オペラの風景(40)「魔弾の射手」中世の森? 本文 アガーテ モーッアルト

オペラの風景(40)「魔弾の射手」中世の森?
本文
アガーテ
モーッアルトが「魔笛」を作ったあと「魔弾の射手」が出来るまで 30 年
間。ドイツ、オーストリアで出来たオペラは「フィデリオ」だけか。今も
残っているのはそうですが、実際はシューベルトやウエーバーのオベロン
などがありました。注目されなかっただけでした。
「魔弾の射手」はベル
リンでの初演から大変な注目を浴び、今でもロマン派オペラの嚆矢といわ
れています。当時の識者に驚きの目でみられたのは確かです。識者の文か
ら「魔弾の射手」の特色を捉えます。
詩人ハイネ
ハイネの小文「《花嫁の花冠》に関する、
《ベルリンの書簡》
」は 1822 年 3
月 16 日に書かれています。
「マーリア・フォン・ウエーバーの《魔弾の射手》を、まだお聴きになって
いないのですか?まだなのですか?不幸なお方だ。しかし、少なくともこ
のオペラの中の、
《花嫁の唄》つまり《花嫁の花冠》だけは、お聴きにな
られたでしょうね。いや、まだですか?でもそれはお幸せなことですヨ。
もし、ハレ門からオラーニェン門に向けて、あるいはブランデンブルグ
門からケーニッヒ門へ、何なら、今や至るところで同じメロディを耳に挟
まれるでしょうよ。これぞ、唄の中の唄、
《花嫁の花冠》です。
中略
ウイーン、ドレスデン、ハンブルグの各地でも、熱狂的な喝采をうけてい
ます。このオペラがこの地〔ベルリン〕では反スポンティーニ派によって
のみ賞賛さあれているのではないかとお考えになるのは、全く不当である
ことがこれではっきりとおわかりになるものです。
以下略」
初演の 1821 年ベルリンではスポンティーニとウエーバーの間で、前者の
演劇的なものが先、後者の音楽的なものが先、という二つの芸術的主張の
争いがあったそうですが、《魔弾の射手》の人気はこの党派的争いとは無
関係なものだ、とハイネは主張しています。
大作曲家ベルリオーズ(20 年後)
この熱狂は 1841 のパリ初演まで続きます。
《幻想交響曲》で有名なベルリ
オーズはこのオペラの対話をレチタチーボ(歌い言葉)に変えてくれ、と頼
まれました。パリでは「魔弾の射手」はグランド・オペラなので、オペラ・
コミックで使われている対話では困るというわけです。彼は他の人に頼ま
れるよりは、自分ならまだウエーバーの天才を損なうことが少ないだろう
と、判断したようです。彼は、当該部分以外は原作に忠実という条件をつ
け、改作、移動、省略、訂正の口実を避けたのですが、歌詞に全て音楽を
つけたのであまりにも長くなったし、レチタチーボは冗長で、重苦しく、
また大げさな演奏となった、と自分でも言っています。私自身は、このレ
チタチーボの作者と呼んで欲しくないとさえ言っています。
(なお 1824 年
には改作された《魔弾の射手》が《森の道化師》の名でパリ、オデオン座
で上演され悪評を受けています)
ワーグナー(20 年後)
このベルリオーズの手をいれた上演を見たワーグナーは、オペラへの誤解
を避けようと、新聞紙上に頼まれてパリ聴衆あてに解説を書いています。
彼はベルリオーズのフランス語訳版が、本当は気にいらなかったようです
が、ベルリオーズとウエーバーという二人の天才の顔を立てるためか、大
変苦労した解説文となっています。
1)
「伝説」はボヘミアの森を歌った詩そのものであるかのように思えま
す。その荘重な光景はまたたく間に我々の心をとらえ、またその地で互い
に離れてさびしく住む人人たちは、魔法の自然力をもたないまでも、我が
身に分かちがたく結びついているものと信じています。そして、まさにこ
のところに、このような類の伝説の、とりわけドイツ的な性格がねざして
いるのです。何となれば、この性格こそ,回りの自然にその行方を前もっ
て決められ、魔的なイメージもここからつくりだされているからなのです。
中略
2)しかしながら今日では(1840 年頃)、素朴極まる農民でさえも、このこ
