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第 3 編 部 門 編
第 5 章 図書館
第 1 節 創立から 40 周年まで
11 月のことであった。その 4 年後、昭和 61 年には図
書館講堂(現多目的ホール)を会場に「毎日の学習と
昭和 38 年の本校創立時はトヨタ自動車工業株式会
図書館」と題して「図書館シンポジウム」が開催され
社(当時の名称)の施設の一部を校舎として使用して
た。その主たる内容は、各学科主任と学生代表による
いたため、図書館はおろか図書室すら存在しなかった。
意見発表、質疑応答であり、そこで出された提案に基
翌 39 年、校舎が現在地に移転し、管理棟の一室に図
づき、翌年発行の「図書館だより」には、各教科担当
書室が設置された。現図書館の竣工は昭和 47 年 3 月、
教員から出された「学習参考図書一覧」が掲載された。
開館は同年 9 月であり、図書館の誕生まで創立からほ
このように「図書館だより」が有機的に機能していた
ぼ 10 年かかったことになる。
ことがわかる。
昭和 40 年 4 月教務委員会の中に置かれた図書小委
この 40 年間において最も重要な改革は、図書館業
員会が図書館の運営を担当し、校長任命の室長、教務
務の電算化である。増加する図書・文献の管理運用と
主事補、各専門学科 1 名、一般学科 2 名(文科系 1、
その有効利用、サービスの向上のために電算機導入が
理科系 1)が同委員会の構成メンバーであった。5 年後、
必要となった。平成元年度の図書委員会において図書
図書委員会が設置され、委員は各専門学科 1 名、一般
館電算化計画が検討され、平成 2 年 2 月に「豊田工業
学科 2 名、委員長は委員の互選によって決められた。
高等専門学校図書館電算化計画」が提案され了承され
図書館長制度が発足した昭和 50 年度から図書館長が
たが、計画の実行は遅々として進まなかった。しかし、
同委員会委員長を務め、幹事を昭和 44 年に設けられ
野澤繁之図書館長(平成 7 年度〜平成 9 年度)の尽力
た図書係(現図書・情報係)が担当している。図書館
のおかげで平成 7 年度末にワークステーションが 3 台、
に関する事務は、昭和 38 年度教務係、昭和 41 年度庶
パソコンが 2 台が必要なソフトウェアとともに図書館
務課四係、昭和 44 年度庶務課図書係、昭和 45 年度学
に設置され、翌年 7 月 SINET 回線を通じて学術情報
生課一係、昭和 53 年度庶務課図書係、そして平成 20
センターとの接続が完成した。その後、平成 10 年度
年度より学生課図書・情報係が担当し、現在に至って
に蔵書約 8 万件のデータベースが完成し、パソコンで
いる。
の検索が可能になった。また、バーコードシステムに
よる図書貸出の簡易化、ブック・ディテクションシス
テムの導入等、さらに図書館の情報化が進んだ。
旧新着図書棚
図書館とその利用者(主に本校学生)を結ぶ小冊子
「図書館だより」第 1 号が発行されたのは、昭和 57 年
238
新着図書棚
第 5 章 図書館
①図書館ガイダンス:『豊田高専 30 年史』にも「新入
第 2 節 新たな 10 年
生オリエンテーション」の記載があるが、現在行われ
ている内容は、指導教員の引率の下、各学科の新入生
第 1 節でも少し触れたが、庶務課所属であった図書
が図書館に来て、係員から利用等について説明を受け、
係が平成 20 年度より学生課の所属となり、名称も「図
その後 1 階の書庫も含めた館内見学をするというもの
書・情報係」と変更になった。係名の変更に伴い、従
である。平成 23 年度までは 4 月中旬までに実施して
来の図書館業務に加えて以下の業務を分掌することと
いたが、4 月のオリエンテーション行事のスケジュー
なった。
ルが過密なため、24 年度から 5 月以降に行うことと
・事務処理に係る電子計算機の利用に関する総括及び
なった。
連絡調整に関すること
②ブックハンティング:平成 17 年度より実施されて
・事務情報化に係る諸規則に関すること
いる行事で、本科各クラスの図書委員が図書館長、図
・事務情報化に係る企画及び研修に関すること
書・紀要委員の教員、図書・情報係員とともにスクー
・事務情報化に係るシステムの導入及び運用等支援に
ルバスで名古屋の書店に行き、クラスの希望図書を実
関すること
際に探すという形式をとっている。学生が選定した図
・事務情報化に係るセキュリティ対策に関すること
書を図書・情報係で重複チェックを行った上で、仮納
・事務情報化に係るネットワークに関すること
品されたものを実際に見て、図書館長が購入の可否を
・所掌事務に関する調査、統計及び報告に関すること
決める。
・その他図書館資料の整理、運用及び事務情報化の推
③読書マラソン:読書意欲向上のため、平成 20 年度
進に関すること
より導入された。「5 年間で 100 冊の本」を目標に読
事務分掌増にもかかわらず、係員の増員はないため、
書力をつけさせようという企画である。平成 21 年度
他の部署でも同様であろうが、係員一人当たりの業務
からポイント(1 冊の読書で 1 ポイント、ただし、読
増となっていることは明らかである。本校図書館の情
んだ本すべてについて簡単な感想を書く)を景品(図
報化はさらに進み、長岡技術科学大学附属図書館が中
書カード)に換えやすくし、20、50、100 ポイントに
心となって形成した長岡技科大・高専統合図書館シス
達した際に贈呈している。
テムおよび電子ジャーナルデータベースコンソーシア
ムに参加により、インターネットからの蔵書検索
(OPAC)、学内 LAN からの学術雑誌の利用が可能で
ある。
多読用英文図書
図書館の新たな 10 年を特色づけるものとして、多
読用英文図書の導入と充実が挙げられる。英文多読と
カウンター業務
次に学生を対象とした図書館行事について紹介した
いと思う。
は、長い英文を細かな分析をせず、大意を把握してた
くさん読むことであり、英語教育の手法の 1 つである。
英文多読指導は英語科教員個人による担当科目内での
実施、あるいは学科単位での実施はあったが、平成
239
第 3 編 部 門 編
15 年度、教育改善推進室の主導により学校全体の協
力の下、英語教育改善策の 1 つとして導入されること
となった。同年度の教育プロジェクト経費により購入
した約 1,800 冊の多読用教材を館内の専用図書コー
ナーに配架し、その後、教育プロジェクト経費、科研
費、教育 GP 経費等での購入が続けられ、現在 30,000
冊を超えるまでになった。これは、本校図書館の蔵書
数の 4 分の 1 弱である。多読用英文図書コーナーの設
置が順調にできたのは、事前の図書のレベル別のラベ
ル貼りなど、図書係員、学生アルバイトの多大なる協
力のおかげであることは言うまでもない。
絵本コーナー
第 3 節 回 想
図書館業務電算化の思い出
元図書館長(情報工学科名誉教授)
野澤 繁之
図書館業務は、「情報の蓄積と検索」が重要な仕事で、コ
ンピュータの最も得意とする分野である。豊田高専でも早
くから、「図書業務の電算化」が叫ばれていた。歴代の図書
館長が、折ある毎に電算化の必要性を説いていたが、具体
多聴用 CD
多読の導入により年間貸出冊数が増加し、他高専の
4 倍程度にまでなった。また本校図書館は定常的に授
業(多読授業)で使用されたり、一般向け講座が行わ
的な作業は殆ど行われず、一向に進まなかった。
私は、平成 7 年 4 月に図書館長に任命された。この時の
校長は 6 代目の鬼頭幸生先生であった。先生は言われた。
「大
至急、図書館の蔵書目録データを作れ。立派なものを作ろ
うと思うな。①書名、②著者名、③発行所、④登録番号の
れるなど、学内にも学外にも開かれた図書館と言える
4 つ位でよい。あらゆる利用可能な人員とパソコンを使っ
であろう。
て短期間で完成せよ」。校長命令であったが、私は納得でき
将来、図書館の増築が可能であるならば、閲覧席以
なかった。当時既に「学術情報センター」が「NACCIS_
外に講義・演習室やグループ学習のための空間等を兼
OPAC」という公共利用の為の蔵書目録を、「SINET」と称
ね備えた総合的な「学習の場」を設け、利用者にとっ
て魅力のある図書館にできればと思う。
するネットワークを通して全国の大学図書館等にサービス
を提供していた。これを利用すれば、標準の蔵書データベー
スを、比較的容易に構築することができるからである。た
だし、このサービスを受けるためには、それなりの準備と
設備が必要であった。
「簡単でよいから、早く蔵書目録を作っ
てしまえ!」「本校独自のものでは駄目です。結局二度手間
になります」この議論の繰り返しが続き、二人の間には次
第に険悪な空気が漂った。
解決法を模索している間にチャンスが訪れた。専攻科の
完成である。完成を機会に豊田高専全体のネットワークシ
ステムを整備するという。この仕事の担当者が情報科の岡
部教授であった。私は事情を話し、ネットワーク構築の中
カウンター前
240
に図書館業務遂行に必要な部分を組み込んでいただけない
第 5 章 図書館
かと懇願し、快諾を得た。かくして平成 7 年度末に業務遂
形が展示されていた。このからくり人形は僕が入学して 5
行に必要な設備一式が図書館に設置され、平成 8 年 7 月、
年間ずっと動いているところを見たことがないばかりか、
SINET 回線を通じて学術情報センターとの接続が完成し
いつの間にか見るも無残な半壊状態になっていた。過去に
た。翌 8 月より OPAC 形式のデータベース構築作業が始まっ
は動いたことがあるのだろうか。
た。この作業には、図書館要員の青木さん、鈴木さん、大
また、僕は 3 年間、事務補佐員として図書館で働く機会
原さん達だけでは間に合わず、臨時雇いの職員数人の助力
があった。寮から通えることがとても便利に思えて面接を
を得た。協力して下さった、吉金さん、杉本さん、吉田さん、
受け、運良く採用された、が、当てにしていた学寮を追い
栄さん、加納さん、若杉さん等の顔が目に浮かぶ。
出され、しかも土曜日にもシフトを入れたこともあり、来
平成 9 年度中に約 6 万件のデータを入力、貸出業務開始
年は絶対にやらないと心に誓って一年、何を間違えたか 4
にまでこぎ着けた。更に、翌 10 年 1 月末には、運良く約
年で入寮が決定し、また一年間バイトを続けるも 5 年はさ
1000 万円の国費を獲得、「入退館システム」および「ブッ
すがに編入やら卒研やら忙しいだろうなと今度も固く心に
クディクテイション」システムまで導入することができた。
誓って、断った途端に人が足りない旨の連絡を受け、なん
これにより豊田高専の図書館業務システムは、一躍全国
高専の最右翼の地位を獲得した、と自負している。定年退
だかんだと 3 年間働いてしまった。
僕が働いていた 3 年間は、ただ図書館を利用していた時
官直前まで私はこれらの作業に奔走した。図書館長として、
と違って、多くのことがあった 3 年間だった。その中でも
わずか 3 年間であったが、私は極めて密度の高い仕事がで
一番大変だったことは多読図書関係である。正確な冊数は
きたと思い、今も満足している。
分からないが、3 年間で、多読のために棚を十ほど増築し
たと思う。図書館での仕事はまさに多読図書との戦いだっ
た。しかし、せっかく導入された多読図書もあまり学生に
高専生活と図書館
情報工学科 平成 22 年卒業 小林 曜
豊田高専に入学したのは 2006 年。入学式の日、桜並木は
満開でこれからの高専生活に期待と不安だった 4 月、僕と
図書館との生活もまた同時に始まった。初めて図書館に足
利用されることはなく、もっぱら一般利用のおばさまたち
が多く借りていったことを覚えている。
最後に、もし豊田高専を訪れる機会があったら図書館に
も寄ってほしいと思う。きっと懐かしい学生時代の雰囲気
を感じ取ることができるだろう。
を踏み入れたのは、他の多くの人と同じくガイダンスの時
だった。英語多読図書もまだ少なく雑誌の閲覧スペースが
今よりもゆったりとしていたと記憶している。それでもそ
の当時は多読図書の多さに少し驚きを感じた。
そこで図書館の使い方を教えてもらい、図書館の利用カー
ドが発行されると部活動にまだ入ってなかった僕はよく本
を読むようになり、図書館にいる時間が多くなった。
テストが近づくと図書館で本を読まずに勉強した。テス
トが近づくと多くの学生で賑わっていたことは、きっと豊
田高専の創立当初からずっと続いてきたことであると思う。
この図書館での思い出は、本を読むことや、勉強をした
ことだけではない。寮を出て通学していた 3 年生の時は、
朝早く登校して一階ロビーの自動販売機でコーヒーを買っ
て一息入れてから授業に臨んでいた。しかし、この自動販
売機は飲み物が溢れることがあり、カップに申し訳程度に
しか入っていないコーヒーを前に悲しい気持ちになったこ
ともあるが、今ではそれもいい思い出である。また、ロビー
には多くの盾やトロフィー、賞状などが飾られており、講
堂の前にはピアノが、そして閉架書庫の前にはからくり人
241
第 3 編 部 門 編
第 6 章 マルチメディア情報教育センター
「本校における情報処理教育とは、一般技術者の教
公開講座では、パソコン(MS-DOS)講座、ワープロ
養として情報処理の考え方と技術を身につけさせるこ
(OASYS)講座、インターネット講座、オフィス(Word/
とである」という教育理念のもと、創立 10 周年にあ
