2007年9月発行 - 東京大学分子細胞生物学研究所

1
東京大学 分子細胞生物学研究所 広報誌
9月号(第36号)2007.9
IMCB
Institute of Molecular and Cellular Biosciences
University
of Tokyo
The University
of Tokyo
目 次
研究分野紹介(形態形成研究分野)………………………… 1~4
堀場国際会議………………………………………………………… ₂₃
受賞者紹介…………………………………………………………… 5
オープンキャンパス…………………………………………… ₂₃~₂₄
転出のご挨拶(吉田章子)
………………………………………… 5
分生研新人歓迎会…………………………………………………… ₂₄
着任のご挨拶(吉松剛志、村上智史、
留学生懇談会………………………………………………………… ₂₄
孝介、深井周也、
山形敦史、三村久敏)
……………………… 5~7
お店探訪……………………………………………………………… ₂₅
教授に聞く(宮島篤教授)…………………………………… 8~₁₄
知ってネット………………………………………………………… ₂₅
国際会議に出席してみて……………………………………… ₁₅~₁₇
訃報…………………………………………………………………… ₂₆
ドクターへの道(宮岡佑一郎)…………………………………… ₁₈
編集後記(西山賢一、大橋幸男、吉田章子、
OBの手記(横林しほり)
…………………………………………… ₁₉
城地保昌、樋口麻衣子)……………………………… ₂₆
海外ウォッチング(下遠野明恵)………………………………… ₂₀
研究最前線(核内情報研究分野、染色体動態研究分野、
留学生手記(徐源江)……………………………………………… ₂₁
発生分化構造研究分野、生体超高分子研究分野)… ₂₇~₂₈
研究室名物行事(情報伝達研究分野)…………………………… ₂₂
研究分野紹介 形態形成研究分野
用と形あるいは機能と発生
駒場キャンパスの近くに日本民芸館という小さな美術館があります。ここは柳宗悦により提唱された民衆
的工芸=民芸のコレクションを中心に運営されています。いわゆる民芸運動のその後の展開はともかく、初
源のメッセージは、普段の生活で使われていた壷や茶碗の美しさは、貴人のために練達の職人が技巧を凝ら
し多大な労力を払って作られた器物の美しさに劣るものではない、ということにあるでしょう。その美しさ
は、日々の暮らしのために毎日多くの壷だの皿小鉢を効率よく作る必要に迫られ、技術が洗練され、技巧を
凝らす工夫が無い分、伸び伸びと力強い造形が可能であったと説明されています。それに加えて、日々使わ
れる雑器である以上(床の間に飾っているわけではなく)、その用途に合わせた形を作ることを要求され、そ
のフィードバックを繰り返すうちに、機能美を獲得したということが言えるかもしれません(図1)。私たち
の体の構造もその機能と緊密に関係していることは論を待ちませんが、その関係はどのように形成されたの
でしょう。キリンは高い木の葉を食べるために首が長くなったのではないにしろ、突然変異と何らかの選択
の長い歴史つまりは進化というフィードバックを受け、現在の形に近づいてきたのでしょう。言うまでもな
くこれらの情報はゲノムにコードされています。機能は発生メカニズムとしてゲノムにコードされているは
ずです。私たちの研究室では、生物の機能発現を支える発生メカニズムがどのようにゲノムにコードされて
いるか、その仕組みを明らかにするためにショウジョウバエをモデルに研究を進めております。
1.視覚系の形成機構
発生と機能形成を探るには神経系は良いシステムです。構造が機能を規定している様を細胞レベルで見て
2
図1:16世紀頃の朝鮮半島由来の壷
食料などを蓄えたと思われる。口は紙の蓋をし、紐で縛っ
て封をするためにこのような形になったのであろう。小林
秀雄は「私は、壷といふものが好きである。人間が泥を捏
ねて、火で焼く工夫を始めた時、壷を作ってみて初めて安
心したに違いないといった感じを与えられるからである。
皿でも茶碗でも徳利でも、皆、実は壷に作られて安心した
かったと言っている風がある。どうも焼き物の姿といふも
のは、中身は何でも良い、酒でも種子でも骨でもよい、と
もかく物を大切に入れて蓄えるといふ用を買って出たとこ
ろに、一番、物に動じない姿を現すやうである」と書いて
いる(壷)。
図3:Dwnt4は視神経軸索のガイダンス分子である
視神経軸索は三日月型のラミナ領域の形に従った投射パ
ターンを描く。Dwnt4変異では腹側へ投射する一部の軸索
が背側に投射する。
図5:メダラ神経の形成
A、3令幼虫の複眼原基と脳および視葉。B、3令の視葉
における神経幹細胞の発生、腹側面からの模式図。C、Bに
示す切断面からの水平断面図。
図2:ショウジョウバエの視覚中枢
A、成虫の複眼と視覚中枢の模式図。B、3令幼虫の複眼
と視覚中枢の共焦点顕微鏡画像。C、3令幼虫の視神経の投
射パターン、側面図。D、3令幼虫の視神経の投射パターン、
水平断面図。
図4:Simはラミナカラム形成に必要である
野生型(A,
B)およびsim変異(C,
D)のラミナカラム。
図6:キノコ体の共焦点顕微鏡画像
得心できるからです。ショウジョウバエの視覚中枢はこのような問題にアプローチすることに適しています。
ショウジョウバエの複眼は約800個の個眼からなります。脳の視覚中枢は最も表層に位置するラミナ神経節、
ついでメダラ神経節、ロビュラ神経節から構成されています(図2A)。
⑴ 視神経軸索のガイダンスとretinotopic mapの形成
視神経軸索が脳の視覚中枢に投射するさい、複眼における視神経の分布パターンは脳における投射パター
ンに正確に反映される必要があります。これはretinotopyもしくはretinotopic map と呼ばれます。構造が機
能を規定することを如実に表しており、視覚系形成を探る醍醐味もここにあります。3令幼虫後期に複眼が
分化するとともに順次視覚中枢に軸索を投射し、これが引き金となってラミナ神経節の形成が開始します(図
2B-D)
。複眼原基の背側の視神経は脳においても背側に、腹側のものは腹側に投射するという関係が保たれ
ます(図2C)
。このような背腹軸方向のretinotopyを保証するための分子機構が存在すると考えられますが、
ショウジョウバエにおけるretinotopyに関しての知見は不思議と非常に限られていました。助教の佐藤純博士
はラミナ特異的に発現する遺伝子を探索する過程で、DWnt4がラミナの腹側に特異的に発現することを見い
だしました。DWnt4変異体を解析したところ、腹側視神経が間違ってラミナの背側に投射する表現型が見ら
れました(図3)。逆にDWnt4をラミナ全体で異所的に発現させると、腹側視神経軸索が異所的なDWnt4の
発現によって誘引されることが観察され、DWnt4は腹側の視神経投射を積極的に制御しているガイダンス因
子であると結論しました。脊椎動物でもWntシグナルが視神経投射を制御していることが示されています。
⑵ シナプス後神経細胞の視神経依存的分化と機能単位の構築
先述のようにR1-6の軸索はまず視覚中枢のラミナグリア細胞層に投射し、その後ラミナ神経とシナプスを
形成します。ここで興味深いのは、ラミナ神経節を形成し、将来視神経とシナプスを形成するラミナ神経の
分化が、視神経軸索の投射に依存していることです。複眼の形成が全く起こらないような突然変異体ではラ
ミナが全く形成されません。複眼原基では形態形成溝とよばれる構造が後部から前部に向かって進行してゆ
き、視細胞は複眼原基の形態形成溝の後方から分化し、順次軸索を伸長させます。新たに視覚中枢に到達し
た視神経軸索は古い軸索の前方に投射し、そこで(将来シナプスを形成する)ラミナ神経の分化を自身の軸
索の終末付近に誘導します(図2D)。これは既存の神経細胞群同士をマッチングするのではなく、シナプス
前細胞の発生に合わせて、後細胞の分化を時空間的に逐次調節することによって、retinotopic mapを構築す
る巧妙なメカニズムであるといえます。ラミナ神経前駆細胞は、ラミナ溝において視神経と接するときに、
視神経から供給されるヘッジホッグシグナルにより、神経細胞へ分化誘導されます(図2D)。最終的には
ラミナにおいては1つの個眼からの視神経軸索束に沿って5個のラミナ神経が縦に並んだラミナカラムと呼
ばれる構造が形成され、視神経とラミナ神経の規則的な回路形成の基礎となります。ラミナカラムの形成機
構に関してはほとんど何も知見がありませんでした。梅津大輝博士(現独マックスプランク研)が、ラミナ
カラムの形成にはヘッジホッグに誘導されるsingle-minded(sim)遺伝子が必要であることを見出しました。
sim変異体の幼虫の脳では、ラミナ神経がラミナカラムに会合できずにカラム外に留まり、視神経との正常な
相互作用ができないことを示しています(図4 矢印及び黄色で囲んだ円内)。このような神経細胞間の相互
作用は寡聞にして知りません。Simの下流で働く分子機構の解明を行いたいと思っています。
⑶ メダラ神経—神経前駆細胞の形成と神経細胞分化制御の新たなモデルシステム
ラミナのみならずその奥のメダラにも視神経は直接投射します。前述のようにラミナ神経は視神経からの
シグナルにより増殖分化するため正確に1対1の対応を形成することができますが、メダラ形成には視神経
の投射は必要ありません。ではどのようにretinotopic mapを形成しているのか、発生メカニズムを調べてい
ます。両神経節は、視葉にある一続きの神経表皮に由来します(図5)。増殖した神経表皮の外側からラミナ
が、内側からメダラが形成されます。このときメダラは神経表皮が1細胞列ずつ順に同調して神経幹細胞(あ
4
るいは前駆細胞)になります。ひとたび神経幹細胞となると分裂軸を90度変え、時系列に従って異なる種類
の神経を次々産み出します。この断面図を見ると1つの視野の中で、神経表皮から前駆細胞を経て、成熟し
た神経にいたるメダラ神経の発生過程が空間的な細胞の配置として一望できます。現在、神経幹細胞が順次
形成されるメカニズム、様々な神経細胞が規則的に形成されるメカニズム、同じようにみえる神経上皮から
全く異なったメカニズムでラミナ、メダラという神経群が形成されるメカニズムの解明を進めています。未
だretinotopyへの解は出ておりませんが、語り尽くされたかにみえる神経発生メカニズムもこのような新しい
系を探ることでまだまだ興味が尽きないものとあらためて思います。
2.匂い記憶のメカニズム
上記の視覚系は構造がそのまま機能を語っていますが、実際の出力を確かめる術を私たちは持っておりま
せん。そこで嗅覚系の解析を始めました。ショウジョウバエの匂い記憶の研究は長い歴史があり、神経回路
の解析も進みつつあります。この回路で重要な機能を持つことが知られているキノコ体の発生および記憶形
成機能を解析することで記憶することの分子実体を理解したいと思い、村上智史助教を中心に主要な研究テー
マに据えつつあります(図6)。
3.モルフォゲン勾配の形成
発生の主要なメカニズムの1つはモルフォゲンの濃度勾配による細胞分化の制御です。研究室の発足当初
から濃度勾配形成機構をテーマとしてきました(図7)。現在は受容体の機能を詳細に探っています。
図7 翅を作る基になる組織(成虫原基)ではモ
ル フ フ ォ ゲ ンDecapentaplegic(Dpp, BMP2/4の
ホモログ)が中央で発現し、周辺に向かって勾
配を作っていると考えられていた。Dppの受容に
よって細胞内因子Madがリン酸化されることか
ら、リン酸化Madに対する抗体で染色することに
よりDppモルフフォゲンの活性の勾配を可視化す
ることを思いつき、運良く抗体を分譲していただ
き、この像を得ることができた。共焦点顕微鏡に
よる蛍光染色像のシグナル強度を擬似的に表した
図で、予想以上にダイナミックな勾配の変化を目
の当たりにすることになった。
いかなる形であれ、各人が生命現象解明のポイントとなるような研究テーマを探っていけるよう努力した
いと思っております。本研究室の活動は分生研の多くの方々によりサポートされております。ここに感謝い
たします。
(多羽田哲也)
受賞者紹介
平成19年6月以降で、新たに下記の方が賞を受賞されましたので、ご紹介します。
加藤 茂明(核内情報研究分野・教授)
賞 名:日本内分泌学会 学会賞
受 賞 日:平成19年6月14日
受賞課題名:核内ステロイド受容体群による転写制御機能
に関する研究
北川 浩史(核内情報研究分野・助教)
賞 名:第27回日本内分泌学会研究奨励賞
受 賞 日:平成19年6月14日
受賞課題名:核内受容体転写制御メカニズムの研究
加藤茂明 教授
北川浩史 助教
転出のご挨拶
形態形成研究分野 助教 吉田章子
このたび、形態形成分野の助教職を辞することになりました。
分生研には3年半在籍いたしましたが、在職中は研究室の皆様、事務の皆様に大変お世話になり、
また分生研の他の研究室の皆様にも大変お世話になりました。この場をお借りして心よりお礼申し上
げます。
いくつか思い出されることには、就任してほとんど間もなく、スイスと日本の第一線の発生生物学
の研究者が集う、スイス-ジャパンミーティングが本研究室が幹事となって行われました。就任直後
に第一線の研究者が集う場に参加することができたのは、非常に運が良かったことだと思っておりま
す。また、その後まもなく研究室の引っ越しがありました。就任したてで分からないことが多く、皆
様にはご迷惑をおかけしてしまいましたが、自分にとっては研究室の様子を知る良い機会になりました。その後の生命科学研
究棟での研究生活では、ショウジョウバエの視覚中枢の形成にかかわる研究を行いました。多羽田先生、研究室のメンバー
の皆さんと話し合いをしつつ研究を進め、とても有意義な研究生活を送ることができました。私のほうからアイデアやアドバ
イスがもっと提案できればと思い、頼りない助教をもってしまった多羽田先生、研究室の皆様に申し訳なく、またありがたく思っ
ておりました。
研究室の外の活動では、分生研ニュースの編集委員を務めさせていただきました。私は分生研の教授の先生方へのインタ
ビュー“教授に聞く”を担当しておりました。普段はお話しする機会のなかなかない教授の先生方のお話を伺うことができ、
非常に貴重な体験をすることができました。また、男女共同参画WGでは、メンバーの先生方との議論などから、たいへん多
くのことを学びました。分生研での経験は私にとって大変貴重なものとなると思います。今後もそれを生かして、テーマは少
し変わりますが研究生活を送ってゆきたいと思っております。本当にありがとうございました。分生研のみなさまの今後の益々
のご活躍をお祈りいたします。
