう時、ここで用いられている『決定』が
決定内容を表示する諸当為命題を意味するものであることは疑いない」
。13
そして、C・シュミットのいう「積極的意味の憲法」とは次のようなものであると言明される。
「主権者が国家形体に関して行うところの『基本的な政治的決定』である…。この場合の『決定』
とは行為(傍点)ではなくて内容(傍点)を意味する…。そこで、シュミットのいう『憲法』とは、国
家形体についての主権者による政治的決定を内容とする広義の規範(シュミットの考える No
r
mと
は異なるが)だと考えられる。シュミットが積極的に主張しようとしたことは、すべての国の実質
的意味の憲法は、主権者による国家形体についての基本的決定(内容)を中核としているというこ
とである。ところで、シュミットの『憲法』が以上の如きものとすると、それは規範的意味形象なの
だから、事実としての絶対的憲法(傍点)とはもとより異なる。また、自己完結的でなくその妥当性
の源を実在的な主権者の『政治的意志』に仰ぐという点で、規範的な絶対的憲法(傍点)とも区別さ
れる。」14
このように解しないと、例えば憲法改正権能の限界などが不可解なことになると言うのである。
C・シュミットが、憲法は憲法改正手続によっても不可変であるというとき、その意味は「憲法」
改変の法的不可能の意味である。とすると、この場合の憲法=実定的意味の憲法=「政治的決定」
は、憲法律の上位法と見なければならぬことになる。もしそうでなく、
「憲法」が「事実としての政
治的決定」であるならば、この「事実」を直接かつ即時に憲法改正手続によって変更することは不可
能であるが、その場合、改正の限界を成すものはそれに限られず、国民性とかその国の風土や歴史
などもろもろの事実もその限界を成すということになるだろうと指摘される。
C・シュミットは憲法律の Ge
l
t
ungは「憲法」に、
「憲法」の Ge
l
t
ungは「憲法制定権力の意志」
に基づくと主張していると読めるという。Ge
l
t
ungが規範の本質的属性 だとするならば、そのよう
にしか解せられない。「憲法」と「憲法律」は「内容と意義」において質的に異なる。
うえに見た芦部教授の言われる「決断」が「規範に実定化され、法規範的性格をもつものになる」
という、理解しにくい説明に対して、菅野教授も痛烈に批判されているが、15次のような意味なら
ば、菅野教授もその可能性を認めておられるのである。
すなわち、「例えば或る立法行為が『単に』教育制度の在り方を『決定するもの』だから『規範を
1
2
3
定立するものではない』との結論が生じ得ないのと同様、
『Ve
r
f
as
s
ung制定行為は単に政治的存在
形式を決定するもの』だということから、
『規範を定立するものではない』との結論は生じ得ない。
『政治的存在形体を決定する』というのは、例えば、
『日本国は立憲民主国家たるべし』といった内
容の決定を下すこと、こうした内容の法根本則を定立することなのであって、かかる決定行為の所
産は観念的存在たる当為命題である。このような当為命題を『規範』と呼ぶかどうかは規範という
語の定義の問題であるが、
『或る事態が生起すべきである、とりわけ、人は一定の仕方で振舞うべき
だとする観念』の言表を広く規範と呼ぶならば(…)
、シュミットのいわゆる実定的意味の憲法は、
これを規範と呼んで何ら差し支えないだろう。規範概念中に不可侵性(少なくとも規範所定の手続
に依らぬ限りでの不可侵性)─規範定立者に対する関係においても─ の要素を含ましめるときには
(…)、
『憲法』は憲法制定権力を如何なる意味でも拘束するものではないから(…)
、『憲法』は『規
範』ではないと言えるだろうが」と言われているのである。16
そうであるとすれば、
「実定的意味の憲法」についてもさきにも触れたごとく、So
l
l
e
nの決定と
しての Se
i
nde
sSo
l
l
e
nsの事実的側面をも考える余地は教授においても認められているということ
になるのではなかろうか。D・グリム氏の説明もこの点を肯定したものであった。
(e
)但し、C・シュミットのいう憲法制定権力について、これが「政治的意志」であり、心理的存
在としての事実であるならば、これは菅野教授において、方法二元論の立場からするとその Se
i
nか
らは So
l
l
e
nは導出され得ないものである。菅野教授によれば、C・シュミットの憲法制定権力論
は、絶対民主主義的自然法に法の妥当根拠を求める見解であって、結局憲法学にとって不必要、そ
れどころか有害でもある。17
してみると、かかる立場からはうえの Se
i
nの部分は、憲法学においては議論の対象にはなり得な
いことになる。
例えば、ワイマール憲法に抵触するようなヒトラーの命令は、それじしん So
l
l
e
nの当為命題、
従って法規範であるから、これをもって「法的憲法」と「政治的憲法」の対比で議論し得ないもので
ある。18
D・グリム氏とともに展開してきたドイツの近代憲法(学)史もそのまま言葉通りには、理解で
きないということになるだろう。
しかし、妥当性 Ge
l
t
ungを有する法規範の So
l
l
e
nの命題もそれがどれほどに実効性 Wi
r
kl
i
c
hke
i
t
を持つのかということは、なお政治学・社会学的には意味を持っていて、これはドイツの憲法史上
たえず問題となってきたテーマであったことは否定できない。
今日の「近代憲法」の終焉の問題も、近代的「法治国家」に対して、激動する政治のなかでのポス
トモダンの「政策決定」の必要性が叫ばれているが、これももちろん、法規範学の世界においては、
1
2
4
あくまでも So
l
l
e
n命題相互間の問題であるはずである。が、ここでは、従来の法規範では実情に適
合しなくなっている状況下で、その規範とは異なるどのような「政策決定」が望ましいか、その都度
その都度問われている。これも法規範であるに違いない。が、まだその内容に方向性が見い出せな
い。このような状態において、あるいは「政治的憲法」が比喩的に語られうるのかも知れない。言
い換えれば、従来妥当し、かつ実効性を持った「法的憲法」と現状に適合的とされる別の、これとは
異なった何らかの「政治的憲法」が対峙されているということであろうか。
2 研究副産物─日本国憲法の妥当性問題 「憲法」概念史を調べてきて、稿者が当初考えていたことについて、様々のことがわかり、またな
お、難題として保留しているものもあった。
が、ここでは現行憲法に目を転じて、その生誕の法理についてこれまでの考察の成果をふまえて
眺めておくことにしたい。
というのも、この問題じしんは現行憲法制定当初より存在し、以来今日にいたるまで、なお、論
争の絶えないものであるが、ここでは、とくに最近、高橋正俊教授が、従来の見解を批判的に分析
し、独創的かつ注目すべき立場を明らかにしているので、19 これを頼りにしつつ、
「憲法」概念の視
点より若干の検討を加えてみたいと考えるのである。
(1)高橋教授は、その論文の表題からも推測されるごとく、憲法改正の起源、日本国憲法制定の
経緯、日本国憲法生誕の法理、講和条約締結と占領の終了、国体と天皇制、日本国憲法の運用とそ
の特質、憲法改正の動向と、極めて広範な諸問題にわたって考察しておられるが、ここで取り上げ
るのはかなり狭く「憲法」の妥当性の根拠に関するものに限定されることを、あらかじめお断りし
ておく。
まず、ポツダム宣言と無条件降伏の関係につき、
「日本の降伏を無条件降伏とするか、条件付降伏
とするかは、ポツダム宣言の起草にあたってアメリカ政府内部においても、激しく争われたところ
であった。しかし、その起草過程で、国家の無条件降伏という言葉が消え、軍隊のみが無条件降伏
とされた。すなわち、ポツダム宣言は、条件付降伏文書と理解すべきものである。
」
「しかし、運用の
段階では、条件付降伏とはされなかった」とする。20 が、今日の憲法学界では、このような意見はい
ずれも少数であり、「判例や通説は、無条件降伏という言葉をつかっても、一方的に提示された条件
付条約にさらに条件をつけ加えることなく締結したという意味であって、日本国は法的主体性を
失ったわけではないとする。
」21
つぎに、占領下における日本国の所在については、通説は、主権維持説をとるが、これに対して、
「SCAPないし連合国が日本の固有の統治権を握ったとする考え方がある。
」
「ポツダム宣言が無条
件降伏とすれば、日本から固有の統治権は失われたと考えられるから、当然にこの説におちつくこ
1
2
5
とになる」として、長尾龍一説を引きつつ、
「さらに、SCAPと連合国のいずれが固有の権限をもつ
かという問題も、観念的には生じる。その固有性という面を尊重すれば、連合国ということになろ
う。しかし、SCAPは、日本に所在して、連合国の指令に制約されつつも、日本国民を直接に統治
する立場にある。この範囲をもって国家とみ、SCAPをもって主権者(に似たもの)とするのは、
国家を領域団体とする考えかたに合するであろう。留保を付しつつ、本稿はこの考え方に従う」と
して、主権喪失説に与している。22
また、占領下の統治体制について、
「日本政府は、簡易・迅速に GHQ側の要求に応えられるよう
に、いわゆるポツダム緊急勅令を制定した」が、裁判所は、これはポツタム宣言受諾にともなうもの
で、「憲法外において法的効力を有するもの」とした。
「これは本質的には、憲法の『外』にあるので
はなく、『超える』効力をもつもので、形を勅令・命令に借りたものにすぎない。日本の裁判所が有
効・無効を論じうるものではない」とする。23
(2)さて、日本国憲法の生誕について、このような理解のもとで、戦後長く通説としての地位を
占めてきた八月革命説の再検討が行われる。24
これに先立ち、憲法改正限界論のもと君主主権から国民主権には改正し得ないとして、明治憲法
の改正手続によっては、日本国憲法を合法的に生み出すことはできない。ここから、日本国憲法無
効論が唱えられるが、この点について、高橋教授は次のように説いている。すなわち、「この議論
は、その現実乖離性・イデオロギー性を批判され、ほとんど顧みられることはない。しかし、この
理屈のどこがおかしいかということになると、批判はそれ程容易ではない」とし、しかし、「この無
効という結論は、日本国憲法の妥当性は、明治憲法から受け取る場合にのみ生じるとの前提に立っ
ている。明治憲法から独立して、日本国憲法が有効となる場合があるかもしれないという点を考慮
に入れていない。この論拠だけでは、無効とはまだ言えないのである」と言う。
ちなみに、憲法改正無限界説にあっては、
「君主主権の憲法も、その改正手続によって国民主権の
憲法を生み出せる」のであり、
「法的連続性は確保され、日本国憲法の妥当性は問題なく認められる
こととなる。」
そこで、八月革命説についてであるが、
「宮沢がポツダム宣言受諾を革命というのは、それを受諾
して国民主権となるのは明治憲法上許されないところで、そこに法の断絶があるということを示す
ためである。しかし、ポツダム宣言受諾が憲法上許されないとしたなら、それは違憲の行為であっ
て無効とする方がスッキリする。なぜそうならないかについて、宮沢は『敗戦という事実の力によ
つて』国民主権になった、といっているのは注目に値する。つまり、宮沢は、事実の力が国民主権と
いう法を生み出すことを承認しているのである。
」
「では、この降伏による法状態の変更-宮沢によ
れば国民主権への、本稿の考えによれば SCAP・連合国主権への─は、いかに理解すべきであろう
か。革命を単に法の断絶ではなく、
『不法もしくは非法な力による既存の憲法の排除と、同じ力に
よる新しい憲法の定立』とすれば、余りそぐわない言葉ではなかろうか。八月に起こった法の断絶
1
2
6
は、征服という言葉で示すのがよりふさわしい。征服によって、日本に新しい法秩序、すなわち占
領管理体制が妥当することになったと考えるべきであろう。
」
「次に、八月革命説は、ポツダム宣言により国民主権が成立したことを前提にしている。しかしな
がら、まず、宮沢の議論の根拠にしているバーンズ回答から、日本は国民主権を採用したという結
論を引き出すことはできない。というのは、バーンズ回答の引用するポツダム宣言第一二項は、占
領軍の撤退条件とされているのであって、現況を国民主権とすることまで要求していないからであ
る。
」
「また、占領管理下で、建前としてであっても国民主権が成立したとするのは困難である。理
論的には、連合国や SCAPの命令を国際法とみることによって、国民主権の存在を語る方法がある
かもしれない。しかし、このように考えるためには、国際法は、あらゆる国内法に形式的効力の点
でも上位し、国際法違反のすべての国内法は無効であるとするラジカルな国際法優位の一元論をと
る必要がある。」
「憲法改正には、衆議院の他に天皇・枢密院・貴族院がかかわり、貴族院では修正
さえされた。国民主権がすでに存在したのであれば、このような非民主的機関が参与したという事
態をどう説明するかという問題が残るであろう。
」
「以上のように、八月革命説には問題がありすぎ
る。この学説は、日本国憲法の妥当性を、当時の理論にそくして合理的に構成したいという願望に
支えられたものであったと考えられる。いかなる意味でもその妥当性が疑われない今日において
は、すでにその実践的意義は失われている。そうであってみれば、
『歴史的役割は終った』という評
価に同意せざるをえない」とする。
(3)しからば、どのように構成すべきか。25
これまでみてきた主要な学説は、「日本国憲法をその制定から今日にいたるまで等質の法とみる
ことで一致している。一元的な説明が可能であるとの立場からのものであった。しかしながら、本
稿の観点からすれば、日本国憲法は一身にして二世を経たものである。すなわち、まず、占領中に
おける日本国憲法の誕生とその妥当性、及び占領の解除によるその妥当性維持の問題を、それぞれ
別に解明する必要があると考えられるのである。
」
「占領中については、ほとんど説明の必要はない。日本国憲法は、SCAPないし連合国の主権下
において、間接統治の形式によりつつ改正されたのである。もちろん、憲法改正の限界などという
ことは問題にならない。また『押しつけ』とか、憲法議会が GHQの統制下にあったこと、さらには
明治憲法第七三条による手続に従ったことにも、何ら問題はない。GHQによる法令の制定・改廃
の要求に対する日本側の対応と同じであり、憲法だけが異なるべき理由は見出し難い。
」
「したがっ
て、この状態において成立した日本国憲法という法典は、いうまでもなく最高法規ではなく、その
性格は管理法令の一種と考えられる。そして、実際そのように運営されたことも前述のとおりであ
る」とする。
「では、占領の終了による日本の独立回復の時期以後において、日本国憲法の妥当性はどうなるの
であろうか。」失効するという見解は、学界でほとんど受け入れられていない。法の妥当性という一
1
2
7
般的な問題にかかわる。
「普通、近代法は統一的・組織的な法体系として組み立てられ、上位法ある
いは前法に授権されて存在するとき、原則としてその妥当性を疑わないというのが約束事である。
しかし、上位法がない場合、あるいは前法との間に法的断絶がある場合もある。日本国憲法が占領
終了とともに置かれた立場はこれに相当すると考えられる。その場合、妥当性はどう考えられるの
であろうか。」
「有力な見解によれば、憲法典の妥当性は、それを支える意思と諸力の存否という事
実にもとづくとされる。実は、前述のように、八月革命説の宮沢も、事実の力による法の妥当性を
認めており、この見解に属すると考えられる。そうであるとすれば、日本国憲法の妥当性は、独立
回復時とその後の日本国憲法を支える意思と諸力の存否という事実に依存することになる。見方を
変えれば、講和条約による主権の回復とは、日本が日本国憲法という管理法令をどう処理すべきか
決定する時期の到来を意味したのである。
」
「独立回復時において、日本国憲法は完全に妥当していたし、現在も妥当しているといえよう。け
だし、ここで問題とされる日本国憲法の妥当性とは、拘束力ないし効力のことであり、それが憲法
典を支える意思と諸力にもとづくとするならば、それは満たされているといえるからである」とし
て、次のような分析を示している。
「第一の、支える意思とは、
『法の主体でありかつ受け手である
ひとびとに生ずる観念』という主観的な側面である。日本国憲法に関して、この側面は占領下にお
いて十分に醸成されていた。すなわち、①教育などを通じて、日本国憲法を法として守るという情
動が強く植えつけられていたし、②違反行為に対する制裁が、憲法を信頼できると感じられるほど
に実現されていたからである。」
「第二は、力という客観的側面である。日本では、政府・国民共に
憲法を維持する態度を取り続けた。日本国憲法に対する反対も剥き出しの力によるのではなく、憲
法改正運動という合法的な形をとった。また、憲法が国外の勢力によって動揺させられることもな
かった。」
「この状態は講和条約以来持続し、今日では日本国憲法の妥当性を疑う学説はほぼ姿を消
している。日本国憲法の出自・改正手続・内容上の瑕疵と感じられる諸点は、憲法改正問題として
発現するにすぎない。」
「最後に、明治憲法第七三条の改正手続を使った問題に言及しておく。前述
のように、日本国憲法は新憲法とみるほかはない。新憲法の制定には、当然のことながら、方式と
いうものはありえない。いかなる制定方式をとるかは自由で、国民主権の憲法を制定するするな
ら、国民代表による方が妥当性を獲得しやすいだろうという以上の意味はない。日本国憲法の場合
は、政治的判断から、憲法制定手続として明治憲法の改正手続を借用したにすぎない。
」
(4)以上で、高橋教授の所説を、ほぼ再現できたと思う。日本国憲法生誕の法理について、従来
の通説的な八月革命説を批判しつつ、明治憲法、占領下の管理体制、そして講和条約後といういわ
ば三分説で実態に即した理論構成を提示されていて、注目される。とくに、高橋教授の見解の特色
は、占領下の被征服・主権喪失、及び講和条約時における憲法典を支える意思と諸力という、事実
的要素に基づく「日本国憲法」の妥当性論にあると言えるであろう。
このような憲法の効力論は、高橋教授も引用されている通り、まず佐藤幸治教授の立場である。
1
2
8
佐藤教授が「日本国憲法の効力は、日本国憲法を支える意思と諸力の存否にかかわる問題である」26
となし、この点で芦部教授のごとく「民主的正当性こそ、憲法の効力を支える究極の根拠と考えら
れる」27とは見ないのである。
そして、かかる見解は、すでに小嶋和司教授の採るところでもあった。すなわち、小嶋教授も「憲
法の究極的保障が社会的諸力の支持と強制でしかありえない…」。28「憲法典の効力がそれを維持す
る意思と力とに依存することは既に述べた」とされていたからである。29
こうした憲法の妥当性の根拠をこれを支える意思と諸力に求める、すなわち、憲法の法規範
So
l
l
e
nの妥当根拠を意思と諸力という事実 Se
i
nに求める見解は、さきにみたC・シュミットの所説
についてのわが国の代表的憲法論者の解釈に認められたものである。そして、これに対する菅野教
授の批判はすでに別の箇所で展開したとおりである。
So
l
l
e
nの当為命題が Se
i
nの事実・存在により生ずるということは、純粋法学のH・ケルゼンの立
場からはとうてい是認されるものではない。しかし、ドイツ憲法史の流れのなかで何度となく繰り
返されてきた経験は、憲法典の制定法とこれに適合しない憲法現実態の存続ということであった。
または、この反対の旧来の国家状態に対して制定法による権利確保のための改革ということであっ
た。つまり、たえずこうした状況においては、Se
i
nと So
l
l
e
nは相絡みあって進展してきたのであ
る。
いうまでもなくしかし、そこでいう Se
i
nというものも、この中身はすでにも検討した通り、何ら
かの意味での規範の当為命題を内容としていたものと構成することは出来た。「国制」と言うとき
にこれは単なる状態に過ぎぬとは限らない。多かれ少なかれ一つの秩序として拘束力をもって行わ
れていたものと言って過言ではないだろう。
(5)日本国憲法の生誕の法理としては、憲法改正無限界説の立場からは、日本国憲法の妥当性を
旧憲法との法的連続性から導くことも、また、これを支持する国民の意思及び諸力の存在に求める
ことも出来るだろう。そして、このように妥当性の根拠を構成したとしても、これを明治憲法とは
異なる新憲法と位置づけることは不可能ではない。法規範のレヴェルでは後法優位の原則の適用と
見ることになろう。ちなみに、日本国憲法無効説は、憲法レヴェルの同一法規範形式におけるこの
原則の適用を否定するのであろうか。明治憲法が日本国憲法の上位規範だということを前提にして
はいないだろうか。そうでなければ、前者からみて後者の違反・無効は導かれえない。
小嶋教授は、この点、稿者のかかる試見にかなり調和的に次のように述べておられる。「限界説の
効果は、たんに、改正されて成立した体制と改正前の体制との間に合法的継続性を承認して把握す
るか、新憲法として把握するかという認識のしかたを別けるにすぎない。その意味で、無限界説と
限界説との対立は、学問的思考の対立であるにとどまる。
」30
1
2
9
(6)制憲過程に見られた一連の「日本国憲法」の起草作業を連合国・占領軍の管理法令の制定・
強制としてのみ見るべきかどうか、いずれにしても一定の手続を経て制定されたことは事実であ
り、そこにはもちろん被占領下という特殊事情はあったが、国民によるそれを支える意思と諸力は
存在したと考えられないか。このような場合に、もう一つの構成法としては、やはり極めて平凡で
はあるが、制憲過程を経て作成された「日本国憲法」という法規範は、So
l
l
e
nの当為命題として存
在し、つまり、これは Se
i
nde
sSo
l
l
e
nsとして存在したとみ、しかしながらその実効性 Wi
r
kl
i
c
hke
i
t
が不十分であったという、ドイツ憲法史上しばしば見られる法規範と事実の緊張関係という位置づ
けも可能なのではなかろうか。この実効性は、講和締結後十分なものになったと認められよう。
3 結び、「憲法」政策論の先行き (1)稿者はかねて、「実質的憲法」
「固有の意味の憲法」概念としての「国家の基本秩序」なるもの
と、「近代立憲主義的意味の憲法」のなかの「統治組織」との関連・区別を明確にできないかという
問題に関心をよせて、そのためには「憲法」概念の成立過程をもう一度洗い直したいと考えていた。
しかし、このような問題関心を持ちつつ、本稿は「憲法」の概念史を、ドイツ公法学の文献に依拠
しながら調べていくに連れ、その問題がさらに大きな「憲法学」じしんの根本的な立場にまで関係
してくることが明らかになっていったのである。
したがって、結果的に「憲法」概念を通しての「憲法学」とすら言えるものになってしまった感が
ある。31 それだけに、まとまりに欠けたいささか、いや極めてだらだらした文脈となっていること
をお詫びしなくてはならない。
けれども、当初の予測に反して、
「憲法」概念、その原語じしんの成立史、いくつかの語源の個々
の微妙なる相違、日本語としての「憲法」の意味、さらには、法規範と事実の問題や日本国憲法の生
誕の法理にまで至る広範な諸問題へ言及することとなったのである。
もちろん、それらの個々の問題についての総合的な分析というのではなく、あくまでも「憲法」概
念と関連する限度での検討に留まったのは、本稿の制約からしてやむを得ないことである。
(2)とくに、C・シュミットの「実定的憲法」を法規範と事実という次元の問題において、いかに
理解すべきかという難問には、なおはっきりした解答を提示できずにいるが、しかし、一般に「法的
憲法」と「政治的憲法」という言い方は、この後者が「法規範」を含んでいないということまで果た
して考えていたのかどうか。この言い方は、後者が日々変化する国民の意思とか、すでにある既存
の法体制に対して反抗する事実的な決定であったり、ここにもいうまでもなく個々には規範命題を
含むものであっても、一つの修辞としては「政治的憲法」として「法的憲法」に対比されたりしてい
るのではないだろうか。
もともと、法規範と事実という区別は、純粋な科学方法論からもたらされるある事柄の思考の意
1
3
0
味内容を指示するのであるが、これを憲法史上は両者が現実態として混在・並存してみえる場合に
それぞれの状況に応じて比喩的に「法的憲法」と「政治的憲法」というごとく言い表して個々の政治
的構造を説明してきているのではないかと感じられるのである。32
(3)最後に、今日、2
1世紀への転換の時代において、主として1
9世紀以降の「近代憲法」の存在意
義が問い直されている。すでにも言及したごとく、
「近代憲法」のロジックでは解決できない、その
まま適用できない社会的・政治的諸問題が生起している。
その場合に、この「近代憲法」を支えてきたもの、及びこれを克服しようとしているものの力の正
体はなにか、を問うことが必要であろう。
1
930年代にC・シュミットが、類似の状況においてかつて「近代憲法」と「政治的憲法」の対峙を
試みたことは、すでにも見たとおりである。
そして、C・シュミットの行き着いたところは、次のようなものであった。33
すなわち、主著『憲法理論』では、
「主としては市民的法治国家の憲法理論が説述される。…いろ
いろな事例については、特にフランスの諸憲法の古典的な表現を引照することが便宜とも思われ
た。しかし、この類型は、その歴史的な被制約性と政治的な相対性が無視されざるをえないような
絶対的ドグマにまで高められてはならない。反対に、多くの伝統的な定式や概念が、いかに過去の
いろいろな状況に全く依存しており、今日ではもはや決して新しい酒を盛る古い革袋ですらなく、
たんに古びたにせのレッテルにすぎないかを示すのが、憲法理論の任務のひとつである。
」
「市民的
法治国の憲法理論の特別の難関は、憲法の市民的-法治国的構成部分が、実はそれは自己充足的な
ものでなく、政治的構成部分にたんに附け加わるにすぎないのに、今日でもなお、憲法全体と混同
される所にある。」
「近代憲法」の歴史的相対性と新たな政治的ありようの可能性が示唆されている。しかし、すでに
も見たごとくこの「法的憲法」と「政治的憲法」の対峙が、結局正義・理性に対する実力による支
配、議会政民主制に対する指導者の支配による交替を帰結し得た。
今まさに「理性・公平」という人類が永年の努力の結果獲得してきた英知を、時々の力関係に委
ねる「政策決定」主義の開かれた政治にすべてを任せることが、どのような結果になるのかを、慎重
に洞察しておくことは決して意味のないことではなかろう。
注
1
H.
MohnhauptundD.
Gr
i
mm,
Ver
f
as
s
ung,
1995S.
134f
.
2
a.
a.
O.
S.
135f
.
R・スメント、C・シュミット及びH・ヘラーの憲法理論について、ここで立ち入って解説し
ないが、詳細については堀内健志『ドイツ「法律」概念の研究序説』
(多賀出版、1
9
8
4年)の第二編第四章第三
節247頁以下、第三編37
6頁以下、第二編第一節22
3頁以下をそれぞれ参照されたい。
3
a.
a.
O.
S.
137f
.
1
3
1
4
a.
a.
O.
S.
138f
.
5
a.
a.
O.
S.
139f
.
6
a.
a.
O.
S.
140f
.
7
佐藤『憲法[第三版]』
(青林書院、199
5年)
16・7頁。
8
樺島博志「法における決定と秩序」
(上)、
(中)、
(下)
『自治研究』
7
5巻6、8、1
1号(199
9年)は「絶対的憲
法」を国家・秩序の、「積極的憲法」を憲法・決断の関連で把握しているごとくである。C・シュミットの思
惟形式に対応させたものであろうが「規範」との関連は明らかにならない。
9
芦部『憲法学Ⅰ憲法総論』
(有斐閣、19
92年)3頁。
10 aこれを、憲法制定権力に関連づけて、
「Ver
f
as
s
ung制定行為は、単に政治的存在形式を決定するものであっ
て、規範を定立するものではない。したがって、実定的意味の Ver
f
as
s
ungは、法規範ではなくして、単なる
事実としての政治的決定である」という解釈は、清宮四郎『憲法Ⅰ[第三版]』
(有斐閣、1
9
79年)2・3頁で
ある。が、すでに見たD・グリム氏の理解から大きく外れる。
11 小嶋『憲法概説』
(良書普及会、19
8
7年)3・4頁。
12 菅野喜八郎『論争憲法-法哲学』
(木鐸社、19
9
4年)所収論文「C・シュミットの憲法概念について」1
93頁以
下。
13 a初宿正典教授は、C・シュミットが、ワイマール憲法の民主制など具体的な「政治的決定」を言っている文
脈でのものは、
「この語が複数形で用いられていることからも分かるように、政治的統一体のなす決定行為
そのものを指すのではなく、むしろ政治的決定の所産(結果)たる具体的な基本的規範と解すべきである」と
言われ、
「その点において」菅野教授の前掲書1
9
3頁以下における「シュミットの憲法概念の理解は、まった
く正当である」とされる(佐藤・初宿・大石『憲法五十年の展望Ⅰ』
(有斐閣、1
9
9
8年)所収論文「政治的統合
としての憲法」4、6
0頁)。但し、単数形のものがすべて規範を意味しないかどうかはなお吟味できないでい
る。なお、渡辺康行「『憲法』と『憲法理論』の対話(三)
」
『国家学会雑誌』
11
1巻5・6号1
0
9頁も参照。
14 b菅野・前掲書1
99頁。
15 菅野・前掲書1
95頁。
16 菅野・前掲書2
09頁。
17 菅野・前掲書所収論文「憲法制定権力論と根本規範論」
2
19頁以下。
18 C・シュミットの『憲法理論』は、
「憲法」概念に続く、第二部は「近代憲法の法治国的構成部分」として、
「市
民的法治国」、
「法治国的法律的概念」、
「基本権」、「諸権力の区別」
、などを扱い、第三部は「近代憲法の政治
的構成部分」として、
「民主政の理論」、
「君主政の理論」
、
「議会制」などを扱っている。そして、前者は国家を
制限することは出来るが、国家じしんの政治的形式を基礎づけることは出来ず、それだけでは、政治的統一
Sc
hmi
t
t
,Ver
f
as
s
ungs
l
ehr
e
体として、全体として捉えられない。憲法制定権力もその外に留まるとする(C.
1928S.
200f
f
.
)。
19 高橋正俊「憲法制定とその運用」
・憲法五十年の展望Ⅰ前掲書所収7
1頁以下。
20 高橋・前掲7
4頁。
21 高橋・前掲7
6頁。
22 高橋・前掲7
8頁。
23 高橋・前掲8
0頁。
24 高橋・前掲9
6頁以下。
25 高橋・前掲9
9頁以下。
26 佐藤・前掲書7
6頁。
27 芦部・前掲書1
97頁。
28 小嶋・前掲書1
6頁。
29 小嶋・前掲書1
23頁。
30 小嶋・前掲書1
23頁。
31 なお、C・シュミットが「法治国的法律概念」をほかの「民主的法律概念」や「実質的法律概念」が議会政民
主制や君主政原理などの「政治的なもの」を反映しているに対して、「理性的な法律の一般性」を有するもの
1
3
2
として区別しているが、これとて、当時の市民の歴史的・政治的な要請を含むものであったことは否定でき
ない。また、逆に後二者はそのような原理が「政治的なもの」であると同時にある憲法の法規範の一内容で
もあり得ることについて、堀内『ドイツ「法律」概念の研究序説』
(多賀出版、1
9
8
4年)3
7
7・8頁。
32 C・シュミット『憲法理論』尾吹訳序言6・7頁による。
33 わが国の憲法学のいくつかの重要な問題、例えば、法規範と事実、憲法概念とその多義性、近代憲法と法政
策論、国家と憲法典の関係、旧憲法下の法令の効力問題、人権規定と組織法、法実証主義と政治的憲法学な
どといった論点は、実にドイツ憲法(学)史上実際に切実な闘争を伴って形成されたものであることが本稿
の(その一)
(その二)
(三・完)を通じて判明しているのである。
1
3
3
愛知県一宮市のまちづくり指標と総合計画策定
―自治体行政における社会指標型ベンチマーキングの活用―
児 山 正 史
はじめに
第1章 総合計画とまちづくり指標
第2章 活用の原因
第3章 困難への対処
おわりに
はじめに
本稿は、愛知県一宮市のまちづくり指標が、同市の第6次総合計画(計画期間20
0
8~17年度)の策
定においてどのように活用されたか、その原因は何かを明らかにする。
一宮市のまちづくり指標は、社会指標型ベンチマーキング(be
nc
hmar
ki
ng)の一例である (1)。
ベンチマーキングとは、比較や測定のための参照点(ベンチマーク)を設定し、それに照らして現状
を評価すること、また、その結果を意味する。社会指標型ベンチマーキングは、自治体や地域社会
の望ましい状態(例えば、識字率の水準)を特定し、それに対して進度を測定するものである。
社会指標型ベンチマーキングを行政で活用することには、次のような困難が指摘されている。社
会指標には、行政の複数の部局や行政以外の主体(住民、NPO、企業など)が関わるもの、行政が
直接コントロールできないものが含まれている。そのため、行政の各部局の施策・事業との関連が
複雑・間接的になり、行政が具体的な活動を行う際の指標としては役に立たないものが多い。
このような困難に対しては、社会指標と行政の各部局の施策・事業を結びつけるために、ロジッ
クモデルや中間指標を用いることが提案されている。ロジックモデルとは、施策・事業の活動内容
とその最終目標との間に存在する論理的連鎖をフローチャートなどで表現したものであり、中間指
標とは、施策・事業と最終目標との間にある各要素の状態を数値で表すための指標である。
一宮市のまちづくり指標は、青森県の政策マーケティング(2)や愛知県東海市のまちづくり指標(3)
をモデルに作成されたが、総合計画の策定における活用は両自治体よりも進んだといえる。青森県
の 政 策 マ ー ケ テ ィ ン グ は、総 合 計 画 の 策 定 に お い て 断 片 的 に 活 用 さ れ る に と ど ま っ た(児 山
〔2007b〕)。東海市のまちづくり指標は、総合計画の骨格として活用されたが、計画策定時にロジッ
1
3
5
クモデルの作成や中間指標の設定は行われなかった(児山〔2008〕)。一宮市のまちづくり指標は、総
合計画の骨格として活用され、計画策定時にロジックモデルの作成と中間指標の設定が行われた。
青森県と東海市の事例については既に研究・紹介がなされているが、一宮市の事例に関する研究は
見られない。
本稿は、青森県および東海市の事例と比較しながら、一宮市のまちづくり指標が総合計画の策定
においてどのように活用されたか、その原因は何かを明らかにする。第1章では、一宮市の総合計
画の策定過程を概観した上で、まちづくり指標がどのように活用されたかを見る。第2章では、ま
ちづくり指標の活用方法が固まっていった経緯を見た上で、東海市と比較しながら、一宮市でまち
づくり指標の活用が進んだ原因を分析する。第3章では、社会指標型ベンチマーキングを行政で活
用する際の困難にどのように対処するかという視点から、一宮市の事例を分析する。
第1章 総合計画とまちづくり指標
本章では、一宮市の第6次総合計画の策定過程を概観した上で、まちづくり指標がどのように活
用されたかを見る。
1 総合計画の策定過程
2
004年8月、(旧)一宮市、尾西市、木曽川町が合併協定書に調印し、2
00
5年4月に(新)一宮市が
誕生した(合併経緯)。新市建設計画には、「合併後の新市において、速やかに、新市の基本構想を含
(新市建設計画2)と定められていたため、2
0
04年度中に総合計画策定
む総合計画の策定に取り組む」
「総合計画策定にあたっては、本計画を尊
の準備が始まった(聞き取り)。なお、新市建設計画には、
(新市建設計画2)ことも定められていた。
重し、その趣旨、内容を十分踏まえたものとする」
2
00
5年7月、総合計画策定のための庁内組織として、総合計画策定会議(幹部会議)
(以下、策定
会議)と政策研究委員会が初会合を開いた。策定会議は、市長が主宰し、副市長、部長などから構成
される(幹部会議要綱)。政策研究委員会は、副市長が委員長、企画部長・総務部長が副委員長を務
め、企画政策課を含む1
2課の副主監などから構成される(政策研規程)。両組織は7~8月に策定方
針を検討し、それに基づいて8月にプロジェクトチームが発足した。プロジェクトチームは、策定
会議の下部組織であり、リーダーは各部の庶務担当副主監(政策研究委員会委員)を充て、メンバー
1
7
3)。(4)
は各課1名以上の主査で構成される(策定方針、総合計画172-
また、策定方針では、市民参加のための体制として、グループインタビューや市民アンケートを
実施すること、公募市民等とプロジェクトチームメンバー等からなる基本構想案・基本計画案策定
会議を設置し、行政と市民の役割の検討、目標管理のための指標および現状値・目標値の設定を行
うことが定められた。さらに、審議機関として、各界各層の代表者等で構成する総合計画審議会
(以下、審議会)を設置し、計画案について市長が諮問し、答申を受けるとされた。(策定方針)
1
3
6
7~8月には、市民へのグループインタビュー(1
2グループ、
8
7名)が実施され、そこで出された
生活課題88
6項目が10個のキーワードと1
0
3項目の生活課題にまとめられた。そして、多数の市民が
重視するキーワードと生活課題を明らかにするため、1
1月に市民アンケート(6千人)が実施され
た(策定経緯)。アンケート結果に基づき、キーワードが6位まで(快適、安全・安心、健全、便利、は
ぐくみ、活気)採用され、各キーワードを実現するために重要だとされた3
2の生活課題と、それ以外
で重要度が上位だった9つの生活課題が採用された。また、新市建設計画の基本理念の1つに「協
働」があったことから、キーワード「連携」と、これを実現するための生活課題3項目が追加採用さ
1
3項目が追加された
れた(アンケート整理方法)。さらに、行政が重要と考える生活課題(行政課題)
。
(企画政策課〔2006.
8.
30〕)
1.
16〕開催結果など)(5)。また、
2
006年1月以降、生活課題が施策の表現に変換された(政策研〔2006.
2~3月には、生活課題を改善するためのロジックモデルを各担当課が作成し、4~6月にプロ
ジェクトチームが検討し、必要に応じて各課が再検討した(策定経緯)。
6月には、公募市民等からなる総合計画策定市民会議(以下、市民会議)が設置され、10月にかけ
て、生活課題の改善状況を測定するための1
7
0の指標を検討・決定した。1
1月にはこれらの指標の
現状値調査が行われ、20
0
7年1~3月に、市民会議委員、市職員、関係者・当事者へのアンケート
70の指標
結果を平均して、各指標の目標値・役割分担値 (6)が設定された(同)。なお、本稿では、1
だけでなく、キーワード、生活課題、現状値・目標値・役割分担値も含めて、広い意味で「まちづ
くり指標」と呼ぶ。
20
0
7年3~5月には、庁内で基本構想・基本計画の案が作成され、5~1
1月に審議会で審議され
た。これと並行して、7~1
1月、庁内でロジックモデルの再検討や新規実施事業・実施計画事業の
検討が行われた。そして、1
2月と20
0
8年2月の議会で基本構想が審議され、2月末に議決を受け、
2.7〕
3月に総合計画書が発行された(同)。また、2月には庁内で中間指標が設定され(研修会〔2008.
。(7)
シナリオ4)、5月には実施計画が公表された(実施計画)
2 総合計画とまちづくり指標
次に、総合計画の策定においてまちづくり指標がどのように活用されたかを見る。
第6次一宮市総合計画は、基本構想、基本計画、実施計画から構成されている。計画期間は、基
本構想が10年間(2
00
8~17年度)
、基本計画が前後期各5年の計1
0年間、実施計画が3年間(毎年度
11)
作成)である。(総合計画10-
基本構想は、まちづくりの基本理念、市の将来像、まちづくりの目標を示している。まちづくり
の基本理念(安心、元気、協働)と市の将来像(木曽の清流に映え、心ふれあう躍動都市 一宮)は、
新市建設計画に掲げられたものがそのまま採用されている。まちづくりの目標は、市民アンケート
で上位を占めた6つのキーワードに「連携」を加えた7つである。そして、まちづくりの目標ごと
に、重要なまちづくりの課題(めざすべき姿)が掲げられている。重要なまちづくりの課題とは、市
1
3
7
2023)
民アンケートに基づく生活課題4
1項目と行政が追加した1
6項目の合計5
7項目である。(同10,
次に、基本計画は、市の将来像とまちづくりの目標を実現するための施策を7つの分野ごとに示
したものである。7つの分野(保健・医療・福祉、生活環境、産業、教育・文化、都市基盤、住民
参加・コミュニティ活動、行財政基盤)は、新市建設計画の「7つの礎」に沿っている。基本計画に
掲載された施策は、重要なまちづくりの課題に対応する56項目(1課題を2施策に分離、4課題を
2))である。各施策について、まちづくりの課題、指標、現
2施策に統合(助役〔2006.2〕マニュアル1-
状値、目標値、役割分担値、課題の改善に有効と考えられる事業などが記載されている。(総合計画
10,
30,
38) 最後に、実施計画は、重要なまちづくりの課題を改善するための事業を取りまとめた、予算編成
の指針となるものである。掲載されている事業は、課題の改善に効果が高いと判断された予算額5
百万円以上の事業、新規実施事業、市長マニフェストに掲載された事業である。これらの事業は基
本計画と同様の枠組で整理され、施策ごとに、指標、現状値、目標値、事業名、事業内容、予算額
4)
などが記載されている。(実施計画1,
一宮市のまちづくり指標は、総合計画の策定において次のように活用されたといえる。
第1に、一宮市のまちづくり指標は、東海市と同様に、総合計画の骨格として活用された。市民
アンケートに基づいて選定された6つのキーワードは基本構想のまちづくりの目標に反映され、同
じく41項目の生活課題は基本構想のまちづくりの課題と基本計画の施策に反映された。また、各施
策には、市民会議が選定した指標と、現状値、目標値、役割分担値が記載されている。
第2に、一宮市の基本構想は、東海市とは異なり、まちづくり指標ではなく新市建設計画を反映
した部分を含んでいる。基本構想のうち、まちづくりの基本理念と市の将来像は、新市建設計画か
らそのまま採用された。(8)
第3に、一宮市では、東海市とは異なり、総合計画の策定時にロジックモデルの作成と中間指標
の設定が行われた。ロジックモデルや中間指標は総合計画には記載されていないが、基本計画・実
施計画に掲載されている事業は、市長マニフェスト事業を除き、すべてロジックモデルに位置づけ
8.
27〕12、同〔2007.
6.
26〕、策定会議〔2007.
11.
19〕企画部長)
。
られたものである(企画政策課長〔2007.
第2章 活用の原因
前章で見たように、一宮市では、まちづくり指標が総合計画の骨格として活用され、総合計画の
策定時にロジックモデルの作成と中間指標の設定が行われた。本章では、このような活用方法が固
まっていった経緯を見た上で、東海市における活用の原因と比較しながら、一宮市でまちづくり指
標の活用が進んだ原因を分析する。
1
3
8
1 活用の経緯
一宮市では、市長の指示により、まちづくり指標を活用して総合計画を策定することになった。
2
00
4年度に総合計画策定の検討を開始した際、市長から、数値目標を設定し、市民参加で策定する
という指示があった(聞き取り)。また、市長は、愛知県市長会で東海市の事例を聞き、合併後の総合
00
5年8月に決定された
計画は東海市方式で策定したいと考えた、とも述べていた (9)。そして、2
策定方針では、市民参加の手法を用い、目標管理ができる仕組みを取り入れることや、グループイ
ンタビュー・市民アンケートを実施し、指標・現状値・目標値を設定することが定められた(策定方
針)。
しかし、まちづくり指標を具体的にどのように活用するかについては、2
005年7~1
2月頃に3つ
の点で変化があった。第1に、新市建設計画とまちづくり指標の比重、第2に、市民アンケートの
時期、第3に、ロジックモデルの作成と中間指標の設定である。
(1)新市建設計画とまちづくり指標
前章で見たように、一宮市の第6次総合計画の策定は新市建設計画に基づくものであり、また、
総合計画策定にあたっては新市建設計画を尊重し、その趣旨・内容を十分踏まえたものとすること
が定められていた。
そのため、当初は、新市建設計画を骨格とし、まちづくり指標を補足的に用いる予定だった。
200
5年7月の最初の策定会議と政策研究委員会で配布された資料では、総合計画の施策は新市建設
計画の「施策の方向」をそのまま使用することになっていた。他方、グループインタビューは、
「主
な事業」のうち太字で記載するものを選定するために用いる予定だった。また、市民アンケートの
結果、満足度が低く重要度が高いとされた生活課題を「市民が望むまちの姿」として記載し、その生
活課題に対応する方策(☆印をつける)も含めて、「施策を実現するための方策」を記載することに
7.4〕施策見本、政策研〔2005.
7.
28〕施策見本)
なっていた。(策定会議〔2005.
ところが、東海市市民参画推進委員会の元会長の講演を経て、まちづくり指標を骨格とする方向
へ策定方法が変化していった。元会長は、8月の政策研究委員会と説明会・研修会で、東海市の事
例を紹介しながら、まちづくり指標の作成手順や、生活課題を基礎にした計画作りのイメージを示
8.
17〕新総合計画、東海市、説明会・研修会〔2005.
8.
22〕新総合計画、東海市)
。そして、8
した(政策研〔2005.
月中旬の政策研究委員会で配布された資料では、基本計画の施策は新市建設計画の「施策の方向」
8.
17〕計画見本)
の言葉を基本的にそのまま使用するが、変更も可とすることになった(政策研〔2005.
。
また、8月下旬の説明会・研修会では、企画政策課長が、グループインタビューや市民アンケート
8.
22〕シナリオ1)
、10月の
の結果から導かれる施策を計画の柱にすると説明し(説明会・研修会〔2005.
10.
25〕シナリオ1)
説明会・研修会でも企画政策課長が同様の説明を行った(説明会・研修会〔2005.
。さ
らに、12月の説明会で配布された資料では、総合計画の施策に新市建設計画の言葉を使用するとい
12.
20〕計画イメージ)
。そして、1
2月の策定会議では、企画部長が、
う記述はなくなった(説明会〔2005.
1
3
9
アンケート結果からキーワードと生活課題をまとめたという経過と、生活課題を施策の表現に変換
12.
26〕企画部長)
。
し、行政が必要と判断する施策を追加するという予定を説明した(策定会議〔2005.
最終的に決定された総合計画では、基本計画の施策は、重要なまちづくりの課題を実現するために
実施する施策名であるとされている(総合計画38)。
(2)市民アンケートの時期
市民アンケートの時期については、第1に、旧3市町の施策評価を踏まえた課題抽出との関係、
第2に、基本計画素案の作成との関係が議論になり、スケジュールが変更された。
まず、20
05年7月の最初の策定会議と政策研究委員会で配布された資料では、8~1
0月に旧3市
町の総合計画の施策評価とそれを踏まえた課題抽出を行い、1
0~11月上旬に市民アンケートを実施
し、12月下旬のアンケート結果公表に先立って、11月中旬から基本計画素案 (10)を作成することに
7.
4〕スケジュール、政策研〔2005.
7.
28〕スケジュール)
なっていた。(策定会議〔2005.
ところが、政策研究委員会の委員から、課題抽出は市民アンケートの結果が出てからそれを踏ま
えたものとすべきである、市民が求めるまちの姿が分からないと課題抽出が無駄になる、市が考え
るものと市民が求める姿には必ずギャップがあるので修正する必要がある、という意見が出された
。これをうけて、施策評価までの作業を1
2月下旬の市民アンケート結果公表以
(政策研〔2005.
7.
28〕)
前にいったん終了し、アンケート結果との乖離があればアンケート結果に合わせる方向で修正する
8.
16〕2)
ことになった(企画政策課〔2005.
。
次に、8月の政策研究委員会で配布された資料では、8月末~1
2月中頃に施策評価と基本計画素
案の作成を並行して行い、1
2月下旬公表の市民アンケート結果を反映しながら、1
2月中頃から基本
8.
17〕スケジュール)
。
計画素案を再検討することになっていた(政策研〔2005.
これに対し、委員から、市民アンケート結果が出た段階でそれまでに作った素案とどうすり合わ
せていくのか、アンケート結果が出る前に素案を作成しても無駄になるのではないか、という意見
8.
17〕)
が出された(政策研〔2005.
。これをうけて、5日後の策定会議で配布された資料では、9月に施
策評価を行い、10月中~下旬に市民アンケートを実施し、
1
1月末にアンケート結果の概要をまとめ、
8.
22〕スケ
それを基礎資料として1
1月末から基本計画素案を作成することになった(策定会議〔2005.
ジュール)。企画部長からは、プロジェクトチームとの打ち合わせの中で、課題抽出と市民アンケー
トとのギャップ調整のため、市民アンケートの時期を前倒しするなどした、という説明があった(策
定会議〔2005.
8.
22〕企画部長)。
(3)ロジックモデル・中間指標
ロジックモデルの作成や中間指標の設定は、当初は予定されていなかった。2
00
5年7月の最初の
策定会議と政策研究委員会で配布された資料には、ロジックモデルや中間指標という言葉はなかっ
7.4〕スケジュール、政策研〔2005.
7.
28〕スケジュール)
。
た(策定会議〔2005.
1
4
0
ところが、東海市市民参画推進委員会の元会長の講演を経て、ロジックモデルの作成と中間指標
の設定を行うことになった。元会長は、8~1
2月の政策研究委員会と説明会・研修会で、ロジック
8.
17〕新総
モデルを基礎に据えた総合計画の策定や、中間指標の設定について講演した(政策研〔2005.
合計画、説明会・研修会〔2
005.
8.
22〕新総合計画、説明会・研修会〔2005.
10.
25〕ロジックモデル、説明会〔2005.
12.
。そして、1
2月の説明会で配布された資料には、ロジックモデルの作成・検討・
20〕ロジックモデル)
12.
20〕スケジュール)
再検討の予定が掲載され(説明会〔2005.
、12月の策定会議では、企画部長が、ロ
12.
26〕企画部長)
。その
ジックモデルの作成・検討を含めたスケジュールを説明した(策定会議〔2005.
4.
14〕ロジックモ
後も、説明会・研修会で元会長が中間指標の必要性について講演した(説明会〔2006.
。そして、2
00
8年2月、中間指
デル、説明会〔2
007.
1.
26〕目標値、研修会〔2
007.
6.
19,
26〕ロジックモデル2)
2.
7〕シナリオ)
標の設定に関する研修会が開催され、中間指標が設定された(研修会〔2008.
。
以上、一宮市のまちづくり指標が総合計画の骨格として活用され、総合計画の策定時にロジック
モデルの作成と中間指標の設定が行われるようになった経緯を見てきた。一宮市では、市長の指示
により、まちづくり指標を活用して総合計画を策定することになった。しかし、当初は、まちづく
り指標よりも新市建設計画や旧3市町の施策評価・課題抽出を重視して総合計画を策定する予定で
あり、また、ロジックモデルの作成や中間指標の設定を行う予定はなかった。ところが、東海市市
民参画推進委員会の元会長の講演や政策研究委員会での議論を経て、まちづくり指標を柱に総合計
画を策定し、ロジックモデルの作成と中間指標の設定を行うことになった。
2 活用の原因
本節では、東海市と比較しながら、一宮市でまちづくり指標の活用が進んだ原因を分析する。東
海市のまちづくり指標が総合計画の骨格として活用された原因は、第1に、まちづくり指標の作成
と総合計画の策定の時期が一致したこと (11)、第2に、市長がまちづくり指標を重視し、総合計画の
策定に活用する意向を示したこと、第3に、まちづくり指標を作成した市民参画推進委員会と行政
側の総合計画策定会議が組織的・人的に緊密に連携したこと、第4に、東海市には青森県という先
例があったこと (12)である(児山〔2008〕)(13)。以下では、まず、これら4つの視点から一宮市におけ
るまちづくり指標の活用の原因を分析し、次に、その他の原因を検討する。
(1)指標作成と計画策定の時期
一宮市では、まちづくり指標の作成が早い段階から総合計画策定スケジュールの中に組み込まれ
ていた。先述のとおり、市長の指示により総合計画策定のためにまちづくり指標を作成することに
なり、また、政策研究委員会での議論を経て市民アンケートが前倒しされるなどした。
さらに、一宮市では、ロジックモデルの作成や中間指標の設定を行う時間的余裕もあり、ロジッ
クモデルの作成・検討やそのための説明・研修に十分な時間をとることができた。先述のとおり、
1
4
1
2
00
6年2~3月に各担当課がロジックモデルを作成し、4~6月にプロジェクトチームが検討し、
必要に応じて各課が再検討した。さらに、20
0
7年7~1
1月にもロジックモデルの再検討が行われ
た。そして、これらの作業のために説明会・研修会が繰り返し開催された。具体的には、ロジック
モデル作成に関する説明会・研修会(2
0
0
5年8月、1
0月)
、総合計画策定におけるロジックモデルの
活用に関する説明会(1
2月)、ロジックモデルの内容検討に関する説明会(2
0
0
6年4月)
、新規事業提
案へのロジックモデルの活用に関する研修会(2
00
7年6月)
、中間指標の設定に関する研修会(2
0
08
年2月)である。
一宮市でこのような時間的余裕があった原因は2つ挙げられる。第1に、一宮市の第6次総合計
0
5~07年度)だった(東海市は約2年
画の策定期間は、第5次総合計画と同様に(14)約3年間(20
間)
。第2に、まちづくり指標の作成のうち、生活課題の選定までの作業を比較的早く進めることが
できた。一宮市では、2
0
0
5年7月に最初の総合計画策定会議が開催されてから、1
2月に生活課題マ
トリックス(速報版)ができるまでの期間は6ヶ月だった。東海市では、2
0
02年2月に市民参画推
進委員会が設置されてから、9月に生活課題が選定されるまでの期間は8ヶ月だった。一宮市で生
活課題の選定までの作業が比較的早く進んだ原因としては、東海市という先例があったことと、こ
こまでの作業を行政が担ったことが挙げられる。
(2)市長の意向
一宮市では、市長がまちづくり指標を活用して総合計画を策定する意向を示した。
先述のように、市長は、数値目標の設定と市民参加による策定を指示し、東海市の事例も念頭に
置いていた。また、市長が主宰する策定会議では、まちづくり指標を骨格とすることやロジックモ
デルを作成することも含めて、総合計画の策定方法や経過が報告・了承されていた(策定会議〔2005.
12.
26〕など)。策定会議の会議録に記載されている市長の発言は1回だけだが、細かい問題があって
もまちづくり指標を活用するという意向が示されている。2
006年1月の策定会議で、各キーワード
1.
23〕3教育長)という意見が出たの
に対応する生活課題の数が違うなど疑問がある(策定会議〔2006.
に対し、市長は、市民の目線・感覚で捉えた市民アンケートを行政がどう捉えていくかが重要で、
あまり細かいことにこだわってもいけない(同 市長)と発言した。また、総合計画審議会でも、事務
局から、今回の総合計画は、指標・目標値を設定し、進捗状況を市民にはっきり見えるものにした
いという市長の強い意向を踏まえて策定してきた、と説明された(審議会 教育・住民参画分科会〔2007.
。
7.5〕5企画部長、審議会〔2007.
11.
12〕17和田委員)
市長がまちづくり指標を活用して総合計画を策定する意向を示した背景には、選挙時の公約やそ
れに基づく分野別の計画作りの実績があった。まず、1
99
9年1月に現市長が初当選した際の公約で
0
0
2~03年度の環境基本計画の策定時に
は、「市民との対話」が強調されていた(聞き取り)。また、2
は、市長から、市民参加で策定するよう指示があった。当初、担当課は民間コンサルタントに委託
して策定することを考えていたが、そのための予算要求を行ったところ、市長査定において、他市
1
4
2
では市民の手作りで策定した実績があると指摘された。そこで、公募市民からなる市民会議を設置
106、鳥塚・加藤〔2004〕
)
し、市民アンケートを活用しながら計画を策定した(平林〔2006〕104。そして、
2
0
02年12月の市長選挙では、現市長が、
「市民提案を市の計画づくりに生かしてきた」と実績を強調
12.
