菊川一道 「「葬儀不要論」の研究―戦後から近年までの変遷をめぐって―」

浄土真宗総合研究 8
週
ヽ」υL
﹁
葬 儀 不要論﹂ の研究
︱ 戦後から近年ま での変遷をめぐ って ︱
は じめ に
川
学 の稲 田務が執筆した本記事は、読者 の反響を呼んだ。 このことが契機 となり、 ﹁
葬儀不要論﹂ に呼応する有志
1
たちが集まり、文字通り ﹃
葬式無用払
国 と いう名 の書籍を刊行している。さらに歴史を組解 いてみると、中江兆 4
の葬式はしな い﹂という冒頭 のフレーズ は、
一九六 四年 に朝 日新聞に掲載された記事 のタイトルである。京都大
しかし、島 田 ︿二〇 一〇﹀が葬儀不要論を唱えた最初 でな いことは、確認をし ておく必要があ る。事実、 ﹁
私
要らな い﹄を思 い起 こしてしまうのは、筆者だけ ではな いだろう。
の動向は未だ私たちの記憶 に新し い。故 に、葬儀 に対する否定的言説を目の当たりにすると、たちまち ﹃
葬式は、
葬儀﹂ の話題が世間を賑わした。その結果、 ﹁
く取りあげられ、﹁
直葬﹂。﹁
家族葬﹂。﹁
樹木葬﹂・﹁
宇宙葬﹂等、新
たな葬儀 の形態が以前にも増して世 に出現することとな った。以来、三年半以上 の歳月が経 つが、 こうした 一連
想するのではな いだろうか。 二〇 一〇年 に出版された本書 は発売以降、テレビや雑誌など のメデ ィアで幾度とな
。 この言葉を聞 いて多く の人は、宗教学者 ・島 田裕 巳の著書 ﹃
﹁
私 の葬式 はしな い﹂
葬式 は、要らな い﹄を連
菊
「葬僣不要論」の研究
2
葬儀不要﹂ の声を挙げ てい 4
民 ︵一八四七︱ 一九〇 一︶や白須次郎 ︵一九〇 二︱ 一九八五︶など、多く の人物が ﹁
る ことがわかる。
近年、島 田の問題提起に喚起され、仏教内部 でも現行 の葬儀を改め、よりよ い葬儀 に ついて模索する動きが見
られる。しかし管見 の限り、そ こで注目されているのは島 田が指摘す るような最近 の議論が中心であり、 二〇 一
〇年以前にまで時代を遡 って、社会的側面からの葬儀 に対する批判を見直す作業は十分になされていな いのが現
状 のようである。
本論文 では、葬儀をめぐる これま での 一部代表的な批判的言説 に着目し、その内容を整理分析する ことで、今
後 の葬儀問題を扱う際 の思案材料を提供した い。紙面 の都合上、葬儀 にかかるこれまでの動向を網羅的 に取りあ
げ る事は出来な い。そのため、今 回は ﹁
戦後﹂と いう条件を設けて考察を行う。
新生活運動﹂を背景とす る行政主導 の葬儀改革論を取り上げ る。次 に第 二
まず第 二早では、
一九四七年頃の ﹁
章 では、新生活運動を基盤として惹起した 一九六 八年頃の知識人を中心とする葬儀不要論を概観する。第 二章 で
はさらに、近年 の島 田裕巳を中心とする葬儀不要論に着目し、各時代 の相違と共通点を浮き彫りとさせる。以上
装飾品﹂から、布
の検討 により、時代 の変遷にしたが って、葬儀 における合理化 の対象が、花輸や祭壇など の ﹁
施や戒名と いった ﹁
宗教的存在﹂ に移り変わる様子を明らかにした い。また最終的には、 二〇 一一年に起 こ った
東 日本大震災以降 の葬儀をめぐる言説 の動向 に ついても取りあげ て、現状 の葬儀不要論 に対する若 干の私見を述
べた い。
一、 ﹁
新 生活運 動﹂ を背 景 とす る葬 儀 改革
浄土真宗総合研究 8
︵一︶﹁
新生活運動﹂に ついて
新生活運動﹂と いう政府主導
葬儀をめぐ って最初に議論がなされた のは、終戦直後 のことである。そ こでは ﹁
新生活運動﹂とは、敗戦後、精神的、経
の政策により、それまでの葬儀 に対する改革論が惹起した。そもそも ﹁
一九 四七年 に
済的に疲弊した社会にお いて、国民生活 の質 の改善、向上を目的 に実施された運動 のことである。
新 日本建設国民運動要領﹂を提唱し、さらに鳩山 一郎内閣が公約 に推進を掲げ
片山哲内閣が閣議決定をも って ﹁
た ことで運動は軌道に乗ることとなる。
では新生活運動における具体的実践内容とはど のようなも のだ ったのか。 ここでは田中宣 一 ︿二〇〇 二﹀を参
考 にした い。 田中は、
一九 五五年十 一月の全 国新生活運動協議会 で挙が った運動項目に ついて、次 のように分類
している。
A ﹁
人間としての道義 の問題﹂
公衆道徳 の高場、助けあ い運動、健全娯楽 の振興
B ﹁
生活合理化 への啓蒙﹂
冠婚葬祭 の簡素化、無駄 の排除、貯蓄と家計 の合理化、時間励行
伝統行事 にま つわる無駄 の見直し﹂
C ﹁
生活行事 。慣習の改善、迷信因習の打破
D ﹁
健康 で衛生的な生活指向 への啓豪﹂
衣食住の改善、保健衛生 の改善、蚊 と ハエをなくす運動
E ﹁
産児制限の啓蒙﹂
家族計画 3
4
「葬儀不要論」の研究
4
新生活通信﹄ にお いて毎号紹介がなされてい 4
