「TOKYO-BAY ららぽーと」の研究

卒業論文
2003 年度
「TOKYO-BAY ららぽーと」の研究
−時代と顧客の変化に対応した新たな SC になるための提案−
東洋大学
経営学部
商学科
1320000201番
塚田ゼミナール
近藤
仁
目次
はじめに
第1章
ショッピングセンターの現状
1−1
日本におけるショッピングセンター
1−2
2002 年度における SC の現状
TOKYO-BAY ららぽーとの状況
第2章
2−1
TOKYO-BAY ららぽーと
2−2
TOKYO-BAY ららぽーとの歴史
(1) TOKYO-BAY ららぽーとの開業(∼1981 年)
(2) TOKYO-BAY ららぽーとの成長(1982∼1993 年)
(3) TOKYO-BAY ららぽーとの変化(1994∼)
2−3
核テナントの変化
2−4
関連施設の変化
2−5
売上高と集客
第3章 TOKYO-BAY ららぽーとの現状
3−1
インタビューの実施
3−2
TOKYO-BAY ららぽーとの変化
(1) TOKYO-BAY ららぽーとの創設
(2) TOKYO-BAY ららぽーとの変貌
(3)
3−3
新たな顧客対応の仕掛け
周辺地域の変化
(1)
船橋市の変化
(2)
ららぽーと周辺地域の変化
(3)
周辺住宅の状況
2
第4章 集客性の向上と将来のためのシネコン
4−1
具体案∼映画館の強化∼
4−2
シネマコンプレックスの歴史と現状
4−3
余暇活動としての映画
4−4
現状の映画館
おわりに
脚注
参考文献
3
はじめに
長引く消費不況、競合激化による単価安でショッピングセンター業界は苦境に立たされてい
る。ショッピングセンター全体の総売上は 26 兆円を超え全小売業総売上高の約 19%を占めて
いるが、SC 年間売上高は、大幅な落ち込みではないものの、10 年連続のマイナス成長となり、
暗雲が漂ったままである。こういった状況を生き抜くには、景気の回復を待つだけではなく己
から市場を開拓し新たな消費を作り出す必要がある。
私が研究している TOKYO―BAY ららぽーとは、郊外型のショッピングセンターとして
1981 年に開業して以来、日本を代表するショッピングセンターとして成長してきた。しかし、
開業当初の核テナントであった百貨店そごう、大型スーパーのダイエーは、長引く消費不況の
影響を受け撤退や業態の変化を余儀なくされ、次々と TOKYO―BAY ららぽーとから姿を消し
ていった。この影響は、TOKYO―BAY ららぽーとの各テナントにも大きな影響をもたらし今
後の動向が不透明な状態になっている状況だ。しかし TOKYO―BAY ららぽーとは、大きな核
テナント 2 つから開放されたと考えるならばまさに今が新たなスタートをきる絶好の機会とな
っているはずだ。そのためにも今一度、TOKYO―BAY ららぽーとが今後狙っていくターゲッ
トを明確化し、どのようなきっかけでアプローチしていくか考えていく必要がある。そのため
にも現在ターゲットにしているのは、誰なのか、またその人々はどんな思考を持ち、どのよう
なことに興味を持っているのかを確認しなければならない。
この研究では、現状の TOKYO―BAY ららぽーとの状況を把握しターゲットを明確化した上
で、そのターゲットにどのようなアプローチができるか、データやインタビューを元に具体案
を考えていきたい。
第1章 ショッピングセンターの現状
1−1
日本におけるショッピングセンター
ショッピングセンター(以下 SC)は、1930 年代に米国で誕生し、50 年代以降全米に広がり現
在約 42000SC が存在している1)。今ではアメリカの人々の生活に欠くことのできない商業施
設となっている。SC が、日本に登場したのが昭和 40 年代で、その代表的なのが東京都世田谷
区の国道 246 号線沿いに 1969(昭和 44)年 11 月にオープンした「玉川高島屋 SC」だ。
玉川高島屋 SC は、東 神 開 発 が デ ベ ロ ッ パ ー と な り 日本で初の本格的な米国型郊外S
Cで、百貨店の高島屋と 128 の専門店が一つの建物の中で一体となって営業し、当時としては
1000 台という大規模な駐車場を備えた画期的なものだった。
SC とは、どのような商業施設なのか。日本には大型の商業施設・店舗として三越、高島屋、
松坂屋といった百貨店、ダイエー、イトーヨーカドー、イオンといった大型スーパーがあるが、
こういった企業の単独店舗を SC とはいわない。SC の定義は「デベロッパー(DV)と呼ばれ
4
る一つの経営体が中心になって計画、開発した建物にキーテナントといわれる大型小売店(通常
は大型スーパー、百貨店)とテナントと呼ばれるバラエティにとんだ小売専門店、飲食店、サー
ビス業が入り、地域の生活者に多種多様な商品、サービスを提供する商業施設」のことをいう
。 また、日本には、キーテナントが入らない専門店だけで構成されている SC、 例えばフ
2)
ァッションビル、駅ビル、地下街といった SC もある。さらに、最近は“安さ”を売物にした SC
として、カテゴリーキラーと呼ばれるような大型ディスカウント専門店を集めた『パワーセン
ター』やメーカーや小売店の在庫処分などを目的としたアウトレットストアやオフプライスの
店を集めた『アウトレットモール』が出現し、注目を集めている。
キーテナントがあるSCの代表的なものしては、先程の日本最古の SC の「玉川高島屋 SC」、
日本最大の敷地面積を持つ千葉県船橋市の「TOKYO-BAY ららぽーと」などがある。また、
キーテナントのない SC としては、ファッションビルの「パルコ」、
「ラフォーレ原宿」、駅ビ
ルでは東京の新宿、立川、北千住、埼玉・大宮、横浜にある「ルミネ」などがある
さらに、最近は流通業界も国際化が進展し、海外の専門店の日本進出が活発化しているが、
SC 業界でも例えば 1996 年 4 月福岡市にオープンした「キャナルシティ博多」はデザインプ
ロデューサーに、ロサンゼルスオリンピックのチーフデザイナーで「ホ−トンプラザ」や「ユ
ニバーサルスタジオ/シティウォーク」などを手掛けたジョン・ジャーディ氏を起用し、そのユ
ニークなデザインで話題になったが、テナント構成も施設全体の延床面積の 1/3 以上が AMC・
ワーナーブラザース・スタジオストアなどの海外テナントが占めるというように国際化の波が
押し寄せている。
日本ショッピングセンター協会によると国内の総 SC 数(2002 年 12 月現在)2,615SC で、2002
年度のオープン SC は 50 件(上半期 22、下半期 28)あり3)、2003 年には汐留シティセンタ
ーや六本木ヒルズがオープンし話題を集めている。今後も新たな SC がオープンしていくこと
で他業態との競争以外に SC 同士の競争も激化すると予想されている。
(図ー1)
年次別オープン SC 数
年次別オープン
SC 数
91 年 92 年 93 年 94 年 95 年 96 年 97 年 98 年 99 年 00 年 01 年 02 年
年 間
81
114
150
128
115
106
113
108
107
149
39
50
(上半期)
35
49
65
65
43
49
47
45
54
47
19
22
(下半期)
46
65
85
63
71
57
66
63
53
102
20
28
(出所)『我が国 SC の現況』より
5
1−2
2002 年度における SC の現状
2002 年 1 月∼12 月の SC 年間売上高は、前年比 –2.1%(店舗調整後)であった4)。 大幅
な落ち込みではないものの、10 年連続のマイナス成長となり、暗雲が漂った 1 年であったと
いえる。各月毎の状況では、9.11 同時多発テロ、BSE 騒動等の影響 が薄らいだ 8 月、9 月に
ほのかな回復の兆しが見られ期待が集まったが、秋物・ 歳末商戦が今一歩盛り上らず、年通
算が冷え込んだ。SC 総売上高推移(図-2)は、26 兆 1,158 億円となり、前年を 5,117 億円
下回る結果となった5)。これは、デフレの浸透で客単価が相当落ち込んだことに加えて大型流
通 企業の破綻が相次ぎ、SC の閉店が増加したことで SC 総数が減少したことが大きな 要因
となっていると考えられる。業業態別では、テナント、キーテナントとも -2.1% と同レベルの
マイナス成長 を記録、枕を並べて水面下に落ち込んだ形となった6)。地地域別では、各地域
とも売上不振状態が続いた中にあって、北海道地域と北陸地域 SC の健闘振りが目立っている
。SC 売上高内容では、
1 SC 当たり平均売上高は 103 億 19 百万円、年間売上効率は 2,919(千
7)
円/3.3 ㎡)となって、前年の 88 億 99 百万円、2,802(千円/3.3 ㎡)を上回っており、各テ
ベロッパーの SC 運営、SC テナントの店舗経営等の効率化向上が一段と 加速されていること
が窺える8)。
(図-2)
SC総売上高推移(単位:億円)
SC
300000
250000
200000
150000
100000
50000
0
百貨店
スーパー
1991 1992 1993 1994 1995 1996 1997 1998 1999 2000 2001
(出所)経済産業省『商業販売統計 2003』より
6
第2章
2−1
TOKYO-BAY ららぽーとの状況
TOKYO-BAY ららぽーと
TOKYO-BAY ららぽーと(所在
地:千葉県船橋市浜町 2 丁目)は
「買う、見る、遊ぶ、これらの欲
求を充足させ、ひとつの場所で欲
