論 説 T・S・エリオット『一族再会』と P・G・ウッドハウス(下) T. S. Eliot’s The Family Reunion and P. G. Wodehouse(2) 瀬 古 潤 一 要旨: T・S・エリオット の『一族再会』の初演は 1939 年3月。第二次大戦 前夜である。この時期、英米の大衆小説の分野で絶大なる人気を博して いたのが P・G・ウッドハウスである。 1910 年代から 20 年代には国籍離脱者を中心としたモダニズム文学が 花開く。ウッドハウスは 1910 年代に小説を書き始め、20 年代には超人 気作家の地位を確立していた(バーティ青年の初登場は 1917 年)。演劇 や映画、ミュージカル製作にもたずさわり、まさに破竹の勢いであった。 やがて、英国文学正統のユーモア作家の巨匠とみなされるようになる。 前回本稿(上)で述べたように、ウッドハウスは一般読者のみならず文 学者にも多くの愛読者を獲得した。そして、エリオットもその一人であっ た。 ウッドハウスは主に上流階級の世界をコミカルに描いた。『一族再会』 は貴族青年を主人公に据えているが、カントリーハウスを本拠とする貴 族一族というだけでも、観衆がウッドハウスの世界を連想することは必 然であったと思われる。 本稿(下)では、エリオットとウッドハウスが相互に作品のパロディー 的模倣をしていた事実を紹介する。これまでのエリオット研究で指摘さ れることはなかったが、二人はお互いに意識し合っていた。まず、エリ オットとウッドハウスの相互関係という文脈のなかに『一族再会』を置 く。次に、より具体的に『一族再会』のなかのウッドハウスに特有の道 具立て、ウッドハウス作品へのアリュージョンを指摘し、最後に、エリ オットの意図した戦略と一連の詩劇創作の試みにおける『一族再会』の 方法を論じて結論とする。 ― 41 ― キーワード:T・S・エリオット、 『一族再会』、詩劇、P・G・ウッドハウス、 モダニズム エリオットは深刻一辺倒の生真面目さを嫌った。作品では、哀切と絶望は、 ときに、野卑で下品な陽気さと隣り合っている。エリオットの場合、この上 なく真剣な意図とパロディー的おかしさは併存しうるのであり、それが相互 に効果を高め合う。この対照はエリオットの根本的な手法であったとさえ言 える。人柄についてもそれは言えるのであり、権威的な厳しい表の顔の背後 には、とぼけた悪戯好きのエリオットがいた。エリオットの作品には諷刺的 要素が濃厚だが、ユーモアも併せ持っている。相対感覚に裏打ちされている のである。 エリオットが、イギリス王家の面々に『荒地』を朗読したときには、宮廷 の若い淑女たちのくすくす笑いを引き起こした。1 そして、証言者のエリザ ベス王妃も、ジョージⅥ世もそれに続いた。一面陰鬱な情景が展開する『荒 地』だが、笑いも同居している。エリオットの作品には実は笑いの要素がか なり盛り込まれているのだが、これを指摘する声はこれまでほとんどなかっ た。 悲劇と喜劇は相互浸透しているのが普通である。しかも、エリオットはギ リシャ悲劇と喜劇の根は一つだとする同時代の学問研究を摂取していたので ある。ミハイル・バフチンは一面的な生真面目さの態度を近代の産物である とした。バフチンはこの歴史的推移を遺憾なものと感じていたが、おそらく、 この見解を知ったならば、エリオットも賛成しただろう。 『一族再会』が初演された 1939 年には、文明論『キリスト教社会の理念』 のほか、ナンセンス詩『ポッサムおじさん猫行状記』も刊行されている。第 二次世界大戦の戦端が開かれた年に、傾向を全く異にする作品は同時に世に 出た。『ポッサムおじさん猫行状記』はニコラス・ベントリーの愉快な挿絵 を付されたナンセンス詩集で、エリオットの死後ロングランのミュージカル に仕立てられた作品である。実質的にこの作品は一般に最も親しまれている エリオット作品となっているが、研究はほとんどなされていない。この『ポッ サムおじさん猫行状記』の執筆にあたって、ウッドハウスの作品に触発され たところは大きいと思われる。それだけではなく、エリオットとウッドハウ ― 42 ― T・S・エリオット『一族再会』と P・G・ウッドハウス(下) スの双方向に一種のパロディーがやりとりされた形跡さえ認められるのであ る。 『ポッサムおじさん猫行状記』は 1936 年に「エリオット氏のポリクル犬た ちとジェリクル猫たちの本――白いスパッツをつけた人が氏に暗唱して聞か せた詩」としてフェイバー・アンド・フェイバー社から出版予告されていた。 大体『一族再会』に着手されたと考えられる頃である。エリオットは公私に わたってフェイバー社社主ジェフリー・フェイバーやフランク・モーリーら 勤務していた出版社関係の人たちと親しい交際があったが、 『ポッサムおじ さん猫行状記』は、もともと、フェイバー家やモーリー家の子供たちのため に書かれたものだった。 スパッツとは甲からくるぶしを覆う靴カバーのことである。出版予告の 「白いスパッツをつけた人」“the Man in White Spats” だが、友人のジョン・ ヘイワードのことらしい。ヘイワードは鋭敏な批評家で、編集者としての業 績もあるが、筋ジストロフィーを患い車椅子生活を余儀なくされていた。そ れでも、毒舌をふるい、臆することなく社交の場に積極的に顔を出していた。 二人は後にロンドンのフラットで同居生活をした関係である。エリオットは 障害者のヘイワードに対して友情とともに憐れみの念を抱いていたはずであ る。 『一族再会』や『ポッサムおじさん猫行状記』を書いていたころには、エリ オットを中心とするフェイバー社の関係者や文学仲間からなる内輪の会合は ヘイワードのビナガーデンズにあるフラットで行なわれるようになってい た。3年後に刊行された『ポッサムおじさん猫行状記』の献辞にも、T・E・ フェイバー、アリソン・タンディ嬢、スーザン・ウォルコット嬢、スザンナ・ モーリー嬢に続き、最後に、 「白いスパッツをつけた人」 とある。