2006 や 特 集 6月 ま か い どう 平成 17 年度栃木県内の発掘調査速報 せっかん 石冠 NO.1 たてあな 石冠 NO.2 か わ ど 縄文時代の竪穴住居跡 SI-395(北から) か ま は ち ま ん 川戸釜八幡遺跡(日光市) 写真 ( 右上 No.1・左下 No.2)の石器は石冠 (せっか は 縄 文 時 代 後 期から晩 期にかけての集落 跡 で す。 ん)と呼ばれる縄文時代の晩期 (今から約 3,000 年前 この石器 は 縄 文 時 代 晩 期の 竪 穴 住 居 跡(SI- 39 5) から 2,400 年前)に使われたものです。形が冠(かん から、多くの土器や石器とともに壁際の床面に近い むり)に似ているのでこの名前がついていますが、頭 場所から、形の異なる2点が出土しました。写真で に載せる冠ではありません。何に使われたかは様々 分かるように 1 点には赤と黒い色が塗られています。 な説がありますが、縄文時代の「まつり」や「まじな 赤い色はベンガラと呼ばれる 顔 料 で、 酸 化 第 二 鉄 い」の道具と考えられています。 かわ ど かまはちまん 石冠が出土した川 戸 釜 八 幡 遺跡は、日光市(旧栗 山村)の湯西川温泉から東へ約 2㎞にあります。遺跡 たて あな が ん りょう さん か だい に てつ さび (鉄の錆 に近い物)を成分としています。黒い色は漆 です。 (石冠No.1:幅15.2㎝・高7.3㎝ 石冠No.2:幅10.6㎝・高8.5㎝) ―― 《 も く じ 》 ◎特集 平成 17 年度 栃木県内の発掘調査速報 ○表紙 川戸釜八幡遺跡・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1 ○市町村教育委員会が行った発掘調査から ○栃木県内発掘調査位置図及び一覧・・・・・・2〜3 高原山黒曜石原産地遺跡群・・・・・・・・・・・・・・・8 ○埋蔵文化センターが行った発掘調査から 桃花原古墳・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・9 ハッケトンヤ遺跡・・・4 田島持舟遺跡・・・5 ○平成 17 年度 県内発掘調査の動向・・・・・・・10 菅田古墳群・四十八塚古墳群 ・・・・・・・・・・・・・・6 ◎平成 17 年度発掘調査報告会・・・・・・・・・・・・・・・11 森後遺跡・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・7 ◎平成 18 年度巡回展 栃木の遺跡・・・・・・・・・・・12 マークは平成18年度巡回展「栃木の 遺跡̶最近の発掘調査の成果から」 関連の項です。 マークは平成17年度「栃木県発掘調 査報告会」関連の項目です。 埋蔵文化財センターでは、国や県による道 路建設、圃場整備などの公共工事に伴う事前 の発掘調査を行っており、一方、市町村教育 委員会では市町村が行う公共事業や民間によ る開発に伴う発掘調査を実施しております。 また、このほか県・市町村教育委員会は史 跡整備等の学術調査を行っています。 1 ○ ○ 2 49 17 52 51 34 3 ○ ◎ ◎ 44 4,43 ◎ 5 32 27 ◎2 1 35 16 14 15 6 9 8 11 ○ 12 7 10 6,713 45 ◎ 56 ○ 9 ○ 38 8 50 47 48 ○ 46 ○ 53 21 22 54 ○ 55 ☆ 39 ☆ 42 10 ○11 41 37 40 29 28 19 18 36 20 ○○○○17 16○○○○○12 ☆4 151413 3 31 33 30 26 21 ▲ 23 25 22 ◎ ◎ 18 20 19 24◎ ―― ● 印……市町村が行った発掘調査 ○ 印……埋蔵文化財センターが行った発掘調査 ☆ 印……史跡整備のための発掘調査 ◎ 印……保存目的のための発掘調査 ▲ 印……市町村が行った開発と史跡整備のための 発掘調査 掲載遺跡は平成17年2月末までに埋蔵文化財 センターに情報提供されたものです。 平成17年度 栃木県内発掘調査一覧 特 集 埋蔵文化財センターが行った発掘調査 NO. 遺跡名 市町名 主な時代 NO. 