ファンタジーの治癒力と“ファンタジーセラピー” On the Healing Power of

人間環境学会『紀要』第1
5号 Feb. 2011
<論文>
ファンタジーの治癒力と“ファンタジーセラピー”
伊 藤 賀 永*1、シュミット
ギャリー
ブルノ*2
On the Healing Power of Phantasy and “Phantasy Therapy”
Kae Ito*1、Gary Bruno Schmid*2
The role of phantasy in our mental life has always been noted since ancient times. In the
last decades attempts were undertaken to apply the healing power of phantasy in psychiatric
treatment. In this paper a new psychotherapeutical group approach for the treatment of psychosis, named “phantasy therapy”, is introduced. The history of its development and its structure are outlined and the therapeutic meaning of phantasy as a medium in this group therapy
is discussed.
*1
Kanto Gakuin University; 1―50―1, Mutsuurahigashi, Kanazawa-Ku, Yokohama 236―8503, Japan.
*2
Psychotherapist SPV/Analytical Psychologist C. G. Jung Institut; Trittligasse 2, CH−8001 Zürich, Switzerland
key words:ファンタジー(Phantasy)
、グループ精神療法(Grouppsychotherapy)
、
精神病治療(Psychosistherapy)
、おとぎ話(Fairytale)
1. は じ め に
これまで精神科の入院治療、特に急性期の精神病治療については、薬物療法以外それがどのよう
な治療法であっても、治療的介入には限界があるとされてきた。特に精神療法に関しては、元々意
見が分かれるところであり、ましてや精神状態が不安定な急性期に精神療法的な介入をすること
に、否定的な意見を持つ専門家が多かった。そのため急性期の精神療法については、ほとんど関心
が向けられてこなかったようにみえる。しかし、ある意味で精神活動が非常に活発でかつ患者とっ
て辛く苦しいこの時期に、薬物療法以外にも積極的な治療的介入をおこなうことは、精神科の治療
が目指すべき重要課題のように思われる。
また、深層心理学的な精神療法では、患者の非言語的な側面に注目することは当然のことである
が、子どもを診る治療者には周知のこの事実が、成人を診る治療者には未だその重要性が充分に認
*1
関東学院大学人間環境学部人間発達学科;〒2
3
6―8
50
3 横浜市金沢区六浦東1―5
0―1
*2
サイコセラピスト SPV/CG ユング研究所心理療法家; Trittligasse 2, CH−8001 Zürich, Switzerland
― 19 ―
識されていないようにみえる。同様に、精神科の入院治療においても、どの治療的アプローチも患
者との言語的関わりを最終目標に置いているきらいがあり、近年その傾向がますます強まっている
ように思われる。しかし、精神科の入院治療では、特に急性期や重症の患者の場合、思考障害や言
語障害等の症状から自分の考えや感情を充分に言語化できない者も多く、非言語的な回路を通して
の患者理解と働きかけは、我々が考えている以上に治療の本質をなしているのではないだろうか。
このような精神病治療の現状と限界を出発点として、従来の治療の弱点を補い、急性期の精神病
患者でも参加できる、新しいタイプのグループ精神療法“ファンタジーセラピー”を考案した。
本稿では、まず、
“ファンタジーセラピー”の核となるファンタジーについて、我々の精神生活
で果たす役割やその治癒力について考察する。そして、その効用を積極的に精神病治療に取り入れ
る試みである“ファンタジーセラピー”について、その成立の過程から治療の骨格までを実施例を
用いて詳しく紹介し、ファンタジー及び“ファンタジーセラピー”の治療的意味を検証する。
2. ファンタジーとは?
2.
1. ファンタジーの精神生活で果たす役割
我々の精神生活におけるファンタジーの果たす役割についてはこれまで多くの研究がなされてき
た。例えば、Kunz1)の生態学的なファンタジーの研究はその代表的なものである。また、ファンタ
ジーと夢の違い2)、病的なファンタジー3)、あるいはファンタジーを持ちやすい条件4)等の研究があ
る。一方で、日常生活においてファンタジーを持ち過ぎることは理性の混乱であり、精神病や神経
症やその他の精神障害を誘発させるとして、否定的に捉えられてきた5)。例えば、精神病患者の妄
想は、白昼夢的なファンタジーが日常生活に入り込んだものだという考え方がある6)。特に成人の
精神病治療では、ファンタジーを媒体とする治療法は治癒に逆効果を及ぼすものとして、長い間タ
ブー視されてきた7)。しかし他方で、精神生活におけるファンタジーの枯渇と精神障害に明らかな
関係があるとする考え方もある8)。特に Starker9)はイマジネーション能力の不足のモデルから、統
合失調症のメカニズムを説明しようとした。実際、思い込みから死ぬこともあれば10)、病気を治す
「ファンタジーは何にもまして我々の種々の
こともでき11)、こうしたテーマを扱った文献は多い。
12)
という Gehlen の認識は、ファンタジーの治癒力に注目した重要な
感覚を結び付けるものである」
ものであろう。また自我心理学においても、ファンタジーは我々の精神構造の骨格をなすものとし
て、肯定的に捉えられてきた13)。
近年になって、ファンタジーが我々の精神衛生を向上させる有効な手段であるという認識が、専
、Hennig16)の
門 家 の 間 で 徐 々 に 広 ま っ て き た。例 え ば、Schmid14)15)の“Active Imagination”
― 20 ―
ファンタジーの治癒力と“ファンタジーセラピー”
“Catathymic Image Experience”、Vas17)や Zindel18)の“Hypnosis”、Peseschkian19)の“Narrative Imagery”等の研究がある。それらはファンタジーの治癒力を積極的に治療に取り入れた試みである。
一般的にも想像力と創造力は意識のレベルを点検し、修正するための有効な手段であることが知ら
れており20)、サイコドラマ等をファンタジーの効用を応用した例として挙げることができる。
しかし、今までのところファンタジーの精神病治療への応用は、少なくとも文献で見る限りは、
単発の個人治療か Benedetti と Peciccia のグループ療法に限られており、ほとんど試みられること
がなかった。そしてこの点を強調したいが、身体運動療法や芸術療法等の他の治療法との組み合わ
せは報告された例がない。その意味で“ファンタジーセラピー”は、Benedetti と Peciccia の“Pro21)
と方向性を同じくするグループ療法であるが、しかし、複数の
gressive Mirror Drawing Therapy”
治療法を学際的に取り入れた点において、新しいタイプのグループ精神療法であると言えるのでは
ないだろうか。
次に、
“ファンタジーセラピー”におけるファンタジーの捉え方と定義について述べる。
2.
