第4回 「映画音楽とクラシック」 - So-net

映画音楽とクラシック
第4回「クラシックの午後−気軽にオーケストラ」に寄せて
団長 佐藤育男
私が少年時代を過ごした熊本市は学生の街として有名だった。学生さんは将来国を担う
人材として大切にされた。出世払いはしょっちゅう‥とは言わないまでも往々にしてある
ことだった。大学生は勿論のこと、中・高生に対しても喫茶店や映画館の規制は全くなか
った。私も中学生になると制服姿にカバンを下げてどこにでも出入りしたものだ。映画少
年だったから映画館をハシゴして年間 250 本は観ていた。
「雨に唄えば」に感激して 2 週間の封切り期間中に 5 回
も行き、主演女優のデビー・レイノルズにファンレター
も出した。辞書と首っ引きで書いたわりには It was fun.
で終わる幼稚な文章だったが、ほどなく分厚い封筒の返
事を貰った。上品な便箋にきれいな筆跡で、「雨に唄え
ば」が自分にとって最高の作品であること、ジーン・ケ
リーは全てにパーフェクトであること、熊本のような緑
の多い街に行ってみたいことなどが書かれていた。そし
て同封されたブロマイド写真を見て目が眩んだ。可憐な
イメージと一転してまるで裸同然で写っていたのだ。そ
の後の一週間は腑抜けみたいだと友達に言われた。当時
は映画雑誌でもジェーン・ラッセルとマリリン・モンロ
ーぐらいしか拝んだことのないセパレーツという水着姿
(写真)だった。
高校時代は、映画のあと音楽喫茶でクラシックを聴いていた。だから映画とクラシックの
間を絶えず行き来する毎日だった。映画を観るときは画面に流れる音楽に耳をすまし、当
時はクレディット(ポスターなどに名前がでること)されることの少ない音楽担当者を推
量した。そして、使われた音楽について監督の意図を考えたものである。印象に残ってい
る音楽は、
「逢引き」や「七年目の浮気」に使われたラフマニノフのピアノ協奏曲第2番、
「第三の男」、「ファンタジア」、「真昼の決闘」、「皇帝円舞曲」などで、当時の映画
音楽を聴くと、「ああ、昔の映画が観たいな」と思うことがしばしばである。昔の映画館
はスクリーンが大きく立派だった。今は映画館もビデオも画面が小さく迫ってくるものが
ない‥と言いながらも、ときにはシネマ・スクエア7に行くこの頃である。
さて、このたび宇部市民オーケストラは映画音楽を特集することになった。本団はクラシッ
クを演奏する団体なので、「映画音楽とクラシック」という切り口で選曲し演奏することに
した。映画音楽には独特の和音やリズム進行があり、流麗に‥という訳にはいかないが、目
下団員一同猛練習中である。
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映画音楽の歴史をひもとくと、映画とクラシックは密接な関係にあることがよくわかる。ク
ルト・ロンドン著による「映画音楽(Film Music‥外国ではスクリーン・ミュージックとは
言わないようだ‥)」には、「映画音楽は映画の誕生と同時に誕生していた」ことが書かれ
ている。1895 年、ルミエール兄弟によって初めて公開された映画には、既にピアノ伴奏がつ
いていたそうだ。プログラムソースは勿論クラシックだった。愛の場面ではセレナーデ、戦
闘の場面ではウィリアムテル序曲の行進曲といった具合に、既成のクラシック曲のなかから
その場面の雰囲気に合った曲が使われたとのことだ。
映画発祥の国フランスでは、クラシックの作曲家が皆一様に音楽の新しいジャンルに興味を
持った。まず大御所のサン・サーンスが、1908 年、歴史上初の「ギーズ公の暗殺」という映
画の専用音楽を作曲した。次いでフランス 6 人組も特定の映画の為だけの音楽を作曲するよ
うになる。なかでも、オネゲルの映画「鉄路の白薔薇」の音楽はのちの名曲「パシフィック
231」となり、オーリックが「美女と野獣」、「赤い風車」、「ローマの休日」などに付け
た音楽は映画史に残る作品となった。その後、ショスタコヴィッチ(ハムレット)、プロコ
フィエフ(キージェ中尉)、ハチャトリアン(小さい逃亡者)、ヴォーン・ウィリアムズ(南