遺跡名 市町名 主な時代 ○ 1 川戸釜八幡遺跡 日光市 縄文 ○ 12 寂光沢・西根 2 遺跡 岩舟町 縄文・古墳~中世 ○ 2 ハッケトンヤ遺跡 那須町 縄文 ○ 13 行屋遺跡 佐野市 中世 ○ 3 森後遺跡 さくら市 古墳~平安 ○ 14 栃本東遺跡 〃 古墳~平安 ◎ 4 長者ヶ平遺跡 ○ 15 栃本西遺跡 〃 古墳~平安 ○ 5 北原遺跡 〃 古墳 ○ 6 ○ 那須烏山市 奈良 〃 古墳~平安 ○ 16 四十八塚古墳群 砂田遺跡ほか 4 宇都宮市 縄文~近世 ○ 17 渡戸遺跡・塩坂遺跡 7 西刑部西原遺跡 〃 縄文・古墳他 ○ 18 菅田古墳群 〃 古墳 ○ 8 西下谷田遺跡 〃 古墳・奈良 ○ 19 田島持舟遺跡 〃 縄文~中世 ○ 9 下陰遺跡 真岡市 縄文~中世 ○ 20 和田遺跡 〃 古墳~平安 ○ 10 西物井遺跡 二宮町 縄文・奈良・平安 ○ 21 花ノ郷地遺跡ほか 5 下野市 古墳他 ○ 11 峰高前遺跡 二宮町 古墳~平安 ○ 22 田中・下文挟遺跡ほか 下野市 古墳他 NO. 遺跡名 市町名 足利市 古墳他 市町村教育委員会が行った発掘調査 NO. 遺跡名 ● 1 和泉遺跡 ◎ 2 新宿遺跡ほか 2 ● 3 ☆ 市町名 足利市 主な時代 主な時代 弥生他 ● 29 明神前遺跡 鹿沼市 縄文他 〃 古墳 ● 30 松の木遺跡 〃 縄文他 反過遺跡 〃 縄文他 ● 31 茂呂向山遺跡 〃 縄文他 4 樺崎寺跡 〃 中世 ● 32 段ノ浦古墳群14・15号墳 〃 古墳 ● 5 野沢向内遺跡 宇都宮市 縄文 ● 33 上石川堀ノ内遺跡・上石川堀ノ内館跡 〃 古墳他・中世 ● 6 竹下遺跡 〃 縄文・古墳 ◎ 34 外山Ⅱ遺跡 さくら市 奈良他 ● 7 辻の内遺跡 〃 縄文・奈良・平安 ● 35 宮西遺跡 佐野市 古墳他 ● 8 二軒屋遺跡 〃 弥生他 ● 36 傾城塚遺跡 〃 ● 9 根本西台古墳群 〃 古墳 ● 37 オトカ塚古墳 下野市 ● 10 立野遺跡 〃 古墳 ● 38 前川原遺跡 〃 古墳他 ● 11 宮の内遺跡 〃 古墳他 ☆ 39 下野国分寺跡 〃 奈良 ● 12 藤腰遺跡 〃 古墳他 ☆ 40 下野薬師寺跡 〃 奈良 ● 13 東山道跡 〃 奈良他 ● 41 田通遺跡 ● 14 推定東山道 〃 奈良他 ● 42 下野国府跡 ● 15 野高谷薬師堂遺跡 〃 中世 ◎ 43 長者ヶ平遺跡 ● 16 宇都宮城跡 〃 中世他 ◎ 44 助治久保遺跡 ● 17 岩舟台遺跡 大田原市 縄文 ● 45 亀山Ⅱ遺跡 ● 18 萩山遺跡 小山市 縄文 ● 46 八木岡Ⅰ遺跡 〃 縄文他 ◎ 19 横倉松山遺跡・横倉遺跡 〃 縄文他 ● 47 西高間木遺跡 〃 奈良 ● 20 雨ヶ谷宮遺跡 〃 縄文他 ● 48 仏生寺北Ⅰ遺跡 〃 奈良他 ● 21 中久喜遺跡 〃 縄文他 ◎ 49 高原山黒曜石原産地遺跡群剣ヶ峯地区 矢板市 旧石器 ◎ 22 粟宮宮内東遺跡 〃 縄文他 ● 50 磯岡遺跡 上三川町 古墳他 ● 23 神鳥谷遺跡 〃 縄文他 ● 51 中島遺跡 塩谷町 古墳他 ◎ 24 乙女北浦遺跡 〃 縄文他 ● 52 駒形大塚 6 号墳 ● 25 外城中台遺跡 〃 古墳他 ● 53 西物井遺跡 二宮町 ▲ 26 祗園城跡 〃 中世 ● 54 峰高前遺跡 〃 古墳〜平安 ● 27 谷頭溜遺跡 旧石器他 ● 55 大和田古墳群 〃 古墳 ● 28 榊山遺跡 縄文 ◎ 56 桃花原古墳4次 壬生町 古墳 鹿沼市 〃 ―― 栃木市 〃 古墳・奈良・平安 古墳 古墳他 奈良・平安 那須烏山市 奈良他 〃 真岡市 那珂川町 奈良他 縄文 古墳 縄文・奈良〜平安 特 集 埋蔵文化財センターが行った発掘調査から ハッケトンヤ遺跡(那須町) 遺跡は、眼下に那珂川と余笹川 の合流点を望むことのできる高久 きゅう りょう 丘 陵 の突端にあります。崖下の水 田面からの比高は 20 mほどで眺望 が良く、急な崖の上という意味で伝 えられるハッケトンヤという地名の 由来にもうなずけます。 この遺跡は、すでに大正時代の 黒川発電所の建設工事や国道 294 号の改修工事の際に、地元の考古 りゅう ず い 学 者である渡 辺龍 瑞 氏 が 縄文 土 器や石器を採集しています。