2008 No.5 SEP - 公益社団法人 日本航空機操縦士協会

ISSN 0389-5254
2008 No.5 SEP
JAPAN AIRCRAFT PILOT ASSOCIATION
操縦士協会のめざすもの
(第204回理事会決議)
1. 私達の活動の目的は、 定款に定められた通り 「航空技術の向上を図り、 航空の安全確保
につとめ航空知識の普及と諸般の調査研究を行い、 もって我が国航空の健全な発展を促
進する」 ことです。
2. 私達は、 定款の目的を踏まえ、 将来のあるべき姿として 「安全で誰からも信頼され、 愛
される航空を実現する」 というビジョンを描いています。
3. 私達は、 目的・ビジョンを達成するために下記を基本的指針に掲げて活動して行きます。
航空の安全文化を構築する。 (組織と個人が安全を最優先する気風や習慣を育て、
社会全体で安全意識を高めて行くこと)
地球環境と航空の発展との調和を図る。
航空に携わるものどうしが心を通わせ共存共栄を図る。
第44期 (平成20年度) 重点施策
操縦士協会の目指すもの
を達成するために次のスローガンを掲げて取り組みます。
SAFETY
ECOLOGY
HUMANITY
航空の 「健全な発展と活力」 は、 操縦士だけでは維持できません。 社会とりわけ航空
関係者の理解が必要です。 操縦士が集い航空の現状と課題を幅広く伝え、 情報の共有化
を促進させます。 国際活動は、 参加目的を交流と情報収集の段階から一歩進め、 これま
で以上に操縦士協会の存在を印象付けていきます。
・操縦士組織の PR 活動
・航空関連情報・知識の提供と技能支援
・操縦士の専門知識と経験を活かす
・社会的な信頼の構築
・関係団体との協力と交流
・財務の健全化
操縦士協会は会員を募集しています。
JAPAは公益法人として国土交通大臣の認可を受けた日本唯一の操縦士団体です。
目的
本協会は、 航空技術の向上を図り、 航空の安全確保につとめ航空知識の普及と諸般の調査研究を
行い、 もってわが国航空の健全な発展を促進することを目的とする。
協会の会員は、 下記のように分かれます。
正 会 員;協会の目的に賛同して入会された方で、 原則として操縦士技能証明をお持ちの方です。
賛助会員;協会の事業を賛助するため入会した個人または法人です。 個人賛助会員は、 満16歳以上の操
縦士技能証明を持たない方で、 法人賛助会員の資格は、 特に定めはありません。
正会員の会費;60歳未満:月額
1,700円
(内訳1,500円:協会運営費、 200円:共済費)
60歳以上:月額
1,500円:協会運営費
個人賛助会員;
月額
1,500円:協会運営費
法人賛助会員:
一口年額 50,000円:協会運営費
入会すると?
①協会機関誌 (AIM・PILOT誌など) の無償入手
②航空関連商品 (書籍等) の割引購入
③会員向け、 空港施設見学や講習会への参加
④協会契約割引施設の利用
お申し込みは別途 「入会申込書」 をお送り致しますので、 事務局までご連絡下さい。
皆様のご入会をお待ち致しております!
社団法人 日本航空機操縦士協会 JAPAN AIRCRAFT PILOT ASSOSIATION
TEL03-3501-0433 FAX03-3501-0435 E-Mail [email protected]
Home page URL http://www.japa.or.jp/
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至東京
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J
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新
橋
駅
烏森口
キムラヤ●
至品川
CONTENTS
No.310
4
2008 No.5 SEP
特集
シニア・パイロットのエピソード (第21回)
航空自衛隊の歴史と共に歩んだ
36年間を回顧する
阿部
88
地球環境問題関連用語の解説
90
FAI ニュース
奥貫
博
奥貫
博
博男
91
11
18
法政大学理工学部機械工学科
航空操縦学専修実技実習講座開講
参加報告
コウノトリ但馬空港フェスティバル'08
福島空港が熱い!
柳井
奥貫
14
健三
博
開催予告
第30回 ATS シンポジウム開催のご案内
安全で効率の良い運航と航空管制
ATS 委員会
飛行艇の操縦体験報告
必須!バック・サイド・テクニック
−海上自衛隊第31航空群 (岩国) 第71航空隊研修から−
23
95
96
開催予告
第3回 航空気象シンポジウム
西日本支部だより
飛行艇あれこれ
FT 委員会研修後に得られた情報
西日本支部
岩瀬
健祐
97
30
GA:ジェネアビ情報
機長昇格を目指す方々へ、 JAPA からの特別企画
平成20年度 機長養成講習会開催案内
エアライン委員会
枕崎空港
奥貫
36
CALLBACK
47
博
World Safety Report
開催予告
98
Number342
開催予告
2008 FAI AEROBATICS 日本グランプリ
奥貫
博
マスター CFI
市川
寛晃
99
開催報告
熊本タワー見学会
49
航空気象
九州支部
台風と数値予報
台風の中心位置と進路予想は乗員にとって重要か?
航空気象委員会
100
開催報告
航空教室 in 西表島
中地
65
前編
榎本
70
102
SP (シニア・パイロット) 懇親会のご案内
103
JAPA 通信
106
オススメ!情報ボックス
洋孝
特別寄稿
中国の航空交通管制と安全保障
―「三亜飛行情報区」 を例にして
後編
書籍 & Goods 紹介
安田
淳
107
77
航空史曼陀羅
JAPA で飛行訓練を!
JAPA のシミュレーター
Flight Training Device
その25. 熊川良太郎と昭和初期の
民間パイロット事情
FTD 訓練室
徳田
83
由希香
安全キャラバン (東京ヘリポート編)
忠成
I Aviation
―アメリカの空から想う―
第2回 Make it Simple!
青木
美和
108
JAPA Aerial Photo Exhibition
110
編集後記
社団
法人
日本航空機操縦士協会
JAPAN AIRCRAFT PILOT ASSOCIATION
特集
(第21回)
航空自衛隊の歴史と共に歩んだ
36年間を回顧する
阿部
防大生の頃
20歳
76歳
と思いますが。
父は医学者
徳田:今日はお休みのところ、 お時間をいただ
き有難うございます。 早速ですが、 略歴を拝見
しますと、 満州 (現・中国大陸東北部) で終戦
を迎えられたのですね。 この頃から飛行機への
関心がおありだったのですか。
阿部:関心はありましたが、 パイロットになる
ことは考えておりませんでした。 私は男ばかり
7人兄弟の6男として東京で生まれました。 父・
俊男は東大で細菌学を専攻した医学者で伝染病
の研究をしており、 若い頃は、 長崎医大で教鞭
をとったりしておりました。 昭和10年、 満洲に
伝染病研究所を創るために、 家族で東京から渡
満したのです。 終戦時は新京 (現・長春) にお
りました。 3男は海軍機関学校を出て一式陸攻
のパイロットでしたし、 すぐ上の5男は飛行機
好きで、 終戦の年4月に満州航空の乗員養成所
に入ったのです。 しかし、 私はパイロットなる
ことは考えておりませんでした。 体が丈夫では
なかったですしね。
徳田:そうですか。 今では考えられませんね。
それにしても帰国は大変だったでしょうね。
阿部:一時期、 家はソ連軍に没収されるなど大
変でした。 約一年後に、 父親と母、 弟を残して
帰国することになりました。 父は衛生行政継続の
ため、 国連の指示を受け現地に残りました。 結
局、 帰国できませんでした。 過労からでしょうか、
22年4月に亡くなりました。 享年56歳でした。
パイロットへの動機は航空適性検査後
徳田:帰国後の仙台では、 大変な思いをされた
4
博男
2008 SEP
阿部:父の郷里である仙台の家 (古くからの病
院) は戦災で喪失しておりました。 病院を引き
継いで開業していた叔父が郊外に疎開しており
ましたので、 そこで一年ほど世話になりました。
やがて母と弟が引き上げてきて、 なんとか生き
のびました。 それで高校卒業後、 満州での幼馴
染の友人が保安大学校 (現・防衛大学校) の願
書をもってきて、 面白いから受けようというこ
とになったのです。 戦後、 満州で軍隊に守られ
ていない不安感を体験していただけに、 漠然と
防衛の必要性は感じていましたが、 保安大学校
受験時の動機は、 この程度でした。 当時は陸の
保安隊と海の警備隊とでした。 海軍の兄の影響
もあって海上要員として受験したのです。 総数
400名で陸が300名、 海が100名でした。
徳田:在学中に航空自衛隊が誕生しましたね。
阿部:29年に航空自衛隊が誕生しました。 翌年
から航空要員が採用されるようになり、 在校生
全員が、 航空適性検査を受けることになったの
です。 航空への期待が大きかったのですね。 幸
い合格することができました。 陸上、 海上の両
自衛隊にも航空部隊がありますが、 どうせパイ
ロットになるなら航空自衛隊がいいという訳で
空へ進んだのです。 50名が空へ移りました。 海
上からは半数が航空要員と言われていましたが
7名だけでした。 この内、 46名がパイロット・
コースへ進んだのです。
米空軍の操縦教育に共感
徳田:防大ご卒業後の、 飛行訓練、 それから米
留時代の話をお聞かせください。
阿部:第1操縦学校 (山口県小月基地) で
T-34 初級練習機 「メンター」 を修了しました。
教官は山口文一さんで、 戦時中は主に東南アジ
アで活躍され、 総撃墜数19機という歴戦の勇士
でした。 初対面で、 第二次大戦での黒江保彦さ
んの勇猛果敢な活躍を賞揚し、 私どもの修養目
標として示されたことが印象的でした。 それか
ら第2操縦学校 (宇都宮基地) で T-6 の履修
途中、 突然、 米留の話が持ち上がったのです。
航空自衛隊の第2航空団 (北海道千歳基地) 創
設のための F86F 移動時の事故で、 操縦教育訓
練の流れが停滞してしまったのと、 丁度、 朝鮮
戦争の終結で、 米空軍の飛行訓練に余裕ができ
た時だったことで、 20名 (陸士2名、 幹校8名、
防大1期10名) が米留しました。
徳田:米空軍での訓練では、 T-34、 T-37、
T-33、 F86L(注1)をお乗りになったようですが、
彼らの訓練手法に感心されたとか。
阿部:最初の初級操縦訓練課程で1人の教官が
3人の訓練生を担当したのですが、 進度の遅い
訓練生に対して、 先ず教官を替えて状況をみる
のです。 それでダメな場合は、 別のグループに
入れて様子をみる。 それでもダメな場合は、 次
の期に落として再び様子をみる。 さらにダメな
場合に、 はじめて本人のパイロットへの道が無
理であることを説得し、 納得させてはじめて職
防大時代、 学生服で T-6 テキサンに搭乗するところ
種変換をすすめていました。 あくまで本人の熱
意を尊重していたのが印象に残りました。 この
手法は、 多民族国家の故かと思いますが、 現状
分析をして、 徹底して対策を立てることで、 日
本人との違いを感じました。 日本人教官は、 以
心伝心に頼っているように思います。 単一民族
のためでしょうか、 伝統的に 「技術を盗め」 と
いう考えが強いようです。 米軍の手法は、 何故、
このような結果になるかという分析に優れてい
ると思いました。 これは操縦に限らないことで
すがね。
西光3佐の殉職の原因
徳田:ところで将来の幕僚長候補といわれた、
第2航空団所属の西光3佐 (海兵75期) が、 39
年4月、 F104J の最初の犠牲者になられまし
たが、 事故にまつわるお話をお願いします。
F104J そのものに問題があったのでしょうか。
阿部:機種の問題ではありません。 只、 この
F104J を導入することになったときに、 ECP
(Engineer Change Proposal) という Option
が多数提案されたようです。 予算の制約でこれ
を全項目、 一度に買うことが出来なかったので
す。 たまたま事故の原因になった Engine Nozzle Closer Function の故障は、 機械的にこれ
を閉めて推力を確保する必要があるのですが、
その ECP は採用されていませんでした。 この
ため、 なす術がなく、 Nozzle は開きっぱなし
で推力不足になり、 飛行場にたどり着くことが
できなかったと聞いています。 西さんはベイル
アウトなされば良かったのですが、 責任感が強
い方で、 新しく導入したばかりの飛行機を無事、
帰還させたいと思われたようです。
徳田:この事故は一般に F104J の欠陥のよう
にいわれていますが、 背景を理解することがで
きました。 それにしても西ドイツは、 この機体
で事故が多発し、 Widow Maker などと皮肉ら
れていましたね。
阿部:それは Mission が違うからです。 われ
われは高度のある要撃 Mission ですし、 西ド
イツは低高度機動を要する対地攻撃任務でした
から、 それだけ危険度も高いのです。
2008 SEP
5
第2次新戦闘機選定作業に従事
徳田:帰国後、 第3航空団の F86D の 101飛行
隊 (教育部隊)、 そして小松基地、 六本木の航
空幕僚監部へ移られましたね。
阿部:42年8月に六本木の航空幕僚監部へ移っ
た経緯をお話しましょう。 私が39年秋、 最初の
任地である第3航空団 (小牧基地) で、 飛行場
当直 (Air Base Officer) 勤務に就いていた時、
たまたま F86F で航空総隊の防衛部長だった黒
江さんが来られ、 半日間ほど話をする機会があ
りました。 そこで F104J スターファイター戦
力化の話になり、 「F104J にロケット弾を搭載
しても、 ほとんど役に立たないのに全天候戦闘
機などというのはおかしい」 と、 多くの F86F
出身のパイロットが主張していることが話題と
なりました。 その時 「役に立たなければ役に立
つようにすべきで、 批判だけする輩は国賊だ」
と、 私が言ったことになってしまいました。
このことを黒江さんが、 第2航空団 (千歳基
地 ) で 、 F104J の 戦 力 化 を 担 当 さ れ て い た
F86F 出身の横田義夫さん (陸士58期) に伝言
したようです。 横田さんは、 その後、 FX 選定
の要になる人ですが、 その時、 「オレを国賊と
言った阿部という奴はどんな働きをするか使っ
てみよう」 ということで、 六本木の航空幕僚監
部で第2次 FX 選定作業に従事するようになっ
たのです。 普通、 このようなことを言った場合、
「生意気だ、 この野郎!」 ですが、 横田さんの
F4 「ファントム」 をバックに、 エドワーズ空軍基
地テスト・センターにて
6
2008 SEP
太っ腹には今でも感謝しています。 横田さんの
お陰で、 その後の私の去就が大きく変わったと
思います。 この時は、 ご存知のように F4EJ ファ
ントムに決まりました。
徳田:ロッキード事件では大変でしたから、 機
種選定には神経を使われたでしょうね。
阿部:いろいろありましたが、 ここでは、 大変
勉強させていただきました。 山田良市、 横田義
夫、 副島嘉豊、 甲斐省吾 (整備)、 後藤彰 (整
備)、 鷹尾洋保 (技術) の方々が参画されてい
ましたが、 何か問題が生じると、 全員でパーッ
と処理してしまい、 さながら台所のディスポー
ザーのようで、 それは見事なものでした。
政治的な問題も、 身を潔白におき、 道理を説
くことで問題は生じませんでした。 私は関係各
方面からくる有象無象の怪文書処理係でしたが、
無理難題というより、 素人によるトンチンカン
な文書が入ってくるのです。 例えば Angle of
Attack (迎え角) を 「攻撃角」 などといって
くる。 馬鹿馬鹿しいことですが、 それらにキチッ
と対応することで切り抜けることができました。
米空軍のエドワード・テストセンターで F4
の実機による飛行テストを実施しました。 これ
で F4 は F104 に比較して飛行性能に余裕があ
ることが判りました。 最高速度は、 通常2.27マッ
ハで抑えられていますが、 2.5マッハ (−) を
確認できたのです。 ズームアップ上昇能力は、
エドワーズ空軍基地テスト・センターにて、 F4
「ファントム」 をバックに右が阿部氏、 左はマクダ
ネルのテスト・パイロット。
この時、 マッハ2.4 (+)、 高度100,000ft を記録した。
注:日本人として最高記録
F104 の80,000フィートに対して、 80,000フィー
トでレベルオフしようとしたところ、 上昇余剰
ポテンシャルで100,000フィートまで上昇して
しまいました。 まさにベトナムの実戦で活躍し
た性能を確認することになったのです。
ブルー・インパルスの復活
徳田:松島の第4航空団司令の時にブルー・イ
ンパルス (空自アクロバット・チーム) を復活
されたのですね。
阿部:そうです。 F86F から三菱 T-2 に機種変
換をしたのが57年1月でしたが、 この年の11月
に浜松基地の航空祭で事故が起きました。 5機
が垂直降下して低空で四方に広がるレイン・フォー
ルという科目でした。 私は59年6月に、 築城基
地から松島基地に赴任し、 復活に携わることに
なりました。 事故後、 既に1年半を経過してお
りましたが、 復活の目途はたっていません。 県
の仲介を期待していたようですが、 決局、 無駄
でした。 当事者である我々が解決しなければな
らないと覚悟を固め、 先ず地元との信頼関係の
醸成から始めました。 幸い、 地元の矢本町長の
全面的な支援を受け、 一月半で再開に漕ぎつけ
ることができました。 ブルーを松島へもってく
るという地元の了解をとることから始めるので
すが、 地元の首長の方々は決して了解はしてく
れません。 「何とかしなければならない」 と皆
様思ってくれておりますので、 粘り強く交渉し、
二度と事故は起こさないことを理解してもらう
必要がありました。 松島で再開したのは59年7
月29日からでした。 約64,000人の観客で盛況で
した。 正式には第21飛行隊 「戦技研究班」 とい
います。
徳田:阿部さんの松島在任中は無事故でしたが、
退任後に、 再び事故に見舞われました。
阿部:残念ながら、 平成3年7月の金華山沖で
事故を起しました。 勿論、 あらゆる安全対策は
立てますが、 とにかく現場の過信が災いの元だ
と思います。 極めて危険度の高いコントロール
を練習する訳ですが、 それまでの訓練のプロセ
スが充分とはいえません。 つまり安全な場所で
のリハーサルが徹底していないのです。 歌舞伎
でも交響楽団の演奏でも、 徹底してリハーサル
をやります。 これが不十分にもかかわらず、 無
理をしてしまうのです。 他面、 リハーサルには
意外なメリットがありました。 技量上の余裕も
できますし、 基地上空で練習すると、 基地の隊
員が楽しむことができるのです。 彼らは航空祭
では忙しいですからね。 金華山のときは、 雲中
飛行による事故でしたが、 やはりリハーサルと
しての場所としては不適でした。 その後、 川崎
T-4 に替わり、 幸いに現在まで展示での事故も
なく、 航空祭のときは皆さんに楽しんで戴いて
おります。
「ハインリッヒの法則」 は生きている
徳田:ブルー事故とも関連しますが、 飛行安全
対策には、 ご苦労があったと思いますが。
阿部:私の在任中も何回か航空事故がありまし
たが、 幸いにも私の直接責任においての死亡事
故は起きていません。 私が新田原基地で飛行隊
長をしていたとき、 難波正樹 (航空学生23期)
訓練生が F104J の転換教育を無事終了し、 教
官要員として2∼3回飛行訓練を実施した時、
10,000ft くらいで Flame-Out して墜落した事
故がありました。 本人はベイルアウトして助かっ
たのですが、 その事故原因を正直に言ってくれ
ました。 専門的になりますが、 ガードが掛かっ
てワイヤリングされている Main Fuel Shutoff V. スイッチと Tip Tank Feeding V. スイッ
チとが並列に並んでおり、 誤って前者を切って
第8航空団 (築城基地) でのファントムによるアラー
ト勤務の頃。 F4EJ 「ファントム」 で (昭和57年)
2008 SEP
7
しまったのです。 お蔭で、 その後の同種事故を
未然に防いだ好例です。
更にこういうことがありました。 飛行教育集
団司令官のときに、 T-1 ジェット練習機の単独
飛行訓練で Split Flap になった事故で殉職さ
せてしまいました。 原因は Flap をコントロー
ルしている Flexible Shaft が、 要求性能を満
足していない規格外だったのです。
これも早速、 検討され改善されました。
徳田:飛行安全問題は、 航空に携る者にとって、
官民共に永遠の課題ですね。
阿部:その通りです。 珍しい事故原因がありま
す。 アクロもやった優秀なパイロットである滝
川守正 (操縦学生5期) 飛行隊長が、 T-2 で主、
補助電源の両方がアウトの状況でなんとか降り
てきました。 T-2 で両電源が不作動になると非
常に危険で、 彼の沈着さと技量あってこその結
果でした。 私は対策として UR (Unsatisfactory Report) を発出して、 徹底して原因究明
をしてもらったところ、 意外なことが分ったの
です。 両方の電源制御装置が T-2 の後席に装
備されており、 旋回をするときの太陽光線で、
その機器に使用されているダイオードの容量が
変わり、 それが故障原因に繋がっていたのです。
国産技術の限界を見た思いがしました。
徳田:なかなか興味ある話です。 飛行機と人間
との技術開発の葛藤の歴史そのものです。
阿部:第4航空団 (松島基地) に行って思った
のは、 事故が起こるときは、 起こるべくして起
こるということです。 1対29対300の 「ハイン
リッヒの法則」 にもあるように、 事故が起こる
ときは、 相当に抜けている、 分かりやすくいえ
ば 「弛んでいる」 素地があると思うのです。 例
えば具体的には、 本当のことを言わない、 つま
り報告が正しくない、 やっていないことをやっ
たと言う、 いわゆる Discipline に欠けている
のですね。 それが事故につながっていくと思い
ます。 ハインリッヒの300は、 このような些細
なことを含むもので、 上下の意思の疎通が良く
図られ、 明るく溌剌として活動する組織には事
故は無縁であると思います。
8
2008 SEP
飛行教育集団司令官に着任 (空将) の頃の阿部氏
(昭和63年7月)
基本の積み重ねと部下を思う心が重要
徳田:63年7月に、 飛行教育集団司令官 (注2)に
就任され、 いわゆる飛行教育のトップに立たれ訳
ですが、 教育の基本はどのようにお考えでしたか。
阿部:教育の基本は、 当たり前のことを確実に、
しっかりやることに尽きると思います。 よく、
実戦的訓練などというと、 何か攻撃的でむちゃ
くちゃに思われがちですが、 要は基本の積み重
ねが最重要だということです。 基本がシッカリ
していれば、 どんな状況にも対応できるはずで
す。 パイロットに関しては、 飛行技術もさるこ
とながら、 心技体のバランスのとれた人間を育
てたいという考えに終始しました。
徳田:教育指針は、 具体的にどのような内容で
したか。
阿部:航空教育集団では、 飛行教育集団のみな
らず、 術科学校や幹部候補生学校なども組織下
になりましたので、 教育部隊運営上の 「教育の
理念」 を確立・徹底すべく腐心しました。 自衛
隊というところは、 基本的に縦割りの世界です
が、 上意下達の一方通行ではなく、 上位者は下
位者を確実に掌握している必要があります。 彼
らの働きに関心をもち、 その功績を認め、 褒め
ることで組織が活性化する筈です。 かつてのヨー
ロッパ戦線で、 アイゼンハワー司令官の参謀長
として活躍したブラッドレーの言葉として、 デ
モクラティックの軍隊で、 統率の意図するとこ
ろは、 「厳格ではなく堅確」 「わからず屋ではな
く和合」 「放縦ではなく正義」 「狭量ではなく人
間味」 「我が儘ではなく寛大」 「自己中心ではな
く自尊心」 という言葉を肝に銘じ、 この考えを
実践するように努力しました。
徳田:今おっしゃった言葉は、 どの組織でも通
じることですね。
パイロットの有効活用が不十分
徳田:航空自衛隊退職後、 日本エアシステムの
顧問に就かれて、 自衛隊退職パイロットの民間
への移籍にご尽力されましたが、 経緯をお聞か
せ下さい。
阿部:61年秋以来、 日本の内需は急速に拡大し
ましたが、 この年6月、 「航空輸送の発展推進」
という運輸政策審議会の答申を受けて、 民間航
空は激しい競争時代に入りました。 業績をのば
す条件として、 パイロットの確保が浮上してき
たのです。
当時、 日本エアシステム (JAS) は、 日本
エアコミューター (JAC) に YS-11 と操縦者
を提供しておりました。 そこで、 YS の操縦者
をエアシステムの方に引き上げることを考えた
のです。 その穴埋めとして航空自衛隊の定年退
職者を定期運送に必要な資格を取らせることを
考えたのです。 しかも、 より軽易な資格 (上級
事業用) で運航できる航空機サーブ 340B を
YS の後継機として導入したのでした。 しかし、
定年になろうとする段階での資格取得は困難を
極め、 結局一人としてこの計画でサーブの乗員
になった者はなく、 新機種導入のため、 かえっ
て JAS から貴重な操縦者を出向させることとな
り残念な結果になりました。 その後、 定年退職
者については、 航空自衛隊の輸送機等で ATR
を取得し、 運航に従事していた者が少数ではあ
りますが JAC で活躍することになりました。
一方、 運輸省、 防衛庁など関係省庁は、 「割
愛」 制度を円滑且つ計画的に行うため、 割愛制
度発足当時に作成された覚書の骨子を再確認し、
これを改めて、 その後の方針・了解事項とした
のです。 つまり 「割愛対象者は35歳以上」 「自
己都合退職者は2年間の冷却期間をおく」 とし
ました。 自衛隊パイロット養成には、 巨額な税
金が投じられていますから、 防衛省としては、
少なくともこれらの条件は当然だと思います。
他方、 旺盛な民需に対応するためにも、 自衛
隊で存分に活躍し、 人格、 識見、 技量のすべて
において、 申し分のない者が転職していっても
らいたいものです。 組織にしても個人にしても、
後顧の憂いなく官から民へ移るべく、 私が
JAS 顧問になった理由も、 こういう背景があ
ります。 Air Power の視点からみると、 パイ
ロットというのは自衛隊にしろ民間にしろ、 一
朝一夕には生まれないにもかかわらず、 彼らが
蓄えた経験と知識が十分に活用されていません。
主要先進国は例外なく活用を図っています。 パ
イロットとしての基本は同一ですから、 それぞ
れに相互の意思の疎通を図りながら、 将来は一
元管理の道を探り、 恒常的な具体的割愛制度の
確立が望ましいと思います。
徳田:航空自由化の時代、 この問題はますます
重要な課題になると思います。
座右の銘は 「先憂後楽」
徳田:影響を受けられた人物ないし座右の銘が
ありましたらお教え下さい。
阿部:身近な存在では、 横田義夫さんです。 空
日本エアシステム常勤顧問時代 (平成2年6月)
2008 SEP
9
将補のときにご病気で亡くなられましたが、 そ
の器量に多くを学びました。 座右の銘は 「先憂
後楽」 です。 「他人より先に心配し、 他人より
後に楽しむ」 という意味です。 東京や岡山にあ
る後楽園の名前の由来になっていますが、 少な
くとも、 そのように心掛けるということです。
これはリーダーシップの必須条件だと思います。
論理的積み重ねが重要
徳田:最後に一言、 これからの自衛隊の在り方
について、 ご意見をお聞かせ下さい。
阿部:日本の防衛についての議論は続いていま
すが、 少なくとも自衛隊なしでは、 日本の安全
は考えられません。 日本の国是ということもあり、
もう一つ防衛に対する国民の理解が浸透してい
るとは言い難いのですが、 隊員諸兄姉は、 時代々々
の世論に左右されることなく、 目的意識をシッ
カリもって任務に精励してもらいたいと思いま
す。 是々非々で組織は動くべきですが、 日本人
に有りがちな情緒だけでは駄目です。 これから
のハイテク技術を駆使する時代に対応すべく、
論理的な議論を積み重ねて、 皆が同じ方向へ行
くということが重要です。 これは同時に、 社会
のどの組織でも通用するのではないでしょうか。
徳田:ごもっともだと思います。 本日は長い間、
本当に有難うございました。
注1:ノースアメリカン F86L は、 F86D 全天候戦闘
機の発展型で、 F86シリーズは、 A/D/E/F/H/
K/L があり、 航空自衛隊は、 供与も含めてF
型255機、 D型122機が使用された。 なお F86L
型は、 米国とタイ空軍でのみ使用された。
注2:航空自衛隊は、 主に現場を統括する航空総体、
これを支援する航空支援集団、 それに教育部
門の飛行教育集団の3本柱から成っている。
飛行教育集団は、 平成元年度から組織改編に
より、 航空教育集団となって発展的に解消した。
阿部博男氏略歴:
昭和7年8月29日 東京都生れ
昭和32年3月 防衛大学校卒 (1期生)
昭和32年6月 第一操縦学校初級操縦課程 (小
10
2008 SEP
昭和32年12月
昭和33年5月
昭和35年5月
昭和57年7月
昭和59年6月
昭和61年3月
月基地) 修了、 (T34 「メンター」)
第二操縦学校中級操縦課程 (宇
都宮基地) 訓練、 (T6 「テキサン」)
2年間の米留 全天候要撃機操
縦課程 (T34、 T37、 T33、 F86L)
第3航空団 (小牧基地)、 F86D
全天候要撃戦闘機教官
第8航空団司令兼築城基地司令、
空将補 (F4EJ、 F-1、 T-2)
第4航空団司令兼松島基地司令
南西航空混成団司令官 (那覇基
地)、 空将 (F4EJ、 T-33)
昭和62年7月
西部航空方面隊司令官 (福岡県、
春日基地) (F4EJ、 T-33)
昭和63年7月 飛行教育集団司令官 (浜松基地)
平成1年3月 航空教育集団司令官 (浜松基地)
平成2年6月∼14年6月 日本エアシステム常
勤顧問
平成4年6月∼ディフェンス・リサーチ・セ
ンター評議員、 研究員
平成12年3月∼15年6月 防衛大学校同窓生会々長
総飛行時間
3,951時間
取材を終えて:阿部家は、 祖父は緒方洪庵が
興した適塾に始まる西洋医学を修得した医学
者、 ご尊父、 親族、 兄弟とも医学・工学に関
わっている秀才揃いの家系である。 そんな中
で防衛大学校へ進学された阿部氏は異色の存
在であった。 昭和32年3月に防大をご卒業、
常に航空自衛隊の中枢を歩まれ、 その基盤を
築かれたことは、 略歴の示す如くである。 し
かも、 退官後は日本エアシステム常勤顧問と
して、 自衛隊退職パイロットの民間への橋渡
しにご尽力されたことは、 われわれの記憶に
新しい。 川崎市高津区にある梶ヶ谷の閑静な
ご自宅にお伺いした。 かつての煌びやかな経
歴に奢ることなく、 往時を淡々と語られる口
ぶりは、 深く強い愛情によって部下をご指導
されたであろう心情が伝わってくるようだっ
た。 ご夫妻共に、 心から末永くのご多幸をお
祈りします。
徳田 記
法政大学理工学部機械工学科
航空操縦学専修実技実習講座開講
熱い!
が
港
福島空
編集委員
記事 柳井
写真 奥貫
健三
博
このたび法政大学が理工学部機械工学科に、
いわゆる操縦専修講座を設置し、 実技訓練フラ
イトのオープニングを披露するので、 取材にい
らっしゃいませんかとの連絡を受けた。
のは、 この空港に GA の活動がほとんど無い
からだろうか。 ここに初めて、 エアライン以外
の活動拠点として操縦訓練専門施設が誕生した
のだ。
法政大学とわが国操縦士の結びつきには80年
に及ぶ長い歴史が横たわる。 アマチュアの飛行
家組織、 「日本学生航空連盟」 の先駆として、
1930年には既に同学航空研究会があり、 後に同
学学生操縦士により、 訪欧飛行などが行われた
と記録にある。
法政大学では急務である日本のパイロット養
成のため、 日本航空 (JAL) 国土交通省 (航
開講式典は福島県副知事、 須賀川市長、 地元
玉川村村長、 アルファアビエーション代表の
祝辞と、 同学理工学部教授陣の挨拶があり、 同
講座開設の意義と理念などが紹介された。
近年の操縦士不足と航空産業の活性化を促す
ため、 「日本の空でパイロットを育てる」 「操縦
できるエンジニアを育てる」 の2つの理念に基
づき、 福島空港と周辺企業、 住民の理解・協力
のもとに進める、 との内容であった。
空大学) 等の企業、 機関の協力支援体制を構築
し、 福島空港および地方自治体のバックアップ
を受け、 このたび航空機操縦学専修実技実習の
開講にこぎつけた。
福島空港
国土交通省
TEAM HOSEI
フライトスクール
法政大学
航空操縦学専修
メーカー
同講座教授陣の一部は航空業界及び官界から
の起用である。
また、 実技実習をアルファアビエーション
が委託を受けて実施する。 敷地内には施設、 訓
練機材など斬新なものが用意されていた。
日本航空(JAL)
海外の大学
航空大学校
実技実習の行われる場所は福島空港。 本学の
ある東京から200km 隔たる地方空港とはいえ、
2500m の滑走路1本と精密進入施設、 大型機
材6機分の広いランプ、 CIQ 常設の国際線ター
ミナルをもち、 福島県の紹介によれば 「2500台
分の無料駐車場」 を用意、 とある。 利用者にも
これは魅力だ。
広さとトラフィックの少なさに違和感がある
訓練教室と訓練機 Diamond DA40型機
2008 SEP
11
余裕のある敷地に建つ格納庫と教室には、 ラ
ンプ地区を経ないとたどり着けない不便を残し
てはいるが、 増設への敷地を確保するなど、 大
きく将来への展開を見越している。
私立大学が、 操縦士を養成する目的の学科を
設置するのは近年の傾向。 法政大学は理工学部
内に操縦学専修講座を設ける。 他の多くが実技
訓練を外国に委託するなか、 資格付与までの全
課程を日本国内で実施すると言う。
「モノ造りの国日本」 の将来は航空機を基幹
とする産業に変わる、 これらに従事する技術者
に操縦できる能力を付加する、 つまり 「飛べる
エンジニア」 を育てるのが目標となっている。
トへの進路の見極めと、 併せて事業用操縦士以
上の資格取得を目指す。
さらに大学院1, 2年次では 「航空機操縦学」
を専攻し、 航空関連修士資格も併せ取得する。
「航空機操縦学」 とはフライトシミュレータの
プログラミングを含む航空工学技術を指すとの
ことである。
学生数は初年度24、 次年度以降30とし、 在学
総数120名を見込む。 法政大学では、 福島空港
での訓練が地方の活性化に繋がるとの地元産業
界の理解を得て、 訓練の一部をアルファアビ
エーションに委託した。 同社ではこれを受けて、
空港内に専用施設 (格納庫、 および付随設備)
を新設した。
初等訓練機材はカナダ Diamond Aircraft 社
の Diamond DA40型単発レシプロ機を初年度
2機、 最大11機 (多発機3機を含む) 配置し、
教官、 スタッフなど講座をサポートする専門の
人材を確保した。
開講式典後のインタビューに応じる法政大学教授陣
大学4年次を通して29週間、 65時間以上の操
縦訓練を実施し、 自家用操縦士技能証明を取得
させるカリキュラムが組まれている。 一般産業
界の技術習得訓練の進度、 密度とは異なり、 緩
やかな設定だが、 本来の学業に加え、 個々の進
度に無理なく応ずるには適切な設定だ。
1年次ではエンジニアとしての基礎教育に重
点をおき、 学生の自覚と適性を見極めるため、
操縦実習は1週間と定め、 5飛行時間程度に留
める。
2、 3年次で初等操縦訓練を履修、 4年次に
自家用操縦士の資格を取得させ、 プロパイロッ
12
2008 SEP
アルファアビエーション社の新設格納庫
訓練を通して、 学生と教官間の心の交流を図
り、 人格形成にも寄与したいと、 齊藤 静、 同
社代表は語った。 齊藤氏によれば、 法政大学の
計画を受けてから開設までに10年を要したとの
ことである。
訓練機材の選択にあたり、 ジェット燃料以外
の補給施設のない同空港で、 あえてガソリンエ
ンジン機を選んだのは、 型式承認取得の手間を
少しでも簡素化したかったからで、 「それでも
3年かかった」、 と苦労の一部が紹介された。
しかし機材は順次ディーゼルエンジン機などに
変更させる計画と言う。
訓練関連経費について大学関係者の話では、
費用は学生の授業料 (一般学生の約2倍程度で
あると) で賄うが、 産業団体のスポンサーシッ
プ、 政府補助金なども当然視野にあるらしい。
学生への聞き取りによれば、 大学の指針とは
別に、 多くはプロパイロットへの道を目指して
いるようだ。
大学もこの矛盾は分かっているようだが、 学
生たちが、 プロへの移行に4∼6年もの長い時
間と費用を掛ける、 気持ちと財布にゆとりがあ
るのだろうか? これは辛口なコメントだが、
疑問も感じる。
都会地にある煩雑な空港とトラフィックへの
現実的な対処技術、 問題視されている操縦士の
実務外国語能力への対応など、 彼らが将来遭遇
するであろう場面を思うと、 「純粋培養」 とい
う言葉のイメージが重なる。
訓練の安全という見地では、 産業界のように
集中訓練体系がとれない条件で、 学生の技量維
持と心身の管理に一段の注意が払われるべきで
ある。 また福島空港の厳しい気象条件への特別
な注意喚起が望まれる。
「操縦できるエンジニア」 と 「プロパイロッ
トになりたい学生」 の、 大学と学生間の思いの
隔たりが懸念される。 しかし、 アルファアビエー
ション・スタッフ、 福島空港関係者や地元の理
解を得て、 「産学協調ベクトル」 の合力が、 法
政大学の理念に合致するであろうことを願う取
材となった。
プリフライトチェック異常なし!
