86号 - 青山学院大学山岳部

緑ヶ丘通信 No.86 2007 年 12 月 26 日発行
緑ヶ丘通信
青山学院大学体育会山岳部 OB 会会報
緑ヶ丘山岳会ホームページ
http://www.aac1925.com/~midorigaoka/
より高みを目指す者、先鋭的な岩壁登攀
を目指す者、イワナを釣りながら谷から谷へ
峠を越えて別の川の源流へという山行を好
む者、また雪山の魅力に惹かれスキー登山に
熱中する者・・・と何があってもいいのですが、
その山行を安全確実なものとするために、四
季折々、そのすべてに共通する登山の基礎的
な技術の習得、山での生活のためのノウハウ
を学ばなくてはなりません。この実践的な学
びの場こそ山岳部であり、さらにこの学びの
伝承が部活の中心になるのではないでしょ
うか。
2007 年 12 月 26 日発行 通巻 No.86 発行人 : 会長 岩井胤夫
編 集 : 広報担当 萩原浩司 ・ 菊地 理
(4)加えて言うならば、ただ登るだけでは
なく、文化的な側面を添えることによって、
山行をより豊かに、より楽しくすることが出
「部名変更」
その後の動きについて
しれません。そのような危機感を持って、皆
来るのではないかと考えます。山と写真、山
で力を合わせてやれるところからやってみ
のスケッチ、山の気象の研究、イワナ地図、
ましょう。
食べられる野草の食べ方、民謡や山の歌の合
(1)先ずは、かねてから言われているマイ
ナスイメージを根本からプラスイメージに
前号緑ヶ丘通信(No.85)の「2007 年
変えることです。
度緑ヶ丘山岳会総会を終えて」と題する岩井
山岳部のイメージは3K(きけん、きたな
会長の記事の中で、
昨今の現役の部員難は
「体
い、
きつい)だと言われて来たのなら、
安全に、
育会山岳部」という名称から受ける印象が今
楽しく、美しく をキーワードに変えていき
の学生にフィットしないことに大きな原因
ましょう。
唱、等々。
大学4年間の部活動で得た友人は終生の
友として、その後の人生を豊かにしてくれま
す。このことは部活動に参加することの第一
の意義であり、最も貴重な賜物です。
(5)これら素晴らしい部活動を一人でも多
くの学友に知ってもらうために、入学時のオ
があるのではないかとの分析から、部の名称
(2)通信で提案されている、部の名称変更
リエンテーションをはじめ、機会あるごとに
変更によるイメージチェンジで山岳部の危
は私も賛成です。企業でも行われている CI
安全で楽しい山の魅力をPRしていけば、き
機脱出を模索する動きのあることを報告さ
活動を参考にして、ネーミングの変更、新
っと効果が現れてくると信じます。部に関心
せていただきました。
しいロゴタイプによる視覚統一をはかり、
を持つ学生が現れてくるでしょう。
9 月の OB 会定例役員会で「部名変更」
部の活動や山(自然)の魅力を充分にPR
そのPRの折に、変更した新しいネーミン
を検討するプロジェクトチームを立ち上げ
していくことです。もちろん表向きのイメ
グとビジュアルポイントであるロゴタイプ
ました。チームリーダーを萩原浩司 OB(前
ージを変えるだけでは、看板倒れになりま
を効果的に使っていけば、部の活動の認知度
監督、昭和 57 年卒)に引き受けてもらい、
すから、中身の改革こそが重要であり、優
監督会および現役と協議して基本的な考え
先すべき事です。
が高まることは間違いないと思います。
(6)新しいネーミングについては、創部当
方と具体的な案をまとめていただくように
山岳部の存在理由は何か、80 年に及ぶ伝
時から (?) 山岳部の英文名称として使われて
お願いいたしました。現在、協議中と思い
統とは何か、
ワンゲルとどこがどう違うのか、
いる Aoyama Alpine Club が、これから
ます。また、役員会が中心となって一部 OB
部を取り巻く登山界や社会の移り変りは、今
の正式の部の名称とするのが適切ではない
のヒヤリングを実施してご意見を拝聴してい
の若者は何を求めているのか、活動の目標を
かと、私は考えています。
ます。
どのように設定するか、等々、とことん語り
そんな中、
9 月 8 日付にて西堀岳夫 OB
(昭
合い、議論しつくして、新しい部のありよう
和 30 年卒)から「皆さんで考える時の資料
をしっかり見定めた上で名称変更を実施す
の一つにしてもらえれば幸いです」と添え書
べきでしょう。
きされたご意見が寄せられました。拝読させ
(3)もう未踏峰への憧れや挑戦の時代は終
ていただくと、問題の本質をズバリと突いた
わり、
バリエーションの時代に入って久しい。
貴重なご意見ですので、
次に掲載いたします。
さらに 8000 m級の高峰への商業登山の時
代に入ってきています。
『 緑ヶ丘通信を見て、部員の数の減少、学
そんな時代に、大学山岳部はどのようなと
年構成のアンバランスに心を痛めている者
ころに目標を設定すればよいのでしょうか。
の一人です。
伝統ある山岳部の将来は今、
我々
私案を述べます。
OBの知恵と努力にかかっていると言える
でしょう。もしかしたら最後のチャンスかも
まず前提として登山はきわめて個性的か
つ個人的なものという視点に立ちます。
この頭文字をとった " AAC " は古くか
ら部のバッジにも使われています。
( 7)同 封 し た ロ ゴ タ イ プ は 21 年 前 の
1986 年に山岳部のTシャツを作るときに
制作したものです。検討の際の参考にして下
さい。
』(注:ロゴタイプの転載は省略します)
この西堀 OB のご意見を今後の検討のベ
ースとし、プロジェクトチームにて英知に富
んだ議論を進めていただきたいと期待して
おります。
また、一部 OB の声として、①登山の体
育正課復活を学校に求める、②あずさヒュ
ッテを活用した企画の推進(例えば、スノ
1●