Excel)、 組 み 立 て パ ソ コ ン(WindowsXP) 講 座、
たる昭和 48 年に電子計算機室として設置され、富士
Windows7 とネットワーク(有線・無線 LAN)講座、
通の電子計算機である FACOM230-25 が導入された。
およびセキュリティ講座などを行ってきた。
そして、昭和 53 年には、データステーションと改名
した。
そこで、パソコン、サーバ、および学内と学外のネッ
トワークの変遷を写真とともに 10 年を振り返る。
昭和 60 年には、富士通の FACOM M-140F に更新
され、TSS で処理が向上し、同時に名古屋大学大型
計算機センターと回線速度が 4800bps の特定回線で
接続して、名古屋大学の大型計算機が利用できるよう
になった。
平成元年には、富士通の FACOM M-730/4A が導
入され、日本語処理が可能になり、演習用パソコンと
して、富士通の FMR-50FX が 40 台設置され、情報処
理教育が可能になった。
2012 年の校内情報処理インフラストラクチャー
第 1 節 パソコンの変遷
パソコンは、ここ 20 年で飛躍的に進歩し、ハード
ウェアや OS が多様に変遷している。
平成 5 年には、ネットワークに接続が可能なパソコ
平成元年の 1 階計算機室の FACOM M-730/4A
ンとして、富士通の FMR-50HE3 を導入した。
OS:MS-DOS3.1 CPU:Intel i386SX 20MHz
さらに、名古屋大学の大型計算機と UNIX システ
MEM:1MB HDD:120MB LAN:10Base-2
ムを接続するために、回線速度 9600bps の専用回線
で接続し、学術組織ネットワーク(JUNET)やその
後の学術情報ネットワーク(SINET)が利用できる
ようになった。
平成 9 年には、現在のマルチメディア情報教育セン
ターに改名し、学内の基幹ネットワークが完成した。
そして、当センターでは、世の中の技術の進歩に合
せてパソコン、サーバ、学内ネットワークの更新、お
よびインターネット接続などを行ってきた。さらに、
242
平成 5 年のパソコン演習室
第 6 章 マルチメディア情報教育センター
平成 10 年には、WindowsNT パソコンとして、富
MEM:1GB HDD:80GB LAN:1000Base-T
士通の FMV-5133D7 を導入した。
OS:WindowsNT4.0 Workstation
CPU:Intel Pentium 133MHz
MEM:64MB HDD: 1.6GB LAN:100Base-TX
平成 14 年には、Windows2000 パソコンとして、富
士通の FMV-6600DX4e を導入した。
OS: Windows2000 Professional
CPU:Intel PentiumIII 600MHz
MEM:256MB HDD:10GB LAN:100Base-TX
平成 10 年の第 1 演習室
平成 20 年の第 1 演習室
平成 20 年の第 2 演習室
平成 23 年には、演習室の環境を改善するために、
机を更新し、ワイド画面の HDMI 対応プロジェクタ
とスクリーンを左右に設置した。さらに、一体型のパ
ソコンとして Lenovo ThinkCenter A70z と起動時に
Windows7 と WindowsXP の OS イメージを選択でき
るネットブート対応のサーバを導入した。
OS:Windows7 Professional、XP Professional
平成 15 年まで利用していた 2 階の第 2 演習室
CPU:Intel Core2Duo E7600 3.06GHz
MEM:4GB HDD:320GB LAN:1000Base-T
この第 2 演習室は、パソコンが横長 2 列に並んでい
る構成で演習などに問題があるため、年度末にパソコ
ンを 1 階のサーバ室に移動し、旧第 2 演習室の半分を
サーバ室として改修した。
平成 20 年には、教師用の画面を提示するための中
間ディスプレィを設置した WindowsXP と Linux の
マ ル チ ブ ー ト の パ ソ コ ン と し て、 富 士 通 の FMV
ESPRIMO C5200 を導入した。
OS:WindowsX Professional、Linux(CentOS)
CPU:Intel CeleronD330 2.66GHz
平成 23 年に環境を改善した第 1 演習室
243
第 3 編 部 門 編
ワークステーション S-4/20
平成 23 年にレイアウトを更新した第 2 演習室
平成 13 年には、ワークステーションとして、富士
通 の GP7000(Solaris)と GP400S(Solaris)を導入
した。
ネットブート対応のパソコン用サーバ
第 2 節 サーバの変遷
ワークステーションの GP7000 と GP400S
平成 15 年には、ネットワークのサーバ機として
サーバは、科学技術用のワークステーションから
ネットワーク専用のサーバ、さらに最近では仮想化用
サーバへと変遷している。
平成 5 年には、ワークステーションとして、富士通
S-4/10 を導入した。
Sun Netra X1、富士通 PRIMERGY を導入した。
○ Sun Netra X1 OS: Solaris8
CPU: UltraSPARC Ⅱ e 500MHz MEM: 128MB
HDD: 40GB LAN: 100Base-T
○富士通 PRIMERGY L100
OS: Solaris2.5
OS: RedHat Linux7.2、Windows 2000 Server
CPU: SuperSPARC 50MHz MEM: 64MB
CPU: Intel Pentium Ⅲ 1.26GHz MEM: 256MB
HDD: 1.05GB LAN:10Base-5
HDD: 80GB(RAID1) LAN: 100Base-T
平成 9 年には、ワークステーションとして、富士通
このころのサーバ機は、ラック搭載の薄型で省ス
の S-4/20 を導入した。
OS: Solaris2.6
CPU: HyperSPARC 125MHz MEM:128MB
HDD: 1.05GB LAN: 光ファイバー(100Mbps)
244
ペースになったため、2 階の第 2 演習室を 1 階に、1
階の旧電子計算機室を 2 階の北側にサーバ室とした。
第 6 章 マルチメディア情報教育センター
平 成 23 年 度 末 に は、 新 し い サ ー バ 機 と し て は、
VMwareESX を利用した仮想化を実現しており、外
部用サーバ、内部用サーバ、管理用サーバの 3 台で全
てのサーバ機能を実現している。
○ HP ProliantG7
OS: CentOS(32/64bit)
、Windows Server 2008
CPU: Intel Xeon E5620(2.40GHz) MEM: 6GB
HDD: 450GBx2、x4(RAID1) LAN: 1000Base-T
ファイアーウォールとサーバ、専用回線モデム
平 成 19 年 度 末 に フ ァ イ ア ー ウ ォ ー ル、 サ ー バ、
SPAM 対策装置を更新している。
○ HP ProliantG5
OS: SuSE Linux9、Windows Server 2003
CPU: Intel Xeon 3040 1.86GHz MEM:2GB
VMware の仮想化サーバと NAS
HDD: 72GB、146GB(RAID1)LAN: 1000Base-T
また、全国の高専で統一したセキュリティを確保す
るための UTM 装置として、高専機構が一括入札で導
入し、ファイアーウォールやアンチウイルス、コンテ
ンツフィルタなどのセキュリティを確保した。
ファイアーウォールとサーバ、SPAM 対策装置
電子メールは、仕事にも必須になっていて、それに
高専機構で一括入札したファイアーウォール
さらに、高専で統一した認証を行うために認証サー
伴 い 迷 惑(SPAM) メ ー ル も 増 え て い る。 そ こ で、
バを設置し、今後、学術認証を利用した認証に対応で
SPAM 対策として専用機を導入することで、月間約
きる環境を構築した。
20 万通のメールの内、約 75% を受信拒否、約 13% を
迷惑メール、残りの約 12% を正常なメールと判定し
ている。
高専機構の認証サーバと UPS
電子メールの SPAM 対策用アプライアンス
245
第 3 編 部 門 編
第 3 節 学内ネットワークの変遷
学内ネットワークは、平成元年から情報工学科のみ
で 10Base-2/5 の小規模 LAN を開始し、その後、平
成 4 年にイエローケーブル(10Base-5)を敷設した。
平成 9 年には、学内の建物間を光ファイバーで接続
した ATM(155Mbps)ネットワークを構築した。
センタースイッチと 1Gbps の光ファイバー
ギガビット・ネットワークでは、各学科内でトラ
フィックをまとめるため、センター、5 学科と一般学
科、専攻科の 8 か所にフロントスイッチを配置し、光
ファーバーで接続した。また、図書館や福利厚生会館、
機械系の実習工場や流体熱工学実験棟などは、メディ
平成 9 年の学内 ATM ネットワーク構成図
アコンバータで管轄するセンターや学科に接続した。
平成 15 年には、建物間を光ファイバー 1Gbps の 2
本で接続し、各学科でネットワークを独立させたギガ
ビット・ネットワークを構築した。
フロントスイッチとメディアコンバータ
エッジスイッチでは、100Mbps を確保するために
フロントスイッチに 1Gbps のトランク接続を行った。
CISCO 製のエッジスイッチ
平成 15 年の学内ギガビット・ネットワーク構成図
平成 24 年には、建物間の光ファイバーを更新し、
10Gbps の 2 本による接続と末端まで 1000Base-T が
CISCO 製のセンタースイッチでは、1Gbps 回線の
ネットワークと制御装置、電源の二重化を行った。
接続できる新しいギガビット・ネットワークを構築し
た。また、旧 1Gbps の光ファイバーは、バックアッ
プ回線として活用する予定である。
246
第 6 章 マルチメディア情報教育センター
アーウォール Paloalto を導入し、また新寮が増設され
たため、ID とパスワードによる認証装置 FEREC720、
MAC アドレスの検出と許可・拒否が行える iNetSec
を設置した。さらに、新しいアクセスポイントに対応
できるスイッチ、1000Mbps 対応の高速なメディアコ
ンバータに交換している。
寮の Paloalto と FEREC720,iNetSec の装置
10Gbps 対応のセンタースイッチと光ファイバー
第 4 節 学外ネットワークの変遷
更新した HP 製のフロントスイッチは、光ファイ
バーのモジュールが最大 4 個実装できるため、今後の
拡張で 40Gbps までの帯域が確保できる。
学外ネットワークは、平成元年から、情報工学科を
中心に専用回線で名古屋大学に 9600bps で接続し、帯
域制限装置で多重化することで大型計算機と電子メー
ルが同時に利用できるようになった。
更新した HP 製のフロントスイッチ
また、
更新した HP 製のエッジスイッチは、
1000Base-T
で接続でき、ライフタイム保障の製品のため利用して
いる間の保守が可能である。
帯域制限装置
その後は、学内のネットワークが敷設されたため、
平 成 5 年 に は、64Kbps、 平 成 7 年 に は、128Kbps、
平 成 9 年 に は、384Kbps、 平 成 11 年 に は、1.5Mbps
更新した HP 製のエッジスイッチ
に高速化していった。
学寮のネットワークは、平成 19 年に立志寮から各
寮間を光ファイバーと 100Mbps のメディアコンバー
タで接続し、各フロアに無線 LAN のアクセスポイン
トを設置した。また、学生のパソコンは、各アクセス
ポイントに MAC アドレスを登録することで、利用を
許可していた。そこで、平成 21 年度には、PC のマネー
専用回線のターミナルアダプタ
ジャに MAC アドレスを登録して、接続するパソコン
を制限する装置 L2Blocker に変更した。
平成 24 年度には、ネットワーク利用の時間制限な
どを行っていた装置が故障したため、新しくファイ
平成 14 年からひまわりネットの CATV と契約し、
その後、バックアップ回線としてインターネット接続
用の 10Mbps から 160Mbps に更新した。
247
第 3 編 部 門 編
高専機構に接続する NTT B フレッツ光回線
さらに、在外研究などで、海外に長期に出張する場
CATV のセットップボックス
合、外部から学内のグループウェアなどにアクセスす
るための VPN 装置 Juniper MAG 2600 を設置した。
また、転送速度の高速化と回線費用の削減のため、
平成 20 年に KDDI の 10Mbps 回線に切り替えた。
平成 21 年には、インターネットの複線化のため、
マ ル チ ホ ー ミ ン グ の 装 置 で あ る 富 士 通 の IPCOM
EX1200 NW を導入し、NTT B フレッツとひまわり
ネットワークの 3 回線に接続した。
複線化のためのマルチホーミング装置
VPN 装置 Juniper MAG 2600 の管理画面
平成 24 年の現時点では、当センターからインター
ネット用に 3 本のネットワークと高専機構へのネット
