第 1 章 -4 節 . フラワーデザインを学ぶ前に

第 1 章 -4 節 . フラワーデザインを学ぶ前に
はじめまして。この講座の講師を務めさせて頂く、フラワーデザイナーの久保数政です。この章では、フラワーデザインを学
ぼうとしているあなたに、あらかじめ知って頂きたい事を、記してみようと思います。
少々長くなりますが、あなた自身が何を学ぼうとしているのかを知る事は、第 2 章の有料講座の受講をご検討頂くためにとて
も大切な事ですし、これから、より良い学習を続けて頂く上でも重要な事だと考えます。
まずは、この章をジックリと読んでみて下さい。もしかしたら、ちょっとした発見があるかも知れませんよ。
(1)生け花が日本のフラワーデザインに与えた影響
みなさんは、フラワーデザインにどういうイメージをお持ちでしょうか?
戦後、アメリカから伝えられ、一般には生け花よりも手頃で簡単、お洒
落な習い事、そして、カルチャーの一分野として広がりをみせたために、
主に女子の教養や趣味、習い事として認知されている傾向が強いのですが、
実は お花屋さんでもない個人が花を制作して飾り楽しむ国 は、世界的に
見ても私たちの日本以外にはほとんど見られません。
他の国では、 花は花屋で売っているもの であり、そのため、フラワー
デザインはあくまでも特殊技能、職業技術の一つとしての位置付けで語ら
れる事はあっても、趣味や習い事、教養、教育の分野にエントリーされる
事はあまりないのです。
これは、もともと花に精神性を持ち込んだ「生け花」という、世界に誇
る日本文化が存在していたことが幸いしており、長い歴史の中で、花は教
育の一環という、他の国では考えられない分野まで、文化的に高められる
" 日本は個人が花を制作して飾り楽しむ国
ことにつながりました。
この文化は世界に誇るべきものです。
花阿彌フラワーデザイン通信講座 基礎・初級コース Teaching Note
これは人類史上、奇跡に近い事であり、花が人間の情操教育に与える影
■生け花について
響を、ここまで実感し、そして、実践し、楽しむことができる日本人の稀
左写真は、日本の文化である「生け花」の
有な価値観は、特に海外に出てみると、本当に世界に誇るべきものである
代表的な形式です。生け花は現在では流派が
ことを実感することができます。
ところが、生け花が整えてきたこの素晴らしい環境が日常的にあったこ
とが、逆にフラワーデザインの障害になってしまった事も少なからずあっ
たのです。
乱立し、時代に合わせてアート化しています
が、本来は、人間に見せる目的のものではな
く、神社にあった御神木を模写して、神様の
降りてくる神聖な場所を家内に創ることを目
的として生まれました。
もともと神様と結びついていた事から、精
神性が重要視され、時代とともに日本人の道
それは、戦後、日本に入って来たフラワーデザインが主にアメリカンス
徳心と結びついたものと思われます。
タイル(ウエスタンデザイン)であった事から、花を丸とか三角とか、あ
る形(幾何学的)にアレンジする事だけのように、単純に捉えてしまった
こと。
そして、私も含め、日本のフラワーデザイン指導者が、その日本人故の
まじめさで、そのまま、生真面目に何の疑いも無くアメリカンスタイルを
取り入れ、そこに、これも日本人故の何となくいい加減に、、、まあ、キツ
い言い方をすれば、節操無く生け花と同じ「教育のような雰囲気」を加味
してしまった事に起因しているのです。
■フラワーデザインについて
左写真は、日本にアメリカから入って来た
アメリカンスタイルの代表的な形であるトラ
イアンギュラー(三角形)のデザインです。
フラワーデザインは生け花と違い、初めか
ら人が鑑賞する装飾物として生まれました。
実はフラワーデザインと生け花は、成り立ちから目的まで全く違うもの
この頃のデザインは、宗教的な影響もあり、
であるにも関わらず、何となくザックリと同じ分野であるように都合良く
ほとんどが対称形のデザインで、すべて人工
混ぜてしまったため、フラワーデザインは、本来のフラワーデザインの本
質から外れ、非常に中途半端な伝えられ方しかされなかったのです。
的なデザインとなります。よって、今まで日
本人は形を作る技術だけを懸命に習得してき
たのです。
この話を聞いて「そんな事は無い」という経験者の方もおいでになるか
も知れませんから、次にその証拠をあげてみましょう。
花阿彌フラワーデザイン通信講座 基礎・初級コース Teaching Note
(2)海外では全く通用しない日本での花用語
日本では良く「フラワーアレンジメントを習いたい」なんていいますが、
スタイルのように公然として使われている言葉も、実は全く通用しません
フラワーアレンジメントとは一体なんでしょう?。
し、使ったら間違いなく笑われます。
辞書を調べると「生け花の英語訳」とあります。また、「主に欧米で発
こんな言葉が通じるのは、日本の中だけなのです。
達した,花を飾るための様式。生け花よりも飾り方の自由度が高い。ブー
ケやコサージュなど。」というのもあります。
よって私は、日本ではフラワーデザイナーと名乗りますが、海外ではフ
この事から、英語圏の人は生け花をフラワーアレンジメントと呼び、日
ヒーを下さい。」といって通じないのと同じ事なのです。
本人は、生け花とフラワーアレンジメントという言葉を別のものとして使