緑ヶ丘通信 No.86 2007 年 12 月 26 日発行
ーシュートレッキング、山岳スキーの講習
永田 最近の学生の気質が一番大きい。今の
の変遷を見てみると、大体、リー
会等)
、このようなご意見も寄せられていま
学生は多くのことを少しずつかじる
ダーシップの取れる者、クライ
すので、検討の材料にしていただこうと思
だけで満足している。何かを突き詰
マーとして優れた者 ( 技量ではな
っております。
(事務局)
めてやるという者は少ない。
くガッツという点で ) は各年代で
角田 青学という校風の影響も大きい。軟派
1人いれば良い方で、実際は部員
なイメージが強いし、学生もそれを期
が入らない年もあるから、2年間
待して入学してくる。結果、4年間の
から3年間に 1 人という感じだ
中で一貫して何かに集中しようとい
ね。その中でも、世代を超えて、
う硬派な学生は少ない。青学において
影響力のあるクライミング活動を
は、我々は異端な存在である。
行なっている人は、10 年間に1
西澤 他大学の山岳部を要素別に分析してみ
人だな。校風とか、全校生徒数と
「山岳部」 の
名称変更について
萩原 浩司 (昭和 57 年卒)
「山岳部の名前を変えることによって部の活
性化をはかろう」
、という話の趣旨について
ようか。(3 ページ表参照 )
は1ページ目に書かれてあるとおりです。こ
れを受けて、まずは当事者である現役部員た
ちはどう考えているのか、西澤監督の協力を
間に一人という、埋もれている人
会推薦があると聞く。
材をキャッチアップするための努
力は必要なのではないかな。
角田
そうですね。山岳部の PR 活動は
角田 大学のイメージも硬派だし、全校生徒
もう少しやる必要があるかもしれ
数も青学よりも多い。それから、付属
ません。デジカメで写真はたくさ
高校の存在と、付属高校がスポーツ等
ん撮っているのに、それを学生に
第1回ミーティング
のクラブ活動に熱心であるかどうかも
アピールする場が少ないですね。
( 現役部員+監督による討論会 )
影響があると思う。付属高校で部活動
学校のポスターは常に更新して掲
日時:2007 年 12 月8日 ( 土 )
に集中することを良しとする教育を受
示しているのですが。
18 時 00 分~ 19 時 00 分
けた学生が入学すれば、山岳部みたい
西澤 そうだね。1年に2回くらい、
夏山、
場所:宮崎台喫茶店
なクラブに入ることにも抵抗感は少な
冬山の報告会を、部員以外の学生
出席:西澤(監督)
、永田、角田(現役)
いのではないか。残念ながら、青学の
に呼びかけてやるのも一案だね。
高等部はそういうイメージは無い。
誰も来なかったときは、そのまま
永田 東海大学はそんなイメージはある。
飲み会になだれ込むんだな。OB
西澤 OB 会の中で、
「山岳部」という名前
西澤 東大、東海大学、明治大学、法政大学
に声でもかけておいて。少しずつ、
を変えて、幅広く部員を募ったらど
なんかは、若手 OB でも雑誌に掲載
PR 活動の充実というのも進めて
うかという意見があるのは知ってい
されるような PR 効果のあるクライ
いく必要があるよね。
るよね。
マーがいるよね。同年代から、共感を
(討論会のダイジェスト )
全員 山岳部の部員減少の原因は、名前が問
角田
永田
来年、角田がいなくなると上級生は
持って迎えられるような OB のクラ
自分と中谷の二人になってしまうし、
題なのではないと思う。
イミング活動が行われていることも
中谷は厳しい冬山には不安があるの
山岳部という名前だからこそ、クラ
大きいと思うね。
で部員の確保は急務。来年の部員の
イミング活動を行うクラブというの
角田 そういう大学を見ると、硬派なイメー
がよくわかる。たとえば「アウトド
ジが強い。少なくとも軟派なイメー
アクラブ」なんて名前にしたら、何
ジの大学は無い。それに全校生徒も
な。次回は萩原さんも入れて話し
をするのかよく分からないクラブに
多い。
てみよう。山岳雑誌の体たらくが、
なってしまう。
勧誘も含めて頑張りたいと思う。
西澤
まずは、この冬山を頑張ることだ
西澤 こうして見ると、大学のイメージ、全
若者のクライミング離れを助長し
永田 訳の分からない名前にして、目的意識
校生徒数、OB 会活動の活発さ、スー
ているかもしれないからね。( 笑 )
の無い部員や、自己投資しない部員
パースターはいるか等、結局、学生
コーチの意見も聞きたいしね。
が入ってきても、運営する側として
だけの力ではどうにもならない要素
は苦痛である。ただでさえ、一生懸
が大きいよね。OB 会活動といって
以上が第1回目ミーティングで話し合わ
命教え込んでも、辞めてしまう部員
もクライミング活動のことだから、
れた現役部員たちの意見です。
「山岳雑誌」
が多いのに、これ以上、軟弱な者に
強制するわけにもいかないしね。僕
の件については、語りだすと特別増刊号を
入部されて、クラブの中をかき回さ
は、クライミングに対しては高い情
用意しなければならないのでここでは触れ
れたくない。自分が1年のときのよ
熱は持っていたから、卒業してから
ませんが、いずれにしても「山岳部らしい」
うになってしまう。
も学生と同じ目線でいられたと思う
山登りを嗜好する者が漸減しているのは登
けど、もう 44 歳だからな。( 笑 )
山界全体の流れであり、また、体育会とい
萩原さんあたりの世代からの山岳部
う組織に属してスポーツを極めようとする
西澤 名前の問題なのではないとしたら、ど
うして部員が入らないのか。
2
部員は 10 人に満たない。明治も体育
ラヤ遠征もして、宣伝もうまいよね。
します。
●
ないけど、少なくとも、2~3年
西澤 明治は OB 会の活動も活発だし、ヒマ
得て、彼らの声を聞く機会を設けていただき
ました。まずはその討論の内容について報告