航空操縦学専修1年生 熊谷 愛美さん
オープニングに選ばれた第1期生6名と教授・スタッ
フ陣
この日、 第1期学生6名の実技訓練が2機の
DA40型機により披露された。 路線機に合わせ
た広い施設と環境を、 小型訓練機が占有する光
景は、 何とも贅沢で、 伸びやかではある。
問い合わせ先:
法政大学入試センター
〒102-8160 東京都千代田区富士見2−17−1
電話:03 3264 9300 (直通)
web :www.hosei.ac.jp/
航空機操縦学専修 web:
www.hosei.ac.jp/riko/koku/
2008 SEP
13
飛行艇の操縦体験報告
必須!バック・サイド・テクニック
US-1A
錦帯橋
−海上自衛隊第31航空群 (岩国) 第71航空隊研修から−
経緯:FT 委員会では、 毎年その活動の一環として、 委員所属各社・研究機関での安全で効率的
な飛行試験業務の遂行に役立てるべく、 日本国内の航空宇宙関連企業・機関等を訪れ、 その業務
について見学・研修を行っています。 本年は、 海上自衛隊第51航空隊 (厚木) の訓練指導隊を通
じて、 上記第71航空隊研修を依頼し、 上級司令部である航空集団の承認を経て実現したものです。
この企画実現に多大なご尽力・ご協力をいただいた海上自衛隊関係者の皆様に誌面を借りて厚く
御礼申し上げます。 なお、 当然ながら 飛行艇の操縦体験 は、 実機ではありません。 OFT?で
す。
(文責:FT 委員会委員
岩瀬
健祐)
US-1A の着水
1. 研修日時
梅雨の合間、 好天に恵まれた平成20年6月27日 (金) 1210∼1610
が同部隊の全面的な協力・支援の下に実施された。
14
2008 SEP
海上自衛隊岩国航空基地見学
2. 研修目的
開発の経緯と飛行試験の概要等を研修し、 試験飛行操縦士としての見識を深めるとともに今後の
業務及び飛行安全の資とする。
3. 参加者 (計14名)
三菱重工 (3)、 川崎重工 (2)、 富士重工 (2)、 JAXA (5)、 JAMCO (1)、 JAPA (1)
4. 研修実施概要
・岩国航空基地広報室が前述の研修目的に沿って作成し
た、 分単位の基地見学支援計画書に従って以下のよう
に研修が開始された。
・12時30分より、 第71航空隊ブリーフィング・ルームに
おいて、 岡本飛行隊長より第71航空隊概要及び U-2
飛行試験概要について説明を受け若干の質疑応答を実
施した。 第71航空隊司令笹見1佐を表敬訪問のため、
菅野 FT 委員会委員長のみ中座した。
・13時15分頃、 参加者全員集合で US-2 を背景に写真撮
影。
・13時20分より、 あらかじめ組分けした4組に分かれ、 シミュレータ (US-1A/MH-53E 後者は一
部の組のみ) 研修、 US-2 実機見学、 71空紹介ビデオ閲覧のローテイションで、 効率的な研修を
おこなった。
・研修の最後に、 菅野委員長および岩瀬協会顧問の2名で、 71空を統括する第31航空群司令 植月
海将補を表敬訪問し、 今回の研修へのご協力ご支援に対し謝意を表わした。
2008 SEP
15
5. 研修内容
71航空隊およびUS-2飛行試験概要等
① 第71航空隊概要
第71航空隊は、 航空集団隷下の第31航空群に属する3航空隊の中の一つで、 主として、 遭難航
空機や遭難船舶等の捜索・救助等洋上における救難業務、 および都道府県知事等からの要請によ
る離島からの患者輸送を任務としている。 隊員数は約200名、 保有する航空機は US-1A を5機
US-2 を2機。 ただし、 厚木航空基地において常時前進待機し、 任務の即応性を図っている。
飛行安全記録:47,022.9時間 (平成7年2月22日∼平成20年4月30日現在*)
* 「安全月報」 2008年第6号より
②
主任務である救難の流れ
上図は、 着水して救助となっているが、 現実には、 救難地点に到着後、 現場海面の波高測定の
結果、 着水の可否 (着水可能最大波高3.5m) を決定し、 着水後の直接救助または上空から物量
投下等による間接救助となる。 前者の場合、 直接救助法 (ボート救助、 泳者救助、 救命索救助、
接舷救助) の選択をして着水をする。 後者の場合、 物量投下の必要がある場合、 投下物量 (ハッ
チ型、 弾倉型、 物量傘、 浮舟) の選択をして、 物量投下および付近航行中の船舶誘導等を行う。
救難実績は、 平成20年6月25日現在、 洋上救難・患者輸送・その他で総計815件・救助人員798
名、 災害派遣744件。
16
2008 SEP
③
航空機の概要 (US-1A/US-2)
2008 SEP
17
④
US-2 開発の概要
US-1A を母機として、 洋上救難能力の向上を図るため、 諸性能の大幅アップをねらい、 エン
ジンとプロペラの換装、 機内の与圧化、 FBW の採用、 グラスコクピット化等の改善が行われた。
当初は UA-1A 改と呼ばれたが、 途中から XUS-2、 実運用に伴い US-2 となった。
新明和での水上試験は、 2003年11月19日から5回実施され、 初飛行は2003年12月18日であった。
(PILOT 誌2008 No.8 JAN 参照) 飛行試験では、 基本性能の検証、 システムの機能検査、 想定
された故障時操作手順の妥当性が確認され、 その後、 機体は防衛庁技術研究本部に納入されて、
技術研究本部及び海上自衛隊による技術・実用試験が2003年暮から1号機で始まった。 翌年第2
四半期からは2号機が加わった。 全ての試験項目が終了したのは2006年末で、 試験用計装を取り
外し、 部隊での運用形態に戻した後、 第71航空隊へ引き渡され2007年4月より部隊運用が開始さ
れた。 飛行試験は約500 (50) 時間、 飛行回数は約150 (15) hop を数えた。 カッコ内は新明和で
の概略の数字である。
18
2008 SEP
技術・実用試験空域およびデータ送信経路等を下図に示す。
実機見学
4組のうち、 2組ずつにわかれ駐機中の US-2 (2号機) の見学を実施した。 全体的な説明を機
外で受けた後、 機内に入り一組は操縦室、 もう一組はキャビンの装備等の説明を受け、 時間を気に
しながら見学箇所の交代をした。 操縦席に座った時の地面までの高さの感じは、 DC-10 や A-300
とほぼ同じであった。 各組多くの Q & A をしながら見学をした模様。
機外での US-2 概要説明
US-2 機首部 (かんざし、 ピトー、 FLIR 等)
2008 SEP
19
6.5°Swept Up した後部艇体下部
Pilot Eye Position から見た“かんざし”
シミュレータ試乗
海上自衛隊では、 シミュレータを OFT (Operational Flight Trainer) といい、 今回の研修で
は、 US-1A のシミュレータを参加者全員が、 また時間の都合で MH-53E のシミュレータを一部の
参加者が研修できた。 シミュレータ・メーカーは三菱プレシジョンで、 シミュレータの構成は、 当
然のことながら Cockpit, Instructor Panel, Visual System, Motion System,その他油圧発生部、
演算処理部等一般的なものであった。
US-1A シミュレータ (OFT)
US-1A で離陸滑走開始 (モニター画面の映像)
US-1A のシミュレータでは、 13分に凝縮された典型的な離着水と荒海への着水、 離島 (父島)
への着水、 離水のデモンストレーションを体験した。 荒海への着水後の機の動きは、 機が波に翻弄
された非常に迫力あるものであった。
静かな海への着水を実施した際、 No Shock でおかしいなと感じたら、 その直前に広報担当者が
次のスケジュールの時間が近いことを伝えにシミュレータに乗り込んできて、 モーションが切れた
ためと判った。
40ton (約88,000lbs) の機体を速度53kts、 Sink Rate 300ft/m で、“かんざし”を水平線に合わ
せ、 ピッチ角6.5度 (胴体下部の Swept Up の角度) を保ち、 No Flare で落着気味に着水するには、
バック・サイド・テクニック*で、 ピッチとパワーをコントロールする必要があったが、 その操縦
技法に慣れる前に着水体験は終わってしまった。
20
2008 SEP
着水後、 急激な頭下げを防ぐため Full Up の Elevator 操舵を必要とする。 停止までの時間は非
常に短く、 大型ジェット旅客機での Dry Runway 上の Max. Braking 位かと感じた。
(*バック・サイド・テクニックとは、 スピードは推力またはパワーで、 昇降率はピッチ・コン
トロールでという従来の操縦法とは全く逆のやり方であり、 スピードはピッチ・コントロールで、
昇降率は推力またはパワーでという操縦テクニックである。)
MH-53E のシミュレータは2組のみ体験できた。 何ら予備知識のない状態での操縦体験であっ
たため、 機が惰性に流されることが多く、 折角のチャンスを無駄にした思いが強い。 計器類の照明
も赤色で夜間視力の低下した加齢パイロットには、 スキャンの悪さも加わり、 計器と Visual から
の情報を活用できないまま、 悪戦苦闘をした体験搭乗であった。 (岩瀬)
6. Q & A のまとめ (Q⇒A:)
後日、 参加者から研修時の質疑応答を集めたので参考までに下記に記す。 (順不同)
Q Stall Test 実施高度は ⇒A:9,500ft
Q 新明和と海自でのテスト全体の比率は ⇒A:1対9位
Q Pilot Eye Height は ⇒A:陸上6m、 海上3m
Q EFC (Engine Failure Compensation) はどのエンジン故障にも対応か ⇒A:Yes、 着水時
のみ。
Q 水平尾翼は可動か ⇒A:No
Q 急減圧時の緊急降下試験は実施したか ⇒A:Yes、 降下開始時に大きなピッチ・ダウン必要、
降下率は8,000ft/m くらい (*操作手順の議論ができなかった)
Q 夜間着水は ⇒A:夜間着水は岩国水上飛行場では実施、 洋上夜間着水は実施していない。
Q US-1A と US-2 の操縦感覚はどちらが良い ⇒A:断然 US-2
Q 電波高度計アンテナの取り付け位置 ⇒A:No.2エンジンのナセル下側に一つ装備
胴体下面には水上機のため他のアンテナも無い。
Q 胴体下についているピトー管のようなものは何 ⇒A:水中ピトー管、 ただし現在は使用せず。
Q Landing Gear Warning ⇒A:Sea と Land で目的の形態でなければ音声メッセージ
(Go Around) +CAS (Crew Alert System) メッセージ (Gear Check)
Q ピトー管の取り付け位置は ⇒A:機首上部 (写真参照)
Q 静圧孔の位置は ⇒A:左右胴体中部
Q HUD は装備されているか ⇒A:No、 搭載可能な Space は確保してある。
Q US-2 のシミュレータは ⇒A:現在製作中 (平成21年6月ころ納入される予定)
Q 波消し板の素材は ⇒A:チタン合金
Q 水上ホバリングのやり易さ ⇒A:Blade Pitch がリニアにコントロールでき容易になった。
Q 離着陸時の横・方向コントロールは ⇒A:FBW になって US-1A より容易になった。
Q 錨をつける索へのアクセス ⇒A:床下の非与圧区画に降りてからアクセスする。
Q FMS や Autopilot はどの程度のもの ⇒A:FMS 未装備、 AP での着水進入及び ILS 進入可
Q PFD の横についている数字目盛りは何か ⇒A:Gメーターである。 +4から−2まで。
Q 着水後陸に上がるとき、 ギアはどのタイミングで出すか ⇒A:揚陸直前に出す。
Q チェックリストは紙か Electronic か ⇒A:電子チェックリスト、 ただし B777 のように自動
的に出て、 チェックオフされる等の機能はない。
Q 緊急出動に要する時間は ⇒A:昼間は1時間、 夜間は2時間で離陸
2008 SEP
21
Q
Q
Q
Q
Q
Q
Q
Q
Q
Q
Q
コックピット上側の窓は ⇒A:脱出用でロープを使用する。
着水間際の目標は何か ⇒A:かんざしを水平線に合わせ姿勢を維持し着水する。
油圧ポンプは幾つ ⇒A:各エンジンに1個、 AC 電動が2個、 DC 電動が2個で計8個
FLIR の出し入れは ⇒A:人力で実施、 結構たいへんである。
後部ドアを開いたときに入った海水は ⇒A:ドア付近の溝から排水
アイポイントの決め方 ⇒A:中央窓枠にある丸い球を参考に座席を上下・前後に動かす。
FBW 故障時は ⇒A:手動操舵となる。
FBW 等のブラックボックス類収納場所は ⇒A:天井の横のラック
操縦系統は FBW のみか ⇒A:FBW (3重系) +メカニカル・バックアップ (操縦索)
US-1A と US-2 の混乗は認められているか ⇒A:No.
エンジン・コントロールは FADEC (Full Authority Digital Electronic Control) か ⇒A:
Q
Yes.
BLC (Boundary Layer Control) 用エンジンと APU はどこ
⇒A:胴体上部主翼後方
7. 研修を終えて
研修参加者からの率直な感想を紹介します。 (順不同)
有難うございました。 お蔭さまで密度の濃い研修が出来ました。 予定通りに進行し、 海上自衛
隊らしい、 スムースかつスマートな案内に感心させられました。
行動半径が増大した US-2 の今後の活躍に大いに期待したい。
海上で運用される機体であるため、 錨が装備されていること、 後部の作業区画は海水浸入の対
策が採られている等、 通常の航空機にない設備等があり、 興味深いものであった。 また、 コク
ピットの計器配列も洋上での運用が考慮され、 過去の経験が随所に生かされており、 参考となっ
た。
US-1A の OFT 研修では、 US-1A の運用が良く判るデモの後に、 主に離着水の操縦を実施さ
せていただいた。 動揺のある海面の離着水と通常の離着陸は想像以上に違っており、 カルチャー
ショックを受けた。 洋上救難が非常に大変な任務であることを実感した。
多くの参加者が日帰りで行動できるようにとの配慮から、 岩国航空基地での研修が約半日とい
う計画であったが、 内容の濃い効果的な研修であった。
岩国航空基地は、 飛行艇、 掃海機、 訓練支援機等、 多機種を運用しており、 他基地では見るこ
とのできない機体も多く、 また民間組織のパイロットが自衛隊機を見学できる機会は貴重であ
り大変有意義であった。
着水と着陸における US 独特のバックサイドアプローチを体験することが出来た。 着水後の揺
れは、 OFT とはいえ船酔いになりそうだった。
性能の良い HUD は着水の安全性に寄与するの
ではないでしょうか。
…………………………………………………………
参考文献等:
71航空隊紹介パンフレット等
新明和技報 No.30 (2008)
PILOT 誌 2008 No.1 JAN
US-1A OFT 紹介パンフレット
22
2008 SEP
岩国航空基地でのツーショット
US-2/US-1A
US-1A
US-2
飛行艇あれこれ
(新明和工業提供)
FT 委員会研修後に得られた情報
(新明和工業提供)
FT (フライト・テスト) 委員会 岩瀬 健祐
経緯
海上自衛隊岩国航空基地での FT 委員会の研
修時の実機見学、 OFT の体験と Q & A だけで
は、 飛行艇とそのオペレーションを理解できた
とは言いがたく、 次から次へと更なる疑問が沸
き起こりました。 そこで、 その後色々な資料を
読み、 関係者にお聞きした結果を、 飛行艇の
操縦体験報告記事のフォロー・アップとして
まとめてみました。 もちろん正確性を欠く部分
があることを百も承知の上で、 エアライン・パ
イロットから見た、 ユニークな飛行艇のオペレー
ションを紹介します。
US-2 の機体構造・システム関連
水平安定板は固定である。 ただし、 HYD 故
障時に Nose Down とならないよう逆キャン
バーとなっている。
操縦系統は、
FBW が3重系で、 メカニカル・
バック・アップがある。 IRU2台と ISU1
台が装備されている。
EFC (Engine Failure Compensation) 機能
は、 着水アプローチの際エンジンが故障した
時、 パイロットが回復操作を開始するまでの
時間の余裕を確保し、 飛行の安全性を向上さ
せるものである。 FADEC から出力されるエ
ンジン故障信号をもとに、 ロール及びヨー運
動を低減するため、 補助翼、 方向舵へのフィー
ド・フォワード制御と、 補助翼、 外フラップ、
方向舵への姿勢信号のフィード・バック制御
により操舵する。 加えて、 高度低下を Minimize するため、 残存エンジンのパワー・レ
バーを TDU (Throttle Drive Unit) により
作動させ、 パワーを増加させる。 内舷側エン
ジンが故障した場合は、 故障していないすべ
てのエンジンのパワー・レバーを作動させる
が、 外舷側エンジン故障の場合は、 ヨー方向
のアンバランスが過大とならないように、 内
側エンジン2機のパワー・レバーのみを作動
させるようプログラムされている。
この EFC は、 数ある FBW 操縦系統機能の
一つで、 Flap50∼60度の間で作動する。
飛行艇にとって対水衝撃を少なくするために
は、 着水時の速度をできるだけ小さくするこ
とが必要である。 US-2 でも US-1A と同様
に BLC (Boundary Layer Control) が重要
な役割を担っている。 すなわち、 離着水のよ
うな極低速時に、 内側フラップ、 外側フラッ
プ、 昇降舵および方向舵の、 各動翼前縁部の
ノズルから、 圧縮空気を吹き出すことで、 境
界層の剥離を防ぎ高揚力を得るだけでなく、
舵の効きを確保し、 姿勢制御を可能としてい
る。 航空機における境界層制御には、 色々な
方式があるが、 US-1A や US-2 のように、
専用のエンジンを装備した機種は珍しい。
F-104 のような Flap 後端の Slit からエンジ
ンの Bleed Air を吹き出す方式や、 ASUKA
のようなジェットエンジンの排気を翼や
Flap の上面に吹き出す方式は、 エンジンを
絞ると揚力が減るため、 絞るタイミングが重
要となる。
US-2 の BLC は、 吹出用空気源装置 (圧縮
機駆動エンジン・圧縮機) とダクト系および
吹き出し用ノズル系で構成されている。
(次ページ図1/2参照)
2008 SEP
23
図−1
圧縮機駆動エンジン・圧縮機配置イメージ
図−2
24
2008 SEP
圧縮空気ダクト配管イメージ
US-2 で採用された FBW (Fly By Wire)
操縦系統は、 低速時の安定性・操縦性を母機
に比べ一段と向上させている。 SCAS が組み
込まれて、 パイロットのワークロードを軽減
している。 SCAS は、 Stability and Control
Augmentation System の略で、 安定性操縦
性増大装置と訳されている。 Flap30°まで
の 基 本 的 3 軸 ダ ン パ ー 機 能 に 加 え 、 Flap
30°∼60°の範囲では、 エンジン故障時の安
定性操縦性も、 母機に比べはるかに向上する
ようプログラムされており、 FBW 操縦系統
の最も重要な機能の一つで、 EFC も SCAS
機能の一部である。
電波高度計の指示高度は、 機の姿勢 (ピッチ
角、 バンク角) による補正はされていない。
地面または海面からアンテナまでの高さを示
す。 それはほぼパイロットの目の位置からの
高さになる。
操縦関連アレコレ
US-2 の 母 機 で あ る US-1A は 、 ASE 制 御
(Automatic Stabilization Equipment) で、
ウィング・レベルを基準としており、 旋回等
においては、 バンク角を保持するには常に操
縦輪であて舵を使う必要があり、 操舵力も重
く、 パイロットのワークロードはかなり高い。
一方 US-2 の US-1A との操舵感覚の違いは、
例えば旋回時は、 所望のバンク角になるよう
操舵をし、 力を抜くとその時のバンク角を正
確に保持でき、 操舵力も非常に軽くなってい
る。 基本的には、 エルロン・エレベーターの
操舵力をゼロにすると、 その時の姿勢を保持
する機能を持っている。
飛行試験中は VMC が基本であったので、 上
記のような操舵入力法の違いや、 操舵力の相
違に対しては容易に対応できた。
いわゆるバックサイド・テクニックが定着す
るのに要する飛行時間等は、 バック・サイド
時の飛行性を把握し、 ノーマル・サイド (フ
ロント・サイド) からバック・サイドへの移
行テクニックを身につけるのに、 部隊勤務約
4年を要する。
飛行艇のパイロットは、 着水予定海域で、 着
水制限内の海面であるかどうかを、 下記3要
素をもとに総合的に海面評価を実施する。
①波高・波長
波高計を使用して波高・波長を計測する。
②海面上の風向・風速
GPS から得られる風向・風速と、 海面上
にスモークを投下して煙の流れる方向およ
びたなびき方により風向・風速を判断する。
飛行艇にとっては、 着水時の対水速度が少
ないほど、 機体の対水荷重を軽減できるた
め、 15kt 以上の海面では、 可能な限り風
に向首する針路を選定する。
③うねりの方向
風が弱い場合には、 高度が低いとうねりの
方向の判別が難しくなるため、 ある程度高
い高度 (1,500∼2,000ft) が有効である。
昼間であれば、 波影が海面上に映るため、
波の方向は容易に判別できる。
うねりは1波だけではないので、 ある程度旋
回を実施して、 うねりが何波あるか確認する。
波が崩れてしぶきが白く見える海面は、 ほぼ
1.5m 以上の波高があると考えられ、 波長は、
海面上の航空機の機影、 航行中の船舶の長さ
を利用して確認することができる。
着水の難しさの一つの要因は、 海面上には、
センター・ラインがないため、 機体を海面に
接水させる際に、 対水滑りを確実に止める操
舵が難しいことである。
横滑りの判断が重要な理由は、 たとえば接水
前に海面に対し左に滑っていた場合、 接水時
に機体が大きく左に傾き、 左フロートに大き
な衝撃が加わり、 フロートの折損、 機体の損
傷を生起させる危険性があるからである。
さらに、 機体は、 高翼機であること、 プロペ
ラ回転が時計周りであることから、 着水の最
終進入時でのバック・サイド飛行において、
飛行艇には、 左旋左傾 (左に旋回し、 左に傾
く傾向) という顕著な特性がある。 その主た
る原因は、 大きな推力、 大きな迎角及び4発
のエンジン・ナセルの形状にある。
いわゆるかんざしを水平線にあわせ、 着水ピッ
チ姿勢6.5°にした後は、 そのピッチを維持
2008 SEP
25
し、 航空機を適切にコントロールする技量が
要求される。
接水時は、 センター・ラインがない海面にお
いて、 航空機の機軸と海面との対水滑りを止
める操作が要求される。
洋上では Bird Strike はほとんど経験されて
いない。 漁船、 船舶等の周囲は渡り鳥等が多
いため回避して着水する。 シーレーン (基地
に隣接する海上の離着水帯) においても、 水
鳥が群れをなしているのを、 視認できたら着
水は取りやめている。
海面の浮遊物との衝突については、 シーレー
ンにおいて、 木片、 竹竿と衝突して、 艇底を
損傷した事例はある。
台風、 雨のあとのシーレーンには、 河口から
多くの浮遊物が流れてくることから、 十分に
注意しても水中に沈んでいるものは見えない
場合が多く、 衝突する可能性は否定できない。
洋上においては、 潮目等に多くの浮遊物が存
在しており、 潮目を避けて離着水を実施して
いる。
救難現場において着水できない場合の代替救
助手段として、 付近の船舶を誘導することが
あるため、 海域での航行船舶の位置の把握に
は Radar を最大活用している。
訓練時には、 操業漁船位置、 航行船舶の針路
を Radar で把握し、 近接しない海域を設定
して着水訓練を実施している。
海面に対して滑りが止まっていない場合、 や、
急峻な高い波高が出現した場合には、 着水を
やり直す必要性があるので、 部隊教育におい
て、 航空機の安全確保の面からも、 その点を
重視した教育をしている。
航空機が横滑りをして飛行している場合には、
ジェット旅客機と同じように、 IRS の風は
実際の風向・風速と異なっており、 GPS の
風向、 風速の方が近い値を示す。
飛行艇では、 洋上においては、 正確な風向を
得るため、 スモークの煙で判断することが主
となっている。 風速については GPSWIND
を参照している。
出発する際の Clearance 等
26
2008 SEP
①洋上へ進出する場合、 捜索位置を緯度経度
で要求し、 IFR で出発し、 天候が良好な時
は、 洋上部で VFR に変更することが多い。
②父島や硫黄島へ進出する場合のルート例;
厚木⇔父島;横須賀、 大島、 TEMAR、
B586、 UKATA、 2800N14149E/VFR CI
厚木⇔硫黄島;横須賀、 大島、 TEMAR、
3000N14036E、 2700N14100E OX
③シーレーン (Sea Lane) を利用する離発
着の管制用語例を、 次ページ図の下に紹介
する。 エプロンでエンジンを始動し、 すべ
り (海中までのスロープ) を使い海面に進
水する。 到着後は逆ルートになる。
US-1A の上陸 (提供:新明和工業)
訓練・資格等
海上自衛隊の固定翼操縦士は、 教育課程を修
了後、 必ず P-3C の部隊に配属される。 この
ことから、 ほぼ全員が P-3C の資格を保有して
いる。 その後、 第71航空隊へ配置され、 水上
多発30ton 以上の技能証明を取得する機種転
換教育を実施し、 US-1A の搭乗資格を取得
する。 教育課程での機種は以下の通りである。
①固定翼基礎課程:T-5 (KM-2)
②計器飛行課程:TC-90
③実用機課程:P-3C (P-2J)
従って、 US-2 への転換訓練を受けるパイロッ
トは、 全て US-1A の資格を持っている。
実機でのエンジン故障の訓練は、 上空の課目
として、 月約1回は実施している。 今後、
OFT での実施も検討されている。
離着水・離着陸訓練の場周径路・高度等を次
ページに紹介する。 (提供;第71航空隊)
着水の場周径路
φ:Bank 角
θ:Pitch 角
着陸の場周径路
Call sign (US-1A) は、 "Rescue Seagull"、 US-2 は "Rescue Rainbow"、 訓練時:"Ivory"
離水管制用語例
着水管制用語例
Request taxi for launching.
Request landing instruction to sealane.
Cleared to sealane.
Cleared for landing to sealane.
Ready from sealane (departure).
Request taxi for beaching.
Cleared for takeoff.
Cleared for beaching.