い分けている事が示されており、とても不明確な定義しかされていないこ
とが解ります。(実際には海外でもフラワーアレンジメントを生け花の意味で使っ
ている事実はない。生け花はイケバナと日本語がそのまま使われています。)
ローラルデザイナーと名乗っています。アメリカに行って、
「アメリカンコー
これらの事からも解るように、もはや日本では収拾が付かなくなるくら
い、言葉すら適当に使われており、それを別に不具合とも感じず現在に至っ
ており、フラワーデザインとは何ぞや?という事を問うても、きちんと答
えられる指導者は、本当に少なくなってしまっているのも事実なのです。
また、プロのフラワーデザイナーに至っては、フラワーアレンジメント
は花器にいけるもので、要するに挿し花のことであり、ブーケやコサージュ
などとは別と認識されています。フラワーデザインの作品形態の一部、ブー
ケ、コサージュ、アレンジメントというように、制作カテゴリーの一つと
して使われているのです。
このように、日本で花用語で使われている言葉は、全く世界で通用しな
では、本物のフラワーデザインとは、何でしょう。
それを知って頂くためには、少々長くなりますが、
「デザインの歴史」と、
「フラワーデザインの 2 つの源流」を知って頂かなくてはなりません。
次に説明することは、この講座を始めるにあたり、非常に重要な意味を
い場合が多いのです。
持ちますので、必ず読んで頂いて、本物のフラワーデザインがどんなもの
例えば、フラワーデザイナーという言葉も、海外ではフローラルデザイ
うかをご判断頂きたいと思います。
であるかを、あなたなりに良く理解してから、有料講座を受講されるかど
ナーといい、日本でウエスタンデザインとか、ダッチデザインとか、ブリ
テッシュデザインとか、ヨーロピアンデザインとか、まるで花のデザイン
花阿彌フラワーデザイン通信講座 基礎・初級コース Teaching Note
(3)デザインという概念の誕生
本物のフラワーデザインを知るためには、ちょっとだけ歴史を知る必要
があります。
・・・とはいっても、ここで述べるのは別に難しい事ではなく、
とりあえず大きな流れだけを解って頂ければ結構です。
さて、ここで質問です。みなさんはデザインという概念を人間が意識し
て使いだしたのは何時頃からだと思いますか?
デザインがデザインとして認識されたのは、実は 18 世紀のイギリスに
起こった産業革命からだといわれています。
産業革命とは、簡単にいうと 1781 年にジェームス・ワットにより発明
された蒸気機関により、それまで職人の手で少ししか作れなかったものが、
機械化によって大量生産が可能になった事や、遠くへ大量に、そして短時
パナテナイア祭型黒像式アンフォラ
制作年 : 前 323 − 322 年
間に、物資や人を運ぶ事が可能になった事で、人間の生活が劇的に変わっ
たことをいいます。
それでは、それ以前にデザインという概念は無かったのでしょうか?
例えば、古代遺跡から発掘されたギリシャ時代の建物や壷。弥生時代の
土器などはデザインでは無いのか?という事になるんですが、これらは
日々の生活用品であり、当然、絵とか彫刻などの純粋美術とは異なります。
これらは、全て代々伝えられてきた形やパターンを受け継いでおり、主
に職人によって、基本的にはその職人個人の考えで勝手に変えて良いもの
とはされておらず、設計図面も一切持たず、親方が弟子に伝授しつくりあ
げるものなのです。
弥生式土器
ギリシャ陶器
紀元 1 世紀から 3 世紀に製作され
たもの。
そして、これは地域や時代によって、それぞれの形や装飾の特徴を持っ
ているのですが、初めから美意識をもって創作されたものではありません
し、デザインという概念をかかげて制作されたものではないのです。
これらは、生活用品として人間が長い年月をかけて工夫し、機能を追求
してきたものが、結果的に、美しい形となったのです。このような伝承に
より受け継がれ機能美を持ったものを、専門家の間では「様式」と呼んで
います。
よって、現在では、美術館などに展示され、美術品として鑑賞されては
いますが、その当時は、実用品として制作されたもので、デザインという
概念があって生まれたものでは決してないのです。
花阿彌フラワーデザイン通信講座 基礎・初級コース Teaching Note
(4)デザインへの目覚め
18
世紀にデザインという概念は生まれたものの、それは当然のことなが
つまり、産業革命は、それまで人間の手で造られて来た「もの」を機械
ら、現在からみれば決して完全なものではありません。
化に置き換える生産システムの革命であり、デザインとはその中で、どう
当初は、デザインのことを図案、または意匠と呼び、ものをつくるとき
したら効率的に、そして美しく、機能美にあふれたものができるのかを導
の形状や表面の模様や装飾、色彩などの個々の計画・立案の事を指してい
きだすプロセスのことを指したものだったようです。
ました。こうしたプロセスは機能に準じた技巧的な技術に過ぎないと考え
られ、絵画や彫刻のような純粋芸術とは別のものとされ、下位のものとし
さて、ちょっと難しい話になってしまいましたが、とりあえず、不完全
て扱われ、応用美術、または実用美術などという言葉が当てはめられてい
ながらもデザインが産業革命後に必要に迫られて生まれた概念である事は
ました。
ご理解頂けましたでしょうか?
