はくあい50th 地域とともに

はくあい
5
th
地域とともに
社会医療法人博愛会
菅間記念病院の24時間
病院の朝は早い。検温、朝食、外来受付、回診……
スタッフの真剣な表情で1日が始まる
毎週火曜早朝、西病棟では院長の総回診が行われる。
朝
9
菅間記念病院の 昼食の後は、
リハビリ、
手術、
お散歩、
検査……
患者さんにスタッフが寄り添う時間だ
リハビリ室では「理学療法」のほか「言語療法」
(写真)
や「作業療法」が行われている。
10
昼
24時間
病院は夜も眠らない。
救急応対、
深夜の病棟見回り……
やさしい表情で病院は朝を迎える
一晩に何度も、救急車の赤い灯が夜間専用入口を照らす。
夜
11
地域とともに
経営理念「地域とともに」を実践。地域のイベントに参加したり、
患者様や地域の方にご参加いただくイベントを主催したりしています。
盆踊り
那須塩原市の盆踊り大会に、優勝目指して毎年参加しています。
マラソン
平成25年は、
「那須塩原ハーフマラソン」
に博愛会が協賛しました。
26
クリスマス
恒例のクリスマスコンサート。今年のサンタは誰でしょう? 地域のボランティアによる演奏が笑顔の花を咲かせます。
ふれあい広場
ふれあい看護体験
病院を飛び出して、健康相談等を行っています。
模擬店も沢山出しており、楽しいイベントです。
市内の高校生が看護体験を行い、
医療をより身近に感じていただいています。
転倒予防教室
ほがらか家族教室
平成18年度より那須町から委託を受け、
リハビリテーション科のスタッフが実施しています。
ケアセンター利用者様やご家族と
ストレッチをしたり、
お話をして交流を深めます。
27
病院の軌跡
博愛会はかつて『20年のあゆみ』
を発行しています。20周年記念誌に掲載された
創立当時と20年目の写真を紹介するとともに、 その後の航空写真を比較しました。
創立時(昭和
年)
39
創立時の菅間外科胃腸科医院。救急車が少なかったので、自前のドクター・カーを用意し、
いつでも現場へ急行できるように、エンジンをかけたままにしていました。
周年(昭和
20
年)
59
手術中の菅間恒(現会長)
と手術室。開業当日から、
この手術室が使われました。
28
周年(昭和
20
年)
59
レントゲン室には、昭和51年に県下第1号の頭部スキャナーを、昭和57年に全身用を備えました。
昭和58年に、当時まだ珍しかった
医事コンピューターを導入しました。
平成2年
平成2年、
「 医療法人社団博愛会 那須野が原菅間病院」を
上空南東から臨む。
透析室は当時から満床でした。
平成25年
平成25年、
「 社会医療法人博愛会 菅間記念病院」を
上空北西から臨む。
29
菅間家―医への歩み
那須看護専門学校長
上川 雄一郎
菅間家の家紋「三つ蔓柏」
は桓武平氏に連なる坂東
武者「野予党」の証
地名から家名へ
坂東武者の「武蔵七党」
名字・家名としての「菅間」の歴史は古い。古代の上
入間郡菅間村は現在、川越市に編入されており、三
流貴族につけられた「源平籐橘」の名字は、平安時代
芳町との境近くに比定されている
(写真1, 2)。ここは荒
中期になるとそれぞれの分流が独自の名字をつけ始め
川、入間川、越辺川が合流する水郷地帯で、当時の
る。それに呼応した形で、新田開発を請け負った在郷
スゲやカヤの生い茂る河原と河原のあいだの原野を開
地主がその土地の名前を家名にして自分の権利を主張
拓した歴史が「菅間」の字に込められているのであろう。
し始めるのである。資料に出てくる最も古い「菅間」の名
現在では村名も消えているが、近くの荒川には今でも
「菅
は、平安時代、武蔵国入間郡に地名・村名としてであ
間堰」
として名前が残っている
(写真3)。旧菅間村はこ
る。広大な武蔵野には、飛鳥時代から平安時代にかけ
の菅間堰を取水口として灌漑用の「伊佐沼」
を造り、用
て多くの朝鮮半島渡来人が入植した記録が残っており、
水路が縦横に広がる水田地帯である。またこの近くには
近くには高麗郡や新羅郡(現新座市)
も設置されている。
「鎌倉街道」の名残が残っており
(写真4)、坂東武者
これらの渡来人の多くは水田開発技術を持った集団であ
が鎌倉幕府の御家人に成長していった軌跡が垣間見ら
り、武蔵野の原野を開拓して新田開発に力を発揮したよ
れる。余談だが、この近くには菅原道真を祭った三芳
うである。平安時代になるとこれらの末裔たちは、在郷
野神社があり
(写真5)、ここはわらべ歌「通りゃんせ」の
地主として日本で始めて地名を名字として名乗り、開拓
歌詞に出てくる
「天神様の細道じゃ」の舞台として知られ
地を維持するために「一所懸命」
を旨とした「坂東武者」
ている。
「菅間」
と
「菅原」には何らかの関連があるのかも
に成長していったのである。
しれない。
「菅」
という漢字は、葉の付け根が鞘状に茎を取り巻く
武蔵野を開拓した初期の坂東武者は結束して領地を
植物に当てられ、フジバカマやスゲ、カヤなどを指してい
守ったようで、「武蔵七党」
と呼ばれる武士集団として名
る
(白川静「字通」
より)。また「間」
という漢字は「すきま」
を残している。この武蔵七党の一つ、野予党の中に「菅
や「あいだ」
を意味する。
「菅野」、
「菅原」、
「菅谷」、
「菅
間氏」が属していた。武蔵七党は平安時代後半から平
沼」などは、いずれも自分達の開拓した土地の特徴を地
将門の乱、前九年・後三年の役、源平合戦、奥州討
名、村名に残し、名字・家名としたものである。ちなみ
伐などの戦を経て、関東一円から東北地方までその一
によく間違えられる
「管」
という漢字は「竹でできた中空製
族を展開させてきた。
「菅間」の呼び名は「かんま」、
「す
品・楽器」
を意味しており、明らかに語源が異なる。
がま」、「すげま」などがあるが、地域によって呼び名が
違っている。菅間家の家紋である上の「三つ蔓柏」は、
桓武平氏に連なる野予党に共通しており、平良兼(平将
写真1 旧菅間村跡地の公園
32
写真2 旧菅間村の田園風景
写真3 入間川の菅間堰
軌跡
写真4 三芳町の鎌倉街道遺構
写真5 三芳野神社
門と争った)
流であることを物語っている。
「平将門の乱」
ないので、伊達政宗の入府以前に武士から豪農、僧、
の舞台となった筑波山西麓には入間郡についで古い菅
神官、医師などに土着していたことも考えられる。菅間
間村が鎌倉時代に設置されている。ここは桜川と子貝
家に残された江戸時代の古文書によれば菅間家の本籍
川にはさまれた水郷地帯で、入間郡の菅間村とよく似た
地は「遠田郡中津山」
となっており、現在の登米市米山
地形をしている
(写真6)。平将門を破ってこの地を得た
町中津山である
(写真7)。
坂東武者が同じような地形を見て菅間村を建てたことは
この地は仙北平野の中心部にあるが、戦前までは長
十分考えられる。武蔵七党の中でも野予党は、源頼朝
沼や伊豆沼に代表されるような湿地帯の中に浮島のよう
の奥州征伐の中心軍団として働き、奥州の地に守護・
に孤立した丘が中津山と呼ばれていたそうである。まこ
地頭として定着していった記録が残っている。鎌倉時代
とに「菅間」の家名を名乗るのにふさわしい土地柄であ
から室町時代にかけて奥州の地で活躍した武家として
る。戦国時代、この地を領有していたのは「三つ柏」
を
有名な伊達氏、蘆名氏、大崎氏、葛西氏、南部氏は
家紋とする葛西氏であり、戦国末期の「葛西・大崎一
すべて坂東武者の末裔たちである。したがって奥州各
揆(1590年)」の舞台ともなった地である。この一揆では
地には武蔵七党由来の地名や家名が多く残っている。
秀吉によって改易させられた葛西氏や大崎氏の旧臣が
伊達一族大立目家、家老職
中心となったといわれており、伊達政宗による一揆勢皆
江戸時代初期に「菅間」の地名や村名が残っている
いるのは、伊達家一族の大立目家(一千石)
の家老職を
のは、仙台藩領の七北宿や最上藩の置賜郡などである。
務めていた菅間彦六衛門が遠田郡箟嶽(ののだけ、標
現菅間家の先祖は仙台藩の出身といわれているが、初
高236m)から移住してきたというものである。江戸時代
期の伊達家に所属する家臣団に「菅間」姓は見当たら
には、菅間本家は中津山の丘陵地の大半を地所として
殺しの対象となったのである。現「菅間家」に伝承されて
いたようであるから、かなりの地位の
武家出身であったのは間違いない。
この箟嶽は中津山の南東にある低
い丘陵であるが、奈良時代(749年)
に南麓から黄金が産出し、東大寺
の大仏開眼に結びついたことで歴
史の教科書にも載っている有名な場
写真6 旧筑波郡菅間村の田園風景と菅間小学校
所である。これを記念して創建され
た黄金山神社とともに、
770年に坂上
田村麻呂が奥州征伐を感謝して建
立した天台宗系箟峯寺(箟嶽観音)
が地域の信仰を集めていた。
家名の伝承
現菅間家に伝承されている家名
写真7 米山町中津山の菅間屋敷跡と西の端にあった黄金山神社。菅間直衛の次
女、ひさぢを顕彰する石碑が残されている。
の由来について、戦国時代豊臣家
に仕えて、大阪落城の折(1615年)
、
33
ある。この後、奥州では伊達、葛西、
大崎、南部、蘆名などの有力武将が
覇権を賭けた戦乱の中に突入するので
ある。この混乱の中で菅間家がどのよ
うに家名を保ったのかは資料が残され
ていないので不明である。
家老の弟が医師となる
写真8 箟嶽山上の箟峯寺山門と本堂
江戸時代中頃に、菅間本家では二
人兄弟のうち兄が家老職を継いだが、
中津山周辺に医者がいなくて困ってい
たので、弟を江戸へ医術を学びに遊
学させた。仙台藩では伊達政宗が早
くから北上川の水運を利用して石巻か
ら江戸へ千石船を使った廻米航路を
写真9 中津山に残る菅間本家跡のサイカチの巨木と屋根瓦の三つ蔓柏の家紋
確立していた。この船便を利用すれば
江戸への人の行き来も楽に行なわれた
生田口を守った旗頭菅野弾正が磐城相馬に落ち延び
のである。江戸では、弟は医師養成機関である
「啓迪
て、菅間の姓に改めたというものがある。しかしこの伝
院(けいてきいん)」で学んだようである。ここでの終了免
承は中津山進出の伝承とは時期が合わず、別の伝承
状をもって故郷に帰り、初代医師として菅間丘丁(1755
が混入したものであろう。大阪城に生田口という門や入
年〜1827年)
を名乗り、菅間本家より独立分家した。そ
り口はなかったし、大阪夏の陣では、豊臣方に奥州の
の後、二代目恭安(1772年〜1837年)
、三代目休安(1801
武士が参陣したという記録がなく、仙台の伊達家が落ち
年〜1853年)
、四代目玄瑛(1826年〜1875年)
と江戸時
武者を匿うこともあり得なかった。生田口で有名なのは、
代を通じて医師の家系を守ってきたことが記録に残され
源平合戦の一ノ谷の戦い
(1184年)
で出てくる神戸の東
ている。現在、那須看護専門学校に展示されている菅
口のことである。むしろ伊達政宗が「葛西・大崎一揆」
間家の屏風には、江戸時代、文政・嘉永年間の古文
を鎮圧後、1591年に磐城伊達郡保原から一族の大立目
書二種類が表装されている
(写真10,11)。一つは菅間
家を移住させてこの地を任せたという記録のほうが信頼
玄瑛あて、寛永年間の岡本玄冶先生の秘方許可証を
性も高く、家老職を務める菅間家もこのときに移住してき
書写したものであり、いまひとつは菅間丘(休)安あての奥
たと考えるほうが自然である。先の伝承は、南北朝時代
州馬嶋明眼斎の眼科処方を書写したものである。
(1338年)
に北畠顕家による二回目の奥州上洛軍が大
阪平野で足利尊氏軍に惨敗して北畠顕家は討ち死に、
秘方許可書
敗残兵の一部が伊勢の港から船で相馬、塩釜、石巻
古文書の中に出てくる岡本玄冶(1587〜1645年)
は、
に逃げ帰った史実を反映しているのではないか。このと
室町時代きっての名医といわれ、織田信長や豊臣秀吉、
き顕家の父北畠親房と義良親王が乗った船は時化で難
徳川家康を診察・治療した曲直瀬道三(1507〜1594年)
破し、伊勢に逆戻りしたという
「太平記」の話が有名で
とその養子曲直瀬玄朔(1549〜1631年)
の愛弟子にあ
写真10 菅間家に伝わる岡本玄冶先生の秘方許可書
34
軌跡
写真11 菅間家に伝わる馬島流眼科処方伝授書
たり、徳川秀忠・家光によって初代幕府医官として抜擢
されている。岡本玄冶は自分の号である
「啓迪院」
と名
写真12 愛知県海部郡大治町
に残る馬島明眼院診療所跡地
づけた医術教育機関を運営しており、古文書はここで