か自分たちでできないことは仕方
永田 早稲田は体育会推薦制度があるけど、
西澤
――――――――――――――――――
緑ヶ丘通信 No.86 2007 年 12 月 26 日発行
大学山岳部分析表
要素
内容
早稲田
慶応
上智
明治
立教
法政
東海
日大
専修
芝工大
拓殖
東大
一橋
千葉
部員数
○= 10 人以上、 △= 5 人以上、 ×= 5 人未満
△
×
×
○
△
○
○
○
○
×
×
△
×
×
若手スーパースターの存在
○=有名、 △=玄人肌、 ×=不在
△
△
△
○
×
○
○
×
×
×
△
○
△
×
過去10年間のヒマラヤ遠征
○=有、 ×=無し
○
×
×
○
×
○
○
×
×
×
×
○
×
×
OB 会全体の山岳活動
○=活発、 ×=不活発
△
×
△
○
×
○
○
×
×
×
×
○
△
×
体育会推薦入試
○=有、 ×=無し
○
×
×
○
×
×
×
×
×
×
×
×
×
×
全校生徒人数 ( 青学対比)
○=多い、 △=同程度、 ×=少ない
○
○
△
○
△
○
○
○
○
×
△
○
×
△
校風
硬=硬派、 軟=軟派、 中=中間
硬
軟
軟
硬
軟
硬
硬
硬
中
硬
硬
硬
硬
硬
付属高校の運動部活発度
○=活発、 ×=不活発
○
○
×
○
×
○
○
○
○
×
○
×
×
×
学生が減っているのも事実です。とはいって
して、
「山と旅と自然の会」のような名前に
ついては現役部員たちからも同意を得ました。
も、このまま何もしなければ来年の新人獲得
してしまっては中途半端だ。こうしてみると、
そもそも、日本山岳会が生まれた背景には
はおぼつきません。そこで、
「部員獲得のため
今の「山岳部」の名称を使い続けることには
イギリスの Alpine Club がありました。京
の PR 材料という視点でクラブの名称を考え
問題がないと思うし、諸先輩方が懸念される
大学士山岳会も、もとはといえば京都旅行部
る」をテーマにして 12 月 22 日 ( 土 )、再度、
ほど、
「山岳部」の名前へのアレルギーは今の
が海外遠征のために立ち上げ た Academic
ミーティングを開きました。
学生にはないと思っている。角田が入部した
Alpine Club Kyoto(AACK)が先にあった
―――――――――――――――――
ときも、本人は「山岳部」の名前に対する偏
わけです。このように欧文名称を使うのは
第2回ミーティング(現役+監督+ OB)
見は持っていなかったと聞く。仮にすばらし
関西の大学に多く、神戸大学と甲南大学の
日時:2007 年 12 月 22 日 ( 土 )
い代替名称が作られたとしても、あくまでも
ホームページでは、それぞれ ACKU(Alpine
14 時 00 分~ 15 時 30 分
「山岳部」の名称は対外的に残しておくべきで
場所:山岳部部室
出席:西澤、中尾(監督会)
、永田、角田(現
役部員)
、萩原
この日の出席メンバーは、前回の3人に、
はないだろうか。
club of kobe university)
と KONAN
ALPINE CLUB を HP のメインタイトルに大
第2回ミーティングの結論としては、活動
きく飾り、神戸大学山岳部、甲南山岳会は副
の実態を考えた場合に、現在の「山岳部」の
題のように小さく添えられていました。青山
名称を付け替えるほどにフィットした名称は
学院大学においても、こうした表記方法を積
探し出せない、ということになります。たし
極的に推し進めていけば・・・と考えています。
コーチの中尾と萩原を加えた5名。冬山合宿
かに、私も具体的な代替名称をいくつか考え
また、これはミーティング後の雑談のな
の準備会に継続しての開催となり、再度、部
てみましたが、しっくりくる名前はみつかり
かで出た話題ですが、この考えをさらに発展
の名称変更について話し合いました。
ませんでした。サークルや社会人山岳会なら
させることも考えてみてはいかがでしょう。
基本的に現役部員たちの考えは前回と変わ
ば個性的な名称も可能でしょうが、
「山に登る」 「Aoyama Alpine Club」の名称を、現役だ
りはありませんが、整理すると次のようにな
行為を部の名称として取り入れようとする限
けでなく OB 会も積極的に使うという発想で
ります。
り、山岳部や登山部といった言葉から離れる
す。つまり、現役と OB は 、 それぞれ「青山
(1)部の活動内容とズレた名称をつけるよう
ことは難しいようです。ちなみにウェブサイ
学院大学体育会山岳部」と「緑ヶ丘山岳会」
なことになってしまうのであれば、それは賛
トで他大学の HP を調べてみましたが、
「山岳
という別々の枠組みに所属しながらも、全体
成できない。たとえばアウトドアサークル的
部」の名称を完全に切り離している大学は見
をくくる「Aoyama Alpine Club」という名
な名前にして初心者層を取り込もうとしても、
当たりませんでした。
のもとに、同じクラブ員として相互の協力関
実際の活動がそれとかけ離れた内容であって
しかし、再三指摘されているように、やは
係をより強固なものにするという考え方です。
は、新入部員は長く続かないだろう。また、
り「青山学院大学体育会山岳部」は、漢字の
ここ数年の傾向を見てもわかるように、現
ハイキング部でさえ部員総数が 13 ~4人と
字面を見ただけでも重く堅苦しい。
「青学らし
在の山岳部は現役だけで運営するには厳し
いう激減ぶりを見ても、名前をやさしくした
さ」を表現するためにも、よりスマートな名
い状況になっています。訓練山行にしても、
からといって、それがそのまま部員獲得につ
称を使って PR したほうがいいという意見に
OB 会の積極的な援助なくしてはできません。
ながるとは考えにくい。部員減少の理由は、
は賛成です。
