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和漢聯句の研究 The Research of the WAKANRENKU:

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予稿集原稿
研究発表:日本文学・映画
和漢聯句の研究
―和・漢文学の融合を双方向的アプローチから―
The Research of the WAKANRENKU:
Interactivity Approach to a Fusion of Japanese Literature and Chinese Literature
楊
昆鵬
(京都大学)
要旨
本発表は「和漢聯句」という日本中世の文壇に存在した長詩のジャンルを取り
上げる。まず概要や特徴や説明し、次に和文学と漢文学の対照と融合の様相を検
討する。最後に複数作者による共同創作を異なる分野の専門家の対話による研究
方向を検証する。
キーワード:和漢聯句;中世文学;漢文学;和漢比較文学
宮内庁書陵部蔵
貞 和 二 年 三 月 四 日 和 漢 百 韻 ( 1346・ 現 存 最 古 )
予稿集原稿
1
研究発表:日本文学・映画
和漢聯句とは
和漢聯句は日本中世から近世にかけて流行した詩型である。連歌の形式を踏襲
する五七五・七七文字の和句と、聯句様式の五言漢句とが交替しながら、言葉の
連想や対句によって連ねられてゆく。 狭義的に和句で始まる「和漢」と、漢句か
ら始まる「漢和」があるが、和漢聯句と総称する。 何れも二句目の末字で韻を決
める。和漢の場合は偶数句の漢句だけは押韻するが、漢和の場合は和句の末字も
漢字で記し押韻する。これ以外は基本的な作法は連歌の式目に準じ、専用の規則
もある。和歌・連歌を得意とする者が和句を詠み、漢詩文の教養を備える者が漢
句を担当する。
2
ジャンルとしての特徴
京 都 大 学 附 属 図 書 館 平 松 文 庫 蔵 ・ 慶 長 二 年 十 一 月 十 日 和 漢 百 韻 ( 1597)
例①
慶長二年十一月十日
禁裏御月次和漢百韻
57 人 帰 る 布 留 野 の 露 の 道 の 末
日前(日野新大納言・日野輝資 )
58 霧 に わ か れ ぬ 小 山 田 の 原
式宮(式部卿宮)
59 天 津 雁 な き て い づ く に 過 ぬ ら ん
(後陽成天皇)
60 燕 来 談 魯 論
燕来たりて魯論を談ず
広大(広橋大納言・ 広橋兼勝)
61 宴 遊 花 有 以
宴遊
惟杏(惟杏永哲)
花ゆえ有り
62 さ か ふ る か げ を 松 の 藤 が 枝
照准(照高院准后・ 道澄)
63 長 閑 に も あ ふ ぐ 心 や 春 日 山
藤宰(藤宰相・高倉永孝)
和 漢 聯 句 の 最 盛 期 ・ 慶 長 二 年 ( 1597) 後 陽 成 天 皇 が 禁 裏 で 開 か れ る 毎 月 恒 例 の 和
漢 聯 句 作 品 ( 江 戸 初 期 写 か )。 作 者 は こ の ほ か に 近 衛 信 輔 ( 信 尹 )、 英 甫 永 雄 、 有
節、西咲など、皆当時一流の教養人で、 また和漢聯句会の常連である。
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研究発表:日本文学・映画
2.1
和漢聯句の特徴は、言わずもがな、まずは歌人と詩人 とが一堂に集って詩想を
と も に し て 、 共 同 で 一 巻 の 長 詩 を 完 成 さ せ る こ と で あ る 。 和 漢 聯 句 以 前 は 、『 和 漢
朗詠集』のように歌と詩を並べて鑑賞する形や、歌合のような同じ題のもとで作
者の技量を競う創作スタイルもあるが、
「 歌 」と「 詩 」と を 一 つ の 作 品 の 内 に 収 め 、
歌と詩との間で連想を通わせる 試みは斬新であり、文学史において重要な意味を
持つ。それを書き留めた懐紙から見える硬軟の差も、詩と歌との結合によって生