着任のご挨拶
情報伝達研究分野 助教 吉松剛志
平成19年7月1日より情報伝達研究分野の助教に着任致しました吉松と申します。私は、情
報伝達研究分野にて一昨年学位を取得し、その後、同研究分野においてポスドク、特任助教を
しておりました。
私は、修士課程の頃からこれまで、神経系前駆細胞の分化、未分化を制御するシグナル伝達
に関する研究に従事して参りました。神経系前駆細胞は、脳という非常に高度な機能を発揮す
ることができる組織を形成する元となる細胞であり、非常に多様な種類のニューロンと、さら
にはアストロサイトやオリゴデンドロサイトを産生することができる細胞です。神経系前駆細
胞が様々な種類の細胞をどのようにして、適切に産生できるのか、そのメカニズムを明らかに
していきたいと考えています。
私は、修士課程の頃から情報伝達研究分野に在籍しておりましたので、かれこれ既に7年半、分生研にお世話になっ
てきました。まともに分子生物学の勉強をしたことの無いダメダメ学生だった私に、研究というものを一から丁寧に
教えて頂き、非常に多くのことを学ばせて頂きました。また、研究に関すること以外でも、分生研では、他の研究分
野の方と飲む機会や、レクリエーションが多くあり、様々な学科や分野の方と交流することができるなど、非常に有
意義で楽しい学生生活を送らせて頂きました。この7月からは、助教に着任するということで、これまでより一層研
究に励むと共に、これまで、学び楽しませていただいた分生研に積極的に貢献できるように頑張りたいと考えており
ます。そして、分生研の皆様には、今後ともいろいろとご指導頂く機会があるかと存じますが、どうぞよろしくお願
いします。
形態形成研究分野 助教 村上智史
分生研・形態形成(多羽田哲也教授)の助教に着任いたしました村上智史と申します。よろしく
お願いいたします。学位は多羽田哲也教授のもとでとらせていただき、その後7月1日付けで助教に
着任いたしました。多羽田研究室では今年の3月からショウジョウバエを用いた学習・記憶の研究
を始めようとしており、私は現在そのセットアップを行っています。多羽田研究室ではこれまでショ
ウジョウバエの翅や脳などの形成メカニズムの解明をずっと行っており、私も視覚系の発生過程で
グリア細胞によって形成される円筒構造、Optic stalkの形成過程を研究していました。したがって
学習の研究は研究室にとっても僕にとっても未知の領域であり、いわば挑戦と言うことになります。
ショウジョウバエを用いた学習・記憶研究では、ある匂い物質と電気ショックを同時に与えること
でその匂い物質をハエが忌避するようにトレーニングするというのが最もオーソドックスな研究法です。この研究には30年以
上の長い歴史があり、現在にいたるまで、脳(中枢神経)はいかにして働くかという問題に対していくつもの重要な解答を
提出しています。
発生の研究と学習・記憶などの脳機能研究との間の最も大きな差は、脳機能という現象のとらえ難さであると思います。
単純に言ってしまうと、発生研究においては明らかに目に見える変化が体のどこかに起こる(たとえば目が形成されない)わ
けですが、学習前後のハエではどこも変わっていないように見えます。しかしながら上記のような実験系を用い、さらに工夫
することで、
“脳のごく一部の神経細胞のそのまた一部のシナプスにおいてある特定の物質の活性化状態が変化している”と
いったことを観察することができ、その変化が記憶形成に重要であることを証明することができます。僕が記憶研究に引か
れる一番の理由はこのような、
“見えないものをなんとかして見る、そしてそれをなんとかして扱う”
、といったことにやりが
いを感じるためだと思います。
できるだけたくさんの人と研究の面白さを共有することを一番の目標としつつ、新たな気持ちでがんばりたいと思います。
ど
ど
生体有機化学研究分野 助教 闐闐孝介
ど
ど
本年8月1日付けで、生体有機化学研究分野(橋本祐一教授)の助教として着任しました闐闐孝
介と申します。
私は1999年に東京大学薬学部薬学科を卒業し、修士課程まで本研究分野に在籍して、橋本祐一
教授・白井隆一助手(現同志社女子大学教授)のご指導のもと、dysidiolideという天然物の活性に
重要な構造とVitamin D3の骨格をハイブリッドした化合物を合成し、脱リン酸化酵素cdc25Aの阻害
剤を創製する研究を行いました。その後博士課程で、本研究分野に助教授として在籍していた袖岡
幹子先生が新しく立ち上げた東北大学の研究室に移り、そこで細胞の死を止める化合物の開発を行
いました。この際には、分生研時代に細胞培養をした経験が非常に役立ち、有機化学がメインの研
究室で細胞培養の系を立ち上げることができました。学位取得後は、袖岡先生が理化学研究所に移るのに伴って、理化学研
究所の基礎科学特別研究員として採用され、博士課程で開発した化合物のターゲット分子の同定を行いました。現在理化学
研究所では、同定されたターゲット分子の機能解析を行っております。また、応用面ではこの化合物は虚血性疾患(脳梗塞・
心筋梗塞)の動物モデルで有効な保護効果を示しており、治療薬としての実用化と共にこれら疾患のメカニズム解明の鍵と
なることが期待されております。
このように私の研究対象は、ユニークな生物活性を持つ化合物の開発とこれを用いて分子レベルでの生命現象の解明・制
御を目指すものです。そのため、今まで化学と生物学の2つの分野にまたがって研究を行なってきました。そこでこの経験を
生かし、自分の研究を行なうだけではなく、2つの研究分野の架け橋になりたいと思っております。何でもお気軽にご相談頂
けたらと思います。どうぞ皆様よろしくお願い致します。
放射光連携研究機構生命科学部門構造生物学研究室 准教授 深井周也
本年6月1日より放射光連携研究機構生命科学部門構造生物学研究室の准教授として着任致しま
した深井周也と申します。生命科学部門は、ホームページ(http://www.iam.u-tokyo.ac.jp/srro/)
にあります通り、
「東京大学における構造生物学の発展のために、学内の生物学・医学・薬学研究
者と共同研究を行いながら、膜タンパク質や超分子複合体などの、生物学的・医学的に重要なタン
パク質の結晶構造解析を行う」ことを目的として設立されています。学内の生命科学分野の研究者
と協力して、生体内で起きる様々な現象のメカニズムを生体高分子の立体構造に基づいて理解した
いと考えています。タンパク質の立体構造決定は敷居が高いと思われている先生方もいらっしゃる
かと思いますが、結晶化の実験自体はシンプルですので、構造決定したいサンプルがありましたら、
fukai@iam.u-tokyo.ac.jpまで気軽に相談頂けると非常にうれしいです。放射光機構の紹介が長くなってしまいましたが、最
後に私の紹介をしたいと思います。私は、理学系研究科生物化学専攻の横山茂之教授の指導の下で「アミノアシルtRNA合
成酵素の機能・構造解析」で学位取得後、現在の研究テーマの一つである「開口放出における膜融合反応とその制御機構
の解明」を目指して、日本学術振興会海外特別研究員としてスタンフォード大学のAxel Brunger教授の研究室に移りました。
RalA-Sec5複合体の結晶構造を決定した直後に、大学院時代にお世話になった濡木理助教授(当時)が東京工業大学の教授
として異動することになり、米国滞在1年で助手として日本に戻ることにしました。日本に戻ってからの4年間は、小胞輸送
の研究とタンパク質合成の研究の両方に携わってきました。これまでに培ってきた試料調製、結晶化および解析技術を生か
して研究を進めて行きたいと思います。よろしくお願いいたします。
放射光連携研究機構生命科学部門構造生物学研究室 助教 山形敦史
本年7月1日より放射光連携研究機構生命科学部門構造生物学研究室の助教として着任しました
山形敦史と申します。私は、2002年に大阪大学大学院理学研究科の福山教授のご指導のもと、X線
結晶解析法による DNA 修復蛋白質の立体構造解析で学位を取得しました。その後、アメリカのス
クリプス研究所の John Tainer 博士の研究室に約4年間勤務し、古細菌の蛋白質排出に関わる6量
体形成の ATPase の構造解析を行いました。この間に、結晶解析と併せて、X線小角散乱法も学び、
この両者を組み合わせることにより、蛋白質の静的な立体構造の決定だけでなく、溶液中での動的
な構造変化にもアプローチしました。この経験から、一つの手法に拘らず、複数の手法を用いるこ
とにより、物事をより深く理解していくことの大切さを感じました。
今後は、これまで学んだことを生かして、膜蛋白質や超分子複合体といった、より困難なターゲットにチャレンジしていき
たいと思います。分生研という有名な研究所で研究できる機会を生かし、構造生物の分野に限らず他の研究室の皆様からの
ご意見・ご指導を賜り、多くのことを学んでいきたいと思っています。今後とも、どうぞ宜しくお願いします。
放射光連携研究機構生命科学部門構造生物学研究室 助教 三村久敏
平成19年7月1日より、放射光連携研究機構生命科学部門構造生物学研究室の助教に着任い
たしました三村久敏と申します。第一線の研究者が集まる分生研で研究に参加させて頂く機会
をいただけましたことを大変光栄に思っております。6月までは名古屋大学大学院生命農学研
究科で研究員として勤務しておりました。名古屋は都会だとずっと思っていましたが、東京の
人の多さや歩道の狭さにはびっくりするばかりで、こちらでの暮らしにも徐々に慣れていきた
いと思っています。
私のこれまでの研究は植物の膜蛋白質、特にプロトンポンプについてです。構造と機能の関
係の解明を目指して研究を進めており、一次構造からスタートした研究も、現在では三次構造
にまで到達しつつあります。分生研という素晴らしい環境で、さらに研究を推し進めることができるよう努力したい
と考えております。
現在所属する構造生物学研究室は、発足したばかりの新しい研究室です。今回、研究室の立ち上げにも参加させて
いただき、貴重な経験を積むことができました。本研究分野の目的は、超分子複合体や膜蛋白質の立体構造解析を通
して、分生研を中心に本学における生命科学分野の発展に寄与することです。この先、皆様との共同研究に参加させ
て頂く機会もあるかと思います。まだまだ未熟ではありますので、その際はどうぞご指導のほどよろしくお願い申し
上げます。
― 教授に聞く ―
分子細胞生物学研究所所長 機能形成研究分野 宮島 篤
教授
インタビュアー:機能形成研究分野
助教 伊藤 暢
博士3年 鬼塚和泉
伊藤:最初に、先生の幼少時代から少年時代の頃の
お話をお聞かせいただけますか。
宮島先生:僕は長野県の山の中で生まれ育った田舎
ものですから、子供の頃は天竜川で魚を捕り中央ア
ルプスの山の中で動物を追いかけて遊んでいました。
昔から生き物には興味はあったので科学への興味も
小さいころからあったと思います。小学校の頃は鳥や
ウサギを捕まえようといろいろなトラップを考えて遊
んでいましたが、遺伝子クローニングに通じるところ
写真1 宮島先生とインタビュアーの皆さん
左より鬼塚さん、宮島先生、伊藤さん
がありますね(笑)
。やっている事は今もあまり変わっ
鬼塚:どんなアルバイトをされていたのですか?
ていないかな。
宮島先生:家庭教師や塾の講師などです。医科研の
正門のそばに小さな学習塾があり、夕方そこで中学生
伊藤:科目で言うと、理科が好きだったということで
に数学を教えていました。生徒は少なくて医科研の学
すか。
生たちのためにあるような学習塾でしたね。塾の上が
宮島先生:理科は好きでしたね。
りはほとんどなかったんじゃないかと思います(笑)
。
鬼塚:学生時代について伺いたいのですが、大学院
鬼塚:先生は学生時代に髪の毛をかなり長く伸ばして
時代も含めてどのような研究を行っておられたので
いたといううわさがありますが、どんな気分で伸ばし
しょうか。また研究以外に何か特に打ち込んでいたも
ていたのでしょうか。
のはありましたか。
宮島先生:当時は結構長髪にしている人は多かった
宮島先生:大学院は医科研の上代淑人先生の研究室
けど、そんなに深い意味があってやっていたわけでは
で大腸菌の緊縮調節と遺伝子発現制御系の研究を行
ないです。
いました。これは大腸菌を非常にリッチな培地からプ
アーな培地に移すと、リボソームなどの細胞構成成分
鬼塚:おしゃれな気持ちというか。
の合成を抑制して、アミノ酸合成など新しい環境に
宮島先生:おしゃれと無精の中間ぐらいですかね。
適応するのに必要なものを作る機構があり、そのメカ
ニズムの解明というのがテーマでした。タンパク合成
伊藤:その当時の上代研というのは、先生も含めて
の伸長因子の細胞内の量を測ることから始めて、最
今、有名になられているような優秀な研究者がたく
後は伸長因子の遺伝子クローニングと転写調節の解
さん集まっていて、日本の生化学の一大拠点と言い
析となりました。
ますか、中心の一つだったと思いますが、どのよう
今と違って学生生活にあまりサポートがなかったの
な雰囲気だったのでしょうか。
でアルバイトをしていて時間的な余裕はあまりなかっ
宮島先生:僕は修士から入りましたが、一緒に入っ
たですね。
たのは、現在は金沢大医学部教授の横田君です。僕
らの上の世代というと3~4年上に長田重一さん(京
大教授)や新井孝夫さん(東京理科大教授)らがい
宮島先生:大学院を受けるときから研究者になろうと
て、その上が助手クラスで、もう退官されましたが元
いう気はあったから、そのままずっと行ったという感
医科研所長の新井賢一さん、医科研教授の渋谷さん、
じですね。そうでなかったら何をやっていたかと言わ
医学部教授の井原さん、教養学部教授の川喜田さん、
れるとよくわからないけど。塾の講師などでしょうか、
北里大副学長の水本さんら蒼々(そうそう)たる人が
ほかに取りえはないし(笑)
。僕は大学のときは化学
おられました。そうした人たちの中では横田、宮島は
専攻だったので、有機化学は比較的興味を持ってい
新人類という感じでしたね(笑)
。
たけど、ワトソンの「遺伝子の分子生物学」を読ん
非常にアクティブな研究室で、朝はあまり早くない
で分子生物学、特に遺伝子の発現制御機構に興味を
けど夜中はいつも深夜まで実験していました。週末も
もち医科研に行きました。
大勢出てきて実験していましたね。医科研の中には大
学院生が大勢集まってアクティブにやっている研究室
伊藤:上代研で学位を取得されて、一度は静岡大学
がいくつかあって、そういう研究室は不夜城のように
の助手になられたわけですね。でも、すぐに新井先
電気がついていました。大学院生の交流も結構盛ん
生に呼ばれて、カリフォルニアのDNAX研究所に移っ
で、研究室対抗ソフトボール大会などありました。
たという、その辺の経緯や、当時の心境などをお聞か
せください。
伊藤:先生もプレーをされていた?