また、産業革命当初は、機械技術の未熟さ故、人間に合わせるよりも、
便宜上、機械の機能に合わせなくてはならなくなり、それまで、人間の手
で洗練されてきた、使いやすさから生まれた形、機能美が生産性を重視し
たため消えてしまい、ほとんどが無機的で荒削りで安っぽい装飾が施され、
粗悪な商品となり、かえって使いにくいものとなったのです。
そこに登場するのがウイリアム・モリスという人。この人は、機械生産
による工芸技術の低下を嘆いて、画家や工芸家に働きかけ、機械重視の粗
悪なものはやめて、職人の血の通った造形精神を取り戻そうとし、1880
年代にアーツ・アンド・クラフツ運動(美術工芸運動)を起こします。
要するに機械工業を否定したんですが、このモリスさんは、実は後に「近
代デザインの父」と呼ばれるようになります。彼は、従来の様式にとらわ
れることも良しとせず、新しい時代の造形美を作り出そうと建築や家具、
調度品、壁紙、スンドグラスなど、多岐にわたる分野にデザインの概念を
取り入れて、56 歳の時には印刷工場を設立、グラフィックデザインの領
域を開拓しました。
ウィリアム・モリス(William Morris)
1834 ∼ 1896 年
19 世紀イギリスの詩人、デザイナー、マルクス主義者。多方面で精力的に活動し、それぞ
れの分野で大きな業績を挙げた。 花阿彌フラワーデザイン通信講座 基礎・初級コース Teaching Note
(5)フラワーデザインの第一の源流
産業革命のお陰で、人々の生活は豊かになり、その結果、花の需要も多く
もちろん、このデザイン法は、蒸気機関に乗って人が広がると共にヨー
なりました。
ロッパ全域、そして、アメリカなど世界中に広がることになります。
花屋も、パーティーのテーブル装飾などの需要が多くなったでしょうし、
現在のように花のクオリティも吸水性スポンジも無かった状態で、とにか
く手早く、大量に、短時間の内に商品を制作しないといけない。もたもた
してたら花はしおれてしまいますからね。
よって、ある程度の技術があれば誰でもできるようにパターン化したわ
けです。三角とか丸とか、ある形に作る作り方をパターン化する事により、
誰がつくってもそれなりのものができるようにしたんですね。
■フラワーデザインの源流 その 1
花屋の技術として考えられたデザインは、
幾何学的な形で面構成のデザインでパターン
化されていることから、芸術性やデザイン性
よりも、どちらかというと制作時の効率を優
先させて考えられている。
また、このデザイン法は、全て装飾的なデ
ザイン、言い方を変えれば人工的なデザイン
であり、自然的なデザインというのは存在し
ません。
そうしないとパーテーに一度に 50 個なんてとても作れないですし、こ
のように手順と形をパターン化して決めておくことで準備も効率的にする
ファン(扇型)
事ができ、特別な技術や熟練した技がなくても、見習いやアルバイトでも
それなりの商品を制作できるようにしたのです。
そう、これがフラワーデザインの第一の源流。
花屋がたくさんの商品をつくるための技術として、必要に迫られて湧き
出たんですね。
そのため、この頃のフラワーデザインは、ある形の輪郭を花でつくり、
後に、その形を花で埋めるやり方がほとんどです。形は変わってもやり方
の基本は一緒で、要するに工業デザイン(インダストリアルデザイン)に
近い考え方で工夫されたデザイン法なんですね。
ドーム(半円形)
トライアンギュラー(三角形)
花阿彌フラワーデザイン通信講座 基礎・初級コース Teaching Note
(6)産業革命以降のデザインの流れ
続いて、第 2 の源流のお話をしたいのですが、第 2 の源流が沸き上がる
絵画、イラストレーションなどの造形はもと
までは、1919 年まで待たなければなりません。その間、デザイン界では、
より、文学や演劇など、その影響は広範囲す
様々な事が起き、その度に進化していきます。
ぎてここでは語りきれないほどの広がりをみ
せます。
19 世紀末、ウィーンの芸術家グループはゼ
セッションを結成します。
誰もが知っている所では、未だ建築中の建
ゼセッションとは、分離派と呼ばれるウィー
築家アントニオ・ガウディのサグラダ・ファ
ンとドイツの進歩派の芸術集団で、モリスの思
ミリア。ティファニーの宝飾まで、その遺産
想を受け継ぎながらも、過去の伝統的様式から
は現代なお異彩を放つ造形デザインとして高
分離した造形を志向することを目的とした運動
い人気を誇っています。
を展開し、直線的な構造の実用性を兼ねた製品
このアール・ヌーボー様式の特徴は、ゆら
づくりを目指して、ヨーゼフ・ホフマンを中心
めき息づくようなうねり、流れる水、植物の
としてウィーン工房を設立。
茎のしなやかさを思わせる曲線なのですが、
だんだん過激になりすぎて、実用性を犠牲に
機械生産を否定したモリスとは異なり、機械
し、あまりに表面的な装飾性にこだわった事
生産を前提にして幾何学的な形態を巧みに活か
があだとなり、今世紀初めにはその影響は急
す事を考え、装飾性と実用性を製品作りの理念
激に沈下してしまいます。
として、建築・家具・工芸作品を発表しました。
