オンド・マルトノ・コンサートと コラボレーション

特集
「アート革命」美術編
大島徹也(おおしま・てつや)
プロフィール
本年度の特集の連載テーマは「アート革命」。後の時代に大きな影響を与えたアーティストや作品を通じて、
革新性や先進性について探求します。
第2回は、現代アートの開拓者、
ジャクソン・ポロックについて、
「生誕100年 ジャクソン・ポロック展」の
企画者・大島徹也氏が語ります。
Jackson Pollock
ジャクソン・ポロック ̶ピカソを超えて
大島徹也
と、
1930年、
18歳の時、
アーティストを志して
ニューヨークに出てきた。
はじめ、
アメリカの
地方の情景を描くトーマス・ハート・ベント
ンの地方主義やメキシコ壁画などの影響
を受けたが、やがて彼が深く向き合うこと
になったのは、
巨人ピカソであった。
画家と
しての形成期のある段階までは、
ピカソは
モダンアートの大きな指針となった。
しかし
やがてその存在は、
大望あるポロックにとっ
て、
むしろ乗り越えねばならない壁として彼
の前に立ちはだかるようになっていった。
ピ
カソの画集を床に投げつけて苦悶すると
いう上記の激しいエピソードは、
そのような
状況を象徴的に物語っている。
ピカソの超克̶̶これはなにも、
ポロッ
クだけが自らに課した問題ではなかった。
それは第二次世界大戦後、
「抽象表現主
義」
あるいは「ニューヨーク派」
などと呼ば
れることになるウィレム・デ・クーニング、
マー
ク・ロスコ、バーネット・ニューマンなどの、
ポロックを中心とする一群の前衛画家たち
が、
皆それぞれに背負って取り組んだ問題
であった。その中でいち早く、かつ最も
ジャクソン・ポロック 《ナンバー11, 1949》 1949年
デュコ・アルミニウム塗料、
キャンバス 114.3 x 120.7 cm インディアナ大学美術館
ⓒ 2011, Indiana University Art Museum / Jane and Roger Wolcott Memorial, Gift of Thomas T. Solley
Photoⓒ Michael Cavanagh and Kevin Montague
ピカソとの格闘
えて行こうと欲していたことは疑いあ
な存在が複雑に絡み合いながら画面を
きた若き日のポロックが、
アパートの階段の
を上げるのが聞こえたのです。
「く
ける画面構成上の因習的な中心-部分の
た!」。私は何が起こったのか見に
持って均質的に扱われている。
さらに、固
一シーンがある。
エド・ハリスがそのシーン
「それそのもの」
としか言いようのない線的
こえました。
そしてジャクソンが大声
覆っている。
そこでは、
それまでの絵画にお
そっ、あ い つ が 全 部 やっちまっ
関係はなく、
画面はどこも同じような重点を
行きました。
すると、
ジャクソンはどこ
定的な図や前景、
あるいは固定的な地や
床には、
彼が投げつけたピカソの画
フィールドが生み出されている。
こうして
を撮ろうと考えた時、彼の頭にはおそらく、
かを見つめながら座っていました。
ビューで語った次の有名なエピソードが
集がありました。
ポロックの妻リー・クラズナーがあるインタ
あったであろう。
彼
[ポロック]
がピカソに敬服し、
と
同時にピカソと張り合い、
ピカソを超
01
1912年、
アメリカ西部の街コディに生まれ
たジャクソン・ポロックは、家族の都合でカ
リフォルニア州やアリゾナ州を転々としたあ
展の企画を愛知県美術館として立ち上げ、
ポロックの日本初の回顧展を開催するタイ
かくして、今から三年前に今回のポロック
におけるポロックの位置と意義を端的に表
ここまで準備を進めてきたわけであるが、
であったように、
ジャクソン・ポロックとは、
て所有しているポロック財団および、
ポロッ
している。
すなわち、
かつてはピカソがそう
その仕事をもってモダンアートが今までと
は違った次元へと移ることになる、
そういっ
た存在であるということである。
ポロックの
幸いポロックの貴重な初期作品をまとまっ
クに関するさまざまな重要な資料を所有し
ているポロック=クラズナーハウス・アンド・
スタディセンターの多大な協力も得られる
あと、
その遺産をそれぞれのやり方で継承
ことになった。
とりわけポロック財団所有の
フランク・ステラ、
ドナルド・ジャッドなど、
さま
ばらばらになっていく運命にあるため、今
の中では、
これまでの「絵画」や「彫刻」
と
じように日本の展覧会で集めることは、
お
新しい芸術ジャンルも生まれていった。
70点(うち、絵画約40点)の出品を計画
しつつ、
モーリス・ルイス、
アラン・カプロー、