の秘方「啓迪院秘伝医要方」
(1638年)
を書写している。
当時、医術免状は一子相伝が原則であったので、代
替わりのたびに免状の写しを差し出していた。この古文
書は江戸時代の漢方医学の主流を修めたことを証明す
るものなのである。ちなみに、菅間玄瑛のように江戸時
代の医師の名前に「玄」が多くついているのは、この曲
直瀬玄朔、岡本玄冶師弟にあやかってのものである。 含む毒草なので、実験段階で華岡青洲の母が死亡し、
もう一方の古文書に出てくる「奥州馬嶋明眼斎」は、
妻加恵が失明したのもベラドンナ中毒によるものである。
その名乗りから室町時代に始まった眼科の主流である
華岡青洲は自分の開発した麻酔薬の処方の危険性か
「馬島流眼科学」を修めた奥州出身者が許されて名
ら、門弟たちには門外不出、他見不可を徹底したので、
乗ったものであろう。「馬島流眼科学」は、
1357年に馬嶋
他の流派の医師が知ることはなかったのである。漢方医
清眼(?〜1379年)が尾張国馬嶋村にわが国最古の眼
学が明治維新で没落していった原因の一つには、この
科専門医療施設として開いた「明眼院」から始まっている
ような各流派の秘密主義のために医学的知識の共有や
(写真12)。この古文書が書かれた頃、尾張の本家で
検証ができず、世界の潮流に乗り遅れたことが挙げられる。
は馬嶋円如
(1802〜1855年)
が、長崎でシーボルト
(1796
中津山の地に医家として開業して以来、三代目休安、
〜1866年)
より西洋の眼科学を学び、漢方と蘭方の長所
四代目玄瑛の時代に菅間家は最も盛業であったという。
を取り入れた「眼科集要折衷大全」をまとめ、日本に近
中津山地域の公共事業や慈善事業に尽くし、田尻街道
代眼科学を導入した先駆者と評価されている。したがっ
三ツ口橋の石橋への改修や流観音堂の修復などに尽力
て菅間家は眼科の方面でもその時代の先頭を走る流派
した記録が残っている。
に属していたことがわかる。余談として、このときシーボ
ルトに教えを受けたもう1人の眼科医、幕府医官土生玄
五代目の明暗
碩(1768〜1854年)
は、シーボルトが眼底検査のときに
明治維新を迎えたとき、菅間玄瑛の次女と結婚して日
使用している散瞳薬ベラドンナの処方を聞き出すために、
野家より婿養子となっていた菅間直衛(1852〜1924年)
先祖伝来の「葵の御紋つき羽織」
を贈っている。後にシー
は、横浜の十全病院(現横浜市立大学病院の前身)
で
ボルト事件の折、伊能忠敬の「大日本沿海輿地全図」
と
西洋医学を学び、海軍軍医の職を提示されていたが、
ともにこの羽織が発見され、土生玄碩は重
罪に処せられている。ちなみに日本に生えて
いるベラドンナ系植物にはハシリドコロやチョ
ウセンアサガオがあり、これらはすでに華岡
青洲(1760〜1835年)が1804年に世界最
初の麻酔下での乳がん手術に使用した「曼
陀羅華」の主成分である。しかしベラドンナ
系植物はいずれもアトロピン、スコポラミンを
写真13 郡山市清水台の斗星堂病院跡地と隣の安積国造神社
35
軌跡
写真 昭和 年斗星堂病院新築祝いにおける菅間好雄と恒
(前列右から 番目)
14
10
5
当時の郡山では珍しい大正モダニズムを体現した建物と
して有名であった。この病院は、好雄の娘婿、菅間文
六が継承したが、火事のために焼け落ちてしまい再建さ
れないままである。
菅間好雄の末子である恒(1927年〜)
は、安積高校
写真15 旧郡山公会堂
卒業後、昭和医大から東北大学で医学を学んだ。そし
て磐城共立病院や白河厚生総合病院などで消化器外
36
本家の菅間禮之助の懇願により、登米郡中津山の地に
科医としての腕を磨き、1964年に医療過疎地であった黒
開業して漢方医から西洋医への転身を果たし、五代目と
磯の地に七代目として菅間外科胃腸科医院を開院した。
して医家の系譜を守った。この地方では初めての西洋
その後、短期間のうちに増床し、1965年には菅間病院、
医ということで患者が殺到したそうである。しかし、直衛
1975年には医療法人、2002年には特定医療法人、2009
は横浜時代に見聞した生糸商人の繁盛振りが忘れられ
年には社会医療法人博愛会菅間記念病院へと発展を
ず、この地に製糸工場を作ってしまった。この事業は武
遂げ、2014年に開院50周年を迎えることとなった。八代
家の商法を抜け出せず、明治40年(1907年)
に破産し
目に当たる長男の菅間博(1957年〜)
は、筑波大学で
て資産を失ってしまった。その後北海道などを転々とした
医学を学んだ後、ドイツや米国ペンシルバニア大学で病
という。しかしこの試練が子どもたちを発奮させるきっか
理学の研鑽を積み、杏林大学医学部の病理学主任教
けともなったのであろう。直衛の子孫からは実に10名も
授を務めている。現在は博愛会の理事長としても活躍し
の医師や助産師が輩出するのである。
ており、孫の大樹は九代目を継ぐべく獨協医科大学で
菅間家、医のひろがり
勉強中である。
医家としての菅間家を再興したのは長男の六代目菅
かに菅間定雄(中津山)、菅間(友田)康雄(会津若松
間好雄(1883〜1959年)
である。父親の破産により、彼
友田医院)、菅間敬治(栗原市立高清水診療所)、菅
は苦学の末に日本医大から順天堂で医学を修めた。最
間直(調布菅間医院)、菅間正気(横浜斗星堂クリニッ
初、浅草で開業していたが、関東大震災の前年に故郷
ク)、菅間(山崎)範子(北九州やまさき内科医院)
など
に近い郡山の地に斗星堂病院を開院した
(写真13,14)。
いずれも地域医療に貢献する医師が輩出しており、江
専門は当時流行っていた花柳病であり、繁盛していたよ
戸時代から連綿と続く医家の系譜を守る菅間家は、
うである。この斗星堂病院の建物は、近くの郡山公会
二十一世紀にも地域医療の旗手として活躍し続けていく
堂(写真15)
とともに高橋幸平太の施工になるものであり、
ことが期待されている。
明治維新以降、菅間玄瑛の子孫からは、上記のほ
あの日あの頃 2
木ノ俣隧道事故
昭和41年(1966年)6月29日、台風第4号による豪雨により、新木ノ俣用水上流にあっ
た木ノ俣隧道(大正時代に掘られた水路トンネル)が約40mにわたって落盤。用水路の
水を必要とする地元住人が動員され、トンネル内の土砂を取り除く復旧作業が行われて
いました。
7月8日午後、トンネル内の照明のために持ち込まれたガソリンエンジン発電機の排気ガ
スにより、一酸化炭素中毒事故が発生。作業中の59名のうち女性6人を含む25人の死
者と多くの要治療者を出しました。
この事故は国会でも取り上げられ、多くの救援が寄せられるなど、結果的には水不足
と戦う農業従事者の苦境を全国に知らしめ、国営那須野が原開拓建設事業の着工も
予定より早められることになりました。
菅間恒 会長(談)
事故は開院2年目のことだった。警察か消防より連絡があり、現場へ急行した。その際、現
場で何が起きているのか不明だったが、磐城共立病院時代に常磐炭鉱事故対応の経験があっ
たため、
500Lの酸素ボンベを2〜3本持参した。
到着後、すぐに持参した酸素ボンベを放出し、空気の入れ替えを行なった。隧道は30〜
40cmの水深があり、一酸化炭素中毒で倒れた人々のうち、うつ伏せで倒れた方は溺死となり、
仰向けの方は助かった。
近くの穴沢小学校に被害者を運ぶうちに自衛隊や消防が到着し、鬼怒川の病院で院長をし
ていた後輩が来たので、被災者の搬送を振り分けるよう指示した。
2日目になると自衛隊が一酸化炭素中毒治療に有効な高圧酸素を九州から運んできた。このと
き、初めて高圧酸素の存在を知った。
斉藤静子 外来准看護師 (談)
当時私は16歳で、当院に勤務しながら看護学校に通っていました。その日、授業を受けてい
ると、すぐに戻るように連絡があり、病院から被災者の一時搬送先になっていた穴沢小学校に
向かいました。続々と事故現場から患者様が運ばれてくる中、救急車が足りないため、近所で
借りた布団を敷いたダンプカーで患者様を病院まで何度も運びました。院長(現会長)
は頭まで
全身泥だらけになって現場を取り仕切っ
ていました。
夜中になっても移送は続き、院長の奥
さままで総動員となりました。37床の院内
はすぐに満床になり、梅雨明け前のジメ
ジメした廊下まで布団を敷き詰めました。
あまりの出来事に思わず涙がこぼれまし
たが、階段で患者様を運ぶ際には家族
も協力し、なんとか運び上げました。報
道陣が押しかける中、誰一人休むことな
く懸命の対応が続きました。50年近く前
38
のことですが、忘れることのできない記
木ノ俣隧道殉難者供養塔。木の俣川の渓谷を見下ろす崖上
憶です。
の広場に位置しています。(Wikipedia「木ノ俣用水」
より)
あの日あの頃 4
東日本大震災を振りかえる
─ 当院の初期対応と災害被災者の受け入れについて ─
菅間記念病院 院長 鈴木 正徳
平成23年3月11日午後2時46分、金曜日の外来の終了
間際に当地でも震度6強の地震、宮城県牡鹿半島沖を震
源とするM9.0の大地震は発生した。幸いなことに、当院
は那須山噴火で生じた砂利層の上に建築されており、免
震装置のように働いたのか大きな被害は受けなかったが、
災害拠点病院である大田原赤十字病院(現:那須赤十
字病院)
や、国際医療福祉大学病院は一部の病棟が損
壊した。そのため、震災発生直後はフル稼働で診療にあ
階段を使用した職員による病院食のリレー配膳。
たった。また、福島原発から80km圏に存在する当院には、
40
震災直後から避難患者様が数多く押し寄せた。
幸いなことに外壁の損壊も少なく落下物もなかったため、
当院は高度成長時代を経て、増築を繰り返したため、
外来患者を速やかに広い駐車場に誘導した。エレベー
6階建ての西棟、
5階建ての東棟、
4階建ての南病棟、さら
ターやエスカレーターは停止しており、高層階、とくに南
に平成18年に併設した3階建ての在宅総合ケアセンターと
棟医療療養棟の寝たきりの患者をどうするかについては、
エネルギーセンターの複合建造物からなり、前三者は相互
非常に判断に迷った。すでに現場では病棟師長の指示の
に連結された構造になっている。外来棟は東棟2階にあり、
もと、火災の際と同様にベッドシーツを用いた避難を敢行
私もその時には消化器科の外来を担当しており、最後の
しようとしていた。しかし、客観的な状況に鑑み移動する
患者の診察中であった。長い横揺れが続き、今まで経験
ことの方が相対的に危険度を増すことを考慮して、院長
することのなかった異常な地震であり、目の前の患者を落
権限として病棟待機の方針としたが、この対処に関しては
ち着かせることから長い一日は始まった。
患者に急変したものもおらず、
事後に検証しても妥当であっ
地震が収まった段階で、すぐに私のいた東棟2階の患
たものと考えている。
者待合室に臨時の地震対策本部を置き、院長、事務長、
当院は、年間800件の手術を実施しているが、当日手
看護部長、看護副部長、在宅総合ケアセンター長を招集
術症例はなかったのが幸いであった。予定していた血管
して被害の把握に当たった。幸いなことに電子カルテはダ
造影室にての検査も入室した直後に地震が発生したた
ウンせず、また院内PHSも生きており、各種口頭指示に
め、中止のみで事なきを得た。
使用できた。高層階では、キャビネットの倒壊やガラスの
近隣の災害拠点病院が半ば機能不全になっていること
損壊が認められたが、職員にけがはなかった。全館放送
も考慮して、当院としては外科医師を複数名病院待機と
を複数回実施して患者および職員の混乱を回避すること
した。怪我人・急病人などに迅速に対応するために、救
に努めた。エレベーター内に閉じ込められた人がいないこ
急外来・内科外来1〜4診・外来待合室に救急対応用窓
とを確認し、エレベーターの使用を禁止し、張り紙を実施
口を設置して、医師・看護師・事務を1チームとしてはりつ
した。外来看護職員および医事課職員は外来患者の誘
けた。20名ほど搬入されてきた救急患者の対応にあたって
導に当たった。男性の用度職員・施設職員には病院内
もらったが、骨折の患者、腱断裂の患者などの対応も円
の見回りおよび病院の外からの目視観察をすぐに行っても
滑に行われた。
らった。各施設の点検結果、危険区域の立ち入りの禁止
幸いなことに、当院の損壊は軽微なものにとどまった。
を張り紙にて行なった。
なによりも患者様および従業員も含めて怪我がなかったの
が幸いであったが、実は、従業員の居住する那須町や