彼らの特徴は、正方形や長方形をモチーフと
して選び、直線的な構造をしています。
ヨーゼフ・ホフマン
(Josef Franz Maria Hoffmann)
1870 ∼ 1956 年
一方で、同じ世紀末には、パリを中心にヨー ウィーン分離派の中心メンバー
ロッパ各地で植物的な曲線を用いた装飾芸術が の一人。 大流行しました。
これが有名なアール・ヌーボー
下の椅子は彼のデザイン 様式(新しい芸術という意味)と呼ばれる美術
運動で、建築、家具、ガラス製品、ジュエリー、
このように、アーツ・アンド・クラフツ運
動やゼセッション運動、アール・ヌーボーも、
産業革命による機械生産に対する人間の自己
浄化作用リアクションとして現れたものだと
アントニオ・ガウディ
(Antoni Gaudí i Cornet)
1852 ∼ 1926 年
アール・ヌーヴォー期のバルセ
ロナを中心に活動した。下写真
いわれており、近代デザインへの脱皮の過程
のサグラダ・ファミリアは世界
として重要な意味を持ちますから、デザイン
遺産に登録されている。 に携わるものとしては、是非、知っておいて
ほしいものです。
花阿彌フラワーデザイン通信講座 基礎・初級コース Teaching Note
(7)デザインと美の原理との出会い
このようにデザイン界は紆余曲折を経てどんどん進化してきますが、
この規格化は、当時、大きな論争を呼ぶ事となりました。特にかってアー
1908 年、大きな進化の前段階として DWB(ドイツ工作連盟)により、
ル・ヌーボーの先導を果たしたヴァンデ・ヴェルデという人は、工業製品
現代の工業生産方式の基礎が確立されます。
であっても基準や一定の型を押し付けるべきではなく、規格化は個人の手
技の才能や想像する喜びの芽をつみとってしまう。という理由で強行に反
この DWB を結成したのはヘルマン・ムテジ
対しました。
ウスという人で、スタート時から、もはや避け
られない現実として工業化社会を受け止め、積
それに対してムテジウスは、規格化とか芸術性とか、どちらかが重要で
極的に機械生産による製品の機能と造形美を統
あるという次元で論じていても意味はない。自分は、さらに高いレベルの
合させるデザインの自立を目指しました。
新しい工業社会の生産システムを提案した上で、造形の理念を求めるとし、
創造性も芸術性も追求しましょうという理想を掲げたわけです。
これは、芸術と工業を製品を通して調和させ
た初の試みで、先のモリスのアーツ・アンド・
この理想を現実のものとするため、彼はいろんな実験をしたと想像でき
クラフツ運動に対し、アーツ・アンド・インダ
ストリーとしました。
このムテジウスさんという人は、近代機械生
産システムにとって、とても重要な「製品の規
格化」を提唱します。
ボルトやナットのような小さなパーツから住
宅の大きな部材まで規格化することで、企業間
や国家間の製品規格を統一し、コストの削減と
品質の向上を実現させ、それにより大幅な生産
性の向上が図られることとなります。(後に近
代日本の工業規格である JIS 規格の原形となり
ました。
)
るんですが、部品の単位を決定する時に、全体のバランス、プロポーショ
ヘルマン・ムテジウス
(Hermann Muthesius)
ン(比率)の重要性に気がつきます。そして、造形の基本的な要素と造形
美の相関についての新しい造形学の必要性を痛感するわけです。
1861 ∼ 1927 年
下は、音楽室用として彼がデザ
要するに、今までは師匠と弟子の関係で職人の間だけで伝承されて来た
インした椅子。 様式を、学問にして誰でも解るようにしなければならないなぁ。
。
。そんな
学校があったら、自分もこんなに苦労しなくても良かったのになぁ。
。
。と
思ったわけです。
ヨーロッパではギリシャ時代から神聖律として多様されていた黄金分割、
シンメトリーの概念、紋様の配列によるリズムや連続性といった数理的装
飾技法が様式化され伝統的な技法の中で使われていました。ただ、それは
伝統の中に埋没してしまい、このムテジウスさんが気が付くまでは、新し
い創造に活かそうという試みはまったくされていなかったのです。
花阿彌フラワーデザイン通信講座 基礎・初級コース Teaching Note
ムテジウスさんは、初めてデザイン概念の中に、プロポーションやシン
メトリーなどの造形の数理性やバランス、統一感といった造形美をつくる
要素の重要性を確認し、それを初めて規格化に取り入れたわけですね。
この事は近代デザインにとって、非常に大きな意味を持ちます。このム
テジウスさんの提案により、あれだけ反対していたヴェルデさんも、後に
芸術と機械生産の統合を唱えるようになったほどです。
テジウスさんは、誰に教わったわけでもないので、ほぼ無意識のうちに
こうした造形要素を巧みに探り、造形性を高め、規格化に取り入れたわけ
ですから、この頃の実際の彼のデザイン設計手法は、伝統的な造形美の中
にある美の要素に気が付いてはいたとしても、あくまでも主に彼の美意識
や直感的能力に支えられていました。
(8)バウハウスの偉業
バウハウス、、、どこかで聞いた事ありませんか?
