ドン・ジョヴァンニはドン・ファンのイタリア語名である。モーツァルトのオペラがイタリア語の 台本に作曲されているために、このオペラの標題役であるドン・ジョヴァンニは、ドン・ジョヴァン ニといわれ、ドン・ファンとはいわれない。 ドン・ファンは漁色家の代名詞にさえなっている。彼は、それほど精力的に、そして積極的に人生 をおくった、ということである。むろん、モーツァルトのオペラにおけるドン・ジョヴァンニとてか わりはなく、だれかれの区別なく女をあさり求め、もてあそびつづけた。どうやら、ドン・ジョヴァ ンニは、疲れというものをしらなかったようである。 ドン・ジョヴァンニの放蕩三昧のかぎりをつくした一生は、さぞや楽しいものであったろう、と思 う。ドン・ジョヴァンニは、スペインの名家の出であり、しかも女たちがほうっておかないほどの魅 力もそなえていた。華麗にして冷酷、優雅にして好色なのが、ドン・ジョヴァンニであった。 そのようなドン・ジョヴァンニに較べれば、その辺に徘徊するプレイボーイ気どりの男たちが、ひ どく軽薄で薄汚くみえてくる。どうせやるなら、ここまでやらなくてはいけない。この道でもおよそ うだつのあがらない落第坊主としては、そう考え、ドン・ジョヴァンニの雄姿にうっとりみとれてし まう。 しかし、おもしろおかしく一生をおくったはずの、ぼくらの英雄ドン・ジョヴァンニを主人公にし ているモーツァルトのオペラの序曲が、思いもかけず、ニ短調の主和音を悲劇的にひびかせてはじま っている。これでは、まるで悲劇のはじまりを告げる音楽のようではないか。すくなくとも、この序 曲の、デモーニッシュな気配をただよわせ、暗い情熱をひめた音楽は、颯爽と色事をこなしつづける 男を主人公にしたオペラをはじめるための音楽として、いかにもそぐわない。 オペラの幕があがってもなお、緊迫感にみちた音楽がつづく。それもそのはずで、山をみれば登ら ずにいられないドン・ジョヴァンニは、かねてからしりあいの貴族の娘をわがものとしようと、夜陰 にじょうじ、彼女の寝室にしのびこんだ。いかに恐いものしらずのドン・ジョヴァンニとはいえ、顔 見しりの女を、仮面で顔をかくしておそうとは、大胆不敵もきわまれり、というべきである。 しかし、さすがのドン・ジョヴァンニもどじを踏んだようで、その貴族の娘、ドンナ・アンナの追 いすがる手をはらいのけつつ、ほうほうの態で登場する。助けをもとめるドンナ・アンナの声をきき つけ、彼女の父親があらわれるものの、色の道のみならず剣の道にもたけていたドン・ジョヴァンニ の相手ではなく、一刀のもとにたおされる。 ドンナ・アンナには、ドン・オッターヴィオという、優男の許婚がいた。このお兄さんがまた、か らきし意気地がなく、男としての魅力に欠けていた。ときどきいるでしょう、学校の勉強だけはよく できたのかもしれないし、口先では一応いっぱしのことをいったりするものの、なんとなく実在感が 乏しく、およそ男らしさの感じとれない男が。ドン・オッターヴィオというのは、そういうタイプの 男であった。 ところで、気になるのは、ドンナ・アンナの寝室におしいったドン・ジョヴァンニが目的を成就し ていたかどうか、である。音楽的にみて、あるいは諸般の情況から判断しても、ドン・ジョヴァンニ は、しっかりドンナ・アンナを賞味していた、と考えるのが妥当である。まあ、ドン・ジョヴァンニ ほどの男が、いかにドンナ・アンナの抵抗にあったとはいえ、肝腎なことをしそんじるはずもないの であるが。 とはいっても、結局、このドンナ・アンナとの一件が原因となって、ドン・ジョヴァンニはあたら 若い命を散らすことになる。ドンナ・アンナの父親を殺してしまったのが、ドン・ジョヴァンニとし てはまずかった。 「リゴレット」におけるマントヴァ公爵同様、ドン・ジョヴァンニもまた、相手にし た娘の父親の気持をあなどったのが敗因であった。 オペラの終わりちかくで、ドン・ジョヴァンニは、よせばいいのに、ほんの戯れから、ドンナ・ア ンナの死んだ父親の石像を晩餐に招待した。思いもかけず、のっしのっしと地響きたてて晩餐にあら われた石像は、ドン・ジョヴァンニに、厳粛な口調で、自堕落な生活を悔い改めろ、とせまった。普 通の男であれば、たとえ口先だけであろうと、悔い改めます、といって、その場をのがれることを考 えたにちがいなかった。 ドン・ジョヴァンニは、いいのがれをしなかった。ドン・ジョヴァンニは、倫理の象徴というべき 石像にむかい、ぼくは悔い改めない、ときっぱりいいきった。石像の説教をはねのけた段階で、ドン・ ジョヴァンニは、ただ好色なだけがとりえの色事師であることをこえた。 ドン・ジョヴァンニは、他人にとやかくいわれて宗旨がえをしたり、いいのがれをしたりする腰抜 けではなかった。倫理の剣をふりあげる石像と、倫理をしりぞけたところで生きようとするドン・ジ ョヴァンニの対決は、石像がドン・ジョヴァンニを地獄につきおとすことで決着がついた。そこで、 ふたたび、あの、序曲できかれたデモーニッシュな気配のただよわせたニ短調の音楽がもたらされる ことになる。 ドン・ジョヴァンニが地獄におちて後、唐変木のドン・オッターヴィオは、ドンナ・アンナにむか って、すぐにも結婚しよう、といった意味のことをいう。しかし、そこで、ドンナ・アンナは、わた しの心をしずめるために、もう1年待ってほしい、という。ドンナ・アンナの女を感じさせる、この ひとことである。この場面でのドンナ・アンナのひとことは、ドン・ジョヴァンニが彼女にとってど のような存在であったかを考えさせ、まことに暗示的である。 ドン・ジョヴァンニとベッドをともにした女たちであれば、おそらく、ドン・ジョヴァンニが、い いのがれで逃げない、腰のすわった、筋金いりの色事師であることをしっていた。彼女たちは、そこ に、ドン・ジョヴァンニの、他の男にはない魅力を感じたにちがいなかった。
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