間を見越して調理から配膳までの時間を逆算して、早め
白河市の被害は甚大であり、自宅が半壊した従業員も多
の調理と配膳に心がけた。それでも配膳が停電時間に入
数いた。余震の続く当日夜は帰宅難民もおり、さらに未曾
り込む場合には、階段を使用した職員によるリレー配膳を
有の事態であり、何がおこるかわからない状況下で、病
行ったが、すべての職員が参加して円滑に進んだ。
院首脳は自宅の被災状況を顧みることなく、病院にとどまっ
福島原発事故により30km圏内の住民の強制避難が行
たことはいうまでもない。看護部・事務部・技術部は部署
われた。当地は原発から80km圏であるが、近隣には多
ごとに緊急時に備えて夜間当直職員の配置を行った。
数の避難者受入れの施設があり、当院としては、震災後
その後の危機管理対応としては災害対策診療会議の
3月12日には避難民対策外来を立ち上げた。さらに当院
立ち上げと全員集会による職員の問題意識の共有をは
では血液透析センターを併設しており、毎日70余名の維
かった。診療体制の確保についても困難な状況になり、と
持透析を実施しているが、透析患者の許容人員をさらに
くに震災直後は数日にわたり非常勤医師の診療応援は不
20名分確保して、相双地区からの透析患者に対応した。
可能であった。この間、私をはじめとして常勤医師13名ほ
看護師が退避してしまって病院機能を失った南相馬市の
どが、不眠不休で外来および入院の診療にあたったこと
病院からレスピレーター管理の重症患者3例を引き受けた。
は言うまでもない。さらに震災直後、大量に必要となり底
被災者に関わる一部負担金等の猶予措置などについて、
をついた電池やライト、
LED蛍光ランタンなどは、震災の影
厚労省からの通達が朝令暮改であり、窓口業務は多忙を
響の少なかった西日本、大阪北区天神橋の加納総合病
極めたが、その後の世情の不安定さからくる受診抑制が
院のご厚意で緊急に調達してもらった。また薬品や医療
働いている感も否めない。
材料についても現場から必要なものをリストアップして、同
最後に、同門の先輩がいる石巻市の病院では壊滅的
様に連携医療施設から調達した。
な被害に遭い、現在も病院機能の縮小を余儀なくされて
東京電力による計画停電は、当院では3月18日に始まっ
いる。また医局で大変お世話になった先生で患者避難を
た。自家発電機能は軽油使用で確保されており、非常用
率先して実践している最中、津波によって殉職された方も
照明の電球は通路に事前に必要最低限配置した。また
いる。医療人として職責を全うしている中、被災された方々
人工呼吸器についても当時は9台稼働中であり、これに対
はさらに多数おられるわけで、その方々の苦悩を我がこと
する非常用電源の配備も事前に行った。空調および暖房
として、生涯にわたって刻みつけて生きていくことが同胞と
管理は不可能となり、暖房にはペットボトルにお湯をいれて
して必要なことではないかと考えている。まさに石原慎太
湯たんぽ代わりにする方法でしのいだ。もっとも問題となる
郎元都知事が発した金言であるが、
『我欲を捨てて』今後
電子カルテについては、非常用電源配置で使用できる診
の余生を送る必要性を痛感している。2万人におよぶ死亡
療ブースを5ヵ所決定しておき、さらにバッテリー機能を有
者・行方不明者に対して深甚なる哀悼の意を表しご冥福
するラップトップ型の端末を使用して事なきを得た。病院食
をお祈りする。
の配膳は、エレベーターが使用不能となるため、停電時
計画停電中に非常用電源による電球の光の下でがんばって
いる職員たち。
平成25年3月 被災者の支援活動等に対して厚生労働大
臣感謝状を受領。
41
50年の記憶
この地で医業をはじめてから50年
社会医療法人博愛会会長
菅間 恒 創立50周年を迎えるにあたり、これまで様々な形で博愛会を支えてきてくだ
さったご関係の皆様、患者様、そして職員の皆様に心より御礼申し上げます。
博愛会の50年の歴史は地域の皆様と一緒に手を繋ぎ、時には肩を組んで
歩いた長い長い道のりでありました。その軌跡の一片と忘れられない出来事
をいくつか思い出してみました。
高度な医療
白河厚生病院を退職し医療過疎地であったこの地に開業した時から、たとえ小さな田舎町の医院であっても都
会の大病院と同様の高度な治療を提供し、
この地に最先端の医療技術を提供する病院を作ると決めておりました。
当初、医師は私一人で十分な医療機器は揃っておりませんでしたが、手術の際は白河厚生病院から器材や医
師をお借りして、可能なかぎり良質な医療を提供しました。外科医として安全な手術を行うには、手術そのものの
技術は勿論ですが、麻酔技術も重要です。全身麻酔による手術が全国でもあまり行われていなかった頃、当時
としては最先端の全身麻酔の導入にも取り組みました。
いち早く導入したものは数え切れず、栃木県で一番だったのは、
CTの導入、
MRIの導入、高気圧酸素装置そ
して自前救急車(ドクター・カー)
の導入などがあります。事故や急病の人がいたらすぐに救命! 早期診断・早期
治療が最も重要であるという私の信条があり、連絡が入ったらすぐに同乗して駆けつけたいと思い、自前で救急
車を購入しました。当時は救急車が少なく、その到着を待ちきれなかったのです。この記念誌の別項に記述され
ていると思いますが、
25名の方が亡くなった木ノ俣隧道事故は忘れることができません。私は常磐炭鉱での経験を
生かして速やかに対応し、労働大臣から表彰を受けました。その事故で入院した患者のために、高気圧酸素装
置も購入しました。当時は関東・東北での高気圧酸素装置の導入事例がなかったために、自衛隊がわざわざ北
九州から運んできたことも思い出されます。昭和51年には、これも県内で初めて頭部CTスキャンを導入し、最先
端の検査と治療が可能になったことは、地方医師としての誇りです。
博愛と信頼
博愛とは「すべての人を平等に愛すること」ですが、気の利いた辞書には「広い心ですべての人を平等に愛す
ること」
と書いてあります。もっと噛み砕けば冒頭に「階層、人種、宗教、政治などで区別せず」
という文がつきます。
次に博愛と信頼の関係について考えてみますと、人の信頼を得るためには「愛」の存在が欠かせないということで
す。医師の場合に例えれば、患者一人ひとりを広く愛し、
「助けたい」
と思うからこそ医師は患者から信頼されるの
です。私は博愛という言葉が好きで、地域のすべての方々に等しく心のこもった医療を提供しようと心がけてきまし
た。愛すべき人々が多すぎたのかもしれません。
病院が大きくなると、対応が縦割りで事務的になることを危惧して、家庭的な雰囲気を心がけてきました。博愛
の精神を維持するためには患者の信頼が不可欠であり、患者の信頼を得るためには、医師だけでなく職員も業
者も全員が安定した心持ちでいる必要があります。私の敬愛する一番上の姉は「お家柄というものは、お金では
なく、祖先が築いてきたものを子孫に伝える人格そのものである」
というメッセージを私に残しました。地域の皆様
の本当の信頼を得るために、広くすべての人を平等に愛する
「博愛」の精神を、私から医師をはじめとする職員
全員に伝えます。
42
軌跡
どこでも寝る術 私の「医師」
としての姿勢は、郡山で開業していた父の言葉「患者が病院の門をくぐったら絶対に断ってはなら
ない」にあります。これを達成するためには、昔は医師が少ない時代でしたので、寝る時間を減らすしかありません。
よって、医師はどこでも寝る術を身につける必要があります。別に自宅の布団でなくとも、治療の現場のどこかで
睡眠をとり、いつでも対応できる生活を続けていました
(若かったな……)。この術があったから現在の病院がある
と言っても過言ではありません。
どこでも寝る術を得意とした私の人生を一言で表現すれば、「走り続けた人生」です。そう言っている今も、心
の中では駆け足をしてしまいます。私の母が亡くなった103歳まではあと17年ありますから、これからは少し速度を
弱めてゆっくり歩きます。
医師たちよ
私の恩師たる大学教授は、知識だけでなく人格的にも優れた方で、中でも東北大学医学部で出会った黒川利
雄教授や武藤完雄教授のご指導と印象深い言葉が忘れられません。「医師はワンマンであってはならず、いたわ
りある人格になり、住民に溶け込んで土着民になれ」
という言葉は私の医師人生の基盤です。また、
「仕事が忙し
くて病気になることはなく、病気を引き起こすのは遊びなのだ」
と、若い医師達に患者を絶対に断らないよう厳しく
指導していました。さらに、世の中には本当のように見えて本当でない「嘘」が3つ存在し、それは新聞記事、研
究等の統計データ、女の涙であるとよく言っておられましたが、全くその通りで現在も通用する名言だと思います。
とくに女の涙には気をつけなさい。
私は現在の専門医制度に対しては、少々異論があります。専門医制度により様々な分野が目覚しい発展を遂
げたことは事実ですが、一方で総合的に診察できる医師が減り、いつまでたっても医師不足は解消されません。
このことは診療を受ける患者側にも問題があり、専門医に診てもらいたがる傾向はなかなか消えません。私は、
応急処置に関しては、科を問わずすべての医師が適切に対応できる必要があると思っています。断ってはならな
いのです。
「患者を断るな!」
という言葉の中には、
「病気ではなく人を診なさい!」という意味が含まれています。病
気を診る医者は「専門外だから」
と言って断るからです。生死を彷徨う患者を専門外だから診ないのは勇気と自信
がない証拠です。医師になりなさい‼
これは私のかわいい後輩医師たちへのエールと思ってください。
地域とともに
私が現在の土地に開業することになったのは、白河厚生病院に外科部長として勤務していた頃、黒磯の住民
で、各地で何度も手術を繰り返していた患者を一度の手術で完治させたのがきっかけです。その患者は感動し、
私に「黒磯地区には外科・胃腸科専門の医者がいないので、是非この地に開業して欲しい」
と熱心に言うのです。
確かにその頃の黒磯地区の医療は深刻でした。そんなことがあって、地主をご紹介いただき、現在の場所に落
ち着いたという次第です。源平合戦で知られる那須与一のゆかりの地であったのも好印象でした。
開業当時は右も左もわからず、栃木県に馴染みがなかったために随分迷いました。数分で行けるところを30分
かかってしまったり、黒磯の「寺子」なのに那須の「寺子」に行ってしまったり、手探りの状態で歩み始めたのでした。
そして、私の「地域とともに」の真骨頂は警察医で、皆さんもご存知のように、平成21年警察医を長年勤めて叙
勲を受けました。現場検証における検死が主な仕事でしたが、テレビで見るようなカッコイイものではありません。
那須登山の遭難者の現場検証では、遭難するぐらい厳しい場所に行くのだから本当に大変で、心の中で「私が
担架に乗って帰りたいよ〜」
と思いました。鉄道線路への飛び込み自殺の検死では、走る列車から落ちてくる排
尿便で私の顔が汚れました。
(当時の列車のトイレは垂れ流しだった。
)
たくさんの出来事があり話しきれません。
43
施設概要
開 設 年 月 日: 昭和39年3月19日
(菅間外科胃腸科医院)
菅間記念病院
概 要
名 称: 菅間記念病院
院 長: 鈴木 正徳
副 院 長 : 西岡 修
大浦 慎祐
事
務
長 : 伊藤 和美
所
在
地 : 〒325-0046 栃木県那須塩原市大黒町2番5号
TEL:0287-62-0733(代)
FAX:0287-63-9357
敷 地 面 積: 11,920.8m2
延 床 面 積: 4,610.34m2
建 物: 鉄筋コンクリート構造(西棟・東棟・中棟)
鉄骨構造(南棟)
ホームページ: http://www.hakuai.or.jp E-mail : [email protected]
許可病床数
280床 (一般190床、医療療養型60床、回復期病棟30床)
診療科目
・内科・神経内科・呼吸器科・消化器科・循環器科・小児科・外科・整形外科・脳神経外科
・皮膚科・泌尿器科・性病科・肛門科・婦人科・耳鼻咽喉科・放射線科・麻酔科・歯科
・歯科口腔外科・小児歯科・人工透析科・ペインクリニック・リハビリテーション科・病理診断科
学会施設認定
日本消化器外科学会専門医修練施設
日本循環器学会循環器専門医研修施設
日本消化器内視鏡学会指導施設
日本口腔外科学会関連研修施設
日本外科学会外科専門医制度修練施設
日本肝臓学会認定施設