2.“ファンタジーセラピー”におけるファンタジーの定義
フロイト派の精神分析学者は、無意識のファンタジーは心の葛藤や衝動や願望を表し、特に人間
の深遠な性の営みと深く関係し、様々な芸術作品を通して表現されると考えた22)。この意味でファ
ンタジーは、我々の精神構造の骨格をなすものあり、精神生活の源であると言える。同様に、芸術
作品は無意識の衝動の統合体であり、たとえ病者のものであっても、一般的に考えられているよう
に必ずしも退行的な性質を持つものではない23)。実際、自我心理学ではこの点についてカタルシス
的な無意識のファンタジーは、日常経験の能動的な継続と考えている。
次に歴史的にみると、グノーシス派の哲学者たちがファンタジーを学術的に掌握しようとした、
最初の人たちであった。彼らの考えを今日的な観点から要約すれば、意識は4段階に分けられ、相
互に関連していると言う。一番低い段階は、妄想や精神病状態と呼ばれるもので、キリスト教やイ
スラム教の経典では悪魔に取り付かれた状態と考えられている。第2段階は、睡眠中や白昼の通常
“夢”と呼ばれているもので、人間の恐怖や願望を起源とし、神経症の原因にもなると考えられて
いる。更に第3段階は“イメージ”の段階であるが、形而上学的な理念や肉体を具現化するような
ものである。これは、例えば、キリスト教やイスラム教の祈りや東洋の瞑想を通して到達できる、
霊的領域であると考えられている。そしてこの“イメージ”の概念が、現代の精神科の治療におい
て、イメージトレーニングや催眠療法という形で応用されている。最後に第4段階であるが、普段
我々がインスピレーションと呼ぶものである。聖書やコーランによると、天使や神から直接伝えら
れるものと解され、予知、予言、預言、まぼろし等と呼ばれている。
しかし、
“ファンタジーセラピー”におけるファンタジーの定義は、上記の深層心理学や神秘主
― 21 ―
義のそれではなく、むしろ日常使う辞書の中に求められるようなものである。すなわち、想像力、
空想力、創造力、ひらめき、独創力等を指す。では、なぜ我々がファンタジーの定義をこのような
日常語に求めたかというと、まさに日常生活に根ざしたカタルシス的なファンタジーこそ、人間の
持つ基本能力の一つであり、精神生活を豊かにし、精神の健康を保つために不可欠なものと考える
からである。ファンタジーは我々に“EUREKA の体験”
、あるいは我々が“AYA!体験”と呼ぶも
のを可能にする。
“EUREKA”とは、アルキメデスが金の王冠の純度を証明する方法を閃いた時に
叫んだ言葉と言われており、
「わかった!閃いた!見つけた!」という意味合いを持つ。また、
“AYA!体験”とは、
“Ah,yeah!
Now I get it(あっ、そうか!わかった!)
”といった体験で
あり、共に《気付きや閃きの体験》と言い替えてもよいのかもしれない。
このように“ファンタジーセラピー”は、精神の混乱や障害等のために自己の精神世界に閉じ籠
り、そこから抜け出す術を失った者に、
《気付きや閃きの体験》を通して再び現実世界に戻るきっ
かけを提供する試みである。従って、セラピーの中で患者ができるだけ《気付きや閃きの体験》が
得られるように、様々な方面から積極的な働きかけが、意図的におこなわれる。そして、患者はそ
こで得た体験をきっかけに、できるだけ肯定的で一貫性があり、しかも現実に根ざした精神世界を
取り戻していくのである。
次章ではこうした理論的背景から考案された“ファンタジーセラピー”が治療法として確立され
て行った過程を述べる。
3.“ファンタジーセラピー”の成立の過程
3.