ざまな重要なアーティストが現れてきた。
そ
いった伝統的な概念では捉えきれない
初期作品については、
それらは売却されて
回借用できるそれらの作品を将来また同
そらく不可能である。
全体としては、
総数約
ポロックが現代美術の出発点とされる所
している。愛知県美術館の「生誕100年
最後に、
この小文の結びとして、愛知県
展を日本に巡回させる等ではなく、
日本の
以である。
美術館が11月に開催する「生誕100年
どうあれ、
ポロックをきちんと見せずして、
彼
ました。
ある時何かが落ちる音が聞
と自暴自棄にわめきちらすという印象的な
美術書のタイトルは、
モダンアートの展開
内容はさておき、
これら日米の二冊の現代
○△□といった抽象的な形体もなく、
ただ
ンに住む前ですら、
こんなことがあり
ポロック生誕100年記念の年がやってくる。
ミングとしては、
これ以上の機会はない。
これまで我が国ではポロックの本格的な個
顔のような具象的なイメージはおろか、
そして、ふと数えてみれば、2012年には
(1965年)やフランシス・フラスキーナ編の
Pollock and After(1985年)
があるが、
その
ポロックの絵画においては、
林檎や人の
ポロックだったのである。
なった方は覚えておいでかもしれない。
踊り場に倒れこみ、
「ピカソのくそったれ!」
術についての有名な書籍に、
たとえば東野
̶
ポロック以後』
芳明著の『現代美術
ジャクソン・ポロック展」
について本誌編集
りません。私たちがイースト・ハンプト
あの映画の冒頭に、
泥酔して外から帰って
制作中のジャクソン・ポロック、1950年
Frame from a color film by Hans Namuth and Paul Falkenberg, 1951.
ⓒ Hans Namuth Ltd.
ラディカルなかたちでそれを果たしたのが
映画「ポロック̶ 2人だけのアトリエ」
(エド・ハリス監督・主演、
2000年)
をご覧に
1973年、愛知県生まれ。東京大学文学部美
術史学科卒業。東京大学大学院修士課程修
了。ニューヨーク市立大学グラデュエートセ
ンター博士課程修了。博士(美術史)。
“ The
Figure Reemerging: Jackson Pollock’s
Cut-Outs, 1948-1956”
(博士論文、2008
年)、
“‘Dear Mr. Jackson Pollock’: A Letter
from Gutai”
(2009年)など、ポロックに関す
る国内外の論文多数。愛知県美術館学芸員。
部からの指示に従って触れておくならば、
展は一度も開催されていない。
その理由は
に続いた現代のアーティストたちを紹介す
ることを日本の美術館界が続けていくの
も、いい加減いかがなものだろうか ̶
そんな思いが私の中に長い間強くあった。
ジャクソン・ポロック展」
は、
海外のポロック
美術館が一から自力で作り上げるポロック
展としては、
おそらく今後二度とないクオリ
ティとスケールのポロック展になるだろう。
この機会を逃すことなく、
ぜひご覧になって
いただきたい展覧会である。
「生誕100年 ジャクソン・ポロック展」
2011年11月11日−2012年1月22日
愛知県美術館
その後、
東京国立近代美術館に巡回。
後 景も存 在 せず、渾 然 一 体とした絵 画
ポロックは、
これまでにない新しい構造を
Jackson Pollock, who was born in the
western American town of Cody in 1912,
moved to New York when he was 18 with
a prospect of being an artist. Initially, he
was influenced by Regionalism promoted
by Thomas Hart Benton and Mexican
muralista art movement, but eventually he
came face to face seriously with Picasso.
Until a certain stage in his painting career,
Picasso was a key guideline of modern art
for him. This great master of painting,
however, gradually became like a wall that
stood in Pollock s way, which had to be
overcome for his ambition.