まれる味わいを顕している。
2.2
次に、和漢聯句は、先行する連歌や後の俳諧と同様に「付合」文学である。す
なわち前句の言葉 や状況に基づいて新しい句を考案し、二句で一つの場面を作る。
その次の句はまた別の句境に転じ、次々と新しい世界を開いてゆく。
57 人 帰 る 布 留 野 の 露 の 道 の 末
日前(日野新大納言・日野輝資 )
石上布留の中道なかなかに見ずは恋しと思はましやは
古 今 和 歌 集 ・ 恋 四 ・ 紀 貫 之 ・ 679
→ ( 恋 人 と 別 れ て 、) 石 上 の 布 留 野 の 、 露 が し と ど に 置 か れ た 道 を 人 は 帰 っ て
ゆく。
58 霧 に わ か れ ぬ 小 山 田 の 原
式宮(式部卿宮)
夜はにたくかひやがけぶりたちそひてあさぎりふかしを山田のはら
新 勅 撰 和 歌 集 ・ 秋 上 ・ 慈 円 ・ 276
→( 人 が 別 れ て 帰 る 秋 の 早 朝 の )小 山 田 の 原 は 、朝 霧 が 立 ち こ め て 視 界 が ぼ ん
やりと分からない。
59 天 津 雁 な き て い づ く に 過 ぬ ら ん
(後陽成天皇)
→ 雁 が 鳴 い て 空 の ど こ を 飛 ん で い る の だ ろ う 。( 霧 が 深 い た め 見 え な い )
60 燕 来 談 魯 論
燕来たりて魯論を談ず
広大(広橋大納言・広橋兼勝)
燕来る時になりぬと雁がねは国偲びつつ雲隠り鳴く
万 葉 集 ・ 巻 十 九 ・ 大 伴 家 持 ・ 4144
劉禹錫・謫居悼往詩
冬日念郷関
冬日郷関を念じ
燕来鴻復還
燕来りて鴻また還る
→ ( 雁 が 北 へ 帰 っ て ゆ き 、) 燕 が 来 る 春 、 論 語 を 講 釈 す る 。
59 句 の 雁 は 秋 に 飛 来 す る と 雁 と 解 さ れ る が 、60 句 の 作 者 は そ れ を 春 に 北 に 向 か っ
て帰ってゆく雁と取りなして、その頃にやってくる燕を連想し、秋から春へ季節
を転換させた。
61 宴 遊 花 有 以
宴遊
花ゆえ有り
惟杏(惟杏永哲)
→春の宴遊(燕遊)は花を楽しむが故である。
前句と付句とは緊密な連想関係を有しながら、打越(即ち一句隔てる前)の句と
は 重 な ら な い ( こ と が 求 め ら れ る )。
中国の聯句や、それに倣う日本の五山禅林の聯句の場合は、複数の作者による
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共 同 創 作 で あ る が 、例 え ば 韓 愈 と 孟 郊 の『 城 南 聯 句 』
・『 闘 鶏 聯 句 』な ど の よ う に 、
全篇に通じて一つの主題がある。和漢聯句の漢句同士でも、連歌と同様に絶えず
句境を転換してゆくことが基本である。
2.3
和漢聯句を楽しむために、歌人と詩人、あるいは公家と連歌師と五山の学僧な
ど、異なる分野や身分の人々とが集ってくる。その場は彼らが共有するコミュニ
ケーションを通じて、 古今の名歌や漢籍の故事名句など和漢の 知見と機智を学び
あう、風雅な社交の場であった。
62 さ か ふ る か げ を 松 の 藤 が 枝
照准(照高院准后・道澄)
松をのみたのみて咲ける藤の花千歳の後をいかがとぞ思ふ
貫 之 集 ・ 延 喜 十 七 年 八 月 、 仰 せ に よ り て 献 之 ・ 70
→栄える蔭を待つ、松に懸かる藤の 枝。
前句の「花」から「藤」を連想した。藤は藤原氏を象徴し、いつも変わらぬ緑の
松と取り合わされて、藤原氏の末永い繁栄をことほぐ。
63 長 閑 に も あ ふ ぐ 心 や 春 日 山
藤宰(藤宰相・高倉永 孝)
→ ( 藤 の 咲 く ) 春 の 長 閑 な な る な か 、( 藤 原 氏 の 繁 栄 を 祈 っ て ) 春 日 山 を 仰 い
で。
春日山松にたのみをかくるかな藤の末葉の数ならねども
