蒼穹の 月 第一部 十三夜 目次 ダイヤモンド・ハート Blueing Blue 出逢い 砂糖菓子の魔法 揺れる想い 眠れぬ夜 特別休暇 one's precious 出発点 星の祝福 ダイヤ モ ン ド ・ ハ ー ト 宇宙戦士訓練学校の二科生になると、カリキュラムも格段に厳しくなり、脱 落する者も増えてきた。入学当初百人近くいた操縦士コースの生徒も、今では 九十人程に減っていた。一年で約十名の脱落者。二科生になってまたどれ位の 人間が脱落していくのだろう。一科生の比ではないはずだ。二年間の予科生の 間に三百時間フライトをこなさなければ、本科生に進めなかった。本人のやる 気や努力とは関係無しに、適性等で落とされる者もいる。教官からそれを言い 渡された訓練生は、操縦士として不適合と烙印を押されたも同然だ。首尾良く 二科に進級した者も、更に厳しさを増す訓練に耐え、数々の試験を突破しなけ れば、本科に進む道はない。 二科生になり三ヶ月が過ぎる頃になると、二クラス合同での講義が一月に一 回程度の頻度で行われるようになる。まる一日をかけて行うこの合同講義は、 学科と実技の二つで構成され、合間に小試験なども実施された。 翌年の進級時のクラス分けを決める為の重要な講義とあって、普段顔を見る 機会の少ない本科の教官達もこの時ばかりは全員顔を揃えた。二科生までの総 合成績と、この本科教官が直々に視察する合同講義での採点が、生徒達の進級 を決定する。本科に進むこと自体もかなりの難関だが、進級先も上から第一航 空訓練科、第二航空訓練科⋮⋮といった具合に、成績順で振り分けられる。当 然、予科生達はエリートクラスと言われる第一航空訓練科││通称高橋隊への 進級を目標にしている。その本科教官達が参観する中での講義または実技は、 生徒達に極度の緊張を強いた。 一科生を終える頃にフライトを二百時間近くこなしていた加藤と山本は、こ の時点で他の訓練生を大きく引き離し、既に別格扱いだった。この二人の天才 パイロットの噂は第一航空訓練科の教官高橋の耳にも届いており、高橋自らが 直々に加藤と山本に声をかけたほどだった。これは高橋にすれば、全く異例の ことと言っていい。強張った表情を浮かべる予科生達の中に於いて、この二人 だけは 別 だ っ た 。 − − 1 1 山本はいつものように能面の如く無表情、一方、加藤の口許には余裕とも取 れる笑みさえ窺える。パイロットは与えられた任務を遂行しようという、冷静 で尚且つ内に秘めた闘志を持たねばならない。一見するとまるで正反対に見え る二人だが、パイロットに必要とされるこの確固たる信念は、誰に教わるでも なく、既に具えていた。 突出した二人のエースパイロット候補生。 それは、本科の教官を含めその場にいる者全てが認めていたと言っても過言 ではな か っ た 。 三回目の合同講義の時だった。 この日はシミュレーション機を使用した模擬戦闘が行われた。空中戦││す なわちドッグファイトの訓練だ。 与えられた課題は、一フライト││エレメント二組の四機構成の編隊の全滅。 お と 敵数は少ないが、如何に早く、また正確に撃墜すかが重視される。会敵直後か ら敵全滅までのタイムが計測されると同時に、操縦テクニック、攻撃方法など がポイントで細かく採点される。結果は後日掲示板に発表されることになって いた。 実技開始から四十分ほどが過ぎ、山本の順番が回ってきた。既に五人が実技 を終えていたが、その内の一人は敵に撃墜されていた。 本物の戦闘 山本はゆっくりとコクピットに身を沈めた。シミュレーターはス、 ティック 機のコクピット内部を完全に再現したもので、扱う計器、握る操縦桿もスロッ トルレバーも実物の戦闘機と何ら変わらない。実際に操縦桿で機体を旋回させ れば、それに合わせコクピットも動く。急上昇すればシートに身体がのめり込 むほどの重力も感じる。仮想の敵と戦闘して、被弾すれば現実に近い衝撃も受 ける。機関砲程度なら差ほどでもないが、間違ってミサイルでも喰らおうもの なら、言葉にはできない位の衝撃を味わう事になる。現実ならミサイルを喰ら えばたちどころに機体は空中飛散だ。事実、その衝撃で気絶した者も数名はい るはずだ。実機と違うのは、キャノピーから見える外部の景色がコンピュータ グラフィックを駆使した立体映像という点と、戦闘機のボディ全体はなく、コ クピットのみということくらいだ。 − − 2 H U D ヘッドアップディスプレイに淡いグリーンの文字が浮かび上がる。目の前に ずらりと並ぶデジタル・アナログ混在の計器類を一瞥する。作動油圧計、電圧 計、キャビン内圧力計、高度計⋮⋮全て異常なし。その他各警報灯もオールグ リーンであることを確認する。 ︵よし ︶ 山本は神経を研ぎ澄ませる。 ヘルメットに内蔵されたインカムを通じてスタートの合図が送られると同時 に、キャノピーから見える景色が一転する。山本はスロットル・レバーを倒し、 機 体 を 発 進 さ せ た。 離 陸 し て 間 も な く、 前 方 二 時 の 方 向 に 敵 機 影 を 索 敵 レ ー ダーが捉えた。予定通り一フライト││エレメント二組の四機構成の編隊だ。 ︵楽勝 だ ︶ 山本は内心ほくそえむと、一気に加速し射程距離まで接近する。ダイヤ形編 隊を組む敵の先頭機をヘッドトゥヘッドで迎え撃つ。ロックオンし、ミサイル を一発発射する。発射と同時に機首を上げ再び加速し、敵編隊の頭上を越すと そ ん な 中、 突 如 警 告 音 が 鳴 っ た。 デ ィ ス プ レ イ に﹁W ARN IN G ﹂ の ア ラートメッセージが表示された。 被弾しないように避けるので精一杯だった。困惑しながら必死で操縦桿を握る。 に囲まれ、集中砲火が雨のように降り注いだ。とても攻撃するどころでは無い、 先程の戦闘で、山本に残されているのはミサイル一発とパルスレーダー機関 砲だけだ。機関砲も残弾は少ない。山本の操縦する戦闘機はあっという間に敵 !? − − 3 スプリットSで方向転換し、敵の背後を取る。その間に、先頭機にミサイルが 着弾し爆発するのが視界に映った。残り三機中、一機がインメルマンターンで 進行方向を変えようとするのを見て取ると、ロール途中をミサイルで狙い打つ。 ロックオンされたことに気付いた敵機が慌てて振り切ろうとするが、間に合わ ない。見事に命中し、機体は飛散した。続けざま、もう一機もミサイルで仕留 めた。残る一機は接近戦に持ち込み機銃で片付ける││山本がそう思った時、 レーダーに別の編隊が映った。 ︵何 ︶ 考える間もなく、また別の編隊をレーダーが捉える。 ︵どう い う こ と だ ︶ !? ︵ロッ ク オ ン さ れ た ︶ 続けて﹁MISSILE ALERT﹂のメッセージが出る。旋回して逃げ るにも、完全に敵に囲まれていて退路はなかった。戦闘空域を離脱すればその 時点で失格になる。既に目視できるほどにミサイルが近付いていた。 ︵避け ら れ な い ︶ 山 本 の 操 縦 す る 戦 闘 機 に 三 発 の ミ サ イ ル が 命 中 し た。 命 中 と 同 時 に、 キ ャ え ノ ピ ー に 映 っ て い た 青 空 の 画 は 砂 嵐 に 変 わ り、 も の す ご い 衝 撃 が コ ク ピ ッ ト を襲った。身体を固定していたシートベルトが千切れ、山本の身体は狭いコク ピット内に叩き付けられた。 横森は山本が嫌いだった。いや、何も始めから嫌いだった訳ではない。嫌い ひ と になったのには理由がある。他人が聞いたら馬鹿馬鹿しいと笑うだろう。だが、 それだ け だ っ た の に 。 屈辱で歪むのを見たかった。皆の見ている前で恥をかかせたかった││ただ、 まれ手も足も出ない状況で、奴はどんな行動をとるだろうか。あの端整な顔が トが訓練に使用する高難度のプログラムをクリアすることはできまい。敵に囲 ターゲットは山本明。山本の番が回ってきたら切り替える。山本がどんなに 才能あるパイロット候補生と言われていても、所詮は訓練生だ。現役パイロッ 元で操作できるように改造した。全ては、ある人物を陥れるために││。 グラムを書き換えてもらった。人知れずプログラムをスイッチできるよう、手 番難易度の高いレベルSSを自在に呼び出せるように、シミュレーターのプロ 横森はこの合同講義に照準を合わせ、地球防衛軍科学局直轄の技術専門学校 のシステムエンジニア科に進んだプログラム関係に強い友人を抱きこんで、一 ︵こんなはずじゃ⋮⋮︶ 目前でシミュレーターマシンが轟音を立て、そこかしこから薄い煙を上げる よこもりやすし のを見て、横森保志は顔色を失った。 2 横森にとっては笑い事ではなく、大袈裟に言えば死活問題だった。 − − 4 !! 横森は中等部の三年間で、首席を他人に一度も明け渡したことがないのが自 慢だった。特に理数系が得意で、コンピュータ関係にもかなり詳しかった。そ の横森が科学局管轄の技術専門学校に進学せず、宇宙戦士訓練学校を選択した のは、違う分野で自分がどれくらい通用するかを試してみたかったからだ。中 で も 難 関 と い わ れ て い る 操 縦 士 コ ー ス を 選 ん だ の は、 横 森 の 激 烈 な 矜 持 か ら だった 。 ところが入学して程なく、同じクラスにとんでもない天才が二人もいること に気付いた││それが山本と加藤だった。山本は加藤と並び、一科生中盤から 見る見るうちに頭角を現し始めた。レベルが違い過ぎた。そんな二人を驚嘆と 羨望の眼差しで見る日が何日も続いた。 操 縦 の 腕 は ど れ ほ ど 努 力 し て も、 天 賦 の 才 に は 敵 わ な い 部 分 が あ る と 横 森 は自覚した。いやでも自覚せざるを得なかった。ならばせめて学科で二人を抜 こうと猛勉強を重ねたが、どうしても山本には勝てなかった。どんな勉強法を 採っているのかと山本と同室の加藤に一度訊ねたことがあったが、加藤の答え は実にあっけないものだった。 山本は勉強なんかしてないぞ││。いや、全くしていない訳じゃない。ただ、 あいつは要領がいいんだ、と加藤は付け加えた。 授業中殆どノートをとることがなかった山本は、教科書に要点のみを書き加 えていく。それが見事と言っていい程、試験に出た。普段、何も考えていなさ そうな様子だが、ここ一番の集中力には目を見張るものがある。山本は重要点 を把握するのと並び、短時間で一気に頭に叩き込むのが得意らしい。 考え方が違うんだろうな、だから俺達みたいにガリガリ勉強しなくてもあい つは成績がいいのさ││と加藤は笑った。 その時は素直に感心し、横森も山本に倣い同じことをしてみたが、すぐに音 を上げた。講義を一度聞いただけで、要点の殆どを把握することは不可能だっ た。講師が何処にポイントを置いて講義しているかなど解りようがない。到底 真似できる芸当ではなかった。追い付きたくても追い付けない歯痒い思い。焦 り。試験の結果を見る度に悔しさが募る。自身を過信して操縦士コースを選択 したのは間違いだった、無難に管制官などを目指せばとよかったと後悔したが、 後の祭りだった。それは横森が初めて経験する挫折だった。 − − 5 いつしか、羨望は嫉妬に、そして憎悪へと変貌した。やがて、横森は同じク ラスにこの二人がいたことを呪うようになった。二人がいる限り、かつての自 信に満ちた自分を取り戻すことはできない││。 横森にしてみれば加藤も憎悪の対象になりそうなものだが、彼は性格的に憎 めない部分があった。明け透けで人懐こく、誰に対しても友好的な加藤はさし て嫌いではない。単純にすごい奴だと認めることができた。 だが、山本は違った。とっつき難く、いつも冷めた目をしている。何を考え ているのかわからない、それが横森の癇に障った。常に見下げられている気が してならなかった。どうにかして山本を凹ましたい││クラスメートや教官達 の前で大恥をかかせてやりたい。端整な山本の顔を見る毎に、昏い思惑が横森 の胸に広がりつつあった。 ある日、横森は実習で使用するシミュレーターのプログラムを書き換えると いう妙案を思いついた。早速中等部から仲の良かったコンピュータに詳しい友 人に計画を打ち明け、協力を取り付けた。もっとも難易度の高いレベルSSな ら││現役パイロット用のプログラムだ、いくら山本が操縦テクニックに秀で ていても、現段階で簡単にクリアできるはずがない。敵に滅茶苦茶にやられて、 クラスメートの失笑でも買えばいい││そんな軽い気持ちだった。 準備は周到に行われた。まず、シミュレーション機に入力されているプログ ラムを吸い上げなくてはならない。生徒その他一般人は簡単に制御室には入れ ないので、その部屋に入るためのIDカードの偽造から始めた。幸い、横森に も多少の知識があったから、友人との共同作業は面白いように捗り、然程時間 もかからず偽造カードを作ることに成功した。呆気ないほど簡単だった。練習 マシン 用のシミュレーターの制御室なので、セキュリティ自体強固なものではなかっ たのも幸いした。そして、これまた人目を避けて制御室に入ると、機械本体の プログラムを吸い出す。吸い出したプログラムは例の友人が持ち帰り、手を加 える。その際、遠隔操作でレベルの切り替えができるようにと改造も依頼した。 これで実習当日、大勢が見守る中で山本に恥をかかせるという寸法だった。と にかく、あのいつも無表情で冷めた目をしている男の、慌てふためき、落ち込 む顔が 見 た か っ た 。 なの に │ │ 。 − − 6 SE科の友人のプログラムにバグがあったのか、何か他に問題があったのか、 マシンそのものの制御まで効かなくなり、暴走を始めたのを見て横森は大いに 焦った。そんな横森の姿は傍目にも異常に見えたことだろう。異音は徐々に大 きくなり、機体の継ぎ目から白煙が立ち上る。ものすごい振動と轟音を残し、 シミュレーション機はようやく止まった。 HUDに突っ 加藤が真っ先に駆け寄った。中を覗き込むと、山本は破損した 伏した体勢で動かない。急いでキャノピーを上げた。 ﹁山本 ! ﹂ 加藤に肩を揺す振られた山本は、ゆっくりと頭を起こす。手を差し伸べた加 マシン 藤に大丈夫だからと告げ、立ち上がりコクピットを降りた瞬間、機械の後方か ら火の 手 が 上 が っ た 。 − − 7 加藤に支えられ、シミュレーション機から降りる時、山本の足がもつれた。 軽い脳震盪でも起こしたか││ヘルメットを取り、頭を左右に軽く振ると眩暈 がした。見ると驚いたことに、頑丈なはずのヘルメットの一部が僅かに陥没し ていた 。 ﹁大丈 夫 か ﹂ ﹁ああ ⋮ ⋮ ﹂ 不本意ながら加藤の肩を借り、山本はよろめく足を必死で制して椅子に辿り 着くと、そのまま力なく腰を降ろした。大きく息をつき、深く頭を垂れ、瞼を 閉じる。頭の中に靄がかかっているようだった。しばらくその体勢でいたが、 大分すっきりしてきたので頭を上げた。 既にシミュレーターの火災は収まっていた。実習室に備えられていた消火器 は全て使い尽くされ、その残骸がいくつも床に転がっていた。ぼんやりとそれ らを眺めていたら、加藤が心配そうな顔で覗き込むのが目に入った。 ﹁おい、血が出てるぞ﹂ 言われて額を触ると、手に粘つく液体が付着した。山本は左手で長い前髪を かき上げた。頭をぶつけた拍子に、額の一部分を切ったらしい。血は鼻の横を 伝い、ひとつふたつ⋮⋮雫になって足元に落ちた。 ﹁急い で 医 務 室 に ﹂ 山本はズボンのポケットからハンカチを取り出して、額に当てた。 ﹁⋮⋮ 大 丈 夫 だ よ ﹂ ﹁いいから。言うこと聞けよ﹂ 加藤が不承不承の山本を医務室に送り出すと入れ替えに、技師数人が慌しく 部屋に入ってきた。彼らはすぐさまにマシン本体と制御室と二手に分かれ、検 分を始 め る 。 一時騒然としていた実習室内だったが、居合わせた訓練生達は徐々に平静を 取り戻していた。だが、横森の顔色は相変わらず蒼白のままだった。 ︵││ ? ︶ − − 8 3 先程の異常な様子は事故を目前にしたショックからだと理解していたが、今 の こ の 様 子 は 何 な の だ ろ う。 山 本 の 怪 我 は 出 血 の 割 に は 大 し た こ と な さ そ う だったし、既に医務室に行っている。しかも、横森の関心は山本には向けられ ていない。技師達の動きを瞬き一つせず、食い入るように見詰めていた。 不審に感じた加藤が横森に近付き声をかけた。 ﹁おい 、 横 森 ﹂ 突然加藤に声をかけられ、横森の肩がびくりと上がった。恐る恐るといった 風に、加藤の方を振り向く。よく見ると、横森の身体は微かに震えていた。 ﹁お前 何 か │ │ ﹂ 知ってるのか││と加藤が言いかけた時、一人の技師が声をあげた。弾かれ たように横森は、加藤の言葉を無視して声の方向を振り返った。 ﹁こんなものがありました。⋮⋮何か発信機みたいですねえ。外付けのリモー トコントロール用の部品みたいですけど、何でこんな物がこんなところにある んでし ょ う ﹂ 小さな部品を教官達に掲げる。部品を提示され、教官達も不思議そうに首を 捻った。シミュレーション機の制御は別室で行われる。専門の技師が教官の指 示によって、内部から様々なプログラムに変更するのだ。外付けのリモートコ ントロール部品など、シミュレーション機についているはずがなかった。 技師が掲げた部品を見た横森の身体の震えが一層大きくなった。目はこれ以 上とないほど大きく見開かれ、歯の根が合わずかちかちと音が鳴るのが聞こえ た。明らかに様子がおかしい。そんな横森を加藤は不審気に見詰める。 生徒達に教室に戻るよう指示して、技師と教官達は今後の対策を協議するた め揃って実習室を出ていった。既に落ち着きを取り戻していた生徒達は、一人 二人と実習室を後にする。そんな光景をぼんやりと見ながら、突如、一つの考 えが加藤の脳裏に閃いた。 ︵まさ か │ │ ︶ この事故の原因は横森にあるのか? 横森は予てから山本のことを快く思っ てない⋮⋮いや、嫌っていると言って差し支えなかった。異常とも思える山本 への敵対心。加藤はこれまでにも、横森が山本に何かにつけ絡むような発言を 繰り返していたのを間近で見ている。 − − 9 ︵だか ら っ て ⋮ ⋮ ︶ 反面、その考えを打ち消す自分がいた。仮にもクラスメートだ、いくら山本 にいい感情を持っていないからといって、ここまで大それたことをするとは思 いたくなかった。だが││。 ﹁横森、まさかお前が││﹂ 加藤は半信半疑で横森に訊ねた。横森は怯えたような表情を一瞬浮かべ、狼 狽しな が ら 答 え る 。 ﹁な、何言ってんだよ加藤。どうして俺がそんなこと﹂ ﹁お前があいつのことを快く思ってないのは知ってるぞ。前から何かと目の敵 にして た じ ゃ な い か ﹂ ﹁だから、何だって言うんだ。一体何が言いたいんだよ。お前、俺を疑ってる のか?││仮に俺が山本を嫌いだとしたって、こんな大掛かりなことまでする 訳ない だ ろ う ﹂ ﹁そう か ? だったら何でそんなに怯えてるんだよ。何でそんなに震えてるん だ││何をそんなに恐れる﹂ ﹁そ、 そ れ は ⋮ ⋮ ﹂ 横森は加藤の言葉に動揺している。返す言葉に詰まり黙り込んだ。 ﹁どうした、言い訳できないのか。何か疚しいことがあるからそんなに蒼い顔 してるんじゃないのか﹂ 横森はぐっと息を呑み込み、それから険しい眼つきで加藤を睨み返した。 ﹁││ そ う だ よ ! 俺がやったんだよ!﹂ 吐き出すような口調だった。突然の怒声に教室に戻りかけた生徒の足が止ま り、何事かと二人の様子を窺っている。隣のクラスの連中も注視していた。 ﹁そうさ、全部俺が仕組んだんだ。あいつに恥をかかせよう、ってな。いつで も高みから人を見下してるような態度が気に入らなかったんだよ! 山本は内 心俺のことを馬鹿にしてるんだ⋮⋮こんなに努力してるのにちっとも追いつけ ない⋮⋮そんな俺のことを蔑んでたんだよ、そうに決まってる! 努力もしな いで何でもできるあいつが許せなかったんだ。こっちは必死で訓練も勉強も頑 張っているっていうのによ!││いつも澄ました顔している山本の慌てふため く姿を見たかったんだ﹂ − − 10 爆発した感情が止め処なく溢れ出る。完全に開き直った横森は大声で怒鳴っ た。その剣幕に加藤は一瞬たじろぎ、そして諭すような調子で話しかけた。 ﹁山本はお前のことそんな風に思ってないぜ、あいつからそんな話聞いたこと もない。大体⋮⋮山本がお前に何か直接言った訳じゃあないんだろ? そりゃ お前の勝手な思い込み││逆恨みってもんじゃないか﹂ 引き攣った笑いが横森の顔に張り付く。 ﹁ああ、そうだとも。別にあいつが俺に何か言った訳じゃないさ。だけど、あ いつの存在が目障りだったんだよ! 存在そのものが邪魔だったんだ、俺の前 から消えてほしかったんだ!﹂ ﹁何だと⋮⋮﹂加藤の顔色が変わった。憤怒の形相で横森に詰め寄り、胸倉を 掴んで壁に押し付けた。﹁ふざけるな! 自分勝手なことばかり言いやがって。 お前の卑怯な企みのせいで山本は大怪我するところだったんだぞ! これは悪 マシン 戯なんてもんじゃない、度が過ぎてる!﹂ ﹁へっ、それがどうした。あんな風に機械が暴走するとは予定外だったが、あ い つ は │ │ 山 本 は 顔 色 一 つ 変 え て な か っ た じ ゃ な い か。 ど う せ 怪 我 し た こ と だって別に何とも思っちゃないさ。こんなのあいつにとっちゃなんでもないこ となんだよ﹂胸倉を掴まれたまま横森は薄ら笑いを浮かべた。﹁何も感じない、 何も気にしない││あいつの心は鉄でできてんだよ! いや、鉄の心臓なんて もんじゃない、ダイヤモンドでできてるんだ! 何物にも傷つかない、冷たく、 どこまでも硬い⋮⋮。綺麗なダイヤは人を惹きつける反面、容易く触れること はできない。あいつにそっくりじゃないか。││知ってるか? ダイヤモンド の語源は︽征服されざるもの︾って意味のギリシャ語から来てんだぜ。あいつ の性格を見事に表現していると思わねえか、ぴったりじゃねえか﹂ ﹁貴様 │ │ ﹂ 加藤は拳を振り上げた。 その時、ドアが開いた。固唾を呑んで成り行きを見守っていた周りの人間達 が一斉に息を呑む気配を感じた。水を打ったように静まり返った。拳を振り上 げたままの状態で、加藤も振り向く。 ﹁山本 ⋮ ⋮ ﹂ 開いたドアの先には山本が立っていた。その場の全員の視線が山本に集まる。 − − 11 ﹁どう し た ん だ ﹂ 後ろ手でドアを閉めながら、この状況が理解できていない山本は怪訝そうに 辺りを 見 渡 し た 。 横森が胸倉を掴んでいた加藤の手を乱暴に振り解いた。加藤も振り上げた拳 を下ろし、山本の方に身体を向けた。興奮冷めやらぬといった感で横森を親指 で指しながら山本に言う。 ﹁この事故は横森が仕組んだことだったんだ﹂ ﹁仕組 ん だ │ │ ? ﹂ ﹁そうだ。はっきり白状しやがった﹂ ﹁何の た め に ﹂ ﹁お前を陥れるためにだよ﹂ 陥れる││山本は呟いた。 居たたまれないように横森は顔を背けた。そんな横森を見て、山本は軽く眉 ひそ を顰め た 。 ﹁そう か │ │ ﹂ ﹁そうかって⋮⋮それだけかよ。お前、ずいぶん酷いことされたんだぞ、頭に 来ない の か ﹂ 山本は緩く首を横に振った。加藤は言葉を失った。突然横森がけたたましい 笑い声を上げた。ヒステリックに喚く。 ﹁ほら見ろ、俺の言った通りじゃないか。山本はこういう奴なんだよ。こいつ は自分のことにさえ無関心なんだ、凍ったハートの持ち主なんだよ!﹂ ﹁横森 ⋮ ⋮ 貴 様 ﹂ 再び加藤の顔が気色ばむ。 ﹁加藤 、 も う い い よ ﹂ 今にも殴りかかりそうな勢いの加藤の腕をやんわりと山本が引き止めた。 ﹁いいってことないだろ﹂ ﹁他に怪我人がいなかったんだから、いいじゃないか﹂ そう言って、山本は目を伏せた。加藤は気勢を殺がれた形で黙り込んだ││ 黙り込むしかなかった。歯がゆい思いで山本の顔を見たが、何を考えているの か、山本は視線を床に落としたままだった。 − − 12 騒ぎの途中で誰かが呼びに行ったのか、担任の教官が実習室に駆け込んでき た。泣き笑いの表情で立ち竦む横森を、担任の教官が部屋の外に連れ出した。 横森は項垂れて教官の後を付いて行く││ひどく傷ついたような顔をしていた。 騒然としていた実習室から次々に生徒達が出て行き、加藤と山本もそれに倣 う。実習室が静寂を取り戻した時、部屋には誰一人として残っていなかった。 実習室での騒動で急遽職員会議が招集され、当然講義どころではなく、二科 生全員は帰宅を命じられた。 帰り支度をする山本の側で、加藤が口を開いた。加藤は山本の前席の椅子の 背もたれ部分に腰掛けている。肩には少し大きめなキャンバス地のショルダー バッグを斜めに掛けていた。 ﹁横森の奴、停学か下手したら退学処分だな。││あいつに加担した技術学校 の奴も 同 罪 だ ﹂ ﹁そう か ⋮ ⋮ ﹂ 山本は短く答えた。そんな山本を加藤は複雑な思いで見詰めた。 山本は気の毒な奴だと思う時がある。本人が望む望まないに限らず、常に注 目を集めてしまうからだ。確かに、何をやらせても及第点以上は簡単にクリア するし、それが多方面に及ぶものだから、なまじ少しばかりの自信がある奴な どは見事に凹まされてしまう。まだ山本にその気││相手に勝とうとする気が あるのならいいのだが、本人はそんなことを気にしてない。ただ淡々と何でも ソツなくこなすだけ。それが余計に相手の癇に障るのだろう。 だが │ │ 。 それは別に山本が悪い訳ではない。努力もしない者が努力している者を簡単 に凌駕するとなれば、面白くないと思う奴も多いだろうし、そんな感情も理解 できないではないが、それは少し違う。山本とて何の努力もせずにここまで来 たと加藤は思っていない。努力しているはずだが、それが他人の目には映り難 いだけなのだ。第一、傷つかない人間なんていない。山本は表に出さないだけ だ。それを他人は誤解する⋮⋮何も感じていないと。 − − 13 4 ﹁横森がお前のこと⋮⋮こんな風に言ってたよ。││あいつの心は強くて硬い。 まるでダイヤモンドみたいだ││ってな﹂ ﹁││ダイヤモンドねぇ﹂ 唇の端だけで笑い、山本はテキストやノートをナイロン素材のバッグに入れ る手を 休 め な い 。 ﹁いくら妬むにしたって横森の奴はやり過ぎだし、言い過ぎだ。││ったく、 ダイヤモンドなんてお前が全く傷つかないみたいなひでえ言い方だぜ﹂ 加藤はまるで自分のことのように憤慨していた。山本はそんな加藤を見て軽 く息を つ い た 。 ﹁言いたい奴には言わせときゃあいいよ。別に気にしてない││っていうか慣 れてる ﹂ ︵そうだ、こんなのは慣れている││︶ 今までにも何度同じようなことがあったろう。初等部でも、中等部でも散々 そういう目で見られてきた。どんなに傷つこうと、傷ついた顔││自分の弱い 部分など他人には見せたことはない。他人にそんなところを見せても、何にも ならないと思っていた。そんな態度だから誤解される点も多かったが、自ら説 明したり理解を求めることはしなかった。心が硬いとは巧い表現だ。いつから こんなに心が硬くなってしまったのだろう。 ﹁山本 ⋮ ⋮ ﹂ 複雑な表情をした加藤に山本は微かに笑いながら言った。 ﹁横森も巧いこと言うじゃないか。なかなか文学的な表現だ。⋮⋮だけど﹂ ﹁だけ ど ? ﹂ ﹁││いや、何でもない﹂ 山本は緩く首を振った。内心呟く。 ︵知ってるか、加藤。ダイヤは硬くて強いかもしれねえけど、絶対に壊せない 訳じゃないんだぜ⋮⋮︶ ダイヤは地上の鉱石の中では一番の硬度を持つ石だが、意外にも割れやすい 方向がある。その方向に強い力が加わると簡単に割れてしまうことは、余り知 られていない。信じられないような話だが、鉄のハンマーで殴って割ることも 可能な の だ 。 − − 14 ︵この世に壊れないものなんて、ないんだ︶ 存在するものの全てはいつしか必ず壊れて無くなる。永遠にその姿を留める ものなどありはしない。だから人は壊れぬように、壊さぬように大切に扱い、 慈しみ守ろうとするのだ。だが、気恥ずかしさが先立ち、山本はそれを口にす ることはできなかった。 ﹁俺はさ、お前のその性格嫌いじゃないよ。毅然とした、孤高なとことか俺に は絶対真似できねえし、正直男として格好いいと思うよ。けどさ、それは必ず しもお前に全てプラスに働いてるとも思わない。もう少し柔らかくなってもい いんじ ゃ な い か ? その⋮⋮考え方とか││。別にダイヤからコンニャクにな れって言ってる訳じゃないけど﹂そこまで言って、加藤はあれ? というよう な顔をした。﹁俺何言ってんだ﹂ そんな加藤を見て、山本は小さく笑った。何となくだが、加藤の言いたいこ とは理解できた。加藤が自分を気にかけてくれていることはよく伝わった。上 手く言葉で表現できないが、自分に何かが欠けてるのは感じている。加藤や他 の者達と違い、感情を素直に表現することも苦手だった。それが原因でつまら ない誤解を招いているのかもしれない。だが、欠けてるものが何なのか山本自 身にもわからなかった。いつか、欠けた部分が埋まる日が来るのだろうか││。 ﹁まあなー、横森の気持ちも全然わからんではないがな﹂ 突然溜息混じりに言った加藤に、山本は不思議そうな顔をした。手を止め、 加藤を見上げる。そんな山本に加藤は苦笑いをしてみせた。 ﹁あいつはさ、お前のことをライバルだと思ってた訳よ。つか⋮⋮ライバルに なりた か っ た ん だ な ﹂ ﹁││そうなのか﹂山本は意外そうに目を見開き、加藤は頷いた。 入学して最初の夏を迎えた頃だったか、加藤は横森から山本のことを教えて くれと訊かれたことがあった。山本の性格や勉強方法など、兎に角様々なこと ふんれい を訊かれた記憶がある。あの頃の横森は山本を目標とし、また、憧憬の念を抱 いていた風だった。必死に山本に近付こうと、横森は奮励の努力をしていたに 違いない。だが、ついに山本を理解しきれなかった横森は彼の態度を見て、自 分のことなど意にも介さない、歯牙にもかけない││と、受け取ったのだろう。 思いが強かった分、落胆も大きかったはずだ。それは容易に想像がついた。 − − 15 ﹁それなのにお前は自分をライバルとして認めてくれない││って、あんな風 に歪んじまったんだ。ま、可愛さ余って憎さ百倍って奴だな﹂ ﹁││ ﹂ 思いがけない加藤の話に山本は言葉が出なかった。横森が自分に対してそん な感情を抱いていたとは俄かには信じられず一瞬呆然とした。そんな山本を余 所に加 藤 は 続 け る 。 ﹁尤も、お前にとったら横森相手じゃ物足りなかったろうけどよ││それでも あいつはお前に認めてほしかったんだと思うぜ﹂ ﹁⋮⋮認めるも認めないも、そんなこと気付かなかった││っていうより、全 く思い も し な か っ た ﹂ 山本は困惑の表情を浮かべた。 ﹁これだよ ﹂ やれやれ││と、加藤は肩を竦めた。﹁お前さー、もう少し回り の人間にも関心持てよ﹂ ﹁俺は │ │ ﹂ ﹁ん? ﹂ 黙ったまま山本は首を振った。現在山本がライバルと思う男は一人しかいな い。今自分の目の前にいる男││加藤だ。しかし、今そんなことを言っても何 にもならないとわかっていた。第一、加藤からあんな話を聞いた後でそれを口 にするのは、横森に対して失礼だと思った。 加藤は何か言いたげな顔をしたがそれに構わず、 ﹁さあ、もういいだろ。帰ろうぜ﹂ そう言って、山本はボディバッグを肩に掛けると立ち上がった。 訓練学校の建物内に併設された寮に帰るのは僅かの数分しかかからない。寮 に続くエレベータに乗り込めばいいだけだ。その間二人は会話らしい会話もな いまま だ っ た 。 部 屋 に 着 く と、 山 本 は 荷 物 を ベ ッ ド に 放 り 出 し、 黙 っ た ま ま 着 替 え を 始 め た。クローゼットから白い長袖のTシャツを出して袖を通す。続けて制服のズ ボンをかなり色落ちしているブラックジーンズに穿き替えた。そして、ヒッコ リー・ストライプのカバー・オールを手にすると、ドアノブに手をかけた。 − − 16 加藤が山本に訊ねた。 ﹁おい、何処行くんだ?﹂ 山本は加藤に振り向くと口許だけで笑い、何も言わずに部屋を出て行った。 二〇〇六年五月初稿 − − 17 Blueing Blue 1 その日、学校での訓練が終わってから山本は、宿舎に戻って着替えると一人 街に出た。行く先を訊ねる加藤にも何も言わずに。 ガミラスから攻撃を受け始め、もう六年の歳月が過ぎていた。今や地上に住 む人間はいない。ここは地下に建設された地下都市だ。全人類は、この地下都 市でひっそりと息を潜めるようにして暮らしている。 どこへ行く宛もなく、一人で街を歩く。山本は一人になりたい時は時々こう して人込みの中に紛れる。街行く人々の中では否応無しに孤独感を感じること ができるからだ。誰も自分になど気にかけない。それぞれ皆自分のことで精一 杯なの だ 。 こ の 地 下 都 市 で は は っ き り と し た 四 季 を 感 じ る こ と も な け れ ば、 時 間 の 移 ろいも感じない。暦の上では十月の半ばに差し掛かっていたので、宿舎を出る 際に山本は白のTシャツの上にヒッコリー・ストライプのカバー・オールを羽 織ったが、それは気持ちの上で今は秋だと認識したかったからに他ならない。 ほぼ一定の温度と湿度、雨が降ることも風が吹くこともない。上を見上げても、 そこに空はない。夜の時間帯になれば照明は落とされ、四季ごとにわずかに気 温が上下するが、それもあくまでも便宜上のものだ。ふと立ち止まり、果てし なく高くそびえる建物を見上げ、山本は小さくため息をついた。 ︵青い空が見たいな││︶ 心の中で呟くと、再び山本は人の流れに身を任せながら、歩き始めた。 山本は宇宙戦士訓練学校の二科生になった。 バーチャルリアリティ 想像以上の厳しさに音を上げそうになったことも何度かあったが、同期の仲 間に恵まれ、何とかここまで過ごしてきた。来る日も来る日も練習機で空を飛 んでいる。飛ぶといっても仮想現実の世界だ、実際の空を飛ぶわけではない。 映像には青い空も白い雲も、青い海も緑の陸地も映し出されるが、それらは全 て作り物だ。それを見る度、山本は切ないほどに喪失感を感じるのだった。か − − 1 つて、山本がまだ少年だった頃には青い空も海も見ることができ、風も感じる ことができた。何よりも温度を感じることができた。 ︵ここは作り物の箱庭だ︶ そう思いながらぼんやり歩いていたのだろう、一人の女性とすれ違いざまに ぶつかった。ぶつかった拍子に女性のバッグが手から離れ、路上にその中身を 派手に ぶ ち 撒 い た 。 ﹁あ⋮ ⋮ す み ま せ ん ﹂ 山本は慌てて詫びると、散乱したバッグの中身を拾おうと屈みこんだ。手を 伸ばしかけ、その手が止まる。煉瓦を模した歩道には、色とりどりの絵の具と 絵筆、そしてパレットなどが広がっていた。そんな山本を余所に、長い黒髪の 女性も屈みこんで絵の具を拾い始めた。 ﹁いいのよ、私こそごめんなさい。なんかぼんやりしていたみたい﹂ ﹁いえ 、 俺 の 方 こ そ ﹂ 再び、散乱している絵筆等に手を伸ばした。拾った絵の具をケースに全部入 れて、 彼 女 に 手 渡 す 。 ﹁あり が と う ﹂ 女性はにこやかに礼を言った。 ﹁││絵を⋮⋮描くんですか?﹂ 彼女の傍らには、大きく平べったいバッグが立て掛けられている。 ﹁ああ 、 こ れ ? ﹂ 山本の視線に気が付くと、彼女はそのナイロン製のバッグを指差した。 ﹁見る?﹂そう言いながら、山本の返事を聞かずに彼女はファスナーに指をか けた。細い指先でファスナーを両側に開くようにすると、中からは一枚のカン バスが現れた。大体新聞紙の片面ほどの大きさだろうか、そのカンバスは綺麗 な青で 彩 ら れ て い た 。 ﹁すげ ぇ │ │ ﹂ 思わず山本は小さな声で呟いた。 その色は、山本が先ほど頭に思い描いていた空の色にそっくりだった。山本 ためら はカンバスを手に、じっと凝視している。そんな山本の様子を見て女性が躊躇 いがち に 声 を か け た 。 − − 2 ﹁あなた、絵が好きなの?﹂ ﹁││そういうわけじゃないんだけど⋮⋮。俺、絵のことなんてサッパリわか らないし。でも、なんかこの色が││﹂ そう、この色が目に焼きついて離れない。 ﹁ふーん││。ねぇ、あなた今暇なの? もしよかったら付き合わない?私の アトリエ兼ギャラリーがこの近くなの﹂ ﹁個展 ? ﹂ 山本のその短い言葉には、個展を開いているのか? という意味が込められ ていた 。 女性は緩く首を振る。 ﹁別に個展て訳じゃないけど、自宅が手狭になったから借りてるの。まあ、物 置代わりって言った方が早いかしら。でも、物置って言うより、ギャラリーっ て言った方が聞こえがいいでしょ﹂ 苦笑 気 味 に 答 え た 。 一瞬どうしようかと考えたが、これから何か予定があるわけでもなし、迷惑 をかけたお詫びも兼ねて⋮⋮なによりもあの絵をもう一度ゆっくりと見たい。 ﹁うん、行く││行きます﹂ 2 山本は答えると、彼女の画材道具の入ったバッグを持った。 とうこ ﹁私、陶子。陶器の陶に子供の子って書くの﹂ ギャラリーへの道すがら歩きながら女性は自己紹介をした。 ﹁俺はあき⋮⋮山本。山本です﹂ つられてファーストネームを言いそうになり、山本は少し口早に簡単に姓を 名乗った。別に﹁明﹂という自分の名前が嫌いな訳ではない。でも﹁アキラ﹂ と音にすると、それは自分のイメージと掛け離れているような気がするのだ。 ﹁ 山 本 く ん、 ね ﹂ 陶 子 は 一 人 で 頷 き な が ら、 言 葉 を 続 け た。 ﹁山本くんは何 やって い る 人 な の ? 私はご覧の通りの売れない貧乏絵描きだけど﹂ ﹁俺は訓練学校の生徒です﹂ − − 3 その答えに陶子は少し驚いた様子だった。背の高い山本の顔を見上げる。 ﹁え、学生なの?⋮⋮へえーそうは見えないわね、大人びて見える﹂ 陶子に言われ、山本は苦笑した。そう言われるのは慣れていた。実際、そん な風に見られることが山本は多かった。長身に端正な顔立ちとその少し翳りの ある表情が、見る者にそういう印象を与えるのかもしれない。顔の半分を覆っ た長い前髪も一役買っていると思う。 陶子さんは⋮⋮と訊きかけて山本は口を噤んだ。女性に年齢を訊くものじゃ ない、そう思ったからだった。そんな山本の気持ちを察してか、陶子は自ら話 を振っ て き た 。 ﹁私はねぇ、⋮⋮ふふ、いくつに見える?﹂ ﹁⋮⋮ ﹂ 返答に困っている様子の山本を面白そうに眺めて陶子は笑った。 ﹁もうすぐ二十七になるのよねぇ﹂ そう言って陶子は軽く息を吐いた。 ﹁もっと若く見えますね⋮⋮あ、誉め言葉になってないかな﹂ 山本にしては正直な気持ちを述べたに過ぎないが、他に言いようが見つから ずこんな物言いになってしまう。全く我ながら無愛想だと思う。 ﹁あら、ありがとう。うれしいわ﹂ 山本の言葉に陶子は気を悪くした様子もなく、微笑んだ。 陶子は女性にしては背が高い方だろう。身長が百八十センチ近くある山本と 並んでも頭一つも違わない。もちろん、履いている靴の分もあるだろうが、そ ほくろ れ を 差 し 引 い て も 高 い 部 類 に 入 る だ ろ う。 切 れ 長 の 目 元 に あ る 少 し 大 き め な 黒子が印象的だった。︵泣き黒子っていうんだっけ⋮⋮?︶ 陶 子 の 服 装 は 上 か ら 下 ま で 全 部 黒 だ っ た。 オ フ タ ー ト ル 気 味 の 長 袖 の カ ッ ト・ソーに、踝まである長いフレアースカート。おまけに腰の辺りまである長 い髪も漆黒の闇を思わせる見事な黒髪だった。それに黒い帽子を目深に被って いる。 ︵なんか魔女みたいだな⋮⋮︶ 実際に魔女などいないことは理解していたが、それでも山本はふとそんなこ とを思 っ た 。 − − 4 ﹁そこ よ ﹂ 陶子の声に、山本は慌てて今の想像を打ち消した。 ︵絵を描く魔女なんて、聞いたことないよな︶ 苦笑しながら、山本は陶子の後について建物内へと足を踏み入れる。 ﹁ここの最上階の方なのよ﹂ 地上へと向かって伸びるエレベータ内で、陶子が囁いた。陶子の後について 入った建物は、かなり初期の頃に建築されたものだった。人はあまり住んでい ないよ う だ 。 ﹁え?⋮⋮だって上の方って危ないんじゃ││﹂ ガ ミ ラ ス が 送 り 込 む 遊 星 爆 弾 の 放 射 能 は、 地 表 の 生 物 を 全 て 地 下 へ と 追 い やった。そしてこの地下都市でさえ、最初に建造された最上部ブロックは、放 射能に汚染されはじめていると聞いていた。人類は更に地下へと、その住処を 移動させつつあるのだ。 ﹁そうなんだけど、上の方が安く借りられるのよ﹂陶子は苦笑気味に答えた。 ﹁⋮⋮ ﹂ ) 危 ( 険な分、割引価格になっているということか? それにしたって、客が来 てこそのギャラリーなんじゃないのか⋮⋮。危険区域にわざわざ足を運ぶ物好 きはあまりいないだろうな││俺くらいか? 山本は内心そう思いながら、エレベータのインジゲータを見つめた。階を表 すデジタルの数字はどんどん大きくなっていく。 高速で上昇するエレベータを降りた時には、気圧の変化で耳がおかしくなっ ていた。薄暗い廊下を歩き、人気のないフロアの奥まったところに陶子のアト リエ兼ギャラリーはあった。 ﹁どう ぞ ﹂ 陶子に促されて山本は部屋に足を踏み入れた。部屋の中は独特の匂いがした。 何だろうと訝しがっている山本に気付き、陶子が言った。 ﹁ああ、これ。ベンチングオイルの匂いよ﹂ 油絵って本当に油を使うんだと山本は妙な納得をした。絵の事は全くわから ない。油絵の具って油が入った絵の具のことかと思っていた。だがよくよく考 えてみれば、水彩絵の具は描くのに水を使う。油絵の具は油で溶くのかと漠然 − − 5 と思っ た 。 陶子が照明のスイッチを入れたので、部屋の中は一気に明るくなり、山本は 眩しさに目を細めた。暫らくして、部屋の明るさに慣れてきたので思い切って 目を開いた。視界に突如色の洪水が押し寄せてきた。部屋の壁は大小のカンバ スで埋め尽くされていた。ざっと二十枚近くだろうか。そして、その絵の殆ど は青系の色で染められている。青・青・青⋮⋮空にも見え、海にも見える。人 物画や静物画などは一切なかった。 ﹁すご い な │ │ ﹂ 思わず感嘆が洩れた。 マリン・スカイ・コバルト・セルリアン⋮⋮山本は思いつくだけの青色の名 前を頭の中で挙げてみたが、どの色がその名称に該当するのかさっぱりわから なかった。何だか懐かしい色。これはあの時の空の色か、こっちはあの日の海 の色に似ている⋮⋮山本は部屋をぐるりと見回して小さく溜息をついた。 陶子はバッグを抱え、アトリエになっている方の部屋に入って行った。 部屋に一人になった山本は端から壁に掛かった絵を鑑賞し始めた。どれもこ れも青を基調とした単調なものだったが、中には夕焼けや夕暮れを思わせる絵 もあった。一枚の絵の前で山本の足が止まった。絵の下には小さなプレートが あおぞら 付いている。タイトルとカンバスサイズが書かれていた。四号カンバスに描か れたその小さな絵。タイトルには︽碧空︾とある。 ︵これ ⋮ ⋮ ︶ そのカンバスを染めた色は、正しくあの日の空の色だった。あの日⋮⋮そう、 赤 い 星 を つ け た 艦 載 機 が、 空 を 海 の よ う に 泳 い で い た。 忘 れ も し な い。 パ イ ロットになりたいと思った十歳の秋の日。眩しいくらいに晴れ渡った空だった。 そうか、これが⋮⋮この空の色が見たかったんだ││山本は合点した。ずっ と空が見たいと思っていた。だが、それはこの空の色が見たかったからだった のだ。記憶の中に鮮明に残っている空の色を探していたんだと気付いた。その 絵の前から山本は動くことができなかった。 いつの間にか陶子が後ろに立っていた。それにも全然気付かず見入っていた。 ﹁その絵が気に入った?﹂ ﹁え││ああ。とても﹂ − − 6 そ う 答 え な が ら も 視 線 は 絵 に 吸 い 寄 せ ら れ た ま ま だ っ た。 陶 子 が く す り と 笑った 。 ﹁そんなに気に入ってもらえたなら、その絵あげるわ﹂ ﹁あ⋮ ⋮ で も │ │ ﹂ 陶子の意外な申し出に山本は一瞬戸惑う。振り返り陶子の顔を見た。彼女は 寂しげな、遠くを見るような視線で絵を見つめていた。そんな表情に胸を衝か れた。陶子は山本と並んで絵の前に立った。 わ ら ﹁いいのよ。山本くんと出会った記念に。││それに絵も喜ぶわ、そんなに気 に入ってもらえたのなら﹂ 微笑っていた。山本は少し間をおいて そう言ってこちらを振り向いた陶子は 答えた 。 ﹁ありがとう。大切にします﹂ ﹁うん ﹂ 3 塔子の微笑みにつられたように山本も微笑った。 ギャラリーとして利用している部屋には小さなテーブルと椅子があった。そ の テ ー ブ ル の 上 に は 二 つ 珈 琲 カ ッ プ が 置 か れ て い る。 先 程 ア ト リ エ に 入 っ て 行ったのは珈琲を入れるだめだったのか。あちらには小さなキッチンがあるよ うだ。陶子に勧められて、山本は彼女と向かい合って座った。 ﹁どうして空の絵ばかり描いてるんですか﹂ いたずら ﹁さあ、何でだと思う?﹂ 悪戯っぽく陶子は問いかけた。 ﹁⋮⋮ ﹂ 山本が答えに窮して黙っていると、陶子は言葉を続けた。 ﹁ふふ、訊かれてもわからないわよねえ。││空は⋮⋮私の愛した人が愛した ものだ か ら ﹂ ﹁え? ﹂ ﹁私の恋人がね、空⋮⋮大好きだったの。いーっつも空を見上げていた﹂ − − 7 さまよ 陶子の視線が再び遠くを彷徨う。 ﹁そして空で死んじゃった﹂ 予 想 も し な か っ た 返 事 に 山 本 は 何 と 言 っ て よ い の か わ か ら ず、 手 元 の 珈 琲 カップに視線を落とした。 ︵空で死んだってどういうことなんだ?︶ ﹁ああ、そんな顔しないで。もうずいぶん昔の話なんだから。そうねえ、今か ら六年くらい前のことなのよ。││彼ね、幼馴染みだったんだけど、子供の頃 から空が大好きで、よく飛行機のパイロットになりたいって言ってた。世界中 を飛び回るんだって。⋮だけど地球がこんなになっちゃって、結局防衛軍のパ イロットになったのよねー﹂ 防衛軍のパイロットって⋮⋮俺と同じ戦闘機乗りってことか? 思わず口か ら出そうになって、山本は言葉を飲み込んだ。 ﹁あの日は青空だった││﹂ 言いながら、陶子はカップの縁を細い指でなぞった。 当時、陶子は二十一歳で防衛軍の惑星間輸送連絡部で勤務していたこと、恋 人は二十三歳で火星圏防衛艦隊の艦載機部隊に所属していたことを、彼女はポ ツポツと語った。恋人が死んだ理由については多くを語らなかったが、ただ、 訓練中の事故で亡くなったとだけ言った。その日は晴天で、雲ひとつない目に 沁みるような青空だったと。それから程なく陶子は防衛軍を辞め、絵を描くよ うになったのだと。││空ばかりの。 ﹁彼の好きだったものを忘れたくないから⋮⋮﹂ この部屋に飾られている絵の一枚一枚には、彼女と彼女の恋人との思い出が 詰まっているのか⋮⋮。恋人への想いを込めて描かれたものだったんだ││山 本はそう思わずにいられなかった。長い沈黙が続いた。山本は陶子にかける言 葉が見つけられずに黙るしかなかった。陶子も語りながら当時のことを思い出 したのか、黙ったままだ。 ﹁陶子 さ ん ﹂ 沈黙を破ったのは山本だった。 ﹁俺、今宇宙戦士訓練学校行ってるんだ。所属は航空科⋮⋮つまりパイロット 養成コースにいるんだ﹂ − − 8 唐突な山本の言葉に陶子は意外だという風に目を見開いた。 ﹁卒業したら俺も防衛軍の艦載機パイロットになる。それがガキの頃からの夢 だったから。││今さ、あの忌々しい爆弾のせいで地球はこんな状態だけど、 い つ か こ の 謎 の 侵 略 者 達 と 戦 う よ う な 事 に な っ た ら、 俺 は ⋮⋮ 戦 っ て 絶 対 勝 つ﹂山本はそこで言葉を一度切った。 ﹁以前の地球を取り戻す││必ず﹂ 4 静かにそして力強く山本は言った。そんな山本を見て陶子は思った。それは 現実になるかもしれないと。もちろん、何の根拠もないのだけれど。 壁から外した絵を額ごと画材店のロゴの着いたビニールバッグに入れて、陶 子は山 本 に 手 渡 し た 。 ﹁はい ﹂ ﹁ありがとうございます。⋮⋮俺何もお返しできなくてすみません﹂ 手を伸ばしビニールバッグを受け取ると山本は大事そうに小脇に抱えた。 ﹁いいのよ、そんなこと気にしないで。今日は付き合ってくれて楽しかったし、 うれし か っ た わ ﹂ ﹁そう言ってもらえると⋮⋮﹂ 山本は照れを隠すように天井を仰いだ。 あお ﹁山本くんは﹃蒼﹄のイメージね﹂ 突然そう言われて面食らった。そして、陶子は近くにあったクロッキー帳に 手を伸ばすと木炭で﹃蒼﹄という文字を書いた。 ﹁﹃青﹄じゃない⋮﹃蒼﹄なの﹂ 二つの文字を見比べながら、芸術家の言うことはさっぱりわからない⋮⋮そ う山本は思った。大体、﹃青﹄と﹃蒼﹄がどう違うんだ?﹃蒼﹄はどんな色だ というのだろうか。山本の気持ちを見透かしたように陶子は続けた。 ﹁夕焼けから夕闇に変わるほんの一瞬だけ、空を彩る薄墨色の感じだわ﹂ ﹁││ ﹂ ﹁あなたの瞳は夜を湛えている。そして、どこか遥か遠くを見ているよう﹂ 歌うように陶子が言葉を続けている横で、 − − 9 ﹁それって⋮どう受け取ればいいのかわからないな﹂山本は小さな声で呟いた。 その山本の言葉は聞こえなかったのか、陶子は明るい声で山本に話しかけた。 ﹁私達またいつか会えるかしら﹂ ﹁え⋮ ⋮ ? ﹂ 暫し考えて山本は答えた。 ﹁縁が あ っ た ら ⋮ ⋮ ﹂ ﹁そうね。││また会えるといいわね﹂ 陶子は微笑んだ。その表情が少し哀しげに見えたのは、さっき恋人を失った 話を聞いたばかりだからだと山本は思った。 陶子とはそのままギャラリーの入口で別れた。山本は陶子から譲られた絵を 手に、再び独り雑踏の中に戻っていく。街は照明が点き始めていた。仕事帰り の人達が足早に家路に向かう。もうそんな時間になっていた。 さん⋮⋮俺は忘れない。あの青い空を。 陶あ子 なた 貴女の描いた、どこまでも青い空を。 貴女と貴女の愛した人の思い出の詰まった空を。 いつか必ずその空を取り戻してみせる││。 初稿二〇〇五年三月 改訂二〇〇六年三月 − − 10 出逢い かおる さとる 1 ﹁薫、いよいよ明日から俺の隊に編入だな﹂ 暁がコーヒーを片手に薫の部屋に入ってきた。 ドアがノックされ、兄の ふつつかもの ﹁ええ。不束者ですが、どうぞよろしくお願いします、高橋教官﹂ 薫は片付け物をしていた手を止め、大げさにお辞儀をしてみせた。暁は鷹揚 に頷くと、綺麗にメイクされているベッドに腰を降ろした。 ﹁ばっちりしごいてやるからな﹂ ﹁楽し み に し て る わ ﹂ どこか人の悪い笑みを浮かべた暁に薫も笑顔で応えた。薫は明日、兄が教官 を勤める宇宙戦士訓練学校第一航空訓練科に編入する。薫が暁からある情報を 得て、そのために留学先のアメリカから帰国したのは僅か一週間前のことだ。 帰国と同時に慌しく編入の手続きを終え、今は訓練学校の寮に持ち込む細々と した私物の荷造りをしている最中だった。 薫は航空訓練科への編入に先駆けて、既に地球防衛軍中央大病院に於いて救 護の実習も受けていた。自宅から通うことも可能だったが、二つの施設の行き 来も考慮し、薫は寮生活をすることを選んだ。何より、留学中はずっと寮生活 をしていたので慣れていたし、また、一刻も早くこちらの学校に馴染みたいと いう気持ちが強かったからだ。 普段は職員寮で生活している暁がこの日わざわざ実家に足を運んだのは、翌 日に編入を控えた薫の様子を見るためだ。五年振りの帰国。さぞかし緊張して いるかと思っていたが、予想に反して落ち着いたものだった。 暁自身が宇宙戦士訓練学校に入学した年から家を離れており、その頃から二 人が顔を合わせることは年に数度しかなかったが、薫が留学してからは更に会 う機会は減った。時折電話やメールで近況報告のやり取りはしていたものの、 こうして面と向かい合うのはずいぶん久し振りだ。留学を決意し、家を離れた 頃の幼い面影は全くない。すっかり成長して帰って来た歳の離れた妹を、暁は 感慨深い思いで見詰めた。 − − 1 暁はかつて、地球防衛軍内惑星防衛艦隊空母にて艦載機パイロットとして活 躍していたのだが、演習中の事故で両目の視力をほぼ失うというパイロットと しては致命的な障害を負い、若くにして一線を退いていた。 幸い、優秀な外科医と巡り会うことができ、手術は成功し視力はかなり回復 をしたが、パイロットとしての必要な視力を取り戻すことはついに叶わなかっ た。まだ自分は二十一歳になったばかりだというのに、パイロットの道を諦め さまよ なくてはならないのか││言いようのない失意と絶望が暁を襲った。長い時間 失意のどん底を彷徨っていた暁は、やがてひとつの結論を出した。 ││地球防衛軍を退役する。 このまま防衛軍に留まっても、自分にはもう何も残されていない。別の部署 に異動など、とても考えられなかった。翼を失った鳥も同然、飛行機に乗れな い飛行気乗りになど、最早何の価値も意義もない。同情されるなんて真っ平御 免だ。過去の栄光が輝かしかった分、これから自分を襲うであろう惨めな思い に耐えられそうもなかった。 退役するという暁を、宇宙戦士訓練学校航空科の教官として推してくれたの ひじかた はその才能を惜しんだ土方教官だった。土方の申し出はとても有り難かったが、 暁 は 即 答 で き な か っ た。 エ ー ス パ イ ロ ッ ト だ っ た 誇 り が 素 直 に 転 身 を 許 さ な かった。自分はもう艦載機を操縦できない。その挫折感と喪失感を抱えたまま、 訓練生の指導ができるのか││。 連日自問自答を繰り返し、高橋はずいぶん長いこと考えあぐねていたが、妹 の薫の何気ない言葉で呆気なく決心がついた。 ﹁お兄ちゃんはこれから第二、第三のお兄ちゃんを見つければいいんだよ﹂ ﹁第二⋮⋮第三の俺││?﹂ 虚を突かれた風に暁は目を見開いた。薫は瞳を輝かせ言葉を続ける。 ﹁そう。私もあと何年かしたら絶対にパイロットになるよ。その時お兄ちゃん が教官だったらすごい心強いんだけどな﹂ 思いがけない言葉だった。そんな風に考えたことは一度もなかった。まして や、この十歳年下の、いつも自分の影に隠れているような甘えん坊だった妹が、 パイロットを目指そうとしているなど。 ﹁そ⋮⋮か、薫はパイロットになるのか﹂ − − 2 ﹁うん、お兄ちゃんみたいにエースパイロットになって、赤い星をつけて空を 飛ぶの。だって、格好いいもん﹂ そう言って無邪気に笑う妹を見て、漸く心が決まった。自らが果たし切れな かった夢を妹や後輩達に託すのも悪くない。 ﹁わかった││お兄ちゃんは学校の先生になるよ。薫が生徒になったら嫌って 言うほど厳しく鍛えてやるぞ﹂ ﹁えー、おっかない先生は嫌だなぁ﹂ 眉を顰めた薫に、暁は思わず笑った。 ﹁はは は は は は ﹂ 地 球 防 衛 軍 き っ て の エ ー ス パ イ ロ ッ ト だ っ た 暁 は こ う し て、 後 に﹁ 鬼 の 高 橋﹂と恐れられる厳しい教官に転身したのだ。もっとも、自分を教官に転身さ せたきっかけが薫の何気ない一言だったとは、彼女はすっかり忘れてしまって いるだ ろ う が │ │ 。 ひん だが、あの時の言葉どおりになった。薫はパイロットとして暁の前に戻って きたのだから。明日からは兄妹としてではなく、教官と生徒の関係が始まる。 瀕している。突然外宇宙から現れた謎の敵ガミラスに 地球は今滅亡の危機に 遊星爆弾で攻撃され、地上は放射能に侵された。今や人類は地下に都市を建設 し、ひっそりと生き延びることを余儀なくされている。その放射能は徐々に地 下をも侵し始めていた。もはや人類滅亡は時間の問題だった。地球は死の星へ と向かいカウントダウンを始める寸前である。 謎の敵ガミラスは太陽系第八惑星冥王星に地球侵略前線基地を設けていた。 その冥王星前線基地から遊星爆弾は地球に向けて発射されている。地球防衛軍 しれつ はその攻防を制するため、最後の艦隊に望みを託し前線基地の全滅を図った。 二一九九年八月、冥王星前線の戦闘は熾烈を極めていた。そして地球防衛軍艦 隊は、ほぼ壊滅に近い状態で前線を離脱したのだった。 そんな中、未来の宇宙戦士を目指す宇宙戦士訓練学校の訓練生が、火星で謎 の宇宙船に遭遇した。搭乗していた乗員は││女性一人であったのだが││発 見された際、既に死亡していた。彼女が携えていた通信カプセルが回収され、 すぐに地球防衛軍の科学局に送られた。解析の結果、それは遥か彼方のマゼラ ン大星雲のイスカンダル星からのメッセージであることが判明した。 − − 3 メッセージは、地球はあと一年もすれば放射能により死滅するであろう、に 始まり、イスカンダルに放射能を除去するコスモクリーナーDを受け取りに来 られよ、と結ばれていた。カプセルには︽波動エンジン︾の設計図も一緒に収 められていた。それは現在の地球の科学力とは比較できない﹁超﹂がつく科学 力の代 物 で あ っ た 。 今、地球ではその存続を賭けて、波動エンジン搭載の戦艦を九州坊ヶ岬にて 極秘に、しかも急ピッチで建造中なのだ。地球の、人類の未来を託して建造さ れている戦艦は、まだ眠りから覚めていない。その戦艦名を﹃ヤマト﹄という。 つ い 先 日 ま で、 薫 は ヒ ュ ー ス ト ン に あ る 私 設 の パ イ ロ ッ ト 養 成 学 校 に 在 籍 していた。地球防衛軍の主だった戦士達はガミラス軍との戦いでかなり手薄に なっていた。今回の航海の乗組員の一部は、訓練学校を来春卒業予定の生徒達 から選抜されると兄の暁から聞いた薫は急遽帰国し、第一航空訓練科に編入す ることにしたのだ。もちろんヤマトの選抜メンバーに選ばれることを目指して。 ヤマトが出航するまで時間がない。イスカンダルから送られてきた設計図を 元に波動エンジンが完成次第、ヤマトは未知なる航海へと旅立つのだ。坊ヶ岬 沖では、各地から集められた精鋭技師達の総力を挙げた作業が日夜続けられて いる。この分では後一ヶ月もかからず完成するだろう。 既に宿舎への大きな荷は先日に送り終え、身の回りの物を整理していたとこ ろだった。突然の暁の闖入で一時中断していた片付けを薫は再開させた。 ﹁しかし、今期のメンバーはいい奴が揃ってるぜ﹂ ﹁え、いい奴って?﹂薫は今度は手を止めずに暁に訊ねた。 ほ ﹁ほら前にも話しただろ。皆レベルがかなり高いんだが、その中でも群を抜い ているのが加藤と山本だな﹂ ﹁ああ、そう言えば⋮⋮﹂ 褒めない暁に 薫は暁が以前にも話していたことを思い出した。滅多に生徒を しては、二人のことをよく話していたので薫も憶えている。飛行機に乗るため に生まれてきた男達だ、などとも言っていた。話を聞き、薫自身艦載機の操縦 をするので二人に興味を抱いたことがあるが、深くは訊ねなかった。 ﹁あの二人は面白いぞ。││一見まるで正反対のようだが、実はよく似ていた りもす る ﹂ − − 4 暁は薫のベッドに腰掛けたままコーヒーを啜った。 ︵面 白 い 奴 等 だ ︶ 暁は思い出し笑いをした。加藤と山本⋮⋮見た目も性格もまるで正反対の二 人なのに、何故仲がいいのか。加藤は短髪で山本は長髪、加藤は明るく活発な 性格で山本は物静かだ。操縦テクニックは同レベルだが、その操縦にも互いの ちみつ 性格がよく現れている。加藤の操縦は大胆で華麗だ。華やかで見る者を魅了す る。それに引きかえ山本は精繊で正確な操縦に徹している。緻密に計算された フォーメーション飛行を得意にしていた。 だが、暁が面白いと感じたのはそれだけではない。加藤はあれで、情熱的な 中に冷静さを兼ね備えている。大らかそうに見えて、その実几帳面な一面もあ るのだ。山本はその逆だ。冷徹に見えるその外見とは裏腹に、内側に熱いもの を秘めている。繊細そうに見えるが意外に大胆なところもある。二人はお互い の足りない部分をそれぞれに補って余りあった。 ︵全く面白い奴等だ︶ 今まで指導した生徒の中でこの二人ほど興味を惹かれた事はない。もちろん、 その操縦士としての才能も高く評価しているが、それに限ったことではない。 きっと近い将来、加藤と山本は艦載機チームに革命を起こすだろう。史上最強 のチームを創りあげる、そう暁は確信していた。 薫は再び動かしていた手を止め、暁を振り向いた。 ﹁どう い う 事 ? ﹂ ﹁うん、加藤は情熱的って言うか熱血漢タイプなんだが、実は冷静さも兼ね備 えてい る ﹂ ﹁うん ﹂ ﹁山本は一見冷静⋮⋮クールに見えるが、そうではない一面もある﹂ ﹁ふー ん ﹂ ﹁もし俺に人事の決定権があるなら加藤が隊長、山本が副隊長ってところかな。 それ以 外 考 え ら れ ん ﹂ ﹁ふふ、兄さんにしては珍しい。ずいぶん思い入れが強いのね﹂ 暁らしくない力説に薫は笑った。 ﹁まあな。││さて、二人ともいい男だが、お前はどちらが好みかな﹂ − − 5 コーヒーカップを軽く掲げて暁は面白そうに薫の顔色を伺う。加藤も山本も 好青年だ、この妹は果たして二人に興味を持つだろうか。 ほの ﹁何言ってるのよ、兄さんたら。私が何しに帰ってきたと思っているの﹂ 薫は呆れ顔で暁を軽く睨めつけた。 ﹁ははは、そうだったな。││さあてと、明日からが楽しみだな﹂ 2 仄かに そう言うと、暁は部屋を出て行った。部屋の中にはコーヒーの香りが 残って い る 。 ﹁情熱の加藤とクールな山本か⋮⋮﹂ 暁が出て行った後、薫は小さく呟いた。 ﹁山本 、 山 本 ! ﹂ 部屋に入るなり加藤は大声で山本の名を呼んだ。ここは宇宙戦士訓練学校の 訓練生達が居住しているビルの一室だ。 十七歳の春、加藤と山本は予てからの念願が叶い、第一航空訓練科に進んだ。 多くのパイロット予科生達が憧れている通称高橋隊││別名エリート隊と呼ば れる高橋暁教官が率いるチームに二人は見事選抜されたのだ。 本科生になるとチーム編成で訓練に入る。一チームは僅か八名だ。その八名 に加藤と山本はトップをきって選ばれている。これには教官の高橋の強力な推 薦があったのことは言うまでもない。山本にとって高橋はパイロットを目指す きっかけになった人物だ、尊敬しているし、何よりも追いつき追い越したい。 高橋隊に進級して早四ヶ月が過ぎようとしていた。最近仲間内での話題は、 現在どこかで極秘に建造されている艦についてだ。その艦での航海に、訓練学 校の生徒からも選抜されるかもしれないと専らの噂だ。皆選抜されることを目 標にしていた。当然、加藤と山本もだ。 加藤三郎と山本明は同室になって長い。入学当初からずっと一緒に寝食をと もにしている。加藤は明るく、面倒見のいいざっくばらんな性格だ。山本はと 言えば無口で、周りのことには無関心なタイプだった。二人は性格も何もかも が違うタイプだからか、ここまで結構うまくやってきている。 − − 6 ﹁どうしたんだ、加藤﹂ 一足先に部屋に戻っていた山本は、ベッドの上で壁に寄りかかり雑誌を読ん でいたが、いつもの事とばかりに適当に返事をした。 ﹁おい、お前聞いたか? 明日俺達の第一航空科に高橋教官の弟が編入するら しいぞ。││うちのクラス一人欠員が出たからな、それでだと思うが﹂ ﹁⋮⋮相変わらず早耳だな﹂ ﹁まあな。今の世の中、情報戦も制さないとな﹂ ﹁││ ど ん な 奴 か な ﹂ 山本は読んでいる雑誌から目を上げずに答えた。 ﹁さあな、でもあの教官の弟じゃあ、結構すごい奴なんじゃないのか﹂ 訓練学校の制服を脱ぎながら加藤が言う。 ﹁ふうん、そうかもな﹂ 気のない風に山本は答えた。実際、山本にとってそんなことはどうでもいい ことだった。山本にとって今大事なのは、自分が新艦の乗組員に選抜されるこ とだけだ。口にこそしないが、自分のパイロットとしての腕に密かな自負が山 本にはあった。それを実際に証明したい。 ﹁ ふ う ん ⋮⋮ っ て、 相 変 わ ら ず 素 っ 気 な い 奴 だ な ﹂ 加 藤 が ぼ や く。 私 服 に 着 さとる 替えた加藤は自分のベッドに寝転がった。 ﹁確か││名前はカオルとかなんと かって言ってたように聞こえたな。暁にカオルか、如何にも兄弟って感じの取 り合わ せ だ ﹂ ﹁女みたいな名前だな﹂ ﹁名前の通り女みたいに腑抜けた奴だったら、俺達がしごいてやろうぜ﹂ 加藤が上半身を起こした。 ﹁やめとけよ ﹂ 山本が顔を上げた。嫌悪感も露な表情を見て、 ﹁ははは、冗談だよ。││それにしても明日が楽しみだ﹂ 明る く 加 藤 が 笑 う 。 ﹁そう だ な ⋮ ⋮ ﹂ 生返事をすると、山本は再び雑誌に目を落とした。 − − 7 3 翌 日 朝、 ミ ー テ ィ ン グ ル ー ム で 朝 礼 時 間 を 待 っ て い る 訓 練 生 達 は、 山 本 を 除き、総じて落ち着かない様子だった。その内の何人かはそわそわと、時計と ミーティングルームのドアとを何度も見比べている。 ﹁早く 来 な い か な あ ﹂ 訓練生の関心は、もちろん高橋教官の弟だ。 ﹁どん な 奴 か な ﹂ ﹁教官に似てるのかな﹂ ﹁だとしたら相当な腕利きだよな﹂ ﹁性格まで似てたらやだぜ﹂ 皆好き勝手なことを口々に言っていたその時、微かな音を立てドアが開いた。 訓練生達が息を呑んで見守る中、いつものように、無愛想に高橋が部屋に入っ てくる。そしてその後に入ってきたのは、予想に反して屈強な男子訓練生では なく、小柄な、そして髪の長い女子訓練生だった。 誰かが小さく呟いた。 ﹁││ 女 だ ﹂ その言葉をきっかけに、一瞬で部屋の中がざわめいた。加藤は反射的に興味 なさそうに俯き加減でいる山本の脇腹を小突いた。 ﹁おい 山 本 ! ﹂ 加藤に脇腹を小突かれ、山本は渋々といった風に顔を上げた次の瞬間、軽く 息を呑 ん だ 。 ﹁││ ﹂ 山本は驚いて声が出なかった。 ︵彼女 は ⋮ ⋮ ま さ か ︶ 彼女を山本は知っていた。呆然とする山本を余所に加藤が続ける。 ﹁おいおい、あんな華奢な身体で艦載機を操縦できるのか?﹂ パイロットは苛酷な環境で艦載機を操縦をするのだ。見るからに線の細い彼 女がそれに耐えられるとは到底思えない。 − − 8 ﹁あ⋮⋮ああ、そうだな﹂ 山本は上の空で返事をした。彼女から視線が離せなかった。確かにあの時に 会った少女だった。││まさかこんなところでこんな形で再会するなんて。 高橋が咳払いをした。 ﹁静かに。彼女が本日よりヒューストンパイロット養成学校から我が第一航空 訓練科に編入することになった﹂一気に言うと、傍らの少女を促した。 ﹁高橋、 簡単に 挨 拶 を ﹂ 彼女ははっきりとした声で挨拶をした。 ﹁高橋薫です。よろしくお願いします﹂ ﹁ヒューストンパイロット養成学校って超難関と言われている学校だぜ﹂ ﹁ああ、私設の学校だが、設備とかもすごいらしいな﹂ ﹁下手すりゃ防衛軍直轄のここよりも上かもしれないぜ﹂ 訓練生等は再びざわめいた。 ﹁ 驚 い た な、 弟 じ ゃ な く 妹 だ っ た の か ⋮⋮。 ︽きょうだい︾としか聞いてな かったから弟だとばかり思ってたぜ﹂ 加藤の囁きに、山本は適当に頷いた。最早加藤の言葉など耳に入っては来な かった 。 ︵彼女 が 教 官 の │ │ ︶ 4 再会といいこの不思議な偶然に、山本は驚きを隠せなかった。 昼休みに早速加藤は山本を連れて、薫の元を訪れた。学食で既に注目の的に なっている彼女を見つけるのは簡単なことだった。 ﹁ええと、高橋⋮⋮さんて呼べばいいかな? 俺は加藤、こっちは山本。よろ しく﹂ 明るい声で話しかける加藤の後ろで山本も小さく会釈した。 ﹁薫でかまわないわ。兄からお二人の噂はよく伺っています。こちらこそどう ぞよろ し く ﹂ 薫は微笑みながら手を差し出した。 − − 9 ﹁ええ っ 、 噂 っ て ? 教官何を話してるんだ﹂ いたずら 軽い握手をしながら、加藤は狼狽気味の声を上げた。 ﹁ふふ 、 そ れ は 秘 密 ﹂ 悪戯っぽく微笑むと、彼女は視線を山本に向けた。 ﹁山本くん、これからよろしくね﹂ ﹁あ、ああ⋮⋮こちらこそよろしく﹂ 慌てて山本は差し出された手を握り返した。その端正な横顔が微かに赤くな るのを、加藤は見逃さなかった。 ︵へえ⋮⋮こいつでも照れることがあるのか? いっつもポーカーフェイスの くせに ︶ 握手をしていた手を放し、山本の顔を暫く見つめていた薫が口を開きかけた。 ﹁あな た │ │ ﹂ その時、薫の名を呼んだ者がいた。高橋だった。 ﹁高橋 ﹂ ﹁あ、 は い 教 官 ﹂ ﹁通達事項がある、教官室まで来い﹂ ﹁わかりました﹂薫は高橋に返事をすると、二人に小さく頭を下げた。 ﹁ごめ んなさ い 、 じ ゃ ま た ﹂ 薫の立ち去る後姿を見送って、加藤がどこか溜息混じりに呟いた。 ﹁いいよなあ⋮⋮彼女のあの笑顔。俺達の科は恵まれてるぜ、たった一人の女 性訓練生が入ってくるなんてさ﹂ ﹁⋮⋮ ﹂ ﹁考えてもみろよ、管制科とかにはいるのに、パイロット希望の女子は今まで 一人もいなかったんたぜ﹂ ﹁そうだな。最初の頃はお前ずいぶん寂しがってたよな、パイロットコースに 女子がいないーとか言って﹂ 皮肉気に言った山本に加藤は照れたように笑う。 ﹁ははは、そんなこと言ったっけ?││あ、そういえば彼女、さっき何を言い かけた ん だ ろ う な ? なんかお前の顔じっと見てたよなあ。まさかお前にひと 目惚れしたなんて言うんじゃないだろうな﹂ − − 10 ふと、思い出したように加藤が言った。 ﹁まさか⋮⋮そんなことあるわけないだろ﹂ ﹁わからないぞ、お前は見た目がいいからな。操縦テクニックで勝てても、容 姿じゃお前に敵わないからな﹂ ﹁何言ってんだよ││そんなに気になるならお前が訊けよ﹂ 加藤に素っ気無くそう答えたものの、山本も彼女が言いかけた言葉の続きを 知りた か っ た 。 ︵一体何を言いかけたんだ⋮⋮︶ 5 心の奥で微かに感情が波打つ。それを山本は意思の力で押さえつけた。 一日の訓練を終え、訓練学校に隣接された宿舎に連れ立って帰る途中、加藤 が感じ入ったようにしみじみと呟いた。 ﹁││驚いたな彼女には⋮⋮﹂ バーチャルリアリティ 女に戦闘機が操れるものかなどと陰口を叩いた者もいたが、薫の鮮やかな操 縦に皆黙り込んだ。もちろん、ここは地下都市にある訓練学校なので、通常時 の飛行訓練はシミュレーション機を使用した仮想実現空間での訓練になる。そ の 中 で 薫 は 鮮 や か に 腕 前 を 披 露 し た。 以 前 在 籍 し て い た 養 成 学 校 の レ ベ ル の 高さがうかがえる。中途にも拘らず高橋隊に編入できたのも頷けた。さすが元 エースパイロットの妹だ。これが実機だったなら⋮⋮恐らく実機でも同じよう に戦闘機を操縦するのだろう。容易に想像がついた。 ﹁ああ 、 そ う だ な ﹂ ﹁なんだ、感動の薄い奴だなあ﹂ いつものこととは言え、山本の素気無い返事に加藤は不満らしく、山本の肩 先を軽く突いた。突付いた後で、睨まれると身構えた加藤だったが、 ﹁いや、俺も本当に驚いた﹂ 意外にも返ってきたのは心底そう思っている風な答えだったので、そのこと の方が加藤には驚きだった。加藤は思わず隣の山本の顔を覗き込んだが、その 表情からは何も読み取ることは出来なかった。 − − 11 ﹁しかし、ギャップがあるよな。普通に黙ってると、とても戦闘機のパイロッ トには見えないぜ。あの笑顔⋮⋮いいよなあ、野郎ばかりだったからすげえ新 鮮だぜ ﹂ 加藤の言葉に山本は苦笑した。 ﹁なんだよ、彼女のことずいぶん気に入ったみたいじゃないか﹂ ﹁ああ、気に入ったぜ。ただの女じゃないところもいい。一見普通の女の子に 見えて、実は凄腕パイロットなんてな⋮⋮。お前だってなんだよ、彼女と握手 した時、柄にもなく赤くなりやがって﹂ ﹁そんなことない、俺は別に⋮⋮﹂ 間髪入れずに否定した山本を加藤は追い討ちをかけるように冷やかした。 ﹁いいっていいって。お前でも人並みに照れることがあるんだなと俺は安心し てるん だ ﹂ ﹁照れ て な ん か な い ﹂ ﹁照れてたじゃん、顔が赤かったぜ﹂ ﹁うるせえな、ほっとけよ﹂ やれやれ││と加藤は大仰に息をつき、山本に向き直った。 ﹁お前もいい加減、変わったら?﹂ ﹁はあ ? ﹂ ﹁前にも言ったけど、人はさ、変わることができるんだぜ﹂ ﹁何が⋮⋮言いたいんだよ﹂ 山本の目付きが俄かに険しくなったが、加藤は構わずに言葉を続けた。 ﹁も少し素直になれって言ってんだ。別に損する訳じゃあねえぞ、自分の気持 ちに素直になるってことはさ。いや、お前みたいに感情押し殺す奴は損してる かもな ﹂ ﹁⋮⋮別に感情を押し殺している訳じゃない。ただ﹂ ﹁ただ ? ﹂ ﹁苦手 な だ け だ ﹂ それきり山本は黙り込んでしまい、加藤も同じように黙った。宿舎の建物が 見えた頃、加藤が不意に口を開いた。 ﹁なあ⋮⋮一緒に選抜隊に選ばれるといいな﹂ − − 12 選抜隊とはもちろんヤマトの乗組員のことだ。現在の時点では何人ほどの乗 組員が搭乗するのかもわからない。艦載機チームはどれくらいの編成になるの だろう、一小隊││それとも二小隊か。 ﹁選ば れ る だ ろ う ﹂ 山本が即座に答えた。 ﹁誰が ? ﹂ ﹁俺達 三 人 が │ │ さ ﹂ 山本の自信有り気な言い方に、加藤は少々驚いた。普段は口数が少ないこの 男だが、時折大胆な発言をする。加藤はまじまじと山本の顔を見た。 ﹁││ な ん だ よ ﹂ 加藤の視線に気付いた山本は怪訝そうに見返した。 ﹁あ、いや別に﹂慌てて加藤は言葉を続けた。 ﹁さあ、さっさと着替えて飯で も食い に 行 こ う ぜ ﹂ お前の頼もしい言葉に感動したなどと言おうものなら、いつものようにまた 冷たく醒めた目で睨まれるのがおちだ。それともこの友人は笑うだろうか││。 6 山本は何か言いたげな表情をしたが、加藤は気付かぬ振りで建物内へ急いだ。 二人は着替えを終えると、連れ立って寮の食堂へと向かった。ホールで前を 歩く私服姿の女子訓練生が薫だと気付いた加藤が、何の躊躇いもなく歩み寄っ て行く 。 ﹁やあ、どうしてここに?﹂ ここ 背後から突然声をかけられて薫は一瞬驚いたような声を上げたが、それが加 藤だとわかると、おどけた表情で答えた。 ﹁あら、今日から私も高橋隊の一員だから、寮に住むのよ﹂ ﹁そうなんだ。││どう? 一緒に食事でも﹂ 加藤は嬉しそうに笑い、薫を食事に誘った。すっかり山本の存在を忘れてい るよう だ っ た 。 ﹁ええ 、 よ ろ こ ん で ﹂ − − 13 どうやら加藤は薫に積極的にアプローチすることにしたようだ。懸命に薫に 話しかけている加藤を横目に、山本は時折彼女の横顔を盗み見た。まるで何か を確認するかのように。 それぞれにチョイスした夕食を載せたトレイを手に、三人が空いていたテー ブルに落ち着いて間もなく、 ﹁あ、俺飲み物取って来るよ、何がいい?﹂ 加藤がそう言って椅子から立ち上がった。 ﹁じゃあ私コーヒーを﹂ 薫が そ う 答 え る と 、 ﹁俺も ﹂ 山本 も 短 く 答 え た 。 ﹁了解 ﹂ 加藤は元気よく返事をするとドリンク・バーへ向かい、その後姿を山本はぼ んやり と 見 て い た 。 ﹁⋮⋮ く ん ? 山本くん﹂ 薫に話しかけられ、山本は我に返った。 ﹁あ│ │ 何 ? ﹂ ﹁この 前 は ど う も ﹂ にっこりと薫は微笑んだ。 ﹁ああ 、 い や ⋮ ⋮ ﹂ 山本は表情にこそ出さなかったが内心驚いていた。自分は彼女を憶えていた が、彼女も山本のことを憶えていたからだ。 ││あの日、数日前に山本は中央病院に出向いた。 何日か続いていた頭痛がひどく、午前中の訓練を休み、痛み止めをもらいに 病院を訪ねたのだ。簡単な診察を終え、薬局で処方された鎮痛剤を受け取り、 訓練学校に戻ろうとしていた時だった。数多い診察室の一室から十歳程の少年 が飛び出してきて、山本にぶつかった。少年は山本の足にまともに当たり、も んどり う っ て 転 ん だ 。 ﹁おい 、 大 丈 夫 か ? ﹂ − − 14 山本は慌てて少年を抱え起こした。 ﹁たっ く ん ! ﹂ 白衣を着た少女が少年の後を追ってきたのだろう、診察室から飛び出してき た。少女は胸に研修中のプレートをつけている。看護学校の生徒だろうか、背 にかかる長い髪がよく似合っていた。 ﹁う⋮ ⋮ ん ﹂ 少年は頭を振りながら上半身を起こした。 ﹁飛び出したら危ないぞ。痛いところないか?﹂ 少年を立ち上がらせながら、山本は言った。 ﹁たっ く ん 大 丈 夫 ? ﹂ 少女は少年の体を怪我していないか調べている。 ﹁怪我はしてないみたいだぜ﹂ 山本は少年とぶつかった衝撃で落とし足元に散乱した薬を拾いながら言った。 ﹁すみません﹂少女は山本に詫びると、一緒になって辺りに散らばった薬を拾 てんまつ い始めた。﹁診察で恐いことされるって思ったみたいで、 診察室飛び出しちゃっ たんで す ﹂ 顛末を話し始めた。それを聞 拾いながら少女は微苦笑の表情で、簡単に事の いて山本は改めて屈むと、少年に向かって笑いながら言った。 ﹁男の子なんだから、そんなこと恐がってちゃ駄目だぞ﹂ ﹁そうよ﹂少女も屈んで少年と目線を合わせると、 ﹁お姉ちゃんがついてるか ら大丈 夫 よ ﹂ と、笑顔で話しかけた。 その瞬間、山本は身体に微かな電流が走ったのを感じた。初めての感覚に山 本は戸惑いを覚え、狼狽した。だか、容赦なく彼女の笑顔は山本の心に真っ直 えくぼ ぐに飛び込んで来る。なんて笑顔をするんだろう││口許の両側にできる小さ な笑窪がとても印象的だった。優しく可憐な笑顔。山本はしばらくその笑顔か ら視線を離せずにいた。見惚れていたと言ってもいい。 ﹁うん ﹂ たっくんと呼ばれた少年は、少女の笑顔に勇気付けられたのか、元気よく返 事をし た 。 − − 15 我に 返 っ た 山 本 は 、 ﹁よし ﹂ と、少年の両肩を軽く叩くと、少女の方へそっと押しやった。 ﹁ありがとうございました﹂ 少女は拾った薬を笑顔で山本に手渡した。 ﹁もう具合はいいの?﹂ ﹁え? ﹂ 病院での出来事を回想していた山本は、薫の声で現実へと引き戻された。具 合はどう、とは何のことだろうか。 ﹁だってこの間、お薬持っていたでしょ﹂ ﹁ああ││。もう大丈夫﹂ ﹁そう 、 よ か っ た ﹂ 薫は笑顔で答えた。その笑顔は先日病院で見たものと同じ、優しげでそして 可憐なものだった。山本は内心軽い動揺を覚えた。悟られないように、努めて 平静に 薫 に 訊 ね た 。 ﹁あの子⋮⋮あの後大丈夫だったか?﹂ ﹁ え え、 ち ゃ ん と 診 察 さ せ て く れ た わ。 男 の 子 だ か ら 我 慢 で き る も ん、 と か 言っち ゃ っ て ﹂ ﹁そう か 、 よ か っ た ﹂ 山本は安堵したように言った。 自分がこの道を目指すきっかけとなった憧れのエースパイロットは、すでに パイロットを引退していた。だから、彼が教官として目の前に現れた時はとて も驚き、また、その偶然に感謝したものだった。たまたま数日前に訪れた病院 で、印象に残った看護研修生がその人の妹だったとは││これもまた偶然なの だろうか。こう立て続けに偶然が起こるとは考えられない、そんな思いが頭を 過ぎる 。 ﹁病院││研修中だったんだろ? てっきりあそこの看護生だとばかり思って たから、今日顔を見た時、他人の空似かと思ったぜ﹂ ﹁うん、後々役に立つかなって思ったから、少しだけ﹂ − − 16 ﹁ そ う か。 で も ま さ か こ う し て 再 会 す る と は 思 わ な か っ た。 ま し て 教 官 の 妹 だった と は な ﹂ ﹁私は兄から山本くん達の話は聞いていたから、今日会えるっていうのは知っ ていたけど。でも病院で会ったのが山本くんだったなんて、私も思いもよらな かったわ。あの時山本くん私服だったでしょ? 制服姿のあなたを見てもすぐ には信じられなかったのよ﹂ ﹁お互 い 様 か ﹂ ﹁そう ね ﹂ 二人は顔を見合わせて笑った。 そこへ加藤がトレイに飲み物を載せ戻ってきた。 ﹁おいおい、何を楽しそうに話しているんだ﹂ 加藤は笑顔で、そして怪訝そうに二人の顔を見比べる。 ﹁いや ⋮ ⋮ 別 に ﹂ 山本はいつもの澄ました顔に戻った。 ﹁こいつに口説かれてたの?﹂ 加藤は薫に向かい問いかけた。 ﹁ふふ、そんなんじゃないわ﹂ しか 加藤につられたように薫も微笑んだ。 ﹁こいつさー、無愛想に見えるだろ?﹂ ﹁加藤 ﹂ 山本は眉を軽く顰めた。 ﹁でも結構いい奴なんだぜ﹂ ﹁知っ て る わ ﹂ ﹁え、 え っ ? ﹂ 加藤は不思議そうにまた二人の顔を見比べる。 ﹁もういいだろう、加藤。さっさと飲み物寄こせよ﹂ ぶっきらぼうにそう言うと、山本はトレイに手を伸ばした。 ﹁あ、 あ あ │ │ ﹂ 加藤は慌ててトレイを差し出し、そんな二人のやり取りを見て、薫は思わず 笑った 。 − − 17 ﹁何だよー、何話してたのか教えろよ﹂ コーヒーを手渡しながら、まだ加藤は気にしている。 ﹁教え な い ﹂ ﹁何だ よ 、 そ れ ﹂ 山本は加藤からコーヒーを受け取ると、一つを薫に手渡した。それを横目に 薫に加藤は自分をアピールしている。 ﹁俺はこいつと違ってフレンドリーだからさ﹂ ﹁十分伝わってくるわ﹂ ﹁そう ? ﹂ 薫にそう言われて加藤は本当に嬉しそうだった。本気で薫のことを気に入っ たようだ。加藤のように明け透けに態度に出さずとも、山本も十分薫を意識し ていた。そう、初めて逢った瞬間から││。 7 隣 で は 食 事 も そ っ ち の け で 相 変 わ ら ず の 調 子 で 加 藤 が 飛 ば し て い る。 薫 も 楽しそうに耳を傾けていた。そんな二人の様子を見ながら、山本はゆっくりと コーヒ ー を 口 に し た 。 ﹁ふう ﹂ 三人での楽しい夕食を終え、寮の自室に戻ると薫は大きく息をついた。通常 は二人相部屋なのだが、今現在寄宿舎生活をする女性訓練生が数人しかいない ため、一人で独占している。そのままベッドに倒れこんだ。 不思議なことに薫は編入初日だと言うのに、もうずいぶん長く高橋隊に所属 している気分になっていた。それは初対面にも拘らず、加藤達が屈託無く薫に 話しかけてくれたおかげなのかもしれない。││と言っても、話しかけてくる のは殆ど加藤で、山本はあまり自分から話すことはせず、加藤が飲み物を取り に行っている間交わした会話の他には、会話らしい会話はなかった。山本は時 折加藤が話を振っても短い受け答えしかしない。物静かだと言った兄の言葉は 正しか っ た よ う だ 。 ﹁加藤くんと山本くんか││﹂ − − 18 二人とも兄の話通り、優秀なパイロットであることは瞬時に理解できた。特 さば に加藤は兄の言葉そのままだ、天性の飛行機乗りだと。華麗で大胆な操縦桿捌 きには驚いた。それに引きかえ、山本は正確で繊細な操縦だ。それぞれの性格 を表し て い る 。 ︵彼が 山 本 く ん ⋮ ⋮ ︶ 思いがけず訓練学校で再会したのは山本も大層驚いていた様子だったが、薫 も負けず劣らず驚いていた。先日救護の研修で訪れていた中央病院で出会った のが山本だったとは。兄からよく話は聞かされていたが、二人がどんな容姿な のかは 知 ら ず に い た 。 病院の廊下での数分間にも満たない会話だったが、薫には強く印象に残って いた。山本は長身で長髪だし、何よりも端整な顔立ちをしていた。目立った存 在なのは間違いない。まるでファッション雑誌かテレビから出てきたモデルの ようだった。そう言っても殆どの人間は信用しそうだ。だが、別に彼の容姿の 良さだけが薫の印象に残っていたわけではない。薬を拾う際、思いがけず間近 で見た彼の瞳は、吸い込まれるような不思議な輝きを放っていた。 綺麗な瞳││素直にそう思った。澄んだ白目に鮮やかに映える虹彩が光の加 減で不思議な色に見えたのは気のせいか。強い意思を秘めた、それでいてその 奥に潜む優しい光。長い前髪で覆われ、片方しか窺うことのできない瞳だが、 それだけでも十二分に人を惹きつけるだろう。不意に病院での山本の優しげな 表情が浮かび、薫の頬は僅かに赤らんだ。 そして、少年に対する接し方。あの時薫が見た山本の姿は、兄の話から受け た印象とは大きくかけ離れていた。兄が薫に聞かせてくれた山本の話からは、 他人に干渉することを嫌い、そして干渉されることも嫌う、孤高の人というイ メージが真っ先に浮かんだ。だから薫は、山本は冷淡で近寄り難い雰囲気の人 物だと勝手に想像していたのだ。しかし││どうやらそれは少し違うようだ。 ︵まさか彼が山本くんだったなんて⋮⋮こんな偶然ってあるのかしら。││そ れとも、偶然じゃないのかな︶ 心の中で呟いて、薫はしばらくの間、枕に顔を埋めたままでいた。二人が出 逢ったのには特別な意味があると言うことを今の薫は知らない││知る由がな かった 。 − − 19 ﹁一緒にヤマトに乗り組めたらいいな││﹂ 薫は声に出してみたが、一人の部屋に返事をしてくれる者はいなかった。 初稿二〇〇三年五月 改訂二〇〇六年三月 改訂二〇〇七年六月 − − 20 砂糖菓 子 の 魔 法 本当にこんなことってあるんだ││っていうのが俺の今の正直な気持ち。全 く、俺らしくもないって思うけど、事実だから仕方がない。 俺、元々頭痛持ちなんだ。 ここ数日続いていた頭痛が今日は特にひどくて、しょうがないから午前中の 訓練を休んで、地球防衛軍中央大病院に行ったんだけど。 ずいぶん待たされた後に簡単な診察受けて、薬局で処方された鎮痛剤を受け 取った帰り。診察室から突然男の子が飛び出してきてさ、いくつくらいの子だ ろう⋮⋮十歳くらいかなあ? 俺の足にぶつかって、転んじまったんだ。ぶつ かった拍子に持ってた薬、全部廊下にばら撒いちゃったぜ。││結構焦ったよ。 だってその子、転んだまましばらくその場から動かなかったからさ。 ﹁おい 、 大 丈 夫 か ? ﹂ 慌てて抱き起こしたら、その男の子の後を追いかけて、白衣姿の女の子が診 察室から出てきたんだ。 小柄で華奢な、長い髪をした女の子。歳は多分⋮⋮俺と同じ位に見えた。か なり小っちゃかったな、俺の胸くらいまでしか身長がなかったっけ。 ﹁たっくん!﹂って、たぶん男の子の名前だと思うんだけど、呼びながら出て きた。白衣の胸元に︽研修中︾のプレートがついてたから、すぐに看護研修生 なんだ っ て わ か っ た 。 ﹁う⋮⋮ん﹂少ししてから男の子がそう返事したからホッとしたよ。 ﹁たっ く ん 大 丈 夫 ? ﹂ すごく心配そうな顔して、彼女は真剣に男の子の体を調べてた。だから、俺 は﹁怪我はしてないみたいだぜ﹂って言ったんだ。で、廊下にぶち撒けた薬を 拾い始 め た 。 すみません││彼女は申し訳なさそうに俺に謝ると、一緒に散らばった薬を 拾いながら、理由を説明してくれた。彼女が薬拾おうと屈んだ時、ふわりとい い匂いがした。たぶん、シャンプーの香り。 − − 1 微苦笑を浮かべながら彼女は、 ﹁ 診 察 で 恐 い こ と さ れ る っ て 思 っ た み た い で、 診 察 室 飛 び 出 し ち ゃ っ た ん で す﹂っ て 言 っ た 。 わかる気がしたよ。子供の頃って病院恐く感じるんだよな。医者は妙に威厳 がかって見えるし、診察室にある色んな器具も何に使うのかわからなくってさ。 それにあの消毒薬の匂い? あれも何か恐怖感を煽る感じがするし。兎に角、 子供には病院て所は恐いことされるってイメージがあるもんだ。その子の気持 ちがよくわかったから、つい笑っちまった。 ﹁男の子なんだから、そんなこと恐がってちゃ駄目だぞ﹂ ﹁お姉ちゃんがついてるから大 そしたら彼女も﹁そうよ﹂ってわ言らってから、 丈夫よ﹂と、男の子に向かって微笑ったんだ。 ││まるで砂糖菓子のような微笑み。 ││ふんわりと甘くて、優しく柔らかそうな。 桜貝色した唇││口許の両側にできる小さな笑窪が印象的だった。それから、 彼女は同意を得るかのように、その微笑みを俺にも向けた。 うん、やっぱり砂糖菓子のような微笑みだ。彼女が笑うと、辺りが甘い香り でいっ ぱ い に な る 。 初めて逢った俺に、こんな笑顔を見せてくれるなんて⋮⋮って思った。感動 したっていうか⋮⋮柄にもなくちょっとドキッとしちまって、しばらく彼女か ら目が離れなかった。││何か、心の中が温かくなった気がして。⋮⋮自分で も信じられないけど、本当にそう感じたんだ。こんなの初めてだ。それに、こ んな風に感じた自分にも、かなり驚いた。 その場で二人と別れて、病院出てから失敗したって気がついた。彼女のネー ムプレート見ればよかったって。俺ときたら彼女の笑顔ばかりに気を取られて て、肝心な名前見るのすっかり忘れてたんだ。そこから引き返す訳にもいかな くて、そのまま訓練学校に戻っちまったけど。 でも、学校戻ってからも心のどこかでずっと後悔しててさ。おかげで、午後 の訓練なんかちっとも身が入らなかったぜ。心非ずって感じで、何をしても全 然手につかなくってね。いつもの俺からは考えられねえよって、自分でも内心 苦笑いするしかなかったな。 − − 2 加藤に﹁どうしたんだよ?﹂って訊かれたけど、本当のことは間違っても言 えないしな。実は、今日病院で逢った女の子のことが気になってさ││なんて 言ったら、どうせ冷やかされるに決まってんだ。それこそすごい勢いで。 今ベッドの中なんだけどさ、目を瞑ると自然に彼女の笑顔が浮かんでくるん だ⋮⋮。一体どうしちまったんだろう、俺。 ││参ったな、何か魔法にかかっちまったみたいだ。彼女のあの砂糖菓子の ような微笑みの魔法に。たった一度逢っただけだっていうのに││。まるで熱 に浮かされたみたいにぼうっとしてる。 俺、神様なんて信じてないし、だから今まで祈ったこともないけど、今晩は 信じてみようかなって気になってるよ。笑っちゃうな。 だけど、彼女に⋮⋮彼女にもう一度逢いたい││。 初稿二〇〇六年六月 − − 3 揺れる 想 い 山本達高橋隊の訓練生の一日はミーティングルームから始まる。 一 日 の ス ケ ジ ュ ー ル は 過 密 だ。 各 講 師 に よ る 講 義、 実 機 を 使 用 し た 整 備・ 保守作業、専門機器でのトレーニング、この他にもシミュレーション機を使っ た戦闘シミュレーションがある。中でも最近では取り分け戦闘シミュレーショ ン││実戦を想定した訓練が多くなっていた。本来ならば、シミュレーターを 使っての実戦訓練は三科生でその多くを履修するのだが、今は状況が違う。差 し迫った事情があった。 ミーティングルームでカリキュラムの発表後、各々班毎に別れての模擬戦闘 の訓練に入る。精巧に作られたシミュレーション機に映し出されるバーチャル リアリティの空間で一機また一機と、敵機若しくは味方機が撃墜されていく様 はさながら映画のワンシーンのようだ。 仮想現実空間での戦闘なので、撃墜されたところで本当に死ぬ訳ではなかっ たが、実機を精密に再現したこのコクピットでは、被弾すれば現実に近い衝撃 を味わうし、下手をすれば負傷する可能性はある。そして墜落の恐ろしさを体 感することになる。それは仮想空間の中の出来事とはいえ、相当な恐怖を受け る。その恐怖を克服できなければ、戦闘機のパイロットには到底なれない。幾 度となく訓練生達は仮想空間の中で﹁死の恐怖﹂を体験していた。緻密に計算 されたフォーメーション、少しでも隊列を乱せば仲間の機と接触する。 あと数週間後には実際の戦闘機を操縦し、戦闘に参加することになるかもし れない。それに備え、訓練生達は必死でカリキュラムをこなしていく。波動エ ンジンの組立も追い込みに入っていた。高橋の叱咤はますます厳しくなり、怒 声が容赦なく訓練生達に浴びせられた。 ﹁鶴見 ィ ! 貴様仲間を死なす気か、ボヤボヤするな!﹂ ﹁高橋 ! 反応が遅い! レーダーだけに頼るんじゃない!﹂ ﹁何やってるんだ村上! 遅れてるぞ!﹂ インカムを通じて高橋の怒声がパイロット達の耳元で反響する。 − − 1 1 もうヤマトの出航まで残された時間は少ない。訓練生達に課される課題は必 然と過酷さを増していった。毎日限界まで精神力も体力も削って疲れ果てて宿 舎に戻る。部屋に帰って寝て、朝起きてまたくたくたになるまで訓練に明け暮 れる。そして眠る。その繰り返しだ。 そんなある日、山本は図書室に本を返却しようと寮の部屋を出た。以前試験 のために借りた構造学の書籍を返すのを、ここしばらくの多忙ですっかり失念 していた。もう消灯時間まで一時間ほどしかない、ずい分遅い時間になってし まって い た 。 訓練学校内の図書室に向かって歩いている途中、吹き抜けの校舎の反対側の 実習室の一つに灯りが付いているのが目に入った。 ︵消し 忘 れ か ? ︶ 何となく気になったので本を返却後、その実習室に向かった。微かな灯りを 頼りに廊下を歩き、目的の部屋の前に立つ。ドアに嵌められた細い硝子部分か ら中をそっと覗いて見ると、そこには薫の姿があった。ひとり訓練機の模型を 前に、難しい顔をしてレポート用紙に何かを書き付けている。山本は静かにド アを開 け た 。 ﹁││ 薫 ? 何しているんだ﹂ 背中越しに突然声をかけられて、薫は文字通り飛び上がった。恐る恐る振り 向いた薫は山本の姿を認め、安堵の表情を浮かべた。 ﹁吃驚したー﹂大きく息を吐いて薫は力なく微笑んだ。 ﹁俺だって驚いたよ││こんな時間に一体何してるんだ﹂ ﹁うーん⋮⋮どうもメカ関係が弱くって。解らないなんて言ったら、兄に叱ら れちゃ う し ﹂ 薫は目の前に広げた何冊もの専門書を眺めて、ため息をついた。専門書には たくさんの付箋が貼られていた。 通常、艦載機の点検整備は専門の整備士がする。だが、操縦士にも最低限の 知識は必要だ。自分である程度の整備ができないと話にならない。緊急時に整 備士が近くにいるとは限らないからだ。薫の場合、週に一∼二回中央病院での 研修もあるので、必然的に履修が遅れてしまうのだ。それをこうして取り戻そ うとし て い る 。 − − 2 ︵疲れているだろうに⋮⋮︶ 山本は薫の顔を見た。 薫も山本を見上げてくる。その顔を見て、 ﹁俺でよかったら力になるよ﹂ 山本の口から自然にそんな言葉が出た。 ﹁本当 ? 嬉しい﹂ 薫は目を輝かせ、本当に嬉しそうな笑顔を山本に向けた。 ︵不思議だな、こいつの笑顔見てると落ち着くというか、穏やかな気持ちにな る⋮⋮。そう言えば薫が高橋隊に来てから、隊の雰囲気が変わったかもな。加 藤は薫のこと本気で気に入ってるみたいだし││。初めて逢った時も思ったけ ど、薫の笑顔って何か特別なんだよな。この笑顔の為なら、自分が少しでも力 になれ る の な ら │ │ ︶ 薫の笑顔につられて山本も自然優しい表情になる。 ﹁ああ ﹂ 山本は薫の隣の椅子を引っ張り出して腰掛けた。 ﹁じゃあ、早速で悪いんだけど﹂ 薫がノートと専門書を広げ、懸命に訊ねてくるのを聞きながら、山本は不思 議に穏やかな気持ちでいた。もうすぐ危険な航海に出るかもしれない、こんな 時なの に │ │ 。 二人が出逢ってから僅か二週間ほどしか過ぎていなかった。しかし、矢継ぎ 早の質問に答えながら、自分の中にかつて経験したことのない不思議な感情が 急速に広がっていくのを、山本ははっきりと感じ取っていた。 − − 3 飛行科に在籍する訓練生達は来る日に備え、ヤマトに配備される型とほぼ同 等の戦闘機を使った訓練に入っていた。 赤茶けた地上を初めて空から見た時は不覚にも涙が出そうだったぜ、と後日 加藤は言ったが、その気持ちは山本もよく理解できた。恐らく他の者も同じ思 いでいることだろう。一刻も早く元の青い地球に戻したい││共通の思いをそ れぞれの胸に秘め、厳しい訓練に耐えている。 一日の訓練を終え、反省会を兼ねたミーティングを済ませた訓練生達が部屋 から出てくるのを廊下で待つ人影があった。 教室から出た加藤がすぐに気付き、何の躊躇いもなく近付いて行った。