発行 公益財団法人ヒューマンサイエンス振興財団 東京都千代田区岩本町2-11-1 TEL.03 (5823) 0361 編集責任 情報委員会 制作協力 株式会社 メジテース 東京都中央区八丁堀3-6-1 TEL.03 (3552) 9601 印刷 株式会社 成美堂印刷所 JANUARY 2014 ヒューマンサイエンス わが国における産科医療の 歴史を初めて記録にとどめ たのは江戸時代の産科医師、 賀川子玄であった。 賀川流産科術のあとを継い だ水原三折は嘉永元年に﹁産 育 全 書﹂を 出 版 し、妊 婦 に 対する按腹の術を述べた﹁安 胎 術﹂等 を 図 入 り で 解 説 し ている。 参考/水原 三折著「産育全書」 ステンドグラス 志田 政人 撮影 安江とも代 Volume 25 / Number 1 ○ ○ ○ ● ○ ○ ○ ● JANUARY 2 0 14 / H U M A N S C I E N C E CONTENTS ヒューマ ン サイエ ン スをリ ードし 、人 類 の 健 康 と 福 祉 に 貢 献 しま す 。 JANUARY 2014 Volume 25 / Number 1 HEADING 年頭のご挨拶 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 3 竹中 登一 公益財団法人 ヒューマンサイエンス振興財団 会長 STAINED GLASS 安胎術 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 2 山崎 幹夫 千葉大学 名誉教授 INTERFACE ワクチン開発の現状と将来 庵原 俊昭 清野 宏 石井 健 司会) 山西 弘一 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− (独)国立病院機構 三重病院 院長 東京大学医科学研究所 所長 東京大学医科学研究所 炎症免疫学分野 教授 (独)医薬基盤研究所 アジュバント開発プロジェクトリーダー (一財)阪大微生物病研究会 理事長 ソシンロウバイ(ロウバイ科、鎮咳、解熱) (昭和記念公園) 梶井 健造:明治製菓薬品研究所OB Canon EOS Kiss X2 EFS 17-85mm 50mm f8 4 JANUARY 2 014 / H U M A N S C I E N C E CONTENTS TOPICⅠ アレルギー疾患を対象とした治療ワクチンの開発、現状と課題 − −−− 15 石井 保之 (独)理化学研究所 統合生命医科学研究センター ワクチンデザイン研究チーム チームリーダー TOPICⅡ インフルエンザワクチン開発の現状と展望 − −−−−−−−−−−−−−−−−−−− 20 長谷川 秀樹 国立感染症研究所 感染病理部 部長 TOPICⅢ 世界ポリオ根絶計画とワクチン戦略 – 現状と今後の課題 − −−−− 24 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 28 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 32 清水 博之 国立感染症研究所 ウイルス第二部 第二室室長 TOPICⅣ エイズワクチン開発の現状と今後の展望 俣野 哲朗 国立感染症研究所 エイズ研究センター センター長 TERRACE スウェーデンのバイオクラスター スコーネ地区とストックホルム・ウプサラ地区 橋本 せつ子 スウェーデン大使館 投資部 主席投資官 GALLERY ツマキチョウ – 誤認と種の継代 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 表3 今泉 晃 医療法人社団珠光会 企画管理室 F R O M F O U N D AT I O N 財団からのお知らせ −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 36 − −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 36 平成 25 年の事業活動と発行資料 FROM EDITOR 読者のみなさまへ 会報「ヒューマンサイエンス」は、2012 年 7 月号より(公財)ヒューマンサイエンス振興財団 のホームページ(http://www.jhsf.or.jp/paper/repo_idx.html)で全文をご覧いただけます。 2 014 / H U M A N S C I E N C E JANUARY S TA I N E D G L A S S 安胎術 時 代 を 問 わ ず 、女 性 に と っ て 出 産 は「 女 の 命 さ だ め 」 といわれたほどに苦難と危険をともなう作業であっ た。 わが国における産科医療の歴史を初めに記録にと ど め た の は 、江 戸 時 代 の 産 科 医 師 、賀 川 子 玄 ( か が わ し げ ん 、一 七 〇 〇 ~ 一 七 七 七 ) で あ っ た と さ れ る 。 賀 川 の 名 は 玄 悦 、号 と し て 子 玄 を 名 乗 り 、江 戸 時 代 の 医 師 と し て 、難 産 時 の 母 体 を 救 う 回 生 術 を 考 案 す る な ど の功績を残したことでも知られる。 医 学、 蘭 学 を 学 ん で そ の 後 を 継 ぎ、 賀 川 流 産 科 術 の 専 門 医 と な っ た 水 原 三 折( み ず は ら さ ん せ つ、 一 七 八 二 ~ 一 八 六 四 ) も ま た 、異 常 分 娩 の 際 に 母 子 の 命 を 救 う 器 具 と し て「 探 頷 器 」 を 考 案 し た こ と で も 知 ら れ 、名 医 と し て わ が 国 の 産 科 医 学 の 歴 史 に 名 を 残 し て い る 。 水 原 の 名 は 義 博 、三 折 は 号 名 で 醇 生 庵 と も 称したとされる。 水 原 は 嘉 永 元 年( 一 八 四 八 ) に『 産 育 全 書 』 を 出 版 し た 。 こ の 書 物 は 、内 編 、外 編 を 合 わ せ 全 十 一 巻 か ら 成 り 、母 体 内 で の 胎 児 の 姿 勢 に 関 す る 「 胎 位 論 」、妊 婦 に 対 す る 按 腹 の 術 を 述 べ た「 安 胎 術 」 な ど を 図 入 り で 解 説 し て い て 、以 後 、わ が 国 の 産 科 医 に と っ て な く て は な ら ぬ 貴 重 な 文 献 と な っ た。 本 書 の 出 版 に よ り 、水 原 の 名 は 産 科 医 学 史 に 刻 ん だ 名 著 の 著 者 と し て 長く後世に伝えられることとなった。 山崎 幹夫 やまざき・みきお 千葉大学 名誉教授 東京都生まれ 千葉大学薬学部卒 東京大学大学院博士課 程修了 薬学博士 専門は薬用資源学 2 JANUARY 2 014 / H U M A N S C I E N C E HEADING 年頭のご挨拶 新年明けましておめでとうございます。皆様方には希望に満ち溢れた新春 をお迎えのこととお慶び申し上げます。平成26年の年頭を迎えるにあたり、一 言ご挨拶申し上げます。 アベノミクスの成長戦略では、「健康長寿社会」から創造される成長産業と してバイオ関連産業に対する期待が高く、日本の創薬力に対する期待も大きい ものがあります。 2006年、2008年、2010年の医薬品の売上上位100品目をオリジン企業毎に集 計すると、米国企業は40品目以上と1位の座を継続しております。日本企業は、 スイス、英国の企業と並んで、世界で2 ~ 3位を維持しております。また、2000 公益財団法人 ヒューマンサイエンス振興財団 会長 年以降の日本企業オリジンの新有効成分の承認件数は35件に達し、海外企業と 竹中 登一 は、酵素・受容体・イオンチャネルなどを標的とした、低分子化合物の創薬に 研究開発費を比較すると創薬の効率は高いものとなっています。日本の企業 より、グローバル製品を創出してきた実績があります。また、大学の優れた、有 機化学、醗酵工学、生物医学の研究成果を活用出来ることも日本の創薬の強み と考えます。 しかしながら、がん等、アンメットメディカルニーズ(UMN)の高い疾患 に対する治療薬の創薬およびバイオ医薬品の創薬で、米国に遅れを取ったこと は否めません。また、日本のアカデミア・バイオテック企業による創薬は未成 熟です。米国では約60%の新薬がアカデミア・バイオテック企業を起源とし ていますが、日本では20%弱にとどまっております。 低分子医薬品の創薬の更なる強化に加えて、がん等、UMNの高い疾患への 挑戦、アカデミア創薬とバイオテック企業の育成、バイオ医薬品開発促進など が求められる対策と存じます。我国の大学、バイオテック企業、製薬企業での 創薬研究者の人口を増し、オールジャパンでの創薬推進体制を構築することが 求められております。 当財団も、国立試験研究機関の発明等の活用をめざす技術移転事業、創薬研 究や安全性試験に必須な動物実験実施施設についての認証事業、また会員の協 力を得て、創薬に関する各種セミナー等を開催し、専門家のアンケートやヒア リングによる調査を実施し、報告書としてまとめております。これらの活動を 通じて、多様な専門家のチームワークづくりに貢献し、我が国の創薬推進体制 の構築に貢献していければと願っております。 会員の皆様方、並びに関係各位のご支援とご指導を心よりお願い申し上げま す。 竹中 登一 たけなか・とういち 公益財団法人 ヒューマンサイエンス振興財団 会長 愛知県生まれ 岐阜大学 農学部 獣医学科卒 医学博士 専門は薬理学 3 JANUARY 2 014 / H U M A N S C I E N C E I N T E R FAC E ワクチン開発の現状と将来 (独)国立病院機構 三重病院 院長 庵原 俊昭 東京大学医科学研究所 所長 東京大学医科学研究所 炎症免疫学分野 教授 清野 宏 (独)医薬基盤研究所 アジュバント開発プロジェクトリーダー 石井 健 (一財)阪大微生物病研究会 理事長 山西 弘一 司会) ここ数十年のワクチン開発(表1) 山西───本日はお集まりいただきましてありがとうご ざいます。ご参加いただいた先生方は日本のワクチン 開発のリーダーにふさわしい先生方です。早速ですが、 今日は3つのテーマ、①わが国でワクチン開発に障害と なりうる課題、それを踏まえて、②現在開発が進行して いるワクチンとその問題点、さらに、③今後開発が期待 されるワクチンの話題、をテーマとして座談会を進め ていきたいと思いますが、必ずしもそれに沿ってディ スカッションしなくても良いと思っておりますのでよ ろしくお願いいたします。 数年前に日本でワクチン産業ビジョンが出ました。 私もその作成メンバーの一人でしたが、海外と違うと ころは、最近20年間、日本で開発さ れたワクチンがほとんどない、とビ ジョンの中に書かれています。そ の理由は何かということと日本発 のワクチンを世界に発信するには どうしたらよいかということをま ず話し合いたいと思います。それ には、ワクチン開発に障害となりう 山西 弘一 る課題というテーマがリンクして くるので、一般的なことをまずディスカッションして、 その後に、将来こういう有望なワクチンがあって、こう いう研究が進んでいるから、更にその先の将来ではこ ういうワクチンが期待されてこういうワクチンが使用 に供され、それがとりもなおさず世界初の日本発のワ クチンになると期待される、こういったストーリーで 進めたいと思います。 山西───庵原先生、 日本では残念ながらこの20年、世界 に比べてワクチン開発が少なく、最近では、いろいろな ワクチンが海外から入ってきています。その辺りの歴 史的なお話をしていただけますか。 庵原───1989年から開始されたMMRワクチン(麻疹、 流行性耳下腺炎、風疹の三種混合ワクチン)では、無菌 性髄膜炎が予測よりも多く発生するという問題が出現 し、国民の間にワクチンの安全性に対する不信が芽生 えていました。更に1994年の東京高裁での判例で、ワ クチンの安全性の問題が非常に強調されました。その 結果、ワクチンに対する安全性に国民の間で不信が更 に広がりました。ワクチンの安全性を図るために、ワ クチン接種は集団接種方式から個別接種方式に変わ り、その子供のことを良く知っているかかりつけ医が ワクチンを接種するシステムになり、流れとしては良 い方向に進みました。しかし、安全ということを強調 するあまり、ワクチンメーカーが開発に弱気になり、ワ クチン開発の意欲をなくしていきました。この時期、 日本としては、新しいワクチンを導入するあるいは定 期接種の数を増やすということに非常に後ろ向きにな り、水痘ワクチンなど日本発の良いワクチンがあった にもかかわらず、なかなか定期接種の方に話が進みま せんでした。こういったことがバックグラウンドに あったかと思います。この間、日本のメーカーに新し いワクチンを開発しようという意欲があれば、研究者 が生み出した新しいワクチンの芽を育てる努力が進ん 4 JANUARY 2 014 / H U M A N S C I E N C E I N T E R FAC E でいたと思いますが、そうではなかったので、いまあわ てて海外のワクチンを導入しているという状況ではな いかと思います。 山西───確かに安全性ということに関しては、日本は 世界の中でも抜群に良い国です。安全性を強調する国 です。逆に言いますと、日本のワクチンは、世界と比べ て性能ということには気を使っているワクチンである といえます。不活化ワクチンでも精製度が高く、こう いった点に気を使っている国のひとつです。 庵原───間違いなくそうです。例えば、インフルエン ザ菌b型ワクチンにしても、Sanofi社が作ったものを 日本に導入していますが、Sanofi社は日本の基準に合 わせるために日本専用のプラントを作らなくてはなら ないというほど、日本は安全性というものに気を使い、 心を配って国民にワクチンを提供している国です。 山西───現実に、 定期接種ということに関しては、ワク チンの種類はアメリカヨーロッパに比べて日本は少な いです。それも開発により新しいものが出てこなかっ た理由のひとつかもしれません。 庵原───そうですね。定期接種に採用されると、一定 量のワクチンが保証されますので、メーカーも作る意 欲が出てきます。任意のままだと接種率が低いのと接 種量に波があるので安定供給が難しくなります。そう いう意味で任意接種のままにしておくということは、 メーカーの開発意欲を削ぐことになります。 清野───そういう背景の中で、世界の中でも品質のよ いワクチンを作れる日本の製造力、技術があるのに、な ぜその製造力、技術を世界に売り出していけないのか 不思議に思うのですが?例えば、日本の車を考えても、 もともと車は日本で開発されたものではないけれど、 品質を徹底して追及して、それが日本の成長に繋がっ たことを考えると、安全性を追求した誰もが認める品 質の高い日本のワクチンが世界に出て行けないという のも不思議だと思うのですが。 わが国でワクチン開発の障害になるものは 山西───日本のワクチンが世界に出て行けない、障害 となるものは何でしょうか? FDAにおられた石井先 生がお分かりかと思いますが。 石井 ───それは最後のところで話題になればと思っ ていましたが、話題が提供されましたのでここでお話 しします。最終的に末広がりのワクチン開発の将来 像としては、輸出が重要なキーワードだと思っていま す。ただ、そこに到るまでの国内の問題や海外の状況 を把握した上で、日本は日本なりの良い意味での戦略 を持った方が良いと思います。 山西───私が知っている限りでは東南アジアや中国を 始めとしてワクチンを日本から買いたい国は多くあり ます。某国では自国で作っているワクチンは自国の人 はあまり受けたがらない。自分の家族には日本のワク チンを接種させたいと言う専門家もいるくらい、世界 的に認められています。だからぜひ世界に打って出る というのがこれからの日本のワクチンメーカーの進む 表1 近年の日本の予防接種行政の動き 1974 1983 1989 1991 1993 1994 1994 2001 2008 2009 2009 2010 2010 2011 2013 高橋らにより水痘生ワクチン開発 メルク社および松原らにより DNA 組み替え B 型肝炎ワクチンの開発 MMR ワクチン統一株の接種開始 ムンプスウイルス株による無菌性髄膜炎の予測以上の発症 MMR ワクチン自社株に変更 ムンプスウイルス株による無菌性髄膜炎発症率の減少 MMR ワクチンの接種見合わせ 東京高裁での種痘訴訟の判決 予診をつくす 予防接種法一部改正 義務接種から勧奨接種、集団接種から個別接種 予防接種法一部改正 高齢者のインフルエンザワクチンの定期接種化 インフルエンザ菌 b 型 (Hib) ワクチン(サノフィ)の発売開始 組織培養日本脳炎ワクチン(日本発)の製造発売承認 ヒトパピローマウイルス (HPV) ワクチンの発売開始 小児用肺炎球菌結合型ワクチン (PCV)(ファイザー)の発売開始 子宮頸がん等ワクチン接種緊急促進事業の開始 ロタウイルス (RV) ワクチンの発売開始 予防接種法の一部改正 Hib ワクチン、肺炎球菌結合型ワクチン、HPV ワクチンの定期接種 5 JANUARY 2 014 / H U M A N S C I E N C E I N T E R FAC E 道であり、行政を含めて後押しをしてもらうことが重 要だと思います。 石井───先ほど庵原先生がおっしゃったように、定期 接種になるかならないかで企業がワクチン開発を進め るか進めないかにリンクさせてしまっていては、何時 まで経っても新しい開発には結びつきません、海外を 見ると日本の定期接種とは別のマーケットがあって、 そこをゴールとして行けば、本当にどういうワクチン が必要であり、だからそれを作るべきだという判断に 変わると思います。この辺の事情が、グローバルな製 薬企業がワクチン産業に参入してきている非常に重要 な点だと思います。 山西───現実は、ワクチン産業ビジョンを作っている ときに、ワクチンのマーケットというのは当時(平成 19年)600億円と言われていました。それが数年後に は確か二千億円くらいになっているでしょう。 石井 ───おそらく平成24年度で二千数百億円でしょ う。 山西───それぐらいマーケットが増えると国内のワク チンメーカーの開発意欲も出るだろうし、海外からも コンペティターがどんどん入りますから、良い方向に 向かっていると思います。そのためにはガイドライン を作らなくてはなりません。石井先生が主任研究者で ワクチン開発のためのいろいろな細かいガイドライ ン、ガイダンスを作っておられますが、いかがですかそ の見通しは。 石井───開発と審査行政の一助としてガイドラインは 非常に重要なのですが、そこに付随する人材が足りま せん。ガイドラインが教科書となったために審査行政 上産業界への盾となってしまっては意味がありませ ん。ガイドラインを教科書としてワクチンの開発がで きる、審査ができる人材が育ってほしいです。 山西───行政的なことは時間があれば最後に全般的に 話し合いたいと思います。 石井───現状も問題が多い中で、ワクチン開発の未来 を見るのに過去の歴史に学ぶべきだと思っています。 私たちの世代があまり歴史を知らないこともあるの ですが、山西先生がお話しされたこ とや日本脳炎の問題もそうですが、 一番参考になるのは国外、国内で起 きたワクチンと自閉症の問題です。 現在ではワクチンと自閉症の関連 は科学的に否定されていますが、そ ういうことが常に起きうる分野だ ということで、私たちは絶えず自戒 石井 健 の念を持って研究していかなけれ ばならないと思っています。なぜこのようなことを重 要視するかというとワクチンと副作用や副反応は切っ ても切り離せないからです。臨床開発するときに、1% や0.1%の副作用を検出する為にはおそらく数千例の 臨床試験が必要になります。 山西 ───ひょっとすると1万例以上は要るかもしれな い。 石井 ───1万例以上は要るかもしれませんね。そのよ うな臨床試験をやってからワクチンを世に出す。だか ら安全だということになります。しかし、自閉症の話 も日本脳炎もMMRも、それからいま起きている子宮 頸がんワクチンの副作用も全て10万例から数10万例に 1例しか発生しない。上市する前は検出できない副作 用です。こういうことに我々はどう対応しながら開発 していくのかは、10年、20年おきに毎回起きている現 象なので、そこの安全性を高めるという意味では日本 が先陣を切って安全性を高める技術とワクチン開発を ペアで進めて行きたいと思っています。 ワクチンの疫学 山西───次の話題は、各々のワクチンの使用状況です が、今年になって風疹が流行したら、とたんに皆がワク チン接種を受けだしてワクチンが足りなくなるという 問題が起こってきています。なぜこのようなことが起 こるのですか? 庵原───何故かというとなかなか難しい問題なのです が、風疹に関しては20代から40代が発症していますが、 この年代のうちの20代から35歳ぐらいまでは、定期接 種で風疹のワクチンを打つ機会があったのに打たずに 大きくなった人たちなのです。35歳から40代の男性は、 中学生女子だけ風疹ワクチンを定期接種していて、男 性は定期接種として打てなかった世代の人たちです。 その人たちが40歳、50歳になるまでの間に風疹の流行 がなかったかというとそうではなく、5年から10年ご とに300万人や400万人規模の流行はあったわけです。 その流行に乗らずに50歳になったという疫学的には貴 重な人たちです。その人たちがたまたま都会に集まっ たところに外国から風疹ウイルスが持ち込まれたとい う状況だと思います。結局、感染症というのは都会で 広がってから地方へ広がっていきますから。