ジャズ・ピアノを 楽しもう!

図書館展示7月●2004
Bill Evans(1929-1980)
ビル・エヴァンスを入り口に
ジャズ・ピアノを
楽しもう!
企画♪髙田涼子(国立音楽大学附属図書館閲覧参考部)
期間●7月7日−8月4日
場所●図書館ブラウジングルーム/AV資料室
ビル・エヴァンスが演奏している姿
ビル・エヴァンスを入 り口 に、
ジャズ・ピアノを楽 しもう!
はじめに
私 が ビ ル ・エ ヴ ァ ン ス を 意 識 し て 聴 い た の は 、2 年 前 の 春 で し た 。幼 い 頃
から、ジャンルにとらわれず時代もこだわらず様々な音楽に触れてきまし
た 。そ れ で も 、ク ラ シ ッ ク を 中 心 に 国 立 音 大 で ピ ア ノ を 学 ん で い た 私 に は 、
い わ ゆ る ジ ャ ズ は 少 し 理 解 し が た い 存 在 で し た 。《 A 列 車 で い こ う 》《 テ イ
ク ・ フ ァ イ ブ 》《 イ ン ・ ザ ・ ム ー ド 》《 エ ン タ ー テ ィ ナ ー 》 な ど 、 有 名 で 子
供心にも楽しめるような曲は好きで演奏したりしていました。しかし、長
くて複雑でメロディーを口ずさむのが難しいような演奏は、なかなかなじ
めませんでした。
大学の図書館には意外にもジャズの資料が所蔵されていました。ジャズ
のスタンダート曲や、クラシックやディズニーなどの曲がアレンジされて
いるたくさんの楽譜やCDに出合えました。何より、ビル・エヴァンスの
アルバム『ワルツ・フォー・デビー』を聴いて、ジャズの見方が変わりま
した。少しずつですが、身体にすっと入ってくるようになったのです。
今回の企画は、ジャズに触れてみたいけどきっかけがなかった人に、ジ
ャズの世界(特にピアノ)に入りやすいものを紹介したいと思います。
私自身の知識が浅く、また好みが偏っている点もありますが、少しでもジ
ャズに興味を持っていただければと思います。
Contents
・ビル・エヴァンスについて・・・・・・・・・・2-5
・ジャズの歴 史 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・6-8
・ジャズ・ピアニストの紹 介 ・・・・・・・・・9-12
・ジャズ・ピアノ資 料 の紹 介 ・ ・・・・・・・13-17
・クラシックとジャズの作 曲 家 の年 表 (付 録 )
企画:髙田涼子
1
ビル・エヴァンス
Bill Evans 1929-1980
1929 年 8 月 16 日 、ニュージャージー州 プレインフィールドに生 まれる。
6 歳 でピアノ、7 歳 でフルート、8 歳 でヴァイオリンを習 う。13 歳 の時 に
兄 ハリーの代 わりにバンドに参 加 し、閃 きでブルース・コードをはさんで
演 奏 したことからジャズ世 界 に入 る。サウスイースタン・ルイジアナ・カレッ
ジでピア ノと 音 楽 教 育 の 学 士 号 を 得 て、 マナ ーズ音 楽 大 学 に て 作 曲
を学 ぶ。マイルス・デイビスのグループに籍 を置 くが半 年 で脱 退 し、 自 ら
のトリオで新 しいサウンドを追 求 し続 ける。1980 年 9 月 15 日 、出 血
性 潰 瘍 、気 管 支 炎 、肝 硬 変 で死 去 。享 年 51 歳 。
※5 ページ目 に Biography あり。
ビル・エヴァンスってどんな人 ?