宮島先生:当時は大学院を出た後にそんなにたくさん
宮島先生:もちろんやっていました。上代先生もやっ
選択肢はなかった。今みたいにポスドクの身分がな
ていた。
い時代ですから、大学院を出たら助手になるか、どこ
かの研究所の研究員になるか、あるいは外国に留学
伊藤:先生はその頃、上代先生と直接話をする機会
するか。そうでなかったらいわゆるオーバードクター
は多かったのですか。
になるしかなかったです。他の可能性もあったのです
宮島先生:修士の時は、新井賢一先生が実験の面倒
が、静岡大の助手の方が自由があると思ったので静
を見てくれました。上代先生は多忙でしたが、時々実
岡に行きました。
験報告の面談があり、実験結果を持っていくとコント
大学院を出たのは1980年ですが、組み換え実験と
ロールが足りないとか結構厳しくやられました。驚く
いうのは1970年代中頃に始まり、有名なアシロマ会議
ほど記憶力のいい先生でしてね。助教授に岩崎先生
というのが1975年にあり、そのときに組み換え実験の
という非常に怖い先生がいて、いつも秤のそばにどん
ガイドラインができました。今より大変厳しい規制で
と座っていて、その辺を散らかすとよく怒られました。
して真核生物の遺伝子操作は可能でしたが、東大で
しつけも結構厳しいところでした。
も簡単ではありませんでした。
静岡に行ったらなおさらのことで、僕は酵母の分子
鬼塚:宮島先生は研究者になろうと思ったのはいつ
生物学に興味を持っていたのですが、酵母も真核生
で、それはどんなきっかけがあったのでしょうか。
物ですので組み換え実験には規制がありました。静
また、もしも研究者になっていなかったら何になっ
岡でそれをやるにはまず組み換え実験規則を作るとこ
ていたと思いますか。
ろから始める必要がありました。しかし、大学院を出
たばかりの助手にそれをやれといわれてもつらいもの
がありましたね。決定的なのはそういう話をしている
ときに、事務の人に「DNAというのは怖いんですね」
と言われて(笑)
、もうこれはいけないと思いました。
伊藤:静岡には全くそういうことをやっている人はい
なかった?
宮島先生:静岡というより国内でもまだ始まったばか
りという時代でしたね。僕らは大学院のときから大腸
写真2 東 大医科研・上代研究室での大学院時代(後
列右端:1975年)
菌での組み換え実験はやっていたけれど、それは当
時としては少なかったと思います。大腸菌だけだった
10
ら静岡でもできたので、しばらくは大学院での研究を
で、Okayama-Berg のcDNAクローニング法という全
続けていたけれど、真核生物の遺伝子を扱うことは
長cDNAをいきなりプラスミドに組み込む方法を考え
難しい状況でした。
ついて、しかも彼らはそれをさらに発展させて、発現
当時、チューリッヒにいた長田さんはインターフェ
ベクターにcDNAを組み込み発現する方法を開発して
ロンの遺伝子をクローニングしたというので、世界的
おりました。今となっては当たり前の方法だけど、当
な注目を集めていました。しかし、僕はそうした研究
時としては大変画期的な技術でした。DNAXではそ
の論文を読むしかなく、何もできないことにフラスト
れを使ってサイトカインの遺伝子クローニングに成功
レーションがありました。そのころ、新井先生がスタ
し、一躍免疫研究の最前線に踊り出たわけです。
ンフォードから帰国したけど、直ぐにDNAX研究所の
僕が最初にやっていたのはそのシステムを酵母に
部長になりました。DNAXは1981年にスタンフォード
導入するというものでした。酵母のcDNA発現ベク
のA. Kornberg、P. Bergらが創設した研究所で、新
ターを開発し、酵母のミュータントを使って動物細胞
井先生に誘われて参加しました。
の遺伝子を探そうというのがアイデアでした。岡山さ
んの所に通い、そういうシステムはできたのだけど、
伊藤:不安ではなかったですか?
当時の酵母のトランスフェクションの効率がとても低
宮島:DNAX研究所はどんな所かよくわからなかっ
くて、cDNAライブラリーができてもそれを酵母に導
たから不安といえば不安でした。スタンフォードは組
入できないでいました。アイデアとしては間違ってい
み換え実験の発祥の地であり、それを使って酵母の
なかったと思うけど、テクニカルな壁が非常に厚くて、
複製起点やセントロメアのクローニングなど華やかな
その当時はまだ実用化できなかったです。
研究が行われていて、僕もそういう研究をやってみた
そのうちに僕と一緒にDNAXに移った横田君たち
いという気持ちは非常に強かったですね。だからスタ
が動物細胞での発現クローニングによってサイトカイ
ンフォードに留学することをかなりまじめに考えてい
ンの遺伝子を次々にクローンニングしましたので、次
ました。DNAXはスタンフォードのそばにあって、し
のステップとして組み換え型のサイトカインを作れと
かも組み換え実験を始めたP. Bergらが創設者という
いうことになって、それに関しては僕も手伝いました。
ので、きっとよい所だろうと思って参加したわけで
酵母を使ってサイトカインを作るというもので、酵母
す。行ってみてちょっと予想外だったのは、
DNAXは、
の分泌系を使ってサイトカインを培地に分泌させると
倉庫を改装した研究所で研究者もPh.Dは10名くらい
いうものです。それほど大量ではなかったですが純品
の小さな所でしたね。
のサイトカインが作れるようになり、活性を調べてい
るうちに僕自身もだんだんサイトカインに興味を持つ
伊藤:それはスタートした当時ですか?
ようになり、血球の研究を徐々に始めたのが1980年の
宮島先生:スタートの時はそんな感じでしたが、数年
中頃です。
後には立派な研究所ができ、所員もどんどん増えて
200名位までになりました。だから普通の大学へ留学
鬼塚:カイコで作っていたのもこのころですか。
したのとは全く違う経験をしたと思います。
宮島先生:そう。当時鳥取大の助手をやっていた前
田さんが、カイコを使ってインターフェロンを作ると
伊藤:当時のDNAX研究所の方向性というのはどの
いう系を作っていたので、IL-3を彼に作ってもらった
ようなものでしたか?
らもうびっくりするほどたくさんできた(笑)
。バキュ
宮島先生:最初は組み換え技術を使い抗体のbinding
ロウイルスを蚕に注射すると1匹の虫から1ミリグラ
siteをmodifyするといったアイデアがあったのです
ムぐらいIL-3ができるという驚くべき技術でした
(笑)
。
が、僕が参加したときには免疫系を制御しているサイ
当時1ミリグラムのIL-3を作るには、COS細胞のプ
トカインの遺伝子クローニングが中心的なプロジェク
レート100枚は必要でした。ある会社に頼んで蚕の体
トになりました。
液1リットル作ってもらい、そこから大量にIL-3を精製
ただ僕はそれをやっていたわけではなくて、酵母
して、その機能や受容体を調べるとことができるよう
に興味があったので、酵母を使った新しい遺伝子ク
になりました。
ローニングの方法の開発などを行いました。当時、岡
山博人さん(東大医学部教授)がP. Bergのポスドク
伊藤:受容体のクローニングというのは、その当時、
11
方法としては確立していなかったのですか?
宮島先生:方法としては確立していなくて非常にチャ
レンジングだった。まず発現量は非常に少なく、当時
明らかにされていたEGFやPDGFの受容体は、細胞当
たり10万とかそれ以上発現している細胞があったので
すが、IL-3受容体をbinding assayで調べたら数千程
度なので、受容体を生化学的に精製しようとすると培
養細胞が数百リットル必要でした。当時は、今みたい
にマススペクトロメトリーがない時代ですから、ちょっ
と精製はきついだろうというので発現クローニングで
遺伝子の分離を行うことにしました。そこで、動物細
写真3 DNAX研究所のラボメンバーと(右端:1990年)
胞の発現系をいろいろといじりました。皆さんが使っ
に、当時臨床研にいた米原さん(京大教授)がIL-3依
ているpME18Sというベクターは当時作ったものです。
存性細胞に対するモノクロナール抗体を作っていて、
それを使ってcDNAライブラリーをCOS等に入れ
その中にIL-3によりダウンレギュレーションされると
て、受容体を何らかのかたちで検出するというような
いう抗原に対する抗体がありました。帰国の折に、そ
方法です。しかし、いろいろと難しい問題がありまし
の抗体をもらってアメリカに戻って、発現クローニン
た。私が扱っていたサイトカインの受容体というのは
グでその抗原のcDNAを探したら、意外にあっさり見
EGF受容体みたいに1本のペプチドではなく複数の
つかりました。
サブユニットから成る複合体を構成するらしいという
ポスドクの伊 藤直人 君(Massachusetts General
ことが生化学的な解析から予想されていましたので、
Hospital)に結合実験をやってもらったら見事にIL-3
果たして一つの分子でサイトカインに結合するのかと
が結合したので大喜びしました。しかし、その分子は
いうのが悩ましい問題でした。
低親和性の結合しか示さず、チロシンキナーゼもあり
ませんでした。
伊藤:なぜIL-3受容体をねらったのですか?
先ほど言ったようにIL-3の受容体は高親和性のもの
宮島先生:DNAXではIL-2、3、4、5、6、GM-CSFと、いっ
が必ずあると考えていました。我々が取ったものは低
ぱいサイトカインの遺伝子が分離されていたので、ど
親和性の結合しかしないし、分子量も120Kと大きな
の受容体をやろうかというときに免疫のグループの人
ものがクロスリンクされた。そこで、もう1つあるは
たちからIL-4とかインターフェロンをやるべきだとい
ずだという信念のもとに、原君(臨床研)が低親和
う意見があったのですが、僕がIL-3にこだわっていた
性のものを高親和性にする分子をクローニングして、
のは、当時の知識ではIL-3が造血系の最も未分化なと
低分子量の受容体分子を見つけました。
ころに働いているサイトカインでしたので、血球系の
一方で120KのIL-3結合分子のヒトの遺伝子を探し
システム構築にIL-3が非常に重要であり、IL-3受容体
たら、相同遺伝子は見つかったけど、IL-3には全然
の発現と機能を調べることは血液系の発生にとって重
結合しない。北村君(医科研教授)がヒト受容体の
要な情報が得られると思いIL-3をやることにしました。
binding assayの結果から、IL-3とGM-CSFの受容体と
結合実験から高親和性と低親和性の受容体がある
いうのはよく似ていてお互いを阻害しあうとか、cross
こと、Cross linkingからは少なくとも2つのIL-3結合
linkしてもそのパターンがよく似ていることから、サ
分子の存在が示唆されました。一方でIL-3を細胞にか
ブユニットを共有しているという可能性を考えてい
けると、チロシンリン酸化が起こるという結果もあり、
ました。一方、オーストラリアのグループがヒトGM-
当時すでに構造が明らかになっていたEGF受容体の
CSFに結合する受容体を見つけており、それは分子量
ようなチロシンキナーゼ型の受容体かもしれないと考
が比較的小さい低親和性のものでした。だから、我々
えていました。
がみつけた120Kの分子はGM-CSFの低親和性の受容
発現クローニングで遺伝子を分離するのは大変リ
体と高親和性受容体をつくるのではないかと考えて林
スキーなプロジェクトでした。1つの分子だけで本当
田君(JR九州病院院長)が試したらその通りになり、
にIL-3に結合するだろうかという不安はあったので、
GM-CSFの高親和性受容体がこれで再構成できた。
IL-3受容体を認識する抗体を探しました。幸いなこと
ヒトの120Kの分子はIL-3に結合しないけれど、やっ
12
ぱりヒトIL-3受容体の一部ではないかと北村君が、コ
ミリーが沢山みつかり、今ではSOCSファミリーといわ
トランスフェクションで高親和性を出す分子を探した
れています。
ら、単独ではIL-3に低親和性で、120Kの分子と高親
和性の受容体をつくる分子が見つかりました。
伊藤:サイトカインシグナルのネガティブフィード
そのころ熊本にいた高津先生たちがIL-5の受容体
バックという概念の先駆けとなる、非常に画期的な成
を見つけており、これも我々の見つけた、120Kの分
果ですよね。
子とペアを組んでいることを示唆する証拠があった
宮島先生:画期的でしたね。僕はCISの解析はやりま
ので、それをやってみたらIL-5も同じ受容体サブユ
せんでしたが、吉村さんらが精力的に解析し大変面
ニットを使っていることが明らかになりました。これ
白い結果が次々と明らかになりました。僕はシグナル
が1991 ~ 92年で、サイトカインの受容体は複合体で、
伝達のメカニズムより、今までやられてないバイオロ
しかも複数のサイトカインが同一のサブユニットを共
ジカルなことをやってみたいという気があって、少し
有しているという現象が初めて明らかになり、複数の
研究の方向を変えました。
サイトカインが同じような作用を示すという現象がこ
れでうまく説明できたわけです。
伊藤:ちょうどそのころに日本に戻られた。
宮島先生: DNAXでの生活も長くなって、40歳も過
伊藤:状況証拠としてはいろいろと分かっていたが、
ぎそろそろ移り時かなというころに、応微研が分生研
そのメカニズムは分からないという、そんなパズリン
になって新しいポストを幾つか募集しているから、そ
グな状況がぱっと開けてきたときの心境はいかがでし
こへ応募したらどうかという話があったので応募した
たか?
