ピアノ演奏者の表現意図の違いによる演奏音の音響特性 ならびに演奏者

ピアノ演奏者の表現意図の違いによる演奏音の音響特性
ならびに演奏者の身体動作の変化: 事例研究
○正田悠・安達真由美
(北海道大学大学院文学研究科)
キーワード: 演奏表現,物理的特性,ピアノ演奏。
Effects of a pianist's intended performance manner on the acoustic features and the performer's body movement: A case study.
Haruka SHODA and Mayumi ADACHI
(Graduate School of Letters, Hokkaido University)
Key words: Performance manner, Physical features, and Piano performance.
目 的
ときの θ と最も身体を倒したときの θ の差 (運動振幅) を身
正田・中村・安達 (2008) は,ピアノ演奏者に Rachmaninoff
体動作の指標とした。
作曲の 2 楽曲をそれぞれ 3 つの表現意図 (《機械的》
,
《芸術
結 果 と 考 察
的》,《誇張的》) で演奏してもらい,その演奏音ならびに演
演奏者に区分をしてもらった音楽的構造ごとにタイミング,
奏者の身体動作を分析した。結果,演奏者が意図した表現が
ダイナミクス,身体動作の平均値を算出し,各々の値からの
異なると,演奏の物理的特性も異なることが示された。本研
偏差を算出した。各指標の時系列的変化の傾向が表現意図間
究は,それをより詳細に分析し,3 つの表現意図の違いによ
で似ているかどうかを調べるため,表現意図間の相関係数を
って,演奏音の音響特性ならびに演奏者の身体動作が時系列
算出した (表 1)。表 1 より,どの指標においても表現意図間
に沿っていかに変化するのかを調べた。
に有意な正の相関が見られた。特に「前奏曲」のダイナミク
方 法
スを除くすべての指標で,
《芸術的》表現と《誇張的》表現の
演奏者: 演奏はプロピアニスト (男性, 23 歳) に依頼した。
間の相関が比較的高かった。このことから,
《芸術的》表現と
場所: 演奏は大阪府吹田市メイシアターの第 2 練習室 (暗騒 《誇張的》表現は,時系列に沿って似たような変化をしたこと
音 45.0 dB(A) ) で行われた。
が示唆された。一方,
《機械的》表現は,全体を通して変化を
演奏曲: Rachmaninoff 作曲,絵画的練習曲 Op.39-1 ならびに前
抑えた演奏となるため,
《芸術的》表現や《誇張的》表現とは
奏曲 Op.32-5 (以下,「音の絵」,
「前奏曲」) を演奏曲とした。 変化の傾向がやや異なったのではないかと考えられる。
演奏表現: 演奏者には各曲をそれぞれ《機械的》,
《芸術的》,
さらに,演奏の物理的特性のばらつきが表現意図間で異な
《誇張的》という 3 通りの表現意図で演奏するよう求めた。 ったのかを調べるため,表現意図 (対応あり) と演奏者の解
《機械的》は楽譜どおりの演奏を指し,
《芸術的》は大勢の観
釈した音楽的区分 (対応なし) を要因とする等分散性の検定
客がいるようなコンサート場面で普段演奏するような演奏で
(Levene 検定) を行った。結果,いずれの指標も,両要因の主
あった。
《誇張的》は演奏に付与しうる表現をできるだけ大げ
効果および交互作用が有意であった (p < .001)。そこで,音楽
さにしたような演奏であった。
的区分ごとに単純主効果の検定を行った (表 2) 。結果,表現
装置: 演奏の録音にはマイク (SHURE SM57) および DAT レ
意図の単純主効果が有意な区分とそうでない区分があった。
コーダ (SONY CD-D8) を用い,録画には 4 台のビデオカメ
このことから演奏者は楽曲が続く間中常に 3 つの表現意図を
ラ (Victor GZ-MG40,SONY DCR-PC110,DAIWA SE-72F を 2
区別して演奏したわけでなく,音楽的構造に従って,はっき
台) を使用した。
りと区別する部分とそうでない部分を作り,3 つの意図の違
手続き: 演奏者に,
30 分ほど演奏の練習をしてもらったのち, いを表現したことが示唆された。
10 名の聴衆を動員した。はじめに「音の絵」の《芸術的》
,
《誇
以上から,演奏者は,異なる表現を意図しながらも,時系
張的》,《機械的》を演奏してもらい,休憩 (15 分) を挟み, 列的な変化の傾向は比較的同じように表現したが,音楽的構
「前奏曲」の《芸術的》,
《誇張的》,
《機械的》を演奏しても
造に従って変化の程度を大げさにしたり抑えたりすることで,
らった。6 つの演奏が終了した後,演奏者に収録された映像
3 つの意図の違いを表現したことが示された。
引 用 文 献
と演奏音を視聴するよう求め,各演奏が意図通りのものであ
正田悠・中村敏枝・安達真由美 (2008). ピアニストの意図した演奏
ったかを判断してもらった。納得のいかなかった演奏は収録
表現の伝達: 演奏音の音響特性ならびに演奏者の身体動作の分析 .
し直した。演奏後インタビューを行い,両曲を音楽的構造に
ヒューマンインタフェースシンポジウム 2008 論文集, pp. 29-36.
従って区分するよう求めた。
表 1. 表現意図間の相関係数
分析手法: 演奏音の音響特性として,タイミングならびにダ
タイミング
ダイナミクス
身体動作
音の絵
前奏曲
音の絵
前奏曲
音の絵
前奏曲
イナミクスの表現を分析した。タイミングの指標として,
「音
芸術的 誇張的 芸術的 誇張的 芸術的 誇張的 芸術的 誇張的 芸術的 誇張的 芸術的 誇張的
.50** .46** .77** .65**
.53** .48** .34** .39**
.38** .31** .36** .31**
機械的
の絵」では 2 拍 (四分音符 2 つ分) の時間長を,
「前奏曲」で
.74**
.77**
.62**
.23*
.61**
.48*
芸術的
は 1 拍 (四分音符 1 つ分) の時間長を計測した。この拍数は,
**: p <.001, *: p <.01
表 2. 音楽的区分内の単純主効果の検定 (Levene 検定)
音楽的に意味のある最小の区分である (以下,ユニット) 。
音の絵
前奏曲
さらに,40.00ms ごとの瞬時の A 特性音圧レベル (以下,
E
A1 A2 A'1 A'2 B C A'' D
音楽的区分 A A' B A" C D A A''' B
タイミング n.s. n.s. * n.s. ** ** † n.s. n.s. ** ** n.s. ** n.s. * ** ** **
レベル) を計測した。ユニットごとに演奏者が最も強く打鍵
* n.s. n.s. n.s. n.s. ** n.s. n.s. ** n.s. n.s. n.s. n.s. n.s. †
*
*
ダイナミクス *
したレベルと最も小さく打鍵したレベルを特定し,その差
† ** ** † ** ** † ** * **
† n.s. ** n.s. * n.s. *
*
身体動作
**: p <.001, *: p <.01
**: p <.001, *: p <.01, †: p <.05, n.s. : p > .05
(ダイナミックレンジ) をダイナミクスの指標とした。
謝辞: 演奏を引き受けてくださった渡里拓也さんに深謝いたします。本研究は
身体動作は Frame- DIASⅡversion 3.11 (DKH) により,フレ
第一著者の卒業研究として大阪大学人間科学部でなされたものです。ご指導く
ームレート 30.00 fps で計測した。ピアニストの体幹部と床平
ださいました中村敏枝先生に感謝いたします。本研究は科研費 (18500162) の
助成を受けました。
面からなる角度θを求め,ユニット内で最も身体を起こした