ここ - 東北大学経済学研究科

20 世紀社会主義経済体制の崩壊と
その将来的含意に関する
理論的実証的研究
課題番号 12630003
平成 12 年度∼平成 14 年度科学研究費補助金基盤研究(C)(2)研究成果報告書
平成 15 年 4 月
研究代表者
青木國彦
(東北大学大学院経済学研究科教授)
研究組織
研究代表者
青木國彦(東北大学大学院経済学研究科教授)
交付決定額(配分額)(金額単位:千円)
直接経費
間接経費
合計
平成12年度
1100千円
0円
1100千円
平成13年度
1100千円
0円
1100千円
平成14年度
600千円
0円
600千円
総計
2800千円
0円
2800千円
科学研究費補助金基盤研究(C)(2)課題番号 12630003 研究成果報告書
.20 世紀社会主義経済体制の崩壊と
その将来的含意に関する理論的実証的研究
─マルクスとポパー、ロストウ、ベル、フクヤマ、ロールズ、市井─
青木
國彦(東北大学)
目次
はじめに
2
1.
『移行:最初の 10 年』
5
2.
マルクスの唯物史観
10
唯物史観の公式/客観主義(歴史法則主義)と能動主義
3.
ポパーと道徳的ラディカリズムとマルクス
14
歴史法則主義と能動主義の間の橋/マルクスの道徳的ラディカリズム/穏和な歴史主義/人間
主体の問題/マルクスの将来社会像
4.
ロストウの経済成長史観と未来像とマルクス
22
経済成長段階区分/産業革命断章/唯物史観修正の中身/ロストウの虚無的未来とマルクスの
将来社会像(続)
5.
ベルのテクノロジー史観と多様性論
30
ベル脱工業化社会論の系譜/テクノロジー史観:唯物史観との対比/マルクスの二つの図式と
(脱)工業社会論/ベルの共産圏認識/ベルの体制展望と方法
6.
フクヤマの進化論的テクノロジー史観
41
進化論的テクノロジー史観/歴史の推進力と近代化論批判/ヘーゲルの認知欲望論/憂鬱にな
ったフクヤマ/自由民主主義体制は終点か/フクヤマの議論の意義:ヒトの本性と社会編成/
資本主義の自己修正能力
7.
ロールズと市井の正義論と社会体制
56
なぜ正義が必要か/シクの利益関心論/「正義」概説/マルクスの正義論:ある解釈/ロール
ズの「正義の環境」/ロールズの正義の原理/ロールズの正義の経済体制/市井による進歩史
観検討/市井の新しい価値理念:進歩の基準
8.
まとめ
【引用文献】
74
76
【図表索引】 79
1
..はじめに
本稿では、20 世紀に旧ソ連東欧諸国や中国などにおいて成立した共産党政権下の社会体
制を、便宜上、ソビエト型体制(the Soviet-type regimes)と呼び、また共産党政権下に
あった地域を通例のように共産圏(the communist bloc)と呼ぶことにする。
ソビエト型体制は、共産圏(20 世紀社会主義諸国)の社会体制が、ソ連でも東欧・東亜
諸国でもソビエト国家のもとに築かれた体制、もしくはその一部を変形した体制であると
いうことに主眼を置く呼び名である。ソビエト型体制という言い方は岡田裕之の「ソヴェ
ト的生産様式」
[岡田 1991、特に 210 頁以下]に似ているが、ここでは岡田ほど厳密に定
義しようとするものではなく、便宜的な意味で用いる。
サクソンバーグが「〟ソビエト型システム〝という中立的用語を好む」のは、「〟マル
クス本来の事業のひとかけらも実現されたことのない〝体制について社会主義という用語
(たとえそこに国家などの修飾語をつけるとしても)を用いることに反対する」
(〟〝内は
F. Feher 論文から引用)[Saxonberg 2001, p.3.]からである。
しかし、本稿の考えでは、ソビエト型体制はマルクス主義の社会主義段階構想にもとづ
く体制(あるいは、複数かもしれないその実現諸形態のうちの典型的なもの)であるから、
それを社会主義と形容することは可能である。しかし、
「社会主義」にはいわゆる「空想的
社会主義」や多様な社会民主主義的なそれもあり、「社会主義体制」と言うと、広義には、
例えば資本主義経済体制を基礎とした社会民主主義的体制も含みうる。そこで本稿では、
20 世紀共産圏の社会体制を特定化するためにソビエト型体制という言葉を用いる。ソビエ
ト型体制は少なくとも「社会主義体制の 1 つ」であり、マルクス主義的社会主義の生んだ
体制である。
なお、タイトルでも本文でも「20 世紀社会主義経済体制」という言葉を用いているが、
これはソビエト型体制の下にマルクス主義的な社会主義経済原理(計画経済と労働に応じ
た分配など)を実現しようとした体制という意味である。体制として成立した「社会主義
経済」はこれだけだろうから、こうした用語でよいのではないかと思われる。同じくマル
クス主義的な社会主義経済原理の実現形態と言っても原理の具体化には亜種がありうるの
だから、これもソビエト型経済体制(あるいは上記の岡田の言うソビエト的生産様式)と
言うほうが厳密かもしれないが、しかしそれがマルクス主義の言う社会主義段階の具体化
であるということを明示する用語がよいと考えた。
ソビエト型体制の崩壊について私は従来次のような考えを表明してきた[青木 1992、第
2 部参照]:
第 1 に、ソビエト型体制の経済制度面であるところの 20 世紀社会主義経済体制(the
economic system of socialism in the twentieth century)は、マルクス(Karl Marx,
2
1818-1883)の社会主義経済構想に立脚して設計され、実施に移されたものであるが、そ
の構想は実現されなかった。
ちなみに、ソビエト型体制崩壊(A)とマルクス主義的社会主義構想(B)の関係については、
(1)A ゆえに B は破綻(このことはソ連などは B を実現していたということを含意する)、
(2)A と B は無関係(ソ連などは発展途上国型社会主義であったとか、国家資本主義であっ
たのであり、マルクス主義の社会主義とは関係がなかったという主張である)、(3)B の原
理的誤りゆえに A(すなわち、ソ連などは B を実現しようとしたが、結局において実現で
きないことを実証したという主張である)、という 3 つのタイプの考え方があるが、私の
主張は(3)である。
第 2 に、崩壊の基本的原因は、マルクスの構想自体の実現不可能性にあった。特に、一
方で消費と職業の自由を容認しながら、その経済体制の根幹の仕組みを、需給の事前的一
致(生産に先立って需要を予測し、予測需要に基づいて生産計画を立て、計画の通りに生
産し、生産した通りに需要させること)としたことが問題であった。つまり、マルクスは、
文字通りの計画経済体制を構想したが、それは、消費財と職業の選択の自由のもとでは原
理的に実現不可能であった。
高度大量多様消費社会たる 20 世紀においては計画経済は、マルクスが生きた 19 世紀の
消費社会におけるよりもはるかに厳しい現実に直面した。
しかし、資本主義経済体制の廃絶のみならず商品経済(市場経済)一般の一掃が将来の
経済体制にとって不可欠と考えていたマルクスにとって、需給の事前的一致をはかる経済
体制は必要不可欠であった。さもなければ、彼が批判し続けた労働交換型社会主義に堕し
てしまうのであった。
ところが、完全計画経済は実現しようとしても実現できず、一方で計画経済の機能不全
が発生・累積するとともに、同時に、経済実態は統制された(従ってまた中途半端な)商
品経済(交換経済)となった。しかも、そのようなものであれ、商品経済となると、その
もとでは労働に応じた分配は賃金化の傾向を持たざるを得なかった(これが国家資本主義
のように見られる原因である)。加えて、労働に応じた分配によっては社会化セクター(国
有や集団所有の経済部分)の再生産は完結せず、私営経済(従って雇用も)を廃止するこ
とはできなかった。
第 3 に、マルクスの構想が現実には機能しなかった根本原因はヒトの経済心理(そろば
ん勘定)にあった。すなわち、同じ負担に対しては最大限の収入を、同じ収入に対しては
最小限の負担を追求しつつ、質量ともにより高い生活を求めるという経済心理である。も
しヒトが、例えば家畜的心理のもとにあれば、上記の第二点はさほど問題にならなかった
であろう。
私はしばしば「そろばん勘定」という言葉を用いてきたし、本稿でも用いるが、これは、
労働に応じた分配から必要に応じた分配へと共産主義社会(広義)が進歩することについ
3
てのレーニン(Vladimir Il'ich Lenin, 1870-1924)の用法に由来するものである:「他人
よりすくない給料をもらわないようにと、シャイロック流の冷酷さで、人間にそろばんを
はじかせる〟ブルジョア的権利の狭い限界〝−−この狭い限界は、そのときふみこえられ
るであろう」[レーニン全集 25-507 頁]。
本稿は、以上のような考察をより深める、あるいはそれに広がりを与えることをめざす
ものである。すなわち、以上においては主として経済体制の面、マルクスの社会主義経済
構想と関係する側面を考察したが、ここでは、マルクス以後の歴史理論や政治哲学などに
立ち入りながら、マルクスの社会主義経済構想の寄って立つ基礎たる唯物史観の問題性と
現代的意義に考察を進めたい。その結果は、マルクス唯物史観の全面的否定ではなく、そ
の修正、つまり弾力化と拡張である。
本稿は、(1)未だ素描的な性格を免れがたいものである(従って、考えが十分確定してい
なかったり、論理的な詰めが不十分なままのところがある)上に、(2)取り上げるべくして
取り上げていない論者があり、また取り上げた論者についても十分な取り上げ方でない場
合があり、(3)文章推敲の時間的余裕が少なく、冗長であったり舌足らずであったり、重複
や構成の不十分さもあること、さらに、(4)今回の科研費補助金による研究の成果のうちの
取りまとめにいたった部分のみが記載されていることをお断りしておきたい。
本稿本文では敬称略とするので、引用するすべての方々への敬意をここで表しておきた
い。
4
..1.
『移行:最初の 10 年』
本論に入る前に、世界銀行が 2002 年に出した『移行:最初の 10 年』と題する報告書[The
World Bank 2002]によって、体制転換の結果を見ておきたい。第 1 表はソビエト型体制
の崩壊後 10 年間の経済的落ち込みと 2000 年時点の対 1990 年比の結果である。これを載
せた世界銀行の今回の報告書の興味深いところは、第 2 表のような大恐慌との比較をして
いるところである。それによって体制転換に由来する落ち込みのすごさが分かる。
第1表
体制転換による経済の落ち込み
Countries Consecutive years Cumulative output
Real GDP, 2000
of output decline
decline (percent)
(1990 = 100)
CSB/a/
3.8
22.6
106.5
Albania
3
33
110
Bulgaria
4
16
81
Croatia
4
36
87
Czech Republic
3
12
99
Estonia
5
35
85
Hungary
4
15
109
Latvia
6
51
61
Lithuania
5
44
67
Poland
2
6
144
Romania
3
21
82
Slovak Republic
4
23
105
Slovenia
3
14
120
CIS/a/
6.5
50.5
62.7
Armenia
4
63
67
Azerbaij an
6
60
55
Belarus
6
35
88
Georgia
5
78
29
Kazakhstan
6
41
90
Kyrgyz Republic
6
50
66
Moldova
7
63
35
Russian
7
40
64
Federation
5
/a/
Tajikistan
7
50
48
Turkmenistan
8
48
76
Ukraine
10
59
43
Uzbekistan
6
18
95
Simple average, except for the index of 1990 GDP, which shows population-weighted averages
CSB は中欧と南東欧とバルト諸国、CIS は独立国家共同体諸国。
(出所) The World Bank 2002, P.5
第2表
大恐慌における落ち込み 1930-34
Countries Consecutive years
Cumulative output
of output decline
decline (percent)
France
3
11
Germany
3
16
United Kingdom
2
6
United States
4
27
(出所) The World Bank 2002, P.5
とはいえ、体制転換落ち込みは大恐慌のような多数の人命喪失(餓死など)を含む衝撃
ではなかった。このことには、世界同時恐慌ではなかったこと(それゆえの外国からの援
助や資本の導入が可能であったこと)、第 1 図にあるようにハンガリーやポーランドなど
一部の国を除くと、GDP の落ち込みほどには雇用が低下していないこと、住居の確保その
他の社会的安全ネットの違いが関係しているだろう。
体制転換の結果を端的に示すのは第 2 図である。過半の国々において私営セクター(民
間部門)が GDP 産出の 6∼8 割を占めるに至っている。しかしいまだに企業の間には所有
権の不安定さの問題も残っており、第 3 図にあるよう特に旧ソ連圏においてそれが顕著で
ある。
第 3 表に示される 1 人当り所得ジニ係数も著しく増加しているが、増加度合いの地域差
も大きい。この表の所得種類が分からないが、国際基準である等価型(つまり世帯人員の
平方根当り)の可処分所得ジニ係数は、日本が 1984 年 0.252、1999 年 0.273、米国が 1986
年 0.335、1997 年 0.372 であった[総務省統計局]。1999 年日本の世帯別当初所得では 0.47、
同所得再分配後 0.38であった[厚生労働省]。1 日 1 ドル未満で生活する人口も 1990 年
1.5%から 1998 年 5.1%へと顕著に増加している[The World Bank 2002, p.8]。2002 年
にイギリスのバーミンガムでは若い女のドラッグ絡みの乞食はよく見かけたが、老婆の乞
食姿は目にしなかった。しかしモスクワでは困り果てた多くの老婆が物乞いをしていた。
6
時に若い人が駆け寄って紙幣を握らせている様子が強い印象に残った。モスクワ地下鉄駅
出口に 10 数人もが並んでのチャイコフスキー音楽院の学生たちのストリートパフォーマ
ンスはあまりにも見事であったが、経済的苦境を奏でてもいた。
第1図
体制転換後の雇用と GDP
(出所) The World Bank 2002, p.44
7
第3表
ジニ係数の増加
Gini coefficient of income per capita
Countries
1987-90
1993-94
1996-98
CSB
0.23
0.29
0.33
Bulgaria
0.23
0.38
0.41
Croatia
0.36
na
0.35
Czech Republic
0.19
0.23
0.25
Estonia
0.24
0.35
0.37
Hungary
0.21
0.23
0.25
Latvia
0.24
0.31
0.32
Lithuania
0.23
0.37
0.34
Poland
0.28
0.28
0.33
Romania
0.23
0.29
0.3
Slovenia
0.22
0.25
0.3
CIS/a/
0.28
0.36
0.46
Armenia
0.27
na
0.61
Bel arus
0.23
0.28
0.26
Georgia
0.29
na
0.43
Kazakhstan
0.3
0.33
0.35
Kyrgyz Republic
0.31
0.55
0.47
Moldova
0.27
na
0.42
Russian Federation
0.26
0.48
0.47
Tajikistan
0.28
na
0.47
Turkmenistan
0.28
0.36
0.45
Ukraine
0.24
na
0.47
na: not available. /a/: median of countries with data.
(出所) The World Bank 2002,
P.9
8
第2図
私営セクター比重(1999 年)
(出所) The World Bank 2002, p.40
第3図
所有権の不安定さ(1999 年)
(出所) The World Bank 2002, p.61.
9
..2.
マルクスの唯物史観
...唯物史観の公式
周知のようにマルクスは、唯物史観あるいは史的唯物論と言われる歴史哲学を創出した。
『経済学批判序言』における唯物史観についてのマルクス自身による有名な要約は以下
の通りである[MEW 13-S.8f.]:
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
マルクスによる唯物史観の定式:
───────────────
「人間は彼らの生活の社会的生産において一定の、必然的な、彼らの意志から独立した
諸関係、すなわち彼らの物質的生産諸力のある一定の発展段階に照応する生産諸関係、を
結ぶ。これら生産諸関係の総体が社会の経済的構造、実在的土台、を形成する。実在的土
台の上に法律的および政治的上部構造がそびえ立ち、そして実在的土台に一定の社会的意
識諸形態が照応する。
物質的生活の生産様式が社会的、政治的および精神的生活過程全体を条件づける。人間
の意識が彼らの存在を規定するのではなく、逆に社会的存在が彼らの意識を規定する。
社会の物質的生産諸力はそれらの発展のある段階で、それらがそれまでその内部で運動
してきたところの現存の生産諸関係との、あるいは生産諸関係の法律的表現にすぎないと
ころの所有諸関係との、矛盾に陥る。これらの諸関係は生産諸力の発展諸形態からその桎
梏に一変する。その時に社会革命の時期が始まる。経済的基礎の変化とともに巨大な上部
構造全体が徐々にあるいは急激に変革される。
このような諸変革の考察においては、経済的生産諸条件における物質的な、自然科学的
に正確に確認されうる変革と、法律的、政治的、宗教的、芸術的または哲学的諸形態、簡
単に言えばイデオロギー諸形態とを常に区別しなければならばない。人間はこれら諸形態
の中でこの衝突を意識しこれと戦い抜く。ある個人がなんであるかをその個人が自分自身
をどう考えているかによって判断しないのと同様に、このような変革の時期をその時期の
意識から判断することはできず、むしろこの意識を物質的生活の諸矛盾から、社会的生産
諸力と生産諸関係の間に現存する衝突から説明しなければならない。
1 つの社会構成は、それが生産諸力にとって十分な余地を持ち、すべての生産諸力が発
展しきるまでは、決して没落せず、新しい、より高度な生産諸関係はその物質的存在条件
が古い社会自体の胎内で孵化されるまでは決して古いものにとって代わることはない。だ
から常に人間というものは自分が解決しうる課題だけを自分に提起する。というのは、よ
り厳密に考察すると、課題自体がその解決の物質的諸条件がすでに存在するか、または少
なくとも生まれつつある場合にだけ発生することがつねにわかるであろうからである。
10
大づかみには、アジア的、古代的、封建的および近代ブルジョア的生産様式が経済的社
会構成のあいつぐ諸時期と言いうる。
ブルジョア的生産諸関係は社会的生産過程の最後の敵対的形態である。敵対的とは個人
的敵対の意味ではなく、諸個人の社会的生活諸条件から生じる敵対の意味である。しかし
同時にブルジョア社会の胎内で発展する生産諸力がこの敵対の解決のための物質的諸条件
を形成する。従ってこの社会構成とともに人間社会の前史が終わる」。
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
この文章に示されている考えは非常に明快であり、その骨子は以下のように図式化でき
る:
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
マルクスによる唯物史観の定式の骨子:
──────────────────
(1)(唯物論)
社会は、経済的構造(土台)と上部構造(+社会的意識形態)から成り、
経済的構造が上部構造を規定する。
(2)(歴史観)
経済的構造(経済的社会構成)は生産諸力と生産諸関係から成り、
生産諸関係は生産諸力の発展段階に照応する。
(3)(革命論)
生産諸力の発展により既存生産諸関係が生産諸力の桎梏に転化し、
両者が衝突して、社会革命となる。
(4)(段階区分)アジア的→古代的→封建的→近代ブルジョア的生産様式(以上前史)
→人類本史=共産主義(広義)
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
これら 4 点のうち、旧ソ連においては段階区分(4)の通説[例えば Institut ekonomiki
1962、邦訳第 1 分冊 26 頁]が、原始共同体制度→古代奴隷制→封建制→資本主義→過渡
期→社会主義(広義共産主義の低い段階) →共産主義(広義共産主義の高い段階)に変化した
が、(1)∼(3)の 3 点は堅持された。
さきほど「考えは明快」だと書いたが、むろん各用語の意味に立ち入っていくと、廣松
渉(1933-1994)の言うように、
「この〟公式〝は、一見きわめて明快であるけれども、問
い直してみると、必ずしも一義的に明確とは言えない論点がいくつも現れてくる」し、
「そ
れ以後のマルクスにおいてそのまま維持されているかどうか……という問題が生ずる」
[廣
松 1971、87-88 頁]。現に諸々の論争が生じたようにややこしい話しになるが、ここでは
各用語の意味を詳しくは問わずに論旨だけを受け取っておくことにする。
また、マルクスのこのような歴史観を思想史的に位置づけることも、唯物史観の理解に
とって重要であるが、本稿では立ち入らない[旧ソ連で公式的な理解は Institut filosofii
1972、邦訳中巻、興味深い分類・位置づけとして市井 1971 参照]。
11
...客観主義(歴史法則主義)と能動主義
マルクスとマルクス主義は、以上のような唯物史観の観点から「社会的生産過程の最後
の敵対的形態」たる資本主義の「胎内で発展する生産諸力がこの敵対の解決のための物質
的諸条件を形成」し、社会主義あるいは共産主義への革命となることを確信した。それゆ
え、数百万人もの共産主義者(共産党独裁下の入党者は別にして)が、あらゆる迫害をは
ねのけて、そうした歴史の促進者となるべく活動した。唯物史観こそが彼らの思想的確信
の土台であり、活動の根本的指針であった。
従って、唯物史観は二重の性格ないし役割を持っていた。つまり、革命家たちに確信と
方向性を与えるという主体的側面と、社会発展には自然的必然性があるのであって、人々
の願望に基づく行為によって制御できるものではないという客観主義的な側面とが同居し
ていた。この理論は革命家たちの運動の基盤であると同時に、革命運動の主観的願望を無
意味とみなす歴史宿命論でもあった。この両側面の整合的解釈のために共産圏の公式の哲
学文献は苦闘した。
例えば、ブハーリン(Nikolai Ivanovich Bukharin, 1888-1938)の有名な著書の最初の
部分はこの問題に当てられていた[Bukharin 1921]。
旧ソ連の『マルクス・レーニン主義教程』は、「ブルジョア的なマルクス主義批判者」
の言い分、すなわち、
「マルクス主義者が、一方では、社会主義が資本主義にとってかわる
のは不可避だと言いながら、他方では、社会主義をめざす闘争のために政党をこしらえる
ことに矛盾がある」
「日蝕が到来することが分かっているとすれば、日蝕を実現するために
政党をつくることを誰もおもいつくものか」という批判に反論を試みていた。
反論は、
「日蝕とちがって、資本主義から社会主義への移行は、人間の活動の結果として
できあがるもので、それ自身では変化することのありえない社会的秩序の変更である。…
…客観的法則はいずれにせよみずからの道をきりひらくというとき、それは、必然的な変
化が社会のなかにおのずからおこるということではなく、その法則の実現を利益とする社
会勢力が早かれおそかれあらわれてきて、その闘争によって法則の実現に到達するだろう、
ということが考慮されているのである。マルクス・レーニン主義は、社会的法則を弁証法
的にみて、社会的法則は所与の社会関係の発展の支配的傾向というかたちではたらくもの
とみる。これはつまり、法則はある客観的条件から必然的にでてくる運動の一般的方向を
規定する、ということである。しかし、社会の発展は矛盾にみちており、事件の具体的動
向は一般法則に左右されるだけでなく、階級勢力の実際の相互関係、闘争する諸階級の政
策その他多くの特殊条件にも左右される」、だから革命運動が不可欠だ、というものであっ
た[Kuusinen 1959, 邦訳第 2 分冊 42-43 頁]。
ソ連哲学研究所の教科書『マルクス=レーニン主義哲学の基礎』でも同様の論じ方であ
った[Institut filosofii 1972、邦訳 10 章 4]。
12
廣松は、一方でマルクス『資本論』序文を引いて確かに非常に強い客観主義的表現があ
るが、同じマルクスの『経済学批判要綱』やエンゲルス(Friedrcih Engels, 1820-1895)
『フォイエルバッハ論』からの引用によって、次のように答えさせている[廣松 1971、
123-128 頁]。すなわち、意識・意欲・意図・情熱などの人間的な動因なしには歴史は作ら
れないが、個々人のそうした動因の背後にあって、それらの動因をもたらす究極的な歴史
の動力があると見るのが唯物史観である、ということである。
廣松はこれをもって能動主義と客観主義(歴史法則主義)との整合的解釈とみなしたよ
うである。しかし、後述のポパーが言うように、両者の間にはもっと「長い橋」が必要な
のではないかと思われる。
上記のソ連の哲学教科書は、逆に、歴史に法則性があって人々の願望のままにはならな
い例として、フランス啓蒙主義者とフランス革命の関係(自由、平等、博愛の実現を望み
つつ、革命の結果は資本主義とそのもとでの不平等の展開であったこと)を例示している
[Kuusinen 1959, 邦訳第 2 分冊 49 頁]のだが、面白いことに、ポパーは共産主義者と共
産圏の全体主義との関係に類似のものを見ていた。
「たしかに、共産主義は再び奴隷制と拷問を導入しました。われわれはこれを許すこと
はできません。しかし、われわれは、これが生じたのは東側が、自由……を約束する理論
を信じたからなのだということを忘れてはなりません。この苛烈な対立にあって、われわ
れは、われわれの時代における最大の悪もまた、他者を助けまた他者のために犠牲を払お
うとする願望から生まれたことを忘れてはなりません」
[Popper 1984、邦訳 356 頁、この
部分は 1958 年の講演である]。
マルクスにおける唯物史観的側面(歴史法則主義)と社会革命(家)的側面(能動主義)
の問題は、ポパーによるマルクス検討の中心点の 1 つであったし、本稿のテーマにとって
も重要な論点を含んでいるので、項を改めて取り上げる。
13
..3.