当時 の実践項目に ついては、新生活運動協会が発刊した機関誌 ﹃
るが、筆者が確認する限り、 この田中 の分類は妥当と いえよう。 こうした実践目標 に即して、地域 ・学校 。会社
などの単位 で様々な取り組みが実施された。
こうした中、特 にBの生活合理化に関するも のは非常 に関心が高 い。実際 に、公民館結婚式 の勧奨と実践例 の
紹介はほぼ毎号掲載されており、結納廃止や花嫁衣装 の共同使用などが奨励されている。 これら冠婚葬祭 の枠 に
葬儀﹂ であ った。
お いて、結婚関連と並んで合理化 の対象とされたのが ﹁
︵
二︶新生 活 運動 にお け る ﹁
葬 儀 改革 ﹂
一九 五〇 年 、 岐阜 県 不破 郡 では、 ﹁
従来 の
では新 生 活 運動 が 目指 した葬 儀 と は、 ど のよ う な も のだ った のか。
因 習を 是正 し、健全 明朗 な社会 を実 現す る こと を 目的 ﹂ とし て、各 戸 に ﹁
不破 郡生 活 改 善申 合事 項 ﹂ が 配布 さ れ、
時 間励 行 や 冠婚葬 祭 の簡素化 を実 施 す る こと が 明 記さ れ て いる。 そ こでは葬 儀 に関 し て、次 のよう な 記載 が な さ
れ て いる。
一般 の通夜 は午 後 十時 を 限度 とす る こと
一、 ︻
通夜 ︼ 通夜 の饗応 は茶菓 の程度 に止 め 、
二、 ︻
喪 服︼ 服装 は持 ち合 わせ のも のを 用 い、 新 調 は止 め る こと
葬 式 ︼ 時 間を励行 し会葬 者 に迷 惑 を か けな い こと。 供花 放 鳥 は全 廃 す る こと
三、 ︻
香典 は近親者 のみ に止 め る こと。 香 典 返 し、忌 明け 配 物 は廃 止 す る こと
酒 の饗応 は 一切廃止 す る こと
四、 ︻
法 要︼ 法 要 は精神 的 を旨 と し徒 ら に形式 に流 れず 、簡 素 厳 粛 と し、特 に家 人 の参拝 礼 拝機 会 を得 るよ う
にす る こと
浄土真宗総合研究 8
これらの項目は逆説的 に、当時 の通夜や葬式 にお いて、飲食が深夜 にまで及んでいた こと、参加者が喪服を新
調していたこと、また供花が立ち並び、放鳥ま で行われるなど の豪華な形式が習慣化していた ことを示唆してい
花輪 の小型化﹂など、葬儀を彩 る様々なも のが簡素化 の対象となるなど、行政主導
る。新生活運動 では他 にも ﹁
で葬儀に関する無駄や見栄 の廃止が提案された。
現代 の葬儀不要論では、経済的負担を問題視する言説が最も多 い。就中、寺院 へ渡す ﹁
布施﹂ に対する批判は、
香典返し の廃止﹂に ついて明記され ているが、地域 によ って
かなりの割合を占める。岐阜県不破 郡の例 では、﹁
は香典そのものを廃止、或は 一律に金額を指定するなど の動きがみられた。しかし ﹁
布施﹂に関する情報は見当
たらな い。新生活運動 では、なぜ布施が簡素化 の対象とならなか ったのか。その理由として、当時 の布施が高額
ではなか った、高額でも人々が納得し ていた、或は、改革不可な ﹁
聖域﹂だ ったなど様 々な推測をたてることが
出来るが、筆者 の手元の資料 では断定 できな い。しかし、後 に起 こる葬儀不要論との差異の 一つとして挙げ られ
るだろう。
戦後、政府主導 による新生活運動は人々の生活全般 の見直しを図 った。だが この運動が、現実 の葬儀に大きな
変革をもたらしたとは考 え難 い。後 の 一九六〇年代 に ﹁
葬儀不要論﹂が噴出している ことに鑑 みても、葬儀 の実
態は運動後も旧態依然としたも のであ った ことが窺える。
二、 ﹁
葬 式 を改革 す る会 ﹂ を中 心 とす る葬 式 無 用論
︵一︶ ﹁
葬式無用論﹂ の萌芽
一九六〇年代 になると、﹁
葬式無用論﹂が主張されるよう になる。そ のき っかけは、
一九六 四年 に朝 日新聞に 5
4
「葬傾不要論」の研究
6
私 の葬式はしな い﹂ であ った。
掲載された京都大学名誉教授 ・稲 田務 の記事 ﹁
4
私は盛大な葬式 に対して疑 いを覚える。そ こで私 の死去 の場合、ただ死亡通知を出すだけにきめた。それを
受けとられた人は、心の中 で私を悼んで下されば満足である。世間なみの葬式は行なわな い。 これは儀式的
な ことをやめるためと、会葬していただ いたり、その世話をし てもらうなど の手数をかけな いため でもある。
す でに死んでいる私には、葬式は意味はな い。
葬
この文章 に対して、かなり の反響があ ったと稲 田自身が述懐している。実際 に、稲 田の記事からまもなく、﹁
式無用論を述べられた稲 田教授 に千 万の味方を得た思 いである﹂などとする内容 の投書が朝 日にいく つか掲載さ
虚礼 ・世
れた。その多くは稲 田の主張 に好意的なも のであ ったとされる。彼らが稲 田に賛同する根拠として、﹁
﹁
﹁
葬式無用﹂
他人 への迷惑﹂などが異 口同音 に挙げられている。しかし、﹁
