FIAL 第 39 回 FTS 2015 年 5 月 21 日 プレゼンテーター:坂本興文 キューバ米州内孤立の終焉? 1961 年 1 月に断交した米国・キューバの関係修復が進んでいる。2014 年 12 月 17 日の オバマ、ラウル・カストロ両大統領による発表から、4 ヵ月、世界中が歴史的、と評した両 首脳会談に至り、今後は外交関係復活を経て、米国の対キューバ禁輸措置解除の実現に関 心が集まる。こちらの方は米議会による立法措置が必要だが、対キューバ関係改善に批判 的な、キューバ系米人を含む議員グループに阻まれ、先行きが見通せない。彼らには、カ ストロ兄弟が名実共に退陣し、米国の規範たる民主化と人権尊重の国家体制に移行するま で、キューバ制裁は継続すべし、との主張が根強い。 また米国の明らかな他国の国内問題への過剰介入が、ラ米全体に、元々強かった嫌米感 を募らせるもとともなった。 (1)キューバの米州内孤立の終焉 1962 年 1 月、米国のイニシアティヴで米州機構(OAS)がキューバを除名した。メキシ コを除く全ての米州諸国が対キューバ断交、禁輸を完成させたのは 64 年 7 月、以後同国は 米州孤立時代に入った。 1975 年 7 月、OAS が加盟国の対キューバ政策の自由を決議、米国もこれを黙認し、利益 代表武装後設置、漁業協定などでの雪融けも見られた。1986 年までに、中米 5 か国中 3 ヵ 国、ドミニカ共和国及びパラグアイの5ヵ国を除く全てのラ米諸国との国交を回復、ラ米 におけるキューバ孤立状況は、ほぼ終了した。 l 1991 年 7 月、イベロアメリカ第一回サミット。キューバも、以後を含め、参加 l 1998 年 1 月、ローマ法王ヨハネ・パウロ二世キューバ訪問。これを機会にエルサルバ ドル(2009 年 2 月まで掛かった)を除くラ米諸国全てが、キューバと国交回復 l 1999 年 8 月、キューバがラテンアメリカ統合機構(ALADI。1960 年モンテビデオ条 約で発足した LAFTA が前身。メキシコ、南米 10 カ国で構成)に加入。 これを以って、キューバの米州内孤立の終焉が成った、と考える。 加えて、ラ米では下記の通り左派系政権誕生が続き、キューバのプレゼンスが高まる。 l 非連続で現在政権継続の中道左派:チリ(1994 年 3 月∼2010 年 3 月、2014 年∼) l 現在も政権継続の左派:ベネズエラ(1999 年 2 月)、ボリビア(2006 年 1 月)、ニカ ラグア(2007 年 1 月)、エクアドル(2007 年 1 月)。キューバとは極めて緊密で、全 てが米州ボリーバル同盟(ALBA)に加盟。反米傾向が強い l 同、中道左派:ブラジル(2003 年 1 月)、アルゼンチン(2003 年 5 月 5 月)、ウルグ アイ(2005 年 3 月)、エルサルバドル(2009 年 6 月)、ペルー(2011 年 7 月) (2)米国の米州内孤立 キューバの米州内孤立を進めた米国は、逆に自らの孤立に陥って来た。 もともと、カリブ海沿岸諸国では、宗主国からの独立を達成した後の米国による介入の 歴史の中で、国民感情に同国への反発が醸成されてきたのはご周知の通り。大恐慌期を経 た 1930 年代から、英国の影響力が強かった南米諸国にも、米国のプレゼンスは拡大した。 第二次世界大戦後の東西冷戦の中で、全ラ米に対する米国の戦略は下記通りとされた。 l 民主主義ブロックの形成(社会主義陣営への対抗。1948 年 4 月、「米州機構(OAS) 憲章」採択を主導)。米州の政治的連帯を推進する一方で、相互不干渉をも規定 l 米州の軍事システム一体化(1947 年 9 月、「リオ条約」締結を主導) ①民主主義ブロック? リオ条約締結の前年、パナマの米軍南方総司令本部にラテンアメリカ訓練センター(63 年 に「アメリカ学校≪The School of the Americas、SOA≫」に改組)設置、ラ米軍人訓練を 含め、ラ米の軍事システムの対米一体化で、ラ米諸国の軍幹部との繋がりが強まった。 l 1954 年 6 月、グァテマラのアルベンス追放クーデターを支援 l 1960 年代からのラ米軍政時代、一般的に、長期独裁政権を含む軍事政権と好関係維持 ②リオ条約遵守? 