ポパーと道徳的ラディカリズムとマルクス
...訳語について
ポパー(Karl Raimund Popper, Sir, 1902-1994)を取り上げるに当たってあらかじめ訳
語の問題を整理しておきたい。ポパーの批判対象たる「historicism」を『開かれた社会と
その敵』は「歴史信仰」と訳し、「historism」を歴史主義と訳している[Popper 1950、
邦訳]。
『歴史主義の貧困』は「historism」をやはり歴史主義と訳しているが、
「historicism」
を「《歴史主義》」とカッコ付き歴史主義に訳している[Popper 1957、邦訳]。
「historicism」を「歴史信仰」と訳すのは、「historism」との区別のためには便利なの
だが、「historicism」は歴史への宗教的信仰ではなく、歴史に「科学的法則」を発見しそ
れに基づいて将来を予測できるという考えであるから、適訳とは言いがたいのではないか
と私には思われる。他方、
「《歴史主義》」という表現も、いちいちカッコ付きでは面倒であ
り(書く時もそうだが、口頭だとなおさら面倒である)、単なる歴史主義と混同しやすい。
ちなみに、訳書のタイトルでは《》がつけられていない。
そこで、本稿では「historicism」を「歴史法則主義」、「historism」を「歴史主義」と
訳すことにした。但し、引用の際は各訳者に従う。
...歴史法則主義と能動主義の間の橋
ポパーは、マルクスを「有名な《歴史主義》者の一人」とみなすが、同時にフォイエル
バッハ・テーゼや「自由の国」論などにマルクスの強い能動主義を見る[Popper 1957、
邦訳 24 頁および第 17・18 節]。しかしながら、マルクスの能動主義は彼の歴史法則主義
によって相殺されてしまった、というのがポパーの結論である[Popper 1950、邦訳 185
頁]。
そこで、マルクスが哲学者に与えた言葉「哲学者たちはさまざまに世界を解釈してきた
にすぎない。しかし肝心なことは世界を変革することである」を念頭に、ポパーはマルク
スに「《歴史主義》者たちは社会の発展を解釈し、その発展をさまざまに助けうるだけであ
る。しかし彼らにとって重要な点は、その発展を誰にも変えることができないということ
である」という言葉を与えた[Popper 1957、邦訳 84 頁]。
ここで今後の考察のために注目しておきたいのは、ポパーが、マルクスのこの両面(歴
史法則主義と能動主義)の間には「巨大な淵」が存在し、マルクスはこの淵を巨大化した
としつつも、
「 この淵に架橋するという理論的可能性が存在すると思われることを認めざる
をえない。この橋については、マルクスとエンゲルスの著作中には粗末な草案が見出され
るにすぎないが、私はこの橋を歴史信仰的道徳論と呼ぶ」と述べている[Popper 1950、
14
邦訳 185 頁]ことである。たとえ非常に長いものであれ、この橋がなければ、人類史は虚
無そのものであるか精神主義的な恣意のままということになりかねない。
マルクスらの歴史法則主義的道徳論、すなわち、ある道徳への賛否の根拠を、予測され
る将来社会像との適合性に置く考え方は、ポパーによって、現存するものは理性的であり
善であるとしたヘーゲル主義の「現在」を「未来」に置き換えただけで、同じ理論構造の
ものであると批判された[Popper 1950、邦訳 188-189 頁]。現在のそれに依存させるか、
未来のそれに依存させるかに違いはあっても、道徳を権力ないし社会構造に依存させる点
では同じであり、しかも現在と未来は相対的な違いでしかないということである。
ポパーの積極的主張は、人間は社会の(また、自然の)産物であるが、社会自体が(自
然も)「人間とその目的との産物なのであって、ますますそうなりうる」[Popper 1950、
邦訳 191 頁]というところにあり、道徳的選択がその後の社会構成に影響を与えうるとい
うことにある。
このことを私なりに例解すると、
『マルクス・レーニン主義教程』風に言えばフランス革
命は資本主義発展の道を清掃したにすぎないのだが、フランス革命が存在した上での資本
主義社会と、それなしの資本主義社会では社会倫理と社会編成が異なったものになっただ
ろう、マルクスとマルクス主義の運動、ロシア革命や中国革命、そして共産圏が存在した
場合と存在しなかった場合も、資本主義社会のあり方が大きく異なっていただろう、とい
うことである。それはその通りだと思う。
...マルクスの道徳的ラディカリズム
ポパーは、マルクスについてその歴史法則主義を根本的に批判しつつも、その制度分析
を高く評価し、また、マルクスが希求した革命は全体主義をもたらしたが、マルクスの資
本主義批判はキリスト教の大改革(「資本主義的搾取の偽善的弁護」から人道主義への変革)
をもたらし、教会へのマルクスの影響力は「ルターがローマ教会に与えた影響に匹敵する
であろう」とまで評価している[Popper 1950、邦訳 184 頁]。
ちなみに、ポーランド出身のローマ法王ヨハネ・パウロ二世は、ポーランドにおける共
産党独裁打倒に寄与しながらも、体制転換後の 1993 年 11 月 2 日付の西欧数紙に掲載され
たインタビューで、
「資本主義の〟行き過ぎ〝を非難し、共産主義体制の一部側面を称賛し
た。法王はこの中で、世界を最近むしばむ深刻な社会問題は〟資本主義の堕落した形〝に
よって引き起こされたと指摘。そのうえで、〟資本主義の頑迷な支持者は、失業との闘い
や貧者への関心など、共産主義によって達成された善行に目を閉じる傾向にある〝と批判
した」と伝えられた(パリ 1993 年 11 月 02 日AFP時事)。この報道が正確なら、この発
言は、ポパーの言うように、教会がマルクスから影響を受けたことを物語る。と同時に、
共産圏の現実について歴史的社会的脈絡から切り離して単純に善行と悪行に分割し善行だ
15
けを踏襲できるかのような、非歴史的な考えも見られる。
では、なぜマルクスは多数の革命家を惹きつけ、また教会の人道主義的変革を迫るほど
の力を持ったのか。ポパーの評価では、マルクスの影響力の源泉は、その歴史法則主義(唯
物史観)ではなく、資本主義体制の不正を暴いた「道徳的ラディカリズム」にあった。
「多数の評言や多数の行動から明らかになるところでは、彼を社会主義へ導いたのは科
学的判断ではなく、道徳的衝動、被抑圧者を助けようとする願望、すなわち屈辱的なまで
に搾取されかつ窮乏した労働者を解放しようとする願望であった。私は疑いもなく、この
道徳的アピールこそが、彼の教説が持つ影響力の秘密である、と思う」
[Popper 1950、邦
訳 190 頁]。
さらに、ポパーは続ける。
「マルクスのこの道徳的ラディカリズムこそが彼の影響力を説明するのであり、そして
そのことは、それ自身として希望を奮い立たせる事実である。この道徳的ラディカリズム
は今でも生きている。それを生かしつづけ、彼の政治的ラディカリズムが辿らざるをえな
くなるであろうような道をそれが辿らないようにすることが、われわれの課題なのである。
〟科学的〝マルクス主義は死んだ。その社会的責任感と自由への愛が生き延びねばならな
い」[Popper 1950、邦訳 194 頁]。
この記述はマルクス主義者には不満かもしれないが、私にはマルクス賛歌だと思えるし、
「彼の政治的ラディカリズム」が共産園崩壊という形で崩壊した今こそ、
「マルクスのこの
道徳的ラディカリズム」を生き残らせることが肝要である。
社会の歴史的発展に触発されたものではあるが、しかしその趨勢そのものとは相対的に
独立に(つまりその趨勢によって必ずもたらされるとは限らない)、「道徳的ラディカリズ
ム」がヒト社会の形成に重要な意味を持つと言えるだろうし、それは、ポパー的方法(ピ
ースミール的社会工学的方法)か革命的方法かはともかくとして、社会発展の推進力の 1
つである。ここに、後述のフクヤマやロールズ、市井などの議論の意義があると思われる。
...穏和な歴史主義
同時に考えざるをえないのは、マルクスの「道徳的ラディカリズム」は、社会体制・経
済体制としての資本主義に関する歴史的説明(マルクスの場合は唯物史観にのっとったそ
れ)を抜きに、説得力、訴求力を持ち得たであろうか、ということである。
道徳それ自体を声高に説教することに訴求力がないことはポパー自身が認めているので
はないか。というのは、ポパーは、
「そしてこのアピール(上記の道徳的アピールを指す-引用者)は、彼が道徳を抽象的に説教することはなかったという事実によって、驚くほど
強化された」と述べているからである[Popper 1950、邦訳 190 頁]。
従って、唯物史観あるいは「〟科学的〝マルクス主義」そのものではないとしても、歴
16
史的考察(歴史的アプローチ、歴史的評価)が、社会改良策の検討、従ってまた比較経済
体制論あるいは体制選択論には不可欠であると思われる。
フクヤマは、ポパーの歴史法則主義批判を断固として拒否し、ヘーゲル(やプラトン)
とポパーとの違いを、「不変かつ根元的な人間性の存在(the existence of an unchanging
underlying human nature)を信じ」るか信じないか、に求めた[Fukuyama 1992, p.350.
邦訳上巻 300 頁注 21]。「不変かつ根元的な人間性」が存在するかどうかというと、幾万
年間については断定しかねるが、少なくとも過去幾千年間にわたって諸民族に共通の根深
い性向が存在してきたし、それ(あるいは、それら)が人々の行動選択に大いに関わって
きたと考えられる。この委細はいずれ脳神経科学によって解明されるだろうが、ヒトとい
う生物種にそうした普遍的性向があれば、諸民族あるいは諸国民、諸地域の歴史に何らか
の共通性が生ずると見るのが自然だろう。むろん、そうであっても、環境が異なれば、発
展に差異が生ずる[例えば、Diamond 1997 参照]。
ポパーによる歴史法則主義批判の主眼は、それが「法則と趨勢とを混同」していること
にあり、この混同が歴史法則主義の「中心的な誤謬」とされた[Popper 1957、邦訳 194
頁]。歴史法則主義者の欠陥は、「自分の気に入りの趨勢を固く信じていて、それが消え去
ることになるような諸条件などとても考えることはできない」[Popper 1957、邦訳 196
頁]ことであり、その趨勢を絶対視して、そこから外挿的に、確信をもって、未来を予言
することにあった。
しかし同時にポパーが認めるように、歴史に「趨勢というものが生じてくることには疑
いはありえないのであり、したがってわれわれは、できるかぎり立派に趨勢なるものを説
明する、という困難な課題をもっている。すなわち、できるかぎり正確に、趨勢がその下
で持続する諸条件を規定する、という課題をもつのである」
[Popper 1957、邦訳 193-194
頁]。このような穏和な歴史主義こそが望ましい。
西研はロールズの正義論について、
「正義を生かし続けるためには、正義の〟根拠〝を現
実の社会生活のなかに孕まれているものとして見届け、かつそれが実現していくための〟
条件〝を問う、という思想のスタンスが必要なのだと思う」と言う[西研 1997]が、こう
した根拠や条件の考察には歴史的考察が重要な要素として含まれるだろう。
『 歴 史 主 義 の 貧 困 』 の 「 訳 者 あ と が き 」 に お い て 久 野 収 ( 1910-1999) と 市 井 三 郎
(1922-1989)は、
「しかし誤解は別としても、ポパーがマルクス主義における《歴史主義》
(ヒストリシズム)だとして批判しているところが、マルクス主義の本質をついたものと
とるべきか、あるいはマルクス自身の中にポバーの批判に応えるようなものがなかったか
どうか、したがってこれまでの〟マルクス主義〝をよりよく発展させるために、ポパーの
批判をてことするようなやり方もなくはないか、といったことは問題とされていいであろ
う。たとえば『資本主義的生産に先行する諸形態』に見出されるさまざまに慎重な条件づ
きの諸言明、つまり西欧において資本主義体制を産み出したさまざまな初期的諸条件の指
17
摘は、もしそこに作用した社会学的普遍法則が明示されるならぱ、ポバー的歴史観と対立
することなく受けとることが可能ではなかろうか?
またそこに作用した普遍法則なるも
のの一例を、あえて唯物史観の中に求めようとすれば、次のような解釈も可能となるので
はなかろうか?
つまり唯物史観でいう〟生産力と生産関係との矛盾〝を歴史の原動力と
みる立場を、やや定式化し直して、
《生産力が増大する方向に歴史は動くのであって、ある
生産関係がその増大を抑止するようになれば、その生産関係は抑止的に作用しない方向に
変化する》というような普遍法則の形――その法則がより多くの規定を必要とするか否か
は別として――に捉えれば、それとさまざまな初期諸条件とによって、歴史的な体制変化
をポパー的見地と矛盾することなく解しうる路が開かれはしないか?
さらにまた、いわゆ
る〟発展段階論〝なるものも、特殊ヨーロッパ的資本主義が何によって産み出されるにい
たったのか、ということに関する主張として捉え、マルクス晩年のペラ・ザスリヅチヘの
書簡などを重視して、マルクス主義歴史観を多系発展説的にみることも可能であろう」と
述べていた[Popper 1957、邦訳 252-253 頁]。
さすがである。私の理解では、生物進化論の言う系統樹のようなことを考えればいいと
いうことだろう。社会は生産力・テクノロジーの変化(進化)に応じて変化(進化)する
が、その変化(進化)には環境や歴史、文化などにより多様性が存在する(そのような史
観は後述のベルによって示される)。
但し、このような意味での弾力化だけでは唯物史観の視野はまだ狭いのではないかとい
うのが、本稿の立場である。
...人間主体の問題
ここで、この「訳者あとがき」の他の 2 つの論点にも触れておきたい。
1 つは、
「ポパーの論理的分析を受けいれ、彼のいう〟漸次的社会技術〝なるものを理論
的に容認したとしても、その〟技術〝(エンジニアリング)を行使してゆく人間的主体は
どうなるのか、という問題である。……人間主体の問題はポパーにおけるよりもはるかに
明瞭な理論化を必要とすると考える」
[Popper 1957、邦訳 253 頁]という論点である。こ
の点は、生産力上昇がすべての問題を自動的に解決する(あるいは解決を強要する)と考
えるのでない限り、社会進歩、社会改良を考える上で重要な論点である。例えば、後に検
討する「正義」について言えば、その実現の主体的条件の問題ということだろう。
もう 1 つは、上記に関連すると思うが、「〟先進国〝的な物理的快適さは、〟わが道を
ゆく〝苦痛に耐える個人を僅少化する危険をもはらむものであり、そのような個人が涸渇
した場合には、民主主義はかならず死滅するのである。物質的生産性の指標にのみ数字化
されない進歩の持続のためには、右の問題は人間永遠の課題であるとさえいうことができ
よう」
[Popper 1957、邦訳 253-254 頁]という論点である。これは後述のいわゆる「最後
18
の人間」の問題とも関わる問題である。
ところで、ポパーも、そして誰しも認めるように、マルクスは「1789 年(フランス革命
--引用者)の諸理想を真摯に受け取った者の一人」であり、
「彼にとって改良とは、いっそ
うの自由、いっそうの平等、いっそうの正義、いっそうの安全、より高い生活水準、とり
わけ直ちにいくらかの自由を労働者に与えることになる労働日の短縮を意味した」
[Popper 1950、邦訳 190 頁]。
...マルクスの将来社会像
マルクスにとっての社会改良の課題とは、ポパーが要約した自由と平等、正義、安全、
生活向上、労働時間短縮でもあるが、何よりも商品経済廃絶(物神性の克服)と階級の、
さらに旧来分業の廃絶(労働疎外の克服)、必要に応じた分配と労働転換の実現、自由時間
の拡充であった[青木 1992、第 2 部第 2 章参照]。
これらのうち必要に応じた分配や分業克服以外の課題について、ポパーの言うように、
マルクスは「近い将来に一切が実現されるだろうという」「驚くべき楽天主義」[Popper
1950、邦訳 190 頁]を持っており(このことは唯物史観についてのマルクスの上述の要約
の中の人類史の前史と本史の区分からも分かる)、資本主義から広義共産主義への体制転換
によって一挙に根本的な社会改良が達成されると考えていたと思われる。
将来の体制が達成すべき社会編成についてマルクスが語っていた主な内容は、消費財の
分配原理のほかには、計画経済による商品経済(物象化)の克服や旧来分業(疎外)の克
服、自由時間における自己実現の発展などである。
マルクスの将来構想について社会主義哲学者碓井敏政の考えはこうである。
「 マルクス主
義の基本理念は、社会的正義や平等ではなく,自由や自己発達であったのである。社会主義
の目的は、物質的平等の実現を目的とするものではなく、階級の廃絶による労働者の解放
であり、人間の自由の実現にあった。かれらが正義や平等について語るのが否定的意味あ
いにおいてであるのに対し、自由については、ブルジョア的自由の形式性、欺瞞性を批判
しながらも真の自由について言及し、共産主義を〟真の自由の国〝(必然性の国から自由の
国へ)ととらえていたことが、そのことを示している」[碓井 1998、142-143 頁]。
ここで碓井は、必然性の国から自由の国へということをエンゲルスの『反デューリング』
風に理解し(碓井はここで『反デューリング論』
「第 3 篇社会主義、2 理論的概説」を典拠
としているし、それはその通りである)、マルクス『資本論』(第 3 巻第 48 章)のそれも
同様のものと受け取っているようである。
しかし、マルクス『資本論』における必然性の国と自由の国は、労働時間内の生活と自
由時間における生活の区別である(このことについては第 4 節で多少詳しく触れることに
するが、そこでは共産主義社会におけるマルクスのバラ色の夢が工業社会(産業社会)の
19
言葉をもって描かれている)。
マルクスにとって「自由」が極めて重要な理念であったというのはそのとおりであり、
自由の捉え方とその実現方法についてマルクス流の個性があった。しかし、マルクスの基
本理念に社会的正義と平等がなかったという判定も行き過ぎであり、マルクスらが「必要
に応じた分配」の実現にかけた重みからすれば、
「物質的平等の実現を目的とするものでは
なく」とは言えない。
碓井によると、
「マルクス主義哲学の基本理念である自由は、行動にさいして障害がない
という意味での消極的自由ではなく、〟人間の能力の全面発達〝という理念に結びついた
積極的自由」であった[碓井 1998、143 頁]。マルクスにとって、階級というものを根絶
して個人の能力の全面的開花を実現することは、確かに基本的な目標であった。が、マル
クスは、旧来分業を克服し労働転換システムに移行することと、計画経済体制のもとで「必
要に応じた分配」を実現することをそのための必要条件と考えた[青木 1992、前掲]。
碓井によれば、マルクスは上記の意味での自由を本源的課題として重視し、平等や正義
といった概念については消極的であり、
「 社会主義段階における暫定的な課題」
[ 碓井 1998、
145 頁]としてのみ取り上げた。しかし、すでに少し触れたのように、共産主義段階(狭
義)に想定された「必要に応じた分配」はマルクスとマルクス主義にとって真の平等の実
現として基本的な課題(理念)、「共産主義」を「反動的社会主義」から分かつ分水嶺でさ
えあった[MEW 3-S.528、青木 1992,287 頁以下]のだから、平等を社会主義段階(=
共産主義の低い段階)のみの暫定課題としていたわけでは全くない。またポパーが強調す
るような道徳的急進主義者としてキリスト教の人道主義化にさえ貢献したほどのマルクス
にはマルクス流の「正義」論があったはずである。
碓井は、彼の考えるマルクスの欠陥を修正して、「正義は、その内容においては可変的
であるとしても、人間社会が存在する限り否定することができない。歴史貫通的な理念な
のである」と理解すべきだとしている[碓井 1998、147 頁]。このような修正は唯物史観
そのものの修正を必要とするというのが本稿の考えである。
碓井が上記のような修正をする理由は、
「既存社会主義の失敗の経験も踏まえ、社会主義
的正義論の可能性について改めて問い直す必要があるように思われる」からであり、
「資源
の限界と地球的な規模での環境問題」ゆえに共産主義社会でも富の配分上の正義が必要で
あり(つまり必要に応じた分配は不可もしくは制限的ということか)、また「国家あるいは
自治体の共同管理業務に、国民がどのようにかかわるのか、そのさい、いかに各人に権力
への公正なアクセスを保障するのか」という意味での正義が必要であると言う[碓井 1998、
145-147 頁]。
こうした考察は、むろん、今後も、資本主義の後には必然的に社会主義、共産主義が来
ると考える唯物史観の枠内にとどまるものであるが、ソビエト型体制の教訓として正義と
平等の「歴史貫通的」意義を引き出した点は有益な考察である。しかし、では何故そうい
20
ったものが歴史貫通的な意義を持つのかについては碓井には説明がないようである。
ちなみに、10 月革命の前後のレーニンを振り返る(特に[レーニン全集 25・26 巻]に
ある『国家と革命』や『革命の任務』、
『勤労被搾取人民の権利の宣言』)と、課題としては、
土地と平和の問題以外には、主として語られていたのは「搾取の廃絶」
「資本のくびきから
の解放」であり、抽象的な社会倫理はもちろん、マルクス的なバラ色の夢も語られていな
かった。また、その将来社会像はマルクスに比べて甚だ国家主義的色彩の濃いものであっ
た。
21
..4.