また、 ふな と 昭和 35 年には南側に位置する舟戸 古墳群とともに、町の史跡に指定さ れています。 今回の発掘調査は、国道 294 号 稲沢バイパス建設に先だって平成 17年 4月から8月まで実施しました。 遺跡の西側に当たる1,300㎡ほど の面積でしたが、縄文時代中期後 たてあな 半から後期前半にかけての竪 穴 住 うめがめ ちょぞうけつ 全景空撮写真(南東から) ぼ 居跡 14 軒、埋甕 3 基、貯蔵穴や墓 こう 壙、落し穴(陥し穴)といった土坑 100 基以上と、縄 が見られます。また、遺物では磨り石や石皿といった 文土器や石器(石 鏃・石 匙・石 斧 ・石皿・磨 石・凹 木の実を磨りつぶす道具が非常に多く出土しました。 石・石 棒 )、土製品(土 偶・腕 輪・耳 飾・土 錘 )など このことは、当時の人々がドングリなどの木の実や の遺物が出土しました。 ヤマイモなどの根茎類といった食料を盛んに利用した 特に、この遺跡では縄文時代中期後半の竪穴住居 ことが分かります。 跡に、福島県をはじめ東北地方南部で発達する複式 この他に調査区の南側から切通しの道路跡を発見 炉という囲炉裏が造られています。この複式炉は、下 しました。これが作られた時代が分かる遺物は出土し 左写真(SI-14)のように、炉の一端に炭(灰)壺に使う ませんでしたが、当地の小字名が舟戸といい、古代の 土器を据え置いた形が基本ですが、下右写真(SI-01) 東 山 道 や中世の関 街 道 の那珂川の渡河地点と推定さ のように炉の底面に段差を付けたものなど、様々な形 れていることから、これらの道路跡かもしれません。 せきぞく いし せきぼう いしさじ ど ぐう い ろ せき ふ うで わ すりいし み み かざり くぼみ ど すい り ふな と とうさんどう 竪穴住居跡(SI-14 東から) ―― せきかいどう 竪穴住居跡炉跡(SI-01 東から) た じ ま も ち ふ ね 田島持舟遺跡(足利市) この遺跡は北関東自動車道の建 設に伴って 調 査している遺 跡 で、 足利市北側の丘陵に接する谷筋に 菅田古墳群 位置します。遺跡の範囲は、田島川 すげ た を挟んで東西に長く、東端は菅 田 古墳群に隣接しています。縄文時 C1区 D1区 (古墳時代〜中世の遺構群) 代から中近世の集落跡ですが、地 点により遺構のある主な時代が異 D区 (古墳時代〜古代の集落跡) なります。 弥生時代 A区 (中近世の遺構群) 田島川の東側低地部分から集落 たて あな 跡が見つかりました。遺構は竪 穴 B区 (弥生時代の集落跡) 溝状遺構 3 基のほか、遺物集中地 た じまもち 点(包含層)が 5 地点あり、田 島 持 田島川 住居跡 3 軒、竪穴状遺構 3 基、周 ふね 舟 遺跡調査の中で、最も重要な成 果が得られています。 全景空撮写真(北西から) 周溝状遺構のうち1 基は、幅約 2 m、径 15 〜 18 m の楕円形に巡る比較的規模の大きな溝で囲まれた遺 構です。この中には 1 軒の竪穴住居跡があり、2 つの 遺構は同じ時期のものと考えられます。 このような弥生時代における周溝状遺構+住居跡と 住居跡 いう組み合わせの例は、近年関東各地をはじめいくつ 円溝 かの遺跡で見つかっていますが、栃木県内では初め ての発見です。共通点として他県の例も、多くが低地 で見つかっており、当時の集落の様子を考える上で注 目されています。この内側で見つかった住居跡からは、 くしがき たる 弥生時代後期の櫛描文を特徴とする「樽式」と呼ばれ あか い ど る土器と、縄文を特徴とする「赤 井 戸 式」と呼ばれる 周溝状遺構調査状況(南東から) 土器がまとまって出土しています。いずれも群馬県に おいて多く出土している土器群です。この地区からは、 などを調査しました。斜面部にある浅く幅広の溝から 竪穴住居跡 3 軒以外に、建物跡と考えられる周溝状遺 は、土師器・須恵器が多量に出土しました。 構 1 基があります。 この溝から出土した土器は杯類が多く、古墳の周 竪穴状遺構としたものも、炉跡や床面などが不明瞭 溝の可能性もあります。谷に近い低い部分でもピット ですが、遺物がまとまって出土していること、柱穴が見 群や円形周溝遺構が確認されました。 