1.“ファンタジーセラピー”の始まり
“ファンタジーセラピー”は、スイス・チューリッヒ州立ラインナウ精神病院の急性期閉鎖病棟
で1
9
9
5年から始まった、精神病患者のグループ精神療法“Psychosentherapie”に端を発してい
る24)。このおとぎ話とディスカッションを中心にしたグループ精神療法は、本稿の筆者の一人に
よって始められたが、すぐに参加者が増加し、広い部屋への移動を余儀なくされた。しかし、急性
期閉鎖病棟であるために患者の移動範囲が限られ、代わりの部屋も同じ建物内に見つける必要が
あった。ある時、同じ建物に身体運動療法の広い部屋があり、精神療法家と身体運動療法士が一緒
に治療をおこなえば、その広い部屋を使え、しかも治療内容が広がることを思い付いた。今振り返
ると、こうした考えがすぐに思い浮かばなかったことが不思議であるが、当時のスイスの精神病院
においては、各治療者が個別に治療をおこなうのが一般的で、異なる分野の治療者が共同で治療を
おこなうという習慣も発想もなかった。その意味で偶然の産物とは言え、精神療法家と身体運動療
― 22 ―
ファンタジーの治癒力と“ファンタジーセラピー”
法士がチームを組んだことは画期的なことであった。それは同時に、ラインナウ精神病院で急性期
病棟全体の治療プログラムを再考する時期とも重なり、特に医者から好意的な反応が寄せられた。
というのも、重症患者の妄想のような体験は従来の治療法では大きな改善は望めず、もっと違っ
た、知覚や認知の領域から患者の精神世界へ直接働きかけるようなアプローチが、必要なことがわ
かっていたからである。そして、この新しい治療の試みを、主に急性期の統合失調症の患者を対象
とするものと位置付け、実施することになった。
とはいえ、ラインナウ病院が州立精神病院であることから来る様々な制約があった。例えば、
“入
院受け入れ義務”
(病院が患者の入院を拒否できない)により措置入院の患者が全体の約4割に達
し、平均入院期間は4週間と短く、しかも急性期の患者を1
0∼2
0人の“大きな”治療グループでみ
なければならない等の現状で、新しい治療法の実施については初めから多くの困難が予想された。
また、上記のグループ療法と並行して、同じ精神療法家と身体運動療法士のチームで、別のグ
ループ療法が他の閉鎖病棟で実施されることになった。そこでは部屋の狭さからくる制限により、
初めから身体運動療法の内容が大幅に削られ、おとぎ話とディスカッションを中心としたセラピー
がおこなわれた。その結果、この第2グループはおとぎ話とディスカッションのみで、いかに参加
者のファンタジーを促すことができるかを試す臨床の場となり、様々な試行錯誤がなされた。
“ファンタジーセラピー”
(以下“ファ・セラピー”と略す)の成立の過程から明らかなように、
“ファ・セラピー”は常に臨床現場の厳しい現実に適応しながら、徐々に新しい要素が加わり、約
1年の臨床経験と議論を経て、一つの治療法として体系的な治療の骨格が作られていった。ここで
言う治療の骨格とは、治療の目的、治療構造、時間配分、治療内容、治療者の役割分担、週ごとに
変わるテーマやオブジェ、テーマに合わせたおとぎ話等である。そして、参加者である患者(以下
患者と略す)からのフィードバック、すなわち、患者の反応や批判、アイデアや助言が“ファ・セ
ラピー”の血肉となった。例えば、毎回提示されるテーマはほとんど患者から提案されたものであ
る。その意味で“ファ・セラピー”は、患者の積極的な協力なしにはできなかったものであり、患
者と治療者の協同の“ファンタジー”の産物と言えるのである。
3.
2. 試験期間中の2つのグループ
上記のように現行の治療の骨格ができるまでの約1年間は、異なる治療構造を持つ2つのグルー
プが併存し、その治療効果が比較、検討された。各グループの特徴をまとめると以下のようにな
る。
グループ1:急性期閉鎖病棟蠢(ベッド数2
0床)のグループ。期間は1
995年3月1
4日∼1
9
96年6月末で、90分
を1単位とし、身体運動療法室でおこなわれた。内容は身体運動、おとぎ話、ディスカッション。
グループ2:急性期閉鎖病棟蠡(ベッド数1
2床)のグループ。期間は1
9
95年7月1日∼1
99
6年6月末で、60分
を1単位とし、病棟内の談話室でおこなわれた。内容はおとぎ話とディスカッション。
― 23 ―
そして1
9
9
6年7月に急性期閉鎖病棟蠢と蠡が各々1
6床の2つの病棟に再編成され、病棟の治療プ
ログラムが大幅に改正された。それを機会に“ファ・セラピー”も2つの病棟を対象とする、1つ
のセラピーに統合された。同時に、色や形を通して自己の中にある〈画像〉表現するという、
〈造
形〉のセッションが新たに加わり、現行の“ファ・セラピー”の形態が完成したのである。
第4章では“ファ・セラピー”の治療の骨格を説明する。
4.“ファンタジーセラピー”の治療の骨格
4.
1. 6つの治療的要素
2.
1.