30〕朝刊愛知1)
。さらに、
し、「市民が主役のまちづくり」を掲げて再選を果たした(朝日新聞〔2002.
20
0
6年12月の市長選挙では、現市長がマニフェストを公表し、
「まちづくりの基本理念」の1つとし
て「市民満足度の高いまちづくり」を掲げ、定期的な市民アンケートや総合計画の進捗度管理に
よって市民ニーズを把握し市政に反映することを公約した。また、
「3つの政策」の1つとして「市
民と行政の協働のまち」を掲げ、第6次総合計画の策定にあたり、グループインタビューや市民ア
ンケートを行うこと、公募市民による市民会議で指標などを設定すること、目標値を明らかにする
ことなどを公約した(政策公約)。(15)
なお、市長が東海市の事例を念頭に置いていた背景には、先述した愛知県市長会での紹介ととも
に、東海市の総合計画策定を受託したコンサルタントからの売り込みもあった(聞き取り)。
(3)指標作成者と計画策定者の関係
一宮市では、まちづくり指標の作成者と総合計画の策定者が重なっていた。まちづくり指標の作
成は総合計画策定のための作業であったため、グループインタビュー、市民アンケート、キーワー
ド・生活課題の選定は企画政策課が担当した。企画政策課は、策定会議、政策研究委員会、市民会
10.
15〕1、審議会運
議、総合計画審議会の事務局も担当した(幹部会議要綱、政策研規程、市民会議〔2006.
営規則)。
(4)先例との関係
一宮市のまちづくり指標とそれを骨格とした総合計画の策定は、東海市をモデルにしていた。先
述のとおり、市長は東海市の事例を念頭に置いていた。また、講演で東海市の事例が紹介され、ま
ちづくり指標を骨格とする方向へ策定方法が変化していった。そして、東海市という先例があった
ことにより、ロジックモデルの作成や中間指標の設定のための時間的余裕が生み出された。(16)
(5)その他の原因
一宮市でまちづくり指標の活用が進んだその他の原因として、ロジックモデルや中間指標に関す
る情報がコンサルタントから提供されたこと、まちづくり指標を活用する方向の意見が実施部門か
ら出されたことが挙げられる。
①コンサルタントからの情報提供
一宮市では、ロジックモデル・中間指標の必要性や作成・活用方法に関する情報が、総合計画策
定を受託したコンサルタントから提供された。2
00
5年8~1
2月にロジックモデルや中間指標につい
1
4
3
て講演した東海市市民参画推進委員会の元会長は、東海市の総合計画策定を受託したコンサルタン
ト(NPO)の代表理事でもあった(児山〔2008〕58)。このコンサルタントは、一宮市の総合計画策定
も受託し、その後も説明会・研修会でロジックモデルの検討・活用や中間指標の設定の方法を説明
4.
14〕ロジックモデル、研修会〔2007.
6.
19,
26〕ロジックモデル、研修会〔2008.
2.
7〕評価指標)
。
した(説明会〔2006.
また、各課が作成したロジックモデルにコメントを加えたり、ロジックモデル再検討のための相談
9.
25〕コメント、ヘルプデスク)
。
窓口を設けるなどした(企画政策課長〔2007.
ところで、コンサルタントの提供した情報が行政に受け入れられた原因としては、このコンサル
タント(特に代表理事)が専門的な知識と社会的・政治的な権威を備えていたことが挙げられる。
代表理事は、行政評価に関する記事を雑誌に連載し、その中にはロジックモデルに関するものも含
まれていた (17)。また、講演の際には、名古屋大学教授であることや、日本行政学会理事を務めてい
8.
17〕シナリオ1な
ること、東海市市民参画推進委員会の会長だったことが紹介された(政策研〔2005.
ど)。市長からも、一宮市の先例である東海市の総合計画の策定に関わられたのが名古屋大学教授
のU先生という方である、新聞やテレビにもしばしば出ているのでご存知かもしれない、U先生が
主宰されている NPOと契約してご指導をいただきながら計画の策定を進めている、などの紹介が
5.
29〕2市長)
あった(審議会〔2007.
。
なお、東海市の総合計画策定会議でも、同じ代表理事が、まちづくり指標を総合計画の骨格とし
56)
。(18)
て活用する方法を示した(児山〔2008〕55-
②実施部門の反応
先述のように、一宮市では、政策研究委員会での議論を経て、市民アンケートが前倒しされるな
どした。政策研究委員会で出された意見は、市民アンケート結果の公表に先立って課題抽出や基本
計画素案の作成を行っても無駄になるというものだった。
政策研究委員会の委員は各部の庶務担当副主監であり、基本計画素案を作成することになってい
たプロジェクトチームのリーダーでもあった(策定方針)。また、基本計画素案を作成し、その内容に
責任を持つのは各施策の担当課であり、プロジェクトチームの役割は、提出された案の内容を検討
8.
17〕シナリオ2)
。政策研究委員会の委員は、総合
することであるとも説明されていた(政策研〔2005.
計画の策定作業を担う実施部門の代表者として、市民アンケートを行うことを前提に、作業の効率
化を求めたといえる。
なお、東海市でも、各部の部長・次長級の職員などからなる総合計画策定会議において、市民が
作る目標値に行政が合わせていく形ならば市民の意見の方向が見えなければ動きようがない、など
の発言があり、まちづくり指標の作成を待つ姿勢が見られた。(児山〔2008〕55)
以上、東海市と比較しながら、一宮市でまちづくり指標の活用が進んだ原因を分析してきた。ま
ず、東海市のまちづくり指標が活用された4つの原因が一宮市でも見られることを確認した。次
1
4
4
に、東海市の分析では明示しなかった2つの原因を挙げ、これらが東海市でも見られたことにも触
れた。
このように、東海市と一宮市でまちづくり指標が活用された原因は重なっているが、それぞれの
比重や内容には違いもある。
東海市では、まちづくり指標の作成と総合計画の策定は、当初は別々の作業として始まったが、
両者の時期が一致していたため、これらを結びつけることが当然視されるようになり、指標作成者
と計画策定者の連携も図られた。その意味で、指標作成と計画策定の時期の一致という要因が重要
であった。
他方、一宮市では、まちづくり指標は当初から総合計画策定のために作成され、その結果、指標
の作成が総合計画策定スケジュールの中に組み込まれ、企画政策課が指標の作成も担当することに
なった。まちづくり指標を活用して総合計画を策定することは市長の意向であり、東海市という先
例を念頭に置いたものであった。また、まちづくり指標を総合計画の骨格として活用する際には東
海市と同様の方法がとられた。その意味で、市長の意向と先例の存在という要因が重要であった。
なお、東海市でも、市長がまちづくり指標を総合計画策定に活用する意向を示したが、当初からそ
のために指標を作成したわけではなく、青森県の事例も念頭に置いていなかった。また、青森県の
政策マーケティングは、総合計画策定における活用の先例にはなりえなかった。
指標作成と計画策定の時期に関して言えば、一宮市では、両者が一致したことよりも、指標の作
成から計画の決定までの間に時間的余裕があったことが重要だった。これによって、ロジックモデ
ルの作成と中間指標の設定が可能になった。
ロジックモデルの作成と中間指標の設定を可能にしたもう1つの重要な原因は、コンサルタント
からの情報提供である。このような作業は東海市では行われておらず、市長も念頭に置いていな
かったが、コンサルタントがその必要性や作成・活用方法を説明し、行政もそれを受け入れた。
第3章 困難への対処
本章では、社会指標型ベンチマーキングを行政で活用する際の困難にどのように対処するかとい
う視点から、一宮市でまちづくり指標の活用が進んだ原因を分析する。以下では、青森県・東海市
の事例と同様に、ベンチマーキングの方法と内容、行政での活用を進める方法、ベンチマーキング
の運営者の位置と役割、行政での活用方法、の順に記述する。
1 ベンチマーキングの方法と内容
ベンチマーキングの方法と内容に関しては、指標をどのように選定するか、ロジックモデルをど
のように作成するか、目標値をどのように設定するか、分担値をどのように解釈するかが問題にな
る。
1
4
5
(1)指標の選定方法
本稿の冒頭で述べたように、社会指標は、行政の各部局の施策・事業との関連が複雑・間接的に
なるため、行政が具体的な活動を行う際の指標としては役に立たないものが多いと言われている。
一宮市でも、グループインタビューや市民アンケートに基づいて指標(生活課題)を選定したこ
とに対して、行政から戸惑いの声が上がった。2006年1月の策定会議では、「安心して充実した医
療サービスが受けられる」1つ見ても、市民の要望が行政に対してだけなのか、民間はどうかなど、
1.
23〕1山口助役)
、これは不便事実を述べているのであって、
分かりにくいものもある(策定会議〔2006.
行政が何をすべきかではない、現状分析をして行政の役割をはっきりさせなければならない(同 井
辺助役)、市民アンケートを実施して数値の高いものを取り上げており、我々行政が考えていること
と市民が考えていることが異なる場合がある、いずれにしても初めての方法であり、試行錯誤しな
がらの策定となる(同 山口助役)などの発言があった。
このような困難に対しては、社会指標と行政の各部局の施策・事業を結びつけるために、ロジッ
クモデルや中間指標を用いることが提案されている。一宮市では、総合計画の策定時にロジックモ
デルの作成と中間指標の設定を行った。
(2)ロジックモデルの作成
一宮市でロジックモデルを作成した際には、ロジックモデルの必要性をどのように説明するか、
ロジックモデルの質をどのようにして高めるか、行政の複数の部門が関わる施策をどのように扱う
か、行政以外の要因をどのように位置づけるかが問題になった。
①ロジックモデルの必要性
一宮市では、ロジックモデルの必要性が次のように説明された。まず、事業から最終成果に至る
までの過程を1本の線で追うことができるので、各事業の最終成果への貢献度が分かりやすくな
り、効果の高い事業を継続・展開し、効果の薄い事業を撤退する根拠になるということである(説明
。また、見落としや
会・研修会〔2
005.
8.
22〕ロジックモデル2、説明会・研修会〔2
005.
10.
25〕ロジックモデル)
漏れがなくなり、住民・上司・議員から「この問題はどうなるのか」と聞かれた時に「考えていな
9.
25〕ロジックモデル4)
かった」ということが少なくなるとも言われた(企画政策課長〔2007.
。
なお、ロジックモデルと政策・施策体系図との違いについては、政策・施策体系図は、行政活動
の単位の大きさや位置を整理したものであり、因果関係を説明する図ではないので、行政活動が成
8.
22〕ロジックモデル
果を生み出す根拠を示すことは困難であると説明された(説明会・研修会〔2005.
2)。
ところで、東海市では、2
0
0
7年度に初めてロジックモデルを作成した際に、各課から、ロジック
モデルの作成はいつも頭の中で行っている作業であり、なぜこのようなことをする必要があるの
か、という反応もあった(児山〔2008〕62)。一宮市でも同様の反応があったが、口で話して納得した
1
4
6
ことでも紙に書くと違う場合もあるという説明や、誰でも情報を共有できるようになるという説明
4.
14〕2)
がなされた(聞き取り、説明会〔2006.
。
②ロジックモデルの質の向上
青森県では、ロジックモデルや中間指標の必要性が議論されたが、住民のニーズと行政の事業の
関係は論理的・客観的には決まらず、政治家や政党が公約として出すなど政治の役割が必要になる
とも指摘された。(児山〔2007a〕147)
一宮市では、行政がロジックモデルを作成したが、その質を高めるために、説明会・研修会の開
催、マニュアルの配布、組織的な作成、プロジェクトチームによる検討、各課による再検討、コン
サルタントによる支援、中間指標の設定が行われた。
第1に、ロジックモデルに関する説明会・研修会が繰り返し開催された。ロジックモデルに対す
る各課の最初の反応は、
「聞いたことがない」
「分からない」というものだった(聞き取り)。そこで、
ロジックモデルの作成・検討・活用などに関する説明会・研修会を何度も開催し、講演・説明だけ
10.
2
5〕シナリオ2、説明会〔2006.
4.
14〕シナリオ3、研修会
でなく模擬作業も行った(説明会・研修会〔2005.
。
〔2007.
619,
26〕シナリオ2)
第2に、ロジックモデルの作成・検討のためのマニュアルが配布された。東海市では、ロジック
モデル作成の参考文献が少なく、分かりやすいマニュアルの作成も困難であったと言われている
。一宮市のロジックモデル作成マニュアルには、作成例や様式が添付され、事務事
(児山〔2008〕62)
業起点のロジックと生活課題起点のロジックがかみ合わない場合は後者を優先するなどの注意事項
2〕ロジックモデル)
も記載されている(助役〔2006.
。また、再検討のマニュアルには、長期成果を漏れ・
ダブりなく設定することがポイントであることや、そのためのコツなどが具体的に記載されている
。
(企画政策課長〔2007.
9.
25〕ロジックモデル)
第3に、ロジックモデルの作成を担当者だけに任せず、課・部などの組織で行うことが求められ
た。マニュアルでは、ロジックモデルの作成は、その論理性・客観性を担保するためにも、担当者
任せにせず、グループ内・課内で十分検討するとともに、部長等まで常に情報を共有しながら作業
を進めることや、部長まで決裁を取ることが求められていた(助役〔2006.2〕ロジックモデル)。
第4に、各課が作成したロジックモデルをプロジェクトチームが検討し、必要に応じて各課が修
正した。プロジェクトチームは政策分野ごとに7つ設けられ、各チームには関連部門の職員(リー
8.
17〕プロジェクトチーム)
ダー計12人、メンバー計9
0人)が所属した(政策研〔2005.
。プロジェクトチー
ムは2
0
06年4~5月にロジックモデルを検討し、活動内容・直接の結果・成果(短期・中期・長期)
への振り分け、因果関係を示す矢印のつながり、類似の事業を記載する位置、事業の削除、表現な
5.
16、
どについて意見を述べ、各課はこれに基づいてロジックモデルを修正した(プロジェクト〔2006.
2006.
5.
18〕)。
第5に、各課は翌年度にもロジックモデルを再検討した。まず、2
0
07年6~7月、新規実施事業
1
4
7
の提案に先立ち、ロジックモデルの再検討が求められた。ロジックモデルの長期成果に見落としや
ダブりがないか、生活課題を改善するために既存の事業編成が十分かどうかを検討し、新規に実施
6.
26〕新規事業マニュアル1、新規事業依
する必要がある事業を提案するためである(企画政策課長〔2007.
0月にも、実施計画事業シートの作成に先立ち、ロジックモデルの再検討が求めら
頼)。また、8~1
れた。前回の再検討は各課で行ったためロジックモデルの統一がとれておらず、また、2
0
06年度以
降に新規に実施した事業はロジックモデルに記載がないことも考えられるため、主担当課が関係課
と緊密に連携しながら再検討するとともに、ロジックモデル全体をブラッシュアップすることが求
8.
27〕1)
められた(企画政策課長〔2005.
。
第6に、コンサルタントがロジックモデルの作成・検討を支援した。先述のように、総合計画策
定を受託したコンサルタントが、ロジックモデルの作成・検討・活用について講演・説明し、各課
が作成したロジックモデルにコメントを加え、ロジックモデル再検討のための相談窓口を設けるな
どした。
第7に、中間指標を設定し、ロジックモデルの妥当性を事後的に検証できるようにしている。成
果指標に加えて中間指標を設定すれば、ロジックモデルの検証を通じて、成果の測定結果から事務
1.
26〕目標値)
。
事業へのフィードバックをより正確に行うことが可能になると説明された(説明会〔2007.
以上のように、ロジックモデルの質を高めるためにさまざまな方策がとられてきた。しかし、東
海市と同様に、一宮市のロジックモデルも、稚拙で公開に耐えないという理由から(聞き取り)、積極
的には公開されていない(情報公開条例に基づいて請求すれば開示される)
。
③複数の部門が関わる施策
東海市では、ロジックモデルの作成にあたり、関係課間の調整が困難であったと言われている(児
山〔2008〕62)。一宮市では、ロジックモデルの作成・再検討の際に、主担当課が関係課と緊密に連携
することが求められた。また、作成の際には、関係課の所属する部等の長への合議も求められた(助
。
役〔2006.
2〕、同 ロジックモデル5、企画政策課長〔2007.
8.
27〕)
④行政以外の要因
一宮市では、ロジックモデル作成における困難として、行政だけでなく市民の取り組みも生活課
題の改善に結びつくが、各主体の活動をロジックモデルに記載しなくてもよいのか、という点が挙
げられた(聞き取り)。策定会議でも、教員の問題は県の責任か、市か、住民か、ロジックモデルを作
1.
23〕1井辺助役)と述べられた。そ
成し、誰が主体であるかを考えなければならない(策定会議〔2006.
して、ロジックモデルの内容検討に関する説明会では、ロジック全体に影響を及ぼす環境要因や行
4.
14〕ロジックモデル)
。
政以外の主体についても質疑・意見交換が行われた(説明会〔2006.
しかし、実際に作成されたロジックモデルには、行政以外の要因は記載されていない。新規実施
事業提案シートや実施計画事業シートには、外的要因として、外部状況(事業を取り巻く環境や
1
4
8
ニーズ)と民間の動向(地域の民間主体の動向やその影響)を記入する欄があるが、実際には、事業
に対するニーズがあることや、民間の主体ではできない理由が述べられている(企画政策課長〔2007.
8.
27〕実施事業マニュアル2、企画政策課長〔2007.
6.
26〕新規事業マニュアル2、実施事業シート、新規事業シート)。
行政以外の要因は、今後、ロジックモデルを検証する際に考慮することになっている(聞き取り)。
(3)目標値の設定方法
東海市では、市民参画推進委員会の委員と各分野の関係者・当事者が設定した目標値に対して、
行政側から、財政的な制約などにより達成困難なものもあり、修正が必要であるという意見が相次
いだが、結局、そのまま総合計画に記載された。(児山〔2008〕56)
7.
28〕)という意見が出
一宮市でも、目標値と財政計画との整合性が必要ではないか(政策研〔2005.
され、企画政策課から、これまでの傾向や現状、個別計画などを踏まえて、努力すれば実現可能な
8.
16〕1)という回答があった。
範囲の数値を目標値として示す(企画政策課〔2006.
そして、目標値を実現可能なものにするため、目標値の設定に行政も参加した。目標値は、市民
会議の委員、市職員、関係者・当事者 (19)へのアンケート結果を平均して設定された。企画政策課
の担当者によると、市民は現実を十分認識せずに目標値を設定する(例えば、交通事故の死亡者数
をゼロにする)可能性があるので、実現可能性を考えて職員も設定に加わり、行政として責任を持
てる計画にしたかったとのことである(聞き取り)。また、市民会議においても、行政側から、市民会
議の出す数値は厳しいところにくるのか、市職員の出す数値は若干甘いところにくるのかわからな
いが、そういうことも含めて、平均値をとるのが一番適切であろうという考え方である(市民会議
〔2006.
12.
10〕4市)と説明された。
目標値の設定に加わる職員に対しては、実現可能な数値を回答することが強調された。職員に配
布された資料には、
「現状値などを踏まえ、理想ではなく、実現することが可能と思われる範囲で
……具体的な数値を記入して下さい」
(下線は原文のまま)
「一宮市で実現可能な範囲で目指すべき
1.
26〕回答にあ
であると考える具体的な数値はどのくらいですか」と記載されていた(説明会〔2007.
たって、記入例)。
ところで、青森県では、目標値の設定に行政が参加すると目標値が低く抑えられるという指摘が
あった(児山〔2006〕63)。一宮市では、3者のアンケート結果が審議会の各分科会で配布されており
、回答の傾向を比較することができる。それによると、市民会議委員や関
(審議会〔2007.
8.2〕目標値)
係者・当事者よりも市職員の方が目標値を低く回答する傾向があった。アンケートが行われた延べ
182指標のうち、市民会議委員よりも市職員の目標値(5年後・1
0年後)が低かったものが1
60指標
(8
8%)・1
6
9指 標(93%)、関 係 者・当 事 者 よ り も 市 職 員 の 目 標 値 が 低 か っ た も の が10
8指 標
(5
9%)・11
2指標(6
2%)あった (20)。
1
4
9
(4)分担値の解釈
青森県では、分担値によって県の行政の役割が相対化され、行政での活用が進まないという面も
148)
。一宮市では、分担値の記載によって行政が責任を回避することを警戒
あった(児山〔2007a〕147-
する意見が、行政の内部から出ていた。政策研究委員会では、役割分担値は目標未達成時の免罪符
7.
28〕)という意見が出され、企画政策課からも、役割分担値は責任を
にはなりえない(政策研〔2005.
なすりつけ合うために載せるものではなく、目標を実現するためにみんなで協力していこうという
8.
16〕1)という回答があった。
方向に向かわせるために載せる(企画政策課〔2005.
以上、ベンチマーキングの方法と内容に関して生じる困難に一宮市がどのように対処したかを見
てきた。一宮市のまちづくり指標の作成方法と内容は、青森県や東海市と同様に、行政では活用し
にくいものだった。市民へのグループインタビューとアンケートに基づいて社会指標を選定し、分
担値も記載した。ただし、目標値の設定には行政も加わり、数値を現実的な(低い)ものにした。
一宮市では、社会指標と行政の活動を結びつけるためにロジックモデルを作成した。ロジックモ
デルの作成にあたっては、必要性の説明や質の向上が課題となったが、説明会・研修会の開催、マ
ニュアルの配布、組織的な作成、プロジェクトチームによる検討、各課による再検討、コンサルタ
ントによる支援、中間指標の設定などによって対処した。また、複数の部門が関わる施策について
は、部門間の連携が求められた。ただし、作成されたロジックモデルは稚拙であるという理由で積
極的には公開されていない。また、行政内部での連携は図られたが、行政以外の要因をどのように
位置づけるかは課題として残されている。なお、分担値の記載は、行政での活用を妨げる要因には
ならなかった。
2 活用促進の方法
一宮市では、市長がまちづくり指標を活用して総合計画を策定する意向を示した。しかし、青森
県では、トップダウンでは変化が表面的になるという限界が指摘され、行政に浸透させるためには、
予算・人事制度を改革し、指標の活用が各部門・各職員の利益に結びつくような仕組みを作る必要
があると述べられた(児山〔2007a〕149)。以下では、トップの命令、予算・人事制度の改革という方法
について、一宮市の対応を見ていく。
(1)トップの命令
これまで述べてきたとおり、一宮市では、市長が数値目標の設定と市民参加による策定を指示し、
東海市の事例も念頭に置いていた。また、市長が主宰する策定会議では、まちづくり指標を骨格と
することやロジックモデルを作成することも含めて、総合計画の策定方法や経過が報告・了承され
2〕)
。企画政
ていた。なお、ロジックモデルの作成を依頼する文書は助役名で出された(助役〔2006.
策課の担当者も、ロジックモデルの作成が総合計画策定のための作業として位置づけられれば、各
1
5
0
課は作成せざるを得ないと述べた(聞き取り)。
ロジックモデルの作成はトップの命令で始められたが、この作業は多数の職員を長期にわたって
巻き込んだ。ロジックモデルの作成は担当者だけに任せず組織で行うことが求められた。また、各
課から1名以上の職員がプロジェクトチームに参加してロジックモデルを検討し、各課は必要に応
じてこれを修正した。翌年度には各課が2度にわたってロジックモデルを再検討した。ロジックモ
デルの作成・検討・活用のために説明会・研修会が繰り返された。総合計画の策定後も、ロジック
モデルを毎年度見直すことになっている(同)。
(2)予算・人事制度の改革
一宮市では、基本計画・実施計画に掲載されている事業は、市長マニフェスト事業を除いて、す
べてロジックモデルに位置づけられている。実施計画は予算編成の指針となるものであり、そこに
掲載された事業は予算編成で優先的に扱われることになっている(聞き取り)。従って、ロジックモ
デルを用いてまちづくり指標と事業の関係をうまく説明することが、予算の獲得につながることに
なる。
ところで、各課でロジックモデルが活用され、より有効性の高い事業編成への改善が自主的に行
われるための重要な条件として、各部・課へ予算・人事などの権限委譲を行うことが挙げられてい
る。有効性の低い事業を廃止した分の予算が削減されるだけでは、改善が起こりにくいからである
。しかし、施策に対して予算を配分するという仕組みは、1つ
(研修会〔2007.
6.
19,
26〕ロジックモデル)
の施策が複数の部・課にまたがることもあるため難しく、実現していない(聞き取り)。
以上のように、一宮市では、トップダウンの方法によってまちづくり指標の活用が進んだが、他
方で、ロジックモデルの作成・検討に多数の職員を長期にわたって巻き込んだり、ロジックモデ
ル・実施計画を媒介にまちづくり指標と予算を結びつけるなど、行政の各部門・各職員にまちづく
り指標を浸透させる方法もとられている。ただし、市長の交代後も同様の方法で総合計画が策定さ
れるかどうかは不明である。また、施策ごとに予算を配分するという仕組みは、複数の部・課にま
たがる施策があるという理由で実現していない。
3 運営者の位置と役割
青森県と東海市では政策マーケティング委員会と市民参画推進委員会が最初から指標を作成した
が、一宮市では途中まで行政が作成し、途中から市民会議が作成に加わった。一宮市では、グルー
プインタビュー、市民アンケート、キーワード・生活課題の選定を行政が担当し、18
0指標の選定と
目標値・分担値の設定に市民会議が関わった (21)。その理由は、生活課題の選定までは事務的にで
きるからである(聞き取り)。これによって、生活課題の選定までの作業が比較的早く進み、ロジック
モデルを作成する時間的余裕が生み出された。しかし、青森県の政策マーケティング委員会では、
1
5
1
行政に接近しすぎると評価の客観性・信頼性が低下するという意見もあった(児山〔2007a〕138)。ま
た、一宮市では、市民会議の役割が1
8
0指標の選定以降に限定されたことについて議論があった。
(1)生活課題の客観性・信頼性
一宮市では、グループインタビューと市民アンケートに基づいて、行政が6つのキーワードと4
1
の生活課題を選定した。また、新市建設計画の基本理念の1つに「協働」があったことから、キー
ワード「連携」とこれを実現するための生活課題3つを追加した。
これに対して、市民会議の委員から、恣意的に「連携」を追加したことに齟齬を感じる(市民会議
「連携」は市で検討し、市の判
〔2006.
6.
24〕7委員)という意見が出された。コンサルタントからは、
断で追加した(同7藤岡)、最終的には市長の判断で、欠けているものは原案の段階で追加することに
なる(同8後)という説明があった。結局、総合計画では、キーワード「連携」とそれに関連する生活
23)
課題は、行政が追加したものであるということが明記されている(総合計画20。
(2)市民会議の役割
市民会議の役割については、行政の内部でも積極・消極の両意見があった。2
0
0
5年7月の政策研
究委員会では、市民との協働で策定するため、2
0
06年度に公募市民とプロジェクトチームリーダー
による策定会議を設け、基本構想案・基本計画案の検討と指標・目標値の設定を行うという予定が
7.
28〕説明資料、スケジュール)
。これに対して、委員から、市民参加と言いなが
示された(政策研〔2005.
ら実際は2005年度に作った素案をただ了承させるためだけの策定会議をしようとしているのではな
いか、という意見が出される一方で、策定会議に参加する少数の市民の意見をもって全体の意見と
するのが適切なのか、という意見もあった(同 開催結果)。企画政策課からは、議論の基にするのは
6千人を対象とした市民アンケートの結果であり、そこから逸脱した計画とはなり得ないという説
明と、市民アンケートの結果を踏まえて素案を作るので内容を大きく変更することはないが、指
8.
16〕2)
標・目標値などについては十分検討してもらえるという説明がなされた(企画政策課〔2005.
。
市民会議では、18
0指標の選定以降に役割が限定されたことに対して不満を表明する委員もいた。
ある委員は、指標を考えることに焦点が当たっており、手順が決まっていて、作業のお手伝いのレ
ベルなのかということについては欲求不満である、我々が生活課題を提案する余地はあるのか(市
民会議〔2006.
6.
24〕8委員)と発言した。また、委員の不満は市外から来たコンサルタントにも向けら
れた。市民会議の初会合の冒頭でコンサルタントの代表理事と事務局長が総合計画の基本的な考え
方や経緯を説明したのに対し、委員から、これまで話があったことは決まったことなのか提案なの
か、アンケートは市から委託を受けてやったことなのか(同5委員)という質問や、一宮市に住んで
いる市民を信じて欲しい、我々の話をまとめていくに足る NPOなのかという評価もしていきたい
(同7委員)という意見が出された。その後も、市民の代表と行政とU先生の間にかなり溝があるよ
7.
2〕2委員)
うに感じている(市民会議〔2006.
、実際に住んでいるのは我々なので、Uさんの意見に対
1
5
2
立しても良いと思っている(同6委員)という発言もあった。
その一方で、別の委員からは、我々を選んだのは市役所の誰かなのだから、我々は市民の代表で
はない、市民の代表というなら市会議員である、我々はいい指標を作って頑張ればよい(同3委員)
という意見も出された。また、U先生の出張ゼミ生になれ、と考えた方が楽ではないかと思う(同3
委員)と発言する委員もいた。
行政側からは、市民会議だけで総合計画ができるものではなく、1人の意見ではなくアンケート
6.
24〕3市)
、ある部分だけ
で優先度が高かったものを市全体の意見として捉えている(市民会議〔2006.
7市)という説明があった。(22)
を見ると市民会議の意見を無視することがあるかもしれない(同6-
一宮市では、まちづくり指標のうち、生活課題の選定までを行政が担当し、180指標の選定以降の
作業に市民会議が関わった。これによって、生活課題の選定までの作業が比較的早く進み、ロジッ
クモデルを作成する時間的余裕が生み出された。しかし、行政が選定した生活課題の客観性・信頼
性に対する疑問が出され、行政が追加したものであるということが明記された。また、市民会議の
役割が限定されたことへの不満も表明されたが、市民会議の委員の意見よりもアンケート結果の方
が市民全体の意見を代表していると説明された。
4 活用方法
一宮市では、まちづくり指標は総合計画の骨格として活用された。青森県では、県民の生活実感
から見た価値の体系である政策マーケティングと、さまざまな価値の体系を総合しなければならな
い総合計画は、体系・機能が異なるという見方もあった(児山〔2007a〕150)。一宮市では、東海市と同
様に、グループインタビューと市民アンケートに基づいて選定した生活課題を施策の表現に変換す
るとともに、行政が生活課題・施策を追加するという方法をとった。
一宮市のまちづくり指標は、総合計画を媒介に事務事業や予算とも結びついている。事務事業か
ら生活課題までの流れを示すロジックモデルが作成され、ロジックモデルに位置づけられた事業が
実施計画に掲載された。そして、実施計画に掲載された事業は予算編成で優先的に扱われることに
なっている。
おわりに
本稿は、愛知県一宮市のまちづくり指標が、同市の第6次総合計画の策定においてどのように活
用されたか、その原因は何かを明らかにしてきた。
一宮市のまちづくり指標は、青森県の政策マーケティングや東海市のまちづくり指標と同様に、
住民へのグループインタビューやアンケートに基づいて選定された社会指標であり、また、行政と
その他の主体の役割分担の比率を示す分担値が設定されている。これらの点で、行政では活用しに
1
5
3
くい指標である。
しかし、一宮市のまちづくり指標は総合計画の骨格として活用され、総合計画の策定時にロジッ
クモデルの作成と中間指標の設定が行われた。その主な原因は以下の4つに整理することができ
る。
第1に、まちづくり指標を活用して総合計画を策定したことは、市長の意向によるものであった。
市長は、選挙時の公約や分野別の計画作りの実績から、数値目標の設定と市民参加による策定を指
示した。また、愛知県市長会での紹介やコンサルタントからの売り込みを通じて、東海市の事例を
念頭に置いていた。トップダウンでは変化が表面的になるという限界も指摘されているが、ロジッ
クモデルの作成に多数の職員が長期にわたって関与したり、まちづくり指標と予算が結びつけられ
るなど、行政の各部門・各職員に浸透させる方法もとられている。
第2に、まちづくり指標を総合計画の骨格として活用したことは、東海市の事例にならうもので
あった。当初は、新市建設計画を骨格とし、まちづくり指標を補足的に用いる予定だった。しかし、
東海市市民参画推進委員会の元会長の講演を経て、東海市と同様の方法により、まちづくり指標を
骨格として総合計画を策定することになった。ただし、一宮市の第6次総合計画は、新市建設計画
に基づいて策定され、また、策定にあたっては新市建設計画を尊重することが定められていたため、
基本構想はまちづくり指標ではなく新市建設計画を反映した部分を含んでいる。
第3に、総合計画の策定時にロジックモデルの作成と中間指標の設定を行ったことは、コンサル
タントがその必要性や作成・活用方法に関する情報を提供したことと、これらの作業を行う時間的
余裕があったことによる。
まず、総合計画策定を受託したコンサルタントは、説明会・研修会等でロジックモデルや中間指
標について説明し、ロジックモデルへのコメントや相談窓口の開設も行った。そして、このコンサ
ルタントは、このような情報を提供し、行政に受け入れさせるだけの知識と権威を備えていた。市
外のコンサルタントが重要な役割を果たしたことに対しては、市民会議の委員から反発の声も上
がったが、委員の意見よりもアンケート結果の方が市民全体の意見を代表していると説明された。
次に、一宮市の第6次総合計画の策定期間は、前回の計画と同様に約3年間だった。また、まち
づくり指標の一部を行政が作成し、東海市という先例もあったため、生活課題の選定までの作業を
比較的早く進めることができた。このように時間的余裕があったことにより、ロジックモデルに関
する説明会・研修会、プロジェクトチームや各課による検討・再検討、関係課間の調整などが可能
になった。ただし、生活課題を行政が追加したことに対しては、客観性・信頼性が疑問視され、行
政が追加したということが明記された。なお、総合計画の策定期間中に市長選挙が行われたが、結
果的に、まちづくり指標を活用した総合計画策定を掲げた市長が3選された。
以上の他にも、副次的な原因として、指標作成と計画策定の時期が一致したこと、指標作成者と
計画策定者が一致したこと、実施部門の意見により市民アンケートを前倒しするなどしたこと、目
標値の設定に行政が参加して数値を現実的な(低い)ものにしたことが挙げられる。しかし、これ
1
5
4
らは、まちづくり指標が活用された主な原因というよりも、最初に挙げた4つの原因の中間的な結
果であるといえる。まちづくり指標の作成が総合計画策定スケジュールの中に組み込まれ、企画部
門が指標の作成も担当したのは、総合計画策定のためにまちづくり指標を作成することになったか
らであった。実施部門の意見は、市民アンケートの結果を総合計画に反映することを前提に、作業
の効率化を求めるものであった。目標値の設定に行政が参加することは、まちづくり指標を活用し
た総合計画策定スケジュールの中で示されていた。
一宮市のまちづくり指標は、青森県や東海市と比べて行政での活用が進んだが、課題も残されて
いる。今後、市長が交代しても同様の方法で総合計画が策定されるかどうかは不明である。まちづ
くり指標の活用を行政に浸透させる1つの方法として、予算や人事に関する権限委譲が挙げられて
いるが、複数の部・課にまたがる施策があるという理由で実現していない。また、ロジックモデル
に関しては、指標の数値を見ながら改善・公表することや、外部の要因の位置づけが課題として残
されている。
注
(1)社会指標型ベンチマーキングの概要については(児山〔20
0
6〕5
8)を参照。
(2)青森県の政策マーケティングについては(児山〔2
0
06,2
0
0
7a
,2
0
07b〕
)を参照。青森県では、1
9
9
9年に政
策マーケティング委員会が発足し、20
00~0
5年度に『政策マーケティングブック』を発行した。20
0
4年には
総合計画が策定されたが、政策マーケティングは断片的に活用されるにとどまった。政策マーケティング
委員会は200
5年度限りで廃止された。
(3)愛知県東海市のまちづくり指標については(児山〔2008〕
)を参照。東海市では、2
0
0
2年2月に市民参画推
進委員会が発足し、まちづくり指標を作成した。また、2
0
02年5月には庁内の総合計画策定会議が活動を開
始し、20
03年12月にかけて総合計画を策定した。まちづくり指標は総合計画の骨格として活用されたが、ロ
ジックモデルは200
7年の実施計画の改定時に初めて作成された。なお、総合計画の策定後も、まちづくり市
民委員会がまちづくり大会を通じて行政での活用を促進している。
(4)副主監は課長補佐級、主査は係長級である(聞き取り)。
(5)例えば、「安心して充実した医療サービスが受けられる」という生活課題は、「高度な医療サービスを安
心して受けられる体制を整える」という施策の表現に変換された(総合計画4
84
9)。
(6)役割分担値とは、個人・家庭、町内会・NPO等、企業・農協・商工会議所等、学校、市、県・国の役割
の大きさを表す数値である(総合計画39)。
(7)なお、総合計画の策定後、一宮市総合計画推進市民会議が設けられ、生活課題の改善状況の評価や、ロ
ジックモデルを使った事業提案などの活動を行うことになった。(推進市民会議要綱)
(8)東海市の基本構想は、キャッチフレーズ(共に創る 安心 快適 いきいき都市)と5つの理念(安心、快
適、いきいき、ふれあい、活力)も、市民アンケートに基づく5つの基本理念(キーワード)を反映してい
た。(児山〔2
00
8〕5
4)
(9)200
7年9月30日、東海市のまちづくり大会での一宮市長のあいさつ。
(1
0)7月の策定会議の資料では「基本計画案」となっていたが、ここでは「基本計画素案」に統一する。
(1
1)東海市では、まちづくり指標の作成と総合計画の策定は別々の作業として始まったが、両者の時期が一致
していたため、これらを結びつけることが当然視されるようになった。ただし、これらの作業を2年間で
1
5
5
行ったため、時間的制約が厳しく、ロジックモデルの作成や中間指標の設定はできなかった。
(児山〔20
08〕
57,
7
4)
(1
2)東海市では、青森県という先例があったため、まちづくり指標の作成にあまり時間をかけることなく、総
合計画の策定に活用することができたと考えられる。青森県では、1
99
9年5月に政策マーケティング委員
会が発足してから200
0年1
2月に最初の政策マーケティングブックを発行するまでに1年半以上を要したが
(児山〔2
00
6〕59)、東海市では、2
00
2年2月に市民参画推進委員会が発足してから2
0
0
3年4月に目標値・役
割分担値を設定するまでの期間は1年余りだった(児山〔20
0
8〕5
25
3)。なお、先例の存在という要因は、前
稿では注で挙げていた(同75)。
(1
3)青森県では、これらの条件は東海市ほどには満たされていなかった。第1に、1
99
9年に政策マーケティン
グが始まる以前に、19
97~20
0
6年度を計画期間とする総合計画が策定されていた。また、20
0
4年に次の総合
計画が策定されるまでの間に長期間が経過していたため、政策マーケティングを活用することが当然であ
るとは言い難く、この間に知事が交代するということもあった。2
0
03年11月には政策マーケティングの再
構築が始まり、この作業と総合計画策定を結びつけることも模索されたが、時間的制約により断念された。
第2に、政策マーケティングを導入した前知事はそれを東海市ほど重視することはなく、また、2
0
0
4年に総
合計画を策定した現知事は2
005年度限りで政策マーケティングを廃止した。第3に、政策マーケティング
委員会やその事務局と総合計画の策定者との連携は、東海市ほど強くはなかった(児山〔2
0
0
8〕6465)
。第
4に、政策マーケティングには先例がなかった(児山〔200
6〕5
96
0)。
(14)1
99
8年1月、第5次総合計画策定のための市民意識調査が行われ(朝日新聞〔19
9
7.
1
2.
2
7〕朝刊愛知)、
200
1年3月の議会で基本構想が議決された(一宮市議会〔20
0
1.
3.
1〕)
。
(1
5)この選挙で市長が交代する可能性もあったが、この時点では既にロジックモデルの作成や指標の決定が
終わっていたため、市長が交代しても総合計画の策定方法に大きな変化はなかったと思われる。結局、現市
長がマニフェストを掲げて3選を果たしたことにより、まちづくり指標を活用した総合計画策定の正統性
が高まった。
(1
6)東海市の事例は何度も参照された。2
00
4年12月には、企画政策課が東海市を視察した(聞き取り)
。20
0
5
年7月の最初の政策研究委員会では、基本計画の完成品のイメージが分からないという意見に対し、東海市
の総合計画の写しを提供するという回答があった(政策研〔20
0
5.
7.
2
8〕)
。その後も、東海市が1つのモデル
であることや、先例として東海市が同様の手法で総合計画を策定していることが紹介された(市民会議
〔2
00
6.
1
2.
1
0〕6市、審議会〔200
7.
5.
29〕2市長)。
また、ロジックモデルの先例として、加古川市の事例も紹介された(政策研〔2
0
05.
8.
1
7〕加古川市、説明
25〕加古川市、説明会〔2
0
0
5.
1
2.
2
0〕加古川
会・研修会〔2
0
05.
8.
22〕加古川市、説明会・研修会〔2
0
0
5.
1
0.
市)。ただし、加古川市のロジックモデルは単線型(1つの事業から1つの成果までの因果関係を示す)で
あるのに対し、一宮市のロジックモデルはツリー型(複数の事業から1つの成果までの因果関係を示す)で
あるという違いがある。
なお、青森県でも、2
004年度のセッション(政策マーケティング委員会と県庁職員との会合)でロジック
モデルが作成された。この際、1回目のセッションでは現在の活動から最終アウトカムへのつながりを検
証し、2回目のセッションでは逆に最終アウトカムから必要な活動を検証するという方法がとられた(児山
〔20
07a
〕1
43)
。一宮市でもこれと同様の方法がとられた(助役〔2
0
06.
2〕マニュアル4)
。
(1
7)連載は『ガバナンス』20
05年5月号~20
0
7年3月号、ロジックモデルに関するものは2
0
05年11、12月号。
(1
8)代表理事は市民参画推進委員会の会長でもあり、まちづくり指標を総合計画の策定にうまくつなぐ形で
活かしたいと述べていたため、前稿では指標作成者と計画策定者の連携として位置づけた。
(児山〔20
0
8〕
5
8)
1
5
6
(19)関係者・当事者は、各生活課題の主担当課が選定・推薦した。
(説明会〔2
0
0
7.
1.
26〕目標値設定方法)
(2
0)「目標値アンケート集計結果」に記載されている指標は延べ187指標で、うち5指標は現状値・目標値が空
欄だった。残りの1
82指標のうち、数値が大きい方が望ましいと考えられる指標(例えば、食事の量と質を
適正にとっている人の割合)は148、数値が小さい方が望ましいと考えられる指標(例えば、生活習慣病予備
軍の子どもの割合)は34あった。「目標値が低い」とは、前者の数値が小さく、後者の数値が大きいことを意
味する。なお、市民会議委員、関係者・当事者、市職員の目標値の平均は、現状値を1
0
0とすると、数値が
大きい方が望ましい指標は5年後がそれぞれ146・1
38・13
2、1
0年後が1
8
9・1
7
2・16
5、数値が小さい方が望
ましい指標は5年後が86・90・9
1、10年後が72・8
2・83であった(数値が大きい方が望ましい指標のうち現
状値・目標値がマイナスの1指標を除いて計算)。
(2
1)市民会議でも、行政側から、今回の策定作業は一宮市のオリジナルの策定ということで進めており、トー
タル的な策定への参加ではなく分業的な手法をとっている(市民会議〔2
00
6.
1
2.
1
0〕市6)と説明された。
(22)このように、当初は委員から不満の声も上がったが、市民会議の最後の会合では、指標がどう変わってい
くのかを確認したい、今後もこのような活動に関わっていきたいという発言が相次いだ(市民会議〔2
0
0
7.
3.
4〕3)。
なお、一宮市の環境基本計画の策定においても、市民意識調査の結果をある程度活用できたが、市民会議
に参加した市民委員の意識が市民全体の立場を配慮するまでには至らなかった(鳥塚・加藤〔20
0
4〕3
7)と
指摘されている。
また、東海市の市民参画推進委員会でも、最終アウトカムを測る指標ではなく、問題解決の手段(電子カ
ルテ、グループホームなど)を特定するような指標を提案する委員もいた(児山〔2
0
0
8〕6
6)。
参照資料
1.二次資料
(1)雑誌記事(著者名の五十音順)
本文中では、( )を用いて、著者名、発表年(〔 〕
)
、ページ、の順に示した。
児山正史〔2006〕
「青森県政策マーケティング委員会の7年(1)―自治体行政における社会指標型ベンチマー
キングの活用―」、
『人文社会論叢(社会科学篇)』
、第1
6号、pp
5
.
77
7。
〔2
007a
〕
「青森県政策マーケティング委員会の7年(2・完)―自治体行政における社会指標型ベンチマー
キングの活用―」、『人文社会論叢(社会科学篇)』、第1
7号、pp
1
.
3
11
53。
〔2
00
7b〕
「青森県の政策マーケティングと総合計画策定―自治体行政における社会指標型ベンチマーキング
の活用―」、
『人文社会論叢(社会科学篇)』、第18号、pp
1
.
071
18。
〔20
08〕「愛知県東海市のまちづくり指標(~20
07年9月)―自治体行政における社会指標型ベンチマーキ
ングの活用―」、『人文社会論叢(社会科学篇)』
、第1
9号、pp
5
.
17
6。
鳥塚朝子、加藤哲男〔200
4〕「環境基本計画策定における市民意識の反映に関する研究:愛知県一宮市を事例と
して」、
『名古屋産業大学論集』、第5号、pp
3
.
338。
平林信幸〔200
6〕「一宮市環境基本計画の策定:市民手づくりによる計画」
、
『計画行政』
、29(1)、pp
1
.
0
41
0
8。
(2)新聞記事(日付順)
本文中では、( )を用いて、新聞名、日付(〔 〕
)
、朝夕刊、面、の順に示した。
朝日新聞〔19
97.
12.
27〕朝刊愛知:「まちづくりに意見を 来年、一宮市が市民意識調査」
。
〔20
02.
12.
3
0〕朝刊愛知1:「谷一夫氏に幅広い支持 一宮市長選、実績訴え2氏に大差」
。
1
5
7
2.一宮市の資料
(1)冊子・ホームページ・例規等(資料名の五十音順)
本文中では、( )を用いて、資料名(略称)、ページ(複数ページの場合)を示した。
ホームページ以外の資料は一宮市情報公開条例に基づき入手した。
アンケート整理方法:「市民アンケート集計結果の整理方法」(一宮市ホームページ)
。
合併経緯:「これまでの経緯」(一宮市・尾西市・木曽川町合併協議会ホームページ)
。
幹部会議要綱:「一宮市幹部会議等要綱」(一宮市ホームページ)
。
策定経緯:「これまでの経緯」(一宮市ホームページ)。
策定方針:「第6次一宮市総合計画策定方針」。
実施計画:一宮市『第6次一宮市総合計画 平成20~22年度 実施計画』
(一宮市ホームページ)
。
実施事業シート:「実施計画事業シート(医師・看護師確保事業)」
。
審議会運営規則:「一宮市総合計画審議会運営規則」(一宮市ホームページ)
。
新規事業シート:「新規実施事業提案シート(指定ごみ袋導入事業)
」。
新市建設計画:一宮市・尾西市・木曽川町合併協議会『新市建設計画』(一宮市・尾西市・木曽川町合併協議会
ホームページ)。
推進市民会議要綱:「一宮市総合計画推進市民会議設置要綱」(一宮市ホームページ)
。
政策研規程:「一宮市政策研究委員会に関する規程」(一宮市ホームページ)
。
政策公約:「政策公約」(一宮市ホームページ)。
総合計画:一宮市『第6次一宮市総合計画』(一宮市ホームページ)
。
(2)会議資料(会議名の五十音順、各会議の開催日順、各開催日の資料名の五十音順)
本文中では、( )を用いて、会議名(略称)、開催年月日(
〔 〕
)
、資料名(略称)
(会議録等の場合は
原則として省略)、ページ(複数ページの場合)、発言者(会議録等の場合)
、の順に示した。
市民会議・審議会・市議会の会議録等・資料は一宮市のホームページで入手した。その他の会議の資料は
同市の情報公開条例に基づき入手した。
会議録等以外の資料は下記のとおりである。
①策定会議(総合計画策定会議)
〔20
05.
7.4〕施策見本:「施策のページ(見本)」
。
スケジュール:「第6次総合計画策定スケジュール」。
〔20
05.
8.
22〕スケジュール:「第6次総合計画策定スケジュール」
。
②審議会(総合計画審議会)
〔2
00
7.
8.2〕目標値:第2回各分科会資料「目標値アンケート集計結果」
。
③政策研(政策研究委員会)
〔20
05.
7.
28〕施策見本:「施策のページ(見本)」
。
スケジュール:「第6次総合計画策定スケジュール」。
説明資料:「政策研究委員会説明資料」。
〔20
05.
8.
17〕加古川市:「加古川市事務事業ロジックモデルシート」
。
基本計画見本:「基本計画素案(見本)」。
シナリオ:「17年度第2回政策研究委員会 進行シナリオ」。
新総合計画:「新しい総合計画の考え方」。
スケジュール:「第6次総合計画策定スケジュール」。
東海市:「生活課題マトリックス」
「まちづくり指標マトリックス」
「99指標とめざそう値・役割分担値一覧表」
。
1
5
8
プロジェクトチーム:「プロジェクトチームメンバー」。
④説明会・研修会(「説明会」「研修会」も含めて開催日順)
説明会・研修会〔20
0
5.
8.
22〕加古川市:「加古川市事務事業ロジックモデルシート」
。
シナリオ:「第6次総合計画の策定に関する説明会・研修会シナリオ」
。
新総合計画:「新しい総合計画の考え方」。
東海市:「生活課題マトリックス」「まちづくり指標マトリックス」「99指標とめざそう値・役割分担値一覧
表」。
説明会・研修会〔200
5.
1
0.
25〕加古川市:「加古川市事務事業ロジックモデルシート」
。
シナリオ:「第6次総合計画の策定に関する説明会・研修会シナリオ」
。
ロジックモデル:「ロジック・モデル作成の意味と手順」。
説明会〔2
005.
12.
20〕加古川市:「加古川市事務事業ロジックモデルシート」
。
計画イメージ:「基本計画素案(イメージ)」
。
スケジュール:「第6次総合計画策定スケジュール」。
ロジックモデル:「行政経営・行政評価の基礎としてのロジック・モデル」
。
説明会〔2006.
4.
14〕シナリオ:「第6次一宮市総合計画の策定に係るロジックモデルの内容検討についての研
修会 シナリオ」。
ロジックモデル:「ロジック・モデルの中間検討会」。
説明会〔2
007.
1.
26〕回答にあたって:「回答にあたって」。
記入例:「記入例」。
目標値:「目標値と役割分担値の意味と活用方法」。
目標値設定方法:「目標値・役割分担値の設定方法について」。
研修会〔2
007.
6.
19,
2
6〕シナリオ:「ロジックモデルの活用に関する研修会 シナリオ」
。
ロジックモデル:「ロジック・モデルの活用方法」。
研修会〔2
00
8.
2.7〕シナリオ:
「ロジックモデルの中間指標の設定および総合計画の推進に関する研修会 シ
ナリオ」。
評価指標:「行政経営システムと評価指標」。
⑤プロジェクト(プロジェクトチーム)
〔20
06.
5.
16〕
:「礎1 プロジェクトチーム会議検討結果」
「ロジックモデルシート 整理番号Ⅰ-②(修正前、
修正後)」。
〔20
06.
5.
18〕
:「礎2-2 プロジェクトチーム会議検討結果」
「ロジックモデルシート 整理番号Ⅱ-3(修正
前、修正後)」。
(3)依頼文等(作成者の五十音順、各作成者の日付順)
本文中では、( )を用いて、作成者、日付(〔 〕
)
、添付資料(略称)
(参照した場合)
、ページ(複数
ページの場合)、の順に示した。
すべて一宮市情報公開条例に基づき入手した。
企画政策課〔2005.
8.
16〕
:7月28日の政策研究委員会で出された質問・意見についての企画政策課の考え方。
企画政策課〔2006.
8.
30〕
:「第6次一宮市総合計画策定に係る行政課題の追加について(伺い)
」
。
企画政策課長〔20
07.
6.
26〕新規事業依頼:「ロジックモデルを活用した新規事業提案について(依頼)
」
。
新規事業マニュアル:「新規実施事業提案シート 記入マニュアル」
。
企画政策課長〔2007.
8.
2
7〕:
「ロジックモデルの再検討および実施計画事業シートの提出について(依頼)
」
。
実施事業マニュアル:「実施計画事業シート 記入マニュアル」。
1
5
9
企画政策課長〔2007.
9.
2
5〕コメント:「長期成果に対するコメント一覧」
。
ヘルプデスク:「ロジックモデル・ヘルプデスク受付」。
ロジックモデル:「ロジックモデルの再検討にあたって ロジックモデル作成担当のあなたへ」
。
助役〔2
00
6.2〕:「第6次総合計画の策定に係るロジックモデルの作成について」
。
ロジックモデル:「ロジックモデル(ツリー型)作成マニュアル」
。
(4)聞き取り
聞き取り:20
08年5月12、1
3日、一宮市企画部企画政策課 長谷川伸二主査からの聞き取り。
1
6
0
「重大な過失」について(1)
平 野 潔
1.問題の所在
2.