ロストウの経済成長史観と未来像とマルクス
...経済成長段階区分
唯物史観に対する内在的(いわば歴史法則主義内での)批判を取り上げよう。まずロス
トウ(Walt Whitman Rostow, 1916-)である。その理論はさほど精緻であるとも、全面的
であるとも思われないが、これを取り上げるのは、一世を風靡したものであるというだけ
ではなく、以後の節で取り上げるベルやフクヤマは、マルクスの外孫、ロストウの子とい
う印象であるからでもある。
ロストウは、「近代史に関するカール・マルクスの理論に代わるべきもの」を提示しよう
として、
「経済的変化が政治的、社会的帰結を生み出すということは真実であるが、本書で
は、経済的変化自身も狭義の経済力のみならず政治的、社会的諸力の帰結とみなされる。
そして人間的動機という点から見れば、最も深い経済的変化の多くも非経済的な人間的動
機、人間的希望の帰結と見なされる」という主張を展開した[Rostow 1960、邦訳 5 頁]。
その上で彼が展開した議論は、歴史を伝統社会と離陸後の社会に大別し、離陸の条件を
考察し、また次のような段階区分をおこなったものである。
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
ロストウの経済成長段階区分:
──────────────
第 1 段階
伝統的社会
第 2 段階
離陸のための先行条件期(西欧では 17c 末∼18c)
第 3 段階
離陸:着実な成長への古い妨害・抵抗の最終的な克服
第 4 段階
成熟への前進:離陸期の主導産業部門以外も経済成長
第 5 段階
高度大衆消費時代:1 人当たり実質所得が上昇し多数
の消費が基礎的衣食住を超える
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
「伝統的社会」としては洋の東西のさまざまに異なる「伝統」を持つ社会が一括されて
いる。それらが近代的科学技術を導入して「離陸」し、
「高度大衆消費社会」への収斂して
いく。従って、ここには逆系統樹が描かれていると言うことができる。さまざまな社会諸
形態が離陸後に近代科学技術とそれにもとづく経済発展によって一本化していくのである。
この点は後述のフクヤマにも受け継がれている。
ロストウは、経済的変化が政治と社会の変化をもたらすことを認めつつ、何が経済的変
化、あるいは生産力発展をもたらすのかを問うべきだと言う。答えは、ロストウによれば、
「非経済的な人間的動機」であり、なかでもイギリス以外について彼が重視するのはナシ
ョナリズムである。では内発的発展であったイギリス産業革命のそれは何だったのか、に
22
ついては彼は明らかにしていないようである。
...産業革命断章:バーミンガムとその周辺から
余談になるが、私はしばらくイギリスのバーミンガムに滞在したことがある(2002 年)。
その滞在における私の関心の 1 つは、バーミンガムとその周辺の産業革命関係の土地と遺
跡、博物館、人物像であった。かつてロストウを初めて読んだ時以来、世界で唯一の内発
的産業革命というものの特別さが私に印象づけられていた。
第4図
バーミンガム Broad Street に立つ産業革命のリーダーたちの像
台座にある説明:
Matthew Boulton 1728-1809
James Watt 1736-1819
William Murdoch 1754-1839
「産業革命生誕地」を名乗るアイアン・ブリッジやコークス製鉄発祥の地コールブルッ
クデールがあまりの山間僻地であることに驚いたが、そこでのダービー(Abraham Darby,
1677-1717)の奮闘の様子を製鉄博物館(The Museum of Iron)で見た。
バーミンガム市内のソーホーハウス博物館(Soho House Museum)では、蒸気機関な
ど製造のボールトン(Matthew Boulton, 1728-1809)と蒸気機関の発明・改良家ワット
( James Watt, 1736-1819 )、 酸 素 を 発 見 し た プ リ ー ス ト リ ー ( Joseph Priestly,
1733-1804)、陶磁器製造のウェッジウッド(Josiah Wedgewood, 1730-1795)、医師ダー
ウィン(Erasmus Darwin, 1731-1802、彼が進化論のチャールズ・ダーウィン(Charles
Darwin, 1809-1882)の父方の祖父であり、その母方の祖父が上記のウェッジウッド)ら
23
の奮闘と交流の様子、
「 月光協会(Lunar Society)」の活動を目の当たりにしたようだった。
ちなみに、プリーストリーは、市井によれば、フランスの最初の進歩史観提唱者チュル
ゴ(A.R.Jacques Turgot, 1727∼1781)に少し遅れるだけで、それに類似の進歩史観を英
国で初めて提唱した[市井 1971、84 頁]。市井は、チャールズ・ダーウィンが「自然主義
的人道主義者となった」理由として、
「自国のプリーストリーやベンサムの伝統、つまりフ
ランスの進歩史観と同じ伝統、を受けついで育」ったことをあげている[市井 1971、84-85
頁]が、それは、彼の二人の祖父とプリーストリーには交流関係があったのだから、一般
的な「自国の」思想環境以上に文字通りの家庭環境でもあっただろう。
アイアン・ブリッジ近辺は今や観光地として賑わっているが、ソーホーハウスの近辺は
今ではうらさびれている。ちなみに、映画『シャクルトン』では南極近くの汚く無秩序な
海賊島でさえバーミンガムよりはましとされたように、産業革命後のこの地の衰退は著し
かったらしく、今も栄華とその後の衰退の面影がともに残っている。
ウェッジウッドの工場内の展示館ではジョサイアの実験ノートが、その系統性と克明さ、
膨大さを示すとともに、既に知的所有権を守るために暗号記述されていたことに感嘆した。
バーミンガム近郊のダドリー(Dudley)にあるブラックカントリー生活博物館(The
Black Country Living Museum)を夏のある日に訪れた。ここは博物館というよりも、産
業革命期からビクトリア時代にかけての生活テーマパークであり、再現された当時の情景
が目に焼き付いた。テーマパークといっても、東京ディズニーランド風のものではまるで
なく、すこぶる田舎風なのだが、だからこそ当時を実感させてくれる。
鉄鉱石や石炭、石灰石などが取れたブラックカントリー(この地名は元々の地名ではな
く、バーミンガム西北部の工業地帯のいわば渾名であり、この地域の工場群が吐き出し続
けた黒煙に由来する地名である)は、産業革命期に一大製鉄・金属・機械工業地域であっ
た。このテーマパークには、当時の石炭採掘現場や石炭積み出し駅、商店、住宅、学校、
教会、工場、ワット機関以前の巨大なニューコメン機関などがあり、さらに、石灰石掘り
出し現場への運河体験ツアーもある。
当時交通運輸を担い今や薄汚く時に悪臭を放ちながらバーミンガムで縦横に交差する運
河も、当時を偲ばせてくれた。
こうして、産業革命の人と業績が実感できるかのような気分になった。
...唯物史観修正の中身
本論に戻ると、技術発展の経済的動機と非経済的動機をはっきり分けうるものかどうか
自体も問題であるが、仮に非経済的動機による科学技術開発やその産業化による生産力発
展であっても、社会と政治に影響を与えるのは、動機自体ではなく、動機の実現としての
生産力発展であり、唯物史観にとってはこのことが重要であった。
24
従って、ロストウは経済決定論の枠内における部分修正と言えるだろう。本来ならば、
人間的動機の中身と位置づけについてロストウはもっと考察すべきであったが、それはそ
の「子」らによって果たされる。
部分修正としては、離陸におけるナショナリズムや政治構造の重視もあるが、この点に
ついては、唯物史観はその中に革命論を持っているのであるから、時代の移行期における
政治の重要性を忘却しているわけではなかった。修正のもっとも重要な点は、生産関係論、
従ってまた階級構造論を全面的に削除し。その代替理論は提起しなかったことである。従
ってまさしく経済成長段階論になったのであって、社会発展論というよりも産業発展論に
なってしまった。それはそれでも面白い議論が提起されたのではあるが、社会理論や歴史
の理論としては一面的との評価を免れえないだろう。
...ロストウの虚無的未来とマルクスの将来社会像(続)
ロストウの段階論で最も有名なのは第 3 段階(離陸)であり、離陸は今もよく使用され
る概念であるし、この段階についての叙述の中に彼の考え方がよく表現されている。この
段階は、
「着実な成長に対する古い妨害物や抵抗が最終的に克服される期間」であって、イ
ギリスとその植民諸国(米国、カナダなど)の離陸は主に技術発展によるが、一般には技
術発展のみではなく近代化志向の政治権力の台頭が離陸のために必要とされる。
ロストウにとって成長のゴール(第 5 段階)は、米国が体現する高度大衆消費時代であ
った。第 5 段階に、米国はフォードによる流れ作業導入の 1913-14 年に入り、今やそこか
ら抜け出し始め(と、邦訳 15 頁にはあるが、邦訳 122 頁にはこの段階が決して終了して
いないとある)、西欧と日本は 1950 年代にこの段階に入ったと言う。
その先はどうなるのかということについての彼の考えはなんとも面白い:高度大衆消費
時代とは、
「すべての人々」の衣食住が満たされ、豪華なアメリカ車とまではいかなくても
少なくともフォルクスワーゲン車を持つ段階であり、ここでは、実質所得自体の相対的限
界効用の逓減が大衆的基盤で起こる、そうなると、人間のエネルギーと本能の実現の機会
が見出され得なくなる、沈滞か、出生率引き上げによる生活課題設定か、スポーツ的戦争
か、宇宙探検か、狩猟や釣りか、女性は出産と育児があるので男性ほど退屈しない、人間
が生き生きと暮らすには貧困と内紛が必要条件なのであろうか、と[Rostow 1960、邦訳
122-124 頁]。
なんとも虚無的である。現状を賛美すればするほど、過去を批判することはできても、
未来に希望を見ることができないのだろうか。それとも、これが真実の趨勢なのであろう
か。
後に取り上げるフクヤマはこの点にもっと立ち入っている。彼は、ニーチェによりなが
ら、「歴史の終わり」に登場する「最後の人間」の生き甲斐の問題について、「人間の性格
25
にはどこか闘争や危険、リスクや勇猛心を意図的に追い求めているところがあるのではな
いか?」
「ひいては再び獣のごとき〟最初の人間〝に戻」るのではないか?、と設問してい
る[Fukuyama 1992、邦訳上巻 31-32 頁]。彼は、この問題、換言すれば、ヒトの優越願
望と対等願望の問題を、現代軍事技術との関わりで、考察しながら[Fukuyama 1992、邦
訳下巻第 5 部]、
「 われわれは最後の最後までその成り行きを知ることはできないのである」
[Fukuyama 1992、邦訳下巻 263 頁]と結ぶのである。
対照的に、マルクスの将来像はバラ色であった。共産主義社会においては、人々は、労
働者が初めて獲得する豊かな自由時間を、余暇としてのみならず、より高度な活動のため
に用いることによって、自己実現を発展させていくはずであった。
第 3 節で少し触れた『資本論』第 3 巻第 48 章において、マルクスは、
「社会化された
人 間 ( der vergesellshaftete Mensch )、 連 合 し た 生 産 者 た ち ( die assoziierten
Produzenten)」は、自分たちの労働(「自然との物質代謝」)を「合理的に規制し、自分た
ちの共同体的統制(ihre gemeinschaftliche Kontrolle)のもとに置く」[MEW 25-S.828]
と書いた。すなわち、共産主義社会(広義)は、計画経済を実現することによって商品経
済における 無政府性と 物神性を克 服する。そ の意味で「 ある盲目的 な力(eine blinde
Macht)によって支配される」ことから脱する。
彼はさらに、そこでは「力の最小の支出によって、かつ、彼らの人間性に最もふさわし
く最も適合した諸条件のもとで(unter den ihrer menschlichen Natur wuerdigsten und
adaequatesten Bedingungen)」、つまり効率的かつ人間的な様式の労働(経済活動)を行
う、と考えた(ここで言う「人間性」については後で触れたい)。
だが、とマルクスはさらに続ける、経済メカニズムにおいても労働様式においても資本
主義時代とは根本的に異なる共産主義時代の労働(あるいはより一般的に経済活動)であ
っても、労働(経済活動)は、「考えられるかぎりのどんな生産様式のもとでも」、自然と
の代謝過程、自然との格闘の世界であり、自然必然性の枠内の世界、つまり「必然性の国」
(ein Reich der Notwendigkeit)であって、「真の自由の国」(das wahre Reich der
Freiheit)で は な い 。 真 の 自 由 、 つ ま り 「 自 己 目 的 と み な さ れ る 人 間 の 力 の 発 展 ( die
menschliche Kraftentwicklung, die sich als Selbstzweck gilt)」は、労働時間外の自由時
間における生活によってのみ可能となる、と/*/。
/*/ マルクスの「自由の国」はカントの「目的の国」(Reich der Zwecke)に似て
いるが、その辺の哲学史事情に私は不案内である。
彼は、だから、「労働日の短縮が根本条件(die Grundbedingung)である」と、非常に
強い言葉で自由時間拡充の重要性を強調している。
しかし 19 世紀の現実しか知らなかった(つまり 20 世紀資本主義による労働時間短縮と
教育の普及を知らなかった)マルクスにとって、豊かな自由時間や、自由時間を有意義に
過ごす基礎となる教育の普及と教育水準の向上は、いずれも、資本主義下の労働者階級に
26
は実現されえないものであり、真に自由な人間へのマルクスの渇望は共産主義革命の彼方
でようやく実現されるものであった。だからこそ、それまでは人類の「前史」にすぎず、
本史においてこそ夢が実現されるはずだった。
ちなみに、旧東独で 1970 年代から 1989 年まで党(SED)書記長兼国家元首であった
エーリッヒ・ホーネッカー(Erich Honecker, 1912-1994)の妻で、1963 年から 1989 年
まで国民教育相であったマーゴット(Margot Honecker, 1927-)は、夫に同行しての訪日
(1981 年 5 月 26∼31 日)を前に準備された日本の教育事情レポートの内容を信じようと
はしなかったそうである。その報告にあった日本の高校進学率や大学進学率は、資本主義
国ではありえないはずだったからである[1981 年 3 月 30 日旧東独南端の町 Zittau で関
係者からの聞き取り]。彼女には、旧西独を含む当時のヨーロッパ型の低い高校・大学進学
率は納得できても、それらの進学率がはるかに高かった米日型は何かの間違いでしかなか
った。
人が個人として豊かな自由時間を享受することこそマルクスが共産主義社会に期待した
富であった。しかし同時に、共産主義社会では「必然性の国」
(労働)においてさえ、旧来
の職業固定的分業から解放され労働転換システムのもとで働くことによって、人間である
ことを実感するようになり[この感覚についてはマルクス『資本論』第 1 巻、MEW23-S.512
も参照]、人々は報酬のためだけではなく喜びとしても労働し、労働にあたってのそろばん
勘定(マルクスの用語では「ブルジョア的権利意識」)がなくなり、また自由時間における
人間活動の高度化が労働にも持ち込まれ、それらの全体の結果、技術のみならず労働の質
もあがり、人間自体という生産力、マルクス『経済学批判要綱』の言う「人間自身」とい
う「固定資本」
[Marx; Grundrisse, S.599]も高度化し、
「協同組合的な富のあらゆる源泉
がより豊かにわきでる」[『ゴータ綱領批判』、MEW 19-S.21]はずであった[青木 1992、
301 頁以下参照]。
このように言うと、多くの人が『ドイツ・イデオロギー』の、
「共産主義社会にあっては
……朝には狩りをし、午後には魚をとり、夕べには家畜を飼い、食後には批判をする」
[MEW 3-S.33、廣松版 67 頁、渋谷版 64 頁]という有名な言葉を想起するだろう。職業
固定を克服して転換的労働をし、労働時間の後は自由時間を享受するというマルクスらの
将来社会像はその後も変わらなかったが、経済学研究が進んだ『資本論』時点ではこのよ
うに牧歌的なイメージ表現はなされていない。
また、『ドイツ・イデオロギー』では労働時間外の自由時間が「批判(zu kritisieren)」
に当てられているが、それについて廣松編訳『新編輯版ドイツ・イデオロギー』訳注では、
この「マルクスの追補は、エンゲルスの議論に〟精神的労働〝も含ませるよう補充したも
のであろう」とある[249 頁]。私はこの部分は「労働」後の時間のことだと思っていたし、
今もそう思う。いずれにせよ、後には、彼らはこうした活動を自由時間における自己啓発
として記述することになった。この当時彼らはすでに個人の全面的発達ということを共産
27
主義(私的所有の廃止)と一対で語り[例えば MEW 3-S.424f.]、共産主義社会における
労働時間短縮も語っていた[例えば MEW 1-S.517, 2-S.547]が、後年のような「自由時
間」という考えはまだなかったのだろうか。
『資本論』では、上記のように、自己目的としての人間の力の発展が語られ、
『ゴータ綱
領批判』では個人の全面的発展が言われ[MEW 19-S.21]、
『経済学批判要綱』では「自由
時間とはすべて自由な発展のための時間……すなわち文明」そのもの[Marx; Grundrisse,
S.527]、「余暇時間であるとともにより高度な活動にとっての時間」とされ[同, S.599]、
従って資本主義後の社会では労働時間に代わって自由時間の豊かさが「富の尺度」となる
[同, S.596]とまで言われた。
後で触れたいとした上記の「人間性」についてだが、これは、「彼らの」、つまり「社会
化された人間」=「連合した生産者たち」のそれであるから、直接には、歴史的な、つま
りマルクスが想像する将来の共産主義時代の、
「人間性」であり、それは上述のような共産
主義的人間像・生活像が示すそれなのだろう。しかしマルクスは、カリフォルニアでの労
働転換の経験に「人間であるということ」を感じたフランス人にこの種の人間性を連想し
ている[『資本論』第 1 巻 MEW 23-S.512]のだから、この人間性は、マルクスにおいて
も普遍性を持つものということになる。だからこその自己実現である。普遍的な「人間性」
とはマルクスにとって何であったのだろうか。それは唯物史観とどういう関わりになって
いたのだろうか。
なお、付言すると、「社会化」や「連合」がどのようなものかは、経済面は計画経済と
して明らかだが、経済面以外(マルクスの言う将来の国家組織)は不明である。特に各人
が自由時間に追求する自己実現計画(後述のロールズ風に言えば各人の人生計画)がぶつ
かりあうのをどう調整するのかが大問題になる。
『ドイツ・イデオロギー』における上記の牧歌的イメージはフクヤマも引用し、それは
的はずれな予言だったと言う[Fukuyama 1992、邦訳上巻 145 頁]。ここでのフクヤマを
含めて普通着目されないことに、この牧歌的な労働転換と哲学的自由時間消費の情景描写
の文章は、一連の分業批判のあとの次の文章の末尾に登場する。
「各人がどんな排他的な活動範囲も持つことがなくどんな任意の部門ででも教育を受け
ることができる共産主義社会にあっては、社会が生産全般を規制し、まさにそのことによ
って私に、今日はこれ、明日はあれをすることを、狩人、漁師、牧者または批評家になる
ということなしに、私は気のおもむくままに、朝には狩りをし、午後には魚をとり、夕べ
には家畜を飼い、食後には批評するということを可能にしてくれる」。
ここには職業固定的分業の克服とともに計画経済が想定されていた。計画経済がこのよ
うな分業克服の可能性を与えることは、現実には、半世紀前のソ連における学術的探求(一
連の分業論争)や中国における毛沢東主義による野蛮な試みにもかかわらず、無理なこと
であった。
28
そもそも『ドイツ・イデオロギー』が、一方に社会による生産全般の規制(regeln)を
言いつつ、各人が「気のおもむくままに(wie ich gerade Lust habe)」従事する、と語る
のは、あまりにも整合性に欠けた牧歌的な想像であった。
このような『ドイツ・イデオロギー』とは違って、上述のように『資本論』は、労働(経
済)は、共産主義であってもなくても、あくまで「必然性の国」であり、真に自由な、
「任
意の」
「気のおもむくまま」の活動は自由時間にしかありえないと言ったのである。この違
いはおそらく、経済学と工業社会についてのマルクスの研究が進んだ結果であろう。
計画経済(つまり商品経済の廃止)による物象化の克服と職業固定的分業の克服による
労働疎外の克服、自由時間の拡充は、マルクスの変わらぬ目標であったが、その中身は経
済学研究の進展につれて大きく変化したと考えられる。
「労働に応じた分配」の扱いも変化した。『ドイツ・イデオロギー』は、「必要に応じた
分配」つまり共産主義的分配原則の実現を必須とし、
「労働に応じた分配」つまり社会主義
的分配原則には非常な嫌悪を示していたが、その後、おそらく『経済学批判要綱』執筆の
頃には、マルクスは、共産主義社会の初期段階には「労働に応じた分配」を妥協的に容認
するとの立場を取るようになった(エンゲルスについてははっきりしない)[青木 1992、
287 頁以下参照]。
ロストウは詳細なマルクス批判も展開しているが、それはここでは省略する。マルクス
の貧困化論へのロストウの批判は、資本主義のもとでの実質賃金の上昇は事実なのだから、
妥当である。但し、出生率低下による失業減少というロストウの見方は実現していない。
ロストウに対しては、個々の歴史的事実の誤認や個別技術重視の方法論への批判のほか、
結局単線発展史観であり、世界の多元的発展を見ていないとか、近代イギリスの繁栄はイ
ンドの貧困やアフリカ人鉱山労働者抜きになく、逆に現代インドの貧困はイギリスのイン
ド統治抜きには理解できず、コーヒーなどの商品作物の強制栽培制度を抜きに 19 世紀オ
ランダの栄光とジャワの悲惨を語ることはできないにもかかわらず、そうした近代化の踏
み台にされた側が無視されている、などの批判がある。
つまり、歴史法則にせよ歴史の趨勢にせよ、そういったものを考えるにあたり、ロスト
ウはあまりに議論を生産力発展(とその動機、妨害勢力問題など)に極限し、それについ
ても近代以前は「伝統社会」として一括してしまって、なんらの分析も加えない。大きな
歴史が省略されている。社会構造分析(一国内のみではなく国際的な支配・従属問題を含む)
を等閑視したことによって、はなはだ平板な議論になってしまった。
ベルやフクヤマはこの欠落を埋めようとするものだとみなすことができる。
29
..5.