ら採用されたわけです。
宮島先生:それはもう非常にエキサイティングですね。
GM-CSFの高親和性受容体を再構成した深夜に林田
伊藤:日本に戻ってきたら、もう少しバイオロジカル
君、北村君と3人で興奮していろいろ話し合った覚え
なことをやろうという意識で新しいテーマなどを開拓
があります。
していったわけですか?
宮島先生:やっぱりそれはありますね。帰国した当時
伊藤:その後DNAXで受容体のクローニングが一段
はまだまだ時間があると思って新しいことを始めたけ
落して、次第にシグナル伝達研究の方に移っていか
ど残り時間がなくなってきた感じですね(笑)
。
れますね。STATやCISのクローニングですとか。
宮島先生:受容体が再構成できたので次はそこから
伊藤:研究室を立ち上げるときの苦労だとか、あるい
どういうシグナルが出てくるかという話になるわけで、
はアメリカから日本に戻ってきてギャップを感じたり
受容体にJakというチロシンキナーゼが会合していて、
だとか、そういうことは何かありましたか?
IL-3刺激で核内に90Kのリン酸化タンパクが現れるの
宮島先生:DNAXという非常に特殊な環境にいたの
で、それを調べていたら、スイスにいた若尾さんがヒ
で、やっぱりギャップはありました。予算やスペース
ツジのmammary gland factor(MGF)としてクロー
の問題とかあらゆることがだいぶ違って、DNAXの時
ニングしていた分子でした。ポスドクのAlice Muiが
には所長のところに行ってこれだけ欲しいと言えば、
マウスのSTAT5遺伝子を探したら、よく似た遺伝子
ある程度は聞いてくれました。特に、受容体の仕事が
が2つ見つかったので、STAT5A, STAT5Bと名付け
うまくいったときは、ポスドクの数もスペースも増や
ました。そこで次にその下流のターゲット遺伝子を探
してくれたり給料も上げてくれたりと非常に優遇され
そうというプロジェクトに移り、サブトラクションを
ていたけど、分生研に来たら、まず図書室をもらって
使って遺伝子を探していたときに、当時鹿児島にいた
実験室に改装することから始めなければならず、大き
吉村さんが(九大教授)夏休みを利用してDNAXに
な違いでした。ただ新井先生がDNAXから医科研に
来たので、STAT5のターゲットを探してもらったら、
戻った時には、医科研3号館一階の自転車置き場を
SH2ドメインしかない非常にユニークな構造をした分
ラボにしたというのを見ていましたので、あまりびっ
子が見つかりました。サイトカインで誘導されるSH2
くりはしませんでしたね(笑)
。
ということでCISと名付けました。これはサイトカイン
のシグナルを負に制御する因子で、その後これのファ
鬼塚:分生研のこれまでを振り返ってみて何か特に
13
印象に残っている出来事はありますか。
何をやるのかとよく聞かれます。分生研にはいろいろ
宮島先生:いろいろありますけど、やっぱり分生研
な分野の人がいるわけで、タンパク質の原子構造か
に来て思ったのは、年齢層が若くなったことです。
ら染色体の分配、遺伝子発現、シグナル伝達、神経、
DNAXにいたときにはポスドクが中心でしたから、30
発生等々となんでもありで、特徴がないといえばな
過ぎの人が多く家族子どももいたりした。こっちに来
い。しかし、
逆にいろいろな分野の人がいることによっ
たらそれが10歳くらい若返って、大学を出たばかりの
て新しい分野が生まれてくることを期待したいと常に
人たちがいっぱいいて、新人歓迎会に初めて参加し
思っています。それからもう一つは、ここは若い人が
たときには、その熱気に圧倒されましたね。もっとも、
多いので、彼らがいろいろな研究分野の人たちと知り
所長になってからは歓迎会の後に酔っ払った学生た
合って、育っていってくれたらいいと思っています。
ちが問題を起こさないことをひたすら祈りつつ会場を
今後研究所をどうしたらいいかというのはなかなか
出るようになりましたが、若者が大勢いて非常に活気
難しい問題です。大学に研究所なんかなくてもいいと
があるのがこの研究所のいいところでしょう。
いう人もいるくらいです。しかし、応微研から分生研
になり13年余になりますが、生化学や分子生物学の
伊藤:研究の方向性として、サイトカインのことも続
分野における分生研の存在感は極めて大きくなって
けながら、だんだん肝臓や造血の方にシフトしていっ
いると思います。この比較的小さな規模の研究所でこ
た点について、どういうお考えだったのかもう少しお
れだけの活力ある研究機関はそうはないでしょう。ア
聞かせいただけますか。
クティビティの高い人たちが集まってきているから、
宮島先生:一つはサイトカインのシグナル伝達の研究
さらに発展するものと期待しています。
をやっていて痛切に感じたのは、サイトカインの受容
体の再構成もそうだしシグナルのメカニズムの解析も
鬼塚:研究室間の交流がもっと盛んになった方がい
そうだけど、基本的には扱いやすい株化細胞を使いま
いと?
すが、それではIL-3で活性化されたSTATが何をして
宮島先生:当然なった方がいい、そこはまだまだ足り
いるかといった生理的な意味付けができないというこ
ないと思います。
とです。だからもっとphysiologicalな実験系が必要だ
ろうと思いました。またサイトカインは相手によって
鬼塚:大学院生の交流会みたいな企画もありましたけ
作用が全然違うから、何か面白い重要な生命現象の
ど、あれは宮島先生の発案ですか。
中でのサイトカインの役割とかシグナル伝達の解析を
宮島先生:学生同士の付き合いが少ないように思った。
しようということで、以前からstem cellに興味があっ
いくつかのグループではそれぞれやっているようだけ
たので、それを調べようと思いました。その一つが造
ど、
もう少し研究所全体でやってもいいと思っています。
血発生です。肝臓の方は胎児期に血液が劇的に増え
る主要な造血組織なので始めたのがきっかけです。
伊藤:ちょっと質問が変わりますが、もし自由に使え
るお金が1000万円あって、1週間以内に使い切らない
伊藤:分生研に来られて12年ほど経ちますが、その
といけない場合、何をしますか。
方向としては最初に思い描いていたものと比べてどう
宮島先生:1週間あったら、温泉かどこかでのんびり
ですか。
したいという気はするので、おそらく旅行でしょう。
宮島先生:そう思った通りに進まないのは世の常です
ね。でも面白い現象はいろいろ見つかっています。こ
鬼塚:でも1000万円使う旅行といったら相当な。
れをどう解いていくかというところで、ちょっと足踏
宮島先生:普段はあり得ない豪華な旅行なんでしょう
みしていた感はありますが。
(笑)
。
伊藤:所長になられて4年ですが、所長として分生研
伊藤:休日はどのように過ごされていますか。
のセールスポイントや、今後こういう方向に発展させ
宮島先生:休日は基本的に家でごろごろして犬の散
たいというような点をお聞かせください。
歩と、あとウォーキングですか。
宮島先生:分生研の前身の応微研だと応用微生物と
いう研究所のメインテーマがあったけれど、分生研は
伊藤:週末でも先生にメールをするとすぐに返事が
14
返ってくるといって、ラボのみんなは驚いていますよ。
よく考えてベストと思ったことを一生懸命やっていく
宮島先生:週末は家でテレビを見たりしてごろごろし
ということじゃないでしょうか。
ているのですが、パソコンはいつもつないでいるので、
メールが来ればすぐに返事をします。
伊藤:現在、そしてこれからの宮島研究室に望むこと
は?
伊藤:先生がこれまで研究を続けてこられて、成功さ
宮島先生:常にエキサイティングな結果が出てきて、
れた要因としては、先生自身の哲学とか信条とか、ど
それをみんなでシェアして明るくやっていく研究室で
ういった要素が強いでしょうか。
あることを望んでいます。アクティブな研究室でも互
宮島先生:もちろん運は重要な要素ですが、やはり粘
いに足を引っ張り合ったりするような雰囲気だけには
り強くやるということだと思いますね。さっき話した
したくないと思っていて、フレンドリーな環境は大事
サイトカインのクローニングも、プロジェクトを始め
だと思います。
て最初の2~3年はほとんど成果がなくて結構苦しい
時期はあったけど、一つブレークスルーがあるとぱっ
鬼塚:そういう環境はありますよね。確かに、先生の
と目の前が明るくなってきます。それを突破しないと
口から実際に言われてみると初めて実感しますが、ラ
駄目なんだろうと思います。
ボは明るいですよね。足の引っ張り合いとかないし、
見たことないという。
鬼塚:先生がこれまでに強く影響を受けたと感じてい
る研究者はいますか。また、どんな点で影響を受けた
鬼塚:これからの研究生活で抱いている野望を。
でしょうか。
宮島先生:日本に帰ってきて肝臓の発生・分化の研
宮島先生:研究の進め方や研究室の運営などは上代
究を始めたわけですが、血液などに比べるとまだま
先生とか新井先生とか直近の先生にはもちろんすごく
だ遅れた分野です。これを臓器形成のいいモデルと
影響を受けていていると思います。直近の先生以外で
して、高いレベルに押し上げられたらいいと思って
は、やはりDNAXの創始者のP. Berg, A. Kornberg, C.
います。
Yanofskyという方たちでしょうか。P. BergはDNAX
のリサーチレビューでいつも非常に鋭い質問をするの
鬼塚:最後に、苦労している学生やポスドクへのア
ですが、常にポジティブで的確なコメントをするので
ドバイスをお願いします。
すごいと思っていました。先日東大のシンポジウムに
宮島先生:今の学生やポスドクの人は昔と比べてあ
来ていただいたKornbergは70歳を過ぎてから新たな
る意味ではかなり恵まれた環境にいると思う。分生
テーマで研究を始め、89歳になった今でも研究を続
研の各研究室の実験設備は欧米の研究室よりははる
けています。Yanofskyは50年余り一貫してトリプト
かに立派でないかと思うし、昔に比べて奨学金や
ファンオペロンの研究をしぶとくやっており、その粘
フェローシップもかなり出るようになってきた。あ
り強さにはおどろきます。DNAXにいてこうした多く
る程度恵まれた環境に慣れてしまうと創造力が育た
の巨人に会えたのは大変よかったと思います。
ない危険性もあるのでハングリー精神は必要かと思
います。一方で、ポスドクの数が増えたがパーマ
鬼塚:これまでの研究の中で一番苦労したことと、そ
ネントのポストが少ないといった非常に難しい問題
れをどのように克服されたのでしょうか。
も出てきているのも事実で、そういう意味では非常
宮島先生:いつも苦労ですね。苦労はなくなることは
に厳しい環境にあるともいえます。しかし、あまり
ないのではないでしょうか(笑)
。
将来を悲観してもしょうがなくて、ポジティブに頑
張ってやっていくという姿勢が大事かと思います。
鬼塚:いつも克服の仕方というのはケースバイケース
ポストがないならベンチャーを興すくらいの気概を
ですか?