ワークで接続され、学外向けや学内向けで利用する
サーバは、3 台の仮想化したサーバで運用されている。
インターネットに接続する NTT B フレッツ光回線
平成 22 年には、インターネットの高速化と費用の
低減のため、NTT 光エンタープライズ回線 1Gbps で
大阪の SINET に接続した。
最新のセンター管理のシステム構成図
SINET に接続する NTT 光エンタープライズ回線
このようにパソコン、サーバ、およびネットワーク
また、平成 23 年には、高専機構と全国の高専と
の技術は、最近の 10 年で飛躍的に進歩しており、今
NTT B フレッツで直接接続する高専間広域ネット
後も最新のネットワーク環境を構築・管理するために
ワークのために専用ルータ Juniper SRX100 を予備も
は、ネットワーク技術者の養成が必要である。
含めて 2 台設置した。
248
第 7 章 地域共同テクノセンター
第 7 章 地域共同テクノセンター
ンター前において平井名古屋工事事務所長、鈴木豊田
第 1 節 設立までの経過と現在
市長、渡辺豊田商工会議所会頭、高木不折校長(当時)、
橋本正俊地域共同テクノセンター長(当時)、専攻科
1.設立の経緯
平成 11 年度から本格的に取り組みが開始された産
学生代表電子機械工学専攻神谷奈美さん(当時)によ
るテープカットが行われた(写真)。
学連携活動では、地域社会の発展と本校の教育・研究
活動の活性化を目指して、以下のような点について取
り組みが行われた。
2.地域共同テクノセンターの概要
地域共同テクノセンターは、前述したように、地域
・地域企業との共同研究や受託研究の推進
企業の技術者、近隣の大学・研究機関等の研究者と本
・技術セミナー、技術交流会、研究施設見学等の開催
校教員との産学官共同研究、技術開発の推進および地
・技術相談や技術協力の推進
域産業の振興に寄与するとともに、本校の教育・研究
・学内共同および学際的研究の推進
の充実発展に資することを目的に設置された。設立当
・技術教育および技術研修の推進
初より、地域共同テクノセンターには「地域交流部門」、
・地域連携組織の充実
「共同研究部門」および「技術教育研究部門」の 3 部
・高専研究者ネットワークの充実
門があり、地域の産学官連携の中核的役割を担うとと
・学術情報の交換と提供
もに、それぞれ「技術相談・技術協力」、「共同研究・
これらの事業をより効率的に推進するための組織の
中心に「地域共同テクノセンター」を設置することが
求められ、平成 14 年度補正予算により、平成 15 年に
受託研究」および「学術情報の交換、技術教育・研修」
等の拠点として広く利用されている。
また現在では、設立当初には構想段階であった「テ
ものづくりセンター前庭に「地域共同テクノセンター」
クノコンプレックス」が、平成 16 年度より地域共同
が開設された(写真)。
テクノセンターを中心として、材料・構造物疲労試験
センター、ものづくりセンター(機械実習工場)、専
攻科(教育・研究施設)棟を含んで形成されており、
地域社会との連携の拠点となっている。
地域共同テクノセンター全景
同年 7 月 1 日(火)に開所式が催され、式典は平井
精一文部科学省大臣官房文教施設部名古屋工事事務所
長(当時)、鈴木公平豊田市長(当時)、渡辺祥二豊田
商工会議所会頭(当時)をはじめ、80 名余の参加を
得て盛大に執り行われた。式典では地域共同テクノセ
地域共同テクノセンター開所式
249
第 3 編 部 門 編
3.地域共同テクノセンターの施設・設備
地域共同テクノセンターの施設としては、1 階に研
究ラボ(A)、精密測定室、技術研修相談室および交
流サロン・管理室があり、2 階に研究ラボ(B)と(C)、
ている人材育成事業である。
② 豊田市ものづくり人材育成事業「製造技術者育成
プログラム」
豊田市は「豊田市産業振興策」に基づく政策として
物性測定室および技術セミナー室がある。研究ラボ
「産業を支える人づくり」を掲げ、人材育成に取り組
(A)~(C)は、共同研究の進展に伴う新たな設備を
んできている。「製造技術者育成プログラム」は、豊
設置するため、あるいは共同研究を行うためのオープ
田高専、豊田商工会議所および豊田市が市内中小企業
ンスペースである。研究ラボ(A)には、当初は専攻
の製造現場にいる若手技術者を対象に「基礎・実践技
科電子機械工学専攻の特別実験用ミニカー組み立て
術講座」を開講し、そのスキルアップを図るものであ
キット(現在、このミニカーは専攻科棟入り口ロビー
る。この事業は、本校にとって経済産業省による委託
に置かれ、実際の組み立て作業はものづくり工房にて
事業「自動車部品製造における中小企業製造技術者育
行われている。)が置かれていたが、現在は後述する「も
成」プログラム(平成 18 年度~平成 20 年度)を自立
のづくり一気通観エンジニアの養成」プロジェクトに
化したものと位置づけられる。
関わるロボット設備が置かれている。また、精密測定
③ 中小企業庁「ものづくり担い手育成プログラム」
室には「三次元座標測定システム」ならびに「走査型
十分な人材育成を行う余裕のない中小企業や失業者
電子顕微鏡(SEM)・エネルギー分散型 X 線分析装置
の雇用確保を目指して豊田商工会議所を受託機関とし
(EDS)」が設置されている。研究ラボ(B)、(C)お
て、豊田高専が協力する形で地域の求職者や中小企業
よび物性測定室にはそれぞれ「ハイスピードビデオカ
の従業員を対象に、平成 23 年度より「基礎・実用機
メラシステム」、
「三次元画像処理システム」および「ガ
械製図」の講座を開講している。
スクロマトグラフ質量分析計」が設置されている。こ
れら以外の測定装置等は、「ものづくり一気通観エン
ジニアの養成」プロジェクトの進行に伴い部屋が手狭
5.共同研究等の状況 上述以外の産学官連携に関連した活動について以下
になったため、現在、一部を隣接する「ものづくりセ
に触れる。
ンター」内の精密測定室に移設した(平成 23 年度)。
① 企業との共同研究に関する過去 3 年間の実績は、
以下の通りである。
4.現在の活動
地域共同テクノセンターでは、地域企業、大学・高
専、行政機関・商工会議所等との連携を図り、ネット
ワーク化に努めている。東海・北陸地区 9 高専の連携
を会議の主題に据えたテクノセンター長会議や各種催
し物への参加・出展等にその成果を見ることができる。
また、平成 23 年度現在において、地域共同テクノ
平成 20 年度:19 件、平成 21 年度:24 件、平成 22
年度:24 件
② 特許申請についても過去 3 年間の実績は、以下の
通りである。
平成 20 年度:1 件、平成 21 年度:3 件、平成 22 年
度:1 件
また、「知的財産権関連のセミナー」を年 1 回程度
センターでは幾つかのプロジェクトが進行中である。
実施し、教員の研究成果の特許化等について啓蒙活動
それらについて紹介する。
を行っている。
① 文部科学省「ものづくり一気通観エンジニアの養
成」
本プログラムは、文部科学省科学技術振興調整費「地
第 2 節 「ものづくり一気通観エンジニア」
の養成
域再生人材創出拠点の形成」事業(平成 21 年度~平
成 25 年度)として、豊田高専(実施機関)、豊田市(連
携自治体)および地域企業の産学官が連携して実施し
250
1.プロジェクトの経緯
「一気通観エンジニア」とは聞き慣れない言葉であ
第 7 章 地域共同テクノセンター
るが、企業における新規のものづくりプロジェクトに
製造現場における課題、企業技術者による実践的な講
おいて、商品・製品化の構想・企画段階から最終工程
義、企業技術研修、大学教員等による講義など多方面
の出荷に至る一連のプロセスを全体的に見通し、最適
の協力を得て、
「工学と実学」のバランスのとれた「も
な競争力(製品機能・コスト・開発期間等)の実現に
のづくり一気通観エンジニア」の共同教育(CO-OP)
的確な技術マネジメント力
(Management of Technology)
を実施し、地域の活性化を牽引する人材の育成を目指
を発揮できる「創造力豊かなリーダー」のことを意味
している。
する造語である。平成 20 年度に文部科学省の科学技
術振興調整費「地域再生人材創出拠点の形成」に応募
2.プロジェクトの現在
した「ものづくり一気通観エンジニアの養成プログラ
このプログラムでは、現在企業で働く若手技術者と
ム」でこの言葉は初めて使われたのだが、この計画が
豊田高専専攻科学生がチームを組み、共通プロジェク
採択されて平成 21 年度から 25 年度までの 5 か年計画
トによる開発的ものづくりの実践的課題に挑戦すると
で養成プログラムが実施されてきている。
いう意欲的な内容の養成カリキュラムを編成してい
豊田市はものづくりに特化した産業構造を有し、自
る。養成カリキュラムの構成を図に示す。ここで目指
動車産業を中心とした製造業がこの地域の経済社会を
している課題は以下の通りである。
支える基盤となっている。しかし、団塊の世代に属す
☆工学・実学一体の実践的な育成:
るベテラン技術者・技能者の退職は、技術の伝承と次
創造的なものづくりに必須な工学知識と実践技術
世代を支える技術者不足という形で課題を提起してき
力、新技術分野への複眼的な視野を育成するとともに、
ている。これを克服するためには、産業のニーズにあっ
ものづくり実践課題研究により「ものづくりの一貫工
た人材の安定的供給と継続的な育成が必要とされ、そ
程の実践」を通して、技術マネジメント力、課題解決
れを実現するシステムの一助として「ものづくり一気
力等を育成する。
通観エンジニアの養成プログラム」がスタートした。
☆企業技術者と学生の共同育成:
本プログラムでは、地域企業における意欲的な若手
企業技術者と専攻科学生がチームを編成し、ともに
技術者と豊田高専専攻科学生を対象に、地域企業、近
効率的なシステム開発課題に取り組むことにより(図
隣大学、愛知県、豊田市など地域の「産学官」が連携
参照)、分野の異なる技術者とのチームワークの重要
し、「ものづくり人材創出拠点」の形成に向けて事業
さ、自己の役割の自覚、ものづくりを多面的に捉える
を進めており、地域企業からの人材育成のノウハウや
感性を身につけること。また、企業技術者の経験に基
養成カリキュラムの構成
251
第 3 編 部 門 編
づいた発想と専攻科学生のものにとらわれないアイデ
エンジニアの養成プログラム」の自立化について考慮
アの融合など共同作業による効果が期待できる。
すべき段階がきている。こうした中で平成 24 年 6 月
に「とよたイノベーションセンター」が豊田市、豊田
商工会議所および豊田高専の三者連携の元に創設され
た。「とよたイノベーションセンター」の役割として、
「①ものづくり人材育成」、「②技術相談・経営相談」
および「③新技術・新産業創出支援」が挙げられる(図
参照)。これらの役割の中で「ものづくり人材育成」は、
現在継続中の「ものづくり一気通観エンジニアの養成
プログラム」と「製造技術者育成プログラム」を通じ
た若手技術者の教育を核としており、養成プログラム
課題研究の取り組み風景
終了後の自立化を模索したものである。これらのプロ
グラムが終了した後にプロジェクトで培われた事業の
継続を図るものとしても位置づけられる。
製作課題のロボットによる組み付け
☆養成カリキュラムの構成:
養成カリキュラムは、図でも示したように、製品・
製造システム開発に取り組む「①ものづくり一気通
観実践課題研究」、先進ものづくり企業における実践
的な技術研修を実施する「②産学官技術研修」、工学
基礎や製造技術など次世代技術者に欠かせない実践演
習を行う「③ものづくり実践技術講座」、技術開発等
における的確な技術マネジメント力を育成する「④も
のづくり MOT(技術マネジメント)講座」および技
術者の素養を高めるための「⑤技術者マインドセミ
ナー」で構成され、2 年間にわたって毎週水曜日に実
施されている。
3.プロジェクトの今後
平成 25 年度をもって文部科学省の科学技術振興調
整費(現在は「科学技術戦略推進費」と改称)は打ち
切られる予定である。その後の「ものづくり一気通観
252
第 8 章 材料・構造物疲労試験センター
第 8 章 材料・構造物疲労試験センター
に記載されている。これにより、軸力を加えた冷間成
第 1 節 設立からの変遷
形角形鋼管柱の繰り返し載荷実験が可能になった。そ
のほか、高力ボルト摩擦接合部の繰返し引張り実験や、
1.大型疲労試験機の導入とセンターの設立
(昭和 52 年度から昭和 63 年度)
建築学科の工学実験として鉄筋コンクリート梁(以下、
RC梁)の載荷実験なども行われてきた。
材料・構造物疲労試験センターは、昭和 52 年度の
昭和 63 年度から平成 10 年度まで、建築学科 4 年生
特別設備費により、門型の油圧サーボ疲労試験機が建
の建築工学実験の中で、50 トン油圧サーボ疲労試験
築学科棟の西側に建屋の無い状態で設置されことから
機を利用してRC梁の曲げ試験を行っていた。
始まる。
この装置は当時、東海地区の教育研究機関としては、
初めてのものであった。
この実験は 9 月の 2 週間をかけて行ったが、1 週目
の準備が非常にたいへんであった。事前に作成した長
さ 3 mの実物大RC梁を試験機にセットするために試
昭和 53 年度に、この油圧サーボ疲労試験機の鉄骨
験機のクロスヘッドを適切な位置に移動しなければな
造平屋一部 2 階建の建屋が完成した。この建屋の構造
