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私のカンボジアで活動していた日々を綴った

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私のカンボジアで活動していた日々を綴った「ひねくれ者の国際協力」。おつきあいいただいて
ありがとうございます。前回の更新が、2011 年 3 月、東日本大震災の 3 日前でした。その後の震災
支援活動などで、週に 2 回のペースでブログの更新をしていて、こちらのほうは全くそのままにな
っていてすみませんでした。今回ホームページの全面改訂を機に新しい記事を追加しますので、ど
うぞよろしくお願いします。
尚、団体名の表記のことですが、設立より 2005 年度までは、どさんこ海外保健協力会の英語名
は「HOPE :
Hokkaido Organized People’s Effort for Asia」と名乗っていましたが、カンボジアや日本で
「HOPE」という団体がいくつもできあがったこと、カンボジアでは「DOSANKO」と呼ばれていたこ
とから、2006 年度より、「DOSANKO : Dosanko community health international」に変更になりま
した。この原稿でも略称を今までの「HOPE」から“どさんこ”に変えてみなさまにお届けします。
それではカンボジア 3 年目の活動について当時の会報に加筆したものです。
バッタンバンでの活動
北海道のさわやかな秋の風に、ついこの間までのカンボジアの灼熱の太陽がうそのように感じら
れます。八月下旬より総会と報告会のために日本に帰って参りました。昨日で報告会の全日程を無
事終え、多くの方々に“どさんこ”の活動を知ってもらうことができ、また多くの方々とカンボジ
アについての語らいをもつことができました。
今回の会報では、報告会にいらっしゃれなかった会員の皆様のために、報告会で中心に話したバ
ッタンバンでのプロジェクトのその後の経過についてお話したいと思います。
『バッタンバン統合的コミュニティ開発プログラム』は「どさんこ 10 号」でも簡単に紹介しま
したが、カンボジアの北西部バッタンバン県の農村地域で、村でのコミュニティを核として、農業・
コミュニティ銀行・保健医療・福祉の幅広い活動を通じて、村人達の生活向上と長い内戦の間に崩
れかけてしまった村人同士の協力関係作りを目指しています。
このプログラムは日本から“どさんこ”と、二年半前よりこの地域で農業と村のコミュニティ銀
行の活動を支援している“るしな”(富山)と、短期に農業専門家を派遣している“明日のカンボ
ジアを考える会”という、三つの小さなNGOが共同で支援しています。
“どさんこ”は主に保健医療の分野を担当していますが、私達の最初の仕事は村の保健ボランテ
ィアの育成です。現在カンボジアの農村部では 5 千人程度の集合村(5 つ程の村の集まり)にひと
つの診療所と、2~3 名の診療所スタッフがいますが、スタッフの給料も安く、診療所活動は予防接
種だけになってしまっているというのが実状です。村人たちの健康のためには、村レベルでの健康
教育や村人の健康についての相談相手になってくれる人が必要になってきます。それを担ってくれ
るのが保健ボランティアだと考えています。このためにこの 3 月から私は以前より“るしな”のス
タッフだったブントウンさんとで準備をしてきました。5 月からサナリーさんというスタッフを“ど
さんこ”で雇い、この活動に加わってもらいました。
サナリーさんは 29 歳の 2 児の母です。以前はタイにあったカンボジア難民キャンプで助産婦の
仕事をしていましたが、1992 年にキャンプが閉鎖され、帰還難民としてバッタンバンに帰ってきま
した。耕す土地も無く、旦那さんの健康状態も芳しくなかったため、この 5 月までは市場で雑貨を