「重大な過失」立法史
3.わが国における学説の状況
4.わが国における判例の状況
⑴最高裁判例(以上本号)
⑵下級審判例
5.ドイツにおける学説・判例の状況
6.学説および判例の検討
7.結論
1.問題の所在
わが国の刑法38条1項は、
「罪を犯す意思がない行為は、罰しない。ただし、法律に特別の規定が
ある場合は、この限りでない。
」と規定しており、この「法律に特別の規定がある場合」が過失であ
るとされている。過失の種類に関しては、一般的に「認識ある過失」と「認識なき過失」
、
「業務上の
過失」
「重大な過失」
「通常の過失」
、
「事実の過失」と「法律の過失」という分類がなされている (1)。
このうち、本稿の考察の対象となる「重大な過失」は、
「重過失」とも言われるが、わが国の刑法典
においては、わずかに重失火罪、重過失激発物破裂罪(1
17条の2後段)
、重過失致死傷罪(2
1
1条1
項後段)が規定されているにとどまる。
重大な過失については、まず通常の過失と比較して法定刑が高いことが問題となる。ここで、現
行刑法における「通常の過失」を規定している条文と「重大な過失」を規定している条文を比較して
みる。まず、失火に関する1
16条と1
1
7条の2である。両者は、その条文の文言からも分かるように、
過失の程度のみが異なるにすぎない。そして、1
16条の法定刑は「5
0万円以下の罰金」であるのに対
(1)団藤重光編『注釈刑法⑵のⅡ』
〔福田平〕
(昭4
4年、有斐閣)
3
91頁以下、大塚仁=河上和雄=佐藤文哉=古田
佑紀編『大コンメンタール刑法 第2版 第3巻』
〔神山敏雄〕
(平1
1年、青林書院)
35
9頁以下など参照。
1
6
1
して、1
17条の2のそれは「3年以下の禁錮又は150万円以下の罰金」となっている。通常の過失の
場合には財産刑のみが予定されているのに対して、重大な過失の場合には、財産刑のみならず自由
刑まで予定されているのである。このことは、過失致死傷罪についても同様のことが言える。通常
の過失を規定した20
9条と21
0条は、それぞれ「30万円以下の罰金又は科料」
「50万円以下の罰金」と
いう財産刑のみが予定されているが、重大な過失を規定している2
1
1条1項は、「5年以下の懲役若
しくは禁錮又は1
0
0万円以下の罰金」を予定している。ここでは、自由刑の中でも禁錮刑だけでな
く、懲役刑まで予定されているのである。さらに、通常の過失によった場合で、結果が傷害にとど
まった場合には親告罪とされ、告訴がなければ公訴が提起できないことになっている。このような
法定刑の違いを合理的に解明することがまず必要となるであろう (2)。
次に「重大な過失」という文言が問題となる。この「重大な過失」という文言については、どの程
度に達したら「重大」と認められるべきかの基準は与えられておらず、加重的な構成要件のつくり
方としてはいささか疑問であるという指摘がなされている (3)。また、このような例示もなしに一
般的・包括的な規定をするのは構成要件の明確性を害し、罪刑法定主義に違反するものであるとも
言われる (4)。業務上過失・重大な過失をどのように定義しようとも、どんなに多くの事例判例を
積み重ねても、その性質上グレーゾーンが存在することが避けがたいものであるとする批判も、同
様の批判であろう (5)。さらに立法論としては、これを削除すべきであるとする主張もなされてい
るのである (6)。このように、「重大な過失」には、いくつかの問題点があることが指摘されている
が、いまだ十分な解明がなされていない部分が多い。
ところで、ドイツ刑法1
5条も、
「法律が、過失行為に対して、明文をもつて、刑罰を科していない
場合には、故意の行為のみが罰となる」(7)と規定しており、わが国の刑法と同様、過失の内容を具
(2)なお、通常の過失を規定した条文と重大な過失を規定した条文の法定刑の
「下限」
が同じであることの根拠
青木清相=板倉
を解明しようとしたものとして、須々木主一
「重過失 ― 刑事政策学より見た刑法学の限界序説―」
(昭4
1年、有斐閣)
4
1
1頁以下、とくに4
3
8頁以下。
宏=植松正=団藤重光編『日沖憲郎博士還暦祝賀 過失犯⑵』
(3)中義勝『刑法総論』
(昭46年、有斐閣)1
2
7頁。
(4)中義勝『刑法各論』
(昭50年、有斐閣)5
2頁、浅田和茂『刑法総論[補訂版]
』
(平1
9年、成文堂)
3
51頁。
(5)安廣文夫「一 刑法一一七条の二の業務の意義 二 人の生命・身体の危険を防止することを義務内容とす
る業務と刑法二一一条の業務 三 易燃物の管理責任者につき業務上失火罪及び業務上過失致死罪が成立す
0年度』
(平元年、法曹会)
18
9頁。
るとされた事例」
『最高裁判所判例解説 刑事篇 昭和6
(6)安廣判事は、現行刑法典が、故意行為については、一切の殺人行為や傷害行為をことごとく殺人罪や傷害
罪に包括させ、実情に即した個別的処遇を可能としていることから、過失犯においても同様の態度を貫くべ
きであるとされる。そして、
「現行刑法典を基礎にした立法論としては、業務上過失・重過失という加重類
型はすべて撤廃し、過失犯の法定刑の上限を業務上過失・重過失のそれまで引き上げることが、最も妥当で
9頁)
。さらに、大谷教授も、かつて重大な
あるように思われる」とされるのである(安廣・前掲注(5)18
8過失について、「これを定型化して独立の構成要件を設ける必要はないというべきで、私は重大な過失を削
(平2年、立花書
除すべきであるという案に賛成します」とされていた(大谷實『新版 刑法総論の重要問題』
房)17
3頁)
。
(7)ドイツ刑法典については、法務大臣官房司法法制調査部編『ドイツ刑法典』
〔宮澤浩一訳〕
(昭5
7年、法曹
会)参照。
1
6
2
体的に示してはいない。そして、過失の種類については、一般的に、「認識ある過失」
(be
wußt
e
Fahr
l
äs
s
i
gke
i
t
)と「認識なき過失」
(unbe
wußt
eFahr
l
äs
s
i
gke
i
t
)という区別がなされている。そ
して、これとは別に、過失の程度として考慮されているのが「軽率」
(Le
i
c
ht
f
e
r
t
i
gke
i
t
)という概念
である (8)。この「軽率」という概念は、民法上の概念である「重大な過失」に相当し、その多くは
結果的加重犯の規定に見られる (9)。しかしながら、
「軽率」という概念が、民法における「重大な
過失」に相当すると解することについては批判も強く (10)、実際のところは明確な根拠・基準が示
されているわけではないのである。
わが国の実務においても、業務上過失の適用範囲が広く、大部分がこれと重なるので、重大な過
失がそれだけで独立に問題となることは稀であり (11)、現在では、ほとんど「重大な過失」を適用す
る余地がないとされている (12)。確かに、判例が示すように、業務の意義を「いわゆる業務とは各人
が社会生活上の地位に基き継続して行う事務のことであつて、本務たると兼務たるとを問わないも
の」(13)
「本来人が社会生活上の地位に基き反覆継続して行う行為であつて…、かつその行為は他人
の生命身体等に危害を加える虞あるものであることを必要とするけれども、行為者の目的がこれに
よつて収入を得るにあるとその他の欲望を充たすにあるとは問わない」(14)と解するとすれば、業務
上過失の適用範囲が広くなり、重大な過失が問題となる場面はほとんどないことになる(15)。しかし、
平成1
9年に自動車運転過失致死傷罪 (16)が新設されたことによって、これまでその大半が業務上過
失致死傷罪とされてきた自動車運転による過失致死傷事犯については、一般的には、自動車運転過
失致死傷罪が適用されることとなった (17)。このことによって、「業務概念を拡張するにあたり自
(8)J
es
c
hec
k/
Wei
gend,Lehr
buc
h
des St
r
af
r
ec
ht
s
,Al
l
gemei
ner Tei
l
,5.
Auf
l
.
,
1996,S.
5689.
;
Wes
s
el
s
/
Beul
ke,
r
af
r
ec
htAl
l
gemei
nerTei
l
,37.
Auf
l
.
,2007,Rn.
661f
.
St
(9)J
es
c
hec
k/
Wei
gend,a.
a.
O.
(Anm.
8)
,S.
569.
なお、結果的加重犯における過失概念に関しては、丸山雅夫『結果的加重犯論』
(平2年、成文堂)
2
2
4頁以
下、内田浩『結果的加重犯の構造』
(平17年、信山社)
14
9頁以下を参照。
(10)Ro
xi
n,St
r
af
r
ec
htAl
l
gemei
nerTei
l
,BandI
,4.
Auf
l
.
,2006,S.
1092f
.
(11)中山研一『刑法各論』
(昭5
9年、成文堂)7
4頁。
(12)中山研一『概説刑法Ⅱ各論[第4版]
』
(平17年、成文堂)
4
9頁。
(13)最判昭2
6・6・7刑集5巻7号1236頁。
(14)最判昭3
3・4・18刑集12巻6号1
090頁。
(15)このように業務概念が拡大された背景には、立法の沿革があるとされている(安廣・前掲注(5)
1
82頁、
西田典之『刑法各論[第4版]』
(平1
9年、弘文堂)6
0頁、北川佳世子「業務上過失の意義」西田典之=山口厚=
佐伯仁志編『刑法の争点』
(平19年、有斐閣)
14
5頁など)
。さらに業務上過失について、その立法の沿革も含
めて詳しくは、川本哲郎「刑法における業務の概念」
『同志社法学』3
7巻1=2号(昭60年)13
5頁以下、松宮
孝明『過失犯の現代的課題』
(平18年、成文堂)71頁以下参照。
(16)自動車運転過失致死傷罪の改正経緯等については、江口和伸「刑法の一部を改正する法律について」
『ジュ
リスト』1
342号(平19年)13
5頁以下を参照。
(17)ただし、個別具体的な事案における本罪の成否は、事案ごとに関係各証拠を評価した上で、判断されるも
のであるとされる。例えば、自動車を路側帯に停止させた上、運転者が降車しようとして運転席ドアを開け
たところ、後続の二輪車が衝突して、同車に乗車していた者が死傷した場合には、
「運転上必要な注意」には
含まれないから、自動車運転過失致死傷罪は成立しないとされている(江口・前掲注(1
6)
13
8頁注8)
)
。
1
6
3
動車運転を考慮する必要がなくなったので、業務概念の拡張化に一定の歯止めをかけ、日常用語に
(18)
近い意味で解釈する契機が生じた」
とする指摘もある。ここで指摘されているような見直しがな
されるのであれば、重大な過失が適用される範囲も拡大される可能性が生ずる。
また、埼玉医科大学事件 (19)、横浜市立大学病院事件 (20)、そして、福島県立大野病院事件 (21)な
どの相次ぐ刑事医療過誤事件を受ける形で、いわゆる「医療版事故調」の設置が検討されるに至っ
ている。その議論の中で、厚生労働省から示された「医療の安全の確保に向けた医療事故による死
亡の原因究明・再発防止等の在り方に関する試案−第三次試案−」においては、調査委員会から捜
査機関に通知を行う事例を、「①医療事故が起きた後に診療録等を改ざん、隠蔽するなどの場合」
「②過失による医療事故を繰り返しているなどの場合(いわゆるリピーター医師など)
」と並んで、
「③故意や重大な過失があった場合」としている。もちろん、これは刑法学的意味での重大な過失
ではないが (22)、やはり刑法学的見地から、重大な過失を再検討する意義は大きいであろう (23)。
本稿は、
「重大な過失」について、その本質を検討しようとするものである。以下では、わが国に
おいて「重大な過失」がどのような形で立法化されてきたのかを概観した上で、わが国における学
説・判例について検討を加える。そこでは、重大な過失の加重根拠および通常の過失との区別基準
が検討の対象となる。さらに、その内容が不明確であるという批判が向けられている、ドイツ刑法
における「軽率」概念に関する議論の状況を考察してみる。それらの検討等を通じて、「重大な過
失」の内実を明らかにしてみたい。
2.
「重大な過失」立法史
まず、
「重大な過失」がわが国の刑法典にどのような形で導入されてきたのか、また、その際にど
のような議論がなされてきたのかを概観していく。ここでは、立法化された経緯、あるいは立法化
の際の議論の状況から、「重大な過失」の内実に関する手がかりを得ることができるか否かを確認
することが目的となる。
明治1
3年制定の旧刑法は、
「疎虞懈怠又ハ規則慣習ヲ遵守セス過失ニ因テ」
(旧刑法3
17条)
、
「火
(18)宮川基「業務上過失致死傷罪における業務の意義」西田典之=山口厚=佐伯仁志編『刑法判例百選Ⅰ総論
[第6版]』
(平20年、有斐閣)1
23頁。
(19)最決平1
7・1
1・15刑集59巻9号1
558頁。
(20)最決平1
9・3・26刑集61巻2号1
31頁。
(21)福島地判平2
0・8・19判例集未登載。
(22)試案においても、
「ここでいう『重大な過失』とは、死亡という結果の重大性に着目したものではなく、標
準的な医療行為から著しく逸脱した医療であると、地方委員会が認めるものをいう。また、この判断は、あ
くまで医療の専門家を中心とした地方委員会による医学的な判断であり、法的評価を行うものではない。
」と
されている。
(23)なお、医療版事故調に関して、検討会の議論も含めて詳しくは、前田雅英「医療過誤と重過失」
『法学会雑
誌』49巻1号(平20年)8
3頁以下を参照。
1
6
4
ヲ失シテ」
(旧刑法4
09条)などという形で通常の過失のみが処罰の対象とされており、重過失はも
ちろん業務上過失さえも規定されていなかった。その後、明治4
0年制定の現行刑法において、
「業務
上必要ナル注意ヲ怠リ」という形での業務上過失致傷罪が2
11条に規定されたが、重過失はいまだ条
文上には登場していない。重大な過失が刑法典上に姿を現すのは、昭和16年の刑法改正の際である。
昭和16年の刑法改正 (24)においては失火罪の強化が行われ、その一環として、業務上失火罪とと
もに重失火罪が規定された (25)。従来の失火罪の規定が通常の過失のみを処罰の対象とし、かつ法
定刑も30
0円以下の罰金であったことから、
「如何に過失に出でた行爲と雖も、それが國家、社會竝
(2
6)
に被害者個人に與ふる損害の大なること等の點から考ふるならばその刑が輕きに失する」
と考え
られたのである。そこで、罰金を1
0
0
0円以下に改めるとともに、1
17条の2の規定を新設し、業務上
過失と並んで重大な過失が規定されるに至った。これは、
「現下の經濟状態に鑑み法益の保護を全
からしめようといふ趣旨」のもとでの新設とされる (27)。そして、このように重大な過失を業務上
過失と並べて規定したことの意味については、
「假令業務に從事する者と謂ふを得ざるにせよ、業
務從事者と同様の状態に於て此等危險物を取扱ふ者が其注意を怠るときは重大なる公共危害を醸す
に至る可きこと業務從事者の過失と異なる所なきが故に、斯くの如き場合に付ては重大なる過失あ
りと爲し、同様の制裁を加ふる必要ありと認めざるべからず」とされている (28)。しかし、肝心の重
大な過失の内容については、立法過程においても明確には示されてしない。せいぜいのところ、本
改正についての解説書の中で、
「重大なる過失に因りといふことは、過失の重大なること」であり、
「結果の重大なることをいふのではない」(29)とされるにとどまる。
なお、この規定は、前年の昭和15年に発表された改正刑法假案2
62条の規定がもとになったもので
ある。改正刑法假案 (30)においては、重失火罪だけでなく、重過失溢水罪(假案2
7
2条後段)
、重過失
汽車等転覆・破壊罪(假案2
7
9条後段)
、重過失致死傷罪(假案3
54条)(31)、過失贓物罪(假案4
51条)
(24)その提案理由は「現非常時局下ニ於ケル人心ノ動向、犯罪ノ趨勢其ノ他内外ノ情勢ニ鑑ミ治安保持ノ國内
體制ヲ整備スル爲列法中改正ヲ要スルモノアリ」
(刑事基本法研究会「刑法の一部改正の解説(一)
」
『警察研
究』60巻7号(平元年)6
0頁)とされている。
(25)なお、重失火罪が新設された際の法定刑は「三年以下ノ禁錮又ハ三千圓以下ノ罰金」であり、罰金額は平成
3年の改正の際に30万円以下に変更されているものの、現在までほとんど変更されていない。
(26)刑事基本法研究会「刑法の一部改正の解説(一〇)
」
『警察研究』
61巻4号(平2年)
7
7頁。なお、大竹武七
郎「刑法改正について」
『法曹会雑誌』1
9巻5号(昭16年)6頁も参照。
(27)日沖憲郎「刑法の一部改正について」
『法律時報』1
3巻5号(昭1
6年)1
3頁。
(28)泉二新熊「刑法中改正規定の瞥見」
『法曹会雑誌』1
9巻9号(昭1
6年)1
3頁。
(29)大竹武七郎『改正刑法要義』
(昭1
6年、松華堂)1
245頁。
(30)齊藤金作編『刑法改正假案』
(昭1
5年、東山堂書房)参照。また、各則部分に関しては、瀧川幸辰「改正刑法
假案の各則」
『法律時報』12巻7号(昭1
5年)2
1頁以下参照。
(31)泉二博士は、過失致死傷罪が業務上過失のみを規定し、重大な過失を規定していないことについて、
「改正
刑法假案第三百五十四條に對應する現行法第二百十一條の業務上過失致死にも『又ハ重大ナル過失ニ出テタ
ルトキ』を補足するに非ざれば權衡を失すること明白なり。法律が之を脱したるは立法上の不用意に出でた
るが如し」として、批判的な立場を採られている(泉二・前掲注(2
8)1
3頁)。
1
6
5
など、重大な過失が犯罪成立要件とされている条文がいくつかみられる (32)。しかし、改正刑法假
案においても、重大な過失を加重処罰することの根拠は何も示されておらず、またその内容に関し
ても示されていない (33)。
重過失致死傷罪は、昭和22年の刑法一部改正 (34)において立法化された (35)。この改正は、
「新憲
法の定める人身保護の趣旨に沿った改正」(36)、
「國民の身體・自由・名譽などをとくに尊重する憲
法の趣旨を汲んだもの」(37)である。それは、
「従来過失によりて人を死傷した場合の罪の法定刑が
やや軽きに失し、人の生命身体に対する保障に欠くる憾みがあったので、この際にこれを改正して、
重大な過失によりて死傷に致した場合には、業務上の過失と同様に重く処罰することができるよう
(38)
にしようという趣旨である」
とされている。そして、この改正において重過失致死傷罪が加えら
れた実際的な意義は、「近時刑法及び一般の思潮は、過失、殊にその重過失によるものを重要視する
(3
9)
に至つたのであるが、實際としてもこれを嚴罰に處する必要が認められ」
るところにある。この
改正に関しては、昭和16年の改正の際に新設された1
1
7条の2によって、失火等の罪について重大な
過失を業務上の過失と同様に重く処罰することになったことと致死傷の罪との歩調を合わせようと
(32)しかし、昭和1
6年改正では、「假案規定中急施の必要のある若干部分」
(泉二・前掲注(2
8)2頁)の改正が
行われたに過ぎないので、業務上失火および重失火罪のみが制定されるにとどまっている。昭和1
6年の刑法
一部改正が、改正刑法假案の必要な部分を立案したものであることは、貴族院における審議過程でも明言さ
れている(刑法基本法研究会・前掲注(24)
62頁参照)
。
(33)瀧川博士も、假案が放火罪、溢水罪について業務上の過失犯をとくに重く罰するとした規定を定めたこと
については、「適當の規定である。」とされるにとどまる(瀧川・前掲注(3
0)
24頁)。
(34)この改正刑法の法律案の理由は、
「日本國憲法の施行に伴い、その制定の趣旨に適合するように刑法の一
部を改正する必要がある。これが、この法律案を提出する理由である。
」とされている。この点について、中
野博士は、この刑法の改正は、直接憲法に抵触する規定のみならず、それ以外の規定の改正をも考慮してい
たことが明らかであるとされ、それを3つに分類されている。すなわち、憲法の重点の一つである基本的人
権の保障に呼応して刑法上でもこれら諸権利の保護を一層厚くしようとしたもの、制度そのものは何ら憲法
と相反するものではないが、憲法改正に伴う他の制度(ここでは刑事手続制度)の変更のため、これと関連し
て改正を考慮したもの、憲法改正との関係が直接的でないものである。ただ、いずれもが憲法改正に伴うも
のないしはその線に沿ったもの、あるいは新憲法に示された思想に通ずるものであるとされ、結局は直接的
ではないにしても、日本国憲法の施行に伴う改正であるとされている(中野次雄『逐條改正刑法の研究』
(昭
23年、良書普及會)1
56頁)。なお、牧野博士も、2
1
1条に重大な過失に関する規定を設けたことは、
「新憲法
と特に關聯するものとはおもわれない」とされる(牧野英一「刑法各則の改正」
『警察研究』
1
8巻11号(昭22
年)9頁)。
(35)なお、重過失致死傷罪が新設された際の法定刑は「三年以下ノ禁錮又ハ千圓以下ノ罰金」であったが、昭和
43年の刑法一部改正の際に「五年以下ノ懲役若クハ禁錮又ハ千圓以下ノ罰金」となり、懲役刑が付された。
さらに平成3年の改正によって罰金が5
0万円以下とされていたが、平成1
8年の改正によって1
0
0万円以下と
引き上げられている。
(36)中野・前掲注(3
4)15
8頁。
(37)團藤重光「刑法の一部改正について」
『法律タイムズ』1
0号(昭23年)6
0頁。
(38)佐藤藤佐「刑法改正法律案の要綱について」
『法律新報』
7
3
4号(昭22年)2
1頁。
(39)安平政吉『改正刑法要義』
(昭22年、法文社)
78頁。なお、安平政吉「刑法の一部改正法案について」
『法學
新報』5
4巻7=8号(昭22年)3
2頁も参照。
1
6
6
したものであると考えられている (40)。したがって、重大な過失の実質的な内容に関してはほとん
ど触れられることがなく、昭和1
6年改正から一歩も出ないものとなっている (41)(42)。
なお、改正刑法草案 (43)においても、現行の重失火罪、重過失激発物破裂罪、重過失致死傷罪に
対応する重失火罪(草案1
8
4条3項)
、重過失による爆発・破裂・放流罪(草案1
7
5条3項)
、重過失致
死傷罪(草案27
2条1項)に加え、重過失浸害罪(草案189条2項)
、重過失による汽車・船舶・航空
機の交通危険・破壊罪(草案1
9
8条2項)
、重過失による飲食物等毒物混入・毒物等の放流罪(草案
211条3項)、重過失建造物破壊罪(草案3
65条)などが規定されている。しかし、改正刑法草案では、
現行法に対応する重大な過失の部分に関しては、主として法定刑が議論の対象となっており、ほと
んど変更は認められない (44)。また、新設された重大な過失に関する規定についても、その内容は
明確にはされていない (45)。
以上で概観してきたように、わが国においては、現行刑法が制定された際に、業務上過失致死傷
罪のみが規定され、昭和1
5年に発表された改正刑法假案の規定を受ける形で、昭和1
6年の一部改正
の際に業務上失火罪に合わせて重失火罪が登場した。そして、昭和2
2年の一部改正で重過失致死傷
罪が規定されて現在に至っている。昭和1
6年の改正において重失火罪が規定されたのは、業務者以
(40)中野・前掲注(3
4)15
8頁。
(41)重大な過失が、過失致死傷の罪に加えられたことに関しては、
「その結果として、今や刑法學でも輕過失と
重過失の區別が解釋論的意義を有することゝなつた」とされるにとどまる(佐伯千仭「改正刑法管見」
『法律
タイムズ』12号(昭23年)18頁)
。
(42)重大な過失の内容に関しては、昭和2
2年改正に関する解説の中でも、ほとんど見ることができない。唯一、
中野博士が、私見によればとされた上で、「
『重大ナル過失』とは、注意を怠る程度の大なる場合、いいかえれ
ば、輕度の注意を以てしても事故發生を防止し得たにかかわらずこれを缺いた場合を指すということができ
るであろう」とされ、その内容を示されている(中野・前掲注(3
4)15
9頁)。
(43)改正刑法草案に先立って公表された改正刑法準備草案においては、現行法に対応する重失火罪、重過失激
発物破裂罪(準備草案19
9条)、重過失致死傷罪(準備草案28
4条)に加え、重過失による出水罪(2
0
7条2項)
、
重過失による汽車・船舶・航空機の破壊罪(準備草案21
5条2項)
、重過失による建造物破壊罪(準備草案3
7
1
条)などが規定されているが、その根拠・内容に関しては、ほとんど触れられることがない。例えば、新設さ
れた重過失による汽車・船舶・航空機の破壊罪に関しても、「本条第二項は、重大な過失による場合も、業務
上の過失による場合と同様に、通常の過失による場合よりも重く罰する旨を、新たに規定したのであるが、
それは、現在わが国における汽車、船舶、航空機等の交通状態の実情に適合することを期したがためである」
(刑法改正準備会『改正刑法準備草案 附 同理由書』
〔久禮田益喜〕
(昭3
6年、大蔵省印刷局)2
35頁)とされる
にとどまる。
(44)法制審議会『改正刑法草案の解説』
(昭4
9年、法務省刑事局)2
1
89頁、27
78頁。なお、板倉博士は、「業務
という概念は、おそろしく拡大されており、重大な過失という概念も不明確である。このような点について
の検討も行われるべきではなかったのではあるまいか。」とされ、「業務」概念、「重大な過失」概念の検討が
なされなかった点を批判されている(板倉宏「第二編第二五章 過失傷害の罪」
『法律時報』
4
7巻5号(昭5
0
年)20
5頁)
。
(45)例えば、草案1
89条2項の業務上および重過失による浸害罪については、
「他の過失犯の場合と同じく、業
務上過失又は重過失による場合の加重規定を設けることとした」
(法制審議会・前掲注(4
4)2
2
1頁)と説明さ
れているにとどまる。
1
6
7
外の者が、業務者と同じ状況において危険物を取扱う場合には、業務者と同じように公共の危険を
生ずる虞があるということが理由とされているから、いわば業務上失火罪の補充的な意味合いが
あったと解することも可能であろう。このことは、昭和2
2年の改正において重過失致死傷罪が規定
された際も同様である。そもそも、先行して規定されていた業務上過失致死傷罪についても、
「刑
法改正政府提案理由書」によれば、「職務ヲ奉シ其他一定ノ業務ニ從事スル者其業務上必要ナル注
意ヲ怠リ爲メニ人ヲ死傷ニ致シタルトキハ前二條ノ場合ニ比シ其情状頗ル重キヲ以テ特別ニ處分ス
(46)
可キコトヲ定メタルナリ」
とされるにとどまり、ほとんど十分な議論がなされないまま成立して
いる。そのような業務上過失致死罪に合わせる形で、以下の立法がなされたことが、業務上過失と
重過失の関係を不明確にし、重大な過失そのものの内容に関しても「いまだ必ずしも定説ともいう
べき見解は固まつていない」(47)状況にあるとされる原因となっているのではないだろうか (48)。少
なくとも、改正刑法假案・改正刑法草案を含めて立法化の段階では、重大な過失に関して十分な手
がかりは示されてはいない。
3.わが国における学説の状況
前述したように、わが国の重大な過失に関する規定は、その内容を画定するための手掛かりに乏
しく、立法化の段階でも十分な議論が尽くされたとは言い難いため、その内容はもっぱら解釈に
よって画定せざるを得ない。しかし、学説上も必ずしも見解が一致しているわけではないのが現状
である。
重大な過失に関して、学説上は、その内容、すなわち重大な過失とはどのようなものであるのか
が争われている。しかし、より詳細に見ると、その中には2つの問題点が含まれている。すなわち、
①重大な過失が通常の過失よりも重く処罰されるのはなぜか、②重大な過失と通常の過失の区別基
準は何か、という点である。この2つは相互に関係し合うものであり、過失の犯罪論体系上の位置
づけ (49)や、過失の本質の議論の影響も受けているため、明確に分けて論ずるのは困難である。以
(46)倉富勇三郎=平沼騏一郎=花井卓蔵監修〔松尾浩也増補解題〕
『増補
刑法沿革綜覧』
(平2年、信山社)
22
02頁。
(47)団藤重光編『注釈刑法⑸』
〔藤木英雄〕再版(改訂)
(昭4
3年、有斐閣)
1
7
8頁、大塚仁=川端博編『新・判例
コンメンタール刑法5』
〔花井哲也〕
(平9年、三省堂)4
3
7頁。
(48)内田博士は、わが国の重大な過失は、
「その制定の由来に関して、かなり特異な意義をもつことになろう。
すなわち、古い型の立法例の導入というかたちをとることになるわけである。しかも、十分の吟味を経ない
ままの導入の可能性すらないわけではないのである」という指摘をされている(内田文昭「プロイセン普通
ラント法の『重過失』とバイエルン刑法典の『重過失』
」福田雅章=名和鐵郎=村井敏邦=篠田公穂編『刑事
法学の総合的検討(上) 福田平=大塚仁博士古稀祝賀』
(平5年、有斐閣)
51
0頁)。
(49)いわゆる新旧過失犯論に関連づけて重大な過失に関する学説を説明するものとして、内藤謙『刑法講義
総
論(下)Ⅰ』
(平3年、有斐閣)1
15
9頁以下、伊東研祐『現代社会と刑法各論 第2版』
(平1
4年、成文堂)
8
6頁以
下参照。内藤教授によれば、
「注意義務の内容についての学説の差異に対応して重過失の理解にも相違が生
1
6
8
下では、2つの問題点を解明することを意識しながら、従来の学説分類に従って議論の状況を明ら
かにしていく (50)。
⑴認識ある過失が重大な過失であると解する見解
(5
1)
瀧川博士は、
「重大な過失というのは明瞭を缺く表現である」
として、
「重大な過失」が不明確
(5
2)
な概念であることを指摘される。その上で、
「重大な過失は認識ある過失をいうのであろうか」
とされ、重大な過失を認識ある過失に限定することによって、明確さを担保する方向を示される。
大野(真)博士も、重過失が構成要件要素である以上、その内容が類型的に明確化される必要が
あり、注意義務違反の程度が著しい場合というだけでは、定型的に客観性に乏しいとされる。そ
の上で、
「重過失をいわゆる認識ある過失に限定すれば、構成要件要素としての範囲は明確化す
る」と主張されるのである (53)(54)。
熊倉教授は、重大なる過失という用語の意味が明確でなく、法も何らその基準を明らかにして
いないと指摘される。そして、
「
『通常の過失』は『認識なき過失』として理解され、それにたいし
ずる」とされる。すなわち、注意義務の内容を予見可能性→予見義務を中心に考える伝統的過失犯論(旧過
失犯論)の基本的立場からは、行為者が結果発生を容易に予見し得た場合、したがって容易に回避し得た場
合に重大な過失を認め、その予見が単に可能であったに過ぎない単純過失に比べて責任非難の程度が高くな
ることが刑加重の理由であると解する。これに対して、注意義務の内容を結果回避義務を中心に考える新過
失犯論の基本的立場では、結果回避義務違反の程度が著しいときが重大な過失であり、刑加重の理由はその
違法性が大きいと言うことになる。「基本的な立場」はこのように説明することが可能であろうが、過失を違
法性・責任の2つの段階に位置づける立場も主張されており、さらに通常の過失と重大な過失の区別基準の
問題もあるため、本稿では、本文のような分類に従って議論を進めていく。
(50)さしあたり参考にしたのは、須々木・前掲注(2)
4
14頁注(一)、藤木英雄『過失犯の理論』
(昭4
4年、有信
堂)1
378頁など。
(51)瀧川幸辰『刑法各論』
(昭2
6年、世界思想社)49頁。
(52)瀧川・前掲注(5
1)50頁。
なお、瀧川博士は、必ずしも「認識ある過失=重大な過失」と解されることを明言されていないが、業務上
過失の加重根拠に関して、「業務者は認識の範圍が廣くまた認識が確實であるから、從つて、結果に對して鋭
く非難せられてよい、というのが業務者に重い刑を科する理由である」
(瀧川・前掲注
(5
1)
5
0頁)とされてい
ることから、認識のあることが責任非難を高め、その分過失責任を重大にすると捉えられていると考えられ
る。また、小野博士に対する批判を見ると、認識の有無によって両者を分けることにより、過失の「客觀性」
(瀧川・前掲注(5
1)5
0頁)が確保できると考えておられるようである(藤木・前掲注(5
0)14
3頁注(4)参照)
。
(53)大野真義=墨谷葵編著『要説 刑法各論[二訂増補版]
』
〔大野真義〕
(平5年、嵯峨野書院)
4
6頁。
(54)小野博士は、
「認識のある過失は、一般に、認識のない過失よりも重い」
(小野清一郎『刑法概論 増訂版』
(昭3
1年、法文社)1
29頁)とされ、森下博士も、「認識のある過失は、重過失と認定される場合が多いであろ
う」
(森下忠『刑法総論』
(平5年、悠々社)1
49頁)とされる。また、内田博士も「さし当たっては、
『認識のあ
る過失』は一般に『重過失』であるというべきであろう」
(内田文昭『刑法概要 上巻』
(平7年、青林書院)
28
9
頁)とされている。いずれの見解も、「認識ある過失=重大な過失」と限定しているわけではないが、行為者
に認識のある場合には重大な過失が認定されやすいことを指摘されている。なお、平場安治=森下忠『判例
体系 刑法各論』
(昭33年、有信堂)2
1
8頁も、「一般的には、認識ある過失は重大な過失といえるであろう」と
しているが、全訂版ではこの記述は見られない(平場安治=森下忠『判例体系 刑法各論〔全訂版〕
』
(昭3
6年、
有信堂)25
9頁参照)。
1
6
9
ては、『認識ある過失』が対応してもちいられ、認識なき過失にくらべて認識ある過失の方が、注
意義務についての義務規範違反性の度合が高く、責任非難の程度が、より大であるといわれてい
る。そうだとすると、本条にいわゆる重大なる過失という語のいみは、右にいう、認識ある過失
のいみと理解すべきであろうか」とされている (55)。
これらの見解の根底には、
「重大な過失」という文言が示す内容が不明確であり、それをどのよ
うにして明確化するかという意識がある。そして、「重大な過失=認識ある過失」、「通常の過失
=認識なき過失」とした方が、規準は明瞭であると考えられているのだと思われる。つまり、こ
れらの見解は、重大な過失の加重根拠ではなく、通常の過失との区別基準を示しているのである。
それでは、重大な過失の加重根拠はどのように考えられているのか。例えば、瀧川博士は、責任
は軽重を附し得る概念であり、それは行為者に対する非難の大小によって定まり、その非難の大
小は構成されるべき反対動機の強弱によって定めるとされる (56)。そして、それを前提として、
認識ある過失は認識なき過失よりも重いものであるとする (57)。つまり、瀧川博士は、責任非難
がとくに重いものが重大な過失であるとされているのである。瀧川博士以外の見解も同様に、過
失の本質論から解明することができるであろう。
⑵責任非難がとくに重い場合が重大な過失であるとする見解
小野博士は、「過失は或る幅をもつた概念である。その重い場合もあり、輕い場合もある。重
(5
8)
いとは道義的非難の大きいことであり、輕いとはその比較的小さいことである」
とし、重大な
過失とは、
「道義的責任の特に重い場合を指すものである」(59)とされる。そして、その判断基準
については、「重大な過失であるかどうかは、けつきよく程度問題であつて、公正な裁判官の判斷
に待つ外ないが、それは單に意識緊張の程度だけではなく、行爲者の能力、行爲者の事實認識の
(6
0)
及んでゐた範圍その他の各般の事情を綜合して判斷しなければならない」
とされている。重大
な過失の例として、小野博士は、
「認識ある過失は認識なき過失よりも重いといへるし、又行爲者
の認識能力、注意能力が大であるにかかはらず、行爲者が無關心な態度であつたために認識しか
なつたというやうな場合」を挙げられている (61)。小野博士は、道義的非難の大きいことが、重大
(55)熊倉武『日本刑法各論
上巻』
(昭4
5年、敬文堂)1
901頁。
(56)瀧川幸辰『犯罪論序説
改訂版』
(昭22年、有斐閣)1
43頁。
(57)瀧川・前掲注(5
6)14
34頁。
(58)小野清一郎『新訂
刑法講義 總論』
(昭2
3年、有斐閣)17
4頁。
(59)小野・前掲注(5
8)17
5頁。なお、香川博士も、重大な過失とは「些細な注意を払うことによって、注意義務
をつくしえたのに、事実は逆にこれを怠り、重い道義的非難を受けるべきばあいである」として、道義的非難
が重いことを重大な過失の加重根拠とされている(香川達夫『刑法講義〔総論〕第3版』
(平7年、成文堂)
25
0頁)
。
(60)小野・前掲注(5
4)12
89頁。
(61)小野・前掲注(5
8)
175頁。さらに、瀧川幸辰=宮内裕=瀧川春雄『刑法(法律學体系コンメンタール篇
1
7
0
な過失の加重根拠であるとされるが、その区別基準に関しては、総合判断によらざるを得ないと
されている。
団藤博士によれば、重大な過失とは、
「違反のいちじるしいばあい、別言すれば、行為者として
きわめてわずかの注意を用いることによって事実を表象することができ、したがってその行為を
せず、事実の発生を回避することができたであろうというばあいである」(62)。そして、団藤博士
は、このように解するのであれば、重大な過失は「具体的な責任の問題であって、定型的な構成要
件の問題ではないことにな」り、そうだとすると、重大な過失は「真正の構成要件要素ではなく、
(6
3)
実は責任要素だと考えなければならないであろう」
とされる。団藤博士は、重大な過失の加重
根拠を責任非難がとくに重いことに求められ、その点では小野博士の見解と軌を一にする。た
だ、重大な過失を責任の要素と解している点で独自性がある。
平野博士は、重大な過失とは、
「過失の程度の高いもの」であり、通常の過失とは程度の差にす
ぎないとされる。その上で、重大な過失にあたる場合を2つに類型化されている。すなわち、結
果発生の可能性が大きいにも関わらず、これを予見しなかった場合と、結果発生の危険性は大き
くないが、精神の弛緩が大きかった場合である (64)。前者については、精神の弛緩が大きかった
ことから、後者については、危険が大きくても、やはり予見ができなかったであろうといえるか
らとして、それぞれの重大な過失を基礎づけている (65)。
内藤教授も、重大な過失とは、注意義務の違反の程度が著しい過失であり、「行為者が結果発生
を容易に予見しえた場合、したがって結果発生を容易に回避しえた場合に重過失を認め、その予
見が単に可能であったにすぎない単純過失に比べて責任非難の程度が高くなることが刑加重の理
由である」とされる (66)。内藤教授によれば、重大な過失と単純な過失との差は、責任の程度の差
であるということになる (67)。そして、内藤教授は、このような一般論を具体化するために、重大
な過失を二つに類型化される。第一の類型は、
「行為から結果が発生する危険性(可能性)が高度
であるとき」である。この場合に重大な過失が認められるのは、「結果発生の危険性が高度であ
9)』
〔宮内裕〕
(昭2
5年、日本評論社)1
5
7頁、263頁、宮内裕『新訂 刑法各論講義』
(昭3
7年、有信堂)3
2頁も
参照。なお、瀧川博士は、小野博士の見解を、注意能力に個人差があることを前提とし、注意能力の高い者
が自己の注意能力を十分発揮しない場合に重大な過失があるとする見解と位置づけられているが(瀧川・前
掲注(5
1)
50頁)
、小野博士は、必ずしも行為者の注意能力のみによって重大な過失を基礎づけようとされて
いるわけではない。
(62)団藤重光『刑法綱要総論
第3版』
(平2年、創文社)3
46頁。
(63)団藤・前掲注(6
2)34
7頁。ただし、団藤博士は、この点に関しては、「なお疑問を留保する」
(団藤・前掲
注(62)
34
7頁)とされている。
(64)平野龍一『刑法概説』
(昭5
2年、東京大学出版会)8
9頁。
(65)同様の見解に立つものとして、町野朔『刑法総論講義案Ⅰ〔第2版〕
』
(平7年、信山社)
26
57頁、堀内捷三
『刑法総論[第2版]』
(平1
6年、有斐閣)13
67頁、西田・前掲注(1
5)5
9頁など。
(66)内藤・前掲注(4
9)11
5
9頁。
(67)内藤・前掲注(4
9)11
5
960頁。
1
7
1
れば、その危険性について知識も経験もなったという特別な事情がない限り、行為者も結果を容
易に予見しうるから、それにもかかわらず結果を予見しなかったときは、意思の緊張の弛緩が大
きく、それだけ注意義務違反の程度が著しいと認めることができる」からであるとされる (68)。
第二の類型は、「行為から結果が発生する危険性が第一類型ほどに高度でなくとも、行為者の責
任に関する具体的事情(たとえば酩酊状態)からして結果発生を容易に予見しうるのに予見せず
に行為に出て、結果を発生させたとき」である。この場合は、
「意思の緊張の弛緩が大きく、それ
だけ注意義務違反の程度が著しいとして重過失を認めることができる」とされている (69)。
平野博士・内藤教授の見解の特徴は、「精神の弛緩」
「意思の緊張の弛緩」の重大性を重大な過
失の本質的要素と解している点にある (70)。そして、
「行為から結果が発生する危険性(可能性)
が高度であるとき」
「行為から結果が発生する危険性が第一類型ほどに高度でなくとも、行為者の
責任に関する具体的事情(たとえば酩酊状態)からして結果発生を容易に予見しうるのに予見せ
ずに行為に出て、結果を発生させたとき」の二つに重大な過失を類型化することを試みられてい
る点も特徴と言い得るであろう。
山口教授は、「重い過失である重過失とは、構成要件該当事実の認識・予見可能性の程度がよ
り高く、それを認識・予見することがより容易な(それにもかかわらず、認識・予見を欠いた、よ
り不注意な)心理状態をいうことになる」とされる。そして、
「それは、結果を回避しようとする
意思を前提にしたとき、通常の過失の場合に比べて、それが容易であるのにそれを怠っている心
理状態にほかならない」とされるのである (71)。これは、平野博士・内藤教授が示される第一類
型に対応するものである。そして、平野博士・内藤教授の挙げられる第二類型については、
「酩
酊等により、注意能力が減退する場合には、結果を予見して回避することが困難になることが容
易に予測されるから、この意味では、予見可能性の程度が大きくなり、この意味で重過失を構成
(72)
するに至るともいえる」
とされ、平野博士・内藤教授のように「精神の弛緩」
「意思の緊張の弛
緩」というところに重大な過失の本質を見出していない。あくまでも予見可能性の程度と、それ
によって予見がより容易であったことに、重大な過失の加重根拠が求められることになる。この
点では、山口教授の見解は、平野博士・内藤教授の見解とは異なることになる (73)。
(68)内藤・前掲注(4
9)11
6
0頁。
(69)内藤・前掲注(4
9)11
6
1頁。
(70)この点に関して、旧過失犯論の見地から、予見可能性と精神弛緩の関係について検討したものとして、日
下和人「過失における予見可能性と精神弛緩―重過失概念を手がかりにして―」
『早稲田法学会誌』
5
8巻1号
(平19年)
15
7頁以下。
(71)山口厚『刑法各論[補訂版]
』
(平1
7年、有斐閣)66頁。
(72)山口・前掲注(7
1)66頁。
(73)なお、山口教授は、平野博士・内藤教授の第二類型の理解については、
「行為者に対する特別予防の必要性
の高さが刑の加重要因となるとする考え方を前提とすることになろう」と指摘されている(山口・前掲注
(71)6
6頁)
。
1
7
2
中山博士は、重大な過失について、
「客観的行為の危険性とそれに気づかない主観的不注意の
程度のいずれもが高い場合が予定されている」とされる (74)。ただ、ここでの「客観的行為の危険
性」
、すなわち結果および危険の重大性は、前提的に考慮されているにすぎず、
「実体は注意義務
(75)
違反の重大性にある」
ことになる。この中山博士の見解について、神山教授は、以下のように
解説される。すなわち、結果無価値論に立脚した場合、同一種類の同一量の法益侵害は、故意行
為であろうと過失行為であろうと違法性においては同じであり、責任において両者に差が出てく
るのは、結果侵害に至る危険性の大きさと、それに対する認識の程度に差があることに起因して
いる。そのことは過失によって同一の結果を惹起した場合にも同様であり、その結果に至る危険
性の大小と認識の程度によって非難の程度に差が出てくることになるとされるのである。このよ
うな分析を加えた上で、神山教授は、中山博士の見解を妥当であると評価されている (76)。中山
博士・神山教授の見解は、客観的な行為の危険性が「前提」であるとしながら、それは重大な過失
の本質ではなく、あくまでも重大な過失は注意義務違反の重大性、すなわち責任非難の重大性に
加重根拠を求められている点に特徴があるように思われる。
責任非難の程度の高いことが重大な過失の加重根拠であるとする見解は、「精神の弛緩」の重
大性ないしは予見可能性の程度と、予見の容易性にその実質的な根拠を求めることになる。ま
た、どのような場合が重大な過失にあたるかについては、具体的な事案ごとに定まることになる
ため、規範的な基準が示されるにとどまっている。その中でも、平野博士・内藤教授が示されて
いる2つの類型は、その根拠も含めて検討に値するものと言えよう。
⑶結果発生の危険性をとくに高めた場合が重大な過失であるとする見解
藤木博士によれば、
「重大な過失とは、注意義務違反の事態の違法性がとくに強度である場合
(77)
をいう」
。そして、
「行為の違法性を左右するのは、もちろん発生した結果の法益侵害性ではな
く、当該結果発生に至る過程の態様、すなわち行為者が遵守を怠った注意義務の性質内容と注意
義務の基準から逸脱する程度であ」り、その注意義務の内容は、
「行為そのもののもつ定型的な危
険性、および当該行為のなされる具体的な情況に応じて規定されるものであり、この二つの要素
が相俟ってその注意義務の違反が重大かどうかを決定することになるのである」とされる (78)。
藤木博士は、英米法における重大な過失の議論を参考にしながら、従来の、重大な過失を主とし
て責任論の問題とする見解を批判的に検討され、重大な過失と通常の過失の区別を違法性の強さ
の問題とされた。このような見解を前提として、藤木博士は、重失火罪と重過失致死罪が適用さ
(74)中山研一『刑法総論』
(昭5
7年、成文堂)3
78頁。
(75)中山研一『概説刑法Ⅱ[第4版]
』
(平17年、成文堂)
48頁。
(76)大塚=河上=佐藤=古田編〔神山〕
・前掲注(1)3
6
0頁。
(77)藤木英雄『刑法講義 総論』
(昭5
0年、弘文堂)2
53頁。
(78)藤木・前掲注(5
0)13
9頁。
1
7
3
れるそれぞれの場合について、重過失が認められるべき一定の指針を示されている。すなわち、
重失火罪に関しては、「発火した際に重大な結果を招く蓋然性が大であるか、あるいは発火した
際に、公共の危険を生ずべき物件に延焼する蓋然性が大であつて、とくに慎重な態度をとること
(7
9)
が要請される事情にあるのに、必要な慎重さを欠いたという場合」
に重過失が認められるとさ
れる。これに対して、重過失致死罪に関しては、
「死傷の原因となる行為が、一般に、一歩誤れば
重大な結果を招くおそれを多分に包含した性質のものであることがわかつており、当該行為をす
る者に対してとくに慎重な態度を期待される性質のものであるか、あるいは、当該具体的な事情
の下では、その行為が甚だ危険であることが容易に察知でき、とくに慎重な態度を要求される場
合であることが」(80)重大な過失の要件として挙げられなければならないとされるのである。
藤木博士と同様に、井上博士も、重大な過失の加重根拠を、違法性に求められる。井上博士は、
業務上過失と重大な過失は重複するのではないかという問題意識から、判例理論における業務上
過失の内容を検討され、重大な過失の内実を明らかにされようとしている。井上博士によれば、
重大な過失は、「第一に行為じたいが定型的にかなり危険なばあいの過失」であるとされる。そ
して、「第二に、これまで業務過失にふくませなかつたものでも、ばあいによつては重大な過失と
して刑を加重する結果となることもある」(81)。その上で、その二つの類型を含む重大な過失とは、
「客観的にみて、結果発生の危険性が大き」い場合であるとされる (82)。それは、客観的に結果発
生の危険性の大きい場合には、「そういう結果を避けるためにわずかな注意で足りたかどうかを
問題にする前に、普通なら容易に予見しうる結果を発生させたことに、直接より大なる非難を求
めるべきである」(83)として、それは違法性の判断であるとする。そして、「すでに違法性の大小
に過失の軽重を求めうるのであれば、わざわざ持って回って、責任性の軽重にその根拠を求める
必要はない」とされるのである (84)。
須々木教授は、「結果的事態」
「行為の客観面」
「行為の主観面」を通して、とくに重大な過失の
法定刑が重い理由について検討を加えられている。まず、
「結果的事態」については、その重大さ
を生の形で重大な過失と通常の過失を区別するメルクマールとしては採り得ないとされている。
それの根拠は以下の3つに集約される。すなわち、①条文そのものが「重大な過失によるときは」
「重大な過失により」として「過失」が重大であることのみを語っており、結果的事態の重大さに
ついて直接触れていない。②過失傷害に着目した場合、その重大な結果的事態は致死と言うこと
になり、そうだとすれば過失致死はすべて重過失になるはずであるが、現行法は、過失致死につ
(79)団藤重光編『注釈刑法⑶』
〔藤木英雄〕
(昭40年、有斐閣)
1
9
4頁。
(80)団藤編〔藤木〕
・前掲注(47)1
78頁。
(81)井上正治『判例にあらわれた過失犯の理論』
(昭43年、酒井書店)
3
06頁。
(82)井上・前掲注(8
1)30
9頁。なお、井上正治=江藤孝『新訂
照。
(83)井上・前掲注(8
1)30
7頁。
(84)井上・前掲注(8
1)30
7頁。
1
7
4
刑法学〔各則〕
』
(平6年、法律文化社)
3
7頁も参
いても通常の過失と重大な過失を区別しているから、そこでは結果的事態以外のものを目安にし
て「重」過失を考えている。③結果的事態の重大さを生の形で刑の重さに反映させることは、結
果責任主義的思考に属する論理である (85)。次に、須々木教授は、
「行為の客観面」を「結果発生
の危険性」と「招来すべき結果的事態の重大さ」の2つの方面から、以下のように検討される。す
なわち、前者については、過失犯には挙動犯も存在するため、これを重大な過失の本質的要素と
することは断念せざるを得ないが、過失犯に対する評価を生む一つの要因として考慮に入れるべ
きことは否定し難い。後者については、挙動犯を含むことに支障はなく、また可能性は可能性で
あって現実性ではないから、発生した結果的事態の重大さを排斥した趣旨を蔑ろにするものでも
ない。したがって、これを重大な過失と通常の過失を区別する標識とすることにすべきである
が、そこには結果発生の危険性も併せて論ずる必要があるとするのである(86)。そして、行為の客
観的側面から見た場合に重大な過失と通常の過失とを区別する標識は、「重大な結果的事態を出
現せしめる危険が大きいこと」であるとされている(87)。最後に須々木教授は「行為の主観面」を
検討されて(88)、最終的には、「重過失の要点は、行為にたいする評価としての違法性の領域にま
ずもつて求められるべく、行為者にかかわる責任の程度のことは、さしあたりここに持ち出すべ
きではないと考える」とされている(89)。須々木教授が考える重大な過失とは、「過失のなかで
も、行為者のとるべきであつた態度と現実に行為者がとつた態度とのあいだの距離ないしへだた
りが著しい場合であり、具体的判断としては、その態度が個々の具体的状況のなかにあつてきわ
めて不適切であつたことになり、そのことの評価は、その行為が重大な結果的事態を出現せしめ
る危険の大きい場合には類型的なかたちで為されうるもの」である(90)。須々木教授の見解の特
徴は、過失の重大性を基礎づけるのは違法性であるとされる点、そしてそれを前提にしつつも結
果の重大性を明確に否定された上で、
「重大な結果的事態を出現せしめる危険性が大きいこと」
を重大な過失と通常の過失の区別基準のメルクマールとされる点にある。
福田博士も、重大な過失とは、
「軽微な過失に対して、注意違反の程度のいちじるしいばあいを
いう」(91)とした上で、「客観的注意義務違反を違法要素と解する立場からは、義務違反の程度が
いちじるしいということは、社会的相当性からの逸脱の程度がはなはだしいことであり、その違
法性が大であるということになるから、注意義務違反の程度のいちじるしい過失としての重大な
(9
2)
過失は、通常の過失と比べ、
その違法性が大きいものと解すべきであろう」
とされる。これま
(85)須々木・前掲注(2)
4
1920頁。
(86)須々木・前掲注(2)
4
20頁以下。
(87)須々木・前掲注(2)
4
23頁。
(88)須々木・前掲注(2)
4
25頁以下。
(89)須々木・前掲注(2)
4
35頁。
(90)須々木・前掲注(2)
4
50頁。
(91)福田平『全訂
刑法総論〔第4版〕』
(平16年、有斐閣)
13
6頁。
(92)団藤編〔福田〕
・前掲注(1)3
95頁。
1
7
5
での見解が、結果発生の危険性が重大であったことにウェートが置かれているのに対して、福田
博士の見解は、義務違反性の程度が著しいという点にウェートが置かれている点に特徴があるよ
うに思われる (93)。
西原博士は、重大な過失の内容については、些細な注意を払うことによって、注意義務を尽く
しえたのにこれを怠った場合をいうとする見解と、重大な被害を惹起する不注意な行動をした場
合であるとする見解が対立していると分析される。そして、
「通常の不注意でも、その不注意な
行動が元来それから多数の被害者が出る可能性があるものであった場合には、重大な過失といい
うるであろうし、人ひとりを死傷に致した場合でも、免許のある業務者しかしえない行動をそれ
のない者が行った結果であるというような場合には、やはり重大な過失といいうるであろう」と
した上で、両者は総合する必要があるとされる (94)。
澤登教授は、通常の過失と重大な過失は、違法性の程度の違いであり、重大な過失は違法性が
強いがゆえに通常の過失より重く処罰されるとされる。その上で、重大な過失の判断基準を示さ
れている。すなわち、「
(一)課せられた注意義務の内容が遵守の比較的容易なものであったか否
か(不安感にもとづき結果予防措置をとることが容易だったか否か)
、(二)注意義務違反の数は
多かったか否か(危険の現実化までに、なんども不安感を感じ、したがってなんども予防措置を
とる機会があったか否か)
」を総合して重過失か否かを決めるのである (95)。
重大な過失の加重根拠について、違法性が高度であることが、過失の重大性を基礎づけるとす
る見解においては、注意義務違反の程度が著しいことが違法性を高めるとする立場と、結果発生
の危険性がより高度であることとする立場に大きく分けることができ、その2つの場合のいずれ
もが重大な過失の加重根拠となるとする見解も主張されている。また、発生した結果の重大性に
関しては、これまで見てきた見解はいずれも、重大な過失の加重根拠とは考えていないようであ
るが、重大な過失を違法性の問題とする以上は、理論的には加重根拠となり得る可能性はあるで
あろう。
また、重大な過失と通常の過失の区別基準に関しては、
「義務違反の程度がいちじるしいとい
(93)同様の見解に立つものとして、木村龜二(阿部純二増補)
『刑法総論〔増補版〕
』
(昭5
3年、有斐閣)
2
5
0頁、阿
部純二『刑法総論』
(平9年、日本評論社)1
26頁など。
(94)西原春夫『刑法総論
改訂版〔上巻〕』
(平5年、成文堂)2
13頁、同『犯罪各論 訂補準備版』
(平3年、成文堂)
2
1頁。同様の見解に立つものとして、齊藤信宰『新版 刑法講義〔総論〕』
(平1
9年、成文堂)
1
92頁。なお、西
原博士が、重大な結果発生の危険性を考慮されるのに対して、齊藤教授は、
「発生した結果」を考慮の対象と
されている。その点では、若干の相違が見られる。
(95)澤登俊雄『刑法概論』
(昭5
1年、法律文化社)15
1頁。なお、柏木教授も、
「
『重大』とは注意義務に違反する
程度が大きいことである」とし、「通常、僅かな注意で危険性の事実を予見し結果を回避することができたで
あろうという場合が考えられている」とされる。ただ、柏木教授は、そのような通常の場合のほかに、「予
