制度的対象の特別視をやめる

制度的対象の特別視をやめる
植原亮(関西大学)
人工物と呼ばれるものにはきわめて多様な対象が含まれる。その中でも、貨幣や切手や
身分証明書や信号や大学のような「制度的対象 institutional entity」は独特なあり方をし
ているとされる。制度的対象は、日常生活に密着したきわめて強固な実在性を有するよう
に見えるが、一方でそれと同時に、工業製品や家畜・栽培植物といった人工物とは大きく
異なり、それがもつ物理的性質を超えた働きを示しているように思われるからである。制
度的対象の特別視はこのように始まる。
こうした観点から、制度的対象については、サールによるおおよそ以下のような見解が
有力視されてきた。たとえば金属片や紙片を貨幣として成立させているのは、
「集合的志向
性 collective intentionality」のおかげである。一万円札が存在するには、
「日本国において、
日本銀行によって発行された、かくかくしかじかの物理的性質をもつ紙片(福沢紙片)を
一万円札とみなす」という構成的規則(constitutive rule)があり、日本国民がそれについ
ての共通の信念を抱いて福沢紙片を一万円札として承認するという集団的志向性が欠かせ
ない。こうしてはじめて福沢紙片は、一万円分の交換や貯蓄を可能にするといった貨幣な
らではの機能をもつことができる。貨幣のような制度的対象は共同体の成員の集団的志向
性に本質的に依存するというのである。
制度的対象についてのこのような「集合的志向説」は重要な主張をいくつか含んでいる
とされる。まず、制度的対象はわれわれ(共同体の成員)によって構成的規則をもとに発
明・創造されるだけであって、自然種のように発見されるものではない。また、そうした
点において制度的対象(の本質)に関してわれわれは大規模な誤りを犯しえないというあ
る種の認識的特権を有する。あるいは、制度的対象を扱う点で、社会科学は自然種を対象
とする自然科学とは異なる役割をもちうるし、方法論も異なる。こうして集合的志向説に
立つことで制度的対象の独特のあり方が捉えられる、というわけである。
しかし、集合的志向説には説得力に欠ける点があり、しかも制度的対象については別の
見方を探る方が有望だと考えられる。制度的対象にまつわる集団的志向性の内実は、集団
的志向説において主張されるようなものではなく、集合的志向性は制度的対象の成立に不
可欠であるわけでさえない。むしろ妥当な見方は、制度的対象に関連する人々のふるまい
やそれについての習得の仕方に注目することで得られる。すなわち、制度的対象が依拠す
る制度の成立と人々のふるまいの安定的存続とには、一方が他方に先行するというよりも、
相互支持の関係を見てとるべきなのである。また、構成的規則や集合的志向性そのものに
ついても、共同体における協調問題の解決にしばしば要請される巧妙な方策やそれに付随
する典型的特徴として捉え直すことによって、理論的に妥当な位置づけが与えられると考
えられる。このようにして、制度的対象のあり方にまつわる一見したところの独特さは無
害なものになり、その特別視をやめることができるのである。
主要参考文献
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、鈴木生郎・秋葉剛史・谷川卓・倉田剛『ワ
ードマップ現代形而上学――分析哲学が問う、人・因果・存在の謎』
、新曜社
[中山 2008]: 中山康雄『科学哲学入門――知の形而上学』、勁草書房
[中山 2011]: 中山康雄『規範とゲーム――社会の哲学入門』
、勁草書房