第 7 回読書会報告 南木佳士『ダイヤモンドダスト』

第 7 回読書会報告 南木佳士『ダイヤモンドダスト』
2006/7/28
石垣健一
・南木佳士(なぎ・けいし)
1951 年 10 月 13 日 群馬県吾妻郡嬬恋村生まれ。54 歳。本名霜田哲夫。三歳のときに
母(小学校教師、32 歳)が結核で亡くなる。祖母に育てられる。東京都立国立高
等学校、秋田大学医学部卒業。現在、長野県佐久市の佐久総合病院に勤務(内科
医師)。
1981 年 難民医療日本チームに加わり、タイ・カンボジア国境に赴く(夏の三ヶ月。
30 歳)。『破水』にて、第 53 回文學界新人賞受賞
1986 年 『エチオピアからの手紙』
1989 年(H.元年) 『ダイヤモンドダスト』で第 100 回芥川賞受賞(37 歳)
1990 年 『落葉小僧』 ←38 歳の秋にパニック障害の発作(激しい動悸とめまい。朝
の病棟廊下で倒れる。うつ病に移行(死の不安と誘惑)。病因には末期癌患者の
臨床がある。
1991 年 『ふいに吹く風』
1993 年 『山中静夫氏の尊厳死』、『医学生』
1994 年 『信州に上医あり―若月俊一と佐久病院』 ←遺書のつもりだった。
1995 年 『阿弥陀堂だより』(2002/10/5 映画公開)、『医者という仕事』
1997 年 『冬物語』
1998 年 『ふつうの医者たち』
1999 年 『臆病な医者』、『家族』
2001 年 『海へ』
2002 年 『冬の水練』、『神かくし』
2003 年 『急な青空』
2004 年 『天地有情』
2005 年 『こぶしの上のダルマ』
・全体
・末期癌患者の臨床医。死に対して無力。生の根元はとてつもなく脆い。「パニック障
害、うつ病」という病を得て、価値観が一転した。ただ生きて在ることへの畏敬が、
南木佳士の文学の核心にある。
←鬱々とした思いが小説を書かせた。論文を書いて、業績を積み上げても、心の慰藉は
得られない。書くことだけが、それをもたらした。
・「低い視線」が極めて印象深い。
←「病んだ者の視線は例外なく低くなる。人間として持つべき最も大事なものは頭の切
れの鋭さでも、ましてや学歴とか富とかではなく、ただひたすらやさしくあることな
のだというようなあたりまえのことが、低くなった視野に見えてくる。」(『医者と
いう仕事』p.24)
-1-
・南木佳士は信州の「自然」に癒やされている。死とは、信州の深い森に帰ること、人
生の往路の虚飾を落としてただの人として森に帰ればよい、という「思想」がある(『ダ
イヤモンドダスト』『阿弥陀堂だより』『臆病な医者』)
←しかし復路にもう一つの生の輝きがあるのではないか。復路に固有の何かが。人生の
秋、冬が難しい。春、夏の勢いはないのだから。
・エッセーが極めて多い。小説の要素はエッセーで再び描かれている。
←小説の裏をこんなに書いてよいのか。極めて私小説的な(「私」の問題を書く)作家
ではないか。
・乙川優三郎はエッセーをほとんど書かない。この違いは何かを物語るのか。
・『ダイヤモンドダスト』 文學界 1988.9
・小説の時間:1984 年(?)5 月~12 月 10 日迄。背景は和夫の幼少時~現在。
・場所:軽井沢付近の別荘地 p.153。小さな町立病院に勤務(医師三名。ベット数 50)。
・他作品への言及:なし。
・巧いなぁ
・目が巧みに使われている。
←正史のよく光る目 p.150。悦子の黒の勝った目 p.184。俊子は頬に丸みのある目のやさ
しい女 p.159。マイクは深い青色の目をしている p.182。
松吉は正史以外とは目を合わせて話ができない p.151。和夫は俊子を亡くした後、女
と視線を合わせられない p.185。香坂には、自分でもごまかしようのない醒めた視線
を投げかける p.187。香坂は見おろす自分の目の位置がたえられない p.205
・淡い爽やかなエロスの記述が小説を膨らませている。和夫は頻繁に、悦子の尻の線に
見とれる p.168。豊かな胸の迫力に負ける p.198
←死の暗い小説に不可欠なユーモアを意識しているのではないか。