らない。このクロスヘッドは 40 ~ 50 本のボルトで固
設計は、建築学科宇野教官の指導のもと、学生の卒業
定されており、このボルトをはずしクロスヘッドの高
研究の一環として行われた。これにより、部材や小型
さをクレーンで調整し、再びボルトを固定するという
構造物の実物大実験ができるようになった。
作業だけでも 1 時間以上もかかった。高所作業でもあ
昭和 56 年度には、振動 3 軸圧縮試験機が建屋の北
側の 1 階の部屋に設置された。この装置は、当時大き
り、今思えばこの作業を学生が行うことには安全上で
問題があると思われる。
な話題となった「地震時の液状化現象」を解明するた
めに、特別研究として、地中から採取された土試料の
液状化試験に利用されていた。
そして、昭和 56 年 6 月に学内共同利用施設の一つ
として「材料・構造物疲労試験センター」が正式に発
足した。それに伴い、各学科による委員で構成された
運営委員会も開始された。
昭和 61 年度には、門型油圧サーボ疲労試験機に用
材料・構造物疲労試験センター(昭和 53 年頃)
いる梁用正負交番載荷装置を製作した。さらに、デー
タ処理装置を充実させて、実験中でのデータ解析が可
能になった。これらの装置を使って、建築・土木工学
科(現 環境都市工学科)の学内共同研究チームによっ
て、スパン 3.2 mの冷間成形角形鋼管の繰り返し載荷
実験が行われた。そこで得られた耐荷力やひずみ曲線
は、日本建築学会や土木学会などの論文集や研究紀要
等に発表された。
昭和 63 年度には、油圧サーボ疲労試験機の水平反
力装置が製作された。この詳細は『研究紀要』
(第 21 号)
門型油圧サーボ疲労試験機(昭和 53 年頃)
253
第 3 編 部 門 編
しかし、2 週目に実物大の RC 梁を実際に破壊する
実験はたいへん迫力があり、学生は非常に興味を持っ
て取り組んでいた。少しずつ荷重をかけてクラックが
発生する度にその位置を観察し、最終的には RC 梁が
ミシミシと音を立てながらゆっくりと壊れていく様子
は、多くの学生の記憶に残っていると思われる。
2.建屋の増設と油圧サーボ試験機の導入
(平成元年度から平成 11 年度)
振動 3 軸圧縮試験機(昭和 56 年頃)
平成 4 年度には、30tonf 油圧サーボ疲労試験機が門
型油圧サーボ疲労試験機の南隣に設置された。この装
置は、金属やコンクリートの試験片やそれらを用いた
構造物を対象にして、動的な繰返し荷重を加えた場合
の破壊現象を調べるのに使われた。この装置は主に、
土木工学科の共同研究チームにより、阪神大震災で倒
壊した鋼製橋脚の耐震補強のために、鋼製鋼管の繰返
し加力実験に利用された。
30tonf 油圧サーボ疲労試験機(平成 4 年頃)
平成 7 年度には南側の建屋が増築され、現在の材料・
構造物疲労試験センターの全体が完成された。増築さ
れた 1 階の部屋は、天井にクレーンが設置されたので、
重い鋼製橋脚試験体等の保管場所として使われ、2 階
はデータ処理作業やミーティング等に利用されてい
る。
3.振動台装置と動的載荷装置の導入
(平成 12 年度から平成 24 年度)
平成 12 年度に、門型油圧サーボ疲労試験機を廃棄
して、大型振動台装置と動的載荷装置が設置された。
これは、平成 8 年度に名古屋大学から赴任した 2 名の
建築学科構造系教員の強い要望によるものであった。
この二つの装置は精力的に活用され、平成 15 年に
木造 2 階建試験体の振動台実験(平成 15 年頃)
第 2 節 現在の設備と利用状況
は、地元の工務店等との共同研究で、右の写真のとお
り木造 2 階建試験体を振動台上に建てて、実物大の地
震波加振実験などが行われた。この試験体は 2 階床上
1.振動台装置
こ の 装 置 は、 振 動 台 の 大 き さ が 1.8m × 1.8m で、
に座ると、震度 7 の揺れを体験することができて、学
最大積載重量が 27.5kN の 1 方向の振動試験装置であ
校見学会(現オープンキャンパス)などでも大いに活
る。駆動方式は永久磁石式で、騒音が非常に少なくて
躍した。
メンテナンスがほとんど不要である。最大加速度は、
無負荷時に 1 G、19.6kN 積載時に 0.2 Gである。最大
変位振幅が両側で 150mm という制限はあるが、0.1
~ 50Hz までのサイン波や任意の地震波などをパソコ
254
第 8 章 材料・構造物疲労試験センター
ンの操作によって精度良く揺らすことができる。
が、1000 × 1500 × 1000(mm)である。
この装置は、産学共同研究や学生の卒業研究に利用
されるとともに、専攻科生を対象とした建築学計測実
験の主要な装置としても用いられている。
2.動的載荷試験装置
この装置は、機械・建築・土木の構造物の疲労試験、
載荷試験を目的とした油圧アクチュエータを備えた載
荷試験装置である。最大荷重は 25kN、最大ストロー
クは 250mm であり、パソコンから操作できる。制御
は変位制御であり、制御波形は正弦波・三角波・矩形
波・ユーザー定義波となっている。また、加力データ
など 8ch の収集したデータはリアルタイムにパソコン
動的載荷試験装置を用いた実験
上で確認できる。アクチュエータは載荷フレーム上
30cm 間隔で設置場所を変更でき、載荷フレームの梁
は 30cm 間隔で上下に設置位置を変更可能である。
この装置は卒業研究に利用されるとともに、建築学
科の学生を対象とした建築構造実験で用いられてい
る。この授業では、鉄骨梁の曲げ試験を行い、ひずみ
などを測定し理論値と比較している。
平成 15 年度以降は、地元の企業などの依頼で、制
振装置の性能確認試験を行っている。また、土塗り壁
二代目の油圧サーボ疲労試験装置(平成 24 年)
の耐力試験や耐震装置の開発などの研究にも使用して
いる。
3.油圧サーボ疲労試験装置
この装置は、平成 24 年 3 月末に二代目として納入
された。初代のサーボ疲労試験装置は平成 4 年度に設
置され、鋼製橋脚試験体の耐震補強実験装置として活
躍したが老朽化が進み、二代目にその機能を向上させ
た形で引き継がれた。
この装置はコンピュータ制御によって稼働し、既存
の円筒鋼製橋脚の試験体を 2 軸載荷実験により破壊で
きるように設計されている。
この装置の鉛直アクチュエータの最大荷重は、動的
で 300kN、静的で 450kN であり、最大ストロークは ± 100mm、最大載荷速度は 20mm/sec である。また、
水平アクチュエータの最大荷重は、動的で 200kN、静
的で 300kN であり、最大ストロークは± 100mm で
ある。なお、最大有効試験体寸法は、幅×長さ×高さ
255
第 3 編 部 門 編
第 9 章 ものづくりセンター
れている。
第 1 節 この 10 年間とセンターの改修
これらものづくりセンターにおける工作機械や工具
の利用者に対し、ものづくりセンター長の指揮のもと
「ものづくりセンター」は学内共同利用施設として、
でものづくりセンターを支援する技術職員が、安全で
平成 14 年 4 月に「実習工場」から名称変更した施設
楽しい「ものづくり」ができるように安全面や工作面
であり、主として機械工学科の実習等で利用される。
で適切な指導を行なっている。それに加えものづくり
実習ではその時々の社会の要請に即応した内容を取り
センター内の工作機械が常に支障なく稼動し加工でき
入れ、その改善に取り組んできた。現在では「メカト
るよう、工作機械のメンテナンスや工具管理等も行い
ロニクス実習(2 年)」や「創造総合実習(3 年)」に
ながら、各技術職員が技能を磨いている。
おいて CAD・CAM・DNC・LAN などのコンピュー
歴代ものづくりセンター長
タ援用実習や創造性を加味した「ものづくり教育」を
H14.4.1 ~ H17.3.31
機械工学科教授 橋本正俊
行っている。しかしながら限られた時間の中ですべて
H17.4.1 ~ H19.3.31
機械工学科教授 中島正貴
のことを扱うのは困難であり、自ら実習内容の精選が
H19.4.1 ~ H21.3.31
機械工学科教授 洞口 巌
H21.4.1 ~ H25.3.31
機械工学科教授 中島正貴
必要となる。こうした努力はカリキュラムの変遷の中
に実現されてきたが、同時に施設・環境・設備によっ
ものづくりセンターは、開校より 40 年以上小規模
て制約される場面がなかったとは言えない。また、教
な改修を行ないながら運用してきたが、平成 20 年度
育課程の中で実験・実習は仮想現実的実践として行わ
から 3 期にわけて全面改修工事が実施され、平成 23
れる傾向が強くなってきており、実際にモノに触れ、
年 3 月に竣工した。
動かしてみるといった実経験からは遠ざかる傾向にあ
・20 年度 1 期 H20.9.29 ~ H20.12.15
る。したがって、今後のありかたを考えるに当たって
・21 年度 2 期 H21.9.11 ~ H22.3.12
は、実践を重んじる高専教育の独自性を堅持しながら、
・22 年度 3 期 H22.7.29 ~ H22.11.5
こうした流れも加味しつつ、新しいものづくりセン
今回の全面改修により、これまでと比べ安全で快適
ターを構想することが必要である。
ものづくりセンターは工作実習や工学実験に利用さ
なものづくりができる環境が整えられたと考えられ
る。
れる一方、本科の卒業研究や専攻科での研究にも利用
整備された主な点を以下に挙げる。
される。さらに他学科の実習にも利用され、教育・研
・ものづくりセンター内の工作機械レイアウトを変
究に幅広く活用されている。
平成 18 年度からは、低学年の機械工学科以外の学
生を対象として「ものづくり」を学ぶことができる「も
更して、機能的に工作機械を配置した。
・東西棟の溶接室と機械加工室の壁を取り除き、機
械加工室の拡張を図った。
のづくりセミナー」を夏季休業中に開催している。毎
・南北棟の鍛造室と鋳造室ならびに、メカトロニク
年、夏季休業中にも関わらず、募集人数を大幅に上回
ス実習室の 3 部屋を 2 部屋にして、部屋の拡張を
る受講希望者が集まり、その選考に苦労している。ま
図った。
た、学校行事の一環としてオープンキャンパス時の施
・各実習室に天井を設置し、照明を低くして部屋を
設公開、ロボットコンテストに関わる部品製作、自動
明るくすると同時に一部の部屋に空調設備を設置
車部の部品製作、デザインコンテストの創作活動など
した。
にも対応しており、講義時間以外にも多くの学生が訪
256
・事務室をものづくりセンター東側 1 階に配置して、
第 9 章 ものづくりセンター
その 2 階に CAD・CAM 演習室を設置した。
改修と同時に機械の更新ならびに新規導入が行わ
れ、機械設備の充実が図られた。
そこで、ものづくりセンターでは、平成 18 年度か
らものづくりセミナーを実施している。これは本校全
学科の学生(1 ~ 3 年生)を対象として、ものづくり
センター内の工作機械等設備を使用して「ものづくり」
新規購入・更新機械一覧
更新 H21.3.24
旋盤 2 台 : アマダワシノ製 LR-55A
新規 H21.3.24
フライス盤 : 牧野フライス製 KE-55
更新 H22.3.25
マシニングセンター : オークマ製 MB=56VA
更新 H22.3.25
フライス盤 2 台 : 日立ビアエンジニアリング製
2MW-V
更新 H22.3.26
旋盤 7 台 : アマダマシンツール製 LR-55A
新規 H23.3.8
ワイヤ放電加工機 : ソディック製 AG400L-E
改修と機械設備の更新により、暗く汚いイメージの
「実習工場」から明るくきれいな「ものづくりセンター」
に生まれ変わり、親しみやすいものとなった。
今後この建屋および機械設備の維持管理は大変にな
ると思うが、より多くの利用者が、楽しくものづくり
に親しめるようにしていかなければならない。
を体験してもらおうというセミナーである。期間は夏
季休業期間中の 5 日間で、20 名程度を募集して行っ
ている。出席およびレポートの提出を通じ、課題研究
「乙」として 1 単位が認定される。
本セミナー参加学生のほとんどが、工作機械の知識
を持たない、あるいは加工に関する知識のない初心者
であるため、安全作業の励行をはかるために、初日に
は安全講習を行う。また、切削加工時に必要となる測
定器の扱い方等の実習も組込んである。2 日目以降は、
各種工作機械等の実習に入り、課題を製作する。
製作する課題は以下のもので、5 ~ 6 名の班に分け
て行なっている。
① 文鎮型ペン立ての製作
② 風鈴製作
③ 七宝焼の製作
④ 自転車パンク修理
文鎮型ペン立てを製作していく過程で , 旋盤作業、
フライス盤作業、ボール盤作業、形削盤作業、CAD/
CAM 作業、マシニングセンター作業を体験する。ま
た、風鈴製作を通して、鍛造作業、ボール盤作業を体
ものづくりセンター外観
験する。その他にも、七宝焼きで電気炉を扱い、自転
車パンク修理では、ハンマー、レンチ、タイヤレバー
等工具を使用して分解・修理・組立を行なう。
本セミナー終了後のアンケート結果(平成 23 年度)
では、「満足できた」と答えた学生が 73%、「概ね満
足できた」と答えた学生が 27%である。両回答で
100%となり、満足度の高いセミナーである。
改修後の機械加工室
第 2 節 ものづくりセミナー
本校ものづくりセンターは、機械工学科の学生が利
用する機会は多いが、それ以外の学科の学生の多くは
利用する機会がほとんどない。
ものづくりセミナー参加者
257