しいモノすべてが手に入れられる
場所」というコンセプトのもと日
本で初めての郊外型ショッピング
センターとして 1981 年 4 月に開業
した 10)。
店舗面積は開業当初から現在ま
で徐々に増床され、今では総店舗
面積 180、554 ㎡となった。この大
きさは日本で最も大きいショッピ
ングセンターだ。本格的な郊外型ショッピングセンターだけあって駐車場の大きさも 8000 台
分と日本一だ。また年間来場者数 2200 万人という、千葉県では成田空港、東京ディズニーリ
ゾート、成田山に次ぐ集客力だ 11)。
現在は、2002 年4月より Kou’S(コウズ)を改造した「Daiei ららぽーとイースト」と 540
の専門店街で形成され、専門店街は「ららぽーと1」、
「ららぽーと2」
「ららぽーと3」
「らら
ぽーと WEST」から形成されている。また、その他の施設として複合型映画館、イベントの行
われるセンターコート、クリスタル広場などがある。
TOKYO-BAY ららぽーと周辺には関連施設多くあり「ららぽーとホテルサンガーデン」、
「ら
らぽーとテニスコート」
、
「ららぽーとスキードームザウス(2002 年3月営業終了)
」、
「ららぽ
ーとフットサル場」がある。そして 2002 年 6 月に温泉施設「ららぽーとの湯常盤殿」もオー
プンした。
TOKYO-BAY ららぽーとは開業以来の 22 年間、時代ごとの消費環境の変化にダイナミック
に対応し続けた歴史がある。定期的な新陳代謝を心がけ、異質空間たる SC の役割を追求し続
けた。それが日本最大の SC であり続けた理由でもある。
この章では、ららぽーとの変化を歴史と共に振り返っていく。
7
2−2
TOKYO-BAY ららぽーとの歴史
(1)TOKYO-BAY ららぽーとの開業(∼1981 年)
そもそも、TOKYO-BAY ららぽーとが開業する前、その土地には 1955 年開業の船橋ヘルス
センターがあった。首都圏の日帰り温泉客の拠点として 1960∼70 年代には大量の集客を誘っ
たが、大広間形式の温泉施設はじょじょに時代遅れとなっていた。
それに代わる新しい集客装置として、マイカーの利用を前提とした米国式の広域集客型 SC
の建設を考えたのは、ららぽーとの運営元でもある三井不動産だ。
当時の大型商業施設というと、駅ビルや駅前の総合スーパーが中心だった。1969 年には日
本初の郊外型 SC といわれる玉川高島屋 SC が開業しているが、郊外といっても東急沿線の世
田谷区・二子玉川駅前という立地だった。当時、TOKYO-BAY ららぽーとの最寄駅である京
成線・船橋競馬場駅(現在の最寄駅である JR 京葉線・南船橋駅は 1988 年開業のため、当時
まだ存在していない。)から徒歩で 10 分という立地は、当時の常識では SC の候補地とはなり
えなかった場所だった。
そんな場所に、TOKYO-BAY ららぽーとは「クルマ社会に対応した SC づくり」というコン
セプトを徹底し、当時としてケタはずれの 4000 台の駐車場を確保した大規模 SC をつくり上
げたのだ。先行する玉川高島屋 SC でさえ、開業当初の駐車場は 1000 台だった。
(2)TOKYO-BAY ららぽーとの成長(1982∼1993 年)
日本初ともいえるクルマ利用による広域集客型の大型商業施設が根付くには、時間が必要だ
った。1981 年、そごうとダイエーの間を 250 の専門店が連なる「2 核 1 モール」式でスター
トした TOKYO-BAY ららぽーとだが、当初は集客も売上げも思うように伸びなかった。その
実力を発揮し始めるのは、1983 年に近隣の浦安市に東京ディズニーランドがオープンするな
ど、徐々に東京ベイエリアの注目度が高まってきてからだ。
22 年を経た今、クルマ利用の広域集客というコンセプトは間違っていなかったと言える。
4000 台でスタートした駐車場は、1987 年に 6000 台、1998 年に 7000 台、2000 年に 8000 台
と、20 年間に随時拡充され、現在ではオープン当初の 2 倍にあたる 8000 台規模になっている。
現在クルマによる来場者は土日で 67%を占める 12)。
またこの間、定期的に増床やテナントの入れ替えも行っている。1985 年には、東京ディズ
ニーランド目当ての観光客を当て込んで、TOKYO-BAY ららぽーとの隣接地にホテル棟のホ
テルサンガーデンを開業した。このころから、物販だけでなく、街としての機能も意識し始め
る。
1988 年には JR 京葉線の開通に合わせて、新たに約 80 の専門店を収容する「ららぽーと 2」
8
が建設された。さらに複合映画館、多目的ホール、飲食街などのレジャー機能も強化され、船
橋周辺のオフィス需要の高まりに対応するかたちで、敷地内にオフィスビルも建てられた。
これらの積極的な投資の背景には、当時、東京ディズニーランドがすでに国内有数の集客施
設となっており、1989 年には幕張新都心に幕張メッセが開業しようとしていたことがある。2
つの強力な集客施設の中間に位置する TOKYO-BAY ららぽーとは、単なる通過点として存在
感が薄れかねないという不安感があったのだ。
進化を止めた街は衰退するといった危機感に突き動かされるように、その後も TOKYO-BAY
ららぽーとは矢継ぎ早の施設拡大が続けられた。今はもう無くなったが、若者向けの施設とし
ては高級ディスコやプールバーもお目見えしたのもこの頃だった。1993 年には若者客の集客
を支える屋内人工スキー場ザウスが登場し、全国的にも脚光を浴びた。
(3)TOKYO-BAY ららぽーとの変化(1994∼)
TOKYO-BAY ららぽーとの業績のピークは専門店街だけで 429 億円を稼ぎ、船橋そごうと
ダイエーを加えれば売上高は 1000 億円近くに及んだ 1991 年だった 13)。それ以降は、客数は
必ずしも減ってはいないものの、売上げは前年割れに甘んじることが多くなった。定期的な新
陳代謝などで時代の波を乗り切ったものの、バブル崩壊と、それに伴う消費不況はジワジワと
ダメージを与えたのだ。
加えて、2 つの核店舗の迷走だ。専門店の存在感の薄さから、ららぽーとならぬ「からぽー
と」と言われた開業当初は、専門店街の不信を、2 つの核店舗が支えた。だが、バブル崩壊後
は、弱体化する2核を専門店街が支える構図に変わっていった。
顧客のライフスタイルも、開業以来この 22 年間で大きく変化している。当初、ターゲット
として定めたのはニューファミリーと呼ばれた団塊の世代だったが、代替わりして「平成ニュ
ーファミリー」と呼ばれる団塊ジュニアの世代が中心顧客になっている 14)。再び SC 全体を見
直す時期に来ていた。
中心顧客の変化に対応する取り組みの目玉として 2000 年に開業以来 3 度目の大幅増床とな
る「ららぽーと 3」をオープンさせた。ららぽーと3は、
「ライフスタイルのアップスタンダー
ド」をテーマに 20∼30 代とさらに下の世代にも対応している 15)。ヘルス&ビューティー分野
では日本で 4 号店となるフランスの「セフォラ」
、スペインの大手アパレル ZARA による初の
キッズ専門店など、外資系の有力テナントも誘致された。TOKYO-BAY ららぽーとは、東京
から成田空港に向かう東関東自動車道沿いにあるだけに、小売り外資の経営者の目にとまりや
すい点が幸いした。国内テナントからもサザビー・グループや、ワールド、丸井などが初出店
となる新業態の専門店郡を続々と投入したのも、国内最大 SC という存在感が評価されたため
だ。
20 周年となる 2001 年の 4 月には、TOKYO-BAY ららぽーと内の専門店でショッピング、
飲食するとポイントがたまる「ららぽいんと」というポイントカードを導入した。ポイントは
100 円ごとのショッピングで1ポイント、500 ポイントたまると 500 円の買い物券と交換でき
9
る。この手のポイントカードは何処にでもある普通のものだが、ららぽーとの専門店 540 店共
通で使用できるという大きなメリットを持っている。
「ららぽいんと」の期待を示すように、4 月のカード発行から、わずか3ヶ月あまりで会員
を 10 万人も集めた 16)。入会時にカード発行費用として 100 円を必要と有料カードとしては異
例の反響だった。現在は、このポイントカードを利用して Web 上で「ららナビ」というサー
ビスを展開している。これは顧客一人一人にたいして異なる情報やクーポンの発行、サービス
を行うものだ。こういったポイントカードやサービス提供カードといった顧客カードを発行し
て顧客一人一人の購買データをとらえながら、顧客を購入金額や来店頻度によって選別し、セ
グメント別にサービスや特典を変えることによって個々の顧客に最も適したサービスを提供
し、かつ効率的な販売戦略を展開して優良固定客の維持・拡大を図るマーケティング手法を取
り入れている。顧客の選別、管理を行うことで新たなアプローチの仕方を模索している段階だ。
2−3
核テナントの変化
TOKYO-BAY ららぽーとでは、開業以来、米国の SC の典型である「2 核 1 モール」と言う
形態を採っていた。その 2 核には、百貨店のそごうと大型スーパーのダイエーが選ばれた。1981
年の開業当時、この 2 社はそれぞれ百貨店とスーパーのトップ企業だった。その強力な 2 つの
核テナントの間を専門店が軒を連ねたのだった。
ところがバブル崩壊以降、TOKYO-BAY ららぽーとは、そごうとダイエーの2核に振り回
されっぱなしだった。消費不況が鮮明になり始めてきた 1997 年、船橋そごうは開業以来の改