見・回避の機会を多く徒過した場合、すなわち不注意の累積性の大きいこともこれに当たるであろう」とさ
れており、澤登教授と同様に不注意の数(累積性)についても重大な過失の認定の際には考慮に入れられて
いる(柏木千秋『刑法総論』
(昭5
7年、有斐閣)24
5頁)
。
1
7
6
うこと」
「重大な結果的事態を出現せしめる危険性が大きいこと」という規範的基準が示されてい
るが、その中で、注意義務遵守の容易性と注意義務違反の数を総合的に考察するとされる澤登教
授の見解は特徴的なものである。
⑷高度の結果発生の危険と責任非難が重大な過失を基礎づけるとする見解
内田博士は、重大な過失の構成要件は、
「違法性と有責性が、単純過失にくらべて重い場合を予
想して、構成要件が定立されたものと考えられる」とした上で、
「法益侵害・危殆化が重大である
ことを前提として、いわゆる客観的注意義務違反と主観的注意義務違反の程度がともに大なる場
合を予定した指導形象」であるとされる (96)。すなわち、まず、違法性の面では、発生した結果が
重大であることを前提として、客観的注意義務違反の程度の著しいことが、そして、有責性の面
で、主観的注意義務違反の重大さが要求される。前者は、
「当該結果の発生が認識される場合、な
いしは、一義的に認識可能な場合に、当然に要請される結果防止措置を講ぜず、あるいは、結果
を認識して防止措置を講じる努力をおよそ払わないとき」であり、後者は、
「行為者個人の能力に
照らして、容易に結果が予見でき、したがって、容易にこれを回避できるのに、なんらその努力
を払わない場合、ないしは、本人自身が認識した結果につき、回避措置をなんら講じない場合」で
あるとされるのである (97)。内田博士の見解は、客観的注意義務違反の程度が著しいことが違法
性を高め、主観的注意義務違反の程度の重大さが責任非難を高めるとされて、違法性・責任の両
面で過失の重大性を基礎づけようとされる点、そして、それらの違反の重大性の前提として、法
益侵害・危殆化の重大性を前提とされる点に特徴がある。とりわけ後者に関しては、多数の死者
が出たというような、結果発生の重大性を考慮される点が、他の見解と大きく異なる (98)。
荘子博士も、重大な過失の加重処罰根拠を違法性と責任の両面から捉えられる。すなわち、
「結果発生を防止すべき義務を負う者が、結果発生を容易に予見し得たにもかかわらず予見しな
かった場合、および、結果発生を容易に阻止し得たにもかかわらず阻止の努力を傾けなかった場
合、換言すれば、極めて僅かな注意によって予見し回避し得た場合に、通常の場合と比較して違
法の程度および責任の非難の程度が高められ、重い責任が問われる」(99)のである。そして、「こ
の過失責任の重大性に関する判断は、その時の具体的状況のもとで客観的・一般的に容易に予見
し得たか、容易に回避し得たか否かという点につき、具体的行為者の具体的能力なども合わせて
(96)内田文昭『改訂刑法Ⅰ(総論)
〔補正版〕』
(平14年、青林書院)
1
27頁。
(97)内田文昭『刑法各論〔第3版〕
』
(平8年、青林書院)63頁。同様の見解として、斉藤誠二編著『改訂
刑法各
論』
〔山火正則〕
(昭6
3年、八千代出版)53頁など。
(98)この点に関して、内田博士は、結果の重大さのみに目を奪われてはならないが、逆に、結果が重大でない
場合に重大な過失を肯定することも妥当ではないとされる(内田・前掲注(9
7)6
4頁注(1))
。なお、大野
(平)博士も、「不注意がいちじるしい場合というだけでなく、その法益侵害が重大な場合であるというべき
である」とされている(大野平吉『概説犯罪総論 上巻〈補訂版〉
』
(平6年、酒井書店)
22
6頁)。
(99)荘子邦雄『刑法総論〔第3版〕
』
(平8年、青林書院)19
7頁。
1
7
7
(100)
吟味して綜合的に検討すべき」
ことになる。荘子博士は、違法性・責任の両面で過失の重大性
を基礎づけると同時に、重大な過失にあたる場合を「結果発生を防止すべき義務を負う者が、結
果発生を容易に予見し得たにもかかわらず予見しなかった場合」と「結果発生を容易に阻止し得
たにもかかわらず阻止の努力を傾けなかった場合」に類型化されている (101)。この点が、荘子博
士の見解の特徴である。
川崎教授によれば、
「重大な過失は、少しの注意を尽くすことによって結果回避が容易である
のに結果回避措置をとらないで結果を発生させた場合」である。そして、「重大な過失が普通過
失に比して加重処罰される理由は、結果回避の容易性に求められるべきである。重大な過失によ
る行為は、少しの注意を払えば結果を回避することができるのに、その注意を尽くさず漫然と行
われた注意義務違反の程度の高い行為である。その行為は高い行為無価値性を有する行為であ
り、その点で違法性の高い行為である」とされる (102)。それでは、結果無価値性については、どの
ように考えるのであろうか。川崎教授は、
「結果回避が容易でないのに、発生した結果が重大で
あるというだけで重大な過失を認めることは結果責任の思想に通じるものであるから、そのよう
な場合には重大な過失を認めるべきではないであろう」とされる(103)。このように、川崎教授の
見解は、まず違法性の段階において、行為無価値性の高さのみをもって過失の重大性を基礎づけ
られるところに特徴がある。さらに、川崎教授は、
「重大な過失は、違法性の程度だけでなく、責
任の程度においても重大である。結果回避の容易性を基礎づけている状況を認識しているにもか
かわらず結果回避の措置を尽くさなかったことが行為者の責任を重大なものとしていると考えら
れるからである」とされる(104)。このようにして、高度の行為無価値性を基礎とした違法性の重
大性と責任の重大性によって、重大な過失の加重根拠を示そうとするのが、川崎教授の見解であ
る。
なお、高木判事は、多数説・判例が示すとされる「高度の注意義務に違反する場合、いいかえれ
ば、僅かの注意を払えば事実を認識することができ、結果の発生を回避できたという場合であつ
たにも拘らず、
かかる注意義務を怠つたことにより事故が惹起された場合」
という定義について、
「なんら異論はないが、さらにつけ加えるならば、重大な過失が通常の過失の場合に比し特に重く
罰せられる以上、それはまず何よりも、行為自体の中に重大な危険を招来する危険性を多分には
らんでおり、かつ、
そのことが容易に察知できるがゆえに特に慎重な態度がのぞまれるような性質
(100)荘子・前掲注(9
9)19
7頁。
(101)なお、荘子邦雄『刑法総論』
(昭4
4年、青林書院新社)2
9
56頁、同「重過失による失火と延焼罪」平野龍一=
福田平=大塚仁編『判例演習 刑法各論〔増補版〕』
(昭4
4年、有斐閣)
9
56頁も参照。
(102)川崎一夫『刑法各論〔増訂版〕
』
(平16年、青林書院)
49頁。
(103)川崎・前掲注(1
02)
49頁。なお、植松博士も、「『重大ナル過失』とは、結果の重大性を意味するのではな
く、過失の大きさつまり不注意の程度の大きいことを言うのである」とされて、結果の重大性は重大な過失
を基礎づけるものではないとされている(植松正『再訂 刑法概論Ⅱ各論』
(昭5
0年、勁草書房)
2
7
1頁)。
(104)川崎・前掲注(1
02)4
9頁。
1
7
8
のものでなければならない」として、行為の危険性も重過失の要件に加えるべきことを主張され
る (105)。そして、重大な過失と通常の過失を区別する基準としては、「(一)行為自体が重大な結
果惹起の危険性が大きいものであること」
「
(二)わずかの注意で結果の発生を回避できる場合で
あること」
「(三)通常人であれば、容易にそのような行為には出ないであろうと期待されるよう
な性質のものであること」の3つが要件となるとされ、最終的には、具体的事案ごとに3要件を
吟味する以外にないとされている (106)。
重大な過失の加重根拠を違法性・責任の両面で捉える見解は、もちろん過失の犯罪論体系上の
位置づけが影響していることは否めないが、やはり違法性あるいは責任だけでは十分な説明がつ
かないと考えているものと思われる (107)。また、重大な過失と通常の過失の区別基準に関して
は、高木判事が、実務的観点から示した基準は大いに参考になりうるものと思われる。
4.わが国における判例の状況
次に、わが国の判例の状況を見ていくことにする (108)。前述したように、重過失致死傷罪に関し
(105)高木典雄『自動車における業務上(重)過失致死傷事件における過失の認定について』
(昭4
5年、法曹会)
256頁。
(106)高木・前掲注(1
05)2
6頁。なお、高木判事は過失の犯罪論体系上の位置づけを明確には示されていない
が、注意義務違反に加えて行為の危険性も要件としていることから、この分類に含めた。
(107)さらに、違法性・責任の両面で過失の重大性を基礎づけようとする見解として、大塚博士、大谷教授の見
解などを挙げることができる。
大塚博士は、重大な過失とは、「通常の過失に対して、行為者の注意義務に違反した程度が著しい場合を意
味する。すなわち、行為者が、些細な注意を払うことによって注意義務を尽くすことができたのに、これを
怠って注意義務に違反し、重い刑法的評価を加えられるべき場合であり、その違法性も、責任も重い」とされ
ている(大塚仁『刑法概説(総論)
〔第4版〕』
(平2
0年、有斐閣)
2
18頁)。大塚博士も、本質的には、重大な過
失の加重根拠は違法性・責任の重大性であると解されている。ただし、大塚博士は、
「構成要件に類型化さ
れているかぎりでは、客観的、定型的な意味が付与されるべきであり、通常、結果の発生する可能性が大き
い事態において、注意義務の違反があるばあいにこれをもとめうるであろう。
」とされて、構成要件に類型化
されている重失火罪および重過失致死傷罪に関しては、違法性の問題とされているようである(大塚仁「過
失犯における注意義務」日本刑法学会編『刑法講座 第3巻』
(昭3
8年、有斐閣)
1
5
0頁、同『刑法概説(各論)
〔第3版増補版〕』
(平17年、有斐閣)4
8頁)。同様に解する見解として、佐久間修『刑法各論』
(平1
8年、成文
堂)75頁。
大谷教授は、
「わずかな注意、きわめて軽度の注意を払うことによって結果が予見でき(予見可能性)
、か
つ、結果の発生を容易に回避することができるとき(回避可能性)、または、故意の立証はできないが、それ
に近接するような無謀なものであるときに重大な過失となる」とされている。そして、重大な過失の加重根
拠については、
「単純過失のうち特に違法性の程度が大きく、責任が重い場合を類型化して法定刑を引き上
げたものである」とされている(大谷實『刑法講義各論 新版第2版』
(平1
9年、成文堂)
5
6頁)。
(108)重大な過失に関する判例については、福山道義「業務上過失と重過失」阿部純二=板倉宏=内田文昭=香
川達夫=川端博=曽根威彦編『刑法基本講座 第2巻』
(平6年、法学書院)
21
9頁以下、大塚仁=河上和雄=
佐藤文哉=古田佑紀編『大コンメンタール刑法 第2版 第7巻』
〔川上拓一〕
(平1
2年、青林書院)
1
28頁以下、
同編『大コンメンタール刑法 第2版 第11巻』
〔村上尚文〕
(平1
4年、青林書院)
12
1頁以下など参照。
1
7
9
ては、判例が業務上過失致死傷罪の「業務」の意味を広く解しているため、適用される余地が狭く、
公刊物に登載された判例は、業務上過失致死傷罪と比較したときに、それほど多いものではない。
また、重失火罪に関しては、刑法典に設けられてから比較的歴史が浅いため、こちらも公刊物に登
載された判例は必ずしも多いとは言えない (109)。
以下では、まず最高裁判例に現れた重大な過失概念を概観し、その上で、下級審の判例について
も考察を加える。
⑴最高裁判例
重大な過失について触れている最高裁判例として確認できた主なものは、重失火罪に関する判
例2件と重過失致死傷罪に関する判例1件の計3件である (110)。いずれも重大な過失が認められ
ている。まずは、重失火罪が問われた2つの判例を、そして続いて重過失致死傷罪の成否が争わ
れた判例を見ていくことにする。
最判昭23・6・8 (111)は、重失火罪の成否が争われた事案である。すなわち、被告人は、盛夏
晴天の日、ガソリンが旺に揮発していた給油場内で、ガソリン罐から1尺5寸ないしは2尺の場
所でライターに点火し、それによって火災を生じさせたというものである。最高裁は、以上の事
実認定を前提とした上で、「而も被告人は、かような場合に当然に為すべきであつた火気取扱上
の注意を怠つてライターの発火を敢えてしたのであるから、重過失失火の責を免れない」として、
被告人に重大な過失を認めている。さらに、被告人はライターを取り落としたに過ぎず、それを
重大な過失とするのは甚だ過酷な判断であるとする弁護人の上告趣意に対しては、「たとえ、論
旨の云うような事情で、被告人がライターを取落した為め火災を生じたものとしても、全部がガ
ソリンで濡れているライターに前記のような場所で点火すること自体が既に大なる不注意であ
る」として、これを退けている。
(109)大塚=河上=佐藤=古田編〔川上〕
・前掲注(10
8)1
29頁。
(110)最判昭3
7・3・1裁判集刑14
1号377頁も重過失致死傷罪が認められた判例であるが、重大な過失に関して
はほとんど触れていないので、さしあたり、ここでは検討の対象からは外すことにする。参考までに、事実
の概要および判旨を示しておく。本件事案は、放火した被告人が、2階で寝ていた被害者に対してなんら救
助措置を講ぜず、その結果、被害者を死に至らしめたというものであり、被害者死亡の結果に対して、被告
人に重過失致死罪が問われている。本件では、弁護人が、上告趣意で注意義務違反の存否を争っていたこと
もあり、最高裁は、注意義務の内容のみについてしか判断を示していない。すなわち、原判決の判示した「被
告人は燃えている物に蒲団、砂をかける等臨機の措置をとつて火勢が拡大し被害が他に及ばないよう沈着適
切な行動をとるとともに、当時二階に寝ていたAに対し可及的速やかに火災の急を告げて同女を屋外に避難
させ、或いは他人に救助を頼む等あらゆる方法をこうじ、もつてAの救助に最善を傾ける注意義務」を前提
として、「被告人の右注意義務は、原判決の是認した第一審判決の確定した事実関係の下においては、一般通
常人の注意を払うことにより、よく罪となるべき事実を認識しうべき程度の注意義務と解するを相当とし、
また、その注意義務を果たすことが期待不可能であつたとは認められない」として、被告人の過失を認定し
ているのである。
(111)裁判集刑2号3
29頁。
1
8
0
最決昭34・5・1
5(112)は、重失火罪の成立を認めた決定であり、事案は以下のようなものであ
る。すなわち、タンカーの甲板長である被告人は、バラスト排水口のバルブを開きバラストを船
外に排出した後、バルブを十分に締めないまま入港し、ガソリンを荷揚げする際にバラスト排水
口のバルブが緊閉されていることを十分に確認しないままポンプを始動させ、ガソリン約7
0㎘を
海中に流出させた。そして、被告人は、これを知ったにも関わらず、上司に報告して附近の船舶
に火気を使用しないように警告を発する等の措置を怠った結果、停泊中の他の船の船員が海中に
捨てた夕食炊さんの残り火が浮流中のガソリンに引火して船舶計7隻を全半焼させたというもの
である。重大な過失の内容それ自体について、最高裁は判断を示していない。ただ、最高裁が是
認する原判決 (113)は、被告人の重大な過失の内容について触れ、
「叙上の本件発生に至るまでの
経過に徴すると前記さらえポンプの船外弁を不完全閉鎖のまま放任していたこと、揚荷のための
ポンプ始動を開始した後も右不完全閉鎖のままであつたことに気が付かなかつたこと、始動開始
後僅か二、三分間位だけバラスト排水口等の点検をなしたに止まりその後十分の開始を為さなか
つたこと、ガソリン放流の事実を知つた後にその事を直ちに上司に報告して適宜の措置を講ぜし
めなかつたこと、以上何れも被告人が甲板長たる職責を尽くさなかつたという重大な過失を犯
し、よつて本件火災発生につき主要な原因を与えたものと認めるの外はない」としている。
最決昭29・4・1 (114)は、飲酒酩酊の上、友人の自動三輪車を無免許で操縦運転して、祭礼の
ために雑踏し、かつ「ヤブサメ」競技中の事故現場にあえて乗り入れ、前方より馬に乗って進んで
きた「ヤブサメ」競技中の被害者に気づかず、至近距離になって初めて気づき慌てて急停車しよ
うとしたが間に合わず、被害者に衝突して加療2ヶ月を要する傷害を負わせたという事案に対し
て、重過失致傷罪の成否が問われたものである。最高裁は、
「原判決は被告人が無免許で自動三
輪車を運転したこと、飲酒酩酊の上でこれを運転したこと、人の雑踏する場所に同車を乗入れた
こと…及び前方注視義務を怠つたことをもつて、重過失としていることが判文上明らかである」
として、重過失致傷罪の成立を認めた原判決を是認している。
最高裁は、重大な過失概念そのものについては何も触れていないため、個々の事案の分析から、
最高裁が重大な過失を認めるいくつかのポイントを指摘してみる。もちろん、わずか3つの判例
の分析では十分な検討結果は得られないが、ここで示されているポイントを手がかりに、次の下
級審判例の検討に移っていきたい。
まず、昭和23年判決については、最高裁が重大な過失を認めた要因は、
「盛夏晴天の日、ガソリ
ンが旺んに揮発していた給油場内」というきわめて危険な場所で火気を取扱ったことにあると思
われる。これに対して、同様に重失火罪に問われた昭和3
4年決定では、火災が生じた直接の原因
(112)刑集1
3巻5号713頁。なお、本決定については、栗田正「重過失失火罪における他人の過失の存在と重過失
者の罪責」
『最高裁判所判例解説 刑事篇 昭和34年度』
(昭3
5年、法曹会)
1
75頁以下を参照。
(113)福岡高宮崎支判昭3
1・12・2
6刑集13巻5号7
44頁。
(114)裁判集刑9
4号4
9頁。
1
8
1
が被告人の行為ではないが、やはり大量のガソリンが海面に浮流しているという重大な結果を生
じかねない状況の存在が重大な過失を基礎づけていると解することが可能であろう。なお、本決
定の原審の判決では、いくつかの被告人の行為が「何れも被告人が甲板長たる職責を尽くさなか
つたという重大な過失」に当たるとしているため、一つ一つの過失行為がそれぞれ重大な過失と
捉えられていると解することもできる。これは、作出された状況がきわめて危険なものであり、
その状況を作出した原因が被告人のそれぞれの行為に起因しているからであると思われる。た
だ、この点に関しては、複数の過失が相俟って重大な過失を構成することも考え得る。そのよう
な判断を示したのが、昭和2
9年決定である。この決定においては、無免許運転、酩酊運転、人の
雑踏する場への乗り入れ、前方不注視という過失が相俟って重大な過失となることを示してい
る。ただし、この場合も、祭礼のために人が雑踏している場所に乗り入れているため、十分に重
大な危険性を生ずる状況にあったとも言い得る。また、加療2ヶ月の傷害に止まった場合につい
ても重大な過失を認めていることから、少なくとも結果の重大性は、必ずしも重大な過失を認定
する重要なファクターとは考えられていないものと思われる。
榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎(未完)
1
8
2
行政の危険防止責任と作為義務成立の時期(1)
~薬害C型肝炎訴訟判決を素材として~
日 野 辰 哉
Ⅰ.問題提起
Ⅱ.薬害C型肝炎訴訟地裁判決の検討
Ⅲ.行政の危険防止責任についての違法性の構造
Ⅳ.おわりに
Ⅰ.
問題提起
2
00
6年から200
7年にかけて、医師の処方した血液製剤によりC型肝炎に感染した人たちにより提
起された集団訴訟に対して各地の地方裁判所が判決を言いわたす報道が、度々なされ、人々の耳目
を引いていた。非加熱フィブリノゲン製剤について、仙台地裁を除くどの地方裁判所も、製薬会社
と医薬品についての安全性を確保するための規制権限を有していた国の損害賠償責任を認めていた
ことから、次第に、争いの舞台が裁判所から政治に移されることとなり、最終的には、紆余曲折を
経ながらも、福田政権のもとで、国・製薬会社と原告団体との間で一応の政治的決着がついた1。
その結果、血液製剤(フィブリノゲン製剤、特定血液凝固第Ⅸ因子製剤)によりC型肝炎に感染した
人々を救済するための給付金を交付するための特別措置法が成立する運びとなった2。その後、原
告団と複数の製薬会社との和解協議が継続され、2
00
8年11月2
4日には、唯一、和解が成立していな
かった製薬会社との協議が整い、すべての集団訴訟が終了することが報道されている3。
各地でなされた地裁判決の報道の姿勢から、人々の関心が、被告の損害賠償責任が認められたの
か否かのほかに、どの時点で損害賠償責任が認められたのかにも向けられているようであった。確
かに、同じ医薬品を服用しC型肝炎に感染しながらも、当該医薬品の服用した時期に応じて、損害
賠償責任についての判断が分かれるのは、一見すると不合理のようにも思われるし、また、実際問
題として、救済される原告の範囲にも重大な影響を与えることが十分予想される。
以上の事柄を行政法学上の問題に置き換えて表現すると、どのようになるのだろうか。
1
米丸恒治「C型肝炎訴訟から学ぶべきこと」法セ53巻5号(20
0
8年)4頁。
2
朝日新聞20
08年1月11日付。
3
朝日新聞2008年1
1月25日付。
1
8
3
食品や医薬品に起因する「危害」は、人の体内に直接取り込まれることから、人の生命・身体・健
康といった人格的存在そのものに対して回復困難で付加逆的な損害を与え、また、当該商品の市場
での流通の広がりに応じて、広範囲にわたり波及する。そのため、食品や医薬品の安全性を確保す
るために、我が国の実定法は、行政機関による事前の安全規制を施しており、一般の商品と比較し
てもかなり厳格な規制の下に商品の流通が認められている。
ところで食品や医薬品に内在する危険因子となりうる細菌、ウィルスそして食品添加物といった
化学物質の中には、行政機関による安全審査を経た場合であっても、未知の危険を内包することが、
わが国だけを見ても様々な食品安全事件や薬害事件の報道を通じて知られている。このことは、日
夜生産される無数のこれら商品の中には、未だ十分に知られていない危険が含まれているおそれが
あり、これを事前に市場から完全に排除することができないことを意味する。事後的に判明した危
害に対しては、当該製品を生産した企業とその安全確保について責任を負う行政が対処する法的な
義務が発生することとなる。
行政による危険防止責任に限定するとしても、未知の危険への対処には極めて厄介な問題が抱え
込まれていることが分かる。薬事法上、医薬品は、特定の病気(適応症という。
)に対する効用=
「有効性」をもつだけでなく、いわゆる副作用を人体にもたらすことがあるため、医薬品の安全性
とは、この有効性と副作用という一定の危険との比較衡量判断の結果、前者が後者を上回る場合、
即ち「有用性」がある場合を指す。そしてこの副作用について、医薬品の製造承認の段階では未解
明であった副作用が、当該医薬品が市場に流通後に徐々に明らかになることもしばしば見受けられ
る。この場合、副作用についての科学的知見は、被害の拡大と歩調を合わせるようにして蓄積され
ていくことから、社会における科学的知見の蓄積・発展の成果を政策決定に取り入れることとなる
ため、行政による社会への介入・規制の執行は遅れざるを得ない。この規制の遅れは、そのまま副
作用被害に苦しむ人々を多数発生させるという結果をもたらすことになる。
なぜ行政による規制執行が遅れるのだろうか。それは、法治主義の観点から、法的拘束力のある
規制を実施する場合には、名宛人の権利・利益が制限されてしまうため、当該決定が形式的にみて
法的な根拠を有するというだけでなく、実質的にみても確実な事実、すなわち、問題となる医薬品
が危険であることが科学的に根拠付けられる必要があるからである。
規制者(行政機関)、企業、消費者という三者間の相互作用として医薬品の安全問題を整理し直す
と、次のようになる。科学的な根拠付けが十分になされない場合、または、発生する危害と比較し
て厳しすぎる規制措置を選択してしまう場合、規制者は企業に対して過剰に規制したことになる
〔過剰規制の問題〕。また、規制を執行した場合に企業に発生する経済的損失を懸念して、実施すべ
き規制を差し控える、あるいはまた、法的拘束力のない行政指導でお茶を濁すということは、規制
により保護される消費者の権利・利益が十分に保護されないという結果をもたらすおそれがある
〔過小規制の問題〕。
したがって、規制者は、三面関係での危険防止という課題に直面した場合、以上の二つの問題の
1
8
4
間でバランスをとりながら規制を執行すべきことになる。しかし、先に述べたように、法治主義の
遵守を盾にとって、科学的に十分な根拠付けを厳格に求めることは、被害者のいたずらな拡大をも
たらすだけであることは明白であるため、どこかで科学的知見から不確実・不十分な判断であるこ
とを承知しながら、規制者は規制を執行すること(予防的介入)が求められる。規制者は、自らの決
定があくまでも暫定的な決定であることを明確に認識した上で、規制の結果を十分に検証しなが
ら、そこでの経験を次の規制執行に活かすという循環作業を行うより他に方法がない4。
本稿は、以上のことを念頭に置きながら、行政による予防的な規制の執行問題を損害賠償法の局
面、換言すれば、行政の危険防止責任とそこでの作為義務成立の時期についての法的考察を行う。
そこで、まず、行政の危険防止責任における作為義務成立の時期を法的に考察する前提作業として、
行政の違法性判断等について異なる判断を示した、薬害C型肝炎訴訟についての4つの地裁判決を
比較検討する5。各判決は、国の責任だけでなく、製薬会社の責任も判断され、また、被告それぞ
れについて、問題となる製剤にはフィブリノゲン製剤、非加熱第Ⅸ因子複合体製剤(以下、クリスマ
シンとする。)、そして PPSB-ニチヤクがある。しかし本稿では、フィブリノゲン製剤をめぐる国
の危険防止責任に対象を絞り検討をすすめることとする。
Ⅱ .薬害C型肝炎訴訟地裁判決の検討
1.事実の概要
薬害C型肝炎集団訴訟における原告の多くは、出産時における大量出血(後天性低フィブリノゲ
ン血症)を止血するために投与された非加熱フィブリノゲン製剤または非加熱第Ⅸ因子複合体製剤
等により、C型肝炎に罹患した人達である。原告らは、ミドリ十字など製薬会社と厚生大臣を被告
として、製剤の有効性が認められないこと、又は有効性よりも副作用の危険性が上回っていること
を知りながらも何らの措置もとることなく、製剤を市場に流通させ、原告ら患者に損害を与えたと
して損害賠償請求を提起した。
このフィブリノゲン製剤等は、プールされた多数の供血者の血漿を凍結乾燥させて製造されてお
り、止血機構の欠損を補充する医薬品として、特に産科出血の治療薬として大量に用いられてきた。
このようにヒト由来の医薬品で、しかも大量の供血者から提供された血液から製造されるため、仮
に供血者の血液中にウイルスが存在していた場合には、当該医薬品を投与された者はそのウイルス
に感染するおそれがあることになる。
C型肝炎とは、HCVに感染することでおきるが、仮にウイルスに感染したとしても急性肝炎を
4
5
山田洋「リスク管理と安全」公法研究69号(2
007年)
6
9頁。
仙台地判平成19年9月7日は、非加熱フィブリノゲン製剤、クリスマシン、PPSB-ニチヤク全ての血液製
剤について厚生大臣の損賠賠償責任を否定したが、判決文を入手する事ができなかったため、本稿での検討
の対象から外した。朝日新聞20
0
7年9月7日付。
1
8
5
発症する場合とこれを発症しない場合(不顕性感染)とがあり、前者は、生体の免疫反応により急激
な肝細胞障害が起き、全身倦怠、食欲不振、肝腫大、黄疸といった一連の症状となって現れる。急
性肝炎の発症者の大部分(7
0%といわれる。
)が、慢性肝炎となり、更にその一部は肝硬変、更には
肝癌へと移行することが知られている。
そもそも、このウイルスに感染することで罹患するウイルス肝炎の存在は、流行性肝炎であるA
型肝炎と血清肝炎であるB型肝炎だけが知られており、非A非B型肝炎(つまりC型肝炎)が発見
されたのは、昭和49年(19
7
4年)であり、そのウイルスが同定されたのも平成元年(1
98
9年)であっ
た6。そのため、C型肝炎ウイルスの特定やその知見の集積については、かなりの時間を要するこ
とになり、厚生省はその副作用被害の重大さに気付き、対応するのが遅れ、その結果として、フィ
ブリノゲン製剤等の投与によるC型肝炎感染者が拡大を続けることとなった。
非加熱フィブリノゲン製剤は昭和3
9年6月(19
64年)に、また、同じ医薬品について名称変更のた
めに昭和51年4月(1
9
7
6年)に、そしてクリスマシンは昭和51年1
2月に製造承認されている。それ
以降の時間的経過において画期とされたのが、まず、昭和52年1
2月(197
7年)になされた米国の連邦
食品薬品局(FDA)による非加熱フィブリノゲン製剤の製造承認の取消しであった。次に、昭和6
0
年8月(19
85年)にミドリ十字によりなされた不活化処理の変更、最後に昭和6
2年4月(1
98
7年)に
報道された青森県三沢市における非A非B型肝炎の集団感染の発生であった。以下で紹介・検討す
る各地裁は、被告の責任が成立するか否かをこれら画期となる時期に即して判断をしている。本稿
との問題意識との関連では、各地裁が、いかなる理論構成で、それぞれの時期に国の危険防止責任
を認め、または認めなかったのかを確認し、その上で検証することが必要となる。
2.大阪地裁判決7
大阪地裁は、国の危険防止責任を認める判断枠組みについて、薬害についての国の危険防止責任
について最高裁が示した判断枠組みを引用し、それに沿う旨を明らかにしている8。
その上でまず、FDAによる非加熱フィブリノゲン製剤の承認取消しがなされた1
97
7年時点での
国の責任について、厚生省の情報収集や検討についての怠慢を責め、また、当時、厳密な比較臨床
試験がなされていれば、後天性低フィブリノゲン製剤の有効性が否定されていた可能性があったこ
とを認めながらも、その責任を否定する。
大阪地裁は、19
87年4月の時点での国の責任を認めた。その理由として、1
9
85年8月に製薬会社
が非加熱フィブリノゲン製剤の副作用を抑制するための不活化処理方法を変更しており、それが製
6
7
大西史恵『薬害肝炎』
(金曜日、20
05年)9
0頁~93頁。
大阪地判平成18年6月21日判時19
42号23頁。宇賀克也「国家賠償責任を中心に」判時19
4
2号2頁。西埜章
「C型肝炎訴訟の今後の展開」判時1
942号1
9頁。上野暁「C型肝炎大阪訴訟第一陣判決」法律のひろば6
0巻
1号(2
00
7年)
71頁~7
9頁。
8
大阪地裁平成18年6月21日判時19
42号36
4頁。
1
8
6
剤の有用性を否定する事になる旨を裁判所が認定していることが挙げられる。ただし85年時点で
は、国が不活化処理方法の変更という重要な事実を認識していなかったとして、国の責任を認めて
いない。そのほかの理由として、厚生大臣が当時、医薬品の再評価手続について比較臨床試験によ
り医薬品の有効性を確認すべき立場を採っていたことから、後天性低フィブリノゲン血症に対する
有効性すらも欠いていたことを認識していたこと、更に、8
7年4月に非A非B型肝炎の集団発生事
件が起きたことから、非加熱フィブリノゲン製剤の有効性や危険性の評価について慎重な態度をと
るべき時期であった旨を指摘する。
以上より、裁判所は、厚生大臣が、同年4月2
0日には後天性低フィブリノゲン血症に対しての非
加熱フィブリノゲン製剤の承認を一部取消すべきであり、加熱製剤の承認がなされた同年4月3
0日
までには非加熱製剤の販売中止、回収、その他の保健衛生上危害の発生又は拡大を防止するための
応急措置をとるべきことを命ずるべきであり、それら措置がなされていれば、その時点以降に発生
したC型肝炎の感染被害の拡大を防げたとする9。
3.東京地裁判決10
東京地裁は、改正前の薬事法についての法解釈を示しながら、製造承認取消し・適応症限定につ
いて、更には、医薬品の有用性が認められながらもなお存在する副作用被害を抑制するための措置
についての国の責任を認定する要件を提示する。
まず、一度製造承認がなされた医薬品の承認取消しすることができる権限を明記していなかった
改正前薬事法について薬事法の目的や厚生大臣による医薬品の安全審査権限の解釈から、改正後に
定められた権限行使のための要件(薬事法7
4条の2①②)ともども、既に認められていた旨を指摘
する。
次に、医薬品がすべての適応症について有用性を欠くと判明した場合、厚生大臣は医薬品の製造
承認を取消す義務を負い、また、一部の適応症について有用性を欠くと判明した場合には、厚生大
臣は、製造承認の一部取消事由に相当するため、当該症例を適応症から削除する義務を負うとする。
但し、厚生大臣が医薬品の製造承認の取消権限を行使するには、取消対象となりうる医薬品が市場
に多数存在する事から、
「厚生省の部局において特定の医薬品の副作用の危険性や有効性に対する
疑問が生じていることの具体的な認識可能性」が前提となると指摘する。
それゆえ、「医薬品の副作用の危険性や有効性に対する疑問が生じていることについて具体的に
認識できる状況にあることを前提として、当該時点における医学的、薬学的知見によれば、当該医
9
同上・判時19
42号3
67頁。
10 東京地判平成1
9年3月2
3日判時19
75年1頁。大貫裕之「国家賠償責任を中心として」判時197
5号22頁。黒川
哲志「規制権限不行使と国家賠償責任 ―C型肝炎東京訴訟判決(東京地判H193
.2
.
3判時19
7
5号)の検討―」早
法84巻1号(2
0
08年)1
83頁。その他に、200
8年5月30日に行われた行政判例研究会での大貫報告に接するこ
とができた。
1
8
7
薬品について有用性が否定されるにもかかわらず、製造承認の取消しあるいは適応症の限定を命じ
ることを怠った場合」に、厚生大臣による規制権限の不行使が国家賠償法上の違法と認定されると
する11。
東京地裁は、各製剤について、先天性低フィブリノゲン製剤に適応症を限定すべき義務があった
か否かについて検討を行い、結論としては、あらゆる時点における厚生大臣の適応限定義務の成立
を否定した。
また、製造承認の取消(医薬品の適応限定措置)以外の措置については、
「その時点における医学
的、薬学的知見の下において、薬事法の目的と厚生大臣に付与された権限の性質に照らして、これ
を行使しないことが許容される限度を逸脱して著しく合理性を欠くと認められる場合において、国
賠法上違法になるものと解される。
」とする。
とりわけ、医薬品の使用法について指示・警告する事の意義については、その理由を含めて丁寧に
説示をしており、厚生大臣が本来すべき指示・警告をしなかった場合、即ち、①医薬品に客観的な
副作用リスクが存在し、②その副作用リスクについての予見可能性が認められ、③予見可能な副作
用リスクに見合う、適切な指示・警告がなされない場合には、国賠法上の違法が認定されるとする12。
そして、 1
98
7年に青森県で起きた非A非B型肝炎の集団感染発生事件という緊急事態に直面し
た厚生省が、
「本件のように医薬品による副作用被害が現実に発生している局面においては、最悪
の事態を想定に入れて、被害の拡大防止を最優先にした危機管理対応が求められており、そのため
に国においても自ら積極的に必要な情報を収集、分析、検討し、対策を決定する必要があったとい
うべき」であった、と裁判所は指摘する。
事件の報を受けた厚生省は、それまでの非加熱血液製剤に代えて、より安全と考えられた乾燥加
熱製剤の使用を認めるという対策を採ったが、非加熱血液製剤にも副作用リスクが皆無ではないこ
とから、
「さらに副作用リスクを拡大させることがないよう、乾燥加熱製剤の副作用リスクを慎重
に吟味するとともに、これを投入すべき医療ニーズについても製剤の使用状況等を調査し、確認す
る必要があった。」と裁判所は指摘する。
裁判所は、①厚生省が非A非B型肝炎の重篤性について十分に把握しており、②乾燥加熱製剤が
非加熱製剤に比べて副作用リスクに感染するリスクが低いとはいっても、なお、感染リスクが相当
程度にあることを十分に知り得、また、産科の臨床現場では非A非B型肝炎を軽い疾病と認識し、
安易に適応外使用が行われていたことが調査等により把握可能であった、③「乾燥加熱製剤による
肝炎感染の危険性、非A非B型肝炎の重篤性及び適応症遵守の3点」につき、製薬会社をして「緊急
安全情報に匹敵する程度の強い指示・警告」をさせるべく行政指導すべきあったにもかかわらず、
それを怠ったとして、国の指示・警告義務違反を認め、国家賠償責任を認めた13。
11 同上・判時1
97
5号133頁。
12 判時1
97
5号・前掲注(10)202頁。
13 判時1
97
5号・前掲注(10)2
13~2
1
4頁。
1
8
8
4.福岡地裁判決14
福岡地裁判決も、製造承認後の厚生省による権限不行使の損害賠償責任についての最高裁の判断
枠組みを引用することでは、大阪地裁判決と共通する。
裁判所は、まず、1
9
7
7年1月に公告された FDAによるフィブリノゲン製剤の製造承認取消しを受
けて、厚生大臣又は厚生省の担当職員がこれを知っていたか又は少なくとも知り得る状態にあった
こと(医薬品の安全に関する情報収集・調査・検討義務)を認め、その上で、日本及び米国での医薬
品の再評価に要する平均的な期間を踏まえて、1
97
8年1月から1
98
0年11月にかけての厚生大臣の責
任を検討する。
その検討の結果、裁判所は、遅くとも1
9
8
0年11月までには、非加熱フィブリノゲン製剤の後天性
低フィブリノゲン血症に対する有用性を認めることができないと判断される蓋然性が高いとして、
厚生大臣が、同製剤の適応を先天性低フィブリノゲン血症に限定する義務を負っていたとする。ま
た、仮に製剤の有効性・有用性についての調査の結果が出ていなくとも、
「本件非加熱フィブリノ
ゲン製剤の有効性の程度が低く、その有用性を認めることができない相当程度の疑いが生じた」と
し、更に製剤を投与された「者の身体に重大な影響を及ぼすおそれがある」ことから、直接の加害者
である医薬品会社に対して、緊急安全情報を配布するよう行政指導すべき義務があったにもかかわ
らず、それを怠ったとする。
この行政指導義務が発生する要件について、裁判所は、①医薬品が国民の健康に被害を及ぼす危
険性があることが顕著になり、②国民の健康を保護する目的で、③その危険を防止するよう適切な
(必要最小限度の)措置をとるべき、と3つの要件を提示する15。
適応症限定義務の成立に必要不可欠な適応症に対する医薬品の有効性または有用性の有無につい
て、裁判所は、後天性低フィブリノゲン血症に対する医薬品の効能、および副作用リスクと有効性
とを比較考量することで明らかになる医薬品の有用性について、それ自体としては否定できないと
する。しかし、代替医薬品との比較の結果、非加熱フィブリノゲン製剤の有用性が認められず、厚
生大臣の適応症限定義務が成立するとした16。後天性低フィブリノゲン血症に対して同じく有効性
を持ちながら、より非A非B型肝炎に感染するリスクの少ない代替医薬品が存在する(し得る)場
合には、後天性低フィブリノゲン血症に対しては製剤の有用性は認められないとしており、これは、
比例原則の一要素である必要性の原則に類似した思考方法を採用しているといえる。
14 福岡地判平成1
8年8月30日判時1
953号1
1頁。福岡地裁と大阪地裁の判決について言及するものとして、浦田
秀徳「3
50万人肝炎患者とともに ―薬害肝炎と大阪・福岡判決の意義―」環境と公害36巻3号(20
0
7年)6
4頁
がある。
15 同上・判時1
95
3号66頁。
16 判時1
95
3号・前掲注(14)62~63頁。
1
8
9
5.名古屋地裁判決17
一連のC型肝炎集団訴訟の中で、最も早い時期に国の権限不行使責任を認めたのが、この名古屋
地裁である。裁判所は、非加熱フィブリノゲン製剤について国の責任を1
9
76年4月以降、クリスマ
シン、PPSB-ニチヤクという二種類の血液製剤についての国の責任を1
97
6年12月以降について認
めている。
名古屋地裁は、いずれの血液製剤に関する国の責任についても、それぞれの製造承認に伴って指
示・警告義務があるにもかかわらず、それを怠ったことを理由として国の権限不行使の違法性を認
定しているが、本稿の課題である行政の危険防止責任との関連性を意識してあえて、医薬品の製造
承認後における国の危険防止責任についての裁判所の理論構成を見ることとする。
まず注目されるのが、厚生大臣の権限不行使の違法性について一般論を述べている箇所である。
裁判所は、「その時点における医学的、薬学的知見を前提」に、医薬品としての有用性が一切認め
られない場合に厚生大臣の製造承認取消義務が成立するとし、その他には、特定の適応症について
効能・効果が認められない場合には、適応限定義務、すなわち製造承認の一部取消義務が成立する
という。
また、重大な副作用被害が、
「その時点における医学的、薬学的知見を前提」として判明したとし
ても、なお、その治療上の効能・効果との比較考量の結果、なお当該適応について有用性が肯定さ
れる場合には、「厚生大臣は、薬務行政に関する一般的責務に基づいて、当該医薬品の投与を受ける
患者の安全を確保するために、製薬会社をして、添付文書において、医師らが当該医薬品の有する
副作用の危険性を十分に理解・認識することができるように、副作用の危険性について明確な記載
をさせなければなら」ず、更に「当該医薬品が、その効能、効果、性質等に照らし、当該適応よりも
広く使用される可能性のある場合には、当該適応外の患者に使用されることを防止するためにも、
副作用の危険性について明確な記載をさせなければならない……。
」
このような指摘の直後に、
「もっとも、医薬品の有用性の判断は、高度の専門的かつ総合的な判断
が要求されるものであり、厚生大臣の講ずべき措置の内容、態様、時期等についても、その性質上、
その時点の医学的、薬学的知見の下における専門的かつ裁量的な判断によらざるを得ないものであ
ることにかんがみると、医薬品の副作用による被害が発生した場合であっても」
、直ちに国賠法上の
違法となるのではなく、「許容される限度を逸脱して著しく合理性を欠くと認められるとき」、「副
作用による被害を受けたものとの関係」で違法と評価されるとする。
6.各地裁判決の検討と論点
まず、国の危険防止責任を認めた時期について確認すると、非加熱フィブリノゲン製剤について、
最も早い時期の国の規制権限不行使の違法性を認めたのが、名古屋地裁(1
9
76年4月以降)で、福岡
17 名古屋地判平成1
9年7月31日・LEX/
DB
【文献番号】2
81
3
2
1
66。
1
9
0
地裁(遅くとも1
9
8
0年11月以降)
、大阪地裁と東京地裁(共に1
987年4月以降)という順番となって
いる。このように国の違法性が認定された時期には相当の時間的間隔があることが注目される。
そして、国のいかなる権限が行使されなかったことをもって行政の不作為についての違法性を認
定したのかについて確認してみよう。名古屋地裁と東京地裁が、製薬会社に対する指示・警告義務
違反を問題とし、大阪地裁と福岡地裁は、医薬品の製造承認一部取消義務違反を問題とし、福岡地
裁については、更に、仮に一部取消義務違反が認められなかったとしても指示・警告義務違反が認
められるという判断を示している。
医薬品の服用による副作用被害の発生・拡大を抑止するために行う規制活動に、被規制者に対す
る法的拘束力が認められるか否かにより、行政に対して課される作為義務の水準が異なることか
ら、以下では、行政がいかなる行為をするべきであったのかを軸に分析する事とする。
(1)医薬品の適応限定義務
4つの地方裁判所の判断の中では、比較的早い段階で行政の適応限定義務を認めた福岡地裁判決
の場合、19
80年1
1月以降の行政責任の有無が判断されているが、現行の薬事法7
4条の2の製造承認
の取消権限が導入されたのは1
9
7
9年改正によってであり、同取消権限規定が施行されたのが1
98
0年
4月1日以降となっている18。その点で、福岡地裁判決が、同法規の適用がなく、安易にクロロキン
薬害訴訟最高裁判決における薬事法の解釈を前提に、行政の作為義務の成否を検討したことには疑
問がある19。
行政の作為義務に大きく係わる問題として、クロロキン訴訟における最高裁判決は、医薬品の効
能・効果を上回る副作用が後に判明し、医薬品として有用性がないと認められるに至った場合に
は、厚生大臣は「その製造の承認を取消すことができると解するのが相当である。
」とし、医薬品の
有用性が認められない場合にも、なお厚生大臣には、製造承認の取消権限を行使しない余地が認め
られることとなる。これに対して、薬事法74条の2は、「
(薬事法)第14条第2項各号のいずれかに
該当すると認めるときは、その承認を取り消さなければならない。
」と規定しており、当該医薬品の
有効性または有用性が認められなかった場合には、直ちに製造承認の取消し、または一部取消しを
義務付けられる。前者においては、医薬品の有用性が認められない事態にあってもなお行政には不
作為を継続することが法的に許容されることとなり、そうした不作為の継続を違法とし、行政に規
制権限の行使を義務付けることはかなりの困難を伴うこととなる。
この福岡地裁の判断に対して、結論としては行政の適応限定義務を認めなかったものの、現行の
薬事法74条の2を前提として、行政の適応限定義務の成否を判断した東京地裁の判断が注目され
る。即ち、先に示した79年改正の前後を通じて、厚生大臣は、薬事法7
4条の2第1項にあるように、
18 厚生省薬務局編『逐条解説
薬事法』
(ぎょうせい、198
2年)9
6頁。
19 最2小判平成7年6月2
3日民集49巻6号16
12頁。
1
9
1
医薬品がすべての適応症に対して有用性を欠くことが、または一部の適応症について有用性を欠く
ことが判明した場合、厚生大臣は、製造承認の取消ないし一部取消を命じる「一義的な義務」を負う
ことになるとする。但し、市場には多数の医薬品が流通しているため、その中のひとつを取り出し
て医薬品の安全性を審査する上での端緒となる事態、即ち、
「特定の医薬品の副作用の危険性や有
効性に対する疑問が生じていることの具体的な認識可能性が前提となる」とする20。
確かに、特定の医薬品の危険性についての単なる漠然とした危険性や副作用についての疑問が生
じている程度では、そもそも、人体にとって有害な副作用を内在させている医薬品という物質の特
性からして、厚生大臣の権限行使の端緒となるには、十分とはいえない。とはいえ、C型肝炎のよ
うに、ウイルスの特定、ウイルスに感染してからの症状の推移等々について、十分な医学又は薬学
についての科学的知識がない状態から、徐々に医学的知見が蓄積されるプロセスを辿ることを考え
ると、C型肝炎についての科学的知見を総て備えた状態でなければ、厚生大臣が、「特定の医薬品の
副作用についての具体的認識可能性」がないとして、何らの措置も採らずに、不作為を継続するの
は、いたずらに被害者を拡大させてしまい望ましいとは思われない。
このように市場に流通している無数にある医薬品の中からいかにして「危険」な医薬品を見つけ
出すかという課題に対して、福岡地裁は、
7
8年に公告された FDAによる非加熱フィブリノゲン製剤
の製造承認取消を起点として、厚生大臣が日本に流通している非加熱フィブリノゲン製剤の有効性
および有用性の再評価をすることができる時期として1
9
78年1月から1
9
80年11月を想定することが
可能となったとしている。
行政による規制権限の行使が、予測される損害の発生を抑止ないし最小限に抑えられるようにす
るために、行政介入が適切なタイミングで行われなければならない。こうした適切なタイミングで
の行政の作為義務が認められるべきとして、この作為義務はいかなる法理構造を備えているのだろ
うか。これが一つの課題となる。
(2)医薬品の使用方法等に関する指示・警告義務の違法性要件
先述したように、クロロキン薬害訴訟最高裁判決は、格別、薬事法(7
9年の改正薬事法前)に製薬
会社に対する指示・警告する一般的権限を厚生大臣等に授権する規定がなくとも、薬務行政に関す
る一般的責務から、指導・勧告といった行政指導することができる旨を認めている。しかし、この
クロロキン訴訟では、行政指導の作為義務の成否が争われていなかったため、薬事法において、行
政指導の作為義務が成立するための要件がいかなるものかは、明らかにされていない。
もっとも、クロロキン薬害訴訟の控訴審判決では、「右のいわゆる行政指導は原則として行政庁
の裁量に委ねられるばかりでなく、このような法令上直接の根拠規定を欠く指導、勧告は、製薬業
者の営業の自由等とのかねあいから、慎重、かつ、控えめになされるべきであって、行政権力が正
20 判時1
97
5号・前掲注(10)1
33頁。
1
9
2
当な理由なく妄りに私人の行為に容喙し掣肘を加えることは厳に戒められるべきことであるから、
行政指導をなさないことが厚生大臣の義務の懈怠となることは原則としてはないというべき」と判
示されている。
そして、
「医薬品に関し国民の健康に被害を及ぼす危険性が顕著となり、同様な場合に、従来の例
によれば厚生大臣は適切な指導、勧告をしてきており、同種の措置をとることが当然期待されるよ
うなときに、それにもかかわらず厚生大臣が何らの対策をとらず、放置しておく」といった例外的
状況において、厚生大臣は、国民との関係で「被害回避のための必要最小限度の指導、勧告をなすと
かその他適切な行政措置をとることが」義務づけられ、その義務に反する場合に損害賠償義務を負
うとする21。
このクロロキン薬害訴訟の控訴審判決では、厚生大臣の指導・勧告義務の成立の要件として、①
一定の法益に対する侵害の存在、②指導の名宛人との関係で目的達成のための必要最低限の指導で
あること(比例原則を構成する三つの要素の一つである、必要性の原則22)
、③期待可能性が挙げら
れている。
学説では、直接の法的根拠を欠く行政指導が積極的に行われることに対する強い疑念から、行政
処分の不作為違法についての判断と比較して、より厳格化された要件の判断に基づき作為義務の成
立が主張されている23。例えば、原田は、行政指導の実施は行政庁の裁量判断に委ねられることか
ら、社会的な危険が発生すれば直ちに行政指導の作為義務が発生すると考えるべきではなく、その
裁量がゼロになる必要があるとして、①当該行政分野で行政指導が慣行的に行われており、その指
導が危険防止に相当の効果を挙げていること、②当該事故が容易に予見でき、指導によりその事故
が回避できたと認められること、③それにもかかわらず、深刻な損害が発生し、指導を怠っていた
こと、といった「特殊な事情」が認められる必要性を指摘している24。
また別の視点から厚生大臣による行政指導義務を限定する議論もなされていた。即ち、行政指導
に法的拘束力が伴わないことは、国民の期待可能性を低めることとなること、また、因果関係の側面
では、指導の名宛人が当該指導に従うと推測できる事情があることの必要性等が指摘されている25。
他方で、製薬会社に対する様々な行政作用法上の権限を背景として、厚生大臣は行政指導を行う
21 東京高昭和6
3年3月11日判時1271号4
2
5頁。東京高判平成6年9月13日判時150
5号17頁〔クロロキン薬害第
二次訴訟〕もほぼ同様の判断を示している。薬害ではないが、行政指導の作為義務について述べる裁判例と
して、東京地判平成4年4月25日判タ78
2号6
5頁もある。
22 荻野聡「行政法における比例原則」小早川光郎他編『ジュリスト増刊
行政法の争点(第3版)
』
(有斐閣、2
0
04
年)2
2頁。須藤陽子「行政法における「比例原則」の伝統的意義と機能-ドイツ警察法・学説の展開を中心に
して-(1)~(3完)
」都法31巻2号(19
90年)
3
27頁、
3
2巻1号(199
1年)5
0
1頁、3
2巻2号(19
91年)1
01頁。須
藤陽子「比例原則」法教 No
2
.
3
7(2
00年)1
8頁。
23 鹿児嶋仁「クロロキン薬害第二次訴訟控訴審判決」ジュリ No
1
.
0
68
(19
95年)4
3頁。古崎慶長「薬害国家賠償
責任の一視点」ジュリ No
9
.
11(19
7
9年)6
1頁以下。
24 原田尚彦『行政責任と国民の権利』
(有斐閣、1
97
9年)
10
4頁~10
5頁。
25 宇賀克也「規制権限の不行使に関する国家賠償」判タ No
8
.
3
3(19
9
4年)4
7頁~48頁。
1
9
3
べきであるとする見解もある26。とりわけ、行政指導の作為義務の成立を、行政指導の相手方の任
意の協力や同意が見込めるか否かに関わらせることには異論がある27。行政実務では、行政指導に
従うか否かわからない段階で、指導に従うことを期待して任意の協力を求めているのであり、それ
に従わない段階で、次にいかなる方策をとるべきかが検討される。従って、行政指導を行った際に
任意の協力や同意を得る事が見込めない場合には、どの事業者が行政指導に従わない見込みがある
のかを個別具体的に消極的要件として行政側が明らかにすべきであろうと思われる28。
こうした学説の議論を意識してか、福岡地裁判決は、
「法令上直接の根拠を欠く行政指導は、製薬
会社の営業の自由等との関係上、これを制約するようなことは慎むべきであるから、原則としてこ
れを行わなかったことが厚生大臣の義務違反となることはないというべき」と述べている。その上
で、①国民の健康に被害を及ぼす危険性が顕著になること(重大な法益に対する具体的危険の存在
とそれについての予見可能性)
、②目的達成のため必要最小限の指導にとどめるべき(行政指導の内
容面についての「必要性の原則」
)
、③回避可能性(行政指導の実効性)という行政指導義務に関わる
違法性要件を示しているが、期待可能性要件は認めていない。
また、東京地裁判決および名古屋地裁判決は、行政指導(指示・警告)義務違反が成立するための
要件として、①医薬品に客観的な副作用リスクがあること、②そのリスクに対する予見可能性があ
ること、③予見し得る副作用リスクとこれに見合う適切な行政指導がなされていないこと、を挙げ
るに止まる29。文面上は、行政指導(指示・警告)の作為義務成立の要件に、結果回避可能性が明示
されていない。しかし、そもそも当該行政庁に行政指導を行う権限がないことを認める趣旨とは思
われない。従って、損害発生に対する予見可能性と回避可能性は常にワンセットとなっていると解
すべきと思われる。また、③の要件は、指示・警告が医薬品を処方する医師を実質的な名宛人とし
ているが、他方で、形式的な名宛人となる製薬会社の営業の自由への配慮を示したものといえる30。
26 阿部泰隆『国家補償法』
(有斐閣、198
8年)
19
5頁。
27 大阪地判平成5年1
0月6日判時15
12号44頁。正田彬「豊田商事事件と消費者行政」法時6
6巻4号(199
4年)23
頁では、「行政指導の必要性が客観的事実、消費者保護会議の決定によって認められるのであれば、指導の相
手方の同意・協力の可能性と関係なくそれを行うべきであろう。」とする。同旨の指摘として、芝池義一「国
の消費者保護行政と国家賠償責任」法時68巻1号(19
96年)5
0頁。
28 佐藤英善『実務判例
逐条国家賠償法』
(三協法規出版、20
0
8年)7
6頁〔下山憲治執筆〕
。
29 東京地裁判決における予見可能性には、行政が、当該医薬品の副作用リスクを把握していることに加えて、
適応外使用が広く行われていることも把握すべき事柄として対象化されているが、名古屋地裁判決では、後
者については予見可能性の対象とされていない。
30 薬害エイズ事件厚生省ルートの上告審判決では、被告人が、行政指導がその性質上、任意の措置を促す事実
上の措置であり、公務員がこれを義務付けられるものではない旨を主張していることに対して、最高裁が
「防止措置の中には、……任意の措置を促すことで防止の目的を達成することが合理的に期待できるは、こ
れを行政指導というかどうかはともかく、そのような措置も含まれるというべき」と判断していることが注目
される。最2小判平成20年3月3日刑集62巻4号56
7頁(57
5頁)。この事件の第1審判決についての判例研
究、常岡孝好「行政の不作為による刑事責任 ― 行政法学からの一考察」ジュリ No
1
.