第 3 編 部 門 編
第 10 章 LL 教室
この 10 年間の LL 教室の変遷とそれ以前
意され、いわば簡易図書館としての機能を持つことと
なった。それとは別に、iMac の様々な機能を活用し
平成 24 年現在、LL 教室は iMac を 48 台導入して
て講読等の授業を展開することとなった。
のいわばパソコン室の機能を中心とした語学教室と
授業以外での活用としては、公開講座での iMac 利
なっている。これは平成 21 年 4 月からの運用による
用、こうよう祭での視聴覚教室としての活用、その他、
もので、当時は既存の LL システムディスクを代用し
演劇部の活動場所ともなっている。
たものであった。そのためライティングスペースがと
また、ここ 10 年の変遷ということでは、平成 13 年
れないなどの問題があり、平成 23 年度よりパソコン
4 月よりソニー製の LL システム(LLC-2000MH)を
格納式ディスクへの更新となった。これにより LL 教
導入後、8 年間使用して現状のシステムとなっている。
室はパソコンを用いない視聴覚教室としての機能を持
このシステムは従来のテープレコーダの装置とは異な
ち合わせることになる。具体的には、4 台の大型液晶
り、音源をデジタル化し、教材サーバに蓄積するもの
ディスプレーを教室の前方左右に一台ずつ、中程の窓
で、CD の曲を選ぶような簡単な操作で自在に音声を
側、廊下側に一台ずつ配置し、音響・映像を同時に操
引き出すことができるものであった。その他、学習者
作 で き る マ ト リ ッ ク ス 装 置 に よ り、 備 え 付 け の
一人ひとりの進行状況をモニターにより監視するなど
MacBookPro、DVD・CD プレーヤー、地デジ・BS チュー
の機能がある。英会話テキスト Side by Side の音源を
ナーをソースとする音声・画像の提示、書画カメラに
用い、授業は行われた。
そもそも、本校の LL 教室は、開校の翌年である昭
よる画像の提示をするものである。
LL 教室を用いる授業もまた従来のものとは様変わ
和 39 年に全国高専に先駆けて、オープンリールレコー
りした。これまで第 1 学年の英会話の授業では 1 コマ
ダー方式により設置された。昭和 49 年にはカセット
の 半 分 の 時 間 で、 英 会 話 テ キ ス ト、Side by Side
方式へと切り換わり、昭和 62 年に再更新があり、教
(Longman)を用い、パターンプラクティスの訓練を
材提示装置がカラー化するなどした。その後、平成 4
行っていたが、iMac 導入時より多読のための授業へ
年に初めてデジタル化した LL 装置の更新となり、既
と変更された。LL 教室には、多読用のテキストが用
述の平成 13 年、21 年の更新となり現在に至っている。
LL 教室での授業風景
258
第 11 章 同窓会
第 11 章 同窓会
第 1 節 同窓会の発足
第 2 節 専任職員の採用
昭和 43 年 3 月 22 日(金)本校の第 1 回卒業式が挙
当時、同窓会顧問教官として同窓会を指導していた
行された。この日が同窓会活動の記念すべき第一歩を
河口教官の示唆により、同窓会事務を取り扱う専任の
記した日でもある。第 1 期卒業生は機械工学科 38 名、
事務職員を雇うようにした。これには、経済的な負担
電気工学科 35 名、建築学科 32 名、計 105 名であった。
と、継続的な支出が伴うことから、躊躇する声もあっ
卒業と同時に全学科合同の同窓会が組織され、須賀太
たが、これを乗り越えて行かねば同窓会活動は活発化
郎初代校長により「紫光会」と命名された。会長に森
しないと考え、専任職員を採用することになった。
浩三、副会長に竹下和志、園田崇好(以上機械)、書
会員名簿の作成は文字通り、会員カードを作成し、
記には林知加久、会計に西田良三(以上電気)を選出
このカードのデータをクラス名簿に基づいて印刷して
した。
から、人海戦術で、地域別、学校別、勤務先別、氏名
昭和 44 年秋からの学園紛争のあおりで、昭和 45 年
順と分類し、非常に使いやすい便利な名簿であった。
の第 3 回卒業式は行われず、学科毎に分散して卒業証
現在、高専によっては、進学者の増加に伴い、同窓会
書授与式が各科の製図室において執り行われた。その
活動が休眠状態となっている高専もあると聞いてい
ため、卒業生に対する同窓会の入会案内もすることが
る。同窓会専任職員の採用は、先に述べたきめの細か
できず、休眠状態となっていた。
い同窓会名簿の作成を含め、在校する同窓生教員・職
その後、昭和 48 年 3 月に土木工学科が第 1 期卒業
生を送り出し、この年に同科の同窓会を発足させた。
員に過度の負担を掛けることなく、同窓会活動が続け
られる重要な要素になっていると思われる。
そして昭和 50 年 5 月に機械工学科も同窓会を発足さ
会員から会費を徴収することが、同窓会活動の活性
せ、後を追うように昭和 50 年 10 月電気工学科、昭和
化につながるという信念に基づき、本校同窓会は創設
51 年 6 月に建築学科と相次いで誕生した。
期の経済的基盤の弱かった時期から、継続して活動し
昭和 52 年の 12 月に市川真人第 3 代校長が「同窓会
てきた。高専同窓会として東日本・西日本の本校同窓
の一本化」を提案され、機械の河口教官が中心となり、
生で組織する 2 つの同窓会支部の総会を毎年開催し、
各学科の教官の協力によって、昭和 53 年 2 月に第 1
本校でのキャリア支援の先駆けとなる OB による在校
回同窓会発起人会が行われた。その後も会を重ね、つ
生向け講演会を行うなど、全国でも屈指の活力ある同
いに昭和 53 年 11 月 19 日(日)同窓会発足総会へと
窓会活動が続けてこられたのは、同窓会創設期におけ
こぎつけた。会長に中根政男(機 1)、副会長に杉浦
る、顧問教官河口教授の「専任職員の採用」という英
久夫(電 1)、杉山真二(土 1)、中根紘一(建 1)を
断があったからである。創設期の同窓会専任職員とし
選出した。当日、図書館前に記念植樹した楊梅(やま
て、山内智子さんが採用され同窓会の切り盛りに活躍
もも)の木も、今や立派に成長し同窓会発展のシンボ
した。昭和 61 年 9 月からは瀧きみ子さんが同窓会事
ルとなっている。
務局を担当し、同窓会の顔として活躍している。
259
第 3 編 部 門 編
で同窓生が色々な分野で活躍している様子を展示した
第 3 節 関西・関東支部の発足
り、建築学科の学生が住宅相談を受けたりする窓口係
をしました。その後、20 周年事業の反省打ち上げ会
昭和 56 年度の事業計画として、関東及び関西の両
地区の支部設立を取り上げた。
に参加した時に、河口先生から土木は同窓会への協力
者が少ないので副会長をやってみないかと打診があ
関西支部設立発起人として、機械工学科、小原潔(機
り、現在まで 27 年に亘り土木・環境都市の同窓会副
1)、林哲昭(機 1)、池嶋康人(機 2)、電気工学科、
会長を担当させていただいております。当時はまだ個
小山茂(電 1)、坂口俊一(電 1)、磯村美輝(電 2)、
人情報保護法が無かった頃で同窓会は、名簿を毎年発
建築学科、長坂新(建 1)、柳原博和(建 1)、山根清
行していました。その名簿の内容は素晴らしいもので
香(建 2)、土木工学科、山本明善(土 1)が選出され、
ありまして学科別・就職先別・都道府県別・50 音別
昭和 57 年 2 月 28 日に関西支部総会が大阪市北区曽根
の 4 つの名簿がありました。当時は、さすがの豊田高
崎多幸梅ビルのレストラン「マンダリン」で開催され
専さんでもその処理をコンピュータで行うことは不可
た。支部長には、小山茂(電 1)が選出された。
能であり、まず学科別の名簿を推敲しそれが校了に
関東支部設立発起人として、鈴木和雄(機 2)、鈴
なった時点で 3 セット打ち出ししてそれを小さく切っ
木邦衛(機 2)、戸澤幸利(機 2)、林茂生(電 1)、藤
て就職先別や都道府県別、50 音別に手でソートし原
井敏幸(電 1)、松本信夫(電 1)、加藤孝司(建 1)、
稿を作り、それをまた業者さんが打ち込んでさらに校
高橋郁文(建 1)、中村徳茂(建 1)
、竹内良司(土 1)
正を繰り返すという方法で作られていました。当時同
が選出され、昭和 57 年 9 月 15 日に関東支部総会が東
窓生の数が 1,000 人程度でしたのでそのような事が可
郷記念会館にて開催された。支部長には、加藤孝司(建
能でしたが、河口先生から、君も豊田高専を出て印刷
1)が選出された。
に関する仕事をしているのならこの手間をなんとか
両支部とも、毎年一度、支部総会を開催し、支部に
データ化して自動処理出来るようなシステムを作って
所在する同窓会員とともに本部から参加する役員、教
くれないかと言われました。それから 5 年ほどかかり
職員が一堂に会し、旧交を暖めている。
ましたが、DATABOX というソフトを使って弊社で
も処理できるようになり、同窓会に事務処理を専門で
第 4 節 同窓会データベースなど
行う方を選任していただき、常時同窓生の変更情報を
入力することにより正確な名簿が上記の力仕事に頼ら
(この節は、データベース構築に直接携わった同窓
ず発行できるようになりました。今では、名簿は発行
会副会長長谷部さん(土 3)に執筆してもらいました。)
しておりませんが、定期的に同窓生の変更情報を掴み
印刷会社に転職後、営業に出るようになったものの、
入力することにより、常に最新のデータになるように
ある程度営業先は先輩社員に譲っていただきました
しています。今回の 50 周年の趣意書につきましても、
が、行くところがありません。そんな時に母校豊田高
同窓会から同窓生全員の方に発送物を送る場合 7,000
専が創立 20 周年を迎えるという知らせがありました。
通を越えますが、宛先不明で返信された物は全体の
同窓会が広く実行委員も集めているとの事でしたので
5%程度です。25 年前から同窓会として名簿に対する
『どうせ暇だしお手伝いしてみるか!』と考え 20 周年
考え方が一貫していたことがこのような正確な名簿づ
記念事業の幹事会に出かけました。当時同窓会は、学
くりに貢献していると考えています。
科単位であった同窓会を合併して 4 年経った時でし
また、私も同窓会の役員をお任せいただき、長い期
た。会長は 3 代目の電気 1 回生の磯村利幸さんが務め
間が過ぎましたので他高専の幹事の方と懇談すること
ておみえになりました。顧問としては同窓会の立ち上
がよくあります。その時に豊田高専の同窓会が試みて
げを推進された機械工学科教授の河口勘次先生が全て
いることをお伝えすると非常に興味を持たれます。そ
のことを取り仕切ってみえました。私は、記念文化祭
の事を最後にお伝えします。
260
第 11 章 同窓会
豊田高専同窓会では在校生の 4・5 年生に向けて就
会員制度は、同窓会発足以来 30 年にわたり年会費を
職後 10 年以上を経た同窓生に講演していただく会を
納めてきた会員が 60 歳を超えた場合、永年会費を一
もう 25 年以上続けてきました。これは、在校生にとっ
括納入することにより、その後の会費を免除する制度
ても進路に関して非常に参考になりますし、同窓生に
である。また、若年会員制度は、卒業後も学生を続け
とってもそのような会に指名されることは大変名誉な
る同窓生が少なくないことを配慮し、8 年分の会費を
ことであり、会社にその事を伝えると旅費や日当まで
卒業時に割引価格で一括納入できる制度である。
手配頂ける所もあるようです。また 3 年前から就職希
望者に対して模擬面接を行っています。その面接官は、
ほとんど現在在籍している企業で面接官の経験がある
2.ロボコン・プロコン・デザコンの支援
準会員と位置づけた在校生への支援の一環として、
人で、3 回とも傍聴しましたが模擬面接とは思えない
部材、製作資金を必要とする学生プロジェクトに毎年
くらいの臨場感を感じました。他にも在校生に対して
支援(活動補助)を行ってきた。機械工学科、電気・
色々なサービスをしてきています。そんな事を他高専
電子システム工学科が中心の高専ロボコン、情報工学
の幹事の方にお話しすると非常に大きな関心を示され
科が中心のプログラミングコンテスト(プロコン)、
ます。他高専の同窓会活動の運営の仕方は、卒業され
環境都市工学科、建築学科が中心のデザインコンテス
て高専に教師として戻られた方に圧倒的な負荷が掛か
ト(デザコン)である。この支援に応え、在校生もお
るか、地元に残られた方がよっぽど熱心で無い限り続
おいに活躍している。
かないそうです。それにひきかえ豊田高専同窓会は、
例えば、高専ロボコンでは、平成 16 年度に電気科
河口先生や初期の役員の方々に先人の知恵があり、先
を中心とする B チームの「ベロシティ」が、本校の 9
ほども書きましたように事務処理をして頂く方を専任
年連続全国大会出場を果たし、全国大会ではロボコン
としたことで学内理事の方々に加重な負担が掛からな
大賞を受賞した。その後、平成 17、19、22 年度は全
かった事が、運営面でうまく運んだ一番の理由だと
国大会出場を逃したが、平成 18 年度に機械科中心の
思っています。(本節 土 3 長谷部孝夫 記)
A チームが、また、平成 20、21、23 年度に B チーム
が全国大会出場を果たし、平成 23 年度はデザイン賞
第 5 節 最近の 10 年(平成 15 年〜平成 24 年)
を受賞している。