1982 年 4 月、マルビナス(フォークランド)戦争に踏み切ったアルゼンチン(ラ米諸国は キューバを含め大半が支持)を援護せず、英国と同調。 ③相互不干渉原則は? 米国自身は介入を繰り返した。事例は枚挙に暇が無い。代表的なものとして; l 1962 年 1 月、キューバの OAS 除名を主導 l 1965 年4月、ドミニカ内戦介入(「第二のキューバ誕生の阻止」) l 1980 年代、ニカラグアの「コントラ」支援。 l 1989 年 12 月、パナマ軍事侵攻。同国最高指導者のノリエガを米国移送 ラ米の対米反発は、1980 年代に民政復帰の進んだラ米で、債務危機と新自由主義の狭間 で、中米危機への対応、麻薬問題もあり増幅した、と言える。米国自身が意識しないまま、 と言えるが、実質上、孤立が進んだ。 (3)米国のラ米政策変更はキューバから 4 月にパナマで行われた第六回米州サミットで見られた、ラ米首脳による米国突き上げは、 ベネズエラ問題があったにせよ、米国の米州内孤立を再確認させるものだった。 米国は 1990 年代になると、ソ連崩壊後の経済危機に苦しむキューバを、92 年のトリチ ェリ法、96 年のヘルムズ・バートン法でさらに追い詰めた。前者は、同年 12 月以降毎年、 国連総会の非難決議を受けてきている。不名誉なこと、甚だしい。 オバマによる対キューバ関係正常化決断は、半世紀以上の政策が何の効果も得ず、国際 社会で非難を受け、足元のラ米では嫌米が進む状態からの脱却が念頭にあったものだろう。 事実、ラ米諸国は全て、米国の対キューバ政策変更を歓迎する。ラ米諸国の米国に対する 刺々しさは、外電報道などで見る限り、確かに和らいで来た。 2015 年8月1日 キューバ・米国国交正常化交渉 ― ラウル・カストロの演説から読み解く ― 松井 清治 はじめに 2014 年 12 月 17 日、オバマ大統領とラウル・カストロ国家評議会議長は、国交正常化に 向けた交渉を開始することで合意したと発表。(註:1)その後数回の両国政府間協議 の結果、7 月 1 日両首脳は大使館を再開設して国交回復すると声明、親書を交換した。 そこで、キ ュ ー バ 政 府 の 国 交 正 常 化 の 条 件 と 狙 い は 何 か 、ラウル・カストロ国家評議 会議長の演説(註:2)から、本件に関して共通している論点を読み解いて見たい。 カストロ議長は夫々の演説で、オバマ大統領の決断に対する敬意、そしてバチカン法王 庁、殊にフランシスコ法王の配慮とカナダ政府の支援に謝意を表している。(註:3) 1 . キューバ政府の国交正常化交渉の条件と狙い 1)社会主義体制の堅持 ・キューバの主権は尊重されるべきで、社 会 主 義 体 制 は国民の総意に基づく憲法によ り承認されたものである。(註:4) ・解決すべき多くの課題があるが、持続可能で繁栄する社会主義体制の発展と完成を 目指して、経済・社会モデルの刷新に取り組んでいる。 2)米国の経済封鎖措置の解除 ・米国のキューバに対する貿易・金融封鎖は、国交正常化に当たり解除されるべき重 要な課題。国連憲章と国際法に基づいて解除されることを期待する。 ・米国大統領は、貿易及び米国市民の旅行に関して、議会承認を必要としない行政権限 (executive order)により、許可できる。(註:5)⇒ 経済封鎖の実質的解除を期待。 3)国交正常化の課題 ・民主主義と人権問題及び国際関係について、米国と考え方の違いはあるが、話し合いの 用意があること再確認する。 ・両国の国交正常化は、経済・金融封鎖関連法の撤廃とグアンタナモ海軍基地の返還 によって完了するものである。 ・変革されるべきものを変えることは、キューバの主権と国民の課題である。革命政府は、 両国間にあり得る差異を超越して協調・共存を図り、地域と世界の安定・平和・発展ため に関係正常化を進める方針である。 2. ラウル・カストロの人物像から読む(註:6) ・イデオロギーは明確、規律を重んじ組織的な構造をつくり、それを通じて目標に向 かって行動 ― ゲリラ活動中にフィデルよりも広い支配地域に行政機構を構築。 ・優れた組織力と質の高い指導力 → 革命軍司令官として部下に気軽に意見を求め、 責任の移譲と長期の忠誠と友情とその家族を含め信頼と率直な人間関係を醸成。 ・規律に厳しいが、忍耐があり、真面目に働いた末の失敗ならば許そうとする。どん な問題でも議論をして、相手を信頼させる。⇒ ラウリスタ(ラウル信奉者) ・中国の政治・経済方式に関心を持ち、自由市場型改革を志向。いずれ、対米関係の 改善に取り組む必要を考えるようになった。 ・フィデルは、ラウルが集団的運営方法で革命軍事省を統治した指導者として、資質 を十分に備えていると 2006 年 6 月グランマ紙で褒め称えた。 [ラウル・カストロ政権は、軍 部 の 支 持 体 制 を 保 持 で き る と い う 確 信 が あ る か ら こ そ 、米 国 と の 国 交 正 常 化 交 渉 に 入 る こ と が 出 来 た の で は な い か と 私 考 す る 。 ] [注釈] 1.2014 年 12 月 18 日付ニューヨーク・タイムズ紙は、両首脳のユーモアある電話会 談を紹介している。Obama: Cuba will be removed from our terrorism list, but put on the “tourism list.” Castro: We are willing to discuss everything, but we need to be patient, very patient.” 秘密折衝の最終段階で、ケリー米国国務長官がロドリゲス・キューバ外相と話し 合い方針を固めた。 2014 年 11 月ケリー長官はワシントンの米州機構本部で講演、 「キ ューバとの関係では、創造性や思慮深さが必要であり、政策をアップデートしていく 必要がある。現段階では共通利益に係わる協力を模索している」と述べていた。 2.ラウル・カストロ議長の演説(スペイン語全文)を参照。 ・2014 年 12 月 17 日: 国営テレビ放送による声明 ・2014 年 12 月 20 日: 人民権力全国議会演説 ・2015 年 1 月 28 日: CELAC 首脳会議演説 2015 年 7 月 15 日 ・2015 年 4 月 10 日: 第 7 回米州首脳会議演説 ・2015 年 7 月 1 日: オバマ大統領宛親書 ・2015 年 7 月 15 日: 人民権力全国議会演説 軍服姿が示唆するものは? 3.フランシスコ法王は、「私は、調停(mediation)の役割はしていない。神に祈り を捧げただけである。」(National Catholic Reporter, June, 2015)と述べている が、政治犯の取り扱いを含めて両国大統領に人権問題に関して話し合いと解決を促 す書簡を送っていた。また、昨年 10 月に両国代表をバチカンに招いて、両国の関 係改善を目指す話し合いの場を提供していた。(12 月 17 日付グランマ紙) 1998 年キューバに関する著書を出版して以来、米国の経済制裁に批判的だった法王は、 米国とキューバの「歴史的な決断」を祝福。今後も両国関係の進展に向けて支援を続 けていく方針を示した。(共同) 4.① 憲法第1条に「社会主義国」、第2条に「主権在民」、第5条に、「キューバ共 産党が社会および政府における最高の指導力」と規定されている。 ② 第 69 条規定の「人民権力全国議会 (Asamblea Nacional del Poder Popular) が国権の最高機関」で、国民の意志を反映しているとの論拠。 ③ 第 95 条で行政の最高機関は「閣僚評議会」とし、構成員は第 75 条に基づき人民権 全国議会が、閣僚評議議会議長の提案により任命する。 ④ 現行の「経済・社会改革の指針(Lineamientos de la Pólitica Económica y Social del Partido y la Revolución)」は、全国市町村議会および革命防衛委員会・ 中央労働同盟・小規模自営農民教会・女性連盟・大学生連名・共産主義青年同盟など の大衆組織で原案について審議・修正提案したと言われる 5.