患者様には、以下の権利と義務があります
1. 思いやりのある医療を平等に受ける権利
2. 一人一人に最適な医療を受ける権利
患者憲章
3. 病状・治療の充分な説明を受ける権利
4. 他の医師や医療機関に相談する権利
5. 治療方針をみずから決定する権利
6. 個人情報や診療の秘密が守られる権利
7. 診療環境の秩序を守る義務
63
看護部
看護部長室
看護部長代行
優しく温かな看護のために
働きやすい環境づくりに
取り組んでいます
兼康 和子
78
昭和39年(1964年)
に菅間外科胃腸科医院として開設し
たとえ業務が多忙な時であっても、職員ひとりひとりが明
て以降、菅間記念病院看護部は地域の皆様とともに今日ま
るく元気に、やりがいと誇りをもって仕事に取り組めるような
で歩んでまいりました。平成25年(2013年)8月1日現在、看
職場を目指しており、看護部長は看護部各部署の所属長と
護部には看護師89名、准看護師58名、看護補助者42名、
ともに業務改善を考え、常に働きやすい環境づくりに取り組
看護学生9名の総勢198名の職員が在籍しており、その取
んでおります。個人面談の時間も設けており、職員各々が
り纏めをしているのが看護部長であります。現在、看護部
看護への思いや仕事への誇りを実現できるよう、また、感
長室には看護部長と事務員1名が在籍しております。
性豊かで品格のある職員を目指し、相談役としての役割も
看護部では、病院理念のもと
「市民の意見を尊重し、専
担っています。
門的知識・技術をもって、満足していただける看護の提供
そして、看護部職員が働きやすいよう看護部門だけでな
に努めます」
という理念を掲げています。「信頼を受ける看
く、他部門との連携を図り業務改善に繋げています。
護」
「安全・安楽な看護」
「優しく温かな看護」が提供できる
これからも、地域の皆様に質の高い看護と信頼される看
よう看護の質の向上を目指し、自己研鑽に努められるような
護が提供できるように、より一層努力していきたいと思ってい
職場環境づくりを行っております。
ます。
看護部
外来
現在
夜間でも休日でも迅速な対応が
できる24時間体制です
師長
尾形 由美子
当病院は内科・外科・消化器科・循環器科・整形外科・
菅間記念病院は、夜間でも日、祝日でも、急な体調不
泌尿器科など様々な科で診療が行われ、二次救急指定病
良や怪我でも、迅速な応急処置ができるよう対処し、必要
院として24時間開業しています。また、隣に那須町、大田
があれば近隣の病院とも連携し、適切に対応できるよう努
原市、塩原と観光地や温泉に囲まれ、年中旅行者の急病
力してまいります。地域の皆様、子供さんから老人まで、
人が来院されます。地域がら高齢者が多く、施設入所の
どうか安心して受診していただけたらと思っております。
患者様や診療所・クリニックからの紹介患者様も少なくあり
ません。
外来患者様は月平均7,000~8,000名、救急車は月平均
150件を越え、年間2,000件以上あります。患者様は軽症
から重症まで様々で、初期治療から継続治療、さらには予
防も含め、継続的に関わっています。
外来・救急のスタッフ一同、患者様が安心して安全に治
療できるよう心がけ、病気のわからないことや悩んでいる患
者様の声に傾聴し、医師と相談しつつ、看護、治療できる
ようつとめています。
79
看護部
西 2 階病棟
チームワークをさらにパワーアップ
消化器内科、
外科等の混合病棟です
師長
阿久津 恵美
当病棟は消化器内科、外科をはじめ個室を必要とする
材として成長する岐路にあると痛感しています。
他科混合病棟として急性期から慢性期、ターミナル期を一
外部顧客である患者・家族は勿論のこと、内部で働く私
手に担う鈴木院長、竹内医師、小松医師のメイン病棟とし
達が自己成長でき、働き甲斐のある職場であるように、人
て、日夜アクティブに頑張っています。また、入退院を繰り
間関係や環境改善にも心がけています。ケアセンター、ク
返す患者様が多いことからも患者様およびご家族への関わ
リニック、那須看護専門学校などALL菅間としてのオープ
りが重要視されるため、病棟に関わる全ての医療従事者
ンな関係性を強化することと、
「いつでも・どこでも・だれでも」
が現状に満足することなく、良質で信頼できるアットホーム
をモットーに地域に根ざし、またこの地を訪問された皆様に
な病棟作りを目指しています。看護職員は
(看護補助者を
もオールマイティーに貢献できる存在に、さらに成長できるよ
含む)
30名の配置とコメディカルチームで構成されています。
う努力いたします。
看護管理コース、院内唯一の認定看護師(皮膚排泄認
最後に当病棟のセールスポイントは何よりも、院内のイベ
定)や呼吸療法認定士など特化した分野の学習・実績を
ント毎には院長を隊長とした余興チームが自然発生し、歓
つんだ看護師、看護学士を取得した者、臨床実習指導者
迎会、忘年会シーズンは院内のムードメーカーとして「盛り
研修修了者も教名おります。看護の質向上のために生涯
上げ隊」が活躍している点です。さらに30名の看護職員は
学習は必須であり、さらにレベルアップした人材となる基礎
親子2世代にも渡る年齢構成であり、どの年代にも寄り添っ
構築に努力しているところです。また那須看護専門学校も
た話題や相談、雑談のお相手ができる構成とも言えます。
設立され本格的な教育機関としての役割もあります。今後
この度の開院50周年を節目に、バイタリティーとチームワー
は他校からの実習受入れも加味し、地域社会からの関心
クをさらにパワーアップし、元気な病棟として頑張ります。
も高まるため菅間職員としての品格を備えた信頼される人
80
看護部
西 3 階病棟
現在
退院する患者様の笑顔を励みに看護
循環器内科、
消化器内科病棟です
師長
塩澤 裕美
地域の皆様には、日頃より大変お世話になっております。
解した看護が行えるよう努めなければなりません。
私達の病棟は、循環器内科病棟を主とする消化器内科と
今後は、今以上に地域の皆様が、安心して入院生活を
の混合病棟で成り立っております。循環器内科においては、
送ることができるように満足していただける看護を提供して
西岡副院長のもと添田医師をはじめ、看護師も含む他職種
いきたいと思っております。看護の原点でもある
「思いやり」
との連携を図り、チーム医療を実践しております。重篤な
を心掛け、スタッフ一同、日々看護に努めていきたいと思っ
疾患の一つである心筋梗塞の患者様も多く、入院・治療
ております。
を終えて退院する際の患者様の笑顔は本当にうれしいもの
です。平成25年の4月から消化器内科の半田医師が着任
し、手術が必要な際には、消化器外科との連携も図ってお
ります。
病棟の特徴としましては、バイタリティ溢れるスタッフが多
いこと、急性期病棟でもあり患者様の安全にも力を注ぎ、
チームワークをモットーに心掛けていることが挙げられます。
また、新人指導・後輩指導ができるように教育にも力を入
れております。医療は日々進歩しており、それについて行け
るよう、医療従事者はずっと学び続けなければなりません。
また、患者様の高齢化も進み、複雑な高齢者の特性を理
81
看護部
南 2 階病棟
患者様に寄り添える外科病棟を
目指して、
笑顔を忘れずに
師長
伊藤 和枝
南2階病棟は、竹内医師、今村医師率いる消化器外科・
内科、外科、整形外科の混合病棟で、病床数は60床です。
南側の2階に位置し、一般病棟では珍しく各部屋にトイレが
完備されており、廊下が広く、とても明るいのが特徴で、き
れいな病棟です。南2階病棟には、日々多くの患者様が入
院され、そのほとんどが、急な検査や、手術を必要とされ
ます。このような患者様は毎日不安を抱えて入院生活を送っ
ていることが多く、私たちは、そんな地域の患者様を第一
に考え、医師・看護師との連携はもちろん、リハビリスタッ
フや事務部などと協力し、患者様に最良の医療が提供でき
るように日々努力しています。
元気がありすぎて、広い廊下を時々走り回ってしまうこと
もありますが、手術や検査、疾患に不安を抱えている患者
様に寄り添える病棟を目指し、「博愛の精神」
と
「笑顔」
を忘
れず今後もスタッフ一同頑張って行きたいと思います。
82
看護部
南 3 階病棟
現在
中・重度の患者様が多い療養病棟
優しいケアに務めています
師長
磯 律子
療養病棟は、病床数60床で、個室3床、特室1床を備
窓枠を利用し折り紙・貼り絵等の作品を飾っています。この
えている病棟です。特徴としては、とくに高齢者が多く、
ような行事を通して患者様との信頼関係を築くとともに、今
一般病棟での治療を終えて自宅・施設・病院等の退院の許
後の生活について考える機会とします。何ができるか、安
可があり、在宅復帰調整のための療養生活を送る患者様、
心・安全・安楽な療養生活を送り、患者様のニーズに応え
透析通院困難で治療が継続できない患者様、褥瘡治療の
られるよう、ふれあいの看護を提供し、少ないスタッフでも
継続が必要な患者様、難病疾患をかかえて人工呼吸器
懸命に優しいケアに努めています。これからも菅間記念病
が必要な患者様等が入院されています。中・重度の患者
院療養棟は頑張りますので、今後ともよろしくお願いします。
様がほとんどで、経管栄養の患者様は全体の4分の1程度、
終末期の患者様も多く受け入れております。また、当院は
短期入院協力病院であり、南3階はその担当病棟で、交
通事故後の後遺症で在宅療養を続けている障害者の方々
は、諸条件が整えば短期入院を利用することができます。
さらに、療養棟の機能を生かすために、スタッフ一同、主
治医を中心にリハビリテーションスタッフ、地域医療連携部、
医事課、家族、ケアマネージャー等と協力し、地域と連携
をはかり、退院調整を支援しています。 南3階では、患者様のお楽しみの1つとして、季節ごとに
83
看護部
東 3 階病棟
回復期のリハビリテーションを
チームワークでサポート
師長
兼康 和子
東3階病棟は、平成22年(2010年)6月から回復期リハビ
当病棟は高齢者が多く、病院生活が長期化することで季
リテーション病棟として病床数30床でスタートしました。
節感が感じられなくなる傾向があるため、病棟に季節ごと
当院は「地域に根ざした医療」
をめざし、予防・急性期・
の飾り付けをし、季節に合わせたレクリエーションを行ってい
回復期・維持期までの継続的なリハビリテーションを提供し
ます。
ていますが、回復期にあたる部分をこの病棟が担っていま
回復期リハビリテーション病棟としての歴史は浅いです
す。回復期リハビリテーション病棟は、医師・看護師・リハ
が、患者様の笑顔がやりがいのエネルギーであり、笑顔で
ビリテーションスタッフなどが一つのチームとなって、患者様
退院されることが何よりの喜びとなり私達職員一同、日々元
の日常生活活動の動作能力向上による、寝たきり防止と在
気に働いております。
宅復帰・社会復帰を目的としたリハビリテーションを集中的
に受けることができる病棟です。
病棟では、患者様ひとりひとりの状態に合わせた目標によ
り、食事・排泄・着替え・入浴・家事動作等、できること
をいかせるように、スタッフが安全にリハビリテーションを提
供するだけでなく、自宅での生活を考えた病室の環境設定
により入院生活を送っていただいています。また、転入後
から医療ソーシャルワーカーと連携し、介護保険サービスの
情報提供や相談を行い、退院後の生活が、患者様・家
族にとってより良くなるように一緒に考えていきます。さらに、
84
看護部
東 4 階病棟
現在
患者様と職員の距離が近い
呼吸器疾患を主とする
慢性期の内科病棟です
師長
薄井 ゆかり
現在の東4階病棟は、呼吸器疾患を主とする急性期及
病院理念である「博愛と信頼・地域と共に」が根づき、
び慢性期の内科病棟で、病床数は30床です。地域柄な
開業して50年の歴史が「地域の皆様に愛されてきた」
ことを
のか、高齢者社会ということなのかはわかりませんが、入
感じさせられます。これまでの患者様のご愛顧に感謝し、
院されている患者様の7割以上が後期高齢者で占めていま
これからもより一層地域の皆様に貢献できるよう、精進して
す。また、入退院を繰り返す患者様も多く、
「久しぶりだね、
行きたいと思っています。
また来たよ」や「しばらく見ないから辞めたのかと思った」等
さいごに、開業50年おめでとうございます。菅間記念病
の会話から、菅間記念病院との付き合いの長い患者様が
院万歳!