2008 SEP
27
シミュレーター/シミュレーション
US-1A と US-2 のシミュレーターのメーカー
は、 下表の通りである。
機 種
US-1A
US-2
プライム
MPC
新明和
ベンダー
新明和
MPC
MPC:三菱プレシジョン
US-2 は来年稼動開始予定です。
ビジュアルのメーカーは、 米国ロックウエル・
コリンズ社。
シミュレーション・レベルは、 レベルDのス
ペックで製作されている。
海面模擬に必要なデータ等は下記の通り
①波の作成は US-1A の OFT 構築時からの
課題で、 単一波データをランダムに何重も
重ね合わせ一つの波を作る。
②US-1A OFT のビジュアルでは海面の表現
のために、 風の強弱をテクスチャーの関数
で表現している。
③合成波は、 風浪 (風波) 及びうねりを任意
の交角で設定して表現している。
うねりは1波ではなく、 時には2, 3波と
設定するため複雑な波となる。
着水衝撃模擬のために必要なデータ類は、 水
槽試験を含む過去の加速度データを主に使用
し、 6軸モーションに反映している。
モーションのアームに限界があるため、 ウォッ
シュ・アウト等を入力して適正加速度に近い
値で出力するよう工夫されている。
SIM パーツはほぼ実機パーツが使用されて
いる。
飛行試験関連
ヒヤリ・ハットはいくつかあったが、 インシ
デントに繋がるものはなかった。
Stall Test は、 可能なかぎり前方重心位置か
ら開始し STEP UP で実施。
飛行形態は次の通り。
①巡航形態 (Flap Up、 Gear Down)
、 Gear Down)
②離陸形態 (Flap 30°
、 Gear Up)
③離水形態 (Flap 40°
、 Gear Up)
④進入形態 (Flap 20°/30°
⑤着陸形態 (F: 30/40、 Gear Down、
28
2008 SEP
BLC: ON/OFF)
(F: 50、 Gear Down、 BLC: ON)
⑥着水形態 (F: 40、 Gear Up、 BLC: ON/OFF)
(F: 50/55/60、 Gear Up、 BLC: ON)
⑦故障形態 (内 F: 40、 外 F: Up、 Gear Up/Dn)
(外 F: 40、 内 F: Up、 Gear Up/Dn)
V mca Test は、 プロペラ回転方向からは、
理論上は、 No.1 エンジン故障での試験が妥
当だが、 各エンジンの故障で試験を実施。
Flutter Test は、 米国製の加振装置を主翼翼
端、 尾翼翼端にそれぞれ装備し、 同位相、 逆
位相で加振させて試験を実施。
その他
ワイパーあり。
ステアリング・ホイールは両サイドに装備。
ディスク・ブレーキだが Anti-skid はない。
錨の重さは10kg、 マニュアルで投錨・引き
上げを行う。
海上での後進にはプロペラ・リバースを使用
する。
慣れるまでは、 海上で思わずブレーキを踏む
ことがある。
海上衝突予防法にも準拠する。
操縦舵面表示器が独立計器として装備されて
いる。
横風時のすべり揚陸の操作が難しい。
着水時海水をかぶって止まったエンジンは、 ス
ターターで空転させ、 イソプロピルアルコー
ルと水の混合液で洗浄してから再スタートする。
接線着水をすると Skipping することがある。
Ground Effect について
大型ジェット機での Ground Effect の影響
は、 大きくは3つに分けられる。 一つ目は、
誘導抗力の減少、 二つ目が機首下げモーメン
トの発生、 そして3つ目が接地前のクッショ
ン効果である。
主翼翼端渦の影響が小さくなる誘導抗力の減
少は、 高翼のほうがその割合は小さい。 この
抵抗の減少は、 接地前にエンジンを Idle に
絞らずに、 それまでのパワー (推力) のまま
にしておくと、 機が減速せず滑走路上を
Floating していくことでも判る。
機首下げモーメントの影響は、 水平尾翼の位
置と主翼の位置により大きく異なるのが一般
的である。 B-727、 MD-80 のような低翼で
T-tail ジェット旅客機の場合、 Flare から
Touch Down にかけて、 機首下げモーメン
トはほとんど発生しない。 US-1A や US-2
も同様である。
一方、 Conventional 水平尾翼の場合、 主翼
の Down Wash が滑走路に平行になり、 そ
の影響で水平尾翼の下向き揚力が減少し、 機
首下げモーメントが発生する。 それに対抗し
ピッチ姿勢を維持するには、 若干エレベーター
の機首上げ操作が必要となる。
さらに、 Smooth に接地させるためには、 確
実に機首を上げる操作が必要で、 エレベーター
の操舵量はより大きくなる。 加えて、 主翼に
取り付けられたエンジンの推力線が重心より
低い場合、 接地前にエンジンを絞る操作は、
機首下げモーメントを発生させる。
主翼と Flap 下面と滑走路の間に閉じ込めら
れる空気流によるクッション効果は、 尾翼形
状による影響はなく、 Flap の構造と角度さ
らに、 BLC の圧縮空気の吹出しの有無によっ
て、 その度合いが違う。 一般的には滑走路面
とのクリアランスが小さい、 低翼の Flap の
方が顕著である。 このクッション効果は、 接
地寸前の沈下率を小さくするが、 これを感知
できるかどうかは、 パイロットのセンサーの
感度によるといえる。
US-1A や US-2 の場合、 高翼機でありなが
ら BLC によるエア・カーテンが、 あたかも
低翼機の Flap のように翼の下面を通過する
空気流を妨げる役割を果たし、 クッション効
果を生み出す。 着水は Flap 角度60度、 パワー・
オンのままなので、 海面が平坦であれば、 クッ
ション効果を感じることが出来る。
一方着陸時は Flap 角度40度、 速度も若干速
く、 パワー・オフのフレアー着陸を行うので、
上記 Ground Effect の影響の現れ方も違っ
てくる。
エアライン・パイロットの聞き取り情報
①接線着水をさせると Skipping をすること
がある最大の原因は、 波による海面の上下
動のエネルギーである。 波の全くない海面
では、 過大な速度でない限り接線着水をし
ても Skipping は発生しない。
Skipping は、 Down Slope の滑走路に沈
下率をゼロになるような Flare をした時、
機体が Floating していく感覚と似ている
と思われる。
②200ft/m を目標にして着水させると、 重
心よりはるか後方の艇体下部に作用する着
水の衝撃力で、 重心まわりに大きな機首下
げモーメントが発生する。 このピッチダウ
ンで、 海面にたたきつけられるのを防ぐた
め Elevator を一杯に引く操舵をする必要
がある。 この時の最大作動舵角は Up 側に
60度までとなっている。
③300ft/m を目標に最終進入をしていけば、
クッション効果で沈下率は200ft/m 程度
になるであろう。 400ft/m より大きな沈
下率で接水させると、 その衝撃力は非常に
大きく、 ピッチダウンも急激で、 エレベー
ターでは支えきれないと思われる。
④クッション効果は、 Flap 角度が深いことと、
ピッチ角6.5度と着陸の4.0度より機首上げ
になっている分だけ、 着陸より大きいと考
えられる。 海面が平坦であれば、 パイロッ
トがその違いを認知できるかもしれない。
⑤着陸の場合、 Flap40度、 進入速度が若干
速く、 ピッチ角も小さい状態で、 主車輪で
接地することになり、 その反力による機首
下げモーメントは小さく、 主車輪接地後は
静かに前輪を接地させるように Elevator
を操舵することになる。 接地直前に、 明ら
かに沈下率が減少するような上向きの力を
パイロットが感じることができれば、 それ
がクッション効果である。
2008 SEP
29
GA:ジェネアビ情報
枕 崎 空 港
奥貫
枕崎空港の誕生
今回は平成3年1月に開設された枕崎空港を
取り上げてみたいと思います。
滑走路長800m の枕崎空港は九州本土の最南
端に位置し、 小型機用コミュータ空港として地
元の期待を集めて開港しました。 しかし、 当初
計画のコミュータの路線は、 採算の見通しから
実現に至らず、 その後の空港利用も順調とはい
かずに、 利用状況が伸び悩み、 その赤字経営か
ら、 存続が危ぶまれる場面もありました。
また、 市長の交代とともに、 2002年には空港
を閉鎖してその跡地に刑務所を誘致等の動きも
ありましたが、 何とか踏みとどまり、 現在まで
存続しています。
昨年からは、 グライダー関係の利用が立ち上
がり、 空港利用の活性化につながる新しい動き
も出てきて、 この11月には、 久しぶりの空港イ
ベントの計画もあるとのことです。
風光明媚な枕崎空港
30
2008 SEP
博
枕崎空港の開設からの10年間につきましては、
FLIGHT 誌の1999年10月号にて紹介をさせて
いただきましたが、 それらを含む、 枕崎空港の
最近の話題について、 改めて紹介をさせていた
だきたいと思います。
枕崎空港の構想は、 遠く1980年 (昭和55年)
に溯ります。 鹿児島市から南に約70Km の太平
洋岸にあるこの地は、 屋久島、 種子島、 硫黄島
等、 多くの離島に隣接していることもあって、
空の交通手段を望む声が多くありました。 その
様な背景から、 1980年以降3年ほどの地方空港
建設に係わる陳情、 請願を経て、 空港建設プロ
ジェクトチームが結成され、 近隣の市町、 団体
による空港建設促進協議会も発足して用地買収
等の準備が着々と進められていました。 そういっ
た中、 1987年 (昭和62年) 6月、 国土庁計画調
整局を企画推進部署として第4次全国総合開発
計画が発表され、 その中で、 全国一日交通圏構
想として、 高速道路、 高速鉄道の無い地域を対
象としたコミュータ空港構想が明確に示される
こととなりました。 これはあらゆる活動につい
て、 東京集中型から地方分散化への転換を図り、
全国隅々までを活性化しようとすることを目的
としたものでした。
枕崎空港は、 地域として独自に進めてきた空
港の建設準備と国の方針が一致したことからこ
の構想実現の第一号となり、 全国に先駆けて当
時の運輸省の財政分担負担のもと、 総工費11億
円強を費やし、 1991年 (平成3年) の1月に開
港しました。
当初計画は、 コミュータ空港構想に沿って、
また、 平成5年の8月には、 鹿児島県内を襲っ
た大水害で、 枕崎空港は南薩地方と鹿児島市街、
鹿児島空港等を結ぶ唯一の交通手段となったこ
とが評価され、 必要性が改めて広く認識された
こともありました。
平成8年10月からは、 不定期運航・使用事業
会社の東和航空株式会社が枕崎空港をベースと
した活動を開始しました。 これにより、 離島交
通、 遊覧、 チャーター運航、 写真撮影、 宣伝、
報道・視察、 操縦訓練等、 小型機によるあらゆ
る活動が可能な状況となりました。
当初構想のコミュータ路線 (点線は計画)
枕崎−鹿児島間他のコミュータ路線開設が考え
られていたのですが、 当時関与した不定期航空
運送事業会社は、 構想の実現に奮闘努力はした
ものの、 恒常的利用者の増加が期待できないと
して、 事業の開設には至りませんでした。 その
結果、 厳しい批判にさらされる苦しい状況が続
きました。
枕崎空港の最初の10年間
しかし、 それでも平成3年の1月の開港以来、
年毎の増減はあるものの、 年間平均3,300人程
度の利用者に支えられ、 次第に地域の空港とし
て定着してきました。
枕崎空港
区
分
平成2年度
平成3年度
平成4年度
平成5年度
平成6年度
平成7年度
平成8年度
平成9年度
平成10年度
平成11年度
合
計
見 学 者
7,310
26,233
29,360
41,500
30,278
34,056
39,738
7,251
34,543
4,062
254,331
また、 平成11年からは、 ヘリコプター業界の
大手である大阪航空の進出もあり、 小型飛行機
及びヘリコプターによる操縦訓練、 機体整備等、
幅広い体制が充実しました。 小型自家用機の整
備作業、 耐空検査、 航法の立ち寄り、 訓練、 競
技会等々への積極的な利用が期待されました。
九州本土最南端の枕崎空港の当時の周辺人口
は約十万人、 空港の常駐機数は4機で、 平成
10年度の着陸回数は1,699回 (1週間あたり、
約33回)、 年間利用人数平成10年度2,682人 (1
週間あたり約51人)、 年間延べ利用機数800機程
度というものでした。 当時の景気を反映してか、
最初の数年に比べ、 やや低調ではあるものの、
一定の需要に支えられつつ頑張っているといっ
た状況でした。
その一方飛行場の活用に関わる、 飛行、 整備
等への体制は、 各企業等への呼びかけにより、
逐次整えられていきました。
最初の10年 (平成11年9月30日)
行政視察(人)
895
898
1,743
653
1,258
580
533
676
693
214
8,143
外来機(機) チャーター(人)
30
−
123
1,137
185
1,851
169
2,024
142
1,452
161
1,660
312
397
254
572
225
580
77
274
1,678
9,947
遊
覧(人)
−
2,103
2,511
1,860
1,338
2,362
2,287
1,787
2,102
786
17,136
合
計(人)
−
3,240
4,362
3,884
2,790
4,022
2,684
2,359
2,682
1,060
27,083
2008 SEP
31
枕崎空港の最初の10年以降
さて、 期待と厳しい批判が交錯する中、 最初
の10年間を経過した枕崎空港ですが、 以降、 平
成12年から現在までは、 苦難の道でした。 本来
の狙いであったコミュータ便は、 乗客3人乗り
のセスナ172、 6人乗りのセスナ207 ではどう
にもならず、 需要の中心は、 観光、 遊覧、 離島
へのチャーター便へと変化して行きました。 中
でも、 20分の飛行時間で豪快な海釣りが楽しめ
る硫黄島は人気が高く、 その他の種子島、 屋久
島も、 いずれも30分程度の圏内にあって、 人気
がありました。
遊覧飛行としては、 美しい南薩海岸線、 薩摩
富士ともよばれる開聞岳、 悠然と噴煙をあげる
桜島、 ロケット基地や鉄砲伝来の地として知ら
れる種子島、 九州最高峰の宮之浦岳のそびえる
屋久島など、 雄大な自然を思い切り堪能できる
ことが人気を集めてきました。
また当時の枕崎市では、 枕崎空港の小型機を
利用した 「空からの郷土探訪」 飛行を、 小学4
年生の社会科の正規の授業として、 全生徒を対
象に実施したこともありました。 義務教育の一
環として行う、 小型機による郷土視察は、 地域
文化と航空の融合といいますか、 ふるさとを大
切にして行く心を育む教育としては、 意義があっ
たものと思います。
このような努力を重ねた枕崎空港でしたが、
事業拡大の目処は立たず、 使用事業及び運送活
動に孤軍奮闘していた東和航空株式会社も平成
15年の4月末を以って全ての運航を休止するこ
とになりました。 その結果、 鹿児島県防災航空
隊は残ったものの、 枕崎空港は、 その施設等の
維持に赤字だけが膨れ上がる、 大きな批判を浴
びる存在になりました。
平成15年の5月には、 枕崎フライトサービス
の運用も休止となり、 空港関係人員も大幅に削
減され、 空港としての最低限の機能のみを残す
こととなって、 枕崎空港は、 新しい時代を迎え
ることとなりました。
32
2008 SEP
刑務所誘致騒動
そのような中、 平成15年1月31日に、 当時の
神園征枕崎市長は、 市議会に、 枕崎空港を廃止
して跡地に刑務所を誘致、 との意向を表明しま
した。 開港3年目をピークに、 以降利用者の低
迷が続き、 今後の見込みが立たない空港の累積
赤字に苦慮した結果の判断でしたが 「空港は廃
止してしまえばそれで全て終り、 二度と戻って
くることは無い。」 との空港存続派の声も大き
く、 大きな論争になりました。
刑務所誘致活動の細部については省略します
が、 枕崎市として正式な誘致立候補をしたもの
の、 平成15年度の刑務所選考の選考からは外れ、
翌平成16年に再度の立候補も選考からも外れて、
刑務所の誘致は実現しませんでした。
その理由として、 枕崎空港の場合は、 地元調
整に時間を要し、 速やかな施設整備に影響があ
ること、 及び、 空港敷地の形状や面積では法務
省が必要とする刑務所施設の要件に対しやや問
題があった等が伝えられています。
ともあれ、 この決定を受けて、 刑務所誘致の
動きは白紙に戻り、 枕崎空港は存続することと
なりました。
もちろん、 刑務所誘致の間も空港の赤字体質
改善への努力は並行して進められ、 駐機場登録
誘致による税収増加、 空港維持人員の最小化等々
の改革により、 平成17年時点では地方債返済分
を除けば、 歳出よりも歳入の方が多くなり、 ま
た、 便の予約や搭乗関係業務等、 空港の諸業務
を請け負う第三セクターの南薩エアポートも、
この3年間毎年の収入が支出を上回っていると
のことです。
これらを受け、 空港の今後につきましては、
「当面現状のまま存続しながら様々な検討を進
める」 との意向が示されました。
尚、 平成18年の市長選で、 前市長を破って当
選し、 任期が平成22年までの瀬戸口嘉昭市長は、
空港存続の立場とのことです。
消防・防災ヘリコプター
鹿児島県南部は、 豪雨、 台風等による、 大き
な被害を受けてきましたことから、 県の総合基
本計画に 「災害に強い県土づくり」 の推進が位
置付けられ、 その結果、 平成10年に、 消防、 防
災ヘリコプターが導入され、 枕崎空港を基地と
する鹿児島県防災航空隊が発足しました。
硫黄島、 屋久島、 種子島、 諏訪之瀬島、 宝島
等、 多くの島々を有する鹿児島県にとって、 緊
急医療対応は大きな課題であったのですが、 鹿
児島空港と南の離島地域のほぼ中間にあたる枕
崎空港をベースとすることにより、 離島を初め
とする県内全域あらゆる地域の活動に即応する
ことが可能となったのです。
導入したヘリコプターの、 ベル 412EP 「さ
つま」 は最大速度時速250Km 以上、 15人乗り
の高性能な機体で、 救急患者搬送、 テレビ電送
システムを活用した災害時の被害状況調査、 林
野火災の空中消火等の広範な消防防災活動まで、
様々な用途に活躍出来る専用設備を備え、 枕崎
空港とともに、 無くてはならない存在となって
います。
一方、 枕崎空港に夜間照明施設が無いことか
ら出動時間帯の制約が大きいとの声があります。
防災ヘリコプターの夜間運用には難しい面が多々
あり、 空港施設の問題だけでは無いとしても、
夜間の帰投を可能とさせる照明施設等の検討が
望まれる所です。
枕崎空港の今後の展望
さて、 使用事業会社等撤退の後、 枕崎空港を
拠点として利用してきたのは、 前述の鹿児島県
防災航空隊ですが、 その年間の平均運航回数は
約200回、 飛行時間は約300時間程度で推移との
こと。 また、 実際の救急、 救助、 消火等の緊急
出動は、 年間50∼70回程度とのことです。
その他の利用は、 小型機の立ち寄りとなる訳
ですが、 年間の利用回数は、 防災航空隊を含め、
250回程度とのこと。
空 港 利 用 の 常 連 と し て は 、 熊 本 の NPO
Super Wings が実施している小型機操縦技術
競技会の利用があります。 毎年行われているも
ので、 土曜日が着陸技術競技会、 日曜は、 曲技
飛行競技会の日程で開催されます。
年に1回ですが、 飛行場を利用し続けてきた
活動としては最も大きなものです。
また、 新しい動きとしては、 小型機の事業会
社による遊覧機やチャーター飛行の再開の動き
があります。 これらは平成15年の4月末の事業
会社撤退以降、 休止となっていたものですが、
硫黄島等への往復チャーター便や、 南薩の空の
遊覧等、 空に対する需要そのものは変わりなく
存在することから、 別な会社での運航が試行的
に行われ、 再開に向けての前向きな検討が行わ
れているとのことです。
その他新しい所では、 グライダー関係者の利
用が目立っています。 2006年3月には、 北海道
鹿児島県防災航空隊の 「さつま」
(鹿児島県防災航空隊資料より)
Super Wings の枕崎空港への着陸
2008 SEP
33
枕崎で試行中のグライダーの航空機曳航
までのグライダーによる日本縦断飛行の出発地
に利用され、 大きく報道されました。
また翌2007年の9月には航空機曳航による枕
崎空港でのグライダーの飛行が実現しました。
これは枕崎グライダークラブ発足準備会の皆さ
んの活動によるもので、 グライダーの ASK-13
は岐阜県の大野滑空場から陸送、 また、 曳航用
航空機のモーターグライダー SF25C ファルケ
は、 埼玉県の羽生滑空場から遠路飛来して実現
したものです。
これまで九州では、 久住、 阿蘇等、 何箇所か
の滑空場でのグライダー活動は行われているも
のの、 航空機曳航による、 グライダーの本格的
な飛行の機会が得られませんでした。
枕崎空港の利用により、 グライダー、 曳航用
航空機、 モーターグライダー等を揃えた活動が
可能となります。
2007年の9月の試行の結果、 枕崎の空は、 障
害物等も無く、 グライダーの安全な運航が可能
格納庫等の施設が充実した枕崎空港
34
2008 SEP
であると共に、 その地形から、 良好な上昇気流
に恵まれ、 また、 周囲の美しい自然環境は、 日
本のグライダー天国の可能性を秘めているとの
感想もあったとのことです。
これらの結果を受け、 2008年の夏以降には、
枕崎空港を拠点としてのグライダー活動を開始
すべく準備を進めているとのことですが、 グラ
イダーを初めとする機材、 スタッフ、 運航体制
等が全てそろうには、 まだまだ準備が必要です。
枕崎の貴重な空、 滑走路、 及び、 格納庫等を
利用させていただく訳ですから、 立派な航空ス
ポーツ活動の拠点となるべく、 地域との連携を
重視し、 慎重に推進していただくことを願いた
いと思います。
おわりに
開港から17年と8ヶ月、 枕崎空港は、 日本の
コミューター空港の先陣として、 バブル崩壊の
まさにその時期に誕生し、 多くの批判と期待が
交錯する中を存続してきました。
一時は、 その累積赤字体質から、 廃港の瀬戸
際まで追い込まれましたが、 何とか踏みとどま
り、 現在に至っています。
その結果、 現在は収益面の改善も図られ、 固
定コストのかからない、 スリムな体質が実現し
ています。
枕崎フライトサービス (129.8MHz)、 も、
平成15年5月に閉局したままですが、 必要なら
ば再開できますし、 固定費用が削減できるなら
ば、 それで良いのです。
鹿児島県や、 枕崎市も、 枕崎空港としての空
の需要の存在については十分に認識していて、
南薩地域の魅力向上、 空港の利用促進方策や、
運航体制の再開に向けての検討を進めていると
のことですので、 枕崎空港の今後に期待をした
いと思います。
さて、 そのような枕崎空港ですが今年の秋に
は、 久しぶりの空港フェスティバルが予定され
ているとのこと。
細部は未定ですが、 これまでの、 単に見るだ
けの航空イベントではなく 「航空に対する楽し
い体験を通じて、 航空ファンを増やし、 航空へ
の理解を深めることによって、 身近にある地方
空港を、 どのように利用していけばよいのかを
考える機会が出来れば、 その意義は大きい」 と
の考えに沿った、 体験型の航空イベントを目指
すとのことです。
従来の枕崎空港フェスタも、 小型機の元気な
活動がそのまま受け入れられる環境、 主催者の
熱意、 集まった人達の喜びといったものが肌で
感じられる、 地域の手作りの航空フェスタでし
たので、 それが休止となり、 残念に思っており
ました。
今年は、 久しぶりに再開とのことですので、
航空関係の皆様の応援をよろしくお願いしたい
と思います。
枕崎空港の問題は、 決して枕崎だけの話では
ありません。 全国の小型機の飛行環境にも大き
く通じるところがあると思います。 そのような
視点から、 枕崎空港を考え、 支えていくことが
必要と思います。
期
名
内
・枕崎空港公報資料
・鹿児島県防災航空隊公報資料
・枕崎空港スカイフェスタ趣意書
参考情報等:
・枕崎空港
・滑走路:800m×25m 18/36 Elev.171Ft
・位 置:31°15′58″N, 130°23°21″E
・通 信:122.6MHz 枕崎ローカル 一方送信
・所在地:鹿児島県枕崎市別府8925番地
・運 用:0830−1700 (昼間・有視界のみ)
・連 絡:枕崎飛行場管理事務所
TEL 0993−72−1225 (運航・気象)
・燃料等:南薩エアポート
TEL 0993−73−1131
日:平成20年11月15日 (土)、 16日 (日)
称:枕崎スカイフェスタ (仮)
容:グライダーや小型機の地上展示、 飛行
展示及び 「体験型の航空イベント」
参考資料等:
・日本航空機操縦士協会・自家用操縦士部会
FLIGHT 誌 1999 No.55/No.56
1999年の枕崎空港フェスティバル
2008 SEP
35
World Safety Report
編集委員
佐藤
裕
ASRS が調査したランウェイ・インカーション・インシデント
2007年9月、 FAA が発行したランウェイ・
セイフティ・リポートによると、 2003∼2006年
の4年間に発生したランウェイ・インカーショ
ン・インシデントの内、 パイロットのミスによ
る割合は、 全体の54%を占めています。
同じくこの年度間に起きたインカーション・
インシデントのうち、 29%は管制官の指示ミス
により発生し、 車両/人による割合は、 残り17
%を占めています。
ASRS で行ったランウェイ・インカーション・
インシデントの調査分析の結果、 ランウェイ・
インカーションに結びついたのではないか、 と
言う次のような要因が浮かび上がってきました。
36
2008 SEP
これらは:
・視程の悪い状態
・複雑な空港のレイアウト
・コクピット・マネイジメントに問題があっ
た
・タワーの無い空港での飛行
今月は、 これらの要因がどのようにしてラン
ウェイ・インカーション・インシデントを起こ
させてしまったのか、 を代表する ASRS に寄
せられたリポートの特集にまとめてみました:
ASRS 編集部
According to the FAAs Runway Safety Report: September 2007, pilot deviations accounted for
54% of runway incursions that occurred over a four-year period from 2003-2006. During this
same period, controller operational errors accounted for 29% of incursions, while vehicle/pedestrian deviations accounted for the remaining 17% of incursions.
A review of recent ASRS runway incursion incidents revealed that some of the following factors
may contribute to runway incursion events. These include:
・Low visibility conditions
・Complex airport configuration
・Cockpit management issues
・Non-Tower airport operations
In this months selection of ASRS reports, we will see how some of these factors play out.
視程が悪かった。
PA28のステューデント・パイロットは、 薄
暗い灯火、 迫りくる夕闇、 そして悪かった視程
のお陰で、 ランウェイに進入してしまいました、
とリポートしてくれます:ASRS 編集部
・ランウェイ12、 タクシーウェイAで待機して
いる時、 ATC から“ランウェイ12を横断す
るように”と指示されました。
タクシーウェイAは短い距離ですが、 ランウェ
イのエンド方向に続いています。
でもその付近のほの暗い照明、 迫りくる夕闇、
発生している地霧、 ランウェイを横切り、 反
対側にあるタクシーウェイへ続く標識の判り
にくさに苦戦していました…ランウェイ上に
タクシーした時、 明るい照明灯に浮かび上が
るランウェイのエンド部分を見ることが出来
たのですが、 指示されたタクシーウェイは良
く判りません、 そうだ!何時もホーム・ベー
スにしている空港でやってるように、 ランウェ
イ上をタクシーしてエンドまで行こう、 と勝
手に決めてしまったんです。
ランウェイ上をタクシーしている私の機体に
気づいた管制官は進入中のコミューター機に
ゴー・アラウンドを指示し、 そして私に、 ラ
ンウェイの外に出るように、 と指示を。
何でこんなインシデントを起こしてしまった
のか、 原因は私の経験不足、 混乱、 そして一
番いけなかったことは、 管制官にランウェイ
上をタクシーし、 エンドまで行くクリアラン
スを求めなかったことです…。
A PA28 student pilot reported that poor lighting, approaching darkness, and low visibility conditions contributed to a runway incursion.
・I was holding short of Runway 12 on taxiway A when ATC directed me to 'Cross Runway 12.'
Taxiway A continues for a short distance on the far side of the runway. The area was poorly
lit, it was getting dark, there was some ground fog, and the signage was unclear to me that
2008 SEP
37
the taxiway continued on the other side of the runway....When I taxied onto the runway I
looked and saw the end of the runway which was lit up but I couldnt see the taxiway, so I
thought I was to back-taxi to the runway end, which is normally what I do at my home airport. When the controller saw I was on the runway he told the approaching commuter flight
to go around and told me to clear the runway. Contributing factors to this incident were my
inexperience, confusion, and the fact that I did not ask the controller for clarification prior
to back-taxiing.....
巨大な国際空港、 視程の悪さと気象状態が重
なり、 この旅客機は許可を得ずに、 ランウェイ
へ進入してしまいます。
続きは、 ASRS にリポートしてくれたキャプ
テンの話を聞いてください:ASRS 編集部
・新しいランウェイ04L のアプローチ・ホール
ド・ポイントで待機するように、 と私達は指
示されました…。
このポイントで待機している私達は、 同じく
Y航空会社の機体がランウェイ04L のアプロー
チ・ホールド・ポイントのすぐ近くのタクシー
ウェイJで待機している姿に気づきます…す
ると ATC から私達の機体に、 タクシーウェ
イJに移し待機するようにとの指示が。
機体を進め、 タクシーウェイJのホールディ
ング・ベイの真横まで移動させます。
生憎、 霧と霧雨で視程は悪く、 ホールディン
グ・ベイを示すマーキングも良く見えません。
グランドはY航空会社の機体に対し、 左に曲
がって前方に移動し、 ホールディング・ポジ
ションの一つで待機してくれないか、 と送信
します。
OK と応答したものの、 彼らは機体を移動さ
せ過ぎてしまい、 ランウェイ14の停止線を通
過してしまいます。
これに気づいた私達は無線機の送信ボタンを
大急ぎで押し“Y社の航空機、 すぐ停止する
ように!”と送信を。
Y航空会社のクルーも自分達のいる位置に気
づいたんでしょう、 ランウェイ14と反対の方
向に移動し始めました。
ATC はY航空会社の機体に、 ランウェイ14
にジョインし、 タクシーするよう指示します…。
多分、 グランドは私達の機体が停止している
位置とY航空会社の機体の位置を取り違えて
いたんじゃないかな、 と思っています…それ
に霧と霧雨が立ち込めていたんで、 地上のマー
キング (ペイントして示すタイプです) が見
えにくかった事も重なっていたからかもしれ
ませんね。
At a major international airport, low visibility and weather conditions played a role in an air carriers runway incursion. More from a Captains report to the ASRS:
・...We received a clearance to hold short of the new Runway 04L approach hold point. While
holding at this point, we observed air carrier Y holding just past the Runway 04L approach
hold point on Taxiway J. The crew moved down Taxiway J as instructed and held short of
the Runway 14 departure hold short line...At this time ATC cleared our aircraft to hold further down on Taxiway J. We continued down and held abeam the Taxiway J holding bays.
The markings on the holding bays were hard to discern because of the lower visibility and fog
with drizzle. Ground then requested air carrier Y to turn left and pull forward and onto one
of the holding positions. They complied, however, they were too far forward and crossed the
Runway 14 hold short line. We keyed up on the radio as soon as possible, 'Air carrier Y, stop
38
2008 SEP
moving.' The crew of air carrier Y then discovered their position and started to turn away
from Runway 14. ATC then cleared air carrier Y to join Runway 14 and continue their taxi....
We believe Ground may either have mistaken our flights position with the position of air carrier
Y, combined with the...wet foggy conditions which made the ground markings (painted type)
difficult to see.
複雑な空港のレイアウト。
滑走路を何本も持つ空港のレイアウトは、 着
陸した旅客機をあろうことか、 使用中の滑走路
へ進入させてしまいます:ASRS 編集部
・タワーから着陸許可を得、 ランウェイ30に着
陸した私は、 タクシーウェイKでランウェイ
を出て当社のランプへ向かおう、 と考えてい
ました。
機体を操縦していたパイロット (フアースト・
オフィサー) は、 ほんの少しですが長めに接
地してしまったため、 機体を着陸した方向と
反対方向に進むタイプのタクシーウェイKに
入ることが出来ません。
私達はランウェイ34L/K エリアでランウェ
イの外に出ましたが、 そこはランウェイ25R
のランウェイ・エリアでした。
もう何処へ行けばよいのか判らなくなってし
まい、 ランウェイ34L/25R/30/K エリアに
機体を停止させ、 グラウンド・コントロール
と交信を… (タワーと交信するように、 と指
示され、 切り替えて交信すると) 私達の機体
は“現在使用中のランウェイ上にいる、 従っ
て進入中だった機体にゴー・アラウンドを指
示した”との応答が…。
私自身、 特に確信があるわけでもなく、 その
機体はランウェイ25にアプローチしているん
だ、 と思い込んでいたんでしょう…この空港
には多くのランウェイがあり、 とても判りに
くいんです、 それに様々なタイプの航空機が
離着陸している上、 ランウェイ・インカーショ
ンに関して言えば、 かなりこの類のインシデ
ントを起こしやすく、 しかも高い危険性を秘
めている空港だな、 と思っています。
今回の出来事の後考えたこと:1) 着陸した
後、 どこでランウェイを出るか、 ブリーフィ
ングしておくとベターなこと。 2) もっとタ
ワーと交信すること−例えば“ランウェイを
出たらグラウンドと交信すること”という指
示をもらう前に、 どこからランウェイの外に
出るつもりだ、 等々。 3) LAHSO (Land
and Hold Short) の指示を受けていない場
合、 交差するランウェイに着陸する航空機に
は十分注意すること…。
A complex airport configuration with multiple runways in use was a factor in an air carriers inadvertent penetration of an active runway after landing.
・Landed on Runway 30 after being cleared to land by Tower, I had planned on exiting the Runway 30 at Taxiway K to go to the air carrier ramp. The Pilot Flying (First Officer) landed
a little long and we could not make Taxiway K, which is a reverse turn kind of exit. We exited
on Runway 34L/K area but in the runway area of Runway 25R. With no place to go, we
2008 SEP
39
contacted Ground Control while stopped at runways 34L/25R/30/K area. [Tower] instructed...us that we were on an active runway and an aircraft was going around because of
that. I think the aircraft was on a approach to Runway 25, but I am not sure...This airport is
very confusing and with multiple runways in use with numerous aircraft types, the potential
for unsafe situation is very high with regard to runway incursions.
Suggestions: 1) Better brief of planned runway exit after landing. 2) More communication
with Tower planned exit, not just a contact Ground when clear. 3) Be aware of landing traffic on intersecting runways without LAHSO [Land and Hold Short] clearance....
ある国際空港での出来事です、 ランウェイ・
チェンジの作業に忙殺されていた管制官は、 空
港作業車両がまだランウェイ上に居るというの
に、 ある航空機に対し、 このランウェイからの
離陸許可を出してしまいます:ASRS 編集部
・グラウンドの管制官として作業していた私は……
手間の掛かるランウェイ・チェンジの指示を
している最中でしたが、 ランウェイ・チェッ
クを行う空港作業車両に対し、 ランウェイ4
Lへの進入を許可し、 ランウェイ31L (4L
と交差するランウェイです) で待機するよう
に、 とも指示しました。
空港作業車両のナンバーをプログレス・スト
リップの空欄に記入したんですが、 あまりに
忙しかったため、 何時もはしていたんですが、
その隣にある、 ランウェイを使用している車
両等に関する、 ランウェイ・オーナーシップ・
ストリップに記入し忘れています。
この時私は担当している周波数で、 20∼25機
の航空機に対し、 ランウェイ31 (LとR両方)
から4 (同じくLとR) へのランウェイ・チェ
ンジの指示を行っていたんですが、 あるラン
ウェイの交差する地点には、 ランウェイ31L
から移動する航空機が集中してしまい、 あふ
れ出しています。
そのエリアを担当する管制官と調整しながら、
多くの航空機を通過させます……何しろ忙し
かったんです、 空港作業車両をすっかり忘れ
ていました。
先ほどの管制官からランウェイ4Lの使用状
態について聞かれたんですが、 私がランウェ
イ・チェックを許可したその車両はチェック
を終え、 ランウェイの外へ出たんだろう、 と
勝手に思い込んでいました (何しろ15分も経っ
ていたので)、 それに作業車両からまだ作業
中である、 と私に注意を喚起する送信も無かっ
た事もあります。
その管制官は B757航空機に対し、 4Lから
の離陸許可を、 でも自分達の前方数千フィー
トに車両の居ることを確認していた B757の
クルーは、 当然のことながらタワーにアドバ
イスを…。
複雑な配置になっているランウェイとタクシー
ウェイ、 そして多くの航空機に指示をしてい
る管制官は、 何時も通り、 自分の仕事をこな
すことが出来なくなってしまったんでしょう……
離着陸を担当していたこの管制官は、 離陸許
可を出す前に自分の目でランウェイをチェッ
クしたんですが、 光線の具合、 薄汚れた日よ
け、 そして埃のついた窓のお陰で、 この小さ
な車両見過ごしてしまったんでしょうね。
A controller, preoccupied with runway change operations at an international airport, cleared an
aircraft for takeoff on a runway occupied by an airport operations vehicle.
・In the middle of a very difficult...runway change, I, as the Ground Controller, instructed an
[airport] vehicle to enter Runway 4L for a runway inspection and to hold short of Runway
31L (intersecting runway). I copied down the airport vehicle number on a blank progress
40
2008 SEP
strip, but was so busy I did not put the runway ownership strip next to it like I usually do. I
had approximately 20-25 aircraft on the frequency at the time and was making a change
from 31's a pair to 4's a pair with an overflow from Runway 31L at an intersection. The Local
Controller and I coordinated numerous aircraft crossings...Due to my workload I forgot
about the airport vehicle. When Local Control asked for ownership of Runway 4L, I assumed
that the vehicle was clear (it had been about 15 minutes) and the vehicle never called or
prompted me that he was still on the runway. Local Control cleared a B757 for takeoff on
Runway 4L, but the B757 had the common sense to realize that there was a vehicle only a
couple of thousand feet in front of him on the runway and advised the Tower....
The amount of volume and complexity caused the Ground Controller to not follow his usual
routine...The Local Controller scanned the runway prior to issuing takeoff instructions, but
a combination of sun glare, filthy shades and dirty windows made it very difficult to see such
a small vehicle.
コクピット・マネイジメントに問題が…。
パイロット2人でコクピット内の作業を行う
場合、 とても重要な事は、 お互いのパイロット
とも、 相手が何をしているのかを理解していな
ければなりませんし、 パイロットの1人は、 外
部に視線を注ぎ続けていなければなりません。
機外の見張りがおろそかになると、 ランウェ
イ・インカーションを起こしてしまうかもしれ
ませんよ。
ある航空会社のファースト・オフィサーは、
このようにリポートしてくれました:ASRS 編
集部
・今回の出来事には、 いくつかの原因がありま
す。
一つ目の原因には、 この空港のレイアウトに
ついて、 事前に良く研究しておいた、 という
私の安っぽい自己満足感にあり、 なんと言っ
ても私自身の経験不足、 これが二つ目の原因
と言えます…コクピット内でもう少し経験を
重ねていたなら、 私のすべき仕事も、 私達の
機体の周囲にも注意を払うことが出来たのか
もしれません。
プッシュ・バックされた後、 グランド・コン
トロールから“ランウェイ17R へタクシー
するように”とのクリアランスを。
キャプテンは機体を前進させます。
インシデントを起こしたインターセクション
は、 私達が駐機していたゲートのすぐ近くに
あり、 経験不足の私がタクシーに必要な仕事
を追える前に、 ランウェイに接近してしまっ
たんです。
空港内のどの辺りにいるんだろうと、 顔を上
げて周囲を見回しましたが、 時すでに遅く、
私達の機体はすでにランウェイ17R を通過
しようとていたんです。
すでにランウェイの幅にして3/4位まで進入
していた時、 チラッと空港のダイヤグラム・
チャートを見た私は“ランウェイを横切って
いるとは思えませんが…”とキャプテンに伝
えたんですが。
でも遅すぎたんです。
この20秒ほど後、 ファイナル・アプローチ中
の航空機はゴー・アラウンドして行きます。
グランド・コントロールは、 きつい口調で私
達の犯したミスを告げ、 そして同じく厳しい
口調で、 ランウェイ17のエンドまで向かうタ
2008 SEP
41
^クシーの指示をしてくれました…。
私のあいまいな仕事ぶりがこの出来事の原因
です、 全て私の責任です。
これからは、 空港ですべき私の分担する業務
が、 今回のように不完全なままにならないよ
う、 十分注意するつもりです。
In two-pilot cockpit operations, it's important for each pilot to know his/her role, and for one
pilot to keep "eyes outside." When these precepts are ignored, a runway incursion may result.