後か ら遅れ て 山 本 も 続 く 。 ﹁薫、こんな所で何やってるんだ? あれ? 今日は病院だったんだろ?﹂ 向き合って加藤が訊ねると、私服姿の薫は小さく頷いた。 ﹁うん、そうなんだけど﹂ ﹁誰か 待 っ て ん の ? ﹂ 重ねて訊ねる加藤に言い難そうに薫は答える。 ﹁う⋮⋮ん、その、山本くんを﹂ ﹁俺? ﹂ 山本は少し驚いたような声を上げた。 ﹁ふうん、俺はお邪魔みたいだな﹂ 何か含むような物言いで加藤はにやにやしながら山本と薫を交互に見やり、 その表 情 を 窺 う 。 ﹁んじゃ、邪魔者はさっさと消えるとしますか﹂ ﹁加藤 く ん ⋮ ⋮ ﹂ 意味深な言い方に薫は僅かに顔を赤らませ、そして困ったように視線を床に 落とし、片や山本は薄い唇を軽く突き出し睨んだが、それを加藤はさほど気に する様子でもなく、いつもの調子で朗らかに笑いながら、 ﹁いいっていいって、気にすんなよ﹂ − − 4 2 じゃあな││と掌をひらひらさせて廊下を歩き始め、やがて少し前を行く他 の訓練生達に追いつくと合流してそのまま彼らと行ってしまった。 廊下には山本と薫しか残されていない。二人きりになったのを確認して、山 本は薫 に 訊 ね た 。 はにか ﹁何? 俺を待ってたって、何か用?﹂ ﹁あの⋮⋮この前のお礼がしたくって﹂ 含羞みながら薫は言った。 ﹁お礼 ? ﹂ ﹁そう。ほら、一昨日色々教えてもらったから﹂ ﹁ああ │ │ ﹂ 実習室での勉強会から二日が経っていた。ご丁寧にお礼などと、薫の律儀さ が可笑しくて山本の口許に自然と笑みが浮かんだ。山本はそれを噛み殺すよう にして 答 え た 。 ﹁そんなの気にしなくていいよ、大したことじゃない﹂ ﹁でも ⋮ ⋮ ﹂ ﹁そんなお礼されるほどのことじゃないよ。だから││﹂ 本心だった。当然のことながら見返りなど求めてはいなかったし、改まって お礼をされるようなことでもない。そう思って山本はさして深く考えずに言っ たのだが、拒絶と受け取ったのか薫の表情が僅かに曇った。先程までと打って 変わり、沈んだ表情で俯き加減になった薫に、山本は軽く息を呑んだ。 ︵あ⋮⋮そんな顔するなんて反則だ︶ 小柄な薫は背の高い自分と並ぶと胸の辺りまでしかない。だから常に見下ろ す感じになるのだが、こうして俯かれてしまうと全くと言っていいほど表情が 見えなくなってしまう。山本は狼狽し、慌てて言葉を探す。 ﹁でも⋮⋮そうだな、折角の申し出だからお茶でもご馳走になるかな﹂ 折角の好意を無下に断ることもないかと考え直した山本がそう言うと、薫は ぱっと 顔 を 上 げ た 。 ﹁うん ﹂ 先程一瞬見せた翳りは影を潜め、いつもの笑顔で頷く薫に山本は内心苦笑し ながら、ゆっくりと歩き始めた。 − − 5 山本と薫は夕食後に訓練学校内にあるカフェで待ち合わせた。思ったより店 内は混んでいて賑やかだった。約束どおり薫が飲み物の支払いを済ませ、飲み 物を載せたトレイを持って二人は空いている席に腰を降ろした。 ﹁この間はどうもありがとうございました﹂ ﹁どう い た し ま し て ﹂ 席に着くなり薫は大仰に頭を下げたので、山本も恭しく応える。 ﹁本当にこれだけでいいの?﹂ ﹁何が ? ﹂ どこか不安そうな、申し訳なさそうな薫の声に山本は戸惑った。 ﹁だから⋮⋮コーヒーご馳走するだけで﹂ いつものように山本の前にはコーヒーの入ったカップが置かれている。 ﹁ああ。これで十分だよ﹂ 微かに笑って山本はカップに口をつけた。休憩時間や食事の時と同じく、普 段から見慣れている仕草。薫は山本がコーヒー以外の飲み物を口にするのを見 た印象がなかったので、ふと訊ねてみた。 ﹁山本くんて本当にコーヒーが好きなのね。何で?﹂ ﹁何でって訊かれても⋮⋮困るな﹂ カップを受け皿に戻しながら山本は少し困ったような顔をした。確かにコー ヒーを飲むことが多かったが、何故かと改めて訊かれると自分自身でもよく解 らない。山本は暫し考えるような表情をした。 ﹁そうだな、家にいた頃よく飲んでたからかな﹂ ﹁ふう ー ん ﹂ ﹁││母親がね、無類のコーヒー好きで。父親も好きだったけど﹂ 家 に い た 頃、 朝 に な る と 家 中 に 漂 う コ ー ヒ ー の 芳 香 が 好 き だ っ た。 ど ん な 場合でも毎朝母親は必ず淹れたてのコーヒーを用意してくれた。朝食を抜くこ とが多かった山本だったが、母親が淹れてくれたコーヒーだけは飲んで学校に 行った 記 憶 が あ る 。 − − 6 3 うんちく ﹁普通さ、子供にはあまりコーヒーって飲ませないもんだろ? けど、お袋は そんなの全然気にしない人だったから。何処何処の豆がどうとか、この煎りが どうのとか、まだガキだった俺に薀蓄たれるんだぜ。砂糖を入れると味が解ら なくなるから駄目とか⋮⋮ね。信じられねえ母親だよな。何ていうか、飲み物 に拘る人だったんだ。だから、コーヒーとか紅茶とか何種類もあったな﹂ ﹁それで山本くんも自然にコーヒー党になっちゃったんだ﹂ いつになく饒舌な山本の説明に薫はくすくすと笑った。 ﹁そう ﹂ ﹁山本くんはお母さんに似たのね﹂ ﹁⋮⋮それはないと思うけど﹂ 山本は母親の顔を思い浮かべた。明るく朗らかで楽天的な性格。いつも笑っ ている人で、三人家族だったが家の中は兎に角賑やかだった。間違っても自分 とは似ても似つかない。 − − 7 ﹁山本くんのお母さんてどんな人?﹂ ﹁俺の お 袋 ? ⋮⋮そうだな、加藤みたいな感じ﹂ ﹁加藤 く ん ? ﹂ ﹁ああ。あの面倒見がいいっていうかお節介っていうか││無駄に明るいとこ ろなんかそっくりだな。ひょっとしたら俺じゃなくてあいつがあの人の息子な んじゃないかって思うくらい﹂ 初めて出会った時の加藤の印象は最悪に近いものがあったが、寮が同室にな り一緒に生活するようになって、比較的短時間で打ち解けることが出来た。山 本にしては珍しいことだった。それが何に起因しているのか当時は解らず不思 議に思ったが、加藤の性格が母親によく似ていると暫らくして気付き、密かに 納得した。明るさは元より、妙に度胸が据わっているところもそっくりだ。見 ⋮⋮ごめんなさい、ちょっと想像つかないわ﹂ 事に二人の性格は似ている。 ﹁そう な の ﹁そう言や薫だってコーヒー好きだろ? 今日は紅茶だけど﹂ がっているのかと時折思うのだから。 意外だと言わんばかりに薫は目を丸くした。想像つかないのも無理はないだ ろう。本人でさえあの陽気で賑やかなことが大好きな母親と、本当に血がつな !? ア メ リ カ あまりにも薫が真面目な顔をして聞き入っているので、家族の話をするのが 面映くなった山本は少々強引に話題を変えた。 ﹁うん。向こうはコーヒースタンドがたくさんあったから、飲む機会が多かっ たし。スタンドによって味が違うから、友達と美味しいお店をよく探したりし たのよ ﹂ 突然山本は声を潜めた。 ﹁⋮⋮ここのは今ひとつだよな﹂ ﹁そうね、大きな声じゃ言えないけど﹂ 薫も 小 声 に な る 。 ﹁俺⋮⋮前は週末になると外に飲みに行ってたんだ。たまたま美味いコーヒー を出してくれる店を見つけたから﹂ ﹁そう な の ? わざわざ?﹂ ﹁うん。ここのところ忙しくて最近は全然行ってないけど。そこのコーヒーの 味は俺 が 保 証 す る ﹂ ﹁ 山 本 く ん が 美 味 し い っ て 言 う ん じ ゃ 相 当 期 待 で き そ う ね。 何 せ 筋 金 入 り の コーヒ ー 好 き だ も の ﹂ 薫はそう言って柔らかい声で笑った。 ﹁そうだ、今度連れて行くよ﹂ ﹁何処 に ? ﹂ ﹁俺がいつも行ってたコーヒースタンド﹂ ﹁本当 ? ﹂ ﹁ああ。まあ⋮⋮イスカンダルから還って来てからの話だけどな﹂ ﹁そうね││でも、それでもいい、楽しみにしてるわ﹂ じゃ、指切り││と薫は右手の小指を差し出した。ほんの一瞬躊躇した後、 山本も同じように小指を差し出す。互いにほんの僅か指を絡め、薫はお決まり の台詞を子供のように無邪気に言った。 ﹁││ 指 切 っ た ﹂ 薫の仕草が可愛くて、山本は思わず笑った。それを見た薫は、 ﹁あ、今山本くん私のこと子供っぽいって思ったでしょ﹂ 上目遣いで軽く睨んだ。 − − 8 ﹁いや、そんなことないよ﹂ ﹁思っ て る わ ﹂ ﹁思っ て な い よ ﹂ ﹁絶対 思 っ て る ﹂ ﹁思っ て な い っ て ﹂ 山本が笑いながら答えると薫は少しむきになって詰め寄った。 ﹁じゃあ、何で笑ってるの?﹂ ﹁さあ、何でだろうな﹂ ﹁もう ﹂ 拗ねたように小さく口を尖らせる薫を見て、山本はますます笑った。全く、 どうしてこんな些細なことで笑えるのか。様々な表情や仕草を見せる薫にやや もすると翻弄されそうになる自分に多少の驚きを感じるが、決して嫌な気分で はない。寧ろ、こうして二人で時間を過ごすのはこの上なく楽しく、居心地が いい。何故そんなふうに感じるのか理由はよく解らなかったが、山本はこのシ チュエーションを存外気に入っていた。 ﹁でも、いいわ。約束破ったら本当に針千本飲ませちゃうから﹂ ﹁俺は 約 束 は 守 る よ ﹂ 急に山本は真顔になった。 ﹁え⋮ ⋮ ﹂ 真剣な眼差しに薫の鼓動は予期せず高鳴った。 ﹁必ず ﹂ ﹁⋮⋮ う ん ﹂ きっと山本は約束を守ってくれる。山本の言葉に薫は素直に頷いた。小さな 約束だったが、薫はとても嬉しかった。 二人とも疾うにカップの中は空になっていたが、取り留めのない話は尽きる ことはなく、時間も忘れ会話を楽しんでいた。会話の途中で何気なく壁に掛け られた時計に目をやり、山本は驚いた。カフェの閉店時刻が間近に迫っていた。 待ち合わせしてから実に二時間近く居た計算だ。周りを見ると自分達の他には 数人しかいない。店に入った時にはかなり混んでいたはずだ。ずいぶん長居を していたことに驚きつつ、山本は薫に告げた。 − − 9 ﹁薫、もうすぐ閉店だ﹂ ﹁もう そ ん な 時 間 ? あっ、いけない! 私これから病院に提出するレポート 書かなくちゃいけないんだった﹂ っ ち あっち 反射的に時計を見て、突然思い出したのか薫が焦ったように言ったので、そ れを聞いた山本は若干憂慮な面持ちになった。 ﹁大丈 夫 か ? ﹂ ﹁たぶん何とかなると思う⋮⋮けど﹂ こ 何とも自信なさ気な言い方に山本は苦笑する。 ﹁本当に大丈夫なのか? 訓練学校のことなら兎も角、残念ながら病院のこと には手を貸してやれないからな﹂ ﹁⋮⋮解ってるわよ。大丈夫、一人でちゃんとできるわ﹂ ﹁それ な ら い い け ど ﹂ 何気なく店内を見渡すと、数名の店員達が忙しそうに後片付けをしている姿 が目についた。空のカップ二つを載せたトレイを持って立とうとした薫を山本 は手で制して、先に立ち上がった。トレイを返却口に戻して、人気のない閉店 間近のカフェを二人並んで出た。 宇宙戦士訓練学校がかつて地上にあった頃は、広大な敷地の中に校舎の他に 専用飛行場を有し、管制塔や格納庫はもちろんのこと、補給倉庫やその他様々 な建物が数多く敷地内に点在していた。グラウンドや体育館等も備わっていた が、地下都市に移転してからは規模は格段に縮小された。 現在の宇宙戦士訓練学校は変則的な三棟から構成されている。北棟と呼ばれ る別館は本館とは完全に独立した建物で職員棟として利用されており、別館か ら更に離れた場所にある旧館には整備・保守作業用に数機の戦闘機が置かれて いた。飛行場を保有していないので、実機訓練は最寄の防衛軍基地内の一角を 借り受けて行っている。 メインである本館は吹き抜けの構造物で、建物の下層が教室││所謂学校部 分に当たり、学校部分より上の四階が寮部分となっている。その四階部分は縦 三つに区画割されていて、通称中央棟と呼ばれる中央部分には生徒や職員達が 利用できる食堂やスポーツジム等の共同スペースがある。中央棟を挟んで東西 に分けられた部分││東棟が男子寮、西棟が女子寮になっていた。 − − 10 カフェやラウンジ等が設置されている本館一階のエントランスホールは広々 と し て お り、 吹 き 抜 け の 周 り を ぐ る り と 囲 む よ う に し て 行 き 先 別 の エ レ ベ ー ターが何基も上へ延びている。山本は東棟専用のエレベーターを、薫は西棟専 用のエレベーターを使うので、二人は一階のホールで別れることになる。がら んとしたホールで山本と薫は向かい合って立っていた。 ﹁今日はどうもご馳走様。けど、次からはこんな気を使わなくていいからな。 そんな大層なことじゃないんだし﹂ 山本が優しく諭すように言うと薫も微笑みながら頷いた。 ﹁うん。⋮⋮じゃあ、おやすみなさい﹂ ﹁ああ 、 お や す み ﹂ 互いに簡単な挨拶を交わして、二人は別々のエレベーターに向かいそれぞれ に歩き 始 め た 。 待ちに待ったヤマトへの選抜メンバーも発表され、実機での訓練も佳境に差 しかかっていた。後は出航日を待つばかりだ。ヤマトの艦載機チーム││別名 ブラックタイガー隊、隊長は加藤三郎、副隊長には山本明が任命され、それぞ れ配下に二個分隊を置く。通常、四個分隊で一小隊になるが、それを加藤隊と 山本隊に二分割する。つまり加藤小隊の隊長は加藤が兼任し、山本小隊の隊長 は山本ということになる。他に高橋隊で一緒に訓練した八人のうち、実に四人 がフライトリーダーに抜擢されていた。薫もフライトリーダーの一人だ。いよ いよ未知なる航海が目前に迫ってきている。 そんな慌しく過ごす中、予期せずできた空き時間に談話室で山本は加藤と雑 談していた。雑談の最中、突然加藤が切り出した。 ﹁││なあ、お前本当のところどう思ってんだ? 薫のこと﹂ ﹁⋮⋮ 何 だ よ 、 急 に ﹂ 出し抜けな質問に戸惑いを隠せず、どう答えたらいいものかと思案する間も なく、 ﹁俺は決めたぞ。イスカンダルから還ったら、あいつに告白する﹂ − − 11 4 加藤は立ち上がって拳を握ると力強くそう宣言し、山本は言葉を失った。加 藤の薫に対する気持ちは既に気付いていたが、改めて宣言されると││いや、 されても山本は困惑するしかない。 ︵⋮⋮相変わらずストレートな奴だ、羨ましい限りだぜ︶ ふと、そんな本音が危く漏れそうになり、慌てて堪えた。一瞬浮かんだ羨望 の眼差しを加藤には気付かれず、山本は胸を撫で下ろした。 加藤はソファーに座り直すと真剣な表情で山本を見据えた。 ﹁だけど、その前にお前の気持ちを確かめておきたかったんだ﹂ ︵だけど、って何だよ。俺の気持ちって⋮⋮何が言いたいんだ、こいつ︶ 内心悪態を吐いたものの、真っ直ぐな加藤の視線を真正面から受け止めるこ とが出来ず、やや狼狽気味に山本は言葉を探す。 ﹁何でそんなこと聞くんだよ、俺は││﹂ 山本はそこで一度言葉を切った。 ﹁俺は別に⋮⋮何とも思ってないよ、ただの仲間としか思ってない﹂ や け 本当に薫は自分にとってただの仲間か││? 胸の内で自身に反問する。 ︵そ れ は ⋮ ⋮ 違 う ︶ ﹁本当 か ? ﹂ ﹁本当 だ ﹂ 加藤に問いかけられ、反射的に肯定する言葉が口をついて出た。 ﹁本当にそれがお前の本心か?﹂ 猜疑に満ちた目で加藤は山本を見ている。それが鬱陶しくて山本は自棄気味 に言葉 を 続 け た 。 ﹁ああ。大体、女だてらに艦載機を乗り回すお転婆は俺の好みじゃない﹂これ 以上の問答は無用とばかりに山本は立ち上がると、まだ何か言いたそうな加藤 の肩を軽く叩いた。﹁││がんばれよ加藤。応援してるぜ﹂ 加藤は釈然としないまま立ち上がった山本の顔を緩々と見上げた。その肩越 しに人影が見え、加藤は息を呑んだ。 ﹁││ 薫 ﹂ 掠れた声で加藤が薫の名を口にし、それを耳にした山本は弾かれたように後 ろを振り返った。そこには茶封筒を手にした薫が立っていた。 − − 12 山本の表情が強張った。話を聞かれたか⋮⋮どこから聞いていたのだろう。 それを確かめる術はなかった。 薫は普段と変わらない様子で近づいてくる。 ﹁お、 お い 山 本 ﹂ 狼狽した加藤の声が遠くに聞こえる。最早他の訓練生達の談笑も耳に入らな かった。鼓動が激しく打ち、手足の感覚までが無くなりそうだ。山本は凍りつ いたように言葉を失ったままその場に突っ立っていた。 加藤は気を取り直して、いつもの調子で話しかけた。 ﹁よ、よう薫、どうしたんだ﹂ ﹁高橋教官から書類を預かってきました、加藤隊長﹂ 薫はいつもと同じく明るい口調で言って、書類の入った茶封筒を両手で丁重 に加藤 に 差 し 出 し た 。 ﹁そう か 、 サ ン キ ュ ﹂ 動揺を隠すように加藤は必要以上に明るい声で礼を言い、薫から書類を受け 取った 。 ﹁記入が済んだら教官室まで届けるように、ですって。それから、なるべく早 く提出するように││とも言ってたわ﹂ ﹁ああ⋮⋮解った。了解﹂ 用件を済ませ談話室を出て行こうとした薫は、立ち尽くしたままの山本の横 を通り過ぎる時、一瞬山本に視線を向け、哀しげに目を伏せた。瞬間交錯した 二人の視線は二度と交わることなく、抉るような痛みが山本の胸を貫いた。 立ち去る薫の後姿を見送りながら加藤が山本に言った。 ﹁おい、どうすんだよー、薫怒っちまったんじゃないのか?﹂ 加藤の位置からはどうやら薫の表情は見えなかったらしい。あれは││到底 怒っているようには見えなかった。伏せた睫毛が微かに震えていた。傷付いた のは明らかだ。話を全て聞かれていたに相違ない。 薫が談話室を立ち去った後も、山本は同じ場所で動けずにいた。胸の痛みは 未だ続いている。脈拍に合わせるように身体の奥深くできりきりと鋭い何かが 刺さっているようだ。痛みの正体を探るべく、懸命に思考を巡らせる。すれ違 い様に一瞬見せた薫の哀しげな表情が脳裏に焼きついて離れなかった。 − − 13 中 央 病 院 で 初 め て 彼 女 に 出 逢 っ た 日、 可 憐 で 優 し い 笑 顔 と 笑 い 声 に あ ん な に も 心 惹 か れ た。 異 性 に 対 し て そ ん な 風 に 感 じ た の は 後 に も 先 に も あ れ だ け だ。それどころか、再会を望みさえした。そんなポシビリティーのない望みが 叶ったのは奇跡としか言いようがない。奇跡は重なり、同じチームの一員とし て、一緒に過ごす時間までも与えられた。他愛もない会話に何故あれほど心が 弾んだのか。どうして安らぎを得ることが出来たのか。他の誰でも感じ得ない、 彼女だけに覚えた特別な感情。 ︵そう か ⋮ ⋮ こ れ が ︶ 突然、はっきりと薫に対する気持ちに気付いた。鈍いにも程がある。 ︵一体、俺は何をしているんだ︶ 胸の痛みは突如怒りに変わった。自分自身に対して激しい憤りを覚えた。何 故あんな言葉を軽々しく口にしたのか。それをよりによって当人に聞かれてし まうとは。全く間抜けとしか言いようがない⋮⋮間抜けというより馬鹿だ。薫 を傷つけた。しかも心にもないことを、思ってもない言葉で││。最悪だ。 ﹁早いとこ謝っちまえよ﹂ おずおずと、それでいて慰めるような加藤の言葉が癇に障り、焦慮に駆られ た山本はつい声を荒げた。 ﹁うるさい、放っといてくれ﹂ 吐き捨てるように言い残すと、山本は苛立ちも露に靴音を大きく響かせ、談 話室を 出 て 行 っ た 。 ﹁全く⋮⋮素直じゃねぇなあ﹂ そ の 場 に 一 人 残 さ れ た 加 藤 は 呆 れ 顔 で 呟 い た。 加 藤 に は も う と っ く に 山 本 の 気 持 ち な ん か 解 っ て い た。 仲 間 の 誰 よ り も 長 い 時 間 を 過 ご し て い る し、 性 格だって加藤なりに理解しているつもりだ。山本に薫のことを訊ねても素直に 白状するとは思ってなかったが、まさかこんなことになるとは。完全に想定外 だった。どう考えてもこの展開は拙かった。このままあの二人が気まずくなる のは加藤の本意でない。 ﹁ほんと素直じゃねぇよ﹂ 複雑な思いで加藤は同じ台詞を繰り返した。 − − 14 翌日、訓練学校の実習室に薫は姿を現さなかった。そしてその翌日も。薫が 中央病院に出向いていると思い至ったのは、あれから三日経った後だった。月 が変わり、十月になっていた。薫が続けて三日も訓練学校に顔を出さなかった のは初めてだ。恐らく病院で最終的な打ち合わせにでもしているのだろう。出 航日は目前に迫っていた。こんな気まずい思いを抱えたまま、ヤマトに乗り組 むのは 嫌 だ っ た 。 迷 っ た 末、 山 本 は 中 央 病 院 に 薫 を 訪 ね て 行 く こ と を 決 心 し た。 流 石 に 訓 練 自体はもう殆どないに等しい。出航に向け、様々な打ち合わせや準備等が多く なって い た 。 終了時間が来ると加藤には黙って、着替えもせずに真っ直ぐ病院へと向かっ た。薫が病院から出て来たところを捉まえるつもりで、病院前の小さな公園で 待つことにした。ここならば正面入り口も、通用口も見渡せる。公園では子供 が母親と楽しげに遊んでいた。 ベンチに座ってただ時間が経つのを待つ。落ち着かない気持ちで待っている と、突然女の声が耳に飛び込んできた。 ﹁やめ て 下 さ い ﹂ きれぎれに聞こえる会話から、どうやら女性は誰かに絡まれているようだ。 何気なく山本は声のする方へ視線を向けた。すると、正面出入り口ドアの前で 空間騎兵隊の隊員服を着た男が白衣の女性に絡んでいるのが目に入った。病院 の看護婦だろう、この位置からは後姿しか覗えないが、どこかまだ少女っぽい。 腕を掴もうと手を伸ばす男。懸命にその手から逃れようとしている少女。声さ え聞こえなければふざけあっているようにしか見えない。 ︵こんな所で何やってんだか⋮⋮︶ − − 15 5 山本は半ば呆れ顔でぼんやりと二人の様子を見ていた。ついに少女の腕が男 に捉えられた。男の手を振り解こうと少女は身体を捻り、今まで背を向けてい た彼女の顔が初めて見えた。 ︵薫 ︶ !? 山本は弾かれたようにベンチから立ち上がった。 ﹁やめて、離して下さい﹂ 薫は掴まれた右の手首を必死に振り解こうとしたが、男の力は一向に緩むこ となく、痛みに顔が歪んだ。 ﹁いいじゃねえか。俺は地球のために頑張ってんだぞ、ちょっとくらい付き合 えよ。減るもんじゃなし﹂ 男はそのまま力任せに薫を引き寄せようとする。 ﹁いい加減にして││﹂ そこまで言いかけた瞬間、薫の視界から男の姿が消えた。何が起きたのかわ からなかった。見ると、男はエントランスの床に倒れている。その男の横には 山本の 姿 が あ っ た 。 ﹁山本 ⋮ ⋮ く ん ? ﹂ ﹁いい加減にしろよ、迷惑がってるのが解らないのか﹂ 足元に倒れている男を冷たく見下ろし、山本が言った。普段の山本からは想 像もつかない行動と表情。信じられずに薫は自分の目を疑った。 ﹁貴様 ﹂ タイル敷きの床に倒れ込んでいた空間騎兵隊の男は勢いつけて立ち上がると、 いきなり山本に殴りかかった。 ﹁きゃ あ っ ﹂ 薫が 悲 鳴 を 上 げ た 。 山本は顔に強烈な右フックを喰らい、大きくよろめいた。口の中が切れたの が解った。血の味が口腔内に満ちる。 ﹁訓練生ごときが生意気なんだよ﹂ 空間騎兵の制服を着た男の肩が大きく上下していた。 ﹁この 野 郎 │ │ ﹂ 血の混じった唾を吐き、口許を拭って体勢を立て直すと、山本は拳を振り上 げた。山本の拳が綺麗に男の腹に決まり、男は苦しそうに呻いた。間髪入れず 続けざまに山本は殴りつけた。その後、互いに数発ずつ殴り合ったが、どう見 ても山本の方が優勢だった。双方の睨み合いが続く中、騒ぎを聞きつけた警備 員が駆けてくるのが見えた。 − − 16 ﹁山本 く ん 、 こ っ ち ﹂ 薫は、なおも空間騎兵に殴りかかろうとしている山本の手を引いて、通用口 に向かって走った。リネン室に飛び込む。ようやく呼吸を整えた薫が山本を見 ると、彼の口端が切れているのに気付いた。血が滲んでいる。 ﹁山本くん⋮⋮血が││﹂ 慌てて白衣のポケットからハンカチを出して傷に当てる。 ﹁あ、ああ⋮⋮大丈夫﹂答えながら山本は顔を顰めた。﹁薫は││大丈夫だっ たか? どこも怪我してない?﹂ ﹁ええ、私は大丈夫よ﹂ ﹁そう 。 よ か っ た ﹂ 傷口をハンカチでそっと押さえながら薫が山本に訊ねた。 ﹁どう し て こ こ に ? ﹂ ﹁いや │ │ ﹂ 山本はバツが悪そうに親指で頭を掻いた。そしてしばらく躊躇った後、思い 切ったように頭を下げた。 ﹁この前はごめん。心にもないことを言った﹂ ﹁え⋮ ⋮ ﹂ 薫は驚いて山本の顔を見た。 ﹁あんなこと言うつもりじゃなかったんだ﹂ 思い当たるのは先日の談話室の件しかない。 ﹁ああ││あの談話室でのこと?﹂ 山本は微かに頷いた。 ﹁本当のことだから気にしてないわ﹂ 薫は努めて明るく笑って言ったが、それは事実ではない。それまでにも似た ような言葉は家族や友人に何回も言われたが、自分自身得心していた所為か少 しも気にならなかった。だが、何故か山本の口から出た言葉は胸に突き刺さっ た。傷付いたと理解するまで時間はかからなかった。あの時の痛みが蘇り、次 第に笑顔は消えていく。 ﹁それを言いに⋮⋮わざわざ?﹂ 少しの沈黙後、薫は山本を見上げた。山本は真剣な表情で薫を見つめていた。 − − 17 ﹁とにかく、この前のことは悪かった。本当に俺、あんなこと⋮⋮思ってない から。あの時は成り行き上つい⋮⋮﹂ 売り言葉に買い言葉ではないが、加藤があんな質問さえしなければ、と思わ ずにいられない。それは八つ当たりだが。 ︵本当はお前のこと││︶ その先の言葉を山本は呑み込んだ。不意に加藤の顔が浮かんだ。加藤に訊か れた時にあれほど否定しておきながら、しかも応援するとまで言っていながら、 今更実は自分も薫のことが⋮⋮などとは口が裂けても言えない。言えるはずが なかっ た 。 ﹁すま な か っ た ﹂ 再び山本は頭を下げた。 ﹁もう謝らないで。解ったわ、じゃ聞かなかったことにする﹂ 笑顔で薫は言った。その言葉に、 ﹁ よ か っ た ⋮⋮﹂ 山 本 は 大 き く 安 堵 の 息 を 吐 い た。 ﹁許してもらえないかと 思って た ﹂ ﹁││意外と心配性なのね﹂ 薫は山本の意外な一面を見た気がした。先程の喧嘩にしてもだ。まじまじと 山本の顔を見ていると、 ﹁なあ、今日はもう終わり?﹂ 先程と打って変わり明るい調子で山本が言ったので、薫は慌てて答えた。 ﹁え、 え え ﹂ ﹁じゃあ││送ってくよ⋮⋮って同じ建物だけど﹂ 二人は顔を見合わせて笑った。 つい少し前と同じ公園のベンチに腰掛けていた山本は、私服に着替えた薫が 通用口から出てきたのを確認して、ゆっくりと立ち上がった。薫は小走りに駆 け寄る 。 ﹁ごめんなさい、遅くなっちゃって﹂ それに対して山本は答えず、首を横に振り、歩き始めた。 ﹁明日 は 訓 練 学 校 ? ﹂ − − 18 ﹁ええ、病院は今日で終わりだったの﹂ ﹁そう か ﹂ 傍らに抱えた大きなバッグには白衣とか沢山の資料が入っているのだろう、 山本は手を差し出すとその荷物を持った。薫はにっこりと微笑んだ。二人はし ばらく黙って並んで歩いていたが、不意に薫が口を開いた。 ﹁もう す ぐ ね ⋮ ⋮ ﹂ ﹁ん? ﹂ 山本は隣を歩く薫を振り返る。 ﹁来週にはヤマトでイスカンダルへ旅立つのね﹂ ﹁ああ。││早かったな﹂ 宇宙戦士訓練学校入学以来、ずっと続いた長く厳しい訓練も振り返ってみれ ば、あっという間に過ぎたような気がする。訓練学校の生徒からヤマト乗組員 選抜の話題が上ってからは特に、早く日々は過ぎた。そういえば薫が高橋隊に 編入してきたのは八月も終わる頃だったか、今はもう十月だ。 ﹁実を言うと少し⋮⋮ううん、かなり不安だったんだけど、山本くん⋮⋮達が いるからきっと大丈夫ね﹂ ﹁ああ、俺が⋮⋮俺と加藤がいるから大丈夫だよ﹂ 何があっても守ってみせる││山本は心の中で呟く。 ﹁頼り に し て ま す ﹂ 薫がぺこりと頭を下げた。 ﹁任せ て お け ﹂ 山本は胸を叩く真似をした。そうして病院から宿舎までの短い道程は瞬く間 に過ぎ、いつしか二人は薄暮の中、訓練学校の建物の前に立っていた。 ﹁じゃ 、 ま た 明 日 ﹂ 本館一階のホールに着くと、山本は持っていた荷物を薫に手渡した。この間 もこの 場 所 で 別 れ た 。 ﹁どうもありがとう、また明日﹂ 荷物を受け取りながら薫は礼を言った。背を向けてゆっくりと歩き出した山 本は一度だけ振り返り薫に手を挙げ、そして彼の居住ブロックへ続くエレベー ターへと再び歩き始める。 − − 19 去って行く山本の後姿をその場で見送りながら、薫は思っていた。もう十分 だった。山本がわざわざ謝罪しに病院を訪ねてくれたことは驚きだったが、同 時に彼の誠実さが感じられて嬉しかった。たった一言の言葉で、ここ暫らくの 間塞ぎこんでいた心も晴れた。これ以上、何を望むことがあるだろう。二人の 心は出逢った頃より遥かに近付いていた。これからもずっとこのままでいたい と⋮⋮そう薫は思わずにはいられなかった。 − − 20 ﹁加藤、食事行ったか?﹂ 部屋のドアを開けるなり山本は加藤に声をかけた。加藤はベッドの上に寝転 がり、テレビを見ていた。大儀そうに身を起こし、山本を振り返る。 ﹁おう、どこ行ってたんだ?││なんだその怪我、どうしたんだ?﹂ 加藤は山本の口元の傷に目を留め、訊ねた。 ﹁あ⋮ ⋮ あ あ 、 こ れ ? いや、別に何でもない﹂ 山本は反射的に口元に手をやった。 ﹁何でもないってお前⋮⋮﹂言いかけて、加藤は訝しげな表情になった。 ﹁何 かいいことでもあったのか?﹂ ﹁え? ﹂ 山本は制服を脱ぎながら、加藤を振り返った。 ﹁嬉しそうな顔してるぜ﹂ 加藤はまじまじと山本の顔を覗き込む。怪我しているにもかかわらず、山本 は今にも鼻歌でも歌いそうな様子だ。着替え途中の山本をよくよく見ると、制 服のズボンは薄汚れているし、上半身のあちこちにも痣がある。喧嘩でもして きたのか││と加藤は思った。 ﹁そんなこと││そうか、俺も少しは表情に出るようになったか﹂ 重苦しかった胸の痞えが取れて晴れ晴れとしていた。ここ数日間は眠りも浅 かったが、今夜はぐっすりと眠れそうだ。 脱いだ制服をベッドに投げ、クローゼットから白いコットン・シャツを出し 手早く袖を通すと、続いてベッドに腰掛けて色褪せたジーンズを穿く。 ﹁何言ってんだ、お前﹂ 事情が飲み込めない加藤はますます怪訝そうな顔をした。何処から見ても誰 かと喧嘩してきたのは一目瞭然なのに、山本はすこぶる上機嫌に見える。こん な山本を見るのは初めてだった。 ﹁いや、こっちの話。さあ、早いとこ行こうぜ﹂ 枯葉色のセーターを肩にかけながら、山本はドアを開けた。 − − 21 6 ﹁あ、 あ あ ⋮ ⋮ ﹂ 加藤は慌ててテレビのスイッチを切り、山本の後を追いかけた。食堂に向か う途中、加藤は何度も山本から話を聞きだそうとしたが、それは全て失敗に終 わった。﹁さあ﹂とか﹁別に﹂とか、実に山本らしいつまらない返事ばかりで 一向に埒が明かない。いい加減諦めて口を閉ざした時、背後から二人を呼び止 める声 が し た 。 ﹁加藤 、 山 本 ﹂ 名前を呼ばれた二人が振り向くと、そこには教官の高橋の姿があった。 ﹁高橋 教 官 ﹂ ひそ 二人は並んで敬礼する。まだ制服姿のままの高橋はゆっくりと二人に近づい てくる。二人の前に立つと、高橋は山本の傷だらけの顔を見て怪訝そうに一瞬 眉を顰めたが、理由は敢えて訊ねなかった。 ﹁二人とも││いよいよだな。だが、お前達ならきっと大丈夫だ。しっかり任 務を果たしてきてくれ﹂ 高橋は数多い学生達の中でも、加藤と山本に特に目をかけていた。手塩にか けた教え子の二人が揃って地球の存亡を賭けた未知なる危険な航海に出ようと している。二人を含む若い訓練生達に、地球の未来を託す。 ﹁はい ! ﹂ ﹁はい ﹂ 加藤、山本両名の力強い返事を聞くと、高橋は大きく頷いた。そして少し言 い難そうに言葉を続ける。 ﹁それと⋮⋮これは教官としてではなく、兄としての頼みなんだが﹂ 高橋にしては妙に歯切れが悪く、二人は不思議そうな顔をした。こんな高橋 の姿は見たことがない。二人が戸惑っていると、 ﹁妹を⋮⋮薫をよろしく頼む﹂ 突然高橋は深々と頭を下げた。 ﹁教官 │ │ ﹂ ﹁お前達が一緒だから心配はしていないが﹂ 頭を上げた高橋は笑っていた。 ﹁はい、彼女は自分達が必ず守ります﹂ − − 22 間髪入れずに加藤が明瞭な声で答え、山本も頷きながら、心の中で同じ台詞 を言っ た 。 それを聞いて高橋は再び満足そうに頷き、そして二人の肩を叩く。 ﹁頼んだぞ加藤、山本﹂ 今度は加藤と山本が同時に返答した。 ﹁はい ! ﹂ これから職員棟に戻るのだろうか、二人の元を去って行く高橋の後姿を見送 りながら、加藤が意気揚々と言った。 ﹁山本、必ず三人揃って帰還しようぜ﹂ ﹁ああ 、 当 然 だ ﹂ 二人は顔を見合わせると、腕と腕を軽くぶつけた。 初出︵旧・出逢い︶二〇〇三年五月 改訂二〇〇六年三月 新タイトル及び大幅加筆・修正二〇〇八年二月 − − 23 眠れぬ 夜 もうすぐ九月も終わろうとしている。 ともき 智紀は言いようのない不安感に悩まされていた。あと何日 ここ 数 日 間 、 村 上 もしないうちに、波動エンジンを搭載した最新鋭の宇宙戦艦で未知なる航海に 出るというのに、気持ちがどうにも落ち着かない。ざわざわと心の壁を何かが 這うような。真っ暗な場所に一人立ち、四方からその空間が徐々に狭まり押し 潰されそうな、何とも形容し難い気分。元より然程強気な性格ではなかったが、 それにしてもずいぶんと弱気になっているという自覚があった。村上にとって こんな経験は初めてのことだった。 日 中 慌 し く 出 航 の 準 備 や 打 ち 合 わ せ な ど を し て い る 間 と か、 仲 間 達 と 他 愛 もない会話をしている時にはそんな不安感などすっかり忘れているのだが、夜 ベッドに入ると途端に思い出され目が冴えてしまい、気付くと明け方になって いる││そんな日が何日も続いていた。だから必然的に睡眠不足になる。大き な欠伸が口をついて出た。 村上は訓練学校の学食で昼食を摂っていたのだが、半端な時間だったため周 りには数える位の生徒しかいなかった。ヤマトの乗組員に選抜されてからとい うもの、村上達には既にまともな講義も訓練もなく、時間に追われた規律正し い学校生活とはしばらく疎遠になっていた。下級生や選抜に洩れたその他の生 徒達はとうに昼食を済ませ、学食は閑散としている。 村上は再び大きな欠伸をした。ふと、今みたいに一人になる時間ができると、 突如として睡魔が襲ってくる。そのくせ、頭の芯ははっきりと覚醒しているの だった 。 ││不安の理由はわかっていた。 まだ宇宙戦士訓練学校の生徒の身分で、重責ある航海の乗組員に選抜された こと。当初は大変な名誉と喜んだものだったが、時間が経つにつれその重圧を ひしひしと感じる。そして、十四万八千光年という気が遠くなりそうな距離の 航海││何が待ち受けているか知れない航海が怖いと言うのも正直な気持ちだ。 − − 1 1 それともうひとつ。往復一年もかかる航海中、この荒れた地球に残していく 恋人のことが気がかりだった。これが一番大きな不安要素だった。付き合って 以来、こんなに長い間離れ離れになるのは初めてだ。しかもこの間、連絡も容 易には取れない。思わず深い溜息をついた。 ︵俺は何をこんなに不安がっているんだ⋮⋮︶ 心の中で小さく呟いたが、その理由も村上にはわかっていた。 ││恋人の心変わりが怖かった。もしも自分の航海中に彼女が誰か別の男を 好きになったら⋮⋮。遠く離れていて、その心の隙間につけ込む奴がいないと は限らない。そう思うだけで、胸がきりきりと締め付けられる。 ︵嫉妬?⋮⋮存在するかどうかもわからない相手にか︶ 自 嘲 気 味 に 笑 い、 村 上 は カ ッ プ に 残 っ て い た コ ー ヒ ー を 飲 み 干 し た。 コ ー ヒーは当の昔に冷め切っていた。 ﹁どうした、眠そうだな﹂ その声に顔を上げると、山本が目の前に立っていた。さっきの大きな欠伸を 見ていたのだろう、手にしたトレイにはご丁寧にもコーヒーカップが二つ載っ ていた 。 ﹁ああ⋮⋮ここんとこ睡眠不足でさ﹂ 言われて山本が顔を覗き込むと、いつもは切れ長で涼しげな村上の目は赤く 充血し て い る 。 ﹁ふう ん ﹂ 気のない風に答えながら、山本は新しいコーヒーの入ったカップの一つを村 上の前に置いた。村上は礼を言い、カップを口に運ぶ。山本も自分のカップに 手を伸 ば し た 。 山本明。自分と同じく宇宙戦士訓練学校航空科所属。現在本科第一航空訓練 科、通称高橋隊でこの四月から一緒に訓練している仲間だ。全予科生に於いて トップパイロットを加藤と競う山本は、冴えた操縦技術と同様その性格も冷然 として い た 。 村上はそれまで自分は他人に対して冷淡なところがあると時折思うことが あったが、この男に出会ってそれは勘違いだったと気付いた。勘違いではない のかもしれないが、自分よりも更に上を行く人間に会ったのは初めてだった。 − − 2 山本に比べたら自分の冷淡さなんて可愛いものだ。いや、他人に対して十分友 好的か も し れ な い 。 山本は必要以上に他人に干渉しない。それと同時に干渉されるのも嫌う。そ れに村上と違い、山本は殆ど感情を表に出さなかった。もちろん怒ったり笑っ たりすることが全くない訳ではないが、表現が微小なのだ。 ││あの事故の時もそうだった。 村上が二科生に進級し三月も過ぎた頃、隣のクラスと合同講義が実施された。 合同講義は一月に一回程度の頻度で行われ、この時には本科の教官達も顔を揃 えた。これは翌年どのクラスに振り分けるかを決定する為の重要なファクター の一つだったので、ひどく緊張したのを憶えている。 隣のクラスにその山本と加藤がいた。予科生時分から山本の噂は加藤同様よ く耳にしていたし、何より隣のクラスなので顔を見かけることは頻繁にあった が、口を利く機会はなかった。なので、村上はこの合同講義の時、二人と初め て顔を合わせたのも同然だった。 丁 度 今 か ら 一 年 程 前 │ │ あ れ は 何 度 目 の 合 同 講 義 だ っ た か ⋮⋮。 山 本 は シ ミュレーション機を使った模擬訓練で、機械故障の所為で軽い怪我を負ったこ とがあった。一歩間違えればあわや大惨事にも為りかねなかった事故だったが、 周りの人間の顔色が蒼白になる中、事故に遭った当人は至って平静で、負傷し た││させられたのにも拘らず、その事故の首謀者に対して何ら怒りの感情も ひそ 表さなかったのには、大層驚かされた。事故の真相を知った時でさえ、山本は なじ ほんの僅か眉を顰めただけだった。一緒にいた加藤の方が余程腹に据え兼ねた らしく、首謀者を激しく詰っていたが、それでも山本は相手に向かって何も言 わなかった││関心無いとばかりに涼しい顔のまま。そんな態度の山本に業を 煮やした加藤がしきりに何かを言っていたが、それすら山本はまともに取り合 わなかったのを思い出す。 村上は、コーヒーを飲む山本の端正な顔をまじまじと見詰めた。この男にも 悩み事はあるのだろうか。不安で眠れない夜があるのだろうか││。 ﹁で、何が原因なんだ﹂ 山本はカップを受け皿に置くと、静かに訊ねた。 ﹁⋮⋮まあ、そんなたいしたことじゃないよ﹂ − − 3 ﹁眠れないほどのことなんだろ。││尤も、俺が聞いたところで気の利いたこ とが言えるかどうかはわからないけどな﹂ 村上は口を噤んだ。任務の重責に堪えられそうにないと言えば情けない奴と 思われそうだし、かと言って未知なる航海が不安だと言えば意気地なしだと罵 られそうだった。ましてや、女のことで悩んでるなどと言おうものならどんな 皮肉な台詞がその口から飛び出すか。考えるだけで背筋が寒くなった。 だが山本は至って真面目な顔で村上の言葉を待っている。村上は迷ったが、 素直に 本 音 を 言 っ た 。 ﹁││彼女のことだよ﹂ ﹁彼女 ? ﹂ 山本は軽く目を見開いた。 ﹁そう。││イスカンダルに行ってる間、会えないだろ。それが心配で﹂ 心の内を長々と説明しても仕方ないので、端的に話した。聞いている間山本 は時折小さく頷くだけで、一切言葉を挟まなかった。村上の話を聞き終えても 山本は何も言わず、再びカップを口に運んだ。自分から訊ねておきながら、何 も答えない山本に村上は鼻白んだ。 ︵何で黙ったままなんだよ││やっぱ呆れてんのか。それとも軽蔑してるのか。 ちぇっ、言うんじゃなかったぜ⋮⋮︶ アドバイス││とまではいかなくとも、何か勇気付けられるような言葉を期 待していた村上は落胆した。正直に打ち明けたことを少々後悔しつつ、敢えて 山本に 質 問 す る 。 ﹁山本 は ? お前恋人とかガールフレンドとかいないのか﹂ ﹁いな い ﹂ 今度は短い答えがあっさりと返こってきた。 ﹁そうか。││じゃあ、好きな娘は?﹂ この問いに山本は一瞬戸惑ったような顔をしたが、すぐに口の端だけで小さ く笑っ て 答 え た 。 ﹁ノーコメント。││今はお前の話をしてるんだろ、俺のことは関係ない﹂ ﹁ああ ⋮ ⋮ ﹂ 気の抜けたような返事をしながら、村上は不思議に思った。 − − 4 山本は同性である村上の目から見てもいい男だった。先ず、長身でスタイル が良い。細身で手足が長く、だが、けして痩せ過ぎで貧相な訳ではない。顔に 至っては文句なし、少し上がり気味なそれでいてはっきりとした二重で、睫毛 も長く、眉もきりりとしている。白目の部分が綺麗に白く澄んでいて、蒼味が かった虹彩を一段と引き立てていた。鼻筋も真っ直ぐに通り、隆い。大きくも なく小さくもない唇はやや薄かった。肌もニキビ跡ひとつない。髭も薄く、男 にしては顎の線が細いので、凡そ男臭いと言う言葉は当てはまらなかった。独 特の長い前髪が顔の半分を隠していたが、それでも顔立ちが整っているのは誰 の目にも明らかだった。余りにも整い過ぎで、作り物の印象さえ受ける。 おまけに、運動能力も人並み以上だったし、学績も常に上位にいた。これだ け異性を惹きつける要素に恵まれている男に、恋人がいないのは何故なのだろ うか。浮いた話ひとつ聞いたことがなかった。 確かに、宇宙訓練学校は他の学校と比べ格段に女子生徒数は少ない。その中 でも自分達が在籍する航空科は特に少なかった。操縦士コースに於いてはたっ た一人しかいない。だが、他の科には少ないとはいえ女子生徒はいるのだし、 また、知り合う機会など学校を一歩出ればいくらでもあるだろう。 ││これは好みの問題もあるだろうが、女性が山本を見た場合、十人中七・八 人は好ましく思うはずだ。実際、一緒にいると女性に依る視線の多くは山本に 注がれる。それなのに、山本は別段気にも留めない。却って嫌がっている節さ えあった。他の件に関してはポーカーフェイスでやり過ごすのに、これに限っ て不快な感情をはっきりと表す。 それが││そんな山本自身の性格が問題なのか。人から注目を集める容姿で ありながら、その実注目されることを嫌う。傍から見れば贅沢な悩みにしか思 えない 。 いっぱし 正直言って、村上は自分の容姿に多少の自信があった。背はそこそこ高いし、 顔も某人気俳優に似ていると言われていい気になっていたこともある。中等部 の頃から髪型や服装には人一倍気を使い、生意気にも一端いい男を気取ってい た。その努力の甲斐あってか、中等部時代はよく女子生徒から告白されたりも していた。尤も、今付き合っている彼女には自分から告白したのだけれども。 けしてナルシストではないが、鏡を見ることは嫌いではなかった。 − − 5 だが、そんな微かなプライドも山本に出会って木っ端微塵に砕け散った。悔 しいが、どう頑張っても元の素材の良さでは勝ち目がなかった。 ﹁長い の か ﹂ ﹁え? ﹂ ﹁だか ら 。 彼 女 と ﹂ 付き合って長いのか││と、山本は最後まで言わなかったが、言いたいこと は伝わった。山本は言葉も短く足りないことが多い。 ﹁あ、ああ。中等部からだから、もう三年位かな﹂ ﹁ふう ん ⋮ ⋮ ﹂ また山本は沈黙する。今度の沈黙は長かった。なかなか会話が進まないこと に苛立ちを感じて席を立とうとした瞬間、山本が口を開いた。 ﹁信じるしかないだろ﹂ ﹁信じ る ? 彼女を││ってことか﹂ 村上は浮かしかけた腰を降ろした。 ﹁いや 、 両 方 ﹂ ﹁両方 っ て ⋮ ⋮ ﹂ 意味がわからないといった風に怪訝そうな顔をした村上に、山本は言葉を続 けた。視線はまっすぐに村上の目を捉えている。 ﹁彼女もさ、きっとお前と同じくらい不安に思ってるんじゃないのか。いや、 それ以 上 か も な ﹂ そう山本に指摘されて、村上は小さく息を呑んだ。 山本の言葉は尤もだった。確かに村上は相手の気持ちを考えることを完全に 失念していた。一年もの長い期間、恋人と離れているのは相手にとっても同じ だ。同じように不安に思っていてもおかしくない││そんなごく当たり前のこ とにも気付かず、ひとりで思い悩んでいた。 ﹃両方﹄と言った山本の言葉には、村上自身の彼女に対する想い││相手を 想う気持ちを信じろという意味も込められているのではないか。圧倒的に言葉 が足りないから、足りない部分をこちらが勝手に推し量るしかないのだが、村 上にはそんな風に受け取れた。 全く独りよがりだった││。決まりが悪くて村上は思わず俯いた。 − − 6 ﹁不安なんて皆抱えてるさ。特に、この航海に参加する者なら抱えてない奴な んてい な い と 思 う ぜ ﹂ お前もか││と村上は訊ねようとしたが、思い留まった。たぶん、山本は答 えないと思ったからだ。 ﹁強く な る し か な い ﹂ 俯 い た ま ま の 村 上 に 山 本 は 言 葉 を か け た │ │ 低 い、 そ れ で い て 穏 や か な 声 だった。村上は顔を上げた。 ﹁強く ⋮ ⋮ ﹂ 強く││それは何に対してそうであれというのだ。もしも恋人が心変わりを していたら、その時に心が折れないような強さか。それとも、恋人を信じきる 強い心を持てということか││。そのどちらにも取れた。 わ ら ﹁そう﹂山本は一つ頷くと席を立った。村上の胸の辺りを指差しながら﹁答え 2 はお前の中にしかないんだぜ﹂そう言って、山本は微笑った。 使用したカップを返却カウンターに戻し食堂を出ようとした山本と入れ違い に、加藤が入ってくるのが見えた。二人は入口近くで二つ三つ言葉を交わすと、 そのままそこで別れた。その様子を村上はぼんやりと眺める。先程の山本の言 葉の意味を黙考していた。 加 藤 は 自 販 機 で 購 入 し た ジ ン ジ ャ ー エ ー ル を 片 手 に、 た っ た 今 ま で 山 本 が 座っていた椅子に腰を降ろした。 ﹁よっ、山本と何話してたんだ﹂ ﹁う⋮ ⋮ ん ﹂ ﹁どうしたんだよ、ぼーっとして。││ははあ、さては山本に何かこっぴどく 言われ た な ﹂ 笑いながら、加藤は缶のプルタブを引き起こす。村上は微苦笑し、首を横に 振った 。 ﹁違う よ 、 そ の 逆 ﹂ ﹁逆? ﹂ − − 7 ﹁珍しくあいつが普通に答えたもんだから、ちょっと面喰らっただけだ﹂ ﹁普通 ね え │ │ ﹂ 加藤はそれだけ言うと、ジンジャーエールを咽喉に流し込んだ。勢いよく飲 んだ所為で危く咽そうになる。村上はテーブルに身を乗り出した。 ﹁なあ、加藤。││山本でも悩んだり苦しんだりすることあるのか? 不安に なったりするのかなあ。お前はあいつと寮の部屋も一緒で付き合いも長いから、 俺よりも山本のこと色々知ってんだろ﹂ 村上の言葉に加藤は目を丸くし、 ﹁そりゃあーあるだろうよ、あいつだって俺達と同じ生身の人間だぜ、色々と 考えたり悩んだりするのは普通にあるだろ。ま、俺も山本の悩みなんて殆ど聞 いたことはないがな。けど、当たり前じゃん。何にも感じてなかったら﹂ ││化け物だぞと、呆れ顔で答えた。 ﹁けどさ、そうは見えないんだよな。何て言うか⋮⋮達観してるっつーか、そ んなこととは無縁って感じがするんだよ。何か山本って俺達凡人と違って現実 離れしてるみてえなとこあるから﹂ ﹁まあなぁ⋮⋮傍からはそう見えるよな。でもよ、意識的にしろ無意識にしろ、 あれが奴の性格なんだから仕方ないだろ。⋮⋮そう言やいつ頃だったかな││ 前に言ってたぜ、素直に感情を表現するのが苦手なんだと。何でなのかは自分 でもよくわからないってさ﹂ ﹁へえ⋮⋮山本がそんなこと言ったのか﹂ ﹁ああ。最初の頃は本当につまんない奴だったぜ。何を言ってもふうーんって 気のない返事ばかりでな。くだらない冗談なんて言おうものなら無言で冷たい 目で見やがるし、会話になんかなりゃしない。⋮⋮自分からは自分のことあま り話さなかったしな。こいつ何考えてんだ││ってよく思ったもんだ﹂ 入学式で見かけて加藤は山本を一遍で気に入った。他の奴等と目が違う。確 固たる信念を持った強い光を湛えた目。偶然にも選択コースが一緒で、学生寮 も相部屋だった。そんないくつかの偶然に加藤はちょっとした運命を感じたも のだった。すぐにでも打ち解けられると加藤は簡単に考えていたが、山本はな かなか心を開かなかった。一方的に加藤が話しかけるような日がずいぶん長く 続いた。いつ頃から山本と普通に会話できるようになったのだったか││。 − − 8 ﹁想像 つ く な ﹂ 村上は苦笑した。見ると加藤も同様の表情をしていた。 ﹁だろ ? でもな、一緒に同じ部屋で暮らすようになって段々打ち解けてきて、 そういう性格││感情表現が苦手なんだってわかったら、ああいう素っ気無い 態度も大して気にならなくなった。あいつも別に悪気がある訳じゃないからさ。 しばらくして俺の言葉にも大分反応するようになったしな。大抵の場合は辛辣 な皮肉だったけど。近頃はそれを聞くのも、少なくなったなあ。││あれでも 少しずつ変わってきてるんだよ﹂一息にそう言うと加藤は缶を口運ぶ。一口飲 むと、﹁特に、最近はあいつが苦手だって言ってた感情の表現も大分できるよ うになったみたいだぜ﹂ ﹁そう か ? 俺には今ひとつピンと来ないけど││何が原因なんだ?﹂ ﹁さあな。あいつも少しは成長したんだろ﹂ 頭の後ろで両手を組むと、加藤は大きく身体を仰け反らした。 ︵薫が来てから、山本は変わった││︶ 加 藤 は 山 本 が 変 貌 し た 理 由 は 薫 に あ る と 思 っ て い る。 薫 が こ こ に 来 て か ら の山本は確かに変わった。相変わらず無口で愛想はないが、どことなく雰囲気 や表情が以前より柔らかくなったと思う。山本は言葉にこそしないが、薫を意 識しているのは、三人で一緒にいる時などに何となく感じた。薫に好意を抱い ている加藤にはそれがわかる。加藤は今度のイスカンダルへの航海から無事地 球に帰還したら彼女に告白するつもりでいるが、実のところ山本の本心が気に なって仕方がなかった。山本が薫をどう思っているのか││。もちろん、最大 の関心事は彼女の││薫の気持ちなのだが。 出発前に加藤は山本本人に確認しようと思っていた。山本の答えがどうであ れ、訊かずにはいられない。訊いた後のことまでは全く考えていなかったが、 兎に角山本の気持ちを確かめたかった。そこで先日、加藤は思い切って山本に 訊ねてみたが、結果は散々足るものだった。予想通り、山本はあっさりと否定 した。それだけならよかったのだが、山本が本心を隠そうとして言ったと思わ れる言葉を偶然薫に聞かれてしまったのは予想外だった。あれ以来山本は塞ぎ 込んだように、殆ど口を利かない。時折大きな溜息をつくなど、後悔している 様子がはっきりと窺えた。山本にしては十分すぎる感情表現だ。 − − 9 ﹁俺にはあまりよくわかんないけど、長く一緒にいるお前がそう言うんじゃ山 本も変わったんだろうな⋮⋮﹂ 感心したように村上は頷いた。山本の話からずいぶん違う方向に思考が行っ てしまっていた加藤だったが、村上の声で我に返った。曖昧に返答する。 ﹁うん、まあ⋮⋮そういうことにしておいてくれ﹂ あんな状態の山本が村上に対して、ごく普通に接したということは加藤には 少なからず意外だった。以前の山本なら考えられない。機嫌の悪い時に話しか けようものなら八つ当たりともいえる理不尽な暴言を浴びせられるか、思い切 り冷たい目で睨まれるかのどちらかしかなかった。やっぱり山本は変わったと 加藤はつくづく思う。それを村上に一言で説明するのは難しい⋮⋮無理だ。 3 それからしばらく他愛も無い会話をしていた二人だったが、職員が食堂内の 後片付けを始めたのを機に立ち上がった。この後、ミーティングが待っていた。 また 夜 が 来 た 。 同室の者は既に寝付いており、時折鼾雑じりの寝息が聞こえてくる。それを 羨ましく聞きながら、ベッドの中で村上は相変わらず転々と寝返りを打ってい た。秒針の時を刻む音は部屋中に反響して耳に大きく突き刺さる。その音に耐 え切れず、思わず覗き込んだ時計の針は既に午前一時を指していたが、今夜も 眠れそ う に な か っ た 。 ︵不安のない人間なんていない││か︶ 冷静に考えてみれば簡単に気付きそうなものだが、そこまで気が回らなかっ た自分は相当切羽詰っていたのだろう。全く以って、慎重で冷静な自分らしく なかったと村上は自嘲する。 だが、昨夜まで悩まされていた重苦しい不安は山本と加藤に話したおかげで ずいぶんと取り除かれたような気がした。完全に払拭できた訳ではなかったが、 それでも話す前よりは格段に楽になったと思う。 ︵人は内面に抱えた様々な憂いを懸命に解消しようとする⋮⋮しなくてはいけ ないん だ よ な ︶ − − 10 村上は無理に眠ろうとするのを諦めた。眠れないものはどうしたって眠れな い。無意味な寝返りを打つのをやめて、部屋の天井を見上げた。仰向けの体勢 のまま手を伸ばし、ヘッドボード付属のライトのスイッチを入れる。小さなラ イトは弱々しい光を村上の周辺に投げかけた。暗闇に慣れていた目にはそんな 僅かな光でも眩しく感じられた。避けるようにゆっくりと瞼を閉じる。 村上は明日になったら恋人に連絡をしようと思っていた。何を話すかはまだ 考えていなかった。正直に思いの丈を全て話すか、それとも当たり障りのない 会話だけで済ませるか││。 いつもの自分ならきっと精一杯の虚勢を張り、弱い部分を必死に隠したかも しれない。けれども、今なら素直に心の内を話せる気がしていた。憂慮してい る内容を打ち明けたら彼女はどんな顔をするだろうか││。 自分のつまらない杞憂であって欲しいと願いつつ、今はただ無性に恋人の顔 が見たい││声が聞きたかった。 時刻は午前三時を過ぎていた。 村上の眠れぬ夜はまだ終わりそうにない。 だが、同じような夜を過ごしている者は他にも大勢いるのだろう。自分ひと りではないはずだ。そんなことをつらつらと思っているうちに、いつしか村上 は眠りに落ちていった。 二〇〇六年五月初稿 − − 11 特別休 暇 1 四日後にヤマト発進を控え、乗組員達には特別休暇が与えられた。山本はこ の休暇を利用して、久し振りに自宅へ顔を出すことにした。そういえば最後に 帰ったのはいつだったか││すぐには思いつかなかった。宿舎生活に入って、 数えるほどしか実家に戻っていなかったことに思い至る。 ︵親不 孝 か な ⋮ ⋮ ︶ そんなことを考えながらステーションのデッキを歩いていると、山本は突然 背後から弾むような声をかけられた。 みふゆ ﹁明! ﹂ ﹁美冬?﹂ 立ち止まり振り向くと、そこには幼馴染みの美冬が立っていた。美冬は少し 離れた場所から小走りに駆け寄ってくる。 ﹁久し振り。元気だった?﹂ ﹁ああ、久し振りだな﹂ ﹁││ずいぶん背が伸びたのね﹂ ﹁そう か ? お前はあまり変わってないな﹂ 山本とこうして向かい合うのは中等部卒業以来のことだ。あの頃はほんの少 し自分より高いくらいだったが、今では見上げるほどになっている。 ﹁うん、すごくかっこよくなったよ﹂ これはお世辞ではない、本心だ。遠目からでも山本だとすぐにわかるほど彼 は目立 っ て い た 。 ﹁⋮⋮ ﹂ それには答えず山本は歩き始める。急いで美冬は隣に並んで歩き出した。 ﹁今日はどうしたの?﹂ ﹁特別休暇。親父達に会いに帰ってきたんだ﹂ ﹁ふーん、私には会いに来るつもりじゃなかったんだ﹂ 美冬は膨れっ面をする。 − − 1 ﹁何言ってんだよお前﹂ ﹁明、宇宙戦士訓練学校行ってからちっとも帰ってこないんだもの。││やっ ぱり私も一緒に行けばよかった﹂ ﹁無理無理、美冬には絶対無理だよ﹂ 山本 は 手 を 振 っ た 。 ︵あんなきつい訓練、このわがまま娘に務まるものか︶ ﹁そんなのわからないじゃない﹂ ﹁わか る よ ﹂ ﹁明の 意 地 悪 ッ ﹂ 聞き流し、素知らぬ顔で山本は下りエスカレータに乗った。 ﹁俺は本当のことしか言わないんだ﹂ 美冬を振り返った山本は、人の悪い笑みを浮かべていた。 ﹁本当 の こ と ⋮ ⋮ ﹂ 山本のその言葉で、美冬はあのことを訊く気になった。 美冬と山本は父親同士が同じ開発局の技師、家も近所ということで家族ぐる みの付き合いをしていた。母親同士も気が合ったようで、小さい頃はよく互い の家を行き来したものだ。二人は歳も同じだったので小等部、中等部と当然学 校も一緒だった。やがて、遊星爆弾の放射能から逃れるべく、地下都市に居住 を移した際も、両家は二ブロックと違わない場所に居を構えた。 山本は中等部当時、女子生徒にとても人気があった。誕生日やイベントの日 には抱えきれないほどのプレゼントが届き、よく途方に暮れた顔をしていたも のだ。 だが、彼には容易に人を寄せ付けない雰囲気があり、実際には声をかけたく てもかけられないといった女子が殆どだった。たまに勇気ある女子生徒が告白 したりもしていたようだが、成功したという話は聞いたことがない。 その中で美冬だけは幼馴染みの特権をフルに利用して、常に山本にまとわり ついて い た の だ っ た 。 ︵私だけは違う、特別なの︶ そう美冬は考えていた。確かに山本自身も美冬に対しては他の女子とは一線 − − 2 を画していた。親同士の付き合いもあるし、あまり無下にもできなかったのだ。 もっとも山本にしてみれば、ただそれだけのことだったのだが││。 中等部卒業を間近に、山本が宇宙戦士訓練学校に進学すると知り、美冬は驚 き山本 に 詰 め 寄 っ た 。 ﹁明、技術学校に進学するんじゃないの?﹂ ﹁俺は別に親父の後を追うつもりはない﹂ ﹁だって!││てっきり技術科に進むとばかり思ってたのに﹂ ﹁頭を使うの苦手なんだ﹂ 山本は曖昧に笑った。 ︵嘘 ば っ か り ! クラスでいつも成績上位者に入っているくせに︶ ﹁だったら一言くらい言ってくれたって⋮⋮﹂ ﹁なんでいちいちお前に言わなきゃならないんだ﹂ そう冷たく言い放った山本に、美冬は自分という存在そのものが拒絶された 気がした。彼にとって自分は不必要な存在なのだ││そう思うと悲しくなり、 それ以上何も言えなかった。 彼は一人息子だったので、当然父親と同じ道をたどると美冬は信じて疑わな かった。だから自分も技術学校に進路を決めたのに。それなのに山本は見事に 予想を裏切ってくれた。何よりも自分に一言も打ち明けてくれなかったことが、 美冬に は 堪 え た 。 訓練学校に入学以来、山本は殆ど自宅に顔も出さず、会う機会もなかった。 休日に宿舎を訪ねようかと何度も考えたが、結局できなかった。時折母親が山 本の母から聞いてきた話をしてくれたが、想像以上に厳しい訓練をしていると 聞けば、訪ねたくても訪ねられない⋮⋮そんな状態だった。 ﹁ 明 く ん ね え、 忙 し い ら し く て 全 然 お 家 に も 顔 出 さ な い ん で す っ て。 あ ち ら のお母様も嘆いていらしたわ。何でも明くん、学校ですごく期待されてるんで すって よ ﹂ そんな話を聞けば自分のことのようにうれしかったものの、反面寂しい思い もした 。 いきさつ ︵明ったら連絡くらいくれたっていいのに︶ そんな経緯があったから、偶然彼を見かけた時の喜びは大きかった。 − − 3 数 日 前、 中 央 病 院 に 入 院 し て い る 友 人 を 訪 ね た 帰 り だ っ た。 中 央 ロ ビ ー か ら外を見ると、エントランスに宇宙戦士訓練学校の制服を着た背の高い男性が 立っているのに気付いた。あれは⋮⋮。 美冬は一緒にいた友人のことも忘れて駆け出した。 ︵明! ︶ 声をかけようとした時、山本の隣に小柄な女性がいるのに気がついた。遠く てはっきりと顔まで見えなかったが、腰まで届く長い髪が印象的だった。ちょ うど、山本が手を差し出して女性の荷物を受け取るところだった。 二 人 は 並 ん で 歩 い て い く。 女 性 が 笑 顔 で 彼 に 話 し か け る と、 山 本 も 笑 顔 で 何か答えている。美冬はあんな山本の顔を知らない││今までに見たことがな かった。足が止まった。声がかけられなかった。あんなに会いたいと思ってい たのに、美冬はそこから一歩も動けなかった。 ずっと気になっていたので、美冬ひはと思い切って山本に訊ねた。 ﹁ねえ││明、この前一緒にいた女性⋮⋮誰?﹂ ﹁え? ﹂ 突然そんな質問を投げかけられ戸惑う。 ひ と ﹁二∼三日前、中央病院で明と一緒にいた髪の長い女性﹂ ﹁ああ ⋮ ⋮ ﹂ 薫のことか、と内心呟く。 ﹁恋人 ? ﹂ ﹁いや、訓練学校の仲間だよ﹂ ﹁嘘、だって訓練学校って女の人いないんじゃなかったの?﹂ 疑い深げに美冬は山本の顔を見上げる。 ﹁数が少ないだけで、別に全然いないって訳じゃない。実際、他の科には何人 もいるし。彼女は少し前に他の学校から編入してきたんだ﹂ ﹁ふーん、そうなんだ。⋮⋮あの時の明、別人みたいだった﹂ ﹁何だ よ そ れ ﹂ ﹁あーんな明の顔、見たことないって言ってるの!﹂ そういうとツンと横を向く。 − − 4 ﹁⋮⋮ ﹂ ﹁すごい優しい顔してた⋮⋮初めて見た﹂ 美冬の声のトーンが下がる。 ﹁そんなことないよ。││大体、お前こんなところで何してたんだ﹂ 山本 は 話 を 逸 ら す 。 ﹁おば様から今日明が帰ってくるって聞いたから待ってたのよ﹂ ﹁そう ﹂ 素っ気無い言い方はあの頃と全然変わってない、美冬は懐かしく思った。 ﹁ねえ、いつまで休みなの? 今日帰るの?﹂ ﹁いや、明日の夕方までに帰ればいいんだ、最後の休みだからな﹂ ﹁そう │ │ ﹂ そうだ、山本は数日後にヤマトでイスカンダルへ出航するのだ。彼の母親が 先日家を訪ねてきた際にそのことを知った。子供の頃からの夢を現実のものと し、彼は旅立ってしまう。 ﹁じゃあ、今日の夜壮行会しない? 私も女の子連れてくるから、明も学校の 友達誘 っ て ﹂ 美冬は突然思いついたらしく、胸の前で両手をパチンと打ち合わせた。 ﹁いいよ、そんなことしなくて﹂ ﹁ だ っ て ⋮⋮ 明 イ ス カ ン ダ ル に 行 く ん で し ょ │ │ も う 会 え な い か も し れ な い じゃな い ﹂ 危険な航海だということは美冬も人から伝え聞いて知っていた。とても長い 旅。しかもあのガミラスと戦いを交えるかもしれないのだ。。 ﹁縁起でもないこと言うなよ﹂ 山本は露骨に嫌な顔をした。そんなことに構わず美冬は山本に向かい、手を 合わせ る 。 ﹁ね、 一 生 の お 願 い ﹂ ﹁││ ﹂ 美冬のしつこさに根負けして山本はついに首を縦に振った。 ﹁わかったよ⋮⋮ただし、何人来るかはわからないぜ﹂ ﹁いいわよ、明さえ来てくれれば﹂ − − 5 2 了解を取り付けた時点で美冬の機嫌は、現金なものであっという間に直って しまっ た 。 ﹁││という訳なんだ。加藤来れるか?﹂ 山本は承諾してしまった以上仕方なく、夕方近くにになると加藤に電話を入 れた。幸い加藤にはすぐに連絡がついた。既に宿舎に戻っているというので、 簡単にこうなった経緯を説明し、メンバーを集められるかどうかを訊ねる。 ﹁ああ、俺は大丈夫だ。あと小林と佐々木もいるし⋮⋮村上もいたかな。とに かく寮にいる奴全員に声かけてみるよ﹂ ﹁悪いな、せっかくの休みなのに﹂ 山本は済まなそうに加藤に言ったが、すっかり加藤は乗り気になっている。 元々騒ぐのが好きな性質だからしょうがない。