とを信じようとはしません。というのも、このような出来事はあまりにも
はっきりと、旧来の生活にはめこまれており、しかもこの生活においてす
ら、確かに、このようなことは起こりえなかったからでもあります。それ
に反して、幸運なことにも、人間の心とそれを取り囲む本来の自然との神
秘に富むつながりは、まだ捨てられていなかったのです。
中略
3)この作品がその純粋さと素朴さを保って上演され、我々の舞台(パリ上
演をさす)での飾り気ない婚礼の行列をいろどっている、複雑で不自然な
踊りに代えて、私がお話したようなベルリンの哲学者が口ずさんだような
小さな歌をきくならが、そして、華やかなレチタチーヴォでなく、ドイツ
学生ならすべて暗記している、素朴な対話の部分だけを聴こうとするなら
ばあなた方も「魔弾の射手」を本当に理解できるのではないでしょうか。
後略」
ワーグナーはベルリオーズだからこそ、このレベルの上演が可能だった、
と評価していますが、グランド・オペラ化に不満だったのは確かです。
初演当時は作曲国では大変な人気を博しても、作品は国が変わり、時代が
移っていくと、評価は変わるのは当然です。ワーグナーがそのことを配慮
し、更には1)と 2)の区別をしていることに私は注目します。
それから 150 年たった最近の演奏を比べると、舞台を何時の出来事とみな
すか、公演によって、随分違うのが気になります。
先ずウエーバーが 100 年前のボへミアの森の出来事として作曲したかどう
かです。ベルデイがよくやったように弾圧を避けるため、時代と場所を移
したのではないか?このことについては、彼の優れた対談に手がかりがあ
ります。
ウエーバー(初演後間もなく)
対談はワーグナーの評論発表以前(182・年ですが、公表されたのは 1869
年です)行われ、このオペラの特徴を述べている優れた内容です。
対談者ローベが「様式、音調の全体性で、このオペラにある旋律や和音が、
《魔弾の射手》だけで聴こえ、他の作品に表れてくるのは不可能と思う」
といったのに対し、ウエーバーは「もしそうなら、とても幸いなことで、
でも私のオペラだけでそうではなく、例えば《ドンジョバンニ》や《魔笛》
でも似たことが言える、と思う」と答えています。対談者は「聞くものを
ある特定の時代、ロマン的な狩人の生活、魔力が支配する不思議な世界へ
否応なしに移し変えていく力を神はあなたに与えた」と賛美するが、ウエ
ーバーはそれを先輩から学んだことだ、
」と謙虚に答えるだけです。そし
てこう加えます。
「全体的な音調というか、性格というか、画家がいう性格的な音色を、適
切な色を混ぜ合わせることで、作り上げたのです。管弦楽法的な音色で。
それらのなかで、
「魔弾の射手」で大事だったのは、マックスの《暗い力
が捕まえて離さない》という言葉でした。しばしば和音と旋律で、この《暗
い力》をきくものに思い出させなければならなかったのです。」
「私はこの恐怖にはどのような響きが適切であるかを、長い間十分に考え
たのでした。当然のことながら、それは暗く陰鬱な音色、つまり、ヴァイ
オリン、ヴィオラ、コントラバスの最低音域であったわけです。
(その他、
クラリネット、ファゴット、テインパニーなどの例を挙げている。)
」
「しかし見逃して欲しくないのはオペラの半分が暗闇で演じられルと言
う状況が、主たる性格を考える時、いかにわたしには好都合だったかとい
うことです。第 1 幕で夜になり、その後半部は暗闇で演じられます。また
第 2 幕では、
アガーテのシェーナの間に、
夜と窓からの月明かりを経験し、
最後に真夜中のころに狼谷の亡霊がくるのです。外界のこの暗いイメージ
は、音像の暗さを実際に、支え、強めています。もし「魔弾の射手」が、
明るい、優雅な、現代的な部屋で、昼日中に演奏され、恐ろしい印象が少
しばかり失われたならば、暗い力の介入も余り感じられなくなるでしょ
う」
(明るい部屋を徹底的に使った演出がコンビチニーによりDVD化され
ています・・後出)
「このオペラの登場人物はわれわれの現世的感情の密度を超え出たエク
