1 「災害と歴史」 東北大学大学院環境科学研究科教授 安田喜憲 1

「災害と歴史」
東北大学大学院環境科学研究科教授
安田喜憲
1、富士山を世界遺産にした森里海の水の循環を守る土木
安田でございます。今日はたくさんの方お越しいただいて、本当にありがとうございま
す。
先ほど御紹介いただきましたように、私は昔、岩井國臣さんのときに、ドラゴンプロジ
ェクトをやらせていただきました。それは上流、中流、下流は竜の体と同じなんだと、上
流から下流までの人々は、日本人にとっては運命共同体であるという考え方です。流域を
核として河川の水の流れを命の源として人と人はつながっている。こういう国はあまりな
い。上流の人と下流の人が水でつながっていることを実感できる。そしてその人と人のつ
ながりを維持してきたのが河川局であり、日本の土木なのです。この流域の水の循環、上
流・中流・下流の人々が水でつながっている歴史と伝統文化を守るということが大事だと
言って、ドランゴンプロジェクトを、九頭竜川を舞台としてやっていただきました。ちょ
うどそのときに、理事長の福田晴耕さんもおられて、それ以来ずっと親しくお付き合いを
させていただいています。
本当は去年の 10 月に呼んでいただくことになっておりました。ところがそのとき台風
が来まして、来れなかったんですね。講演会も中止になりました。それから約半年の間に、
実は私の周りの状況がものすごく変わりました。この間、国土交通大臣の太田明宏さんに
お会いしたら、事務次官に佐藤直良さんがいらっしゃる。そして水管理・国土保全局長を
なさっている足立敏之さんともお会いしました。
佐藤事務次官、足立局長、この中部地方で活躍された方が国のリーダーになっておられ
る。さすがだなと。ここは大きな力を持っている。国家を動かすぐらいのすばらしいとこ
ろになっているということを実感しております。
静岡県知事の川勝平太氏は国際日本文化研究センターにおりましたときの同僚で、非常
に仲がよかった。突然「私、静岡県の知事に立候補する」と言いまして、私は「やめとい
たほうがいいんじゃないか」と言ったんですけれども、意志が固くて知事に立候補して当
選したわけです。ちょうど今日からまた 2 期目の選挙が始まるところです。非常に評判が
高くて、70%ぐらいの県民の支持率があります。
その川勝さんが知事になってやり始めた一つが、富士山を世界文化遺産にするというこ
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とでした。
「富士山を世界遺産にするから、県庁に富士山世界遺産室というのをつくったか
ら、そこの参与に来い」と言われて、私は東北大で授業をすると同時に、1 週間に 1 回静
岡県庁へ行かせていただいて、富士山を世界遺産にするために一生懸命 1 年間やってきま
した。
ユネスコの下部機関の ICOMOS から富士山を世界遺産に推薦するという勧告がめでた
く出て、富士山が世界遺産になることはほぼ間違いないわけですけれども、そのときに
ICOMOS が出してきたレポートを拝見しました。そうしたら、これがレコメンデーショ
ンレターかと思うような大変低調な、どこにもすばらしいということが書いてないわけで
す。そこに「アージェントニード」という言葉が 2 回も出てくる、至急にやることがある
と。
富士山へは毎年ものすごい観光客が来る。7 月と 8 月に 30 万人以上の登山者が来るわけ
ですね。それで実はいっぱいなんです。30 万人来ますと、吉田口の登山口から頂上まで人
の列がずっとつながって、もうそれ以上の登山者を受け入れられない。ちょっと足の弱い
人なんかが立ちどまっていると大渋滞が起こるわけです。世界遺産になったらもっと人が
来るでしょうから大変だなと思っているわけですが、それに対する対応をどうしたらいい
か、それを早くしろ。山梨県側は非常に商売が上手で、山中湖とか河口湖なんかはたくさ
んホテルができて、富士山登山で非常ににぎわっているわけです。世界遺産にする中でそ
の観光客の増大による環境破壊が一つ大きな問題になります。
それからもう一つ問題になったのは三保松原です。三保松原、美しいでしょう。その美
しい三保松原を外さなければ世界遺産にしないよと ICOMOS は書いていた。
何でかなと思ってよく読んでみたら、彼らは一神教の国ですから、富士山を崇拝する巡
礼街道が富士山のふもとにあることが大事だ。ところが、三保松原はその巡礼街道から 45
キロ離れている。何の関係もないものをどうして世界遺産にするんだという論理です。巡
礼街道から離れているから三保松原は構成資産には値しないと明言しているわけです。
ここに我々のドラゴンプロジェクトの概念がわかっていないわけです。我々はなぜ三保
松原を大事にするか。富士山と三保松原が一体だということは、日本人だったら誰でもわ
かりますよね。富士山の化身としての天女がおりてきて松原に羽衣をかけて水浴びをする。
そしてまた富士山に帰っていく。富士山と三保松原をつないでいるのは水の循環です。上
流、中流、下流のドラゴンプロジェクトです。これこそが日本人の生きる源。駿河湾の海
から富士山を見るときに三保松原と富士山は一体。何で一体か。それは水の循環、命の水
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の循環によって、我々は、上流、中流、下流がつながっているということを実感できるわ
けです。でも、西洋の人々はそれがわからない。西洋の人々は、上流にいる人間と下流に
いる人間が、水の循環で一体だというようなことはあり得ないわけです。
その典型が、例えばイギリスなんかに行くと、ケンブリッジとかオックスフォードのよ
うな街には立派な森が、樹齢 70 年とか 100 年のトチとかヨーロッパブナの都市の森がき
れいにあるわけです。これはすごい。山奥へ行ったらものすごい森があるんじゃないかと
思って山奥へ行っても、行っても、羊が草を食べている牧草地が広がっているだけで、森
はどこにもないわけです。高い山の上に行ったら、こんこんと清水が湧いている。これは
いいな、喉が渇いたから飲もうかなと思ったら、
「そんなもの、飲んじゃいかん」と言うわ
けです。その水は全部、羊やヤギの排泄物で汚染されている。
「そんなもの飲んだら病気に
なるよ」と言うわけです。ヨーロッパの人々は山に羊やヤギを放牧して、森、里、海の水
の循環系なんていうものとは、一切関係がない。日本では我々はその辺の山へ行ってきれ
いな清水が湧いていれば、それを手ですくって飲むことができる。我々の地下水は汚染さ
れているということがないからです。
我々にとって三保松原と富士山は一体であって、それを外すことはできない。それを外
すということは、ドラゴンプロジェクトをやっている意味が全くない。だから私はどんな
ことがあっても外せないと言った。川勝知事も面接をしたときにテレビ局で「やっと 8 合
目まで来たけど、あとまだ残っている。それは三保松原を含めないと、西洋の人々にとっ