デザインに興味がある人なら名前だけは聞いた事がある人は多いと思い
ます。特に 1925 年にマイセル・ブロイヤーにより発表された「バウハウ
スの椅子」と呼ばれるスチールパイプの椅子が有名ですよね。
マルセル・ブロイヤー(Marcel Breuer)
1902 ∼ 1981 年
ブロイヤーはバウハウスの第一期生として学び、後
に同校の教官 ( マイスター ) となった。彼は芸術とテ
クノロジーの融合を説き、やがて木工工房を任され
るまでになった。
下の写真は、彼がデザインした椅子として有名でバ
ウハウスを代表する作品です。
だからこそ、機械生産のための優れたデザイナーを育成するために、造
形美をつくる様々な要素とそれを統合する美の基準の学問体系化、そして、
それを教える教育機関の必要性を痛感し、それを支える工芸学校教育シス
テムの改革に腐心しました。もちろん、DWB のメンバーにも説いて回っ
ていたことが想像できます。
そして、このムテジウスさんの思想は、遂に実を結び、1919 年、第一
次世界大戦後、世界初の本格的デザイン教育機関としてドイツ国立バウハ
ウスが創立されます。
ワシリーチェア(Wassily Chair)
チェスカチェア(Model B32)
1925 年デザイン。スチールパイプを使用し
1926 年頃のデザイン。後に娘フランチェス
た世界初の椅子で、自転車のハンドルから
カにちなんで「チェスカ」と呼ばれる椅子。
ヒントを得た。バウハウスの教授、
ワシリー・
バウハウスチェアとも呼ばれ、世界の至る所
カンディンスキーの為にデザインされた。
で使われている。
花阿彌フラワーデザイン通信講座 基礎・初級コース Teaching Note
このバウハウスの初代校長は、ワルター・グロピウスという人で、先に
述べた DWB のメンバーの一人として知られ、当初はワイマールにあった
美術学校と工芸学校を統合する形で開校され、後にデッサウに移転、デッ
サウ市立バウハウスとなりました。
実は、このバウハウス以前にも技能技術や工芸学校はすでに 19 世紀中
頃から存在はしていたのですが、それらの多くはプロフェッショナルな芸
術家養成のための美術学校や産業界の専門的技術を習得する職能学校で、
デザインを主に置いたカリキュラムを組んでいた学校は他にありません。
バウハウスでは、美術、工業、手工業、工芸などの広範囲な造形活動に
共通する造形の原理と理論が造形実習を通じて教えられ、機械の操作や特
殊な技能を教育・訓練する従来の職業学校とは根本的に違っていました。
それまでの学校の考え方が、芸術の才能はもともと備わっているもので
あり、教育はその能力を伸ばすための補助にすぎないとして、初めからデッ
サン力のない学生に対しては門戸を閉ざしていたのに対し、バウハウスで
は、人間は誰でも造形能力を持っているという前提に立って教育に望んで
いたのです。
これはカリキュラム制作に大きな貢献をしたヨハネス・イッテンという
人の「造形能力は造形のトレーニングによって養われる。」という強い信
念のたまもので、これは戦後の日本のデザイン教育の基盤となっただけで
なく、世界中のデザイン学校の教育理念となりました。
バウハウスは、このようにデザイン教育に大きな功績と人材を残したの
ですが、第二次世界大戦、ヒットラーの台頭でたった 14 年で幕を閉じ、
ドイツを追われた教師たちは、新天地を求めてアメリカに渡り、シカゴに
ワルター・グロピウス(Walter Gropius)1883 ∼ 1969 年
モダニズムを代表するドイツの建築家。近代建築の四大巨匠の一人とされ、バウハウスの創
立者として、1919 年から 1928 年まで初代校長を務めた。右は彼のデザインした『デッサウ
の校舎』
ニューバウハウスを設立。39 年にはシカゴ・デ
ザイン学校とし、教師たちはバウハウスの造形
教育システムの移植を続け、1944 年にはデザ
イン研究所として独立。翌年には 800 名の学生
が在学する一大教育機関となり、1949 年には
イリノイ工科大学に併合されます。
また、教師の一人であるケペッシュは、その
後、マサチューセッツ工科大学に招聘され、マ
ルチメディア時代の基礎概念を構築したメディ
ヨハネス・イッテン
(Johannes Itten)
1888 ∼ 1967 年
バウハウス初期ワイマール時代
ア・ラボの前身、高等視覚研究所を設立し、バ の大きな足跡を残した指導者。
ウハウスの理念はアメリカの二つの大学に引き 独自の造形理論・形態論・色彩
継がれたのです。
論・美術教育論に取り組み、バ
ウハウスでの影響力はグロピウ
ス以上といわれる。 花阿彌フラワーデザイン通信講座 基礎・初級コース Teaching Note
(9)第 2 のフラワーデザインの源流・ヴァイエンシュテファン
フラワーデザインの世界でも、バウハウスの影響は表れ、その教育理念
は 1926 年創立、ドイツ国立花卉装飾専門学校・ヴァイエンシュテファン