・鼻 歌 のように気 軽 でなく、目 的 をもって試 行 錯 誤 し続 けたので、演 奏 難 易 度 は高 い。ストイ
ックな芸 術 肌 だった。
・ 音 楽 家 とし て は 人 々にたく さ ん 影 響 を 与 え たが 、人 間 とし て は 謎 の 人 で 、 世 間 の 詮 索 に は
応 えない人 だった。
・ビルの好 み:たばこは「キャメル」、飲 み物 はコカ・コーラ、肉 の焼 き加 減 はウェルダン。
・演 奏 するときの姿 勢 は、グレン・グールドがバッハを弾 くときと似 ている。
・共 演 者 とは、密 に長 く深 く交 わり、サイドメンを滅 多 に替 えなかった。
・流 行 歌 が敬 遠 され取 り上 げられなかったポピュラー曲 などを、レパートリーにしていた。自 作
曲 は 2 割 程 度 で、あとはポップでシンプルな曲 が好 み。
・ビル・エヴァンスの日 本 初 来日は、1973 年。麻薬常習犯としてブラックリストに載っていたため。
・死 因 は肝 炎 を放 置 しておいた為 。身 体 中 のあちこちに水 腫 ができ、左 手 は膨 れ上 がり鍵
盤 を押 さえられるのが不 思 議 なほどだった。
ビル・エヴァンスの音 楽 は、朝 の目 覚 めた時 、夜 寝 る時 、疲 れた時 や落 ち込 んだとき
など、いつでも聴 ける音 楽 だと思 います。シンプルで繊 細 、そして複 雑 に絡 み合 う ハー
モニ ーであり ながら、どこ か軽 い。 クラ シックはハ ーモニ ーが 重 要 で 発 展 し ましたが、ジ
ャズはリズム が重 視 でした。ビル独 自 のサウンドは、ビパップのリズム 構 造 を変 え ずに、
フランス近 代 音 楽 のよう な根 音 のない和 音 を使 って、色 彩 感 豊 かなハーモニーのジャ
ズです。
・音 楽 家 であり、思 想 家 でもある彼 の言 葉 を抜 粋 してみました。
ビル・エヴァンスの言 葉
「芸 術 一 般 に関 する私 の信 条 は、それが魂 を豊 かにするものでなければならないということだ。
自 分 自 身 の一 部 を再 発 見 することはやさしい。だが、芸 術 を通 して、人 間 は自 分 でもその存
在 す ら 知 ら な か っ た自 分 自 身 の 一 部 を 教 え ら れるの だ 。 そ れこ そ 、 芸 術 の 真 の 使 命 とい う も
のだ。芸 術 家 というものは、自 分 自 身 の中 に普 遍 的 な何 かを見 出 さねばならないし、また、
それを自 分 以 外 の人 々にも通 用 する言 葉 に置 き換 えることのできる人 間 を言 う。そして不 思
議 な こ とに 、 芸 術 は こ の こ とを 人 に 、 そ の 人 が 気 づ か な い う ちに 伝 え るこ と が で きるの で ある。
豊 かにすること、それこそ音 楽 の職 務 だ。」
2
「修 練 と自 由 は極 めて繊 細 な形 で混 じり合 わなければならない・・・。音 楽 はすべてロマンチッ
クだと僕 は信 じるが、感 傷 的 になりすぎては、ロマンチシズムもわずらわしい。その一 方 で、修
練 をもって処 理 されたロマンチシズムは、最 も美 しい類 の美 だ。」
−自 分 のよくわかっていないものを演 奏 するよりも、シンプルな演 奏 をすることを好 んだ。
―私 がしなくてはいけないことは、音 楽 を大 切 にすることだけだ。
―脳 天 に届 く衝 撃 を好 み、十 分 衝 撃 を受 けてようやく何 かを感 じる人 々もいる。
でもなかには内 面 に入 って、何 か、もしかしたら豊 かさなどを探 したい人 々もいる。
−苦 労 して形 になったものを僕 は信 用 する。
−ジャズを知 性 的 な法 則 で分 析 しようとする試 みにはうんざりさせられる。
そうではないんだ。感 覚 なんだ。