・香坂はまだ自転車に乗れないのかもしれない p.205
←『冬への順応』の今井のような医者にはなれない(ならない)ことを暗示している。
・松吉のボケ症状がうまく使われている(月を貸しただろうが p.165。失禁 p.192。マイ
クさんを呼んでくれ p.206)
・気付いたこと
・南木佳士は、水車(直径 1m)を造ったことがある(『急な青空』p.87)。草軽電気鉄
道およびモンシロチョウが飛び去れたという電車の速度も実際のこと(『臆病な医者』
p.131)。
・物語の縦糸は死の影(和夫の母。俊子 24 歳。マイク 45 歳。松吉 70 歳)。
・香坂は、医療の無力を感じとっている。延命治療もしない。俊子を看取る医師も同じ。
二人ともに視線が極めて低い p.205。
←南木の思想であろう。
・彼がこのカンファレンスを始めるまで、和夫ら看護の者たちは、患者の正確な病名が
何であり、どのような治療がなされているのか、医師たちからは何も知らされていな
かった。彼らは指示のという名でカルテに点滴の内容や薬の名、採決の項目を書き出
-2-
し、看護の者たちはそれにしたがって施行するだけだった p.172。 ←南木の医師批
判であろうか(高い視線。ある意味の傲慢)。
・「早過ぎるもの(非自然)」への疑問があるのか。その対極に、「自然」への畏敬が
あるのか(松吉と『阿弥陀堂だより』のおばあさんに象徴される)。
①マイク:人の作る機械は、その速度が速くなればなるほど大きな罪を造るようです。
乗るなら罪に少ない乗り物に越したことはないのです p.181
②『長い影』の女:速すぎるのよ p.120
③『ワカサギを釣る』のミン:種村がいると、日本という進歩しすぎた技術に人が追い
まくられているらしい国にも、まだ自分が住めそうな場所が残されているようにも思
えてきた p.137
・問い
・看護士の視点から記述しているのは何故か。
←低い視線と関連しているのか。前述の「医者批判」もあるかもしれない。
・自分の鼓動よりもはるかにゆっくりしている振り子の動きが、叩き壊してやりたいほ
どいらだたしかった p.153
←何を言っているのか。水車の心棒の摩滅によるきしみ音にも、「何度叩き壊そう思っ
たか知れない」p.210。これは理由が語られている。単調なくせに、哀愁を帯びて p.210。
香坂の声を繰り返し再生している壊れたレコード p.210。
←振り子はゆっくり動いている。しかし母の心臓はもう動かない。そのいらだたしさだ
ろうか。
・マイクの「思想」p.202~p.204 は、キリスト者らしくないのではないか(ストア的も
しくは理神論的な神)。あるいは、このようなキリスト教宗派があるのか。
・草軽電気鉄道に関連して、明瞭な「歴史事実」を変えている。何故なのか。
その年に冬[1964 年]、電気鉄道は廃止された p.154
←草軽電気鉄道は実際は 1962.2.1 に全線廃止になった。一部廃止され代行バス運転にな
ったのは 1960.4.25。小説は代行バス運転を 1964 年冬としている p.154, p.150。
・俊子の死。モルヒネ投与 p.163
←少なかったのではないか。南木自身の思い(あるいは実際の行い『山中静夫氏の尊厳
死』『木の家』)も込められているのであろうか。
・松吉が笑うのを見たのは久しぶりのことだった p.179
←マイクの話の何が可笑しかったのか。マイクのユーモア(キノコの喩え)の何がだろ
うか。
・和夫
・30 歳を出たばかり(30 歳の意味か)。一人息子の正史は保育園児。高三の夏の夕方、
松吉が転倒して右半身不自由になったため、医者への夢を諦める。
・昨年秋、妻の俊子を転移性の肺腫瘍で亡くした。死の予感に裏打ちされた短い人生を、
それなりにしっかり生きた共同生活者が去ってしまった。
・香坂に、自分でもごまかしようのない醒めた視線を投げている。疲れ切った香坂を見
-3-
ても、うわべの言葉をかけるより他のことはしない。
・悦子に一緒にいてほしい。もうすぐ悦子に連れられて正史が保育園から帰って来る。