2「白いス パッツ」は、間違いなくウッドハウスに由来する。 ウッドハウスの看板シリーズ「ジーヴズ&ウースター物」ではスパッツに まつわる印象深いエピソードが語られている。膨大な作品群のなかで、傑作 選にも収録されることの多い代表作のいくつかでは以下のような騒動が展開 する。 愚鈍なバーティ・ウースターは身だしなみに関してこの上なく悪趣味で、 次々と奇妙な衣料品を見つけ出してきては、外出の際に身につけようとする。 例えば、バーティは外出前に「派手なチェックのスーツ」、 「紫色のシャツ」、 「けばけばしいカマーバンド」(ベストの代わりに腹に巻く絹のバンド)、 「藤 ― 43 ― 色の靴下」といったものの着用を強硬に主張する。万能の召使たるジーヴズ は、もちろん、主人に真っ当な服装をさせて送り出すことを自らの重要な職 責と心得ているからこれを決して許すことができない。義務の遂行ではジー ヴズは一歩も引かない。結局、主人の選択を、巧みな策を弄して、最終的に は当人のバーティも納得せざるを得ない形に誘導して、撤回させる。使用人 として無理強いをすることはできない。巧みな誘導こそがジーヴズの真骨頂 である。 1922 年に発表された物語では(「クロードとユースタスの出帆遅延」)、バー リントン・アーケードで掘り出したという悪趣味なスパッツをつけることに 固執し、ジーヴズとの間に火花が飛ぶ。母校である名門イートン校のスクー ルカラーの緑青色のスパッツである。これも、結局は万能の知恵者ジーヴズ が阻止する。3 注目すべきは、上流階級のスパッツ着用は、当時すでに、時代遅れであっ たということだ。ファンであったイーヴリン・ウォーは 1961 年にウッドハ ウスの描く「スパッツをつけた若者たち」は「騎士道的恋愛の理想の姿」だ とし、 「この『スパッツ』という言葉からして、われわれをファンタジーの世 界に誘うではありませんか。都会の若者がスパッツを身につけなくなって、 もう四十年にもなるのですから。けれどものらくら倶楽部ではスパッツはい まだに現役です」と述べている(選集Ⅰ、446)。ウッドハウスの物語は前時 代で時間の流れを止めている。おおよそ大戦前のエドワード時代の世界観で ある。エリオットが「白いスパッツをつけた人」と献辞に書いた 1939 年ご ろには、スパッツはもはや完全に時代にそぐわない、ウッドハウスの登場 人物が滑稽譚のなかでだけ身につけている特殊なものだった。なお、引用文 の「のらくら倶楽部」の原語は “Drones Club” である。メイフェア地区ドー ヴァー・ストリートにある。 『ポッサムおじさん猫行状記』では、バストファー・ジョーンズという猫 が「白のスパッツ」を付けている(37-39)。この太った猫はセント・ジェー ムズ・ストリートやペル・マル街のクラブで一日を過ごす。加入しているク ラブは八軒ないし九軒もあるのである。ウェスト・エンドのセント・ジェー ムズ・ストリートやペル・マル街はもともと上流階級が出入りする多くの クラブのある場所として知られている。クラブランドと呼ばれ、最盛期の 1880 年代には 400 ものクラブが軒を連ねたという。特権階級のための英国 のクラブは会員制で二十世紀も終わりになるまで女人禁制であった。クラブ ― 44 ― T・S・エリオット『一族再会』と P・G・ウッドハウス(下) では食事も用意され、会員は気の合った仲間と自由に時間を過ごす。 バストファー・ジョーンズは、猫のブランメル(愛称ボウ・ブランメル。 十九世紀の有名なダンディで、流行ファッションを先導した)と呼ばれるほ どのおしゃれな猫である。粋な黒いコートに身を包んでいると言うから、黒 猫。見事な仕立ての服で街を闊歩する。陽気な性質で、会釈すれば相手はみ な気分が浮き立つ。 バストファー・ジョーンズの出入りするクラブは多い。「高等教育振興会」、 「名門校連盟」、 「狐亭」、 「太っちょ亭」、 「芸能界」、 「狩猟亭」などに出入りし 4 て食事をするのだが、 クラブのうち一軒は “Drones” という。 バストファー・ ジョーンズは昼前に一杯飲むためここに立ち寄る。このクラブの名称が、先 ほどウォーが言及したウッドハウスの登場人物たちが根城にする有名な「の らくら倶楽部」、つまり、“Drones Club” に由来することは間違いない。「の らくら倶楽部」は代表的だが、ウッドハウスの物語にはこの他にも奇妙な名 前のクラブがたくさん出てくる。 ウッドハウスに由来すると思えるところは他にもある。『ポッサムおじさ ん猫行状記』はさまざまな猫の生態を面白おかしく韻文で綴っているが、そ のなかに一つ犬たちの騒乱を中心的に語った章があり、そこでのエピソード もウッドハウスを連想させる(36-39)。エリオットは猫びいきで、奇妙な名 前を付けた多くの猫を飼っていたが、犬を飼っていた時期もある。エリオッ トの描く犬たちは派閥に分かれてロンドンの通りで抗争を繰り広げる。犬た ちの派閥にはペキニーズ犬の集団もいる。中国原産の小型の愛玩犬。他にパ グやポメラニアンの集団なども集結し、ロンドンの通りでお互いに吠えあっ て威嚇する。てんやわんやの大騒動である。だが、最後にはやはり猫が出て くる。貫禄あるランパスキャットという名の猫の一睨みで犬たちは四散し、 騒動は終わる。 ウッドハウスも犬たちが巻き起こす大騒動のエピソードをいくつか書いて いるが、以下で述べるのはそのなかの一つ( 「あくなき挑戦者」 、1931 年) 。5 後にも述べるが、エムズワース卿の次男フレディは、こともあろうに犬用ビ スケットのセールスマンとなり、叔母のジョージーナ叔母さんのことを思い 出す。叔母に「ドッグジョイ」なるビスケットを売り込み業績の急増を狙っ たのだ。この叔母は「四匹のペキニーズと、二匹のポメラニアン、ヨーク シャー・テリア一匹、シーリハム五匹、ボルゾイ一匹、エアデール・テリア 一匹」を飼っていた。なかでもペキニーズは叔母のお気に入り。 ― 45 ― 愛玩犬のペキニーズはフレディのけしかけた一見強そうなボトルズという 犬を撃退してしまう(フレディは「ドッグジョイ」の効用を叔母に証明しよ うとした)。ペキニーズを初めて見たボトルズは驚いてしまったのだ。初戦 では本領を発揮できなかったボトルズにも武勇伝があり、 「彼こそはマッチ・ マチンガムの犬を総なめにし、ハイストリートの『青猪亭』からシュローズ ベリー・ロードの『牛と芋虫亭』にいたる全てのパブの人気者であり、牧師 館の看板、飼い主の誇りと称されていたのである」と持ち上げられる。これ に対し、叔母の飼うペキニーズのエアデールは「ロンドンに住んでいるとき にはハイド・パークを毎日のし歩き、他の犬どもとわたりあってきた。メイ フェアの犬、ベイズウォーターの犬、遠くはブロンプトン・ロードやウェス ト・ケンジントンからの犬までもが、エアデールの筋骨の何たるかを思い知 らされていた」。 二匹の再戦に際しては、 「ボトルズの姿に、サーペンタイ ン池の岸で判定勝ちに持ち込んだポント・ストリートの犬を思い出し、エア デールは自信に満ちた軽い足取りで戦いへと進んでいった」とその様子が描 写されている。結局、ここではボトルズが名誉挽回する。このエピソードの 叙述は『ポッサムおじさん猫行状記』そのままの気分である。 ウッドハウスも猫たちの騒動を描いている。1922 年発表の作品には、部 屋で猛烈に暴れる猫たちが出てくる(「ジーヴズとグロソップ一家」)。「そ のとき恐ろしい大騒乱が寝室で巻き起こったのだ。ロンドン中の猫が二派に 分かれ、近郊からの援軍を得て、これまでの争いに一挙にかたをつけんも のとおっ始めたような音だった。猫の一大オーケストラだ」と叙述されてい た(選集Ⅰ、124)。エリオットが『ポッサムおじさん猫行状記』のドタバタ 騒ぎの着想をウッドハウスからも得ていたことは確実である。『ポッサムお じさん猫行状記』のインスピレーション源となったのは、ルイス・キャロル、 エドワード・リアであると同時に、ウッドハウスでもある。 反対にウッドハウスも文壇に君臨するエリオットを意識していた。このあ たりの事情は、2005 年に出版されたロバート・マックラム Robert McCrum の伝記『ウッドハウスの生涯』Wodehouse: A Life に依拠する。評価の高い 最新の伝記である。6 ウッドハウスは同時代のモダニズム文学をあまり快く 思っていなかったらしい。無理もないことである。ブルームズベリー・グ ループの面々をからかったようなことも書いているらしい(エリオットはそ の周縁部にいた)。確かに、ウッドハウスがヴァージニア・ウルフの小説に 共感したとは思われない。皮肉な目を向けたと考えるのが自然であろう。内 ― 46 ― T・S・エリオット『一族再会』と P・G・ウッドハウス(下) 輪で冗談の種にしたことは十分に想像できる。だが、マックラムがいうよう にモダニズム運動に対するウッドハウスの感情が「嫌悪」といえるようなも のだったかは疑問である。 ウッドハウスは作中人物にエリオットのパロディーを読ませている。これ は、すでに紹介した二つのシリーズとは別のマリナー氏を中心人物に据えた シリーズの一篇に出てくる。マリナー氏シリーズは 1926 年に書き始められ たもので、これもかなり愛読されている。例のごとくの滑稽話なのだが、お 気に入りの酒場で中年男マリナー氏が酒のグラスを手にして周囲の常連客た ちに思い出話を披露するという設定である。入れ子式の物語構造となってい る。マリナー氏の話はもっぱら甥など親類たちをめぐるものだ。彼らにふり かかった災難や珍騒動の数々である。なお、独立したシリーズとして扱われ ているが、マリナー氏物の作品世界は、他のシリーズと完全に切り離されて いるわけではなく、ゆるやかに結びついており、共通の人物も登場する。 マリナー氏はランスロット・マリナーという甥について語る。この甥は、 へぼ詩人であり、後に、ハリウッドの誘惑に陥落しアメリカに渡る。以下が ランスロット青年の作品『暗がり、ある挽歌』“Darkling,a threnody” であ る。 Black branches, Like a corpse’s withered hands, Waving against a blacker sky: Chill winds, Bitter,like the tang of half-remembered sins; Bats wheeling mournfully through the air, And on the ground Worms, Toads, Frogs, And nameless creeping things; And all around Desolation, Doom, Dyspepsia, ― 47 ― and Despair. I am a bat that wheels through the air of Fate; I am a worm that wriggles in a swamp of Disillusionment; I am a despairing toad; I have got dyspepsia. (マックラム、232-33) 主に『荒地』特有の語彙を用いたパロディーである。終わりから三行目の 「幻滅」Disillusionment が決定的である。この「詩節」を読むと『荒地』を茶 化しているようだが、ウッドハウスがエリオットにどのような感情を抱いて いたか本当のところはわからない。だが、登場人物のヘボ詩はあくまでもユー モアにくるまれた諷刺である。文壇で急速に勢力を持つようになったアメリ カ出身詩人に対する英国人的なあてこすりといったものだ。 このパロディーはエリオットも目にしていたかもしれない。そうであって も、エリオットが不快に思うようなことはなかったはずだ。むしろ、嬉しく 思ったのではないか。