千 載 和 歌 集 ・ 巻 十 七 ・ 藤 原 公 行 ・ 1077
春日山岩根の松は君がため千歳のみかはよろづよぞへむ
後 拾 遺 和 歌 集 ・ 能 因 ・ 452
62 句 の 藤 と 松 の 取 り 合 せ を 受 け て 、 藤 原 氏 の 氏 神 を 祀 る 春 日 山 が 連 想 さ れ た 。 63
句 の 作 者 「 藤 宰 相 」 は 高 倉 永 孝 ( な が た か )、 本 姓 藤 原 。 本 作 品 で は 六 句 し か 作 っ
て お ら ず 、 出 句 の 順 番 も 定 か で は な い が 、 こ の 63 句 は 前 句 62 の 付 句 と し て は 実
に 相 応 し い 。お そ ら く 照 高 院 道 澄( 本 姓 近 衛 、近 衛 稙 家 の 子 )が 62 句 を 詠 ん だ あ
と、藤原氏を言祝ぐ句にはやはり藤原氏の藤宰相が作るべきだと、他の連衆に進
められたのであろう。連衆の間の応酬が目に見えるように容易に想像される。
3
和漢の対照
慶 長 五 年 十 二 月 二 十 日 和 漢 百 韻 ( 1600)
例②
64
聞笳響若悲
65
とゞむるももろこし舟の名残あれや
新宰相
66
富士の高根もちかき海づら
照高院
笳を聞けば響き哀しむが如し 集雲
ま ず 64 句 は 胡 人 が 吹 く 笳 の 音 色 が 悲 し そ う に 聞 こ え る と い う 。
岑参
胡笳歌送顔真卿使赴河隴・三体詩
君不聞胡笳声最悪
君聞かずや胡笳の声最も悪し
紫髯緑眼胡人吹
紫髯緑眼胡人吹くを
吹之一曲猶未了
之を吹き一曲猶未だ了はらずして
愁殺楼蘭征戍児
楼蘭の征戍児を愁殺す
次 に 65 句 で は 、船 を 停 泊 さ せ た が 、も ろ こ し 舟 の 立 て る 波 の な ご り が 立 つ よ う な
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涙にくれる、と言う。その「もろこし舟」の典拠は、
思ほえず袖にみなとのさわぐかなもろこし船のより しばかりに
伊勢物語・二十六段
悲しみのあまり涙があふれ、まるで唐船が港に近づいて大きな浪を立てるほどだ
という。後に『新古今和歌集』にも採られるこの著名な和歌を背景にして「悲」
と 唐 土 船 の 立 て る 波 の よ う な 涙 と が 結 び つ く 。 一 方 、 64 句 の 「 笳 」 と い う 中 国 北
方の旅愁を象徴する素材もまた中国舟への連想を補強するものである。そして、
66 句 の 意 味 は 高 い 富 士 山 も 海 辺 か ら は ほ ど 近 く に 見 え る と い う 。
「 海 づ ら 」と「 舟 」
の連想は自明であるが、富士山が詠まれたのは「唐土舟」の持つ中国的イメージ
との対照によるところである。
このように、和句と漢句との唱和において、和歌・連歌と漢詩両方の題材と表
現が互いに連想を喚起しながら、和漢の対照も見せているのであった。
64 句 の 作 者 は 東 福 寺 住 持 の 集 雲 守 藤 、 65 句 「 新 宰 相 」 は 三 条 西 実 條 、 66 句 は
照高院道澄である。
延 徳 四 年 四 月 二 日 和 漢 百 韻 ( 1492)
例③
20
とぼそに春の月ぞ寂しき
俊泰
21
花落風纔馥
花落ちて風纔に馥し
春
22
杏開露亦鮮
杏開きて露また鮮やかなり 方
23
轡輕登第馬
轡軽やかなり登第の馬
章長
庵 の 扉 に は 春 の 月 の 光 が 差 し て 、寂 し い こ と だ と い う 20 句 に 、春 の 夜 の 寂 寥 感 を
受 け て 、花 を 散 ら す 風 に 僅 か な 香 り が 匂 う と 付 け る の が 21 句 で あ る 。そ の 句 の「 花 」
は 桜 で あ ろ う 。 そ し て 、 こ れ と 対 句 を 成 す 22 句 に は「 杏 」が 詠 ま れ 、 杏 の 花 が 咲
けばそこに結ぶ露も鮮やかだという。