で述べたように、
“ファ・セラピー”ではいくつかの新しい試みがなされている。それらの
意図を保障し、一つの有効な治療法として統合するために、6つの治療的要素を考えた。各要素の
治療的意味と役割は以下の通りである。
テ ー マ
テーマは毎回のセラピーをそれ自体で一つの完結した治療法として、統一・統合す
る主軸の役割を担っている。臨床経験から1
7のテーマが選ばれ、以下に示された順序
に従って、毎週変わっていく。
[ケオス]⇒[鏡像]⇒[バランス]⇒[開くこと/閉じること]⇒[近さ/遠さ]⇒
[ラビリント(迷路)
]⇒[両極]⇒[回ること]⇒[変身]⇒[知覚]⇒[対話]⇒
[行くこと]⇒[調和]⇒[音楽/リズム]⇒[エネルギー]⇒[活発なイメージ]⇒
[能動的な行動]⇒(チクルスの最初の[ケオス]に戻る)
必要があれば、上記のテーマのチクルスから離れて、臨機応変に病棟内外の出来事
等からテーマが選ばれることもある。
オブジェ
テーマを視覚的、触覚的、運動感覚的、策略的なレベルで認知できるように、テー
マに対応したオブジェが示される。オブジェはテーマを具現化したものであり、手に
取ってオブジェと取り組む。
身体運動
テーマが患者の身体経験を通して身体的、運動感覚的なレベルで認知される。
おとぎ話
おとぎ話が読み聞かされる。テーマは文脈のあるものとして聴覚的、イメージ的、
言語的なレベルで認知される。患者はおとぎ話により想起されたシンボル、心象、
感情等と取り組む。
造
形
セラピーの過程で生まれた〈画像〉が、色や形(二次元や三次元の媒体)を通して
表現され、認知される。自己の内面にある〈画像〉と取り組む。
シンボル
おとぎ話から想起されたシンボルや造形化された自己の内面にある〈画像〉とシン
ボル的、感情的レベルで取り組む。
― 24 ―
ファンタジーの治癒力と“ファンタジーセラピー”
表1 “ファンタジーセラピー”の治療構造
時間(分)
20
第一日目〈身体運動〉セッション
―テーマを精神療法家が紹介した後、グループで話合う。
―テーマに対応したオブジェを精神療法家が紹介した後、グループで回し、各自が手に取って観
察し、体験する。
―セラピスト:精神療法家、身体運動療法士
50
―身体運動療法士の指導のもとに、テーマに対応した身体運動を[個人運動(自己との体験)
]
、
[パートナー運動(他者との体験)
]、
[グループ運動(集団との体験)
]の三段階で体験する。
―セラピスト:身体運動療法士、精神療法家
20
―テーマとオブジェに対応したおとぎ話を精神療法家が読み聞かせる。その後、グループで感想
を話し合う。
―セラピスト:精神療法家、身体運動療法士
時間(分)
20
第二日目〈造形〉セッション
―第一日目の経過を精神療法家がまとめ、グループでその体験を話し合う。
―第一日目と同じおとぎ話を患者が少しずつ読み聞かせる。
―おとぎ話から想起される〈画像〉について話し合う。
―セラピスト:精神療法家、芸術療法士
70
―二日間のセラピーで浮かび上がった〈画像〉を様々な媒体を使って表現する。
―作品を鑑賞する。
―セラピスト:芸術療法士、精神療法家
4.
2. 治療構造と治療内容
次に、
“ファ・セラピー”の治療構造と治療内容及び流れを述べる(表1を参照)
。
“ファ・セラ
ピー”は週1回、連続した2日間で実施され、1回9
0分のセッション2回を1治療単位とする。ま
た、治療者(以下セラピストと呼ぶ)は精神療法、身体運動療法、芸術療法の3分野の専門家より
成り、各セッションに2名以上参加する。セラピーの前後に準備会と反省会が開かれる。
(1) 準備会(約6
0分)
精神療法家と身体療法士を中心に準備会が開かれる。議論の内容は、その週のテーマの確認、
テーマに応じたオブジェ及びおとぎ話の選定、そして身体運動の内容の決定である。その後、テー
マやオブジャを含めて、その週の詳細な治療内容を記載した“プログラムメニュー”
(A4紙1∼
2枚)が作成され、セラピストに配られる。
(2) 第一日目〈身体運動〉セッション(9
0分)
第一日目は〈身体運動〉を中心にしたセッションで、時間は9
0分である。身体運動療法室でおこ
なわれ、身体運動療法士と精神療法家が担当する。このセッションの流れは以下の通りである。
漓テーマを精神療法家が紹介した後、テーマに纏わる思い出や感想が話される。
滷テーマのオブジェが精神療法家によって紹介され、グループ内で回される。各自がオブジェを
― 25 ―
手に触れて確かめ、また、様々な使い方等を体験する。
澆身体運動療法士の指導のもとに、テーマに応じた身体運動を自らの身体を通して体験する。グ
ループという枠組みの中で、
[個人運動(Ich-Erlebnis、自己との体験、
)
]→[パートナー運動
(Du-Erlebnis、他者との体験)
]→[グループ運動(Wir-Erlebnis、集団との体験)
]の順序で
三段階の身体運動がおこなわれ、
“身体”
、
“身体感覚”
、
“身体経験”等が知覚、認識、活性化
される。
潺各自がゴム製マットを持って部屋全体に散らばり、好きな場所で、楽な姿勢で、精神療法家が
読み聞かせるおとぎ話を聞く。おとぎ話の感想を話し合う。
潸精神療法家が第二日目の予告をして、第一日目のセッションを終える。患者を病棟に送り届け
た後、その日に参加したセラピストで1
0分程度の簡単な反省会をおこなう。
(3) 第二日目〈造形〉セッション(9
0分)
第二日目は〈造形〉を中心にしたセッションで、時間は9
0分である。芸術療法のアトリエでおこ
なわれ、芸術療法士と精神療法家が担当する。精神療法家のみ二日間続けて参加する。それは精神
療法家が2つの異なるセッションを繋ぐ要の役目を担い、また、それらが連続した一つのセラピー