08 年の部員勧誘も、おそらく部員ふたりだ
名称よりもほかのところにあるように思う。
(2)仮に活動の実態に即したネーミングに
そこで、西堀 OB が提唱されている英文名
称を、これまで以上に積極的に使用する、と
けでは限界があり、OB の、より積極的な手
助けが求められています。
変えるとして、たとえば「アルパインクラブ」
いう考え方で進めてみてはいかがでしょうか。
西堀 OB の指摘や第一回ミーティングの
にしてしまったら、初心者にはそれが何をす
つまり「山岳部」の名称は残しつつ、
「Aoyama
発言にもあるように、たとえば一般学生を集
るクラブなのか、わからなくなってしまうの
Alpine Club」
の名前を同列に置いて、
ポスター
めて合宿の報告会や山の入門講座、スライド
ではないか。また、
「クライミングクラブ」で
やウェブサイトを作る際に強く打ち出して行
ショーを開くなど、これまでやらなかった手
は活動内容が狭められてしまうし、
「登山部」
くというわけです。実際、こちらのほうがデ
法で山岳部の活動をアピールすることがこれ
ではあまり変わったという印象がない。実際
ザイン的にも自由度が高く、PR にも役立つ
からは重要なのではないでしょうか。そして
の活動プラスアルファの部分を表現しようと
に違いありません。並列名称の積極的使用に
そこには、さまざまな山の魅力を知り、伝え
3●
緑ヶ丘通信 No.86 2007 年 12 月 26 日発行
OB・OG の喝采と激励が碑に轟きました。
丁度、この頃、当日入山の 1 名が遅れて合流、
全員でカレッジソングを合唱し、碑に来年の
再来を誓い、また参加者同士の再会を約して
慰霊祭を終えました。
かつて霊碑への参拝は一部 OB の私的な
行事として毎年 10 月中旬(第 3 日曜日)
に行われておりましたが、10 数年前から、
これを「慰霊祭」として OB 会の公式行事
に切り替えて今日に至っております。最近、
慰霊祭は 10 月の最終日曜日に行っています
が、
今回の参加者の皆さんから 10 月中旬
(第
3 日曜日)を要望されましたので、来年以降
はそのようにスケジュールしたいと思って
います。また、これまで積極的に参加してい
ることのできる OB が積極的にかかわれるよ
では雪だったらしく、河童橋から見る奥穂・
ただいていた古参 OB の参加が年々少なく
うにしたいものです。
前穂の吊尾根は真っ白に輝き、慰霊碑から仰
なっている傾向にあり、淋しい限りです。奮
そして、このように現役といっしょになっ
ぐ明神岳はうっすらと新雪を冠っていまし
ってご参加くださいますようお願いいたし
てイベントを行なう際には「緑ヶ丘山岳会」
た。上高地から明神にかけて木々は赤や黄色
ます。
で は な く、 現 役 と 同 じ「Aoyama Alpine
に映え、明神橋両岸は朝陽に輝いた紅葉樹が
Club」の名のもとに協同作業ができるように
見事で、特筆すべきは黄金色に輝く唐松の圧
●慰霊祭参加者(敬称略)
なるのが理想ではないか、と考えています。
倒的な黄葉でした。
山脇隆夫、田村淳、猪俣浩、中條好司、野口
もっとも、これはあくまでも素案であり、組
岩井会長が体調不良で参加できなかった
照夫、下河辺史郎、斎藤健一、小倉雅之、小
織の仕組みを整理するには時間がかかると承
のは残念でしたが、前夜、明神館泊の 8 名、
林伸二、岡野達朗、高橋理恵、大野和子、菅
知しておりますので、あくまでも検討課題と
あずさヒュッテ泊の 13 名、総勢 21 名が明
田幸恵、安本出、西澤直志、村上正幸、故吉
して最後に提案させていただきたく思います。
神館前に集合、前日の雨で足下の悪い笹道と
村洋介君ご姉妹、現役 4 名
名称変更問題につきましては、まだ検討が
ガレ場を登って碑前に勢揃いしました。碑周
始められたばかりです。この件については皆
辺を清掃し、生花とお酒や果物等の供物を捧
慰霊祭から 10 日程経った頃、関西から参
様のアイディアを募集しておりますので、ご
げて菅田 OG の祈祷でセレモニーは始めら
加の小林伸二 OB から「慰霊祭に思うこと」
意見、ご要望のある方は事務局までメールま
れました。
と題する手記が寄せられましたので、次に掲
たは FAX にて、どうぞよろしくお願いいた
します。
参加者のうち、最年長の山脇 OB による
慰霊碑の歴史講話は好評を博しました。慰霊
載いたします。
『28 年ぶりに慰霊祭に参加させていただ
碑、最初は上高地・小梨平に建立、次いで、
きました。これまで長い間、参加したことの
昭和 38 年、3 年前に埋没した場所に移し、
なかった慰霊祭に行ってみようと思い立っ
そして、現在のが 3 番目の場所になること、
たきっかけは、昭和 54 年3月 23 日に剣岳
昔の現役は夏山合宿を碑の前で解散し、1 年
で遭難した故田中宏一君(私はお目にかかっ
生部員はここで「部員章」が授与され、1 人
たことがなく、直接存じ上げておりません)
前の部員として承認されたこと、碑の下に
の兵庫県姫路市にご在住のご両親のことが
恒例の慰霊祭は 10 月 28 日(日)に執り
は遭難者の遺品を埋めたこと等々、碑に関わ
気になっていたからでした。私は昭和 54 年
行われました。再建立された新慰霊碑での慰
る歴史的なお話をしてくださいました。現役
秋の慰霊祭に親父さんとご一緒してから参
霊祭は今年で 3 回目になりますが、20 名を
諸君や若い OB には興味津々な話だったと
加していませんでしたが、その後、ご両親は
超す OB・OG、現役、遭難者ご遺族が参加
思います。
(注:慰霊碑の詳しい歴史は緑ヶ
何度か慰霊碑にお参りされていたそうです。
して、碑の前は和やかにして活気に満ちた催
丘通信 No.75〔2004 年 12 月 23 日発行〕
そこで今回、新しい慰霊碑にお誘いいたしま
しでした。