装の目玉は、
「百貨店の放棄」だった。それまでそごうの自主運営売場だった 3 階と 4 階を、
テナント開放したのだ。3 階にはスポーツ関連店 22 店と、玩具専門店の「トイザらス」が入
居した。4 階はパソコン店「T−ZONE」や 100 円ショップ「ダイソー」が入った。若者を中
心に人気のドラッグストア「マツモトキヨシ」も 1 階に出店し、現在は「ユニクロ」も入居し
ている。いずれも“百貨店初出店の人気テナント”といえば聞こえがいいが、実際は旧来の百
貨店のイメージを捨てた場所貸し業移行には他ならない。
この改装は、TOKYO-BAY ららぽーとにとっては誤算だった。それは、ショッピングモー
ルの核となるべき百貨店が、専門店街エリアとなんら変わらなくなってしまったからだ。SC
が百貨店を核店舗に据える目的は、化粧品などのヘルス&ビュウティー分野や高級衣料品など
の分野を、専門店街と役割分担することだ。そんな TOKYO-BAY ららぽーと側の構想が見事
に裏切られた。船橋そごうの土地・建物は三井不動産の所有だったが、地価高騰を目論んだそ
ごうが、1980 年代半ばに強引に買い取った経緯があった。そのため、TOKYO-BAY ららぽー
と側にはどうすることもできない存在であったことも、不安感を増大させた。
2000 年には、経営不振が続いたそごうグループが事実上の倒産となった。それに伴い、債
務超過額が 427 億円にも膨れ上がっていた船橋そごうは閉鎖が決まった
17)。現在は、三井不
動産株式会社は店舗運営を旧そごうから継承し、ららぽーと WEST を新たに運営している。
もう一方の核テナントであるダイエーも経営再建中だ。TOKYO-BAY ららぽーとのダイエ
10
ーは 1998 年に、開業以来の総合スーパーから会員制ディスカウントストアの「Kou’s(コウ
ズ)」に業態転換した。ダイエーにすれば、広域からの集客が見込めるららぽーとで新業態を
実験することには大きな意味があった。しかし、TOKYO-BAY ららぽーと側には必ずしも好
ましい変化ではなかった。当時コウズを利用するには年間 3000 円の会費が必要だった。置い
てある商品は確かに安いが、近隣のディスカウント店や大型家電用品店に比べると大して値段
に差は無い。冷凍食品では業務用の大きなパッケージが主体となっている。あらゆる客層が集
まる SC でありながら、日常的な買い物ができる“普通”の大型量販店が無くなったのだ。会
員制がなかなか定着しないコウズは 2001 年 6 月、店内を一般開放へと踏み切った。これによ
り SC 全体の食品分野の弱さはある程度解消されたが、不安が消え去ったわけではなかった。
コウズのディスカウント業態は、経営再建の過程で見直しが図られ、2002 年の 3 月 31 日で閉
店し、新たに親会社であるダイエーが 4 月から「Daiei ららぽーとイースト」として再び出店
した。
「Daiei ららぽーとイースト」は、TOKYO-BAY ららぽーとの最東端に位置している。二階
部分にベビー用品「フランツ」、カジュアル衣料「PAS」、家電「パレックス」など衣住 16 種
類の直営専門店を並べたカテゴリーバリューセンターとして造られた。1階も食品売り場の他、
88 円ショップやドラッグストアなど専門直営店6種類を導入した。
ダイエーの直営専門店で構成するカテゴリーバリューセンターとして造られた「Daiei ららぽ
ーとイースト」は、東京・銀座で実験したカテゴリーバリューセンターが想定以上に好調で、
TOKYO-BAY ららぽーとは総合スーパーよりも専門店が若い顧客に受けると考えて造られた
ものだ。しかし、同じショッピングセンター内の専門店に食われる形となり売上高は年間売上
高 80 億だったが計画比の 6∼7 割程度に留まった。今の状況では、どうしても昔のダイエー色
から抜けきれていない様子だ。
2−4
関連施設の変化
三井不動産は 2002 年 3 月 1 日、TOKYO-BAY ららぽーとに併設されている世界最大級の屋
内人工スキー場ららぽーとスキードーム SSAWS(ザウス)を 2002 年 9 月末で閉鎖すると発
表した。近年のスキーブームの沈静化や景気低迷による個人消費の伸び悩みの影響で来場者が
激減、業績が悪化していた。
「東京近郊で季節を問わず滑れる本物のスキー場」との触れ込みで 1993 年 7 月にオープン。
建設費は約 400 億円。長さ 490 メートル、最大幅 100 メートル、最大斜度 20 度の本格的ゲレ
ンデを持ち、世界初の天井からの人工降雪システムを取り入れていた。
開業から 5 年目までは年間約 100 万人の来場を保っていたが、6 年目以降から減少を続け、
9 年目となる今期の来場見込みは 60 万人程度と、ピーク時の 6 割にまで低迷、料金体系の見
直しやキャンペーン実施などの営業強化を図ってきたが、景気低迷と予想以上の来場者の激減
で、今後の回復も見込めないと判断した 18)。
この結果は、併設されていた TOKYO-BAY ららぽーとの相乗効果をうめなかったことにある
11
だろう。買い物に来る人はザウスには行くことはないし、逆にザウスに来る人は疲れていて帰
りに買い物へは行かない。こんなに近くにある施設なのに関連性が少しもなかった結果になる。
これは 2001 年 6 月 2 日にオープンした温浴施設「ららぽーとの湯 常盤殿」も同じことが言え
る。温泉とショッピングとでは相乗効果が望めないようならばザウスと同じ道を歩みかねない
だろう。
2−5
売上高と集客
日本がバブル時に TOKYO-BAY ららぽーとも業績のピーク時を迎えていた。1991 年の
TOKYO-BAY ららぽーとの売上高は専門店街だけで 430 億円も稼ぎ、船橋そごうとダイエー
を加えれば売上高は 1000 億近くに及んでいた 19)。しかし、そのピーク時をさかいに売上高は
年々落ち込み、1999 年には専門店街の売上高が 330 億円まで落ち込んでいる。専門店街の売
上高 330 億に船橋そごうと Kou’S(旧ダイエー)の売上高を加えると 577 億円になる。ピーク
時に比べると全体の売上高が 40%減と、ここ 10 年の間に大きく落ち込んだ事がわかる(図―
3)20)。
(図―3)
TOKYO-BAYららぽーとの売上高・集客数の推移
レジ客数(万人)
500
400
300
200
100
0
1300
1200
1100
1000
(万人)
(億円)
売上高(億円)
900
1990 91
92
93
94
95
96
97
98
99 2000
(出所)ららぽーと HP より
しかし、その売上高とは反比例するかのようにレジ客数は順調に増えてきている。ピーク時
の 1991 年に 1070 万人だった専門店街のレジ客数が 1999 年には 1250 万人と順調に増加して
いる。こういった来場者数の増加の要因として考えられるのが、ららぽーとの関連施設でもあ
る屋内人工スキー場「ザウス」の建設や随時行ってきた駐車場の拡充、ららぽーと 3 の増床な
どが上げられる。
なぜ客数は増加しているのに売上高は落ち込んでいるのか。その要因として第一に考えられ
12
るのが客単価の低下だ。図―3を参考にすると客単価は売上高ピーク時の 1991 年の 3945 円
から落ち込み、1999 年には 2640 円となっている 21)。これはピーク時に比べると 33%減とい
う状況だ。バブル崩壊後の消費不況はららぽーともジワジワとダメージをあたえているようだ。
13
第3章
3−1
TOKYO-BAY ららぽーとの現状
インタビューの実施
今までの研究では資料や TOKYO-BAY ららぽーとの見学などによって行ってきた。今回は
実際に株式会社ららぽーとで働いている方にインタビューをすることで、ららぽーとの実態を
聞き出すことと資料だけでは確認できなかったことなどを聞いてみた。
インタビューを行うにあたって失礼のないようにあらかじめメールで連絡を取り、2003 年 6
月 20 日に行った。担当は総務部の小川裕子さんで、TOKYO-BAY ららぽーとに隣接している
三井ビル・ららぽーと本社でお話を伺った。
質問①
「 こ の 20 年 で 経 済 環 境 も 消 費 動 向 も 大 き く 変 わ る な か で 、 T O K YO- B A Y
ららぽーともかなり変化しているように感じるのですが。
は い 。21 年 前 に で き た 施 設 を 私 ど も は「 ら ら ぽ ー と 1」と 呼 ん で い る の で す が 、
そ の あ と 1988 年 に「 ら ら ぽ ー と 2」、2000 年 に「 ら ら ぽ ー と 3」、2001 年 に「 ら
らぽーとウエスト」がオープンしています。
21 年 前 に は そ ご う さ ん と ダ イ エ ー さ ん と い う 、ま さ に 当 時 の 商 業 の 雄 を 核 に
した専門店街としてスタートしました。その後、そごうさんが経営破綻し、ダ
イエーさんが経営再建を図るなかで、
「 核 の な い 大 型 商 業 施 設 」に 大 き く 転 換 し
たわけです。
核 の な い 商 業 施 設 と い う の は 、常 に い ろ い ろ と 変 化 を も た せ て い か な け れ ば
なりません。さまざまなリニューアルを行ない、客層に幅をもたせながら、あ
るいは商品やテナントさんを変えながら進化してきたのです。
質問②
スタート当初の客層だったニューファミリー層が高齢化しているとい
うお話がありましたが、テナント構成でもそういうことを意識されています
か?