もって頑張ってもらいたいと思います。
宮島先生:後で悔やんでも仕方ないので、その都度
15
― 国際会議に出席してみて ―
染色体動態研究分野 博士研究員 作野剛士 会議名称:Fourth international fission yeast meeting
開 催 地:デンマーク(コペンハーゲン大学)
開催期間:2007年6月11~6月16日
発表演題:Pericentromeric cohesion is sufficient for
the suppression of the chromosome segregation defect in swi6Δ(口頭発表とポ
スター)
はじめに、私は今回、財団法人応用微生物学研究
奨励会より格別な御援助をいただき、第四回分裂酵
母国際会議へ出席し、我々の研究成果を発表する機
会を得ました。奨励会及び関係者の皆様に心より御
礼申し上げます。
この会議は三年おきに行われ、分裂酵母を研究材
料に用いた様々な分野における第一線の研究者が世
界各地から一同に集い、互いの研究成果を発表しな
がら交流を深め合う大変有意義な機会となっていま
す。四回目にあたる今回は、分裂酵母研究発祥の地
であるコペンハーゲンで行われました。コペンハー
ゲンは消費税率が高く物価が日本の二倍くらいなの
が問題ですが、レンガ敷の道路や歴史ある建造物か
らなる街並みをそのまま現代へと継承している本当
に美しい都市でした。なお、コペンハーゲンでの学
会に先立って、ドイツ・チュービンゲンにあるMax
Planck研究所による渡邊先生の招聘に同行し、私も
セミナーをさせていただきました。
学会では、演題にあります様な内容で口頭発表と
ポスター発表を行いましたが、幸いにも我々の研究
に対して興味を持った多くの研究者と議論するこ
とができました。矢継ぎ早な英語での質問を理解す
情報伝達研究分野 博士課程2年 桑原 篤
会議名称:International Society for Stem Cell Research 5th Annual Meeting
開 催 地:オーストラリア・ケアンズ
開催期間:2007年6月17日〜6月20日
発表演題:Reduction of multipotent neural stem/
precursor cells and increase of neuronal progenitors by Wnt signaling in the
murine embryonic neocortical culture
この度、国際幹細胞学会第5回年会に参加するに
あたり、財団法人応用微生物学研究奨励会より格
ることにとまどいながら、興味深い多くの論文を送
り出しているグループを含め、多くの研究者と直接
議論する機会を得たことは本当に貴重な経験となり
ました。また、共同研究や材料分与、新たな技術の
導入について、互いに直接話し合うことで円滑に行
えたことも国際学会に参加できたメリットの一つだ
と感じました。我々が興味を持っている染色体分配
の制御機構に関する研究分野は、他の多くと同様に
研究の進展が早く、分裂酵母だけでなく他の生物種
においても先進的な研究成果が次々と発表され続け
ています。今回の国際会議を通じて、自分もその様
な競争にさらされていることを改めて実感すると共
に、よく考えられた実験から新しいことを見いだし、
それを論文という形で世に発信していくというサイ
クルを、できるだけ早く実行できるよう決意を新た
にしました。
最後になりましたが、この様な貴重な機会を与え
ていただきました奨励会とその関係者の皆様に改め
て深く感謝いたします。この経験を今後の研究に生
かしていく所存です。
別の援助を賜り、心より感謝致します。本会議は、
2002年に組織された「若い」学会で、全世界から基
礎と応用の両方の幹細胞研究者が参加します。オー
ストラリアで開催された今年の年会では、中国やシ
ンガポールなどのアジアの研究者が多数参加してお
り、幹細胞分野に対する各国の意気込みが伺えまし
た。しかし私個人の印象としては、現時点では欧米
のグループの仕事の方が生物学として面白い研究の
割合が高く、また日本のグループの研究も欧米に劣
らず大変質が高いと感じました。雑誌を拾い読みし
ているだけではイメージできなかったこの実感を得
たことが、今回の収穫の1つでした。
本会議では私は、Wntシグナルが胎生期大脳新皮
16
質の神経幹細胞を減らし、ニューロン前駆細胞を増
やすこと、そのWntシグナルの効果をN-Mycが媒介
することを発表しました。自分のポスターでは、同
世代の方からPIの方まで十数人の方と議論する機会
があり、そこで数多くの質問を頂いたことと、自分
たちの研究が高く評価されたことは、大変励みにな
りました。そして、科学として中身があることさえ
言えれば、英語は拙くてもなんとか議論できたこと
は自信になりました。また、ポスター発表を聞いた
ときのこちらの最初の質問をどれだけ質の高いもの
にするかで、その後の議論の盛り上がりに大きな影
響があることも痛感しました。この議論する能力を
育てる点でも、毎日の
研究室での時間を大切
に過ごすことの重要性
を再認識しました。
改めまして、本学会
に参加する機会を与え
てくださった応用微生
物学研究奨励会に厚く
御礼申し上げます。そ
してこの経験を今後の
研究生活に生かしてい
きたいと思います。
発生分化構造研究分野 博士課程3年 栄徳勝光
迎 え、 過 去 にDavid BaltimoreやArthur Kornberg
などの著名な研究者が基調講演を行ってきた伝統あ
るシンポジウムでした。今回の基調講演の演者は、
先だってラスカー賞を受賞した転写研究の大御所、
Robert Roederでしたが、一般演題の演者もクロマ
チン研究の第一人者が軒並み名を連ねており、アメ
リカの人材の豊富さを実感させられました。
シンポジウムは学術交流と若手育成を目的として
おり、口頭発表を担当した50余名の第一線の研究者
と共に、数百人のポスドク、大学院学生が参加し、
活発な議論を交わしていました。私も幾人かの研究
者の方と、お互いの研究について議論する機会に恵
まれ、有意義な時間を過ごすことができました。
シンポジウムに参加するまでは、私の拙い英語力
では向こうの研究者に相手にされないのではないか
という不安がありました。しかし、向こうでは英語
能力よりもアイディアや意欲を重要視されるよう
で、議論の中でも私の意見を誠実に聞き入れてくれ
たため、英語でのコミュニケーションにも自信が持
てるようになりました。このような有意義な経験を
積む機会を与えてくださった応用微生物学研究奨励
会に心より感謝しております。
会議名称:Chromatin and Epigenetic Regulation of
Transcription
開 催 地:アメリカ合衆国 ペンシルヴァニア
開催期間:2007年6月19日~6月22日
発表演題:S tructure and functional basis of the
histone chaperone CIA/ASF1-histone
H3-H4 complex
Pennsylvania State Universityはアメリカ国内で
も一、二を争う広大なキャンパスと五万人もの学生、
そしてこれらの学生の往来を助ける、大学の名を冠
した空港を擁するマンモス大学です。1855年に建立
された歴史のある大学でもあり、広い道路と丈の低
い建物に囲まれたゆとりのあるキャンパスは、広大
な空と周囲の山々に包まれておりました。片言の英
語しか話せない私でしたが、地域住民は温かく受け
入れてくれ、近隣のニューヨークなどの資本主義社
会から隔絶された理想郷のような場所に感じられま
した。
私が参加した夏季シンポジウムは今年で26回目を
生体有機化学研究分野 博士課程1年 春日淳一
会議名称:6 th AFMC International Medicinal
Chemistry Symposium(AIMECS 07)
開 催 地:トルコ、イスタンブール
開催期間:2007年7月8日~7月11日
発表演題:D esign, synthesis, and evaluation of
selective PPARδ agonists for the treatment of metabolic syndrome(ポスター
発表)
2007年7月8日より4日間トルコのイスタンブー
ルにおいて開催された医薬化学の国際シンポジウム
AIMECS 07に参加してきました。創薬に関わる幅
広い研究分野の発表があり、薬物動態の発表が行わ
れる一方コンピュータを用いるin silico創薬研究の
発表があるなど多岐にわたっていました。有名な先
17
生も多く参加していて、本学の某有機化学の先生が
Nobel Prize Candidateと紹介されるなどさすが言う
ことが大きいなあと感心させられました。他にもや
はり本学の某物理化学の先生の発表では、すらすら
と英語で観客の笑いを取りながら興味を持たせ発表
を進めていく様子は是非見習いたいものでした。
さて私の発表はポスター発表で、代謝性疾患治療
薬を目指したPPARδ選択的アゴニストの創製研究
について発表してきました。核内受容体の一種で
あるPPARはα、δ、γの3つのサブタイプが同定
されていて、PPARαとPPARγのアゴニストはそ
れぞれ高脂血症治療薬、糖尿病治療薬として臨床応
用されています。そして研究の遅れていたPPARδ
もそのアゴニストが代謝性疾患治療薬となる可能性
を示すデータが多く出てきたことを踏まえ、新規
PPARδ選択的アゴニストの創製を目指しました。
PPARサブタイプ間のリガンド結合ポケットの相
同性を踏まえPPARα選択的アゴニスト”KCL”の
適切な構造修飾によりPPARδ選択的アゴニストへ
と変換できると考えました。狙い通りPPARαと
PPARδのリガンド結合ポケットの構造の違いから
予測される横穴へとアルキルエーテル鎖を伸ばした
化合物でPPARδ選択的アゴニスト活性を示す化合
物が得られました。この化合物はマウスへの腹腔内
投与で肝臓のPPARδターゲット遺伝子の発現を上
昇させin vivoでもPPARδアゴニスト作用を示すこ
とを確認しました。
発表には今注目のPPARを扱っているためか多く
の方に来ていただきました。合成スキームを中心に
生物活性まで多くの質問とアドバイスをいただきま
した。なんとか質問に答えることはできたと思いま
すが、もっとしっかり説明したいところなど英語に
できない悔しさが残りました。2年後に行われる次
のAIMECSでも発表できるよう研究と英語を頑張
り、自信を持って英語でディスカッションしてみた
いです。
生体超高分子研究分野 博士研究員 谷川美頼
かしそこは案ずるより生むが易し。たくさんの方が
ポスターを見て質問してくださり、とても有意義な
時間となりました。また、競合分野の研究者が現在
何を考えているのかについても直接話を聞くことが
でき、非常に勉強になりました。英会話力の未熟さ
ゆえ、時には伝えたいことがうまく話せず歯がゆい
思いもしましたが、世界中の研究者と議論できたこ
とは非常にエキサイティングな体験でしたし、自信
にもなりました。また、サイエンスを職業とするこ
との楽しさを再認識する機会にもなりました。今回
このようなすばらしい体験をする機会を与えてくだ
さった当奨励会に改めて深く感謝いたします。
会議名称:Cold Spring Harbor Laboratory Meeting
On Yeast Cell Biology
開 催 地:アメリカ ニューヨーク
開催期間:2007年8月15日~8月19日
発表演題:Temporal segregation of sensor machinery ensures specificity of stress-responsive MAPK activation.(ポスター発表)
このたび学会に参加するにあたり、財団法人応用
微生物学研究奨励会より多大なるご援助を賜り、心
より深く感謝いたします。本学会は隔年で行われ、
酵母を対象に研究を行っている様々な分野の研究
者が参加します。酵母という特殊な実験材料を扱っ
ている研究者の集まりであるだけに、分野を越えて
毎日濃密なディスカッションがなされていました。
セッションの合間はもちろん、食事や宴会中でも議
論する研究に対する熱さに大いに刺激を受けまし
た。また、著名な先生方が気さくに話しかけてくだ
さることにも感動しました。
さて、私はポスターで、MAPK経路がいかにし
てシグナルの特異性を維持しているのか、そのメカ
ニズムについての研究成果を発表しました。今回が
わたしにとっては海外デビュー戦。英語が得意でな
いため、かなり緊張して発表の時を迎えました。し
18
ドクターへの道
宮岡佑一郎(機能形成研究分野 博士課程2年)
「ドクターへの道」を書くにあたり考えてみる。
て実験をし、私が言うのはおこがましいが未知のこ
私が博士課程に進学したのは何故だろうか?答えは
とを知る楽しさを知った。知った気になっているだ
明確で、研究者として生きていきたいからである。
けかもしれないが、楽しいことは間違いなかった。
ではなぜ研究者として生きていきたいのだろうか?
