グ ラナ ダ 県 観 光 局 観光案内所 グラナダ県 ガイドブック 目次 二つの世界の間 文化の交差点 グラナダの遺跡 アンダルシーの遺産 グラナダの文化 会議とインセンティブ (誘引) グラナダの景観 自然地帯 田舎の観光 海抜ゼロから3481メートルまで 活動的な人たちのために 伝統の存続 グラナダ シエラ・ネバダ山脈 魅力的な県 ガルシア・ロルカの足跡を追って シエラ・ネバダ山脈のふもと バジェデ・レクリンから ロス・グアハレスまで アルプハラ地方高地:ランハロンからラロレスまで アルプハラ地方低地:オルヒバからコントラビエサまで トロピカル海岸 トロピカル海岸東部 ポニエンテ・グラナダ (西部) シエラ・テハダ、 アルミハラ、 アラマ グラナダの東部と北部 歴史のある洞窟 シエラ・デ・ウエトル グアディクス・マルケサド アルティプラノ 工芸 料理 トラベル・インフォメーション 太陽と雪、陸と海、歴史と伝説。 グ ラナダ県はアルアンダルスの最後 の王が去って行った伝説の地で あり、 自然に恵まれた場所でもあ る。 ロマン主義の旅人たちを魅了 したこの地は、今日でも訪れる誰 もの心を奪い続けている。 二 つ の 世 夏 グラナダ県はアンダルシアの南 東部にあり、 はるか昔から東洋 と西洋を結ぶかけ橋となった 地である。 位 ヨーロッパ 村々では祭りが 行われ、海岸は輝きに 満ち、喜びにあふれる。 置 グラナダは千年もの歴史を持 つ地で、雪に覆われたシエラ・ ネバダ山脈の頂上からはアフ リカがすぐ間近に見え る。 アンダルシア グラナダ 南洋海岸 グアディスと マルケサド 界 の 間 自然に親しみ、野外で 楽しむのに絶好の時期 気 アルティプラノ: バサ−ウエスカル 候 である。 秋 風景は素晴らしい黄 土色に包まれ、瞑想や 休息の世界へと誘わ れる。 シエラ・ネバダ山 脈の初雪は冬の到来 を予告する。 スペイン グラナダ西部 グラナダ シエラ・ ネバダ山脈 アルプハラ- バジ ェ・デ・レクリン トロピカル海岸 冬 グラナダの壮大な山々 は白いマントのような 雪で覆われる。 スキーフ 春 ァンにとって楽園の地 野には花が である。気の合う仲間 咲き乱れ、谷は緑に萌 と暖炉の火を囲んで楽 える。太陽が海岸を照 しむ時期でもある。 らし、 山は雪解け水で 潤う。冬は過ぎ、生命が 息を吹き返す。 グ ラ ナ ダ 市 と グ ラ ナ ダ 県 文 化 の 交 ラ・ソラナ・デル・ サンボリノ鉱床(フォネラス) オラー洞窟鉱床(ダッロ) ラ・カリグエラ鉱床、ネアンデ ルタール人の遺跡(ピニャル) 先史時代 旧石器時代: 紀元前650,0009,500年 ラス・ ロス・ マホリカス洞窟 ムルシエラゴス洞窟 (アルファカル) (アルブニョル) 銅時代:紀元前 3,000-2,000年 ラ・ エンシナ丘陵 (モナチル) 青銅時代:紀元前 2,000-1,200年 現代 近代 中世 古代 原史時代 タルテソス人: フェニキア人と 紀元前8―6世紀: タルテソス人 ロス・インファンテス丘陵 カルタゴ人:セクシ 紀元前8―3世紀:フェニ (ピノス・プエンテ) (アルムニェカル)、 キア人とカルタゴ人 イベロ族: 紀元前8世紀 紀元前5―3世紀: イリベリス (グラナダ) サランビナ イベリア人 イルルコ (ピノス・プエンテ)(サロブレニャ) 紀元前3世紀―紀元 塩漬け工場、水道橋 イリベリス 後5世紀:ローマ (アルムニェカル) (グラナダ)、 6世紀―8世紀: 紀元前218年、 ガニメデスの胴像 西ゴート族 の第二次ポエニ戦争、 ローマ人 711−1492: アルアンダルス 16−19世紀: 近代 19―20世紀: 現代 点 石材工業 (グアディクス-バサ盆地) 紀元前 約100万年 新石器時代: 紀元前6,0002,600年 差 14世紀: アルハンブラ宮殿 1492:ボアブディ ル王とカトリック 両王によるグラナ ダ開城の調印 1499: アルバイシンの暴動。 1526: グラナダ大学創設。 1808: ゴドイに反対する学生 の暴動。 1832:マリアナ・ ピネダの処刑。 1936:ビスナルの断 崖でフェデリコ・ガルシ ア・ロルカ銃殺される グ ラ ナ ダ 市 と 755:ウマイヤ朝設 立前にアブー・アル =ラーマン(アブダラ マン)1世がアルムニ ェカルに上陸 ラ・ムヘル洞窟 (アラマ・デ・ グラナダ) ペニャ・デ・ロス・ ヒタノスのドルメン (モンテフリオ) マルティリャ山の ドルメン(ロハ) ラ・カリグエラおよ びラス・ベンタナス (ピニャル) イベリア人: ラ・モラ丘陵の集落 (モラレダ・デ・ サファリョナ) イベロ族:アクシ (グアディクス) ローマとカルタゴ がイベリア半島上陸 ゴラフェ のドルメン 抽象絵画 (アラナ山) クラントゥリリョ 集落(ゴラフェ) デル・ネグロ坂 (プルリェナ) モンテアレグレ 集落(ゴラフェ) カステリョン・ アルト集落 (ガレラ) イベロ族: バスティ (バサ)、 紀元前4世紀: バサの貴婦人 トゥトゥヒ (ガレラ) フリア・ヘメリャ・ アクシ植民地創設 (グアディス) 711―712:ムサの息子アブー・アル=アジズ(アブダラシス) がグラナダ到着 10世紀:コラ・デ・イルビラの暴動が勃発するが、 アブダラマン三世により制圧。 11世紀:ザイリー朝ができ、王国の首都はグラナダに 1090:アルモラビデ族到来。 1162:アルモアデ族の勝利。 1238:ムハメッド1世がグラナダにナスル朝を創設。 1482:キリスト教 徒のアラマ征服。 1482-1492:カトリック両王とムレイ・ハセンとの間でグラナダ戦争。 1500:イブン・ハフ スン率いるアルプハ ラの暴動 1568-1571:アベ ン・ウメジャ主導の アルプハラの反乱 1499:ムデハル人に対してキリスト教への強制的な改宗令。 1526:カルロス五世が強制的な改宗令を停止。 1567:フェリペ2世が強制的な改宗令を再び出す。 1571:グラナダのモリスコ追放令。 1861:ロハでラファエル ペレス・デ・アラモに統 率された農民の暴動。 1810-1812:ナポレオン侵略。 1884:地震、震源地はア レナス・デル・レイ。 1873:第一共和制の間 グラナダ郡の宣言。 19世紀:ロマン主義者たちがグラナ ダの魅力を発見。 グ ラ ナ ダ 県 グ ラ ナ ダ の 遺 グラナダ県やグラナダ市に住んで いた人々の残した様々な文化の 遺産はグラナダの歴史・芸術遺 産である。 グラナダはナスル王朝 の主都であったため、 グラナダ県 は芸術愛好家にとって至宝のよう な地である。 場、 イスラムのアルカサバ (要 塞) 、 城、 塔、 荘厳な教会やゴシ ック、 ルネッサンス、 バロック様 式の建築物なども見られる。 アルハンブラ宮殿と ヘネラリフェ、 アル バイシン地区はユ ネスコの人類遺産 に指定されている。 グラナダには多くの 遺跡があり、 それら は単なる一例に過 ぎない。 グアディク ス、 モンテフリオ、 ロ ハ、 アラマ・デ・グラ ナダ、 オルセ、 ウエス カルなどの町 にはアラブ浴 遺 グ ラ ナ ダ 市 と 跡 産 イスラム様式のランハロン城 ラ・カラオラの城 アルハンブラ宮殿、 ライオンの中庭 ラ・アランブラ宮殿のライオンの中庭 グラナダ市内の王立病院 グラナダのカルトゥハ修道院の丸天井 ロハのエンカルナシオン教会 グアディクスのカテドラル バサの司教座聖堂(カテドラル) サンタ・フェ教会 サロブレニャ城 アルハンブラ宮殿 グ ラ ナ ダ 県 ア ン ダ ル シ ー の ー ル ト アル・アンダルスの痕跡の残る アンダルシアの村々を保存し、 発展を促進するために 『レガー ド・アンダルシー (アンダルシー の遺産)』 は様々なルートを企 画している。 「すべての道はアン ダルシー最後の都であるグラナ ダ市で合流する」 という合言葉 を持っている。 ナスル朝時代の絵画 皮に描かれた絵画の細 部(14世紀)。 グラナダ のアルハンブラ宮殿、 ラ イオンの宮殿内の諸王 の間の天井。 遺 バサのアラブ浴場 10世紀のもので、 イベリア半 島にあるイスラム時代の入浴 場としては最も古いものの一 つ。 旧ユダヤ人街だったサン ティアゴ地区にある。 産 ミュンセルの道 (ムルシアから) ナスル朝の道 (ナバス・デ・トロサから) カリフ国の道 (コルドバから) ワシントン・ アービングの道 (セビリャから) イブン=バトゥタの道 (マラガから) アル・イシドゥリの道 (アルへシラスから) アルモラビデ族とア ルモアデ族の道 (マラケシュから) アルプハラの道 (アルメリアから) レオン・エル・アフリカ の道 (アルメリアから) モンテフリオの城 モンテフリオの村の真 ん中にイスラムの城塞 (14世紀) がそびえ 立っている。16世紀に なってキリスト教徒た ちはここにラ・ビジャ 教会を建設した。 グ ラ ナ ダ 市 と グアディクスのアルカサバ ( 城塞)10-11世紀にかけて 建設されたもの。 宮殿と要塞 を兼ねている。塔からはグア ディクスの町、 ベガ (沃野)、 シエラ・ネバダ山脈の素晴ら しい景色が眺められる。 ボアブディルの短 剣と刀のさや グラナダのナスル 朝の崩壊はアルア ンダルスの消滅を 意味した。1492年 にボアブディルは町 をカトリック両王に 明け渡した。 