−私 はすべての人 に「全 世 界 共 通 の音 楽 的 な心 」と呼 べるものがあると信 じています。
−多 くのクラブはハウス・ピアノよりもゴミ箱 に注 意 を払 うものだ。
2 歳 年 上 の 兄 ハリーの 代 わ りに 12 才 でダンス・ バ ンドのピアニ ストを務 めてい た時 に、
「何 となく閃 いてブルース・コードをちょこっとはさんでみた。誰 も考 えつかなかった何 かを音
楽 でやるって発 想 自 体 が、自 分 に全 く新 しい世 界 を拓 いてくれたんだ」
マイリス・デイビス・グループを脱 退 した後 、独 自 のサウンドを追 及 していたビル・エヴァンスは、ある
天 才 ベーシストに出 会 った。彼 こそが探 していたサウンドを理 解 し共 にプレイできる人 だ!こうしてス
コ ッ ト・ ラフ ァ ロ (b) と ポ ー ル ・ モ チ ア ン(ds) のレ ギ ュ ラ ー・ トリ オが 結 成 さ れ た。 ビル ・ エヴ ァ ンス に 音 楽 ス
タイルや 精 神 面 に大 きな影 響 を与 えたラファロを紹 介 しよう。
ス コ ッ ト ・ ラ フ ァ ロ (19 36- 196 1)
17 才 で初 めてベースに触 れ、イサカ音 楽 院 で学 んだあとバンドで演 奏 するよ
うになる。1959 年 にはベニ ー・グッドマン楽 団 に 参 加 するが、『ダウ ンビート』
誌 の新 人 部 門 第 1 位 に選 ばれ、秋 にはビル・エヴァンス・トリオに参 加 。23
歳 。今 までは、ドラムと同 様 にリズムを刻 むだけのベースだったが、ラファロは、
ピアノ/ ベース/ドラムが それぞれソロを演 奏 して、 お互 いに 触 発 しあう「イン
タープレイ」と表 現 される演 奏 スタイルをして、ビル・エヴァンスに大 きな影 響 を
もたらす。
「スコットは、僕 の次 の考 えが読 める信 じられないような奴 だった。」 ビル・エヴァンス
「僕 たちが演 奏 に自 由 を発 見 したのは、スコットがいたからだ。彼 のおかげで、やりたいことは
いつもやれるという楽 しさと希 望 があった。」 ポール・モチアン(ds)
ビル・エヴァ ンスはトリオに対 する抱 負 をこう語 っ てい る。
「自 分 の出 す音 は、願 わくばトリオから出 すものは、唄 わせたいんだ。自 分 がこの耳 で聴 きた
いと思 うものを弾 きたい。唄 うというあの素 晴 らしい感 覚 だけは絶 対 になくてはならない。」
このレギュラー・トリオは、まさに、ビル自 身 が「唄 わせたい」と言 っているような演 奏 だった。同 トリオ
は、ラファ ロが 自 動 車 事 故 により 25 歳 で死 去 し たため、わずか 1 年 半 だけ 活 動 し 、アルバムは 4枚 し
か 残 っ てい な い 。 ラフ ァ ロ の 死 後 、 ビ ル ・ エ ヴァ ン ス は 数 ヶ 月 間 、 ピ ア ノ を 弾 く こ と が でき ま せ ん で し た。
それほ どビル ・エヴァ ンスの 音 楽 にとって大 き な存 在 だったの です。
「それがどんなに自 分 を打 ちのめしたか、自 分 でも咄 嗟 には気 づかなかった。」
「音 楽 的 に、何 もかもが止 まってしまったようだった。家 でもピアノに触 ろうとすらしなかった。」
3
●作 品
Bill Evans
●Doremi Music, 2000.<G28-231>
9 枚 のア ルバムの愛 奏 曲 の中 か ら 1 5 曲 を選 んで採 譜 されてい るが、 残 念 ながらア ドリブ の一 部 は省
略 され てい る。 掲 載 楽 譜 は《 Waltz for D e bby》や《 My foolish he art》 、《ダニーボー イ》など。
定 本 ビル・エヴァンス / ジャズ批 評 編 集 部 編 ● 松 坂 ,
2003. (ジャズ批 評 ブックス)<J99-383>