ウッドハウスに言及されたアガサ・クリスティーのよ うに喜んだのかもしれない。ヘミングウェイやジョイスもエリオットのパロ ディーを書いた。おそらく、望むところであったろう。フェイバー社刊のパ ロディー選集にもいくつかエリオットの作品が含まれているが、エリオット 自身笑いながら読んだはずである。 マックラムは、さらに、エリオットの『闘士スウィーニー』におけるウッ ドハウス作品の影響を指摘している。貴重な指摘である。すでに述べたよう に、ウッドハウスはアメリカのブロードウェイやロンドンのウェスト・エ ンドでミュージカル・コメディーの歌詞やシナリオを手がけていた。1923 年にガイ・ボルトンとジェローム・D・カーンとともに制作したのがミュー ジカル『シッティング・プリティ』Sitting Pretty である。ウッドハウス は歌詞を担当した。マックラムは、この作品のなかのキャバレー的な雰囲 気を、エリオットの『闘士スウィーニー』の初めの方の部「アゴンの断片」 “Fragment of an Agon” が反映しているという(アゴンとはギリシャ古代劇 の起源としての「光」と「闇」や「死」と「生」といった対立概念の闘争のこ と)。このことはエリオット研究者の誰一人として指摘していない。 マックラムが例示するのは「コンゴのボンゴ」の一節。ホレース、ジャド ソン、アンクル・ジョーの友人三人組みのコーラス。 ― 48 ― T・S・エリオット『一族再会』と P・G・ウッドハウス(下) HORACE: Beneath the silver Afric moon, A few miles south of Cameroon JUDSON: There lies the haven which you ought to seek. Where cassowaries take their ease Up in the Coca-Cola trees While crocodiles sit crocking in the creek HORACE: Though on some nearby barren height The heat’s two hundred Fahrenheit Down in the valley it is nice and cool. UNCLE JO: And yet I don’t know why it is The girls of all varieties Wear little but a freckle as a rule. All: In Bongo! It’s on the Congo! And oh boy,what a spot! Quite full of things delightful And few that are not ... (マックラム、157-58) 確かに似ている。劇作に傾注していたエリオットは劇場に頻繁に足を運ん で研究していたはずで、この作品を直接目にしたのかもしれない。もっと も、スウィーニーがドリスを誘うのは不気味な人食い人種の島なのであるが。 ウッドハウスの三人が歌うのはカメルーンに近いアフリカの楽園だが、 『闘 士スウィーニー』の島は漠然と南洋の島である。「ヒクイドリ」が休息する 「コカコーラ・ツリー」に対して、 『闘士スウィーニー』のコーラスでは、 「竹 の木の下で」“Under the bamboo tree” というフレーズが繰り返される。7 エリオットがウッドハウスを自作に取り込んだ可能性は否定できない。ただ し、もちろん、1905 年に出版されたボブ・コウルと J・ロザモンド・ジョン ソンの歌謡曲「竹の木の下で」“Under the Bamboo Tree” の影響も無視でき ― 49 ― ない。8 * 『ポッサムおじさん猫行状記』におけるウッドハウス的道具立て、さらに 時を遡って、エリオットとウッドハウスがお互いの存在を意識していた事実 を検討した。これを前提として、 『一族再会』におけるウッドハウス的な設 定について考察する。 『一族再会』の舞台は北イングランドのカントリーハウスである。劇場に 足を運んだ観客の多くは、貴族階級のカントリーハウスをめぐる騒動という だけで、ウッドハウスの物語を連想したはずである。繰り返すが、ウッドハ ウスの浸透度は並外れていて、その小説を置いていないクラブは英国中に 存在しないとまで言われた。『一族再会』の舞台である「ウイッシュウッド」 Wishwood の所在地は明示されていないが、ロンドンから車で急げばさほど 時間をかけずに着く場所である(なお、エムズワース卿の名前は「スリープ ウッド」Sleepwood という)。ウッドハウスの二つのシリーズでもカントリー ハウスが主要な舞台となっているが、こちらもロンドンとの間を苦労するこ となく行き来することができる場所にある。 カントリーハウスとは、本来は、広大な土地所有者でもある貴族が領地に かまえる本邸である。ロンドンで滞在するためのタウンハウスと対になって いる。中世に建てられた屋敷には城郭的な要素を兼ねたものもあった。見事 な石造りの屋敷には、豪壮で目を見張らされるものも多い。今日でも、イギ リスには驚くほど美しい邸宅が各地に残り、多くは公益団体の管理のもとで、 観光名所になっている。本来は貴族階級のものだったが、十九世紀以降は、 産業革命で財を成した人々が威信と富の象徴としてカントリーハウスを手に 入れるようにもなった。 かつては各地方の共同体の中心的存在であったが、時代の変化のなかで、 大勢の使用人をかかえる広大なカントリーハウスを維持することは次第に困 難になり、先祖伝来の屋敷を手放す事例が目立つようになる。その場合、建 物自体は残っても本来の機能を失う。言うまでもなく、社会秩序の変化は第 一次大戦後に加速する。『一族再会』やウッドハウスの物語のカントリーハ ウスは過去のものになりつつあった。