間体重視 の風潮﹂。
多額な経済的負担﹂。
私 の葬式はしな い﹂ の記事を 一読 してみると、稲 田自身が完璧なる葬
に賛成すると述べた人々の意 に反して、﹁
世間なみの葬式は行わな い﹂との
儀不要論者 でな いことは明らかである。﹁
盛大な葬式 に対して疑 いを覚える﹂﹁
表現は、裏を返すと、必要以上 に他人 に迷惑 の及ばな い範囲内 で、且 つ奢移 でな い葬式ならば否定しな い、と い
う ことである。 このように、葬儀不要論者と認識される場合 でも、実際は内実 に温度差があることには注意が必
要だろう。
葬式を改革する会﹂ の誕生 へと連鎖す る。稲 田の主張
こうした新聞の コラム上 で持ち上が った葬儀問題は、﹁
葬式 の簡素化、
に感化された、元代議士 で医学博士 の太 田典礼や、同じく元代議士 の東舜英などが発起人となり、﹁
葬
葬式を改革する会﹂が発足。そ の会が中心とな って刊行した のが ﹃
合理化を検討し、その普及を目的﹂とする ﹁
式無用論﹄ であ った。
浄土真宗総合研究 8
︵
二︶ ﹁
葬式無用論﹂ の内実
。 この事実を 一見す るだ
﹁
葬式 の簡素化、合理化﹂を目指す ﹁
葬式を改革す る会﹂が発刊した ﹃
葬式無用論﹄
け でも、本会の目指す方向性が 一律 でな いことは 一目瞭然だ ろう。執筆者 には医師や代議士、大学教授や会社経
営者など の ﹁
知識層﹂が名を連ねているが、彼ら の主張 の方向性 には揺れがある。すなわち、
一切 の葬式を否定
する ﹁
葬式無用派﹂と、無駄を排除した新たな葬儀を提唱する ﹁
葬式改革派﹂とに分かれると いう ことだ。そし
て、大半は後者 に属し、前者 の立場を貫徹しているのは僅か であ る。 では両者 の葬儀 に対する批判理由 に ついて、
以下、代表的なものをみてみよう。
① ﹁
経済的負担﹂に対する批判
葬儀に対する批判 の根拠として、まず挙げられるのは、葬儀 にかかる ﹁
費用﹂ の問題である。
葬式につきも のに香奥がある。例えば千 円ぐら いならば楽 に包めると思 っても、香霙返しを考えると二千円
は包まなければならな いので負担を感 じる。
ここでは葬儀に参列す る際 に持参する香典が、
参列者 の経済的負担 になると いう正直な想 いが吐露されている。
香典に対する批判が噴出する背景には、地域社会 の葬儀 への関わり方 の変化が窺える。嶋根克 己 ︿二〇〇 一﹀が
示しているように、戦前 の伝統的な村落社会 では、現在 に比 べて葬儀参列時 の金銭持参率ははるかに低 い。当時
は相互扶助によ って葬儀が成立する中 で、金銭を持参しなく ても、現場 での ﹁
労働力﹂や、或は ﹁
米﹂や ﹁
麦粉﹂
などを提供することで代替することが可能 であ った。そうした伝統的な葬儀 の形態が変化し、参列者 の貢献が金
銭 のみに限定されてい った ことが、香典 の批判を出現させる結果とな ったと考えられる。その他、香典以外 にも、
7
同様 に多額 の失費を招く ﹁
花輸﹂や死亡通知 のための ﹁
新聞広告﹂などを自粛し、﹁
平服 の葬儀﹂や ﹁
公民館葬﹂ 4
「葬儀不要論」の研究
8
などが提唱されている。 こうした内容は、新生活運動期 の葬儀 の合理化内容 と軌を 一にし ており、終戦直後 の葬 4
儀議論を基礎とするも のであると言えよう。
他者 への迷惑﹂
② ﹁
参列者 にかかる迷惑﹂ の間
次 にこの時期、葬儀 に対して否定的な考えを有す る人 々の多くが指摘す るのが、﹁
付 き合 い程度 で参列を強 いられる人々にと っては、
親族や友人など の親し い間柄ならともかく、
題 である。つまり、
死ん でから でも他人さまに迷惑を
無駄な時間を強要す ることになりかねな いと の遺族側 の配慮と考 えられる。 ﹁
、と いう想 いは異 口同音 に吐露され ており、当時 の多く の人々に共通したも のであ った ことが窺
かけたくな い﹂
える。しかし この問題は見方を変えると、関係 の深くな い間柄 の人 の葬儀に、大事な時間を割 いてま で参加させ
葬儀 の個人化﹂などと指摘されるように、
られるのは煩しいと いう参列者側 の本音と理解する ことも出来よう。 ﹁
他者 への眼差し﹂
近年は ﹁
私﹂の葬儀が基本的な視点となり、葬儀問題が論じられる傾向 にある。 こうした中、﹁
をも って葬儀を提える姿勢は、現代 の葬儀議論にお いて欠如す る重要な視点 の 一つと言えるだろう。
③ ﹁
死者中心﹂に対する批判
葬式仏教と いう批判がある。 この中には僧侶が死者 のみを相手として、生者をかえりみな いと いう批判が こ
められている。私も仏教はあくま で苦悩 の大衆を相手とする教 えであ ると信ず る。
あ る末寺 の住職 の生活と意見﹂ の 一節 である。当時す でに 一般人
これは 一九六八年 に朝日新聞に掲載された ﹁