アルハンブラ宮殿からのボアブデ ィルの出発 グラナダの画家マヌエル・ゴメス・モ レノ作。 グラナダがキリスト教徒に 征服された後にボアブディルがアル ハンブラ宮殿から退出する光景。 グ ラ ナ ダ 県 グ ラ ナ ダ の 一年を通じてトロピカル 海岸では様々な音楽イベ ントが開催されている。 モ トリルの 「アンドレス・セ ゴビア・クラシックギター コンクール」 と 「作曲コン クール」、 アルムニェカル とモトリルでは 「沿岸ジャ ズ祭」、 サロブレーニャの 城では 「ニューテンデン シー (新傾向) フェスティ バル」 などが行われる。 グラナダ市のすぐ近く にあるサンタ・フェの町は かつてカトリック両王が、 ボアブディルの支配する グラナダを包囲するため の野営地として設営した 町であり、 クリストファー・ コロンブスがアメリカ大 グラナダ市は文 化愛好者にとっ て出会いの地で ある。博物館、劇場、 音楽堂などでは年間 を通じて催しが 行われる。国際 音楽舞踊祭、国 際タンゴフェス ティバル、国際ジ ャズフェスティバ ル、若手監督の 国際映画祭など がある。 テアトロ・アランブラ (劇場) では定期的なプログラムが 組まれており、 マヌエル・デ・ ファジャ音楽堂では名高い グラナダ市管 弦楽団が年 間を通じてバ ラエティーに 陸発見に向けて船出する ために、 カトリック両王と 最終的な合意に達した 地でもある。 フエンテ・バ ケロスは有名な詩人、劇 作家のフェデリコ・ガルシ ア・ロルカが生まれた村 文 化 富んだコンサートを催している。 フラメンコはグラナダのアイデン ティティーの一つであり、 サクロ モンテの洞窟では毎日ジプシー のサンブラという踊りを楽しむ ことができる。科 学博物館では子 供から大人まで 素晴らしい科学 や宇宙の世界を 発見することがで きる。 グラナダ県の諸地域で も幅広い文化活動が 行われている。 なかでも グアディクスのクラシッ ク音楽フェスティバル、 バサの映画デー、 アラマ ・デ・グラナダで開催さ れるアンダルシア民謡 フェスティバル、 イジョ ラのパラパンダ国際フ ォークフェスティバル、 ロハの国際大道・芸演 劇フェスティバルが良く 知られている。 グ ラナ ダ の 文 化 である。 グ ラ ナ ダ 市 と グ ラ ナ ダ 県 会 議 グラナダは美しい町で あるうえに、 ヨーロッパ 会議都市連盟のメン バーでもある。 インセン ティブ (誘引)旅行、会 議、 コンベンション、企 業の会議などに適して グラナダ展示・会議場 近代的な建物には最先端の通 信技術をもつ情報機器が備えら れている。衛星中継のテレビ電 話、各種通信形態をもつデジタ ル電話センターがあり、会議場 内には3千ヵ所以上のボイス・デ ーター発信機、 同時通訳システ ム、最先端のオーディオビジュア ル機器を備えている。 建物の総面積は3千 平米でホールは2段階 に分けられているため、 見本市や展示会場とし て適している。 カルロス 1世の円形劇場は屋外 にあり、1700人収容で きる。文化活動や夜のコ ンサート、晩餐会にふさ わしい。 9部屋の会議室があり、合計 収容人数は3560人である。2千 人収容できるボックス付きのホー ルから少人数用の部屋などもあ り、大きな会議から、企業の少人 数の会議まで、状 況にあわせて快 適な環境を保 つことがで きる。 グラナダ県には多数のホテルや会 議、 イベントなどを行うための施設 がある。 アルミージャには見本市 会場、 シエラ・ネバダにはモンテバ ホ・コンベンション・会議センター、 サロブレーニャにはラ・ビジャ音楽 堂、 アルムニェカルには文化会館 などもある。会議を組織、運営する 企業も多くあり、 プロトコル (外交 儀礼)、事務、 コンパニオン、翻訳、 プレス (新聞社、報道機関) のサー ビスを主宰してくれる。 いる地である。近代的 な道路網、 インフラが 整備されており、展示 ・会議場やマヌエル・ デ・ファジャ音楽堂、 カ ルメン・デ・ロス・マルテ ィレス (屋敷)、 パラシ オ・デ・ロス・コルドバ ( 宮殿) などの施設が整 っている。 そのためグラ ナダには様々な行事を 開催するため、世界中 から多くの人々が集ま ってくる。 グ ラ ナ ダ 市 と グ ラ ナ ダ 県 グ ラ ナ ダ の 景 観 シエラ・ネバダ山脈 の頂上がまるで巨大 な望楼のようにグラ ナダのベガ (沃野) の上にそびえ立つ。 粘土質の垂直に アルプハラでは、 いつも夕方になると美しい雲海が山々の山腹を なった壁は、様々 登っていくような姿が見られる。 な地層を持ち、 ある冬の日に その時々により、 シエラ・デ・バサ 異なる色調に染 (山脈) から満 まる。 月が上がると ころ。 グラナダ県内陸部 の秋の景色は素晴 らしい色彩、色調 で華やかになる。穏 やかで、 くつろいだ 情景は、 まるで画家 がパレットから色を 景 取り出して塗ったよ うだ。 ネグラティンダムの 真っ青な水は、乾 燥した神秘的な景 色の中で際立って いる。 シエラ・ネバダ山脈 中世に 「太陽の山」 春になると風景は美しい色に染まる。背 の景色。雪の白さと と呼ばれていたこの 景に見えるのはシエラ・テハダ (山脈)。 澄んだ青色の空が 山は強烈な陽光の 対照的である。 下に輝く。 観 トロピカル海岸の典 型的な景色。静かな 入り江に地中海の水 が入り込む。 グ ラ ナ ダ 市 と シエラ・デ・サグラ (山脈) の景観。 グラナダ 県の最北にあり、 アルプスの山によく似て いる。 グラナダの極めて変化に富んだ景観 の一つ。 グ ラ ナ ダ 県 自 然 地 自 然 帯 シエラ・デ・カストリル自然公園 樹木に豊かに覆われた風景で、 なかでも40メー トルに達する松が際立っている。 グラナダ県では 最も長く奥深いドン・フェルナンド洞窟がある。 グラナダ県には様々 な自然地帯がある。 シエラ・ネバダ国立 公園にはイベリア半 島で最高峰の山が ある。5つの自然公園 があり、 マロ断崖自 シエラ・デ・ウエトル自然公園 グラナダ市からわずか数キロのところ にあり、森林、深い渓谷、断崖、 小川の流れる山脈地帯。 然景勝地、 ゴルド丘 陵と呼ばれる、侵食 によつて形成された 395ヘクタールの地 がある。 そこにはシエ シエラ・ネバダ 国立公園 1999年に国立公園 に指定された。貴重 な自然環境の地であ り、 シエラ・ネバダの スミレ、 山のカミツレ などの60種類以上も の特別な植物が生え ている。 ラ・デ・アルミハラ (山 脈) が地中海まで延 びている。海底には 貴重な 『ポセイドニア 』 と呼ばれる緑の地 が広がっている。 シエラ・デ・バサ 自然公園 険しく切り立った山塊 (さんかい) で、多くの 猛禽(もうきん)類の鳥 が生息している。 イベ リア半島南部を代表 する100種類の植物 がある。 テハダ山脈、 アルミハラ山脈、 アラマ山脈自然公園 コントラストに富んだ景観。 グ ラナダ西部でもっとも高い頂 上をもつマロマ山とルセロ山 がある。 山ヤギやワシが生息 している。 シエラ・ネバダ自然公園 シエラ・ネバダ山脈、 アルプハ ラ高地、 マルケサド・デル・セ ネテの一部にまたがる村々に は貴重な山脈生態がある グ ラ ナ ダ 市 と グ ラ ナ ダ 県 田 舎 の 観 グラナダ県の内陸部には魅力 的な村々や地がある。 アルプハ ラ-バジェ・デ・レクリン、 グラナ ダ西部、 グアディクス−マル ケサド、 バサ-ウエスカル (ア ルティプラノ) などの地域 は長い時代の精髄を守っ ている。 5つ星のホテルか ら居心地の良い快適 な洞窟住居まで様 々な種類の 宿泊施設 を見つける ことができ る。 洞窟住居での生 活を体験した 時間の止ま ってしまっ たような村 々、 自然にすっかり溶け込んで 暮らしている人々、 代々伝え られている伝統など、 り、健康的 で自然な上 光 使った家庭料理 を味わったり、祭 りや伝統行事に 参加したり、 自然 の中でバカンスを 過ごしたり、 グラナ ダの田舎の観光 疲れ果てることもなく、 せわしく することもなかった昔の時代に タイムスリップしたような感じを 与えられる。 は様々である。農 業観光やアクティブな観 光まで幅広い楽しみ方 がある。 特 色 質の食材を グ ラ ナ ダ 市 と グ ラ ナ ダ 県 海 抜 ゼ ロ か ら 海 地中海の水は温か く、 ウインドサーフィ ンからヨット、 ダイビ ングまでマリンスポ ーツには絶好の場 所である。 モトリル、 サロブレーニャ、 アル ムニェカルはトロピカル海岸で 有名な観光地である。 トロピ カルフルーツの畑に 囲まれ、平均気温が 20℃というイベリア半 島で唯一の半熱帯の 気候の地である。 サービス も充実しており、他のアンダルシ アの観光地へ行かないでも、 バ カンスを過ごすことができる最高 の地である。 もっとも東の海沿い には百を超える監視塔がある小 さな村々があるのも忘れてはな らない。 3 4 8 1 メ ー ト ル ま で 雪 シエラ・ネバダスキー場は 1996年アルペンスキー世界 選手権の本部となった地であ る。 毎年多くの人が雪のスポー ツを楽しもうとやって来る。 イベ 雪 リア半島の頂(いただき) から はアフリカ大陸の沿岸も眺 めることができる。 