多いと感じます。
当病棟の職員は17名、若いスタッフは21歳から始まり、
最年長スタッフ
(再雇用者)
との年齢の幅が広く
(平均年齢
44.7歳、看護補助も含む)、その中で10年以上の永年勤
続者7名が勤務しています。 永年勤続者が多いということ
は、働きやすい職場であることがわかると思います。後期
高齢に近づいた職員などは、とくに意識しながら
「いずれ我
身…」の思いで患者様に対応させていただいており、また、
患者様が少しでも安心・安全・安楽に入院生活が送れるよ
う私たちは日々頑張っております。
85
看護部
手術室・中央材料室
手術室 —時間受け入れ態勢を整えています
中央材料室 —
医療材料の洗浄・殺菌
24
チーフ
高根沢 富士雄
菅間記念病院の手術室では、主に消化器科・整形外科・
泌尿器科・口腔外科の手術を行っています。もちろん臨時
や緊急の手術にも対応しており、24時間いつでも受け入れ
が可能なように体制を整えています。近年、手術件数は増
加傾向にあり、昨年の手術件数は約800件であります。
手術室は、現在2部屋で行っていますが、新病棟では4
部屋になる予定です。
86
手術室では鈴木院長、外科部長の竹内医師をはじめ、
りますが、短い時間の中に、我々の持つ知識と技術を最
各診療科の医師と看護師や各コメディカルが一致団結、
大限発揮して医師をサポートし、患者様の不安を少しでも
協力し合いながら手術を行っています。患者様の安全を第
和らげることができるよう、日々の手術に臨んでおります。
一に考え、清潔で正確な手術が行えるよう、勉強会なども
また、中央材料室では、手術に必要な器機はもちろん、
定期的に実施し情報を共有できるようにしています。
病院内で使用する摂子を始めとする鋼製小物や医療材料
手術は患者様の人生においての大イベントであり、不安
の洗浄・滅菌を行っております。安全を確保するために滅
が大きいものです。そんな不安や緊張を和らげるため、術
菌保証として、科学的・生物学的その他の試験・滅菌行
前訪問を実施したり、手術室内では患者様に合わせた
程試験を何重にも実施しており、物品を安全に使用できるよ
BGMを流したりしています。手術室の看護は短時間ではあ
うにしています。
看護部
透析センター
現在
創設
年間
年を迎え、 台の機材で
万 千件の人工透析を実施
1 35
7
30
師長
松本 千速
菅間記念病院透析センターは、地域住民の皆様に利用
透析を必要とする患者様が入院を必要とした場合、透
していただきながら、今年で創設35年を迎えました。平成
析装置のない病院に入院することはできません。そのような
24年は年間17,044件の人工透析の他、
20件程度の血液浄
意味で県北での菅間記念病院の透析センターは非常に重
化療法を行っており、病棟での透析件数は年間43件行っ
要な役割を果たしております。透析センターのスタッフ一同、
ております。入院・外来透析業務を中心に、那須方面に
これからも精一杯頑張ってまいります。
旅行される方への透析も行っております。透析センターで
菅間記念病院の創立50周年、心よりお祝い申し上げます。
使用される機材は日機装DCS-27が29台とDCG-2が1台稼
(常盤 政博)
動しています。
87
医療技術部
薬剤科
医療チームの一員として
調剤室から飛び出して活動も
科長
真島 裕一
1階医事課受付の隣に位置するのが薬剤科です。内部
このほか、注射剤においては医師の注射箋に基づき、
は調剤室・医薬品情報室・薬剤庫からなり、現在薬剤師
一人一人の注射剤を備えて安全性を高め、例えば、抗が
7名、助手2名で業務に当たっております。薬剤科では「医
ん剤などの取り扱いに注意が必要な注射は、専用の装置
療チームの一員として、専門的知識に基づいた薬物療法
内で混注しております。また、誤解などが起こらぬよう、使
を提供し、医療水準の向上に貢献する」
という理念のもと
用している薬の内容の説明や副作用のチェックなどを行う
に業務を行っております。主な業務内容は以下の通りです。
服薬指導は患者様のベッドサイドで実施しております。
1. 処方薬剤
(内服、外用、注射)
の調剤
ひと昔前までは、薬剤科の仕事は調剤室での処方箋調
2. 医薬品情報の管理・提供
剤が中心でしたが、現在では調剤室から飛び出しての活
3. 院内製剤
動が増えてきました。それに伴い、薬剤師の域を超えた必
4. 服薬指導
要な知識も増え、院内・院外各種の勉強会に参加するなど、
5. 薬品在庫管理
知識・技術の習得に努めております。さらに現在は、各病
6. 抗がん剤・中心静脈輸液の調製
棟に薬剤師を配置しての病棟業務を開始するため準備を
7. 院内専門医療チームヘの参画(褥瘡対策チーム、
進めているところです。
NSTチーム、緩和ケアチームなど)
8. 各種委員会への参加
用な道具でありますが、少しでも使い方を間違えると患者
9. 薬学生実務実習の受け入れ
様に有害なものとなってしまい、本来の病気の治療という目
薬剤科では、外来患者様においては、通常院外処方箋
的を果たせなくなってしまいます。薬剤科では医療チームの
を発行していますが、休日及び夜間は院内にてお薬の調
一員としてお薬の有用性を最大限に引き出し、患者様の健
剤を行っております。入院患者様においては、飲み薬はす
康を守るお手伝いができるよう考えております。
べて一包化(ワンドーズパッケージ)
を実施しており、患者様
のお薬の飲み間違いや飲み忘れ改善に貢献しております。
88
お薬は患者様の病気を治療する際になくてはならない有
医療技術部
放射線科
現在
病院業務のほか
地域の開業医の先生方を
画像検査でサポート
技師長
大貫 信春
この度は菅間記念病院創立50周年おめでとうございます。
放射線科は現在、診療放射線技師7名で病院業務を
行っています。また、地域医療連携の一環として、地域の
開業医の先生方からのご依頼で画像検査を行うオープンシ
ステムを導入し、地域の先生方のサポートをしております。
医療技術の進歩は目まぐるしく、当科における画像診断
機器に関しても次々と新しいシステムが構築され、日々勉
強の絶えない毎日です。平成16年に当院でマルチスライス
CTを導入しましたが、さらに多検出器化が進み、より短時
間の撮影ができ、被ばくの低減も可能になっています。MRI
影をしにこられる患者様もいます。その時、患者様の立場
も同様に、技術の進歩により高分解能で短時間撮影が可
になり、温かい声をかけることで、安心して前向きに治療に
能となり、今後CT並に検査数が増えることが予想されます。
臨んで頂けるような対応を心がけています。
技術向上も大事ですが、同様に重要視しなければなら
私たち技師は、医療技術の進歩に遅れをとらないよう、
ないことが患者接遇です。この那須塩原地区も高齢化社
高度な専門的知識及び技術を日々切磋琢磨し、患者様に
会の進行に直面している地域であり、高齢の患者様が増
「菅間記念病院を受診してよかった。」
と思って頂ける様な
えてきています。治療が長期間続く病気もあり、何度も撮
サービスを提供し、これからも歩み続けていきます。
89
医療技術部
臨床検査科
検体検査は 時間体制
分で報告を心がけています
30
24
技師長
阿部 初江
私の入職した頃は、臨床検査技師は5名で業務にあたっ
心がけています。また、生理機能検査では患者様と接す
ていました。患者様のカルテは、紙カルテを使用していた
る数少ない検査です。コミュニケーションをとりながら、病態
ため検査依頼は伝票、検査結果も手書きで報告していた
を把握し、各診療科の要望や地域のオープンシステムに対
ので、一件の検査報告にかなりの時間が掛かっていました。
応しています。さらに、病理細胞診検査では、院内の迅
それが、平成16年(2004年)
に院内で電子カルテが導入さ
速検査を含め地域の医療施設と連携して正確かつ迅速に
れ、患者様の既往歴・検査データ・画像診断などの情報
検査報告書を提供しています。
が把握し易くなり、過去の状況と比較して検査を行えるよう
その他、 検査科ではチーム医療にも積極的に参加して
になりました。全国的にも電子カルテの普及率はまだまだ進
います。 栄養サポートチーム(NST)、院内感染対策、カプ
んでいるとはいえない状況の中、大きな英断だと思いました。
セル内視鏡検査、睡眠時無呼吸検査に参加して今まで以
また検査の自動化も進み、手で行っていた検査が機械で結
上に検査技師の活躍の場を広げて、各部署との連携を密
果が出せるようになり、検査時間の短縮にも繋がっています。
にして行きたいと考えています。
現在、臨床検査科は11名体制で生化学検査・血液検
臨床検査科の心得である迅速・正確・笑顔を常に忘れ
査・感染症検査・腫瘍マーカー輸血検査・尿検査・生理
ず、今後も地域医療に
機能検査・病理細胞診検査など幅広い分野の検査を行っ
貢献できるようにスタッフ
ており、臨床側へ正確なデータを迅速に提供できるようにな
一同頑張って行きたいと
りました。
考えています。
検体検査では、
365日24時間2次救急に対応できるように、
緊急検査の生化学・末梢血検査は30分で報告することを
90
(合谷木 博之)
医療技術部
リハビリテーション科
現在
理学療法士
言語聴覚士
技師長
金谷 さとみ
名、
作業療法士 名、
名、
若さがいっぱいです
5 20
6
菅間記念病院の創立50周年という世紀的瞬間にご一緒
リハビリテーション科の今後として、院内はもちろんのこと、
させていただくことができ、リハビリテーション科一同、心か
地域への貢献にも目を向け、通所・訪問リハビリテーション
ら喜びを感じております。
などの地域に関わるスタッフの拡充や、院外の介護保険に
当科は、10年前までほんの5名で切り盛りしていた小さな
関わる職種にむけた研修会を継続するなど、那須町・那
部署でしたが、年々着々とスタッフが増え、平成17年には
須塩原市に広くリハビリテーションを浸透できるよう、活動の
理学療法士、作業療法士、言語聴覚士のリハビリテーショ
視野を広げてまいります。
ン3職種が揃い、今では理学療法士20名、作業療法士6名、
(高橋 秀介)
言語聴覚士5名の総勢31名の大所帯となりました。科の規
模が大きくなったことやリハビリテーションへの認識の高まりに
より、必要な患者さんに即時不足無く働きかけられるように
なり、院内の隠れた絶景スポットである東5階という恵まれた
環境の中で真剣に、ときに面白おかしく業務に励むことがで
きています。
また、スタッフそれぞれも齢を重ねるごとに成熟し、病院
の宴会で暴れだすこともきわめて稀になり
(今でもその片鱗
はありますが・
・
・)
、現在は結婚、出産、マイホーム建築など、
それぞれが人生の軌道に乗りはじめ、この那須塩原という
地に根づきつつあります。
91
医療技術部
歯科口腔外科
平成15年開設以来、
地域の皆様の信頼を得て
主任
小澤 啓子
平成15年(2003年)12月歯科口腔外科が開設されまし
がほとんどですが、上記のような口腔外科領域である埋伏
た。 開院当初はチェアユニット
(治療台)2台、常勤歯科医
智歯(親知らず)
の抜歯、のう胞摘出などの外来手術や全
師2名、歯科衛生士2名、受付1名で始まりました。当時、
身麻酔下の手術も行っています。また舌痛症、顎関節症
菅間記念病院の歯科口腔外科が地域の皆様にあまり知ら
等も多く診察しています。また、周術期の口腔ケアも行いま
れず、受診している患者様のほとんどが他科の患者様でし
す。周術期とは入院、麻酔、手術、回復といった患者様
た。現在は知名度が上がり、御紹介患者様、近隣地域
の術中だけでなく、前後の期間を含めた一連の期間をいい
の患者様も多く受診され、チェアユニット、スタッフも増え診
ます。周術期の口腔ケアを行うことにより、手術後の感染
療しております。
を減らすことができ、結果的に患者様の早期退院につなが
歯科口腔外科とは、歯科治療と顎口腔領域の外科処置
ります。
を中心として、その疾病全般を扱う診療科です。とくに口
歯科口腔外科は、これからも患者様のお口と身体の健
腔外科領域は口腔、顎、顔面ならびにその隣接組織と歯
康づくりのお手伝いができるよう頑張っていきたいです。
が原因となるものから癌まで、また、交通事故、スポーツ、
けんかなどによる外傷など、さまざまな治療を受け持ってい
ます。
当科は虫歯、歯周病、義歯、インプラントなど歯科診療
92
医療技術部
栄養科
現在
病状や年齢にあわせた
おいしい病院食と
栄養食事指導
主任
稲葉 理恵
博愛会創立50周年おめでとうございます。この50周年の
員と共に日々努力しております。
節目の年に栄養科の責任者であったことを誇りに思います。
菅間記念病院の管理栄養士は現在3名で、栄養食事
栄養科は私が入職した頃は、給食の管理、栄養の管理を
指導、 入院患者様の栄養の管理、病棟からの食事に関
実施する約20名の部署でしたが、平成14年からは献立を
する連絡の対応を主な仕事としております。栄養食事指導
作成し食事を作るなどの給食の業務は委託業者が担うこと
は患者様の気持ちに寄り添いながら現実に即した指導を心