セントリックな生を営んでいる」とウエーバーはつけ加えています。
1 幕カスパルがマックスを脅す(ランベルトの原画による銅版画、たも同
じ)
持っている DVD の感想
1)ハンブルグオペラ〔1968 年映画〕DVD
領主:トム・クラウゼ、森林官:トニ・ブランゲンハイム、
アガーテ:アーリン・ゾンダース、エンヒェン:エディット・マチス
マックス:エルンスト・コツープ、カスパール:ゴットロープ・ブリック
隠者:ハンス・ゾーテン、ザーミエル:ベルンハルト・ミネッテイ
レオポルド・ルードヴィッヒ指揮ハンブルグフィル
監督:ウパヒム・へス
東独時代に社会主義リアリズムでしょうか。作品の暗さは強調されていま
せん。ドイツ民衆の生命力を謳歌しています。映画ですからアップが多い
のが特徴で、中世の森の出来事ではなくなっています。
2)ドレスデンオペラ〔1985 年〕LD
領主:ハンス=ヨアヒム・ケーテルゼン、森林官:グンター・エマリッヒ、
アガーテ:ヤーナ・スミトコバ、エンッヒェン:アンドレーア・イーレ
ガスパル:エケハルト・ヴラーシハ、マックス:ライナー・ゴルトベルグ
隠者:テオ・アダムス、ザーミエル:オーラフ・ベール
指揮:ヴォルフ=ヂヒター、演出:ヨーアヒム・ヘルツ
第 2 次大戦で英国軍の爆撃で灰燼に帰した、ドレスデンオペラ再開の記念
すべき公演で、19 世紀と全く同じに復興された劇場は優美さが強調されて
います。公演はこの時代のドイツ的標準でしょうか。並みの域をでません。
25 年たった今見ると、全てが極めて平凡です。われわれが「魔弾の射手」
の名から想像するオペラです。つまり架空の 1820 年代です。
初演後大好評だったのはこんな演奏だったのでしょうか。ハイネが絶賛し
たのは違っていたのではないか?ウエーバーがローベと対談したとき、彼
らの念頭にあった姿はもっと暗い中世的なものだったように思います。
1825 年当時の舞台の人物が銅版画として残っていますが(本編の写真は
全てその銅版画)
、そこから浮かびでてくるのは、この上演より、もっと
暗く、格調ある世界です。またベルリオーズがフランス風にするのをため
らったのも銅版画から浮かび上げる世界なら、納得できます。
2 幕狼谷で魔弾を作る
3)チューリッヒオペラ(1999年)DVD
領主:チェイン・デヴィッドソン、森林官:ヴェルナー・グレシェル
アガーテ:インガ・ニールセンエンヒェン:マリン・ハルテリウス
マックス:ペーター・ザイフェルト、カスパール:マッティ・サルミネン
隠者:ラズロー・ポルガールザミエル:ラファエル・クラーメル、他
チューリヒ歌劇場管弦楽団&合唱団
ニコラウス・アーノンクール(指揮)
演出:ルート・ベルクハウス
この演奏に魅せられた私は始めて「魔弾の射手」が格別に名曲であると感
じました。演者はみな黒系統の服を着ています。動作に華やかさはなく、
許される限りの暗さで演じています。この舞台初演の 1993 年に演出者は
生きていましたから、1999 年 2 度目の上演でも演出n意図は実現してい
るのでしょう。初演時の指揮もアーノンクール。殆んどpまたはppでや
っていると錯覚をいだくほど、雰囲気は静謐です。ワーグナーのいう中世
の人人の暮らしはこんな形で自然と折り合っていたのではないか、と思い
ました。いわばこの公演は中世に時代を移しての上演です。
舞台に森はあらわれません。広場は閉鎖的な空間でそこに黒衣の男女が溢
れています。アガーテの家の入り口は地下、隣室とは板で繋がっています。
魔弾の製造場は蟻のような黒衣の悪魔の列が上下する斜面で示されます。
3 幕フィナーレアガーテの横に隠者が現れる
4)ハンブルク国立歌劇場(1999 年)
(領主)ヴォルフガング・ラウホ、 (森林官)ディーター・ヴェーラー
(アガーテ)シャルロット・マージオーノ(エンヒェン)ザビーネ・リッ
ターブッシュ (マックス)ヨルマ・シルヴァスティ、
(カスパー)アル
ベルト・ドーメン、
(サムエル)イェルグ・ケルベル(隠者)サイモン・ヤング
