プラハの春 - So-net

わが祖国と「プラハの春」
団長
佐藤育男
後半のステージはブリテンのシンプルシンフォニーで始まる。ベンジャミン・ ブ
リテン(1913∼1976)はイギリスを代表する作曲家で指揮者、そしてピアニスト
である。作品はオペラ「ピーターグライムズ」、「戦争レクイエム」、「青年のため
の管弦楽入門」などの傑作がある。彼の指揮はバッハの「マタイ受難曲」やモー
ツアルトの「ト短調交響曲」、ピアノはロストロポーヴィッチと共演したシューベ
ルトの「アルペジオソナタ」の伴奏など、曲の本質を深く掘り下げた解釈はいま
だに語り継がれる名演である。
さて、このシンプルシンフォニーは彼の 20 才のときの作品である。9 才から 12
才までのさまざまな習作に新しい展開を与えたもので、どの楽章も非常にシンプ
ルで美しい。
「シンプル」には「純真な」という意味もあるようで無垢な子供の頃
をなつかしむと同時に少年らしいエスプリとユーモアにあふれており、特に第 3
楽章の第 2 主題は美しさと儚さを痛切に秘めている。 第 1 楽章。騒々しいブーレ。
キビキビとした楽章できわめて対位法的。鋭くにぎやかな第 1 主題と叙情的な第
2 主題の構成。第 2 楽章。遊び好きのピチカート。トリオは鄙びたユーモアがあ
る。 第 3 楽章。感傷的なサラバンド。ヴァイオリンが美しい主題を歌い、ヴィオ
ラとチェロがブリテン十才時の作品「ワルツ」のテーマを奏する。第 4 楽章。浮
かれ気分の終曲。第 1 楽章とよく似た構成。
最後の曲目は「わが祖国」である。作曲者のスメタナ(1824∼1884)はチェコの
国民的英雄でドヴォルザークよりはるかに尊敬されている。彼がチェコ音楽を確
立したからである。ドヴォルザークはこれを普及させた。スメタナもブリテンと
同じく作曲家で指揮者、そしてピアニストだった。さらに、民族独立の気運のな
かで根っからの愛国者だった。彼はボヘミア民謡を探求し芸術音楽の基礎として
用いたが、民謡からの直接引用は全くしていない。多くの人々はメロディーのす
べてが彼の創作であることを信じなかったが、生の形で借用しない自分の能力に
スメタナは誇りを持っていた。オペラ「売られた花嫁」がその最たるものである。
序曲も活き活きとして素晴らしいが、オペラはさらに活気がみなぎり、陽気で才
気がほとばしっている。(ショーンバーグ「大作曲家の生涯」共同通信社)
この「わが祖国」はスメタナの最高傑作であるばかりかチェコを代表する作品で
ある。この国最大の音楽祭「プラハの春」はスメタナの命日 5 月 12 日にちなんで
開幕し「わが祖国」でオープンする。スタートは 1946 年、チェコフィル創立 50
周年を記念して始まった。指揮者は弱冠 24 才で常任指揮者となった当時 32 才の
俊英ラファエル・クーベリック。彼はソ連の共産党一党独裁政治を嫌い 2 年後に
西側に亡命する。(それはスメタナが、チェコのオーストリアに対する 1848 年革
命が鎮圧された後、スウェーデンに移住した事情とよく似ている。)1968 年の春、
ドプチェク書記長が民主化政策を推し進めた。これを世界中の人々は「プラハの
春」と呼んで歓迎したが、事態を重く見たソ連軍は「共産主義を守る」という名
目で侵攻し首都プラハを蹂躙した。「プラハの春」は終焉したのである。しかし、
それから 20 年後の 1989 年、東ヨーロッパ全域で流血を見ない民主化(ビロード
革命)が達成され、ドプチェクは再び連邦議会議長として表舞台に戻ってきた。
プラハでは 100 万人の民衆がヴァーツラフ広場に集まり後の大統領となるハヴェ
ルの演説に聞き入った。彼は大統領に指名されるとすぐさまクーベリックを祖国
に呼び返した。そして、1990 年の「プラハの春」音楽祭では大統領以下祖国を愛
する国民が見守るなか、40 年ぶりのクーベリック指揮のもと、「わが祖国」全曲
が興奮と感動の中で演奏された。この模様はわが国でも衛星放送で流されたが市
販のビデオに詳しい。クーベリックといえば、私は 1975 年、ウィーンのムジ―ク
フェラインで彼の指揮を聴いた。弦の歌わせ方、繊細さと迫力、スケールの大き
い音楽づくりに感動した。
脱線ついでにプラハ。この千年の歴史を誇る世界で最も美しい都の一つといわれ
るプラハ。人は一度訪れるとその中世の香りを残す美しい街並、建築、プラハ城、
厚い人情、高い文化、美味しい食べ物(特にビール)に再び訪れたくなるという。
たとえば、文化については、ハヴェル大統領は劇作家だし、音楽も街中いたると
ころに生のモーツアルトが聴こえてくる。モーツアルトはウィーンよりプラハが
好きだった、と話す街の人々にも多数出会った。毎晩いくつかのモーツアルトや
ドヴォルザークの演奏会が催されている。どこに行こうかと迷うほどだ。私も運