ビル・エヴァンスに熱 い想 いを抱 いている人 たちの様 々な記 事 が掲 載 されている。季 刊 ジャズ批 評 別
冊 『ビ ル・ エヴァンス』 (19 91 年 発 行 、 絶 版 )<P765B 1991(2)> に掲 載 され た 記 事 を再 構 成 した もの
である。 年 表 、ディスコ グラフ ィー が充 実 し ている。
Bill Evans / Peter Pettinger
●Yale University Press, c1998.<J91-431>
筆 者 はイギリス人 でクラ シック・ピアニスト。 エヴァ ンスの大 ファ ン
ビル・エヴァンス / ピーター・ペッティンガー著
●水 声 社 , 1999.<C64-460>
上 記 『 Bill Evans 』 の 翻 訳 本 。 Pa rt が 4 つ に 分 か れ て い て 、 Ⅰ .Birt h of t he Sound Ⅱ .T he fi rst
trio, 1958-61 ⅢOn the Road,1961--77 ⅣThe Last Trio,1977-80 で構 成 されて いる。 少 し写 真
が追 加 されている。
ビル・エバンス / 日 本 たばこ産 業 株 式 会 社 アド企 画 室 編
●講 談 社 , 1989.<C48-399>
ジャズ喫 茶 の店 主 他 、ジャズ好 きな人 達 の対 話 や記 事 が掲 載 されている。巻 末 にディスコグラフィー
と年 表 あり。 共 演 者 索 引 、 演 奏 曲 索 引 も 付 い てい る。
ビル・エヴァンス
●河 出 書 房 新 社 , 2001. (Kawade 夢 ムック. 文 藝 別 冊 ) <C65-552>
Bill Evans Trio. I & II / ビル・エヴァンス ( V i n t a g e
jazz collection : Jazz 625) <VE686>
1965年 3月 19日 イギリスの BBC テレ ビの番 組 「Jaz z625」のシリーズの1つとして作 成 され た。
同 資 料 が LD にもある。 ● Ⅰ 〈 V D 3 6 1 6 〉 Ⅱ 〈 V D 3 6 2 4 〉
The Universal Music of Bill Evans / ビル・エヴァンス
The cre ative proce ss and self-te aching ( V i n t a g e j a z z c o l l e c t i o n : J a z z 6 2 5 )
兄 ハリー との対 話 、 即 興 演 奏 も あり。 ● 〈 V D 1 8 1 7 〉
A Tribute to Bill Evans / ゴードン・ベック(p)
●〈VD1286〉
ビル・エヴァンスの愛 奏 曲 を演 奏 し ている 。
レギュラー・トリオでの 演 奏
Waltz for Debby / Bill Evans Trio < X D 1 6 5 7 5 >
《My fo olish h eart》 でフォー クの音 が聞 こえます。耳 を澄 まし てじっく り聴 いてみてく ださい。
Explorations / Bill Evans Trio < X D 2 1 2 7 7 >
ソロの演 奏
Alone / ビル・エヴァンス < X D 2 1 2 7 4 >
ハーモニカ 奏 者 トゥーツ・シ ールマンスと の演 奏
アフィニティ / ビル・エヴァンス < X D 4 9 0 2 2 >
マイルス・デイビス・グループにいた時 の演 奏
Kind of blue / マイルス・デイビス, ジョン・コルトレーン < X D 1 4 2 0 9 >
ギタリスト:ジ ム・ホールとの演 奏
Undercurrent / Bill Evans & Jim Hall < X D 1 6 6 1 0 >
*ラファロの死 後 にビル・ エヴァ ンスが立 ち直 れた のは、 彼 の存 在 が大 きか った 。