オバマ大統領は、7 月 1 日の国交回復声明と共に議会に対してキューバとの貿易及 び旅行禁止の解除措置を求めている。(7 月 2 日付 The Wall Street Journal)米 国の弁護士 Robert Muse 氏は、両国首脳の歴史的合意以前に、ワシントンの「キ ューバ利益代表部」と本国外務省とのテレビ会談で「大統領は、米国の輸出禁止 解除とキューバ産品の輸入を許可できる」と確言している。(2014 年 10 月 12 日 付 ON CUBA SUGIERE Nada le impide a Obama normalizar las relaciones con Cuba”) 6.参考文献「フィデル・カストロ後のキューバ」‐カストロ兄弟の確執とラウル政 権の戦略 ブライアン・ラテル著(1962 年以降 38 年間、CIA と国家諜報機関(NIC) でキューバ担当分析官)伊高浩昭訳 以上 キューバ経済概況 プレゼンテーター:桑原小百合 (1)経済構造 キューバはIMF、世銀、IDBなどの国際金融機関に加盟しておらず1、キューバ政府の経済 統計は質・量ともに著しい制約があり、信頼性に欠ける。とくに、GDP統計については、二 重為替相場制度(後述)の存在により、実態を反映しない数値となっていることに留意が必 要である。 14年の名目GDPは827.75億ドル、人口は1,124万人と、カリブ海諸国中最大規模である。13 年時点のGDP構成をみると、需要項目別では個人消費54.0%、政府消費33.3%、総資本形成 8.9%、財・サービス輸出24.1%となっている。言うまでもなく、他国と比べて政府消費の比 率が非常に高い。産業別ではサービス部門(商業、運輸・通信、金融業、不動産業、行政サ ービス等)の比率が71.8%と高く、これに製造業15.7%、建設業5.3%、農林水産業3.9%と続 いている。 (2)旧ソ連崩壊以降の経済改革 1980 年代までは砂糖が主要な外貨獲得源で、砂糖とソ連の原油とのバーター取引がキュ ーバ経済を支えていた。しかし、旧ソ連崩壊(91 年)によりキューバ深刻な経済危機に陥 り、90 年から 93 年まで 4 年間累計の実質 GDP 成長率は‐35%となった。キューバ政府は、 危機打開策として、観光業、鉱業、医薬品製造業等の振興によりモノカルチャー経済から の脱皮を図るとともに、外国投資促進、外貨保有の解禁、農産物市場・自営業の部分的認 可、行財政改革、金融改革などの経済改革を進めた。しかし、96 年に経済が回復軌道に乗 ると、危機感が後退し、改革は中断された。 2000 年代に入ると、砂糖やニッケルの国際市況の低迷、01 年の米国同時多発テロ事件に 伴う観光客数の減少、大型ハリケーンによる被害など外的ショックに見舞われたが、ベネ ズエラが旧ソ連に替わる支支援国として手を差し伸べたことで、キューバは無償の教育・ 医療サービスの提供等、社会主義経済体制を維持することができた。 08 年 2 月には、病気療養中のフィデル・カストロ国家評議会議長が政権を弟のラウル・ カストロに委譲した。その数か月後、世界的な金融危機と相次ぐハリケーンの襲撃に見舞 われ、キューバ経済は再び危機的状況に陥った。キューバ政府は、これを契機に経済政策 運営をイデオロギー主導型から行政主導型へと転換し、11 年 4 月の党大会において公務員 2 割(約 100 万人)削減を柱とする「党と革命の経済・社会政策指針」を採択し、改革を再 開した。改革の中心的課題は経済の分権化を通じた生産能力引き上げ・生産の拡大であり、 主な内容は、省庁の統廃合、国営企業の合理化、協同組合結成促進、自営業の拡大、金融・ 通貨制度改革(信用供与の対象拡大、非兌換ペソと兌換ペソの二重通貨制度の廃止)等で ある。以後、一党独裁・社会主義経済体制の下で、極めて緩やかながら改革が進められて きた。 1 キューバは IMF・世銀に 1946 年に加盟し、1954 年には 10 番目の国として、経常勘定の制限や為替規制 のない 8 条国へ移行した。しかし、キューバ革命後の 1963 年に IMF から資金利用を凍結され、64 年には IMF から脱退した。