良くドヴォルザークホールでチェコフィルの新世界を聴くことができ、1957 年、
福岡でカレルアンチェルの指揮で聴いたとき以来の感激を味わった。そして極め
付きはビール。日本で飲むような透明で黄金色に輝くビールは実はここで生まれ
たとのことだ。150 年前までのビールは全て茶褐色の濁ったビールだった。とこ
ろが、ヨーロッパで唯一ピルゼンの水質が超軟水だったことから突然透明で輝く
ビールができたとのこと。日本の水は軟水のためビールも透明だが、ピルゼンの
奇跡に感謝して飲む味はまた格別である。
「わが祖国」にもどろう。スメタナは晩年ベートーベンと同じように聴力を失な
い、チェコ民族独立の夢を具現化した国民劇場の指揮者から引退を余儀なくされ
た。そこで、祖国の自然と歴史を題材にして六曲からなる交響詩を作曲した。い
ずれの曲も強い愛国心が込められたスメタナの最高傑作である。前回、私は「ロ
ーマの噴水」について、レスピーギのローマ賛歌と申し上げたが、これはドイツ
に支配された祖国チェコにたいする彼の血の滲むような賛歌である。
第 1 曲の「ヴィシェフラド(高い城)」は、プラハ郊外のモルダウ川右岸、国民劇
場のわずか上流・・ということは地図の上ではわずか南に位置する。ヴィシェフ
ラドとは高台にある城という意味である。プラハの輝かしい未来を予言したと言
われるボヘミア建国の女王リブシュが 7 世紀に住んだ城跡は、その名の通り見晴
らしが良くプラハ市街やプラハ城を一望できる。スメタナはこの女王を題材にし
たオペラ「リブシュ」を作曲し国民劇場の柿落としで披露した。このゆかりの城
に隣接した墓地には国民的英雄の墓があり、スメタナもドヴォルザークもここに
眠っている。連作交響詩「わが祖国」はこの地「ヴィシェフラド」から始まるの
である。曲はまず 2 台のハープによるカデンツア風の序奏で始まる。この響きは
きわめて印象深く、その透き通った音色は民族の気高さを鮮烈に表現している。
続いてこの動機がファゴット、ホルン、フルートなど木管楽器群から弦楽器群に
引き継がれ、そして全楽器によって荘重にかつ高らかに奏される。この冒頭のテ
ーマは連作の終曲にも再度現れ力強い壮大な響きとなって全体を締めくくる。こ
の曲が初演されたとき、彼の耳には音楽ばかりでなく興奮した聴衆の熱狂的な拍
手喝采は届かなかった。しかし、この作品によって彼はチェコの象徴的な存在と
なったのである。
第 2 曲の「モルダウ」。連作交響詩のなかでも最も有名な作品である。
「モルダウ」
はドイツ語であり、チェコ語では「ヴルタヴァ」である。プラハに滞在すると、
ヴルタヴァ川のほとりを何度も歩き橋を渡るので、自然と「ヴルタヴァ」が口に
出るようになる。南ドイツに発した水源はチェコに入りモルダウ川となりプラハ
を二分してゆったりと流れる。そして再びドイツに入りエルベ河となりドレスデ
ン、マグデブルグ、ハンブルグを経て北海に流れ込む、ラインに次ぐ大きな川で
ある。スメタナは源流のせせらぎが、やがて大河の滔々とした流れへといたる過
程を追いながらチェコの大地のさまざまな風景や人々の生活、心情、民族の思い
を描き出している。川のさまざまな表情を巧みなオーケストレーションによって
表現している点でも彼の色彩感覚を遺憾なく発揮した名曲である。
曲は、まずヴルタヴァの源流が 2 本のフルートで奏される。川のせせらぎを表現
した音楽はベートーベンの田園をはじめ数多くあるが、これほど瑞々しい表現は
ない。まさに水のしぶきや水滴のしたたり、さまざまな流れがぶつかるさま、春
のひんやりとした水温のさまをスメタナは表現しきっている。そののち、2 本の
クラリネットで最初のせせらぎがしだいに水を集めて大きな流れに変っていくあ
りさまを楽器数を増やすことで描いている。そして、この曲の主題がオーボエと
第 1 ヴァイオリンによって示される。全てを包み込むようなおおらかなメロディ
ーは印象深く力強い。その後、ホルンの勇ましく軽快な動機が狩の場面を表現す
る。続いて木管と弦によって「村の婚礼の踊り」が、フルートとヴァイオリンで
「月の光と水の精の踊り」がくり広げられる。テンポは一転して「聖ヨハネの急
流」に入り、急峻な流れを弦の掛け合いによって奏される。後半は「ヴルタヴァ、
力強い流れ」とスコアに注記されたようにいよいよこの曲のクライマックスとな
る。この国のさまざまな情景や人々の生活を見ながら力強い流れへと高まってい
く。そして最後にヴィシェフラドの主題が登場し盛り上がりを見せて終わる。
(西
原稔、音楽の友社ミニチュアスコア「わが祖国」解説より抜粋)
(2005、9、1
部日報)
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