現在、ららぽーと 1 の大規模リニューアルを手がけていまして、一部を除き
今 年 11 月 に オ ー プ ン し 、来 年 3 月 に グ ラ ン ド オ ー プ ン の 予 定 で す 。こ れ に よ り 、
40 代 や 50 代 、 あ る い は も っ と 上 の 世 代 に も 来 店 し て い た だ こ う と 考 え て い ま
す 。 現 在 は 20 代 と 30 代 の 女 性 の ウ エ イ ト が 高 い の で す が 、 人 口 構 成 か ら い っ
ても団塊の世代は間違いなくボリュームがありますので、いわゆるアクティブ
シニアに的を絞った展開も今後は行なっていきたいと思います。
ただ、同じアクティブシニアでも、女性のニーズはなんとか読むことができ
14
るのですが、男性は非常にむずかしい。消費の主導権を握っているのは男性で
はなく、選ぶのは奥さまということが多いですから。
現在 TOKYO-BAY ららぽーとは、どの世代、どの客層をメインターゲットとしてい
質問③
ますか?
TOKYO-BAY ららぽーとのメインターゲットは 20∼40 代の家族客です。週末や祝日に一番
多く来館し、比較的ショッピングの時間がながいため、長時間の滞在を見込めるお客様です。
またこの世代の家族客は、子供連れで来館することが多く TOKYO-BAY ららぽーと内の幅広
い場所を利用していただいています。特にトイザラスやららぽーと WEST の子供服売り場に
は、小さなお子様を連れている家族客で賑わいます。
次にターゲットとしているのがカップル客です。男女のカップルや女性のカップルが多く、
平日から週末までよく来館していただいています。カップル客の利用店は様々ですが、特に来
客数が多いのは、ららぽーと 3 となっています。
質問④
ここ数年のうちに TOKYO-BAY ららぽーとの周辺にマンションをはじめとした住宅
施設が建設され新たな住民が増えています。そういった方々に対して対策は取られています
か?
近隣の大型マンションの建設(東京ベイスクエア・プリズム、東京ベイエリア・ミッテなど)
をはじめ住宅開発がすすみ新たな顧客が増えてきています。最も近いマンションは道路を挟ん
ですぐの所にあるので積極的にアプローチをして頻繁にきていただけるお客様になってもら
いたいと考えています。そのためにも毎日消費する食料品を中心に生活用品をより充実する努
力をしています。2003 年の 6 月には新たな食品ゾーン「fooddeco」
(フードデコ)をオープン
させ、ダイエー、京成リブレには無いジャンルの食料品を揃えました。特に総菜や菓子類に力
を入れ、お持ち帰りの食事を提供したり、本格的な食事ではなく小腹を満たせる店なども出店
しています。
質問⑤
現在 TOKYO-BAY ららぽーとが抱えている課題を教えてください。
一番の課題は平日の来館数を増加させることです。TOKYO-BAY ららぽーとは郊外型のシ
ョッピングセンターということもあり、来客は週末に集中します。週末の来館者数に比べて平
日にはかなりの差があるので、この差を埋めることが今後の課題です。
またメインターゲットである家族客の午後の利用時間をより消費に結び付けることも重要
な課題です。家族客は滞在時間がながく、ほぼ 1 日をショッピングセンター内で過ごすケース
15
が多いです。午前中にショッピングを行い、昼食を食べた後館内をぶらつき、夕食の食材を買
って帰るケースがほとんどです。問題なのは昼食後の館内の利用方法にあります。午前中にシ
ョッピングを済ましてしまい午後のショッピングは、ぶらつく程度で商品やお店を見て回る程
度で、あまり商品の購入まで結びつかない状態です。メインターゲットである家族客に、この
午後の時間をいかに消費へと結び付けていけるかが今後の課題です。
付け足しとして慢性的な交通渋滞にも悩まされています。TOKYO-BAY ららぽーとにアク
セスする際に利用する国道 14 号、357 号は毎日のように交通渋滞が起きています。ららぽー
とがどうにかできる問題ではないですが車で来客する方にとっては来館までにかなりの時間
がかかってしまうため大変不便です。
質問⑥
今後、少子高齢化がすすむなかで TOKYO-BAY ららぽーとは現段階でどのような戦
略を考えているか教えてください。
現在ららぽーとでは、具体的な対策は行っていませんが、ベビーブーマーの第一段が職場を
去る 2007 年頃を目安にして、今後増加していくであろうシニア層をターゲットとした施設開
発や改造などを計画しています。
質問⑦
ららぽーと 2 の中にある映画館の来客数の利用頻度はどの程度ありますか?
具体的な数字はお教えできませんが 1988 年に創設していらい年々低迷気味です。座席の交
換や駐車場の無料キャンペーン、半券によるキャンペーンなど行うことで今後の集客を見込ん
でいます。
質問⑧
TOKYO-BAY ららぽーとがターゲットにしている主な商圏はどの範囲に住んでいる
人々ですか?
ららぽーとの周辺に住んでいる人をメインターゲットにしています。特に船橋市、市川市、
八千代市、習志野市、浦安市、鎌ケ谷市の方々を意識しています。また遠方ですが千葉市や木
更津市などの東京ベイサイドの人々も週末に来館することも多く、その方々もターゲットに含
まれます。
質問⑨
TOKYO-BAY ららぽーとのライバルはどの商業施設ですか?
千葉県に限って考えると、浦安市の東京ディズニーリゾート、柏の高島屋を中心としたステ
16
ーションモールが上げられます。特に東京ディズニーリゾートは JR 京葉線の舞浜駅に位置し
ているため JR 南船橋を最寄駅に持つ TOKYO-BAY ららぽーとにとっては一番のライバルと
なっています。
質問⑩
TOKYO-BAY ららぽーとでは集客の増加の反面、売上が低下している現象が起きている
と思いますが、それについての対策は何かとっていますか?
ららぽーとでも一時期に低価格化を進めるテナントもあり全体的な売上も低下した時期が
ありました。しかし、定期的なリニューアルや増床を行い全体的な売上を伸ばすとともに適切
なテナント指導を行うことで集客、売上ともに増加していく努力をしています。
質問⑪
御社の今後の展開と戦略を教えて下さい。
現在、生活者はたいへんな勢いで変わってきています。生活様式や行動様式
が 多 様 化 し て い ま す し 、 と く に 30 代 ・ 40 代 の 女 性 は 、 “私 流 ”の 生 き 方 を 重 視
しています。そういう生活者の変化に、私どもも、もっとスピーディーに対応
し て い か な け れ ば な り ま せ ん 。価 値 観 の 軸 で 捉 え れ ば そ う い う こ と が い え ま す 。
また時間の軸で捉えますと、買い物にゆっくりと時間をかけたいというお客
さまと、あまり時間をかけたくない、時間を節約したいというお客さまがいら
っしゃいます。時間消費型の方に対してはエンターテインメントの要素が必要
になりますし、時間節約型の方にとっては、自分の欲しいものを短時間に購入
できるのが一番いいわけです。
ただ、時間消費型の人でも、いつもそうだというわけではありません。ある
ときは時間をかけてゆっくりとお買物を楽しみたいと思われるときもあるでし
ょうし、時間をかけずにお買物を済ませたいという場合もある。一人の方がそ
のときによっていろいろな要求をもつということです。そうしますと、
TOKYO-BAY ら ら ぽ ー と の よ う に 大 規 模 で あ る と い う こ と は 、 必 ず し も 強 み に
ならないこともあります。
ですから、時間がかかってもそれほど苦痛にならないような工夫、目的の場
所に行くまでの時間をなるべく感じさせないような空間演出の工夫も必要だと
思います。ひとつの試みとして、入口に近いところにお停めいただいた車を移
動 す る サ ー ビ ス (バ レ ッ ト パ ー キ ン グ )を 試 験 的 に 行 な い 、 ご 好 評 を い た だ き ま
した。時間節約型のお客さまへの対応はこれからも考えていかなければならな
い課題ですが、いろいろな工夫の成果もあって、お客さまの数は確実に増えて
きています。
17
3−2
TOKYO-BAY ららぽーとの変化
2003 年 3 月下旬、1998 年から約6年間かけたリノベーションの最終段階として、
「ららぽ
ーと1」リニューアルが終了。
「TOKYO-BAY ららぽーと」はグランドオープンにこぎ着けた。
約2万坪の売り場面積という壮大なスケールと、「ないものがなく、欲しいものがある」と
いうマルチパーパスなクオリティーを併せ持つ、日本最大級のス−パ−リ−ジョナル・ショッ
ピングセンターとしての地位が確立させることがこれまでのリニューアルや増床を行ってき
た目的だ 22)。
(1)
TOKYO-BAY ららぽーとの創設
一連のリノベーションで、
「ららぽーと」が目指したのは、
「21 世紀型 TOKYO-BAY ライフ
スタイル提案」の実現だ。
「ららぽーと」が位置する東京湾岸は、準工業地帯から首都圏郊外のベッドタウンへの変身
を背景に、東京ディズニ−ランド効果によるエリアへの注目度の高まりを加味した、新しい都
市型ライフスタイルを求める人々の流入が顕著なエリアである。俗に「千葉都民」といわれる、
東京都心と日常的に生活感覚を共有する情報、感度をもったニューファミリー層の流入が多い
23)。
1981 年の「ららぽーと1」オープン当時の顧客層を第 1 世代とすると、現在の顧客層の主