そうする と子供の数が少ないところでは感染症には罹らずに大 人になったため、自分はもう子どもの病気であるその 感染症には感染しないだろうと思い込んでいる人たち が40歳代、50歳代の人たちなのです。そこへ感染症が 入り込むと大人も罹るということだと思います。歴史 上有名な事例なのですが、アメリカ大陸にコロンブス が行った当時、アメリカには麻疹と天然痘がなかった のですが、その後新大陸に行ったヨーロッパ人が麻疹 と天然痘を持ち込んだために人口の8割から9割の人が 亡くなり、人口が10%くらいに減ったとか、南太平洋の フィジー島にも麻疹がなかったところへ麻疹が入り込 6 JANUARY 2 014 / H U M A N S C I E N C E I N T E R FAC E んで人口の20数%が亡くなったという例があるよう に、罹らずに大人になったらいつか流行すれば罹りま す。今年30歳代とか40歳代の人が風疹に罹るのは、ワ クチンを接種した若い人たちが風疹を流行らさなかっ たからです。ですからワクチンの効果があったために 高い年齢がかかるようになってしまったわけです。い まのペースでMRワクチン(麻疹・風疹混合ワクチン) 接種をしてくれれば、多分今回が最後の風疹流行では ないかと思います。 石井───それは定期的な疫学調査などがあれば予測で きたことなのですか? 山西───私はそう思います。風疹に関してはずいぶん 前から警告は出していたのですよ。まず疫学のデータ を作るということと疫学のデータを尊重するシステム がなく、医師が大きな声を出しているくらいではいけ ないのです。国立感染症研究所の多屋先生は「風疹は 流行る」と前からおっしゃっていました。そのとおり になってあのような不幸な子供ができているのであっ て、行政当局も専門家に耳を傾けてガイダンス等を出 さなければいけませんし、それを聞くシステムを作ら なくてはいけません。 庵原 ───風疹が流行るだろうとは多屋先生が前から おっしゃっていました。流行ってからでないと皆は反 応しない。それは良くないです。 石井───例えばですね、公共のお金で公衆衛生として 疫学をやるというのはいつものパターンですが、これ を産業界とかワクチンを開発する側から考えると、最 初にしなくてはいけないのは、その病気に必要か、その 病気がどれくらいあり、どれくらいの人口が罹患する のかという情報を集める、裏返せばマーケティングで すね。これは公共の資金でやるべきものなのか、それ ともそのワクチンを開発する企業が一翼を担うのか、 いずれにしても疫学情報がないと良いワクチンの開発 は進まないと思います。 山西───私は公共でやるべきだと思っています。 実は、 ヒューマンサイエンス振興財団のサポートを頂いた帯 状疱疹の大規模医学調査を2013年10月8日に報告しま す。日本で後ろ向きの調査はありますが、前向きのプ ロスペクティブな帯状疱疹の疫学調査はあまりありま せん。 庵原───そうですね。一番大きな規模は宮崎県皮膚科 医会がやったものです。 山西───あれは患者さんが来たときのデータですね。 そうではなくて、次の5年間にどれくらい出るのという 正確なデータがないので調査することにしたのです。 こういうことに公金を使うべきだと思います。例えば、 子宮頸がんのワクチンですが、世界と日本で疫学的に 一緒かというとあまりエビデンスがありません。ヒト パピローマウイルスの16型はずいぶんあるが18型は少 ないとか、日本は他の型のほうが多いよという人が居 ますので、疫学はきちんとやらなくてはならないと思 います。疫学に基づいた、エビデンスに基づいたワク チンが重要になるのではないかと思います。庵原先生 を始めとした審議官のメンバーがきちんと疫学の重要 性を言っていただきたいです。 庵原───ですから、今後開発が期待できるというとき には、疾病負担を考慮に入れて、多くの人が罹って、多 くの人が重症になるという病気が最初のターゲットに なります。天然痘や麻疹などは無くなってきているの で、次はどういったレベルの疾患をターゲットにして いくかということに今後はなってくるのでしょう。多 くの人が罹るけれど軽い疾患の場合には本当にター ゲットにするべきなのかは難しいところです。 山西───それは経済指数を計算して、ワクチンが必要 かどうかを判断するようになってくると私は思います が。 石井───そのときに疫学というと皆さん日本の国内の 患者数とかになると思うのですが、感染症の疾患が多 いワクチンでは、日本にはもうその疾患がなくなった じゃないかとか、日本にはもともとない病気じゃない かといったことで開発が進んでいないワクチンが沢山 あります。しかし、世界を見れば必要な感染症のワク チンはまだまだ沢山あって、現在も開発が進行してい るワクチンがあります。産業力とかワクチン開発能力 は向上しているので、海外のマーケットを考慮に入れ れば十分に開発する意義があるというワクチンは増え てくると思います。その一部がトラベラーズワクチン という形で日本では認知されていると思います。そう いったワクチンの開発はすごく重要だと思います。 山西───個々にこういうワクチンが必要だということ は最後に話し合いたいと思います。 清野───その根本となる疫学調査のときに、日本には molecular epidemiologistと い っ た 人材育成と体制作りが遅れており、 そのような疫学調査が主体的に出 来ない状況にあると考えられます。 医学も含めていろいろなビッグ データが注目されている今が非常 に良い機会で、感染症の疫学調査を molecular baseで 国 内 外 に 展 開 し データを集積し、あわせて人材育成 清野 宏 も考えていくべきです。 山西───人材育成は大学等でやっていただかなくては ならないと思います。 庵原───Molecular epidemiologyで一番進んでいるの は麻疹ですね。各県の地方衛生研究所でPCRをやって 遺伝子型まで出す形になっています。日本の麻疹排除 に向けて地研レベルでしっかり動いています。しかし、 7 JANUARY 2 014 / H U M A N S C I E N C E I N T E R FAC E 動いているのは麻疹だけで、風疹も一緒に動かしてく れたら良いのにと思います。 清野───そういうこともビッグデータの中に入り、そ の現状と未来について重要性を含めて社会にアピール することも大切です。 山西───本当は感染症研究所がもっとやってくれると 良いのですが。 石井───ビッグデータ収集時に人材が足りないという 話がありますが、デジタル化されているものも沢山あ ります。小児科も電子カルテになって情報はあるわけ です。 山西───誰が集めるかですね。 石井───誰が統合するか、 誰が解析するか、です。 庵原───アメリカでは大手の保険会社のデータが疫学 データに流れています。ロタウイルスの疫学データは 健康保険組合のデータで調べたらドーンと出てきま す。電子カルテになっていますから。 山西───倫理の面だけクリアすれば、日本でもできる のではないでしょうか。そのように疫学データに基づ いたワクチン開発がこれから必要になります。どれが メジャーの疾患かが分かれば開発しやすいと思いま す。 うかということについては石井先生いかがですか? 石井───疾患のことを忘れてワクチンの技術というこ とになると、投与法とかについては清野先生からお話 があると思いますので、私からはワクチンのコンポー ネントの違いや抗原の探索技術・製造技術の技術革新 が進んでいること、それからベクターやデリバリーシ ステムの技術革新が進んでいること、免疫学とアジュ バントの免疫制御技術も技術革新が非常に進んでいる ことについてお話しします。これらの技術革新をどう 取り込んで次世代のワクチンに応用していくかという ことが、これからの我々サイエンティスト及び学の方 から提供する技術の鍵となります。投与技術について は清野先生にお譲りします。 山西───ベーシックな研究から派生したワクチンの投 与方法ということに関しては清野先生いかがですか? 清野───私は免疫学の中でも粘膜免疫を研究しており ますが、粘膜面には体の中の全身系免疫と比較してユ ニークな免疫系が発達し、呼吸器・消化器を被う広大な 粘膜面を防御しています。粘膜免疫は全身系免疫とも クロストーク出来る免疫システムであり、粘膜免疫を 有効に使うことで粘膜・全身系両方の免疫を誘導・制 御できることが学術的にも明らかになってきました。 ほとんどの病原体が侵入する場所は呼吸器粘膜、消化 器粘膜、生殖器粘膜が考えられます。そこに如何に効 果的な免疫応答を誘導して第一線のバリアとして働か せ、そこで防ぎきれなかったときは体の中に免疫を獲 得させる、という二段構えの防御が誘導できるワクチ ン開発を目指していかなければいけないと思います。 インフルエンザのワクチンにしても現行の注射型ワク チンは病気の重症化ということを防ぎますが、ウイル スの呼吸器粘膜を介した侵入と伝播を防いでいないの でそれを粘膜で排除できるというシステムを作ると本 当の意味での予防ワクチンになるというのが私の考え です。ワクチンのデリバリーの話になってくると、注 射型ワクチンはどうしても何らかのデバイス、例えば 注射器や注射針を使って投与しなければなりません。 何千万人・何億人に投与することを考えるとそのとき 使った使いすて型デバイスは医療用廃棄物ですから、 その廃棄が環境面も含めて問題になります。粘膜免疫 を使ったワクチン開発を考えるときも、デバイスを使 わないでワクチン投与ができるものを考えることは重 要です。それから乳幼児、成人、高齢者へのワクチン投 与を考えても、注射でない形で投与できるということ は、精神的苦痛又は物理的疼痛等から開放されるので、 そういう形での粘膜ワクチン開発を目指して研究して います。特に日本は経鼻ワクチン、経口ワクチン、それ から経皮ワクチンもそうですが、そういう投与技術に ついて理論的背景に則って基礎研究者やワクチン開 発メーカーが協力する研究体制が出来上がりつつある 今後の開発ターゲットは何か 山西───次は、 今後の開発ターゲットは何か、どういう ワクチンがこれから期待されるのか、そのためにはど ういう基礎的な研究が必要か、といったことを話題に したいと思います。いままでの子供をターゲットとし たワクチンとはコンセプトが違うワクチンの話もした いと思います。 庵原───そうですね、いままではほとんどが子供を対 象にしたワクチンでしたが、パピローマウイルスのワ クチンは大人が対象ですね。いま話題になっているの は高齢者をどうするかということです。これだけ長生 きする人の割合が増加するとそれなりの病気を持った 人が増えてきていますので、医療費の半分以上は高齢 者にかかっています。そこを如何に減らすかというこ とになると罹患を防ぐ高齢者用のワクチンがこれから の課題かと思います。 山西───例えばインフルエンザは高齢者にとって肺炎 球菌と同じように重要な疾患ですが、高齢者の発症を コントロールできないことも事実なので、インフルエ ンザワクチンの効果判定の問題も将来のワクチンの開 発に繋がると思います。子供、成人、高齢者と疾患ター ゲットが次々変わり、日本の場合は高齢社会ですから、 成人から高齢者を対象としたワクチンがターゲットに なって開発が進められ、世に出てくるであろうという 考えは皆様と同じだと思います。そこで、世界ではど 8 JANUARY 2 014 / H U M A N S C I E N C E I N T E R FAC E ので、これを推進していくことが、日本発でオリジナル なワクチンを世界に出すという流れに繋がると思いま す。 山西───これは歴史的なことで、いままでの免疫学よ り新しい免疫学ができてきて、経験ではなくエビデン スに基づくワクチン投与ができるようになったと思っ ています。今までの皮膚へのBCGや天然痘ワクチンあ るいは経口のポリオワクチンなどはエビデンスに基づ いているわけではなく、経験的にそうしてきたと思い ます。 の開発があります。その目的達成に向けて、常温で長 期保存できるコメの植物としての性質に着目し、農学・ 工学そして医学が融合することで、ワクチン抗原を発 現・蓄積するムコライス(ワクチン米)システムが開 発でき、さらにヒトへの投与可能な品質のワクチン米 生産に向けて、GMP対応型完全閉鎖系ムコライス水 耕栽培システムが構築されました。現在は、プロトタ イプとして、重篤な腸管感染症の一つであるコレラに よる下痢症を予防するために、コレラ毒素のBサブユ ニット(CTB)抗原を発現しているMucoRice-CTBの ヒトでの安全性と有用性を検討する臨床治験開始に向 けての準備が進んでいます。これは、すでに終了しま したが、山西先生を代表として、産官学が一体となって 進めた「先端医療特区ワクチン」の中で進めたプログ ラムの中の一つとして、ご支援いただいた成果と言え ます。この場をおかりして、ご指導・ご協力いただいて いる各研究機関、ワクチンメーカー、審査機関に御礼申 し上げます。 山西───それからアジュバントを必要とするワクチン も沢山あります。このアジュバントの基礎の研究を やっておられるのが石井先生です。 石井───免疫あるいはワクチン学という研究をしてい るものにとっては、良いワクチンを作ろうと思うとど うしても生の病原体、生ワクチンが理想像になります。 それをmimicしながらそこにあるリスクを減らしてい ける技術が我々には必要で、そのうちの一部がアジュ バント、投与方法やデバイスです。何時まで生ワクチ エビデンスに基づいたワクチン開発 山西───清野先生、 粘膜免疫学、あるいは皮膚に関して 特殊な免疫機能があることが分かってきて、これが一 つ違った意味での免疫を刺激するワクチンの開発に繋 がって行くのではないかと思います。その一つがムコ ライスですが、誰もやっていないですね。 清野───はい、 そうです。山西先生がご指摘のように、 免疫学の新世界と言われた粘膜免疫の学問的確立とそ のユニーク性が、この三十数年間で明らかとなり、その 一翼を担ってきたことは研究者冥利に尽きます。その 学問的基盤を背景に、異分野の理論と技術の融合が米 型経口ワクチン「ムコライス(MucoRice)」開発に繋 がりました。つまり、WHOをはじめ世界の保健関連 機関が推奨している次世代ワクチンに必要なポイント として、 「冷蔵保存と注射器・注射針が不要なワクチン」 インフルエンザウイルス 化学的な 不活化 インフルエン ザワクチンの 種類 インフルエンザに 罹ったことがない人 pDCs RIG-I pDCs Uncertain NLR 上皮細胞 Ⅰ型インターフェロン 炎症性サイトカイン 自然免疫 反応なし TLR7 マクロファージ Ⅰ型イン ターフェロン 自然免疫反応は 必ずしも 必要ではない 免疫が 成立しない CD8+Tcell CD4+Tcell Bcell メモリー CD4+Tcell 細胞障害活性 IFNγの産生 Th1タイプ抗体の産生 IFNγの産生 Koyama S et al ScienceTranslational Medicine 2010 図 3種類のインフルエンザワクチンの作用機序 9 Adaptive immunity 適応 免疫 反応 インフルエンザ に暴露された ことがある人 ウイルスRNA を除去した Innate immunity TLR7 スプリットHAワクチン (現在日本で使用されているワクチン) ウイルス表面抗原 (HA抗原)の精製 感染性をなくした mDCs 自然 免疫 反応 不活化全粒子ワクチン JANUARY 2 014 / H U M A N S C I E N C E I N T E R FAC E ンを続けるか、それとも日本にある技術、生ワクチンを mimicする技術を総合してワクチンに繋げるかは、両 方あれば、それぞれの疾患で上手に分けていける時代 が来ると思います。 山西 ─── 一般的には生ワクチンは非常に効果がある というエビデンスが出てきています。例えば、核酸が 免疫を刺激するアジュバントの役目をしているとは 今まで思わなかった。経験的にしか考えていなかっ たところにエビデンスが出てきたから、生ワクチンを mimicするものを見つければもっと安全で免疫を刺 激するものができる、それがきっかけになるのではと 思っています。 石井───まさにインフルエンザのワクチンを研究して おられる製造業の方は皆さんご存知だった事実なので す。全粒子ワクチンや生ワクチンのほうが良くて、季 節性のスプリットワクチンにすると抗原性が落ちるこ とは経験では分かっていて、なんとなく脂質やRNAが 大事なのであろうと私がこのデータを出す前から仰っ ていたのです(図前頁)。そのRNAの自然免疫の受容体 を特異的に欠損したマウスに生ワクチンや全粒子ワク チンを打つとまったく反応が起きないという事実が出 るまで誰もそれを信用しなかったのです。そこにワク チン学の技術革新が、このような最近の免疫学や微生 物学からの研究成果がきっかけでおきています。それ をどう生かすかは世界中で競争になっています。 山西───そういうサイエンスが進んできた一方で、山 ほどアジュバント候補があります。何でもかんでもア ジュバント、下手すると夾雑物もアジュバントである 可能性もあります。 石井───ガイドラインは大変ですね(笑) 。 山西───どうやって仕分けするか、安全性が高くて毒 性がないアジュバントを我々が持つというのがサイエ ンスなので、どうすればよいですか? 石井───開発側も消費者側も安全性が高いワクチン、 アジュバントが求められていることは間違いないので すが、我々科学者の最初の義務はそのアジュバントが 何をしているか、そのアジュバントがどういう作用で 効いているか、どういう作用で副作用を起こすかが分 かれば、そこから更に次世代の安全で良いアジュバン トが生まれてくると考えています。その基盤作りは、 基盤研究所でもやっていますが、多分急がば回れの技 術の一つだと思います。 山西───その基盤作りは期待されており、毒性の研究 もやるしデータベース化することもあるので石井先生 が主任研究者でどんどん進めていただいたらより安全 な効果のあるワクチンが将来は出来る、それも粘膜を 刺激するようなワクチンだったらより良いですね。 石井───いま話が出たので続けますが、以前に三重病 院名誉院長の神谷先生がやられたH5N1に対する治験 の全粒子ワクチン+アルミニウムのワクチンは大人で は承認されましたが子供では承認されませんでした。 それがなぜ起きたのだろうということを考えると、い ろいろ原因は考えられますが、最終的には免疫学がマ ウスでばかりやってヒトの免疫学が遅れているため基 礎研究とワクチンの実学とのギャップが生まれている のが問題だと考えています。その反省からヒトの検体 やヒトの免疫学システムから何かを学ぼうという研究 で、上記の治験のサンプルを頂いて、発熱などの副作用 をどのように理解するもしくは予防できるかを研究し ています。そういう副作用の研究を軽んじないで進め て行きたいと思っています。 臨床試験の規制の緩和 山西───あのH5N1のワクチンは、 子供への一回投与で 非常に高熱が出ました。こういうことは誰も予想して いなかった。それが出たということはある意味では、 それを解析してなぜ出たかは良い研究材料で、次のワ クチンの指針になりますから。 石井───臨床研究も日本は治験とか指針でがちがちに 規制されていたのですが、少しそういう理解もあって、 臨床研究が少しずつやり易くなってきました。特に臨 床試料を研究者が使うことはこれから非常に重要で、 そういう制度改革とか規制緩和ではありませんが改善 をぜひお願いしたいです。 山西───患者さんの血清を使わせていただくについて は何か説明されたのですか? 庵原───今回は同意書を取り直しました。ワクチン研 究をやる上で患者さんの血清を採取するときに、最近 は、余った血清を、発熱などいろいろな事が起こってく る危険性の研究などに広く使える形の同意をとる方向 で進めています。 山西───是非そうして頂きたいですね。 庵原───例えば大人のH5N1でも、 ベトナム株で神谷先 生が臨床試験をやられたときは、ベトナム株に対する 血清抗体のプレ・ポストしか測れなかったのが、今回、 私たちが臨床試験をしたときはインドネシア株を打っ たときに出来た抗体が、他の株や新しく出てきた株に 働くかというそこまで試験できるようにしました。が んじがらめの治験の計画を作るのではなくて、新しい 情報が得られたときに対応できるような治験計画を組 むという方向へ進めています。 山西───指針に沿って総括的な同意書をとる方向でや ればもっと研究は進み安全なワクチンができると思い ます。 石井───そうすれば高額な治験が少しでも役に立ちま す。 庵原───メーカーの治験はがんじがらめなのです。臨 10 JANUARY 2 014 / H U M A N S C I E N C E I N T E R FAC E い将来ターゲットにするべきなのは、何でしょうか? 庵原───若い女性のサイトメガロウイルスの抗体保有 率が50%くらいに落ちているのです。多分これから小 児科で話題になってくるのは、先天性サイトメガロウ イルス感染が増えてくるので、それに対する対策です。 対策をやれといわれてもワクチンがない状態での対策 は難しいのでサイトメガロウイルスのワクチンがター ゲットの一つだと思います。 山西───それとノロワクチンですが、ノロワクチンは いま清野先生がやっておられるのでしょう。 清野───私たちが最近進めているのは、ノロワクチン に関して、ノロウイルスに対する中和抗体を先ほどご 紹介したムコライスという米発現系を駆使して作るこ とに成功しました。それを粉末化し水に溶かして飲む ことによって、ノロウイルスに対する中和抗体を経口 的に投与してウイルスの増殖を抑制して下痢を予防す るというものです。