アル ペンスキー、 スノーボ ード、 スノーバイクな どあらゆる雪のスポ ーツを楽しむことが できる楽園であ る。近代的な設 備を持ち、 ス キーシーズン は春まで続く。 グ ラ ナ ダ 市 と シエラ・ネバダでは子 供から熟練のス キーヤーまで雪 を楽しむこと ができる。 グ ラ ナ ダ 県 活 動 的 な グラナダにはロッククライ ミングの練習にふさわし い場所がたくさんある。 観 グラナダではマリン スポーツ、雪のスポー ツ、崖くだり、釣り、 ロ ッククライミング、 ワン ダーフォーゲルなど を楽しんだり、 山から パラグライダーで海 岸に着地したり、 ラン ハロンやアラマ・デ・グラナダの 温泉でゆっ くり休むこと もできる。 グラナダ県 の内陸部で は自然に親 活動的な人 馬に乗って自然の地を散 策することもできる。 グ ラ ナ ダ 市 と しむ、 あらゆる種類の活動的な観 光ができる。 ワンダーフォーゲル やマウンテンバイクでの散策はも っとも美しい自然の姿を見ること ができ、 同時に健康的な運動と なっている。冬のあいだは雪の 積もった地でスキーをすること ができる。 シエラ・ネバ ダではあらゆる雪のス ポーツが楽しめる。 グラ ナダ西部では大物の 獲物の狩ができ、 も っと大胆な人はハン ググライダーやパラ グライダーで空中からグ ラナダの景色を眺めるこ とができる。 またイスナジ ョスにあるクエバ・デ・ア グア (洞窟) などの隠さ れた神秘的な地下の世 界を発見することがで きる。 光 グラナダでは日当たりのよ いモトリルやトロピカル海 岸、 アルハンブラ宮殿のあ る市内でもゴルフを楽し むことができる。 ゴルフと スキーを交互にすること も可能で ある。 のために スポーツとしての釣りは鱒 で有名なリオフリオ (ロハ) のような所で行われる。 グ ラ ナ ダ 県 祭 と 伝 統 グアディクスの 『カスカモラス』 ビルヘン・デ・ラ・ピエダ 『セマナ・サンタ (聖週間)』 アンダルシアに深く根付い ている宗教行事。県内の 祭りや伝統は人々の心の表現で ある。何世紀もの昔の遺産は世 代から世代へと伝承されたおか げで、長い年月が過ぎたにもか かわらず、今日でも生き生きと継 続されている。 主要な町の通りを行列が (慈悲の聖母) の祭り ( 9月6日) では、 カスカモ 『十字架の日』 毎年5月3日にグラナダ市とグラナダ県内 で行われるポピュラーな祭りである。 パテ ィオ、 バルコニー、通りや家は花や手作り の道具で飾られ、人々は花で飾られた十 字架の周りで食べたり、飲んだり、踊った 練り歩くとき、人々は感動 りする。 に満ちている。 な格好をした人物が、 グ アディクスからバサの守 護聖母の像を我が物にし ようとバサに向かってい く。 バサに着く前に若者 の一団に振り回され、 コ グラナダの 『フェリア・デル・コルプス』 『モーロ人と ラスと呼ばれる風変わり ールタールや油で塗りま コルプス・クリスティ (キリストの聖体) の キリスト教徒』 行列であり、 カトリック両王がグラナダを グラナダ県下のいくつか 征服した時から行われている。 この時期グ の村で行われる祭りであ ラナダではフェリア・デル・コルプスが行わ るが、特に地元の人が扮 装して行うアルプハラの祭 くられ、二つの噴水に突 りは有名である。 アベン・ウ っ込まれてしまう。 バサで メージャゆかりの地である は2日間祭りが行われ、 聖 バロルの祭りは色彩豊か 母像を持ち帰ることなく、 で古い伝統を持っている。 手 ぶ らでグアディクスに モーロ人とキリスト教徒の れる。1週間人々は祭り気分にひたり、特 役は父から息子へと代々 にフェリア会場では夜、娯楽でにぎわう。 引き継がれている。 戻ってくる。 『ビルヘン・デル・カルメン』 船乗りの守護聖母である聖母カルメンの 祭り (7月16日) は沿岸の町で行われる。 海上で船に聖母像を乗せた、素晴らしい 伝 統 グ ラ ナ ダ 市 と の 行列がでる。 存 続 グ ラ ナ ダ 県 グ ラ ナ ダ アル・アンダルスの最後の首都で あったグラナダは魅力や伝説に サクロモンテ 洞窟住居のあ る絵に描いた ような地域。 ヘネラリフェ 庭園、噴水、絶 え間ない水の 音。魅力的な場 所である。 あふれている。歴史の詰まった遺 跡や土地には、8世紀にわたって アルバイシン グラナダでもっとも趣 きのある地区でアンダ ルシーの文化の生き た遺産である。 サン・ ニコラスの見晴台か らは素晴らしい景色 が眺められる。 イサベル・ラ・カトリカ広場 19世紀マリアノ・ベンリウレ作のイサ ベル女王の像がたっている。 その周囲に は19世紀のブルジョア階級の権力を誇示する 建物が建っている。 存在したイスラム教徒たちの痕 跡が多く残っている。城壁の多く の石、 モリスコ居住地区であったア ルバイシンの迷路のような道、 ナス ル朝の王たちの誇りであるアルハン ブラ宮殿などを見れば当時の様子 を想像することができるであろう。 アルハンブラ宮殿 ナスル王朝の住居 であり、 アラビア語で 『赤い城』 と名付け られた。 中庭や部屋 はとても素晴らしく、 アンダルシー時代の 建築の洗練さを表し ている。 大聖堂 16世紀にディエゴ・デ・シ ロエによって建てられたル ネッサンス様式の中では最 も美しい建物の一つ。脇に カトリック両王が永眠して いる王室礼拝堂がある。 グ ラ ナ ダ 市 と グ ラ ナ ダ 県 ア ル ハ ン ブ ラ 宮 アルハンブラの宮殿都市はアンダ ルシーの文化の象徴である。 グラ ナダの町を見下ろすサビカの赤 い丘の上に建っている。 シエラ・ネ バダ山脈が背景の幕のように見 える。幾度となく絵葉書の写真と して使われた風景である。広場、 城壁、塔、庭園、浴場、部 屋はタイル細工や石膏細 工などで豊かに装飾され、 アルアンダルス時代のイス ラム芸術の絶頂期を代表 している。 アルハンブラ宮殿はヘネラリフ ェと共に世界人類遺産に指定さ れている。 その名はアラビア語の カラット・アル・ハムラ (赤い城) に 由来する。9世紀から建設が始ま り、大部分は14世紀のユースフ 1世とムハンマド5世のナスル朝 時代に建設されたものである。 キ リスト教徒の征服後、皇帝カルロ ス5世はそこにルネッサンス様式 グ ラ ナ ダ 市 と 殿 と ヘ ネ ラ リ フ ェ の宮殿を建設した。現在カルロス 5世の宮殿にはスペイン−イスラム 芸術の博物館が設けられている。 アルハンブラ宮殿はスペインで 一番訪問者の多い遺跡 であり、年 間 2 百 万 人 以上の人が訪れてい る。 コマレスの宮殿は 特に美しく、内部 には天 人 花の 中 庭 があり、 大使の間の天 井には素 晴らしい 彫刻が施されてある。 ライオンの宮殿には鍾 乳石飾りのある部屋や 二姉妹の部屋、 アベン セラッヘスの間があ り、諸王の間の天井 にはナスル朝時代を 描いた絵画がある。 ヘネラリフェはグラナダの王たち が休息するための庭園であった。 今でもアルアンダルス時代のロマ ンチックな情景が見られる。 その 噴水や庭園は今も昔も、多くの芸 術家にとってインスピレーション の源であり続けている。 グ ラ ナ ダ 県 大 聖 堂 か ら キリスト教国とイスラ ム教国であったグラナ ダには、様々な芸術文 化が融合している。 ゴ シック様式の王室礼 拝堂、 イスラム様式の アルカイセリア、ルネ ッサンス様式の至宝 であるカテドラル、 イス ラムの倉庫であったコ ラル・デル・カルボンな ど多様である。 近代的 であると同時に伝統 的な都市でもある。バ ロック様式のカルトゥ ハ修道院、典型的な 地区であるサクロモン テなどの古い地から、 展示・会議場、科学博 物館、 マヌエル・デ・フ ァジャ音楽堂などの 革新的な建物もある。 サ ク ロ モ ン テ へ プラサ・ヌエバ (広場) にはルネッ サンス様式のレアル・チャンチジ ェリア (王立裁判所) の 建物があり、現在はア ンダルシア高等裁判所 となっている。 サクロモ ンテまで通じる道には、 ムデハル様式のサンタ・ アナ教会、 ダロ街道、 カ ストリルの家などの興 味深い地が点在している。 アルカイセリア 中世の市場を原型ど おりに再現した場所。 イスラム時代のグラナ ダの商業の中心地で あった。近くにはイス ラムの倉庫であった コラル・デル・カルボ ンがある。 キリスト教 徒は炭商人の宿泊所 に変え、後に喜劇の 劇場として使われるよ うになった。 ダロ街道 ロマンチックな散歩道が、 アルバイシン地区 とアルハンブラ宮殿の間の、 ダロ川沿いにあ る。 アラブ浴場のバニュエロ (9世紀)、 サン・ ペドロ・イ・サン・パブロ教会、 ルネッサンス様 式のカストリルの家、 グラナダ考古学博物館 などがある。 大聖堂 16世紀にディエゴ・デ・シロエは、 ルネッサンスの真の 宝であるグラナダで最大の教会を建設した。 教会外部で はぺルドンの門がその壮大さで際立っている。 王室礼拝堂 ゴシック様式の教会で、 グラナ ダを征服したカトリック両王の 遺骸が納められている。建物の 横にはロンハ・デ・メルカデレス ( 旧商業取引所)がある。 どちらも 16世紀始めの建築物である。 グ ラ ナ ダ 市 と サクロモンテの眺望 サクロモンテ地区の 起源は18世紀にさか のぼる。 石灰で白く塗 られた洞窟住居の壁 や煙突におどろかさ れる。