つかった例があることなどから、住居であると考えら 中近世 れます。遺物集中地点からは、前期や中期の土器も出 田島川すぐ東側の調査区で、コの字状に掘られた大 土しています。 きな溝があります。上端の幅 1 〜 3 m、深さ約1 mで北 古墳時代 側の長さは約 80 mです。溝に堆積した土からは , 陶磁 ない じ 後期の集落跡が東側の台地〜斜面部で見つかって 器, 内耳土器,かわらけ, 瓦 ,板碑,羽子板などが出土しま います。ここは、菅田古墳群のある丘陵裾部に向かっ した。さらに,木製の椀や植物の種子も見つかっていま て緩やかに高くなる台地部分です。平成18年度まで調 す。田島川西側の調査区 (A 区)からも、井戸跡や建物 査を予定している地区で、平成 17 年度は住居跡、溝 跡が確認されています。 すげ た ―― 特 集 す げ た 菅田古墳群(足利市) すげ た 菅 田 古 墳群は、足 利市立北 郷 な ぐさ もち ふね 小 学 校の裏山から名 草 町持 舟 の 採 石場 へ至る丘 陵 上にあります。 南北に長いこの丘陵の東側には名 草川、 西 側には田島川が 南に向 かって流れています。古 墳は、尾 根 上に南から北に向かって、21・ 22・24・25・30・31 号墳の順に並 び、東側斜面上部には南から北に 向かって、23・26・27 号墳の順に 並んでいます。27 号墳東側下方に は 28 号墳、 さらに東側 下 方には 29 号墳が存在します。 26・27・30 号墳は 墳 丘 が 高く、 せきしつ がい ご 横穴式石室を持ち、墳丘裾に外護 すげ た れっせき 菅田 26 号墳調査風景(南から) 列 石 が巡り、部分的に周堀があり せきしつ ます。外護列石とは、横穴式石 室 を持った古墳の墳 これらの埴輪は 6 世紀後半に製作されたと考えられ 丘の裾や中段に巡る石列のことで、石 室 の築造や土 ます。31 号墳は墳丘がやや低く、外護列石がありま の盛り上げと密接な関係を持っています。 せんが、横穴式石室があります。埴輪はほとんど発見 写真の 26 号墳は外護列石が二段作られ、上の段は できません。墳丘裾からは須 恵 器 の坏 が、石 室 から 古墳を一周しています。26・27 号墳では円筒埴輪が は大 刀 の柄(つか)の部分についていた銅製の金具が 古墳を囲むように列なっています。円筒形のものの他 出土しています。この大刀は、つづく奈良時代には役 に、男子、女子、馬、大刀、盾、矢筒をかたどった 人が持つようになる大 刀 と同じ形をとるもので、その ものも出土しています。 特徴から7世紀に製作されたと考えられます。 せきしつ せきしつ す た え き つき せきしつ ち た た ち ち し じゅう は ち づ か 四十八塚古墳群(佐野市) 前年度は、調査 の原因や遺 跡の状況、そして調 査内容の一部をご 紹 介しました。今回は平成 17 年 度調査として、既に終了いたしました 8,500㎡につい てお話ししたいと思います。右の全体 写真にもある とおり、大きさはさまざまですが、円形に掘り込ま れた溝の範囲が、円墳と呼ばれる古墳です。 最も大きいものは直径が 30 mほどあります。今か ら約 1400 年前に造られた当時は、遺体を納めた石 室があり、この上に土が小山のように盛られていた はずですが、その後の耕作や土地改良などによって、 その大部分が削られてしまいました。 もう一つ、この遺跡で特徴がある時代は中世(14 〜 16 世紀)です。調査区中央部では、溝によって「コ」 字 状に区画された内側に、方形や長方形の穴が 密 集して掘り込まれています。板碑、五輪 塔、古銭な どが出土しており、大規模な墓 域であったと考えら れます。おそらく中世の人々も、古 墳が遠い昔のお 墓であることを知り、同じ利用を考えたのではないで しょうか。 四十八塚古墳群航空写真(上が北) ―― も り う ら 森後遺跡(さくら市) もり うら 森 後 遺 跡の発掘調査は江川南 部Ⅰ地 区の県営 圃 場 整 備 事 業に 先立ち、平成 17 年 4 月から実施し ています。遺跡は、旧喜連川町の 市 街 地から東 約 3.5 ㎞ のさくら市 か の こ は た 鹿子畑地内にあり、江川左岸の低 位段丘上に立地しています。