売って生計を支えてきました。彼女は明るく協調性もあって村の産婆さんともすぐ仲良くなります
し、チームで働いている私達には、スタッフ間の潤滑油にもなってくれています。一方ミーティン
グでは(こういう場ではこちらの女性はあまり自分の意見を言いたがらないように思うのですが)、
しっかりと自分の意見を発言してくれます。私達は本当に良いスタッフに巡り会うことができたと
感謝しています。
話は保健ボランティアに戻ります。このことについて村のコミュニティ銀行のリーダー達とも話
をしていましたが、ただでさえ貧しい村人が、報酬無しにそういうボランティアのような仕事をで
きるかということが一番大きな問題でした。しかし、今までのコミュニティ銀行等の活動をやって
きた人や、そういう人からやってくれそうだろうと推薦された人にお願いすることができ、6~7
月に三つの村で、彼らを承認してもらう選挙を村人達を集めて行いました。3 つの村で計 10 人の保
健ボランティアを選ぶことができました。比較的活動の始めやすいコミュニティ銀行を通じて、私
達と村人達との関係が既にある程度できていたことが大きな利点でした。今年からコミュニティ銀
行の活動を始めた別の二つの村では、来年から保健ボランティアを育成していこうと思っています。
7 月 31 日からの 3 日間、保健ボランティア達に最初のトレーニングを行いました。保健ボランテ
ィアとは何だろう、村での健康面での問題は何で、どうやって解決していけるだろうかということ
を皆で話し合ったり、ちょうどデング熱という風土病が流行する季節だったので、その病気につい
ても学んでもらいました。トレーニング前にブントウンさん、サナリーさんと入念に打ち合わせを
して、グループディスカッションや寸劇、クイズなども織り込んだ村人達が興味をもてる楽しい内
容にしました。
農作業に忙しい彼らが、一銭にもならないトレーニングのために 3 日間も来てくれるだろうかと
いう私の心配をよそに、特別参加の村の産婆さんを始め、全員が 3 日間まで参加してくれました。
終了後のアンケートでは「これからも学んでいきたい」「保健ボランティアとして村人の役に立っ
ていきたい」などの感想があり、
「どさんこ 11 号」で書いたように少々悲観的になっていた私はす
っかり元気になってしまいました。(単純な性格なのです)。
今後も保健ボランティアに対して月に 2 日程度のトレーニングを続けていくとともに、彼らが診
療所のスタッフの予防接種に協力したり、コミュニティの中で村人達に健康教育を行うようになっ
てくれるようサポートしていきたいと思います。
雨期もすっかり本格派してもうどの家でも田植えが終わった(この地域では田植えをしない「じ
かまき」が多いのだが)八月十二日、私達の活動拠点であるバッタンバン郡トロス村の農場に新し
く建てられたトレーニングハウスに 120 余名の村人達が集まりました。今年までにコミュニティ銀
行等の村の活動を進めてきた 3 つの村のリーダー達と、今回新たに加わった 2 つの村のリーダー達、
そして保健ボランティア達です。この日は今まで村ごとだった村の組織を総括するCCネットワー
ク(コミュニティ協力ネットワーク)という組織の設立総会を行いました。村の中だけの協力体制
だけではなく、村同士でも関わりを持っていこうというのが狙いです。総会ではトロス村のお坊さ
んの「仏教の教えに基づいて助け合っていこう」というお話のあと、村人達で活動理念を話し合い、
またすでにコミュニティ銀行を運営している先輩の村と新しく加わった村とで、アドバイスや質問
を出し合ったりしていて、村同士が助け合っていました。私達が敷いたレールを村人達自身でどん
どん広げていっているような印象を受けました。外国のNGOの援助が無くなっても、村人達が続
けられる自立した組織に向けて、これからのこのCCネットワークの活動がどんどん深くなってい
くことを願っています。
さてこの総会や先程の保健ボランティアのトレーニングが行われた、このCCネットワークの拠