を構成していることを体現するからである。このセッションの流れは以下の通りである。
漓第一日目に参加できなかった者のために、精神療法家が第一日目のセッションの内容を報告す
る。その後、第一日目に参加した患者によって、体験や感想が話し合われる。
滷第一日目に読み聞かされたおとぎ話のコピーを配り、患者全員がおとぎ話の“読み手”となっ
て少しずつ読んでいく。ここで患者は前日の“聞き手”という個人的で受動的や役割りから、
“読み手”という他者を意識した能動的な役割りに替わる。
澆精神療法家が各患者におとぎ話について、できるだけ心の中に〈画像〉が想起されるような質
問をし、その後、おとぎ話の感想を話し合う。この時間は次へ進む準備段階でもある。
潺芸術療法士の指導のもとに、2日間の“ファ・セラピー”の結実として、各自に想起された〈画
像〉を、種々の媒体を使って表現する。絵を描く者、コラージュを作る者等、その表現方法は
様々である。ここで言う〈画像〉とは、患者に内在するファンタジーの中身と考えることがで
きる。
“ファ・セラピー”の中で様々な回路から刺激が与えられ、各自のファンタジーが想起
され、
〈造形〉という手段で形あるものとして表現される。こうしてファンタジーが具現化さ
れ、患者は自己の心の中にある〈画像〉を知覚し、認識し、対峙することができる。
潸作品を全員で鑑賞する。
(4) 全体反省会(約3
0分)
セラピスト全員で全体反省会を開く。
“ファ・セラピー”により産み出された作品を中心に、セ
ラピー中の体験や感想等が話し合われ、次回に向けた提案がなされる。
― 26 ―
ファンタジーの治癒力と“ファンタジーセラピー”
5.“ファンタジーセラピー”の実施例:テーマ[鏡像]より
上記のような治療構造を持つ“ファ・セラピー”が、具体的にどのように実施されているかを知
るために、ここでは6つの治療的要素に焦点を当てて、
[鏡像]のテーマから一例を紹介する。
まず、
[鏡像]というテーマについて簡単に触れると、このテーマは乳幼児の精神発達の研究か
ら明らかなように、鏡の中の自己を認識できることと自我意識の芽生えが時を同じくして起きると
言う点で興味深く、我々の精神生活と深く関わっている。鏡に映った自己を認識することは、自己
と他者の区別ができるということであり、鏡の中の姿を通して我々は自己の存在を知覚・認識し、
自己の探索を始める。
「現世の姿は夢や鏡を通して垣間見る来世の仮身にすぎない」という恐れは、
我々の祖先がいつも持っていたものである。古代ではその恐怖心から、双子の一方を“生きた分
身”であるという理由で殺したほどである。
また、鏡の魔力はどの文化圏の神話やおとぎ話でもよく登場するモチーフであり、芸術作品でも
好んで用いられる。グリム童話の『白雪姫』では鏡が継母に魔法のお告げを伝え、同時に、真実の
美の審判を下すものとして使われている。また、サイレント映画の古典『プラハの学生』では、学
生バルトが鏡に映る自分の姿を悪魔に売り渡すことによって、人間としての魂を売り渡したことに
気付くという主題が扱われている。あるいはドイツの詩人リルケは鏡の魔力について他に例がない
程多くの詩を書いた。
では、この[鏡像]というテーマが“ファ・セラピー”中でどのように扱われるかを示す。
(1) 準備会(約6
0分)
まず、2日間に亘るセラピーに先だって、準備会が開かれる。その週のテーマが[鏡像]である
ことが確認され、それに応じたオブジェ(ここでは色々な種類の鏡)とおとぎ話(ここでは日本の
おとぎ話の『誤解を招いた鏡』)が決められる。次に、オブジェとおとぎ話に関連した、患者がテー
マと同一化し、身体体験として認知しやすい身体運動のプログラムが組まれる。そして、それらの
ことが記載された“プログラムメニュー”が作成され、セラピスト全員に配られる。2つのセッショ
ンは以下の手順で実施される。
(2) 第一日目〈身体運動〉セッション(9
0分)
[テ ー マ]患者とセラピスト全員が身体運動療法室の中央に円陣を作って立つ。精神療法家に
よって各セラピストが紹介された後、週のテーマが[鏡像]であることが知らされ、患者より鏡に
纏わる日常の経験や思い出等が披露される。
[オブジェ]テーマを象徴する色々な種類の鏡が精神療法家によって紹介され、患者が円陣の中で
順番に手に取って見る。鏡によっては、形が歪んで見えるものや、左右対称の鏡像が修正されて見
― 27 ―
えるもの等珍しいものがあり、夢中になって見入る者がいる。患者の関心を引き、夢中にさせるオ
ブジェを用意することはセラピストの重要な仕事である。こうして色々な鏡との出会いを通して、
更に鏡に纏わる思い出や新しい発見が話され、
[鏡像]というテーマが患者の意識に定着していく。
[身体運動]ここで身体運動療法士と精神療法家の役割りが替り、身体運動療法士が進行役を務め
る。身体運動の内容は[個人運動]→[パートナー運動]→[グループ運動]の順序で段階を経て
進み、発展していく。
[個人運動(Ich-Erlebnis、自己との体験)
]:円陣の中でおこなう個人の運動を通して、自分自身
と向き合う体験である。
まず、身体運動療法士が“身体で作る像”
(以下像と略す)の見本を示し、隣の者がそれを見て、
左右対称の鏡像を作る。更にその隣の者がその鏡像を作り、円陣の中でこの課題を繋いでいく。こ
れは〈提示〉→〈模倣〉→〈提示〉の練習であるが、ただ形を模倣するだけでなく、
“鏡像を作る”
という応用が加わっているところが重要である。というのは、認知に問題がある者にとって鏡像を
作ることは意外に難しく、この課題は認知能力を点検する目安にもなるからである。