標高 は約 145 mで、範囲は約 400 m四 方に及びます。 遺 跡 は国 道 293 号を挟 んで 南 と北にまたがっており、平成 17 年 度は国 道の 北側(1 区〜 3 区、 約 24,000㎡)を調査しました。なお、 18 年度 調 査 区の南側には、 古代 東山道ルートが推定されています。 もり うら 今 回の 発掘調 査で、 森 後 遺 跡 は古墳時代から平安時代及び中・ もりうら 上空から見た森後遺跡Ⅰ区(北東から) 近 世にかけて営まれた 集落 跡 で たてあな あることが判明しました。発見された遺構は竪 穴 住 て掘られた溝跡は、掘立柱塀跡との関連が考えられ 居跡 80 軒、掘 立 柱 建物跡 80 棟、掘立柱塀 跡 3 列、 ます。 円形周溝遺構 4 基、方形竪穴遺構 4 基、溝跡 130 条、 区画内からは竪穴住 居跡が 9 軒、掘立柱 建物跡 井戸跡 15 本、土坑・小穴約 1500 基等があります。 が 21 棟確認されましたが、それぞれの重複関係や 遺物は土師器・須恵器の他に石製品(砥 石 )、鉄 主軸方向の違いなどから 2 〜 3 時期の変遷があった 製品(刀 子 )、 木製品(井 戸 側 ・曲 物 )等があります。 ものと考えられます。 特筆される遺構として、1 区から見つかった奈良・ 井戸跡は区画の南東隅にあります。平面形は一辺 平安時 代の掘立柱 塀跡と、その区画内から確認さ 1.2 mの正方形で、深さは約 2.2 mです。井戸の底か れた、竪穴住 居跡、掘立柱建物跡、井戸跡などが らは、井 桁状に組まれた板材(井戸側)が 発見され 挙げられます。 ました。このうち最大のものは、長さ約 90 ㎝、幅約 掘立柱塀跡の規模は、確認された範囲で東 辺約 30㎝、厚さは約 5㎝ありました。 45 m、南辺 40 m以上、その他の部分は調査区外の 遺物は底面付近から平安時 代の土 師 器 坏 が 3 点 ため、全容は不明です。但し、南辺塀には門と考え 出土しましたが、そのうちの一つには「路」と墨書さ られる施設があります。また、区画東側の外側に沿っ れたものがあります。 ほ っ た て ばしら へい と いし とう す い ど がわ まげもの 掘立柱塀跡と溝跡(南から) ―― は じ き つき 井戸跡(南から) 特 集 市町村教育委員会が行った発掘調査から た か は ら や ま こ く よ う せ き げ ん さ ん ち 高原山黒曜石原産地遺跡群(矢板市) 高原山黒曜石原産地遺跡群は、栃木県の北東部に これらのことは、平成 14 年度より17 年度にかけて 位置する矢板市の北西端にそびえる高原山頂付近に 実施してきた「高原山産黒曜石調査事業」 (調査主体 ある後期旧石器時代の遺跡です。 者、矢板市教育委員会)によるところが大ですが、遺 高原山は矢板市街地の北西約 20㎞に位置する成層 跡発見は平成 17 年 7月の石器石材研究会(田村隆代 火山で、山頂部には東に開いた爆裂火口があります。 表)によります。 山頂部には前黒山、明神岳、鶏頂山、釈迦ケ岳、西 出土遺物は、試掘調査や表面採集資料によると、 平岳、剣が峰の諸峰がこの火口をほぼ囲むようにそび 石槍未製品、石核、石刃、ナイフ形石器、台形石器 えています。剣が峰はこれらの峰の東端にそびえ、標 などがあり、石槍未製品が多数出土していることが注 高は 1,540 mです。 目されます。このような出土遺物から遺跡の年代を今 遺跡群は剣が峰から大入道(1,402 m)へ北東に延 からおよそ 2 万 5000 年前から1 万 6000 年前のものと びる尾根の緩斜面や平坦面上にあります。 考えています。 剣が峰と大入道のほぼ中間地点に1,440 mのピーク 遺跡は黒曜石の原産地にあり、地形から見ても大 があり、この地点を中心に遺跡が広がっているものと 規模である可能性があることから、範囲や性格等を 考えています。遺跡は黒褐色土や淡黄灰色土などの 明らかにする目的で本年度より発掘調査を実施する予 火山灰に覆われていますが、一部は遺跡の北側の沢 定です。保存状態も良好で尾根上のわりには堆積土 たかはらやま (スッカン沢・那須塩原市側)に侵食され遺物が流失し もあることから調査成果が期待されます。 