More from an air carrier First Officer's report.
・This event occurred because of several reasons. The first being my complacency in studying
the airport diagram while trying to complete our lengthy taxi flow. The second being my inexperience...I think that if I had a little more time in the aircraft I would have been done with
my flows and checklists and been able to pay more attention to my surroundings....After we
had pushed back, we received clearance from Ground Control to 'taxi to Runway 17R.' The
Captain proceeded to accelerate the aircraft forward. The intersection of the incident is very
near the gate we were parked at, and that combined with my experience level led to us approaching the runway before I had finished my taxi flow. When I looked up to regain orientation on the airport grounds, we were crossing Runway 17R. About 3/4 of the way across I
had studied my airport diagram chart and stated to the Captain, 'I don't think we were supposed to cross that runway.' Too little, too late. An aircraft on final approach proceeded to
conduct a go-around approximately 20 seconds later. Ground Control promptly advised us of
our mistake and gave appropriate taxi instructions to the end of Runway 17R....
I...take full responsibility for my incorrect actions that led up to this event. Next time I will
make sure not to be so involved that I cannot maintain full awareness of the airport set-up....
夜間に飛行しようとしていたこの社用機のクルーも、 CRM が原因
となり、 許可を得ぬままランウェイに進入してしまいます:ASRS
編集部
・リアー35航空機で、 私はパイロット・フライ
ングとしての業務をこなしていました。
VFR の夜間飛行、 ファースト・オフィサー
の私は右席で操縦を。
キャプテンはグランド・コントロールとコン
タクト、 そして私達の航空機はタクシー・ウェ
イC経由でランウェイ18までタクシーし、 ラ
ンウェイ18のインターセクションで待機する
ように、 と指示されました。
キャプテン (タクシー・チェックリストを読
42
2008 SEP
み上げてくれるだけですが) は、 機体のタク
シー・ライトをオフにしてしまいます。
このお陰で、 私にはペイントしてあるランウェ
イのマーキングはおろか、 機体左側に位置す
るランウェイ/タクシー・ウェイのサインま
で見えなくなってしまう始末。
暗い中をタクシーしていた私の目に、 ペイン
トしたランウェイのマーキングとランウェイ・
ライトが飛び込んできます、 しまった、 ラン
ウェイ内にタクシーしてしまったんだ!
左に180度方向転換し、 急いでランウェイか
らタクシー・ウェイに戻りました。
このランウェイのファイナル3マイル地点を
進入中だった B727 航空機に対し、 タワーは
ゴー・アラウンドを指示します。
CRM がまずかったんですね。
私はこの空港に不慣れだったので、 ランウェ
イとタクシー・ウェイがどの様になっている
のか、 も良く判らなかったんです。
今振り返ってみると、 あの時キャプテンにタ
クシー・ライトをオフにしないで下さい、 そ
してランウェイに向かうタクシー・ウェイを
指示して下さい、 と頼めば良かったな、 と考
えています…。
CRM issues and night-time operations were factors in a corporate aircraft's runway incursion.
・...I was performing the duties of Pilot Flying of a Lear 35. As First Officer, I was seated in the
right seat during a night operation in VFR conditions. The Captain contacted Ground Control
and our aircraft was cleared to taxi to Runway 18 via Taxiway C and was instructed to hold
short of the intersection of Runway 18. The Captain (who was involved only in reading the
taxi checklist) turned off the aircraft taxi lights. This prevented me from seeing the painted
runway markings and runway/taxiway sign which was posted to the left side of the aircraft.
As I continued to taxi in darkness and recognized the painted runway markings and runway
lights, I realized that I had taxied onto the runway. I immediately performed a 180 degree turn
to the left and exited the runway back onto the taxiway. The Tower ordered a B727 on a 3mile final to that runway to go around.
This was a failure of CRM. I was not familiar with this airport or the runway and taxiway
configuration. In retrospect, I should have requested that the Captain not turn off the taxi
lights and read the airport diagram and follow along our progress to the runway....
C310航空機でエアー・タクシー飛行を行っ
ていたこのパイロットは、 コクピットに立ち込
めた煙に気を取られてしまい、 このことが引き
金となり、 ランウェイ・インカーションを引き
起こしてしまいます:ASRS 編集部
・ランプから、 ランプにあるタクシー・ウェイ
S、 ランウェイ27L 経由でランウェイ32まで
タクシーするクリアランスを貰いました。
ランウェイ27L 上をタクシーしている時、 コ
クピットに立ち込めた煙に気を取られてしま
います。
機体を停止させ、 タクシーを止めるよりも、
タクシーしながら原因を突き止めようと思い、
煙を外に出すため、 ドアと窓を開きました。
でも、 タクシーしながらランウェイ32を通り
過ぎてしまったんです。
頭を上げて外を見回した私は、 ランウェイを
すでに通り過ぎてしまっていること、 そして
グランドから“ランウェイを通過してしまっ
たよ”という送信を受け、 現実に引き戻され
ます。
煙は、 シガレット・ライターに差し込んであ
る、 DC を AC に変換するインバーターから
発生していました。
この原因は、 コクピットに立ち込めた煙に気
を取られてしまい、 無責任にもタクシーに対
する注意がおろそかになっていたこと、 と言
えます。
機体を停止させて原因を調べようとせず、 タ
クシーしながら調べよう、 と判断してしまっ
た私の愚かさを改めて認識しました。
2008 SEP
43
For a C310 air taxi pilot, a distracting "puff of smoke" in the cockpit was the precursor to a runway incursion event.
・I was cleared to taxi from the ramp to Runway 32 via taxiway S on the ramp Runway 27L to
Runway 32. As I was taxiing on Runway 27L, I became distracted by a puff of smoke in the
cockpit. Rather than stop taxiing, I continued down the runway while investigating the
source of the smoke and attempting to open the door and windows. While taxiing, I crossed
Runway 32. When I looked up, I realized that I had crossed the runway and received a call
from Ground, also informing me that I had crossed the runway. The smoke was coming from
a DC to AC inverter that was plugged into the cigarette lighter. I believe that the cause of
this indiscretion was my inattention to taxiing and my concentration on the smoke in the
cockpit. It was a foolish choice to continue taxiing rather than stop and investigate the
source of the smoke.
タワーの無い空港での出来事。
ASRS に寄せられたリポートの1つに、 タワー
の無い空港で、 同時に3機の航空機がランウェ
イに進入してしまいました、 というものがあり
ます。
リポーターの説明によると“3機の航空機が
同じランウェイ上で、 ひしめき合っていました”
と言うことです……着陸した3機目の航空機に
は、 ゴー・アラウンドする、 というオプション
もあったはずなんですが。
位置通報を怠ったこと、 無線交信が混み合っ
ていたことも、 この出来事に結びついてしまっ
たのかもしれません:ASRS 編集部
・多くの航空機が、 タワーの無い、 この空港に
着陸しようとしていました。
西30マイルほど離れた地点から、 CTAF の
周波数でポジション・リポートを一方送信し
ながら、 私達はトラフィック・パターンに進
入します。
TCASを見ると、 ダウン・ウインドから15
マイルほど離れた位置、 8時の方向から、 こ
の空港に着陸するんでしょう、 私達の機体に
他の機体が接近し続けてくるようです。
44
2008 SEP
ランウェイ27のショート・ファイナルに差し
掛かった時、 先ほどの航空機が後方から接近
している、 という TCASのトラフィック・
ウォーニングが、 ランウェイ上に他の航空機
は見えないし、 私達は着陸しようと決めたん
です、 安全上好ましい選択肢、 ゴー・アラウ
ンドはしなかったんです。
航空機相互の送信が重なり合ったり、 あたか
も自分だけの周波数であるかのように長々と
送信し続ける機体が有ったりと、 CTAF で
の送信は輻輳していて、 多くの航空機はポジ
ション・リポートをしていない様子。
“ショート・ファイナルを進入中”と一方送
信した私達は着陸を。
“ランプにタクシー・バックする”と一方送
信して180度方向を変えると、 なんと私たち
のすぐ後ろには着陸したばかりの C210が、
まだ私達がランウェイ上にいるというのに!
もっと驚いたのは、 ビーチ・キング・エアー
航空機からの CTAF 周波数での一方送信で
“現在ショート・ファイナル、 着陸する”と
聞こえます。
後で判ったんですが、 その声はキング・エアー
機のキャプテン声で、 先ほど私たちに“ラン
ウェイ・エンドで停止していてくれ、 そうし
てくれれば着陸できるから!”と送信してく
れたんです。
とっさに私は“着陸してはだめだ、 ランウェ
イの半分ほどのところにセスナ機がいるから!”
危険としか言いようのない状態でした。
キング・エアー機は私の申し出を断り、 着陸
を…危険を察知した私たちは、 ランウェイの
すぐ横にある砂地で、 でこぼこした舗装して
いない場所に機体を乗り入れます。
この後、 特に何事も起こらず、 3機ともラン
プにタクシー・バックしました。
他の、 多くのパイロットたちがこの出来事を
見つめていました。
In one incident reported to the ASRS, three aircraft occupied a runway at a non-Tower airport.
As the reporters narrative makes clear, threes a crowd" on any runway especially when the third
aircraft landing had the option to go around. Lack of position reporting and frequency congestion
also contributed to this event.
・There was a lot of uncontrolled traffic trying to land at [airport] . We entered the traffic
pattern on the downwind having made position reports from at least 30 miles to the west of
the field on the CTAF. We observed on the TCAS , from about 15 miles out on the downwind, an airplane at our 8 oclock position, which maintained very close proximity up to and
including landing. On short final for Runway 27 we received a TCAS traffic warning from
this same aircraft from behind us but we decided that landing and not going missed would be
the safest course of action since the runway was clear. Due to high volume in the vicinity
using the CTAF, many airplanes were not making position reports or [were] being stepped
on or blocked on the frequency. After announcing our position on short final, we proceeded
to land.
Upon announcing our back-taxi to the ramp, and while still in a 180 degree turn, we realized
a C210 had landed directly behind us, while we were still on the runway. Even more alarming
was the transmission over CTAF that a Beech King Air was on short final to land. The pilot
whose voice would later be recognized as the Captain for the King Air instructed us to remain
at the end of the runway so he could land. I told him that he should not land, that there was
a Cessna in the middle of the runway already, and that it was a very unsafe situation...The
King Air refused to agree and landed while we prepared to exit the runway into the sand,
gravel, and non-paved area adjacent to the runway, if warranted. All of these aircraft then
proceeded to back-taxi to the ramp without further incident. Several other pilots witnessed
the event.
2008 SEP
45
編集部ノート:
AOPA のエアー・セイフティ・ファンデー
ションは、 小型機のパイロット向け、 もちろ
ん無料のインタラクティブ方式、 つまりある
文を読み、 自分に当てはめた場合、 どのよう
に判断するのかを考えてもらう方式のランウェ
イ・セイフティ・コースを独自に作り上げま
した。
オリジナル・コース (小型機パイロット向
け)は、 http://www.asf.org/runwaysafety.
から入手することが出来ます。
こ の コ ー ス を 作 り 上 げ た AOPA は 、
ALPA と協力し、 エアーライン・パイロッ
ト用のバージョンを作り上げています。 この
バ ー ジ ョ ン は http://flash.aopa.org/asf/
runway_safety_alpa.から入手できます。
Editors Note:
The AOPA Air Safety Foundation originally developed an interactive Runway Safety course
as a free resource for GA pilots.
The original course (for general aviation pilots) is available at
http://www.asf.org/runwaysafety.
Based on the success of that course, AOPA later partnered with ALPA to develop a version
for airline pilots, available at
http://flash.aopa.org/asf/runway_safety_alpa.
46
2008 SEP
マスター CFI
米空軍嘉手納エアロクラブ、 沖縄支部
市川
米 FAA 飛行教官 (CFI) として活動を始め
て4年余、 このたび米飛行教官協会 (NAFI:
National Association of Flight Instructors)
から CFI として特に優れた業績を挙げた個人
について認定するマスター CFI (Master CFI
=MCFI) の認定を受けることができました。
日本国内で本認定を受けているのは現在、 当ク
ラブの所属教官3名のみで、 米本国では特に航
空教育の専門家として非常に高い評価を受けて
いる称号とのことなので、 この機会に MCFI
制度について紹介したく思います。
MCFI とは
NAFI によると、 MCFI 制度の目的は常に
高い知識・技量水準を維持し、 教官としての成
長はもとより、 さまざまな活動を通じて航空界
に貢献する個人を称え顕彰すること、 航空教
育に携わる人々が目指すべき基準とすること、
の2点にあります。 対象者の卓越した業績を評
価、 顕彰し、 もって航空界の一層の発展を図る
のが MCFI 制度の眼目といえます。
MCFI は当初、 一般の操縦訓練を行う CFI
のみが対象でしたが、 現在はエアロバティック
教官を対象とした MCFI-A (MCFI-Aerobatic)、
そして座学教官を対象とした MGI (Master
Ground Instructor) の3部門があります。 ま
た、 FAA に限らず、 ICAO 加盟国発行の各種
教育証明保持者が対象 (各資格とも最低48ヶ月
間保持していること) となっています。
MCFI=継続的な自己研鑽
MCFI は、 単純な表彰制度ではなく、 審査対
象となる各分野 (教育、 奉仕、 メディア、 自己
訓練の4分野) での活動内容を厳正に審査した
上 (各分野で所定の活動時間が必要)、 CFI と
寛晃
同じく2年間の期間を定めて認定する、 一種の
資格制度であるところに特色があります。 4分
野を、 NAFI は次のように規定しています。
1. 「教育」 マスターは航空教育の最前線に
立つ教育者である。
2. 「奉仕」マスターは航空界の発展のため、 惜
しみなく無償で専門的サービスを提供する。
3. 「メディア」 マスターはさまざまなメディ
アにより、 情報、 意見、 方法、 または独
自の研究を発表・共有する。
4. 「自己訓練」 マスターもまた学ぶ者とし
て、 常に学習し知識の習得に励む。
審査では、 NAFI が定める CEU (Continuing Education Unit、 継続教育単位) と呼ば
れる単位を最低32単位 (約480時間相当、 1単
位=15時間) 保持していることが条件となりま
すが、 上記各分野で少なくとも2つの活動を行っ
ていることが求められ、 飛行教官の場合、 操縦
教育のみならず他分野で均整の取れた活動を行っ
ている必要があります。 MCFI 申請の手引きに
は対象となる活動の例が列記されていますが、
上記の規定を満たしているとみなされるものは
例にかかわらず評価の対象となります。
評価される活動とは
私個人の例では、 申請対象期間とした2006年
9月から2008年6月までの22ヶ月間の操縦教育・
座学時間 (上記 「教育」 に該当) は1700時間余
となり、 これのみで既に所定の CEU を満たし
ています。 しかし、 申請にあたっては 「奉仕」
「メディア」 「自己訓練」 の各分野で最低2
CEU を獲得することとなっており、 各分野で
の活動内容と併せ、 単純に時間を満たしている、
というだけでは基準を満たせません。
他の活動としては、 当クラブが行う月例ミー
2008 SEP
47
ティングでの航空安全に関するプレゼンテーショ
ンや、 航空少年団へのボランティア活動 (「サー
ビス」)、 雑誌への寄稿や操縦訓練用の各種教材
制作 (「メディア」)、 CFI 資格更新のためのオ
ンライン講習や AOPA の自習プログラムの受
講、 FAA の技量維持プログラム 「Wings Program」 への参加、 フライトリビュー (2年毎
の技量維持訓練) や実地試験の終了・合格
(「自己訓練」) などが挙げられます。
FAA が唯一公認する職能制度
こうした高い水準が認められ、 MCFI は、 米
連邦航空局 (FAA) が公認する唯一の職能制
度となっています。 CFI は2年毎に各種講習会・
プログラムなどにより資格を更新しなければな
りませんが、 MCFI 認定により CFI 資格の更
新が可能です。 これは、 MCFI 制度が CFI 資
格更新に求められる要件を満たしていることを
FAA が証明するものです。
米国では、 「Air Venture」 や 「Sun'n Fun」
といった大航空イベントが開かれ、 その際に
MCFI を対象とする特別朝食会が催されますが、
そこには例年 FAA 長官が出席しているとのこ
とで、 MCFI に対する FAA の高い評価がここ
でもうかがえます。
MCFI の特典ほか
MCFI 認定はニュースリリースとして管轄の
FSDO (FAA 地区事務所) やメディアなど関係
各方面に周知されるほか、 認定により上記の
CFI 資格のほか、 FAA 公認訓練校のチーフま
たはアシスタント・チーフ・インストラクターの
資格更新を行うことができます。 その他、 NAFI
ホームページ上に MCFI 専用コーナーが設け
られたり、 さらには今後のキャリアでの高い評
価、 教官を対象にした損害保険の大幅割引が得
られたりするなど、 MCFI 制度に対する高い評
価を裏付けるさまざまな特典が用意されていま
す。 さらに、 プログラム・スポンサーの航空用
品メーカーなどから充実した各種教材類が進呈
されるなど、 思わぬ 「副賞」 もあるそうです。
こうした特典はこれまでの活動に対する評価
48
2008 SEP
とともに、 今後2年間にこれまで以上に優れた
業績を挙げることへの期待であることは言うま
でもありません。 その結果、 MCFI 制度が目的
とする 「自己研鑽による航空界の水準の底上げ」
につながるのだと言えます。
MCFI となっている人々
現在、 全米には約9万1000人の飛行教官が登
録されていますが、 そのうち600人程度の教官
が MCFI の認定を受けています。 米国以外で
は9人の飛行教官が認定を受けています。
MCFI 自体は上記の資格を満たして審査の上
認定され、 他に特別な資格は必要ありませんが
MCFI に列せられた人々の経歴を見ると、 確か
に達人・名人にふさわしい人々がキラ星のごと
く名を連ねています。
NAFI が発表している MCFI に関する数字
を以下に一部紹介します。
55%が FAA 航空安全カウンセラー
39%が定期運送用操縦士 (ATP)
13%が FAA 公認または社内試験官
74%が1つ以上の座学教官資格保持
15%が女性 (全パイロット中女性は6%、
CFI では6.7%)
全米49州、 世界9カ国・地域から認定
全米・各地域の年間最優秀飛行教官多数
……などなど
使用事業や航空会社のほか、 高校、 大学、 飛
行学校において、 または個人として活動するな
ど、 MCFI の活動母体は幅広く、 対象となる航
空機も単・多発飛行機のほか、 水上機、 ヘリコ
プター、 ジャイロプレーン、 ウルトラライト機、
グライダー、 エアロバティック機、 自作機、 軽
量スポーツ機、 軍用機、 さらにシミュレーター
と多岐に渡り、 航空界の裾野の広さが見て取れ
ます。 なお、 当クラブの他の MCFI は、 1人
が米海兵隊パイロット ( BE200 )、 もう1人が
FAA 公認試験官として活動しています。
………………………………………………………
MCFI 制度に関する詳細は、 以下のリンクで
紹介されています (英語)。
http://www.NAFIMasters.org/
象
気
航空 C
TE H
Ta l k
台風と数値予報
台風の中心位置と進路予想は
乗員にとって重要か?
航空気象委員会
夏から秋は日本列島が台風の直撃を受ける季節です。 毎年、 我国は暴風雨によって大きな被害を
蒙ってきましたが、 その一方で台風は重要な水資源であり“水瓶”として頼っています。
多くの乗員や運航管理者が台風に翻弄され、 運航の可否について迷い、 そして手痛い目に会って
きたことでしょう。 今回は、 気象庁の予報官が台風の進路予想や飛行場の TAF の作成をどのよう
なプロセスで行っているか、 また予報官の考え方やご苦労などを知りましょう。 台風の影響下にあ
る空港に向かう時、 乗員がどのような資料を参照すれば最良の判断を下せるかが見えてくるはずで
す。
●出発前のブリーフィングルームで………
賀茂 一矢副操縦士:いやだな∼、 何でこんな
日に審査なんだよ∼。 台風近づいてるし、 チェッ
カー怖いし、 運がわるいよな∼。 でも明日は
女房の出産予定日だから、 どうしても合格し
ないといけないんだ。
参田 努チェッカー機長:ゴホン。 何をボケーっ
としてるんだ。 前回のことは忘れてないぞ。
あれからもう2年も経ったのか。 (PILOT 誌
2006年9月号“アウターバンドにご注意!”
をご参照ください) あの時のお前は台風に関
する知識はまあまあだったが、 肝心な Operation がもうひとつだった。 少しは成長し
たか見せてもらうぞ。
賀茂:はい∼∼。
参田:今日は気象庁の藤原予報官が機上観測で
コックピットにお乗りになる。
賀茂:こんにちは、 よろしくお願いします。
藤原 咲夫予報官:よろしくお願いします。 台
風が近づいている空港の機上観測は初めてな
ので、 興味津々ですがとても緊張してます。
参田:それにしてもお前は台風と親戚なのか?
※ 北村 信一・原
基
《200X 年8月18日00Z 地上天気図》
台 風 の 中 心 位 置 は 熊 本 付 近 で 、 時 速 約 10km/h
(6kt) で北北西進中。
いつも台風を連れてくるな。
賀茂:そんなはずないですよ。 (ヒャ∼、 2年
前の悪夢が蘇りそう。) 現在の福岡はまだ風
も強くないので、 最初の往復は問題ありませ
2008 SEP
49
ん。 でも最終便は福岡を台風が直撃しそうで
すから、 無理でしょう。
参田:なんか嬉しそうな顔してるじゃないか。
さては俺が苦労するのを楽しむつもりだろう。
地上天気図や TAF だと確かに最終便は厳し
そうだ。 出発は0520Z だったな。 まだ十分に
時間があるから、 予報官にいろいろ教えて戴
こう。
●台風の中心位置や進路予想は重要な情報か?
参田:さて、 初めの福岡往復の運航が可能かを
検討しようじゃないか。
賀茂:エーッと、 まずは台風の中心の位置と進
路予想ですが………。
参田:うーん、 やっぱりそこから始めるか。
賀茂:もっと重要なことがあるんですか?
参田:そうじゃない。 もちろん中心の位置や進
路予想を知っている方が好いに決まっている。
しかし、 今日のような飛行時間が2時間未満
のフライトにも役立つか考えたことがあるか?
賀茂:はあ∼?
参田:国際線の場合は、 数時間∼最長15時間以
上先の状況を予想しなければならない。 だか
らとても重要な情報だろう。 しかし、 それは
運航管理者が考えることで、 乗員の仕事では
ない。
賀茂:でも目的地の天気の変化を予想するため
には必要ですよね。
参田:それなら君は中心の位置さえ分かれば、
風向風速や雨の降り方が予測できるかい?
賀茂:大体は予想できます。 でも参田さんだっ
て細かいところまでは無理でしょう?
参田:そうさ、 だから聞いたんだ。 確かに昔は
最も重要な情報の一つだった。 風や降雨の大
まかな分布の模式図を想像し、 中心の移動に
合わせてその模式図を動かして、 現況や状況
の変化を予想しようとしたものだ。 しかし、
近年は数値予報や観測技術の発達、 表現方法
の改善によって気象資料が充実している。 だ
からもっと利用価値が高く、 分かり易い資料
がある。
賀茂:なるほど、 そうですね。 2006年9月の時
も、 雨が急に強まって Go Around しました
が、 その後しばらくしたら雨が止んで着陸で
きました。 TAF でイメージしたのとはちょっ
と違ってました。
50
2008 SEP
《8月18日0400Z のレーダーエコー強度》
参田:そ の 通 り 。 PILOT 誌 1998 年 3 月 号 の
“座談会 航空気象 「台風と運航」”を読んだ
かな。 その中で佐藤機長が概略次のようなこ
とを言っている。 「大気には縦や横方向の動
き、 密度や水の相変化があり、 それらが変動
し、 集合してできた現象の一つが台風と呼ば
れている。 台風とは、 大きな変動によって発
生した現象の空域があると教えてくれている
のであり、 台風そのものが大事なわけではな
い。 乗員は個々の現象を知り、 それを避けれ
ばよい」。 つまり台風が原因の、 運航に障害
となる現象は主に強風と強雨だ。 だからそれ
らをなるべく正確に把握できる方法があれば、
それで十分だと思う。 私は基本的に 「その空
港の予報官の TAF を全面的に信頼して判断
してよい」 と考えている。
賀茂:参田さんの口癖ですね。 「餅は餅屋、 予
報は予報官」
参田:そうさ、 予報官は豊富な知識や経験があ
り、 見ている資料だって我々より格段に多い
し、 最新のはずだ。 それに台風はとてもスケー
ルが大きな気象現象だから、 それ自体が短時
間に大きく変化することはない。 移動速度だっ
てそんなに早くないから、 短時間なら現在の
状況とそれほど変わらないと考えても構わな
いだろう。
賀茂:“持続予報”ってことですか?
参田:オッ、 知ってたか。 お前は知識だけは一
人前だな。 はい、 説明して。
性がある場合が多いので、 現在の進行速度・
加速度および強弱の変化状況などが今後も続
くと想定して行う予報をいう。 数値予報結果
を補足したりするのにも、 適宜用いられる」。
(出典:気象予報士のための天気予報用語集)
参田:よろしい。 運航管理者の小河さんもこち
らに来ませんか? 一緒に予報官がどのよう
に予報を組み立てるのか、 その辺りをじっく
りと伺いましょうよ。
小河運航管理者:ありがとうございます。 では
ご一緒に勉強させてもらいます。
賀茂:(ノートを見ながら) 「気象状態には持続
●予報のプロセス
賀茂:藤原さん、 台風が接近してきた時に、 そ
の空港の予報官がどのような資料を参考にし
て、 TAF を作成するかを具体的に教えてく
ださい。
藤原:台風に関するお話の前に、 普段の予報を
どのように組み立てているのかを、 簡単にご
説明します。 予報を考える上で一番大切なこ
とは実況の把握です。 目の前に起きている気
象現象が数値予報 (コンピュータで予想した
資料) と合っているか、 もしずれている場合
や予想していない現象が発生している場合は、
どうしてそうなっているかを解析し、 理解す
ることが大事なのです。 短時間 (3∼6時間
程度) 先の予報は、 数値予報をベースにした
予報より、 予報官によって修正された予報の
方が成績は良いのです。 しかし、 予想時間が
先になればなるほど、 予報官による予報の優
位性は下がります。
参田:賀茂君、 聞いたか。 予報官も予報時間が
短い場合は実況を重視するそうだ。 さっき乗
員に進路予想は関係ないなどと、 ちょっと過
激なことを言ったが、 私の考え方も満更では
ないな。
藤原:そうです。 実際 Short-TAF は、 実況を
ベースにスタートすることが少なくありませ
ん。 さて台風に関する予報ですが、 実は予報
作業の内容が普段と大きく変わるわけではな
いのです。 台風は大雨や強風・暴風などのシ
ビアな気象現象が付き物です。 大規模・広範
囲な災害は社会的にも大きな影響があるので、
予報官も大いに緊張し、 普段以上に集中する
のは確かです。
●台風に関する基礎的な情報の作成
藤原:気象庁本庁と地方の気象台の仕事は違う
ので、 順に説明します。 台風の中心位置や強
さを確定し、 今後の予想進路などの台風情報
を作成・発表するのは本庁の仕事です。 現在
の位置や勢力を確定するのに使用される観測
データには、 衛星画像、 レーダー、 アメダス
や気象台などの気象観測施設の地上観測、 船
舶による海上観測等があります。 台風が海上
にある間は地上の観測データがほとんど得ら
れないので、 主な観測手段は衛星画像です。
雲全体の巻き具合や形状、 眼の形や大きさな
どから最大風速を推定し、 周囲の気圧の観測
データも参考にしながら中心気圧を決定しま
す。 と言ってもそれほど簡単ではないのです
が、 長年にわたる米軍機の台風観測の資料と、
それに基づいた解析方法が確立されているの
で、 実況が得られなくても推測できるのです。
参田:なるほど地上の観測データがない間は、
あくまでも“推測”なのですね。
藤原:そうです。 やがて台風の中心が島や沿岸
2008 SEP
51
部の観測地点を通過すれば、 正確な中心気圧
が分かります。 この時は台風の解析担当者が
最も緊張する瞬間です。 私も以前に何年も台
風の解析をしました。 苦い思い出もあって、
台風の中心が沖縄の名護市を通過し、 そこで
観測された気圧が今まで発表していた中心気
圧より低かったことは忘れられません。 逆に
ぴったり合っていたこともありますが、 それ
は嬉しいものです。
参田:それが技術者の苦労でもあり、 喜びでも
ありますね。 我々も技術者ですからその気持
ちは良く分かりますよ。
藤原:台風情報には強風域や暴風域が図示され
ていますが、 これらは地上や船舶の観測デー
タ、 衛星画像を見た上で、 過去データによる
台風の解析資料に基づいて決定した領域です。
たとえば暴風域は、 その領域内は25m/s 以
上の風が吹いている可能性が高いということ
であり、 その領域内なら何処でも25m/s 以
上の風が吹いているということではありませ
ん。 海上はともかく、 陸上では地形などの影
響によって弱くなる場合がありますから。
賀茂:そうですか。 もし暴風域のはずなのに、
風がそれほど強くないからもう外れたのかも
知れないなんて考えるのは、 早合点で危険で
《極軌道衛星による海上風の観測例》
台風の中心は沖縄本島の南西海上にある
52
2008 SEP
《衛星画像と地上観測値による暴風域・強風域の解
析例》中心は紀伊半島南海上で、 その西に船舶から
の通報が書き込まれている。
すね。
藤原:現在は米国の極軌道衛星からマイクロ波
で海上の波高と向きを推測し、 それから風を
算出できるようになっています。 日本近海の
上空を1日2回通過するので、 そのデータも
台風解析の参考にしています。
参田:そんな方法もあるのですか。 驚いたな。
藤原:今後の進路予想では、 気象庁の数値予報
モデル以外に、 欧州や米国などの数値予報の
結果も参考にすることがあります。
参田:やはり専門家は自分達の技術を過信しな
いし、 常に科学的客観性を考慮しておられる
のですね。
●進路予想と予報円
藤原:もう既にご承知でしょうが、 予
報円などについて確認しておきましょ
う。 進路予想は3時間毎に実況と予
想を観測時刻の約50分後に発表しま
す。 また、 台風が日本に近づいて来
た時には、 毎時の実況とその1時間
後の推定値を発表します。 夏の台風
など上空の風が弱くて動きが遅い場
合は、 予想より半日以上ずれる場合
もあります。 もし、 数値予報のモデ
ルや初期時刻によって結果が異なる
場合は、 予想の精度が高くないこと
を示唆しています。
賀茂:“モデル”によって結果が異な
ることがあるとはどういうことです
か?
藤原:そもそも数値予報とは、 風、 気
温、 気圧、 水蒸気量などの観測デー
タを基に、 右図のように物理法則な
どに則ってコンピュータで計算し、
将来の大気状態を予測するもので
「数値予報モデル」 と呼んでいます。
現在は一日4回計算している全球モ
デル (GSM) と3時間毎に計算し
《台風予想の例》(出典:気象庁 HP)
ているメソモデル (MSM) の2種
類が運用されています。 ディスパッ
チルームに掲示してある12時間、 24
時間の地上予想図 (FXFE502) な
どは GSM で、 国内航空路6・12時
間予想断面図 (FXJP106/112) や
国内悪天12時間予想図 (FBJP112
∼412) は MSM です。 少し専門的
になりますが、 GSM と MSM とで
《数値予報はどのようにして計算しているのか》
は積乱雲の計算方法が異なります。
(出典:気象庁 HP)
また水平格子間隔が GSM は20km、
MSM は5km と違うこともあって、
降水予想などは同じになるとは限りません。
ことです。 進路の予想に誤差が生じる原因の
賀茂:“初期時刻”による違いに関しては?