他に例を見な い、美しい景観の地 である。 グ ラ ナ ダ 県 ア ル バ イ シ ン 地 『カルメン』 と呼ばれる屋 敷はアルバイシンで代表 的な住居である。 その起 源はイスラム時代にさか のぼる。小規模な家の周 りを果樹園や庭で囲って あり、 アルハンブラ宮殿の 方に向けて建てられてあ る。大半は14世紀終わり から、20世紀始めのもの である。 区 グラナダを代表する素晴らし い地はアルバイシン地区であ る。 カルメンと呼ばれる典型的 な広い庭付きの家、貯水槽、 モ リスコ様式の住 居などは明らか なアンダルシー の文化の痕跡である。 イスラ ム時代に町を囲んでいた城 壁の一部やモナイタの門や エルビラの門(9世紀) が現 在も残っている。 サン・ニコラス教会のすぐ そばにある見晴台からは、 すぐ目の前にアルハンブラ 宮殿がそびえ、 グラナダでも っとも美しい夕日が眺めら れる。 グ ラ ナ ダ 市 と そ の 他 の 遺 グラナダにはその他、 バロック様式の至宝で あるカルトゥハ修道院、 同様のバロック様式の サン・フアン・デ・ディオ ス教会などもある。 サン トス・フスト・イ・パスト ール教会の内部にはスペインでも っとも古い、ねじり柱がある。 ルネッ サンス様式のサン・ヘロニモ修道 院、 グラナダで もっとも古い サン・ホセ 教 会もある。サン ・ホセ教会の 塔 はイスラム 隠者のモスク 跡 アルハンブラ宮殿 から見たグラナダ: ラ・アランブラの丘からは グラナダ県都が広大に眺 望できる。 遺 跡 カルトゥハ修道院: グラナダにあるバロ ック様式の中で一 番規模の大きいも の。香部屋の豊潤 な装飾とカルトゥハ の僧だったサンチ ェス・コタンの絵画 コレクションが際 立つ。 の のミナレット (8-10世 紀)であった。カルロ ス5世の時代に創設 された旧大学の建物 は、現在の法学部と なっている。カルメン ・デ・ロス・マルティレ スなど、 その他多くの 見所がある。 町 グラナダ グ ラ ナ ダ 県 シ エ ラ ・ ネ バ ダ ス ー キ シエラ・ネバダ山脈は南欧でも っとも重要なスキー場であ る。年間を通して、晴天日 も多いため、雪のスポー ツの愛好家にとっての 楽園である。 2500ヘクタールの雪 面に53ヶ所のゲレンデ (総 長61.4km)、338の人口降雪 機、 スノーパーク、 スキーレース 用のコースが2ヶ所、 パラレル・ スローラムがあり、 スキー場内 にはレストランもある。 スペイン で最高の設備をもち、 スキー、 スノーボー ド、 スノーバイク が楽しめ、犬や 馬の引くソリで 散策することも できる。 ス キ ー 場 い。 シエラ・ネバダは1996年ア ルペンスキー世界選手権の会 場となり、1999年にはワールド カップの決勝戦の地となった。 スキーレース用に8.6kmの コースが2本設けられてある。 この種目はグラナダ県の2番目 のスキー場であるラ・ラグアで も行うことができる。 シエラ・ネバダの夜は娯 楽がいっぱいである。 レ ストラン、 ディスコ、 タパス (つまみ) の店、飲み屋 なども軒を並べている。 夜間スキーも楽しむこと ができる。 スキーシーズ ンは秋から5月 の始めまでと長 場 グ ラ ナ ダ 市 と グ ラ ナ ダ 県 シ エ ラ ・ ネ バ ダ シエラ・ネバダは2001年世 界空中競技大会の会場とな った。 世界レベルの優秀なパ ラグライダーの選手が集ま ってきた。 2000年からマウンテンバイク 選手権の会場となったシエラ ・ネバダでは、毎年様々な所 要時間の高難度のルートを 企画している。 夏の平均気温が20℃のシエラ ・ネバダでは、様々なアクティ ブな観光を行うのにふさわし い地である。 シエラ・ネバダでは多 くの幅広い活動が行わ れている。語学コース、 グラナダ大学の夏期講 座、競技会、子供の合 宿などがある。 グ ラ ナ ダ 市 と 山 色々なルートの山道を 探索したり、 マウンテン バイクに乗ったり、 ロック クライミングやパラグラ イダーなども楽しめる。 CETURSA(施設の運営 会社) は天文学のセッシ ョンを行い、 高度2千メー トルの地で星座観測をす ることができる。 山 岳 施 岳 設 施 設 グ ラ ナ ダ 県 ガ ル シ ア ・ ロ ル カ の フエンテ・ バケロスの生家: グラナダのベガ (沃野) の 真ん中に1898年6月5日 詩人フェデリコ・ガルシア ・ロルカの生まれた家が ある。丁寧に修復され博 物館として公開されてい る。 ロルカの写真、資料、 絵画、手紙、手書きの書 物、初版本などが展示さ れてある。 フェデリコ・ガ ルシア・ロルカ財団の発 行する様々な書籍などを 買うこともできる。 足 跡 を 追 っ て 国 際 的にも有 名 な詩人フェデリコ ・ガルシア・ロル カはグラナダに生 まれ、グラナダに 死す。 フエンテ・バケロ スの生家、数年家 族と過ごしたバル デルビオの家、夏の別荘であっ たウエルタ・デ・サンビセンテの 家など、 グラナダ主都から詩人 の眠るとされる墓があるアルファ カルの公園までのグラナダの道 筋をたどってみよう。 アルファカルのフェデリコ・ ガルシア・ロルカ公園: 1986年詩人の死没50年を 記念し、 『ガルシア・ロルカと 市民戦争の犠牲者のために 』開かれた記念公園である。 公園は1936年8月19日の夜 明けにガルシア・ロルカが射 殺されたビスナルの崖の近 くにある。 オリーブの木のふもとには石 が置かれ、彼の遺体が眠ると されている。 ガルシア・ロルカ文化財団 は毎年8月18日の夜に公園 でささやかに詩や音楽を捧 げている。 魅 力 的 な バルデルビオの家:この家 もグラナダのベガにあるピ ノス・プエンテの小さな地区 にある。 フェデリコ・ガルシア ・ロルカの父親が職場とし て所有していた家であり、 1907年に家族は引っ越して きた。 グラナダ市内に引っ越 すまで家族が住んでいた雰 囲気が伝わってくる。 ここで バルデルビオのある一家の 逸話をもとに 『ジェルマ』 や 『 ベルナルダ・アルバの家』 の ひらめきを得た。 その家はフ ラスキータ・アルバの家とし て今も残っている。 グラナダのウエルタ・デ・サ ンビセンテ:ウエルタ・デ・ サンビセンテの家はガルシ ア・ロルカ家の夏の別荘で あった。 1936年に詩人が亡 くなるまで住んでいたところ で、 『血の婚礼(ボダス・デ・ サングレ)』 などの作品が書 かれた場所である。現在は 博物館になっており、 当時 のままの家具や家財道具な どが残されており展示室に なっている。昔、家の周辺は よく肥えたベガ (沃野) に囲 まれていたが、 現在はフェデ リコ・ガルシア・ロルカ公園 となっている。 グ ラ ナ ダ 県 シ エ ラ ・ ネ バ ダ ラ・スビアは典型的な 村で畑や用水路が多く みられる。樹齢百年を 超すカシの木やアラブ の浴場がある。 アルハンブラの町とシエラ・ネ バダの間にある村々は、 自然に 囲まれながらも、近代的なサー ビスや社会的生産基盤も整っ ている。 モナチル、 ラ・スビア、 カハル の村は共同体となっており、 モ ナチルの村はイスラム教徒の残 した用水路を使って水をもたら されるグラナダのベガ (沃野) からシエラ・ネバダ 山脈の頂上まで広 がる。 カハルはイスラム時代絹 産業の栄える地として知 られていた。 村の通りは静 かで落ち着いている。 山 脈 の ふ も と ウエトル・ベガはシエラ・ ネバダとベガ (沃野) の間 に位置し、先史時代の重 要な考古学遺跡がある。 ベガ (沃野) からシエラ・ ネバダに広がるモナチ ルの村はベガ地区、 モ ナチル地区、 プラドジャ ノ地区の3つに分けられ る。 シエラ・ネバダの多 種多様な植物のあるラ・ コルティフエラの植物園 がある。 カミーノ・デ・ロス・ネベ ロス (氷屋の道) は雪の 積もる頂上からグラナダ までを結んでいる。 グラ ナダの町まで氷を運ん でいた道である。 魅 力 的 な グ ラ ナ ダ 県 シ エ ラ ・ ネ バ ダ セネス・デ・ラ・ベガ は名前の通り、 ベガ (沃 野) とへニル川の岸に 位置する。静かで自然 に親しめる地である。 ピノス・ヘニルはシエラ ・ネバダに登る途中の 最後の村である。 アー モンドの花の開花する 時期や雪解けの時期 はとくに美しく、 サイディ ン地区からカナレスの ダムまでへニル川に沿 って散策するのにもっ てこいの時期である。 村はへニル川によって 二つの地区に分けられ ている。 魅 力 的 な アルハンブラの町から中世の 時代「太陽の山脈」 と呼ばれ たシエラ・ネバダまでへニル川 をたどっていくとセネス・デ・ラ ・ベガ、 ピノス・ヘニルの村が ある。 カナレスのダムを通り過 ぎると、 グエハル・シエラに着 く。高度1000メートルを超す 地で、文化も多くある、 アクテ ィブな観光地である。 グエハル 山 脈 の ふ も と カナレスのダムはシエ ラ・ネバダのふもとに 位置する。春のダムの 姿は非常に美しい。 ・シエラからベレダ・デ・ラ・エ ストレージャを通ってチャルコ ンへの散策をぜひ薦める。 サ クラの木の畑が広がり、多くの 山道がある。 マイテナでは夏、 『 自然のプール (川)』 で泳ぐこと ができる。 