2
1
6(2
00
2年)19頁参照。
1
9
4
(3)法的効力のある製造承認の一部取消と指示・勧告との関係
厚生大臣による指導・勧告の役割または使用方法が異なることが注目される。
即ち、福岡地裁判決では、遅くとも1
9
8
0年11月までには、端的に、後天性低フィブリノゲン血症
に対する有効性に疑いが生じ、また、副作用の危険性を考慮すると、有用性を認めることができな
い相当程度の疑いがある旨が指摘され、後天性低フィブリノゲン血症の患者に投与する場合を想定
して、厚生大臣が、製薬会社に対して緊急安全情報を配布するよう指導すべきであったとする。
これに対して、東京地裁判決および名古屋地裁判決は、各血液製剤が後天性低フィブリノゲン血
症に対して有効性のみならず有用性があることを前提として、例外的に、各血液製剤が、産科医療
の現場では、止血剤として安易に拡大的に使用されていることを問題としている点で福岡地裁判決
とは異なる。
適応症との関係では有用性が認められるとはいえ、血液製剤を使用することは、非A非B型肝炎
に感染するというリスクを伴うという事実に変化がないことから、この疾病に関する誤った認識の
下で安易に血液製剤が使用されないように、その使用に伴って発生する副作用の危険性を具体的に
示すよう製薬会社に指導すべきとした。
名古屋地裁判決は、医薬品がその適応症よりも広く使用される可能性がある場合には、当該適応
外の患者に使用されることも当該医薬品を市場に出すことに伴う危険というべき、との認識を示
す。その上で、この危険を防止するために、厚生大臣は、医薬品の製造承認に際して、当該医薬品
に含まれる副作用の危険性を明確に記載した添付文書を添付させるよう製薬会社に指導すべきであ
るとする。
また、先述した適応外使用による被害が発生した場合について、裁判所は、厚生大臣による医薬
品の製造承認に際して、本来、適応症との係わりで医薬品の有効性や副作用との比較考量による有
用性が判断されていることから、原則として国賠法上の違法とは認められないとする。但し、
「当
該医薬品の効能、効果、性能等に照らし、当該適応よりも広く使用される可能性があるときは、当
該医薬品が当該適応外の者に使用されることはもともと当該医薬品の製造販売に不可避的に伴う危
険であるというべき」として、厚生大臣は、製造承認に際して、医師らが当該医薬品を適応外の患者
に使用することがないように患者の安全を確保するべき職務上の義務ないし注意義務を負い、これ
ら指示・警告義務に違反した場合には国賠法上の違法と評価されるとする。
規制手段としての行政指導の用い方についての一般的理解として、法的拘束力ある規制手段と非
法的な規制手段との関係を、同一の規制対象について選択的に用いることが考えられていたと思わ
れる31。福岡地裁判決における行政指導と製造承認取消(撤回)との関係は、まさにこの理解に立つ
31 行政処分の名宛人に対して侵害的な行政処分をする前段階で、行政指導により予め警告を行い、その警告に
従わない場合に、法的拘束力のある行政処分を行うことがしばしば日本の行政の現場で見受けられる。塩野
宏『行政法Ⅰ[第4版]』
(有斐閣、2
00
6年)
18
8頁。また、環境法規制の場面で、実効性のない行政指導の反復
が行われている実態も知られている。北村喜宣『行政執行課程と自治体』
(日本評論社、1
9
9
7年)、西津政信
「行政の緊急措置と比例的リスク管理」法社会学69号(20
08年)1
31頁。
1
9
5
ものと思われる。これに対して、東京地裁判決および名古屋地裁判決は、薬事法の規制に固有の問
題として、適応症に対する医薬品の処方と、適応症以外の症状に対する医薬品の処方を区別して、
後者についての被害の拡大を抑止するべく行政指導義務を国に課しており、より緻密な行政指導の
用い方を発見している点で新しい視点にたつものと思われる。
(4)副作用の態様と医学的・薬学的知見の蓄積
行政の危険防止責任の成否を考える上で、行政介入(規制権限の行使)を義務付けるような、被規
制者の活動により何らかの損害が私人(規制の受益者)に発生する事態が想定される。しかし、規
制権限を有する行政が、私人に発生するこの損害の実相をどの程度に解明していなければならない
のだろうか。医薬品の服用による副作用被害の場合、医学的に全ての事が判明していないと、行政
が規制権限を行使する事ができないとなれば、その副作用被害の全容が解明されるまでに徒に被害
が拡大してしまうこととなる。とはいえ、単なる憶測で行政が規制権限を行使する事は、法治主義
の観点から許されない事はいうまでもない。このような問題意識の下、薬害C型肝炎訴訟の各地裁
判決が、いかなる程度の副作用被害を把握した上で、行政の作為義務を認めているのかが注目され
る。
東京地裁判決は、非A非B型肝炎についての知見の進展と集約にとって1
98
2年および19
83年頃が
一つの重要な画期となったことを指摘する。
即ち、ウイルスの持続感染が成立し、これによりかなりの割合で慢性肝炎に移行し、更にこの中
から長期間経過後には肝硬変・肝癌に進展するものがあることが判明していたとする。なお、肝硬
変や肝癌への正確な進展率については未だ定まった見解はなかったものの、この時期に「C型肝炎
の基本的な病態・経過」を把握できたとする32。
もっとも、国は、製薬会社においてそれまでのウイルス不活化処理方法が変更され、製剤の肝炎
感染リスクが著しく高まった事実を把握しておらず、国の危険発生についての予見可能性が否定さ
れていたため、国の製薬会社に対する指示・警告義務の成立は否定されていた33。
名古屋地裁判決は、19
6
4年の時点において、C型肝炎の病像が把握されていなかったとするが、
B型肝炎とC型肝炎との区分はつかないもののこれを含む血清肝炎ウイルスの存在が知られてお
り、当時の知見の水準をもってしても、血清肝炎を重大な副作用リスクと認識すべきであったとする。
更に、同地裁判決は、19
7
8年の時点で、非A非B型肝炎ウイルス感染による病状の進展の有無や
進展率についての知見が確立されているとはいえないとしながらも、非A非B型肝炎ウイルス感染
により、慢性肝炎から肝硬変への進展の可能性について知見が相応の根拠をもって存在しており、
副作用リスクの判断において、この非A非B型肝炎が重大な副作用とみるべきであると指摘する。
32 判時1
97
5号・前掲注(10)2
06頁。
33 判時1
97
5号・前掲注(10)2
12頁。
1
9
6
また、非A非B型肝炎ウイルス感染の危険性について、当時行われていたウイルスの不活化処理の
効果が完全なものであったと推定することもできなかったとして、ウイルス感染の危険性を排除す
る事はできない旨を述べている。
福岡地裁判決は、1
9
80年11月当時、肝炎ウイルス感染の危険性について、プール血漿を原料とす
る血液製剤が、単一又は少数の供給者から供給された輸血と比べて、相当程度高率に肝炎を発生さ
せる可能性があることが医学的・薬学的知見として定着していること、また血清肝炎が流行性肝炎
と比較して遷延・慢性化するという医学的知見が定着していたとする。非A非B型肝炎の予後につ
いては、長期予後を観察・研究する時間的間隔もなく報告例も不足している事から、慢性化した非
A非B型肝炎の予後についての知見が形成されているとは言えないとはいえ、副作用の重大性につ
いての知見が蓄積されていることが伺われる34。
他方で、福岡地裁判決は、同時期において、非加熱フィブリノゲン製剤が適応症としていた後天
性低フィブリノゲン製剤に対して有効性をもっていたかどうかについての疑念があった事を指摘す
る。即ち、海外の研究により、当該血症が DI
Cに伴って発症し、この DI
Cが複数の凝固因子の低下
及び凝固亢進、線溶亢進を伴う複雑な機序によるとされ、それが昭和4
0年代に日本でも広まり、昭
和5
0年代には内科を中心として、大量出血の原因は、フィブリノゲンの低下よりも血小板数の減少
が重要であり、止血目的によるフィブリノゲン製剤の投与について、強く疑問を呈する意見が存在
していたことが指摘される。
そのため、「当時における、産科 DI
C及び後天性低フィブリノゲン血症に関する知見の変遷を踏
まえると、DI
Cに伴う出血は前記の機序によるものであるから、その低フィブリノゲン血症に対
し、フィブリノゲンのみを補う本件非加熱フィブリノゲン製剤を投与することによって、果たして
フィブリノゲン濃度を高めて出血傾向を改善することができるのかとの疑問を完全には払拭しき
れ」ず、但し、「非加熱フィブリノゲン製剤の後天性低フィブリノゲン血症に対する有効性が否定さ
れた蓋然性が高いとまでは認められないというべきである。
」と認定した35。
このように行政が対処すべき「危険」の存在が、科学技術的知識(医学的・薬学的知見)の進展に
応じて、徐々に明らかになるなかで、行政の作為義務が成立する時期が定まってくる様子が明らか
となっている。ここで、この「危険」の存在について、どの程度に「危険」が解明されなければなら
ないのかという課題が生じる。比較的早い時期に厚生省の不作為の違法性を認めた名古屋地裁判決
や福岡地裁判決は、必ずしも副作用リスクの完全解明とはいえない段階で、副作用の重大性を認め
ているが、こうした姿勢に何か問題はないのだろうか36。
34 判時1
95
3号・前掲注(14)57頁。
35 同上4
4頁~4
5頁。
36 阿部泰隆「裁量収縮論の擁護と水俣病国家賠償責任再論」淡路剛久・寺西俊一編『公害環境法理論の新たな
展開』
(日本評論社、199
7年)13
5頁。
1
9
7
中国の高齢者概況
〜『中国城郷老年人口状況一次性抽様調査数据分析』から
城 本 る み
1.はじめに(調査概要)
2.高齢者の基本状況
3.高齢者の日常生活状況
4.高齢者の社会サービスおよび医療サービスに対するニーズとその利用
5.高齢者の経済状況
1.はじめに
中国では200
3年に『中国城郷老年人口状況一次性抽様調査数据分析』
(中国老齢科学研究中心編、
中国標準出版社)が出版された1。本書は中国老齢科学研究センターによって200
0年に実施された
全国規模の高齢者調査結果をまとめたものである。この調査は国務院の指示によって企画され、国
が費用を負担し政府が主体的に実施したもので、本稿でこれを扱うのは、これが今後の中国におけ
る高齢者問題施策の第一次資料として使用される可能性が高いと考えるからである。
本稿では本書分析結果部分より「老年人口的基本状況分析」
(翟振武・劉金塘・宋健・陳剛)41
6
〜42
3頁を第2節、
「老年人的日常生活和社会服務状況」
(陸傑華・王菊艶・麻鳳利)
4
5
5〜461頁、
「老年人的健康状況与医療服務」
(陳功・宋新民)4
67〜4
70頁を第3節・第4節、「老年人口経済特
徴分析」
(李建民・卓越・劉紅)4
3
8〜4
4
4頁を第5節として構成した。なお第3〜5節は抄訳であ
り、下線は訳者が着目した部分に便宜的に付し、原文にはないものである。訳出した表はすでに科
研費報告書2にまとめて掲載しており、紙幅の関係で今回は割愛する。
当該調査の概要を以下にまとめておく。
〈調査概要〉 ・プロジェクト申請機関:国家民政局
・プロジェクト審査機関:国家統計局
1
2
出版数は20
00冊のみであり、中国ではこうした調査報告書がきわめて入手困難である。
平成15年度−平成1
8年度科学研究費補助金 基盤研究
(C)
(2)研究成果報告書「現代中国の高齢者福祉と社会
保障制度に関する研究(課題番号15
53
0
31
4)」
(研究代表者 城本るみ)pp
5
.
3−60
1
9
9
・プロジェクト執行機関:全国老齢工作委員会弁公室、中国老齢協会
・プロジェクト実施機関:中国老齢科学研究中心
・調査時期:200
0年12月1日
・調査対象地:全国20省、自治区、直轄市3の1
60市(県)
、64
0街道(郷)、2
0
00居民委員会(村)
・調査対象者:サンプリング地域における都市と農村の6
0歳以上高齢者4
・調査内容:基本生活状況、経済的扶養状況、医療保健、社区服務、精神文化生活、社会活動、
高齢基層組織の活動状況など
・調査方法:都市と農村の個人、および各社区5への3種類の直接訪問アンケート
・回収率:993
.%(有効回答率9
86
.%)6
・有効回収数:個人202
,
5
5(都市1
01
,
7
1、農村1
00
,
84)、社区1
60(都市8
0、農村80)
・被調査者特性:男性5
3%、女性4
7%(60〜69歳5
81
.%、70〜79歳3
33
.%、8
0歳以上86
.%)
2.高齢者の基本状況
2−1.人口学的特徴
2−1−1.性別・年齢特徴
20
00年調査における高齢者人口全体では男性497
.%、女性5
03
.%、年齢分布は低年齢層が最も多
い。都市と農村の高齢者性別比はそれぞれ1
0
0と986
.である。
年齢分布の特徴は低年齢層が最も多いことで、都市の被調査者平均年齢は689
.
8歳、中位年齢67
歳、最高齢108歳、農村では平均698
.
8歳、中位6
8歳、最高齢9
9歳である。うち60〜69歳の低年齢層
は高齢者人口全体の5
89
.%(都市)
、5
35
.%(農村)を占め、年齢の増加とともに人口総数に占める
高齢者人口の割合は下がる。
9
2年の全国調査7と比較すると20
0
0年調査では65〜6
9歳および60〜6
4歳、70〜74歳グループが92
年調査より増えており、後者2グループでは男性が女性より比率が高く、農村では6
0〜64歳、6
5〜
69歳グループが92年より顕著に高くなっている以外、ほかのグループにおける性別差は小さい。
3
4
5
6
7
具体的な対象地は、北京、天津、上海、河北、吉林、黒龍江、江蘇、浙江、安徽、福建、江西、山東、河南、
湖北、広東、四川、雲南、陝西、甘粛、新疆の20(省・自治区・直轄市)である。
中国では一般に6
0歳以上人口を高齢者として区分している。そのため統計数値を扱う際には注意が必要で
ある。
ここでいう社区とは地域コミュニティのこと。詳細は別稿(たとえば拙論「中国の社会福祉改革と高齢者福
祉の行方」
『人文社会論叢』社会科学篇 第13号(2
0
05)など)を参照していただきたい。
回収率、有効回答率ともに高いが、国家プロジェクトとして行われる中国の調査では一般的に見られる数値
である。調査に参加したのは20
00名の訪問員で、内訳は主に当該調査地域の高齢者機関職員や研究機関職員
である。
中国老齢科学研究中心が国連人口基金の支援を受けて92年に実施した「中国老年人供養体系調査」のこと。
内容は22項目にわたり、中国の高齢者問題を扱った初の大規模専門調査といわれている。
2
0
0
2−1−2.教育程度
調査によると高齢者層における教育程度は「通学経験なし」
「小学校」が中心であり、都市高齢者
ではこの2グループの比率は接近しており、それぞれ都市被調査者の2
91
.%、290
.%で、これらの人
々の数を足すと都市高齢者の2/
3を占める割合となる。農村では「通学経験なし」の人々が農村高齢
者の6
16
.%を占め、さらに2
58
.%は「小学校」レベルであるから農村高齢者の8
74
.%が初等教育を満
足に終えていないということになる。現在中国の1
5歳以上人口では大多数が初等教育を終了してい
る状況とは大きな差異が存在している。
9
2年調査では都市における中学教育レベル以下の高齢者比率が580
.%、農村9
45
.%であったこと
から考えると、中国の高齢者人口の全体的な教育レベルの差異はあまり大きくなく、2
0
00年では多
少あがっているものの、都市と農村高齢者の教育程度の差異は依然大きいといえる(9
2年時点の平
均通学年数は都市が41
.年、農村12
.年)
。
性別比をみると女性高齢者の教育程度はさらに低い。男性高齢者では小学校程度が比較的多く、
都市は307
.%、農村では3
93
.%が小学校程度の教育水準であるのに対し、女性は「通学経験なし」が
最も多く、都市では472
.%、農村では8
29
.%が学校そのものに通学した経験がない。農村高齢者の教
育水準が都市に比べて低いのであるから、ここからも農村の女性高齢者は教育水準が高齢者層の中
でもっとも低い一群であることがわかる。
年齢層ごとにみてみると、都市農村を問わず年齢が高くなるほど受けた教育程度は下がっている
ことがわかる。都市高齢者6
0〜65歳では1
45
.%が「通学経験なし」であるが、年齢の上昇とともにそ
の比率も上がり、85歳以上になると6
06
.%に達する。農村では6
0〜65歳で4
63
.%、85歳以上で7
88
.%
となる。
高齢者人口の教育レベルがおしなべて低いのは歴史的な問題であり、これら高齢者層の学齢期や
青年期の教育環境また当時の社会の経済的環境とも関係している。このような高齢者層が歴史の表
舞台から引退し、青少年層の教育が普及するに伴い、今後新たに高齢者に加わる人々の教育水準は
徐々に向上していくものと思われる。2
0
0
0年調査における(高齢者)低年齢層では初等から高等ま
で教育を受けた人々の割合は一定割合で存在している。しかし我々は都市と農村の教育差異が依然
として大きいこと、またある地域、特に貧困辺境地域における青少年の就学問題が存在しているこ
とに注意を払うべきであり、中国全体の教育水準向上にはまだ長い道のりがあることを認識しなけ
ればならない。
2−1−3.婚姻状況
「有配偶同居」
(約7割)と「死別」
(約3割)
が高齢者層におけるもっとも普遍的な婚姻状況であり、
これは都市も農村も基本的に同じである。都市と農村を比較すると都市のほうが「有配偶同居」比
率が高く(658
.:5
24
.)
、農村は「死別」が都市より高い(3
18
.:440
.)。
20
00年の都市と農村の「有配偶同居」の高齢者は高齢者層の中で最も高いが、1/
3の高齢者はすで
2
0
1
に配偶者と死別している。こうした特徴は9
2年調査の結果とほぼ同じである。
性別比較では、女性高齢者の死別比率が高い。農村および都市の高齢死別者は、それぞれ7
90
.%
と6
92
.%が女性で、これは死亡率の性別差異とほぼ一致した結果である。2000年調査では502
.%の
都市高齢女性と6
04
.%の農村高齢女性が配偶者と死別しており、女性高齢者の半数以上が未亡人で
あることを占めしている。男性は都市で8
40
.%、農村で6
71
.%の高齢者が「有配偶同居」であるが、
同時に男性高齢者では離婚と未婚比率も比較的高い。
年齢層別にみると、高齢者人口の「有配偶同居」比率は年齢の上昇とともに下がり、逆に「死別」
比率があがってくる。60歳代では都市816
.%、農村7
35
.%の高齢者が「有配偶同居」であるが、8
5歳
以上ではそれぞれ都市146
.%、農村1
14
.%に下がる。同じように60〜65歳高齢者の死別比率は都市
163
.%、農村231
.%だが、8
5歳以上グループでは8
25
.%、農村869
.%に上昇する。都市と農村の比較で
は、農村高齢者の死亡率が都市より高く、低年齢層でも「有配偶同居」比率が都市より低く、「死別」
比率が都市より高いことがわかる。
2−2.高齢者人口の就業状況
2−2−1.現在の就業状況
居住地と職業の差異により、都市と農村の高齢者就業状況は全く異なっている。都市高齢者では
「定年退職」が主であり、いまなお現役で働いている高齢者は非常に少ない。それに対して農村高
齢者では現在も引続き農作業を続けている割合がかなり高い。
都市高齢者の現在の就業状況は「定年退職」が主で665
.%を占めている。次が「就業経験なし」の
高齢者で217
.%、現在も働いているのはわずか09
.%に過ぎない。
性別比較では、都市の男性高齢者は女性高齢者より「定年退職」比率が211
.ポイント高く、都市の
女性高齢者は「就業経験なし」が男性より2
59
.ポイント高い。また男性高齢者で現在働いている人
の比率も女性より高い。
「定年退職」者の比率は年齢の上昇とともに下がるが、60歳代では762
.%、8
0歳以上になると
4
48
.%に下がる。「就業経験なし」は逆に年齢の上昇とともに高くなり、60〜64歳グループで162
.%
のものが、80歳以上では4
08
.%となっている。
就業状況と高齢者人口の教育水準とは密接に関係しており、教育程度が高いほど「就業経験なし」
の比率が下がり、「定年退職(離職8を含む)
」および現役で働いている比率が上がる。大学専門課
程(3年)9(以下「大専」と略)以上の学歴をもつ高齢者層では16
.%が現役で働いている。
8
中国の退職には「離休」
「退休」の2種類があり、その種類によって退職後に受けられる待遇が異なる。詳細
は拙稿「中国の高齢化と社会保障」
(『社会分析』2
4号)などを参照されたい。
9
中国の高等教育には日本の短大にあたる2年課程、3年課程があり、大学の4年制課程は「本科生」と呼び学
歴を区別しているので注意が必要である。
2
0
2
都市高齢者人口の定年退職者層についてさらに分析すると、都市高齢者では退職年齢には性別に
よる差異が明らかに認められ、女性のほうが男性より早く退職していることがわかる。すなわち
6
65
.%の都市高齢者が60歳以降に退職しているのに比べ、女性は5
20
.%が60歳以前に退職している。
この現象は現在の就業制度にもみられる男女の退職年齢の差異と関係しており、一般女性労働者で
は50歳で退職しているが、女性の平均余命が比較的長いことを考えると、多くの女性高齢者が就業
年限よりも長い退職後の年月を過ごすことになる。教育程度からみると「大専」以上の学歴を有す
る高齢者の定年が最も遅く、「大専」以上の学歴保有者では681
.%が60歳以降の退職となっており、
他の教育水準グループでは6
0歳以降の定年は5
0%前後である(私塾をのぞく)
。
農村高齢者の就業状況は、すなわち現在も農作業に従事しているかどうかで示される。調査によ
れば半数以上の農村高齢者が農作業から離れているが、現在も従事している者が4
24
.%にのぼって
いる。現役で働いている農村男性高齢者は女性より2
44
.ポイント高い。また低年齢層ほど現役率が
高く、年齢の上昇とともに離農している。しかし8
0歳以上高齢者でも66
.%がまだ農作業に従事して
いる。
都市と比較して農村高齢者は「生きている限り働く」という特徴が顕著にみられ、これが農業の
特徴でもあり、農村高齢者の生活が相対的に困難であることを示すものとなっている。
2−2−1.就労意欲と労働機会
都市と農村では高齢者の就労意欲にも一定の差異がみられ、農村高齢者のほうが仕事を続ける意
欲が高く、また性別差異も比較的顕著にみられ、男性高齢者の就労意欲のほうが高い。
全体的にみて都市高齢者の就労意欲はそれほど高くなく、5
97
.%の都市高齢者が経済的収入のあ
る仕事に従事する気持ちをもっていない。特に女性ではその比率が6
51
.%にのぼる。しかし都市部
でも3
44
.%の男性高齢者と249
.%の女性高齢者には就労への意欲がみられる。年齢別にみると低年
齢層ほど就労意欲は高く、6
0〜64歳では4
49
.%が就労意欲をもち、年齢の上昇とともに意欲は低下
していく。おそらくこれは高齢者の身体状況とも関わっているものと考えられる。
それと比較すれば農村高齢者の農業への就労意欲は高く、5
23
.%の農村高齢者が現在でも就労意
欲をもっており、とくに男性(6
14
.%)と低年齢層(6
0〜64歳では7
0%近くにのぼる)で顕著である。
驚くことに8
0歳以上の農村高齢者の2
47
.%が就労意欲を表明している。おそらくこれは農村高齢者
の経済状況と生活状況に関連しており、経済水準が低く、働かなければ食べていけない状況、また
生活の楽しみも少ない状況が労働への意欲を駆り立てているものと考えられる。
就労意欲と労働機会は主観と客観の違いがあり、意欲があっても行動が伴うとは限らず、行動し
たいと思っても機会があるとは限らないものである。
20
00年の調査によれば、大多数の都市高齢者(9
00
.%)が現在は収入のある仕事(自営を含む)に
従事していない(男性は8
54
.%、女性は9
46
.%)。この比率が就労意欲のない都市高齢者割合よりも
高いのは、一部の高齢者は就労意欲を持ちながら、その機会に恵まれない状況があることを示して
2
0
3
いる。これは調査によって得られた高齢者人口自身の現代社会における労働機会に対する考え方と
も一致している。すなわち8
17
.%の高齢者人口が「高齢者に見合った仕事の機会」が「比較的少な
い」
(212
.%)、
「とても少ない」
(6
05
.%)と答え、年齢上昇とともに適当な労働機会が「とても少な
い」と答える比率があがり、6
0歳代では4
87
.%のものが8
0歳代では8
07
.%に上昇しており、年齢が高
い層がより切実に就労困難を感じていることがわかる。
都市高齢者の就労意欲と労働機会に対する考え方を考慮すると、高齢者人口に見合った労働機会
の提供が高齢者人口のニーズに応えることになるものと考えられる。
2−3.高齢者人口の家庭および子女状況
2−3−1.父母、子女およびその居住形態
高齢者人口の直系血縁関係において最も密接な2世代は父母と子女である。高齢者の父母につい
ては200
0年調査時点で高齢者の父母双方または片方が健在である比率は小さく、都市農村を問わず
9
49
.%をこえる高齢者の父母がすでに死亡している(具体的には都市9
28
.%、農村957
.%)。この比
率の性別差異はほとんどみられない。父母の片方が健在の場合、母親が健在である比率がわずかに
高い。高齢者人口の年齢増加とともに父母の死亡比率も高くなっている。
子女については、現在の高齢者人口は出産期に厳格な出産抑制やその措置をしてこなかった世代
であるため、子女とその孫世代の人数は多い。都市と農村を比較すると、農村高齢者のほうが子女
数が多いため、孫世代の数も多い結果となっている。
高齢者人口の居住形態は、配偶者と「同居し食事も一緒にとっている」
(以下「同居同食」と呼ぶ)
比率が最も高く、都市は農村より1
38
.ポイント高い(都市6
74
.%、農村536
.%)
。次が内孫あるいは外
孫世代との同居同食で4
0%を超えており、都市のほうが若干農村より高い。都市と農村の比較的大
きな差異は息子とその嫁との同居同食比率である。都市高齢者では、息子との同居は4
34
.%、息子
の嫁との同居は340
.%であるが、農村高齢者ではこれが5
53
.%、440
.%と同居比率が高くなる。都市
高齢者の同居子女のうち未婚子女が2
12
.%であるのに比べ、農村における比率は2
53
.%である。
これらのことから高齢者人口の居住形態は配偶者あるいは孫世代との同居同食を主としており、
また多くの都市高齢者が息子と嫁との同居同食比率も高いことから直系2代あるいは3代の同居形
態をとっていることがうかがえる。また農村高齢者の息子と嫁との同居比率がずば抜けて高いわけ
ではない。しかし高齢者自身の居住意向をみてみると、458
.%の都市高齢者および639
.%の農村高
齢者が子女との同居生活を望んでいる。しかし特に農村高齢者の意向と実際の同居数値は一致して
おらず、同居が必ずしも実現していないことを示している。これはもしかすると農村の住宅が比較
的広く、父母と子女の居住が同じ敷地で別棟、あるいは同じ村で別敷地である可能性も考えられ、
また通婚圏が比較的狭いため娘や娘婿との距離も比較的近く、それによる一定割合の農村高齢者が
娘との同居同食生活にあるということも影響していることが考えられる。
2
0
4
住宅の距離からみると、654
.%の都市高齢者は子女が市外居住ではなく、6
40
.%の農村高齢者も子
女が県外居住ではない。すなわちこれらの高齢者人口は子女数も多く、子女との居住距離も近いた
め、これらの子女資源を有効に活用することが可能であることを示している。
2−3−2.世代間支援と交流
すべての子女が高齢者に経済的援助をしているわけではなく、都市では7
01
.%、農村では6
62
.%の
高齢者が「子女からの経済支援なし」と回答している。また各々の子女が同じように高齢者に経済
的援助をしているわけではないという回答は都市年高齢者の9
01
.%、農村高齢者の9
05
.%にのぼる。
しかし高齢者と子女間の世代間交流と相互支援は明らかで、都市・農村を問わず、大部分の高齢者
が留守番や家事、孫の世話などで子女を助けている。
全体的に高齢者人口が「子女は自分に対して孝行だ」と考えている比率は都市で775
.%、農村
7
18
.%であり、家庭が比較的仲睦まじくやっていると考えている比率は都市990
.%、農村945
.%である。
2−3−3.高齢者の家庭内における地位
高齢者の家庭内における地位は、家庭において自分が一家の戸主であるかどうか、また大きなこ
とを決めるにあたって、自分が金銭的なことについてのリーダーシップがとれるかどうかではかる
ことが可能である。
2
000年調査が示すこの2つの指標からは、都市高齢者の家庭内における地位が農村高齢者よりも
高いことがみてとれる。具体的に自分が戸主であるとする都市高齢者は6
23
.%、農村高齢者は
4
54
.%で農村高齢者が169
.ポイント低い。家の中での大きな出来事に際し、金銭的な主導権を握っ
ているという都市高齢者は5
99
.%、農村高齢者は4
26
.%で同様に1
73
.ポイント低い。農村高齢者では
子女に従うと回答した者が多く、子女が戸主であるとする比率が4
14
.%、金銭的にも子女が主導権
を握っているとする比率が4
43
.%と、同じ問いに対する回答が都市高齢者より3
0ポイントほど高い。
高齢者人口の家庭内における地位は、その経済状況と関係している。多くの高齢者が自分の経済
状況には問題がないと回答している(都市790
.%、農村5
89
.%)が、都市と農村には差異が存在して
いる。都市高齢者の経済状況のほうが明らかに農村高齢者よりもよいのである。
9
2年の全国調査と比較してみると、経済的に余裕のある都市高齢者の比率が上昇しているもの
の、経済的に困難だとする高齢者比率に大きな変化はない。それに比べ農村高齢者の経済状況は明
らかに下降現象がみられ、余裕があると回答した高齢者は9
2年より28
.ポイント下がり、なんとか生
活するには大丈夫だと回答した高齢者も39
.%下がっている。
多くの農村高齢者が家庭内では子女の意見に従う必要があると回答しているにもかかわらず、同
時にこの調査では854
.%の農村高齢者が子女との間に「家庭扶養契約書」を交わす必要はないと答
え、934
.%の農村高齢者がこの契約書を交わしていない。また子女が扶養を嫌がる状況が発生して
も、761
.%の農村高齢者が自分の子供を訴えることはしたくないと答えている。これらの数値は農
2
0
5
村高齢者が家庭内で受動的で弱者の立場にあること、また本人自身がそのように意識しておらず、
自分自身を守る相応の措置をとらないということをあらわすものである。
2−4.
高齢者人口の住宅状況
高齢者人口は社会における非常に重要な位置を占めており、彼らは一般に社会や家庭で貢献した
後に定年退職し老後を迎えた者たちである。こうした高齢者人口の生活環境のよしあしは国家の物
質文化の発展レベルを示すものであり、それは高齢者人口の住宅環境がひとつの大きな指標となる。
2−4−1.単独住居の有無
調査において使用した「単独住居」という言葉は高齢者が単独で使用していることを意味し、自
分と配偶者が共同使用している、あるいは未成年(1
8歳以下)の子女と共同で使用している住宅を
指すものである。
調査結果からは都市でこの「単独住居」をかまえる高齢者は9
02
.%、農村では9
11
.%である。9
2年
調査と比較すると都市・農村を問わず、単独住居をかまえる高齢者比率は下がっている。その原因
はおそらく高齢者人口の年齢構造の老化によるものと考えられる。後期高齢者は身体状況が低下
し、生活の自立能力が衰え、介護を必要とする者が増加するために、年齢構造が老化(=後期高齢者
の増加)すれば部屋を独占する割合は明らかに低年齢層の高齢者よりも低くなるからである。
2−4−2.住居分類
住居分類は不動産の財産権の角度(主に所有権)から高齢者人口の住宅状況を反映するひとつの
大きな指標となる。一般に所有権をもつ住宅は高齢者の晩年生活に一定の安定感をもたらすからで
ある。
絶対多数の農村高齢者の住居は「自宅」に属すものである。都市の住宅制度改革にともない、都
市高齢者が「自宅」を所有する比率も高くなっている。今回の調査では3/
4の都市高齢者の住居が
「自宅」に属しており、その内訳は社宅の買取りによる「自宅化」が4
50
.%、以前に自前で建てた旧
家が3
28
.%、商品住宅は84
.%にすぎない。都市高齢者の住居の所有権が自分あるいは配偶者に属し
ているのは662
.%、子女の帰属となっているのは1
86
.%である。
2−4−3.生活設備
住宅そのものの状況は高齢者人口の生活の質を示すにすぎないが、住宅内部の生活設備状況、た
とえば水道、電気、ガスなどの状況は高齢者の生活環境の相対的な質を示すものである。
調査結果によると、目下都市高齢者は基本的に水道を使用できており、多くの家でガスの使用が
可能(803
.%)で室内にトイレもある(7
06
.%)
。ただし室内にスチーム(集中暖房)がある比率は低
く285
.%である。
2
0
6
農村の高齢者住宅状況は都市より劣り、現在農村高齢者が基本的に解決できているのは電気の使
用のみで、水道が使用できているのは3
85
.%、ガスにいたっては2
27
.%である。暖房と室内トイレは
もっと低く、それぞれ227
.%、1
30
.%である。都市と農村高齢者の使用可能な生活設備には大きな差
異があり、これはある程度中国の都市と農村の経済水準の差異を示すものと理解できる。
9
2年調査と比較すると、都市高齢者人口の住宅や生活設備の改善は比較的早く、家庭でのガス使
用と室内トイレの比率はそれぞれ304
.ポイントと326
.ポイントの増加となっている。集中暖房のあ
る家庭は1
65
.ポイント増である。それに対し農村では改善速度が遅く、ガス1
15
.、暖房02
.ポイント
の伸びしかなく、水道を使っている家庭比率は2
0ポイントも下がっている。
2−4−4.家電所有状況
この調査では、都市高齢者家庭ではテレビが普及し、多くの都市高齢者家庭で電話、洗濯機、扇
風機、冷蔵庫をもっているが、エアコンや録音機の所有比率は比較的低いことがわかった。農村高
齢者家庭ではすべての家電所有率が都市よりも低い。テレビが普及している以外に、半数以上の家
庭でラジオ、電話、洗濯機を所有しているが、録音機と冷蔵庫の所有は3
0%以下にすぎず、エアコ
ンにいたっては2%足らずである。これはある意味、農村高齢者の生活水準が比較的低いことをあ
らわすものである。
9
0年代、中国の都市と農村の市民生活水準は大幅に改善され、それは家電所有率からも明らかで
ある。本調査においても9
2年調査と比較して高齢者家庭における各種家電の所有率は明らかに上昇
している。なかでも都市高齢者家庭における電話、洗濯機、冷蔵庫の所有率上昇は早く、それぞれ
635
.、183
.、205
.ポイント伸びている。農村高齢者家庭のテレビと電話普及も比較的早く、それぞれ
227
.、126
.ポイント改善されている。
2−4−5.住宅状況の満足度
高齢者人口の住宅条件に対する主観的な評価は、すなわち彼らの居住条件に対する満足度を示す
ものである。現在の居住条件と望んでいる居住条件との差は住居満足度と反比例し、その居住条件
に対する期待値は収入や子女の経済条件、住んでいる地域の経済発展情況など多くの要素から影響
を受けるものである。
都市の被調査者では770
.%の高齢者が現在の居住条件に比較的満足しており、農村では830
.%が
比較的満足と答えている。都市と農村を比較すると、農村の生活設備が劣っているにも関わらず、
農村高齢者の満足度のほうが都市高齢者よりも高い結果となった。おそらく都市高齢者のほうが住
宅に対する要望が多く、希望も高いことが反映されたものと考えられる。
2
0
7
2−5.養老施設およびそれに対する高齢者層の印象
高齢者人口の生活の質は多様な因子から影響を受けるが、とくに中国の社会経済の発展と家庭の
小規模化の趨勢が高齢者人口の「社会的扶養」という現象の出現をもたらしている。ある国や地域
の養老施設の状況とその建設は高齢者に対するサービスの社会化でも重要なものであり、高齢者人
口の生活の質に影響を与える重要な指標のひとつである。
2−5−1.高齢者組織および養老施設
ある地域が高齢者の生活の質を向上させることを目指す高齢者組織や養老施設の状況は、その地
域の高齢者事業に対する重視程度を反映するものであり、それは高齢者の生活の質に重大な影響を
及ぼすだけでなく、その地域の高齢者に対する敬愛の伝統が受け継がれているか、ひろく発揚され
ているかを示すものでもある。
本調査では民事調停班が都市と農村における重要な高齢者の社会組織であること、次が高齢者協
会であることがわかった。都市の高齢者社会組織は農村に比べ普及面積が広いが、都市では高齢者
協会と高齢者権益保護班などの高齢者組織の比率がそれぞれ農村よりも93
.、1
13
.ポイント高いこと
がわかる。逆に農村における敬老院、福利院などの社会的養老施設の普及面積は都市よりも広く、
調査した都市高齢者回答では、敬老院、福利院、老年公寓などの養老施設があると回答したのは
236
.%、同じ項目の農村部の「ある」という回答は7
30
.%であった。
これらの問いに対する回答では性別で若干の差異がみられ、男性の「ある」という回答はおおむ
ね女性よりも低かった。たとえば都市部での調査で高齢者協会の有無を問うた設問で「ある」と回答
した男性高齢者は4
19
.%、女性は4
14
.%で、その差は05
.ポイントである。高齢者の権益保護班につ
いては「ある」と回答した男性は1
59
.%、女性は1
88
.%で女性より29
.ポイント男性高齢者が低い。民
事調停班に対する問いでは「ある」という男性の回答は6
92
.%、女性より4ポイント近く低い。養老
施設の有無についての設問では「ある」という男性は237
.%、女性は235
.%で02
.ポイントの差である。
2−5−2.養老施設に対する印象
養老施設の存在は社会的扶養の基本条件であるが、ある地域における養老施設の質やサービス水
準は高齢者の主観的評価によって反映されるものでもある。なぜなら高齢者人口の養老施設に対す
る印象如何はその地域の養老施設やそのサービス水準の質を反映するものだからである。
調査結果から都市高齢者の養老施設に対する全体的な印象は「わりに劣る」が75
.%、
「普通」
532
.%、
「それなり」3
93
.%であり、養老施設を「理解している」のは344
.%であった。性別を見てみ
ると男性と女性の養老施設に対する全体的な印象は基本的に一致している。
農村部のアンケート調査では、農村高齢者の養老施設に対する全体的な印象は「わりに劣ってい
る」92
.%、「普通」
4
74
.%、
「それなり」
4
33
.%で、養老施設を「理解している」が457
.%である。性別
ごとにみてみると、男性高齢者の「わりに劣る」
「普通」
「それなり」は83
.%、4
73
.%、4
44
.%で、そ
2
0
8
れに対して女性は94
.%、505
.%、4
02
.%である。男性高齢者の養老施設に対する「理解」は4
59
.%、女
性は3
97
.%で養老施設に対して「理解していない」が男性5
41
.%、女性6
03
.%となっている。
以上を比較してわかるのは、都市高齢者の養老施設に対する全体的な印象は「普通」が農村より
58
.ポイント高く、
「それなり」が40
.ポイント低い。養老施設について「理解している」都市高齢者
は農村より1
13
.ポイント低く、これは農村高齢者が比較的養老施設に関心が高いこと、また農村が
比較的多くの養老施設をもっているためではないかと考えられる。
2−6.高齢者の生活状況に対する主観的評価
高齢者は長期にわたる社会生活の中で個人特有の人生観や価値観、幸福感などを形成しており、
個人や社会に対してもある一定の見方を有している。本調査において我々は生活満足度、幸福感、
宗教信仰や自分の考え方に対する4つの指標をもって高齢者のこれらの問題についての主観的な評
価を問うた。
2−6−1.生活満足度
生活満足度は高齢者の現在の生活状況に対する総合的な評価をはかるものである。高齢者の生活
水準に対する期待は多様な影響を受けるものであり、この生活満足度指標はこうした因子を考慮し
た上で高齢者の生存状況の主観的評価を総合的に反映するものでもある。
本調査において都市高齢者の現在の生活に対する満足度は「割に満足」5
07
.%、「とても満足」
188
.%であった。このことから大多数の都市高齢者は現在の生活状況については満足しており、比
較的高評価を与えている。性別では都市の男性高齢者は女性高齢者よりも満足度が高い。農村調査
では「とても満足」
(129
.%)
「割に満足」
(4
84
.%)ともに都市の高齢者よりも数値が低く、性別は満
足度に影響を与えていない。
2−6−2.幸福感
幸福感は生活に対する満足度のあらわれの一つでもある。本調査においては都市高齢者が自分は
「わりに幸福」
「それなり」
「わりに不幸」と感じている比率は6
53
.%、2
92
.%、54
.%である。2/
3以上
の高齢者が「わりに幸福」と回答し、不幸だという回答は54
.%にすぎない。性別ごとにみると、都
市の男性高齢者は前述の比率が6
71
.%、2
88
.%、41
.%、それに対し女性は6
35
.%、2
97
.%、68
.%であ
る。都市高齢者では「わりに幸福」と回答した男性が女性を36
.ポイント上回り、
「それなり」では女
性が09
.ポイント低い。
農村の調査結果では同じ設問に対し「わりに幸福」
4
41
.%、
「それなり」
4
52
.%、
「わりに不幸」
1
07
.%となっており、1/
2の高齢者が「わりに幸福」だと答え、
「わりに不幸」は1割であった。性別
で農村高齢者を比較すると、男性はそれぞれ4
43
.%、4
52
.%、1
05
.%で、女性は4
39
.%、452
.%、109
.%
である。
2
0
9
都市と農村の幸福感に対する回答は若干の差異が認められる。特に農村高齢者の「わりに幸福」
は都市高齢者よりも2
12
.ポイント低く、
「わりに不幸」も都市より53
.ポイント高い。農村高齢者が
「それなり」と回答している比率は都市より16ポイント高く、これは農村の生活状況が都市より
劣っていること、すなわち中国の都市と農村の格差状況を具体的に反映したものといえる。
2−6−3.高齢者の「高齢者」概念に対する主観的評価
「高齢者」というのは人口学的な常用語である。理論的にある客観的な基準(年齢段階)があるの
だが、客観的基準は人々の主観的評価には代替できない。したがって高齢者は「高齢者」という言
葉に対する発言権がある。
1.
「男性はいくつからが高齢者だと思いますか」という設問に対し、都市高齢者の多くは6
0
〜64歳の間を高齢者と呼ばれる指標とした。さらに1/
3以上の者が7
0歳以上になると男性は
高齢者と呼ばれると答え、これには男女の見方に大きな差異は認められない。農村高齢者は
60〜64歳を高齢者と呼ぶと回答した者が都市高齢者より明らかに多い。
「男性はいくつから高齢者か」という設問に対しては都市と農村高齢者の間に一定の差異
が認められる。特に6
0〜6
4歳の間とするものと7
0〜7
4歳の間とするものに大きな差異が存在
する。60〜6
4歳を高齢者指標とする都市高齢者は4
42
.%、農村は6
08
.%で農村が1
66
.ポイント
高い。70〜7
4歳を高齢者指標とするという回答は都市3
08
.%、農村は1
78
.%で、都市のほうが
13ポイント高い。ここから都市高齢者の心理的年齢が農村高齢者よりも若いといえよう。
2.「女性はいくつからが高齢者だと思いますか」という設問に対し、都市高齢者は5
5〜5
9歳、
60〜64歳とする回答が多く189
.%、436
.%である。農村高齢者は5
5歳とするものが90
.%、55
〜5
9歳とするものが2
54
.%で都市高齢者より高い。これからみても明らかに都市高齢者の心
理年齢のほうが農村高齢者よりも若いといえる。
これらの比較を通して、性別の差異は「高齢者」という概念にも大きな影響を与えている
ことがわかる。例えば都市高齢者では男性では60歳以前を「高齢者」とするものが25
.%に過
ぎないのに対し、189
.%の高齢者が女性は55〜59歳を高齢者とすると答えており、性差は大
きい。
3.「あなたは現在自分を高齢者だと思いますか?」という設問に対し、都市高齢者では195
.%
が否定し、8
05
.%が肯定している。性別では都市の男性高齢者で否定するものが2
46
.%、女性
は143
.%で、男性のほうが103
.ポイント高い。農村高齢者では85
.%が否定しており、男性は
1
14
.%、女性は57
.%で男性のほうが57
.ポイント高い。
農村では915
.%の高齢者が「自分は高齢者である」と認めており、この比率は都市より1
1ポ
イント高い。これは農村高齢者の「自覚」が都市ほどよくないということを示すものである。
これはまた農村生活の圧力や大変さが農村高齢者に対して「老いる前に衰える」状況をもた
らしていることを示すものでもある。
2
1
0
4.「あなたは現在自分が年をとったと思いますか?」という設問に対し、246
.%の都市高齢者
が否定し、7
54
.%が「そう思う」と答えている。男性は3
02
.%が否定、698
.%が肯定しており、
女性は19%が否定、8
1%が肯定している。回答には性別が影響しており、都市の女性高齢者
のほうが男性より肯定した比率が1
12
.ポイント高くなっている。
農村では106
.%が否定し、894
.%が肯定している。性別にわけてみると男性は143
.%が否
定、8
57
.%が肯定し、女性は70
.%が否定、930
.%が肯定している。これも性別の影響がみら
れ、農村でも女性高齢者の肯定比率が73
.ポイント高い。
都市と農村を比べると、農村の「自分は年老いた」と考える高齢者は8
94
.%で都市より1
4ポイント
高い。これも農村高齢者の「自覚」が都市高齢者ほどよくないことを示すものである。
3.高齢者の日常生活状況
3−1.日常物質生活
衣食に使う生活費は高齢者の日常的な物質生活の主要な部分を占めるものである。高齢者の衣食
に支出される費用は都市と農村で大きな差異が存在する。都市高齢者が毎月衣食に使う費用は平均
2
05元で、この支出が10
0元以下の者は2
87
.%、2
0
0元以下6
24
.%、3
0
0元以下818
.%、40
0元以上は1
0%
に満たない。都市高齢者間における格差もかなり大きいことがわかる。農村部は経済発展水準が遅
く、農村高齢者の衣食にかける費用は月平均6
0元である。このうち5
0%の高齢者は衣食の支出が4
5
元以下、871
.%が1
00元以下、9
72
.%が20
0元以下、30
0元以上と回答したのは09
.%に過ぎず、40
0元
以上になるとわずか03
.%で都市に遠く及ばない。
高齢者の経済状況の自己評価は、高齢者自身の経済状況に対する満足度も反映されている。高齢
者全体では自分の経済状況が「そこそこ」と評価する者がもっとも多く、都市は570
.%、農村492
.%
である。しかし「ゆとりがある」という回答になると、都市は農村の2倍となり、都市222
.%、農村
99
.%である。逆に「少し厳しい」と言う回答は農村が都市の倍になり、農村3
23
.%、都市165
.%であ
る。これはある程度農村地域の高齢者の経済状況を反映するもので、政府も関心をよせるべき問題
である。「とても困難」という回答は最も少なく、農村87
.%、都市42
.%である。
3−2.日常生活機能
日常生活機能は高齢者の日常生活の基本的な状況を直接反映するものである。我々は高齢者の日
常生活におけるいくつかの機能について以下のように規定している。「きちんとできる」というの
はその項目活動が「無理せずにできる」ことを指し、
「できない」はその項目の活動を行うのに「少
し無理がある」あるいは「できない」ことをさす。「まったくできない」というのは、その活動その
ものを「少しもできない」ことであり、ある人にとっては日常生活機能の「部分的欠損」は一項目あ
2
1
1
るいはそれ以上の行動を行うのに「少し無理がある」ことであり、
「できない」ということではない。
まず我々は高齢者の日常生活の自立能力(ADL)について考察する。被調査者の都市高齢者の中
で、少なくとも1項目は自立能力に欠けるという者は1
46
.%、農村ではこの比率が若干高く2
24
.%で
ある。ADL機能に1項目のみ問題を抱える都市高齢者は558
.%で、2項目161
.%、3項目以上にわ
たって機能障害を抱えるものは2
81
.%であった。農村ではこれらの割合は、それぞれ1項目5
77
.%、
2項目1
24
.%、3項目以上が2
99
.%である。以上のことから ADL機能障害を抱える高齢者は、その
多くが部分的障害であることがわかる。部分的機能障害を抱える者が機能障害高齢者全体に占める
割合は、都市が645
.%、農村6
45
.%である。被調査者の高齢者全体に占める割合は、都市で95
.%、
農村1
35
.%となっている。「少なくとも1項目は ADL完全欠損」を抱える高齢者が有機能障害高齢
者に占める割合は、都市が3
54
.%、農村399
.%で、被調査者全体に占める割合は都市52
.%、農村89
.%
である。この少なくとも1項目は ADL「完全欠損」を抱える高齢者のうち6
61
.%の都市高齢者と
8
08
.%の農村高齢者は1項目のみの欠損である。
異なる活動項目からみると都市・農村にかかわらず、高齢者の食事、着替え、トイレ、ベッドの
上り下り、入浴、室内の移動という6項目の活動のうち、最も機能障害が重いのは入浴で、軽いの
は食事である。入浴について「できない」と回答したのは都市131
.%、農村2
03
.%で、そのうち「完
全機能欠損(まったくできない)」が都市49
.%、農村87
.%である。食事についての機能障害は都市
が27
.%、農村50
.%であるが、うち完全機能欠損は都市03
.%、農村03
.%にすぎない。その他の機能障
害は着替え(都市33
.%、農村58
.%)、トイレ(都市45
.%、農村66
.%)
、ベッドの上り下り(都市39
.%、
農村62
.%)
、室内移動(都市49
.%、農村59
.%)で、農村のほうが若干都市よりも比率が高い。
家事労働能力(I
ADL)も高齢者の日常生活能力を反映するものである。被調査者の都市高齢者
のうち、少なくとも1項目の I
ADL機能欠損を抱える者は3
40
.%、農村では4
19
.%で都市より7ポイ
ントほど高い。I
ADL機能欠損を抱える都市高齢者のうち、1項目のみの障害は4
62
.%、2項目障害
は181
.%、3項目以上の障害は3
57
.%である。農村では、1項目4
30
.%、2項目2
06
.%、3項目以上
が365
.%である。都市では少なくとも1項目が完全に機能欠損である高齢者は機能障害を抱える高
齢者の537
.%を占め、被調査者全体の183
.%である。部分機能欠損者が機能欠損者に占める割合は
4
63
.%、被調査者全体の1
57
.%である。農村における同比率は全機能欠損5
24
.%(全体の2
20
.%)、部
分機能欠損476
.%(全体の2
00
.%)である。これらの比率は都市と農村で大きな差異は見られず、
I
ADL機能の部分的欠損比率と少なくとも1項目が完全機能欠損である比率も比較的数値が接近し
ている。
4項目の能力のうち、高齢者がもっとも多くもつ機能欠損は「1〜2キロの歩行」という項目で
ある。この機能障害をもつ高齢者は都市2
89
.%、農村3
38
.%(いずれも被調査者全体に占める割合)
で、完全機能欠損は都市144
.%、農村1
51
.%である。掃除、食事の仕度、洗濯の機能障害は都市で80
.%、
1
44
.%、199
.%、農村で1
01
.%、1
92
.%、270
.%である。これら3項目の完全機能欠損は掃除が都市
42
.%、農村43
.%で比較的低めであるのを除き、あとの2項目はいずれも1
0%前後の割合である。
2
1
2
さらに異なる年齢層によって、どのように日常生活能力の差異があるのかをみてみよう。
都市と農村の差異については詳細に前述した。都市と農村間では高齢者の日常生活能力に明らか
な差異が認められる。全体的に農村高齢者はどの項目においても都市高齢者の機能障害保有率より
高く、特に差が大きいのは洗濯(2
03
.%と131
.%)、食事の仕度(192
.%と144
.%)
、洗濯(270
.%と
1
99
.%)の3項目である。農村高齢者の日常生活能力の機能障害は都市よりも高いと結論付けるこ
とが可能である(ADL:2
24
.%と146
.%、I
ADL:419
.%と340
.%)
。農村高齢者の日常生活の完全機
能欠損率も都市より高いことがわかる(ADL:89
.%と52
.%、I
ADL:220
.%と1
83
.%)。
3−3.日常ケア状況
高齢者の日常生活機能状態は高齢者の日常生活の自主性と独立性に直接関係する。前述の分析で
明らかになったのは、少なくとも1項目の ADL欠損高齢者は都市1
46
.%、農村224
.%である。少な
くとも1項目の I
ADL欠損の比率はさらに高く、都市3
40
.%、農村4
19
.%である。しかし被調査者全
体において71
.%の都市高齢者と72
.%の農村高齢者10が「自分の日常生活には他の人の手助けが必
要」だと回答したにすぎず、多くの高齢者にはケアがない状態だと考えられる。機能欠損を抱える
高齢者の中で、ケアを受けている割合は都市のほうが農村より高く、とくに少なくとも1項目の機
能が完全に欠損している高齢者においてその傾向が顕著である。
誰が高齢者の日常生活の世話をしているかというのは注目すべき点である。日常生活に介助を必
要とする高齢者のうち951
.%の都市高齢者と969
.%の農村高齢者は世話をしてもらっている。日常
生活でケアを受けている高齢者にとっては配偶者と子女(息子、嫁、娘、娘婿を含む)が大きな担い
手となっている。都市における娘の介護参加比率は4
84
.%、農村では息子と嫁の参加率が最も高く、
息子733
.%、嫁662
.%である。都市部では友人や近隣者が57
.%、ボランティア25
.%、居民委員会や街
道のケアが36
.%、養老施設は07
.%、ヘルパーやアルバイトが1
54
.%を占めている。同じ比率が農村
では、30
.%、09
.%、11
.%、05
.%、04
.%で都市よりかなり低いことがわかる。
3−4.政策と課題
この高齢者調査では高齢者の経済問題が突出しており、都市では2
0%近く、農村では倍以上の高
齢者が経済的問題を抱えていることが明らかになった。2
00
0年人口センサスに照らし合わせて算出
すると、農村では65歳以上の高齢者で2
5
7
3万人が経済的に問題を抱えていることになる。
経済問題と並んで高齢者の日常生活のケア問題も大きい。特に経済問題を抱える農村高齢者にお
いて、その状況は困難を極める。日常生活の自立度や各種の設備を利用する能力なども、農村高齢
者の機能障害は都市高齢者より悪く、特に8
0歳以上になるとその傾向が顕著になる。
10 原文のまま訳しているが、
『中国城郷老年人口状況一次性抽様調査数据分析』
2
46〜24
7頁の数値を確認する
と、おそらくこの部分は66
.%の間違いだと考えられる。
2
1
3
高齢者に介助を提供しているのは主に子女や親戚である。高齢者の晩年生活が親族によるケアに
依存していることがわかった。逆に親族外からのケアの提供が不足していることも重大な問題であ
る。この調査によって配偶者や子女が高齢者ケアの重要な提供主体であることが明らかになった
が、男女の寿命の差や今後子女の数が減少していくことを考えると、これからのケア問題は重要な
課題となる。特に農村では労働力の都市への流動率が上昇しており、親族外からのケア需要が高ま
るに違いない。
時代の変化とともに、高齢者の精神生活の充実に対する需要は高まっている。これは現在の社区
における養老服務の社会化程度がまだ低いことと対照的な結果である。社会経済水準の向上ととも
に高齢者の日常の物質的生活のみならず精神生活へのニーズが高まってくることは間違いないが、
まだそれに応えられるだけの条件が整っていない。
4.高齢者の社会サービスおよび医療サービスに対するニーズとその利用
9
2年調査では、服の着替え、食事、入浴、トイレに行く、という4つに食事の支度をする、洗濯
をする、家事をする、買い物をする、という4項目を加えた8つの指標を用いて高齢者の日常生活
機能を測定している。その調査で明らかになったのは、前記4項目については9
65
.