Getting over Picasso ‒ it was not an
issue that only Pollock imposed upon
himself. Rather, it was a challenge that
every one of the avant-garde painters who
came to be called Abstract Expressionism
or New York School mainly promoted by
Pollock struggled with after the second
world war. Pollock proved to be the first
one who succeeded in overcoming that
challenge ahead of the other artists and in
the most radical manner.
Pollock s paintings have no concrete
images or abstract shapes, but simply
present linear expressions showing no
resemblance to anything that are
intertwined with one another in a complex
manner, covering over the canvas. In his
works, there are no correlations between
the center and parts in the design
structure as conventionally presented in
the past paintings, but every point on the
canvas is handled homogeneously with
the same level of gravity. Moreover, there
are no fixed figures or foregrounds, or
even fixed grounds or backgrounds, but
all elements are blended together and
presented as one on a painting field. This
way, Pollock realized a painting style
which had an unprecedented, new spatial
structure.
持った絵画を実現したのだった。
ポロック以後
日本、
そしてアメリカで刊行された現代美
ジャクソン・ポロック 《ナンバー 7, 1950》 1950 年
油彩・エナメル塗料・アルミニウム塗料、キャンバス ニューヨーク近代美術館
Pollock, Jackson (1912-1956): Number 7, 1950. New York, Museum of Modern Art (MoMA). Oil, enamel and aluminium paint on canvas,
23'1 1/16 x 8'9 3/4 (58.5 x 268.6 cm).
Gift of Mrs. Sylvia Slifka in honor of William Rubin. Acc.n.: 719.1993
ⓒ2011. Digital image, The Museum of Modern Art, New York/Scala, Florence
02
半世紀にわたる画業をたどる大規模な回顧展を控えたいま、
島田章三
今秋、愛知県美術館で個展を開催する画家・島田章三。
美術館で作品を展示するということについて考える。
第5回 AACサウンドパフォーマンス道場本公演
2006年から開催している
「AACサウンドパフォーマンス道場」
は愛
そして今年も4組の入選者が決定しま
知芸術文化センターが取り組んでいる若手アーティスト育成プログラ
した。
いずれも他ではなかなか出会えな
ムの一つです。
若いアーティストから
「サウンドパフォーマンス」
の企画
いパフォーマンスばかりです。
本公演では
案を公募し、
書類選考の上、
入選者に公演制作費を補助し、
愛知県
これらの企画がどのような形で登場する
芸術劇場小ホールで上演のチャンスを与えるというものです。
か。