だけでなく、葬儀を司る僧侶ま でもが自分たち の葬儀 に違和感を覚えていた事を物語 っている。宗教者が死者 の
宗教者﹂に対
みを相手として、遺族をなおざりにし ていると の批判 は、現代 の葬儀批判 の内容とも共通する。﹁
浄土真宗総合研究 8
す る不満 が、葬 儀不要論 の 一要素 と し て存 在 す る の であ る。
④ ﹁
歴史 的 ︵
教 義的 ︶根 拠 の欠 如 ﹂ に対 す る批 判
東洋 大学教 授 で僧侶 の渡 辺照宏 は、仏教 と葬 儀 が本 来 無 関係 であ ると述 べ て いる。渡 辺 は ﹁
大 般 涅果 経﹄ に登
場する、死期を迎えた釈尊 と弟 子の摩訂迦葉 と の物 語が、仏教が葬儀 に携 わるべき でな い根拠 であ ると指摘す
る。他にも、親鸞が遺したとされる ﹁
某閉眼せば加茂河 に入れて魚 に与うべし﹂ の言葉もまた、仏教 ︵
真宗︶が
葬儀を禁じる根拠として度 々挙げられている。 ﹁
葬式仏教﹂とま で非難される仏教と葬儀 の密接な関係が、そも
そも成立しえな いと いう ことが、仏教内外からしばしば間われている。
⑤ ﹁
信仰欠如 の宗教儀礼﹂ に対する批判
生前は宗教なんて振り向きもしなか った無信者 に、死に臨んで、あわ てて坊主や牧師を雇 って来 て、バイブ
ルやお経を読んでもら つたとて、それが何 の役に立 つか、愚 の限りと いわねばならぬ。
信仰不在 のままに形式的 に執り行われる葬儀に対す る批判 である。人々が ﹁
無宗教﹂との意識を有し つつ、宗
教色 の強 い葬儀を執行する形式は、現代 にもあ てはまるだろう。参列者が容易に理解し難 い経や祝詞、さらに、
故人 の霊的存在を前提とし て執行される葬儀 で、 ﹁
魂﹂や ﹁
霊﹂ に対す る説明不足 への批判もまた、信仰欠如 の
問題と同等と考えられる。 こうした論調は、すなわち葬式 における宗教不要論とも いっても過言 ではな い。
さて、 こうした 一連 の批判 によ って、葬儀は改革 の方向 ヘシフトしたのか。現実 の葬儀は高度経済成長 に後押
しされ、簡素化とは正反対 の ﹁
華美化﹂ へと展開していく。さらに、近隣住民に支えられて成立していた葬儀は、
9
社会状況など の変化 の中 で、遺族は次第に人手不足に陥り、葬儀社 の存在が不可欠とな った。そのことは、葬儀 4
「葬饉不要論」の研究
0
の ﹁
商品化﹂や、葬儀会館 の建設ラ ッシ ュを引き起 こすなど、派手な葬儀を生 み出す環境を次第 に整備 したので 5
葬式は、要らな い﹂ の言説を再登場させることとなる。
ある。結果、贅沢な葬儀は、経済 の破綻とともに ﹁
三、﹃
葬式は、要らな い﹄を中心とする葬儀不要論
︵一︶島田裕巳の葬儀不要論
葬儀不要﹂
葬式は、要らな い﹄はベストセラーとなり、 ﹁
二〇 一〇年 一月に刊行された宗教学者 ・島 田裕 巳著 ﹃
の言葉が人 口に謄実した。戦後から 一九六〇年代 の葬儀批判が知識人中心に展開されたのに対し、近年 のそれは
一般市民をも巻き込んだ点にまずはその特徴がみられるだろう。 では、その島 田の主
情報化社会の煽りを受け、
これが本書 の基本的な考え方 であり、メ ッセー
張とはど のようなものだ ったのか。以下、主な論点 の概略を確認す る。
経済的負担﹂ への批判
①儀における ﹁
﹃
葬式は贅沢 であ る︱
葬式は、要らな い﹄の冒頭で島 田は、﹁
ジ である﹂と主張しており、葬儀 の ﹁
費用﹂ の問題が批判 の中核 であることを示している。島 田は、日本 の葬儀
豪華な仏式祭壇﹂
費用の平均額が 二三 一万円と世界でも類を見な いほど高額 である ことを指摘。その背景には、﹁
布施﹂
日本人の見栄﹂などがあると いう。さらに、日本消費者協会が出したデータから、寺院 に支払われた ﹁
や ﹁
戒名料﹂などが説明不足のままに高額
の平均額が五四万九〇〇〇円であることに注目し、その大部分を締める ﹁
、﹁
海洋葬﹂や ﹁
樹木葬﹂など、簡
直葬﹂や ﹁
家族葬﹂
であり続けることに対しても疑間を呈している。近年、﹁
素 で費用のかからな い形式 の葬儀が台頭している背景 には、経済的負担 の大き い葬儀 への批判が存在していると
浄土真宗総合研究 8
理解 し て い いだ ろ う。
グリーフケアの欠如﹂
② ﹁
次に、
経済的負担と並んで葬儀批判 の対象となるのは、﹁
グリー フケアの欠如﹂である。そもそも﹁
グリー フケ ア﹂
とは、愛する人を失 ってしま った ことで、悲しみに沈む人 々と向き合 い、特 に精神的な側面で支えになると いう
意味だ。島 田が高額な葬儀 に ついて ﹁
癒しになるのならまだしも、それもな い﹂と主張しているも のは、金銭的
負担が莫大にも拘わらず、グリー フケアが不十分 であ ること への批判と理解 できる。島 田は、本来人々の苦しみ
や悲しみに寄り添うこと こそが宗教者 に求められていると指摘す る。それにも拘わらず、読経が済んだら帰 って