二人に回る水車を見せて、ともに完成を喜びたい。力を合わせて造り上げたものがた
しかな回転を始めれば、そこから何かが生まれるかも知れない p.207
←しかし悦子は去る。
・俊子
・俊子が短大を卒業した年の秋、二人は結婚した。静かな生活が始まり、正史が生まれ、
彼が四歳になった年の秋、俊子は[24 歳で]死んだ p.162
←季節の秋は死の色に彩られている。
・俊子は、短大一年の時に左腕の腫瘍を手術。手術をしてから、自分が死ぬ日のことを
考えながら生きてきた。明日や、今日の午後の存在すら頼りにできない生活は、今を
大事にするしかないので、一生懸命だった。…動物の、哺乳類の雌としての役割りが
できた
ことに不思議な安心感がある p.162
←小説『海へ』に次の記述がある。「その日の夕食から妻と二人きりになった。腰のあ
たりから力が抜け、哺乳類の親としての役割を終え、あとは身一つで老いて死んでゆ
けばいいのだとの虚無感を覚えてしまうとは、あんなバカ息子は早く家を出ていって
くれた方がすっきりする、と本気で思っていたのに意外だった」p.80
・モルヒネの点滴開始の合図を、俊子自身が送る p.163
・松吉
・70 歳。正史以外とは目を合わせて話ができない。電気鉄道の運転手。アメリカの鉱山
用トロッコを改良した電車。「春になるとモンシロチョウが客車の窓から入ってきて、
おなじ窓から出て行けたんだ。そんなスピードの電車だったよ」p.159
・妻を亡くした(1964/10/10)冬に、電気鉄道が廃止されると、あっさり退職。
・俊子が亡くなって一ヶ月ほど経った頃、脳卒中で倒れる。三月に退院してから、おか
しなことを口走る。「月を貸しただろうが」p.165
・脳卒中再発。マイクと一緒の病室に移る。
・「いやあ、私は戦争には行かず、ちっぽけな電車を運転していました」p.181
「ええ。あなたの戦闘機に比べたら、アリのような速度の電車でしたがな」p.181
・退院後、明日から「水車をつくる」p.193。直径二メートルを超える。
・12 月 10 日の朝、庭で一人逝く。ダイヤモンドダストが舞っている p.211 ←これも冬
だ。
・門田悦子
・和夫の隣家。小中高の同級生。例年秋から春まで、カリフォルニアに滞在し、英会話
を学び、テニスコーチの腕を磨いている。正史のめんどうをみる。
・「猫背はあなたの家の血統なのかしら。背中の寂しげな男って嫌いじゃないけど、行
きすぎてると見ててつらいのよ。サーブの力が抜けちゃうの」p.167
-4-
・「あさってから、またカリフォルニアに行くことにしたわ」「サクラメントのデザイ
ンスクールの教師になれたの。……やっと、道楽じゃなくて、ほんとうの仕事ができ
そうよ」p.208
・「一度だけはっきりと首を振った。長い髪の先はひと揺れもしなかった」p.210
・香坂
・40 代前半の若い院長。専門は消化器内科。
・看護婦たちに、入院患者の説明を仕始めた。それは和夫たちには画期的なことだった。
・視線がとても低い。マイクを見おろす自分の目の位置が耐えられない p.205
・マイク・チャンドラー
・45 歳。単身赴任宣教師。父も。ベトナム戦争時、米国空軍の F4D ファントムに乗って
いた。オレゴン州の田舎町に、妻と子供を残してきている。小細胞癌という極めて発
育の早い肺癌を病む。骨、肝臓、脳へ転移している。
・ここはとても簡単に森に帰れそうな部屋ですね。安心しました p.171
・この人が話してくれた、ゆっくり走る小さな電車のイメージは、森に帰る乗り物とし
ては最高です。ありがたいのです p.191
・森はもう秋の準備をしているのに、人間だけが初夏だと思っているんだな。大いなる
錯覚だな p.182
・誰かこの星たちの位置をアレンジした人がいる。私はそのとき確信したのです。海に
落ちてから、私の心はとても平和でした。その人の胸に抱かれて、星たちとおなじ規
則でアレンジされている自分を見出して、心の底から安心したのです p.202
・森の香につつまれて電車を運転する時間を松吉さんはとても大事にしていたのです。
脱線しても誰もケガをしないスピードの電車を、体の一部のように愛していたのです。