同時に、博士課程の学生と博士号取得者の社会的立
思い返してみるとこの希望は小学生の頃には芽生え
場も少しずつ呑み込めてきた。全くもって楽観視で
ており、中学生の頃にははっきりしていたように思
きない惨状である。しかし、私の中では楽しさが圧
う。どの大学を受験し、どの学部学科に進学し、ど
倒的優勢であり、博士課程に進学することに迷いは
の研究室に所属するかも研究者になるのに適切なと
なかった。憧れで始まり、実際に携わって研究の楽
ころを選択したつもりである。人生はコントロール
しさを知ったので研究者として生きていきたい、と
がとれないので、自分の選択が正しかったのか答え
いうのが最初の問いの答えになるかと思う。
は出ないのだが、十分に検討し努力した結果・結論
さて、私の人生はこの博士課程で大きな転換期を
であるなら、正しかったと科学者らしからず勝手に
迎えた。運良く博士課程から学術振興会の研究奨励
信じることにしている。博士課程進学の選択も然り
費をいただけることとなり、また現在の妻の就職が
である。
決まったこともあって、博士号取得の必要条件であ
比較的早い時期に研究者になりたいと考えたの
る論文一報を私が出せたら結婚するという約束をし
は、環境の影響が大きかったように思う。父親が高
た。そして昨年のうちに、これも運良くJBCに一報
校の化学、母親が中学の理科の教師ということもあ
掲載することができ、結婚した。リバイスをしなが
り科学の知識に触れることが多かった。特に父親は、
ら、「これが通ったら結婚か…」と物思いにふけっ
経済的理由で断念せざるをえなかった研究者になる
たものである。さらに私達は子供を授かり、先日男
という夢を私に託した、と言うとあまりに格好が良
の子が誕生した。初めて息子と対面したときの感動
すぎるが、そういう面は確かにあった。将来は何を
と喜びは、私の人生の他のどの場面とも比較できな
したいか、という問いに「先生」と答えると「なら
い。息子を抱いたときの重みは、単なる3kgの重
中学とか高校とかじゃなくて大学の先生になるとい
みではなかった。
い」と言われたのを覚えている。「大学の先生」に
研究者はただなりたいというだけでなれるもので
なることが、
「中学や高校の先生」になることとは
はないし、そうであるべきだと思う。ここまで来た
全く違うことだと気づいたのはそれから何年後だっ
ものの、私は自分に研究者としての能力があるのか
ただろう。また、おじにその「大学の先生」がいた
いまだに判断できていない。ないとわかれば家族の
ことも少なからず影響している。おじさんになれる
ためにも少しでも安定した職業に就きたいと考えて
なら私にもなれるかもと思った、と言うと今度はあ
いる。これから先、研究を続けるにせよやめるにせ
まりに失礼すぎるだろうか。とにかく、私の周りに
よ、その選択が正しかったと信じられるように、で
いた人達は皆温かく、私のささいな疑問に対しても
きるだけの努力をしていきたい。
誠心誠意科学的に答えてくれていた。こうした中で
私の科学への興味と研究者への憧れは形作られて
いった。
私は生き物が好きだったので、研究するなら生物
学かなという程度の考えはあった。しかし、研究者
になることはどういうことかを具体的に知り、考え
たのは大学入学後である。まずは様々な知識を得た。
恥ずかしながら、遺伝情報がDNAの塩基配列とし
て決まっていることを知って感動したのは大学一年
生のときである。この時期にあのおじさんはやはり
立派であることも痛感した。そして学生実験、卒業
研究、修士課程の研究を経て自分で目標や計画を立
19
OBの手記
元染色体動態研究分野 横林しほり
分生研の皆様、こんにちは。私は現在、スイスの
バーゼルにあるFMI(Friedrich Miescher Institute
for Biomedical Research)にポスドクとして在籍し
ています。こちらに来てから早一年数ヶ月が経ちま
した。
私が博士課程3年の春に、指導教官の渡邊嘉典先
生が分生研で独立されることになり、それまで在籍し
ていた理学部の山本研究室より一緒に移動してきまし
た。近距離の引っ越しでしたが、まだ少なかったメン
バーとサンプルや細々としたものを運んだり、新しい
研究室の設計を話し合ったり、とても貴重な経験だっ
たと思います。博士課程修了後、更に一年間ポスドク
として渡邊研で研究させて頂いたので、実質二年間を
分生研で過ごしたことになります。短い間でしたが、
周りの研究室の方々にはいろいろと親切にして頂きま
して大変感謝しております。分生研はイベントが多く、
研究室間の交流が盛んであったことが印象に残ってい
ます。
渡邊先生のもとでは、学部の卒業研究時から一貫
して、分裂酵母における減数分裂期の染色体分配機
構について研究してきました。大変興味深い研究分
野で楽しく研究させて頂きました。しかし博士課程を
終了するにあたり、異なる環境で新たな分野の研究を
経験したいという気持ちが次第に強くなり、留学を決
意しました。他の生物、特に哺乳類における生殖系列
(減数分裂)はどのように研究できるのだろう…などと
漠然と思っていたところ、偶然(?)FMIのAntoine
Peters研究室を見つけました。Antoineの研究室では、
マウスを用いて、始原生殖細胞の初期分化過程あるい
は受精後の初期胚でみられるダイナミックなクロマチ
ン変化のメカニズム、およびその生理的な意義にアプ
ローチしています。このクロマチン変化は、受精卵が
全能性(多細胞生物を構成している様々なタイプの細
胞に分化しうる能力)を獲得するうえで非常に重要だ
と考えられており、
今後大いに発展が期待される分
野だと思います。
FMIはNeurobiology、EpigeneticsとGrowth Control
の三分野に分かれていて、それぞれ約7つの研究室が
あります。Antoineの研究室はEpigenetics に属してい
ます。ラボミーティングの他に、Epigenetics グループ
全体で行われるプログレスセミナー(毎週一人ずつ)
や文献セミナーがあります。バーゼルはドイツ語圏で
すが、FMIの中は非常に国際的で、セミナーなどは全
て英語で行われます。各々の研究室が小さいこともあっ
て、研究室間の交流は非常に活発です。試薬や機材、
あるいは知識(プロトコル)などを尋ねる研究所全体
宛のメールがほぼ毎日のように行き交っています。
また、
共用の機械、さらにはモノクローナル抗体やトランス
ジェニックの施設が整っているのも非常に恵まれてい
る点だといえます。研究所にはバイオインフォマティク
スや顕微鏡の専門家がいて、例えば顕微鏡に関しては、
適切な顕微鏡の選択からデータの取り方、解析に至る
まで、様々なアドバイスを受けられます。私が渡邊研
にいたときは、とかく研究室の中だけで実験が終始し
がちだったので、それと比べると大変新鮮で、かつ行
動力如何で研究の進め方(進み方)も随分変わるもの
だな、と改めて実感させられています。
最後にバーゼルについて少し触れたいと思います。
バーゼルはスイスの北西に位置し、
北はドイツ、西は
フランスに面しています。双方とも自転車で数十分の
距離なので、ドイツあるいはフランスに住んでFMIに
通っている人も多いです。街の中央にはライン川が流
れていて、夏には泳いでいる人をたくさん見かけます。
街から電車で30分程離れるだけで、のどかな牧草地
や山の風景が広がるのもスイスならではだと思います。
ハイキングやクライミング、冬にはスキーなど、週末
に気軽に行ける距離でできるので、アウトドアの楽し
みには本当に事欠きません。
こちらに来て最も驚いたのは、とにかく体力的にも
精神的にもみんなタフだということ、そして仕事の緩
急の付け方が非常に上手いということです。日本での
研究生活と比べると良い点も悪い点もさまざまですが、
違いを認識することはとても大切だと実感しています。
皆様も機会がありましたら是非留学されることをおす
すめします。
写真:研究室のメンバーと。前列向かって左から三番
目がAntoine、後列右端に筆者。
20
海外ウォッチング
Utrecht University(Molecular Genetics, Plant Development Group), The Netherlands
細胞機能研究室 OG 下遠野明恵
オランダ、と聞いてまず何を連想するでしょうか、チュー
リップ、チーズ、風車、自転車・・どれも事実、オランダ
ではなじみ深いものです。シーボルトが持ち帰ったとされ
る朝顔もチューリップと並んで市場に売られています。絵
画を見ればゴッホの描いた浮世絵の模写もあり、
『BONSAI
(盆栽)
』が売られ、
駅の売店には熱々の『コロッケ』があり・
・
ここでは日本との交流のあった遠い昔の面影を偲ぶものが
多くあります。
オランダで研究をしている、
と話をすると大抵の方が『普
段、何語で会話しているの?』と不思議そうに訊ねられま
す。もちろん、公用語は日本人にもなじみの深い蘭語(オ
ランダ語)なのですが、驚く事にほぼすべてのオランダ人
の方が非常に流暢な英語を話します。子どもの時からの英
語に対する接し方によるものだそうですが、現にヨーロッ
パの中でもイギリス(当然!)に次いで、最も英語の通じ
る国だそうです。もしもオランダに立ち寄る機会があった
ら、街にいる方に気軽に話しかけてみてくださいね。もち
ろん、ラボの中でも英語が飛び交っています。
学生時代から長い間お世話になった分生研を離れて、海
外生活も早2年が経とうとしています。ドイツのマックス
プランク研究所を経て、縁あって、昨年よりオランダのユ
トレヒト大学で研究をしています。オランダは九州とほぼ
同じくらいの面積からなる国ですが、ユトレヒトは地理的
にそのほぼ真ん中に位置します。ユトレヒトと聞いてなじ
みが薄い印象を持つ方も、
『ミッフィーの作者、ブルーナさ
んがいるところ』
といった方がピンとくるかもしれませんね。
治安もさほど悪くなく、安心して夜遅くまで研究に励むこ
とができます。ただ難を言えば、ユトレヒトのような都市
部では家賃が軒並み非常に高く、多くの人達が悩まされま
す。私も例に漏れず洗礼を浴びた結果、築350年余りのア
パートに暮らしています。ただ、内装もアンティークな洒
落た作りになっていて、居心地は決して悪くは有りません。
この建物が建った時代の日本を思うと、私達日本人との時
間軸の違いに不思議な気持ちがしたものです。
私は、シロイヌナズナの根の幹細胞のパターン形成に関
わる遺伝子群を解析している、Ben Scheres博士の研究室
に所属しています。当研究室ではこれまでに数多くの興味
深い研究成果を次々と報告しています(http://www.bio.
uu.nl/mg/pd/publications/index.html)
。
私が来た当初から徐々に人数が増えてきて、現在は世界
各国から集まってきた総勢約30名(含:スタッフ6名、ポ
スドク11名)の大所帯にまで膨れ上がりましたが、メンバー
で週末にホームパーティを催したり、ピクニックにでかけ
たりと家族ぐるみの和やかな雰囲気を持ち合わせていま
す。研究の場においては、週に数度の外部からのゲストに
よるセミナーを通して最先端の知見を幅広く得られること
に加えて、普段もスタッフや学生の枠を超えた熱心な議論
を展開できる雰囲気と、いい意味で刺激し支えあえる、良
い仲間達に囲まれた生活を送っています。さらに、ヨーロッ
パを初めとする諸外国とのネットワークも強く、共同研究
も盛んで、日本のラボとの共同成果も多くみうけられます。
培地の作製・器具の洗浄・ごみの回収・実験室の掃除など
の基本的な作業は大学で雇われているスタッフが細々と管
理をしてくれているので、雑務も最小限に抑えられ、その
点でも非常に恵まれていると感じます。研究室自体が共に
楽しく生活ができる場であるとともに、研究に対して楽し
みながら進められる、活気のある研究室です。
思えば大学院生の時分に、財団法人応用微生物学研究
奨励会から助成金を頂いて国際会議で発表する機会を設
けて頂けたのが、こうして現在、海外での研究活動に至る
良い布石になっているのかもしれません。研究成果を直に
外国の研究者と議論し、そこから多くのものを学ぶ機会を
与えてくださったことに大変感謝しております。
最後になりましたが、学生時代より長きにわたって、研
究指導に携わってくださった細胞機能研究分野の内宮博文
教授と梅田正明(現:奈良先端大)教授、ならびに研究室
の皆様方にもこの場を借りて篤く御礼申し上げます。
21
留学生手記
情報伝達研究分野 修士課程1年 徐 源江
血濃于水
分生研ニュースを書くことになったが、4月に
入ってきたばかりの新人だ。というわけで分生研と
あんまり関係ないが、この機会に自分の日本留学に
ついて振り返ることにした。日本に来て、今年です
でに6年目になる。日本での生活はもうだいぶ前か
らなれた。ここでの生活に慣れすぎて余裕が出たせ
いなのか、なぜか今年に入った途端に両親のことを
すごく気になり始めた。あの二人ちゃんとご飯を食
べているかなとか、父の病気は大丈夫かなとかを思
うようになった。
僕の生まれた家庭は貧乏じゃないけど決して裕福
でもない。だけど、笑いの絶えない楽しい家だった。
ふっと思えばこうした家庭で育ったからこそ、前向
きな自分がここにいるような気がする。高校までの
僕は別にいい学生でもなく、よくだれかと喧嘩し、
先生を泣かしたことが何回もある。そのせいで、お
父さんも覚えられないほど、学校に呼ばれた。そ
んな自分だったが、それでも両親は僕の意見を聞き
入れるし、僕のことを信用し続けてきた。日本に留
学することを決めたのはまだ僕が15歳の時で、高校
に入る前だった。その時は普通の高校に行くか、そ
れとも留学向けの高校に行くかという選択肢があっ
た。その時も両親は僕の意見を聞いてくれて、留学
向けの高校に行かせてくれた。当時はこのことをな
んとも思わなかったが、実はこの選択はうちにとっ
て経済的な負担がすごくかかる選択だった。
お金のことについて両親から何か言われたことは
ほとんどないが、一度だけ例外があった。それは日
本に来る直前の時で、僕は両親の部屋に呼ばれて留
学に必要なお金を見せられた。うちの家庭にとって
とんでもない金額で、そのため両親が長年に渡って
貯めた貯金をはたくどころか借金まで抱えた状況
だった。その時自分はどんなに両親に愛されている
のかをものすごく感じていた。それと同時に、もう
両親に負担をかけられないという気持ちがいっぱい
だった。これ以上親に心配も負担もかけさせないと、
日本に来る前に自分と約束し、今でもその約束を守
り続けてきた。仕送りなどをもらわない分、生活が
苦しくなるが、両親からの愛を常々感じていた。た
とえば今でもそうだが、日本の地震が中国で報道さ
れれば、場所は関係なくかならず両親から「大丈夫
か」という電話がかかってくる。九州であろうが北
海道であろうが一度も欠かせなかった。日本留学の
おかげかもしれない、誰よりも両親に愛され、誰よ
りも両親のことを愛していることをこんなにはっき
りと感じさせてくれた。
今の自分のなかではなぜか両親に恩返したいとい
う気持ちがどんどん強くなってくる。もっともっと
強くなって、自分の手で両親を楽にさせたい、幸せ
にしてあげたいという思いが心のなかでいっぱい
だ。その時が来るまでは、たとえどんな困難と立ち
向かっても、僕、負けない。 好きだとか、愛してるとか今まで両親に一度も
言ったことがなく、これからも恥ずかしくてたぶん
言えないと思うが、でもなぜか言わなくてもきっと
伝わっているような気がする、きっと。
ぜんぜん話しまとまらなく、編集長すいませんで
した。
22
研究室名物行事
情報伝達研究分野 平林祐介
「攻めなきゃ負けですよ!」
敬体ながらも脅迫的なこのフレーズがこの半年間、何度
となく僕の脳内に蘇っている。あれ以降僕はトランプを手
にしていないのだ。思い出すのも辛い。そう、このフレー
ズが僕に投げかけられたのは最後にトランプ、
「大貧民」
というなんとも配慮に欠けた名称のゲーム、をやっていた
時だ。
と、個人的なことばかり大袈裟に書いてる場合ではな
かった。これはスキー旅行の報告記なわけだから、スキー
旅行がどのように執り行われたかをみなさんに報告してみ
たい。
去年の終わり頃だったろうか、染色体動態の塚原君とう
ちのラボの岸君が中心となってラボ間合同スキーを企画し
てくれた。染色体動態研究分野もうちの研究室もそれぞれ
毎年スキー旅行をしていたので、合同にしたら楽しいので
は?親交も深まるのでは?ということだったろうと思う。書
き忘れるといけないので先に書いておくと実際にかなり親
交は深まりこの企画は大成功だった。
話はとんとん拍子で進み、3月の初め頃強い雨が降る中、
21時新宿発の夜行バスに揺られ志賀高原へと我々一行は向
かった。総勢30名余り。バスの運転手さんが気難しい感じ
の人で、トランクに傘を入れようとした作野さん(染色体
動態)に対して「傘なんか入れたら折れちまうぞ!」とす
ごんでいたのが記憶に新しい(上手く入れれば折れないの
では?と作野さんは思ったに違いない)
。
「夜行バスでスキー
場に向かい、翌朝からスキー」というのは体力的にはハー
ドな面もあったが、川口君(情報伝達)が消灯時間にも関
わらず会話していて後藤さん(情報伝達)に怒られるなん
ていう微笑ましい光景もあり総じて良かったのではないか
と思う。
スキー場についたらとにかくスキー(スノボも)だ。渡
邊先生に率いられ、我々は貪るようにスキーを楽しんだ。
リフトに並ぶこともなく、吹雪に見舞われることもなく非常
に快適であった。あんなに脇目も振らず一心不乱にスキー
をしている集団もあまりいないのではないだろうか。記憶
に残っている事といったら、大西君(情報伝達)がリフト
上で「人にやさしく」
(ザ・ブルーハーツ)を熱唱していた
ことだろうか。夜行バスを降りた時は一日中寝ていたいと
思った僕も気づけば十分に楽しんでいた。
日没までスキーを楽しんでも一日は終わらない。今回の
旅行の目的の一つは異研究室間交流なわけだから、夜行バ
スとスキーの疲れも顧みず当然夜は飲み会とトランプ大会
だ。なんでトランプ大会なんだ!
