博 士 ( 文学 ) 熊 谷 由美 子 学 位 論文 題 名 “ To Leave Life on this Earth” : The Development of Katherine Mansfield’ SAesthetics ( 「こ の世 に人生を残すこ と」: キャサリン・マンスフイールドの美学の発展) 学 位 論 文 内 容 の要 旨 く 第 1章 > マ ン ス フ イ ー ル ド は 『 前 奏曲 』 に お いて 初 め て 独自 の 芸 術 の世 界 を 描 いた が 、 そ の 基礎 は 作 家 を志 し て か ら『 前 奏 曲 』の 草 稿 『 アロ エ 』 を 書く ま で の 修業 時 代 に 培わ れ た 。 本章 で は 彼 女が 後 の 芸 術の 土 台 と なる 象 徴 派 的表 現 と 表 現形 式 の 自 由を ど の よ うに 習 得し たかを 明らか にして いる。 英 国 留 学 後 1906年 に ニ ュ ー ジ ー ラ シ ド に 帰 国 し た マ ン ス フイ ー ル ド は、 再 び 渡 英す る ま で の期 間 に 何 をど の よ う に芸 術 と し て表 現 す る かを 探 求 し た。 彼 女 が 先ず 手 本 と した の が オ スカ ー ・ ワ イル ド で 、 彼が 描 く 芸 術的 人 生 に 惹か れ た 。 その 後 、 具 体的 な 芸 術 目標 を 必 要 とす る に 至 ると 、 ア ー サー ・ シ モ ンズ と ウ オ ルタ ー . ペ イタ ー の 象 徴主 義 を 学 んだ 。 こ の 頃参 加 し た 母国 の 未 開 拓地 へ の 旅 は、 物 事 の 本質 を 外 的 事物 に よ っ て表 す 象 徴 主義 と そ の ため の 感 性 を深 め る よ い機 会 と な った 。 論 者 はこ の と き の大 自 然 の 中で の 経 験 を記 し た ノ ート か ら 後 の作 品 の 背 景や イ メ ー ジの 起 源 を 引き 出 し て いる 。 ま た 、こ の 頃 の 作品 に おけ る象徴 派的な ムード やイメー ジの分 析も行 ってい る。 1908年 の再渡 英後、彼 女の美 学に影 響を与えたのは芸術誌′'Rh ythm″である。′' Rhyth m″は フ オ ービ ズ ム を 支持 し て い たた め 、 マ ンス フ イ ー ルド も そ の 自由 で 直 観 的な 表 現 の 影響 を 受 け 植民 地 の 物 語を 書 い た 。そ の ー つ 『オ ー ル ・ アン ダ ー ウ ッド 』 は 象 徴派 の 手 法 を生 か し な がら 、 リ ズ ムや 色 彩 の ライ ト モ チ ーフに よって 作品全 体が主 題の野 蛮さを 表して いる。 論 者 はこ の 作 品 分析 に よ ぅ て、 マ ン ス フイ ー ル ド が伝 統 的 な 形式 に と ら われ な い 表 現の 自 由を 身にっ けたこ とを検 証してい る。 く 第 2章 冫 1915年 マ ン ス フ イ ー ル ド は 再 会 し た 弟 と の 思 い 出 話 に 触 発 さ れ 『 ア ロ エ 』 を 書 いた 。 『 ア ロエ 』 は 1917年 に 『前 奏 曲 』 とし て 完 成 され た 。 『 前奏 曲 』 は マン ス フ イ ー ル ドの ニ ュ ー ジー ラ ン ド での 子 供 時 代の 思 い 出 に基 づ ぃ て いる が 、 象 徴派 的 表 現 法と 新 しい 形式に よる独 創的な 物語であ る。こ の作品 で彼女 は平凡 な家族の¨tru th“を描く構想と、 そ の 表現 の イ メ ージ を 具 象 化し た 。 本 章は 『 前 奏 曲』 の 各 登 場人 物 を 通 して 描 か れ てい る ¨ truth” と は 何か、 またそ れがど のよう にーつ の世界 に統合 されて いるかを 考察し 、初め て 具現 化され たマン スフイ ールドの 美学を 明らか にして いる。 『 前 奏 曲 』 は 起 承 転 結 が な く 12の 断 片 か ら 成 り 、 シ ン ボ ル の ア ロ エ と そ れ に よ る ¨moment”を中 心にして 登場人 物の意 識やイ メージ によっ て”tru th¨を喚起する構成である。 - 50― それ故に霧 の中から家族が次第に現れるかのようなマンスフイールドがイメージした通り の印象を与 える。