しまうと いった態度をとる僧侶 への不満が ここに噴出している。
③ ﹁
歴史 的根拠 の欠如 ﹂
橋 爪大 三郎 は、島 田と の対 談 の中 で、﹁
仏教 の原則 に立 つな らば 、そ も そも出 家 者 は葬 式 に関与 し ては いけ な い。
釈迦 は、自 身 の葬 儀 は世 俗 の人 間 にやら せ るよ う に命 じま し た﹂ と解 説 し、 元来 、出 家 者 は葬 儀 には関与 しな い
ことを指 摘 し て いる。島 田も 、 イ ンド では僧侶 が葬 儀 に関 わ る こと は皆 無 であ り 、 日本 でも 飛鳥 か ら奈良 時 代 の
寺院 は ﹁
学 問 の府 ﹂と し て の性 格 が 強 く、葬 式 仏 教 の要素 はな か った と述 べ る。 島 田は、仏 典 に根 拠 が求 め ら れ
な いにも拘 わらず 、葬 儀 の際 に形 式的 に付与 さ れ る ﹁
戒 名 ﹂ に ついても 同様 に厳 しく 批 判す る。 こう し た仏教 と
葬 儀 の関係性 に関 し ては、す で に 一九 六 〇年 代 に問題提 起 さ れ て いた にも拘 わ らず 、 現代 にお いても ほぼ 同 一内
容 の批判 が展 開され て いる。 これ はすな わ ち数 十年 に渡 って仏教 側 が満 足な 回答 を 示 し え て いな いことを 示唆 す
るも のと いえよう。
5
「葬侵不要論」の研究
2
宗教的なも の﹂ に対す る不満が葬儀不 5
ここで 一点、指摘しておきた い。それは、終戦直後と比べて明らかに ﹁
装飾品﹂ に対す る批判が殆ど見られな いことである。そ こには、サービ ス
花輪﹂など の ﹁
要論 の中核をなし、﹁
、
として葬儀を扱う葬儀社 の台頭が大き いと考えられる。遺族 の意向を最大限に反映させる彼らによ って 葬儀を
彩 る装飾品は、人々を満足させうるも の へと改良された のであ る。それに対 して、遺族も葬儀社も介入しにく い
。
﹁
布施﹂や ﹁
戒名﹂など の宗教的存在は旧態依然としたままで、批判 の対象とな っているのである
︵
二︶東日本大震災以後 の葬儀議論
葬儀不要論﹂ に影響を与 えた のか。 このことに ついて小
二〇 一一年に発生した東日本大震災は、それま での ﹁
谷みどりは、
一〇〇〇年
葬式不要論﹂ の勢 いがす っかり沈静化 した感がある。
東日本大震災 で、 ここ数年高ま っていた ﹁
。
に 一度と いう規模 の大災害 によ って、多く の人のなか で、祈 りや鎮魂と いった宗教的な感情が覚醒した 葬
式は単なる ﹁
お別れイベント﹂ でな いことに多くの人たちが気づ いた。
弔 い﹂ の念が沸き起 こり、そ こに葬送が不可欠なも の
と述べている。突然 の死別に直面した遺族 に、死者 への ﹁
祈り﹂
鎮魂﹂
人々の間に﹁
や﹁
大切な人々を失 った喪失感ととも に、
として再認識されたと いうことである。確かに、
一時的 に金銭 の問題などをさしお いて、葬式
の想 いが生起した ことは否定 できな い。そのような宗教的感情が、
に対する否定的見解を転換させた ことも考えられる。
だが、今後も葬儀不要論の沈静化を唱え続ける ことには賛 同出来な い。何故ならば、葬儀不要論が支持されて
、
宗教心 の欠如﹂だけ ではなか ったからであ る。 これま で示してきたように
きた背景に存在した のは、人 々の ﹁
、﹁
歴
グリー フケアの欠如﹂
経済的負担﹂や ﹁
とりわけ ﹁
仏教式葬儀﹂に対す る批判、
近年 の葬儀不要論 の特徴は ﹁
浄土真宗総合研究 8
史的根拠 の欠如﹂に対す るも のであ った。 これらの課題を、震災 によ って惹起した人々の ﹁
宗教的感情﹂が解決
するとは考えにく い。
震災後、
僧侶たちが被災地 に赴 いて様々なボランティア活動を行 った。それはまさに ﹁
経済的負担﹂や ﹁
グ リー
フケア﹂ の課題をクリアした仏教 の姿と言えよう。しかし、被災地 における僧侶 の功績を敷衛させて ﹁
葬儀不要
論﹂ の沈静化を主張するには無理がある。
事実、
読売新聞が 二〇 一二年 に実施 した世論調査によると、﹁
宗教色を排除した葬儀﹂ に対 して、
約半数 の四八%
が賛同し、さらに ﹁
直葬﹂ に対しても、七 二%も の人々が ﹁
特 に問題な い﹂と回答している。 こうした状況を考
慮すれば、﹁
葬式は、要らな い﹂と いう言説 こそ登場 しな いも のの、人々の意識 は ﹁
葬儀不要﹂ の方向に向 いて
いると考 えるべきだろう。震災以降、﹁
葬儀不要﹂ の言説が消 えた背景には、震災 によ る行方不明者 の関係者 に
対する配慮があるのではな いか。﹁
せめてお葬式ぐら いしてあげた い﹂との想 いを抱く人々が いる中 で、﹁
葬儀不
要﹂の言葉が先走りした場合、それは暴力的なメ ッセージとなりうる。本来 の葬儀不要論がむしろ、よりよ い葬
儀を提案するも のであるならば、今は ﹁