この中和抗体を発現するムコライ スは、新しい治療型もしくは予防型経口ワクチンとし て注目され、今年の8 ~ 9月にかけてNature誌ならび にその姉妹誌でHighlightとして取り上げられました。 中和抗体を経口投与する新しいコンセプトとしての米 型経口ワクチンとなることを期待して開発・研究を進 めています。 山西───ノロワクチン自身の開発はどうなっているの でしょうか? 庵原───アメリカはVLP(virus-like particle;ウイル ス様中空粒子)でBaylor College of MedicineのMary K. Estes博士らがやろうとしています。 庵原 ───ロタウイルスがなくなれば胃腸炎でdisease burdenとして大きいのはノロウイルスですね。 山西───特に子供ではそうですね。 庵原───子供はもちろんですがノロウイルスは大人で も結構感染します。 山西───これからワクチンのターゲットになるのは? 石井 ───わが国だと、もう一つはRSV(respiratory syncytial virus;RSウイルス )でしょうね。これは小 児科の先生のmedical needsが非常に高いです。 山西───RSVはかかる時期が早いです。 庵原 ───早いですね。いまRSVに はパリビズマブを使っていますが、 あれは医療費の持ち出しです。パ リビズマブを使ったら薬剤購入費 がぐんと上がります。 山 西 ─── パ リ ビ ズ マ ブ は 抗 体 で しょう。 庵原 ───RSVのFタンパクに対す るモノクロナル抗体です。大変高 庵原 俊昭 価な薬剤です。一人治療するだけでも薬剤費が上がり ますから、ワクチンで予防しないと駄目です。あの薬 床治験はそれがわかってきたので大分広げて出来るよ うになりました。メーカーの治験では余った血清をほ かの目的には使えなくしているので、そこをもう少し ゆるく出来ないものですかね。 石井───PMDA( (独)医薬品医療機器総合機構)の 科学委員会でも問題になっていて、治験から得られる 情報がその次の治験や審査行政そのものにもあまり生 かされていない。それはある企業のデータと別の企業 のデータとを組み合わせた研究などが出来ないシステ ムになっているからです。日本で制度的にそれが出来 るようになれば、populationの数が大きいので最高の 疫学となります。 清野───そういう流れの中では、バイオバンクなどが あります。今は特定の疾患のバイオバンクはあります が、ワクチン接種の場合には、投与後それらの人をかな り長い間follow-upして、血清と将来的には粘膜ワクチ ンを視野に入れて分泌液を採取・保存するようなバイ オバンクがあってもおかしくないし、中長期的なワク チン開発に使えるデータが取れるなと思いながら先生 方のお話を聞いていました。また、ワクチンの安全性 という視点からも貴重なデータになると思います。 山西───例えばがん登録というのがあります。今のよ うにばらばらでいろいろなところがやっていては使え るデータにはなりません。コントロールセンターのよ うなところがあれば、治験は各メーカーでやればよろ しいが、そこに全部登録してもらう、そういうシステム があればよいのですが。 清野───そう、余剰のサンプルはそのセンターに提供 し保存してもらい、データ化していけばすごいものが 出来るはずです。 山西───厚生労働省などに働きかけて、そのようなセ ンターが出来れば、将来非常に役に立つだろうと思い ます。 石井───ヒトのサンプルにもレベルがあって、臍帯血 の細胞からiPS細胞を作るには再同意が必要かもしれ ませんが、ワクチンの治験の血清を再同意なしで科学 研究に使わせていただくことぐらいは是非やれるよう にしてほしいです。 山西───バイオバンクを作ろうとすると場所もシステ ムもなくては出来ません。日本にも国でそういうもの を作るべきだと思います。 庵原───メーカーの開発治験はデータも膨大で血清も たくさん集まり非常に貴重なものですが、それらが抱 え込まれていたり、捨てられているのは大変もったい ないと思います。 感染症のワクチン 山西───それから、こと感染症のワクチンで我々が近 11 JANUARY 2 014 / H U M A N S C I E N C E I N T E R FAC E 剤は日本の医療制度をつぶす薬ですよ(笑)。今年か ら免疫不全症やダウン症にまで適応が増えましたの で、使う人が増えてくる、今後子供は全員投与しろとい うことになれば、予算がとうてい追いつかないような 状態になるでしょう。 山西───その薬は保険採用になっていますか? 庵原───保険適用されています。RSVはこのごろ夏で も流行るようになってきました。 山西───インフルエンザを含めて診断が出来るように なると、やたらその疾患が多くなります。子供にとっ てはRSVは重要、ノロウイルスも重要、ですが、これか ら世界に貢献しようと思ったら、マラリアとかデング 熱ですよ。エイズウイルスは勿論ありますが、エイズ はなかなか難しい、いま感染症研究所の俣野先生が研 究されているワクチンがアメリカで試験されようと していますが、画期的に効くかどうかはこれからです。 それに比べて、例えばデング熱のワクチンはpromising なワクチンも出つつありますが、マラリアに関しては エイズと同じようなレベルかと思います。 石井───そうですね。本当にワクチンが出来るのかと いう疑義があるほど難しいのがHIVとマラリアです。 結核やデング熱も非常に重要ですが、この四つはワク チンが出来るか出来ないか、儲かるか儲からないか、と はまったく別に先進国の義務として開発を進め続ける 必要があるワクチンではないでしょうか。じゃぁ、出 来るのかという話になると永遠の話になってしまいま す。最近GSK社でもマラリアワクチンは最後のとこ ろでドロップしましたし、ほかの製薬企業もおっくう がってなかなか手を出してきません。 清野───現実問題としては、日本の気候も亜熱帯化し てきている中で、いままでは対岸の火だった感染症の 一部が、いつ入ってきてもおかしくない状況だと思い ます。そういうことを考えるとデング熱やマラリアは、 何時我が国に入ってきてもおかしくないくらいの見識 が必要だと思います。ウエストナイルウイルスだって そうです。そういう視点で今後のワクチン開発のター ゲットを検討するのも重要だと思います。 感染症以外のワクチン 山西───感染症のワクチン以外ですが、石井先生のス ライド(表2)ではすべての疾患のワクチンを開発候補 にしてらっしゃいます。石井先生いかがですか。 石井───要は創薬という言葉をキーにして、 低分子、中 分子、核酸医薬、抗体医薬、細胞療法とありますが、その 一つとしてワクチンが創薬の手段になってきていま 表2 ワクチン予防ないし治療が期待される「非」感染症疾患 分類 神経疾患 循環器疾患 疾患 アルツハイマー病 パーキンソン病 クロイツフェルト・ヤコブ病 動脈硬化症 自己免疫・アレルギー 高血圧症 多発性硬化症 1 型糖尿病 重症筋無力症 標的抗原 アミロイドβ αシヌクレチン プリオン Cholesteryl ester transfer protein ApoB100 oxidized LDL アンジオテンシン I/II Glatiramer acetate Myelin Basic Protein MBP 特異的 T 細胞の T 細胞受容体 インスリン、GAD アセチルコリン受容体 特異的 T 細胞の T 細胞受容体 花粉抗原・ネコ抗原などアレルゲン IL-5 癌抗原 それぞれの中毒物質 腫瘍 中毒 花粉症などアレルギー 気管支喘息 癌 ニコチン、コカイン、フェンサイクリジン メタンフェタミン ヘロイン・モルヒネ 炎症 慢性関節リウマチ TNF α 他 避妊 肥満症 骨粗しょう症 HCG、GnRH Ghrelin TRANCE/RANKL 鉄谷耕平 , 小檜山康司 , 石井健 PharmaMedica29(4): 9 -16 2011 12 JANUARY 2 014 / H U M A N S C I E N C E I N T E R FAC E す。つまり感染症だけでなく身体から除きたいもの、 ブロックしたいもののターゲットが決まっていれば、 それに対するワクチン療法は成立するということが 徐々に証明されてきているので、海外の製薬企業は必 死に本気で禁煙ワクチンとか避妊ワクチンや肥満ワク チンの話をものすごい勢いでやっているのを見ると、 さて日本はどうかと考えると危機感を感じます。 山西───サイエンスが進んで、そこまでメカニズムが わかってくるとワクチンを作ろうということになりま すよね。それでターゲットになるのはがんとアルツハ イマー病だと思うのです。この二つはどの製薬メー カーでもターゲットにしたいと思っているでしょう。 がんのワクチンを研究している先生はずいぶん居られ る。しかし、ワクチン学会でがんワクチンの発表はあ りませんね。 清野───がんワクチンの場合は別にそれを専門とする 学会があるようです。 山西───ワクチン学会に入っているのですか? 清野───その先生方はほとんど入っていないと思いま す。 山西───アジュバントの研究がこれだけ進んだら、が んもひょっとしたら、ワクチンの中に入ってもらわな くてはいけないかもしれませんね。 清野───そこは非常に大きなポイントだと思います。 いまのがんワクチンの投与のプロトコルを見せていた だいて思うことは、免疫学で蓄積された免疫・寛容誘導・ 制御に関する情報を基盤として事実をプロトコルに反 映することが大切だと思います。 山西───実はアジュバントのガイドラインを作ってほ しいといわれたときに、ターゲットはがんだといわれ ました。 庵原───タンパク質の分子の部分だけを投与しても免 疫は上がらないです。何か認識を高めるものを一緒に 投与しないと。 石井───我々ワクチン屋にとっては当然の事実なので すが、がんの生物学から入るとde novo のがんペプチ ドの抗原があればそこでワクチンが出来るとなってし まい、アジュバントなどが重要とは理解されても開発 研究としては二の次になってしまっているのが現状で す。 山西───是非、 感染症のワクチン、免疫学のサイエンス から出てきた知識とがんやアルツハイマー病とをリン クさせるというのが重要です。 石井───がんもそうでしょうが、やはりもともと免疫 寛容がおきているもの、難病といわれる長期に感染を 起こすような慢性疾患に対するワクチンは、エイズや マラリアと一緒で技術的にもハードルがたくさんあっ て、アジュバントを入れれば有効率がすぐに100%にな るようなばら色の将来でもないです。そこはまだまだ 分かっていないことが多いです。 今後のワクチン開発 山西───ここは是非、世界初で日本発のワクチンを開 発するためには、投与法を変えて効果のあるワクチン の投与方法を開発しておられる清野先生やアジュバン トの研究で世界的に活躍している石井先生たちがドッ キングし、それに製薬メーカーが一緒になれば、世界で 戦えるワクチンが出来ると思います。そのためにはレ ギュレーションも含めていままでのやり方を変えてい く必要があると思います。例えば感染症のワクチンで も10万人に一人や100万人に一人、副作用が出るという ことであれば治験はあまり役に立ちません。安全性が 動物を含めて担保されれば、とりあえず投与してみて、 そこで得られたポストマーケットのデータは非常に役 に立つと思います。100万人を治験でやれといわれて もまず出来ません。 石井───仰るとおりです。世界との競争も含めて戦略 的にやるには、有名な子宮頸がんワクチンやロタワク チンの10万人近い規模の治験をして有効性を示す必要 があるという通常の臨床試験の手法、考え方をガラッ と変える必要があります。いま再生医療などでは途中 で承認して、それから販売後調査などをきちんとする という新たな治験制度を導入することが決まっていま すが、ワクチンも同じことが言えて、ロジックが10万人 に一回、100万人に一回起こる副作用を検出できない のであれば、販売後も調査をしながら進めていくほう がコストも時間も努力も節約できます。 清野───日本のワクチンを作る技術を考えたら、一番 安全性の高いワクチンを作る技術を持っているわけで すから、それを生かして動物での安全性がきちんと確 認できたら、すぐにヒトに投与出来るようなシステム を考えて行くことは出来ないでしょうか。 山西 ───そこから広げて行き、100万人ぐらいまでは 報告義務をつけてフォローアップをするシステムにす れば、それからは安心して10年20年継続するワクチン が出来ると思います。それにかかわっている庵原先生 や石井先生には是非このようなシステムを作っていた だきたいと思います。 石井───特に次世代の新しいワクチンはその方式は大 事ですが、喫緊の課題としては混合ワクチン、別々の会 社が持っているワクチンを組み合わせる、もしくは一 つの製剤にしてしまう、といったことがワクチンの数 が多いのですごく必要になると思います。しかし、そ れをやるには、例えば5つを混ぜたものを治験するの か、それも最初からやるのか、どの程度まで見るのか、 を考えたときに、Phase I、II、IIIの話をしていては、 いつまでたっても混合ワクチンは出来ません。ここは 13 JANUARY 2 014 / H U M A N S C I E N C E I N T E R FAC E まさに規制とのカップリングが必要なところです。 山西───アメリカにFDAがあり、ヨーロッパにEMA があり、そこでレギュレーションについてディスカッ ションされていますが、FDAは比較的堅い、ヨーロッ パは比較的スピーディ、日本はそれらを取り入れて上 手にやらないと世界に打って出るようなワクチンは出 来ません。とりもなおさず子供や開発途上国の人々に とってもスピードが遅いことはよくありません。まず 日本発のワクチンはヨーロッパに持って行くよりも最 初は東南アジアに持って行くべきだと思います。 庵原───同じ意見です。人口も多いし、インドネシア などはよい市場だと思います。 山西 ───そういう時期に達しているのでサイエンス ベースで研究するべきでしょう。それでも分からない ことは沢山あります。 石井───ワクチンは、 名前は古いですが、やればやるほ ど新しい知見が沢山出てきて、世界的にもワクチンの サイエンスは認められてきているので、若い研究者を 呼び込みやすい状況にあると思います。昔は感染症も 無くなってしまい、そういう研究は必要ないという時 期もあったと聞いていますが・・・。 清野───山西先生がリーダーシップをとって作ってい ただいた先端医療特区(スーパー特区)ワクチンのコ ンセプトは、継承して行くべきで、ワクチンメーカー、 細菌学者、ウイルス学者、免疫学者、倫理専門家、審査専 門家などが集まってオールジャパンで進めることが重 要です。 山西───あのようにオールジャパンでやるのは良いシ ステムです。 石井―研究費はプロジェクト制になるので細切れにな らざるを得ないです。 清野───ああいう形式での産官学研究を継続的にやっ て行くのは、世界初、日本発のワクチンを作って行くた めには重要だと思うし、開発研究が途切れるのはよく ないので、継続して行く環境づくりが重要だと思いま す。 山西───本日は熱心なご討議をありがとうございまし た。これで本日の座談会は終わらせていただきます。 庵原 俊昭 いはら・としあき (独)国立病院機構 三重病院 院長 兵庫県生まれ 三重県立大学 医学部卒 医学博士 専門は小児科学、感染免疫学 清野 宏 きよの・ひろし 東京大学医科学研究所 所長 東京大学医科学研究所 炎症免疫学分野 教授 長野県生まれ 日本大学 松戸歯学部卒 アラバマ大学 バーミンガム校 メディカルセンター 医学系大学院博士課程終了 医学博士 専門は粘膜免疫学、ワクチン学 この座談会は平成25年9月13日に行われました。 石井 健 いしい・けん (独)医薬基盤研究所 アジュバント開発プロジェクトリーダー 福岡県生まれ 横浜市立大学大学院 医学系研究科 博士課程修了 博士(医学) 専門は免疫学、ワクチン学 山西 弘一 やまにし・こういち (一財)阪大微生物病研究会 理事長 兵庫県生まれ 大阪大学 医学部卒 大阪大学大学院 医学系研究科 博士課程終了 医学博士 専門はウイルス学 14 JANUARY 2 014 / H U M A N S C I E N C E TOPIC Ⅰ アレルギー疾患を対象とした 治療ワクチンの開発、現状と課題 (独)理化学研究所 統合生命医科学研究センター ワクチンデザイン研究チーム チームリーダー 石井 保之 る。このような状況を打開するためには、現在有効な 治療法がない食物アレルギー患者さんの不安材料を完 全に取り除く必要があり、そのためには原因となって いる食物アレルゲンに対する免疫寛容を誘導する方法 が最も有効であると考えられる。しかしながら現状で は、喘息、アトピー性皮膚炎、アレルギー性鼻炎や結膜 炎等の様々なアレルギー疾患に対する治療法はステロ イド薬や抗ヒスタミン薬等で症状を抑える対症療法で あり、食物アレルギーの患者さんに免疫寛容を誘導す る治療にはなり得ない。 本稿では、アレルギー疾患の中でも原因アレルゲン がはっきりされている花粉症や食物アレルギーについ て、根本治療する治療ワクチンの開発状況とそれらの 課題を紹介したい。 1─はじめに アレルギー疾患は社会の近代化の振興がもたらした 現代病であると言っても過言ではない。その患者数の 増大には、飲食物への添加剤の増加、大気汚染の拡大や 密閉性の高い住居での生活など様々な環境的要因が影 響していることが示唆されている。アレルギー素因で ある遺伝的背景も明らかになりつつあるが、古代から 現代に至る過程で遺伝子が突然変異を起こして、アレ ルギー体質になったとは考え難いので、環境的要因が 強く影響することが理解できる。現代社会では、アレ ルギー疾患の原因となっている環境的要因を取り除 き、すべて自然に包まれた衣食住環境にもどすことは 難しい。今日のアレルギー疾患患者数の増大は乳幼児 から成人まで様々な弊害を生み出しており、社会問題 化している。特に、春季のスギ花粉症は日本固有のア レルギー疾患で患者数が国民の3割を超えて増加して いることから、様々な機会損失、例えば労働意欲や注意 力の低下による生産性の悪化や保険医療費の増加が日 本経済と政府予算に悪影響を及ぼしている。今後の日 本経済復興の足かせにも成りかねない状況にあること から、スギに限らず様々な花粉症に対処できる画期的 な治療法が求められている。また昨今、学童給食で発 生する食物アレルギー保持児童の誤食によるアナフィ ラキシーの発症が重大な問題である。児童の保護者と 学校関係者に大きな経済的または精神的負担を強いて いるのが現状であるが、食物アレルギーに伴う誤飲食 事故は学童給食に限らず、家庭や外食産業においても、 数々の問題が生じている。食物アレルギーを持つ患者 さんにはアレルゲン除去食を提供する必要があるた め、一般社会生活、例えばコミュニケーションやレクリ エーションの場における飲食で様々な制約を受けてい ることが予想される。また、飲食物を提供する食品メー カーや飲食店側にも食物アレルギー対策の徹底が求め られることから、多大な予算と労力を費やすことにな 2─スギ花粉症の治療ワクチン 1)天然抗原を用いる抗原特異的免疫療法 原因抗原(アレルゲン)が特定されている花粉症や 一部の喘息疾患に対しては、現存する唯一の根本治療 である減感作療法(抗原特異的免疫療法)が適用可能 である。本邦において、スギ花粉症を対象とする皮下 注射による免疫療法(SCIT)は、1964年に製造承認 を受けた治療用標準化アレルゲンエキス皮下注「トリ イ」スギ花粉®を用いて実施される。適応症例は、小児 (5歳以上)と成人で、以下の4つの基準を考慮して選択 される1)。 適応症例 ・スギ花粉症の診断が確定している患者 ・ヒスタミンH1受容体拮抗薬、ロイコトリエン受容体 拮抗薬、鼻噴霧用ステロイド薬の投与などで症状を 十分にコントロールできない患者 ・長期の薬物療法を望まない患者 ・薬物療法で望ましくない副作用が現れる患者 適応外(禁忌)症例 15 JANUARY 2 014 / H U M A N S C I E N C E TOPIC Ⅰ ・β阻害薬使用中の症例 ・% FEV1が70%以下、または不安定な気管支喘息患 者 ・全身ステロイドの連用や抗癌剤を使用している患者 ・治療開始時に妊娠している症例 ・急性感染性に罹患している症例 ・自己免疫疾患の合併や既往、または濃厚な家族歴を 有する患者 SCITでは、治療用標準化アレルゲンエキスが前腕ま たは上腕の皮下に注射され、注射後20 〜 30分間はアナ フィラキシーショックの発生に対処するため医師の監 視下におかれる。よって投与のたびに通院する必要 がある。スギ花粉飛散時期を避けて開始され、初回注 射用量は皮膚反応閾値かその十分の一と定められて いる。段階的に投与量を目標の維持量まで高めていく 増量法には、50%増量法、100%増量法、クラスター 法、ラッシュ法がある。前の2つの増量法が一般的で安 全性が高いが、維持量に達するまでの期間が長く、頻 回の通院が必要である。一方、後の3つの増量法は、短 期間に維持量に達することを狙うが、全身性の副作用 の可能性が高まるため、専門施設でのみ実施される。 SCITが抱える大きな課題は、皮下注射後のアナフィラ キシー誘発の副作用と長期間の頻回通院であったが、 近年その課題を解決すべく舌下免疫療法(SLIT)が 開発されている。SLITは欧州では盛んで、様々な原因 抗原のエキスが液剤または錠剤の医薬品として認可 されている。作用メカニズムに関する研究も進んで おり、IL-10産生性T細胞の誘導など制御性T(Treg) 細胞の誘導や免疫寛容誘導に対する機能に注目が集 まっている。