に引き継がれます。
そして、このヴァイエンシュテファンが「フラワーデザインの第 2 の源流」
となるのです。
ところが、このキャラクター付けというアプローチから生まれたものは、
花を花弁だけではなく、花全体、花の形や姿、色、質感というように細部
を観察し、デザイン素材である花全体を如何にデザインに活かすのか。と
いう事を考えたものだったのです。
ここには、バウハウスのカリキュラムにある「材料の把握」の影響が見
ヴァイエンシュテファンの初代校長は、バウ
られますが、同時に、花を商品として扱うだけではなく、造形芸術にまで
ハウス出身のフランツ・コルブランドという先
高めようとするコルブランド先生の教育理念が見えます。
生で、自分が学んだバウハウスのデザイン理念
をフラワーデザインに移植し、新しい進化をも
また、二代目校長となったモーリッツ・エバース(MORITZ EVERS)先
たらす事になります。
生は、このコルブランド先生の教育理念を引き継ぎ、カリキュラムを理論
的に組み立てて、フラワーデザイナーの教育システムをより進化させまし
このコルブランド先生は、実はもともとは絵
た。
画の先生で、絵描きであることから、植物一本
一本をスケッチし、その植物のキャラクター付
このヴァイエンシュテファンの教育理念を、モーリッツ・エバース先生
けをしました。
例えば、スイートピーはバレリー
は「草や花は 母なる自然 の完全なる創造物であり、その存在自体が芸術
ナ。エレンジュームはソルジャー。兵隊ですね。
であると認識し、称賛すべきものである。従って彫刻的なデザインの素材
オンシジュームは豹。というふうに、その植物
フランツ・コルブランド
としてイースターのウサギやアヒルを作ってしまっては、花の本質を失う
のキャラクターを具体的に絵にしており、それ
(Franz Kolbrand)
ことになってしまう。フランスやアメリカでは、フォームフロリストリー
は現在でも残っています。
という非常に装飾的なフラワーデザイン、言い換えれば花をまるで粘土か
絵具のように扱い、面構成の強いデザインの傾向がある。
」と、ここで従来
この植物のキャラクターということに注目した点が、従来の花屋の技術
からある「花屋のデザイン法」を批評し、続いて「フラワーアートは、花
としてのフラワーデザインとは全く違ったアプローチでした。つまりそれ
の生き生きとした個性と表情を表現した時、はじめて本物の芸術になる。
までのデザインは、花を固まりにして集合体にして形を作るというデザイ
いかなるデザイナーの作品も、このような要素が見い出されなければなら
ン法で、主に花の花弁の部分だけを見せようとするものでした。
ない。デザイナーまたはフローリストを育成するために我々は、花の個性
を見い出す訓練とその個性を表現する造形の方法を教育する必要がある。
」
花阿彌フラワーデザイン通信講座 基礎・初級コース Teaching Note
(10)ヴァイエンシュテファンから花阿彌へ
としています。
このように、
「花の個性を見い
ここからは、日本のフラワーデザインの歴史と現状、そして、私が校長
出し、それを尊重する事によって、
を務める花の学校、
「花阿彌(はなあみ)
」のことを知って頂きたいと思い
はじめて真のフラワーデザインが
ます。
完成する。
」というのが、ヴァイ
エンシュテファンから沸き出した
前にお話しした通り、日本へフラワーデザインが伝えられたのは、戦後、
フラワーデザインの第 2 の源流と
アメリカからで、花屋の技術として入って来たものの、日本の文化として
なるわけです。
すでに存在していた「生け花」よりも簡単で、華やかさがあるように見え
るフラワーアレンジメントは、生け花教室を花屋が経営していた事が多かっ
そして、この考え方より、フラ
た事もあり、一般の習い事として、すんなりと認知される事となりました。
ワーデザインに初めて「自然を表
現 する 」 と い う デ ザ イ ン カ テ ゴ
この頃、現在、フラワーデザインの指導者として活躍されている先生方
リーが示され確立されます。
は、当然のごとく、その留学先をアメリカにもとめ、私自身もハワイ大学
の植物組織培養セクションの聴講生として留学、その後、本格的にフラワー
これはフラワーデザイン界にとっ
て革命的な事で、それまでのフラ
自然的なデザイン
ワーデザインには装飾的なもの。要するに人工的なデザインしか無かった
のですから、このヴァイエンシュテファンの功績が如何に偉大なものであ
るか、そして、ここから近代フラワーデザインが始まった。と考えて良い
デザインを学ぶため、シカゴのフローラル・アートスクールでウイリアム・
キスラー氏に師事し、アメリカンスタイル(ウエスタンデザイン)を身に
つけました。
その後、私は帰国し様々な国内のコンテストに参加し、内閣総理大臣賞、
と思います。
文部大臣賞、農林大臣賞、
FTD金賞などを受賞。その実績を経て、
1977 年.