さて、ここで僕は冒頭のフレーズに出会う訳である。一
番強いカードがクイーンじゃ攻めようがない。しかしそん
な言い訳は通用しない。まさか30人近くもいて自分がビリ
になるとは思わなかった。でも、現実には誰か一人はビリ
になるんだ。しょうがない。
トランプに負けるってなると、負けた上に、知能まで否
定された気になる。古舘君(情報伝達)は「平林さん考え
なしだからなー。
」なんて言ってやがった。そんな僕の心の
支えは渡邊先生も最後まで僕とビリを争ったということだ。
負けて、知能を否定され、さらには罰ゲームでこの原稿を
書かせて頂いているというわけだ。
以上のように、大変盛り上がった楽しいスキー旅行で
あった。
「ベルトコンベアーみたいなもので山の上に運ばれ
て、樹木を伐採した斜面を転がって何が面白いんだ!?」
とスキー初心者の多田君(染色体動態)は思っていたかも
しれないが、きっと彼もスキーの楽しさを分かってくれたと
思う。これも完璧なオーガナイザー塚原君、岸君のおかげ
です。ありがとう!
最後に「攻めなきゃ負けですよ!」と言ってくれた加々
美さん(染色体動態)に対して、
「うるせぇ!俺も攻めてー
よ!」と暴言を吐いたことをこの場を借りて陳謝致します。
写真1 左、
筆者。右、
ビリから2番目だった青木君(情
報伝達)
写真2 集合写真
23
Toward innovative research: Lessons from the Kornbergs
独創的研究の神髄をコーンバーグ父子から学ぶ
東京大学堀場国際会議開催される
形態形成研究分野 多羽田哲也
7月23日
(月)
と24日
(火)
の両日、Toward innovative research:
Lessons from the Kornbergsと題するシンポジウムシリーズが開
催された。アーサー・コーンバーグ(1959年ノーベル生理医学賞
受賞、スタンフォード大)
、アーサーの長男のロジャー・コーンバー
グ(2006年ノーベル化学賞受賞、
スタンフォード大)
、
同次男のトム・
コーンバーグ(カリフォルニア大)各教授を招聘し、二日間に渡
るシンポジウムを行った。22日は安田講堂において宮島所長の司
会により、3名が揃って、科学的興味の赴くまま追求された基礎
研究が生命の謎を解き明かした自身の研究を語り、会場からの質
問にも答えた。3名の講演に先立って小宮山総長が、開会の辞と
して、昨今の日本の科学予算がプロジェクト指向になり、真のブレークスルーをもたらす基礎研究が軽視されてい
る現状に危惧を表明した。続いて、かつて、アーサー・コーンバーグ教授の研究室に在籍した新井賢一名誉教授が
コーンバーグ家の歴史を紹介した。1000名近い聴衆は、基礎科学研究の重要性と一途に研究を続ける科学者の姿勢
に強い印象を受け会場を後にした。講演会の後に、アジア環太平洋分子生物ネットワークの支援により、学生とコー
ンバーグ父子の交流会が行われ、閉会の時間が過ぎても歓談は続いていた。
23日はアーサー・コーンバーグ教授を中心に、
シンポジウム「ストレス応答の中軸をなるポリリン酸の生命機能」
(医
科学研究所講堂)
、トム・コーンバーグ教授を中心にシンポジウム「コンパートメントとシグナリングセンターの発生
生物学」
(弥生講堂)およびロジャー・コーンバーグ教授による講演会「真核生物転写機構の分子基盤」が開かれ
た。2日間にわたるコーンバーグ父子との学問的交流は130周年を迎えた東京大学の今後の研究教育の大きなヒント
になった。全面的な財政支援をいただいた堀場国際会議に深く感謝したい。また、本シンポジウムは医科学研究所、
医学部、分子細胞生物学研究所をはじめ多くの方々によって準備、運営された。
オープンキャンパス
創生研究分野 北尾彰朗
8月1日
(水)
に本郷キャンパスで開かれた東京大学オー
プンキャンパスの行事のひとつとして、分子細胞生物学研
究所では「高校生のための生命科学シンポジウム」を行な
いました。シンポジウムは午後1時30分から2時間半にわ
たって総合研究棟2階会議室において開催され、高校生56
名、父母3名の参加がありました。最先端の生命科学研究
の一端に触れてみたいという若い熱意にあふれた高校生が
集まり、活気のある会となりました。
初めに所長の宮島篤先生から、研究所の概要について説
明がありました。高校生のあまり知らないであろう教養課
程・学部・大学院・附置研究所の関係のわかりやすい解説
から始まり、分子生物学・細胞生物学の基礎、そして研究
所の幅広い先端研究の紹介がありました。
次に、渡邊嘉典先生から、
「染色体の伝えられる仕組」
という題でご講演がありました。細胞分裂における染色体分配の解説から、コヒーシンやシュゴシンの働きに関する
渡邊先生の最先端の研究まで、わかりやすいお話がありました。渡邊先生からの問いかけに最初はすこし戸惑って
いたような高校生たちでしたが、すぐに打ち解けた雰囲気になり、最後には活発に質問する姿が見られました。高
校生たちは特に染色体分配異常に起因する症候群に強く興味を持ったようでした。
そのあと、内藤幹彦先生から「副作用の少ないがんの薬」について、ご講演がありました。がんによる死亡率や
がんの治療法に関するお話から、副作用を少ないがんの薬を作る難しさ、そしてアポロンやcIAP1に関する最新の
研究成果までを解説していただきました。がんは身近な問題と強く引き付けられたようで、高校生たちは熱心に聞き
24
入っていました。
最後に私が「やわらかい分子の機械(蛋白質)が働く仕組」と題し、蛋白質の物質としての特徴から、機能を発
揮するメカニズムにいたるまでの概説したあと、シミュレーションを用いた最新の蛋白質機能研究について解説しま
した。新しい知識を理解しようと頭をフル回転させて頑張っていた熱心な高校生達も、2時間半の講演後にはさす
がに疲れがどっとでたようでした。ご講演いただいた先生方、お世話くださった事務部の方々、どうも有難うござい
ました。
2007年度分生研新人歓迎会
生体超高分子研究分野 畠山理広
去る4月16日
(月)、2007年度分生研新人歓迎会の開催にあたっては、所内外から多くの方々のご協力を賜
りました。幹事を務めさせて頂きました生体超高分子研究分野一同、心より御礼申し上げます。
昨年度までは所内発表会と併せて行われていた歓迎会ですが、今年度は単独で開催される運びとなりまし
た。これに伴い開催時期も例年の6月初旬から大幅に変更されました。例年会場の狭さが問題となっていた
ことから、今回新たな試みとして小石川植物園での開催が予定されておりましたが、当日は生憎の雨模様。
結局今年度も農学部食堂を借りての開催となりました。
宮島所長による乾杯の後、恒例の新人紹介と題した余興が研究分野ごとに披露されました。プロ顔負けの
コント・手品や、既存の分野の融合による新たな芸術表現の創出などイマジネーション溢れる熱演が次々と
場を沸かし、また不思議な歌を自作してレコーディングを行ってくるなど準備期間の短さを感じさせない意
欲的な自己アピールの数々は、観衆を感嘆の渦に巻き込んでいました。新人の方々お疲れ様でした。
皆様のご協力のお陰で盛況のうちに終えることの出来た今年度の新人歓迎会でしたが、幹事として反省す
べき点もありました。入場の際にその場で名札に記入してもらう方式を採ったため長蛇の列が出来てしまい、
多くの方々にご迷惑をおかけしました。この場を借りてお詫び申し上げます。名札は前もってご記入いただ
くほうが効率的であると思われます。会場につきましては狭い・声が聞き取りづらいとのご意見もあり、別
の場所で開催するかどうかも含めて来年度以降の検討課題となりそうです。なお小石川植物園など屋外での
開催に関しては賛否両論聞かれました。
最後に、総勢200名以上の参加者の皆様、各研究分野の連絡係の方々、事務部や小石川植物園の関係者ほか
準備・運営にご尽力頂いた方々、貴重なご助言を賜りました(財)応微研奨励会の山口千秋様ならびに宮島
所長に重ねて御礼申し上げさせて頂き、幹事からのご報告とさせて頂きます。
留学生との懇談会を開催
バイオリソーシス研究分野 横田 明
7月10日
(火)
18時より、農学部生協食堂
において、平成19年度分子細胞生物学研究
所留学生との懇談会が開催された。分子細
胞生物学研究所には現在、中国、韓国、台
湾、インドネシア、フィリピン、バングラ
ディシュ、タイ、フランス、オーストラリア、
カナダ、アメリカなどから総勢22名の留学
生(外国人研究者を含む)が在籍し、研究
活動を行っている。梅雨明け前のではあっ
たが暑い日で、留学生、教職員、総勢約54
名の参加者があった。
懇談会は横田准教授の司会で開会され、宮島所長の挨拶、北里一郎応用微生物学研奨励会理事長の挨拶と
乾杯の後、和やかに歓談が始まった。途中、曽 于さん(中国)、Lejeune Erwanさん(フランス)、延 珉
榮さん(韓国)
、徐 源江さん(中国)、陳 彦榮さん(台湾)、楊 立威さん(台湾)、尹 載宇さん(韓国)
から各国のお国柄を表したスピーチがあり、立派な日本語を披露してくれた。さらに、柳田友道名誉教授か
ら留学生を励ますためのエールが贈られた。2時間はあっという間に過ぎた。分子細胞生物学研究所は現在、
本館、総合研究棟、生命科学総合研究棟に分散していることから、日頃顔を合わせる機会が少ないが、この
懇談会では留学生との親睦を深め、楽しいひとときを過ごすことができた。
25
― 本場博多らーめん ―
◦お 店 探 訪◦
染色体動態研究分野 平尾嘉利
と に か く 安 く て 量 が 多 い。
らーめん自体の量はおそらく一
般的だがこの店のすごいところ
は、トッピング系がほぼ無料な
ところである。ゆで卵から高菜、
もやしまでバットにどっさりあ
り、なんと入れ放題、食べ放題。
また、セットも充実しており、
らーめんと半炒飯で750円はこ
こら近辺ではできない値段で、本当にやっていけるかこちらが逆
に心配するような価格設定だ。まさに、学生に優しいらーめん屋。
味に関してもさすが本場博多でやっていただけあって、なかな
か美味しい。
店はぱっと見ぼろぼろだが、良く言えば昔風のラーメン屋。た
くさん食べたいときはぜひ立ち寄ってみてください。
■職員の異動等について
以下のとおり異動等がありましたのでお知らせします。
○平成19年8月1日付
〈採 用〉闐 闐 孝 介 助 教(生体有機化学研究分野)
○平成19年6月30日付
〈辞 職〉吉 田 章 子 助 教(形態形成研究分野) 〔放射光連携研究機構〕
○平成19年7月1日付
〈昇 任〉中 村 秀 子 主 査
:本部調達・経理系調達グループ副課長へ
〈昇 任〉石 野 博 係 長
:宇宙航空研究開発機構専門員へ
○平成19年6月1日付
〈採 用〉深 井 周 也 准教授
○平成19年7月1日付
〈採 用〉山 形 敦 史 助 教
〈採 用〉三 村 久 敏 助 教
〈配置換〉酒 井 恵 美 用度係主任
:本部財務系財務戦略グループへ
■事務部チーム制導入のお知らせ
〈採 用〉吉 松 剛 志 助 教(情報伝達研究分野)
7月1日より、事務部は組織を再編し、チーム制を導入
〈採 用〉村 上 智 史 助 教(形態形成研究分野)
しましたのでお知らせします。
〈転 入〉石 川 紀世三 専門員(財務・会計チーム) 〈総務チーム〉
:宇宙航空研究開発機構より
〈転 入〉磯 山 勉 係 長(総務チーム)
:統計数理研究所より
秩父 敏(チームリーダー・主査)、磯山 勉(係長)
、
小倉 聡司(主任)、大久保幸子、神山 忍、金岡有里子(事
務補佐員)、田中 彩(事務補佐員)
〈転 入〉西 永 岩 文 係 長(財務・会計チーム) 〈財務・会計チーム〉
:国立オリンピック記念青少年総合センターより
〈配置換〉米 畑 宏 美(財務・会計チーム)
:本部財務部資産課より
〈昇 任〉秩 父 敏 主 査(総務チーム)
:庶務係から
石川紀世三(チームリーダー・専門員)、村上 靖朋(係
長)、西永 岩文(係長)、新井千恵子(主任)、川辺 幸一(主任)、松下 繁治(主任)、細井 厚志、米畑 宏美、印藤 朝子(事務補佐員)
26
訃 報
岩﨑成夫 名誉教授
の改組により分子細胞生物学研究所教授・生体有機
化学研究分野主任、1997年3月に定年退官されまし
岩﨑成夫先生は、2007
た。1988年4月より1年間東京大学総長補佐、199
年9月6日スイス、チュー
年4月からの2年間は、分子細胞生物学研究所長及
リッヒにてご逝去されまし
び東京大学評議員を併任され、大学の管理運営にご
た。享年71歳でした。
尽力されました。
先 生は196年6月21日
先生のご研究は、特に微生物代謝産物を中心とし
に旧満州にお生まれにな
た天然物化学に力を注がれましたが、中でも微小管
り、都立北園高等学校を
機能阻害物質に関する研究においてもっとも顕著な
経て、1961年3月に東 京
功績を残され、この業績に対して、1997年度日本薬
大学薬学部薬学科を卒業
学会賞を授与されました。
されました。同年4月東
先生は、学会活動においても持ち前の能力を発揮
京大学大学院化学系研究科薬学専門課程修士課程 され、応用微生物学研究奨励会の評議員・理事・顧
に進学、196年3月同修士課程を修了、同年4月同 問を長く務められました。また、
東北大学・千葉大学・
博士課程に進学、196年4月より同大学院を休学し、 九州大学の薬学部非常勤講師、北里大学北里生命
スイス連邦立理工科大学(ETH Zurich)に1968年 科学研究所客員教授、日本薬学会の関東支部幹事・
5月まで留学されました。同年10月にETH理学博士 ファルマシア編集委員・評議員・理事を歴任され、
(Ph. D)の称号を授与されました。1968年3月に東 その発展に大きく貢献されました。
京大学大学院を退学、1968年5月、東京大学応用微 温厚で飾らず、いつもにこやかに教職員と親しく
生物研究所に助手として採用され、1978年11月同助 過ごされた先生の面影を偲びつつ、謹んでご冥福を
教授、1988年2月同教授に昇任、199年4月研究所 お祈り申し上げます。
となり、今後活かしていければと思います。
編 集 後 記
本号をもちまして、我々編集委員の任期が完了することになりま
した。分生研ニュースも1998年1月の創刊号からまもなく10年
がたとうとしております。もはや伝統あるといっても過言ではない
分生研ニュースですが、この伝統を汚すまいという一心で何とか本
号までたどり着くことができました。ひとえに、原稿執筆を引き受
けてくださった皆様方、優秀な編集委員の皆様方のおかげでありま
す。厚くお礼を申し上げます。分生研ニュースを通して、分生研の
研究活動を少しでもアピールできればと思い、「研究最前線」では
できる限り多くの先生方に執筆していただくようお願いさせていた
だきましたが、お忙しいにもかかわらず快く原稿を書いていただい
た先生方には特に感謝いたします。今後は新しい編集体制のもと、
分生研ニュースがさらに発展することをお祈りいたします。
西山 賢一
農芸化学ソフトボール大会で優勝という快挙は私の記憶では分生
研始まって以来の事だと思います(おそらく応微研時代も含めて)。
本年度春の大会で核内情報チームはそれを成し遂げた。あの力強い
プレーと団結力に感動しました。今年はこれだけで、十分に満足し
ました。
私の編集委員としての仕事も今号で最後です。2年間、主に「ド
クターへの道」「OBの手記」「海外ウォッチング」「留学生日記」
の記事を担当させていただきました。至らぬ点も多々あったかと思
いますが、快く記事執筆を引き受けていただいた皆様に心より感謝
いたします。今後も分生研ニュースが多くの人の興味を引く広報誌
であり続けることを願っております。
城地 保昌
元染色体動態研究分野の北島さんに代わって前号から編集委員と
して分生研ニュースの編集に参加させていただきました。やっと仕
事を覚えてきたかな、と思えるようになったころには最後の号に
なってしまいましたが、とても貴重な経験をさせていただきました。
編集の参考に、と過去の分生研ニュースを隅から隅まで読んだのは
ついこの間のことですが、これが最後の号だと思うと何だかなつか
しく感じられます。編集委員の仕事を通して、分生研の歴史を感じ
るとともに、分生研ニュースが非常に多くの方々の協力によって作
成されていることを実感しました。次号以降の分生研ニュースの発
行も楽しみにしております。次期編集委員の方々、がんばってくだ
さい!