2%の高齢者が自
分でできるが、後の4項目については6
11
.
9%の高齢者が他者の介助を必要としていることがわかっ
た。同じ調査結果を用いて姜晶梅(19
9
9)は中国の高齢者の ADL基本状況について、1)都市・農
村を問わず、大多数の高齢者が自立生活可能である。2)女性高齢者の機能低下率は男性より高い
が、機能低下年齢は高い。3)機能が低下した高齢者の中で経済的に困難を抱えて独居などの問題
は、都市・農村を問わず女性高齢者の状況のほうが悪く、配偶者との死別後の単独生活率が高く、
経済的に困難を抱えているケースが多い、と考察している。そのほか同じような小規模調査でも類似
の結果となっている。項曼君(1
9
9
6)らの研究によると北京では被調査者の7
61
.%の高齢者が独力
で自立生活が可能で、1
84
.%が独力では簡単な家事労働ができず、55
.%が日常の自立生活が困難
だった。依存率は年齢が高くなるにつれ増加している。
高齢者の日常生活のケアについては楊宗傳(1
996)が詳細に高齢者ケアを研究しており、それに
よると都市と農村、性別、年齢などの差異が存在しているという。すなわち高齢者ケアは基本的に
家庭成員によって提供されており、その主な担い手は配偶者である。後期高齢者の場合、中、低年
齢層の高齢者ケアに比べ、圧倒的に娘と嫁のケア比率が高くなる。社会的サービスを受けている者
はごくわずかである。姜晶梅の研究でも自立生活困難な高齢者に対する重要なケアは親族が担って
いることが明らかになっている。
2
1
4
中国の高齢者ケアに関する研究の問題点
① 多くの研究がある小地域(たとえば社区など)のある特殊なグループ(経済的に困難な高齢者)
などを対象としたものが多く、しかも医学的見地からの検討が多い。
② 研究の多くが断面的にその現象を追ったもので、縦方向の全体的な研究が少ない。
③ 常用されている高齢者の日常生活の評価方法が、高齢者の主観評価が多いため、情報収集はし
やすくても客観的な情報として扱えるかどうかに問題点が多い。
4−1.日常生活ケア
高齢者の日常生活においてケアを必要とする者の割合は都市71
.%、農村72
.%である。高齢者が
生活で介助を必要とするかどうかは、日常生活の機能状況と関係しており、特に生活の自立度と密
接に関係している。都市高齢者で生活が自立している者、部分機能欠損者、完全欠損者におけるケ
アニーズはそれぞれ17
.%、2
26
.%、673
.%である。しかし農村高齢者では生活介助を必要とするか
どうかと生活の自立度との相関が都市より弱く、自立度によるケアニーズはそれぞれ17
.%、167
.%、
414
.%となっている。また同時に少なくとも1項目以上の自立能力欠損者で、客観的には他人の介
助を必要とする都市高齢者のおよそ3
59
.%がケアに対する必要性を述べておらず、農村ではそれが
5
98
.%にのぼることが明らかになった。
また生活の世話を必要とする高齢者の965
.%がケアを受けていることがわかったが、その主な担
い手は家庭成員である(詳細は上述の通り)。またこの調査では子女によるケアを受けている高齢
者の多くがその子女たちとは同居していないことがわかった。こうした都市高齢者は子女によるケ
アを受けている高齢者総数の583
.%、農村では5
50
.%にのぼる。また都市で子女によるケアを受け
ている高齢者のうち独居高齢者は87
.%、配偶者と同居しているものは1
35
.%に過ぎない。子女と同
居している高齢者が5
24
.%、その他の居住形式が2
53
.%である。農村のこれらの比率は独居1
04
.%、
配偶者1
17
.%、子女同居は6
98
.%、その他81
.%である。またケアを受けている独居高齢者全員が主
に子女からのケアを受けており、これらの高齢者の8
0%以上が配偶者と死別した者である。
4−2.社区服務
本調査では都市では8種類の社区服務に関する項目、農村では5種類の項目を尋ねている。ここ
ではそのうち医療保健に関する3項目と日常生活のケアに関する3項目の計6項目について分析す
る。ここでは3つの指標を用いることとする。すなわち1)あるサービス項目に対するニーズ比率
はすなわち被調査者におけるその項目に対する高齢者のニーズの割合を指すものとする。2)ある
サービス項目のニーズを持つ高齢者における普及率は、すなわちそのサービス項目に対して高齢者
の住む社区がそのサービスを高齢者にどれくらい提供しているかを指すものとする。3)あるサー
ビス項目に対する利用率は、そのサービス項目を提供している社区において、それを利用した高齢
者がどれくらいいるかという割合を示すものとする。
2
1
5
医療保健と関係する3項目のサービスとは「訪問看護」
「訪問介護」
「付き添い看病」である。都市
高齢者のこの3項目に対するニーズは178
.%、99
.%、93
.%である。農村では「訪問看護」605
.%、
「訪問介護」196
.%で明らかに都市よりニーズが高い。しかしこれらのサービスを提供している社
区はまだ少ない。都市では「訪問看護」
4
57
.%、「訪問介護」
3
54
.%、「付き添い看病」
117
.%である。
農村では「訪問看護」比率は6
42
.%と比較的高いものの、
「訪問介護」になると33
.%しかない。また
サービス普及率の高さに関わらず、社区がこのサービスを提供している場合でも利用率が低い。都
市では「訪問看護」の利用率は1
13
.%、「訪問介護」は29
.%、「付き添い看病」
31
.%である。農村で
は「訪問看護」
「訪問介護」の利用率は比較的高く、それぞれ6
12
.%と283
.%である。
日常生活支援に関する社区服務の項目は「訪問家事サービス」
「日常の買物介助」
「高齢者食ある
いは配食」である。都市高齢者のこれらの項目に対するニーズはそれぞれ107
.%、76
.%、60
.%である。
農村高齢者では「訪問家事サービス」に対するニーズが1
76
.%で都市より高い。医療保健に関する
社区服務に似て、これらのサービスの普及率も利用率も高くない。都市ではこの3項目の普及率は
「家事」423
.%、「買物」
1
15
.%、「配食」
99
.%で、利用率はそれぞれ94
.%、82
.%、23
.%となってい
る。農村では「訪問家事サービス」の普及率が低く32
.%しかないが、利用率は2
03
.%にのぼる。
こうした数値からわかるのは多様な因子(社区がそれらのサービスを提供しているか否かおよび
これらのサービス利用に影響を与える因子)の影響を受けることによって、高齢者のこれらのサー
ビスに対するニーズの多くが満足を得られていないことである。
4−3.医療サービス
本調査では高齢者の外来診療と入院サービスの利用状況のみ調査している。高齢者の外来診療
サービスの利用率は比較的高く、被調査者の7
91
.%が過去1年間に外来診療を受けており、その平
均受診回数は都市72
.回、農村47
.回で都市が農村より高い。都市高齢者の受診回数ごとの比率は1
回93
.%、2回119
.%、3回83
.%、4回51
.%、5回以上3
84
.%である。同じく農村では1
21
.%、143
.%、
1
18
.%、65
.%、293
.%となっている。入院利用も少なくなく、過去1年以内の入院した割合は都市
1
35
.%、農村90
.%である。都市高齢者における入院回数は1回83
.%、2回20
.%、3回以上08
.%で、
同じ比率が農村では47
.%、12
.%、06
.%である。
高齢者は全体的に病気にかかったときに比較的便利であると感じており、病院にかかるのが不便
だと答えた高齢者比率は都市も農村も1
0%前後にとどまった。
4−4.医療保障制度
被調査者の公費医療の受給率は都市と農村で顕著な差がみられる。都市と農村で公費医療を受け
られる比率はそれぞれ6
23
.%と18
.%である。
性別、居住形態、経済状況によっても高齢者の公費医療受給率には大きな差がみられる。具体的
には以下のような特徴がみられる。1)女性の公費医療受給率は明らかに男性より低く、例えば都
2
1
6
市における男女の受給率はそれぞれ7
29
.%と4
98
.%である。2)独居老人の受給率は明らかに他の
居住形態の高齢者より低く、都市独居高齢者の受給は5
16
.%、農村では09
.%である。3)経済状況
は受給率と密接に関わっており、経済状況が劣る高齢者は経済状況のよい高齢者より受給率が明ら
かに低い。都市における経済的に「余裕がある」高齢者の受給率は8
25
.%で経済状況が「困難であ
る」高齢者の35
.倍である。農村では「困難である」高齢者で公費医療を受給している者は一人もい
ない。
さまざまな要因により、公費医療を受給できている高齢者においても392
.%が医療費の支払いに
欠く状況にあり、1人あたりの補償されない医療費は平均8
81元にのぼる。医療費の支払いが滞っ
ている高齢者は党政府機関3
10
.%、事業単位3
29
.%、国有企業4
07
.%、集体企業5
26
.%で、未払いで
補償されていない金額の平均は党政府機関88
66
.元、事業単位7
683
.%、国有企業8
722
.元、集体企業
9338
.元である。
4−5.互助資源
高齢者間の相互支援は高齢者問題の解決にある有効な道筋をもたらすものである。一部の高齢者
では他の高齢者に相応のサービスを提供する気持ちがある。都市では187
.%、農村では2
27
.%の高
齢者は他の高齢者のために家事サービスを、また都市1
45
.%、農村227
.%の高齢者が他の高齢者の世
話をするという意思をもっている。
5.高齢者の経済状況
5−1.収入状況
都市高齢者は715
.%が毎月の年金収入について回答しており、その平均は6
61元で、彼らの年金平
均収入のほうが現在もまだ現役で働いている高齢者の月収よりも高い。年金を受給している高齢者
は主に銀行(651
.%)
、もとの職場(190
.%)
、郵便局(79
.%)
、社会保障部門(63
.%)及びその他の機
関(18
.%)で年金を受取っている。これらのことからも中国の年金制度の社会化程度が改善されて
いることがわかる。都市部では9
0%の定年退職後の高齢者が決められた時期に過不足なく年金を受
取っているが、残りの1
0%については平均84
.ヶ月の滞りがあり、平均2
22
2元の未払い金がある。
都市高齢者に比べ、農村高齢者は労働力として働き始める年齢が低く、平均155
.
1歳で農作業を始
めている。調査時も4
24
.%の高齢者がまだ農業に従事しており、この割合は都市高齢者が現役で働
いている割合よりもかなり高い。農業をやめた高齢者のうち9
12
.%の者はすでに農業をできない状
況になっており、農村高齢者が引退するのは身体的な原因、つまり体力の衰えが主である。いずれ
にせよ農村高齢者の労働意欲は高く、523
.%が働き続けることを望んでおり、これは現役でまだ農
業をしている比率よりも高くなっている。まだ現役で働いている農村高齢者のうち、多くは農業を
2
1
7
やっており、請け負った土地は主に自分と子女とで耕している。
農村被調査者のうち2
49
.%は林業、牧畜、漁業、副業に従事しており、これは基本的に老人の年
齢があがると割合が下がっていく。6
5歳以下の高齢者ではこれらに従事する者は3
3%である。農村
では商売をしているのは35
.%にすぎず、その多くが7
5歳以下で主に6
0〜70歳の間に集中している。
2
000年の彼らの商業収入平均は1
6
8
16
.
9元であった。都市の高齢者に比べ、農村高齢者は基本的に株
や債券購入などの投資活動はしていない。
また農村高齢者の収入は主に農業収入が占めており、ほとんど単一収入である。調査結果では農
村高齢者の家庭請負地からの平均収入は1
9
9
87
.
3元である。また2
000年の林業、牧畜、漁業、副業収
入の平均は9
365
.
7元であり、またわずかではあるが商業収入や年金のある高齢者もいる。農村で年
金のあるものは40
.%にすぎず、その平均年金額は4
0
75
.
3元、その他の収入平均は1
224
.
3元である。
国や社会からの給付率は低く、その社会保障費も都市高齢者に比べて少ない。農村高齢者の77
.%
が、こうした政府からの支援を受けているが、平均支給額は2
451
.
4元、41
.%の者が集体からの支援
を受けており、平均18
65
.
6元である。10
.%は社会養老保険を受取っている(平均4908
.
5元)
。04
.%が
郷鎮企業からの企業養老保障を受けており(平均5
7
44
.
0元)、46
.%がその他のところから収入を得て
いる(平均4
781
.
4元)。これらいくつかの給付を比較すると、政府や集体からの支援を受けている者
が社会養老保険や郷鎮企業からの給付よりも多く、農村ではまだ高齢者扶養の社会化が進んでいな
いことを示している。年齢別に見ると後期高齢者になるほど受給率があがっている。
5−2.預金および保険
高齢者が自分のための老後資金を預金している比率はあまり高くなく277
.%であった。男性の預
金率のほうが若干高く3
32
.%、女性は2
22
.%である。老後生活資金としての預金がない高齢者は
7
23
.%にのぼり、これは重視すべき現象である。年齢別にみると80歳以下の低年齢高齢者預金率の
ほうが高めである。また自分のために預金していても、そのうち5
09
.%が自分の預金は老後生活に
は不足であると答えている。この「老後生活には不足」との回答は女性5
83
.%、男性460
.%で、
「不
足」という回答は女性のほうが多い。こうしたことからも女性高齢者のほうが男性高齢者よりも経
済状況が劣っていることがわかる。また「不足」という回答は80歳以上の比率がもっとも高いが、
7
0歳以下の比較的低年齢層でも少なくない。
高齢者が自分の老後資金として預金している比率が低いだけでなく、預貯金のある高齢者も
4
41
.%にとどまっており、その平均預金高は91
3
53
.元であるが、20
00年の平均利息収入は1608
.元に
とどまっており、低利息政策が特に高齢者にとって不利な影響をもたらしている。高齢者の商業保
険購入は非常に低く、わずか33
.%の高齢者が生涯保険や医療保険を購入しているに過ぎない。
都市高齢者が自分のために年金を預金しているのに比べ、農村高齢者では自分のための預金率が
さらに低く78
.%に過ぎず、預金の平均金額は6
8
20
.
2元である。これらのもののうち、自分の預金が
老後に必要な預金として充分だと考えるものは2
62
.%にすぎず、これはそう考える都市高齢者の半
2
1
8
数に過ぎない。農村高齢者の経済状況は都市高齢者に遠く及ばず、自分の力だけで老後を生き抜く
のも経済的には難しい状況におかれているといえる。
5−3.養老経済保障源
この調査では高齢者の養老経済保障源に対する意向も聞き取っているが、その結果高齢者は複数
の経済的な保障を柱にしたいと考えており、なかでも特に自身と子女による経済保障を重視してい
ることが明らかになった。この調査項目はあくまでも意向調査ではあるが、現実的な経済保障に基
づいて回答している被調査者が多く、それは社会養老保険を選択する高齢者比率と実際にその保険
を享受している高齢者の比率が概ね一致していることからもわかる。
4つの選択肢の中で第一位に選ばれた順位は、「子女からの経済保障」を選んだ者が最も多く
4
87
.%、次に「自分の預貯金」
3
42
.%、「社会保障」
279
.%、
「商業保険」
27
.%となった。第二位の選択
では「自分」と「子女」がやはり多数を占めるが、社会保障と商業保険は第三あるいは第四の選択と
なっている。このように高齢者は自分や子女を経済保障の選択肢として一位あるいは二位に選んで
はいるものの、性別によって明らかな差異がみられる。たとえば男性高齢者では子女による保障を
第一位にするものが最も多く4
14
.%であるが、実際には自分の預貯金に頼って生活している比率が
376
.%で大きな差はみられない。また男性高齢者では社会保障をトップに選んだ者も3
24
.%みられ、
社会保障を「自己資金による養老」とみなすならば、6割以上の男性高齢者が「自分」を頼りに生活
していると言うことができる。しかし女性高齢者の場合は5
59
.%の者が「子女による経済扶養」を
トップに選び、社会保障をトップに選んだ者は2
32
.%、自分の預貯金をトップにした者は3
08
.%であ
る。すなわち半数以上の女性高齢者が子女による経済扶養を老後の主な生活資金として希望したこ
とになる。
大部分の高齢者が自分には現在経済的な保障があると考えており、その比率は756
.%である。し
かし経済保障がないと回答した者も244
.%にのぼっており、とくに女性高齢者では316
.%が経済保
障がないと回答し、男性高齢者の比率(1
72
.%)より144
.ポイント高くなっている。また後期高齢者
のほうが前期高齢者よりも経済保障がないと回答した比率が明らかに高い。2
97
.%の高齢者が退職
以前と比べてさらに経済的保障がなくなったと答えている(男性2
24
.%、女性376
.%)
。85歳以下の
各年齢層の比率は237
.%、212
.%、246
.%、296
.%、309
.%である。
農村高齢者の場合は、子女からの経済支援および自分の預金や保険に頼ろうとする傾向が強いこ
とが明らかになっている。都市高齢者と同じ4つの選択肢の中から経済保障源を選択する項目で
は、まず「子女からの経済的扶養」を望むものが8
24
.%で最も多く、第二選択でも1
48
.%である。「自
分の預金や保険」を第一選択としたのは1
60
.%、第二選択では7
66
.%であった。社会保障と商業保険
は第三もしくは第四選択とみなされており、商業保険を購入して経済保障にするというものは最も
少なく、これを第一選択したのは1%にも満たなかった。都市高齢者に比べ、農村高齢者は子女に
よる経済保障を望むものがずっと多く、商業保険をトップにするものは都市高齢者に比べずっと低
2
1
9
い。農村高齢者は「養児防老」観念が根強く、老後保障の社会化や商業化に対する認識が低いこと
がわかった。
5−4.消費支出状況
今回の調査を実施する1ヶ月前時点での被調査者中の都市高齢者家庭における平均支出は7
928
.
2
元、うち食費支出が最も多く、5
0
45
.
0元であった。これは中国の都市高齢者家庭がまだ低い生活水
準にあることを示すものである。
家庭の支出以外に、7
44
.%の高齢者に自分専用の支出があることがわかった。平均支出額はそれ
ほど高額ではなく1
960
.
8元である。比較的多くの高齢者が主に個人のタバコや酒、衣服などに使っ
ているが、最も平均支出水準が高かったのは「その他の個人支出」で1
523
.
0元(支出比率4
01
.%)で
ある。
都市高齢者の2
0
0
0年の医療支出平均は1
6
7
65
.元である。ほぼ半数が公費医療で支払われている
が、次が本人負担で平均5
189
.
8元、支出平均の1/
3を占めている。子女や親戚による負担は第3位で
平均2
2
75
.
8元であり、商業医療保険からの支出比率が最も少ない。中国の医療保険制度の高齢者に
対する普及率がまだ低い水準にあり、医療費が高齢者やその子女にとってもっとも重い経済的負担
になっていることがわかる。
農村高齢者の家庭支出の平均は24
95
.
2元で都市高齢者の1/
3に過ぎない。またそのうち食費とし
て使われる支出が最も多く、平均1
5
63
.
7元である。
個人支出は6
54
.
0元で、都市高齢者の平均支出より1
3
06
.
8元も少ない。農村高齢者の個人支出が多
い項目は都市高齢者とだいたい同じだが、おしなべて金額は少なく平均5
80
.
6元である。衣類や嗜好
品の支出も多く支出の5
0%を占めているが、都市高齢者は嗜好品が衣類より低かった。
農村高齢者の2
00
0年の医療費総支出は35
01
.
7元で都市高齢者の1/
5にすぎない。これは都市高齢
者との大きな差異である。農村高齢者の医療費負担は、その多くが子女あるいは親戚によって支払
われており、その比率は575
.
7%にのぼる。次が自己負担で304
.
8%である。公費医療は相対的に少
なく65
.
7%、商業保険による支払いはほぼゼロに近い。
5−5.世代間経済交流
この調査では都市高齢者の9
5%近くが子女にお金を与えたことがあると答えており、平均は
7
410
.
6元である。孫に対しては9
6%以上が与えており、平均は4
09元である。これ以外にも9
7%の高
齢者が親戚に平均2
869
.
1元を与えており、9
8%の者が他人とのつきあいで平均3
1
43
.
5元を支出して
いる。言い換えると20
0
0年の都市高齢者のこうした平均支出は17
513
.
2元にのぼり、月平均では
1
459
.
4元になる。都市高齢者の子女や孫世代との経済交流は双方向的なものである。
農村高齢者の492
.%は子女から経済的に平均59
86
.
6元の支援を受けている。132
.%の高齢者が子
女に平均1
0431
.
8元のお金を渡したことがある。1
12
.%の高齢者が孫世代から平均1
7
15
.
8元をもらっ
2
2
0
ている。4
70
.%の高齢者は孫に平均15
88
.
0元を渡したことがあり、177
.%の高齢者が平均17
46
.
5元を
孫世代からもらったことがある。
子女や孫との経済交流以外にも農村高齢者は親戚と一定の経済的交流があり、2
00
0年中に親戚か
らもらった金額の平均は23
88
.
2元、親戚にあげた金額の平均は2522
.
1元である。統計から見ても農
村高齢者の「つきあい消費」は比較的多い。こうした人的交流の支出平均は3
0
85
.
1元、収入は3
019
.
8
元で収支バランスはほぼ保たれた状態である。
5−6.経済状況に対する自己評価
4/
5近くの都市高齢者が現在の自分の経済状況について「まあまあ」
「一般的」と回答している。
うち222
.%の高齢者が経済状況について「足りている」あるいは「余裕がある」と回答し、57%の高
齢者は生活するに充分な状況である。しかし165
.%の高齢者は「経済的に少し困難」と答え、42
.%
は「とても困難」と回答している。女性高齢者はとくに男性高齢者より自己評価が低く、
「足りてい
る」
「余裕がある」は男性より88
.ポイント低く、「少し困難」は男性より64
.ポイント高く、58
.%の女
性高齢者が「とても困難」と答えている。また後期高齢者ほど経済的な困窮者が増える傾向にあり、
「とても困難」と回答した者は8
0〜84歳で2
67
.%、85〜8
9歳で291
.%、9
0歳以上で188
.%となってい
る。中低齢層の「とても困難」の最高比率は2
51
.%、最低は1
88
.%である。
男性の農村低年齢層高齢者は一家の戸主として認められている比率が比較的高い。農村高齢者家
庭では、一般的に男性高齢者が戸主であり、次が子女、女性高齢者が戸主である比率は比較的低い。
家庭で大きなことをやる場合に、支出についての決定権をもつ人間の構造も大体同じである。これ
からも農村では男性高齢者の家庭内地位は比較的高いが、女性高齢者の場合は家庭内でとくに経済
的地位が低いことがわかる。年齢区分をみると、高齢者の年齢があがるほど戸主である比率が低く
なっており、低年齢層の戸主が多いことからも高齢者自身の心身の状況が影響しているものと考え
られる。また高齢者が戸主の比率が下がるとともに子女がかわって戸主になる比率が増している。
農村高齢者のうち多くのものが、かつて生産隊にいた頃の高齢者に比べれば自分はまだ経済的に
保障があるほうだと考えており、861
.%にのぼっている。556
.%の高齢者は現在自分には経済保障
があると考えており、444
.%は「ない」と答えている。具体的には99
.%の高齢者が自分の経済状況
には「ゆとりがある」と答え、4
92
.%が「生活には不自由ない」と回答している。3
23
.%は「少し困
難」と答え、86
.%は「非常に困難」と回答している。都市高齢者と比べ、ゆとりのある高齢者比率が
小さく、少し困難あるいは非常に困難な高齢者の比率が都市高齢者よりもかなり多い。農村高齢者
の経済状況は都市高齢者よりかなり劣るといえよう。
男性と女性の性差による経済状況の自己評価差異は都市高齢者ほど顕著ではなく、農村高齢者で
は女性が自分の経済状況を「非常に困難」と判断している比率が男性高齢者より08
.ポイント高いく
らいである。年齢から見ると低年齢層高齢者は「ゆとりがある」との回答が比較的高く、
「非常に困
難」である者が少ないが、7
5〜85歳間に「非常に困難」である高齢者が集中していることがわかる。
2
2
1
農村高齢者は生活の経済源がないこと、病気になったときに治療に充分なお金がないことを心配
しているものが多く、
「少し心配」
「とても心配」をあわせると、生活費4
41
.%、医療費5
06
.%にのぼ
る。生活費問題については、それほど心配していないものも相当数おり、非常に心配している者の
数は医療費について「とても心配」している者より少ない。医療費問題は農村高齢者の重要な問題
点であることがわかる。
生活費については男性高齢者のほうが女性高齢者より心配の度合いが高く、
「まったく心配ない」
「それほど心配ない」と答えた女性比率より少ない。また「非常に心配」と答えた割合も女性より
18
.ポイント高い。医療費については男女の性差はあまりみられなかった。年齢による回答差は不
規則で、年齢上昇とともに比率が規則的に上下しているわけではないようである。
5−7.主な結論
1.都市と農村の高齢者の生活水準は他の年齢人口層よりも低い。
2.都市と農村間の高齢者の労働参加率には大きな差があり、都市高齢者は1
04
.%、農村高齢
者は53%前後を維持している。これは社会養老保険制度の差異がもたらすものである。
3.地域を問わず、高齢者の生活はいくつかの経済的支柱によって支えられている。ただし都
市高齢者の場合は社会的養老保障が主体であり、農村高齢者は子女による経済的支援が主体
である。
4.高齢者に共通の心配ごとは経済的な保障問題であり、とくに生活費と医療費である。医療
費は高齢者自身にも子女にも大きな負担としてのしかかっている。養老保険と医療保険の受
給が高齢者の基本的要求である。
5.高齢者が自分のために預金している率は低く、都市高齢者では1/
4
(277
.%)
、農村高齢者で
は78
.%が預金しているにすぎない。
6.地域を問わず、高齢者の経済状況は性別と年齢によって異なり、基本的に女性は男性より
経済状況が劣っており、高年齢層のほうが低年齢層より劣っている。
2
2
2
翻訳 ヤン・デニュセ
『アントウェルペンのアフリカ交易』
(1)
─『第6章「アフリカ植民地市場としてのアントウェルペン」』─
中 澤 勝 三
Ⅰ はじめに
どのような研究分野でも、新旧に関わりなく参照されるべき研究文献がある。とりわけ歴史的研
究においてはその感を深くする。筆者が歴史研究に携わるようになって3
0年以上が経過するが、中
世末から16世紀のアントウェルペン史研究において、忘れられない何人かの歴史家の名前を挙げる
ことができる。とくに、1
9
20年代、3
0年代のいわゆる大戦間期に活躍した歴史家のなかに印象深い
人々がいる。この時代のヨーロッパ世界は、激動の時代であるとともに、文化・学術面においては
「黄金の2
0年代」とも言われてきた、きら星のような人々の活躍があった。こうした点は、アント
ウェルペン都市史、経済史の研究についても当てはまるように思われる。本稿は、こうした筆者の
想いをデニュセ JanDe
nuc
éの研究を足掛かりにしながら、確認する作業である。
この時代でいえば、ベルギーの歴史家アンリ・ピレンヌが有名である。彼について佐々木克己氏
の克明な評伝がある。ピレンヌは、ワロン系(フランス語系)の歴史家であり、ヘント(ガン)大学
の学長になりながら、当時のフラマン(オランダ語)運動伸張の中で自らの大学がフラマン系(オラ
ンダ語系)大学に変わっていく姿を目にしなければならなかった。
本稿で取り上げるヤン・デニュセ(JanDe
nuc
é
)を初めとして、レイモン・ド・ルーヴァー
(Raymo
nddeRo
o
ve
r
)、ファン・ウェルフェーケ(VanWe
r
ve
ke
)、フロリス・プリムス(Fl
o
r
i
s
Pr
i
ms
)
、J
.
A.
ゴリス(J
.
A.Go
r
i
s
)
、ヴァン・ローゼンブルック(VanRo
o
s
e
br
o
e
c
k)などアントウェ
(1)
のようなオランダの歴
ルペン史研究にかかわったベルギーの歴史家、クットナー(E.Kut
t
ne
r
)
史家はどのような境遇の下でこの厳しい時代を送ったのであろうか。ド・ルーヴァーは会計史、メ
ディチ家研究で知られている。彼はベルギーで銀行家として活躍した後、歴史研究の道に入った
が、やがて米国に渡りニューヨークで学究生活を送った(彼の妻はこれまた歴史家として知られる
フロレンス・エドラー(Fl
o
r
e
nc
eEdl
e
rdeRo
o
ve
r
))である。
彼ら大戦間期に活躍した人々の業績は、アントウェルペン史研究には不可欠である。第二次世界
大戦の足音が忍び足でやってくる時代、小国のベルギーやオランダは時代の荒波に翻弄され続け
2
2
3
た。20世紀の偉大な歴史家ヨハン・ホイジンガはドイツの収容所で生涯を終え、ユダヤ系フランス
人のマルク・ブロックは一人アメリカへ亡命する道を選ばず、ゲシュタポによって銃殺された。ア
ンリ・ピレンヌもまた、ワロン人でありながら自らが学長を務めるヘント大学がフラマン語系の大
学に変わって行くのを目にしなければならなかった。(2)
筆者が本稿で取り上げるのは、アントウェルペンの国際交易史の研究において、最も高く評価す
べきと考える、ヤン・デニュセの業績である。彼は、アントウェルペン市の古文書館員としてのポ
ジションを維持しつつ、対南欧交易、対アフリカ交易、ハンザ圏との交易について史料を紹介し、
研究を進めている。その白眉は、1
9
3
7年刊行の『16世紀のアフリカとアントウェルペンの交易』
(ア
ントウェルペン、1
93
7年)ではないだろうか。対南欧交易史という点では、ゴリスの『南欧商人コロ
(3)
(4)
が有名である。アントウェルペン経済史研究の礎石を築いたのがこの二つの研究であろう。
ニー』
以下、注は最小限にとどめ、訳文の巻末に収録した。原注は省略した。すべて、訳者による注で
ある。また、本書が刊行された1
9
3
7年という時代的制約もあって、
「われらが同朋」などの現代では
そぐわない訳語を当てた部分もあるが了とされたい。今回は第6章を邦訳し、次稿では、5章まで
の部分を邦訳する。本文読解に必要な注は次稿にまわした。
(1)筆者は、1
981年にベルギーに滞在した折、ブリュッセル自由大学のモーリス・A・アルヌール教授の指導
を受けた。アルヒーフ所蔵の古文書読解の基本的事項を教えて頂き、現代フランス語への読解の教授を終
了して、「あとは自分でアルヒーフに行きなさい。不明な点は館員に尋ねるように。
」と指示されたあと、教
授は大学図書館の地下に筆者を連れて行き、壁面に書かれた戦死者の名簿を指さして、
「この大学の第一次
大戦での死者の名前です。」と戦争の惨禍は歴史的文書にまで及んでいることを指摘されたことが強く印象
に焼き付いて離れない。
(2)クットナーには、
『飢饉の年、15
66年』という著書がある。1
9
4
9年刊行。クットナーは、デニュセとほぼ同
世代であるが、1
9
4
2年10月、「逃亡」のかどで殺害された。彼はマルクス史家であったが、ドイツからアム
ステルダムに移り、1
6世紀の経済・社会的状況を踏まえて革命的情況の展開を研究した。これは同時にア
ントウェルペン史を画す「聖像破壊運動」の研究ともなっている。Er
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n1925.
(4)スタンダードな研究では、本書刊行後3
0年近くが経ってもなお本書への参照が求められている。
Ⅱ
ヤン・デニュセは18
78年3月に生まれ、1
9
4
4年11月に没している。彼はアントウェルペン市の古
文書館員で、同時にプランタン・ミュージアムの館員であった。
彼には主要な研究として下記の業績が知られている。
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『アファイターディ家目録。1
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ンヴェルスのイタリア銀行家』
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『16〜1
7世紀アントウェルペンのイタリア商家』
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(筆者未見)
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筆者の利用したのはオランダ語版、マイクロフィルム。
『1
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『
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世紀のアフリカとアントウェルペンの交易』
(以下このオランダ語版を『アフリカ交易』と略記)
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バルト海地方諸地域とのアンヴェルス通商企業』
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n,1941,213pp.
『1
6・17世紀の手書き商人指南書』
これら5点の著作のほかにも相当多数のフランドル絵画に関する著作、マガリャンイシュ(マ
ジェラン)に関する研究が知られているが、上記5点についていえば、①、④、⑤は史料集として
見る事が出来、いずれにも解説が付されている。①はデニュセのものとしては比較的著名なもの。
アファイターディ家の財産目録。④は、アントウェルペンのナルヴァ会社会計簿、バルト諸地方会
社の会計簿、ストックホルム・リガ遠征日誌などの史料を収録している。⑤は、当時の商人指南帳
などを収録したもの。
また、②はデニュセの他の著作と異なり、注記もなく、また史料も付しておらず、概説書的な体
裁を取っている。ここで取り上げられたイタリア商家は、グアルテロッティ、フレスコバルディ、
ドゥッチ、ルッカの商家(ボンヴィシ、アルノルフィニ、バルバニなど)
、アファイターディ、スピ
ノラ、グリマルディ、パラヴィチニ、イヌレア、プローリ)である。アファイターディについて最
多のページが割かれている。
以上、いずれも16・17世紀のアントウェルペンの対外貿易の実態を知る上で貴重な情報を提供し
2
2
5
てくれるものであるが、本稿ではこのうち、③のオランダ語版の第6章を翻訳した。というのは、
この著作こそ、アントウェルペン交易史研究の今日につながる出発点と筆者が評価するものだから
である。その一つの証左として本書刊行後約2
0年後に出版されたデ・プラダのルイス家文書の史料
解説において、デニュセ(①〜④)とゴリスの研究が頻繁に取り上げられている。(5)
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d.
Ⅲ
以下、デニュセの『アフリカ交易』を取り上げ、その研究内容の概要を紹介する。
『アフリカ交易』の内容を章別構成で示すと、下記のようである。
序
第1章 北アフリカ 第2章 アフリカ諸島
第3章 黒アフリカとギニア湾
第4章 コンゴとアンゴラ
第5章 南 及び東アフリカ
第6章 アントウェルペン、アフリカ植民地市場
第7章 164
4年の壁かけ地図 Wandkaar
tとその製作者
付録
となっている。第2章「アフリカ諸島」とは、マデイラ島、カナリア諸島、カポ・ヴェルデ諸島、及
びそれらの島々との交易が取り上げられている。砂糖産業が奴隷交易を起こしたことも論じられて
いる。
筆者の関心では、第3章で取り上げられる「ブラック西アフリカでの銅、象牙交易」
、「スヘッツ
家とアフリカ交易」、第4章での「熱帯アフリカの経済ファクターとしての銅、奴隷交易」が重要で
あるが、最大の関心は第6章「アフリカ植民地市場としてのアントウェルペン」である。
以下、本書第6章を訳出する。
(注( )表記は原書での節題に相当するもの。
)
Ⅳ
第6章 アフリカ植民地市場、アントウェルペン
(1
6世紀の2つの植民地帝国)
1
6世紀が進むにつれて、ヨーロッパの経済的重心は東から西へ、内陸部から海洋へと移って行く。
2
2
6
広大な東方への陸路はいまだイスラムによって閉ざされていた。とはいえ若い西洋の諸国にとっ
て、新たな世界が切り開かれた。ローマの軍団がそうであったように、ポルトガルとスペインの騎
馬団は新しい植民地帝国を建設していく。一つの帝国は、皇帝カールの下で、クリストフォロ・コ
ロンブスが発見した地域を、もう一つには、国王マヌエルの下で、ほぼアフリカのすべてと、ブラ
ジル、極東が属した。両国のうちでどちらがより強力であったかは確言しがたい。1
4
9
4年のトルデ
シリャス条約によってこれら二つの勢力圏を定めている。そこではアフリカの分割をも規定してい
た。モロッコのフェレスから東への地中海岸はスペインに属した。フェレスから東の地域はポルト
ガルに属する。
(アントウェルペンの交易の国際的性格)
リスボンとセヴィーリャは二つの植民地帝国の物産をヨーロッパに入れる門であった。とはい
え、ヨーロッパ政治の発火点はそれより北側にあった。われらが1
7州から成るネーデルランドはス
ペインとポルトガルを併せて有する一つの王朝の統一体を形成していた。これら3つの国ぐには
ヨーロッパ諸国の結びつきにとって一つの理想的な核であった。通商と統治が結びつき、経済全体
が政治的判断を決着させる時代が到来したのである。金融・及び通商分野での「事業」が大きな力
となってきた。16世紀の国際的取引所としてのアントウェルペン市場を研究することは、新たな時
代の精神を映し出すということなのである。スヘルデの都市においては、ポルトガルとスペインの
商人は数の上では、イングランド、ドイツ、イタリア、それにわれらが同朋に匹敵するものである。
このような状態はこれまで生じたことはなかった。アムステルダムでは、のちのロンドンでも、実
業の世界では国民的要因が重要なものとなっていた。アントウェルペンでは、外国の商人の民族団
が市場を支配した。そこではポルトガル商人は商館を有し、イングランド商人は彼らの取引所を、
ハンザは記念碑的な東方館を持っていた。また、ヘッセン館は、中部ヨーロッパとの間の陸上交易
に使用されていた。そして、こうした諸制度を越えて、1
53
1年の国際的な商業取引所が「すべての
諸国民に仕え、すべての言語で使われる」という性格を第一に掲げて建設された。グイッチャル
ディーニは、外国人は世界のどの地におけるよりもアントウェルペンにおけるより自由を享受でき
るところはない、と言っている。
南欧の、北欧の、それに国家的な要素がきわめて大きなものになってきているとはいえ、物質的
な財貨をめぐる闘いが繰り広げられた。共同事業において、独占で、原料の購入において、植民地
産物の販売において、あらゆる要素が作用していた。ここでは、航海、造船、保健制度などの実践
的な学問が評価されている。産業は大きく輸出へ向けられていた。ここではアントウェルペンでの
多様で強力な産業について精査することはできないが、それはまさしく新しいカルタゴとも呼ばれ
るものであった。16世紀のスヘルデの都市は、最も重要なヨーロッパの市場へ成長し、そして第一
の植民地市場となったことが確認されるのである。われわれがさらに追及するのはこの第二の点で
2
2
7
ある。
(第一級のアフリカ植民地市場、アントウェルペン)
現代語でいえば、16世紀のアントウェルペンを輸出入同時の植民地市場と呼べるだろう。アフリ
カの産物は諸島と北アフリカからその地に直接持ち込まれる。間接的には、リスボンを経由してブ
ラック西アフリカから産物がもたらされるが、それは黒い地域(アフリカ大陸のこと)に向けて最
も重要な交換手段を得るためであった。このようにしてこの都市はその市壁内に二つの大陸の原料
を受け入れたのである。一部はそこで消費するために。そして大部分は外国の市場へ向けて売り出
すために。アントウェルペンは、植民地産物の再配分、あるいは分配の中心地であった。その有利
な地政学的位置は十分な価値を持つこととなった。
(つまり)完全に自由といえる港、内陸部から離
れていて、イングランド、ドイツ、フランスの港、バルト海岸から等距離にあること、それに様々
な需要を有する稠密で、活発で、文明化した人口を有する後背地を持つことである。この後背地と
の交流は活発で規則的な植民地物産の供給、多数の航路との結合、河川・陸路の容易なシステムを
促した。供給側の間の交渉は迅速になされる必要があり、また利用可能な資本がなければならな
い。良好な取引所と銀行制度、要するに商業上の伝統が必要であった。リスボンもセヴィーリャも
これらの条件を整えることは出来なかった。アントウェルペンはその全てに応えたのであった。こ
れらの諸要素の存在とその支配者の広汎な知見のお陰で、スヘルデの都市は原材料の第一級の市場
になり原材料の主要取引地に成長したのであった。そしてまた、それは、1
6世紀においてもっとも
主要なアフリカ植民地産物の市場となったのである。
(アフリカの原材料)
これまでの章でわれわれは黒い大陸(アフリカのこと─注)から輸入される商品を知り得た。
(こ
の記述については次稿を参照されたい)第一の、そして最も重要な商品は砂糖であり糖蜜であっ
た。それらは、大西洋の諸島から、北アフリカから、ギニアから、とりわけサン・トメからもたら
された。アントウェルペンではいちはやく砂糖精製工場が建てられていた。港に沿ったところにあ
る旧市街の砂糖通り、砂糖街といった街路の名称はこの商品の人気の高さを表している。これに対
して、バルバニ家やアファイターディ家の砂糖館はこの産業の大きかったことを想起させるもので
ある。アフリカの産物と分類される、1
7世紀全体において、アントウェルペンの砂糖精製工場は、
アムステルダムやハンブルクのそれよりもずっと早くから存在しているが、これら二つの市場はア
ントウェルペンの衰退から最大の部分を引き出した市場であった。われわれの古くからの商人の指
南書は次のような説明をしている。つまりハンブルクではアムステルダムでよりもその水が塩分を
含んでいないが、アントウェルペンの水は砂糖を精製するのにはアントウェルペンの水の方がハン
ブルクのそれよりも甘い、と。
2
2
8
要するに、アフリカの砂糖は、植民地物産の交易全般において、極東の貴重な香辛料に次いで第
一の地位に立つものである。それに次ぐのがギニアの胡椒とも言われるマラゲッタである。たしか
に、インド産胡椒の輸入を妨げられないようにポルトガル政府の禁止措置があったにも関わらず、
大量のマラゲッタがアントウェルペンの取引所で取引されたのである。ポルトガルの代理人の帳簿
はこのような事例を明瞭に示している。ギニア、あるいは南アフリカの金は、われわれが知る限り
大きな事業にはならなかった。アントウェルペンは、奴隷交易の枠外にもあった。グイッチァル
ディーニによれば、バーバリ(北アフリカ)は砂糖の他に次のものをもたらした。
「アズール、ゴム、
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n皮革、皮、それに美しく多様な pl
umagi
nプルマギン、などなど」と。同じ史料によれ
ば、交 易 に お い て フ ラ ン ド ル と ポ ル ト ガ ル の 船 舶 は「多 量 の 銀、水 銀、ve
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n朱、銅、
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)それに真鍮、錫、鉛、武器、他の武器、糸状の金と銀」を積載していた。われ
われはこれらの商品の最も重要な提供者を知っている。つまり武器と軍需品についてのリエージュ
であり、加工された金と銀ではイタリア、銅と他の金属製品ではドイツがそれである。
アフリカでスペイン領植民地へ向けて送付される商品も同じような性質をもつものであった。
「グイッチャルディーニは、要するにスペインの最大のものはここへ陸路で運ばれた。
」
)人びとは、
アフリカから戻される商品を販売するのを恐れなかった。当初、そうした様々なものをもたらし
た。例えば150
8年の最初のカナリアの砂糖の到着である。とはいえ、一般的には原材料がアント
ウェルペンにある商社の手で輸出業者によってもたらされた。商品は、カサ・デ・ポルトガルで、
イングランド取引所で、国際取引所で生産者の代理人によって販売された。これら原材料はアント
ウェルペンの産業によって使用されたのではなかった。それらはこの都市には一時滞在しただけ
で、積み込まれるわけではなかった。そうした事情があるから、商人、あるいは領事の、あるいは
市当局によって新市区に建設された、周辺にある多くの倉庫や原料置場─1
56
7年のハンザ館、
1
56
7年のまだ現存しているヘッセン館があり、イングランド館はヴィーナス通りにあった─があ
るのである。ほとんどの商社は自身の物置場と倉庫を有していた。
(ポルトガル商館(カサ・デ・ポルトガル)の役割)
アフリカ市場にとって、アントウェルペンのポルトガル館は、最初の交易協定・金融協定に基づ
いての場所であった。植民地物産がそこに受け入れられ、計量され、保管され、原産地の記号 N.
P.
(ポルトガル民族団)を付けられる場所であった。価格は、リスボンのカサ・ダ・インディア、ギ
ニア・エ・ミナとの協定で定められた。われわれのアファイターディ家の研究によって、ポルトガ
ル商館が用いた独占体制と販売の方法を詳細に追跡することができる。ルシタニアの国民がスヘル
デの都市で享受した内容は明らかなように、アントウェルペンの慣習法に彼らの裁判権が挿入され
た。この例外的な特権は多数の特権の一つであり、それによってポルトガルとフランドルの国民団
は相互に寄付行為ができ、また最も主要なものは、われらが商人がある条件を満たせばアフリカ事
2
2
9
業に参画できるというものであった。
アントウェルペンの植民地市場はあらゆる変動をこうむってきた。その命運はポルトガル商館の
命運と結びついていた。最初のものは、1
5
4
5年から15
6
4年までのカサの閉鎖によって置かれること
になる。これは、アントウェルペンの衰退が惹き起こされる大変な政治的変動の前夜のことであっ
た。第二の打撃は、イスラムによる緩慢なる地中海の占領がアントウェルペン市場に与えたもので
あった。皇帝カールによるトルコへの敵対と政策が勝利を得たとしても、経済的状況はわれらの国
にとって全く他にないようなものとなったのである。
(独占、植民地交易の特徴)
われわれは、アフリカの天然産物の経営が独占によって生じたことを見てきた。すでに言及した
ヒメネスの事例がこの点で典型的なものである。とはいえ、1
6世紀のカルテルと独占をもっぱら商
人による際限のない利潤獲得欲に帰するのも誤ったものとなろう。常に資金の欠乏にあえいでいた
政府と君主は交易のこうした組織を励ましてきたが、その理由は、価格を安定させ、彼らにとって
の信用の源泉をそれに見出していたからである。ポルトガル国王と皇帝カールはワレランパ不利化
の独占・請負人を保護してきた。それは、ドイツ諸侯が南ドイツの銀行家に、銅、錫、水銀─そ
の大部分のものはアントウェルペンの港を経由してアフリカへ運ばれていく─についての独占権
を提供してきたのと同様である。カルテルや独占価格に対する教会の申し立ては一般に政府によっ
て冷たく扱われていた。
1
6世紀からのアントウェルペンの海上保険の帳簿は貸借対照表を作成できるほどのものではない
が、アフリカ交易の規模についてある像を描ける程度の貴重な情報をわれわれに与えてくれる。
データはアントウェルペンに係留されるか、あるいはアントウェルペンを目指す船とは必ずしも限
らない。海上保険の仲買人はその活動を全世界にわたって広げているからだ。彼らの保険証書は多
くの場合仲買人の商会によって裏書きされ、それはときには一つの船で百以上に達する場合もあ
る。一般的に言って、それは相互保険に関係している。すなわち、各商人、ないし仲買人が同時に
保険業者であり、被保険者である場合である。両人とも、同一の危険にさらされ、また保険料は災
害が生じた場合にのみ支払われるものである。
(アントウェルペンの海上保険、アフリカ交易にとっての要因)
われわれは、1
56
0年のセント・ヤン号、7
0
0トンの重量、船長ブルッケのクラエス・ヤンセン・ベ
リンゲンの海難事故調査を有している。この船はアントウェルペンを目指していてゼーラントに
やってきた。この船の積み荷は2
0人の貿易業者に属し、アフリカと他の商品から成っている。積み
荷人の最初の名前は、バルタザールとコンラート・スヘッツであり、彼らは西アフリカへの銅の輸
2
3
0
出業者として知られている。アフリカの損なわれた商品として、以下の長いリストが挙げられる。
カナリア諸島の砂糖8キスト、キスト当たり1
5ポンド榎榎榎榎榎ディーリック・ディン所有 カナリア諸島の砂糖8キスト、キスト当たり1
5ポンド榎榎榎榎榎アントニス・マラパルト所有
ゴム、2カールト、3
5ポンドと見積もり榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎バルタザール・デ・ロア所有
オリーヴ油、4カールト、1
5ポンド見積もり榎榎榎榎榎榎榎榎榎アルヴァロ・ロイス、及び 榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎 フェルナンド・ロイス所有 粉砂糖、1ボート(キスト)
、及び榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎 クリスト・ガレイス用の 1カールト、2
0ポンドと見積もり榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎ジェローム・ロペス所有 カナリア砂糖、3キスト、4
5ポンドと見積り榎榎榎榎榎榎榎榎榎 ピィーテル・ソルブレーク所有
虫こぶ、6袋榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎ヤン・バプト・スピノラ所有
ゴム、4カールト榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎ピィーテル・オルテガ所有 粉砂糖、3パイプ榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎ロイス・アルヴァレス所有 サン・トメの砂糖、1
3キスト榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎ロイス・アルヴァレス所有 粉砂糖、3パイプ、1カールト榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎ミシェル・ディアス所有 サン・トメの砂糖、1
9
2ポンド1
0sの7
7キスト榎榎榎榎榎榎榎榎 ミシェル・ディアス所有 〃 1
3
5ポンドの5
4キスト榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎 アルヴァロ・ロドリゲス及び
榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎 フェルナンド・ロイス所有 〃 4
5ポンドの1
8キスト榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎ドゥアルテ・エンリケ所有 〃 2
8
2ポンド1
0s
13
0キスト榎榎榎榎榎榎榎榎榎 フェルェルナンド・デ・モントバン所有
〃 1
3
2ポンド5
7キスト榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎 ロイ・ゴメス・カルバロス所有
〃 5
4
2ポンド1
0s
2
1
7キスト榎榎榎榎榎榎榎榎榎 マルティン・アロンソ所有 〃 1
92ポンド1
0s
77キスト榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎 ベルナルド・ヌネス所有 〃 5
2ポンド1
0s
1
3キスト榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎 ヘロニモ・リンド所有 101
3の角が10
4ポンド8シリングに達する。
榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎 ヤン・ファンデンボールデ所有
積み荷人としてはもとより保険人においても、すべての民族が(ここに)代表されている。これ
から、アントウェルペンの保険の体制は他のどこよりも確固としたものであったと、結論付けるこ
とができる。こうした理由からわれわれはこの地を重要なものと見なせるのである。1
6世紀のアン
トウェルペン植民地交易にとって、これまで忘れられていた要素に気づいたのである。
グイッチャルディーニはアントウェルペンの交易についての叙述で、このメトロポールが最大限
繁栄した時期にその素材を集中した。彼の本が出版されたこの年、1
5
67年に、アルバ公がネーデル
ラントに現れた。動乱はその直後から始まった。公爵(アルバ公のこと─注)は、アントウェルペ
ンの商業取引所が国王の財政に有する重要性をよくわきまえていた。
2
3
1
彼が出発する直前の15
7
0年に、よく承知していた。
「この都市にいるすべての外国の民族団は、よ
くもてなされ、また敬われるべきだ。そして、それは正しく、彼らがアントウェルペンを現在ある
ように作ったからである。国々は流れ、そしてわれわれの富裕さをその商品とともにもたらしてく
れる。だから、彼らは尊敬されるに値するのだ。そして、彼らに、とりわけポルトガル団に対して、
彼らがひいきされよく扱われることを言明する。なぜならば、私はスペイン人と同じようにポルト
ガル人のことを考えているからだ。
」と。
(アルバの到着によるアントウェルペンの経済的衰退)
ポルトガルの交易を問題にする人は、そのなかにアフリカの交易を考えている。アルバ公はアン
トウェルペン─これは普遍的な実業の中心地であり、国王の金庫の主要な源泉であり、とりわけ
保護しなければならない─を高く評価していた。このために、彼は海運と海上保険に関する1
57
0
0%税、不動産に対す
年の布告を発布した。彼は、これに対して、二つの税金─動産の販売への1
る2
0%税はすべて販売者によって支払われるべき税─を布告したときそれほどの霊感を感じては
いなかった。長い熟慮の後で、彼は1
57
1年にそれを実施しようと考えた。それがアントウェルペン
の交易にとってとどめの一撃となったのである。多数の商人がこの都市を立ち去って行った。
「陽
の下で雪のように白い」
。こうしたアルバ公の二つの課税は人々がのちに考えるような宗教的な問
題ではなかったが、それが反乱を喚起したのである。
アントウェルペンの衰退がはじまった。これに続く年月はわれわれの歴史にとって最も騒がしい
時期となる。この年にアントウェルペンの交易の終わりが始まったのだ。災厄の後で、スペインと
フランスの「略奪」で、商人の多数がこの都市から出て行った。ヘントとブリュッセルの事例にな
らって、この都市はカルヴァン派の支配を受けた。ピレンヌが指摘したように改革派は労働者・貧
民の中に支配を確立していなかった。アントウェルペンでは多数の商人がカルヴァン派に傾斜して
いった。南ヨーロッパの貿易商コロニーだけがこれに関わりを持たなかった。
(1
584年のトルコ人のステープルとアントウェルペンのアフリカ交易)
この時点で、一つの経済的要因がアントウェルペンで生じていた政治的社会的変動に関わりなく
将来を約束するものとして現れていた。スペインの敵であったトルコ人がこの都市のカルヴァン派
政府にスヘルデ都市に彼らのステープルを設置することを考えていた。新たな参事会は内部抗争を
カトリックの牧師に知らせなかった。1
5
8
0年になると、グラマイエによってアントウェルペンに、
アフリカ商人の民族団が言及されるようになる。(この設置に対する)スペイン人とポルトガル人
の抗議はカルヴァン派の教会にあまり大きな影響を及ぼさなくなる。トルコ人の提案も友好的で熱
狂的な歓迎を受けたわけではなかった。ここに留まった商人は、アフリカ、及び東方貿易がアント
ウェルペンに集中されるのを見る以外に拍手できることはなかったのだ。それは、ウィレム・オラ
2
3
2
ニエの政策の成果の一つであった。
これは、トルコ人と北アフリカ人の支持を一度ならず求めることであったが、8
0年戦争のきわめ
て重要な局面でもあった。彼は長いことポルトガルのユダヤ人ドン・ミゲス(ジョセフ・ナシ)
─ナクソス公で太守セリムの顧問であった─と知己であったが、この人物は、トルコのステー
プル(「指定市場と訳すことがある)をアントウェルペンに置くよう提案した人物であったろうと思
われる。その地では、重要なユダヤ人、新キリスト教徒の集団が、
15
64年以降になると、秘密のシナ
ゴーグに住むようになっていた。
とはいえ、アレクサンドル・ファルネーゼは、カロの地点でスヘルデ川に船橋を架け、スペイン
軍がこの都市をあらゆる方向から包囲するようになっていた。アントウェルペンは、孤立したまま
の状態で、なお軍事史で有名な包囲戦を戦っていた。この都市が降服したのは8月1
7日であった。
スペインに敵対的な、あるいはプロテスタント勢力は、彼らの事業を整理するか、カトリックに改
宗するか、4年の猶予が与えられた。1
5
8
4年7月10日にスヘルデ川のリーフケンスフックの協定に
おいてすでに60人から7
0人という多数の商人がホラントに引き寄せられていた。多くの人はアムス
テルダムに居を移した。だが、ミデルビュルフに何百人という亡命者がいた。市当局は、亡命者を
受け取るために何隻もの船を送った。そして官吏がブラバントの亡命者を記録するためにゴルス街
00人とは別に、1
585年改革派教
門に配置された。最初にやってきたのは、本来の改革派─前年の4
5
86年に
会のメンバーとして挙げられた1
1
55人がいるが─ルター派とマルテニステンであった。1
ミデルビュルフではわずか1
1
0
0の亡命者が登録されただけであった。ムーシュロン家この数に数え
られた。彼らはこの逆境の下で長く意気消沈することはなかった。ミデルビュルフから、フェーレ
から、彼らはやがてアフリカの海岸に沿って船団を送り出すことになろう。前例のない意思の力を
もって、スペイン人に対する憤りを以て彼らはアフリカ植民地市場へ短い年月のではあったが、わ
れらが同朋の利益のためにポルトガル人から奪ったのである。そしてもう一人のアントウェルペン
人ウィレム・ユセリンクスがいるが、彼は西インド会社を興し、アメリカに最初の植民地をつくっ
た。彼は、ホラントの企業の多くが4つの大陸において設立された要素はすべてベルギー人による
ものであると言明することになる。この人物から新しい血液が来て、その結果ホラントは若返り、
1世紀の間に小さな国から第一級のヨーロッパの国力を作り出したのだ。
(アフリカ市場としてのアントウェルペンの閉幕)
ここまで来て、アントウェルペンのアフリカとの交易の覇権の章を閉じることができる。この黒
い大陸とのわれわれの経済的関係についてのさらなる展開を1
6
48年のミュンスター条約まで簡潔に
要約してみた。他の商人たちは、スペインとポルトガルの王に忠実であったが、これらの強力の旗
の下でアフリカとの事業をイベリアの諸港から続けていた。ミュンスター条約の署名の際、ポルト
2
3
3
ガル当局は多くの地点に浸食された。暗黒大陸の三つの海岸はネーデルラント領になる怖れがあっ
た。リスボンとアントウェルペンに代わって、アフリカの産物は直接アムステルダムに送られた。
もう一つのベルギー人が参加した困難な体験があった。それは1
64
8年以後、北部ネーデルラント諸
州の商人がスペインで南ネーデルラントの同僚─スペインの側にあって宗教を捨てることのな
かった人々─よりも大きな自由を得たということであった。
にも関わらず、スペイン領アメリカの利益と必要を明らかにするために認可されない流れがあっ
た。ヤン・バプティスタ・グラマイエは、1
6
2
2年の彼の特筆すべき本の中で、アフリカをキリスト
の名において征服し、スペインの保護の下に確保すべく全ヨーロッパにむけて不安をかきたてる使
命があると言明した。これらアントウェルペンの開拓者が長い忘れられた敬意を抱かれるようにな
る。彼にとって、示された解決はアントウェルペンにとって経済的分野、数えきれない帰結、その
植民地アフリカ市場であった。
16世紀にこれらの人々がもたらした流れがあったにもかかわらず、繁栄はまだ始まったばかりで
あった。この世紀の後半に、数多くのスペインとポルトガルの商人が留まっていたし、そしてトル
コのステープルが15
8
4年にスヘルデの市門内に定着したとき、大胆な期待が排除されることになっ
た。ファルネーゼの言はすべての計画と幻想を無にすることであった。パルマ公(ファルネーゼの
こと−注)は、不透明な問題から一つの具体的な像を引き出すには、あまりにも国王に忠実であり
すぎたのだ。
榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎 6章 終わり Ⅴ
以上、訳出したデニュセのアフリカ交易論は、1
5・1
6世紀におけるアントウェルペン市場の、今
日の研究状況でいえば、「形成されつつある近代世界システム」の形成過程でのアフリカ交易、及び
それと結びついたスペイン・ポルトガルのイベリア両国の交易・商業活動のインパクトが問題にさ
れている。当然、地中海交易圏を担っていたイタリア商人、さらにはトルコまで視野を広げ、対南
欧圏のインパクトが強調されている。ナクソス公となったドン・ミゲスは、1
6世紀前半において、
マラーノ(マラノス)、ユダヤ教から改宗した新キリスト教徒として、ポルトガルからアントウェル
ペンに移住し、王侯まで手玉に取ったという強烈な人物であった。彼は、アントウェルペンから
ヴェネツィア、そしてオスマン・トルコへと拠点を移動させ、地中海を隔ててキリスト教世界にま
で関わりを持った。その彼が、この第6章において、1
5
84年、スペインに攻略される寸前の呻吟す
るかつての本拠地にトルコのステープルを置こうとする人物と目されているのは皮肉な巡り合わせ
と言えようか。
2
3
4
研究活動報告
(2007年12月~2008年11月)
凡 例
(1) 目下の研究テーマ
(2) 著書・論文・その他
(3) 研究発表・講演ほか
(4) 学外集中講義
(5) 海外出張・研修、その他海外での活動
(6) 科学研究費補助金、等競争的研究資金など
(7) 共同研究
(8) 弘前大学人文学部で主催の学会・研究会
2
3
5
○文化財論講座
諸 岡 道比古
⑴現在の研究テーマ
煙ドイツ観念論思想における「宗教」論の研究
須 藤 弘 敏
⑴現在の研究テーマ
煙東アジア仏教絵画史 煙東北の美術 煙文化政策
⑵著書・論文ほか
煙展覧会評「特別展美麗院政期の絵画の印象」
「奈良国立博物館だより」2008年1月号 奈良国立博物館200
7年12月
煙「ねぷたとねぶた」
『日本語と英語で読む津軽学入門』ハンナ・ジョイ・サワダ 北原かな子編 弘前大学出版会 pp
2
.