点となるトレーニングハウスは郵政省国際ボランティア貯金の助成金と“どさんこ”の皆様からの
会費、寄付金で建てられ、そしてそれは有効に使われていることをご報告して今回の原稿を終わり
ます。
私の一時帰国前にお腹の大きくなっていた農場の四頭のブタはそろそろ出産の頃でしょうか。子
ブタちゃん達に会うのを楽しみに来週にはカンボジアに向けてまた出発します。
(1996 年 9 月 13 日記;会報 13 号)
「水 害」
バッタンバンの土は赤茶色の粘土質で、ベタベタと足に絡み付きます。歩き始めてまだ五分も経
っていないのに、泥のぬかるみ素足に膝の上までズボンをまくりあげて、柄のとれたサンダルはリ
ュックにくくり付けて、ヌルヌル道を歩きます。サンダルは泥にはまって、もう両足ともサンダル
の柄は取れてしまいました。裸足は本当によく滑り、すぐにバランスを崩してしまい、丁度ガチガ
チのアイスバーンの上でスキーをしているようでもあります。幼いころの泥んこ遊びを思いだして、
すっかり楽しんでいたわけですが、蛭(ひる)などに噛まれたりしないかと、気が気でなかったの
は私も成長した証拠でしょう。
チュロイ・マテ村はバッタンバンの町からタイに続く国道 5 号線を 33km 北に行ったところにあ
る村で、お隣りのソム・フーン村とともに、今年の七月から私達のプログラムに参加した村です。
しかし、この雨季にカンボジアを襲った大水害で、この二つの村とも農作物に大きな被害を受けて
しまいました。今日はチュロイ・マテ村のコミュニティ銀行のリーダーたちの要請をうけて水害の
状況を視察に行くところなのです。
今回の水害は、モンスーンによる集中豪雨のため、東南アジアを縦断するメコン川の水位が異常
に上昇し、流域国のラオス、タイ、カンボジア、ベトナムに被害をもたらしました。カンボジアで
は、少なくとも 24 人が死亡、150 万人(全人口 1000 万人)が被災し、田畑 30 万ヘクタール以上が
水没しました。カンボジアの洪水は起伏の激しい日本の洪水とはかなり違って、遠くの上流に降っ
た雨に川の水量が増し、やがて、川から溢れ出た水で水位がじわじわと上昇してきて、一週間もか
かって村や田畑が水に浸かってしまいます。ですから、洪水そのもので流されて人が死んだりする
ことはあまりありません。人々は、青空の下で、日に日に上がってくる水を見ながら、残っている
米を高床式の家に移したり、牛をお寺や道路など高いところに連れていきます。あとは少しでも早
く水が引いて、稲がちょっとでも生き残ってくれることを祈ることしかできません。
チュロイ・マテ村は、トレーニングセンターや農場のあるトロス村からはバイクで 30 分ほどで
す。トロス村や行く途中の村々でも、道はところどころ牛でいっぱいで、低めの高床式の家は今に
も床に水が届きそうです。チュロイ・マテ村の入口にあるお寺からは、もうバイクでは行けず、ド
ロドロ道の裸足あるきになったわけです。“るしな”スタッフで貸付担当のモニル氏、保健担当の
ブントゥンと、私の三人は、今日案内してくれるリムさんの家までたどり着き、彼に連れられて、
村はずれの小舟のおいてある水路までやってきました。リムさんはチュロイ・マテ村のコミュニテ
ィ銀行で、書記として中心になって働いてくれているお百姓さんです。
洗濯をしていたり、豚の世話をしていたりする水路沿いの家々を眺めながら、リムさんの漕ぐ船
は進みます。小さな船は四人乗るともう沈みそうです。やがて、村の景色から、照り付ける太陽に
光って、一面に緑の、まだ穂を付けていない稲の生い茂った水田が広がってきました。「おや、ど
こが洪水なんだい?」という私の質問に、ここは他の村の水田で、チュロイ・マテ村の水田はまだ
3~5km 行った先にあるということをブントゥンが教えてくれました。
ここで、カンボジアの村の形態について簡単に説明してみましょう。カンボジアの村は家と水田
の関係により二つに分けることができます。ひとつは、家と密接してそれぞれの水田があり、家ど
