宝塚歌劇団における連帯の論理 ―「女同士の連帯」の言語ゲームによる分析― 滋賀大学 御幸 英寛 1.問題 ホモソーシャルは、同姓間の関係性を定義する言葉である。イヴ・K・セジウィックは、ホモソーシャルにお ける男性を、他の男性と結びつくための導管として女性を欲望する主体としてとらえた(Sedgwick[1985= 2001])。同性愛男性を嫌悪し、連帯から排除することによって男性たちは男どうしの性的でない、友情によ る連帯を形成する。女性を排除することで、性的関係を女性ごと、連帯の外部に放逐できる。このことによっ て男性ホモソーシャルは、性的な私的空間を切り離し、欲望や嫉妬、愛情の奪い合いといった争いのない、 清く公正な公共空間を確保するとセジウィックは言う。では、このようにして支配的連帯から排除された女性 たちはどのようにして連帯を形成しうるのか。この問題についてセジウィックは明快な回答を与えていない。 本報告はセジウィックから出発し、この問題に対してひとつの回答を与えようという試みである。 男性ホモソーシャルが資源を独占的に占有している以上、女性の連帯は男性ホモソーシャルの存在を前 提に、副次的に存在せざるを得ない。そこで、分析概念として新たにサブソーシャルを提示しよう。サブソー シャルとは男性ホモソーシャルの存在を前提に、そこから排除される人々の連帯である。その意味におい て、サブソーシャルは本来的に多様である。 本報告では、サブソーシャルの一つとして宝塚歌劇団(以下、宝塚)にみられる連帯について、その連帯 を行為の連続する運動体、つまり言語ゲームとして捉え、その運動に規則性を与えているルールについて 考察をおこなう。 2.方法 分析方法は、言語ゲームを採用する。ファンサイトの掲示板(BBS)で宝塚に言及する書き込みを分析し、 宝塚の一次ルールについて考察する。 3.考察 書き込みを分析した結果、宝塚のルール(ゲーム)は次のようなものである。 典型としての男性性を訊ね あうゲーム。 男役トップを基準とするゲーム。 非性的な身体を持するゲーム。 宝塚の舞台上で理想的に描かれる「男性」の多くが他の「男性」と男同士の連帯を成す、男性ホモソーシ ャルの成員として描かれている。このことは二つの意味を持つ。第一に、ファン自身は男性ホモソーシャル 社会の規範を受け入れている。ファンが望んでいるのは、いわゆる「男らしい」男、すなわち男性異性愛ホ モソーシャルの成員としての男性である。第二に、だからこそ、ファンは現実の男性を排除する。なぜなら、 「女性」を性的に欲望しない者は、男性ホモソーシャルの成員ではない。なれば、宝塚の舞台上の文脈に おいて「男性」(男役)は、「女性」を性的に欲望する主体でなければならないことになる。これは、「非性的な 身体」を持するゲームにおける、性的に欲望する主体を排除するという戦略、すなわち「清く正しく美しく」と 矛盾する。まさにこれこそが「宝塚のジレンマ」なのである。「女性」を性的に欲望することを条件付けられた 「男性」から欲望の対象とされつつ、同時に「清く、正しく、美しく」、非性的な身体を持たねばならない。この 「宝塚のジレンマ」を解消する唯一の戦略として「女性が「男性」を演ずる」というアクロバットがファンによっ て創造されたのであり、そのことこそが宝塚の特殊性なのである。つまり、宝塚における女どうしの連帯にお いて、その成員たちは「理想の男性」を欲望するがゆえに、男性を遠ざけるのだ。 文献 Eve Kosofsky Ssedgwick,1985, Between Men : English Literature and Male Homosocial Desire.New York:Columbia University=2001 上原早苗・亀澤美由紀共訳『男同士の絆-イギリス文学とホモソーシャル な欲望』 名古屋大学出版会. Eve Kosofsky Ssedgwick, 1990, EPISTEMOLOGY of the CLOSET=1999 外岡尚美訳『クローゼットの認 識論』青土社. 橋爪大三郎,1986,『仏教の言説戦略』 勁草書房.
© Copyright 2024 Paperzz