0
0~
2
1
5 20
0
8年2月
煙「金と銀」
『なごみ』
2
00
8年4月号 淡交社 pp
2
.
0~2
6,2
8~32,52~5
5 20
08年3月
⑸海外出張・研修、そのほかの海外での活動
煙2
0年(20
0
8)3月15日~2
3日
合衆国,Cl
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y ほか,
鎌倉時代および高麗時代写経調査のため
⑹科学研究費補助金、そのほかの競争的研究資金など
煙基盤研究(C)
「鎌倉時代経絵の研究」課題研究番号 1
8
2
5
0
0
7
6
(研究代表者 須藤弘敏)
⑺共同研究
煙青森県下寺院文化財悉皆調査(2
0年度は南津軽郡大鰐町ほか) 青森県
杉 山 祐 子
⑴現在の研究テーマ
煙アフリカの焼畑農耕民における在来知と社会的変化、煙「動く身体」からみる「在来知」研究の可能性、煙ジェンダー
⑵著書・論文ほか
煙杉山祐子 「津軽地域の近代化」ハンナ・ジョイ・サワダ、北原かな子編『日本語と英語で読む津軽学入門』pp.
7
0~ 8
7
煙杉山祐子 2
0
0
8共編著『津軽、近代化のダイナミズム』御茶の水書房
煙杉山祐子 2
0
0
8
「アフリカの焼畑農耕民社会と近代化政策」作道信介編『近代化のフィールドワーク』東進堂
⑹科学研究費補助金、そのほかの競争的研究資金など
煙基盤研究(B)
「マイクロサッカードとしての在来知に関する人類学的研究」研究代表者
⑺共同研究
煙東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所「人類社会の進化史的基盤研究(1
)」
⑻弘前大学人文学部主催の学会・研究会等
煙「マイクロサッカードとしての在来知」研究会 文化財論講座主催スペシャルレクチャー
宮 坂 朋
⑴現在の研究テーマ
煙ローマ帝政末期、煙カタコンベ壁画
⑸海外出張・研修、そのほかの海外での活動
煙2
0
0
8年3月 ローマ出張(資料収集)
煙2
0
0
8年9月 ローマ出張(資料収集)
煙2
0
0
8年12月 シチリア・リビア出張(資料収集)
煙2
0
0
8年12月1
6日 特別講演‘Sul
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(パレルモ大学文学部)
’
⑹科学研究費補助金、そのほかの競争的研究資金など
煙基盤研究(C)課題番号 1
9
5
2
0
0
8
7「ヴィア・ラティーナ・カタコンベ壁画に関する包括的研究」(研究代表)
煙基盤研究(A)研究代表者:泉拓良 課題番号 2
0
2
5
1
0
0
7
「フェニキア・カルタゴ考古学からみた古代の東地中海」
2
3
6
⑻弘前大学人文学部主催の学会・研究会等
煙文化財論講座スペシャルレクチャー主催
関 根 達 人
⑴現在の研究テーマ
煙北方史、近世墓、亀ヶ岡文化
⑵著書・論文ほか
煙単著『あおもり歴史モノ語り』無明舎出版 2
00
8年8月1日。
煙単著「広域編年の事例②亀ヶ岡式土器」
『縄文時代の考古学』2(歴史のものさし)2
40~2
56頁 同成社 20
08年2月10日。
煙単著「平泉文化と北方交易2 ─擦文期の銅鋺をめぐって─」
『平泉文化研究』8 3
3~4
9頁 岩手県教育委員会 2
00
8年3
月31日。
煙単著「北のガラス玉の道」
『考古学ジャーナル』
5
79号 1
2~15頁 ニューサイエンス社 20
08年11月3
0日。
煙単著「本州アイヌとその暮らし」・「こぎんざし」『日本語と英語で読む津軽学入門』42~5
7,16
6~17
7頁 弘前大学出版会 2
0
0
8年2月2
9日。
煙共著「亀ヶ岡式土器(亀ヶ岡式系土器群)
」
『総覧 縄文土器』682~693頁 アム・プロモーション 200
8年6月30日。
煙共著「カラフトアイヌ供養・顕彰碑と嘉永六年クシュンコタン占拠事件」『弘前大学國史研究』1
24 1~2
2頁 弘前大学國
史研究会 2
00
8年3月3
0日。
⑶研究発表・講演
煙「北海道松前町旧福山城下における近世墓標調査とカラフトアイヌ供養・顕彰碑について」日本考古学協会第74回総会研究
発表 東海大学 2
008年5月2
5日。
煙「あおもり歴史モノ語り」講演 朝日新聞青森総局主催 弘前大学 2008年4月12日。
煙「石造物にみる津軽の飢饉」第1
7回日本ナイル・エチオピア学会公開シンポジウム 弘前大学 2008年4月19日。
煙「青森県考古学の諸問題」平成2
0年度青森県考古学会記念講演 三内丸山遺跡縄文時遊館 2008年6月14日。
煙「本州アイヌの狩猟と漁撈」第6回考古学と中世史シンポジウム(動物と中世社会)帝京大学山梨文化財研究所 2
008年7月
5日。
煙「松前光善寺のカラフトアイヌ供養碑からみた国家と民族」松前町文化財講演会 於北海道松前町民総合センター 2
008年
8月2
3日。
煙「平泉文化と北方交易2─擦文期の銅鋺をめぐって─」第8回平泉文化フォーラム 奥州市文化会館 2008年2月2日。
⑷学外集中講義
煙放送大学青森学習センター「考古学からみた中世史・近世史」
(面接授業) 2008年6月7日~8日。
⑸海外出張・研修、そのほかの海外での活動
煙ロシア連邦サハリン州(陶磁器等の日本製品の所在調査)
2
008年9月20~26日。
⑹科学研究費補助金、そのほかの競争的研究資金など
煙基盤研究(B)
「近世墓と人口史料による社会構造と人口変動に関する基礎的研究」(研究代表者)
煙弘前大学機関研究「亀ヶ岡文化研究に基づく教育基盤の充実と地域文化の創成」(研究代表者)
⑺共同研究
煙平泉文化研究機関整備事業に係る共同研究者(岩手県教育委員会)
山 田 厳 子
⑴現在の研究テーマ
煙口承文化 煙唱導文化と民俗 煙女性の身体と出産をめぐる民俗
⑵著書・論文ほか
[論文]
煙山田厳子「試される母─近代における異常出生譚の受容と展開─」
『口承文芸研究』3
1号、200
8年3月 150156頁
煙山田厳子「巫女と戦争─東北における危機のフォークロア」
『国文学 解釈と鑑賞』7
3巻8号、2008年8月 14
7155頁 [その他]
煙山田厳子「世間話とうわさ」日本口承文芸学会編『ことばの世界 第3巻 はなす』20
07年1
2月 三弥井書店 13514
5頁
煙山田厳子「水子供養」
「山姥」「流れ灌頂」
『日本女性史大辞典』吉川弘文館、2008年2月、25、6
9369
4、53
2533頁
煙山田厳子「津軽におけるオシラサマ信仰の展開」ハンナ・ジョイ・サワダ、北原かな子編・訳『日本語と英語で読む 津軽学
2
3
7
入 門』/ YamadaI
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h 弘前大学出版会 2
0
08年2月 1
8819
9頁
煙山田厳子「金ヶ沢鶏舞」第49回北海道・東北ブロック民俗芸能大会実行委員会編『第49回北海道・東北ブロック民俗芸能大
会記録』
2
0
0
8年3月2
327頁
煙山田厳子「語りとはなし」青森市史編集委員会編『新青森市史 別編3 民俗』2008年3月 512513、553587頁
煙山田厳子「交通・交易」青森県史民俗部会編『青森県史叢書 岩木川流域の民俗』2008年3月 4552頁
⑶研究発表・講演
[研究発表]
煙山田厳子「戦争と巫女─英霊のホトケオロシをめぐって─」青森県民俗の会、於:古川市民センター平成20年6月21日
[講演]
煙山田厳子「地獄絵と民俗」八戸市立博物館講演会 2
0
0
8年10月21日
⑹科学研究費補助金、そのほかの競争的研究資金など
煙科学研究補助金 基盤研究(C)「第二次世界大戦下のオシラサマ信仰と民間巫者」(研究代表)
⑺共同研究
煙「日本における民俗研究の形成と発展に関する基礎研究」人間文化研究機構国立歴史民俗博物館 煙「日本とユーラシアの交流に関する総合的研究」人間文化研究機構連携研究
足 達 薫
⑴現在の研究テーマ
煙イタリア美術史
⑵著書・論文ほか
煙足達薫「ジュリオ・カミッロの絵画論、その理論と射程範囲」、
『人文社会論叢(人文科学篇)』第19号、pp
1
.16、弘前大学人
文学部編、2
0
0
8年2月2
9日。
煙石鍋真澄監修『ルネサンス美術館』小学館、2
00
8年(執筆箇所:pp
3
.
001,3323,4
6448
5)
⑷学外集中講義
煙岩手大学全学教育科目「
『フランダースの犬』とはいったいなんだったのか」
⑸海外出張・研修、そのほかの海外での活動
煙2
0
0
8年3月、9月にイタリア、ローマで資料収集。
⑹科学研究費補助金、そのほかの競争的研究資金など
煙萌芽研究(平成一九年~)
「修辞学、詩学、俗語文学におけるマニエリスム的造形原理の実証的・文献学的研究」の研究代表者。
上 條 信 彦
⑴現在の研究テーマ
煙東アジア先史時代における食料加工技術の研究
⑵著書・論文ほか
煙「山東半島出土磨棒の使用痕分析と残存デンプン粒分析」『日本水稲農耕の起源地に関する総合的研究─山東半島先史農耕
文化の日中共同研究─(科学研究費補助金基盤研究(A)報告書)』九州大学人文科学研究院考古学研究室、2008年3月、
pp
6
.
0-7
3
煙(共著)
「出土石器とその他の遺物」
『壱岐カラカミ遺跡Ⅰ』九州大学人文科学研究院考古学研究室、200
8年3月、pp
8
.
4-9
2
⑶研究発表・講演
煙「朝鮮半島先史時代の磨盤・磨棒における使用痕観察と残存デンプン粒分析の結果」、第1
3回石器使用痕研究会、愛知県埋蔵
文化財センター、2
0
0
8年3月2
9日
煙「山東半島における磨盤・磨棒の使用痕および残存デンプン粒分析」
、日本中国考古学会九州部会第4
2回例会、九州大学、
2
0
0
8年8月3
0日
煙「山東半島先史時代遺跡における残存デンプン粒分析」
、日本中国考古学会 2008年度大会、金沢大学、200
8年11月2
3日
⑸海外出張・研修、そのほかの海外での活動
煙中華人民共和国山東省における磨盤・磨棒の使用痕分析・残存デンプン粒観察(20
08年6月)
煙大韓民国嶺南文化財研究院・啓明大学校における資料調査(2
008年8月22~29日)
2
3
8
⑹科学研究費補助金、そのほかの競争的研究資金など
煙2
0
0
7年度日本科学協会笹川科学研究助成(~2
0
08年3月)
煙平成2
0年度三内丸山遺跡特別研究【個人研究】
(2
0
08年4月~)
○ 思想文芸講座
村 田 俊 一
⑴現在の研究テーマ
煙T .
S.
エリオットの評論を含めた詩作品を英国の文学史の流れの中だけでなく、ヨーロッパ精神史を踏まえながら研究して
いくこと。
新 田 茂
⑴現在の研究テーマ
煙ハインリヒ・フォン・クライストの作品とその思想について
煙ロマン派絵画と文学にみられる世界観について
植 木 久 行
⑴現在の研究テーマ
煙中国古典詩の詩跡の研究。日本の俳諧歳時記所引漢籍の考察。
⑵著書・論文ほか
[論文]
煙「中国歴代の地理総志に見る詩跡の著録とその展開─安徽省宣城市区・池州市、および山東省済南市区を通して─」 『中国詩文論叢』第2
6集、2
00
7年1
2月 pp
1
,
17~1
5
4
[書評]
煙「芳村弘道『唐代の詩人と文献研究』
」
『中国文学報』
(京都大学)第75冊、2
008年4月 pp
2
.
10~2
36
[報告書]
煙科学研究費基盤 B『詩跡(歌枕)研究による中国文学史論再構築─詩跡の概念・機能・形成に関する研究─』(研究代表者)
2
0
0
8年3月、全1
9
3頁。
[小論]
煙「中国の歳時記と四季別類題詩集」
『俳句研究』
(秋の号)
2008年
[第7
5巻第4号]角川 SSコミュニケーションズ、pp
1
.
2
4~1
2
5
⑶研究発表・講演
煙「詩の時代─唐詩とその風景」
明治大学公開講座(リバティ・アカデミー2
0
0
8前期)
2
0
0
8年5月2
2日
田 中 岩 男
⑴現在の研究テーマ
煙ゲーテ『ファウスト』研究
今 井 正 浩
⑴現在の研究テーマ
煙西洋古典古代の医学と哲学思想との間の影響関係をめぐる思想文化史的研究
煙医学・医療に関する倫理思想史的研究
煙アリストテレスを中心とした西洋古代の生物学理論についての哲学・思想史的研究
⑵著書・論文ほか
[論文]
煙今井正浩(単著)
「自然・経験・ロゴス─ 経験科学としての医学とその成立背景をめぐる言語文化史的考察 ─」
2
3
9
弘前大学人文学部・言語文化研究プロジェクト 平成1
9年度共同研究論集
『言語とコミュニケーション─その文化と思想─』第Ⅰ巻[2
0
08年3月刊]
pp
1
.
7~49.
[小論]
煙今井正浩(単著)
「ヒッポクラテス医学と初期ギリシア哲学」
内山勝利責任編集『哲学の歴史』第1巻[中央公論新社,2
0
08年2月刊]
pp
2
.
4
1~2
44.
/ pp
6
.
84~6
8
5.
[書評]
煙今井正浩(単著)
「内山勝利・木原志乃・國方栄二・三浦要・丸橋裕訳、
G.
S.
カーク・J .
E.
レイヴン・M .
スコフィールド編著『ソクラテス以前の哲学者たち』
日本科学史学会編『科学史研究』第4
6巻(No
2
.
4
4)
[2
00
7年冬号,20
07年1
2月26日発行]pp
2
.
68~2
69.
⑶研究発表
[学会発表]
煙今井正浩(単著)
「ギリシアの医学思想における汎生説(パンゲネシス)の系譜(Ⅱ)」日本科学史学会第55回年会・総会
2
0
0
8年5月2
4日~25日 電気通信大学
煙今井正浩(単著)
「ギリシアの医学思想における発生の問題」
日本西洋古典学会第5
9回大会
2
0
0
8年6月7日~8日 同志社大学
[記念講演]
煙今井正浩「身体の発見史」
2
0
0
8年7月2
3日 弘前大学人文学部
⑹科学研究費補助金
煙平成2
0年度科学研究費補助金・基盤研究(C)
[研究代表者:今井正浩]
「ギリシア人の人間観への医学思想の影響をめぐる思想文化史的研究」
⑺共同研究
煙第1
2回ギリシア哲学セミナー「プラトン『ゴルギアス』
『プロタゴラス』」
2
0
0
8年9月1
3日~14日 千葉大学
煙弘前大学人文学部・平成2
0年度共同研究プロジェクト
「言語とコミュニケーション─その文化と思想─」
李 梁
⑴現在の研究テーマ
煙『幾何原本』翻訳研究(漢訳西学書の研究)
、近世東アジアの新知識体系の研究、詩跡、建築を中心とする文化景観の研究、
陳独秀研究
⑵論文
[論文]
煙「韓国所蔵漢訳西学書に関する書誌学的考察(上)─『韓国所蔵中国漢籍総目』を手がかりに」『人文社会論叢(人文科学篇)』
第1
9号,20
0
8年3月、pp
1
.
7~2
9.
煙「韓国所蔵漢訳西学書に関する書誌学的考察(下)─『韓国所蔵中国漢籍総目』を手がかりに」『人文社会論叢(人文科学篇)』
第2
0号,20
08年9月 pp
6
.
7~8
3.
[書評]
煙「記憶によって綴られた鎮魂の書─『嵐を生きた中国知識人』を読む」、『東方』33
0号,20
08年8月号、pp
2
.
6~3
0.
[学会レポート]
煙「東海西海、心同理同─ 徐光啓曁『幾何原本』翻訳四百周年国際研討会速記」、『東方』総326号、2
00
8年4月号、2~7頁
(同題の中国語拡大バージョンは(城地茂教授翻訳、筆者校正)
、国際科学史與科学哲学聯合会科学史組中華民国委員会『科学
史通訊』第三十一期訳載、中華民国九十七(2
00
8)年五月、6
1~68頁。
[エッセイ]
煙「外国語の学習と母国語」
「特集:多言語教育の現場から(2)」『21世紀教育センターニュース』、第13号、20
08年9月、1頁。
2
4
0
⑶研究発表
[学会発表]
煙「コインブラから東アジアへ─近世東アジアにおける新知識体系をめぐって─」
国際研究集会「東アジア近代における概念と知の再編成」
2
0
0
8年1
1月1
7日(月)~20日(木)京都・国際日本文化研究センター
[講演]
煙「洋風建築と日本のモダニズム─前川国男と津軽弘前を中心にして─」
中国ハルビン師範大学東方言語学院 2
0
08年9月3日(日本語)
煙「従科因布拉到東亞─早期近代新知識的伝播及其体系的建構」
中国ハルビン師範大学人文学院 2
00
8年9月8日(中国語)
[コメンテーター]
煙研究集会「魯迅・周作人と二十年代の日本」弘前学院大学,2
00
8年10月1
4日
⑸海外出張
煙2
0
0
8年3月2
1日~28日 中華民国(台北)文献資料調査と研究打ち合わせ
煙2
0
0
8年8月3
1日~9月1
2日 中華人民共和国(ハルビン、長春、牡丹江、北京)大学間国際文化学術交流事業
煙2
0
0
8年9月1
6日~10月2日 南欧(ポルトガル、スペイン、フランス)文献資料調査
⑹科学研究費補助金、そのほかの競争的研究資金など
煙科学研究費補助金基盤研究 C(課題番号 1
7
5
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0
0
6
5
)
「東アジアにおける漢訳西学書の成立、伝播とその影響に関する思想史的
研究」
(平成2
0年度)
⑺共同研究
煙「近代東アジアにおける概念と知の再編成」
(国際日本文化研究センター)
煙『幾何原本』の翻訳研究(東京大学)
煙「近代東アジア思想研究」
(『米欧回覧実記』中国語翻訳グループ)
煙「陳独秀研究」
(日本陳独秀研究会)
⑻弘前大学人文学部主催の学会・研究会等
煙ナショナリズム研究会
泉 谷 安 規
⑴現在の研究テーマ
煙フランス文学における催眠術の影響について
煙シュルレアリスム
木 村 純 二
⑴現在の研究テーマ
煙日本倫理思想史における情念論および方法論
⑵著書・論文ほか
[著書]
煙『折口信夫 いきどほる心』講談社、2
0
08年5月、全2
7
8頁
[論文]
煙「隠遁と老い」日本倫理学会編『倫理学年報 第5
7集』
2
00
8年3月、pp
3
.
5~4
8
煙「戦時期の折口学」弘前大学人文学部『人文社会論叢 人文科学篇 第20号』
、200
8年8月、p
1
.
9~4
2
[その他]
煙「歌と学問と」
『本 7月号』
(通巻3
8
4号)講談社、2
00
8年7月、p
1
.
9~21
⑶研究発表・講演
煙「荻生徂徠における天」
、国際学術研討会「天、自然と空間」
2
0
0
8年9月2
5日、国立台湾大学
⑷学外集中講義
煙放送大学青森学習センター面接授業「倫理学入門」
2
0
0
8年5月2
4日~25日
2
4
1
煙札幌市立清田高校・出張講義「日本人の愛の歴史」
2
0
08年11月1
1日
⑸海外出張・研修、そのほかの海外での活動
煙韓国、ソウル市内 韓日関係史学会
2
0
0
8年3月7日~9日
煙台湾、台湾大学 国際学術検研討会「天、自然と空間」
2
0
0
8年9月2
3日~28日
⑹科学研究費補助金、そのほかの競争的研究資金など
煙科学研究費補助金 基盤研究(C)「日本倫理思想史における情念の総合的研究 ~『源氏物語』を機軸として~」(研究代表
者:木村純二)
⑺共同研究
煙科学研究費補助金 基盤研究(B)
「東アジアにおける文明の衝突と「天」の観念の変容」(研究代表者:井上厚史)の研究分
担者
山 口 徹
⑴現在の研究テーマ
煙大正期ロマン主義文学についての修辞学的研究
⑵著書・論文ほか
煙「内田百閒「冥途」における〈隔たり di
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〉」
弘前大学国語国文学会『弘前大学国語国文学』第2
9号、2
0
08年3月、pp
6
.
4~79.
煙「佐藤春夫「西班牙犬の家」の〈水源〉─ブランデス『十九世紀文学主潮史』
」東京大学国語国文学会『國語と國文學』第1
0
16
号,2
0
0
8年7月、pp
4
.
8~6
0
⑶研究発表・講演
煙「内田百閒「冥途」における〈隔たり〉について」
弘前大学国語国文学会第4
8回研究発表大会,2
00
7年1
2月[弘前大学]
⑹科学研究費補助金、そのほかの競争的研究資金など
煙平成2
0年度ユニベール財団研究助成「森鷗外小説作品に描かれた「老い」の分析と現代社会における教育的活用の研究」
横 地 徳 広
⑴現在の研究テーマ
煙時間と共同性についての哲学・思想史的研究
○コミュニーケーション講座
木 村 宣 美
⑴現在の研究テーマ
煙句構造の非対称性・線形化と構造的依存関係に関する理論的・実証的研究
⑵著書・論文ほか
煙論文「日本語の右方転移文の構造と談話機能」
『言語とコミュニケーション─その文化と思想』5171頁 2
008年3月
煙報告「
『教育者総覧(教育活動自己評価申告記録)
』[弘前大学版ティーチング・ポートフォリオ]に基づく検証を踏まえた授
業改善」
『第5
7回東北・北海道地区大学一般教育研究会研究収録』808
3頁 200
8年3月
煙報告「第5
7回東北・北海道地区大学一般教育研究会報告」
『大学教育学会誌』第30巻第2号 17717
9頁 20
08年1
1月
⑶研究発表・講演
煙弘前大学ドリーム講座『英語学への招待』青森県立五所川原高等学校 200
7年12月
煙弘前大学ドリーム講座『英語学とは何か』青森県立三本木高等学校 2008年1
1月
煙報告「学生参加型のFDワークショップ:効果的な授業シラバスの作成」
『第58回東北・北海道地区大学一般教育研究会』
(北海道大学)
20
0
8年9月
⑸海外出張・研修、そのほかの海外での活動
煙 2008 POD Ne
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に参加(2
00
8年10月21日─1
0月2
7日,アメリカ合衆国ネバダ州リノ)
⑹科学研究費補助金、そのほかの競争的研究資金など
煙平成2
0年度弘前大学人文学部学部長裁量経費『言語とコミュニケーション─ その文化と思想に関する調査・研究プロジェク
ト』
(研究代表者)
山 本 秀 樹
⑴現在の研究テーマ
煙世界諸言語の言語類型地理論的研究
⑵著書・論文ほか
[論文]
煙呉靭、山本秀樹、乾秀行、杉井学、松野浩嗣「語順地図作成に必要なデータ及び語順地図に現れる語順分布」『一般言語学論
叢』第10号 :314
9頁.2
0
07年1
2月
煙山本秀樹「関係節形成のタイプによる接近可能性の階層再考とオーストロネシア諸語における関係節形成の発達過程」Se
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.
40.pp.
439458.20
08年0
2月
煙山本秀樹「現生人類単一起源説と言語系統論の関係」
『言語とコミュニケーション─その文化と思想─』 115頁 .2
00
8年03
月
[書評]
煙「書評空間:松本克己著『世界言語の中の日本語』
」『月刊言語』2008年5月号
⑶研究発表・講演
煙「言語地図を用いた類型論的研究について」東ユーラシア言語地理学に関する研究会(於青山学院大学)2007年12月2
3日
⑹科学研究費補助金、そのほかの競争的研究資金など
煙平成1
8~21年度文部科学省科学研究費補助金 基盤研究(C)「地理情報システムによる世界諸言語の言語類型地理論的研
究」
(研究代表者:山本秀樹、研究分担者:乾秀行、研究協力者:松本克己)
煙学部長裁量経費「言語とコミュニケーション─その文化と思想に関する調査・研究プロジェクト」(研究分担者)
田 中 一 隆
⑴現在の研究テーマ
煙観客論的視点から見たイギリス・ルネサンス演劇のマルティプル・プロット構造の研究
⑵著書・論文ほか
煙学術論文 「
『リア王』と「自然」の概念─シェイクスピアの翻訳について」
、『言語とコミュニケーション─その文化と思
想』
、pp.
7
59
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0
8年3月
⑶研究発表・講演
煙研究発表 “Shake
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授として、人文・美術学部英文科(TheDe
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8日、10月2日
煙講演 “Shakes
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”テネシー大学マーティン校客員教授として、国際学術・教
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)において講演、2008年11月20日
⑸海外出張・研修、そのほかの海外での活動
煙海外出張 テネシー大学マーティン校客員教授、2
0
0
8年8月7日~12月20日、アメリカ合衆国
⑹科学研究費補助金、そのほかの競争的研究資金など
煙平成2
0年度弘前大学人文学部長裁量経費、「言語とコミュニケーション─その文化と思想に関する調査研究プロジェクト」
(研究分担者)
上 松 一
⑴現在の研究テーマ
煙 Se
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⑶研究発表・講演
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8回教育研究青森県大会あおもり教育のつどい20
08
「外国語分科会」青森県立八戸工業高等学校 2
00
8年1
1月1日
煙「日本の言語外交5」通訳 弘前大学 2
0
08年1月2
6日
⑷学外集中講義
煙面接授業「初級英語会話」放送大学青森学習センター 2
008年11月8、9日
⑺共同研究
煙第58回教育研究青森県大会あおもり教育のつどい20
0
8「外国語分科会」研究協力者 青森県立八戸工業高等学校 20
08年1
1
月1日
小野寺 進
⑴現在の研究テーマ
煙チャールズ・ディケンズと公開朗読
煙ヴィクトリア朝の擬似科学について
煙イギリス文学と落語
煙物語理論(ナラトロジー)
渡 辺 麻里子
⑴現在の研究テーマ
煙中世説話文学
煙中世における天台談義書の研究
煙了翁と鉄眼版一切経
煙天神信仰と文芸
⑵著書・論文ほか
[論文]
煙「天台僧尊舜における草木成仏説」
、『東洋の思想と宗教』
25号、pp
6
.
282、2008年3月
煙「
『鷲林拾葉鈔』─天台僧尊舜の学問と文学─」
、『中世文学の回廊』(勉誠出版)、pp
1
.
9
020
2、20
08年3月
煙「北野天神縁起と中世・近世の文芸および芸能」、
『歴史と古典 北野天神縁起を読む』(吉川弘文館)、pp
2
.
2
925
6、200
8年
1
1月
[その他]
煙「はじめに─説話集の魅力─」「宇治拾遺物語 内容紹介」「十訓抄 内容紹介」「解説」(日本の古典を読む15『宇治拾遺物
語 十訓抄』
、小学館)
、pp
3
.5、pp
1
.
213、pp
2
.
1821
9、pp
3
.
08317、2007年1
2月
煙「The Wo
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、pp
1
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011、20
08年1月
⑶研究発表・講演
煙講演「Educ
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、2008年9月
⑸海外出張・研修、そのほかの海外での活動
煙カナダ、TheUni
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2~2
8)
⑺共同研究
煙特定領域研究(H1
7~ H2
1
)「宋元明における仏教道教交渉と日本宗教・思想」(代表、小島毅)
楊 天 曦 ⑴現在の研究テーマ
煙小説の翻訳に関する問題。
煙ポピュラー文化(映画論)
。
2
4
4
⑵著書・論文ほか
煙論文単著「ことばと遠近法」
(2
0
0
8.
3 法政大学私小説研究会 科研費報告書『アジア文化との比較に見る日本の「私小説」─
アジア諸言語、英語との翻訳比較を契機に─』に掲載)
⑶研究発表・講演
煙発表「日本語文学の可能性」
(2
0
0
7.
1
1 弘前大学人文学部ナショナリズム研究会)
煙講演「俗語表現の日本語訳への可能性─清代小説『何典』をめぐって」
(2
0
0
8.
1
1 弘前大学国語国文学会)
⑷学外集中講義
煙教職一般研修講座 青森県総合学校教育センター(2
00
8.
7.
24)。
講義名「異国文化に触れて」
⑸海外出張・研修、そのほかの海外での活動
煙中華人民共和国(長春・北京)に出張。
(2
00
8.
9.
1~2
00
8.
9.
1
4)目的─討論会の出席および出版に関する打ち合わせ、資料収集。
⑹科学研究費補助金、そのほかの競争的研究資金など
煙平成2
0年度弘前大学人文学部長裁量経費、
「ナショナリズム研究会」(研究分担者)
⑻弘前大学人文学部主催の学会・研究会等
煙ナショナリズム研究会
ジャンソン・ミッシェル
⑷学外集中講義
煙山形大学人文学部 平成2
0年8月4日から8月7日まで。
煙秋田大学教育文化部 平成2
0年4月から1
2月まで。
○国際社会講座
足 立 孝
⑴現在の研究テーマ
煙中世盛期スペイン・エブロ川流域における城塞集落の形態生成論的研究
⑵著書・論文ほか
煙(共著)関哲行・立石博高・中塚次郎編『世界歴史大系 スペイン史』,1,山川出版社,200
8年,1982
47頁。
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7185.
⑶研究発表・講演
煙足立孝「遍在する「辺境」─スペインからみた中世ヨーロッパ─」第30回スペイン史学会大会「「レコンキスタ」を超えて:中
世イベリア史の新展開」
(駒澤大学,2
0
08年1
0月2
6日)
煙足立孝「91
1世紀ウルジェイ司教座聖堂教会文書群の生成論的検討─司教座文書からイエ文書へ,イエ文書から司教座文書
へ─」西洋中世比較史料論研究会「91
1世紀の私文書」
(九州大学,2008年9月20日)
⑸海外出張・研修
煙スペインおよびフランス共和国:ウエスカ司教座文書館,サラゴーサ大学図書館,スペイン国立文書館,フランス国立図書
館(科学研究費)
20
08年2~3月
⑹科学研究費補助金
煙代表:「中世盛期スペイン・エブロ川流域における城塞集落の形態生成論的研究」
(文部科学省科学研究費補助金・若手研究
(B)
)
煙分担:
「西洋中世比較史料論研究」
(代表:岡崎敦,日本学術振興会科学研究費補助金・基盤研究(B)
(1)
)
松 井 太
⑴ 現在の研究テーマ
煙中央アジア出土古代トルコ語・モンゴル語文献の解読研究
2
4
5
煙モンゴル帝国支配下の中央アジアにおける税役制度,交通制度,文書行政システムの復元,住民組織の実態と社会的機能の
解明,宗教教団の経済的・文化的活動の分析
⑵書・論文ほか
[著書(共著]
煙吉田順一・チメドドルジ(編)
,吉田順一・チメドドルジ・井上治・永井匠・舩田善之・チョイジ・オヨーンビリグ・ボイン
デルゲル・梅村坦・武内紹人・石濱裕美子・荒川慎太郎・宇野伸浩・磯貝健一・矢島洋一・松井太・武藤慎一(著)
『ハラ
ホト出土モンゴル文書の研究』雄山閣,2
0
0
8.
3,
4
10p.
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1
0 pl
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.
[論文]
煙松井太「ドゥア時代のウイグル語免税特許状とその周辺」弘前大学人文学部『人文社会論叢』人文科学篇 1
9,
20
08.
2,
pp
1
.
325.
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2008,pp.
159178.
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,2008,pp.
343349.
煙松井太「東西チャガタイ系諸王家とウイグル人チベット仏教徒─敦煌新発現モンゴル語文書の再検討から─」『内陸アジア
史研究』
23,内陸アジア史学会,2
00
8.
3,pp
2
.
54
8.
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『内陸アジア言語の研究』23,
20
08.
7,pp
1
.
733.
[科研費報告]
煙松井太「安西楡林窟のウイグル語銘文再読」松田孝一(編)『内陸アジア諸言語資料の解読によるモンゴルの都市発展と交通
に関する総合研究』平成1
7~1
9年度科学研究費補助金・基盤研究(B)研究成果報告書(No
.
173201
13)2008.
3,pp
1
.
911
99.
[その他]
煙松井太(新刊紹介)
「森安孝夫『シルクロードと唐帝国』
」『史学雑誌』11612,
20071
.
2,p.
91.
煙松井太(学会動向)「第3
8回国際アジア・北アフリカ研究会議 (I
CANAS38)・中央アジア史関係」『東方学会報』93,
2
007.
12,pp
1
.
518.
⑶ 研究発表・講演
[学会発表]
煙松井太「敦煌出土西夏語文献裏面のウイグル語占卜文書」
2008年3月23日,第8回遼金西夏史研究会大会(東京外国語大学)
煙松井太「俄藏回鶻文『修士奴・藥師奴文書』與吐峪溝的『阿彌陀窟』」2008年1
0月20日,第3届吐魯番學國際學術研討會(新疆
吐魯番學研究院・新火州大酒店)
[招待講演]
煙松井太「文字文化からみた草原とオアシスの世界」
20
0
8年6月27日,第68回東洋文化講座(学習院大学東洋文化研究所)
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⑸外出張・研修、そのほかの海外での活動
煙中華人民共和国:旅順博物館において中央アジア出土文書資料の調査(科学研究費)2006年8月25日~8月28日
⑹科学研究費補助金、そのほかの競争的研究資金など
煙代表「中央アジア出土古代ウイグル語税役制度関係文書の歴史学・文献学的研究」科研費・若手研究(B)
分担「旅順博物館所蔵非漢文資料の総合的研究」科研費・基盤研究(B)(代表:三谷真澄)
煙分担「中国新疆のウルムチ・トゥルファン両博物館所蔵非漢文古文献の研究」科研費・基盤研究(B)
(代表:梅村坦)
煙分担「シルクロード東部地域における貿易と文化交流の諸相」科研費・基盤研究(A)
(代表:森安孝夫)
フールト・フォルカー
⑴現在の研究テーマ
煙平和研究、平和運動、歴史教育、戦争責任論
⑵著書・論文ほか
[論文]
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08年1月、7
791頁。
(研究
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7年版の訂正。発行は0
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8年1月に延期。)
煙フォルカー・フールト「戦後日本の歴史政策の諸問題」近藤孝弘(編)『東アジアの歴史政策 ─日中韓
対話と歴史認識』明
石書店2
0
08年8月、1
9
2209頁。
⑺共同研究
煙東アジアにおける国際協調的歴史教育システムの構築に関する政治教学的研究」名古屋大学(プロジェクトリーダー)
、学習
院大学、早稲田大学、韓神大学校(韓国)
、ローアン大学(米国)、華東師範大学(中国)
城 本 る み
⑴現在の研究テーマ
煙中国および台湾の高齢者福祉に関する研究
⑶講演
煙弘前大学ドリーム講座『現代中国論への誘い』
青森県立五所川原高等学校 200
7年12月
⑸海外出張
煙2
0
0
8年10月2
6日~11月7日 台湾(台北市、新竹市)
⑹科学研究費補助金
煙基盤研究(C)
(平成2
0~2
3年度)
「台湾の高齢者福祉に関する研究」(研究代表者)
荷 見 守 義
⑴現在の研究テーマ
煙東アジア地域史・中国史・朝鮮王朝史
⑵著書・論文ほか
[論文]
煙荷見守義「明朝・高麗往来文書の研究─『吏文』所収档案を手掛かりに(一)─」
『池田雄一教授 古稀記念アジア史論叢』
白東史学会、2
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8年3月、pp
2
.
91~3
11 煙荷見守義「北緯四〇度の歴史学─東アジア世界における北方日本─」
『北方社会史の視座 歴史・文化・社会』第三巻、清文
堂、2
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8年5月、pp
3
.~2
9
⑶研究発表・講演
[研究発表]
煙大阪市「明代東アジア海域の国際交流─江南・遼東・朝鮮(高麗)」 2008年2月3日 特定領域研究「東アジアの海域交流
と日本伝統文化の形成─寧波を焦点とする学際的創生─」シンポジウム(大阪市立大)
煙帯広市「被虜送還と明朝鎮守」
2
008年7月1
2日 科学研究費補助金基盤研究(A)(一般)「近代移行期の港市における奴隷・
移住者・混血児─広域社会秩序と地域秩序─」研究会(帯広畜産大)
煙弘前市「中朝宗藩と遼東鎮守」
20
0
8年9月2
4日 弘前大ナショナリズム研究会(弘前大)
⑸海外出張・研修、そのほかの海外での活動
煙9月2日~1
4日 東南・南アジア港市調査(バンコク・アユタヤ・ムンバイ・デュー)
⑹科学研究費補助金、そのほかの競争的研究資金など
煙平成1
9~22年度・科学研究費補助金基盤研究(A)
(一般)
「近代移行期の港市における奴隷・移住者・混血児─広域社会秩
序と地域秩序─」
(代表:弘末雅士)
(分担)
⑺共同研究
煙中央大学人文科学研究所共同研究チーム「档案の世界」平成1
6年度~20年度
煙中央大学人文科学研究所共同研究チーム「情報の歴史学」平成1
8年度~22年度
林 明
⑴現在の研究テーマ
煙ガンディーの思想及び歴史的再評価、サルヴォダヤ運動、ガンディーの精神の継承
⑵著書・論文ほか
[著書]
煙『資料集 インド国民軍関係者聞き書き』
(共著)
、研文出版、2008年3月31日
2
4
7
[論文]
煙「インドにおける日本山妙法寺:石谷上人・森田上人の思想・活動─藤井日達上人とガンディーの精神の継承─」
『弘前大
学人文学部人文社会論叢 人文科学篇』
、第2
0号、2
0
08年8月31日、1-1
2頁
⑶研究発表・講演
[学会発表]
煙「ガンディーの妻カストゥルバのサティヤーグラハ」
、第2
1回日本南アジア学会大会、東洋大学、20
08年9月27日
煙弘前大学ドリーム講座
「インドの魅力とガンディー」
、青森北高等学校、2
0
08年1
0月28日
⑷学外集中講義
煙「国際関係と日本」
、青森県立保健大学、2
0
08年4~7月
⑸海外出張・研修、そのほかの海外での活動
[海外出張]
煙インド(経済・宗教・文化面等における現代インドの変貌の有り様の調査)、200
8年8月19日~9月17日
⑻弘前大学人文学部主催の学会・研究会等
煙弘前大学ナショナリズム研究会
長谷川 成 一
⑴現在の研究テーマ
煙日本近世史の研究
⑵著書・論文ほか
煙著書『北奥羽の大名と民衆』清文堂 2
0
08年2月 pp
1
.~2
53
煙監修・共編著『北方社会史の視座 歴史・文化・生活 第1巻』清文堂出版 20
07年1
2月 pp
1
.~3
06
煙監修・共著『北方社会史の視座 歴史・文化・生活 第2巻』清文堂出版 2008年2月 pp
1
.~4
10
煙監修『北方社会史の視座 歴史・文化・生活 第3巻』清文堂出版 2008年6月 pp
1
.~3
93
煙監修・共著『地域ネットワークと社会変容 創造される歴史像』岩田書院 200
8年10月 pp
1
.~46
0
煙共著『日本語と英語で読む津軽学入門 =An i
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2
00
8年2月 pp
1
.~23
9
[論文]
煙「1
8世紀前半の白神山地で働いた人々─最盛期尾太鉱山を事例として─」『白神研究』5号 2008年6月 pp
1
.
8~25
煙「天和~正徳期〈1
68
117
15〉における尾太銅鉛山の経営動向」
『人文社会論叢』第20号 2008年8月 pp
4
.
3~65
⑶研究発表・講演
煙鰺ヶ沢町「江戸時代の白神山地における生業と自然」白神インストラクチャー講演会 2008年2月23日
煙弘前市「山と飢饉」日本ナイル・エジプト学会 2
00
8年4月19日
煙京都市「18世紀における新興商人の活動の軌跡─津軽領・足羽次郎三郎の活躍と凋落─」国際日本文化研究センター 2008
年8月2
2日
煙弘前市「近世津軽の災害史─被害対策と教訓─」弘前市立中央公民館市民講座 2008年11月13日
⑹科学研究費補助金、そのほかの競争的研究資金など
煙科学研究費補助金 基盤研究 C「歴史資料による白神山地の景観と環境の変容に関する研究」(代表)(平成20年度)
⑺共同研究
煙「1
8世紀日本の文化状況と国際環境」
国際日本文化研究センター
⑻弘前大学人文学部主催の学会・研究会等
煙2
0
0
8年度弘前大学国史研究会大会 2
00
8年9月6日
澤 田 真 一
⑴現在の研究テーマ
煙「差異」と「共生」をキーワードとしたオセアニアの文学と文化の研究
煙ポストコロニアル・アイデンティティ
2
4
8
⑵著書・論文ほか
[著書]
煙『ニュージーランドを知るための6
3章』
(共著、青柳まちこ編、第4
5章「活躍するマオリ作家たち─イヒマエラ、グレイス、
ダフ、ヒューム』担当、明石書店、2
00
8年7月、pp
2
.
4
2~2
4
5」
[その他]
煙「もっと知りたい!ニュージーランド④ホエール・ライダー」
、『英語教育』
、大修館書店、2
00
8年1月号、Vo
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1,pp
1
.
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煙「もっと知りたい!ニュージーランド⑤男と女」
、
『英語教育』、大修館書店、2008年2月号、Vo
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.
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.
2,pp
1
.~5
煙「もっと知りたい!ニュージーランド⑥共生のアイデンティティを求めて」、
『英語教育』、大修館書店、20
08年3月号、
Vo
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.
6 No
1
.
3,pp
1
.~5
煙「内なる自然に気づく旅 ファームステイ・イン・ニュージーランド」
、『英語教育』
、大修館書店、2
0
08年8月号、Vo
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.
7
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5
.,pp
2
.
8~29
⑶研究発表・講演
[研究発表]
煙関西学院大学「マオリ・ルネッサンス─文学の立場から─」ニュージーランド学会第1回研究大会、200
7年12月2日
[講演]
煙弘前市民参画センター「第3回ひとにやさしい社会推進セミナー 人と人が支え合うこと 浮くも沈むも2人しだい」20
08
年11月8日 ⑷学外集中講義
⑸海外出張・研修、そのほかの海外での活動
[海外における研究発表]
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23
フィリップス、ジョン・エドワード
⑴現在の研究テーマ
煙アフリカ史
⑵著書・論文ほか
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620)
⑶研究発表・講演
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,2729 Mar
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h,2008,
⑷学外集中講義
煙秋田大学教育文化学部─英語民謡
煙メリーランド大学ミサワ基地校─アメリカの黒人史
煙トロイ大学ヨンサン基地校「韓国」─イスラム原理主義
⑸海外出張・研修、そのほかの海外での活動
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2
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柑 本 英 雄
⑴現在の研究テーマ
煙北海地域諮問評議会(NSRAC:No
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)、メタガバナンス
⑵著書・論文ほか
[論文]
煙柑本英雄「リージョンへの政治地理学的再接近:スケール概念による空間の混沌整理の試み」北東アジア学会『北東アジア
地域研究』第1
4号、20
08年1
0月1日、12
0頁。
⑶研究発表・講演
[講演]
煙2
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8年6月1
3日、イギリス、北海地域委員会(NSC:No
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。
⑷学外集中講義
煙青森中央学院大学「国際関係法」
、2
00
7年1
2月2
5日~2
7日。
⑸海外出張・研修、そのほかの海外での活動
煙20
0
8年6月2日~6月3日、EU地域政策 ESPON会議出席(スロベニア)、関連インタビュー調査・資料収集。
煙2
00
8年6月11日~6月13日、北海地域委員会(NSC:No
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n)バルト海地域委員会(BSC:Bal
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n)合同年次総会出席(デンマーク)
、関連インタビュー調査・資料収集。
煙20
0
8年10月26日~3
1日、北海地域諮問評議会(NSRAC:No
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l
)年次総会出席(イギリ
ス)、関連インタビュー調査・資料収集。
⑹科学研究費補助金、そのほかの競争的研究資金など
煙平成18年度~平成20年度、基盤研究(C)「欧州サブリージョンのグランドデザインに関する比較研究─「領域的結束」具体
化の分析」
、研究代表者。
煙平成1
8年度~平成2
0年度、基盤研究(B)海外学術、
「EU サブリージョンと東アジア共同体:地域ガバナンス間の国際連携
モデル構築」、研究分担者。
煙平成1
9年度~2
0年度、基盤研究(B)海外学術、
「イタリアの国境地域と島嶼地域の“境界領域のメタモルフォーゼ”に関する
比較地域研究」
、研究分担者。
齋 藤 義 彦
⑴現在の研究テーマ
煙現代ドイツ研究 煙近代社会論
⑵著書・論文ほか
煙単著「メルケル政権下の内政と外交」
『東北ドイツ文学研究』No
5
.
1 6
1~81頁 東北ドイツ文学会 200
8年7月
⑻弘前大学人文学部主催の学会・研究会等
煙「カントの平和論」
弘前大学ナショナリズム研究会 2
0
0
8年7月3日
○情報行動講座
船 木 洋 一
⑴現在の研究テーマ
煙マルコフ決定理論
清 水 明
⑴現在の研究テーマ
煙デカルト哲学を中心とする近・現代の哲学
煙心の哲学
2
5
0
⑵著書・論文ほか
[論文]
煙「内的であるとはどのようなことか」
『人文社会論叢』人文科学篇第19号 2
00
8年2月29日 pp
1
.1
2
[その他]
新聞連載書評エッセイ「あんな本こんな本」
煙内山節著『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』
20071
.
2 陸奥新報
煙リチャード・ドーキンス著『神は妄想である』
2008.
0
1 陸奥新報
煙デイヴィッド・プロッツ著『ノーベル賞受賞者の精子バンク』2008.
02 陸奥新報
煙ダレン・オルドリッジ著『針の上で天使は何人踊れるか』
2008.
03 陸奥新報
煙 R.
プレストン著『ホット・ゾーン』
2
008.
04 陸奥新報
煙プラトン著『クリトン』
20
08.
05 陸奥新報
煙チップ・ウォルター著『この6つのおかげでヒトは進化した』2008.
06 陸奥新報
煙山川偉也著『哲学者ディオゲネス』
20
08.
07 陸奥新報
煙アラン・ワイズマン著『人類が消えた世界』
2008.
08 陸奥新報
煙カント著『道徳形而上学原論』
2008.
09 陸奥新報
煙ニーチェ著『悲劇の誕生』
2008.
10 陸奥新報
煙ル・クレジオ著『発熱』
2008.
11 陸奥新報
奥 野 浩 子
⑴現在の研究テーマ
煙複数の事象の表現方法(結果構文、複合動詞)
煙二つの外国語学習と母国語の関係
⑵著書・論文ほか
煙(翻訳)英語教育革新方案政策参考資料(大韓民国教育人的資源部)『人文社会論叢』(人文科学篇)第19号
作 道 信 介
⑴現在の研究テーマ
煙近代化の社会心理学
⑵著書・論文ほか
煙作道信介(編著)
『近代化のフィールドワーク:断片化する世界で等身大に生きる』東信堂 20
08年5月。
煙山下祐介・作道信介・杉山祐子(編著)『津軽 近代化のダイナミズム:社会学・社会心理学・人類学からの接近』御茶の水
書房 2
0
08年2月。
煙作道信介(編著)
『難民キャンプ設置による社会変動への地元の対応に関する学際的研究』(基盤研究B研究成果報告書)
2
0
0
8年3月。
煙作道信介「紛争へのアプローチ:社会心理学と心理学」
(大渕憲一編『21世紀の社会心理学12 葛藤と紛争の社会心理学:対
立を生きる人間のこころと行動』北大路書房 pp
1
.
3
21
43 2008年9月。
⑶研究発表・講演
煙作道信介「山上のホトケオロシ」第1
0回フィールドワーク社会心理学研究会(3月2
6日-2
8日、於遠刈田温泉)
・シンポジウ
ム「語りと体現化のダイナミズム─カミサマ・手かざし・ホトケオロシ」
煙作道信介「クリティークへのこたえ」第1
0回フィールドワーク社会心理学研究会(3月2
6日-28日、於遠刈田温泉)
・シンポ
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」
煙作道信介 「社会変動と治療文化:ケニア北西部トゥルカナ・カクマ周辺の医療資源の変化1
9
932
007から」日本アフリカ学
会第4
5回学術大会(5月2
4日・2
5日、於龍谷大学)
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n June22,2008 atKyo
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煙赤坂憲雄・作道信介・山下祐介 「鼎談 津軽、近代化のダイナミズム」第4回津軽学公開講座「ジャワメク磁場『津軽』そ
の深層」
(1
0月13日、於人文学部3階講義室)
煙工藤恵、木立るり子、米内山千賀子、作道信介「脳卒中を発症した高齢者への看護:回復期リハビリテーション病棟で看護師
が心がけていること」
日本老年看護学会第1
3回学術集会(1
1月8-9日、於石川県立音楽堂)
2
5
1
煙作道信介 「出来事としてのホトケオロシ:ケイコの召還をめぐる混乱から」日本質的心理学会第5回大会・企画「ナラティ
ブ・アプローチの向こう側:質的研究の豊穣化に向けて」
(11月29日・3
0日、於筑波大学)
煙作道信介「でっこの会だより」
(4月1日~1
1月1
8日)朝日新聞青森県版 連載1~25
⑷学外集中講義
煙岩手県立大学社会福祉学部専門基礎科目Ⅱ 平成19年度「文化人類学」3月29日-3日、および平成20年度「文化人類学」9
月2
4日-27日
⑸海外出張・研修、そのほかの海外での活動
煙ケニア・英国出張:8月1日-9月3日(基盤研究 A「アフリカ牧畜社会におけるローカル・プラクティスの復権/活用に
よる開発研究の新地平」による)
⑹科学研究費補助金、そのほかの競争的研究資金など
煙基盤研究 C「地域を形成し、人を留め置く力」
〈ホールド〉の実証研究─「津軽の人生」調査(代表・作道信介)
⑺共同研究
煙基盤研究 A「アフリカ牧畜社会におけるローカル・プラクティスの復権/活用による開発研究の新地平」(代表・太田至)
内 海 淳
⑴現在の研究テーマ
煙文字と音韻の仕組み
煙コンピュータ利用教育
⑶研究発表・講演
煙「e
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ng利用の拡大とソフトウェアライセンス」2008 PC Co
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,20
08年8月、慶応義塾大学
曽 我 亨
⑴現在の研究テーマ
煙東アフリカ牧畜社会における民族問題や難民問題、資源をめぐる競合などについて考えています。またオーストラリアの先
住民研究との対比において、アフリカにおける先住民言説の誕生についても考え始めています。
⑵著書・論文ほか
煙曽我亨20
0
8
「難民となった牧畜民─ガブラ・ミゴの生存戦術」作道信介編『難民キャンプ設置による社会変動への地元の対
応に関する学際的研究(基盤研究B研究成果報告書)
』pp
2
.