「1966 年 にバークリー音 楽 院 に行 ったんだけど、そこのシステムで最 初 に習 うサウンドを
ピアノでやるとエヴァンスになる。」 By.佐 藤 允 彦
4
Bill Evans Biography
(1929-1980)
西暦年
年齢
1929
西暦年
1966 36 父ハリー・L・エヴァンス死亡
ニュージャージー州に生まれる
1935
6 ピアノを習い始める
1936
7
初のホール・コンサート
春
ヴァイオリンを習い始める
フルート・ピッコロを習う
1968.6 月
1946 17 奨学金を得てサウスイースタン・ルイジアナ・カレッジ
に入学
1950 19
ピアノと音楽教育の学士号を得て同大学を卒業
1951 21
9 月 38
3 歳の姪デビーに「ワルツ・フォー・デビー」を作曲
マナーズ音楽大学で作曲を学ぶ
1973.1月 43 初来日!最終日『ライブ・イン・トーキョー』録音
春
12 年連れ添ったエレインが自殺
8月
「オール・アバウト・ロージー」で伝説的ソロ
1958.4 月 28 マイルス・デイビス・グループに加入
11 月 29 マイルス・グループ脱退
1958 年度ダウンビート誌国際評論家投票新人賞
受賞
1959 30 スコット・ラファロ(b)&ポール・モチアン(ds)と
1976
ゴメス(b)&ジグムンド〔ds〕で 3 度目の来日
1977 48
『ユー・マスト・ビリーブ・イン・スプリング』録音。
ゴメス脱退
1978.9 月 49 ジョンソン(b)、ジョーンズ(ds)で 4 度目の来日
1979.1 月
4月
8月
『ポートレイト・イン・ジャズ』を録音
1961.2 月 31 『エクスプロレーションズ』録音
6月
ヴィレッジ・ヴァンガードに出演
7月
スコット・ラファロ自動車事故死
5月
ジョー・ラバーベラ(ds)加入。 ラスト・トリオ誕生
兄ハリー・エヴァンス自殺
ラスト・スタジオ録音『ウィー・ウェイル・ミート・アゲイン』を
兄に捧ぐ
秋 50 欧州ツアー
1980.6 月
ヴィレッジ・ヴァンガード出演をワーナーが録音
8 月 51 ラスト・レコーディング
32 ∼スランプ∼
1962.4 月
ネネット・ザザーラと結婚
1974.3 月 44 2 度目の来日
1975.9 月 46 長男エヴァン誕生
1956 26 初リーダー作『ニュー・ジャズ・コンセプション』の録音
1957 27
初完全ソロ・アルバム『アローン』録音。グラミー賞獲得
1971 41 全曲オリジナル『ザ・ビル・エヴァンス・アルバム』を
レギュラー・トリオで録音。グラミー賞獲得
1955 25 ジェリー・ウォルド楽団で初録音
NY83丁目に住む
第 2 回モントルー・ジャズフェスティバル出演
1969. 40 『フロム・レフト・トゥ・ライト』で初めてエレクトリック・ピアノ
10 月
を弾く
兵役につく(朝鮮戦争)
1954 24 除隊
ゴメス(b)、アーノルド・ワイズ(ds)で
ヴィレッジ・ヴァンガード出演
初秋 37 教育ビデオ『ユニバーサル・マインド・オブ・
ビル・エヴァンス』制作
1941
1942 12 兄の代わりにバンドに参加
年齢
9/11
演奏不可能となる
オリン・キープニューズにレコーディングさせられるが
4 曲でダウン
9/15
死去。死因は、出血性潰瘍、気管支肺炎、肝硬変
ジム・ホール(g)と『アンダーカレント』録音
9/19
セント・ピータース教会で葬儀
チャック・イスラエルズ(b)加入
1963 33 リヴァーサイドへの契約消化のため、ピアノ・ソロを録音
多重録音ソロ・アルバム録音
1964 34 スタン・ゲッツ(ts)、エルヴィン・ジョーンズ(ds)らと
レコーディング
1965 35 BBC 番組『ジャズ 625』収録
5
ジャズ・ピアノの歴 史
ジャ ズ にお けるピ ア ノ の 発 展 は 、 他 の 楽 器 とは 異 な り ます 。 ジャ ズ の 歴 史 = ラッパ と 言