て我々の本当の世界観が理解されたことにならない」と言ったんです。
熊野古道というのがあるでしょ。これは巡礼街道ですから彼らは簡単に理解できたけれ
ども、富士山と三保松原の関係は西洋の人々にはほとんど理解できません。
どうなるかわかりませんが、この世界遺産を最終的に決定する会議が 6 月、もう間もな
くあります。6月 20 日から 22 日の間にあると思いますけれども、ユネスコの会議で最終
決定するわけです。その最終決定する場所がどこかといいますと、カンボジアです。今回
37 回目で、毎年毎年その場所が違うわけです。その第37回のユネスコの世界遺産会議の
議長をするのが、ソクアン副首相です。副首相がユネスコ会議の議長をやるというのは珍
しくて、なぜか知りませんが。彼は文化人で、私たちとも親しい。
カンボジアの人々も山を崇拝するという世界観を持っています。例えば、シロアリって
ありますでしょ。日本なんかだったら、家の中にシロアリの巣ができたらえらいことです
から、すぐに撤去しようと思いますが、カンボジアの人にとっては、シロアリの巣ができ
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るということは幸せが来ることなんです。どうしてか。山が家にできるんですから。彼ら
は山を大事にする。
アンコールワットという建物がありますね。実は、アンコールワットの南にプノンバケ
ンという山があって、プノンバケンの山の神様を平野に連れてきてお祀りする場所として
アンコールワットをつくったんです。その隣のアンコールトムという都に王様が住んでい
たんですが、その王は毎年、1 回は必ずプノンバケンの岩山に行ってお祀りをした。その
プノンバケンからはこんこんときれいな水があふれて、そしてアンコールワットとアンコ
ールトムの周りの環濠を潤している。その環濠の水が水田に使われるわけです。
アンコールワットの隣のアンコールトムは、12 世紀の段階では、世界一人口の多いとこ
ろでした。世界一人口の多いアンコールトムの環濠ですから、当然その水は汚れに汚れて
いるだろうと私は思っていた。ところが、私の友人の森勇一さんがその土の中の珪藻の化
石と昆虫の化石を分析した。すると「先生、この水は飲めますよ」と言うんです。当時 100
万人以上の人口があった都市の環濠の水が飲めるんです。それはどうしてか、その理由も
わかりました。100 万以上の都市の汚水を三つの巨大な貯水池で濾過して、上水だけを環
濠に流すようにしていたわけです。我々にとっては森から流れてくる、森、里、海の水の
循環を維持している美しい水の流れを維持し続けるということが極めて重要なわけです。
ヨーロッパの人々にとってはそんなことはわからない。川は単に交通のルートで大きな
船が走ります。上流から下流へ物を運搬するルートとして彼らは使いますが、上流の人と
中流の人、下流の人が命の水の循環によってつながっているというような発想は全くない
わけです。それがあるのは稲作漁撈民です。米を食べて魚を蛋白質として食べる人間は、
命の水の循環こそがライフスタイルにとって最も重要だということがわかるわけです。
カンボジアでも日本でもどこで稲作漁撈社会はおなじです。田んぼに水を入れますよね。
自分の田んぼに入った水は自分の田んぼを耕すために使いますけれども、自分が使い切っ
てしまったらいけない。次の人が使えるようにきれいにして返さなきゃいけない。これは
当たり前のことです。次の人も次の人も上流から下流まで全部、人と人は命の水でつなが
っている。水をきれいに使おうと思ったら、自分の幸せだけを考えられないわけです。他
人の幸せも考えなきゃいけない。この社会に生きるためには、利他の心、他者の幸せを考
える。それは人間だけではない。この地球上にある生きとし生けるものの命を考えるとい
うことが、稲作漁撈社会で生きる最も重要なことになるわけです。
カンボジアの人々は我々と同じような世界観を持って、山を崇拝して生きているわけで
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す。そのカンボジアで世界遺産の会議が行われる。そのときに三保松原が入るかどうか。
ソクアン副首相のお宅には、今はなかなか遊びに行けませんが、私が 10 年以上前に調査
を始めたころのカンボジアは貧しくて、副首相といっても簡単に家へ行けたんです。私は
彼の家に招待されて、環境大臣の弟さんとも友達になった。私は早速ソクアン副首相に、
「三保の松原と富士山の関係はアンコールワットとプノンバケンの山の関係と同じだよ。」
と手紙を書きました。
世界遺産というのは一神教の人々がつくったシステムですよね。今、猫もしゃくしもみ
んな喜んでそれをもらいたいと思っている。だから、世界遺産になるためだったら三保松
原を外してもいいと多くの人は言いましたよ。せっかく世界遺産にレコメンデーションを
もらったんだったら、このまま黙っていればそのままなっていくわけだから、三保の松原
を外しましょうと言った。でも、私と川勝知事は、それはそうだけど、もうちょっと最後
の最後まで頑張りたい。
三保松原を富士山の世界遺産の中に入れることは、森、里、海の水の循環系、ドラゴン
プロジェクトの重要性が世界の人々にわかってもらえるということです。世界はほとんど、
ドラゴンプロジェクトの重要性はわかりません。森、里、海の水の循環系、上流の人、中
流の人、下流の人が水の循環系によってつながっているという思想は彼らには全くありま
せんが、日本やカンボジアには、それがあるんですよと。それを世界の人に理解してもら
うのに、三保松原が世界遺産になるかどうかがかかっている。我々は森、里、海の水の循
環系を意識してきたからこそ、美しいこの日本の国土を維持できたわけです。
もちろん災害もあって、安倍川というのは非常に急流河川で、上流から大量の土砂が流れて
くる。洪水を防ぐために、一生懸命南アルプスの上流に堰堤を皆さんの御尽力によってつくっ
た。
今海岸にテトラポットを置いている。ユネスコの視察団は、
「これは何ですか」と言うわけで
す。こんなものを置いている意味がわからない。土砂が少なくなっているから、海岸浸食が起
こっているから、防止のためにテトラポットを置いているんですと言うと、ユネスコの
ICOMOS の勧告の中には、新幹線をつくったり工場開発をするのに安倍川の土砂を大量に取
ったために土砂がなくなって、三保松原の美しい景観が破壊されている、と指摘していた。
でも、土砂がなくなったのはそうじゃないですよ。上流で一生懸命砂防工事をやって土砂が
流れないようになって地形が安定して、災害が減ったからこそ土砂が減っているわけです。と
ころが彼らはそういうふうには見ないわけです。安倍川の砂を取り過ぎたからこういう状態に
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なっているんだと書いているわけです。もちろん一部は真実ですが、すべてではない。日本の
国土、美しい国土を守りながら日本の豊かさを維持しているという努力が彼らには理解されて