に掲載してありますのでご参照ください。
)
したが、
「もう年だから」とのことでお越し
2007 年
慰霊祭を終えて
慰霊祭前日の 27 日(土)は台風の影響で
次いで、碑前にて、関西から参加の小林伸
終日土砂降り、上高地から上に行く者も下っ
二 OB、大野和子 OG、故吉村洋介くんのご
てくる者も完全装備でビチャビチャに濡れ
姉妹、その他の方々に慰霊祭への想いを語っ
ていました。それが、当日の朝は、それは見
ていただきました。
事に晴れました。
「抜けるような青空」とは
西澤監督から現役の部活近況報告を受け、
いただけませんでした。その碑には9名の先
輩後輩の名前が刻んでありました。
慰霊碑には私が卒業してから2名の後輩
の名前が増えています。遭難の悲しみはそれ
を身近に経験した者にしか分からないでし
このことでしょう。明神岳の三角に尖った頂
4 名の現役部員を紹介してもらいました。各
ょうし、その悲しみを忘れ去ることもないで
が青空に突き刺さって聳え、昨日の雨が稜線
部員には部活の抱負を述べてもらい、参加
しょう。
「この悲しみを2度と繰り返しては
4●
緑ヶ丘通信 No.86 2007 年 12 月 26 日発行
ならない」と、どの事故報告書にも記されてい
ますが、幾度となく繰り返されている事故を一
番嘆いているのは、彼らより先に山に逝った先
輩の方々ではないでしょうか。
「なぜ俺たちの
教訓を無駄にするのか」と。
現役時代、不幸な遭難事故時に在部してい
た者、あるいは、幸いにも遭難事故に無縁だっ
た者、ともに山岳部に籍を置いた者ならば、碑
を前にして彼らの悲願を感じない人はいないで
しょう。そして、もし彼らの魂が「千の風」と
なってこのアルプスの空を吹きわたっているの
なら、私たちは彼らに感謝しなくてはなりませ
ん。なぜなら、彼らの犠牲の上に私たちは在り、
部の絆を強くしてくれているのも彼らだからで
す。希望を持って入部し、そして若くして山に
逝った彼らの残してくれたものを私たちは忘れ
かけていなかったでしょうか。この碑に刻まれ
後列左から、小林、鈴木 ( 成 )、山根、岩井、木村。
た9名のご冥福をお祈りするとともに、今日の
前列左から、鈴木 ( 忠 )、坂井、大野。
(敬称略)
日は「感謝」の1日でした。
』
( 事務局)
30 年ぶりの阪神会
(一地方会員の思い)
小林 伸二 (昭和 49 年卒)
一昨年、
岩井会長からいただいた年賀状に「関
西地区の OB 会をやってほしい」との添え書
会ではまず岩井会長より OB 会・監督
山岳部には重いザック、しごき、冬山、遭
会の現状、現役を取り巻く環境、あずさ
難等々、前近代的で汗臭いイメージがありま
ヒュッテの状況、今後の行動指針、地方
す。昔はそのようななかから仲間意識が芽生
会員に望むこと等を話していただきまし
え、より強い団結力で部が運営されていたの
た。そして出席の各人は思い出の山行な
ですが、それは今の学生には受け入れられな
どをまじえた自己紹介の後、地方会員と
いのは明白です。それらを払拭するには自然
して OB 会、監督会へのお願いと提案等
(戯れ)
、仲間(絆)
、自由(夢)のイメージ
を話し合いました。その内容は、
注1
①ネット通信
による情報の配信を。そ
を持った倶楽部を目指す努力が必要ではな
いでしょうか。
がありました。振り返ってみますと、私が卒業
れにより情報交換の場を作れないか?
それには OB 会の果たす役目が多々ある
した 33 年前は「阪神会」と称して関西在住の
発言の出来る場があれば地方にいても
ように思います。これまで OB 会の活動に
OB が集まり、旧交を温めていましたが、それ
OB 会への参画意識が強まる。
参加もしないで言いたいことだけ言う奴だ
も途絶えて、気がつけば 30 年余りが経ってい
②年初に OB 会の年間行事の日程の明確
とのご批判は十分に承知しておりますが、こ
ました。私も卒業して東京を離れた結果、多く
化を。早めに分れば日程の調整が付け
れからは地方からの参加も含めてできるだ
の OB の方々と同様に OB 会との距離も次第
やすい。また総会を土曜日にすれば参
け多くの OB、特に若手の参加なくして魅
に遠くなり、年月とともに益々縁遠くなって参
加しやすい(在京の OB も?)
力ある OB 会はありえないと思いますので、
りました。ただ、創部 80 余年の歴史の中のあ
る一時期を先輩から受け継いだタスキを後輩に
繋いだ者の一人として、同じ伝統を受け継いだ
OB 諸氏が近くに居ながら面識がないのでは寂
しいと思いながら岩井会長の添え書きが大変気
になっていました。
そこで、去る 5 月 12 日に顔見せの懇親会
を行ないましたので、その内容を私の思いも加
えて報告いたします。
この集まりにご賛同いただきました鈴木忠
昭(昭和 30 年卒)
、坂井義隆(昭和 43 年卒)
、
木村家康(中途退部、在籍していれば昭和 48
年卒?)
、山根和博(昭和 53 年卒)
、大野和子
(昭和 53 年卒)
、鈴木成治(昭和 61 年卒)の
③各世代別のリーダー
注2
を決め、OB 会
の活性化を図る。その具体案の企画
④記念イベントの企画。ヒマラヤ?実現
に向けた活動
⑤オープンヒュッテの実施。交流の場と
して OB 誰でも行ける期間の設定
等々でした。
また、OB 会として歴史を途切れさせな
いための対策を積極的に講じられないか、
敢えて申し上げさせていただきました。
時は過ぎても山岳部には他の部にはない
「心のつながり」があります。要は、みんな
が集い、楽しい時間を過ごすことが OB 会
員の結束となり、OB 会の発展に繋がるので
はないでしょうか。
これからは阪神会から色々な提案をして
いけたらと思いますので宜しくお願いいた
します。
そのための方法として、
①山小屋をアピールしたポスター等、も
っと女性に焦点を当てては?