ています。 (矢板市教育委員会) Y2 地点の試掘状況 ―― と う か は ら 桃花原古墳(壬生町) 空撮(上が北) げんしつ 桃 花原古 墳の発掘調査は、平成 5 年度から行わ 全長が約 7ⅿあり、凝灰岩で造られた「玄室」と川原石 れた「羽 生 田 古墳群」の調査の一環として実施されま を積み上げた「前室」からなることが確認されました。 した。当初の計画では平成 13 年度内に終了する予定 石室が壊された後、石室を埋め戻した土の中から、凝 でしたが、県内では初めて『前 庭 』と言われる祭りの 灰岩で造られた「五 輪 塔 」が出土しています。石室が 場が完全な形で埋もれていることを確認すると共に、 壊された原因として「五輪塔」を造るための石材が欲し は にゅう だ ぜんてい ぜんてい ご りん とう そ う しょく 『前 庭 』から多くの金や銀で装 飾 された馬具類が出土 せきしつ かったからかもしれません。いずれにしても石室の破 ふくそう したため、石 室 内に副 葬 された資料との比較を行う 壊は大規模に行われていることが判っています。 目的で、平成 15 年度には石室内の残存状況を確認す また、本墳からは多くの須恵器の甕が出土していま る調査を実施しました。 す。いずれも底を丸く打ち欠かれており、使用するこ 最終的には平成 17年度に古墳群周辺部の地形測量 とは不可能な状態で出土しています。 を行い、本墳の調査を完了しました。 これらの甕は埴輪のように桃花原古墳の墳丘を飾っ 発掘調査の結果、桃花原古墳は直径が 63ⅿで、三 ていたと思われます。 段に造られた円墳であることが確認され、墳丘の斜 この他「斧 状鉄製品」 面には人の頭大の川原石が積み上げられていることも と言われる儀 式に使わ 確認しました。 『前庭』は石室の入口に通じる通路部と れた特 殊な鉄 製品も出 その両側に一段高く造られた平坦部からなり、 『前庭』 土しており、 「富 士 山 古 の施設は墳丘の南側を「 墳」「茶 臼 山 古墳」の大 コ 」の字状に切り込み、川原 す かめ おの ふ じ やま ちゃうすやま 型 埴 輪と合 わ せ、 羽 生 多くの遺物は、この平坦部から出土しており、追葬 田古 墳群に眠る人物た の際に外に持ち出されたものと考えています。 ちを考える上でのヒント そして偶然にも石室が壊された際に、土を『前庭』の が隠されているような気 上に流し込んだため、金銅張りの杏葉を始めとする多 がします。 ぎょう よ う き は に わ 石を巧みに利用して造られています。 こんどう ば え くの金属製品が保護されてきたと思われます。石室は (壬生町教育委員会) ―― 埋め戻した土から出土した五輪塔 特 集 平成 1 7 年度県内発掘調査の動向 —平成 17 年度 県内発掘調査の動向— 本遺跡で注目したいのは、B区とした低地上から 平成17年度の栃木県の発掘調査動向として注目 発見された 3 軒の弥生時代後期の住居跡である。 されるのは、市町村の緊急調査は減少傾向が明確 足利地域では未開拓な分野の発見であり、今後 となったことである。市町村の調査は、緊急調査 の展開が期待される。 から保存・整備・活用を目的とした調査に様変わ 最後が袋川右岸の沖積 地 上に形成された月谷 りした。その成果の一端をみていく。 町の和田遺 跡である。 古 墳〜奈良・平 安 時 代の やく し じ 国指定史 跡の調査には、下野薬 師 寺 跡・下野 100 軒以上の竪穴住居跡が発見され、この地域の 国 分 寺 跡(下野市)、小山氏城跡(小山市)、樺 崎 密度の濃い古代集落の様相の一端を知ることでき 寺跡(足利市)がある。とくに、樺 崎 寺跡の調査で る。ほかに、足利市樺崎町の渡 戸 遺跡の確認調査 は、浄 土 庭園の中核となる壮大な園 池 の規模や構 で、7 世紀代前後の須恵器窯 跡 が発見され、今後 造そして変遷が判明している。ほかに、矢板市で の調査が期待される。 は黒 曜 石 の集 積・石器 製 作した可能 性が指摘さ 一方、 県営 圃 場 整 備 関 係で は、 東 山 道 駅 路 れた高 原 山 剣 ケ 峰 地区の遺跡、東山道駅 路が調 に隣 接する奈良・平安時 代を中心とするさくら市 査された那須烏山市とさくら市の境界に位置する 鹿子畑の森 後 遺跡がある。