オペラの風景(39)「魔弾の射手」、説話から伝説、オペラへ 本文

オペラの風景(39)
「魔弾の射手」、説話から伝説、オペラへ
本文
ウエーバーの作ったドイツロマン派最初の名作オペラとされています。代
表的な歌は「狩人の合唱」でしょうか。オペラの風景で扱ってきたのは、
ロマン派のオペラですが、従来のロッシーニなどの古典派オペラとどこが
違うかといえば、先ず内容です。幻想とか夢の表現を大事にするのがロマ
ン派で、作曲家はそれに相応しい台本を捜して、オペラに新しい領域を開
拓しました。台本が,現在ではありえない、昔の話が多く、神話、騎士物語、
ならぬ恋、魔法などからとったものでした。魔法をかけた弾丸をつくって、
射手は失敗なく、獲物を倒すというのが、このオペラの筊です。
魔法の名作として思いつくのはモーツアルトの「魔笛」、ワーグナーの「さ
まよえるオランダ人」でしょうか。御伽話に近い題材ですが、概してオペ
ラにするのは難しいようです。
オペラ「魔弾の射手」の直接のネタ本は「幽霊話(1810 年ライプチヒ刊)
」
に入っているヨーハン・アーベルとフリードリッヒ・ラウンの「魔弾の射
手」伝説(以後「伝説」と略す)です。
この「伝説」の原話は更に 100 年前の 1730 年に出版されたオットー・シュ
タインの「アンドレニオとブノイマトフィロの間に交わされた霊界に関す
る説話」にです。
「説話」はボヘミアの裁判記録にあったもので、話の時
期は 1710 年、まだ宗教裁判が行われていた頃です。題は「書記官の魔弾
作り」(以後「説話」と略す)
。
狩の好きな書記官が,この地を治める狩人と懇意になり、63 個の魔弾を作
る約束をし、内 60 個は全て目標に当るが、3 個は悪魔のもので、63 個は
区別がつかない。1 ヶ月後、1 時間ほどはなれた四つ辻で二人は会い、狩
人は自分の周りに大きな輪を書いて、内部で魔弾の製造を始めた。運んで
きた鍛冶の道具は 11 時の時計がなると、自然に発熱し弾丸製造に取り掛
かれた。魔女や多数の狩人の幻影、などあってから登場した騎士は作った
ばかりの魔弾を要求した。狩人が反発したところ、騎士は異臭のものを投
げつけ、狩人と書記官を失神させた。狩人は目覚め、魔弾をもって村に行
き、書記官を助けるよう村人に依頼し、秘かにザルツブルグの山々の方に
消えた。瀕死の書記官は助けられたが、裁判を受け、斬首のあと火焙りの
判決をうけた。多くの人の要望で、彼は減刑され 6 年の重労働となった。
この話から魔法をかけた弾丸の話が、100 年後の「魔弾の射手」伝説にう
けつがれました。アーベルとラウンの「伝説」にはウェーバーのオペラに
必要な話題が登場しています。
「書記官ヴィルムヘルムは森林官ベルトゥラームの娘に恋をし、転職して
狩人になり、婚約します。しかし婚約後は猟師として冴えない日日が続き、
魔法をかけられたとの噂が出て、魔法使いのサムエルに相談したら、との
助言もあったが、二人は気乗りがしなかった。ある日義足の老人に会って
銃に魔法がかかっていると教えられ、魔弾をもらう。以後、魔弾の偉力が
あらわれ、ヴィルヘルムはどんどん魔弾を使ったので、世襲者を決める御
前射撃試合直前には2個になった。森林大臣の来訪が遅れ、更に魔弾の必
要を感じた、ヴィルヘルムは射撃の前夜、魔弾をつくる四つ辻を訪ね輪を
描いた。63 個の魔弾を作る迄に異変が数々起きたが、最後の魔弾を作りお
えて、輪を越えようとしたとき真夜中の時計がなった。騎士が現れ、「君
は合格した。君のは 60 個私の分は 3 個、前のは当るが後のは外れる」と
いう魔法の言葉を残し去った。射撃の日、この魔弾を多数使って領主に示
威したあと、本番になり領主の指示で白鳩を撃とうとした。森林官の娘は
《鳩は私》と発射を止めたが間に合わず、彼女は撃たれて倒れる。彼女の
傍に義足の男が立ち、
「60 発は当り、3 発は外れる」と叫ぶ。彼女の両親
は悲しみの余り亡くなり、書記官は気がふれて生涯を狂人達の館で過ごし