唐彦謙
曲江春望(三体詩)
杏艶桃嬌奪晩霞
杏艶桃嬌
晩霞を奪ふ
楽遊無廟有年華
楽遊廟無くして年華有り
杏は夕焼けさえ顔負けする艶やかさを持つとされ、日本漢詩においても同様にそ
の艶美な色姿に注目する読み方がなされるのが常である。一方、訓読みの「から
もも」は和歌や連歌に用いる歌語ではなかった。
いかにしてにほひそめけむ日の本のわが国ならぬからももの花
新 撰 和 歌 六 帖 ・ 巻 六 ・ 藤 原 家 良 ・ 2421
「 か ら も も 」 は 日 本 で は な く 「 唐 の 国 」 の 花 と 強 調 さ れ る 。「 花 」 と 「 杏 」 と は 厳
密な対偶ではないにも関わらず、作者があえて「杏」を以て「花」に対偶させる
のは、その際立つ中国的なイメージを生かす意図が働いたと考えられる。続いて
22 句 か ら 23 句 へ の 連 想 は 科 挙 の 及 第 者 が 長 安 曲 江 の 杏 園 で 賜 宴 を 受 け る 行 事 に
基づき、その意気揚々とした姿を捉えている。
こ の よ う に 漢 文 学 の 題 材 と さ れ る 「 杏 」 が 、「 花 」 と の 対 偶 に よ り 、 本 来 な ら 縁
の遠い和文学に接近した。和漢聯句における和句と漢句の対話は、その題材と 表
現を拡大させただけでなく、和漢二つの文学伝統の響き合いを生み、より豊かな
表現の味わいを醸し出したのである。
予稿集原稿
研究発表:日本文学・映画
4 和漢の融合
歌と詩の題材と表現が互いに浸透し、連想の契機とされた。ここでは漢詩の表
現が漢句に用いられるだけでなく、和句側に吸収される様子に注目しよう。
例④
天 文 二 四 年 三 月 二 十 五 日 和 漢 千 句 第 一 ( 1555)
78 麹 酒 臘 労 釃
麹酒
臘に釃むに労る
79 寒 計 爐 焼 葉
寒計
炉に葉を焼く 菅中納言
入道前右大臣
78 句 の 十 二 月 に 酒 を 作 る こ と に さ ま ざ ま な 連 想 が 可 能 で あ る が 、79 句 で 葉 を 焼 く
場面が付けられたのは、白居易の詩句に基づく。
林間煖酒燒紅葉
林間に酒を煖めて紅葉を燒 く
石上題詩掃緑苔
石上に詩を題して緑苔を掃ふ
「 送 王 十 八 帰 山 寄 題 仙 遊 寺 」に あ る こ の 一 聯 は『 和 漢 朗 詠 集 』に 採 ら れ 、ま た『 平
家 物 語 』( 巻 六 ) に も 登 場 す る な ど 日 本 で は 著 名 な 詩 句 で あ り 、 こ れ に 習 っ た 日 本
人の詩作は数多い。
例⑤
永 禄 十 二 年 四 月 九 日 ( 1558)
79 酒 可 禦 冬 具
酒は冬を禦ぐべき具 仁如
80 散 し 紅 葉 を 焼 あ か す 山
紹巴
紅葉は歌人が最も好んで用いる歌題であるが、紅葉を焼くという発想は和歌には
必ずしも古くからあったわけではない。これもさきの白居易の一聯による 連想で
ある。
例⑥
慶 長 五 年 四 月 二 十 八 日 和 漢 百 韻 ( 1600)
57 慰 寂 月 為 友
寂しきを慰みて月を友と為す 有節
58 あ た ゝ め て く む 盃 の 袖
昌琢
59 分 て 入 紅 葉 の 陰 の 暮 残 り
玄仲
60 欲 馴 林 麓 麋
馴れんと欲す林麓の麋
西咲
58 句 と 59 句 の 和 句 同 士 の 間 に も 「 煖 酒 燒 紅 葉 」 が 踏 ま え ら れ て い る 。 因 み に 57
句 の 作 者 有 節 瑞 保 が こ の 白 居 易 詩 を 踏 ま え た 詩 作 が『 翰 林 五 鳳 集 』に 確 認 さ れ る 。
顕 証 院 会 千 句 ( 第 七 百 韻 ・ 1449 年 ) に 、
54 ゑ ひ ぬ る さ け に 秋 の 手 枕
宗砌
55 寒 き 日 を 紅 葉 焼 火 に あ た ゝ め て
忍誓
という連歌の付合例も確認されるが、孤立した例であり、定型化した寄合ではな
