オンド・マルトノ奏者 原田 節 様コメント

第 516 回定期演奏会・東京公演
2016.03.19(土)・20(日)
オンド・マルトノ奏者 原田 節 様から、群響創立 70 周年
をしめくくる演奏会へのコメントをいただきました。
©Yutaka Hamano
この度、群馬交響楽団と「トゥーランガリラ交響曲」を初
共演させていただくこと、大変光栄に存じます。学生時代に
は、ジャズを演奏するために群馬県に毎月のように通ってい
た経緯もあり、また少なからず私のシャンソンを応援してく
ださる方々がこの街にはいらっしゃるのです。そうするうち
に、オンド・マルトノという不思議な楽器を私が弾いている
ことを知っていただき、メシアン作品を群響さんと演奏して欲しいという群馬県の皆さんの思いと
盛り上がりとがこうして実現できる喜びは、40 年越しの私自身の願いでもありました。音楽監督で
いらっしゃる大友直人さんとは久しぶりになりますが、エレガントでたおやかな棒さばきは、この
作品にまさにぴったり、ピアノの児玉桃さんとはこの 10 年来、度々ご一緒させていただいており、
いつもその美しい響きと、的確かつ大胆であり繊細でもあるイントネーションに酔いしれている自
分がそこにいるのです。本当にこの演奏会を心待ちにさせていただいております。
メシアン作品については作品解説と重複するかもしれませんので、演奏する立場として簡単に述
べておきます。メシアンのほとんどの作品を貫く、カトリック教義、鳥の歌、またリズムと色彩とい
った音楽的要素で厳格に作曲されつつも、現世での男女の愛を深く高く描き切った、直感的に美し
いと感じられる瞬間が次々に訪れる傑作として、20 世紀後半の作品としては、最も早くオーケスト
ラのレパートリーとして定着した作品であることは疑いがありません。また委嘱したボストン交響
楽団への敬意でしょうか、ジャズやガーシュインといったアメリカ音楽の要素がちりばめられてい
るのもメシアンではとても珍しいですし、初演のピアニスト、イヴォンヌ夫人との最も高潮した時
代に作曲された反映で、ワーグナーのトリスタンとイゾルデも重要なテーマとして登場します。
また今回演奏されるのは、1949 年の初演から 40 年に渡ってメシアン自身が数多くのリハーサル
からコンサートを聴くうちに、いつも習慣的に伝えられていたことや、書き込まれた指示などを考
慮して、1990年改訂版としてあらためて出版し直したものです。実際に使われるようになった
のは1992年メシアンの逝去後ですが、病床のメシアンからの指示を受けて、この譜面に基づい
て最初に演奏されたのが、僕も参加したリッカルド・シャイーとロイヤル・コンセルトヘボウ管弦
楽団のツアーとCD録音でした。それは音符やオーケストレーションをいじったわけではなく、も
っぱらテンポやダイナミクスの指示の変更と、音楽の構造上の説明を演奏する側にもわかりやすい
ように、パート譜にも書き込んだのです。以前のものが不完全でもう不必要というわけではなくて、
どちらの版もとても魅力的だと私は思っています。大ざっぱな言い方になりますが、若い頃の譜面
はやはりエネルギッシュで押しまくるような力強さに満ちていて、後年のそれは年を重ねたカップ
ルの互いをいたわるような優しさと崇高さに満ちています。
とりわけメシアン作品で重要な音の色彩についてですが、あのノートル・ダムやシャルトルの大
聖堂のステンド・グラスを思い浮かべいただければ全てが納得できるでしょう。例えば、ノートル・
ダム寺院の赤バラと呼ばれるステンド・グラスは赤い色ガラスだけで出来ているのではありません。
様々多種な色彩が混じり合い、その上で全体を支配する赤という色調が作られます。譜面を読むと、
音楽全体ではフォルティッシモなのに、ダイナミクスの指示がメゾピアノのパートがあったりする
のですが、これはこのステンド・グラスを思い出せばその役割がすぐに理解されますよ。また第六
楽章のようにゆったりとオンド・マルトノと弦が奏でる色彩にまとわりついてくる木管の16分音
符の数が多いから、こっちがソロだなんていう誤解は避けられるでしょう。
第 516 回定期演奏会・東京公演
2016.03.19(土)・20(日)
メシアンはいつも静かで丁寧な物腰で、当時まだほんの若造(だった)私に対しても、偉大な人ほ
どそうであるように、常に謙虚さと頭を垂れる態度を守っていらっしゃいました。真に「大きな」人
物でしたが、私の演奏にはいつも最大限の賛辞で持って迎えてくださったことを感謝しています。
さきほどの支配する色彩ということですが、
『オンド・マルトノがオーケストラを支配することを恐
れてはいけない』といつもおっしゃっていらっしゃいました。この言葉は得てして、ソリストとし
て暴走することを戒めることへの間逆のようですが、私もオーケストラとのアンサンブルをエンジ
ョイしつつ、支配的な音色をリードして作っていくプロセスに少しでも近づければと思います。
「オンド・マルトノ」が発明された原点の発想は 1914 年から 18 年、第一次世界大戦に、音楽
家であり、電気の知識にも長けていた若きモリス・マルトノが、通信兵として招集された暁の塹壕
の中で、当時の通信機に使われていた三極真空管から発せられるピュアな発信音に着目したことか
ら始まります。そこから 10 年以上の研究期間を経て、パリのオペラ座、多くの文化人たちの前で最
初の公開演奏会が催されたのが 1928 年ということになります。オンドとは、フランス語でさまざ
まな波を意味する時に使われる単語です。ここでは“電波”ということになり、
『マルトノ・タイプの
音楽的な電波=音波の楽器』というのが始めの正式名称でしたが、今日ではオンド・マルトノ、ある
いはオンドと省略されて呼ばれています。
楽器として他にない魅力や表現力について、重要なポイントを三つ挙げてみましょう。
ひとつはマルトノが自分のメインたる楽器として演奏していたチェロという弦楽器における演奏
法、音楽表現の仕方が強く反映されている点、もう一つは自分がどのような楽器を作りたいのかと
いうポリシーが確立した最初の 1928 年の演奏会以降は実際の演奏方法、つまり演奏家が直接楽器
に触れる部分に関しては決していたずらな変更をほどこさなかったという点、この事でオンド・マ
ルトノの演奏技術は受け継がれ、伝えられ、そしてそれを踏まえて発展させるというアカデミック
に対応できるシステムに組み込まれ
ることが可能になったのです。
もう一点は、マルトノは自分の楽器
からどんな音が出て欲しいのか、はっ
きりとしたポリシー、あるいは願望を
持っていた点です。それは楽器から出
る音そのものが人々の心身を癒して
欲しい、リラクゼーションの効果を持
っていて欲しいという点です。楽器か
ら出てくる音そのものがすでになん
だかの癒し効果を持っているのです。
また 1980 年にオートバイ事故でお亡
くなりになるまで、常にもっといい楽
器、もっと豊かな音色、より深い表現
能力、微妙で絶妙なバランスを実現す
るために、こつこつと一台一台制作し
続けました。弾かせていただく立場と
して、私も、マルトノ自身の「楽器そ
のものが私の芸術作品である」という
言葉を常に肝に銘じています。
オンド・マルトノ RGB