『一族再会』もウッドハウスの物語も 変化を余儀なくされている貴族階級を中心に据えているのであり、時代との ― 50 ― T・S・エリオット『一族再会』と P・G・ウッドハウス(下) ギャップが二つの世界を奇妙に似通ったものにしているのである。これを観 客も感じたと思われる。 エリオットは、後に、 『一族再会』の主人公モンチェンシー卿ハリー青年 を鼻持ちならない人物だと見なすようになる。ハリーは選ばれた人物であり 覚醒を経験する特権者ではあるが、周囲の人々への傲慢で気取った態度が目 立つことも事実だ。確かに、こうした性格はウッドハウスの描く気さくで愛 嬌のある青年たちには見られない。だが、一族を困らせている存在であると いうことではウッドハウスの青年たちと共通している。派手好きの娘と結婚 し三十歳を過ぎても一家の長としての義務を果たさず、屋敷にも寄りつかな いで老いた母親に心配をかけ、世界中を無目的に旅してきたのだ。その途中 で妻の死という悲劇に見舞われるのだが、おそらく、帰郷するまでの無責任 な行動パターンはウッドハウスの描く青年の気ままな行動に似たものだっ た。不労所得で遊蕩生活を送ってきたのである。ただ、その放蕩の過程は劇 では描かれない。舞台に登場したハリーはすでにそれまでのハリーとは違っ ている。この変化が一族の者たちに衝撃を与えるのである。もしかすると、 以前は弟たちのように無軌道で陽気な人物だったのかもしれない。 ハリーは親族の反対を押し切る形で船から転落した妻と結婚したらしい。 夫婦はハリーが我を通して結ばれたことになる。このため、数年の時が経っ ても、屋敷の人々のほとんどは若くして船から転落し溺死したハリーの妻の ことを良く思っていない。彼らにとってみれば、一家の格式に相応しくない 女で、ハリーを翻弄して道を誤らせたのである。二人の結婚は誰にも望まれ ない誤った結婚だったのであり、事件はむしろ幸いなこととして理解されて いる。ハリーの妻については残酷な言葉が口にされている。母のエイミーも ハリーが虚栄心のかたまりだった卑しい娘の犠牲になったと考えている。こ うした残酷な娘の扱いはウッドハウスの作品とは無縁である。だが、共通点 もある。周囲の許さない結婚を望むことは、ウッドハウスの作品ではお決ま りのパターンである。この遊蕩青年の定型をハリーは踏襲していると言える。 ウッドハウスは上流階級の青年が親の意向に背き、密かに恋愛関係を進 め、策を弄して結婚にこぎつけるといったエピソードを好んで書いた。もち ろん面白おかしいドタバタ調に仕立ててである。ウッドハウスの描く若者は たいてい親に経済的に依存しており、結婚生活を始めるには親の承諾が必要 なのである。その種の制約がない場合もある。フレディ青年の場合である。 父のエムズワース卿はしかるべき家柄の娘を次男の結婚相手にと望んでいた ― 51 ― が、その期待は裏切られる。フレディ青年は美しいアメリカ娘と勝手に結婚 を決めてしまう。娘の父は、アメリカのドッグフード会社(ドナルドソンズ・ ドッグ・ビスケット社)を経営する大富豪であり、経済的には万々歳であっ たが、結婚相手は卿の庭師の親族であった。卿の次男フレディ青年は結局ドッ グフードのセールスマンとなり、大西洋を行き来して営業活動に励むことに なる。その後のイギリスでの騒動については先に述べた。次男の他、エムズ ワース卿の姪たちにしても、ことごとく母親の望まない恋愛をしては最後に は思いを遂げる。 ビンゴ・リトルの恋愛物語も愉快である。ビンゴはバーティ・ウースター のパブリック・スクール以来の友人で、これまた少し頭が弱い人物である。 経済的に後に爵位を授けられる叔父に依存しており、相手の娘の心を獲得す ることに加えて、叔父に結婚を承諾させるという難しい問題を抱えている。 リトルは安食堂のウェイトレスや革命家の娘、男勝りの女傑など、ひっきり なしに恋い焦がれる相手を見つけては騒動を引き起こす。バーティも嫌々な がらも相談に乗って、縁結びに尽力するが企てはことごとく失敗する。それ でもビンゴは懲りない性格で、最後にはめでたく女流小説家との結婚にこぎ つける。 『一族再会』の脇役ハリーの叔父と弟二人はウッドハウスの登場人物の 性質を彷彿とさせる。エリオットは、 『一族再会』の登場人物では、叔父の チャーリーに最も共感するといった言葉を漏らしている。執筆の最中に劇を 統括したマーティン・ブラウンに書き送った言葉である。9 チャーリー叔父 は故モンチェンシー卿の弟。独身で普段はロンドンに住み、高級クラブを根 城にして日々を過ごしている。ハリーが屋敷に来る前、寒い田舎のこんなと ころにいるよりも、本当は、セント・ジェームズ・ストリートのクラブの暖 炉のそばで安楽椅子にくつろいでいたかったなどとぼやく。チャールズ叔父 は、おそらく、気取りのないさばけた性格で、物事を相対的に見る目を持っ ており、ユーモア感覚もそなえているようだ。かつては甥のハリーを可愛がっ たのかもしれない。日常世界に属する人物であるが、別の世界を認識しつつ ある甥への共感がみられる。ハリーの弟アーサーとの関係では、 「ブルック リンズ自動車競技場でしこんだ」と言っているから、本人も自動車を乗り回 す遊び人だったのかもしれない。10 チャールズ叔父は暖かいロンドンのクラブを恋しがる。ウッドハウスの作 品の上流階級の者たちはロンドンのクラブを根城にしている。先にも触れた ― 52 ― T・S・エリオット『一族再会』と P・G・ウッドハウス(下) 通り、イギリスの貴族や富裕層は、気の置けない仲間からなる多くの会員制 クラブのメンバーであるのが普通である。彼らのホームグラウンドとして機 能している。エムズワース卿は「熟年保守倶楽部」を根城にしており、一方、 バーティら若者は、 「のらくら倶楽部」 (ドローンズ・クラブ)が常連である。 また、 「エンバシー・クラブ」でダンスを楽しみもする(選集Ⅰ、247)。住 み分けがなされているのだ。『一族再会』と並行して書かれた『ポッサムお じさん猫行状記』では高級クラブに出入りする猫が登場するわけだが、ダン ディー猫バストファー・ジョーンズの一日の活動は、ウッドハウスの登場人 物たちの行動そのままである。