い。歌人はその発想を認識しながらも距離を持っていたといえよう。一方、和歌
聯句ではこの詩句の発想が漢句と和句の両方に自在に表現されていた。
和漢両面の知識素養を共有する詩人と歌人は、和漢聯句において詩想を自由に
通わせることが出来たのである。
5. 和 漢 聯 句 の 研 究
5.1
和漢聯句を創作するためには和漢両面の素養を備えなければならないが、それ
を理解するのも同様である。それによる難解さに加え、現存する五百点以上 もの
作品資料はほとんど活字化されず、写本のままの状態で日本全国の図書館や寺院
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に保管されている。そのような資料の不備も研究の停滞の物理的な原因となり、
長い間研究がほとんど進まなかった。能勢朝次や朝倉尚などの先蹤を追って、深
沢眞二が一連の論考を発表し、和漢聯句を一研究分野として切り拓いた。さらに
ちょうど八年前に京都大学国語学国文学研究室と中国語学中国文学研究室とが、
共同研究の形で研究会を発足させた。以来、資料の収集と翻刻、同時に具体作品
に詳細な注釈を付けるなど、本格的で大がかりな研究活動を始めたのである。そ
の成果としてこれまでは六冊の著書を刊行し、学界のみならず一般社会の注目を
あびるようになっている。
A 『京都大学蔵実隆自筆
和 漢 聯 句 譯 注 』 臨 川 書 店 、 2006
B 『文明十四年三月二十六日
漢 和 百 韻 譯 注 』 勉 誠 出 版 、 2007
C 『 室 町 前 期 和 漢 聯 句 作 品 集 成 』 臨 川 書 店 、 2008
D 『良基・絶海・義満等一座
和 漢 聯 句 譯 注 』 臨 川 書 店 、 2009
E 『 室 町 後 期 和 漢 聯 句 作 品 集 成 』 臨 川 書 店 、 2010
F 『 看 聞 紙 背 和 漢 聯 句 譯 注 ―「 応 永 二 十 五 年 十 一 月 二 十 五 日 和 漢 聯 句 」を 読 む 』
臨 川 書 店 、 2011
数百年前に和漢の作者たちが彩る煌びやかな世界が、今は懐紙に記された墨跡
の端々に漁り火のように明滅して捉え難い。その世 界に可能な限り近づけるよう
に、京都大学国文学研究室と中国文学研究室が主催する研究会では、和漢・日中
両方の文学を解読する力量を集め、共同討議の場を持てた。和漢聯句の創作の場
を再現するように、和歌や連歌など和文学と中国文学あるいは漢文学を専門とす
る研究者が、それぞれ和句と漢句を分担して注釈原稿を作成し、参加者全員がそ
れぞれの専門的な立場から批評し議論を行う。
その際に漢句担当者の発表に対して、和歌や連歌など和文学の研究者は、学習
者としてその専門的な知見を学び、同時に漢句における和文学の要素を指摘する
ことも出来る。逆の場合も同じである。その討議の結果でもある注釈書から討議
の様子を垣間見出来る部分をかい摘んで以下に示したい。
5.2
D『 良 基 ・ 絶 海 ・ 義 満 一 座 和 漢 聯 句 譯 注 』 P123 よ り
48 木 の 間 の 月 は み ね の あ け ぼ の
通郷
49 秋 窗 人 獨 倚
絶海中津
秋窓人独り倚る
【原案】この句は、前句の月からそれを見る人を導き、月を介して遠くにあ
る 相 手 を 思 う 場 面 と と ら え る 。明 け 方 ち か く ま で 窓 辺 に 立 っ て い る そ の「 人 」
は、必ずしも女性であるととらえる必要はない。楼上思婦のテーマは、表面
では女性を描きながら、実際は詠み手の心情を託するようにして歌われてき
た。南唐・李煜の詞「烏夜啼」に「無言獨上西樓、月如鉤。寂寞梧桐深院、
鎖清秋。剪不断、理還亂、是離愁(言も無く独り西楼に上れば、月は鉤の如
し。寂寞たり梧桐の深院、清秋を鎖せる。剪りても断たれず、理めても還た
乱 る 、是 れ 離 れ の 愁 い )」と あ る の な ど は 、作 者 本 人 の 独 白 に ち か い で あ ろ う 。