次に、身体運動療法士が作った像の鏡像を隣の者が作り(ここまでは導入時の課題と同じ)
、更
にその像に変化を付けて新しい像として三番手に提示し、この運動を円陣で繋いでいく。患者は、
全員が像を作り終えるまで自分が作った像(姿勢)を崩さずに保ち、円陣の像が次々と変化する様
子を視覚的に体験する。ここでは導入時の運動に〈変化〉という要素が加わり、
〈提示〉→〈模倣〉
→〈変化〉→〈提示〉の運動が繰り返される。患者は運動の変化と展開を体験する。
更に次の段階に移る準備として、日常生活の簡単な動作(洗顔、歯磨き、皿洗い、掃除等)を取
り上げ、上記の要領で動きを伴った鏡像を作り、円陣の中で課題を繋いでいく。
[パートナー運動(Du-Erlebnis、他者との体験)
]:二人一組のペアでおこなうパートナー運動を
通して、他者と体験を共有する。
まず、ペアは円陣を離れて好きな場所に移動する。ペアで提示する者と摸倣する者を決め、立っ
たままで直前の課題をおこなう。お互いの役割りと動作を変えながら、ペアで体験を分かち合う。
次に、動く空間を部屋全体に広げ、同じ課題で常に変化するダイナミックな運動を体験する。セ
ラピストはできるだけ介入を避け、ペアがお互いに助け合いながら、ファンタジーを自由に、自発
的に膨らませる。場合によっては、2組のペアが同じ要領で課題をおこなうこともある。
[グループ運動(Wir-Erlebnis、集団との体験)
]:グループの一員としての自己と、グループに居
ながらにして独立した個人である自己の、両方の自己の存在を体験する。
まず、全員が開始時の円陣に戻り、一人が円陣の中央に行く。そして像を作り、円陣の者は一斉
にその鏡像を作る。しかし、円陣の位置によって鏡像の形が異なるので、各自の観察力と認知能力
が問われ、同時に、自力で課題を解決することが求められる。更に課題の難易度が上がると、中央
― 28 ―
ファンタジーの治癒力と“ファンタジーセラピー”
の像に動きが加わり、それに呼応して円陣の各鏡像も動きを伴う、より複雑なものとなる。
次に、2つの小グループに分け、一方の小グループで作った像の鏡像を、他の小グループで作
る。そして、役割りを交換する。課題の難易度が上がると、像に動きが伴うこともある。
ここでは各自がグループ(集団)の構成員として全体の調和と統一に貢献しながら、グループ運
動の体験を全員で共有する。同時に、グループが個人の創造力を掻き立て、支えるものとして体験
される。そしてグループのエネルギーが収まるまで課題が繰り返され、おとぎ話に移行する。
[おとぎ話]進行役が身体運動療法士から精神療法家に戻る。各自が部屋の好きな場所にマットを
敷き、一番楽な姿勢で、精神療法家が読み聞かせる日本のおとぎ話『誤解を招いた鏡』を聞く。テー
マによっては直前の身体運動が激しくなることがあるので、その時はリラックス法や呼吸法で全体
が静まるのを待ち、おとぎ話へ移行する。そして感想を話し合う。
おとぎ話の選定については、急性期の患者の場合、集中力を持続するのが難しいので、話の展開
が速く、5∼1
0分位で読み終えるような比較的短いものが選らばれる。
『白雪姫』は誰もが知って
いる有名な話であるが、その長さから“ファ・セラピー”には不適当である。オブジェと同様に適
切なおとぎ話を探すことは、セラピストに課せられた宿題となっている。また、おとぎ話は人類の
普遍的な主題やシンボルを扱っているので、色々な文化圏の話を使うようにしている。なお、同じ
文化圏でもおとぎ話によって主題の扱われ方が異なるので、この意味でもなるべく多くのおとぎ話
を使うことが望ましい。
[鏡像]のテーマでは、日本の『誤解を招いた鏡』やスイスのロマンシュ
語の『名付け親』が患者に好評である。
最後に、精神療法家が翌日の予告をし、第一日目の〈身体運動〉セッションが終わる。患者を病
棟に送り届けた後、セラピストで簡単な反省会がおこなわれる。
(3) 第二日目〈造形〉セッション(9
0分)
[テ ー マ]患者全員が芸術療法のアトリエで円陣に座る。精神療法家によってテーマが[鏡像]
であることが確認された後、前日の内容が具体的に語られ、記憶が想起される。外泊等の理由から
前日に欠席した者や、病態によっては出席していても記憶に留めていない者がおり、この“復習”
の時間は必須である。
[おとぎ話]おとぎ話のコピーが全員に配られ、患者が少しずつ読み聞かせる。ここではおとぎ話
が第一日目と第二日目の結び目となり、2回の異なるセッションの連続性を象徴するものとして登
場する。また、患者は“聞く”という個人的で受動的な役割りから、
“読み聞かせる”という他者
との関係性を意識した、能動的な役割りに替わる。しかし、おとぎ話を読むかどうかは患者の意志
に任されている。というのも、精神病患者の場合、特に急性期に認知の障害が起こることがあり、
読むことが思いの外難しい課題となる。その意味で読むことも患者の病態を測る目安となる。
おとぎ話が読み聞かされた後、話から想起される〈画像〉やシンボルが話し合われる。精神療法
― 29 ―
家は「おとぎ話からどのような絵が浮かびましたか」
「どのシーンが一番印象的でしたか」等の決
まった質問をし、患者の心象風景やシンボルができるだけ具体的な〈画像〉として知覚されるよう
に試みる。時にはおとぎ話の意味や解釈等に興味を示す者もいるが、このセラピーの場合、知的レ
ベルの精神分析的な議論は治療的でないと考えるので、そうした議論は避けるようにしている。ま
た、治療的であれば、おとぎ話を途中でやめて、患者が自由に話の展開を考えることもある。しか
し、そのような時でも、最後は本来のおとぎ話のストーリーに戻るようにしている。
[造