ベルのテクノロジー史観と多様性論
ベル(Daniel Bell, 1919-)について、山崎正和は、
「ダニエル・ベルは、20 世紀のカー
ル・マルクスである。ただひとつ違う点は、マルクスの預言は百年後にすべてはずれたが、
ベルの予言は半世紀を経て、ことごとく現代の状況を言いあてていたことである。じっさ
い、ベルはマルクスと同じように、生涯を通じて人間のすべての問題を総合的にとらえ、
そして、つねにそれらを根源(ラディクス)から考えつづけてきた」と評価する。
ベルがマルクスと同時代に今日を予言したわけではないのだから、これは時代の違いを
無視したなんとも乱暴な評価であるが、そのことはベルを過小評価する理由にはならない。
山崎はベルのマルクスとの違いとして、一元的な世界観の体系を作ろうとせず、すべて
の問題を一つの公理に還元しようとはしないことだけではなく、マルクスが現実社会と人
間への怨恨を、ベルはそれらへの愛を動機として思索したことを挙げる[ベル 1995、解説
331-334 頁]。後段の評価にはポパーさえも驚くことだろう。
...ベル脱工業化社会論の系譜
ベルは『イデオロギーの終焉』という著作でも有名であるが、彼の『脱工業社会の到来
(The Coming of Post-Industrial Society)』論は今日の世界を予言したとして高く評価さ
れている。本格的な脱工業社会論=知識社会論の先駆である。この時彼が脱工業社会と言
い、知識社会とか情報社会とは言わなかったことについて(知識社会等の言い方もしてい
る箇所もあるが)、彼は大要次のように言う[Bell 1973(1999)、53-54 頁参照]。
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
ベル:なぜ「脱工業化社会」論か:
────────────────
①脱工業社会・知識社会・情報社会・専門家社会のどの言葉も、生まれ出ようとしてい
る社会の特徴を示すが、以下の理由で「脱工業化社会」とした。
②当時の私は、ラルフ・ダーレンドルフ『産業社会における階級および階級闘争』の言
う「資本主義以後の」社会、W・W・ロストウ『経済成長の諸段階』の言う「成熟後の」
経済という見方から影響を受けた。
③西洋社会では、われわれは大きな歴史的変化の最中におり、古い社会関係(財産のき
ずなで結ばれている)、現存の権力構造(少数のエリートを中心としている)、およびブル
ジョア文化(抑制と満足の繰り延べという信念に基づく)が急速に侵食されている、とい
う感じがあったし、現在もある。
こういった大変動の原因は科学的、技術的なものであるが、文化的なものである。なぜ
なら、私の信ずるところでは、文化は西洋社会では自律性を達成しているからだ。これら
30
の新しい社会的形態がどのようなものになるか、あまり明白ではない。またそれらが、18
世紀半ばから 20 世紀半ばまで資本主義文明の特徴であった経済制度と性格構造の統一性
を達成する可能性もない。
かくして、post-(脱)とハイフンでつなぐ接頭辞を使うこと自体、過渡期に生きている
という認識を示唆するものである。
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
...テクノロジー史観:唯物史観との対比
以下で考察するベルの所論は、上記にある系譜からもうかがえるが、内容的にも、ロス
トウのマルクス継承とマルクス批判の両面(歴史の推進力としての生産力=テクノロジー
の重視を継承、経済的土台決定論や生産関係による歴史段階区分を批判)を受け継ぎなが
ら、経済成長史観=工業化史観を、社会秩序や政治、文化の多様性を排除しない工業化と
脱工業化のテクノロジー史観に発展させたと言えるだろう。科学技術的なものと文化的な
ものを分離して考えるところがマルクスに学びつつ、ロストウの考え方の延長上で、マル
クスを超えようとするところである。
私は「脱工業化」ではなく情報社会化という定式化がよいと思う。情報社会化(=知識
社会化)は進んでいるが、工業も発展し重要性を維持しているから脱工業ではない。
マルクスの唯物史観が生産力−生産関係(所有関係)−上部構造の一体発展図式である
とすれば、彼の歴史観のポイントは、テクノロジーが歴史を作ることを認めつつ、それが
一対一対応の所有関係や上部構造をもたらすのではなく、複数の対応関係があるとする、
いわば複数発展図式にある。それは、生産力が根底を規定するという唯物史観の考え方の
規定範囲を縮小(所有関係や上部構造を削除)して継承したものである。このように縮小
第5図
ベルのテクノロジー史観概念図
工業
集
・採
猟
狩
農
テクノロジー
業
脱工
化
化
耕
社会秩序
31
され純化された唯物史観をテクノロジー史観と呼ぶことにする。
第 5 図が私の理解したテクノロジー史観の概念図である。
テクノロジー史観は、歴史の源泉として生産力を重視するが、その社会的影響はテクノ
ロジーの直接の周辺(労働の性格など)に限られるのであり、政治や文化には自律性があ
ると見る。著書[Bell 1973(1999)]の日本語版序文から彼の考えを要約すると:
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
唯物史観との対比におけるテクノロジー史観:
─────────────────────
社会の 3 領域:
①《社会構造》
経済的・技術的・職業的制度を含む
②《政治》
社会における権力ヘの競争を調整する
③《文化》
経験と超越的思想との象徴的意味合いの領域
これらは各々が相異なる軸の原則に従い、相互衝突もある:
①社会構造は効率と機能的合理性の原則に従う
②政治は代表と参加を強調する
③文化は自己実現に焦点をあてる
─────────────────────
社会構造の変化は社会の他のすべての局面を決定するのではなく、ただ《運営と社会組
織の諸問題》を提起する。それへの個々の社会の反応は、その政治制度と文化によって異
なる:
例
日本企業の社会組織と経営慣行
⇔
共同体的なものへの愛着の文化的影響
西側工業社会の諸モデル
⇔
西側の個人主義
「これと全く同じ理由で、脱工業的変化が課する諸問題に対する日本の回答も、アメリ
カや他の工業諸国のそれとは全く違ったものになるかもしれない」。
─────────────────────
経済の二つの次元=所有と技術は別の論理で継起的展開:
・技術 or 知識軸
・所有軸
前工業、工業、脱工業社会
封建主義、資本主義、社会主義(=官僚的集団主義)
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
上記に要約したベルの所説をもう少し詳しく見てみよう:
「マルクスは単一の生産様式が全社会を包含し、社会の他のすべての局面を《決定する》
と解釈した。今日、われわれはこれがあまりに単純すぎることを知っている。分析目的の
ため、私は社会を三つの領域に分割する。これらは①経済的・技術的・職業的制度を含む
《社会構造》、②社会における権力ヘの競争を調整する《政治》、そして③経験と超越的思
想との象徴的意味合いの領域である《文化》である。これらは各々が相異なる軸の原則に
32
従い、そして近代社会においては、しばしば相互に衝突し合う。社会構造は効率と機能的
合理性の原則に従う。政治は代表と参加を強調する。そして文化は自己実現に焦点をあて
る」。
「社会構造における変化が社会の他のすべての局面を《決定する》とは信じない。それ
が何をするかといえば、
《運営と社会組織の諸問題》を提起する。それぞれ個々の社会での
反応ぶりは、その政治制度とその文化によって変わったものになるだろう。もし私が一つ
の特別の例証をとることができるならば、日本の工業社会は、他の諸国の機械と技術(テ
クノロジー)とどこから見ても違わない、あるいは違いえない機械や技術を使っている。
しかも、私が中根千枝の『タテ社会の人間関係』、あるいはロナルド・ドア(Ronald Dore)
の『イギリスの工場−−日本の工場』〔British Factory/Japanese Factory〕などの作品を
正確に読むと、日本企業の社会組織と経営慣行は、西側工業社会の諸モデルとの間に巨大
な相違をもっている。ここでは共同体的なものへの愛着の《文化的》影響が西側の個人主
義より重要で、したがって生産組織に対するはっきりした日本的回答を形づくっている。
これと全く同じ理由で、脱工業的変化が課する諸問題に対する日本の回答も、アメリカや
他の工業諸国のそれとは全く違ったものになるかもしれない」。
「マルクスは生産の社会的諸関係(すなわち所有)と生産力(すなわち技術)の両方を
とり、それを単一の様式の中に入れた。しかし、もし経済学の二つの次元----所有と技術の
次元----をはっきり区分し、これらを分析的に別の論理としてみるならば、《ニつの》違っ
た継起的展開があり、これが作用していくことがわかるはずである。一つの軸、所有の軸
に沿っては、われわれは封建主義、資本主義、社会主義の伝統的なモデルをもつ(いわゆ
る〟社会主義諸国〝の大部分においては社会主義はより正確にいえば〟官僚的集団主義〝
である)。他の軸、技術もしくは知識の軸に沿っては、別の継起、すなわち前工業、工業、
そして脱工業社会がある。それゆえわれわれは、工業社会が多種多様の社会・政治形態と
両立しうるのと同様に、脱工業社会も相異なる社会・政治形態と両立すると考えることが
できる。」
「簡単にいえば資本主義と社会主義、工業主義と脱工業主義の問題は相異なる社会軸に
沿った問題であり、本書では私は技術----これにより私は知的技術と工学技術双方を意味す
る----の社会にとっての意味内容の解明にすべてを投じるであろう。」[Bell 1973(1999)、
邦訳日本語版序文 2-5 頁]。
こうした方法は、唯物史観に比べて弾力的な歴史理解を可能とするだろう。
しかしながら、ベルが、「マルクスは生産様式は社会的関係と生産諸力(すなわち技術)
を含むと定義した。彼は現在の生産様式を資本主義的と呼んだが、もし資本主義という言
葉を社会的関係に、工業という言葉を技術にそれぞれ限ってみれば、分析上、いかに異な
った結果が展開されるかがわかる。この意味で、ソ連とアメリカが所有の問題を基軸にし
て相互に離反しているとはいえ、ともに工業社会であるのと同様、資本主義的脱工業社会
33
がありうるように社会主義的脱工業社会もありうるであろう」
[Bell 1973(1999)、邦訳 159
頁]と言うと、疑問が生ずる。というのは、しばしば言われる通り、ソ連の体制崩壊の直
接的原因の 1 つは、情報社会化への対応の体制的困難にあったからである(但し後述のよ
うにベルは社会主義を工業化の一形態とも言う)。
ベルは「封建制−資本主義−社会主義という系列と前工業社会−脱工業社会という系列
はともにマルクスに由来している」[Bell 1973(1999)、邦訳 159 頁]と言う。このような
表現が正確かどうかはともかくとして、マルクスの、あるいは唯物史観の考え方からする
と、生産関係の系列と生産力の系列があるわけだから、二系列の存在は当然のことである
が、マルクスが脱工業社会の生産力を予見していたということは疑問である。
ベルの考えについてさらに、所有軸の発展あるい変化はどのように起こるのか、封建主
義と工業社会あるいは脱工業社会は両立するのか、政治と文化には発展はないのか、ある
とすればどのように生じるのか、といった疑問が生ずるが、答えはなされていないようで
ある。
...マルクスの二つの図式と(脱)工業社会論
資本主義の発展について、ベルは、マルクスの資本主義発展論を二面的に捉え、図式 I
は誤りであったが、図式 II は卓越した洞察であるとし、それを整理展開してテクノロジー
史観の形成のために継承しようとする。
「社会変動に対するわれわれの関心の源は必然的にマルクスである。……もし資本主義
工業社会の発展段階を図式化しようとすれば、われわれはマルクスの予言から始めなけれ
ばならない。しかしわれわれは一つの難問に直面する。なぜなら……二つの図式があり、
大 部 分 の 社 会 発 展 理 論 が こ の 二 つ の 異 な っ た 図 式 に 対 応 し て い る か ら で あ る 」[ Bell
1973(1999)、邦訳 76-86・100・102 頁]。
2 つの図式とは次のようなものである[Bell 1973(1999)、邦訳 76-86・100・102 頁参照]。
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
ベルの資本主義発展の解釈:
──────────────────────
マルクスの図式
・図式 I=純粋資本主義モデル(『資本論』1 巻 32 章)
社会は二大階級(少数の資本家と増大する労働者階級)に分極化し、
生産手段の集中・労働の社会化と資本主義的外皮の矛盾が増大し、
外皮は破れて社会主義社会が到来
・図式 II=三つの重大な構造的変化の洞察(『資本論』3 巻)
①銀行・信用制度の発展
34
→企業家の倹約ではなく社会全体の貯蓄による資本蓄積
②株式会社の展開→所有と経営の分離
③事務職員とホワイトカラーの仕事の増大
──────────────────────
マルクス以後
・経営者と所有者との分離+企業の官僚化+職業構造の複雑化等
→
かつてはっきりしていた財産支配と社会関係の図式があいまい化
・『資本論』以後 100 年の爆発的な生産性の向上と技術の発達
→
桎梏論の陳腐化
「生産力に注目を集めさせ、資本主義と社会主義との区別にとって代わるものとして工
業社会の概念を復活させたのは、まさにこのような社会関係の性格のあいまいさと技術の
成功であった」
───────────────────────
共産圏論
・資本主義社会にとって代わったり、その跡を継いだものではない
・創始者たちが考えていたような平等主義的な社会主義国家はない
・「国家資本主義」である
∵資本主義と同じ歴史機能(=生産力発展)を果たしている
国家目的とはいえ利得目的に組織された位階的成層社会である
政治的統合社会である
「このような歴史的な意味では共産主義は歴史上の次の段階ではなく、あまたの工業化
形態の選択肢の一つにすぎない」
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
マルクスは《図式 I》こそ決定的であると信じ、新しい構造的傾向は割引いて考えてい
たが、それは歴史的事実に照らした場合に誤りであったと証明されないまでも修正された、
他方、20 世紀前半に発表された資本主義の将来に関する社会学理論を読むと、ほとんどす
べてが事実上マルクスの《図式 II》との対話であったことがわかる、とベルは評価する[Bell
1973(1999)、邦訳 86 頁]。
ここに言う新しい構造的傾向とは、1 つは、
「マルクス以後における経営者と所有者との
分離、企業の官僚化、職業構造の複雑化などのすべて」であり、それらが「かつてははっ
きりしていた財産支配と社会関係の図式をあいまいにし」、もう 1 つは、「『資本論』以後
の 100 年間」の「当時のユートピア思想家のだれひとりとして夢にも考えなかったような
爆発的な生産性の向上と技術の発達」である。
この両者が相まって「生産諸力に注目を集めさせ、資本主義と社会主義との区別にとっ
て代わるものとして工業社会の概念を復活させた」/*/と言う[Bell 1973(1999)、邦訳 100
35
頁]。
/*/ここで「工業社会の概念を復活させた」とあるのは、元来「工業社会という
社会学的概念は、主にサン=シモン、デュルケーム、ウェーバー、コリン・クラ
ークの四人の思想家に関連する四つのテーマの複合体とも見られ」るからである
[Bell 1973(1999)、邦訳 102-103 頁]。
ベルは、上記のように工業社会あるいは脱工業社会という概念を「資本主義と社会主義
との区別にとって代わるもの」と言ったり、
「アロンも指摘しているように、工業社会とい
う観念に重点を置く人々はマルクスに敬意をささげて、生産力を中心的な観念として強調
し、資本主義と社会主義の違いを強調しようとする人々は社会的関係に焦点を置く」
[Bell
1973(1999)、邦訳 101 頁]とも言う。前者の言い方では代替であり、後者の言い方では視
点の違いである。
ベルの言い分は、そのテクノロジー史観にあるように、工業社会から脱工業社会(知識
社会)へとヒトの経済社会は進むが、その際に資本主義的形態もあれば社会主義的形態も
ありうる、前者についても英米型もあれば日本型もある、ということであろう。これは、
ロストウの場合(時代変化時の政治以外の社会関係の切り捨て)に比べると、マルクスの
社会関係視点を、生産力視点とは分離しつつも、包摂しており、歴史の趨勢(あるいは法
則)を複合的あるいは多元的にとらえる可能性を持った枠組みである。
...ベルの共産圏認識
今、世紀交代期には、知識社会化はいっそう進んでいるし、IT 技術の飛躍的発展によっ
てツーウェイ情報社会(情報流通の大量化・高速化のみではなく情報発信の大衆化により
草の根において情報の受発信双方が可能)の様相が一層濃くなっており、その意味で脱工
業化の水準は上がっているが、同時に、所有者(ないし所有機関)の復権とか、所得格差
の増大、所得格差の世代間継承関係の復活など、ベルらの社会学者が着目した現象のうち
のいくつかには逆転も生じている。そうしたさまざまな可能性を視野に入れ、さらにはポ
パーの言う「想像力」を駆使して、社会態様を考察することが必要である。
本稿にとってもっとも重要な今世紀交代期の出来事は、ソビエト型体制が崩壊したこと
である。その存在は 70 年余であった(当初の戦時期を別にすると、丁度 70 年)。ソビエ
ト型体制についてベルは脱工業社会でもありうるかのようにも書いた(上述)が、彼の基
本的な共産圏認識は、それは工業社会への対応の一形態であるというものであった。
「今日の世界には共産主義国家はあるものの、そのいずれも資本主義社会にとって代わ
ったり、その跡を継いだものではないからである。
(また、創始者たちが考えていたような
平等主義的な意味における社会主義国家はない。)そして、経済的に未開発の諸国で支配権
を掌握したあと、これらの共産主義政権は、マルクスが歴史的に資本主義に帰属させた機
36
第4表a
ベルによる社会発展段階比較
(出所)[ベル 1995、53 頁]
第4表b
ベルによる社会発展段階比較
出所:[Bell 1973(1999), p.lxxxv.]
37
能、すなわち、社会の生産力――技術設備――の発展に主力を注ぎ、しかもそれを強制的
な形の資本蓄積によって行うのが常である。
(正確な意味合いにおいては、これらはたとえ
私的目的のためではなく国家目的のためとはいえ、まさしく利得を中心的目的として組織
された位階的成層社会、政治的統合社会であるから、マルクスが『資本論』第三巻で可能
な社会的形態としてほのめかした〟国家資本主義〝の様相に最も近いものであって、これ
以上に似つかわしい社会学的名称は他にはない。)このような歴史的な意味では、〟共産主
義〝は歴史上の〟次の〝段階ではなく、あまたの工業化形態の選択肢の一つにすぎない。
これらの政権がつくり出すものは、市場メカニズムというよりはすぐれて政治的なメカニ
ズムであるが、ともかく工業社会なのである」[Bell 1973(1999)、邦訳 101-102 頁]。
これは、共産主義を「離陸」のための国家組織の一形態と見なしたロストウ[Rostow 1960、
邦訳 219-221 頁]と同じ見方である。
私見では、ソビエト型体制は、
「創始者たちの考え」と違って「国家資本主義」になった
わけではなく、
「創始者たちの考え」の間違いのせいで「国家資本主義」によく似たものに
なってしまった[青木 1992、第 2 部第 3 章参照]のだが、それでもそこには社会主義的
あるいは共産主義的な社会編成がなされたのであって、
「国家資本主義」そのものではなか
った。
...ベルの体制展望と方法
さて、ベルの体制展望は、第 4 表のとおりである。同表には、『知識社会の衝撃』掲載
の表(a)とともに、その表が『脱工業社会の到来』原書 1999 年版序文においてやや修正さ
れているので、それ(b)も載せた(『脱工業社会の到来』原書初版の表も多少違いはある)。
第5表
脱工業社会の構造と問題
━━━━━━━━┯━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
基軸原理
│
理論的知識の中心性およびその集成化
主要施設
│
大学、学術研究所、研究コーポレーション
経済的基礎
│
科学に基礎を置く産業
主要資源
│
人材
政治的問題
│
科学政策、教育政策
構造的問題
│
公私(部門)の均衡
成層構成:基盤
│
技能
接近
│
教育
理論的問題
│
「新階級」の結合カ
社会的反応
│
官僚制化への抵抗、対抗的文化
38
━━━━━━━━┷━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
(出所)[Bell 1973(1999)、邦訳 164 頁、表 1-2]
その上で彼は、脱工業社会の主要構造と問題を第 5 表のように整理したが、そこに前提
された考え方を整理する[Bell 1973(1999)、邦訳 165-166 頁による]と、つぎのようなこ
とになる:
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
ベル自身による脱工業社会論の位置付け:
───────────────────
●脱工業社会は経済的社会構造のみの説明。
●「土台」が「上部構造」を決定するとは考えない。
今日の社会を組織するイニシアチブは概ね政治制度から出る。
●工業社会同様に脱工業社会でも様々な政治的・文化的形態が共存。
●本質的社会区分が変化:生産財所有関係から決定権所有関係へ。
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
ここにベルの方法論が具体的に示されている。
すなわち、まず第 1 に、ベルは、生産力重視の社会観、歴史観ではあるが、土台と上部
構造の間や生産力と生産関係の間に、一対一対応を見ない。
「脱工業社会という概念は、一
つの完全な社会秩序を描いたものではない。それは、社会の(経済、技術、成層体系とし
て定義された)社会構造における基軸的変化を記述し説明しようとする試みである。しか
しそのような変化は〟土台〝と〟上部構造〝との間のいかなる特定の決定論をも略示する
ものではない。逆に、今日の社会を組織するイニシアチブはおおむね政治制度から出てく
る。さまざまの工業社会――アメリカ、イギリス、ナチスドイツ、ソ連、第二次世界大戦
後の日本――がそれぞれはっきりと異なった政治的・文化的特徴をもっているように、脱
工業的段階に入ろうとする各社会が政治的・文化的形態を異にする可能性は大きい」
[Bell
1973(1999)、邦訳 165-166 頁]。
第 5 表にあるように、脱工業社会の核心的問題は「科学と公共政策との関係」であるが、
それについて、さまざまにあり得る諸諸社会形態が「異なった方法と異なった目的で解決
できる」[Bell 1973(1999)、邦訳 165-166 頁]と考える。
第 2 に、ベルは、脱工業社会化によって本質的な社会関係にも変化が生ずると見る。
「今
日の西洋社会の本質的な区分は、生産手段を所有する者と均質的なプロレタリアートとの
間のものではなく、政治的、経済的、社会的なあらゆる種類の組織の中で決定権をもつ者
ともたない者との官僚制的・権限的関係である。分けまえを要求し社会的正義を求める各
種の圧力に対応して、こうした関係を運用していくのが政治制度の課題である」[Bell
1973(1999)、邦訳 166 頁]。
39
こうしてテクノロジーを基軸に考えつつも、多様な要因を考慮していく枠組みが提供さ
れた。その際、所有の問題は、経営者革命的な時代状況にあわせて、後景に退けられた。
40
..6.