いないなと思いました。
これは静岡県庁の私の名刺ですけれども、名刺の上に必ず富士山を描いている。世界遺産に
なるまでは、私がこれを上げても、
「あっ、どうもありがとうございました」と誰も感動しなか
った。ところが、世界遺産になった途端、この名刺を 1 枚上げると、
「先生、世界遺産をやっ
ておられるんですか。ありがとうございます」とみんなからお褒めの言葉をいただいて、この
名刺の価値がものすごく上がりました。
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森を破壊する土木と森と共生する土木
もう一つ大事なことは、皆さんがこれまでやってこられたことを世界に認めさせなきゃいけ
ない。信玄が霞堤というのをやってきたでしょ。日本人は川と人間がいかに共存しながらうま
く生き続けるかということをずっとやってきたわけです。美しい国土を維持しながら安全な国
土をつくってきたノウハウを世界にこれから知らしめなきゃいけない。その原点は、実は森、
里、海の水の循環にあるんです。
私は ICOMOS の連中も、これを認めたら、東洋の軍門に下ることになると思って言ってき
たのかもしれないけれども、ともかく三保松原を外すことが最大の条件だということを数回繰
り返しているわけです。それでも、我々は引き下がれない。これを引き下がるということは西
洋の軍門に下ることだから、東洋の我々の、皆さんがやってこられた価値、東洋の土木、東洋
の建設というのはこういうものだということを世界に見せなきゃいけない。
西洋と東洋がどう違うかということを皆さんも、ぜひ意識してください。それが土木のあり
方、建設のあり方にも大きく反映しているんです。
西洋文明のルーツはメソポタミアというところです。ここで文明が誕生して、それが地中海
に行って、アメリカに行って、そして世界を今支配しているわけです。
これがメソポタミアの風景です。こんなところに森はないだろうと我々は長いこと思ってい
ました。この右側がテル・ブラック遺跡です。右側に丘があるでしょ。5,000 年前にここに 2
万人の人が住んでいたというんですが、今や200人も住めない。我々が世界史で勉強した肥
沃な三日月地帯というのがどんなところかと思って私は行きました。シリアの北西部の肥沃な
三日月地帯には、今は戦争でほとんど行けませんが、木一本、草一本ありません。我々は世界
史で、これを肥沃な三日月地帯だと思って勉強してきた。
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私の専門は花粉の化石を分析することです。向かって右側が花粉の化石です。種類によって
花粉の形が違います。向かって右側の上がスギの花粉で、その下がカバノキ、ブナの花粉が一
番右下です。左側がハンノキです。マツの花粉、トウヒの花粉です。種類によって形が違うも
のですから、どんな種類の花粉がどれぐらいあるかで、過去の森の状態とか気候の状態、環境
の状態を復元できるわけです。向かって左側は珪藻、藻の化石です。これを見ることによって、
水の状態、汽水なのか淡水なのか、あるいは水位がどれぐらいの高さまでいっているとかいう
ことを復元することができるわけです。
先ほど言った、肥沃な三日月地帯が本当に肥沃だったんだろうと思って、ガープ・バレイと
いうところの花粉を分析してみました。そうしたら、1 万年以上前の時代にはここに豊かな森
があったんです。ドングリのなる落葉ナラの森があった。1 万年前には深い落葉ナラの森があ
りました。それが 5,000 年後にはほぼなくなっているわけです。あんなハゲ山に森があったと
いうのは想像できないけれども、花粉の化石を使うことによって、そこに豊かな森があったこ
とがわかったわけです。
何で森がなくなったのか。人間が生きるためには蛋白質を食べなければいけません。この地
域の人々は畑作牧畜民といいます。パンを食べてミルクを飲んで、バターやチーズをつくる。
そして肉を食べる。蛋白質として羊やヤギの肉を食うわけです。羊やヤギはほっておいても草
をばりばり食うわけです。羊やヤギの頭数が増えてきたら、森は一方的になくなっていくわけ
です。
ヤギというのはしゃくりあごで、草を根こそぎ食うわけです。だから、限界集落の雑草がた
くさん生えてきたり森が増えてくるようなところにヤギを 5~6 頭置いておけば、限界集落の
周辺の道路なんか一遍にきれいになりますよ。それぐらいたくさん草を食うんです。
ところが、たくさんのヤギを小さな島に放牧したら、あっという間に島の森がなくなるとい
うのは、日本でもたくさん事例があります。地中海の森というのは、ヤギが全部食いつぶした
わけです。ヤギというのは木に登っても若芽を食べますからね。子供をどんどん産むし、木を
どんどん食べますから、ヤギが出てくると森はだめになります。
たくさん飼わなければいいですよ。1 頭や 2 頭限界集落に置いておけば、これは非常に役に
立ちます。日本人はそれをよく知っているから、田舎でも大量にヤギを飼ったことはない。何
百頭というヤギを飼ったことは日本ではない。せいぜい、私が小さなときでもミルクを飲むよ
うに 2~3 頭置いて、そして時々草を食わせていたわけです。だから日本の森は守られていま
すが、西洋はそうじゃありません。
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日本では大化の改新の後に、天武天皇が「肉を食べるな」というお触れを出しているんです。
肉食禁止令です。それ以来ずっと日本人は肉を食わない。でも、生きるためには蛋白質を食べ
なきゃいけませんから、肉のかわりに魚介類を食ったわけです。魚を食おうと思ったら、川に
水が流れていないといけない。川に水が流れているためには、山に水源林としての森がなけれ
ばいけない。そして、上流の人、中流の人、下流の人、みんなが魚を食わなきゃいけないから、
必然的に水というものの循環が維持されるわけです。ドラゴンプロジェクトをつくり出すわけ
です。
ところが、メソポタミアのようなところは、上流の人が何を食おうと、下流の人が何を食お
うと、そんなの関係ない。羊の頭数を増やせば増やすほど、ヤギの頭数を増やせば増やすほど
豊かになりますから、どんどんと増やしていく。そして過放牧で森がなくなっていったわけで
す。
有名なギリシャのパルテノン神殿。私も学生時代に憧れました。これは 20 年以上前の写真
ですけれども、ギリシャって、どこへ行ってもハゲ山です。あるのは、手前のオリーブの畑で、
これは人間が植えたもの。山に森がないというのが当たり前だった。だから、ギリシャにも当
然森はないだろうと思っていた。手前は中腹にあるミケーネ遺跡です。シュリーマンという人
が発掘した遺跡ですけれども、背後のイリアス山は全く木がない。
ここに谷が流れていますが、
全く水が流れていない。人間が生きるためには水が要る。ここにミケーネ遺跡があったときに
は、この谷には水が流れていたと私は思ったわけです。だから必ずここには森があったはずだ。