グエハル・シエラはアル・ア ンダルスの時代絹の生産 地であり、 クアリアット・ワ リアルと呼ばれていた。 セ ロ・デル・カスティジェホ ( 丘) にはイスラム時代の二 つの要塞の遺跡が残って いる。 ムデハル様式の貴重 な格天井のあるルネッサン ス様式の教会や16の管を もつ噴水、広場の噴水、昔 の洗濯場、昔の鉄道の山 の駅などが見られる。 グ ラ ナ ダ 県 バ ジ ェ デ ・ レ ク リ ン か ら ロ ス ・ グ ア ハ レ ス ま で グアハル・ フォンドン: トバ川の岸にある美し い小さな村である。 レクリン:イスラム 時代の小地区がまと められた地であるた め、様々な地区に分 けられる。 アンダルー の伝統を受け継ぐ地 である。 モンドゥハルの教会 バジェ・デ・レクリンの南にはロ ス・グアハレスの村がある。村 はグアハル・フォンドン、グア ハル・アルト、役場のあるグア ハル・ファラグイット3つの地区 からなる。山々に囲まれる小さ な村々の起源はイスラム都市 にさかのぼり、 ナスル朝の時代 には1つの行政地区としてまと められていた。3つの村にはそ れぞれ16世紀の教会がある。 アルプハラ地方のもっとも西に あるバジェ・デ・レクリンの道を たどってみよう。小 さな村々では様々 な農作物が作られ る畑が 広がる。何 世紀にも渡って、 モ リスコの伝統の受 け継がれる地であ る。自然の景色、 ド ゥルカルの貴重な 宗教像や宗教画のあるムデハル 様式の教会、 オレンジの木々、 オ リーブの木々などがみられる地 である。 グラナダ市内からわずか 33kmのとこである。 魅 力 的 な ドゥルカル: グラナダ市内と高速道 路によって結ばれてお り、 バジェ・デ・レクリン の地を代表する村であ る。村はシエラ・ネバダ 国立公園の中にあり、 ドゥルカル川に水をも たらされる。 ムデハル様 式の教会がある。 ベスナルのダム:バジェ・デ・レクリンの中心 部にあり、 シエラ・ネバダから下る多くの小川 がある。 グアハル・フ ァラグイット: 村の中心はモ トリルからわ ずか22kmの ところにある。 アラビア語で ファラグイット は 『秘密の園』 という意味。 エル・バジェ: レクリンとも言われる この村は多くの小地区 によって形成されてい る。 アルプハラの典型 的な村である。 グ ラ ナ ダ 県 ア ル プ ハ ラ 地 方 高 地: アルプハラ地域-バジェ・デ・レ クリンは時の止まったような地 域である。 山のふもとには絵の ランハラロンは水の美味 しい地である。 オンディー ジョ地区、温泉場、 イスラ ムの城、 エルミータ・デ・ サン・セバスティアン (礼 拝堂) がある。 ソポルトゥハルでは多く の家畜小屋、急な坂道、 白い家々が見られる。 ような村の 景色が見ら れ、 イスラム 教徒の伝統 を引き継ぐ 家々がある。 言葉には表 せない美し さ、 用水路、 段々畑があ り、村人は気さくで親切であ る。 シエラ・ネバダの姿が背景 になっている。 グラナダのモリ スコの最後の砦であった場所 で、人々の気質や社会はアン ダルシーの文化を受け継ぐも のである。 もっともアルプ ハラらしい景色 をもつ地はバラ ンコ・デル・ポケ イラ、 ラ・タアー、 トレベレス、 バロ 魅 力 的 な ランハ ロン からラロレスまで ルである。 アルプハラ地方はラ ンハロンからラロレスまで広が り、 アルメリア県との県境の地 である。 パンパネイラではアルプハ ラの典型的な建築が見ら れる。週末には工芸品の市 がでる。 カピレイラではア ルプハラの民族芸 術博物館や教会 が見られる。 バランコ・デル・ポケイラは パンパネイラ、 ブビオン、 カピ レイラから成る地域でアル プハラ地域でもっとも美し い地である。 ブビオンはポケイ ラより小さい村で ある。 ムデハル様式 の教会にはナスル 朝時代の塔の跡 がある。 グ ラ ナ ダ 県 ア ル プ ハ ラ 地 方 高 地: ランハ ロン からラロレスまで ピトレスはラ・タアーの中心地である。 モス クのあった地に建てられたムデハル様式 の教会がある。 ポルトゥゴスにはアー ケードのある素晴ら しい広場がある。建 物の外装には様々な 色がつけられ、 バルコ ニーには多くの鉢植 えが飾られている。 トレベレスはイベリ ア半島でもっとも 標高の高い地であ る(1.476 m.)。 ム ラセン山の南のふ もとにある。 シエラ・ ネバダの冷たい空 気で熟成された美 味しい生ハムで有 名な地である。 メシーナ・ボンバロンはア ルプハラ地方の役場本部 がある。 アベン・ウメージャ のいとこアベン・アボが生 まれた地である。 ローマ橋 が見所である 魅 力 的 な ジェヘンはアル プハラの民俗誌 である 『グラナ ダの南へ』 の作 者であるジェラ ルド・ブレナン が1920年 から 1934年まで住 んでいたところで ある。 バロルはモリスコのフェルナンド・デ・ コルドバ、 アベン・ウメージャなどがア ルプハラの騒乱を起こした地である。 モーロ・イ・クリスティアーノ (モーロ人 とキリスト教徒) の祭りは有名である。 マイレナはアルプハラ地方のバル コニーであり、 周辺の景色が見 渡される。 ラロレスは典型的なアルプハラ の村である。 ロサリオ教会の鐘 楼が際立つ。 グ ラ ナ ダ 県 ア ル プ ハ ラ 低 地: オルヒバはアルプハラ 西部でもっとも重要な 村である。16世紀の コンデス・デ・サスタガ オの城宮殿や大教会 がある。 シエラ・ネバダの山塊からシエ ラ・デ・ルハル、 コントラビエサ までグアダルフェオ川 の谷間を通ってい く。 アルプハラ地 方の主都であ るオルヒバか らウヒハルま での深い谷間 にはアル プハラの 典型的な 村々がある。 オ ル ヒ バ か ら コ ントラ ビ エ サ へ イスラム時代の小都市の 主都であったフビレスには 石造りの壮大な塔をもつ サンタ・マリア・デ・グラシ ア教会がある。 中世の城 跡もある。 ベルチュレスにはムデハル様式 の教会やカルメラスの噴水があ る。 チコ・イ・グランデ川で釣られ たマス料理が味わえる。 トルビスコンには16世紀 の教会があり、村で採れる イチジクを使った美味しい パン・デ・イゴが味わえる。 ロブラスとティマルではハラパと呼ば れる伝統的な編み物がある。 魅 力 的 な カディアルはアラブ起源(カ ディは裁判官の意味) をも つ地であり、 アベン・ウメー ジャの叔父であるアベン・ サグアル縁の地である。典 型的な建築、教会、昔の宿 屋がある。 カディアルとナリ ラの間にはオリーブ畑が広 がり、 アベン・ウメージャが 『 モリスコの王』 に任命され た地である。 グ ラ ナ ダ 県 ア ル プ ハ ラ 低 地: イスラム教徒の村であ ったウヒハルにはモス クのあった地に建てら れたムデハル様式の 教会がある。 アルプハ ラの守護聖母である、 ビルヘン・デル・マルテ ィリオの聖堂がある。 アルブニョルの村には クエバ・デ・ロス・ムル シエラゴ (コウモリ洞 窟) があり、新石器時 代の遺跡が発見され た場所である。 オ ル ヒ バ か ら コ ントラ ビ エ サ へ シエラ・デ・ラ・コントラビエサ (山 脈) はアルプハラ地方の中心にあ り、伝統的なブドウの栽培地で ある。 『コスタ (海岸)』 のワインを 味わうことができ、 『トロボ (アル ボンドン)』 の主都であるムルタ スでは伝統 的なモーロ・ イ・クリステ ソルビランには古い伝統をも つハラパと呼ばれる織物があ る。村の周辺にはアーモンド の木やイチジクの木の畑、 ブ ドウ畑が広がる。 ィアーノの祭 りが行われ る、 田舎の地 ホライラタルには興味 である。 コントラ 深い農耕作博物館が ある。 タホ・デ・ラ・クル ビエサ山脈 スからはシエラ・ネバ ダが一望できる。 でもっとも 標高の高い (1.508 m)セラホン山の頂 上からは地中海やシエラ・ネ バダが一望できる。 オルヒバでは教会の 二つの対の塔の姿が 際立つ。 ポロポスは静かな村で、 まるで 時間が止まってしまったような 地である。 魅 力 的 な グ ラ ナ ダ 県 ト ロ ピ カ ル 海 グラナダには地中海 の沿岸地方がある。様 々な文明の入ってき た地であり、 フェニキ ア人はセクシ (アルム ニェカル)、 サランビー ナ (サロブレーニャ) を 築き上げた。 そしてア ブー・アル=ラーマン 1世はアル・アンダル スにウマイヤ朝を創 立した。 半熱帯気候で温か く穏やかな海ではあ らゆる種のマリンス ポーツが楽しめる。 アンダルシアで一番 美しい沿岸の海底ではスキュ ーバーダイビングが楽しめる。 岸 モ ト リ ル モトリルはグラナダ市の次に人口の多い町であ る。 日当たりのよいビーチ、美味しいトロピカルフ ルーツ、長い歴史の遺産である、教会、礼拝堂、 役場などがあり、 モトリルは長い間サトウキビ栽 培が主要な産業であったため、砂糖博物館が 設けられている。人々の多く訪れる港も忘れて はならない。 役場 アルムニェカルのカンタラハン ビーチ、 ムエルトビーチ、 モトリル のホジャビーチの3ヶ所のヌーデ ィストビーチがある。 ビルヘン・デ・ ラ・ カベサ聖堂 カラオンダ: モトリルにある水深の深い 透明な水のビーチ。 ダイビ ングや釣りに適している。 