役はその子供達になる第2世代である。まさに、団塊の世代と団塊ジュニアを共にターゲット
にしたことになる。
(2)
TOKYO-BAY ららぽーとの変貌
TOKYO-BAY ららぽーとがオープンして以来の 22 年間、顧客層だけではなく、取り巻く生
活環境も一変し、モータリゼーション、IT 化が進行した。このような社会の変化に対応して、
常に新しいライフスタイルを提案し続けるためには、時代に一歩先駆けた断続的な改革が不可
欠だった。
1988 年の「ららぽーと2」のオープンでは、当時はまだなかった複合型映画館を導入した。
これは、ショッピングセンターのエンターテイメント性強化の先駆けとなったものだった。
1998 年から始まった一連のリノベーションでは、まず「イータ−テイメント」な「ハーバ
ーグリル」を導入
24)。1999
年には「ららぽーと2」をリニューアルし、グローバルブランド
の導入により、インターナショナル性を強化。そして、2000 年に「ららぽーと3」を新築増
床オープンした。
「ららぽーと3」では、より都心型の好感度ファッションブランド、ライフスタイルストア、
18
ファミリーブランド・アクティヴストアを導入。さらに、新業態によるフードコートやビュ−
ティ−&ヘルシーゾーンなど、マーケット創造型の構成を実現した。
施設環境としても、ららぽーと1・2・3を連結し、回遊 600 メートルの屋内巡回型モール
を構成。その中心にエンターテインメント性の高い外部広場、屋外ストリートを形成するなど、
「街並み」としての環境を創出した。
「日本でないみたい」ようなエキサイティングな環境は、
一連のリノベーションでスケール、グレードともにステージアップに成功した。環境デザイン
にアメリカの大手設計会社「RTKL」を起用したのが功を奏したのである 25)。
このように、「ららぽーと3」で団塊ジュニア世代とヤングファミリー層を取り込むことに
は成功した。しかし、施設全体として見ると、百貨店機能の喪失、ライフスタイルのベーシッ
クな対応に向けての業種シェアの減少が見られたのは否めない 26)。
(3)新たな顧客対応の仕掛け
2001 年には、元そごうを「ららぽーと West」として、2002 年には KOU'S を「ダイエーら
らぽーとイースト店」としてリニューアル。さらに、仕上げとして「ららぽーと1」のリニュ
ーアルに着手した。
「ららぽーと1」リニューアルで目指したのは、「進化する日常生活の感度アップ」を基軸
にした、「21 世紀型 TOKYO-BAY ライフスタイル提案」の集大成である 26)。
具体的には大きく 6 つの柱を掲げた。
(1)第 2 世代の TOKYO-BAY ヤングマダムを対象にした「ニュースタンダードファッ
ション」。
(2)3 世代ファミリーを対象にした「キッズファミリ−ワールド」。
(3)第 1 世代をフォローアップ対応する「パワーアダルトスタイル提案」。
(4)ホビーライフとインテリア関連の「ライフクリエーション」。
(5)日常生活に欠かせない利便性を提供する「サービス・コミュニティ機能の充実」。
(6)今回のリニューアルの目玉ともいえる「食を中心としたライフスタイル提案」。
食提案ゾーンの中核となるのは、
「ららぽーと」独自の売り場として設けた「FOODDECO(フ
ードデコ)」だ。これは現代生活の多彩な食のシ−ン、家族の食事形態の変化など、いわゆる
「HOME MEAL SOLUTION」に対応するためのもの。イートインスペースをふんだんに配
し、ショッピングセンターならではのエンターテインメント性を確保しているのが特徴だ。
隣接するモールゾーンには、食関連の専門店とライフスタイルストアを揃え、「クリエイティ
ブミセスのすてきゾーン」的ニーズに対応する 27)。これにより、既存の飲食ゾーン、フードコ
ート、SM、GMS に加えて、より多くの食関連のスタイルを選ぶことが可能になった。
FOODDECO は食に強い百貨店として知られる阪急百貨店とのコラボレ−ションにより実
現した。ショッピングセンターが独自に開発・運営する新業態の大型食関連売り場として、団
19
塊ジュニア世代とヤングファミリー層、新たな顧客としてシニア層からの支持が得られるか今
後の動向が注目されている。
3−3
周辺地域の変化
(1) 船橋市の変化
船橋市は、1937 年(昭和 12 年)に近隣 2 町 3 村が合併し県下 4 番目の市として誕生した。
当時の人口は、43,669 人だった。船橋市の発足直後の戦前には軍需工場の建設が相次ぎ、行田
には真珠湾攻撃の「ニイタカヤマノボレ」の暗号を発信した海軍無線電信所の施設が造られた。
戦中は、東京から民間工場が進出し、戦災を免れたこともあり、東京や周辺地区からの疎開者
が流入し 1945 年(昭和 20 年)には、人口 67,944 人に増加した。
戦後は、東京や周辺部から農産物や海産物の買い出しに来る人々が溢れ、「日本の上海」と
も呼ばれた 29)。また、明治天皇の統監下で軍隊演習が行われた習志野原の開拓や京葉工業地帯
造成が行われ、1947 年に新京成電鉄の新津田沼∼薬園台間が開通し、1955 年には松戸まで全
線開通した。沿線には前原・習志野台・高根台といった大型団地が造成されたことで 1955 年
(昭和 30 年)には、114,921 人まで人口が増加した。
昭和 40 年頃になると鉄道の開発も進み、1969 年(昭和 44 年)には営団地下鉄東西線が西
船橋まで開通し、1972 年(昭和 47 年)には国鉄総武快速線が東京まで開通し、都心へのアク
セスが短縮されたこともあり民間企業の宅地造成も積極的に行われ人口も 223,989 人となっ
た。
昭和 50 年代には、船橋駅周辺の開発が行われ、船橋駅前には、東武・西武等の大型店が立
地し、周辺市にまで及ぶ巨大な商圏を形成した。また、イトーヨーカドーなどの大型商業施設
や地下商店街も開業し商業の様相が一変した。本町通りは昭和中期、中高層化が進み、「県下
商店街の代表的存在」となった。しかし、次第に国鉄船橋駅周辺にその地位を奪われ、現在で
は船橋の商業の中心は主に JR 船橋駅周辺、JR 津田沼駅周辺(南口・北口の一部は習志野市)、
TOKYO-BAY ららぽーと(旧船橋ヘルスセンター)となっている。市内の商業の現況は、2002
年時点で商店数・従業者数・売場面積・年間販売額の 4 項目で、いずれも千葉市に次ぐ規模で
ある 30)。
交通の便も良くなり国鉄武蔵野線・京葉線、北総開発鉄道、東葉高速鉄道といった鉄道が次々
と開通・延長し、市内には夏見台・若松・金杉台・行田・芝山の公団団地が造成され、民間団
地の造成も盛んに行われた。住宅造成の動きが強まったこの頃には、人口が 423,101 人と急増
し、船橋は「地方都市」から「東京のベッドタウン」とその姿を変えたのである。
昭和 60 年代以降も京葉線、東葉高速線の開通により船橋市東部、北部の開発が進むなど人
口の増加に限らず、世帯数の増加が目立ってくる。平成 13 年には、人口 553,598 人、220,104
世帯となっている。
20
(図−4
)
船橋市人口・世帯数の推移
世帯数
600000
500000
400000
300000
200000
100000
0
250000
200000
150000
100000
(世帯)
(人口)
人口
50000
0
S12
S20
S30
S40
S50
S60
H13
(出所)『2002 年
船橋市勢要覧』より
(2) ららぽーと周辺地域の変化
TOKYO-BAY ららぽーとが 1981 年(昭和 56 年)オープンしてから近隣の開発もいちだん
と進み、準工業地帯から首都圏郊外のベッドタウンへの変身を遂げている。「船橋市南部地域
人口・世帯数の推移」を見てみると TOKYO-BAY ららぽーと周辺の人口増加率の高さがうか
がえる(図ー5)31)。
オープン当時の 1983 年(昭和 58 年)には、86,538 人、30,317 世帯だった人口も徐々に増
え 2002 年(平成 14 年)には人口 93,811 人(+9.2%)、43,495 世帯(+43%)になった。特
徴的なことは、世帯数の増加が著しいことだ。人口の増加は、1989 年(平成元年)から一時
低迷しているが世帯数だけは順調に増加を続けている。この地域は、総武線、京成線、京葉線
による首都圏へのアクセスが良いことからベッドタウンとしての機能が高まり団塊ジュニア
世代とヤングファミリー層の流入につながったためだ。
21
(図―5)
船橋市南部地域 人口・世帯の推移
世帯数
50000
96000
94000
92000
90000
88000
86000
84000
82000
40000
30000
20000
(世帯)
(人口)
人口
10000
0
S58 S60 S62
H1
H3
(出所)『平成 15 年
H5
H7
H9
H12 H14
船橋市住宅マスタープラン・地域データ』より
2002 年(平成 14 年)の人口増加が著しいのは、TOKYO-BAY ららぽーと周辺の地域で再
開発が行われ東京ベイスクエア・プリズム(511 戸)東京ベイエリア・ミッテ(358 戸)など
大型のマンションが建設されたことで起きたと考えられる。また TOKYO-BAY ららぽーとに
程近い京成線谷津駅、京葉線新習志野駅周辺の開発も進むことでより一層の人口、世帯の増加
も望める。
(3)周辺住宅の状況
1981 年に TOKYO-BAY ららぽーとが開業してから、その周辺施設の開発も進んでいった。