葬式は、要らな い﹂ の表現が適切 でな いと の判断があるのではな いか。
まとめ
以上、戦後 の ﹁
葬儀不要論﹂に ついて概観した。終戦後、行政主導 による新生活運動は、葬儀もそ の合理化 の
対象とした。虚礼的 ・因習的葬儀 の打破を目指して、﹁
饗応﹂や ﹁
花輪﹂など ﹁
装飾品﹂ ︵
消耗品︶ の簡素化が図
られた。しかし、葬儀が劇的 に変化す ることはなか った。 そ の結果、葬儀改革論は後 に ﹃
葬式無用論﹄ となり、
3
登場することとなる。
5
「葬儀不要論」の研究
4
新生活運動﹂ の葬儀改革を踏襲するもので 5
葬儀不要論﹂は、内容的 に ﹁
一九六〇年代 の知識層を中心とする ﹁
死
宗教的要素﹂に対 しても疑間を呈した点 で、新生活運動期と の相違がみられる。 ﹁
あ った。しかし、葬儀 の ﹁
、﹁
仏教式﹂葬儀 に対する批判 であ った。 これらは現代 の葬
者中心の葬儀﹂
歴史的根拠 の欠如﹂など、 いずれも ﹁
儀批判 の内容とも軌を 一にしており、葬儀 における仏教不要論と言 っても過言 ではな い。当時、﹁マンネリ葬を
近代的合理化葬﹂とは、すなわち仏教的
排撃して、近代的合理化葬に、改革 の智恵をしばりた い﹂と言われた ﹁
要素を排除した形式が想定されていたと言えよう。しかし、高度経済成長など によ って、葬儀は華美化傾向が顕
葬儀不要論﹂は再登場す る。
著となり、不況 の到来とともに ﹁
言論界を横断して 一大議論を巻き起 こした。島 田は、
島 田裕巳の﹃
葬式は、要らな い﹄は様 々な思想 ・
二〇 一〇年、
仏教式﹂に対して徹底的 に苦言を呈した。 この意味 で、彼 の議論は 一九六〇年代 の葬儀不要
布施や戒名など の ﹁
装飾品﹂ ︵
消耗品︶ に対す る批判が殆ど みられ
論を継承するも のと位置づけられる。だが 一方 で、葬儀を彩 る ﹁
装飾品﹂ ︵
消耗品︶は遺族 の意思のもと で改良、或は簡素化可能なも
な い。葬儀社 の ﹁
サービス化﹂によ って、 ﹁
の へと変化した ことが理由 であろう。そうした中、遺族 の意思が反映されにくく、意味も理解し難 い布施や戒名
などの コホ教的存在﹂は、次第に批判 の中心に据えられるよう変化 してきた のである。葬儀不要論が物質的存在
から、宗教的存在に対する批判 へと変容してきた背景には、顧客 の要望 に応 える葬儀社と、遺族 の想 いに応えよ
弔 い﹂に対する人々
うとしな い仏教者と いう、相対す る二者 の存在が認められるのであ る。東 日本大震災以後、﹁
僧侶がそ の言葉 に安堵して、
の想 いの高まりを根拠 に、﹁
葬儀不要論 の沈静化﹂が 一部 で論じられ ている。しかし、
経済的負担が大きく、死者のみを相手するような旧態依然とした葬儀を執行するなら、仏教式葬儀は姿を消す 一
方だろう。
本論文 では葬儀不要論に注目した。しかし、紙幅 の都合上、葬式不要論 に反駁する立場 の言説に ついては、今
浄土真宗総合研究 8
回、取りあげることが出来なか った。﹁
葬式は、
要らな い﹂と いう主張に対する反論とは如何なるも のだ ったのか。
その問題に ついては稿を改めた い。
︻
註︼
二〇 一〇、幻冬舎︶
︵1︶島 田裕 巳 ﹃
葬式は、要らな い ︵
﹄
法華 経 ・日蓮 聖人 o日蓮教 団論 研究 セ ミナー﹂ にお いて、葬儀 の問題が
︵
2︶ 二〇 一〇年 には日蓮宗 の現代宗教 研究所 が主催 した ﹁
﹃
取り上げ られ ている。また、二〇 一一年 には浄土宗 が ﹁
崩れゆく葬祭 の こころΠ﹄︱今あ らため て意味 を間う !浄土宗 の葬餞 ・
現
年 回の意味 に ついて︱﹂と題し、
葬儀 に ついて議論を行 って いる。浄土真宗本願寺派 でも、二〇 一〇年 に築地本願寺 にお いて ﹁
グリー フケ ア﹂
代 におけ る宗教 の役割︱葬 儀 の向 こう にあるも の︱ ﹂と題 して、葬儀 を テー マにシ ンポジウムを行 った。また、﹁
に焦点を絞 った ﹁
別離 の悲 しみを考 える会﹂などを開催 し ている。
死に商業的 にかかわ る事業 の ﹁
正当 化﹂ の困難 さ ︱戦後 日本 の葬祭事業 をめぐ る 二 つの運動 に用 いら
︵
3︶ こうした中、 玉川貴 子 ﹁
、
﹃
ど は、戦後 の葬儀 ・葬 祭業者 の動向 に ついて論 じられ ており、注目される。
れた語彙﹂ ︵
年
報
社
会
学
論
集
二
〇
〇
九
︶
な
で
﹄
︵
4︶ ﹁
要領﹂ によると、当時 の日本 の状 況 に ついて、 ﹁
経済的な悪条 件 がか さな り合 つて、国民 の生活苦 と生活 不安がますます深ま
り行く反面 では、道義 はた い廃 し、思想 は動揺し、そ の結 果、社会 の秩序 は混乱 し て、 国民共 同体 の基盤 にす ら恐 ろし い亀裂
が生 じようとして いる﹂など と描 写され て いる。そ の上 で、 そ のような貧窮 や不安 から抜け出 し、新 たな国民生活を設計 す る