フクヤマの進化論的テクノロジー史観
ベルにとって、脱工業化の時代は資本主義でも社会主義でもありえたが、フクヤマ
(Franscis Fukuyama, 1952-)にとって、人類社会の歴史は、脱工業化というテクノロジ
ーに導かれて資本主義(自由市場経済)に、ヒトの本性に導かれて民主主義政治に到達し、
この自由と民主主義の体制(リベラルデモクラシー)によって矛盾がなくなるために弁証
法的展開の動力がなくなり、歴史は終わる。
本稿は、フクヤマのこのようなヘーゲル主義的歴史論(歴史は出発点の理念ないし本性
の展開史であるという理論)を現実的に妥当する世界史解釈だとする考え方に与するもの
ではないが、そこで論じられている中身は、経済体制論・社会体制論にとって重要な論点
を提起している、と受け取るものである。
ちなみに、フクヤマは自著『歴史の終わり』
[Fukuyama 1992]について、
「〟歴史の終
わり〝を仮説として考えている」「〟歴史の終わり〝は今も基本的に未解決の問いなので
す」とも語っていた[浅田 1994、35 頁]が、その枠組みはまさに「歴史の終わり」論で
ある。
...進化論的テクノロジー史観
ベルは、経済・政治・文化という社会の 3 領域について「相異なる軸の原則に従う」と
するだけであったが、フクヤマは、マルクス唯物史観の一面やベルのテクノロジー史観あ
るいは脱工業化論を受け継ぎながら、ヘーゲルに依拠して、ヒトという生物の特性である
認知欲望なしい自尊心によって、政治(と文化)の自由民主主義体制への進歩史を付加し
て、両者によって人類史とその終焉を普遍的に説明しようとする。
このようなフクヤマの所説は単に現代ヘーゲル主義とでも呼ぶほうがいいかもしれない
が、マルクスの影響も色濃いことを考慮し、また本稿で取り入れようとする彼の論点を鮮
明にするために、進化論的テクノロジー史観と名づけよう。ここで進化論的という意味は、
ヒトの生物的進化の結果(ヒトの精神的活動上の特性)の解釈に依拠した議論という意味
であるとともに、その内容が、体制発展の歴史を本性実現の道と見る目的論的な、定向進
化的な(orthogenetic)社会進化論であるという意味である。従って、進化論的と言って
も、進化は突然変異とその自然淘汰(環境適合性)によるというダーウィン的な進化論で
はないし、むろん優生学的な進化論ではない。フクヤマにとって、歴史は、途中に寄り道
はあり得るとしても、諸社会が自由民主主義体制に向かう一本道であって、ロストウと同
様に、いわば逆系統樹のような歴史理解である。
この点で市井が叙述するダーウィン[市井 1971、83 頁以下]は非常に興味深い。それ
によれば、ダーウィンの生物学的進化論から 2 種類のヒト社会論が派生した。すなわち、
41
1 つは、「社会学者の H.スペンサーや優生学者の F.ゴードンら」の考えで、自然淘汰、換
言すれば、生存競争による優勝劣敗による非情な進歩を法則と見る。もう 1 つは、ダーウ
ィンその人の考えで、人道主義的な浪漫的理想主義的進化の考え、すなわち、生物的進化
の結果誕生したヒトは、その知的・道徳的能力が自然淘汰を通じてより進化し、それが遺
伝によって固定化し、道徳性が勝利するという考えであった。
市井は、ダーウィンのこのような考えに対して、2 点で批判するが、その第 1 点は後天
的獲得形質の遺伝可能性はないということであり、第 2 点は「人間社会の進歩」と「生物
学的な進化」とは「かなり異なる現象である」ということであった。しかしながら、個体
についてのその種の遺伝や道徳的進化はないと仮定しても、社会的な形の規範の伝承と進
化はありうるはずである。
ところで、フクヤマによれば、
「科学は(それが機械生産という形をとるにせよ、労働力
の合理的組織化という形をとるにせよ)基本的な自然法則によって決まるテクノロジーの
可能性の範囲を指し示すもの」
[Fukuyama 1992、邦訳上巻 148 頁]であって、テクノロ
ジーは労働あるいは生産に適用された科学知識と言えよう。
フクヤマはテクノロジーという言葉よりも「近代自然科学」という言葉を主として使っ
ている。それは、
「科学の知識はじつに長い期間にわたって蓄積されてきたし、よく見逃さ
れることではあるが、人間社会の根本的な特質を形づくる際にも、たえまない影響を与え
てきている。鉄の精錬や農業の技術をもっている社会は、石器や狩猟採集生活しか知らな
い社会とは雲泥の差がある。とはいえ、科学的知識が歴史のプロセスに質的な変化をもた
らすようになったのは、近代自然科学の興隆、つまり 16 世紀から 17 世紀にかけてデカル
ト、ベーコン、スピノザらが科学的研究法を発見して以降のことである」と考えるからで
ある[Fukuyama 1992、邦訳上巻 136 頁]。だが、この一文自体が、近代自然科学以前の
テクノロジーも重要な役割を果たしてきたとしているのだから、本稿ではフクヤマをテク
ノロジー史観に組み入れている。
「科学的知識が歴史のプロセスに質的な変化をもたらすようになったのは、近代自然科
学の興隆、つまり 16 世紀から 17 世紀」からだというフクヤマの強調点は、近代ヨーロッ
パの進歩史観に共通の考え[市井 1971、第 2・3 章参照]を引き継いだものである。この
ことは、目下の私の認識よりもずっと重要であるかもしれないとも思う。
「人間の幸福に究極的にどんな影響を及ぼすかはいまだ曖昧だとしても、近代自然科学
は、広く認められているように累積的かつ方向性を持った唯一の重要な社会的活動である」
[Fukuyama 1992、邦訳上巻 18 頁]。「科学的研究法の発見によって、歴史は同じ道を繰
り返すのではなく、過去から未来へ進歩していくものだという基本的な考え方が確立した。
同時に、ひきつづく近代自然科学のたえまない進歩は、それ以後の歴史発展のさまざまな
側面を説明するにあたっての理論的枠組みを与えてくれたのである」[Fukuyama 1992、
邦訳上巻 137 頁]。
42
フクヤマによれば、こうした近代自然科学の発展は、①科学技術(テクノロジー)優位
は軍事的優位を意味し、従って、戦争の危険のある中で自国の独立を重んじる国はどこも
防衛のための近代化を否定できないということ、②テクノロジーの発展は経済の発展をも
たらし、富を蓄積し人間の無限の欲望を充足することを通じて、それを体験した社会すべ
てに画一的な影響を与えることになった[Fukuyama 1992、邦訳上巻 137-147 頁に詳論
がある]。
科学技術とその国際的普及のこのような位置づけは、唯物史観のうちの生産力発達史観、
従ってまたロストウやベルと同様である。
...歴史の推進力と近代化論批判
フクヤマは、今や世界はすべての独裁を克服しつつあり民主主義実現へと発展している
が、
「科学技術の発展した資本主義が政治的な権威主義と共存している事例も、過去と現在
とを問わず数多く見られる」[Fukuyama 1992、邦訳上巻 20 頁]のだから、テクノロジ
ーの発展によって自動的に民主主義が発展すると言うことはできない、そこで、歴史を方
向付けるものとしてテクノロジーを重視しつつも、いまひとつの歴史の推進力を求めて、
現代的に再生させたヘーゲルを導入する。
マルクスはヘーゲルを唯物論化したと言われるが、フクヤマはマルクスを、唯物論を維
持したまま、ヘーゲル化しようとする。
フクヤマの『歴史の終わり』の所説を、やや図式的であるが、整理すると、次のように
なる:
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
F.フクヤマの進化論的テクノロジー史観
───────────────────
●テクノロジー史観の継承:
・テクノロジー:歴史に方向性と一貫性を与えるメカニズム
狩猟・採集→農耕→工業化→脱工業化
・テクノロジーの影響力の普遍性・画一性
①テクノロジー優位=軍事的優位。国の独立維持に近代化不可欠。
②テクノロジー発展=経済発展=富の蓄積と欲望充足。
中央集権的な国家制度
都市化
伝統的な社会組織形態→合理的な社会組織形態
普通教育の実施
世界市場や普遍的な消費文化の成立
43
⇒
資本主義をめざす普遍的な進化の方向を指し示す
中央集権経済は脱工業化(情報と技術革新が重要)に対応できない
但し工業化が政治的自由や民主主義を生み出す必然的な理由はない
───────────────────
●ヒトの特性:
・ヒトの理性と欲望
:テクノロジー発展の源泉
社会現象としての科学の発展は、好奇心だけでなく、身の安全を
求め無限の財産を求める欲望が科学によって満たされてきたから。
・ヒトの気概(自尊心):「認知を求める闘争」
最初の人間→主君対奴隷→諸貴族社会→普遍的相互認知=民主主義
認知の発生→認知の不完全さ(矛盾)→認知の発展
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
フクヤマは、唯物史観や近代化論、ベルの脱工業社会論を継承している。
まず唯物史観について。
「別の言い方をすれば、社会進歩のメカニズムとは、まったく非マルクス主義的な結論を
もたらしはするものの、歴史に対する一種のマルクス主義的な解釈なのだ。人間が農村か
ら都市に流れ込み、土地ではなく、むしろ大規模な工場や大規模な官僚的組織で働き、先
祖伝来の職業を継ぐ代わりに最高の賃金を支払う会社に労働力を売り、教育を身につけた
り時計のごとく厳格な規律にしたがったりするのは、まさに生産し消費する〟生物界の種
としてのヒト〝がもつ欲望のなせるわざなのである。ただし、もっとも平等な土俵の上で
人々に最大の生産と最大の消費をもたらしてくれるのは共産主義ではなく、資本主義社会
だ、という点がマルクスの解釈とは違っている」
[ Fukuyama 1992、邦訳上巻 222-223 頁]。
ここで彼の言う「もっとも平等な土俵」はおそらく機会の平等のことだろう。彼は、そ
の土俵上で「人々に最大の生産と最大の消費をもたらしてくれる」体制は何か、つまり
「人々」合計にとっての効率と効用という観点から、資本主義と共産主義とを対比してい
る。しかし、マルクスが共産主義によって達成されるとしたことは、各個人の必要の充足
であった(各人にとっての結果の平等)。「人々」合計に最大効用がもたらされたからとい
って各個人の必要の充足が達成されるとは限らない(むしろ資本主義自体においては各個
人の間には必要充足度の過不足が生ずるのが常態である)のだから、資本主義が社会に最
大効用をもたらすからといって、共産主義的理想を実現するわけではない。同時に共産主
義が効率的でないならその理想の達成はままならない。
後述のように、資本主義が社会全体の最大効率と最大効用を達成するだけではなく、そ
れを幾分犠牲にしてでも貧困と疎外、世代間不正義などを克服するためには、資本主義的
経済原理以外の原理による社会改良が不可欠である。歴史的に見ても論理的に考えても、
資本主義原理のみによっては貧困と疎外、世代間不正義などは克服されえないだろう。
44
フクヤマは近代化論については次のように言う。
「もしも、人間が何よりも欲望と理性に動かされる経済的動物だとすれば、当然ながら、
歴史発展の弁証法的プロセスは、社会や文化にかかわらず互いに似通ってくるはずである。
これが、歴史の根底をなす要因を基本的に経済面から見るというマルクス主義の方法を借
用した〟近代化理論〝の結論であった。近代化理論は、学者たちのあいだで激しい批判に
さらされた 15 年ないし 20 年前にくらべ、1990 年時点でのほうがずっと説得力をもって
いるように思える。……しかし、経済的観点から歴史を分析したあらゆる理論と同様、近
代化理論にも不十分なところがある。この理論は人間が経済的動物であるかぎり、そして
人間が経済成長と産業的合理性の要請によって動かされているかぎりにおいて有効なのだ。
……だが人間は、経済的関心とは無縁の動機をももっている。そしてこのような動機が、
歴史を断絶させるような事件(…多くの戦争、…宗教やイデオロギーや国家主義の情熱の
突然のほとばしり)の原因なのである。真に普遍的な人類の歴史とは、幅広く漸進的な進
歩のトレンドだけでなく、歴史発展の予期せぬ不連続面をも説明できるものでなくてはな
らない」[Fukuyama 1992、邦訳上巻 225-226 頁]。
フクヤマは近代化論の代表としてパーソンズ(Talcott Parsons, 1902-1979)を挙げて
いる[Fukuyama 1992、邦訳上巻 302 頁注 34]が、経済面(工業化と成熟経済ないし脱
工業化)では、ロストウの高度大衆消費社会論やベルの脱工業社会論などを挙げている
[Fukuyama 1992、邦訳上巻 310 頁注 2]。アメリカ資本主義をゴールとしたロストウ経
済成長論は経済面の歴史の終わりを説明するのに打って付けの理論であっただろうし、ま
たロストウは、フクヤマについての後述部分に関連するが、離陸の担い手として、
「プロテ
スタント倫理」だけではなく、社会と文化の違う「サムライ、拝火教徒、北イタリア人、
トルコ人、ロシア人、中国の官僚、ユグノー等々」もあることを指摘していた[Rostow 1960,
邦訳 70 頁]。
だが、近代化論、テクノロジー史観だけでは肝心の「経済的関心とは無縁の動機」によ
る歴史展開が説明されえない。というのは、ロストウでは「非経済的な人間的動機」が経
済発展の説明要因として扱われ、ベルは文化を自立的なものとして独立させたにとどまっ
たからである。そこで、フクヤマは、コジェーブ(Alexandre
Kojeve, 1902-1968)的な
ヘーゲル(Georg Wilhelm Friedrich Hegel, 1770-1831)を復活させる。
フランス革命やアメリカ独立戦争を例に「近代化のプロセスに深く分け入っていけばい
くほど、民主主義が経済的理由から選択されるケースはほとんどないことに気づく。……
人々は、いつの時代も経済面を度外視して、民主的権利を獲得するために命や生活を捧げ
て戦ってきた。このような民主主義者なしに民主主義はあり得ない。……普遍的な歴史と
いう考え方をもっと完全なものにするには、たとえそれが近代自然科学に大きく依拠した
ものであっても、近代以前の科学の起源を知り、経済的動物としての人間の欲望のもとに
な っ た 、 さ ら に 深 層 の 欲 望 を 知 る 必 要 が あ る の で あ る 」[ Fukuyama 1992、 邦 訳 上 巻
45
226-228 頁]。
...ヘーゲルの認知欲望論
「歴史発展の根底をなすメカニズムについてのヘーゲルの理解は、マルクスや近年の社
会科学者にくらべてはるかに深い。ヘーゲルにとって人類史の原動力とは、近代自然科学
ではなく、また近代自然科学の発展をうながした無限に膨らみつづける欲望の体系でもな
く、むしろ完全に経済とは無関係な要因、すなわち認知(recognition)を求める闘争(他
者から認められようとする人間の努力)にあった」
[Fukuyama 1992、邦訳上巻 228 頁]。
このヘーゲル的観点によって、戦争や非合理性の噴出といった「歴史の断絶の意味」を
理解することができ、マルクスやテクノロジー史観にある唯物論的歴史解釈にこのヘーゲ
ル的観点を加えることによって、歴史発展のメカニズムの全体像に達することができる、
とうのがフクヤマ説である。
「マルクス同様ヘーゲルも、原始社会が分化し社会階級が生まれることは認めていた。
ただしヘーゲルはマルクスとは違って、もっとも重要な階級の相違が地主か小作人かとい
った経済的役割にではなく、暴力的な死に対する人間の態度にもとづくものだと考えた。
社会は、みずからの生命を進んで危険にさらした主君たちと、それを望まなかった奴隷た
ちのあいだで分けられるというのである。初期の階級社会の成り立ちについてのヘーゲル
の理解は、歴史的に見ておそらくマルクスより正確だろう。伝統的な貴族制社会の多くは
当初、よりいっそうの冷酷無情さと殆虐性と勇気を武器にして定住性民族を征服した遊牧
民族の〟勇士の気風〝から発生したのである」[Fukuyama 1992、邦訳上巻 246 頁]。
しかし、主従関係という形での認知には、認知が得られない従者(奴隷)の側に課題が
残るだけではなく主君の側にも不完全な人間(奴隷)からしか認知が得られないという矛
盾があった。これらの問題は、フランス革命とアメリカ独立戦争がもたらした民主主義の
発展によって克服され、認知が普遍的かつ相互的に成立し、歴史が終わる、と言う
[Fukuyama 1992、邦訳上巻 23 頁など]。
このように、テクノロジー史観は維持されつつも、
「歴史発展の根底」としては認知欲望
が位置づけられる。テクノロジー史観と認知史観の関係の整理は十分ではないように思わ
れるが、人類史全体では後者に力点があるようである。
...憂鬱になったフクヤマ
フクヤマの歴史終焉論の著書は、その「はじめに」にある[Fukuyama 1992、邦訳 13
頁]ように、1989 年の論文[Fukuyama 1989]が元になっている。私はこの論文を見る
ことができていないのだが、バートトラム(Christopher Bertram)らは、論文段階と著
46
書では 2 点の大きな違いがあると言う。その第 1 として、論文段階ではテクノロジー進歩
に力点があったが、著書では認知欲望という精神面が前面に出て、
「隠れマルクス主義的説
明は新ヘーゲル主義的説明に優位を譲った」ということを挙げている[Bertram 1994, p.2]。
ちなみに、バートラムらが指摘する第 2 点は、論文段階のフクヤマは西側の勝利に酔い
しれる様子であったが、著書ではフクヤマの「気分はずっと憂鬱になって」、いわゆる「最
後の人間」の問題に頭を悩ませるにいたったということである[Bertram 1994, p.3]/*/。
/*/ ここでバートラムらは、フクヤマの言う自由民主主義社会での認知は一般的に
は形式的にすぎず空虚かつ不満足なものだと批評する。その際に、いささか不可
解なことに、空虚な認知の比較対象として「例えば日本のような社会行動の強い
きまりのある社会において真の長所と短所を持つ個人に与えられる敬意の差異」
を持ち出す[Bertram 1994, p.3]。
...自由民主主義体制は終点か
言うまでもないことだが、これまで頻出してきたフクヤマの言う「歴史」とは、
「あらゆ
る時代のあらゆる民族の経験から考えても、唯一の、そして一貫した進歩のプロセス」
[Fukuyama 1992、邦訳上巻 14 頁]というヘーゲル的な意味でのそれである。従って「歴
史の終わり」とは、
「歴史の根底をなす諸原理や諸制度にはもはや進歩も発展もなくなると
いうこと」である[Fukuyama 1992、邦訳上巻 15 頁]。要するに、もはや革命とか大き
な制度改革がなくなるということである。
フクヤマは、自由市場主義経済体制と民主主義政治体制の成立をもって歴史の終わりと
するが、仮に歴史に終わりがあるとしても、つまり彼に内在して考えても、そこで歴史が
終わりとは思えない。そうだとすれば、もはやテクノロジーは歴史の推進力ではなくなる
ということになるが、そんなことは考えられず、現代に比べてはるかに高いテクノロジー
に達した時、社会構造も大きく異なっているだろうと考えるほうが自然である。
しかも現在のテクノロジーの延長上で考えても、自由と民主主義だけでは、例えば「正
義」というようなことが実現されているとは言えず、ヒト社会は極めて不安定かつ矛盾し
たものであり、ヒトが社会的「正義」を求めるとすれば、歴史は続くことになる。
ここで「正義」と言うのは、ロールズが設定する社会体制論上の領域のことを言おうと
するものであって、ここではそれを正義論と名付けることの是非やその中身の何たるかは
不問のままである。
さらにヒトの本性が変われば歴史も変わるはずである。
従って、ヘーゲル主義的な歴史理解の枠内で歴史が終わったかどうかを考えるとしても、
(1)歴史は社会的「正義」という類のものの実現まで続くのではないか、(2)ヒトの生物的特
性に歴史の根底的推進力を見るとすれば、その特性が変化する場合には歴史が続くことに
47
なるのではないか(あるいは断絶すると言うべきか)、しかも、ヒトの特性を不変の固定的
なものと考えることは「弁証法的」思考に反するのではないか、(3)そうした根本的な与件
変化がなくても、歴史はテクノロジーの変化につれて続くのではないか、といった疑問が
ただちに思い浮かぶ。
なお、フクヤマは、マルクスにとっては、プロレタリアートの勝利、従ってまた共産主
義社会の成立が歴史の終わりであった、と述べている[Fukuyama 1992、邦訳上巻 125-126
頁 ]。 し か し 、 マ ル ク ス に と っ て 共 産 主 義 社 会 の 成 立 に よ っ て 終 わ る の は 、 歴 史 ( die
Geschichte ) で は な く 、「 人 間 社 会 の 前 史 ( die Vorgeschichte der menschlichen
Gesellschaft)」
[マルクス『経済学批判序言』MEW 13-S.9]であって、むしろそこから人
類の本来の歴史が始まるとされていた。本史としてどのような歴史をマルクスが想像して