さて、ここまでで、デザインという概念の進化と「フラワーデザインに
出場し、ブライダル部門で 3 位を得ることになるんですが、最も権威ある
は源流が 2 つある。」ということを、何となくでもご理解頂けたと思いま
すが、もう一つ、知っておいてほしい事は、私たちの日本のフラワーデザ
インの現状です。
フランスのニースで開催された第3回インターフローラワールドカップに
このワールドカップの経験で私は愕然とするわけです。
(その頃の様子については、フレンドシップ 30 のホームページ
http://www.j87.net/friend/ に書いていますので、是非、ご覧下さい。
)
花阿彌フラワーデザイン通信講座 基礎・初級コース Teaching Note
フラワーデザインの 2 つの源流を知ったみなさんなら、ご理解頂けると
は思いますが、日本に入ってきたフラワーデザイン、そして、私がそれま
で学んできたデザインはアメリカから学んだスタイルで、花屋の技術とし
て考えられた第 1 の源流のからの流れを引き継いだデザイン法でした。
ところが、この業界で最も権威あるとされているワールドカップでは、
第 2 の源流であるヴァイエンシュテファンの流れを組んだデザイン法が主
流となっていたのです。よって、課題を出されてもさっぱり解らない。英
語はできるけどフランス語はさっぱりですし、そのとき、出場していたア
ジア人は僕一人ですから、もう何がなんだか理解不能なわけです。井の中
の蛙とはこの事ですよね。
例えば、今では信じられない事でしょうが、当時、アメリカで学んだデ
ザイン法には、シュトラウス(花束)なんて無かったんです。学んできた
ガブリエレ・ワーグナー 久保
ヨーロピアンフラワーデザインテキスト
のは、ほとんどがアレンジメントとワイヤリング 100%のコサージュや
そして、その頃出会ったのが現在、僕のパートナーであるドイツ出身の
ウェディンブーケでしたからね。
ガブリエレ・ワーグナーでした。彼女は、ヴァイエンシュテファンの卒業
生で、最高学位であるマイスターフロリストを取得し、日本に生け花を学
おそらく、フラワーデザインに第 2 の源流があることを認識した日本人
びに来日しており、彼女の力も借りて 2 人でフラワーデザインの研究を続
は私が初めてだったと思います。その当時は、ヴァイエンシュテファンの
けてきたのです。
存在を知っていた人はごく少数でしたでしょうし、そこで何が教えられて
いるかを理解している日本人は、まずいなかったはずです。
そして、その第 1 弾の研究成果として 1996 年 9 月に「ヨーロピアン フ
ラワーデザイン テキスト」を出版しました。
その後、私は、フラワーデザインの世界で主流となっているヴァイエン
シュテファンの流れをくむデザイン法を日本に紹介するため、当時は私自
この本には、ヴァイエンシュテファンのデザイン法の研究から導きだし
身もまだどんなものであるか解らなかった、このデザイン法の研究を始め
た造形原理とデザイン要素、そして、それを土台とした上で、2 人のフロー
ます。
リストとしての経験を踏まえて導きだした独自の理論構築成果を、世界で
初めてシェーマ(造形表)という形として発表する事となりました。
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(11)2 つのデザイン法を統一した理論構築の完成
お陰さまでこの本は、フラワーデザインの出版物としては異例の部数を
インの勉強をしようとした人なら解ると思いますが、現在の日本には、ア
数え、ヴァイエンシュテファンのあるドイツでも翻訳され花の専門誌等な
メリカンスタイルはもとより、ダッチスタイルとか、パリスタイルとか、
ど、嬉しい事に思いがけない評価を得て、現在では、世界各国で紹介され
ブリテッシュスタイルとか、花を習いたい人が業界紙を見ると、いろんな
る事となり、中国ではあまり喜んではダメなんでしょうけど、海賊版も出
国名や地域名を付けたスタイルが乱立してしまっています。
版されているみたいです。
しかし、ここまで読まれた方は気が付かれたと思いますが、フラワーデ
その後、2001 年.プロフェッショナルフローリスト育成のための B
ザインの分類は本来は国名、地域名でするものではなく、どういう理論で
lumenschule(花阿彌ブルーメンシューレ) を発足し、現在は
組み立てられたデザイン法であるかという事で語られるべきであり、理論
全国各地に 50 のブランチ校を開校、花阿彌出身のフラワーデザイナーが