極交響曲)、ブリテン(青少年のための管弦楽入門)、コープランド(二十日鼠と人間)、
バーンステイン(波止場)など、各国を代表する作曲家が積極的に映画音楽に参加している。
1920 年代になると、アメリカ、特にハリウッドはヒトラーが迫害したユダヤ人の亡命音楽家
を積極的に受け入れた。その結果、映画音楽は 1930 年代にハリウッドで、マックス・スタ
イナーらヨーロッパ出身の作曲家によって確立された。その音楽の基盤はクラシックだった。
特にドイツ後期ロマン派の流れを汲んだシンフォニック・スコアが主体で、言い換えれば、
ドイツ後期ロマン派の音楽はハリウッドに継承されたのである。
その中心人物であったスタイナーやコルンゴルトは、幼くしてリヒャルト・シュトラウス
やグスタフ・マーラーから天才のお墨付を貰った優れた音楽家だった。しかし、ユダヤ人の
ため故郷のウィーンでは作曲活動はおろか生命さえ危うい目に遭い、仕方なく求めた活路が
ハリウッド映画音楽だったのである。マックス・スタイナーの音楽は、従来の状況を説明す
る音楽とは異なり、登場人物や事態にテーマを与えワーグナー流のライト・モチーフを用い
て映画における音楽の重要性を一段と引き上げた。そして、1935 年に、ジョン・フォード監
督の「男の敵」で初のアカデミー音楽賞を獲得して以来、代表作の「風と共に去りぬ」をは
じめ、「カサブランカ」、「壮烈第7騎兵隊」、「スター誕生」、「初恋」、「トロイのヘ
レン」、「ケイン号の反乱」、「避暑地の出来事」など素晴しい作品を 300 以上も書いた。
また、ロシア人のディミトリー・ティオムキンもアメリカ映画に欠かせない作曲家である。
ロシア帝政時代、名門セント・ペテルスブルグ音学院に入学して間もなく、作曲家で院長だ
ったグラズノフの勧めで皇女バリアチンスキーの歌の伴奏をつとめた。それが縁で二人は恋
に落ちるが、第一次世界大戦とロシア革命勃発によって離ればなれになる。彼はパリに逃れ、
コンサートピアニストとしてデビューした。そして、ラブレターを交し合うが、やがてその
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恋は破れてしまう。かくして、彼はハリウッドに行き、1952 年、ゲイリー・クーパー、グレ
ース・ケリー主演の西部劇「真昼の決闘」の音楽と主題歌を書いた。「映画音楽の歴史」の
著者早崎隆志氏は、「ところがこの名作も、ほとんど音楽を付けずに行われた最初のプレミ
ア上映では、惨憺たる失敗に終わったのです。その時ティオムキンは、『歌があればこの映
画は救われる。たぶんメロディと抒情的な詩が映画に翼を生やすことが出来るだろうと感じ
た』と言います。そこで彼は、バラード調の主題歌と、主題歌の変奏に基づく緊迫したドラ
マティックなアンダースコアを書きました。その結果、映画は正当な評価を得ることが出来
たのです。この映画が古典的名作となったのは、ティオムキンの音楽と、ワシントンの詩の
おかげといっても言い過ぎではなく、スコアがいかに映画全体の出来を左右するかのいい見
本となりました。」ということである。これがアカデミー賞の二つの部門(劇音楽賞と主題
歌賞)を獲得するところとなり、その後、「友情ある説得」、「リオ・ブラボー」、「OK 牧
場の決闘」、「許されざる者」、「老人と海」、「アラモ」、「北京の 55 日」、「紅の翼」、
「ナバロンの要塞」など、最もアメリカ的な西部劇を中心に 160 本の映画音楽を作曲した。
再び早崎氏によれば、「ティオムキンが『紅の翼』で再びアカデミー賞に輝いたときの受賞
スピーチは傑作です。『‥紳士淑女の皆様、私はこの映画の都で 25 年間にわたり働いて参
りましたが、私を成功に導き、この都に芸術的価値を加えた大変に重要な人々に感謝を捧げ
たいと存じます。ヨハネス・ブラームスさん、ヨハン・シュトラウスさん、リヒャルト・シ
ュトラウスさん、リヒャルト・ワーグナーさん、ベートーヴェンさん、リムスキー=コルサ
コフさん、どうもありがとうございました‥。』 会場は笑いの渦に巻き込まれ、ボブ・ホ
ープは『こんなショーには二度とお目に掛かれないよ!』とコメントましした。しかし、彼
