強磁場NMR計測技術の開発と先進材料応用 サブテーマリーダー:清水

強磁場NMR計測技術の開発と先進材料応用
サブテーマリーダー:清水
禎
1. 研究背景
ガラス、アモルファス材料、ゴム、ポリマー、触媒など実用上重要な非晶質材料は非常に多い。こ
れらの物質は従来のNMRでは分析対象になってこなかった。その理由は、従来のNMRでは磁場が
10テスラ(500Mz)だったために、感度と分解能の点で特別に有利な水素核と炭素核だけに分
析対象が限定されていたからである。しかし、磁場が20テスラ(900MHz)を超えると水素核
や炭素核以外の元素でもNMRが可能になるので、NMRによってしか得ることができない貴重な情
報が強磁場を利用した固体NMRに期待されている。
これらの材料において性能を従来よりも向上させるためには、原子レベルでの構造解析が必須であ
る。例えば石油やガスの精製などの目的で使われているゼオライトという触媒は、シリコン・アルミ
連結数などの局所構造と触媒機能との相関が20~30年前にNMRによって初めて原子レベルで
解明された結果、性能が飛躍的に向上した実績がある。当時よりも磁場強度が強い今日では、もっと
複雑な材料でも分析が可能となってきている。
構造解析といえば従来は、X線、電子顕微鏡等が多くの貢献をしてきた。しかしこれらの計測技術
はいずれも基本原理として周期性(原子や分子が一定の順序で整列していること)を利用しているた
め、結晶性物質には効果的だが非晶質物質には必ずしも万能とは言えない部分がある。すなわち、非
晶質物質の中に含まれている周期的な部分には敏感だが、非周期的な部分には鈍感なので、非周期的
な構造であることが機能の発現にとって本質的となっている場合等に、核心に迫る情報が得られない
ことが危惧される。NMRの原理は周期性を利用していないので、非晶質物質の場合であっても、周
期的部分とほぼ同程度の情報量を非周期的部分からも得ることができる。
2. 研究目的
近年、NMR用超電導磁石の到達磁場が上
昇し、強磁場固体高分解能NMRの測定が可能
になってきている。特に半整数スピンの四極
子核では、強磁場化により核四極相互作用の
二次のシフトが小さくなるためスペクトルの
高分解能化が起こり、平衡磁化の増大による
感度向上とあいまって、これまで困難とされ
ていた核種を用いたNMR構造解析が行える
ようになっている。実際、近年強磁場NMRに
よる95Mo等のいわゆるlow-γの核の基礎研究
が活発になっている。
95
Mo NMR はモリブデンの酸化数
(Mo -MoVI) により分類できる。溶液NMRで
0
Fig. 1. Structure of [H2MoV12O28(OH)12(MoVIO3)4]6 −
expressed by polyhedral (left) and atom-and-bond model
(right). Magnetically inequivalent sites of (MoV(1) atoms,
MoV(1)O6 octahedra) and (MoVI(2), MoVI(2)O6) are
indicated by purple and light green, respectively. In the right
side, large and small circles show molybdenum and oxygen
atoms, respectively. Thin and thick lines denote Mo-O and
MoV-MoV bonds, respectively
は全ての整数酸化数について95Mo NMRが
報告されており、特にMo0, MoII, MoVIの95Mo
NMRは配位化学や反応性の研究で多用さ
れている。一方、固体NMRの研究は多くな
く、これまで酸化物や錯体分子のMo0, MoIV,
MoVIや金属状態のMoについて95Mo NMR
測定が報告されている。
本研究では、混合原子価モリブデン(V,
VI) ポリ酸のMoV, MoV,VI, MoVIの固体95Mo
NMRを報告する。MoVは、ε-Keggin アニオ
ンやリング、チューブ、ボール状のナノサ
イズのポリ酸などに多く含まれているが、
これまで二核または三核錯体について溶液
95
Mo NMRが測定されているのみである。本
研究で対象としたのは局在化及び非局在化
したd1電子を有する反磁性のポリ酸
Fig. 2. (a) Schematic diagram of generation of [(MoVI 6
MoVO23)2]10 − from [MoVI7 O24]6 − by a two-electron
photoredox reaction. (b) Atom-and-bond representation of
[(MoVI6 MoVO23)2]10 − . (MoVI(1) atoms, MoVI(1)O6
octahedra), (MoVI(2),MoVI(2)O6), (MoVI(3), MoVI(3)O6) and
(MoV,VI(4), MoV,VI(4)O6) are indicated by yellow, blue, green
and red, respectively. four MoV,VI(4)O6 octahedra (Fig. 2(b))
[41]. In the present work, we measured 95Mo solid-state
magic-angle-spinning (MAS) NMR spectra of 1 and 2 under
moderate (9.4 T) and ultrahigh fields (21.8 T). By simulating the
acquired spectra, contributions from chemical shift and
quadrupole interactions were
extracted separately. Origin of large chemical shift for MoV or
MoV,VI species was briefly discussed
[Me3NH]6[H2MoV12O28(OH)12(MoVIO3)4] ˇ
2H2O (1) 及び[NMe4]2[NH4]8[(MoVI6 MoVO23)2] ˇ 8H2O (2) である。9.4T及び21.8Tの強磁場で固体95Mo
MAS NMRスペクトルを測定し、得られたスペクトルのシミュレーションや相対論的DFT 計算から
局所構造や電子構造を考察した。
3. 研究の計画
9.4T での95Mo固体NMRはVarian Inova
400 分光器を用い、共鳴周波数26.060MHzで
測定した。21.8 TではJEOL ECA 930分光器を
利用し共鳴周波数60.572MHzで95Mo固体NMR
測定を行った。測定は16 kHzのMAS及びエコ
ー法で行った。スペクトル・シミュレーショ
ンは自作のプログラムを用いて行った。NMR
パラメータのDFT計算は、VWN + BPの汎関
数及びtriple-ζレベルのSlater型基底関数を用
い、ADF 2008.01で行った。
4.平成23年度の成果
Figs. 1(i-a) および 1(ii-a) にそれぞれ、9.4, 21.8
T の磁場で測定した 2 の実測 95Mo MAS NMR ス
ペクトルを示す。9.4T のスペクトルは、二次の核
Fig. 3. 95Mo MAS (νr = 16 kHz) NMR spectra of the sample
1 under (i) 9.4 and (ii) 21.8 T. (a) and (b) show the observed
and simulated spectra, respectively. (c) and (d) are constituting
spectra of (b). MoV(1) and MoVI(2) correspond to the
molybdenum sites defined in Fig. 1(b) and their NMR
parameters used are listed in Table 1.