いたのかと言えば、上述の「自由の国」論などにあるように、ヒトが、個人として自己を
実現していく枠組みとその実現レベルの発達史のようなことではなかったかと思われる。
...フクヤマの議論の意義:ヒトの本性と社会編成
ヒトの欲望として経済的欲望(と理性によるテクノロジー発展)のみではなく「認知へ
の欲望」を取りあげ、それを社会編成の独自的原理の 1 つ(フクヤマ風に言えば、「歴史」
の推進力の 1 つだが、私はそれを歴史理論に閉じこめる必要はないと思う)と見る考え方
は高く評価すべきであろう。フクヤマの議論の最大の功績は、私見では、そのようなヘー
ゲル由来の考え方を、ヘーゲルのような観念論的展開としてではなく、唯物論的に展開し
たことである。唯物論的といっても、経済的土台論という唯物史観の意味ではなく、こと
がらを脳神経科学で扱いうるようなものとしたという意味である。
脳神経科学が急進展している現代においては、ヒトという生物のアイデンティティを求
める性質、エゴイズムやそろばん勘定の心、エゴイズムと併存する連帯心や正義感覚、等々
が、哲学者の直感としてではなく科学的に解明される日も遠くないだろう。
フクヤマはさしあたり、認知欲望について哲学に根拠を求めた。
「認知への欲望などとい
うと、一見とっつきにくい考え方に思われるかもしれない。だがそれは西欧の政治哲学の
伝統と同じくらい古く、人間の個性のなかのじつになじみ深い一部を占めている。この考
え方はプラトンの『国家』のなかではじめて描かれた。プラトンは、人間の魂には欲望、
理性、そして彼の言う thymos(テューモス)すなわち〟気概〝の三つの部分があると述
べたのだ。人間の行動の多くは最初の二つの部分、つまり欲望と理性の組み合わせで説明
できる。欲望は人間に自分の持ち合わせていないものを求めさせ、理性もしくは計算は、
それを手に入れる最善の方法を教える。けれども人間はさらに、自分自身や自民族やさま
ざまな物事の価値、あるいは自分が価値をおくような原理を認めさせたいと望む。自分自
身になんらかの価値をおき、その価値を認めさせようとする気質は、今日の一般的な言葉
48
でいえば〟自尊心〝とも呼べるだろう。自尊心を覚えるという気質は、魂の〟気概〝の部
分から生じる。それは、人間に生まれながらに備わつている正義の感覚のようなものであ
る。……ヘーゲルは、このような感情が歴史のプロセス全体を動かしていると考えたので
ある」[Fukuyama 1992、邦訳上巻 22 頁]。
ロストウのナショナリズム論もこの辺りに位置づけうる。フクヤマも、
「自由主義経済に
ついても同じことがいえる。西欧の自由主義経済の伝統においては、労働はこれまで人間
の欲望の充足や苦悩の救済のためにおこなわれる本質的には不快な活動と考えられてきた。
だが、たとえばヨーロッパの資本主義を作り上げたプロテスタントの企業家たちや、明治
維新以降に日本を近代化させたエリートたちに見られる強い労働倫理を持ち合わせた文化
のなかでは、労働は認知のための行為でもあった。今日にいたるまで多くのアジア諸国で
の労働倫理は、物質的な動機ではなく、むしろその社会の土台をなす(家族から国家にい
たる)重層的な社会の諸集団が労働に対して与える認知に支えられているのだ。このこと
は、自由主義経済の成功がたんに自由主義的な原理・原則にもとづいているという点だけ
でなく、その成功のためには不合理な〟気概〝という形能が必要だという点をも指し示し
ている」[Fukuyama 1992、邦訳上巻 26-27 頁]と言う。
要するに、経済的欲望および理性にもとづくテクノロジーの発展と、認知欲望と理性に
もとづく政治的発展とがあざないあわされて、歴史を作ってきた、ということである。但
し、上記のフクヤマでは認知欲望=気概=正義感覚であるが、認知欲望が優越願望である
限り、それが階級社会の発生源ということなのだから、それを正義感覚と等置するわけに
はいかないはずである。正義感覚にとって必要なのは優越願望ではなく対等願望である。
ところで、上記のように、認知欲望についてフクヤマはヘーゲル哲学に依拠した。フク
ヤマは、近代自然科学による歴史の説明は、「科学的研究法の発見にはじまる過去 400 年
かそこらの人類史」にすぎず、
「 普遍的な歴史という考え方をもっと完全なものにするには、
たとえそれが近代自然科学に大きく依拠したものであっても、近代以前の科学の起源を知
り、経済的動物としての人間の欲望のもとになった、さらに深層の欲望を知る必要がある
のである」[Fukuyama 1992、邦訳上巻 227-228 頁]。それは、ヘーゲルが明らかにした
認知を求める人間の欲望、あるいは自尊心であると言う。
ここまではヘーゲル回帰であるが、その先がある。
「もしも近代自然科学の教えを真剣に受け止めるなら、人間の王国は自然の王国に完璧
に依存し、同時に自然の法則によって決定されているということになる。人間の行動はす
べて、究極的には下等動物の行動や心理学、人類学によって説明がつくし、さらにそれら
は生物学と化学、そして究極的には自然の根源的な力の働きを土台としていると説明され
るのである」[Fukuyama 1992、邦訳上巻 251 頁]。
人間本性論についても、いずれ生物学や脳神経科学を含む近代自然科学による「唯物論
的」解明が進む。そうすると、
「人間の自由な選択の可能性」を信じ「精神的な現象は物質
49
の運動の力学に単純に還元されはしない」というカントやヘーゲルの考えはどうなるのか、
という問題については、「われわれの現段階での能力や意図を越えている」と言いはする
[Fukuyama 1992、邦訳上巻 251-252 頁]が、フクヤマは、あくまで唯物論にとどまる。
当初の「隠れマルクス主義」からヘーゲル主義に力点を移した(上記のバートラムらの表
現)という面もあるのかもしれないが、はなはだマルクス的なままに見える。
かくて、本稿にとってのフクヤマの意義は、第 1 に、ヒトの脳の理性機能のみではなく
本質的な心理特性というものの重要性を現代社会科学に蘇らせたこと、第 2 に、テクノロ
ジー史観の維持の正当性と必要性を改めて明確にしたことである。
「歴史が終わった」とい
う彼の考察の帰結やその前提としてのヘーゲル的な歴史理解そのものには、後述のように、
与することはできない。
長年共産圏を観察して思うことの第 1 は、すべての共産圏諸国において「怠ける競争」
が発生したこと/*/と、他方で、壁が開放されるや否やただちに欠勤率がさがったことに象
徴されるように、ヒトのそろばん勘定(経済心理)というものの重要性であった[詳しく
は青木 1992、39・303-304・327-328 頁参照]。その際ポジティブな経済的刺激(ボーナ
スなど)も重要ではあるが、ネガティブな刺激(失業や倒産の恐れなど諸ペナルティ)が
即効性をもつ。体制にそろばん勘定をうまく利用するメカニズムがないと、その経済はう
まく機能しない。
/*/ モア(Thomas More, Sir, Saint, 1478-1535)はユートピアへの疑問として「自
分の利益という観念があればこそ仕事にも精を出すのですが、他人の労働を当て
にする気持ちがあれば自然人間は怠け者にならざるをえません」と語った[More
1516, 邦訳 64 頁]。革命前にこのことのあるを予測したレーニンは国家統制で制
御しようと考えた[青木 1992、327 頁]。
第 2 に、いわゆる反体制派の根強い運動の根本は経済的不満と民主化要求であって、両
面が絡んでいたことである。経済的要求(例えば、ポーランドの食品値上げ反対)に発し
た運動でも、民主化要求(独立労組の認知や、最後には議会選挙改革など)に展開した。
物質的欲望の充足の点で共産圏では最高の位置にあった旧東独においては反体制運動は、
最初から物質的要求よりも自由と民主主義の要求が主眼であり、1980 年代末に前面に出た
主題はまず選挙の不正追及、次いで、旅行の自由化、自由への渇望であったが、それは西
側の物質文化への渇望でもあった。
第 3 に、「一寸の虫にも五分の魂」と言うが、西側の物質文化と自由にあこがれて西側
に合流したのだけれども、西側に入ってしまってからは、東側出身者は、旧来の東側に由
来するアイデンティティの承認(認知)を求めた。
第 4 に、弾圧覚悟で反体制運動を担った人々は、そろばん勘定で動いたわけではなく、
殆どが自我意識(認知欲望か?)の発露として自由と民主主義を要求して立ち上がった。
そもそもロシアにせよ西欧にせよアジアにせよ、どの時代の革命家たちも、そろばん勘定
50
で命をかけたわけではない。
つまり、欲望(と、その裏返しとしての「怠ける競争」、総じて、そろばん勘定という心
理)と、認知要求(疎外の克服、自己実現)や連帯心、正義感覚といった心理が、共産圏
を生む革命をもたらし、また同時にソビエト型体制を瓦解させた。
どの国でも、ヒトは、一方で、よりよい収入を求めてあくせくするが、同時に、いわゆ
るボランティア活動や共同体作業などに参加して、収入抜きに、あるいは支出してでも、
自己の連帯心や正義感覚、奉仕心、自尊心などといったものの充足を求める。
もっとも、認知欲望は常に歴史を進めるというわけでもないだろう。歴史の審判を受け
た行為への参加(例えば日中戦争に出兵)であっても参加者(兵士)はそこに何とかして
己の生の意味を見出そうとする(戦死は犬死にではなかったとして認知を求める)ことが
ある。
山之内靖はフクヤマの議論を、
「 西欧近代の絶頂において時間性を停止させるという後期
コジェーヴの西欧中心主義をそのまま繰り返しているのであり、いまさら物の役に立つよ
うなものではない」[山之内 1993、52 頁]と片付ける。
確かに、それは、西欧中心主義であるように見える。私がそう思う理由は、彼の歴史の
論理的な終点が現実には西欧において到達された社会であるということよりも、認知によ
る支配の説明は近代西欧の不可欠の構成要素である帝国主義の弁護論になりかねないとい
うことにある。世界各地における長年の西欧の帝国主義的な支配と収奪、あらゆる不法も、
認知の一形態あるいは認知欲求の発露と言うのであれば、それはいかにも西欧美化、帝国
主義美化である。しかし、この種の美化の可能性は国内での支配関係についてもあてはま
るのだから、フクヤマの議論の問題点は西欧美化というよりも、あるいは西欧美化に加え
て、支配の美化ということになる。
認知の展開によって支配関係を説明しようとするなら、支配される側に与えられる苦
痛はやむをえないもの、あるいは自己責任の苦痛(命を惜しんだ結果として奴隷を選んだ
等々)とされかねない。仮に初代奴隷は自己選択であったとしても(現実にそういう問題
ではなかったが)、奴隷の子として奴隷となった者には自己責任論は通用しない。後述の市
井の人間史論とは全く対照的な議論である。
山之内は続けて、
「その点でむしろ読みでがあるのは……バリー・クーパーの『歴史の終
焉:現代ヘーゲル主義に関するエッセイ』(1984 年)である。……(スターリニズム体制
と現代アメリカ多国籍企業のもとでの均質化と平準化を歴史の終焉とする--引用者)クー
パーの議論は、少なくとも、〟歴史の終焉〝を西欧近代の絶頂と重ね合わせ、そこに留ま
ってしまう類の自己満足とは、交わるところがない」と評価する。
柄谷行人は「世界史がひとつというのは、もともと無理なわけです。……ああいう〟世
界史〝は、ロマン派以来の美学的な統合の形式にすぎないと思います」と評する[浅田 1994、
230-231 頁]。
51
同書の中で、柄谷は、1986 年初めの「ポストモダニズムと日本」に関するボストンでの
会議で「アラン・ウルフが、コジェーヴのヘーゲル解釈、〟歴史の終わり〝の後には世界
が〟日本化〝するだろうという予言を取り上げていた。フランシス・フクヤマがコジェー
ヴを使って〟歴史の終わり〝を言い出したのはそのあとです」と言っている[浅田 1994、
212-213 頁]。
しかし、私は、フクヤマの議論は、その諸欠陥にもかかわらず、経済体制、あるいはよ
り一般に社会体制の考察に活かせるのではないかと考え、上記のように評価する。山之内
も、フクヤマの論述に「現代世界の位置づけに関する豊かな情報とその整理のあざやかさ」
は認めるところである[山之内 1993、52 頁]。
フクヤマの所説は、テクノロジー史観とヘーゲル的人間本性史観の接合であるが、しか
し前者について彼は、近代自然科学を「歴史の進歩の〟舵取り役〝」と見なすことはでき
るが、
「まかりまちがっても歴史の進歩の究極的な原因だと考えるのは許されない。もしそ
んなふうに考えたなら、〟どうして近代自然科学にそんな力があるのだ?〝という疑問に
すぐさま突きあたってしまうだろう」とも言う[Fukuyama 1992、邦訳上巻 148 頁]。
この問いへの彼の答えは、
「人間が科学を追い求めてきた理由」は、人間の持つ好奇心だ
けのせいではなく、
「身の安全を求め無限の財産を求める欲望が、その科学によって満たさ
れてきたからだ」ということである[Fukuyama 1992、邦訳上巻 148 頁]。つまり、テク
ノロジー進歩も安全と富への欲望というヒトの心理特性に由来するのであり、そのような
欲望が理性を突き動かして科学技術を進歩させてきたと言う。ここではロストウの所論が
はるかに巧みに説明されている。
このようなフクヤマの所説から、歴史そのものと、歴史の舵取り役としてのテクノロジ
ーを取り除くと、フクヤマの考えるヒト社会の構成原理が残る。それは、安全や富の欲望
と理性(両者が相まって技術と経済が展開)、そして認知欲望(自我意識)と理性(両者が
相まって社会の政治的仕組みが展開)ということになる。上記のようにこれらはいずれも
重要な社会構成原理であるが、現代のヒトには普遍的に存在するかに見える正義感覚や連
帯心なども考慮されるべきだろう。
ちなみに、川本隆史によると、アリストテレス(Aristoteles, BC.384-322)は、
「人間の
特徴は正義・不正義の感覚をそなえていることにあり、何が正義かについての共通の了解
に参加することが〈ポリス〉をつくり出す」と記し、次節で取り上げるロールズは、それ
を引き合いに出し、さらに、「正義感覚を人間の原初的な性向の所産と考えたルソー(『エ
ミール』第四篇)に着眼」し、ジャン・ピアジェの児童心理学やウィトゲンシュタインを
足がかりにして、私憤・公憤・友情・相互信頼などの基礎として「道徳的人格性の基本的
側面である〟正義感覚の能力〝」の存在を主張した[川本 1997、99-100 頁]。
...資本主義の自己修正能力
52
フクヤマないし新ヘーゲル主義的な意味での終焉の地はリベラルデモクラシーの体制、
すなわち、民主主義的政治のもとでの資本主義的自由市場経済である。そこで達成される
経済体制は社会の効率と効用の最大化である。功利主義的な意味での善(効用の大小)は
解決されるが、
「正義」実現の保証はない。パレート最適は、いかなる所有関係、いかなる
所得配分状況でも成立するわけだから、その達成がただちに配分的正義の実現を意味する
わけでも、いかなるパレート最適点でも社会が安定するというわけでもない。また、民主
主義は重要なことであっても、それ自体は手続きであって、民主主義政治が達成すべき社
会倫理の中身が問われなければならない。
革命は自由と民主主義の欠如に対してだけではなく、物質的窮乏や社会的不正、政府の
社会的課題の解決能力不足などに対する抗議としても発生してきた。共産圏でも自由と民
主主義の欠如への怒りだけではなく、消費財不足や政府・共産党の不正・腐敗への人々の
怒りも体制転換に大きな役割を果たした。そのようにして歴史が積み重ねられてきたのだ
から、ヘーゲル主義的な歴史理解の場合でも、少なくとも「正義」のようなものが実現さ
れるまでは歴史が続くであろうし、しかも、
「正義」の具体的内容とそれを実現する社会的
な仕組みも歴史的に変化すると思われるので、そうだとすれば歴史は容易に終わらないだ
ろうと推測する方が自然であろう。
その際、つまり、今後の「正義」といったものの追求の結果、社会体制・経済体制が民
主主義政治と資本主義経済から別種のものに変わるのか変わらないのかということについ
ては、解答を出すには時機がまだ熟していないと考えるべきであろう。
それは資本主義の自己修正、自己適応の能力にかかっている。
これまでのところ、資本主義社会の政治体制と経済体制はきわめて有能な自己修正能力
を示してきた。この点にソビエト型体制との決定的な違いがある。ソビエト型体制にあっ
ては、自己修正が自己否定となった(例えば、経済的に必然的な理由から私営を容認せざ
るをえなかったが、その結果として雇用と財市場および資本市場の部分的容認、さらには
それらの容認の拡張、に至らざるを得ず、国有計画経済体制という理念とその実現形態が
浸食された)。
資本主義の本質的な方向性の 1 つはいわゆる独占資本主義への傾向であり、それは自由
な市場メカニズムの否定である。つまり、資本主義は市場メカニズムの産物かつ実現形態
であると同時に、市場メカニズムの破壊者であるというアンビバレントな性格を持ってい
る。資本主義の持つ市場メカニズム破壊的な側面が野放しにされるなら、資本主義は自己
を食い尽くすであろう。しかし、これまでの資本主義史は、このような傾向の貫徹を、独
占禁止・競争促進の諸政策によって繰り返し阻止することができることを示してきたのみ
ならず、技術革新による既存経済秩序の破壊が繰り返されるという自由な経済活動の結果
そのものによっても独占を打破してきた。
53
また、資本主義はその市場経済的優勝劣敗のメカニズムにより貧富の格差を増幅するの
であるが、これまでのところ、労働者の身体的・精神的能力の枯渇(利潤のためにはより
過酷な労働条件が望ましいが、それは生産力と軍事力の源である労働者の労働力能を奪う
ことにもなる)や労働者ないし植民地の不満による革命の危機を、ビスマルク的社会保障
やイギリス救貧政策、ケインズ的方策、福祉国家政策、選挙権の普及や労働立法の充実、
国際的な経済援助機構の充実などによって、凌いできたのみならず、そのことによって多
くの場合経済成長力を増進させた。
環境問題についても同様である。資本主義は環境破壊的であるが、資本主義のもとでこ
そ(共産圏においてではなく)環境対策が進んできた。それは、資本主義経済体制がヒト
の自尊心や正義感覚、連帯心などに支えられた民主主義政治と組み合わせられているから
であると同時に、環境ビジネスや環境志向というブランドイメージが利益につながるとい
う社会状況を作ることができたからでもある。
こうした資本主義の自己修正能力、改良能力は今後も発揮され得るだろう。そうである
なら、社会改良はあっても、脱資本主義という意味での社会革命にはならない。だが、そ
うした社会革命があるともないとも断言するほどには、
「歴史」の現段階は熟してはいない
と思われる。
同じく資本主義と言っても、ビクトリア期英国と現代英国、戦前日本と戦後日本を比べ
れば、そこに歴史の歩みを見ないわけにいかない。現代スウェーデンと現代米国を比べて
も、資本主義の多様な歩みを見ないわけにはいかない。1960 年代における米国での公民権
運動、ウーマンリブ、貧困との闘いとそれらの成果、帝国主義を打破した幾多の戦いとそ
の戦果は大きな歴史の歩みである。資本主義統計が GNP から GDP に転換したことも帝国
主義終焉に絡む資本主義変質を象徴するものの 1 つである。
むろんフクヤマ的歴史観では、1 つの指標(例えば相互認知)のみをもって人類史を普
遍的に区切るのだから、これらすべてに歴史の歩みは見られないのだが、そうした見方は
結局は現状の弁護論にしかならないのではないか。歴史が終わるとすれば、現状(もし将
来歴史が終わるとすれば将来時点の現状)こそ最適社会であり、もはや社会改良の余地は
ないという観念、諦観を産み出すことになる。そうした考えは社会発展の可能性の探求を
閉ざすとともに、フクヤマやロストウが示したように、虚無感を産むことにもなる。
他方で、バートラムらは、フクヤマの言う認知欲望の充足やロールズの正義の原理の実
現は資本主義とは両立しないと断言する[Bertram 1994]。しかしそのような論理もポパ
ーの言う「想像力の貧困」であり、かえって社会的課題の先送りになるだけではないか。
フクヤマの議論を評価するために、今後体制変動(革命)があるかどうかを確定予言す
る必要はないし、しようとしても今それをするだけの機は熟していない。
そのことがはっきりしなくとも、大きな社会的課題(例えば「正義」というようなもの
の実現)があるなら、歴史はさらに進む。
54
既に述べたように、私はヘーゲル的な歴史観やその結論としての歴史の終わり論に与し
ない。だが、たとえヘーゲル主義的な史観を採用しないとしても、社会編成原理の 1 つと
して「認知欲望」ないし自尊心等々の人間的心理や「正義」のような問題を考えることは
ぜひ必要である。
ヒトが生み出すテクノロジーとヒトの脳の生物的な特性(理性、欲望、利己心、気概、
連帯心、正義感覚など)、これらが社会編成の基本的要素であり、個々の地域や民族などと
いったものが積み重ねてきた文化と伝統がそれらを色々に修飾し変形させる要素であろう。
では、社会的「正義」とは何か、そういった領域の問題は経済体制論にどうかかわるの
か、この点を次節で考えてみる。
55
..7.