近代 日本教育
ことを目指 し て、﹁
新生活 ︵
国民︶運動 ﹂を推奨 す る ことが宣 言さ れ て いる。 ︵
近代 日本教育制度史料編 暮会編 ﹃
制度史料﹄ ︵
第 二十七巻、
一九 五八、講談社︶ 四六頁︶
﹃
成城文藝﹄ ︵一八 一号、 二〇〇 二︶ 四五頁。
︵
5︶ 田中宣 一 ﹁
新生活運動と新生活運動協会﹂ ︵
﹃
岐阜大 学
︵
戦後初期地域 におけ る ﹁
新生活 運動﹂ の特質﹂ ︵
6︶﹁
不破 郡生活改善申合事 項﹂ に ついては入手 困難なため、益川浩 一 ﹁
教育学部研究報告﹄ 二〇〇 二︶ の中 で掲載されて いるも のを参照 した。
︶ では、
︵
〓● ミ■■■●f S″8● ¨c日日 む 、
7︶ こうした運動は、群馬県高崎市など では現在も奨励 され ており、市 のホームページ ︵
﹁
新生活 運動 の推進﹂と いう欄を設け て、病気 見舞 い、出産 ・新築祝 いなど いず れも ﹁一〇〇〇 円﹂ と の呼び かけととも に、香
一〇〇〇 円にしま し ょう﹂などと明記され て いる。 さらに埼 玉県人間市 でも、 ﹁
新生活 運動 の趣旨 に賛
典 に ついても ﹁
香典 は、
5
推進を 図 っ 5
同して いる﹂ ことを封筒 に明記す る事 で、香典返しを受け取らず 、代 わりに小額 の香典 でも参 列 できるよう、普及 ・
「葬備不要論」の研究
6
︶ これらの取り組みは何 れも戦後 の新生活運動 が現代 にま で継 承され て いる実例と 5
ている。 ︵
〓6ヽ>ミだOf¨
〓ヨ 8ξ 日2一、
,
言えよう。だが、市 民が これら の運動をどれ ほど実践 し ているか に ついては現状、定か ではな い。
葬式無用論﹂ ︵一九六 八、葬式を改革 する会 ︶ 四頁。
︵
8︶稲 田務 ・太 田典礼 ﹃
︵
9︶前掲書 、五頁。
0︶稲 田によると、唯上 の批判的な意 見は僧侶 によ るも のであ ったとされ るが、内容 に ついては明らかにされ て いな い。
︵
1
安楽死﹂
︵H︶太 田典礼 ︵一九〇〇︱ 一九八五︶は九州帝 国大学医学部を経 て産婦人科 医となり、衆議院議員も 一期務 めた。太 田は ﹁
を提唱し、 ﹁
安楽 死協会﹂を発 足させた こと でも知られる。
、
2
し
て︶式 が いけな いとは いえな いだ
仰
い
も
の
で
な
い
こ
と
を
受
け
︵
学
校
の
入
学
式
や
卒
業
式
が
葬
儀
の
よ
う
に
々
︵
1︶例えば 大 田典礼 は ﹁
中略︶私自身 はもちろん葬式なん
ろう。 でも、葬式、告別式 の式 は既成概念 に結び つくから、私 はあ えて葬式無 用とした い。 ︵
て、あ らたま ってし てほしくな い。 それ でも葬式 をされるおそれがあ る ので、す るなと遺 言は し てあ るが、何 とかそれをきけ
葬式無用派﹂ とし て位置づけ られ るだ ろう。 そ の他 、 田口二州など
る方法はな いも のかと頭を ひね って いる﹂と述 べており、 ﹁
一〇 三頁︶
葬式無 用論﹄ ︵一九六 八、葬式を改革す る会 ︶五六頁、
も同様 の立場 と言 えよう。 ︵
稲 田務 ・太 田典礼 ﹃
、﹁
。思 って いなければ、 そ の人はよ っぽ ど非 民
、
3
っ
し
葬
簡
素
化
た
い
と
誰
で
も
思
て
い
る
︵
医
学
書
院
社
長
︶
は
儀
を
1︶例えば 金原 一郎 ︵
前掲書 、
中略 ︶私 は私 の葬 儀を密葬す るよう遺 言 し、 そ の遺 り方など 予 てから発表 し て いる。 ︵
主的 人間か或 いは愚者 であ る ︵
線香 の 一本を捧げ てやりた い気持ち にもなる ことは、人情と して誰 でも皆 同じで
四 一貢︶また、東舜英 ︵
代議士︶も同様 に、 ﹁
はあ るま いか。 こうした死者 に対 す る純真 な感情 がそ のまま表 現され るよ うな葬式 の在 り方を、 この辺 で改 め て検討 してみる
前掲書、 三六頁︶
ことも決 し て無駄 ではあ るま い と述 べて いる。 ︵
﹂
4
九六 八、葬式を改革す る会︶ 五三頁。
︵
葬
式
無
論
︵
一
用
﹄
1︶稲 田務 ・太 田典礼 ﹃
5
﹃
代
化
と
葬儀 の変化﹂ ︵
死 の社会学﹄岩波書店、 二〇〇 一︶
︵
近
1︶嶋根克己 ﹁
6︶稲 田務 ・太 田典礼 ﹃
︵
葬式無用論﹄ ︵一九六 八、葬式を改革す る会︶ 一八頁。
1
7︶前掲書、
︵
一八頁。
1
8︶渡 辺照宏 は、仏教 と葬儀 の関係 に ついて、 ﹁
本 来 の仏教 思想 と はなん の関わ りもな いらし いのです。 仏陀 は弟 子に向 って、遺
︵
1
骸 の供養 に ついては心をわず らはさず、ど うか真 理 のため にたゆまず努 力 し てくれと 云 って いる。 これから見 ても、仏陀 の教
﹃
仏教﹄