舌下に存在するFcεRI発現ランゲルハ ンス様細胞がIgEを結合し、SLITで供給される抗原を IgE/FcεRIを介して取り込んだ後に、IL-10、TGFβ、idioleamine 2-dioxygenase(IDO)依存性にTreg 2) 細胞を誘導するモデルが提唱されている 。スギ花粉 症患者ボランティアを対象とした臨床研究において も、血中にIL-10産生性CD4+CD25+Foxp3+T細胞の出現 とSLITの治療効果の相関性が報告されている3,4)。本 邦でも治療用標準化アレルゲンエキス皮下注「トリイ」 スギ花粉®をSLIT用に転用した医薬品が、間もなく薬 価収載される予定である。スギ花粉症患者の中で年齢 12歳以上がSLITの対象者となる。SLITもSCITと同様 に花粉飛散時期には開始せず、開始後は少なくとも2年 間毎日連続して投与可能でかつ、最初の1年目は2週に1 回、その後は月に1回の受診が条件となる。初回投与は 専門医がいる医療機関で実施し、投与後30分間は安静 な状態で観察する。2回目以降の投与は自宅で長期間 継続できる時間帯に、2分間舌下にアレルゲンを保持 した後、飲み込む方法を取る。最初は低用量から始め るが、SCITとは異なり全身性副作用の危険性が低い ことから増量期は1 〜 2週間で、短期間の間に維持期に 入ることができる。SLITに特有の副作用は投与部位 に関連した、口腔浮腫、口内炎症状、咽頭刺激感、口腔搔 痒の症状が知られている。また全身性副作用を発生さ せないように、投与後最低2時間以内は激しい運動、ア ルコール摂取、入浴は避けるよう指導される。SLITは SCITのデメリットである通院回数を大幅に減らすメ リットがあるが、逆に患者単独での投薬回数が増える ことになるので、担当医師のしっかりとした指導と患 者の投与方法遵守の徹底が求められる。 課題:スギ花粉症治療のためのSLITとSCITには、治 療用標準化アレルゲンエキス皮下注「トリイ」スギ 花粉®が用いられる結果、スギ花粉中のすべてのア レルゲンに対する減感作が成立する可能性が高い。 その一方で、スギ花粉症患者の大半が同じ春季に飛 散するヒノキに対するアレルギー症状を示すこと も報告されており、仮にスギ花粉に対する減感作が 成立してもヒノキ花粉症の症状が残るため、QOL が改善される治療効果が春季に実感できない可能 性がある。今後もし、様々な花粉アレルゲンエキス の医薬品が認可されれば、花粉症患者が季節ごとに 反応する花粉のすべての種類に対する減感作を誘 導するSCITやSLITが実施できることになる。しか しながら、花粉エキスには天然アレルゲンが含まれ ているわけであるから、依然アナフィラキシー誘発 の可能性が否定できないことになる。その解決策と しては、立体構造を変換してIgE抗体への結合能を 低下させた人工アレルゲンの利用が考えられる。 2)人工抗原を用いる抗原特異的免疫療法 新たに開発する人工アレルゲンには、投与ルートに 関わらず、アナフィラキシーショックを誘発しない工 夫を施して、より安全な医薬品として開発することが 求められる。仮に体内に大量に放出され全身を循環し たとしても、アナフィラキシーショックを誘発しない 人工アレルゲンをデザインする必要がある。抗体には IgM, IgG, IgD, IgE, IgAの5つのアイソタイプがある が、IgEアイソタイプ抗体の多くが、タンパク質の立 体構造を認識して結合することが知られている。肥満 細胞表面上のFcεRIに捕捉されているIgE抗体にア レルゲンが結合して、IgE/FcεRI複合体が複数架橋 されることによって、脱顆粒が誘発されるので、IgE 抗体に結合しない人工アレルゲンはアナフィラキシー を誘発しないことになる(図1)。 過去には、グルコースが重合した多糖類のプルラン をスギ花粉由来精製塩基性タンパク質(Cry j 1とCry j 2の混合標品)に結合させた製剤、CS-560を株式会 社林原生物化学研究所と三共(現 第一三共)株式会 社が共同開発した例がある。CS-560はプルランによ る立体障害によりスギ抗原単独よりも100倍以上低い 16 JANUARY 2 014 / H U M A N S C I E N C E TOPIC Ⅰ IgE抗体結合能を示した5)。また薬効面では、スギ花粉 特異的T細胞をin vitro の系でCS-560と抗原提示細胞 で複数回刺激を加えるとIFN-γ産生性Th1細胞へ分化 できることや、IgE抗体産生をin vivo で抑制できるこ とも報告されている6,7)。CS-560はSCITによる第Ⅰ相 と第Ⅱ相臨床試験において、安全性と有効性が確認さ れたが、続く多施設による第Ⅱ相臨床試験にて市販薬 である治療用標準化アレルゲンエキス皮下注「トリイ」 スギ花粉®との比較試験では同程度の有効性であった ため、開発が中止されている8)。 Toll様受容体(TLR)リガンド化合物で修飾したア レルゲンはTh1細胞分化を優位にすると同時に、IgE 抗体との結合能を低下させる機能もあることから、新 規アレルギーワクチンとして開発されている。TLR-9 のリガンドでは、バクテリアDNA由来のCpGモチー フ ま た はimmunostimulatory sequence(ISS) と 呼 ばれるDNA配列を保持するプラスミドDNAもしく はオリゴデオキシヌクレオチド(ODN)の利用が挙 げられる。ブタクサ花粉症の主要アレルゲンである Amb a 1とISSの複合体が、Amb a 1とアラムアジュ バントで免疫したマウスの二次的IgG2a抗体産生を 高めるとともに、IgE抗体産生を抑制することが報 告されている 9)。Dynavax Technologies社はISS結合 Amb a 1の製剤であるTOLAMBAの臨床開発を実施 したが、第Ⅲ相臨床試験で統計学的有意差が確認され ず開発を中止している。TLR-4のリガンドであるリポ 多糖(LPS)の無毒化派生体であるmonophosphoryl lipid A(MPL)は、強力なTh1誘導アジュバントであ り、抗原と同時投与すると抗原特異的IgG2抗体価が上 昇するのと逆相関的に抗原特異的IgE抗体産生が抑 制される10)。MPLで修飾されたアレルゲンがAllergy Therapeutics社によって開発されている11,12)。TLR-4 はヒト樹状細胞にも発現していて、それをMPLが刺激 してIL-12産生を誘導できることから、Th1細胞の分 2JAU/ml × 0.05ml ↓ 1w 2JAU/ml × 0.1ml ↓ 1w 2JAU/ml × 0.2ml ↓ 1w 2JAU/ml × 0.4ml ↓ 1w 20JAU/ml × 0.05ml ↓ 1w 20JAU/ml × 0.1ml ↓ 1w 20JAU/ml × 0.2ml ↓ 1w 20JAU/ml × 0.4ml 1w 200JAU/ml × 0.05ml ↓ 1w 200JAU/ml × 0.1ml ↓ 1w 200JAU/ml × 0.2ml ↓ 1w 200JAU/ml × 0.4ml ↓ 1w 2,000JAU/ml × 0.05ml ↓ 1w 2,000JAU/ml × 0.07ml ↓ 1w 2,000JAU/ml × 0.1ml ↓ 1w 2,000JAU/ml × 0.15ml ↓ 1w 2,000JAU/ml × 0.2ml ↓ 1w 2,000JAU/ml × 0.3ml 化を促進してIgE抗体産生を抑制するアプローチは成 立する可能性が高い。 課題:アレルゲン特異的にTh1応答を高める試みで はあるが、抗原非特異的に機能するIFN-γ、IL-6や TNF-α等の産生を伴うので、自己免疫疾患の発症や 全身性炎症反応に注意が必要である。 組換えアレルゲンを利用した免疫療法では、スギ花 粉症を対象としたT細胞エピトープを連結したハイブ リッド連結ペプチド、MT-201とCS-712が開発された 事例がある13,14)。いずれも主要アレルゲンであるCry j 1とCry j 2タンパク質領域の中からスギ花粉症患者T 細胞が反応するエピトープペプチドを複数選択して、 それらを連結した遺伝子を合成し組換えタンパク質と して製造している。MT-201としての臨床開発は中断 されたが、開発コードをTAC-201に変え、現在皮下投与 での臨床試験が実施されている。CS-712の臨床試験は 経口投与ルートで実施されたが、十分な有効性が得ら れず臨床試験が中止されている。いずれのハイブリッ ド連結ペプチドもIgE抗体を結合しない構造をとるこ とから、アナフィラキシー誘発の危険性が極めて低い ことが予想された。 課題:ハイブリッド連結ペプチドの作用機序は、T細 胞エピトープペプチドによる不応答(アナジー)誘 導であるが、スギ花粉症患者末梢血中に存在するス ギ抗原反応性のCD4陽性T細胞エピトープを全てカ バーしていないため、アナジーが誘導されないCD4 陽性T細胞が多数残存することになり、それらはIgE 産生B細胞の分化を誘導し、アレルギー応答を誘発 することに働くことになる。また、ポリペプチドの 経口投与では消化器系での分解や消化管吸収の効 率が問題となる。今後、リポソームなどのドラッグ デリバリーシステムやアジュバント化合物との併 用によって、有効性を高められる可能性が残されて いる。 組換えスギ花粉抗原融合タンパク質はハイブリッド 連結ペプチドの欠点を補うために設計された。まず全 てのスギ花粉症患者さんに対して高い有効性を発揮さ せるために、Cry j 1とCry j 2の成熟領域全アミノ酸 配列を直接結合させて、Cry j 1蛋白質とCry j 2蛋白 質上の全てのT細胞エピトープ配列を含める設計にし ている。同時にアナフィラキシー誘発を回避する安全 性担保の措置としては、Cry j 1とCry j 2の成熟領域 全アミノ酸配列を直接結合させた。つまり、この融合 タンパク質はCry j 1とCry j 2それぞれが天然型の立 体構造を回復することができず、IgE抗体が結合する エピトープ構造が破壊されることを想定している。通 常、天然型の立体構造を持たない蛋白質は不安定で、大 腸菌で発現させた場合には不溶性画分の封入体に蓄積 されるため、水溶性タンパク質として回収することが 2,000JAU/ml × 0.3ml ↓ 2w 2,000JAU/ml × 0.3ml ↓ 3w 2,000JAU/ml × 0.3ml ↓ 4w 2,000JAU/ml × 0.3ml ↓ 4w 2,000JAU/ml × 0.3ml ↓ 4w ----------------------↓ 4w 2,000JAU/ml × 0.3ml ↓ 2w 2,000JAU/ml × 0.3ml ↓ 2w 2,000JAU/ml × 0.3ml ↓ 2w 2,000JAU/ml × 0.3ml ↓ 4w 1w 図1 アレルゲン治療エキストリイの 皮下投与によるアレルゲン免疫療法 17 JANUARY 2 014 / H U M A N S C I E N C E TOPIC Ⅰ する以外に、二次的にTreg 細胞の分化・増殖に関与す ることが知られている。組換えCry j 1/2融合タンパ ク質を含むα-GalCerリポソームのスギ花粉症ワクチ ンは、投与後、脾臓辺縁帯B220陽性細胞に取り込まれ、 iNKT細胞およびナイーブCD4陽性T細胞と会合する ことによって、アレルゲン特異的Treg細胞を誘導でき る能力を示す。卵白アルブミン(OVA)を含有する α-GalCerリポソームを用いたマウスのモデル実験で は、ワクチン投与によりOVA特異的に抗体産生を抑制 するTreg細胞の出現が認められている15)。体内での アレルゲン特異的Treg細胞の誘導は、長期間に渡り 免疫寛容を維持できる可能性を示唆している。今 後、スギ花粉症ワクチンとしてα-GalCerリポソーム の安全性と有効性が確認されれば他のアレルゲン、例 えばヒノキ、ブタクサ、シラカンバ等の花粉主要抗原の Treg細胞エピトープペプチドだけをリポソーム内に 封入するだけで花粉症全てを包括的に治療するアレル ギーワクチンの製造が可能となる。またダニやカビ抗 原由来のTreg細胞エピトープをリポソーム内に封入 することができれば喘息やアトピー性皮膚炎の根本治 療につながるワクチンを作ることも夢ではない。 課題:アレルゲンタンパク質上のTreg細胞エピトー プの同定技術が十分には確立していない。 困難である。この問題を解決するため我々は大腸菌発 現系で封入体に発現させた融合タンパク質をポリエチ レングリコール(PEG)修飾で可溶化する技術を確立 した。この技術により、IgE抗体との結合能を持たな い性質と水溶性の両方を持つPEG化融合タンパク質 を生産することが可能になった。スギ花粉症患者100 名の血清中IgEとPEG化融合タンパク質との結合能を in vitro で調べた結果、スギ花粉由来の天然型Cry j 1タ ンパク質に強い反応性を示すIgE抗体を持つ患者血清 でも、PEG化融合タンパク質はほぼ全く反応性を示さ ないことが確認されている。さらにC57BL/6 x DBA2 F1(BDF1)マウスを用いたin vivo 実験では、スギ塩 基性蛋白質またはPEG化融合タンパク質を水酸化アル ミニュムゲル(アラム)アジュバントと一緒に腹腔内 に投与した後、SBPまたはPEG化融合タンパク質でそ れぞれ追加免疫した結果、Cry j 1特異的IgE抗体価は、 SBP免疫マウスでは上昇したが、PEG化融合タンパク 質を免疫したマウスでは上昇しないことが確認されて いる。また、PEG化融合タンパク質自身に対するIgE 抗体価の上昇も認められなかった。次に、SBP/アラ ムアジュバント感作後、SBPでブーストしてIgE抗体 価を最大に上昇させたマウスに、PEG化融合タンパク 質を投与した。その結果、Cry j 1特異的IgE抗体価の 上昇は認められずむしろ低下し、さらにその後のSBP でのチャレンジでもCry j 1特異的IgE抗体価は上昇し なかった。以上の結果から、PEG化融合タンパク質は、 天然型Cry j 1特異的IgE抗体も融合タンパク質に対す るIgE抗体も産生誘導しない安全な減感作抗原になり 得ることが示唆された。現在、PEG化融合タンパク質 の開発は、理化学研究所と鳥居薬品工業が共同で、減感 作抗原としての前臨床試験を進めている。PEG化融合 タンパク質の治験薬GMP製造が完了すれば、リポソー ムワクチンに封入する抗原として利用できる可能性が 高い。 課題:アレルゲンタンパク質全長の分子量が大きい場 合には組換え体の製造がボトルネックになる。可溶 性の組み換え改変タンパク質を大量生産できる宿 主・ベクター系が必要である。 自己免疫疾患と同様にアレルギー疾患に対してもアル ファ・ガラクトシルセラミド(α-GalCer:KRN7000) はアレルゲン免疫療法において、アジュバント機能 を示すことが明らかになっている(図2)。通常、α -GalCer単独のアジュバント効果は、樹状細胞と不変ナ チュラルキラー T(iNKT)細胞の会合によるIFN-γ 産生を伴うTh1応答を増強する免疫賦活作用が主体 であるのに対して、α-GalCerリポソームのアジュバ ント効果では、B細胞マーカーを持つ抗原提示細胞と iNKT細胞との会合を伴うIL-10産生が増強され、免疫 抑制が主体となる15)。IL-10は直接T細胞の増殖を抑制 3─食物アレルギーの治療 アレルギー疾患の中でも食物アレルギーは、全身性 アナフィラキシーを誘発する危険が高く、患者は乳幼 児から学童に多い。有効な治療法がない現状では、ア レルゲンとなる鶏卵、牛乳、ピーナッツ、そば等を使っ た飲食物や加工食品を除去することが求められる。成 人になるに従い自然寛解を迎えるケースが多いことも 報告されているが、そこに至るまでの期間はアレルゲ ン含有食品の誤食によるアナフィラキシーショックや 除去食に伴う栄養不良など日常生活に大きな支障を与 えることになる。 食物アレルギーは花粉症と同様、原因となるアレル エピトープペプチド含有 α-GalCer リポソーム NKT 辺縁帯 B220 陽性細胞 Treg 細胞 α-GalCer : KRN7000 IL-10 CD4 陽性 ナイーブ T 細胞 アレルゲン アレルゲン 抑制作用 Th2 細胞 抗原提示細胞 CD4 陽性 ナイーブ T 細胞 IgE IL-4 Bμ細胞 Bε細胞 プラズマ細胞 図2 α-GalCerリポソームワクチンによるIgE抗体産生の機序 18 JANUARY 2 014 / H U M A N S C I E N C E TOPIC Ⅰ ゲンの同定が可能であることから、原理的にはSCITや SLITが有効な根本治療となり得るが、現状では食物ア レルギーを対象とするSCITやSLITの治療法は認可さ れていない。現在、臨床研究段階ではあるが、唯一の根 本治療として急速経口飽和治療が注目されている。急 速経口飽和治療では入院して専門医の監視下で短期間 に食物アレルギーを克服することを目指す。鶏卵の食 物アレルギーのケースでは、約2週間の入院期間で生 卵白の乾燥粉末の摂取からはじめて、次にスクランブ ルエッグ、最後にはゆで卵1個を摂取できるまでに治 療する。退院後は維持期間として定期的にゆで卵を摂 取するように指導し、完全寛解を目指すことになる。 課題:急速経口飽和治療の維持期間中に原因食物(ゆ で卵)を摂取しないと、食物アレルギーが再発する ケースがあるので、脱感作は成立していても免疫寛 容は誘導できていない可能性が示唆される。免疫寛 容を誘導する新たなアプローチ(例えばα-GalCer リポソームワクチンの同時投与など)を急速経口 飽和治療に上乗せすることで解決できる可能性が 高い。また、急速経口飽和治療の入院治療期間にも、 IgE抗体価を低下させる治療法(例えば抗IgE中和 抗体の投与)を併用することにより、アナフィラキ シー誘発の危険性を低下させた状態で治療効果を 高められる。 T cells and the ratio of specific IgE to total IgE are candidates for response monitoring or prognostic biomarkers in 2-year sublingual immunotherapy (SLIT) for Japanese cedar pollinosis. Clin Immunol 139(1): 65-74, 2011 5) Usui M, Taniguchi Y, Ando S et al. Biological and immunological properties of Sugi basic protein-pullulan conjugate. II. Is the reduced ability to elicit the Arthus reaction based on the poor activation of complement by immune complex consisting of anti-Sugi basic protein and Sugi basic protein-pullulan? Int Arch Allergy Appl Immunol 91(1): 74-9, 1990 6) Kohno K, Ohtsuki T, Suemoto Y et al. Regulation of cytokine production by sugi allergen-pullulan conjugate. Cell Immunol 168(2): 211-9, 1996 7) Taniguchi Y, Ikegami H , Usui M et al. Biological and immunological properties of Sugi basic protein-pullulan conjugate. I. Suppressive effect on IgE antibody production and on IgE-mediated reactions. Int Arch Allergy Appl Immunol 89(2-3): 136-42, 1989 8) 奥田 稔、信太 隆夫、今野 昭義 他、プルラン結合アレルゲン による減感作療法の治療成績―スギ花粉エキスとの比較試験 耳鼻と臨床 48: 99-116, 2002 9) Tighe H, Takabayashi K, Schwartz D et al. Conjugation of immunostimulatory DNA to the short ragweed allergen amb a 1 enhances its immunogenicity and reduces its allergenicity. J Allergy Clin Immunol 106(1 Pt 1): 124-34, 2000 10) Wheeler AW, Marshall JS, Ulrich JT et al. A Th1-inducing adjuvant, MPL, enhances antibody profiles in experimental animals suggesting it has the potential to improve the efficacy of allergy vaccines. Int Arch Allergy Immunol 126(2): 135-9, 2001 11) Baldrick P, Richardson D, Woroniecki SR, et al. Pollinex Quattro Ragweed: safety evaluation of a new allergy vaccine adjuvanted with monophosphoryl lipid A (MPL) for the treatment of ragweed pollen allergy. J Appl Toxicol 27(4): 399-409, 2007 12) Pfaar O, Barth C, Jaschke C et al. Sublingual allergen-specific immunotherapy adjuvanted with monophosphoryl lipid A: a phase I/IIa study. Int Arch Allergy Immunol 154(4): 336-44, 2011 13) Hirahara K, Tatsuta T, Takatori T et al. Preclinical evaluation of an immunotherapeutic peptide comprising 7 T- cell determinants of Cry j 1 and Cry j 2, the major Japanese cedar pollen allergens. J Allergy Clin Immunol 108(1): 94-100, 2001 14) Sone T, Morikubo K, Miyahara M et al. T cell epitopes in Japanese cedar (Cryptomeria japonica ) pollen allergens: choice of major T cell epitopes in Cry j 1 and Cry j 2 toward design of the peptide-based immunotherapeutics for the management of Japanese cedar pollinosis. J Immunol 161(1): 448-57, 1998 15) Ishii Y, Nozawa R , Takamoto -Matsui Y et a l . A lphagalactosylceramide-driven immunotherapy for allergy. Front Biosci 13: 6214-28, 2008 4─おわりに アレルギー疾患を対象とした治療ワクチンは、既に 感作が成立しているアレルギー患者に投与するため、 アナフィラキシー誘発の危険性を排除するための高い 安全性が要求されることとなる。