それを復元したいと思った。でも当時は、ミケーネ文明がなぜ崩壊したかといったら、戦争で
崩壊したと。誰も、この森がなくなったから地中海文明が崩壊したなんていう説は出していな
いんです。
でも、私は見た瞬間に、これは背後のイリアス山にあった森がなくなったから水がなくなっ
て、文明が崩壊したんだと直感しました。それで、それを明らかにするために花粉の研究をし
たわけです。そうしたら、ギリシャ文明のあった時代、落葉のナラの森が圧倒的に高い出現率
を示していることがわかったのです。今のようなハゲ山になったのはたった 2,000 年の間です。
たった 2,000 年の間に森がなくなったんです。それまでは深い森がギリシャにはあった。ギリ
シャ文明は森の文明だったんです。人々は森の中で暮らしていた。メソポタミアの今のハゲ山
の大地、あんなところまでよく森を破壊するなと皆さん思うでしょ。人間がやったわけじゃな
いです。羊やヤギ、家畜を放牧するからああいうふうにどんどんとハゲ山になっていくわけで
す。
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もう一つ恐ろしいのは海です。碧い地中海。日本の海は、三河湾でも伊勢湾でも深いどろっ
とした緑色じゃないですか。こんなの汚らしいなと思っていた私は、地中海は何と美しいと憧
れました。しかも透明度が高いわけです。
ところが、地中海に行ってこの青い海で泳いでも泳いでも、海草が足に引っかかるわけでも
ないし、海底を見たら砂ですよね。モナコやニースに皆さんも憧れていると思う。モナコやニ
ースに行ってかわいい女性に、私も若い時は憧れました。でも、ここでクラゲに刺されること
もないわけです。日本だったら、こんな美しい海で泳いでいたら必ずクラゲに刺されますが、
クラゲに刺されることもない。そして、この海岸に白いものが落ちています。日本だったら貝
殻ですよね。ところが、地中海のエーゲ海周辺はみんな方解石という、石英の結晶のいいもの
が落ちているだけで、海岸にある命あるものは、人間だけです。その世界に我々は長いこと憧
れてきたわけです。
この世界では、自然をそこまで徹底的に封じ込めることができるわけです。1,000 年の水害
に対応できるような防波堤、防潮堤をつくることができるわけです。ところが、日本人はそれ
ができない。自然と折り合いをつけながら土木をやっていく。信玄堤がその代表ですよ。災害
に遭うかもしれないけれども、自然の豊かさを維持しながら自然を封じ込めない。だから、国
土の 70%が美しい森で覆われている。
地中海文明が崩壊した後、文明の中心地はヨーロッパへ行くわけです。シーザーという人が
「ガリア戦記」を書いていますが、ローマ時代、シーザーがイギリスに遠征するときに、60 日
間歩いても森の端に到達できない。巨大な森がアルプス以北にあると書いています。本当にそ
うだった。ヨーロッパブナとかヨーロッパナラの巨木の森がアルプス以北の平原にはあった。
そこにはドルイド僧というお坊さんがいて、彼らは日本人の伏見稲荷と同じような宗教をやっ
ていた。
伏見稲荷には「しるしの杉」というのがあります。これは、神社へお参りすると巫女さんが
杉の枝を持ってきて、それを家に飾っておくと幸せがやってくる、お金が儲かる、病気が治る
というので、みんなが買うんです。
ドルイド教では何をやったかというと、オークという落葉のナラの巨木に宿り木がつく。ナ
ラは落葉ですから冬になると葉っぱを落とす。ところが、常緑の宿り木だけは 1 年中緑の葉っ
ぱをしていますから、多くの巨木の命が宿り木に結集したと考えて、ドルイド僧は春先の一番
食糧がなくなるときにその宿り木をとってきて、みんなに配ったわけです。それを家に持って
いくと、病気が治ったり解毒剤の作用があったり、幸せがやってくるとみんな信じていたわけ
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です。
そういうことをやっている宗教がずっともともとのヨーロッパにはあった。そこへ一神教を
中心とする宗教がやってきて、森は人間の幸せのために存在するのであって、人間の幸せのた
めだったら森をどれだけ破壊しても構わないというロジックで、大森林を開拓していった。そ
してヨーロッパの森は、12 世紀から 大規模に破壊されていった。これを大開墾時代と言いま
す。その結果、17 世紀の段階でイギリスの森の 90%、ドイツの森の 70%、スイスの森の 90%
がなくなったんです。
今、スイスといったら森の国じゃないかと言います。ドイツといったら森の国だと言います。
でも、昔のドイツの森は赤い森だったんです。秋になるとブナやナラが紅葉して真っ赤になる
森だった。ところが、今はもうドイツにある森はみんなシュバルツバルト、黒い森です。なぜ
黒い森になったか。それは、一度、天然の森をことごとく破壊した後に、これじゃいけないと
人間が人工的に 18 世紀以降植林して黒い森になったんです。トウヒやモミの針葉樹を植えた
から、1 年じゅう黒い森ができたわけです。
我々はそんなことを知らないから、シュバルツバルト、黒い森、ヨーロッパ人は森を保護し
ていると言うんだけど、そんなことはありません。我々はちゃんと、そんなことをする前から
ずっと、天武天皇の時代から肉を食うなと言われて、羊やヤギを飼うのをやめて肉を食わない
で、森、里、海の水の循環系を維持してきたんです。ヨーロッパ人はせいぜい 18 世紀になっ
て初めて、森を徹底的に破壊した後に、やっぱり森は大事だ、森を守らなきゃいけないという
ことで都市に木を植えていったわけです。
私がイギリスのケンブリッジとかオックスフォードへ行ったときに、都会に巨大な街路樹が
あるから、山奥へ行ったらもっとすごい森があるんじゃないかと思って行ったにもかかわらず、
山奥は羊やヤギが草をはんでいる牧草地だった。それは当然です。17 世紀の段階でこれだけの
大森林破壊が起こったんです。
我々の文明は、森を守るということ、森とともに暮らすということ、そこに最大の価値を置
いて生きる文明です。ところが、ヨーロッパから始まった、今世界を席巻している文明はそう
ではありません。自然を封じ込めて、自然を支配して、その上に人間と家畜だけの王国をつく
ることが最大の目的の文明です。
最澄さんは天台宗をつくられたお坊さんですけれども、天台本覚論の根幹に「草木国土悉皆
仏性」という有名な言葉が残されています。これは、山や川や草木、国土にはみんな命があり
仏なんだ。その山や川や草木の仏とともに人間が生き続けることが最高の幸せだということを
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最澄さんはおっしゃった。我々にとっては、草木であっても仏なんです、命あるものなんです。
この間ダライ・ラマという人が日本に来られて、私はたまたまダライ・ラマと対談したんで
す。司会者が「仏があるのはどこまでですか」と質問した。ダライ・ラマは「仏のあるものは