四極相互作用や複数のスペクトル成分の重なりの
ため非常にブロードであったが、21.8T で測定を行
うことによりかなり分解されたスペクトルが得ら
れた。4 つの Mo サイトを考慮することにより、
これらのスペクトルをシミュレーションできた。
その結果を Fig.1(b) に、また構成成分を
Figs.1(c)-1(f) に示す。
DFT 計算からも 4 つの異なる Mo サイト(MoVI(1),
MoVI(2), MoVI(3),MoV,VI(4))の NMR パラメータが
得られた。[(MoVI6 MoVO23)2]10− ({Mo14}) は、[MoVI7
O24]6− ({Mo7}) の脱水二量化による光還元種であ
り、注入された 2 つの電子はμ-oxo 酸素原子を介
してつながっている分子中央の 4 つの MoO6 八面
体に非局在化していると考えられている。4 つの
サイトのうち MoV,VI(4) がこの中央の 4 つの MoO6
八面体の Mo であった。MoV,VI(4) は、光還元前の
{Mo7}では MoVI(1) に相当するが、NMR パラメー
Fig. 4. 95Mo MAS (νr = 16 kHz) NMR spectra of the sample
2 under (i) 9.4 and (ii) 21.8 T. (a) and (b) show the observed
and simulated spectra, respectively. (c-f) are spectral
components constituting of the spectrum (b). MoVI(1),
MoVI(2), MoVI(3) and MoV,VI(4) correspond to the
molybdenum sites defined in Fig. 2(b) and their NMR
parameters used are listed in Table 2.
タは MoVI(1) とは大きく異なっていた。特に等方
化学シフトは MoVI(1) では 56 ppm であるのに対
し、MoV,VI(4) は 730 ppm であった。
一方、1 では d1 電子は MoV-MoV 結合により局在化している。NMR スペクトルや DFT の結果より、
MoV と MoVI の 2 種類の Mo サイトが確認され、MoV のサイトの化学シフト異方性の絶対値は極めて大
きいことが分かった(−990 ppm)
Table 1:NMR parameters of 95Mo in {Mo16} obtained by spectral simulation.
5. 社会ニーズに応える外部連携活動(国内、国際)
極限場環境領域では主に強磁場固体NMRを使いに来る外部ユーザーへの計測支援を委託事業とし
て実施した。東日本大震災により支援装置の一部が被害を受け、動作・安全確認等のために緊急メンテ
期間を要したが、職員等による迅速な復旧作業が功を奏し、平均として約2ヶ月間の運休だけで済んだ。
やはり震災の影響を受けて民間企業など多くの外部ユーザーが出張自粛の緊急措置を実施したため、キ
ャンセルや延期が多発した時期もあった。この緊急事態においても、職員やユーザーは臨機応変に困難
を克服し、結果的に当初の業務目標をほぼ達成することができた。特に、東日本大震災により研究設備
に大きな被害を受けた東北大学のユーザーを受け入れて、彼らの研究の空白期間を最小限にさせること
ができた。NIMSの930NMR設備も被害を受けたが、分子研の920NMR設備を利用すること
によって目標を達成できた。今年度の利用実績を総括すると、外部ユーザーの利用日数は590日、外
部ユーザー件数は28件であった。外部ユーザーは産8件、学20件、官6件である。ユーザー支援業
務以外にも、情報発信・研究交流・技術普及活動の一環として公開型の研究集会を2回主催した。
6. 今後の方針
研究再開へ向けて装置の復旧を一日でも早く終わらせることが最優先である。復旧は難工事であるが、
職員とメーカーが知恵と技術を出し合ってこの難局を乗り切る。復旧工事のために開発した技術を無駄
にせずに成果として発表する。復旧完了後は以前と同じように内外ユーザーに開放する。
現在保有している NMR 装置のうち 930MHzNMR の次に高性能な装置は 500MHzNMR である。500MHz
装置は 600MHzNMR が普及している昨今の国内水準と比べて決して十分とは言えない状況である。現在
カタログ品の最高磁場は 800MHz であり、維持費や保守しやすさの点から見ると 930MHz よりも有利な
点が多々ある。ユーザーのための中核的共通設備という役割に見合った性能の NMR 装置を整備すること
を早急に検討したい。