【訳註稿】中世の和歌、連歌において、窓の月は隠逸的な世界を表象する素
材として用いられることが多い。例えば「慈鎮和尚御自歌合」に収められた
予稿集原稿
研究発表:日本文学・映画
「 人 は な し 峰 に 松 風 窓 に 月 占 め え て す め る 山 の 奥 か な 」( 一 一 六 ) に 対 し て 、
判 者 藤 原 俊 成 は「 峰 の 松 風 、窓 の 月 、山 の 奥 の 住 処 、好 も し く は 侍 る を 」( 一
二 番 )と 評 し て い る 。
「 窓 の 月 」が「 峰 の 松 風 」と 並 ん で 、山 奥 で の 隠 棲 を あ
らわす題材であることが理解されるであろう。このほかにも義滋保胤「池亭
記 」( 本 朝 文 粋 ・ 一 二 )の「 秋 有 西 窓 之 月 、可 以 披 書 。冬 有 南 簷 之 日 、可 以 炙
背 」や 、
『 方 丈 記 』の「 若 夜 し づ か な れ ば 、窓 の 月 に 故 人 を し の び 、猿 の 声 に
袖 を う る ほ す 」な ど 、隠 棲 の 庵 に 窓 の 月 を 眺 め る と い う 例 は 多 い 。
( 中 略 )月
明かりの下、独り窓辺にたたずんで明け方まで過ごすのは、秋を悲しみ我が
身の不遇を嘆いた宋玉のごとき人物が想定されている、とするのがよいであ
ろうか。
中国文学側担当者の原案にある「明け方ちかくまで窓辺に立っているその
「人」は、必ずしも女性であるととらえる必要はない」という意見は支持さ
れたものの、そこから「月の窓」を隠者文学の一つのパターンとして捉え、
和文学の文献例も挙げて和漢文学の共通する裾野を提示する。
共同研究会では、一句一語をめぐって、日本文学と中国文学、あるいは和文学
と漢文学の研究者たちが、それぞれの得意分野に立脚して理解を述べると同時に、
他分野の専門的な知見を吸収することも可能になり、結果的に和漢聯句の解釈に
寄与した。無論、討議が白熱して互いに譲らない場面もしばしばあった。しかし
それも切磋琢磨のう ちであり、研究の進展に繋がる有意義な論争であった。
6. 結 び に
和漢聯句共同研究会は、 和漢聯句の特徴に即した研究スタイルを用いて、異な
る分野の研究者同士が学びあい刺激しあう場となった。また研究会には大学院生
にも開放されており、積極的な発言や執筆の分担も求められた。さまざまな意味
で共同研究は学習者と専門家とが一体化した研究活動であった。
大がかりな共同研究会はひとまず一段落した。その成果の一つである室町時代
ま で の 作 品 翻 刻 に 続 き 、現 在 は 小 規 模 な が ら 、慶 長 年 間 す な わ ち 1600 年 前 後 の 作
品の翻刻解読を行っている。衆知を集める共同研究会の開催は一定の条件を整え
な け れ ば な ら な い た め 、長 期 的 な 継 続 は 困 難 で あ る 。個 人 研 究 の 場 合 に と っ て は 、
和漢両面に渉って専門的な文献調査力と、初心者・学習者としての問題意識を、
常に持ち合わせることが課題となろう。
参考文献
能 勢 朝 次 ( 1950)『 聯 句 と 連 歌 』 要 書 房
朝倉
尚 ( 1996)『 抄 物 の 世 界 と 禅 林 の 文 学 』 清 文 堂
深 沢 眞 二 ( 2010)『「 和 漢 」 の 世 界 ― 和 漢 聯 句 の 基 礎 的 研 究 ― 』 清 文 堂
大 谷 雅 夫 ( 2008)「 和 漢 聯 句 ひ ろ い よ み 」『 歌 と 詩 の あ い だ 』 岩 波 書 店 、 18-28
楊
昆 鵬( 2007)「 和 漢 聯 句 に お け る 漢 的 素 材 ―「 杏 」と「 か ら も も 」」『 連 歌 俳 諧
研 究 』 第 113 号 、 1-13
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