動けるものまでだ。つまり動物までだ。植物には仏はいない」とおっしゃった。みんな、ダラ
イ・ラマが言うから「わかりました」と言って、反論したのは私だけです。
「それはおかしいじ
ゃないか。我々日本人にとっては、草木であっても仏がおりますよ。山形県なんかには草木塔
というのがあって草木のお墓をつくっている。我々は草木塔を今でもつくって、草木にまで仏
がいると考える。チベットには草木がないから、羊やヤギしかいないから、ヤクしかいないか
ら、動物までしか仏がいると思われないのではないか」と失礼なことを申し上げたら、
「あなた
の考えは日本の神道に影響されている。ピュアな仏教は私のほうだ」とかいう答えが返ってき
ましたけれども、我々日本人は草木にも仏が宿ると考えているんです。その世界観をずっと持
っているんです。
ヨーロッパの考え方は、草木どころか、国土にも仏なんかいないわけです。神は唯一、天に
しかいないから、人間の幸せのためだったら何をしてもいいという世界です。
そういう世界で 17 世紀に小氷期が起こります。気候が一時的に寒くなるんです。森を破壊
し過ぎて、田舎でお百姓さんたちが暖をとるために麦わらをそのまま持っていって家で燃やす。
本来は畑に残して翌年の肥料にしていた麦わらを燃やしてしまったから、地力がどんどん落ち
ていって、しかも気候が寒冷化して寒くなってパンの材料となる小麦がとれなくなって、小麦
の価格がどんどん上がって、パンを買えない貧乏人は栄養状態も悪くなる。そこへペストが大
流行するんです。ヨーロッパの人々はその危機に瀕して、多くの人々が 17 世紀の段階で新大
陸、アメリカへ移住するわけです。
この赤い部分がアメリカの森の分布です。これは巨木の森です。1620 年にアメリカに人が住
んでいなかったわけではなくて、アメリカインディアンの人がここに住んでいた。それが、ア
ングロサクソンの人々が移住すると、たった 300 年でアメリカの森の 80%が破壊されたんで
す。たった 300 年でこんな巨大な巨木の森が 80%破壊された。これがアメリカの実態です。
アメリカは国立公園が大きいから森の国だと、森をよく保存していると思っているかもしれな
いけれども、とんでもありません。たった 300 年で 80%も国土の森を破壊した。それはどう
いうことか。森、里、海の水の循環系を全部破壊しただけではなく、森の中にいる生きとし生
けるものを全部殺して、そして羊とヤギとウシの放牧地に変えていったわけです。
そのシンボルがこれです。セコイアという巨木の森がアメリカの北西部にはあった。私が小
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学校のとき、セコイアにトンネルを掘って車を通しているのを見て、「さすがはアメリカだと。
日本人だったらせいぜいしめ縄を巻いてお祈りしているだけだ。アメリカ人はトンネルまで掘
って車を通している。何とまあアメリカはすごい」と思いましたよ。そういう教育を受けてき
た。だからこそ今や、アメリカ大陸ではこんな巨木は一本もなくなったわけです。こんなこと
よくするなと。道路をつくるんだったら、この巨木をちょっと迂回すればいいわけでしょ。彼
らにはここに神は宿りません。我々は、この樹齢 3,000 年 4,000 年もあるような巨木の生きて
きた命の重み、この大地にセコイアの巨木が生きていたその力、命の輝きというものの重みに
圧倒される心を持っているわけですが、アメリカの人々はそんなことは全く感じない。
「あっ、
ここに小さなうろがあるから、それを拡大してトンネルを掘ろうじゃないか」
。そしてそこに道
路をつくるんです。何でこんなところに木を切りぬいて道路をつくるのか。ちょっと迂回すれ
ば幾らでも道路をつくれるでしょう。それをつくるのがアメリカの文明です。それが市場原理
主義に立脚した人間中心主義の文明です。その人間中心主義の土木に、日本もだんだん立脚す
るようになった。巨大な災害が起こったときに、その災害を封じ込めようとして巨大な堤防を
つくったり巨大な防波堤をつくろうとする動きがあるでしょう。それはやっぱり現代の文明が
西洋文明の影響を受けてそういう考えに皆さんがなりつつあるということです。
ドラゴンプロジェクトのような考えを忘れてはいけない。日本人はやっぱり霞堤の発想です。
三面張りの工法をずっとやってきたけれども、日本人はそれはいけないと言って、河川に親水
エリアを設けて、水と人が接することができる場所をどんどんと設け始めた。
これで私は何をお願いしたいかというと、今回津波でやられたところに親海エリアというの
をつくってほしいと佐藤直良さんに申し上げたんです。建設の方は津波とどう闘うかというこ
とばっかり考えているけれども、津波とどう共存するかということを考えないといけないわけ
です。それが日本人の英知ですから。
今までの建設は海との共存をほとんど考えていなかった。河川と人間がどう共存するか、信
玄堤に始まるように日本人はそれをうまくやってきたわけでしょ。自然の力を分散することに
よって人間と河川が共存していく、
そういう土木の工法を考えてきた。これが日本人なんです。
だから、次は海です。国土強靭化法によって、コンクリートの防波堤で日本を全部囲うような、
そんなあほなことを皆さんも考えていないと思います。
だから、佐藤さんに申し上げたのは、
「奥尻島は間違ったんじゃないか」と言ったんです。奥
尻島は津波でやられて、全島を高さ 11 メートルのコンクリートの防波堤で囲った。そうした
ら観光客がゼロになり、若者はみんな東京へ行ってしまう。残っているのはおじいさんとおば
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あさんだけで、奥尻島は今や悲惨な状態になっているわけです。それはこれまでの日本人の生
き方とは違うということです。
中国の黄土高原があるでしょ。こんなところに森はないと私は思っていました。ところがこ
こに 4,000 年前まではちゃんと立派な森があったんです。それを全部破壊してしまったんです。
これが花粉分析の結果ですけれども、今のようなほとんど森のない風景ができたのは 1,000
年前です。1,000 年以上前には、明代までは少なくともこの地域に森の片鱗が残っている。
これは四川省のチベット高原、海抜 3,800 メートルのクルガイというところです。これが驚
きました。ヤクがいます。こんなところにはさすがに森はないだろうと思った。いくら何でも
こんなところは昔から草原だったと思った。ところが、花粉を分析したら、1,500 年前まで、
トウヒとかカバノキ、ヤナギの森があった。それが今のような全く森のない風景に変わってい
るわけです。これは漢民族やアングロサクソンの人々がやってきたことです。
同じ中国であっても稲作漁撈社会、少数民族が住んでいる雲南省とか貴州省は、違います。
これは貴州省の風景ですけれども、棚田です。この棚田というのは上から下まで、全部水が行