のキャリアを辿ってきた我々には、彼は意外と本気でこのスピーチを行ったのかも知れない
と思われるのです。」・・・それにしてもロシア人が西部劇の音楽を書くアメリカも面白い
国だ、とつくづく思う。ティオムキンの作品も後期ロマン派のスタイルを生かした音楽だっ
た。このように映画音楽の底に流れるのはクラシックである。
その後、アメリカは TV の台頭、ヴェトナム戦争、そして経済不況に見舞われる。そのあおり
で映画産業は衰退し、お金のかかるシンフォニック・スコアはすたれてしまう。ヘンリー・
マンシーニに代表される美しいメロディーの主題歌やジャズ、そして安上がりで大きな音量
の出る電子音楽がとって変わり、録音された既成のクラシック音楽が安易に流用されるケー
スがあい次いだ。1968 年に奇才スタンリー・キューブリック監督が「2001 年宇宙の旅」の冒
頭で、リヒャルト・シュトラウスの「ツアラストラはかく語りき」を使ったのも経費削減の
ための苦肉の策である、‥という独断と偏見をお許し戴きたい。
そして、1977 年、「スター・ウォーズ」が公開された時、人々は画面だけでなくその音楽の
素晴らしさに驚いた。88 人編成のロンドン交響楽団が演奏するジョン・ウィリアムズ・サウ
ンドは、壮大な主題を響かせるシンフォニーの快感を久し振りに観客に教えてくれたのであ
る。早崎氏によると、「伝統的なシンフォニック・スコアが復活した背景には、SFX(特
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殊効果)の目を見張る発達があります。驚異のSFX映像に負けないためにはフル・スケー
ルの管弦楽の音が必要だったのです。ウィリアムズのシンフォニック・サウンドは、電子楽
器やシンセサイザーよりもずっとずっと宇宙の広さを感じさせてくれました。もちろん 伝
統的シンフォニック・スコア と言っても、ウィリアムズのスコアはただ単に昔のハリウッ
ドの厚ぼったいサウンドに戻った訳ではありません。様々な現代的手法を消化し、所々ピリ
リと辛味を効かせて、よりパワフルになったスコアなのです。」ということだ。
シンフォニック・スコアの復活以降、映画音楽の歴史は新しい段階に入った。今や若手の作
曲家が沢山の魅力的なスコアを書いて、ハリウッド音楽の第 2 期黄金時代が到来しているか
のようだ。私は、「ショーシャンクの空に」や「グリーンマイル」のスコアを書いたトーマ
ス・ニューマンの叙情的な音楽が好きだ。サントラ盤も愛聴している。彼は、スタイナーと
共にハリウッド映画音楽の黄金時代を築き上げ、あの有名な二十世紀フォックス映画のファ
ンファーレを作曲したアルフレッド・ニューマンの息子である。一方、大御所ジョン・ウィ
リアムズ自身も、その後 25 年にもわたって「スター・ウォーズ」の連作を書き続けており、
今公開されている「スター・ウォーズーエピソード2」でも、益々パワフルでシャープなス
コアを付けている。ルーカス監督に「このエピソード2は、音楽に映画を付けた作品です」
とまで言わせた出来映えになっていることは、シンフォニック・スコアの復権時代がまだし
ばらくは続くとみていいのではないだろうか。
さて、宇部市民オーケストラは、9 月 1 日、渡辺翁記念会館で、「映画に使われたクラシッ
ク」にはモーツアルトの交響曲第 25 番ト短調とリストの「前奏曲」を、また「映画音楽」に
は「風と共に去りぬ」、「ライムライト」、「エデンの東」、「ウェストサイド・ストーリ
ー」、「ムーン・リバー」、「スター・ウォーズ」、「 風の谷のナウシカ」などを演奏する
予定である。どうかご来場を賜わり、「映画音楽とクラシック」の結び付きを確かめて戴き
たい。
写真説明:デビー・レイノルズ。最近はスター・ウォーズでレイア姫を演じたキャリー・フ
ィッシャーの母親と言ったほうがわかりやすい。キャリーは、エディー・フィッシャー(歌
手でデビーと離婚後にエリザベス・テーラーと結婚した)
との間に生まれた。
(ウベニチ 2002、
8、2)
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