一つは、 計算を開始する際の初期値の問題で
藤原:“初期時刻”とは計算を開始した時刻の
す。 観測した値が正しくても、 それが計算を
2008 SEP
53
行う上で代表的な値とは限りません。 例えば、
たまたま観測点に局地的な雨が降っていると、
そこの観測値は周りに比べて特異なデータと
なります。 数値予報を計算する上で、 このよ
うな実況値をどのように取り扱って計算し、
初期値として設定するかが重要になってきま
す。 数値予報ではその初期値の僅かな差が計
算を繰り返すうちに増幅されてしまい、 最終
的にはまったく反対の結果になることさえあ
ります。 数値予報の発展はその“カオス性”
との戦いであったとも言えるのです。 特に数
値予報の世界では、 台風の初期値を実況に近
く表現することが困難なため、 解析によって
得られたデータを埋め込んで計算しています。
私達は実況の経過を監視して、 数値予報の結
果との違いを補正しながら予報作業を行って
います。
参田:予想の精度を上げるために、 随分と工夫
されているのですね。
藤原:台風の中心が予報円に入る確率は70%で
すが、 予報円の中心を結ぶ線に沿って進むと
は考えないでください。 例えば、 前頁の図の
ような台風予想の場合、 48時間先になると数
値予報の結果に幅が出て、 あるモデルでは台
風の中心が兵庫県付近に、 別のモデルでは福
岡県付近に予想されるなんてこともあります。
そのような場合は、 両方の可能性を考えて予
報円の中心を隠岐付近に描く、 ということも
あり得ます。 必ずしも予報円の中心が最も可
能性が高い、 と予想しているのではないこと
をご理解ください。
参田:技術者としての良心が 「分からないもの
は分からない」 と言わせているのでしょう。
しかし、 予報官としては明確な形で発表でき
ないのは辛いことですね。
藤原:もし、 それまでの移動経路を見て、 速度
や方向がほぼ一定であれば、 6時間程度まで
ならそのまま外挿しても大丈夫なこともあり
ます。
●飛行場の予想
藤原:次に地方の気象台の飛行場予報の作業方
法です。 本庁で発表した台風予想に基づいて
予報を組み立てますが、 飛行場予報を行う際
には最新の数値予報 (MSM) を重視します。
とは言っても、 数値予報にすっかり頼ってし
まうのではなく、 各種実況観測データからそ
の妥当性を評価します。 台風に関する過去の
資料 (実況の推移) は各官署でかなり調査さ
れており、 空港毎に台風の中心位置と風向風
速の関係などが参照できるようになっていま
す。 また、 予報作業には、 数値予報の結果と
実況 (風や視程、 シーリング等) を統計的処
理した“ガイダンス”(下図) と呼ばれる予
報支援資料も活用しています。
《ある空港のガイダンスの例》(雲量は全雲量を8とした割合)
54
2008 SEP
参田:風は地形の影響を受けやすいから、 気象
台には飛行場の特性に関する資料があるので
すね。 やはり数値予報から単純に予想できな
いということでしょう。
●台風予報の難しさ
賀茂:台風に関する予報が難しい原因に
ついて教えてください。
藤原:そうですね、 いろいろありますが、
最も大きいのは台風自体の変形と地形
の影響でしょう。
近年、 数値予報の発展に伴って、 台風
の中心位置の予報誤差も図のように年々
改善されています。 当然のことですが、
数値予報が実況と合っていないと、 先
ほど説明したガイダンスも当たりませ
ん。 飛行場予報の精度は数値予報の精
度向上と深く関係しています。
《台風の中心位置の予報誤差の推移》 (出典:気象庁 HP)
●台風の変形と地形の影響
藤原:台風の勢力が強くて、 しっかり反時計回
りの渦を巻いている (眼がはっきりしている)
場合は、 中心位置と風向風速との関係はかな
り良いと言えます。 石垣島や宮古島などの南
西諸島は、 海上の孤立した島でもあり、 教科
書に書かれている通りの風が吹くとも言えま
す。 しかし、 台風が日本列島に近づくと、 地
形の影響などで円形度や対称性が崩れてきま
す。 こうなると当然ですが、 暴風・強風域や
台風を取り巻く雨域も変形します。
また、 秋になると偏西風が強まるので、 その
影響で台風の移動速度が速くなり、 右図のよ
うに台風本来の風以上に風速が強まる領域が
あります。 その一例が1991年19号“りんご台
風”です。 青森県では強風で収穫直前の林檎
が落ちてしまい、 農家は甚大な被害を蒙りま
した。
台風が前線帯に接近すると、 暖かく湿った空
気が次々と流入してくる場となるので、 大雨
になったり、 気温差が増大して予想以上に強
い風が吹いたりすることがあります。 例えば
台風通過後に、 その西側の下層に強い寒気が
《台風の風の吹き方の例》
(出典:福岡管区気象台 HP)
南下すると、 台風が遠ざかっていく状況でも、
暴風が持続する場合もあります。 反対に山の
影響で、 予想ほど風や雨が強まらないことも
あり、 予想は本当に難しいです。
局地風の例として、 2004年23号台風では、 岡
山県奈義町で10分間風速34m/s の広戸 (古
い地名) 風と呼ばれる局地風が吹きました。
2008 SEP
55
(右図参照) 同時刻 (0800UTC) の岡山空港
の METAR (風向は真方位) です。
「200800Z 01025G50KT 340V040 3500
+SHRA BR FEW000 SCT006 BKN015
15/14 Q0984」
参田:台風が去ったからと安易に警戒を解いて
は危険ですね。
藤原:その通りです。 なお、 台風では下層の強
い暖湿気の流入に伴う大雨や強風などが主な
現象ですが、 数値予報モデルは地形も実際の
ものとは異なります。 数値予報が発展した現
在に、 台風の中心の予想位置から気象現象を
予測するのは、 必ずしも最適の方法ではない
と思います。
参田:我々素人は過去の事例をなかなか覚えて
いられませんし、 変化が複雑になると完全に
お手上げです。
賀茂:初めに参田さんも言われましたが、 やは
り台風の予想位置が分かれば、 現象が予想で
きるなんて思わない方が良さそうですね。
参田:予報官が言ってくださって、 やっと納得
してくれたようだな。 頑固者め。
藤原:眼がしっかりしているような台風は中心
付近が最も風が強く、 急激に暴風が吹いて大
きな被害をもたらすこともあるので、 やはり
中心がどこにあるのかは極めて重要な情報で
す。 その一方で、 台風の勢力が弱まっている
過程なのに、 中心付近から離れた周辺で風が
強くなることもあります。 普通の人達は、 中
心が遠ざかったと聞いたら、 やれやれと安心
しますよね。 ですから、“台風中心至上主義”
のような情報の伝達は、 防災上の問題になる
こともあります。
《10月20日08Z アメダスの風 (10分間風速)》
(破線内地点は岡山県奈義町、 矢印は岡山空港)
《2004年10月20日09Z の地上天気図》
●TAF は一つの予報に過ぎない
参田:しかし、 実際に運航の可否を判断すると
なると、 我々乗員としては TAF だけに頼る
わけにはいきません。 TAF を信頼すると言っ
たばかりで矛盾するようですが、 TAF の記
述では必ずしも状況やその変化を表現できな
いと思います。
賀茂:乗員には乗員なりの情報収集と判断の方
56
2008 SEP
法あるということですか?
参田:そうだ。 藤原さんには釈迦に説法になっ
て し ま う が 、 例 え ば あ る 日 の TAF に
「TEMPO 0312 11035G50KT 3000 TSRA」
と記述されていたとする。 次頁の図はその時
間帯のレーダーエコー強度だから、 予報官が
「この先9時間にわたって一時的に TSRA が
予想される」 と記述するのは理解できる。 し
かし、 このような漠然とした記述では、 雨の
降り方、 つまり強弱やその頻度と継続時間な
どは判然としない。 もし、 それを知りたけれ
ば、 このような資料を見て自分で判断する必
要がある。 つまり TAF は現象の蓋然性を表
現しているものだから、 信頼はするがその確
認が必要だ。 実際に起こりうる現象を予想す
るには、 それに最適な資料として何があるか
を知って、 日頃から読みこなす能力を涵養し
なければならない。
藤原:まったく、 その通りですね。
参田:しかし、 予想となると短時間先でもそれ
ほど易しいことではない。 先ほど藤原さんが
お話し下さったが、 台風が日本に近づくと、
気象庁は毎時の実況とその1時間後の推定位
置を発表してくれる。 それでは0300Z のレー
ダーエコー強度の図を見て、 中心が西にゆっ
くりと移動した場合の0400Z における降水域
や強度を予測できるだろうか? 2枚の図を
細部まで見比べてご覧。
賀茂:アレーッ、 微妙に変化してますね。 眼の
壁雲の形も違うし、 石垣島は中心に近いのに
0400Z には青空が見えるかも知れません。
参田:そこまでは何とも言えないが、 対流雲は
移動しつつ、 雨を降らしながら消滅し、 また
発生する。 だから台風が接近する地域に強風
や強雨があるのは当然だ。 この図からはそれ
が確認できればよいのであって、 エコー域を
外挿すれば雨の降り方を予想できるなんて考
えるべきではない。 乗員としては残念だが、
降水の時間や地域を細かく予測することは、
外挿法はもちろん、 最新の数値予報 MSM
をもってしても不可能だ。 科学や予報技術の
限界を知ることも重要だよ。 そうすれば情報
を利用する際に、 我々乗員が何を判断すべき
かが自ずと分かってくるだろう。
賀茂:それでは参田さんは、 台風が接近する空
港に行く時はどんなことに気を付けているの
ですか?
参田:怖いから、 行かないようにしている。
賀茂:つまらない冗談はよしてください。
参田:スマン。 台風が近づいてくれば、 世間一
般の関心がその進路予想や今後の勢力の変化
に向けられるのは当然で、 気象庁の発表もそ
れに重点が置かれる。 しかし、 乗員はそのフ
ライトに関する判断ができればよい。 変化し
やすい現象ではその予測の不確定さを理解し
て、 その中で運航を成功させるためには何を
すればよいかを考えるのが乗員の仕事だ。 だ
から予想は予報官に任せ、 予報に含まれる誤
差の範囲を自分の知見によって見極め、 それ
に備えることが重要だと思う。 と言っても、
2008 SEP
57
乗員ができることは結局どれだけの燃料を積
むかの判断だけだな。 何回進入復行をして何
分 Holding したら、 お客様が、 そして自分
達が納得、 あるいは諦められるか。 それによっ
て量が決まる。 言うなれば機長の人生観に根
差している。 人によって違うのは当然さ。
賀茂:もっと具体的に教えてください。
参田:Gust を含んだ強風が吹き、 強雨の中を
進入・着陸すると覚悟しておく。 つまり条件
を最悪にして考えておけば、 準備はできてい
るのだから慌てずに済む。 強風の場合は風向
が僅か10度でも変化すると、 横風制限で着陸
できないこともあるから判断が難しいな。
Grooved か否かも影響するしね。 低高度で
は Wind Shear やひどい揺れに遭遇して、
それによる Go Around も考えておかなけれ
ばならない。
賀茂:私はあれ以来 Go Around なんてないで
す。 それにあの時しっかり経験したから大丈
夫です。
参田:ホーッ、 台風と親戚なのに? いずれ時
間をかけて説明するが、 機上のレーダーでは、
進入域や空港周辺の雲や降水の状況が把握し
にくいことがある。 そんな時は一般気象レー
ダーや空港気象ドップラーレーダーの情報は
とても役に立つ。 つまり地上係員の判断力や
情報伝達の良し悪しが進入の成否に影響する
こともある。
藤原:先ほどから参田機長を拝見していて、 落
ち着いておられるし、 気象資料などもあまり
見てないように思っていました。 それは既に
沖縄本島の東海上のアウターバンドは1100Z には明
瞭ではない。 何処からか風に流されて来たものでは
なく、 その地域に突然発生している。 このように対
流雲の発生は“ゲリラ”的なので、 外挿は5分、 10
分の単位で考えないと実用的でない。
最悪の状況を予想して、 心の準備ができてい
るからなのですね?
参田:そんなこともないのですが、 目的地の状
況が明らかに悪ければ運航管理者も出発させ
ません。 しかし、 気象は変化するので、 マー
ジナルな場合はそれなりの準備をして行かざ
るを得ない時もあります。
藤原:私などは初めての経験でもあり、 かなり
緊張しております。
参田:今日の最初の福岡往復はそれほど悪くあ
りませんし、 燃料なども十分に手当てしてい
るので、 どうぞご安心ください。
賀茂:参田さんは腕だけは確かだから大丈夫で
すよ。
参田:“だけ”が余計だ。
●地上天気図と数値予報とレーダーの降水域の比較
藤原:実は面白い事例を持ってきました。 2007
年9月6日台風9号が関東地方に接近、 上陸
しました。 次頁の図をご覧ください。 上から
順に、 地上天気図に描かれている中心位置、
数値予報 MSM の予想、 レーダー画像の降
水域ですが、 それらをじっくりと見比べてく
ださい。 参田さんが先ほど話されたように、
58
2008 SEP
降水域の移動は単純な外挿で予想することは
無理ですし、 MSM でも降水域の細部までは
予想できていません。 地形の影響などで円形
度や対称性が徐々に崩れているのが分かりま
す。 この辺りが現代の科学技術の限界なのか
も知れません。
●ある機長は自身の判断でフライトをキャンセルしたが………。
TAF-S 0300Z : 110312 11025G35KT 8000 -SHRA SCT008 BKN015 SCT020CB BKN070 TEMPO 0312
11035G50KT 3000 TSRA
METAR 0300Z: 10017G32KT 050V120 2000 +SHRA FEW009 BKN015 SCT020TCU 29/26 Q0996
参田:興味深い事例があります。 那覇の南海上
には台風13号があって、 ゆっくりと北西に移
動していました。 私の便は0400Z に羽田を出
発して那覇の到着予定時刻は0630Z です。 上
記が出発前の最新の TAF-S と METAR で
す。 風が TAF の通りに“11025KT”となれ
2008 SEP
59
ば 横 風 成 分 は 23.5kt で す が 、 も し 降 雨 で
RWY Condition が Wet に な っ て も 、
Grooved なので横風制限の25kt は超えない
見込みです。 また METAR を TAF と比較
すると僅かながら風速が弱く、 現在は“+
SHRA”ですが、 これがこのまま降り続く
ことはあり得ません。 お客様には引き返す可
能性があると一応お断りして、 燃料も十分に
搭載して出発しました。 結果的には、 風速が
TAF ほどにはならなかったので、 無事に着
陸することができました。
藤原:そうですか、 それは良かったですね。
参田:しかし後日聞いたのですが、 後続のある
便の機長が気象状況を理由に自分の判断でフ
ライトをキャンセルしたのだそうです。 運航
管理者が説得しましたが駄目でした。 もちろ
んその機長はそれまでの経験や知識に基づい
て判断したのでしょう。 でも、 結局は他の便
総てが運航できました。 0600Z の TAF-S に
「TEMPO 0612 12035G50KT」 とあるので、
横風成分が制限値を超える可能性が高いから
「行っても無駄」 と考えたのかもしれません。
しかし、 夏休みのお盆の時期でもあり、 お客
様の予約数は500名以上でした。 ですから他
の便への振替ができずに、 お客様の中には旅
行を中止された方もいたかも知れません。 地
上の職員は汗だくで対応しなければならなかっ
たはずです。 軽々な批判は慎むべきですが、
TAF には多少の誤差が含まれることもあり、
そしてその誤差が何故生じるかを知れば、 違っ
《8月11日00Z の地上天気図と台風予想》
(中心気圧965hPa)
《8月11∼12日の中心位置》
た判断になったかもしれません。
●運航管理者の考え方
参田:小河さん、 運航管理者はこのような時に
何に注意しますか?
小河:私が最も重きを置くのは、 空港のどちら
側に台風が接近し通過するかを見極めること
です。 かなり遠くを通過する場合は、 風向の
大きな変化はありませんが、 空港に近づくか、
それほど遠くない所を通過する場合は、 風向
風速に違いが出てきます。 つまり横風の制限
値ぎりぎりの運航の場合、 台風の進路の遠近
が非常に重要です。 また、 台風の勢力の変化
60
2008 SEP
も考慮しなければなりません。
藤原:そうですね。
小河:台風が空港の近くを通過する恐れが出て
きた場合は、 空港の東側を通るのか、 西側な
のかによって風向はまったく違ってしまいま
す。 風速も陸地の摩擦の大きい所を吹いて来
るか、 海上から直接吹いて来るかで強弱が出
ます。 つまり当然ですが、 各地の空港には地
形の影響による特徴があります。 その昔、 香
港でのことですが、 予報を鵜呑みにして全便
キャンセルしたら、 ほとんど影響がなかった
ことがありました。 この時は台風の進路予想
が外れて、 香港の南の海上ではなく、 東側の
大陸に上陸したのです。 風向風速は運航に支
障のない程度でしたから、 あれは辛かったで
すね。
藤原:難しい判断ですね。 台風の場合、 とかく
中心の位置に注目しがちですが、 風の分布を
正確に把握することが重要であり、 それを知
る方法は実況です。 しかし、 台風が海上にあ
る時は、 観測点がないのはもちろん、 海が時
化ているので近くを航行する船舶も当然あり
ません。 したがって、 なかなか海上の風を知
る方法がないのです。 しかし、 現在では数値
予報が進歩し、 MSM では30分刻みの15時間
風の動向によっては風や雨の予報をやや強め
に発表することがあります。 もともと TAF
というのは、 予報のアイディアが複数あった
場合でも、 その中の一つに決めて発表しなけ
ればなりません。 そういう苦しい選択をしな
ければならない場合、 ある程度の幅を持たせ
た予報を発表せざるを得ない時もあります。
このように、 どうしても確定しにくいことが
間々あり、 その事例が 「実際には予想ほど風
が吹かなかった」 というご経験につながって
いると思います。
小河:発生する現象のシビアさやその影響の大
きさを考えると、 ある程度は致し方ないです
ね。
藤原:TAF の予報が運航できるぎりぎりで、
先までの予想が3時間毎に更新され、 予報現
場で見ることができます。 予報官はその予想
資料と実況とを比較し、 数値予報通りに風が
吹いているか、 また今後予想通りに強まるか
を判断しています。 中心位置と中心気圧が数
値予報の通りになると考えられる場合は、 ガ
イダンスを基本に予報するのが一番良いよう
に思います。 しかし、 予報官は台風の予想進
路を参考にして、 自分が担当する空港に最も
接近したらどのような風が吹くかを考え、 台
運航の可否の判断に迷う場合、 運航管理者の
方は予報を発表した航空地方気象台や航空測
候所に問い合わせていただき、 予報の根拠な
どについて確認するのも良いことだと考えま
す。
参田:藤原さん、 ありがとうございました。 予
報官が各種資料を参照し、 可能な限り正確な
予報を出そうと努力されているのですね。 感
銘を受けました。 予報への信頼感が更に増し
ました。
●いざ飛行機へ
参田:だいぶ話し込んでしまったなぁ∼。 それ
を見越して藤原さんには少し早めに来ていた
だいたのだが、 そろそろ行かないと遅れるぞ。
賀茂:はい。 私はこの往復のフライトで審査さ
え終わればよいのですが、 参田さんは何か中
洲にご用があるんですか。 でも今夜の最終便
はやっぱり駄目でしょう。
参田:何だ、 他人事みたいなことを言うじゃな
いか。 お前は中洲を好いとらんと∼ッ?!
賀茂:参田さんも本当はかなり緊張してるんで
すね。 だって変な博多弁になってます。
参田:お前は無駄口が多過ぎる。
藤原:細かく解析してみないと何とも言えませ
んが、 0400Z のアメダスを見ると、 台風の中
心付近は風がかなり弱くなってきていて、 強
《0400Z アメダス
黒丸は台風の中心位置》
2008 SEP
61
い風は中心部より周辺部になっています。 こ
のことは台風が上陸後弱まってきていると考
えられます。 このまま北上した場合、 もし最
終便の到着頃に福岡に台風の中心が来ても、
風が弱い可能性もあり得ますね。 まだ諦める
のは早いですよ。 出発前には、 普段以上に最
新の気象情報を収集して判断してください。
●最終便のフライト直後の参田機長と賀茂副操縦士の会話
参田:いやぁ∼、 疲れたな∼。 しかし、 藤原予
報官の言った通りに福岡は風が強くなかった
よ。 すごい洞察力だ。
賀茂:本当にそうですね。 素晴らしい。
参田: Show Up し た 時 に 見 た 0300Z の TAF
に は 「 TEMPO 1012 04025G35KT 2000
+SHRA FEW005 BKN009 BKN020」 とあっ
たので、 まさか来られるとは思わなかった。
この便の出発直前に見た METAR は 「0900Z
36016G26KT
2500
R34/1100V1700D
+SHRA FEW003 SCT015 BKN020 26/23 Q
0986 」 で 、 TAF も 「 TEMPO 1113
04025G35KT
2500
+SHRA
FEW005
BKN009 BKN020 TEMPO 1315 2500
+SHRA FEW005 BKN009 BKN020」 と悪
い予報だった。 それがどうだろう、 着陸時の
METAR は 「1330Z 35004KT 320V020 7000
-SHRA FEW010 SCT020 BKN030 26/23
Q0989」 だ。 「04025G35KT」 のはずだった
のに、 ほとんど Wind Calm だ。 予報官にとっ
ても、 こういう時の予報は本当に難しいのだ
ろうね。 でも藤原さんは見事に予測した。
賀茂:カリスマ予報官ですね。
参田:やっぱり………。
賀茂:「餅は餅屋、 予報は予報官」 ですか?
参田:違う! その日のお天気は運次第、 だか
ら普段の行いが重要なんだ。
賀茂:………。 台風の中、 無事フライトが終わっ
て本当に良かったです。 (さあ早く愛妻に電
話しなくっちゃ)
参田:チェックは合格とするが、 今から DeBriefing するぞ、 中洲へ行って。
賀茂:(ウッソー! やっぱり悪夢ダー)
●参田機長から後輩諸君へのメッセージ
今年も台風に関して学べる機会があるはずで
す。 もちろん本を読んで基礎的な知識を得るこ
とは大切です。 しかし、 その多くは学者が書い
ているので、 我々乗員が最も知りたい 「航空機
の運航にどのように影響するか」 はあまり明解
でありません。 乗員の先輩方も口頭では教えて
くれますが、 残念ながら文章では残してくれて
いないようです。 ならば自分達で考えなければ
ならないので、 若い方々へ提言があります。
「 こ れ は と 思 っ た 時 刻 を 中 心 に TAF ・
62
2008 SEP
METAR の24時間あるいは48時間の Sequence
を入手」
つまり台風に共通する一般的な特徴を、 自分
なりに把握するためのデータを蓄積するのです。
その中で風向風速、 視程と強雨の関係、 気圧な
どがどのように変化しているでしょうか。 天気
図上の台風の経路やレーダーの降水域とを照ら
し合わせ、 じっくりと追跡しましょう。 このよ
うな方法で幾つかの台風を解析してみると、 そ
れなりに特徴があることに気がつくはずです。
《台風に関する一般的な知識》
気象庁 HP:http://www.jma.go.jp/jma/kishou/know/typhoon/7-1.html
◆
PILOT 誌に掲載された台風に関する記事
・1987年9月 「台風の Briefing を受ける時に」
・1994年7月 「台風情報の利用」
・1998年3月 座談会 航空気象 「台風と運航」
・2003年9月 「台風」
・2006年9月 「アウターバンドにご注意!」
《数値予報に関してさらに詳しく知りたい方のために》
気象庁 HP:http://www.jma.go.jp/jma/kishou/know/whitep/1-3-1.html
◇台風予報の精度向上
台風の進路 (または進路の不確定さ) を正しく予測することは航空に限らず重要なので、
2007年度から台風アンサンブル予報モデルを運用しています。 これは水平方向のメッシュ
約60km のモデルを、 僅かに初期値を変えながら11回計算し、 そのバラつき具合から進路
予報などをより正確に行うことを目的としています。 台風アンサンブルモデルは、 日本の
周辺領域に台風がある場合に1日4回実行されています。
◇数値予報モデルと初期値
数値予報というのは、 現在の大気の状態をコンピュータに取り込んで、 将来の大気の状
態を予測することを言います。 将来の大気の状態を正確に予測するためには、 大気の運動
だけでなく、 地球上で起きている様々な現象を正確に再現する必要があります。 例えば海
洋と大気の間での熱や水蒸気のやり取りや、 雲からの放射の効果、 凝結した水蒸気が雪や
氷晶になる効果はもちろん、 地面が砂漠なのか、 雪で覆われているのか、 植物が生えてい
るのかといったことや、 植物が呼吸して水蒸気を放出するような効果も考慮されています。
また、 数値予報を行う上では、 連続的な大気を離散的な格子点値に置き換える必要がある
のですが、 格子間隔よりも小さな現象が与える効果も考慮する必要があります。 例えば地
表面との摩擦や大気中で発生する乱流の効果や、 積雲や積乱雲が大気を混合する効果など
です。
気象庁では現在、 短期∼週間予報のための数値予報モデルとして格子間隔20km の
GSM (全球モデル) が、 TAF や防災情報のためのモデルとして格子間隔5km の MSM
(メソスケールモデル) が運用されています。 地球上で起きている様々な効果をモデルの
中に取り入れる方法は多種多様にあり、 モデルの目的や格子間隔によって最適な方法は違っ
てきますので、 一口に“モデル”といっても、 GSM と MSM では大きな違いがあるので
す。
コンピュータの中に大気の状態をより正確に再現するためには、 地球上で起きている様々
な効果を取り込むだけでなく、 より正確な初期値を作ることが非常に重要です。 初期値が
2008 SEP
63
正確であればあるほどその後の予報も正確になるからです。 初期値の作成手法として以前
の GSM では3次元最適内挿法という手法が用いられていましたが、 現在の GSM や
MSM では4次元変分法というより強力な手法が用いられています。 初期値を作成する上
では衛星やゾンデ、 航空機の観測データやウィンドプロファイラ、 レーダーなど様々な観
測データが用いられていますが、 観測データを取り込んだ結果がわずかに違うだけで予報
結果が変わってしまうため、 たとえ同じモデルであったとしても、 例えばある日の朝9時
のデータで計算した36時間後と、 その日の夜9時のデータで計算した24時間後の結果に、
差が出ることは珍しいことではないのです。
《参考資料
200X年8月11日の TAF-S・METAR》
TAF-S :0300Z 110312 11025G35KT 8000 -SHRA SCT008 BKN015 SCT020CB BKN070
TEMPO 0312 11035G50KT 3000 TSRA
METAR:(紙面の都合上、 データの一部を割愛しています)
0300Z 10017G32KT 050V120 2000 +SHRA FEW009 BKN015 SCT020TCU Q0996
0303Z 09018G32KT 050V120 1500 R18/1300VP1800N +SHRA FEW009 BKN015
SCT020CB6 RMK 1CU009 5CU015 3CB020 CB OHD-E MOV W RI++
0312Z 09015G28KT 050V130 7000 R18/0750VP1800U -SHRA FEW009 BKN015
FEW020CB RMK 1CU009 5CU015 2CB020 3500W CB 10KM NW MOV W
0330Z 09018G31KT 040V120 9000 FEW012 SCT018 FEW020TCU BKN100
0400Z 09016G30KT 050V120 9999 FEW015 SCT020 BKN150 31/26 Q0995
0500Z 09019G34KT 050V120 9999 FEW015 SCT020 BKN150 31/26 Q0995
0600Z 10021G32KT 9000 -SHRA FEW015 SCT020 FEW025TCU 29/26 Q0994
0700Z 10021G34KT 9999 FEW015 SCT020 BKN120 30/25 Q0995
0730Z 11021KT 7000 -SHRA FEW015 BKN020 FEW025TCU 30/26 Q0995
0734Z 11018G30KT 3000 +SHRA FEW015 BKN020 FEW025TCU 29/25 Q0994 RMK
1CU015 6CU020 2TCU025 A2937 TCU OHD-SE MOV NW
0744Z 10018G35KT 060V130 5000 SHRA FEW015 BKN020 FEW025TCU 28/26 RMK
1CU015 6CU020 1TCU025 A2938 TCU 10KM S AND W MOV NW
0800Z 10020G34KT 060V140 7000 -SHRA FEW010 SCT020 FEW025TCU BKN100
【前号の訂正】
2008年 No.4 (JUL) の p63の左列の1行目の 「“降水短時間予報”」 は 「“数値予報のメソモデル
(MSM)”」 の誤りです。
64
2008 SEP
安全キャラバン (東京ヘリポート編)
航空安全委員会
東京へリポートは、 離着陸経路も含めた東京
国際空港の特別管制区の直下に位置しているた
め、 飛行方法の制限が非常に多いヘリポートで
す。 また今後は、 東京都湾岸地区の再開発・東
京国際空港の新滑走路計画、 新東京タワーの建
設等により、 東京へリポートの周辺環境は激変
するため、 飛行状況に少なからず影響が生じる
と推測されます。 よって、 東京ヘリポート及び
周辺環境について深く理解することが、 航空の
安全に不可欠であると考えました。 そしてまた、
普段東京ヘリポートを使用することがない方々
にも、 これを機会に東京ヘリポートについて理
解していただくことができたらと思い、 2回に
分け、 前編では東京ヘリポートについて、 後編
ではこれからの東京ヘリポートについてご紹介
させていただきます。
榎本
前編
洋孝
えます。 官公庁は消防・警察業務、 民間は報道・
物輸・空撮・薬剤散布・遊覧飛行・官公庁の運
航委託業務等幅広く運航されています。
東京ヘリポートは、 ヘリポートは進入離脱経
路も含め東京特別管制区の下に位置するため飛
行高度が制限されています。 ヘリポート直上周
辺は特別管制区の下限高度が700ft、 ヘリポー
ト情報圏を越えた空域でも下限高度が1000ft∼
2000ft となっています。 また、 ヘリポートを
中心に、 西側は300ft 前後の高層建物が密集し
飛行経路に配慮を要し、 東側は住宅地で高層建
物は少ない地域ですが、 特別管制区の高度制限
のなか、 騒音に配慮しなければなりません。
(図1参照)
東京へリポートの飛行方法
東京へリポートについて
東京ヘリポートは、 東京都江東区新木場四丁
目 (北緯35°37′58″ 東経137°50′34″)、
羽田空港 (標点) から北東に約10km (5.5nm)
に位置します。
以前の東京ヘリポートは1953年 (昭和28年)
1月完成の日本ヘリコプター (全日本空輸の
前身) 所有の洲崎ヘリポート (江東区東陽付近)
に始まり、 1964年 (昭和39年) 6月15日から都
営辰巳ヘリポート (江東区辰巳) へ受け継がれ、
その後、 1972年 (昭和47年) 6月15日に現在の
東京ヘリポートが開港しました。
現在、 官公庁・民間会社 (商社も含めて) 合
わせて24社が東京ヘリポートに基地を置き、 外
来機も合わせると年間2万5千回の離発着を数
ここで、 東京ヘリポートの飛行方法を簡単な
図で紹介させていただきます。
基本的には、 有視界飛行方式 (図2) と特別
有視界飛行方式 (図3) があります。 ここで注
意しなければならないのは、 東京国際空港にお
いて VOR/DME RWY22進入が実施されてい
る場合は、
①ルート1及びルート4は許可されない。
②ルート2により出発を許可する場合は砂町ま
で500ft 以下の高度を維持する。
③ルート3による到着を許可する場合は東京ヘ
リポートから1マイル北側以降500ft 以下の
高度を維持する。
という制限があります。 (図4)
(参考:VOR/DME RWY22進入は東京国際
空港の年間着陸回数の約10%程度。 17
2008 SEP
65
図1
東京ヘリポート周辺の状況
図2
66
2008 SEP
VFR
図3 SVFR
図4
SVFR (VOR RWY22運用時)
2008 SEP
67
年度の東京国際空港の着陸回数は約
156,000回、 VOR/DME RWY22進入
は約15,000回。)
その他に東京消防庁と東京国際空港管制部に
おいて協定を結び、 ヘリコプターによる伊豆七
島の救急患者、 医薬品及び医師の空輸等のため
に承認を受けた特別な飛行経路が2経路ありま
す。 それは、 有視界飛行によるK6ルート (図
5) と計器飛行による VOR/DME R アプロー
チ (図6) です。 ただし、 VOR/DME R ア
プローチには以下の条件が満たされていること
図5
68
2008 SEP
が必要です。
①伊豆諸島地域からの救急患者搬送であること。
②東京ヘリポート及びその周辺が計器気象状態
であること。
③東京国際空港の使用滑走路が北風用
(RWY34L/R) を使用していること。
④東京ヘリポートの運用時間内であること。
⑤操縦士は航空法に定める運航に必要な資格を