米国の制裁措置により、米国が大きい投票権を持つ国際金融機関への再加盟は事実上 不可能になっている。 12 年には中古車と住宅の売買が解禁され、13 年には、非農業部門の協同組合結成促進、 自営業の業種および適格就労者の拡大、二重通貨制度廃止計画等の追加措置が発表された。 国連ラテンアメリカ・カリブ経済委員会(CEPAL)によると、非農業部門の協同組合は、 13 年央の 126 から 14 年 9 月には 314 へと増加した(業種は商業、修理、ホテル、レストラ ン、建設業等)。また、政府支出の合理化、省庁合理化、公務員削減等が継続された。政 府は、金融サービスの拡大を図っており、自営業者(14 年 9 月時点で 47.6 万人、前年同月 比約 4 万人増)と非農業協同組合の増加に伴い預金口座が増えている。しかし、銀行の融 資については、14 年 9 月時点で 37.8 万件、総額 32.3 億ペソの融資が実行されたが、その 63%は住宅の建設や補修など、社会的な支援が目的で、経済活動促進のための金融仲介は 限定的である。 財政および国際収支の制約による投資不足から、改革の主目的である生産拡大には目立 った成果が上がっていない。09 年以降の実質 GDP 成長率は 3%以下とそれ以前に比べて低 迷し、14 年は 1.3%にとどまった。キューバ政府は、15 年の成長率は、マリエル特別開発 区等への外国投資をテコに、4%超へ回復するとの見通しを明らかにしているが、この見通 しは楽観的との見方が多い。 (3)経済改革の見通し キューバの経済改革の中でも急がれるのは、通貨制度改革である。キューバでは 1995 年 から、個人や国営企業による輸入品購入に使われる米ドルと等価の兌換ペソ(CUC: Peso cubano convertible)と、労働者の賃金や公共料金、配給物資の支払等一般の消費生活で用い られる非兌換ペソ(CUP: Peso cubano)が流通している(兌換ペソと非兌換ペソの交換レー トは現在 CUC1=CUP 24 程度)。 二重通貨制度の下、経済の二重構造が形成され、非兌換ペソ(とくに非貿易財)部門の 価値の過大評価が資源配分の歪みを増幅している。こうした歪みを是正するには、為替レ ートの一本化と切り下げ、生産性の大きく異なる部門の統合が必要とされる。 なお、Vidal Alejandro(亡命キューバ人の研究者)は、キューバとベトナムを比較し、改 革開始後の 5 年間の年平均成長率がキューバでは 2.7%(08∼13 年)、ベトナムでは 5.0% (1987∼92 年)と大きく差が開いた要因について、ベトナムは通貨の大幅な切り下げによ り輸出を伸ばしたこと、積極的な外国企業誘致などにより投資の拡大に成功したことを指 摘している。 キューバ政府は 13 年 10 月に二重通貨制度廃止計画を発表し、その後通貨を最終的に CUP に統一することを明らかにした。ただし、改革を漸進的に進める意向であり、14 年 3 月に は、国有企業に、単一通貨制度開始に備えて合理的、客観的で競争力がある価格を設定し ていくことや、既存の財産・固定資産の価値を再評価することを求める会計規則を発表し た。通貨の一本化は、輸入に CUC を採用してきた国営企業やドル建て債務を抱えた国営企 業への影響が大きく、輸入インフレなど様々な負の影響をもたらす可能性があり、国際金 融機関や先進国の支援がなければ円滑な移行は難しいとみられている。 これまで、専門家の間では、キューバが中国やベトナムのように漸進的な「社会主義市 場経済」への移行を進めることは極めて困難との見方が多かった。その理由として、例え ば、狐崎[2012]は、改革初期の中国やベトナムと異なり、①キューバでは農業部門の比 重が小さいこと、②少子高齢化が進んでいること、③旺盛な外国投資と潤沢な ODA が期待 しがたいこと等を挙げている。対米関係が正常化すれば、国際金融機関への加盟、さらに は③の阻害要因解消の可能性が出てくる。これは、十年単位での取り組みとなろう。 以上
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