2013年 【新・古典を読む-歴史と文学-】 「いま明かされる古代32」概要

2013年
第1回
【新・古典を読む-歴史と文学-】
「いま明かされる古代 32」概要
6月1日(土) 午後2:30~4:30
三角縁神獣鏡製作地論争と日本の国家形成
-邪馬台国からヤマト政権へ-
講師:大阪大学大学院 文学研究科 考古学講座 教授
福永 伸哉 (ふくなが しんや) 先生
概要
日本の古代国家形成過程を辿るとき、三世紀半ばの巨大前方後円墳の出現
からうかがえるヤマト政権の成立はたいへん大きな画期といえます。いっぽ
う、三世紀の中国史書『魏志』倭人伝には、女王卑弥呼のいる邪馬台国が倭
人社会の政治的主導権を握っていたことが記されています。邪馬台国とヤマ
ト政権はどのような関係にあったのか。それを探る重要な考古資料が三角縁
神獣鏡と呼ばれる銅鏡です。激しい論争が続く三角縁神獣鏡の製作地につい
て検討しながら、邪馬台国からヤマト政権への道筋を考えてみます。
第2回
6月15日(土) 午後2:30~4:30
古代東山道諸国の土地計画 -条里プランを中心に-
講師:人間文化研究機構 機構長・京都大学名誉教授
金田 章裕 (きんだ あきひろ) 先生
概要
律令時代の東山道諸国は近江国から始まって美濃国・信濃国へ至り、さら
に東へと続いた。これらの国々を貫く同名の官道(駅路)があって、古代の
東山道は東日本の中軸交通路であった。それぞれの国には行政中心の国府が
おかれ、近江国にはいずれも短命であったものの、大津宮、紫香楽宮、保良
京などの宮都もおかれた。大津宮の時代、近江東部、信濃への遷都さえも検
討された。これらの宮都・国府・官道はもとより、農地は規則的な条里プラ
ンによって土地管理が行われた。発掘調査を含む近年の研究成果によって、
これらの具体的状況をたどりたい。
第3回
6月29日(土) 午後2:30~4:30
文献・系図資料からみた科野国造 -みたび科野国造を論ず-
講師:東京大学 史料編纂所 古代史料部門 教授
田島 公 (たじま いさお) 先生
概要
謎の多い古代シナノの歴史の中で解明されていない重要な問題として、
①科野国造の氏族の系譜(科野国造は何氏か)、②諏訪大社の創祀、③善光寺
の創建、④国府(信濃国府及び諏方、国府)の所在地、の問題がある。
このうち③に関しては、本シリーズ第93・94回(18-1・2。2007年8月25日・
9月1日)で述べた。今回は、①及び②の問題に関して、上田市信濃国分寺資
料館(2012年7月15日)及び長野県立歴史館(2013年3月9日)での2回の講演を
踏まえ、科野国造に関する対する従来の研究を辿りながら、余り利用されて
来なかった諏訪教育会所蔵大祝家旧蔵本『神氏系図』の文章系図の記載を丁
寧に読み取り、従来、研究対象とされてきた阿蘇家所蔵『阿蘇家略系譜』
(所謂「異本阿蘇氏系図」)の記載を比較し、千曲川中流域の小県・更級・
埴科・水内などを勢力下に置いた神武天皇皇子神八井耳命を祖とし、多氏と
同祖であると称する「科野国造」健甕富命の勢力と、諏訪湖岸の諏方地域を
勢力下に置いた、大名持命第二子である建御名方神(諏方大明神)を始祖とし、
健隈照命の後裔を称する勢力の系譜上の違いを見出すことにとり、みたび、
科野国造の問題に関してその謎に迫りたいと思う。
第4回
7月13日(土) 午後2:30~4:30
持統女帝論 -王権研究の視点から-
講師:専修大学 文学部 歴史学科 教授
荒木 敏夫 (あらき としお) 先生
概要
持統天皇は、日本の王権が確立を迎える七世紀末期に女帝として即位して
いる。その持統女帝の近年の歴史的評価は、「夫の天武天皇を支えた良妻の
鸕野皇后(持統)」といった旧来のものと異なり、もっと積極的なものです。
こうした理解が出てくる理由を、持統女帝の生涯をたどることから考えてみ
たいと思います。
それは、天智の娘として生まれた鸕野 (うの )皇女時代から夫の天武ととも
に「壬申の乱」の戦乱を戦い抜き、天武死後には女帝として即位し、孫の文
武への譲位後は持統太上天皇となってその一生を閉じた持統の生涯をたどる
ことであります。
前々回の推古、前回の皇極(斉明)に引き続き、王権論の視点から、今回
は波乱に満ちた持統女帝の歴史を再検討し、その歴史的意義を明らかにした
いと思います。
第5回
7月13日(土) 午後2:30~4:30
まろはよっぱらっただ -奈良時代酒飲百景-
講師:奈良文化財研究所 都城発掘調査部 史料研究室 主任研究員
馬場 基 (ばば はじめ) 先生
概要
「酒を飲まない奴なんて、猿と同じさ」と言い放ったのは、奈良時代前半の
貴族・大伴旅人です。私も大伴旅人に「猿」と言われないように、日々飲酒
に努めていますが、奈良時代の人はそれほど「酒好き」だったのでしょうか?
そんな関心から、奈良時代の人々の暮らしを覗くと、なるほど、いろいろ
な酒との関わりがあったようです。場面により、人により、酒を飲む姿は様
々でした。
そういえば、大伴旅人は、「酒を飲まない人」と並んで、「利巧そうな、し
たり顔をする人」のことも「猿」と断定しています。こちらの方でも「猿」
と言われないよう、気楽に楽しく、奈良時代の人々の愉快な飲酒風景を、ご
紹介したいと思います。
第6回
7月27日(土) 午後2:30~4:30
橘嘉智子と法華寺十一面観音像 -歴史と美術の間 その2-
講師:信州大学 人文学部 人間情報学科 歴史学講座 准教授
佐藤 全敏 (さとう まさとし) 先生
概要
奈良の尼寺、法華寺に安置される十一面観音像。写真をご覧になれば、お
そらく多くの方が「ああ、あの仏像・・・」と心当たりのある魅力的な仏像。
今回は昨年の続編として、この法華寺十一面観音像をテーマにとりあげます。
哲学者・和辻哲郎は、この像について次のように述べています。-「そこに
は肉感性を敵とする意識と共に、肉感性に底知れぬ威力を認める意識がある」-。
昨年は、この像に大変よく似た、大阪の観心寺如意輪観音像をとりあげま
した。なぜこれほどよく似た仏像が観心寺と法華寺にあるのでしょう。二つ
のお寺は宗派も異なります。きわめて完成度が高いとされるこの二つの像の
関係をめぐって、今年もまた「歴史」と「美術」の間で考えていきたいと思
います。