われますが、街 頭 での演 奏 を主 としたブラスバンドではピアノが使 われることがなかった
為 、独 自 の発 展 をしてきました。ジャズのスタイルが変 わる時 期 は、戦 争 であったり、世
界 恐 慌 であったりと色 々な背 景 があります。
ラグタイムという言 葉 はなじみが少 ないかもしれませんが、曲 を聴 けば感 じがつかめると
思 います。最 近 放 送 されているテレビ番 組 で「いきなり!黄 金 伝 説 ∼芸 能 人 1 ヶ月 1 万
円 生 活 」 というのがありますが、その中 で料 理 を作 るときに流 れている曲 の1つがラグタイ
ム で す 。 元 々 は 、 ある ド ラ マ の サ ン ト ラ と し て 使 わ れ て い た そ う で す が ・ ・ ・ 。 ラ グ タ イ ム で 有
名 な作 曲 家 スコット・ジョプリンの《エンターティナー》は、映 画 『スティング』で使 われて有
名 になりましたが、遊 園 地 などでもよく軽 快 に流 れています。某 自 動 車 メーカーの軽 自
動 車 Lapin の CM では《Pine Apple Rag》が使 用 されています。
1900 年 代 ●ラグタイム Ragtime
ジャ ズ・ピ ア ノ のル ー ツと 言 わ れる ラ グタ イ ムは 、 長 い 年 月 を 経 て 、 西 洋 音 楽 と 黒 人 音 楽
が融 合 されて 19 世 紀 末 に完 成 されました。黒 人 たちの歌 がキリスト教 と結 びついてスピ
リチュアルズ(黒 人 霊 歌 )が生 まれたように。1863 年 の奴 隷 解 放 宣 言 以 来 、職 業 選 択 の
自 由 を得 て音 楽 家 になった黒 人 は、アメリカ南 部 の故 郷 から太 鼓 のリズムや狩 猟 の歌 な
どを持 ちこんだのです。奴 隷 の息 子 であったスコット・ジョプリンもラグタイムの確 立 に大 き
く貢 献 をした一 人 です。ラグタイムのスタイルは、19 世 紀 ヨーロッパのロマン派 のピアノ曲
や ブラ スバ ンド のマ ー チの 拍 子 、 ケーク ウォ ー ク(ドビ ュッ シー の《 子 供 の 領 分 》 で 有 名 な
舞 曲 )等 の独 特 のシンコーペーションなど、様 々な要 素 が混 じり合 って形 成 されていきま
した。当 時 の強 迫 弱 拍 とは常 識 はずれだったため、ラグ(ぼろ)タイムと呼 ばれたそうです。
初 期 のラグタイムは、譜 面 通 りに演 奏 されていたのでクラシックに近 いものでしたが、徐 々
にフィーリングと即 興 性 を加 えたジャズ的 なものに変 化 していきました。
1910 年 代 ●ニューオーリンズ・ジャズ New Orleans Jazz
スペインとフランスが交 互 に統 治 していたルイジアナ地 方 の玄 関 口 にあたる港 町 ニュー
オーリンズでは、あらゆる文 化 が 混 在 していました。街 の 至 る所 に売 春 宿 があり、黒 人 ピ
アニストが客 引 きのために演 奏 していたのがジャズです。ジェリー・ロール・モートンは、そ
の 区 域 で 「 先 生 」 ( Professor ) と 尊 敬 さ れ て い た そ う で す 。 彼 は 、 ブ ル ー ス を 取 り 入 れ 演
奏 し、 後 に「 これ がジャ ズの 始 まり」 と 言 ってい ます 。な んと ジャズの 創 始 者 と 自 ら 名 刺
に書 き、1902 年 には「 自 分 がジャズを発 明 した」と公 言 しました!が、実 は彼 より前 にも
ジャズらしい演 奏 をしている人 はいましたし、他 人 の曲 もあくまで自 分 のコピーだと言 い
張 ったりしていました。その結 果 、偉 大 な作 曲 家 ・ピアニストであるにもかかわらず、仲 間
や評 論 家 から反 感 を買 い、ホラ吹 き扱 いされてしまいました。