的な視点で分類をすれば、日本では、私たちが研究し使い出したヨーロピ
指導者としても活躍しています。
アンデザインと呼ばれるものと、それまであったウエスタンデザインと呼
ばれるものしか無いのです。
ただ、この「ヨーロピアン フラワーデザイン テキスト」で私は、今か
ら思えば、ちょっとだけ失敗をしています。
ダッチとかパリとか、ブリテッシュとかいわれるものは、すべて「花屋
この本の出版により、このヴァイエンシュテファンの流れをくむ花阿彌
の技術」のデザイン法と同じものとなり、名前は変えていますがウエスタ
のデザイン法は、一般には「ヨーロピアンデザイン」という名前で知られ
ンデザインと同じ理論体系のものなのです。
る事になり、その響きから、見た目がヨーロッパ風であれば、花屋の技術
のデザイン法を教える指導者や団体でも、生徒に受けが良いという理由で
また、この「ヨーロピアン フラワーデザイン テキスト」で発表した理論は、
ヨーロピアンデザインと名乗ることが多くなってしまったのです。
それに続く 13 冊の出版と地道な啓蒙活動が実を結び、最近やっとではあり
ますが、ほんのちょっと形を変えたり、言葉を変えたりして、様々なフラワー
実はこの本の題名を決める時には、花阿彌はまだ発足していませんでし
デザイン教室や花の団体のテキストに移植されています。
たし、何かインパクトがある題名にしないといけないという事で、出版社
の担当者と話した結果、その頃、日本でメジャーであったアメリカンスタ
ちょっとビックリしたのは、ある生け花の家元のホームページには、花
イル(ウエスタンデザイン)と分けるために、ヨーロピアンデザインとし
阿彌の理論が、そのまま言葉も同じで乗っていたほどです。
てしまったのです。
そこで、花阿彌では、この日本でウエスタンデザインとヨーロピアンデ
ところが、そうした呼び名は本来は適切ではありません。フラワーデザ
ザイン、言い換えれば、
「花屋の技術としてのデザイン法」と「ヴァイエンシュ
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テファンの流れをくむデザイン法」との両方を一度に学べるように、それ
つものであることを知るチャンスにもなりますし、造形物制作、例えばフ
までの花阿彌のデザイン理論をさらに進化させ、効率的に両方の良さを融
ラワーデザインに限らず、将来、設計などの物作りに携わる仕事を望んだ
合させた理論構築を完成させました。
場合でも、デザイン理論の基本は同じものですので、必ず役立つはずですし、
抵抗無く受け入れられるはずです。
現在の花阿彌は、この独自の理論構築をデジタル化したシェーマ(花の
造形表)をもとに指導し、さらにそこにトレンド(流行)を加味させたも
また、大人の方では、造形物制作の基礎理論の習得、物事を理論的に考
のとなっており、最近の若いフラワーデザイナーの間では、やっとヨーロ
える思考の訓練、色彩を活かす方法や、コミニュケーションの手段としても、
ピアンデザインの花阿彌ではなく、「花阿彌スタイルを学びたい。」といっ
様々な場面で応用できるはずです。
てもらえるようになってきました。
このように、これからみなさんが学んでいただくフラワーデザインは、
そして、この Web を利用した講座は、この花阿彌のシェーマとテキスト、
実は生活の中で最も手軽に楽しめる知的な造形・装飾技術だということを、
それと私自身が解説しながら作品制作をしている動画を駆使して、一般の
是非、認識しておいてください。
方たちに広く「花阿彌スタイル」を公開し、フラワーデザインの初心者でも、
子供たちでも、時間も距離も気にせず、気軽にフラワーデザインを学んで
頂ける初の講座となります。
ここまでご説明した通り、フラワーデザインは、実はデザインの長い歴
史の中で、造形学、色彩学、構成学、人間行動学など、様々な学問を組み
入れ総合的に体系化した学問であり、今では、「花卉装飾学」と名乗って
も遜色ないものに進化しています。
これから学ぶ理論と技術を身に付けることで、あなたの生活はちょっと
だけ知的なものになるはずです。
それは、フラワーデザインに限る事ではなく、小さな子供たちにとって
は、自然の植物の観察によるエコな心の育成、フラワーデザインという造
形制作を実践して頂くことで、小学校や中学校で学んだ学習が実際に役立
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