どうぞ若いアーティストの力にご期待く
特徴は二つ。
一つは公募するのは、
従来のアート・ジャンルの壁を
ださい!!
越境した
「音が重要な要素となるパフォーマンス」
であること。
音楽演
名古屋市主税町アトリエにて 2011年6月 撮影・中川幸作
奏のコンサートや単なるダンス・パフォーマンスではなく、
もっと多様な
形でのパフォーマンスを期待しています。
もう一つの特徴は、
作品を磨き上げていくプロセスを重視している
こと。
2ヶ月後の本公演に向けて、
急ピッチで作品を作り込んでいくよ
う、
入選者には2回のプレゼンテーションが科せられています。
プレゼ
ンテーションで選考委員や舞台スタッフから様々な助言や批評を
得て、
自分が最もやりたいことは何か、
本当にこの手法で良いのか…
など、
考え抜き、
試しながら、
企画案をブラッシュアップしていきます。
こうした新しい形のパフォーマンス作品は、
評価やブラッシュアップ
の場がほとんどないのが実情で、
ここから若いアーティストが育ってい
くことを願っています。
2011年10月2日(日)13:30∼愛知県芸術劇場小ホール
井藤雄一『fmiSeq』
コンピュータをそのものから音を発声する楽器と捉え、
演
出
映像とシンクロして音を奏でる作品
垣尾優×髙村聡子『一撃1200』
ダンサーと歌い手による、身体・声・空間を用いた無音の作曲、
観客の身体を「聴く」状態にする作品
ヒッチハイカー(島村和秀×浜田洋輔)『ヒッチハイク』
俳句の朗読とフィールドレコーディングを用いたサウンド
パフォーマンス
堀江俊行『ずれ木魚』
ずれに着目した自作楽器(ずれ木魚)を用いて、音楽を聴いて
いるという状態自体にアプローチする作品
オンド・マルトノ・コンサートと
コラボレーション・ダンス公演
《課題制作》1980年 東京国立近代美術館
《東北に捧げる十字花》2011年 個人蔵
フランスで美術雑誌を発行したり、
ピカ
くことができて嬉しい。大体において、美
り、壁に立体を仕掛けたり、
ネオンサインの
ソやルオー、
そしてドランなどを収集してい
術館の壁はその画家の社会的地位など
点滅を楽しむアーティストが出現してい
た福島繁太郎さんが経営していた銀座
は関係なく、絵そのもので勝負する場所
る。何でもありの、現代アートなのである。
フォルム画廊での個展が決まったのは、
である。昔、
パリで、
まだポンピドー美術館
私としては美術館の壁はあくまでも平面
私が芸大在学中に初出品で国画賞を受
はなく、パリ国立近代美術館によく通って
作品で勝負すべきだと思っている。今回
賞したからであった。初対面の福島さん
いた。
ここでは、
ピカソ、
マチス、
レジェ、
デュ
の愛知県美術館での私の個展は、画学
は「島田君、
ブルジョアの応接間にかける
フイ、クレー、シャガール、ヴィヨン、
ドロー
生の頃から、最近作まで〈日常が、
かたち
絵ではなく、美術館の壁に並ぶ絵をかき
ネー、などの代表作が同じ壁面で競い
になる時〉
といったコンセプトで陳列さ
たまえ」
と言われたのが 今でも印 象に
あっている様子が凄かった。
いわゆる、美
れ、島田章三展の決定版だと思ってい
残っている。
しばらくして、安井賞をとった
術史のオンパレードであり、
さすがパリの
る。
自分でつくりだした軌跡を自分自身で
〈母と子のスペース〉が東京国立近代美
美術館だと感心した。
そして観客はそれぞ
冷静に確認してみたいと思っている。
術館の中央壁にかかり、大満足。
その後、
れに自分の好みで品定めをしているの
池田20世紀美術館、
メナード美術館、三
だ。美術館の壁は何とも厳しい対決の場
重県美術館や平塚市美術館で個展を開
であることを思い知らされた。――その反
くことができて、亡き福島さんに恩返しが
面、最近の現代美術を並べる若い世代
できたと思っている。
そして、最近、横須賀
はあまり美術館の壁を意識していない。
美術館では私の常設展示の壁をいただ
壁をスクリーンにみたてて、映像を流した
03
市橋若菜
(オンド・マルトノ)
伊藤美由紀
(作曲・エレクトロニクス)
鈴木ユキオ
(振付・ダンス)
「オンド・マルトノ」
は、1928年
(昭和3年)
にフランス人電気技師
オンド・マルトノは、現在ではモーリス・マルトノ時代と同じ楽器を
モーリス・マルトノによって発明された楽器です。電気を使った楽器
作成することはきわめて困難と言われており、現存する楽器が大切
としては世界で最も古いものの一つで、銅鑼や弦を備えた不思議