今後の調査も予定され 助 治 久 保 遺跡などの調査成果が注目される。 ており、成果が注目される。また、宇都宮市南部 一方、当センターでは、北関東自動車道・県営圃 のテクノポリス地区の調査は最終段階を迎え、砂 場整備・国道、県道建設などに伴う緊急調査が、 田 遺 跡・砂 田 姥 沼 遺 跡・西 刑 部西 原 遺 跡などで 前年度とほぼ同程度で実施された。まず、北関東 小規模な調査を実施した。いずれも古代〜中世の 自動車道路建設に伴う調査は、茨城県よりがほぼ 遺跡であるが、西 刑部西 原 遺跡から発見された古 完了し、群馬県よりが中心になった。 墳時代前期の住居跡は、当地域の歴史を考える上 調査 成果を簡単にみていく。岩 舟町小野 寺の で重要な視点を提供することになる。 西根 2 遺跡は、三杉川の低台地上に形成された古 次に、縄文時代の2遺跡をとりあげる。一つは国 代から中世の遺 跡で、隣接する寂 光 沢 窯跡や小 道関係で、那須町稲沢のハッケトンヤ遺跡。 野寺館跡との関係が注目される。佐野市赤見町の 那珂川と余 笹川の合 流点を望む丘陵端 部に立 四 十 八 塚 古 墳群は、旗川右岸の河岸段丘上に形 地する縄文時代中・後期を中心とする遺跡で、中 成された後期古 墳群。調査区内から13 基の古 墳 期後半の複 式 炉 の付設された竪 穴 住居跡、後期 の存在が確認され、今年度は 5 基の古墳と中世墓 初頭の竪穴住 居跡や土器 棺墓など貴重な所見が の一端を調査した。墳丘は削平されているが、当 得られた。ほかにも、調査区南端からは、東山道 地 域の古 墳文化の展開を知る上での成果が 期待 駅路の可能性が指摘される道路跡も発見された。 される。 もう一つは、湯西川ダムに伴い日光市湯西川の 今年度の大きな成果が、足利市内での 3 遺跡の 川 戸 釜 八 幡 遺跡。後・晩期を中心とする遺物のほ 調査である。まず、菅 田 町の菅 田 古墳群は、名草 かに、石組墓 7 基と晩期の住居跡 1 軒を調査した。 川と田島川に挟まれた南に延びる丘陵尾根上に形 特筆されるのは、晩期の住居跡から出土したベン 成された後期古墳群。調査区には11 基の古墳が所 ガラで彩色された石冠で優品である。 在するが、今年度は 6 基の古墳を調査する予定であ 最後は、重要遺跡の範囲確認を目的とした那須 る。墓を聖域化する外護 列石 や埴 輪列 、巨石 を利 烏山市の長者ヶ平遺 跡の調査である。調査の結 用した横穴式石 室 など、この地域の群集墳の実態 果、正倉群の三方を溝で区画し、東側は遺構群が を示す成果が得られた。また、丘陵上の調査は安 さらに延びることが判明した。なお、五ヶ年にわた 全管理に、万全を期して調査を実施した。 る本遺跡の調査は、今回が最終年次で、平成 18 こくぶん じ かばさき かばさき じょう ど えん ち こく よう せき たか はら やま けん すけ じ く が みね ぼ ざ こ ざわ し じゅう は ち づ か すげ た すげ がい ご れっせき た は に わ れつ きょせき せきしつ すげ た 菅 田 古墳群の西隣、田島川に面する低地と台地 た じまもちふね に形成されたのが、田島町の田島 持 舟遺跡である。 わた ど かまあと か の こ は た もりうら すな た すな た うば ぬま にし おさかべ にし はら にしおさかべにしはら ふく しき かわ ど ろ たて あな かまはちまん 年度は報告書を刊行する予定である。 (前調査部長・現しもつけ風土記の丘資料館副館長 橋本澄朗) ―10― 栃木県埋蔵文化財 センター主催 栃木県立しもつけ 風土記の丘資料館 協力 平成17年度 発掘調査 報告会 埋蔵文化財センターでは前年度に調査発掘した中から、いくつか の遺跡について報告会を行っています。今年は下記の 7 遺跡につい て発表します。スライド等を使って発掘調査担当者が分かりやすく 解説します。なお、今回の 7 遺跡の遺物・写真等はしもつけ風土記 の丘資料館で開催中の巡回展にて展示されております。報告会終了 後、資料館にて遺物等の解説を行います。 