ロールズと市井の正義論と社会体制
...なぜ正義が必要か
経済体制あるいは社会体制にとってなぜ「正義」が問題となるのかについて、ロールズ
(John Rawls, 1921-)は、ヒトの協働(相互依存)と利益関心(利己心、自己利益追求、
そろばん勘定)の矛盾のためだと言う。彼にとって協働自体が利益関心の産物であるが、
それゆえに協働の成果をめぐって利己心がぶつかる。
「社会には、相互の有利化を求める協働事業ではあるが、利害の一致と共に利害の対立
が生じるという、際立った特徴がある。社会的協働は、全ての人々に、一人で努力して一
人で生活する場合よりもよい生活をもたらすことができるから、利害の一致がある。人々
は、共同作業によって産み出されるより多くの便益がどのように分配されるかについて、
無差別ではいられないから、利害の対立がある。それは、各人が自分の目的を達成するた
めに少ない取り分よりも多い取り分の方を選好するからなのである。有利性のこの分割を
決定するさまざまな社会的取り決めの中から選定を行ない、適正な分配上の取り分につい
ての合意を取り付けるためには、一組の原理が必要とされる。これらの諸原理が、社会正
義の諸原理である。つまり、それらは、社会の基本的諸制度における権利と義務の割り当
て方法を提供し、社会的協働の便益と負担の適切な分配を定めるのである」[Rawls 1999
(1971)、邦訳 4 頁]。
従って、「正義」とは、「基本的な権利と義務を割り当て、社会的協働の便益と負担の適
正な分配と思われるものを決定する」ところの「一組の原理」である[Rawls 1999 (1971)、
邦訳、4-5 頁]。協働が、利益関心のない無償の連帯心の産物であれば、こうしたことは問
題にならないはずである。
彼によれば、「正義」は社会体制存続の唯一の条件ではなく、「正義」は社会的協働にお
ける利己心の制御の役割を受け持つのであって、そのほかに、特に、調整(各人の計画と
活動の相互両立)と効率(社会目的の効率的達成)と安定(人々によるルールの受容と違
反排除)の問題がある。しかしながら、
「何が正義に適い、何が正義にもとるかに関してあ
る程度の合意がないならば、相互に便益のある取り決めを確実に維持するために、個々人
がそれぞれの計画を効率的に調整することは、明らかに、一層困難である」と言う[Rawls
1999 (1971)、邦訳 5 頁]。
...シクの利益関心論
こうした考えについて、共産圏を観察してきた人々は、おそらくシク(Ota Sik, 1919-)
56
を想起するのではないだろうか。シクの考えでは、各労働者集団(企業)は固有の利益関
心を持ち、それを社会の利益との一致の方向に導くためには計画経済体制に市場メカニズ
ムを導入することが不可欠であった[Sik 1967、Sik (Feinstein) 1967]/*/。
/*/ シクの著書には 4 冊の邦訳出版がある。そのうち最後のものは
[Sik 1987]である。また[古河 1984]に主著の紹介がある。
1960 年代初めにシクの利益関心の理論が登場した時は、旧東独にも大きな影響を与えた。
1966 年に出版されたそのドイツ語訳前書きでは、当時の東独の党(SED)中央委員会付
属社会科学研究所所長であったラインホルト(Otto Reinhold, 1925-)/*/が、
「ドイツ民主
共和国における包括的な社会主義建設の際に我々は、今や社会的必要と、社会主義社会の
個人・グループ・集団の物質的利益関心との一致が、経済的・社会的発展の決定的な推進
力であるということから出発する。しかし残念ながら、これらの利益関心とその発生・発
展、その構造、その作用と管理についてのマルクス主義的な原理的研究が今まで存在しな
かった。この分野での社会科学的研究の立遅れが、国民経済やその他の社会生活分野の管
理の実践においてはっきり感じ取られる障害だと分かった。シクのこの本は、経済学の分
野でこの問題を扱い重要な理論的寄与をした最初の著作の 1 つである」と絶賛した[Sik
1966(1962)]ものである。
/*/ この社会科学研究所は 1976 年に党中央委員会付属社会科学アカデミーと改称
したが、改称後も体制が崩壊する 1989 年までラインホルトは同アカデミー総裁
であった[Mueller-Enbergs 2000, S.691; Eppelmann 1996, S.46]。
このような率直な物言いも当時(ウルプリト末期)の東独にはあったのだが、ドイツ語
訳出版の 2 年後には、シクを副首相とするチェコスロバキアに対してワルシャワ条約機構
軍が侵攻し、そこには旧東独軍もいた。バカンスを取ってアドレア海岸にいたシクはその
ままスイスに亡命した。
シクの目的は人間的な社会主義であり、いわば社会主義に「正義」をもたらそうとした
とも言えるのであるが、その際、利益関心あるいは人間的欲求の経済学的研究を基礎にし
た。
シクは計画経済における集団利己心を社会調整するメカニズムとして市場メカニズムを
考えたのに対して、ロールズは、市場システムを資本主義と社会主義にかかわらず必須の
経済メカニズムと考えつつも、それを補整するために社会契約によって正義の原理を実現
する必要を説く。このスタンスの違いは、体制経験の違い、主たる批判的検討の対象の違
いによるだろう。
...「正義」概説
ここでロールズを取り上げるのはその理論そのものを検討したいというよりも、体制論
57
に「正義」論のようなカテゴリーを取り込みたいということからである。ロールズについ
てはわが国でも多くのすぐれた先行研究があるのみではなく、広く読まれているであろう
寺島実郎の著書でも取り上げられ、
「日本再生の基軸」として「〟正義の経済学〝ふたたび」
ということが言われている[寺島 2001]ほどである。
ロールズ研究者渡辺幹雄は、結論的には、ローティ(Richard Rorty, 1931-)に同意し
て、ロールズ正義論は、経済的に豊かな社会の社会民主主義的リベラリズムの体系化、そ
の学問的武装であり、
「それ以上でもそれ以下でもない」と言う[渡辺 2001、412 頁]。周
到綿密な渡辺の研究結果であるゆえになるほどとも思うが、この「武装」の質とか強度の
評価はどのようなものであるにせよ、
「正義」についての現代的な社会科学的土俵の設定と
その普及そのものが大きな意義を持っていると思われる。私のような政治哲学や倫理学の
門外漢でさえ触発された。
以下の本稿は、「正義」ないしはその基礎をなす人間的心理を経済体制論として取り込
みたい、そうすることがソビエト型体制の失敗の教訓を生かす道であるし、唯物史観を修
正発展させる道だという本稿の前節までの考えを幾分先に進めようとして、正義論そのも
のを、はなはだしく不十分ながら、扱ってみようとするものである。
ところで、我々にとって「正義」という概念は使い慣れたものではないので、あらかじ
め概論的な整理をしておきたい。
碓井によると、「近代個人主義の立場では、善とはまず何よりも個人の選択する善であ
る。一方、正義とは社会経営のルールにかかわる概念である」[碓井 1998、70 頁]。つま
り、善(good)が個人的価値(観)の充足であり、各人が各人の善を追求する際の社会運
営ルールが正義(justice)であって、「正義は究極的な価値ではない。それは社会的福利
や個人の尊厳といった価値を実現する条件」である[碓井 1998、71 頁]。
個人の自由であるべき善を社会的に制約する思想や社会体制が全体主義であり、そこに
は「プラトンの理想の共和国」や「ファシズム、ソ連型社会主義国家、イスラム原理主義
国家,それにある種のコミュニタリアニズム」が含まれると碓井は言うが、ポパーからすれ
ばマルクスもそうである。
もう少し具体的に「正義」をイメージしたい。碓井によると、
「正義」は次のように分類
できる[碓井 1998、第 4 章]。
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
主要な正義:
──────
(1)応報的正義:
人間の行為には,それにふさわしい報いが与えられるべき。
∼
「目には目を,歯には歯を」
「人間関係の相互的,互恵的性格を反映した社会維持の中核的原理」
58
(2)交換的正義:
市場経済における交換(契約)のルール=市場における信用秩序
適法であれば契約の内容は問わない
契約当事者の合意の問題であり他者(権力)は介入しない
合理的判断を自由に下せる主体が前提
(3)配分的正義:
結果調整原理としての正義
交換的正義の結果としての格差の是正(富の再配分)
根拠:交換主体の確保(交換的正義が正常に機能する条件でもある)
交換による富は社会的協働の結果でもある(富に応じた負担)
(4)矯正的正義:
犯罪への刑罰の程度など
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
経済体制にとって問題なのは交換的正義と配分的正義である。
交換的正義においては、適法であれば契約の内容は問わないとのことである。しかし、
何を、どのように交換するのかということは社会体制によって異なるのであり、適法性の
中身が問題になるだろう。例えば、現在では、昔と違って、どの世界でもヒトがヒトその
ものを交換対象とする(奴隷売買)ことは不法である。資本主義では、ソビエト型体制と
違って、個々のヒトが労働(力)を交換対象とする(近代的雇用関係)ことは適法である。
また、碓井は市場経済のみを取り上げているが、共産圏にも交換は存在したのだから、
それに類した世界も視野に入れて検討すべきだろう。雇用は共産圏では理念的には不法で
あった(但し実態的には国家による雇用のような現象が生じたのみではなく、小規模な雇
用を含む私営経済が必至であった)。
生産財を交換対象とすることも共産圏では原則的には禁止であり(現実にはかなりの私
営経済が生産財を所有していたし、適法外の広範な第二経済も存在した)、そこでは大部分
の消費財のみが交換対象であった。その上、交換対象たる消費財でも自由な交換ではなく、
計画経済体制内の交換(計画的な供給と国定価格によって規制された交換)のみが適法で
あった。
しかし共産圏崩壊後の世界については私有財産制が前提となり、生産財も交換対象であ
り、自由な市場交換が主たる交換様式である。
生産財の交換という場合に、生産財そのものの売買は消費財売買と同様に理念的には等
価交換であるが、資産家が生産財を投資し、雇用も活用して、生産をおこなうと、生産物
は生産財の所有者(資本家)の所有になり、その販売が順調であれば、それによって投資
額の回収だけではなく利潤も得るということが資本制私有財産制の特徴である。そこでは、
生産と販売の結果生じる剰余(利潤)の所有権も資本家にある。労働の提供者(長期雇用
59
であれば、労働の出資者と考えることもできる)は労働の交換対価を受け取るが、生産物
と利潤の所有へのシェアは認められていない。
そこに搾取があるというのがマルクスの主張であった。所得についての限界生産力説か
らすれば、それは搾取ではなく、各生産要素の限界生産力に応じた所得分配であって、搾
取も不法もないが、限界生産力説にも批判が強い[例えば三土 1993、7.3 節、より詳しく
は三土 1984 参照]。マルクスの搾取論にも大きな問題がある。
ここでも、つまり交換のうちでも、正義が論じられる。この点は配分的正義とかかわる
が、論理的には別個の事柄だろう。
いずれにせよ、正義は私有財産制と密接にかかわって論じられてきた。このことについ
てやはり碓井[碓井 1998、第 5 章]に依って整理すると、以下のようになり、ホッブス
とルソーが両極に、その中間にヘーゲルがいた。
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
正義と契約と私的所有:
───────────
ホッブス:正義の本質は有効な契約(交換)、従ってまた所有権を守ること。
ルソー
:正義の規則は私有擁護のために作られ、「弱者に新たなくびきを,
富者に新たな力を与え,天賦の自由をすっかり破壊し,私有および
不平等の法を永久に確定する」
ヘーゲル:市民社会の 3 側面
①労働による他者と自己の欲求の満足(経済的側面)
②司法による所有の保護(法律的側面)
③前二者に含まれる偶然性(生まれや肉体的条件等による貧困)を
福祉行政と職業団体によって緩和(正義が問題となる側面)
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
...マルクスの正義論:ある解釈
では、マルクスはどうか。
マルクスとソビエト型体制についての碓井の考え方は、
「 ソ連型社会主義の全体主義的性
格と自由の欠如を根本で規定していたのは、開発主導の官僚統制的計画経済である」が、
「このようなソ連型社会主義をマルクスの社会主義と無関係のものと考えることはできな
い」ということである[碓井 1998、150 頁]。
なぜか。
「ロールズの正義論がそうであるように、自立した諸個人とかれらの自由、人権
の尊重こそ、近代市民社会におけるあらゆる正義論の必須の前提であるが、個人の自立と
自由を阻む要因にはさまざまなものがあげられる。この点でまず総括されるべきは、既存
60
社会主義の体制とマルクス主義の哲学である。というのは、わたし自身の問題意識は個人
の自由の最大限の尊重を条件とする、社会主義的な規範哲学を追究するところにあるが、
既存社会主義は社会主義とは無縁でないばかりか、重要な点でマルクス主義的社会主義に
忠実であろうとしていたからである」[碓井 1998、149-150 頁]。
このような見方、すなわち「既存社会主義は社会主義とは無縁でないばかりか、重要な
点でマルクス主義的社会主義に忠実であろうとしていた」という見方は、私の従来からの
主張と共通のものである[本稿「はじめに」参照]。しかし、既述のように、マルクスの正
義や平等の扱いについては碓井の意見に同意できない。
碓井の解釈では、マルクスは正義や平等という概念に本質的に否定的であった。という
のは、第 1 に、彼らの社会主義は正義を含む抽象的な理念の実現(それは空想的社会主義
とみなされた)ではなく、歴史の必然的な発展の結果であり、第 2 に、正義概念の普遍的
性格はマルクス主義の階級的立場と矛盾する、つまり、社会主義は正義のような抽象的理
念から導き出されるものではなくプロレタリアートの階級的利益の追求の結果なのであり、
階級性こそマルクス主義的社会主義を規定する基本性格であり、第 3 に、マルクス主義の
基本理念は正義や平等ではなく、自由や自己発達にあったからである。但し、マルクスも
社会主義段階では配分にかかわる正義の問題が重要問題として残るとは考えていたが、そ
れも、大事な問題は生産手段の所有形態であり、分配は結果にすぎないとの立場の枠内の
考えであった[碓井 1998、141-145 頁]。
自由や自己発達について碓井が言うには、マルクスにとって重要なのは「人間の能力の
全面発達」であって、それは「自由や個性の観念とは密接に関連するが、平等とは直接関
連するものではないということである。各人の能力は自由に発達するのであって、平等に
発達するわけではない。……それどころか、平等が画一化へと転化するとき、それは個性
の発揮にとって障害となる恐れすらあるのである」[碓井 1998、143-144 頁]。
しかしながら、マルクスの将来社会像の中で自由と平等が対立していたとは到底言い難
い。マルクスが「自由や自己発達」を重視していたということ自体はその通りであるが、
正義と平等について本質的に否定的であったとは言えない。碓井のそうした考えについて
は本稿第 3 節で少し詳しく触れ、その問題点も指摘したところである。
碓井は、彼独自のマルクス正義観解釈の上で、
「マルクスのように正義論を社会主義段階
の暫定課題としてではなく半ば普遍的な課題としてとらえねばならない」と言う。ここで
碓井が、マルクスにとって正義論は社会主義段階の暫定課題であったと言うのは、第 3 節
で述べたように、正確ではないので、言いがかりの感もあるが、そのことはさておくとし
て、碓井が正義は「半ば普遍的な課題」であるとするのは、社会主義哲学者ゆえに、資本
主義時代のみならず社会主義、共産主義になっても残る課題という意味である(なぜ「半
ば」かの説明はないように思われる)。だから、正義が「半ば普遍的な課題」であることの
理由も、将来再び社会主義革命や共産主義革命がありうることを前提とした言い方になっ
61
ている。すなわち、①資源限界と環境問題のため社会主義が成立しても生産力拡大が配分
的正義の問題を解消しえない、②既存社会主義の崩壊は経済的合理性確保には市場経済を
必要とすることを教えた、従って私有財産制を前提とした富の配分問題(配分的正義)が存
続する、③階級が消滅した共同社会でも個人間、世代間、階層間の矛盾があり、さらに市
場経済存続のもとでは利害対立は永続する、④国家が抑圧的な性格をなくしたとしても、
富の配分などの国家機能に国民がどのようにかかわるのかという問題が残るからだと言う
[碓井 1998、145-148 頁]。
私有財産制と市場経済メカニズムにもとづく社会主義とはいったい何であるのかといこ
とも問題ではあるが、今はロールズに向かうべきところなので、さておくとしよう。碓井
のこれらの理由付けから社会主義云々という言葉や階級消滅云々という言葉を取り去って、
より一般的に表現すれば、ロールズの社会想定たる「正義の環境(the circumstances of
justice)」、つまり正義を必要とする客観的、主観的社会環境に近い内容になる。
...ロールズの「正義の環境」
ロールズの「正義の環境」[Rawls 1999 (1971)、第 22 章]は、客観的環境と主観的環
境とからなる。まず「人間の協働を可能にし、必要にする客観的環境」は次の 4 点である。
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
ロールズ「正義の環境」の客観的環境:
──────────────────
(1) 多数の個人が有限な地理的領域に共存
(2) 彼らは似通った肉体的、精神的能力を持ち、他者を支配できる者はいない
(3) 彼らは攻撃にもろく、他者の連合した力によって自分の計画を妨害されやすい
(4) 広範な状況における穏やかな稀少性(moderate scarcity)
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
ここで言う穏やかな稀少性は、諸資源が協働(cooperation)を不要とするほど豊富では
ないが、どんな事業も破綻してしまうほどに苛酷な少なさではないということであり、相
互に有利となる取り決めは可能であるが、それが生み出す便益は、各人の要求をすべて満
たすほどではないということである。
従って、ここでは、共産主義者が夢見た意味での、つまり、ありあまるほどに豊かであ
って各人の必要を十分に満たすことができるという意味での、
「必要に応じた分配」は不可
能である。しかしながら、ロールズの正義の環境が一般的に「必要に応じた分配」を排除
しているというわけではないだろう。というのは、事情によっては、一部の稀少財(例え
ば食料)を各人の必要度に応じて(体力事情に応じて、あるいはかつてのソ連でのように
肉体的重労働の度合いによって、あるいは子供とか病人を優先して、等々)分配すること
62
はありうるからである。
稀少性がなければ配分問題は発生せず、他方、極限状況では、例えば 1930 年代集団化
後のウクライナの飢饉や文化大革命時の中国では人肉すら食らう状況であったが、そうし
た時と所では正義を必要としても可能とはしえないだろう。
主観的環境、つまり人が一緒に働くことの主観に関連した環境は、以下の 4 点である。
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
ロールズ「正義の環境」の主観的環境:
──────────────────
(1) 彼らは似通ったまたは補完し合う必要性や利益を持つ(利害一致、協働可能性)。
(2) 彼らは自身の人生計画(善 the good)を持つ。そのため異なる目的や意図をもち、
自然的、社会的資源に対して対立する要求をするようになる(利害対立)。
(3) 彼らの計画によって増進される利益(the interests)は、特定自我への利益関心
(interests in the self)ではないが、自我というものが持つ利益関心(the
interests of a self)である。
(4) 彼らの知識、思考、判断は完全ではなく、また不安や偏りや先入観、道徳的な欠点
(自分本位)によって歪められがちである。その結果彼らは異なる人生計画を持つ
ばかりでなく、哲学的、宗教的信念や政治的社会的信条も多様に存在する。
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
この第 3 点については、公刊された訳書によらず、私の解釈による訳である。
このような正義の客観的・主観的環境作りは、哲学者たるこういう人たちはこういうふ
うに考えるのかと思うと、大変面白い。実際の歴史に照らした時、一体どのような社会状
況なのだろうか。人々が貧困にあえぐ状況ではないが、完全に満ち足りているわけでもな
い。人々は独り立ちはできず、似たもの同士なのだが、各自固有の利益関心と価値観を持
ち、人生設計を持っている。いわば総中流の教養人の集まりといった状況かに見える。
不当な支配関係や抑圧を排除し、貧富などの社会的格差を是正する配分的正義を考える
時に、このような等質的な社会状況を想定するのは矛盾ではないか。これほどの「環境」
にあれば、いかなる正義も容易に成立するのではないか。
上記の主観的環境に明示されてはいないが、ロールズの議論の大前提は、
「あらゆる人は
同じ正義感をもっており、この点で、秩序ある社会は同質的である」
[Rawls 1999 (1971)、
邦訳 206 頁]ということである。むろんこの正義感は善なり価値観とは別次元のことであ
るが、同じ正義感があり、それによって正義の原理には原初状態では万人が同意するとさ
れている。
たしかに彼の正義の環境にあってはそうかもしれないし、
「正義感」には、たしかに普遍
的な内容もあると思う。が、
「正義感」は、時と所によって異なる面もあるのではないだろ
うか。いつも一律普遍かつ不変だろうか。その時々の社会あるいは歴史の状況によっては、
63
白人には白人の、大金持ちには大金持ちの、米国大統領には米国大統領の、レーニンには
レーニンの正義感覚があるということになるのではないか。正義にも普遍性と歴史性、文
化性があるのではないか。
...ロールズの正義の原理
では、ロールズの言う普遍的な正義感の定式化たる正義の原理はどのようなものか。
ロールズは経済の原理としては効用原理を認めながら、正義の原理は効用原理あるいは
功利主義とは異なるものだとする。彼の正義の原理自体については日本でも今や少なくな
い紹介がなされているので、ここでは要点を載せるだけにする。
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
ロールズの正義の 2 原理(最終的な形):
───────────────────
●第 1 原理:各人は、基本的自由の体系に対する平等な権利を持つべきである。その基
本的自由は、他の人々の同様な自由の体系と両立しうる限りにおいて、最大限広範囲でな
ければならない。
●第 2 原理:社会的、経済的不平等は、次の 2 条件を満たすように取り決められるべき
である。
(a)正義に適う貯蓄原理と矛盾せずに、最も恵まれない人の便益を最大化すること。
(b)公正な機会の均等という条件の下で、全ての人に開放されている職務や地位に
付随していること。
●第 1 優先ルール:自由の優先。基本的自由は自由のためにのみ制限されうるのであり、
制限には 2 つの場合がある。
(a)自由の範囲が狭くなるのは、全員が持つ自由の体系全体の強化のためでなければ
ならない。
(b)平等でない自由は、自由がより少ない人々にとって受け入れうるものでなければ
ならない。
●第 2 優先ルール:効率性や福祉に対して正義が優先。公正な機会は、格差原理に優先
する。これには 2 つの場合がある。
(a)機会の不平等は、機会のより少ない人々の機会を高めるのでなけれぱならない。
(b)過剰な貯蓄率は、この困難を負う人々の負担が、差し引きして緩和されるのでな
ければならない。
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
これはロールズ『正義論』46 章からであるが、訳は、矢島訳[Rawls 1999 (1971)、邦
訳 232 頁]をもとに他の訳も参考にしながら若干修正し、また一部簡略化した。
64
こうした正義原理についてのロールズの考え方は、次の文章からよく分かる:
「効用原理は、相互の有利化のための平等な人々の社会的協働という概念とは両立しな
い」。
「私はその代りに、原初状態にある人々は 2 つのかなり異なる原理を選択するであろ
うと主張したい。第 1 原理は、基本的な権利と義務の割り当ての平等を求め、他方、第 2
原理は、社会的・経済的不平等(例えば富や権限の不平等)は、すべての人とりわけ最も
不利な立場にある社会構成員の便益を補う結果になる場合にのみ、正義に適うと考える。
これらの原理は、一部の人々の困難は全体の善の合計がより大であることによって埋め合
わせられるということを理由に制度を正当化することを認めない。一部の人々は他の人々
を成功させるためにより少ししか保有すべきではないということは、得策であるかもしれ
ないが、正義にもとる。しかし、少数の人が得るより大きな便益は、それによってそれほ
ど幸運でない人々の状況が改善されるとすれば、何ら不正義ではない。全ての人々の安寧
は、それなしには誰も満足できる生活ができない協働の仕組みに依存しているから、有利
性の配分は、不遇な人々を含めて、そこに参加している全ての人々の自発的協働を引き出
すようなものでなくてはならない、というのが直観的な観念である」
[Rawls 1999 (1971),
p.13、矢島訳 11 頁を参考に一部改訳]。
彼は政治経済学的考察を続けることによって、正義に適った社会制度の基本を設計しよ
うとするが、
「われわれは、政治経済学の若干の道徳問題に関わるのみである。例えば、次
のように問おう。時間を通じた適切な貯蓄率は何か、課税や財産の背景となる制度はどう
取り決められるべきか、ソシアル・ミニマムをどの水準に設定すべきかと」[Rawls 1999
(1971), p.234、邦訳 207 頁]。
正義の原理の意義は、それによって直ちに社会体制が設計されるということではなく、
むしろ、
「それは、諸制度を評価し、社会変化の全体的方向を導くための標準として役立て
ることができる」ことにあるとロールズは言う。彼によれば正義の原理がそうした標準た
りうるのは、「正義の 2 原理が現存する願望や現在の社会状態を条件としていない」から
であり、そのように「現存の環境からの独立という必要条件を達成することができる」の
は、
「社会的基本財(権利、自由、機会、所得・富、自尊心をさす--引用者)への願望とい
ったような一定の一般的願望を仮定し、適切に定義された原初状態においてなされる合意
を基礎とすることによって」である[Rawls 1999 (1971), p.232、邦訳 206 頁、訳一部変
更]。
「現存する願望や現在の社会状態」からの独立、これがロールズの正義原理の条件であ
る。もしも社会的基本財への願望が普遍かつ不変的に「基本」であれば、それに根ざす正