今後も患者数が増え 続けることが予想されるアレルギー疾患に対して、既 存の対症療法では限界が見えていることから、一刻も 早くアレルギー治療ワクチンが医薬品として認可され ることが望まれる。そのためには、産学と省庁の枠を 超えた官との連携が必須であり、日本の国民病とも言 われるスギ花粉症の根本治療法は自国が責任を持って 対処すべきで緊急課題である。 参考文献 1) 一般社団法人日本アレルギー学会「スギ花粉症におけるアレルゲン免 疫療法の手引き」 2) Moingeon P, Batard T, Fadel R et al. Immune mechanisms of allergen-specific sublingual immunotherapy. Allergy 61(2): 151-65, 2006 3) Fujimura T, Yonekura S, Taniguchi Y et al. The induced regulatory T cell level, defined as the proportion of IL-10(+) Foxp3(+) cells among CD25(+)CD4(+) leukocytes, is a potential therapeutic biomarker for sublingual immunotherapy: a preliminary report. Int Arch Allergy Immunol 153(4): 378-87, 2010 4) Fujimura T, Yonekura S, Horiguchi S et al. Increase of regulatory 石井 保之 いしい・やすゆき (独)理化学研究所 統合生命医科学研究センター ワクチンデザイン研究チーム チームリーダー 北海道生まれ 東京工業大学大学院 総合理工学研究科 生命化学専攻 修士課程修了 博士(理学) 専門は免疫学 19 JANUARY 2 014 / H U M A N S C I E N C E TOPIC Ⅱ インフルエンザワクチン開発の現状と展望 国立感染症研究所 感染病理部 部長 長谷川 秀樹 痛、咳などの上気道炎症状が特徴で、全身倦怠感等の全 身症状を伴う。健康な人ではおよそ1週間で回復する が乳幼児や高齢者では重症化し最悪の場合には死に至 る病気である。乳幼児では脳症、高齢者では二次性肺 炎などが問題となる。 インフルエンザウイルスは数十年に一度新しいウイ ルスによる世界的大流行(パンデミック)が起こる。 動物由来の新しいウイルスがヒトに伝播する性質を獲 得した場合ヒトには既に獲得されている免疫が全くな いため感染を阻止できずパンデミックが起こる。こ れまでのパンデミックとして、1918年のスペインかぜ (H1N1)、1957年のアジアかぜ(H2N2)、1968年の香 港かぜ(H3N2)、1977年のソ連かぜ(H1N1)、2009年 のパンデミックインフルエンザ(H1N1)、が挙げられ る。また、東南アジアを中心に高病原性鳥インフルエ ンザウイルス(H5N1)の家禽での広がりに続き、ヒト での感染事例も報告されその高い致死率(約60%)か ら注目されている。またこの高病原性鳥インフルエン ザウイルスは2012年、複数の研究室において同ウイル スの改変によって哺乳類から哺乳類に感染するウイル スが実験的に作成された事1)が話題となり同ウイルス 由来のヒト新型インフルエンザの発生が危惧されてい る。更に2013年には中国において過去にヒトでの感染 報告が無い鳥インフルエンザウイルスH7N9の感染に よる重症症例が多数報告されている。 1─はじめに 新しいウイルス株によるインフルエンザが発生する 度に新型インフルエンザに対する脅威がささやかれて いる。2013年にはいままでヒトでの感染報告が無かっ たH7N9亜型の鳥インフルエンザウイルスが中国にお いてヒトに感染し重症肺炎を起こし話題となった。ま た直近のパンデミックを起こしたインフルエンザウイ ルスA/H1N1/pdm09の出現によってインフルエンザ ウイルスの感染力の強さと広がりの速さ、流行阻止の 難しさが浮き彫りにされた。多くの水際での阻止に 向けた取り組みも虚しく国内でも流行が広がり現在で は季節性インフルエンザウイルスの一つとしてヒトの 間で流行を繰り返している。インフルエンザの流行予 防には効果の高いワクチンが不可欠である。現在イン フルエンザ予防にはウイルス粒子をエーテル処理した スプリットワクチンの皮下接種が用いられている。し かし現行のインフルエンザワクチンは必ずしも感染防 御に有効ではなく更に新型インフルエンザにおいては その流行株の予測が難しく流行株予測に基づく現行の 季節性インフルエンザワクチンと同じ接種方法ではそ の効果に限界がある。そこでさらに改良された次世代 のワクチンが必要とされより効果の高いワクチンの開 発が望まれている。インフルエンザのような上気道の 粘膜から病原体が侵入し感染する急性呼吸器感染症で は、粘膜からの感染によって誘導される粘膜免疫、特に 分泌型のIgA抗体の働きが重要な意味を持つ。インフ ルエンザワクチンの現状と次世代ワクチンとしての粘 膜免疫誘導による経鼻インフルエンザワクチンの開発 について概説する。 3─現行の季節性インフルエンザワクチン 本邦では毎年冬に季節性インフルエンザの流行が起 こる。インフルエンザを予防するためのワクチンとし てウイルス粒子を不活化処理したワクチンが皮下に注 射されている。この不活化ワクチンは、精製ウイルス をエーテル処理することによってその脂質成分を除去 し、ホルマリン処理された、表面の糖蛋白質であるHA を約3割含むスプリットワクチン(通称HAワクチン) である。防腐剤として0.01%のチメロサールを含む。 2─インフルエンザとインフルエンザウイルス インフルエンザは、インフルエンザウイルスが気道 粘膜の上皮細胞に感染することによっておこる急性呼 吸器感染症である。数日の潜伏期の後、突然の38℃を 超える発熱、頭痛、関節痛、筋肉痛等に加え、鼻汁、咽頭 20 JANUARY 2 014 / H U M A N S C I E N C E TOPIC Ⅱ 近年ヒトの間で流行しているA 型のH1N1亜型(A/ H1N1/2009pdm)とH3N2亜型、及びB型のウイルスに よるインフルエンザを予防するために、3種類のウイ ルス株由来のワクチンを混合した三価ワクチンが注射 されている。この三価スプリットワクチンは、それぞ れのワクチン株のHAを15μg含み、注射総蛋白質量の 上限が210μgと決められている。このワクチンは、そ の年の初めに国立感染症研究所がWHO等との連携で 予想した次期シーズンのインフルエンザの流行予測に 基づいて、9月までにワクチンメーカーによって製造 され、流行期前の10 ~ 12月に希望者に皮下注射されて いる。 このワクチンの皮下注射によって、血清中にHAに 対するIgG抗体が誘導される。この抗体は、肺炎阻止 に働き、特に、感染阻止よりもインフルエンザ症状の重 症化阻止に働いている。このワクチンによって予防 可能なレベルの抗体応答を誘導できるのは6か月以上 の子供からである。このワクチンに用いたウイルス株 と流行ウイルス株の抗原性が一致する時の有効率は、 6歳未満の乳幼児で30%前後(±10%)、成人で70 ~ 80%、65歳以上の高齢者で45%前後(±10%)と推定 されている。しかし、ワクチンに用いた株と流行ウイ ルス株の抗原性が大きく異なる時は、その有効性は減 少すると考えられている。 このワクチンの副作用(副反応)として、注射部位 の痛みが10 ~ 64%起こることがある。また、発熱、寒 気、頭痛、全身のだるさが見られる場合もあるが、数日 で回復する。 導部位が気道粘膜だけでなく全身の粘膜で誘導され る点も有利な点である。高病原性鳥インフルエンザ (H5N1)のヒトでの感染は呼吸器に留まらず腸管をは じめ他の臓器への感染が報告されている2)。気道や腸 管を含む粘膜で分泌型IgA抗体が誘導されれば全身の 粘膜からの感染を防御する事が可能である。 そこで我々はワクチンによって自然感染時に誘導さ れる分泌型IgA抗体に代表される粘膜免疫を誘導する 方法を試みてきた。不活化されたワクチンを用いて効 率よく粘膜免疫を誘導する為には抗原と共に抗原提示 細胞を刺激するなんらかのアジュバント作用が必要で ある。 5─経鼻インフルエンザワクチンの開発 粘膜免疫を誘導できるインフルエンザワクチンは流 行の予防に有効であるがその誘導にはワクチンの鼻 粘膜等の粘膜へ接種する必要がある。また抗原に加 え抗原提示細胞を活性化させるアジュバント作用が必 要である。我々はより安全でヒトへの応用をふまえた 新しいアジュバントの開発を試みている。免疫的に無 垢(Naïve)な個体が獲得免疫を得るためには抗原と 共に自然免疫(Innate immunity)の刺激が必要であ る。ウイルス感染を模倣することにより感染時と同様 に有効な獲得免疫が誘導される事が期待される。そ こで我々はウイルスが増殖するときに産生する二本 鎖RNA(dsRNA)に注目した。マウスを用いて合成 dsRNAであるpoly(I:C)をA/PR8インフルエンザワ クチンと共に3週間の間隔で2回経鼻接種した。最終免 疫から2週間後の鼻腔洗浄液中にはHA特異的分泌型 IgAが誘導され、血清中には特異的IgGが誘導された。 さらにワクチンとpoly(I:C)で経鼻免疫されたマウ スは40LD50のウイルスチャレンジ感染に対して抵抗 性を示し100%生存し、感染の兆候も全く見られなかっ た3)。このようにToll Like receptor 3(TLR3)のリ ガンドであるdsRNAをワクチンと共に経鼻接種する ことによりワクチンのみでは誘導できなかった獲得免 疫である粘膜免疫応答を誘導できTLR3の刺激がウイ ルス感染時の鼻咽頭関連リンパ装置(NALT)での免 疫応答スイッチとして働く3)。 ヒトで使える経鼻ワクチン開発の為にはヒトで の 使 用 に 安 全 な ア ジ ュ バ ン ト が 必 要 に な る。 我 々 は内因性のインターフェロン誘導薬として米国で 第 Ⅲ 相 臨 床 治 験 が 終 了 し て い る 二 本 鎖RNA製 剤 Ampligen(polyI:polyC12U) に 注 目 し、Ampligen のH5N1ワクチンに対するアジュバント効果を調べ た。 ベ ト ナ ム 株 で 作 製 し た(NIBRG14) 全 粒 子 不 活化ワクチンを Ampligenを用いて皮下接種及び経 鼻接種した場合の様々なH5N1ウイルスに対する感 染防御効果を調べた。ワクチン株と相同のベトナム 4─ワクチン及び感染で誘導される免疫 前述のスプリットワクチンの接種により誘導される 免疫は血中の中和抗体であるIgG抗体である。IgG抗 体は感染阻止よりも重症化予防にはたらき感染自身を 防ぐものではない。また前述のように次期シーズンの 流行株の予測のもとに準備され流行株と抗原性が一致 すれば効果があるが変異ウイルスが流行した場合や流 行予測がはずれた場合には効果が低い。皮下接種ワ クチンでは主に血中の中和抗体であるIgG抗体の誘導 は見られるものの感染防御に働く粘膜上の分泌型IgA 抗体の誘導は見られない。さらにIgG抗体は変異した ウイルスに対する交叉防御能が低いためワクチン株と 流行株に抗原性の違いが有った場合はその有効性が低 い。また近年製造されたワクチンの抗原性と流行株の 抗原性の乖離が問題となっており、ワクチン方法の抜 本的な改善が求められている。一方インフルエンザウ イルスの感染により誘導される免疫には血中の中和抗 体に加え気道粘膜上の分泌型IgA抗体がある。粘膜上 に誘導されるIgA抗体には変異株に対しても有効であ る交叉防御能と感染前に働く利点がある。また抗体誘 21 JANUARY 2 014 / H U M A N S C I E N C E TOPIC Ⅱ 株(A/Vietnam/1194/04) や 非 相 同 の 香 港 株(A/ HK/483/97)のヒトから分離された高病原性H5N1イ ンフルエンザウイルスで攻撃感染を行った(図1)。 経鼻接種群と皮下接種群に分け1μgの ベトナム株 (NIBRG14) ワ ク チ ン と10μgのAmpligenを2回 接 種 し、最終免疫から2週間後に1,000PFUのそれぞれの H5N1 インフルエンザウイルスで攻撃感染した。相同 株のワクチン接種群では皮下接種、経鼻接種共に100% の生存を示した4)。しかし感染3日目の鼻腔内のウイ ルス価は皮下接種群でコントロールの1/10に低下させ たのみだったのに対し経鼻接種群ではウイルスが全 く認められなかった(図1)。ここで皮下接種群は感染 後の症状を緩和したのに対し経鼻接種群においては 感染自体を防御した事が示された。ベトナム株(A/ Vietnam/1194/04)の攻撃感染に対しコントロールの 非免疫群は感染後12日までに全て死亡した。またワク チン株と非相同のヒトから分離された高病原性H5N1 ウイルス株である香港株(A/HK/483/97)で攻撃感 染した場合ワクチンの皮下接種群では共に生存率をほ とんど改善しなかったが、経鼻接種群ではインドネシ ア株では生存率を20%から100%に、香港株では0%か ら80%にそれぞれ改善した(図1)。この事はH5N1イ ンフルエンザワクチンの経鼻接種によって誘導される 粘膜免疫が皮下接種によって誘導される免疫と比較し て変異株に対しても交叉防御反応がある事を示してい る4)。さらに、05/06年の季節性インフルエンザワクチ ンをマウスにAmpligenと共に経鼻接種したところ、亜 型の異なる高病原性鳥インフルエンザ(H5N1)での 攻撃感染に対し有意に生存率を向上させた4)。皮下接 A B C D 種ではこのような交叉防御効果は認められなかった。 よりヒトに近い免疫系を持つカニクイザルを用いた実 験においてもインフルエンザウイルス(H5N1)の不 活化ワクチンとdsRNAアジュバントの経鼻接種によ り無垢なカニクイザルに対し感染防御を示す事が判っ た。 6─経鼻インフルエンザワクチンのヒトでの有効性 現行の皮下接種ワクチンの有効性は、ワクチン接種 後の血清HI抗体価を指標としている。経鼻インフル エンザワクチンで誘導される免疫は血中の中和抗体に 加え粘膜上に積極的に分泌される分泌型IgA抗体があ るのが特徴である。これらの抗体の有効性についても 検討が必要である。 我々は、国立感染症研究所倫理委員会承認のもと、健 康成人ボランティアに対し全粒子不活化経鼻ワクチン の臨床研究を行った。季節性インフルエンザのワクチ ン接種では血清及び鼻腔洗浄液中のHI抗体価及び中 和抗体応答を評価した。健康成人50名のボランティ アにH3N2亜型の全粒子不活化ワクチンを経鼻接種し たところ血清中のHI抗体価の平均は接種前の15.4から 2回接種後の60.6と約4倍上昇しその時の血清中和抗体 価は平均で28.7から229.7と約8倍上昇した(図2)。我々 は血清中の抗体価だけでなく上気道の粘膜における免 疫を評価する目的で鼻腔洗浄液の標準化を行った。以 前の報告により鼻腔洗浄液を総蛋白濃度で1mg/mlに 調整する事により粘膜上でのIgA抗体及びIgG抗体の 濃度が生理状態の約10倍希釈に相当する事が明らかと なったのでその標準化鼻腔洗浄液を用いてHI抗体価、 図1 経鼻投与型インフルエンザワクチンのH5N1ウイルス に対する感染防御 ベトナム株由来の全粒子不活化ワクチンNIBRG14をAmpligenと共 に、マウスに3週間隔で2回経鼻接種を行った。最終免疫から2週間後 に、ワクチンと相同なベトナム株(A, B)あるいは抗原性の異なる香 港株(C, D)の上気道への感染を行い、生存率(A, C)と感染3日後の 鼻腔洗浄液中のウイルス価(B, D)を調べた。 (Ichinohe T, et al. Microbes Infect 9:1333–340., 2007より引用) 図2 季節性インフルエンザH3N2の全粒子不活化ワクチ ンをヒトに経鼻接種した時の血清中のHI抗体価及び中 和抗体価 (Ainai et.al. Hum Vaccin Immunother 9(9): 1962-1970, 2013より改 変して引用)*:p<0.05, ***:p<0.001 22 JANUARY 2 014 / H U M A N S C I E N C E TOPIC Ⅱ 中和抗体価の測定を行った5)。季節性インフルエンザ ワクチンであるH3N2亜型の臨床研究においては鼻腔 洗浄液中のHI抗体価は平均でワクチン接種前の12.4か ら 2回接種後の38.8と3倍以上上昇し、その時の中和抗 体価は平均で15.4から90.5と5倍以上増加した(図3)。 ヒトの鼻腔洗浄液を用いてウイルスを実際に中和する 事ができる事が証明できた6)。このことは、経鼻投与 型インフルエンザワクチンは、血中だけでなく接種局 所の気道粘膜上においても強い中和抗体を誘導可能で あること示している。血清中で中和を担う抗体は主に IgG抗体であり鼻腔粘液中で中和を担う抗体は主に分 泌型IgA抗体である。ここで示した臨床研究のように、 季節性インフルエンザウイルスのように既に基礎免疫 を有している亜型に対しては、アジュバントを添加し ない全粒子ワクチンのみの経鼻噴霧によって、ウイル スを中和する分泌型IgA抗体を誘導できる可能性があ る。 本研究により、生理的に存在するIgA抗体量を指標 に鼻腔粘膜上における中和抗体の評価が可能であるこ とが初めて示された。 有望である。毎年流行する季節性のインフルエンザ に対しても更に流行するウイルスの予測が不可能なパ ンデミックに対しても粘膜免疫の有利な点を利用した 経鼻インフルエンザワクチンの効果は高いと考えられ る。インフルエンザウイルスの自然感染時に起こる事 象を解析する事によりその生体応答を利用し安全で効 果的な防御が可能になる6)。経鼻粘膜投与型インフル エンザワクチンは生体のメカニズムを利用した新しい 感染防御手段となる事が期待されその効果は特に流行 株の予測が不可能な新型インフルエンザに対して高い 事が期待される。ヒトでの効果も示されつつありパン デミックに備えたワクチンとしても実用化が待たれ る。 