だから、松吉さんは廃止の噂の出た鉄道になんとかたくさんの客を呼ぼうとして、森
のすべての駅に水車を造ろうと提案したのです。実現していたら、今でもたいした人
気でしょうねえ。…水車の回る駅から、松吉さんの運転する電車に乗って、ツツジの
原の上に出る月をながめて、ながめてみたかった……p.204
・『冬への順応』 文學界 1983.5
・小説の時間:1981 年冬。ぼくと千絵子は 29 歳(南木佳士と同年齢に設定?)。背景
は、幼少時から現在まで。
・他作品への言及はない。
・巧いなぁ
・小説を夕陽のイメージが貫いている:予備校の頃の夕陽-夕陽はその形の良い鼻筋の
向こうにあった p.40。難民キャンプの落日(光をつりあげる。赤い光の筋)p.50,51。
病室に差し込む夕焼け、胸水の赤 p.57, p.59。
・冬が来たぞ p.19
←冬は千絵子の死(心の冬)に重ねられている。
-5-
・「ごめん、なさい」……千絵子が謝ったのは、泣き出したことに対してではないよう
に思えた p.55
←「膨らみ」が文章に持ち込まれている。
・対比
千絵子(余命 3 ヵ月)の死 ←体格のよい看護婦、難民キャンプの裸の子供(生の塊)、
自然な死←→人工栄養と人工呼吸の死。いつ迄生きていたか、いつ死んだかわからな
い
第三者が死ぬ←→はじめて残される者になる
日本の母親と子供たち←→難民キャンプの老婆のような母。裸足の子供
今井←→ぼく
妻の存在感←→ぼくの頼りなさ?
・気付いたこと
・千絵子には、実在のモデルがいる。南木はこの女の子のカバンにウサギを入れた。医
者になると決めたのは、この人の一言だった(『医者という仕事』p.88)。
← 一人の女性との出会いが生涯を決めることがある。この人が亡くなったかは不明。エ
ッセイに書かれていないので生存か。
・妻のモデルは南木佳士の妻女。小説やエッセーに、繰り返し描かれている。南木が畏
敬を込めて描く「おばあさん」の萌芽を思わせる。生き方の達人を予感させる。
・小説の「ぼく」は、ほとんど南木佳士自身ではないか(釣り好きも含め)。
・問い
・千絵子は死の間際、ぼくの他に会いたい人がいない。結婚した人とは別れたのだし、
そうかもしれないと思う。しかし、29 歳で死ななければならない女性のリアルだろう
か。
・診療所の医者になる。医者の世界で、ぼくは落ちこぼれたのであろう p.35。 ←彼を
何が支えたのだろうか。
・アユとワカサギの大釣りは、何かを物語っているのか p.14, p.64
←『ワカサギを釣る』にも小説の最後、「狂ったように釣れ出した」p.141 とある。
・ぼく
・タイ・カンボジア国境で三ヶ月の難民医療活動から帰ったばかり。五年間一編の論文
も書いていない。過疎の村の診療所勤務になる。
・六ヶ月だろうと、それ以上だろうと、結果は同じなのだ。人工栄養と人工呼吸で生か
し続け、いったいどこまで生きていて、どこで死んだのか分からないような最期を、
今井はいつもどおりに作り出すつもりなのだ p.30
・東北の二期校に新設された医学部に入学(秋田大学)。東京の大学を受け直す為の受
験勉強と、千絵子の手紙を待つだけの生活。下宿のおばさんが言う。「死んだらつま
らねべ」「女は離れたらダメだて」。
-6-
・千絵子の母からの電話。銀行員に嫁いで、ロンドンにいた。離婚して帰国。中学の英
語の教師をしていた。子供はなかった。浅間山の見える病院で死にたい。「あの子が
いちばん懐かしがっている、あの浪人の頃のように、はげましてやっていただけない
ものでしょうか」「生きてたってほんとうに言えるのは、あの頃だけだ、なんて申し
ておりますのですから」。
・死に価値があるとすれば、それを決めるのは、残されたものの内に生まれる喪失感の
深さの度合いだけなのではないか。p.56
←育ての親の祖母が亡くなったときの途方もない悲しみと喪失感、を書いている(『臆
病な医者』p.144)。
・安川千絵子
・癌性腹膜炎。原発巣は肺癌。
・村の小学校に、一年生の途中で転校してきた(四年まで一緒)。18 歳のとき一緒に浪