形]進行役が精神療法家から芸術療法士に替る。二日間に渡る“ファ・セラピー”の結実
として、2つのセッションの過程で浮かび上がった〈画像〉を様々な媒体を使って表現する。
テーマ[鏡像]ではおとぎ話の1シーンを題材にした絵を描く者が多いが、鏡に映る自画像を描
く者もほぼ毎回現れる。また、絵を描くことに慣れていない者は、
〈身体運動〉セッションの体験
から左右対称の抽象画を描くことが多い。あるいは粘土や布等でコラージュを作る者もいる。
最後に作品を鑑賞して、二日間のセラピーが終了する。なお、
「作品が患者の全てを語る」とい
う考え方から、基本的に作品に表されたシンボル等の解釈はおこなわない。ただ、患者から個人療
法等の場で話題に出た時は、話し合うこともある。
(4) 全体反省会(約3
0分)
そして、その週の“ファ・セラピー”の締めくくりとして、参加したセラピスト全員で全体反省
会が開かれる。患者の作品を中心に、2日間のセラピー中の出来事や患者についての情報が交換さ
れ、体験が共有され、次回への提案等がなされる。
以上、
[鏡像]のテーマで実際におこなわれている“ファ・セラピー”の一例を紹介した。テー
マが同じでも、様々な理由から選ばれるおとぎ話やオブジェが異なり、同時にそれらに合わせて
〈身体運動〉の内容も異なる。その結果、どのテーマにおいても多くのバリエーションが存在する。
6. 考
察
本稿ではスイス・チューリッヒ州立ラインナウ精神病院で考案された“ファ・セラピー”につい
て、その理論的背景と実際を紹介した。
“ファ・セラピー”では4.
1.
で述べたように、これまでの
精神病治療にはなかったいくつかの新しい試みがなされ、このセラピーの意義もそこにあるように
思われる。考察では急性期の精神病治療という点に焦点を当てて、そうした新しい試みを支える治
療構造の特徴を明らかにすると共に、このセラピーの核であるファンタジーを治療の媒体とするこ
との治療的意味を考える。
― 30 ―
ファンタジーの治癒力と“ファンタジーセラピー”
6.
1.“ファンタジーセラピー”の治療構造の特徴
“ファ・セラピー”の際立った特徴はその学際性にあることは、既に述べた通りである。精神療
法(言語)
、身体運動療法(身体)
、芸術療法(造形)の3分野からの働きかけが一つのグループ精
神療法に統合され、セラピーの自然な流れの中で、多層的に治療効果を上げるように構成されてい
る。そのために4.
1.
にあるような6つの治療的要素が考えられ、学際的な治療的アプローチとし
て、各分野の専門性を保障しつつ、同時に、一つの治療法に統合するツールとして機能している。
その意味で、6つの治療的要素の果たす役割は大きい。また、セラピーの流れが常に決められた順
序と時間配分に基づき、一つの要素から次の要素へバトンリレーのように引き継がれ、途切れるこ
とがない。
(表1参照)急性期の患者には集中力や持続力に欠ける者が多く、9
0分という長いセッ
ションの間、彼らの関心を引き留めておくことは容易ではない。こうした工夫は不可欠であると思
われる。二日間のセッションの流れを治療的要素という観点からまとめると、以下のようになる。
第一日目[テーマ]→[オブジェ]→[身体運動]→[おとぎ話(精神療法家により読まれる)
]
第二日目[テーマ]→[おとぎ話(患者により読まれる)
]→[造形]→[シンボル]
また、
“ファ・セラピー”を実施していく上での約束事として、一つの要素から次の要素へ進む
時に、患者は必ずお互いの顔が見える円陣を作ることになっている。これは些細なことのように思
えるが、治療的意味は大きいと言える。というのも、グループ療法ではグループの“Gruppen-Ich
(集団的自我)
”が、個人を支えるものとして機能する。円陣を作ることはこの“Gruppen-Ich”を
維持し、強化するものとして、治療的に重要な装置であると思われる。むしろこの“Gruppen-Ich”
の支えによって、これまで精神療法や身体運動療法等の対象から外されてきた、急性期の自我機能
が回復していない患者や、不安定で攻撃的な患者等も、
“ファ・セラピー”に参加でき、治療的効
果を上げていると考えられるのではないか。
更に、
〈身体運動〉セッションにおいて、身体運動が必ず[個人運動(Ich-Erlebnis、自己との体
験)
]→[パートナー運動(Du-Erlebnis、他者との体験)
]→[グループ運動(Wir-Erlebnis、集団
の体験)
]の順序で進行、発展することに注目したい。これは身体の体験が段階を経て個人から集
団に広がる点で重要であるが、同時にグループ療法によって初めて可能となる治療的体験である。
このように“ファ・セラピー”の治療構造と進行は“儀式”のように明確に定められ、いつも同
じで、変わることがない。これはセラピーに安定性と持続性を与えるための重要な治療的枠組みと
考えられる。同時に、このような堅固な枠組みがあって初めて、不安定な急性期の患者を対象に
し、また、ファンタジーのような柔軟で広がりがあり、自由度の高い媒体を治療の核にすることが
できるのではないだろうか。
既に述べたように、これまで急性期の精神病治療においてグループ療法は忌避される傾向にあっ
― 31 ―
た。しかし、
“ファ・セラピー”が示唆しているように、治療構造上あるいは実施上の配慮がなさ
れていれば、むしろ急性期においてこそグループ療法の治療的意味は大きいように思われる。実
際、個人療法では無理な患者が、グループ療法なら参加でき、それは“ファ・セラピー”の臨床経
験で裏付けられていることである。これまでおざなりにされてきた急性期の治療を考えた時、グ
ループ療法的アプローチは早急に検討されるべき課題と考える。
6.