に使われています。今回は、
オリヴィエ・メシアンの義妹でオンド・マ
な形のスピーカー
(ディフューザー)
を複数もつ、
とても美しい形をし
ルトノの第一人者、
ジャンヌ・ロリオの下で研鑽を積み、
ロリオ最期
ています。 盤とリボンの二つの奏法が特徴で、
そこから奏でられる
の弟子となった演奏家、市橋若菜が、
ロリオより譲り受けた貴重な
音は、一度聴いたことのある方なら、
あの音とすぐに思い出すこと
楽器を演奏してくれます。
のできるぐらい特徴的な音で、
とどろくような低音から、光のきらめ
また公演の後半では、
オンド・マルトノの新しい音楽を核にダン
きのような鋭い音まで、大変豊かに表現することができます。楽器の
スとのコラボレーション作品を創作します。名古屋出身でこの地を
生まれ故郷であるフランスでは、音楽学校に
「オンド・マルトノ科」
が
拠点に、パリ、
ニューヨークをはじめ世界で活発な活動を続けてい
あるせいか、多数の作曲家がこの楽器のために作曲しています。今
る作曲家伊藤美由紀が、
オンド・マルトノに、
ギター、
クラリネットとエ
回の公演の前半では、日本人とフランス人作曲家による4曲をお
レクトロニクスという組み合わせで新しい曲を完成させます。
さら
楽しみいただきたいと思います。
に、
その曲にダンスを振付け、作品として演出するのは、今日本で最
も活躍中のコンテンポラリー・ダンサー&振付家の鈴木ユキオ。果
たしてどのような作品が生まれるか、
どうぞご期待ください。
2011年11月29日(火)19:00∼ 愛知県芸術劇場小ホール
出演:市橋若菜(オンド・マルトノ)、横山歩(ピアノ)、佐藤紀雄(ギター)、
大和田智彦(クラリネット)
作曲・エレクトロニクス:伊藤美由紀 振付・ダンス:鈴木ユキオ
ダンス:安次嶺菜緒、堀井妙子、赤木はるか
島田章三展
日常が「かたち」
になる時
2011年9月16日−10月30日
愛知県美術館 その後横須賀美術館に巡回。
池田拓実『テーブルの音楽(Table Music)』
(第4回AACサウンドパフォーマンス道場優秀賞)
関連事業 2台のオンド・マルトノによるレクチャー
2011年9月21日(水)19:00∼愛知県芸術劇場大リハーサル室
オンド・マルトノ
講師:市橋若菜(オンド・マルトノ)、坪内浩文(オンド・マルトノ)
04
AAF
曖昧と不思議を求めて̶
ナゴヤ劇場ジャーナル 上野 茂
小劇場演劇の魅力はオリジナリティーと意外性だ。演劇でなけ
の小さな客席を特設。劇場という非日常世界に足を踏み入れた
れば表現できない曖昧さ、
まるでキツネにつままれたような摩訶不
観客は、
さらに非現実的な演劇空間に身をゆだね濃密な時を共
思議な作品が好きだ。
有した。
愛知県文化振興事業団のAAFリージョナル・シアター第1弾
雑木林を連想させる舞台美術が霊場を連想させる。
シンプルだ
「京都と愛知」で上演された2作品=京都舞台芸術協会『異邦
が実在感があり、
まるであの世へ通じる迷路のようだった。
ギター
あいまい
ま か
人』、少年王者舘『超コンデンス』=は、
まさに曖昧で摩訶不思議、
1本でドラマを息づかせた山崎昭典の生演奏も巧みだった。
そして魅力的な作品だった。
(6月18、19日・愛知県芸術劇場小ホール)。
What s ART ?∼今日からアート入門∼
芸術って
「難しい」…「よくわからない」…。
そんな皆さんに芸術の豆知識と情報をお届けする
『What s ART ?∼今日からアート入門∼』。
今回は、
2月に公演を行うパフォーミング・アーツと、
芸術監督が発表され、
現在2013年の開催に向けて準備が進められている、
あいちトリエンナーレについてご紹介します。
パフォーミング・アーツ
performing arts
「あの政治家はパフォーマンスが上手い」。この場合の「パ
フォーマンス」とは、その政治家が選挙活動などの目的のため
に、通常の自分の行動を越えて、見せたい自分として振る舞う
こと。見せたい自分になるために、肉体をもって行う意図的な
行為といったところだろう。これに「アート」をつけることに
よって、その表現行為の対象は美術となる。さらに「アート」と
『超コンデンス』
「アーツ」と複数形にすることで、多様な芸術活動へとその領
天野天街が主宰する少年王者舘は、愛知の小演劇界で最も個
域は拡大する。なぜ、複数形なのか?それでは皆さんのお好き
性的な作品を上演する劇団である。
な舞台芸術を想像していただきたい。どのような舞台が浮か