人。
・「山の中の診療所のお医者さんなんていいわね」「私たちの田舎の村にあるような診
療所がいいわね」「ねえ、ほんとうにやってみない」
・翌年の春、千絵子はその教会のある大学の文学部に合格した(上智大学?)。冬休み、
千絵子と男が上野駅のホームに出迎えてくれた。ぼくは、アメ横の年末の雑踏に逃げ
込む。「妙に体が軽かった。川を流れる古木のように、体の中に無数の空洞があいて
いるようだった」p.45
・「みっともないとこ見られるのは、やっぱりちょっとくやしいな」p.49
・「恐いのよぉ」p.51
・難民キャンプの裸の幼児に。「生きてて、欲しい。ほんとうに」p.54
・今井医師
・米国での研修以来、分刻みのスケジュールで仕事をする。論文をまとめる為ならば、
患者に治療とは直接関係のない検査も強いる。
・日曜日の午前 11 時 27 分、千絵子が逝った
←今井「人工呼吸器につないで四日間持たせた」。この時間、ぼくはワカサギを釣って
いた。千絵子の死をみとらない(みとれない)。それ故の悲しみが伝わってくる。
・『長い影』 文學界 1983.8
・小説の時間:1982 年 11 月下旬の忘年会。背景は前年夏のタイ・カンボジア難民医療
団と日本医療チーム宿舎附属病棟およびバンケン難民収容所。
・書籍への言及:「シアヌーク自伝」。しかし、書名が出てくる程度。
・対比
男湯に女性というのは鮮やか。
タイ難民収容所の酷暑と悲惨(22 歳の難民女性の死)
←現在の日本の平和ボケ
-7-
内部処理できた(?)ぼく
←できていない女(無線で呼ばなかった。何もしなかった。その後悔を抱き続けている)。
しかし、ぼくも内部処理できているわけではない。不条理な死と悲惨を安易に内部処
理してはならない。むしろできないことが当然なのだ。それ故に、女を優しく鼓舞し
ている。
・気付いたこと
・「ぼく」の品位は余程のものではないか。三助に徹する p.75。穏やかな顔が女の素顔
かもしれない p.103。風呂に入る前までで話を終わらせる p.110。女の影を踏まない
p.120。こんなタオル知らないよ p.121。
①信州の病院に就職して一ヶ月した頃、転校生の美智子が訪ねてくる。上田は思う。「な
んだかさあ、このまま寝ちゃったら、おれの中の一番大事なものが壊れちまいそうな
んだよ」……寝てしまえば美智子は上田にとって特別な存在ではなくなってしまう。
精神的な憧れの対象を失ってしまうよりは、肉体的ながまんの方がまだましだと思っ
た(『医者という仕事』p.187)
←性的関係はたいしたことではない(かもしれない)。より大切な文化的精神的なかか
わりがある。
②ぼくは山の診療所の医者になっていることは言わなかった(『冬への順応』p.49)
←千絵子がもはや実現しえない夢ゆえ語らない。
・問い
・酔っぱらいをあやすとき、受け身の用い方を誤ると、取り返しのつかないことになる
p.72
←これは、どういうことか。
・いつの間にか、とりもどすべき自分などどこにあるのか、ほんとうにあったのか、わ
からなくなっていた。p.94
←人の死になれる以前の自分を取り戻したい、それが難民医療団参加の目的だったかも
しれない。
・ぼく
・人や物が足りないために病人が死ぬ。今の日本では起こりにくいことが、あの暑い国
の国境地帯ではありふれたできごとだった。…泣いたり、怒ったり、胃潰瘍になった
り、病的に肥満したりした。そのことを、今、忘れてしまったわけではない。仕方の
なかったことだ、と、それぞれのやり方で内部処理したのだ。…こだわることがあっ
て、そのことが処理できないために、過去を肴に笑って酒を飲むことができないのな
ら、こんな忘年会には出てこなければいい。一度出席したからには、自分だけのこだ
わりを相手にぶつけて泣き叫ぶ、子供じみた酔い方はやめたらどうだ。平和な国で泳
ぎ続けることだって、いや、むしろその方が、大変なことだってあるんだ p.100
←しかし言わない。
・「なお、おれ、こんなタオル知らないよ」
-8-
←こう言って、優しく鼓舞したのだ。
・女