有すること。
(後編に続く)
K6 ルート (救急飛行経路)
図6
RJTT VOR/DME R アプローチチャート時)
2008 SEP
69
◎ 特別寄稿
中国の航空交通管制と安全保障
―「三亜飛行情報区」 を例にして
後編
慶應義塾大学法学部教授
前号では、 2006年6月から運用が始まった中
国の三亜 FIR の設定経緯を概観し、 その利便
性や特異性について指摘した。 今号ではその後
編として、 この空域には広域航法航空路が設定
され、 さらに利便性や安全性が追求されている
ことに触れる一方で、 中国における恣意的な空
域の運用と、 そこから類推される空域の軍事利
用、 そして航空交通管制と軍事との密接な関連
について考察しよう。
5. 三亜 FIR における広域航法 注1
―航空路の安全性と効率性向上
三 亜 FIR に は 広 域 航 法 (RNAV : Area
Navigation) 航空路が設定されている。 広域
航法とは、 航空機と航空管制双方の技術が進歩
したことにより、 近年普及し始めた航法である。
従来の航空路は、 航空保安無線施設相互を結ん
で設定されたため、 いわば折れ線構造となるこ
とが多くあった。 本来的には出発地と目的地の
2点間を直線で結ぶ航空路が最短である。 しか
しその双方 (あるいはそのそれぞれの延長線上)
に適当な航空保安無線施設が設置されていない
限り、 こうした直線経路を正確に飛行すること
は必ずしも容易でなかった。 しかし航空界の航
法技術が進歩したことで、 航空保安無線施設や
自蔵航法機器を利用して自機の位置を算出し、
任意の経路を飛行することができるようになっ
てきた。 したがってその能力を生かせば、 無線
施設の覆域内において任意の地点をほぼ直線で
結ぶことができる。 この航法は地上の航空保安
70
2008 SEP
安 田
淳
無線施設と機上の情報処理技術の進歩の組み合
わせもさることながら、 とりわけ慣性航法シス
テムや慣性情報システム、 そして GPS に代表
されるような人工衛星による測位技術 (Global
Navigation Satellite System:全地球的航法
衛星システム) の確立に負うところが大きい。
すなわち、 地上の施設を利用するばかりでなく、
航空機が単独で自機の位置を測定することで、
より安全かつ正確にいずれの2点間を飛行する
ことも可能になるのである。 一般に RNAV 経
路を設定することにより、 幹線航空路の混雑緩
和や複線化を図ることが可能になると言われる。
当初、 三亜 FIR には L642、 M771、 N892、
P901 という4本の RNAV 航空路があった 注2。
いずれもほぼ北東―南西に三亜 FIR を通過す
るものである。 上述したような技術が必要不可
欠であるから、 そうした装備のある航空機のみ
がこれらの航空路を飛行することが認められる。
これらの航空路を飛行する航空機はもちろん航
空管制を受けているのであるが、 これらの航空
路は洋上にあり、 航空保安無線施設に依拠する
ことは難しい。 海南島に最も近い航空路 P901
でさえ、 三亜 VOR から100マイル以上離れて
いた。 つまり三亜 FIR 内のこれらの航空路の
延長線上に航空保安無線施設がないか、 航空路
がその電波の到達範囲外なのである。 従前は太
平洋上など、 地上の無線標識を利用することも
できず、 レーダーの覆域外でもある空域の管制
は、 パイロットが管制当局に対して短波で位置
通報を行い、 その情報に基づいて管制が行われ
図1
ていた。
位置測定の不正確さと短波無線通信の不安定
さにより、 安全運航に対する不安ばかりでなく、
航空機相互間の管制間隔をかなり大きく取る必
要があることから、 交通量の増大に対応できな
い事態が生じてきたのである。 その点、
RNAV を実用化することで、 管制間隔を縮小
し、 航空路の安全性と効率性を向上させること
ができるようになる。
三亜 FIR の RNAV 航空路では原則として
先行機との80マイルあるいは10分間の管制間隔
を採用している 注3 。 ただし2004年7月1日以
降、 レーダー運用時において A202、 A1、 P901
の航空路に限り管制間隔を40マイルとする旨の
NOTAM が出された 注4 。 また日本では短縮垂
直間隔 (RVSM:Reduced Vertical Separation Minimum) が適用され、 RVSM 適合機
相互間の垂直間隔は1,000フィートである注5が、
三亜 FIR
三 亜 FIR の RNAV 航 空 路 で は 原 則 と し て
2,000フィート (約600メートル) である注6。 だ
がかつて三亜 AOR 当時の2002年11月1日、 航
空機の垂直間隔が600メートル (約2,000フィー
ト) から300 (約1,000フィート) メートルに短
縮されたと報道された 注7 。 それによれば、 南
シナ海北部洋上空域内の5本の航空路において、
飛行高度9,000メートルから12,000メートルの
範囲で、 航空機の垂直間隔を300メートルにす
るというもので、 この管制間隔は一部の国家と
地域ですでに実施されているものの、 中国では
初めての措置であるという。 2004年4月15日以
降、 航空路 A1 及び P901 の一部で1,000フィー
トの短縮垂直間隔が設定されるようになっ
た 注8 。 前述の報道は必ずしも正確でない可能
性があるが、 一部とはいえ短縮垂直間隔が適用
されていることは間違いない。 先行機との間隔
にしても垂直間隔にしても、 二次捜索レーダー
2008 SEP
71
と機上の応答装置が完備して初めて短縮するこ
とができることから、 三亜 FIR のレーダー施
設が整備されつつあることは間違いない。 それ
は最も陸地から遠い RNAV 航空路が海南島か
ら350マイル以上も離れた洋上に設定されてい
ることからも推測できる。 中国における
RNAV 飛行は、 「レーダー運用時において実施
される」 と規定されているからである注9。
それでは中国の管制当局はこの三亜 FIR に
おいて、 なぜ RNAV 航空路を運用し、 また航
空路監視2次捜索レーダー網を整備して管制間
隔の縮小を図るのであろうか。 これまでにも指
摘したように、 それは民間航空交通の安全性と
効率性を追及するための措置であろうことはた
しかである。 とりわけこの三亜 FIR を通る国
際航空路は、 東アジアと東南アジアを結ぶ幹線
経路であるため、 ここを利用する航空交通にとっ
て三亜 FIR の発展は大きな利益をもたらすで
あろう。
6. 中国の特殊な空域―制限空域
しかし三亜 FIR の航空路 A1 が危険空域 ZG
(D) 156を、 P901 が危険空域 ZG (D) 158を、
L642 が飛行制限空域 ZG (R) 159を突っ切って
いたという現実を無視することはできない。 危
険空域 ZG (D) 158の北西端空域内の航空路
P901 上には位置・気象通報点 「IGNIS」 さえ
設けられていた 注10 。 そもそも航空路の側方で
なく、 しかも国際航空路上にこのような危険空
域や飛行制限空域を設定することは特異である。
中国の陸地上空の制限空域にもそのような設定
はあまり見られない。 それにも拘わらずこのよ
うになっているということは、 どうしても国際
航空路上に設定しなければならない何らかの理
由が存在するのであろう。 後述するように ZG
(R) 159は24時間、 地表面 (海面) から13,000
フィートが制限されているため、 L642 を飛行
する場合は13,000フィート以上の高度が必要で
ある。 この航空路は洋上航空路であるため、 そ
の程度の高高度を選択することは通常である。
だが危険空域である ZG (D) 156の摘要高度は
72
2008 SEP
1,000メートル∼20,000メートル、 ZG (D) 158
の摘要高度は4,000メートル∼18,000メートル
で、 通常の洋上飛行高度を全て妨げていた。 ま
た危険空域の運用時間も非常に長く、 いずれの
危険空域も運用されていないのは1日のうち
17:00∼23:00 (国際協定時) の6時間のみで
あった。 天候や交通量によって航空路選択の余
裕を取るためには、 この6時間を利用せざるを
得ないが、 これは現地の未明から早朝にかけて
だけということになり、 航空会社の運航スケ
ジュールに大きな制約を課していた注11。
なお前述したように、 2007年8月15日付けの
変更により、 現在においては P901 航空路が廃
止され、 そこにかかっていた危険空域 ZG (D)
158も位置が移動している。 また A1航空路も
通過位置が変更されたため、 危険空域 ZG (D)
156と干渉しなくなった。 危険空域 ZG (D) 155
の位置も同時期に変更された。 したがって国際
航空路とこれに干渉する危険空域は、 従来から
の L642 航空路と飛行制限空域 ZG (R) 159の
みである。 これらの要因については、 ICAO の
場での国際的な調整もあったと思われるが、 中
国の国内的要因についてはまだ不明である。 し
かし航空交通における制約が大きく取り払われ
たことはたしかである。
ところで、 制限空域は各国がさまざまな方法
で告示しており 注12、 中国では 航行資料彙編
とこれに付属するエンルートチャート (航空路
図) によって公示されている。 それによれば、
中国の制限空域は、 危険空域23ヶ所、 飛行制限
空域167ヶ所、 飛行禁止空域2ヶ所である 注13。
ただしエンルートチャート上では、 国際飛行に
関わる飛行禁止空域、 飛行制限空域、 及び危険
空域のみ公示するとされている 注14 。 したがっ
てエンルートチャート上に示された以外のこう
した制限空域が他にも多数存在することは十分
に考えられる。 たとえばこれ以外にも一般に制
限空域としては警戒空域、 訓練空域があるが、
これらについては中国では公示されていない。
このうち飛行禁止空域と飛行制限空域はいず
れも ICAO によって定義されている。 しかし
危険空域、 警戒空域、 訓練空域は必ずしも明確
な定義がなされておらず、 各国が独自に定義し
運用している。 なお、 飛行禁止空域と飛行制限
空域に関する ICAO の定義によれば、 これら
は領土・領海の上空に設定されることとなって
おり、 飛行の禁止と制限に国家の強制力を伴う。
この点において、 前出の制限空域 ZG (R) 159
は海南島沖およそ150マイルの公海上に設定さ
れているため、 果たして飛行制限という強制措
置が妥当なものなのかどうか疑問である。 それ
に対して危険空域は ICAO のこうした定義が
なされていないため、 領空外に設定されること
もありうる空域である。 それがもし公海上空に
設定された場合には、 強制的に飛行禁止や飛行
制限は行えないものの、 実質的にはそれらを必
要とするような危険度の高い空域であることを
意味している。
図2−1
中国では飛行禁止空域について、 「航空機は
飛行中、 いかなる状況においても確定された飛
行禁止空域に進入してはならない。 中国民用航
空総局は、 飛行禁止空域に進入した航空機の機
長に対して厳正な処分を行い、 また当該航空機
が飛行禁止空域に進入したことでもたらされた
一切の結果にいかなる責任も負わない」 と規定
している 注15 。 しかし中国の2ヶ所の飛行禁止
空域である ZB (P) 001と ZY (P) 601は、 その
座標や摘要高度等が公示されていない。 エンルー
トチャートと 航行資料彙編 の空港進入図の
曖昧な図示によれば、 ZB (P) 001は北京首都
空港の南西で北京市中心上空、 ZY (P) 601は
瀋陽桃仙空港北方で瀋陽市中心上空であると思
われる。 なぜ北京市中心上空と瀋陽市中心上空
が飛行禁止であり、 その正確な位置がどこなの
か全く告示されていないのは特異である。 ただ
し中国の空域はすべて管制空域であり、 非管制
北京 APP
2008 SEP
73
図2−2
空域は存在しないので 注16 、 飛行を禁止するの
は事実上容易であろう。
中国の危険空域は、 中国航行資料彙編 で
は 「危険空域が適用されている間においては、
航空機は危険空域に入ることができず、 それに
よって飛行の安全に影響を及ぼす危険の発生を
回避する」 とのみ説明されている。 中国の全23
ヶ所の危険空域のうち、 19ヶ所が 「射撃」 によ
るものであり、 残り4ヶ所が 「飛行活動」 によ
るものである。 これだけでは即断できないが、
「射撃」 は軍用であることから、 危険な 「飛行
活動」 も軍用であることが十分考えられる。 な
おこの4ヶ所はいずれも三亜 FIR に属し、 そ
のうち2ヶ所が前述したように国際航空路に係
る空域である。 中国では国際飛行に関わる危険
空域しか告示されていない (つまりまだ隠され
た危険空域は存在する) とは言え、 三亜 FIR
での危険空域が全て軍用の 「飛行活動」 による
74
2008 SEP
瀋陽 APP
ものだとすれば、 海南島周辺では軍用機による
何らかの訓練や実験が頻繁に実施されていると
推測される。
飛行制限空域は、 「航空機は飛行の安全に影
響を及ぼす危険の発生を回避するために、 飛行
制限空域のさまざまな規制を遵守しなければな
らない」 とされる。 公示されている全167ヶ所
の飛行制限空域のうち、 三亜 FIR における飛
行制限空域は4ヶ所である。 3ヶ所は海南島上
空にあるが、 1ヶ所は海南島からおよそ170マ
イルの公海上にある半径30キロメートルの円形
である。 この飛行制限空域の高度範囲は地表面
(海面) から13,000フィートであり、 制限時間
は毎日24時間である 注17 。 円形の制限空域は一
般に射撃用の危険空域であることが多いが、 こ
こは飛行制限空域であること、 まさに西沙諸島
上空に位置すること、 さらにその指定高度を勘
案すると、 直下で航空機の離着陸が行われてい
ることも考えられる。
7. おわりに―中国の空域統制と軍事
海南島南端の三亜鳳凰空港の南西海上、 危険
空域 ZG (D) 157の西側海上、 かつ制限空域 ZG
(R) 153の南西海上で、 高度4,000メートル以上
には、 広大な 「三亜燃料投棄空域」 (SANYA
FUEL DUMPING AREA) が設定されてい
る 注18 。 たとえば燃料等を満載にして最大離陸
重量で離陸した直後の大型航空機が何らかのト
ラブルに見舞われ直ちに緊急着陸を要するよう
な場合、 そのままでは最大着陸重量を超えてい
るので、 脚が折損するなど安全に着陸できない
おそれがある。 そうした場合には、 ただちに搭
載燃料を投棄して重量を軽くする必要がある。
燃料投棄空域とは、 そのために燃料を空中で投
棄する空域である。 大型機が発着することの多
い大きな空港周辺に設定されていることは必ず
しも不自然ではない。 ただしわが国にはこのよ
うにあらかじめ特定された燃料投棄空域は設定
されていない。 必要に応じて、 乗員の判断と管
制当局の指示によりしかるべき空域 (多くは海
上) で燃料を投棄する。 それに比べて中国の燃
料投棄空域は非常に多く、 エンルートチャート
に図示されているだけで21ヶ所もある。 いずれ
も近傍に大きな空港や飛行制限空域が存在する。
燃料投棄空域をあらかじめ設定する理由、 ある
いは設定しない理由いずれも明確でないが、 少
なくとも空域の創設、 統制、 運用を中国が積極
的に行っている表れの一つである。 また同様に
少なくともエンルートチャートに図示されてい
る飛行制限空域や危険空域は非常に多く、 航空
路の両側にほぼまんべんなくこうした空域が設
定されている。 制限空域の中を細々とした航空
路が通っているといっても過言ではない。 この
ように航空路両側に飛行制限空域が設定されて
いると、 天候等の都合により航空路を逸脱して
飛行せざるを得ない場合 (もちろん管制承認を
得た上であるが)、 非常に対応しにくいことに
なる。 ちなみにわが国にも多くの民間用と自衛
隊用の訓練空域、 試験空域が設定されているが、
その多くは海上や、 あるいは航空路の片側側方
のみである。 またわが国では自衛隊機に対して、
民間航空機と錯綜することを回避するために回
廊 (コリドー) を設けている。 航空管制にたい
する概念や歴史的経緯の違いかもしれないが、
中国の空域設定はいささか特異的であると言え
よう。
1949年11月、 中央軍事委員会の一部門として
中国民用航空局が発足し、 1952年5月に空軍に
編制された。 1954年11月には国務院に直属する
こととなったが、 中国の民間航空はまだ発展し
ておらず、 管制業務は軍によって実施されてい
た。 民用航空局が1955年から航空管制を統一的
に管理するようになり 注19 、 1958年2月に交通
部へ移管されたが、 同年4月、 国務院は 「民航
工作の高度な技術性と、 国防建設との密接な関
係」 により、 民間航空の全ての業務は主として
空軍によって指導されると決定した 注20 。 1962
年4月、 民用航空局は民用航空総局として再び
交通部から国務院直属機構となったが、 軍によ
る指導体制は変わらなかったと思われる。 文化
大革命中、 民間航空は軍に接収され、 1969年11
月に民用航空局は再び空軍に編制された。 改革
開放政策が始まると、 1980年3月、 また国務院
直属となり、 同年6月には中国民用航空局と改
称された。 1985年から1987年にかけての一連の
体制改革により、 航空交通管制業務体制が整え
られた 注21 。 だがこの頃の管制設備の近代化に
はなお空軍が関与していた。 1993年4月、 民用
航空局は民用航空総局に改称され、 12月にはそ
れまでの国務院の副部級から正部級へ昇格した。
こうした経緯を概観すると、 それまで軍によっ
て行われてきた民間航空の管制は、 1980年代半
ば以降独立した組織体制へ移行しはじめたよう
に見えるが、 事実上なお軍と密接な関連がある
こともたしかである。
改めて指摘するまでもなく、 航空交通の安全
で効率的な運用のために空域を監視し、 その情
報を集積・配布し、 空域を統制することは、 同
時に防空と航空優勢の確保という軍事的必要性
にも不可欠である。 すなわち空を管理すること
は国家安全保障の重要な一要素である。 中国の
2008 SEP
75
交通行政のうち陸運と水運とは交通部が管轄し
ているのに対し、 航空は国務院直属の民用航空
総局が管轄していたことにその特殊性を見出す
ことができる。
なお、 2008年3月の機構改革によって、 民用
航空総局は新たに設置された交通運輸部に編入
され、 その一部門となった。 このことで、 民間
航空交通行政の改革改善が進むのか、 あるいは
引き続き軍の影響力が及ぶのかを即断すること
はまだできない。 中国が国家として航空交通行
政を重要視し、 統一的な交通行政の一環として
位置づけてさらに改善を重ねることは間違いな
いと思われるが、 中国の現行政治体制が存続す
る以上、 民間航空交通に対する軍の影響は引き
続き強いものがあると推測される。
注
1
本節の記述は、 主として 「修改的南中国海航路
区域導航要求」、 前掲 中国航行資料彙編 (AIP
CHINA)、 ENR 3.1-2等の該当箇所に基づく。
2 その後2007年8月15日付けの AIP CHINA から、
P901 航空路は廃止された。
3 前掲 中国航行資料彙編 (AIP CHINA)、
ENR3.3-7。
4 NOTAM A0869/04, Summary NOTAM Series
A, People's Republic of China, July 4, 2006, p.1.
5 「 10 . 福 岡 FIR に お け る RVSM 」 、
AIP
JAPAN Vol.1 、 ENR3.6-24。
6 前掲 中国航行資料彙編 (AIP CHINA)、
ENR3.3-7。
7 「我国首次縮小空中飛行垂直間隔至300米」、 新
華網 2002年11月1日、 人民網 。
8 NOTAM A0585/04, Summary NOTAM Series
A, People's Republic of China, July 4, 2006, p.1.
9 前 掲 航 行 資 料 彙 編 (AIP CHINA) AIC
Nr.01/04, January 15, 2004, p.2.
10 一般に洋上航空路において、 航空機の安全間隔
を確保するために一定の位置通報点が設けられて
おり、 パイロットはその地点において通過時刻や
高度、 気象状況と次の位置通報点通過予定時刻等
を管制機関に通報しなければならない。 なお、 前
76
2008 SEP
述の通り、 この P901 航空路は2007年8月15日付
けで廃止され、 同時に危険空域 ZG (D) 158の位
置も変更された。
11 ただし三亜 AOR が設定された2001年当時は、
これら2本の航空路ともにこの2つの危険空域を
何ら憂慮せず飛行できる時間は、 1日のうちわず
か 5 時 間 し か な か っ た 。 と り わ け 23 : 00 か ら
0:30 (国際協定時) の間はこれら2本の航空路
ともに事実上閉鎖されたことになってしまった。
それと比較すると、 規制は若干緩和されたと言え
る。
12 わが国では、 航空法第80条に規定される 「飛行
の禁止区域」 と、 航空路誌 (前出) 等によって
公示される 「飛行規制空域」 がある。
13 飛行禁止空域 (ZB (P) 001、 ZY (P) 601) は、
エンルートチャート上に記載されているものの、
その裏面の制限空域一覧にも、 中国航行資料彙
編 の 「ENR 5. 航行警告」 の項にもなぜか記載
がない。
14 中国と ICAO の基準との違いとしてこのように
告示されている。 前掲 航行資料彙編 (AIP
CHINA) GEN 1.7-2。
15 「ENR 5. 航行警告」、 前掲 航行資料彙編
(AIP CHINA) ENR 5.1-1。
16 中国の 「全ての空域は管制空域であり、 このた
め 管制空域を離脱する とか 航空交通管制承
認の必要な空域を離脱する といったことは存在
しない」。 また中国の空域は 「管制空域と非管制
空域に分かれていない」。 前掲 中国航行資料彙
編 、 (AIP CHINA) GEN 1.7-1。
17 前掲 航行資料彙編 (AIP CHINA)、 ENR 5.
1.2-8。
18 かつて筆者は、 この空域と、 近傍の細長い飛行
制限空域の存在から、 ここで中国が配備し始めた
空中給油機の実験や訓練が行われ、 それが米中軍
用機衝突事件の一因であったかもしれないと推論
したことがある。 註3参照。
19 《当代中国》叢書編輯部 当代中国的民航事業 、
中国社会科学出版社、 北京、 1989年、 274頁。
20 姚峻主編 中国航空史 、 大象出版社、 鄭州、
1998年、 334頁。
21 同上、 497頁。 ただし設立の正確な年月日は不
明。
連
載
航
空
●
曼
史
●
陀
羅
その25. 熊川良太郎と昭和初期
の民間パイロット事情
法政大学航空研究部の教官だった熊川良太郎
(29歳) は、 わずか105馬力エンジン搭載の純国
産複葉軽飛行機・石川島式 R-3 型を、 「青年日
本号」 (第10義勇号、 登録番号 J-BEPB) と命
名して訪欧飛行に挑戦、 法政大学2年の栗村盛
孝 (20歳) とともに、 無謀とも思えるシベリア
大陸横断飛行にいどんだ。 誕生したばかりの日
本学生航空連盟主催によるものである。
昭和6年5月29日、 まだ開港前の羽田飛行場
を離陸、 エンジン故障による2度の不時着をふ
くめた着陸は30回、 モスクワを目前にしたエン
ジン故障による不時着では、 ロンドンから交換
エンジンを輸送するなど、 幾多の難局に直面し
ながら、 総飛行距離13,671キロの飛行を完成さ
せた。 巡航時速は約120キロ、 飛行高度1,000m
前後、 最終目的地ローマへ到着するまで95日間
を要している。 この大飛行の成功で、 熊川良太
郎の名前は、 一躍、 全国に知れわたった。
これは世界に誇る輝かしい記録であり、 大衆
の心を空へ向けさせる効果は絶大なものがあっ
た。 といっても、 まだまだ市民権を得たとはい
石川島式 R-3 型 「青年日本号」
徳田
忠成
えない飛行機、 そして、 第一次大戦後の大正か
ら昭和初期の民間パイロットたちは、 山男どこ
ろではない。 「命知らず」 とか 「道楽息子」 の
烙印を押されながら、 鳥のように空中を自在に
飛びたいという夢にむかって、 精一杯、 わが道
をすすんだ。 その多くが青春を燃焼し、 早世して
いったが、 ここでは 「青年日本号」 の成功で名
をはせた熊川良太郎の生き様を追いながら、 当
時の民間パイロット事情の一端を探ってみたい。
熊川良太郎は、 明治35年 (1902年) 1月29日、
あ ずま
つまこい
群馬県吾妻郡嬬恋村に農家の長男として生まれ
た。 彼が中学生になったころの欧米各国では、
第一次大戦後のあり余る飛行機とパイロットに
よって、 航空会社が続々と設立されており、 米
国では、 バーンストーマー (曲技飛行士) が、
カウボーイにかわる時代のヒーローとして、 も
てはやされていた。
大正5年には、 アメリカのアート・スミスと、
まだ19歳のキャサリン・スチンソン嬢が相次い
で来日、 各地での曲技飛行が新聞を賑わしてい
羽田飛行場出発時の熊川良太郎 (後席) と栗村盛孝
2008 SEP
77
た。 人一倍、 好奇心旺盛な熊川少年は、 自分の
将来の夢を次第に空へ傾斜させていったが、 長
男ということで親は頑なに反対していた。 この
ころは富裕層の冒険好きな子供たちが、 大枚の
自費をはらって、 私設の飛行学校で飛行術を学
んでいた時期である。 とても庶民の子弟には手が
でない。 それでも熊川の空への夢は押さえがたく、
何度も上京すべく家出しては連れもどされた。
ようやく陸軍省 (大正12年4月に 「逓信省」
に移管) 航空局が、 民間航空界育成のための一
環として、 組織的なパイロット養成に動きだし
たのは大正9年からである。 陸軍依託の形で、
その1期生が採用されたのが大正10年1月であ
る。 費用は一切かからず、 しかも若干の手当が
支給されるということで、 若者はとびついた。
といっても、 わずか10名の採用だったから難関
中の難関で、 優秀な人材があつまった。
翌年1月採用の陸軍依託2期生10名の募集に
は140人が応募し、 身体検査や3日間におよぶ
学科試験など、 厳重な審査によって10名が選ば
れた。 採用条件は、 1期生採用時の 「航空機操
縦生志願者心得」 によるもので、 学歴は問わな
いが、 旧制中学3年修了程度であり、 19歳の熊
川は念願の合格をはたした。 彼の運命が決まっ
た瞬間であり、 天にも昇る気持だったにちがい
ない。
2期生は年初から所沢陸軍飛行学校で訓練に
投入された。 訓練内容は1期生とほぼ同じで、
学科115時間30分、 術科150時間20分、 飛行時間
平均37時間24分であった。 ところが卒業を目前
にして、 同期生最年少の吉江忠雄 (鳥取県出身)
が、 曲技飛行練習中に墜死、 さらに他の一人が
疾病で操縦士を断念、 機関学生に転じたので、
結局、 8名の卒業になった。 優等生は、 後に朝
日新聞航空部長として活躍する、 福岡県出身の
新野百三郎であった。 彼は昭和9年度、 国際飛
行連盟 (FAI) による、 その年の最優秀パイロッ
トに贈られるハーモン・トロフィーを授賞して
いる。
欧米に遅れをとっていた日本の航空界も、 大
正11年夏、 ようやく井上長一が、 大阪の堺大浜
78
2008 SEP
海岸に日本航空輸送研究所を設立、 翌年1月、
朝日新聞社による東西定期航空会、 次いで4月
に川西資本による日本航空が誕生といった程
度で、 まだまだ国民の航空界への関心は薄く、
民間パイロットの需要も極端に少なかった。
航空局の児玉常雄技術課長 (後、 中華航空総
裁) は、 国家予算で養成したパイロットを、 設
立を予定していた国策の日本航空輸送会社に投
入する考えだったから、 頭をかかえた。 このこ
ろから児玉は、 民間航空行政の中心的存在とし
て終戦まで活躍している。 この国策航空会社設
立は予算がとれず、 結局、 昭和3年10月にずれ
こんだ。
窮余の策として児玉課長は、 卒業生を陸海軍
飛行学校の助教にしたり、 みずから新聞社や民
間輸送会社、 飛行学校等々に出向いて頭をさげ
た。 パイロットの就職を引きうける手土産とし
て、 陸軍からの払いさげ飛行機1機を提供する
という奮発ぶりが功を奏して、 熊川は立川陸軍
飛行場に間借りしている日本飛行学校の教官と
して採用された。
あい ば たもつ
日本飛行学校は、 相羽 有 が大正6年に、 羽
・・・・
田の穴守海岸に開いた飛行学校と名のついた日
本最初のパイロット養成校である。 もの珍しさ
も手伝って、 そこそこ経営が成り立っていたが、
開校の年5月、 相棒の玉井清太郎操縦士の事故
死や、 台風による飛行機や格納庫が破壊してし
まったことから、 あっけなく閉鎖してしまった。
そして大正12年6月、 立川陸軍飛行場の一角に
ふたたび開校したのである。
やま しなの みや
このころ 「空の宮様」 と親しまれた山 階 宮
武彦親王が、 大正13年、 立川飛行場に御国航空
練習所を設立、 熊川はそこの教官におさまった
が、 これも1年たらずで閉鎖してしまった。 そ
れでも熊川は、 山階宮の庇護のもとで昭和2年
6月、 25歳のときに一等飛行機操縦士資格を取
得、 改造社の嘱託として、 地図作製のために空
撮の毎日をおくった。
悪気流の中、 危険をおかす地上すれすれの飛
行による空撮は、 同社の製作する 「日本地理体
系」 の貴重な資料になった。 しかし、 まだ航空
気象、 わけても山岳地帯の気象に関するデータ
など皆無だったから、 それこそ命がけの仕事だっ
た。 当時としては珍しい仕事であり、 熊川は読
売新聞紙上に、 「航空撮影手記」 数回を連載し
て、 写真技士とともに空中での葛藤の模様を掲
載、 読者の関心をたかめている。
第一次大戦後、 米英の一部大学生が、 軍払い
下げの飛行機によるスポーツ航空を楽しんでい
ることに刺激され、 昭和5年2月、 全国の大学
に先駆けて、 法政大学に航空研究会が設立され
たとき、 熊川はふたたび児玉課長の推薦によっ
て、 誕生したばかりの法政大学航空研究会教官
におさまった。
その後、 慶応、 慈恵医科大、 明治、 立教、 早
稲田、 東大、 関東学院など、 ぞくぞくと航空研
究会が設立され、 2ヶ月後には、 逓信省航空局
や朝日新聞社の後援によって、 日本学生航空連
盟が誕生した。 その披露式典には、 朝日新聞社
の格納庫がある立川飛行場に、 300人ほどの名
士が集まった。 このとき熊川はニューポール式
81 (甲式) 型 「かわせみ」 号で、 仏法科3回
生の前田岩夫2等飛行機操縦士が、 アブロ式
504K 「ひよどり」 号でデモ飛行をおこなって
いる。
連盟設立半年後の昭和5年11月、 法政大学航
空研究会では、 前田とドイツ語教授・内田百
研究会々長、 同学年で英文科2年在籍の中野勝
義の3人によって、 突飛ともいえる訪欧飛行が
立案された。 当時から行動力抜群の中野は、 大
学卒業後、 朝日新聞航空部に就職、 一貫して民
間航空界に止まり、 戦後、 美土路昌一社長との
兄弟のような二人三脚で、 全日空を立ち上げた
ことは有名である。
正操縦士は学生、 添乗者兼副操縦士には熊川
が指名された。 熊川にこの話が持ち込まれたと
き、 彼は河内一彦 (陸依1期) らの訪欧飛行を
思い起こし、 心躍る想いで快諾した。 そして苦
難の末、 冒頭に記述した大飛行を成功に導いた
のである。
しかし、 この時点で熊川の同期生10名のうち、
すでに6名が事故死していた。 当時のパイロッ
ト稼業がいかに危険な商売であったかが伺える。
いずれも墜落ないし行方不明で、 23歳から25歳
の若さである。 途中から疾病のため機関士に転
じた井上吉雄も、 昭和6年6月、 同乗していた
飛行機が山に激突、 29歳で殉職した。 戦後まで
生き残ったのは、 熊川と桑島実 (朝日ヘリコプ
ター運航部長)、 新野百三郎 (戦前、 朝日新聞
社運航部長、 戦後の昭和26年12月、 48歳で病没)
の3名でしかない。
航空黎明期の新聞各社は、 諸々の企画で航空
振興に大きく寄与しており、 とくに朝日や毎日
は自社機を購入、 いち早く取材活動をおこなっ
ていた。 一歩も二歩も出遅れていた読売新聞社
は、 しかし、 飛行機を買うだけの資金がない。
満州事変のときは、 窮余の策として、 訪欧飛行
から帰国したばかりの熊川と一時的に契約、 他
社と共同で購入したトラベルエア4000型 「日本
号」 で、 満州事変の取材をやっていた。
しかし、 いつまでも朝日や毎日の後塵を拝し
ている訳にはいかない。 ついに読売本社に航空
課を設けてサルムソン 2A2 (乙式 型) 偵察
機を、 翼間支柱の修理代45円とウイスキー一本
だけで陸軍から譲り受け、 「よみうり1号」 と
したのが昭和7年5月である。 ところが肝腎の
パイロットがいない。
思案の末、 それまで多少なりとも関わりのあっ
た熊川に目をつけたが、 彼はすでに電通の航空
部に籍を置いていた。 確かな実績をもつ熊川ほ
どの人材を、 電通がそう簡単に手放す筈がない。
諦めきれない読売新聞社は、 電通と熊川双方に
満州でトラベルエア4000型 「日本号」 と共に
2008 SEP
79
膝詰め交渉をおこなった。 この粘りに電通が折
れたが、 結果的に二重社籍に落ちついた。 給料
も倍、 しかし、 この変則的な状態で約一年間過
ごしたあと、 電通が解約し、 機関士ともども熊
川は読売新聞社の航空課員におさまった。
読売新聞社は、 ついで翌年に同型の2号機を
購入、 といっても整備員を含めて5名程度の規
模では、 先鞭をつけている朝日や毎日の規模と
は比較にならない。 意を決した熊川は、 9年5
月中旬、 正力松太郎社長に直訴した。
「他社に負けない万能機、 良い飛行機を買っ
てください。 飛び出したら、 無事に目的を達成
することができる飛行機が欲しいのです」 「う
む、 分かった」
社長の小気味よい返事に手応えを感じたが、
直訴して数時間しか経っていない夕方、 熊川は
社長室へ呼ばれた。 一体、 社長はまだ何が知り
たいのだろうか?