た。
」
「説話」から「伝説」へ移るとき、書記官が婚約者になるのはロマン派登
場を暗示しますが、その所為で悲劇の関連者が増えます。また魔弾使用が
罪である、という考えは薄れています。代わりに、人間としての感情、恋、
罪、悲しみなどが話の表面にでます。
2幕
ウエーバーが読んで興奮したのは「伝説」ですが、これをオペラの「台本」
としたのはフリードリッヒ・キントです。時はロマン派が産声を上げた時
代、
「伝説」を一層幻想的にするに、かなりの訂正が必要でした。出来上
がったのはこんな話でした。初演は 1821 年。
1 幕では、森林官の娘に恋をしているマックスは婿となることでポストが
世襲できると考えていたが、領主の前で試射をしなければならないことを
知る。彼と娘アガーテは相思相愛である、森林官が名誉ある職でもあるか
ら、御前試射が負担となったか、マックスはスランプに陥る。本選前日の
大会でも農民キリアンに負ける。身分の低い農民に揶揄される。そこへ第
一の狩人、30 年戦争を経験したカスパルが登場、彼は神を恐れぬ崩れた人
間になっており、マックスに魔弾の使用を勧める。マックスは動揺し、ア
ガーテへの恋慕と悪魔に身を売る恐れとを綿々とアリアに託す。
2 幕はアガーテの自宅、従姉妹のエンヒェンの登場、二人が続ける婚礼前
日のたわいないふざけ話しは、先刻、御先祖の画額が落ちてきて、アガー
テが受けた怪我が話の内容にロマン派的な暗さをあたえる。エンヒェンの
明るい姿勢は古典派オペラの魅力。アガーテ一人月の明かりに照らされ、
恋人を待つ歌はロマン派アリア、そこにマックスの訪問、話は昔話から現
在へ。祖先の額が落ちたという事件は「伝説」にも使われているが、オペ
ラではマックスが魔弾を試射したとき丁度落ちたと、両者が結びつけられ、
マックスだけが動揺する。不安を振り切り、狼谷にいくと、一言、彼女ら
を振り切って出て行く。魔弾製造の後めたさは、ある。狼谷ではカスパル
は既に仕事をしている。ここは昼でも村人が近づかない深い森で、死人の
霊が集まるところ、マックスは母の亡霊を、更には振り切ってでてきた筈
のアガーテが追いかけてきて自殺する幻影をみる。二人は悪魔サミュエル
の助けを借りながら、悪魔の軍団に怯えながら、7発の魔弾を作る。マッ
クスの取り分は 4 発。
3 幕は試射当日。アガーテは夢見の悪いのを気にする。白鳩になって飛ん
でいたらマックスに撃たれたという。エンヒェンはからかう。屋敷に乙女
達が祝いに花束をもってくる。エンヒェンは準備した式に使う花冠をとり
だす。みると、葬式用のものだった。
人人が集い、領主も立ち会って試射会がはじまる。事前の試しうちでは、
マックスは 3 発が見事成功し、カスパルは既に 3 発撃ち尽くして、マック
スから一発クレとの依頼を拒否。領主の指示で白鳩を狙った試射の 1 発。
弾は何故かアガーテへ、彼女は倒れる。同時にカスパーにも当る。隠者の
姿が?アガーテは間もなく、立ち上がるが、カスパーは息が絶える。領主
は事情説明をマックスに求め、魔弾製造の事実が明らかにされる。領主は
マックスの永久追放、婚約の取り消しを宣告。
(ここで魔弾製造が犯罪と
して扱われる。
「伝説」では背景に消えかけていた思想だったが。)そこへ、
隠者が現れ、一過性の勝負で生涯を決める愚を諭し、試射会の廃止を宣言
し、マックスの一年追放とその後の結婚を宣言。領主も之に従って、一同
目出度し目出度し。
(ここで最後の 1 発が悪魔の取り分だった説明はない。偶然かにみえる。
「伝説」では、最初のは魔弾、最後が悪魔のもののにように読める文があ
る。騎士(悪魔)とのとりひきで最初の 60 発は魔弾、あとの 3 発は騎士
のものという話だ。このことを魂を売ったカスパルは知っていて、自分の
分を先に撃ちつくした。キントの台本にその話はない。
)
3幕
伝説「魔弾の射手」はまだ裁判記録の影を引きづっていますが、オペラ「魔