08244
煙曽我亨2
0
0
8
「アフリカの片田舎で近代について考える」作道信介編『近代化のフィールドワーク』東進堂、pp
1
.
83
5
煙曽我亨2
0
0
8「難民として、ゲリラとして生きた2
0世紀」福井勝義、竹沢尚一郎、宮脇幸生共編『(講座世界の先住民族)サハラ
以南アフリカ』明石書店、pp
1
.
61182
⑶研究発表・講演
煙2
0
0
8年3月25日「家畜がつくる人の社会:ウシとラクダ」国際シンポジウム公開講演会「ブタ・ウシと人間の文化誌」(於奥
州市前沢ふれあいセンター)
煙2
0
0
8年4月19日 「津軽とエチオピア、飢餓の経験」第1
7回日本ナイル・エチオピア学会公開シンポジウム企画(於弘前大
学)
煙2
0
08年5月1日「牧畜民として、ゲリラとして、難民として生きた1970年代」第4
2回文化人類学会研究大会(於京都大学)
煙2
0
0
8年1
2月6日「ラクダ牧畜民ガブラの生業文化と社会」東北大学東北アジア研究センター公開講演会(於東北大学片平さ
くらホール)
⑸海外出張・研修、そのほかの海外での活動
煙2
0
0
8年8月9日~9月2日 オーストラリアにおいて先住民政策にかんするフィールド調査
⑹科学研究費補助金、そのほかの競争的研究資金など
煙科学研究費補助金・基盤研究 C(研究代表者)『東アフリカ牧畜社会における「稀少資源をめぐる競合」ドグマの人類学的再
検討』
煙科学研究費補助金・基盤研究 A(研究分担者)『アフリカ牧畜社会におけるローカル・プラクティスの復権/活用による開
発研究の新地平』
煙科学研究費補助金・基盤研究 B(研究分担者)
『
「マイクロサッカードとしての在来知」に関する人類学的研究』
煙科学研究費補助金・基盤研究A(研究分担者)
『
「先住民」のアイデンティティーの交渉』
2
5
2
⑺共同研究
煙国立民族学博物館共同研究(松井健代表)
『生業活動と生産構造の社会的布置の研究』
煙東京外国語大学 AA研(河合香吏代表)『人類社会の進化史的基盤研究』
羽 渕 一 代
⑴現在の研究テーマ
煙親密性の変容
煙北ケニアの牧畜民のケータイ電話利用
⑵著書・論文ほか
煙羽渕一代、2
0
0
8
「ケータイと若者の恋愛・社会参加との奇妙な関係」『ケータイの裏側』コモンズ
煙羽渕一代、2
0
0
8「恋愛と結婚の現代的様相」作道信介編『近代化のフィールドワーク』東信堂
煙羽渕一代編、2
0
0
8『どこか【問題化】される若者たち』恒星社厚生閣
⑶研究発表・講演
煙 Ke
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,2008
⑸海外出張・研修、そのほかの海外での活動
煙20
0
8年8月、ケニア調査(平成1
9年度─平成21年度日本学術振興会科学研究費補助金(若手B)「モバイルメディア急速普及
過程が社会関係と社会秩序に及ぼす影響に関する社会学的研究」
)
⑹科学研究費補助金、そのほかの競争的研究資金など
煙平成1
9年度─平成2
1年度日本学術振興会科学研究費補助金(若手B)
「モバイルメディア急速普及過程が社会関係と社会秩
序に及ぼす影響に関する社会学的研究」
(研究代表者:羽渕一代)
大 橋 忠 宏
⑴現在の研究テーマ
煙地域間交通における運輸施設の効率的配置
煙交通施設整備や交通政策が地域経済に与える効果の計測方法の開発
⑹科学研究費補助金、そのほかの競争的研究資金など
煙大橋忠宏(代表)
「弘前市公共交通将来計画調査研究」受託研究(弘前市)平成19年度.
石 黒 格
⑴現在の研究テーマ
煙地方の若者の就業と地域移動
煙地域移動した若者のパーソナル・ネットワーク
⑵著書・論文ほか
煙李永俊・石黒格 2
0
08 「仕事・生活とこころの健康に関する調査報告書」弘前大学人文学部附属雇用政策研究センター
煙石黒格編著 2
0
0
8 『St
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aによる社会調査データの分析:入門から応用まで』 北大路書房
煙石黒格 2
0
08 「計量調査で人を知る、社会を知る」
(作道信介(編)『近代化のフィールドワーク』 東信堂 pp
1
.
912
01)
煙李永俊・石黒格 2
00
8 『青森県で生きる若者たち』
弘前大学出版会
⑶研究発表・講演
煙石黒格 20
0
8 「精神的、身体的健康の規定因としてのコントロール感と社会参加」
第49回日本社会心理学会大会ポスター
発表
⑺共同研究
煙人文学部附属雇用政策研究センターにて李永俊・山口恵子とともに地方から都市に移動した若者の調査研究を開始
鈴 木 淳
⑴現在の研究テーマ
煙設備配置問題のモデル化と解法アルゴリズム
煙変化を考慮した生産システム計画問題のモデル化と解法
2
5
3
⑵著書・論文ほか
[論文]
煙「多階層設備配置問題に対する分枝限定アルゴリズム」
,日本経営工学会論文誌,第59巻,第1号,1120頁(20
08年4月)
⑶研究発表・講演
[研究発表]
煙「Ef
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2007,Se
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4,I
D778(2
0
0
7年1
2月)於・台湾高雄市国賓大飯店
煙「大規模な設備配置問題解法のための近傍探索順序を考慮したアルゴリズム」,日本経営工学会平成20年度春季大会予稿集,
1
4
41
4
5頁(20
0
8年5月)於・電気通信大学
煙「多階層設備配置問題解法のための階層間設備交換操作確率を考慮したアルゴリズム」,平成20年度日本設備管理学会春季研
究発表大会論文集,A14
.,A1
61
9頁(2
0
0
8年6月)於・青山学院大学
煙「スパースなネットワーク型フロー構造を持つ設備配置問題のための近傍探索手順を考慮した SAアルゴリズム」
,平成2
0年
電気学会電子・情報・システム部門大会講演論文集,3
8
33
88頁(20
08年8月)於・公立はこだて未来大学
煙「容量を考慮した設備再配置モデルの構築と進化的な解法」
,日本経営工学会平成2
0年度秋季研究大会予稿集,1
28129頁
(20
0
8年10月)於・大阪府立大学
⑸海外出張・研修、そのほかの海外での活動
煙 As
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e2007にて研究成果発表 (2007年1
2月)於・
台湾高雄市
⑹科学研究費補助金、そのほかの競争的研究資金など
煙科学研究費補助金基盤研究(C)
「設備配置問題解法のための進化的なアルゴリズムの研究」
(研究代表者)
(平成20年3月
まで)
煙科学研究費補助金基盤研究(C)「多期にわたる変化を考慮した設備配置問題解法のための進化的なアルゴリズムの研究」
(研究代表者)
(平成2
0年4月から)
⑺共同研究
煙設備配置問題解法のための進化的なアルゴリズムの研究(首都大学東京・山本久志ほか)
増 山 篤
⑴現在の研究テーマ
煙部分地区の空間的連坦性および均質性を保証する地区区分方法に関する研究
煙高齢者居住密度と周辺施設までの近接性の関係の分析
煙居住と施設アクセシビリティの相互依存関係を分析する方法に関する研究
⑵著書・論文ほか
煙増山 篤 (2
0
0
8) 「高齢者居住と最寄り周辺施設までの距離との関係 -都道府県レベル集計データを用いた統計的分析」,
都市計画報告集,7
(1)
,18
煙増山 篤 (2
0
08) 「ポイントの空間分布パターンを判別する分析方法間での分析結果の相互従属性─ CSR仮説下における
最近隣距離法と方格法の比較─」
,都市計画論文集,4
3(2)
,414
9
○ビジネスマネジメント講座
四 宮 俊 之
⑴現在の研究テーマ
煙企業経営における提示、提案型での消費や需要の創出プロセスの経営史的研究
煙経営史学での新たな視座の構築に向けての研究
煙りんごの消費や需要の創出をめぐる歴史文化的研究
⑵著書・論文ほか
煙四宮俊之「りんごの消費や需要に見る歴史文化性の差異について」『弘前大学大学院地域社会研究科年報』第4号、20
07年1
2
月、2
1-38頁。
2
5
4
⑷学外集中講義
煙「経営史」青森公立大学、2
0
0
8年秋学期
保 田 宗 良
⑴現在の研究テーマ
煙医療マーケティングの応用理論の構築
⑵著書・論文ほか
煙「医薬品流通の視点による医療マーケティングの若干の考察」日本消費経済学会年報第2
9集、日本消費経済学会、3月、
pp
8
.
18
7
煙「医療マーケティングと医療消費者の顧客満足に関する新たな考察」人文社会論叢(社会科学篇)20号、8月、pp
1
.
2112
8
⑶研究発表・講演
煙医療マーケティングと医療消費者に関する若干の考察、日本消費経済学会全国大会、於 大阪商業大学、6月15日
煙一般用医薬品流通研究の検討項目に関する考察、日本消費経済学会東日本大会、於 中央学院大学、9月27日
煙公開講座:東北公益文科大学大学院「特別セミナー(企業経営)
」10月21日、11月1
6日
⑸海外出張・研修、そのほかの海外での活動
煙クアラルンプール
1月1
7日~2
1日
煙台北
3月2
1日~2
4日
煙シンガポール
7月3
1日~8月3日
煙タモン
9月1
2日~1
5日
煙マニラ
1
1月1日~3日
⑺共同研究
煙「津軽こぎん刺し」ブランド展開プロジェクト委員会、弘前商工会議所
鍛冶町・鍛造刃物産業構築「津軽打刃物」プロジェクト委員会、弘前商工会議所
煙「世界へ発信!津軽『うるおい、うるわし』事業プロジェクト委員会、弘前商工会議所
森 樹 男
⑴現在の研究テーマ
煙多国籍企業における海外子会社の研究
煙北欧における産学官連携と地域経済活性化に関する研究
⑵著書・論文ほか
煙森樹男「海外直接投資の歴史と企業の多国籍化」五味・安田編著、『国際経営論の基礎』20
08年4月、文眞堂,pp
2
.
337。
煙森樹男・小谷田文彦「中南地域における産学官連携による産業の高付加価値化に関する調査報告書」共著、2
00
8年3月,地域
共同研究センター。
⑶研究発表・講演
煙森樹男「
観光による地域振興」
、あおもりツーリズム人づくり大学はやて(弘前大学・青森県主催)、2
00
8年6月26日、於 弘
前大学
⑷学外集中講義
煙岩手大学人文社会科学部(北東北国立三大学連携講義)
、
「商業とまちづくり」
「北東北における観光と地域振興」
(20
08年9
月2
9日)
⑸海外出張・研修、そのほかの海外での活動
煙2
0
0
7年12月1
2日~17日、カターニャ(イタリア)
煙2
0
0
8年2月1
4日~18日、上海(中国)
煙2
0
0
8年1
1月16日~27日、カールスタッド(スウェーデン)
、セイナヨキ(フィンランド)
⑹科学研究費補助金、そのほかの競争的研究資金など
煙平成2
0年度 学術国際振興基金(学術の国際交流推進事業)
「産学官連携による地方都市経済再生の研究~北欧地方都市の
事例を参考に~」
、共同研究者 小谷田文彦
2
5
5
嶋 恵 一
⑴現在の研究テーマ
煙設備投資の断続性と生産性への効果に関する実証研究。
⑶研究発表・講演
煙
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、景気循環日付研究会・秋田コンファレンス(科研費代表:浅子和
美、一橋大学)
、2
00
8年9月。
高 島 克 史
⑴現在の研究テーマ
煙ベンチャー企業の経営戦略と組織
岩 田 一 哲
⑴現在の研究テーマ
煙コミットメントとモチベーションの関係の理論的研究
煙過労死・過労自殺者の心理的要因の探索
⑵著書・論文ほか
[その他]
煙「過労死・過労自殺の危険因子に関する分析」
『経営学論集』第78集、2
008年9月、1561
57頁。
⑶研究発表・講演
煙「過労死・過労自殺へ導かれる要因とは何か?─関係者の手記の分析から─」弘前大学経済学会第3
3回大会(於:弘前大
学)
、2
0
08年1
0月。
柴 田 英 樹
⑴現在の研究テーマ
煙環境会計、排出権取引に関する研究
煙粉飾決算、監査風土の研究
⑵著書・論文ほか
[論文]
煙柴田英樹「環境報告ガイドラインの概要」企業会計 Vo
l
6
.
0.NO9
.、中央経済社、9月、pp
8
.
88
9
煙柴田英樹「排出権取引の会計処理に関する一考察」
『弘前大学経済研究』2
007年12月、第30号、pp
2
.
74
2頁
煙柴田英樹「動的内部統制論」人文社会論叢(社会科学篇)
1
9号、1
1月、pp
1
.17
煙柴田英樹「日本的監査風土の「いま」と今後」人文社会論叢(社会科学篇)20号、8月、pp
1
.
940
[学会レポート]
煙柴田英樹「日本監査研究学会「第3
0回東日本部会」報告」
[その他]
煙柴田英樹「
「中央青山」以後激震する監査風土」ZAI
TEN第52巻第7号、財界展望新社、7月、pp
2
.
029
⑶研究発表・講演
煙公開講座:サマーカレッジ「身の回りのことから環境問題を考えよう」、9月2日
⑺共同研究
煙知的資産に関わる会計情報の活用に関する実証研究(加藤)
加 藤 惠 吉
⑴現在の研究テーマ
煙企業価値評価、無形資産、国際税務。
⑵著書・論文ほか
煙『ベーシック税務会計Ⅱ─所得税法・消費税法─』創成社 2
00
8年7月(共著)
煙『ベーシック税務会計Ⅰ─法人税法─』創成社 2
00
8年1
0月(共著)
2
5
6
⑺共同研究
煙租税属性とコーポレート・ガバナンスとの関係性(大沼・櫻田)
煙知的資産に関わる会計情報の活用に関する実証研究(柴田)
中 村 文 彦
⑴現在の研究テーマ
煙会計選択の国際化、退職給付の財務報告に関する研究
⑵著書、論文等 [論文]
煙中村文彦「会計選択の国際化」會計、第1
7
4巻、第4号、2
008年10月、6
3-77頁。
[その他、テキスト]
煙中村文彦「固定資産」
(税経セミナー2
0
08年2月臨時増刊号、所収)
金 藤 正 直
⑴現在の研究テーマ
煙環境サプライチェーン・マネジメントを支援する会計情報システムに関する研究
煙バイオマス政策・事業プロセスを対象にした総合評価モデルに関する研究
煙情報セキュリティ・マネジメントを支援する会計モデルに関する研究
⑵著書・論文ほか
[論文]
煙「日本におけるバイオマス政策・事業を対象にした評価モデルの構想」『人文社会論叢(社会科学篇)』第20号、2
008年8月、
11
8頁。
[研究・調査報告書]
煙「アメリカにおける SFAS第1
43号公表前後の影響分析」
、日本会計研究学会スタディ・グループ『環境財務会計の国際的動向
と基礎概念に関する研究:最終報告』
2
00
8年9月、1
1
31
1
9頁。
煙「日本企業における資産除去債務処理に関する現状分析」
、日本会計研究学会スタディ・グループ『環境財務会計の国際的動
向と基礎概念に関する研究:最終報告』
2
00
8年9月、1
3
9145頁。
[FD関連]
煙「Fac
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ntにおける授業設計シミュレーション:講義「環境科学論─地球温暖化を中心として」の設計」『21世
紀教育フォーラム』第3号、2
0
08年3月。
⑶研究発表・講演
[研究発表]
煙
「林間型バイオマス政策・事業評価モデルの実践適用可能性」第3回日本 LCA学会研究発表会(於:名古屋大学)、2
00
8年3月。
煙
「林間型バイオマス事業を対象にした政策形成過程の現状と将来」環境経済・政策学会200
8年大会(於:大阪大学)、2008年
9月。
[講演]
煙「戦略的環境会計情報システムの構築方法」サステナビリティ経営研究会(㈱環境管理会計研究所主催)東京・大阪2講演、
2
0
0
8年3月。
⑹科学研究費補助金、そのほかの競争的研究資金など
煙文部科学省 科学研究費補助金 若手研究(スタートアップ)
(2007年度~2008年度)。
⑺共同研究
煙文部科学省『一般・産業廃棄物・バイオマスの複合処理・再資源化プロジェクト』
2
00
3年度-2
00
8年度(2
006年1
1月まで研
究員、業務協力者(2
00
8年3月まで)
)。
煙日本会計研究学会スタディ・グループ「環境財務会計の国際的動向と基礎概念に関する研究」20
07年-2
008年。
煙環境省 地球環境研究総合推進費『バイオマスを高度に利用する社会技術システム構築に関する研究』(20
08年度~2
01
0年
度)
。
2
5
7
○経済システム講座
中 澤 勝 三
⑴現在の研究テーマ
煙「海からの歴史」
、翻訳ヤン・デニュセ『アントウエルペンのアフリカ交易』
⑵著書・論文ほか
煙書評 「宇野忠義『リンゴ農家の経営危機とリンゴ火傷病の検疫問題』弘前大学出版会、2
007年刊」、東奥日報、20
08年1月25
日朝刊、掲載」
赤 城 国 臣
⑴現在の研究テーマ
煙戦後景気循環の研究
⑵著書・論文ほか
煙論説「米国経済混乱の影響も」
(『陸奥新報』
、2
00
8.
1.
1)
煙論文「公共財の図形的理論:その算術的説明」
『人文社会論叢 社会科学篇』第19号(弘前大学人文学部、2008.
2)
鈴 木 和 雄
⑴現在の研究テーマ
煙資本蓄積論,労働過程論
⑵著書・論文ほか
煙鈴木和雄「労働移転論が提起するもの」
『アソシエ2
1・ニューズレター』(アソシエ21)20
08年7月号(第11
5号)、200
8年7月
1
0日、57頁。
⑶研究発表・講演
煙鈴木和雄「書評:岡本英男著『福祉国家の可能性』
(東京大学出版会、2
007年3月)
」社会政策学会第1
0
5回秋季大会・書評分
科会(於岩手大学)
、2
008年1
0月1
1日。
煙鈴木和雄「U.
S.
ラディカルズの剰余理論と労働過程論」東京大学大学院経済学研究科附属日本経済国際共同研究センター
「政治経済学ワークショップ」公開セミナー:
「労働論の可能性」(於東京大学)、20
08年3月25日。
煙鈴木和雄「接客労働における三極関係─その構造と効果─」SGCI
ME夏季研究会(於東京八王子セミナーハウス)、2
00
8年8
月8日。
⑻弘前大学人文学部主催の学会・研究会等
煙弘前大学経済学会第3
3回大会,2
0
0
8年1
0月2
5日。
池 田 憲 隆
⑴現在の研究テーマ
煙近代日本における官営工業の実証的研究
⑵著書・論文ほか
煙「海軍省所管製鋼所案と陸海軍」
、
『人文社会論叢』
(人文科学篇)第20号、2
00
8年8月、1328頁
煙「報告書」:科研費基盤研究(B)研究成果報告書(課題番号 16
330066)研究代表者清水憲一『官営八幡製鐵所創立期の再検
討』
(本人執筆部分、
「日清・日露戦間期における兵器用鋼材生産」、5172頁、2
008年3月
⑶研究発表・講演
煙「近代日本軍事工業史の課題と方法」、兵器産業・武器移転史フォーラム(第13回会合)および日本軍事工業史研究会との共
催、2
0
08年7月1
9日、於;東京大学
⑺共同研究
煙日本軍事工業史研究会
黄 孝 春
⑴ 現在の研究テーマ
煙中国における外資政策の変化と日系企業の対応
2
5
8
煙リンゴ産業におけるピンレディーシステム(会員制)の実態
⑵著書・論文ほか
煙第5章「中国企業の組織再編と持株会社」下谷政弘編著『東アジアの持株会社』ミネルヴァ書房、200
8年5月
煙「世界のリンゴ事情」連続3回『林檎商組日報』
2
0
08年3月1
4,15,18日
煙「世界のリンゴ事情」連続3回『林檎商組日報』
2
00
8年1
1月19,2
1,26日
煙「鈴木商店 金子直吉」月刊「ABC」
20
08年9月号
⑸海外出張・研修、そのほかの海外での活動
煙2
0
0
8年1月2
0日-27日青森県農水産物輸出促進協議会主催 青森産リンゴの中国輸出事情視察
煙2
0
0
8年1
1月2
3日-26日中国上海の大学で秋季入学の可能性について聞き取り調査
⑹科学研究費補助金、そのほかの競争的研究資金など
煙平成2
0年度農業経営研究等支援事業調査 受託研究
⑺共同研究
煙明治大学イノベーション研究所の研究プロジェクト「地域企業のイノベーション」に参加
⑻弘前大学人文学部主催の学会・研究会等
煙ナショナリズム研究会に参加
細 矢 浩 志
⑴現在の研究テーマ
煙 EU統合進展下の欧州自動車産業の変容について
煙企業・工場誘致と地域経済の振興・活性化に関する実証的研究
⑵著書・論文ほか
煙「いま『クルマ』が面白い」
『青森雇用・社会問題研究所 NEWS LETTER No
.
26』2
00
8年9月
⑶研究発表・講演
煙講演「ロシア・中東欧自動車産業の現状と今後の展望」
日本工作機械工業会・第3回国際委員会,2
00
8年7月2
5日:名古屋マリオネットアソシアホテル
煙学会発表「欧州自動車産業の生産ネットワークの基本構造」
東北経済学会第6
2回大会,2
0
08年9月1
3日:岩手大学
⑷学外集中講義
煙山形大学人文学部「経済政策論(後期)
」
20
07年1
2月
煙山形大学人文学部「経済政策論(前期)
」
20
08年9月
⑸海外出張・研修、そのほかの海外での活動
煙ベルギー(ブリュッセル)
,ドイツ(フランクフルト,ベルリン,ミュンヘン),チェコ(プラハ):200
8年3月5~18日
⑹科学研究費補助金、そのほかの競争的研究資金など
煙科研費 基盤研究(B)
(1)
「ユーロ圏経済の分裂傾向とユーロの持続性に関する総合的研究」
煙科研費 基盤研究(C)
「EUの東方拡大にともなう欧州自動車産業の生産分業再編に関する実証研究」
煙平成2
0年度あおもり県民政策研究
「自動車工場誘致を通じた産業基盤の形成と地域経済の活性化に関する高次政策的考察」
⑺共同研究
煙弘前大学人文学部ふるさと再生プロジェクトチーム「過疎地域・限界集落ふるさと再生支援事業および事業のための調査研究」
⑻弘前大学人文学部主催の学会・研究会等
煙弘前大学経済学会・編集委員会
山 本 康 裕
⑴現在の研究テーマ
煙金融システムとマクロ経済の関係性
⑵著書・論文ほか
煙山本康裕(2
0
0
8)
「銀行貸出市場の寡占化と金融政策─静学モデルによる分析─」
2
5
9
『人文社会論叢 社会科学篇』第1
9号、pp
2
.
53
9.
2
0
08年2月29日
⑶研究発表・講演
煙山本康裕(2
0
0
8)
「銀行業の再編・統合と金融政策」
日本金融学会2
0
0
8年度秋季大会 広島大学 2
00
8年1
0月1
3日
⑻弘前大学人文学部主催の学会・研究会等
煙数量経済研究会 2
0
08年5月1
5日、6月2
6日、8月6日
福 田 進 治
⑴現在の研究テーマ
煙リカードの経済理論
⑵著書・論文ほか
[論文]
煙「古典派価値論の比較検討─スミス、リカード、マルクス、スラッファ─」『立命館経済学』第5
6巻第5・6号、1
7
619
6頁、
2
0
0
8年3月2
0日刊行
煙「日本の初期リカード研究─スラッファ解釈批判と部門別利潤率規定論─」『人文社会論叢 社会科学編』第20号、4162頁、
2
0
0
8年8月3
1日刊行
⑶研究発表・講演
[研究発表]
煙「スラッファのリカード解釈─穀物比率理論を中心に─」
、リカードウ科研費研究会、明治大学、2008年1月13日
煙「アダム・スミスの国家論の射程─「小さな国家」論の再検討─」
、第8回ナショナリズム研究会、弘前大学、2
008年3月13日
煙「日本のリカード研究と欧米のリカード研究─初期リカード解釈をめぐる論争─」第1
9回経済思想研究会、弘前学院大学、
2
0
0
8年4月2
7日
[討論]
煙「ミリセント・ガレット・フォーセットの経済学─ Po
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c
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no
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o
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gnne
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s(
1870)
─」(報告者 舩木恵子)、第20
回経済思想研究会、東北工業大学、2
00
8年8月3日
煙「Mar
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」(報告者 Gi
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o
)、第15回リカードウ研究会、明治大
学、2
00
8年9月2
7日
[公開講座]
煙「経済思想の基礎知識─比較優位の原理と地域経済─」弘前大学生涯学習教育研究センター・つがる市教育委員会共催、つ
がる市生涯学習交流センター、2
00
8年9月2
0日
⑹科学研究費補助金、そのほかの競争的研究資金など
煙科学研究費補助金 基盤研究(C)
「日本のリカードウ研究史─比較史的視点を交えて─」(研究代表者 千賀重義)平成18
~1
9年度
⑻弘前大学人文学部主催の学会・研究会等
煙第2
9回経済学史学会東北部会例会、弘前大学、2
0
08年4月2
6日
小谷田 文 彦
⑴現在の研究テーマ
煙企業の研究開発投資,海外直接投資に関する実証研究
⑵著書・論文ほか
煙論文「海外直接投資関数の推計」弘前大学人文学部『人文社会科学論叢(社会科学篇)』
,19,4150,2
00
8年2月
⑶研究発表・講演
煙研究発表「海外直接投資と国内投資の誘因の違いに関する実証分析」第5
1回(200
8年度第1回)国際ビジネス研究学会(早稲
田大学)
,2
00
8年1月2
4日
⑸海外出張・研修、そのほかの海外での活動
煙海外出張 フィンランド共和国(2
008年9月6日から9月1
7日)
煙海外出張 スウェーデン王国,フィンランド共和国(2
00
8年11月16日から11月27日)
⑹科学研究費補助金、そのほかの競争的研究資金など
煙「地域政策の適切な評価方法と国際的な地域研究機関の連携に関する研究」学術国際振興基金
2
6
0
煙「産学官連携による地方都市経済再生の研究」学術国際振興基金(森樹男氏と共同)
飯 島 裕 胤
⑴現在の研究テーマ 煙企業買収,買収防衛策の経済分析
⑵著書・論文ほか [論文]
煙 Hi
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da(飯島裕胤,家田崇)
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Ec
o
no
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s(応用経済学研究)
,1,pp
1
.
571
7
7,2
0
08年5月発行 (査読有)
(昨年度本欄で,掲載許可を得た旨報告したもの.掲載ページ等詳細が判明したので追記して再度報告する)
⑶研究発表・講演 [学会報告]
煙飯島裕胤「保身,チーム・インセンティブ問題,および株主圧力:買収防衛策導入の決定メカニズム」日本経済学会春季大
会,2
0
08年6月1日,東北大学
煙 Hi
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ma(飯島裕胤)
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2008,Kyus
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,Japan(2
00
8年9月2
7日,九州大学)
煙飯島裕胤「買収防衛的な第三者割当増資と買収プレミアム」日本応用経済学会秋季大会,2008年11月2
3日,金沢大学
[学会賞]
煙飯島裕胤,論文「ステークホルダーの利益保護に対する現経営陣と買収者の行動の差異」における「将来の研究発展の基礎を
なす貢献」により,日本応用経済学会秋季大会(2
0
08年1
1月23日,金沢大学)にて,日本応用経済学会奨励賞を得た
⑹科学研究費補助金、そのほかの競争的研究資金など
煙「成熟経済における望ましい企業買収のあり方について」学術国際振興基金,A1 ①若手研究者への助成
李 永 俊
⑴現在の研究テーマ
煙地域の若年雇用問題 煙生活満足度の経済的な要因分析
⑵著書・論文ほか
煙李永俊・石黒格(2
00
8)
『青森県で生きる若者たち』弘前大学出版会
煙李永俊(2
0
0
8)「青森県の現状と課題─2
03
0年の青森県に向けての提言」
『れぢおん青森』
』青森地域社会研究所、Vo
l
3
.
0、
No
3
.
5
9、2-1
1頁。
煙李永俊・石黒格(2
008)
「仕事・生活とこころの健康に関する調査報告書」弘前大学人文学部附属雇用政策研究センター報告
書、No
3
.。
⑶研究発表・講演
煙「少子高齢化社会の現状とこれから」弘前大学生涯学習教育研究センター公開講座、20
08年7月18日、於下北文化会館
煙「青森県に生きる若者たちの姿」『青森県で生きる若者たち』第4回弘前大学人文学部附属雇用政策研究センターフォーラ
ム、2
0
0
8年10月17日、於弘前駅前市民ホール
⑹科学研究費補助金、そのほかの競争的研究資金など
煙学術国際振興基金「地方中高年層の就業状況と生活意識に関する調査研究」
煙弘前大学学長指定重点研究「都市に暮らす地方出身の若者の就業状況と地元意識に関する調査研究」
⑺共同研究
煙「地方中高年層の就業状況と生活意識に関する調査研究」人文学部附属雇用政策研究センター内共同研究
煙「都市に暮らす地方出身の若者の就業状況と地元意識に関する調査研究」人文学部附属雇用政策研究センター内共同研究
⑻弘前大学人文学部主催の学会・研究会等
煙『青森県で生きる若者たち』第4回弘前大学人文学部附属雇用政策研究センターフォーラム、20
08年1
0月17日、於弘前駅前市
民ホール
2
6
1
煙『日本とスウェーデンの地域活性化・雇用政策を考える』第5回 雇用政策研究センターフォーラム、2
00
8年10月2
7日、於弘
前大学創立5
0周年記念会館みちのくホール
○公共政策講座
堀 内 健 志
⑴現在の研究テーマ
煙K・ヘッセの憲法論
煙憲法の基礎理論
⑵著書・論文ほか
[論文等]
煙「公法上の『組織法』と『内部法』とを概念上区別する必要はないか─藤田宙靖著『行政組織法』にみる「公務員法」の位置づ
け─」
、
『青森法政論叢』9号(青森法学会、2
0
08年)
、8
185頁
煙「
『憲法学』と『政策学』─研究者の任務は変化したのか?」
『人文社会論叢(社会科学篇)』
19号(弘前大学人文学部、2
00
8年)
1
0
91
1
6頁
煙「書評・加藤隆之著『性表現規制の限界─「わいせつ」概念とその規制根拠』(ミネルヴァ書房、2
008年)
」
『青森法政論叢』9
号(青森法学会、2
00
8年)8
69
0頁
煙「
『憲法』概念と憲法学(その二)─ドイツ憲法(学)史を背景とする『日本憲法学』
」
『人文社会論叢(社会科学篇)
』2
0号(弘
前大学人文学部、2
008年)
6380頁
⑷学外集中講義
煙弘前福祉短期大学(法学)
村 松 惠 二
⑴現在の研究テーマ
煙ヨーロッパ極右の論理と心理、ナショナリズムとジンゴイズム
⑵著書・論文ほか
[その他(書評)
]
煙「信仰と研究と実践と─『宮田光雄思想史論集』に寄せて」
、『青森法政論叢』9
196頁(20
08年8月31日付)
山 下 祐 介
⑴現在の研究テーマ
煙社会学(地域社会学・農村社会学・都市社会学・環境社会学・災害社会学・社会理論)
⑵著書・論文ほか
[著書]
煙『津軽、近代化のダイナミズム』御茶の水書房、2
00
8年2月(山下祐介・作道信介・杉山祐子編).
[論文]
煙「防災福祉コミュニティ」大屋根淳・浦野正樹・田中淳・吉井博明編『シリーズ災害と社会1 災害社会学入門』弘文堂、
2
1
2-22
2頁、20
0
7年1
2月.
煙「リスク社会におけるボランティア、公共性」大屋根淳・浦野正樹・田中淳・吉井博明編『シリーズ災害と社会1 災害社会
学入門』弘文堂、2
4
6-2
5
7頁、2
00
7年1
2月.
煙「北東北の農山村」
、河西英通・脇野博編『北方社会史の視座 歴史・文化・生活 第3巻歴史分野(近代)と生活・生業分
野』
1
3
717
3頁、清文堂、2
0
08年5月.
煙「日本の近代化と地域社会」作道信介編『近代化のフィールドワーク』、東信堂、16919
0頁、200
8年5月.
[報告書]
煙「鰺ヶ沢町過疎集落活性化モデル調査研究事業 平成19年度深谷・細ヶ平・黒森調査報告書」200
8年3月、弘前大学人文学
部社会学研究室、鰺ヶ沢町、深谷・細ヶ平・黒森町内会.
煙『公開講座「岩木川~みず・ひと・しぜん」講演記録集特別編2これからの岩木川』、公開講座「岩木川~みず・ひと・しぜ
ん」運営委員会、2
00
8年3月.
2
6
2
煙『
〈平成1
9年度あおもり県民政策研究(一般)
〉青森県内過疎地域の限界集落化の検証と政策課題─西南日本の過疎高齢化と
は異なる我が県の現状を解読し、独自の政策課題を抽出する─』、2008年3月.
[その他]
煙「目屋をめぐる菅江真澄と森山泰太郎」
、
『津軽学』第3号、134151頁、津軽に学ぶ会、20
07年1
2月.
煙「津軽学公開講座 語り合い 場のちから地の記憶、
『津軽学』第3号、3364頁、津軽に学ぶ会、20
07年1
2月.
煙「フィールド探訪 船沢編」
(弘前大学社会学研究室)
、『津軽学』第3号、15215
5頁、津軽に学ぶ会、20
07年1
2月.
⑶研究発表・講演
煙「青森県内過疎地域の限界集落可の検証と政策課題」
、あおもり県民政策ネットワーク研究発表会、青森国際ホテル、200
8年
2月1
6日.
煙「本県における限界集落問題の現状と課題」青森県過疎対策研究会第2回、青森県庁西棟7階 A会議室、2
00
8年3月28日.
煙「地域のリスクと資源─防災・福祉・環境コミュニティをめぐって」、西日本社会学会、第66回大会シンポジウム「リスクと
ソーシャルキャピタル」
、活水女子大学、2
0
08年5月1
1日.
煙「社会科地域教材開発講座 地域のよさを発見する社会科指導 地域実地調査に向けて─田舎館村枝川三堰地域を素材に」
2
0
0
8年9月2
4日~25日、青森県総合学習教育センター.
煙「津軽、近代化のダイナミズム」
、公開講座 津軽学「ジャワメク磁場「津軽」その深層」
2
00
8年10月1
3日、弘前大学人文学
部・津軽に学ぶ会.
煙「リスク社会とボランティア・市民活動」日本社会学会第8
1回大会、東北大学、200
8年11月2
3日.
⑺学外との共同研究
煙公開講座「岩木川~みず・ひと・しぜん」運営委員会事務局
煙平川マイバスの会理事(
「平川バス・ひと・まち懇談会」を通じた地域公共交通に関する研究:国際交通安全学会との共同)
煙青森県パートナーシップ推進委員会員
煙津軽ダム広報室運営委員会員・砂川学習館運営委員会委員
煙鰺ヶ沢町マッチングファンド運営に関する共同研究(鰺ヶ沢町、NPO法人・グリーンエネルギー青森)
煙その他
⑻学会活動
煙日本都市社会学会(企画委員)
児 山 正 史
⑴現在の研究テーマ
煙地方自治体の行政評価・政策評価と総合計画
⑵著書・論文ほか
[論文]
煙「愛知県東海市のまちづくり指標(~200
7年9月)─自治体行政における社会指標型ベンチマーキングの活用─」、『人文社
会論叢(社会科学篇)
』
、第1
9号、pp
5
.
17
6
⑶研究発表・講演
[研究発表]
煙「行政学からみた『準市場』としての教育」、グローバル化・ポスト産業化社会における教育社会学の理論的基盤の再構築に
関する研究会、2
00
7年1
2月9日、東京大学
紺 屋 博 昭
⑴現在の研究テーマ
煙労働法の〈三角関係〉
煙しっぱい労働法、あるいは労働法の小規模な失敗について
煙業務命令権の構造および契約論的解釈
煙個別労使紛争解決制度の多様化と機能分化
煙地域雇用の法政策的分析と他学問領域との相関
煙諸外国の若年者に対する総合支援の比較分析
煙研究室がなくなって切れた研究のツテをどうにか取り戻そうとする実践
煙4
0歳になってやらなければならないことインタビュー
2
6
3
⑵著書・論文ほか
[論文]
煙紺屋博昭「雇用対策法の意義と問題点─若年者の就業促進および雇用機会の確保と募集採用時の年齢制限─」『日本労働法
学会誌』第1
1
1号(2008年)pp
1
.
301
39
[講演録]
煙紺屋博昭「労働紛争処理の今日的課題」
『月刊労委労協』第6
28号(2008年)pp
4
.
56
4
[読書ノート]
煙紺屋博昭「読書ノート:村田毅之『日本における労使紛争処理制度の現状』」『日本労働研究雑誌』第581号(20
08年)pp
9
.
79
8
[紀要論文]
煙紺屋博昭「雇用を創る計画を作る─改正地域雇用開発促進法と地方自治体の雇用創出プログラム形成過程の問題点─」『人
文社会論叢(社会科学篇)
』第2
0号(弘前大学人文学部、2
00
8年)pp
1
.
0312
0
⑶研究発表・講演
[講演]
煙「労働条件の変更と企業再編・リストラ策─知っておきたい『労働契約の中途変更』、そして『人員整理』のルール─」(平成
1
9年度 社団法人青森県経営者協会 人事・労務担当者研修会「ベーシック労働法講座」第3回)2
007年1
2月7日
煙「解雇の最新裁判例を知る─解雇権濫用法理の展開─」
(厚生労働省青森労働局「総合労働相談員研修」)
200
7年12月1
2日
煙「懲戒処分と解雇・退職─ケーサツまかせ?それとも社内処分?不祥事への対処を考える─」(平成19年度 社団法人青森県
経営者協会 人事・労務担当者研修会「アドバンスト労働法講座」第5回)2007年12月14日
煙「個別労使紛争、集団的労使関係─職場トラブルの解決のための労働法、こう使われる!─」平成19年度 社団法人青森県経
営者協会八戸支部 人事・労務担当者研修会「ベーシック労働法講座」第4回)2008年1月18日
煙「生産現場の若い従業員の処遇プランについて」
(青森県工業会キラリ燦く職場作り研究会2007第3回)2008年2月14日
煙「安全衛生と労働災害─えっ!上司の言動が労災の原因に?─」(平成19年度 社団法人青森県経営者協会 人事・労務担当
者研修会「アドバンスト労働法講座」第6回)
2
00
8年2月1
5日
煙「組合活動と団交・労働協約の締結─なくならない不当労働行為!労働組合とつきあうルール、知ってる?─」(平成19年
度 社団法人青森県経営者協会 人事・労務担当者研修会「アドバンスト労働法講座」第7回)2008年3月14日
煙「労働条件の変更と企業再編・リストラ策─従業員の個別処遇のルールをつくろう!─」(平成19年度 社団法人青森県経営
者協会 人事・労務担当者研修会「アドバンスト労働法講座」最終回)2008年4月18日
煙「労働紛争処理の今日的課題─契約の理解、感情の処理、当事者の満足、そして紛争処理技術支援を考える─」
(平成20年度
北海道・東北ブロック労働委員会労働者側委員連絡協議会研究会)2008年6月10日
煙「産業と組織の心理学─組織と人間関係、その基本的な仕組みを理解する─」
(社団法人日本産業カウンセラー協会 平成20
年度産業カウンセラー養成講座 盛岡教室)
20
0
8年8月2
4日
煙「労働経済─組織における従業員の働かせ方とその問題を理解する─」(社団法人日本産業カウンセラー協会 平成20年度産
業カウンセラー養成講座 盛岡教室)
200
8年9月7日
煙「就業規則による契約管理と雇用の基準化」(平成2
0年度 社団法人青森県経営者協会八戸支部 人事・労務担当者研修会「ア
ドバンスト労働法講座」第1回)
2
008年9月1
2日
煙「採用から戦力へ─内定、試用、教育訓練と戦力化のステージ─」(平成20年度 社団法人青森県経営者協会人事労務問題研
修会「エクセレント雇用管理講座」第1回)
2
0
08年9月1
9日
煙「成果と賃金─差別化と均等待遇のバランス─」
(平成20年度 社団法人青森県経営者協会八戸支部 人事・労務担当者研修
会「アドバンスト労働法講座」第2回)
20
0
8年1
0月3日
煙「1
0年目の転機─キャリア、配転、管理職養成のステージ─」
(平成20年度 社団法人青森県経営者協会人事労務問題研修会
「エクセレント雇用管理講座」第2回)
2
0
08年1
0月1
0日
煙「日本の社会保障制度の現状と問題点」
(平成2
0年度むつ市教育委員会「生涯学習連続講演会」第3回)2008年10月17日
煙「高年齢者の多様な働き方を考える─職業経験の活用と働き続けるための条件─」(社団法人岩手県雇用開発協会「平成20年
度高年齢者雇用管理研修」
(奥州市文化会館)
)
2
00
8年1
1月2
0日
[研究発表]
煙書評「石川良子 『ひきこもりの〈ゴール〉
「就労」でも「対人関係」でもなく』を読む」
(青少年研究会)
2008年4月1
9日(於
上智大学)
⑷学外集中講義
煙青森公立大平成2
0年度秋学期「労働法」
2
6
4
⑸海外出張・研修、そのほかの海外での活動
煙イギリス 2
0
0
8年2月1
5日-2
00
8年2月2
1日、ロンドン市内 若年者総合支援組織「コネクションズ」等を訪問調査
⑹科学研究費補助金、そのほかの競争的研究資金など
[研究代表者となるもののみ記載]
煙紺屋博昭「就業支援行政におけるワンストップサービスの展開と法政策的課題」(H1
8H20 文部科学省科学研究費補助金 若
手研究(A)課題番号1
8
683
0
0
1)
山 口 恵 子
⑴現在の研究テーマ
煙都市の貧困に関する社会学的研究
煙中心─周縁における就業構造の変容に関する実証研究
煙弘前研究
⑵著書・論文ほか
[論文]
煙山口恵子、20
0
8年2月、「地方都市におけるファミリーコースの変遷と都市空間の再編・変容─津軽地域/弘前市を事例に
─」山下祐介・作道信介・杉山祐子編著『津軽、近代化のダイナミズム─社会学・社会心理学・人類学からの接近─』御茶の
水書房(山下祐介と共著)
、2
2
5331頁
煙山口恵子、2
0
0
8年2月、
「リーダー生成過程としての選挙と地域づくりの展開─津軽選挙研究─」山下祐介・作道信介・杉山
祐子編著『津軽、近代化のダイナミズム─社会学・社会心理学・人類学からの接近─』御茶の水書房(山下祐介・蒔苗伸郎と
共著)
、3
794
2
1頁
煙山口恵子、2
0
08年5月、
「都市と路上で生きる人々」作道信介編『近代化のフィールドワーク─断片化する世界で等身大に生
きる─』東信堂、1
2
31
42頁
煙山口恵子、2
0
0
8年10月、
「ホームレス化する若者?」羽渕一代編著『どこか〈問題化〉される若者たち』恒星社厚生閣、4561頁
煙 Yamaguc
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.2008.
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.
[その他]
煙山口恵子、2
0
0
8年11月、
「地方労働市場の変化と地域移動─若者のホームレス化の背景─」社会理論・動態研究所『理論と動
態』1、1
4
51
5
9頁
煙山口恵子、2
0
0
8年2月、書評:笹沼弘志『ホームレスと自立/排除』、『図書新聞』2
879、2頁
煙弘前大学人文学部・社会行動コース編集・発行、20
08年4月、『弘前市におけるタクシー産業の展開』(社会調査実習・仕事
班報告書)
⑶研究発表・講演
煙 Ke
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na.
⑸海外出張・研修、そのほかの海外での活動
煙イギリス(2
0
08年2月1
5日~2月2
1日)
煙スペイン・イギリス(2
00
8年9月2日~9月1
8日)
⑹科学研究費補助金、そのほかの競争的研究資金など
煙科学研究費補助金「建設産業における若年不安定就業層の実態に関する社会学的研究」(研究代表)
煙弘前大学学長指定緊急重点研究「都市に暮らす地方出身の若者の就業状況と地元意識に関する調査研究」(研究分担)
煙弘前大学若手萌芽研究「青森出身女性の地域移動と仕事に関する社会学的研究」(研究代表)
⑺共同研究
煙「移動研究会」弘前大学人文学部内教官
2
6
5
煙「若者の就労と移動」弘前大学人文学部内教官
⑻学会・研究会等
煙第2
3回解放社会学会大会テーマ部会Ⅱ「自立支援法以降の野宿者問題」、部会ならびに特集論文のコーディネート
平 野 潔
⑴現在の研究テーマ
煙過失犯における注意義務概念
煙刑法における情報の保護
⑶研究発表・講演
煙「シンポジウム:法科大学院進学の現状─青森県における法曹養成のあり方を考える─」(司会兼パネリスト)
(20
08年3月
8日、於:弘前大学人文学部校舎4階多目的ホール)
煙「最高裁第二小法廷決定 平成1
9年3月2
6日『業務上過失傷害罪被告事件』」(20
08年度第1回東北大学刑事法判例研究会報
告)
(2
0
0
8年7月1
9日、於:東北大学文科系総合研究棟1号館11階大会議室)
煙「刑法改正と刑罰の本質」FMアップルウェーブりんご王国こうぎょくカレッジ(ゼミ生(髙田毅、齋地美菜子、鳥谷部知子)
とともに出演、2
0
08年8月1
0日放送、8月1
7日再放送)
⑷学外集中講義
煙青森中央学院大学「刑事法」夏季集中講義
飯 考 行
⑴現在の研究テーマ
煙東北地方の法律サービス提供構造に見る司法改革の影響
煙裁判および裁判官に対する民主的統制
煙大都市以外における弁護士の業務スタイル
煙司法書士職の動向と裁判関連業務への取組み
煙諸外国の司法制度とその機能
⑵著書・論文ほか
[論文]
煙飯考行「司法制度改革における『国民の視点』
」法と民主主義425号(2008年1月)6469頁
煙飯考行「北東北の司法書士に見る簡裁代理権行使要因」秋田県司法書士会会報・司法書士報あきた68号(200
8年3月)35頁
煙飯考行「ベトナム:ミニ・シンポジウム『現存(旧)社会主義国における『裁判統制制度』の改革についての比較検討』」比較
法研究6
9号(2
00
8年5月)
18
11
88頁
煙飯考行「アメリカの単独開業弁護士と中小規模法律事務所の現状」自由と正義59巻8号(2
00
8年8月)6
06
6頁
[学界回顧]
煙飯考行「司法問題」法律時報8
0巻1
3号(2
00
8年1
1月)
3
2934
4頁
[その他]
煙飯考行編集『弘前周辺の司法関係職と機関─2
0
0
7年度裁判法ゼミナール調査報告書─』(2008年3月)
⑶研究発表・講演
[研究発表]
煙飯考行「弁護士過疎地の市民事件における依頼者・弁護士関係の実態と弁護士倫理」日本法社会学会20
08年度学術大会
(2
0
0
8年5月1
0日)
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,Canada(2008年5月29日)
煙KayWah Chan and TakayukiI
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2008 AnnualMee
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0
08年5月29日)
煙飯考行「少年司法に関する大学教育と学生の見方」日本司法福祉学会第9回大会(2008年8月3日)
煙飯考行「実務法律家の訴訟方針と判決への影響─光市事件裁判の事例─」青森法学会第11回研究大会(2008年9月23日)
[講演]
煙飯考行「メリットセレクションの視点からみた最高裁裁判官選任制度のあり方」日本弁護士連合会裁判官制度改革・地域司
法計画推進本部「最高裁判所裁判官選任制度のあり方に関する勉強会」(2008年1月28日)
2
6
6
煙飯考行「市民の司法参加について」青森家庭少年友の会総会(2008年3月25日)
煙飯考行「裁判員制度について理解を深めよう」三沢市公会堂(200
8年10月2
2日)
〔シンポジスト〕
煙市民公開シンポジウム2
0
0
8「裁判員制度と死刑─あなたは死刑を宣告できますか?─」アムネスティ・インターナショナル
日本・弘前グループ(2
0
0
8年1
0月4日)
⑷学外集中講義
煙青森県立黒石高等学校専攻科看護科「社会保障制度と生活者の健康(関係法規)」
(2007年1
0-1
2月)
⑸海外出張・研修、そのほかの海外での活動
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,Canada(カナダ・モントリオールにて開催の法と社
会学会年次大会参加・報告、2
00
8年5月2
9日-6月1日)
⑹科学研究費補助金、そのほかの競争的研究資金など
煙平成1921年度科学研究費補助金若手研究(B)「東北地方の法律サービス提供構造に見る司法改革の影響と『法化』状況」
(研究代表)
煙平成1
920年度科学研究費補助金萌芽研究「非行少年の自立支援『学生ボランティア』にみる司法・教育・福祉の連携」
(研究
分担)
⑺共同研究
煙弁護士社会構造研究会「弁護士プロフェッションの社会構造に関する実証研究」メンバー
⑻弘前大学人文学部主催の学会・研究会等
煙伊藤佑輔弁護士講演会(2
0
0
7年1
2月6日)
(企画)
煙シンポジウム「法科大学院進学の現状─青森県における法曹養成のあり方を考える─」(2008年3月8日)(企画)
煙山鹿高紀司法書士講演会(2
0
08年6月2
4日)
(企画)
煙若松孝之保護観察官講演会(2
0
0
8年1
0月2
8日)
(企画)
煙熊坂義裕宮古市長講演会(2
0
08年1
0月2
9日)
(企画)
長谷河 亜希子
⑴現在の研究テーマ
煙経済法、独占禁止法、フランチャイズ・システム
⑵著書・論文ほか
煙「事業者の意義」、
「取引条件等の差別的取扱い」土田和博・岡田外司博編『演習ノート経済法』法学書院(20
08年3月)1
11
2
頁、8
18
3頁。
煙「東京地方裁判所平成1
8年(ワ)第2
4
3
41号損害賠償請求本訴事件、東京地方裁判所平成1
9年(ワ)第1
936
0号損害賠償請求反
訴事件に関する意見書」
(2
0
08年8月)
⑶研究発表・講演
煙「新潟市のタクシー事業者による共同の取引拒絶(平成1
9年6月2
5日排除措置命令)について」
(於:公正取引委員会「審判
判例研究会」
2
0
0
8年9月9日)
煙「フランチャイズ本部と加盟店の利益配分をめぐる問題─加盟店の go
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l
への着目」
(於:民主主義科学者協会法律部会
2
0
0
8年度学術総会ミニ・シンポ『フランチャイズをめぐる諸問題』2008年1
1月15日)
⑹科学研究費補助金、そのほかの競争的研究資金など
煙文部科学省科学研究費(若手研究 B)「日米におけるフランチャイズ契約規制の現状と課題」(課題番号207
300
37)
日 野 辰 哉
⑴現在の研究テーマ
煙行政訴訟における集合的利益の法的構成
煙2
0世紀初頭における仏独公法学の交錯
煙公的規制と契約の関連とその法構造
煙フランス行政法における契約論の展開
煙科学技術の発展に伴うリスクの発生と行政による制御
2
6
7
⑵著書・論文ほか
[論文]
煙日野辰哉「情報化社会における市民のプライバシー保護 ~労働者の私用メールに対する監視と不法行為責任を中心に~」
人文社会論叢(社会科学篇)第1
9号 pp
7
.
79
0(2
0
08年2月)
煙日野辰哉「競業者による新規パチンコ店出店を妨害した既存パチンコ事業者の一連の行為について不法行為責任が認められ
た事例」法學第7
2巻第1号 pp
1
.
591
6
8(2
0
08年5月)
⑶研究発表・講演
[講演]
煙放送大学面接授業「市民社会の支えとしての行政と法」
(8月)
煙青森県立青森高校・出張講義(1
1月)
[研究発表]
煙「一般公共海岸区域における占用許可処分に含まれる裁量権の行使とその統制」第22回早稲田行政法研究会(200
8年10月)
煙「最2小判平成1
9年1
2月7日民集6
1巻9号3
2
90頁」行政判例研究会(20
08年11月)
福 田 健太郎
⑴現在の研究テーマ
煙人権条約と民法
煙私人間における基本権保護のあり方
⑵著書・論文ほか
[論文]
煙「法律行為による基本権制約の限界」人文社会論叢社会科学篇1
9号91108頁(200
8年2月)
煙「学校事故と学校設置者の責任─いじめ事案から見た法理論の現状と課題─」人文社会論叢社会科学篇2
0号8110
1頁(200
8
年8月)
煙「請負瑕疵担保責任の権利消滅期間の起算点」青森法政論叢9号118頁(2008年8月)
⑹科学研究費補助金、そのほかの競争的研究資金など
煙文部科学省科学研究費補助金〔若手研究(B)
〕「人権条約を通じた私法規範の形成」
2
6
8
執筆者紹介
大 橋 忠 宏(情報行動講座・交通経済学)
柴 田 英 樹(ビジネスマネジメント講座/会計監査論・環境会計論)
加 藤 惠 吉(ビジネスマネジメント講座・税務会計論)
高 島 克 史(ビジネスマネジメント講座・経営管理論)
細 矢 浩 志(経済システム講座・経済政策)
堀 内 健 志(公共政策講座・憲法学)
児 山 正 史(公共政策講座・行政学)
平 野 潔(公共政策講座・刑法)
日 野 辰 哉(公共政策講座・行政法)
城 本 る み(国際社会講座・現代中国論)
中 澤 勝 三(経済システム講座・西洋経済史)
編集委員 (五十音順)
◎委員長
飯 考 行
◎今 井 正 浩
黄 孝 春
齋 藤 義 彦
柴 田 英 樹
増 山 篤
山 本 康 裕
楊 天 曦
人文社会論叢(社会科学篇)
第21号
2
009年2月28日
編 集 社会連携委員会
発 行 弘前大学人文学部
8560 弘前市文京町一番地
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印 刷 やまと印刷株式会社
0368061 弘前市神田四-四-五