物語では3 人の登場人 物、B ur ne ll 家のKe zi a、L in d a 、B e ry l の心象が引 越という出 来事を通して現れる。マンスフイールドは自らが認識した意識の起源、自己の 分裂等の人生の現実を3 人の個々の¨t r u th ¨に投影しながら、彼女自身の自己開花の信条を 人生におけ る希望を暗示する¨m om en t¨として表し作品を統一している。従って作品全体 がマンスフイールドの感性が捉えた人生の¨t r u th ¨を伝えているのである。論者はこうした 『前奏曲』 における美学を分析し、この作品を当時の散文における画期的な物語として再 評価している。 く 第3章 冫191 8年 マン スフ イー ルド は自 らの 病と 戦 争と いう 精神 的危 機に 遭う 。これ によって彼 女はモダニストの使命に目覚め、彼女が「悲劇的な認識」と呼んだ伝統的価値 観を失った 時代の”tr u th ”を新しい方法で表現するという新たな探究を始めた。この探究 によって彼女は自身の美学を発展させる重要な作品、『私はフランス語を話せない』、『幸 福』、『亡 き大佐の娘たち』を生み出した。本章はこれらの作品をマンスフイールドが自 らの美学を極める前の重要段階とし、作品における¨t r ut h ¨とそれに伴う芸術的発展を明ら かにしている。 マンスフ イールドは、『私はフランス語を話せない』では「信頼できなぃ語り」によっ て、『幸福 』ではその語りを取り入れた象徴派的表現法によって各主人公の不確実な自己 を描いた。『亡き大佐の娘たち』では『前奏曲』と同じ断片的構造と象徴派的表現により、 老姉妹の悲 しい人生にある一瞬の美を表現した。この作品は「悲劇的認識」を経た人生の 受容にある 美を描くマンスフイールド美学の最盛期への転換点となった。論者は各作品の ’ , truth” と そ の た め に 工 夫 さ れ た 表 現 を テ ク ス ト に 沿 っ て 検 証 し て い る 。 く 第 4章 > 死 の 恐 怖 と 直 面 し て い た マ ン ス フ イ ー ル ド は、 19 21年の 夏頃 に は人 生の ‘' t ni t h”の受容によって「あらゆるものへの愛」が得られ、それが生の拠り所となるという 信念を持っ に至った。そして再ぴ故郷を背景にこの信念を表す一連の作品を書いた。本章 ではその中 の2 作品『海辺にて』と『園 遊会』を取り上げ、マンスフイールドがどのよう に人生の¨t ru t h¨の受容とその美を描き、人生を喚起させる世界を創り上げたかを考察し彼 女が極めた美学を検証している。. 『海辺に て』は『前奏曲』の続編である。この作品でもマンスフイールドは断片的構造 と¨mo me nt¨を中心とする象徴派的表現法を用いているが、人生を一日になぞらえるモダ ニストの手 法を取り入れ作品全体を包むイメージとして海を配置し統一性を強めている。 家族の一日は「人生の盛衰」を映し出すが、L i n d a がそれを不可避な’’t r u t h ”として受容す る”mo me nt' ’に美が現れる。このことを検証することによって論者は『海辺にて』をマン スフイールドの人生の「賛歌」とみなしている。 『園遊会 』もマンスフイールドの思い出に基づぃているが、思春期の少女L au r a の園遊 会の日の経 験の物語である。この作品でも一日は人生を思わせるが、La u r aが日中の経験 を経て死者と対面し、様々な事が同時に起こる「人生の多様性」という¨t r u t h ¨を発見する ま で の 行 程 で も あ る 。 彼 女 の意 識に 同化 する 語り と一 連の イメ ージ は、 そ の発 見の ”m O me n t”へと見事に導かれている。『海辺にて』のL i nd a のようにL a u r a の発見した¨t r u t h ¨ は悲しいも のであるが、それ故に得られる美が人生を肯定する。彼女が辛い人生を終えた 男に見いだ す美と満足によってこの作品は前作より明確な人生の「賛歌」となっており、 読者の内により一層¨t r um ¨を喚起する。論者は’,m om e n t ”を導くイメージを重視し作品を ―5 1− 分析することによって、マンスフイールド美学の極致を検証している。 ― 52― 学位 論 文審査の 要旨 主査 教授 長尾輝彦 副査 教授 山田貞三 副査 教授 高橋英光 学位論文題名 “ To Leave LifeonthisEarth” : TheDeVe10pmento fKatherin eManS丘e ld’SAeS thetiCS ( 「こ の 世 に 人 生 を 残 す こ と 」 : キャサリン・マンスフイールドの美学の発展) キャサリン・マンスフイールドが世に残したのは5冊の短編集だけであるが、人生 の微妙なある一側面を描き出す独特の繊細な小説技法は今なお多くの読者を惹きっけ ている。審査委員の審査は、その繊細な小説技法の発展過程を綿密にたどった本論文 のねばり強い努カを高く評価した。論者は、「人生をこの世に残すため」に人生の真 相とその芸術的表現を追い求めた作家であると考える。その観点に立って、200 2年 に出版されたマンスフイールド研究資料の集大成ともいえる『マンスフイールド・ノ ー トブ ック 』を 最大 限に 活用 して 、作者 の生 涯と 作品を克明に跡づけている。 マンスフイールドは1 920年代の終わりに、ジョン・ミドルトン・マリーの伝記に よって注目を集め、NewC ri ti ci sm が好んで取り上げる短編小説のアンソロジー・ピー スになった。その後、これまた時代の流行に従って、伝記や書簡集によってその奔放 な私生活が暴かれた結果、伝記的事実に照らした作品解釈がさかんになり、奔放な人 生 を 生 き た . New Woman¨ の 作 家 と し て と ら え ら れ る よ う に も な っ た 。 しかし論者は、『マンスフイールド・ノートブック』の出版によって利用できるよ うになって資料と、丹念な作品の読みによって、芸術のためにたゆまぬ努カを続けた 真摯な作家としてのマンスフイールド像を明らかにして見せている。マンスフィール ドの全作品に目を通した後に、作家としての成長の跡を最も明確に物語る6個の作品 (マンスフイールドが作家として大きく飛躍した4作品と、晩年に書かれた代表作の 2作品)に焦点を当てて論を進め、マンスフイールド特有の直観、感性、そしてその 芸術的表現のための工夫や技巧…それを「マンスフイールドの美学」と名づけて、そ の発展過程を明らかにしている。 適時な『マンスフイールド・ノートブック』の出版がこの論文の執筆を可能にした とも言えるが、同時にまた、この『マンスフイールド・ノートブック』によって明ら かになった伝記的事実を最大限活用することを可能にしたのは、論者の長年にわたる 一53 ― マ ン ス フイ ー ルド研 究の成 果であっ たと言え る。す ぐれた作 品と、 それを生 み出し た 作 家 の いず れ がより 重要で あるかは 、難しい 問題で あるが、 最終的 には、人 ではな く 作 品 の 方に カ 点を置 くのが 正しい文 学研究の 立場で ある。本 論文の 論者はマ ンスフ イ ー ル ド の生 涯 にそっ て発展 過程をた どるとぃ う形を とってい るが、 各作品に っいて 行 っ た 克 明な 解 釈と鑑 賞にそ の最大の メリット を持っ ており、 この点 で、今後 のマン ス フ イ ー ルド 研 究のあ るべき 姿を示し たといえ る。「 マンスフ イール ドの美学 」と言 う か ら に は、 何 らかの 客観か 的な美学 理論の枠 組みを 組み立て てより 説得カの あるも の に 下 法が よ かっ た とも 言 える が 、そ れ は 今後 の 課題と言う べきである 。 英 米文 学 の 作家を取 り上げ て論文を 書く場 合には、 英語で書 くこと が求めら れてい て 、 そ の英 語 の表現 カも審 査の大き な比重を 占めて いるが、 この点 でも、論 者の英 語 は、間違いのない正確な英語であり、問題はなかった。 審査担当者絃、学位申請者に対する口述試験を含め、前後5 回に及ぶ審査委員会をもち、 入念な審査を重ねた。口述試験に臨んだ学位申請者の受け答えは、長年のマンスフイール ド研究に培われた博識に支えられ、自信に満ちた堂カとしたものであった。これらの審査 の末に、審査担当者は、本論文が、長年にわたる研鑚と熟慮の成果を展開したものであり、 博 士(文学 )の学 位の水準 を十分に 満たす ものであるという点で、意見の一致を見、そ の旨の報告を研究科教授会に対して行った。 ― 54―
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