「熊川くん、 すぐアメリカへいって、 他社に
負けない飛行機を見つけてくれ。 決まり次第、
カネをおくる」
この決断の速さに熊川は度肝をぬかれた。 ま
さに実力社長の面目躍如である。 あわただしく
日本郵船の浅間丸で横浜港をたったのが5月17
日であった。
熊川は当時の米航空機メーカーであるボーイ
ング、 ダグラス、 カーチス、 スチンソン、 グラ
マンを精力的にまわり、 ミシガン州デトロイト
市のスチンソン社から、 高翼単葉単発4人乗り
のスチンソン・リライアント輸送機 (ライカミ
ング空冷225馬力) を選定した。 早速、 東京へ
送金を打電したが、 ウンともスンとも返事がな
い。 丁度、 ワンマン社長は帝人汚職事件容疑で
収監され、 東京本社はテンヤワンヤだったのだ。
ようやく契約代金を支払った熊川は、 ここで歴
史に残る大飛行をやってのけた。
東京の指令により、 7月、 飛行機の性能試験
と搬送費節減、 そして読売新聞社の PR のため
スチンソン・リライアント機を背景にした熊川良太郎
米大陸横断コース
80
2008 SEP
に、 日本人として初の米大陸横断飛行に挑戦し
たのである。 しかし、 これはまさに九死に一生
をえた危険な飛行であった。
彼はデトロイトから、 シカゴ、 オマハ、 シャ
イアン、 ソートレイク、 ラスベガス、 ロスアン
ゼルスまでの航程3,800km を、 3日間、 26時
間6分で翔破した。 途中、 ロッキー山脈で猛烈
な吹雪に遭遇、 操縦不能になって、 高度約
2,000m の狭隘な台地に不時着してしまった。
しかも日本では不要ということで、 わざわざ無
線機を外していたから、 外との連絡はとれない。
ところが彼は、 そこから自力で脱出したのだか
ら信じられない。 その強靱な信念が神に通じた
らしい。 強運という外ないが、 日本人として初
の 米 大 陸 横 断 飛 行 に 成 功 、 「 Great Pilot
KUMAGAWA」 の名が全米に知れ渡ったので
ある。
ロスアンゼルス港で、 分解梱包された機体は
浅間丸に搭載、 熊川とともに横浜港に到着した
のは8月16日であった。
羽田飛行場で組みたてられ、 「よみうり3号」
と命名されたリライアント機は、 次の大仕事が
待ちうけていた。 航空文学普及という名目で、
当代もっとも注目を集めていた文士4人を乗せ、
距離2,200km の東日本を一周し、 「空の紀行リ
レー」 というタイトルで飛び、 紀行文を書いて
もらい、 新聞紙上に連載するという企画である。
この頃は、 各新聞社が自社の PR と共に、 競っ
て長距離飛行記録に挑戦していた時期である。
朝日では昭和9年から11年にかけて、 北京訪問
飛行や南京訪問飛行、 それに新野百三郎を使っ
て、 東京・新京 (現・北京) への無着陸飛行、
日タイ連絡飛行等々、 盛んに新聞紙上を賑わし
ていたし、 毎日新聞社も9年8月には、 13時間
余をかけて約3,000キロにおよぶ日本本土一周
飛行を成功、 翌年11月には日比親善飛行をおこ
なった。
さらに約4年ほど前に大西洋単独横断飛行に
成功して世界の寵児となり、 パン・アメリカン
航空の顧問をしていたリンドバーグが、 極東航
空路調査飛行のためにアン夫人とともに、 水上
機 「ロッキード・シリウス」 号で来日しており、
読売新聞の 「空の紀行リレー」 企画は、 是非、
成功させなければならなかった。
昭和9年9月12日から12日間にわたって実施
された企画は、 まず大佛次郎が出発地の羽田か
ら仙台、 盛岡、 青森、 次の林芙美子は青森で待
機しており、 そこから函館、 札幌、 能代へ飛行、
能代で待機していた3人目の桜井忠温が、 新潟、
や そ
富山、 最後の西条八十が富山から上田、 そして
東京に帰着するというものだった。
3日から開始する予定だったが、 天候不良で
12日にずれこんだ。 「……本社新鋭機 ヨミウ
リ第3号機 による 東日本一周・空の紀行リ
レー は、 その催しが精彩ある名文章を紙上に
盛って全読者の清新なる読書欲を満喫せしめん
とすること、 東日本一帯にわたる郷土明色を空
から俯瞰して各郷土の開発に資せんとすること、
更にまた非常時航空思想の宣揚普及をもたらさ
んとすることなどに意義づけられて反響多大、 一
般読者の待望もさることながら関係各地方の歓
喜はいまや頂点に達している……」 (1934年9
月3日読売新聞朝刊) と、 その意義を強調した。
その後、 幾多の活躍をみせた 「よみうり3号」
は、 11年6月に不運な終焉をむかえた。 北海道
での日食観測の写真原稿輸送のため、 女満別飛
行場を離陸、 夜間飛行で飛行の途中、 宮城県と
山形県々境の花山々腹に激突、 機体は大破、 中
村操縦士と機関士が重傷を負った。 この事故は
「日食は血に染む」 と題して映画化され、 はか
らずも激烈な新聞報道の内情が明るみにでて、
全国民の感涙をさそったのである。
昭和7年のロスアンゼルス・オリンピックに
次いで、 11年8月に開催されたベルリン・オリ
ンピックの各新聞社による取材合戦も加熱し、
熾烈をきわめた。 朝日も毎日も、 日本選手が活
躍している映像フィルムを競って空輸、 その梱
包を日本海近海に投下、 汽船が拾い上げて速報
したという。
この時、 読売新聞社は世間をアッといわせる
企画を、 この年元旦に紙上に発表した。 オリン
ピック取材映像輸送のため、 シベリア大陸経由
のベルリン・東京間11,000km を、 3日間で翔
破するというものである。 その準備は着々とす
すめられ、 ドイツからメッサーシュミット博士
設計の BFW108b 「タイフーン」 連絡機を購入
した。 低翼単葉単発240馬力、 引込み脚、 乗員
乗客4名搭乗可能、 最大時速288km で、 第二
次大戦の名機・メッサーシュミット Bf109 戦
闘機のプロトタイプである。 そして社長命令に
より、 熊川と石橋機関士が、 5月中旬、 ドイツ
へ派遣された。
この大任を引きうけた熊川は、 任務を完遂す
べく、 この年元旦早々から体を鍛えることに専
念している。 なにせ、 今までは優に10日間以上
もかかっていた航路を約70時間で翔破するため
に、 一日2食、 睡眠時間4時間という日課を科
した。 修道僧のような鍛錬が、 どの程度の効果
があるかは疑問だが、 当時の彼の意気込みが伝
わってくる。
ドイツに着いた熊川は、 その航空工業に目を
2008 SEP
81
見張った。 ハインケル、 メッサーシュミット、
ドルニエ、 ユンカースなどの各社が、 競って新
型機を設計生産している。 熊川は、 タイフーン
による飛行訓練を順調に仕上げてベルリンへ乗
りこんだ。 彼は新鋭機タイフーンの性能に満足
しており、 あとはソ連上空通過許可を待つばか
りである。 その内にオリンピックは開幕されて
しまったが、 日ソ間の政治情勢が不穏だったこ
ともあり、 ついに通過許可はおりなかった。
熊川は予備ルートとして南回り飛行の準備も
すすめていたが、 これも東南アジアのモンスー
ン (雨期) にぶつかって、 断念せざるをえなかっ
た。 しかし、 彼にとって誇りだったことは、 オ
リンピック開会式場上空を外国機として唯一機、
フライ・バイしたことであった。 なおタラレバ
に過ぎないが、 この大飛行計画が完成していれ
ば、 翌年6月の朝日新聞社主催の神風号による
亜欧連絡飛行の成功は影を潜めたであろう。 い
や、 そもそも企画されなかったかも知れないの
である。
結局、 この企画は潰れてしまった。 この時、
朝日と毎日が、 ベルリンから飛行機と列車を乗
り継いで、 オリンピック入場式の写真やニュー
スを日本へ持ち帰るまでに、 7日間以上が経っ
ている。 なおタイフーン機は、 船積みにして日本
へ運ばれ、 「よみうり6号機」 として活躍した。
中華航空時代の熊川良太郎
82
2008 SEP
12年7月に日中戦争が勃発すると、 熊川は社
命により直ちに中国大陸へ飛んで、 戦火の中で
取材飛行をおこなうなどの活躍をみせた。 日中
戦争終結後、 支那派遣軍の強力な支援を受けて、
昭和13年12月に中華航空が誕生、 児玉は総裁に
就任した。 彼の強引なスカウトによって熊川は
読売新聞を15年7月に依願退職、 中華航空へ移
籍し、 北京支社長として航空輸送任務についた。
そして終戦まで中国大陸の地を飛びまわったの
である。
群馬県々会議員時代の熊川良太郎
戦後、 中華航空本社のある新京から天津を経
て、 家族と共に郷里の群馬へ引き揚げたが、 翼
をもがれた熊川は茫然自失の呈だった。 潰しの
きかない飛行機乗りに残されたモノは何もない。
同期生をはじめ、 兄弟以上の強い絆で結ばれて
いた、 多くの仲間を失った熊川の胸中を去来す
るものは、 一体、 何だったのだろうか。
幸いなことに、 過去の数々の栄光が後押しし
て、 不慣れな県会議員を2期8年間務めた。 こ
の間、 日本人の手による航空が再開されが、 動
ずることなく、 余暇には自宅の庭でバラの栽培
を楽しんでいたという。 そして昭和40年8月8
日、 直腸ガンによって波瀾な生涯を閉じた。 享
年62歳であった。 (参考文献:日本航空協会編
「日本民間航空史話」)
連
載
I Aviation
―アメリカの空から想う―
第2回
Make it Simple!
H o r i zo n A i r l i n e s
青木
美和
ランウェイを高速で Fly by するCRJ700
今日のフライトは朝早くロス発のフライトか
ら始まり、 午前10時にはシアトルで終わる予定
でした。 朝5時発のホテルの送迎車の中で、 一
緒に飛ぶクルー達と“今日の仕事は Piece of
Cake だね!”などと言いながら、 私は飛行時間
の短い事の嬉しさをクルー達と話していました。
プリフライト・チェックを終え、 コックピッ
トの中に入り ATIS を聞き始めます。
そしてこの時、 私はこれから私たちクルーに
起こるとんでもない一日を、 まだ予想すらして
いなかったんです。
ATIS を聞き終えようと最後の“NOTAM”
を書き取っている時“Be advised Flow Control affected to SFO, SEA, JFK, etc.”とい
うアナウンスが耳に飛び込んできました。
“Flow?”確か Flow って ATC が Traffic
をコントールする為の ATC-DELAY のことだっ
たよなー!? などと気楽に思いながら、 私はあ
まり気に留めていません。
出発予定20分前位になって、 キャプテンがコー
ヒーを片手にやっとコックピットに戻ってきま
した。
私は“キャプテン、 私 Flow を経験するのは
初めてなんですが!?”と SEA に Flow がある
ことを何気なく告げます。
彼はすぐさま“Oh Man! How long?”とた
め息をつきながら私に聞きます。
Clearance Delivery に状況を聞くと、 約1
時間半も遅れているとの事! シアトルは、 霧
で天候の悪い日が多いんです。
しかし今日、 それほど天候は悪くないはずだっ
たんですが。
(Forecast はあくまでも Forecast! だと、
Pilot として認識しておくべきでした) すでに
乗客は搭乗し始めていたため、 急遽 PA で、
Flow の事を一般に人にでもわかるような英語
に直し、 アナウンスしました。
“おはようございます。
朝早くのご搭乗誠にありがとうございます。
私どもクルー一同、 張り切って皆様をシアト
2008 SEP
83
ルまでお連れする予定なのですが、 どうも天候
が悪く、 空の上も混雑しているようです。
ATC は全ての飛行機を安全に着陸させるた
め、 どうやら離陸する飛行機の数を制限してい
る模様です。
ただ今の時点で、 1時間半ほど出発時刻に遅
れが出てしまいそうです。
どうぞ皆様、 ご理解いただきますよう、 よろ
しくお願いします。”
お客様達はしぶしぶとですが、 搭乗口へと戻っ
てくれました。
1時間ほど後、 Seattle 行きへの Clearance
がやっと出たので、 直ちに乗客の搭乗を済ませ、
飛び立ちます。
ただでさえ LA Center は早口で、 緊迫感あ
ふれる交信が多い中、 なんだか今日は格別にイ
ライラした感じがし、 さらに聞き取りにくい交
信状態となっていました。
Easy.. Easy..
LAX-SEA 間は私が操縦する Leg だったの
で、 キャプテンが交信を受け持ってくれます。
途中、 アジア系の航空会社へ Holding Procedure の Instruction を出している ATC の音
声が聞こえます。
それは Standard Holding Procedure だった
ら問題はなかったでしょうが、 Non-Standard
Holding Procedure で、 Fix も聞いた事のない
ような場所です。
幾度か“Say it again?”と聞き返していま
す。 私は心の中で、“落ち着いて! がんばっ
て!”と、 いつの間にか自分の事のように励ま
していました。
84
2008 SEP
そんな時、 キャプテンはこう言います。
“They need to understand English!”と。
その言葉で私はふっと現実に引き戻されます。
私はすかさず“They do understand English!”
昔の私:アメリカに来た当時の私では考えら
れないほど率直に、 しかもダイレクトにキャプ
テンに言い返しました。
そして私はこう付け足します。
“I believe they do understand English, but
sometimes it is hard to understand Aviation
Jargons, you know!
I totally understand them!
I know how hard it is to understand LA
Center!
I think they are doing a right thing by
asking SAYITAGIAN.”
いつの間にか、 私は自分の事を話していまし
た。 実際、 最近になってようやく Aviation
Jargons に上手く対応出来るようになったん
です。 (Jargon:特殊用語)
LA センターで磨かれてきているせいでしょ
うか、 どんなに早く言われても耳が慣れてきて
いて、 上手く聞き取れるようになりました。
しかし、 今の私がいるのには、 長い! とっ
ても長かった、 私と英語との苦戦があったんで
すよ。 その事をよく知っている私の母は、 今で
も私が管制塔と英語で、 何不自由なく会話して
いる事が信じられないようです。 (笑)
アメリカに留学して来た当初、“Hello! My
name is Miwa Aoki, Nice to meet you.”が
やっとだった私の英語力は、 とても乏しいもの
でした。
前回にも告白したように、 高校時代全く勉強
しなかった私の英語の成績は2。
そんな私は、 ただ Pilot になるには英語がう
まく話せなければ成れないと信じ、 英語が喋り
たくて勉強したのではなく、 必要に迫られて勉
強した、 と言うのが本音です。
パイロットになると宣言し、 故郷を後にした
私は、 まず始めに英語でつまずいてしまいまし
た。 ESL (English Second Language) に通
い、 1年間英語だけを勉強しました。
パイロット専門学科に入りたくても英語が出
来なかった為、 まずは英語から始めるように!
と言われてしまいました。
希望とやる気だけは人一倍あった私、 生まれて
初めて英語を勉強したい、 と心から思いました。
くどいようですが、 英語が好きで勉強したの
ではなく、 私の場合、 あくまでも Pilot になる
為には英語が必要だから、 勉強した部類だった
んです。
それでも自分から何かをしたい! ましてや
“勉強したい”と思った時の集中力はその後、
私の留学生活の大きな助け舟となりました。
勉強が出来ないと、 親に叱られ続けていた自
分は、 実は勉強が出来ないのではなく、 勉強し
なかったせいだ、 という事を改めてこの留学生
活は気付かせてくれました。
今でも覚えていますが、 アメリカに来て1週
間、 初めの ESL のクラスで、 先生が私を指差
から家族構成まで、 を片言の英語で話しました。
後でクラスメートの一人が私に親切に、 こう言っ
てくれます。
“自己紹介上手かったよ! でも Judy が君
に聞いたのは、 ただ単に、 机の上に配ってある
紙に書いてある文の一行目を読んでくれる?っ
てね!”それなのに私はペラペラと、 自分の自
己紹介をしてしまったんです。
結果的にみると、 自己紹介をしたせいか、 た
くさんの人が名前を覚えてくれました。
私は英語を Beverly Hills 90210で学びまし
た。 ご存知の方もたくさんいる事と思います。
アメリカで90年代にヒットしたドラマです。
ビバリーヒルズ高校に通う、 高校生の日常生活
ドラマ。
毎日私はこのドラマを見て、 アメリカン・イ
ングリッシュをオウムやインコのように真似し
ました。
最 初 に 真 似 し た 単 語 の 中 に は 、 “ Oh My
し、 何かを質問しました。
見知らぬ国で、 しかも見知らぬクラスメート
に囲まれ、 とっても緊張していたなか、 最初か
ら私を指名してきた先生の英語はチンプンカン
プン!。
私を指名した先生は、 私に立つようしぐさを
示します。
きっと、 簡単な英語で、 私に立つように言っ
てきたのでしょうが、 彼女の大げさな手振りの
ジェスチャーがなかたら、 私は座ったままだっ
たことでしょう! そしてまた、 彼女は何か聞
いてきました。
25人ほどいるクラスメートの視線が私に向け
られます。
正直、 注目を浴びるのは大好きでしたが、 こ
のような形で注目され、 恥かしさで一杯。
顔を真っ赤にした私は“わかりません”の一
言がでてきません。
とっさに、 私は訳のわからないまま、 自己紹
介を始めました。
自己紹介に使う英単語は、 渡米する間際に練
習してきていました。
私はその後、 聞かれてもいない私の生い立ち
God!”や“Oops!”など簡単な感嘆語を、 そ
れなりに真似しながらテレビを見ていました。
また、 マイガールと言う映画が好きで、 何度
も何度も見ました。
たぶん20回ぐらい見終えた後だと思いますが、
カセットテープに映画の音声だけを録音しました。
その時点では映画の進行風景が頭の中で描け
ているので、 音声だけを聞きながら英語を聞き
取り理解し、 それも自分が俳優になった気で口
真似をしました。
そんな事を自己流でしている内、 半年ほどす
ると、 耳が英語に慣れてきました。
聞き取りやすくはなりましたが、 やはりまだ、
自分から英語で話しかける事はなかなかできま
せん。
留学2年目にして、 ようやくフライトトレー
ニングに足を踏み入れる事ができました。
インストラクターの言っている事は何とか聞
き取れ、 理解できましたが、 彼の講義をテープ
に録音し、 家に帰って聞き返しました。
教科書も同じ行を、 辞書を方手に何度も何度
も読み返しました。
飛び始めてすぐの時は、 自分の言わねばなら
2008 SEP
85
ない交信時のフレーズを紙に書いて暗記し、 で
も時には読みながら送信しました。
イアフォンに入ってくるほかのパイロットや
管制官の音声は、 相手の顔や動作が見えないう
え、 雑音に邪魔され、 聞き取れないのです。
こんなエピソードもあります。
初めてのソロ・クロスカントリーへ行く時、
インストラクターに頼んで、 Destination の空
港の管制塔へお邪魔し、 私自身の自己紹介と、
何月何日何時何分にこの未熟者の私“青木美和”
がこの空港に、 初めてのクロスカントリーでお
邪魔する事を言いに行きました。
飛ぶ事は楽しくて、 楽しくて、 上達も早かっ
たのです。
でも無線の交信が怖くて、 なかなか前に進め
なかった事も事実です。
ようやく計器飛行に進む事ができましたが、
やはりそこでも交信につまずいてしまいました。
自家用操縦士の免許を取った時とは比べ物にな
らないほど、 交信のスキルが強いられるのです。
私のインストラクターは外国人を教えた事が無
く、 幾度となく“英語の読み書き、 会話、 そし
て理解は FAR Part 61で必修”なんだ、 と皮
肉っぽく言われました。
悔しさと悲しさで何度も泣きました。
飛べる自信はついてきているのに、 管制官の
言っている事がわからないんです。
Frustration だらけでした。
そんな時、 クラスメートの Justin のトレー
ニング・フライトに Jump Seat させてもらっ
たのです。
あの時のフライトは、 私にとって大きな転機
となりました。
実は彼も私と同じように、 計器飛行の訓練中
でした。
計器飛行のクロスカントリーに行く、 という
訓練に便乗させてもらいました。
後ろの席から見学していると、 フライトの流
れがよく解かります。
自分がトレーニングを受けている訳ではない
ので、 落ち着いて見学することができました。
ATC からアプローチク・リアランスが出た頃
86
2008 SEP
でした。
Justin は、 交信を間違い始めてしまいます。
インストラクターのキツイお叱りがコックピッ
トに飛び交います。
ますます Justin はナーバスになり、 交信を
ミスします。
私は唖然としました。
美和と仲間たち
だって私のインストラクターからは、 私自身
が外国人だから、 英語をパーフェクトにしなけ
れば、 パイロットに成る資格等無い、 などと散々
言われ、 泣かされていたというのに、 こうして
アメリカ人で英語が喋れる Justin でさえ、 計
器飛行訓練中の無線交信は大変難しい事なんだ、
と言うことを経験したのです。
Justin には悪いけど、 その事が判明した瞬
間私は開き直り、 どんよりした雲に塞がれてい
た私の心に、 一条の光が差し始めたんです。
やる気がでてきました。
もう一度、 開き直った態度でやってみよう!
それまで散々交信で痛い目にあっていた私は、
正直、 やる気を失っていました。
と言うより、 毎日フライトのトレーニングに
行くのが怖かったんです。
やめてしまおうか? と心が揺れていました。
その後、 私は“Say it again?”と ATC に聞
き返す事のもどかしさを感じなくなっていまし
た。 わからなければ聞き返す。 当たり前の事だっ
たのに、 それは英語が出来ないと認めているよ
うで、 なかなか聞き返す勇気がないままインス
トラクターに叱られ続けていたんです。
私がゆっくりと“Say it again?”と言うと、
ATC も必ずゆっくりと言い返してくれる、 と
言うことにも気付きました。
それ以上に、 アメリカ人のパイロットも頻繁
に“Say it again?”を使ってることに気付い
たんです。
この後、 無線交信の上達には、 目覚しいもの
がありました。
複雑なインストラクションが来た時は、 必ず
メモを取るようにしました。
今思うと、 英語云々と言うよりも、 気持ちの問
題の方が大きかったのではないか、 と思うのです。
実際、 落ち着いて交信を聴いていると、
Simple な単語で、 率直に対応している場合が
ほとんどでした。
Make it simple! なんだ、 と思い始めたら、
交信に対する考えが変わったのです。
この時の貴重な経験が後日、 私の CFI とし
てのキャリアに大きく影響し、 無線交信でつま
ずく生徒にも、 上手に教える事ができるように
なったのです。
“Horizon XXXX, are you with me?”突
然、 厳めしい声がヘッドセットへ飛び込んでき
て、 私を現実へと呼び戻します。
どうやら ATC コールをミスっていたらしい。
キャプテンはすぐさま“Horizon XXXX, goahead!”と受けます。
今日は朝から Flow の影響もあり、 LAX と
SEA に緊張感と Frustration が漂っています。
ATC は私達に、 SEA での長時間を要する
FLOW について説明し始めました。
このぶんだと軽く40分は Holding になるだ
ろう、 10時には仕事を終えているはずなのに!
と乗客でもないのに私の口から愚痴がこぼれま
す。 其の直後です、 ATC からものすごい勢い
で Holding のインストラクションがきました。
シアトル上空も混んでいるようで、 今までに
聞いたこともないような Holding Fix を言っ
てきます。
私はいつもの癖で、 すぐさまこのインストラ
クションを紙に書いていました。
ATC が言い終えた後、 一瞬の沈黙があり、
キャプテンは、 すこし戸惑っているように見え
ます。 私が、 いま書き終えたインストラクショ
ンを読み返すと、 キャプテンは“Thanks”と。
この後、 案の定、 長時間の Holding が続き
ます。 この日のパイロットと ATC のやり取り
を聞いていると、 他のパイロットも聞きなれな
い FIX でのインストラクションに戸惑ってい
る様子です。
Holding 中、 キャプテンは何気なく、 こう
私に言います。
“さっきの ATC をすかさず聴き取れた君の
英語力はすごいよ! 正直、 Fix のアルファベッ
トが耳に入ってこなかった。
英語が母国語の私達でさえ聞き取りにくいの
に、 外国人の君が聞き取れるなんて! 努力し
てここまで来たんだね!”と。
今朝、 アジア系航空会社のパイロットに同情
もせず、 批判がましい言葉を吐いた人からの言
葉とは思えません。
一番苦労している部分、 交信でほめられるの
が一番うれしい瞬間だと、 私は彼に正直な気持
ちを伝えました。
まだまだ、 パーフェクトに管制塔とやり取り
するまでには到っていません。
ちょっと調子に
乗って、 アメリカ
人のように流暢に
ATC に リ ク エ ス
トし始めると、 私
の発音が悪いた
め、 何度か聞き返
され、 恥をかきま
す。 Make it simple! それが何よ
りの ATC との交
信サクセス法だ、
と強く自分に言い
聞かせる毎日なの
Dress up!
です。
2008 SEP
87
地球環境問題関連用語の解説 18
74. 洞爺湖サミットでの G8 首脳宣言
2008年7月8日に発表された G8 北海道洞爺
湖サミット首脳宣言の大項目は下記の通りです。
「世界経済 (World Economy)」、
「環境・気候変動 (Environment and Climate Change)」、
「開発・アフリカ (Development and Africa)」
「国際機関 (International Institution)」
「政治問題 (Political Issues)」
これらの詳細は、 全20頁にわたりますが、 そ
の一部を若干踏み込んで紹介します。
75. 「環境・気候変動」
首脳宣言の中の 「環境・気候変動」 では、
①気候変動 (Climate Change)
②森林 (Forest)
③生物多様性 (Biodiversity)
④3Rs (Reduce, Reuse, Recycle)
⑤持続可能な開発のための教育 (Education
for Sustainable Development; ESD)
の5項目を、 取り上げています。 A4 で5頁に
わたる内容のうち、 特に①について4頁を使っ
て、 国連を中心とした活動を、 詳細に、 解説的
に、 まるで他人事のように紹介しています。
76. ESD
⑤は、 A4 で、 英文のわずか3行の内容で、
下記に紹介するのがその全てです。
We promote Education for Sustainable Development by supporting the UNESCO and
other organizations in the field of ESD and
through knowledge networks among relevant institutions including universities to encourage actions by the public leading to a
more sustainable and low carbon society.
77. Sustainable Development
Sustainable Development は、 今回は 「持
続可能な開発」 と訳されて Press Release され
88
2008 SEP
ていますが、 Development を、 より広い意味
を持つ発展と訳したほうがピッタリという場合
もあります。 「開発途上国」 や 「発展途上国」
という表現のどちらを使うのが適切かという感
覚です。
Sustainable の名詞である、 Sustainability
は、 「持続可能性」 と訳されており、 この単語
は、 地球環境問題の Key Word の一つになっ
ています。 さらにSustainability Science (サス
テイナビリティ学) という言葉が、 大学や研究
機関で使われはじめています。
78. Sustainability Science
環境問題の中で最大の課題である、 地球温暖
化問題を含め、 人類が生存できる未来社会を実
現するための諸問題を、 グループ分けをし、 解
決手段としての学問や技術領域を示し、 それら
を横断的に機能させるための基礎となる超学的
(Transdisciplinary) な学術であるといわれて
います。 言い換えれば、 地球環境への負荷を軽
減しつつ、 世界各国、 地域社会の生活レベルを、
現在またはそれ以上に保ちつつ発展させるため
に、 どの分野で何をすべきか、 世界の叡智を結
集して対応策を見出そうとする研究分野です。
日本では、 東京大学が中心となっているIR3S
というサステイナビリティ学連携機構 * が、
76. ESD の趣旨に沿った積極的な活動をして
います。
(*IR3S:The Integrated Research System
for Sustainability Science) 次ページを参
照ください。
第17回掲載用語 (フライト関連)
69. Jet Stream
70. Speed Brake
71. Delayed Flap/Delayed Gear
72. CDA (Continuous Descent & Approach)
73. Tail Wind Landing Capability
*サミットの首脳宣言で感じること
*パイロットの体験する環境・気候変動の現象
新聞報道等の伝えるこれらの宣言や声明の要
旨から判ることは、 誠に残念ながら、 参加各国
のベクトルの不一致の結果を糊塗するために、
言葉を弄してアレコレと示しているだけで、 す
べての懸案を先送りする総花的な内容となって
いることです。 サミット議長国日本のリーダー
シップの限界を示したものといえます。
世界のすべての国々が、 国益を主張するだけ
では、 この地球の未来は危ういという認識を、
どれだけの国のリーダーが持っているのかと疑
いたくなります。 早急に実現すべき近未来の数
値目標を具体的に示し、 夫々の懸案への具体的
対応策を実行することが求められています。
さて、 我々パイロットは、 他の職業に従事す
る人々に比べ、 日々の生活と航空機運航を通し
て、 より地球環境の深刻な変化を感じることが
できます。 その意味で、 地球環境問題への積極
的な啓蒙発言が出来るのではないでしょうか。
フライトを含め日ごろ体験している地球環
境汚染の例は、 国による大気の汚れの違い、
酸性雨、 砂漠化の進行、 黄砂の飛来、 森林
破壊、 海面上昇、 氷河の後退、 特定河川や
湖沼の水質汚染、 珊瑚礁の異常、 赤潮、 オ
ゾン層の破壊、 等々。
特に、 気候変動については、 日常運航の中
で、 多くの環境悪化現象を体験しています。
大気の匂い、 透明度、 スモッグ (日本は減
少傾向)、 光化学スモッグ、 雄大積雲の多
発、 集中豪雨頻度の増加、 最大降雨量の大
幅な増加、 季節に無関係に発生する台風、
ハリケーン、 サイクロン、 竜巻等の被害増
大、 ジェット・ストリームの蛇行、 平均海
面の上昇、 海水温の上昇、 平均気温の上昇、
最高気温更新、 等々。
われわれパイロットがやるべきことは、 燃料
を無駄に使わない一点にあります。 心して安全
なフライトを心がけましょう。
*地球環境問題に取り組む上での哲学
人類の行動の原点を PILOT 2008 No.4 JUL
の地球環境問題座談会の記事の最後にある、 ア
メリカ先住民の諺に準拠すべきではないかとつ
くづく感じています。 下記に再録します。
“Treat the earth well. We did not inherit it
from our ancestors; rather we have borrowed
it from our children.”