となりました。病院食は1回に約200食前後の食事を提供し、
がけております。また入院の患者様は高齢者で低栄養の
一般食として常食、全粥食、分粥食に、治療食として塩
患者様が多く、栄養の管理が重要視されています。そこ
分制限食、糖尿病食、潰瘍食、肝臓病食、膵臓病食、
で栄養科が中心となり、多職種で栄養サポートチームを作
透析食などに対応しております。また高齢化に伴って、刻
り活動しております。
み食、ミキサー食、一口大、とろみ食、ソフト食などにも対
今後も
「地域とともに」歩む菅間記念病院の一員として栄
応しております。病院で唯一の楽しみと言っても過言でない
養士会や地域の活動にも参加し、地域に貢献できる栄養
「食事」をおいしく召し上がっていただこうと委託業者の職
士目指して頑張りたいと思っています。
93
医療技術部
臨床工学科
病院の
﹁高度な医療﹂を支える
生命維持装置などの動作点検と保守
主任
黒田 正人
臨床工学科は「病院機能評価V5及びV6」の認定、平
成19年の医療法改正により
「医療機器の保守点検・安全
使用」の法律が制定されたことから本格的な業務を開始し
ました。現在総勢6名で、透析室業務、心臓カテーテル治療・
検査、ペースメーカ治療、高気圧酸素療法、医療ガスの
94
管理、医療機器管理室(ME室)
などの業務をこなしており
通りに組立・接続してから規定に沿った動作点検を行いま
ます。
す。
臨床工学科が取り扱う医療機器は、人工呼吸器、補助
こうしたことを理解し動かせるのは、毎日触っている自分
循環装置、心臓ペースメーカなど「命」に直結する生命維
達だからこそ安全・安心な人工呼吸器を患者様に提供でき
持管理装置から、除細動器、 輸液・シリンジポンプや家庭
るのだと自負しております。また、専門知識を活かした技術
で使用しているような血圧計まで幅広く、保守点検や管理、
の提供ばかりでなく、壊れた機器を丁寧に直し、機械の修
ドクター指示による操作を行っております。したがって幅広
理やメンテナンス費用におけるコストの削減でも貢献しており
い知識が必要で、毎日機材を自分らの手で動かし鋭意研
ます。
究をしております。例えば、人工呼吸器は作った国やメー
今日の医療の発展を支えてきたのは、医療機器デバイス
カーが違うと細かい設定が達います、また同じ機種でもマイ
の進化でもあります。今後も我々は、菅間記念病院の中で
ナーチェンジを行います。呼吸器本体だけでは動作しない
高度な医療を提供していけるよう精進していきたいと思って
ため、呼吸回路を患者様毎に交換するため各部品を手順
おります。
課長
白石 英子
情報蓄積と情報提供
﹁病院の脳﹂と自負しています
事務部
医事課・病歴管理室
現在
1. 部署理念
○情報収集・分析・整理し伝達できる課となること
○患者様と接する職員の仕事が円滑にいくよう配慮でき
私がこの病院へ就任して間もなく十年となります。病院
る課となること
の歴史から比較しますと僅か五分の一ですが、就任当初
○財務の視点から病院に貢献できるよう、日々勤めること
から比べ、医事課・病歴管理室の業務範囲はかなり拡大
2. 総人数 28名
しました。
3. 特殊性
私たちの課を体で例えれば「病院の脳」
と自負していま
○若いスタッフが多いので柔軟性があります。
す。様々な情報を蓄積しており、時と場合に応じてその情
○男女ともに独身が多いです。
報を提供しています。時には病院の指令塔となり、また時
○勉強意欲・学習意欲のあるスタッフが多いです。
には問題解決策を考え、次々と変わる医療法や福祉法の
○常に院外の皆様より他部署や病院全体への「厳しいご
情報を吸収し伝達・活用しています。
意見」
を受けているのでたくましいです。
私たちはこれからも、病院の事務部門としての業務を通
4. 習得できる主な技術
じ、地域のため、そして患者様のために貢献していきます。
○コスト意識が高まります。
来院してすぐ誰もが通る一階の事務所に居ります私たちを
○数字に強くなり、統計学が身に付きます。
どうぞこれからもご指導下さい。
○体の構造、薬や注射の効能効果・投与法や投与量、
検査で何が解るかや検査の平常値、医療材料などに
ついて詳しくなります。
○診断名に対する知識が付きます。
○医師法や医療法・療養担当規則などに強くなります。
○病気に対する理解が深まり、優しい心が育ちます。
5. 取得支援している資格
○医師事務作業補助者(日本病院会)
○DPCコース認定(日本病院会)
○がん登録実務認定(国立がん研究センター)
○診療情報管理士(日本病院会)
95
事務部
総務課
医療の第一線で頑張る
職員のよきサポーターでありたい
課長代理
薄井 智子
総務課は、医師の手配や人事・労務管理、官公庁等
声に耳を傾けています。この「声」が私たちの職務に対す
への申請、法務関係、広報活動等をはじめ、総てを務め
る意識付けになるのはもちろんですが、病院全体が地域の
る課として「そんなことまで?」
と思うような細かい地味な業務
皆様に支えられて成り立っていることを強く実感する時でも
を担当し、医療の第一線で頑張っている職員のサポーター
あります。
として、そしてチーム医療の一員として病院運営に携わっ
今後も、総務課として、職員そして地域の皆様とのより
ています。
良い関係を築き、病院全体と地域の活性化に貢献していき
増床や関連施設の開設など、法人の規模拡大とともに
たいと考えております。
職員数も増え、この10数年で倍近くの400名超の職員を抱
える大所帯となりました。そのため、職員一人ひとりの顔と
名前、所属部署を把握するのが少々大変になってきました
が、人事・労務を担当する部署として職員との関係が希薄
にならないよう
「何かあったら総務課に○○さんがいるから
大丈夫!」
と安心して勤務してもらえるような関係作りと職場
環境作りに日々努力しています。
また、普段患者さんに直接接する機会が少ない私たち
ですが、恒例の「健康増進公開講座」の開催や「ふれあ
い広場」の参加などにより地域の皆様との関わりも大切にし、
ここぞとばかりに積極的にお声かけし、地域の皆様の生の
96
事務部
経理課・健診部
現在
経理部—病院の金庫番です
課長 橋戸 貞雄
②病院等すべての部署の売上と、医療材料等の支払の
集計をして支払いをしています。
③決算書、月次報告書、資金繰り等を作成し、みなさ
んに正確な病院運営状況をお知らせするよう努めてい
50周年記念、おめでとうございます。
ます。
経理課は現在4名で担当し、病院のお金、契約書等の
経理課は、病院玄関からは見えないところに位置し、目
管理等を行っています。業務の内容は、おおまかに3つに
立たない仕事でありますが、病院経営の大事な部分を担当
分かれており、以下のようになっています。
しており、間違いない経理を目指し、日々頑張っております。
①タイムカードの作成から始まり、給与支払いまで、職員全
これからも他部署との連携を図り、業務運営を行ってまいり
員の給与計算をして支払いをしています。
ます。
健診部—人間ドックや健康診断を担当
係長 大櫃 貴之
健康管理健診部センターは、人間ドックをはじめ、生活
習慣病健診、特定健診、企業・個人健診等、地域住
民対象の健康診断から職員の健康管理まで幅広く業務を
行っております。 また、通常の健康診断のほかに、乳がん検診、有機溶
剤健診、塵肺・石綿、電離放射線健康診断等特殊健診
も実施しております。企業における産業医活動も実施して
おり、企業巡視や健康講話などに赴くこともしております。
近年は、予防医学の重要性から
健診受診者数も増加傾向にあり、ま
た企業の健康管理に対する重要性
も認識されるようになり、当センター
に対する要望も増えております。
今後は、さらに多くの方々に利用
いただけるよう充実を図っていきたい
と考えております。
97
事務部
施設課・用度課・情報管理室
課長
施設課 突
—発的故障の撲滅を目指して
用度課 コ
—スト管理を大切にして
情報管理室 最
—新・安全の
情報管理を目指して
伊藤 孝夫
施設課
施設課は、病院の建物本体と電気・空調・給排水等各
ます。また、業務の省力化、院内在庫の適正化等を目的
設備の維持管理・院内環境管理・エネルギー管理を主業
にSPD(院内物流管理システム)
を導入しています。病院
務とし、設備機器の日常保守・予防点検・計画修繕により
の購入全般の窓口として、患者様の診療や職員の業務に
突発的な故障の撲滅を目指し、院内の日常に発生する依
支障がないように、必要物品の供給・管理に努めています。
頼事項・小修繕へも迅速に対応しております。
情報管理室
その他、省エネやエコ活動・医療安全や感染対策にも
積極的に取組み、患者さんと職員が満足する環境を追求
しています。
しています。病院で取り扱われる情報も紙で管理する時代
から、データで管理することが求められてきています。その
用度課
ような背景から、医療情報の電子化を推進していくための
病院の物流業務、購入業務を担う部署が用度課です。
部署として設置されました。医療情報システムの維持管理
業務内容は、価格交渉・物品供給・物流管理、コスト管
を行うとともに診療の現場と、電子カルテのベンダーの間に
理等病院の費用に直接関わる重要な役割を担っています。
橋渡しを行い、問題が生じた場合の、対処、改善等行っ
今後は医療情勢、経済情勢を見据えた購入計画・コスト
ています。また、
IT化が進み、システムが高度になってゆく
管理が一層重要視される業務です。
中、医療情報システムが、うまく維持稼動できること、次世
用度課は、5名の体制(正職員4名、嘱託職員1名)
で、
代のシステムを構築してゆくことも管理室の仕事です。さら
病院内で使用される物品、医療機器、診療材料、備品、
に、医療情報のセキュリティーを確保することも大切な役割
消耗品、日用品、印刷物等の全体的な管理を行い、コス
です。
ト管理等病院の費用に直接関わる重要な役割を担ってい
98
平成16年4月より電子カルテ・オーダリングを導入して運用
事務部
保育所
現在
生後 か月から小学校 年生まで
病院関係者の子女を預かっています
2
3
主任
相馬 明美
博愛会創立50周年、 おめでとうございます。
時計」の歌詞のように、 この冷蔵庫こそが何でも知っている
当院の保育所は、 生後2か月から小学校3年生までの、
のかもしれません。 今まで、どれ位の人数が旅立っていっ
病院関係者のお子さんをお預かりしております。 毎日利用
たのでしょうか? 50年の歴史を感じています。
する常時保育のほか、 月ごとの希望により利用できる臨時
子どもの成長、 保育士の成長は、皆様のご支援、 ご指
保育、 夜勤務する職員のお子さんをお預かりする夜間保育
導があってこそだと心より感謝しております。 現在保育所で
も行っております。 利用状況は、例年ですと、 常時保育児
は、お子さんが安全で安心して遊べるように、 そして登所
は1日平均15名位ですが、 今年は11名で、
0歳児・1歳児が
した時から帰宅するまで
多く利用しております。 臨時保育・夜間保育は、 登録して
笑顔で過ごせるように心
ある方が、 前もって連絡を受けてからお預かりしております。
掛け、 お子さんをお預か
保育士は、6名~7名位が勤務しており、昨年4月より3名の
りしております。 これから
保育士が入職し、 活気ある職場になっております。
も、 より良い保育所にな
保育所の歴史は、 以前は、 一戸建ての2階のワンフロア
れるよう、 保育士一同、
で保育していたと聞いております。 その時に使用されてい
一丸となって頑張ってい
た竹色の冷蔵庫が、 今でも活躍しています。 この冷蔵庫
きたいと思います。そし
はS看護師さんのお子さんをお預かりしていた時にいただい
て、 博愛会の今後のま
たもので、現在このお子さんは立派な親となりました。 保育
すますの発展をお祈りい
所は、一戸建てから南1階へと移動しましたが、 「大きな古
たします。
99
施設概要
開 設 年月日 : 平成18年4月1日
名 称 : 在宅総合ケアセンター
センター長 : 金谷 さとみ
在宅総合
ケアセンター
概 要
所 在 地 : 〒325-0046 栃木県那須塩原市大黒町2-5 TEL: 0287-62-3311 FAX: 0287-62-3441
敷 地 面 積 : 2,509.84m2 延 床 面 積 : 2,306.7m2
建
物 : 鉄骨構造
事業名
1階 菅間記念病院通所リハビリテーション事業所(定員60名)
2階 菅間記念病院地域医療連携部
菅間記念病院居宅介護支援事業所
ほほえみ訪問看護ステーション
3階 ユニット型短期入所生活介護事業所「セレビィー」
(定員20名)
在宅総合ケアセンターは博愛会の理念である「地域と共に」を具現化するひとつの仕組みとして開設しました。
地域住民の介護、医療、健康増進に貢献するため、予防から介護までを総合的に支援する地域ネットワークの
核となることが本センターの目的です。具体的には、要介護高齢者ならびに長期療養者が、その人らしい在宅生
活を送ることができるよう、地域の諸機関と
連携して、本人ならびに家族を継続的に終