き渡るんです。ここに人がいます、どれだけの急傾斜かわかりますね。こんなところ、畑作牧
畜民の人だったら羊とヤギを放牧して昼寝しているだけです。羊とヤギが草をわっと食います
から、瞬く間にハゲ山になる。そこへ雨が降ったら土壌浸食、表土が全部流れて使いものにな
らない大地になるわけです。稲作漁撈民はこんな急傾斜にはいつくばって、おじいさん、お父
さん、私、孫、ひ孫と、営々と水田をつくり続けるわけです。こういう精神を我々は持ってい
るわけです。
昼寝をしながら二度と復活できないまでに自然の猛威を封じ込めるのが西洋の文明です。そ
れに対して日本人は、あるいは稲作漁撈民は、ほっといたら使いものにならないところに自分
のエネルギーを投入するんです。大地に自分のエネルギーを投入して不毛の大地を豊かな大地
に変えることが喜びなんです。これが日本人の土木の精神の基本にある。不毛の大地を豊かな
大地に変え、安全な大地に変え、人間が暮らすことができる豊穣の大地に変える。ほっといた
らどうしようもない大地を封じ込めるのではなくて、生きとし生けるものの命が輝いて、そし
て人間の命も輝く安全な大地をつくり変える。これが日本の土木の精神の根幹にあると私は思
うんです。日本のこの美しい国土、国土の 70%が森で覆われているのは、天武天皇以来そのこ
とを土木を担当する人々が繰り返してきたからです。自然とどう折り合いをつけながら生き続
けるか。
私はよく海外へ植林に行きます。一番最初、中国へ行ったときなんか、
「何で木を植えたいん
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だ」と聞かれました。往復の切符と滞在費を入れると 25 万円ぐらいかかるわけですが、日本
人は行って一生懸命植林している。皆さんはどうして木を植えたいかわかりますか。私は「自
分はどうして木を植えたいんだろう」と一瞬たじろいだことがありました。私はレバノンスギ
の救済活動もやったことがありますが、
「あんた、ここでレバノンスギを救済したら、日本に帰
ったら 1 億円でも金をもらえるのか」と言うんです。そんなことありません、我々は自腹切っ
て行っているのにそうやって言うんです。それが大体世界の常識です。日本人のように木を植
えたいと思うのは珍しい。
日本人がなぜ木を植えたいか。それは不毛の大地を豊かな大地に変えたい。ほっておいたら
人間に災いをもたらすような危険な大地を安全な大地に変える。しかし、変えるけれども、自
然の豊かさは損なわない。
自然を封じ込めない。
これが日本の土木の皆さんがやってこられた、
建設の皆さんがやってこられた哲学だと思います。だから、日本は美しい国土で 1,000 年 2,000
年、いや縄文時代以来 1 万年以上にわたって生き続け、暮らし続けることができているわけで
す。
これは 1950 年代の四国、愛媛県宇和島の風景です。こんな棚畠をたがやしていたんです。
今はもう誰もやりませんが、上まで担桶を担いで農作業をやっている。肥料には海藻のアマモ
を使った。こういうことを日本人はやれたんです。自分のエネルギーを大地に投入し、不毛の
大地を豊かな大地に変えて、1,000 年、1 万年も維持し続けるということです。大地とともに、
自然とともに生き続けることが最大の喜びなんです。これが世界の土木、建設とは根本的に違
うところです。世界の土木や建設は自然を封じ込めるけれども、日本人はそうではない。自然
とともに生きることが最高の喜び。自然の豊かさ、自然の力を失わないで、自然とともに生き
続けることを目指してきた。
同時にもう一つ大事なことは、ここには女性の方は、先ほどの司会をいただいた方以外はほ
とんどいらっしゃいませんが、建設に関係している人は男の人ばっかりですけど、実は、稲作
漁撈社会では女性がものすごく大きな役割を果たしているんです。
ポンティンという男が 1930 年代に日本の風景の写真集に残しているんですが、全部、働い
ている女性に向いている。女性がものすごく大きな力を持った社会、これが日本です。稲作漁
撈社会というのは、実は、女性がその労働の重要な部分を担っております。これも男中心の社
会とは違うんです。女性が田植えのときに苗代をやっている、こういうところに全部フォーカ
スを当てている。彼らにとってはよっぽど珍しかったわけですね。
畑作牧畜型の男中心の社会、
漢民族もお父さんのほうが偉いんです。お母さんよりもお父さんが偉い。ところが、稲作漁撈
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民は、お母さんがお父さんよりも偉いんです。おばあさんがお爺さんより偉いんです。だから、
皆さんの財布、どうですか。財布を握っている方もいらっしゃるでしょうが、多くの方は奥さ
んが家計を切り回しておられます。だんなさんは外で稼ぐだけで、実際の家計は奥さんがやっ
ておられる。それはやっぱり女性中心の稲作漁撈社会が今でも残っている。文明の中の女性原
理というのが豊かな自然を生み育てている一つの理由です。
美しい日本、国土の 70%が森で覆われて、森、里、海の水の循環系がきちんと維持されてい
る。あれだけ土木の方が日本の川に三面張りの護岸工事をしても、まだまだ森、里、海の水の
循環系は維持されているし、河川局がドラゴンプロジェクトまでやっているわけですから、基
本には水が人と人をつなげているという考えが土木の担当者の皆さんのどこかにあるわけです。
それに基づいた土木をやってきた、
建設をやってきたからこそ、美しい国土が維持されている。
ここへ羊やヤギを放牧していたら、日本なんて 100 年もたたないうちにハゲ山になっています
よ。それを「肉を食っちゃいかん」と天武天皇は諭された。偉いですよね。そういうことが言
えるリーダーになってもらいたい。
日本にはそういうリーダーが今までなかなかいなかった。天武天皇を超えるようなリーダー
はそういないです。戦後の吉田茂さんはすごいリーダーだったと思いますが、天武天皇は、家
畜を放牧するような、漢民族がやっているようなことをやったらいかん、まねしたらいかん。
いかにその国が豊かであっても、羊やヤギを放牧したら森は瞬く間になくなるということをよ
く知っていた。洪水も大量に起こる、災害もどんどん起こる。だから、そんなことをしないよ
うにしようと肉食禁止令を出すわけです。その結果、森、里、海の水の循環系がきちんと維持
された。
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年縞は森里海の水の循環を維持した先祖からの贈り物
その結果、何が起こっているか。福井県の水月湖、鳥取県の東郷池、長野県の深見池、富山
県のみくりが池、そして今我々が調査しております秋田県の女潟とか小川原湖、こういう日本
の湖の湖底に年縞(ねんこう)というものが見つかったんです。
これは秋田県の女潟ですけれども、この河岸にボーリングをいたします。これは水深 45 メ
ートルあります。湖底からパイプを 1 メートルずつ落としていきますけれども、当然ジョイン