プロコンでは、平成 19 年度に自由部門で全国 2 位、
1.会則改正と会員制度の見直し
平成 7 年度(8 代会長岡本正好 : 土 1)には、同窓
生と在校生との絆を強めるとともに、「かきつばた」
平成 20 年度に 2 部門で特別賞、平成 22 年度に競技部
門で特別賞を受賞している。
デザコンでは、構造デザインのブリッジコンテスト
広告収入の激減、送料値上げ、金利低下により苦しく
で平成 15、16 年度連続優勝し、また、平成 16 年度に
なっていた運営費を安定化させるために会員制度を見
は、環境デザイン、プロポーザル部門を含めて三冠を
直した。本科学生を準会員と位置づけ(専攻科学生は
達成している。その後も、平成 19、21 年度優秀賞、
正会員)、副会長は情報工学科代表を加えた 5 名とし
22 年度ものづくり部門最優秀賞を受賞している。
た。また、年会費を 2,000 円から 3,000 円に変更する
また、平成 16 年度からは、電気・電子システム工
とともに、5 年一括納入制度を設け、従来は個別に寄
学科が、自律移動型ロボットによるサッカー競技であ
付を募っていたロボコンへの補助を同窓会の事業とし
るロボカップ(小型機部門)の世界大会への連続出場
て行うことを確認した。先払いされた年会費は別会計
を果たしており、平成 19、21 年度にベスト 8、平成
で管理することとした。
22、23 年度にベスト 4 に進出、平成 24 年度には国内
平成 21 年度(14 代会長西川義人 : 機 14)には、同
外の強豪チームを抑えて 3 位に入賞している。
窓会創立 30 周年、および、第 1 期生の定年退職を視
野に、永年会員制度と若年会員制度を創設した。永年
261
第 3 編 部 門 編
3.高専教育のサポート 面サイズを A4 判から A5 判へ変更した。
平成 9 年度(9 代会長金子剛士 : 建 3)には、購入
さらに、校庭の芝生化への取組み(27 号)、学生を
後 20 年が経過し老朽化していたスクールバス更新へ
守るため大人たちが連携、学校・教育後援会・同窓会
の資金援助要請があった。総会での審議を経て、準会
座談会(28 号)、からくりの世界、学生が 1 年休学し
員である在校生のスクールバス使用サービスを学校側
離島で介護ボランティア(29 号)、定年を迎えられる
が向上させるとの条件で、この要請を受諾、創立 20
同窓生の声(30 号)等の特集を企画し、記事充実に
周年記念事業残金等からなる特別会計から購入費用の
努めた。
30%(450 万円)を寄付した。
31 号からは、本文を 2 段組みに再構成してページ
平成 14 年度(11 代会長浅田正平:電 4)には、歴
数を圧縮し、また、従来 7 月に発行していたインフォ
代卒業生に対する大規模なアンケート調査に同窓会が
メーションの発行を中止し「かきつばた」冒頭ページ
協力した。このアンケートは、JABEE 受審を視野に、
へと合体させる改変を行った。
教育システムの見直しを担当していた教育改革タスク
これと並行し、印刷物としての名簿発行中止による
グループが企画したもので、卒業年、出身学科が偏ら
会員情報更新の遅れを補い、よりきめ細かい情報伝達
ないよう無作為抽出された卒業生 3,000 名に用紙を送
を目的に、同窓会ホームページの整備を開始、平成
付、690 名から回答を得た。アンケートの結果、昭和
17 年度(13 代会長尾崎哲可 : 建 8)から本格運用を開
60 年代から学習不足による学力低下が始まっている
始した。同窓会ホームページは、独立した URL を持ち、
こと、他の教育目標に比べ国際表現力の(全世代を通
豊田高専ホームページ上のバナーをクリックすること
じての)低評価が際立っており、教育の最大の課題で
で移動できる。
あることが明らかとなった。この結果は、本校が平成
15 年度より、低学年を含む全学年で、達成度評価に
基づく教育改善を開始し、外部試験と新指導法(英語
多読)の導入とカリキュラム改変を含む英語教育改善
を実施、平成 18 年度までに学科別の全プログラムで
JABEE 認定を達成する契機となった。
また、平成 20 年度からは、こうよう祭(文化祭)
で特に優れた企画に対し同窓会賞を贈る支援を行って
いる。
4.同窓会誌「かきつばた」とホームページ
同窓会ホームページ
平成 11 年度(10 代会長大河内敏博 : 機 4)「かきつ
ばた」21 号では、会誌に魅力向上のため、6 〜 10 回
生(昭和 48 〜 52 年卒業)に対するアンケート調査を
5.同窓会創立 20 周年記念祝賀会
平成 11 年 1 月 16 日に名古屋市内のアイリス愛知で
もとに、特集「私の仕事履歴書」を企画するとともに、
同窓会創立 20 周年記念祝賀会を行ったところ、約
同窓生相互の情報交換を試み、後の同窓会ホームペー
180 人の会員が参集した。榊、市川両元名誉会長も参
ジにおける情報交換の先駆けとなった。
列され、ロボコン全国優勝ロボットのデモもあり、大
平成 16 年度(12 代会長松本一成 : 土 3)、横行する
いに盛り上がった。また、鬼頭校長(名誉会長)より、
名簿業者による目的外使用から会員の個人情報を保護
スクールバス購入と購入支援要請のいきさつ説明と、
するため、「かきつばた」26 号からは会員名簿の添付
感謝のことばがあった。
を中止し、進路先別の名前リストの掲載に変更した。
同時に経費削減をはかるため、8 号から続けてきた誌
262
第 11 章 同窓会
6.同窓会創立 30 周年記念事業
平成 21 年 1 月 24 日には、豊田参合館内小ホールに
おいて、同窓会創立 30 周年記念式典を行った。
第 29 回関東支部総会
同窓会 30 周年記念式典(14 代会長西川氏)
また、これに先立ち参合館内コンサートホールでは、
OB バンドとの共演を含む、吹奏楽部第 30 回定期演
奏会を開催し、記念式典参加者を含む、多くの聴衆を
集めた。
第 24 回関西支部総会
8.同窓生による講演会
同窓会では、卒業生による「在校生のための講演会」
を毎年行っており、平成 22 年度には第 31 回を数える。
各学科の卒業生 3 名を講師として、学科ごとの会場に
4、5 年生を集めて、講師の学生時代の様子と社会で
の活躍を話し、後輩の参考としてもらうためである。
第 30 回吹奏楽部定期演奏会
平成 23 年度の講演会は、就職活動時期の前倒し傾向
に対応するため、従来の春から秋に変更して実施した
平成 24 年度(16 代会長足立匡徳 : 土 1)、平成 25
(第 32 回実施日は平成 23 年 11 月 30 日)。対象学生も、
年 11 月の学校創立 50 周年に向けて、学校側と協力し
既に進路の確定している 5 年生を外し、3、4 年生へ
つつ記念事業の準備を進めている。また、従来は隔年
とシフトさせた。毎回「かきつばた」に掲載されてい
11 月に行われる総会を交代期としていた会長以下の
る聴講学生の感想文からも、学生が自らの将来を考え
役員任期を、翌年 4 月からとする体制改正を行った。
る契機として、この講演会が大きなインパクトを持っ
ていることが窺える。
7.関東・関西支部活動
同窓会関東支部、関西支部では、独自の活動として
毎年支部総会を開催、本部から派遣された同窓会役員、
9.模擬面接
平成 23 年 3 月(15 代会長塚田康一 : 電 8)同窓生
教職員を囲み、数十名の会員が、懇親と情報交換を行っ
による在校生の模擬面接を実施した。就職活動を間近
てきた。平成 23 年度には、関東支部が第 29 回、関西
に控えた 4 年生と専攻科 1 年生を対象に、勤務先で新
支部が第 24 回目の支部総会を、それぞれ実施した。
卒採用面接の経験を持つ同窓生が行う模擬面接は、同
窓会と本校キャリア教育支援室との連携企画である。
263
第 3 編 部 門 編
従来の牧歌的な雰囲気から変化しつつある就職採用試
たる成果を上げることはできなかった。
験に対し、学生諸君が気持ちを切り替える一助となる
ところで、現状において同窓会活動で最も恩恵を受けて
ことを期待して企画された。指導教員経由で提出され
いるのは、現役の学生達である。それ故、卒業時に同窓会
た模擬応募資料を参考に、数名の模擬面接官が、学生
の代表に面接、質疑応答を行い、他の学生がこれを試
聴するという形である。参加学生に大変好評で、引き
続き平成 25 年 3 月に第 3 回目を行っている。
入会と会費納入を依頼する今の方法は理にかなっており、
教育後援会の理解もいただき、今後も継続できることを願っ
ている。
今後の同窓会活性化のために、自分を含め定年退職者が
増えつつあるので、これら退職者層に向けた同窓会活動の
企画を望みたい。我々世代の高専卒業者の大半は、高専設
立の目的であった高度成長時代を担う中堅技術者として製
造、生産現場の技術を支えてきた者達であり貴重な現場技
術の経験が非常に豊富である。モノ造り大国日本の危機が
問われている今日、これらの現場技術の経験を有する退職
者と企業の若手現役世代、高専学生との交流の場を設け、
現役への技術ノウハウの伝承や、高専教育の目玉にできな
いものかと思う。このたびの 50 周年行事をチャンスとして
第 2 回同窓会による模擬面接講座
第 6 節 回 想
退職者を迎える同窓会活動への提言
機械工学科 昭和 46 年卒業 大河内 敏博
私が同窓会長の依頼を受けたのは、30 年間勤めた新日鉄
から子会社へ出向して半年ほど経った平成 11 年の秋であっ
た。それまで、私は名古屋製鉄所において、製鉄製造にお
ける工業炉の設備、操業の改善、開発を一貫して担当して
きた。出向先ではその経験を生かして社外向けの事業に発
展させる立場でもあった。それまで製鉄関連企業と需要家
の範囲しか交流がなかったことから、同窓会長の仕事はビ
ジネス範囲を広げるのに格好のチャンスと考え、即答した。
当時は、今も状況は変わらないが同窓会運営の最大課題
は会費収入の確保にあった。会費納入率が低いため、あの
手この手の努力がなされ、今日でも何とか黒字会計を維持
できており、同窓会の役員の方々の努力のおかげと感謝し
ている。ただ、進学者が半分以上である今日の状況を考え
ると、今後はますます厳しい状況になるのは間違いない。
同窓会会員である特典を高める工夫を考えたが、なかな
か良いものがなく、就任当時は同窓会誌に会員向けの異業
種技術交流、自社技術の宣伝のコーナー「ウオンツ、プレ
ゼンツ」を設け、活用してもらうことを期待したが、さし
264
全員で知恵を絞っていきたい。
関東支部のこと
電気工学科 昭和 49 年卒業 市川 誠
昭和 44 年、私が 7 期生として入学した当時の母校は、農
地の中に校舎がポツンと建ち、校門前の桜並木も弱々しい
ものでした。寮生活に馴れ、夏季休暇中の初めてアルバイ
トで生きていくための小さな自信を持ち、9 月を迎えまし
たが、校舎の入口にバリケードが築かれ、体育館で学生集
会が行われる状況に否応なしに巻き込まれていきました。
「自分達の主張を通すために他の学生の『学ぶ自由』を奪っ
てよいのか?」、「多数決が民主的か?」、やりきれない思い
が残っています。
建築が好きでありながら将来性を考えて電気工学科を選
んだ私でしたが、専門科目の講義には身が入らず、電磁気
学で赤点を取って再試も受けました。4 年生での実習は富
士ゼロックス岩槻工場(平成 22 年閉鎖)でお世話になりま
したが、汎用ロジック IC を使った業務に「学校で教えられ
る内容が企業活動に間に合っていない」ことに気づかされ
ました。
5 年生となり、建築への思いもあって清水建設(株)の
入社試験を受け、内定を得られました。そして高田先生の下、
人間の動作遅れに関する卒業研究に藤原肇君(電 7)と取
り組み、マルコフ連鎖などによるシミュレーションを行い
ました。昭和 48 年、電子計算機室に FACOM 230/25 が導
入されましたが、記憶容量の制約からプログラムを動かす
第 11 章 同窓会
ことができず、名古屋大学の電算機も使いました。今日の
の会話は重いのだから軽々しく約束をしないようと後で某
コンピュータの発達を考えると隔世の感があります。
副会長にたしなめられました。
クラブ活動はバスケットボール部に入部し、須賀杯にも
さて、その後暫く放置しておいたものですから、12 月に
出場しましたが、足首のけがで休むうちに限界を感じ、寮
なり話の具体化をする段で、関係する皆さんに心配を掛け
の先輩だった峰野昭氏(建 6)らが始めた硬式テニスの活
ました。キャリア支援室兼重教授、清水准教授の協力、長
動に参加しました。頭数の面で同好会昇格に若干のお役に
谷部副会長の仕切りで大枠が決まりました。面接官は、副
たったのではと思います。
会長、顧問の方々を中心にお願いをしたところ、学生のた
昭和 49 年、清水建設(株)に入社して約四半世紀、主に
めになるのであればと快く引き受けて貰い感謝しています。
技術開発畑で働きましたが、高専で培った「工学的なもの
当初私はもっと簡単なものを想定していたのですが、話を
の考え方」が役立ちました。また、在校中のトヨタグルー
詰めていく段階で、ずっと立派な企画に成長していくのを
プの QC(品質管理)の講習会の受付のアルバイトでの聴講
感じました。
が IE(Industrial Engineering; 経営工学)への関心となり、
第 1 回模擬面接は、平成 23 年 3 月に行いました。土曜日
社内の TQC(総合品質管理)活動に役立ちました。平成 2
の午後半日を使い、2 会場、各 4 組、合計 20 名の学生の面