②海外遠征や部の歴史をアピールできる
企画の策定
OB・OG に私、それに東京からご来阪いただ
③採用担当者を決める(男・女)
いた岩井会長を加えた 8 人が集まりました。
等が思い当たります。
注 1: 既にホームページ、メーリングリス
トが開設されています。
注 2:
「情報ネット」という呼称で組織され
ています。緑ヶ丘通信 No.76、77
(HP にアップ)をご参照ください。
5●
緑ヶ丘通信 No.86 2007 年 12 月 26 日発行
マイベスト山行 2007
白馬岳周遊スキー行
シールを滑らせてい
ると、爽快な気分で鼻
歌が出てきそうだ。と
ころが、登るにつれ風
が強くなり雪煙が舞
小山 恭吾 (昭和 57 年卒)
い、板を背負って小蓮
40 代を中心に集まったメンバー ( 女性を
華の稜線に着いたと
除く)で、営業小屋を利用して、快適に白馬
きには、大声で話さな
岳周辺を滑ろうということになった。栂池に
くては聞こえない程
ある早大ヒュッテにも宿泊できるというス
の強風に迎えられる。
ペシャルプランだ。
ここからアイゼンを
<日程>
装着するが、背負った
2007 年 4 月 28 日
(土)
~ 4 月 30 日 ( 月 )
スキーが風であおら
<メンバー>
れ、一歩一歩確実に進
L: 小山恭吾
羽田登志男
▲強風の小蓮華岳直下 (撮影 : 羽田)
尾本江里奈(青
んでいくのがやっとの状態。メンバーの女性
学山岳部 OB)羽田雅美 ( 羽田夫人 )、大友
軍にとっては景色を楽しむ余裕もなく、前を
裕美、高尾文雄、中山茂樹、山田和人(京大
見ながら手と足をひとつひとつ慎重に進め
山頂までスキーを担ぎ上げた人は朝のひと滑
山岳部OB)
、高野剛 ( 慶応山岳部OB )、高
ていくのがやっとのようであった。その女性
りを楽しみ、歩行組はアイゼンを効かして軽
野久子 ( 高野夫人 )
軍を男性群がサポートし、時折襲われる烈風
快に小屋に戻った。8 時になり雪が少し緩ん
に立ち止まり耐えながら白馬岳山頂へ到着。
できたので、板を履き小屋から滑降開始。剱
白馬山荘へ逃げ込むように入る。
岳を見ながら山岳滑降の雰囲気満点だ。雄大
4 月 28 日 雨ときどき雷
早大ヒュッテ入山
そのような快晴無風。思わず顔がほころぶ。
ゆっくり楽しめなかった白馬山頂へ再び。
後日写真を見ると、視界は悪くないのだ
な景観に気分は高揚し、穏やかな清水谷へ気
が、思い描いていた稜線漫歩とはほど遠い1
持ちよく弧を描いていく。至福の時はあっと
金曜深夜、栂池ゴンドラ乗り場近くでテン
日であった。前日から営業開始の白馬山荘は
いう間に過ぎ、標高差約 600m の滑走終了。
トを張り、仮眠していると明け方から雨が降
1 階部分が雪に覆われ、この日の宿泊客は
強い日差しを浴びながら、ここからはシー
り始める。7 時、ゴンドラ乗り場で野沢さん
ル 登 行 だ。 気 持 ち よ く
(早大山岳部OB)や今宵早大ヒュッテに泊
高度を稼いでいったのだ
まる方々と合流するが、強風のため運行開始
が、だんだん斜度が増し
が 1 時間以上遅れた。雨も弱まり、栂池自
て、上部は板を背負って
然園ロープウェーを降りるころには雨足も
あえぎながら杓子沢のコ
弱まり、野沢さんの軽快なハーモニカを聴き
ルにたどり着く。高度感
ながら、ヒュッテに滑り込んだ。
をたっぷり味わい、振り
室内を整理していると、再び雨脚は強くな
返ると白馬岳がくっきり
り時折雷も鳴って、乾杯だけのつもりが本格
と見えて感激する。
的に飲む人も多くなる。雨が止んだところを
稜線に出たところで、
見計らって、何人かで鵯峰へ登った。山頂で
本日猿倉から大雪渓を
シールを剥がしているところでまた雷が鳴
登ってきた高野さんの後
り出したため、急いで滑り降りる。
輩、金井賢介君と、めで
雨音を BGM に宴会は夕食後も賑やかに続
▲白馬山荘前にて。 ここから清水谷に向けて大滑降 ! (撮影:羽田)
き、早大ヒュッテ連泊隊の唄声とリズミカル
たく合流。若い金井君の
加 入 で 私 達 の " 男 40s
な足踏み音を子守唄に、縦走隊は明日の晴天
100 人程。好奇心旺盛に山小屋生活を楽し
パーティー " は少し平均年齢を下げることに
を期して早々に床に就く。
んで就寝。
なる。一緒に白馬鑓ヶ岳を目指す。
4 月 30 日 快晴
4 月 29 日 快晴 強風
出発 (7:20)- 白馬岳 (7:40)- 山荘 (8:00)-
出発 (6:30)- 稜線 (11:00)- 小蓮華山
滑降開始 (8:15)- 清水谷 2250m (8:50)-
(11:50)- 白馬岳 (15:20)- 白馬山荘 (15:35)
杓子沢コル (10:30)- 鑓ヶ岳滑降開始点
ここから鑓ヶ岳への登りは、板の重みを感
(12:00)- 鑓温泉 (13:00)- 滑降終了点
快晴の朝だ。ヒュッテ番長の野沢さんに見
(13:15)- 小日向コル (14:20)- 猿倉 (15:00)
送られ、ヒュッテの前で記念撮影の後いざ出
発。デブリがところどころに見えるが、栂池
朝起きて雪の上に出ると目の前にはピン
自然園を抜け、白い雪原を眩しい太陽の下で
ク色に染まった剱岳が見え、昨日の強風がう
6●
緑ヶ丘通信 No.86 2007 年 12 月 26 日発行
じながら 1 時間以上かけて到着。頂上より
していて、
「ああ、こいつはヨ
少し下り、いざ鑓温泉目指して滑降開始だ。
ネなんだなあ。みんな少なから