魅 力 的 な グ ラ ナ ダ 県 ト ロ ピ カ ル 海 岸 サ ロ ブ レ ー ニ ャ サロブレーニャにはトロピカルフルーツの畑と地中 海の間にある地である。 白い家々の村が大きな岩山 に軒を並べ、 その頂上には壮大なアラブの城が建っ ている。古い村の中心地には典型的なアンダルシア の白い村の面影が残っている。細い迷路のような道 がある美しい地である。 ペニョンビーチ:地中海に面する広い 海岸でバケーションに適した地である。 サロブレーニャで静かに休 養した人は静かな、 ひっそ りした入り江を見つけるこ とができる。 アラブの城: 13世紀に建てられ、 2世紀に渡って輝いた 地である。 グラナダ・ナ スル王朝の王たちの 夏の別荘であった。 そ してキリスト教徒たち は監獄、軍事施設と して利用した。現在は 文化、 レクリエーショ ン活動の本部となっ ている。 多くの人が透きとお った海でウインドサ ーフィンを楽しむ。 魅 力 的 な グ ラ ナ ダ 県 ト ロ ピ カ ル 海 アブデラマンの像: 755年アブー・アル=ラ ーマン1世がアルムニ ェカルの海岸に上陸し た。 そしてコルドバまで 広がるウマイヤ朝を創 立した。 クエバ・デ・ロス・シエ テ・パラシオス:考古学 博物館には周辺で発掘 された考古学遺跡の 品が収めてある。 岸 フェニキア 人 の セクシの 町 であ った 。代 表 的 な 観光地であり、 そ の起源は紀元前 8世紀にさかのぼ る。長い歴史の証 拠として、 フェニキ ア人のネクロポリ スのプエンテ・デ ・ノイ、カルタゴ・ ローマ時代の塩漬け工 場、水道橋などのロー ア ル ム ニ ェ カ ル マ時代の建築物があり、考古 学博物館、カルロス5世によっ て修復されたイスラム時代の城 がある。 サン・ミゲル城 パラシオ・デ ・ラ・ナハラ ロロ・セクシ 鳥類公園 ラ・エラドゥーラ:マラガとの県境の地にあるアル ムニェカルの入り江であり、 マリンスーポーツに 適した地である。美しい自然の姿が見れる海底 はダイビングに適している。風も穏やかで静かな 海である。 プンタ・デ・ラ・モナからペニョン・デ・セ ロ・ゴルドまで広がる。 ペニョン ・デル・サ ント 魅 力 的 な グ ラ ナ ダ 県 ト ロ ピ カ ル 海 岸 東 アルプハラ地方との境目となる沿 岸地域はカステル・デ・フェロから エル・カスティージョ・デ・ウアレア まで広がる。 部 ラ・ラビタの静かな入り江はアルブ ニョルの海岸が開ける地である。 静かでひっそりとした楽園である。 多くのビーチや静かな入り江には マモラのカウトルやトレ・デ・メリセ ナなどの監視塔が立っている。 イスラム教徒たちがキリスト教徒 の攻撃に備えて見張りをしていた 地である。16世紀のカスティージ ョ・デ・バニョスなどのキリスト教 徒の海岸の要塞はフェリペ2世が トルコ人の攻撃に備えてつくった 場所である。 カステル・デ・フェロに はトロピカルフルーツの 畑が広がる。 アルプハラ 地方のコントラビエサ 山脈が背後に広がる。 カステル・デ・フェロは 海岸沿いにある小さな 村である。村にはアン ダルシーの時代の城 がある。近郊にはトレ・ デ・ラ・インスタンシア がある。 ラ・ラビタのアラブの 城は昔の海岸の要塞 であり、 キリスト教徒 の軍の攻撃に備えて 海岸を防御していた。 東 カステル・デ・フェロは1568年アベン・ ウメージャによって引き起こされたアル プハラの騒乱の計略の地となった。 魅 力 的 な 部 の 海 岸 グ ラ ナ ダ 県 ポ ニ エ ン テ ・ グ ラ ナ ダ ( 西 部 ) モクリン、 イジョラ、 モンテフリ オ、 ロハなどの遺跡の村があ り、 ペーニャ・デ・ロス・ヒター ノスやシエラ・マルティージャ は興味深いドルメンの見られ る考古学地である。 ロハは 『とげの中にある 花』 とイサベル女王は呼 んでいた。 グラナダ県で もっとも興味深い遺跡 のある村である。特に素 晴らしい遺産の中でア ルカサバやエンカルナ シオン教会が際立つ。 ポニエンテ・グラナダはグラナダ・ ナスル王朝とキリスト教徒の領土 の境界地であった。 そしてカトリッ ク両王がグラナダを征服する決 め手の地となった。 その歴史は先 史時代にさかのぼる。 ドルメン (机 石)、塔、城、教会などをみればこ の地に様々な文化が存在してい たことが分かる。 ペーニャ・デ・ロス・ヒター ノス:グラナダ県でも有名 な考古学遺跡が自然に溶 け込んでいる。様々な文化 の遺跡があり、 中でも巨石 時代の墓が際立っている。 モンテフリオ:白い村が岩 山を囲んでおり、 その岩山 にはイスラムの城跡があ る。岩山の崖にキリスト教 徒はビジャ教会を建てた。 監視塔:監視塔はポニエンテ・グラナダ全域で 見られる。 アル・アンダルスの時代につくられた もので、 キリスト教徒の領土の境界を見張って いた場所である。 モクリンの周辺にはソラナの 塔、 ミンゴナンドレスの塔、 トサルの塔、 ポルケリ サスの塔などのイスラム時代の塔が見られる。 魅 力 的 な イジョラ: 『グラナダ の右目』 と言われる 地で、 キリスト教徒 が征服を始めた時 代、 グラナダ・ナス ル王朝の重要な防 衛地であった。小村 落にはルネッサンス 様式のエンカルナ シオン教会やカリフ 時代のイスラムの城 がある。 グ ラ ナ ダ 県 ポ ニ エ ン テ ・ モンテフリオの城: 村には国定遺産に指 定されている壮大な 要塞がある。7年間ナ スル王朝の住居とし て使われていた場所 で、 キリスト教徒の征 服後廃墟となった。城 壁に囲まれた要塞内 部には今は緑が茂っ ている。 グ ラ ナ ダ ( シエラ・デ・パラパンダ(山脈) のふ もとの農場やオリーブの畑に囲ま れるこの村は歴史芸術遺産に指 定されている。岩山には昔のイス ラムの城が立っており、現 在はその岩山の崖 に キリスト 西 部 ) 教徒征服後の1486年に建て られた、 ビジャ教会の姿が見 られる。 エンカルナ シオン教会: 新古典主義の教会で ローマのアグリッパの パンテオンに似てい る。 『レドンダ (円形)』 と呼ばれている。 ビジャ 教会: カトリック 両王によって 建設が命じられ た教会でモスク跡に 建てられた。現在、 アル・ アンダルスの最後の境界 地となったポニエンテ・グ ラナダの資料館がある。 魅 力 的 な サン・アントニオ修道院: 内部はゴシック様式、外装 はルネッサンス様式の教会 である。 白い家々の中でひと きわ目立っている。 グ ラ ナ ダ 県 ポ ニ エ ン テ ・ イサベル女王に 『とげの中にある 花』 と呼ばれていた地で、昔のイス ラム都市ラウサであった。1486年 にカトリック両王に征服された。 イ スラムの遺産がアルカサバの地区 に見られる。 キリスト教徒は壮大な 教会、役場などを建設し た。14世紀ナルバエス一 家によってつくられた宮 殿と庭園は素晴らしい遺 産となっている。 エルミータ・デ・ ヘスス・ナサレノ: 小さな礼拝堂であり、 内部にはアロンソ・カ ノ作のバロック様式 の宗教画がある。 魅 力 的 な グ ラ ナ ダ ( 西 部 ) アルカサバとアルカイデス・クリスティ アノスの館: 10世紀につくられた城壁に囲まれる地 でロハの中心部にある。城壁内部にキ リスト教徒はルネッサンス様式のアル カイデス・クリスティアノスの館をつくっ た。現在はアルカサバ・歴史博物館とな っている。 25の管をもつ噴水: ロハには多くの泉があ る。 この噴水のほかにフ エンテ・デ・ラ・モーラと いう名の噴水もある。 エンカルナシオン教会: 15世紀から18世紀に渡 ってモスク跡につくられ た教会である。大きな塔 は村のシンボルとなって いる。 ディエゴ・デ・シロ エ作である。 サン・ ガブリエル教会: 16世紀に建てられた ルネッサンス様式の 教会であり、重要文 化財に指定されてい る。建物の横の外壁 にある受胎告知の宗 教画は素晴らしい。 旧役場: 16世紀の素晴らしい 建築物である。 プラサ ・デ・ラ・コンスティス シオン (広場) にある。 現在はロハ歴史博物 館となっている。 グ ラ ナ ダ 県 シ エ ラ ・ テ ハ ダ 、 アラマ・デ・グラナダは美しい村で ありアラビア語のアル=ハンマム ( 温泉)にちなんで名付けられた。峡 谷の崖に難攻不落の要塞 が 建 てら れたが 、 1482年 カトリッ ク両 王 によっ て征服さ れた。グラ ナダ王朝の イスラム教徒 たちにとっても っとも衝撃的な 事であった。 そして 『ア イ・デ・ミ・アラマ (我のアラマ よ!)』 というロマンス詩が 生まれた。アラブの地 区は素晴らしい。 ア ル ミ ハ ラ 、 ア ラ マ エンカルナ シオン教会、 アラマで一番美し い教会である。 カ トリック両王の時 代にイスラム大寺 院の跡地に建てら れた。 ゴシック後 期の様式で村の 一番高い地にそ びえている。 カニョ・ワンバ、 カトリック両王とカルロ ス1世の軍の紋章のある 昔の噴水。 女王の病院、 ゴシック・ムデハル様 式の建物で、 グラナダ 王国の最初の血液の 病院であった。天井 のムデハル様式の枠 組みは素晴らしい。 城、 イスラム の要塞跡 に建てら れた。 地下牢: アングスティアス教会からイ スラム教徒が岩に掘った地 下牢に入ることができる。 カルメン教会、 ルネッサンス様式とバロック様式の混在する教 会が峡谷の崖に建てられている。 