義の 2 原理も普遍かつ不変的であるということか。
哲学ではこういうことでよいのかもしれないが、我々には、西のロールズ論評として第
3 節で触れた正義の現実的根拠と正義実現の条件、さらに加えて、基本財の内容、いま少
し具体的な原理内容(特に正義に適う貯蓄原理とソーシャル・ミニマムの設定が問題とな
65
るが、原理の理解によってはあまりに強い内容あるいはあまりに無内容にならないか)の
議論がほしい。また、正義の 2 原理はロールズ想定の「原初状態」では満場一致で合意さ
れると言われるが、そうか。似たもの同士を集め、その上無知のベールをかければ、たし
かにそうかもしれないが、もしそこでは満場一致になるとしても、そのことが現実を拘束
できるのか、つまり普遍性や実現の保証になるのだろうか。原初状態にのみ通用するとい
うことにはならないのか。それに、後述の市井の論点をクリアできるか。等々。私にはこ
れからの検討課題である。
ここでロールズは世代間正義を適正な貯蓄率(正義に適う貯蓄原理)の問題としていた。
この点でその後ロールズに議論の発展があったのかどうか私は目下知らないが、1987 年の
国 連 ブ ル ン ト ラ ン ト 委 員 会 ( WCED: World Commission on Environment and
Development)報告書は、世代間正義の対象を貯蓄だけではなく、様々な環境資源に拡張
した[WCED 1987]。この報告書は、その他の点でも「正義」に絡む多くの論点と考え方
を提示している。
広井良典[広井 1999、第 3 章 2]は、ロールズの結論(特に第 2 原理(a))には異存が
ないようである[同、128 頁]が、利己的個人はそのままにして「無知のベール」をかぶ
せることによって正義を導くという方法、つまりロールズ的な原初状態を想定するという
方法そのものに異論を唱え、利己的個人を超えた外在的立場から規範を根拠づける(充足
されるべき欲求の序列付け)べきだとしている。ブルントラント報告においても「基本的
欲求」という概念が重要な役割を果たしている[WCED 1987]ように、欲求の序列とい
うことは一理ある考えだと思われる。ただ、ヒトの利己性を枠組みからはずすという方法
のほうがロールズの方法よりも優れているかどうかについてはまだ留保したい。
種々疑問もあるが、ロールズの正義の 2 原理は、ヒトの二面的本性(利己心と連帯心)
に支えられ、かつ生産力発展と相乗りしうるものだから、少なくとも現代社会体制の評価
尺度と改革指針の 1 つとして意義を持つものだと思われる。それより何より、しばしば言
われているように、社会的「正義」を論ずる現代的土俵が彼によって提供されたこと自体
が貢献である。
...ロールズの正義の経済体制
ロールズ『正義論』第 42 章は「経済体制についての若干の所見」である。その大意は
以下のようである[Rawls 1999 (1971), p.239-242、邦訳 211-213 頁]。
(1)自由市場(需要と供給によって価格が自由に決定される市場システム)の利用と生産
用具の私的所有との間の結びつきは歴史の偶然であってに本質的ではなく、少なくとも理
論的には、社会主義体制も市場システムの利点を利用しうる。
(2)自由市場の利点の 1 つは効率性の達成である。
66
(3)「市場システムのもう一つの、より重要な利点」は、それが「平等な自由および機会
の公正な均等と両立する」ことにあり、そのもとでは職業選択の自由や経済的権力の分権
化が可能である。
(4)但し、一般均衡の必要条件は高度に特殊なものであって、現実の世界で満たされるこ
とはめったになく、市場の失敗や不完全性が重大であることが多く、独占、情報の欠如、
外部性、公共財等々の問題がある。
(5)市場システムは私的所有体制と社会主義体制(生産財と自然資源の公有)双方に共通
しているので、価格のもつ配分機能と分配機能とを区別することが必要である。社会主義
の下では公有制度ゆえに後者は大幅に制約されている。
(6)私的所有体制と社会主義体制、それらの多くの中間的形態のどれが正義の要請に最も
よく応えるかについての一般的回答はない。それは各国の伝統、制度、社会勢力、歴史環
境に大きく左右される。正義論はこれらの問題を含まない。正義論にできることは「いく
つかの変種の余地のある正義に適う経済体制の輪郭(the outlines of a just economic
system that admits of several variations)」を描くことである。
ロールズは正義のための「理想的な仕組み(the ideal scheme)」は、私有財産制度と社
会主義体制(公有制)のいずれでも可能だが、市場システムは不可欠だと言う[Rawls 1999
(1971), p.242、邦訳 213 頁]。それは効率の達成と「職業選択の自由という重要な自由」
の擁護のためである。
彼は第 43 章で市場システムへの「若干の社会主義者」の反対論に言及している[Rawls
1999 (1971), p.248-249、邦訳 218 頁]。そこで表明されているロールズの考えは、第 1 に、
「市場は理想的な取り決めではないが、必要な制度的背景があればいわゆる賃金奴隷的な
最悪の諸側面は除去される」のだから、少なくとも選択対象たり得るのであって、価格に
よるコントロール(市場システム)を選ぶか、官僚制によるそれ(「社会的規制システム(a
socially regulated system)」、計画経済システム)を選ぶかという選択の問題であり、市
場システムは「非人格的で自動的(impersonal and automatic)である」からこそむしろ
優れている、ということである。
第 2 に、社会主義者の市場システム反対論は、人々の「社会的かつ利他的関心(social
and altruistic concerns)」に依拠して計画経済を作るという考えを伴っているが、それは
ヒトについての間違った認識である、ということである。
ヒトの「社会的、利他的な動機(social and altruistic motivation)の強さ」には「はっ
きりした限界(a definite limit)」があるのであって、人々は「正義に則って行動したいと
思っている反面、彼らの利益を断念する気もないのである」。
ロールズのこうした二面的なヒト認識は、共産圏を見てきた我々の実感に非常に適合し
ている。しかしながら、市場制社会主義というものは、ユーゴスラビアを含む共産圏の諸
実験からすると、実現不可能だと思われる。せいぜい、現今の中国の「社会主義市場経済」
67
でしかないであろう。
しかし、中国のその「社会主義市場経済」は、破綻したソビエト型体制が完全な資本主
義体制に移行する過渡期に生じているものであり、衰退しつつある国有企業と発展しつつ
ある私営企業、私営企業にしばしば被せられる「赤い帽子」
(私営企業に対する国有企業や
官公庁との各種連携の強制や、国有企業間の弛緩した金融倫理の私営への強制的波及など)、
そしてこれらの折衷を可能とする共産党独裁体制から成る一時的例外的現象である。
そうだとすれば、ロールズの本来の仮定のとおり、正義にみあった「体制(the regime)
は財産所有制民主主義(a property-owning democracy)」[Rawls 1999 (1971), p.242、邦
訳 213 頁]の枠内に限られるということになる。
...市井による進歩史観検討
ところで、ロールズ『正義論』原書初版が出版された 1971 年には、市井が『歴史の進
歩とは何か』を出版している。
市井のこの著書を貫くモチーフは、「アルジェリア解放の闘士であった黒人、故フラン
ツ・ファノン」の、
「たえず人間を語ってやまなかったヨーロッパ、たえず人間に心をつか
うと公言してやまなかったヨーロッパ――その精神の獲得した勝利のひとつひとつに、人
類はどれほどの苦悩を支払ってきたか、今日われわれはそのことを知っている」という言
葉[市井 1971、12 頁、市井が鈴木道彦他訳『地に呪われたる者』みすず書房、181 頁か
ら引用]に示されている。
それは、近代ヨーロッパの進歩(繁栄)はアフリカやアジアにおける犠牲(貧困と抑圧)
と一体であるという観点から、単純な進歩史観を批判しつつ人間史の進歩とは何かを問う
著作である。
「人間も生物の一種として、その生存を維持してゆくためには、功利主義的選
択基準をつねに無視していいわけはない。だがその基準……のみに放任されるならば、F・
ファノンがいったように、〟人種的憎悪、奴隷制度、搾取、そしてとりわけ 15 億の人々
を排除することで形成される流血のジェノサイド〝が実現してゆくだけなのである」
[ 市井
1971、137 頁]。
市井は、各種の「進歩史観」を、「非情的自然主義型」と「浪漫的理想主義型」とに分
類し、そこへ「進歩様相の時代画期」の取り方の違いも考慮しながら、それぞれの特徴を
描く[市井 1971、72-82 頁]。マルクスの理論の大部分は前者に区分される。しかし、そ
の思想の人間的動機は後者だが、その理論は前者であるという彼のカント宛の言葉は、マ
ルクスにも当てはめられているように読める。
マルクスやダーウィンにいたるまでの諸進歩史観の検討を、市井は、ダーウィンが、そ
の著書の末尾で、人間の進歩についての困惑を告白していることを紹介して終える[市井
1971、95-97 頁]。
68
それら諸進歩史観のパラドックスの些細な検討の結論は、第 1 に、ある社会の科学技術
進歩が他の社会の災厄(退歩)をもたらす傾向があったということと、第 2 に、倫理的進
歩先行の社会は滅びる(退歩)
(古代仏教社会やマヤ文明、カルタゴなど)ということであ
る。つまり人間史は進歩と退歩の併存であった。
科学技術は「進歩」してきた(但しこのこと自体も直線的にではなく)が、
「人間歴史の
全体にはいっこうに明瞭な〟進歩〝の様相が確認できない」ことから、
「人間史全体の進歩
を測る尺度としての、新しい価値基準」の必要を提言する[市井 1971、201-202 頁]。
人間史の進歩の不明瞭さは、従ってまた進歩史観のパラドックスは、人間自身の生物的
能力(前頭葉の発達)のパラドックスおよび人間的諸理念のパラドックスのゆえである。
すなわち、前者としては人間の理性的能力と非理性的能力の矛盾の問題が説明され、後者
としては、自由・平等・博愛・多数決(民主主義)、さらには正義も、すべて、社会的な「現
実的パラドックス」を持っていることが説明される[市井 1971、第 6 章の一部と第 7・8
章]。
市井が検討した正義論はボールディング(Kenneth Ewart Boulding, 1910-)の次のよ
うな「社会的正義」である。
(1)人間の真価に対応する酬いがなされねばならないこと。
(2)いかなる人間にも仲間はずれの扱いをしてはならぬこと。
これは基本的には応報的正義論であったが、市井は両項目は容易に二律背反に陥ると言
う。
...市井の新しい価値理念:進歩の基準
こうした一連の検討から、
「人間の諸社会をすべて含んだ人類の全体の歴史について、な
おも〟進歩〝がなされたといえるような可能性は、したがってつぎのような場合に限定さ
れてくるだろう。つまり他集団へ災厄をもたらさないような科学技術上の進歩と、自滅を
もたらさないような倫理的尺度上の進歩とが、期せずして調和的に実現したといえるよう
な場合(可能性)である」という結論が述べられる[市井 1971、105-106 頁]。
この結論にもとづいて「進歩の基準」としての「新しい価値尺度」が提案される。少し
長くなるが、引用したい。
「個々の人間には、単純に感性的な次元からして、〟あれがいい〝〟こうあってほしい
〝という欲求・願望が生じるものだ。つまりカントがいった〟自然的性向〝である。その
欲求を満たすことができれば、〟快〝つまり当人にとっての心地〟よさ〝=〟善〝
(goodness)が結果するのは自明である。だが規範倫理学とは、個々の人間の主観的な心地
〟よさ〝=〟善〝を論ずるものではない。その主観的〟よさ〝=〟善〝なるものが、どの
ようにして相互主観的(つまり社会)な〟よさ〝=〟善〝となりうるか、という問題を解
69
こうとするものなのである。
だが、古代ギリシャのエピクロスをはじめ近代の J・ベンサムらも、その相互調和を考
える点で最大の難問に出くわしたのだ。多数の人間の心地〟よさ〝=〟善〝なるものの総
量を計算する方策を、エピクロスははじめから断念した。個々の人間についてだけ、最大
の〟よさ〝(アタラクシア)を達成する計算をかれは考えたのである。だがベンサムは、
社会成員の全部についてその計算をおこなおうとして、よく知られた袋小路に追いこまれ
た。
量的な計算方法だけが難かしい、という種類の問題ではないのである。主観的な心地よ
さ(快)なるものは、あまりにも人々によってちがいすぎるだけではなく、同一の人間に
とっても、ある欲求の充足がつづくと、それをもはや同じような心地よさとは感じなくな
るのだ。だからある社会の多数の成員の心地よさ=満足=幸福=〟善〝なるものを間断な
く増大させようとすれば、何人かの当の社会の成員は、少なからぬ苦痛をともなう努カ−
−心地よさ=快=幸福などと直接的には異なる努力−−をあえてひき受けねばならなくな
る。
だから問題を解こうとする方向を、いわば 180 度転換した方がよいのではないか。人間
の歴史的・社会的生活において、より普遍的に経験されているのは、〟苦〝の方であって
〟快〝ではない。〟快〝の経験が人によってちがうという分散度よりも、ある特定の時代
に多くの人々が共通して体験するいわば苦痛の集中度の方が、より重大なのではなかろう
か。
したがって人間社会の規範倫理学は、〟快〝の総量をふやすことを指向するよりはむし
ろ、それぞれの時代に特有な典型的〟苦〝(痛)の量をへらす、という方向へ視座を逆転
すべきではないのだろうか。
そして普遍的な倫理的価値といったものがありうるとすれば、少なくともある特定の時
代に特徴的な〟苦〝の除去を説くことによって、当の時代における〟普遍性〝−−それは
当の時代に相対的なものではあるが、当の時代の圧倒的多数者によって支持されるという
意味で、限定されつつも普遍的といえるだろう−−を主張することができるのであろう。
さらに可能であれば、ある特定の時代だけはなくて、継続した数時代にわたって、そこ
に共通して見出せる特徴的な〟苦〝からの解放の欲求を定式することもできるだろう。そ
れができれば、そこに定式化される倫理的価値理念は、前記の場合よりもさらにひろく、
〟普遍性〝の要請に合致するといえるであろう。
そのような倫理的価値理念とは、エピクロスやベンサムらが想定したような、〟苦〝一
般からの解放ではない。私見によれぱ、それは、各人(科学的に〟ホモ・サピエンス〝と
認めうる各人)の責任を問われる必要のないことから受ける苦痛を、除去しようとする欲
求となってあらわれるのである」[市井 1971、138-140 頁]。
快楽であれ善であれ効用であれ、そういったものの増進ではなく、苦痛の削減に視座を
70
転換する、これが市井の主張の第 1 点である。
「現実にそう欲求されている、という自然的事実だけからは、けっして価値理念は生じ
ないのである。加害者の側と被害者の側とを、くまなく認識する視座によってこそ、〟普
遍的〝価値理念が誕生する。被害者の側からしても、不法な相手集団に属する人間は、そ
の生命と健康とを奪い去ろうとするのが、自然な欲求なのではなかろうか。そうなればあ
とは、むき出しの力の法則が支配するだけである。
物理的被害を受けない場合にも、社会的身分のちがいや信条・皮膚色のちがいから、異
なる集団とみなされる側への憎悪は、執拗に絶えないのである。わたしのいう価値理念は、
すべてこの種の、内奥における差別をより根本的に排除することを目指している。どのよ
うな人種・民族・階層の一員として生まれるかは、各人の責任を問われる必要のない事柄
である。また幼少時に、どのような文化パターンの鋳型にはめこまれるか−−特定の言語
で思考し、特定の社会感情を身につけ、多くの場合、特定の宗教に結びつくようにさえさ
せられること−−は、これまた各人の責任を問う必要のない事柄なのだ。
その種の事柄から人間がこうむる苦痛は、これまでなんと巨大なものであったことか。
そしてまもなく説明するように、今なお巨大なものでありつづけている。この事実そのも
のは、経験的認識の領域に属する。だからさきにのべた経験的(探究の)合理性を、完全
に発揮しうる知的領域である。したがってわたしの提起したい価値理念のうち、いわば純
粋に倫理的な部分は、その種の苦痛を減少させようという提案、そしてそれを減少させる
ためには、みずから苦痛を負う覚悟の人間が出現せねばならないという自覚をうながす部
分(前記の定式化だけでは、この点暗示的にとどまるが以下参照)なのである。
だがいちおうは区別しうるこれら認識的部分と倫理的部分の二つも、じつはたがいに深
く結ばれあっている。しかしより重要なのは、歴史的理性が確認した規範を、人間主体の
実践力で遂行せしめるところの、ほとんど宗教的(もっともひろい意味で)とさえいって
いい自覚の問題であろう。これだけは、学間的ないとなみからはみ出るのである」[市井
1971、142-143 頁]。
つまり、市井の主張の第 2 点は、加害側と被害側の複眼ということと、第 3 点は、苦痛
一般ではなく自己責任によらない苦痛の削減に焦点を合わせること、第 4 点は、またその
ことによってすべての人間を「人間」とみなすこと(「未開人」や非キリスト教徒、奴隷な
ども人間である)、第 5 点は、そうした価値理念の実現には人間の主体的努力が肝要であ
ること、である。
以上の諸点を考慮して、「《各人(科学的にホモ・サピエンスと認めうる各人)が責任を
問われる必要のないことから受ける苦痛を、可能なかぎり減らさねばならない》というわ
たしの倫理的価値理念」[市井 1971、143 頁]が結論される。これは市井にとって人間史
の進歩を測る基準でもある。フクヤマの認知史観(認知の完成度が歴史の進歩の基準)の
持つ支配美化の傾向と比較した時、市井のこの価値理念の意義はきわめて鮮明である。
71
この価値理念は、市井によれば、既成の価値理念に比べて 4 つの差異(=優位点)を持
つのだが、その普遍性の論証には「過去の人間歴史をどうとらえるかについて、新しい視
界を提供する必要がある」と市井は言う[市井 1971、143-145 頁]
「その視界の一つ」として(一つ、とはいえ二つ目以下は述べられていない)、「洋の東
西を問わず人問の歴史には、
《すぐれた伝統形成→形骸化→革新的再興》という共通したダ
イナミックスが、長期的に観察することができるという視点」が挙げられる。
「わたしはそ
れを、さまざまな地域史の具体的多様さにもかかわらす、〟世界史の根源的な指向共通性
〝と呼んでいいと考えている。そしてこの〟指向共通性〝の根拠として、人類諸社会には
あらゆる文化パターンのちがいにもかかわらず、ある共通的な価値理念への指向が伏在す
る、と考えていいのではないかと考えている。これまであからさまには自覚されなかった
にせよ、文字どおりの世界史が形成されるにいたった現代こそ、その種の指向を過去のも
ろもろの地域史から読みとり、より普遍的なかたちに定式化する必要が感じられる。わた
しがさきに提起した価値理念は、まだ試行的なものにすぎないとはいえ、右に指摘した人
類共通の指向なるものを、わたしなりに定式化したつもりなのである」[市井 1971、145
頁]。
つまり、市井にとって、世界史は今日ようやく現実となろうとしているものであり、そ
の趨勢は、市井の言う価値理念の実現である。
「そう考えるわたしの理由(つまりわたしが提案する価値理念の認識的側面)は、つぎ
のような諸命題に要約することができる。
(1)社会集団を形成する人間は、歴史のあらゆる時代において、人為的・自然的諸原
因によって、みずからの責任(科学的因果関係の見地よりする責任)を問われる必要のな
い事柄から、おびただしい苦痛をこうむってきた。
(2)思想史の初期においては、それらの苦痛があまりにも遍在するものであったため
に、それらの苦痛を甘受すべき苦痛として正当化する理論(呪術的・形而上学的な諸理論)
がさまざまに構想された。奴隷は主人より本性上劣る存在であるがゆえに、奴隷化される
ことが当然だ(アリストテレス)、というたぐいの理論・理屈である。あるいは、現世の苦
痛を前世の悪行の報いだ、と説くような議論である。
(3)それらの思想も、苦痛をこうむる当人たちに、苦痛を受けるだけの理由・責任が
ある、ということを強弁しているわけだ。したがって裏がえしにいえば、真に責任を問わ
れる必要のない事柄から受ける苦痛は不条理である、ということを暗に含意しているとい
っていい。
(4)たとえば人間の奴隷化をやめさせる、といったかたちで旧来のある種の不条理な
苦痛を軽滅させる思想変化が起ったときには、多くの場合、当の思想変化には、従来にな
かった新しい不条理な苦痛を創り出す傾きがあった。例をあげれば、人間の平等観を拡張
する〟普遍〝宗教が、異教徒にたいする新しい憎悪を創り出すたぐいである。
72
(5)前項のような逆説性は、近代科学的思考の誕生にさいしても見られた。因果の不
明な事象−−したがって人間が責任の負いようもない事象−−から受ける不条理な苦痛が、
科学的探究の誕生によって軽減されはじめたことは評価しなければならない。しかし科
学・技術の成果を自己集団のエゴイズムに利用することによって、他集団にかつてなかっ
たほどの不条理な苦痛を負わせる、という反面もまた成長した。
(6)近代の市民革命がもたらした成果にも、類似の逆説がみられる。世襲身分制の廃
止とか、社会的機会の均等化といった変革によって、人間は素姓・毛なみなど自分の責任
でない事柄からこうむる不条理な苦痛を、大はばに軽減することができた。だが〟機会の
平等〝といったことを、抜け目なく利用して、実力者となるものたちの権力によって、新
しいかたちの現実の抑圧が生じたのである。
(7)〟歴史の進歩〝と称されることには、このように執拗な逆説性がつきまとってき
た。そのような事態に、自覚的にとり組み、逆説性を少しでも減らすことによって不条理
な苦痛を真に減殺する方策が、新たに探究されねばならない。だが人類の過去の歴史に見
られる程度にせよ、人間の不条理な苦痛を軽減する試みは、つねに創造的な苦闘を必要と
した。
(8)だから、ただ単に苦痛一般をなくしようという理念は、みずからを実現するため
に必要な創造的苦闘をも(理論的に)否定することになり、論理的自家撞着におちいって
しまう。不条理な苦痛を軽減するためには、みずから創造的苦痛をえらびとり、その苦痛
をわが身にひき受ける人間の存在が不可欠なのである」[市井 1971、146-148 頁]。
市井とロールズには、ベトナム反戦の時代、そしてまた公民権運動とウーマンリブ、貧
困との闘いの時代という同時代の産物のせいか、共通性があるように思われる。しかし市
井の議論のほうが、ヨーロッパ近代への鋭い批判を基礎としているという点で、よりラデ
ィカルな立論である。
快楽あるいは善、効用等々の増進ではなく苦痛の軽減に進歩の基準を見るという市井の
議論は、重要な視点の提示であり、また、それは「正義」論を豊かにする可能性も持つと
思われる。
しかし、
「各人の責任を問われる必要のない」苦痛とは一体何なのか、ということは難問
である。その上、そのような苦痛が全くないか、あまり多くない場合には進歩の基準はど
うなるのかという問題が残る。それらを含めて、社会体制論ないし経済体制論として成立
させるためにはまだ議論すべきことが多くあるようにと思われる。
従って、市井の提案は、それによってパラダイムを転換するというよりは、進歩や正義
についての議論を豊かにする視点の追加と位置づけるべきではないかと思われる。
また、彼の価値理念が世界史の趨勢であるということの実証も果たされていないように
思われる。残された者の課題であろう。
73
..8.
まとめ
以上の主な内容は次の通りである。「はじめに」は問題設定の説明であり、「1.移行:
最初の 10 年」は体制転換後の旧ソ連東欧諸国の経済状況の簡単な外観である。
「2.唯物史観」は、まずいわゆる唯物史観の公式の内容を確認した上で歴史法則主義的
な客観主義と革命家的な能動主義の問題を抽出・検討した。
「3.ポパーと道徳的ラディカリズムとマルクス」は上記の問題についてのポパーの見解
の検討から唯物史観弾力化の方向を見出しつつ、歴史法則主義ではない穏和な歴史主義の
必要と道徳的ラディカリズムの重要性を主張した。この節その他において、碓井のマルク
ス解釈およびソビエト型体制認識を検討した。
「4.ロストウの経済成長史観と未来像とマルクス」は、マルクスからベルやフクヤマへ
の橋渡しとしてのロストウ、およびロストウやフクヤマの未来像とマルクスの将来社会像
の違いを検討した。
「5.ベルのテクノロジー史観と多様性論」においては、マルクスやロストウとの批判的
継承の関係を見ながら、唯物史観弾力化のイメージをより具体化した。
「6.フクヤマの進化論的テクノロジー史観」は、フクヤマの歴史終焉論に与するもので
はないが、彼の社会編成分析視点(テクノロジーや理性だけではなく本質的な人間的心理
を重視)は有効であるとした。
「7.ロールズと市井の正義論と社会体制」において人間の本質に関わる正義ないし価値
理念と社会編成のかかわりを検討した。ロールズに関わってシクにも言及した。
以上における考察の最も主要な点は、つぎのようなことである:
第 1 に、マルクス主義の根幹思想である唯物史観は、あまりに硬直的な一直線史観であ
ったし、その将来予測は歴史の事実によって破綻した。しかし唯物史観を全面否定するの
ではなく、その生産力発展史観(テクノロジー史観)は維持しつつ、久野・市井の提言や
ベルの方法を参考に枠組みの弾力化をはかることが妥当である。それを穏和な歴史主義と
名付け、それは系統樹のようなイメージであるとした。
言うまでもない事と思うが念のために付言すると、テクノロジー史観とはただ単にテク
ノロジーの進歩を見ることではなく、本文では詳論していないが、テクノロジー史観の本
来的な内容はテクノロジー変化による「社会構造」(ベル)あるいは「生産関係」(マルク
ス)といった社会編成の変化を論ずることである。
第 2 に、上記のような弾力化を図れば唯物史観は有効な社会理論として再生しうるかと
いうと、それだけでは不足であって、欲望とか理性、自尊心、利己心、連帯心、正義感覚、
価値理念等々といったヒトの生物的特性を勘案した経済体制論や社会体制論が必要である
(ヒトの心理にはもっと様々なものがあるが、社会編成に強く関わるのはこうした心理だ
ろう)。フクヤマやロールズ、市井の議論からはそのための土俵や数多くの示唆が得られる。
74
本稿は、
「はじめに」において述べたように、考察も叙述も不十分さを免れないし、論じ
るべきで論じていない人々および事柄も多々ある。今後引き続き考察していきたい。
75
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78
..【図表索引】
第1表
体制転換による経済の落ち込み
5
第2表
大恐慌における落ち込み 1930-34
6
第3表
ジニ係数の増加
8
第4表
ベルによる社会発展段階比較
37
第5表
脱工業社会の構造と問題
38
第1図
体制転換後の雇用と GDP
7
第2図
私営セクター比重(1999 年)
9
第3図
所有権の不安定さ(1999 年)
9
第4図
バーミンガム Broad Street に立つ産業革命のリーダーたちの像
23
第5図
ベルのテクノロジー史観概念図
31
79