ウッドハウスは、自分専用のお気に入りの席 があり、そこに他人が座ることを喜ばない気難しい年寄りの愉快なエピソー ドも書いている。若者にとっては、クラブも馬鹿騒ぎの舞台になる。現実に 高級クラブに縁のない観客にとって、 『一族再会』のチャールズ叔父のロン ドンでの生活は、おそらく、ウッドハウスの貴族たちの生活を想起させるも のであったはずである。 ウッドハウスの作品ではさまざまな叔父が存在するが、どの叔父も大体に おいて風変りだが愛すべき人々である。平凡な日常に埋没しているが、悪意 のない無垢な人々であり肯定的に描かれている。叔母については悪魔的に誇 張されて描かれているのと対照的である。バーティの叔父ウィロビー叔父は 老年に達し自叙伝の執筆に力を入れ、遊び人だった若いころ友人らとつるん で行った愚行を公にしようとし、名誉を重んじる親族をあわてさせる(選集 Ⅰ、7-40)。1887 年にはミュージック・ホールから追い出された経験もあ るのだが、 「相当ひどいことをしたに違いない。あの時代にミュージック・ ホールから叩き出されるとは、よほどのことだ」とコメントが付く。「いま では道徳のお手本みたいに思われている人たちが、八〇年代のロンドンでは 捕鯨船の船員部屋ですら許されないことをやっていた」と憤慨するバーティ の恋人フローレンスは出版を断固阻止しようとする。バーティのもう一人の 叔父であるヘンリー叔父は物故者だが、変人であった。由緒正しいウース ター一族の「汚点」とみなされていたが、 「たいそうな好人物で、学校時代の 僕にたっぷり小遣いをくれたものだから、僕はとても慕っていた」(選集Ⅰ、 116)。奇行が目立ち、精神病院で亡くなったようだ。ウッドハウスの描く放 蕩青年たちは総じて叔父たちに好意を抱いている。 モンチェンシー卿ハリーの二人の弟はロンドンで奔放な生活を楽しんでい るらしい。次男と三男は独身のままいつまでも遊び暮らしている。やはり、 ― 53 ― クラブを根城にしているのだろう。責任感がなく屋敷に残る母親エイミーも 頼ることができない。母を失望させ、叔母たちをあきれさせる愚行を繰り返 してきた。今回の誕生パーティでも、二人とも自動車事故を起こし、屋敷に は結局最後まで姿を見せない。 ブラウンによれば、ハリーの弟の挿話はこの作品における「最良の喜劇」 的要素となっている(ブラウン、123)。二人とも向こう見ずなスピード狂ら しい。まず、ジョンが霧のなかスピードを出しすぎ曲がり角で駐車していた トラックに追突したとの知らせが屋敷に入る。脳震盪で近くの酒場にかつぎ こまれる。次に、アーサーも事故を起こす。これは新聞にも報じられてしま う。新聞報道では、アーサーは、新年早々の1月1日、 「エベリー・ストリート」 を走行中、 「御用聞きの手押し車」に追突。罰金 50 ポンドを科され、訴訟費 用の負担と一年間の運転禁止を命じられた。アーサーは追突を避けようと、 道の脇のショーウィンドーに突入している。説明を求められたアーサーは、 「この辺りはずっと野原だと思っていたものでね」と人をくった返答をした。 これが、チャールズ・モーガン氏が「ウッドハウス的ジョーク」と指摘した 問答である。アーサーは事故の前にスピードの出しすぎで(時速 66 マイル) 巡査に追跡されていた。巡査は停止するように合図していたが、アーサーは これを無視。いわく、 「ぼくをからかっているんだと思った」(福田、158)。 一家の恥が新聞に書かれたことを受け、チャールズ叔父は「わたしの若い ころにはこんなことは新聞にださなかったものだ、このせつは、秘密っても のが許されないとみえる」(福田、158)とこぼす。ジョンとアーサーはかつ てのジェラルド叔父とチャールズ叔父の姿である。エリオットは書簡で、成 長すれば、やがて、ジョンはジェラルドになり、アーサーはチャールズにな ると説明している(ブラウン、106)。 ジョンやアーサーは派手な遊蕩生活を送っているのだろう。車を猛スピー ドで乗りまわし、娘たちとダンスパーティを楽しむ日々である。事故のエピ ソードは直接的には、エリオットが切り取っておいた実際の新聞記事に基づ いている。だが、無軌道な弟二人の挿話も、ロンドンのフラットで気楽に独 居し、クラブに出入りしながら悠々自適に無為な生活を送り、頻繁に騒動や 揉め事を巻き起こすウッドハウスの上流青年たちの生態を思い起こさせずに はいない。バーティもスポーツカーを所有している。これはバーティやフレ ディだけのことではない。ウッドハウス作品の多くの無鉄砲で享楽的な青年 たちの姿である。 ― 54 ― T・S・エリオット『一族再会』と P・G・ウッドハウス(下) 繰り返しになるが、モンチェンシー卿ハリーも精神的覚醒前はジョンや アーサーと似たり寄ったりの生活を送っていた可能性がある。派手好きの娘 と結婚し世界中を旅して遊び歩いている。仕事もせず財産を食いつぶして生 きてきたのだ。そんな人生を送ってきたからこそ、屋敷に帰還した際の変貌 ぶりに親族は困惑したものと思われる。精神的覚醒を経験したハリーがその 後どうなったのかは、作品のなかでは明らかにされないが、エリオットは、 ハリー役の俳優にロンドンのイーストエンドで働く可能性を示唆している (ブラウン、136)。 アーサーの無鉄砲は警察沙汰になるのだが、ウッドハウスの作品でも、上 流階級の子弟らは、ときに、限度を越えてはめをはずし警察の厄介になる。 ヘンリー叔父の双子の息子クロードとユースタス(バーティの従兄)の行 状も常軌を逸したもので、ロンドンを車で暴走し、歩行者の帽子を失敬し、 ハロッズ百貨店で魚を失敬するなど度外れた悪戯をする(選集Ⅰ、113-31)。 二人はトラックを盗もうとして運転手と喧嘩、警官に拘束され、バーティの 出した保釈金によってようやく解放される。二人はその後オックスフォード 大学を放校になり、結局、南アフリカで引き取られる話がまとまる。