鑓沢の大斜面に胸が躍り、大きなターンで滑
ず木村の影を重ねていて、ヨネ
り降りる。快調な滑り出しだったが、しばら
はヨネなりに息苦しいところも
く降りるとスキーは沈み、思うようにはなら
あったのかな」と、当たり前の
ず、入り乱れたシュプールにジクザクと上書
ことに気づきました。これから
きしながら鑓温泉へ到着する。入浴客は 15
は、もっとヨネらしく育てよう、
人ほどいただろうか、スキーヤーで賑わって
と思った矢先に、冬の甲斐駒で
いた。手拭い持参の我が男性陣は今回は入浴
の遭難騒ぎがあり、いたたまれ
を見送りもうひと滑り。デブリに足を取られ
ない気持ちで捜索に行った時の
ながら、杓子沢の滑走終了地点に到着。
ことを覚えています。
シールをつけて最後の登行。ときおり山々
そのようなことはスピーチで
を振り返りながら一時間ほどで小日向のコ
が開いた途端、花嫁の入場と勘違いした出
は言いませんでしたが、あの時のことを思
ルに到着。ここは我ら青学 OB にとっては
席者が、私の方を皆、一斉に振り返ったら
えば、その後、裕美子が入部し、こうして
青春時代の思い出深い天幕場だ。
どうしようと戸惑ったのだが、ヨネと裕美
楽しい日が迎えられたことは夢のような気
子はとっくに入場した後で、ホッとして最
がします。
余韻を楽しみ、のんびり休んだ後は、猿倉
まで今シーズン最後の滑降を楽しむ。北面の
ためか雪質もそれほど悪くなく、駐車場まで
滑り込むことができた。
晴天の下、高度差約 2300m の滑降がで
き、充実感たっぷりであった。
「結婚しちゃいました」
米沢清文 ・ 杉下裕美子
結婚披露宴レポート
監督 西澤 直志
後列の椅子に腰をかける。
ここで印象的だったのが、牧師さんのお
まあ、そんなこととは別に、ふたりとも3
人兄弟の末っ子で、相当な我儘者でしたので、
説教。「たとえ、燃えるような愛情が衰えた
ご両親には、きっちりと社会勉強もさせたこ
としても、うろたえてはいけません・・・。
」
とだけはご報告いたしました。また草野 OB
なんて意味深な言葉を告げると、新郎新婦
から、心温まるお手紙をお預かりしていまし
はもとより、ご両親をはじめ、周りのみん
たので、ご披露するとともに、二人へきっち
ながうなずいていました。最近の神父はさ
りと届けさせていただきました。
ばけているなあ。しかし、その後のヨネの
披露宴には、OB 会から私のほか、村上、
誓いの行為の長かったこと。相当固い思い
伊東、中尾の各コーチ、NHK 網走支局か
で、この結婚を決意したのが分かりました。
ら井上リポーター ( 支局員は彼一人だそう
披露宴の前には、ヨネのご両親と歓談。
「三
です ) が出席。その他、一橋大学山岳部、
男だから相当甘やかしましたね。」なんて水
芝浦工大山岳部からも出席があり、
同じテー
山岳部出身の米沢清文君 (05 年卒 ) と杉
を向けると、
「そりゃもう、甘やかしすぎま
ブルということもあり、益々楽しい酒が進
下裕美子さん (04 年 12 月まで在籍 ) がご
して、こいつの兄貴にも甘いなんて言われ
んで、酩酊状態。かすかな記憶でしたが、
結婚されました。創部以来?組目となる山
まして。」と、
気さくな会話を楽しみました。
ヨネの最後の挨拶はなかなかしっかりして
岳部出身者同士のカップル誕生です(正確
私も3人の子持ちですが、自戒の意味もこ
いて、社会人として成長したなあと感じま
な数字がわかる人、編集部までご一報を)。
めて、気持ちは分かります。
した。但し、ヨネの会社の社長さんが、ヨ
2007 年 11 月 23 日、 青 学 会 館 で の 結
さて、披露宴ですが、裕美子のウェデン
婚式に出席したときの様子を西澤監督がレ
グ姿はとてもきれいでした。想像力の乏し
何を勘違いしたか、「掃除」のレポートを出
ポートします。
い読者の皆様に分かりやすく言いますと、
したというエピソードを披露され、ヨネら
ヒマラヤでいうと「チョゴリザ」( そのま
しい「大物さ」も失っていないようでした。
まやんけ !!)、日本で言えば厳冬期の「奥大
そんなこんなで、楽しい時間もあっとい
ヨネから「チャペルで行う結婚式にも是非
日」、「朝日」
、「飯豊」って感じかなあ。兎
う間に過ぎ、最後に、二人から「いろんな
参加してください」という案内状にも関わ
に角、純白ですな。透き通るような。お色
ことを暴露しないで有難うございました」
らず起きることもままならず、「まあ、披
直しの後のドレスもチャーミングでしたが、
とも受け取れる固い握手をされて会場を後
露宴からにするか・・・」と惰眠を貪って、
この頃は、相当酔いがまわって、記憶も定
に し ま し た。 時 に、15 時 過 ぎ。 そ の 後、
のんびりと青学会館へ向かった。
かではありません。
明るいうちから、山仲間で二次会に行った
連日の残業、午前様の疲労がたたってか、
ネに技術レポートの提出を要請したところ、
結婚式は 11 時からですが、青学会館に
しかし、「なにかひと言」と言われてま
着いたのは 11 時 15 分。披露宴まで、お
したので、最後の理性を振り絞ってスピー
最後に、裕美子は大学4年の秋に退部し
茶まで飲むかな、なんて思っていると、案
チをいたしました。何を言ったかはよく覚
たことになっていますが、監督の私として
内係の女性が「まだ間に合いますから是非
えていません。ただ、ヨネに関して覚えて
は処分保留のままであり、この結婚を契機