インゴ・メッツマッハー指揮 ハンブルク・フィルハーモニー管弦楽団
ハンブルク国立歌劇場合唱団
演出;ペーター・コンビチニー
コンビチニーは独特の才能があり、今注目され、一部では大変な人気があ
る演出家です。父は名指揮者フランツ・コンビチニー。彼の歯に衣を着せ
ぬ演出は色々な特色がありますが、常に現代に置き換えて、今の聴衆に皮
膚感覚として内容がわかるように演出しているのが格別です。オペラの精
神は可及的に壊さずに、しかも優れた音楽を生かして。
この立場に立つと、オペラ「魔弾の射手」で一番困るのは隠者の扱いと魔
術でしょう。
キントの台本は隠者が最初に登場する筈でした。隠者が森で神々にいのっ
ている姿が最初の場面の予定でした。更に 2 場では隠者にアガーテが会い
に行きます。これらをウェーバーが嫌い、削除した記録が残っています。
完成版では隠者は最後に初めて舞台上に姿を見せます、2 幕ではアガーテ
とエンヒェンの会話に話題としてでます。ウエーバーの妻カロリーネは舞
台演出の点からも、こう忠告したそうです。「この場面をとり除くべき、
民衆オペラの開始なら、民衆の生活を求めては」。これに対し、キントは
隠者をストーリーの《礎石》として理解していたようで、頑強に反対した
そうです。最終的には幕があがると、すぐ群集の合唱「勝った!勝った!
名人万歳・・・」に流れ込むという、新鮮なオペラとなました。
経過を尊重してか、コンビチニーの演出では、合唱は若々しく元気にあふ
れていて、隠者は舞台の下、観客とともに最前列に座っていて、上記、二
人の会話でのとき、白バラ(これは隠者の象徴)を舞台に投げ込み、最終
幕が降りてから、領主の呼びかけで舞台に上がって、演説をたれて、判決
を覆す役を果たします。役者が日常着で演ずるのに彼だけは背広をきてい
て、舞台に上ると金の名刺を配るという、改まった姿勢です。何故名刺を
配るのか、これは背後にある大組織を暗示し、
「俺のいうことは組織のい
うことで、その圧力を感じなさい」というのでしょう。今は宗教より、領
主より、資本が支配する世界ですから。
コンビチニーは 3 幕を他の箇所でも大きくいじります。幕があくと、花嫁
衣裳をきたアガーテが日本的な祝い事を暗示する屏風の前に背をむけて
立っています。第 1 場は森の情景の筈ですが、マックスとカスパーが弾丸
のことでわめきあう声だけが聞こえ、上記のように舞台はアガーテ一人で
す。エンヒェンが入ってくる第 3 場は殆んど対話で、エンヒェンのロマン
ツアがあるだけです。これでは寂しいと判断したのでしょう。女性のヴァ
イオリニストが登場し、哀愁のこもったメロディーを演技しながら、奏で
ます。長い対話が少し退屈で、これならば結婚当日への現代人の理解には
適当です。
もう一つ魔法の問題があります。エレベータで地下に降りた所に魔弾製造
現場があり、今の我々に納得できる仕方で作業を表現しています。機械と
光と、意味のない奇怪な道具、深い森を表すのは月らしいものの光だけ、
そこにカスパルを置いています。どこかにいつも悪党の気配が感じられま
すが、最後は(合唱だけが普通響くのに)悪党の集団があらわれ、
《洞窟
と沼の大地の割れ目、火と大地と海と空中を通るか》と歌います。カスパ
ルは叫ぶ「魔王の軍勢だ」
、と。怖さは十分です。
私のもっている CD,LP
流石ドイツ自慢のオペラだけに独欧の大家の名演 3 種
1)W.フルトヴェングラー指揮ウイーンフィル、1954 年ザルツブルグ音
楽祭実況
極めて遅いテンポで曲のよさが私にはわかりません。
2)C.クライバー指揮ドレスデン国立歌劇場オケ 1973 年
中世は感じませんが、名演です。彼の軽やかなリズム感が抜群です。それ
で、森の音楽になあっています。これも天才の業でしょう。
3)N.アーノンクール指揮ベルリンフィル 1995 年・ベリリンフィルハー
モニーザーレ実況
DVD を上回る暗さ、テンポの遅さ。オーケストラが上手く、ひきつけら
れます。十分に中世の森の音楽になっています。