魅 力 的 な グ ラ ナ ダ 県 シ エ ラ ・ テ ハ ダ 、 カシン川の周辺、釣り の楽しめるきれいな川 がある。 ポニエンテ・グラナダとマラ ガ県の間に地中海まで続く自 然の境界線がある。 テハダ山 脈国立公園、 アルミハラ山脈 国立公園、 アラ マ山 脈 国 立 公 園 がある。松 、 コルク、オーク の木が茂り、マ ロマ山(2.080 m ) 、ル セロ山 (1.638 m)の最 高峰がある。そ の山脈にはアラ マ・デ・グラナダ、 アレナス・デ ・レイ、 ハジェナの村がある。 ポニエンテの南 にもカシン川の 渓谷やベルメハ レスのダムの景 色が見られ、ア ラマの渓谷はア ア ル ミ ハ ラ 、 ア ラ マ ラマ・デ・グラナダに そびえる驚 異 的な 絶壁である。 ベルメハレスの ダム。 アラマ・デ・グラナダ 温泉場: アラマの温泉はローマ 時代に起源を持ち、今 もアル・アンダルス時代 の建築が残っている。 57度の湯が泉から湧 き出る。 アレナス・デル・レイ 1884年の大地震に よって崩壊した村が 修復されたもので、 都市計画によってま っすぐな細道がつく られている。 ハジェナ、 テハダ、 ア ルミハラ、 アラマ各山 脈のある地で、村には 細道や魅力的な地な どがありモリスコの雰 囲気が漂う。 魅 力 的 な グ ラ ナ ダ 県 グ ラ ナ ダ の 東 部 と 北 (アルティプラノ)地 方に通じる。自然や 遺跡に恵まれ、 ドルメ ンなどの考古学発掘地 でもあり、美しい村がグラ ナダ県の北東部に点在する。 ラ・カラオラ:シエラ・ネ バダの北側のふもとにあ り、 マルケサド・デル・セ ネテの主都がある。 ルネ ッサンス様式の城が際 立っている。 部 ゴラフェのドルメン: ゴラフェにはイベリア 半島で一番多くのド ルメンがある地であ る。考古学地として 有名である。 グラナダ市からグラナダ県の 北東部には高速道路A-92が 延びており、 グアディクス・マル ケサド地方とバサ・ウエスカル イベリア半島東部とアンダルシ ア西部を結んでいた歴史ある 道であり、先史時代からの様々 な文化の融合した地である。 村 々では歴史や伝説を秘めた地 を見ることができる。 魅 力 的 な オルセ:オルセは貴重な 人類遺産の村でありそ の文化は素晴らしい。 考古学地でもある。 グ ラ ナ ダ 県 歴 史 の あ る 洞 窟 自然に恵まれたシエ ラ・アレナ (山脈) は 考古学の地でもある。 クエバ・デル・アグア ( 洞窟) のほかに、 イス ナジョスの村には新 石器時代や青銅時 代の避難所が多く残 っている。 ムステイア ン時代やオーリャニ ック文化期の考古学 遺跡もある。 グラナダの主都から数kmのとこ ろにイスナジョスの村がある。 この美しい村はアラビア語で 『ア ーモンド色の城』 という意味を持 つ。穀倉や16世紀のヌエストラ・ セニョーラ・デ・ロス・レメディオ ス教会、 イスラムの城跡がある。 この地域は考古学の発掘地で もあり、役場の許可を事前に もらえば、 興味深い洞窟で ある、 クエバ・デル・ア グアを見学すること ができる。もう少し 北に行くと、ピニャ ルの 村 が ある。村 に はアラブの城が 建っている。古い 歴 史をもつ村で クエバ・デ・ラ・カ リグエラ (洞窟) では考古学の遺 跡が発掘された。 村にはクエバ・デ・ラス・ベンタナ ス (洞窟)があり、石灰岩の掘ら れた素晴らしい地理には文化の 痕跡が見られる。旧石器時代の 住民の遺体が発見されている。 グラナダで公開されている唯一 の洞窟で、年間5万人の見学者 魅 力 的 な 洞 窟 が訪れる。多くの学童のグルー プが見学にきている。 洞窟の見学はガイド 付きで、バリアフリー の道が設けられてい る。実物大の模型、パ ネルなどもあり、年代 によ って異な る動物や人間が存 在していたため、その洞窟 の発展の段階を知る手がかり となる。 クエバ・デ・ラス・ベンタナ ス (洞窟) の見学順路は バリアフリーになっている ので誰でも見学すること ができる。 洞窟内部には先史 時代の住民の人形 や模型があり、生 活の様子を再現し ている。 グ ラ ナ ダ 県 シ エ ラ ・ デ ・ ウ エ ト ル シ エラ・デ・ウ エトル コゴージョス・ベガ: オークの木やオークの 苗木の茂る山に囲まれ る地である。17世紀の 教会やアラブ浴場が 見所である。村の教会 内部にはアロンソ・カノ 作の受胎告知の絵画 がある。 コゴージョス・ベガからディエ スマの地域にはシエラ・デ・ウ エトル国立公園がある。 グラ ナダ市内からわずか数kmの ところにある自然の楽園で ある。 アルファカル:パン作りの長い伝統をもつ地であり、 『グラナ ダのパン屋』 として知られている。 パン作りはイスラム時代に さかのぼる。 エンカルナシオン教会は16世紀ディエゴ・デ・ シロエによって建築された。 ウエトル・サンティジャン: ウエトル・サンティジャン自 然公園にある自然に恵ま れた村である。 村には16世 紀の教会がある。 ニバル:小さな 静かな村で教 会広場が際立 ち、教会は村の 重要な建築物と なっている。 魅 力 的 な ビスナル:1800年に建設されたパラシオ・デ・エル・ クスコ (邸宅) がある。詩人フェデリコ・ガルシア・ロ ルカが近くの崖で銃殺されるまで監獄されていた 場所である。 グ ラ ナ ダ 県 グ ア デ ィ ク ス ・ マ ル ケ サ ド イベロ時代のアクシという町からロー マ時代にはヘメージャ・アクシの植民 地となり、アラビア語のGuad-Haix (『命の川』 という意味のグアッド・ハ イックス)にその名は由来する。15世 紀の間、エル・サガルの宮廷となり、 1489年にカトリック両王に受け渡さ れた。 カテドラル、 イスラム大寺院の 跡地に建設された。16世紀か ら建設が始まり、 内部はゴシ ック様式とルネッサンス様式 であり、 バロック様式の時代に 完成した。正面の外装はイタリ アのフランチェスコ・ボッロミ ーニの様式に似ている。 カテド ラルの塔が町の中心部にそび えている。 アルカサバやゴシック様式、 ルネッサンス様式、 バロック様式の混 在するカテドラル などの遺跡の町 である。 マグダレ ナの見晴台から は美しい景 色が 一望できる。 アルカサバ: 国定遺産に指定されたカリフ時代の 建築物である。要塞と宮殿を兼ねて おり、 アルカサバからはグアディクス の町やベガ (沃野) が一望できる。 魅 力 的 な 役場:17世紀のバルコン・デ・ ロス・コレヒドーレスと呼ば れる建物が美しいプラサ・ デ・ラ・コンスティトゥシオン (広場) の脇に立っている。 広場にはアーケードがあり キリスト教徒の征服後の様 式が見られる。 サンティアゴ教会、 昔のモスクのあった地に建 てられたもので、 イスラムの 伝統を引き継ぐムデハル様 式の塔がある。 ディエゴ・デ ・シロエ作のルネッサンス 様式の入り口がある。 グ ラ ナ ダ 県 マ ル ケ サ ド アルキフェ、 鉱山の村であり、 アラ ビア語で 『ほら穴』 とい う意味のAl-Kahf(ア ル=カーフ) に地名は 由来する。 歴史的なグアディクスの町の近く には、 シエラ・ネバダの北のふもと に位置するマル ケサド・デ・センテ がある。 その自然 に恵まれた地に は白い農村があ り、栗の木や小川 のある美しい地で ある。 フェレイラ、 細い坂道の多 い村で、鉱物 の採れる地で ある。 ヘレス・デル・ マルケサド: ベルデ川の上流 にあり、 白壁の家 々と赤い屋根の コントラストの見 られる地である。 ランテイラ 川床や木立に囲まれ る地である。 サンタ・マ リア・デ・ラ・アヌンシア シオン教会やイスラム 時代の2つの要塞跡や 溜め池が見られる。 カラ・オラの城: 歴史芸術遺産に指定 されている。1509年に 建設が始められたプラ テレスク様式の要塞で あり、 その内部にはル ネッサンス様式の素晴 らしい城がある。 その 当時では珍しい建物 であった。丘 にそびえたつ壮大な 城はロソリゴ・デ・メン ドサ・デル・センテの 領土の主都の中心で あった。 魅 力 的 な グ ラ ナ ダ 県 グ ア デ ィ ク ス・マ ル ケ サ ド ゴラフェの村はイベリア半島 で一番多くのドルメンが発見 された地である。巨石時代の 200を超える遺体が発掘され た。 この素晴らしい考古学遺 跡を詳しく知るた めに巨石遺構公 園がつくられた。 公園内には様々な ドルメンが見られ るルートがいくつ かある。 魅 力 的 な ゴ ラ フ ェ の ド ル メ ン ドルメンは人類の 歴史における始め ての建築物といって もよい。大きな石( 巨石) を組み合わせ てつくった墓場であ る。 その歴史は新石 器時代後半から起 源前3000年にさか のぼる。 自然の姿に 溶け込んだドルメン の姿は素晴らしく、 貴重な歴史遺産と なっている。 巨 石 遺 構 グ ラ ナ ダ 県 ア ル テ ィ プ ラ ノ バサは千年もの歴史をも つ町である。イベロ・ロー マ時代のバスティをイスラ ム教徒たちはバツァと呼 んでいた 。 司教座聖堂のエンカルナ シオン教会 (16世紀)、国家遺産に 指定されている。 ゴシック 様式の壮大な教会でルネ ッサンス様式の外装をも つ。昔のモスクの跡地に 建てられ、 内部には素晴ら しい格天井がある。 