「大地 (地球) は丁寧に扱え。 大地は先祖か
らもらったものではなく、 子供たちから借りて
いるだけだ。」
*地球環境改善に役立つ画期的革新技術
現在のレベルの生活水準・快適性を維持しつ
つ、 増加する将来のエネルギー需要にも対応で
きるように発展するためには、 下記のような画
期的革新技術の実用化が望まれます。
環境汚染を起こさない代替燃料
水素の製造・貯蔵・利用技術
効率の良い太陽光発電
深層水との温度差を利用する発電
画期的な海水の淡水化
核融合技術
この他にもあると思います。 これらの技術開
発に研究開発費を投入するだけの先見性が必要
で、 政治家を含め、 行政の決断がその成果を大
きく左右します。
*IR3S とは
日本国内の大学や研究機関のもつ学術的なポ
テンシャル、 すなわち高い専門知識や経験を有
する人的資源を有機的に連携させることで、 サ
ステイナビリティ学を学問領域として確立させ、
発展させることを目標に設置された、 世界でも
トップクラスのネットワーク型研究拠点です。
具体的には、 東京大学が企画運営を統括し、 京
都大学、 大阪大学、 北海道大学、 茨城大学の5
大学に研究拠点を置き、 個別課題を担う6つの
協力機関、 すなわち東洋大学、 国立環境研究所、
東北大学、 千葉大学、 早稲田大学及び立命館大
学という体制で、 個々の研究テーマを選び、 そ
の成果を連携機構内で総合的にまとめ、 国家プ
ロジェクト *として実現を図る計画となってい
ます。
(*文部科学省の助成金を得た2010年までの時
限プロジェクト)
(地球環境問題分科会リーダー 岩瀬 健祐)
2008 SEP
89
ews
FAI N
FA I ニュース
Federation Aeronautique Internationale
7月から8月にかけて、 各種の FAI 航空ス
ポーツ世界選手権が開催され、 エアロバティッ
クスでは日本代表の参加がありました。 優勝が
期待されたロータークラフトの日本勢は、 今回
は参加キャンセルとなりました。
これらの競技会は、 諸外国では盛んに実施さ
れているのですが、 日本ではまだ、 その実施基
盤が確立していません。 飛行の環境等がその背
景にあるのでしょうが、 FAI からの情報を得
ながら、 徐々に考えていきたいと思います。 で
は今月の各部門の報告です。
ロータークラフト (ヘリコプター)
ロータークラフトの13th FAI World Helicopter Championship が ド イ ツ の Eisenach
で今年の8月13日から18日まで行われました。
日本からの参加はありませんでした。 今回の参
加国はロシア、 ドイツ、 イギリス、 オーストリ
ア、 フランス、 ウクライナ、 スイスの7カ国で
した。 総合優勝1位はロシア、 2位はドイツ、
今回はイギリスががんばり3位でした。
各競技科目への参加チームは全部で44チーム
で上位の6チームがロシアでした。
ロシアチームの Viktor は各科目ともに満点
に近い成績でした。 やはりロシアのチームに勝
つことは難しいようです。
今年も日本チームは茂木の FAI エアロバティッ
クスグランプリのエキシビションに参加の予定
です。 10月31日から11月2日までの3日間は茂
木に見に来てください。
ジェネラルアビエーション (飛行機)
今年のラリー飛行及び精密飛行競技の世界選
手権は、 いずれもこの7月に終了しました。 で
は、 その結果を紹介させていただきます。
● FAI ラリー飛行世界選手権
90
2008 SEP
奥貫
博
2008年7月20日−26日@オーストリア
個人 優勝:Darocha chrzaszcz (ポーランド)
2位:Cherioux Le Gentil (フランス)
3位:Wieczirek Skretowicz (ポーランド)
団体 優勝:ポーランド
2位:チェコ
3位:フランス
● FAI
精密飛行世界選手権
2008年7月13日−20日@オーストリア
個人 優勝:Lubos Hajek (チェコ)
2位:Waclaw Wieczorek (ポーランド)
3位:Robert Verbancic (スロバニア)
団体 優勝:チェコ
2位:ポーランド
3位:フランス
参加機体は C152, C150, C172 の順でした。
エアロバティックス (FAA-CIVA)
今年の各チャンピオンシップもほぼ終了しま
した。 7月にチェコ共和国で開催されたパワー・
アンリミッテッドのヨーロッパ選手権にエント
リーした室屋義秀氏は63.75%の成績を残しま
した。 ヨーロッパの国ではないので、 公式順位
は記録されませんが、 これは52人中33位に位置
します。 室屋氏は回を重ねるごとに着実に順位
を上げてきており、 将来が楽しみです。 また、
8月にアメリカのオレゴン州ペンドルトンで開
催されたパワー・アドバンスドの世界選手権に
エントリーした内海昌浩氏は、 初参加ながら
59.68%の成績を残し、 34人中25位でした。 内
海氏は、 競技終了後の日曜日に開催されたエア
ショーで、 愛機エクストラ 300L を駆り華々し
いエアショーデビューを果たしましたが、 なか
なか好評でサインを求める人の輪ができていま
した。 青と黄色に塗り分けられた美しい機体は
そのうち日本でもお目にかかれることでしょう。
参加報告
コウノトリ但馬空港フェスティバル'08
奥貫
博
コウノトリ但馬空港
兵庫県豊岡市の 「コウノトリ但馬空港」 は
1994年5月に開港したコミューター用空港です
が、 小型機の航空スポーツ用飛行場としても力
が入っています。
ターミナルビル側から1200m の滑走路をは
さんだ西側には小型機専用のエプロンがありま
す。 このようなエプロンの配置は、 他に例を見
ないものです。 この西側エプロンを利用して、
1995年のエアロバティックス・ワールドカップ
以降、 毎年の夏休みの時期には、 小型機による
但馬空港フェスティバル、 スカイレジャージャ
パン等のイベントが実施されてきました。
今年の 「空港フェスティバル」 は、 第14回目
となるもので、 航空スポーツ関係では、 エアロ
バティックス演技及びヘリコプターによる
FAI 競技科目の展示がありました。
エアロバティックス演技は Deep blues 室屋
パイロットの Extra300S、 AiRock サニー横山
パイロットの Pitts S-2B、 そして JAPA 奥貫
による富士重工製 FA-200-180 エアロスバルの
展示飛行が行われました。
室屋パイロットは、 この7月のエアロバティッ
クス欧州選手権参戦で鍛えた腕の冴えを発揮さ
れ、 サニー横山氏は、 リズムに乗った Pitts の
演技、 FA200 は、 期待の能力の限りを引き出
した優雅な演技といったところで、 それぞれの
持ち味の飛行演技は、 他ではなかなか見られな
いと、 好評でした。
では当日の様子を報告させていただきます。
オープニング飛行
初日は Deep blues、 翌日は AiRock がオー
プニングを飾りました。 朝から終日、 プロペラ
機が飛び交う、 空のイベントの開幕です。
モーターパラグライダー
先ずは、 モーターパラグライダーの飛行です。
皆さん、 楽しそうに飛行されていました。
2008 SEP
91
優雅で華麗な WACO 複葉機
但馬飛行クラブのボナンザによる編隊飛行
次は、 古き良き時代をよみがえらせる
WACO 複葉機です。 毎年の参加で但馬の空に
もすっかりなじんだ様子で、 軽快に空を舞って
いましたが、 操縦にはかなり力を要するとのこ
とで、 大汗をかかれていました。
毎回お世話になる但馬フライングクラブの皆
様は、 高性能単発機、 ボナンザでの編隊飛行を
披露されました。
Super Wings の
編隊飛行と風船割り
R22 ヘリコプターの FAI 競技科目の展示
アルファー・アビエーションの谷澤さんは、
今回も R22 ヘリコプターを使用した FAI 競技
科目を展示されました。
最初に、 地上ターゲットを使用した、 素早く、
かつ精密な移動と、 ホバリング系の世界選手権
科目が展示され、 続いてフリースタイル演技の
展示が行われました。
この演技は世界選手権優勝の実績を持つもの
ですから、 会場の皆さんは、 世界一の演技を見
られたわけです。 機体は全くのノーマルなので
すが、 機敏な動きと、 高度な技の組み合わせに、
皆さん圧倒されていました。
92
2008 SEP
その次はスーパーウイングスによる編隊飛行
と風船割りです。 4機の FA200 は、 はるばる
熊本から飛来しました。 このチームの魅力は、
その統率の取れた姿と腕の冴えです。
風船割りは風に乗って動く風船を時速200
Km で捕らえる難しいものなのですが、 皆さん、
本気を出せば百発百中の腕を持っています。
その後空中集合して、 会場上空を通過します。
極めて完成度の高い演技でした。
AiRock ピッツのエアロバティックス飛行
FA200 のエアロバティック飛行展示
次は、 AiRock のサニー横山氏による、 ピッ
ツスペシャルのエアロバティックです。 この但
馬空港で練習を重ねられたとのことで、 良く考
えられた課目の構成とポジショニングでの、 正
確な演技には、 皆さん、 大きな拍手を寄せられ
ていました。 決して無理をするのではなく、 全
体の流れとリズムで演出し、 競技的な難易度の
高い要素も組み込まれた正確な演技は、 この種
の展示飛行の良き見本となるものでした。
豪快なヘリの後は、 FA200 エアロスバルの、
優雅なエアロバティック飛行です。 操縦は、
PILOT 誌編集委員の奥貫が担当しました。
エンジンパワーも、 舵の利きもエアロバティッ
クス専用機とは別物ですので、 ロールも宙返り
も、 ゆったりと見ていただきました。
Deep Blues のエアロバティックス飛行
自衛隊ヘリコプターのデモ飛行
陸上自衛隊の AH-1S 及び OH-6 ヘリコプター
も、 応援に駆けつけました。
プロの腕は大変なもので、 但馬の狭い展示エ
リアを上手に使った豪快な飛びっぷりには、 感
心させられました。 考えてみれば、 自衛隊さん
ですから、 どのような地形の場面でも、 全力発
揮の行動ができなければならないわけで、 頼も
しさを感じる展示飛行でした。
さてその次は、 世界最高峰の無制限クラスの
エアロバティック機、 Extra300S の飛行です。
操縦する室屋氏は、 昨年は世界選手権を闘い、
また、 但馬の2週間前にはヨーロッパ選手権を
闘った、 世界レベルの選手です。
離陸直後の背面姿勢からの急上昇に始まり、
パワフルなエンジン、 シャープな舵、 エアロバ
ティックス選手権で鍛えた技の正確さは、 見て
いて気持ちのよいものでした。
2008 SEP
93
自然と調和した環境の中、 コウノトリは悠然
と空を舞っていました。 周囲の数キロの畑は、
コウノトリの飛来に備えて無農薬とのこと、 地
域ぐるみの大変な努力が感じられました。
おわりに
突然の雷雲に襲われた但馬空港
初日の土曜は、 大変な暑さではあったものの、
2万6千人の観客が集まり、 大盛況でした。
翌日の日曜も、 朝から強い陽射しが照りつけ
る天候だったのですが、 オープニング飛行が終
わる頃から雲行きが怪しくなり始め、 やがて、
突然の雷と豪雨に襲われてしまいました。
それと共に 「大雨洪水雷雨注意報」 が発令さ
れましたので、 運航規定に従い、 日曜日の行事
はすべて中止と決定されてしまいました。
飛行場内にも落雷の恐れのある状況でしたか
ら、 お客様の安全を考えれば、 止むを得ない措
置であったと思いますが、 天候は、 午後には持
ち直し、 お昼から3時ころまでの時間帯は晴れ
て、 フライトには支障ない天候でしたので、 少々
うらめしく思ったのも事実です。
さて、 行事はすべて中止になりましたが、 帰
りの便までは時間がありましたので、 但馬のコ
ウノトリを見に連れて行っていただきました。
但馬のコウノトリ
94
2008 SEP
コウノトリ但馬空港フェスティバルは、 小型
機の空の祭典です。 終日プロペラの音が響き、
ヘリコプターが飛び、 パラグライダーが空を舞
います。 小型機のエアロバティックスも、 ヘリ
コプターの FAI 競技科目の展示も、 その内容
は国内随一と言えるでしょう。 また、 単に見る
だけではなく、 熱気球の体験搭乗も、 フライト
イベント終了後の、 遊覧飛行もあります。
大規模な航空ショーとは異なり、 航空スポー
ツを愛する人々、 地域、 及び団体によって支え
たこのような小型機のイベントは、 本当に貴重
な存在です。
真夏の暑い中、 それは大変なのですが、 この
イベントを楽しみに、 但馬に集まる皆様、 中貝
豊岡市長以下実行スタッフの皆様、 そして但馬
フライングクラブの皆様のことを思いますと、
「今年も頑張るか」 となってしまいます。
このイベントに来て、 つい先ほどまでエアロ
バティック飛行を行っていた機体の操縦席に座っ
て大喜びのお子様の、 「大きくなったら何にな
りたい?」 「パイロット ! ! 」 の実現を心から願っ
て参加報告とさせていただきます。
挨拶をされる実行委員長の中貝豊岡市長
開催予告
第30回 ATS シンポジウム開催のご案内
安全で効率の良い運航と航空管制
ATS 委員会
恒例の ATS シンポジウムが10月25日に開催されます。 1979年に第1回目が開催され、 今年は30
回目になります。
ATS シンポジウムは 「安全で効率のよい運航を求めて、 パイロットと管制官が交流を図り、 共
通の認識をもつこと」 を目的に、 操縦士協会と管制協会で共催しているものです。
操縦士協会の ATS 委員会では、 ATS に関する研究活動を続けています。 日本の管制のあるべき
姿、 管制方式基準の解釈、 管制方式の問題点と解決策、 日常運航における航空管制の諸問題等々を
検討しております。 このような活動の積み重ねの中から、 広くパイロットと管制官の間に問題を投
げかけ、 議論し、 あるいは啓蒙が必要と思われるテーマを取り上げています。
尚、 シンポジウムの後に懇親会を予定しております。
皆様のご参加をお待ちしております。
●日
時
2008年10月25日 (土) 午前10時−午後5時
●会
場
東京空港事務所 「A会議室」 東京国際空港
●講
演
●解
説
●研究発表
主催
後援
「管制運用と空域の有効利用」
国土交通省航空局管制保安部
管制課長
管理棟2F
「管制方式基準改正」
国土交通省航空局管制保安部 管制課
航空管制調査官
後藤
駒井
容順 氏
繁利 氏
1. 今、 テネリフェから学ぶこと
2. 共通教材の紹介
3. Go Around 後の飛行方法
航空交通管制協会
日本航空機操縦士協会
国土交通省 航空局
*参加希望の方は、 当日会場受付にお越し下さい。 写真付き身分証明書携行して下さい。
2008 SEP
95
開催予告
第3回
航空気象シンポジウム
日
会
主
時:平成20年11月25日 (火) 13:00∼17:00
場:全日本空輸 講堂 (羽田空港第1ターミナルビル1F)
催:社団法人 日本航空機操縦士協会
財団法人 航空交通管制協会
後
援:気象庁
参 加 料:無 料
講演内容: ● 気象庁講演
「新しい気象プロダクト・ドップラーライダー等について」
●事 例 研 究
「高高度山岳波とその予想」
● パネルディスカッション
「Turbulence 事故を防ぐために PILOT は何をすべきか」
西日本支部だより
西日本支部
・八尾市内で航空安全講習会を開催予定
通達に基づく航空安全講習会を、 平成20年10月5日 (日) に八尾市文化会館プリズムホールで開
催いたします。 日曜日の開催と、 近鉄八尾駅に近い会場ということで、 八尾空港で飛行されている
方にとってもさらに参加しやすいのではないかと思います。 詳細は航空安全講習会 WEB ページを
ご覧ください。 多数のご参加をお待ちいたしております。
https://www.japa-seminar.com/
・近畿地区管制・情報懇談会企画
近畿地区管制・情報懇談会を今年も11月に八尾空港で実施しようと各方面と調整中に入っていま
す。 日程等が決まりましたらあらためてご案内いたします。
96
2008 SEP
開催予告
機長昇格を目指す方々へ、 JAPA からの特別企画
平成20年度 機長養成講習会開催案内
エアライン委員会
エアライン委員会では、 以下の通り 「機長養成講習会」 を開催致します。
講習会は、 航空局より運航審査官、 航空従事者試験官を講師に迎え、 試験制度概要、 審査、 試験
の着眼点などを中心にスクール形式で行われます。 もちろん質疑応答の時間もありますので、 普段
疑問に思われている事など審査官、 試験官に直接伺える良い機会です。
過去に参加した皆様の声を紹介します。
・笑いありの講義で機長昇格の道筋についてもわかりやすく説明してくれたと思う
・かなり具体的に突っ込んだ話をしていただいたので参考になりました
・チェックに対しての考え方が良く理解できた
・オーバーアシスト等、 詳しい具体的な話が聞けてよかった
・試験や審査に対する考え方が大きく変わったと思います
・昇格へ向けての心の持ち方を学びました。 今後の訓練を楽しめるよう頑張ります
開催予定
第16回
第17回
第18回
愛知県名古屋市 9月26日 (金)
講師:海老池航空従事者試験官・池田運航審査官
大阪府豊中市
10月10日 (金)
講師:石原首席航空従事者試験官・猪狩首席運航審査官
沖縄県那覇市
12月8日 (月)
講師:熊田航空従事者試験官・猪狩首席運航審査官
※各開催とも13時∼17時、 会場はホームページにて案内しています
申し込み
www.japa.or.jp
問い合わせ
03−3501−0433 事務局 齋藤まで
皆様の参加をお待ちしています。
別 企 画
現在、 乗員課ならびに運航課と指導者層を対象とした講習会 (意見交換会) を企画中です。
詳細は後日ご案内致します。
2008 SEP
97
開催予告
2008 FAI AEROBATICS 日本グランプリ
奥貫
今年も10月30日−11月2日の3日間に、 FAI
エアロバティックス・ワールドグランプリ
FAI WORLD GRAND PRIX 2008 "HAUTE
VOLTIGE" Aerobatics Japan Grand Prix が、
栃木県のツインリンクもてぎで開催されます。
国内唯一の FAI 公式認アエロバティックス
競技会となるこの催しは、 モータースポーツ用
サーキットを会場とするユニークなもので、 主
管の FAI (国際航空連盟) は世界の空のスポー
ツを統括する団体です。 参加選手は FAI のア
エロバティック競技会等で実績を残した人に限
られています。
"HAUTE VOLTIGE" とは、 フランス語で、
「最高位のアエロバティックス飛行」 を意味し
ます。
社団法人日本航空機操縦士協会 (JAPA) は、
国内の FAI アエロバティックス活動統括機関
として、 その実行に委員を派遣し、 協力してい
ます。
日時
2008年10月31日 (金)
公式予選
2008年11月1日 (土)
決勝第1日
2008年11月2日 (日)
決勝第2日
各日とも10時飛行開始の予定です。
場所
ツインリンクもてぎ (栃木県茂木町)
競技内容
FAI 区分の最上級 (アンリミテッドクラス)
の機体による、 アエロバティックス飛行競技が
行われます。 選手は登録した曲に合わせ、 一定
の空間と時間の中で、 スモーク航跡の演出と共
に、 アエロバティックス飛行を行います。 その
中で、 難易度の高い課目と、 芸術性を組合わせ、
勝敗のポイントを競います。 今年は、 計8名の
ソロパイロットの参加が予定されています。
98
2008 SEP
博
飛行機
アンリミテッドクラスの競技専用機が使用さ
れます。 様々な演技を実施するため、 その強度
は±10G、 横転率は、 毎秒400度にも達します。
機種は、 ロシアのスホーイ26/31と、 ドイツ製
エクストラ300、 Xtream の戦いになります。
見どころ
男性5名、 女性2名の、 世界のトップ勢力に
対し、 昨年の世界エアロバティックス選手権、
今年のヨーロッパエアロバティックス選手権参
戦で腕を上げた日本の室屋義秀の挑戦が見どこ
ろになるでしょう。
競技専用機の動きは、 時に激しく、 また、 曲
に合わせた演技はフィギュアスケートのように
エレガント。 世界最高のアエロバティックス競
技をお楽しみ下さい。
案内
FAI 競技関係の詳細は
http://www.fai.org/grandprix/
http://www.haute-voltige.com
国内開催の案内は
TEL:0285−64−0001 ツインリンクもてぎ
URL:http://www.mobilityland.co.jp/motegi/
前回アエロバティックス競技会の参加機
開催報告
熊本タワー見学会
九州支部
九州支部で見出しの見学会を開催しましたので、 その概要について報告します。
記
1
2
3
4
5
開催日時
平成20年7月19日 (土) 10:00∼11:00
開催場所
熊本県上益城郡益城町大字小谷
熊本空港事務所
参 加 者
九州支部会員等19名
見学施設
タワー及びレーダー室
見学メモ
・当日は、 お休みのところ田島先任管制官と井上次席管制官に案内していただきました。
・熊本空港事務所では、 1班につき7名の3班体制で、 管制業務が行われます。
・見学開始時は雨が降ったり止んだりの IMC でしたが、 徐々に回復して VMC となり、 眼前
には雄大な阿蘇の山並みが広がりました。
・新旧施設の比較データは次のとおりです。
新旧別
新
旧
平成20年2月
昭和46年4月
タワーの高さ
37.15m
24.6m
タワーの床面積
89.82㎡
42.28㎡
TRAD-A
TRAD
項
目
運用開始
レーダーシステム
新タワー (左) と旧タワー (中央)
レーダー室
タワー
2008 SEP
99
開催報告
航空教室 in 西表島
琉球新報社会部記者 中地
日本航空機操縦士協会沖縄支部 (吉田理支部
長) は6月30日、 竹富町離島振興総合センター
で 「航空教室 in 西表島」 (日本トランスオーシャ
ン航空協賛、 航空交通管制協会、 パイヌマヤリ
ゾート後援、 竹富町、 竹富町立大原中学校協力)
を開いた。 航空業界への理解を深めるのが目的。
島内の古見小、 船浦中、 大原中、 西表中の児童
と生徒、 教諭ら約60人が聞き入った。 総合学習
の時間などを利用しての参加で、 一時間かけて
会場に来た生徒もいた。
日本トランスオーシャン航空 (JTA) の本
由希香
イクを回し、 質問や感想を求めた。 本仲機長の
説明の途中、 古見小児童の希望で、 マーシャリ
ングの実践も。 中原副操縦士が飛行機になり、
児童のパドルに合わせて左右に移動し、 会場を
楽しませた。
仲巧機長、 中原亮副操縦士、 客室乗務員の堺恵
理子さんと小松彰子さん、 航空管制官の逸見裕
也さんと早瀬智隆さんが、 それぞれの仕事につ
いて、 スライドや多くの写真を見せながら、 分
かりやすく説明した。
協会沖縄支部の屋良朝義副支部長が司会を務
めた。 屋良副支部長は説明の合間に生徒らにマ
航空整備士にあこがれていたという松山忠明
君 (西表中3年) は 「管制官の試験も受けてみ
たいと思った」 と話し、 早田利美さん (大原中
3年) は 「遠い存在だったパイロット、 客室乗
務員、 航空管制官の仕事を近くに感じた。 将来
の進路選択に生かしたいと思う」 と感想を述べ
た。
大原中学校の宜野座安夫校長は 「離島に住む
子どもたちにとって、 めったにない機会であり
がたい。 直接話を聞くことで、 子どもたちも刺
激を受けると思う」 と話していた。
石垣市出身の本仲機長は、 パイロットを志し
たきっかけについて振り返った。 本仲機長は
「小学1年の時に、 石垣島で一般公開されたヘ
リコプターの操縦席に座った。 コックピットで
たくさんの計器を見た時、 自分も飛行機を飛ば
してみたいと思った」 と語った。 「沖縄は県外
100
2008 SEP
が英語でのやりとりを実演した。 司会の屋良さ
んが 「確認のために相手の話したことを必ず復
唱している」 と説明すると、 参加者は納得した
様子だった。
生徒らはそれぞれの関心に応じて3班に分か
れ、 仕事のやりがいや困難な点、 目標などを質
問した。 本仲機長はパイロットの鞄から仕事道
具を取り出して説明した。 沖縄の空域図や、 4
種類ある免許を見せてもらった生徒らは、 本仲
機長から見慣れない空の地図の見方などを教え
てもらい、 興味深そうに見入っていた。
に比べて飛行機は身近な存在。 何のために勉強
しているのかも考えながら、 パイロットも含め
それぞれの夢に向かって頑張ってください」 と
結び、 会場から拍手が送られた。
堺さんは客室乗務員の保安業務を紹介した後
「中学の修学旅行で飛行機から見た景色が忘れ
られない。 興味や感動した気持ちが皆さんを成
長させる。 自分の気持ちを大切にしてください」
とアドバイス。
*********************
小さいころから航空業界に興味があった私に
とって、 吉田支部長をはじめ、 日本航空機操縦
士協会沖縄支部の活動は興味深かった。 飛行機
に乗る機会はあっても、 三者から揃って仕事に
ついて、 詳しい話が聞けることはほとんどない。
西表島の子どもたちの中にもこの航空教室をきっ
かけに、 将来への夢を膨らませる子が出てくる
のではないか、 と期待が膨らんだ。
逸見さんと早瀬さんは、 パイロットだけでは
飛ばすことのできない飛行機の運航を支え、 正
しく誘導する航空管制官の仕事について、 スラ
イドで説明した。 逸見さんは 「緊急時や悪天候
などで乱れた航空機をさばかないといけない。
絶対に逃げられないし、 結果が良くて当たり前。
そして誰からも褒められないが、 やりがいがあ
る」 と気持ちを込めた。
実際の仕事でのやりとりをイメージしてもら
おうと、 航空管制官の逸見さんと中原副操縦士
2008 SEP 101
SP (シニア・パイロット) 懇親会のご案内
最近の原油高は、 航空機搭載燃料費にも影響し航空会社の経営を悪化させています。
エアラインはその対策の一環として、 地方空港への就航を減便し始めました。 航空界に
深い関心を抱いている皆様にとって、 憂慮すべき時代となりましたが、 お変りなくお元
気の事と存じます。
さて、 SP 懇親会は、 3年前に OB 会から SP 会へと名称を変えましたが、 その内容
は変わりません。 恒例の行事ですが、 開催趣旨は、 先輩、 後輩のパイロットの方々が膝
を交えて、 航空界の話題のみならず、 世間一般の話題をも歓談できる楽しい場を提供す
ることです。 その一貫として、 毎年歓談の合間に航空界有識者による講演を企画してい
ます。 今回は ANA OB、 昼間才蔵氏による江戸の大衆演芸を楽しんでいただく企画で
す。 出席者の限定はしていませんので、 現役パイロットの方々の参加も大歓迎です。 是
非大勢の方々が参加されることを、 心よりお待ち申し上げております。
記
日
時:平成 20 年 10 月 18 日 (土)
受 付 開 始 14:00
懇親会 14:30∼17:00
場
所:ホテルコムズ銀座 (旧三井アーバンホテル)
B1 レストラン 「Cats & Dogs」
東京都中央区銀座8−6−15 TEL 03−3574−9355
JR 新橋駅銀座口より徒歩5分、 首都高速道路の向側
講
演:演者芸名 みす乃屋玉雀 (みすのや たまじゃく)
元全日本空輸機長 昼間才蔵氏
演題 「江戸の遊芸」 約60分
会
費:6,000円 (フリードリンク、 軽食付き)
申 込 締 切:10月10日 (定員:会場の都合により先着50名様にて締切)
SP 会幹事:手塚精三、 三神武雄、 大島梓、 泉田誠男、 田中一男、 川久保剛
赤星珪一、 上杉美治 以上8名
ホテル コムズ銀座
土
橋
←虎
ノ門
電 話 03−3501−0433
FAX 03−3501−0435
E-mail [email protected]
102
2008 SEP
ニ
ュ
ー
新
橋
ビ
ル
十仁病院
り
日本航空機操縦士協会
SP 会担当
高速
銀
新座
橋口
駅
外堀
通り
駅前ビル
通
社団法人
銀座博品館
首都
中
央
参加申込要領
参加申込みは 「PILOT」 誌9月号に綴じ込ん
である返信用はがきをご利用ください。
または、 操縦士協会に直接電話/FAX をし
ていただいても結構です。 (E-mail でも可。)
通信
協会だより
8月は理事会はありませんでした。 しかし、 各委員会は精力的に取り組んでいます。 今夏の特徴は、 豪雨
と雷、 気温にお構いなしの多湿。 特に事務所がある西新橋界隈では、 汐留に立ち並ぶ高層ビルが海風を遮る
屏風となっているので、 外に出ると暑くて目眩がしてきます。 汐留が“風止”と感じてしまうような気候で
す。
◎Incapacitation 訓練を見学 (航空医学委員会)
航空医学委員会のメンバーは、 8月20日の午後2時から全日空の訓練センターのシミュレータをオブザー
ブしました。 今年度リカレント訓練に取り上げられた Incapacitation 訓練を見学するためです。 参加者の
うち、 5名は航空医学の専門医の方々です。
昨年11月に、 Inncapacitation 時の回復操作を検証する目的で、 シミュレータをオブザーブしました。 全
運航乗務員を対象としたプログラムを調査することが今回の目的でした。
訓練を通じて感じたことは、 回復操作そのものよりも操作に入るタイミング、 つまり相手 (PF) の機能
喪失を如何に察知できるのかがポイントであり、 また常時 Incapacitation を想定して操縦に望む意識付け
が重要となる、 ということでした。 その意味で、 本訓練は極めて有効だと判断できます。
◎“新公益法人制度”の施行が迫る
今年の12月1日から、 新制度に移行します。 そこで、 新たな制度のもと、 なぜ協会が現在の社団法人か
ら公益社団法人を目指すのか、 について考えて見ましょう。
そもそも、 公益法人の特質は何なのでしょうか。 現在の事業は、 果たして公益法人でなければ出来ない
のでしょうか。
定款には JAPA の目的は 「航空技術の向上を図り、 航空の安全確保につとめ航空知識の普及と諸般の調
査研究を行い、 もって我が国の航空の健全な発展を促進する。」 と謳われています。 具体的な事業方針とし
ては、 ①航空関連情報・知識の提供と技能支援 (出版刊行・講習会・シンポジウム・セミナー等)
士の知識と経験を活かす
②操縦
③関係団体との協力、 があります。
例えば、 JAPA が発行している AIM-J や学科試験スタディガイドは航空局監修となっていますが、
JAPA が行政の認めた組織だから、 つまり、 操縦士の窓口的な役割が認められている団体だから可能なの
です。 行政をはじめ公益法人 (管制協会、 技術協会、 航空医学研究センターなど) さらに企業といった異
なる立場の組織に働きかけ、 航空の安全について考える機会を設定できる事も、 私たちが公益性を認めら
れているからなのです。 勿論、 官民の操縦士や管制官、 気象や整備関係者、 航空医学に関わる医師、 航空
企業や航空機メーカーに属する人など、 運航に直接関わる者が互いに協力しています。 結果として、 完成
度の高い事業を標榜している訳です。
当然、 私たちの事業内容と、 公益性との兼ね合いが重要となってきます。 航空に関する分野のみに利益
が偏っていないか、 広く国民の利益に合致しているのか、 空の安全を担保する努力が公益 (社会に役立つ)
だと断言できるのか、 等を問われます。 答は、 JAPA の会員、 つまり私たち操縦士が
公益に値する
と
2008 SEP 103
自信を持つ事ができるか否かにあり、 自ずから公益認定についての方向性は定まってくると受け止めてい
ます。
もう一つ、 JAPA の力量がどうなのかも事業を進める上で大きな要素です。 幸い、 私たちは長い歴史と
経験、 事業の実績を有しています。 また、 各分野の団体や人々との協力関係も地道に続けてまいりました。
JAPA はパイロットが集い、 パイロットが考え、 パイロットが運営する組織です。 三次元で培ったパイロッ
トの知識と判断力を、“空の世界”で役立てようではありませんか。
[活動報告]
−平成20年7月−
−平成20年8月−
7月1日
8月1日
航空身体検査証明審査会
編集委員会
7月4日
FT 委員会
(航空局) 管制業務処理規程の改正に係
る説明会 (東京)
8月4日
羽田西方面出発経路及び関東空域再編に
(航空局) 管制業務処理規程の改正に係
る説明会 (新千歳)
関する説明会 (航空局)
8月5日
7月5日
航空安全講習会 (東京)
8月7日
7月6日
航空安全講習会 (東京)
7月8日
航空安全情報分析委員会
8月8日 SP 会幹事会
航空身体検査証明審査会
(航空局) 管制業務処理規程の改正に係
る説明会 (福岡)
学科試験問題検討会技術協会との MTG
8月9日
ATS 委員会
乗員養成検討委員会
8月15日
編集委員会
7月10日
航空保安研究センター理事会
8月20日
航空医学委員会 (定期訓練見学)
7月11日
第192回常務理事会・支部長会議
8月21日
GA 委員会
顧問会議
8月22日 送電線に係る障害物件情報 (基礎データ)
7月9日
7月12日
ATS 委員会
7月17日
の利用再開に向けた検討会
航空安全講習会 (広島)
8月23日
航空保安大学校講義 (訓練監督者養成研
修)
航空気象委員会
航空安全講習会 (岐阜)
8月25日
編集委員会
航空安全委員会 (IT 関連)
7月18日
航空安全委員会
7月20日
航空教室 (千歳)
7月23日
ASI−NET 会議
(書面稟議)
8月26日
航空医学研究センター理事会・評議員会
ヘリコプター委員会
第2回滑走路誤進入防止対策推進チーム
7月26日
航空気象委員会
会議 (航空局)
7月31日
経理委員会・制度検討委員会
8月27日
ヘリコプター委員会
学科試験問題検討会シラバス分科会
8月28日
経理委員会・制度検討委員会
8月29日
航空保安大講義 (管理課程特別研修:無
線科)
航空大学校卒業式
104
2008 SEP
[今後の主な予定]
−平成20年9月−
9月1日
編集委員会
9月16日
航空医学研究センター理事会
9月2日
航空身体検査証明審査会
9月17日
安全啓蒙活動調査 (米国) (26日まで)
9月4日
GA 委員会千歳基地訪問
9月19日
空の日 (表彰、 記念式典等)
9月5日
学科試験問題検討会 (H20第1回)
・航空平安祈願大祭
運航技術委員会
・日本航空協会航空関係者表彰式・記念
9月6日
航空安全講習会 (大阪)
9月8日
宇宙飛行士審査委員会資質審査専門委員
・第56回 「空の日」 記念式典 (大臣表彰)
会 (JAXA)
・第56回 「空の日」 記念式典 (祝賀会)
9月9日
祝賀会
GA 委員会研修会 (SIM)
航空振興財団理事会
法務委員会
9月25日
航空医学懇談会 (医学センター)
9月11日
乗員養成検討委員会
9月26日
機長養成講習会 (名古屋)
9月12日
第247回理事会
9月13日 ATS 委員会
航空安全講習会 (高松)
運航技術委員会
9月27日
航空気象委員会
9月28日
航空安全講習会 (長崎)
事務局だより
PILOT・AIM-J 等確実にお届けするために、 自宅・勤務地・mail box 等、 変更された場合は速やかに
協会事務局までご連絡下さい。 また郵便振替にて会費を納入いただいております会員の皆様には、 便利な
口座自動引落による納入についてご案内致しますので、 協会事務局までご連絡下さい。 申込書をお送りさ
せていただきます。
∼結婚祝金を給付しております∼
正会員の皆様 (会費月額1,700円 (共済費200円を含む) を納入いただいている60歳未満の方) が対 象となりますが、 結婚祝金を給付しております。 給付額は20,000円です。 給付申請には戸籍抄本、 振 込口座の書類提出が必要となりますので事務局までご連絡下さい。 なお、 婚姻届の届出より3ヶ月以 内 に 申 請 い た だ く こ と と な っ て お り ま す の で 、 予 め ご 了 承 願 い ま す 。 JAPA ホ ー ム ペ ー ジ (http://www.japa.or.jp)
の会員サポート (共済規程) をご参照下さい。
2008 SEP 105
オススメ! 情報ボックス
書籍&Goods紹介
編集委員会
このコーナーでは、 書籍紹介を始めとして航空に関するお勧めGoods等を紹介していきます。 読者の
皆さんも、 是非、 フライトで使用している便利グッズや、 パイロット仲間に紹介したいグッズ、 書籍な
どの情報を、 編集委員会までお知らせください。 もちろん、 ステイ先などでの飲食店情報などもお待ち
しています。
本書には、 その最初の2年間分の軌跡が、 美
しい写真とともに綴られている。
ひとりで飛んでいて
どこか気の向いた場所に着陸する
ここは飛行場ではなく
誰もいないアラスカの荒野
地名なんてどうでもいい
好きな所へ、 好きな時に
好きなように行くだけだ
それが選んだ道、 それがスタイル
アラスカ極北飛行
著者:湯口 公 (野営飛行映像舎)
発行所:株式会社 須田製版
〒063-8603 札幌市西区二十四軒
2条6-1-8
TEL:011−621−1000 (代表)
http://www.suda.co.jp/
価格1,680円 (税込)
著者の湯口 公は、 大学在学中に米国にて飛
行機の操縦士免許を取得。 卒業後、 航空自衛隊
に入隊、 約40人いた同期生の中で、 残ったのは
5人という厳しい訓練の後、 F-15 戦闘機のパ
イロットになる。 その後日英米の合同演習でア
ラスカ上空を飛行。 「誰かが作った箱庭」 のよ
うな眺めに感動し、 アラスカを飛びまわるため
2005年12月、 自衛隊を退職。 翌年5月にアラス
カに渡り、 以降、 ハスキー機を購入してアラス
カの空を舞う夢を実現し、 現在に至っている。
106
2008 SEP
アラスカの空を自由に飛び回り、 気に入った
場所に着陸して自然の中に佇み、 夜を過ごす行
為は、 作者が思い描いていた夢のシーン。
本書には、 そのような作者が、 ハスキーを操
縦しながら撮影したアラスカの自然を、 余す所
なく掲載している。
高度1000Ft あるいは超低空から撮影したア
ラスカの表情、 それは、 氷河、 冬の海、 北極海
のフィヨルド、 氷の大地、 山脈、 夜明けの太陽、
そして花咲く大地等々、 様々なのであるが、 そ
のどれもが、 アラスカの魅力にあふれている。
また、 パイロットにとっては、 ブッシュパイ
ロットや、 アラスカの航空の世界についても、
なかなか興味深いものがある。
このような魅力にあふれた世界を、 美しい写
真と記録で伝える本書を、 多くの方にお勧めし
たいと思うものである。
(本書の内容に興味のある方は、 こちらを御参
照ください。
http://talkeetna.jp/ )
FTD
SS21
P
3
Flight Log Book
A
Flight Log Book
180
60
30
B
5,000
Flight Log Book
2008 SEP 107
JAPA Aerial Photo Exhibition
アラスカの原野に降り立ち、 ハスキーの脇にテントを張る
さあ、 どこへ飛ぼうか、 ハスキー
フィヨルド氷河の上空高度1000Feet
花咲くアラスカの大地へ着陸
挑戦は不安だ。 夢とは不安そのものだ
「アラスカ極北飛行」
108
2008 SEP
湯口
公 著 (本誌オススメ!情報ボックス参照)
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編集委員会
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JAPAN AIRCRAFT PILOT ASSOCIATION
2008 SEP 109
編集後記
●第一次大戦後、 いち早く航空郵便輸送を開始
したアメリカのパイロットたちは、 時代のヒー
ローとしてもてはやされた。 反面、 劣悪な航
空機材と悪天候によって、 彼らは800飛行時
間しか生きられないといわれたほど、 多くが
命を落とした。 まさに壮絶な航空黎明期であ
り、 日本でも例外ではなかった。
(徳田)
●小さな空港の代表格となるコウノトリ但馬空
港及び枕崎空港は、 小型機の世界の者にとっ
て、 お世話になる機会が多い存在です。 様々
な批判にさらされることも多いのですが、 頼
りにして利用を続けることで、 活用への目が
向くよう努力したいと思います。
(奥貫)
●最近アチコチの地方空港を訪れる機会があっ
た。 多くは電車、 バスを乗り継いで山道を登
り、 たどり着く。 地下鉄→エスカレータ→搭
乗カウンター、 という都市型空港とは趣を異
にする。 「飛行機に乗りにいく」 と言う実感
を味わう日本の地方空港ですね。 (カレン)
●ダイヤモンド式42型双発飛行機がまもなく日
本に登場します。 初のディーゼルエンジン搭
載機であり、 燃費の良さと低騒音が注目され
ます。
(K. A.)
●8月15日の編集委員会では、 戦争を知らない
世代が平和ボケの世を謳歌している日本の現
状を憂れい、 歴史を正しく教えていない戦後
教育のツケが、 航空界にも存在するとの発言
に、 誰も反論できませんでした。 翼をもぎ取
られた戦後の航空界の苦難と、 それを乗り越
えてきた関係者の努力や、 多くの事故の歴史
を教えなければ、 航空の健全な発展は望めな
いのではとの不安が、 益々強くなる終戦記念
日でした。
(KEN)
●CLEAR (明確) CORRECT (正確) COMPLETE (完結) CONCISE (簡潔) をめざ
した文章を書きたい。
(RYU)
コウノトリ但馬空港から出発する、 日本エアコ
ミューターのサーブ304B です。 35人乗り、 1200m
滑走路で運航可能なこの機体は、 住民の良き足
となっています。
(奥貫)
●新入編集委員です。 よろしくお願いします。
(T. O)
●シニアパイロットのエピソード第13回で、 ベ
ルリンの大空輸作戦に触れた。 その時使用さ
れた、 旧西ベルリンのテンペルホーフ空港が
閉鎖されるという記事を読んだ。 存続を希望
する声もあり、 住民投票まで行ったが、 投票
率が足りず、 今年の10月で閉鎖される事が決
定した。
(T. A.)
●積乱雲活発な中、 編集委員会も活発です。
(編集長 蔵岡)
No.310 2008年 9 月号/平成20年9月発行
発行
社団法人 日本航空機操縦士協会
(Japan Aircraft Pilot Association)
〒105-0003
東京都港区西新橋1−18−14
TEL 03 3501 0433 (代)
ホームページ
FAX 03 3501 0435
E-Mail:[email protected]
振替口座/00180 9 88490
110
2008 SEP
URL http://www.japa.or.jp/
禁無断転載
落丁・乱丁本がありましたら
お取替えいたします
編集人
蔵
岡
賢
治
発行人
白
石
豊
樹
定価
印
刷
800円 (税込)
株式会社プリカ