2. ファンタジーを媒体とすることの治療的意味
ファンタジーの治癒力や“ファ・セラピー”におけるファンタジーの考え方は第2章で述べた通
りであるが、次に、ファンタジーを治療の媒体に置くことの意味を考えてみたい。
近年、精神病患者の認知能力の障害に注目した研究25)26)が盛んになり、新しい治療法が模索され
「精神病患者では情報処理を司る神経細胞網の接続に問題があり、患
ている。例えば Schmid27)は、
者が再び情報を正しく制御できるように、その繋ぎ目を補強し、オーケストラのように統一された
ネートワークを再生する必要がある」と提唱している。その時、
“ファ・セラピー”のように患者
の認知能力に直接働きかける治療法は特に有効ではないだろうか。というのは、ファンタジーを媒
体にすることで患者の知覚回路が複合的に刺激され、認知・身体運動・造形等の能力が覚醒、活性
化されると考えられるからである。また、治療構造に支えられて、知覚回路への刺激が首尾一貫し
て意識的になされることも、刺激の集約化と凝集化という点で重要であろう。更に〈造形〉の課題
においては、刺激を能動的に制御、統合するという治療的体験を積むことができると思われる。
これまで急性期の精神病治療では、刺激の遮断と安静に治療の重点が置かれてきたようにみえ
る。その意味で“ファ・セラピー”は、一見逆行するような治療的アプローチである。しかし、2.
1.
で述べたように、妄想等は出口を失って錯綜するファンタジーであると考えると、患者の迷走する
ファンタジーをセラピーという守られた枠の中で安全に方向付けし、
“正当な回路を使って”表出
させるという取り組みは、一つの治療法の可能性を示しているのではないだろうか。
更に言えば、誰もが持っているファンタジーを媒体にすることは、急性期の患者でも比較的抵抗
なく治療に加わることができるという利点がある。同時に、ファンタジーが持つ治癒力それ自体
が、急性期の患者にとっても治療的働くことは言うまでもない。
6.
3. そ の 他
急性期の精神病治療については「精神療法的な介入は問題がある」
「グループ療法は適切でない」
「刺激を遮断する時は隔離せよ」
「ファンタジーを扱うのは禁忌である」等の多くの禁止事項が存
在する。その意味で“ファ・セラピー”は、精神科に存在するこうした治療のタブーに挑戦する試
みであるとも言える。しかし、このセラピーが原因で症状が悪化した等の問題が起こったことはほ
― 32 ―
ファンタジーの治癒力と“ファンタジーセラピー”
とんどなく、むしろその自由さや“治療にタブーを作らない”という点において、患者から支持さ
れてきたように思われる。それは取りも直さず、
“ファ・セラピー”が臨床の場において患者から
のフィードバックを道標に考案された、患者と治療者との協同の産物であるからであろう。その結
果、患者と治療者の双方にセラピーに対する信頼感と安心感があり、患者が異議を唱えない限り、
色々な新しい試みができたのである。
また、退院後も“ファ・セラピー”を楽しい、良い思い出として覚えている者が多い。精神科の
入院治療というと、一般的には辛く嫌な思い出が多い中で、治療法の是非を論じる時に忘れてはな
らない観点ではないだろうか。
更に、多くの病院のスタッフの応援が、
“ファ・セラピー”を成立させる不可欠な要素となって
いる。初期の頃はその斬新さから懐疑的なスタッフもいたが、
“ファ・セラピー”をめぐる意見の
対立が治療一般に対する相互理解を深め、コンセンサスを作る機会を与えてくれた。それは同時に
病棟内に統一された“治療的文化”を作る過程でもあった。近年精神科において学際的チーム医療
の重要性が叫ばれているが、一つのセラピーが病棟や病院全体の“治療的文化”に大きく貢献する
という経験は、言及に値すると思われる。
以上、
“ファ・セラピー”を急性期の精神病治療という点に焦点を当てて考察した。
“ファ・セラ
ピー”ができて1
5年以上が経ち、今では急性期閉鎖病棟の治療プログラムの中核になっている。ま
た、外来治療にも適応され、新たな展開を見せている。
“ファ・セラピー”の治療法としての有効
性や今後の発展の可能性等については、更に様々な観点からの、より詳細な検証が必要であり、そ
れらについては別の稿に譲りたいと思う。
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