参考文献 1) Imai, M., et al. Experimental adaptation of an influenza H5 HA confers respiratory droplet transmission to a reassortant H5 HA/ H1N1 virus in ferrets. Nature 486: 420-428, 2012 2) Peiris, J.S., et al. Re-emergence of fatal human influenza A subtype H5N1 disease. Lancet 363: 617-619, 2004 3) Ichinohe, T., et al. Synthetic double-stranded RNA poly(I:C) combined with mucosal vaccine protects against influenza virus infection. J Virol 79: 2910-2919, 2005 4) Ichinohe, T., et al. Intranasal immunization with H5N1 vaccine plus Poly I:Poly C12U, a Toll-like receptor agonist, protects mice against homologous and heterologous virus challenge. Microbes Infect 9: 1333-1340, 2007 5) Ainai, A., et al. Characterization of neutralizing antibodies in adults after intranasal vaccination with an inactivated influenza vaccine. J Med Virol 84: 336-344, 2012 6) Ainai A, Tamura SI, Suzuki T, van Riet E, Ito R, Odagiri T, Tashiro M, Kurata T, Hasegawa H. Intranasal vaccination with an inactivated whole influenza virus vaccine induces strong antibody responses in serum and nasal mucus of healthy adults. Hum Vaccin Immunother 9(9): 1962-1970, 2013 7─まとめ 現行のインフルエンザワクチンはあくまでもウイル ス感染後の重症化予防を目的としており感染防御の点 で必ずしも満足できるものではない。また抗原性が同 じウイルスに対しては重症化予防効果が高いものの変 異株やワクチン株との抗原性が異なるウイルスに対し ては効果が低い。次世代のインフルエンザワクチンと しては感染防御効果が高く、変異ウイルスに対する交 叉防御効果もある粘膜免疫を活用した経鼻ワクチンが 長谷川 秀樹 はせがわ・ひでき 図3 季節性インフルエンザH3N2の全粒子不活化ワクチ ンをヒトに経鼻接種した時の鼻腔洗浄液中のHI抗体価 及び中和抗体価 国立感染症研究所 感染病理部 部長 埼玉県生まれ 北海道大学 医学部卒 北海道大学大学院 医学研究科 博士課程修了 医学博士 専門はウイルス学、病理学 (Ainai et.al. Hum Vaccin Immunother 9(9): 1962-1970, 2013より改 変して引用)*:p<0.05, ***:p<0.001 23 JANUARY 2 014 / H U M A N S C I E N C E TOPIC Ⅲ 世界ポリオ根絶計画とワクチン戦略 – 現状と今後の課題 国立感染症研究所 ウイルス第二部 第二室室長 清水 博之 り、世界ポリオ根絶計画は、現在、大きな試練に直面し ている。 ポリオ根絶最終段階におけるポリオ流行のリスク を最小限とするためのワクチン戦略の一環として、不 活化ポリオワクチン(Inactivated Poliovirus Vaccine; IPV)の世界的導入の必要性が高まっている。2012年 11月から日本の定期接種に導入された不活化ポリオ (Sabin株由来)混合ワクチンは、いままで世界中で使 用されてきたIPVと異なる、弱毒ポリオウイルス株由 来IPV抗原(Sabin derived-IPV; sIPV)を含む新たな ポリオワクチンとして世界的に注目されている。製造 工程における安全性が従来のIPVよりも高いsIPVの導 入により、途上国も含めたより広範な地域で、安価かつ 安定的にIPVを製造・供給することが期待されている。 1─はじめに 世界保健機関(World Health Organization; WHO) を中心として進められてきた世界ポリオ根絶計画の 結果、野生株ポリオウイルス常在国は、アフガニスタ ン、パキスタン、ナイジェリアの3カ国にまで減少し た。一方、2013年には、ナイジェリアに由来する1型 野生株ポリオウイルスによる大規模なポリオ再流行 が、東アフリカの広範な地域で発生した。その後、パキ スタンに由来する1型野生株ポリオウイルス伝播がイ スラエルおよびシリアで確認され、ポリオフリー地域 におけるポリオ再流行の拡大が懸念されている。ま た、ワクチン由来ポリオウイルス(Vaccine-derived Poliovirus; VDPV)によるポリオ流行が、アフリカ、ア ジア地域を中心とした世界各地で断続的に発生してお 表 二種類のポリオワクチン ポリオワクチンの種類 主な成分 ワクチン接種 ポリオウイルス弱毒株 (Sabin Ⅰ , Ⅱ , Ⅲ株) ホルマリン不活化ポリオウイルス抗原 (野生株、Sabin 株) 接種経路 経口 皮下注射、筋肉注射 安価 比較的高価 集団接種 集団接種が比較的容易(途上国等) 主に定期接種 安価 比較的高価(混合ワクチンの種類による) 血中中和抗体(発症予防) 有効性 接種者 腸管免疫・血中中和抗体(発症予防) 接種地域 接触者に伝播しうる 接種者のみ 伝播抑制 地域のウイルス伝播抑制効果 ウイルス伝播抑制効果あり 重度 ワクチン関連麻痺(VAPP) なし 下痢、発熱等 発赤、硬結等(混合ワクチンの種類による) 接種者 接触者 製造 不活化ポリオワクチン (Inactivated Polio Vaccine; IPV) 接種コスト ワクチンの価格 安全性 副反応 経口弱毒生ポリオワクチン (Oral Polio Vaccine; OPV) 軽度 地域 VDPV 伝播のリスク 伝播しない 免疫不全者糖 持続感染 ・ 地域伝播のリスク 持続感染しない 使用地域 ポリオ流行国・ハイリスク国 ポリオ流行リスクの比較的低い地域 混合ワクチン ポリオウイルスのみ 他の不活化抗原との混合ワクチンが実用化 製造施設 比較的小規模なメーカーを含む 大規模ワクチンメーカーが多い 病原体管理 比較的簡便な施設で製造可能 野生種由来 IPV は厳格な管理が必要 24 JANUARY 2 014 / H U M A N S C I E N C E TOPIC Ⅲ 2─ポリオとポリオワクチン ポリオ(急性灰白髄炎; Poliomyelitis)は、ポリオウ イルス感染により発症する急性ウイルス感染症で、一 般的には小児麻痺として知られている1)。ポリオウイ ルスは、ピコルナウイルス科エンテロウイルス属のプ ラス鎖一本鎖RNAウイルスで、約7,500塩基のゲノム RNAを中心に、4種類のカプシド蛋白質が規則的に配 置された正二十面体のウイルス粒子構造を有する。経 口感染後、ポリオウイルスは腸管で良く増殖し、ウイル ス血症を経て中枢神経に達し、ポリオ発症にいたる。 ポリオウイルス感染者のうち、典型的ポリオを発症す る割合は1%以下とされており、多くは不顕性感染ある いは軽度の症状で回復する。そのため、ポリオ症例が 確認された場合、周辺には数百〜数千人の不顕性感染 者が存在することになる1)。 ポリオウイルスは、抗原性の違いにより3種類の血清 型(1、2および3型)に分けられる。ひとつの血清型 のポリオウイルス感染により誘導される中和抗体は、 同一血清型のポリオウイルスのみに中和活性を示す。 IPVお よ び 経 口 生 ポ リ オ ワ ク チ ン(Oral Poliovirus Vaccine; OPV)は、いずれも、血中中和抗体を誘導す ることにより、優れたポリオ発症予防効果を示す1,2) (表) 。OPV接種後、弱毒化ポリオウイルスワクチン株 は、通常数週間程度、接種者の腸管で増殖することによ り腸管免疫を効果的に誘導し、地域におけるポリオウ イルス伝播を抑制する。そのため、乳幼児へのOPV網 羅的接種による集団免疫の誘導が、世界ポリオ根絶計 画の基本戦略となっている2)。 3─ポリオ常在国の現状 WHOは、2012年2月、野生株伝播の終息したインド をポリオ流行国リストから外した。残された野生株ポ リオ常在国は、アフガニスタン、パキスタン、ナイジェ リアの3カ国となり、2012年のポリオ症例数は世界全 体で223症例にまで減少した3)。3型野生株ポリオウイ ルスは、2012年10月のナイジェリアの症例を最後に1 年以上検出されておらず、1999年に根絶された2型野 生株に続き、3型野生株もまた、すでに世界的に根絶さ れた可能性が高い。 2012年後半以降、パキスタンのポリオ症例の多くは、 アフガニスタンと国境を接する武装勢力の影響力が強 い地域に集中している。治安の悪化や一部勢力による ワクチン接種活動に対する根強い反発が、パキスタン におけるポリオ対策の大きな障壁となっている。国 境を接するアフガニスタンでは改善傾向が認められ、 2013年のポリオ症例は前年の1/3となっている。2013 年のナイジェリアのポリオ症例数は前年の半数程度で 推移しており、一定の改善が認められる。しかし、従来 から、政治・宗教上の要因によりポリオ対策が不十分 とされるKano州では、2013年にも断続的にポリオ症 例が報告されている。また、2012年末から2013年初頭 にかけて、パキスタンおよびナイジェリアで、ポリオ対 策に従事するヘルス・ワーカーが多数殺害される事件 が発生し、公衆衛生対策のみでは解決困難な、ポリオ流 行地における治安上の課題が、あらためて浮き彫りと なった4)。 4─野生株ポリオウイルス伝播によるポリオ再流行 2013年には、ポリオ常在国に由来する1型野生株ポリ 図1 1型野生株ポリオウイルス伝播によるポリオ流行 –2013年– 2013年に検出された、野生株ポリオウイルス常在国(パキスタン、アフガニスタン、ナイジェ リア)に由来する1型野生株ポリオウイルスの伝播経路。 (WHO提供資料を和訳し一部改変) 25 JANUARY 2 014 / H U M A N S C I E N C E TOPIC Ⅲ 定期接種による高い集団免疫により患者発生が認め られていないイスラエルとは対称的に、2013年10月に 報告されたシリアにおける野生株ポリオ流行では、す でに多くのポリオ症例が報告されている(11月20日現 在で13名)3)。シリアのポリオ症例から検出された1型 野生株ポリオウイルスは、PAK-EGY株と分子系統学 的に近縁であった(図1)。シリアは、近年の国内紛争 により、ワクチン接種やサーベイランス等、公衆衛生基 盤が弱体化していることから、ポリオ流行のさらなる 拡大が懸念されている7)。イスラエルやシリア等、野生 株ポリオウイルス伝播地域からのヨーロッパを含む近 隣地域への野生株ポリオウイルス伝播のリスクにも留 意が必要である8)。 オウイルスが、公衆衛生基盤の脆弱な地域に侵入する ことにより、大規模なポリオ流行が発生した。内戦が 常態化しているアフリカ東部(Horn of Africa)のソ マリアでは、2013年4月以降、1型野生株ポリオウイル スによるポリオ流行が発生し、2013年11月20日現在、 183症例が報告されている3)。ソマリアの隣国であるケ ニア、エチオピアでもポリオ症例が報告されており、大 規模かつ広範なポリオ流行といえる。ソマリアで検出 された1型野生株ポリオウイルスは、遺伝子解析により ナイジェリア由来株であることが明らかとなっている (図1) 。伝播経路は明らかではないが、不十分なワクチ ン接種により集団免疫が大幅に低下した地域にナイ ジェリア由来株が侵入し、短期間で大規模なポリオ流 行が発生した可能性が高い。 2013年5月には、イスラエルで環境サーベイランス由 来検体から1型野生株ポリオウイルスが検出された5)。 イスラエルで検出された1型野生株は、パキスタン流行 株および2012年にエジプトの環境水から検出された野 生株ウイルス(PAK-EGY株)と分子系統学的関連性 が高い(図1)。その後も、ポリオ症例は認められない ものの、環境水あるいは健常人由来の多数の検体から1 型野生株が継続的に検出され、イスラエル、ガザ、およ びヨルダン川西岸にわたる広範に地域における持続的 なポリオウイルス不顕性伝播が明らかとなった(2013 年2月〜 10月)3,6)。イスラエルでは、IPVとOPVの併用 期間を経て、2005年からIPVのみを定期接種ワクチン としている5,6)。広範な野生株伝播にも関わらず、イス ラエルでポリオ症例が認められないことは、高いIPV 接種率がポリオ発症予防に寄与しているためと考えら れる。その一方、IPVのみによる集団免疫では野生株 伝播を制御できないことが、イスラエルにおけるポリ オウイルス不顕性伝播事例により、あらためて明らか となった6)。イスラエルでは、野生型ポリオウイルス伝 播を止めるため、2013年8月に、bivalent OPV(bOPV, 1型および3型弱毒株を含むOPV)による追加接種を 開始した5)。 5─世界ポリオ根絶最終段階におけるワクチン戦略 優れたウイルス伝播抑制効果により、ポリオ流行地 およびハイリスク地域では、現在もOPV集団接種がポ リオ根絶の基本戦略となっている。わが国で2012年8 月まで定期接種ワクチンとして使用されていたOPV は、3種類の血清型の弱毒株ポリオウイルス(Sabin 1 〜 3株)を含むtrivalent OPV(tOPV)であり、tOPV は今でも多くの国々で、定期接種・追加接種ワクチン として用いられている9)。一方、ナイジェリア等、野生 株常在国では、流行株に対してより高い有効性を示す monovalent OPV(1型および3型)およびbOPVが導 入されており、複数のOPVを使い分けることにより、 それぞれの血清型のポリオウイルス伝播を効果的にコ ントロールすることが期待されている。 生 ワ ク チ ン と し て の 優 れ た 特 性 の 一 方、OPVに は、遺伝的不安定性に起因するOPV固有のデメリッ トが存在する。ひとつは、OPV接種者や接触者が、 まれにポリオを発症するワクチン関連麻痺(Vaccineassociated Paralytic Poliomyelitis; VAPP)で、もうひ とつは、OPV変異株が地域で長期間伝播することに より野生株と同様のポリオ流行を起こすVDPVによる ポリオ流行である1,2)(表)。ポリオ流行のリスクが低い 最後の野生株 2013 2014 2015 ポリオウイルス検出・伝播終息 野生株ポリオウイルス伝播終息 定期接種強化・2型OPV停止 定期接種強化・2型OPV停止対策 ポリオウイルス実験室封じ込め ポリオ根絶事業の継承 2型OPV停止 2016 世界的検証 2017 2018 ポリオ流行対策(とくにVDPV対策) IPV導入 2型OPV停止(bOPV導入) 長期的封じ込め計画策定 世界的封じ込め・検証の達成 戦略計画を協議 機能・組織・技術の移行 図2 ポリオ根絶最終段階(Polio Endgame)のロードマップ WHOにより示されているポリオ根絶最終段階(Polio Endgame)のロードマップは、Polio Eradication and Endgame Strategic Plan 2013–201814)およびWHO提供資料を参考に作成し和訳した。 26 JANUARY 2 014 / H U M A N S C I E N C E TOPIC Ⅲ 地域で、重篤な副反応であるVAPPが発生し続けるこ とは、健康な乳幼児に接種するワクチンとして重大な 問題であることから、欧米を始めとした多くの国々で はIPVが導入されている。わが国では、IPVの国内開 発に紆余曲折があり時間を要したが、2012年9月以降、 複数のIPV含有ワクチンが定期接種に導入された10,11)。 tOPVに含まれる弱毒化ポリオウイルスのうち、2 型株(Sabin 2株)はVAPP発症に関与する頻度が高く、 近年、アフリカ・アジアの多くの地域で発生している VDPVによるポリオ流行の多くは2型VDPVによるも のである12)。2型野生株伝播はすでに終息しているた め、2型野生株によるポリオ流行のリスクはほとんど ない。そのため、WHOは、現在も多くの国で使用され ているOPVをtOPVからbOPVに変更することにより、 VAPPとVDPVのリスクを低下させ、ポリオ流行のリ スク検証・評価の後、OPV接種そのものを世界的に 停止する方針を明らかにしている13,14)(図2)。bOPV導 入後には、2型ポリオに対する集団免疫の低下が懸念 されることから、世界的なIPV導入が必要と考えられ ている。途上国も含めた世界全体にIPVを導入するた めには、安価で安定供給可能なIPVの開発が求められ ている。ポリオウイルス強毒株を大量培養するIPV製 造施設を、今後多くの国々に導入するのは現実的では ないため、従来型IPVと比較すると安全に生産可能な sIPVは、現実的かつ有力なIPVのオプションと考えら れている15)。2012年11月に、わが国の定期接種に導入 された4種混合ワクチンは、日本で新たに開発された sIPVを含む世界初のsIPV含有ワクチンとして注目さ れている10,16)。中国では現在、sIPVの臨床開発が進め られており、近い将来のsIPV導入を目指している17)。 WHOは、国際的技術協力体制を整備することにより、 ポーランド等でsIPVの臨床開発を進めている18,19)。 2) 清水博之. ポリオウイルスワクチン. ウイルス 62: 57-66, 2012 3) Global Polio Eradication Initiative. http://www.polioeradication. org, 2013 4) Arie S. 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J Infect Dis 203: 898-909, 2011 13) SAGE Polio Working Group: Proposed policy for a global switch from 'tOPV to bOPV' for routine immunization, http:// www.who.int/immunization/sage/meetings/2012/april/2_ Polio_WG_background_paper_26_Mar2012.pdf, 2012 14) Globa l Pol io Erad icat ion I nit iat ive . Pol io Erad icat ion and Endga me St rateg ic Plan 2 013 –2 018 . http: //www. polioeradication.org/Resourcelibrary/Strategyandwork.aspx, 2013 15) Verdijk P, Rots NY, Bakker WA. Clinical development of a novel inactivated poliomyelitis vaccine based on attenuated Sabin poliovirus strains. Expert Rev Vaccines, 10: 635-644, 2011 16)Okada K, Miyazaki C, Kino Y et al. Phase II and III Clinical Studies of Diphtheria-Tetanus-Acellular Pertussis Vaccine Containing Inactivated Polio Vaccine Derived from Sabin Strains (DTaP-sIPV). J Infect Dis 208: 275-283, 2013 17) Liao G, Li R, Li C, et al. Safety and immunogenicity of inactivated poliovirus vaccine made from Sabin strains: a phase II, randomized, positive-controlled trial. J Infect Dis 205: 237-243, 2012 18) B a kker WA , Thomas sen Y E , Va n't O ever AG , et a l . Inactivated polio vaccine development for technology transfer using attenuated Sabin poliovirus strains to shift from SalkIPV to Sabin-IPV. Vaccine 29: 7188-7196, 2011 19) Verdijk P, Rots NY, van Oijen MG, et al. Safety and immunogenicity of inactivated poliovirus vaccine based on Sabin strains with and without aluminum hydroxide: A phase I trial in healthy adults. Vaccine 31: 5531-5536, 2013 6─おわりに 世界に先駆けて日本で導入されたsIPVは、安価で安 定供給可能なIPVを世界的に導入するための、もっと も現実的なオプションとして期待されている。しか し、日本発sIPVを海外導入するためには、海外での有 効性・安全性評価、価格等、多くのハードルが存在す る10, 11)。技術面においても、日本のsIPVと海外で開発 されているsIPVとの抗原性・免疫原性の比較解析は 報告されていない。sIPVの海外展開のためには、抗原 量測定・品質管理・有効性評価等の国際的標準化が 重要となる10, 11)。 清水 博之 しみず・ひろゆき 参考文献 国立感染症研究所 ウイルス第二部 第二室室長 東京都生まれ 千葉大学 薬学部卒 博士(薬学) 専門はウイルス学 1) 国 立 感 染 症 研 究 所. ポリオワクチンに関 するファクトシート. http: //www.mhlw.go.jp/st f /shing i /2r 9 8 52 0 0 0 0 0 0bx 2 3 att/2r9852000000bybl.pdf, 2010 27 JANUARY 2 014 / H U M A N S C I E N C E TOPIC Ⅳ エイズワクチン開発の現状と今後の展望 国立感染症研究所 エイズ研究センター センター長 俣野 哲朗 能的治癒:撲滅には至らなくとも治療なしでHIV複製 制御を維持できる状態)に結びつく治療法の開発が重 要課題とされている。