うしは比較的に散らばっている散村形態の村で、もうひとつは、家々は、比較的に土地が高くて、
暑さをしのぐ木の多いような、条件のよいところに集まって集落を形成するかわりに、水田は家か
ら 2~3km 離れたところにあるという集落形態の村です。私の知る限りでは、カンボジアではどう
も後者の村のほうが多いと思いますし、チュロイ・マテ村も典型的な後者の例と言っていいでしょ
う。それで、水田は被害を受けても家々のある村はドロドロでこそあれ、もう水も引いて、さして
被害もないということがおこっているわけです。
私たちの小船は、緑の稲の林の中の、幅 3mほどの水路をどんどん進んでいきます。もう昼近く
なったので、船に乗る前に道端で売っていた、甘く揚げたいものフライをほおばり、のどかな田園
風景にひたっていました。
船に乗って 30 分も経ったころから、あたりのようすが少しずつ変わってきました。稲の背丈が
だんだん低くなりはじめ、水に浸っている根元の部分の色もわるくなってきました。やがて、稲の
はえ方もまばらになり、かわりに茎の硬い水草が増えてきました。稲はもう、先の部分だけを水の
上に出すのみとなってしまいました。船は知らぬ間に水路から外れて、まばらな水草を分け入って
いました。遠くにトンサレップ湖が見えますが、ところどころに緑の部分があるほかは、「もう、
ここから湖ですよ」と言われても、なんらおかしくありません。
突然、リムさんが船から飛び降り、パッと潜ったかとおもうと、丁度濡れたわらのようになって
しまった、腐った稲を引き抜き、顔の前にかかげ、じっとみつめていました。水かさは彼のへそよ
りちょっと高いところまであります。ここは彼の田んぼだそうです。彼の家の今年の収穫が全てだ
めになってしまったことは、私の目にも明らかでした。
稲が 10 日間、完全に水に浸かってしまうと米の収穫はゼロで、7日以内でも収穫は半分になっ
てしまうといいます。チュロイ・マテ村(196 家族)、お隣のソム・ラーン村(142 家族)とも今年
の収穫はほぼ壊滅状態で、村人はタイの建設現場に出稼ぎに行くか、牛を手放すか、さもなければ
高利貸しから借金して、結局は土地を売らなければならなくなってしまうことにもなりかねません。
“どさんこ”との共同プログラムで、農業、コミニュティ銀行を担当している“るしな”も、こ
の事態に対策を考えていますが、村の共同体の自立を目標としている私たちの活動では、ただ村人
に食料を配るような援助をしてしまっては、今まで“るしな”のもと、村のコミニュティ銀行のリ
ーダーたちの努力で作られてきた共同体も自立への道から遠ざかってしまいます。現在、村のリー
ダーたちの要請を受け、この地域でいまから乾季米を作るための、種もみの貸付を検討しています。
ただ、通常は一期作のところで二期作をするには、今度は乾季になくなる水をどこからもってくる
のか、という問題が生じてきます。今、村のリーダーたちは、乾季に水路の水門を開け、この地域
まで水が引けるように郡役場と交渉しているところです。“どさんこ”としても、保健NGOとし
て自らの活動範囲を狭く規定してしまうのではなく、この問題も村人たちの健康な生活にかかわる
重要な問題として全面的に“るしな”に協力していきたいと思っています。
リムさんは、
「この二十年間、こんなことはなかったのに、2 年前と今年と、2 回もたて続けに起
こってしまった。」と、元気なくつぶやいていました。
シアヌーク国王は、
「メコン川流域で進む森林伐採が洪水の要因の一つだ。」と訴えています。森
林伐採の続くなか、来年はリムさんの田んぼは大丈夫、と誰が言えるでしょうか。
(1996 年 11 月;会報 14 号)
と、今回の更新分でした。これからは毎月 1 回更新のペースでいきたいと思いますのでよろしくお
願いします。
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