トの部分で欠落が起こりますよね。その欠落をなくすために、近接した場所で 3 カ所ぐらいボ
ーリングするんです。そしてちょっと深度を変えてやると、その欠落の部分を次のボーリング
のコアでカバーできますから、上から下までほとんど欠落のないサンプルをずっととることが
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できます。それでも心配ですから、放射性の炭素同位体で年代を細かく測った結果、こういう
縞々の模様が日本の今述べた湖から見つかっているわけです。
最初、この縞々の模様が一体何だろうとわからなかった。一番最初に発見したのが福井県の
水月湖で、1991 年にボーリングしてこういう縞々の模様が見つかった。何だろうと、これを徹
底的に分析して、これは実は白い層と黒い層がセットになって 1 年に 1 本ずつできるものだと
いうことがわかったわけです。つまり年輪と同じなんです。白い層は、春先から夏にかけてオ
ーラコセイラという珪藻が繁茂します。夏からだんだん珪藻が繁茂しなくなって、秋から冬に
かけては有機物だけの黒い層になるわけです。これは 1 年の年輪と同じようなものです。これ
をもっと細かく分けようと思えば分けられますが、とりあえず我々は暖候期と寒候期、暖かく
なるときと寒くなるときの 2 期に分けることができる。
だから、上から 10 本目は皆さんのお孫さんとか、上から 30 本目や 40 本目は若いお父さん、
70 本目とか 60 本目は我々、おじさんの世代というふうに、皆さんがお生まれになった時代の
年縞がずっとあるわけです。なぜずっとあるか。それは、森、里、海の水の循環系を破壊しな
かったからです。
私たちはイースター島というところでやっぱりボーリングをしました。イースター島では、
12 世紀まではこの年縞があるんですが、12 世紀になって突然年縞がなくなる、赤土になるん
です。なぜか。それは森、里、海の水の循環系が全部その段階で破壊されて、そして巨大なモ
アイがどんどんつくられていった。
中国もそうです。4,000 年前まではどんな湖でも大体年縞がありますが、4,000 年前から後は
真っ赤な赤土。私らも中国の湖で何カ所かでボーリングしましたが、現在まで年縞のつながっ
ている場所は、中国の東北部の数カ所を除いて大きな湖ではほとんどありません。全部途中で
途切れて、あとは赤土の層になっていくわけです。
日本は、1 万年前、7 万年前、10 万年前から現在までずっと連続して年縞がある。それは森、
里、海の水の循環系、物質循環が破壊されなかったということです。なぜ破壊されなかったか。
それは我々がそのことに英知を傾けてきたからです。水によって人と人がつながっているとい
うことを我々はよく知っていたからです。
これが 1 年に 1 本ずつ形成されるということがほぼ確実になったのが 1993 年です。私はこ
れを「年縞(ねんこう)」と名づけたけれども、それでもまだ心配だった。本当に 1 年に白い層
と黒い層がセットになって 1 本ずつできているか確認したかったわけです。それで、秋田県の
女潟で最初 2006 年にボーリングしました。それから 4 年後、2010 年にもう一回ボーリングし
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ました。そうしたらちょうど 4 本できているんです。今でも日本の湖には、1 本ずつ湖の底に
きちんと自分の記録を残しているわけです。これを年縞を「ジオゲノム」と言ってもいいと思
います。湖は何も言いませんけれども、ちゃんとその記録を 1 年ずつ残しているわけです。
この年縞で数えて 1983 年のところに、べたっと厚いタービダイト層があった。これは一体
何だろう、何でこんなに厚いタービダイト層ができるのか。それで記録を調べたわけです。そ
うすると、実は 1983 年というのは日本海中部沖地震が起こったときです。目潟は周辺から川
が流れ込まない閉鎖系の湖です。水深 45 メートルもある湖ですけれども、この地震が起こっ
たときに湖が揺すられることによって周辺の斜面から物がだっと流れ込んで、このタービダイ
ト層ができた。そういう目で見てみたら、何枚もあるわけです。我々は「地震層」と名づけて
おりますけれども、年縞の間に厚いタービダイト層がある。これが地震でできたということが
わかってきました。厚さが厚いほど揺れが激しいということも多分そうでしょう。
今我々が何をやっているかというと、この地震層とこの地震層、この地震層とこの地震層の
間に何年あるかを年縞を数えて徹底して調べています。一つの地震と一つの地震の間の周期性
が本当にあるかないか。あるんだったら、大体あと何年後に地震が来るかがわかるでしょう。
だから、この地震の間の周期性というのを、年縞を使って徹底的にやっております。
同じような年縞は、イスラエルの死海にもあります。これはもともと森のないハゲ山だった
けれども、イエスが歩まれた時代、白い層と茶色の層がセットになっています。ここは夏もの
すごく暑いから、どんどん蒸発して塩分濃度が高くなって、泳げない人だってぽかぽか浮きま
す。その白い層と、秋から冬にかけて、ここは冬雨地帯ですから雨が降ります。そうすると周
辺から有機物が流れてきて茶色の層ができる。その年縞がやっぱりできているわけです。とこ
ろが、ここに年縞のないべたっとした青いタービダイト層があります。上から数えて 2,030 本
目ぐらいのところに青い層がある。これは何だろうと思って調べたら記録に、フロビウスとい
う人が紀元前 31 年に巨大な地震があったと書いているわけです。この地震によってやっぱり
タービダイト層ができたんだ。そうしたら、ここから 31 本目がイエスがお生まれになった紀
元 0 年の層だということになるわけです。
私たちは今、年縞を使うことによって詳細な環境変動を明らかにする。それも、森、里、海
の水の循環系、物質循環が 1 万年前でも 1,000 年前でも維持されていたということです。
この間、福井新聞に、私の弟子たちがうれしそうに発表した。今、イギリスのグリニッジ天
文台が世界の標準時計の原点でしょ。そこで標準時間を計っているじゃないですか。でも、過
去の標準時計は、今まではカリアコといってベネズエラのやっぱり年縞の堆積物だったんです。
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ところが今回、
「サイエンス」という雑誌に私の弟子たちが論文を書いて、福井県の水月湖の年
縞によって明らかになった年代が世界の標準時計になるということが決まりました。過去 5 万
年間の標準時計は、実は日本の水月湖の年縞にあるんです。
日本にある年縞で、なぜそういうことができたかというと、我々の先祖が森、里、海の水の
循環系をきちっと、物質循環を守ってきてくれていたからです。命の基本は、森があって、水
田があって、海がある。この三つが水の循環、命の水の循環によってつながっているというこ