末期まで支援するシステムを確立することを
目的としております。このシステムの実現の
ためには、本施設が良質かつ適切なサー
ビスを提供すると共に、菅間記念病院本体
との連携のみならず、地域の介護・医療
関連施設と連携し、さらに地域住民の参画
を得て、地域に密着した活動を展開するこ
とが必要です。その柔軟な活動を推進す
るための役割を果たします。
在宅総合ケアセンター 基本方針
─ 個別性・自立支援を重視した良質かつ適切なケアサービスの提供 ─
1. 居宅介護支援、通所、訪問、短期入所などの豊富な介護サービスの提供により、要支援者・
要介護者の在宅生活を支援します。
2. 地域のリハビリテーションの中核となる体制を整備します。病院退院後の訪問及び通所でのリハ
ビリテーション、さらには介護予防も積極的に実施します。
3. 地域連携の拠点となれるよう、大会議室を完備し、地域関連機関との連携をスムーズにします。
100
ほほえみ訪問看護ステーション
看護師と療法士 名で
地域の利用者様の訪問看護と
リハビリにあたっています
9
所長
山下 寿美子
ほほえみ訪問看護ステーションは博愛会の理念「博愛と
の機能の維持回復を図る。
信頼」、
「地域と共に」、
「高度な医療」のもとに在宅医療の
事業の実施にあたっては関係市町村、地域の保険、医
一環として平成9年
(1997年)8月1日に開設しました。しかし、
療、福祉サービスとの綿密な連携を図り、統合的なサービ
実はその4年前から在宅看護部門の保健師と看護師2名で
スの提供に努める。
40名程の患者宅を週1回~月1回訪問し、現会長の菅間恒
先生が主治医として定期、緊急の往診に尽力され、開設
準備をした経緯があります。対象患者は菅間記念病院だ
訪問看護サービスの内容
●病状、障害の観察・食事、排泄等生活面の相談指導・
けでなく、地域の診療所、病院から指示書をいただき訪問
在宅酸素、人工呼吸器の管理等自宅での療養生活のサ
しています。「地域と共に」
を実現するため、現在看護師4
ポート・床ずれや人工肛門等による皮膚トラブルの予防と
名、理学療法士3名、作業療法士1名、言語聴覚士1名
処置・高齢者の終末期やがん末期の方には様々の症状
が責任とやりがいを持ち、ニーズに応じたサービスの提供を
のコントロールを図り、本人、家族の不安の相談に応じ
行っています。
訪問看護の事業目的と運営方針について
ステーションの看護師等(理学療法士、作業療法士、言
語聴覚士含む)
は要支援者や要介護者等の心身の特性を
踏まえ、居宅においてその有する能力に応じて自立した日
常生活を営むことが出来るように療養生活を支援し、心身
102
て支援
●自宅でのリハビリテーションが必要な方には心身の機能を
維持又は回復するため、基本動作練習、日常生活動作
練習、嚥下やコミュニケーションの練習
●療養生活や介護方法の指導・福祉器具、福祉サービス
の情報提供
居宅介護支援事業所
現在
利用者様にもご家族にも満足いただける
質の高いケアマネージメントを実施
所長
奥田 麻季代
当居宅介護支援事業所は平成12年(2000年)4月1日に開
設され、現在3名の介護支援専門員
(内2名が主任介護支
援専門員)が勤務しています。全員が看護師の資格を持
ち、介護支援専門員としての経験も長く、平成25年度より
特定事業所(専門性が高い人材を確保し、事業所全体と
して質の高いケアマネージメントを実施)
として活動していま
す。
現在日本は高齢化率25.2%(4人に1人が高齢者)
の超高
齢社会となっています。そのため、介護保険の需要は大き
現在利用者様の数も増え、信頼も得られています。しか
くなってきています。その中で病院併設の事業所としては、
しその一方で、介護保険について全く知らない方が多いの
医療依存度が高い方やターミナルの方を積極的に受け入
も、地域の特徴として挙げられます。住み慣れた場所で、
れています。看護師・介護支援専門員として培った知識
御本人はもとより御家族全員が安心して生活できるよう、菅
や経験により、御利用者御家族が満足していただけるサー
間記念病院の理念の「博愛と信頼」
「地域と共に」
「高度な
ビスを提供させていただいています。
医療」
を忘れず、
職員一同増々努力していきたいと思います。
103
通所リハビリテーション事業所
師長
地域医療・福祉の中核として
高松 富士子
花や野菜を育てながら
利用者様もスタッフも笑顔がいっぱいです
菅間記念病院創立50周年おめでとうございます。まずは
そこで一所懸命に働く職員、その双方に感心し、職業人と
会長、理事長、その他大勢の諸先輩方に敬意を表します。
してただただ頭が下がる思いです。
私は菅間記念病院に二度の勤務経験があります。一度
通所リハビリテーション事業所では、利用者様とともに花
目は、諸々考えることがあり、わずか4年の勤務で早々逃げ
や野菜を育てています。病院新築に伴い、一時的に今ま
出し、他院に3年間勤務しました。そこでは契約社員制度
での花壇、畑が取り壊され、今は桜井様の庭の一部をお
を設け、世間一般の契約社員制度と同様に、正職員・契
借りし細々ではありますが花、野菜を育てています。病院
約職員間で処遇に大きな格差がありました。そんな状態で
が完成した際は花壇・畑もできるとのこと、利用者様や多く
は、いい医療・福祉が提供できるはずがありません。その点、
の人の心を潤おすだろうと本格的な再開を楽しみにしてい
菅間記念病院は、常勤・パートを問わず分け隔てなく同等
ます。
に対応していただき、人を大事にしているということを戻っ
在宅総合ケアセンターも今年で8年目を迎え、地域医療・
てから痛感しました。他院ではあまり見ることがない20、
30、
福祉の中核として、存在感を増していることを実感していま
40年と永く勤務する女性職員が多いのは、開業当時から
す。その期待にこたえながら、利用される患者様・スタッフ
託児所があり、子供を預けて安心して働くことができるのが
が一緒に笑顔で過ごせるよう、病院と連携し、利用者様、
大きな要因だと思います。職員・家族を大切にする病院と、
患者様を支えていきたいと思います。
104
年目を迎えた
ショートステイ・セレビィー
﹁ありがとう﹂
の言葉を励みに
たくさんの行事を
計画・実施しています
鈴木 進
短期入所生活介護事業所 セレビィー
現在
8
管理者
ショートステイ・セレビィーは平成18年4月にオープンし、
と思います。日々の利用者様からの「ありがとう」の言葉は
今年8年目を迎えます。その間、多くの皆様にご利用いた
私達スタッフの支えであり、関わらせていただける私達も感
だき、沢山のご縁をいただけたこと、スタッフ一同大変感謝
謝の気持ちでいっぱいになります。
しております。お陰様で地域の高齢者や病院の患者様を
日々の生活では、日常的なこと以外のお楽しみも重要と
中心に、介護の必要な皆様に知っていただける施設となり、
考えており、毎日のレクリエーションや毎月1回の季節行事、
博愛会の一員として、地域の皆様のお役に立つことができ
不定期に実施している蕎麦やうどん、ラーメンの日など、た
つつあると感じております。
くさんの行事を計画し充実させており、楽しみにしていただ
ショートステイ
「セレビィー」の名前の由来は、
アニメ
「ポケッ
いているようで、利用者様の生活の張りや元気に繋がって
トモンスター」の中の癒しのポケモンから取った名前です。
おります。
名前の由来通りご利用の高齢者が癒され、思い思いの時
50周年を迎えます博愛会菅間記念病院が地域の中核病
間を自分らしく過ごしていただきたいとの強い思いがありま
院としてこれからも地域に貢献して行くことができるよう、
ショー
す。この思いがあるからこそ十分な人員を配置し、優しい
トステイ・セレビィーも病院併設の介護施設として、今後更
声掛けや落ち着いた雰囲気作りを行うことができ、実際に
に頼りにしていただける施設となるよう心がけてまいります。
利用者様にもそのように感じていただくことが出来ているもの
105
地域医療連携部
在宅復帰や施設入所など
患者様の諸問題を
継続的に支援します
主任
大場 裕子
創立50周年を迎え、病院の礎を築いてきた会長、理事
長はじめ、すべての諸先輩方に心から感謝申し上げます。
当院の地域医療連携部は平成18年に在宅総合ケアセン
ターに移りました。通常の病院の連携部は、前方連携と後
方連携の役割が分かれていることが多く、当院のように両
方を同じ部署で扱うのは少ないようです。そのために一職
員の掌握する範囲は大きくなりますが、入院から退院まで
一貫して患者様に関わることができ、抱える諸問題に継続
的に支援する体制になっています。
業務内容は、他機関からの紹介患者様の受診調整や
所と目に見える後方連携が可能で、在宅復帰支援は非常
転院調整、紹介状の管理や入院報告・退院報告の発送、
にスムーズです。
近隣医療機関への広報、退院支援、施設入所の調整、
また、地域医療連携部では最新の医療情報を提供す
経済的な相談、がん相談支援など多岐にわたります。最も
る目的で【地域医療連携連絡会】
と名付けた講演会を年
重要な退院支援については、当院には回復期リハビリテー
に4回開催し、著名な講師の先生をお招きして、黒磯・
ション病棟と療養病棟があり、生活に支障のある患者様の
那須地域を中心とした医療機関や介護事業所に案内して
退院が難しい場合はそれらの病棟に転棟し、在宅復帰や
います。
施設入所まで時間をかけて支援することができます。
さらに、
地域医療連携部は様々な問題も集中する部署で、苦労
地域医療連携部は在宅総合ケアセンター内に配置されて
もありますが、病院と外部機関をつなぐ重要な役割と認識
いるため、居宅介護支援事業所や各種介護サービス事業
し、これからも一層努力を重ねる所存です。
106
コラム 健康増進公開講座
博愛会では、平成15年より毎年健康増進公開講座を開催し、昨年で12回目となりました。地域の皆様に自
由にご参加いただき、身近な健康の話題を、専門の講師がわかりやすく解説します。近年では、開演前の時
間に職員による健康相談や健康チェックコーナーなども設けており、おかげさまで多くの来場者があり、ご好評
をいただいています。
継続は力なり、健康も日々の積み重ねで達成するものです。今後も地道に継続する所存です。
健康増進公開講座一覧 (肩書きは当時)
日時
第1回
場所
肝臓と生活習慣病の話
菅間記念病院院長 鈴木正徳
胆石症のおはなし
~胆石と胆のう・胆管癌について~
菅間記念病院院長 鈴木正徳
胃と大腸 ガンの話
菅間記念病院副院長 西岡修
心臓の話
東京都老人総合研究所副所長 鈴木隆雄氏
介護予防を考えよう
菅間記念病院内科部長 藤原隆一
糖尿病について
中井生活経済研究所所長 中井惠美子氏
地域に支えられる病院とは
東北大学大学院医学系研究科
腫瘍外科学分野教授 大内憲明氏
乳がん,正しく知って賢く予防
菅間記念病院外科部長・透析科長 竹内丙午
乳がんの局所治療と全身治療
東北大学大学院医学系研究科教授
東北大学病院循環器科科長 下川宏明氏
役に立つ心臓病の話
菅間記念病院副院長 西岡修
救急蘇生とAED
東北大学保健管理センター病態生理情報学分野
准教授 大原秀一氏
胸やけの原因
“ 胃食道逆流性”とは?
H16. 4. 4
那須塩原市
黒磯文化会館
第3回
H17. 2.12
那須塩原市
黒磯文化会館
第4回
H17.11.27
那須塩原市
黒磯文化会館
第6回
第7回
第8回
第9回
第10回
第11回
第12回
演題
菅間記念病院院長 鈴木正徳
第2回
第5回
講師名
那須塩原市
H15. 1. 26
黒磯文化会館
H18.10. 1
H19. 9.15
H20.10.11
那須塩原市
黒磯文化会館
那須塩原市
黒磯文化会館
那須塩原市
黒磯文化会館
菅間記念病院消化器内科科長 佐藤和生
「ここまで楽になった内視鏡」
~経鼻内視鏡・カプセル内視鏡~
那須塩原市
黒磯文化会館
獨協医科大学病院院長 北島敏光氏
「肩こりと腰痛」
について
菅間記念病院麻酔科部長 山﨑肇
「帯状疱疹」
「三叉神経痛」
について
H22.1016
那須塩原市
黒磯文化会館
獨協医科大学泌尿器科教授 山西友典氏
「夜間頻尿とメタボリックシンドローム」
について
菅間記念病院院長 鈴木正徳
「栄養面からみた生活習慣病と肝臓病」
について
H23.10. 8
那須塩原市
黒磯文化会館
H21.1010
H24.10.20
H25.10. 5
那須塩原市
黒磯文化会館
那須塩原市
黒磯文化会館
独立行政法人放射線医学総合研究所 緊急被ばく医療研究センター被ばく医療部 障害診断室室長 立崎英夫氏
放射線を理解し正しく怖がる
那須塩原クリニック・健康増進センター院長 河合寛
老化は脚から
獨協医科大学副学長呼吸器・アレルギー内科主任教授
栃木県医師会副会長 福田健氏
健康に役立てよう 免疫・アレルギーの知識
菅間記念病院 呼吸器内科科長・臨床検査科科長 美濃口健治
生活習慣病としての呼吸器・アレルギー疾患
獨協医科大学医学部 口腔外科学講座主任教授 今井裕氏
口は災いのもと
菅間記念病院歯科口腔外科医長 越路千佳子
歯周病って痛い?