携帯の小さなディスプレイには 満面の笑みの加藤が映っている。 ﹁いいってことよ。俺はお前と違って実家にはまめに顔出してたからな、全く 問題な し だ ﹂ ﹁それ は そ れ は ﹂ 突然、それまで笑顔だった加藤の表情が真面目になった。少し考えて加藤は 訊ねた 。 ﹁なあ、薫はどうする?﹂ ﹁薫か ⋮ ⋮ ﹂ ﹁あいつも仲間だから声かけた方が││やっぱいいよなあ。声かけないで行っ たら、仲間外れにしたみたいだもんな﹂ 山本も思案顔でしばらく考え込んでいたが、やがて呟くように答えた。 ﹁そうだな、来る来ないは本人の自由だし⋮⋮﹂ ﹁││ 大 丈 夫 か あ ? お前の幼馴染みなんだろ、その女の子﹂ ﹁どう い う 意 味 だ よ ﹂ ﹁薫に会わせてもいいのかっていう意味だよ﹂ ﹁別に 俺 は ⋮ ⋮ ﹂ − − 6 煮え切らない山本に、加藤は全部聞き終わる前に早口でまくし立てた。 ﹁ あ あ ー わ か っ た わ か っ た、 俺 の 方 で 適 当 に メ ン バ ー 集 め て 行 く よ。 じ ゃ あ な﹂ ﹁じゃ あ 後 で な ﹂ 3 携帯電話の通話スイッチを切って、山本は大きくため息をついた。 壮行会の会場に美冬が選んだのは、ステーション近くのカフェ・テリアだっ た。深夜遅くまで営業しているこの店は、多くの若者でいっぱいだった。よく 利用しているらしく、急な予約にもかかわらず快くOKを取り付けられたよう だ。 山本と美冬が連れて来た女友達が店に着いた時には、まだ加藤達は到着して いなかった。到着を待つ間、女の子に囲まれて居心地が悪そうな山本は、ドア が開く度に何度も振り返り、加藤ではないとわかるとため息をついた。 約束の時間から三十分が過ぎた頃、山本は痺れを切らし加藤に電話するため に席を立った。店の外に出て、上着のポケットから携帯電話を出しダイヤルし ようとした時、加藤を先頭に数人がこちらに向かい歩いてくるのが目に入った。 ﹁よおー、遅くなって悪い﹂ 加藤が店の前に立つ山本に気付き、声をかける。 ﹁何や っ て た ん だ よ ﹂ ﹁お姫様の支度に時間がかかったんだよ﹂ ﹁お姫様ぁ?││薫⋮⋮来たのか﹂ 加藤の後ろに薫の姿を認め、山本は思わず呟いた。薫は丈の長いワンピース を着ている。空色のそのワンピースは、彼女にとてもよく似合っていた。 ﹁あら、来たらまずかった?﹂ 薫は山本の顔色を伺う。 ﹁││そうじゃないけど⋮⋮﹂ ﹁さあ 、 入 ろ う ぜ ﹂ 加藤は戸惑っている山本にお構いなしに、店内へ足を踏み入れた。約束の時 − − 7 間に遅れた加藤等を連れて予約席と書かれた札のあるテーブル前まで戻ると、 美冬が待ちかねたといった表情で立ち上がった。男達の中に薫がいるのを認め た美冬は、山本に笑顔で頼む。この前中央病院で見たのはこの女性に間違いな い。長い、きれいな髪をしている。 ﹁明、 紹 介 し て よ ﹂ 山本はちらと薫の顔を見て、美冬に紹介した。 ﹁⋮⋮こちら同じ高橋隊の高橋薫さん。こっちは幼馴染みの倉田美冬さん﹂ ﹁はじめまして、美冬さん。今日はお招きありがとうございます﹂ 薫は笑顔で手を差し出した。美冬も負けずと笑顔で、差し出された手を握り 返した 。 ﹁こちらこそはじめまして、いつも明がお世話になっています﹂ ﹁美冬 ! ﹂ 山本は美冬の言いように不快そうな顔をした。 ﹁いいじゃない、別に﹂ ﹁俺は加藤三郎、山本とは入学以来の仲です﹂ 黙っていれば何を言い出すことやら││そう山本が不安に思った時、いつも の調子で加藤が自己紹介をしてくれたので助かった。雲行きが怪しくなってき たのを察知して、助け舟を出してくれたのだろう。 ﹁あ││ええ、はじめまして﹂ ﹁今日は俺達のために会を開いてくれて感激だぜ﹂ 加藤は美冬の両手を握ると上下に振った。加藤の行為に美冬は当惑した。 ︵別にあなた達のためじゃないのに⋮⋮︶ 美冬は咽喉まで出かかった言葉を飲み込んだ。精一杯の笑顔で山本の仲間達 に声を か け る 。 ﹁今日は楽しんでいってくださいね﹂ ようやくメンバーが揃ったところで、それぞれグラスを持ち乾杯をする。当 然グラスの中身はジュースだが。 美冬が連れてきた女の子は四人、加藤が連れてきた仲間は薫を入れて六人だ。 それぞれが即席カップルとなり、テーブル席で楽しげに談話していた。山本の 隣は美冬がずっと占領している。 − − 8 薫は少し離れたカウンターで村上と話していた。 ﹁あの子、山本に惚れてるな﹂ 村上が薫に話しかける。 ﹁ふふ、そうみたいね﹂ ﹁何かあいつ困ったような顔してないか﹂ そう言って、普段は涼しい顔の山本が困っている様子を愉快そうに見やる。 ﹁そんなことないわよ、だって久し振りに会ったんでしょ﹂ ﹁そう か な ⋮ ⋮ ﹂ ﹁そうよ、第一山本くんいつもあんな感じじゃない﹂ 飲み物を取ったり食べ物を持ってきたり、美冬は甲斐甲斐しく山本の世話を 焼いている。その様子を見て、 ︵あんな風に気が利く家庭的な女の子の方が彼にはあってるのかな⋮⋮︶ 薫はふとそんなことを考えた。 ︵彼のことがずいぶん好きなのね││︶ 話は聞こえなくても様子だけで十分わかる。薫はそんな二人を見て、軽い胸 の痛み を 感 じ て い た 。 ﹁薫﹂ 加藤がミネラルウォーターの壜とグラス二つを持って薫の横に座った。グラ スの一つを薫に手渡す。 ﹁あり が と う ﹂ グラスを受け取ると、加藤がミネラルウォーターを注ぐ。 ﹁いいのか、のんびりしてて。││山本とられちまうぞ﹂ ﹁やあね、加藤くんまで⋮⋮﹂ ﹁彼女││美冬ちゃん、そうとう山本に惚れてるみたいだぜ﹂ ﹁⋮⋮ ﹂ 薫が返事に困っていると、そこに携帯電話の呼び出し音が鳴った。 ﹁あ、 私 だ わ ﹂ 薫はバックを抱え、慌てて店の外に出た。短い会話を済ませた薫はすぐに店 内に戻 っ て き た 。 ﹁誰か ら ? ﹂ − − 9 ﹁う⋮ ⋮ ん 、 兄 か ら ﹂ ﹁高橋 教 官 ? ﹂ 加藤は薫の顔を見る。 ﹁ちょっと家に顔出せって。別にたいした用じゃないと思うのよ﹂ そう加藤に答えると、薫は美冬の前まで歩み寄る。 ﹁ごめんなさい美冬さん、兄から呼び出されちゃって。折角だけど、私これで 失礼す る わ ﹂ 窘める。 たしな 美冬は薫の手を掴むと引き留めた。 ﹁あら、まだいいじゃない。薫さんどうしても帰らないと駄目なの?﹂ 困ったような顔の薫に山本が美冬を ﹁美冬、無理言うなよ﹂ ﹁本当にごめんなさい、今日はとても楽しかったわ、ありがとう美冬さん﹂ 山本に窘められ不服そうな表情の美冬に、小さく頭を下げる。 ﹁薫、 送 っ て い く よ ﹂ 加藤がカウンター席から立ち上がった。 ﹁大丈夫よ、加藤くん。ステーションまですぐだもの﹂ ﹁でも﹂言いかけた加藤を手で制して﹁俺が送る﹂と、山本は席を立った。 ﹁明! ﹂ 慌てて美冬も立ち上がり、山本のジャケットの袖を掴んだ。その手を山本は やんわ り と 解 く 。 ﹁行こ う 、 薫 ﹂ そう薫を促すと、出口に向かって歩き始める。 ﹁あ、 で も │ │ ﹂ どうしていいか薫は困惑し、山本と美冬を見比べる。そんな薫に構わず山本 は彼女の背を促すように軽く押した。 ﹁いい か ら ﹂ ﹁明! ﹂ 二 人 が 出 て 行 き、 ド ア が 閉 ま る 音 を 聞 き な が ら 美 冬 は 叫 ば ず に は い ら れ な かった 。 − − 10 ﹁主役が抜け出したら彼女││美冬さんがかわいそうよ﹂ 歩きながら薫は何度もカフェ・テリアを振り返った。 ﹁別に俺一人のための壮行会じゃないよ﹂ 山本は薫が何故そんなこと言うのかわからないという顔をする。 ︵わかってないのね、あなただけのものなのに││︶ 山 本 が 店 を 出 る 時 の 寂 し げ な 美 冬 の 顔 が 浮 か ん だ。 席 を 立 っ た 山 本 の ジ ャ ケットの袖を掴んだ時の美冬は、泣きそうに見えた。 ﹁さっきの教官からの電話、何だって?﹂ ﹁さあ││きっと別に大した用じゃないと思うけど。何かしら﹂ ﹁心配してるのかな⋮⋮﹂ ﹁まさか。山本くん達と一緒だから心配なんてしてないわよ。却って安心して るわ﹂ ﹁そうか、それならいいけど⋮⋮。今日は悪かったな││なんか嫌な思いさせ たみた い で ﹂ ﹁そんなことないわ。そんな風に思ってないわよ﹂ 薫は 微 笑 ん だ 。 わがまま ﹁あいつ昔から自分勝手⋮⋮っていうか、我儘なところがあってさ。今日のこ とも突 然 言 い 出 し て ﹂ ﹁││ ﹂ うんざりといった表情の山本に、薫は返事ができなかった。だが、彼女の、 美冬の気持ちを考えると肯く訳にもいかない。 ︵本当に全然気がついていないのかしら⋮⋮︶ 山本の言うとおり、少し我儘だとしても、それは美冬が彼のことを好きだか らに他ならない。どうにかして山本の気を惹きたいという思いが、強く外に現 れてい る だ け だ 。 ︵普通の恋する女の子なのに││。山本くんて結構鈍感なのかも︶ 会話も途切れがちになってきた頃、目前にステーションが見えてきた。 ﹁ありがとう、ここで大丈夫よ﹂ ﹁薫│ │ 俺 ﹂ 立ち止まった山本に、薫は言葉を続けた。 − − 11 ﹁早く戻ってあげて、ね。彼女待っているわ。おやすみなさい﹂ ﹁⋮⋮ お や す み ﹂ まだ何か言いたげな山本に笑顔で手を振ると、薫は改札へと消えて行った。 たたずんで 山本が一人カフェ・テリアに戻ると、店の前に美冬が 佇 でいた。 ﹁明﹂ ﹁何だ、どうしたんだ﹂ ﹁彼女⋮⋮薫さん帰ったの?﹂ ﹁ああ、なんか高橋教官から呼び出されたみたいだ﹂ ﹁なーんだ、私達に気を利かせてくれたのかと思ってた﹂ さも残念そうに言う美冬に、山本は不機嫌になる。 ﹁美冬、いい加減にしろよ。そんなことばかり言ってると帰るぞ﹂ すると、美冬はもう我慢しきれないとばかりに、思いがけない言葉を投げつ けてき た 。 ﹁ 私、 好 き な の ! 明 の こ と が 好 き な の │ │ 小 さ い 頃 か ら ず っ と。 明 だ け を ずっと見ていたの⋮⋮でも明全然振り向いてくれなかった。いつかきっとって 思ってたのに⋮⋮ひどいよ!﹂ ﹁美冬 │ │ ﹂ 突然の告白に山本は驚きを隠せなかった。正しく爆弾発言だった。 確かに小さい頃から何かと一緒にはいたが、山本自身彼女をそういう対象と して考えたこともなかった。それに、美冬は結構それなりに男子生徒に人気が あったようだった。いつも取り巻きに囲まれて、こいつは華やかに笑っていた ような気がする。まさか自分のことをなどと⋮⋮想像もしていなかった。 しばらく考えている風だった山本が、ようやく重い口を開いた。できるだけ 優しく、言葉を選んで話しかける。 ﹁││お前は俺にとって幼馴染みだ、それ以上でもそれ以下でもない。それは これからもずっと変わらないよ﹂ 違う言葉を期待していた美冬は思わず涙ぐんだ。 ﹁ずいぶんはっきり言うのね﹂ ﹁悪い││でも他に言いようがない﹂ − − 12 困惑しきった様子の山本を、美冬は睨んだ。 ﹁明⋮⋮薫さんのこと好きなんだ﹂ ﹁美冬 ﹂ ﹁ちゃんと告白したの?﹂ とたんに山本は黙り込む。 ﹁してる訳ないか⋮⋮でもね明、言わなきゃ伝わらないこともあるのよ。相手 が気付いてくれるのを待ってるだけじゃ駄目よ﹂ ﹁俺は 別 に ﹂ ﹁大事なものを手に入れるには自分から動かなきゃ駄目だって言ってるの﹂ ﹁││お前にそんなこと言われるとは思わなかったぜ﹂ 山本は苦笑し美冬の肩を軽く叩くと、皆のいる店内へと戻っていった。 ︵⋮⋮言わなきゃ伝わらないこともある⋮⋮か︶ 4 当たり前の事に、今更ながら気付いた山本だった。 ﹁ただ い ま ﹂ 薫は久し振りに自宅のドアを開いた。玄関に揃えられた靴の中に、見慣れぬ 女物の靴があるのに気が付き、大急ぎでリビングに向かう。 さとる ﹁笙子 さ ん ! ﹂ 暁の婚約者だ。今はドイツで医師として働いている。兄が目の手術 笙子 は 兄 で渡欧した際、現地の病院で知り合ったのだ。 ﹁何ですか、薫。帰ってくるなり﹂ 母親の佳奈子が、帰るなりリビングに飛び込んできた娘を窘める。そしてそ のままキッチンへ入っていった。思わず薫は首を竦めた。 暁と並んでソファに腰掛けていた笙子が立ち上がった。 ﹁薫ちゃんお久し振り、元気そうね。││ごめんなさいね、暁さんに呼び出さ せちゃ っ た ﹂ ﹁何よ兄さん、笙子さんが来てるならそう言ってくれればいいのに﹂ 薫は笙子にソファに腰掛けるよう勧めて、反対側のソファに腰を降ろした。 − − 13 ﹁ごめんごめん、言おうと思ったら通話切れちゃったんだ﹂ ﹁どうせたいした用じゃないと思ったから、一瞬迷ったのよ、帰ろうかどうし ようか っ て ﹂ ﹁ 何 だ よ、 ま る で 俺 が い つ も た い し た 用 じ ゃ な い の に、 呼 び つ け て る み た い じゃな い か ﹂ 兄妹のやり取りを微笑ましく見ていた笙子がくすりと笑った。そして真面目 な顔で 薫 と 向 き 合 う 。 ﹁薫ちゃん、イスカンダル行く事決まったんですってね⋮⋮今日がお休みだっ て暁さんに聞いて飛んできたの。発つ前に会えてよかったわ﹂ ﹁大体お前、大変な航海に出るっていうのに、家に顔出さないってどういうこ とだ。これが最後の休みだろ﹂ 暁は先ほどの薫の発言に気分を害したようで、苦虫を潰したような顔をして いる。 ﹁毎日学校で兄さんの顔見てるから、なんとなく帰りそびれちゃって﹂ 薫は小さく舌を出す。 ﹁俺はともかく、親父やお袋に顔見せないなんて、薄情な娘だ﹂ ﹁だって母さん、父さんと見送りに来てくれるって言ってたもの。その時に会 えるからいいって思っていたのよ﹂ ﹁そういう問題じゃないだろう﹂ ﹁あー、もう。学校じゃないんだからガミガミ言うのやめて﹂ 薫は近くにあったクッションを暁に投げつけた。クッションは暁の顔にまと もに当たって、フローリングの床に落ちた。 ﹁相変わらず厳しいんだ、この人﹂ 笑いをかみ殺しながら笙子はちらりと暁を見た。暁はクッションを片手に憮 然とし て い る 。 ﹁それはそれは、とっても﹂ 薫は大げさに肩を竦めてみせる。 ﹁父さ ん は ? ﹂ キッチンから飲み物を持ってきた母親に、薫は訊ねる。 ﹁なんでもシカゴで学会があるって夕方お出かけになったのよ﹂ − − 14 佳奈子は薫の前にアイスティーを置いた。 ﹁ふうん、そうなんだ﹂ ﹁でも、出航の日までには戻ってくるって言ってらしたわよ﹂ ﹁そう ﹂ 突然思い出したように笙子が訊ねる。 ﹁薫ちゃん、今日壮行会だったんでしょ? 抜け出して大丈夫だったの﹂ ﹁大丈夫よ、主役は残っているから⋮⋮﹂ 山本と美冬の顔が浮かんだ。あれからどうしただろう⋮⋮。 ﹁主役 ? ﹂ 薫は大きく首を横に振った。 ﹁ううん、なんでもない。こっちの話。││笙子さんいつこっちに来たの?﹂ ﹁ 今 日 の 夕 方 よ。 今 朝 暁 さ ん か ら 電 話 で 聞 い て 大 急 ぎ で。 お 父 様 と 入 れ 違 い だった の ﹂ ﹁それで兄さんもこっちに帰ってきたんだ﹂ ﹁そういうこと﹂暁は新聞に目を落としたまま答えた。 ﹁あのね、暁さんに呼んでもらったのはね⋮⋮ ﹂ 笙子はなにやらバッグの中 を探り始めた。﹁これを薫ちゃんに渡したかったからなの﹂ バッグから取り出したのは小さなケースだった。それを薫に手渡す。 薫はケースをそっと開けた。中には綺麗な青い石がついた小さなペンダント が入っ て い た 。 ﹁わあ │ │ 綺 麗 ﹂ ﹁綺麗 で し ょ う ? この石はね、古くから北欧でお守りとして使われていたも のなんですって。あなたの航海の安全と成功を祈って││どうしても発つ前に 渡した か っ た の よ ﹂ ﹁ありがとう⋮⋮笙子さん﹂ 薫は掌にペンダントを載せ、見つめる。 ﹁必ず⋮⋮必ず無事で還ってきてね﹂ そう言うと笙子は涙ぐんだ。 ﹁大丈夫よ、笙子さん。こんな心強いお守りいただいたんですもの、絶対還っ てくる わ ﹂ − − 15 必要以上に明るく言うと、薫はペンダントを握り締めた。目頭をハンカチで 押さえた笙子に、薫は明るく話しかけた。 ﹁それより笙子さん、私が還ってくる前に結婚式挙げないでね。私ブーケもら うの楽しみにしてるんだから﹂ ﹁お前、ブーケもらったって相手もいないくせに﹂ 新聞を読んでいた暁が口を挟む。 ﹁いいの、もらえば現れるかもしれないでしょ﹂ 薫は暁を軽く睨んだ。 ﹁ひょっとして、もう現れているんじゃないのか?﹂ 意味ありげに薫の表情を伺う。暁の言葉に一瞬山本の顔が浮かんだが、慌て てそれを打ち消した。兄の視線を避けるように薫は俯いた。 ﹁いないわ⋮⋮そんな人﹂ ﹁さあさあ、兄妹喧嘩はそれくらいにして。もっと楽しい話しましょうよ。折 角皆集まったんだから﹂ 母親の言葉に薫は救われた気分で、頷いた。 ﹁そうね。ねえ笙子さん、向こうの話聞かせて﹂ ﹁ええ﹂ようやく笙子も笑顔に戻った。 5 その日の高橋家のリビングには、夜遅くまで楽しい笑い声が響いていた。 翌日、訓練学校に戻る山本を美冬はステーションまで見送ると言ってきかな かった。そのくせ前夜の気まずさがまだ残っているらしく、美冬は一言も口を 利かない。二人して黙ったまま、ステーションまでの道程は長く感じられた。 ようやく前方にステーション前のペディストリアンデッキが見えてきた時、山 本は小さく安堵の息をついた。 美冬はふいに立ち止まった。山本の顔を見上げてくる。 ﹁明⋮ ⋮ ﹂ 言いかけた瞬間、誰かが美冬を呼ぶ声がした。美冬が声に振り向くと、一人 の男が手を振りながらこちらに向かって駆け寄ってくるのが見えた。 − − 16 ﹁おー い 、 美 冬 ! 美冬じゃないか、こんなところで何やってん⋮⋮明? お 前明か ﹂ きた男は美冬の隣に立つ山本に気付き、声をあげた。 駆け寄ったて けと ﹁よう、健人。久し振りだな﹂ ﹁ああ 、 久 し 振 り ! 元気そうだな。││お前ずいぶん背が伸びたな﹂ 山本に健人と呼ばれた男は、彼の前に立つと見上げるような仕草をした。大 貫健人、美冬と同じく小・中等部時代の同級生だ。 ﹁美冬と同じこと言うなよ﹂ 山本 は 苦 笑 す る 。 ﹁だって二十センチ位伸びたんじゃないのか、見違えたよ﹂ ﹁うん、それくらい伸びたかもしれないな。何せ着る物に困った、次から次へ と買い換えなくちゃならなくてな﹂ ﹁訓練学校はどうよ、あそこ相当きついんだろ﹂ ﹁そうでもないぜ、楽しいよ﹂ ﹁そう な の か あ ? すごいきついって聞いて、俺行かなくてよかったって思っ たんたぜ。││なあお前有名人らしいじゃないか、俺も兄貴の友達から話聞い てるぜ ﹂ ひそ ﹁何だよ、有名人って﹂ 山本 は 眉 を 顰 め た 。 ﹁明な、有望なパイロット候補生だって入学当時から注目されてたらしいぜ。 兄貴の友達が訓練学校の二期上にいたんだ。そこまで噂が届いてたんだってサ。 新入生の中にすごい奴がいるって﹂ 健人が美冬を振り返る。 ﹁ふうん⋮⋮でもなんでそれが明だってわかったのよ﹂ ﹁だって俺達と同じ歳で、パイロット志望の長い前髪バサッとしてる﹃山本﹄ なんて、明しか思いつかないじゃないか。││やっぱり同期の中じゃお前が一 番なんだろうな、なんか俺も鼻が高いぜ﹂ ﹁別に健人が鼻高くなることないじゃない﹂ 小馬鹿にしたような顔で美冬は健人を見た。 ﹁何言ってんだよ、中等部の仲間が有望視されてるなんて、友人として結構い − − 17 い気分 じ ゃ │ │ ﹂ ﹁いや、俺じゃない。一番は他にいる﹂ 健人の言葉を山本は遮った。 ﹁ええ ッ ? お前の上にまだいるのかよ﹂ ﹁ああ、すごい奴がいるんだ││ほら、昨日来てた加藤だよ﹂ 山本は美冬に向かってそう言った。 ﹁え、 加 藤 く ん ? 加藤くんってあの短髪の﹂ ﹁そう ﹂ ﹁そんな風に見えない⋮⋮見えなかった﹂ ﹁人を見かけで判断しちゃいけないぜ﹂ ︵信じられない⋮⋮ ︶ 加藤は昨日集まったメンバーの中で、一番パイロットらしく見えなかった。 他の隊員達はどことなく遠慮がちだったのに対し、加藤は初対面ということを まるで感じていないような明るさだった。誰に対しても屈託なく話しかけて、 ずいぶんと場が盛り上がったことを思い出した。戦闘機の操縦士は山本ような ストイックな人間ばかりだと思い込んでいたので、美冬は少し意外な感じを受 けた。とても一瞬に生死を賭けて飛んでいる飛行機乗りには見えなかった。 へこ ﹁あいつには敵わない、とにかくすごい奴なんだ。俺も結構自信があったけど、 あいつに会ってかなり凹んだよ﹂ ﹁うそ ⋮ ⋮ 明 が ﹂ ﹁へえー、お前ほどの男がそう思うんなら、その加藤って奴相当だな﹂ 感心した顔で健人が呟いた。 ﹁あいつが一緒だから負けたくないって気にもなるし、励みにもなる。それで あっという間に二年半過ぎちまったな﹂ ﹁俗に言うライバル同士って奴か││いいよなあ、男同士の友情って﹂ 腕を組み、健人は一人頷いている。 ﹁気持ち悪いこと言わないでよ、健人﹂ ﹁ あ い つ に は 負 け た く な い ⋮⋮ ま、 加 藤 は ど う 思 っ て い る か は 知 ら な い け ど な﹂ 健人は中等部時代を思い返す。山本はなんでもそこそこにやってのけていた。 − − 18 運動もよくできたので、いろいろなクラブから勧誘されていた││結局どこに も振り向かなかったが。普段は自分達と遊びに出かけることが多かったのに、 試験の成績は常にトップクラスだった。いつ勉強しているのかと訊ねても、い つも曖昧に笑ってごまかす。教師達はその成績からいって、科学局方面の学校 を勧めていたらしい。だが、意表をついて山本は宇宙戦士訓練学校に進学を決 めてしまった。かなり教師達は残念がっていたという話を、後になって聞いた ことがある。頑なに反対していた両親もついに押し切ったとも聞いていた。 防衛軍直轄の訓練学校だけに厳しい訓練をしている違いない、なのに訊ねれ ば、そうでもないと涼しい顔で事も無げに言ってのける。 ︵全くとんでもない男だぜ︶ 健人は澄ました顔をしているこの友人の顔を見た。そして突然思い出したよ うに、 ﹁そう言えば明、お前なんで今頃突然帰ってきたんだ? 訓練学校行ってから はちっとも顔出さなかったくせに﹂ 山本の代わりに美冬が答える。 ﹁健人⋮⋮明イスカンダルに行くんだよ﹂ ﹁ええッ、イスカンダルに?⋮⋮そうか、それで帰ってきたのか﹂ 美冬の言葉に健人は声を落とした。表情が曇る。 ﹁ お い 健 人、 お 前 ま で も う 会 え な い み た い な 顔 す る な よ │ │ 全 く 美 冬 と い い﹂ やれやれと、山本はうんざりした表情で呟いた。 ﹁うん、そうだな。お前なら大丈夫だよな。必ず還って来いよ﹂ 大丈夫だ││健人は心の中で何度も繰り返した。山本は必ず還ってくる。 ﹁当たり前だ。││じゃあ、またな﹂ 左手を軽く上げながらそう言うと、山本は珍しく笑顔を見せ、改札へと歩き 始めた 。 改札に消えた山本を見送った後も、美冬と健人はしばらくその場所に留まっ ていた。数日後には危険な航海に出るというのに、山本はまるで近所に出かけ るような挨拶で、宿舎へと戻って行った。 健人 が 口 を 開 い た 。 − − 19 ﹁なあ美冬、明の奴、訓練学校でいい仲間に出会えたんだな。ずいぶん雰囲気 変わっ た ぜ ﹂ ﹁⋮⋮ ﹂ ﹁俺達といた時とは違うよな、すげえ楽しそうじゃん﹂ ﹁何よ健人ったら。それじゃ私達といた時は明全然楽しくなかったみたいじゃ ない﹂ 美冬は自分の足元から目を上げずに答える。 ﹁そうじゃないよ、そういう意味じゃあ。⋮⋮ほら、明はいつも俺達より一歩 も二歩も先歩いてる感じだったじゃないか、我が道を行くって感じでサ﹂ ﹁⋮⋮ ﹂ 健人は再び中等部時代を振り返る。あの頃からあいつは他の奴とは違ってい た。性格や行動が派手な訳でもないのに、妙に目立っていた。もちろん外見に 人目を引くものがあったにせよ、どこか何かが違う。話してみれば、愛想がな いところがないでもなかったが、慣れてしまえば別にそれは気になるほどのこ ともなかった。優しげな見た目とは違い、かなり辛辣なことを平気で言うこと もあったが、だからといって嫌われている訳でもなかった。一人で孤立してい るかといえばそうでもない、山本の周りには必ず人がいた。人を寄せ付けない 雰囲気がある反面、人を惹きつける何かもあった。 だが、やはり自分達と同じところにいる感じがしなかった。あいつは一人で ずいぶん先を歩いていたような気がした。一人だけ歩く速度が速いのに気付き、 きっと時折足を止め、自分達を待っていてくれたのだ。だから、あいつにとっ て学校はそんなに楽しい場所ではなかったのかもしれない。遊んだりする仲間 は周りにいたが、山本が本当に求めている人間には出会えなかったのだ。自分 と同じ速度で一緒に歩いていける友人に宇宙戦士訓練学校でようやく出会うこ とがで き た の だ ろ う 。 ﹁訓練学校で一緒に⋮⋮あいつと同じ速度で歩いていける仲間ができたんだよ、 そういう友達に出会えたんだ。素直に喜んでやれよ││。いい加減さあ、お前 もそろそろ明離れしろよ﹂ ﹁何よ 、 そ れ ﹂ ﹁俺知ってるんだぞ、学校行ってた頃、お前が色々と明を困らせてたこと﹂ − − 20 ﹁││ ﹂ 美冬は口を尖らせてそっぽを向いた。 ﹁明のこと好きだったんだろ⋮⋮今も好きなのか? でもサ、もう諦めろよ。 あいつはもう自分の道を見つけたんだ、もう歩き始めてるんだよ、中等部のあ の頃とは違う。だからこそ、今回のイスカンダル行きのメンバーに選ばれたん だろ。そうは思わないか﹂ ﹁健人 ⋮ ⋮ ﹂ 健人に言われるまでもなく、美冬にはわかっていた。山本と駅で再会した時 からあの頃の彼ではないことを。本当の自分でいられる場所を見つけたんだな と。けれど、山本が遠くに行ってしまいそうな気がしたから、それを認めたく なかっ た の だ 。 ﹁み⋮ ⋮ 美 冬 ? ﹂ そっぽを向いたまま黙りこくってしまった美冬に、健人は少し遠慮がちに声 をかけた。振り返った美冬は意外にも明るい表情をしていた。 ﹁大丈夫よ、明には思いっきり振られたもの。││今は明が無事に還ってくる のを祈 る だ け ﹂ ﹁そ⋮⋮か、そうだったのか。まあ、明ほど頼りにならないかもしれないけど、 俺が側にいてやるからサ。あいつが無事イスカンダルから還って来ることを一 緒に祈 ろ う ぜ ﹂ ﹁⋮⋮ う ん ﹂ 6 ドサクサに紛れて何気なく告白する健人に少し呆れながら、だが、美冬は笑 顔で答 え た 。 宿舎の前で山本は立ち止まった。 高層の建物を見上げ、大きく一つため息をつく。折角の休暇だったというの に、ひどく気疲れしていた。 ︵⋮⋮やっぱり断るんだったな︶ 美 冬 の 剣 幕 に 押 さ れ て 渋 々 承 諾 し た も の の、 夕 べ の 壮 行 会 は 山 本 に と っ て − − 21 あまり後味のいいものではなかった。全くその気もなかったのに、断りきれな かったことを後悔していた。 果たして呼び出してしまった加藤達はどう思っているのだろう。休みのとこ ろをわざわざ外出させてつまらない思いだけをさせたのだとしたら、申し訳な いの一言しかない。加藤のことだから、訊けば楽しかったと言ってくれるだろ うが、そんな慰めの言葉は聞きたくなかった。だからといって昨日のメンバー 全員に訊ねて歩く訳にもいかない。 ︵別に美冬に悪気があった訳じゃないのは、わかっているつもりだけど︶ 彼女が善意から壮行会を企画したことは理解しているつもりだった。本当に 久し振りの再会だったし、美冬がそれを心から喜んでいるのもわかっていた。 だが、薫を送るのに立ち上がった時の美冬の様子が甦る。店内に戻ってから、 周りの人間が自分達二人に気を使っていたのにも、十分気付いていた。 ﹁はあ ⋮ ⋮ ﹂ また一つため息が出る。なんとなく皆に顔を合わせたくない気がして、ずい ぶん長い時間建物の前で山本は立ち尽くしていた。特に薫には会いたくなかっ にく た。美冬の告白のせいもある。はっきりと断ったものの、何か後ろめたさのよ うなものを感じていた。薫と顔を合わせ難い││そんな気持ちだった。告白の 件は当然知る由もないのだが、ばつが悪かった。どうか会わないように⋮⋮そ う山本が心の中で祈った時、背後から声をかけられた。 ﹁山本 く ん ? ﹂ ﹁あ⋮ ⋮ ﹂ 振り向くと薫が立っていた。薫はぼんやりと立っている山本の顔を、不思議 そうに 見 つ め て い る 。 ﹁どうしたの、こんなところで﹂ ﹁いや││別に。それより薫、今帰ったのか? 夕べはあのまま自宅に泊まっ たんだ ﹂ 狼狽を隠すように口早に話しかける。 ﹁ええ、兄も帰ってきていたから、そのまま泊まっちゃった﹂ 薫は 笑 顔 で 答 え た 。 ﹁そっ か ﹂ − − 22 その時、薫の胸元にきらりと光るものが目に入った。綺麗な石のついた小さ なペンダントが胸元に揺れている。昨夜会った時には確かつけていなかったは ずだ。山本の視線がペンダントに注がれているのに薫は気付いた。 ﹁ああ 、 こ れ ? お守りにっていただいたの。綺麗でしょう﹂ そう言うと細い指でペンダントをそっと触った。 誰から││という言葉を山本は飲み込んだ。昨日兄である高橋教官からの呼 び出されたいうのは口実で、誰か他の男と会っていたのではないか、そんな考 えがよぎった。それを打ち消すように山本は頭を振った。薫は余程気に入って いるらしく、まだその石を見つめている。 ﹁ここ で 何 し て た の ? 誰かと待ち合わせ﹂ 突然思い出したように薫は顔を上げた。 ﹁││そういう訳じゃないんだ。ちょっと考え事﹂ ﹁変な山本くん、こんなところに突っ立って考え事なんて﹂ 薫は く す と 笑 っ た 。 ﹁そうだよな⋮⋮やっぱり変だよな﹂ 答え な が ら 山 本 は 、 ︵会いたくないこういう時に限って⋮︶ と、心の中で舌打ちをした。 そんな山本の気持ちも知らず薫は彼に訊ねた。 ﹁昨日││私途中で抜けて、美冬さん気を悪くしなかったかしら⋮⋮﹂ ﹁そんなことないよ、気にするな﹂ ﹁ そ う? そ れ な ら い い ん だ け れ ど。 場 を し ら け さ せ ち ゃ っ た か な っ て 気 に なって い た の ﹂ ﹁⋮⋮しらけさせたとしたなら、それは俺のせいだな﹂ ﹁え? ﹂ ﹁いや 、 こ っ ち の 話 ﹂ それきり山本はまた何か考えているような顔に戻る。そんな山本の顔を見て 薫が提 案 し た 。 ﹁考え事するならカフェでも行ってみたら? ここじゃ考えもまとまらないん じゃな い ﹂ − − 23 ﹁それ も そ う だ な ﹂ 諦めて山本は薫と並んで建物の中に足を踏み入れた。 薫の部屋のあるブロックへ繋がるエレベーターの前で二人は立ち止まった。 なんとなく、すれ違っている感じがした。互いに訊きたいこと、言いたいこ とがあるのにそれを口にできずにいるような。こんなに近くにいるのに、実体 がそこにいないような感じがする。 ﹁あの ⋮ ⋮ ﹂ ﹁あの さ ⋮ ⋮ ﹂ 二人は同時に同じ言葉を口にし、慌てて次の言葉を継ぎ足した。 ﹁あ、 薫 か ら ﹂ ﹁山本くんからどうぞ﹂ お互いに譲り合いを何度か繰り返し、山本が折れたように薫に話しかけた。 ﹁時間があるなら一緒に行かないか││カフェに﹂ 躊躇いがちに言う山本に、薫は微笑みながら頷いた。 宇宙戦士訓練学校として利用されているこのビルの一階には、こじんまりし たラウンジと、その奥にセルフサービス式のカフェがある。いつもなら夕暮れ 時は授業が終わった学生達で大いに賑わうのだが、この日のカフェは思いのほ か空い て い た 。 セ ル フ サ ー ビ ス の 珈 琲 を 二 人 分 ト レ イ に 載 せ る と、 窓 際 の 席 を 選 び 向 か い 合って座った。目の前に置いた珈琲には手をつけず、山本は頬杖をついたまま 黙って い る 。 薫はカップを口に運びながらそんな山本をそっと窺う。 ︵どうしたのかしら⋮⋮昨日何かあったのかな︶ 訊ねていいものなのか考えあぐねていると、突然山本が口を開いた。 ﹁昨日さ、ちょっと思いがけないことがあって。││それで少し考え事﹂ ﹁思いがけないことって?﹂ ﹁う⋮⋮ん、それはちょっと﹂ 言い難そうに山本は言葉を濁す。美冬に告白されたことを薫に話しても、い や、話すべきことではないと山本は判断した。 − − 24 ﹁別に話したくないなら無理に話さなくてもいいわよ﹂ まるでこちらの気持ちを察したように、薫の方からそう言ってくれたので、 山本は 安 堵 し た 。 ﹁ま、色々あってさ⋮⋮で、美冬に言われたんだ。言わなきゃ伝わらないこと もある っ て ね ﹂ 薫は 首 を 傾 げ た 。 ﹁言わなきゃ伝わらないこともある?﹂ ﹁そ。さっきはその言葉を噛み締めていたって訳﹂ ﹁ふう ー ん ⋮ ⋮ ﹂ 今度は薫が黙りこんでしまった。薫も心の中でその言葉を繰り返してみる。 美冬が言ったその言葉は何を意味しているのだろう││。昨日の美冬の振る舞 いからいって、彼女が山本に好意を抱いていることは傍から見ても明らかだっ た。自分が帰った後に、山本と美冬の間に何かあったのだろうか。言葉を濁し た山本の様子が気に掛かっていた。 だが、一度話さなくてもいいと言った手前、再びそれを訊くことはできない。 もどかしい思いで胸が苦しかった。続く言葉が出てこなかった。 重苦しい沈黙を破ったのは山本だった。意を決したように薫に訊ねる。 ﹁そのペンダント⋮⋮どうしたんだ﹂ ﹁ああ 、 こ れ ? ﹂ ペンダントに薫は視線を落とす。 ﹁これは兄の婚約者の笙子さんにいただいたの。お守りにって﹂ ﹁教官の婚約者?││じゃあ、男からもらったんじゃないのか﹂ その言葉に薫は不思議そうな顔をした。山本の真意を量りかねて、彼の顔を 見つめ る 。 ﹁まさか。昨日ドイツから笙子さんが訪ねて来てくれたの。突然だったから吃 驚しちゃった。兄の電話はそれだったって訳。││でも、なんで?﹂ ﹁そう⋮⋮か、そうなんだ﹂ 山本は一人で納得し小さく笑った。一瞬にして胸の支えが取れた気がしてい た。薫が嘘をついているのでは⋮⋮などと疑ったことをすまないと思った。そ して、これが嫉妬というものかとようやく思い至った。 − − 25 先程まで難しい顔をしていた山本が笑い出したので、薫はますます怪訝そう な顔を し た 。 ﹁どう し た の ? 山本くん﹂ ﹁なんでもない。そうかお守りか、よかったな﹂ ﹁うん、大切にしなくちゃ﹂ ﹁ああ﹂山本は微笑んだ。 ふ と、 壁 に 掛 か っ た 時 計 を 見 る と、 針 は ず い ぶ ん 遅 い 時 間 を 指 し て い た。 テーブルの上の珈琲もすっかり冷めてしまっていた。 ││もうすぐ特別休暇も終わる。 つい先程までひどい休暇だったと思っていたが、案外そうでもなかったと、 山本は思い直していた。 初稿二〇〇三年六月 改訂二〇〇六年三月 − − 26 one's precious 1 それは一瞬の出来事だった。ヤマト艦長の沖田は火星までの初めてのワープ テストを行うため、目前に現れた敵艦載機の一掃をブラックタイガー隊に命じ た。敵艦載機の後方には大型空母が迫りつつあった。戦闘班長の古代も自らコ スモゼロに乗り込み、指揮を執る。つい先日まで宇宙戦士訓練学校の生徒にし か過ぎなかった彼らにとって実質的な戦闘はこれが初めてだが、精鋭達を集め たブラックタイガー隊のパルスレーダーは的確に敵機を捉え、撃墜していく。 空中戦で勝利するためには、その艦載機の性能と操縦士の腕が重要だ。艦載 機同士の性能が同じレベルなら、後はパイロット次第という訳だ。現在地球防 衛軍で最新鋭型のブラックタイガー機は、ガミラスの艦載機相手に互角以上の 戦いを展開している。どちらかといえば機体の性能も、操縦士のレベルもこち らの方が勝っているか。訓練中、幾度となくこなした仮想シミュレーションさ お ながらに、隊員達は面白いように敵を撃ち落してしていった。 撃墜とそうと執拗に喰い付いてくる。 だが、敵も決して諦めない。一機でも ふと気付くと山本機の前方二時の方向で、薫が敵機と攻防を繰り返していた。 敵の左側面に回り薫を援護しようと旋回を始めた瞬間、十一時の方向から被弾 し炎と黒煙を上げた味方機がコントロールを失い、薫達のいる宙域に近付いて くるのが見えた。ここからではパイロットの生死は確認できないが、何れにせ よ、あの機体ではまともに操縦することは不可能だろう。 ︵このままだと突っ込むぞ︶ 戦闘に気を取られ、薫は接近してくる味方機に気付くのが遅れた。薫らしく ないミスだったが、気付いた時にはもう眼前まで迫っていた。 ﹁!﹂ 薫の表情が凍りついた。 ﹁薫! ﹂ 敵なら即座に撃墜させるが、同朋を打ち落とす訳にはいかない。山本は進路 を変えるべく急旋回をして薫機の前に出た。被弾した味方機に僅かだが左翼が − − 1 かす ひび 掠り、山本機はバランスを崩した。そこを薫と交戦中の敵艦載機が見逃さず銃 撃してくる。凄まじい衝撃が機体に走った。 ︵左ラダーを打ち抜かれた。フラップもやられたか││︶ 皹が入り、左翼 派手な火花を上げて山本機は大きく傾いた。キャノピーにも からは黒煙が立ち上っているのが見えた。 まと ﹁山本くん!﹂薫は悲鳴を上げた。 ﹁山本 ! ﹂ 纏わり付いていた敵機を撃ち落す。全ての敵 即座に加藤が山本機を援護し、 の撃墜を確認後、次々にブラックタイガーがヤマトに帰艦して行く。その中で、 かたわ 山本機だけが宇宙空間にぽつんと取り残されていた。薫は帰艦できず浮遊して いる山本機の傍らを飛行していた。加藤から薫に無線が入る。 ﹁薫! 早 く 帰 艦 し ろ ﹂ ﹁だって加藤くん、山本くんが﹂ 無線機に向かいそう叫ぶと、山本機を振り返った。山本が手を振った、早く ヤマトに戻れと言うように。 ﹁山本 く ん │ │ ﹂ しゅんじゅん 依然として山本の側を離れようとしない薫に、今度は古代から無線が入る。 ﹁薫、命令だ。帰艦しろ﹂ 逡巡の末、薫は唇をきつくかみ締めると、ヤマトへ機首を向けた。 ﹁加藤くん、山本くんが!﹂ 帰艦した薫は、キャノピーを上げ身を乗り出すと、一足先に帰艦していた加 藤に向かい大声を張り上げる。加藤が緊張した面持ちで頷くのが見えた。機体 からラダーを使って降りるのももどかしく、薫は直接床に飛び降りるとグロー ブを脱ぎ捨て、一目散で着艦口へ駆け出そうとした。 ﹁薫! 危ない﹂ ﹁だっ て ﹂ なおも行こうとする薫の肩を、加藤は両手で必死で引き止めた。 ﹁大丈夫だ、山本は必ず戻ってくる⋮⋮﹂ 加藤も蒼白な顔で、宇宙空間に漂う山本機を凝視している。山本を信じるし か他に何もしてやることができない。加藤は右拳を血の気がなくなるまで固く − − 2 握りし め た 。 ﹁山本くん││私のせいで﹂ 交戦中自分が接近する味方機に気付くのが遅れたせいで││。山本は身を挺 して激突から守ってくれたのだ。薫の胸を痛みが貫く。山本はこのまま帰艦で きないかもしれない。もうすぐ敵の本隊がやってくるというのに。 ︵大切な人を失ってしまう⋮⋮︶ 全身の血が逆流するような感覚に襲われた。皮膚は粟立ち、震えが止まらな い。鼓動は早まり、胸が締め付けられたように苦しい。まるで自分自身の半身 を切り裂かれたような痛みすら感じた。 ︵嫌、私の大切な人を奪わないで︶ ││こんなにも山本の事を想っていた自分にようやく気がついた。出逢いか ら僅かな月日しか経ってないが、山本の存在が自分にとってかけがえのないも のになっていた事を改めて認識する。いつの日からこんなに彼の事を想ってい たのか││出逢った時から⋮⋮きっとそうだ。偶然なんかじゃない││そう心 の中で呟いたのを憶えている。 ︵神様 │ │ ︶ 薫は手を組み全身全霊で祈る。 ﹁お前のせいじゃない﹂ 慰め、励ますように、加藤は薫の肩を軽く叩いた。 第一艦橋では沖田が今にもワープの命令を下そうとしている。古代は戦闘報 告をするために第一艦橋へ向かった。艦橋に飛び込むと、急いで沖田の元に駆 けつけ る 。 ﹁艦長、敵艦載機は全滅させました﹂ ﹁うむ、直ちにワープに入る﹂ ﹁待ってください、まだ山本機が帰艦していません﹂ ﹁⋮⋮ 急 げ 古 代 ﹂ ﹁はい ! ﹂ 古 代 は 再 び 格 納 庫 へ と 走 っ た。 そ こ で は 加 藤、 薫 を は じ め 既 に 帰 艦 し た ブ ラックタイガー隊員が、息を飲んで山本機の行方を見守っていた。辺りは重苦 しい雰囲気に包まれていた。 − − 3 ﹁山本 く ん ⋮ ⋮ ﹂ 薫は両手を胸の前で力いっぱいに握り締めた。とうに顔色は失われていた。 薫を支えるようにしてその隣に立つ加藤の表情も硬い。 そこへ山本機から無線が入った。格納庫のスピーカを通して山本の声が響い た。いつもと変わらぬ冷静な声だった。 ﹁古代、俺にかまわずワープテストを行ってくれ﹂ ﹁だめだ、山本。諦めるな、必ず戻って来い﹂ ﹁古代 │ │ ﹂ 無線のやり取りをを聞いていた薫が山本の名を呼んだ。 ﹁山本 く ん ! ﹂ その声が無線機越しに山本に届いた。 ︵薫⋮ ⋮ ︶ 諦めるな!││無線機から再び古代の声が響いた。山本は一人頷くと、操縦 かん 桿 を握 り 締 め 直 し た 。 ︵戻る││俺は絶対に帰艦する︶ 古代はコントロールが利かない山本機に懸命に指示を出す。 ﹁もっと右、右だ││行き過ぎだ、左だ!﹂ 山本も懸命に機のバランスを立て直そうとしている。 ﹁よし、そのまま突っ込め!﹂ 山本機はふらふらと着艦口にたどり着いた。古代の合図で突っ込む。 右 翼 が 壁 面 に 接 触 し、 そ の 半 分 が 千 切 れ て 落 ち た。 主 脚 が 出 ず、 そ の ま ま 格 納庫の壁に胴体、主翼を叩きつけるようにして山本のブラックタイガーはよう やく停止した。とたんに機体が炎上する。消火器を持った乗組員達が山本機に 走った 。 古代が山本機によじ登る。 ﹁山本 ! ﹂ ﹁山本 く ん ! ﹂ 加藤と薫も駆け寄る。山本機はずいぶん損傷している、大破といっていいほ どだ。古代が山本を担いでブラックタイガーから降ろす。 山本は降り際に古代に二言三言何かを話しかけると、そのまま怪我の痛みに − − 4 か気を 失 っ た 。 ﹁古代くん、山本くんは!﹂ ﹁大丈夫だ、気を失っただけだ。だが、かなり負傷している﹂ ﹁山本くん⋮⋮しっかりして﹂ 血の気の失せた顔で薫は床に膝を付いた。山本はぴくりとも動かない。薫は こめかみ 山本からヘルメットを取り、頭を膝の上に載せ抱きかかえた。山本の蟀谷から 流れた血が薫の手を赤く染めていく。 ﹁山本 く ん │ │ ﹂ 薫は山本の名を何度も呼んだ。その悲痛な声に古代はかける言葉もなかった。 近くにいた佐々木、小林等に山本を医務室に運ぶよう指示をする。 急いで沖田に山本機無事帰艦を報告しなければならない。古代は第一艦橋へ と走っ た 。 一方、加藤は二人の傍らで呆然と立ち尽くしていた。気絶した山本の名を呼 びながらその身体を抱きしめる薫を見て、加藤ははっきりと理解した。 ︵薫も山本の事を││︶ 激しい胸の痛みが加藤を襲った。もしや││とは今までにも幾度となく思っ たが、こんな薫の姿を目の当たりにするのは正直辛かった。 小 林 が 担 架 を 持 っ て 戻 っ て 来 た。 佐 々 木 と 二 人 掛 り で 山 本 の 身 体 を 担 架 に 載せる。ワープテストを行う前に医務室に送り届けなければならない。小林、 佐々木の両名は慎重に担架を持ち上げると、急いで医務室に向かった。薫もそ の後を 追 っ た 。 加藤は親友が担架で運ばれて行く姿をその場で見送ることしかできなかった。 医務室に着いたと同時に、治療をする間もなくワープに突入した。負傷して いる山本はこのワープを乗り切れるのだろうか。薫は不安に張り裂けそうな心 を必死に抑えて、治療台に横たわった山本の手を握り締めた。 ︵山本くん、頑張って︶ ﹁ワープ開始五秒前││﹂ 古代の声がスピーカーから流れ、緊張が頂点に達する。握った手に力を込め た。 − − 5 ﹁ワー プ ! ﹂ ワープ開始と共に、周りの景色が歪んだ。上下の感覚が無くなり、自分の身 体がそこに存在しているのかどうなのかもわからなくなる。ほんの僅かな時間 のはずだが、何しろ時間を超越するワープを体験するのは初めてのことだ、と ても長 く 感 じ ら れ た 。 ワープテストが無事終了した事を告げる艦内放送が流れ、各所で一斉に歓声 が上が っ た 。 ︵山本 く ん は ︶ 薫は慌てて椅子から立ち上がり、山本の顔を覗き込んだ。││微かだが呼吸 をして い る 。 ﹁よか っ た ⋮ ⋮ ﹂ 2 安堵の息をつく暇なく、佐渡が怒鳴り声が降り注いだ。 ﹁薫! 山本の治療をするぞ、手伝え﹂ ﹁はい ! ﹂ 薫は急いで白衣に着替えた。 ﹁う⋮ ⋮ ん ﹂ もや 山本が目を覚ますと白い天井が視界に入った。 ︵ここ は │ │ ︶ 靄がかかったようにはっきりと思い出せない。ふと、傍ら どこ な の か 、 頭 に に人の気配を感じ、その方向に視線をやる。 ︵⋮⋮ 薫 ? ︶ 白衣姿の薫が、ベッドにうつ伏せの体勢のまま、小さな寝息を立てていた。 ︵ああ、ここはヤマトの医務室か⋮⋮︶ 自分が医務室のベッドに横たわっていると山本がそう理解した時、 ﹁ようやく気が付いたようじゃな﹂ 佐渡医師に声を掛けられた。声の方向に首だけ動かす。動かした瞬間、激 しかめ しく頸の痛みを感じ思わず眉を顰めた。佐渡は山本の顔を覗き込む。 − − 6 !? ﹁佐渡 先 生 ⋮ ⋮ ﹂ ふ 山本はこの状況が飲み込めず、まるで腑に落ちないといった表情で、佐渡の 顔を見 上 げ た 。 ﹁お前、ここに担ぎこまれたことも、なーんにも憶えておらんのか﹂ 緩く首を振った。そして、ゆっくりと記憶の糸を手繰る。靄は次第に薄くな りつつ あ っ た 。 ︵そう だ │ │ ︶ 敵艦載機と戦闘中被弾し、テストワープを控えるヤマトに、あわや帰艦し損 ねるところだったのだ。帰艦失敗││それは死を意味していた。すぐそこまで 敵の主力艦隊が迫ってきていたのだから。 ﹁俺⋮⋮帰艦できたのか﹂ 信じられないという風に、山本は自分の両手を目の前に掲げた。 ﹁そうじゃ。そしてそのまま意識を無くして、もう丸一日以上過ぎとるぞ﹂ ﹁丸一 日 │ │ ﹂ ほんの少し眠っていただけのような気がしたが、そんなに長い時間意識がな にわ かったことを知らされ、俄かには信じ難かった。 さんたん しかし、再度自分の両腕を見てみると、包帯が何箇所も巻かれており、身体 の到る所に痛みを感じた。それもそのはずだった。格納庫で古代にブラックタ イガーから引きずり出された時には、打撲に裂傷、火傷と惨憺な状態だったの だから。そのことさえ今の今まで憶えていなかったことに気付く。 佐渡はキャビネットから新しい包帯を取り出し、サイドテーブルに薬品と包 帯を載 せ な が ら 言 う 。 ﹁薫が眠らないでずっと看護してくれてたんじゃぞぃ﹂ ﹁薫が ? ﹂ サイドテーブルの上には水の張った小さな洗面器と、タオルが置かれていた。 薫が夜通し、山本の汗を拭いてくれていたことがわかる。 ﹁そうじゃ、感謝するんじゃぞ﹂ 佐渡はそう言い残し、奥の和室に戻って行った。 山 本 は 目 を 閉 じ、 再 び 記 憶 の 糸 を 手 繰 っ た。 脳 裏 に 浮 か ぶ 曖 昧 な 記 憶 が、 徐々にその輪郭をはっきりとしたものに変えていく。 − − 7 ︵あの 時 │ │ ︶ ガミラス艦載機との戦闘は、初陣にしては上々の出来だった。敵機をコント ロール・パネルに捉えては、面白いように撃破する事ができた。戦いながら周 りの状況までほぼ完璧に把握していたのだから、自分は冷静だったと言える。 被弾した味方機が薫の搭乗するブラックタイガーに接触すると思ったあの一 ひるがえ 瞬、無意識に機首を翻した。薫を失いたくない、それしか頭になかった。後の 事は考えてなかった。ただ、薫を守る││あの瞬間、その思いだけが自分を支 配していたのだ。操縦桿が利かなくなり、宇宙空間にただ浮遊しているだけに なった時でさえ、薫が無事なのを確認して安心したのを憶えている。それで満 足してしまったのだ。後方からは敵主力艦隊が迫って来ている、ここまでかと 覚悟をした。だが、無線越しに薫の声を聞いた瞬間、現実に引き戻された。自 分にはまだ遣り残したことがある││。 古代の誘導で何とか着艦口までたどり着けたところまでは憶えていたが、そ の後の記憶は全くなく、気付いた時には医務室のベッドの上だった。そして、 すぐ近 く に 薫 が い る 。 山本は目を開け、改めて薫の寝顔を見た。元々色白の薫の顔は、心なし蒼ざ めて見える。軽く上体を起こし、頬にかかった長い髪をそっと払おうと手を伸 ばした時、薫は目を開けた。伸ばしかけた手が止まる。 ﹁いけない、眠っちゃった﹂慌てて頭を起こした薫の目に、途中で手を止めた 状態の山本が映った。﹁山本⋮⋮くん?﹂ 顔色はまだ良くないものの、兎に角意識は戻ったのだ。薫は安堵の胸を撫で 下ろし た 。 ﹁気が付いたのね││よかった﹂ ﹁うん ﹂ 山本は微かな笑みを浮かべている。 ﹁ありがとう薫、ずっと側にいてくれたんだって﹂ こぼ ﹁ううん⋮⋮そんな事。││あなたが気が付いてよかった⋮⋮﹂ 薫の瞳に涙が浮かび、見る見るうちに大粒の雫になって零れ落ちた。薫の涙 は 初 め て 見 る。 そ の 涙 が 薫 の 気 持 ち を 全 て 物 語 っ て い た 。 ﹁このまま目を覚ま さないんじゃないかと思ったわ﹂ − − 8 きゃしゃ 山本は薫の頬を指で触れた。その指を薫の華奢な両手が包み込む。山本の指 に薫の涙が伝う。温かい涙だった。 ﹁薫│ │ ﹂ 3 山本はそっと薫を抱き寄せた。静かな時間が二人を包み込んでいた。 三日ぶりに山本は自室に戻った。幸いな事に骨折はしていなかったし、頭部 のCTも異常無しだったので、足首の捻挫の痛みがひいた時点で職務に戻ろう と決めていた。何よりも、ベッドで横になっているのに飽きていたこともある。 部屋には加藤しかいなかった。早川等他の隊員はパイロットルームにでもい るのだろうか。加藤はドアに背を向け、ベッドの上でコスモガンの手入れをし ていた 。 ﹁加藤 ﹂ 名前を呼ばれて加藤は振り返った。 ﹁おう、もう大丈夫なのか﹂ 分解していたコスモガンを傍らに置き、加藤はベッドから立ち上がった。 ﹁ああ、ずいぶん迷惑かけ││﹂ ﹁そんな事、気にするな。それより⋮⋮﹂ 山 本 が 最 後 ま で 言 い 終 わ ら な い う ち に 加 藤 は 山 本 の 肩 を 叩 き、 展 望 室 へ と 誘った。二人連れ立ち側方展望室へ向かう。 ﹁それ よ り ? ﹂ ﹁薫の事独り占めしやがって、羨ましい奴だ﹂ 加藤にわき腹を軽く小突かれ、山本は慌てて謝った。 ﹁あ⋮⋮ああ、すまない﹂ ﹁なーんてな。でも、元気になってほっとしたぜ﹂ そんな会話を交わしているうちに、二人は展望室に到着した。展望室には数 人しか い な か っ た 。 ﹁しかし、ドジ踏んだな。││俺の腕もたいした事ないって事か﹂ 自嘲気味に言う山本の顔を、加藤はまじまじと見た。 − − 9 加藤は知っていた。この男は、被弾して舵角を確保できず突っ込んできた味 とっさ 方機から、彼女││薫を庇うため咄嗟に機首を翻した事を。その事を山本は自 分の口からは絶対に言わないだろう、きっと自分の判断ミスだと言い通す。山 本の行動はあの激しい戦闘時の中で、冷静に周りの状況を把握していたから出 来た事 だ 。 もしもあの時、自分があの状況に置かれていたら││果たして同じ事が出来 ただろうか。必ず出来た、と言い切れる自信が加藤にはなかった。 ﹁これでエースパイロットを自負してたとなると問題だな﹂ 普段口数が少ない男が必要以上に話すのは、それは嘘をついているか、話を はぐらかそうとしているかのどちらかだ。今の場合の山本は、何か話をはぐら かそうとしている││と加藤は思った。 話に全く乗ってこない加藤に、山本はそれ以上話すのをやめた。このまま話 せば話すほど、ますます気まずくなりそうだった。 会話もなく、ガラス越しに光る星々を二人は無言のまま眺めていた。 長い沈黙が続いた後、耐えられなくなったかのように山本が口を開いた。 ﹁すまない加藤、俺││﹂ ﹁それ 以 上 言 う な ﹂ ﹁え? ﹂ ﹁何も 言 う な ﹂ ﹁加藤 ⋮ ⋮ ﹂ 加藤が振り返った。その顔は笑っていた。 ﹁ 大 体、 お 前 と 何 年 付 き あ っ て る と 思 っ て る ん だ。 │ │ お 前 の 気 持 ち な ん て とっくに気付いてたさ。っていうか、バレバレだ﹂ ﹁⋮⋮ ﹂ ﹁俺は││薫の事は諦めるよ﹂ 加藤は横を向いた。山本は何も言えずにいた。加藤の薫に対する想いを山本 はよく知っていたからだ││が、もう自分の気持ちを偽る事は出来なかった。 ﹁薫のあんな顔見たら、何も言えないぜ﹂ 加藤 は 肩 を 竦 め た 。 ﹁なあ山本││俺はあいつの笑顔が好きだ﹂ − − 10 ﹁加藤 ﹂ ﹁あの笑顔にずいぶん元気付けられたし、慰められた﹂ ﹁⋮⋮ ﹂ 加藤は薫が医務室で泣いている姿を見てしまった。意識の戻らない山本を前 に、薫は声を押し殺し泣いていた。薫が山本のことを想っていると知ったあの 時以上に、胸が痛んだ。それを見て加藤は、薫への想いと訣別しようと決めた のだ。悲しむ彼女を見るのが何よりも辛かった。そう、自分に振り向いてくれ ないという事実よりも。 真面目な顔で山本を見据える。 ﹁だからこれだけは約束しろ、必ず幸せにしろよ。││もうあんな顔は見たく ないぜ 、 二 度 と な ﹂ そう言うと、加藤が力任せに山本の背中を叩いた。彼が怪我人だということ をすっかり忘れている。 ﹁ああ、わかった。││約束する﹂ 痛さを堪え、むせながら山本は答えた。 ﹁約束破ったら薫は俺が戴くぜ﹂ ﹁そんな事はさせない﹂ 不敵に笑って山本が答える。その返事に加藤は満足そうに頷いた。 しばしの沈黙の後、加藤が訊ねた。 ﹁⋮⋮なあ、もうキスくらいしたか?﹂ 加藤の言葉を聞いた瞬間、山本は激しく狼狽し、顔は真っ赤になった。 ﹁か、 加 藤 ! ﹂ ﹁あは は は は ﹂ 4 笑いながら、加藤は展望室を出て行ったが、一人残された山本は、長いこと 赤面し た ま ま だ っ た 。 ︵ったく加藤の奴││︶ 艦内通路を歩きながら、山本は心の中で悪態を吐いていた。今思い出しても − − 11 顔が赤らむのがわかる。だが、あの言葉に背中を押されたように、展望室を後 にした山本は、その足で薫の部屋に向かった。 部屋の前に立つと、大きく一つ深呼吸をした。流石に緊張の色は隠せなかっ た。意を決して声をかけたが、部屋の中からは返事はなかった。同室のユキも 不在のようだった。張り詰めていた緊張の糸がぷつりと切れて、一気に力も気 も抜け た 。 ︵一体どこに││格納庫か?︶ 気を取り直して、次の心当たりに向かう。医務室にはいなかったのだから自 室かパイロットルーム、あとは格納庫くらいしか思いつかなかった。仲間達が 口々に声をかけてくるのに適当に返事をし、山本はパイロットルームに急ぐ。 部屋の中を覗いたが、薫の姿は見えなかった。そのまま格納庫に向かう。 格納庫の中ほどに薫の姿が見えた。長い髪を束ね、スパナを手にブラックタ イガー機と格闘をしていた。両手でもって主脚部のボルトを締めようとしてい るのだが、なかなか最後まで回らない。 − − 12 ﹁ん⋮ ⋮ ん ん ﹂ その時背後から手が伸びて、一気にスパナが回った。 ﹁あ、ありが││﹂振り向いた薫の目に山本が映った。﹁山本くん ﹂ 山本は右手を軽く挙げた。 ﹁よう ﹂ ﹁もう歩いて平気なの?﹂ ﹁ああ 、 こ の 通 り ﹂ それからいつもこの笑顔だけを追いかけていた││山本はそう思いながら薫 を見つ め る 。 ︵この笑顔に惹かれたんだ⋮⋮︶ てもよく似合っていると思った。 もこんな笑顔 薫は心底うれしそうな笑顔をする。中央病院で初めて逢ったえ時 くぼ をしていた││。優しく柔らかな笑顔。口許にできる小さな笑窪が、彼女にと ﹁そう 、 よ か っ た ﹂ 挙げた手を下ろし、右足を叩いてみせた。完全に痛みが取れた訳ではなかっ たが、歩くことは可能だと彼女に示した。 !? 薫は工具を床の上に置いて、軍手を脱いだ。 ﹁こっちももう少しで完治するわよ﹂ そう言って薫は艦載機を振り返った。それは大破した山本機だった。 さとる 片翼が取れるほど損傷していた機体は、大破していたとは思えないほど見事 に元の姿に戻っていた。薫に訊くと、真田に無理を言い、大至急で修理をして もらったと言う。薫の兄の高橋暁と真田は訓練学校時代の同期だ。友人の妹の 頼みを真田は断れなかったのだろうか。山本は苦笑し、それから改めて愛機を 仰ぎ見た。││あの時、もう少しで自分は生還できないところだった。よく持 ち堪えてくれたと感慨深く見上げる。 いたずら ﹁こっちもちゃんと治療しなくちゃね﹂ 薫は悪戯っぽく笑い、床に置いた工具を片付けようと手を伸ばした。次の瞬 間、山本は薫を抱きしめていた。 ﹁や、 山 本 く ん │ │ ﹂ 薫の右手からスパナが滑り落ち、格納庫内に派手な音が響いた。 長身の山本の胸元までしかない小柄な薫は、山本の両腕にすっぽりと抱きす くめられていた。突然のことに薫は小さく息を呑んだ。 薫の身体を抱きしめながら、山本は優しく告げた。 ﹁薫⋮⋮お前が好きだ││﹂ ﹁山本 く ん ⋮ ⋮ ﹂ 山本の体温が、鼓動が薫に伝わってくる。少し早い鼓動。彼の長い前髪が耳 元をくすぐる。││薫は目を閉じると、ゆっくりと山本の背に両腕を回した。 月が経っていた。その短い期 防衛軍中央病院での初めての出逢いから、三さヶ さい 間に起きた様々な出来事が、鮮やかに蘇る。些細なことで、すれ違いになりそ うな事もあった。仲間のままでいいと諦めた事もあった。だが、ようやく二人 の想いは一つになったのだ。その喜びをかみ締めるように、長い時間二人は抱 き合っ て い た 。 やがて、山本がそっと体を離した。薫の柔らかな頬に触れ、それからゆっく りと唇 を 重 ね た 。 − − 13 !? 初稿二〇〇三年六月 改訂二〇〇六年四月 − − 14 出発点 1 浮遊要塞を真田の見事な機転で撃破してからここ数日、ガミラス艦隊との接 触もなく、束の間だがヤマトには穏やかな時間が流れていた。 そんなある日、加藤と山本、そして薫が三人で艦内食堂││通称ヤマト亭で 遅い昼食をとっていた。黙々とプレート上の料理を頬張っていた加藤はふと顔 を上げた。丁度古代と島が連れ立って食堂に入ってくるのが見えた。 ﹁おー い 、 古 代 ﹂ 加藤が席から手を振った。 ﹁おう ﹂ 古代も手を挙げて応え、セルフサービスのコンベアから献立を選ぶと、島と 二人トレイを持って三人の待つ席に向かう。 ﹁珍しいな、お前達がこんな時間に食事してるなんて﹂ ゆううつ 椅子に腰掛けながら島が山本に話しかけた。 ﹁⋮⋮いや、加藤がとんでもないこと言い出してさ。さっきまで格納庫で揉め てたん だ ﹂ 山本はさも憂鬱そうに言うとため息をついた。 山本のその言葉を聞き、加藤は手にしていたフォークをプレートの上に音を 立てて 置 い た 。 ﹁とんでもないとはなんだ、俺は真剣だぞ。後で技師長に相談に行こうと真面 目に思 っ て い る ん だ ﹂ 加藤の剣幕に山本は小さく肩を竦める。薫は少し困ったような表情で古代達 の顔を見た。もちろん、古代と島には何のことだかさっぱり事情がわからない。 事 の 起 こ り は 午 前 中、 格 納 庫 で 加 藤 と 山 本 が ブ ラ ッ ク タ イ ガ ー の 点 検 整 備 をしている時だった。何を思ったのか突然、加藤がブラックタイガーにブース ターをつけたいと言い出した。確かにそれが実現したら艦載機の機動性は現状 より格段に向上するだろう。だが、現在の機体の構造からいって装着は不可能 だと、山本は加藤に言ったのだ。それを、加藤は真田なら必ず打開策を見出し − − 1 てくれると言って一歩も引かない。真田は優秀な技師だが、いくら真田とて可 能なことと不可能なことがあるだろう。二人は出来る、出来ないの押し問答を 格納庫で繰り返し、昼食時間が遅れてしまったのだと、加藤は力を込めて説明 した。 ﹁無理 だ と 思 う け ど ﹂ そんな加藤に構わず、山本は両手を天に向けた。 ﹁大体お前はアッサリしすぎなんだよ、もっとなぁ││﹂ ﹁俺があっさりしてるんじゃなくて、お前が熱すぎるんだ﹂ ﹁どっちもどっちよね﹂ ぶぜん 二人のやり取りに、薫がおかしくてたまらないといった様子で口を挟む。そ の言葉に加藤と山本は憮然とする。 ﹁こいつらはいつもこんな調子なのか?﹂ 呆れた様子で島が薫に訊ねる。 ﹁ええ、そうよ。全く何処までが本気なのか⋮⋮おかしくって仕方ないわ﹂ 言いながら、ついに堪えきれなくなった薫は声を上げて笑った。加藤は照れ たような表情、山本は無関心な表情、二人は見事なまでに反応が違う。 古代が笑いを堪えながら山本に訊いた。 ﹁前々から思っていたんだが││なんでそんなにタイプの違うお前達が気が合 うのか、不思議だったんだよな﹂ ﹁こういうのを気が合うっていうのか?﹂ 山本は片眉を吊り上げた。 ﹁ああ、いいコンビだぜ﹂ ﹁⋮⋮ ﹂ ﹁そのきっかけをずっと訊いてみたかったんだ﹂ きっかけ││と山本が呟いた。 ﹁ああ、お前達が仲良くなったきっかけだよ﹂ た ぐ 島も知りたいとばかりに身を乗り出す。 ﹁あれ は │ │ ﹂ 山本は記憶の糸を手繰るように天井を仰いだ。 − − 2 2 待ち焦がれていたその日がようやく訪れた。 宇宙戦士訓練学校の入学式、真新しい制服に身を包んだ未来の宇宙戦士達が 期待と不安に胸膨らませ、その門をくぐる。その多くの新入生の中の一人に山 本明はいた。十五歳の山本は念願叶って航空科に籍を置くこととなった。 宇宙戦士訓練学校は予科生を二年、本科生で一年を過ごす。その上に更に特 科があり、ここは幹部候補生が進級する。 あれは││まだ地球が謎の敵ガミラスに攻撃を受ける前のことだった。山本 が十歳の時だったか、父親に連れられて行った地球防衛軍司令部の落成式典で の事だ 。 そこで見た地球防衛軍艦載機部隊のアクロバットショー。青空を縦横無尽に 様々なフォーメーションで彩っていく。日差しを浴びた翼が銀色に反射してと ても眩しかった。各隊のエース級のパイロット達を集めたそのパフォーマンス は圧巻だった。特に編隊の先頭で指揮を執っていた、赤い星⋮⋮ONE S ―T ARを機体に記したエースパイロット。それは十歳の少年の心に鮮烈な印象を 与えた 。 そ の 時 に、 い つ か 自 分 も 艦 載 機 の パ イ ロ ッ ト に │ │ エ ー ス に な る ん だ、 そ う決心したことを今でも憶えている。華麗なパフォーマンスを披露し終えたパ イロット達が艦載機から次々に降りてくる中、山本は目を凝らしてエースパイ ロットだけを探す。彼は艦載機から地上に降り立つと、ヘルメットを取り片手 に抱えて笑顔を見せた。素晴らしい笑顔だった。││自分もパイロットになり、 あのエースパイロットと一緒に空を駆けたい。あれから五年が経ち、今日はそ の夢に近づく記念すべき第一歩だ。 山本の父親は地球防衛軍開発局に勤務する技師だった。父も母も山本のパイ ロット志望を知ると強く反対した。彼がパイロットを目指し始めた頃とは余り にも状況が変わりすぎていた。あの頃は誰もが地球の繁栄と平和を信じて疑っ ていな い 時 代 だ っ た 。 今は違う││。地球はガミラスとの戦いで一人でも多くの戦士を必要として − − 3 いる。そんな折にパイロットになったら⋮⋮。艦載機のパイロットなど真っ先 に前線に駆り出される、一人息子である山本の身を案じた両親が反対するのも 無理のないことだ。それを彼は長い時間かけてようやく説得し、今日を迎えた のだ。 ︵よし 、 行 く か ︶ 心の中でそう言うと、山本は新入生を歓迎するアーチをくぐった。そのまま 入学式の会場となる講堂に向かう。七百人以上はいると思われる新入生の中で、 最後まで残るのはその内の半分にも満たないだろう。