とです。それを古代の人々から現代まで維持してきたんです。それを封じ込めてきたのがヨー
ロッパやアメリカに対して、日本人はともに生きる方策を維持してきた。これが日本の建設、
土木の根幹思想を形成していると私は思います。
日本の美しい年縞は世界の宝です。現代の世界の標準時計はイギリスのグリニッジ天文台で
すが、過去 5 万年間の標準時計は日本の福井県の水月湖にあるということになったわけです。
ほかの中国なんかそんなことはありません。4,000 年前までは年縞はありますが、4,000 年前
以降森を徹底的に破壊して、物質循環を全部破壊してしまったから、あんなに美しい年縞が全
部なくなったわけです。
4山を崇拝し水の循環をまもる日本の土木の精神
日本の土木の原点は、山を崇拝するということにあります。富士山を崇拝するということ。
富士山のふもとに大鹿窪遺跡があります。1 万1,000 年前の遺跡です。その 1 万1,000 年前
の遺跡でどういうふうに集落が配置しているかというと、馬蹄形の遺跡ですけれども、富士山
が見える方向だけは集落を、家をつくっていないんです。だから、1 万1,000 年前の人々も山
を崇拝したんです。そして、森、里、海の水の循環系を維持するということを縄文時代以来ず
っとやってきたんです。
そして、白山信仰。これは山を崇拝する泰澄さんがつくった。それで先ほど申し上げた最澄
さんが、
「草木国土悉皆仏性」という美しい有名な言葉。山や川や草木、国土が皆仏だと。ダラ
イ・ラマさんでさえ、草木には仏の心はないと言うんですが、我々は違うんですよ。もっと上
へいっているんです。草木にも仏の心がある、それが日本人です。だから、日本の文明という
のはチベット文明や中国文明なんかよりもはるかにすばらしいところをいっている。それに立
脚した国土建設、建設土木をやることが皆さんの責務だと思います。
空海さんは有名な言葉を残しております。森は人の世はもちろん、人間の腐ったような世の
中よりもちろん美しいけれども、人間が頭で妄想する天上の世界よりも美しいと言っている。
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これが空海さんが最後にたどり着いた世界観です。有名な言葉をちょっと読んでみます。
「山には鳥が歌い、猿が梢を渡り、春の花や秋の菊が自分に微笑んでいる。朝の月を見なが
ら吹く風に身を任せ俗世間のあかをさっぱりと洗い落とす。ああ何とすばらしいことか」。これ
が日本人が最高の理想とするところです。山鳥や猿や動物、春の花や秋の菊、こういうものと
ともに、生きとし生けるものの命とともに暮らせる往生楽土、極楽をつくっていく。これが土
木建設の根幹を形成する思想だと私は思います。だから世界の中で日本だけが往生楽土をつく
ることができたのだと思います。
生きとし生けるものの命が輝ける美しい国土と美しい自然、美しい風土、生きとし生けるも
のの命が輝き、それとともに人間の命も輝いている。そういう世界をつくれる、それが日本な
のです。
ヨーロッパやアメリカから環境思想、土木の思想とか巨大な思想がどんどん入ってきます。
でも、それと日本人のレベルとどちらが高いか。日本人のほうがはるかに高いと思わなきゃい
けない。自然を一方的に搾取して、自然を封じ込めて、そういう国をつくってはいけないとい
うことです。
時間がなくなりましたけれども、鎌倉仏教の先ほど申し上げた最澄さんから日蓮さんまで至
る間には、こういうような気候変動があるということも年縞の分析でわかってまいりました。
例えば、法然さんという人が浄土教というのを行って、今までは天国へ行けるのは男性だけだ
と言われていたのを、女性も極楽に行けるという新しい思想をつくるんですが、その時代はど
んな時代だったかというと、中世温暖期という時代の後半期に入る、異常に気候が悪くなる時
代だったんです。鴨長明が「方丈記」を書いた時代です。都で大火事が起こったり大地震が起
こったりつむじ風が起こって、養和の大飢饉という飢饉が起こって人々がどうしようもなくな
ったときに法然さんという 1 人の天才があらわれて、女性も往生できるという、新しい浄土教
をつくったわけです。あるいは日蓮さんが生きた時代も、鎌倉で巨大な地震が起こっ多時代で
した。寛喜の飢饉とか正嘉の飢饉と言われる大飢饉が起こる時代に日蓮という天才が出てくる
わけです。
つまり、中世温暖期の気候がいいときに天才が出てくるのではなくて、人間が危機に直面し
たときに日本を救うような巨大な天才が出てきて、そして新しい時代をつくっていくわけです。
だから、どんどんと経済成長しているときには、日本人の中から天才は出てきませんが、日本
人が危機に直面したとき、今回のような 3・11 あるいは巨大な気象災害、あるいは巨大な南海
地震が来る、そういう危機におびえるときに、実は日本を救うような新しい天才が出てくるわ
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けです。それが過去の歴史から見てはっきりと言えることです。ですから、今というのは新し
い天才が生まれて新しい時代が生まれてくる時代だと私は考えております。
以上、いろいろお話しましたけれども、これで終わります。ありがとうございます。(拍手)
司会
安田先生、どうもありがとうございました。
会場の皆さんで、何か御質問がある方はいらっしゃいませんか。よろしいですか。
私としては、文明や歴史を自然環境との関係で研究なさっている環境考古学というのがどう
いうものなのか全然わからなかったんですけれども、今日お話を聞いていて少しわかったよう
な気がします。
それと、テレビで安倍総理大臣が「美しい日本を守るために」と、よくこのフレーズが出てき
ますけれども、安倍総理大臣よりもよっぽど、安田先生の力強いお言葉のほうが、そうだそう
だという感じがして、……
安田
いやいや、私じゃないですよ。日本を、具体的に未来をつくっているのは皆さんですか
ら。私は偉そうに言っているだけです。
佐藤事務次官も足立局長もそうですけど、中部地方整備局というのはそういう偉い人を生む
ところだから、その下で働いている皆さんが日本を変える。具体的に皆さんが作業をされ、堤
防をつくったりあるいは災害に対応するようなものをつくられる中で、新しい文明の時代を提
案していく。
今までやってきたことはほぼ間違いなかった。三面張りの河川のあれは間違いだったと私は
思いますけれども、それは日本人の哲学に合っていない。それ以外は、やっぱりまだ皆さんの
心の中には、自然との共生をベースに置いて土木、建設をやっていくという心が生きているん
です。自然を封じ込めようという気持ちはあんまりない。だから日本人は救われると思います
よ。ひょっとしたら皆さんが新しい時代をつくられるパイオニアになられるんじゃないか、私
はそう思っております。
どうもご清聴ありがとうございました。(拍手)
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