お式にも !!」などととんでもないことを言
いるのは、僕にとっては木村君の遭難の後
に、OB 会に入会させたいと思いますので、
い出した。「いや、いいですから。」と拒む
に入部してきた虎の子の新人であり、萩原
よろしくお願いいたします。
私をなかば強引にパイプオルガンの鳴り響
前監督から引き継いだ財産でしたので、大
くチャペルのドアへと導いていった。ドア
切に育てました。でも、あるときヨネと話
ことは言うまでもありません。
※会費の納入もご協力くださいね。( 事務局代理 )
7●
緑ヶ丘通信 No.86 2007 年 12 月 26 日発行
【利用料金振込先】
新年会のご案内
冬期あずさヒュッテ
ご利用方法のご案内
●郵便局口座
記号
10160
番号 73522931
青山学院大学山岳部梓ヒュッテ
恒例の 2008 年緑ヶ丘山岳会新年会をご
案内いたします。皆様、奮ってご参加くだ
【冬期利用料金】
●三菱東京 UFJ 銀行
麻布支店
さいますようお願いいたします。なお、椅
期間:11/15 ~ 5/14
普通口座
子席をご希望される方が多くおられました
1 泊・1 名の料金。
アオヤマガクインアズサ
ので、椅子席でリラックスできる会場にい
たしました。
本人
山岳部員
【日時】 1 月 29 日(火)18:30 ~
【場所】 神楽坂
吉(かぐらざか
きち)
東京都新宿区神楽坂 1-10
会田ビル 5 階
山岳部 OB 会員
同伴者
小学生以下
キクチ
家族
800 1300
1800 1800
2300
800
電話:03-3269-3844
【交通】
5069075
【ヒュッテの設備】
①テレビ、電話はありません。携帯電話は、
「何とか」つながります。
②ガスレンジ、水道 ( ガス湯沸器有り)
、炊
飯器、冷蔵庫、電子レンジ、トースター、
カセットコンロ(2台、ガスは各自持参)
【お申し込み方法】
などは完備しています。
● JR 飯田橋駅下車、西口(市ヶ谷駅寄り)
往復ハガキ、ファックス、E-mail で
改札口を出て右へ、「神楽坂下」交差点を渡
①希望利用日(入室、退室予定時間明記)
団です。
り、神楽坂を30 メートル程登った左側。
②代表者の名前、住所、電話番号
※シーツを必ず各自ご持参ください。
●地下鉄飯田橋駅 B3 出口の対面、1 階
③利用人数…OB会員、その家族や非会員
が「翁蕎麦」のビルの 5 階。
の区分と、利用人数を明記して、「利用
受付係」にお申し込み下さい。
【会費】5,000 円【申込先】
■尾身洋介
TEL:090-9014-5280
■猪俣
TEL/FAX:042-487-0050
浩
EMail:[email protected]
④申し込みは、ご利用月の 3 ヶ月前の 1 日
より受け付けます。
【入室時の作業ポイント】
①ヒュッテの鍵は、玄関脇のボックスの中
にあります。ボックスのダイヤル錠は受
付係より連絡する4桁の数字で開けられ
ます。帰るときは、元どおり鍵をボック
(ご注意)
スに納め鍵を掛けて下さい。
※管理上、ヒュッテ利用は原則として、
年会費のご案内
③寝具は、羽毛布団(冬・夏共用)羊毛布
②水道を開通させてください。
1申込期間・1パーティです。
凍結防止のため、入室時は水道が止まっ
※入室は、午後3時以降、 退室は、午後
ております。マニュアルに従って作業し
3時までにお願いします。
てください。
※前日夜からの利用は一泊分、午前0時
③また、水道開通作業の前に、山側にある
現在会費収入は、約 25% の特定の会員
を過ぎてからの入室は、半額の利用料を
石油タンクの元栓を開け、ファンヒータ
の協力だけよるものです。特に 20 ~
お支払いください。
をつけておくと良いです。
40 歳代前半の会員の会費納入が非常に
割合が少なくなっております。ご協力よ
●申込み連絡先
ろしくお願いいたします。
【退室時の作業ポイント】
①部屋、トイレ、風呂場などの掃除、布団
①往復はがき宛先:
整理をしてください。
● 70 歳未満:10,000 円
東京都小金井市緑町 1‐2‐34‐315
②ゴミは必ずお持ち帰り下さい。
● 70 歳以上: 5,000 円
小山恭吾
③退室時に水抜き作業が必須です。この作
※年齢は 4 月 2 日現在の満年齢。
気付
あずさヒュッテ利用受付係
業は、常備のマニュアルに「忠実」に作
業をしてください。
【振込み先】
② FAX:042-301-7912(自宅電話兼)
みずほ銀行 八重洲通支店
普通口座
口座番号:0548478
※ 小 山 OB の 自 宅 で す。22:00 以 降
の FAX はお控え下さい。
口座名:青山学院大学緑ヶ丘山岳会
【お知らせ】
●
⑤冷蔵庫、冷凍庫に食べかけ、開封済みの
の、保存がきく食品を置いていく時は、
日付やメッセージを必ず残してください。
④利用料金は、
「前払い」となっております。
ジ URL が変わりました。(トップ表題下
利用日の 1 週間前までに、下記指定口座に
参照)。お手数ですが、「お気に入り」へ
お振り込み下さい。
(手数料は利用者負担で
の登録ご変更をお願いいたします。
お願い致します。)
8
必要はありません。
)
食品を残さないでください。未開封のも
③ Email:[email protected]
緑ヶ丘山岳会及び山岳部のホームペー
④配電盤に触れないで下さい。
(電源を切る
⑥消灯を確認して退去してください。
(あずさヒュッテ運営委員会)