樋口 麻衣子
大橋 幸男
本年度7月に退職するまで分生研ニュースの編集委員を務めさせ
ていただきました。そのなかで、さまざまな貴重な経験を得ること
ができました。おもに“教授に聞く”を担当し、教授の先生方、ま
た研究室の方々にお忙しい中ご迷惑をおかけしつつ、貴重なお話を
伺うことができましたことは、非常にありがたいことでした。任期
途中で退職することとなり、編集委員の先生方、とくに情報伝達の
樋口先生には大変なご負担とご迷惑をおかけしてしまい、本当に申
し訳ありませんでした。任務を完了することはできませんでしたが、
編集委員を務めさせていただいたことは私にとって大変得難い経験
吉田 章子
分生研ニュース第36号
2007年9月号
発行 東京大学分子細胞生物学研究所
編集 分生研ニュース編集委員会(西山賢一、大橋幸男、吉田章子、
城地保昌、樋口麻衣子、神山忍)
お問い合わせ先 編集委員長 西山賢一
電話 03―5841―7831
電子メール [email protected]
27
閉経後骨粗鬆症の分子基盤解明
照群に多く認めた。更に、OcERαKO群および対照群の骨髄由
来細胞を用いた初代培養では対照群由来破骨細胞でのみE2及
今井祐記(核内情報研究分野)
びTamoxifen(Tam)投与によるFasL遺伝子発現の上昇及び
T. Nakamura, Y. Imai, T. Matsumoto, S. Sato, K. Takeuchi,
K. Igarashi, Y. Harada, Y. Azuma, A. Krust, Y. Yamamoto, H.
Nishina, S. Takeda, H. Takayanagi, D. Metzger, J. Kanno,
K. Takaoka, T.J. Martin, P. Chambon, and S. Kato: Estrogen
prevents bone lossvia estrogen receptor alpha and induction
of Fas ligand in osteoclasts. Cell, 130, 811-823, 2007.
TUNEL陽性細胞の有意な上昇を認め、OcERαKO由来破骨細
胞ではERαを過剰発現することによりE2及びTamによるFasLの
発現上昇を認めた。最後に、FasLのmutation mice では、OVX
による破骨細胞の増加ならびに骨量減少を示さないことを明ら
かにし、E2によるFasL発現上昇が破骨細胞のアポトーシスを誘
高齢化社会において閉経後骨粗鬆症は生活レベルを維持・向
導していることが明らかとなった。
上する上で大きな問題であり、様々な治療法が開発され一定の効
今回の研究結果から女性ホルモンであるエストロゲンは、骨
果が得られているが、以前に報告された全身性エストロゲンα受
吸収を担う破骨細胞のアポトーシスを誘導することにより、破
容体(ERα)遺伝子破壊マウスは骨量の減少を示さず、その詳
骨細胞寿命を調節し骨量を維持していることが明らかとなった。
細な分子基盤はいまだに不明である。我々はCre/loxPシステムを
今後、骨粗鬆症治療における創薬の手がかりとなりうると期待
用いた破骨細胞特異的ERα遺伝子破壊マウス(OcERαKO)を
される。
作出することで、
骨組織におけるERαの高次機能解明を目指した。
成熟破骨細胞マーカーであるCathepsin K(Ctsk)遺伝子座
にCre RecombinaseをKnock-inする事により作出したCtsk-Creマ
ウスとERα遺伝子座にlox P配列をもつERαfloxマウスの交配に
よりOcERαKOマウスを作出し、雌マウスにのみ海綿骨量の減
少を認めた。OcERαKOマウス群及び対照群に卵巣摘出(OVX)
を施行し、17β-estradiol(E2)による補充療法を行った結果、
対照群でのみE2による骨量の回復、破骨細胞数・表面の減少を
認めた。そこで、E2により変動する遺伝子発現をGeneChip解
析にて検索したところFas Ligand(FasL)の発現変動を対照群
にのみ認めた。またE2投与後TUNEL陽性を示す破骨細胞を対
シュゴシンはAurora Bキナーゼのセントロメア局
在を促進して正しい動原体接着を可能にしている
の表 現型はAurora Bキナーゼの変異 株と似ている。Sgo2と
Aurora B複合体の細胞内局在を詳細に比較した結果、Sgo2は
分裂前期から中期にかけてセントロメア領域においてAurora B
複合体と相互作用して共局在することがわかった。さらに詳細
川島茂裕、塚原達也、Hauf Silke、北島智也、渡邊
嘉典(染色体動態研究分野)
な解析から、分裂酵母シュゴシンSgo2はBir1/Survivinと協調し
Genes Dev. 21, 420-435(2007)
てAurora B複合体をセントロメアに局在化させ、動原体の二方
シュゴシンは進化上保存された動原体タンパク質であり、分
裂酵母にはSgo1およびSgo2の二つのパラログが存在する。Sgo1
は減数分裂特異的な因子であり、プロテインフォスファターゼ
PP2Aと協調して、減数第一分裂時に姉妹セントロメア間の接
着を保護する。一方、Sgo2は体細胞分裂と減数分裂の両方の
時期において動原体に局在し、正確な染色体分配を行うために
重要な役割をもつことが示唆されているが、その分子機構につ
いては不明であった。sgo2破壊株を詳細に解析した結果、Sgo2
はSgo1とは異なり、分裂期において姉妹セントロメア間の接着
の保護には必要なく、その代わりにSAC(Spindle Assembly
Checkpoint)の活性化に重要な働きをもつことが分かった。こ
向性結合を保証していることが明らかとなった。
28
「エピジェネティック情報伝達様式を説明しうる
ヌクレオソームの半保存的複製モデルの提出」
(発生分化構造研究分野)
Natsume, et al., Nature, 446, 338-341(2007)
「二本鎖DNAから一本鎖DNAに分離されるDNAの半保存
的複製」⑴や「正と負それぞれのDNAエレメントとDNA結
合性因子が転写を制御するオペロン説」⑵ は、20世紀分子
生物学の金字塔とされる。DNAにヒストンが相互作用する
負の制御複合体ヌクレオソーム構造が真核細胞に生まれた
時、これらの原理の上にどのような新しい原理が加わったの
であろうか。
オペロン説に加わる新しい原理として、「ヒストンの活性
を正・負に制御する2種類の化学修飾酵素が正・負に働く
DNA結合性因子依存に作用して染色体機能領域や境界領域
を形成するNegotiable border model」を発表した(3-5)
。今
回、新しい原理となり得る「ヌクレオソームの半保存的複製」
、
「Epigenetic inheritance」に関する有力な手がかりを得た。
「ヌ
クレオソームの複製」は1974年ヌクレオソームの発見以来、
30年余り研究が続けられ、「親鎖ヌクレオソームの娘鎖への
ランダムな分配」説が有力であった⑹。一方で、
「Epigenetics」
最大の課題である親鎖ヒストンの化学修飾を娘鎖ヒストンに
伝達する仕組み(Epigenetic inheritance)は、その定説に基
づいて説明されてはいるものの、充分な解答となっていない
N末端HEATリピート領域を介したmTORの栄
養源依存的な多量体化
高原照直、原賢太、米澤一仁、反町洋之、前田達哉
(生体超高分子研究分野)
J. Biol. Chem. 281, 28605-28614(2006)
免疫抑制剤ラパマイシンの標的分子として見出された
TORキナーゼは、真核生物に広く保存された情報伝達因子
である。哺乳類TOR(mTOR)はmTORC1とmTORC2とい
う機能の異なる2つの複合体として存在し、ラパマイシンは
このうちmTORC1の活性のみを阻害する。細胞をラパマイ
シン処理するか、もしくはmTORC1構成因子をノックダウ
ンすると、アミノ酸栄養飢餓にさらされた場合と似た挙動を
示すため、mTORC1は細胞が栄養状態を検知し代謝と成長
とを適切に調節する上で中心的な役割を担っていると考えら
れている。一方、mTORC2はアクチン細胞骨格を制御する
とともに、増殖と生存とを促進するAktキナーゼを基質とし
ている。mTOR複合体の制御下で種々の細胞応答を担う因子
に関しては、直接にリン酸化される基質の同定など詳細な解
析が進みつつある。これに対して、栄養源を検知してmTOR
複合体自体の活性を制御する機構に関しては不明な点が多
い。
本研究では、mTORがそのN末端HEATリピート領域を介
して多量体を形成していることを見出した。この多量体化は、
⑹。
「ヌクレオソームの半保存的複製」の仕組みが細胞内に
存在するなら、
「Epigenetic inheritance」の分子機構を比較
的容易に説明することが可能である。しかし、そのためには、
どの教科書にも書かれている「ヒストン(H3-H4)2四量体は
安定である」という根強い定説をまず否定しなければならな
かった。
本 論 文 で は そ の 定 説 を 覆 し、TFIID最 大 サ ブ ユ ニ ッ ト
CCG1のブロモドメイン(現在、アセチル基認識ドメインと
して知られる)に相互作用する機能未知因子として単離し、
その後ヒストンシャペロンであることを示したCIA
(7, 8)が
(H3-H4)
2四量体を解離させる活性を持つことを見出した。
その上でCIAと
(H3-H4)二量体から成る複合体の三次構造を
解き明かし、
「ヌクレオソームの半保存的複製」
、
「Epigenetic
inheritance」の分子機構モデルを提出するに至った⑼。
⑴ Watson & Crick, Nature, 171, 737-738(1953)
⑵ Jacob & Monod, J.Mol.Biol., 3, 318-356(1961)
⑶ Yamamoto & Horikoshi, J.Biol.Chem., 272, 30595-30598
(1997)
⑷ Kimura et al., Nature Genet., 32, 370-377(2002)
⑸ Kimura & Horikoshi, Genes Cells, 9, 499-508(2004)
⑹ Allis et al., Epigenetics(CSHL Press, 2007)
⑺ Munakata et al., Genes Cells, 5, 221-233(2000)
⑻ Chimura et al., Proc. Natl. Acad. Sci. U.S.A., 99, 9334-9339
(2002)
⑼ Natsume et al., Nature, 446, 338-341(2007)
mTORC1とmTORC2のいずれにおいても起こっていた。さ
らに、TORの多量体化は酵母においても見られたことから、
進化を通じて保存された制御機構の一部であると考えられ
る。興味深いことに、細胞をアミノ酸栄養飢餓条件にさらす
とmTORは解離し、mTOR多量体化が栄養源に依存して起
こることが明らかになった。この多量体化がmTOR複合体の
活性制御に果たす役割と、栄養源に応答したその制御機構を
明らかにすることが次の課題である。