日時:平成 18 年 6 月 10 日(土) 午前 10 時〜午後 3 時 場所:栃木県埋蔵文化財センター 定員:100 名 入場:無料 申込:埋蔵文化財センター普及事業担当まで 電話にてご連絡下さい。(0285-44-8441) 発表遺跡 1. ハッケトンヤ遺跡(那須町) 2. 川戸釜八幡遺跡(日光市) 3. 菅田古墳群(足利市) 4. 四十八塚古墳群(佐野市) 5. 田島持舟遺跡(足利市) 6. 和田遺跡(足利市) 7. 森後遺跡(さくら市) 編集後記 この 4月に調査部から異動になり普及事業の担当として、この「やまかいどう」の編集を引き継ぎま した。作成の過程では多くの方々の協力をいただき、皆さんのお手元にお届けすることができました。 好評をいただいております発掘調査報告会ですが、今年は 6月10日(土)に開催されます。皆さんの お越しをお待ちしております。 「やまかいどう」は埋蔵文化財センター建設時に発掘調査を行った敷地内の「山海道遺跡」にちなんで命名された情報誌です。 《埋蔵文化財センターへのご案内》 ● JR 小金井駅から約 4㎞、車で約 10 分 ●東武壬生駅から約 6㎞、車で約 15 分 ●東武栃木駅から約9㎞、車で約 20 分 国分寺 薬師堂 発行 栃木県教育委員会 宇都宮市塙田1-1-20 028 - 623 - 3425 平成18年6月1日発行 編集 (財)とちぎ生涯学習文化財団 埋蔵文化財センター 〒 329-0418 栃木県下野市紫 474 TEL 0285-44-8441 ㈹ FAX 0285-44-8445 E-mail [email protected] URL http://www.maibun.or.jp/ 印刷 ヤマゼンコミュニケイションズ(株) ―11― 下野市役所 国分寺庁舎 TOPIC ー見どころ 平成18年度 巡回展 栃木県では、毎年多くの発掘調査が実施されています。 それらを、出来るだけ早い時期に、 より多くの方にご覧頂く ため、近年調査された遺跡とそこから出土した資料等を、県 南・中央・県北の県立施設3館で巡回して紹介しています。 ぜひご来場いただいて、文化財を身近に感じ、郷土の祖先 の暮らしを振り返ってみて下さい。 西暦 旧石器時代 紀元前 10000 巡 回 展 示 のご 案 内 時代 高原山黒曜石原産地遺跡群 (矢板市) 平成18年4月22日(土)∼6月11日(日) 西根2遺跡 (足利市) 栃木県立しもつけ風土記の丘資料館 下野市国分寺993(Tel 0285 - 4 4 -5049) 森後遺跡 (さくら市) 縄文時代 栃木県埋蔵文化財センター ●平成17年度発掘調査報告会 日 時:平成18年6月10日(土)10:00∼15:00 ハッケトンヤ遺跡 (那須町) 紀元前 400 会 場:栃木県埋蔵文化財センター 川戸釜八幡遺跡 (日光市) 研修室(詳細→11ページ) 弥生時代 710 宇都宮市睦町2-2(Tel 028 - 634 -1311(代)) 古墳時代 ︵飛鳥︶ 紀元後 300 平成18年7月22日(土)∼9月18日(月・祝) ●展示解説 日 時:8月5日(土)13:30∼15:30 桃花原古墳 (壬生町) 磯岡北古墳群 (宇都宮市) 平成19年2月3日(土)∼3月18日(日) 菅田古墳群 (足利市) 奈良・平安時代 栃木県立なす風土記の丘資料館 西根2遺跡 (足利市) 展示会場:湯津上館 大田原市湯津上192 お問い合わせは小川館へ(Tel 0287-98 -3322) 西下谷田遺跡 (上三川町) ●展示解説 森後遺跡 (さくら市) 日 時:2月3日(日)9:00∼9:30 会 場:湯津上館 1192 鎌倉・室町時代 ●オープニングイベント 日 時:2月3日(土)9:30∼ 和田遺跡 (足利市) 会 場:湯津上館 西根2遺跡 (足利市) ●遺跡発表会 日 時:3月4日(日)10:00∼14:00 1603 江戸時代 利用案内(3館共通) 開館時間 9:30∼17:00 (入館は16:30まで) 休館日 展示室のスペースの都合により、各館の展示資料が変更に なることがあります。 ―12―
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