弾の射手」では影はずっと薄れ、特に「伝説」では魔弾製造が街路の四つ
辻での出来事であったのが、オペラでは狼谷の森の奥に置かれています。
ドイツの森はロマンです。但し内容の不穏な箇所に対する弾圧を恐れて、
「伝説」同様、時代設定を 30 年戦争後の異国ボヘミアの森としています。
そんな変更があってもこれがドイツ・ロマン派の元祖オペラとなった事実
は否定できません。どこにロマンがあるか。話だけでは森で魔法の弾をつ
くることにありそうですが、オペラとしてみるとストーリーより、付随し
て起こる感情の動きではないか、と私は思います。ロマン派なればこそ、
第 1 幕の第 3 番のワルツから第 2 幕第 9 番の 3 重奏まで、各所で繰り広げ
られるマックス、アガーテ、エンヒェンの気持ちの表現で深い感情がこも
った状況を作ったと考えます。まして時代設定が迷信が横行していた 18
世紀初頭です。それなのに内容はワーグナーにさえ見られるようなロマン
です。もしこれ等を除き、「説話」をそのままオペラ化したら古典派やバ
ロック・オペラになったかもしれませんが。
ロマン派らしい代表的な話題は次の場面です。
マックス
「いやだ、あらゆる希望を奪い取る悩みや心配に、
もう、これ以上はたえられない!
いかなる罪のためにつぐなわねばならないのだ?
なにが私をこんなに不幸に陥れるのだ?
森を通り、草原を抜けて
私は心軽やかに歩きまわった。
・・・・・・・・
・・・・・・・・略
彼女の窓はきっと今開いている
彼女は私の足音に耳を傾けている
・・・・・・・・・
・・・・・・略
それなのに私を暗い力がつかまえて離さない!
おれを絶望が掴んではなさない!
この闇をとおしては、光さえ全くささないのか?
神は全くいないのか
おれを絶望が掴んでいて、嘲りが俺を苦しめる!」
スランプに陥り、森林官の職だけでなく、恋人を失う苦しさをマックスが
独白する場面は 7 分をこえるものです。このレチタチーボとアリアはアガ
ーテが第 2 幕で歌うシェーナとアリアと対をなすものでしょう。こちらは
10 分を越えます。
アガーテ
「あの人を知るまでは、
まどろみはどのようにやって来たのでしょう?
本当だわ、恋はいつも悲しみと
手に手をとって歩むものだといいます。!
・・・・・・
・・・・・・略
愛する人よ、どこにいなさるの!
私の耳はこんなに熱心に聞いているのに
樅の梢がさわぐだけです。
・・・・・・
・・・・・・
私の全ての脈は打ち
心臓は激しくさわいでいる、
あの人に向って甘く魅惑されて、
あの人に向って魅惑されて」
話として最もロマン派的なものは、魔術だったでしょうが、色々考えて出
来上がった作品では「魔術」の場はごく一部、2 幕後半だけです。それも
オペラでは、素材だった「伝説」より重みが減っています。しかも結末の
悲劇性を薄めるため、オペラでは筊を変えて隠者という知恵者を登場させ
ました。
(これが「魔笛」のザラストラに代わるほど存在感がないから、
単なるドンデン返し役のように私には思えます。)
このオペラが傑作なのは、上記主役二人の異質な恐怖から生まれたアリア
を中心としたドラマに大きく負っているからではないでしょうか。オペラ
は「魔笛」のように会話が各所に入ります。アリアの重みがうすれて演奏
されると現代人には深みのないオペラ、単なる歌芝居に感じられるます。
カスパルとマックス(1 幕)
魔法からみで起こる、魔弾製造の場面や先祖の額落下関係、花環の取り違
え、魂を売り渡したカスパルが凄みを効かせる場面、そして最後の誤射な
どが音楽的に表現されると傑作になりますが、そうでないと、歌芝居にな
りがちです。
「魔弾の射手」は多数CD、DVDがでているのはに良い演奏が存外少な
いのは、この二つが現代では表現が難しいせいではないでしょうか。私が
感心したのはLPのカルロス・クライバーのもの、DVDのアーノンクー
ル指揮したチューリッヒ歌劇場のDVDくらいです。次回はこのことを取
り上げます。