6
ジャズの語 源
ジャズを生 み出 したのは黒 人 たちでしたが、魅 力 のある音 楽 だと知
っ た 白 人 た ち は 真 似 を 始 め ま し た 。 1951 年 頃 、 白 人 が バ ン ド 名 に
「ジャズ」を使 ったのが最 初 です。ジャズの語 源 には様 々な説 があり
ます。ジャズパーというプレイヤーの名 が縮 まってジャズになった説 、フ
ラ ン ス 語 の jaser ( う わ さ 話 を す る ) か ら 来 て い る 説 、 シ カ ゴ の 酔 っ
払 い客 が Jass it u p 「 一 発 やれ!」 とバン ドをあおって 叫 んだ 説 な
どなど です。
1910,20 年 代 ●ストライド/ブギウギ Strid/Boogie-woogie
クラシックの教 養 があったジェームス・P・ジョンソンは、ラグ的 な奏 法 に複 雑 な和 音 を加
え、単 調 だった左 手 の動 きに変 化 をつけ、付 点 音 符 を使 うことでスイング感 を与 え、力
強 く演 奏 しました。この奏 法 は、左 手 の動 きからストライドと呼 ばれました。彼 のスタイルは、
直 々 の 愛 弟 子 フ ァ ッ ツ ・ ウ ォ ー ラ ー を は じ め 、 デ ュ ー ク ・ エ リ ント ン 、 ア ー ト ・ テ イ タ ム 、 更 に
はセロニアス・モンクにまで影 響 を及 ぼしました。ファッツ・ウォーラーは、ジュリアード音 楽
院 で高 い音 楽 的 素 養 とテクニックを身 につけ、クラシックの高 度 な技 巧 をストライドに取 り
入 れて 4 ビートの乗 りを確 立 し、プライドを持 って演 奏 しました。彼 がニューヨークで活 躍
していた頃 、シカゴでは、R&Bと合 体 し 50 年 代 のロックの要 素 となったブギウギが発 生
していました。このブギウギは、日 本 でも昭 和 の初 め頃 にブームになりました。ピアニスト/
作 曲 家 で有 名 な服 部 克 久 の父 、服 部 良 一 は、日 常 会 話 を漫 才 のような言 葉 遊 びに仕
上 げた日 本 オリジナルのブギウギを生 み出 しました。美 空 ひばりもジャズに憧 れて《 東 京
ブギウギ》を歌 っているのは有 名 です。
日 本 にジャズが渡 来 したのは・・・
1919年 、ミュージシャン井 田 一 郎 がアメリカ映 画 の伴 奏 の
ために海 を渡 り、帰 国 後 にジャズバンドを結 成 したのが最 初
で す 。 1 9 2 7 年 1 2 月 、 NHK 「 私 の 青 空 」 で 初 め て ジ ャ ズ ・ ソ
ングが流 れ、翌 年 には、レコードが発 売 されて徐 々に広 まって
いきま した 。 戦 争 中 に 敵 性 音 楽 が 禁 止 さ れて いた 反 動 もあ り、
一 気 に ジ ャズ・ ブームが 巻 き 起 こ りました 。 た だ 、 昭 和 2 0年 代
の約 10年 間 は、スイング、ディキシー、ビパップ、ダンス音 楽 、
アメンリカン・ポピュラー音 楽 がごちゃまぜで、ジャズとポピュラー
の境 目 は感 じられません。
1930 年 代 ●スイング・ジャズ Swing Jazz
一 言 で表 す と、踊 りだし たくなるようなサウンドです。ルイ・アームストロン グらにより始 めら
れた即 興 プレイ。白 人 クラリネット奏 者 のベニー・グッドマンが1938年 にクラシック音 楽 の
殿 堂 カーネギー・ホールに出 演 し、スイング・ブームは頂 点 に達 しました。スイング時 代 に
は多 くの名 ビッグ・バンドやコンボが誕 生 し、デューク・エリントン、ベニー・グッドマン、カウ
ントベイシー楽 団 、グレン・ミラー楽 団 などが、それぞれの個 性 を競 い合 いました。今 まで
の ジ ャズ ・ス タ イ ルは 一 人 で メ ロ デ ィ ー 、 ハー モ ニ ー 、リ ズ ム を 演 奏 し て いたた め 、 左 手 は