団 の立場から見れば、死者儀礼 は世俗的 な仕事 にすぎず 、出家 の関与す べき問題 でな いことがわかる﹂と述 べている。 ︵
一九 五六、岩波新書︶
浄土真宗総合研究 8
、
9︶﹃
︵
里●を行 っており、それらは間接 的 に、渡 辺 への反論 となりえ るだ
1 涅槃経﹄ の理解をめぐ っては 前 田恵学 や永丼政之なども“
﹃
前 田忠 学 ﹁
死 に対す る儀礼 の問題﹂ ︵
ろう。 ︵
東 海仏教﹄ 一七 、
一九 四二︶ ︵
永 丼政之 ﹁
中 国仏教成立 の 一側面︱中 国禅宗 にお
﹃
ける葬送儀礼 の成立と展開︱﹂ ︵
一九九 五︶
駒 澤大学仏教学部 論集﹄ 二六、
︶しかし紙幅 の都合上 、本稿 では これ以上立ち 入ら
な い。
0
︵
葬式無 用論﹂ ︵一九六 八、葬式 を改革 す る会 ︶ 三 二、 三六 頁。
2︶稲 田務 ・太 田典礼 ﹃
、
1
。
︵
2︶前掲書 三六頁
2︶高度 経済成長と葬祭業 の展開 による葬儀 の拡大化 の問題 に関し ては、嶋根克 己 ・玉川貴 子 の論文 ﹁
︵
戦後 日本 におけ る葬 儀 と葬
2
、 二〇 一一、専修大 学人 間科学学会︶ に詳し い。
﹃
祭業 の展開﹂ ︵
専修人間科学論集﹄ 一 ︵
二︶
、
3
︵
葬 儀批判 とそれに対す る反駁﹂ ︵
浄土真ら
不不願寺派総合 研究所編 ﹃
現代 における宗教 の役割︱葬儀 の向
2︶詳細 に ついては 拙論 ﹁
こう にあ るも の1﹂ 二〇 一二、本 願寺出版社︶ に掲載。
4
︵
葬式 は、要らな い﹄ ︵
二〇 一〇、 幻冬舎 ︶ 一五頁。
2︶島 田裕 巳 ﹃
、
、
5
、
︵
2︶昨今 大手 スーパーのイオ ンが葬 儀業 界 に参入 し 布施 の価格 を 明 示した ことをめぐ って 議論が沸 き起 こ った ことは記憶 に
新 し い。布施 の額を 一律化 させ て開示しよ うと いう動 きが起 こる こと自体、布施 に対 し て島 日 のみな らず、
一般 の人 々も 不信
感を抱 いて いる証左 とみる ことも出来 るだ ろう。
6
、
︵
﹃
カネを かけ た葬式 は本来 の姿 ではな い 対 談 ︵
特集 平成 ﹁
お葬 式﹂ 入門︶
中央 公論﹄ 一二五 ︵
五︶
﹂︵
2︶橋爪大 三郎 ・島 田裕 巳 ﹁
二〇 一〇︶三 一頁。
、
7
。
︵
﹁
グ リー フケア﹂と いうキー ワー
葬儀﹂。
2︶近年 グリーフケアに ついて積極 的 に模索 して いる のは葬儀社 ではなかろうか 現 に ﹁
ド で資料検索 してみると、上位 に表 示され るのは宗教 関連 のも ではなく、葬儀社 が関わ った内容 のも のが ほとんど であ る。 こ
のよう に、葬儀社がグ リー フケ アに着 目しなければ ならな いこと自 体 、宗教者 が人 々 の悲 しみ に寄 り添う ことが出来 て いな い
ことの証とも いえるだ ろう。
8
、
︵
﹃
カネを かけた葬式 は本来 の姿 ではな い 対談 ︵
特集 平成 ﹁
お葬式﹂ 入門︶
中央 公論﹄ 一二五 ︵
五︶
﹂︵
2︶橋爪大 三郎 ・島 田裕 巳 ﹁
二〇 一〇︶ 二九頁。
、
、
9
︵
戒名﹂
2︶そもそも仏典 に戒名 に関す る記載 がなく 日本独自 のも のだ と批判 し 歴史的根拠を欠 いた仏教式葬儀 の副産物 とし ての ﹁
から、日本 の仏教教団は手 を引く べき であ ると、
島 田は論 じて いる。 ︵
島 田裕巳 ﹃
葬式 は、要らな い﹂ ︵
二〇 一〇 、
幻冬舎︶九 二頁 ︶
7
﹁このよう に、葬儀 に出家者 は携わ ってはならな いと いう仏教 誕生 以来 の大 原則 に、 日本 の仏教 界 は立 ち返るべき であ ると いう 5
「葬僣不要論」の研究
8
批判 は根強 い。
5
0
﹁
週刊 エ コノ ミ スト﹂ 二〇 一一年九 月 二十 日号︶ 一八頁。
葬式不要論﹂
大震災をき っかけ に見直され る ﹁
﹂︵
︵
3︶小谷みど り ﹁
、
震
︵1︶ このよう に、東 日本大震災 によ って葬儀 不要論が見直され るよう にな った と の意 見は他 にも みられ る。例 えば 太 田宏 人は ﹁
3
、
災前、﹁
葬式不要論﹂がまかり通 って いた。 いまや被災地 からそ のような声 は消 し飛んだようだ。 平時 の戯言 でしかな いことを
中略︶死者 への祈 りが、生者 の明 日 への エネ ルギ ー にな って いる。 そう確信 した。葬 送 の現場 に立 ち会
震災が教 え てくれた ︵
﹁
週刊 エコノミ スト﹂
死 にゆく自分 ﹂ の ことだ けを考 えた極 論 であ ると知ち て いる﹂ と述 べ て いる。 ︵
う者 は、葬 儀不要論は ﹁
二〇 一一年九月 二十 日号︶ 二二頁。
2 読売新聞﹂ ︵
二〇 一二年 四月 四日号︶参 照。
︵
3︶ ﹁
3
葬式無用論﹂ ︵一九六 八、葬式を改革す る会︶八 一頁。
︵
3︶稲 田務 ・太 田典礼 ﹃