年度の 1 年間、職員組合の本部役員となり、「法律の基本的
接を行いました。面接官は、西川さん(機 13)、角田さん(機
な知識を」と放送大学の 3 年次に編入・卒業し、本校の卒
14)、小笠原さん(電 14)、金子さん(建 3)、A15 岡田さん
業から 20 年経て、社会人向けに開設の夜間の筑波大学大学
(建 15)、服部さん(土 4)、加藤さん(土 6)、塚田(電 8)、
院経営・政策科学研究科経営システム科学専攻で学び、修
了することに繋がりました。
カメラマンは長谷部さん(土 3)です。
当時の記録を見ると、「学生、面接官ともにスーツを着用
同窓会活動は、第 1 回支部総会(昭和 58 年)で関東支部
し、豊田高専とは思えない雰囲気の中で、高い緊張感に包
発足後、東郷記念館で開催の会に一度、出席しましたが、
まれ面接は進行しました。面接後の質疑では質問が途絶え
次に出席したのは第 8 回支部総会(平成 2 年、新宿三井ク
ることがなく活気に満ちていた」、とあります。実際に企業
ラブ)でした。そこで林隆一氏(機 6)に声をかけられた
で面接を行う年齢のオジサンたちが面接官を務めるのです
のがきっかけで、平成 3 年から現在まで支部活動と関わる
から、迫力があります。学生の緊張が面接官にも伝染し、
ことになりました。関東支部が今日まで活動を継続してこ
面接官もガチガチになっていたことを思い出します。
られたのは母校、同窓会本部、支部を支えようと集まって
実施してみての感想ですが、学生のニーズに合った良い
いただける同窓生、そして支部幹事の皆さんのおかげと感
企画ができたと思います。会長就任の挨拶文に、学生と卒
謝しています。
業生の架け橋になりたいと書きましたが、思いがこういう
(追記:原稿提出後、平成 24 年 11 月、林隆一氏(機 6)
逝去の報に接しました。ご冥福をお祈り致します。)
形で実現でき嬉しく思います。
今後も関係者の協力を得て継続して行きたいので、引き
続き宜しくお願いします。
回 想
電気工学科 昭和 50 年卒業 塚田 康一
私と豊田高専同窓会
平成 21 年 10 月から平成 24 年 3 月までの 2 年 5 か月間会
土木工学科 昭和 50 年卒業 長谷部 孝夫
長を務めさせて頂きました。会長の役目は年に 2 回位だか
私は、愛知県岡崎市六供町に昭和 29 年 9 月 24 日の天神
ら、という甘い言葉を信じて受けましたが結構忙しい思い
さんのお祭りの日に生まれました。現在は 58 歳になりまし
をしました。
た。48 歳の時には初孫に恵まれその子を含め現在は、1 男
会長を務めての一番の思い出はというと「模擬面接の創
3 女の爺ちゃんとして楽しく過ごさせていただいておりま
設」です。平成 22 年 6 月、末松校長との会食の折に、高専
す。豊田高専には、昭和 46 年 4 月に土木工学科の 3 回生と
生は面接が苦手という話があり、
「では、同窓会でお手伝い
して入学しました。当時、驚いたことが三つあります。一
しましょうか」と話をしたことがきっかけとなりました。
つ目は、入学当初はまだ学園紛争の名残が残っており、何
学校としてはキャリア支援室を立ち上げた時期であり、抜
となく騒然とした雰囲気を感じました。創立以来寮生活で
群のタイミングでの提案だったようです。尚、校長と会長
は同部屋に 1 年生と 2 年生を一緒に入れていろいろな事を
265
第 3 編 部 門 編
学ばせるのが普通でしたが、学校側の紛争経験者と初な 1
なったときに営業に出るようになりました。その後のこと
年生を一緒にしたくない思惑があったためか我々の年は、1
は、本章第 3 節「同窓会データベースなど」として述べて
年生だけの組み合わせで寮生活が始まりました。その事で
います。
良かったことは、より沢山の多学科の学生と知り合えたこ
今後の同窓会活動に懸念があることは、今、活動を引っ
とであり、それは今でも私の財産になっています。不幸だっ
張っている私を含めた 50 代もそろそろ会社を引退する年代
たのは、1 学年上の先輩とは、断絶ができてしまった事です。
となったことです。私自身を考えてもそう長くは関わるこ
学校を出てからの色々な付き合いで今では非常に仲の良い
とは、無理だと思います。そのわずかな時間の中で現役員
方もみえますが、在学当時は、ほとんどお話しすることも
や学校側の関係者の方が一丸となって次の同窓会を担って
ありませんでした。二つ目に驚いたことは、中学校から入っ
行って頂ける方をあらゆる手段を通じて探し登用していく
てきて突然、授業の事を講義といい、生徒の事を学生といい、
ことが、豊田高専同窓会にとって最重要課題だと考えてい
教えていただく先生は、助教授や教授でありながら一番偉
ます。
い人は学長ではなく校長であり、高校と大学のいいとこ取
りというか悪いとこ取りというかよく分かりませんでした。
しかも講義は 1 コマ 100 分であり「非ゆとり教育」で月曜
4 コマ、火曜 4 コマ、水曜 3 コマ、木曜 4 コマ、金曜 4 コマ、
土曜 2 コマで 1 週間に 21 コマ 2,100 分(35 時間)をこなす
という超過密スケジュールでありました。よく耐えたもの
だと我ながら感心しております。更には 1 年生にとって 5
年生ともなると完全なおっさんで、はじめて行った囲碁部
の合宿で酒もタバコも嗜む姿には憧れと尊敬と若干の嫌悪
を感じたりしたものでした。三つ目に驚いたのは、不肖私
も岡﨑市立葵中学在学中には、学年 1 位の経験が少なから
ずあり入学時には多少の自信があったのですが、半分以上
の同級生には、理解力、発想力の豊かさに驚かされました。
特に数学や物理・化学、そして図学などの問題を解くとき
の早さや方法にはとても自分にはないものを感じさせられ、
かえって自分の立ち位置を確認できましたし、本当に優秀
な人たちの集まりだったと思いました。
そんな学生生活をなんとか末席を温めながらも 5 年でク
リアし、蒲郡の土木会社に昭和 50 年 4 月入社しました。当
時は、オイルショックが終わった直後でしたが、土木業界は、
活況を呈しておりました。特に私の入った会社は、蒲郡の
港湾工事と下水工事を手広く展開しており、入社 3 か月後
には、現場を 3 カ所ほど持たされました。土木の監督とい
うのは非常にハードな職種で役所との折衝や、会社への報
告・連絡、協力業者の選定や価格交渉、近隣住民への説明、
材料の発注、納期管理、品質管理、安全管理などが出来て
あたり前で、さらに現場単位で利益を出すことを求められ
ます。その会社には 5 年半在籍しましたが、その経験が今
でもとても役立っております。何故その会社を退職したか
と言いますと 23 歳で結婚し二人の娘が生まれ岡﨑に居を構
えました。2 年半後に東京への転勤の打診があり熟慮の末、
当時叔父が経営していた印刷会社に転職しました。転職後
2 年間は、会社の中で印刷に関する基礎知識を学び 28 歳に
266
関西支部 25 年
建築学科 昭和 51 年卒業 大場 誠
今年も 8 月の最終土曜日に、第 25 回の同窓会関西支部総
会と懇親会が開催された。参加者も上は昭和 43 年卒 M1 小
原潔さんから、下は平成 22 年卒 C38 伴麻美君まで年齢差は
42 歳になる。来年は学校創立 50 周年を迎えるのだから無
理もない。しかし、懇親会が進行していくうちに自然に学
科ごとの固まりとなり、先生を中心に話しこんでいるうち
に、学校で過ごした年代に違いがあってもそれぞれの心に
青春時代の思い出が蘇ってくる。
私は昭和 51 年に関西電力に入社して以来、職場は福井・
兵庫・大阪のエリアの中で転々としながら、ずっと関西エ
リアに在住している。しかし関西支部総会への参加率は「4
割」と常連メンバーの中ではすこぶる低い。
私が初めて関西支部の総会に参加したのは今から 25 年ほ
ど前のこと。何回目かは定かでないが、会場は JR(当時、
国鉄)大阪駅北側にある「国鉄・弥生会館」。参加者は 30
名位だっただろうか。会員の年齢幅は今より小さく、馴染
みやすい状況だったにも関わらず、学生当時クラブ活動に
参加していなかった私は、会社の先輩である A3 河合勝実
さん以外顔見知りがおらず、立食形式であったこともあっ
て、誰と話すこともなく、誰からも声をかけられることも
なく、ほとんど壁の花状態で過ごした。そのことがトラウ
マとなって 15 年間は関西支部とは疎遠であった。
復帰したのは 9 年前の平成 15 年。たまたま仕事の関係で、
当時支部の幹事だった A7 福島辰永さんにお会いする機会
があり、その時に勧められるまま第 16 回の総会に参加した。
ただ、様子は以前とは随分変わっていた。参加メンバーには、
歴代の支部長経験者も多く含まれ、E2 磯村美輝さん、A2
山根清香さん、M4 立松紳二さんたちの見事なホスト役のお
第 11 章 同窓会
陰でいろいろ話もさせていただいた。
長年、関西に住んでいても私は関西人になりきれない。
会社の同僚と甲子園球場に「阪神・中日戦」を観戦する時、
1 塁側スタンド(阪神側)の席で、周囲の阪神ファンに遠
慮して、声も出せず心の中でドラゴンズの応援をしている
という話をした時に、同じ経験をした仲間がいることを知っ
て妙に嬉しかった。
それ以来、関西支部の活動のお手伝いをさせていただい
ているが、関西人になりきれていない私にとって、後輩の
皆さんが関西方面に就職したという情報には大いに力づけ
られる。関西在住の皆さん、また機会があれば、関西支部
の集いにも気楽に顔を出していただき、ぜひ皆さんで会を
盛上げていただきたい。
祝・豊田高専創立 50 周年。
267
第 3 編 部 門 編
第 12 章 教育後援会
第 1 節 教育後援会の役割
教育後援会は、昭和 38 年 4 月、豊田工業高等専門
学校の創立と同時に、学校の運営上必要な財政的援助
を通して、教育の充実・振興、課外活動の助長及び保
護者と学校との協調を図ることを目的とした後援団体
として組織された。
この目的を達成するための事業として、学生の福利
教育後援会主催の卒業祝賀会
厚生に関する助成、学生の学習及び課外活動の助成及
教育後援会のもう一つの目的として、保護者と学校
び研究の助成等 5 項目の事業が設定された。これらの
との協調がある。これは特に財政的な援助や助成と
事業は、50 年を迎えようとする今日においても一部
いった問題ではなく、子弟の教育に関して保護者と学
事業の名称の訂正はあったものの、当初設定された事
校とが連絡を密にして成果を挙げようとするものであ
業内容の基本的な目的は何ら変わっていない。
る。最近顕著な例としては、平成 24 年度から学生寮
事業資金は、言うまでもなく、1 年又は 4 年に入学、
にエアコンを導入することについてである。全国の高
編入学した時の入会金と 1 年生から 5 年生までの在籍
専を見てみると豊田高専ほど寮生が多いのは他にない
者からの会費である。その額は平成 14 年度の当初予
ものである。本校の寮は入寮希望者が多く、毎年 50
算を見ても 2200 万円を超えている。これをもとにし
名ほどの学生が待っている状態である。寮の生活環境
て助成項目ごとに予算書を作成し、会長、副会長、役
が他の高専に比べて特別優れているわけではない。逆
員会で審議してから、総会に諮って施行される仕組み
に夏の暑い時期には、扇風機で暑さをしのいでいる状
になっている。
況である。そのような中、学校側は上部組織である「高
本校は課外活動が活発であるがゆえ、予算の約 4 割
専機構本部」に現状を訴え、平成 24 年度営繕事業と
が課外活動特別予算として繰入され、高専大会の地区
して機構本部より本校へ、寄宿舎空調機用基幹整備費
大会や全国大会に参加する学生の宿泊、旅費の補助等
56,489 千円(エアコン設置に必要な電気設備工事)を
の助成をしている。
配分されることとなった。これに伴い、受益者である
また、課外活動等特別会計の支出において、課外活
動経費支給基準が「全国、地方体育大会等に参加する」
寮生保護者によるエアコンのリース契約を行い、24
年の冬季より稼働の予定である。
と決まっているが、役員から、文化部に対しての補助
学生寮の生活環境を向上させることで、勉学に勤し
ができない「不平等さ」を指摘する声が上がり、今年
む気力も向上する事を学校側から説明を受けて、3 役
度より出来る限り全学生が平等に恩恵を受ける事ので
員との相談の結果を役員会で審議し総会で承認を得
きるように改善してきた。
て、結果として全面的に協力する運びとなった。
ここで、教育後援会会則に規定された教育後援会の
目的と事業を次に掲げておく。
268
第 12 章 教育後援会
(目的及び事業)
第 3 条 本会は、豊田工業高等専門学校の教育の充実振興に寄与
し、併せて会員と学校の協調を図ることを目的とする。
第 4 条 本会は、前条の目的を達成するために次の事業を行う。
①学生の福利厚生に関する助成
②学生の学習及び課外活動の助成
③学生の生活環境の整備充実の助成
④後援会の開催の助成
⑤その他必要な事業
第 2 節 直近 10 年の実施事業業績
3.その他の事業に関する助成
教育後援会は、その他の事業に対しても援助をして
いるが、主だったものは次のとおりである。
・新入生や修了・卒業生への記念品の経費
・中学生が高専に訪れるオープンキャンパスでの昼食
の経費
・50 周年記念事業費(30 周年、40 周年)の積立等
これまでに述べた種々の事業予算を適確に執行し、
経理していく業務は片手間ではできないので、教育後
1.学習に関する助成
教育後援会は、学校設立当初から、本校の図書館の