だが、自分は必ず最後ま で残り、夢を現実のものにする。そしてガミラスと戦うのだ。当初の目的とは 方向がいささか変わってしまったが、山本は決意を新たにした。 地球は外宇宙から突然現れた謎の敵ガミラスの攻撃を受けはじめて、四年が 過ぎようとしている。この宇宙戦士訓練学校の卒業生の中にも、すでに戦闘に 参加している者がいるはずだ。ガミラスが送り込む遊星爆弾は放射能を帯びて いたため、地表は放射能に汚染されつつある。数年前から人類は徐々に地下に 都市を建設して移り住むようになった。その時点では人類はまだ絶望というも のを身近に感じていなかった。各国の協力の下組織された地球防衛軍の艦隊が、 必ず謎の敵ガミラスを打ち倒すと信じていたからだ。 しかし、戦況は思わしくなかった。防衛軍内部でさえ、地球の科学力ではガ ミラスには勝てないのか││そんな声もわずかではあるが囁かれ始めていた。 現在まだ地表で暮らす僅かな人々も、いずれは地下都市に移ることになるだ ろう。地上では緑が⋮⋮水が消え、人々の顔から笑顔も消え始めていた。 広い講堂内には新入生達が、科毎に区切られたスペースにおとなしく収まり つつあった。山本も自分の着席する場所を確認する。着席してしばらくすると、 右隣に短髪の少年が座った。 ︵こいつも航空科か⋮⋮︶ ざっと見渡したところ、航空科の新入生は三百人程度か。この中で一体何人 が晴れて卒業することが出来るのだろう。厳しい訓練の途中で落伍する者はけ して少 な く な い 。 学校長の長い挨拶が始まった。 ﹁長い挨拶だな、眠くなっちまうぜ﹂ − − 4 隣の少年が話しかけてくる。 ﹁え⋮⋮ああ、そうだな﹂ ささや 唐突に話しかけられ驚きながらも、山本も小さい声で返事をした。 ﹁なあ、やっぱり航空科は男ばかりだな。他の科には女の子いるのになあ﹂ 短髪の少年は周りを見渡すと山本に囁いた。 ︵なん だ こ い つ │ │ ︶ どう答えたものかと迷っていると、頭上から怒声を浴びせられかけた。 ﹁そこ! 何を話している!﹂ みとがめ 見咎めた教官は ど う や ら こ の 短 い や り 取 り を 見 て い た 教 官 が い た よ う だ。 真っ赤な顔をしてこちらを指差していた。校長の挨拶は途中で止まり、二人に 一斉に講堂内の視線が集まる。静寂だった会場が俄かにざわめきだす。慌てて 他の教官等が静かにするよう注意するが、一向にざわめきは収まらない。 ︵おいおい、勘弁してくれよ⋮⋮︶ こんな時にこんな場所で目立ってどうするんだ││山本はため息をついた。 凛とした声だった。 りん すると隣の少年は勢いよく立ち上がると壇上の校長に向かい、 ﹁申し訳ありませんでした!﹂ と、大きな声で謝罪した。その声は講堂内に響き渡る、 一瞬にして講堂は静けさを取り戻した。 山本は少年の横顔を見上げた。少年は自信に満ちた表情をしている。 ︵こい つ ⋮ ⋮ ︶ 一泊遅れて、やれやれといった表情で仕方なく山本も立ち上がった。 ﹁申し訳ありませんでした﹂ 思いがけない展開に困惑した別の教官が、二人に着席するよう促した。 3 着席した少年は山本に目配せをした。呆れた表情で山本は少年を見返す。そ してまた何事もなかったように、校長の長い挨拶が再開されたのだった。 中央ロビーに張り出された案内を見て、指定教室に向かう。教室に入ると先 ほどの一件のせいだろう、既に中にいた生徒から注目される。 − − 5 ︵あー あ ⋮ ⋮ ︶ 妙なことになったと山本はため息をついた。数人ずつ固まっている生徒達は 窺うような表情で山本のことを見やる。 ︵ったく││なんだっていうんだ︶ 空いていた席に腰掛けると頬杖を着く。前に誰かが立った気配を感じて見上 げると、例の少年が立っていた。 ﹁あ⋮ ⋮ ﹂ 困惑した表情の山本にお構いなしで、少年が話しかけてくる。 ﹁さっきは付きあわせちまって悪かったな﹂山本はその少年の顔をまじまじと 見返した。彼は悪びれる様子もなく笑顔を見せた。﹁そう怖い顔するなよ﹂ 山本は椅子から腰を浮かせた。 ﹁どういうつもりなんだ、入学式早々││﹂ ﹁入学式早々、教官達に顔を覚えてもらえたぜ﹂ と、山本の言葉尻を取り少年はにやりとした。 ︵こいつ⋮⋮最初からそのつもりで?︶ 少年の真意はわからないものの、その発想に驚いた。 ﹁おい ⋮ ⋮ ﹂ そこまで言いかけたところで教官が教室に入ってきた。少年は自分の席に戻 り、山本は諦めて着席し直した。 この部屋には航空科に入学した全員が集められている。ここから操縦士、整 備士、管制官等に更にコースが分かれることになる。そのクラス割と明日から のカリキュラムの簡単な説明、そして宿舎の部屋割りの通達があった。 あの少年はどのクラスだろう⋮⋮と気になり、こっそり制服の徽章を盗み見 てみると、自分と同じ色の徽章を着けていた。 ︵あいつもパイロットか││︶ と、言うことはこれから三年間一緒に訓練を受けるということか。 彼は少し離れたところに着席していたが、山本の視線に気付いたのか、こち らに向かって小さく手を振った。途端に先程の入学式での出来事が甦り、山本 はまたひとつため息をついた。 − − 6 4 宇宙訓練学校の生徒は原則として二人一組の宿舎生活を送る。数日前に送っ た荷物はすでに部屋に届いているはずだ。自宅から通学するものもいるが、そ れは全体から見たらごく僅かな数でしかない。 山本は部屋番号を記された用紙を片手に、自分に割り振られた部屋を探して いた。 ﹁よっ ! ﹂ 背後から声をかけられ山本は振り返った。 そこには例の短髪の少年が立っていた。 ﹁ああ ﹂ もう山本は特別驚かなくなっていた。 ﹁部屋探してるのか?﹂ 少年は山本と並んで歩き出す。 ﹁⋮⋮ ﹂ つくづく人懐こい奴だなと思いつつ、山本は頷いた。 ﹁何号 室 ? ﹂ ﹁一〇 二 四 ﹂ 短く 山 本 は 答 え た 。 ﹁俺と 同 じ だ ﹂ ﹁え? ﹂ ﹁ほら ﹂ そ う 言 っ て 少 年 は 持 っ て い た 書 類 を 見 せ る。 そ こ に は 確 か に﹁ 一 〇 二 四 号 室﹂と記載されていた。 ︵こんな偶然って⋮⋮これは何かの策略か││?︶ はま 山本が呆然とする間もなく﹁あそこに案内が出ている、見に行こうぜ﹂と、 少年は案内板へ駆け寄る。 ﹁あ⋮ ⋮ あ あ ﹂ なんだかすっかり奴のペースに嵌ってしまっている││山本は苦笑した。案 内板の前に二人は並んで立った。 − − 7 ﹁クラスも一緒、部屋も一緒、なんかの縁だと思って仲良くしようぜ﹂ 少年は笑顔で右手を差し出す。 ﹁俺は加藤、加藤三郎だ。よろしくな﹂ 5 あの講堂に響き渡った凛とした声で自己紹介をした。 ﹁山本⋮⋮山本明。││よろしく﹂ 山本も少し躊躇いがちに右手を出した。 艦載機の操縦士になるには厳しい訓練に耐えなければならない。パイロット はコクピットに座って、ただ計器を見て飛んでいるわけではないのだ。過酷な フライトに耐えられるよう、体力トレーニングから始まる。毎日のランニング や器具を使ったトレーニングに音を上げて、脱落する者も少なくなかった。 半年が過ぎる頃には当初の人数より一割が減っていた。カリキュラムの内容 はそうした体力トレーニング、構造学、そしてシュミレーション機や実機を使 用したフライトだ。二年間の予科生の間に三百時間フライトをこなさなければ せっさたくま 本科生に進めない。この中で加藤と山本のフライト時間は群を抜いていた。予 科生を一年終える頃にはすでに二百時間をこなしていた。 これは驚異的なスピードである。二人はお互いをライバルと認め切磋琢磨す ることにより、見る見るうちに頭角を現し、その技術を格段に向上させていた。 ││何よりも元々素質があったということだろう。二人が入学して一年後には 予科二期生の中に優秀なパイロット候補生がいると、加藤と山本は教官達に注 目されるようになっていた。いや、すでに入学式のあの時から注目されていた のかも し れ な い 。 そんなある日、山本は学校内で思いがけない人物に出くわした。加藤と二人、 担任の教官から呼び出しを受け教官室に向かう途中、その人に会ったのだ。山 本にとっては、再会といってもいい。 ﹁あの 人 ⋮ ⋮ ﹂ ―TARのパイロット。山本がパイロットを目 忘れもしない、あのONE S 指すきっかけになったあの憧れのエースパイロットだ。見間違いではない、顔 − − 8 を見たのはあの時ほんの一瞬だったが、脳裏にしっかりと顔を刻み付けたのだ から。あの日から五年近く経っていたが、彼の風貌は然程変わりはなかった。 信じられないといった表情で山本は男を凝視している。 ﹁どうしてここに││﹂ 山本の足が止まった。 ﹁おい、どうしたんだ﹂ 急に立ち止まった山本に怪訝そうに加藤が訊ねた。 ﹁あ、 あ あ ⋮ ⋮ ﹂ 加藤の問いに上の空で答える。目前にいるその人物から視線が離せなかった。 加藤が山本の視線の先にいる人物に気付いた。 ﹁ああー、高橋教官じゃん﹂ 加藤の言葉に山本は驚いた。 ﹁教官 ? あ の 人 が ? ﹂ ﹁そうだよ、本科の教官だ。知らなかったのか?││まあ、本科の教官は俺達 とは接する機会があまりないから、顔を知らない人とかも結構いるよなあ﹂ 加藤はこう見えて案外情報通だ。入学して加藤から教えてもらった話は数知 れない。独自の情報網を張っているのか、それとも単に耳が早いのか。 ﹁本科 の │ │ ﹂ 二人の存在に気付いたその男はこちらに向かってくる。 ﹁加藤 と 山 本 だ な ﹂ 加藤が高橋教官と呼んだその男は、意外にも自分達のことを存知していた。 ﹁はい ! ﹂ 元気よく加藤が答える。山本は口が利けなかった。自分の顔を凝視したまま の山本に高橋は訊ねた。 ﹁なんだ、俺の顔に何かついているか?﹂ ﹁い、いえ⋮⋮。あ、あの﹂ ﹁ん? ﹂ ﹁教官は⋮⋮確かONE S ―TARのパイロット││ですよね、落成式典のあ の時の ﹂ 高橋は照れたような笑いを浮かべた。 − − 9 ﹁なんだ、お前よく覚えてたな⋮⋮ずいぶん昔のことだぜ﹂ ﹁忘れません、絶対に﹂ 山本が珍しく感情的なことに加藤は少し驚いた。顔を紅潮させている。 ︵へえ⋮⋮珍しい、こいつでもこんなことあるんだ︶ 常日頃から山本は感情をあまり表情に出さない。だから傍から見ると素っ気 ない奴に見えるはずだ。 ﹁だが、今はパイロットじゃない。単なる一教官だ﹂ ﹁⋮⋮パイロットじゃない?││辞めたんですか﹂ ﹁ああ ﹂ 高橋の返答は短かった。 ︵何故 │ │ ︶ 山本は咽喉元まで出かかった言葉を懸命に飲み下した。高橋がパイロットを 辞めた理由を無性に訊きたかったが、初対面に近いこの状態では失礼だし、無 礼にも 程 が あ る 。 そんな山本の葛藤に気付くはずもない高橋は二人に向かいに話し始めた。 ﹁お前達の噂はよく聞いている、教官達の間で何かと話題になっているんだ。 来年必ず俺の││高橋隊に来い﹂そこまで言うと高橋は不敵な笑みを浮かべた。 ﹁俺が徹底的にお前達をしごいてやる﹂ 高 橋 が 言 う︽ 高 橋 隊 ︾ と は │ │ そ れ は 本 科 第 一 航 空 訓 練 科 の こ と だ。 通 称 高橋隊と呼ばれている。他にも第二航空訓練科は︽北村隊︾、第三航空訓練科 は︽広瀬隊︾と一応呼称されているが、高橋隊は別格だ。彼の受け持つ第一航 空訓練科は、全予科生の中から優秀な人材しか選抜されない、言わばエリート チーム だ 。 基本的に艦載機は二機でエレメント、エレメントが二組つまり四機で一フラ イト││の分隊を組む。その内の一機がフライトリーダーだ。更にその分隊が 五組で一つの小隊となる。二小隊から四小隊がその母艦の規模により配属され るのだが、高橋隊に選抜された隊員はその後、殆ど例外なくフライトリーダー になっ て い る 。 ﹁高橋 ⋮ ⋮ 隊 ﹂ ﹁そうだ、お前達なら楽勝だろう。楽しみに待っているぞ﹂ − − 10 そう言い残して高橋はその場を去った。 ﹁││なあ山本、こいつはすごいことだぜ﹂ 加藤の声もいつになく上ずっている。 ﹁高橋隊っていったらエース級パイロットを何人も輩出しているんだぜ。そこ の教官直々に来いって言われるなんて⋮⋮すごいぜ﹂ ﹁加藤、前から高橋教官の事知ってたのか?﹂ ﹁すごい教官だって噂だけはな。││訓練も半端じゃなく厳しいらしい、鬼の 高橋って呼ばれてるんだぜ﹂ ﹁ふぅ ⋮ ⋮ ん ﹂ ﹁高橋隊出身の者はその殆どがリーダーになるそうだぜ。今現在、艦隊に配属 されている艦載機部隊のリーダーにも、高橋隊出身の者が多いんじゃないのか な﹂ ﹁へえ、それはすごいな﹂ ﹁だろ ? 俺達は将来を嘱望されてるってわけだ﹂加藤は自らの胸を誇らしげ に叩いた。﹁山本、絶対一緒に行こうぜ﹂ ﹁ああ ﹂ ﹁お、初めて意見があったな﹂ 加藤はうれしそうに笑った。 ︵高橋隊か││よし、絶対に選出されてみせる︶ 高橋がパイロットを辞めていたことには少なからず打撃を受けたが、教官と して教えを請えるならそれも悪くはない。加藤には素っ気なく返事をしたもの 6 の、新しい目標に向けて山本は内心静かに闘志を燃やしていた。 ﹁へえ、それで今日に至ってるわけか﹂ 山本の話を聞き終えた島が、感慨深げに呟く。 ﹁そう、それから二人して︽高橋隊︾に進んだんだ。ま、当然だがな。薫の兄 貴は目 が 高 い ぜ ﹂ 加藤 は 胸 を 張 っ た 。 − − 11 ﹁そういうこと。腐れ縁だよな﹂ ﹁腐れ縁て││お前ひどい言いようだなあ﹂ ﹁馬鹿、冗談だよ。本気にするなよ﹂ 一同は声をあげて笑った。笑いが少し収まったところで、古代が隣に座って いる島 を 見 た 。 ﹁まあ、俺と島も似たようなもんだけどな﹂ ﹁そうなんだ、古代が突っ走らないように⋮⋮意外と大変なんだぜ。山本とは 違う苦労をしているんだ﹂ ﹁ああ、わかる気がする﹂と山本が言えば、 ﹁おい 島 ﹂ 古代 が 島 を 睨 む 。 ﹁だってそうだろう、お前は猪突猛進型だからなぁ。あの時だって﹂ 島が言うあの時とは、古代と二人してガミラスの偵察機を追いかけた時のこ とを指していた。訓練学校内で敵機発見の放送を聞き及び、古代は後を追うと 飛び出そうとし、こいつ一人で行かせたらどうなることやら⋮⋮と島も同行し たのだ。無茶な加速に耐え切れず探索艇はオーバーヒートを起こし、不時着を さえぎ 余儀なくされた。着陸したその場所は偶然にも﹁ヤマト﹂が眠る九州は坊ヶ岬 であっ た の だ が 。 ﹁島、もういいだろう、その話は﹂ 遮る。 話の矛先が自分に向いてきたので、古代は慌てて ﹁ははは、人のこと言えないぜ﹂ 加藤が朗らかに笑った。反対に山本は憂鬱そうに息をついた。 ﹁あの時加藤に声をかけられて││それから何故かずっと一緒なんだ﹂ 加藤はそんな山本を見て言う。 ﹁俺とお前は縁があったっていうことさ﹂ ﹁いいのか悪いのか⋮⋮﹂ぼそっと山本が呟いた。 ﹁山本 ! ﹂ 山本の冷淡な言いように加藤は不服顔だ。しかし、口では悪態をつきながら、 内心では加藤のことを心から良き友、良きライバルと山本は認めている。今で は出会えたことに真実感謝している。 − − 12 ︵加藤がいなければ、自分は今ここにいただろうか。数々の試練を乗り切るこ とができただろうか││︶ 訓練学校での様々な厳しい訓練も、加藤と競い合うことにより乗り越えてき たと自覚している。言葉にこそしないが高い志を持つこの男に出会えたからこ そ、今の自分がいるのだとも思う。 だが、そのことはけして加藤には言わないつもりだ。 しゃく ︵⋮⋮いい気にさせるのは癪だからな︶ ﹁いいに決まってじゃない、今もこうして一緒にいるんだから﹂ 二人の顔を見ながら薫が微笑んだ。 ﹁しかし、お前達の名コンビにヤマトはずいぶん助けられているんだ、これか らも頼むぜ。これは戦闘班長としての頼みだ﹂ 古代が真顔で二人に向き直った。 ﹁任せ て お け ﹂ 加藤は胸を叩く仕草をする。隣で山本も小さく頷いた。 ﹁ところで加藤、前から聞きたかったんだが、お前どうしてあの時俺に声をか けたん だ ? なんで俺だったんだ﹂ 不意に思い出したように、山本は加藤に訊ねた。 ﹁そりゃあーお前が一番目立っていたからさ﹂ ﹁俺が ? 俺はお前と違って地味だと思うけど﹂ ﹁お前の何処が地味だよ、あの大勢の中でその長髪はすげえ目立ってたぜ﹂ ﹁⋮⋮ 見 た 目 か よ ﹂ 山本はその答えが面白くなかったようで、加藤から顔を背けた。 ︵それだけじゃないぜ。お前だけ⋮⋮他の奴らと目が違ってた。お前は遥か先 を見て い た │ │ ︶ 真剣な表情で加藤はこの盟友の顔を見る。あの講堂内にいた多くの新入生の 中で、この男││山本だけ違って見えた。だから加藤は迷わず彼の隣に腰を降 ろしたのだった。校長の挨拶中に声をかけたのも、あんなパフォーマンスをし たのも、この男がどういう反応をするのか試して見たかったからだ。 ﹁なんかお前とは仲良くなれそうな気がしたんだよ、直感だな。実際今までう まくやってきたじゃないか﹂加藤は白い歯を見せた。 − − 13 山本はつまらなさそうに頬杖をつく。 ﹁ふうーん⋮⋮俺はお前に振り回されっぱなしのような気がするけどな﹂ ﹁おいおい││そりゃないだろう﹂ 加藤は心底情けなさそうな顔をし、一同は大いに笑った。いつまでも楽しげ な笑い声がヤマト亭に響いていた。 初稿二〇〇三年五月 改訂二〇〇六年四月 − − 14 星の祝 福 1 ヤマトはガミラス本星での死闘を制し、ようやくスターシャの待つイスカン ダルへと降り立った。強敵デスラーはガミラス本星と運命を共にし、ヤマトを、 地球を苦しめたこの強大な敵は、ガミラス星の崩壊と共に、この宇宙の塵とな り消えた。地球初の亜空間航行を成功させた宇宙戦艦ヤマトは、十四万八千光 年もの長い航海を無事乗り切ることができたのだ。 こんぱい ガミラスと双子星のイスカンダルは、ガミラスとはまるで似ても似つかぬ、 美しく静かな星だった。何処までも続く紺碧に澄み渡る空と、瑠璃色に輝く海。 長旅で心身ともに疲労困憊した乗組員達は、この星に遠く離れた母星を重ね合 わせ、僅かばかりの安らぎを得たのであった。このイスカンダルのように、コ スモクリーナーで地球は元の美しい星に生き返るのだ、苦しい戦いを終えた戦 士達誰もが皆そう信じている。 ヤマトをスターシャが出迎え、古代を始め数名が彼女の住まう宮殿へと出向 いた。残りの乗組員は一部を除き、束の間の休息を楽しんでいた。イスカンダ ルを散策する者、家族へ送るメッセージデータを作る者、そして加藤のように ほ し 相変わらず愛機を磨いている者、それぞれだった。思い思いに過ごしながらも、 2 乗組員達の心は既に地球へと向かっている。もう後は懐かしい地球へ還るだけ なのだ か ら 。 山本と薫は後甲板にいた。カタパルトを背に、二人で目前に広がるイスカン ダルの美しい風景を眺めていた。 ﹁イスカンダルって綺麗な星ね。こんな綺麗な星だとは思わなかったわ﹂ ﹁ああ 、 そ う だ な ﹂ 眼下には技術班を始めとする幾人かの乗組員が、真田の指示でコスモクリー ナーの資材を積み込んでいるのが見える。 − − 1 イスカンダルはとても美しい星だった。放射能に汚染される前の地球に勝る とも劣らない。ここ、イスカンダルには海があった。もちろんガミラス本星の きら ような濃硫酸の海ではなく、ごく普通の青い海だ。その水面は太陽の日差しを 受け、眩しいばかりに煌めいている。 ヤマトはこの海に停泊していた。時折風がそよいで、艦が揺れた。長いこと 地下都市で生活していた自分達にとって、この空と風と海と、全てが新鮮でそ して懐かしいものだった。二人はしばらくその風に吹かれていた。 ﹁││ で も 哀 し い 星 ﹂ 薫 が ぽ つ り と 呟 い た。 惑 星 イ ス カ ン ダ ル は 美 し い 星 だ が、 す で に 滅 亡 に 向 かっている星といっても過言ではなかった。イスカンダルはスターシャ一人が 存在する星なのだ。他のイスカンダル人は墓地に眠っている。 ﹁この星にいるのはスターシャ一人なんて⋮⋮﹂ そう言って薫は目を伏せた。 ﹁でも、古代の兄貴が残るかもしれないぜ﹂ 山本は頬杖をついたまま、薫を見やった。 ﹁え?││だって古代さん、私達と一緒に地球に還るんじゃないの?﹂ 薫は驚いて山本の顔を見た。 古代進の兄守はあの冥王星海戦にて駆逐艦︽ゆきかぜ︾を指揮していたが、 味方形勢不利の状況において、断固として撤退を拒否し、 ︽ゆきかぜ︾と共に 散ったと思われていたのだ。ところが、ガミラスに捕虜として捕らえられガミ ラス本星に移送中、移送艦の事故により宇宙空間を漂流しているところを、ス ターシャに救われたのだった。守はひどい宇宙放射線病に冒されていたが、彼 女の献身的な看護のおかげで奇跡的に回復したのだ。 スターシャによって兄の守と引き合わされた古代の喜びようはなかった。死 んだと思っていた唯一の肉親に、地球から遥か十四万光年も離れたこの星で再 さとる 会できるなどと誰が想像できようか。守と同期の真田もこの再会を心から喜ん でいた。そして艦長の沖田も。確か薫の兄││高橋暁も守と同期だったはずだ。 暁もさぞかし喜ぶだろう。古代守はヤマトで我々と共に地球に帰還する││薫 はそうユキから聞いていので、山本が何故そんなことを言うのか真意がつかめ なかっ た 。 − − 2 ﹁なんでそう思うの?﹂ ﹁いや⋮⋮なんとなく﹂ 山本はとぼけた風に景色に目をやった。 ││スターシャは守と別れたくないのではないか。守も本当にこのまま地球 に帰るつもりなのだろうか。決して短くない時間を一緒に過ごして、情は移ら なかったのか││。そんなはずはないだろう、スターシャは妹のサーシャがイ スカンダルを発ってから後、ずっと独りでいたのだから。スターシャはたった 一人の妹を送り出した後、この星で孤独に耐えながらひたすらその帰りを待っ ていたはずだ。サーシャが二度とイスカンダルに戻れぬことなど、スターシャ は全く知らずに││。そこへ突然現れた異星人││奇しくもスターシャが救い の手を差し伸べた地球の人間。大変な看護を必要とする重病人ではあったが、 孤独な日々を過ごしていたスターシャは守の出現に依り、ずいぶんと慰められ たのではないだろうか││ふと、そんな風に思ったからあんな台詞が口をつい て出たのだが、それは薫には言わなかった。 ﹁山本 く ん ⋮ ⋮ ? ﹂ 黙り込んだ山本に薫がおずおずと声をかけた。 ﹁俺だったら還らない﹂ ひ と 山本は前方の海を見据えながら独り言のように答えた。 ﹁え? ﹂ ﹁俺なら⋮⋮大切な女性と離れたりしない﹂ 山本は薫に向き合った。 ︵もしも、自分が守の立場だったら││︶ 彼がスターシャを愛していると前提にして考えるならば、自分はそんな女性 を独り残して、故郷に帰ろうとは思わない。だが、これはあくまでも山本個人 の考えだ。守も同じように思っているかは知る由がない。 薫は微笑を浮かべた。 山本は薫の両腕を軽くつかんだ。真剣な眼差しで薫の瞳を見つめる。 ﹁薫、地球に還ったら││﹂ ﹁還っ た ら ? ﹂ ﹁結婚 し よ う ﹂ − − 3 ﹁山本 く ん ⋮ ⋮ ﹂ 薫はそれ以上の言葉を見つけられなかった。何も言えなかった。 ﹁嫌か ? ﹂ 眉を寄せわざと深刻な表情で山本は訊ねる。 ﹁嫌な訳││ないじゃない、意地悪ね﹂ 薫は含羞みながら山本を叩く振りをし、そして山本の顔を見上げる。山本は 慈しむような視線を薫に向けた。 ﹁一緒に⋮⋮これからはずっと一緒に。絶対一人にはしない││﹂ ﹁ええ、ずっと一緒に││﹂ この美しい星に誓う。絶対にこの手を離さないと││絶対に哀しい思いはさ せないと。この先どんなことがあっても、けして離れないと。 3 再び二人は肩を寄せ、目前に広がる美しい風景をいつまでも眺めていた。 古代がスターシャの宮殿から戻ってきたと聞くや否や、加藤は第一艦橋に向 かって 走 っ た 。 ﹁古代 ! おい古代!﹂ 加藤は息せき切って第一艦橋に飛び込む。太田や南部も驚いて振り返る。 ﹁どう し た 加 藤 ﹂ 訊常ではない加藤の様子に、何事かと古代は席を立った。加藤は余程急いで 駆けつけたらしく、肩で息をしている。少し呼吸が落ち着くのを待つ。 ﹁実は相談があるんだが﹂そう言うと加藤は目配せをして古代を外に誘った。 第一艦橋を出て、どこへ向かうか一瞬加藤は考えた。パイロットルームはブ ラックタイガー隊員達が必ず誰かしら詰めているし、私室に使っている部屋も 共同なので他の人間がいるかもしれない。食堂も駄目、医務室も格納庫も、思 いつくところには人がいそうだ。どうしたものかと考えあぐねて、ふと、展望 室のことを思い出した。あそこなら誰かいても、席を外してもらうことが出来 るだろう。加藤は古代に展望室へ行こうと提案した。 側方展望室まで着くまで加藤は一言も喋らなかった。着いてからも加藤は辺 − − 4 りに人がいないか、しきりに気にしている。ようやく誰もいないことを確認し、 加藤は安堵の息をついた。 ﹁一体 何 な ん だ ﹂ 訝しげに訊ねてくる古代に ﹁なぁ、古代。ヤマトで⋮⋮結婚式できないか?﹂ と、加藤は切り出した。 古代は目を見開いた。 ﹁結婚 式 ? 誰の﹂ 思わず声のトーンが一オクターブ上がる。加藤は慌てたように口に人差し指 を当てた。古代も周りを見渡し、小さく肩を竦めた。辺りに誰もいないことを もう一度加藤は確認し、口を開く。 ﹁決まってるだろ、山本と薫だよ﹂ ﹁ああ │ │ ﹂ 古代は納得したように頷いた。 ﹁俺⋮⋮偶然聞いちまったんだ、地球に還ったら結婚しようって二人が話して いるの ﹂ ﹁そう か ﹂ ﹁それでヤマトの皆で祝福してやりたいなと。俺達が一番にあの二人を祝って やりた い ん だ ﹂ ﹁⋮⋮ ﹂ ﹁駄目かな?││いいアイデアだと思ったんだがな﹂ 突飛なこの加藤の申し出に、古代は顎に手をあてしばらく考え込んでいたが、 ようや く 口 を 開 い た 。 ﹁そうだな、いいかもしれないな。││わかった、俺から沖田艦長に相談して みよう ﹂ 古代の返事に加藤は破顔した。 ﹁悪いな古代。頼んだぜ!﹂ 自分のことのように加藤はうれしそうに目を輝かせる。快諾を得た加藤は。 右手を大きく振り上げ挨拶とし足取りも軽く展望室を後にした。 加藤が立ち去ったあとも古代は一人展望室に残っていた。 − − 5 4 ﹁そうか⋮⋮あの二人が。ヤマトで結婚式││悪くないな﹂ 古代 は 一 人 頷 い た 。 たお 古代守はイスカンダルに残る道を選んだ。幸せそうなスターシャと守に見送 られて、ヤマトはイスカンダルを出航した。後は地球に向けて急ぐだけだ。デ スラーは斃れた。地球までの帰りの道程で、戦闘はもうないだろう。艦内には 穏やかな時間が流れていた。 そんな中、ここ数日薫は妙な疎外感を感じていた。ヤマトのクルー達が、ど ことなく何故かよそよそしい。特にユキがそうだった。ほとんど会話すること がない。それは山本も同様に感じていた。パイロットルームに顔を出すと、そ らち れまで顔を突き合わせ何かを相談していた隊員達が、まるで蜘蛛の子を散らす ように 四 散 す る 。 ︵││ 何 な ん だ ? ︶ 埒が明かない。 加藤に訊ねようとしても、適当にはぐらかされてしまい、 ︵加藤の奴、何か企んでるな︶ そう思ったものの、肝心な企みの見当がさっぱりつかず、山本はもやもやし た気分を持て余していた。何か消化不良のような気持ちを抱えたまま、ここ数 日を二人は過ごしていた。 疑問が不安に変わり始めた頃、医務室にいた薫にユキが声をかけた。ユキが イスカンダルで負傷したため、薫が珍しく白衣姿で医務室での仕事に従事して いた。 ﹁薫、後で展望室に来てくれる?﹂ ﹁え? ええ⋮⋮﹂ つむ 薫はシーツをたたんでいた手を止めると答えた。 ﹁必ず よ ﹂ ユキはそういうと片目を瞑った。 ︵何か し ら ⋮ ⋮ ︶ そう思いながら言われた通りに展望室に向かうと、そこには山本が先客とし − − 6 ていた。山本の後姿に声を掛ける。 ﹁山本くん││どうしたの?﹂ 山本はその声に驚いたように薫を振り返った。 ﹁いや、古代に呼ばれて来たんだが⋮⋮お前は?﹂ ﹁私はユキに呼ばれて﹂ ﹁どういうことだ、一体﹂ 二人が古代達の思惑を知らず戸惑っていると、古代とユキが揃って展望室に 入って き た 。 ﹁お待 た せ ﹂ ﹁待た せ た な ﹂ 古代達は口々に声をかけてくる。 ﹁おい古代、一体何なんだ? こんなところに呼び出して││﹂ 全部話し終わらないうちに、古代は山本の背中を押した。 ﹁さあ、食堂に行くぞ﹂ 近くでそのやり取りを見ていた薫の腕をユキが取る。 ﹁薫も 行 き ま し ょ ﹂ ﹁え、え、ユキ⋮⋮何? 一体﹂ 山本と薫はそれぞれ古代とユキに引っ張られるようにして、食堂に向かった。 食 堂 に 入 っ た と た ん、 ク ラ ッ カ ー が 派 手 を 音 を 立 て、 一 斉 に 紙 吹 雪 と ラ イ ス シャワーが二人に降りかかる。訳がわからない山本と薫は、驚きの表情を隠せ ない。二人は顔を見合わせた。 ﹁結婚 お め で と う ! ﹂ 加藤が大きな声で言う。 その声につられたように、集まった乗組員達から声が上がった。 ﹁おめ で と う ﹂ ﹁うまくやりやがったな﹂ ﹁いつの間にそんな仲になったんだ﹂ ﹁ちくしょう、仲良くな﹂ 食 堂 中 を 仲 間 達 の 祝 い の 言 葉 が 飛 び 交 う 中、 薫 の 頭 に ユ キ が ふ わ り と 白 い ベール を か け た 。 − − 7 ﹁ユキ ⋮ ⋮ ﹂ ﹁薫おめでとう、私達ヤマト乗組員一同お祝いするわ﹂ そして小さなブーケを手渡す。 古代は悪戦苦闘しながら山本の首に白いリボンを結んでいた。どうやらネク タイ代わりのつもりらしい。 ﹁おめでとう山本、薫、君達はヤマト艦内結婚式第一号だ﹂ ﹁古代 │ │ ﹂ ﹁本当は俺達が第一号になる予定だったんだが⋮⋮﹂古代は小声で囁くと、ち らとユ キ の 方 を 見 た 。 まだ事情が飲み込めていない山本に、 ﹁ 驚 い た か 山 本。 俺 が 古 代 に 相 談 し た ん だ、 ヤ マ ト で 結 婚 式 が で き な い か っ て ﹂ と、加藤が打ち明けた。﹁すまん、お前達が帰還したら結婚しようって話 してたの、俺聞いたんだ。それで真っ先にヤマトのみんなで祝いたくてな。こ れがサプライズって奴さ﹂ ﹁加藤 ﹂ ﹁加藤 く ん ﹂ 加藤は改めて薫を見た。白いベールにウェディング・ドレス代わりの白衣、 頬をほんのりと染めた薫は、とても綺麗に見えた。 ﹁薫、よく似合ってるぜ││幸せになれよ﹂ 加藤はまだ微かな胸の痛みを感じずにはいられなかった。この花嫁は親友で ライバルの男のものなのだ。だが、これでいいと加藤は思った。山本の隣でな らいつまでも薫は笑っているだろう、あの素晴らしい笑顔で。それだけでいい。 古代、ユキ、島、真田、相原、南部、太田、徳川、佐渡、アナライザー、加 藤、村上、早川そして沖田らヤマトの乗組員達が二人を温かく見守っている。 山本は薫を見つめる。薫も山本を見つめた。 ﹁さあ、誓いのキスを!﹂ 誰かが声をかけた。戸惑う二人に集まった仲間達が囃し立てる。 鳴り止まない催促に、山本はとんでもないと手を振り後ずさりをして逃げよ うとしたが、あっさりと行く手を阻まれてしまった。退路を失った山本は困窮 しきった顔をしている。 − − 8 やがて、意を決したように山本は白いベールに手をかけた。そっとベールを 上げる。薫の瞳は微かに潤んでいるように見えた。山本は薫にほんの短い口づ けをした。途端に歓声が湧き上がる。山本は照れくさそうに俯いて頭を掻いた。 果たして、俯いたままの長い前髪の下の山本の表情はどんなだろうか。そんな 山本を薫は幸せそうに見つめている。こうして山本と薫はヤマトの乗組員に祝 福され、結ばれたのだった。 ││星の海は果てなく広がる。その星達もこの二人を永遠に祝福しているよ うだっ た 。 初稿二〇〇三年九月 改訂二〇〇六年四月 − − 9
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