バ サ 、 カ ス ト リ ル 長い歴史の残した様々な文 化遺産や人類遺産が多くあ る。考古学博物館や司教座 聖堂のエンカルナシオン教 会、イベリア半島でもっとも 古いアラブの浴場がある。 バサとカストリルの間にはベ ナマウレルのような洞窟住 居が 点々とする 景色が見られ る。青い水の ネグラティン のダムと黄 土色の地が 対照的であ る。 カストリ ルではイスラ ムの城跡のある巨大な岩山 に白い家々の姿が見られる。 カストリルの村はシエラ・デ・ カストリル自然公園の入口で あり、グラナダ 県でもっとも距 離の長い、深い 洞窟である、ク エバ・デ・ドン・ フェルナンドが ある。 アラブ浴場 (5世紀)、 イスラム 時代のもっとも古い浴 場の一つである。 ユダヤ 人地区にある。 イスラムのアルカサバ (7世紀) : 町のもっとも高い地区にあり、 バサ の美しい風景が一望できる。 魅 力 的 な グ ラ ナ ダ 県 ア ル テ ィ プ ラ ノ ク ジ ャ ル 、ガ レ ラ 、オ ル セ ベンタ・メシナなどの考古学遺 グラナダ県でもっとも貴重な考古 学の地である。大きな湖があり、 跡で知られる村であり、貴重な 古生物の遺物が発掘された。 こ その水面には自然の景色が映し 出されている。考古学発掘地でも あり、 旧石器時代からイベロの時 川筋によってつくら れた湖底のような地 に緑の道筋がある 代、銅時代までの農耕文化の遺 跡が発掘されている。 の村は興味深い遺跡の町であ る。 イスラム教徒たちがアルカサ バ・デ・ラス・シエテ・トレスなど の遺跡を残した。 アルカサバの 主塔には先史・古生物博物館 があり、村で発掘された考古学 の遺品や骨が展示されてある。 クジャル:ローマ時代にさかのぼる村で、 ルネ ッサンス様式の教会(16世紀)、役場、17世 紀のパラシオ・デ・ロス・マルケセス・デ・カデ ィモなどの遺跡がある。 アルカサバ・デ・ラス・シエ テ・トレス、11世紀の建物 で、上部にはルネッサン ス時代の建物が加えられ た。16世紀に建てられた 主塔は現在考古学博物 館となっている。 村の中心部の広場にある 『カサ・グランデ (大きな 家)』 と呼ばれるパラシオ・ デ・ベルモンテ (館) 、 17世 紀の教会、 パセオ・デ・ロス ・カニョスなどが見所であ る。 パセオ・デ・ロス・カニ ョスは木立や噴水のある 道で、 セグラ家の所有して いたポサダ・デ・ロス・カニ ョス (家) がある。 パラシオ・デ・ロス・ セグラ: 16世紀から17世紀にか けて建設された。 ガレラ、 この村にはカスティ ジョン・アルトのよう な様々な時代の考 古学遺跡の地があ る。農耕文化の痕跡 やイベロのネクロポ リスのトゥトゥヒがあ る。 フェニキア時代 のディオサ・デ・ガレ ラは有名である。 魅 力 的 な グ ラ ナ ダ 県 ア ル テ ィ プ ラ ノ 武器の紋章が掲げられた貴族 の家、教会、歴史的な地がこの遺 跡の村を構成している。 ローマ時 代にはオスカと呼ばれていた。 中 でも司教座聖堂のヌエストラ・セ ニョーラ・デ・ラ・エン カルナシオン教 会、 サンタ・ マリア大 聖堂は国 家遺産に 指定され ている。 ウ エ ル カ ル 、ラ ・ サ グ ラ サント・ドミンゴ修道院: 16世紀に建設され、19世紀 にウエスカルの劇場に変えら れた。教会にはムデハル様式 の素晴らしい格天井が残さ れている。 司教座聖堂のヌエストラ・ セニョーラ・デ・ラ・エンカ ルナシオン教会とサンタ・ マリア大聖堂: 村のシンボルとなる建物で 16世紀の始めにディエゴ・ デ・シロエによって建設さ れた、 ゴシック・ルネッサン ス様式の教会である。 山々の景色を通っていく と、 プエブラ・デ・ドン・フ ァドリケに着く。 キリスト 教徒の征服後にイベリア 半島北部からやって来た 再入植者の遺産の残る 村である。教会、邸宅、標 2.382 メートルの素晴ら しいシエラ・デ・サグラ (山 脈) がある。 山のふもとに はサン・クレメンテのダム の道があり、 アメリカ大陸 から持ち込まれた強大な セコイアの木がある。 カサ・デ・ロス・ペナルバ、 ウエルバの公共の建物を代 表するものである。 この地に は多くの貴族がいたため、大 きな邸宅がたくさんある。 サンティアゴ教会、 15世紀の始めにイスラム大 寺院の跡地に建設された、 ゴシック様式の教会。 モレ リア (モーロ人街) やアルオ ンディガ (穀物市場) のよう なイスラムの雰囲気のする 地にある。 ロドリゲス・ペナル バ公園、 庶民の憩いの場で ある。並木があり散 歩にもってこいの地 である。 魅 力 的 な グ ラ ナ ダ 県 工 芸 工芸は数年前から実 用的な必要性がなく なり、芸術的な仕事 とされるようになっ た。昔、大衆のために 作られていた調理用 具などは、現在では 芸術家のつくる一品 グラナダの工芸には特に陶芸や 寄木細工などにモリスコの伝統 が引き継がれている。籐細工や、 物の芸術作品とされ ている。 グアディクスの陶芸な どの工芸はもっと古 い時代にさかのぼる ものである。 グ ラ ナ ダ 市 と 籐細工:グラナダ県全域 家具:グラナダ、 カピレイ ラ、 バサ 寄木細工:グラナダ 織物:グラナダ、 アルプハ ラ、 アレンディン、 ベアス・ デ・グラナダ、 ラ・スビア 陶芸:グラナダ、 オトゥー ラ、 フン、 モナチル、 アルプ ハラ地方、 アラマ、 ロハ、 ウ エスカル、 グアディクス、 プ ルジェナ、 モトリス、 アルム ニェカル チュールの刺繍:グラナ ダ西部 金属:グラナダ、 アルミ ージャ、 カハル 弦楽器:グラナダ、 バ サ、 ウエスカル 金銀細工:グラナダ、 アルプハラ地方 皮製品:グラナダ、 アル プハラ地方、 サロブレー ニャ、 アルムニェカル グ ラ ナ ダ 県 料 理 グラナダ主都とグラナダ 県の郷土料理 アラプハラ地方: アルプハラでは伝統的な 郷土料理を味う ことができる。地 元産の食材が使 われ、 プチェロ・デ・イノ ホス (フェンネルを使ったシ チュー)、 トゥルーチャス・コ ン・ハモン (マスと生ハムの 料理)、 ポタヘ・デ・カスター ニャ (栗入りのシチュー)、 ガチャス (粥料理)、 エストフ ァード・デ・コネホ (ウサギの 煮込み)、 ガチャス・デ・アホ ・ケマーオ (焼きニンニクの 粥料理)、 ペルディス・エン・ エスカベチェ (ウズラのマリ ネード漬け) などの料理や、 良質なトレベレスのハモン など豚肉の加工品などがあ る。 『コントラビエサ、 アルプ ハラ』地方の 『地元産のワイ ン』 もある。 美味しいグラナダ料理 は文化の融合の成果 である。 グラナダ県に はフェニキア人、 ローマ 人、 イスラム教徒、 ユダヤ 教徒、 キリスト教徒などの様々 な住民から受け継 いだ料理が 混在する。 ベガ (沃野) : グラナダの周辺には沃野 が広がり、野菜類が栽培 されている。料理はアバス ・コン・ハモン (ソラマメ と生ハム料理)、 ピ ピラナス (サラダ)、 パパス・ア・ロ・ポブ レ (ジャガイモ料理) な どのシンプルなものであるが、美味しい。 グラナダの主都を代表する料理はトルテ ィージャ・デ・サクロモンテ (オムレツ) 、 ガ スパチョ・アンダルス (トマトスープ) やア ホ・ブランコ (ニンニクのスープ) などの冷 たいスープである。 グ ラ ナ ダ 市 と ポタヘスやプチェロ (シチュー料理) : グラナダの内陸部の冬は寒い ため豆類を使った料理、 肉 やハーブを使った 料理などの高カロ リーな煮込み料理 がよく食べられる。 オ ジャ・デ・サン・アントン ( シチュー)、 ポタヘ・デ・バカラオ (タラ のシチュー)、 プチェロ・デ・イノホス ( フェンネルを使ったシチュー)、 チョト ・アル・アヒージョ (山羊肉料理)、 コ ルデロ・セグレーニョ (セグラの子羊 料理)、 ガチャス (粥料理)、 ミガス (小 麦粉やパンの炒め料理)、 コネホ・エ ン・エスカベチェ (ウサギ肉料理) など が代表的な料理である。 コスタ・トロピカル: 地中海の沿岸地域 では美味しい魚類 が獲れる。魚類は 単品で、 または米や 野菜と一緒に料理 し、煮込み料理、 ス ープ、 サラダにされる。青魚のエスカベ チェ、 イカの詰め物、煮込み、塩漬け、 ア ンコウのサラダ、 モラガス・デ・ペスカー ド (魚の煮込み料理)、浜辺で焼かれる いわしの串焼きなど がある。 デザー トにはチリモ ヤ、柿、 パパ イヤ、 マンゴ などのトロピ カルフルーツや モトリルのサトウ キビから作るラ ム酒がある。 菓子類: モリスコ、 ユダヤ人、 キリ スト教徒の伝統を受け 継ぐものが多くある。 グラ ナダの菓子類ではモリス コのクアハードス、 ロハ のロスコス (ドーナツ型 の菓子)、 ソプリージョス ・デ・アルメンドラ、 アル プハラのパン・デ・イゴ ( イチジクのパン)、 レチェ ・フリータ、 サンタフェの ピオノノ、 グアディクスの トシーニジョス・デ・シエ ロ、 モトリルのトルタ・レ アルが有名 なもの で あ る。 グラ ナダの修道院で はジャム、 バタティネス ( サツマイモの菓子)、 マン テカード、砂糖漬けの果 物などが作られる。 グ ラ ナ ダ 県
© Copyright 2024 Paperzz