また近年、長期間の抗HIV薬療 法を受けている感染者において、骨粗鬆症・心血管障 害・認知症等の非致死的病態が問題となってきている。 一方、感染拡大抑制に向けては、啓蒙活動を含めた社 会的予防活動が基本となるが、5 ~ 10年にわたる症 状潜伏期のHIV感染者からの感染拡大抑制は容易では ない。近年、HIV感染者の早期診断・早期治療による 集団レベルでの感染拡大抑制効果が期待され、新規感 染者数の増大は抑えられてきているが、上記のとおり 世界の年間新規感染者数が200万人を超える状況は続 いている。日本でも、エイズ動向委員会によると、毎 年の新規HIV感染者およびエイズ患者の報告総数は約 1,500件で推移しており、2012年には累積報告数は2万 件を超えた。このようにHIV感染流行が持続する状況 では、ウイルスに変異・進化の機会を与え、薬剤耐性変 異や免疫逃避変異等の獲得によるウイルス高病原化の リスクが危惧される。したがって、感染者数を減少さ せHIV撲滅に結びつけるためにも、予防エイズワクチ ン開発が切望されている。以下、本稿では、エイズワク チン開発の最新状況について、我々が開発を進めてい るセンダイウイルス(SeV)ベクターワクチンを含め て概説する。 1―はじめに 世 界 の ヒ ト 免 疫 不 全 ウ イ ル ス(HIV: human immunodeficiency virus)感染拡大の抑制に向けて早 期診断・早期治療が推進されているが、さらに感染者 数を減少させHIV撲滅に結びつけるためにも、予防エ イズワクチン開発が切望されている。エイズワクチン 開発研究については、これまでの数多くのトライアル の失敗を教訓に着実に成果を積み重ねてきており、有 効なワクチンプロトコール獲得の可能性が少しずつ大 きくなってきていると期待される。 2―HIV感染症対策の現状 1981年に米国でエイズ症例の最初の報告がなされて 以降30年あまりが経過したが、グローバルなHIV感染 拡大は続いており、2012年のUNAIDS(http://www. unaids.org/en/)の発表では、世界のHIV感染者数は 約3,400万、年間新規感染者数は約250万と推定されて いる。1990年代半ばに、逆転写酵素阻害剤・プロテアー ゼ阻害剤等の複数の抗HIV薬併用療法が開発され、治 療薬によるHIV複製制御・エイズ発症阻止が可能と なった。その後、インテグラ―ゼ阻害剤やCCR阻害剤 等の新たな抗HIV薬も開発されてきているが、現状で はいずれの抗HIV薬も体内のHIVを撲滅することはで きないため、感染者は生涯にわたって抗HIV薬を服用 することが必要となる。 このようなHIV感染症克服に向けては1)、新たな感染 拡大抑制と感染者治療の2つの視点で考える必要があ る。HIV感染者の治療においては、まず第一に、特に社 会的・経済的に貧困な地域の数多くの感染者に治療が 行き渡るようにする取組みが進められている。この取 組みにおいては、莫大な医療費が必要となるとともに、 早期診断のための検査推進も大きな課題である。さら に、抗HIV薬服用継続を不要とするHIV Cure(治癒: 体内からのHIV撲滅)あるいはFunctional Cure(機 3―エイズワクチン開発研究総論 これまで実用化されてきた予防ワクチンは、基本的 に自然治癒のある感染症に対するものである。これら の感染症では、病原体に対する獲得免疫反応が誘導さ れれば自然治癒に至るもので、ワクチンは、病原性のな い抗原を導入して自然感染を模倣することにより獲得 免疫メモリーを誘導するものとして開発されてきた。 しかし、HIV感染症は原則自然治癒のない慢性持続 感染症であり、感染者に誘導される獲得免疫反応では 28 JANUARY 2 014 / H U M A N S C I E N C E TOPIC Ⅳ HIV複製を制御することができない。そのため予防エ イズワクチン開発は難航しており、自然感染で誘導さ れる獲得免疫より有効な免疫を誘導することを目指し て研究が進められている。 エイズワクチン開発およびその評価のためには動 物エイズモデルが必要となるが、HIV感染によりヒ トと同様なエイズ発症に至る動物モデルはない。そ こでHIVの祖先とされるサル免疫不全ウイルス(SIV: simian immunodeficiency virus)の慢性感染アカゲサ ルエイズモデルが、ヒトHIV感染を反映する最適の動 物モデルとして用いられている。 予防エイズワクチン開発に向けては、有効な抗体誘 導を目指す研究と有効なT細胞反応誘導を目指す研 究が進められている(図1)。抗体誘導ワクチンでは、 HIV曝露時の感染防御を主目的とするが、完全な感染 阻止は容易ではないと考えられており、曝露後のメモ リー由来の2次反応を期待するT細胞誘導ワクチンと の併用が、現時点での主要戦略である。以下、両者につ いて紹介する。 な中和抗体誘導ワクチンの開発を目指した研究が推進さ れている。これまで、HIV感染慢性期に稀に誘導され るブロードなモノクローナル中和抗体がいくつかクローニ ングされ、そのエピトープの同定から、HIV EnvのCD4 結 合 領 域、V1/V2 glycan、V3 glycanお よ びMPER (membrane proximal external region:細胞外ドメイン 膜貫通領域近傍)が、ブロードな中和抗体の主標的とな りうると考えられてきている1)。しかし、その誘導のため にはB細胞の高度な分化が必要であることが示唆されて おり、抗原構造に関する研究だけでなく、B細胞反応なら びにヘルパーT細胞反応に関する基礎研究が重点的に行 われている。 一方、HIV Env gp120を抗原とするワクチンにEnv等 を発現するカナリアポックスウイルスベクター(ALVAC) ワクチンを併用したエイズワクチン臨床試験RV144がタイ で行われ、中和抗体誘導は認められなかったものの、一 時的ではあるが対照群と比較して30%程度の感染頻度 の低下を示す結果が2009年に報告されたことから3)、中 和能を示さない抗体反応の効果に関する研究も進められ ている。特に、Env gp120のV1-V2領域を標的とする非 中和抗体反応が感染防御に貢献している可能性が示唆 され、注目されている。 4―抗体誘導ワクチン これまで実用化されてきたウイルス感染症に対するワ クチンの多くは、ウイルスの表面抗原に結合して感染を阻 害する中和抗体を誘導することにより有効性を発揮して きた。しかし、HIV感染症では、中和抗体の誘導効率が 極めて低いことが知られており、表面抗原Envに結合する 抗体が誘導されるものの、その大部分は中和能を有して いない2)。そこで、HIVの多様性にも対応可能なブロード 5―T細胞誘導ワクチン HIV感 染 症において、CD8陽 性 細 胞 傷 害 性T細 胞 (CTL: cytotoxic T lymphocyte)反応がウイルス複製 抑制に中心的役割を担っていることが知られている4,5)。 そこで、ワクチンによりT細胞メモリーを誘導し、HIV曝 T B T CTL B T HIV T HIV B T Y Y Y Y Y T B T B 図1 ワクチンの作用機序 ワクチンにより誘導された抗体あるいはCTLによる曝露時のHIV感染阻止効果およびワクチンにより誘導され たメモリー T細胞・B細胞の曝露後の2次反応によるHIV複製制御効果を期待した開発研究が進められている。 現時点での予防エイズワクチン開発研究の主要戦略は以下のとおりである。 1.ブロードな中和抗体誘導法の開発(感染阻止) 2.RV144臨床試験に基づく非中和抗体の作用機序の解析 3.CMVベクターを用いたCTLエフェクター誘導ワクチンの開発(感染阻止) 4.各種ウイルスベクターを用いたメモリー T細胞誘導ワクチンの開発(複製制御) 29 JANUARY 2 014 / H U M A N S C I E N C E TOPIC Ⅳ 露後に、より迅速に、より有効なCTL反応を誘導すること を目指すワクチン開発研究が進められてきた。 このようなT細胞誘導ワクチンの開発においては、特 に、どのように抗原を体内に導入するかという問題とどの ような抗原を体内に導入するかという問題、つまり、デリバ リーシステムと抗原の最適化が重要となる。ワクチンデ リバリーシステムとしては、不活化ウイルス粒子、精製蛋白 質等のように抗原を体内に接種する方法と、 弱毒化生ウイ ルスのように抗原を体内で発現させる方法があるが、現時 点では、T細胞誘導のための抗原発現デリバリーシステ ムとして、複数のウイルスベクターを用いたプライム・ブー スト法が最適と考えられている。これらのうち、アデノウ イルス(AdV)ベクター、ポックスウイルスベクター、およ び我々が開発を進めているSeVベクターを用いたワクチン は、SIV感染サルエイズモデルで有効性を示した有数の ワクチンデリバリーシステムとして開発研究進展が期待さ れており、臨床試験が進められている6,7)。なお、最も免疫 原性が高いと期待されたAdV 5型(Ad5)ベクターを用 いたワクチンについては、ヒトでの抗Ad5抗体陽性率が高 く、臨床試験で有効性を示すことができていない8)。した がって、AdVベクターについては、他の型由来のベクター を用いた研究が進められている。 弱毒化生ワクチンについては、安全性の確保が困難で 実用化に向けた検討はなされていないが、サルエイズモデ ルにおける解析で有効性は認められており、そのメカニズ ムの解析が進められてきた。近年、リンパ節における抗 原特異的CTLエフェクターメモリーが持続感染成立阻止 に中心的役割を担っていることを示す報告がなされてい る9)。さらに、サイトメガロウイルス(CMV)ベクターを用 いたワクチンについては、CTLエフェクターの誘導・維持 能が示され、完全ではないものの感染防御能を示す結果 が得られており10)、研究進展が期待されている。 このようなデリバリーシステムの開発・最適化に加え、 抗原の最適化については、今後のさらなる研究進展が望 まれるところである。HIV特異的CTLはHIV感染細胞 を特異的に認識するが、その際、ヒト白血球抗原(HLA: human leukocyte antigen)クラスI分子によって感染細 胞表面に提示されたHIV抗原由来ペプチド(エピトープ) を、CTL表面のT細胞受容体(TCR [T cell receptor]) が特異的に認識する(図2)。このHLAの多様性が、HIV 感染病態進行に強く影響することが知られている11)。 HIV感染細胞で発現される各HIV蛋白質由来のペプ チドはCTLの標的となりうるが、その標的の違いによって CTLの有効性にも違いがあることがわかってきている。 例えば、HIV複製抑制能の弱いCTL反応が優位に誘導 されると、他の抗原を標的とするHIV複製抑制能の高い CTL反応の誘導が抑制される可能性があるため、エイズ ワクチンでは、有効なCTL反応を選択的に誘導する戦略 が有望と考えられる。このCTLの有効性に標的抗原の 提示効率や標的抗原の構造保存性等の要因が関与しう ることから、どの抗原・領域を標的とするCTL反応を誘 導することが有効かということを明らかにして抗原最適 化に結びつけることが重要である。特にGagを標的とす るCTL反応は有効であると考えられているが11)、近年、 VifおよびNefを標的とするCTL反応の有効性も示唆され ている12)。また、HIV各遺伝子の保存領域(conserved elements)を結合した抗原設計も試みられている13)。 6―センダイウイルスベクターエイズワクチン 我々はSeVベクターワクチンをデリバリーシステ ムとして用いたエイズワクチン開発研究を展開し、そ の有効性をサルエイズモデルにて明らかにしてきた。 このSeVベクターエイズワクチンの臨床応用に向け、 国 際 エ イ ズ ワ ク チ ン 推 進 構 想(IAVI [International AIDS Vaccine Initiative])主動の国際共同臨床試験 プロジェクトが進展し、2013年よりルアンダ等にて、 HIV Gag抗原を発現するSeVベクターを用いたエイズ ワクチンの臨床試験第1相が開始されている14)。 SeVは、 マ ウ ス を 自 然 宿 主 と し、 一 本 鎖negative strand RNAをゲノムとするウイルスである。マウス には急性呼吸器感染症を引き起こすが、ヒトを含む霊 長類動物への病原性は知られていない。SeVを、近縁 のヒトパラインフルエンザウイルス1型(hPIV-1)に 対するワクチンとする試みがあり、米国で臨床試験第 1相が行われたが、有効性を示すことができなかった ものの安全であることが示された。したがって、複製 型SeVベクターをヒトに接種することは、安全性の面 において問題ないと考えられている。なお、SeVは複 製過程において核内に入らないことから、宿主染色体 への組込み等の影響がない点でも安全性の面で有利と される。 HIV HLA HIV CTL TCR T 図2 HIV特異的CTLによるHIV感染細胞の認識 HIV感染細胞では、HIV抗原由来ペプチド(エピトープ)がHLAと結 合して細胞表面に提示され、これをTCRにより特異的に認識して、特 異的CTLは細胞傷害性を発揮する。HIV多様性だけでなく、HLAの多 様性が抗原提示に大きな影響をおよぼす。 30 JANUARY 2 014 / H U M A N S C I E N C E TOPIC Ⅳ サルエイズモデルにおいて、SeVベクターワクチン は、優れたCTL誘導能および有効性を示した点で、エ イズワクチンデリバリーツールとして有力な候補であ る。特に、ベクターウイルスに対する抗体反応は、ウイ ルスベクター感染・抗原発現を阻害しうることから、 ウイルスベクターワクチンの臨床応用への大きな障壁 となりうるが、SeVベクターワクチンは、SeVのヒト への自然感染がないため有利である。近縁のhPIV-1 に対する抗体はSeVを交差認識することが知られてい るが、近年のアフリカ・欧州・米国・日本の解析では、 90%におよぶヒトが交差抗体を有しているものの、抗 SeV中和抗体価は低いことが判明している15)。 SIVmac239. J Virol 80: 5875–5885, 2006 8) McMichael A et al. Another HIV vaccine failure: where to next? Nat Med 19: 1576-1577, 2013 9) Fukazawa Y et al. Lymph node T cell responses predict the efficacy of live attenuated SIV vaccines. Nat Med 18: 1673-1683, 2012 10)Hansen SG et al. Profound early control of highly pathogenic SIV by an effector memory T-cell vaccine. Nature 473: 523–527, 2011 11) Goulder PJR, Watkins DI. Impact of MHC class I diversity on immune control of immunodeficiency virus replication. Nat Rev Immunol 8: 619–630, 2008 12) Iwamoto N et al. Control of SIV replication by vaccineinduced Gag- and Vif-specific CD8+ T cells. J Virol, in press. 13) Letourneau S et al. Design and pre-clinical evaluation of a universal HIV-1 vaccine. PLoS ONE 2: e984, 2007 14) http: //www.businesswire.jp/news/jp/2 013 0 4 010 0 5 813/ ja?utm_source=dlvr.it&utm_medium=twitter 15)Hara H et al. Prevalence of specific neutralizing antibodies against Sendai virus in populations from different geographic areas: Implications for AIDS vaccine development using Sendai virus vector. Hum Vaccin 7: 639-645, 2011. 7―今後の展望 HIV曝露後の2次反応によるHIV持続感染成立阻 止あるいは集団レベルでの感染拡大阻止を目指すT細 胞誘導エイズワクチンについては、臨床試験が展開さ れている。各種AdVベクター、ポックスウイルスベク ター、SeVベクター等の中から、デリバリーシステム として有効なベクターが3つ以上得られることが期待 されており、それらを併用したプライム・ブースト法 の確立が企図されている。このシステムに用いる抗原 の最適化については、conserved elements等の試みが なされており、今後の進展を待つところである。一方、 HIV曝露時の感染防御を目指す抗体誘導ワクチンおよ びCMVベクターワクチン開発研究は、基礎研究段階で はあるものの、T細胞誘導エイズワクチンとの併用に 結びつけるべく、革新的な研究進展が期待される。 参考文献 1) Fauci AS et al. HIV-AIDS: much accomplished, much to do. Nat Immunol 14: 1104-1107, 2013 2) Burton DR et al. HIV vaccine design and the neutralizing antibody problem. Nat Immunol 5: 233-236, 2004 3) Rerks-Ngarm S et al. Vaccination with ALVAC and AIDSVAX to prevent HIV-1 infection in Thailand. N Engl J Med 361: 2209-2220, 2009 4) Koup RA et al. Temporal association of cellular immune responses with the initial control of viremia in primary human immunodeficiency virus type 1 syndrome. J Virol 68: 4950-4655, 1994 5) Matano T et al. Administration of an anti-CD8 monoclonal antibody interferes with the clearance of chimeric simian/ human immunodeficiency virus during primary infections of rhesus macaques. J Virol 72: 164-169, 1998 6) Matano T et al. Cytotoxic T lymphocyte-based control of simian immunodeficiency virus replication in a preclinical AIDS vaccine trail. J Exp Med 199: 1709-1718, 2004 7) Wilson NA et al. Vaccine-induced cellular immune responses reduce plasma viral concentrations after repeated low-dose challenge with pathogenic simian immunodeficiency virus 俣野 哲朗 またの・てつろう 国立感染症研究所 エイズ研究センター センター長 大阪府生まれ 東京大学 医学部卒 東京大学大学院 医学系研究科 博士課程修了 博士(医学) 専門は微生物学 31 JANUARY 2 014 / H U M A N S C I E N C E T E R R AC E スウェーデンのバイオクラスター スコーネ地区とストックホルム・ウプサラ地区 スウェーデン大使館 投資部 主席投資官 橋本 せつ子 の間にオレスンド橋が完成し、スウェーデンとデンマー ク間を車、列車で簡単に往来できるようになり、この地 区の経済発展に大きく寄与している。マルメからは車 で20分でコペンハーゲン国際空港に行くことができる。 スコーネ地区とデンマークのコペンハーゲン地区に またがるバイオクラスターは“Medicon Valley”とし て日本でもよく知られている。ヨーロッパ屈指のバイ オクラスターでは大学との緊密な協力体制のもと、350 社を超える創薬、 医療機器のバイオ企業が活躍している。 1─スコーネの地理と産業 スウェーデンの最南部に位置するスコーネ(Skåne) 地区はスウェーデンの中では気候も穏やかで土地が肥 沃なため昔から農業・食品産業が盛んな地区である。 19世紀からは造船業、製造業、パッケージング産業で栄 えた。1990年代の金融危機によりスウェーデンの経済 は深刻な危機に陥り、スコーネの重工業も衰退したが、 国と地方自治体の支援によりIT、ライフサイエンスに重 点を置いた産業構造の転換に成功した。 