警察に 留置されるケースは他にもあって、アメリカでの話だが、アガサ叔母の紹介 状を携えてきた名家出身のシリル・バシントン = バシントン氏は激高しア メリカの警官を突き飛ばし拘束され、バーティが引き取りに行く羽目になる。 女性の名前なら数多くあるのに、エリオットはなぜハリーの導き手に「ア ガサ」という名前を選んだのか。アガサ・クリスティーも連想させるが、ア ガサという名前に加えて「叔母」という設定も同じである。 「ジーヴズ&ウースター物」のアガサ叔母はバーティの天敵である。口や かましく、辛辣で、甥のバーティを全くの低能とみなしており、その評価を あけすけに口にする女性である。たしかに、バーティは正真正銘の「まぬけ」 として描かれているが、ことさらにそれを強調する。ウッドハウスの創造し たキャラクターで最も印象的な女性であり、強烈な個性は間違いなく同時代 の多くの読者の記憶に残っていたはずである。バーティにとってはまさに恐 怖の対象。なるべく距離を置こうと務めているが、そうもいかない。バーティ の言葉では、 「叔母はいつも、僕みたいな人間がいるからロンドンは病原菌 の巣窟みたいになってしまったと言いつづけている」(選集Ⅰ、66)。 歯に衣着せずバーティをこき下ろすことを常としているアガサ叔母は、し ばしば、バーティに手紙をよこし、自分好みの娘との結婚を強要するなど、 ― 55 ― 自由気ままな生活を続けたい甥にとってありがたくない命令を発する。自分 の屋敷に呼び寄せ、あれこれと指示することもある。幼い頃からアガサ叔母 の圧倒的な勢力下にあったバーティには、命令に背くことなど思いもよらな い。なお、アガサ叔母の背丈は「百八十センチ近くあり、突き出した鼻、鷲 のような目つき、たっぷりした白髪と相まって、極めて獰猛な印象を与える」 (選集Ⅰ、71)。 ウッドハウスの生み出した多くの登場人物では、バーティ青年が頼る天才 的な使用人ジーヴズが最も有名である。後続の作家の生み出した同様のコン ビのモデルとなり、もはや、国民的キャラクターである。ジーヴズは間の抜 けたバーティに寄り添い、主人がピンチに陥ると絶妙な補佐をしてのける。 使用人の活躍はエムズワース卿のシリーズでも見られ、卿は有能な庭師頭の アンガス・マカリスターや執事のビーチに頭が上がらない。有能な召使とい うイメージは、 『一族再会』でも踏襲されていると言えそうだ。ハリーの腹 心の従者がダウニングである。ダウニングは事件の際を含めて世界を漫遊す るハリーの側にずっと付き添っていた。自身の言葉では 11 年近くも仕えて いる。忠実な従者であると同時に、叔父チャールズの言葉では「いい友達」 でもあった(福田、105)。ダウニングは無学で卑しい身分ながらハリーの精 神世界をおぼろげながらも理解する。 『一族再会』の物語が進行するなかで、ハリーの属すことになる精神世界 を半ば認識する人と、全く無理解な人にわかれるのだが、ダウニングは前者 に含まれる。船上での事件のことを尋ねられる場面では、叔父チャールズの 探りを入れる言葉に、鋭く主人とその妻を観察していたことを窺わせる返答 をしている。ハリーが屋敷を出立する最後の場面では、ハリーに起こった精 神的変化を理解しているかのような言葉を発する。エリオットは知性と洞察 力をダウニングという従者に意図的に付与したと思われる。知性的な従者と いう設定はウッドハウスの有名な従者を思わせずにはいない。 おわりに 『一族再会』の背後にはアイスキュロスの悲劇がある。ギリシャ悲劇のパ ターンを現在に適用した試みであり、このことは賛否を含めよく言及される 事実である。また、その他に先行する近代劇の道具立てを利用しているとい う指摘もなされている。本質的にパロディー詩人であるエリオットは、先行 ― 56 ― T・S・エリオット『一族再会』と P・G・ウッドハウス(下) 作品を必要としていた。エリオットは無から有を生み出そうとする詩人では ない。伝統と個人の関わりを説いたその詩論は自らの方法を説明するもので ある。先行作品にひねりを与え、微妙な改変をほどこすことで独特の効果を 引き出すのが創作の根本的方法だったのである。文脈を移された先行作品の 言葉は新たな命を吹き込まれ輝かなくてはならない。その際、重視されるの が思いもよらぬ対比による驚きの効果である。コミカルな遊びの要素が伴う ことが多い。 『一族再会』でエリオットが同時代の小説家ウッドハウスに依拠していた 可能性は高い。当時、疑いなく最も著名な作家の一人であったウッドハウス の世界は、一般にあまねく浸透し、観客にとって馴染みの世界となっていた。 これは、パロディー詩人の目的にうってつけだったはずである。前提とすべ きは、劇作を試みたエリオットが、基本的に詩作品でのパロディー的技法を 用いながら、必ずしも高い文学的教養を期待できない一般の人々に受け入れ られる作品を目指した事実である。必然的に、アリュージョンとして利用す べき文学素材も変化する。 劇のスタイルとしては方向転換が図られているが、劇作第一作である『闘 士スウィーニー』と『一族再会』のテーマは共通している。このことはブラ ウンら多くの論者が指摘するところである。両作品とも、世俗的な執着を完 全に捨てたところに精神世界があるという立場に基づく。日常の空虚と絶 対的孤独を知る存在は『闘士スウィーニー』においてはタイトル・キャラク ターのスウィーニー氏であり、 『一族再会』ではモンチェンシー卿ハリーで ある。 精神的覚醒者として特権的存在であるスウィーニーのモデルについては多 くの推測がなされている。スウィーニーはアイルランド系の名前であり、当 時の文脈では、野卑で無学の連想が不可避である。それは、四行連詩におけ る類人猿としてのスウィーニー像や、 『荒地』で売春婦の母娘のもとに車を 走らせるスウィーニーの振る舞いにも表れている。スウィーニーのモデルの 一人は、ロンドンの新聞街フリートストリートの伝説的な床屋スウィーニー・ トッドである。