A.4.1 1 少なくとも多くの文化では、子孫を増やしたいという生物学的な

A.4.1
1 少なくとも多くの文化では、子孫を増やしたいという生物学的な欲求よりも、様々な宗教上
の考えの方が優位に立っており、結果として、繁殖が本質的には、神聖な状態になるための
方法に変わった。すなわち、自分の種を増殖させることは、神聖な要素のあらわれとされたし、
同時に、そのような要素を受け取るための方法だと想定されることがしばしばあった。
2 人口過剰問題に対処するための手法のうちで、宗教的権威に裏付けられた多産主義者
たちの古い考えよりも、より合理的で、より宗教的な手法のこと。具体的には、中絶を合法化
することや、望まれない妊娠を防ぐためにも、性行為を自制することなどが挙げられる。
アメリカの中絶に関するジレンマを扱った、明晰な評論文のうちの一つの中で、Mary Gordon
は次のように記している。
私たちは、人口が過剰な世界で何百万もの望まれない子供たちの存在が社会にどんな影
響を及ぼすのかについて現実的に捉えねばならない。たいていの場合、人間は子供を作りた
いので性行為をするわけではない。しかし、歴史を通して見てみると、性行為により、望まれ
ない妊娠が生じてきた。そして、女性はいつも中絶してきた。秘密にされてきたわけでもなく、
奇怪なことでもなく、議論の余地も無いことが一つある。それは、中絶を違法化すると、女性
の死を招くだろうということだ。そして、これまでもいつもそうであった。
Gordon は、人口過剰の世界にほんの少し言及している。おそらく、そのような世界にとって
こそ、宗教的権威に裏付けられた多産主義への批評と、それが中絶論争に与える影響がと
ても重要なものとなるのだ。国連の見積もりが正しければ、世界の人口は、今世紀の終わり
までには、2 倍、そして、おそらくは 3 倍になっているだろう。
Bill McKibben は、彼の『End of Nature』という著書の中で、生息場所としての地球をこれ以
上破壊しないようにするための緊急対策を講じることに賛成している。彼は、実際に何が必要
とされるかを明確に述べている。もっとも初期の仏教徒の経典に由来するかのように聞こえる
語句を使って、彼は、ユートピア的理想主義を回避する必要性について述べている。さらに、
それだけでなく、欲望に突き動かされないように、己を調節する必要があるとも述べている。
重要なことは、数を増やしたいという欲望を克服しなければならないということだ。
このことを、私たちの中絶に関する議論に持ち込むということは、この全世界的かつ全人類
的な問題、すなわち、私たちの惑星の住みやすさという問題も、(中絶の)議論の際に、同じよ
うに、計算に入れなくてはならないだろうということを意味するだろう。人類が慣れてしまって
いる、宗教的権威に裏付けられた多産主義を撤回することは、単に女性の利益になるだけで
なく、すべての人の利益になる。ものすごく重要な事柄を決定するための女性の権利を守ると
いうことが、中絶の合法化を支持する際に利用されるべき唯一の基準となるのではない。
おそらく、McKibben が、「数を増やすという欲求」と呼んだものが、私たちの中に、生物学的
にプログラムされている。先史時代において、実際に、それは、人類の生存を促進したのかも
しれない。しかし、少なくとも多くの文化では、この生物学的な欲求よりも、様々な宗教上の考
えの方が優位に立っていた。これにより、繁殖は本質的には、神のような存在になるための
方法に変わった。自分の種を増殖させることは、神聖な要素のあらわれとされたし、同時に、
そのような要素を受け取るための方法だと想定されることがしばしばあった。
数を増やしたいという欲望を構成する生物学的要素を打ち消すために私たちができること
はほとんど無いように思える。しかし、私たちは、実際には人類の将来に反する、または、危
険になりさえするような宗教的な考えや主題に対しては、もっとうまく対処できるはずである。
とても多くの危険をはらんでいるので、今でも残っている多産主義者の宗教上の考えは、精
査されたり、批判されたりする必要があるように、ますます思えてくる。おそらく、ぼんやりと目
に入ってきつつあるこの危機に対処するために世界が必要としているものは、そんなものより
も、もっと合理的で、もっと宗教的な手法だ。