スウェーデンで3番目に大きな都市マルメ(Malmö) 市は、隣接するルント(Lund)市とともに都市圏を形成 し、海外からの移住者も多く、この地区は人口の48%が35 歳以下というスウェーデンの中でも若い都市圏となっ ている。有名なサッカー選手ズラタン・イブラヒモビッ チもマルメ出身である。2000年に対岸のデンマークと 2─スコーネ地区の研究環境 スコーネ地区にはスウェーデン最大のルント大学を はじめ8つの大学があり、学生は15万人、研究者は1万人 を数える。1666年に創設されたルント大学はスウェー デンでも最も古くかつ最大の総合大学であり、特に工学 図1 スコーネ地区 図2 スウェーデンとデンマークにまたがるMedicon Valley 32 図3 オレスンド橋 JANUARY 2 014 / H U M A N S C I E N C E T E R R AC E 部が有名である。Bluetoothはルント大学から生み出さ れたITの技術である。医学部には大学病院が併設され、 糖尿病をはじめとする代謝疾患の他にも脳神経、がん、 免疫の4つの領域を対象とした医療、研究、開発に取り組 んでいる。 現在ルント市郊外にはEU の共同研究施設の大型シン クロトロン施設MAX IVが建築中で、さらに2020年まで には物質科学の共同研究施設ESSが完成し、こうした大 型施設を用いた基礎研究、製品開発のために世界中から さまざまな分野の研究者がスコーネ地区に集まること が期待されている。 区に衝撃が走った。 ルント大学、地方自治体、民間企業の協力により AstraZenecaの研究所を設備も含めてそのまま買い取 ることが決まり、研究所閉鎖の発表からからわずか1年 あまりで、ライフサイエンス系の企業が集まるMedicon Villageが開設された。Medicon Villageでは最新の機器 を備えた実験室、スタートアップ企業用の実験室とオ フィス、会議室が揃い、ライフサイエンスの基礎研究か ら製品開発までのバリューチェインを担うさまざまな 専門家がともに働き、アイデアを交換するための全く新 しいインフラを実現させた。 な か で もMedicon Villageの 中 に 新 た に 創 設 さ れ た Life Science Foresight Instituteでは大学初のアイデア、 シーズ技術を将来の社会のニーズに沿った製品、サービ スとして実現することに焦点をあてた研究開発を支援 する活動を展開している。まず手始めに「パーソナラ イズド・メディスン」と「在宅最先端ケア」という2つ のパイロットプロジェクトを立ち上げている。起業し たばかりの企業に対する経営のサポートサービスも提 供している。 スコーネ地区の地方自治体は、AstraZenecaの研究所 閉鎖という危機に直面した時に、ベンチャー企業が活動 しやすい環境を整え、イノベーションを起こすための支 援体制を構築する機会ととらえ、ピンチをチャンスに変 えることに成功した。現在スコーネ地区の現在の最大 の産業はライフサイエンスである。 このように新たな発想と、素早い政策の実行が時代の 流れに対応した産業構造の転換をもたらしている。 3─Medicon Village ル ン ト 大 学 周 辺 に はIdeon Science Parkが あ り、 SonyEricsson(現Sony)の研究所、医療機器のGambro、 パッケージングのTetra Pakなどの大手企業と並んで大 学発ベンチャー企業が集積している。スウェーデンの 代表的な製薬企業であるAstra(現AstraZeneca)社も ルント大学に隣接して敷地面積80,000m2、研究員900人の 大きな研究所を持っていた。2010年3月にAstraZeneca 社はこの研究所を閉鎖し、Goteborgにある研究所に集 約することを発表した時には、スコーネ地区のライフサ イエンスの研究開発の中枢を失うことと1,000人近い専 門職の雇用をどう確保するかという問題にスコーネ地 図4 Lund 大学と Ideon Science Park 図6 ESS と MAX IVの完成予想図 図5 スコーネ地区の大手企業 図7 Medicon Village 33 JANUARY 2 014 / H U M A N S C I E N C E T E R R AC E 動支援など目的別の支援組織がカロリンスカ研究所に 直結した株式会社として運営されている(Karolinska Innovation社、Karolinska Development社など)。 4─ストックホルム・ウプサラ地区 スウェーデンの首都であるストックホルムはス ウェーデン最大の都市で近郊の都市圏を合わせるとス ウェーデン全体の人口の2割を超える人がストックホル ム周辺に集中している。ストックホルムは多島海に浮 かぶ島々の上に成り立つ美しい都市で、「北のベニス」 とも呼ばれ、金融の街でもある。ストックホルム市内に はカロリンスカ研究所、王立工科大学、ストックホルム 大学、ストックホルム商科大学の4つの大きな大学があ り、5,300人の研究者、10万人の学生数を擁する。 ストックホルムから北へ70キロに位置するウプサラ はウプサラ大学と旧Pharmaciaを中心に発達した人口20 万人の学術都市である。ストックホルム・ウプサラ地区 には600のライフサイエンス関連企業があり、スウェー デンのライフサイエンス産業の60%が集中している。 6─Stockholm Science City 現在カロリンスカ研究所周辺ではヨーロッパでも屈 指の大規模なライフサインエスクラスターの開発事業 が進行している。2016年の完成を目指してカロリンス カ研究所に隣接する大学病院が生まれ変わろうとして いる。新しい病院は最新の研究成果を反映できるよう 研究所とも密接な関係を保ち、かつ「always patient first(常に患者最優先)」というコンセプトで設計され ている。この病院ではすべての病室はトイレ、シャワー が完備した一人部屋で、家族も一緒に過ごすことができ 5─カロリンスカ研究所 世界でも有数の医科大学として有名なカロリンスカ 研究所は2010年に創立200年を迎えた。370名の教授を 含む4,200名のスタッフにより世界でもトップにランク される医学教育と研究活動が行われている。スウェー デンの医科学研究の40%以上が同研究所で実施されて いる。ノーベル賞医学生理学賞の選考委員会はカロリ ンスカ研究所に置かれている。昨年受賞した京都大学 の山中教授もカロリンスカ研究所で記念講演を行った。 同研究所では研究成果をより早く社会に還元するため のさまざまなイノベーションシステムが構築されてい る。すなわち、シーズ技術のスクリーニングから起業 コンサルティング、スタートアップ企業の経営、営業活 図8 ストックホルム市街 (左の建物がノーベル賞受賞ディナーが開催される市庁舎) 図9 カロリンスカ研究所周辺で進むStockholm Science Cityの開発 34 JANUARY 2 014 / H U M A N S C I E N C E T E R R AC E る。患者が各診療科を回るのではなく、患者の症状によ り専門の医師、看護師が病室に来て診療活動を行う。 その病院の近くには楕円形のユニークなビルが完成 している。Science for Life Laboratory(SciLifeLab)と 名付けられたこの施設ではカロリンスカ研究所、王立 工科大学、ストックホルム大学、ウプサラ大学の4つの大 学が共同で最先端の大規模な分子生物学、トランスレー ショナルリサーチを行っている。その周辺には企業向け の研究施設、オフィス、さらにはショッピングセンター、 居住地区の建設が予定されている。完成時にはストッ クホルムに世界有数の一大バイオクラスターが出現す ることになる。 い企業が生まれ続ける背景には、Uppsala University InnovationやUppsala BIOな ど の 支 援 シ ス テ ム に 企 業 での豊富な実務経験を持つ人材が参加し、より実践的な 支援を行っているということが挙げられる。Uppsala University Innovation は企業と大学の出会いを促進す るために“AIMDay”という手法を開発した。年に数 回、特定のテーマを挙げて企業からの要望・質問を取り まとめ、それに応える研究者を大学内から募り、両者を 引き合わせるのである。具体的なテーマを設定するこ とにより、企業のニーズと大学のシーズをうまく組み合 わせることができ多くの共同研究のアイデアを生み出 してきた。Uppsala BIOではそれをさらに進めて研究成 果をProof of Conceptに転換するための仕組みとして、 “BIO-X”というプロセスを提供している。BIO-Xでは これまでに18のプロジェクトを支援し、その内5つプロ ジェクトから新しい会社が生まれた。 7─Uppsala BIO ウプサラはウプサラ大学とスウェーデンのライフサ イエンスをけん引してきた企業の一つであるPharmacia を中心に発展してきた。その影響もあってか、スウェー デンの他のバイオクラスターと比べるとウプサラ地区 には研究用機器、診断薬、試薬関連企業の割合が大きく、 成功した企業の数も多い。ウプサラで数多くの新し 8─産業育成のしくみ これまで見てきたように、スウェーデンのバイオクラ スターでは大学の研究成果を迅速に社会に還元するこ とを目指して、実践的な取り組みを続けている。この数 年、世界の製薬産業では経営資源の見直しにより、研究 所の閉鎖、企業のM&Aが続いている。スウェーデンも 例外ではないが、スウェーデンではそうした危機をバネ にして新たな産業を生み出してきたように思われる。 豊富な企業経験を持つ人材とフレキシブルな施策がイ ノベーションを起こす原動力となっている。 BIO-X bridging the gap Academia Basic research Publication 図10 新しいカロリンスカ大学病院の完成予想図 BIO-X Explorative research Product development Industry 図12 BIO-Xの取り組み 図11 新しいカロリンスカ大学病院内部の完成予想図 35 JANUARY 2 014 / H U M A N S C I E N C E F R O M FO U N DAT I O N 平成25年の事業活動と発行資料(2013年1月~ 12月) 資料名 ■ 研究事業報告書 1 厚生労働科学研究費補助金(創薬基盤推進研究事業)政策創薬マッチング研究事業(調査研究) 平成24年度 国外調査報告書 「創薬基盤強化の新機軸を探る-オープン・イノベーション、バイオマーカーを中心に-」 2 厚生労働科学研究費補助金(創薬基盤推進研究事業)政策創薬マッチング研究事業(調査研究) 平成24年度 国内基盤技術調査報告書 「気分障害に関する医療ニーズ調査」 3 厚生労働科学研究費補助金(創薬基盤推進研究事業)政策創薬マッチング研究事業(調査研究) 平成24年度 将来動向調査報告書 「慢性腎臓病(CKD)の将来動向」 平成24年度 厚生労働科学研究費補助金(創薬基盤推進研究事業)政策創薬マッチング研究 研究報告書 4 5 発行日・実施日 2013/03/19 2013/03/19 「政策創薬におけるヒューマンサイエンス総合研究(官民共同研究)の推進」 HSレポート No.78 研究資源委員会調査報告書 「創薬におけるオープンイノベーション-外部連携による研究資源の活用-」 HSレポート No.79 規制動向調査報告書 「コンパニオン診断薬を用いた個別化医療-その開発と規制の動向-」 HSレポート No.80 創薬技術調査報告書 7 8 9 10 11 12 13 14 平成24年度 第15回ヒューマンサイエンス総合研究ワークショップ 「がんの個別化医療~プラットフォームから臨床開発まで~」要旨集 2013/03/07-08 平成25年度 第3回ヒューマンサイエンス調査報告書発表会 「 独)国立循環器病研究センターにおける研究活動-循環器病対策に向けた予防・診断・ ( 治療戦略-」 要旨集 平成25年度 厚生労働科学研究費補助金(創薬基盤推進研究事業) 「政策創薬におけるヒューマンサイエンス総合研究(官民共同研究)研究成果発表会」 要旨集 平成25年度 第42回 ヒューマンサイエンス総合研究セミナー 「新しい作用機構の抗ウイルス薬開発への取り組み-ウイルス感染症に挑む-」 要旨集 平成25年度 第16回ヒューマンサイエンス総合研究ワークショップ 2013/02/13 2013/05/21 2013/08/26 2013/11/25 ■ ワークショップ・調査報告書発表会・セミナー・基礎研究講習会要旨集 平成25年度 第33回 ヒューマンサイエンス基礎研究講習会 18 2013/11/22 ■ バイオインターフェース(バイオ技術移転のための交流の場)要旨集 平成24年度 第41回ヒューマンサイエンス・バイオインターフェース 平成25年度 第42回ヒューマンサイエンス・バイオインターフェース 平成25年度 第43回ヒューマンサイエンス・バイオインターフェース 平成25年度 第44回ヒューマンサイエンス・バイオインターフェース 17 2013/03/29 HSレポート No.81 研究資源委員会調査報告書 「バイオバンク・ネットワーク-個別化医療及び創薬の基盤整備-」 「専門委に対するアンケートの結果によって浮き彫りにされた将来動向と医療ニーズ -慢性腎臓病と気分障害の課題-」 要旨集 16 2013/03/29 「創薬基盤技術の最新動向を探る-イメージング技術・高速シークエンサー・新規モデル動物試験系-」 2013/03/29 15 2013/05/31 ■ 調査報告書(一般事業) 6 2013/03/19 「ナノバイオテクノロジーはどこまで医療に貢献できるか-現状と展望-」 要旨集 読者のみなさまへ 会報「ヒューマンサイエンス」休刊のお知らせ 平 素 は、(公 財)ヒ ュ ー マ ン サ イ エ ン ス 振 興 財 団 会 報 「ヒューマンサイエンス」をご愛読いただき誠に有難うご ざいます。 弊誌は、1990年4月の創刊以来、財団の機関誌として、創 薬や医学に関するトピックスについて、座談会記事や解説 記事を定期的に刊行してまいりました。しかしながら諸般 の事情により2014年1月号をもって休刊させていただく ことになりました。 読者の皆様には突然のご案内となり大変恐縮ではございま すが、何卒ご理解賜りますようお願い申し上げます。 (公財)ヒューマンサイエンス振興財団 会報編集委員会 36 2013/07/19 2013/09/09 2013/10/08 2013/12/09 2013/12/25-26 JANUARY 2 0 14 / H U M A N S C I E N C E GA L L E RY ツマキチョウ−誤認と種の継代 尾部から生殖器を出して交尾中の モンシロチョウに求愛行動をする ツマキチョウの雄 交尾中のモンシロチョウ(左が雌) ツマキチョウの求愛行動 日本各地に普遍的に分布し、畑や空き地の菜の花を好 の環境変化と天敵から逃れる術を持っていません。その んで訪れるツマキチョウは、春の妖精とよばれています。 ため、気候が温和で餌の豊富な里山であっても他の種に 写真のように、雄の前翅先端に明るい橙色の紋を持って 比べマイナーな種となっています。このように、種の生 いるにも関わらず、おそらく殆どの人が小振りなモンシ 存という点で不利にも関わらず延々と生き残っているの ロチョウと思って見過ごしていることでしょう。 は、① 餌となるアブラナ科植物が平野部から高山に至る このツマキチョウは、自然界では同族のクモマツマキ まで日当たりの良い所なら何処にでもあり、② アブラナ チョウと自然雑交することでも知られています。年一回 科植物を食べる他の昆虫が葉を食べるのに、この属は実 だけ春の一時期しか出現しないためか、ツマキチョウ属 を食べるので採餌の競合がないこと、③ 共食いも辞さな の雄は、紫外線域の雌の翅のデザインに類似した蝶を見 い肉食もできること、④ 蝶になるのに 2 ∼ 3 年かかる蛹 つけると、競争相手がいようがいまいが、構わずに求愛 が稀に出ること(もしかしたらこのイレギュラー蛹が成 行動をとるみたいです。写真に見られるように属が異な 育に不向きな年を低代謝が故に生き残り、種の命を繋げ るにも関わらず交尾しているモンシロチョウ雌の半開き るのかもしれない)等の利点を生かしてシブトク生き残 の翅の紋様(紫外線域)に反応し、尾部から交尾器を出 っているようです。 してモンシロチョウ雌に後方から求愛行動を繰り返して これまでのシリーズでは、“昆虫は人との関わりからそ いました。 の生存形態を変えることを種の存続力としてきた”と書 極めて限られた地域で、生息密度の低い種が低い確率 いてきました。もしかしたら、昆虫はヒト社会からの負 ながら雑交を行うことは、もしかしたら、過酷な環境へ の要因以外にさらに多くの自然界のバイアスに対抗して、 の適応能力の獲得、ないしは変化する周辺環境に耐性の 混血さえも種の継代維持の手段とするような柔軟性を武 ある近縁種に遺伝子を潜り込ませる遺伝子の継代、とい 器として生き残ってきたのかもしれません。 う種の生き残り戦略なのかもしれません。 ツマキチョウ属は、近縁種とは異なり繁殖は年一回だ けで一年の大半(11ヶ月以上)を蛹で過ごすため生息地 今泉 晃 医療法人社団珠光会 企画管理室 JANUARY HEADING STAINED GLASS INTERFACE TOPIC I TOPIC II CONTENTS 2014 VOLUME 25 / NUMBER 1 Season’s Greetings by Toichi Takenaka Chairman, Japan Health Sciences Foundation Antaijutsu by Mikio Yamazaki Professor Emeritus, Chiba University Vaccine Development: Present and Future Toshiaki Ihara Director, National Hospital Organization, Mie National Hospital Hiroshi Kiyono Dean and Professor, Division of Mucosal Immunology, Department of Microbiology and Immunology, Institute of Medical Science, The University of Tokyo Ken Ishii Project Leader, Laboratory of Adjuvant Innovation, National Institute of Biomedical Innovation Koichi Yamanishi Director General, Research Foundation for Microbial Diseases of Osaka University Development for Allergy Therapeutic Vaccine by Yasuyuki Ishii Team Leader, Laboratory for Vaccine Design, RIKEN Center for Integrative Medical Sciences (IMS RCAI) The Present and Future of Influenza Vaccine by Hideki Hasegawa Director, Department of Pathology, National Institute of Infectious Diseases TOPIC III Global Polio Eradication and Vaccine Strategies - Current Status and Challenges by Hiroyuki Shimizu Chief, Laboratory of Enteroviruses, Department of Virology II, National Institute of Infectious Diseases TOPIC IV Current Progress in AIDS Vaccine Development by Tetsuro Matano Director, AIDS Research Center, National Institute of Infectious Diseases TERRACE Biocluster in Sweden: Skåne and Stockholm/Uppsala by Setsuko Hashimoto Senior Investment Advisor, Embassy of Sweden, Investment Office GALLERY Yellow-Chip Butterfly - Misrecognition by Akira Imaizumi R&D Planning and Coordination Division, Shukokai Inc. FROM FOUNDATION FROM EDITOR Activities of Japan Health Sciences Foundation in Year 2013 To Readers Ⓒ 公益財団法人 ヒューマンサイエンス振興財団 ISSN 0915-8987 MP40114 ○ ○ ○ ● ヒューマンサイエンス振興財団 ○ ○ ○ ● 公益財団法人
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