1989 年に完成した JR 南船橋や京成線船橋競馬場前などの開発が進むにつれてマンション開
発を中心とした住宅施設が建設され船橋市自体の総人口も 1980 年の 423,101 人(124,327 世
帯)から 2001 年には 553,598 人(220,104 世帯)まで増加している 32)。ただ単に人口が増加
したのではなく TOKYO-BAY ららぽーとがターゲットとする団塊ジュニアの世代の増加が著
しい(図ー6)33)。
22
(図―6)
人口の年齢構成
100,000
80,000
60,000
40,000
20,000
0
∼9
10代 20代 30代 40代 50代 60代 70代 80∼
(出所)『2002 年
船橋市勢要覧』より
最近では「TOKYO-BAY ららぽーと」に隣接
する住街区(千葉県船橋市浜町 2-4-707)に東京
ベイスクエアプリズムマンションが建設される。
このマンションは敷地面積 12,061.82 ㎡、20 階
建の 3LDK∼4LDK 中心で部屋数が511戸予
定されている
34)。全室が完売したとして一室あ
たり2人と計算しても 1022 人。日用品全般が揃
っている「TOKYO-BAY ららぽーと」にとって
は新たな顧客獲得のチャンスとなるだろう。
(出所)東京ベイスクエアプリズム HP より
この一連の傾向は、TOKYO-BAY らら
ぽ ーとがメインターゲットとしている家
族客の増加チャンスと考えられる。ららぽ
ーとは、「遠方から車で来られる郊外型」
から「メインターゲットが近くに住んでい
る」という新たな立地の特性を生かした戦
略を立てていく必要が出てきている。
(出所)東京ベイスクエアプリズム HP より
23
第4章
4−1
集客性の向上と将来のためのシネコン
具体案∼映画館の強化∼
TOKYO-BAY ららぽーとの大きな集客要因のひとつが 540 の豊富な専門店であり、その専
門店でのショッピングを目的に来館する客がほとんどを占めている。インタビューでもららぽ
ーとに来館する人々は何かしらの買い物や食事をしていく。これだけ多くの専門店があれば自
分好みの何かに出会えるからだろう。しかし、来場者の増加の割には売上が伸びていない事実
がある。
「1 日遊べる空間」を目指しているららぽーとにとってこの現象は大きな課題となっている。
インタビューした際に「家族客は午前中にショッピングを行い、昼食をとった後のショッピン
グは何も買わずに見ているだけ。帰り際に晩御飯の材料を買って帰るケースが多い。」つまり
ショッピングということに特化したことが「何も買わずに見ているだけ」という時間を作り出
してしまっているのではないかと考えられる。ではこの空いた時間をいかに埋めていくかが問
題として上げられる。
そこで考えたのが、現在ららぽーとが経営している映画館を新型のシネマコンプレックスと
してリニューアルすることで「何も買わずに見ているだけ」の時間を無くすことができるはず
である。
4−2
シネマコンプレックスの歴史と現状
映画はまず、上映されて収益をあげるわけだが、近年、国内では、この興行形態に大きな変化
が起こっている。それをもたらしたのがシネマコンプレックス、通称シネコンだ。
シネコンというのは、1 つのビルの中に、100 から 200 席ぐらいに仕切った小さな映画館が 5
から 10 ぐらいあると考えるとわかりやすい。なお、6スクリーンに満たない小規模なシネコン
をミニコン(ミニプレックス)、18スクリーンを越える大規模なシネコンをメガコン(メガ
プレックス)と呼ぶこともある。これを 1 カ所のコントロール・ルームから、各スクリーンに
別のフィルムを送り出す。それによって、人件費を大幅に節約することができる。1 つの映画ビ
ルに入れば、そこにあるスクリーンの数だけ作品を選べるし、また各映画のスタート時間を調
整することによって、少しの待ち時間で、どの映画も最初から観ることができるという利点が
ある。
また、上映している映画の中で当たった作品があれば、いくつかあるスクリーンのうち複数
のスクリーンを、それにふりわけることができる。要するに、作品の人気動向に簡単に対応でき
るわけである。
このシネコンが日本に上陸したのは 1993 年 4 月である。神奈川県海老名市にオープンした
「ワーナーマイカルシネマズ海老名」が最初だ。大型ショッピングセンターとしても知られる
24
ワーナーマイカル内につくられているのが特徴で、これを皮切りにワーナーマイカル社は国内
各所に次々とシネコンをオープン、好調な成績を収めている。
基本的にシネコンではヒット作品メインの上映プログラムが組まれ、定員入替制のため立ち
見が発生しない。椅子、音響設備、スクリーンすべてが最新式で、映画の迫力ある映像やサウン
ドをゆったり座って観られるよう配慮がなされている。
そして、大型ショッピングセンター内にあることで、映画のあとの食事もゆったり楽しめる。
また、買い物ついでに気軽に映画を観ていくこともでき、集客効果も大きい。
この成功によって、1996 年 4 月には福岡県博多市に AMC エンターテインメントが、同年 11
月にはユニバーサルとパラマウントの合弁会社 UCI(ユナイテッド・シネマ・インターナショ
ナルージャパン)が滋賀県大津に、1999 年春にはヴァージン・シネマズ・ジャパンが福岡県久山
と、外資系映画会社系列のシネコンが次々と郊外都市を中心に進出している。
シネコンは、アメリカでは 1980 年代に始まり、テレビやビデオの影響を最小限にとどめて、
映画産業の落ち込みを未然に防ぐ役割を果たした。そして、タイム・ワーナー・グループの興行
部門であるワーナー・ブラザーズ・インターナショナル・シアター社が 1989 年、イギリスにシ
ネコンの建設を始め、当時 1200 余りしかなかった総スクリーン数を、わずか 5 年間で 1.5 倍に
増やすことに成功し、危機に瀕していたイギリス映画興行界の復活に大きく寄与した 35)。
日本でもシネコンの成功は、旧態依然としていた映画興行業界に大きな刺激を与えた。それ
まで東宝・東映・松竹の大手 3 社の劇場の独壇場だった業界地図が、大きく塗り替えられたの
だ。また、海外の映画会社にしてみれば、日本での配給を先の 3 社に委ねなければならなかった
ものが、自社系列での上映可能な館が増えたことの意味も大きい。
映画人口は 1958 年に 11 億 2000 万人でピークを迎えたあと、右下がりで減少を続けていた
が、シネコンでスクリーン数が増えたこともあって、1997 年には 1 億 4000 万人、1998 年には 1
億 5310 万人まで増加した
36)。新設と廃館差
100 で減少を続けていた映画館数も、シネコンの
進出した 1993 年からは 10 館の減少にとどまり、以後、上昇に転じはじめ、1998 年には前年より
109 館増の 1993 館、1999 年にはさらに増えて 2221 館と、大幅にその数を増やしている。(図―
7)はシネコンの館数とスクリーン数の推移を表したものである 37)。
25
(図ー7)
シネマコンプレックスの館数とスクリーン数の推移
館数
600
70
60
50
40
30
20
10
0
500
400
300
200
スクリーン
館
スクリーン
100
0
1993
1994
1995
1996
1997
1998
1999
2000
(出所)梅田勝司.『映像ビジネス知りたいことがスグわかる!!』より
また、シネコンが首都圏でなく地方都市にオープンしているため、これまでは全国大都市主
導だった興行シェアが、地方劇場で 6 割以上を占めるかたちに変化した 38)。
シネコンが成功した背景には、進出開始年に『もののけ姫』や『失楽園』
『ポケットモンスタ
ー』といった大ヒット作品があったこともあげられるが、映画はビデオで済ませるユーザーで
も気軽に観に行ける場所をシネコンが提供したことが大きい。清潔感あふれる空間と、人気作
でも座って観ることができ、買い物ついでに寄れるというメリットが、レンタルビデオで手軽
に映画を済ませてしまうユーザーの動員を誘ったのである。
日本映画製作者連盟によると、2002 年 12 月末現在、全国のシネコンは 176 ヵ所でスクリー
ン数は 1394 ある。そのうち千葉県にはシネコンは 10 ヵ所でスクリーン数は 86 である 39)。
シネコンの特徴を再度まとめると以下の様になる
<シネコンの特徴>
1. 1か所でさまざまな映画を上映していて便利。
2. 人気映画は複数のスクリーンで時差上映。
3. ショッピングセンターの駐車場を使えるので、車で行ける。
4. 新しいので、映画館全体がきれい。
5. ゆったりとした座席配置や見やすい画面など、設計が良い。
6. 最新の音響設備を導入していて音が良い。
7. 各回定員入れ替え制で、立ち見が出ない。
26
8. 夜9時以降からのレイトショーがある。
9. 独自の割引サービスが充実している。
<経営者にとってのシネコン>
1. 映画のついでに買い物、買い物のついでに映画、という相乗効果がある。
2. チケット売場、売店、映写室をまとめることにより、人手がかからず、少な
い人件費で運営できる。
3. 人気の映画は複数館で上映し、不人気の映画は1日の上映回数を減ら
すなど、効率よく映画を観せることができる。
4. 映画館が身近な存在になり、映画館へ行くことが習慣化するので、リピー
ターが増える。
4−3
余暇活動としての映画
2002 年、映画館の入場者数は、日本全体で 1 億 6 千万人。日本の人口は 1 億 2700 万人ほど