規 則 的 なリ ズムを 刻 んでいました が、アール・ ハインズはク ラリネット的 な長 いシ ングル・ト
ーンによるフレーズを生 み出 し、一 躍 ピアノをバンドの花 形 楽 器 にするという革 命 をもた
らし、スイング・スタイルを作 り上 げました。スイング・ジャズの全 盛 期 には、テディ・ウィルソ
ンやアート・テイタムが活 躍 しました。彼 らの演 奏 は、ブルース感 覚 が薄 く、テクニックは
抜 群 に優 れていて、当 時 の黒 人 では珍 しいピアニストです。
7
1940 年 代 ●ビバップ Be-Bop
1940年 代 のはじめ、ビッグ・バンドでのプレイに飽 き足 らなくなったデューク・エリントン、
バド・パウエルなどの若 いミュージシャンたちが、より即 興 演 奏 を求 め、 アイデアを交 換 し
合 っ て 生 ま れ た の が ビ バ ッ プ で す。 ビ バ ッ プ は 、 ハ ー レ ム の ジ ャ ム ・ セ ッ シ ョ ン の 中 か ら 生
み出 されたと言 われています。特 徴 は、メロディー・ラインの急 速 な飛 躍 と、神 経 質 なまで
に刺 激 的 な性 急 さ、乗 りやすいリズムで抽 象 的 なアドリブと、めまぐるしいまでに細 分 化
されたコード・チェンジで、より細 かなフレーズをスピーディーに歌 い上 げていく点 です。こ
のビバップ以 降 、ジャズは不 動 の人 気 を確 立 します。
1940,50 年 代 ●クール・ジャズ Cool Jazz
クールとは特 定 の演 奏 スタイルではなく、演 奏 者 がそれぞれ色 々な意 味 で勝 手 に呼 ん
でいただけなので、( 観 客 はそう呼 んでいませんでした) 曖 昧 な使 わ れ 方 がされて いま す
が、簡 単 に説 明 するとしたら、フレーズがより長 くなり、半 音 が多 用 されているために調 性
が明 確 にな らない、抽 象 的 なサウ ンドです。雰 囲 気 のカッコ良 さや、 知 的 さなど が感 じら
れるため、クール・ジャズと表 現 していました。ビバップの野 性 的 な演 奏 に対 し、クール・
ジャズは知 的 で内 省 的 な響 きをもっていて、白 人 ミュージシャンを中 心 にごく自 然 な形 で
生 み出 されてきました。ビバップが動 であるとするならば、クール・ジャズは静 であり、落 ち
着 いた感 じで極 めてバランスのとれた、透 明 感 あふれる美 しい音 楽 です。
1960 年 代 ●フリー・ジャズ Free Jazz
今 までの調 性 という考 え方 をせず、より自 由 で個 性 的 な即 興 プレイの可 能 性 を追 求 した
のが、フリー・ジャズです。これまでの人 種 問 題 に対 する怒 りや、ベトナム戦 争 の激 化 な
どによる社 会 的 な反 発 が過 激 になってきた時 代 です。ジャズ・スタイルも追 いかけるように
無 調 性 で自 己 主 張 をしました。型 破 りなスタイルなので、理 解 しにくい感 もあります。
少 々クラシックの現 代 音 楽 と共 通 しているかもしれません。
1970 年 代 ●フュージョン Fusion
当 初 はクロスオーバーとも呼 ばれていました。R&B∼ファンク、ロックなどの音 楽 から大 き
な影 響 を 受 けています。新 しい感 覚 を自 分 の 表 現 にしようと した、好 奇 心 豊 かなチ ック・
コリア、ハービー・ハンコックなどのプレイヤーたちは、エレクトロニックなサウンドを多 用 し 、
ポピュラーのメロディーを使 い、あらゆるものを融 合 し、求 め続 けました。それゆえフュージ
ョンはアレンジャーも重 要 な役 割 を果 たします。
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