トッドは回転する特別仕掛けの椅子で客を地下に投げ込み、 金品を強奪した上で遺体を解体、肉を地下通路でつながった近くの情婦が経 営するパイの店に運び、これを材料として特性パイを作らせていた。この物 語は汎ヨーロッパ的な広がりをもった一種の神話であった。エリオットは、 『闘士スウィーニー』で、誰もが知る精神世界とは最も無縁であるような人 ― 57 ― 物をあえて特権者に選んでいる。前提となる一般的な観念とのギャップによ りスウィーニーの覚醒はいよいよ衝撃的なものになる。聖人君子然とした人 が精神的目覚めを経験しても面白くないではないか。 先入観のない観客が、モンチェンシー卿ハリーを、最初、ウッドハウスの 描く上流青年のような人物であると予想したとすれば、同様の効果をもたら したであろう。つまり、地所にある豪壮な館とロンドンの別邸を中心に怠惰 で無為な生活を送り、主として親族間の滑稽な騒動を繰り返す青年という予 想である。娘たちの気を引くことのみに精力をかたむけ、同時代の社会変革 の波には無関心、閉ざされた日常に満足して安住する上流青年のイメージは 一般的に浸透していた。そして、一族の望まない結婚をし、何年ものあいだ 諸国漫遊した人物という設定はそのような予想を促したであろう。少なくと も、叔父や弟といった一族の面々の叙述からはウッドハウス流の人物像が浮 き上がる。そして、アガサという名の叔母や知的な従者。 ウッドハウスの作品では、彼らが自我に目覚め、与えられた境遇の空虚を 自覚する事はありえない。もちろん、ウッドハウスの物語であればそれでよ いのである。エリオットも純粋にそうした作品の喜劇を楽しんだはずで、青 年貴族を批判するような意図はまったくない。 ウッドハウスの描く陽気な人々は、青年貴族ハリーの覚醒と見事な対照を 成す。この対照の効果こそエリオットが狙ったものだ。深刻さとは無縁の滑 稽な道具立てから、罪と贖罪の物語に移行するという意外さ。口やかましい ウッドハウスのアガサ叔母が精神世界への魂の導き手になるという配置転換 の意外さ。根本にあるのはパロディーならではの効果である驚きである。詩 作で駆使した技法を比較的わかりやすい形で劇にも適用したというべきであ る。これは、探偵小説風の物語を予想させておきながら、宗教的次元に観客 を引き上げる方法と合せて理解すべきものである。 エリオットとウッドハウスの関係がこれまで注目された事はない。本稿で 論じたことは『一族再会』の成立事情を解き明かすための一つの示唆に成り 得るだろう。また、これは、エリオットの創作手法全体についての議論を深 めることにもなる。『一族再会』には、同時代の流行作家を貪欲に利用する エリオットがいる。エリオットは、シェイクスピアやダンテだけをむやみに ありがたがったわけではない。このことは他の作品についても言える。例え ば、 『荒地』の草稿には当時の大衆的流行歌の一節が挿入されていた。従来 支配的だった高踏派のエリオット観に縛られていると、こうした事実に当惑 ― 58 ― T・S・エリオット『一族再会』と P・G・ウッドハウス(下) するほかない。 大衆文化を蔑視するハイカルチャーの総帥としてのエリオット像は修正さ れつつも、なお根強い。本稿は、エリオットの詩的実践が、古典的作品ばか りでなく、優れた大衆小説をも包摂することを示すものであり、権威主義的 で謹厳な詩人としてのエリオット像の見直しを後押しするものである。エリ オット像の見直しはモダニズム文学そのものの見直しにつながる。エリオッ トとウッドハウスの関係はモダニズムと呼ばれる文学運動の多面性の一端を 示すものと言えるだろう。モダニズム文学が絶頂期を迎えてからもうすぐ 100 年が経過する。本稿は、二十世紀前半の文学状況を新たな目で見直すた めのささやかな試みである。 注 1.Susan Ratcliffe ed. People on People: The Oxford Dictionary of Biographical Quotations(Oxford: Oxford University Press,2001),p. 122. 2.T.S.Eliot,Old Possum’s Book of Practical Cats (1939; London: Faber and Faber,1974),p. 5. 3.P・G・ウッドハウス『P・G・ウッドハウス選集Ⅰジーヴズの事件簿』 岩永正勝・小川太一訳、文藝春秋社、2005 年、263 ‐ 289 頁。 4.クラブの名称の訳語は池田雅之氏。 5.P・G・ウッドハウス『P・G・ウッドハウス選集Ⅱエムズワース卿の受難録』 岩永正勝・小川太一訳、文藝春秋社、2005 年、131-157 頁。 6.Robert McCrum,Wodehouse: A Life(New York: W. W. Norton & Company,2005). 7.T.S.Eliot,Collected Poems 1909-1962 (1963; London: Faber and Faber,1974 edition),pp. 131-32. 8.Randy Malamud,T.S.Eliot’s Drama: A Research and Production Sourcebook(New York: Greenwood Press,1992),p. 50. 9.E.Martin Browne,The Making of T.S.Eliot Plays(1969; London: Faber and Faber,1970),p.106. 10.T・S・エリオット『エリオット全集2』、中央公論社、改定5版、1988 年、 154 頁。福田恒存訳。以下の訳文も福田氏のものだが、一部変えている ところもある。 ― 59 ―
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