んでくるだろうか?演劇、オペラ、ダンス、バレエ、ミュージカ
ル。浮かぶものはきっと人によってそれぞれかもしれないが、
ろう。歌、踊り、セリフ、舞台美術、照明等など。舞台芸術は、いず
れも多様なジャンルの芸術(アート)が同時に存在することで
ミング・アーツを成立させるための最後の、そしてもっとも重
成立しているきわめて複合的な芸術である。そして決して忘れ
要な要素なのである。パフォーミング・アーツは、多様なアート
てはならないのが観客という存在。ある時間に、同じ空間を共
と観客が作り出す関係性=コミュニケーションによって成立
有して、作品に向き合ってくれる人たちとの関係が、パフォー
している舞台芸術なのである。
どの舞台も多様な要素によって構成されているのがわかるだ
『異邦人』
「人には生きる責任がある。
自分の意思に関わらず、回りの人々
のために生きる義務がある」
「その通りだと思う。
でも、私は死ぬ」
『異邦人』
は死を選んだ4人の女性と、
自殺した肉親への思いを
俳優たちが体現するのは作、演出者である天野の頭と心の中に
断ち切れない3人の村人が体験する奇妙な物語だ。
ある
〝宇宙〟
だ。時間軸が揺れ動き、茶の間は瞬く間に金星へとワー
「死にたい」
と願う者、
「死んではいけない」
と諭す者。両者の思い
プする。
筋書きらしき筋書きはなく、
誰が主役かも定かではない。
は堂々巡りを繰り返す。
やがて双方に奇妙な交流が生まれ、生と死
今作は2001年に公演された
『コンデンス
(濃縮)』の改訂版だ
の境界線が歪曲する。
が、
王者舘の作品を文章で説明するのは不可能だ。
そもそも彼らの
実はこの時、
4人の女性はすでに死んでいた。
「そうか、私たちは
芝居はリアルタイムで感じるもので、
理詰めで理解するものではない。
あの時死んでいたんだ…」
しいて感想を述べるなら、今回は少々芝居が粗かった。
おなじみ
物語は一抹の悲しみと、
そこはかとない温かみを残して幕を下ろす。
の
〈夕沈ダンス〉
も切れを欠いた。
いくつかのキーワードから、
天野の
同作は2005年に劇団魚灯の山岡徳貴子が書き下ろし、同団
思考に
〝老い〟
を感じたのは、
筆者自身が老いてきたからだろうか。
が初演して好評を博した作品。今回は劇団単独ではなく、地域の
(7月29、30、31日・愛知県芸術劇場小ホール)。
作家、演出家らで構成する京都舞台芸術協会がプロデュース。
ⓒTadeusz Paczula
振付家・ダンサーとしてだけでなく、美術家、写真家としても活躍するジョセフ・ナジに
よるパフォーミング・アーツ公演『カラス』
より。
この公演は、2012年2月21,22日に愛知県芸術劇場小ホールで公演予定。
トリエンナーレって?
3年に一度開催される現代美術の国際展のことで、元々はイタリア語で「3年に一度」という
意味です。
2年に一度開催される「ビエンナーレ」と同様に、
こうした国際展は世界各地で開催され
ています。
あいちで開催した初めてのトリエンナーレ!
平成22年8月から10月に愛知県で初めて開催された「あいちトリエンナーレ2010」
では、世界
24の国と地域から131組ものアーティストが参加し、現代アートの展示や舞台公演を行い、72日
間の会期中に57万人を超える多くの方々にご来場いただきました。
次回は2013年!!
次回は2013年の夏から秋にかけて「あいちトリエンナーレ
烏丸ストロークロックの柳沼昭徳が演出した。
次回以降のAAFリージョナル・シアターが、
どのような方向性を
上演に当たっては、会場の芸術劇場小ホール内にわずか90席
求め、
どう発展するのか、期待を込めて見守りたい。
2013」を開催予定。
五十嵐太郎芸術監督(東北大学大学院工学研究科教授(都市・建
築学))のもと、世界の最先端の現代アートを紹介します。先日行わ
れた監督就任記者会見では五十嵐芸術監督から「第1回と全く違
うものを開催するのではなく、長所を継承・発展しつつ、自分の専
門である建築を生かした新機軸や時代性を織り込んでいきた
い。」と、開催に向けて抱負を語りました。
今年度は10月頃にテーマ・コンセプト、3月頃に会期や主要会
場などの開催概要を発表予定。
今後、出品アーティストや関連イベント、ボランティア募集など
について随時お知らせしますので、どうぞ「あいちトリエンナーレ
2013」にご期待ください!!
撮影:安井豊彦
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