・東北の山間部の個人病院を辞め、ボランティアとして難民医療団に参加した。6 ヶ月。
口数は少なかったが、難民を相手にするときだけは、流暢なフランス語を話した。
・「はじめっからあきらめていたのよお。どうせ難民にしてやれるのはこんなもんだっ
て、あきらめてたのよお」p.98
・「無線で外科医を呼べばよかったのよお、もっと早く。カオイダンに運ばれて来るの
は、国境で戦闘にまき込まれた外傷患者だけだってことは、よく知っていたじゃない。
輸血と止血さえしとけば、すぐには死なないってことだって、分かってたはずじゃな
い。いま、いま目の前で死んでいく患者と、どっちが大事だったのよお!」p.99
・女は、自ら希望して、バンケンの当番を買って出た。乳児を残して妻に死なれた若い
夫の、赤ん坊の世話をしていた。外面の同情よりも、内面の理解を、失意の彼は求め
ていた。女はそれに応えてやった p.113
・難民の夫と子供を連れて日本に帰りたい。それがだめなら、妻として収容所に残りた
い。
・難民の一人が言った。難民に対する同情を抑えることと、なにもしないことが、おな
じだと錯覚している日本の医者や看護婦たちに、なぜひと一倍多くのことをしてくれ
た彼女を責める権利があるのだ、と p.115
・『ワカサギを釣る』 潭 1986.9
・小説の時間:1986 年 2 月皆既月食の一夜。背景は 1981 年夏のカオイダン難民収容所。
場所:信州の山の湖でのワカサギ釣り
・章立:なし(一章のみの構成)。しかし現在と過去を織り成す書法。
1.現在(湖) 2.過去(カオイダン難民収容所。ミンの妻) 3.現在(湖。月が食わ
れてゆくよ) 4.過去(老女の死。黙り助平) 5.現在(月が姿を消す。ミンからの
手紙。外科医長。ワカサギの大釣り。月食終了。朝日。結婚式の練習)。
・巧いなぁ
・皆既月食という場面設定が鮮やか。月光のイメージで貫いている(午前三時月食開始。
老婆の葬列を満月が執拗に照らしている。月がもう一度現れる)。厳冬と月が陰るイ
メージは、ミンの人生、カンボジアの運命にも重ねられている。
← 一度だけ夕陽 p.131。湖に朝日 p.142。
・「月が食われてゆくよ」「地球の影で隠されていくんだな。ぼくの祖国のようだな」
・「あの人、今、大阪の大きな病院の外科医長でね……」p.140
いたずらっぽく尖らせたミンの口唇を、回復しつつある月光が弱よわしく照らしてい
た。
・気付いたこと
・老婆に癌を宣告する医者は、わるいだけの人ではない。難民キャンプにゆくのだから。
-9-
・問い
・看護士を主役にしていることに、どんな意味があるのか。この小説特有のものあるか。
・「タネさん。竿見える」p.133
←月食の始まり p.134 の伏線なのか。
・種村
・看護士。35 歳(?)。村立病院に勤務。五年前、カオイダン難民収容所に一年滞在。
・友人が少ない。他人と深く付き合いたがらない。一人を好む。
・「黙り助平のタネ」
←ものごとを深く、だからどうしても暗く考えてしまう人間のこと
・「トンレサップの魚はタフだから、糸はうんと太いやつを持ってきて下さいよ、タネ
さん」p.142
←言いたいのはタフでなければ生きられない、ミン自身の覚悟なのだ。
・ミン
・父はプノンペン大学教授。同じ大学の医学生だった。家族が次々と姿を消した。学生
三人でカンボジアを脱出。収容所に入って一年半。ここで結婚した妻との間に生後三
ヶ月の女の子がいる。全身麻酔の機械が扱え、下肢切断の手術助手も務まる希有な存
在。
・日に焼けない青白い肌をした日本の若い医者が老婆に言う。
「あなたは癌ですよ、治らない癌なのですよ」……
右手で拳をつくり殴りかかろうとするミンを、種村が医者にみえないように、穏やか
に止める。
・アメリカに行く。叔父が始めたスーパーマーケットを手伝うよ。もちろん魚も売るさ。
・ミンの妻女:乏しい配給米の中から一膳の雑炊をわける。種村が固持すればするほど
黒く大きく瞳を見開き、涙さえ見せた p.131
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