~むし歯と歯周病はどうしてできるの? ~
107
社会医療法人博愛会 那須塩原クリニック・健康増進センターは
平成20年4月に有床診療所(19床)
で開院いたしました。外来、入院、
健康診断の他、在宅療養診療所として訪問診療も実施しております。
また、医療法42条施設として、フィットネスクラブ「ウェルネスNASPA」
を併設しております。身体的な不安があり運動が積極的にできない方
那須塩原
クリニック・
健康増進センター
ウェルネス NASPA
概要
にも、医師が身近にいることで安心して利用いただける施設です。
施設概要
開 設 年月日 : 平成20年4月4日
名 称 : 那須塩原クリニック・健康増進センター ウェルネスNASPA
院 長 代 行 : 岩附 昭広
所 在 地 : 〒329-3135 栃木県那須塩原市前弥六51-1 TEL : 0287-67-1570 FAX : 0287-67-1572
敷 地 面 積 : 2,836.51m2 延 床 面 積 : 2,312.98m2
建
物 : 鉄骨構造 地上3階・塔屋1階
認可病床数
19床
診療科目
・内科 ・呼吸器科 ・消化器科 ・循環器科 ・外科 ・リハビリテーション科 ・放射線科
※救急診療所
指定・施設基準
・有床診療所入院基本料 ・夜間 ・早朝等加算 ・時間外対応加算
・診療録管理体制加算 ・総合評価加算 ・退院調整加算
・有床診療所緩和ケア加算 ・がん性疼痛緩和指導管理料
・ニコチン依存症管理料
・在宅療養支援診療所
・在宅時医学総合管理料
・在宅がん医療総合診療料
・糖尿病透析予防指導管理料
医療設備
・エックス線撮影装置 ・腹部超音波診断装置 ・胃カメラ
108
ウェルネスNASPA 設備
トレーニングジム(73坪)
・ストレッチスペース
・トレッドミル・エアロバイク
・クロストレーナーなど有酸素系マシーン13台
・筋力トレーニングマシーン14台
・ライトダンベル&ベンチ
・BOCA(高精度体組成計)
・フリーウェイトトレーニングエリア
(ヘビーウエイト、ケーブルマシーン、
スクワット、ベンチプレス)
スタジオ(23坪)
温浴ゾーン(44坪)
・男女 各22坪
(大浴場、シャワーブース、ジェットバス、サウナ)
その他(15坪)
・ショップ
・リラクゼーションルーム&ラウンジ
・ボディケアルーム
109
那須塩原クリニック・健康増進センター
現在
菅間記念病院の
サテライトクリニック
病棟は完全個室で
訪問診療を実施しています
係長
大櫃 貴之
クリニックは、
医師をはじめ看護職員、
医療技術スタッ
フ、事務職員、
NASPAスタッフで構成されています。
那須塩原クリニック看護部は、病棟、外来、在宅、
健診を幅広く担当しております。病棟(19床)
は、完
全個室制で冷暖房完備、一部の部屋には小型なが
訪問診療について
総合診療科医長
黒埼 史果
ら冷蔵庫も完備されています。廊下は広く快適な空
通院困難な方を対象に、自
間が広がっていますので療養の環境としては抜群で
宅への訪問診療と24時間365日
す。勤務は二交代制で、スタッフが一丸となって日夜
の緊急対応を行っています。平
業務を遂行しております。
均年齢は83歳、常時約60名の
事務部は、事務スタッフ4名とシャトルバス運転手1
患者さんを受け持ち、疾患別では約4割が脳卒中後遺症、
名で保険請求から施設の維持管理、運営等を行って
1割が癌、
1割が神経難病、
2割が整形外科関係、
2割が認知
おります。患者様に親切に対応することを目標に患者
症です。平成24年は18名を自宅で看取りました(うち13名が
様と良好な関係が作れるよう努力しております。また、
癌)。地域の訪問看護ステーション、居宅支援事業所と連
他の医療機関等からの入院患者様の受け入れの窓
携をはかり在宅療養のお手伝いをしています。また、介護
口として、病棟スタッフと協力しながら連携に力を入れ
施設の配置医として日常の健康管理も行っています。
ております。
111
ウェルネス NASPA
トレーニングとリラックス
土屋 隆之
予防医学に基づいた
医療法第 条施設のスポーツクラブです
42
チーフマネージャー
ウェルネスNASPAは平成20年(2008年)4月、生活習慣
ウェルネスNASPAでは、明るく元気なスタッフ6名(うちア
病予防を目的としてオープンした那須塩原クリニック内にあ
ルバイト2名)
と非常勤8名が優しく丁寧にサポートいたしま
る、医療法第42条施設のスポーツクラブです。健康づくり
す。トレーニングが初めての方でも、初回時にはスタッフの
のための運動を安全かつ実施できる施設として、厚生労働
1対1の指導(無料)
を受けることができるので、無理なく楽
大臣より
「健康増進施設」の認定を受けています。また、
「指
しく運動を始めて、習慣づけることができます。また、体の
定運動療法施設」の認定も受け、那須塩原クリニック医師
健康だけでなく心の健康のために、
リゾートクラブ並みのゆっ
の運動療法処方せんのもと、健康運動指導士が効果的か
たり大浴場やサウナ、ジェットバス、打たせ湯式水風呂な
つ安心した運動指導を行える施設となっていますから、生
ども完備していますので、運動の後はリラックスした時間が
活習慣病や慢性疾患を患っている方でも安全にトレーニン
待っています。
グが始められます。また、この運動療法処方箋をもとにウェ
地域の方々が1人でも多く、
病気を
「治す」
ことから
「予防」
ルネスNASPAを利用すれば、所得税の医療費控除の対
する活動的な生活、健康寿命を延ばす健康生活づくりが
象となります。つまり、
NASPAの月会費が医療費として認め
できるように、スタッフ一同、努力してまいりますのでよろしく
られるのです。現在、会員の約1割の方がその運動療法
お願いいたします。
を受けていらっしゃいます。
112
施設概要
開 設 年 月 日 : 平成24年2月11日
名 称 : 那須看護専門学校
那須看護
専門学校
概 要
学 校 長 : 上川 雄一郎
所
在
地 : 〒329-3135 栃木県那須塩原市前弥六54-1
TEL:0287-67-1188 FAX:0287-67-2280
敷 地 面 積 : 1,220.83m2
延 床 面 積 : 1,887.58m2
建 物 : 鉄骨構造 6階建
学校概要
修 業 年 限: 3年(全日制・男女共学)
一 学 年 定 員: 40名(全120名)
取得可能資格
看護師国家試験受験資格
保健師・助産師学校受験資格
看護大学編入学受験資格
専門士
(医療専門課程)
の称号授与
113
那須看護専門学校
現在
希望に燃えた学生たちを
小規模・少人数制で
地域に根差す
真のプロフェッショナルに
副校長
齋藤 惠子
生支援体制の整備に日々努力しております。また、実習先
の施設と互恵関係を発展的に共有し、協働し仲間チーム
の一員として地域貢献に取り組み、これからの新たな100
那須看護専門学校は母体施設である菅間記念病院の
年に向かって将来を見つめた地域社会との関わりを大切に
理念・基本方針をもとに、県北地域の熱い願望を受けて、
し、社会のニーズに応えられる心ある看護実践者の育成を
平成24年
(2012年)4月に開校しました。
目標とします。現段階は本校の歴史を創りだし、看護の文
設立の趣旨は「県北の深刻な慢性的看護師不足と後期
化・学校の文化を築き上げる大切な時期でもあるため、立
高齢人口の増加に貢献できる看護師養成」が急務だったこ
派な校舎に魂を入れ、よりよい学習環境創りに努力していき
と、併せて「県北の地域医療・福祉体制は宇都宮や東京
ます。
などの都市圈に人材が流出する」
という苦しい状況もありま
学校の評価には入口評価と出口評価が伴います。入口
した。本校の設立目的は「広く地域社会に貢献しうる看護
評価では、地域から希望に燃えた第1回生・2回生を迎え、
実践者養成の教育機関」であります。上川学校長の教育
定員40名を充足することができましたが、出口評価は看護
ビジョンはプロフェッショナルナースへの道として、
「三つの推
師国家試験の合格率と県北地域への就職者数であり、ま
進力」即ち①好奇心、②行動力、③忍耐力を発揮して、
「三
だ未知数であります。そこで、教育活動の中に国試対策
つの能力」即ち①使える知織と技能、②博愛の心、③正
を組み入れ、教職員や実習指導者等から暖かい支援を受
しい情報交換力の花を咲かせることにあり、これらを支える
けながら取り組んでおります。第1回生が巣立つ平成27年4
「規矩準縄」
を人間教育の軸に位置付け、プロとして地域
月には新病棟も完成し、学生の就職が現実化されます。
に定着できることを目指します。
本校の開設・教育にご協力・ご支援を頂いた多くの皆
わが校の特徴は小規模・少人数制であり、ひとり一人
様方の期待に応えられるよう
「21世紀の看護師育成」
を目指
の関わりの中で浸透できる教育体制の充実ときめ細かな学
し努力してまいります。
115
平成23年2月12日
下野新聞
那須野が原の光
校歌
作詞 上川雄一郎
作曲 FoU
︵黒崎史果︶
那須野が原の光
一 那須野が原に朝日射し
希望に輝く我が学び舎
援けを求める人たちに
わが身を捧げる覚悟して
わ*たしたちは、わたしたちは
看護の道を拓きます
二 那須野が原に光満ち
医療の裾をあまねく照らす
病に打ち勝つ社会を目指し
わが身の努力を惜しまずに
わ*たしたちは、わたしたちは
看護の技を磨きます
三 那須野が原の夕日受け
真理・博愛の灯がともる
保健福祉の手助けに
わが身に知識と技術をまとい
わ*たしたちは、わたしたちは
看護の心を究めます
116
コラム 医療機関債(SRI 債)
わが国の医療法人数は48,820法人(平成25年3月末)
です。その中で、社会医療法人博愛会が日本一とい
える分野があります。それは「医療機関債の発行」で、この分野において博愛会は先駆者であり、発行件数
や実態においてマスコミや学会などで高い評価を受けています。
医療機関債とは、病院の施設拡充等のために医療法人が発行する債券のことです。発行の方法などは厚
生労働省のガイドラインに定められています。博愛会は、
「地域医療振興債」
と名付け、いままで地域のかたや
職員を対象に下表のように5回発行してきました。現在も、第6回債として平成26年3月に病院新棟の建設資金
5億円の発行を予定しています。5億円は新棟の建設費等の総額50億円の1割に相当します。医療機関債に
よって1割の資金調達が予定されているわけです。
博愛会の発行実績
回債
発行年月
期間
発行金額
(万円)
申込単位
(万円)
1
H16年3月
5年
12,000
250
電子カルテおよび病院施設改修
年1.5%
2
H18年3月
5年
21,500
100
在宅総合ケアセンター・エネルギーセンター建設
年1.3%
3
H18年3月
7年
32,000
250
在宅総合ケアセンター・エネルギーセンター建設
年1.5%
4
H20年7月
5年
2,200
25
クリニック・健康増進センター建設
年1.0%
5
H23年3月
5年
23,000
100
看護専門学校建設
年1.5%
資金使途
利率
なぜ、博愛会は、このように施設を拡充するたびに医療機関債を発行しているのでしょうか?こうした資金は
銀行から借りるのが普通なのに、と大半のかたは思われるでしょう。もちろん、博愛会も銀行から借入れていま
すが、それとは別に必ず医療機関債を発行して地域住民の人たちに参加してもらうようにしています。なぜなら、
病院に対して直接、お金を貸す人が地域に存在するということが大切であり、地域の人の浄財によって病院
の建物がたち、地域と病院がお金を介して結びついているという関係が重要であると考えるからです。
理事長は米国にいたことがあり、米国の病院が地域の人たちの浄財によって支えられている様子をみてきま
した。日本の場合、公立病院は国民の税金によって建設されていますが、民間病院の場合は銀行からの借
入で賄うのが一般的で、地域の人が支える構図はできていません。地域の人が自分たちの病院を建設すると
いう意識をもち、社会的責任投資(SRI)
という形で、建設資金を病院に貸し、病院は借りたお金に毎年利息
を支払い、満期になれば、お金を返す……理事長が考えたSRI債は、厚生労働省が示した「医療機関債」
と
いう債券の発行形態で実現できたわけです。
医療機関債を購入してもらうためには、
まず、病院の経営内容をきちんと説明し信頼を得なければなりません。
また購入した地域のかたは病院の債権者となるので、病院の財務状況を知る権利があります。こうして、病
院の経営内容が債権者に開示されることによって、病院経営の透明化が進み、結果としてより良い経営につ
ながります。SRI債=医療機関債の発行は、地域のかたに高利回りの金融商品を提供するだけでなく、その資
金を通じて高度な医療を実現し、地域のかたの信頼を得る病院経営の形成をも期待できるのです。
このように医療機関債の発行も、博愛会の理念「地域とともに」の実践例といえましょう。
118
博愛会の1年の催し
入職式・新入職員歓迎会・新人研修
春・夏
4月には毎年20 ~ 30人の新入職員を迎えて、入職式が行われます。歓迎会
では新入職員も余興を。練習で仲良くなったりします。新人研修では、実践に
必要な基礎的知識・技術を学びます。
部活動
新しい年度が始まり、新入
部員を迎えて部活動も活発になります。左
は野球部、
右は登山部。
保育所 保育所の新生活に慣れた
頃から、子どもたちはイベントを楽しみます。
左は
「子どもの日」、
右は
「七夕」。
119
韓国(H16)
台湾(H17)
香港(H18)
シンガポール(H20)
オーストラリア・ゴールドコースト(H21)
オーストラリア・ケアンズ(H22)
オーストラリア・シドニー(H23)
沖縄(H24)
マレーシア(H25)
海外研修 平成16年から毎年、海外の医療施設を見学に出かけています。勤続5年
秋
親和会旅行
「 親 和 会 」は職
員の家族も参加できる職員主体の互助
会です。東京ディズニーリゾートをはじめ
日帰り旅行や観劇を企画しています。左
上から時計回りに、八景島シーパラダイ
ス、
TDS、TDL、
ミュージカル鑑賞。
120
ごとの職員へのご褒美です。都合で行けなかった職員も那須のホテルの家族宿泊券がもらえ
ます。
なお、
平成24年は海外研修予定先の情勢悪化により、
急きょ、
沖縄研修になりました。
忘年会 1年間お世話になった方々を迎え、参加者400人を超える忘年会です。常連の
爆笑芸や意外な人の特技など、毎年とても盛り上がります。恒例の熱唱は石井Dr。
フラダンス
は看護学校副校長が指導。渡辺喜美衆議院議員をはじめ、毎年、衆参の国会議員、那須塩
原市長、那須町長も参加されます。晩年、那須に拠点をおいていた故坂上二郎さんは、平成
18年の忘年会で漫才を披露してくれました。
冬
餅つき 餅つきは、開院当初からの
年末一大イベント。みんなで作業をした後
の、
つきたてのお餅は最高です。
ボウリング大会
毎年冬に開
催される親和会の催しです。家族ぐるみの
参加も多く、ハンディはないのですが、女性
も多数入賞します。
121
編集委員長
菅間 博
博愛会 理事長
編集委員 (五十音順)
赤石治美
臨床検査科 主任
阿部初江
臨床検査科 技師長
伊藤和美
菅間記念病院 事務長
伊藤孝夫
用度課 課長
薄井智子
総務課 課長代理
梅村尚美
総務課 主任
岡田香織
情報管理室
金谷さとみ
在宅総合ケアセンター長
佐藤知佳
総務課
月井幸子
患者情報サービスセンター
中井惠美子 経営顧問
はくあい50th 地域とともに
発行日 2014年3月19日
発行者 社会医療法人博愛会
〒325-0046 栃木県那須塩原市大黒町2-5
TEL: 0287-62-0733
(代表)
制 作
株式会社めでぃあ森
〒102-0074 東京都千代田区九段南2-1-30
イタリア文化会館4F KSフロア
TEL: 03-6869-3426