援会の予算の中から経費を捻出して専従職員を 2 人
(中根美代子さん、河合三代子さん)配置している。
蔵書の充実に重点を置き、予算の中から図書購入費を
捻出し、援助してきた。最近では毎年図書関連経費補
第 3 節 教育後援会組織の変化
助として 100 万円程度援助し続けている。
平成 14 年に吉岡教官が本校に導入した新しい英語
学習法として「英語多読」がある。これは、授業時間
1.教育後援会の役員人事改良
平成 20 年 11 月に教育後援会として初めて、米子高
内に核となる読書時間を確保し、担当教員の助言の下、
専に訪問し交流会を実施した。その時会長であった浦
図書館に備えた豊富な易しい英文図書を各学生が自律
野氏が、米子高専からのアドバイスで今回の変更を試
的に読み進めるものである。平成 24 年 4 月現在で、
みた。従来、教育後援会役員を新 1 年生の保護者から
図書館には多読用の易しい英文図書が 33,000 冊揃い、
選出した後、その中から 1 名は必ず監査、副会長 2 年、
国内トップクラスの充実度である。平成 24 年 4 月現
会長と 3 役を引き継いできた。しかし、会長を経験す
在では、蔵書数が約 13 万 7 千冊で、特に和書、英語
るとすぐに退任のため、経験した事を後継者に継承で
多読用図書は開架書架に多く置かれ、学生が書籍に親
きない。そこで浦野顧問として 1 年間役員に残ってい
しみやすいように配慮されている。今後も継続的に援
ただいた。これにより 4 年目で会長、5 年目に再度副
助していく。
会長で流れる仕組みが出来上がった。これは、他高専
との交流の賜物である。
2.課外活動に関する助成
学生が豊かで有意義な体験が出来るように体育系と
2.新役員選出時の事前聞き込み調査実施
文化系のクラブ活動を支援し、文化・体育施設がよく
毎年、後援会役員を選出する際、事務職員が新入生
整備されている。学生は友人、先輩あるいは、教職員
の自宅に総当たりで役員引受けをお願いしていた。こ
とともにスポーツや文化活動を通じて、学生生活をよ
の悩みを解消させた改革が事前聞き込み調査である。
り豊かなものにしている。クラブ数は体育系で 22 団
これにより、やる気のある保護者が新役員を引き受け
体、文化系で 17 団体(共に平成 23 年度末現在)あり、
てくれた。更に現在も継続して実施しているが、毎年
学生相互の研鑽の場となっている。
どのクラスにも数名の希望者がいるため、本当に画期
教育後援会は、発足以来今日までこれらの課外活動
的な改善であった。
に資金面で積極的に援助を行ってきた。学生がこれら
遠征試合・体育大会や各種アイデアコンテストに要す
る費用の一部を援助するのがこの事業の目的であり、
予算の中でも大きな柱となっている。
3.教育後援会ホームページの立ち上げ
平成 21 年 10 月に、豊田高専教育後援会のホームペー
ジを開設した。時代の移り変わりに合わせて、IT 関
係に詳しい役員の方が立ち上げ現在に至っている。こ
269
第 3 編 部 門 編
れにより、保護者からの率直な意見の件数が増加して
きたのも事実である。
おります。
役員在任中、豊田市体育館でのロボコン地区大会の
激戦や愛知県体育館での連戦連勝のハンドボール部の
4.近隣高専との交流会
試合など、多くを見学させていただくたびに、子供た
米子高専後援会との交流会を機に、現在では東海 3
県(鈴鹿、岐阜、豊田)の交流会を輪番制で行ってい
る。意見交換を行うことで各後援会がより良くなるこ
とを期待する。
ちが先生方の指導のもと、みるみる成長していくこと
を実感しました。
また、JABEE 制度導入や学校の独立行政法人化な
ど教育制度や組織の変化があった期間であり、校長始
最後に、歴代の役員をされた方々のご尽力に対して、
紙面を借りて心からお礼を申し上げます。
執筆者 平野忠司氏(平成 23 年度教育後援会長)
め職員の皆様方のご努力は大変なものであったと存じ
ます。
結びに、近年の社会はめまぐるしく変化し、円高や
震災などの影響により、日本経済を取り巻く状況は厳
しいものがありますが、豊田工業高等専門学校には、
今後とも、日本に、いや世界に、より多くの優秀な人
材を輩出していただくことをお願いするとともに、50
周年を迎えられた豊田工業高等学校のさらなる飛躍と
関係各位及び教育後援会の皆様方のご健勝、ご活躍を
心からお祈り申し上げます。
平成 24 年度役員
長男の成長を通じ、高専について思うこと
元会長 三田 晴伸
第 4 節 回 想
豊田工業高等専門学校創立 50 周年、誠におめでと
うございます。
豊田高専回想
長男の高専生活は、「入学を許可する」の髙木不折
元会長 鵜飼 俊郎
豊田工業高等専門学校が創立 50 周年を迎えられ、
心からお祝い申し上げます。
校長先生の一言で始まりました。地元の名古屋を離れ、
友人とも別れての豊田郊外での寮生活は、中学を出た
ばかりの彼には、たいへん心細いものだったように思
半世紀もの歴史を刻まれた貴校の歩みは、輝かしく
います。しかし、先生方の励ましと多くの先輩のサポー
素晴らしいものでございます。まさに、歴代校長始め
トで、いつしか高専の生活にも慣れ、英語の多読やこ
教員の皆様方、また、事務部の皆様方の真剣で熱意溢
うよう祭でのクラス出店などに取り組むようになりま
れる教育への取り組みの成果であり、誠に頭の下がる
した。
思いでございます。
末松良一校長先生が就任され、からくりの講演をさ
私は教育後援会の役員を、息子が髙木不折校長の「入
れていたころ、高学年になった長男も将来を深く考え
学を許可する。」との言葉を受けた平成 12 年度から
るようになり、大学への編入学の道を選択することに
18 年度までの実に 7 年間にわたり携わらせていただ
なりました。大学では生命工学へと専門を変えたため、
きました。
一からの出発でしたが、各地の高専出身者同士のネッ
役員を終わってみると、学校のお役に立てたのかと
トワークもあり、厳しい競争試験で入学してきた一般
思うほどに、校長始め職員の方々、そして、教育後援
学生にも臆することなく、大学・大学院生活を謳歌し、
会の事務局の方々に支えていただき、今でも感謝して
来春の就職先も決めました。
270
第 12 章 教育後援会
振り返ってみれば、高専での生活が、確実に人間と
いう段取りです。これは、初めて行った他高専との交
しての幹を太くしていたように思います。また、高専
流で、米子高専の後援会からのアドバイスの成果で、
では進路について、深く考え、問い続ける時間もあり
うまく機能するようになったと自負しています。
ました。
また、毎年新入生の保護者から新役員を選定するの
豊田高専では、多感な時期にほとんどの学生が寮生
ですが、これが常に事務局の悩みのタネでした。極端
活を経験し、多くの学生が運動部や文化系部活動に参
に言うと総当りで保護者に役員のお引受けをお願いす
加し、さらには少なからぬ学生が海外留学を経験する
るのですが、これがなかなか難しいのです。そこで、
など、進学高校で忘れかけた「人間教育」が行われて
最初の教育後援会のご案内で、役員引受けの希望を書
います。また、学生生活や課外活動などに教育後援会
いていただくように改めました。役員を希望する人な
活動を通じて父母がかかわり、私たち父母自身の教育
どないという既役員からの意見もありましたが、現実
の場でもありました。
は違いました。なかなかどうして希望者がおられるの
昨今、多くの企業から「社会人基礎力」、「人間力」
です。これで新役員の選定もうまくいくようになりま
が必要などと言われるようになってまいりました。ま
した。これからの課題は新会長をどう選定するかです。
た、政府の国家戦略会議においても高専を増やすべき
今は互選ですが良い方法を模索している様子です。
だとの意見が出されていると報道されております。社
会が高専を評価し始めた証拠だと思っています。
さて「教育後援会」の名称ですが、私の意見を書き
ます。他高専では「後援会」という名称も多くなって
20 年に及ぶ経済社会の停滞の末についに発生した
きました。教育以外にも多岐にわたり後援していくの
未曾有の大震災と原発事故は、私たちがこれまで留保
が良いと思い、豊田高専も「後援会」と改めてほしい
してきた様々な課題の解決を迫っています。あらため
と考えます。これからも多くの学生の支援を幅広く
て、それぞれの「現場」を見つめ、そこから考え、そ
行っていただきたいと思います。
こから組み立てる深い実践力が要求される時代になっ
てまいりました。豊田高専は、このような時代にあっ
てこそ力を発揮するものと信じております。
教育後援会への思い
元会長 鈴木 祐二
まだまだ手のかかる学生たちの教育や生活指導に当
たられる先生方のご苦労と、教育後援会関係者のご尽
豊田工業高等専門学校の創立 50 周年おめでとうご
力に感謝しながら、豊田高専のさらなる発展をお祈り
ざいます。心よりお祝い申し上げます。実は私も昭和
しております。
38 年生まれであり、同い年ともいえる豊田工業専門
学校に教育後援会として係わりえた事は光栄であり、
「教育後援会」から「後援会」へ
貴重な体験をさせていただき感謝しています。
我が家は、上の子が豊田高専に入り、そばで見てい
元会長 浦野 雅弘
た下の子も学校の良さに惹かれ、同じく豊田高専にお
豊田高専創立 50 周年おめでとうございます。思え
世話になることになりました。今思えば、中学校の担
ば私と娘の 2 代にわたって豊田高専にお世話になり大
当先生が “ 初めて豊田高専の合格者を出せた ” と喜ん
変に感慨深いものになっています。加えて非常勤講師
でおられ、豊田工業専門学校に兄妹揃って入学出来た
も数年勤め、教育後援会の役員も参加させていただき、
事は、子供の頑張りが招いた奇跡だったのかもしれま
とても縁深い真の母校という実感が湧いています。
せん。
私が教育後援会役員のときに行った人事改良は、ご
学校へ一番お礼を言いたいのは、子供たちが寮生活
子息が 4 年生のときに会長に就任していただくことで
を経験させていただいたことで性格が積極的になり、
す。すなわち 3 年生のときに副会長、4 年生で会長、
周りへの思いやりが出来、協調が取れるようになった
5 年生で再び副会長にもどり、後任会長に引き継ぐと
ことです。本当にありがとうございます。
271
第 3 編 部 門 編
教育後援会は平成 17 年から 22 年の 6 年間を役員と
では多くの高専で入寮者が減少し、学寮経験が無い高
して運営に携わらせていただきました。最初の年に、
専生が増えつつあります。価値観の多様化、経済的理
当時会長であった加藤さんが校長先生と他の先生方に
由等を鑑みれば学寮経験を義務化することは難しいこ
対し、学生と保護者の立場から学習支援等の改善を申
となのだと痛感します。
し出られ、教育後援会が支援をするだけのものではな
ところが、豊田高専では、入寮可能人員以上の希望
く、学生及び学校のために運営されていることを感じ
が相次ぎ、寮も増設されることになりました。なぜ、
ました。その年に着任された末松校長先生も学生と保
豊田高専では入寮希望者が多いのでしょうか。同じ方
護者のことをよく考えていただけ、教育後援会がより
針の下歩んできた高専が、かたや縮小、かたや拡大し
学生のため、学校のための役割をもったものに変わり
ているのです。考察するに、豊田高専学寮が一朝一夕
始めたと感じています。先輩会長である加藤さん、上
に成し得たとはとても思えません。豊田高専学寮の歴
野さん、三田さん、浦野さんご尽力の結果、学習支援
史を紐解けば、開校時豊田市役所での仮設寮から始ま
対策、図書、文化系支援改善、後援会 HP 開設等が始
り、学生運動の影響による学生と教職員間での亀裂危
まりました。教育後援会自体も、他高専の後援会との
機、オイルショックによる燃料制限で寮一部閉鎖危機
情報交換の実施、定期総会見直し等、社会環境に対応
等、色々な難局を乗り越えてきたことが今の豊田高専
した運営の改善を学校ならびに先生方のご協力のも
寮に繋がるのだと思います。これは一重に今まで携
と、少しずつ進んでいきました。役員を務めさせてい
わってきた学生、教職員、保護者の方々の尽力の賜物
ただいた時は、口うるさい役員として、学校ならびに
なのでしょう。そして最大の要因は、教職員、学生、
先生方にはご迷惑をおかけし申し訳ありませんでし
保護者の方々が学寮運営において信頼し、成長し、信
た。
頼 関 係 を 築 く 事 こ そ『 学 寮 育 』 で あ り『 豊 田 高 専
これからも変わらぬ子供たちへの思いのもと、より
ism』なのではと考えます。この素晴らしい伝統を後
良い後援会となるよう、後援会役員の方々に頑張って
世に継承できるよう寮生保護者部会も協力していきた
いただき、先生方及び学校においてはご助力をよろし
いと思います。
くお願い致します。
最後に豊田工業専門学校ならびに教育後援会のより
一層のご発展をお祈り申し上げます。
『学寮育』それが豊田高専 ism !
理事・寮生保護者部会世話人代表 加藤 康行
まずは、豊田高専が 50 周年を迎えるにあたり心よ
りお祝い申し上げます。
私が寮生保護者部会世話人の役を引き受け、はや 3
年が経ちました。このような機会を与えていただかな
ければ、学寮に関してあまり深く考えなかったことと
思います。
高専の学寮は、教育の一環として運営されています。
これはただ単に宿泊施設としてではなく、同じ環境で
寝食を共にし、助け合い、人としての社会性を学ぶ場
であると理解しています。理想論から言えば、全学生
に学寮生活を経験してほしいと思います。しかし現状
272