だから、平均すると、ひとり 1.26 回映画館に足を運んだことになる。
(この内、邦画と洋画の
比率は約 1:3)それだけ日本人にとって映画が身近な存在になっていることがわかる 40)。
次に 2003 年レジャー白書における「性・年代別余暇活動の参加率の特徴」(図−8、9)を
見てみると各年代で幅広く映画が受け入れられていることがわかる。特に男女ともに 10 代か
ら 40 代の人々には余暇を過ごすための選択肢として指示を得ている 41)。
(図−8)年代別余暇活動の参加率の特徴 2002 年(男性)
全体
10 代
1 ビデオ鑑賞 43.8パソコン
20 代
60.5ビデオ鑑賞
30 代
40 代
50 代
60 代以上
64.8ビデオ鑑賞
66.5ビデオ鑑賞
55.9園芸
40.8園芸
52.9
58パソコン
61.5パソコン
55.7パソコン
38.4パソコン
38.4日曜大工
30.6
38.4ビデオ鑑賞 38.4ビデオ鑑賞
2 音楽鑑賞
40.6音楽鑑賞
3 パソコン
38.7ビデオ鑑賞
53.1音楽鑑賞
56.6音楽鑑賞
50.9音楽鑑賞
4 映画
37.3映画
48.1映画
45.1映画
42.9映画
5 園芸
34.7スポーツ観戦 33.3スポーツ観戦 24.2スポーツ観戦 26.9スポーツ観戦 25.6映画
27音楽鑑賞
27パソコン
25.6スポーツ観戦
(出所)『2003 年レジャー白書 性・年代別余暇活動の参加率の特徴』より
27
21.3
20.3
20
(図―9)年代別余暇活動の参加率の特徴 2002 年(女性)
全体
10 代
20 代
1 音楽鑑賞 42.6 音楽鑑賞
2 映画
30 代
40 代
77 音楽鑑賞 68.8ビデオ鑑賞60.7映画
41 ビデオ鑑賞 62.3 ビデオ鑑賞65.1音楽鑑賞
50 代
55.2 園芸
60 代以上
61.8園芸
52音楽鑑賞 46.6 音楽鑑賞 39.1ビデオ鑑賞25.7
3 ビデオ鑑賞 41 映画
60.7 映画
65.1パソコン
46ビデオ鑑賞44.3 映画
34.8洋裁
4 園芸
60.7 パソコン
59.8映画
44園芸
30.9コンサート
39.9 パソコン
5 コンサート 30.9 学習
39.3 コンサート 31.2園芸
42.5 織物
28.6コンサート 38.9 ビデオ鑑賞 29.6観劇
(出所)『2003 年レジャー白書 性・年代別余暇活動の参加率の特徴』より
次に映画の余暇活動における参加人口の推移をみてみると映画の人気が高まっていることが
わかる。(図―10)は「2003 年の余暇活動参加人口」である
42)。最も参加人口が多い趣味は
ビデオ鑑賞(レンタルを含む)で 1995 年(H6)4780 万人、2003 年(H14)には、4790 万
人と大きな変化はない。同様に音楽鑑賞、スポーツ観戦では大きな変化は見られなかった。逆
に変化が大きいのは、パソコンと映画で、特にパソコンは 1997 年(H8)2140 万人だったの
が 2003 年には 4230 万人と成長した。これは、急激なインターネットの発達などにより一気
に家庭レベルまで浸透していったと考えられる。映画も同様に 1995 年の 3080 万人から 2003
年には 4080 万人へと大きく増加している。これは 2001∼2002 年における映画のヒットが考
えられる。洋画では、ハリー・ポッターと賢者の石(興行収入 203 億円)、ハリー・ポッター
と秘密の部屋(180 億円)、モンスターズ・インク(93.7 億円)
、スターウォーズ エピソード2(93.5
億円)、ロード・オブ・ザ・リング(90.7 億円)などが上映された。邦画では、猫の恩返しギ
ブリーズ episodeⅡ(64.6 億円)、名探偵コナン ベイカー街の亡霊(34.0 億円)などが上映さ
れた。ともに子供から大人まで多くの支持を得られた結果だろう。
(図―10)
余 暇 活 動 参 加 人 口 の 推 移 (万 人 )
6000
5000
4000
3000
2000
1000
0
H6
H7
映画
H8
ビデオ
H9
H 10
パソコン
H11
H 12
音楽鑑賞
H 13
H14
スポーツ観戦
(出所)『2003 年レジャー白書 余暇活動参加人口の推移』より
28
53
22.3
22
17.6
4−4
現状の映画館
TOKYO-BAY ららぽーとの映画館は、東宝・東映・松竹の合計 10 スクリーンで形成されて
いる。ここに映画館ができたのは、1988 年の「ららぽーと 2」の開設時で当時はまだなかった
複合型映画館を導入した。これは、ショッピングセンターのエンターテイメント性強化の先駆
けとなったものだった。
しかし開設から 15 年が経ち老朽化は激しい。定期的に席を設置しなおすなどの措置をとっ
ているようだが、集客の改善にまで至っていなく開設当初のエンターテイメント性は薄れてし
まっている。そうこうしている内にも近隣の市には新たなシネコンが開設している。今後の動
向しだいでは、TOKYO-BAY ららぽーとの客まで他市のシネコンに奪われていく可能性が高
い。
以下に挙げるのが TOKYO-BAY ららぽーとのシネコンの特徴を挙げる。
① チケットの購入、上映前に並ぶ必要があり手間と時間がかかる。
② 映画別にチケットを販売、入場しているため無駄な人件費、スペースが必要になってしま
い効率が悪い。
③ 一回ごとの上映で客が入れ替わる「総入れ替え制」でないため立見が発生する場合がある。
④ 席は小さめで隣との間隔が狭いためゆっくり映画を鑑賞できない。
⑤ 席によってはスクリーンの見え難い場所もある。
⑥ 映画の上映はフィルムを利用していてデジタルと比べて画像が荒く見難い。
⑦ 最終上映時間が 19 時頃と早いため仕事の帰りなどはもちろん見られない。
⑧ 全体的に老朽化が進んでいるので映画館というエンターテイメント空間を楽しむことがで
きない。
このような状況にある TOKYO-BAY ららぽーとの映画館は人気がなく映画館自体の魅力に欠
き、それだけでは集客装置として機能していないのが現状だ。
4−5
周辺映画館の状況と成功の可能性
先にあげたとおり近年のシネコンでスクリーン数が増えたこともあって場合によっては近
隣のシネコンと商圏が重なってしまう恐れもある。そうした場合、限られた客を奪いあい、結
果的には共倒れしかねない。インタビューから TOKYO-BAY ららぽーとのメインターゲット
としている客は、船橋市、市川市、浦安市、習志野市、八千代市、鎌ケ谷市の 6 市に在住して
いる人々であり、この5市に共通して言えることは新興住宅街が多く、特に 40 歳以下の居住
者が多い 43)。船橋市を例にとっても総人口 55 万 3598 人(2002 年 10 月 1 日現在)のうち 40
歳以下の男女を合わせると 26 万 4274 人になり、人口の 47.7%にものぼる 44)。この客層は映
画の余暇活動の参加率が高いことを考えると TOKYO-BAY ららぽーとに来場した際にショッピン
29
グのついでに映画を見たり、映画をめあてに来場した客には鑑賞後のショッピングや食事を促
すことができる可能性がある。
TOKYO-BAY ららぽーとのメインターゲットが住む周辺の市にある映画施設は以下に上げ
る 6 施設である。このうちヴァージンシネマ市川コルトンプラザ、ワーナー・マイカル・シネ
マズ市川妙典、AMC イクスピアリ 16 の三ヵ所は大型のシネコンで旧型のららぽーとのシネコ
ンとは大差があり、映画以外のアミューズメント性に優れ、施設は最新のものを取り入れてい
るため映像、音響、上映効率なども優れている。
船橋市(人口 55 万 3598 人・2002 年 10 月 1 日現在)
ららぽーと
10 スクリーン(東宝 5・東映 2・松竹 3)
市川市(人口 46 万 0738 人・2003 年 8 月 1 日現在)
本谷幡スカラ座
4 スクリーン
ヴァージンシネマ市川コルトンプラザ
9 スクリーン
9 スクリーン
ワーナー・マイカル・シネマズ市川妙典
浦安市(人口 14 万 4561 人・2003 年 7 月 31 日現在)
浦安ポケットシネマ 1、2
2 スクリーン
AMC イクスピアリ 16 シアター1∼16
16 スクリーン
習志野市(人口 15 万 5050 人・2003 年 7 月 31 日現在)
津田沼テアトルシネパーク
2 スクリーン
八千代市(人口 17 万 8630 人・2003 年 8 月 1 日現在)
なし
鎌ケ谷市(人口 10 万 2843 人・2003 年 5 月 1 日現在)
なし
以上の映画館が TOKYO-BAY ららぽーと近辺の施設になる。幸いなことに人口 50 万を持つ
船橋の市内には映画館がららぽーとにしか存在していない。そのうえ他のシネコンとも 5km
以上離れている。また、八千代市や鎌ケ谷市、習志野市など映画館を保有していない市や小規
模な映画館しかない市にとっては、TOKYO-BAY ららぽーとより遠方の浦安や市川のシネコ
ンより近くて同等以上のシネコンがあれば十分集客は見込める。しかし、他のシネコンと同等
では意味が無い。やはり差をつけるためにも TOKYO-BAY ららぽーとのメインターゲットで
ある家族客に焦点を当てたい。「家族客は午前中にショッピングを行い、昼食をとった後のシ
ョッピングは何も買わずに見ているだけ。帰り際に晩御飯の材料を買って帰るケースが多い。」
という課題を抱えている家族客に「午後は映画を見る」という選択肢を与えることでより消費
30
を促せる。またシネコンの特徴に「人気の映画は複数館で上映し、不人気の映画は1日の上映
回数を減らすなど、効率よく映画を観せることができる」がある。これを応用して、うまく子
供客の集中する週末などに子供だけが見られる子供専用のスクリーンを用意して映画を上映
する。親にしてみれば一時的な託児施設になり託児料金の代わりに映画のチケットを買っても
らうなど行う。子供が映画を見ている間に親たちは自分の買い物をしたり、自分の見たい映画
を見たりできる。子供も親も自分の好きなことに時間をかけることができるため満足した状態
で帰ることができる。そのときの印象が「次回映画を見るときは、また TOKYO-BAY ららぽ
ーとへ」というイメージにつなげられる。また家族で同じ映画を見たい場合は BOX 席を作っ
て対応してもいいかもしれない。通常よりゆったりした席でくつろいで見られたり、子供専用
の席が用意してあったり、騒いでも平気なように個室にしてもかまわないだろう。
また近年夜型のライフスタイルが定着して来ていることに関しても注目したい。夜遅くでも
映画を見たいというニーズに答えたのがシネコンのレイトショーだが、TOKYO-BAY ららぽ
ーとで是非行いたいのが週末に行うミッドナイトショー。映画の上映は 23 時くらいの始まり
で仕事帰りでも十分間に合うはずだ。また TOKYO-BAY ららぽーとの一部の店は 23 時まで営
業しているためそちらえの食事客としても見込める。また夜になると TOKYO-BAY ららぽー
と周辺の道路は昼間がウソのようなくらい空いているため東京のお台場まで 30 分以内の移動
が可能である。昼間では渋滞のため来ることができない人々でも夜なら簡単にくることができ
る。
シネコンの導入でどうしても忘れてはいけないのが TOKYO-BAY ららぽーと近隣の住民だ。
先に説明した「船橋市南部地域
人口・世帯数の推移」を見てもわかるとおり TOKYO-BAY
TOKYO-BAY ららぽーと周辺の人口、世帯数ともに増加している。この人々の特徴は、団塊
ジュニア世代とヤングファミリー層が多いということだ。彼らは「余暇活動の参加率」の上位
に映画をあげるくらい映画に親しんできている世代でもある。こういった一番身近で最良の顧
客候補を TOKYO-BAY ららぽーとに集客するためにも「地域割引証明書」などを発行するこ
とで頻繁に映画を見てもらう機会をつくっていくことが大切になる。こういった活動が数年後、
彼らが船橋市に定着したままシルバー層への仲間入りをした際にライフスタイルの一部とし
て映画に来てもらい、その後の時間を TOKYO-BAY ららぽーとで過ごしてもらうなどの将来
の常連客にしていけるからだ。
このようにシネコンは SC の集客を上げるだけではなく新たな市場に対して積極的にコミュ
ニケーションをとるための手段でもあり得る。現在の TOKYO-BAY ららぽーとは将来につな
がる手段として「食」を中心に考えているようだが余暇を過ごすための手段として、ライフス
タイルの一環として将来の可能性があるシネコンにも力を入れていくべきだろう。
31
おわりに
今回の研究では TOKYO-BAY ららぽーとの周辺、近隣の市に住む人々へ映画を通じてアプ
ローチしていく考えをまとめたが、これだけでゴールとは言えない。郊外型 SC である
TOKYO-BAY ららぽーとは、住まいに隣接する街に立地することから、地域性の読み込みが
特に大事なことになる。それぞれ異なる場所に立地した SC が、その場所の地域性をしっかり
と把握し、SC に表現していくことが必要だからだ。また時代が変わるのと同じように人の感
覚や価値観も変わり、そこからライフスタイルも変化していく。そういったことに柔軟に対応
して人々の生活をより豊かにしていけるような施設でなければ時代においていかれてしまう。
今 TOKYO-BAY ららぽーとが行っていかなければならない事は、新たな消費の変化を予測
しておくことだ。今回のように映画のニーズを周辺地域の変化から感じていくように今後は、
特に現在ターゲットとしている家族客の中でもベビーブーマージュニアの消費について予測
しておく必要がある。この 50 年はベビーブーマーを中心とした若年人口が消費をつくり、支
えてきた。彼らの価値観、好みが、このマス市場から退場することは急速にモノ消費離れがす
すみ、コト消費に向かうと考えられる。ベビーブーマーは自分を高めたり、自分らしさを表現
したり、自分が好んだブランドなどには、お金を惜しまない特徴をもっている。自分への投資
が好きなのだ。こういったベビーブーマーのもたらす 2007 年問題はその後につながるだけで
なく、日本の総人口の減少にも重なってくることで、行動派シニアの大量出現は、市場を変え
る大きな要因になるはずである。行動派シニア、ベビーブーマーの消費行動に対しても適切な
対応をしていかなければ生き残れないだろう。
顧客の変化に対応した SC として TOKYO-BAY ららぽーとが今後も成長していけるのか、
そして、新たにどのような展開が見られるか引き続き観察していきたい。
32
http://www.jcsc.or.jp/ 2002 年 9 月 10 日.
http://www.jcsc.or.jp/ 2003 年 2 月 23 日.
3)
社団法人日本ショッピングセンター協会『我が国 SC の現況』秀美社 2003 2 頁−3 頁.
4)
同上 6 頁.
5)
同上 5 頁−6 頁.
6)
同上 6 頁.
7)
同上 7 頁.
8)
同上 6 頁.
10) http://www.lalaport.co.jp,
2003 年 12 月 3 日.
1)
2)
http://www.mitsuifudosan.co.jp, 2003 年 2 月 23 日.
株式会社ダイヤモンド社.
13)同上.
14)団塊ジュニア(1971∼74 年生まれ、2003 年時点で 28∼32 歳)
.
15) http://www.mitsuifudosan.co.jp,
2002 年 9 月 10 日.
16) http://www.lalaport.net/,
2001 年 9 月 3 日.
17)日本経済新聞社『そごう解体』日本経済新聞社
2001 150 頁.
18) http://www.mitsuifudosan.co.jp,
2002 年 9 月 10 日.
19)『週間ダイヤモンド3870号』 株式会社ダイヤモンド社.
20) http://www.lalaport.co.jp, 2002 年 10 月 1 日.
21) 売上高÷レジ客数=客単価で計算.
22) http://www.lalaport.co.jp,
2003 年 12 月 3 日.
23) ヤングファミリー(20 代から 30 代を中心とした家族.
24) イータ−テイメント(エンターテインメント型飲食空間を表す造語)
.
25) http://www.rtkl.com/,
2003 年 9 月 3 日.
26) http://www.fashion-net.com/index.html, 2003 年 12 月 3 日.
27) http://www.yomiuri.co.jp/,
2003 年 9 月 3 日.
28) http://www.mitsuifudosan.co.jp,
2002 年 9 月 10 日.
29)船橋市『ふなばし市政の概要』 船橋市統計局
2002 38 頁.
30) http://www.city.funabashi.chiba.jp 2003 年 9 月 3 日.
31)船橋市『住宅マスタープラン』 船橋市建設局建築部住宅政策課
2003 89 頁−90 頁.
32) http://www.city.funabashi.chiba.jp/,
2003 年 12 月 3 日.
33)船橋市『船橋市勢要覧2002』船橋市統計局
2002 44 頁.
34) http://www.jcre.co.jp,
2002 年 9 月 10 日.
35)梅田勝司『映像ビジネス知りたいことがスグわかる!!』2001.
36) http://www.eiren.org/,
2003 年 9 月 3 日.
37)梅田勝司『映像ビジネス知りたいことがスグわかる!!』2001.
38) http://www.eiren.org/,
2003 年 9 月 3 日.
39) 同上.
40) 同上.
41)社会経済性生産本部 『レジャー白書
2003』 文栄社 2003 21 頁.
42)同上
42 頁.
43)http://www.city.funabashi.chiba.jp/,2003 年 12 月 3 日.
http://www.city.ichikawa.chiba.jp/,2003 年 12 月 3 日.
http://www.city.urayasu.chiba.jp/,2003 年 12 月 3 日.
http://www.city.kamagaya.chiba.jp/,2003 年 12 月 3 日.
http://www.city.narashino.chiba.jp/,2003 年 12 月 3 日.
http://www.city.yachiyo.chiba.jp/,2003 年 12 月 3 日.・
11)
12)『週間ダイヤモンド3870号』
33
44)船橋市『船橋市勢要覧2002』船橋市統計局
2002
44 頁.
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